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◆ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
写真(上)1940-1941年頃,ドイツ空軍第2爆撃航空団第1飛行隊(l/NJG.2)エーリッヒ・ユング(Erich Jung)搭乗のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10 夜間戦闘機(R4+AK)
:エーリッヒ・ユング(Erich Jung)は、28機撃墜の夜戦エースである。機首に20mm MG FF機関銃1挺、7.92mm MG17機関銃3丁を搭載。発動機は、BMW801空冷星型14気筒エンジン装備。
Permann_20 072 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


写真(上)1941-1943年頃,飛行中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 217 J-2 夜間戦闘機
:機首にFuG 202リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーを搭載し、火力は機首上面に7.92mm MG17機関銃4丁、機首下面に20mm MG FF機関銃4挺、後期N型は20mmMG151/20機関銃4挺搭載。発動機はBMW801空冷星型14気筒エンジン装備。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。

1.ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 夜間戦闘機カウツ

ドルニエDo17Z-2 爆撃機 の機首をソリッド化し、前方固定機関銃を搭載して前方固定機関銃の火力を大幅に強化したのが、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7夜間戦闘機「カウツ」(ミミヅク)I で、1940年に登場した。

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第2夜間戦闘航空団ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備している。Z-10は、機首に赤外線ライト、コクピット(前部風防)に「シュパナー」と呼ばれる赤外線暗視装置の一種が装備された。また、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダー装備のZ-10が1機テストされた。していない。
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写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 17 1940年夏、イギリス本土航空決戦の時期、イギリス空軍は、ドイツ機による都市爆撃への報復として、ドイツ本土の都市爆撃を実施した。当時のドイツ空襲は、双発機数十機規模の夜間爆撃だったが、ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は、ドイツの空は安全であることを豪語していたから、イギリス機によるドイツ空襲はその体面を失わせるものだった。 このイギリス空軍のドイツ本土空襲は、戦前から警戒されていたことで、イギリスの夜間爆撃に対抗するため、対空砲火だけでなく、夜間戦闘機を配備することが計画されており、Bf110 双発戦闘機と並んで、ユンカースJu 88A爆撃機改造のJu88C夜間戦闘機、Do17Z爆撃機改造のドルニエ(Dornier)Do-17 Z-7夜間戦闘機が開発された。ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は、ドイツの空軍兵力の強大さを誇示していたうえに、1930年代後半から急速に進歩した航空技術について、理解がなかったため、防空力を過信していたようだ。

ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 夜間戦闘機は、新規製造ではなく既存のドルニエDO17Z爆撃機の機首に前方固定機関銃を装備した改造機である。まず3機が改造され、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)Iと命名された。Z-7の発動機は、爆撃機Z型と変わらずブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)だが、乗員は1名減の3名である。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機の燃料搭載量は、左右主翼内に770 L入り燃料タンク2個、胴体爆弾倉に895 L入り燃料タンク1個である。搭乗員が高空低気圧の呼吸に使用する酸素瓶は9本である。兵装は、7.92 mm MG 17前方固定機関銃3丁、携行弾薬 3,000発と20 mm MG 151機関銃丁、携行弾薬400発である。防弾は、機首コックピットの前面に装甲板がボルト止めされているが、重量増加を避けるためにコックピット後方や側面の防弾はない。

ドルニエ(Dornier)Do 17Zー7夜戦 ドルニエ(Dornier)Do 17 Z夜間戦闘機「カウツ」 は爆撃機Z型と同じブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を搭載していたため、飛行性能は高くなかった。しかし、その兵装は、機首下面に20mmMG FF機関銃1挺、後期型は20mmMG FF機関銃4挺、さらに機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備しており、出現当初は火力は強力だった。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7の改良型となるドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10夜間戦闘機「カウツ」II の発動機は、爆撃型Z型と同じブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)で、機首に装備予定の機上搭載型リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーはまだ完成していないので、装備されていない。しかし、レーダーに代わって、敵機のエンジン排気炎を見つける赤外線暗視装置スパナーを取り付けたドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10夜間戦闘機もあったが、実用性がないために、実験用のみで、部隊への全面配備には至っていない。

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第2夜間戦闘航空団ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I の後方:コックピット後上方に7.92mmMG15旋回機関銃1丁が装備されている。夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備しているが、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーは装備していない。
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写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-17夜間戦闘機 ドルニエ(Dornier)Do-17M爆撃機の発動機はブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)で、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2爆撃機は、ブラモ(Bramo)323 Aの出力向上改良型ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を装備した。Do17Zは、1940年末には旧式化して、退役したが、1940年中ごろ、機首ガラス風防をソリッド化して、前方固定の20mmMG-FF機関銃1挺、7.92mmMG17機関銃3丁を搭載した夜間戦闘機「カウツ」(Kauz)Iが開発された。

ドルニエDo17 Z-7 夜間戦闘機初期型「カウツ」Iは、機上レーダーは搭載しなかった。後期ドルニエDo17 Z-10 夜間戦闘機後期型「カウツ」IIは、1941年に完成したリヒテンシュタイン(Lichtenstein) BCレーダーを搭載し、ドイツ軍初のレーダー搭載夜間戦闘機となった。ただし、Do17Z夜間戦闘機は、斜め銃は搭載していない。Do17Z夜戦の発動機は、ブラモ(Bramo)323P空冷星型9気筒エンジンで爆撃型と同じだったため、第二次大戦中期には出力不足だった。

ドルニエDo-17夜間戦闘機 ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機Z最終型をベースとして開発されたのが、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機である。強力な前方固定火力を擁したために、爆弾搭載量は最低限に抑制された。ただし、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7夜間戦闘機「カウツ」IIにの発動機はZ型爆撃機と同じブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)だったために、出力が不足しており、最高速力はBf110より100km/h近く遅かった。

しかし、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10夜間戦闘機「カウツ」は、中高度での戦闘、および少量の爆弾を搭載しての飛行場夜間奇襲攻撃には適していた。コックピット後上方と後下方の銃座に、7.92mmMG15旋回機関銃各1挺を装備した程度で、イギリス空軍の夜間戦闘機には火力不足だったが、登場した1941−1942年であれば、イギリス本土への爆撃機運用飛行場への夜間奇襲攻撃は、熟練パイロットが必要とはいえ、有効な反撃手段だった。

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第2夜間戦闘航空団のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機:ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を装備している。夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃1挺、7.92mmMG17機関銃3挺を装備している。機首には、赤外線暗視装置シュパナーもリヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーも装備していない。
Permann_20 071 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエDo-17Z10夜戦 Do215B-5夜間戦闘機は、Do215の優れた性能を見込まれ、20機ほどが製作され、カウツIIIと呼ばれた。Do17Z-7と同様に機首はJu88Cのものになっている。1941年に完成されたリヒテンシュタインレーダーを搭載し、ドイツ軍初のレーダー搭載夜間戦闘機となり大きな戦果をあげている。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I 夜間戦闘機は、1940年6月22日、ドイツ空軍第1夜間戦闘航空団対1飛行隊に配備され、さっそく1940年6月29日に戦闘記録に表れている。このような夜間戦闘機パイロトは、以前は第76爆撃航空団や第55爆撃航空団、第51爆撃航空団、第76爆撃航空団、第26駆逐戦闘航空団などを出身母体とする爆撃機やBf110双発駆逐戦闘機パイロットだった。

ドルニエDo-17 1940年9月11日、第1夜間戦闘航空団第2飛行隊は、新設の第2夜間戦闘航空団第1飛行隊に移管された。しかし、第1/第2夜間戦闘航空団に部隊配備されたドルニエ(Dornier)Do 17 Z カウツ(Kauz) 夜間戦闘機は少数で、主力の夜間戦闘機はBf110、Ju88C-2/C-4だったために、Do 17 Z夜戦の戦果は定かではない。特記すべき夜戦の活躍は、敵地侵攻戦闘で、ドイツ空軍夜間戦闘機搭乗員は、「スズメバチを駆除するには、ハチを1匹ずつ追うのではなく、ハチの巣を叩くことだ」として、侵入してきたイギリス爆撃機を迎撃するのではなく、イギリス爆撃機の基地を襲撃すべきだと主張した。そこで、第1夜間戦闘航空団第2飛行隊、第2夜間戦闘航空団第1飛行隊のJu88C、Do17Z夜間戦闘機は、オランダ南端、ヘウジェ・ライエン(Gilze en Rijen)基地からイギリス本土に侵入する夜間襲撃を実施した。

第1夜間戦闘航空団第5飛行隊のDo 17 Z-10 カウツ(Kauz)II(G9+DN)は、1940年9月9日、オランダ南端、ヘウジェ・ライエン(Gilze en Rijen)基地を離陸し、2315にリンカーンシャーでイギリス空軍ブレ二ム双発爆撃機を撃墜したと報じている。当時、その空域には、イギリス空軍の10機のブレ二ムが飛行していたが、撃墜された機体はない。

1940年10月16日2125、第1夜間戦闘航空団第4飛行隊Do 17 Z-10 カウツ(Kauz)IIが、イギリス空軍ビッカース・ウェリントン双発爆撃委の撃墜を報じた。これは、イギリスに亡命していたチョコスロバキアの機体だったが、敵味方双方の確認が取れた確実な撃墜である。

ドルニエDo-17Z10 1940年10月28日0030、ドルニエDo 17 Z-10 カウツ(Kauz)IIは、リンカーンシャーでイギリス空軍ハンプデン双発爆撃機を襲撃したが、この機体は0140にイギリスに不時着したが、搭乗員は無事だった。

1940年6月から10月の期間、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7/Z-10 夜間戦闘機は19晩に出撃回数22回を記録しているだけである。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10 カウツ(Kauz:ミミヅク)II 夜間戦闘機は、ドルニエDo17Z-2 爆撃機機首をソリッド化し、赤外線暗視装置スパナー(Spanner)を装備し、機首先端に赤外線探照灯ランプを設置した夜間戦闘機である。 Z-10 の兵装は、機首に7.92 mm MG 17前方固定機関銃4丁、20 mm MG FF前方固定機関銃2丁である。Do 17 Z-10の20mm機関銃はドラム型弾倉なので、搭乗員が弾倉を交換できるように機首下面に設置されている。防御用火器は、コックピット後上方、後下方に7.92mmMG15旋回機関銃各1丁を装備している。

写真(右)1941-1942年頃,機首にリヒテンシュタインB/Cレーダーを搭載したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10 カウツ(Kauz:ミミヅク)II 夜間戦闘機:ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備で、機首に赤外線ライト、コックピットガラス風防に赤外線暗視装置「シュパナー」を設けている。夜間戦闘用の全面黒色塗装を機体上面に、下面は白色塗装に塗り分けている。火器は20mmMG-FF機関銃1挺、7.92mmMG17機関銃3挺を装備している。機首には、赤外線暗視装置シュパナーもリヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーを装備した機体は1機のみで、テスト用だった。
Deutsch: Lichtenstein b/c Radar Anordnung der Antenne an der Flugzeugkanzel einer Do 17 Z-10 Kauz II ITU-classificatio: Radiolocation land station in the radiolocation service Date January 1943 Source D(Luft) T g.Kdos 4103, Bordfunkgerät FuG 202. Geräte-Handbuch. Author Luftwaffe (Wehrmacht)
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Lichtenstein radar Do 17.jpg引用。


Do-17Z-10夜戦 1機のドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10 カウツ(Kauz:ミミヅク)II(CD+PV)は、ドイツ機で初めて空対空レーダーのリヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーを装備、1941年末から1942年にテストを受けた。Do 17 Z-10 カウツ(Kauz)IIの生産機数は14機で、すべて既存のZ型爆撃機の改造機である。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 夜間戦闘機は、カウツ(Kauz:ミミヅク)I と呼ばれ、ドルニエDo17爆撃機Z-3型をベースとし機首をJu88Cのものに換装している。その部分に20mmMG FF 機関銃1丁、7.92mmMG 17 機関銃3丁を装備している。ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7 カウツ(Kauz:ミミヅク)I は、5機が生産されたが、Z型爆撃機を母体とする改造機である。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-10 はカウツ(Kauz:ミミヅク)II 夜間戦闘機 と呼ばれ、7.92mmMG 17 機関銃と20mmMG FF 機関砲をそれぞれ4丁ずつ搭載した武装強化型である。シュパナーが当初想定した照射機と探知機の2機運用に問題があった為、赤外線サーチライトが装備された。9機が製作され、サーチライト照射や地上の警戒レーダーの誘導による夜間戦闘を行い、後年の本格的な夜間戦闘への道を開いた。

他方、ドルニエ(Dornier)Do17後継機のDo-217J夜間戦闘機は、発動機は強力なBMW801空冷星型エンジン1700hpで、当初から機首にリヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを搭載していた。また、後期N型は、エンジンをさらに強力なDB603液冷エンジンに換装し、胴体後上方を射撃する斜め銃として20mmMG151/20機関銃2−4挺も搭載された。

Do-17Z10夜間戦闘機 Bf-110夜間戦闘機はF型になって機上搭載レーダーFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cが広く装備されるようになった。これは、機首に装備され、周囲70度の範囲を探知できる。そして、地上にある大型の対空レーダー「フライア」と「ヴィルツブルク」によって、夜間爆撃機に誘導することもできた。これが、機上と地上を連携した夜間防空システム「ヒンメルベット」(天秤)である。誘導された夜間戦闘機は、探知距離が短い機上搭載レーダー「リヒテンシュタイン」(Lichtenstein)を使って敵機を捕捉、襲撃するのである。

1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。

⇒写真集Album:ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機を見る。


2.ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5 夜間戦闘機

ドルニエDo215夜戦 1941年、イギリス空軍双発爆撃機によるドイツ本土への都市空襲が本格化すると、Bf110双発戦闘機と同じダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載したDo215の高性能が注目された。初めに、少数の高性能のDo215を有効活用するために、爆撃機としてではなく、Do 215B-4偵察機が開発されたからである。 この機体は胴体爆弾倉に Rb 20/30 と Rb 50/30 大型カメラを搭載している。次のドルニエ(Dornier) Do 215 B-5 夜間戦闘機は、機首は Do 17Z-10 夜間戦闘機と同様にソリッド化され、20mmMG151/20を搭載した夜間戦闘機である。

ドルニエ (Dornier) Do215B-5 夜間戦闘機カウツ(Kauz) IIIと命名された夜間戦闘機型は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基を装備し、シュパナー(Spanner)という赤外線暗視装置をコックピット前面ガラス風防に装備したドルニエ Do 17 Z-10 "カウツ II"の後継機となった。ただし、生産機数は20機と僅かである。

Dornier)Do215 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do215B-5ドルニエ Do 215 B-1爆撃機/B-4偵察機をベースに、その機首ガラス風防をソリッド化し、前方固定攻撃用機関銃として、7.92mmMG17機関銃4丁と20mmMGーFF機関銃2丁を搭載したドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)III夜間戦闘機は、20機が生産された。

メッサーシュミットMesserschmitt Me 110 双発戦闘機は,Me-109単発戦闘機よりも優位にある「駆逐機」として開発されたが,爆撃機の護衛戦闘機として,長い航続距離を誇っていた。1939年9月ポーランド侵攻,1940年5月フランス侵攻では,敵空軍の数的劣勢と低性能の戦闘機のために,Me-110戦闘機は活躍できたが,それ以降は,活躍の場が制限された。

Messerschmitt Me110 1940年8月以降、イギリス本土航空決戦(バトルオブブリテン)において,Messerschmitt Me 110 はイギリス空軍のハリケーンHurricane戦闘機スピットファイア戦闘機に対抗することができなかった。運動性,上昇・降下速度に劣っていたためである。双発戦闘機は,もはや,単発戦闘機に対抗することはできなくなった。

Messerschmitt Me 110 G夜間戦闘機は,最高速度550キロの低速で鈍重な戦闘機だったが,30ミリMK 108 機関砲2門,20ミリMG 151/20 機銃4丁の兵装は,低速の爆撃機を迎撃するには十分だった。しかし,連合軍の軽快な護衛戦闘機に対抗することはできなかったので,主に夜間戦闘に投入された。ドイツのレーダー性能は,1943年までは,連合軍とほぼ互角だったが,マイクロ波レーダーを実用化できなかったために,1944年には,レーダー開発競争に大幅な遅れをとった。

Messerschmitt Me110 メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、1939年1月より量産型のC型の生産が開始された、1939年9月のポーランド侵攻(白色作戦)の開戦時期には、実戦部隊への配備は100機程度と少なかった。1940年5月のフランス侵攻(黄色策戦)には参加したBf110は300機であるが、英仏軍が撤退を始めたダンケルク近郊での空中戦では、イギリス空軍のハリケーン戦闘機、スピットファイア戦闘機など軽量で運動性に勝る単発機との戦いになった。ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は、大型のBf110双発戦闘機の威力を過信していたが、実際は、軽快な単発イギリス戦闘機に対しては不利な戦いを強いられた。

1940年後半、イギリス本土航空決戦で、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110双発戦闘機は大損害を被ったが、イギリスやアメリカの重爆撃機の迎撃には、重武装を活かして大きな戦果を挙げることができた。

しかし、英米爆撃機部隊に、護衛戦闘機が随伴するようになると、再びBf110の損害が増えた。そこで、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、昼間出撃を取りやめ、もっぱら夜間戦闘機として、重武装を活かすことに活路を見出した。そして、FuG 202 リヒテンシュタインB/Cが開発された。

Do 215 B-5夜間戦闘機 ドルニエ(Dornier) Do 215B-4カウツ(Kauz)III 夜間戦闘機は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基を搭載、ソリッド化された機首上部に7.92 mmMG 17固定機関銃4丁、機首下部に20 mm MG FF 機関銃2丁搭載した。この火力は、メッサーシュミットBF110双発戦闘機と同程度で、出現した1941年には十分なカry徳があると認められていた。ただし、その後の実戦経験で、シュパナー暗視装置は役に立たなかったために、1942年後半には、機上搭載空対空レーダーとして、FuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーが搭載された。

1943年以降のドイツ空軍双発夜間戦闘機には、リヒテンシュタイン(Lichtenstein)空対空レーダーが標準装備されるようになるが、この空対空レーダーを初めて搭載したドイツ夜間戦闘機が、大型のドルニエ(Dornier)Do215 B-5 夜間戦闘機 だったのである。

ドルニエ(Dornier)Do-215夜戦 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)III夜間戦闘機は、1941年1月から1944年5月の長期間にわたって、第1夜間戦闘機航空団第1飛行隊(I./NJG 1)・第4飛行隊(IV./NJG 1)、第2夜間戦闘機航空団第2飛行隊(II./NJG 2.)で使用された。

ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)IIIの発動機ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)は、離昇出力1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)でメッサーシュミットBf109戦闘機、Bf110 戦闘機と同じ発動機を搭載しており、ユモJumo211液冷V型12気筒エンジン搭載のユンカース(Junkers)Ju 88 C-2/C-4 夜間戦闘機よりも高性能であると評価されたのであろう。


3.ドルニエ(Dornier) Do-217 J 夜間戦闘機(BMW801空冷14気筒エンジン搭載)

写真(右)1941-1943年頃,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217夜間戦闘機J型:Do217E爆撃機の夜戦型なので、発動機はDo217Eと同じBMW801空冷星形14気筒エンジン(排気量 41.8 L)1,560 PS (1,539 hp, 1,147 kW) 2基。夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを装備。Do217J夜戦の総生産機数は130機でDo215夜戦の105機と大差はない。
Permann_20 077 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


Me 110 メッサーシュミットMesserschmitt Me 110 双発駆逐戦闘機は,Me-109単発戦闘機よりも優位にある「駆逐機」として開発されたが,爆撃機の護衛戦闘機として,長い航続距離を誇っていた。Bf110機首には 7.92 mm MG 17機関銃4丁、20 mm MG FF機関銃2丁、後上方に7.92mmMG15旋回機関銃1丁と火力は、1942年までなら協力であった。

メッサーシュミットMesserschmitt Me 110 双発駆逐戦闘機は、1939年9月ポーランド侵攻,1940年5月フランス侵攻では,敵空軍の数的劣勢と低性能の戦闘機のために,Me-110戦闘機は活躍できたが,それ以降は,活躍の場が制限された。

1940年8月以降、イギリス本土航空決戦(バトルオブブリテン)において,Messerschmitt Me 110 はイギリス空軍のハリケーンHurricane戦闘機,スピットファイア戦闘機に対抗することができなかった。運動性,上昇・降下速度に劣っていたためである。双発戦闘機は,もはや,単発戦闘機に対抗することはできなくなった。


写真(上)1941年頃,ドイツ,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 217 J-2 夜間戦闘機の機首左側
;機首にFuG 202リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーを搭載し、火力は機首に20mmMG FF機関銃4挺、後期型は20mmMG151/20機関銃4挺、機首上面に7.92mmMG17機関銃4丁を搭載。発動機はBMW801空冷星形14気筒エンジン(排気量 41.8 L)1,560 PS (1,539 hp, 1,147 kW)2基搭載。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933686 - Catalog:16_005104 - Title:Dornier Do 217J-2 Nowarra photo - Filename:16_005104.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


Messerschmitt Me110E ドイツ空軍 メッサーシュミット Bf110メッサーシュミットBf110は、斜め銃追加、後方旋回機関銃と銃手の追加、30ミリ機関砲搭載、レーダー装備など期待の大きさからみて、航続距離・滞空時間の延長が困難になった。つまり、メッサーシュミットBf110の夜間戦闘機としての発展は、機体の小ささが大きな制約として浮かび上がったのである。他方、Ju88、Do217は双発爆撃機として、大きな機体で追加の兵装・レーダー・総鋼板などの装備も包摂することができた。

メッサーシュミットBf110後継機のMe-210の不調により、継続して生産されることになり、エンジンを強化したBf110Gが登場した。Bf110G型が搭載したDB605液冷エンジンは、Me-109が搭載したエンジンと同じで、戦闘機として優遇された発動機だった。

ドルニエDo217、ユンカース Ju-88夜間戦闘機は、DB605液令エンジンのような小型高出力のエンジンは搭載されなかった。より重量が重く大型のダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)、ユモJumo213A液冷エンジンが搭載されている。

写真(右)1943−1944年頃,ドイツ,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217J-2夜間戦闘機のコックピット操縦席;機首の左側に操縦席がある。機首には爆撃装備を外して、ガラス風防をやめソリッド化しFuG 202リヒテンシュタイン"Lichtenstein"空対空レーダーをと前方固定機銃として、7.92mm MG 17 前方固定機関銃×4丁、20mm MG 151/20前方固定機関銃×4丁を装備した。
Dornier Do-217J-2 Catalog #: 00078573 Manufacturer: Dornier Designation: Do-217J-2 Official Nickname: Night Fighter Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


高速爆撃機として1937年制式になったドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機は、1940年代中ごろには旧式化していた。そこで、ドイツ航空省はそれを見越して、Do17後継機として、高出力発動機のDB601液冷エンジン搭載のDo215、BMW801空冷星形14気筒エンジン搭載のDo217爆撃機を開発した。このドルニエ(Dornier)Do-217の機首ガラス風防をソリッド化して、前方固定機関銃を搭載したのが、夜間戦闘機Do217J/Nである。


4.ドルニエ(Dornier) Do-217 N 夜間戦闘機(DB 603A液冷エンジン搭載)

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機N-2型:Do-17爆撃機の発展型Do-217の機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。エンジンは、強力なダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)2基、機首に20mmMG151/20機関銃3丁、7.92mmMG17機関銃4丁を装備。総生産機数325機で Do215夜戦の20機よりはるかに多い。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


Messerschmitt Me110 1941年になると、イギリス空軍は双発爆撃機によるドイツ本土への夜間爆撃を強化したが、ドイツ空軍ではメッサーシュミット(Messerschmitt)Bf 110双発駆逐戦闘機と並んでユンカース(Junkers)Ju 88C夜間戦闘機が生産されていた。

しかし、夜間戦闘機を拡充するために、ドルニエDo 17 Z カウツ(Kauz)夜間戦闘機の後継機として、Do 217E双発爆撃機の機首をソリッド化し,火力を強化したドルニエDo 217 J 夜間戦闘機が開発された。 機首に 20mm MG FF機関銃4丁、7.92 mm MG17機関銃v4挺を搭載した。

1940年10月から、ドイツ空軍は、優先配備すべき航空兵力を検討していたが、1941年11月5月には、双発爆撃機よりも戦闘機を優先することとなり、Do217は爆撃機としてだけではなく、夜間戦闘機として、生産を続けることとなった。

ドルニエ(Dornier)Do-217 J 夜間戦闘機は、機首に、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを搭載し、兵装は当初は機首下面に20mmMG FF機関銃4挺、後期型は20mmMG151/20機関銃4挺、さらに機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備した。

Do-217N夜間戦闘機 Bf-110夜間戦闘機はF型になって機上搭載レーダーFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cが広く装備されるようになった。これは、機首に装備され、周囲70度の範囲を探知できる。そして、地上にある大型の対空レーダー「フライア」と「ヴィルツブルク」によって、夜間爆撃機に誘導することもできた。これが、機上と地上を連携した夜間防空システム「ヒンメルベット」(天秤)である。

地上の無線とレーダーを使って、敵機に誘導された夜間戦闘機は、探知距離が短い機上搭載レーダー「リヒテンシュタイン」Lichtensteinを使って、的確に敵機を捕捉、襲撃するのである。

1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機N-2型の機首右側面:ソリッド化した機首に夜間迎撃用のリヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202空対空レーダーを搭載、20mmMG151/20機関銃4丁、7.92mmMG17機関銃4丁を装備。エンジンは、重いが高出力のダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)2基を搭載した。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドイツ空軍ドルニエDo-217 J 夜間戦闘機は、BMW801L空冷星型14気筒エンジンを搭載、機首に爆撃機迎撃用にFuG 202 あるいはFuG 212 リヒテンシュタイン"Lichtenstein"空対空レーダーを装備し、前方固定機関銃として、MG FF/M 20-mm機関銃4丁、MG 17 7.92-mm機関銃4丁を搭載した。

ドルニエDo-217 N 夜間戦闘機は、発動機をダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)に換装、出力を強化したJ型夜戦の発展型である。

写真(右)1943−1944年頃,ドイツ,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217N-2夜間戦闘機の機首右前方;機首はソリッド化し、FuG 202リヒテンシュタイン"Lichtenstein"空対空レーダーを装備、前方固定機銃として、MG 151/20-mm機関銃4丁、MG 17 7.92-mm機関銃4丁を搭載している。ダイムラー・ベンツDB 603A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)装備。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933600 - Catalog:16_005097 - Title:Noxe of the Do 217N-2 Nightfighter Dornier Werkfoto - Filename:16_005097.TIF - - --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 217 N-2 夜間戦闘機の諸元
Do 217 N 全長:18.89m
全幅:19.00m
全高:5.00m
全備重量:13,182 kg
発動機:ダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)2基
最高速力:515 km/h
航続距離:1,754 km
兵装
7.92mm MG 17 前方固定機関銃×4丁
20mm MG 151/20前方固定機関銃×4丁
20 mm MG 151/20斜め銃(Schräge Musik)×4丁
乗員:4名
夜戦J/N型の生産期間:1942年第1四半期ー1943年第4三半期
夜戦J/N型の生産機数:1942年;150機、1943年150機;合計350機 


写真(上)1945 年5-6月,ドイツ,アメリカ陸軍に鹵獲されたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217 N-1 夜間戦闘機(SO+QY)の右側面
;ダイムラーベンツDB603液令エンジン搭載のN型で、機首にはリヒテンシュタイン空対空レーダーを装備している。プロペラスピナに渦巻塗装、機体全面を明るく塗装している。
Description Do 217 American ground forces inspect a captured example. Source Griehl, Manfred. Do 217-317-417: An Operational Record. Motorbuch Verlag (1987). English translation, Airlife (1991). ISBN 1853100722 Date April/May 1945 Author U.S. Army
写真は, Category:United States Army images File:Do217Nightfighter.jpg引用。



5.ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機


彩色写真(右)1940年9月,フランスあるいはベルギーの上空を編隊飛行するドイツ空軍第3爆撃航空団ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機(5K+FA)
;Bramo 323P 9気筒空冷星型エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基を搭載、機首コックピットに4名の搭乗員を集中配置している。
Photographer Gentsch Belgien/ Frankreich.- ein Verband Bomber Dornier Do 17 Z des Kampfgeschwader 3 (Stab/KG 3; Kennung der vorderen Maschine 5K+FA) im Flug; KBK Lw 3 Title Belgien/Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17 Z Info non-talk.svg Depicted place Belgien/Frankreich Date September 1940 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-343-0679-14A
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0679-14A, Belgien-Frankreich, Flugzeug Dornier Do 17 Z Recolored.jpg引用。


ヒトラー 1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言し、イギリスが和平交渉を申し出るものと確信していた。

  つまり、ヒトラーは、英国の降伏はまぢかだと考え、反ドイツ感情を高めないように、イギリス本土への大規模空襲は控えていたのである。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

1940年9月7日、ドイツ空軍は、ドルニエ(Dornier)Do 17などを使って、イギリスの戦闘機用飛行場、レーダー監視装置、港湾・船舶爆撃など、航空撃滅戦を展開していた。しかし、イギリス空軍戦闘機体の粘り強い抵抗が続いたために、航空撃滅戦を続けても、イギリス本土上空の制空権を奪えないと判断した。そこで、成果が不十分の軍事目標空爆をやめて、確実に爆撃目標をとらえることのできる都市爆撃を主な攻撃手段とする変更を行った。つまり、空爆対象を作戦を変更して、ロンドンなど都市爆撃を開始した。このイギリス本土都市爆撃の初日が、1940年9月4日である。

写真(右)1940年9-10月、ベルギーあるいはフランス、偽装した待避所に隠されているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17Z爆撃機:イギリス空軍による空襲を警戒してか、対空偽装を念入りに行った待避所が作られている。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-343-0684-31 Archive title: Belgien/ Frankreich.- stark getarntes Flugzeug Dornier Do 17; KBK Lw3 Dating: 1940 September - Oktober Photographer: Gentsch Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-343-0684-31"引用(他引用不許可)。


バトルオブブリテン イギリス空軍爆撃隊は、本来、飛行場、港湾、鉄道ターミナルなど運輸インフラ空襲を重視していた。しかし、防備の堅い施設を空襲することによる被害の大きさを憂慮して、防空能力の低い都市への夜間爆撃を主な任務とするようになった。ただし、イギリス空軍は、ドイツ空軍よりも早く四発重爆撃機の実用化と量産化を進めており、その実戦投入による戦訓を取り入れて、夜間爆撃の航法、防空対処方法、空爆用空対地レーダーの開発が進んでいた。

ドイツ空軍の対イギリス戦の航空機戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。対フランス戦勝によって「国家元帥」に昇格したヘルマン・ゲーリング空軍司令官は、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーとし、対戦闘機戦闘、爆撃機迎撃施設の破壊を企図した。

 しかし、「バトルオブブリテン」では、ドイツ空軍は「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、ロンドン、バーミンガムなど都市爆撃が主流となり、それも昼間爆撃から、夜間爆撃に変更されたが、その理由は、イギリス空軍戦闘機、防空体制が強靭だったためである。

写真(右)1940年9月、ベルギーあるいはフランス、西部戦線、偽装した強固な掩体壕に隠されたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z 爆撃機:バトルオブブリテンでのロンドン爆撃の契機は、それ以前に行われたイギリス空軍によるベルリン爆撃だった。イギリス機の攻撃から身を隠すように、念入りな対空偽装を取り入れている。
Photographer Gentsch Im Westen, Belgien/Frankreich.- mit Plane abgedecktes Flugzeug Dornier Do 17Z auf Flugplatz; KBK Lw3 Title Belgien/ Frankreich, abgedecktes Flugzeug Info non-talk.svg Depicted place Belgien/ Frankreich Date September 1940 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-343-0663-18
写真はCategory:Dornier Do 17 File:Bundesarchiv Bild 101I-343-0663-18, Belgien-Frankreich, abgedecktes Flugzeug.jpg 引用。


Winston Churchill ドイツは、1940年6月末のフランス降伏後、1940年7月、バトルオブブリテンを開始した。

空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年夏の英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の根強い抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

イギリスのウィストン・チャーチル(Winston Churchill)首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、イギリス本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。

これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍によるイギリス本土空襲を持ちこたえた。

ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエDo217爆撃機のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。

ドルニエ(Dornier)Do-17Z2 ドルニエDo 17 E爆撃機は、BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)装備で1936年9月生産開始、1937年9月生産終了、300機量産。
Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323A空冷星型9気筒エンジン 900 PS (662 kW) (排気量: 26.8 L)装備で1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機量産。
ドルニエDo17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン865 PS (853 hp, 636 kW)(排気量:27.7 L)装備、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機量産。

ドルニエDo17Z爆撃機は、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備で、1939年3月から生産開始、1940年2月生産終了、720機量産。最終型でDo17Z-5夜間戦闘機に40機が改修された。

ドルニエDornier Do 17 Z-2の諸元

ドルニエ(Dornier)Do-17Z白 ドルニエ(Dornier)Do 17 Z (最終生産型)諸元
全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル
全備重量8600キロ,最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基装備
武装;7.92ミリ機銃7丁,爆弾1トン搭載

1942年1月にフィンランドは、ドイツから、すでに旧式化し生産中止となり第一線から退役していたドルニエDo17Z-2 爆撃機15機を購入し部隊配備した。そして、Do17Zをフィンランド空軍に配備し、対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。

写真(右)1941−1944年初頭,フィンランド,ドルニエ(Dornier)Do-17Z爆撃機:森林の雪原に適した迷彩塗装を施している。機首に乗員が集中して搭乗したので,相互の連絡がとりやすかった。機首と操縦席から7.92ミリMG17機銃が装備されている。
Frankreich.- Bomber Dornier Do 17
I received the picture from my friend via MSN Messenger. Finnish Dornier Do 17.
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do 17Z.jpg引用。


1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(HakaristiSwastika)が描かれている。ドイツでも、カギ十字卍(スワスチカ:Swastika)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、ナチ党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字スワスチカをドイツの国籍マークとした。

写真(右)1941年11月17日、フィンランド、針葉樹林上空を飛行するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 P 偵察機:このDo17 P は、Do17M爆撃機の発展改良型の偵察機で、発動機を換装し、胴体に大型航空写真機Rb50/30を搭載している。
Saksalainen kaukotiedustelija lennolla. Kuvassa Dornier Do 17 P. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-11-17 H. Sundström, valokuvaaja
写真は,FINNA(他引用不許可)。


Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基を装備し、1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機が量産された。 始、1939年12月生産終了、330機が量産された。

Do17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)装備、大型航空写真機Rb50/30搭載、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機が量産された。

写真(右)1941年12月24日、フィンランド、針葉樹林上空を低空飛行するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 P 偵察機
Korsujoulua vietetään kuusen ympärillä. Sot.virk. J.Taube, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-12-24 Sot.virk. J.Taube, valokuvaaja
写真は,FINNA(他引用不許可)。


ドルニエ(Dornier)Do 17 P偵察機は、前作Do17M爆撃機と同様、コックピットが小型で、コックピット後上方に大きなバルジ式銃座(7.92ミリMG15機関銃1挺搭載)を備え機首先端は球状丸形のガラス風防で覆われている。しかし、Do17M爆撃機の爆弾倉は、撤去され、そのスペースに補助燃料タンクと航空写真機を搭載している。発動機もDo17M爆撃機はブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PSだったが、Do17P偵察機ではBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)に換装されている。

写真(右)1942年11月25日、フィンランド、樹林上空を飛行するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の編隊飛行:フィンランドは継続戦争勃発後、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備のドルニエDo17Z爆撃機14機を輸入し部隊配備した。
Dornier-tyyppisiä pommituskoneita pommituslennolla. Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja NÄYTÄ MUUT VERSIOT (1) Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-11-25 Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
写真は,FINNA(他引用不許可)。


ドルニエ(Dornier)Do-17は、細い胴体に尖った機首の洗練された空力学的デザインで、1930年代前半、戦闘機よりも高速の「空飛ぶ鉛筆」として有名になった。そして、Do 17は、スペイン市民戦争から第二次世界大戦劈頭のポーランド侵攻まで、ドイツ空軍主力爆撃機となった。また、高速で、機敏な運動性だったために、Do17Pは長距離偵察機として、1940年後半からは、夜間戦闘機「カウツ」も生産された。そして、ドルニエDo17は、フィンランド、ハンガリー、クロアチアにも輸出され、同盟国の空軍を活性化した。

ドルニエDo 17の発動機をDB601液冷エンジンに換装した性能向上型Do215爆撃機は、DB601エンジンの供給が困難になっはために、少数が輸出仕様とされた。しかし、第二次世界大戦勃発直前だったために、輸出はソ連にわずか数機が贈られたのみで、のこり100機はドイツ空軍の長距離偵察機となった。つまり、Do 215 B偵察機は、Do 17 P偵察機の後継機といえる。


図(右):1942年頃,フィンランド、舗装滑走路で右翼のブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)整備中のフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機
;機首コックピットに7.92mmMG15旋回機関銃を装備している。
Photographer Folkerts Frankreich.- Verband Bomber Dornier Do 17 Z-1 im Flug; PK Lw 3 Polen und KBK Lw 3 Title Frankreich, Flugzeuge Dornier Do 17 Depicted place France Date 21 June 1940 Current location Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-341-0456-04
写真は,FINNA(他引用不許可)。


ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエDo217爆撃機のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。

Do 17 M/Z爆撃機の発動機ブラモ(Bramo)323ファフニール"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)は、イギリスのブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)エンジン (排気量 28.7 L)440 hp (330 kW)を原型にした発動機である。

図(右):1942年頃,フィンランド、未舗装滑走路を出撃するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:2翅プロペラで描かれているが、実機は3翅プロペラである。フィンランドのソ連侵攻「継続戦争」時のドイツから購入したDo17Z双発爆撃機で,ソ連領を空襲した。
Dornier Do 17 Z爆撃機: 全幅18メートル,全長16.25メートル,全備重量7650キロ、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備のドルニエDo17Z爆撃機14機を輸入し部隊配備した2基装備,最高速度427キロ,航続距離1160キロ,武装7.92ミリMG15機銃4丁,爆弾1トン,乗員4人,1937-1940年に1100機生産。
Paul Söderström: Dornier pommikoneita startissa. (TK-piirros) Jäljennöskuvattu alkuperäisestä teoksesta. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot Söderström, Paul, valokuvaaja
写真は,FINNA(他引用不許可)。


ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だったために、後継機のドルニエDo217爆撃機のように、双尾翼式の尾部末端に、急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを装着したことはない。スペイン内戦にも派遣されたドルニエ(Dornier)Do 17は、第二次世界大戦の勃発時のドイツ空軍主力双発爆撃機である。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Do-17Eの発動機は、BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)
Do17Mの発動機はブラモ(Bramo)323 A「ファフニール"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)2基、Do17Zの発動機はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)。

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M は、発動機にブラモ(Bramo)323 A「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)900 PS(888 hp; 662 kW)を装備した爆撃機で、最高速力420 km/h、航続距離爆1,570 kmである。ドルニエ(Dornier)Do 17Mの爆弾搭載量は。それまでのDo17Eの500kgから2倍の1000kgに増加し、50キロ爆弾20個あるいは250キロ爆弾4発を搭載できた。

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17M爆撃機のコックピット後上方ルジ式銃座には、7.92mmMG15旋回機関銃1丁が装備されており、コックピット上面には、長いアンテナ支柱、環状ループ方位アンテナが備わっている。

Do 17 M爆撃機のブラモ(Bramo)323A「ファフニール」"Fafnir"900 PS(888 hp; 662 kW)を改良し出力を向上したブラモ(Bramo)323P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備したのがDo 17 Z爆撃機で、Do17最終型である。Do17Zは爆撃型が大半だが、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備のドルニエDo17Z夜戦型も20機が爆撃型から改造、生産されている。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z (最終生産型)諸元
全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル
全備重量8600キロ,最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
発動機 ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基
武装;7.92ミリMG15旋回機関銃7丁,爆弾1トン搭載

図(右)1942年冬頃,フィンランド、雪原の飛行場に待機するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機:3翅プロペラで描かれている。Dornier Do 17が飛行中。機首に乗員(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名)が集中して搭乗したので,相互の連絡がとりやすかった。機首と操縦席から7.92ミリMG17機銃が装備されている。
Paul Söderström: Dornier-pommikone Linnunlahden lentokentällä. (TK-piirros) Jäljennöskuvattu alkuperäisestä teoksesta.
写真は,FINNA(他引用不許可)。


図(右)1942年冬頃,フィンランド、ソ連小型船舶を爆撃、撃沈するフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の編隊;発動機には、初期E型は、BMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)2基だったが、M型はブラモ(Bramo)323A空冷星型エンジン900 PS(888 hp; 662 kW)、Z型はブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を2基を装備した。Do 17 Zは、Do17最終型である。
Paul Söderström: Dornier pommikoneita. (TK-piirros) Jäljennöskuvattu alkuperäisestä teoksesta. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot Söderström, Paul, valokuvaaja
写真は,FINNA(他引用不許可)。


ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月23日
全長 16.3メートル
全幅 18メートル
翼面積 86.5平方メートル
全備重量7650キロ
エンジン:ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基
最高速力: 420km/h
巡行速力: 300 km/h/8,837 kg/高度 4,000 m
戦闘航続距離(Combat range): 660 km / 燃料 1,540 L 爆弾1,000 kg 搭載
1,010 km / 燃料 2,435 L / 爆弾500 kg
実用上昇限度: 8,200 m
兵装 7.92ミリMG15機関銃5丁
爆弾搭載量:最大1トン
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人)
生産機数:2,139機

Mannerheim フィンランド国防軍カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)将軍は、ソビエト連邦を相手に1939年に冬戦争を、1941年7月から第二次世界大戦時の継続戦争では、ヒトラー(Hitler)と同盟して、フィンランド国防軍総司令官としてソビエト連邦に攻め入った。

1941年1月4日にフィンランド首相となったヨハン・ウィルヘルム・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は、1941年6月22日、ドイツのソ連侵攻を契機として、ソ連に攻め入った。これは、1939年の冬戦争で敗れ失った国土カレリア地方を奪還するという国土回復が目的だったが、共産主義者の反乱を鎮圧して独立したフィンランドは、当初から共産主義ボリシェビキのソビエト連邦を警戒、仮想敵としていたから、これは、脅威となっているソ連に対する弱体化の戦争とも考えられる。

1942年1月にフィンランドは、ドイツから、旧式化していたDo17Z爆撃機15機を購入し部隊配備した。フィンランド空軍は、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)装備のドルニエDo17Z爆撃機を部隊配備し、1941年6月に始めた対ソビエト連邦との継続戦争に投入した。

写真(右)ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2 爆撃機の三面図
Description Dornier Do 215 Date 1942 Source Dr. Spohr Verlag, Dresden 1942 Author Unknown author
写真は Wikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Do17 Dornier Do 215.jpg 引用。


ドルニエDornier Do 17 Z-2の諸元

搭乗員Crew: 4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人)
全長Length: 15.8 m
全幅Wingspan: 18 m
全高Height: 4.56 m
空虚重量Empty weight: 5,210 kg
空虚重量(装備付き)Empty equipped: 5,888 から 5,963 kg
離陸最大重量Max takeoff weight: 8,837 kg
燃料容積Fuel capacity: 標準燃料 1,540 L
爆弾倉前部搭載の補助燃料タンク(aux tank)2,435 L
発動機Powerplant: ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)/離陸時
プロペラPropellers: 3-翅可変ピッチ(variable-pitch)
性能Performance
最高速力Maximum speed: 350 km/h (220 mph, 190 kn) / 8,040 kg /海面上sea level
410 km/h (255 mph) / 8,040 kg /高度 5,000 m
巡行速力Cruise speed: 300 km/h (190 mph, 160 kn) / 8,837 kg / 4,000 m
戦闘航続距離Combat range: 660 km (410 mi, 360 nmi) / 燃料1,540 L / 爆弾 1,000 kg
航続距離:1,010 km (628 mi) with 2,435 l (536 imp gal) /燃料 500 kg
実用上昇限度Service ceiling: 8,200 m
翼面荷重Wing loading: 156 kg/m2
出力重量比Power/mass: 0.170 kW/kg
兵装Armament 火器Guns: 6 × 7.92 mm MG 15 機関銃 機首 上/下, 後方 上方/下方 and 左右beam (全てコックピット周辺)
爆弾Bombs: 1,000 kg (2,205 lb) /爆弾倉 20 x 50 kg爆弾 あるいは 4 x 250 kg爆弾

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do17 Pは長距離偵察機として、BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)を装備を搭載した。また、最終型Do17 Zは爆撃機として、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を搭載したとしてドイツ空軍に配備された。

そして、ドルニエ(Dornier)Do17を引き継ぐ新鋭機として、性能を遥かに向上させるため、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備したのが、ドルニエ(Dornier)Do215偵察機・爆撃機である。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機を見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機

ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載したドルニエDo-215試作3号機V3は、名実ともに新鋭機Do215と呼称するにふさわしい双発機である。

写真(右)1939年夏,ドイツ,ドルニエ工場で撮影されたドルニエ(Dornier)Do 215(Do 17 ZV3試作機);垂直尾翼には白丸黒スワスチカの第二次大戦前のドイツ国籍マークが描かれている。前作Do-17Z爆撃機に高性能のダイムラーベンツDB601倒立12気筒液令エンジンを装備し、冷却器をエンジンナセル下に装着。エンジンナセルのカバー部品は上中下に3分割式だが、Do215では簡素な1枚式に改良された。
Dornier Do 215 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235984 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002316.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は、SDASM Archives 引用。


1940年に登場したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215は、前作のDo-17爆撃機とは異なり、発動機をブラモ323空冷星型エンジンから、高性能・大出力のダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装した性能向上型である。このエンジン換装でドルニエ(Dornier)Do-215は、特に、最高速力、高空性能が向上した新型爆撃機となった。しかし、ドイツ空軍は、この戦訓と戦局の推移を踏まえて、高性能エンジンのダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は、メッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110駆逐戦闘機に優先配備されることになった。

写真(右)1939年、ハンガリー、ブダペスト、同盟国を訪問したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215 B爆撃機:ドイツの軍事力、技術力を誇示するだけではなく、ハンガリーへのDo215の売り込み・輸出の目的もあった。垂直尾翼には白丸黒スワスチカの第二次大戦前のドイツ国籍マークが描かれている。Do 215爆撃機の搭乗員は、コックピットに集中しており、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名である。原典解説の1940年は、写真刊行の時期であろう。
Description Magyar: Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Location: Hungary, Budapest XI., Budaörs Airport Tags: Dornier-brand, Gerrman brand, airplane, Budapest Title: Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Date 1940 Author FOTO:Fortepan — ID 31192: Home page PictureInformation page Adományozó/Donor: Vojnich Pál..
写真はCategory:Dornier Do 215 File:Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Fortepan 31192.jpg引用。


ドイツ空軍では少数のDo215を長距離偵察機として使用し、特に1940−1941年前半のドイツのソ連侵攻前に、ソ連領空に隠密侵入して、飛行場、鉄道、架橋などの戦術偵察を実施し、成果を上げている。

Do-215は、当初は、新型爆撃機として開発され、1939年5月30日、イギリス空軍情報部が初めてその存在に言及している。また、ソ連でもドイツ空軍のDo215爆撃機は有名で、独ソ開戦後、多数の戦闘機パイロットがDo 215撃墜を申告している。

しかし、戦局の推移の中で、Do215の搭載した高性能のダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は戦闘機専用に生産されることとなり、Do215は105機の生産にとどまった。このDo215生産機数105機とは、ドイツ空軍機の生産総数の0.01%未満で僅かである。

写真(右)1940年8月5日,フランス、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機:迷彩塗装を施した双尾翼式の爆撃機で当初は輸出用に開発された。公開されているDo215の写真の特徴は、銃座に搭載すべき7.92mmMG15旋回機関銃が見られないことである。軽量化して飛行性能を向上したのか、輸出向け機体なので、テスト中は、防御用火器を搭載しなかったのか。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers. Beschrijving Dornier Do 215 bommenwerper van de Luftwaffe Datum 8 april 1940 Locatie Duitsland Trefwoorden oorlog, oorlogen Fotograaf [onbekend]
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_040引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215 ドルニエ(Dornier) Do 215 V3試作3号機は、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601 B液冷V型12気筒エンジン1,175 PS (1,159 hp)装備で1939年春に初飛行し、スイスでのデモンストレーション飛行も行った。そして、Do215の優秀さを実際に見せつける売り込み促進政策によって、世界各国は、このDo215をインパクトを受けた。

  Do 215 V3後継に製造されたのが、先行量産型といえるDo 215 A-1で,1939年前半にスウェーデン空軍の発注を受けて開発された。この手ウェー電空軍(Swedish Air Force)向け輸出仕様は、Do217A-1と命名され、18 機が生産された。

しかし、1939年3月に、8月には、ドイツ首相兼総統アドルフ・ヒトラーは、ポーランド侵攻「白の事例」発動を決定しており、スウェーデン空軍向けの18機のDo 215 A-1は、出荷取りやめになり、ドイツ空軍に配備され、1939年9月1日の第二次大戦勃発の時を迎えた。

写真(右)1940年頃,ドイツ,待機するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機(PK-EH)の右側面;前作Do-17爆撃機とは異なり、高性能のダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備し、高空性能を向上させたDo-215は、当初は、新型爆撃機として開発された。しかし、戦局の推移の中で、高性能エンジンのDB601は戦闘機専用に生産されることとなり、Do215は少数の量産にとどまった。ドイツ空軍では偵察機として使用され、特に1940−1941年前半まで、ソ連侵攻前の東部戦線奥地の戦術隠密偵察に使用された。
Perma_000401 Permann Collection Image Dornier Do 217 P-O late variant of Do 17 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は、SDASM Archives 引用。


ドイツ空軍に配備された輸出取りやめのスウェーデン空軍仕様Do215A−1爆撃機/偵察機は、Do215 B-1爆撃機と呼称された。また、B-1の爆弾倉を撤去して、3台の航空偵察用写真機 Rb 50/30を搭載した偵察仕様B-2が生産された。Do215 B-3は独ソ不可侵条約を結んで、ポーランドに進駐したソ連空軍仕様で、3機が生産、輸出された。Do215 B-4は、B-2 の写真機を Rb 20/30 と Rb 50/30とに変更した偵察機である。


写真(右)1942年6月以降、ポーランド(?)、ドイツ空軍アルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring)将軍が登場したドルニエ(Dornier)Do 215爆撃機の正面
;機首ガラス風防内部に白い制服のアルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring: 1881-1960)将軍が見える。発動機はDo17Z爆撃機はブラモ(Bramo)323 A空冷星形エンジン「ファニール」 "Fafnir" (900 PS)2基だったが、Do215ではダイムラーベンツB601液冷V12気筒エンジン(1075hp)に換装されている。1940年のフランス侵攻に参加してフランスを降伏に追い込んだ功績でケッセリンク将軍は1940年7月19日、元帥に昇進し、第2航空軍指揮官として、バトル・オブ・ブリテンに参戦。その後、1941年6月のドイツのソ連侵攻後、ケッセルリンクはポーランドに進駐した。その後、1942年以降、地中海方面の北アフリカ、マルタ島、シシリー島、イタリア半島南部で、主にイギリス軍と戦った。
Photographer Seltsam Description Polski: Marszałek polny Albert Kesselring w kabinie samolotu Dornier (Do 215 B-2). Depicted people Albert Kesselring Date July 1942 Medium photograph Collection Narodowe Archiwum Cyfrowe Blue pencil.svg wikidata:Q11789677 Wydawnictwo Prasowe Kraków-Warszawa Accession number 2-2011
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Dornier Do.215 3-view L'Aerophile August 1939.jpg引用。


ドルニエ(Dornier)Do 215 B-5は、高性能を生かした夜間戦闘機仕様で、カウツ(Kauz)IIIと呼ばれ、20機が既存のDo215B-1とB-4から改造された。Do17Zの夜間戦闘機仕様の Do 17 Z-10 カウツ"Kauz II"のソリッド化した機首と同様に、機首に前方固定機関銃 7.92 mm MG 17機関銃4丁、 20 mm MG FF 機関銃2丁を搭載し、夜間暗視装置スパナー(Spanner)をコックピットに設置している。

以上のように、ドルニエ工場では、105機の Do 215を、1939年から1941の間に生産している。

Do215の搭載したラインメタル(Rheinmetall) 7.92mm MG 15旋回機関銃(Maschinengewehr)の諸元
ドルニエ(Dornier)Do-215 口径 7.92mm
銃身長 595mm
弾薬 7.92x57mmモーゼル弾
装弾数 75発入りサドル型ドラムマガジン
作動方式 ショートリコイル 回転ボルト式
全長 1,334mm(アタッチメント有り)、1,078mm(アタッチメント無し)
重量 12.4kg(照準器と弾薬装備時)
発射速度 1,000-1,050発/分、850発/分(地上用)
銃口初速 755-840m/s

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215双発機は、Do17Zのブラモ(Bramo)323空冷星型9気筒エンジンを高性能ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装して、次期新鋭爆撃機としてドイツ空軍の制式を目指した。

しかし、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジンはドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機、メッサーシュミットBf110戦闘機用に優先配備されることとなったため、ドルニエ(Dornier)Do-215は少数の生産にとどめられた。そして、Do217は外貨獲得用の輸出向け機体として位置づけられた。


図(右)1939年8月、フランスの航空雑誌に掲載されたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215爆撃機の三面図
;発動機はDo17Z爆撃機はブラモ(Bramo)323 A空冷星形エンジン「ファニール」 "Fafnir" (900 PS)2基だったが、Do215ではダイムラーベンツB601液冷V12気筒エンジン(1075hp)に換装されている。
Description English: Dornier Do.215 3-view drawing from L'Aerophile August 1939 Date 1 August 1939 Author L'Aerophile magazinebr
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Dornier Do.215 3-view L'Aerophile August 1939.jpg引用。


ドルニエ(Dornier)Do 215 B-1爆撃機の諸元
Dornier Do 17z/Do 215 乗員:4名(操縦士、爆撃手/銃手、銃手2名)
全長:15.79 m (51 ft 9+2⁄3 in)
全幅:18 m (59 ft 02⁄3 in)
全高:4.56 m (14 ft 11+1⁄2 in)
翼面積:55 m2 (592 ft2)
翼面荷重:105.1 kg/m2 (32.78 lb/ft2)
空虚重量:5,780 kg (12,743 lb)
全備重量:8,800 kg (19,401 lb)
出力/重量比:184 W/kg (0.113 hp/lb)
発動機:ダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)
最高速度:470 km/h (254 kn, 292 mph) at 4,000 m (13,123 ft)
巡航高度:9,000 m (29,500 ft)
航続距離:2,450 km (1,323 nmi, 1,522 mi) normal
上昇率:500 m/min (1,640 ft/min)
武装
4 x 7.92 mm MG 15 機関銃(後に6丁に増強)
爆弾 1,000 kg (2,205 lb)

ドルニエ(Dornier)Do-215 ドルニエ Do 17爆撃機の最終型となったZ型は、第二次大戦勃発2年前の1937年に、ドルニエ社が、外貨獲得の輸出を視野に入れて開発したものである。これが、量産先行型のドルニエDo 17 Z-0であり、輸出を意識して、民間の登録記号D-AAIVを得て初飛行した。しかし、1938年のチェコスロバキアのズテーテン危機、ミュンヘン会談と第二次世界大戦の勃発が危惧される中で、Do17Zはドイツ空軍主力爆撃機Do-17 最終型Z型として配備された。

ドイツ航空省(RLM)は、既存の機体とは異なるイメージで輸出することを企図し、新鋭機であるかのように偽装するために、新形式Do 215と命名した。したがって、Do17Zの改良型であるこのDo-215試作機1号機V1は、Do-17Zとほどんど同型機であり、Do17Zと同じブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基を装備している。その後、高出力ダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装された性能向上型の名実ともに新鋭機といえるドルニエDo-215試作3号機V3が完成した。

夜戦 1937年にドルニエ Do 17爆撃機の性能向上を目指した改良型として、ドルニエDo 17 Z-0が開発されたが、これは当初、民間の登録記号D-AAIVを割り当てられた。その理由は、外貨獲得のために、民需も含めた外国輸出向け機体として期待されたからである。この機体ドルニエDo-215試作機1号機V1であるが、既存のDo-17Zではない。ドイツ航空省(RLM)は、ドルニエDo 215の新規形式名を与え、新鋭機として喧伝し、輸出促進が図ったのである。

ドルニエDo-215試作機1号機V1は、Do-17Zと同型機で発動機も同じブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)だった。しかし、輸出向けに新鋭機として喧伝され、新規の形式の命名がなされたのである。

その後、ドルニエDo-215試作3号機V3は高出力ダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載し、名実ともに新鋭機Do215と呼称するにふさわしい双発機となった。

1940年に登場したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215は、前作Do-17爆撃機のブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)2基から、高性能・大出力のダイムラー・ベンツ DB 601B倒立V型12気筒液冷エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基に換装した性能向上型である。このエンジン換装でドルニエ(Dornier)Do-215は性能向上を果たしたが、戦訓と戦局の推移を踏まえて、高性能ダイムラーベンツDB601エンジンは、メッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110駆逐戦闘機に優先配備されることになり、Do215の生産機数は、1941年までに105機で終了となった。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機を見る。


7.ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機

写真(右)1941−1943年頃,ドイツ,テスト飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217E-1爆撃機(登録コード DD-LF 製造番号 WNr 1006)の前方下面;ゴンドラは機首右下面に設けられた。双尾翼式で、尾部に急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを収納していたが、実用化できずに、格納部分を縮小、成形された。
Permann_20 073 AI Gadgets Album Dornier 217E-1 WNr 1006 DD+LF Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum Dornier 217E-1 WNr 1006 DD+LF on a test flight Stig
写真は, SDASM Archives 引用。
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Do-217E爆撃機 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、「空飛ぶ鉛筆」として有名になった細い丸断面胴体のDo-17爆撃機の後継機である。しかし、Do17が水平爆撃を行う軽爆撃機だったのに対して、ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、機体は大型化され、急降下爆撃を主たる任務とする「重」爆撃機である。急降下時に効果速度を低く抑えるために、ダイブブレーキを装備した。ユンカースジュ87、Ju 88爆撃機は主翼下面にダイブブレーキを装備したが、ドルニエ(Dornier)Do-217は、尾部に傘上に開くダイブブレーキを装備した。

ドルニエDornier Do 217 爆撃機諸元:
初飛行:1938年10月4日
就役開始:1940年
模型Do-217 全長: 18.19 m
全幅: 19.00 m
全高: 5.03 m
全備重量: 14,980 kg
エンジン: BMW 801MA 空冷14気筒 1,580 hp × 2
最高速力: 515 km/h
航続距離: 2,300 km
武装 7.92ミリMG 15機関銃 × 5, 15ミリMG 151機関砲 × 1
爆弾 2トン
乗員: 4名。
生産期間:1940−1944年
総生産機数:1925機

ドルニエ社が大戦前に開発したDo 17双発爆撃機の後継機がDornier Do 217 爆撃機K型で、Do17のエンジン強化、武装強化、性能向上を企図しているが、量産性を考慮して、類似した形状としているために、Do 17の拡大生産型として開発された。そのため、機首、主翼など外見の類似点が多い。当初は、Do 217E急降下爆撃が可能なように、尾部に傘型のダイブブレーキを装備していたが、急降下爆撃には適さなかったために、水平爆撃機となった。しかし、運動性は悪くなかったために、夜間戦闘機としても使用された。総生産機数は2000機である。

ドルニエ(Dornier)Do-217 ドルニエ(Dornier)Do-217の尾部の傘式ダイブブレーキの実用性が低く、急降下爆撃を実施するのは困難になった。そこで、尾部のダイブブレーキは撤去されたドルニエ(Dornier)Do-217の任務は、主に西部戦線における水平爆撃になった。

1943年からドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、重量1トンの誘導滑空爆弾ヘンシェル (Henschel)Hs 293を搭載したが、これは世界初の空対艦無線誘導導爆弾である。また、重量1.5トンの徹甲弾SD1400を流用した無線誘導爆弾のフリッツXも搭載した。

ドルニエ(Dornier)Do 217 爆撃機は、1943年8月以上、洋上で対艦船攻撃にこれらの無線誘導爆弾を使用して、1943年9月14日には、地中海でイタリア戦艦「ローマ」撃沈するなど大きな戦果を挙げた。他方、ドルニエ(Dornier)Do-217は、東部戦線にはどんど配備されなかった。

ドルニエ(Dornier)Do 217 爆撃機は、1940年11月から量産され、1943年末には生産中止が決まったが、工場に残っていた機体・部品を使っての生産は1944年5月まで続いた。ドルニエ(Dornier)Do-217が製造された飛行機製造工場は、3か所で合計1,925機のドルニエ(Dornier)Do 217 爆撃機が生産された。

図(右)1943年にアメリカ軍が作成したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217E-3爆撃機の三面識別図;空中で遭遇した敵ドイツ機の識別方録を作成し、西側連合軍将兵の識別能力向上を図った。
Description English: Three-side drawing of German Dornier Do 217E bomber, 1943. Date circa 1943 Source U.S. Navy Naval Aviation News 15 July 1943 [1] Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 217 File:Dornier Do 217E 3-view line drawing.jpg。


Do 217 E-2 爆撃機の諸元
搭乗員Crew: 4名(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務))
全長Length: 18.2 m
全幅Wingspan: 19.0 m
全高Height: 5.0 m
主翼面積Wing area: 57 m2 (610 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9 350 kg
最大離陸重量Max takeoff weight: 15.965 kg
発動機Powerplant: 2 × BMW 801L空冷星型14気筒エンジン 1560 hp
1,379 kW (1,849 hp) /2,100 m (6,900 ft)
プロペラPropellers: 3-翅 VDM 定速可変ピッチプロペラ
性能Performance
最高速力Maximum speed:15.965 km/h 5,500 m
巡行速力Cruise speed: 400 km/h (250 mph, 220 kn)
Dornier Do 217 航続距離Range: 2,180 km (1,350 mi, 1,180 nmi)
移動用航続距離Ferry range: 2 050 km
上昇限度:9000m
上昇率Rate of climb: 210 m/分
兵装Armament
7.92 mm MG 15 機関銃3丁
13.1 mm MG 131 機関銃2丁 後上方・後下方
20 mm MG 151機関銃1丁
爆弾搭載量Bombs: 最大爆弾搭載 4,000 kg (8,800 lb) (2,520 kg (5,560 lb) 爆弾倉内(50キロ爆弾18発あるいは500キロ爆弾4発)

ドルニエ(Dornier)Do-217E爆撃機前期型は、段ありのコックピットで、機首下面にゴンドラを設けていた。しかし、ドルニエ(Dornier)Do-217K後期型では、機首を段なし一体型大型風防として、搭乗員の居住性と視界を向上させた。機首に搭乗員を集中配置し、機上誘導可能な誘導ロケット爆弾あるいは誘導徹甲弾による艦船攻撃に使用された。

写真(右):1943年9月、ドルニエ工場で撮影されたドルニエ(Dornier)Do-217M-1 爆撃機:1700馬力 BMW 801空冷エンジンに代えて、1900馬力のDB603液冷エンジン、4翅金属製プロペラを搭載した。機体を黒で塗装した夜間爆撃型。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 43933806 - Catalog: 16_005114 - Title: Do 217M-1 Dornier Werkfoto - Filename: 16_005114.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives・PictionID: 43933806引用。


ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)のシリンダー(気筒)のボア×ストロークは150mm×160mm、排気量33.9Lである。その気筒を大型化したのが、ダイムラー・ベンツ DB 601A液冷倒立V型12気筒エンジンで、ボア×ストロークは162 mm×180 mm、排気量44.52 Lとなり、大型化に伴い離昇出力は1,750 PS(1726 hp; 1,290 kW)に向上している。

ドルニエ(Dornier)Do 217 ドルニエ(Dornier)Do 217 M-1爆撃機
搭乗員Crew: 4名
全長Length: 17 m (55 ft 9 in)
全幅Wingspan: 19 m (62 ft 4 in)
全高Height: 4.97 m (16 ft 4 in)
主翼面積Wing area: 57 m2 (610 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,065 kg (19,985 lb)
最大離陸重量Max takeoff weight: 16,700 kg (36,817 lb)
燃料搭載量Fuel capacity: 2,960 l (780 US gal; 650 imp gal) 胴体タンク・主翼タンク4個
発動機Powerplant: ダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW) 2基
プロペラPropellers: 4-翅 VDM 定速可変ピッチプロペラ
性能Performance
ドルニエ(Dornier)Do-217K 最高速力Maximum speed: 475 km/h (295 mph, 256 kn)/海面上
560 km/h (350 mph; 300 kn) at 5,700 m (18,700 ft)
巡行速力Cruise speed: 400 km/h (250 mph, 220 kn)
航続距離Range: 2,180 km (1,350 mi, 1,180 nmi)
移動用航続距離Ferry range: 2,500 km (1,600 mi, 1,300 nmi) 補助タンク使用
実用上昇限度Service ceiling: 9,500 m (31,200 ft) 爆弾なし
7,370 m (24,180 ft) 爆弾満載
上昇率Rate of climb: 3.5 m/s (690 ft/min)
上昇時間Time to altitude: 1,000 m (3,300 ft) /3分18秒
2,000 m (6,600 ft) /6 分 42 秒
兵装Armament
7.92 mm MG 81 連装機関銃(携行弾薬数500発)機首
7.92 mm MG 81 連装機銃 (750発)後左右上方
13.1 mm MG 131 機関銃(500発)後上方・後下方
爆弾搭載量Bombs: 最大爆弾搭載 4,000 kg (8,800 lb) (2,520 kg (5,560 lb) 爆弾倉内)

ドルニエ(Dornier)Do 217 後期型M型は、K型の発動機BMW801L空冷星型14気筒エンジンを高空性能がよく大出力のDB603A液令12気筒エンジン1,730hpに換装した発展型。 Do 217 M-1:K-1の発動機換装型
Do 217 M-3:K-3の発動機換装型


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-217を見る。


8.ユンカースJu-88C夜間戦闘機

ユンカースJu-88C ユンカース社Junkers & Co)は,フーゴー・ユンカースHugo Junkers)の下で,航空機用エンジンと飛行機を製造する工場を持つ巨大企業である。ナチス政権獲得の1933年,一族の株式持ち株率を51%以下にするように命じられた。フーゴー・ユンカースが1935年2月に死亡した後,遺族に補償がなされた。

ユンカースの主要工場デッサウ(Dessau)には,4万人の従業員が雇われたが,空軍拡張に伴って,ハルバーシュタット,アッシェルスレーベン, シュタスフルト,ハレなどに工場が増設された。

ユンカースJu-88C ユンカースJu-88重戦闘機 C-1型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-1爆撃機を改修して20機が生産された。同じく, ユンカースJu 88重戦闘機 C-2型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-5爆撃機を改修して20機が生産された。大量生産されたのは、夜間戦闘機にもなったJu 88 C-6型で、ユモJumo211J液冷エンジン(1420馬力)を搭載したJu88A-4爆撃機を改修して900機が生産された。

ユンカースJu-88Aの諸元
全長 14.4メートル
全幅 20メートル
翼面積 54.5平方メートル
Ju88A 性能:
最高速力 470キロ
航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁
爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

ユンカースJu-88A爆撃機は最高速力470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トン、夜間戦闘機型Cは、エンジン、主翼は同型で、機首のガラス風防をソリッド化し、7.92mm機銃3丁、20mm機関銃1丁を、機首下面ゴンドラの爆撃照準器を撤去し、20mm機銃2丁を装備した。

ユンカースJu88は爆撃型、夜間戦闘機型、長距離偵察機型など全形式を含み1万5000機もが量産されたが、これはドイツ爆撃機の中で最多生産である。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkwes)Ju-88C/R/G夜間戦闘機を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ポーランド侵攻:Invasion of Poland
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

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東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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