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◆アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra)による世界一周赤道飛行と太平洋上の失踪事件
写真(上)2010年3月、アメリカ、カリドルニア州オークランド飛行場、赤道上世界一周飛行に向かったアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード NR16020)復元機レプリカ
:アメリアは、1934年2月23日に初飛行した新鋭機エレクトラ10-Eの特別仕様を乗機とし、1934年5月、アメリカ本土オークランド飛行場からハワイ諸島オアフ島に到着した。しかし、ハワイから離陸するときに滑走路で事故を起こして機体は大破、第1回目の世界一周飛行は初動で頓挫した。この機体は、別形式の10-Aエレクトラ(製造番号1050)で、ノースウェスト航空(Northwest Airlines)の機体(登録コード NC14900(NX72GT))だったが、有名なアメリアの愛機の塗装を施している。
Description Linda Finch arriving back at Oakland Airport. Date 6 March 2010, 14:51 Source Lock10Lindafinch Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons,Lockheed Model 10 Electra ・File:Lock10Lindafinch (4411465037).jpg 引用。



写真(上)1937年6月2日、ベネズエラ、カリピト飛行場、赤道上の世界一周飛行中のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と搭乗機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )(登録コード:NR16020)
:コックピットの天井にある昇降口からコックピットに入る構造になっているので、出入りには胴体上部まで主翼を使って登らなければならない。胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。アメリア・イヤハートは、1937年3月18日に発進した第1回目の世界一周の失敗を挽回するために、逆回りで、1937年5月21日に第2回目の世界一周飛行に出発した。この日、前回同様、カリフォルニア州オークランドから東進し、マイアミ経由で、6月2日、南米ベネズエラのカリピトに着いた。
View of Amelia Earhart climbing out of the cockpit of her Lockheed 10E Electra (r/n NR-16020) at Caripito Airport, Caripito, Venezuela, on arrival from San Juan, Puerto Rico, June 2, 1937. photographer Unknown Subject Earhart, Amelia 1897-1937 Date 6/2/1937
写真はNational Air and Space Museum Archives ・Local number NASM-2009-31378引用。

写真(上)1937年6月16日、イギリス領植民地インド帝国(パキスタン)、カラチ、赤道上の世界一周飛行中のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )(登録コード:NR16020)への給油作業
:アメリア・イヤハートは、ベネズエラ、ブラジル、アフリカから、パキスタンのカラチに6月16日に到着した。ここから、ビルマ、ジャワ島西部のバンドン、ジャワ島東部のスラバヤを経由して、ニューギニア東部のラエに飛到着した。そして、1937年7月2日、ラエを離陸し、ハワイ方面に飛行する最中に行方不明になった。
Old Identification Number i.b.14.d Title Amelia Earhart’s Lockheed Electra being serviced Description Amelia Earhart’s Lockheed Electra plane being serviced, Karachi, India, June 16, 1937 Date of Original 1937-06-16 Subjects Lockheed Electra Karachi (Pakistan) Genre (TGM) Photographic prints Extent of Original 1 photograph : sepia ; 16 x 21 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Collection Web Site http://www.lib.purdue.edu/aearhart Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/13/2006 Resolution 600 ppi Color Depth 24 bit Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target CD Number 1/30/2006
写真はPurdue University Libraries ・Purdue Identification Number b11f4i16引用。

アメリア・イアハート(Amelia Earhart)五部作
(1)アメリカ女性飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
(2)1928:フォッカー(Fokker)F.VII三発水上機による女性初の大西洋横断飛行
(3)1931:ピトケアン(Pitcairn)PCA-2による女性初のオートジャイロ飛行と高度記録達成
(4)1932:ロッキード・ベガ(Lockheed Vega 5)による女性初の大西洋横断単独飛行
(5)1937:ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Electra)による世界一周飛行


⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇


1.アメリア・イアハートの生い立ち

アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)は、1897年7月24日、アメリカ合衆国カンザス州アッチソン (Atchison) の裕福な一族の家系で、高校卒業後はコロンビア大学(Columbia University)で医学を学んだが、1年で退学して、第一次世界大戦中、カナダに設けられたアメリカ陸軍病院の看護助手となった。その後、1920年にカリフォルニア州ロサンゼルスのロングビーチで父と主に初めて10分間程度の遊覧飛行をしたが、この時、自ら空を飛ぶことが夢になった。そこで1921年1月から、ロサンゼルスのロングビーチにあったキナー・フィールド(Kinner Field)で アメリカ人女性飛行士の先駆者"ネタ"・スヌーク・サザーンMary Anita "Neta" Snook Southern :1896-1991)から飛行機の操縦訓練を受けた。"ネタ"・スヌーク"Neta" Snook)は、1921年2月、ロサンゼルス・スピードウェー(Los Angeles Speedway)のエアレースに初めて参加した女性飛行士となった。


写真(右)1928年6月17日、北アイルランドから大西洋を横断しカナダに飛行するアメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937)
:1928年6月17日、北アイルランドからカナダへの大西洋横断飛行を前にし緊張しているアメリカ人女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937):1940年に母親からスミソニアンに寄贈された写真であり、寄贈者のサインがある。1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を女性として無着陸横断した。1928年6月17日、北アイルランドから大西洋を横断しカナダに飛行したアメリアは、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジに呼ばれ称賛された。アメリカのヒロインの誕生である。
大西洋を無着陸横断を女性として初めて達成した。これはリンドバーグの大西洋単独横断初飛行の快挙に次ぐものとされ、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジは、面会し彼女を称賛した。この場所では、飛行帽を被ったり、コートの前を開けたり、いくつかのポーズをとらせた写真が残っている。アメリアは、このときフォッカー三発水上輸送機に同乗者として、事実上、乗客として大西洋横断飛行をしたが、女性にとって初めての快挙、アメリカ女性の勇気ある行動として称賛・喧伝された。これと違った飛行帽なしの姿の写真が、1928年7月19日のNEW YORK TIMES のトップ記事「AMELIA EARHART FLIES ATLANTIC, FIRST WOMAN 」に掲載された。
Full length standing photo of Amelia Earhart dressed in flight jacket, helmet and goggles. Handwritten note at lower right corner reads: Amelia Earhart. Given by her Mother, 1940..Source: U.S. Air Force, courtesy National Air and Space Museum, Smithsonian Institution
写真はSmithsonian Institution,National Air and Space Museum ID #: SI-78-16945引用。


 1928年4月、飛行操縦のできたアメリア・イアハートAmelia Earhart)は、評論家で富豪のジョージ・パットナムの誘いを受け、大西洋横断飛行に同乗することとなった。これは、操縦士としてではなく乗客としてだったが、飛行訓練を受けた女性は緊急時に役に立つ上に、大西洋横断飛行をした初めての女性をアメリカ人とすることで、アメリカの国威発揚にも繋がると考えられたからである。ジョージ・パットナムが資金提供者パトロンとなって、フォッカー F.VII「フレンドシップ」三発水上輸送機によって、カナダのニューファンドランド島のトレパシー湾を離水、大西洋上を陸奥悪陸で横断し、21時間後にイギリスのウェールズ、バリー・ポートに着水した。この時の搭乗員は、主操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz: 1900-1929)、副操縦士兼機関士(エンジニア)ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon: 1901-1964)で、アメリアは事実上乗客だった。

写真(右)1932-1935年頃、アメリカ、ロッキード・ベガで大西洋初の女性横断者の名誉を讃えられた時期のアメリア・イヤハート(Amelia Earhart:1897-1937):1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を無着陸横断した。これは女性初の大西洋横断飛行達成であり、リンドバーグによるニューヨーク=パリ間の大西洋単独横断初飛行に次ぐアメリカ人の二度目の快挙とされた。
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写真は,Amazon 引用。


アメリア・イヤハートAmelia Earhart:1897-1937)は、1932年に女性初の単独無着陸大西洋横断飛行を達成したアメリカ人飛行家である。1927年6月14日から6月15日に、アメリカ人飛行家チャールズ・リンドバーグCharles Lindbergh)は、ライアン(Ryan)NYP単発肩翼機 「スピリット・オブ・セントルイス」The Spirit of St. Louis:登録コード N-X-211)ニューヨーク−パリ間の大西洋単独飛行を飛行時間33時間半でに成功させ、世界中で称賛され。アメリアは、女性飛行士として、ロッキード・ベガで1932年5月20日から5月21日、リンドバークのライアン(Ryan)NYPと同じ航路で女性初の大西洋単独横断飛行を再考させようとした。そして、実際の飛行では、カナダから出発し、パリ手前の北アイルランド、ロンドンデリー郊外までの飛行に成功した。

 アメリア・イアハートAmelia Earhart)は、チャールズ・リンドバーグのパリへの単独飛行を女性として再現しようと、1932年5月20日、カナダのニューファンドランド島グレース湾からロッキード ベガで出発し、アイルランドのロンドンデリー近郊の牧場に不時着した。これで、大西洋単独横断をした初の女性飛行士となったアメリアは、ハーバート・フーヴァー大統領からのアメリカ地理学ドメダルを授与された。 1932年8月24日には、アメリカ東岸のニュージャージー州ニューアークから19時間かけてカリフォルニア州ロスアンゼルスにまで飛行し、女性で初のアメリカ大陸単独横断無着陸飛行を成功させた。

実は1919年、イギリス人飛行家ジョン・ウィリアム・オールコック(John William Alcock )とアーサー・ブラウンは、カナダのニューファンドランド島からアイルランドへ大西洋無着陸飛行を成功させた。これが史上初の大西洋横断無着陸飛行だったが、アメリアの飛行ルートは、チャールズ・リンドバーグのニューヨーク=パリ間ではなく、イギリス人飛行家ジョン・ウィリアム・オールコック(John William Alcock )とアーサー・ブラウンと同じ経路で大西洋上を単身横断したのである。

写真(右)1937年3月、アメリカ、世界一周赤道飛行出発直前の愛機ロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020)機首正面前のアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):双発双尾翼式の機体で世界一周には、アメリア以外3人の搭乗員が同行した。しかし、カリフォルニア州オークランド飛行場から、ハワイ諸島オアフ島ホノルルにまで飛行した後、離陸に失敗して機体は大破し、第1回目の世界一周赤道飛行は中断されてしまった。
Informal head and shoulders portrait of Amelia Earhart standing under nose of of her Lockheed Model 10-E Electra (r/n NR-16020); probably taken before her attempted flight around the world, March 1937. Subject Earhart, Amelia 1897-1937 National Air Museum Photography Collection Date Circa March 1937
写真はflickr,National Air and Space Museum・Local number NASM-158072引用。


ジェンダー不平等・女性差別が当たり前で、体力的・精神的に女性は男性にはるかに劣る、女性は感情的なので機械の扱いや論理的思考はできない、とされた20世紀初め、空への憧れたアメリアは、女性であっても、飛行士として自由に飛び回れること、男女にかかわりなく自分の夢を叶えたいという強い意志と弛まぬ努力が大きな成果・業績を生み出すことを、世界に実証した。女性にも知性、勇気、行動力、論理性、沈着さがあることを示し、強固な意志があれば、男性と同等に立ち振る舞うことができることを証明した。


2.1928年アメリアのフォッカー F.VII「フレンドシップ」大西洋横断飛行

1928年6月17日に、アメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart:1897-1939)が同乗したフォッカー (Fokker)F.VIIb-3m三発水上旅客輸送機「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上旅客機は、カナダ東端、ニューファンドランド州、ニューファンドランド島トレパシー湾を離水した。1928年6月17日、そして、大西洋を横断して、飛行時間21時間で、イギリスのにウェールズ、バリー・ポートに着水した。これが、女性による初の大西洋無着陸横断の記録である。この後、アメリアは飛行士として有名になるが、この大西洋横断はアメリカ女性アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、乗客として同乗したのであって、操縦士・航法士・機関士として登場したわけではない。

写真(右)1917-1934年、アメリカ、フォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" 登録コード:NX206(フォッカー(Fokker)F.9三発輸送機(トライモーター)のアメリカ陸軍仕様)をバックにした機長リチャード・バード(Richard Byrd)
Commander Byrd and others Date: 1917-1934 (approximate) Aviation: Byrd [Admiral Richard E.]Publisher: Boston Public Library, Print Departmen tGenre: Glass negatives Collection: Leslie Jones Collection Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve. Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection. Aviation: Byrd [Admiral Richard E.] 1 negative : glass, black & white Extent: 4 x 5 in.
写真は,Boston Public Library BPL Accession: 08_06_002153引用。


1924年4月11日、オランダで初飛行し、1928年にアメリア・イアハートAmelia M. Earhart)を大西洋横断飛行をした初の女性としたフォッカー F.VII(F.VIIb/3m)の諸元
搭乗員: 2名、乗客: 8名
全長: 14.60 m、全幅: 21.70 m、全高: 3.90 m
主翼面積:58.5平方メートル
空虚重量: 6,725 kg kg
総重量: 11,570 kg
エンジン: ライト(Wright)J-5 ヴィールウィンド(Whirlwind)空冷星型9気筒エンジン 164 kW (220 hp)3基
巡航速度:170 km/h
最高速力:185 km/h /1980 m
航続距離:1160 km
実用上昇限度:2600 m
生産期間:1925-1932年 283機

アメリカ人飛行家リチャード・バードRichard Evelyn Byrd:1888-1957)は、第一次世界大戦中は、カナダ東端のノバスコシア州(Nova Scotia)でアメリカ海軍航空隊を指揮していた海軍出身の軍人で、北極点と南極点の双方を飛行している。

写真(右)1917-1934年、アメリカ、フォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" 登録コード:NX206(フォッカー(Fokker)F.9三発輸送機(トライモーター)のアメリカ陸軍仕様)をバックにした搭乗員、左2人目が機長リチャード・バード(Richard Byrd)
Commander Byrd and others Date: 1917-1934 (approximate) Aviation: Byrd [Admiral Richard E.]Publisher: Boston Public Library, Print Departmen tGenre: Glass negatives Collection: Leslie Jones Collection Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve. Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection. Aviation: Byrd [Admiral Richard E.] 1 negative : glass, black & white Extent: 4 x 5 in.
写真は,Boston Public Library BPL Accession: 08_06_002153引用。


1927年、リチャード・バードRichard Byrd)は、アメリカ陸軍仕様のフォッカーC-2三発輸送機の民間転換型「アメリカ」“AMERICA”三発機輸送機(トライモーター)を操縦して、オルティーグ賞の懸った大西洋横断飛行に挑戦しようとしたが、出発が遅れたために、実際の飛行は、リンドバーグによる大西洋横断飛行の1か月後の6月29日-7月1日だった。

1928年6月17-18日、アメリアは、車輪をフロートに変換し水上機化したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に乗客として搭乗、カナダから北アイルランドまで大西洋を無着陸横断した。

1927年に大西洋を横断したフォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" (登録コード:NX206)三発輸送機(トライモーター)は、アメリカ陸軍仕様のフォッカー(Fokker)F.9三発輸送機で、ライト(Wright)・ウィールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン200馬力 (150-kW)3基装備、搭乗員2人、乗客10人、生産機数は1926年に3機である。フォッカー(Fokker)F.9は、アメリカのアトランティック航空(Atlantic Aircraft Corporation)製造のフォッカー(Fokker)F.VIIB/3m三発輸送機で、原型よりも主翼が延長されていた。生産機数は、海外他社ライセンス生産を含めて154機。

写真(右)1929-1930年、アメリカ人極地探検家・飛行家リチャード・バード(Richard Evelyn Byrd:1888-1957)アメリカ海軍少将(最終階級):1926年フォッカーFokker F. VII 「ジョセフィン・フォード」で北極点を飛行した。1929年11月28日-29日、フォード4AT・三発輸送機「フロイド・ベネット」で南極点を飛行している。1928年6月17-18日、アメリア・イアハートは同じフォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」"Friendship"で、操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)の下で、カナダから北アイルランドまで大西洋を無着陸横断をした初の女性となった。
Description:In Arctic Garb, with snow shoes, circa 1929-1930. Original caption reads, "Commander Richard E. Byrd, who is undertaking the coming expedition to the Antarctic Region. This will be the most scientific expedition ever attempted. Byrd will fly over the South Pole. Official U.S. Navy Photograph, National Archives collectionNotes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve.
写真は,Naval History and Heritage Command 306-NT-549A-3 Commander Richard E. Byrd, USN 引用。


1926年5月9日にリチャード・バードRichard Byrd)は、フォッカーFokker F. VII 「ジョセフィン・フォード」(Fokker F. VII "Josephine Ford")三発旅客輸送機(Tri-Motor)で、スピッツベルゲン島キングスベイを離水し、初の北極点飛行に成功した。飛行時間は、北極点まで往復15時間だった。全幅 63.5フィート、全長 49.167フィート、全高 12.75フィートのオランダ製造の木金混交構造の肩翼単葉三発輸送機で、発動機はライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒220馬力3基装備である。固有名称の「ジョセフィン・フォード」(Josephine Ford:1923-2005) は、北極点到達飛行のパトロンのエドセル・フォード(Edsel Ford:1893-1943)の長女の名前で、1923年にミシガン州ディアボーンで生まれの彼女は、フォード自動車(Ford Motor Company)創業者ヘンリー・フォードHenry Ford:1863-1947)の孫娘にあたる。

写真(右)1928年、アメリカ、フォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" 登録コード:NX206(フォッカー(Fokker)F.9三発輸送機のアメリカ陸軍仕様):燃料タンクを増設し、航続距離を3,800マイル (6,116 km)に伸ばした大西洋横断機。 原型はオランダのフォッカー(Fokker)F.VII 三発輸送機で、装備した発動機は、220馬力のライト(Wright) J-5 空冷星形9機とエンジンで、尾翼には登録コード NX-206を記入。
The 'America' leaving NY for Paris. Commander Byrd in charge. Date: 1928 Publisher: Boston Public Library, Print DepartmentGenre: Glass negatives Collection: Leslie Jones Collection Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve. Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection. Aviation: Byrd [Admiral Richard E.] 1 negative : glass, black & white Extent: 4 x 5 in.
写真は,Boston Public Library BPL Accession: 08_06_002153引用。


フォッカー(Fokker) C-2 「アメリカ」 "AMERICA" (登録コード:NX206)は、オランダのフォッカー(Fokker)F.VII 三発輸送機をアメリカ陸軍用にアメリカが製造フォッカー(Foccker)F.9三発輸送機である。大西洋横断飛行用に航続距離を延長するために、増設燃料タンクを設け、航続距離は3,800マイル (6,116 km)に伸びている。装備している発動機は、ライト(Wright) J-5 空冷星形9気筒エンジン220馬力3基で、尾翼には登録コード NX-206を描いている。

写真(右)1927年、フランス海岸に不時着水したリチャード・バード操縦のフォッカー(Fokker)C-2 「アメリカ」 "AMERICA" 登録コード:NX206(フォッカー(Fokker)F.9三発輸送機のアメリカ陸軍仕様):リンドバーグによる大西洋横断飛行から1か月後の6月29日-7月1日、アメリカのニューヨークからパリに向かったが、事故でフランス沿岸に不時着水した。
Byrd's plane 'America.' - Wrecked off France.
Date: 1927 Publisher: Boston Public Library, Print DepartmentGenre: Glass negatives
Collection: Leslie Jones Collection Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sleeve.
Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection. Aviation: Byrd [Admiral Richard E.] 1 negative : glass, black & white Extent: 4 x 5 in.
写真は,Boston Public Library BPL Accession: 08_06_002230引用。


1929年11月28日-29日、フォード4AT・三発輸送機「フロイド・ベネット」(Ford 4-AT-B "Floyd Bennett")で、南極大陸ロス氷河リトル・アメリカ基地から発進し、南極点まで初往復・初飛行に成功した。南極点往復の飛行時間は15時間51分だった。
フォード(Ford)4-AT-B「フロイド・ベネット」(Ford 4-AT-B "Floyd Bennett")は、1928年3月、アメリカ、ミシガン州ディアボーンのフォード自動車(Ford Motor Company)工場製造で、全幅76フィート、全長 50フィート、全高 12.75フィートの木金混交構造の肩翼単葉三発輸送機で、発動機は機首はライト(Wright)R-1750空冷星形エンジン525馬力1基、左右主翼にはライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒220馬力2基装備している。

女性による大西洋無着陸飛行の計画は、ブレーメンの大西洋横断の時期にあった。アメリカ婦人メイベル・ボルMabel Boll:1895-1949)は、アメリカの富豪夫人で、大西洋横断飛行を成功させようとした。1928年中に、メイベル・ボルは、チャールズ・レヴァインの購入したユンカース(Junkers)W.33単発輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”を使って、ロンドンから大西洋を横断する計画を立てたのである。しかし、大西洋横断の計画は実現できなかった。実際に女性初の大西洋無着陸横断飛行は、1928年6月17日、アメリカ婦人アメリア・イアハートAmelia Earhart:1897-1937)の同乗した三発輸送機フォッカー (Fokker)F.VII「フレンドシップ」によるものである。その後、ユンカース(Junkers)W.33輸送機「空の女王」 ”Queen of the Air”は、1931年にポルトガルのリスボンから大西洋横断飛行に出発しているが、途中で不時着水している。


写真(上)1928年5月、大西洋無着陸横断の準備をしているフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発輸送機。尾翼に登録コードNX-4204が確認できる。
:大西洋を横断のために、主輪・尾輪式の陸上機仕様の降着装置を、双フロートの水上機仕様に改造し終わった直後の撮影。1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日、操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)の搭乗したフォッカー F.VII(F.VIIb/3m)「フレンドシップ」に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートだった。
Title: Launching Byrd's South Pole plane at East Boston Airport Creator/Contributor: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer) Date created: 1928-05 Physical description: 1 negative : glass, black & white ; 4 x 5 in. Genre: Glass negatives Subjects: Amphibious vehicles; Seaplanes Notes: Title and date from information provided by Leslie Jones or the Boston Public Library on the negative or negative sl Collection: Leslie Jones Collection Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection.
写真はflickr,Boston Public Library File name: 08_06_002178引用。


1927年にアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機で大西洋無着陸横断飛行に成功、それに続く女性の大西洋横断飛行一番乗りは、1928年6月17日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に同乗したアメリカ人アメリア・イアハートAmelia M. Earhart)だった。女性初の大西洋横断飛行を逃したアメリカ女優で大富豪のメイベル・ボル(Mabel Boll:1895-1949)は、チャールズ・レヴァインの購入したユンカースW33「クィーンオブエア」に同乗して、ロンドンから逆回りで大西洋を横断する計画を立てた。しかし、計画は実現せず、終わった。

フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"の操縦士はウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士はルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)で、アメリア・イアハートは飛行記録をつけていた。フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」は、1928年6月17日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を無着水で横断し、1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に着水、バリー・ポート(Burry Port)に上陸した。バリー・ポート(Burry Port)で1泊いた一行は、翌6月19日に最終目的地である134マイル以上離れたイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に飛び立った。これによって、アメリアは、大西洋横断飛行を成功させた初めての女性の栄誉を得ることができた。

1928年6月17日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋横断飛行に発進し、翌18日、イギリス、1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に着水した・そこで、1泊過ごしてから、翌19日に飛び立って、イングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に着水・上陸し、大西洋横断の目的を達した。

アメリア・イヤハートが同乗したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、1928年6月17日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋横断飛行に発進、翌18日、イギリス、1928年6月18日、イギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に着水し、1泊して、翌19日にイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)到着した。アメリア一行は、サウサンプトンに上陸し、公式に大西洋横断飛行を完成させた。>

アメリア・イヤハートは、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機トライモーター(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)に同乗、1928年6月17日、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、翌日18日にイギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に着水、そこから2キロ東のバリー・ポート(Burry Port)に到着、上陸した。アメリアは、アメリカ大陸から大西洋を飛行機で横断し、イギリスに到着したことで、大西洋無着陸横断飛行をした初めての女性として、称賛された。アメリアは、機内では飛行記録をつけていただけだったようだ。フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"三発水上輸送機の操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)もアメリアを同乗させたことで、彼女を無着陸大西洋横断飛行をした初めての女性にした栄誉を得た。

写真(右)1928年6月19日、大西洋横断飛行し、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に着水、そこから2キロ東のバリー・ポート(Burry Port)に到着した操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)[右]、と大西洋を初横断した女性となったアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):大西洋横断飛行を成し遂げたアメリカの英雄たち。リンドバーグに続いて、大西洋を初横断した初めての女性もアメリカ人だった。アメリアは、リンドバークに似ていて長身で爽やかだったので、「リンディ―」(女性版リンドバーグ)の愛称で呼ばれることになる。ウェールズのバリー・ポートで一泊した一行は、翌19日、そこで、フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"で、イングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)まで飛行し、そこに上陸し歓迎を受けた。
Amelia Earhart and Wilmer Stutz Leaving Burry Port on the "Friendship," June 19, 1928 When Amelia Earhart, Wilmer Stultz and Louis Gordon left Newfoundland on their transatlantic flight, their intended destination was Southampton, England. Instead they landed at Burry Port, Wales, some 134 miles away. It didn't matter. After a night's rest, the three flew on to Southampton for the pre-arranged ceremonies. They were greeted by cheering crowds, proud dignitaries and inquisitive reporters.
Subject Date 19 July 1928
Dimensions Height6.125 in Width: 8.125 in
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255908 引用。


1928年6月17-18日、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無着陸飛行したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、19日に最終目的地のイングランドのハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に到着した。

1928年6月17-18日、イギリス、ウェールズ南西海岸バリー・ポート(Burry Port)に到着したアメリアの同乗したフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機トライモーター(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)は、ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)を正操縦士、ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)を副操縦士・航法・機関士として、大西洋を横断した。アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は飛行ログを記入する係であり、事実上の乗客に過ぎなかったが、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)まで、大西洋を無着陸横断することに成功した初めての女性となった。初の女性大西洋横断飛行が、アメリカ女性によって達成されたことで、アメリカの国威は大いに発揚した。アメリアの帰国を待って、大々的なイベントが政府によって開催され、アメリアは、搭乗員たちとともに大歓迎を受けた。

写真(右)1928年7月2日、イギリスからアメリカに帰国した客船「ルーズベルト大統領」船上に大西洋を横断飛行した史上初の女性アメリア・イアハートを迎えに来た極地探検家で海軍将校のリチャード・バード(Richard Evelyn Byrd:1888-1957)アメリカ海軍少将(最終階級)[左、白色の第一種軍装]:アメリアは、カナダ、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)までフォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機トライモーター(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)で飛行した。しかし、この「フレンドシップ」三発水上輸送機の正操縦士はウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士はルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)でアメリア・イアハート(Amelia Earhart)は飛行記録を記入する係だった。
Amelia Earhart Meets Richard Byrd Aboard S. S. President Roosevelt, Returning from the Transatlantic Flight, July 6, 1928 Explorer Richard E. Byrd was among the many notable people eager to congratulate Amelia Earhart on her 1928 flight across the Atlantic Ocean. Earhart, riding as a passenger with pilot Wilmer Stultz and mechanic Louis Gordon, made the crossing in a Fokker F.VII Tri-Motor airplane. Byrd used a similar Fokker on his pioneering flight to the North Pole in 1926. Subject Date 6 July 1928 Dimensions Height: 10 in Width: 8 in."
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255904引用。


フォッカーF.VIIb-3m三発輸送機トライモーター「フレンドシップ」"Friendship"は、ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)を正操縦士、ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)を副操縦士・機関士として、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)が同乗して、カナダ西端、ニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断、イギリス、ウェールズ南西海岸プル(Pwll)に無事着水した。これは、女性の初めての無着陸大西洋横断飛行だった。一行は、ここで一泊し、翌19日、フォッカーF.VIIb-3m三発輸送機「フレンドシップ」"Friendship"で150マイルだけ飛行して、最終目的地のハンプシャー州サウサンプトン(Southampton)に着水、イギリス本土に上陸した。この大西洋横断飛行は、アメリカ人・女性の双方にとって大変な名誉だった。

しかし、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機トライモーター(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)を操縦はしていないし、エンジンを調整する機関士でもなく、飛行ログ(記録)係だった。操縦した二人の男性飛行家は、決してアメリアよりも上に立とうとしておらず、紳士的だった。アメリアもそのことをよくわきまえていた。その後、「フレンドシップ」三発水上輸送機の正操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)、副操縦士ルイス・ゴードン(Lewis Edward Gordon)は、歓迎式典には呼ばれたものの、今日では忘れ去られている。

写真(右)1928年7月9日、アメリカ東部、マサチューセッツ州、東ボストン飛行場乗客用ターミナル、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発輸送機で帰郷し大歓迎されたフォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」で大西洋無着陸した最初の女性となったアメリア・イアハート(花束)、左の母アミ―(Amy Earhart ):ボストン飛行場には、白帽子の妹ミュリエル(Muriel Earhart)、アメリカ海軍第一種軍装「フレンドシップ」機長・北極点飛行家リチャード・バード(Richard Byrd)、シルクハット・燕尾服のメーン州知事アレン(Lt. Governor Allen)、シルクハット・燕尾服のメッドフォード市長ラーキン(Edward Larkin)と市長夫人も出迎えている。
Amelia Earhart and Amy Earhart are Welcomed in Boston, July 9, 1928 Amy Earhart generally supported her daughter's aviation pursuits, and put up much of the money for Amelia to buy her first airplane in 1922. Amelia didn't tell her mother about her planned flight across the Atlantic in 1928 -- to spare Amy the worry. Amy was relieved and pleased to see her daughter at the Boston ceremony celebrating the successful trip. Subject Date 9 July 1928 Collection: Leslie Jones Collection Location: Boston Public Library, Print Department Rights: Copyright © Leslie Jones. Preferred citation: Courtesy of the Boston Public Library, Leslie Jones Collection. Dimensions Height: 10 in Width: 8 in.
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255904引用。


1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb3mトライモーター三発輸送機でカナダからイギリスまで大西洋を横断飛行を成功させた一行3人は、アメリアの故郷に帰郷し大歓迎された。フォッカーF.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」で大西洋横断飛行した最初の女性となったアメリアは、船便で大西洋を横断して、その後、フォッカー(Fokker)F.VIIb3m三発陸上輸送機(大西洋を横断したのとと同型だが別機)に乗り換えて空路で東ボストン飛行場に帰国するという演出をし、地元の知事・市長の出迎えを受け、市民に大歓迎された。

アメリアが1928年に大西洋横断飛行に使用したのは、フォッカー(Fokker)F.VIIb3m三発水上輸送機「フレンドシップ」(登録コード:NX-4204)であるが、彼女は空路、帰国したのではない。船便でカナダに渡り、そこから指し迎えの(往路に使ってのとは異なる)フォッカー(Fokker)F.VIIb3m三発陸上輸送機に乗り換えて、アメリカ本土、東ボストン飛行場に帰国した。これは、往復空路を使用したかのようなイメージを演出するための細工であり、往路の大西洋横断のフォッカー(Fokker)は水上機、復路のカナダ=アメリカ移動のフォッカーは陸上輸送機だった。空路でアメリカ東ボストン飛行場に帰国する演出は、大々的なイベントであり、飛行場には地元の知事・市長が出迎え、多数のメディアも押し寄せていた。

写真(右)1928年7月9日、アメリカ、マサチューセッツ州(Massachusetts)庁舎(State House)、大西洋横断飛行した史上初めての女性の名誉を州知事から讃えられメダルを受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):フォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"正操縦士ウィルマー・スタールズ(Wilmer A. Stultz)以上の名誉を受けたのは、、これは乗客として当時の危険な飛行機に搭乗したことへの評価だったようだ。
Amelia Earhart Receiving a Medal as the First Woman to Fly the Atlantic--Though a Passenger, July 6, 1928 Skilled aviatrix Amelia Earhart came to national attention in 1928, when she was invited to become the first woman to fly the Atlantic--as a passenger. Wilmer Stutz flew the plane, with Louis Gordon as co-pilot, as the trio made their challenging--and successful--journey from Newfoundland to Wales. The press now dubbed Earhart "Lady Lindy"--a play on aviator Charles Lindbergh's nickname "Lucky Lindy." Subject Date 06 July 1928 Dimensions Height: 10.125 in Width: 8 in
写真はThe Henry Ford,Benson Ford Research Center THF255904引用。


1927年にアメリカの若者チャールズ・オーガスタス・リンドバーグCharles Augustus Lindbergh: 1902-1974)による初のニューヨーク=パリ間大西洋単独無着陸横断飛行が成し遂げられた後、アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、1928年6月17-18日、フォッカー(Fokker)F.VIIb-3m「フレンドシップ」 "Friendship" 三発水上輸送機(登録コード:NX-4204, 製造番号:c/n 5028)水上機に搭乗して、カナダのニューファウンドランド(Newfoundland)島トレパシー港(Trepassy Harbour)から大西洋を横断してイギリス、ウェールズのプル(Pwll)まで飛行した。翌19日にイングランドのに飛行して上陸したアメリアは、女性として初の大西洋横断飛行をしたことで世界のメディアに注目された。

1928年6月に初の大西洋横断飛行をしたアメリア・イアハートだったが、これは単にフォッカーF.VIIb-3m「フレンドシップ」"Friendship"に同乗して大西洋を越えただけであり、アメリアが操縦したり、航法を担当したりしたのではなく、彼女は、お金と少しばかりの勇気があれば誰でもなれる乗客にすぎなかった。そこで、第30代アメリカ大統領ジョン・カルビン・クーリッジJohn Calvin Coolidge:1872-1933)は、アメリアが帰国しても、リンドバーグの成し遂げた単独大西洋横断飛行のような大歓迎をしなかった。しかし、マサチューセッツ州(Massachusetts)州ボストンなど地元で、アメリカ人女性ヒロインとして大歓迎されたアメリアの人気に刺激されて、連邦政府としても何らかの国家的イベントを開き、国威発揚、ポピュリズム政治の場を作ろうとしたのではないか。それが、アメリカ地理学会メダルの授与式である。

1928年11月、第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジCalvin Coolidge)も、アメリカ人女性がその名誉を得たことを誇りに思ってか、アメリアに直接会って、賛辞を述べた。

しかし、アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)が大西洋初横断した初めての女性といっても、男性の操縦したフォッカー三発輸送機に乗客として登場しただけのことだった。うがった見方をすれば、アメリアの初の女性大西洋横断などカネに物を言わせ、名声を得たいだけの下品な行動で、アメリカ大統領カルビン・クーリッジJohn Calvin Coolidge)がアメリアを招待したのも、第一次大戦後に認められたの婦人参政権を意識しての人気取りに過ぎないと批判されたであろう。女にできることは、たかだかその程度の事だと、あからさまなジェンダー差別の批判もあったであろう。それに憤慨した4年後の1932年、アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、自ら飛行機を操縦する女性飛行士となり、ロッキード・ベガに自ら単独で搭乗・操縦して、女性初の大西洋単独横断飛行に挑戦し、成功させた。

⇒写真集Album:1928年アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)、女性初の大西洋横断飛行を詳しく見る。


3.1931年アメリアのオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2の高高度記録

写真(右)1932年、滞空時間飛行のためにハロルド・フレデリック・ピトケアン設計になるオートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2に乗り込こんだアメリア・イアハート(Amelia Earhart)
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits.
写真はflickr,SDASM Archives :Catalog #: BIOE00178引用。


アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、1931年,オートジャイロで飛行した最初の女性となり、同1931年中にオートジャイロの上昇限度記録を1万8,415フィート(5613m)に塗り替えた。

ハロルド・フレデリック・ピトケアン設計オートジャイロ・ピトケアン(Pitcairn)PCA-2の諸元
搭乗員: 1人、同乗者: 2 人
全長: 23 ft 1 in (7.04 m)
全幅: 30 ft 0 in (9.14 m)
空虚重量: 2,233 lb (1,013 kg)
総重量: 3,000 lb (1,361 kg)
発動機:ライト(Wright) R-975 (J6-9)空冷星形9気筒エンジン 330 hp (250 kW)
回転翼ローター直径: 45 ft 0 in (13.72 m)
回転面積: 1,580 sq ft (147 m2) 回転翼数: 4翅ワーヤー制御ローター
エンジン用プロペラ: 2翅固定ピッチ木製プロペラ
最高速力: 120 mph (190 km/h, 100 kn)
航続距離: 290 mi (470 km, 250 nmi)
実用上昇限度: 15,010 ft (4,575 m)

⇒写真集Album;1931:ピトケアン(Pitcairn)PCA-2による女性初のオートジャイロ飛行と高度記録達成


4.1931年アメリアのジョージ・パットナム(George Putnam)との結婚

写真(右)1932年6月22日、乗客として大西洋横断飛行したアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart:1897-1937)と1931年に結婚したジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)
Earhart and George Palmer Putnam
ArtistUnderwood & Underwood, active 1880 - c. 1950 Sitter、Amelia Mary Earhart, 24 Jul 1897 - c. 2 Jul 1937、George Palmer Putnam, 1887 - 1950
Date:Jun 22, 1932 Medium Gelatin silver print
DimensionsImage: 23.8 x 18.6 cm (9 3/8 x 7 5/16")Sheet: 24.9 x 19.5 cm (9 13/16 x 7 11/16")Mat: 45.7 x 35.6 cm (18 x 14")
Credit Line National Portrait Gallery, Smithsonian Institution; gift of George R. Rinhart, in memory of Joan Rinhart
Exhibition Label Amelia Earhart and George PutnamEarhart first met George Putnam (1887–1950) in 1928, prior to her transatlantic flight. Born into a prominent New York publishing family, Putnam made a name for himself as an Arctic explorer before returning to the publishing industry. He later recalled his first meeting with Earhart: "When she appeared at my office I was busy, so she had to cool her heels—and didn’t like it much." Invited by wealthy American expatriate Amy Guest to publicize the 1928 flight, Putnam helped to orchestrate it and the lecture tour that followed. The following year he divorced his wife and began a relationship with Earhart, who was ten years younger. Although she refused his marriage proposal on six different occasions, she ultimately agreed, and the two married in 1931. Putnam remained her chief publicist until her death.
Data Source National Portrait Gallery See more items inNational Portrait Gallery Collection Place United States District of Columbia Washington.
写真は,National Portrait Gallery, Smithsonian Institution  Object number NPG.2011.77.4引用。


ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)は、ニューヨークの出版実業家の名家に生まれ、極地探検にも自ら参加した富豪である。1928年、アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart)と大西洋横断飛行計画の件で話し合ったが、これが初対面だった。大西洋横断飛行の計画は、ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)の用意した飛行機に、女性を搭乗させ、
1)世界史上初の女性の大西洋横断飛行をアメリカ人にさせること、
2)女性の大西洋横断飛行を大々的にメディアに報じて、自らの出版事業を興隆させること、
が企図されていた。しかし、ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)は、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)の冒険への熱情や飛行機操縦の体験を知り、大西洋横断飛行を通じて、彼女に深い共感を得る。そして、大西洋横断飛行後に有名になったアメリアの講演旅行やメディア登場を企画する中で、10歳若い彼女にほれ込んだようだ。アメリアは、当初、パットナムのプロポーズを断ったが、6回目の求婚に根負けし1931年に結婚した。


5.1932年アメリアのロッキード・ベガ(Lockheed Vega 5B)大西洋単独横飛行断

アメリカのロッキード ベガ(Lockheed Vega)は、ジョン・ノースロップ(John Knudsen Northrop)の設計になる単発肩翼・木金混交構造の6人乗り旅客輸送機である。 1927年7月4日に初飛行し、直ぐに最高速力持続135 マイル (217 km/h)を達成した。しかし、客室は商用には4席で運用するだけのスペースしかなく、ユンカースF.13輸送機と比較して、経済性に乏しかったために、民間旅客輸送機としての運航は制限された。


写真(右)1932年、アメリカ、ロッキード・ベガの操縦席のアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と補助するアメリカ女性飛行家ロスコープ・ターナー(Roscoe Turner)
:ロスコープ・ターナーも、北アメリカから南アメリカに飛行した初の女性パイロットであり、ニューヨークからバーバンクまで123時間半の最速飛行記録を持っている。アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が、1932年5月20-21日に大西洋横断飛行に使用したロッキード・ベガ(Lockheed Vega)は、発動機は強力な空冷星形9気筒エンジン「ワスプ」(Wasp)450 hp (336 kW) を装備、機体後方の客室を改造して燃料タンクを増設。この改造に伴って、胴体側面の客室ガラス窓は撤去。

Amelia Earhart with Roscoe Turner and Laura Ingalls, Circa 1932
Amelia Earhart sits in the cockpit as Laura Ingalls and Roscoe Turner look on. Ingalls (no relation to the author Laura Ingalls Wilder) who played a significant role in early women's aviation, was the first female pilot to fly solo from North to South America. Turner was also an accomplished pilot, holding for a time the transcontinental airspeed record (flying from New York to Burbank in just over 12 1/2 hours).
写真は,Glendale (CA) Public Library Special Collections Reproduction Number: LC-DIG-hec-36878 引用。


ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C (登録コードr/n NR-965Y)の諸元
空虚重量:2595ポンド(1177?)
総重量MTOW: 4,500ポンド(2041?)-4,750 ポンド
航続距離Range: 620 miles
最高速力180 mph、巡航速力155 mph
実用上昇限度:1500フィート(4570m)
航続距離(通常仕様):725マイル(1167km)
全長Length: 27 ft., 6 in. (8.38m)
全幅Wingspan: 41 ft.(12.5m)
全高Height:8 ft., 6 in. (2.49m)
発動機Engines: プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)空冷星形9気筒エンジン「ワスプC」(Wasp C) R-1340(排気量22L): 420-450 hp
就役数No. flown by DL: 2 機(Bowen Air Lines)
就役航路Routes Flown:テキサス州フォートワース(Ft. Worth, Texas)=カリフォルニア州チャールストン(Charleston, South Carolina ):航空便ルーツ24(Air Mail Route 24)
就役時期First Delivery: 1935年初頭
初運航First Scheduled Service: 1935
使用目的Reason Aquired:郵便輸送が主でデルタ(Delta)航空では旅客輸送には使用されなかった。
退役Last Retirement: 1937年

アメリア・イアハートAmelia Earhart)の操縦するロッキード・ベガ5B(Lockheed Vega 5B)は「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"の愛称、登録コードNR-7852を与えられ、目立つように深紅の塗装を施された。

1932年5月20日、ロッキード・ベガ5B(Lockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"は、アメリア・イアハートAmelia Earhart)の操縦で、カナダのニューファウンドランド(Newfoundland)、ハーバーグレース(Harbor Grace)の飛行場を離陸し、イギリス連合王国、北アイルランド北岸のロンドンデリー州(Londonderry) ロンドンデリー(現在はデリーとも)郊外カルモア (Culmore)の牧場に不時着した。飛行時間は15時間、飛行距離2,026マイルで、大西洋を単独無着陸横断に成功したが、女性飛行士初の快挙である。


写真(上)1932年5月21日、イギリス連合王国、北アイルランド北岸のロンドンデリー州(Londonderry) ロンドンデリー(現在はデリーとも)郊外カルモア (Culmore)の牧場に不時着したアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(amelia earhart)と愛機ロッキード・ベガ5B (Lockheed Model 5B Vega :登録コードr/n NR7952)
:エンジンカウリングも先端部分の色合いは、後半の色合いと違って見える。
Amelia Earhart, wearing a long leather flying jacket, poses on the left side of the nose (behind propeller) of her Lockheed 5B Vega (r/n NR-7952) [A19670093000] just after her arrival in Londonderry, Ireland, upon completing her solo transatlantic flight May 21, 1932. May 21, 1932  Possibly "Luce - Roma" (Luce from Rome)
写真は,National Air and Space Museum・NASM-NASM-9A12024引用。


アメリカ人女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、1932年5月20日、先達のチャールズ・リンドバーグの大西洋横断と同じく単独飛行で、ニューファンドランド島グレース湾からロッキード・ベガで大西洋を横断しパリを目指した。しかし、悪天候と機体の不調のために、パリの手前、北アイルランド、ロンドンデリー郊外の牧場に不時着し、機体は破損してしまった。そこで、パリへの飛行は不可能になったが、大西洋無着陸単独横断の栄誉を称えられ、イアハートには、アメリカ連邦議会からの空軍殊勲十字章、フランスからのレジオン・ド・ヌール勲章、第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー大統領から、アメリカ地理学協会メダルを授与される栄誉を得た。


写真(右)1932年、アメリカ、ロッキード・ベガを背景に第31代アメリカ大統領ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Hoover)、アメリカ地理学会長ギルバート・グローヴナー(Gilbert Grosvenor)博士(?)ら要人と会った、初の大西洋単独横断飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
:1932年5月20日に女性飛行士として初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋単独横断飛行(Solo Flight Across Atlantic)をした。これは女性初の快挙だった。
Title: [Herbert Hoover and Amelia Earhart, at White House, Washington, D.C.] Creator(s): Harris & Ewing, photographer Date Created/Published: [1932] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Reproduction Number: LC-DIG-hec-36878 (digital file from original negative)
Call Number: LC-H2- B-5255 [P&P] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller
写真は, Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-36878 引用。


1932年5月21日、アメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、突然の空からの訪問者として、緊急にイギリス連合王国、北アイルランド北岸のロンドンデリー州(Londonderry) ロンドンデリー(現在はデリーとも)郊外カルモア (Culmore)に不時着した。有名人だったアメリアの大西洋単独横断を成し遂げた女性として、地元住民は大歓迎した。地元イギリスの警察も丁寧に突然の来訪者を処遇しており、密入国者を疑うそぶりは全くなかった。後方は愛機のロッキード・ベガ(Lockheed Vega)で、カナダ、ニューファウンドランド州(Newfoundland)ハーバーグレース(Harbour Grace)の飛行場から出発、北アイルランドにまで到着し、世界初の女性大西洋横断単独飛行を成功させたことで、リンドバークに次いでアメリカにとっての2番目の大成果だった。

アメリカの国威発揚のため、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)には、直ぐに帰国のための船便が手配され、アメリカ帰国後は、ワシントンDCホワイトハウスで、第31代ハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover:1874‐1964)から、アメリカ地理学会メダルを授与され、初の大西洋単独横断飛行士の名誉を讃えられた。その後、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)はニューヨーク市でニューヨーク市長ジェームズ・ウォーカー(James Walker :1881‐1946)、ニューヨーク州選出の上院議員ロイヤル・S・コープランド(Royal S. Copeland :1868-1938)らから祝福され、初の大西洋単独横断飛行(Solo Flight Across Atlantic)を成し遂げた名誉を讃えられている。

写真(右)1932年、スカート姿のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が後方のロッキード・ベガ(Lockheed Vega)旅客輸送機で到着し、地元のファンに囲まれている。:アメリアは、1927年のリンドバーク同様、1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Author Harris & Ewing Title [Amelia Earhart and group] Description English: [Amelia Earhart and group] Date 1932 Medium 1 negative : glass Dimensions 4 x 5 in. or smaller Accession number LC-DIG-hec-36877 (digital file from original negative) Call Number: LC-H2- B-5253 [P&P]
Library of Congress's Prints and Photographs Subjects: United States. Format: Glass negatives. Collections: Harris & Ewing Collection Part of: Harris & Ewing photograph collection
写真はWikimedia Commons,Lockheed Vega・File:Amelia Earhart and group.jpgおよび,Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-36877 引用。


1932年8月24-25日, アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、ロッキード・ベガ5B(Lockheed Vega 5B)は「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)に単身搭乗して、アメリカ大陸横断無着陸飛行に挑戦し、アメリカ西岸カリフォルニア州ロスアンゼルス(Los Angeles)から東岸ニュージャージー(New Jersey)州ニューアーク(Newark)まで、飛行距離 2,447 マイルを飛行時間19時間で飛行した。

この航空史・女性史上記念すべきロッキード・ベガ5B(Lockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)は、1933年にアメリカのペンシルベニア州フェラデルフィア(Philadelphia)にあるフランクリン研究所(Franklin Institute)に売却され、彼女は新しい飛行機ロッキード・ベガ5型C(Lockheed 5C Vega)を購入した。


写真(上)アメリカ東部、ワシントンDC、スミソニアン国立航空宇宙博物館、バロン・ヒルトン飛行パイオニアギャラリー(Barron Hilton Pioneers of Flight Gallery)に展示されている、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が大西洋横断飛行を成功させた愛機初代ロッキード・ベガ5型B(Lockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)のレプリカ

実機は、アメリアが使った2代目のロッキード・ベガ5型Cはフランクリン研究所に売却されたが、それが1966年にスミソニアン博物館に寄贈された。解説には「NR7952. High-speed cabin monoplane with cantilever wings and streamlined design. On May 20-21, 1932, Amelia Earhart flew this Vega across the Atlantic Ocean becoming the first woman to fly, and only the second person to solo, the Atlantic. Vegas were highly prized as racing and record-setting aircraft, and as seven-place airliners.」と初代ロッキード・ベガ5型Bの経歴が記述されている。 全幅Wingspan: 12.49 m (41ft.) 全長Length: 8.38 m (27ft. 6in.) 全高Height: 2.49 m (8ft. 2in.) 空虚重量Weight: Empty 748kg. (1,650lbs.) 総重量Gross: 1,315-1,450kg. (2,900-3,200lbs.)
Amelia Earhart's Lockheed Vega 5B: This object is not on display at the National Air and Space Museum. It is either on loan or in storage.
Amelia Earhart's Records 1922-Feminine altitude record of 14,000 feet. 1928-First woman to fly across the Atlantic as a passenger in the Fokker F.VII Friendship. 1929-Feminine speed record. 1930-Feminine speed record. 1931-First woman to fly an autogiro. 1931-Autogiro altitude record of 18,415 feet. 1932-First woman (and only the second person) to fly solo and nonstop across the Atlantic. Also first person to cross the Atlantic twice by air. 1932-First woman to fly solo and nonstop across the United States. 1933-Reset her transcontinental record. 1935-First person to fly solo from Honolulu, Hawaii, to the U.S. mainland (Oakland, California). 1935-Speed record between Mexico City and Washington, D.C. 1935-First person to fly solo from Mexico City to Newark, New Jersey.
写真は,National Air and Space Museum - Smithsonian Institution・Amelia Earhart's Lockheed Vega 5B用。


アメリアが1933年に中古機として購入した2代目のロッキード・ベガである5C型(Lockheed Vega 5C)は、アメリアの東太平洋横断飛行の後、破棄されてしまったようだ。現在残っている愛機は、フランクリン研究所の保管していたアメリアの初代ロッキード・ベガ5型B(大西洋単独横断飛行)が、1966年にスミソニアン博物館に移譲され、修復されて展示されるようになった。したがって、スミソニアン博物館が展示しているロッキード・ベガ(Lockheed Vega)は、ベガ5型Cでなく、アメリアが大西洋横断に使用したベガ5型B「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)である。しかし、外見上は両者はほとんど変わるところがないので、スミソニアン博物館が、別のロッキード・ベガ5C(Lockheed Vega 5C)の機体を保管していて、それを有名なロッキード・ベガ5B(Lockheed Vega 5B)「リトル・レッドバス」"Little Red Bus"(登録コード:NR-7852)を白色の塗装で展示していても、アメリアの赤塗りの初代ベガほどは人気がないようだ。

⇒写真集Album:1932年アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)女性初の大西洋単独横断飛行を見る。


6.1932年ジミー・マッターンのロッキード・ベガ(Lockheed Vega)世界一周飛行

写真(右)1932年3月23日、世界一周飛行の途上、ノルウェーからソビエト連邦のモスクワに到着したアメリカ人飛行士ジミー・マッターン(James Mattern)大佐と愛機のロッキードベガ「センチュリー・オブ・プログレス」(Lockheed Model 5 Vega)"Century of Progress" (登録コード: NR-869-E):アメリカ人飛行士ジミー・マッターンは、1932年7月と1933年6月の2回、世界一周飛行に挑戦した。また、ロッキード社のテストパイロットを務めた。
Below, from his NASM folder, Mattern is reported in Moscow during his 1933 attempt..Below, courtesy of site contributor Andy Heins, is a series of photos of Mattern with the "Century of Progress" in the Stanavo Eagle paint scheme (second flight attempt). The image of Mattern in the news article above was cropped from the photograph below.
写真はflickr,DAVIS-MONTHANAIRFIELD REGISTER ・JIMMIE MATTERN引用。


1932年7月5日、ジミー・マッターンJames Joseph "Jimmie" Mattern:1905-1988)とグリフィン・ベネットが搭乗したロッキードベガ「センチュリー・オブ・プログレス」(Lockheed Model 5 Vega)"Century of Progress" (登録コード: NR-869-E) は、ニューヨーク州フロイド・ベネット飛行場を飛び立って、世界一周飛行に出発し、まずカナダのニューファンドランド島のハーバーグレース飛行場に着陸した。ここから、大西洋無着陸で、飛行時間10時間50分で、ドイツのベルリンに着陸した。しかし、1932年7月7日、ソビエト連邦ベラルーシ共和国ボリソフに不時着してしまった。

第二回目の世界一周飛行は、1933年6月3日に補修した同じロッキードベガ「センチュリー・オブ・プログレス」で出発したが、再び、1933年6月14日、故障でシベリアに不時着し、行方不明になった。しかし、現地住民・ソ連の飛行士ジグムント・レボネフスキーSigizmund Levanevsky)によって救助された。


絵葉書(右)1932年7月5日、カナダ西端、ニューファウンドランド島からドイツの首都ベルリンまで大西洋を高速無着陸横断飛行をしたロッキード・ベガ(Lockheed Vega):写真の左右にはアメリカ人搭乗員のジミー・マッターンとグリフィン・ベネットの肖像写真が配置された記念絵葉書

Autographed Photo of Pilots Jimmie Mattern and Bernie Griffin
Autographed Photo of Pilots Jimmie Mattern and Bernie Griffin, photograph, 1932; ( accessed November 13, 2019), University of North Texas Libraries, The Portal to Texas History, https://texashistory.unt.edu;crediting Marfa Public Library.
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: 10_0015300引用。


 アメリア・イヤハートAmelia Earhart)は、1932年5月20-21日にロッキード・ベガ(Lockheed Vega)を単身操縦して、、カナダ西端ニューファウンドランド島からイギリス、北アイルランドまでの大西洋横断飛行に成功している。同時期の1932年7月5日、アメリカの飛行家ジミー・マッターン(James Joseph "Jimmie" Mattern)は、同じロッキード・ベガ(Lockheed Vega)を操縦して、世界一周飛行に出発、カナダ西端ニューファウンドランド島からドイツの首都ベルリンまで大西洋を高速無着陸横断飛行を成功させた。1932年7月7日、マッターンは、ベラルーシのボリソフに不時着してしまい、世界一周は頓挫してしまうが、彼は翌年1933年6月に世界一周に再挑戦している。

写真(右)1932年、アメリカ、イリノイ州シカゴ(?)、斬新な鷲の塗装を施したジミー・マッターンのロッキード・ベガ(Lockheed Vega)「センチュリー・オブ・プログレス」"Century of Progress.":アメリカ人飛行士ジミー・マッターンは、1932年7月と1933年6月の2回、世界一周飛行に挑戦した。また、ロッキード社のテストパイロットを務めた。彼の愛機も長距離飛行をしたが、アメリアの愛機と葉異なって、客室部分を改造して燃料タンクを増設し、窓ガラスを廃止したわけではない。ただし、空気抵抗減少のために、大きな車輪カバーを装着したのは共通している。また、ともに斬新なデザインで塗装も凝っている。
SDASM Archives Lockheed : 5 : Vega Manufacturer: Lockheed Designation: 5 Official Nickname: Vega
写真はflickr,SDASM Archives ・Catalog #: 00069465引用。


写真(右)1933年3月23日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ、シカゴ空港、愛機ロッキードベガ「センチュリー・オブ・プログレス」(Lockheed Model 5 Vega)"Century of Progress" (登録コード: NR-869-E) の前でポーズをとるアメリカ人飛行士ジミー・マッターン(James Mattern)大佐(左)とベネット・グリフィン(Bennett Griffin)大佐:アメリカ人飛行士ジミー・マッターンは、1932年7月と1933年6月の2回、世界一周飛行に挑戦した。また、ロッキード社のテストパイロットを務めた。
SDASM Archives Chicago Municipal Airport - Amelia Earhart - Lockheed Vega (23Mar33) Planning Another World Hop. Standing in front of their Lockheed Vega , Colonel James Mattern, (left), and Colonel Bennett Griffin, who crashed in Russia last year, attempting to break the round-the-world flight record, are seen here in Chicago, as they planned to start soon on another flight attempt. On June 3, 1933 Mattern tried again for a round-the-world flight, but this time he would do it solo. He departed Floyd Bennett Field, Long Island in his Lockheed Vega monoplane "Century of Progress." 23H 55M later he landed at Jomfruland, Norway. He refueled and took off for Oslo and Moscow, Russia. He was ahead of the Post-Gatty round-the-world record. After departing from Moscow, the weather turned bad delaying him several days. His chance to break the current record was dashed. He decided to continue his flight still hoping to be the first to fly solo round-the-world. However, this was not to be, as he had to make a forced landing on July 15, 1933 in the tundra near Anadyr, Siberia after losing oil. He abandoned his damaged Vega and was rescued by a Russian pilot, Levanefsky who flew him to Nome, Alaska. Mattern secured another plane in Alaska and continued his flight arriving back in New York on July 29, 1933 setting no records but completing his round-the-world flight adventure
写真はflickr,Midway Airport (Pat B.) ・NR869E引用。


アメリカの女流飛行家アメリア・イアハートAmelia Earhart)、飛行士ジミー・マッターン(James Mattern)大佐、の愛機のロッキード・ベガ(Lockheed Model 5 Vega)は、空気抵抗を減少させるために、大型の流線型の主輪カバーを装着している。しかし、このようなの車輪カバーは、車輪の点検・整備に不便であり、カバーと車輪の間に滑走中に泥など異物が詰まるリスクがあった。そこで、実用性重視で、若干の空気抵抗減少よりも、整備性・稼働率向上を優先して、固定脚の車輪カバーを装着しないことも多かった。


7.1935年アメリアのロッキード・ベガ5Cハワイ=本土東太平洋横断飛行

写真(右)1932-1933年、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウス、初の大西洋単独横断飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と集まったアメリカ要人の夫人たち:アメリアは身長180センチ近くある背の高い女性だった。1932年5月20日に女性飛行士として初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋を横断した。 その後、「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の企画が立ち上がり、アメリカ地理学会の企画を官民学で支援することになった。
Title: [Amelia Earhart, center. White House, Washington, D.C.] Creator(s): Harris & Ewing, photographer Date Created/Published: [1932 or 1933]
Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Reproduction Number: LC-DIG-hec-36968
Call Number: LC-H2- B-5381 [P&P]
Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540
写真は,Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-36968引用。


1932年8月24日、アメリカ人女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)はアメリカ大陸女性単独横断無着陸飛行のために、東岸ニュージャージー州ニューアークを飛び立って、飛行時間19時で、翌8月25日、カリフォルニア州ロスアンゼルスに到着した。その後、1935年1月11日、ハワイからカリフォルニア州までの単独東太平洋飛行も行っている。このとき西から東に向けて西太平洋を横断飛行したのは、偏西風が順風・追い風となって、飛行機の推進力となるため有利である。逆に、東から西への太平洋横断・大西洋横断は、偏西風が逆風・向かい風になるために、飛行が難しく、航続距離が短縮してしまう。

写真(右)1935年1月、アメリカ、ハワイ、アメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart:1897-1937)と見送りに来た夫のジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950):後方の機体は、アメリア乗機のロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5Cで、これを操縦してアメリカ本土カリフォルニア州オークランド飛行場に向かう。
George Palmer Putnam and Amelia Earhart
Artist Underwood & Underwood, active 1880 - c. 1950 Sitter、Amelia Mary Earhart, 24 Jul 1897 - c. 2 Jul 1937、George Palmer Putnam, 1887 - 1950
Date:Jun 22, 1932 Medium Gelatin silver print
Old Identification Number V.D.15 Title George Palmer Putnam and Amelia Earhart Description Photograph of George Palmer Putnam and Amelia Earhart, covered in leis, ca. 1935 Date of Original 1935 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Putnam, George Palmer, 1887-1950--Photographs Leis Genre (TGM) Photographic prints
Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 12/05/2002
写真は, Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Purdue Identification Number b10f5i48引用。


アメリアの2代目の愛機ロッキード・ベガ5型Cは、アメリアが大西洋横断をした機体ではなく、この第二代ベガ5型の本来の塗装は初代ベガとは別の塗装だった。このロッキード・ベガ5C(Lockheed Model 5C Vega)は製造番号(serial number)17で、1931年3月製造、当初の塗装は、機体は赤で、主翼後端のトリム(trim)は銀色で、登録コードはNX965Yを与えられた。発注者は、ジョン・メアーズ(John Henry Mears)だったが、彼は実機を受け取る前に、エリノール・スミス(Elinor Smith)にベガを売却してしまい、さらにその機体が、1934年12月にアメリア・エアハート(Amelia Earhart)に転売された。スミソニアンは、これとは別記のロッキード・ベガ5C(Lockheed Model 5C Vega)を保有しているため、アメリアの第2代ロッキード・ベガ5型C(登録コード:NX965Y)に注目せず、アメリアの初代ロッキード・ベガ5B(登録コード:NR-7852)のみにスッポトライトをあてている。

写真(右)1935年1月11日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ウィーラー飛行場(Wheeler Field)、世界一周赤道旅行に挑戦前、皮ジャケット姿のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と中古購入したばかりの二代目愛機ロッキード・ベガ5C (Lockheed Vega 5C:登録コード; NR965Y):二代目ロッキード・ベガ5C は、1935年1月に中古機を購入したばかりなので、機体の塗装は、前の所有者のままで、真っ赤に塗装され、ラインが引かれている。プロペラは2翅。固定脚の主輪は、むき出しのままで、流線型の車輪カバーで覆われていない。横断飛行成功後に流線型の車輪カバーを付けずに、未整備な滑走路や僻地での運用を便利にしたのかもしれない。カバーで覆われていると、車輪の点検に手間がかかる上に、車輪の交換に時間がかかる。さらにカバーと車輪の間に草や泥が詰まって、降着時の障害になる事がある。
SDASM Archives Earhart , Amelia
Last Name: Earhart First Name: Amelia
Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
写真はflickr,SDASM Archives・BIOE00034引用。


ロッキード・ベガ5C (Lockheed Vega 5C)の発動機は、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー社が1925年に開発したワスプ(Wasp)C1(後のR-1340)空冷星形9気筒エンジン 420馬力 (313 キロワット)である。このワスプ(R-1340)は、プラット&ホイットニー開発になる初のベストセラー航空機用空冷エンジンであり、3万5000台が生産されることになる信頼性の高いエンジンだった。

アメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、1932年の大西洋横断に使用した初代ロッキード・ベガ5Bをフランクリン博物館に譲渡した後、1935年1月に二代目愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C の中古機を購入した。1935年1月撮影の購入したばかりの機体の塗装は、前の所有者の赤色と銀色ラインのままである。プロペラは2翅、固定脚の主輪は、むき出しのままで、流線型の車輪カバーで覆われていない。これより前の初代愛機による大西洋横断単独飛行の時には、流線型の車輪カバーを付けていたが、ハワイからアメリカ本土への東太平洋横断飛行では、日常の運用を便利にするためか、車輪カバーをつけなかったようだ。車輪カバーで覆われていると、車輪の点検に手間がかかる上に、車輪の交換に時間を擁してしまう。さらにカバーと車輪の間に草や泥が詰まって、降着時の障害になる事がある。

1935年1月11日―12日には、アメリア・イヤハートAmelia Earhart)は二代目愛機ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C (登録コードr/n NR-965Y)を単身操縦士、ハワイ諸島オアフ島(Oahu)ホノルルのウィーラー飛行場(Wheeler Field)から、アメリカ本土カリファルニア州オークランドまで東太平洋を越える単独横断飛行に成功した。アメリアのロッキード・ベガ5C(Lockheed Model 5C Vega:登録コードNX965Y)は、現地時間で1935年1月11日16時40分、ハワイ諸島オアフ島ホノルルのウィーラー飛行場(Wheeler Field)を発進、飛行時間18時間15分で、翌12日13時31分にカリフォルニア州オークランド(Oakland)に無事着陸した。これは、男女かかわらず、世界初のハワイ=アメリカ本土間の単独横断飛行だった。

ロッキード・ベガ(Lockheed Vega)5C(登録コードr/n NR-965Y)が技術的に優れていたのは、機体骨格構造,内部構造、主翼デザインが高速発揮に向いていたことだった。ただし、肩翼式で大きなガラス窓があったので、下方視界は良かったようだ。性能が良かった半面、経済性に乏しかったと考えられる。他方、胴体は細く、容積不足だったために、乗客のための客室キャビンは快適とは言い難かった。

 ジェット旅客機では、コックピットやキャビン(客室)内の気圧は、高度が上が手も低下しない。それは、機内が密閉され、室内に空気が注ぎ込まれているからで、これはジェットエンジンのコンプレッサー(圧力器)を駆動した送風である。しかし、ピストンエンジンのプロペラ機では、ジェットエンジンと異なりコンプレッサー(圧力器)を駆動するために別途動力を搭載するのが一般的だった。ドイツでは、第二次大戦中に与圧室を実現したものの、本格的に長時間高高度を飛行する偵察機・爆撃機の与圧室は、最後まで実用化が困難だった。コンプレッサー用のエンジンを別途装備すればよいが、これでは重量増加、飛行性能が低下してしまう。

また、高空になるほど室内と外気との気圧差が大きくなるため、密閉するとしても、圧力差に耐えられるだけの耐久性・堅牢性が必要となる。室内構造を頑丈にすれば、重量が嵩んでしまうので、簡単に与圧室を実用化することはできなかった。


8.1936年アメリア・イアハートのステアマン=ハモンド Y-1試験飛行

アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は、1931年にオートジャイロ(Autogiro)で最高高度記録1万8,415 フィート(5613m)を達成し、1932年5月、大西洋横断無着単独飛行に成功(史上初の女性・2番目の単独飛行・大西洋を2回横断した初の人物)。同じ1932年8月、アメリカ大陸を始めて無着陸横断に成功。1932年8月24日、アメリカ東岸ニュージャージー州ニューアークから、飛行19時間で、8月25日、西岸カリフォルニア州ロスアンゼルスに到着し、アメリカ大陸無着陸横断飛行に成功した。1935年1月11日、アメリア・イアハートAmelia Mary Earhart)は太平洋上のハワイからカリフォルニア州まで東太平洋の単独横断飛行に成功した。

写真(右)1936年、アメリカ、アメリカ商務省商業飛行局のマークの入っているステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)を試験飛行するアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):双胴ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)は、エンジン125 hp (93 kW)が機体後方に装備され、プロペラは推進式だった。尾輪式では、プロペラが地面に接触してしまうので、機首下面に主輪を配置し、機体後方の2個の車輪で3点姿勢としたため、地上では水平な姿勢で駐機できた。アメリカ商務省商業飛行局のマークの入っている機体をアメリアは試乗している。

Title: [Amelia Earhart in airplane] Creator(s): Harris & Ewing, photographer Date Created/Published: [1936] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller Reproduction Number: LC-DIG-hec-40747 (digital file from original negative)
Call Number: LC-H2- B-10065 [P&P] [P&P] Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller
写真は, Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-40747 引用。


ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)の諸元
乗員: 1人 乗客: 1人
全長: 8.20 m (26 ft 11 in)
全高: 2.31 m (7 ft 7 in)
翼幅: 12.19 m(40 ft 0 in)
空虚重量: 635 kg (1,400 lb)
運用時重量: 975 kg (2,150 lb)
動力: メナスコ C-4S 空冷 倒立直列4気筒エンジン、110 kW (150 hp)1基
最高速力: 209 km/h (113 ノット) 130 マイル/高度3000 ft (915 m)
生産機数:20機


写真(上)1938年、アメリカ、ステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)
:双胴ツインブーム低翼単葉機ステアマン=ハモンド Y-1Stearman-Hammond Y-1)は、エンジン125 hp (93 kW)が機体後方に装備され、プロペラは推進式だった。
Description R. P. Bowman's new demonstrator at Alameda in 1938. Date 27 April 2010, 13:46 Source Stearman-Hammond Y-1S (NC15525) Author Bill Larkins
写真は Wikimedia Commons Category:Stearman-Hammond Y-1 File: Stearman-Hammond Y-1S (NC15525) (4558919232).jpg引用。


ステアマン=ハモンド Y-1(Stearman-Hammond Y-1)試作1号機の発動機は、メナスコ C-4エンジン125馬力(93 kW)で、推進式プロペラを装備したが、出力部族だったために、発動機はメナスコ C-4Sエンジン150馬力 (112 kW) に換装され、ステアマン=ハモンド Y-1S(Stearman-Hammond Y-1S)となった。アメリカ商務省商業飛行局は、安価で安全性の高い軽飛行機"Safe Aircraft" を望んでいたが、結果として、推進式プロペラの実験機的側面が強くなり、アメリカ海軍、アメリカ沿岸警備隊が試作的に使用した。


9.1937年アメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)第1回世界一周飛行

写真(右)1935年、アメリカ、アメリカ地理学会の女性要人、初の大西洋単独横断飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)とアメリカ大統領FDR夫人・社会活動家エレノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt:1884-1962 ):二人とも身長180センチ近くある背の高い女性だった。1932年5月20日に女性飛行士として初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋を横断した。 その後、「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の企画が立ち上がり、アメリカ地理学会の企画を官民学で支援することになった。
Title: IMPORTANT WOMEN. AMELIA EARHART, FAMOUS FLIER, LEFT, AND MRS. FRANKLIN ROOSEVELT PHOTOGRAPHED AS THEY APPROACHED THE NATIONAL GEOGRAPHIC SOCIETY WHERE THE CONQUORER OF THE ATLANTIC AND THE PACIFIC BY AIR ADDRESSED THE MEMBER
S Creator(s): Harris & Ewing, photographer
Date Created/Published: [1935]
Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller
Reproduction Number: LC-DIG-hec-47081 (digital file from original negative)
Call Number: LC-H21- C-387 [P&P]
Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540
写真は,Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-hec-47081 引用。


アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルト婦人(ファーストレディ)、エレノア・ルーズベルトEleanor Roosevelt)は、第26代大統領セオドア・ルーズベルトの親類エリオット・ルーズベルトの娘で、1904年にハーバード大学を卒業した親類のフランクリン・ルーズベルトと1905年に結婚し、大統領セオドア・ルーズベルトの出席した結婚式が開かれた。

1910年、フランクリン・ルーズベルトは、ニューヨーク州上院議員に当選、1913年、大統領ウッドロウ・ウィルソンによって海軍次官に任命、第一次大戦で手腕を振るった。

1933年3月4日、フランクリンが大統領に就任すると、エレノア・ルーズベルトEleanor Roosevelt)は女性エンパワーメント、貧困解消、人権保護などの社会政策を率先して進めるように促し、大統領に大きな影響力を持った。

写真(右)1935年、アメリカ、アメリカ地理学会の女性要人、初の大西洋単独横断飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)とアメリカ大統領FDR夫人・社会活動家エレノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt) :エレノア自信、飛行機操縦ライセンスを取得したかったようだが、夫のフランクリンに止められた。
Amelia Earhart and Eleanor Roosevelt Underwood & Underwood (active 1880 – c. 1950) Gelatin silver print, 1935
After her second transatlantic flight, Earhart continued to set out on record-breaking trips. Only two months after returning to America in June 1932, she became the first woman to fly solo across the North American continent and back. She also found time for other projects, especially those that advanced women’s progress in society. During this period she became close friends with first lady Eleanor Roosevelt (1884–1962). The two women shared a similar sense of independence and supported each other’s causes. Inspired by Earhart’s example, Roosevelt wanted to obtain a pilot’s license, although her husband rejected the idea. Earhart was a frequent visitor to the White House and was likewise influenced by Roosevelt. She supported the first lady’s efforts to improve the lives of working women and joined her campaign to promote world peace.
Date Created/Published: [1935]
Medium: 1 negative : glass ; 4 x 5 in. or smaller
Reproduction Number: LC-DIG-hec-47081 (digital file from original negative)
National Portrait Gallery, Smithsonian Institution; gift of George R. Rinhart, in memory of Joan Rinhart
写真はSmithsonian,National Portrait Gallery ONE LIFE: Amelia Earhart引用。


Eleanor Roosevelt 1932年5月20日に女性飛行士としてアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)初めてロッキード・ベガに単身搭乗、自ら全行程を操縦して大西洋を横断したが、1935年に「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の企画が立ち上がり、アメリカ地理学会の企画を官民学で支援することになった。

これは、赤道付近で世界一周飛行を目指すもので、無着陸では不可能だったが、大陸・島嶼を経由し、十分な補給・支援を併用すれば、女流飛行家アメリア・イヤハートにも十分に成算ある計画で、アメリカ女性を支援していた大統領夫人エレノア・ルーズベルトにも女性の能力発揮のために望ましい計画だった。

民主党フランクリン・ルーズベルト大統領婦人ファーストレディのエレノア・ルーズベルトEleanor Roosevelt:1884‐1962)もリベラルで女性の社会進出を促す必要性を痛感しており、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)のようなジェンダーフリーの活動を高く評価していた。

そこで、女流飛行家アメリア・イヤハートと大統領夫人エレノア・ルーズベルトの二人は、本格的に「大西洋・太平洋飛行制覇」(大西洋・太平洋横断世界一周飛行)の実現に向けて動き出した。

写真(上)1937年5月30日、世界一周旅行のマイアミ出発直前、アメリカ、フロリダ州マイアミ、モーターボート上のアメリカ女流飛行家アメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart:1897-1937)と釣りを楽しむアメリアの夫ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950):パットナムは1931年にアメリアと再婚した。後席のハット・眼鏡の男性は、世界一周飛行のアメリアに随伴するフレッドヌーナン(Fred Noonan)、左端はリリー・マッキントッシュ (Lily MacIntosh)。
Earhart, Amelia Mary, 1930s; Putnam, George Palmer; Noonan, Fred. [ephemera]
Page containing multiple views of Amelia Mary Earhart, George Palmer Putnam, Fred Noonan, Lily MacIntosh, and an unidentified woman on a fishing trip in Miami, Florida, May 30, 1937. [For details of individual images see NASM 9A12453 to 9A12456.]
Data Source National Air and Space Museum Archives Date 5/30/1937
Repository Loc. National Air and Space Museum, Archives Division, MRC 322, Washington, DC, 20560.
写真は,National Air and Space Museum Local number NASM-9A12457引用。


ニューヨークの出版実業一家に生まれた資産家ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam:1887-1950)は、、極地探検にも自ら参加しており、1928年、大西洋横断飛行をアメリア・イヤハート(Amelia Mary Earhart)に持ち掛けたのが縁となって、1931年に彼女と再婚した。その後、ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)は、アメリアを妻とした後も、彼女をメディアで喧伝した。その企図は、
1)大西洋横断飛行で有名なアメリアを冒険飛行に引き続き参加させて、夫としての力量を見せる、
2)アメリアの出版・記事・写真を使って、自らの出版業を興隆させる、
3)アメリアをブランドとして、衣料・バッグなど女性用商品を開発し、その広告収入を得て、自らの出版業界に寄与させる、
という3点が考えられる。

ジョージ・パットナム(George Palmer Putnam)は、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)の冒険への熱情や飛行機操縦の体験生かそうと、世界一周赤道飛行を計画した。これには山岳の協力も不可欠で、大学より最新鋭機のロッキード・エレクトラを寄贈してもらうこともできた。大西洋横断飛行についで、世界異臭赤道飛行も、アメリアに惚れこんだ夫パットナムの企画といってよいであろう。

写真(右)1936年、アメリカ、愛機ロッキード・エレクトラの機首に納まったアメリア・イヤハート(Amelia Earhart):機首には2個の探照灯が装備されるが、その後ではこのように機首に潜り込むことはできないであろう。情報にはコックピットのガラス風防が見えている。
Amelia Earhart with the Lockheed Electra Unidentified photographer for Acme Newspictures, Inc. Gelatin silver print, 1936
Earhart sits in the unfinished engine casing of the Lockheed Electra in this photograph. With its two engines and state-of-the-art communications equipment, the Electra was one of the most advanced aircrafts ever built. During this period, she also recruited two experienced navigators, Harry Manning and Fred Noonan, to accompany her on an around-the-world flight. On March 17, 1937, they took off from Oakland, heading to Hawaii. This attempt at circumnavigating the globe was abandoned soonafter when Earhart lost control of the plane during a take-off from Honolulu. The damaged Electra had to be shipped back to California for repairs, and the much-anticipated trip was suddenly in jeopardy. Despite this accident, Earhart was determined to try once again. After the Electra was repaired, she replotted her course, this time deciding to travel from west to east. On June 1, 1937, Earhart and Noonan left from Miami, although in their haste they left behind some crucial communications equipment. Over the next thirty days, they traveled nearly 22,000 miles. Rather than completing the hardest and most dangerous segment early in their trip, their new route meant that their passage over the Pacific was to be completed at the very end. On July 2, they left Lae, New Guinea, headed toward Howland Island, a small strip of land in the middle of the South Pacific more than 2,500 miles away.
写真はSmithsonian,National Portrait Gallery ONE LIFE: Amelia Earhart引用。


アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、1936年7月24日の39歳の誕生日に、ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)登録コードNR16020を受け取り、登録コードNR16020の愛機を使って、世界一周赤道飛行を計画した。長距離の危険な飛行のため、機体には燃料タンクを増設し、新型の無線航法装置を導入した。また、単独飛行は困難なので、航法士・副操縦士フレデリック・フレッド・ヌーナン(Frederick Joseph "Fred" Noonan:1893-1937)が搭乗員として加わった。

西回り世界一周を目指すアメリアは、他の3人の搭乗員とともに1937年3月17日にロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)でカリフォルニア州オークランドを離陸し、ハワイのホノルルに着地した。しかし、ホノルルで故障したために、アメリカ本土に船で戻った。そして、機体を修理してから、今度は東回り世界一周を企図し、1397年7月1日にオークランドを飛び立った。


1937年3月18日、アメリカ、インディアナ州Purdue Exponentの記事:1937年3月19日にカリフォルニア州オークランドからハワイのホノルルへ出発するアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)10E(登録コード:NR16020)による第1回目の西回りの世界一周赤道飛行の予定経路図
:Purdue Exponent, March 18, 1937.
Remembering Amelia Earhart’s Round-the-World Flight: The 80th Anniversary of Her “Shining Adventure” (Part 2 of 2)
記事は,Memoirs & Memories・Tales From Purdue University Archives and Special Collections引用。


写真(右)1937年、愛機ロッキード・エレクトラLockheed L-10 Electra)(登録コード:NR16020)の機首の上でポーズをとったアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と二人の女性:エレクトラ機首先端には、夜間着陸に使用するためか照明塔が2個ついている。プロペラは2翅であるが、その後、エンジン出力が増加し、プロペラ長が長くなると、3翅プロペラが導入されるようになった。機体は、塗装を施さず、銀色の無地のアルミ合金外板が輝いている。1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00184引用。


アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)のロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)による第1回目の世界一周赤道飛行は、カリフォルニア州オークランド発、ハワイ諸島オアフ島ホノルル、アメリカ領ホーランド島(Howland Island)、ニューギニア(オーストラリア信託統治領)ラエ(Lae)、オーストラリア北端ダーウィン、オランダ領バタビア、イギリス領シンガポール、イギリス領ビルマのラングーン、イギリス領インドのアラーハーバード(Allahabad)、インド(パキスタン)のカラチ(karach)、アラビア半島南部アデン(Aden)、イギリス領スーダンのハルツーム(Khartoum)、フランス領チャドのフォール・ラミ(Fort-Lamy)、フランス領ニジェールのニアメー(Niamey)、フランス領ダカール(Dakar)、ブラジルのナタール(Natal)、ブラジルのセアラー州フォートレーザ(Fortaleza)、ベレン(Belem)、トリニダード島ポートオブスペイン(Port of Spain)、パナマ(Panama)、グアテマラシティー、メキシコシティー、ロスアンゼルス、オークランド帰着の経路を予定していた。

写真(右)1937年、愛機ロッキード・エレクトラLockheed L-10 Electra)(登録コード:NR16020)機首の上でポーズをとったアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と10人の笑顔の女性たち:1937年3月17日、アメリア・イアハートは、航法士・副操縦士フレデリック・フレッド・ヌーナン(Frederick Joseph "Fred" Noonan:1893-1937) とともに、カリフォルニア州オークランドを離陸し、ハワイに着陸した。しかし、翌日、ハワイ離陸の時に滑走路で事故を起こして機体が大きく損傷した。こうして、第一回目の世界一周赤道飛行は失敗に終わる。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00121引用。



写真(右)1937年、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、赤道上の世界一周飛行に出発前、愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)の尾翼でポーズをとる女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
:双尾翼式で、垂直尾翼には流れ星を配したロッキード社のマークが描かれていて、方向舵にはNR 19820という登録コードが記入されている。垂直尾翼の下方前縁、垂直尾翼の前縁は、濃いオレンジ色で塗装されている様だ。垂直尾翼上端には、胴体の無線機に接続するアンテナ線が絶縁体を付けて張られているのが分かる。
Amelia Earhart in informal pose, seated on horizontal stabilizer of her Lockheed Model 10-E Electra (r/n NR16020).photographer.Unknown Subject Earhart, Amelia 1897-1937 Date Circa 1937
写真はNational Air and Space Museum Archives ・Local number NASM-00157854引用。

通常型ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)10E(Lockheed Model 10E Electra )の諸元
空虚重量(Empty Weight): 6,454 ポンド(pounds)
全長(Length): 38 feet, 7 inches
全高(Height): 10 feet, 1 inch
発動機:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340「ワスプ」Wasp SH31空冷星形9気筒エンジン600馬力2基
巡航速力(Cruise speed): 時速190-194マイル(mph)
最高速力(Max Speed): 時速202マイル(mph)
航続距離(Range): 619 マイル(nautical miles)
実用上昇限度(Service Ceiling): 19,400 feet


写真(右)1937年、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、赤道上の世界一周飛行に出発前、愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)胴体上部に新設したベンディックス(Bendix)無線方位装置(radio direction finder)のループアンテナをかざしている、女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
:これからハワイ諸島オアフ島のホノルルに飛行する。胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Amelia Earhart looking through Bendix Corporation radio direction finder antenna ring used on her Lockheed 10E Electra. photographer.Unknown Subject Earhart, Amelia 1897-1937
写真はNational Air and Space Museum Archives ・Local number NASM-00157854引用。

アメリア・イアハート(Amelia Earhart)の愛機Lockheed ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)登録コードNR16020の特別仕様
1)燃料タンクを主翼と胴体に増設、追加し、主翼に6個、胴体に6個の燃料タンクを装備。合計燃料容積は 1,150ガロン(4,353L)に増加し、巡航速力で20時間以上飛行可能になった。ただし、コックピットには、胴体に燃料タンクを増設したために、胴体後部の扉からは入れなくなり、主翼の上から機首のコックピット上の天蓋にもぼって入らなければならない。

2)遠距離飛行のため、通信・航法危機を改良し、より強力なウエスタン・エレクトリック(Western Electric)のより強力な無線機(radio)を搭載、当時の先端技術を使ったベンディックス(Bendix)無線方位装置(radio direction finder)、弱いモールス信号( Morse code)でも検出可能な振幅発振回路(Beat Frequency Oscillator:BFO)を搭載した。


写真(上)1937年3月12日、アメリカ西部、カリフォルニア州オークランド飛行場、赤道上世界一周飛行に向かう直前のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(amelia earhart)と搭乗機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )(登録コード:NR16020)
:アメリアは、第2回目の世界一周飛行に発進し、オークランドから東進し、マイアミ経由で、ブラジル、アフリカ、パキスタン、ビルマ、ジャワを経由して、ニューギニア東部のラエに到着した、しかし、1937年7月2日、ラエを離陸し、ハワイ方面に飛行する最中に行方不明になった。
amelia earhart pictionid69129043 - title--amelia earhart - catalog02e-00504 - filename--amelia earhart--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はflickr,SDASM Archives ・catalog:02e-00504 引用。



写真(上)1937年3月12日、アメリカ西部、カリフォルニア州オークランド飛行場、無塗装の愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)前のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
:エレクトラは、旅客輸送用でないので窓ガラスは、コックピットのほか胴体後方に1か所見えるだけで胴体の空気抵抗は極限されている。双尾翼式で、尾輪は橇式ではなく、タイヤ式となっている。アメリアは、1927年のリンドバーク同様、1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00040引用。



写真(右)1937年3月12日、アメリカ西部、カリフォルニア州オークランド飛行場、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)の機首に腰かけてポーズをとったアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)
:エレクトラ機首先端には、夜間着陸に使用するためか照明塔が2個ついている。プロペラは2翅であるが、その後、エンジン出力が増加し、プロペラ長が長くなると、3翅プロペラが導入されるようになった。機体は、塗装を施さず、銀色の無地のアルミ合金外板が輝いている。1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00047引用。


写真(右)1937年3月12日、アメリカ西部、カリフォルニア州オークランド飛行場、ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)で赤道上の世界一周飛行に出発する直前、機首でポーズをとる女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart):胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。この機の搭乗者は、アメリア以外に副操縦士・航法士フレッド・ヌーナン(Fred Noonan)機関士ハリー・マニング(Harry Manning)の3人,合計4人で3月17日にハワイ諸島オアフ島ホノルルに向かった。
Old Identification Number Number vii.g.4.e Purdue Identification Number b10f8i19 Title Amelia Earhart sitting on nose of Lockheed Electra Description Amelia Earhart sitting on the nose of her Lockheed Electra plane, ca. March 12, 1937 Date of Original 1937-03-12 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Electra Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : sepia ; 20 x 25 cm. Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_160 引用。


写真(上)1937年3月13日、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、赤道上の世界一周飛行に出発する直前のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)の離陸
:これから4日後の1937年3月17日ハワイ諸島オアフ島のホノルルに出発する。胴体コックピット上部に、ループアンテナが装備されているが、これは方向探知用のベンディックス(Bendix)無線方位装置(radio direction finder)である。
VII.G.12.a Purdue Identification Number b10f7i13 Title Takeoff test hop of Earhart's Lockheed Electra Description The takeoff test hop of Earhart’s Lockheed Electra plane from the Oakland Airport in California, March 13, 1937. This was the last test-hop of the flight before heading out over the Pacific. Date of Original 1937-03-13 Subjects Lockheed Electra Arrivals & departures Flight testing Oakland (Calif.) California Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 19 x 24 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Date Digitized 01/15/2003
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_110 引用。

写真(右)1937年3月18日、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)で赤道上の世界一周飛行に出発する直前の記者会見で撮影を受けている搭乗者の機関士ポール・マッツ(Paul Mantz)、女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)、機関士ハリー・マニング(Harry Manning),副操縦士・航法士フレッド・ヌーナン(Fred Noonan) :これからハワイ諸島オアフ島のホノルルに飛行する。胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Old Identification Number VII.G.11.b Purdue Identification Number b10f7i12 Title Paul Mantz, Amelia Earhart, Harry Manning, and Fred Noonan Description Paul Mantz, Amelia Earhart, Harry Manning, and Fred Noonan being photographed in front of Earhart’s plane, Oakland Airport [?], California, ca. March 17, 1937 [2 original photographs] Date of Original 1937-03-17 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Mantz, Paul Manning, Harry Noonan, Frederick J., d. 1937 Airplanes California Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 19 x 24 cm. Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_110 引用。


写真(上)1937年3月18日、アメリカ、カリフォルニア州オークランド飛行場、赤道上の世界一周飛行に出発する直前の搭乗する機関士ポール・マッツ(Paul Mantz)、女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)、機関士ハリー・マニング(Harry Manning),副操縦士・航法士フレッド・ヌーナン(Fred Noonan)、後方は愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)
:これからハワイ諸島オアフ島のホノルルに飛行する。胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Left to right: Paul Mantz, Amelia Earhart, Harry Manning, and Fred Noonan posed in front of Earhart's Lockheed 10E Electra (A/C No. NR16020) prior to taking off from Oakland, California, for Honolulu, Hawaii, March 18, 1937. Original print autographed by Earhart, Manning, and Noonan.Unknown Subject Earhart, Amelia 1897-1937 Date 3/18/1937
写真はNational Air and Space Museum Archives ・Local number NASM-157896引用。


写真(上)1937年3月19日(?)、アメリカ、ハワイ、アメリカ海軍真珠湾基地内フォード島(Ford Island)の格納庫で機体整備中のアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)
:主翼の前にエンジンカウリング(ナセル)が外されて置いてある。
Right side view, from above, of Amelia Earhart's Lockheed Model 10-E Electra (NR16020) in a hangar undergoing maintenance in Hawaii during her first unsuccessful attempt at a round-the-world flight, March 1937.
Data Source National Air and Space Museum Archives
写真は,National Air and Space Museum Archives Local number NASM-9A12155引用。


アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、世界一周赤道飛行に再挑戦するために、1937年3月17日にアメリカ、カリフォルニア州バーバンク(Burbank)飛行場から、特別仕様ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)に搭乗し、発進した。このときも、専属カメラマンとなっていたアルバート・ブレスニック(Albert Bresnik)が写真撮影している。

アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)登録コードNR16020の機首先端には、夜間着陸に使用するためか照明塔が2個ついている。プロペラは2翅であるが、その後、エンジン出力が増加し、プロペラ長が長くなると、3翅プロペラが導入されるようになった。機体は、塗装を施さず、銀色の無地のアルミ合金外板が輝いている。

写真(右)1937年3月19日以降(?)、ハワイ、オアフ島真珠湾のアメリカ海軍基地内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)で離陸滑走中に、大破したアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020)と折れ曲がった金属製2翅プロペラ:機首コックピット脇にはアメリア・イアハートがいてコックピットの天蓋から上半身を出した男性と話している。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00119
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00119引用。


1937年3月17日のロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)による第1回目の世界一周赤道飛行は、カリフォルニア州オークランド発、ハワイ諸島オアフ島ホノルルに到着したところで離陸に失敗、飛行機が大破して中止となった。

次は、第二回目のロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)による挑戦で、飛行経路は、第一回目と反対にアメリカ本土カリフォルニア州オークランドからフロリダ州マイアミ経由で、中南米、アフリカへと東回りの世界一周赤道飛行の計画である。

アメリア・イアハートと航法士・副操縦士フレデリック・フレッド・ヌーナン(Frederick Joseph "Fred" Noonan)の搭乗したロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)は、ハワイのホノルル、ウィーラー飛行場(Wheeler Field)に着陸した時に、潤滑油や降着装置に問題が起きたために、真珠湾のアメリカ海軍基地内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)に運ばれ、格納庫の中で整備を受けた。整備には時間がかかり、予定より3日間遅れて、整備がなり、ルーク飛行場(Luke Field)を離陸しようとした。しかし、ルーク飛行場(Luke Field)滑走路で、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機愛機ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)登録コードNR16020のは、グラウンドループ(滑走中のスピン)を起こし、機体・降着装置を大きく破損した。

写真(右)1937年3月19日以降(?)、ハワイ諸島オアフ島真珠湾フォード島ルーク飛行場(Luke Field)で離陸に失敗したアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020) :離陸したが、直ぐにグラウンドループ(滑走中のスピン)をおこしてしまい、降着装置を破損した。未舗装地でも離着陸時の安定性を確保できるように、主輪のゴムタイヤの幅は大きめである。機体はジェラルミンの輝くままの無塗装のままで、空気抵抗が少ないために、飛行性能は向上する。その一方で、砂塵や潮風による損傷・腐食が進みやすく、手入れを入念にしなければならなくなる。
Earhart , Amelia Catalog #:BIOE00189
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00189引用。


アメリア・イアハートの特別仕様ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)は、世界一周赤道飛行を成し遂げようと、1937年3月17日にカリフォルニア州オークランド(Oakland)飛行場を飛び立って、ハワイ諸島オアフ島ウィーラー飛行場(Wheeler Field)の飛行機に着地した。しかし、潤滑油や降着装置が不調となったために、修理が必要だったが、ウィーラー飛行場(Wheeler Field)の施設は不十分だったために、アメリアと航法士・副操縦士フレデリック・フレッド・ヌーナン(Frederick "Fred" Noonan)は、アメリカ海軍航空隊の真珠湾内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)の格納庫で機体を整備することにした。

写真(右)1937年3月19日以降(?)、ハワイ、オアフ島真珠湾のアメリカ海軍基地内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)で離陸滑走中に、グランドループを起こし大破したアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020)。降着装置を損傷し、金属製2翅プロペラも大破してしまった。:機体はジェラルミンの輝くままの無塗装のままで、空気抵抗が少ないために、飛行性能は向上する。その一方で、砂塵や潮風による損傷・腐食が進みやすく、手入れを入念にしなければならなくなる。エンジンカウリングは、まだ外されておらず、不時着時のまま。右発動機は、着陸の衝撃で、付け根部から下り曲がってしまっている。
Earhart , Amelia Catalog #:BIOE00164
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00164引用。


アメリアと航法士フレデリック・フレッド・ヌーナン(Frederick "Fred" Noonan)が修理した特別仕様ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)は、当初の飛行予定を3日遅れで、ホーランド島(Howland Island)を目指して、オアフ島真珠湾フォード島ルーク飛行場(Luke Field)を滑走し始めた。しかし、ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)は、ルーク飛行場滑走路の走行中に、主輪がパンクしたためか、グランドループ(滑走中のスピン)に陥ってしまい、降着装置が折れて、プロペラや機体下部が損傷したため、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1340「ワスプ」空冷エンジンにも悪影響があったであろう。

写真(右)1937年、アメリカ、ハワイ、オアフ島真珠湾のアメリカ海軍基地内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)から離陸する際に、グラウンドループ(滑走中のスピン)によって、降着装置を損傷し、離陸できなくなったアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020)を後方から撮影:双尾翼式で、右主翼上面に登録コード:NR16020の一部が見える。エンジン・カウリングはついている状態。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00156
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00156引用。


大破したアメリア・イアハートの特別仕様ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)を修理するのは、現地では困難であり、これからの孤島への飛行は、無線・航法の正確さやプラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)「ワスプ」空冷星形エンジンの信頼性がなおさら求められる危険な経路であった。そこで、大破したロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)による世界一周赤道飛行はリスクが高いと判断され、計画は一時断念することになった。そしてし、大破した機体を、アメリカ本土にまで船舶輸送し、ロッキード・バーバンク(Lockheed Burbank)工場で、本格的に修理して、出直すことにしたのである。

写真(右)アメリカハワイ諸島オアフ島、アメリカ海軍真珠湾基地、フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)の離陸途上、滑走路でグラウンドループ(滑走中のスピン)を起こし降着装置を破損、機体を損傷したアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)と折れ曲がった金属製2翅プロペラ:エンジン・カウリングは外されていて、エンジンがむき出しになっているが、これからエンジンを取り外し回収するのであろうか。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00049
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00158引用。


アメリア愛機の特別仕様ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special:NR16020)は、ハワイ諸島オアフ島ホノルル、ウィーラー飛行場(Wheeler Field)に着陸したが、潤滑油と降着装置の不調から、予定を変更して、真珠湾のアメリカ海軍基地で修理を行った。アメリアとヌーナンが修理したロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra:登録コード;NR16020)は、当初の飛行予定を3日遅れで、ホーランド島(Howland Island)を目指して、オアフ島真珠湾フォード島ルーク飛行場(Luke Field)を滑走し始めた。しかし、ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)は、ルーク飛行場から離陸する最中に、主輪パンクのためか、グランドループ(滑走中のスピン)に陥ってしまい、降着装置が折れて、プロペラや機体下部が大きく損傷した。

アメリアとヌーナンは、十分な整備がないまま、離島航路を飛ぶ危険を避けるために、特別仕様ロッキード・エレクトラ10ELockheed 10E Electra Special)をアメリカ本土のロッキード工場に船便で送って、完全に修理をしてから、世界一周赤道飛行を出直すことを決断した。


写真(上)1937年3月19日、アメリカハワイ諸島オアフ島、アメリカ海軍真珠湾基地、フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)の離陸途上、滑走路でグラウンドループ(滑走中のスピン)を起こし降着装置を破損、機体を損傷したアメリア・イアハートのロッキード・エレクトラ(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)の燃料抜き取り作業
:エンジン・カウリングもプロペラも外されていた状態で、エンジンナセルから出た降着装置の主輪が、破損したままむき出しになっている。燃料が残っているのか、火事を予防しようと、左側には消火器2本が準備されている。 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,National Air and Space Museum ArchivesLocal number NASM-9A12156およびflickr、SDASM Archives・Catalog #: BIOE00165引用。


アメリア・イアハートは、世界一周赤道飛行を成し遂げようと、1937年3月17日にロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)に搭乗、カリフォルニア州オークランド(Oakland)飛行場を飛び立って、ハワイ諸島オアフ島ウィーラー飛行場(Wheeler Field)に着地した。ここで、機体が不調になり、修理が必要になったが、ウィーラー飛行場(Wheeler Field)の施設は不十分だったために、アメリカ海軍航空隊の真珠湾内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)で機体を修理することになった。オアフ島真珠湾フォード島ルーク飛行場(Luke Field)で、アメリアやヌーナンが、アメリカ海軍の協力を受けて、ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)の修理に当たったのである。

損傷したロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)は、飛行予定を3日遅れで、西方海上のホーランド島(Howland Island)を目指して、オアフ島真珠湾フォード島ルーク飛行場(Luke Field)から離陸を滑走を開始した。滑走路での走行中、主輪がパンクしたためか、グランドループ(滑走中のスピン)が発生し、プロペラも機体下部も大破した。グラウンドループ(滑走中のスピン)に入ってしまい、降着装置が折れて破損し、機体もプラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)「ワスプ」空冷星形エンジンも損傷してしまったのである。

写真(右)1937年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス・バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場、ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)を分解点検をしている技術者と話を交わす女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart):主翼を根元から切り離して検査している。機体は、尾部を持ち上げて機体を水平に保ったいる。コックピットは、ガラス風防に囲まれているが、横の窓ガラスは開閉式となっている。ハワイ諸島オアフ島ホノルル、真珠湾内フォード島(Ford Island)ルーク飛行場(Luke Field)で大破した機体は、船でアメリカ本土のロッキード・バーバンク(Lockheed Burbank)工場に運ばれた。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00041 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00041引用。


離陸する際に、滑走路で機体がグラウンドループしてしまい、降着装置が折れて、機体、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1340「ワスプ」空冷エンジン周辺が損傷したロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)は、大規模な修理・整備が必要になったが、もはやハワイの現地では修復は困難であり、これからの孤島への飛行は、無線・航法の正確さが求められる危険なものであった。そこで、損傷したロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード;NR16020)によるリスクを冒しての世界一周飛行を一時断念し、損傷した機体を、船に積んでアメリカ本土に航送、ロッキード・バーバンク(Lockheed Burbank)工場で、本格的に修理する事になった。

写真(右)1937年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス・バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場で整備中の愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)のコックピットから乗り出しているアメリア・イアハート(Amelia Earhart):手にしているのは、後方に使用する地図のようだ。エレクトラの機体外板には鋲が打たれているのが明瞭にわかる。尾部を持ち上げて機体を水平に保っている。コックピットは、ガラス風防に囲まれているが、横の窓ガラスは開閉式で、側方上部の展望所の蓋も開くようになっている。アメリアは、1927年のリンドバーク同様、1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00046 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00046引用。


1932年、ロッキード・ベガ単発機で女性初の大西洋単独横断飛行に成功したアメリア・イアハートは、世界一周赤道飛行をするにあたって、ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed 10E Electra Special:NR16020)を選択したが、これはロッキード社の意向と便宜を受けての事であろう。したがって、初めての世界一周赤道飛行の挑戦で、ハワイで機体を損傷したからといって、ロッキードの名誉にかけて、途中退場は許されない。再挑戦は、当然の帰結だった。


10.1937年アメリアのロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)第2回世界一周飛行

ロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra)は、搭乗員2名、乗客12名、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)「ワスプ」空冷星形エンジン2基を搭載の双発高速旅客機であり、機体の客席部分に燃料タンクを増設し、長距離飛行を可能にしたのが、女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)の愛機ロッキード・エレクトラ(Lockheed L-10 Electra)(登録コード:NR16020)である。

写真(右)1937年、滑走路脇の未舗装駐機場に置かれた愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)の正面で両腕を広げて左右の2翅プロペラと手をつないだアメリア・イアハート(Amelia Earhart):機首先端下面には、離着陸に使用する照明灯2個が装着されている。未舗装地でも離着陸時の安定性を確保できるように、主輪のゴムタイヤの幅は大きめである。機体はジェラルミンの輝くままの無塗装のままで、空気抵抗が少ないために、飛行性能は向上する。その一方で、砂塵や潮風による損傷・腐食が進みやすく、手入れを入念にしなければならなくなる。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00049
Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00049引用。


1937年4月頃、ニューヨークHerald Tribune記事:1937年、愛機ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)10E(登録コード:NR16020)の機首の前でポーズをとったアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)を配した第二回目の挑戦となるアメリカ本土カリフォルニア州オークランドからハワイへと西回りの世界一周赤道飛行の予定経路図: プロペラは2翅であるが、その後、エンジン出力が増加し、プロペラ長が長くなると、3翅プロペラが導入されるようになった。
Earhart , Amelia Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00185引用。


アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)のロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)による1937年3月17日の第1回目の世界一周赤道飛行は、ハワイに到着したところで離陸に失敗、飛行機が大破して中止となった。これは、第二回目の挑戦で、飛行経路は、第一回目と反対にアメリカ本土カリフォルニア州オークランドからフロリダ州マイアミ経由で、中南米、アフリカへと東回りの世界一周赤道飛行の計画である。

写真(右)1937年、滑走路上で、赤道一周旅行のために愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)に荷物を積み込む準備をしている女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart):手にしているのは、工具入れの金属ボックスのようで、手前には四角の缶容器が2個並んでいる。後方に使用する地図のようだ。エレクトラの機体外板には鋲が打たれているのが明瞭にわかる。尾部を持ち上げて機体を水平に保ったいる。コックピットは、ガラス風防に囲まれているが、横の窓ガラスは開閉式で、側方上部の展望所の蓋も開くようになっている。アメリアは、1927年のリンドバーク同様、1932年アメリア・イアハートはベガで女性初の大西洋単独横断飛行に成功した。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00061 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00061引用。


1937年5月21日、女性飛行家は、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)に搭乗し、航法士フレデリック・ヌーナン(Noonan)とともに、赤道上世界一周飛行に向かって、アメリカ西岸、カリフォルニア州オークランドを飛び立った。ルートは、オークランドからマイアミに飛び、そこから中米、南アメリカを経て、大西洋を越えてアフリカ大陸に渡った。

アフリカから、インド洋を超えて、1937年6月29日、ニューギニア島東北部海岸ラエ(Lae)に到着した。ニューギニア東部は、当時、オーストラリア委任統治領だった。ここまでの飛行距離は、2万2000マイルで、世界一周赤道飛行の完遂まで残すところ7000マイルだった。

写真(右)1937年、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)の左エンジンとそのナセルから出ている降着装置・主輪を技師とともに点検する女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart):複座式の操縦席には、正・副パイロット(操縦士)が座るが、長距離海上飛行には、エンジンなど機械の調整、波・気流を観察しての推測航法、地上基地や滝との無線交信の交信・周波数の調整、天候観測・予測など多様な任務をこなさなければならない。これを搭乗員2人でこなすには、大きな困難が伴う。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00039 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00039引用。


当時、ニューギニア島はラエLae)のある東部はオールトラリア委任統治領、西部はオランダ領だった。次の目的地は、南太平洋の南洋諸島で、ここは日本の委任統治領だったが、無人島のハウランド島(Howland)だけはアメリカ領だった。そこで、アメリカは、アメリア・イアハートを支援する目的で、無人島のハウランド島にアメリカ沿岸警備隊(U.S. Coast Guard)巡視船「アイタスカ」(Itasca)を派遣している。

 巡視船「アイタスカ」(Itasca)は、1929年11月竣工、1930年7月就役、排水量2,108 t、全長76 m、GE社の3,350馬力(2,500 kW)タービン、巡行速力 14.8ノット、最高速力17.5ノット、乗員 97人、5インチ単装砲1門、爆雷投下装置2条の新鋭艦だった。

写真(右)1937年、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)のコックピット(操縦席)のメインの操縦士席(左側)に納まった革製飛行ジャケットを着たアメリア・イアハート(Amelia Earhart):複座式の操縦席は、左が主操縦士・右が副操縦士でともに半円形扇型の操縦桿が見える。
Title: An outstanding picture of 1937 - tragedy Creator(s): Acme Newspictures (New York, N.Y.), Date Created/Published: 1937 Dec. 15 [from a photograph taken earlier] Medium: 1 photographic print : gelatin silver. Summary: Photograph showing Amelia Earhart sitting in the cockpit of an Electra airplane. Reproduction Number: LC-DIG-ppmsca-31771
Call Number: NYWTS - BIOG--Earhart, Amelia--Portraits [item] [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540
写真は, Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA Library of Congress Reproduction Number: LC-DIG-ppmsca-31771引用。


写真(右)1937年、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)のコックピット(操縦席)のメインの操縦士席(左側)に納まった女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart):複座式の操縦席は、左が主操縦士・右が副操縦士でともに半円形扇型の操縦桿が見える。正面には、大型ガラス風防があり、その上下にメーター器機が配置されている。大量的に並んだメーターは、双発エンジン2基の貝単数・圧力などを示すもので、1基に2個1対が配置されている。エレクトラは、エンジン2基の大型双発機であり、エンジンや機械の調整、航法、無線、天候観測などを考慮すると、搭乗員2人では少なすぎると思われる。
Earhart , Amelia Catalog #: BIOE00037 Last Name: Earhart First Name: Amelia Notes: Alone, w/ Planes and Portraits Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr,SDASM Archives・Catalog #: BIOE00037引用。


ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra)は、搭乗員2名、乗客12名の双発高速旅客機であり、この機体の客席部分に燃料タンクを増設し、長距離の飛行を可能にしたのが、女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra)登録コード:NR16020)である。


写真(上)1937年6月2日、南米ベネズエラ、カリピト(Caripito)飛行場、スタンダード石油の格納庫で給油を受けているアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)
:マイアミから、南米に飛翔し、ブラジルまで行きそこから大西洋を横断してアフリカ大陸に渡った。愛機の垂直尾翼には、登録コード:NR16020が記入されている。右手前には、双発飛行艇が待機している。
Old Identification Number xi.b.5.kk Purdue Identification Number b11f3i26 Title Amelia Earhart's 'flying laboratory' Description Amelia Earhart’s “flying laboratory” (Lockheed Electra) being pushed into Standard Oil Company’s hangar at Caripito Airport, June 2, 1937 Date of Original 1937-06-02 Subjects Lockheed Electra Caripito (Venezuela) Venezuela Hangars Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 18 x 24 cm. Date Digitized 01/16/2006 Resolution 600 ppi Color Depth 24 bit Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target CD Number AECD_175
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i23 AECD_175 引用。


写真(上)1937年6月初旬、アフリカ西部、フランス植民地セネガル(Senegal)、ダカール(Dakar)、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)で紳士と握手している。
:飛行場を訪問した現地フランス植民地政府の人物の表敬訪問をうけたのかもしれない。愛機の主翼下面には、登録コード:NR16020が大きく記入されている。これは、飛行中に地上から見上げても視認できる大きさである。赤道上の世界一周飛行で、南米から大西洋を横断し、アフリカ大陸に到着した。
Old Identification Number xi.b.6.o Purdue Identification Number b11f3i35 Title Amelia Earhart shaking hands with a French official Description Amelia Earhart shaking hands with a French colonial official next to her Electra plane, Dakar, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Shaking hands Lockheed Electra Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 18 x 24 cm. Date Digitized 01/10/2006 Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target CD Number AECD_176 Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i23 AECD_176 引用。

写真(右)1937年6月初旬、アフリカ西部、フランス植民地セネガル(Senegal)、ダカール(Dakar)、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と格納庫の中でエンジン・カウリングを外して整備中の愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020):照明塔を2個も設置したエンジン先端部分がハッチとなり、内部が点検できる構造になっているが、これはドイツのハインケルHe111輸送機と同じである。奥には、セネガルの労働者とがシャツ1枚で立っているのが見える。エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。
Old Identification Number XI.B.6.i Purdue Identification Number b11f3i29 Title Amelia Earhart standing by a propeller of her Electra Description Amelia Earhart standing by a propeller of her Electra plane while it is undergoing maintenance, Dakar, Senegal, ca. 1937 Date of Original 1937 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Dakar (Senegal) Lockheed Electra 06/16/2006 Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 13 x 18 cm . Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target CD Number AECD_175 Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i23 CD Number AECD_181 引用。

写真(右)1937年6月初旬、アフリカ東端、イタリア植民地エリトリア(Eritrea)、マサワ(Massawa)、アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と現地のイタリア軍将兵(短パン)らしい人物が、ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)の前で記念撮影:コックピット上には最新式の方位航法装置ループアンテナがあり、機首には夜間照明2個が設置され、エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。ここからアラビア海を降壇して、インド(パキスタン)のカラチに向かう。
Old Identification Number XI.B.15.f Purdue Identification Number b11f5i81 Title Amelia Earhart standing with five unidentified people Description Amelia Earhart standing with five unidentified people in front of Earhart’s Electra plane, Massawa, Eritrea, ca. June 1937 [small photograph] Date of Original 1937-06 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Electra Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 8 x 6 cm. Orientation Portrait Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Collection Web Site http://www.lib.purdue.edu/aearhart Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/10/2006
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・AECD_176 Purdue Identification Number b11f5i81 引用。

写真(右)1937年6月初旬、アフリカ東端、イタリア植民地エリトリア(Eritrea)、マサワ(Massawa)、ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)に乗り込むアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)と見送る現地のイタリア軍将兵(短パン)らしい人物:コックピット上には最新式の方位航法装置ループアンテナがあり、機首には夜間照明2個が設置され、エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。ここからアラビア海を降壇して、インド(パキスタン)のカラチに向かう。
Old Identification Number XI.B.15.f Purdue Identification Number Number XI.B.15.g Purdue Identification Number b11f5i82 Title Amelia Earhart entering the cockpit of her plane Description Amelia Earhart entering the cockpit of her plane with four people looking on, Massawa, Eritrea, ca. June 1937 [small photograph] Date of Original 1937-06 Lockheed Electra Extent of Original 1 photograph : b&w ; 8 x 6 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/10/2006
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・AECD_176 Purdue Identification Number b11f5i81 引用。

写真(右)1937年6月16日頃、イギリス植民地インド帝国(パキスタン)、カラチ(Karachi)、格納庫の前で給油運搬車からホースを伸ばして胴体燃料タンクに給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020):作業をしているのは、パキスタンの労働者と防暑帽子を被った現地整備士・搭乗員のようだ。エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。コックピットの側面ガラス風防は、開いている。赤道上の世界一周飛行で、行程の半分を飛翔した。
Old Identification Number Number xi.b.14.n Purdue Identification Number b11f4i24 Title Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra Description Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra plane, Karachi, India, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Lockheed Electra Karachi (Pakistan) Extent of Original 1 photograph : 1 photograph : b&w ; 10 x 13 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/29/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i23 CD Number AECD_181 引用。


写真(上)1937年6月16日頃、イギリス植民地インド帝国(パキスタン)西部、カラチ(Karachi)、格納庫の前で給油運搬車からホースを伸ばして胴体燃料タンクに給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)
:エンジンカウリングを外して、エンジン整備中のようだが、2翅プロペラは装着されたままである。主翼下面に登録コード:NR16020が大きく記入されている。作業をしているのは、パキスタンの労働者と防暑帽子を被った現地整備士・搭乗員のようだ。
Old Identification Number xi.b.14.s Purdue Identification Number b11f4i29 Title Amelia Earhart and Fred Noonan with refueling crew Description Amelia Earhart and Fred Noonan with refueling crew in background, Karachi, India, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Noonan, Frederick J., d. 1937 Lockheed Electra Karachi (Pakistan) Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 10 x 13 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Date Digitized 01/29/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_181 引用。


写真(上)1937年6月16日頃、イギリス植民地インド帝国(パキスタン)西部、カラチ(Karachi)、格納庫の前で給油運搬車からホースを伸ばして胴体燃料タンクに給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)
:作業をしているのは、パキスタンの労働者と防暑帽子を被った現地整備士・搭乗員のようだ。エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。コックピットの側面ガラス風防は、開いている。赤道上の世界一周飛行で、行程の半分を飛翔した。
Old Identification Number xi.b.14.o Purdue Identification Number b11f4i25 Title Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra Description Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra plane, Karachi, India, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Lockheed Electra Karachi (Pakistan) Extent of Original 1 photograph : 1 photograph : b&w ; 10 x 13 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/29/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_181 引用。

写真(右)1937年6月16日頃、イギリス植民地インド帝国(パキスタン)西部、カラチ(Karachi)、格納庫の前で給油運搬車からホースを伸ばして胴体燃料タンクに給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020):作業をしているのは、パキスタンの労働者と防暑帽子を被った現地整備士・搭乗員のようだ。エンジンからは、集合排気管が1本伸びているのが見える。コックピットの側面ガラス風防は、開いている。赤道上の世界一周飛行で、行程の半分を飛翔した。
Old Identification Number xi.b.14.m Purdue Identification Number b11f4i23 Title Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra Description Workers refueling Amelia Earhart’s Lockheed Electra plane, Karachi, India, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Lockheed Electra Karachi (Pakistan) Extent of Original 1 photograph : 1 photograph : b&w ; 10 x 13 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/29/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・Purdue Identification Number b11f4i24 CD Number AECD_181 引用。

1937年5月21日、女性飛行家アメリア・イアハート(Amelia Earhart)は、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)に搭乗し、航法士フレデリック・ヌーナン(Frederick J. Noonan )とともに、第二回目の赤道上世界一周飛行に挑戦を始めるために、慣れ親しんだアメリカ西岸カリフォルニア州オークランド(Oakland)を飛び立ち、バーバンク(Burbank)飛行場、アリゾナ州南東ツーソン(Tucson)、ルイジアナ州南岸ニューオーリーンズ(New Orleans)経由して、フロリダ州マイアミ(Miami)飛行場に着いた。ここで、飛行場の民間航空のスタッフの協力を得て、機体整備をした。その整備中、アメリアは、世界一周赤道飛行を再開したことを公表している。

ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)による世界一周赤道飛行のルートは、カリフォルニア州オークランドから、フロリダ州マイアミに到着時点に大々的に公開され、マイアミからメキシコ湾を超えて、中米、南アメリカを経て、大西洋を越えてアフリカ大陸に渡った。そして、インド洋を超えて、南東に針路をとり、6月29日、ニューギニア島東北部海岸ラエLae)に到着した。当ここまでの飛行距離は、2万2000マイルで、残すところ7000マイルだった。

写真(右)1937年6月22日、オランダ植民地インドシナ(蘭印)、ジャワ島西部、バンドン(Bandung)、モービル石油による給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)。赤道上の世界一周飛行で、行程の半分以上を飛翔した。:胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Old Identification Number Number xi.b.3.q Purdue Identification Number b11f2i17 Title Mobil Oil workers refueling Earhart's Lockheed Electra Description Mobil Oil workers refueling Earhart’s Lockheed Electra plane from steel drums, Bandoeng, Java, June 22, 1937 [side view] Date of Original 1937-06-22 Subjects Lockheed Electra Bandung (Indonesia) Indonesia Extent of Original 1 photograph : b&w ; 10 x 15 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/19/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_171 引用。

写真(右)1937年6月22日、オランダ植民地インドシナ(蘭印)、ジャワ島西部、バンドン(Bandung)、インドネシア人労働者を使ってモービル石油から給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020):胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Old Identification Number xi.b.3.u Purdue Identification Number b11f2i21 Title Mobil Oil workers refueling Earhart's Lockheed Electra Description Mobil Oil workers refueling Earhart’s Lockheed Electra plane from steel drums, Bandoeng, Java, June 22, 1937 [side view] Date of Original 1937-06-22 Subjects Lockheed Electra Bandung (Indonesia) Indonesia Extent of Original 1 photograph : b&w ; 10 x 15 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/19/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_172 引用。

写真(右)1937年6月22日、オランダ植民地インドシナ(蘭印)、ジャワ島西部、バンドン(Bandung)、インドネシア人労働者がドラム缶からモービル石油社の燃料をアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020)に給油している。:胴体には燃料タンクが増設されており、機内にコックピット出入口はなかった。そこで、コックピットの天井に設置された昇降口が出入り口となっており、コックピットには、胴体上部まで主翼を使って上る必要があった。
Old Identification Number xi.b.3.r Purdue Identification Number b11f2i18 Title Mobil Oil workers refueling Earhart's Lockheed Electra Description Mobil Oil workers refueling Earhart’s Lockheed Electra plane from steel drums, Bandoeng, Java, June 22, 1937 [rear view] [original and copy photo] Date of Original 1937-06-22 Subjects Lockheed Electra Bandung (Indonesia) Indonesia Extent of Original 1 photograph : b&w ; 10 x 15 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/19/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_171 引用。

1937年7月2日12:30 AM、アメリア・イアハートは、愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)に1000ガロン(3785L)分の揮発油燃料を給油して、ニューギニア島のラエLae)から2,556 マイル離れたアメリカ領ハウランド島を目指して飛び立った。

写真(右)1937年6月26日、オランダ植民地インドシナ(蘭印)、ジャワ島東部、スラバヤ(Surabaya)、ドラム缶からホースを伸ばして給油を受けるアメリア・イヤハート(Amelia Earhart)愛機のロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra:登録コード:NR16020):作業をしているのは、インドネシアのジャワ人で、右手前には、オランダ植民地に住んでいるオランダ系の少年が物珍しそうに作業を見ている。赤道上の世界一周飛行で、行程の半分以上を飛翔した。
Old Identification Number Number xi.b.3.x Purdue Identification Number b11f2i25 Title Mechanics refueling Earhart's Electra plane Description Mechanics refueling Earhart’s Electra plane from steel drums, Fred Noonan [?] and small boy in foreground, Soerolaya, Java, June 26, 1937 [small photograph] Date of Original 1937-06-26 Subjects Lockheed Electra Surabaya (Indonesia) Indonesia Boys Subjects Lockheed Electra Bandung (Indonesia) Indonesia Extent of Original 1 photograph : b&w ; 10 x 15 cm. Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/19/2006 Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries, Archives and Special Collections ・CD Number AECD_172 引用。

1937年7月2日7:20 AM, アメリア・イアハートはロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)がハウランド島南西20マイルにある と無電連絡し、7:42 AM,巡視船「アイタスカ」(Itasca)に入電した。その後、巡視船上空にあるらしいが、目視出来ず、燃料低下、無電受けることできず、高度1000フィート"We must be on you, but we cannot see you. Fuel is running low. Been unable to reach you by radio. We are flying at 1,000 feet." と,843AMの無電を最後に消息を絶った。アメリア・イアハート(Amelia Earhart)と愛機ロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra:登録コード NR16020)は、この無線交信の後に行方不明となり、消息を絶ったままとなった。


写真(上)1937年6月2日、オランダ領インドシナ(蘭印)、ジャワ島東部、スラバヤ、赤道上の世界一周飛行中のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )(登録コード:NR16020)のエンジン整備作業を観察している。

Old Identification Number xi.b.3.y Purdue Identification Number b11f2i22 Title Amelia on a step-ladder Description Amelia on a step-ladder observing engine maintenance on her Electra plane, Soerabaya, Java, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Electra Surabaya (Indonesia) Genre (TGM) Photographic prints Type image Format JP2 Extent of Original 1 photograph : b&w ; 7 x 12 cm. Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers Rights Statement Rights held by Purdue University Libraries Repository Purdue University Libraries, Archives and Special Collections Capture Device Epson Expression 10000XL Photo Scanner Capture Details Silverfast 6.4.1 r8c by Lazersoft Date Digitized 01/19/2006 Resolution 600 ppi Color Depth 24 bit Color Management Monaco EZcolor using an IT8 target
写真はPurdue University Libraries ・CD Number AECD_172引用。



写真(上)1937年6月2日、オーストラリア北部、ノーザンテリトリー州ダーウィン(Darwin)、赤道上の世界一周飛行中のアメリカ女性飛行士アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)が愛機ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )(登録コード:NR16020)
:燃料給油車とエンジン点検台を持ったメカニックが待機している。ジャワ島スラバヤから東に2000kmの距離にある。
Old Identification Number xi.b.7.j Purdue Identification Number b11f4i8 Title Amelia Earhart's Lockheed Electra plane Description Amelia Earhart’s Lockheed Electra plane, called her “flying laboratory,” with fueling truck and mechanics at left, Darwin, Australia, ca. June 1937 Date of Original 1937-06 Subjects Earhart, Amelia, 1897-1937--Photographs Lockheed Electra Darwin (N.T.) Australia Mechanics (Persons) Extent of Original 1 photograph : sepia ; 18 x 23 cm. Orientation Landscape Collection George Palmer Putnam Collection of Amelia Earhart Papers
写真はPurdue University Libraries ・CD Number AECD_178 引用。


アメリア・イヤハート(Amelia Earhart)は、1937年3月18日に発進した第1回目の世界一周の失敗を挽回するために、逆回りで、1937年5月21日にロッキード・エレクトラ10E(Lockheed Model 10-E Electra)第2回目の世界一周飛行に出発した。この日、前回同様、カリフォルニア州オークランドから東進し、マイアミ経由で、南米ベネズエラのカリピト、ブラジル、アフリカから、パキスタンのカラチ、ビルマ、ジャワ島西部のバンドン、ジャワ島東部のスラバヤに到着した。ここから、さらに東進して、ニューギニア東部のラエに飛到着し、1937年7月2日、ラエを離陸し、ハワイ方面に飛行する最中に行方不明になった。


10.1938年ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)のロッキード・スーパーエレクトラ14N世界一周

写真(右)1938年7月10日、アメリカ、ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン(Brooklyn)、ロングアイランド西端、フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)で給油するハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の愛機ロッキード・スーパーエレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コード NX18973):1938年7月10-14日、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は愛機ロッキード・エレクトラ14(登録コード:NX18973)で世界一周早回りに出発する当日の撮影。
Photograph of mechanics with the Lockheed 14 aircraft, New York, July 10, 1938 Creator: Press Association Inc. Date 1938-07-10 Description The black and white view of a plane used by Howard Hughes being fueled up at Floyd Bennett Field in New York.
写真は,University of Nevada, Las Vegas Archives・Digital ID whh000673 Physical Identifier 0373_0393引用。


大富豪ハワード・ヒューズHoward Hughes)は、1932年、20代にして、ヒューズ・エアクラフト社を創立し、ボーイング(Boeing)P-12B複葉戦闘機を改良し1933年、ロサンゼルスで時速212マイルの直線飛行記録を更新した。そして、世界一周飛行記録を出そうと、長距離飛行可能なシコルスキー(Sikorsky)大型飛行艇、1933年7月初飛行のダグラス(Douglas DC-1)双発輸送機(乗客12人・巡航速度180マイル (289 km/h) )を購入したが、航続距離は問題なく共、巡航速度が遅くなり、飛行時間記録を大きく書き換えられない恐れがあったため、より高速のロッキード・スーパーエレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra)を購入した。


写真(上)1938年7月11日、フランス、パリ郊外、ル・ブルジェ空港(Aéroport Le Bourget、 Le Bourget Airport)、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)操縦のロッキード・スーパーエレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コード NX18973)をエスコートするフランス警察警備員
:機首には「ニューヨーク万博1939」の機体固有名詞ロゴが描かれている。右手前には、消火器が準備されている。夜にモスクワに向けて飛び立つ。
Photograph of men guarding the Lockheed 14, Le Bourget Airfield, France, July 1938 Description Black and white image of men guarding the Lockheed 14 aircraft at Le Bourget Airfield, France. Text printed on photograph's accompanying strip of paper: ""French troops guard Howard Hughes plane at Le Bourget."" Date 1938-07
写真は,University of Nevada, Las Vegas Archives・Digital ID whh000713 Physical Identifier 0373_0433引用。


アメリアは、1932年、ロッキード・ベガを単身操縦士の大西洋無着陸横断飛行を成功させたが、大統領夫人エレノア・ルーズベルトの後押しを受けて、赤道を回る世界一周旅行を計画した。1937年にアメリアが世界一周に使用した愛機ロッキード・エレクトラ10E の改良型ロッキード・エレクトラ14N(Lockheed Model 14-N Super Electra)は、翌1938年7月にアメリカの大富豪ハワード・ヒューズHoward Hughes:1905-1976)の愛機として世界一周に成功している。

1937年7月10日から14日、4人の搭乗員のロッキード・エレクトラ14NLockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コードNX18973) を使って、ニューヨーク州フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)から、パリ、モスクワ、シベリヤのオムスク(Omsk)、ヤクーツク(Yakutsk)、アメリカのアラスカのフェアバンクスを経由して、2万3,612キロを3日19時間14分で世界一周飛行(Round-the-World Flights)した。

写真(右)アメリカ独立記念日の1938年7月14日、アメリカ、ニューヨーク州ニューヨーク市、フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)に世界一周最速飛行から帰国したハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が送迎の大型乗用車に乗り、隣はニューヨーク市長フィオレロ・ヘンリー・ラガーディア(Fiorello Henry La Guardia)、手前の黒服のニューヨーク万博1939年"New York World's Fair 1939"組織委員長・実業家グローヴァ・ウェーレン(Grover Aloysius Whalen)の邸宅に向かう。
Photograph of Howard Hughes in New York, July 1938 Description A view of Howard Hughes sitting with Al Lodwick and two unidentified men in the back of a car, likely being driven to a New York hotel, after landing the Lockheed 14 at Floyd Bennett Field. Date 1938-07 Date Digitized 2013-10-04
写真は, Howard Hughes Public Relations Photograph Collection (PH-00373) whh000875 Physical Identifier 0373_0591 引用。


アメリカ独立記念日の1938年7月14日、アメリカ、ニューヨーク市、フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)に世界一周最速飛行から帰国したハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が送迎の大型乗用車に乗り、ニューヨーク万博1939年"New York World's Fair 1939"組織委員長・実業家グローヴァ・ウェーレン(Grover Aloysius Whalen)の邸宅に向かう。:1938年7月10-14日、世界一周早回りの記録を達成のスーパーエレクトラ同乗者は、副操縦士トーマス・サーロウ(Thomas L. Thurlow)中尉、機関士エドワルド・ルッド(Edward Lund)、無線通信士リチャード・スタッダート(Richard R. Stoddart)、航法士ハリー・コナー(Harry P. McLean Connor)。

ハワード・ヒューズがロッキード・エレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コード NX18973)で高速世界一周をし、着陸した時に、実際の距離にはあと125マイル不足している可能性があった。そこで、急遽の再離陸で、公式記録は3日間23時間35分ともされるが、ハワード・ヒューズが北半球一周早回り飛行記録(Round-the-World Flights)を更新したことに違いはない。それ以前の世界記録は、1931年にウィリー・ポストによる8日間の世界一周だったので、その二分の一の早さだったが、これは飛行家の熟練技術ではなく、飛行機ロッキード・エレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra)の性能が向上していたためである。

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)14スーパーエレクトラ(Super Electra)世界一周


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇


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