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◆シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
写真(上)1933年頃,アメリカ、水上機基地の格納庫前、 パン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)コルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇(c/n 4201 NC-823M)「西インド諸島クリッパー」 'West Indies Clipper' )
;1931年8月7日初飛行。エンジンに保護カバーを掛けて、陸上移動用のゴム車輪を降ろして、ダブルで大重量の飛行艇を支えている。
Sikorsky S-42 c/n 4201 NC823M Pan American Airways 'West Indies Clipper' later 'Pan American Clipper', 'Hong Kong Clipper', sank at Antilla, Cuba on August 7, 1944.English: Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 12 May 2014 Author SDASM Archives
写真は, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:AL61A-467 Sikorsky S-42 Pan American.jpg引用。



写真(上)1936-1941年頃,アメリカ領グアム島西端、スマイ(Sumay)、 パン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇
;港の沖にボートで乗り付けた白い制服のアメリカ人たち。
A Pan American Sikorsky S-42 Clipper landing at its slip at the Pan American Complex in Sumay, Guam, before the Second World War. Date circa 1936-1941 Source U.S. National Park Service photo on the Andersen Air Force Base website photo 081202-F-0000X-005 Author US Government
写真は, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42 Clipper at Guam (cropped).jpg引用。


1.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇

写真(右)1934年以前,蘭印(インドネシア)、オランダ領インド航空(Koninklijke Nederlandsch-Indische Luchtvaart Maatschappij: KNILM)シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇
English: Title: Watervliegtuig (Sikorsky) bij de Etna-baai Shelfmark: KITLV 98629 Subject (topical): Aircraft
Subject (geographic): Fakfak Indonesia Papua Barat Language: No linguistic content
Country: No place, unknown, or undetermined Published/created: [Circa 1937] Extent: Digital image Author Anonymous
写真は Wikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:Watervliegtuig (Sikorsky) bij de Etna-baai, KITLV 98629.tiff引用。


1928年5月25日に初飛行したシコルスキー(Sikorsky)S-38双発旅客飛行艇は8名から10名の乗客を運ぶことができる全幅21.8m、全長12.3mの当時の大型飛行艇で、これは前作1927年初飛行のS-36飛行艇の乗客6人を上回った。

次作のシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、1931年8月7日に初飛行し、「アメリカン クリッパー」と命名されている。

写真(右)1929年12月,アメリカ、シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇:複葉だが、上面のパラソル式主翼は大きいが、下面の主翼は上面の3分の1の幅しかない。
English: Sikorsky S-38 photo from L'Année aéronautique,1929
Date 31 December 1929 Author L'Année aéronautique
写真は Wikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:Sikorsky S-38 L'Année aéronautique,1929.jpg引用。


プラット・アンド・ホイットニー R-1340ワスプ空冷星型9気筒エンジンの諸元
シリンダー直径: 5.75 in (146 mm)
ストローク: 5.75 in (146 mm)
体積: 1,344 in³ (22.02 l)
全長: 44.06 in (1,119 mm)
直径: 51.38 in (1,305 mm)
重量: 805 lb (365 kg)
出力: 542 hp (404 kW)

写真(右)1940年,アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ沖、トレジャーアイランド(Treasure Island)、パンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇:1928年5月25日初飛行のシコルスキー(Sikorsky) S-38双発旅客飛行艇は、島の東側に設けられた水上機基地に、水上機・飛行艇を陸上に引き上げるランプ(舗装傾斜誘導路:スベリ)が設けられた。
Sikorsky S-38 at Treasure Island in 1940. Date 18 March 2010, 10:57 Source S-38nightphotoTI Author Bill Larkins
写真は Wikimedia Commons, Category:Sikorsky S-38 File:S-38nightphotoTI (4443787732).jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-38旅客飛行艇 の諸元
乗員Crew: 2
乗客Capacity: 8 - 10 pax / 4,480 lb (2,030 kg) payload
全長Length: 40 ft 5 in (12.32 m)
全幅Upper wingspan: 71 ft 8 in (21.84 m)
下主翼幅Lower wingspan: 36 ft 0 in (10.97 m)
全高Height: 13 ft 10 in (4.22 m)
主翼面積Wing area: 720 sq ft (67 m2)
空虚重量Empty weight: 6,548 lb (2,970 kg)
総重量Gross weight: 10,479 lb (4,753 kg)
発動機Powerplant: プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp (310 kW) 2基
プロペラPropellers: 2翅地上調整金属プロペラ
性能Performance
最高速力Maximum speed: 124 mph (200 km/h, 108 kn)
巡行速力Cruise speed: 109 mph (175 km/h, 95 kn)
失速Stall speed: 57 mph (92 km/h, 50 kn)
航続力Range: 600 mi (970 km, 520 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 18,000 ft (5,500 m)
上昇率Rate of climb: 750 ft/min (3.8 m/s)
翼面荷重Wing loading: 14.5 lb/sq ft (71 kg/m2)
重量出力比Power/mass: 0.0813 hp/lb (0.1337 kW/kg)


2.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇

写真(右)1931年10月以降,アメリカ、海面から離水しようとするパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"(登録コード:NC-80V):1931年8月7日初飛行、1931年10月12日就役、1942年4月にアメリカ海軍が徴用、1943年4月3日、大破・修理不能。
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070998引用。


 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)が少数機数でも大型飛行艇を自ら開発し、保有・運行していることは、アメリカにとって、ヨーロッパ諸国への経済的・文化的な優位性を見せつけることにもつながったであろう。

38人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。

シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、海上で胴体で着水する飛行艇だが、陸上基地に引き上げ移動するのに便利なように、予め胴体中下部左右にゴム車輪を装着していた。このゴム輪は、引込み式あるが、降着用に使用するには強度不足だった。

 つまり、シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、類陸療養の飛行艇ではないが、陸上移動に便利なような引込み式ゴム主輪を装備していた。ただし、1935年には、このゴム主輪は、運用上支障があるためか、撤去されている。

シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の諸元
初飛行:1931年8月7日
就役:1931年10月12日
搭乗員 6名
乗客 38名
全長 76 ft 0 in (23.16 m)
全幅 114 ft 0 in (34.75 m)
主翼面積 1,740 sq ft (162 m2)
空虚重量 23,000 ポンド(10,433 kg)
総重量 34,000 ポンド(15,422 kg)
燃料搭載量 1,066 US gal (4,040 L)
発動機Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷9気筒星形エンジン 575 hp (429 kW)4基
最高速力 117 kn (135 mph, 217 km/h)
巡行速力 97 kn (112 mph, 180 km/h)
航続距離 780 nmi (900 mi, 1,400 km)
生産機数:3機

完成した3機のシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇の経歴
American Clipper: S-40A NC80V 1931年10月12日就役 1942年4月にアメリカ海軍が徴用、1943年4月3日、大破・修理不能
Caribbean Clipper: NC81V 1931年11月就役
Southern Clipper: NC752V 1932年8月就役、1943年7月9日、アメリカ海軍に徴用中に接岸時に破損

写真(右)1931年10月以降,アメリカ、水上機基地で整備されるパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇"West Indies Clipper"(NCーBOV):陸上移動用にゴム車輪の付いたトロリーに乗せられているように見えるが、実は当初、S-40飛行艇には、陸上基地に引き上げ移動するのに便利なように、予め胴体中下部左右にゴム車輪を装着していた。このゴム輪は、引込み式あるが、降着用に使用するのではなく、陸上での滑走移動用だった。
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070997引用。


パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇は、38 人乗りシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで、総生産機数は3機のみ。

パン・アメリカン航空(Pan American)のクリッパー(Clippers)は、地球上のあらゆる場所に行くことができる世界初の長距離飛行艇として喧伝された。 この第1号といえるのが1931年8月7日初飛行のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇である。そして、より長距離を多数の乗客を運ぶことのできるシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇が開発され、その後継機として洗練されたマーチン 130飛行艇が1934年12月30日に初飛行している。

そして、第二次世界大戦の勃発直前、1938年6月7日にボーイング(Boeing)314飛行艇が初飛行した。その後、世界大戦の初期、中立国だったアメリカのパン・アメリカン航空は、商業路線として、中南米航路、太平洋・アジア航路にボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパーを就役させ、定期運航をしている。

マーチン(Martin)M-130四発飛行艇 の一世代前のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇飛行艇は、1931年8月7日初飛行で、パンナムが採用した大型旅客機である。

写真(右)1931年11月以降,アメリカ、海面上空を低空飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:当初、S-40四発旅客飛行は陸上で移動するのに便利なように、予め胴体中下部左右にゴム車輪を装着していた。このゴム輪は、引込み式あるが、降着用に使用するには強度不足だった。
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070995引用。


シコルスキー・エアクラフトSikorsky Aircraft Corporation)は、1923年3月5日、アメリカ東部ニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト飛行場近くに設立されたアメリカの飛行機メーカーで、ロシア帝国ウクライナ出身のイゴール・シコルスキー技師が中核となって飛行機開発を進めた。イゴール・シコルスキー技師は、第一次世界大戦前にいち早く世界初の四発機を開発している。1926年S-34飛行艇の開発以降、1930年代までに、S-38、S-39、S-40、S-42など飛行艇を開発、アメリカの航空会社に供給している。

シコルスキー・エアクラフトSikorsky Aircraft Corporation)は、第二次世界大戦後は、シングルローター実用化した優秀な固定翼機ヘリコプターhelicopter)の開発・生産で有名になった。しかし、2015年、ロッキード・マーチンに買収された。

パンアメリカン航空のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の太平洋横断定期郵便飛行、イギリス本土と南アフリカのケープタウン航路、シンガポール、香港までのアジア航路など、1930年代には、フランスのサイゴン線、ドイツのアテネ線、オランダのジャワ線、ソビエトのウラジオストーク線など地球を周回するような航路が実現しつつあった。これらの長距離航路を最初に実現したのがシコルスキー・エアクラフトSikorsky Aircraft Corporation)の開発したS-40飛行艇である。

シコルスキー・エアクラフトSikorsky Aircraft Corporation)の設計したS-40飛行艇は、当初は、水陸両用の移動可能な飛行艇とすべく、ゴム車輪を引込み式にして設けていた。車輪は脆弱な構造で、着陸するのに使用することはできないが、陸上での滑走移動に使用可能だった。しかし、車輪を装着すると飛行重量が嵩む上に、着水時の水密性や汎用性に問題があったと思われる。そこで、S-40飛行艇水陸両用は困難で、1935年には、この陸上用移動車輪を撤去して、重量軽減、構造の簡易化を図っている。ゴム車輪を撤去したことで、重量と空気抵抗が減少し、飛行艇としての飛行性能、実用性を向上させることができた。

シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の初飛行は、1931年8月7日
マーチン 130飛行艇の初飛行は、1934年12月30日に初飛行

写真(右)1931年,アメリカ南部 フロリダ州マイアミ、パンアメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇の客室キャビンと寛ぐ乗客:宣伝用の写真とはいえ、ゆったりと豪華な演出だが、当時の長距離洋上飛行は安全性が求められ、飛行艇はいざというときに不時着水可能なので安全性が高いとみられていた。
Local call number: Rc12775 Title: [Interior view of Sikorsky S-40 plane: Miami, Florida] Publication info: 1931 Physical descrip: 1 photoprint: b&w; 8 x 10 in. Series Title: (Reference collection)
General Note: The Sikorsky S-40 was placed in operation by Pan American World Airways in 1931. The S-40s were the first four-engine aircrafts to be regularly used in commercial air service.
Repository: State Library and Archives of Florida, 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL 32399-0250 USA. Contact: 850.245.6700. Archives@dos.state.fl.us
Source Interior view of Sikorsky S-40 plane: Miami, Florida Uploaded by LongLiveRock Author Florida Memory
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Interior view of Sikorsky S-40 plane Miami, Florida (3992276127).jpg引用。


マーチン(Martin)M-130四発飛行艇 の一世代前のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇飛行艇は、1931年8月7日初飛行で、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)が採用した大型旅客機である。


3.シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper"

写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。
English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934 Author United Technologies Corporation
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、胴体から支柱で支えたパラソル式主翼(単葉)で、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基を備えた四発大型飛行艇である。 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)は、シコルスキー(Sikorsky)S-42
写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。ゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)、すなわち金門橋は、サンフランシスコ湾ゴールデン・ゲート海峡に架かる赤色の吊橋で、 全長2,737メートル、支柱の高さ227メートル、支柱間の長さ1,280メートル、1933年に起工、1937年に竣工。
English: Aerial view of plane flying over the Golden Gate Bridge before completion. Date 1930s Author US Army
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Aerial view of plane flying over the Golden Gate Bridge before completion.jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、アメリカ南部とカリブ海諸国間を運航する長距離洋上飛行ルートに就航し、さらに1935年4月、ハワイ諸島オアフ島ホノルルとアメリカ東岸サンフランシスコ沖アラメダ(Alameda)を結ぶ太平洋航路に就航した。

1939年3月、マイアミを0730に出発したパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、カリブ海、アメリカ領プエルトリコ島サン・フアン、小アンティル諸島トリニダード島ポート・スペイン、ブラジルのベレンを経由して、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に5日目の1530に到着した。

写真(右)1937年,アメリカ、カリフォルニア州、サンジエゴ沖、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇
English: ---Image from the Edward Sly Collection. Mr. Sly worked for over 50 years at Ryan Aeronautical. Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum Date 27 September 2019 Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sly 0075 Sikorsky S-42 Pan American Airlines at NAS San Diego, North Island 1937.jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-36飛行艇は、キューバを中心とするカリブ海で試験的に運行され、その実績が評価され、1928年にパンアメリカン航空(PAA)は、S-36とほぼ同型改良型S-38双発飛行艇39機をシコルスキー社に発注した。アメリカは、中南米を自国の勢力圏・子弟として認識していたから、アメリカと中南米をカリブ海を横断して結ぶ航路がパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の就役とともに大いに整備された。

写真(右)1935-1937年頃,アメリカ南部、フロリダ州マイアミ(Miami) パン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)、パンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):1931年8月7日初飛行で、パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。
Arkansas Aviation Historical Society Image PictionID:54641369 - Title:Sikorsky S-42 NC823M Pan American AL - Filename:22_000072.tif - Image from the Arkansas Aviation Historical Society, which donated a large collection of archival material to the San Diego Air and Space Museum in 2016--Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真はflicker, SDASM Archives Catalog: 22_000072.tif -引用。


1934年3月29日初飛行シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の後継機は、1937年に登場したパン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)新鋭マーチン(Martin)M-130飛行艇が、ハワイ諸島オアフ島ホノルルとアラメダ(Alameda)を結ぶ太平洋航路に就航した。

1940年、シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇を継いだパン・アメリカン航空(PAA)ボーイング(Boeing)314飛行艇は、サンフランシスコ-ホノルル-ミッドウェー-ウェーク島-グアム-マニラ-香港線に就航した。

写真(右)1937年夏,アメリカ、カリフォルニア州、サンジエゴ沖、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42 B 飛行艇(NC-16734)
NC-16734 at the Pan American Airways base at Alameda, California in the summer of 1937. Date 10 December 2009, 19:52 Source Sikorsky S-42B NC-16734 Samoan Clipper Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42B NC-16734 Samoan Clipper (4926859496).jpg引用。


アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ沖、アラメダ(Alameda)は、サンフランシスコ沖、オークランド市と陸路で繋がったアラメダ島にある水上機基地である。現在ここには、海洋航空宇宙博物館(USS Hornet Sea, Air & Space Museum)があり、アメリカ海軍空母「ホーネット」(USS Hornet (CV-12)が保管展示されている。対岸は、サンフランシスコ市で、 サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジSan Francisco-Oakland Bay Bridge)で結ばれている。

写真(右)1937年,アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ沖、アラメダ(Alameda)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42B 飛行艇(NC-16734''Pan American Clipper II''):後に「サモア・クリッパー II」”Samoan Clipper”と名称変更し、アメリカ領サモアのパゴパゴ(Pago Pago)、ニュージーランドなど南太平洋航路に使用されたが、1938年1月11日、飛行中の事故で失われた。
NC-16734: originally ''Pan American Clipper II'', later renamed ''Samoan Clipper'' and lost in 1938. Summary Description Pan Am base at Alameda, California, in 1937. Date 15 October 2006, 14:48 Source Sikorsky S-42B Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42B (4926264503).jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky) S-42B 飛行艇(NC-16734)「パンアメリカン・クリッパー II」"Pan American Clipper II")は、後に「サモア・クリッパー」"Samoan Clipper"と名を変えて、アメリカ本土東岸から、南太平洋上のアメリカ領サモアのパゴパゴ(Pago Pago)、ニュージーランドへの長距離太平洋航路に就航した。しかし、1938年1月11日、飛行中の事故で失われた。

写真(右)1939年,アメリカ、マイアミ州、マイアミ市街地の上空を低空飛行するパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42B 飛行艇:初飛行は1934年の3月30日で、総生産機数は10機である。コンクリートの高層ビルが並び、自動車専用道路が整備された都市景観は、1930年初期の日本では、東京昭和通などごく一部でしか見られない光景である。マイアミ繁華街を眼下にS-42大型飛行艇の宣伝写真を撮るために、同伴する飛行機を準備して撮影したのであろう。
English: Persistent Local call number: RC07599
Title: Sikorsky S-42 plane over Miami Date: ca. 1939
Physical descrip: photoprint - b&w - 8 x 10 in. Series Title: Reference Collection
Repository: State Library and Archives of Florida, 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL 32399-0250 USA.
Date 1 January 1939 Author Florida Memory
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42 plane over Miami.jpg引用。


パンアメリカン航空は、カリブ海航路の確立に続き、アメリカ本土西海岸とハワイ諸島を結ぶ太平洋横断航路を開拓し、その路線をフィリピン、中国というアジア方面、オーストラリア、ニュージーランドというオセアニア方面に拡張することを計画した。そこで、長大な距離を飛行し、多数の乗客を輸送できる航続距離2500マイル以上の長距離大型飛行艇の開発要求を要求仕様を示した。 

パンアメリカン航空は、太平洋航路に就役可能な長距離大型飛行艇の開発を各社に要請したのに対して、シコルスキー社はS-40四発飛行艇を、次いでシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇を開発し、マーチン社はM-130四発飛行艇を開発した。

写真(右)1938年,アメリカ南部、フロリダ州、マイアミ郊外ココナッツ・グローブ(Coconut Grove)、ディナーキーに待機するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201)と乗りつけた乗客:現在のディナーキーは、マイアミ繁華街の南部の高級住宅街に隣接するショッピング・ゾーンで、幅広い道路と多くの緑で覆われた高級ブティックや高級レストランが並んでいる。ここに当時、飛行艇用水上機があった。
English: Persistent Local call number: PR00545 Title: Pan American clipper with car and passengers - Dinner Key Date: 1938 Physical descrip: 1 photoprint - b&w - 8 x 10 in. Series Title: Print Collections Repository: State Library and Archives of Florida 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL, 32399-0250 USA, Contact: 850.245.6700, Archives@dos.myflorida.com Date 1 January 1938 Author Florida Memory
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American clipper with car and passengers - Dinner Key.jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日で、シコルスキー(Sikorsky)S-42"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201)は1934年12月から就役し、主にカリブ海方面で「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M)と名称変更され使用された。ただし、1937年には太平洋路線に就役し「ホンコン・クリッパー」"Hong Kong Clipper" (NC823M)と改名された。1944年8月4日にキューバ沖で事故で沈没した。

写真(右)1931年頃,アメリカ パンアメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇「パンアメリカン・クリッパー」"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇S-42の生産機数はわずか10機で量産されていたわけではないが、カリブ諸国探訪など長距離洋上旅客輸送の当時の需要はそれほど大きくはなく、少数機数でも賄うことができた。
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-40 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42, NC823M, Pan Am.jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇「パンアメリカン・クリッパー」は、前作S-40飛行艇より大型で、速力も早く航続距離も長かったため、太平洋横断路に就航し、アメリカと中南米を結ぶカリブ海航路で多用された。さらに、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、1937年にアメリカ東岸、サンフランシスコのアラメダ東岸とハワイ諸島オアフ島ホノルル航路に就航した。

写真(右)1937年,アメリカ、もやい綱を執って桟橋に接近するパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42四発大型飛行艇
English: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 4 September 2005, 16:21:06 Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42, NR823M, Pan Am, 3Mar30 2.jpg引用。


1939年9月に第二次世界大戦が勃発した後も、アメリカは中立を守り、1940年には、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、アメリカ東岸サンフランシスコ=ホノルル=ミッドウェー島=ウェーク島=グアム島=フィリン群島マニラ=香港という長距離洋上ルートに就航した。

写真(右)1935年頃,アメリカ南部、フロリダ州マイアミ(Miami) パン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:飛行艇の脇に小舟に乗った白服の搭乗員が見える。最高速力300 km/h、航続距離3,000kmで、最大乗客数37名は、当時最大級の実用旅客輸送機である。
Permann Collection Image Sikorsky S-42--Permann Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真はflicker, SDASM Archives Perma_001464 引用。


1931年8月6日初飛行S-40飛行艇の構造は、パラソル式主翼で、主翼を支える支柱も多く、揺れ防止のワイヤーが張り巡らされていた。パンアメリカン航空顧問だったチャールズ・リンドバーグは、シコルスキーS-40の保守的な設計を批判したが、S-40が完成した翌1932年、ライバルのマーチン社が開発した斬新なM-130(Martin model 130)飛行艇が初飛行するとS-40飛行艇の後進性はますます顕著になった。こうした背景で、シコルスキー(Sikorsky)は、シコルスキー(Sikorsky)S-42四発飛行艇を急いで開発したのである。

写真(右)1934年,水上滑走する32人乗りパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Sikorsky Clipper" :1931年8月7日初飛行で、パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。
The revolutionary new 32-seat Sikorsky S-42 flying boat entered service in 1934. Source: National Air and Space Museum Archives, Smithsonian Institution Copyright: Smithsonian Institution
写真は, Smithsonian Institution ID#: 2000-6128 引用。


日本の唯一大規模飛行艇を開発した川西航空機は、日本で飛行機の設計・開発の実績を上げた後、1928年に日本海軍の指定工場となった。そして、1945年の太平洋戦争の日本降伏に至るまで水上機と飛行艇、3,000機近く生産した。

写真(右)1938年,海上を滑走しているパンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇
Bilstein_00090 Sikorsky S-42 Pan American Airlines Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)
写真は, San Diego Air and Space Museum File:Elevated view showing rear and side of terminal,c. 1934 - Pan American Airways System Terminal Building, 3500 Pan American Drive, Miami, Miami-Dade County, FL HABS FLA,13-MIAM,2-8.tif引用。


1934年3月に初飛行したパン・アメリカン航空(Panam)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、プラット&ホイットニー・ホーネット・エンジン750hp4基装備で、最高速力300 km/h、航続距離3,000 km、乗客座席数32席あるいは寝台席14席の旅客飛行艇である。

写真(右)1930年代中頃,陸上飛行場に待機しているパンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇(NC15375):尾部にゴムタイヤ式尾輪がついている。胴体客室キャビン側面に大きな丸ガラス窓が12個並んでいるが、これは乗客の座席に対応した数である。
Sikorsky S-42 Date circa 1930s Source S-42 Flying Clipper Seaplane brochure from the Library of Congress, Manuscript Division (item 136E.7) 136e.7s.jpg Author Sikorsky Aircraft Corporation
写真は, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S42.jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、1935年4月から、アメリカ東岸サンフランシスコとハワイ諸島オアフ島ホノルル間の太平洋横断航路に就役した。しかし、旅行需要の上では、主にアメリカ南部マイアミとキューバ・トリニダード島などカリブ海航路が、主な路線だった。

写真(右)1930年代中頃,飛行しているパンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42A飛行艇「ブラジリアン・クリッパー」"Brazilian Clipper", 後の「コロンビア・クリッパー」"Columbian Clipper" (NC15375):胴体客室キャビン(32人乗り)側面に大きな丸ガラス窓が12個並んでいるが、これは乗客の座席に対応した数である。
Bilstein_00999 Sikorsky S-42 NC15375 Pan American Airlines (PAA) Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Bilstein_00999 Sikorsky S-42 NC15375引用。


パンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42A飛行艇「ブラジリアン・クリッパー」"Brazilian Clipper"(NC15375)は、1936年2月にカリブ海航路に就役した。その後、「コロンビア・クリッパー」"Columbian Clipper"と名称を変更し、中南米航路に就役し、1946年6月15日に退役。その後、スクラップにされた。

写真(右)1930年代中頃,海上を滑走しているパンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇(NR823M)
Sikorsky S-42, NR823M, Pan Am, 3Mar30 Repository: San Diego Air and Space Museum Archiven
写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Bilstein_00090 Sikorsky S-42 Pan American Airlines引用。


パンアメリカン航空の出した長距離大型飛行艇の開発要求に答えて、設計されたシコルスキー(Sikorsky)S-40 は、客席数を38座に増加し前作S-38双発飛行艇の乗客8名の4倍以上とされ、1928年10月に開発が開始された。その後、パン・アメリカン航空(Panam)のために、シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇が開発されている。

写真(右)1938年,桟橋に横付けしているパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" の機体前半。:機体左側面コックピット上面に搭乗員用の昇降口扉が開いている。プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)4基に金属製3翅プロペラを装備。
English: Persistent URL: floridamemory.com Local call number: PR00545 Title: Pan American clipper with car and passengers - Dinner Key Date: 1938 Physical descrip: 1 photoprint - b&w - 8 x 10 in. Series Title: Print Collections Repository: State Library and Archives of Florida 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL, 32399-0250 USA, Date 1 January 1938 Author Florida Memory
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42 Clipper at Guam.jpg引用。


写真(右)1938年,桟橋に横付けして給油しているパンアメリカン航空(Pan American Airlines)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パラソル翼のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)に金属製3翅プロペラを装備している。
Arkansas Aviation Historical Society Image PictionID:54641353 Title:Sikorhい皇帝sky S-42 NC823M Pan American AL refueling - Filename:22_000071.tif - Image from the Arkansas Aviation Historical Society, which donated a large collection of archival material to the San Diego Air and Space Museum in 2016--Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum - Catalog:22_000071.tif -引用。


パンアメリカン航空が太平洋、カリブ海、大西洋方面に就役させたシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper"は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet)空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)700 hp4基を搭載、そこに金属製3翅プロペラを装備した。

パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42の前作で、保守的設計のシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇は、1929年4月に風洞実験がなされ 1931年8月6日に初飛行に成功した。

シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の客室キャビンには、マホガニー製の調度品、喫煙ラウンジが配置され、電気冷蔵庫、調理用コンロから救命筏6艘も搭載された。

写真(右)1934年,アメリカ南部、フロリダ州、マイアミ、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の客室キャビン):大きなガラス製丸窓で、視界を良くして、空の旅、遊覧飛行を楽しむことができる。客室キャビンの隔壁扉は、水上運用の安全性を期して、水密扉として、事故による漏水時でも水没を一部の部屋にとどめて、飛行艇の浮力を確保している。主に、カリブ海、中南米方面の航路に就航した。
EnglishLocal call number: Rc07641 Title: [Interior view of Sikorsky S-42 plane: Miami, Florida] Publication info: ca. 1934 Physical descrip: 1 photoprint: b&w; 8 x 10 in. Series Title: (Reference collection) Repository: State Library and Archives of Florida, 500 S. Bronough St., Tallahassee, FL 32399-0250 USA. Contact: 850.245.6700. Archives@dos.state.fl.us Persistent URL: [1] Date circa 1934
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 File:Interior view of Sikorsky S-42 plane Miami, Florida (3992588909).jpg引用。


写真(右)1934年,ブラジル上空を飛行するパン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42A飛行艇「ブラジリアン・クリッパー」"Brazilian Clipper"(NC-822M):パンナムに1936年2月に就役し、カリブ海、中南米方面の航路に就航した。1946年6月15日に退役。その後、スクラップにされた。
English: Seaplane Sikorsky S-42, aircraft registration NC-822M, "Brazilian Clipper", Pan American Airways Čeština: Hydroplán Sikorsky S-42 s imatrikulací NC-822M, "Brazilian Clipper", Pan American Airways Date 1934 Source L'Illustration, volume 92, issue 4785, page 387, 1934-11-17 Author Anonymous
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:Sikorsky S-42 Brasilian Clipper.jpg引用。


S-42A飛行艇は、発動機出力を750 hp (559 kW)に強化したプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)S5D1G 空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)4基装備。S-42よりも主翼を延長したため、離昇重量2,000 ポンド(907 kg)が増加した。S-42Aの登録コードは、NC 15373, NC 15374, NC 15375, NC 15376で、生産機数は4機である。


写真(上)1936-1941年頃,アメリカ東岸沖、イギリス領バミューダ(Bermuda)港、パン・アメリカン航空(Pan Am)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇「バミューダ・クリッパー」"Bermuda Clipper"
;バミューダ(Bermuda)港の沖にボートで乗り付けた白い制服のアメリカ人たち。
Title Photograph of Pan Am's "Bermuda Clipper" a Sikorsky S-42 flying boat Description image from page 7 of Pan Am Clipper, Vol. 11, No. 7, Sep. 1985. Caption reads: "The Bermuda Clipper, a Sikorsky S-42 flying boat, made the inaugural flight to Bermuda from New York on June 18, 1937." Creator Pan American World Airways, Inc. Date 1985-09 Type Still Image Identifier asm03410055550007001_BermudaClipper
Citation Pan American World Airways, Inc. , “Photograph of Pan Am's "Bermuda Clipper" a Sikorsky S-42 flying boat,” UM Libraries Digital Exhibits, accessed December 24, 2021
写真は, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky S-42 Clipper at Guam (cropped).jpg引用。


パン・アメリカン航空(Pan Am)は、ニューヨークとバミューダBermuda)間の航路に、シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇「バミューダ・クリッパー」"Bermuda Clipper"を就航させた。

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There is a sign visible in the background that reads "FORD". There is a small boat with a person rowing it near the seaplane. There are other small boats visible in the harbour. The Auckland Museum is visible in far distance. Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77520 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77520-1).jpg引用。


パン・アメリカン航空(Pan Am Terminal)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、太平洋横断航路開拓の先兵になったが、当初要求の航続距離2500マイルの路線では、乗客12名でしかなく、運航経費を踏まえると、高額の旅費となり、太平洋航路の商業運航はできなかった。こうして、1934年後半か就役したシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇だったが、パンアメリカン航空からの発注は伸びずに、10機の生産で終わっている。

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There are other small boats visible in the harbour. There is a sign visible in the background that reads "FORD". Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77522 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77522-1).jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、太平洋横断航路には航続距離不足だったために、乗客数を増加でき、旅行需要も多いキューバなどカリブ海の中距離航路やアメリカ領フィリピンから、中国のイギリス領香港間の路線あるいは、東部太平洋アメリカ領グアム島間の路線を運航することになった。このアジア航路に就役したシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、「ホンコン・クリッパー」"Hong Kong Clipper"の名で使われた。 

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There are other small boats visible in the harbour. There is a sign visible in the background that reads "FORD". The Auckland Museum is visible in the far distance. Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77523 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77523-1).jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、パンアメリカン航空の下でニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)への航路開拓も検討されたものの、航続力不足、乗客数不足のために、商業的な成功が見込めず、パンアメリカン航空も追加発注せずに生産機数は10機のみだった。

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There are other small boats visible in the harbour. There are two boats prominent in the image with flags flying from it and people standing and seated in the boats. There is a sign visible in the background that reads "FORD". Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77525 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77525-1).jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)は、シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇を採用して、大西洋航路に続いて、アメリカ西岸サンフランシスコ-ハワイ諸島ホノルル-ミッドウェー-ウェーク島-アメリカ領グアム島-アメリカ植民地フィリピンのマニラ-イギリス領香港線を結ぶ太平洋横断航路を開拓しようとした。しかし、シコルスキー(Sikorsky)S-42は、搭載量・航続距離の不足から、太平洋横断路線の実用航路の定期就航はできなかった。この航路が定期航路として開けたのは、翌年1934年12月30日初飛行のマーチン(Martin)M130飛行艇になってからである。アメリカと中南米を結ぶルートで多用された。また1937年にホノルル-アメリカ本土間に就航した。

その後1940年に、パンアメリカン航空に就航したシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、香港でインペリアル航空のロンドンとシドニー便に接続した。 中距離航路では乗客37名の座席を用意できたが、長距離夜間飛行の場合は、寝台(sleeping berths)14台分を装備することができた。 飛行巡行速力は、160-170マイル(mph)、時速257km/hから273km/hで、標準的な航続距離は、1,200 マイル (1,900km)である。

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There are other small boats visible in the harbour. There is a sign visible in the background that reads "FORD". Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77526 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77526-1).jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、発動機として700 hp (522 kW) のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)S5D1G 空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)4基装備。登録コードは、NC 822M, NC 823M, NC 824Mの3機。

シコルスキー(Sikorsky)S-42 A飛行艇は、750 hp (559 kW) プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)S5D1G 空冷星型9気筒エンジン排気量は27.7L(1690立方インチ)4基装備。主翼を延長し、離昇重量2,000 ポンド (907 kg)が増加した。登録コードは、NC 15373, NC 15374, NC 15375, NC 15376の4機。

シコルスキー(Sikorsky)S-42 B飛行艇は、ハミルトン・スタンダード(Hamilton Standard)の可変ピッチ3翅プロペラを装備、離昇重量がさらに2,000 ポンド(907 kg) が増加した。登録コードは、NC 16734, NC 16735, NC 16736の3機。

写真(右)1940年代初頭,ニュージーランド(New Zealand)、オークランド(Auckland)、パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇:パンナムが太平洋航路に採用した。
Artist Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (View of a seaplane and a boat with two people visible on it) Description English: There are four propellers visible on the plane. There is a large mass of people-spectators on the side of the harbour. There are other small boats visible in the harbour. Date circa 1940 s. Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 77528 (object number)
写真はWikimedia Commons, Category:1940s photographs in Auckland Museum File:View of a seaplane in a harbour (AM 77528-1).jpg引用。


アメリカのプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)ホーネット(Hornet)は、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー開発になり、1926年から1942年の16年間に3,000台が量産された。

図(右)1934年,ブラジル、リオデジャネイロ沖を飛行する32人乗りパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Sikorsky Clipper" のカリブ海横断航路のポスター:1931年8月7日初飛行で、パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇である。
English: pictionid62131804 - catalog1.132.dcropped - title--title brazilian clipper arrives in rio de janeiro to be christened sikorsky s-42 on august 18 1934 artist john t. mccoy date printed 1963 - Image from the SDASM Curatorial Collection.Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum Author SDASM Archives
写真は, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Curatorial image.jpg 引用。


プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)ホーネット(Hornet)のライセンス生産は、イタリアのフィアット社がフィアットA.59として、ドイツのBMWがBMW132として、生産が行われ、日本の三菱「明星」として生産された。

図(右)1937年,ブラジル、リオデジャネイロ上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Sikorsky Clipper" のカリブ海横断航路のポスター:花崗岩のコルコバード丘頂上にある高さ38 m のキリスト像の上空を飛行する。
English: Poster from the Don Thomas Collection. Mr. Thomas was a collector of aircraft memorabilia who donated several posters to the San Diego Air and Space Museum. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons, Smithsonian Institution File:Clipper Rio Poster (19471598782).jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇の諸元
搭乗員Crew: 4名
乗客数Capacity: 昼間37名/寝台14名
全長Length: 67 ft 8 in (20.62 m)
全幅Wingspan: 114 ft 2 in (34.80 m)
全高Height: 21 ft 9 in (6.63 m)
主翼面積Wing area: 1,330 sq ft (124 m2)
空虚重量Empty weight: 19,764 lb (8,965 kg)
総重量Gross weight: 38,000 lb (17,237 kg)
発動機Powerplant: プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基
プロペラPropellers: 3-翅ハミルトン・スタンダード(Hamilton Standard)可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ

写真ポスター(右)1937年,アメリカ、飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Sikorsky Clipper" の太平洋横断航路のポスター「ホノルル、ニュージーランド、そしていま中国へ」:1935年、乗客28-32名の太平洋横断飛行のパイオニアになったと喧伝されている。
English: Sikorsky Aircraft Corporation advertisement Model S-42 Clipper Flying Boat 1937
Date 1937 Source "Aero Digest" Vol. 30, No. 6 June, 1937 "The Cooper Collections" (uploader's private collection)
Digitized by Centpacrr Author Sikorsky Aircraft Corporation
Author United Technologies Corporation
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky Aircraft Corporation ad Model S-42 Clipper Flying Boat 1937.jpg引用。


パン・アメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇性能Performance
最高速力Maximum speed: 182 mph (293 km/h, 158 kn) at 5,000 ft (1,500 m) at 38,000 lb (17,000 kg)
157 mph (136 kn; 253 km/h) at sea level on three engines
巡行速力Cruise speed: 160 mph (260 km/h, 140 kn) /75%出力/海面上
170 mph (150 kn; 270 km/h) /70%出力/高度12,000 ft (3,700 m)
170 mph (150 kn; 270 km/h) /75%出力/海面上/エンジン3基
失速Stall speed: 65 mph (105 km/h, 56 kn)
航続距離Range: 1,200 mi (1,900 km, 1,000 nmi)
移動距離Ferry range: 3,000 mi (4,800 km, 2,600 nmi) with 800 lb (360 kg) payload at 12,000 ft (3,700 m) at 170 mph (150 kn; 270 km/h)
実用上昇限度Service ceiling: 15,704 ft (4,787 m)
上昇率Rate of climb: 1,000 ft/min (5.1 m/s)
440 ft/min (130 m/min) /エンジン3基

写真(右)1938年,パンアメリカン航空(PAA)シコルスキー(Sikorsky)S-42A飛行艇の三面図:700 hpプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)空冷星型9気筒エンジン排気量27.7L(1690立方インチ)4基に金属製3翅プロペラを装備。
Catalog #: 01_00091479 Title: Sikorsky, S-42A Corporation Name: Sikorsky Aircraft Corporation Designation: S-42A Additional Information: USA Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 26 June 2012, 12:53 Source Sikorsky, S-42A Uploaded by Rybec Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Sikorsky, S-42A (7449875532).jpg引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、発動機として700 hp (522 kW) のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet)S5D1G 空冷星型9気筒エンジン排気量(27.7L:1690立方インチ)4基装備。S-42生産機数は3機で登録コードは、NC 822M, NC 823M, NC 824Mである。

次の改良型はシコルスキー(Sikorsky)S-42 A飛行艇で、発動機をプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690ホーネット(Hornet)S5D1G 空冷星型9気筒エンジン排気量(27.7L:1690立方インチ)750 hp (559 kW) 4基に換装、出力を強化したが、離昇重量は2,000 ポンド (907 kg)増加した。そこで、エンジン出力向上と重量増加に合わせて、主翼を延長、主翼面関を拡張し、翼面荷重の引き下げを図った。S-42生産機数は4機で登録コードは、、NC 15373, NC 15374, NC 15375, NC 15376である。

シコルスキー(Sikorsky)S-42 B飛行艇は、ハミルトン・スタンダード(Hamilton Standard)の可変ピッチ3翅プロペラを装備した。離昇重量は、S-42より4,000 ポンド(1814 kg) 、S-42Aより2,000 ポンド(907 kg) 増加した。生産機数は3機で登録コードは、NC 16734, NC 16735, NC 16736である。


4.マーチン(Martin)M-130飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"

図(右)1934年12月30日初飛行パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"と1938年6月7日初飛行のボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパーの同縮尺比較図:就役時期は3年以上異なるが、マーチンM-130飛行艇に比べてボーイング314飛行艇は大型化し、航続力が2000km伸び、乗客数も2倍に増えたうえに、最高速力・巡行速力も60?/h以上向上している。
M-130 - B-314 Comparison China Clipper - Dixie Clipper comparison Source: Pan AM an Airline and It's People, by R.E.G.Davis
写真は,Jamie Dodson M-130 - B-314 Comparison引用。


マーチンM130とボーイング314の諸元比較
全長: 27.7m  32.31 m
全幅: 39.7m  46.33 m
高さ: 7.5m   8.41 m
発動機:M;プラット・アンド・ホイットニーR-1830空冷星形14気筒30Lエンジン830hp4基
B;ライト709Cツインサイクロン30L空冷星形空冷星形14気筒42.7 Lエンジン1,600hp4基
最大離昇重量: 52,252ポンド (23,701 kg) 84,000 ポンド(38,102 kg)
最高速力: 180 mph (290 km/h)  210 mph (340 km/h)
巡航速力: 130 mph (209 km/h)  188 mph (303 km/h)
航続距離: 3,200 mi (5,150 km) 4,900 mi (7,886 km)
M;搭乗員: 6-9名、乗客 36-41名(寝台18台)
B;搭乗員 11名、乗客 68名(寝台36台)

写真(右)1931年10月以降,アメリカ南西部、フロリダ州マイアミ(Miami)中心部沿岸、ディナー・キー(Dinner Key)マリーナ、パンナム・ターミナル上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40 Sikorsky)S-40飛行艇と停泊するパンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇
Title: [Dinner Key seaplane base: Miami, Florida] Physical descrip: 1 photoprint: b&w; 8 x 10 in. General note: From Dinner Key in 1930, Pan American inaugurated flying boat service to Latin America. PAA sold Dinner Key to the City of Miami in 1946. Date captured: After 1930. Corporate subject: Pan American World Airways, Inc. Repository: State Library and Archives of Florida Source Dinner Key seaplane base: Miami, Florida Uploaded by Rybec Author Florida Memory
写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:Dinner Key seaplane base Miami, Florida (4202781209).jpg引用。


アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"は、1934年12月30日初飛行、全長 27.7m,全幅 39.7m,高さ 7.5m、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830空冷星形14気筒エンジン830hp4基、最大離昇重量 52,252ポンド (23,701 kg)、巡航速力 262km/h、航続距離 5150km、搭乗員 4名、乗客 43名(寝台18台)。

複葉機全盛だった1934年12月、アメリカのマーチンM-130大型飛行艇が初飛行した。この飛行艇は、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)の要請を受けて、太平洋横断可能な四発旅客飛行艇として開発されたもので、全長27.6メートル、全幅39.7メートルの片翼式単葉機で、胴体両側の張り出しは浮舟と燃料タンクを兼ねていた。発動機は信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基を搭載し、巡航速力は266km/h、乗客12-14名を5150km運ぶことができる。また、短距離であれば、乗客48名を運ぶことができた。

写真(右)1936年11月以降、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ湾、トレジャーアイランド(Treasure Island)で整備作業を受けるマーチン(Martin)M-130「チャイナクリッパー」"China Clippers" 四発大型飛行艇 (NC14716);太平洋横断飛行を記念して、機首にアメリカ国旗「星条旗」を描いている。トレジャーアイランドは、長さ5,520 フィート、幅3,410 フィートの人工島で、1936–37年に造成された。 ゴールデンゲート国際展覧会(Golden Gate International Exposition :GGIE)が1939年と1940年に開催されている。後方の架橋は、サンフランシスコ=オークランド湾大橋(San Francisco-Oakland Bay Bridge)で、1936年11月12日に、鉄道・道路併用の架橋として竣工した。
ChinaClipperatTreasureIsland Date 22 March 2010, 14:40 Source ChinaClipperatTreasureIsland Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:ChinaClipperatTreasureIsland (4454794157).jpg引用。


1935年11月22日、アメリカのマーチンM-130四発大型飛行艇1号機「チャイナ・クリッパー」が、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)の太平洋横断定期便として就役した。マーチンM-130「チャイナ・クリッパー」は、カリフォルニア州サンフランシスコ湾にあるアラメダ海軍基地から離水し、ハワイ諸島オアフ島ホノルルに向けて飛び立った。そこから、ミッドウェー島、ウェーク島、グアム島を経由してアメリカ領フィリピンのマニラ港に着水した。この時は、旅行客を乗せた旅客機としてではなく、航空便11万通を輸送した郵便機として就航した。

チャイナ・クリッパー」(China Clipper)とは19世紀、ヨーロッパ、イギリスと中国を結ぶお茶・旅客などの交易に従事した快速帆船のことである。このクリッパーは、高速で当初は木製だったが、木金混合の帆船が登場した。また、 スエズ運河が1869年に完成すると、ヨーロッパとアジアの距離は格段に短縮され「快速」のイメージが膨らんだ。

写真(右)1936年頃、アメリカ、パンアメリカン航空(パンナム)マーチン(Martin)M-130四発大型飛行艇の客室キャビン;搭乗員 4名、乗客 43名(寝台18台)だが、太平洋横断飛行の場合は、寝台数以下の乗客に限定された。
Catalog #: 00068816 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 7 May 2010, 12:09 Source Martin : 130 : Clipper Uploaded by Rybec
写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:Martin 130 Clipper (4590526680).jpg引用。


マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇の諸元
乗員:6-7名
乗客:座席36名/寝台18名
全長27.7m、全幅39.7m、全高7.5 m
主翼面積330 m2

発動機:プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)S2A5G空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW)4基
最大離昇重量:23,701 kg

マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇の性能
最高速力:290 km/h (180 mph)
巡行速力:262 km/h(163 mph)
航続距離:5150km
巡航高度:10,000 ft (3,048 m)
就役:Hawaii Clipper 1935年10月9日
Philippine Clipper 1935年11月14日
China Clipper 1936年3月3日
生産機数:3機

写真(右)1934年頃,アメリカ、パンアメリカン航空マーチン M130(Martin model 130)四発旅客飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"(NC14716):1945年1月に「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)は、サンフランシスコ郊外に墜落し失われた。全長27.7m、全幅39.7m、、全備重量:23,701 kg、プラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基搭載、最高速力290 km/h、航続距離5150km。
Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Bilstein_00088 Martin 130 NC14716 Pan American Airlines引用。


東京日日新聞 1936.11.22 「比較にならぬ劣勢」

「情ない」の一語に尽きる我が民間航空陣
最近欧米漫遊から帰朝する人は異口同音に欧米に比しわが国の軍器特に航空機の著しき劣勢を説く、近代的戦争が機械化し立体化して来た今日飛行機の軍事上における重要性は頗る大なるものがあり制空権の獲得は即ち戦いの勝敗を決するとさえいわれる、フランスがドイツやイタリーの感情を無視してまでもロシアと相互援助協定を結んだのは世界無比と称せられるロシア空軍の偉力に頼らんとしたためといわれている、近代的戦闘におけるその重要性の増大が即ち各国をして飛行機の発達と空軍の充実に狂奔せしめる所以である。

然し空軍はその性質上戦端開始後短時間に消耗される、従って間断なくこれを補充する能力、即ち飛行機の新造と操縦士とを養成する能力の大小が即ち各国の空軍勢力の優劣を決めるのである、そこでまず飛行機製造工業の確立が必要であると共に如何に製造設備が充実していてもその設備を平時遊ばせて置く訳にはいかぬから平時間断なく製造される飛行機を消化する方法が考えられねばならない、各国が競って商業航空路の拡張に熱狂しつつあるのは即ち平時において製造される飛行機の消化を考えているからである。

写真(右)1934年,ソ連、ツポレフ(Tupolev)ANT-22 六発飛行艇:ANT-22 (MK-1)は1934年8月8日初飛行、全長24.1 m、全幅51.0 m、翼面積304.5 m2、発動機ミクーリン(Mikulin) M-34R 液令12気筒エンジン820 hp (612 kW)6基搭、空虚重量21,663 kg、全備重量33,560 kg、最高速力233 km/h、航続距離1,350 km、兵装20 mmエリコン機関銃2丁、7.62mm ShKAS機関銃4丁、爆弾6000kg。
Catalog #: 00068825 Manufacturer: Martin Designation: 130 Official Nickname: Clipper Notes: 27 December 2010 (original upload date) Source Transferred from ru.wikipedia to Commons. Author .The original uploader was Капитан Немо at Russian Wikipedia. Permission (Reusing this file) PD-OLD-70; PD-OLD-70/Алгоритм решения проблемы.
写真は,Category:Tupolev ANT-22 File:Tupolev ANT-22.jpg引用。


最近欧米各国は競って民間航空を国防上の観点から見ようとしている、即ち民間航空を国防の一部門として兵力量の一斑としての考慮を払いつつある、民間航空は即ち空軍第二陣であるから世界各国はその第二陣の発達を促すために必死の拡張戦を演じ殊に最近その触手は極東に向けられつつある。

即ち最近汎アメリカ会社のチャイナ・クリッパー機によって処女航空路が開拓されたニューヨーク、香港間の定期郵便飛行をはじめ英国は本国と各植民地間の連絡のためロンドンより南阿ケープタウン線をシンガポールまで延長し、更にこれを香港、上海まで延長して完全に本国と東亜との連絡を完成せんとしている、フランスはパリ、サイゴン線をハノイまで延長し、更にこれを広東を経て上海に延長の計画をもっている、ドイツはベルリン−アテネ線をサイゴン−広東−上海に延長し、更にこれを東京まで延長の計画を持ちオランダはアムステルダムよりジャワ島のスラバヤに至る極東線を付近の蘭領諸島(インドネシア)を経てマニラに延長する線の経営に著手し、ソヴィエトはモスクワ浦塩(ウラジオストーク)幹線から北平への支線を出し、またアラスカのノームまで延長してアメリカと連結せんとし、また浦塩より日本への延長をさえ望んでいる。

写真(右)1934年,ソ連、チェトヴェリコフ MDR-6(Chyetverikov MDR-6)飛行艇:チェトヴェリコフ MDR-6は1937年7月初飛行、乗員:3名 搭乗者数:3名、全長:15.73 m (51 ft 7.25 in)、全幅:19.4 m (63 ft 7.75 in)、全高: 翼面積:52.3 m2 (562.97 ft2)、空虚重量:4,100 kg (9,039 lb)、全備重量:7,200 kg (15,873 lb) エンジン:2 × シュベツォフ M-63 星型エンジン、821 kW (1,100 hp)、最高速力:360 km/h (224 mph)、巡航速力:220 km/h (137 mph)、航続距離:2,650 km (1,647 miles)、 12.7 mm UBT機関銃1丁、7.62mm ShKAS機関銃1丁、爆弾 1,000 kg (2,205 lb)。
Description Русский: Самолет Че-2 (МДР-6). English: Chyetverikov Che-2 (MDR-6) plane. Date 20 June 2015 Author Unknown author
写真は,Category:Chyetverikov MDR-6 File:Mdr-6 (Che-2) plane.jpg引用。


東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)
かくの如く今や欧米列強の空の触手はすべて東亜に向って集中し、日本はこれ等の航空路によって四面より包囲される体形である、これに対してわが民間航空は情ないほど貧弱である、今各国が経営しつつある定期航空路の総延長及び飛行場の数を示すと(一九三六年五月現在)

世界の定期航空路の総延長及び飛行場の数(1936年5月現在)
       航空路     飛行場
イギリス  7万3419km 395か所
ドイツ   5万6km    231か所
フランス  4万9069km 112か所
イタリリア 1万5561km  67か所
ソヴィエト 4万8982km
アメリカ 10万2290km 2334か所
日本     5840km    20か所

右の表は空軍の第二陣であり補充母体であるわが民間航空の現状が世界の重要国に比し如何に劣勢の状態にあるかを示している、しかも、各国の飛行機製造会社はそれぞれ優秀なる機体或はエンジンの特許権を有しその海外輸出を行っているが、わが国の飛行機会社はこれ等の優秀機を高価に買入れて研究し模倣するか或は特許を買って製造するという情ない有様である、世界に対してこれが日本産の優秀機なりとして外国へ輸出し得るようなものは未だない

写真(右)1935年7月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇:初飛行は1935年1月10日で、大西洋横断旅客飛行艇として登場した大型機で、発動機6基を搭載、内側2基は串形タンデム式の搭載のために、一見すると四発機に見える。1機のみしか生産されていない。全長31.62 m、全幅49.31 m、翼面積330 m2、全備重量:37,933 kg、最高速力247 km/h、航続距離3,900 km。
English: Late 521 photo from L'Aerophile July 1935 Date 1 July 1935 Author L'Aerophile magazine
写真は,Category:Latécoère 521 File:Late 521 photo L'Aerophile July 1935.jpg引用。


民間航空の発達は優秀にして廉価な飛行機を大量に作り料金を安くして誰でも手軽に乗れるようにしなければならない、米国や英国では四、五千ドルで優秀な軽飛行機が買えるという、最近航空国策が叫ばれ政府も航空事業の発達に対して稍力を入れるようになり一千万円の研究費を投じて航空機検査所、航空機試験所等を新設することとなり、他面内地、台湾線をシンガポールまで延長し更に台北−香港−ハノイ−バンコック線を新設してヨーロッパからの三定期空路と握手せんとする計画をもっているがこれが十年計画だというから情ない、わが内地−台湾空路に使用している十四人乗の優秀機だがこれはアメリカから買入れたものだ、アメリカの太平洋空路に就航するチャイナ・クリッパーは乗組七名、乗客四十三名の寝台設備を有しフランスの誇りラテコール五二一型機は客席七十を有する豪華さである。

図(右)1936年3月,フランス、ラテコエール 521(Latécoère 521)六発旅客飛行艇の三面図と内部構造図:ラテコエール 521は最大乗客数72名、下層デッキにサロンとしてテーブル席20名分、客席はバスルーム付きツインルームと22席、上層デッキに客席18名分、さらに機関士室があった。フランス航空の長距離輸送機として、1939年5月から7月の間にフランス=ニューヨーク間を4回の往復している。
English: Latécoère 521 detail drawing from NACA-AC-202 Date 1 March 1936 Author NACA Aircraft Circular
写真は,Category:Latécoère 521 File:Latécoère 521 detail NACA-AC-202.png引用。


こんな優秀機をわが国産機として見出し得るのは果していつの日か? 各国はこういう大旅客機を競争的に建造しつつあるが他面機体と別にガソリン発動機に対しディゼル航空発動機の研究競争が行われドイツの如き旅客機は勿論軍用機にもすでにディゼル発動機が装置されて実用化している、フランスにおいてはディゼルエンジンによる一万キロ無著陸飛行機完成に対して政府は一千万フランの懸賞を賭けて奨励している、然るに日本においては漸く最近ディゼル航空発動機を買入れて研究を始めたという万事に立遅れの状態である。

これ等の情報を耳にするとしみじみ日本の航空界の劣勢が痛感される、日本の科学者の頭脳が彼等に劣る結果だとは考えたくない、一九三五年度において、民間航空事業に対してドイツは一億三千三百万円、フランスは四千万円の補助奨励金を支出しているがわが国は僅かに五百万円前後にすぎない、この国家の力の入方の相違が発達の差の原因をなしている、この全面的立遅れを取戻すためには科学者の動員と政府の熱意と民間の協力が可欠の要件である
東京日日新聞 1936.11.22 (昭和11)引用終わり。


Martin M-130 (1935)
The Martin M-130 was a commercial flying boat designed and built in 1935 by the Glenn L. Martin Company in Baltimore, Maryland, for Pan American Airways.

マーチン M-130(Martin model 130)四発旅客飛行艇は、1934年12月30日に初飛行しサンフランシスコ、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアムを経由してアメリカ植民地フィリピンのマニラとの航路を開拓したが3機しか生産されていない。マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」China Clipper (NC14716)、「ハワイ・クリッパー」(NC14714)、「フィリピン・クリッパー」Philippine Clipper (NC14715)があった。

パンアメリカン航空マーチン M-130「ハワイ・クリッパー」は、1936年10月にサンフランシスコを離水し、ハワイ諸島ホノルル、ミッドウェー島、ウェーク島、グアム島を経由して、フィリピンのマニラに着いた。その後、「ハワイ・クリッパー」は、シコルスキー(Sikorsky) S-42四発旅客用飛行艇に替わってマニラ=香港間の航路に就役した。しかし、1938年7月28日、グアム=ハワイ間で行方不明になり、乗員9人と乗客6人が死亡した。

1941年12月8日に日米開戦と同時に、アメリカ領ウェーク島は攻撃をうけた。ウェーク島には、海兵隊を中心とした守備兵500名のほかに、パンアメリカン航空の民間人70名、飛行場維持・整備員など民間作業員1100名であった。そこを12月8日早朝5時10分、クェゼリン環礁ルオット島を出撃した日本海軍第24航空戦隊九六式陸上攻撃機34機が空襲した。パンアメリカン航空マーチン M-130「フィリピン・クリッパー」は、ウェーク島からハワイ諸島に避難し無事だった。

1941年12月に辛くも日本軍の攻撃を免れたパンアメリカン航空マーチンM-130「フィリピン・クリッパー」だが、1943年1月オアフ島ホノルルを離水した後、21日にカリフォルニア州サン・フランシスコ近郊で墜落、同乗者18名が死亡した。

パンアメリカン航空マーチン M-130「チャイナ・クリッパー」は、アフリカ、ベルギー領コンゴのキャンシャサから、ブラジル経由で、1945年1月8日にトリニダード・トバコ島(Trinidad and Tobago)のポート・スペインで着水する際、事故を起こし同乗者23が死亡、機体も喪失した。

1941年12月7日、アメリカが太平洋戦争に参戦した後のマーチン M-130飛行艇の状況について、Wikipediaは「----製造された3機ともが事故により失われ、また高性能の陸上機が登場したこともあり、豪華な飛行艇による旅は終焉を迎えた。」とある。しかし、これは誤りで、「チャイナ・クリッパー」と同様の1938年6月7日初飛行のボーイング(Boeing)314四発飛行艇による太平洋横断航路がその後も1945-1946年まで維持された。

そして、第二次大戦末期から大活躍していたダグラスDC-4/軍用仕様ダグラスC-54四発輸送機が飛行艇にとって代わって太平洋横断航路に就航した。

プラット・アンド・ホイットニーR-1830ツインワスプ(Pratt & Whitney R-1830 Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジンの諸元
シリンダー・ボア(直径)Bore: 5.5 in (139.7 mm)
気筒ストローク(行程)Stroke: 5.5 in (139.7 mm)
排気量Displacement: 1,829.4 cu in (29.978 l)
全長Length: 59.06 in (1,500 mm)
直径Diameter: 48.03 in (1,220 mm)
乾燥重量Dry weight: 1,250 lb (570 kg)

写真(右)2008年11月、イギリス、帝国戦争博物館(Imperial War Museum Duxford)に展示されているプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)S1C3G 空冷星形14気筒エンジン830 hp (708 kW);マーチン(Martin)M-130大型飛行艇はR-1830ツインワスプ空冷星形14気筒エンジン4基を搭載していた。
English: Pratt & Whitney R-1830 radial aero engine on display at the Imperial War Museum Duxford Date 9 November 2008 Source Own work Author Nimbus227
写真はWikimedia Commons, Category:Pratt & Whitney R-1830 in museums File:R-1830 IWM.JPG引用。


プラット・アンド・ホイットニーR-1830ツインワスプ(Pratt & Whitney R-1830 Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジンの性能
燃料Fuel type: 95-100 オクタン(octane)揮発油(gasoline)
冷却方式Cooling system: 空冷(Air-cooled)
出力Power output:
1,200 hp (890 kW) / 毎分回転数 2,700 rpm /離昇出力(takeoff)
700 hp (520 kW) / 毎分回転数 2,325 rpm / 巡行出力 (cruise power)/高度13,120 ft (4,000 m)
圧縮比Compression ratio: 6.7:1
燃料消費率Specific fuel consumption: 0.49 lb/(hp•h) (295 g/(kW•h))
出力重量比Power-to-weight ratio: 0.96 hp/lb (1.58 kW/kg)

⇒写真集Album:マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパーを見る。


5.マーチン(Martin)M-156/PS-30 飛行艇「ロシアン・クリッパー」"Russian Clipper"

マーチン社は、マーチン(Model)M-130飛行艇をパンナムに1935年に引き渡し、チャイナ・クリッパー(China Clipper)と根付けられた1号機,フィリピン・クリッパー(Philippine Clipper)と呼ばれた2号機、ハワイ・クリッパー(Hawaii Clipper)と呼ばれた3号機が就航した。

写真(右)1937年以降,ソ連向け輸出仕様マーチン(Martin)M-156/PS-30 四発大型飛行艇「ロシアン・クリッパー」 "Russian Clipper";双尾翼式のために、高さを抑えながら、垂直尾翼の面積を確保することができた。
English: 130 with larger wing, exported to USSR Date 1 August 2009, 12:00:16 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons, Category:Martin 156 File:Martin 156 Clipper 00068804.jpg引用。


1937年に、サンフランシスコ(San Francisco)から香港(Hong Kong )への航路をより充実させるために、より航続距離の長い機体を求めたため、マーチン社はM-130飛行艇の主翼を延長し、尾翼を双尾翼式とした大型飛行艇マーチン(Martin)M-156を開発した。他方、ライバルのボーイング社(Boeing)はボーイング 314飛行艇を開発し、パンアメリカン航空は、マーチンM-156ではなく、ボーイング314飛行艇を採用した。

写真(右)1940年以降,ソ連向け輸出仕様マーチン(Martin)M-156/PS-30 四発大型飛行艇「ロシアン・クリッパー」 "Russian Clipper";双尾翼式のために、高さを抑えながら、垂直尾翼の面積を確保することができた。
English: 130 with larger wing, exported to USSR Date 1 August 2009, 12:00:08 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons, Category:Martin 156 File:Martin 156 Clipper 00068803.jpg引用。


マーチン(Martin)M-156飛行艇は、寝台(sleeper)26台があり、サンフランシスコとハワイ間の2,400マイルを18–20時間で飛行できる。他方、ハワイ、ミッドウェー、ウェーク島(Wake Island)、グアム(Guam)、フィリピンのマニラ(Manila)を経由して、香港(Hong Kong)までの航路は、サンフランシスコ=ハワイ間の半分の距離である。マーチンM-156飛行艇は、座席配置にすれば33席から56席を設けることができた。

パンアメリカン航空は、太平洋航路にボーイング(Boeing)314飛行艇を採用したため、マーチン(Martin)M-156飛行艇は、太平洋航路には就航することなく終わったが、マーチン社はM-156飛行艇をソビエト連邦に販売し、アエロフロート航空(Aeroflot)の極東航路に就航できるように、PS-30と名付けた。

マーチン M-130飛行艇と同じく、マーチン(Martin)M-156/PS-30飛行艇は、四発の肩翼(parasol wing)の飛行艇である。マーチン M-156/PS-30飛行艇の全長は、M-130飛行艇と同じであるが、全幅は27 ft (8.2 m)延長され、フラップ(flap)を装備しており、尾翼は2枚の双尾翼式に改変されている。

図(右)マーチン M-156(Martin model 156)四発飛行艇の三面図;双尾翼式のために、高さを抑えながら、垂直尾翼の面積を確保することができた。
English: 130 with larger wing, exported to USSR 1 August 2009, 11:59:30 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons, Category:Martin 156 File:Martin 156 3-view l'Aerophile March 1938.png引用。


マーチン(Martin)M-156飛行艇の諸元
乗客:
53名(San Francisco - Hawaii)
26 名 (San Francisco - Hong Kong)
全長Length: 92 ft 2 in (28.11 m)
全幅Wingspan: 157 ft 0 in (47.87 m)
全高Height: 27 ft 2 in (8.29 m)
空虚重量Empty weight: 31,292 lb (14,194 kg)
総重量Gross weight: 60,708 lb (27,561 kg)
発動機Powerplant: ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)G2空冷星形エンジン 1,000 hp (750 kW)4基
最高速力Maximum speed: 182 mph (293 km/h, 158 kn)
巡行速力Range: 3,000 mi (4,830 km, 2,600 nmi)


4.アメリカのボーイング(Boeing)314四発飛行艇

ボーイング(Boeing)314は、3枚の垂直尾翼を持つ大型四発飛行艇で、最大座席数74席(寝台仕様の場合50席)で、出現時は最大級巨人旅客輸送機だった。

写真(右)1939年、ボーイング(Boeing)314四発飛行艇;1938年6月7日初飛行。1938–1941年に12機が生産された。同時期に開発されたマーチン M-156(Martin model 156)四発飛行艇を抑えて、パンアメリカン航空に採用された。
Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (Seaplane on the water beside a gangplank) Description English: A Boeing 314 flying boat is moored in a harbour. There two boats alos in the harbour. One of the boats have two life-savers with "Lady VI Auckland" written on each of them. Three men are visible on a boat. A man is walking along the gangplank, towards the flying boat. A jetty, and an island, is visible in the far background. Date 1939 Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 81422 (object number) Source/Photographer API data Catalogue record Photo Permission (Reusing this file) This image has been released as "CCBY" by Auckland Museum.
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Seaplane on the water beside a gangplank (AM 81422-1).jpg引用。


ボーイング(Boeing)314四発飛行艇は、サンフランシスコ=ニュージーランドのオークランド間の定期航路にも就役している。
アメリカのパンアメリカン航空がボーイング(Boeing)314飛行艇6機の発注を行い、生産が開始された。1939年より引渡しが開始され、6機の追加を含めて、1938–1941年に12機が生産された。

図(右)ボーイング(Boeing)314四発飛行艇の三面図
English: Boeing 314 American Clipper Date 13 October 2015 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Boeing B 314 Clipper.svg引用。


マーチン(Martin)M130ボーイング(Boeing)314の諸元比較
全長: 27.7m  32.31 m
全幅: 39.7m  46.33 m
高さ: 7.5m   8.41 m
発動機:M;プラット・アンド・ホイットニーR-1830空冷星形14気筒30Lエンジン830hp4基
B;ライト709Cツインサイクロン30L空冷星形空冷星形14気筒42.7 Lエンジン1,600hp4基
最大離昇重量: 52,252ポンド (23,701 kg) 84,000 ポンド(38,102 kg)
最高速力: 180 mph (290 km/h)  210 mph (340 km/h)
巡航速力: 130 mph (209 km/h)  188 mph (303 km/h)
航続距離: 3,200 mi (5,150 km) 4,900 mi (7,886 km)
M;搭乗員: 6-9名、乗客 36-41名(寝台18台)
B;搭乗員 11名、乗客 68名(寝台36台)



⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"を見る。


5.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 偵察飛行艇

写真(右)1943年秋、ノルウェー北部、ベルゲン沖、ドイツ軍基地を発進するブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138 C-1飛行艇:基地で燃料の軽油を満たして、ノルウェー沖の連合軍輸送船団の偵察任務に就く様だ。手前では、基地の隊員たちが見送っているのであろう。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-507-B0104-25A Archive title: Norwegen, Eismeer.- Bergung / Versorgung eines Wasserflugzeugs Blohm & Voss BV 138 C-1 mit Hilfe eines U-Boots; PK Lfl 5 Dating: 1943 Herbst Photographer: Hirschfelder Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138飛行艇の原型は、ハンブルク航空機 (Hamburger Flugzeugbau)の企画になる中型長距離旅客機として計画された機体である。しかし、ブローム・ウント・フォッス社は、ドルニエ Do 18と同じく燃費の良いユンカース ユモ 205ディーゼルエンジン3基搭載することとして、長距離飛行を可能にした。1937年に完成したHa 138飛行艇は、双ビーム構造で太い胴体の為か、空中でも海上でも安定性が悪く、強度不足だった。そこで、その欠点を直すための大規模な改修作業が行われ、ブローム・ウント・フォス社が、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138V1試作1号機を初飛行させたのは、第二次大戦半年前の1939年2月にまでずれ込んでしまった。そのため、当初の目的だった民間旅客飛行艇として使用されることはなく、軍用に回された。

1941年に改良型のブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138C型が登場し、実用に耐えると判断され、偵察飛行艇として採用された。BV138飛行艇は、227機生産され、大西洋、地中海でUボートと連携し船団捜索・攻撃に投入され、一部は、機雷掃海、物資兵員輸送の任務にも就いた。

ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-138C飛行艇の諸元
全長: 19.85 m、全幅: 27.00 m
全高: 5.90 m
全備重量: 15,480 kg
発動機: ユンカース ユモJumo205Dディーゼルエンジン(880 馬力)3基
最高速力: 290 km/h
航続距離: 4,023 km
兵装:機首動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、胴体後上方動力銃座 20ミリMG151/20 機関銃1丁、中央エンジンナセル後上方銃座:13.1ミリMG131旋回機関銃 1丁
搭載量:150キロ爆雷 4発
乗員: 6名

⇒写真集Album:ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇を見る。


6.ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇

写真(右)1938-1941年、オランダ領インドシナ(蘭印:インドネシア)、オランダ王室海軍航空隊のドルニエ(Dornier)DO-24K-1, X-4哨戒偵察飛行艇;1937年頃、機首、胴体後上方、尾部の3カ所に銃座設けられているが、機関銃はまだ搭載されていない。オランダ三色旗の円形国籍マークが、主翼、胴体後方側面に描かれ、さらに水平三色旗(上からオレンジ・白・青)が双垂直尾翼の方向舵にも大きく描かれている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Marine Beschrijving Maritieme patrouillevliegboot Dornier Do 24K-1, X-4 (1938-1941)
Plaats Nederlands-Indië Datering van 1938 Datering tot 1941
Specifieke kenmerken Dornier DO-24K-1 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH), Beeldbank.defensie.nl:・Objectnummer 2158_012535 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇の主翼はパラソル式で、その上に空冷星形エンジンが装備されている。そのため、プロパラの位置が、水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響を受けにくくしている。胴体中部には、水上安定性を保つためにバルジ式の浮きが設けられている。この浮きは、パラソル式の主翼を支える支柱の基盤にもなっている。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇を見る。


7.ドルニエ(Dornier)Do-26飛行艇

写真(右)1939年10月,海上に停泊するドイツ空軍ドルニエ(Dornier) Do 26飛行艇:ドイツの国籍識別マークは、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党のカギ十字)だったが、1939年9月の参戦後は、黒のスワスチカだけに変更されてゆく。
English: Dornier Do.26 photo from L'Aerophile October 1939 Date 1 October 1939 Author L'Aerophile magazine
写真は Wikimedia Commons,Category:Dornier Do 26,File:Dornier Do.26 L'Aerophile October 1939.jpg引用。


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8.ドルニエ(Dornier)Do-X飛行艇

写真:1929年12月20日、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do-X輸送飛行艇;ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV-222六発大型飛行艇より12年も古いドルニエDo-X 12発巨人型飛行艇は、シーメンス社のジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型(タンデム)配置し合計 6600馬力を発揮できた。
Photographer: Photographisches Institut der ETH Zürich
Title: Flugschiff Dornier Do. X
Caption: Besteller: Leopold Karner, ETH-Professor für Baustatik, Hoch-und Brückenbau in Holz und Eisen. Reproduktion eines Papierabzugs
Dating: 20.12.1929
Physical Description: Reproduction photography : glass-plate negative Format: 9 x 12 cm
Categories: ETH, Photographical Institut, Photographisches Institut der ETH Zürich, Plans + Sketches, 1929, Airships, Dornier DO X, Product photography
Record Name: PI_29-B-0278.
写真はETH-Bibliothek Zürich・PI_29-B-0278引用。


ドルニエ(Dornier)Do X飛行艇(登録コード:D-1929)は、Do-Jワール、Do-18飛行艇と同じく、水上安定性を確保するために、胴体中央部左右に浮きを張り出し、胴体上部に主翼をパラソル式に配備し、その上にエンジンを縦列串型に配置している。正面から見ると、主翼上面にエンジン6基が見えるが、これは前後2基のエンジンを縦列串型に配置しているためで、エンジンは12基ある。エンジンは、当初、1930年前半までは、シーメンスのジュピター・カーチス・ライト(Jupiter-Curtis-Wright)エンジン525馬力12基を流線型ナセルに縦列串型配置で12基を装備した。

⇒写真集Album:ドルニエDo-X 飛行艇を見る。


9.スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇

写真(右)1928年頃、イギリス、海面上を編隊で低空飛行する3機のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)Mark II 複葉双発飛行艇;上下の複葉を支える支柱や張線があって、空気抵抗が大きいように見えるが、強度を確保するには必要な構造的措置である。
Supermarine, Southampton Manufacturer: Supermarine Official Nickname: Southampton Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr. , San Diego Air and Space Museum Archive >Catalog #: 01_00088649引用。


イギリス軍基地 スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇,前作スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇は、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)の設計になるイギリスの有名な飛行艇である。

スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇の設計者 J.ミッチェルは、後のスピットファイア戦闘機を設計したことで日本でも有名である。しかし、それ以前から、スワン飛行艇を設計し、実力を示したいる。このスワン飛行艇の成功に気をよくしたイギリス航空省は、これを原型として、新たにスーパーマリンサザンプトン(Southampton)双発飛行艇の設計を依頼した。この時、すでに原型のスワン飛行艇が完成していたために、サウサンプトン飛行艇は短時間で開発された。

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10.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇

写真(右)1920年末、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.1B アイリス(Iris Mk III)飛行艇(S1263):機首コックピットは開放式の並列操縦席である。ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基装備。
English: The Blackburn Iris Mk III, S1263, before conversion to a Mk V. Flight - picture scanned by me Ian Dunster 14:25, 5 January 2006 (UTC) from the 1263 - The Story Of A Blackburn Iris article in the December 1973 issue of Aeroplane Monthly and credited to: Flight.
写真はWikimedia Commons, Category:Blackburn Iris File:Blackburn Iris Mk III S1263.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇は、1926年6月18日初飛行で、総生産機数5機、1934年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇が変わって就役した。

イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇は、全ての形式で機首コックピットは、正面ガラス風防があるだけの開放式コックピットで、操縦士・副操縦士が並列して着席する。しかし、気温の低い、北海上空、特に厳冬期や荒天時に長時間哨戒飛行することは困難であったと思われる。

写真(右)1927年、イギリス、水上で待機しているイギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris Mk III)飛行艇(N238):1931年2月4日にイギリス南西海岸、プリマス・サウンドで、好天で海も静かだったで操縦ミスにより墜落し、搭乗員・同乗者12名のうち8名が死亡した。
Blackburn Iris Mk III N238 There was a terrific impact, a great fountain of water shot up into the air then there was a big explosion. The flying boat lurched, toppled onto its side then sank with eight men trapped in the cabin. After a brief pause, one of the aircraft's floats surfaced followed by the tip of the rudder and it lay half submerged and upside down, before turning on its side. Wilfred Little, a harbour pilot and Harry Hole were sailing nearby and were the first on the scene of the incident and rescued two men clinging to the wings. The Mount Batten station commander and Aircraftsman Shaw (T.E. Lawrence) arrived in an RAF launch who saved two more. The aircraft broke in half and the forward part was brought up the next day onto the slipway at Mount Batten, with the stern half and the bodies of the missing crew recovered later by salvage divers.
写真は, The SHIPS Project CIC Blackburn Iris Mk III N238引用。


1931年2月4日、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris Mk III)飛行艇(N238)は、イギリス南西、プリマス(Plymouth)沖のプリマス・サウンドで、好天で海も静かだったが、操縦操作を誤ったために、墜落した。搭乗員・同乗者12名のうち飛行隊司令官(Wing Commander)チャールズ・ギルバート・タッカー(Charles Gilbert Tucker: 44歳)をはじめ22歳から25歳の若者を中心に8名が事故死した。機体は、海中から引き揚げられた。

イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇は、1926年6月18日初飛行し1934年に退役した。総生産機数は僅か5機で、アイリス(Iris)Mk 5が最終型である。搭載した発動機は、ロールスロイス(Rolls-Royce)バザード(Buzzard:ノスリ)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基で、これは、後継機ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇でも引き継がれている。しかし、このロールスロイス(Rolls-Royce)バザードIIMS(H.XIIMS)12気筒液令エンジンは、1932-1933年の間に僅か69基が生産されただけで、成功作とは言えなかったようだ。

写真ポスター(右)1927年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇:ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基装備。
Blackburn Iris, Three Engined Flying Boat. 1926 Considerable interest was given to the Iris in October 1926, the latest seaplane acquired by the Royal Air Force. The Iris, a Rolls-Royce engined Blackburn seaplane, was the largest and fastest of its type in the world in 1926. It was fitted with three Condor engines of 650 Hp each, carried a crew of five composed of first and second pilot, wireless operator, and two gunner engineers. With a full load she could fly at over 100mph, and, if needs be, she could stay in the air for a full day..
写真は, Grace's Guide  File:Im19271124Fl-Blackburn.jpg引用。


ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 67 ft 4.75 in (20.5423 m)
全幅Wingspan: 97 ft 0 in (29.57 m)
全高Height: 25 ft 6 in (7.77 m)
主翼面積Wing area: 2,461 sq ft (228.6 m2)
空虚重量Empty weight: 19,301 lb (8,755 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 29,489 lb (13,376 kg)
発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIB V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基
最高速力Maximum speed: 118 mph (190 km/h, 103 kn)
航続時間Endurance: 4時間 54分
実用上昇限度Service ceiling: 10,600 ft (3,200 m)

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11.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇

写真(右)1932年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇:1933–1934年の期間に4機が生産された。1934年に就役し、1938年に退役。発動機はアイリスの最終型と同じで、ロールスロイス(Rolls-Royce)(Buzzard)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基装備。ただし、このBuzzard IIMS(H.XIIMS)は、1932-1933年に69基が生産されたに過ぎない。
November 1932. Iris Mk 5. (Flight 1932/11/17). R.B.1D / Iris V This was the final variant. Three Iris Mk IIIs were fitted with 825 hp (615 kW) Rolls-Royce Buzzard IIMS piston engines..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 70 ft 0 in (21.34 m)
全幅Wingspan: 97 ft 0 in (29.57 m)
全高Height: 26 ft 5.5 in (8.065 m)
主翼面積Wing area: 2,461 sq ft (228.6 m2)
空虚重量Empty weight: 20,927 lb (9,492 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 32,500 lb (14,742 kg)
発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)バザード(Buzzard:ノスリ)II MS V-12型液令エンジン675 hp (503 kW)3基
最高速力Maximum speed: 132 mph (212 km/h, 115 kn)
航続距離Range: 1,300 mi (2,100 km, 1,100 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 11,500 ft (3,500 m)

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12.ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇

写真(右)1926年、イギリス、水上滑走中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉飛行艇(K692)の左側面;水平尾翼は1枚、垂直尾翼は3枚ある。機首コックピットは開放式縦列3座席である。機首、胴体後上方2か所の合計3つの開放式銃座が設けられている。
Short , S.12, Singapore II Manufacturer: Short Designation: S.12 Official Nickname: Singapore II Notes: UK Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr., SDASM Archives >Catalog #: 01_00087371引用。


1926年8月26日初飛行のショート(Short)シンガポール(Singapore)複葉飛行艇は、軍用仕様で、金属製胴体、複葉、発動機はロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIAエンジン 650 hp (480 kW)2基を搭載し、登録コードG-EBUPを付与された。しかし、試作1基のみで運用試験に使われただけで終わった。シンガポール(Singapore)複葉飛行艇は、双発から四発機まで各型合計で1934–1937年の間に37機が量産された。

写真(右)1930年、イギリス、水上滑走しているイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉四発飛行艇試作機(N246):エンジンは上下主翼の間に前後に発動機を並べるタンデム串形配置で前方に牽引式2翅プロペラ、後方に推進式2翅プロペラを装備している。
Photograph of the Short Singapore II (N246) prototype flying boat. Author Unknown Source (WP:NFCC#4) Original publication: Unknown Immediate source: http://www.raf-in-combat.com/downloads/march-2014-short-singapore-15-photos/ Date of publication c.1930 Use in article (WP:NFCC#7) Short Singapore Illustrate content about the Singapore II prototype flying boat Other information 'The second Singapore, four-engine N246 seen while taking off early in its career with a single tail as used by N179, and still with an open cockpit and no ailerons on the lower wings.' )
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Consolidated Catalina Mk II of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer in Scotland, March 1941. CH2448.jpg引用。


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13.スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇

写真(右)1940-1948年、カナダ西岸南端、ブリティッシュコロンビア州(British Columbia)バンクーバー(Vancouver)、ジェリコ・ビーチ(Jericho Beach)水上機基地に待機しているカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(912):4翅プロペラ装備。陸上移動に便利なように胴体脇下方にはゴム主輪が装着され、尾部も小型ゴム主輪付き台車ドリーで支えられている。第二次世界大戦末期あるいは大戦後の撮影になるのか、迷彩塗装を廃止て、目立つように明るい色で塗装されている。後方は、大陸とバンクバー島の間に広がるジョージア海峡で、幅20キロ、長さ200キロのない湾で、飛行艇の離着水に適している。
Supermarine Stranraer #912 flying boat at RCAF Station Jericho Beach. Date between 1940 and 1948. City of Vancouver Archives under the reference number CVA 677-380 Author Timms, Philip T.
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 912.jpg引用。


1925年3月10日初飛行のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)飛行艇は、1934年までに83機が生産され、イギリス連邦自治国(ドミニオン)でも汎用哨戒飛行艇として使用された。このサザンプトン(Southampton)飛行艇後継機をイギリス航空省が開発するよう要求を出したため、スーパーマリン社は既存のスカパ(Scapa)双発飛行艇を原型に新機を開発した。これが、1934年7月24日に初飛行したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇である。

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14.サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55飛行艇

写真(右)1927年以降、イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。手前には、ルノー (Renault)FT-17 軽戦車(Faible Tonnage)で、第一次世界大戦中の1917年にフランス陸軍制式となった。全長5.00 m、全幅1.74 m、全高2.14 m、重量6.5 t、速力20 km/h(整地)/7.6 km/h(不整地)、航続距離65 km、主砲 ピュトー SA18 21口径 37 mm 戦車砲、装甲最大16 mm。
Italiano: Savoia Marchetti S.55 Date before 1950 Author Unknown author.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia Marchetti S.55.jpg引用。


イタリアのサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti S.55双胴飛行艇は、1924年4月に初飛行し、イタリア空軍に長距離哨戒機、爆撃機として制式された。

写真(右)1927年以降、イタリア、海上を滑走、離水するイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボは、1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、大西洋編隊横断飛行し、イタリア・ファシスト政権の栄光を輝かせた。
Italiano: Savoia-Marchetti S.55 in flottagio Date before 1950 Author Unknown author.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 05.jpg引用。


イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇は、ドイツのドルニエ飛行艇も採用した串型タンデム配置のエンジンに牽引式の普通の2翅プロペラと推進式の2翅プロペラ装備して、エンジン正面面積をエンジン1個分に半減させ、空気抵抗を減少させている。

写真(右)1929年、アメリカ東部、ニューヨーク州、マンハセット湾を飛び立つイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボ空軍大将は、飛行家・探検家として、イタリアからアメリカのニューヨークまで編隊飛行しイタリア飛行術の名声を高めた。
English: A nice picture of a Savoia Marchetti S.55 Taking Off From Manhasset Bay in 1929. Date 1929 Author Unknown author.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55File:Savoia-Marchetti S.55 felszállás közben.jpg引用。


写真(右)1927年以降、イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.55双胴飛行艇:ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。
Italiano: Savoia Marchetti S.55 Date before 1950 Author Unknown author.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia Marchetti S.55 02.jpg引用。


1924年4月に初飛行したイタリアのサヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti S.55双胴飛行艇は、イタリア空軍に長距離哨戒機、爆撃機として制式された。

写真(右)1933年7月1日、イタリア東岸、ローマ北100キロのオルベテッロ(Orbetello)からアメリカ、シカゴに飛び立ったイタリア空軍大臣イータロ・バルボ(Italo Balbo)空軍元帥率いるがサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)S.55双胴飛行艇
Italo Balbo
写真は,Europeana experience  Identifier: Attualita Attualita IL 0010033081-man0引用。


ファシスト四天王の有力者バルボは、ムッソリーニの盟友として1928年8月19日、空軍大将に任じられ、空軍大臣にもなるが、その後も、飛行家・探検家として、イタリア航空界の名声を高めた。1940年6月にイタリアが第二次大戦に参戦したときリビア総督だったが、搭乗したサボイア・マルケッティS-79爆撃機が、トリポリ港に飛来したとき、友軍イタリア海軍艦艇の誤射にあって、撃墜、死亡した。

写真(右)1920年末、イタリア王国、サルデーニャ島、イタリア地中海航空サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-55双胴飛行艇:1933年に、イタリア空軍大臣イタロ・バルボ将軍率いる24機のSM-55飛行艇が、編隊飛行でイタリアのオルベテッロからアメリカのシカゴまでの北大西洋横断飛行(North Atlantic Ocean crossing)し、名声を得ている。
English: Savoia-Marchetti S.55 of the Italian airline Società Aerea Mediterranea, taking off. "Roma-Cagliari" is inscribed on the front of the right fuselage; possibly this aircraft flew the route between Rome and Cagliari, the capital of Sardinia. Savoia-Marchetti, S-55, Catalog #: 01_00087193 Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: S-55 Notes: Italy Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date late 1920s Source Savoia-Marchetti, S-55.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 taking off (5956308806) (1k version, grayscale, brightness).jpg引用。


1926年11月6日、イタリア空軍大臣として、ムッソリーニからイタリア空軍を任されたイタロ・バルボは、1928年8月19日に空軍大将の地位を得た。そして、空軍元帥となって、1933年7月1日、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇24機の編隊を率いてイタリア半島東岸のオルベテッロから、アメリカのシカゴまで48時間の長距離高速遠征飛行を成功させた。そして、シカゴ万国博覧会に参加し、イタリア航空機の優秀さを世界に示した。

写真(右)1937年、アメリカ、アラスカ航空の保有したサボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM-55双胴飛行艇:1933年に、イタリア空軍大臣イタロ・バルボ将軍率いる24機のSM-55飛行艇が、編隊飛行でイタリアのオルベテッロからアメリカのシカゴまでの北大西洋横断飛行(North Atlantic Ocean crossing)し、名声を得ている。
English: Savoia-Marchetti S.55P of the short-lived Alaska Airways of 1937. Savoia-Marchetti, S-55, Catalog #: 01_00087192 Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: S-55 Notes: Italy Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 1937.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti S.55 File:Savoia-Marchetti S.55 Alaska Airways (5955748287) (1k version, grayscale, brightness).jpg引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかった。

1926年11月6日、イタリア空軍大臣として、ムッソリーニからイタリア空軍を任されたイタロ・バルボは、1928年8月19日に空軍大将の地位を得た。そして、空軍元帥となって、1933年7月1日、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇24機の編隊を率いてイタリア半島東岸のオルベテッロから、アメリカのシカゴまで48時間の長距離高速遠征飛行を成功させた。そして、シカゴ万国博覧会に参加し、イタリア航空機の優秀さを世界に示した。

イタリア空軍サボイアS55 サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55双胴飛行艇の諸元
搭乗員:6名
全長:16.75m、全幅:24.00m、全高:5.00m
主翼面積:93.0m2
空虚重量:5,750kg、最大離陸重量:8,260kg
発動機:イソッタ(Isotta-Fraschini)アッソ(Asso)液令12気筒エンジン656kW(880hp)2基
最高速力:279km/h
続距離:3,500km

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.55飛行艇は、1924年8月初飛行で243機が量産されたが、第一線での活躍は1930年代までで、第二次世界大戦には第二線の予備的機体としてしか残っていなかった。



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
紅の豚サボイアS.21Fヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
日本海軍川西H6K5九七式大型飛行艇VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
二式大艇
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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