Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
写真(上)1941年11月25日、アメリカ西岸、サンフランシスコ沿岸警備隊水上機基地、滑走台ランプに接岸して海面上に駐機しているカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 複葉双発飛行艇(952)
;スピットファイア戦闘機と同じレジナルド・J・ミッチェル設計になるストランラー飛行艇は1934年7月24日初飛行。機首と胴体後上方に開放式機関銃座が各々1基設けられている。3翅プロペラ装備。
English: Canadian-Vickers "Stranraer" of the Royal Canadian Air Force at the San Francisco Coast Guard Air Station in 1941. Date December 1941 Source Own work Author William Larkins
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 3 ExCC.jpg引用。



写真(上)2021年11月,イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館、の塗装を施したカナダ・ビッカース社製カナダ空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)
;イギリスのスーパーマリン社で1935年8月から17機生産された。初の部隊配備は1937年初頭、イギリス空軍第228飛行隊だが、1941年3月には退役。 カナダのビッカーズ社どライセンス生産で40機が作られカナダ空軍が使用した。このストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、1945年2月に退役し民間のカナダ航空(Canadian Pacific Airlines)に払い下げられ、1947年まで使用された。その後、カナダ西部の路線を持つクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に渡り、発動機をイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)からアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装し1952年までカナダ西岸バンクーバー(Vancouver)を拠点にブリティッシュコロンビア州(British Columbia)沿岸で使用された。1966年に船舶と衝突し損傷、1970年にイギリス空軍博物館が購入し、イギリスに運び展示した。
Supermarine Stranraer (RAF Museum, London) Date 23 November 2021, 11:31:39 Source Own work Author Amitchell125
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (32428140478).jpg引用。

1.スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇

写真(右)1939年、オーストラリア南東部、ビクトリア州、(Victoria)メルボルン(Melbourne)南西20キロ、オーストラリア空軍(RAAF: Royal Australian Air Force)ポイント・クック基地(RAAF Base Point Cook)の水上機基地に待機しているオーストラリア空軍スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇
Australian War Memorial (AWM) catalog number 044869: A Royal Australian Air Force Supermarine Southampton aircraft at RAAF Base Point Cook in 1939 Date 1939Ships Subject (geographic): United Kingdom Note: Zie ook A 1039, 1256 en 1257. Reis met de Jan Pieterszoon Coen van de Stoomvaart Maatschappij Nederland, vertrokken op 24 mei 1927 vanuit Amsterdam. Album van Johanna Gerarda Jacoba (An) Wiegmans (Vreeland 1896-Den Haag 1987). Zij was onderwijzeres te Magelang (1927-1934?) en te Poerworedjo, vanaf circa 1935. Language: No linguistic content Country: No place, unknown, or undetermined Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 044869
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:RAAF Supermarine Southampton (044869).jpg引用。


1925年3月10日初飛行のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇は、Mk IとMk IIが主生産型で開放式縦列3座席、ネイピア(Napier) ライオン(Lion)液令W型12気筒エンジン 500 hp (370 kW)2基を搭載し、1925年から部隊配備されている。 各型合計で1924-1934年に83機が量産された。

写真(右)1926年、イギリス、イギリス空軍(RAF: Royal Air Force)スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の三面縮尺図;機首コックピットは縦列式で機首に1か所、胴体後方に2か所の円形開放式銃座が描かれている。
Supermarine Southampton 3-view drawing from NACA Aircraft Circular No.25 Date 1 December 1926 Author NATIONAL ADVISORY COMMITTEE FOR AERONAUTICS
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:Supermarine Southampton 3-view NACA Aircraft Circular No.25.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇は、全幅20.29m、全長15.15m、総重量6,500kg、最高速力174km/hで、イギリス空軍(RAF)に就役したほか、日本海軍、アルゼンチン海軍航空隊、デンマーク海軍も購入、使用した。インペリアル・エアウェイズ、日本航空輸送など民間航空も輸送機としても採用されている。

スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の諸元
全長Length: 15.151 m
全幅Wingspan: 22.86 m
全高Height: 6.22 m
主翼面積Wing area: 134.5 m2
空虚重量Empty weight: 9,697 lb (4,398 kg)
総重量Gross weight: 15,200 lb (6,895 kg)
最大離昇重量Max takeoff weight: 18,000 lb (8,165 kg)
発動機Powerplant:ネイピア(Napier)ライオン(Lion)W型12気筒水冷エンジン500 hp (370 kW)2基
最高速力Maximum speed: 95 mph (153 km/h, 83 kn)/海面上
航続距離Range: 544 mi (875 km, 473 nmi) /速力86 mph (75 kn; 138 km/h)/高度 2,000 ft (610 m)
航続時間Endurance: 6.3時間
実用上昇限度Service ceiling: 5,950 ft (1,810 m)
最高上昇限度Absolute ceiling: 8,100 ft (2,500 m)
上昇時間Time to altitude: 6,000 ft (1,800 m)/29分42秒
口径.303インチ(7.7 mm)ルイス(Lewis)機関銃3挺
爆弾搭載量Bombs: 1,100 lb 主翼下面に懸架

⇒写真集Album:スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇を見る。


2.サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇


写真(右)1930年7月、イギリス、停泊するサンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19/1 クラウド(Cloud)双発飛行艇試作1号機(L4)左側面
;1930年7月に初飛行、登録コードG-ABCJを付与された。その後カナダに売却され、登録コードCF-AREとして、1931年12月から1934年1月まで就航した。ゴム主輪は、胴体脇に引き上げられている。これは、飛行中と水上滑走・停泊中は、主輪で空気抵抗・水抵抗が大きくなるのを防ぐためである。ただし、後のウォーラス飛行艇、シーオッター飛行艇のように、降着装置を下主翼下面の格納することはできない。 C/n A.19/1 was the prototype and first flew in July 1930, allotted the 'Class B' marking L-4, later it was reregistered G-ABCJ. Originally it had two 300 hp Wright J-6 Whirlwind engines to facilitate maintenance in Canada, where its purchaser, Captain R. Holt, operated it between December 1931 and January 1934, as CF-ARE...
Прототип Cloud
写真は写真はУголок неба.A.19/29 Cloud  Доп. информация :引用。


イギリス空軍(RAF)サンダース ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行は、飛行艇なので海上で離着水するが、陸上用にゴム主輪も備えた水陸両用飛行艇である。離降着の時に主輪は、胴体脇に降ろされ、滑走路に船体をこすらないようにする。他方、飛行中あるいは水上滑走・停泊中は、ゴム主輪を降ろしたままだと、空気抵抗あるいは水抵抗が大きいので、胴体の脇に主輪を引き上げる。つまり、イギリス空軍(RAF)サロ(Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行の降着装置は引込み式の一種であるが、後のスーパーマリン・ウォーラス単発飛行艇、シーオッター単発飛行艇のように、離着陸用の降着装置を下主翼下面の格納することはできない。

サンダース・ロー(Saunders-Roe:SARO)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇は、前作サンダース ロー(Saunders-Roe)A.17カティーサーク(Cutty Sark)双発飛行艇(1929年7月4日初飛行)の搭乗乗客者数を8名に増やした発展型で、1930年7月15日にライト(Wright)J-6 空冷星形エンジン300 hp(224 kW)2基を搭載して初飛行した。 そして4機が民間に販売された。

民間機だったサンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇は、軍用への転換を図るために、イギリス海軍のフェリックストウ基地にある海洋航空実験所(Marine Aircraft Experimental Establishment)に評価審査のために送られた。そして船体に若干の改装をされ、1933年8月にイギリス空軍RAFカルショット(Calshot)にある水上機訓練飛行隊(Seaplane Training Squadron)に配備された。

ここ海洋航空実験所では、サンダース・ロー(Saunders-Roe:SARO)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇の操縦訓練をするとともに、さらに三発以上の大型飛行艇の操縦訓練の前段階としての操縦訓練も実施された。イギリス空軍仕様サロ(Roe)A.29 クラウド(Cloud)飛行艇はアームストロング(Armstrong Siddeley)セルバ(Serval)III空冷星形10気筒エンジン(排気量17.7 L)340 hp装備、16機生産され、船内のキャビンに余裕があり、複数の航空地図机上台を置くこともできたので、訓練には便利だった。最終のサロ(SARO)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇が空軍に納入されたのは、1935年で、それ以降主に訓練用飛行艇として、1939年7月まで任務に就いている。

サンダース ロー A.19 クラウド飛行艇 サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.29 クラウド(Cloud)飛行艇双発飛行艇の諸元
乗員Crew: 2名(正副操縦士)
乗客Capacity: 4名から8名(訓練生)
全長Length: 50 ft 11.5 in (15.532 m)
全幅Wingspan: 64 ft (20 m)
全高Height: 16 ft 5 in (5.00 m)
主翼面積Wing area: 650 sq ft (60 m2)
空虚重量Empty weight: 6,800 lb (3,084 kg)
総重量Gross weight: 9,500 lb (4,309 kg)
発動機Powerplant: アームストロング(Armstrong Siddeley)セルバ(Serval)IIIあるいはV 10気筒空冷エンジン2基340 hp (250 kW)
プロペラPropellers: 2-翅固定ピッチ(fixed-pitch)
性能Performance
最高速力Maximum speed: 118 mph (190 km/h, 103 kn)
航続距離Range: 380 mi (610 km, 330 nmi)
航続時間Endurance: 4 hours
実用上昇限度Service ceiling: 14,000 ft (4,300 m)
丈量率Rate of climb: 750 ft/min (3.8 m/s)
兵装Armament
Guns: 0.303 in口径(7.7 mm)ルイス(Lewis)機関銃2挺(機首・後上方銃座)
爆弾Bombs: 4 x 50lb (22.7kg) 訓練弾


⇒写真集Album:サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 クラウド(Cloud)双発飛行艇 を見る。


3.スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)双発飛行艇

写真(右)1933年、イギリス南西海岸、サフォーク(Suffolk)州フィーリックストウ(Felixstowe)、イギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇;降着装置のゴム主輪は、主翼が展開されていれば、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。中央のブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン775hpの後端は、空気抵抗を減少させるように流線形に整形されている。艦載機としても使用するために、主翼を折り畳むことが可能である。
A Royal Navy Supermarine Scapa at the Marine Aircraft Experimental Establishment, Felixstowe, Suffolk (UK), in 1933. Date 1933 ATP 8462B from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg Author British official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Scapa >File:Supermarine Scapa.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)飛行艇の後継機は、1932年に登場したときサザンプトンIV 飛行艇と命名されていた。しかし、新鋭機として印象付けるために、1933年10月、スカパ(Scapa)飛行艇と改名された。

イギリス空軍の大型飛行艇の命名法は、イギリス本国、イギリス連邦自治国(ドミニオンのオーストラリア・カナダなど)、イギリス領植民地(ビルマ・マライなど)の都市名に因んで飛行艇の名称とした。

イギリスの双発以上の大型飛行艇は、シンガポール、ロンドン、サザンプトン、シドニー、サザンプトン、スカパと続いた。そして、サザンプトンIV飛行艇をストランラー(Stranraer)飛行艇と改名し、新鋭機を印象付け売り込みを図ったのである。両機の外見上の差異は、サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の3枚垂直尾翼が双尾翼になり、構造の上では木製胴体を金属製胴体とした。


図(上)1936年、イギリス、スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の内部構造図

Supermarine Scapa detail drawing from NACA-AC-203 Date 1 March 1936 Source NASA:The Vickers-Supermarine "Scapa" (British) : a military flying boat Author NACA Aircraft Circular
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Scapa >File:Supermarine Scapa detail NACA-AC-203.png引用。


スカパ(Scapa)飛行艇試作機(S1648)は、イギリス航空省の1931年のスペックR20/31で設計された。完成したスーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇量産型は、1933年のスペックR19/33で開発され、イギリス空軍(RAF)の登録コードK4191からK4200、K7304からK7306を与えられ、1935年末までに配属された。

スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇は、シュナイダー杯に出場したスーパーマリンS.5、S.6水上機を開発し、後にスピットファイア戦闘機を設計したレジナルド・J・ミッチェルによって設計された。1932年6月8日初飛行、1935年就役、生産機数15機、1939年退役。

1936年、スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の三面図
Supermarine Scapa 3-view drawing from NACA-AC-203 Date 1 March 1936 NASA:The Vickers-Supermarine "Scapa" (British) : a military flying boat Author NACA Aircraft Circular
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Scapa >File:Supermarine Scapa 3-view NACA-AC-203.png引用。


スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)水陸両用飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 53 ft 0 in (16.15 m)
全幅Wingspan: 75 ft 0 in (22.86 m)
全高Height: 21 ft 0 in (6.40 m)
主翼面積Wing area: 1,300 sq ft (120 m2)
空虚重量Empty weight: 10,030 lb (4,550 kg)
総重量Gross weight: 16,080 lb (7,294 kg)
発動機Powerplant: ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)IIIMS V-12型液令エンジン 525 hp (391 kW)
プロペラPropellers: 2-翅木製固定ピッチプロペラ
性能Performance
最高速力Maximum speed: 142 mph (229 km/h, 123 kn)/3,280 ft (1,000 m)
巡行速力Cruise speed: 100 mph (160 km/h, 87 kn) / 5,000 ft (1,524 m)
航続距離Range: 1,000 mi (1,600 km, 870 nmi)/2,650 lb (1,202 kg)
実用上昇限度Service ceiling: 15,500 ft (4,700 m)
上昇率Rate of climb: 625 ft/min (3.18 m/s)
上昇時間: 9,840 ft (2,999 m) / 20 分
翼面荷重Wing loading: 12.3 lb/sq ft (60 kg/m2)
出力比率Power/mass: 0.065 hp/lb (0.107 kW/kg)
兵装Armament 0.303 in (7.7 mm)ルイス(Lewis)機関銃の 機首1挺、胴体中央後部2挺
爆弾搭載量: 1,000 lb (454 kg)/主翼下面


4.イギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇

イギリス空軍飛行艇の命名には、都市名称にちなむ一連のシリーズがあるが、これにはフィーリックストウ(Felixstowe)、サザンプトン(Southampton)、ロンドン(London)、ストランラー(Stranraer)のようなイギリス本土以外にも、シドニー(Sydney)のようなイギリス連邦自治領諸国(ドミニオン)、ラングーン(Rangoon)シンガポール(Singapore)のようなイギリス領植民地の都市名に因む飛行艇も含まれる。

このスーパーマリン(Supermarine)が開発し1934年6月15日に初飛行したストランラー(Stranraer)飛行艇も、イギリス北西海岸、スコットランドの都市名ストランラーStranraer)に因んだ飛行艇シリーズの一種である。

写真(右)1938年6月15日、飛行中を下方から見たイギリス空軍(Royal Air Force)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K3973):1934年7月24日初飛行、1937年に部隊配備された。試作当初は、ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)液冷V型12気筒エンジン(排気量21.2L)700hp2基の予定だった。
Supermarine Stranraer (K3973) a Bristol Pegas X (4x) Date 15 June 1938 Source Letecké vzduchem chlazené motory Walter. Bulletin Walter. 1938, Katalog, p. 60. , Publisher: Akciová společnost Walter, továrna na automobily a letecké motory, Praha XVII - Jinonice in Státní oblastní archiv v Praze (State Regional Archives in Prague), Archivní 4, 149 00 Praha 4, Fond Walter, a.s., No. NAD 1914 Author neznámý (unknown)
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Supermarine Stranraer (K3973) a Walter Pegas X (4x).jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)は、スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の発展型サザンプトンVを企画したが、これがレジナルド・ジョセフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell,:1895-1937)設計になるスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇の原型である。

1935年8月、スーパーマリン(Supermarine)が開発した試作サザンプトン V 飛行艇は、公式にストランラー(Stranraer)飛行艇(K3973)と改名された。搭載した発動機は、生産型とは異なって、ブリストル(Bristol) ペガサス(Pegasus)IIIM 空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)920 hp2基、木製2翅プロペラを装備している。ストランラー(Stranraer)飛行艇生産型は、ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X 空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)920 hp2基で、金属製3翅プロペラを装備している。そして、原型となったスカパ飛行艇よりも、胴体が長く、一回り大型であり、尾部に銃座を設けている。

写真(右)1939年末、輸送船団近くに着水したイギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K7295):船団の近くに着水した。
Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. Stranraer Mark I, K7295 ‘BN-L’, of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer, Ayrshire, in flight. Date between 1939 and 1945. CH 2548 from the collections of the Imperial War Museums. Author Daventry B J (Mr), Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. CH2551.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、スーパーマリン・スカパ(Scapa)飛行艇ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)液冷V型12気筒エンジン(排気量21.2L)700hp2基をやめて、出力を強化したブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)IIIM空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)920 hp2基に換装しために、性能は向上した。就役したのは、1937年で、それに伴って前作スカパ飛行艇は、1938年に退役した。

イギリス航空省は、1935年8月にスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇の仕様スペック17/35を出し、登録コードK7287からK7303まで17機の発注を契約した。そして、翌年1936年5月にはさらに登録コードK9676からK9681まで6機を発注し、1939年3月に契約を終了したイギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊スーパーマリン(Supermarine)。ただし、イギリス航空省での契約は終わったが、イギリス連邦自治国(ドミニオン)カナダ空軍(RCAF)での契約が成り、カナダ・ビッカース社での生産が決まった。

写真(右)1939年末、輸送船団の上空哨戒任務に就いたイギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K7295):船団の近くを低空飛行する。
Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. Stranraer Mark I, K7295 ‘BN-L’, of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer, Ayrshire, landing on Loch Ryan. Date between 1939 and 1945. CH 2551 from the collections of the Imperial War Museums. Author Daventry B J (Mr), Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. CH2548.jpg引用。


スーパーマリン・ストランラー(Stranraer)飛行艇は、総生産機数57機であるが、イギリスの本家スーパーマリン(Supermarine)社では17機生産されただけで、のこり40機はカナダ・ビッカース社(Canadian Vickers )でライセンス生産された。カナダ製スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force :RCAF)に配備され、対潜水艦哨戒、沿岸偵察の任務に就いた。その場合、爆雷や爆弾は、1000ポンド(450kg)まで搭載することができた。

スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇 ストランラー(Stranraer)はスコットランド南西海岸に面したトゥーンとして知られる歴史的街で、イギリス本土とスコットランドの間にある地峡の北側、ライアン湖のほとりに位置している。この由緒あるスコットランドの町ストランラー(Stranraer)が、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇の名前の由来である。

スコットランド西岸ストランラー(Stranraer)の水上機基地に、スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇が初めて部隊配備された。このこと初のイギリス空軍に配備された基地名称ストランラー(Stranraer)が、この双発飛行艇の名前の由来である。ストランラー(Stranraer)飛行艇は、イギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊に初めて配備されストランラー(Stranraer)基地で運用された。

コンソリデーテッド(Consolidated)PBY 1935年3月28日に初飛行したアメリカのコンソリデーテッド(Consolidated)PBYカタリナ(Catalina)双発飛行艇は、アメリカ海軍のほか、イギリス空軍(RAF)、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force:RCAF)、オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force:RAAF) でも制式され、哨戒、偵察、沿岸警備、船団護衛、海難救助に用いられた。また、PBY-5Aカタリナ飛行艇は、引き込み脚を装備して水陸両用飛行艇となったが、アメリカ陸軍航空隊も引込み式車輪を装備したOA-10Aカタリナ水陸両用飛行艇を制式し、海難救助機として用いている。

名機コンソリデーテッド(Consolidated)PBYカタリナ(Catalina)双発飛行艇は、カナダ・ヴィッカース社、カンナ・ボーイング社でもライセンス生産された。カタリナ(Catalina)双発飛行艇は1936年以来1945年までに3,276機が大量生産され、スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇を上回った性能、信頼性を発揮した。つまりスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇を量産する意義は乏しかったのである。

スーパーマリンSupermarine S.5 スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の発展型ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇は、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計した。

スーパーマリン(Supermarine)の設計技師レジナルド・ミッチェルReginald Mitchellは、第一次大戦後開催されたシュナイダー・トロフィー・水上機レースThe Schneider Trophy Race:1919-1931)に向けてスーパーマリン(Supermarine) S.5水上機を設計し、1927年シュナイダー杯(Schneider Trophy)で優勝を果たしている。

スーパーマリンSupermarine S.6 その後、レジナルド・ミッチェルReginald Mitchellは、1928年にスーパーマリン社支配人となり、1929年シュナイダー・トロフィーでスーパーマリン(Supermarine) S.6で参戦し優勝し、イギリス航空協会から表彰されていた。

さらにスーパーマリン(Supermarine)社は、1927年に次いで開された1929年シュナイダー杯(Schneider Trophy)にも、スーパーマリン(Supermarine) S.6高速水上機機で再び参加した。これも前作S.5改良型で、 レジナルド・ミッチェルReginald Mitchell)の設計になる。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、カナダはイギリス自治領として即座に参戦した。王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF ;フランス語:Aviation royale canadienne:ARC)は、おもにイギリス軍のための訓練部隊を養成するとともに、大西洋からイギリス本土までの防衛、さらに東南アジアのイギリス植民地の防衛にも兵力を割くようになった。実際に、戦時中の王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)司令部は、イギリスのロンドンに置かれていたのである。

ウォーラス(Walrus) レジナルド・ミッチェルReginald Mitchellは、は、高速水上機だけではなく、折り畳み式主翼を持つ単発のウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇を設計し、1933年6月21日に初飛行させている。スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、船体と両翼の浮舟フロートを使って、水上で離着水するが、陸上用の降着装置として、ゴム主輪も装備している。このウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇の主脚は、飛行中、水上での運用中には、主脚を引き上げて、主翼下面に半開放式でゴム主輪を格納する。

ウォーラス スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I は、金属製胴体であるのに対して、ウォーラス(Walrus)Mark.IIは、木製胴体でサロ(Salo)、すなわちサンダース・ローSaunders-Roe)社が製造した。1936–1944年の間に、スーパーマリン(Supermarine)社は、主にMark.Iを288機、サロ(Saunders-Roe:Salo)社は、主にMark.IIを453機生産している。レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell)設計のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、合計741機が量産されている。

ウォーラス(Walrus)Mark.I 単発飛行艇は、1936-1944年に740機が生産されたが、開発メーカーのスーパーマリン社は少なく、量産メーカーは、サロ(SARO)社、すなわちサンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で行われた。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、1944年1月に生産が終了となったが、総生産機数は741機である。このうち65%の453機は、ウォーラス(Walrus)Mark.IIで、サンダース・ロー(Saunders-Roe)社、すなわちこのサロ(Salo)社製である。

シーオッター シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇は、艦載機、海難救助などを目的とした単発飛行艇として、イギリス空軍イギリス海軍艦隊航空隊Fleet Air Arm:FAA)で制式、サンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で1943年から1946年6月までに292機が生産され、1950年代まで使用された。

スーパーマリン(Supermarine)のストランラー(Stranraer)飛行艇は、1934年7月24日に初飛行し、合計57機が量産され、最終機が就役したのは1939年4月3日と第二次世界大戦前に生産は中止され、新規配備は放棄された。このようにストランラー(Stranraer)飛行艇が早期に生産中止になった背景には、
1)第二次大戦勃発の危機、そして戦争開始によって、第一線機として爆撃機、戦闘機の量産が優先された、
2)1939年後半には、1937年10月16日初飛行のショート (Short)サンダーランド (Sunderland)四発飛行艇、アメリカのコンソリデーテッドPBY カタリナConsolidated PBY Catalina)飛行艇などスーパーマリン・ストランラーSupermarine Stranraer)飛行艇より高性能の代替飛行艇が存在していた、
ことが指摘できる。

スピットファイア さらに1934年、新型戦闘機として、全金属製引き込み脚単葉新鋭戦闘機の競争試作に加わった1936年3月5日、スーパーマリン(Supermarine)K5054スピットファイア(Spitfire)を初飛行させている。

1940年夏のイギリス本土航空決戦バトル・オブ・ブリテンに際してイギリス空軍スーパーマリン・スピットファイア(Spitfire)は、来襲したドイツ空軍爆撃機、戦闘機を撃退することに成功し、イギリスを救った戦闘機として称賛され、第二次世界大戦終戦までに2万3000機が量産された。

スーパーマリン(Supermarine)社の開発したシーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇試作1号機の初飛行は、第二次世界大戦勃発前の1938年9月ですでにレジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchell)は亡くなっている。

スピットファイア スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スピットファイア(Spitfire)設計者レジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchell, 1895-1937.6.11)が開発し、1944年1月に総生産機数は741機で生産が終了した。このうちウォーラス(Walrus)Mark.IIを中心に、453機はサロ(Salo: Saunders-Roe)社が生産している。 つまり、スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スーパーマリン(Supermarine)社の開発だが、スーパーマリンでの生産は半数以下の288機に留まった。これは、スーパーマリンではスピットファイア(Spitfire)戦闘機の量産に資本、資源、労働力を集中していたためである。


5.カナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇

写真(右)1940-1948年、海面上空を低空飛行するカナダ空軍(RCAF)の雲形迷彩塗装を頬度超したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(937):機首銃座はないが、胴体後上方の開放式銃座は設けられているようだ。4翅プロペラ装備。
Description English: Supermarine Stranraer Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago..
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 2 ExCC.jpg引用。


イギリスのスーパーマリン(Supermarine)社で1935年8月から17機生産されたスーパーマリン・ストランラー(Stranraer)飛行艇が初めてイギリス空軍に部隊配備は1937年初頭で、イギリス空軍第228飛行隊に配属された。しかし、第二次世界大戦勃発から1年半、1941年3月には退役している。その間にスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、カナダ・ビッカーズ社でライセンス生産されることになり、合計40機が量産され、王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)に配備された。したがって、スーパーマリン・ストランラー(Stranraer)飛行艇はイギリス空軍機だが、カナダ空軍機としての生産機数・就役機数のほうが多く、就役期間も長くなった。

写真(右)1940-1948年、小型漁船上空を飛行するカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(937):機首と胴体後上方の開放式銃座には、ともに銃手がスタンバイしている。イギリスのスーパーマリン(Supermarine)で14機、カナダで40機ライセンス生産されたので、実質的にカナダ空軍機としての活躍が主なものである。
Supermarine Stranraer Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 5 ExCC.jpg引用。


イギリス軍基地 スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、イギリス空軍で制式され、スーパーマリン社で1935年8月から17機が生産された。ストランラー(Stranraer)飛行艇初の部隊配備は、1937年初頭で、イギリス空軍第228飛行隊に配属された。しかし、前作同様スーパーマリン(Supermarine)は、新鋭戦闘機スピットファイアの優先大量生産のために、第二戦の飛行艇生産の余裕はなかった。そこで、イギリスにおけるストランラー(Stranraer)飛行艇は生産中止とない、1941年3月には部隊から退役した。

 他方、第二次世界大戦にイギリス連邦のドミニオンとして即座に参戦したカナダでは、イギリスの航空機生産を支援するためにも、カナダのビッカーズ社でストランラー(Stranraer)飛行艇をライセンス生産した。こうしてカナダ製ストランラー(Stranraer)飛行艇が40機が生産され、第二次世界大戦末期まで、王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)に配備されたのである。

写真(右)1940年6月5日、カナダ東岸ノバスコシア州(Nova Scotia)、海上に待機しているカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇:翌年1941年8月には、アメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相の秘密会談、大西洋会談の舞台となったニューファンドランド島南岸プラセンシア湾は、このノバスコシア州の対岸350キロにある。
photo of an RCAF Stranraer in #dartmouth #novascotia circa june 5, 1940. #ww2 #avgeek #planeporn #supermarine #rcaf #igerscanada by altitude604 ift.tt/NDFmTR.
写真はSmugMug+Flickr, Igers Canada by altitude604 ift.tt/NDFmTR引用。


第二次世界大戦勃発1年後、日本では1940年7月22日、第2次近衛文麿内閣が成立、大政翼賛会が設立され、与党・野党の協議・対立を解消し議会制民主主義を放棄し、軍部独裁に政府も同調した。そして、日本の国策として、南方進出、対英米蘭戦争の方針が決められてゆく。

ヒトラー 1940年7月の大本営陸軍部・大本営海軍部「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」において、中国蒋介石政権を援助する「第三国の援蒋行為を絶滅する」「対南方施策に関しては情勢の変転を利用して好機を捕捉し之が推進に努む」「対南方武力行使に関しては左記に準拠す」「対南方問題解決の為内外諸般の情勢之を許す限り好機を捕捉し武力を行使す」と対英米蘭戦争を引き起こす方針を決めている。これは、1940年夏、日本のフランス領植民地インドシナ北部(北部仏印)進駐、1940年9月27日、ドイツ、イタリア、日本は三国軍事同盟Tripartite Pact)を締結し、枢軸国Axis powers)による世界秩序建設を企図した。

1940年9月2日、中立国アメリカは、連合国イギリスに旧式駆逐艦50隻を貸与し、ドイツ海軍潜水艦Uボートによる脅威の排除、船団護衛・海上補給路確保などイギリスの「大西洋の戦い」(Battle of the Atlantic)を支援する取り決めを結んだ。イギリスは、その返礼として、イギリス領ニューファウンドランド、バハマ諸島、ジャマイカ、トリニダード島、バミューダ諸島などのイギリス軍基地を99年間アメリカに貸与した。

1941年1月6日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)は毎年恒例の一般教書演説で、イギリスに対する物資援助を継続しアメリカの軍事物資増産するとし、アメリカが万人の権利である普遍的な自由を守る側に立つことを誓った。1941年3月にアメリカでは、イギリスへの軍事援助を増強するために武器貸与法が成立した。

プリンス=オブ=ウェールズ 1941年7月、フランスのドイツ降伏直後、日本は、フランス領植民地インドシナ南部(南部仏印)を武力占領し、イギリス植民地マレーシア、オランダ植民地東インド(インドシナ)の石油、スズ、ゴムなど戦略資源の確保を企図して、南方への進出を始めた。アメリカは、この日本の南下に対して、即座に拒否反応を示し、在米の日本資産を凍結、石油禁輸の措置を取った。

1941年8月初め、イギリス自治国(ドミニオン)カナダ東岸ニューファンドランド島南部、プラセンシア湾(Placentia Bay)に、イギリス海軍戦艦「プリンス=オブ=ウェールズ」ウィストン・チャーチル (Winston Churchill)が、アメリカ海軍重巡洋艦「オーガスタ」フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)が邂逅し、大戦の行方を話し合った。この大西洋会談の舞台がを両者が相互に訪問し、会談を重ねた。

チャーチル  1941年8月14日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトウィストン・チャーチル Winston Churchill)は「大西洋憲章」(Atlantic Charter)として、
1)領土の不拡大  (2)関係住民の希望に反する領土変更の不承認  (3)住民による政治形態の選択権尊重、並びに強奪された主権と自治の回復承認  (4)全ての国家に対する通商と資源獲得の保証  (5)労働条件の改善や社会保障確立のための国際協力  (6)恐怖と欠乏からの解放を保証するための平和の確立  (7)公海の自由航行の保証  (8)武力行使の放棄、侵略国家に対する武装解除と軍備縮小
を発表した。これは、中立国アメリカと連合国イギリスが共同して第二次世界大戦後の平和構想を述べたものであり、自由を侵す侵略国として軍事独裁の枢軸国を非難したのである。

大西洋憲章」(一九四一年八月十四日大西洋上ニテ署名)

アメリカ合衆国大統領及ヒ連合王国ニ於ケル皇帝陛下ノ政府ヲ代表スル「チャーチル」総理大臣ハ会合ヲ為シタル後両国カ世界ノ為一層良キ将来ヲ求メントスル其ノ希望ノ基礎ヲ成ス両国国策ノ共通原則ヲ公ニスルヲ以テ正シト思考スルモノナリ

フランクリン・ローズヴェルト 一、両国ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス。
二、両国ハ関係国民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セサル領土的変更ノ行ハルルコトヲ欲セス。
三、両国ハ一切ノ国民カ其ノ下ニ生活セントスル政体ヲ選択スルノ権利ヲ尊重ス。両国ハ主権及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主権及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。
四、両国ハ其ノ現存義務ヲ適法ニ尊重シ大国タルト小国タルト又戦勝国タルト敗戦国タルトヲ問ハス一切ノ国カ其ノ経済的繁栄ニ必要ナル世界ノ通商及原料ノ均等条件ニ於ケル利用ヲ享有スルコトヲ促進スルニ努ムヘシ。
五、両国ハ改善セラレタル労働基準、経済的向上及ヒ社会的安全ヲ一切ノ国ノ為ニ確保スル為、右一切ノ国ノ間ニ経済的分野ニ於テ完全ナル協力ヲ生セシメンコトヲ欲ス。
六、「ナチ」ノ暴虐ノ最終的破壊ノ後両国ハ一切ノ国民ニ対シ其ノ国境内ニ於テ安全ニ居住スルノ手段ヲ供与シ、且ツ一切ノ国ノ一切ノ人類カ恐怖及欠乏ヨリ解放セラレ其ノ生ヲ全ウスルヲ得ルコトヲ確実ナラシムヘキ平和カ確立セラルルコトヲ希望ス。
七、右平和ハ一切ノ人類ヲシテ妨害ヲ受クルコトナク公ノ海洋ヲ航行スルコトヲ得シムヘシ。
八、両国ハ世界ノ一切ノ国民ハ実在論的理由ニ依ルト精神的理由ニ依ルトヲ問ハス強力ノ使用ヲ抛棄スルニ至ルコトヲ要スト信ス。陸、海又ハ空ノ軍備カ自国国境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ与エ又ハ与ウルコトアルヘキ国ニ依リ引続キ使用セラルルトキハ将来ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、両国ハ一層広汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル国ノ武装解除ハ不可欠ノモノナリト信ス。両国ハ又平和ヲ愛好スル国民ノ為ニ圧倒的軍備負担ヲ軽減スヘキ他ノ一切ノ実行可能ノ措置ヲ援助シ及助長スヘシ。
フランクリン・ディー・ローズヴェルト
ウィンストン・チャーチル

写真(右)1940-1948年、海面上を低空飛行しているカナダ空軍(RCAF)第240飛行隊スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K7295):機首と胴体後上方に開放式機関銃座が各々1基設けられている。4翅プロペラ装備。機首に短い手摺が取り付けられているが、これは海上救難機としてよりも、哨戒偵察機として主に就役していた時期と思われる。1946年までのカナダ空軍の国籍記章は、イギリス空軍と同じく、青白赤の同心円でその外側に黄色の円を追加している。垂直尾翼には赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)を描いている。後者は赤白青の順でフランス国旗の青白赤と並びは逆である。銃座は前後に残っているが、終戦直後の撮影なのであろうか、迷彩塗装を廃止て、目立つように明るい色で塗装されている。
Supermarine Stranraer Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.br>写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 3 ExCC.jpg引用。


海上で運用される飛行艇の特徴は
1)海面上で滑走・離着水する際の水密性と堅牢性の確保
2)波のある海上における滑走・離着水する際の水圧、特に波浪や高速水上滑走時の安定性と船体の破損・変形を防ぐ強度の確保
3)海水による機体の金属部品あるいは木製船体の腐食の防止
があげられる。海面上で運用可能な飛行艇は、陸上機と比較して、形状、構造の上で不利であり、その分、飛行性能の低下、運用負荷の追加が伴った。

カナダ空軍(Canadian Air Force :CAF) は第一次世界大戦後の1920年に創設され、陸軍、海軍から独室した空軍である。カナダにおける航空兵力を統括し、1924年4月には王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF;フランス語:Aviation royale canadienne:ARC)の正式名称を得た。

1920-1946年の王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)の国籍マークは、イギリス空軍(Royal Air Force)と同様に、青白赤の同心円であり、さらに垂直尾翼には赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)が標準的だった。ただし、 白は目立ちやすかったために、同心円でもフィン・フラッシュでも幅を狭くすることも少なくなかった。

赤白青のイギリス・カナダ空軍の国籍記章は、フランス国旗の青白赤と並びが逆だが、白黒写真では紛らわしく判別困難である。1946年からの王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)国籍マークは、カナダの国章と同じく赤楓(カエデ)が同心円マークに描かれ、フィン・フラッシュは、中央の白の幅が著しく細くされた。

写真(右)1940-1948年、訓練用帆船上空を飛行するカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇:1920-1946年のカナダ空軍の国籍マークとして、イギリス空軍同様、青白赤の同心円でその外側に黄色太い円を追加している。垂直尾翼の赤白青の縦縞「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)は、赤白青の順であり、フランス国旗の青白赤と逆の順序で並んでいる。第二次世界大戦末期あるいは大戦後の撮影になるのか、機首と胴体後上方の銃座は撤去されており、迷彩塗装を廃止て、目立つように明るい色で塗装されている。
Supermarine Stranraer Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer ExCC.jpg引用。


   1925年3月10日初飛行のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)飛行艇は、1934年までに83機が生産され、イギリス連邦自治国(ドミニオン)でも汎用哨戒飛行艇として使用された。このサザンプトン(Southampton)飛行艇後継機をイギリス航空省が開発するよう要求を出したため、スーパーマリン社は既存のスカパ(Scapa)双発飛行艇を原型に新機を開発した。これが、1934年7月24日に初飛行したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇である。

スーパーマリン(Supermarine)社は、14機生産したスカパ飛行艇の後継機としてストランラー(Stranraer)飛行艇を開発した。この機体は、前作スカパより大型で、発動機も強力なものに換装されている。ストランラー(Stranraer)飛行艇は、1937年からイギリス空軍に部隊配備されているが、すぐにカナダ空軍に引き渡された。

写真(右)1945-1946年、訓練用帆船上空を飛行するカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇:1920-1946年のカナダ空軍の国籍記章は、イギリス空軍と同じ青白赤の同心円、その外側に黄色太い円を追加した。垂直尾翼の国籍記章は赤白青縦縞「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)で、フランス国旗の青白赤と逆の順序で並んでいる。第二次世界大戦末期あるいは大戦後の撮影になるのか、機首と胴体後上方の銃座は撤去されており、迷彩塗装を廃止て、目立つように明るい色で塗装されている。
English: Supermarine Stranraer Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago..
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 4 ExCC.jpg引用。


1887年、イギリスビクトリア女王即位50周年を記念して、イギリス本国とカナダを筆頭とした自治領との間にイギリス植民地会議が開催され、協議機関となった。そして、1907年にイギリス帝国会議Imperial Conference)と改称され、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、次いで1910年に南アフリカ連邦が自治国(ドミニオン)と呼称されるようになった。これは、イギリス本国の下に主権を認め、独自の軍事力・軍隊の保有を認める方向に動き出した。そして、1914年に第一次世界大戦が勃発すると自治国Dominion:ドミニオン)は自動的に本国イギリス側に立って参戦することとなり、中東、ヨーロッパ方面への派兵、海軍艦艇の派遣が始まった。

  第一次世界大戦後、戦争へのドミニオンの貢献が評価され、自治国Dominion:ドミニオン)はパリ講和会議に参加し、べルサイユ条約に調印し、その後、国際連盟への代表権も認められた。こうして国際連盟において、南アフリカ連邦に南西アフリカ委任統治が、オーストラリアにニューギニアとビスマルク諸島の委任統治が、ニュージーランドに西サモアの委任統治が認められ、委任統治領を得たのである。

  1931年のウェストミンスター憲章Statute of Westminster 1931)によってイギリス連邦(British Commonwealth)が成立し、イギリス国王を元首に戴きつつも、イギリス本国とカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ連邦・アイルランド自由国・ニューファンドランド(1949年にカナダ編入)の6ヵ国は、対等な協力関係に入ることになった。

  写真(右)1940-1948年、カナダ西岸南端、ブリティッシュコロンビア州(British Columbia)バンクーバー(Vancouver)、ジェリコ・ビーチ(Jericho Beach)水上機基地に待機しているカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(912):4翅プロペラ装備。陸上移動に便利なように胴体脇下方にはゴム主輪が装着され、尾部も小型ゴム主輪付き台車ドリーで支えられている。第二次世界大戦末期あるいは大戦後の撮影になるのか、迷彩塗装を廃止て、目立つように明るい色で塗装されている。後方は、大陸とバンクバー島の間に広がるジョージア海峡で、幅20キロ、長さ200キロのない湾で、飛行艇の離着水に適している。
Supermarine Stranraer #912 flying boat at RCAF Station Jericho Beach. Date between 1940 and 1948. City of Vancouver Archives under the reference number CVA 677-380 Author Timms, Philip T.
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer of RCAF File:Supermarine Stranraer 912.jpg引用。


王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF )に配備されたスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇は、海上や湖水など水上での離着水を運用の前提としているが、機体整備・修理、さらに維持管理の上からも、陸上の水上機基地での運用も不可欠だった。水上機基地は沿岸にあり、海とは滑走台ランプ(日本海軍の言うスベリ)で接続しているが、陸上に上がった場合は、移動用のゴム主輪を胴体下面に装着した。


写真(上)1948年頃、カナダ(?)、陸上の飛行場脇に待機しているスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(912)
:陸上移動用のゴム車輪を脚支柱に装着し、尾部はゴム車輪付き台車ドリーに乗せられている。塗装は白色系で、戦後に海上救難用あるいは沿岸輸送用に使用された民間機と思われる。3翅プロペラ装備。
Supermarine Stranraer Manufacturer: Supermarine Stranraer Official Nickname: London Notes: UK Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSmugMug+Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087150引用。


小型のスーパーマリン(Supermarine)ウェーラス単発複葉飛行艇やシーオッター単発水陸両用飛行艇は、水陸両用飛行艇であり、引込み式のゴム主輪降着装置を備えていた。しかし、大型のスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇では、簡易式で緩衝装置の不十分なゴム主輪降着装置では、離着陸時の大重量を十分に支えることができない。そこで、陸上に引き上げる場合だけ、仮設のゴム主輪、ドリー式ゴム車輪を装着したのである。


6.イギリス空軍博物館のスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇


写真(上)2015年10月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)の左側面
;イギリスのスーパーマリン社で1935年8月から17機生産された。初の部隊配備は1937年初頭、イギリス空軍第228飛行隊だが、1941年3月には退役。 カナダのビッカーズ社どライセンス生産で40機が作られカナダ空軍が使用した。このストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、1945年2月に退役し民間のカナダ航空(Canadian Pacific Airlines)に払い下げられ、1947年まで使用された。その後、カナダ西部の路線を持つクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に渡り、発動機をイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)からアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装し1952年までカナダ西岸バンクーバー(Vancouver)を拠点にブリティッシュコロンビア州(British Columbia)沿岸で使用された。1966年に船舶と衝突し損傷、1970年にイギリス空軍博物館が購入し、イギリスに運び展示した。
Photo ref; Nikon-D80-2015-DSC_0834 (Edited) Date 17 October 2015, 11:16 Source Supermarine Stranraer, Royal Air Force Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer, Royal Air Force Museum, Hendon. (23528189869).jpg引用。


写真(右)2017年4月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)の左側面;海上救難用に機首の周りには、海難者・不時着水者が海上で掴まることができるように金属製の手摺が設けられている。
IMG_9881.jpg Date 20 April 2017, 12:41 Source IMG_9881.jpg Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum IMG 9881 (33360714714).jpg引用。


カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇(920/CF-BXO)の発動機はイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)2基だった。

しかし、戦後に民間航空1947年にクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に就役したときに、発動機をアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装している。したがって、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)に展示されているスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇は、カナダ空軍で使用していた時期を再現してはいるが、発動機は換装されており、オリジナルとは異なっている。

写真(右)2018年8月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)尾部;双垂直尾翼と2本の支柱で下から支えられている水平尾翼。垂直尾翼には面積の狭い中心部から赤白青の縦縞フィン・フラッシュ(Fin Flash)式国籍マークが描かれている。これは赤白青のイギリス国旗に由来する。フランス国旗は、青白赤と並びが逆である。
Supermarine Stranraer Date 13 August 2018, 10:10 Source Supermarine Stranraer Author Jeremy Oakley
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (42611772820).jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、前作サザンプトン飛行艇の3枚垂直尾翼を双尾翼に変更し、胴体を木製から金属製としたが、この改良点は、本作スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇にも引き継がれている。

写真(右)2018年8月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)右側面の陸運用ゴム主輪用脚支柱:陸上で使用するには脚支柱にゴム主輪を装着するはずだが、展示に際しては機体重量を長期間支えるにはゴム主輪では耐えられないために、主輪は外され、脚のみで機体を支えている。海上救難用に機首の周りには、海難者・不時着水者が海上で掴まることができるように金属製の手摺が設けられている。
Supermarine Stranraer Date 13 August 2018, 10:10 Source Supermarine Stranraer Author Jeremy Oakley
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (43512460515).jpg引用。


イギリス空軍で退役したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、カナダでライセンス生産され、王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)に配備された。そして、第二次世界大戦で偵察、対潜水艦哨戒、船団護衛などに活躍したが、対ヨーロッパ戦勝日VEデーが予期された1945年2月には、退役している。

王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)国籍マークは、イギリス連邦の自治国(ドミニオン)として、イギリス空軍と同じで、中心部から赤白青の同心円マークで、その外側に目立つように黄色の縁取りがなされている。この配色は、赤白青のイギリス国旗に由来する。1946年からは、カナダの国章と同じく赤楓(カエデ)が同心円マークに描かれるようになる。

写真(右)2018年8月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)右側面の陸運用ゴム主輪用脚支柱;陸上で使用するには脚支柱にゴム主輪を装着するはずだが、展示に際しては機体重量を長期間支えるにはゴム主輪では耐えられないために、主輪は外され、脚のみで機体を支えている。
Supermarine Stranraer Date 13 August 2018, 10:10 Source Supermarine Stranraer Author Jeremy Oakley
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (30552518378).jpg引用。


イギリス空軍博物館が保管展示しているカナダ・ビッカース社製カナダ空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇(920/CF-BXO)は、胴体の機首下方に金属製の手摺が針目ぎらされている。この手摺は、海難者・不時着水者が海上で掴まるためのもので、海難救助機としての装備である。

写真(右)2018年8月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)右翼の発動機アメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L);オリジナルは、生産時にイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)2基装備だったが、1947年、クイーンシャーロット航空で就役するに際してアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジンに換装した。
Supermarine Stranraer Date 13 August 2018, 10:10 Source Supermarine Stranraer Author Jeremy Oakley
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (30552514518).jpg引用。


王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、カナダ・ビッカース社でライセンス生産された。この時はスーパーマリン(Supermarine)原型と同じくイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)2基を装備していた。

その後、スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇(920/CF-BXO)は、1945年2月にカナダ空軍を退役し、カナダ航空を経て、1947年にクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に就役するに際して、発動機をアメリカ大陸で普及していて、運用・整備に有利だったアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装している。

写真(右)2018年3月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)機首右側面と左右主翼前縁に装備されたアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L):機首の横氏は黄色塗装された小型爆弾展示されている。機首下側面のには手摺が張り巡らされている。この目的は、海難救助に際して海面の漂流者が掴まるための手摺である。
RAF Museum London, Hendon Date 15 March 2018, 11:58 Source 20180315_115831 Author Irid Escent
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:RAF Museum London – 20180315 115831 (39060150860).jpg引用。


王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇(920/CF-BXO)機首下側面には、周囲に金属製の手摺が張り巡らされている。この手摺は、海難救助に際して海上に着水した場合、飛行艇に近寄ってくる海面上の漂流者が、手をかけて掴まる手摺である。

スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇よりも小型で、艦載機としても部隊配備されたスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用単発飛行艇、その後継機スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)単発飛行艇も、海難救助に多用され、第二次世界大戦終戦後も使用されているが、ストランラー飛行艇と同じように、機首の周囲に艱難救助用の金属製手摺を設置している。

写真(右)2018年8月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)の機首と主翼前縁の2基のアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L);側面の陸運用ゴム主輪用脚支柱は、陸上で使用するには脚支柱にゴム主輪を装着するようになっているが、展示ではゴム主輪はパンクしやすいために外されている。機首下方の周囲の金属製の棒は、海難救助用の手摺で、海難者・不時着水者が海上で掴まることができる。
Supermarine Stranraer Date 13 August 2018, 10:10c/n CV-209. Built late 1940 in Canada by Canadian-Vickers. Flew operationally with the RCAF until April 1944. Sold in May 1944 as the first Stranraer civil conversion and registered as ‘CF-BXO’. Continued civil operations until August 1966 and then stored. During its years in civil use, several minor non-standard modifications had been carried out. Purchased by the RAF Museum in 1970, it was dismantled and brought to the UK in two RAF Short Belfasts. It was then restored and repainted at Henlow and in 1972 it went on permanent display in the main historic hangars at Hendon, where it remains today as the only complete survivor of the type. RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 12:32 Source Supermarine Stranraer ‘920 / BN’ (CF-BXO) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer ‘920 - BN’ (CF-BXO) (16673654533).jpg引用。


カナダ・ビッカース製ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、1945年2月に退役し民間のカナダ航空(Canadian Pacific Airlines)に払い下げられ、1947年まで使用された。

このカナダ航空(Canadian Pacific Airlines)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、1947年に、クイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に引き渡されたが、その時に、発動機をイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)からアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装している。

写真(右)2006年12月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)機首;飛行艇は海面上で離着水するために、水密性を保持しなくてはならないが、同時に離着水時の水圧によって船体が変形しないように堅牢性も重視されている。そこで、リベットが多数打ち込まれているが、空気抵抗のない沈頭鋲ではなく、空気抵抗を減らし、密閉性・低級性・堅牢性を重視して低頭鋲が採用されている。
Photo ref; Nikon-D80-2013-DSC_1218 (Edited) Date 5 December 2006, 02:43 Source Supermarine Stranraer, RAF Museum, Hendon. Author Roland Turner from Birmingham, Great Britain
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer, RAF Museum, Hendon. (11298532294).jpg引用。


カナダ西部の路線を持つクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)は、カナダ西岸での運用を前提に、カナダ航空で使用していた中古のスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)を導入したが、発動機は、イギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)が古くなり、保守運用に手間がかかるために、補充容易なアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装して、就役させている。

写真(右)2014年5月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)機首左側面;リベットが多数打ち込まれているが、空気抵抗のない沈頭鋲ではなく、空気抵抗を減らし、密閉性・低級性・堅牢性を重視して低頭鋲が採用されている。
Royal Air Force Museum Hendon Date 15 May 2014, 15:23 Source Royal Air Force Museum Hendon Author Paul Hudson from United Kingdom
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum Hendon (14008803339).jpg引用。


飛行艇は、
1)海面上で離着水して運用される水密性堅牢性
2)波のある洋上離着水時の水圧、特に波浪や離着水時の高速水上滑走でも飛行艇の船体が破損・変形しないような堅牢性
3)海水による機体の金属腐食防止
が重視される。

写真(右)2014年5月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)機首下面;飛行艇は海面上で離着水するために、水密性を保持しなくてはならないが、同時に離着水時の水圧によって船体が変形しないように堅牢性も重視されている。そこで、リベットが多数打ち込まれているが、空気抵抗のない沈頭鋲ではなく、空気抵抗を減らし、密閉性・低級性・堅牢性を重視して低頭鋲が採用されている。
Royal Air Force Museum Hendon Date 15 May 2014, 15:24 Source Royal Air Force Museum Hendon Author Paul Hudson from United Kingdom
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum Hendon (14008804009).jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)の金属製胴体にはリベットが多数打ち込まれ、強度を保ちつつ、水密性を維持している。しかし、水上抵抗、造波抵抗、飛行中の空気抵抗の減少にも配慮しなくてはならない。抵抗減少の観点からは、リベットは沈頭鋲が有利であるが、空気抵抗を減らし、密閉性・低級性・堅牢性も両立させるためには、リベットは低頭鋲が有利である。


写真(上)2018年12月,イギリス、ロンドン北部、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、カナダ・ビッカース社(Canadian-Vickers)製造のカナダ空軍(RCAF)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)
;最終的にはカナダの民間企業クイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)でも使用されていた民間輸送機だったが、イギリスで展示するに際しては、カナダ空軍で使用していた時の塗装を再現している。イギリス連邦カナダ空軍の国籍マークは、イギリス空軍と同じく、中心部から赤白青の同心円で、その外側に目立つように黄色の縁取りがなされている。これは赤白青のイギリス国旗に由来する。
Supermarine Stranraer (Canadian Vickers built) in Hangers 3&4 at the RAF Museum, Hendon, 4 December 2018. Date 4 December 2018, 16:30 Source Supermarine Stranraer Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:Supermarine Stranraer (32428140478).jpg引用。


カナダ・ビッカース社製のカナダ空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、カナダ西岸バンクーバー(Vancouver)を拠点にするクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)の保有になり、ブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)沿岸航路で用いられた。このスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇は、1952年までで第一線で活躍した後、1966年に船舶と衝突し損傷したが、貴重な生き残りの歴戦飛行艇だったために、1970年にイギリス空軍博物館が購入し、イギリスに運び保管・展示することになった。


写真(上)2017年4月,イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館、の塗装を施したカナダ・ビッカース社製カナダ空軍スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)
;イギリスのスーパーマリン社で1935年8月から17機生産された。初の部隊配備は1937年初頭、イギリス空軍第228飛行隊だが、1941年3月には退役。 カナダのビッカーズ社でライセンス生産で40機が作られカナダ空軍が使用した。このストランラー(Stranraer)飛行艇(920/CF-BXO)は、1945年2月に退役し民間のカナダ航空(Canadian Pacific Airlines)に払い下げられ、1947年まで使用された。その後、カナダ西部の路線を持つクイーンシャーロット航空(Queen Charlotte Airlines)に渡り、発動機をイギリス製ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)X空冷星形9気筒エンジン(排気量1750立方インチ;28.79 L)からアメリカ製ライト(Wright)サイクロン(Cyclone)R 1820空冷星形9気筒エンジン(排気量1820立方インチ;;29.9 L)に換装し1952年までカナダ西岸バンクーバー(Vancouver)を拠点にブリティッシュコロンビア州(British Columbia)沿岸で使用された。1966年に船舶と衝突し損傷、1970年にイギリス空軍博物館が購入し、イギリスに運び展示した。
IMG_9877 Date 20 April 2017, 12:40 Source IMG_9877 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Stranraer at RAF Museum London File:RAF Museum London IMG 9877 (33818879760).jpg引用。


シーオッターSea Otter スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇は、ストランラー(Stranraer)飛行艇胴体下方を覆うように手摺(てすり)が装着されているが、この手摺は、不時着水して海上に漂う人員の海難救助用に着水して、接近したときに、海中から捕まることができるように配慮されている。

スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)やスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇のような低速の旧式飛行艇でも、第二次大戦後も1950年代まで就役していたのは、沿岸における海上救難用に有用だったためである。救難時に目立つように、白色塗装が施されていた。

スピットファイア スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スピットファイア(Spitfire)設計者レジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchell, 1895-1937.6.11)が開発し、1944年1月に総生産機数は741機で生産が終了した。このうちウォーラス(Walrus)Mark.IIを中心に、453機はサロ(Salo: Saunders-Roe)社が生産している。

つまり、スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、スーパーマリン(Supermarine)社の開発だが、スーパーマリンでの生産は半数以下の288機に留まった。これは、スーパーマリンではスピットファイア(Spitfire)戦闘機の量産に資本、資源、労働力を集中していたためである。

コンソリデーテッド(Consolidated)PBY イギリスの双発以上の大型飛行艇は、シンガポール、ロンドン、サザンプトン、シドニー、サザンプトン、スカパと続いた。そして、サザンプトンIV飛行艇をストランラー(Stranraer)飛行艇と改名し、新鋭機を印象付け売り込みを図った。サザンプトン(Southampton)飛行艇の3枚垂直尾翼はストランラー(Stranraer)飛行艇では双尾翼になり、木製胴体が金属製胴体に変更された。

1935年3月28日に初飛行したアメリカのコンソリデーテッド(Consolidated)PBYカタリナ(Catalina)双発飛行艇は、アメリカ海軍のほか、イギリス空軍(RAF)、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force:RCAF)、オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force:RAAF) でも制式され、哨戒、偵察、沿岸警備、船団護衛、海難救助に用いられた。

PBY-5Aカタリナ飛行艇は、引き込み脚を装備して水陸両用飛行艇となったが、アメリカ陸軍航空隊も引込み式車輪を装備したOA-10Aカタリナ水陸両用飛行艇を制式し、海難救助機として用いている。

コンソリデーテッド(Consolidated)PBY 名機コンソリデーテッド(Consolidated)PBY カタリナ(Catalina)双発飛行艇は、カナダ・ヴィッカース社、カナダ・ボーイング社でもライセンス生産された。カタリナ(Catalina)双発飛行艇は、1936年以来1945年までに3,276機が大量生産され、スーパーマリン(Supermarine)A.27 ロンドン(London)飛行艇、ショート(Short)シンガポール(Singapore)III 飛行艇を上回った性能、信頼性を発揮した。

つまり、アメリカから武器貸与法でカタリナ飛行艇が供与されるのであれば、イギリス製双発飛行艇を量産する意義は乏しかったのである。


7.サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇


写真(上)1938年1月26日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー、イギリス空軍(Royal Air Force)第204飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇
:燃料タンクを胴体背面に増設した長距離仕様で、1937年から1938年にかけて、イギリス空軍第204飛行隊のサンダース・ロー((Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇は、シドニー植民地設立150周年を記念してイギリスからオーストラリアへの長距離飛行した。
English: A Saro London flying boat of No. 204 Squadron Royal Air Force Date 1930s Source Thetford, Owen (1957) Aircraft of The Royal Air Force 1918-57, London: Putnam, pp. p.360 Author Air Ministry Photo.
写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Saro London 01.jpg引用。


イギリス航空省は、1930年にイギリス空軍向け長距離哨戒飛行艇の開発を要請し、ブラックバーン(Blackburn)社は、パラソル複翼、双垂直尾翼、発動機試ブリストル ペガサス II(Pegasus II)空冷エンジン2基の双発複葉飛行艇を開発し、試作機を1934年3月に初飛行させた。これがサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)双発飛行艇で、1936-1941年に就役、1934–1938年に31機が生産された。

1788年、オーストラリア東岸のシドニーにヨーロッパから初めての移民が入植した。1938年12月、このオーストラリア移民シドニー上陸150年を記念して、イギリスからシドニーに、イギリス空軍(Royal Air Force)のサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇がオーストラリア移民開拓の記念長距離飛行をした。

写真(右)1938年1月26日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー、イギリス空軍(RAF)第204飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇
Flying boat on Sydney Harbour, 26 January 1938, taken for the Sun Newspaper, from original negative, State Library of New South Wales, ON 388/Box 072/Item 318 Date 26 January 1938 Source State Library of New South Wales, ON 388/Box 072/Item 318 Author Sun Newspaper .
写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Flying Boat on Sydney Harbour, 26 January 1938.jpg引用。


1937年から1938年にかけて、イギリス空軍第204飛行隊のサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)双発飛行艇は、シドニー植民地設立150周年を記念してイギリスからオーストラリアへの長距離飛行した。この機体は、長距離飛行のために、燃料タンクを胴体背面に増設し航続距離を4180kmに伸ばした長距離特別仕様である。

胴体背部に大型燃料タンク・バルジを増設しているので、オーストラリア飛行の特別仕様サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇は識別容易である。

写真(右)1938年、イギリス=オーストラリア間、植民地設立、イギリス空軍サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇:機首密閉式コックピット左操縦席の左ガラス窓が開放されている。胴体背部に大型燃料タンク・バルジを増設している長距離仕様で、イギリス=オールトラリア間のオーストラリア植民150年記念飛行に使用された。
Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Saro A.27 London. London Mark II, K5910 ‘BN-L’, of No. 240 Squadron RAF based at Sullom Voe, Shetland Islands, in flight over the North Sea. Date between 1939 and 1945 CH 1922 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Saro A.27 London. CH1922.jpg引用。


イギリス空軍サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇の諸元
乗員: 6名 全長: 17.23 m (56 ft 6 in) 全高: 5.72 m (18 ft 9 in) 全幅: 24.39 m(80 ft 0 in)
主翼面積: 132.4 m² (1,425 ft²)
空虚重量: 5,045 kg (11,100 lb)、総重量: 8,364 kg (18,400 lb) 最大離昇重量: 10,000 kg (22,000 lb)
発動機: ブルストル ペガサス X 空冷星型、 915馬力 2基

写真(右)1939年末、輸送船団の上空哨戒任務に就いている、イギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇:右手前に主翼左右から吊り下げられている浮舟フロートが写っている。
Royal Air Force 1939-1945- Coastal Command A convoy in 'northern waters', seen from a No 240 Squadron Saro London, late 1939. Date between 1939 and 1945 HU 100029 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Royal Air Force 1939-1945- Coastal Command HU100029.jpg引用。


イギリス空軍サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇の性能
最高速力: 250 km/h(135ノット)/高度2,000 m
巡航速度: 206 km/h(111ノット)/高度6,000 m
フェリー飛行時航続距離: 2,800 km(1,510マイル)
航続距離: 1,770 km(956マイル)
実用上昇限度: 6,067 m (19,900 ft)
上昇率: 6.0 m/s (1,180 ft/min)
爆弾搭載量: 902 kg (2000 ポンド)


8.ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発飛行艇

写真(右)1934年、オーストラリア東岸、クイーンズランド州東部、ブリスベーン市街・ブリスベーン川上空を飛行するイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇の3機編隊:
English: Two RAF Short Rangoon flying boats over the Brisbane River, heading for the mooring buoys. They were completing an exhibition fly-over of the city in 1934. Date 1934 Source Item is held by John Oxley Library, State Library of Queensland. Author Contributor(s): The Queensland Pictorial
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:StateLibQld 1 110576 Airforce seaplanes flying over Brisbane.jpg引用。



1931年初め、3機のイギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)飛行艇が、イギリス東岸、サフォーク州フィーリックストウ(Felixstowe)のイギリス空軍訓練舞台に送られ、1931年4月にイラク、バスラの第203飛行隊に派遣された。目的は、イラク、ペルシャ湾における密貿易の哨戒任務である。のちに、この中東での任務は、後継機ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇に引き継がれた。ロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ川河口から初飛行したショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇は、1931年に就役し、総生産機数は6機のみだが、中東イラクのバスラのイギリス空軍第203飛行隊にも配備された。

1930年9月24日初飛行のイギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇は、1931年に就役し、中東イラク、バスラのイギリス空軍第203飛行隊にも配備された。しかし、総生産機数は6機のみで、1935年には退役している。

1934年9月、イギリス空軍第203飛行隊イギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇3機が、オーストラリアビクトリア(Victoria)州設立100周年および州都メルボルン(Melbourne)創立100周年の記念飛行にオーストラリアまで長距離飛行している。

ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇の諸元
乗員Crew: 5名
全長Length: 66 ft 9+1⁄2 in (20.358 m)
全幅Wingspan: 93 ft 0 in (28.35 m)
全高Height: 23 ft 9 in (7.24 m)
主翼面積Wing area: 1,828 sq ft (169.8 m2)
空虚重量Empty weight: 14,000 lb (6,350 kg)
総重量Gross weight: 22,500 lb (10,206 kg)
発動機Powerplant: 3 × ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)XIF 9気筒空冷エンジン540 hp (400 kW)
性能Performance 最高速力Maximum speed: 115 mph (185 km/h, 100 kn)
巡行速力Cruise speed: 92 mph (148 km/h, 80 kn)
航続距離Range: 650 mi (1,050 km, 560 nmi)
航続時間Endurance: 7 hr at 92 mph (80 kn; 148 km/h)
実用上昇限度Service ceiling: 12,000 ft (3,700 m)
上昇率Rate of climb: 550 ft/min (2.8 m/s)
兵装Armament
0.303口径7.7mmルイス(Lewis)機関銃3挺
爆弾Bombs: 1,000 ポンド (455 kg)


9.ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発大型飛行艇

写真(右)1930年、イギリス、水上滑走しているイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉四発飛行艇試作機(N246):エンジンは上下主翼の間に前後に発動機を並べるタンデム串形配置で前方に牽引式2翅プロペラ、後方に推進式2翅プロペラを装備している。
Photograph of the Short Singapore II (N246) prototype flying boat. Author Unknown Source (WP:NFCC#4) Original publication: Unknown Immediate source: http://www.raf-in-combat.com/downloads/march-2014-short-singapore-15-photos/ Date of publication c.1930 Use in article (WP:NFCC#7) Short Singapore Illustrate content about the Singapore II prototype flying boat Other information 'The second Singapore, four-engine N246 seen while taking off early in its career with a single tail as used by N179, and still with an open cockpit and no ailerons on the lower wings.' )
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Consolidated Catalina Mk II of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer in Scotland, March 1941. CH2448.jpg引用。


ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇は、1934年6月15日に初飛行、当時は最大級の大型飛行艇で、それを串形タンデム配置の発動機2基2組、四発動機で動かした。シンガポール(Singapore)複葉飛行艇は、双発から四発機まで各型合計で1934–1937年の間に37機が量産された。

ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇機首コックピットは、ガラス風防で周囲を囲んだ密閉式で、複式並列操縦席が設けられている。下主翼の左右下面には浮舟フロートがあり、水上安定性をよくしている。船体(胴体)は、金属製で単一の金属板を張ったモノコック構造の船体である。

⇒写真集Album:ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉四発飛行艇を見る。


10.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)三発飛行艇

写真(右)1932年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇:1933-1934年の間に4機が生産された。1934年に就役し、1938年に退役。発動機はアイリスの最終型と同じで、ロールスロイス(Rolls-Royce)(Buzzard)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基装備。ただし、このBuzzard IIMS(H.XIIMS)は、1932-1933年に69機が生産されたに過ぎない。
November 1932. Iris Mk 5. (Flight 1932/11/17). R.B.1D / Iris V This was the final variant. Three Iris Mk IIIs were fitted with 825 hp (615 kW) Rolls-Royce Buzzard IIMS piston engines..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A アイリス(Iris)三発飛行艇は、1933年10月11日初飛行で、総生産機数4機、1938年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇が替わって就役した。

⇒写真集Album:ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)三発飛行艇を見る。


11.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇

写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右発動機:ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基装備だが、エンジンカウリングのない発動機(左)にはカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal):
Plane Dawn Lewiston, ME. Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer) Aviation: Boardman, Earhart & Grayson Date: 1917-1934 (approximate) Publisher: Boston Public Library, Print Department Genre: Glass negative Extent: 4 x 5 in
写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002096引用。


1927年初飛行のアメリカ製シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇は、乗客6-8人乗りの下主翼左右に浮舟フロートを装備した飛行艇だが、胴体中央部下左右側面にゴム車輪を装備し、陸上での離着陸も可能な水陸両用飛行艇である。S-36装備した発動機は、ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基で、小型軽量で固定ピッチ2翅プロペラを駆動する。生産機数は6機のみ。

⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇を見る。


12 .シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇

写真(右)1930年代,アメリカ、水上で係留中のシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇:上主翼の上に2人の男性が乗って、ゴムホースで主翼上面の燃料タンクに給油作業をしている。
AL231 Davis Album Photo_000142 Image from a photo album (AL-231) showing San Diego during the 1930s and the Canal Zone in Panama. Unknown Donor.
写真はflicker, SDASM Archives AL231 Davis Album Photo_000142引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、全長12.3メートル、全幅21.8メートル、発動機はプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp2基搭載、巡航速力は時速165キロ、航続距離960キロで、8-10名の乗客を乗せることができる。

⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇を見る。


13.イギリス空軍フィリックストウ (Felixstowe)F5 双発飛行艇

写真(右)1919年、イギリス、沿岸を2機編隊で低空飛行するイギリス空軍(RAF)フィーリックストウ (Felixstowe)F5 双発飛行艇(N4407);シェトランド諸島にあるキャットファース水上機地は、第一次世界大戦の水上飛行場で、当初はイギリス海軍航空隊、後にイギリス空軍の管轄となった。
Photograph of Felixstowe F5 flying boats in flight Date circa 1919 Source Original publication: Unknown Immediate source: rafmuseum Author Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Felixstowe F5L >File:Felixstowe F5s in flight.jpg引用。


フィーリックストウ (Felixstowe) F.5飛行艇は、第一次世界大戦後になって就役し、初期のフィーリックストウ (Felixstowe)F.2A やカーチス(Curtiss)H-12双発飛行艇に取って代わった。しかし、フィーリックストウ (Felixstowe)双発飛行艇は、1925年に後継機のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton) 双発飛行艇に活躍の場を譲っている。

⇒写真集Album:フィリックストウ (Felixstowe)F.2/F.3/F.5 双発飛行艇を見る。


15.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇

写真(右)1935年11月以降,アメリカ、海に面した水上機基地の滑走台で待機するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日。生産機数:3機。
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070990引用。


38人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。

⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇を見る。


16.シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper"

写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。
English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934 Author United Technologies Corporation
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。


1934年3月に初飛行のシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、胴体から支柱で支えたパラソル式主翼(単葉)で、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基を備えた四発大型飛行艇である。 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)は、S-42飛行艇を、主にアメリカ南部とカリブ諸国の間の長距離洋上旅客航路に就役させた。初飛行は1934年の3月30日で、総生産機数は10機である。

⇒写真集Album:シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇を見る。


17.マーチン(Martin)M-130飛行艇チャイナ・クリッパー"China Clipper"

写真(右)1936年11月以降、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ湾、トレジャーアイランド(Treasure Island)で整備作業を受けるマーチン(Martin)M-130「チャイナクリッパー」"China Clippers" 四発大型飛行艇 (NC14716);最高速力:290 km/h (180 mph) 巡行速力:262 km/h(163 mph) 航続距離:5150km 巡航高度:10,000 ft (3,048 m) 就役:Hawaii Clipper 1935年10月9日 Philippine Clipper 1935年11月14日 China Clipper 1936年3月3日 生産機数:3機。
ChinaClipperatTreasureIsland Date 22 March 2010, 14:40 Source ChinaClipperatTreasureIsland Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Categories: Martin 130 of Pan American Airways File:ChinaClipperatTreasureIsland (4454794157).jpg引用。


複葉機全盛だった1934年12月、アメリカのマーチンM-130大型飛行艇が初飛行した。この飛行艇は、パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)の要請を受けて、太平洋横断可能な四発旅客飛行艇として開発されたもので、全長27.6メートル、全幅39.7メートルの片翼式単葉機で、胴体両側の張り出しは浮舟と燃料タンクを兼ねていた。発動機は信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニーPratt & Whitney)R-1830ツインワスプ空冷星形エンジン840馬力4基を搭載し、巡航速力は266km/h、乗客12-14名を5150km運ぶことができる。また、短距離であれば、乗客48名を運ぶことができた。

⇒写真集Album:マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパーを見る。


18.アメリカのボーイング(Boeing)314四発飛行艇

ボーイング(Boeing)314は、3枚の垂直尾翼を持つ大型四発飛行艇で、最大座席数74席(寝台仕様の場合50席)で、出現時は最大級巨人旅客輸送機だった。

写真(右)1939年、ボーイング(Boeing)314四発飛行艇;1938年6月7日初飛行。1938–1941年に12機が生産された。同時期に開発されたマーチン M-156(Martin model 156)四発飛行艇を抑えて、パンアメリカン航空に採用された。
Collins, Tudor Washington, 1898-1970, photographer Title (Seaplane on the water beside a gangplank) Description English: A Boeing 314 flying boat is moored in a harbour. There two boats alos in the harbour. One of the boats have two life-savers with "Lady VI Auckland" written on each of them. Three men are visible on a boat. A man is walking along the gangplank, towards the flying boat. A jetty, and an island, is visible in the far background. Date 1939 Medium Silver gelatin dry plate Collection Auckland War Memorial Museum Accession number 81422 (object number) Source/Photographer API data Catalogue record Photo Permission (Reusing this file) This image has been released as "CCBY" by Auckland Museum.
写真はWikimedia Commons, Category:Boeing 314 of Pan American Airways File:Seaplane on the water beside a gangplank (AM 81422-1).jpg引用。


ボーイング(Boeing)314四発飛行艇は、サンフランシスコ=ニュージーランドのオークランド間の定期航路にも就役している。
アメリカのパンアメリカン航空がボーイング(Boeing)314飛行艇6機の発注を行い、生産が開始された。1939年より引渡しが開始され、6機の追加を含めて、1938–1941年に12機が生産された。

⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"を見る。


19.ドルニエ(Dornier)DO-18飛行艇

写真(右)1935-1938年頃、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 18 D飛行艇(登録コード:60-A42);1933年ナチ党政権樹立以来、ドイツの国籍標識には、垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の鍵十字を描いているが、この民間航空の国籍標識は、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍創設以降も引き継がれ、1939年9月の第二次世界大戦勃発まで続く。大戦では、この赤白の国籍指標は廃止され、ナチ党逆卍を白縁取りの黒で描いている。エンジンは主翼上面に3翅プロペラの液冷エンジンを2基の串型に配備している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170028 - Catalog:16_007459 - Title:Dornier Do- 18 D Nowarra
Collection - Filename:16_007459.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:46170028引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornie)Do 18飛行艇を見る。


20.ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇

写真(右)1939-1942年、オランダ海軍航空隊所属のドルニエ(Dornier)Do 24K-1 三発飛行艇X-24 ;機首、胴体後上方に銃座が設けられているが、同じ形状で、動力銃座ではなく、人力旋回方式である。
Fotoafdrukken Koninklijke Marine
Fotoafdrukken Koninklijke Marine Objectnummer 2158_012920 Beschrijving Dornier Do 24K-1 maritieme patrouillevliegboot X-24 (1939-1943). Datering van 1939 Datering tot 1943 Trefwoorden Dornier Do 24, vliegboten Specifieke kenmerken X-24 Vervaardiger Onbekend NIMH Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNetherlands Institute for Military History (NIMH) Beeldbank.defensie.nl・Objectnummer 2158_001685 引用。


ドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇は、第二次世界大戦前、オランダがドイツのドルニエ社に発注した軍用飛行艇で、オランダ海軍航空隊が、東インド諸島(インドネシア)のオランダ植民地で使用するための偵察飛行艇である。ドルニエ社は開発を受けてドルニエ(Dornier)Do 24飛行艇試作機V1を1937年に初飛行させ、オランダが採用して、ライセンス生産された。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornie)Do 24飛行艇を見る。


21.ブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138飛行艇

写真(右)1943-1944年頃,ドイツ海軍ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)Bv 138 MS機雷掃海用飛行艇:機体の周囲に大直径の電磁誘導コイルを搭載したBv138飛行艇は、磁力感応式の機雷を誘爆、掃海することができる。掃海機としては、同じ電磁誘導コイルを使った磁力機雷掃海機は、ユンカースJu53/3m輸送機にも搭載されている。
SDASM Archives PictionID:43932657 - Catalog:16_005020 - Title: Blohm & Voss Bv 138 MS rebuilt from C-0 Nowarra photo - Filename:16_005020.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43932695引用。


ドイツのブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss)BV-138 MS 飛行艇は、機首下面、主翼下面、胴体下面に円形パイプの電磁コイルを装備して、イギリスの撒いた磁気感応式機雷magnetic mine)を誘爆、除去、無力化する機雷掃海で、リング状の大型コイルが外観上の大きな特徴である。これは、直径14.3mの円形リング状のパイプ(ガウス・リング)で、電磁誘導)によって電磁力を発生させ、磁力線によって、海底に仕掛けられた磁気感応式機雷magnetic mine)を感応、起爆(誘爆)させる機雷掃海装置である。磁場コイルElectromagnetic coil)の電磁力は、機体に搭載したメルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を駆動して、15kWのジェネレーター(発電気)のよって電気エネルギーを作り、作動させる。このジェネレーター(発電気)に必要な冷却器は、胴体下面に突出したバルジに収められている。これは、飛行中の空冷効果を求めた設計である。

⇒写真集Album:ブロームウントフォッス(Blohm & Voss)BV-138飛行艇を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
シーオッター(Sea Otter)ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ドルニエdo-xヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
イギリス艦隊航空隊フェアリー3F Mk.3B水上機型

VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC

アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2022年1月25日開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai@tokai-u.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka
Kanagawa,Japan259-1292
東海大への行き方|How to go
Flag Counter


Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 10,000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.
Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2022 All Rights Reserved.