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◆ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機 写真(右)1940年頃,ドイツ(?)、飛翔するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の左前下面:「空飛ぶ鉛筆」Do17の細い胴体を引き継いで、機首コックピットもDo17 Z爆撃機とほとんど同じ形状だが、搭載した発動機は流線形でDB601液冷V12気筒エンジンを装備しているので、Do17のブラモBramo323空冷星型エンジンよりはるかに強力である。前方下面の流線形のバルジは内容だ。機首にもコックピット前方にもMG15旋回機関銃が未搭載だが、テスト飛行のためと思われる。
Beeldnummer 510 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Kampfflugzeug Dornier Do 215. Type Foto
写真は、 Beeldbank WO2 NL・510引用。

写真(上)1939年9月以降,ドイツ、飛行中のドイツ空軍機ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機(NQ-TB)の左下側面
:コックピットと機首下ゴンドラには、まだラインメタル7.92mmMG15旋回機関銃は装備されていない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46169966 - Catalog:16_007454 - Title:Dornier Do 215B-1 Peter Bowers Collection - Filename:16_007454.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives・引用。

1.ダイムラーベンツDB601搭載のドルニエ(Dornier)Do-215偵察機

写真(右)1939年9月以前,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215 EV-1爆撃機試作1号機(D-AIIB):発動機は、前作ドルニエDo-17Zと同しブラモ(Bramo)323P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)
Dornier Do 215 V1 Prototype D-AIIB Perma_000416 Permann Collection Image Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機の改良型として、1937年、ドルニエが輸出も視野に入れて、前量産型Do 17 Z-0を開発し、民間の登録記号D-AAIVを得て初飛行した。これが第二次世界大戦開戦時のドイツ空軍主力爆撃機Do-17 最終型Z型である。しかし、ドイツ航空省(RLM)は、既存の機体とは異なる新鋭機のイメージで輸出促進を図り、新たにDo 215の形式名を割り当てた。

写真(右)1938-1939年頃,ドイツ,飛行中のドルニエ工場で完成したばかりのドルニエ(Dornier)Do 215 EV-1爆撃機試作1号機(D-AIIB);絵葉書にもなったドルニエ(Dornier)Do-17Zと同型発動機ブラモ(Bramo)323P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)搭載機。垂直尾翼には赤帯白丸黒スワスチカが描かれているが、胴体には鉄十字はない、第二次大戦勃発前のドイツ国籍マーク。ダイムラーベンツDB601倒立12気筒液令エンジンではなく、ナセル前方下面に冷却器を装備している。試作機の上中下に3分割式エンジンナセルカバーは、簡素な1枚式に改良されている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46169891 - Catalog:16_007448 - Title:Dornier Do 215EV-1 second version rebuilt from 2-2 Nowarra photo - Filename:16_007448.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は、SDASM Archives 引用。


ドルニエDo-215試作機1号機V1は、ドルニエ(Dornier)Do-17Zと同型機であり、発動機も同じブラモ(Bramo)323P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)だった。その後、性能向上型の名実ともに新鋭機といえるドルニエ(Dornier)Do-215試作3号機V3が、高出力ダイムラー・ベンツ DB 601B倒立V型12気筒液冷エンジン(排気量33.9 L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装され完成した。

写真(右)1939年9月以前,飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機試作1号機(D-AIIB)の左側下面:Do-215試作機1号機V1は、Do-17Zと同型機であり、発動機も同じブラモ 323空冷星型9気筒エンジンで、垂直尾翼の国籍マークは、赤帯白丸黒鍵十字スワスチカのナチ党政権後、第二次世界大戦勃発前までの形態である。新鋭機といえるのは、1,175 PS (1,150 hp)のダイムラー・ベンツ DB 601B倒立V型12気筒液冷エンジン(排気量33.9 L)に換装されたドルニエDo-215試作3号機V3以降であり、それ以前は、Do17Zの改良型として位置づけられる。
Perma_000417 Permann Collection Image Dornier Do 217 --Perman Collection Image--Dornier Do 215 V1 Prototype D-AIIB--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-17P 1934年、ドイツ再軍備宣言の前年に初飛行したドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機の発展型として、発動機を出力増し、飛行性能も向上させたタイプがいくつか開発された。その一つがBMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)を装備したDo17P偵察機である。また、発動機にブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を装備し、コックピットを大型化して防御火力を強化したドルニエDo 17 Z爆撃機が開発された。

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do17 Pは長距離偵察機として、BMW132N空冷星型9気筒エンジン(排気量 27.72 L)850 PS (838 hp; 625 kW)を装備を搭載した。また、最終型Do17 Zは爆撃機として、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を搭載したとしてドイツ空軍に配備された。そして、これらを引き継ぐ新鋭機として、性能を遥かに向上させるため、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備したのが、ドルニエ(Dornier)Do215偵察機・爆撃機である。

ドイツ空軍の次世代爆撃機ドルニエ(Dornier)Do-215双発機には、高性能のダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)の供給ができなくなったために、ドルニエ(Dornier)Do-215は少数の量産にとどまった。そこで、少数のDo215は輸出向け飛行機として外貨獲得に充てられた。

写真(右)1939年9月以前,ドイツ、飛行中のドルニエ(Dornier)Do 17 S2 偵察機試作(D-AFFY)の左前方:ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備。初期の灰色の単純な塗装を施し、機首にRb50/30カメラ2台、機首にRb20/30カメラ1台を搭載。装備されたダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は新型で航空性能の良い高出力の発動機で、コックピットガラス風防の形状も、後継機ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機に引き継がれている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46169929 - Catalog:16_007451 - Title:Dornier Do 215 V-1 Dornier photo - Filename:16_007451.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives・引用。


ドルニエ(Dornier)Do 17 S2 偵察機試作(D-AFFY)は、以前のDo17とは異なり、発動機に高性能のダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載して1939年1月29日に完成した。そして、1939年2月15日にスイスに派遣され、デモンストレーション飛行を実施して、各国への売り込みが企図された。

ドルニエ(Dornier)Do 17 S2 偵察機試作(D-AFFY)が登場したのは、第二次世界大戦勃発直前であり、まだ戦前の灰色の単純な塗装を施していたが、軍用偵察機として、機首にRb50/30カメラ2台、機首にRb20/30カメラ1台を搭載した。そして、燃料タンクは防弾の防漏式が2個、合計2435Lの燃料を搭載した。車輪は主輪直径950mm、尾輪直径465mmで、短距離離着陸が可能なように地上三点姿勢の機首上げ角は大きくとっている。

写真(右)1940年頃,ドイツ、ドルニエ航空機工場で生産中のドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の機首上半分:組み立て前の機首だがすでに、上下塗分け塗装を施してある。これらの機体はDo215ではなく、Do17の可能性も大いにある。
Beeldnummer 508 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen Bijschrift Dornier 215, in de motagehal, seriebouw..
写真は、 Beeldbank WO2 NL・508引用。


ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載したDo17Rは4機、ドルニエDo17Sは3機が試作されたが、SもRも偵察機仕様である。Do17Rは、1938年2月7日、ドイツ航空省RLMの発注になり、前作Do17Mの発動機を新型のダイムラーベンツDB601液冷エンジンに換装することが命じられた。燃料タンクは、主翼に防弾なし燃料タンク860L左右合計2個、胴体に防弾なしの燃料タンク400L1個、255L2個、合計で2375Lから2630Lのガソリンを入れた。またコックピット・機首の乗員配置で、操縦席前下方の機首ガラス風防に面して航法士の席を設けた。

ドルニエ(Dornier)Do-17Z 1937年にドルニエ Do 17爆撃機の性能向上を目指した改良型として、ドルニエDo 17 Z-0が開発されたが、これは当初、民間の登録記号D-AAIVを割り当てられた。その理由は、外貨獲得のために、民需も含めた外国輸出向け機体として期待されたからである。この機体ドルニエDo-215試作機1号機V1であるが、既存のドルニエDo17Z-2 爆撃機ではないのは、ドイツ航空省(RLM)によって、ドルニエDo 215の新規の形式名を与えられ、新鋭機として喧伝され、輸出促進が図られた。

つまり、ドルニエDo-215試作機1号機V1は、Do-17Zと同型機であり、発動機も同じブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)だった。しかし、輸出向けに新鋭機として喧伝されたために、新たな機体であるかのように、新規の命名がなされた。

写真(右)1939年夏,ドイツ,ドルニエ工場で撮影されたドルニエ(Dornier)Do 215(Do 17 ZV3試作機);垂直尾翼には白丸黒スワスチカの第二次大戦前のドイツ国籍マークが描かれている。前作Do-17Z爆撃機に高性能のダイムラーベンツDB601倒立12気筒液令エンジンを装備し、冷却器をエンジンナセル下に装着。エンジンナセルのカバー部品は上中下に3分割式だが、Do215では簡素な1枚式に改良された。
Dornier Do 215 Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235984 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002316.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は、SDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-17ZドルニエDo-215試作3号機V3はダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載した性能向上型で、名実ともに新鋭機Do215と呼称するにふさわしい双発機である。

ドルニエ(Dornier)Do-215は、当初は、新型爆撃機として開発され、1939年5月30日、イギリス空軍情報部が初めてその存在に言及している。また、ソ連でもドイツ空軍のDo215爆撃機は有名で、独ソ開戦後、多数の戦闘機パイロットがDo 215撃墜を申告している。

しかし、実際にはDo215は、1941年までに105機の生産で終わっていること、原型のDo17Z爆撃機とエンジン形状以外大きな外見上の差異がないこと、を踏まえれば、連合国軍のDo217遭遇・撃破の報告は、空中で両機を混同、見誤ったためであろう。

写真(右)1940年8月5日,ドイツ、灰色塗装を施し農地上空を低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215 B-4爆撃機/偵察機(NO+TB):ドルニエ社が迷彩塗装の効果を調べるために空対空の試験飛行を実施し撮影した。双尾翼式の爆撃機で当初は輸出用に生産された。Do215の写真の特徴は、銃座と7.92mmMG15旋回機関銃が写っていないことで、軽量化して飛行性能を向上した上で、輸出向け機体であるため、あえて非武装としたのであろうか。それとも、テスト飛行中であり、軽量化のために、不必要な火器を搭載していないのであろうか。
Beeldnummer 507 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Aus der Vollsichtkanzel des Kampfflugzeuges Dornier Do 215 schweift der Blick unbegrenzt über das weite Land.
写真は、Beeldbank WO2 NL・507引用。


絵葉書(右)1939‐1941年、ドイツ、飛行するドイツのドルニエ(Dornier)Do 215 B 爆撃機の正面;胴体より若干上に主翼を取り付けコックピット後上方に銃座とアンテナ支柱が際立っている。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Kampfflugzeug Dornier Do 215 Nr. 10.556.075 Zustand, siehe Scan, gelaufen ca 9 cm X 14 cm
写真はakpool, Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten, Wehrmacht: Technik - Flugzeuge Nr. 10.556.075引用。。


ドルニエ(Dornier)Do-17Eは発動機に当初ダイムラーベンツDB600液冷12気筒エンジン(1000馬力)を搭載し試作された。しかし、DB600液冷エンジンは戦闘機に優先配備されることとなり、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)に換装された。

そして、再びドルニエ(Dornier)Do 215 B爆撃機では、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載した。

ドイツ空軍の次世代爆撃機ドルニエ(Dornier)Do-215双発機には、高性能のDB601液令エンジンの供給ができなくなったために、ドルニエ(Dornier)Do-215は少数の量産にとどまった。そこで、少数のDo215は外国輸出向けの機体として外貨獲得に充てられたが、対ソ連戦争に対応するために輸出は少数に抑えられた。そして、ドイツ空軍に配備され、長距離偵察機として使用された。

絵葉書(右)1938−1939年、ドイツ、飛行するドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 S2 偵察機試作(D-AFFY)の左前方とドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機試作1号機(D-AIIB)の右側下面:;胴体より若干上に主翼を取り付けコックピット後上方に銃座とアンテナ支柱が際立っている。
Ansichtskarte / Postkarte Kampfflugzeug Dornier Do 215, Luftwaffe Nr. 2.647.476 ungelaufen, sehr guter Zustand »Zufriedenheitsgarantie!«
写真はakpool, Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten, Wehrmacht: Technik - Flugzeuge  Nr. 2.647.476引用。


1940年に登場したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215は、前作のDo-17爆撃機とは異なり、発動機をブラモ323空冷星型エンジンから、高性能・大出力のダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装した性能向上型である。エンジン換装でドルニエ(Dornier)Do-215は、特に、最高速力、高空性能が向上した新型爆撃機となった。

ドルニエ(Dornier)Do 215 V1試作1号機は、Do 17 Z-0にための右ブラモ(Bramo)323 P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を搭載したが、テスト飛行中に事故で破損した。

ドルニエ(Dornier) Do 215 V2試作2号機は、Do 17 Z-0 (D-AIIB)に各国で使用されていたフランスのグノームローン(Gnome-Rhône)14-N 空冷星型14気筒エンジン装備だったが、Do17Zの飛行性能を上回らず、輸出販売はできなかった。

ドルニエ(Dornier) Do 215 V3試作3号機は、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 601 B液冷V型12気筒エンジン1,175 PS (1,159 hp)装備で1939年春に初飛行し、デモンストレーションによって、高性能を印象付けた。その後継機が、Do 215 A-1で,1939年前半にスウェーデン空軍の発注を受けて開発された。

写真(右)1939年、ハンガリー、ブダペスト、同盟国を訪問したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215 B爆撃機:ドイツの軍事力、技術力を誇示するだけではなく、ハンガリーへのDo215の売り込み・輸出の目的もあった。垂直尾翼には白丸黒スワスチカの第二次大戦前のドイツ国籍マークが描かれている。Do 215爆撃機の搭乗員は、コックピットに集中しており、操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4名である。原典解説の1940年は、写真刊行の時期であろう。
Description Magyar: Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Location: Hungary, Budapest XI., Budaörs Airport Tags: Dornier-brand, Gerrman brand, airplane, Budapest Title: Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Date 1940 Author FOTO:Fortepan — ID 31192: Home page PictureInformation page Adományozó/Donor: Vojnich Pál..
写真はCategory:Dornier Do 215 File:Dornier Do-215 típusú felderítő és könnyűbombázó repülőgép. Fortepan 31192.jpg引用。


写真(右)1940-1941年頃,ドイツ,飛行中のドルニエ飛行機工場で完成したばかりのドルニエ(Dornier)Do 215(PK+EM);垂直尾翼には白縁黒スワスチカ、胴体の白縁黒鉄十字というの第二次大戦初期のドイツ国籍マークが描かれている。ダイムラーベンツDB601倒立12気筒液令エンジンナセル前方下面に冷却器を装備している。試作機の上中下に3分割式エンジンナセルカバーは、簡素な1枚式に改良されている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46169954 - Catalog:16_007453 - Title:Dornier Do 215B-4 Dornier photo - Filename:16_007453.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---epository: San Diego Air and Space Museum
写真は、SDASM Archives 引用。


1939年8月には、ヒトラーは、ポーランド侵攻「白の事例」発動を決定しており、スウェーデン空軍向けの18機のDo215は、出荷取りやめになり、ドイツ空軍に配備され、1939年9月1日の第二次大戦勃発の時を迎えた。

しかし、ドイツ空軍は、戦訓と戦局の推移を踏まえて、高性能エンジンのダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は、メッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110駆逐戦闘機に優先配備されることになった。

写真(右)1940年8月頃,オランダ(?)、雲の上を飛行するドイツ空軍新鋭機のドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機:迷彩塗装を施した双尾翼の爆撃機だが、外板が皺だらけなのは、工作不良か、それとも薄い軽量ジュラルミン特有の皺なのか。日本の軍用機に目立つ皺は、ドイツ軍用機ではあまりお目にかかることがないので、不思議である。
Beeldnummer 505 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Ein neuer 'Fliegender Bleistift'. Das neueste Dornier-Flugzeug Do 215 kann sowohl als Kampfflugzeug wie auch als Fernaufklärer eingesetzt werden. Es hat enge Verwandtschaftsbeziehungen zu der bewärten Do 17 und hat ebenfalls den eleganten schmalen bleistiftartigen Rumpf. Der Kopf mit der Vollsicht-Kanzel, der nach allen Seiten völlig freie Sicht gibt, hat gegenüber der Do 17 sichtbare Verbesserungen erfahren. Auch die neue Maschine hat freitragende Flügel in Trapezeform und selbstverständlich eindziehbares Fahrwerk und einschwenkbares Spornrad. Gegenüber der Do 17 hat die Do 215 jedoch eine stärkere Bewaffnung und ist ihr ebenfalls an Schnelligkeit noch überlegen.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・505引用。


ドイツ空軍に配備された輸出取りやめのスウェーデン空軍仕様ドルニエ(Dornier)Do 215 A−1爆撃機/偵察機は、Do215 B-1爆撃機と呼称された。また、B-1の爆弾倉を撤去して、3台の航空偵察用写真機 Rb 50/30を搭載した偵察仕様B-2が生産された。ドルニエ(Dornier)Do 215 B-3は独ソ不可侵条約を結んで、ポーランドに進駐したソ連空軍仕様で、3機が生産、輸出された。Do215 B-4は、B-2 の写真機を Rb 20/30 と Rb 50/30とに変更した偵察機である。

写真(右)1940年8月頃,フランス(?)、雲の上を飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機:迷彩塗装を施した双尾翼式の爆撃機で当初は輸出用に生産された。Do215の写真の特徴は、銃座と7.92mmMG15旋回機関銃が写っていないことで、軽量化して飛行性能を向上した上で、輸出向け機体であるため、あえて非武装としたのであろうか。それとも、テスト飛行中であり、軽量化のために、不必要な火器を搭載していないのであろうか。
Beeldnummer 491 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Dornier 215.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・491引用。


ドイツ空軍では少数のドルニエ(Dornier)Do 215を長距離偵察機として使用した。特に1940−1941年前半のドイツのソ連侵攻前に、ソ連領空を侵犯して、隠密侵入したDo215が、ソ連軍の飛行場、鉄道、架橋などの戦術偵察を実施し、大いに成果を上げている。

写真(右)1940年8月5日,フランス、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機:迷彩塗装を施した双尾翼式の爆撃機で当初は輸出用に開発された。公開されているDo215の写真の特徴は、銃座に搭載すべき7.92mmMG15旋回機関銃が見られないことである。軽量化して飛行性能を向上したのか、輸出向け機体なので、テスト中は、防御用火器を搭載しなかったのか。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers. Beschrijving Dornier Do 215 bommenwerper van de Luftwaffe Datum 8 april 1940 Locatie Duitsland Trefwoorden oorlog, oorlogen Fotograaf [onbekend]
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_040引用。


ドルニエ(Dornier)Do 215 B-5は、高性能を生かした夜間戦闘機仕様で、カウツ(Kauz)IIIと呼ばれ、20機が既存のDo215B-1とB-4から改造された。Do17Zの夜間戦闘機仕様の Do 17 Z-10 カウツ"Kauz II"のソリッド化した機首と同様に、機首に前方固定機関銃 7.92 mm MG 17機関銃4丁、 20 mm MG FF 機関銃2丁を搭載し、夜間暗視装置スパナー(Spanner)をコックピットに設置している。

写真(右)1940年冬,フランス東部アルプス(?)、雪で覆われた山脈の上空を飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の左側面:胴体前方下面の流線形のバルジは、航空写真機の搭載、あるいは海面に不時着した時の圧搾空気式浮袋の収納庫である。機首にもコックピット前方にも機関銃を装備していない。偵察任務のためというよりも、テスト飛行のためと思われる。
Beeldnummer 143976 Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift ' Kampfflugzeug Dornier Do-215. ' Datum type Opname
写真は、 Beeldbank WO2 NL・143976引用。


戦局の推移の中で、Do215の高性能のダイムラー・ベンツ DB 601液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は、Bf109、Bf110など戦闘機用エンジンとなり、爆撃機への搭載は見送られた。こうして、ドルニエDo215の総生産数は、105機にとどまったが、この数量は、ドイツ空軍機の生産総数の0.01%未満と極僅かである。

写真(右)1940年冬,フランス東部アルプス(?)、雪で覆われた山脈の上空を飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の左側面:胴体前方下面の流線形のバルジは、航空写真機の搭載、あるいは海面に不時着した時の圧搾空気式浮袋の収納庫である。機首にもコックピット前方にも機関銃を装備していない。偵察任務のためというよりも、テスト飛行のためと思われる。
Beeldnummer 493 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Dornier 215..
写真は、 Beeldbank WO2 NL・493引用。


ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機は、洋上における紹介偵察任務にも充当されていたために、胴体前方下面の流線形のバルジを設けて、そこに海面に不時着した時の圧搾空気式浮袋を収納した。機体の重量バランスから、エンジンのある機体前部に重心が偏っていること、搭乗員4名が機首に集中していること、から機首近くに浮袋フロートを設けたのである。

写真(右)1940年冬,フランス東部アルプス(?)、雪で覆われた山脈の上空を飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の右正面:前方下面の流線形のバルジはないようだ。機首にもコックピット前方にもMG15旋回機関銃が未搭載だが、テスト飛行のためと思われる。
Beeldnummer 506 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Dornier 215.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・506引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機は、「空飛ぶ鉛筆」Do17の細い胴体を引き継いで、機首コックピットもDo17 Z爆撃機とほとんど同じ形状だが、発動機はDo17のブラモBramo323空冷星型エンジンよりはるかに強力で流線形のダイムラーベンツDB601液冷V12気筒エンジンを装備している。しかし、DB601エンジンが先頭にに優先配備されることとなったために、ドルニエ場では、僅か105機のDo 215が、1939年から1941年の間に生産されたのみである。

写真(右)1940年8月頃,フランス(?)、低空飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機の正面:Do215は、軍用迷彩塗装だが、コックピット前面に7.92mmMG15旋回機関銃が搭載できるるもかかわらず、写真では装備していない。テスト飛行中であり、軽量化のために、不必要な火器を搭載していないのであろうか。
Beeldnummer 507 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Aus der Vollsichtkanzel des Kampfflugzeuges Dornier Do 215 schweift der Blick unbegrenzt über das weite Land.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・507引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do215の搭載したラインメタル(Rheinmetall) MG 15旋回機関銃(Maschinengewehr)の諸元
口径 7.92mm
銃身長 595mm
弾薬 7.92x57mmモーゼル弾
装弾数 75発入りサドル型ドラムマガジン
作動方式 ショートリコイル 回転ボルト式
全長 1,334mm(アタッチメント有り)、1,078mm(アタッチメント無し)
重量 12.4kg(照準器と弾薬装備時)
発射速度 1,000-1,050発/分、850発/分(地上用)
銃口初速 755-840m/s

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215双発機は、Do17Zのブラモ(Bramo)323空冷星型9気筒エンジンを高性能ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装して、次期新鋭爆撃機としてドイツ空軍の制式を目指した。しかし、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジンはドイツ空軍メッサーシュミットBf109戦闘機、メッサーシュミットBf110戦闘機用に優先配備されることとなったため、ドルニエ(Dornier)Do-215は少数の生産にとどめられた。そして、Do217は外貨獲得用の輸出向け機体として位置づけられた。

ドルニエ(Dornier)Do 17K Do-17は1934年11月23日初飛行で、これは1935年のヒトラーの再軍備宣言の前である。ドイツは、再軍備を進め、1937年11月9日、ユーゴスラビアとDo17爆撃機20機の輸出契約を締結した。これが、ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機である。

ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機は、機首に爆撃手席を設け、空気抵抗を抑えるために、丸断面の小型ガラス風防を装着した。機首の周囲に突出部を作らず、飛行中の気流の流れをスムーズにする構造になっている。後に、平面ガラスを組み合わせたダイアモンド・ブリリアンカット型のガラス風防に改変された。

ドルニエ Do-215B / Do-17 しかし、第二次世界大戦の継続と、航空戦力強化の要請から、製造されたDo215の輸出を取りやめて、ドイツ空軍の航空戦力として役立てることになった。Do215は、その高空性能を生かして、ドイツ空軍で長距離偵察機として使用されたのであるた。

ドルニエDo215偵察機の活躍が注目されるのは、第二次世界大戦直前、1939年8月の独ソ不可侵条約を結んでいたソビエト連邦との対戦を念頭に、1940年後半−1941年前半に、同盟国ソ連に対する背信行為として、ソ連赤軍の主要航空基地、鉄道駅や大型架橋などの輸送施設を写真偵察する隠密飛行に使用されたことである。

明らかなソ連の領土侵犯だったが、ヒトラーとの戦争を恐れておいスターリンは、ドイツの偵察行為を黙認し、独ソ対決となる対戦を避けようと忍耐していた。写真偵察中に不時着した機体があっても、ソ連はドイツを激しく非難することはせず、正面対決を避けていたのである。

ルーマニアには,ドイツに石油を供給していたプロエスチ油田があり,ドイツはソ連の攻撃を恐れた。そこで,ドイツはルーマニアを誘って,1940年11月,日独伊三国同盟に加盟させた。

しかし、1941年4月、ドイツの同盟国だったユーゴスラヴィアで、反独・新ソ連のセルビア支持のクーデターが勃発した。親ソのユーゴ新政権は、三国同盟を守ると公言しながらも、三国同盟を無力化するようなソ連と友好不可侵条約を結んだ。ヒトラーは、これをユーゴスラビアの裏切りと断定し、1941年4月6日,ドイツ軍は即座に,ユーゴスラヴィアに侵攻した。

ドイツからバルカンの同盟国ユーゴスラビアに対して売却される予定だった新鋭機ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機の輸出はもちろん停止された。ドイツ軍の侵攻を受けたユーゴスラビア親ソ政権は,1940年4月13日,侵攻後1週間で、降伏した。ユーゴスラビアは、粉砕され、ドイツ占領地、イタリア領、そして新傀儡国家クロアチアに三分割、解体された。その後、新編成されたクロアチア軍に、ドイツからDo215爆撃機の前作Do17Z爆撃機が供与された。

スターリン ドイツのユーゴスラビア侵攻と同時期の1941年4月,日本の松岡洋右外相がベルリンからの帰路、モスクワに立ち寄り、日ソ中立条約を締結した。ソ連は,いずれ英国が敗れれば,ドイツがソ連を攻撃してくると予測していたから,極東アジア方面での日本軍によるソ連侵攻を警戒していた。そこで,ドイツを牽制するためにり、日ソ中立条約を結び、日本とソ連が結んだ領土保全と不侵略を相互に約束した。

1939年8月、第二次世界大戦勃発直前に、スターリンは、ヒトラーとの同盟、すなわち独ソ不可侵条約を締結した。そして、ポーランドをブーク川の線で独ソ二国で分割する秘密協定を結んだ。

こうして、1939年9月1日にドイツがポーランド西部を攻撃すると,9月17日、ソ連は、
1)ポーランド政府が消滅し、ソ連とポーランドの同盟は解消されたこと
2)ポーランド東部にすむウクライナ人を保護すること
を名目に、ポーランド東部にソ連赤軍を進駐させ,武力占領していた。

こうした事情から、ソ連のスターリンは、ドイツのヒトラーが、イギリスとの二面戦争を惹起するリスクを冒してソ連に侵攻することはないと考えていた。ドイツのソ連侵攻は、イギリスやスパイのの仕組んだ罠であり、ソ連をドイツと戦わせて弱体化しようとする資本主義国の陰謀であると邪推していたのである。

写真(右)1940年8月5日,ドイツ(?)、飛行中のドイツ空軍機ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機(PK+EO;製造番号0034):Do-215爆撃機(PK+EO)は、1940年4月4日初飛行。迷彩塗装を施している。残っているDo215の写真をみると、銃座には7.92mmMG15旋回機関銃を搭載していないように見える。この理由は、重量軽減して飛行性能を向上したのか、輸出向け民間機なので、兵装を撤去したのかであろう。解説にはドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機とあるが、1940年8月5日の一連の写真ということであれば、時期的にみてD0-217は完成しておらず、風防の形状から見ても、その前のドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機が正しいと思われる。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers. Beschrijving Dornier Do 217 boven Engeland Datum 8 augustus 1940 Locatie Duitsland Trefwoorden oorlog, oorlogen Fotograaf Atlantic Photo Materiaalsoort Foto (zwart/wit)
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_057引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215 バトル・オブ・ブリテンの1940年登場のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215は、前作Do-17爆撃機の発動機ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を、高性能・大出ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装した発展型である。このエンジン換装でドルニエ(Dornier)Do-215は、最高速力、高空性能が向上した新型爆撃機となった。

しかし、1940年夏のドイツ空軍のイギリス本土空襲では、爆撃の効果も空中戦の戦果も十分ではなく、結果が出せなかった。つまり、爆撃機ではなく、制空権を確保するための戦闘機による対戦闘機空中戦が大きな課題となった時期だった。

そこで、ドイツ空軍は、この戦訓と戦局の推移を踏まえて、高性能ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)は、メッサーシュミットBf109単発戦闘機、Bf110駆逐戦闘機に優先配備されることになった。


写真(右)1940年8月以降、ドイツ,ダイムラーベンツDB601液冷V型12気筒エンジン(1075hp)を搭載したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機(NO+TB;製造番号0052)
;Do 215偵察機(NO+TB;製造番号0052)は、1940年8月6日初飛行。
Description A German Dornier Do 215B bomber in flight. The Do 215 was a Do 17Z with liquid cooled DB 601 engines which was mainly used for reconnaissance. Date circa 1940 Source Royal Air Force Battle of Britain campaign diaries [1] photo [2] Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Dornier Do 215B in flight c1940.jpg引用。


ドルニエDo-17爆撃機とは異なり、後継機のDo215爆撃機は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備し、高空性能を向上させた。しかし、Do215のダイムラーベンツDB601液冷エンジンの生産割当は、性能向上を目指すBf109、Bf110など戦闘機に優先され、Do215爆撃機を大量生産する計画は放棄された。そこで、Do215は僅か105機しか生産されなかったので、その多くは偵察機となり、一部少数の機体が、前方固定機関銃が強化され、夜間戦闘機として使用された。Do215は、高性能と長い航続距離を生かして、1940−1941年前半まで、同盟国ソビエト連邦を攻撃する準備として、ソ連領内の違法な隠密飛行を繰り返している。Do215は、来るべき東部戦線におけるソ連領土内の戦術隠密偵察の役割を務めたのである。

写真(右)1940年8月以降,ドイツ、飛行中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機(NO+TB)の左下側面:発動機のダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に取り付けた3翅金属製プロペラが回転している。
Dornier Do-215 Catalog #: 00078561 Manufacturer: Dornier Designation: Do-215 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SDASM Archives・引用。


1937年にドルニエ Do 17爆撃機の性能向上を目指した改良型として、ドルニエDo 17 Z-0が開発されたが、これは当初、民間の登録記号D-AAIVを割り当てられた。その理由は、外貨獲得のために、民需も含めた外国輸出向け機体として期待されたからである。この機体ドルニエDo-215試作機1号機V1であるが、既存のDo-17Zではないのは、ドイツ航空省(RLM)によって、ドルニエDo 215の新規の形式名を与えられ、新鋭機として喧伝され、輸出促進が図られた。

写真(右)1940年8月以降,ドイツ、飛行中のドイツ空軍機ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機(NO+TB)の左下側面:発動機ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS のエンジン・ナセル前方下の顎の位置に冷却水冷却器が取り付けられている。
Dornier Do-215 Catalog #: 00078559 Manufacturer: Dornier Designation: Do-215 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SDASM Archives・引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215 ドルニエ(Dornier)Do-215双発機は、外貨獲得用の輸出向け機体として生産されたほか、ドイツ空軍もその高空性能を生かして、長距離偵察機として使用した。

特に注目されるドルニエ(Dornier)Do215の偵察機としての働きは、第二次世界大戦直前の1939年8月の独ソ不可侵条約を結んでいたソビエト連邦との対戦を念頭に、1940年後半−1941年前半に、同盟国ソ連に対する背信行為として、ソ連赤軍の主要航空基地、鉄道駅や大型架橋などの輸送施設を写真偵察する隠密飛行に使用されたことである。

写真(右)1940年頃,ドイツ,飛行中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215 偵察機の左前方;Do-17爆撃機より高性能なダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基を搭載している。冷却器は、エンジン先端下面に吊り下げている。高空性能のDo-215は、長距離偵察機として戦時中使用されたが、ダイムラーベンツDB601エンジンは、戦闘機に優先配備されたために、Do215は少量の生産に終わった。1940−1941年前半まで、ソ連侵攻前の東部戦線奥地の戦術隠密偵察に使用されている。
Dornier Do-215 Catalog #: 00078563 Manufacturer: Dornier Designation: Do-215 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は、SDASM Archives 引用。


スターリン 1941年6月22日,ドイツ軍は,独ソ不可侵条約を反故にして,ソ連に侵攻した。このドイツ軍によるソ連攻撃バルバロッサ作戦Unternehmen Barbarossa)が発動された理由は,次のようのものである。

1)バルバロッサとは,神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)のこと。ナチスは,ハプスブルク家の皇帝標章をオーストリアからドイツに持ち帰り,第三帝国を設立し,帝国以来の伝統を引継いだとした。そして,東方ソ連を植民化するために,ソ連を攻撃した。ドイツ人,民族ドイツ人が東方ソ連に入植して土地と現地住民を支配し,石油・鉄鉱石,農作物など資源エネルギー・食料を略奪する。このようにして,大ドイツ繁栄の基礎となる生存圏を形成しようとした。

2)ボリシェビキが支配する東方ソ連は,ドイツ反英の脅威であり,イデオロギー上も,ソビエトを攻撃,壊滅する必要があった。ただし,東方に向かうドイツ軍兵士は,独ソ不可侵条約の下で,スターリンがウクライナUkraine)をヒトラーに貸与するという噂があった。

3)フランス降伏後,英国が孤立しても戦っている理由は,米国とソ連がドイツを威嚇しているからだった。そこで,ヒトラーは,英国の士気を高めているソ連軍を壊滅させ,英国の希望を砕こうとした。バルバロッサ作戦の準備は,英本土上陸作戦の意図を隠蔽する目的で行われる陽動だとされた。実際,ドイツ海軍軍令部は,2月18日の作戦日誌で,陽動作戦のことを記している。

写真(右)1940年頃,ドイツ,飛行中のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215 偵察機の左下面;爆弾倉の位置に偵察用大型カメラを装備しているので、丸いカメラ用ガラス窓があいている。
Dornier Do-215 Catalog #: 00078563 Manufacturer: Dornier Designation: Do-215 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は、SDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 215 双発機は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備し、外貨獲得の輸出向け機体として生産された。しかし、第二次世界大戦のために、輸出は取りやめにな。ドイツ空軍がDo215の高空性能を生かして、長距離偵察機として使用した。特に注目されるのは、第二次世界大戦直前、1939年8月の独ソ不可侵条約を結んでいたソビエト連邦との対戦を念頭に、1940年後半−1941年前半に、同盟国ソ連に対する背信行為として、ソ連赤軍の主要航空基地、鉄道駅や大型架橋などの輸送施設を写真偵察する隠密飛行に使用されたことである。

対ソビエト連邦との戦いがあった東部戦線のドイツ空軍機は,1941年6月22日から8月8日までは喪失1023機,破壊657機,1941年8月3日から9月27日までは喪失580機,破壊371機だった。1941年6月22日から1942年4月8日までの10ヶ月間の合計で,喪失2951機,破壊1997機の損害で,これは同時期の航空機生産の三分の一に相当した。

ドイツ空軍機は、民間機を装って、故意にソ連国境を越えて、ソ連軍配置、運輸インフラなどを偵察し航空写真を撮影した。これは、明らかなソ連の領土侵犯だったが、ヒトラーとの戦争を恐れていたスターリンは、ドイツの偵察行為を黙認し、独ソ対決となる対戦を避けようと忍耐していた。ドイツに偵察させて、ソ連赤軍が、当面、ドイツを攻撃することはないとわからせようとしたのであろう。写真偵察中に不時着した機体があっても、ソ連はドイツを激しく非難することはせず、正面対決を避けていたのである。

ドイツ空軍機ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機は、前作Do 17Z爆撃機の輸出仕様で、Do 215A-1は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載し、1939年初め、第二次世界大戦勃発直前に18機がスウェーデンに輸出される予定だったが、9月の大戦勃発を見越して、急遽、ドイツ空文に配備されることになった。これがドルニエDo 215B-1 と Do 215B-2である。

ドルニエDornier Do-215 しかし、1939年8月のファシストのヒトラーとボリシェビキのスターリンが、独ソ不可侵条約という西欧、日本を驚かす破天荒な軍事同盟を締結した。そして、独ソ不可侵条約を受けて、ソ連からドイツに石油・食料など資源が提供され、バーターで、ドイツからソ連に軍事技術、艦船・航空機などが提供されることになった。そこで、ドイツは2機のDo215B-3をソビエト連邦に輸出したのである。これは、石油、穀物などの資源・食料をソ連がドイツに輸出していたことの見返りではあるが、ソ連へ軍事援助にも繋がる取引だった。

1942年,ドイツ空軍爆撃機は,東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は行わなかった。モスクワ空襲も,少数機が散発的に行っただけだった。

ドイツ空軍の爆撃機は,モスクワ攻防戦にほとんど登場してこないが,これは装甲師団の進撃が早すぎて,後方の航空基地整備が遅れたこと,厳寒・悪天候による飛行および飛行機整備の困難,補給不足が原因と考えられる。いずれにせよ,航空支援を得られないまま行ったモスクワ攻撃は、失敗に終わった。

写真(右)1940年頃,ドイツ,待機するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機(PK-EH)の右側面;前作Do-17爆撃機とは異なり、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を装備し、高空性能を向上させたDo-215は、当初は、新型爆撃機として開発された。しかし、戦局の推移の中で、高性能エンジンのDB601は戦闘機専用に生産されることとなり、Do215は少数の量産にとどまった。ドイツ空軍では偵察機として使用され、特に1940−1941年前半まで、ソ連侵攻前の東部戦線奥地の戦術隠密偵察に使用された。
Perma_000401 Permann Collection Image Dornier Do 217 P-O late variant of Do 17 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は、SDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-215 ドルニエ(Dornier)Do-17Eの発動機ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)をブラモ(Bramo)323 A空冷星形エンジン「ファニール」 "Fafnir" (900 PS)2基に換装したのがDo17M爆撃機で、さらにブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)に換装したのがDo17Zである。

そして、ドルニエ(Dornier)Do17Zの発動機をダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)に換装したのが、Do215爆撃機/偵察機である。

写真(右)1940年10月7日頃,イギリス本土航空決戦の時期、オランダ(?)、右側発動機ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を駆動しているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215偵察機の正面:エンジンナセル前方下面には。冷却器ラジエーターの冷却用空気取り入れ口が開口している。
Beeldnummer 164 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie Naam Federal Republic of Germany Land Germany Bijschrift Do 17 bommenwerper/verkenner Datum 07/10/1940 Datum type Opname.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・164引用。


つまり、ドルニエDo-215試作機1号機V1は、Do-17Zと同型機、ブラモ(Bramo)323 P「ファフニール」"Fafnir"空冷星型9気筒エンジン(排気量 26.82L)1,000 PS (986 hp, 736 kW)を搭載した。しかし、輸出向けに新鋭機として喧伝されたために、新たな機体であるかのように、新規の命名がなされた。

その後、ドルニエDo-215試作3号機V3は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載し、名実ともに新鋭機Do215と呼称するにふさわしい双発機である。

ドイツ空軍の次世代爆撃機ドルニエ(Dornier)Do-215双発機には、高性能のダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)の供給ができなくなったために、ドルニエ(Dornier)Do-215は少数の量産にとどまった。そこで、少数のDo215は輸出向け飛行機として外貨獲得に充てられた。

ドルニエ(Dornier)Do-215 ドルニエ(Dornier)Do-215双発機は、外貨獲得用の輸出向け機体として生産されたものの、第二次世界大戦の勃発、戦局急転の中で、ドイツ空軍への配備が決まった。そして、長距離偵察機として、第二次世界大戦直前の1939年8月に独ソ不可侵条約を結んでいたソビエト連邦への戦術偵察に投入された。これは、来るべき共産主義ボリシェビキとの対戦を念頭に、ヒトラーが1940年後半に対ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を決定し、同盟国ソ連に対する背信行為を百も承知で、ソ連赤軍の主要航空基地、鉄道駅・大型架橋などの運輸インフラの写真偵察を強行させたためである。

ドイツ空軍Do215長距離偵察機によるソ連偵察飛行は、隠密行動とはいえ、度重なるソ連の領空侵犯に、現地のソ連赤軍は気づき、ソ連戦闘機が緊急発進してドイツ機に接近したこともあった。しかし、スターリンにも頻繁にドイツ機侵入の連絡が知らされていたにも関わらず、絶対に領空侵犯のドイツ機を攻撃をしないように言明していたため、スクランブルしたソ連空軍機が領空侵犯機を銃撃したことはなかった。

ソ連指導者赤い皇帝スターリンは、ドイツのヒトラーによる無礼なソ連偵察飛行を領土侵犯と認識してはいたが、ヒトラーがソ連を隠密偵察飛行する理由は、ヒトラーが軍事大国ソ連との戦争を恐れているからと考えた。

ウィンストン・チャーチル ソ連のスターリンは、ドイツのヒトラーとの戦争を避けることを最優先していたが、その理由は、
1)フランスを降伏させオランダ・ベルギー・ノルウェーと西欧を支配下に置いたドイツの軍事力を恐れたこと
2)ヒトラーのドイツがチャーチルのイギリスとの戦いを継続して、ファシズムと資本主義がお互いの戦力を消耗し、弱体化する状況が続くことを望んだこと、
が指摘できる。

スターリンは、ヒトラーとの対決は避けられないと対ドイツ戦争を準備し、戦力増強を図っていたが、ドイツとの戦いは、1942年以降と想定し、それまでは勝利を確信できない対ドイツ戦争は避けるべきであると判断していたのである。

スターリン 「非道の独裁者」は、ヒトラーがイギリスと戦争中に、ソ連とも戦争を始めると二面戦争を事項に移すとは考えなかった。そこで、スターリンは、ヒトラーの疑心暗鬼を解くために、Do215などドイツ長距離偵察機によるソ連の領空侵犯を黙認し、独ソ戦争の契機を与えないように忍耐しソ連の戦力増強に努めていたのである。

Stalin スターリンは、ヒトラー・ドイツとの正面対決を避けることをソ連赤軍にも言明し、ラジオ放送、雑誌・新聞報道でも、ドイツに対する非難や暴言を厳禁した。そして、ドイツ機がソ連を写真偵察中にソ連領土に不時着した事件が発生した時にも、ソ連はドイツを激しく非難することはせず、乗員もドイツに返還しているほどである。その理由は、ドイツのソ連侵攻は、西側資本主義国、特に反共主義者ウィンストン・チャーチルらの流しているデマであり、彼らが独ソ戦を仕組む謀略を仕掛けていると判断していたからである。

他方、 ヒトラーは、対ポーランド戦争,フィンランド冬戦争に苦戦したソ連軍を弱体だと見た。対ソ戦は,1941年中に,ほぼ決着がつくと,早期勝利を確信していた。

  独ソ戦に際して,ユダヤ人と同じように積極的に排除すべきだとされたのが,共産党員,ソ連軍にいた共産党員政治委員コミサールなどボリシェビキ分子である。ドイツ国防軍も,パルチザンやボリシェビキに容赦をしなかった。

対ソビエト連邦との戦いがあった東部戦線のドイツ空軍機は,1941年6月22日から8月8日までは喪失1023機,破壊657機,1941年8月3日から9月27日までは喪失580機,破壊371機だった。1941年6月22日から1942年4月8日までの10ヶ月間の合計で,喪失2951機,破壊1997機の損害で,これは同時期の航空機生産の三分の一に相当する大損害である。


写真(右)1942年6月以降、ポーランド(?)、ドイツ空軍アルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring)将軍が登場したドルニエ(Dornier)Do 215爆撃機の正面
;機首ガラス風防内部に白い制服のアルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring: 1881-1960)将軍が見える。発動機はDo17Z爆撃機はブラモ(Bramo)323 A空冷星形エンジン「ファニール」 "Fafnir" (900 PS)2基だったが、Do215ではダイムラーベンツB601液冷V12気筒エンジン(1075hp)に換装されている。1940年のフランス侵攻に参加してフランスを降伏に追い込んだ功績でケッセリンク将軍は1940年7月19日、元帥に昇進し、第2航空軍指揮官として、バトル・オブ・ブリテンに参戦。その後、1941年6月のドイツのソ連侵攻後、ケッセルリンクはポーランドに進駐した。その後、1942年以降、地中海方面の北アフリカ、マルタ島、シシリー島、イタリア半島南部で、主にイギリス軍と戦った。
Photographer Seltsam Description Polski: Marszałek polny Albert Kesselring w kabinie samolotu Dornier (Do 215 B-2). Depicted people Albert Kesselring Date July 1942 Medium photograph Collection Narodowe Archiwum Cyfrowe Blue pencil.svg wikidata:Q11789677 Wydawnictwo Prasowe Kraków-Warszawa Accession number 2-2011
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Dornier Do.215 3-view L'Aerophile August 1939.jpg引用。


ドイツ空軍に配備された輸出取りやめのスウェーデン空軍仕様Do215A−1爆撃機/偵察機は、Do215 B-1爆撃機と呼称された。また、B-1の爆弾倉を撤去して、3台の航空偵察用写真機 Rb 50/30を搭載した偵察仕様B-2が生産された。Do215 B-3は独ソ不可侵条約を結んで、ポーランドに進駐したソ連空軍仕様で、3機が生産、輸出された。Do215 B-4は、B-2 の写真機を Rb 20/30 と Rb 50/30とに変更した偵察機である。

Do 215 B-5は、高性能を生かした夜間戦闘機仕様で、カウツ(Kauz)IIIと呼ばれ、20機が既存のDo215B-1とB-4から改造された。Do17Zの夜間戦闘機仕様の Do 17 Z-10 カウツ"Kauz II"のソリッド化した機首と同様に、機首に前方固定機関銃 7.92 mm MG 17機関銃4丁、 20 mm MG FF 機関銃2丁を搭載し、夜間暗視装置スパナー(Spanner)をコックピットに設置している。

以上のように、ドルニエ工場では、105機の Do 215を、1939年から1941の間に生産している。


図(右)1939年8月、フランスの航空雑誌に掲載されたドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 215爆撃機の三面図
;発動機はDo17Z爆撃機はブラモ(Bramo)323 A空冷星形エンジン「ファニール」 "Fafnir" (900 PS)2基だったが、Do215ではダイムラーベンツB601液冷V12気筒エンジン(1075hp)に換装されている。
Description English: Dornier Do.215 3-view drawing from L'Aerophile August 1939 Date 1 August 1939 Author L'Aerophile magazinebr
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 215 File:Dornier Do.215 3-view L'Aerophile August 1939.jpg引用。


ドルニエ(Dornier)Do 215 B-1爆撃機の諸元
Dornier Do 17z/Do 215 乗員:4名(操縦士、爆撃手/銃手、銃手2名)
全長:15.79 m (51 ft 9+2⁄3 in)
全幅:18 m (59 ft 02⁄3 in)
全高:4.56 m (14 ft 11+1⁄2 in)
翼面積:55 m2 (592 ft2)
翼面荷重:105.1 kg/m2 (32.78 lb/ft2)
空虚重量:5,780 kg (12,743 lb)
全備重量:8,800 kg (19,401 lb)
出力/重量比:184 W/kg (0.113 hp/lb)
発動機:ダイムラー・ベンツ DB 601Ba液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)
最高速度:470 km/h (254 kn, 292 mph) at 4,000 m (13,123 ft)
巡航高度:9,000 m (29,500 ft)
航続距離:2,450 km (1,323 nmi, 1,522 mi) normal
上昇率:500 m/min (1,640 ft/min)
武装
4 x 7.92 mm (.312 in) MG 15 機関銃(後に6丁に増強)
爆弾 1,000 kg (2,205 lb)


2.ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5 夜間戦闘機

ドルニエDo215夜戦 1941年、イギリス空軍双発爆撃機によるドイツ本土への都市空襲が本格化すると、Bf110双発戦闘機と同じダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載したDo215の高性能が注目された。初めに、少数の高性能のDo215を有効活用するために、爆撃機としてではなく、Do 215B-4偵察機が開発されたからである。 この機体は胴体爆弾倉に Rb 20/30 と Rb 50/30 大型カメラを搭載している。次のドルニエ(Dornier) Do 215 B-5夜戦型は、機首は Do 17Z-10 夜間戦闘機と同様にソリッド化され、20mmMG151/20を搭載した夜間戦闘機である。

ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz) IIIと命名された夜間戦闘機型は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基を装備し、シュパナー(Spanner)という赤外線暗視装置をコックピット前面ガラス風防に装備したドルニエ Do 17 Z-10 "カウツ II"の後継機となった。ただし、生産機数は20機と僅かである。

Dornier)Do215 ドルニエ(Dornier) Do 215 B-1爆撃機/B-4偵察機をベースに、その機首ガラス風防をソリッド化し、前方固定攻撃用機関銃として、7.92mmMG17機関銃4丁と20mmMGーFF機関銃2丁を搭載したドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)III夜間戦闘機は、20機が生産された。

メッサーシュミットMesserschmitt Me 110 双発戦闘機は,Me-109単発戦闘機よりも優位にある「駆逐機」として開発されたが,爆撃機の護衛戦闘機として,長い航続距離を誇っていた。1939年9月ポーランド侵攻,1940年5月フランス侵攻では,敵空軍の数的劣勢と低性能の戦闘機のために,Me-110戦闘機は活躍できたが,それ以降は,活躍の場が制限された。

ドルニエ(Dornier)Do-215夜戦 1940年8月以降、イギリス本土航空決戦(バトルオブブリテン)において,Messerschmitt Me 110 はイギリス空軍のハリケーンHurricane戦闘機,スピットファイア戦闘機に対抗することができなかった。運動性,上昇・降下速度に劣っていたためである。双発戦闘機は,もはや,単発戦闘機に対抗することはできなくなった。

Messerschmitt Me 110 G夜間戦闘機は,最高速度550キロの低速で鈍重な戦闘機だったが,30ミリMK 108 機関砲2門,20ミリMG 151/20 機銃4丁の兵装は,低速の爆撃機を迎撃するには十分だった。しかし,連合軍の軽快な護衛戦闘機に対抗することはできなかったので,主に夜間戦闘に投入された。ドイツのレーダー性能は,1943年までは,連合軍とほぼ互角だったが,マイクロ波レーダーを実用化できなかったために,1944年には,レーダー開発競争に大幅な遅れをとった。

Messerschmitt Me110 メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、1939年1月より量産型のC型の生産が開始された、1939年9月のポーランド侵攻(白色作戦)の開戦時期には、実戦部隊への配備は100機程度と少なかった。1940年5月のフランス侵攻(黄色策戦)には参加したBf110は300機であるが、英仏軍が撤退を始めたダンケルク近郊での空中戦では、イギリス空軍のハリケーン戦闘機、スピットファイア戦闘機など軽量で運動性に勝る単発機との戦いになり、大型の双発戦闘機は不利な戦いを強いられた。

1940年後半、イギリス本土航空決戦で、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110双発戦闘機は大損害を被ったが、イギリスやアメリカの重爆撃機の迎撃には、重武装を活かして大きな戦果を挙げることができた。

しかし、英米爆撃機部隊に、護衛戦闘機が随伴するようになると、再びBf110の損害が増えた。そこで、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、昼間出撃を取りやめ、もっぱら夜間戦闘機として、重武装を活かすことに活路を見出した。そして、FuG 202 リヒテンシュタインB/Cが開発された。

Do 215 B-5夜間戦闘機 ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)III 夜間戦闘機は、ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)2基を搭載、ソリッド化された機首上部に7.92 mmMG 17固定機関銃4丁、機首下部に20 mm MG FF 機関銃2丁搭載した。この火力は、メッサーシュミットBF110双発戦闘機と同程度で、出現した1941年には十分なカry徳があると認められていた。ただし、その後の実戦経験で、シュパナー暗視装置は役に立たなかったために、1942年後半には、機上搭載空対空レーダーとして、FuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cレーダーが搭載された。

1943年以降のドイツ空軍双発夜間戦闘機には、リヒテンシュタイン(Lichtenstein)空対空レーダーが標準装備されるようになるが、この空対空レーダーを初めて搭載したドイツ夜間戦闘機が、大型のドルニエ(Dornier)Do-215 B-5夜間戦闘機だったのである。

ドルニエ(Dornier) Do 215 B-5カウツ(Kauz)III夜戦は、1941年1月から1944年5月の長期間にわたって、第1夜間戦闘機航空団第1飛行隊(I./NJG 1)・第4飛行隊(IV./NJG 1)、第2夜間戦闘機航空団第2飛行隊(II./NJG 2.)で使用された。 ダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)を搭載し、Ju88C夜間戦闘機よりも高性能であると評価されたのであろう。


3.Do 215原型ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機

ドルニエ(Dornier)Do 17 E ドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 V1試作1号機からV3試作3号機が完成したのは、1935年のドイツ再軍備宣言前であったため、保有を禁止された空軍兵力とみなされることのないように、民間機の登録コードを与えられ、国内外に販売する目的で開発されたとの建前をとった。利用用途は、商用の高速郵便輸送機である。

ドルニエ(Dornier)Do-17は1934年11月23日初飛行した。ドルニエ(Dornier)Do 17 試作1号機は、尖った機首と細い胴体から「空飛ぶ鉛筆 (Fliegender Bleistift)」として喧伝された。

第二次大戦で使用されたドルニエ(Dornier)Do 17爆撃機は,1935年3月16日にヒトラーが、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備宣言をして以降、軍用機として量産され、第二次大戦勃発時に400機が配備、ドイツ空軍主力爆撃機となった。

ドルニエ(Dornier)Do 17 E 爆撃機のBMW VI液令V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)は、BMW IV液令V型6気筒エンジンの気筒数を2倍に増やし、排気量を2倍にした出力強化型で、1926年に開発された。その後、1933年にはBMW VIに燃料直接噴射を導入した。

ドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機・F長距離偵察機の装備した発動機BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)は、ハインケル He 59双発水上救難機、ハインケル He 60艦上水上偵察機、ハインケル He 70高速輸送機、ハインケル He 51複葉戦闘機、アラド Ar 68複葉戦闘機に採用された実用性の高いエンジンである。

実用性の高かったドイツのBMW VI液冷却型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)は、日本陸軍機用、ソ連赤軍機用に採用されたが、これらの軍用機には、日本あるいはソビエト連邦でライセンス生産されたBMW VIエンジンが搭載されている。

BMW VI液冷令V12気筒エンジンソ連ライセンス生産版 ミクーリン(Mikulin)M-17の諸元
ボアBore: 160mm (6.30 in)
ストロークStroke: 190/199 mm (7.48/7.83 in)
排気量Displacement: 46.9 L (2,864 cuin)
全長Length: 1,810mm (71.26 in)
全幅Width: 859mm (33.82 in)
全高Height: 1,103mm (43.43 in)
乾燥重量Dry weight: 540-553 kg (1,190-1,219lb)
出力Power output: 680–730 hp (510–540 kW)
圧力比Compression ratio: 6.0:1 or 7.3:1

写真(右)1938年以降,第二次大戦前のドイツ,真新しいユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機の機首右側
Ray Wagner Collection Image PictionID: 46169727 - Catalog: 16_007435 - Title: Dornier Do 17Ka-2 Dornier photo - Filename: 16_007435.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 17k ドルニエ(Dornier)Do-17は1934年11月23日初飛行で、これは1935年のヒトラーの再軍備宣言の前である。ドイツは、再軍備を進め、1937年11月9日、ユーゴスラビアとDo17爆撃機20機の輸出契約を締結した。これが、ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機である。

ユーゴスラビア空軍向け輸出仕様のドルニエ(Dornier)Do 17 Ka-2爆撃機は、機首に爆撃手席を設け、空気抵抗を抑えるために、丸断面の小型ガラス風防を装着した。機首の周囲に突出部を作らず、飛行中の気流の流れをスムーズにする構造になっている。後に、平面ガラスを組み合わせたダイアモンド・ブリリアンカット型のガラス風防に改変された。

絵葉書(右)1936年、ドイツ、飛行場に待機するドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機(D-AJUN);胴体より若干上に主翼を取り付けコックピット後上方に銃座とアンテナ支柱が際立っている。Do-17Eは発動機に当初ダイムラーベンツDB600液冷12気筒エンジン(1000馬力)を搭載し試作された。しかし、DB600液冷エンジンは戦闘機に優先配備されることとなり、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)に換装された。
Foto Dornier Do 17 Kampfflugzeug, D-AJUN, Baujahr 1936Nr. 10.326.658Foto, ca. 12 x 17 cm, sehr guter Zustand
写真はakpool, Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten, Wehrmacht: Technik - Flugzeuge Nr. 10.328.847 引用。。


1941年4月初頭、クーデターを起こし親ドイツ政権を倒したユーゴスラヴィアに激怒したヒトラーは、1941年4月6日、ドイツ空軍にベオグラードの破壊を命じた。そこで、ドルニエ Do 17爆撃機などが投入され、地上部隊もユーゴスラヴィアに侵攻した。1941年4月13日,1週間でユーゴは降伏を余儀なくされた。

この時期、1941年4月9日に、ドイツ軍はギリシア北部にも侵攻を開始した。当時、ギリシャにはイギリス軍が駐屯しており、バルカン方面での戦線安定のためには、イギリス軍の排除が必要だったからである。ドイツ軍は侵攻を開始した。4月27日、アテネに侵入したドイツ軍は、5月末までに、ギリシア領からイギリス軍を排除し、バルカン半島の戦いで勝利を得た。

ドルニエ(Dornier)Do-17試作1号機は、1934年11月23日に初飛行、各型合計1,994機量産された。1937年から就役し、スペイン内戦、第二次世界大戦初戦に大量投入された。

Do 17 E爆撃機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)装備で1936年9月生産開始、1937年9月生産終了、300機量産。

Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323A空冷星型9気筒エンジン 900 PS (662 kW) (排気量: 26.8 L)装備で1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機量産。

ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 M 爆撃機は、E型の改良型として1938年に開発された。発動機は、ブラモ323A-1「ファフニール」空冷星型エンジン(900馬力)2基を装備しており、爆弾搭載量は、それまでの500kgを倍増し、1000kgとなった。

ドルニエ(Dornier)Do-17 M爆撃機に対して、より普及していて信頼性も高いBMW132N空冷星型9気筒エンジンを搭載したのが、ドルニエ(Dornier))Do-17 P長距離偵察機で、これは前作F型の改良型である。Do17P偵察機は、スペイン内戦に派遣され、フランコ将軍ら反乱軍国民戦線の側で、スペイン共和国政府軍と対峙した。Do17 Pは1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、生産機数330機。

絵葉書(右)1936年、ドイツ、飛行するドイツのドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機(D-AJUN)の正面;機首の円筒型のガラス風防は、後のDo17Z型では平面ガラスを組み合わせたダイヤモンドカット状に変更されている。Do-17Eは発動機に当初ダイムラーベンツDB600液冷12気筒エンジン(1000馬力)を搭載し試作された。しかし、DB600液冷エンジンは戦闘機に優先配備されることとなり、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量46.9 L)に換装された。
Ansichtskarte / Postkarte Deutsche Luftwaffe, Kampfflugzeug Dornier Do 17Nr. 3.517.658Zustand, siehe Scan, ungelaufen ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool, Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten, Wehrmacht: Technik - Flugzeuge Nr. 10.328.847 引用。。


ドルニエ Do 17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン865 PS (853 hp, 636 kW)(排気量:27.7 L)装備、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機量産。

ドルニエ(Dornier)Do 17 ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月23日
全長 16.3メートル
全幅 18メートル
翼面積 86.5平方メートル
全備重量7650キロ
エンジン:BMW ブラモ323 空冷星型 9気筒1000馬力2基
最高速力: 420km/h
巡行速力: 300 km/h/8,837 kg/高度 4,000 m
戦闘航続距離(Combat range): 660 km / 燃料 1,540 L 爆弾1,000 kg 搭載
1,010 km / 燃料 2,435 L / 爆弾500 kg
実用上昇限度: 8,200 m
兵装 7.92ミリMG15機関銃5丁
爆弾搭載量:最大1トン
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人)
生産機数:2,139機

写真(右)1940年頃,フランス(?)、編隊飛行するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の編隊:コックピット前面と機首ガラス風防前面に各々7.92mmMG15旋回機関銃1挺が搭載されている。イギリス本土へ爆撃に向かうのであろうか。
Beeldnummer 489 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Kampfflugzeuge vom Baumuster Dornier Do 215 fliegen in Verband gegen den Feind..
写真は、 Beeldbank WO2 NL・489引用。


ドルニエDornier Do 17爆撃機は、1934年11月23日の初飛行し、水平爆撃を行う機体だった。

ドルニエ(Dornier)Do 17 Z (最終生産型)諸元
全長115.6メートル,全幅18メートル,翼面積 55平方メートル
全備重量8600キロ,最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
ブラモ 323空冷エンジン1000馬力2基装備
武装;7.92ミリ機銃7丁,爆弾1トン搭載

1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言し、イギリスが和平交渉を申し出るものと確信していた。

ドルニエ(Dornier)Do-17 1940年9月7日、ドイツ空軍機は、ドルニエ(Dornier)Do 17などを使って、イギリスの戦闘機用飛行場、レーダー監視装置、港湾・船舶爆撃など、航空撃滅戦を展開していた。しかし、イギリス空軍戦闘機体の粘り強い抵抗が続いたために、航空撃滅戦を続けても、イギリス本土上空の制空権を奪えないと判断した。そこで、成果が不十分の軍事目標空爆をやめて、確実に爆撃目標をとらえることのできる都市爆撃を主な攻撃手段とする変更を行った。つまり、ドイツ空軍空爆対象を作戦を変更して、ロンドンなど都市爆撃を開始した。このイギリス本土都市爆撃の初日が、1940年9月4日である。

1940年7月のバトルオブブリテンの開始の時、ドイツ空軍の対イギリス空軍戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、スピットファイアMk1/2など戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。対フランス戦勝によって「国家元帥」に昇格したヘルマン・ゲーリング空軍司令官は、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーとし、対戦闘機戦闘(航空撃滅戦)、ドルニエDo17Z-2 爆撃機による敵飛行場低空爆撃などを実施した。

しかし、「バトルオブブリテン」では、ドイツ空軍は「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、ロンドン、バーミンガムなど都市爆撃が主流となり、それも昼間爆撃から、夜間爆撃に変更されたが、その理由は、イギリス空軍戦闘機、防空体制が強靭だったためである。

イギリスのウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯をドルニエ Do17Z、He 111、Ju88などで大空襲した。

これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍のドルニエ Do17爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲バトル オブ ブリテンを持ちこたえた。

写真(右)1942−1943年,ドイツ(?)、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 M 爆撃機の原型となるDo17V20試作20号機(あるいはV21試作21号機)、Do217C-0の原型となるDo217V4試作4号機、Do217K原型となるDo217RV-2爆撃機:Do17M、Do217E、Do217Kと古いタイプを手前に時代順に勢ぞろいした。双尾翼だが、Do17E、Do217C、Do217Mは、発動機に空冷星形エンジではなく、BMWVI液令エンジン、DB601液令エンジン、大型発展型DB603液令エンジンを装備している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43933612 - Catalog:16_005098 - Title:Dornier Do 17M in front, Dornier Do 217C-0 and Dornier Do 217RV-2 Nowarra photo - Filename:16_005098.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は、Nationaal Archief, San Diego Air and Space Museum・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_040引用。


ドルニエ(Dornier)Do217C爆撃機は、高性能のダイムラーベンツDB 601B液冷12気筒エンジンを搭載したが、DB601はMe110など戦闘機専用のエンジンとされたために、Do217Cは4機のみ試作に終わった。

Do17Z爆撃機 ドルニエ(Dornier)Do 17 E爆撃機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン750 PS(排気量:46.9 L)装備で1936年9月生産開始、1937年9月生産終了、300機量産。
Do 17 M爆撃機は、ブラモ(Bramo)323A空冷星型9気筒エンジン 900 PS (662 kW) (排気量: 26.8 L)装備で1938年5月生産開始、1939年2月生産終了、200機量産。
Do17 P偵察機は、BMW132N空冷星型9気筒エンジン865 PS (853 hp, 636 kW)(排気量:27.7 L)装備、1938年9月から生産開始、1939年12月生産終了、330機量産。

1941年6月、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では、フィンランドは,ルーマニア同様、積極的攻勢をかけることが期待されていた。ドイツは、フィンランド北部、北極海に面したぺツァモと近郊の希少資源ニッケル鉱床を保持するだけでなく、カレリア地峡南端のソ連レニングラードと北極海の不凍港ムルマンスクを結ぶ鉄道を遮断する作戦を実行に移した。

写真(右)1942年1月12日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外、オントラン飛行場、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機(登録コード:DN-64)の機首右側:ドイツ空軍の旧式化した爆撃機を購入し部隊配備したフィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青スワスチカが白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Pommittajaa valmistetaan matkalle. Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja Pommittajaa valmistetaan matkalle. Dornier Do 17 Z, tunnus DN-64.
Organisation Military Museum Photo info 1942-01-12 Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja Subjects 1942-01-12
写真はMuseot.finna 引用。


ドルニエ Do17Z-2 爆撃機の発動機は、1936年に開発され普及していたブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジン「ファフニール」Fafnir(1000馬力)で、このエンジンは、1918年にイギリスで開発されたブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)空冷星形9気筒エンジンが原型である。

ドイツ機では、ブラモ(Bramo)323空冷星形9気筒エンジンをDo 17Zのほかにも、アラド(Arado)Ar 196艦上水上偵察機、ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV 222大型飛行艇、ドルニエ(Dornier) Do 24三発飛行艇、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル四発輸送機、ヘンシェル(Henschel)Hs 126偵察機が装備している。

写真(右)1942年11月25日、フィンランド南東部、ヨエンスー郊外(?)、ドイツから購入したフィンランド空軍ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機5機の低空編隊飛行:ドイツ空軍の旧式化した爆撃機を購入し部隊配備したフィンランド空軍は、Do17Z爆撃機を対ソビエト連邦との戦いに投入した。白丸青スワスチカが白衛軍の伝統を引き継ぐフィンランド軍の国籍マークである。
Dornier-tyyppisiä pommituskoneita pommituslennolla. Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-11-25 Sot.virk. A.Viitasalo, valokuvaaja
写真はMuseot.finna 引用。


ドイツでは、第一次大戦末期のドイツ革命に反発するフライコール(自由軍団)、すなわち民間義勇兵「エアハルト旅団」などが鉄兜にスワスチカを描いていた。ヒトラーのナチ党もこのスワスチカを党の記章とし、政権獲得後は、事実上、ドイツ共和国三色旗に代えて、カギ十字をドイツの国旗として航空機にもスワスチカを国籍マークとして書き入れた。フィンランド軍は、1917年のロシア革命後に独立したが、国内では共産主義・ボリシェビキ政権獲得の武力闘争が起きた。

1918年に、フィンランドの共産主義革命派はフィンランド軍に鎮圧されたが、この1918年に自由・独立を象徴する青色の「ハカリスティ」(Hakaristi)が、フィンランド軍の国籍マークとして採用された。つまり、ドイツ語の「スワスチカ」と同じく、反ボリシャビキ、・反共産主義を意味しており、同じルーツを持っている。

フィンランドは、ドイツの対ソ戦争「バルバロッサ作戦」に組み込まれいた。特に、1941年1月には、ノルウェー派遣ドイツ軍は、極北戦線で「銀狐作戦」(Silberfuchs)によって、コラ半島のソ連軍を撃滅し,ムルマンスク鉄道に沿って、白海とフィンランド湾の間にあるカレリア地峡まで進出する計画を立てていた。

写真(右)1944年1月10日、フィンランド南部、雪原の木陰で、出撃準備のための右ブラモ(Bramo)323P 空冷星型9気筒エンジン1,000 PS (986 hp, 736 kW)を整備しているフィンランド空軍第46飛行隊ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 爆撃機と周囲の地上勤務整備士:機首コックピットは、カバーでおおわれているが、これは雪よけとガラス風防の反射光による察知を防ぐ目的がある。
Lentomekaanikot (DN-pommituskoneen) moottorin huoltotehtävissä. Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja SHOW OTHER VERSIONS (2) Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-01-07 Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaajaa
写真はMuseot.finna 引用。


ブラモ(Bramo)323J空冷星形9気筒エンジン「ファフニール」Fafnirの諸元
気筒直径ボアBore: 154 mm (6.06 in)
気筒行程ストロークStroke: 160 mm (6.30 in)
排気量Displacement: 26.82 l (1,636.7 cu in)
全長Length: 1,417 mm (55.8 in)
直径Diameter: 1,388 mm (54.6 in)
乾燥重量Dry weight: 545 kg (1,202 lb) unequipped
乾燥重量562 kg (1,239 lb) equipped
燃料Fuel system: 燃料直接噴射Fuel injection
Fuel type: 87 Octane petrol 出力Power output:
1,000 PS (986 hp; 735 kW) at 2,800 rpm (max) at 3,100 m (10,171 ft)
900 PS (888 hp; 662 kW) for takeoff at 2,500 rpm (1 minute)海面上
730 PS (720 hp; 537 kW) at 2,350 rpm (5 minutes)海面上
660 PS (651 hp; 485 kW) at 2,250 rpm (30 minutes)海面上
585 PS (577 hp; 430 kW) at 2,100 rpm (max. continuous) 海面上
巡航515 PS (508 hp; 379 kW) at 2,000 rpm (cruise)海面上
圧縮比Compression ratio: 6.4:1
燃費消費率fuel consumption: 0.348 kg/PS/h (0.778 lb/hp/h; 0.473 kg/kW/h) at max continuous
出力重量比Power-to-weight ratio: 1.33 PS/kg (0.60 hp/lb; 0.98 kW/kg)

Mannerheim フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥のヒトラーを訪問し、ソ連を第一の敵とし、枢軸国ドイツと軍事同盟の下、ソ連に侵攻した。

1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、反革命軍、白軍を組織して、革命派を武力鎮圧した将軍が、マンネルハイムである。フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)もヒトラー総統も、フィンランドもナチス・ドイツも、ともに反共産主義として、ソビエト連邦、ヨシフ・スターリンを警戒し、共産主義者ボリシュビキを殲滅したかったのである。

1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥も、フィンランド国民の多くは、いまこそ、1939-1940年の冬戦争で領土を奪った仇敵ソビエト連邦・共産主義者・ボリシェビキたちを弱体化する最大の機会であると考え、1941年6月のドイツのソ連侵攻の直後に継続戦争を自らはじめ、善戦し、失地回復を果たしたことを大喜びしていた。

この時期、フィンランド政府は、第二次大戦へ枢軸国(ドイツ)側として参戦したのではないとの形式論を主張したが、イギリスはドイツ軍の兵力のほとんどを相手に地上戦を戦うソ連を軍事支援しており、ソ連に対する政略の上からも、フィンランドがイギリス、アメリカとは戦うつもりがないとの一方的な宣言を認めなかった。

Carl Gustaf Mannerheim 1944年6月のノルマンディ侵攻で、西側連合軍地上軍が西ヨーロッパでドイツ軍を圧倒し、ドイツの敗戦が確実になる中、1944年8月8日にエドウィン・リンコミエス首相(日本の勲一等旭日大綬章佩用)は辞任、後任首相には、アンッティ・ハックゼル(Antti Hackzell)が就いた。そして、フィンランド大統領フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)も辞職し、8月4日にフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim))元帥が後継の大統領に就任した。

1944年8月4日、新たにフィンランド大統領に就任した軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥は、1944年9月19日、モスクワ休戦協定を結んで、事実上、ソ連に降伏した。講和条件は、カレリア地峡・ペッツァモの譲渡、戦争賠償金の支払い、フィンランド国内におけるソ連軍の基地使用、ドイツ軍のフィンランドからの排除(事実上の対ドイツ戦争)である。

1941年6月26日にソ連侵攻「継続戦争」を指揮したフィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)元帥のだったが、戦局悪化の中、1944年8月4日、第6代フィンランド大統領に就任した。そして、1944年9月19日、ソ連と講和し、それまでの同盟国ドイツを裏切ることになった。

写真(右)ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-2 爆撃機の三面図
Description English: Dornier Do-17Z-2 bomber Date 17 October 2015 Source Own work Author Kaboldy
写真は Wikimedia Commons, Category:Dornier Do 17 File:Dornier Do-17Z-2.svg引用。


ドルニエDornier Do 17 Z-2の諸元

搭乗員Crew: 4人(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務)の合計4人)
全長Length: 15.8 m
全幅Wingspan: 18 m
全高Height: 4.56 m
空虚重量Empty weight: 5,210 kg
空虚重量(装備付き)Empty equipped: 5,888 から 5,963 kg
離陸最大重量Max takeoff weight: 8,837 kg
燃料容積Fuel capacity: 標準燃料 1,540 L
爆弾倉前部搭載の補助燃料タンク(aux tank)2,435 L
発動機Powerplant: 2 × ブラモBramo 323P空冷 9気筒星型エンジン 1,000 PS (986 hp, 736 kW)/離陸時
プロペラPropellers: 3-翅可変ピッチ(variable-pitch)
性能Performance
最高速力Maximum speed: 350 km/h (220 mph, 190 kn) / 8,040 kg /海面上sea level
410 km/h (255 mph) / 8,040 kg /高度 5,000 m
巡行速力Cruise speed: 300 km/h (190 mph, 160 kn) / 8,837 kg / 4,000 m
戦闘航続距離Combat range: 660 km (410 mi, 360 nmi) / 燃料1,540 L / 爆弾 1,000 kg
航続距離:1,010 km (628 mi) with 2,435 l (536 imp gal) fuel and 500 kg
実用上昇限度Service ceiling: 8,200 m
翼面荷重Wing loading: 156 kg/m2
出力重量比Power/mass: 0.170 kW/kg
火器Guns: 6 × 7.92 mm MG 15 機関銃 機首 上/下, 後方 上方/下方 and 左右beam (全てコックピット周辺)
爆弾Bombs: 1,000 kg (2,205 lb) /爆弾倉 20 x 50 kg爆弾 あるいは 4 x 250 kg爆弾


4.ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機

写真(右)1940年頃,イギリス本土航空決戦の時期、オランダ(?)、急降下爆撃用の尾部ダイブブレーキを装備したドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機の左上面:BMW801空冷星型14気筒エンジンを搭載したが。Do215はダイムラー・ベンツ DB 601B液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量33.9L)1,175 PS (1,158.9 hp; 864.2 kW)搭載で、区別は容易である。
Beeldnummer 478 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift Dornier 217.
写真は、 Beeldbank WO2 NL・164引用。


写真(右)1941−1942年頃,ドイツ,テスト飛行をしているドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 217 E-1爆撃機(登録コード DD-LF 製造番号 WNr 1006)の正面右下;ゴンドラは機首右下面に設けられた。双尾翼式で、尾部の急降下爆撃用の傘状ダイブブレーキを収納スペースは、縮小、成形されている。
Dornier Do 217E Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38236019 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002317.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.----------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、「空飛ぶ鉛筆」として有名になった細い丸断面胴体のDo-17爆撃機の後継機である。しかし、Do17が水平爆撃を行う軽爆撃機だったのに対して、ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、機体は大型化され、急降下爆撃を主たる任務とする「重」爆撃機である。急降下時に効果速度を低く抑えるために、ダイブブレーキを装備した。ユンカースジュ87、Ju 88爆撃機は主翼下面にダイブブレーキを装備したが、ドルニエ(Dornier)Do-217は、尾部に傘上に開くダイブブレーキを装備した。

Dornier Do 217 Dornier Do 217 爆撃機諸元:
初飛行:1938年10月4日
就役開始:1940年
全長: 18.19 m
全幅: 19.00 m
全高: 5.03 m
全備重量: 14,980 kg
エンジン: BMW 801MA 空冷14気筒 1,580 hp × 2
最高速力: 515 km/h
航続距離: 2,300 km
武装 7.92ミリMG 15機関銃 × 5, 15ミリMG 151機関砲 × 1
爆弾 2トン
乗員: 4名。
生産期間:1940−1944年
総生産機数:1925機

ドルニエ社が大戦前に開発したDo 17双発爆撃機の後継機がDornier Do 217 爆撃機K型で、Do17のエンジン強化、武装強化、性能向上を企図している。そして、量産性を考慮して、機首、主翼など外見の類似点が多い。総生産機数は2000機である。

Do 217 後期型K型 ドルニエ(Dornier)Do-217の尾部の傘式ダイブブレーキの実用性が低く、急降下爆撃を実施するのは困難になった。そこで、尾部のダイブブレーキは撤去されたドルニエ(Dornier)Do-217の任務は、主に西部戦線での水平爆撃になった。

1943年からDo 217 K爆撃機は、誘導爆弾Hs293、フリッツXを搭載し、洋上での艦船攻撃に使用されて、大きな戦果を挙げた。

写真(右):1943年9月、ドルニエ工場で撮影されたドルニエ(Dornier)Do-217M-1 爆撃機:1700馬力 BMW 801空冷エンジンに代えて、1900馬力のDB603液冷倒立V型12気筒エンジンを搭載した。機体を黒で塗装した夜間爆撃型。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 43933806 - Catalog: 16_005114 - Title: Do 217M-1 Dornier Werkfoto - Filename: 16_005114.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives・PictionID:43933806引用。


ドルニエ(Dornier)Do-217K ドルニエ(Dornier)Do 217 M-1爆撃機
搭乗員Crew: 4名
全長Length: 17 m (55 ft 9 in)
全幅Wingspan: 19 m (62 ft 4 in)
全高Height: 4.97 m (16 ft 4 in)
主翼面積Wing area: 57 m2 (610 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,065 kg (19,985 lb)
最大離陸重量Max takeoff weight: 16,700 kg (36,817 lb)
燃料搭載量Fuel capacity: 2,960 l (780 US gal; 650 imp gal) 胴体タンク・主翼タンク4個
発動機Powerplant: 2 × ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 603A 液冷V-12気筒エンジン 1,305 kW (1,750 hp)
1,379 kW (1,849 hp) /2,100 m (6,900 ft)
プロペラPropellers: 3-翅 VDM 定速可変ピッチプロペラ
性能Performance
最高速力Maximum speed: 475 km/h (295 mph, 256 kn)/海面上
560 km/h (350 mph; 300 kn) at 5,700 m (18,700 ft)
巡行速力Cruise speed: 400 km/h (250 mph, 220 kn)
航続距離Range: 2,180 km (1,350 mi, 1,180 nmi)
移動用航続距離Ferry range: 2,500 km (1,600 mi, 1,300 nmi) 補助タンク使用
実用上昇限度Service ceiling: 9,500 m (31,200 ft) 爆弾なし
7,370 m (24,180 ft) 爆弾満載
上昇率Rate of climb: 3.5 m/s (690 ft/min)
上昇時間Time to altitude: 1,000 m (3,300 ft) /3分18秒
2,000 m (6,600 ft) /6 分 42 秒
兵装Armament
7.92 mm MG 81 連装機関銃(携行弾薬数500発)機首
7.92 mm MG 81 連装機銃 (750発)後左右上方
13.1 mm MG 131 機関銃(500発)後上方・後下方
爆弾搭載量Bombs: 最大爆弾搭載 4,000 kg (8,800 lb) (2,520 kg (5,560 lb) 爆弾倉内)

ドルニエ(Dornier)Do 217 後期型M型は、K型の発動機BMW801L空冷星型14気筒エンジンを高空性能がよく大出力のDB603A液令12気筒エンジン1,730hpに換装した発展型。

ドルニエ(Dornier)Do-217爆撃機は、1940年11月から量産され、1943年末には生産中止が決まったが、工場に残っていた機体・部品を使っての生産は1944年5月まで続いた。ドルニエ(Dornier)Do-217が製造された飛行機製造工場は、次の3か所で合計1,925機のDo217が生産された。

ドルニエ・フリードリヒスハーフェン工場(Dornier-Werken Friedrichshafen;DWF)335機:主にBMW-801L搭載のE型とJ型夜戦

ドルニエ・ミュンヘン工場(Dornier-Werken Munchen;DWM)990機:主にE型、DB603搭載のM型とN型夜戦

ノルドドイッチェ・ドルニエ工場(Norddeutsche Dornier Wismar ;NDW)600機:主にE型、K型、DB 603搭載のM型

図(右)1943年7月15日刊行、アメリカ海軍(U.S. Navy)Naval Aviation News掲載のドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217E爆撃機の三面識別図;空中で遭遇した敵ドイツ機の識別方録を作成し、西側連合軍将兵の識別能力向上を図った。尾部のダイブブレーキは、撤去される場合が多かったことがわかり、点線で描いている。
Description English: Three-side drawing of German Dornier Do 217E bomber, 1943. Date circa 1943 Source U.S. Navy Naval Aviation News 15 July 1943 [1] Author U.S. Navy
写真はWikimedia Commons, Category:Dornier Do 217 File:Dornier Do 217E 3-view silhouette.jpg引用。


Do 217 E-2 爆撃機の諸元
搭乗員Crew: 4名(操縦手,爆撃手,航法手(射手兼務)、偵察員(射手兼務))
全長Length: 18.2 m
全幅Wingspan: 19.0 m
全高Height: 5.0 m
主翼面積Wing area: 57 m2 (610 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9 350 kg
最大離陸重量Max takeoff weight: 15.965 kg
発動機Powerplant: 2 × BMW 801L空冷星型14気筒エンジン 1560 hp
1,379 kW (1,849 hp) /2,100 m (6,900 ft)
プロペラPropellers: 3-翅 VDM 定速可変ピッチプロペラ
性能Performance
最高速力Maximum speed:15.965 km/h 5,500 m
巡行速力Cruise speed: 400 km/h (250 mph, 220 kn)
航続距離Range: 2,180 km (1,350 mi, 1,180 nmi)
移動用航続距離Ferry range: 2 050 km
上昇限度:9000m
上昇率Rate of climb: 210 m/分
兵装Armament
7.92 mm MG 15 機関銃3丁
13.1 mm MG 131 機関銃2丁 後上方・後下方
20 mm MG 151機関銃1丁
爆弾搭載量Bombs: 最大爆弾搭載 4,000 kg (8,800 lb) (2,520 kg (5,560 lb) 爆弾倉内(50キロ爆弾18発あるいは500キロ爆弾4発)

ドルニエ(Dornier)Do-217E爆撃機前期型は、段ありのコックピットで、機首下面にゴンドラを設けていた。しかし、ドルニエ(Dornier)Do-217K後期型では、機首を段なし一体型大型風防として、搭乗員の居住性と視界を向上させた。機首に搭乗員を集中配置し、機上誘導可能な誘導ロケット爆弾あるいは誘導徹甲弾による艦船攻撃に使用された。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-217を見る。


5.ドルニエ(Dornier)Do-17 Z 夜間戦闘機カウツ

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第1夜間戦闘航空団のドルニエDo-17 Z-7 夜間戦闘機:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備しているが、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーは装備していない。
Permann_20 069 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエDo-17夜間戦闘機 ドルニエDo-17爆撃機の機首をソリッド化し、前方固定機関銃を搭載して前方固定機関銃の火力を大幅に強化したのが、ドルニエ Do17 Z-10 夜間戦闘機「カウツ」(ミミヅク)である。

ドルニエ Do17Z-10夜間戦闘機「カウツ」の兵装は当初は機首下面に20mmMG FF機関銃1挺を装備。

Do17 Z 夜間戦闘機初期型Z-6「カウツ」は、機上レーダーは搭載しなかったが、後期型Do17 Z-10夜間戦闘機「カウツ」は、1941年に完成したリヒテンシュタイン(Lichtenstein) BCレーダーを搭載した。これは、ドイツ軍初のレーダー搭載夜間戦闘機である。ただし、Do17夜間戦闘機は、斜め銃も搭載したことはない。そのため、活動期間は短かった。

ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機Z最終型をベースとして開発されたのが、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7夜間戦闘機「カウツ」である。強力な前方固定火力を擁したために、爆弾搭載量は最低限に抑制された。ただし、ドルニエ(Dornier)Do 17 Z-7夜間戦闘機「カウツ」に搭載されたエンジンはブラモ323空冷星形9気筒エンジン「ファフニール」Fafnirで爆撃型と同じだったために、エンジン出力が過少で、最高速力は遅かった。

Bf-110夜間戦闘機 Bf-110夜間戦闘機はF型になって機上搭載レーダーFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cが広く装備されるようになった。これは、機首に装備され、周囲70度の範囲を探知できる。そして、地上にある大型の対空レーダー「フライア」と「ヴィルツブルク」によって、夜間爆撃機に誘導することもできた。これが、機上と地上を連携した夜間防空システム「ヒンメルベット」(天秤)である。

地上の「フライヤ」地対空レーダー監視哨から無線で誘導されたドイツ空軍の夜間戦闘機は、近距離で「ヴィルツブルク」に管制されながら、距離が数キロと短い機上搭載の空対空レーダー「リヒテンシュタイン」(Lichtenstein)BCを使って、敵爆撃機を捕捉し、迎撃したのである。

1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。

⇒写真集Album:ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-17Zカウツ(Kauz)夜間戦闘機を見る。


7.ドルニエ(Dornier) Do-217 夜間戦闘機

写真(右)1941-1943年頃,ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217夜間戦闘機J型:Do-17爆撃機の発展型Do-217Eの機首をソリッド化して、20mmMG-FF機関銃4挺、7.92mmMG17機関銃4丁を装備し夜間戦闘機とした。夜間戦闘用の全面黒色の初期塗装を施している。機首には、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを装備。
Permann_20 077 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機を大型化しエンジンをBMW801空冷星形14気筒エンジン1700hp2基に強化したのが、発展型ドルニエ(Dornier)Do-217で、その機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。

ドルニエ(Dornier)Do-217J夜間戦闘機は、機首に、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを搭載し、兵装は当初は機首下面に20mmMG FF機関銃4挺、後期型は20mmMG151/20機関銃4挺、さらに機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備。

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機N-2型:Do-17爆撃機の発展型Do-217Mの機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。発動機は、重いが高出力のダイムラー・ベンツDB 601A液冷倒立V型12気筒エンジン(排気量44.52 L)1,750 PS(1726 hp;1,290 kW)2基、機首に20mmMG151/20機関銃4丁、7.92mmMG17機関銃4丁を装備。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


Do-217N夜間戦闘機 ドイツ空軍ドルニエDo-217 J 夜間戦闘機は、BMW801L空冷星型14気筒エンジンを搭載、機首に爆撃機迎撃用にFuG 202 あるいはFuG 212 リヒテンシュタイン"Lichtenstein"空対空レーダーを装備し、前方固定気腔として、MG FF/M 20-mm機関銃4丁、MG 17 7.92-mm機関銃4丁を搭載した。ドルニエDo-217 N 夜間戦闘機は、発動機をDB603液冷V型12気筒エンジンに換装、出力を強化したJ型発展型である。

Do217、Ju88夜間戦闘機は、DB605のような高出力液令エンジンは搭載されなかった。より重量が重く大型のダイムラーベンツDB603液冷エンジン、ユモJumo213液冷エンジンが搭載された。

ドルニエ(Dornier)Do 217 N-2 夜間戦闘機の諸元
Do 217 N 全長:18.89m
全幅:19.00m
全高:5.00m
全備重量:13,182 kg
エンジン:DB 603A 液冷V型12気筒 1,750 hp2基
最大速度:515 km/h
航続距離:1,754 km
兵装
7.92mm MG 17 前方固定機関銃×4丁
20mm MG 151/20前方固定機関銃×4丁
20 mm MG 151/20斜め銃(Schräge Musik)×4丁
乗員:4名
夜戦J/N型の生産期間:1942年第1四半期ー1943年第4三半期
夜戦J/N型の生産機数:1942年;150機、1943年150機;合計350機 

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2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
Ju88Aハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機

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