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フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft fire 2020
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◆フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft guns
写真(上):2008年10月,対ソビエト連邦の冬戦争・継続戦争で使用された、フィンランド軍のラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ対空機関砲(2 cm FlaK 30)
:フィンランド軍は2 cm Flak 30を1939年にドイツから購入し20 ItK 30 BSWと命名。
Deutsch: In Deutschland hergestellte Fliegerabwehrkanone vom Typ 2-cm-Flak 30; im Einsatz (beispielsweise) bei der Finnischen Luftverteidigung im Zweiten Weltkrieg. English: German made 2-cm-Flak 30 (20 mm anti-aircraft gun late 30'). Used by (for instance) Defence Forces of Finland at WW II. Date 26 October 2008 Source Own work Author Janisa
写真はWikimedia Commons Category:2 cm FlaK 30 in museums File:20mm anti-aircraft cannon BSW.JPG引用。


写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)

Helsingin ilmatorjunta: Ilmatorjuntarykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-157434引用。


1.マキシム(Maxim)09-09口径7.62ミリ機関銃

写真(右)1940年2月1日、1939年11月に始まった冬戦争の末期、フィンランド軍がソ連軍から鹵獲したマキシムM1931四連装対空機関銃:ソ連軍のマキシムM1910水冷機関銃を四連装とした対空機関銃で、ソ連軍の装備である。フィンランド軍は、ソ連軍のマキシム(Maxim)M1910機関銃を改装して、1932年にマキシム(Maxim)M/32あるいはM/33機関銃を開発した。毎分850発の発射速度で、ソ連軍のマキシムM1910機関銃の発射速度(毎分600発)よりも速かった。これは、新型の金属製給弾ベルト、マズルブレーキの採用によって可能になった。
It.KK. Lemetti.Rykmentin motti. Kuvassa nelipiippuinen ilmatorjuntakonekivääri m/31 (neljä Maxim-konekivääriä), urkupyssy. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-01
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive From the front line to the home front 1939-1945引用。


マキシム1905年式7.62ミリ重機関銃Museot Finna)は、口径7,62 mm x 54 R、全長111 cm、銃身長72 cm、重量(銃単体で車輪・銃座等なし)28,25 kg 、発射速度500 - 600発/分、ベルト給弾方式(250 発)だった。大型車輪・防楯など装備一式の総重量は 36 kg-45 kg、一般的には43.5 kgにもなった。しかし、信頼性が高く、銃身冷却メカニズムが有効に左右したために、長時間の連続発射にも耐えられた。


写真(右)1939年12月16日、冬戦争の時期、フィンランド、クイツ(Kuitu Oy)合成レーヨン工場の上に据え付けられたマキシム(Maxim)09-09 口径7.62ミリ機関銃を操作するフィンランド軍兵士
:クイツ(Kuitu Oy)は、1938年に設立された合成レーヨン繊維の製造工場で、人工シルク、フィルム、人工ウールを生産。この工場で使用する電気は、1937年に完成したロウヒアラ(Rouhiala)発電所から送電された。つまり、元のキャプションでは、大砲のように記述されているが誤りと。
Kuitu Oy:llä konstruoitu IT-tykki. Kyseessä ilmatorjunnassa käytetty Maxim 09-09 kal 7.62 konekivääri, eli ei alkuperäisen kuvatekstin mainitsemaa IT-tykkiä.
Aineistotyyppi Valokuva Organisation Military Museum Photo info: 1939-12-16.
写真は,Museot Finna sa-kuva-164885用。


第二次世界大戦の勃発から3ヶ月後、1939年11月30日に、ソビエト連邦は、それまでのフィンランドに、
1)ソ連との同盟条約の締結、
2)レニングラードの安全保障のためのカレリア地峡Karelian Isthmus)と北方領土の交換、
3)レニングラードの海上交通路となるハンコ半島におけるソ連軍駐留基地の要求、
をフィンランドが拒否したために、国境での武力衝突を理由にフィンランドに攻め入った。これが、「冬戦争」である。

ソ連は、独立していたバルト三国(リトアニア、エストニア、ラトビア)に対して、ソ連軍の駐留要求を突きつけ認めさせた。そこで、フィンランドに対しても同様の要求を突き付けたが、拒否された。怒ったソ連指導者ヨシフ・スターリンは、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソ連赤軍にフィンランドを攻撃させた。このソ連による侵略行為に抵抗してフィンランドは、愛国的な冬戦争(talvisota)を闘う決意をした。


写真(右)1939-1942年頃、、フィンランド、フィンランド軍の口径7.62ミリマキシム1905年型7.62ミリ重機関銃と小銃による対空射撃のポーズ
:白色の迷彩服を着たフィンランド軍兵士が、対空射撃の姿勢をとって撮影に応じている。
It.KK. Ryhmä Kemijärvellä Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Tuntematon, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-112543用。


フィンランド軍のマキシム(Maxim)09-09 口径7.62ミリ機関銃は、原型はロシア軍のマキシム1905年式重機関銃(7,62 mm Maxim m/1905 )あるい1910年式7.62ミリ重機関銃(7,62 mm Maxim m/1910)である。このロシア軍の優秀な重機関銃をフィンランド軍は、M/09-09 7.62ミリ機関銃の形式で呼称し、生産したのである。

写真(右)1941年6月20日、冬戦争の時期、フィンランド、冬戦争の復讐戦「継続戦争」を始めたフィンランド軍兵士が操作する口径7.62mmマキシム(Maxim)M/32-33対空機関銃:このマキシム(Maxim)M/32-33機関銃は、ロシアが開発したM1910マキシム(Maxim)機関銃を原型に1932年にフィンランド仕様に改良された水冷式機関銃である。原型では給弾ベルトが布製だったが、雪や氷のある状況でも過熱して使用できるように、金属製給弾ベルトに変更されている。
It-konekivääri. Konekivääri Maxim m/32-33 ilmatorjuntakäytössä. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-20 Paavilainen E.J. kapt., valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-86985用。


1917年のロシア社会主義革命によって、ロシア皇帝(ツァーリ)ニコライ2世は、1917年3月15日に退位した。そして、ロシア帝国の内紛とレーニン率いるボリシェビキの民族独立の方針に乗じて、フィンランド国会が設置され、11月15日にはフィンランド独立宣言が発せられ、共和制憲法の下で、独立国となった。

新ロシア政府は、少数民族の支持を得るために、1917年12月22日、フィンランドの独立を承認した。こうして、フィンランドが、革命後のロシアから独立したときに、レニングラード北西方のカレリア地方は、フィンランド領となった。その後、1939年に冬戦争が始まり、1940年の冬戦争敗戦を迎え、フィンランド領だったカレリア地方は、ソ連に奪われた。しかし、1941年6月、復讐戦として始めた継承戦争の緒戦で、フィンランドは攻勢をかけて、カレリア地峡をソ連から奪還した。フィンランドは郷土回復を祝った。

写真(右)1941年6月20日、冬戦争の時期、フィンランド、冬戦争の復讐戦「継続戦争」を始めたフィンランド軍兵士が操作する7.62ミリマキシム(Maxim)M/32-33対空機関銃:指揮官、銃手、給弾手の3人で操作している。重量24 kg, 三脚式銃架 30 kg、全長1180 mm、銃身721 mm、弾薬7.62×53mmR、発射速度650–850発/分、有効射程2000 m、給弾方式200発ベルト給弾式。
It-konekivääri. Konekivääri Maxim m/32-33 ilmatorjuntakäytössä. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-20 Paavilainen E.J. kapt., valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-86985用。


Po-2複葉機 フィンランドが開発した7.62mmマキシム(Maxim)M/32-33機関銃の原型は、ロシア製マキシム1905年式7.62ミリ重機関銃Museot Finnaで、1932年にフィンランド仕様として、原形の布製給弾ベルトを金属製リンク給弾に変更し、雪や氷のある状況でも対処できるように改良された。

7.62mmマキシム(Maxim)M/32-33対空機関銃の諸元
銃重量:24 kg
三脚式銃架重量: 30 kg
全長:1180 mm
銃身長:721 mm
弾薬:7.62×53mmR(縁付き)
発射速度:650–850発/分
有効射程:2000 m
給弾方式:200発ベルト給弾式


2.7.62ミリ1931年式Itkk/31 連装対空機関銃

写真(右)1939−1940年、フィンランド、フィンランド軍の7.62ミリ ItKk / 31 VKT連装対空機関銃陣地を視察するフィンランドのキョスティ・カリオ大統領 ;ソ連に仕掛けられた冬戦争で敗れ、レニングラードに通じるカレリア地峡の割譲を余儀なくされたフィンランドは、敗戦後、国防力の強化に力を入れた。そして、ドイツのソ連侵攻直後の1941年6月25日、ソ連に対して宣戦布告し、領土奪還のために進軍を開始した。
Presidentti Kyösti Kallio tarkistaa ilmatorjunta-konekiväärejä
Subject date 1939 - 1940
Subject actor Kallio Kyösti
Organisation National Board of Antiquities - Musketti Collection Historian kuvakokoelma
Inventory ID HK19870106:368 Measurements 40 x 30 cm Photo info: 1939 - 1940 Bonney Thérèse, kuvaaja
写真はMuseot Finna・HK19870106:368引用。


キュオスティ・カッリオ(Kyösti Kallio:1873年4月10日生れ)は、フィンランド独立以来、指導的な政治家で、首相として1922年11月14日から1924年1月18日、1925年12月31日から1926年12月13日、1929年8月16日から1930年7月4日、1936年10月7日から1937年2月17日の4期を務めた。そして、ペール・エヴィン・スヴィンフヴュー(Pehr Evind Svinhufvud)大統領の後を継いで、第4代フィンランド共和国大統領として1937年3月1日から1940年12月19日までを務めた。そして、在任期間中、冬戦争の敗北半年後、1940年12月19日に死去した。

写真(右)1939年11月30日-1940年3月13日、冬戦争(Talvisota)の時期、ソ連機の空襲に備えて射撃体勢の整ったフィンランド軍の7.62ミリ ItKk / 31 VKT連装対空機関銃 :3名の対空機銃操作要員は、白色の冬季迷彩外套を着用している。
Talvisota. Kuvassa kaksois ilmatorjunta konekivääri m/31 (7,62 ITKK 31 VKT) tuliasemassaan. Content Type Photo Organisation Military Museum.
写真は,Museot Finna HK19751014:150用。


フィンランドは、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソ連の侵略を受けて、冬戦争(talvisota)を闘い始めた。、スウェーデン、ノルウェー、デンマークといったスカンジナビア明邦から馳せ参じた義勇兵もあったが、フィンランド軍は、カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に孤軍奮闘した。

写真(右)1939年12月18日、冬戦争の時期、フィンランド、城塞の上に据え付けられたフィンランド軍の7.62ミリ ItKk / 31 VKT連装対空機関銃を操作する兵士たち:7,62 ITKK 31 VKT(7,62 mm VKT)対空機関銃は、フィンランド陸軍の制式兵器で、フィンランド人のアイモ・ラティ(Aimo Lahti)の設計になる。原型は 7,62 ItKk/31 VKTで、その改良型が7,62 ItKk/31-40 VKTで、1933年から1944年に生産された。
IT-tykki lossin luona. Vuosalmi. 1939.12.18 IT-tykki lossin luona. Kuvassa on kaksois-ilmatorjunta-konekivääri 7.62 ItKk/31 VKT. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo .
写真は,Museot Finna sa-kuva-164911用。


第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソ連はフィンランドに侵攻、いきなりヘルシンキなど都市爆撃を敢行し、レニングラード方面から、フィンランド湾とフィンランドとロシアを結ぶラドガ湖に挟まれたカレリア地峡Karelian Isthmus)に軍を進めた。この侵略行為に抵抗してフィンランドは、冬戦争(talvisota)を闘い始めた。

写真(右)1940年2月7日、冬戦争の時期、フィンランド軍の7.62ミリ ItKk / 31 VKT連装対空機関銃とそれを操作する月白色迷彩服を着た3名のフィンランド軍対空要員 :フィンランドはソ連に奪われた領土奪回のため、1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に便乗してソ連に攻撃をかけレニングラード近郊まで領土を奪回した。
It. KK. Kyseessä 7,62 mm:n kaksoisilmatorjuntakonekivääri m/31 (7,62 ITKK 31 VKT).
Content Type Photo
Organisation Military Museum
Photo info 1940-02-07.
写真は,Museot Finna sa-kuva-114176用。


1931年にフィンランドが開発した7.62ミリ ItKk / 31 VKT空冷連装機関銃は、M/31円錐支柱式あるいはM/40三脚式銃架に搭載し、固定される。発射速度は1挺当たり毎分900発などで連装では毎分1,800発と高速で射撃可能である。

1939年11月30日、ソ連の侵略を阻止するために、カール・マンネルヘイムCarl Mannerheim)元帥の指揮下のフィンランド国防軍は、冬戦争(talvisota)を、しかし、独ソ不可侵条約を結んだドイツからも、スカンジナビア諸国からも、そして英仏からも大規模な軍事を援助を受けることができなかった。最終的には、ソ連赤軍に圧倒され、1940年3月12日、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、降伏し、ソ連の領土要求を受け入れた講和条約を結んだ。

写真(右)1940年2月24日、冬戦争の仕返し「継続戦争」開始3か月前、フィンランド、フィンランド軍の口径7.62ミリ1931年式7,62 Itkk/31連装対空機関銃:1931年にフィンランドが開発した空冷連装機関銃。M/31円錐支柱式あるいはM/40三脚式銃架に搭載する対空機関銃である。発射速度は1挺900発/分で連装なので1,800発と高速である。1933-1944年に合計507挺がフィンランドで生産された。
Kotimainen 7,62 mm:n kaksoisilmator-juntakonekivääri vuodelta 1931 (7,62 Itkk/31) Postitalon katolla Helsingissä. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1940-02-24 Tuntematon, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115232用。


写真(右)1940年2月24日、冬戦争の仕返し「継続戦争」開始3か月前、フィンランド、フィンランド軍の口径7.62ミリ1931年式7,62 Itkk/31連装対空機関銃:1931年にフィンランドが開発した空冷連装機関銃。M/31円錐支柱式あるいはM/40三脚式銃架に搭載する対空機関銃である。発射速度は1挺900発/分で連装なので1,800発と高速である。1933-1944年に合計507挺がフィンランドで生産された。
Kotimainen 7,62 mm:n Ikaksois ilmatorjuntak onekivääri vuodelta 1931 (7,62 Itkk/31) Postitalon katolla Helsingissä. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1940-02-24 Tuntematon, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115228用。


1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Jatkosota)を仕掛けたのは、フィンランドであり、イギリスとは戦わない、第二次世界大戦への参戦ではなく、ソ連との二国間戦争であるというのは、国際的には通用しない詭弁であり、ドイツと戦うソ連に対していち早く軍事援助を開始するとしたイギリスは、ソ連の同盟国として、フィンランドの対ソ攻撃を許さなかった。

写真(右)1940年2月24日、冬戦争の仕返し「継続戦争」開始3か月前、フィンランド、フィンランド軍の口径7.62ミリ1931年式7,62 Itkk/31連装対空機関銃の真正面:1931年フィンランド開発の連装機関銃は、M/31円錐支柱式あるいはM/40三脚式銃架に搭載される。1933-1944年に合計507挺が生産された。
Kotimainen 7,62 mm:n Ikaksois ilmatorjuntak onekivääri vuodelta 1931 (7,62 Itkk/31) Postitalon katolla Helsingissä. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1940-02-24 Tuntematon, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115229用。


写真(右)1939年11月30日-1940年3月13日、冬戦争の時期、ソ連空軍機による空爆に備えてフィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根に備えられたフィンランド軍の7.62ミリ ItKk / 31 VKT連装対空機関銃 :フィンランドはソ連に奪われた領土奪回のため、1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に便乗してソ連に攻撃をかけレニングラード近郊まで領土を奪回した。
ilmatorjunta (防空)-konekiväärejä(機関銃) Alkon katolla Salmisaaressa talvisodan aikana Hirsjärvi Auvo, kuvaaja 1939–1940 Aiheen paikka Helsinki, Salmisaari Aiheen aika 1939 - 1940 Organisaatio Museovirasto - Musketti Kokoelma Historian kuvakokoelma Inventaarionro HK19751014:150 Kuvaustiedot: 1939 - 1940 Helsinki,Salmisaari Hirsjärvi Auvo, kuvaaja.
写真は,Museot Finna HK19751014:150用。


ポリカルポフ I-16 タイプ18 (ノモンハン) 第二次世界大戦中の1941年6月25日から1944年9月19日にかけて、ソビエト連邦とフィンランドの間で第2次ソ芬(ソ連・フィンランド)戦争が戦われた。これは、第二次世界大戦の一局地戦であり、独立した「戦争」ではない。ソビエト連邦でも、この戦争は、枢軸国ドイツ・ハンガリー・ルーマニア・フィンランドなどと戦った大祖国戦争(独ソ戦)の一環と見なされている。

しかし、フィンランドは、イギリスとの戦争状態を回避する方便として、1939年のソ連によるフィンランド侵略を継承するソ連との二国間戦争「継続戦争」(フィンランド語: jatkosota)と呼称している。現在、日本やアメリカ・西欧諸国では、反共産主義、反ロシア感情からか、小国・民主主義国フィンランドへの同情からか、フィンランド側の言う「継続戦争」の呼称を多用している。

フィンランドでは、継続戦争開始後、 IKL (愛国人民同盟)、AKS(カレリア学徒会〉といった右翼団体は, フィンランド軍が新たにソ連の東カレリアまで進軍し、そこに住む同族のフィン人を併合して、ボスニア湾から白海にわ たる「大フィンランド」(Suur-Suomi) を建設することを提唱した。

写真(右)1942年3月21日、湖沼湿地におけるフィンランド軍スキー部隊と7.62ミリ1931年式Itkk/31連装対空機関銃(m/31:7,62 ITKK 31 VKT):フィンランド軍の開発した1932年にマキシム(Maxim)M/32あるいはM/33機関銃は、毎分850発の発射速度で、ソ連軍のマキシムM1910機関銃の発射速度(毎分600発)よりも速かった。これは、新型の金属製給弾ベルト、マズルブレーキの採用によって可能になった。
It.KK Märkäjärvellä. Kyseessä 7,62 mm:n kaksoisilmator-junta-konekivääri m/31 (7,62 ITKK 31 VKT).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-114174引用。


ポリカルポフ U-2 フィンランド軍口径7.62ミリ1931年式連装対空機関銃7,62 Itkk/31)の諸元
Itとはイタリア製の略称
総重量:104 kg (229 lb)
銃重量: 47 kg
全長: 113 cm (44 in)
銃身:72.3 cm (28.5 in)
操作人員:6名
弾薬:7.62×53mmR
銃架: M/31円錐支柱式、M/40三脚式
仰角:-10° - 80°
回転:360°
発射速度: 1挺当たり900発/分
銃口初速:800 m/s (2,600 ft/s)
有効射程:600 m (2,000 ft)
最大射程:1,000 m (3,300 ft)
給弾:250発
生産:1933-1944年に合計507挺生産


写真(右)1941年6月28日、冬戦争の報復戦「継続戦争」開始直後、フィンランド、フィンランド軍の口径7.62ミリ1931年式7,62 Itkk/31連装対空機関銃:この連装対空機関銃は、1931年にフィンランドが開発したもので、総重量104 kg (229 lb)、銃重量 47 kg、全長 113 cm (44 in)、銃身72.3 cm (28.5 in)、操作人員6名、弾薬7.62×53mmR、銃架 M/31円錐支柱式、M/40三脚式、仰角 -10° - 80°、回転360°、発射速度 1挺当たり900発/分、銃口初速:800 m/s (2,600 ft/s)、有効射程:600 m (2,000 ft)、最大射程:1,000 m (3,300 ft)、給弾250発、1933-1944年に合計507挺生産。
It-Kk. Kyseessä 7,62 ItKk/31 VKT, 7,62 mm:n kaksoisilmatorjuntakonekivääri. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-28 Volanen, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-165296用。



3.1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)

写真(右)1941年6月27日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、フィンランド軍が輸入し使用したイタリアの1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)と対空要員のフィンランド軍兵士6名:フィンランド軍ではイタリア製20mm対空機関砲を20 ItK/35.の20mm弾薬は12発入の保弾板で装填される。射撃後の空薬莢は、再度、保弾板にリセットされるので、回収が容易である。
20m/m tykki asemassa. Kuvassa on Italialainen 20mm Breda M/35 ilmator junta-tykki.Suomalainen nimike 20 ItK/35.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-06-27 Harrivirta, H., valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-85571用。


1936年に勃発したスペイン内戦において、フランシスコ・フランコ将軍の国民戦線・反乱軍側に立って「義勇兵」の名目で戦ったイタリア陸軍将兵は、1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲を使用した。その際は、対空機関砲としてだけではなく、大口径機関砲として、地上戦闘、特にスペイン人民政府の導入したソ連製T-26軽戦車への攻撃にも投入されている。スペイン内戦で実戦テストされた使用された1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲は、その後、対戦車兵器、地上戦用兵器として評価され、イタリア陸軍L6/40軽戦車、AB41装甲車の主砲としても採用されている。


写真(右)1942年3月1日、継続戦争、フィンランド、雪に覆われた対空監視哨の防空陣地、フィンランド軍が購入したイタリアの1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)
:4名の冬季白色迷彩の防空隊員(うち2人は双眼鏡を見ている)が20ミリ機銃を20 ItK/35を操作している、という演出写真。
20 mm ilmator junta-tykki toimii. Tuliasemassa 20 mm:n italialainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1935, 20 ItK 35 Br (Breda)..
Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-03-01 Kapteeni E.J.Paavilainen, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-2999用。


1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)の諸元
重量 330kg
全長 3.34m
銃身長 1,870mm
操作要員 3-6名
口径 20×138mmB弾(スイスのソロターン社開発の弾薬)
砲架 三脚式・脱着式二輪
仰角 -10°~+80°
旋回角 360°
発射速度 240発/分
銃口初速 840m/秒
有効射程 1,500m(航空目標)
最大射程 5,500m(地上目標)


写真(右)1942年4月20日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、丸太で囲まれた防空陣地、フィンランド軍が購入したイタリアの1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)
:フィンランド軍ではイタリア製20ミリ機銃を20 ItK/35.と命名している。
20mm. ilmatorjuntatykki asemissaan. Tuliasemassa 20 mm:n italialainen ilmator junta-tykki vuodelta 1935, 20 ItK 35 Br (Breda). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-04-20 Sot.virk. Esko Suomela, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-27378用。



写真(右)1942年4月20日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、木材で囲まれた防空陣地、フィンランド軍が購入したイタリアの1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲(20mm Breda M/35)
:フィンランド軍ではイタリア製20ミリ機銃を20 ItK/35.と命名している。
20mm. ilmatorjuntatykki asemissaan. Tuliasemassa 20 mm:n italialainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1935, 20 ItK 35 Br (Breda). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-04-20 Sot.virk. Esko Suomela, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-27377用。


1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲は、1930年にスイスのゾロターン(Solothurn)社(ラインメタル関連会社)が開発した20ミリ口径の20×138mmB弾薬を使用している。すなわち、口径20mm、薬莢長138mm、全長210mmの20ミリ弾薬である。このゾロターン(Solothurn)20×138mmB弾薬20×138mmB弾薬で共用できたため、独自開発のラハティ(Lahti) L-39 対戦車ライフル銃、ラハティ L-40 高射機関砲(20 ItK 40 VKT)にも同じ弾薬を採用している。

写真(右)1943年8月26日、フィンランド南東部、イマトラ(Imatra)、ヴオクサ(Vuoksi)渓谷、イマトラ製鉄所の対空陣地、フィンラン軍のイタリア製ブレダ(Breda)1935年式65口径20ミリ対空機関銃(Cannone-Mitragliera da 20/65 modello 35(Breda)):ブレダ(Breda) 20/65 modello 35をイタリアから輸入したフィンランドは、1935年式ブレダ対空機関銃 (Breda m35)として制式した。
Italia laisvalmisteinen 20 mm:n ilmator junta-tykki (Breda m35) tuliasemassa. Värikuvien selosteessa: 20 mm:n it-tykki. Suulajärvi 26.8.1943..
Organisation Military Museum Photo info 1943-08-26 Vilho Koivumäki, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-83388引用。


フィンランド南東部、イマトラ(Imatra)、イマトラ(Imatra)市街から南東2キロ離れているイマトラ第12区テッパナラにある、イマトラ製鉄所(フィンランド最大級の金属工場)で、工場の煙突が並び、そこから煙がたなびいていた。対空砲火は、このような産業施設を防衛するために据え付けられた。

⇒写真集Album:フィンランド軍のブレダ20ミリM1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)を見る。


4.ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲

写真(右)1940年2月24日、冬戦争の末期、フィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根、ソ連空軍機に備えるドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30ガストロフ(Gustloff)対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲2 cm Flak 30は、フィンランドでは20 ItK/30 BSWと呼称した。ドイツ製1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)は、ラインメタル社で生産期間1934–1939年、総重量890 kg 全長 225 cm、銃身長 130 mm (L/65口径)、弾薬Patruuna 20 mm x 138 B、発射速度 120 発/分から280 発/分、初速 830–900 m/秒、有効射程 1200 m。後に、モーゼル社が改良して1938年式2センチ対空機関砲(2 cm Flak 38)を開発した。
It.tykki Alkon varaston katolla. Tykkinä saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-24 .
写真は,Museot Finna sa-kuva-115255用。


ドイツ軍の1930年式2センチ単装対空機関砲(2 cm Flak 30)は、フィンランド軍も20 ItK/30 BSWと命名して採用した。1930年式2センチ対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)は、ラインメタル社が開発したもので、生産期間1934–1939年以降に 8,000門が量産されている。

1930年式2センチ単装対空機関砲(2 cm Flak 30)は、第二次世界大戦後の1940年に改良型の1938年式2センチ対空機関砲(2 cm Flak 38)に更新され、二連装対空機関砲、四連装対空機関砲も含めて、1945年までに合計銃身ベースで4万門が大量生産された。

写真(右)1940年2月24日、冬戦争の末期、フィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30ガストロフ(Gustloff)対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)と対空測距儀で目標までの距離を計測するフィンランド国防軍兵士:銃座の傍らで小型の測距儀を操作するフィンランド国防軍兵士は、軍手のような手袋をしている。
It.tykki Alkon varaston katolla. Tykkinä saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-24.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115250用。


写真(右)1940年2月24日、冬戦争の末期、フィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)の照準器を調整するフィンランド国防軍兵士:銃座の照準器を調整する兵士は、軍手のような手袋をしている。
It.tykki Alkon varaston katolla. Tykkinä saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-24.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115247用。


写真(右)1940年2月24日、冬戦争の末期、フィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)の照準器を覗いて仰角を調整するフィンランド国防軍兵士:銃座の回転と銃身の上げ下げをするのに各々1名の操作手が必要で、この他、弾倉を運搬・装填するにも1名から2名の弾込め手が必要。機銃を指揮する指揮者1名を含め、4-5名で1基を操作することになる。
It.tykki Alkon varaston katolla. Tykkinä saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-24.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115249用。


写真(右)1940年2月24日、冬戦争の末期、フィンランドの首都ヘルシンキ、港湾近くサルミサアリのアルコ社屋根、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30ガストロフ(Gustloff)対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)と双眼鏡と銃剣付小銃を持って警備するフィンランド国防軍兵士:銃座の周囲はコンクリートがうってあるのであろうか、半地下式の頑丈そうな側壁が見える。
It.tykki Alkon varaston katolla. Tykkinä saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1940-02-24.
写真は,Museot Finna sa-kuva-115253用。


ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチ単装対空機関砲(2 cm Flak 30)の諸元
重量 450 kg (992 lbs)
全長 4.08 m (13.38 ft)
銃身長 1.3 m (4.26 ft) (L/65口径)
全幅 1.81 m (6 ft)
全高 1.6 m (5.24 ft)
操作要員数 7名
弾薬 20×138mmB弾
口径 20 mm (.78 in)
仰角 -12° - +90°
旋回角 360°
発射速度 280 - 450 発/分 (最高値)-120-180発/分 (実用値)
銃口初速 900 m/s (2,953 ft/s)
有効射程 2,200 m (2,406 yds)
装填方式 20発箱形弾倉

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、対空監視哨の高射機関銃陣地、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:夏の日差しの中を目標が視界に入ったことを確認する対空陣地に勤務するフィンランド軍兵士たち。
Maali näkyvissä. Kyseessä saksalainen ilmator juntatykki, 20 ItK/30 BSW. Military Museum Photo info 1941-07-02 Johnsson, L., valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-87297引用。


写真(右)1941年7月10日、フィンランド、ガストロフ(Gustloff)対空監視哨の高射機関銃陣地、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)の射撃練習中のフィンランド国防軍兵士たち:夏の日差しの中を日光浴をしながら対空陣地に勤務するフィンランド軍兵士たち。
Naamioitu 20 mm ``Gustloff ́ ́ Tuliasemassa saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK/30 BSW). Military Museum Photo info 1941-07-10 V. Koivumäki, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-83566引用。


イリューシン IL-2 ドイツは「バルバロッサ作戦」を発動、1941年6月22日、ソ連に侵攻した。この時、フィンランドは形勢を見るためにも、ソ連攻撃を躊躇した。しかし、フィンランドの独ソ戦中立の表明にもかかわらず、フィンランドの親ドイツてき立場は明らかであり、レニングラードに近いフィンランド国境にフィンランド軍が集中していることも、ドイツ軍がフィンランド領内に駐留していることも、ソ連側はスパイ情報によっても明らかに知っていたであろう。

実際、フィンランド領内のドイツ空軍機がソ連に対する空襲を仕掛けており、ソ連はフィンランドの反ソ連軍事行動を正中するために、フィンランド領内の軍事基地を空襲した。これは、当然の認められるべき報復攻撃である。しかし、フィンランドは、ソ連による不法攻撃であるとの口実で、1941年6月25日、ソ連に対して宣戦布告した。

写真(右)1941年8月25日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)の射撃訓練をするフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲2 cm Flak 30は、フィンランドでは20 ItK/30 BSWと呼称した。
Ilmatorjunta kk. Saksalainen 20mm. Kuvassa on saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: 1941-08-25 Vänrikki Pentti Nikulainen, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-72757引用。


ドイツ製1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)は、ラインメタル社で生産期間1934–1939年、総重量890 kg 全長 225 cm、銃身長 130 mm (L/65口径)、弾薬Patruuna 20 mm x 138 B、発射速度 120 発/分から280 発/分、初速 830–900 m/秒、有効射程 1200 m。後に、モーゼル社が改良して1938年式2センチ対空機関砲(2 cm Flak 38)を開発した。

写真(右)1941年8月25日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:「ドイツとともに勝利に向けて共闘する」ことを讃える対空機関砲の陣地の宣伝写真。
Saksalaisten It toiminnassa Voitolla. Kuvassa 20 mm:n saksalainen ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK/20 BSW). Military Museum Photo info 1941-10-14 Sot.virk. V. Hollming, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-51296引用。


写真(右)1941-1944年頃、フィンランド、雪原の対空陣地でドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:手前には箱型弾倉マガジンが置かれている。
20 mm:n saksalainen ilmator juntatykki (20 ItK 30) talvisodan aikana. Tuntematon, valokuvaaja NÄYTÄ MUUT VERSIOT (1) Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-164267引用。


写真(右)1941-1944年頃、フィンランド、雪原の対空陣地でドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式2センチFlak 30対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 30 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:操作する対空要員は白色の冬季迷彩服を着ている。そして、銃身にも白色の迷彩カバーをかけて偽装をしているので、上空から発見するのが困難な陣地となっている。
20 mm:n saksalainen ilmator juntatykki (20 ItK 30) talvisodan aikana. Tuntematon, valokuvaaja NÄYTÄ MUUT VERSIOT (1) Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-164269引用。


写真(右)1944年7月24日、フィンランド、カンナの戦いで栄誉を受けた対空部隊の20mmガストロフ(Gustlof)対空機関砲(20 ItK 30 BSW)=ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ軽対空機関砲(2 cm Flak 30)。射撃練習をする4名の隊員は、暑いのか上半身裸である。:左側の兵士は、20ミリ機銃弾の入った箱型弾倉をもって、装填の準備をしている。フィンランド軍が使用したドイツ製1930年式20ミリ対空機関銃は、フィンランド軍では20 ItK 30 BSWの名称で採用された。
``Tulta ́ ́. Kannaksen taistelussa kunnostautuneet ilmator juntamiehet ovat saaneet viholliskoneita näkyviin. Saksalainen 20 mm:n ilmatorjuntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1944-07-24 Vänrikki S.K.Syhlman, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-133767引用。


写真(右)1944年7月24日、フィンランド、カンナの戦いで栄誉を受けた対空部隊の20mmガストロフ(Gustlof)対空機関砲(20 ItK 30 BSW)=ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ軽対空機関砲(2 cm Flak 30)。しぇげき訓練中の4名の隊員は、暑いのか上半身裸である。:左側の兵士は、20ミリ機銃弾の入った箱型弾倉をもって、装填の準備をしている。フィンランド軍が使用したドイツ製1930年式20ミリ対空機関銃は、フィンランド軍では20 ItK 30 BSWの名称で採用された。
``Tulta ́ ́. Kannaksen taistelussa kunnostautuneet ilmator juntamiehet ovat saaneet viholliskoneita näkyviin. Saksalainen 20 mm:n ilmatorjuntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1944-07-24 Vänrikki S.K.Syhlman, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-133768引用。


写真(右)1944年7月28日、フィンランド南東部、ハルン(現在ロシア領)、フィンランド国防軍対空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリガストロフ(Gustloff)対空機関銃(20 ItK 30 BSW)操作する3名の隊員は、異なったヘルメットを被っている。:左側の兵士は、20ミリ機銃弾の入った箱型弾倉をもって、装填の準備をしている。フィンランド軍が使用したドイツ製1930年式20ミリ対空機関銃は、フィンランド軍ではガストロフ(Gustloff)20 ItK 30 BSWの名称で採用された。
20 mm:n tykki asemassa Harlun kylän laidassa. Kuvan tykki on saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1930, 20 ItK 30 (BSW). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-07-28 Sot.virk. J.M.Wuorela, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-124735引用。


写真(右)1944年8月8日、フィンランド、フィンランド国防軍ヒルピネン軍曹指揮する対空要員が20mmガストロフ(Gustlof)対空機関砲(ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ対空機関銃:20 ItK 30 BSW):フィンランド軍が使用したドイツ製1930年式20ミリ対空機関銃は、フィンランド軍では20 ItK 30 BSWの名称で採用された。
Ylikersantti Hilpisen jaokseen kuuluva 20 mm. Gustlof-ilmator juntatykki. Miehet seuraamassa konetta. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-08-08 Vänrikki E. Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-155727引用。


1939年にフィンランドは、50基の1930年式2mc 軽対空砲 Flak 30 を、20 Itk/30 BSW(ラインメタル)と名付けて輸入した。そして、1941年6月の対ソ侵攻「継続戦争」(Continuation War)の時には、113基の1938年式2cm Flak 38軽対空砲を 20 ItK/38 BSW(ラインメタル)と名付けて輸入した。

写真(右)1944年8月8日、フィンランド、フィンランド国防軍ヒルピネン軍曹指揮する対空部隊の20mmガストロフ(Gustlof)対空機関砲(20 ItK 30 BSW)で飛行機に狙いをつける対空要員たちの演出写真:ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ軽対空砲を輸入したフィンランドは、20mmガストロフ(Gustlof)対空砲(20 ItK 30 BSW)の名称で使用している。
Ylikersantti Hilpisen jaokseen kuuluva 20 mm Gustlof-ilmatorjuntatykki. Miehet seuraamassa konetta. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-08-08 Vänrikki E. Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-155728引用。


第二次大戦中に、ドイツ製ラインメタル1930年式20ミリ単装対空機関銃は、ギリシャも108基を使用し、ルーマニアも1940年9月に 300基を発注し、対ソ侵攻の1か月前、1941年5月に支給を受けている。このドイツ製2 cm Flak 30, Flak 38は、グルトロフ(Gustloff)砲とも呼ばれている。

写真(右)1944年8月8日、フィンランド、フィンランド国防軍ヒルピネン軍曹指揮する対空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1930年式20ミリ対空機関銃(20 ItK 30 BSW)射撃練習をする5名の隊員たち:フィンランド軍が使用したドイツ製1930年式20ミリ対空機関銃は、フィンランド軍では20mmガストロフ(Gustlof)対空砲(20 ItK 30 BSW)の名称で採用された。
Ylikersantti Hilpisen jaokseen kuuluva 20 mm Gustlof-ilmator juntatykki. Miehet seuraamassa konetta. Kuvassa 20 mm:n saksalainen ilmator juntatykki vuodelta 1930 (20 ItK 30 BSW). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-08-08 Vänrikki E. Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-155729引用。



5.ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38対空機関砲

写真(右)1941年7月20日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、マトカセルカ、据え付けられたドイツのラインメタル(Rheinmetall)1938年の 式20mm軽対空砲(20 ItK 38)、フィンランド名1941年式20mmガストロフ(Gustloff)対空機関砲を操作するフィンランド軍兵士たち:照準器に白い紙が掛けてあるのは、太陽光線による幻惑を防ぐためであろうか。
Gustloff malli 41. Kyseessä 20 mm:n saksalainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1938 (20 ItK 38 BSW, Gustloff). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-07-20 L. Johnsson, valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-85586用。


ドイツのラインメタル(Rheinmetall)1938年式20mm軽対空砲(2 cm Flak 38)、フィンランド名1941年式cmストロフ対空機関砲(20 ItK 38)は、原型の1930年式2cm軽対空砲(20 ItK 30)あるいは1935年式ブレダ(Breda)20mm対空機関砲と同じく、1930年にスイスのゾロターン(Solothurn)社(ラインメタル関連会社)が開発した20ミリ口径の20×138mmB弾薬を採用している。すなわち、これらの20ミリ機関銃の使用する弾薬は共通性があって、口径は20mm、薬莢長は138mm、全長は210mmの長い20ミリ弾薬である。

写真(右)1941年7月20日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、据え付けられた1938年のドイツのラインメタル(Rheinmetall)20mm軽対空砲(20 ItK 38)、フィンランド名1941年式20mmストロフ対空機関砲の照準器で目標を狙うフィンランド軍対空砲火要員:照準器に目盛、ガラス版、照星が設けられていて、一の調整が可能である。
Gustloff malli 41. Kyseessä 20 mm:n saksalainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1938 (20 ItK 38 BSW, Gustloff). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-07-20 L. Johnsson, valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-85586用。


ゾロターン(Solothurn)は、ドイツが第一次世界大戦に敗れて、国内でも兵器生産がベルサイユ条約で困難になった状況で、ラインメタル社がスイスに設立した関連会社であり、スイス独自の会社ではない。中立国だったスイスのドイツ兵器メーカー、飛行機メーカーは関連会社を設立し、ベルサイユ条約の兵器開発、飛行機生産の制限を搔い潜って、開発と生産を進めたのである。

ゾロターン(Solothurn)20×138mmB弾薬は、事実上、ドイツのラインメタルの機関銃に使用されることは大前提だったといってよい。そこで、ドイツのラインメタル1930年式2センチ軽対空砲(2 cm Flak 30)、その発展型1938年式2センチ軽対空砲(2 cm Flak 38)は、この共通のゾロターン(Solothurn)20×138mmB弾薬を採用した。そして、フィンランドは、ドイツのラインメタル2cm軽対空砲を購入したため、フィンランド国営銃器会社の開発した同じ20mm口径のラハティ(Lahti) L-39 対戦車ライフル銃、ラハティ L-40 高射機関砲(20 ItK 40 VKT)も、同じ弾薬を使用したのは当然の成り行きだった。

写真(右)1941年7月21日、継続戦争の勃発直後、フィンランド、マトカセルカ、据え付けられた1938年のドイツのラインメタル(Rheinmetall)20mm軽対空砲(20 ItK 38)を操作するフィンランド軍兵士たち
20 mm:n it-patteri tuliasemissaan Matkaselässä. Kuvassa saksalainen 20 mm:n kevyt ilmantorjuntatykki vuodelta 1938(20 ItK 38). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-07-21 Kantoluoto, sotavirkailija, valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-80827用。


ドイツ軍 20mm Flak38 対空機関砲 第二次世界大戦の勃発後、ドイツのラインメタル(Rheinmetall)は、1930年式2センチFlak 38対空機関砲を原型に、その改良型を1940年に開発し、1938年式20ミリ Flak38 対空機関砲(2 cm Flak 38)と命名した。1938年式20ミリ Flak38 対空機関砲は、銃架に装備され、手動による旋回、俯角20度から仰角90までの射撃を、俯仰手、旋回手、装填手、射撃手の最低4名で操作できる。

また、ドイツでは、二輪トレーラー(Sd.Ah.51)に搭載して、牽引車で運搬できるほか、半装軌装甲車Sd Kfz 251の後部上面に搭載した自走対空砲にも使用された。また、2cm Flak 38は、Flak 30同様、ドイツ陸・海・空軍、武装親衛隊でも採用され、ドイツ軍とともにあらゆる戦場で戦った後半に使用されている。

写真(右)1941-1944年、フィンランド、バルト海沿岸(?)、対空陣地、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 38 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:「ドイツとともに勝利に向けて共闘する」ことを讃える対空機関砲の陣地の宣伝写真。
Ilmatorjuntaa. Kuvassa 20 mm:n saksalainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1938 (20 ItK/38 BSW). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-30874引用。


ドイツ軍 20mm Flak38 対空機関砲 ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38対空機関砲(2 cm Flak 38)の諸元
重量 450kg(992lbs)
全長 4.08m(13.38ft)
銃身長 1.3m(4.26ft)(L/65口径)
全幅 1.81m(6ft)
全高 1.6m(5.24ft)
操作要員 7名
弾薬 20×138mmB弾
口径 20mm(.78in)
仰角 -10°-+90°
旋回角 360°
発射速度 280–450発/分
実用発射速度 120–180発/分
初速 900m/s(2,953ft/s)
有効射程 2,200m(2,406yds)
装填方式 20発箱型弾倉

写真(右)1941年10月14日、フィンランド、バルト海沿岸(?)、対空陣地、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38 対空機関砲(2 cm Flak 38 : 20 ItK/38 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち
Ilmatorjuntaa. Kuvassa 20 mm:n saksalainen ilmatorjuntatykki vuodelta 1938 (20 ItK/38 BSW)..
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-30878引用。


写真(右)1943年10月、フィンランド、ヘルシンキ、噴水前に置かれた対空陣地、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 38 BSW)を操作するフィンランド国防軍兵士たち
Helsingin ilmatorjuntaa Majuri A. Tallinheimo, valokuvaaja
Helsingin ilmatorjuntaa. Lokakuu 1943. Tykki on saksalainen 20 mm:n ilmatorjuntatykki vuodelta 1938, 20 ItK/38 (BSW).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-30874引用。


1938年式2センチFlak 38対空機関砲(2 cm Flak 30 :20 ItK 38 BSW)の旋回、仰角、装弾、射撃と最低4名の対空機関銃要員が必要である。1930年型20ミリ機関銃とは異なって、1938年型20mm対空機関銃は円形銃架を採用しているの判別は容易である。

ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリ対空機関銃は、ドイツ陸海軍だけではなく、フィンランド軍も1939年にドイツから50基の2センチ Flak 30を輸入し、20 Itk/30 BSWと命名して使用した。そして、1941年6月以降の継続戦争では、あらたに113基の2センチ Flak 38を輸入し、20 ItK/38 BSW)と命名して使用した。

写真(右)1941年8月25日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式2センチFlak 38対空機関砲(2 cm Flak 38 :20 ItK 38 BSW)の照準装置とフィンランド国防軍の対空防衛隊員たち:精密な照準を合わせることも重要だが、三次元を移動する飛行機の未来位置に的確な射撃をするのは至難の業である。
Ilmatorjuntaa. Kuvassa 20 mm:n saksalaisen ilmatorjuntatykin vuosimallia 1938 (20 ItK/38 BSW) tähtäin.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-30876引用。


飛行する航空機を地上の対空要因から眺めると、上下左右に移動しているように見えても、遠ざかったり、接近したりと、三次元の運動のために、その位置情報を正確に把握することは難しい。銃口初速が毎秒数百メートルとしても、数秒後には、飛行機は数十メートルは移動してしまっているので、その未来位置に弾丸を飛ばして命中させるのはさらに困難になる。

また、弾丸は、直線ではなく、重力によって放物線の形状を飛行するために、直線目視し、未来予測した敵機の位置が計算できても、そこに放物線的な移動をする弾丸を飛ばして充てるのは至難の業である。

したがって、弾丸の銃口初速を高速化し、発射速度を増して、遠距離までできるだけ食洗に近いほう移戦の弾道で対空砲弾を飛ばすことが重要になる。

写真(右)1944年10月13日、フィンランド、フィンランド軍防空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリ対空機関銃(20 It.K/38BSW): 原典説明にはラインメタル(Rheinmetall)1939年式20ミリ機関銃(20 It.K/39BSW)とあるが、1938年式20ミリ対空機関銃(20 ItK 38 BSW)であろう。
82.Rask.It.Ptri, neliömäinen osittain maahan kaivettu lähitorjunta aseen (20 It.K/39BSW) suojavarustus. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-10-13 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153643引用。


写真(右)1944年10月13日、フィンランド、フィンランド軍防空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリガストロフ(Gustloff)対空機関銃(20 ItK 38 BSW)の照準器の照星を見つめるフィンランド射撃手:半地下式の対空陣地を作って、4名の対空要員が20ミリ対空機関銃を操作する。フィンランドが独自に開発、生産した国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、200門以下の量産と少なかった。
82.Rask.It.Ptri, 20 mm:n aseen suuntaaja ja korjauskoneiston hoitaja tehtävissään. Kuvassa saksalaisen 20 mm:n vuosimallia 1938 (20 ItK 38 BSW) olevan ilmatorjuntatykin tähtäin.
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-10-13 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153645引用。


リトアニア(Lithuania)は、1939年に150基の2センチ Flak 30を購入し、20ミリ対空自動機関砲LAP(20 mm lėktuvinis automatinis pabūklas LAP) と命名したが、その後、ソ連に併合された。しかし、1941年6月のドイツのソ連侵攻後、再びリトアニア人はドイツ側に立って戦っている。
ルーマニアは、ドイツとの同盟によって1940年9月に300基を発注し、ソ連侵攻直前の1941年5月に実際の支給を受け、グルトロフ銃( Gustloff gun)と呼称した。
スウェーデンは、56基の2センチ Flak 30を1939年に購入し、1939年式20ミリ対空機関銃(20 mm lvakan m/39)として配備した。

写真(右)1944年10月16日、フィンランド、フィンランド軍防空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリ対空機関銃(20 ItK 38 BSW):丸太で囲った六角形の塹壕を掘って半地下式の対空陣地で、20mm対空機関銃の照準器の照星を調整している。
20 It.K/39BSW:n lataaja. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen kuvassa on saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1938 (20 ItK 38 BSW).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-10-16 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153673引用。


写真(右)1944年10月16日、フィンランド、フィンランド軍防空部隊のドイツ製ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリガストロフ(Gustloff)対空機関銃(20 ItK 38 BSW)への20発入り箱型弾倉の装填作業:弾倉を装填する作業は、単装機銃なので、1人でも可能だが、発射速度が速いので、弾倉の運搬要員も必要となる。隊員は半地下式の塹壕を掘って、板や丸太で囲った防空陣地で身を守る。同時期には、フィンランドが独自に開発、生産した国産のフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)があったが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、200門以下の量産と少なかった。
20 It.K/39BSW:n lataaja. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen kuvassa on saksalainen 20 mm:n ilmator juntatykki vuodelta 1938 (20 ItK 38 BSW).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-10-16 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153674引用。


低高度で飛来する戦闘機・軽爆撃機を地上から迎え撃つために、ドイツのラインメタル・ボルジヒ社は、1930年に2 cm Flak 30の開発を始めた。当時、20ミリ口径の機関銃は大口径であり、機関砲ともいうべき威力だった。しかし、1930年代には、航空技術の進歩から、飛行機が高速化し、さらに操縦席などに装甲を施す機体もあったために、銃口初速も発射速度も速い新型機関銃が求められた。

こうして、既存の1930年式2 cm Flak 30を改良し、ラインメタル(Rheinmetall)1938年式20ミリ対空機関銃2 cm Flak 38が開発された。フィンランド軍は、前作1930年式2 cm Flak 30に続いて、1938年式20ミリ対空機関銃2 cm Flak 38を購入し、20 ItK 38 BSWと命名して部隊配備した。


6.国営銃器工場(Valtion Kivääritehdas)1940年式L-40 20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)


写真(右)1941年、フィンランド、草地に設けられた半地下式対空陣地のフィンランド国営銃器工場(Valtion Kivääritehdas)1940年式L-40 20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)
:手前には箱型弾倉マガジンが置かれている。
Kaksiputkinen 20 mm:n ilmator juntatykki
Finnish Heritage Agency
Collection Historian kuvakokoelma
Identifier HK19660913:83
Photo info valmistusaika: 1941
Johnsson, Lars, kuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive 引用。


フィンランド軍のL-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)(20 ItK 40/VKT)を開発、製造したフィンランド国営銃火器工場VKT (Valtion Kivääritehdas)は、1926年にフィンランド中南部内陸のユバスキュラ地方トルラに設立された銃火器の開発と製造を担う国営企業である。

フィンランド国営銃火器工場VKTの開発した第一の火器は、ラティ/サロランタM1926軽機関銃(Lahti-Saloranta M/26)で、次がラティ(Lahti)L-35 ピストル、ラティ L-39 20 mm 対戦車自動砲(ライフル)である。第二次大戦後の1946年に国営企業は分割、民営化された。

写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが独自に開発、生産した国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、生産数は200門以下と少なかった。
Helsingin ilmator junta: Ilmatorjunta rykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-119544引用。


フィンランド軍の1939年型L-39対戦車自動砲(ライフル)銃をフルオートの機関銃に改造し1940年の冬戦争の時期にはフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 試作機関銃が完成していた。1940年にフィンランド空軍が100門発注したが、生産は滞ったため、結局、1943年に155門、1944年に19門が生産されただけだった。1943年にL40 20ミリ連装対空機関銃が配備された。

写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが独自に開発、生産した国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、200門以下の量産に終わった。
Helsingin ilmatorjunta: Ilmator juntarykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-119545引用。


写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドの国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、生産数は200門以下と少なかった。
Helsingin ilmatorjunta: Ilmator juntarykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-157433引用。


写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが開発、生産した独自の国産機関銃だが、部隊配備は1943年以降と遅くなり、200門以下の量産に終わった。
Helsingin ilmatorjunta: Ilmator juntarykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-157435引用。


フィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)の諸元
総重量 射撃状態 652 kg (1,437 lb)
 移動状態 778 kg (1,715 lb) (transport)
全長Length 425 cm (13 ft 11 in)
銃身長Barrel length 1.3 m (4 ft 3 in)
全幅Width 1.35 m (4 ft 5 in)
弾薬Shell 20×138B
仰角Elevation −10° to +90°
旋回Traverse 360°
発射速度Rate of fire 2×700/分
2×250/分 (実戦)
銃口初速Muzzle velocity 830–850 m/s (2,273–2,788 ft/s)
有効射程Effective firing range 1,200 m (3,900 ft)
最大射程Maximum firing range 2,200 m (7,200 ft)
給弾方式Feed system 20 発入り弾倉 magazines

写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが開発、生産した独自の国産機関銃だが、部隊配備は1943年以降と遅くなり、200門以下の量産に終わった。
Helsingin ilmatorjunta: Ilmator juntarykmentti 1. (It.R.1.): 20 mm:n tykki tuliasemassa (20 Itk 40/VKT)..
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-157437引用。


写真(右)1944年3月5日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):左側の兵士は、20ミリ機銃弾の入った箱型弾倉をもって、装填の準備をしている。
20 mm:n tykki (20 ItK 40/VKT) toiminnassa Vesilinnan katolla. (Lähikuva).
Military Museum Photo info 1944-03-05 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Subjects 1944-03-05
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-157441引用。


写真(右)1944年6月18日、フィンランド、ヘルシンキ、低空飛行する鉄器を迎撃するフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが独自に開発、生産した国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、生産数は200門以下と少なかった。
Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-06-18 Sot.virk. Eino Nurmi, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-120973引用。


フィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)は、総重量 射撃状態 652 kgで、ゴム二輪式牽引状態 778 kgと人力移動は可能である。全長 425 cm、弾薬 20mm×138Bを毎分700発、二連装400発を射撃可能だが、実用発射速度は1門あたり250発である。

写真(右)1944年6月21日、フィンランド、ヘルシンキ、防空第一連隊(It.R.1.)、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):半地下式の対空陣地だが、地上への機銃掃射には防備が手薄なように思える。
20 mm:n tykki (20 ItK 40/VKT) toiminnassa Vesilinnan katolla. (Lähikuva).
Military Museum Photo info 1944-06-21 Sot.virk. Göte Vainio, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-150574引用。


フィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)は、 銃身長 1.3 mの長砲身なので銃口初速 毎秒830–850 mと早く、有効射程は 1,200 mある。給弾方式は、20 発入り弾倉なので、弾倉交換と弾倉への弾込めに時間がかかる。

写真(右)1944年10月13日、フィンランド、対空陣地のフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):継続戦争で、ソ連・イギリスに降伏したフィンランドは、それまでの同盟国だったドイツと戦うことを義務付けられた。そこで、対空機関銃も対ソ連防衛ではなく、対ドイツ戦のために転用されることになった。
39.Kev.It.Ptri: kuusikulmainen 20 It.K/40 VKT:n kuoppa. Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1944-10-13 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153603引用。


写真(右)1944年10月18日、フィンランド、二輪トレーラーに乗せられたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):継続戦争で、ソ連・イギリスに降伏したフィンランドは、それまでの同盟国だったドイツと戦うことを義務付けられた。そこで、対空機関銃も対ソ連防衛ではなく、対ドイツ戦のために転用されることになった。
1.Kev.It.Ptri, kuusikulmainen , osittain maanpäällinen 20 It.K/40 Vkt:n asema. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-10-18 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153736引用。


機関銃や火砲をゴム車輪を付けた砲架に乗せている理由は、トラックや牽引車による高速牽引、すなわち日本陸軍の言う「機動」を想定しているためである。高速移動では、車体の揺れや衝撃を吸収しないと砲火、機関銃の故障に繋がった。

写真(右)1944年10月18日、フィンランド、対空陣地に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):丸太で囲った六角形の塹壕を掘って半地下式の対空陣地を作って、4名の対空要員が20ミリ対空機関銃を操作している。
1.Kev.It.Ptri, kuusikulmainen , osittain maanpäällinen 20 It.K/40 Vkt:n asema. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1944-10-18 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-153695引用。


写真(右)1944年11月4日、継続戦争の敗北後、対ドイツのラップランド戦争の時期、フィンランド、対空砲台に設置されたフィンランド国営銃器工場(VKT)L-40 1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT):フィンランドが独自に開発、生産した国産対空機関銃だが、成功作とは言えず、登場時期も1943年以降と遅かったために、200門以下の量産と少なかった。
13.Kev.It.Ptri, 20 It.K/40VKT:n tuliasema, verholla suojattu kulmaan rakennuuttu ammuslokero.
Military Museum Photo info 1944-11-04 Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-154051引用。


フィンランド国営銃器工場(VKT)は、1940年式20ミリ連装対空機関銃(20 ItK 40/VKT)を開発し生産したが、その第一番目の火器は、ラティ/サロランタM1926軽機関銃(Lahti-Saloranta M/26)である。

ラティ/サロランタM1926軽機関銃Lahti-Saloranta M/26)をフィンランド軍が実戦使用したのは、1939年11月に始まった対ソ連「冬戦争」、その後の1941年6月の「継続戦争」である。しかし、最前線で使用するには、給弾の不安定、信頼性のなさが欠点で、M1926の評価は低かった。他方、重くても信頼性の高いスオミ KP/-31、鹵獲したソ連製の軽量で頑丈なDP28軽機関銃がフィンランド軍の前線兵士から高く評価された。そこで、フィンランド国産の軽機関銃ラティ・サロランタM1926Lahti-Saloranta M/26)は、大量生産はされずに終わった。

ラティ/サロランタM1926軽機関銃Lahti-Saloranta M/26)は、口径7.62mm、銃身長500 mm、弾薬7.62mm×53R、20発箱型弾倉あるいは75発ドラム弾倉、全長1,109 mm、重量9.3kg、発射速度450-550発/分、銃口初速800 m/s、有効射程400 m。


7.ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB)

写真(右)1941年8月25日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37は、フィンランドでは37 ItK / 37 RMB(ラインメタル=ボルジッヒ)と呼称した。
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37.ak 37.Content Type Organisation Military Museum Photo info: 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja .
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38119引用。


ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37をフィンランド軍は輸入して、37 ItK / 37 RMB(ラインメタル=ボルジッヒ)と命名して、部隊配備した。この3.7センチ対空機関砲の原型は、ラインメタル社の2 cm Flak 30で、これを同社が37mm口径に拡大して3.7cmFlak 18を開発した。

ラインメタルは、1930年式2 cm Flak 30対空機関銃の口径を37mmに拡大して3.7cmFlak 18機関砲を開発した。しかし、これは完成度が低かったために量産されずに終わった。そこで、ラインメタル社は、3.7cmFlak 18改良型の3.7 cm Flak 37を開発し、次いで量産性を高めた 3.7 cm Flak 43対空機関砲を完成させ、大量生産に入った。

ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)の諸元;
重量2,000 kg
銃身長3.626 m
操作員6–7名
弾薬 37 × 263B
弾薬重量 623–659 g
口径37 mm (L/57口径)
発射速度150 発/分
砲口初速770–820 m/秒
有効射程4,200 m。
操作要員: 6-7名
3.7 cm Flak 18/36/37生産期間: 1936–1945年
3.7 cm Flak 18/36/37生産数(銃身): ドイツ国産 20,243門
ルーマニア・ライセンス生産 360門

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)を操作するフィンランド国防軍兵士たち
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37.ak 37.Content Type Organisation Military Museum Photo info: 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38120引用。


1941年6月末に始まった継続戦争に於て、ソ連に侵攻したフィンランド軍は、瞬く間に1939年当時の旧国境まで進軍し、1940年の冬戦争で失った国土を取り返した。そして、1939年の旧国境を越えて、引き続き弱体化しているソ連軍を追って進撃を続けた。

フィンランドは,中東部の東カレリア地方では、旧国境を遥かに超えて占領地を拡大しており、これは当初の戦争目的である失地回復・国土奪回を超えた侵略的行為である。

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)を操作するフィンランド国防軍兵士たち
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37.ak 37.Content Type Organisation Military Museum Photo info: 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38123引用。


ノルウェー駐留ドイツ軍とともに、ぺツァモ(Petsamon lääni)からムルマンスク攻略にも進撃した。にもかかわらず、フィンランドは、占領地の拡大は、フィンランドの領土と国境を守るための正当な外延的防御線の移動であり、防衛的な行動であると弁明した。

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:簡易式対空測距儀を覗く兵士の周囲には、37ミリ対空機関砲の旋回、仰角、照準、装填を実施する対空要員が控えている。
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37.ak 37.Content Type Organisation Military Museum Photo info: 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38121引用。


ラインメタル社は、2 cm Flak 30を37mm口径に増強して3.7cmFlak 18を開発し、ついで 3.7 cm Flak 43が量産された。1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)の諸元;発射速度150 発/分、砲口初速770–820 m/秒、有効射程4,200 m

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37は、フィンランドでは37 ItK / 37 RMB(ラインメタル・ボルジ)と呼称した。ラインメタル社は、2 cm Flak 30を37mm口径に増強した3.7cmFlak 18を開発したが、これよりもボフォース40ミリ対空機関砲のほうが性能がよく、信頼性もあったようだ。
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37. Organisation Military Museum Photo info 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38124引用。


写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB)を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ドイツの対空機関砲3.7 cm Flak 37は、フィンランドでは37 ItK / 37 RMB(ラインメタル・ボルジ)と呼称した。
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37. Organisation Military Museum Photo info 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38125引用。


ドイツのラインメタル1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)は、発射速度150 発/分、砲口初速770−820 m/秒、有効射程4,200 mで、スウェーデンのボフォース40ミリ対空機関砲の発射速度毎分120発、銃口初速:881 m/s 、最大射程7,160 m (23,490 ft)と同等の性能だが、信頼性と量産性で劣っていたようだ。

写真(右)1941年7月10日、フィンランド、カレリア地峡、ドイツ製ラインメタル=ボルジッヒ (Rheinmetall-Borsig)1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37:フィンランド37 ItK / 37 RMB)を操作するフィンランド国防軍兵士たち
Saksalaisia IT-tä. Kal. 37mm. Sijoitetaan lauttoihin niiden valmistuttua. Kuvassa on 37 mm:n saksalainen ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1937, 37 ItK/37 RMB (Rheinmetall-Borsig), saksalainen nimike 3,7 cm Flak 37. Organisation Military Museum Photo info 1942-07-10 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-38122引用。


1941年8月21日、フィンランド外務大臣ヴィッティングは、アメリカ公使に対して、フィン ランド政府は,東カレリア地方の占領地拡大は、軍事戦略上、ドイツ軍によるレニングラード占領に重なるものであること、その時に、フィンランドは,ソ連と単独和平をすることはなく,1918年から1921年にかけてのロシア革命と反革命の時代と同じように、武装平和を維持する必要があること、を説いた。

換言すれば、ドイツが対ソ戦争に勝利を収めれば、ソビエト連邦が崩壊し、共産主義ボリシェビキも壊滅させられるのであって、この将来構想を前提に、フィンランドの独立は、確固たる基盤を持つに至ると予言したのである。

たしかに、1941年夏の継続戦争勃発当時、アメリカの軍事指導者の多くもソ連に侵攻したドイツ軍の進撃速度、100万をこえる捕虜の獲得、ソ連軍の壊滅的損害に目を奪われ、ソ連の崩壊は間近であると予測していたのであるから、フィンランドが同様に継続戦争に勝利するまで、戦争を闘い続けることは、十分予測できたのである。

 強国ドイツと同盟を組んで、対ソ戦争を楽観視していたフィンランドは、対ソ連戦争勝利の後に、イギリス、その後参戦したアメリカと講和すればよいと考えており,ソ連との戦争途中の休戦や講和は問題外であるとし、強気の姿勢で外交に臨んでいたのである。


8.ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲

写真(右)1939年12月13日、冬戦争の時期、フィンランド南部、カルマキ(Karhumäell)、スウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド軍兵士たち:。
IT-tykki Karhumäellä. Tuliasemassa ruotsalainen 40 mm:n Bofors. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1939-12-13.
写真は,Museot Finna sa-kuva-164891用。


スウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲を操作するには、砲の旋回、銃身の上下(仰角・俯角)、弾薬の装填、照準と人力による場合、指揮官が銃照準手も兼ねるとしても、最低4名は必要である。

同じボフォース40ミリ対空砲は、イギリス、アメリカなど西側連合国軍で広く使用された。ドイツは、オリジナルのラインメタル3.7センチ機関砲の量産し、日本は戦争末期にボフォース40ミリ対空機関砲のライセンス生産に踏み切ったが、量産に至らないままに終わっている。

写真(右)1939年12月16日、冬戦争の時期、フィンランド南部、カルマキ(Karhumäell)、スウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド軍兵士たち:操作するには、砲の旋回、銃身の上下(仰角・俯角)、弾薬の装填、照準指揮官の最低4名は必要である。同じボフォース40ミリ対空砲は、イギリス、アメリカでも広く使用された。
IT-tykki Karhumäellä. Tuliasemassa ruotsalainen 40 mm:n Bofors. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1939-12-16.
写真は,Museot Finna sa-kuva-164891用。


スウェーデンの代表的な兵器製造企業であるボフォースBofors)は、アルフレッド・ノーベルが鉄工所ボフォースを1894年に経営を引き継いでから火器・化学の開発部門を充実させ、世界的兵器メーカーに発展した。

写真(右)1939年11月30-1940年3月13 日、冬戦争の時期、フィンランド、ヘルシンキ北30キロ、ラヤマキ(Rajamäki:ラジャマキ)、据え付けられたスウェーデンのボフォース40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド軍兵士たち:操作するには、砲の旋回、銃身の上下(仰角・俯角)、弾薬の装填、照準指揮官の最低4名は必要である。
Tuntematon, valokuvaaja 1939–1940 Nurmijärvi, Rajamäen IT-patteri talvisodan aikana, 1939-1940. Kuvassa vas. lukien Aulis Lumme, Nisula ja Kalle Sairanen. Content Type Image Organisation Nurmijärvi museum Collection Nurmijärven museon kuva-arkisto Inventory ID nm_vk_3790 .
写真は,Museot Finna nm_vk_3790 用。


スウェーデンのボフォース40ミリ対空機関砲は、大口径40ミリ、長砲身60口径 L/60の高初速の対空用機関砲で「ボフォース砲」と単純に呼ばれる世界的に著名な機関砲である。イギリスは、ビッカースが独自の40ミリ対空機関砲を開発したが、低初速で、射程も短かったために、後に、ボフォース機関砲を大量配備する決定を下した。

アメリカも、艦艇の対空機関砲としてボフォース40ミリ連装対空機関砲、後にボフォース40ミリ四連装対空機関砲を量産して、空母、戦艦から駆逐艦、それ以下の小艦艇に至るまで主力艦載対空砲として配備した。

写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、ソ連空軍機に備えスウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド国防軍兵士たち:操作するには、砲の旋回、銃身の上下(仰角・俯角)、弾薬の装填、照準手、指揮官の最低5名は必要である。
It-patteri ampuu (ainoa patteri) Tuliasemassa Boforsin 40 mm:n ilmatorjuntatykki. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-06-25 Tulio (Tugai), valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-78121用。


ボフォース40ミリ対空機関砲が3インチ高射砲に取って代わるのは、第二次世界大戦が終わったのち、1940年代末になって、ジェット機による航空機の高速化が顕著になり、VT信管によらないボフォース40ミリ対空機関砲の命中率が大幅に悪化したためである。

ラボーチキン La-7 第二次世界大戦前にボフォースBofors)が開発した37ミリ対戦車砲、40ミリ対空機関砲、76.2ミリ高射砲などは、大戦時でも優秀な火器として認められており、フィンランド軍もこれらを輸入して部隊配備している。このように、外国兵器を採用したフィンランド軍は、日本軍やイタリア軍のように国産兵器に固執して、量産性や性能の上で引けを取った軍隊よりも、優秀な兵器を選択することに成功した。

写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、ソ連空軍機に備えスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ボフォース40ミリ対空砲は、イギリス、アメリカでも広く使用された。日本も戦争末期にライセンス生産に踏み切ったが、実用化できないままに終わった。
It-patteri. ””Tulta”” Tuliasemassa Boforsin 40 mm:n ilmatorjuntatykki.
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-25 Sjöblom, valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-78148用。


写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、スウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲用の対空測距儀を操作するフィンランド国防軍兵士たち:ボフォース40ミリ対空砲は、ラインメタル20mm機関銃の対空測距儀より大型のものを三脚で安定させた状態で使用している。
It-patteri ampuu (ainoa patteri).
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-25 Tulio (Tugai), valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-78126用。


写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、ソ連空軍機に備えスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド国防軍兵士たち
It-patteri. ””Tulta”” Tuliasemassa Boforsin 40 mm:n ilmatorjuntatykki.
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-06-25 Sjöblom, valokuvaaja .
写真は,Museot Finna sa-kuva-78145用。


ボフォース40ミリ対空砲の弾薬は、4発が1個の装弾クリップにまとめられている。クリップごと、機関砲の基部上面から装填する。銃座の旋回と行革の調整は、回転式ハンドルを人力で回して行う。

写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、空襲に飛来するソ連機に備えてスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲の装填作業を訓練するフィンランド国防軍対空戦闘員
It-patteri. ""Tulta"" Vikaa negatiivissa.
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1941-06-25
Sjöblom, valokuvaaja
写真は,Museot Finna sa-kuva-78146用。


ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲は、1932年にスウェーデンで開発され、第二次大戦勃発時の1939年までに18か国で使用された。

イギリス、アメリカなど連合国ではボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を陸上基地防空や艦載対空戦闘用に大量生産し、改良型や多連装型をも開発した。

しかし、ドイツ、日本など枢軸国では、国産対空機関砲の開発に進み失敗し、ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲の有用性、経済性に気が付くのが遅すぎたために、ごく少量しか生産することができずに終わっている。

日本は、太平洋戦争緒戦でシンガポールを占領し、イギリス軍のボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を多数鹵獲したものの、ドイツのラインメタル37ミリ対空機関砲の生産を計画するなど、兵器の工学的、経済的視点が弱かった。

写真(右)1941年6月25日、継続戦争の勃発時、フィンランド、ソ連空軍機に備えてスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲の照準と装填作業を操作訓練をするフィンランド国防軍対空戦闘員:40ミリ弾薬1発2?近くあり、4発をクリップで留めて給弾する。
It-patteri. ""Tulta""
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1941-06-25
Sjöblom, valokuvaaja..
写真は,Museot Finna sa-kuva-78147用。


ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲は、第二次大戦勃発前、ポーランド、ノルウェー、フィンランドなどはすぐに輸入を決め、アメリカ、イギリスは自国生産を開始するなど、1939年までに18か国が使用するほど人気があった。

優秀な兵器を自国で国産するのが困難な小国は、優秀な兵器の輸入に躊躇しない。また、国防を効果的に実行しようという指導が強い先進工業国も、優秀で廉価な兵器を輸入することを厭わない。

自国の技術に誇りとプライドが高すぎるドイツ、日本のような技術大国の国軍は、素晴らしい兵器発明が可能かもしれないが、効果的に兵器を整備することができない欠点が露呈している。

現在でも、日本は高額な国産軍用機を開発・生産したり、外国機を輸入せずに、少数割高なライセンス生産をしたりしているが、これは輸入するのに比較して数倍の経費をかけており、国家財政の無駄遣いになっているようだ。

写真(右)1941年7月16日、継続戦争の勃発時、フィンランド、ソ連空軍機に備えてスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲の照準と装填作業を操作訓練をするフィンランド国防軍対空戦闘員:40ミリ弾薬1発2kg近くあり、4発をクリップで留めて給弾する。
It-patteri Kananaisten kylässä Kuvassa 40 mm:n Bofors-ilmatorjuntatykki..
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1941-07-16 Uomala, valokuvaaja.
写真は,Museot Finna sa-kuva-79325用。


ストックホルム国際平和研究所 SIPRI)によれば、2021年の世界の軍事支出は、アメリカ8010億ドル、中国2930億ドル、インド766億ドル、イギリス684億ドル、ロシア659億ドル、日本は491億ドルで9位である。しかし、世界第9位の国防予算を負担しても、兵器も人件費も割高で、コスト・パーフォーマンスが悪いために、戦時の軍事力はそれほどでもない。

ボフォース(Bofors)40mm機関砲の諸元 重量:1,981 kg (4,367 lb)
砲弾: 40x311mmR(1.57in)1,981kg
口径: 40mm L/60
砲架: 522 kg (1,151 lb)
仰角:-5°/+90°(55°/s)
旋回角: 360°
操作速度:50°/s
発射速度:毎分120発
銃口初速:881 m/s (2,890 ft/s)
最大射程:7,160 m (23,490 ft)

写真(右)1941-1943年夏、継続戦争の時、フィンランド、ソ連空軍機に備えて樹木でカモフラージュしたスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲と周囲のフィンランド国防軍の対空機関砲操作要員たち:1932年にスウェーデンで開発され、すぐに輸出用に売り込みがなされている。
Mustamaan it. Sot.virk. Suomela, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo .
写真は,Museot Finna sa-kuva-89227用。


1932年にスウェーデンで開発されたボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲は、第二次大戦勃発前に、ポーランド、ノルウェー、フィンランドが購入することを決め、アメリカ、イギリスでは、独自の大型対空機関砲ではなく、スウェーデンのボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を国産化し、大量生産を開始するなどの1939年までに18か国で使用されていた。

写真(右)1941-1943年夏、継続戦争の時、フィンランド、ソ連空軍機に備えて樹木で偽装されたスウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲を操作するフィンランド国防軍兵士たち:1.9kgの弾薬を毎分120発発射可能だが、装填作業は人力なので手間がかかる。
Mustamaan it. Sot.virk. Suomela, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo .
写真は,Museot Finna sa-kuva-89228用。


スウェーデン製ボフォース(Bofors)40ミリ対空機関砲(単装)は、砲の旋回(水平方向の回転)、銃身の上下(仰角・俯角の角度調整)、弾薬の装填(装弾クリップの装填)、照準(目視)、射撃管制指揮官の最低4名は必要である。さらに、4発装弾クリップを弾薬から運搬したり、中型の携帯用測距儀で目標との距離を計測したりと、補助要員も求められる。

写真(右)1943年6月27日、写真(右)1943年8月26日、フィンランド南東部、イマトラ、ヴオクサ(Vuoksi)渓谷、フィンランド軍の対空陣地に据え付けられたスウェーデン製が採用したスウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲:後方には、イマトラ(Imatra)市街から南東2キロ、イマトラ第12区テッパナラ、イマトラ製鉄所は、数百人の従業員がいるフィンランドでも最大級の金属工場である。工場の煙がたなびいている。煙突から操業中の工場の煙がたなびいている。対空砲火は、このような産業施設を防衛するために据え付けられたのであろう。
Vuoksenlaakso. Ilmatorjuntatykki suojelemassa Vuoksenniskan rautaruukkia. Tiedot värikuvien selosteesta. Vrt. mustavalkoinen SA-kuva 132250. Kuvassa 40 mm:n Bofors-ilmatorjuntatykki. Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1943-06-27 Niilo Helander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive 166421引用。


写真(右)1943年8月26日、フィンランド・ソ連国境、カレリア地峡中央部、スラジェルビ(Suulajärvi)湖畔、フィンランド軍が採用したスウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲への弾薬クリップ装填作業:カレリア地峡では、歩兵部隊による戦闘、陣地戦が戦われていたために、解放した市街にも破壊の後はあった。スラジェルビ(Suulajärvi)湖は、レニングラード北西120キロ、フィンランド湾まで40キロの位置にある。
Bofors-ilmatorjuntatykki tuliasemassa. Värikuvien selosteessa tieto: 40 mm:n it.tykki valmiina antamaan tulta. Suulajärvi 26.8.1943.Bofors-ilmatorjuntatykki tuliasemassa. Suulajärvi 1943.08.26.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166376;JSdia276引用。


フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は,戦争遂行にあたって、イギリス・アメリカとの対決には至らないように配慮していた。そこで、1941年7月4日のアメリカ独立記念日に,フィンランドの戦争目的について、次のように釈明している。

ボフォース40mm機関砲 1) フィンランドは, ドイツを軍事同盟国としてではなく、共同交戦国として、ソ連と戦争をしている。

2) 1940 年の冬戦争の講和は、フィンランドの戦略的な立場を大幅に低下させ、独立を危機に陥れた。そこで、自国の防衛を全うするためには、カレリア地峡(Karelian Isthmus)の確保が必要である。ただし、ソ連のレニングラードの戦略的な立場を理解し、国境は1939年の冬戦争開戦時よりも東には進ませない。

3) ドイツの侵攻を受けたソ連の敗北は確実であり,ポリシェヴイズム・共産主義の完璧な粉砕は世界全体に利益をもたらす。


写真(上)1944年4月25日、フィンランド、フィンランド軍のスウェーデン製ボフォール40ミリ対空機関砲とそれを操作する4名のフィンランド軍兵士
;60口径の40x311mmR弾を、発射速度120発/分で、砲口初速881 m/秒で発射できる強力な対空機関砲で、同型のものをアメリカ軍、イギリス軍も大量に配備した。
2. Er.It.Psto: 43. Kev.It.jaos: Tykki (Bofors) tuliasemassa Nokian kauppalan liepeillä. Nokia 1944.04.25
Content Type Photo Organisation Military Museum
写真はFinnish Defence Forces・JSdia277引用。


フィンランド軍は、カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の下、数的に遥かに勝るソ連赤軍相手に善戦したが、ドイツからも、スカンジナビア諸国からも、英仏からも軍事援助を受けることができず、孤軍奮闘だった。

1939年11月30日に始まった冬戦争で、当初善戦したフィンランドだったが、援軍が得られないままの孤軍奮闘では、ソ連の大群に長期間抵抗することはできず、1940年3月12日、フィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、ソ連の領土要求を受け入れて、講和した。


9.フィンランドのドイツ海軍水上対空砲台ガンシップ

写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、1937年型88ミリ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー);ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)。これらの対空フェリー(Siebel Ferries)は、7月31日、8月10日、8月11日、他の日にも撮影されている。
Lahdenpohjassa pidetystä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) tarkastuksesta/paraatista. Lahdenpohja, Laatokka 1942.08.00.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165913:JSdia178引用。


フィンランド軍の対空砲台式水上ガンシップ(Siebelフェリー)は、双胴の艀の上に8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)、1937年式3.7センチ対空機関砲37 ItK / 37 RMB)、20ミリ四連装機関銃のような強力な対空火器を搭載した移動式対空砲台である。。

⇒写真集Album:フィンランド海軍艦艇の対空火器を見る。

⇒写真集Album:フィンランド軍の対空高射砲を見る。

⇒写真集Album:フィンランド艦の対空監視哨を見る。



◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただきますれば幸いに存じます。よろしくご協力をお願い申し上げます。
◆2011年7月、『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(268頁,2100円)を青弓社より刊行しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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