◆スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
写真(上)1948年8月19日、イギリス、イギリス海軍航空実験所スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)I 水陸両用飛行艇(JM952);降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面に格納することができる。イギリス海軍航空実験所は、海軍機を設計、テスト、評価するために、1918年10月にイギリス海軍航空隊の水上飛行場のRAFアイル・オブ・グレインに実験ステーションとして設立された。 English: Supermarine Sea Otter I JM952 of the Marine Aircraft Experimental Establishment
Date 19 August 1948
Source Own work
Author RuthAS. 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Supermarine Sea Otter I JM952 MAEE Ringway 19.08.48 edited-2.jpg引用。
写真(上)1948年12月-1958年5月,オーストラリア海軍軽空母「シドニー」(HMAS Sydney)艦載のスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;シーオッター(Sea Otter)飛行艇は1938年9月23日初飛行、軽空母「シドニー」は1948年12月16日就役、排水量1万5,740トン、搭載機数38機、1958年5月末退役。Supermarine produced a number of sea planes including the bi-plane Seagull V (Walrus) which commenced production in 1936 and 740 were produced up until 1944. The Sea Otter (originally call the Sting Ray) was also a bi-plane and a longer range version of the Walrus. The main difference between the Walrus and the Sea Otter was in the mounting of the engine. The Walrus had a rear-facing engine with pusher propeller and the Sea Otter's engine (normally a 855 horse power Bristol Mercury XXX) was mounted on the upper wing, facing forward with a ‘tractor’ or puller propeller. Production of the Sea Otter commenced in early 1942 and 292 were built and operated by the RAF and Royal Navy (RN). 写真は, SDASM Archives - Catalog:15_003266 - 引用。
1.イギリスのスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
写真(右)1938年8月、アメリカ西海岸、サンフランシスコ、イギリス海軍重巡洋艦「ヨーク」(HMS York)搭載のカタパルトに搭載されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇;主翼を後方に折り畳んだ状態でカタパルトに搭載されている。 San Francisco August 1938. Note the top left wing bashed in by hitting the side of the ship while swinging back and forth on the crane. This was common on the pre-war catapult aircraft from retrieval at sea when the ship was rolling back and forth.
Date 3 August 2010, 16:16
Source Supermarine Walrus K8341on the HMS York
Author Bill Larkins 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Supermarine Walrus K8341on the HMS York (4926980540).jpg引用。
イギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、艦載機としても使用できるように、巡洋艦に搭載するのに便利なように、主翼を後方に後ろに折り畳むことができる。
イギリス海軍重巡洋艦「ヨーク」(HMS York)は、起工1927年5月18日、進水1928年7月17日、就役1930年5月1日、基準排水量8,250トン、全長575 ft (175.25 m)、全幅57 ft (17.58 m)最高速力32.25ノット、乗員623名。兵装は、主砲兵装 6インチ(20.3 cm)連装砲3基6門、4インチ (102 mm)単装速射砲4門(高角砲兼用)、21インチ(533 mm)魚雷発射管6門。
艦載機:スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)1機。ただし、1939年に撤去。
写真(右)1940年、アメリカ西岸、サンフランシスコ、アルゼンチン海軍軽巡洋艦「ラ・アルヘンティーナ」 (ARA La Argentina (C-3)) のカタパルトに搭載されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)MK-IV水陸両用飛行艇;
Supermarine "Walrus" MK-IV of the Argentine Navy on their Cruiser "La Argentina" during a visit to San Francisco in 1940.
Date 19 March 2010, 21:50
Source Supermarine Walrus Argentine Navy
Author Bill Larkins 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:The Royal Navy during the Second World War A9272.jpg引用。
アルゼンチン海軍軽巡洋艦「ラ・アルヘンティーナ」(HMS Mauritius)は、アルゼンチン海軍がイギリスのビィッカース・アームストロング造船所に発注し、起工1936年1月11日、進水1937年3月16日、竣工1939年1月31日。アルゼンチンに回航されて1939年4月12日からアルゼンチン海軍で就役。満載排水量7,500トン、最高速力30.5ノット、航続距離12000マイル/12ノット、兵装はアームストロングMark W 15.2cm(50口径)三連装砲3基9門、アームストロング Mark P 10.2cm(50口径)単装高角砲4基、53.3cm三連装魚雷発射管2基、艦載機 ウォーラス飛行艇1機、カタパルト1基。21インチ(533 mm)魚雷発射管三連装2基6門を装備。カタパルト1基、艦載機:スーパーマリン(Supermarine)スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)飛行艇1機。
写真(右)1941年末以降、イギリス南岸、ドーセット(Dorset)、ワームウェル(Warmwell)の飛行場に駐機するイギリス空軍第276あるいは第277飛行隊のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)Mark I水陸両用飛行艇; IWM caption : Walrus Mark I (no serial number visible) of Nos. 276 or 277 Squadrons RAF, on the ground at Warmwell, Dorset.
Date World War II
CH 18540 from the collections of the Imperial War Museums. Author RAF Warmwell Royal Air Force official photographe
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Supermarine Walrus at Warmwell WWII IWM CH 18540.jpg引用。
イギリス空軍は、1941年末から、海上救難用にスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I水陸両用飛行艇をイギリス南東部バーチャム・ニュートン(Bircham Newton )基地の第276飛行隊に配備した。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I 飛行艇は、本来、冒険飛行用にカタパルトから射出可能な水陸両用飛行艇として、スピットファイア(Spitfire)と同じレジナルド・ジョセフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell:1895-1937)技師の設計になり、当初は、シーガル(Seagull)Vと呼ばれていた。
スーパーマリン(Supermarine)シーガル(Seagull)Vの試作機(K4797)は、1933年6月21日に初飛行したが、これはオーストラリア政府が「シーガル(Seagull)V」の名称で発注したものである。それを、イギリス海軍艦隊飛行隊(FAA)第702飛行隊が、40.6cm45口径三連装砲塔3基9門搭載のネルソン(Nelson)級戦艦 (Nelson class Battleship)の艦載機として試験的に使用し、イギリス空軍が1935年8月に制式したのである。1935年5月にイギリス航空省は第1回契約として、12機のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I水陸両用飛行艇を発注している。搭載した発動機は、ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)IIM2 空冷9気筒エンジン620 HP1基で、多くがイギリス艦隊航空隊に配備された。
写真(右)1943年12月-1944年前半、北大西洋、アイスランド沖、イギリス海軍軽巡洋艦「ベルファスト」 (HMS Belfast, C35) 搭載の艦隊航空隊(FAA)スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark I 水陸両用飛行艇(S);胴体前半に2人、胴体後方に2人の合計4名の搭乗員全員が艇外に出ている。 The Royal Navy during the Second World War
In an Icelandic fjord, a Supermarine Walrus aircraft of the cruiser HMS BELFAST (not visible) is being paddled in to approach the crane. One member of crew is sat in the hatch in front of the cockpit whilst another is sat in the amidship hatch.
Date between 1939 and 1945
A 20690
Database number 205186826
Transferred by Fæ
Author Royal Navy official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:The Royal Navy during the Second World War A20690.jpg引用。
イギリス海軍軽巡洋艦「ベルファスト」 (HMS Belfast, C35) の諸元
起工 1936年12月10日
進水 1938年3月17日
就役 1939年8月5日
排水量 11,553トン
全長 613 ft 6 in (187 m)、全幅 69 ft (21 m)、吃水 19 ft 9 in (6.1 m)
出力 80,000hp
速力 32ノット 乗員 750 - 850名
兵装:Mk XXIII 6インチ(15.2cm)三連装砲4基12門
Mk XVI 4インチ(10.2cm)連装両用砲4基8門
21インチ53.3cm三連装魚雷発射管2基6門
装甲 舷側:4.5インチ (114 mm)、甲板:3インチ (76 mm)
搭載機 ウォーラス飛行艇 2機
イギリス海軍軽巡洋艦「ベルファスト」 (HMS Belfast, C35) は、1942年12月25日、イギリス本国艦隊第10巡洋艦戦隊に配属、1943年2月-3月にソ連への戦時輸送船団(JW53船団とRA53船団)の護衛任務に就いた。1943年7月、地中海シシリー島上陸ハスキー作戦の陽動作戦として、ノルウェー沖を遊弋、1943年12月26日、ソ連へ向かうJW55B船団を攻撃しようとしたドイツ海軍巡洋戦艦「シャルンホルスト」と駆逐艦Z29、Z30、Z33、Z34、Z38と戦う北岬沖海戦 (Battle of the North Cape)が始動し、イギリス海軍H部隊 (Force H) にイギリス海軍戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、軽巡洋艦「ジャマイカ」「シェフィールド」とともに参加した。
写真(右)1941年2月頃、グロッグ作戦 (Operation Grog) でイタリア北部西岸ジェノバを艦砲射撃したイギリス海軍タウン級軽巡洋艦「シェフィールド」(HMS Sheffield, C24) のカタパルトから射出される艦隊航空隊スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇;弾着観測に出発するためにカタパルト上でエンジンを駆動している。後方の飛行機格納庫の周囲には見守る群衆。
The Royal Navy during the Second World War
A Supermarine Walrus amphibious aircraft, which was one of the spotting aircraft used during the bombardment of Genoa and Spartivento, prepares to be launched from the catapult on HMS SHEFFIELD. Two crew members can be seen in the cockpit whilst a large crowd has gathered in the background to watch the launch. "Spotter of Spartivento" is written beneath the cockpit.
A 4049 from the collections of the Imperial War Museums. Author Beadell, S J (Lt), Royal Navy official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Supermarine Walrus K8341on the HMS York (4926980540).jpg引用。
1941年2月6日、グロッグ作戦 (Operation Grog)が始動し、イギリス海軍H部隊 (Force H) の巡洋戦艦「レナウン」 (HMS Renown) 、戦艦「マラヤ」(HMS Malaya)、空母「アーク・ロイヤル」 (HMS Ark Royal, 91) 、軽巡洋艦「シェフィールド」(HMS SHEFFIELD)を基幹にした艦隊がジブラルタル(Gibraltar)を出撃し、2月9日、イタリア北部西岸のジェノバなどに対しが艦砲射撃をし、イタリア市民144人が死亡、272人が負傷した。H部隊は2月11日にジブラルタルに帰投した。
イギリス海軍タウン級軽巡洋艦「シェフィールド」(HMS Sheffield, C24)は、起工1935年1月31日、進水1936年7月23日、就役1937年8月25日、満載排水量1万1,350 トン、全長558 ft (170 m)、全幅 61 ft 8 in (18.8 m)、最高速力32ノット、航続距離5,500マイル(10,200 km)/15ノット、兵装BL 6インチ(15.2cm) 三連装砲塔 Mk XXIII4基12門、QF 4インチ(10.2cm) 連装高角砲砲塔 Mk XVII4基8門、21インチ(53.3cm) 三連装魚雷発射管2基6門、艦載機 ウォーラス飛行艇 カタパルト上1機、格納庫内2機、合計3機搭載可能。1943年9月イタリア中部西岸サレルノ上陸アヴァランチ作戦 (Operation Avalanche)に参加した。
1943年9月7日,西側連合国軍司令官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍は、
イタリアの降伏を公表した。
写真(右)1940年6月21日以降、北アフリカ、エジプト、オーストラリア海軍軽巡洋艦「シドニー」(HMAS Sydney)から射出され、撃墜され友軍支配域に不時着したオーストラリア空軍(RAAF)第9飛行隊所属スーパーマリン(Supermarine)シーガル(Seagull)V 水陸両用飛行艇;このシーガル(Seagull)V 水陸両用飛行艇は、リビア北岸バルディア(بردية:Bardia)をオーストラリア海軍軽巡洋艦「シドニー」(HMAS Sydney)が艦砲射撃したときに、同艦カタパルトから射出された。そして、艦砲射撃の弾着観測に従事したが、イタリア空軍戦闘機の迎撃を受けて被弾、そのまま東方のエジプト国境の友軍支配地まで脱出し、不時着した。ウォーラス(Walrus)飛行艇の原型は、オーストラリアが発注したがスーパーマリン(Supermarine)シーガル(Seagull)V 水陸両用飛行艇で、それをイギリス海軍・イギリス空軍が制式した。 A No. 9 Squadron, RAAF, Supermarine Seagull V (Walrus) amphibian, which was launched from the light cruiser HMAS Sydney, after a naval bombardment of Bardia on 21 June 1940. The aircraft was shot down by Italian fighters whilst conducting a reconnaissance of the Bardia area. Through the skill of the pilot he managed to crash land the aircraft behind friendly lines in Egypt with no injuries to himself or his crew.
Date June 1940
Author Eric Charles Evans, Australian armed forces 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Crashed Walrus from HMAS Sydney in Egypt 1940.jpg引用。
1943年5月13日に、チュニジアの枢軸国軍が降伏、北アフリカを占領した西側連合国軍は、 ハスキー作戦(Operation Husky)に従って、7月10日に上陸した。7月24日、ローマで開催されたファシズム大評議会で、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)は首相を解任され、ピエトロ・バドリオ(Pietro Badoglio)元帥が新政権を担った。8月4日には密使が中立国ポルトガル、リスボンのイギリス大使館に派遣され、和平の方針を伝達した。
1943年8月17日には、西側連合国軍がハスキー作戦(Operation Husky)を発動しシシリー島を占領した時期、バドリオ政権は、ローマの「無防備都市宣言」案を連合国側に伝達するなど、休戦交渉を始めていた。
1943年9月7日、米英軍のサレルノ上陸の時、イタリアの降伏受諾を伝える西側連合国軍司令官ドワイト・D・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)将軍の放送が流され、バドリオも休戦を放送した。ドイツ軍のイタリア占領、イタリア軍武装解除が始まり、1943年9月9日にバドリオ新政権は国王とともにローマから逃走し、連合国支配地域に脱出した。
1944年1月22日、西側連合国軍は、兵3万6,000名をもって、ローマ南30キロのアンツィオ(Anzio)に上陸した。そして、航空支援のために、ネッツーノに穴の開いた鉄板を引き詰めた急造飛行場を建設し、ドイツ軍の防衛線グスタフ・ライン、モンテカッシーノを突破して、ローマ解放を企図した。
写真(右)1942年、北大西洋、イギリス領バミューダ(Bermuda)島西岸の海軍造船所に隣接するボアズ(Boaz)島、イギリス海軍艦隊航空隊(FAA:Fleet Air Arm)所属スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇;コンクリート製のスロープ(ランプ)に引き上げられている。日本海軍はこの傾斜滑走台を「スベリ」と俗称した。 English: A Supermarine Walrus seaplane of the Fleet Air Arm being hauled ashore from the Great Sound at Royal Naval Air Station Bermuda at Boaz Island (connected to the Royal Naval Dockyard on neighbouring Ireland Island) during the Second World War.
Date circa 1942
Source Scan of original print
Author Royal Navy.. 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Supermarine Walrus at Royal Naval Air Station Bermuda at Boaz Island.jpg引用。
巡洋艦・戦艦に搭載されたウォーラス(Walrus)飛行艇は、イギリス海軍艦隊航空隊(FAA)所属のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)艦載飛行艇である。しかし、巡洋艦・戦艦の艦載機としての利用は、戦局の好転と旧式化のために、1944年2月には中止された。
写真(右)1942年9月、インド洋、日本軍と対峙したイギリス海軍航空母艦の飛行甲板から発進準備するスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇;熱帯気候なのか、日光浴を兼ねているようで、甲板の整備士たちは上半身裸である。戦局の好転により、旧式化していたために1944年2月に退役。 A Supermarine Walrus, piloted by Lieutenant (A) S Lawrence, lands the deck of a British aircraft carrier in the Indian Ocean. Lawrence had just rescued under fire the pilot of a Grumman Hellcat, which had been shot down while attacking Japanese positions on the Nicobar Islands.
Source
IWM London This is photograph A 29814 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 4700-01) Flag of the United Kingdom.svg
Author Royal Navy official photographer.. 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:Catapult Training For Fleet Air Arm Pilots. HMS Pegasus, Originally Named HMS Ark Royal, Is Now USED As a Catapult Training Ship For Fleet Air Arm Personnel. Lamlash, Scotland, September 1942. A12053.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、船体と両翼の浮舟フロートを使って、水上で離着水するが、陸上用の降着装置として、ゴム主輪も装備している。このウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇の主脚は、飛行中、水上での運用中には、主脚を引き上げて、主翼下面に半開放式でゴム主輪を格納する。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I は、金属製胴体であるのに対して、ウォーラス(Walrus)Mark.IIは、木製胴体でサロ(Salo)、すなわちサンダース・ロー(Saunders-Roe)社が製造した。1936–1944年の間に、スーパーマリン(Supermarine)社は、主にMark.Iを288機、サロ(Saunders-Roe:Salo)社は、主にMark.IIを453機生産している。レジナルド・ジョセフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell)設計のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、合計741機が量産されている。
写真(右)1944年前半、インド洋、イギリス植民地セイロン島ツリンコマリー(Trincomalee)基地、イギリス海軍空母兼飛行機修理艦「ユニコーン」 (HMS Unicorn, I72)と後続する空母「イラストリアス」(HMS Illustrious);1944年になると、イギリス航空母艦の存在は、ヨーロッパ方面、地中海方面、大西洋方面では、有効な活躍の場がなくなった。そこで、対日戦とビルマ・インド方面のイギリス勢力伸長のために、インド洋方面、太平洋方面のアメリカ軍の加勢に加わった。 The Royal Navy aircraft carrier HMS Unicorn (I72, left) and HMS Illustrious (87), probably pictured at Trincomalee, Ceylon, in 1944.
Date 1944
Source U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.488.037.044
Author U.S. Navy 写真はWikimedia Commons, Category:HMS Unicorn (I72)
>File:HMS Unicorn (I72) and carrier 1944.jpeg引用。
イギリス海軍(Royal Navy)
空母兼飛行機修理艦「ユニコーン」 (HMS Unicorn, I72))は、起工1939年6月26日、進水1941年11月20日、就役1943年3月12日、排水量16,770トン 全長166.1 m、全幅27.4 m、飛行甲長195.1 m(装甲2インチ=51 mm)、最高速力24ノット、航続距離7000マイル/13.5ノット、4インチMk XVI両用連装砲4機8門装備。1943年7月には、空母へのスーパーマリン・シーファイア(Supermarine Seafire)艦上戦闘機10機、フェアリー・ソードフィッシュ(Fairey Swordfish)雷撃機13機、合計23機を自衛用に搭載。
写真(右)1943年12月-1944年前半、インド洋、イギリス植民地セイロン島ツリンコマリー(Trincomalee)基地、イギリス海軍空母兼飛行機修理艦「ユニコーン」 (HMS Unicorn, I72)に修理のため引き上げられるスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark I 水陸両用飛行艇(X9498 'B');上主翼にクレーンの鍵をかけ艦上に引き揚げ準備をする搭乗員が乗っている。 The Royal Navy during the Second World War
A repaired Supermarine Walrus amphibious aircraft being lowered into the sea for trials from the repair carrier HMS UNICORN at Trincomalee. Note the crew member sat on the top wing.
Date between 1939 and 1945
A 23209 from the collections of the Imperial War Museums.
Author Rolfe, W E (Lt), Royal Navy official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus >File:The Royal Navy during the Second World War A23209.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、イギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm : FAA)、イギリス空軍(RAF:Royal Air Force)のほか、ソ連海軍、アルゼンチン海軍、オーストラリア空軍、カナダ海軍、ニュージーランド空軍、アイルランド空軍、イギリス空軍でも使用された。
写真(右)1944年10月-1945年8月、ニュージーランド北島、ニュージーランド空軍(RNZAF)水上機訓練部隊所属のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇(NZ158);原典解説によるとニュージーランド海軍軽巡に空軍(RNZAF)機が搭載されていたのであろうか。イギリスから供与されたこの最後のウォーラス(Walrus)飛行艇(X9512)は、1944年9月30日に首都オークランド(Auckland)に到着、オークランド郊外ホブソンビル(Hobsonville)の水上機訓練部隊で終戦まで活躍した。ただし、実際の運用飛行時間は108時間だけだった。
One of the RNZAF's last Supermarine Walrus, NZ158, formerly X9512, arrived in Auckland on 30 September 1944 for the Seaplane Training Flight, which operated her from Hobsonville until August 1945 when, with only 108 hours at the end of the war, NZ158 was stored.
On 29 October 1947 sold to C. F. Cook, who resold to R.H. Exton, 03 December 1947. Registered as ZK-AMJ but flown in RNZAF colours NZ158 was stored at Mangere before being reduced to spares for New Guinea's Amphibian Airways in 1949.
Date circa. October 1944 - August 1945.
Source
Winstonwolfe 写真はWikimedia Commons, the free media repository, Category:Aircraft of the Royal New Zealand Air Force >File:RNZAF Walrus NZ158.JPG引用。
イギリスから供与された最後のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇(X9512)は、1944年9月30日に首都オークランド(Auckland)に到着した。その後、オークランド郊外ホブソンビル(Hobsonville)の水上機訓練部隊に配属され1945年8月の太平洋戦争終戦まで活躍した。ただし、実際の運用飛行時間は108時間だけだった。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I 水陸両用飛行艇は、搭乗員3-4名、機首先端上面の開放式銃座にビッカース(Vickers) K 7.7ミリ機関銃(VGO)機関銃1挺、胴体中部後上方の開放式銃座にビッカース(Vickers) K 7.7ミリ機関銃(VGO)1挺から2挺を装備できる。爆弾搭載量は、最大760ポンド(300kg)を主翼下面に懸架可能である。
図(右)イギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark I 水陸両用飛行艇の三面図;
British single-engine amphibious biplane reconnaissance aircraft Supermarine Walrus
Русский: Британский разведывательный гидросамолёт
Supermarine Walrus
Date 7 August 2014
Source Own work
Author Maxrossomachin 写真はWikimedia Commons, Supermarine Walrus >File:Royal Air Force- Italy, the Balkans and South East Europe, 1942-1945. CNA4757.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇の諸元
乗員:4名
全長:37 ft 7 in (11.46 m)
全幅:145 ft 10 in (13.97 m)
全高:15 ft 3 in (4.65 m)
主翼面積:610 sq ft (57 m2)
空虚重量:4,900 lb (2,223 kg)
離昇最大重量:7,200 lb (3,266 kg)
発動機:ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン750 HP
性能
最高速力: 135 mph (217 km/h, 117 kn)/高度4,750 ft (1,448 m)
巡行速力: 92 mph (148 km/h, 80 kn) 航続距離: 600 mi (970 km, 520 nmi)
上昇限度:18,500 ft (5,600 m)
上昇率:1,050 ft/min (5.3 m/s) 上昇時間:: 10,000 ft (3,000 m) /12.5分
翼面荷重:11.8 lb/sq ft (58 kg/m2)
兵装:.303 in (7.7 mm)ビッカース(Vickers)K 機関銃(VGO) 機首1挺、後方1挺
爆弾搭載量:6x 100 lb (45 kg) /2x 250 lb (110 kg)/2x 250 lb (110 kg) Mk.VIII爆雷
生産数:741機
運用開始:1935年
退役:1947年
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スピットファイア(Spitfire)設計者レジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchell, 1895-1937.6.11)が開発し、1944年1月に総生産機数は741機で生産が終了した。このうちウォーラス(Walrus)Mark.IIを中心に、453機はサロ(Salo: Saunders-Roe)社が生産している。
つまり、スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スーパーマリン(Supermarine)社の開発だが、スーパーマリンでの生産は半数以下の288機に留まった。これは、スーパーマリンではスピットファイア(Spitfire)戦闘機の量産に資本、資源、労働力を集中していたためである。
⇒写真集Album:スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)飛行艇を見る。
2.スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)複葉飛行艇
写真(右)1942年2月、イギリス、イギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター((Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇(JM952);降着装置のゴム主輪は、主翼が展開されていれば、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。 A prototype Fleet Air Arm Supermarine Sea Otter, powered by a Bristol Mercury engine, on the ground.
Date January 1942 Author: Royal Navy
MH 5244 from the collections of the Imperial War Museums 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:A prototype Supermarine Sea Otter.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarineシーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇は、前作ウォーラス(Walrus)Mark.I飛行艇と同様に、複葉、単発、陸上降着用にゴム主輪を備えた水陸両用飛行艇でイギリス海軍(Royal Navy)艦隊航空隊(Fleet Air Arm : FAA)、イギリス空軍(RAF:Royal Air Force)とで制式された。両者の異なっている点は、前作のプロペラが特殊な推進式4翅プロペラだったのに対して、一般的な牽引式3翅プロペラを採用、高出力発動機とし、洗練された設計で、最高速力、航続力、水上操作性を向上することができた。
写真(右)1942-1944年頃、イギリス、雲の上を飛翔するスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収められている。1942-1945年に合計292機生産された。 Supermarine, Sea Otter
Manufacturer: Supermarine
Official Nickname: Sea Otter
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はWikimedia Commons, SDASM Archives
>Catalog #: 01_00088617引用。
水陸両用飛行艇は、陸上で移動・離着陸時に使用できるよう胴体側方にゴム主輪を備えていたが、飛行中や水上では、ゴム主輪は不要で、抵抗が大きくなるので、下主翼の下面にある格納スペースに引き上げ収納される。
イギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)は、1930年代から1950年代初めまで、当初はスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇を、次いでスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇を制式し、サンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)で量産して、艦載偵察機、弾着観測機、そして海難救助機として長らく使用していた。ともに折り畳み式複葉、単発、3-4人乗りの艦載可能な小型飛行艇で、左右の下主翼に海上用の固定式浮舟フロートを付けていると同時に、陸上用の引込み式ゴム主輪2輪も装着していた。
シーオッター(Sea Otter:ラッコ)は、北アメリカ大陸から千島列島の沿岸に棲息する食肉目イタチ科で、寒冷な海にすむために良質な毛皮で覆われている。陸上でも海でも行動できる哺乳類であるために、水陸両用の飛行艇の名称として採用された。
前作ウォーラス(Walrus:セイウチ)飛行艇も、海で捕食するが、沿岸で生息する水陸両用の哺乳類セイウチ科のウォーラス(Walrus:セイウチ)から命名している。水陸両用飛行艇は、水陸両棲の哺乳類から命名するという命名法を踏襲しているのである。
写真(右)1942-1944年頃、イギリス、海上を高速で滑走するスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;陸上降着用のゴム主輪は、下主翼の下面にある格納スペースに引き上げ収納されている。1943年から部隊配備されたが、すでに前作ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇が量産され、部隊で活躍していたために、第二次世界大戦中の実績には乏しい。
Supermarine, Sea Otter
Manufacturer: Supermarine
Official Nickname: Sea Otter
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はWikimedia Commons, SDASM Archives
>Catalog #: 01_00088618引用。
レジナルド・ジョセフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計したーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)複葉飛行艇の後継機が、スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇で、1938年9月23日に初飛行したが、生産は1942年から、部隊配備は1943年からに遅れた。シーオッター飛行艇の登場が遅れたのは、すでに活躍していたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇と比較して、性能がそれほど優れているわけではなかったためであろう。部隊配備の遅れでシーオッター飛行艇の第二次世界大戦の実績は乏しかったようだ。
写真(右)1944年4月、イギリス、イギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ) Mark I 水陸両用飛行艇の左側面;主翼中央にブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury) XXX 空冷9気筒エンジン 805 hp (600 kW)1基搭載、3翅プロペラ1基装備。
Object description
Aircraft of the Fleet Air Arm: A Vickers Supermarine Sea Otter ABR Mark I prototype on the ground.
Part of
Air Ministry 写真は, Imperial War Museums Catalogue number
MH 5114引用。
スーパーマリン社は、第一次大戦後、シュナイダー・トロフィー・水上機レース(The Schneider Trophy Race:1919-1931)に、レジナルド・ジョセフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell:1895-1937)の設計したスーパーマリン(Supermarine) S.5水上レース機で参戦し1927年シュナイダー杯(Schneider Trophy)優勝を果たした。
1934年、新型戦闘機として、全金属製引き込み脚単葉新鋭戦闘機の競争試作に加わったレジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchellは、1936年3月5日、スーパーマリン(Supermarine)K5054スピットファイア(Spitfire)を初飛行させている。
1940年夏のイギリス本土航空決戦バトル・オブ・ブリテンに際してイギリス空軍スーパーマリン・スピットファイア(Spitfire)は、来襲したドイツ空軍爆撃機、戦闘機を撃退することに成功し、イギリスを救った戦闘機として称賛され、第二次世界大戦終戦までに2万3000機が量産された。
レジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchellは、1928年にスーパーマリン社支配人となり、シュナイダー・トロフィーで優勝し、イギリス航空協会から表彰されていた。そして、高性能戦闘機スーパーマリン(Supermarine)スピットファイア(Spitfire)を設計した以外にも、シュンナイダー杯レース用水上機スーパーマリン(Supermarine) S.5やS.6、爆撃機、水陸両用飛行艇、軽飛行機など20種類もの飛行機を設計したが、1937年6月11日四二歳で病死した。
写真(右)1943-1945年頃、未舗装飛行場に待機するイギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)所属スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇の斜め左前方;
The Royal Navy during the Second World War
An aerodrome study of the Supermarine Sea Otter I.
A 27227 from the collections of the Imperial War Museums.
Author Royal Navy official photographer
Associated themes
Fleet Air Arm 1939-1945, Royal Navy 1939-1945
Associated keywords
Reconnaissance, naval aviation 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:The Royal Navy during the Second World War A27227.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)社の開発したウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、1929年シュナイダー杯(Schneider Trophy)優勝スーパーマリン(Supermarine) S.6水上高速機を設計したレジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchellが設計した名機で、1933年6月21日に初飛行し、1936-1944年に740機が生産され、1950年代まで現役にあった。
この後継機がシーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇で、艦載機、海難救助などを目的とした単発飛行艇として、イギリス空軍とイギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm:FAA)で制式、サンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)で1943年から1946年6月までに292機が生産され、1950年代まで使用された。
1940年代になっても前作ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇同様に旧式な複葉機としたのは、カタパルト射出や短距離離着水に便利だからであろう。ただし、ウォーラス飛行艇は推進式4翅プロペラだったが、シーオッター(Sea Otter)は一般的な牽引式3翅プロペラに変更されている。
写真(右)1943-1945年頃、未舗装飛行場に待機するイギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇の斜め左後方;降着装置のゴム主輪は、主翼が展開されていれば、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。中央のブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury) XXX 空冷9気筒エンジン 805 hp (600 kW)1基装備。1942–1945年に合計292機生産された。 The Royal Navy during the Second World War
An aerodrome study of the Supermarine Sea Otter I.
A 27228 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author Royal Navy official photographer
Associated themes
Fleet Air Arm 1939-1945, Royal Navy 1939-1945
Associated keywords
Reconnaissance, naval aviation 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:The Royal Navy during the Second World War A27227.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)社の開発したシーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇試1号機は、第二次世界大戦勃発前の1938年9月に初飛行した金属製胴体、羽布張り複葉の水陸両用飛行艇である。
しかし、水陸両用飛行艇として、ほぼ同等の性能を持ち。すでに1936年から就役したいたウォーラス(Walrus)Mark.I 単発飛行艇が量産に入っていたために、シーオッター(Sea Otter)単発飛行艇が就役したのは、1943年半ばからである。ウォーラス、シーオッターの両飛行艇の主たるメーカーは。ともにサロ(Salo: Saunders-Roe)社である。
写真(右)1943-1945年頃、イギリス艦隊飛行隊(FAA)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇の正面;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。1942-1945年に合計292機生産されただけだったが、1945年5月以降、残る戦いは対日戦争だけで、これは勝利確実だった。 The Royal Navy during the Second World War
An aerodrome study of the Supermarine Sea Otter I.
A 27226 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author Royal Navy official photographer
Associated themes
Fleet Air Arm 1939-1945, Royal Navy 1939-1945
Associated keywords
Reconnaissance, naval aviation 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:The Royal Navy during the Second World War A27226.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇の生産は、スーパーマリン社ではなく、サンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)で行われ、 592機の発注がなされたものの、完成したのは第二次大戦後の1946年7月までに合計292機であった。
写真(右)1943-1945年頃、イギリス艦隊飛行隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇の正面;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。 The Royal Navy during the Second World War
An aerodrome study of the Supermarine Sea Otter I.
A 27225 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author Royal Navy official photographer
Associated themes
Fleet Air Arm 1939-1945, Royal Navy 1939-1945
Author Daan Noske / Anefo
Reconnaissance, naval aviation
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:The Royal Navy during the Second World War A27225.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)飛行艇は、イギリス空軍、イギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm : FAA)の双方で、1943年半ば海難救助機、海上哨戒機として部隊配備された。スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)複葉飛行艇は、大戦後半になって配備されたために、実戦での実績は前作時期が遅かったため前作ウォーラス(Walrus)飛行艇に及ばないが、飛行性は優れており、1950年代までスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)飛行艇に替わって運用された。
写真(右)1944年5月15日、飛行しているイギリス艦隊飛行隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。 TTITLE
Sea Otter flying boat
CREATOR
United States. Navy
DESCRIPTION
Sea Otter-British Fleet Air Arm R, May 15, 1944.
DATE
1944-05-15
SOURCE
Naval recognition slides (RHC-50)
Reconnaissance, naval aviation
PUBLISHER
Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives
IDENTIFIER
RHC-50_M3021 写真は, Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives >
IDENTIFIER
RHC-50_M2933引用。
写真(右)1944年5月15日、飛翔するイギリス艦隊飛行隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。 TTITLE
Sea Otter flying boat
CREATOR
United States. Navy
DESCRIPTION
Sea Otter-British Fleet Air Arm R, May 15, 1944.
DATE
1944-05-15
SOURCE
Naval recognition slides (RHC-50)
Reconnaissance, naval aviation
PUBLISHER
Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives
IDENTIFIER
RHC-50_M3021 写真は, Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives >
IDENTIFIER
RHC-50_M3021引用。
写真(右)1944年5月15日、飛行するイギリス艦隊飛行隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。 Sea Otter amphibian aircraft
CREATOR
United States. Navy
DESCRIPTION
Sea Otter British amphibian aircraft. It was the last biplane flying boat to be designed by Supermarine.
SOURCE
Naval recognition slides (RHC-50)
RIGHTS
No Copyright - United States
SUBJECT
United States. Navy
Great Britain
Military education
World War, 1939-1945
Airplanes, Military--Recognition
Slides
PUBLISHER
Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives
写真は, Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives >
IDENTIFIER
RHC-50_M3165引用。
写真(右)1945年6月、インド洋あるいは太平洋方面、対日戦に参加したイギリス海軍太平洋艦隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺) Mark II 水陸両用飛行艇の左側面;手前の上半身裸の将兵は、イギリス海軍空母「フォーミダブル」(FORMIDABLE)に乗艦して、低空飛行する飛行艇を見物している。降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収められている。 WITH THE BRITISH PACIFIC FLEET. JULY 1945, ON BOARD HM AIRCRAFT CARRIER FORMIDABLE. BRITISH PACIFIC FLEET OPERATIONS JUST BEFORE THE JAPANESE COLLAPSE.
Air Sea rescue in the Pacific. Men of a British Pacific Fleet air sea rescue craft signalling to a Supermarine Sea Otter amphibian aircraft during a search off a Pacific coral reef.Part of
Air Ministry 写真は, Imperial War Museums Catalogue number IWM A 30194引用。
イギリス航空相は、1942年1月にはシーオッター(Sea Otter:海獺)単発飛行艇の生産をサンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)に発注していたが、サロ社は,すでに前作ウォーラス(Walrus)単発飛行艇をスーパーマリン社から引き継いで、量産していた経験と実績のある飛行機メーカーである。ブリストル(Bristol)ペルセウス(Perseus) 9気筒空冷星型エンジン(排気量1,520 in³ :24.9 L)には、空冷装置に不備があったために、量産型はブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury)XXX9気筒空冷星型エンジン(排気量1,520 in³ :24.9 L)に換装され、3翅プロペラが装備された。
写真(右)1945年、イギリス海峡で海難救助に従事したイギリス空軍戦闘飛行隊所属のスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇と飛行隊長L.J.ブラウンと搭乗員たち;飛行隊長L.J.ブラウンは、かつてスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇で海難救助活動にあたっていた時、横転事故を起こして上下逆さまになったことがあった。その後、海上から4人のオランダ人を救助し、過剰重量で飛行できなくなったために、76マイルを海上滑走してイギリスまでたどり着いた経験がある。
PILOT WHO HUNG UPSIDE DOWN TO RESCUE AN AIRMAN.
Original wartime caption: Squadron Leader L.J. Brown, DFC., of lxworth, Bury St.Edmunds, who once hung upside down from the mainplane of a Walrus amphibian to rescue an airman from the sea, recently completed 1000 hours' flying with an R.A.F. Fighter Command squadron of the Air/Sea Rescue Service which he has led for nearly two years. His worst trip was from the Somme Estuary where he picked up four Dutch airmen. Picture (issued 1945) shows - Squadron Leader L.J. Brown, DFC., of Ixworth, Bury St.Edmunds [centre] with the Sea Otter crew with whom he taxied 76 miles across the Channel to bring four Dutch airmen to safety. See A.M.BULLETIN NO.17539..Catalogue number
CH 14671
Part of
AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION 写真は, Imperial War Museums Catalogue number IWM CH 14671引用。
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇と同じく、シーオッター(Sea Otter)単発飛行艇は、イギリス空軍とイギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm :FAA)とで制式されている。
写真(上)1945年,イギリス、飛行するイギリス軍スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用救難飛行艇;陸上滑走用のゴム主輪は、飛行中なので下主翼下面の格納スペースに引き上げられているので写っていない。 English: Supermarine Sea otter ASR Mk.II RD892 in flight on an official photo-shoot.
Date 1 January 1945
Catalogue number
A 30194
Part of
ADMIRALTY OFFICIAL COLLECTION 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus File:Img810 Supermarine Sea Otter ASR Mk.II RD892.jpg引用。
スーパーマリン・シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇は、1938年9月に初飛行し、ABR.Iとして「水陸両用偵察機」として3翅牽引式プロペラで開発された。前作ウォーラス(Walrus)飛行艇は4翅推進式プロペラとは異なっているが、量産メーカーは、同じサロ(SARO)社、すなわちサンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)である。
量産型シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇A.B.R.Iは、1943年7月に初めて完成した。その後、シーオッター(Sea Otter)飛行艇は、新たにA.S.R.IIとして生産され、「海難救難機」として就役することになった。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)飛行艇は、ウォーラス(Walrus)飛行艇後継機として1943年から1946年7月の生産中止までにサンダース・ロー社(Saunders-Roe Limited:SARO)社で合計293機が生産され、イギリス海軍(Royal Navy)艦隊航空隊(Fleet Air Arm : FAA)、イギリス空軍(RAF:Royal Air Force)で制式されている。
写真(上)1942-1945年,イギリス、 イギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)シーファイア(Seafire)艦上戦闘機、フェアリー フルマー (Fairy Fulmars)艦上複座戦闘機の戦列の奥から発進準備中のスーパーマリン・シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇;初飛行はシーオッター(Sea Otter)飛行艇は1938年9月23日、フルマーは1940年1月4日、シーファイアは1942年1月7日。シーオッターは、1942-1945年に合計292機生産。 Supermarine Seafire, Fairy Fulmars and Fireflies, Supermarine Sea Otter
PictionID:42252548 - Title:Supermarine Seafire Supermarine Seafire Filename:15_003266.tif - ---- Image from the Charles Daniels Photo Collection album "English Aircraft"----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は, SDASM Archives - Catalog:15_003266 - 引用。
シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇量産型は、 ジェフェリー・キール(Jeffrey Quill)の操縦で、1943年1月に初飛行した。つまり、ウォーラス(Walrus)飛行艇が、1933年6月21日に初飛行し、1935年から就役していたのに比較すると、次作シーオッター(Sea Otter)飛行艇は、8年以上も遅れて1943年半ばからで、第二次世界大戦の終盤近くに登場したことになる。
イギリス艦隊航空隊(Fleet Air Arm :FAA)のスーパーマリン(Supermarine)社の開発した シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇は、胴体中央にイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン(排気量1,520 in³ :24.9 L)775hp1基、3翅プロペラを牽引式に装備したが、前作スーパーマリン(Supermarine)社ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇とあまり代り映えのしない複葉単発の旧式飛行艇だった。量産型では、r発動機を冷却効果を向上したブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury)XXX空冷9気筒エンジン(排気量1,520 in³ :24.9 L)855hp1基に換装し、生産はサロ(SARO)社で1943年7月から開始している。
写真(右)1943−1945年,極東方面、イギリス海軍護衛空母「ケディーブ」(HMS Khedive :D62)から発艦したスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark II 水陸両用飛行艇;護衛空母「ケディーブ」(HMS Khedive)は陸上滑走用のゴム主輪装備、ゴム尾輪の水陸両用飛行艇として、当初ウォーラス(Walrus)飛行艇を配備した。その後、艦載機はシーオッター(Sea Otter)飛行艇に変更されている。 he Royal Navy during the Second World War
A Supermarine Walrus amphibious aircraft takes off from HMS KHEDIVE in the Far East to rescue the crew of a ditched bomber spotted in their dinghy 30 miles away. The white patches on the wings of the aircraft are recognition panels designed to prevent friendly fire incidents.
Date between 1939 and 1945 A 29251 from the collections of the Imperial War Museums.
Author Royal Navy official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus File:HMS Khedive IWM A22596.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)・シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇は、イギリス艦隊航空隊(Fleet Air Arm:FAA)では、イギリス南岸ワイト島対岸リー・オン・ソレント(Lee-on-Solent)の第1700飛行隊に初めて6機が配備された。
イギリス艦隊航空隊(FAA)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇は、当初は、巡洋艦・戦艦の偵察・弾着観測機として艦載されていたが、のちに護衛空母「ケディーブ」(HMS Khedive :D62)に搭載されて、空母艦載の海難救助機として使用された。
写真(右)1945年1月,イギリス、スコットランド、グラスゴー西40キロ、グリーノック(Greenock)沖、イギリス海軍護衛空母「ケディーブ」(HMS Khedive :D62);護衛空母「ケディーブ」は陸上滑走用のゴム主輪装備の水陸両用飛行艇として、当初ウォーラス(Walrus)飛行艇を、後にシーオッター(Sea Otter)飛行艇を搭載した。 The Royal Navy during the Second World War
HMS KHEDIVE underway at Greenock under the command of Captain H J Haynes RN.
Date between 1939 and 1945
Date 1 January 1945
A 22596 from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg
Author Beadell, S J (Lt), Royal Navy official photographer 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Walrus File:HMS Khedive IWM A22596.jpg引用。
ボーグ級航空母艦(Bogue-class escort carrier)護衛空母「USSコルドバ」(USS Cordova :CVE-39)は、起工1942年12月30日、進水1943年1月30日のアメリカ製の小型空母であるが、イギリス海軍に貸与され、1943年8月25日、護衛空母「ケディーブ(D62)」としてイギリス海軍で就役した。
イギリス海軍)護衛空母「ケディーブ」(HMS Khedive :D62)は、満載排水量1万6,620トン、全長 495.66 ft (151.1 m)、全幅 69.5 ft (21.2 m)、最高速力18ノット、搭載機20機の船団輸送用の小型低速空母である。
写真(右)1943-1945年頃、イギリス、航空基地に待機しているスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇(12-2)の右側面;降着装置のゴム主輪は、陸上に引き下ろされている。胴体周囲の下方には、長い手摺が付けられているが、これは海難救助に際して、不時着水して海上に漂う人員が捕まることができるような装置であろう。シーオッター飛行艇は、第二次大戦後も、沿岸における海上救難用に配備された。 Supermarine, Sea Otter
Manufacturer: Supermarine
Official Nickname: Sea Otter
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はWikimedia Commons, SDASM Archives
>Catalog #: 01_00088616引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)飛行艇は、胴体中央に当初、ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン775hp、その後の量産型はブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury)XXX空冷9気筒エンジン855hp1基を搭載し、牽引式3翅プロペラを装備している。ウォーラス(Walrus)飛行艇と同じく、水陸両用機で、降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。イギリス海軍艦隊航空隊(Fleet Air Arm:FAA)の艦載機としても使用するために、複葉主翼を折り畳むことも可能である。
写真(右)1947年10月、飛行しているイギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇の右側面;降着装置のゴム主輪は、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収められている。 Sea Otter amphibian aircraft
CREATOR
United States. Navy
DESCRIPTION
Sea Otter British NA (reconnaissance), October 1, 1947.
DATE
1947-10-01
RIGHTS
No Copyright - United States
SUBJECT
United States. Navy
Great Britain
Military education
World War, 1939-1945
Airplanes, Military--Recognition
Slides
PUBLISHER
Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives
写真は, Grand Valley State University. University Libraries. Special Collections & University Archives >
IDENTIFIER
IDENTIFIER
RHC-50_1071引用。
シーオッター(Sea Otter)単発飛行艇は、巡洋艦以上の艦艇の艦載機としてイギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)で使用されたが、陸上基地から海上救難機として、1950年代中頃まで使用された。
写真(右)1945-1950年頃、イギリス、陸上基地の格納庫前で待機する救難機白色塗装のスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇(VH-801);降着装置のゴム主輪は、陸上に引き下ろされている。胴体下方には、長い手摺が付けられているが、これは海難救助に際して、不時着水して海上に漂う人員が捕まることができるような装置であろう。シーオッター飛行艇は、第二次大戦後も、沿岸における海上救難用に配備された。 Perma_001465 Permann Collection Image
Supermarine Sea Otter--Permann Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真はWikimedia Commons, SDASM Archives
>Perma_001465 Permann Collection Image引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇は、胴体下方を覆うように手摺が装着されているが、この手摺は、不時着水して海上に漂う人員の海難救助用に着水して、接近したときに、海中から捕まることができるように配慮されている。スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)のような低速複葉の旧式飛行艇でも、第二次大戦後も1950年代まで就役していたのは、沿岸における海上救難用に有用だったためである。救難時に目立つように、白色塗装が施されていた。
写真(右)1949年3月、オランダ、オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇;降着装置のゴム主輪は、降ろされていて、車輪止めで留められている。下主翼には、ゴム主輪を引上げ格納する浅い円筒形の格納スペースが写っている。海上救助用の手すりと、海上から胴体に上がるための梯子が設置されているが、これは海上救難機と沿い手の装備である。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : Repro Marvo vliegtuigen
Datum : 1 maart 1949
Trefwoorden : Repros, VLIEGTUIGEN
Instellingsnaam : Marvo
Fotograaf : Fotograaf Onbekend / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-2474
Date 1 March 1949
Author Nationaal Archief 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Repro Marvo vliegtuigen, Bestanddeelnr 903-2474.jpg引用。
オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇は、主に海上に不時着した飛行機搭乗者や船舶遭難者の海上救難任務に就いていたため、海上に投げ出された人員が、飛行艇に捕まることができるように、胴体前半下方の周囲に手摺を設けている。また、海上の遭難者が飛行艇に乗るために、あるいは飛行艇の救助隊員が海上に降り押すために、胴体先端に梯子が設置された機体もある。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)は、旧式低速の複葉飛行艇だが、海上救難機として重宝されたために、1950年代まで使用された。
写真(右)1950年3月、オランダ、オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇;降ろされている胴体中央下面のゴム主輪は、陸上用であり、飛行中と海上にあるときは、主翼下面に格納スペースに収めることができる。水兵が手をかけているのは、不時着水して海上に漂う人員が掴まるための手摺で、胴体周囲に取り付けられている。シーオッターは、第二次大戦後も、沿岸における海上救難飛行艇として配備された。
Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : "Seaotter" reddingsvliegtuig voor de Marine
Datum : 23 maart 1950
Trefwoorden : marine, vliegtuigen
Persoonsnaam : Seaotter
Fotograaf : Noske, J.D. / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-8778
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"Marine Vliegkamp Valkenburg" van de Marine Luchtvaartdienst.
Plaats: Valkenburg (bij Katwijk), Zuid-Holland
Date 23 March 1950
Author Daan Noske / Anefo
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Seaotter reddingsvliegtuig voor de Marine, Bestanddeelnr 903-8777.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)は、水陸両用飛行艇なので、陸上で運用するときには、胴体中央下面の降着装置のゴム主輪を降ろしている。しかし、飛行中、あるいは海上では、抵抗が大きいために、下主翼下面に設けられた円形の格納スペースに収納することができる。また、不時着水して海上に漂う人員が掴まるために、胴体下方に長い手摺を取り付けてある。スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)は、第二次大戦後も、沿岸における海上救難飛行艇として配備された。
写真(右)1950年3月、オランダ、オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇(18-5);胴体下方には、長い手摺が周回して取り付けられているが、この用途は、海難救助に際して、不時着水して海上に漂う人員が掴まるためである。シーオッター飛行艇は、第二次大戦後も、沿岸における海上救難用に配備された。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : "Seaotter" reddingsvliegtuig voor de Marine
Datum : 23 maart 1950
Trefwoorden : marine, vliegtuigen
Persoonsnaam : Seaotter
Fotograaf : Noske, J.D. / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-8778
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"Marine Vliegkamp Valkenburg" van de Marine Luchtvaartdienst.
Plaats: Valkenburg (bij Katwijk), Zuid-Holland
Date 23 March 1950 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Seaotter reddingsvliegtuig voor de Marine, Bestanddeelnr 903-8778.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)のシーオッター(Sea Otter:ラッコ)飛行艇は、1943年から合計で 592機が発注されたが、実際に生産されたのは、1946年7月までに合計292機に過ぎない。これは、
1)1943年には第一線機として爆撃機、戦闘機の量産が優先された、 2)1944年後半には、戦争の帰趨が見えて、後方で活躍する水上機・飛行艇の需要が減少した、 3)1945年5月のドイツ降伏VED(Victory in Europe Day)で事実上戦争は勝利で終わり、軍備の必要性が低下した、 ことが指摘できる。
写真(右)1950年3月、オランダ、オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇(18-5)の右側面;降着装置のゴム主輪は、陸上なので下に降ろされている。水兵が手をかけている胴体下方の手摺は、不時着水して海上に漂う人員が掴まるための取っ手である。シーオッター飛行艇は、第二次大戦後も、沿岸における海上救難用に配備された。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : "Seaotter" reddingsvliegtuig voor de Marine
Datum : 23 maart 1950
Trefwoorden : vliegtuigen
Instellingsnaam : Marine
Fotograaf : Noske, J.D. / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-8779
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"Marine Vliegkamp Valkenburg" van de Marine Luchtvaartdienst.
Plaats: Valkenburg (bij Katwijk), Zuid-Holland
Date 23 March 1950
Author Daan Noske / Anefo 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Seaotter reddingsvliegtuig voor de Marine, Bestanddeelnr 903-8779.jpg引用。
1945年9月に第二次世界大戦が終了すると、強力な軍備、多数の航空機を保有する経費負担を軽減することが求められた。そこで、スーパーマリン(Supermarine)のシーオッター(Sea Otter)飛行艇の多くは、民間に払い下げされ、民間機として使用された。ただし、シーオッター(Sea Otter)飛行艇の生産は1946年7月まで続き、合計290機が量産されている。
スーパーマリン(Supermarine)の開発になるシーオッター(Sea Otter)飛行艇民間仕様ではキャビン防音化(soundproofed)、暖房システム(heating systems)の導入がなされた。また、乗客4名用の座席、トイレ(化学処理), 貨物室も追加された。これは、へき地での定期あるいは不定期の連絡飛行に従事するブッシュ機(Bush airplanes)として利用された。そのために、床板を調整して貨物室としてキャビンを使えるようにし、座席の取り外しも可能となっている。
写真(右)1950年3月、オランダ、オランダ海軍航空隊スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇(18-5)の左側面とエンジンを眺める水兵;中央のブリストル(Bristol)マーキュリー(Mercury) XXX 空冷9気筒エンジン 805 hp (600 kW)1基装備。 Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Anefo
Reportage / Serie : [ onbekend ]
Beschrijving : "Seaotter" reddingsvliegtuig voor de Marine
Datum : 23 maart 1950
Trefwoorden : vliegtuigen
Instellingsnaam : Marine
Fotograaf : Noske, J.D. / Anefo
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Glasnegatief
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.01.09
Bestanddeelnummer : 903-8780
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"Marine Vliegkamp Valkenburg" van de Marine Luchtvaartdienst.
Plaats: Valkenburg (bij Katwijk), Zuid-Holland
Date 23 March 1950
Author Nationaal Archief 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Seaotter reddingsvliegtuig voor de Marine, Bestanddeelnr 903-8780.jpg引用。
海上偵察、海難救助に使用するために、スーパーマリン(Supermarine)のシーオッター(Sea Otter)飛行艇は、イギリス空軍(RAF)とイギリス海軍(Royal Navy)で制式され、第二次世界大戦の後半から、戦後しばらくの間使用された。イギリス以外でも、オランダ空軍(Royal Danish Air Force),オランダ海軍(Dutch Naval Aviation Service),オーストラリア海軍(Royal Australian Navy)でも制式された。また、スーパーマリン(Supermarine)はシーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇を販売する企画も立てている。
写真(右)1949年5月19日、地中海、マルタ島沖、イギリス海軍ライオン級戦艦「ヴァンガード 」(HMS Vanguard, 23) 前方上空を飛行するスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)水陸両用飛行艇;イギリス海軍ライオン級戦艦「ヴァンガード 」は、第二次大戦中に起工、進水したものの、大戦終盤には戦艦は不必要になっていたために、就役は戦後1年たった1946年5月12日である。
HMS VANGUARD AT SEA. 16 MAY 1949, WITH THE LION CLASS BATTLESHIP HMS VANGUARD AT MALTA AND AT SEA.
Original wartime caption: HMS VANGUARD at sea, as seen from the destroyer HMS CHILDERS. Note the Supermarine Sea Otter above and to the right of HMS VANGUARD. 写真は, Imperial War Museums Catalogue number
IWM A 31507引用。
イギリス海軍ライオン級戦艦「ヴァンガード 」(HMS Vanguard, 23)は、起工1941年10月2日、進水1944年10月30日、就役1946年5月12日、基準排水量4万4,500トン、全長248.3m、水線長 231.6m、全幅 32.8m、最高速力 31.5ノット、Mark I 38.1cm42口径連装砲4基8門、13.3cm50口径連装両用砲8基16門装備。
写真(右)1950年3月22日、地中海、マルタ島、イギリス艦隊の演習に参加したイギリス艦隊航空隊空母「グローリー」(HMS Glory :R62)スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇と新型のウエストランド・シコルスキー(Westland=Sikorsky)WS-51 ドラゴンフライ(Dragonfly)救難ヘリコプター; COMBINED HOME FLEET AND MEDITERRANEAN FLEET EXERCISES. MARCH 1950, FROM ON BOARD HMS GLORY AND ASHORE DURING THE COMBINED SPRING CRUISE OF THE MEDITERRANEAN AND HOME FLEETS WHICH CONCLUDED AT MALTA ON 22 MARCH 1950.
A Supermarine Sea Otter amphibious Naval aircraft arrives at Golfe Juan in the South of France with mail for the ship's company of HMS GLORY during the Combined Home and Mediterranean Fleet Exercise.. 写真は, Imperial War Museums Catalogue number
IWM A 31672引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)海上救難飛行艇は、イギリス艦隊航空隊(Fleet Air Arm:FAA)に配備された最後の複葉にとなった。
イギリス海軍は、世界初の空母「アーガス」をはじめ、第二次世界大戦末期1945年4月以降に就役した空母「グローリー」(HMS Glory :R62)、空母「オーシャン」(HMS Ocean :R68)にもシーオッター(Sea Otter)単発飛行艇を海難救難機として搭載している。
写真(右)1954年8月、地中海、マルタ島、イギリス艦隊の演習に参加したイギリス海軍空母「オーシャン」(HMS Ocean :R68)に収容されるために接近したスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:海獺)海上救難飛行艇; HMS OCEAN'S NEW COMMISSION (circa August 1954)..
Naval air-sea rescue Supermarine Supermarine Sea Otter taxys into a pick up position alongside HMS OCEAN prior to being hoisted on board. The Supermarine Sea Otter was the last biplane amphibian in Fleet Air Arm service... 写真は, Imperial War Museums Catalogue number IWM A 31947引用。
イギリス海軍空母「オーシャン」(HMS Ocean :R68)の諸元
起工 1942年11月8日
進水 1944年7月8日
就役 1945年8月8日
退役 1960年
基準排水量:1万3,190 トン
全長 630 ft (192 m)
最大幅 80 ft (24.4 m)
吃水 18 ft 6 in (5.7 m)
最高速力: 25 ノット (46 km/h)
航続距離: 14ノットで1万2,000マイル (26 km/hで22,200 km)
乗員 1,300名
兵装 ビッカース(Vickers-Maxim)2ポンド(40mm)ポンポン "Pom Pom"速射砲 24基(QF 2-pounder naval gun)
エリコン20mm機関銃 32挺(Oerlikon 20 mm cannon)
搭載機 48機
写真(右)1953年頃、地中海、マルタ島、グランド・ハーバー上空を飛行する海難救助に従事したイギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇と新型のウエストランド・シコルスキー(Westland=Sikorsky)WS-51 ドラゴンフライ(Dragonfly)救難ヘリコプター;1943年8月18日初飛行のアメリカ製シコルスキー R-5(Sikorsky R-5)をイギリス海軍は、WS-51ドラゴンフライ(Westland Dragonfly)と命名しライセンス生産した。
THE OLD AND THE NEW. 1953? THE WESTLAND-SIKORSKY DRAGONFLY HELICOPTER IS REPLACING THE SEA OTTER AMPHIBIOUS AIRCRAFT FOR AIR/SEA RESCUE DUTIES..
Original wartime caption: ..The last Supermarine Sea Otter machine in service in the Mediterranean seen flying over Grand Harbour, Malta with a helicopter which is in service there.Part of
AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION 写真は, Imperial War Museums Catalogue number IWM A 32471引用。
シコルスキー R-5(Sikorsky R-5)は、1943年8月18日初飛行のアメリカ製ヘリコプターで、1948年からH-5の名称で実用化された。イギリス海軍では、このシコルスキーの開発したヘリコプターをWS-51ドラゴンフライ(Westland Dragonfly)と命名し、ウエストランド(Westland)社でライセンス生産した。
ウェストランド WS-51ドラゴンフライ(トンボ)(Westland-Sikorsky WS-51 Dragonfly)の初飛行は、1948年10月5日、全長:12.5m(41ft2in)、全高:3.9m(12ft11in)、主ローター直径:14.6m(48ft)、主ローター旋回面積:尾部ローター直径:2.5m(8ft5in)、全備重量:2,184kg(4,815lb)、発動機:
エンジン:プラット・アンド・ホイットニー R-985星型エンジン450hp(335kW)、最高速力:145km/h=M.12(90mph、78kn)
航続距離:451km(280mi、244nm)、巡航高度:3,000m。1949-1954年149機が生産された。
写真(右)、スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇の三面図;降着装置のゴム主輪は、主翼が展開されていれば、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。1942-1945年に合計292機生産された。 Sea Otter line drawing
Date 8 October 2016
Source Own work
Author Kim Pirat 写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Sea Otter >File:Supermarine Sea Otter.jpg引用。
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター飛行艇の諸元
乗員 3〜4名
全長: 39 ft 9 in (12.12 m) 全幅: 46 ft 0 in (14.02 m) 全高: 16 ft 2 in (4.93 m) 主翼面積: 610 sq ft (57 m2)
空虚重量: 6,805 lb (3,087 kg)
全備重量: 10,000 lb (4,536 kg) 燃料搭載量:206 imp gal (247 US gal; 940 L)
発動機:ブリストル(Bristol)・マーキュリー(Mercury)XXX 空冷9気筒 805 hp (600 kW) プロペラ:ロートル(Rotol)3翅プロペラ 直径:11 ft 3 in (3.43 m) 性能
最高速力:163 mph (262 km/h, 142 kn) 巡行速力: 100 mph (160 km/h,87kn) /5,000 ft (1,524 m)
実用上限高度:4,880 m
航続距離: 565マイル (909–1,167 km, 491–630 nmi) フェリー距離(Ferry range): 920 mi (1,480 km, 800 nmi)
兵装 .303 in (7.7 mm) ビッカース(Vickers)K 機関銃2〜3挺
爆弾搭載量:250 ポンド (110 kg)
3.イギリス空軍フィリックストウ(Felixstowe)F.2/F.3/F.5 双発飛行艇
写真(右)1919年2月27日、アメリカ東岸、ワシントンDC北50キロ、ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)、海軍航空工廠前の海面に引き出された完成直後のアメリカ海軍フィリックストウ(Felixstowe)F5L 双発飛行艇;アメリカ国旗と同じ青白赤の縦縞の国籍マークを、垂直尾翼方向舵に描いている。 Author
Title
Hydroplanes - Types - Model - F - TYPES OF SEAPLANE BUILT FOR U.S. Government. AT NAVAL AIRCRAFT FACTORY, Philadelphia, Pennsylvania. F-5-L Number 1 loaded. Side view
Scope and content: Photographer: Naval Aircraft Factory.
Date 1917-1918
Collection
National Archives and Records Administration National Archives at College Park - Archives II (College Park, MD)
Record ID
NARA the National Archives and Records Administration, National Archives Identifier (NAID) 31485445. .Search Identifier: 165-WW Batch 5
165-WW-186D-9 写真はWikimedia Commons, Category:Felixstowe F5L production
>File:Hydroplanes - Types - Model - F - TYPES OF SEAPLANE BUILT FOR U.S. Government. AT NAVAL AIRCRAFT FACTORY, Philadelphia, Pennsylvania. F-5-L Number 1 loaded. Side view - NARA - 31485445.jpg引用。
アメリカのカーチス・H-1飛行艇「アメリカ」は、大西洋無着陸横断の商業的飛行をはじめて成し遂げた機体である。その発展型カーチス(Curtiss)H-12双発飛行艇は、1914年7月23日、第一次世界大戦の勃発直前に初飛行したが、これを原型にイギリスで開発されたのがフィーリックストウ (Felixstowe)F.2である。
しかし、イギリス空軍フィリックストウ(Felixstowe)F5 双発飛行艇は、今度はアメリカ海軍に採用され、アメリカ東岸、ワシントンDC北50キロ、ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)の海軍航空工廠で生産された。
写真(右)写真(右)1919年2月27日、アメリカ東岸、ワシントンDC北50キロ、ペンシルベニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)、海軍航空工廠、アメリカ海軍フィリックストウ(Felixstowe)F5L 双発複葉飛行艇の木製胴体後方の左船底; 船体を逆さまにして、船底を上にした状態で工作をしている。右端にはカーチスH型単発複葉飛行艇の機首が見えている。 Author
Unknown author or not provided
Record creator War Department. 1789-9/18/1947
Title
Hydroplanes - Manufacturers - Naval Aircraft Factory - F-5 - SEAPLANES MADE FOR USE OF THE U.S. NAVY. F-5-L general side view from the Naval Aircraft Factory Philadelphia, Pennsylvania
Description
Scope and content: Photographer: U.S. Navy Department
Date 1917 – 1918
Collection
National Archives and Records Administration Blue pencil.svg wikidata:Q518155
National Archives at College Park - Archives II (College Park, MD)
Record ID
NARA Logo created 2010.svg This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 31484840 写真はWikimedia Commons, Category:Felixstowe F5L production
>File:Hydroplanes - Manufacturers - Naval Aircraft Factory - F-5 - SEAPLANES MADE FOR USE OF THE U.S. NAVY. F-5-L general side view from the Naval Aircraft Factory Philadelphia, Pennsylvania - NARA - 31484840.jpg引用。
⇒写真集Album:フィリックストウ(Felixstowe)F.2/F.3/F.5 双発飛行艇を見る。
4.スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
写真(右)1930年9月10日、スウェーデン、ストックホルム東郊外、リンダレーゲン(Lindarängen)沖に停泊する4機のイギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)Mark II 複葉双発飛行艇;上方右後方からの眺め。垂直尾翼は3枚ある。リンダレーゲンでは、1912年の夏のオリンピックが開催されているが、ここに1921年から1952年までストックホルム水上機空港(Stockholm's water airport)が置かれていた。 Svenska: De fyra stora Supermarine Southampton maskinerna i flyghamnen vid Lindarängen.
Date 10 September 1930
Source IMS Vintage Photos
Author Unknown photographer 写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:Four-Super-Southampton-aircraft-in-Lindarangen-air-harbor-352042730137.jpg引用。
スーパーマリン・サザンプトン(Southampton)Mk I 双発飛行艇は、軍用偵察哨戒機として、防御用の7.7mmルイス機関銃3丁を3つの開放式銃座に搭載している。銃座の位置は、1つは機首に、2つは後部胴体に左右前後にずらして配置されてる。これは、機関銃を胴体真下に向けて、射界を下方に拡張するための配置である。
⇒写真集Album:スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇を見る。
5.イギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
写真(右)1940-1948年、海面上空を低空飛行するカナダ空軍(RCAF)の雲形迷彩塗装を頬度超したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(937):機首銃座はないが、胴体後上方の開放式銃座は設けられているようだ。4翅プロペラ装備。
Description
English: Supermarine Stranraer
Source
Canadian Forces
Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.. 写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 2 ExCC.jpg引用。
英連邦で汎用沿岸哨戒飛行艇として使用されていた
スーパーマリン・サザンプトンの後継機をイギリス航空省が要求したのに対して、スーパーマリン社は既存の14機生産したスカパ(Scapa)双発飛行艇を原型に新機を開発した。これが、1934年7月24日に初飛行したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇である。
写真(右)1940-1948年、陸上の水上機基地に待機しているカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(912):4翅プロペラ装備。
Supermarine Stranraer #912 flying boat at RCAF Station Jericho Beach.
Date between 1940 and 1948.
City of Vancouver Archives under the reference
number CVA 677-380
Author Timms, Philip T. 写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 912.jpg引用。
ストランラー飛行艇は、スカパ飛行艇を大型化し、発動機の出力を強化したために、性能は向上した。就役したのは、1937年で、それに伴って前作スカパ飛行艇は、1938年に退役した。
⇒写真集Album:スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇を見る。
6.イギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)A.27 ロンドン(London)飛行艇
写真(上)1938年1月26日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー、イギリス空軍(Royal Air Force)第204飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇:燃料タンクを胴体背面に増設した長距離仕様で、1937年から1938年にかけて、イギリス空軍第204飛行隊のサンダース・ロー((Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇は、シドニー植民地設立150周年を記念してイギリスからオーストラリアへの長距離飛行した。
English: A Saro London flying boat of No. 204 Squadron Royal Air Force
Date 1930s
Source Thetford, Owen (1957) Aircraft of The Royal Air Force 1918-57, London: Putnam, pp. p.360
Author Air Ministry Photo. 写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Saro London 01.jpg引用。
イギリス航空省は、1930年にイギリス空軍向け長距離哨戒飛行艇の開発を要請し、ブラックバーン(Blackburn)社は、パラソル複翼、双垂直尾翼、発動機試ブリストル ペガサス II(Pegasus II)空冷エンジン2基の双発複葉飛行艇を開発し、試作機を1934年3月に初飛行させた。これがサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)双発飛行艇で、1936-1941年に就役、1934–1938年に31機が生産された。
1788年、オーストラリア東岸のシドニーにヨーロッパから初めての移民が入植した。1938年12月、このオーストラリア移民シドニー上陸150年を記念して、イギリスからシドニーに、イギリス空軍(Royal Air Force)のサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇がオーストラリア移民開拓の記念長距離飛行をした。
イギリス空軍サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇の諸元
乗員: 6名
全長: 17.23 m (56 ft 6 in)
全幅: 24.39 m(80 ft 0 in)
主翼面積: 132.4 m² (1,425 ft²) 総重量: 8,364 kg (18,400 lb)
発動機: ブルストル ペガサス X 空冷星型、 915馬力 2基
最高速力: 250 km/h(135ノット)/高度2,000 m 航続距離: 1,770 km(956マイル)
7.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇
写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右発動機:ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基装備だが、エンジンカウリングのない発動機(左)にはカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal): Plane Dawn Lewiston, ME.
Creator:
Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer)
Aviation: Boardman, Earhart & Grayson
Date:
1917-1934 (approximate)
Publisher:
Boston Public Library, Print Department
Genre:
Glass negative
Extent:
4 x 5 in 写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002096引用。
1927年初飛行のアメリカ製シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇は、乗客6-8人乗りの下主翼左右に浮舟フロートを装備した飛行艇だが、胴体中央部下左右側面にゴム車輪を装備し、陸上での離着陸も可能な水陸両用飛行艇である。S-36装備した発動機は、ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基で、小型軽量で固定ピッチ2翅プロペラを駆動する。生産機数は6機のみ。
⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇を見る。
8.シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
写真(右)1930年代,アメリカ、水上で係留中のシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇:上主翼の上に2人の男性が乗って、ゴムホースで主翼上面の燃料タンクに給油作業をしている。 AL231 Davis Album Photo_000142
Image from a photo album (AL-231) showing San Diego during the 1930s and the Canal Zone in Panama. Unknown Donor. 写真はflicker, SDASM Archives AL231 Davis Album Photo_000142引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、全長12.3メートル、全幅21.8メートル、発動機はプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp2基搭載、巡航速力は時速165キロ、航続距離960キロで、8-10名の乗客を乗せることができる。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、2基のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1340ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン415馬力を駆動し飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇:
Sikorsky S-38
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-38 写真はSikorsky Product History, SIKORSKY PRODUCT HISTORY Sikorsky S-38引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、1928年5月25日の初飛行以来10年以上が経過しても、使いやすく、経済的で、信頼性があったために、1940年代になっても現役で使用されていた。100機以上が量産され、21世紀になってもレプリカとして再生産された機体が飛行している。
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、パンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇コックピット左側の主操縦席と左右可動式の操縦桿:
飛行機の操縦席の計器盤は、機体の姿勢を表示する水平儀、高度計(気圧によって計測)、速力計(ピトー管に流入する空気圧力で計測)、方位計(磁気コンパスあるいはジャイロ・コンパス)、燃料計、エンジン回転計などがある。S-38飛行艇は、並列式の複式操縦装置を備えている。左側に正操縦士席があるので、計器は左側重視である。
写真は, PAN AMERICAN-GRACE SIKORSKY S-38 GALLERY引用。
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9.イタリアのカント(CANT)Z.501飛行艇
図(右)1940年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載のカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇上面図:機首上面とエンジンナセル上面にある円形は、7.7mmブレダ-SAFAT機関銃1丁を搭載したブレダ人力回転銃座AZターレットのある位置を示しているようだが、側面図には銃座は描かれていない。 C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。 写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。
C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)は、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)で、その公式カタログ(CATALANO)より引用。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501
serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。
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10.ドルニエ(Dornier)Do-18飛行艇
写真(右)1930-1931年頃、ドイツ、ドルニエDo 18 D飛行艇;1933年ナチ党政権樹立以来、ドイツの国籍標識には、垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の鍵十字を描いているが、この民間航空の国籍標識は、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍創設以降も引き継がれ、1939年9月の第二次世界大戦勃発まで続く。大戦では、この赤白の国籍指標は廃止され、ナチ党逆卍を白縁取りの黒で描いている。エンジンは主翼上面に3翅プロペラの液冷エンジンを2基の串型に配備している。 SDASM Archives
Ray Wagner Collection Image
PictionID:46170028 - Catalog:16_007459 - Title:Dornier Do 18D Nowarra Collection - Filename:16_007459.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation. 写真はSDASM Archives・PictionID:46170028引用。
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇の信頼性と航続力に注目したドイツ空軍は、1936年にDo18飛行艇を哨戒偵察機として制式し、1940年までに100機を生産した。しかし、第二次世界大戦緒戦時点で、性能的には高性能とはいえなかったが、信頼性が高いために、後方の連絡、海難救助の任務では1945年の終戦まで現役で使われた。
⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier) Do 18飛行艇を見る。
12.サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇
写真(右)1934-1935年、チェコスロバキア、チェコスロバキア航空のサンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇(G-ABCJ); .A.19/1 Prototyp imatrikulace G-ABCJ poháněný hvězdicovými motory Wright J-6 o výkonu 300 k (224 kW), prodán do Kanady jako CF-ARB, vrácen do firmy Saro v roce 1934 a používán pro testy motorů. Na stroj byly nainstalovány motory Napier Rapier IV a pomocná nosná plocha za motorovými gondolami. Roku 1935 byl stroj pronajat Jersey Airways, vyřazen byl v dalším roce.. 写真は, Modelářovo.cz.:・SEZNAMTE SE – SARO A-19 CLOUD引用。
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)飛行艇の主翼はパラソル式で、その上に空冷星形エンジンが装備されている。そのため、プロパラの位置が、水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響を受けにくくしている。胴体中部には、陸上の離着陸に使用するゴム主輪が取り付けられているが、水上あるいは空中では、主輪は引き上げられて抵抗を減少するように配慮されている。
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13.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇
写真(右)1935年11月以降,アメリカ、海に面した水上機基地の滑走台で待機するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日。
Sikorsky S-40
Manufacturer: Sikorsky
Designation: S-40 写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070990引用。
38 人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。
シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、海上で胴体で着水する飛行艇だが、陸上基地に引き上げ移動するのに便利なように、予め胴体中下部左右にゴム車輪を装着していた。このゴム輪は、引込み式あるが、降着用に使用するには強度不足だった。
つまり、シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、水陸両用飛行艇ではないが、陸上移動に便利なような引込み式ゴム主輪を装備していた。ただし、1935年には、このゴム主輪は、運用上支障があるためか、撤去されている。
シコルスキー・エアクラフト(Sikorsky Aircraft Corporation)の設計したS-40飛行艇は、当初は、水陸両用の移動可能な飛行艇とすべく、ゴム車輪を引込み式にして設けていた。車輪は脆弱な構造で、着陸するのに使用することはできないが、陸上での滑走移動に使用可能だった。しかし、車輪を装着すると飛行重量が嵩む上に、着水時の水密性や汎用性に問題があったと思われる。そこで、S-40飛行艇水陸両用は困難で、1935年には、この陸上用移動車輪を撤去して、重量軽減、構造の簡易化を図っている。ゴム車輪を撤去したことで、重量と空気抵抗が減少し、飛行艇としての飛行性能、実用性を向上させることができた。
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14.シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper"
写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。 English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934
Author United Technologies Corporation 写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、胴体から支柱で支えたパラソル式主翼(単葉)で、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基を備えた四発大型飛行艇である。 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)は、S-42飛行艇を、主にアメリカ南部とカリブ諸国の間の長距離洋上旅客航路に就役させた。初飛行は1934年の3月30日で、総生産機数は10機である。
1934年3月に初飛行したパン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、プラット&ホイットニー・ホーネット・エンジン750hp4基装備で、最高速力300 km/h、航続距離3,000 km、乗客座席数32席あるいは寝台席14席の旅客飛行艇である。1935年4月から、アメリカ東岸サンフランシスコとハワイ諸島オアフ島ホノルル間の太平洋横断航路に就役した。しかし、旅行需要の上では、主にアメリカ南部マイアミとキューバ・トリニダード島などカリブ海航路が、主な路線だった。
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15.マーチン(Martin)M-130飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"
写真(右)1936年11月以降、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ湾、トレジャーアイランド(Treasure Island)で整備作業を受けるマーチン(Martin)M-130「チャイナクリッパー」"China Clippers" 四発大型飛行艇 (NC14716);太平洋横断飛行を記念して、機首にアメリカ国旗「星条旗」を描いている。トレジャーアイランドは、長さ5,520 フィート、幅3,410 フィートの人工島で、1936–37年に造成された。 ゴールデンゲート国際展覧会(Golden Gate International Exposition :GGIE)が1939年と1940年に開催されている。後方の架橋は、サンフランシスコ=オークランド湾大橋(San Francisco-Oakland Bay Bridge)で、1936年11月12日に、鉄道・道路併用の架橋として竣工した。 ChinaClipperatTreasureIsland
Date 22 March 2010, 14:40
Source ChinaClipperatTreasureIsland
Author Bill Larkins 写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:ChinaClipperatTreasureIsland (4454794157).jpg引用。
複葉機全盛だった1934年12月、アメリカのマーチンM-130大型飛行艇が初飛行した。この飛行艇は、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)の要請を受けて、太平洋横断可能な四発旅客飛行艇として開発されたもので、全長27.6メートル、全幅39.7メートルの片翼式単葉機で、胴体両側の張り出しは浮舟と燃料タンクを兼ねていた。発動機は信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基を搭載し、巡航速力は266km/h、乗客12-14名を5150km運ぶことができる。また、短距離であれば、乗客48名を運ぶことができた。
⇒写真集Album:マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパーを見る。
17.アメリカのボーイング(Boeing)314四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314は、3枚の垂直尾翼を持つ大型四発飛行艇で、最大座席数74席(寝台仕様の場合50席)で、出現時は最大級巨人旅客輸送機だった。
写真(右)1939年、ボーイング(Boeing)314四発飛行艇;1938年6月7日初飛行。1938–1941年に12機が生産された。同時期に開発されたマーチン M-156(Martin model 156)四発飛行艇を抑えて、パンアメリカン航空に採用された。
Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer
Title
(Seaplane on the water beside a gangplank)
Description
English: A Boeing 314 flying boat is moored in a harbour. There two boats alos in the harbour. One of the boats have two life-savers with "Lady VI Auckland" written on each of them. Three men are visible on a boat. A man is walking along the gangplank, towards the flying boat. A jetty, and an island, is visible in the far background.
Date 1939
Medium Silver gelatin dry plate
Collection
Auckland War Memorial Museum
Accession number
81422 (object number)
Source/Photographer
API data
Catalogue record
Photo
Permission
(Reusing this file) This image has been released as "CCBY" by Auckland Museum.
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Seaplane on the water beside a gangplank (AM 81422-1).jpg引用。
ボーイング(Boeing)314四発飛行艇は、サンフランシスコ=ニュージーランドのオークランド間の定期航路にも就役している。 アメリカのパンアメリカン航空がボーイング(Boeing)314飛行艇6機の発注を行い、生産が開始された。1939年より引渡しが開始され、6機の追加を含めて、1938–1941年に12機が生産された。
⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。 バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism ⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism ⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics ⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck ⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発 ⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto ⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏 ⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1) ⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz ⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
⇒ヒトラー:Hitler
⇒ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ ⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒VI号ティーガー重戦車 ⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車 ⇒イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車 ⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank ⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail ⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒アンネの日記とユダヤ人
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒ハンセン病Leprosy差別
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