Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
写真(上)2008年12月,アメリカ、メリーランド州アバディーン、アバディーン軍試験場内、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum )の保管する日本陸軍チロ八九式中戦車甲型
:全長 5.75 m 、全幅 2.18 m 、全高 2.56 m 、重量 12.7 トン、 懸架方式:リーフ式サスペンション、最高速力:路上25 km/h、不整地8 km/h、航続距離:170 km、 主砲:九〇式五糎七戦車砲1門(携行弾数:100発)、副兵装:6.5ミリ九一式車載機関銃2丁(携行弾数:2,745発)、 装甲:17 mm
Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007. Source Own work Permission (Reusing this file) Attribution ShareAlike 2.5 br>写真は,Category: Type 89 I-Go Otsu in the United States Army Ordnance Museum:File:Type 89 Chi-Ro3.jpg引用。



写真(上)2008年12月,茨城県土浦市、陸上自衛隊武器学校の保管する日本陸軍チロ八九式中戦車乙型
:全長 5.70 m 、全幅 2.18 m 、全高 2.56 m 、重量 13.0 トン 、 懸架方式:リーフ式サスペンション、最高速力:路上25 km/h、不整地8 km/h、航続距離:170 km、 主砲:九〇式五糎七戦車砲1門(携行弾数:100発)、副兵装:6.5ミリ九一式車載機関銃2丁(携行弾数:2,745発)、 装甲:17 mm
English: Right view of a Type 89 at the Sinbudai Old Weapon Museum, Camp Asaka, Japan Date 8 December 2008 Source Own work Author Sturmvogel 66.
写真は,Category: Type 89 I-Go Otsu in the JGSDF Public Information Center :File:Type89right.jpg 引用。


1.フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車

イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車は試作のみに終わったものの、各国陸軍が構想していた陸上戦艦の参考として、このような形状が踏襲されることになった。例えば、ソビエト赤軍T-28中戦車、T-35多砲塔重戦車、日本陸軍九一式重戦車・九五式重戦車などは、イギリス陸軍インディペンデント重戦車の形状が類似している。しかし、イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車は、第一次大戦中にフランスが開発を始めたしたシャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車に類似している。


写真(右)1928年8月,フランス、フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車
:主砲に搭載されたM1897式75ミリ加濃砲は、当時としては強力な火砲だった。
Description Français : Issy-les-Moulineaux, 31/3/28, manoeuvres de chars d'assaut : [photographie de presse] / [Agence Rol]
Date 28 March 1928 Source https: //gallica.bnf.fr/ ark:/12148 /btv1b53197676j
写真は,Category:Char 2C File:Issy-les-Moulineaux 31-3-28 manoeuvres de chars- Agence Rol 03.jpg引用。


フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車は、前後2基の砲塔を持つ多砲塔戦車で、A1E1インディペンデントよりも4年も早い1921年に完成している。1921年のフランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車は、重量69トンで強力な75ミリカノン砲1門を装備しており、10両が生産された。世界各国の多砲塔戦車が、失敗、放棄されたことを思えば、重戦車は強力な大口径火力と重防御が理想だったことがわかる。

写真(右)1930年代(?),フランス、フランス陸軍シャール(Char)2C 93 (3) 戦車3号車「アルザス」”Alsace”と戦車搭乗員たちの記念撮影:アルザス”Alsace”は、ドイツとの国境地帯でドイツ語を話すフランス人も多いが、そのためにフランスとドイツの間で領有争いがあった。第一次世界大戦に勝利したフランスは、ドイツからアルザス地方を取り返した。
The Char 2C had a loaded weight of 69 tonnes, partly because of its armour - 45 mm at the front, 22 mm at the sides, but much of it just because of its huge size. The armour was among the thickest of World War I-era tanks, though by modern standards this would be considered thin. It is still easily the largest tank ever taken into production. With the skid tail fitted, the hull was over twelve metres long.
写真は,Char FCM 2C - Super-heavy French tank - case report.引用。


フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車は、前後2基の砲塔を持つ多砲塔戦車で、A1E1インディペンデントよりも4年も早い1921年に完成している。1921年のフランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車は、重量69トンで強力な75ミリカノン砲1門を装備しており、10両が生産された。世界各国の多砲塔戦車が、失敗、放棄されたことを思えば、重戦車は強力な大口径火力と重防御が理想だったことがわかる。

フランス陸軍シャール 2C(FCM 2C)重戦車を見る。


2.イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車


写真(右)1925年,イギリス陸軍 ヴィッカースC型中戦車(Vickers Medium Tank Mk.C)
:1926年に開発されたイギリス陸軍 ヴィッカースC型中戦車は、フランス開発のホチキス(Hotchkiss)QF 6ポンド速射砲1門を装備している。
Description English: Vickers Medium Tank Mk.C
Date 31 March 2018 Source Imperial War Museums : object/205127175 Author IWM
写真は,Category: Vickers Medium Mark C File:Vickers Medium Tank.jpg引用。


イギリス陸軍 ヴィッカースC型中戦車(Vickers Medium Tank Mk.C)の諸元
全長 5.5 m 、全幅 2.5 m 、全高 2.4 m
重量 11.5 t
主砲:ホチキスQF 6ポンド57ミリ速射砲1門
副兵装:ヴィッカース .303口径7.7ミリ機関銃4丁
装甲:6ミリ

イギリス陸軍 ヴィッカースC型中戦車(Vickers Medium Tank Mk.C)と同時期開発のヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)は、多砲塔重戦車開発している。装備した主砲はオードナンス(Ordnance QF 3ポンド47ミリ速射砲搭載の大型砲塔1基、.303口径7.7ミリ・ヴィッカース重機関銃搭載の小型銃塔4基を備えている。装甲は13ミリから28ミリ。

1914年勃発の第一次世界大戦に投入された世界初の戦車イギリス陸軍Mk.1型戦車は、農業用トラクターのキャタピラーを装備した大型戦闘車輛だったが、車体側方に57ミリ砲を搭載しており回転式砲塔は装備していなかった。その後、この陸上軍艦のような重戦車の発展型が、第一次大戦中に開発が始まり、戦後になって、フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車、イギリス陸軍A1E1インディペンデント戦車が完成した。その影響の下に、ソ連赤軍は多砲塔戦車の開発を開始した。これがソ連T-28中戦車とT-35重戦車で1933年に制式された。


写真(右)1925年,イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)重戦車
:ヴィッカースA1E1インディペンデント重戦車は、全長7.6 m 、全幅2.7 m、全高2.7 m、重量33トンの重戦車で、 ソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車の参考にもされた。装備されたオードナンス長砲身QF3ポンド速射砲は、当時としては最強の対戦車砲だった。

Description Vickers Independent Heavy Tank (A1E1). Date 1925 Source IWM London Thumbnail.jpg This is photograph KID 109 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 6000-02) Flag of the United Kingdom.svg Author Photographer not identified. "Official photograph".
写真は,Category:Vickers A1E1 Independent File:IWM-KID-109-Vickers-Independent.jpg引用。


イギリスの兵器メーカー、ヴィッカース社によって、第一次大戦後の1925年に開発された試作多砲塔重戦車。イギリス陸軍初の重戦車として制式されたために"A1"の名称が与えられたが、試作段階だったため、"E1"が追記された。形状、動力駆動方式、サスペンションなど、イギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)多砲塔重戦車は、ソ連赤軍のT-28中戦車とT-35多砲塔重戦車の参考になったと思われるが、模倣というのは、ソ連の技術力を軽視しすぎている。このような設計思想は、フランス陸軍シャール(Char)2C(FCM 2C)重戦車試作車のように第一次大戦からあり、陸上戦艦として、列国軍隊の間で共通認識ができていた。

イギリスの兵器メーカー、ヴィッカース社に対して、1924年にイギリス陸軍参謀本部が、歩兵の支援無しでも単独で塹壕を攻撃・突破できる重戦車の試作を発注した。これが、1925年に試作車が完成したイギリス陸軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデントA1E1 Independent)多砲塔重戦車は、翌1926年にイギリス陸軍に納入された。しかし、戦間期の平和の時期にこのような重戦車が量産されることはなく、技術資料として保管されることになった。そして、21世紀の現在でも、このインディペンデント多砲塔戦車は、イギリス、ボービントン戦車博物館で保存、公開されている。

イギリス陸軍 ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント(Independent)試作重戦車
全長 7.6 m、 全幅 2.7 m 、全高 2.7 m
重量 33 トン
乗員 8名
主砲塔オードナンス(Ordnance)QF 3ポンド47ミリ速射砲1門
小型銃塔4基各々.303口径7.7ミリ・ヴィッカース重機関銃1丁搭載
車体装甲:13ミリから28ミリ
発動機:アームストロング・シドレー社の開発したV12気筒空冷ガソリンエンジン
排気量:35.8リットル、370馬力(280 kW)
懸架方式:コイルスプリング ボギー式
最高速力:路上32 km/h

イギリス軍ヴィッカース(Vickers)A1E1インディペンデント重戦車を見る。


3.ソ連赤軍 T-28中戦車


写真(右)2013年5月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連製T-28中戦車
:主砲は、45ミリM27/32カノン砲なので、これは初期型である。後に1938年になってから、主砲は、短砲身だがより破壊力のある16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲に換装された。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争において、ソ連軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲した。
English: A T-28 tank in the Karkialampi barracks area in Mikkeli, Finland. Suomi: T-28-panssarivaunu Mikkelissä Karkialammen varuskunta-alueen Panssarikumpareella. Date 31 May 2013 Source Own work Author Methem (Mikko J. Putkonen)
写真は,Category:T-28 in the Karkialampi barracks File:T-28 tank in Mikkeli 20130531 001.jpg引用。


T-28中戦車はソ連赤軍が1933年に制式した中戦車だが、砲塔3基を備えた事実上の多砲塔重戦車である。主砲は、当初45ミリM27/32戦車砲、1938年の後期型M1934は16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門を中央の大型砲塔に搭載した。その前部下段に、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。当初の装甲は、11ミリから30ミリ。



写真(右)2006年7月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているフィンランド軍の鹵獲したソ連製T-28多砲塔中戦車
:中央の砲塔には16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲を1門搭載、車体前部下段の左右の砲塔には、7.62ミリ機関銃1丁を搭載する。写真の展示している車両には、機関銃は未装備で、銃口のみ開いている。1939-1940年のソ連・フィンランド冬戦争において、ソ連軍が使用したT-28戦車を、フィンランド軍が鹵獲した。
Soviet T-28 tank, displayed in Finnish Tank Museum (Panssarimuseo) in Parola. Photo taken on July 14, 2006. Source: Photo by me, User:Balcer. Date 14 July 2006 (according to Exif data) Source Own work Author Balcer~commonswiki
写真は,Category:T-28 in the Parola Tank Museum File:T28 parola 4.jpg引用。


T-28中戦車の諸元
全長:7.44m、全幅:2.66m、全高:2.86m
重量:当初32.0トン、後期32.5トン 装甲:最厚;当初後期T-28A型50mm、後期T-28C型80mm、側方:当初20mm、後期T-28C型40mm
乗員:6名
発動機:V型12気筒M-17Lガソリンエンジン(500馬力/372kW/1400rpm)
主砲:45ミリM27/32戦車砲あるいは16.5口径76.2ミリ短砲身榴弾砲;携行弾数:70発、後期T-28C型;26口径76.2ミリ戦車砲L-10
副兵装:7.62ミリDT機関銃3丁(主砲塔同軸機関銃と小砲塔2基に搭載);携行弾数:7938発
最高速力:路上37km/h、路外20km/h
航続距離220km

ソ連赤軍T-28中戦車を見る。


4.ソ連赤軍 T-35重戦車


写真(右)1939年6月,ソ連赤軍T-35重戦車
:T-35重戦車はソ連赤軍が1933年に制式した多砲塔戦車で、16.5口径76.2ミリ短砲身砲装備の大型砲塔1基、42口径45ミリ戦車砲装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃装備の小砲塔2基を備えている。装甲は11ミリから30ミリ。
English: A T-35 heavy tank. Date 1933-1939? Source http:// www. morozov.com. ua /eng/body/ tanks/ t-35.php ?menu =history5.php Author Unknown author
写真は,wikipedia-commons File:P68l.jpg引用。


1914年勃発の第一次世界大戦に投入された世界初の戦車イギリス陸軍Mk.1型戦車は、農業用トラクターのキャタピラーを装備した大型戦闘車輛だったが、車体側方に57ミリ砲を搭載しており回転式砲塔は装備していなかった。その後、この陸上軍艦のような重戦車の発展型が、イギリス陸軍が1925年に開発したA1E1インディペンデント戦車である。その影響の下に、ソ連赤軍は多砲塔戦車の開発を開始した。これがソ連T-28中戦車とT-35重戦車で1933年に制式された。

ソ連赤軍T-35重戦車は1933年制式で、5砲塔装備の多砲塔戦車である。中央の大型砲塔に16.5口径1932年式76.2ミリ短砲身砲1門装備、前後の中型砲塔2基に1932年式45ミリ20K戦車砲各1門装備、小砲塔2基には7.62ミリDT機関銃各1丁が装備された。乗員11名、43トンの超大型重戦車にもかかわらず、当時の仮想敵戦車の装備する37ミリ砲に対処できる厚み11ミリから30ミリの装甲しかなかった。

T-35重戦車1936年型は、ハリコフ機関車工場で1935-1938年に35台生産された。T-35重戦車1939年型は、1938-1939年に6台生産された。モスクワの赤の広場で毎年開催される5月のメーデには、この超大型T−35重戦車が軍事パレードに参加した。

T-35重戦車 ソ連T-35重戦車は、車体上面中央に大型回転砲塔、その前後に中型・小型砲塔各2基を配置した多宝塔戦車である。中央砲塔には、主砲の16.5口径 76.2ミリ短砲身榴弾砲を装備し、前後の中型砲塔には副砲の42口径 45ミリカノン砲を装備した。そして、前後の小型砲塔には7.62ミリ機関銃を装備して、歩兵攻撃用とした。

ソ連T-35重戦車は重量45トン、乗員11名で、発動機は500馬力ガソリンエンジンを搭載、最高速力は路上30km/hだったが、機構上、トランスミッション・メカニズムが重量負荷に耐えられず、脆弱だったために、故障が頻発した。

 しかし、外見上のインパクトはまさに陸上戦艦というに等しく威圧的でインパクトがあったために、ソ連赤軍は1933年にT-35重戦車として制式し、1939年までに40輌以上が量産され、1939年対フィンランド冬戦争に初めて実戦投入されている。


写真(上)2013年6月,ロシア連邦、モスクワ郊外、クビンカ戦車博物館に保管されているソ連赤軍T-35A重戦車
:ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な76.2ミリ短砲身榴弾砲1門装備の大型砲塔1基,長砲身45ミリカノン砲1門装備の中型砲塔2基、7.62ミリ機関銃1丁装備の小型砲塔2基を装備していた。重装甲とは言えないが、ドイツ戦車と同等以上の防御力を誇っていた。他方、発展型の重戦車KV-1の砲塔装甲は前面90mm、側面75mm、後に砲塔は全周120mmに強化ている。
Русский: Тяжелый танк Т-35 в Центральном музее бронетанкового вооружения и техники в Кубинке. Date 8 June 2013, 11:26:16 Source Own work Author Mike1979 Russia
写真は,Category: T-35 in the Kubinka Museum : File:T-35 in the Kubinka Museum.jpg引用。


 1936年に勃発したスペイン内戦では、ドイツ・イタリアは反乱軍を支援して派兵したが、ソ連は共和国政府を支援して派兵した。このとき、ソ連赤軍派遣したT-26 軽戦車、BT快速戦車は、37ミリ、45ミリ戦車砲の攻撃力は認められたが、装甲が薄く防御力に問題があった。

ソ連赤軍T-35重戦車(多砲塔戦車)を見る。


5.ソ連赤軍T-100重戦車の試作車

スターリンは、1936年7月17日から1939年4月1日まで続いたスペイン内戦に投入された際に判明した欠点を解消するために、攻撃力と防御力を両立させた重戦車に注目した。そして、スターリンの示唆で、ソ連では1930年代に多砲塔の重戦車が開発され、レニングラードにあるキーロフスキー第100工場とボルシェビク第174工場で試作された。完成した戦車は、キーロフスキー第100工場のSMK(СМК)重戦車55トン、ボルシェビク第174工場のT-100 重戦車58トンの2種類で、どちらも複数砲塔の重戦車試作車である。しかし、巨大で重量過大なために、野外走行に使用に支障があり、全高が高く標的として大きかったために隠匿性と機動性が著しく低かった。


写真(上)1939年12月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車
:T-35重戦車の後継戦車SMKは、1939年のソ連・フィンランド冬戦争に実戦投入されたが、防御力・攻撃力は実証されたものの、雪原での機動性が制約された。しかし、試作重戦車を鹵獲されたら、司令官としては粛清対象になる。ソ連赤軍は、再攻勢をかけて、行動不能になっていたSMKを回収した。
English: photography profile smk
Français : photographie de profil du smk
Date 1939/12/xx
Source http:// ww2armor.jexiste.fr /Files/Allies/Allies /1-Vehicles/USSR/ 4-HeavyTanks/ SMK/SMK.htm Author ussr
写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。


しかし、多砲塔戦車は、陸上戦艦のようで威容を誇っていたために、スターリンは、さらなる開発を求め、砲塔の数を減らして、前後・上下の2砲塔式に改められた。そして、当時の共産党国防委員、世界で言えば、国防大臣に相当するクリメント・ヴォロシーロフKliment Yefremovich Voroshilov)の名を冠した「KV」は、多砲塔をやめ、大型砲塔1基とした重戦車も試作された。


6.ソ連赤軍TSMK重戦車の試作車


写真(右)1939年8月,ソ連赤軍SMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車の試作車
:T-35重戦車の後継戦車SMKは、同時に開発されたT-100重戦車試作車と比較されたが、機動性に劣っていたために、量産には至らなかった。
SMK (Sergei Mironovich Kirov) heavy tank, August 1939 Русский: Тяжелый танк СМК (Сергей Миронович Киров). Август 1939 г. Date August 1939 Source Тяжелый танк СМК in Энциклопедия бронетехники РККА Author Unknown author
写真は,wikipedia-commons File:SMK, August 1939.jpg引用。


多砲塔戦車2種、KV重戦車の試作車は、機動性を確認することを主な目的に、モスクワ郊外のクビンカ戦車試験場で装甲試験が実施された。この試作車の審査では、機動性はKV重戦車には認められたが、多砲塔戦車試作車は、不十分だったが、その攻撃力が評価された。1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、ポーランドをドイツと分割したソ連は、バルト三国に次いでフィンランドへもレニングラード周辺のカレリア地峡の領土の割譲、バルト海の要衝の軍隊駐留権を要求した。フィンランドは、これを拒否し、1939年にソ連とフィンランドの愛で「冬戦争」が始まった。ソ連は、対フィンランド冬戦争にこの3種の重戦車を投入し、実戦使用したのである。多砲塔戦車は、森林・雪原での機動性に問題が出たが、KV重戦車は重防御、攻撃力の高さを発揮したと認められた。

T-100重戦車とSMK (セルゲイ・ミロノヴィッチ・キーロフ) 重戦車は、機動性に劣っていたために、量産には至らなかった。他方、KV1重戦車は、1939年12月にソ連赤軍に制式された。KV-1重戦車の生産台数は、各種合わせて、1942年末までに3000両も量産され、さらに装甲を若干薄くして48トンにまで軽量化したKV-1Sが1943年春まで900輌生産された。


7.日本陸軍八九式中戦車


写真(右)1920-1930年代,日本あるいは中国、日本陸軍八九式中戦車甲型
:秘匿名称は、八九式中戦車甲型はチイ、乙型はチロである。
Description 日本語: 八九式中戦車 甲型 前期型車体 前期型砲塔 English: Imperial Japanese Army Type 89 medium tank Ko early model.
Date late 1920s - early 1930s
Source 日本語: 光人社、2002年、佐山二郎 著 『機甲入門』 p131 English: Jiro Sayama "Kiko nyumon : kikaika butai tettei kenkyu" p131, Kojinsha, 2002. Author Unknown author
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:IJA Type 89 medium tank Ko earlymodel.jpg引用。


八九式中戦車 1925年、日本陸軍はフランスのルノ−戦車のような10トン以内の戦車を軽戦車、イギリスのヴィッカース戦車のような20トン以下の戦車を重戦車と区分した。初の日本国産戦車の試製一号戦車の発展型で、1927年開発の試製一号戦車は、重量が過大で、機動性が低かった。そこで、仮想敵ソビエト連との戦いの場である中国大陸の未整地での機動に支障があると考えられ、重戦車は、制式されずに終わった。

日本陸軍は、広大な戦場での運用に制約のある重戦車の代わり、イギリスのビッカースC型中戦車を参考に、軽量化し機動性を向上させた八九式軽戦車が開発された。

1929年10月に八九式軽戦車は長距離運行試験を行い、十分な機動性があることが証明されたため、制式された。その後、軽戦車と重戦車の間に、「中戦車」の区分を設けることになり、八九式軽戦車は、八九式中戦車を改名された。


写真(右)1939年,日本あるいは中国、日本海軍陸戦隊所属チイ八九式中戦車甲型
:当初生産されたガソリンエンジンを搭載したのが甲型で、この名称は後にディーゼルエンジンを搭載した乙型が完成した後で命名された。
Description English: A Type 89A I-Go tank used by Special Navy Landing Forces of the Imperial Japanese Navy
Date 1939 Source http:// imperialjapanesehistory. tumblr.com/post/ 101621946019/ operatorchan-navy-tank-an-interesting-thing
Author Imperial Japanese Navy
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type89A I-Go SNLF.jpg引用。


八九式中戦車 日本陸軍八九式中戦車は、1928年に開発が開始された日本初の国産戦車である。

日本陸軍八九式中戦車甲型の諸元
全長 5.75 m
全幅 2.18 m
全高 2.56 m
重量 12.7 トン
懸架方式:リーフ式サスペンション
最高速力:路上25 km/h、不整地8 km/h
航続距離:170 km、 主砲:九〇式五糎七戦車砲1門(携行弾数:100発)
副兵装:6.5ミリ九一式車載機関銃2丁(携行弾数:2,745発)
装甲:17 mm


写真(右)1939年,日本陸軍八九式中戦車乙型
:主砲は、砲塔に搭載した九〇式五糎七戦車砲(57ミリ短砲身砲)で、携行弾数100発。砲口初速毎秒340mは遅く、歩兵攻撃用の榴弾を発射する。九二式徹甲弾を発射することはできたが、初速が遅いために対ソ連戦車攻撃能力はほとんどない。
Description English: Type 89B Otsu (I-Go) medium tank in the field
Date before 1945
Source http://www.militarian.com /threads/japanese -afv-until- 1945.1632
Author Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type 89B Otsu in the field.jpg引用。


八九式中戦車 1939年5月、日本傀儡満州国とソ連傀儡モンゴルの国境紛争が勃発し、日本陸軍の関東軍とソ連赤軍が軍事対決をしたのが、ノモンハン事変であり、これは単なる衝突事件ではなく、事実上の戦争だった。

1939年にソ連軍と日本軍が戦ったノモンハン事変の発端は、日本軍関東軍が日ソ両国で不明確だったノモンハン国境線を日本に有利なように設定しようととしたこと、ソ連赤軍の威圧を企図したことが指摘できる。関東軍は、威力偵察を強行すれば、ソ連軍は戦争への拡大を恐れて引き下がると甘く考えていた。

1939年のノモンハン戦役の戦場は、広大な草原であったが、日本軍の戦車部隊は、戦車の防御力、機動性に劣るだけでなく、用兵の上でも、歩兵支援部隊として扱ったために大敗した。ノモンハン休戦交渉中の1939年9月1日、ドイツ軍がポーランド侵攻して第二次世界大戦が始まった。


写真(右)1939年,満州、ノモンハン事件時期、ノモンハン、日本陸軍八九式中戦車乙型
:九〇式五糎七戦車砲(57ミリ短砲身砲)は、携行弾数100発。砲口初速毎秒340mの主に歩兵攻撃用に九〇式榴弾を射撃する。対戦車・装甲車用に九二式徹甲弾も配備されたが、初速が遅すぎて貫通力は低かった。ソ連赤軍戦車の搭載した47ミリ長砲身カノン砲と比較して、初速半分以下で遅すぎであり、対戦車攻撃能力はないに等しかった。
Description English: Battle of Khalkhin Gol-Japanese Type 89 Chi-Ro medium tank
Date 1939
Source Contemporary Military Historian
Author Dōmei Tsushin(同盟通信社)
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Type89B Otsu.jpg引用。


八九式中戦車   1939年5月11日に武力衝突が起きたノモンハン事変は、1939年 9月16日 に、現地で休戦協定が締結された。これはソ連側がヨーロッパ方面での第二次世界大戦勃発への対応を優先したためである。日本はソ連を仮想敵国として威力偵察を試み、大敗したことで、対ソ北進論は懸念されるようになり、マレー・フィリピン・蘭印(インドネシア)など南進の企図を強くした。

日本陸軍は、先進力を重視した歩兵の白兵戦を重視したが、機械化されたソ連赤軍に敗北した。しかし、このような戦訓にも拘わらず、その縦深浸透を可能とする機甲部隊の戦術的発想を取り入れることができず、歩兵白兵突撃中心の精神主義を堅持し続けた。

日本陸軍八九式中戦車の秘匿名称は、中戦車の「チ」を頭文字に、当初のガソリンエンジン装備の八九式中戦車甲型は「チイ」、改良したディーゼルエンジン装備の八九式中戦車乙型は「チロ」と命名された。これは、仮名文字の順序「イロハニホヘト」と十干・己丑(つちのとうし)の「甲乙丙丁戊己(こう‐おつ‐へい‐てい-い)」との組み合わせである。

写真(右)1939年,日中戦争(支那事変)時期の日本陸軍八九式中戦車乙型(上面):搭載している九〇式五糎七戦車砲(57ミリ短砲身砲)は携行弾数100発、車体の中心軸上に配置されているが、砲塔自体は左側に偏っている。これは、車体前面右側に運転手が座り、外を見るためのハッチ(窓)が配置されているためである。
Description English: Top view of Type 89B Otsu (I-Go) medium tank of the Imperial Japanese Army.
Date 1939
Source http:// www.aviarmor. net/tww2/tanks/ japan/medium _type89.htm
Author Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Type89B Otsu.jpg引用。



写真(右)1938年5月以降,日中戦争(支那事変)時期、日本陸軍戦車長西住小次郎中尉(死後大尉に進級)の搭乗していた八九式中戦車乙型「日本のタンクは強し」
:公表写真のために、戦車主砲は機密として写真修正され画像を消されているので、迫力がない。これでもプロパガンダのつもりだったのは、情報操作や管理について、未熟さを示している。第二次上海事変に参加し、渡河地点を捜索するために偵察に出撃した。中国軍の攻撃を受け、1100余発という多数の銃撃を受け損傷したが帰還した。ただし、戦車を降りて斥候中に銃撃された戦車長西住小次郎中尉は重傷を負い、戦車に運び込まれた後に、戦死したことを告げず、戦車で敵陣地に突入して、戦車長が武勲を上げ「壮烈なる戦死を遂げられた」たと記事を改めている。
Description English: Kojirō Nishizumi and his tank
日本語: 西住小次郎と、彼の乗車していた戦車。
Date 1940年頃
Source http://iask.sina.com.cn/b/18297508.html
Author Unknown author
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Type89B Otsu.jpg引用。


八九式中戦車 西住 小次郎(1914年1月13日 - 1938年5月17日)大尉は、熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身、陸軍士官学校46期歩兵科卒業。1936年1月、千葉県の習志野練兵場で、戦車第二連隊の戦車兵として訓練を受けた後、1936年8月から九州の久留米戦車第一連隊に転属し、陸軍歩兵中尉に昇進した。

1937年7月の盧溝橋事件を契機に勃発した日中戦争(支那事変)初期、1937年9月3日に戦車第5大隊第2中隊(中隊長高橋清伍大尉)隷下に戦車小隊長として西住小次郎は、上海呉淞に上陸、第二次上海事変に参加。第11師団隷下の歩兵第22連隊に配属された。9月5日から戦闘に加わり、その後、徐州戦まで、八九式軽戦車戦車長の将校(中尉)として活躍した。

1938年5月、徐州会戦に際して、戦車長西住小次郎中尉は、渡渉のための斥候となったが、中国軍からの銃撃によって負傷。八九式軽戦車に担ぎ込まれたが、部隊の渡河地点を第2中隊戦車隊高橋中隊長へ報告後、絶命した。

1938年5月17日、享年24歳の西住小次郎中尉の戦死後、陸軍歩兵大尉に特進し、軍神と呼ばれた。この「軍神」の呼称は、日本国軍で初めてのことだった。戦死後、勲五等功四級を授与された。


写真(右)1942年1月,フィリピン、太平洋戦争緒戦、マニラに向けて進撃する日本陸軍八九式中戦車乙型
:同時期には既に九七式中戦車が配備されていた。搭載していた主砲は、改良型の九七式五糎七戦車砲を装備したが、短砲身57ミリ砲であることは変わらず、戦車搭載火砲としては時代遅れになっていた。
Description JAPANESE LIGHT TANKS moving toward Manila on the day the city was entered..
Date January 1942
Source http:// www.army.mil /CMH/books/ wwii/5-2/5-2_14.htm
Author Japanese military
写真は,The War in the Pacific: THE FALL OF THE PHILIPPINES CHAPTER XIV The End of an Era引用。


1931年の満州事変から1937年の日中戦争の緒戦まで、日本軍の装備した戦車には無線通信装置は搭載されておらず、砲塔上面の指揮官用ハッチに立った指揮官が両手に赤と白の小旗を手旗信号として使って、命令し連絡をしていた。

写真(右)1946年9月,太平洋戦争日本敗北1年後,インドネシア(オランダ領インドシナ)、戦後宗主国としてインドネシア(蘭印)に進駐してきたオランダ軍が視察する鹵獲した日本陸軍八九式中戦車乙型の正面:前部のトランスミッション点検用ハッチが開いている。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Dienst voor Legercontacten Indonesië
Reportage / Serie : [DLC] Inspectiereis generaal P.L.G. Doorman (september-oktober 1946)
Beschrijving : Bezoek aan bataljon "Friesland" 1-9 R.I. gelegerd te Tjimahi. Generaal Doorman spreekt met een bemanningslid van een buitgemaakte Janpanse lichte tank van het type 95 Ha-Go
Datum : september 1946
Locatie : Indonesië, Nederlands-Indië
Fotograaf : Fotograaf Onbekend / DLC
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit)
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.04.03
Bestanddeelnummer : 60-6-1
Date September 1946
Author Fotograaf Onbekend / DLC
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Bezoek aan bataljon Friesland 1-9 R.I. gelegerd te Tjimahi. Generaal Doorman s, Bestanddeelnr 60-6-1.jpg引用。


しかし、戦車間の連絡が手旗信号では、夜間や濃霧あるいは林の中など視界が妨げられている状況では、連絡が不可能だった。1937年7月7日に開始された日中戦争(支那事変)では、八九式中戦車、九五式軽戦車に無線通信装置が試験的に搭載された。しかし、搭載された無線通信装置の性能・信頼性が低く、無線利用の連絡は不都合が多かった。

写真(右)1946年9月,太平洋戦争日本敗北1年後,インドネシア(オランダ領インドシナ)、戦後宗主国としてインドネシア(蘭印)に進駐してきたオランダ軍が視察する鹵獲した日本陸軍八九式中戦車乙型の正面:前部のトランスミッション点検用ハッチが開いている。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Dienst voor Legercontacten Indonesië
Reportage / Serie : [DLC] Inspectiereis generaal P.L.G. Doorman (september-oktober 1946)
Beschrijving : Bezoek aan bataljon "Friesland" 1-9 R.I. gelegerd te Tjimahi. Generaal Doorman spreekt met een bemanningslid van een buitgemaakte Janpanse lichte tank van het type 95 Ha-Go
Datum : september 1946 Locatie : Indonesië, Nederlands-Indië
Fotograaf : Fotograaf Onbekend / DLC
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit)
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.04.03
Bestanddeelnummer : 60-6-2 Date September 1946
Author Fotograaf Onbekend / DLC
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Bezoek aan bataljon Friesland 1-9 R.I. gelegerd te Tjimahi. Generaal Doorman s, Bestanddeelnr 60-5-5.jpg引用。


日本陸軍八九式中戦車は,歩兵支援の直協用歩兵戦車として開発された。そのため、防備の薄い機関銃・砲兵陣地の攻撃をするために、索薬量が多く破壊力の強い榴弾が主な弾薬である。搭載した主砲は、57ミリ口径の短砲身榴弾砲の試製五十七粍戦車砲を原型とし、これに肩当付き直接照準器も装備した18.4口径の九〇式五糎七戦車砲である。

日本陸軍八九式中戦車は、対戦車戦闘はおろか、ソ連赤軍のように機動力を生かした縦深浸透戦術は全く配慮されていなかった。そのうえ直接照準のために、主砲に隣接して同軸機関銃を搭載することも困難になった。砲塔旋回用の電動機はなく、旋回用ハンドルを回して行う人力回転砲塔である。砲塔の形状は、局面を使った試作型砲塔、大型指揮用ハッチの旧型砲塔、小型指揮用ハッチの新型角型砲塔がある。に大きく分類される。

写真(右)1946年9月,太平洋戦争日本敗北1年後,インドネシア(オランダ領インドシナ)、戦後宗主国としてインドネシア(蘭印)に進駐してきたオランダ軍が視察する鹵獲した日本陸軍八九式中戦車乙型:斜め後上方から砲塔と57ミリ砲を撮影。
Description Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Dienst voor Legercontacten Indonesië Reportage / Serie : [DLC] Inspectiereis generaal P.L.G. Doorman (september-oktober 1946) .
Beschrijving : Bezoek aan bataljon "Friesland" 1-9 R.I. gelegerd te Tjimahi. Generaal Doorman spreekt met manschappen terwijl 2e luitenant K. de Vries iets noteert Annotatie : K. de Vries schreef een verslag van het bezoek in de Leeuwarder Koerier van 17-10-1948 Datum : september 1946 Locatie : Indonesië, Nederlands-Indië Fotograaf : Fotograaf Onbekend / DLC Auteursrechthebbende : Nationaal Archief Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit) Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.04.03
Bestanddeelnummer : 60-6-2 Date September 1946
Author Fotograaf Onbekend / DLC
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Type 89 Yi-Go at Tsuchira.jpg引用。


18.4口径の九〇式五糎七戦車砲の照準器の射程距離は500メートルまでで、固定目標を前提としており、起動する車両等の照準は困難だった。しかし、火砲が短砲身簡素軽量であり、照準器は左右方向、上下方向の調整を照準者の肩当付き照準器で行うために、回転ハンドル式の砲塔操作よりも迅速に作業を行うことが可能だった。57ミリ砲の撃ちガラ空薬莢は自動排出される。

18.4口径の九〇式五糎七戦車砲の九〇式榴弾の炸薬量は250グラム、九二式徹甲弾の炸薬量は103グラムで、貫通力よりも爆発力を重視した火砲であり、対戦車戦闘は考慮されていなかった。


写真(右)1947年2月,インドネシア、太平洋戦争で残された日本陸軍八九式中戦車乙型(右)とオランダ軍の使用するアメリカ製M3スチューアート軽戦車
:オランダ植民地だった蘭印(インドネシア)独立闘争時期の撮影。アメリカ軍M3戦車の搭載した37ミリ砲は、AP M74徹甲弾を発射できたが、鋼芯が硬質で爆発力よりも貫通力に優れていた。日本軍も九四式三十七粍砲があり、九四式徹甲弾を配備したが、貫通力ははるかに劣っていた。
Description Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Dienst voor Legercontacten Indonesië
Reportage / Serie : [DLC] Bezoek van kamerlid jhr. M. Ruijs de Beerenbrouck aan Java
Beschrijving : Bezoek aan een Eskadron Vechtwagens KNIL. Een Stuart tank passeert het wrak van een Japanse tank
Datum : februari 1947
Locatie : Indonesië, Nederlands-Indië Fotograaf : Fotograaf Onbekend / DLC Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit) Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.04.03
Bestanddeelnummer : 194A-3-4 Date February 1947
Source http://proxy.handle.net/10648/3a089d07-726a-6b07-f0e2-1372ebb164e6 Author Fotograaf Onbekend / DLC
写真は,The War in the Pacific:THE FALL OF THE PHILIPPINES CHAPTER XIV The End of an Era引用。



写真(上)2007年7月,アメリカ、メリーランド州アバディーン、アバディーン軍試験場内、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum )の保管する日本陸軍八九式中戦車甲型

Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007 Source Own work Permission (Reusing this file) Attribution ShareAlike 2.5 br>写真は,Category: Type 89 I-Go Otsu in the United States Army Ordnance Museum:File:Type 89 Chi-Ro2.jpg引用。


八九式中戦車 八九式中戦車は日本の国産初の量産戦車で、生産開始後も改良が加えられた。まず砲塔は、最初は曲面の多い形状だったが、直線的な砲塔形状に改装された。また、砲塔上面に設けられた戦車長用の展望鏡の形状もトルコ帽のような形状からキューポラー形状に改変された。車体前面は、当初は段有りで折れ曲がっていたが、一枚板に変更された。キャタピラー足回りは、超壕性を高めるために、誘導輪の位置が前方に変更された。

発動機は、初期の甲型はガソリンエンジン搭載で、後期の乙型がディーゼルエンジン搭載で大きく異なっている。甲型は、1934年頃から生産が開始され、1937年7月に勃発した日中戦争で中国戦線に投入された。また、第二次世界大戦直前の1939年前半には、モンゴル人民共和国と満州帝国間の国境の武力紛争「ノモンハン事変」、太平洋戦の緒戦に投入された。


写真(上)2006年3月,アメリカ、メリーランド州アバディーン、アバディーン軍試験場内、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum )の保管する日本陸軍八九式中戦車甲型
(斜め右後方):
Description Type 89 "Chi Ro" on display at the US Army Ordnance Museum in Aberdeen. The picture taken July 3, 2006.
Date 7/3/2006 Source Own work Author User:Fat yankey
写真はWikimedia Commons, Category: Type 89 I-Go Otsu in the United States Army Ordnance Museum:File:Type-89-Aberdeen.0003cg4s.jpg引用。



写真(右)2007年7月,アメリカ、メリーランド州アバディーン、アバディーン軍試験場内、アメリカ陸軍兵器博物館(United States Army Ordnance Museum )の保管する日本陸軍八九式中戦車甲型
(正面): 車体右側に6.5ミリ車載機関銃1丁を装備するが、主砲の同軸機関銃は配置されていない。秘匿名称は、八九式中戦車甲型はチイで、東京瓦斯(ガス)電気工業製造のダ式100馬力水冷直列6気筒ガソリンエンジンを装備。八九式中戦車甲型乙型はチロである。
Picture taken by myself, Mark Pellegrini, at the United States Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground, MD) on June 12, 2007
Source Own work
Permission (Reusing this file) Attribution ShareAlike 2.5
写真は,Category: Type 89 I-Go Otsu in the United States Army Ordnance Museum:File:Type 89 Chi-Ro2.jpg引用。


写真(右)2008年,日本、東京都練馬区・埼玉県朝霞市、陸上自衛隊 朝霞駐屯地、振武臺、日本陸軍八九式中戦車乙型の正面:朝霞駐屯地は、1945年まで日本陸軍予科士官学校があった場所である。太平洋戦争敗戦後、真鍮してきたアメリカ軍の施設となったが、1960年に自衛隊の朝霞駐屯地になった。そして、振武臺記念館に、陸軍予科士官学校由来の展示がなされ、朝霞駐屯地の歴史が紹介されている。この八九式中戦車乙型は、三菱A六一二〇VD空冷直列6気筒ディーゼルエンジンであるが、この車体は稼働状態に修復される際にエンジンはレストアされた。八九式中戦車甲型は、東京瓦斯(ガス)電気工業製造のダ式100馬力水冷直列6気筒ガソリンエンジンを装備。
English: Front view of a Type 89 at the Sinbudai Old Weapon Museum, Camp Asaka, Japan Date 2008 Source Own work
Author Sturmvogel 66
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu in the JGSDF Public Information Center File:Type89front.jpg引用。


八九式中戦車甲型は、東京瓦斯(ガス)電気工業製造のダ式100馬力水冷直列6気筒ガソリンエンジンを装備していたが、後期型の八九式中戦車乙型は、発動機を換装して、三菱A六一二〇VD空冷直列6気筒ディーゼルエンジンを装備した。これは、燃費向上による燃料節約が主な目的だったようだが、日本のエンジンはエンジン騒音が大きく、秘匿行動に向かないだけではなく、戦車兵たち相互のコミュニケーションの妨げになった。

写真(右)2007年10月,日本、茨城県土浦市、陸上自衛隊武器学校が保管・展示している日本陸軍八九式中戦車乙型(斜め前方から撮影):稼働状態に修復された車輛。
Description A restored and running Type 89 Yi-Go tank at Tsuchira tank museum open day. The tank was actually running at jogging pace along the road at the point the photograph was taken.
Date October 2007
Source Own work Author User:Megapixie
Permission (Reusing this file) Release all rights into the public domain, but a photo credit would be nice
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu File:Type 89 Yi-Go at Tsuchira.jpg引用。


1928年に陸軍技術本部で開発が始まり、陸軍造兵廠大阪工廠で1929年に試作車として、試製八九式軽戦車1号機が完成した。八九式中戦車の量産が開始されたのは、三菱航空機大井工場で、1931年の満州事変の勃発後は、日本製鋼所、神戸製鋼所も戦車製造に加わった。

写真(右)2008年,日本、東京都練馬区・埼玉県朝霞市、陸上自衛隊 朝霞駐屯地、振武臺、日本陸軍八九式中戦車乙型の右側面:八九式中戦車乙型は、三菱A六一二〇VD空冷直列6気筒ディーゼルエンジンであるが、この車体は稼働状態に修復される際にエンジンはレストアされた。八九式中戦車甲型は、東京瓦斯(ガス)電気工業製造のダ式100馬力水冷直列6気筒ガソリンエンジンを装備。
Description English: Left-rear view of a Type 89 at the Sinbudai Old Weapon Museum, Camp Asaka, Japan
Date 8 December 2008 Source Own work
Author Sturmvogel 66
写真は,Category:Type 89 I-Go Otsu in the JGSDF Public Information Center File:Type89leftrear.jpg引用。


1937年に新設された三菱重工業(東京機器製作所)丸子工場では、日中戦争勃発後の1938年から戦車専門工場として日本陸軍の戦車生産の中核として稼働することになる。


<89式戦車復活>武器学校・土浦駐屯地・土浦武器学校開設55周年記念式典 42,532 回視聴(2010/10/22掲載) 八九式中戦車

1929年(皇紀2589年)に日本陸軍が制式した八九式中戦車は、1939年までに400輌以上が量産された。陸上自衛隊土浦駐屯地の武器学校に保存されている八九式中戦車は、1980年に、稼動復元され、記念式典パレードに参加した。

1980年の自衛隊記念式典の後、八九式中戦車は、静態保存されることになったが、土浦駐屯地開設55周年の2007年に、再び復元稼動させ、自衛官の工学的教習に使用された。これには「過去の技術を確認し、現在の自分達が持っている技術で動かすことができるのか、確かめる」という企図があったとされる。

八九式中戦車八九式中戦車写真集 軽戦車時代から乙型まで [ 吉川和篤 ]
軽戦車時代から乙型まで

第一次世界大戦で新兵器「戦車」が搭乗し西部戦線で活躍したことを受け、日本陸軍は戦車の研究と開発を開始した。1929年(昭和4年)、日本初の国産戦車として、日本陸軍は「八九式軽戦車」を制式した。

日本陸軍の主力戦車となった八九式軽戦車は、装備が増加して軽戦車から八九式中戦車に変化した。そして、日本陸軍から貸与された八九式中戦車が日本海軍陸戦隊にも配備され、中国江南地方、上海戦線に投入された。八九式中戦車は、草創期の日本戦車を代表する存在となった。

1928年に開発が始まった日本陸軍最初の国産戦車「八九式中戦車」初期型の甲型では、液冷ガソリンエンジンを搭載していたが、乙型では燃料事情などから燃料を節約できるディーゼルエンジンを搭載した。

「八九式中戦車」は、本来軽戦車として開発されたが、改修の結果重量が10tを超えてたために、中戦車に分類され直した。但し、八九式中戦車の防御装甲は、軽戦車当時のままであり、機関出力不足で機動性も低く、信頼性にも問題があったために、後継車輌の九七式中戦車「チハ」15.0t が1938年に部隊に配備されるようになると配置換え急速に進み、主力の座を譲っている。


八九式中戦車(高画質版) in 武器学校・土浦駐屯地開設56周年記念行事 171,988 回視聴(2009/01/25掲載)


8.日本陸軍試製九一式重戦車


写真(右)1930年代,大日本帝国、国軍日本陸軍九一式重戦車
(側方):
日本語: 試製九一式重戦車 English: Imperial Japanese Army Experimental Type 91 Heavy Tank
Date early 1930s Source 日本語: 出版協同社、1978年、原乙未生 監修、竹内昭 著 『日本の戦車』 p143 English: Tomio Hara, Akira Takeuchi "Nihon no sensha (Japanese tanks)" p143, Shuppan Kyodosha, 1978.
Author 日本語: 日本陸軍 English: Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Experimental Type 91 Heavy Tank 01.jpg引用。


試製九一式重戦車は、日本陸軍が1931年(皇紀2591年)に開発した重戦車で、九一式とは、皇紀の下二桁から命名されており、本来は、制式の場合に採用される名称だが、実際には姿勢にとどまっており、制式ではない。この発展型が、1935年(皇紀2595年)、日本陸軍が開発した九五式重戦車である。しかし、どちらの重戦車も、性能も信頼性も不十分であり、量産されることなく終わった。


写真(右)1930年代,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍九一式重戦車

Русский: Танк Type 91 Heavy принимает участие на ходовых испытаниях
Date 31 January 2020
Source Own work Author Ferdinand1000
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Танк Type 91 Heavy.png引用。


試製九一式重戦車重戦車の諸元
全長 6.30 m 、全幅 2.47 m 、全高 2.57 m
重量 18.0 トン
懸架方式: 板バネ
最高速力:路上25 km/h
航続距離 110 km
主砲:九〇式五糎七戦車砲
後に九四式七糎戦車砲に換装
副兵装:ヴィッカース .303口径7.7ミリ機関銃3丁あるいは6.5ミリ軽機関銃3丁
装甲:20 mm
発動機:BMW IV 水冷直列6気筒ガソリン航空機用エンジン220馬力 / 1,600 rpm
乗員:5 名


写真(右)1927年,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍試製九一式重戦車
(側方):
Description English: The Type 91 experimental heavy tank, climbing a hill during tests.
Date 1927 Source Japanese Medium Tanks. AFV Weapons Profiles No. 49 Author Tomio Hara
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Танк Type 91 Heavy.png引用。


日本陸軍試製九一式重戦車は、車体中央に九〇式57ミリ戦車砲(短砲身榴弾砲)を装備し、 車体前後に各1基の小型銃塔を持ち、ここに機関銃1丁を搭載している多砲塔戦車である。


写真(右)1930年代,大日本帝国、雲形迷彩塗装を施した日本陸軍九一式重戦車
(側方):
English: The Type 91 experimental heavy tank, climbing an obstacle during tests. Date 1927
Source Japanese Medium Tanks. AFV Weapons Profiles No. 49 Author Tomio Hara
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type 91 experimental heavy tank,-climbing-obstacle.jpg引用。



写真(右)1945年8月末以降,日本、イギリス占領軍が鹵獲した日本陸軍九一式重戦車

Русский: Type 91 tank photographed in 1945 Date 31 January 2020
Source Own work Author Ferdinand1000
写真は,Category:Type 91 experimental heavy tank File:Type 91 experimental heavy tank,-climbing-obstacle.jpg引用。


1925年、日本陸軍はフランスのルノ−戦車のような10トン以内の戦車を軽戦車、イギリスのヴィッカース戦車のような20トン以下の戦車を重戦車と区分した。九一式重戦車は、初の日本国産戦車の試製一号戦車の発展型で、1927年開発の試製一号戦車は、重量が過大で、機動性が低かったために、中国大陸において、仮想敵ソビエト連と戦うことを想定した場合、未整地での機動性が低い九一式重戦車は、結局、制式されずに終わった。

 重戦車と同時並行的に、イギリスのビッカースC型中戦車を参考に、同時期に開発されていた機動性を重視した八九式軽戦車があり、1929年10月の長距離運行試験に成功した。これが、八九式軽戦車であるが、1935年に軽戦車と重戦車の間に、「中戦車」の区分を設けることになり、八九式軽戦車は、八九式中戦車と改名されている。しかし、日本陸軍は、より攻撃力の高い重戦車の開発を諦めたわけではなかった。


9.日本陸軍九五式重戦車


写真(右)1945年8月末以降,日本、日本陸軍九五式重戦車

Description 日本語: 九五式重戦車 English: Imperial Japanese Army Type 95 Heavy Tank Date mid 1930s
Source 日本語: 出版協同社、1978年、原乙未生 監修、竹内昭 著 『日本の戦車』 p141 English: Tomio Hara, Akira Takeuchi "Nihon no sensha (Japanese tanks)" p141, Shuppan Kyodosha, 1978.
Author 日本語: 日本陸軍 English: Imperial Japanese Army
写真は,Category:Type 95 Heavy Tank File:Type 95 Heavy Tank 01.jpg引用。


日本陸軍の九五式重戦車は、1935年(皇紀2595年)に開発された重戦車で、「九五式」の名は皇紀の下二桁を表したが、秘匿名称としてロ号といわれた。同時期の八九式中戦車はイ号、九五式軽戦車ハ号と呼ばれたが、これら2種類の戦車は制式となり、量産された。

九五式重戦車重戦車の諸元
全長 6.47 m 、全幅 2.70 m 、全高 2.90 m
重量 26.0 トン
懸架方式: 板バネ
最高速力:路上22 km/h
航続距離 110 km
主砲:九四式七糎戦車砲(携行弾数:100発)
副兵装:九四式三十七粍戦車砲(携行弾数:250発)、6.5ミリ軽機関銃2丁(携行弾数:2,940発)
装甲:12mmから 35 mm
発動機:BMW IV 水冷直列6気筒ガソリン航空機用エンジン290馬力 / 1,600 rpm
乗員:5 名


10.ソ連赤軍 KV-1,KW-1重戦車


写真(右) 2008年6月、フィンランド、ヘルシンキ北100キロ、パロラ戦車博物館(Parola Tank Museum)に保管展示されているソ連赤軍KV-1E (KW-1)重戦車
:T-34戦車(初期型)1940年型と同じ砲身長3m短砲身30.5口径76.2ミリ戦車砲L-11を搭載。砲塔と車体の側方には、大型リベット止めの外装追加装甲(アップリケ装甲)が設けられて防御力の工場を図っている。
T-34戦車(初期型)1940年型と同じ短砲身長3m、30.5口径76.2ミリ戦車砲L-11を搭載。
English: KV-1E m 1941 in Parola Tank museum Suomi: KV-1E m 1941 raskastaistelupanssarivaunu "Klimi" Kuvan vaunu on vallattu Petroskoin luona Solomannissa loppuvuodesta 1941. Maalattu jatkosodan aikaiseen suomalaiseen naamioväriin. Date 1 June 2008, 10:29:53 (according to Exif data) Source Photo by me, Pitkäkaula Author Pitkäkaula
写真はWikimedia Commons, Category:KV-1 in the Moscow Central Armed Forces Museum、File:KV-1E m1941 Parola tank museum.jpg引用。


パロラ戦車博物館(Parola Armour Museum)は、貴重な戦車これくりょんを誇っているが、林の中に野外展示されており、戦車の劣化が心配される。そこで、この保管している戦車に屋根・シェルター(shelters)を付けるためのクラウドファンディング(crowdfunding)を募集している。屋根を付けた保管庫の経費は、40万ユーロ(euros)で、一般寄付のクラウドファンディング(crowdfunding)で半額の20万ユーロを目指している。

戦車の名称KWはロシア語ではKBで、KBとはソビエト連邦国防大臣のクリメント・ヴォロシーロフКлимент Ворошилов)の氏名を冠した略称である。英語のKV、ドイツ語のKWである。

ソ連軍KW-1重戦車は、45トンと配備された時点では驚異的な重戦車だったが、車体長6.75 m、全幅3.32 m、全高2.71 mと、できるだけ小型にまとめられている。砲塔には 41.5口径76.2mm ZIS-5戦車砲(収容砲弾数98発)を搭載し、砲塔前面装甲は90 mmと分厚かった。エンジンは、12気筒液冷ディーゼルV-2K 550 馬力/2150回転/分で、最高時速は整地35キロ、不整地17キロ、航続距離335キロだった。

ソ連軍KV-1重戦車は、第二次大戦勃発直前、1939年夏に76.2mmという当時としては大口径の戦車砲を搭載する重戦車として試作され、1939年冬、フィンランド冬戦争に実戦テストを受けたとするwikipediaの記述は疑問である。数少ない試作車を、対フィンランド戦に投入し、重戦車の存在を明らかにするにはリスクが大きすぎるからである。1939年12月に制式されているが、この短期間に制式されたことからも、とても実戦テストをした期間的余裕はない。

英語Vは、ロシア語KBで、KBはソビエト共産党国防委員長=国防大臣クリメント・ヴォロシーロフКлимент Ворошилов)の氏名であり、戦車にその名称を冠した。

ソ連軍のKB-1(ドイツはKW-1,英国はKV-1と表記)重戦車は,1939年開発,T-34中戦車と同じ76.2mm砲を装備していた。KB-1重戦車の30口径76.2ミリ砲は,当時の全てのドイツ軍戦車を撃破できるものだった。

ソ連軍のKB-1は、重装甲で防御力は強かったが、重量が45トンと当時は超重量戦車であったため、動力としてディーゼルエンジン550馬力を搭載していた。これは、軽飛行機よりも強力なエンジンである。


写真(右)2003年5月、ロシア連邦、モスクワ郊外、ロシア連邦中央軍事博物館(Central Armed Forces Museum of Russian Federation)に保管展示されているソ連赤軍KV-1(KW-1)重戦車
:T-34戦車(初期型)1940年型と同じ短砲身長3m、30.5口径76.2ミリ戦車砲L-11を搭載。
Soviet WW2 era Heavy tank Built:- 1939 to 1943 Total production:- 5,219 Main armament:- 76mm ZiS-5 tank gun The KV-1 was known for its heavy armour which was invulnerable to German tanks during the early part of the war. Known to the Germans as the KV-1C, the model 1942 had a fully cast turret and an improved engine. On display at the Central Armed Forces Museum, Moscow, Russia. 26th August 2017 Date 26 August 2017, 14:43 Source Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:KV-1E at the Parola Tank Museum、File:Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow (38859717001).jpg引用。


1941年6月22日にドイツ軍は独ソ不可侵条約を反故にしてソ連を電撃的に侵攻した。このバルバソッサ作戦当初、ソ連赤軍KB-1は世界最強の戦車で,1942年までに3000両生産された。砲塔装甲は前面90ミリ,側面75ミリと厚く,ドイツの37ミリ対戦車砲を問題としなかった。
しかし,重量45トンという重さのため,トランスミッションの不具合が生じやすかった。

ソ連軍は,KW−1重戦車を秘密兵器扱いし,フィンランド冬戦争には,T-34と同じく投入していない。フィンランドとの国境に近いレニングラードLeningrad)の工業で製造していたにもかかわらずである。
1941年6月22日,ソ連に侵攻したドイツ軍は,国境近くで,KB-1重戦車に直面し苦戦した。

KV−1重戦車の諸元
重量 43,5トン
全長 6,80 m、全幅 3,35 m、全高 2,70 m
装甲: 35-90 mm
兵装: 76,2mm-L/41 F-32 戦車砲
車載機銃3丁 × 7,62mm-DP28軽機関銃(発射速度:500-600発/分、初速:840m/s、有効射程:800m)

エンジン:V-12-ディーゼル W-2K 550 馬力
最高時速: 35 km/h、航続距離 335 km(路上)
乗員 5名

ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲を見る。


11.ソ連赤軍のT-34中戦車−大祖国戦争の担い手

ドイツ軍の独ソ戦バルバロッサ作戦(Unternehmen Barbarossa)初期の主力戦車であるIII号戦車が5センチ砲、最大装甲50ミリだったのに対して、ソ連赤軍が配備していたT-34戦車は76.2ミリ砲、最大装甲45ミリ、傾斜装甲による避弾径始に優れていた。機動力の上でも、ソ連軍のT-34戦車はキャタピラー(履帯)幅を広くとり、地面との接地圧力を低く抑え、機動力を確保している。


写真(上)1943年7月23-24日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍が鹵獲したソ連製T-34/76(1942年型)戦車の超壕テスト
;現地に木材や石材を並べて傾斜した対戦車壕を試作して、その後でソ連戦車が乗り越えられるかどうか、実際に鹵獲したT-34戦車を乗り入れる実験をした。
Hyökkäysvaunuesteiden kestävyyttä koetellaan Äänislinnassa 23-24.7.1943. ..
Subject place undated Sundström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-122260引用。


スターリンは、事前に1941年6月22日にドイツ軍の侵攻があるとの情報を、イギリスやスパイ情報から得ていた。しかし、これは独ソ不可侵条約を結んだばかりのドイツといさかいを起こさせる西側連合国の半ドイツの陰謀であるとみなしていた。しかし、ドイツを信用していたわけではなく、一時的な和平に過ぎないと考えていた。

1941年6月22日、バルバソッサ作戦発動したドイツが侵攻してきたとき、スターリンは、特にウクライナとベラルーシの工業設備や家畜、住民を東方のウラル山脈などへ急速疎開させる命令を出した。ウラル山脈南部、カザフスタン国境まで150キロのチェリャビンスクChelyabinsk)は、1930年代から、ソ連の「五か年計画」の重工業化によって、農業機械用の60馬力エンジン工場、ディーゼル駆動C-65 トラクター工場などが建設され、急速に拡大した。そして、第二次世界大戦勃発後2年とたたない1941年6月22日に独ソ戦が始まり、ドイツ軍が南は、ベラルーシ(白ロシア)、ウクライナを、北はバルト諸国、レニングラードを支配下に置く危機が現実のものとなると、急遽、そこにあった工場設備を、モスクワの東方、ウラル山脈あたりにまで疎開する大移動が実施に移された。

ドイツ陸軍III号戦車やIV号戦車Sd. Kfz. 161)が、キャタピラー(履帯)上部に小型転輪を、下部にも小型の転輪を装備しているのに対して、T-34戦車以降のソ連戦車は、大型転輪を採用している。懸架装置(サスペンション)は、接地している大型転輪を一つずつ車体側面に設けたコイル・スプリングで独立懸架させたクリスティー式サスペンションである。

⇒1941年6月22日ソ連侵攻バルバロッサ作戦を読む。

写真(右)1943年7月23-24日、フィンランド、ラップランド、フィンランド軍が鹵獲したソ連製T-34/76戦車の超壕テスト;現地に木材や石材を並べて傾斜した対戦車壕を試作して、その後でソ連戦車が乗り越えられるかどうか、実際に鹵獲したT-34戦車を乗り入れる実験をした。長砲身76.2ミリ(3インチ)砲を装備した攻撃力,機動力,防御力のバランスのとれたソ連軍のT-34戦車だったが、搭乗員のための車内空間は狭く,砲塔も小さいので,居住性や砲塔操作性は良くなかった。
Hyökkäysvaunuesteiden kestävyyttä koetellaan Äänislinnassa 23-24.7.1943.
Subject place undated Sundström, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-122232引用。


ソ連赤軍T-34戦車を見る。


◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2020年8月14日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai@tokai-u.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 9000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2010/8/14 All Rights Reserved.