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◆ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
写真(上)1930年代、北アフリカ、イギリス保護国エジプト、アレキサンドリア(Alexandria)、イギリス空軍(RAF)第230飛行艇所属ショート(Short)シンガポール(Singapore) III 四発飛行艇(3)
;1934年6月15日に初飛行したシンガポール(Singapore)III 飛行艇の1か月後、スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 複葉双発飛行艇が1934年7月24日初飛行している。串型タンデム配置のエンジンには前方に牽引式、後方に推進式2翅プロペラを装備している。
Add a one-line explanation of what this file represents Short Singapore III flying boat of 230 squadron, serving from Alexandria, approx mid 1930s. Source Own work Author William Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:230sqd-ShortSingaporeIII.jpg引用。


0.スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇

写真(右)1926年、北アフリカ、エジプト北岸、アブキール湾、イギリス空軍海洋航空実験機関(Marine Aircraft Experimental Establishment :MAEE)の遠距離洋上飛行実験に参加した スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)Mark I 複葉双発飛行艇(S1039);機首コックピットは開放式縦列3座席に搭乗員は乗っていない。ネイピア(Napier) ライオン(Lion)液令W型12気筒エンジン 500 hp (370 kW)2基を搭載。
The Royal Air Force in the Middle East, 1919-1939 Supermarine Southampton Mark I flying boat, serial number S1039, of the Marine Aircraft Experimental Establishment's Egypt Flight, moored at Aboukir, 1926. HU 70818 from the collections of the Imperial War Museums. Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:The Royal Air Force in the Middle East, 1919-1939 HU70818.jpg引用。


スーパーマリンSupermarine S.5 スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の発展型ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇は、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計した。

スーパーマリン(Supermarine)の設計技師レジナルド・ミッチェルReginald Mitchellは、第一次大戦後開催されたシュナイダー・トロフィー・水上機レースThe Schneider Trophy Race:1919-1931)に向けてスーパーマリン(Supermarine) S.5水上機を設計し、1927年シュナイダー杯(Schneider Trophy)で優勝を果たしている。

写真(右)1926年、海上に停泊中のイギリス空軍スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)Mark II 複葉双発飛行艇の後方に離水中の別のサザンプトン(Southampton)Mark II 複葉双発飛行艇;手前の機体では搭乗員が手漕ぎボートで機体に乗り移入り、コックピット操縦席と後方席に乗り込んでいる。
Dos Supermarine Southampton en el agua. El de la esquina superior derecha está despegando. Imagen publicada el 25 de noviembre de 1926 en la edición 935 de la publicación "Flight International" del Reino Unido. Date 7 August 2013, 16:47:22..Author Flight International
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:Supermarine Southampton2.png引用。


1925年3月10日初飛行のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇は、Mk IとMk IIが主生産型でネイピア(Napier) ライオン(Lion)液令W型12気筒エンジン 500 hp (370 kW)2基を搭載し、1925年から部隊配備されている。 各型合計で1924-1934年に83機が量産された。

図(右)1926年、イギリス、イギリス空軍(RAF: Royal Air Force)スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の三面縮尺図;機首コックピットは縦列式で機首に1か所、胴体後方に2か所の円形開放式銃座が描かれている。
Supermarine Southampton 3-view drawing from NACA Aircraft Circular No.25 Date 1 December 1926 Author NATIONAL ADVISORY COMMITTEE FOR AERONAUTICS
写真はWikimedia Commons, Category: Supermarine Southampton >File:Supermarine Southampton 3-view NACA Aircraft Circular No.25.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の諸元
全長Length: 49 ft 8+1⁄2 in (15.151 m)
全幅Wingspan: 75 ft 0 in (22.86 m)
全高Height: 20 ft 5 in (6.22 m)
主翼面積Wing area: 1,448 sq ft (134.5 m2)
空虚重量Empty weight: 9,697 lb (4,398 kg)
総重量Gross weight: 15,200 lb (6,895 kg)
最大離昇重量Max takeoff weight: 18,000 lb (8,165 kg)
発動機Powerplant:ネイピア(Napier)ライオン(Lion)W型12気筒水冷エンジン500 hp (370 kW)2基
最高速力Maximum speed: 95 mph (153 km/h, 83 kn)/海面上
航続距離Range: 544 mi (875 km, 473 nmi) /速力86 mph (75 kn; 138 km/h)/高度 2,000 ft (610 m)
航続時間Endurance: 6.3時間
実用上昇限度Service ceiling: 5,950 ft (1,810 m)
最高上昇限度Absolute ceiling: 8,100 ft (2,500 m)
上昇率Rate of climb: 368 ft/min (1.87 m/s)
上昇時間Time to altitude: 6,000 ft (1,800 m)/29分42秒
兵装Armament
口径.303インチ(7.7 mm)ルイス(Lewis)機関銃3挺
爆弾搭載量Bombs: 1,100 lb 主翼下面に懸架

⇒写真集Album:スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇を見る。

1.ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発飛行艇

写真(右)1931年3月13日、イギリス、ロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ(Medway)川河口に待機しているイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉三発飛行艇試作1号機(S1433) :ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇試作1号機(S1433) は、ロチェスター、メッドウェイ川から1930年9月24日に初飛行した。
Short S.8/8 Rangoon (S1433), Rochester, March 1931 Date 13 March 1931 Source http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1931/1931%20-%200257.html Author Flight 13 March 1931
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:Rangoon0257.jpg引用。


イギリスのショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発複葉飛行艇試作1号機 (S1433) は、1930年9月24日にロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ(Medway)川河口からブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)空冷星形エンジンで初飛行した。

そして、フィーリックストウ F.2飛行艇より格段に進歩したショート(Short)ラングーン(Rangoon)三発複葉飛行艇は、1931年に就役し、中東イラク南東、ペルシャ湾にほど近いバスラ(Basra)にあるイギリス空軍第203飛行隊にも配備された。しかし、1935年には退役している。

写真(右)1931年頃、イギリス、ロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ(Medway)川河口(?)、イギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇試作1号機(S1433) :垂直尾翼には、イギリス国旗の赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)が描かれている。フランス国旗の青白赤と並びが正反対で、青白赤の同心円ラウンデルと同じくイギリス軍の国籍マークだが、白黒写真では紛らわしく判別困難である。
Short Rangoon
写真はSmugMug+Flickr., PHLAIRLINE.COM  引用。


ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉三発飛行艇の装備したブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)9気筒空冷星型エンジン (排気量28.7 L)は、第一次世界大戦末期に設計され、1918年10月29日に試作機が完成した。1920年代から量産され、信頼性が向上し、各国でライセンス生産され、総生産台数7,100基に達した。ドイツのBMW 1329気筒空冷星型エンジン、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690ホーネット(Hornet)9気筒空冷星型エンジンよりも先に開発され、これらのエンジンにも大きな影響を与えたと思われる。

写真(右)1931年11月16日、イギリス、ロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ川河口、水上滑走しているイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon ) 三発複葉飛行艇(S1433) :総生産機数は6機のみで、1935年には退役している。
Short S.8/8 Rangoon (S1433), Rochester Date 16 November 1933 Source Flight 16 November 1933 http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1933/1933%20-%201014.html Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:Rangoon0257.jpg引用。


写真(右)1933年5月、イギリス、イギリス空軍(RAF: Royal Air Force)第203飛行隊ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発複葉飛行艇試作1号機(S1433) :青白赤の同心円ラウンデルのイギリス軍の国籍マークと、垂直尾翼には、イギリス国旗の赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)が描かれている。フランス国旗の青白赤と並びが正反対だが、白黒写真では紛らわしく判別困難である。
DollyArtFollow 100-Short 'Rangoon' Flying Boat 203 Sqdn These photos were taken by my Grandfather whilst he was in the R.A.F. 1928 - 1945
写真はSmugMug+Flickr., PHLAIRLINE.COM  引用。


イギリスは、ビルマ植民地化に際して、現地の抵抗を排除するために、19世紀後半に三次にわたるイギリス=ビルマ戦争 (英緬戦争)を戦った。第1次は、1824-26年で、ビルマがイギリス領インドのアッサム、ベンガルに侵攻した時期で、敗退したビルマの国力は減退し、第2次の1852年の戦争では、イギリスは、ビルマ南部の要衝ラングーン(Rangoon)(現ヤンゴン)、ペグーを占領し、内陸国となったビルマは、首都をマンダレーに移転した。しかし、第3次の1885-86戦の戦争で、イギリスは、ビルマのマンダレーに侵攻、国王は捕虜となりアラウンパヤー朝コンバウン朝)は滅亡、1886年元日にビルマは、イギリス領インド帝国にビルマ州として併合されてしまった。

イギリスは、インドシナ半島のフランスの勢力が西進しビルマに及ぶ前に、ビルマを植民地化したのである。その後、対ドイツ共闘のため、1904年の英仏協商が結ばれ、インドシナ半島では、タイ王国を大国同士の衝突を防ぐ緩衝国Buffer state)として、西のイギリス支配、東のフランス支配と英仏勢力均衡を図ったのである。

1935年、新インド統治法によって、インドとビルマは別々の植民地となり、1937年にイギリス領ビルマ植民地に、議会制度が導入された。そして、初代植民地首相には、ビルマ少数民族モン族名家出身で、カルカッタ大学修士、ラングーン大学英語講師、ケンブリッジ大学法学修士、ボルドー大学博士のバー・モウ(ဘမော်:1893-1977)が就任した。

また、ビルマ植民地には、イギリス領インドから、イギリス資本による安価で英語を解するインド人労働者の導入、イギリス=インド軍によるシーク教徒やグルカ族などからなるインド軍兵士が派遣された。さらに、ビルマ国内でも少数民族カレン族、モン族が行政や軍事での登用がイギリス植民地管理の分断統治の意向で進められたたために、多数派のビルマ民族は政治経済的、軍事的に劣位に置かれることになった。

1938年にビルマでストライキと大学生の抗議集会が、大規模な民族主義闘争に転化したため、政治的混乱が続き、1939年にバー・モウ(Ba Maw)政権は退陣したが、1939年9月の第二次世界大戦の勃発、1940年6月のフランス崩壊後に、日本の北部インドシナ進駐仏印進駐)、1941年7月の南部仏印進駐南印進駐)の影響下に、ビルマ植民地政府内にもビルマ独立の機運が生まれた。

アウンサン(အောင်ဆန်း:1915-1947)らラングーン大学(Rangoon)(現ヤンゴン大学)の学生は、ビルマ人連盟などを組織して、反英運動を展開した。特に、ビルマ独立運動には1930年に結成されたタキン党が積極的に関与し、そのメンバーにはラングーン大学の学生も多数参加した。その学生運動リーダーがタキン・オンサン(アウン・サン)、ウ・ヌーである。

アウンサン(オンサン)らビルマの大学生らの反英運動は、先鋭化し、イギリス官憲の弾圧を受けた。そこで、中国南岸廈門市(アモイ)へ亡命後、日本占領下の中国南部の海南島へ渡り、日本陸軍の南機関の指導を受けた。

1941年12月、太平洋戦争の勃発で、アウンサン(オンサン)とビルマ人同志は、南機関の支援を得て、親日タイ王国バンコクで、ビルマ独立義勇軍を設立し、1942年3月にはラングーン(Rangoon)(現ヤンゴン)に侵攻、1942年7月イギリス軍をビルマから排除することに成功した。ビルマには、日本軍による軍政が敷かれたが、1943年8月1日、大東亜共栄圏の一翼を担うべく、バー・モウを首相とするビルマ国が独立を日本から付与されたが、この時の国防大臣がアウンサンで、その娘がミャンマーのアウンサン・スーチーある。

写真(右)1936年、イギリス、滑走路に駐機するイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉三発飛行艇(K2134):飛行艇の胴体下面にゴム車輪を取り付けて、陸上移動の便宜を図っている。
Short S.8/8 Rangoon (K2134). Date circa 1936 Source IWM London MH2985 from the collections of the Imperial War Museums. Author British official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:IWM-MH2985-Rangoon.jpg引用。



1931年初め、3機のイギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)飛行艇が、イギリス東岸、サフォーク州フィーリックストウ(Felixstowe)のイギリス空軍訓練舞台に送られ、1931年4月にイラク、バスラの第203飛行隊に派遣された。

ショート(Short)S.8" title="ラングーン(Rangoon)飛行艇を派遣した目的は、イラク、ペルシャ湾における密貿易・闇取引の監視・哨戒の任務であった。のちに、この中東での任務は、後継機ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇に引き継がれた。

ロンドン東30キロ、ケント州(Kent)ロチェスター(Rochester)、メッドウェイ川河口から初飛行したショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇は、1931年に就役し、総生産機数は6機のみだが、中東イラクのバスラのイギリス空軍第203飛行隊にも配備された。

写真(右)1934年11月、オーストラリア東岸、ニュー サウスウェールズ州、シドニー(Sydney )沖、停泊する2機のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉三発飛行艇(K2134):飛行艇の胴体下面にゴム車輪を取り付けて、陸上移動の便宜を図っている。
This photo is part of the Australian National Maritime Museum’s Samuel J. Hood Studio collection. Sam Hood (1872-1953) was a Sydney photographer with a passion for ships. His 60-year career spanned the romantic age of sail and two world wars. The photos in the collection were taken mainly in Sydney and Newcastle during the first half of the 20th century. The ANMM undertakes research and accepts public comments that enhance the information we hold about images in our collection. This record has been updated accordingly. Photographer: Samuel J. Hood Studio Collection Object no. 00024866 Date 1 November 1934 Transport · Sydney Harbour Bridge & Sydney Street Scenes · Samuel J Hood Studio
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:Three Short Rangoon flying boats moored at Farm Cove, Sydney (7606849508).jpg引用。


イギリス空軍(RAF) 第一次世界大戦の末期、1918年4月1日、イギリス軍の中に独立した航空兵力として、イギリス空軍(RAF:Royal Air Force)が設立された。それまで、航空兵力は、陸軍と海軍が別個に保有し、訓練や部隊投入も別個に指揮していたが、それを空軍として一括運用することとしたのである。これは、世界の軍隊でも最も早くに設立された独立空軍である。他方、アメリカも日本も、第二次世界大戦の終戦まで独立空軍を設立せず、陸軍航空隊と海軍航空隊に分かれて航空兵力を指揮している。

1930年9月24日初飛行のイギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇は、1931年に就役し、中東イラク、バスラのイギリス空軍第203飛行隊にも配備された。しかし、総生産機数は6機のみで、1935年には退役している。

1934年9月、イギリス空軍第203飛行隊イギリス空軍(RAF)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)複葉飛行艇3機が、オーストラリア、ビクトリア(Victoria)州設立100周年および州都メルボルン(Melbourne)創立100周年の記念飛行にオーストラリアまで長距離飛行している。

写真(右)1934年、オーストラリア東岸、クイーンズランド州東部、ブリスベーン市街・ブリスベーン川上空を飛行するイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発飛行艇の3機編隊:
English: Two RAF Short Rangoon flying boats over the Brisbane River, heading for the mooring buoys. They were completing an exhibition fly-over of the city in 1934. Date 1934 Source Item is held by John Oxley Library, State Library of Queensland. Author Contributor(s): The Queensland Pictorial
写真はWikimedia Commons, Category:Short Rangoon File:StateLibQld 1 110576 Airforce seaplanes flying over Brisbane.jpg引用。


ショート(Short)S.8/8 ラングーン(Rangoon)三発飛行艇の諸元 乗員Crew: 5名
全長Length: 66 ft 9+1⁄2 in (20.358 m)
全幅Wingspan: 93 ft 0 in (28.35 m)
全高Height: 23 ft 9 in (7.24 m)
主翼面積Wing area: 1,828 sq ft (169.8 m2)
空虚重量Empty weight: 14,000 lb (6,350 kg)
総重量Gross weight: 22,500 lb (10,206 kg)
発動機Powerplant: 3 × ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)XIF 9気筒空冷エンジン540 hp (400 kW)
日本海軍水上機母艦 相良丸 性能Performance
最高速力Maximum speed: 115 mph (185 km/h, 100 kn)
巡行速力Cruise speed: 92 mph (148 km/h, 80 kn)
航続距離Range: 650 mi (1,050 km, 560 nmi)
航続時間Endurance: 7 hr at 92 mph (80 kn; 148 km/h)
実用上昇限度Service ceiling: 12,000 ft (3,700 m)
上昇率Rate of climb: 550 ft/min (2.8 m/s)
兵装Armament
0.303口径7.7mmルイス(Lewis)機関銃3挺
爆弾Bombs: 1,000 ポンド (455 kg)


2.ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇

イギリス空軍飛行艇の命名には、都市名称にちなむ一連のシリーズがあるが、これにはフィーリックストウ(Felixstowe)、サザンプトン(Southampton)、ロンドン(London)、ストランラー(Stranraer)のようなイギリス本土の都市名以外にも、シドニー(Sydney)やパース(Perth)のようなイギリス連邦自治領諸国(ドミニオン)の都市名、ビルマのラングーン(Rangoon)、マレーのシンガポール(Singapore)のようなイギリス領植民地の都市名に因む飛行艇も含まれる。

このイギリス、ショート(Short)社が開発し1934年6月15日に初飛行したシンガポール複葉双発飛行艇は、前作ショート(Short)ラングーン(Rangoon)の後継機となった飛行艇であり、イギリス植民地の都市名のシンガポール(Singapore)に因んだ命名で、イギリス空軍の都市名飛行艇シリーズの一種である。


写真(上)1926年、イギリス、イギリス空軍(RAF)ショート(Short)シンガポール(Singapore)I 双発飛行艇試作機(N179)
;1926年8月17日に初飛行。前作ラングーン飛行艇は、密閉式コックピット、並列式正副操縦席だったが、シンガポール(Singapore)I飛行艇では開nい変更されている。視界向上を優先したためであろうか。発動機はロールスロイス( Rolls-Royce)H.10バザード(Buzzard)液令V12気筒エンジン(36.7L)2基に牽引式2翅プロペラを装備している。機首と胴体後上方に開放式機関銃座が各々1基設けられている。
A Photograph of the Short Singapore I (N179) prototype flying boat. Other information 'The first flying-boat named ‘Singapore’, N179, the only Singapore Mk.I built, not because it was a bad aircraft, but only because the Air Ministry had changed the specifications. The silhouette shows that this design was mid-way between the WW1 flying boats and the next generation to come. Note that N179 is shown here in its final form with Rolls-Royce H.10 Buzzard engines and Handley Page auto-slots on the upper wings. Note the name ‘Singapore’ written on the bow. Date circa 1926 Source Original publication: Unknown
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:Short Singapore I.jpg引用。


ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇は、1934年6月15日に初飛行、当時は最大級の大型飛行艇で、それを串形タンデム配置の発動機2基2組、四発動機で動かした。発動機は、ロールスロイス・ケストレルV型12気筒液冷エンジン730hp4基で、上下複葉の間に置かれ、下主翼に乗った整備士が左右から整備することができる。シンガポール(Singapore)飛行艇エンジン冷却器ラジエイターは、上下複葉を支える中央の2本の支柱に設置されている。垂直尾翼は3枚、水平尾翼は1枚ある。

写真(右)1934年頃、イギリス、水上を滑走するショート(Short)シンガポール(Singapore)II 四発飛行艇(K577) :イギリス空軍の国籍マークである青白赤の同心円ラウンデルも赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)も描かれていないので、シンガポール(Singapore)II 四発飛行試作機の試験時の撮影と思われる。
kitchener.lord Follow Short Singapore
写真はSmugMug+Flickr., kitchener.lord Short Singapore引用。


飛行機が飛行中に主翼が前に進むと,主翼周囲の空気は翼上下面に沿って流れる。翼断面は,上面を下面より膨らませてあるので、主翼上面の空気流速は,下面を空気流速よりも早く早い。そしして空気加速の傾向は,迎え角が増すと強くなる。

したがって、空気の圧力は,流速が速くなるほど減少し、逆に流速が遅くなるほど増加するので,主翼下面の圧力は上面の圧力より大きくなり,主翼下面から上向きに空気の上昇力が作用する。これが、飛行機が空中に留まることのできる揚力の仕組みである。飛行機は速度が遅くなると、翼力が減少し、失速(stall)、墜落してしまう。

飛行速力が速いほど,揚力は増加する。他方,飛行速力が遅いと大きな揚力係数を主翼で得られないと,揚力が減少し,飛行機は高度を失う。そのため,低速で飛行するときは,主翼の迎え角を大きくし,揚力係数を増加させるか、主翼面積を大きくし揚力を大きくしないと抗力係数が増加し失速(stall)に陥る。

失速(stall)速力は低いほど,離陸速力,着陸速力も低くきるため、離着陸に要する滑走路は短くて済むので、揚力が大きい複葉機は短距離離着陸が可能である。この最大揚力係数を増加させるのが、フラップ,スラットなどの高揚力装置で失速(stall)を遅らせることができる。

海上で運用される飛行艇の特徴は
1)海面上で滑走・離着水する際の水密性と堅牢性の確保
2)波のある海上における滑走・離着水する際の水圧、特に波浪や高速水上滑走時の安定性と船体の破損・変形を防ぐ強度の確保
3)海水による機体の金属部品あるいは木製船体の腐食の防止
があげられる。海面上で運用可能な飛行艇は、陸上機と比較して、形状、構造の上で不利であり、その分、飛行性能の低下、運用負荷の追加が伴った。

写真(右)1937年1月、イギリス、飛行中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)第205飛行隊(Squadron)所属ショート(Short)シンガポール(Singapore)III 複葉飛行艇:後上方にはイギリス空軍第100飛行隊 ヴィッカース(Vickers)・ヴィルデビースト(Vildebeest)雷撃機が編隊飛行している。太平洋潜像勃発時には、シンガポールにも配備されており、対日戦では、偵察から雷撃・爆撃にもあたっている。
Title: SERVICE OF LAC ROY MAGER WITH NO 100 (TORPEDO BOMBER) SQUADRON ROYAL AIR FORCE AT SINGAPORE, 1936 - 1939. Collection No.: 9102-03 Description: Short Singapore Mark III flying boat of No. 205 (FB) Squadron, in flight below three 'vic' formations of Vickers Vildebeest torpedo bombers of No. 100 (TB) Squadron. Period: Interwar Date: Circa January 1937 Access: Unrestricted Date circa 1937 Source Image downloaded from [1] Author Mager L Y (Mr), Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:Short Singapore flying boat of 205 Sqn RAF with Vickers Vildebeests of 100 Sqn RAF.jpg引用。


1928年初飛行のヴィッカース(Vickers)・ヴィルデビースト(Vildebeest)雷撃機は、イギリス航空省の複葉軽爆撃機の1925年スペック(仕様)R24/25に基づいてビッカースが設計・生産し、民間仕様はビッカース・ビンセントと命名された。

ヴィルデビースト(Vildebeest)三座爆弾軽爆撃機・雷撃機は、全長 36 ft 8 in (11.18 m)、全幅 49 ft 0 in (14.94 m)、主翼面積 728 sq ft (67.6 m2)、空虚重量 4,773 lb (2,165 kg)、総重量8,500 lb (3,856 kg)、発動機 ブリストル・ペガサス(Bristol Pegasus)II-M3空冷9気筒エンジン635 hp (474 kW)、最高速力143 mph (230 km/h, 124 kn)、航続距離1,250 mi (2,010 km, 1,090 nmi) 。爆弾1,100 lb (500 kg) あるいは18インチ (457 mm)航空魚雷1本搭載。

写真(右)1939年1月、イギリス、飛行中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ヴィッカース(Vickers)・ヴィルデビースト(Vildebeest)雷撃機:
Vickers Vincent mit Tarnbemalung Date 1939 Source 8squadron.co.uk Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Vickers Vildebeest File:Vicker Vincent mit Tarnbemalung.jpg引用。


ヴィッカース(Vickers)・ヴィルデビースト(Vildebeest)雷撃機は、1933年から1942年まで就役した。ヴィルデビースト(Vildebeest)雷撃機は、ニュージーランド空軍(RNZAF)でも採用され、生産機数209機。

1939年9月の第二次世界大戦大戦勃発時にはヴィッカース(Vickers)・ヴィルデビースト(Vildebeest)すでに旧式となった複葉爆撃機だったが、100機が主に極東方面シンガポールに配備されていた。イギリス本土でも沿岸偵察、対潜水艦哨戒に使用された。シンガポール方面では、偵察だけではなく、雷撃・爆撃にも出撃した実績がある。

写真(右)1926年、イギリス、水上滑走中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉飛行艇の右側面(K365);水平尾翼は1枚、垂直尾翼は1枚ある。機首コックピットは開放式縦列3座席である。機首、胴体後上方2か所の合計3つの開放式銃座が設けられている。
Short , S.12, Singapore II Manufacturer: Short Designation: S.12 Official Nickname: Singapore II Notes: UK Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr., SDASM Archives >Catalog #: 01_00087370引用。


イギリス人トーマス・スタンフォード・ビングレイ・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Bingley Raffles:1781ー1826)は、船長の父の影響で、早くから東インド会社で働き始め、1811年、イギリスの対ナポレオン戦争の時期、フランスの勢力下ジャワ島へ侵攻した際、埋もれていたボロブドゥール遺跡を発見した。そして、1818年年、現在のインドネシア、イギリス東インド会社植民地スマトラ島南西岸ブンクル副総督として赴任したトーマス・ラッフルズ(Thomas Raffles)卿は、スマトラ島東岸沖のがシンガポール島の重要性に着目、ジョホール王国に圧力をかけて、1819年シンガポールを獲得した。

トーマス・ラッフルズThomas Stamford Bingley Raffles)卿の治めたシンガポール島は、東西42km、南北23kmで、ここに現地勢力を取り込んで、シンガポールを交易拠点となる自由港として整備するとともに、動植物など科学研究も進めた。中継貿易の拠点として、中国、インド、マレーから移住者が入植したシンガポールは、急速に成長し、人口も増加した。。

そこで、トーマス・ラッフルズThomas Stamford Bingley Raffles)卿は、シンガポールに、ヨーロッパの貿易商人のヨーロッパ・タウンを中核に、中国系、インド系、イスラム・マレー系・アラブ系からなる民族別居住区を設定した。1824年イギリスに帰国した。

1826年、イギリス東インド会社は、シンガポールを中枢とする海峡植民地を成立させ、その後、1867年には、日が東インド会社支配を脱し、イギリス植民地となった。これが英領マレーBritish Malaya)である。

1842年のアヘン戦争Opium War)後の南京条約で中国に香港を割譲させたイギリスは、1845年には、香港英領マレーBritish Malaya)シンガポールを結ぶ定期航路も開設し、1869年のスエズ運河Suez Canal)開通で、シンガポールは極東のイギリスの経済・軍事拠点となった。

英領マレーBritish Malaya)ではスズの採掘、天然ゴムのプランテーションが行われ、1899年にコロニアル様式のラッフルズ・ホテル、1905年にビクトリア・メモリアル・シアター、1924年にシンガポール北部とマレーシアのジョホール・バルを結ぶ交通道路「コーズウェー」、1939年にドーム型の天井とコリトン様式の円柱のある最高裁判所が竣工している。

写真(右)1926年、イギリス、水上滑走中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉飛行艇(K692)の左側面;水平尾翼は1枚、垂直尾翼は3枚ある。機首コックピットは開放式縦列3座席である。機首、胴体後上方2か所の合計3つの開放式銃座が設けられている。
Short , S.12, Singapore II Manufacturer: Short Designation: S.12 Official Nickname: Singapore II Notes: UK Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr., SDASM Archives >Catalog #: 01_00087371引用。


1926年8月26日初飛行のショート(Short)シンガポール(Singapore)I 複葉飛行艇は、軍用仕様で、金属製胴体、複葉、発動機はロールスロイス(Rolls-Royce)コンドル(Condor)IIIAエンジン 650 hp (480 kW)2基を搭載し、登録コードG-EBUPを付与された。しかし、試作1基のみで運用試験に使われただけで終わった。シンガポール(Singapore)複葉飛行艇は、双発から四発機まで各型合計で1934–1937年の間に37機が量産された。

ショート(Short)シンガポール(Singapore)飛行艇機首コックピットは、ガラス風防で周囲を囲んだ密閉式で、複式並列操縦席が設けられている。下主翼の左右下面には浮舟フロートがあり、水上安定性をよくしている。船体(胴体)は、金属製で単一の金属板を張ったモノコック構造の船体である。

海洋航空実験機関(Marine Aircraft Experimental Establishment :MAEE)の前身は、1918年10月にイギリス南東岸ケント州、ロンドン東50キロ、テムズ川河口にあるイギリス空軍(RAF)アイル・オブ・グレイン(Isle of Grain)基地に設けられ、水上機や飛行艇の試験・審査をする機関である。さらに、1920年3月には海洋に関する兵器についての試験・審査も担当するようになり、1924年からその名称に変更になった。

写真(右)1930年、イギリス、水上滑走しているイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)II 複葉四発飛行艇試作機(N246):エンジンは上下主翼の間に前後に発動機を並べるタンデム串形配置で前方に牽引式2翅プロペラ、後方に推進式2翅プロペラを装備している。
Photograph of the Short Singapore II (N246) prototype flying boat. Author Unknown Source (WP:NFCC#4) Original publication: Unknown Immediate source: http://www.raf-in-combat.com/downloads/march-2014-short-singapore-15-photos/ Date of publication c.1930 Use in article (WP:NFCC#7) Short Singapore Illustrate content about the Singapore II prototype flying boat Other information 'The second Singapore, four-engine N246 seen while taking off early in its career with a single tail as used by N179, and still with an open cockpit and no ailerons on the lower wings.' )
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Consolidated Catalina Mk II of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer in Scotland, March 1941. CH2448.jpg引用。


飛行艇は、
1)海面上で離着水して運用される水密性堅牢性
2)波のある洋上離着水時の水圧、特に波浪や離着水時の高速水上滑走でも飛行艇の船体が破損・変形しないような堅牢性
3)海水による機体の金属腐食防止
が重視される。

シンガポール南岸沖、セントーサ島Sentosa)の上にあるシロソ要塞Fort Siloso)は、1880年代にすでに7インチ砲、64ポンド砲配備されており、1890年代には5門の10インチ砲が、半地下式の動力砲塔に装備されていた。1930年代には, 6-ポンド連装砲が対魚雷艇用の速射砲として配備され、5基の大型探照灯も配置された。管制塔(Operational Tower)には、防御用の機関銃陣地があり、対空射撃用の7.7mm連装ルイス機関銃が配備されていた。このシロソ要塞Fort Siloso)には、イギリス砲兵隊(British Royal Artillery)と現地徴収されたシンガポール砲兵隊(Singapore Artillery Corps)が配備されていた。

新聞記事文庫 東南アジア諸国(10-013) 満州日日新聞 1942.2.11(昭和17)

崩れ行くシンガポール要塞 (1・2)
十九世紀の初イギリスが現在の蘭印に進出した頃には既にポルトガル人が勢力を占めており、オランダも着着南洋諸島へ根を据えていた、イギリスがマレー半島で最も良い土地とされるマラッカを占拠しようと試みた時にはポルトガル人が早くも手を廻していた、当時イギリス領ジャバ総督だったトーマス・スタンフォード・ラッフルスはオランダの鼻をあかすに足る立派な貿易港を東印度のどこかに開設せんとしてシンガポール島に目をつけたのだったシンガポールはジャングル境の一漁村に過ぎず海賊の足場たる以外は殆ど人に知られぬ程の存在だった、しかも同島はオランダ領であったのだが、当時三十歳の熱血総督ラッフルスは一八一九年一月末敢然一分連艦隊を率いてシンガポール島に上陸 ジョホールのテメングゴングおよびリオのズルダンという二人の土人と条約を締結し、イギリスがシンガポールに貿易港を創設するの権利を確認させたのであった、それは実に一八一九年二月六日であった

烱眼熱血の青年総督ラッフルスはオランダ人の威嚇を敢然と切り抜け開発の大事業に生命を打込んだ現在シンガポール・タウンホール(市公会堂)の前にはラッフルスの記念像が置かれているが、この像はシンガポールの基地既に成る、されど東にはなお支那あり、日本あり悦に瞑想にふけっている彼のポーズだという、嘗てこの像はラッフルス広場に置かれていたが百年祭に当り時の総督が現在の場所に移したのである、これを見た住民達は、トアン・ガバナー(大総督さん)の像を勝手に動かしたなら百五十年祭が来る頃にはこの土地も屹度(きっと)他國領になるに違いないと擔ぎまわった、この予言は百五十年を俟たずして奇しくも的中、今や七十万住民は逃げるに道なくただ混乱と絶望の地獄相を彷徨しているのである

鉄とペトンの大要塞工事が開始されたのは、ワシントン会議においてイギリスが日英同盟を破棄し日本に対する敵意を公表した時に始まる、一九二三年、時の保守党内閣により十年間継続千六百万ポンドの大軍港計画が樹立されたのであったが、続いて労働党内閣が出現するに及び"日本を無用に刺激すべからず"と一時沙汰止みとなったものの、やがて再軍港建設の方針決り"東洋のジブラルタル"の掛声の下に大軍港、大要塞は着工された、先ず建築物に充分なる堅牢さを与えるために三十四哩の長さに亘り杭打工事が行われた、杭の深さは実に百呎、また建設敷地を平らにするため六百万立方メートルの土が運ばれ沼地を埋めるために八百万立方メートルの土壌が運ばれた、イギリス第二の大乾ドックを造るためには丸ビルを一ダースも造るだけのぺトンを費消した

驚くべきことは建設地においてマラリヤ蚊を寄せつけないために焚かれた石油だけでも毎年七百万ガロンも必要だったという、印度と濠洲を防御する拠点、そして支那への侵略の足場をつくるためにシンガポール島へ注ぎ込まれたこの膨大な経費はこれ悉く亜細亜人の膏血を搾って捻出されたものである、香港-シンガポール-ポートダーウィンの"三角ライン"のうち香港は既に昨年十二月二十五日陥落、その中枢拠点シンガポールも今や命旦夕に迫り、北濠のポートダーウィンのみ全く孤立に陥って七ツの海に雄飛したイギリス帝国も往年の威容空しく今や空前の危機に見舞われ致命的破局に直面している
転落へ急ぐ老イギリス帝国の挽歌に引かえて黎明アジアの雄大な建設調の前奏曲が高らかに鳴り響く

シンガポール軍港が最も誇りとするものは浮ドック乾ドックであった、浮ドックはイギリス本国で建造され、一九二八年ロンドンから数隻の軍艦に牽かれ廻航されたという代物で、運送史上に一話題を□しているが、わが荒鷲数次の爆撃により大損傷を受け既にセレター軍港の水底深く沈没してしまった

乾ドックはキング・ジョージ六世と命名され、ロドネーネルソン級のイギリス最大の軍艦も容易に入渠することが出来る超□級ドックである、シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋の東にセレター軍港があるが、この軍港は商港シンガポールの反対側に位置しており、海峡の東端は□の口のように狭く、前面にはテコンベザル島があって軍港の入口を扼し天然の防塞を築いている、軍港地帯にはテンガー、センバワン両航空基地があり更に西部には海峡に面して五哩に亘る石造の大埠頭が建設され、優に数隻の軍艦を横づけにすることが出来る、

前記の浮乾ドックの外に海軍工厰、兵器庫、爆弾庫、糧食庫をはじめ貯蔵百万トンといわれる貯油タンクが地下深く埋設され、重油タンクに至っては島内三百を数えるという、殊に島の街ともいうべきウピン、テコンベザル、アエル、チャワン、フラカンマチの諸島は全島要塞化され、十八インチの巨砲が四辺を睥睨している偉観は誠に真珠湾、ヘリゴランドジプラルタルと並んで"世界四大要塞"と謂われるだけのものはある

シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋は有名なコースウェーで全長千二百余メートル、幅三十余メートルあり、全橋花崗岩で造られているが、片側が道路、片側に複線の鉄道が通じ一日の交通量は何十万と測り知れず、列車も日に二十数回往復してビルマ、マレーの巨大な物資が輸送された

この橋にはジョホールから引いた水道の径四十インチの水道鉄管が数本走っていて、この陸橋こそは食糧と水と活力とを注ぎ込む"シンガポールの頚動脈"であった、陸橋建設費は千五百万ドルを要したといわれる、セレター島の対岸ウビン島から船で花崗岩を運び出し、現在の陸橋あたりへドンドンと放り込んで、積み上げて出来たのがジョホール陸橋である、だから橋というよりも海の堤防であり海上の道路である、この工事によりウビン島は余りに沢山の石を切り出されたために丘が低くなった程であるが、それが僅か二年半で完成した裏にはマレー、支那、インドの労働者の犠牲がいかに大きかったかも自ら肯ける

かくて此大要塞は申分ない"日本牽制の大道具"でありポフアム空軍大将が"日本恐るるに足らず"と豪語したのも彼らとしては常識であったかも知れない、しかるにこの難攻不落の大要塞には一つの重大な誤差があった、それは"日本軍は必ず海より来襲する"という作戦上の予想だった、あのマレーの大ジャングル地帯を席巻してシンガポールの背面に皇軍が現れようとは如何なる軍事専門家すらも着想しなかったのである

大東亜戦争の直前シンガポールに集結した敵勢力は一挙に平時の六、七倍に増強され、航空兵力五百機(その中二百機は長距離爆撃機)また艦隊兵力は遥々回航されて来たプリンス・オブ・ウェルズレパルスの二主力艦を筆頭に、巡洋艦三、駆逐艦、潜水艦各五、掃海艇、海防艦、砲艦、高速魚雷艇その他合計五十余隻、陸軍兵力は十三万、これに豪洲兵、印度兵の増援部隊を加算すると優に十五万に達すといわれた、しかるに十二月八日開戦のその日にプリンス・オブ・ウェルズレパルスの二不沈艦はあえなくマレー沖海底の、藻屑と消え、また一月二十七日にはマレー東岸エンダウ沖においてサネツトバンパイヤーの二イギリス駆逐艦が我が駆逐艦二隻と遭遇サネットは轟沈、バンパイヤーは多大の損傷を受け敗走する等まことに惨憺たる有様であり、空軍も六十余回に及ぶ我がシンガポール空襲によって殆どその全機を喪い敢然応戦する敵機は今や一□もない

によって殆かくて敵が防衛の頼みとしているのは沿岸要塞の十八インチ巨砲のみとなった、その巨砲は長さ六十フィート、一発三千三百ポンドの巨弾を発射し世界最大の超怒級艦の装甲をも粉砕するに足る威力があると宣伝されている、全島にこの巨砲が果して幾門あるか秘密とされているが、この中三門は世界大戦の直後フイツシャー提督戦艦フェリアス号に装備して実弾射撃を試みたところ艦自身があおりを喰って危険に瀕し、その振動により破壊箇所も出来、遂にフェリアス号は航空母艦に転換するの止むなきに至った

かかる歴史的経歴を有った巨砲だけに着弾距離も二十マイル強といわれる、残念ながらこの巨砲群はーー日本軍は海より来襲するーーの想定によってジョホールバルに背を向けて海上を見張っている、アメリカ側の計算によるとこの巨砲陣建設費は四億ドルに上っている、日本軍はこの四億ドルの死角を衝いて疾風の如くその咽喉を扼している、ロンドンの軍事通が"この巨砲群の砲口は恐らく北向きに据え換えられたに違いない" 頼りない慰めを語っているのは笑止だ、しかしトーチカ陣は全島周辺に隈なく敷きつめられ不気味な銃眼は海上を見張っている、

旅順港を屠った祖父の勇武は香港攻略に遺憾なく発揮され、更にそれはシンガポールの決戦に引継がれた、二千六百年の間その脈中にたぎりにたぎった民族の血が今ぞ奔騰する(引用おわり)

写真(右)1941年4月、アイルランド沖、飛行中のイギリス空軍(RAF: Royal Air Force)スコットランド南西海岸、ストランラー(Stranraer)基地とする第4沿岸訓練部隊所属ショート(Short)S.19 シンガポール(Singapore)Mark III 複葉飛行艇「Q」(K8565):密閉式コックピットに並列式正副操縦席がある。機首と胴体後方に銃座が設けられている。
TAircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.19 Singapore Singapore Mark III, K8565 ‘Q’, of No. 4 (Coastal) Operational Training Unit based at Stranraer, Ayrshire, in flight over the Irish Sea. Date April 1941 CH 2556 from the collections of the Imperial War Museums. Author Daventry B J (Mr), Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:Short Singapore flying boat of 205 Sqn RAF with Vickers Vildebeests of 100 Sqn RAF.jpg引用。


イギリス空軍(Royal Air Force)の国籍マークは、青白赤の同心円であり、さらに垂直尾翼には赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)が標準的だった。ただし、 白は目立ちやすかったために、同心円でもフィン・フラッシュでも幅を狭くすることも少なくなかった。赤白青のイギリス空軍の国籍記章は、フランス国旗の青白赤と並びが逆だが、白黒写真では紛らわしく判別困難である。

カナダ空軍(Canadian Air Force :CAF) は第一次世界大戦後の1920年に創設され、陸軍、海軍から独室した空軍である。1924年4月には王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF;フランス語:Aviation royale canadienne:ARC)の正式名称を得た。1920-1946年の王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)の国籍マークは、イギリス空軍(Royal Air Force)と同様に、青白赤の同心円であり、さらに垂直尾翼には赤白青の縦縞四角マーク「フィン・フラッシュ」(Fin Flash)が標準的だった。

1946年からの王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)国籍マークは、カナダの国章と同じく赤楓(カエデ)が同心円マークに描かれ、フィン・フラッシュは、中央の白の幅が著しく細くされた。

写真(右)1941年3月、イギリス北部、スコットランド南西海岸、ストランラー(Stranraer)に着水しているイギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊コンソリデーテッド(Consolidated)PBY カタリナ(Catalina)Mark II 双発飛行艇(AM269 ‘BN-K)
Consolidated Catalina Mk II of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer in Scotland, March 1941. Catalina Mark II, AM269 ‘BN-K’, of No 240 Squadron RAF based at Stranraer, Ayrshire, moored on Loch Ryan. Date 1941 CH 2448 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer, Tovey P N F (Mr)
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Consolidated Catalina Mk II of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer in Scotland, March 1941. CH2448.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇 ストランラー(Stranraer)はスコットランド南西海岸に面したトゥーンとして知られる歴史的街で、イギリス本土とスコットランドの間にある地峡の北側、ライアン湖のほとりに位置している。この由緒あるスコットランドの町ストランラー(Stranraer)が、レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇の名前の由来である。

スコットランド西岸ストランラー(Stranraer)の水上機基地に、スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇が初めて部隊配備された。このこと初のイギリス空軍に配備された基地名称ストランラー(Stranraer)が、この双発飛行艇の名前の由来になっているのである。ストランラー(Stranraer)飛行艇は、イギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊に初めて配備されストランラー(Stranraer)基地で運用された。

コンソリデーテッド(Consolidated)PBY 1935年3月28日に初飛行したアメリカのコンソリデーテッド(Consolidated)PBYカタリナ(Catalina)双発飛行艇は、アメリカ海軍のほか、イギリス空軍(RAF)、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force:RCAF)、オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force:RAAF) でも制式され、哨戒、偵察、沿岸警備、船団護衛、海難救助に用いられた。また、PBY-5Aカタリナ飛行艇は、引き込み脚を装備して水陸両用飛行艇となったが、アメリカ陸軍航空隊も引込み式車輪を装備したOA-10Aカタリナ水陸両用飛行艇を制式し、海難救助機として用いている。



写真(右)1927年10月17日、イギリス南部、ロンドン、タワーブリッジ(Tower Bridge)を背景テームズ川上空を低空飛行しアフリカ一周飛行に旅立ったアラン・コブハム(Alan Cobham)操縦のショート(Short)S.19 シンガポール(Singapore)複葉飛行艇「バレッタ」('Valetta'):ロンドン・ブリッジは、テームズ川にかかる跳ね橋で、1886年に着工、1894年6月30日に開通した。橋の全長は244 m、ゴシック様式の主塔の全高は65m、桁下高は閉鎖時8.6 m、開脚時42.5 m、支間全幅61 mで、表面はコーンウォール産花崗岩で覆われている。北岸のタワー・ハムレッツと南岸のサザークエリアを繋ぐ交通の要所である。
Title Sir Alan Cobham's seaplane 'Valetta' Description Signed photo of Sir Alan Cobham's seaplane 'Valetta' Archives & Manuscripts References Library reference: WFA WF/M/I/PR/E12 Photo number: L0038528
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:Sir Alan Cobham's seaplane 'Valetta' Wellcome L0038528.jpg引用。


イギリス人飛行家アラン・コブハム(Alan Cobham:1894‐1973)は、1914年から1917年に第一次世界大戦に陸軍兵士として参加し、後に陸軍航空隊、ついでイギリス空軍に入隊した。大戦終了後は、デハビラント(de Havilland)社のテストパイロットとなった。

1927–28年にアラン・コブハム(Alan Cobham)は、ショート(Short)S.19 シンガポール(Singapore)複葉飛行艇「バレッタ」('Valetta')に搭乗して、アフリカ一周飛行に成功している。

そして、アラン・コブハム(Alan Cobham)は、3本の映画 With Cobham to the Cape (1926), Round Africa with Cobham (1928)、With Cobham to Kivu (1932)でアフリカ一周飛行の再現飛行をしている。1931年には、イギリス、ヨーク州にエアスピード社(Airspeed Limited)の設立者の一人となった。

写真(右)1939−1941年頃、イギリス、イギリス空軍(RAF: Royal Air Force)ショート(Short)シンガポール(Singapore)複葉飛行艇のディンキー・トーイ亜鉛合金モデル(No. 60h. Short Singapore):亜鉛合金の玩具だが、子供用というよりも大人のコレクションである。
English: Dinky Toy model of a Short Singapore flying boat. Date 12 January 2010 Source Own work Author Andy Dingley
写真はWikimedia Commons, Category:Short Singapore File:Singapore flying boat (Dinky Toys 60h).jpg引用。


イギリス空軍の大型飛行艇の命名法は、イギリス本国、イギリス連邦自治国(ドミニオンのオーストラリア・カナダなど)、イギリス領植民地(ビルマ・マライなど)の都市名に因んで飛行艇の名称とした。

イギリスの双発以上の大型飛行艇は、サザンプトン、シドニー、シンガポール、ロンドン、と続いた。そして、サザンプトンIV飛行艇をストランラー(Stranraer)飛行艇と改名し、新鋭機を印象付け売り込みを図ったのである。サザンプトン(Southampton)複葉双発飛行艇の3枚垂直尾翼は、ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発複葉飛行艇でも採用されている。

サンダース ロー A.19 クラウド飛行艇 アメリカの名機コンソリデーテッド(Consolidated)PBYカタリナ(Catalina)双発飛行艇は、カナダ・ヴィッカース社、カンナ・ボーイング社でもライセンス生産された。

カタリナ(Catalina)双発飛行艇は1936年以来1945年までに3,276機が大量生産され、ショート(Short)シンガポール(Singapore)III飛行艇を上回った性能、信頼性を発揮した。つまり、シンガポール(Singapore)III 複葉飛行艇やストランラー(Stranraer)飛行艇を量産する意義は乏しかった。


4.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇

写真(右)1927年、イギリス、水上で待機しているイギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris Mk III)飛行艇(N238):1931年2月4日にイギリス南西海岸、プリマス・サウンドで、好天で海も静かだったで操縦ミスにより墜落し、搭乗員・同乗者12名のうち8名が死亡した。
Blackburn Iris Mk III N238 There was a terrific impact, a great fountain of water shot up into the air then there was a big explosion. The flying boat lurched, toppled onto its side then sank with eight men trapped in the cabin. After a brief pause, one of the aircraft's floats surfaced followed by the tip of the rudder and it lay half submerged and upside down, before turning on its side. Wilfred Little, a harbour pilot and Harry Hole were sailing nearby and were the first on the scene of the incident and rescued two men clinging to the wings. The Mount Batten station commander and Aircraftsman Shaw (T.E. Lawrence) arrived in an RAF launch who saved two more. The aircraft broke in half and the forward part was brought up the next day onto the slipway at Mount Batten, with the stern half and the bodies of the missing crew recovered later by salvage divers.
写真は, The SHIPS Project CIC Blackburn Iris Mk III N238引用。


イギリス空軍(RAF)ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)三発飛行艇は、1926年6月18日初飛行で、総生産機数5機、1934年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)飛行艇が替わって就役した。

イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇は、全ての形式で機首コックピットは、正面ガラス風防があるだけの開放式コックピットで、操縦士・副操縦士が並列して着席する。しかし、気温の低い、北海上空、特に厳冬期や荒天時に長時間哨戒飛行することは困難であったと思われる。

⇒写真集Album:ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)飛行艇を見る。


5.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)パース(Perth)三発飛行艇

写真(右)1932年11月、イギリス、イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇:1933-1934年の間に4機が生産された。1934年に就役し、1938年に退役。発動機はアイリスの最終型と同じで、ロールスロイス(Rolls-Royce)(Buzzard)IIMS 排気量2,239.3 in³(36.7 L)V-12型液令エンジン出力825 hp (615 kW)3基装備。ただし、このBuzzard IIMS(H.XIIMS)は、1932-1933年に69機が生産されたに過ぎない。
November 1932. Iris Mk 5. (Flight 1932/11/17). R.B.1D / Iris V This was the final variant. Three Iris Mk IIIs were fitted with 825 hp (615 kW) Rolls-Royce Buzzard IIMS piston engines..
写真は, Grace's Guide File:Im19321117FL-Iris5.jpg引用。


イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)R.B.3A アイリス(Iris)三発飛行艇は、1933年10月11日初飛行で、総生産機数4機、1938年に退役し、後継機のブラックバーン(Blackburn)R.B.3A パース(Perth)飛行艇が変わって就役した。

⇒写真集Album:ブラックバーン(Blackburn) パース(Perth)を見る。


6.イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)RB.2 シドニー(Sydney)三発飛行艇

写真(右)1930年9月頃,イギリ部 イギリス空軍ブラックバーン(Blackburn)RB.2 シドニー(Sydney)飛行艇の右側面
English: Blackburn Sydney Date 1930 Also Flight, September 5, 1930 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Blackburn Sydney File:Blackburn Sydney.jpg引用。


イギリス航空省は、1930年にイギリス空軍向け長距離哨戒飛行艇の開発を要請し、ブラックバーン(Blackburn)社は、パラソル単翼、3枚垂直尾翼、発動機3基の大型飛行艇ブラックバーン(Blackburn)RB.2 シドニー(Sydney)飛行艇1機のみが試作生産され1930年7月18日に初飛行した。


7.スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)双発飛行艇

写真(右)1933年、イギリス南西海岸、サフォーク(Suffolk)州フィーリックストウ(Felixstowe)、イギリス海軍スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇;降着装置のゴム主輪は、主翼が展開されていれば、引き上げて下主翼下面の格納スペースに収めることができる。中央のブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)VI 空冷9気筒エンジン775hpの後端は、空気抵抗を減少させるように流線形に整形されている。艦載機としても使用するために、主翼を折り畳むことが可能である。
A Royal Navy Supermarine Scapa at the Marine Aircraft Experimental Establishment, Felixstowe, Suffolk (UK), in 1933. Date 1933 ATP 8462B from the collections of the Imperial War Museums. Flag of the United Kingdom.svg Author British official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:Supermarine Scapa >File:Supermarine Scapa.jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)飛行艇の後継機は、1932年に登場したときサザンプトンIV 飛行艇と命名されていた。しかし、新鋭機として印象付けるために、1933年10月、スカパ(Scapa)飛行艇と改名された。

スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇は、シュナイダー杯に出場したスーパーマリンS.5、S.6水上機を開発し、後にスピットファイア戦闘機を設計したレジナルド・J・ミッチェルによって設計された。1932年6月8日初飛行、1935年就役、生産機数15機、1939年退役。


8.スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇

写真(右)1938年6月15日、飛行中を下方から見たイギリス空軍(Royal Air Force)スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K3973):1934年7月24日初飛行、1937年に部隊配備された。
Supermarine Stranraer (K3973) a Bristol Pegas X (4x) Date 15 June 1938 Source Letecké vzduchem chlazené motory Walter. Bulletin Walter. 1938, Katalog, p. 60. , Publisher: Akciová společnost Walter, továrna na automobily a letecké motory, Praha XVII - Jinonice in Státní oblastní archiv v Praze (State Regional Archives in Prague), Archivní 4, 149 00 Praha 4, Fond Walter, a.s., No. NAD 1914 Author neznámý (unknown)
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Supermarine Stranraer (K3973) a Walter Pegas X (4x).jpg引用。


スーパーマリン(Supermarine)は、スーパーマリン(Supermarine)スカパ(Scapa)飛行艇の発展型サザンプトンVを企画したが、これがレジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)設計になるスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇の原型である。

スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇の発動機は、当初はロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)液冷V型12気筒エンジン(排気量21.2L)700hp2基の予定だったが、実際にはブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)IIIM空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)920 hp2基を装備した。

スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、スーパーマリン・スカパ(Scapa)飛行艇ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)液冷V型12気筒エンジン(排気量21.2L)700hp2基をやめて、出力を強化したブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)IIIM空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)920 hp2基に換装しために、性能は向上した。就役したのは、1937年で、それに伴って前作スカパ飛行艇は、1938年に退役した。

写真(右)1939年末、輸送船団の上空哨戒任務に就いたイギリス空軍(Royal Air Force)第240飛行隊スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇(K7295):船団の近くを低空飛行する。
Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. Stranraer Mark I, K7295 ‘BN-L’, of No. 240 Squadron RAF based at Stranraer, Ayrshire, landing on Loch Ryan. Date between 1939 and 1945. CH 2551 from the collections of the Imperial War Museums. Author Daventry B J (Mr), Royal Air Force official photographer
写真はWikimedia Commons, Category:No. 240 Squadron RAF File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Supermarine Stranraer. CH2548.jpg引用。


スーパーマリン・ストランラー(Stranraer)飛行艇は、総生産機数57機であるが、イギリスの本家スーパーマリン(Supermarine)社では17機生産されただけで、のこり40機はカナダ・ビッカース社(Canadian Vickers )でライセンス生産された。カナダ製スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force :RCAF)に配備され、対潜水艦哨戒、沿岸偵察の任務に就いた。その場合、爆雷や爆弾は、1000ポンド(450kg)まで搭載することができた。

カタリナ飛行艇 スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇は、イギリス空軍で制式され、スーパーマリン社で1935年8月から17機が生産された。ストランラー(Stranraer)飛行艇初の部隊配備は、1937年初頭で、イギリス空軍第228飛行隊に配属された。しかし、前作同様スーパーマリン(Supermarine)は、新鋭戦闘機スピットファイアの優先大量生産のために、第二戦線用の飛行艇を量産する余裕はなかった。

 他方、第二次世界大戦にイギリス連邦のドミニオンとして即座に参戦したカナダでは、イギリスの航空機生産を支援するためにも、カナダのビッカーズ社でストランラー(Stranraer)飛行艇をライセンス生産した。こうしてカナダ製ストランラー(Stranraer)飛行艇が40機が生産され、第二次世界大戦末期まで、王立カナダ空軍(Royal Canadian Air Force: RCAF)に配備された。

1925年3月10日初飛行のスーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)飛行艇は、1934年までに83機が生産され、イギリス連邦自治国(ドミニオン)でも汎用哨戒飛行艇として使用された。このサザンプトン(Southampton)飛行艇後継機をイギリス航空省が開発するよう要求を出したため、スーパーマリン社は既存のスカパ(Scapa)双発飛行艇を原型に新機を開発した。これが、1934年7月24日に初飛行したスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)Mark I 飛行艇である。

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9.サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇


写真(上)1938年1月26日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー、イギリス空軍(Royal Air Force)第204飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇
:燃料タンクを胴体背面に増設した長距離仕様で、1937年から1938年にかけて、イギリス空軍第204飛行隊のサンダース・ロー((Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇は、シドニー植民地設立150周年を記念してイギリスからオーストラリアへの長距離飛行した。
English: A Saro London flying boat of No. 204 Squadron Royal Air Force Date 1930s Source Thetford, Owen (1957) Aircraft of The Royal Air Force 1918-57, London: Putnam, pp. p.360 Author Air Ministry Photo.
写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Saro London 01.jpg引用。


イギリス航空省は、1930年にイギリス空軍向け長距離哨戒飛行艇の開発を要請し、ブラックバーン(Blackburn)社は、パラソル複翼、双垂直尾翼、発動機試ブリストル ペガサス II(Pegasus II)空冷エンジン2基の双発複葉飛行艇を開発し、試作機を1934年3月に初飛行させた。これがサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)双発飛行艇で、1936-1941年に就役、1934–1938年に31機が生産された。

1788年、オーストラリア東岸のシドニーにヨーロッパから初めての移民が入植した。1938年12月、このオーストラリア移民シドニー上陸150年を記念して、イギリスからシドニーに、イギリス空軍(Royal Air Force)のサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇がオーストラリア移民開拓の記念長距離飛行をした。

写真(右)1938年1月26日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー、イギリス空軍(RAF)第204飛行隊サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇
Flying boat on Sydney Harbour, 26 January 1938, taken for the Sun Newspaper, from original negative, State Library of New South Wales, ON 388/Box 072/Item 318 Date 26 January 1938 Source State Library of New South Wales, ON 388/Box 072/Item 318 Author Sun Newspaper .
写真はWikimedia Commons, Category:Saro London File:Flying Boat on Sydney Harbour, 26 January 1938.jpg引用。


1937年から1938年にかけて、イギリス空軍第204飛行隊のサンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)双発飛行艇は、シドニー植民地設立150周年を記念してイギリスからオーストラリアへの長距離飛行した。この機体は、長距離飛行のために、燃料タンクを胴体背面に増設し航続距離を4180kmに伸ばした長距離特別仕様である。

胴体背部に大型燃料タンク・バルジを増設しているので、オーストラリア飛行の特別仕様サンダース・ロー(Saunders Roe)A.27 ロンドン(London)飛行艇は識別容易である。


10.スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)単発飛行艇

マッキ M.C.72レース用水上機 レジナルド・ミッチェルReginald Mitchellは、高速水上機だけではなく、折り畳み式主翼を持つ単発のウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇を設計し、1933年6月21日に初飛行させている。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I 飛行艇は、本来、冒険飛行用にカタパルトから射出可能な水陸両用飛行艇として、スピットファイア(Spitfire)と同じレジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)技師の設計になり、当初は、シーガル(Seagull)Vと呼ばれていた。

ウォーラス スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、船体と両翼の浮舟フロートを使って、水上で離着水するが、陸上用の降着装置として、ゴム主輪も装備している。このウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇の主脚は、飛行中、水上での運用中には、主脚を引き上げて、主翼下面に半開放式でゴム主輪を格納する。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)Mark.I は、金属製胴体であるのに対して、ウォーラス(Walrus)Mark.IIは、木製胴体でサロ(Salo)、すなわちサンダース・ローSaunders-Roe)社が製造した。1936–1944年の間に、スーパーマリン(Supermarine)社は、主にMark.Iを288機、サロ(Saunders-Roe:Salo)社は、主にMark.IIを453機生産している。

同じくレジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell)設計のスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、合計741機が量産されている。

ウォーラス(Walrus) スーパーマリン(Supermarine)シーガル(Seagull)Vの試作機を、イギリス海軍艦隊飛行隊(FAA)第702飛行隊が、40.6cm45口径三連装砲塔3基9門搭載のネルソン(Nelson)級戦艦 (Nelson class Battleship)の艦載機として試験的に使用し、イギリス空軍も1935年8月に制式した。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)は、ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus)IIM2 空冷9気筒エンジン620 HP1基搭載の単発飛行艇として、イギリス海軍巡洋艦・戦艦の艦載機としての利用された。しかし、戦局の好転と旧式化のために、1944年2月には中止された。

ウォーラス(Walrus)Mark.I 単発飛行艇は、1936-1944年に740機が生産されたが、開発メーカーのスーパーマリン社は少なく、量産メーカーは、サロ(SARO)社、すなわちサンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で行われた。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、1944年1月に生産が終了となったが、総生産機数は741機である。このうち65%の453機は、ウォーラス(Walrus)Mark.IIで、サンダース・ロー(Saunders-Roe)社、すなわちこのサロ(Salo)社製である。

ウォーラス(Walrus:セイウチ)飛行艇も、海で捕食するが、沿岸で生息する水陸両用の哺乳類セイウチ科のウォーラス(Walrus:セイウチ)から命名している。シーオッター(Sea Otter:ラッコ)は、北アメリカ大陸から千島列島の岸に棲息する食肉目イタチ科で、寒冷な海にすむために良質な毛皮で覆われている。イギリス軍の水陸両用飛行艇は、陸上でも海でも行動できる哺乳類である水陸両棲の哺乳類から命名されている。

スピットファイア 1934年、新型戦闘機として、全金属製引き込み脚単葉新鋭戦闘機の競争試作に加わったスーパーマリン(Supermarine)社は、1936年3月5日、K5054スピットファイア(Spitfire)を初飛行させた。これが1940年夏のイギリス本土航空決戦バトル・オブ・ブリテンで大活躍したイギリス空軍スーパーマリン・スピットファイア(Spitfire)戦闘機で、イギリスを救った戦闘機として称賛され、第二次世界大戦終戦までに2万3000機が量産された。

スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇は、イギリス海軍艦隊航空隊Fleet Air Arm : FAA)、イギリス空軍RAF:Royal Air Force)のほか、ソ連海軍、アルゼンチン海軍、オーストラリア空軍、カナダ海軍、ニュージーランド空軍、アイルランド空軍、イギリス空軍でも使用された。

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11.スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)単発飛行艇

シーオッター シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇は、艦載機、海難救助などを目的とした単発飛行艇として、イギリス空軍イギリス海軍艦隊航空隊Fleet Air Arm:FAA)で制式、サンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で1943年から1946年6月までに292機が生産され、1950年代まで使用された。

スーパーマリン(Supermarine)社の開発したシーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇試作1号機の初飛行は、第二次世界大戦勃発前の1938年9月ですでにレジナルド・ミッチェル(Reginald Mitchell)は亡くなっている。

シーオッターSea Otter イギリス海軍艦隊飛行隊(Fleet Air Arm)は、1930年代から1950年代初めまで、当初はスーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus:セイウチ)水陸両用飛行艇を、次いでスーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter:ラッコ)水陸両用飛行艇を制式し、サンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で量産して、艦載偵察機、弾着観測機、そして海難救助機として長らく使用していた。ともに折り畳み式複葉、単発、3-4人乗りの艦載可能な小型飛行艇で、左右の下主翼に海上用の固定式浮舟フロートを付けていると同時に、陸上用の引込み式ゴム主輪2輪も装着していた。

スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇は、ストランラー(Stranraer)飛行艇胴体下方を覆うように手摺(てすり)が装着されているが、この手摺は、不時着水して海上に漂う人員の海難救助用に着水して、接近したときに、海中から捕まることができるように配慮されている。

スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)やスーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)双発飛行艇のような低速の旧式飛行艇でも、第二次大戦後も1950年代まで就役していたのは、沿岸における海上救難用に有用だったためである。救難時に目立つように、白色塗装が施されていた。

シーオッター(Sea Otter) レジナルド・ジョセフ・ミッチェルReginald Joseph Mitchell:1895-1937)が設計したーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)複葉飛行艇の後継機が、スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)複葉飛行艇で、1938年9月23日に初飛行したが、生産は1942年から、部隊配備は1943年からに遅れた。

スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)飛行艇は、ウォーラス(Walrus)飛行艇後継機として1943年から1946年7月の生産中止までにサンダース・ロー社Saunders-Roe Limited:SARO)で合計293機が生産され、イギリス海軍Royal Navy艦隊航空隊Fleet Air Arm : FAA)、イギリス空軍RAF:Royal Air Force)で制式されている。

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12.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-36双発飛行艇

写真(右)1927年10月頃,アメリカ東端、メイン州(Maine:ME)南西部、州都ポートランド(Portland)南10キロ、オールドオーチャード(Old Orchard)海岸に引き返してきた女性事業家フランシス・グレイソン(Frances Grayson)のシコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇「曙」"The Dawn" (NX-1282; c/n 3) の稼働する右発動機:ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基装備だが、エンジンカウリングのない発動機(左)にはカバーが掛けられている。ブライス・ゴールドスボロース(Brice Goldsborough),女性事業家フランシス・グレイソン(1892-1927),オスカー・オムダル(Oskar Omdal):
Plane Dawn Lewiston, ME. Creator: Jones, Leslie, 1886-1967 (photographer) Aviation: Boardman, Earhart & Grayson Date: 1917-1934 (approximate) Publisher: Boston Public Library, Print Department Genre: Glass negative Extent: 4 x 5 in
写真はBoston Public Library , Leslie Jones: The Camera Man BPL Accession: 08_06_002096引用。


1927年初飛行のアメリカ製シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇は、乗客6-8人乗りの下主翼左右に浮舟フロートを装備した飛行艇だが、胴体中央部下左右側面にゴム車輪を装備し、陸上での離着陸も可能な水陸両用飛行艇である。S-36装備した発動機は、ライト (Wright)R-790ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン 排気量90立方インチ(12.9 L) 200 hp (149 kW)2基で、小型軽量で固定ピッチ2翅プロペラを駆動する。生産機数は6機のみ。

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13 .シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇

写真(右)1930年代,アメリカ、水上で係留中のシコルスキー(Sikorsky)S-38飛行艇:上主翼の上に2人の男性が乗って、ゴムホースで主翼上面の燃料タンクに給油作業をしている。
AL231 Davis Album Photo_000142 Image from a photo album (AL-231) showing San Diego during the 1930s and the Canal Zone in Panama. Unknown Donor.
写真はflicker, SDASM Archives AL231 Davis Album Photo_000142引用。


シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇は、全長12.3メートル、全幅21.8メートル、発動機はプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-1340 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒420 hp2基搭載、巡航速力は時速165キロ、航続距離960キロで、8-10名を乗せることができる。

シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用行艇は、1928年5月25日の初飛行以来10年以上が経過しても、使いやすく、経済的で、信頼性があったために、1940年代になっても現役で使用されていた。100機以上が量産され、21世紀になってもレプリカとして再生産された機体が飛行している。

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14.イタリアのカント(CANT)Z.501単発飛行艇

写真(右)1937年版カント(CANT)Z.501飛行艇マニュアル・カタログ掲載の陸上に待機するカント(CANT) Z.501ガッビアーノ(Gabbiano)飛行艇側面:垂直尾翼には、第二次世界大戦参戦前のイタリア三色旗トルコローレの国籍記章が描かれている。
写真は,C.R.D.A. Cant. Z. 501 a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Catalogo Nomenclatore C.R.D.A. Cant. Z. 501 serie I - 1935 ; serie IX-XI - 1940 ; serie IX - 1941引用。


C.R.D.A.(Cantieri Aeronautici e Navali Triestini:カンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコ)とは、英訳するとトリエステ造船海軍飛行工廠(Trieste Shipbuilding and Naval Aeronautics(C.R.D.A. CANT)である。

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15.ドルニエ(Dornier)Do-18双発飛行艇


写真(右)1930-1931年頃、ドイツ、ドルニエDo 18 D飛行艇
;1933年ナチ党政権樹立以来、ドイツの国籍標識には、垂直尾翼に赤帯、白丸、黒の鍵十字を描いているが、この民間航空の国籍標識は、1935年のドイツ再軍備宣言、ドイツ空軍創設以降も引き継がれ、1939年9月の第二次世界大戦勃発まで続く。大戦では、この赤白の国籍指標は廃止され、ナチ党逆卍を白縁取りの黒で描いている。エンジンは主翼上面に3翅プロペラの液冷エンジンを2基の串型に配備している。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46170028 - Catalog:16_007459 - Title:Dornier Do 18D Nowarra
Collection - Filename:16_007459.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:46170028引用。


ドルニエDo18飛行艇は、戦前からルフトハンザ航空などの民間航路で活躍し、1939年に第二次世界大戦が勃発してからも、信頼性と航続力の高さを活かして、ドイツ空軍で当初は、哨戒偵察機として、後には、後方における連絡用務輸送、海難救助の任務で活躍した。生産機数は100機と飛行艇としては、それなりに量産されている。

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16.ドルニエ(Dornier)Do-24三発飛行艇

写真(右)1938-1941年、オランダ領インドシナ(蘭印:インドネシア)、オランダ王室海軍航空隊のドルニエ(Dornier)DO-24K-1, X-4哨戒偵察飛行艇;1937年頃、機首、胴体後上方、尾部の3カ所に銃座設けられているが、機関銃はまだ搭載されていない。オランダ三色旗の円形国籍マークが、主翼、胴体後方側面に描かれ、さらに水平三色旗(上からオレンジ・白・青)が双垂直尾翼の方向舵にも大きく描かれている。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Marine Beschrijving Maritieme patrouillevliegboot Dornier Do 24K-1, X-4 (1938-1941)
Plaats Nederlands-Indië Datering van 1938 Datering tot 1941
Specifieke kenmerken Dornier DO-24K-1 Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH), Beeldbank.defensie.nl:・Objectnummer 2158_012535 引用。


ドルニエ(Dornier)Do-24飛行艇の主翼はパラソル式で、その上に空冷星形エンジンが装備されている。そのため、プロパラの位置が、水面よりもかなり上になり、波浪や飛沫の影響を受けにくくしている。胴体中部には、水上安定性を保つためにバルジ式の浮きが設けられている。この浮きは、パラソル式の主翼を支える支柱の基盤にもなっている。

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17.アメリカのシコルスキー(Sikorsky)S-40四発飛行艇

写真(右)1935年11月以降,アメリカ、海に面した水上機基地の滑走台で待機するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇:シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日。生産機数:3機。
Sikorsky S-40 Manufacturer: Sikorsky Designation: S-40
写真はflicker, SDASM Archives Catalog #: 00070990引用。


38 人の乗客を乗せることのできるシコルスキー(Sikorsky)S-40四発旅客飛行艇は、パンアメリカン航空の最初の大型飛行艇で、 Pratt & Whitney ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン575 hp4基を搭載、最高速力217km/h、航続距離1,400 kmで「アメリカン クリッパー」として、パンナム・クリッパーの旗艦として使用された。3機が就役したシコルスキー(Sikorsky)S-40は、合計 1,000 万マイル以上を飛行し1940年に退役するまで、合計 1,000 万マイル以上の運航実績を上げた。


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18.シコルスキー(Sikorsky)S-42四発飛行艇"Pan American Clipper"

写真(右)1934年,アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコの建設途上の金門橋(Golden Gate Bridge)上空を飛行するパンアメリカン航空シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇"Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201):パンナムがマーチンM-130の一世代前に採用した長距離旅客飛行艇シコルスキー(Sikorsky)S-40の初飛行は1931年8月7日だが、この機体は1934年12月から、1944年8月4日にキューバ沖に沈むまで就航した「西インド諸島クリッパー」"West Indies Clipper"(NC823M){ただし1937年に"Hong Kong Clipper" (NC823M)に改名}である。
English: One-quarter left front view of Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" (r/n NR-823M; c/n 4201) in flight over San Francisco Bay on its way to Hawaii. San Francisco-Oakland Bay Bridge construction is visible; circa 1934.
Date 1934 Author United Technologies Corporation
写真はWikimedia Commons, Category:Sikorsky S-42 of Pan American Airways File:Pan American Airways Sikorsky S-42 "Pan American Clipper" in flight over the under-construction San Francisco-Oakland Bay Bridge.jpg引用。


1934年3月に初飛行のシコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇は、胴体から支柱で支えたパラソル式主翼(単葉)で、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星形9気筒エンジン 700hp (520kW)4基を備えた四発大型飛行艇である。 パン・アメリカン航空(PAA:Pan American Airways)は、S-42飛行艇を、主にアメリカ南部とカリブ諸国の間の長距離洋上旅客航路に就役させた。初飛行は1934年の3月30日で、総生産機数は10機である。

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2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
シーオッターワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz 一式戦
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
日本海軍川西H6K5九七式大型飛行艇人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
大艇イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC

アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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