鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
フィンランド海軍艦艇の対空砲火 2020
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◆フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm
写真(上):1942年頃,フィンランド南部、バルト海に浮かぶハミナあるいはナーンタリで対空警戒中のフィンランド海軍水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)
:哨戒艇、掃海艇のような小型艦艇の後甲板に据え付けられた40ミリ単装機関砲2基。
Aluksen Bofors-ilmatorjuntatykin huoltoa. Diaan merkitty paikaksi Hanko. Todennäköisempi paikka kuitenkin Ulko-Tammion Länsilahti. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot Suomela, valokuvaaja
写真は FINNA.Fl sa-kuva-165901引用。引用。

写真(上)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37;37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)と2センチ四連装対空機関銃を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)
:ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)一枚。
Raskaiden saksalaisten Siebel-lauttojen paraatista Laatokalta. Vrt. vastaavat Carl Rosenqvistin kuvaamat mustavalkoiset SA-kuvat (esim. 104654. Aika- ja paikkatiedot mv-kuvista), joiden selosteeseen merkitty ajankohdaksi 13.8.1942. Diaan merkitty 10.8.1942.  Organisaatio Sotamuseo  Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-166002引用。

序.冬戦争(talvisota)におけるソ連機フィンランド空爆

ヨシフ・スターリン 第二次世界大戦の勃発から1ヶ月後、1939年10月11日、ソ連指導者ヨシフ・スターリンは、外務人民委員(外相)ヴャチェスラフ・モロトフに指示して、フィンランドのユホ・クスティ・パーシキヴィを団長とする交渉団をモスクワに招かせた。そして、
1)フィンランド湾とフィンランド=ロシアを結ぶラドガ湖に挟まれたカレリア地峡Karjalankannas)の対ソ連防衛戦の撤去
2)フィンランド湾の島々とフィンランド南岸ハンコ半島の租借とソ連軍駐留権
3)カレリア地峡根元のレニングラードの安全保障のためにカレリア地(Karjalankannas)と北方の東カレリア領土の交換、すなわちソ連国境の30km前進(2200平方キロ)と東カレリア(5000平方キロ)の交換
という要求を突き付けた。

フィンランド軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイム元帥は、ソ連の要求受入れはやむを得ないとし、フィンランド政府も、カレリア地峡のソ連国境10km前進、フィンランド湾の島々譲渡は認めた。しかし、ハンコ半島の租借は拒否したため、交渉は決裂した。10月には、動員準備で、ソ連の侵略に備えるために、政府の緊急事態を認める共和国防衛法を布告した。

写真(右)1940年1月20日、冬戦争の末期、フィンランド南、タンペレ(Tampere)の市街地、ソビエト空軍の空襲を受けて炎上した家屋:フィンランドはソ連から、領土割譲、軍地基地提供、駐留軍派遣の強硬な要求を受けたが、拒否したため、スターリンの怒りを買った。ソ連軍は1939年11月30日、フィンランドに侵攻、「冬戦争」(talvisota)が勃発したのである。ソ連軍は、レニングラード方面から進撃し、カレリア地方を武力の一部を武力占領した。
Pommituksen tuhoja Tampereella. Tampere 1940.01.20
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive 4007引用。


マンネルハイム 第二次大戦は1939年9月に始まっていたが、ドイツがフランス・イギリスと対峙する西部戦線では、1940年5月までは都市爆撃Aerial bombing of cities)、民間人への空襲は行われていなかった。

1)民間人への無差爆撃indiscriminate bombing)はテロと見なされ、戦争の大義を失う、
2)戦略爆撃Strategic bombing)は報復を招聘し自国都市も空爆され大損害を被る、
3)都市への絨毯爆撃carpet bombing)に多数の爆撃機を投入するより、造船所・飛行機工場・飛行場・レーダー施設など重要な軍事目標を精密爆撃precision bombingするほうが敵の抗戦力を効果的に低下させる、

このように空爆air raid)を考えた各国の政治的指導者は、都市への無差爆撃carpet bombing)を回避していたのである。

しかし、ソ連軍は小国フィンランドに対して、ヘルシンキ、タンペレなどへの都市爆撃を躊躇しなかった。首都を爆撃されたフィンランドは即座に降伏すると楽観視し、さらにレニングラードへのフィンランド空軍による報復爆撃、空襲に対しては、ソ連はポリカルポフI-15戦闘機など迎撃態勢を整えていたので、防ぐ自信があったのであろう。

写真(右)1940年2月2日、フィンランド南西部、ポリ、ソ連空軍機による爆撃で完全に破壊された家屋:1940年2月2日、ボリ市内に対して、ソ連空軍機による破壊的な爆弾攻撃が行われ、午前中に合計21人が死亡した。
Itsenäisyydenkatu 55 jossa rakennus tuhoutui täysin venäläisten pommituksessa ja tulipalossa 2.2.1940. Tuhoisin kaupungin keskustaan kohdistunut pommitus tapahtui 2. helmikuuta 1940. Aamupäivän aikana sai surmansa yhteensä 21 ihmistä. Pori pommitukset talvisota sotatalvi ilmasota ilmasodankäynti pommit pommituhot tuhot vahingot sotavahingot sota pommiräjähdykset tulipalot palava talo vaaka, mustavalkoinen, uniikkikuva.
Subject place Itsenäisyydenkatu 55, Malminpää, Pori Subject date 2.2.1940, 1940, talvisota Organisation Satakunta Museum
Collection Kuvakokoelma Valokuva-albumit Inventory ID ALB100:31
Measurements 57 x 43 mm Photo info: 2.2.1940, 1940, talvisota Pori Karlsson Kurt K., kuvaaja
写真は,Museot Finna M26:ALB100:31用。


第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目、1939年11月30日、ソ連はフィンランドに侵攻、ヘルシンキなど都市爆撃を敢行し、レニングラード方面から、フィンランド湾とフィンランドとロシアを結ぶラドガ湖に挟まれたカレリア地峡Karelian Isthmus)に軍を進めた。この侵略行為に抵抗してフィンランドは、冬戦争(talvisota)を闘い始めた。

第二次世界大戦の勃発から3ヶ月後、1939年11月30日に、ソビエト連邦は、国境での武力衝突を理由にフィンランドに攻め入った。これが、「冬戦争」である。冬戦争では、フィンランドは、善戦したが、周辺国からも、イギリス、フランスからも援軍を得ることができなかった。


1.フィンランドのドイツ海軍水上対空砲台ガンシップ

写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)港沖、ドイツ海軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)のパレードを視察するドイツ海軍東部特別部隊(Einsatzstab Fähre Ost)の将兵たち:ラハティでの視察中、招待されたドイツ海軍東部特別部隊は、連絡艇に乗船し、そこからケラー将軍らのパレードを視察した。中央左、フィンランド第VI軍(カレリア地峡方面軍)のブロル・クラエメル(Bror Kraemer)大佐13.8.1942でCarl Rosenqvistの撮影した白黒写真シリーズ(104646 - 104659)で 「Laatatu 10.8.-42」というラベルのスライドがある。
Lahdenpohjassa pidetyssä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) tarkastuksessa kutsuvieraat asettuivat jalkaväkiveneeseen, jolta kenraalieversti Keller vastaanotti paraatin. Kyseisestä tapahtumasta löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Diaan merkitty "Laatokalta 10.8.-42". Keskellä vasemmalla eversti Bror Kraemer, suomalaisen VI Armeijakunnan tykPetsamo, Luttojoki 1942.07.00
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166372引用。


1939年の冬戦争で失ったカレリア地方を奪還するために、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻をチャンスととらえたフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティ(Risto Heikki Ryti)は、6月22日には、ナチスと同盟して、ソ連を敵として、継承戦争Continuation War)を開始した。これは、事実上、フィンランドが枢軸同盟国の一員として、第二次世界大戦に参加することを意味した。フィンランドは、ナチスと組んで軍事作戦を展開し、レニングラードを包囲し住民を餓死させ、不凍港ムルマンスクを攻略し、ソ連への西側連合国の輸送船団を途絶させる作戦を展開した。

写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)港沖、ドイツ海軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)のパレードを双眼鏡をもって視察するフィンランド軍ヘルビネン(E.Järvinen)大佐:ドイツ海軍東部特別部隊は、水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)を有していたが、これは湖上の移動式会場対空砲台だった。Carl Rosenqvistの撮影した白黒写真シリーズ(104646 - 104659)で 「Laatatu 10.8.-42」というラベルのスライドがある。
Saksalaisen laivasto-osaston Siebel-lauttojen (tykkilautta, Siebelfähre) paraatista Lahdenpohjassa Laatokalla. Oikealla eversti E. Järvinen. Kyseisestä tapahtumasta löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Diaan merkitty "Laatokalta 10.8.-42".
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166133引用。


しかし、1941年6月22日の継承戦争Continuation War)を始めたフィンランド側は、イギリス、アメリカには戦争を仕掛けたいとは思っていなかった。そこで、あくまで、ソ連に対して1939年の冬戦争で奪われた国土の回復を求めた防衛戦争であるとの立場を主張した。しかし、ソ連がドイツの攻勢を一国で受け止めている状況で、イギリスもアメリカも、フィンランド側の言う継承戦争Continuation War)であり、イギリス・アメリカと戦う第二次大戦への参戦ではないという身勝手な論理は受けつかなかった。これを梃子にして、ヒトラーはフィンランドに対して、ソ連への軍事的攻勢を強化するように強く要請した。


写真(右)1942年8月1日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)港、8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)3隻が停泊している。
;ガンシップは、双胴の艀の上に対空兵器を搭載したもので、外洋航行はできない吃水の浅い艀である。しかし、ラトガ湖のような波のない湖では、強力な対空火力を備えており、移動式対空砲台として活躍できた。
Kuva todennäköisesti Lahdenpohjassa pidetystä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) paraatista 13.8.1942. Tapahtumasta Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka selosteessa päiväys 13.8.1942. Kyseisistä lautoista (Siebel-lautta) kuvia myös muilta päiviltä (esim. 10.8., 11.8., 31.7.). Lautan it-tykit mallia 8,8 cm FlaK 37, suomalaisittain 88 ItK/37 RMB.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-1 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はMuseoiden Finna・sa-kuva-18858引用。


ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北していた。冬戦争に敗北したフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、今度は、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争を戦った。冬戦争の2カ月前から、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と会戦するはずがなかった。


写真(右)1942年8月1日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)港、8.8センチ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)を搭載したドイツ海軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)の航行
;ガンシップは、双胴の艀の上に対空兵器を搭載したもので、外洋航行はできない吃水の浅い艀である。しかし、ラトガ湖のような波のない湖では、強力な対空火力を備えており、移動式対空砲台として活躍できた。 88ミリ対空砲は、ドイツ軍の8.8 cm FlaK 37、フィンランド軍kp88 L / 37 RMB。
Kuva todennäköisesti Lahdenpohjassa pidetystä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) paraatista 13.8.1942. Tapahtumasta Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka selosteessa päiväys 13.8.1942. Kyseisistä lautoista (Siebel-lautta) kuvia myös muilta päiviltä (esim. 10.8., 11.8., 31.7.). Lautan it-tykit mallia 8,8 cm FlaK 37, suomalaisittain 88 ItK/37 RMB.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-01 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真はMuseoiden Finna・sa-kuva-18889引用。


3.7センチ対空機関砲 フィンランド軍の対空砲台式水上ガンシップ(Siebelフェリー)は、双胴の艀の上に8.8センチ高射砲(8.8センチ FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)、1937年式3.7センチ対空機関砲37 ItK / 37 RMB)、20ミリ四連装機関銃のような強力な対空火器を搭載した移動式対空砲台である。

対空砲台式水上ガンシップ(Siebelフェリー)は、吃水の浅い艀で、外洋航行は全く期待できないが、ラトガ湖のような波のない湖や内水面では、強力な対空火力を武器にして、湖水上を移動する対空砲台として臨機応変に活躍できたようだ。フィンランドでは、少なくとも対空砲台式水上ガンシップ3隻がラトガ湖で使用されている。


写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、水上対空砲台ガンシップのドイツ製1938年式20ミリ四連装対空機関砲(2 cm Flak 30/38/Flakvierling)を操作するライフジャケットを着たドイツ軍兵士
;ドイツ特別東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって撮影された一連の写真(104646-104659)。
Lautat ja I-veneet matkalla Käkisalmen satamaan. Taustalla Waldhofin tehtaat. Kuvassa nelosilmatorjuntatykki 2 cm Flak 30/38/Flakvierling. Se koostui neljästä 20 ItK/30 -tykistä.
Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1942-08-31 Sot.virk. C.G. Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-30842引用。



写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、ドイツ製1937年式37ミリ対空機関砲(37 ItK / 37 RMB)・20ミリ四連装機関銃を搭載したドイツ軍の対空機関砲を搭載した水上対空砲台ガンシップ
;1937年式37ミリ対空機関砲は、ドイツ軍の3.7 cm Flak 37だが、フィンランド軍では、37 ItK / 37 RMB(Rheinmetall-Borsig)と呼称された。 ドイツ特別東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって撮影された一連の写真(104646-104659)。
Saksalainen lautta paraatissa Lahdenpohjan edustalla. Sama kuva kuin JSdia172. Mustavalkoisista SA-kuvista löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama kuvasarja 104646 - 104659, joka samasta tilanteesta. Näiden alkuperäisessä kuvaselosteessa on kuvauspäiväksi/paraatin ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Diaan merkit.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165706:JSdia172引用。


3.7センチ対空機関砲 ラインメタル社は、1930年式2センチ対空機関銃(2 cm Flak 30)を37ミリ口径に強化した3.7cmFlak 18を開発したものの、大量生産はされず、改良型の1937年式3.7センチ対空機関砲3.7 cm Flak 37)、ついで1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)が量産されている。ドイツ軍の1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37)は、フィンランド軍では、RMB37ミリ機関砲(37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)として採用されてエイル。
1943年式3.7センチ対空機関砲(3.7 cm Flak 43)の諸元
発射速度150 発/分
砲口初速770–820 m/秒
有効射程4,200 m。


写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、1937年式88ミリ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)
;ドイツ特別東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって撮影された一連の写真(104646-104659)。
Saksalainen lautta paraatissa Lahdenpohjan edustalla. Sama kuva kuin JSdia172. Mustavalkoisista SA-kuvista löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama kuvasarja 104646 - 104659, joka samasta tilanteesta. Näiden alkuperäisessä kuvaselosteessa on kuvauspäiväksi/paraatin ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Diaan merkit.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165706引用。


8.8 cm FlaK 37  1941年7月、フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、ハカリスティ(Hakaristi)を再び掲げて、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻しつつあった。

現在、ロシア連邦カレリア共和国だが、1941年6月にフィンランドが自らから進んで始めた継続戦争の初期に、ラフデンポヒヤを占領し、ラトガ湖の水上交通を利用した防衛戦の拡張・強化を企図していた。これが「大フィンランド」の構想につながってくる。


写真(上)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、フィンランドに派遣されたドイツ海軍東部特殊部隊(Einsatzstab Fähre Ost)水上艦の水兵
;ライフジャケットを着てヘルメットを被って、手旗信号を送っている。1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)が撮影した(104646 - 104659)。
Saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) paraatista Lahdenpohjasta. Kyseisestä tapahtumasta löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Diaan merkitty "Laatokalta 10.8.-42". Kuvassa saksalanen tykkilautta, jolta viestitään muille aluksille lippuje
Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165800引用。


1941年6月、フィンランド軍は継続戦争を始め、ソ連に侵攻した。この時、カレリア地方でも進軍し、カレリア地峡に連なるラドガ湖、東カレリアのオネガ湖にまで軍をすすめ、占領地を拡大した。ラフデンポヒヤ(Лахденпо́хья:Lahdenpohja)は、ラトガ湖の北西端にある街で、大きな入り江の奥に位置している。

写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、ドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)艦上のレイズナー・備アンチ―二(Leissner Bianchini)大尉らが乾杯をしている。;ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)。
Korvettikapteeni Bianchini, Leissner ja Siebel kohottavat maljansa.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-18938引用。


写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、1937年型88ミリ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー);ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)。これらの対空フェリー(Siebel Ferries)は、7月31日、8月10日、8月11日、他の日にも撮影されている。
Lahdenpohjassa pidetystä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) tarkastuksesta/paraatista. Lahdenpohja, Laatokka 1942.08.00.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165913:JSdia178引用。


写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、3.7センチ対空機関砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)と2センチ四連装対空機関銃を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー);ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)。
Kuva todennäköisesti Lahdenpohjassa pidetystä saksalaisen laivasto-osaston (Einsatzstab Fähre Ost) paraatista 13.8.1942. Tapahtumasta Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka selosteessa päiväys 13.8.1942. Kyseisistä lautoista (Siebel-lautta) kuvia myös muilta päiviltä (esim. 10.8., 11.8., 31.7.). Lautan it-tykit mallia 8,8 cm FlaK 37, suomalaisittain 88 ItK/37 RMB.
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165913:JSdia181引用。


8.8 cm FlaK 37 ドイツ製クルップ8.8センチ FlaK 18, 8.8センチFlaK 36, 8.8センチ FlaK 37高射砲の諸元
全長 5,791mm
砲身長 4,938mm
全高 2,100mm
重量 7,407kg
口径 88mm
旋回角 360度
発射速度 15-20発/分
有効射程 14,810m(対地目標)
有効射高        7,620m(対空目標)
最大射高 11,900m(対空目標)
生産期間 1933–1945年
生産数 21,310門


写真(上)1942年6月28日、ドイツ軍の支援を受けて建造したフィンランド軍の対空砲台式水上艇
;8,8センチ高射砲、20ミリ対空機関砲を搭載している。乾舷は低く外洋航行はできないが、内陸湖沼では十分に機動力を発揮できた。
Saksan ilmavoimien (Einsatzstab Fähre Ost) raskas tykkilautta (Siebel-lautta, uppoumaltaan 143 tonnia) Lahdenpohjan edustalla pidetyssä paraatissa. Lahdenpohja, Laatokka 1942.08.13
写真はThe Finnish Defence Forces・JSdia173引用。



写真(上)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、フィンランドで建造したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー)
:88ミリ高射砲(8.8 cm FlaK 37:フィンランド軍 88 ItK / 37 RMB)、20ミリ対空機関砲を搭載している。乾舷は低く外洋航行はできないが、内陸湖沼では十分に機動力を発揮できた。
Saksan ilmavoimien (Einsatzstab Fähre Ost) tykkilautta (Siebel-lautta) Lahdenpohjan edustalla pidetyssä paraatissa. Kyseisestä tapahtumasta löytyy Carl Rosenqvistin kuvaama mustavalkoinen kuvasarja (104646 - 104659), jonka ajankohdaksi merkitty 13.8.1942. Vastaavia kuvia löytyy myös muiden kuvaajien kuvaamina mm. 11.8.1942 (ks. kuva 103772). Diaan merkittyi "Laatok
Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・JSdia173引用。


写真(右)1942年8月13日、カレリア地峡北口、ラトガ湖北端、レニングラード北200キロ、入り江となっているラフデンポヒヤ(Lahdenpohja)沖、1937年式37ミリ対空機関砲(3.7 cm Flak 37;37 ItK / 37 RMB:Rheinmetall-Borsig)と2センチ四連装対空機関銃を搭載したドイツ軍の水上対空砲台ガンシップ(Siebelフェリー);ドイツ東部軍(Einsatzstab Fähre Ost)の水上パレードの写真で、 1942年8月13日にカール・ローゼンクヴィスト(Carl Rosenqvist)によって記述された一連の写真(104646-104659)。
Raskaiden saksalaisten Siebel-lauttojen paraatista Laatokalta. Vrt. vastaavat Carl Rosenqvistin kuvaamat mustavalkoiset SA-kuvat (esim. 104654. Aika- ja paikkatiedot mv-kuvista), joiden selosteeseen merkitty ajankohdaksi 13.8.1942. Diaan merkitty 10.8.1942...
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-08-13 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真はThe Finnish Defence Forces・sa-kuva-165785引用。



2.1942年、フィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)


写真(上)1941−1944年、フィンランド南岸、ヘルシンキ西150キロ、ハミナの沖合20キロのウルコ=タミオ(Ulko-Tammio)島西海岸のフィンランド軍水上艦艇(VMV)の基地に停泊する警備艇第17号(VMV 17)の正面、その後ろに水上警備艇第9号(VMV 9)
:前甲板は7.62ミリ機関銃のようで、後甲板の20ミリ機関銃よりも小型で銃架も異なっている。Vartiom
Vartiomoottoriveneiden (vmv) tukikohta Ulko-Tammion Länsilahdessa. Edessä VMV 17, sen takana VMV 9. Diaan merkitty ""Hanko", mutta ko. veneiden tukikohta Ulko-Tammio on Haminan edustalla. Teoksesta Sodan värit. Valokuvia Suomesta vuosilta 1941-1944 (WSOY 2000), s. 117: Kapteeniluutnantti H. Carringin johtama 2. Vartiom
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: ajoittamaton Suomela, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166324引用。


1942年、フィンランド南岸、ヘルシンキ西150キロ、ハミナの沖合20キロのウルコ=タミオ(Ulko-Tammio)島西海岸のフィンランド軍水上艦艇(VMV)の基地にあった警備艇(Vmv Laivuen:VMV)は、VMV 1、2、13、14、15、16の6隻で構成されていた。

写真(右)1942年7月14日、フィンランド、海上を航行するフィンランド軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)第9号(VMV 9):後甲板に20ミリ機関銃が搭載されているが、前甲板は小型の7.62ミリ機関銃なのか銃架も異なっている。1942年、フィンランドのペリング(Kungsholmen)水上艦艇基地は、警備艇(Vmv Laivuen:VMV)VMV 1、2、13、14、15、16の6隻が配属され、1941−1944年、フィンランド南岸、ヘルシンキ西150キロ、ハミナの沖合20キロのウルコ=タミオ(Ulko-Tammio)島西海岸の水上艦艇基地には、水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)第9号(VMV 9)と少なくとももう1隻が配属されていた。
Vartiomoottorivene 9 (VMV 9) Somerin taistelun jälkeen, mahdollinen kuvausajankohta 14.7.1942.
Organisation Sotamuseo
Kuvaustiedot: ajoittamaton Suomela, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166149引用。


フィンランド軍水上警備艇第1号型(Vartiomoottorivene 1)の諸元
乗員 8名
ドイツ・ブレーメンにて1930年建造
1950年退役
排水量 30 トン
全長 23,5 m、 全幅 4,2 m
乾舷 1 m
最高速力 25ノット
発動機 ドイツ製マイバッハ(Maybach) V-12エンジン
最高出力 560馬力 巡航出力 100 馬力
兵装 デンマーク製マドセン(Madsen) 20ミリ機関銃1丁

フィンランド海軍 1941年6月、ドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では、フィンランドは,ルーマニア同様、積極的攻勢をかけることが期待されていた。ドイツは、フィンランド北部、北極海に面したぺツァモと近郊の希少資源ニッケル鉱床を保持するだけでなく、カレリア地峡南端のソ連レニングラードと北極海の不凍港ムルマンスクを結ぶ鉄道を遮断する作戦を実行に移した。つまり、ドイツは、既に全土を占領したノルウェー北部から、フィンランド北部にドイツ第21軍北方軍団を進駐させ、そこからムルマンスク方面を攻撃する計画だった。この極北でのソ連侵攻に、ドイツ軍とフィンラ ンド軍が参加し、さらにカレリア地峡のすべてを占領し、レニングラードを攻略するために、ラドガ湖周辺にもフィンランド軍が侵攻する計画だった。このようにしてフィンランドは、ドイツの対ソ戦争「バルバロッサ作戦」に組み込まれいた。特に、1941年1月には、ノルウェー派遣ドイツ軍は、極北戦線で「銀狐作戦」(Silberfuchs)によって、コラ半島のソ連軍を撃滅し,ムルマンスク鉄道に沿って、白海とフィンランド湾の間にあるカレリア地峡まで進出する計画を立てていた。

1942年、フィンランド沖、フィンランド湾、ペリング(Kungsholmen)水上艦艇基地は、警備艇(Vmv Laivuen:VMV)VMV 1、2、13、14、15、16の6隻が配属され、1941−1944年、フィンランド南岸、ヘルシンキ西150キロ、ハミナの沖合20キロのウルコ=タミオ(Ulko-Tammio)島西海岸の水上艦艇基地には、警備艇第9号(VMV 9)と少なくとももう1隻が配属されていた。

写真(右)1942年夏(?)、フィンランド、煙幕放出実験をしているフィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)第9号 (VMV 9):後甲板に20ミリ機関銃が搭載されているが、前甲板は小型の7.62ミリ機関銃なのか銃架も異なっている。フィンランド軍水上警備艇第1号型(Vartiomoottorivene 1)の諸元は、 乗員 8名 ドイツ・ブレーメンにて1930年建造 1950年退役 排水量 30 トン 全長 23,5 m 全幅 4,2 m 乾舷 1 m 最高速力 25ノット 発動機 ドイツ製マイバッハ(Maybach) V-12エンジン 最高出力 560馬力 巡行 100 馬力 兵装 デンマーク製マドセン(Madsen) 20ミリ機関銃1丁
Vartiomoottorivene 9 (VMV 9). Suomela, valokuvaaja Vartiomoottorivene 9 (VMV 9). Sama kuva kuin JSdia110.
Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info: undated Suomela, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166329引用。


ドイツ海軍 水雷艇 フィンランド国防軍参謀総長へインリクスは,ドイツに空路訪れ、1941年5月25日から,国防軍作戦部長ヨードルらと会談し、レニングラード攻略と極北作戦について概説し,ラドガ湖周辺への攻勢、ムルマンスク攻略への協力、ハンコ租借地のソ連軍基地攻撃への参加を話し合い、情報交換をなした。こうして、フィンランドは、ドイツのソ連侵攻に際して、 軍事同盟の締結をしたわけではないが、フィンランド軍の動員、ドイツ空軍への基地提供など具体的な話題をも取り上げ、ドイツのソ連侵攻に併せて、フィンランドもソ連との戦争を始める決意があることを間接的に伝えていた。

フィンランド国防軍参謀総長へイン リクスは, ドイツに対し、1941年6月10日にフィンランドの動員が、6月28日には作戦準備が完了する伝えたがと通告した。他方、大統領リュティは、 6月14日に外交委員会を召集し、ドイツとの軍事的協力を承認している。準備万端の中、日本同様、フィンランドも6月17日、ドイツによる対ソ侵攻が6月22日に開始されることを暗示され、対ソ戦争の開始を固唾をのんで見守っていた。


写真(上)1941−1944年、フィンランド南岸、ヘルシンキ西150キロ、ハミナの沖合20キロのウルコ=タミオ(Ulko-Tammio)島西海岸のフィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)の基地に停泊するフィンランド軍第2水上部隊(2 / VmvLv)所属の警備艇第9号(VMV 9)
;水上艦艇の搭乗員は、ヘルメットに救命胴衣(ライフジャケット)を着用している。奥にも警備艇が停泊している。
Ulko-Tammio, Länsilahti. Vartiomoottoriveneiden tukikohta, 2/VmvLv. Etualalla vartiomoottorivene 9 (VMV 9).
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: ajoittamaton Suomela, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166339引用。


ポリカルポフ I-16 3年2カ月に及ぶ第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Jatkosota)は、北限の死闘であり、雪・氷・霧による航空兵力・軌道兵力の使用が制限され、少数劣勢のフィンランド軍は、大群のソ連軍を相手に善戦できた。

極北フィンランドでの闘いは、厳寒や森林など気象条件・地形が、大兵力の展開や機動戦を困難にしていたため、フィンランド軍にとって、兵士一人一人の能力を活かせる状況が生まれた。

日米太平洋戦争で言えば、アリューシャン列島・樺太(サハリン)など北方戦線は、1943年5月のアッツ島攻防戦を除いて、1945年8月まで静謐だったことが思い出される。

写真(右)1942年6月18日、フィンランド、航行して煙幕放出試験をするフィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene):後甲板に搭載されているのは20ミリ機関銃ではなく、1932年にマキシム(Maxim)M/32あるいはM/33機関銃のようだ。発射速度は」毎分850発。
Sumutusharjoitus. Everstiluutnantti Susitaival ja komentaja Göransson seuraamassa (eivät näy kuvassa). Tiedot värikuvien selosteesta....
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1942-06-16 Erik Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166024引用。


フィンランド国防軍総司令官 カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Emil Mannerheim)元帥は、ソビエト連邦を相手に1939年に冬戦争を、1941年7月から第二次世界大戦時にソ連と戦ったが、その時期にフィンランド国防軍総司令官を勤めた。


写真(上)1942年6月16日、フィンランド、航行しているフィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)による「煙幕展開運動」を視察したフィンランド海軍の司令官ゴラン(Göransson)中将
:後甲板に搭載されているのは20ミリ機関銃ではなく、1932年にマキシム(Maxim)M/32あるいはM/33機関銃のようだ。煙幕が落ちる姿をエリック・ブロンベルク(Erik Blomberg)がカラー写真で撮影したのカラー写真のシリーズが残っている。Göransson
Sumutusharjoitus. Everstiluutnantti Susitaival ja komentaja Göransson seuraamassa. Tiedot värikuvien selosteesta.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1942-06-16 Erik Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166103引用。


1941年1月4日にフィンランド首相となったヨハン・ウィルヘルム・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は、1941年6月22日、ドイツのソ連侵攻を契機として、ソ連に攻め入った。これは、1939年の冬戦争で敗れ失った国土カレリア地方を奪還するというのが目的だったが、共産主義者の反乱を鎮圧して独立したフィンランドは、当初から共産主義ボリシェビキのソビエト連邦を警戒、仮想敵としていたから、これは、脅威となっているソ連に対する弱体化の戦争とも考えられる。


写真(右)1942年6月16日、フィンランド、航行しているフィンランド海軍の水上警備艇(VMV: Vartiomoottorivene)による「煙幕展開運動」を視察したフィンランド海軍の司令官ゴランソン(Göransson)中将
:煙幕が落ちる姿をエリック・ブロンベルク(Erik Blomberg)がカラー写真で撮影したのカラー写真のシリーズが残っている。後甲板に搭載されているのは20ミリ機関銃ではなく、1932年にマキシム(Maxim)M/32あるいはM/33機関銃のようだ。
Sumutusharjoitus. Everstiluutnantti Susitaival ja komentaja Göransson seuraamassa. Tiedot värikuvien selosteesta.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1942-06-16 Erik Blomberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-166103引用。


1941年ドイツ海軍水雷艇 フィンランド軍水上警備艇第1号型(Vartiomoottorivene 1)の諸元
乗員 8名
建造:ドイツ・ブレーメン造船所;1930年
1950年退役
排水量: 30 トン
全長: 23,5 m
全幅: 4,2 m
吃水: 1 m
最高速力: 25ノット
発動機:ドイツ製マイバッハ(Maybach) V-12エンジン
最高出力: 560馬力
巡航出力: 100 馬力
兵装:デンマーク製マドセン(Madsen) 20ミリ機関銃1丁

1941年6月のドイツのソ連侵攻に引き続いて行われた、フィンランドのソ連侵攻「継続戦争」において、開戦当初から、東カレリアへ順調に進軍を続け、当時のソ連領だった東カレリアの多くを1941年中に占領することができた。つまり、ロシア連邦カレリア共和国、当時はソビエト連邦だった東カレリアにまで、継続戦争の初期1941年にソ連に侵攻したフィンランド軍は侵攻し、東カレリアを占領し、調査員を派遣して、居住していたラップ人、フィンランド人の情報を収集した。これは、円滑な占領政策のためだが、フィンランドにとっては、ソ連領の併合、自国領土の拡張占領を念頭に置いた占領政策だった。


3.フィンランド海軍装甲海防艦「イルマリネン」「ワイナミョイネン」

写真(右)1940年3月10日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦装甲海防艦「イルマリネン」(Ilmarinen)のイギリス製ヴィッカース 40ミリ39口径連装機関砲銃座の水兵:照準器は照星式で砲側照準だけのようだが、第二次大戦直前から、機銃管制指揮塔によって、複数の機銃座を連携して操作する方式も普及していた。
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Panssarilaiva Ilmarisen konetykki. Tuntematon, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1940-03-10 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum .sa-kuva-9694引用。


フィンランド海軍の国産イルマリネン級 装甲海防艦「イルマリネン」Ilmarinen)は、前・後甲板にスウェーデン製ボフォース25.4センチ(10インチ)連装砲各1基合計4門、副砲のボフォース10.5センチ連装高角砲各1基合計4門を搭載している重火器戦闘艦艇であるが、基準排水量は3,900トンと軽巡洋艦よりも小型である。このような外洋航海の困難な装甲海防艦は、北欧・ソ連のように、フィンランド湾、ボスニア湾、バルト海のような狭い海域を戦場と想定した海軍が建造している。

海軍基地 (小艦艇用係留地) フィンランド軍イルマリネン級 装甲海防艦「イルマリネン」Ilmarinen)に、イギリス製ヴィッカース QF 2ポンド砲、別名2ポンド・ポンポン砲をヴィッカース40ミリ39口径機関砲として採用した。これは、日本海軍も「毘式四十粍機銃」の名称で採用した対空用機関砲である。発射によって過熱した銃身を冷却するために、銃身の周囲に水を通す管が撒いてあり、銃身が太く見える。これが、水冷機関銃の特徴である。

ヴィッカース40ミリ機関砲の弾薬は、口径40ミリもあるために、鉛玉だけではなく破裂する榴弾も準備されていた。装弾方式はベルト給弾で、35発入り布ベルトが使用されている。イギリス海軍は、このヴィッカース40ミリ機関砲を8連装にした大型銃架を戦艦、巡洋艦に搭載していたが、フィンランド海軍も日本海軍も、単装のみを採用した。

写真(右)1941年3月11日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「イルマリネン」(Ilmarinen)舷側に装備されたボフォース10.5センチ連装高角砲と操作要員:後方には、弾薬が弾頭を上にして格納されている。砲塔は後方が開放されており、弾片・破片からの防御には不十分であるが、操作性、視界確保。弾薬運搬の観点から密閉式とはしなかった。
Panssarilaiva Ilmarisen ilmatorjuntatykki (105 mm:n Bofors). Tuntematon, valokuvaaja
Organisation Military Museum Photo info: 1940-03-11 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108712引用。


20mm対空機関砲 フィンランド海軍イルマリネン級 装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)は、フィンランドのクライトン・フルカン社トゥルク造船所で1927年8月に起工、1932年12月28日に就役した装甲海防艦で、基準排水量3,900トン、全長93メートル、全幅17メートルは駆逐艦並みの大きさ。最高速力は14.5ノットと小型護衛艦や掃海艇よりも低速で、吃水は5メートルと浅いために遠洋航海は不可能である。しかし、主砲は強力でスウェーデン製ボフォース25.4センチ(10インチ)連装砲2基を搭載しており、建造当初からフィンランド湾のような近海での航行を前提に、海上移動砲台として構想されている。

写真(右)1941年3月11日、フィンランド沖、フィンランド海軍 装甲海防艦「イルマリネン」の副砲ボフォース10.5センチ連装高角砲と操作要員:後方には、弾薬が弾頭を上にして格納されている。航空機を射撃するために、仰角を大きくとったまま弾薬を装填できるのがこの高角砲の特徴である。他方、同時代の日本海軍の12センチ砲は、高角砲のように使用できたが、それは仰角を大きくとる事ができただけのことで、重量のある弾丸を装填するには、砲身を水平に戻さないできなかった。
Panssarilaiva Ilmarisen 105 mm:n Boforsin ilmatorjuntatykki. Tuntematon, valokuvaaja
Organisation Military Museum Photo info: 1940-03-11 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108715引用。


カレワラ カレワラ フィンランド海軍でもっとも大型の軍艦であるイルマリネン級 装甲海防艦「イルマリネン」Ilmarinen)の命名は、フィンランド国民叙事詩「カレワラ」(Kalevala)の主人公に由来する。カレワラは、フィンランド各地でカンテレ(竪琴)に乗せて歌い継がれてきた民族叙事詩を19世紀初頭、リョンロットが採集・編纂してまとめたもの。暗喩や想像力が展開するフィンランドの代表的文芸作品である。フィンランド最大級の海軍艦艇の名称は、そのカレワラに登場する英雄イルマリネンIlmarinen)に因んだものである。

装甲海防艦[ワイナミョイネン」(Väinämöinen)も民族叙事詩「カレワラ」に登場する魔力を持つ賢者の名前に由来している。ワイナミョイネンVäinämöinen)は、フィンランドの民間伝承と国民的叙事詩『カレワラ』に登場する老賢者にして、魔力を秘めた声の持ち主にして、フィンランドの英雄である。

写真(右)1941年3月11日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「イルマリネン」(Ilmarinen)副砲のボフォース10.5センチ連装高角砲と操作要員:後方には、弾薬が弾頭を上にして格納されている。高射砲座指揮官は、レシーバーと音声伝達管を装着している。日本海軍は、伝声管を使用しており、小型の携帯マイクを実用化できるだけの技術も工業力も備わっていなかった。
""Panssarilaiva Ilmarisen 105 mm:n Boforsin ilmatorjuntatykki. Tuntematon, valokuvaaja
Organisation Military Museum
Photo info: 1940-03-11 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108716引用。


「カレワラ」(Kalevala) は、19世紀に、医師エリアス・リョンロート(Elias Lönnrot:1802-1884)が17世紀以来の古い民間伝承を編集したフィンランド語の叙事詩で、デンマーク、スウェーデン、ロシアの支配下にあった少数民族としてのフィンランド人の固有の文化を象徴するものである。主要人物のワイナミョイネン、イルマリネン、レンミンカイネンは、人間生活を営んではいるが、超人的な能力をもち、フィンランド人を率いて英雄的な行動をとる超人である。

カレワラ フィンランド民族叙事詩「カレワラ」に登場するワイナミョイネンVäinämöinen)は、不滅の屈強な賢者として、白髭の長老として描かれる。知識と魔法の力により、英雄としてふるまい、その言葉は教訓・訓戒そのものである。

フィンランド民族叙事詩「カレワラ」に登場するイルマリネンIlmarinen)は、不滅の屈強な匠(たくみ)であり、壮年の鍛冶屋として描かれる。ワイナミョイネンに必要な道具も、魔法の鍛冶の能力で生み出すことができる。

他方、現実のフィンランド軍は、兵器の国産に固執しなかったために、ドイツ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、イタリア、ソ連から優秀な外国製品を選んで輸入あるいは鹵獲して、前線部隊に配備することができた。

冬戦争、継承戦争の時のフィンランド軍は、急遽購入した外国兵器、ソ連から戦時中に鹵獲した兵器など、非常に多様な雑多な兵器のを寄せ集めて使用した。そこで、各種口径、弾薬、部品、発動機など整備と補給には手間がかかったであろうが、本土周辺でしか戦わず、遠征軍を遠方に派遣したこともなかったために、混乱は最小限に止められたようだ。

写真(右)1941年3月11日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「イルマリネン」(Ilmarinen)のイギリス製ヴィッカース 40ミリ39口径対空機関砲と操作要員:装甲海防艦「イルマリネン」の対空兵装は強力で、スウェーデン製ボフォース 105ミリ50口径連装両用砲4基8門、イギリス製ヴィッカース 40ミリ60口径連装機関砲1基、同単装機関砲1基、合計3門、デンマーク製マドセン 20ミリ単装機銃2基である。40ミリ機関砲の射撃照準装置と弾薬給弾ベルトが良くわかる。
Panssarilaiva Ilmarisen konetykki. Tuntematon, valokuvaaja
Organisation Military Museum Photo info: 1940-03-11 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108711引用。


フィンランド海軍装甲海防艦「イルマリネン」Ilmarinen)の採用したイギリス製ヴィッカース40ミリ39口径連装機関砲の原型はヴィッカースQF2ポンド・ポンポン砲(Vickers QF 2 pounder "pom-pom" gun)で、1892年に制式された初期型を発展させたMk.IIは、重量239 kg、全長95.6インチ(2,430 mm)、口径40 mm、銃身長1,574.8 mm (39.37口径) 、発射速度 200発/分、銃口初速2,040 フィート(620 m/s)、最大射程 6,220 m(6,800ヤード)。

写真(右)1941年7月1日、フィンランド沖、迷彩塗装をしたフィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」:左手前は、僚艦の装備したデンマーク製マドセン(Madsen)20ミリ60口径機関銃。艦名の「ワイナミョイネン」とはフィンランドの国民叙事詩「カレワラ」の登場人物の魔力を持つ賢者の名前。
""Väinämöinen"" Fred. Runeberg, valokuvaaja
Organisation Military Museum Photo info: 1941-07-01 Fred. Runeberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-89327引用。


フィンランド海軍装甲海防艦「イルマリネン」Ilmarinen)の搭載したデンマーク製 マドセン(Madsen)20ミリ60口径機関銃は、重量55キロ、全長2.5 m、銃身長(Barrel length)1.2 m、弾薬20 x 120 mm、弾薬重量0.29 kg (10 oz) APあるいは0.32 kg (11 oz) HE、口径20 mm、冷却方式 空冷、最高発射速度400発/分、銃口初速900 m/秒、有効射程500 m 、最大射程2,123 m (6,965 ft) 。

写真(右)1941年7月1日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen" )前甲板のスウェーデン製ボフォース25.4センチ(10インチ)連装砲1基2門、副砲のボフォース10.5センチ連装高角砲1基2門、艦橋脇にはデンマーク製マドセン 2センチ対空機関銃2丁を装備。
""Väinämöinen"" Päivämäärä epäselvä Fred. Runeberg, valokuvaaja
Organisation Military Museum
Photo info: 1941-07-01 Fred. Runeberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-73735引用。


フィンランド海軍イルマリネン級 装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)の主砲は、スウェーデン製ボフォース25.4センチ(10インチ)連装砲を前甲板と後甲板に各々1基合計2基4門を搭載し、副砲はボフォース10.5センチ連装高角砲4基8門で、ヴィッカース40ミリ滞空機関砲も装備するなど、小型戦艦並みの強力な火力を持つ。最高速力は僅か14.5ノットで商船並みの低速、航続距離も10ノットで700マイルと小艦艇以下でしかない。

敷設艦 津軽 フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」Military Museum)の諸元
基準排水量 3,900トン、常備排水量 4,100トン、全長 93.0メートル、水線長 90.0メートル、全幅 16.9メートル、吃水 4.5メートルという大きさは、列国の軽巡洋艦並みだが、搭載した主砲は、スウェーデンの兵器メーカのボフォースが開発した1929年式25.4センチ(10インチ)46口径二連装砲塔2基、同じくボフォース 10.5センチ50口径連装高角砲4基と、砲撃能力は非常に強力である。しかし、搭載した発動機は、ドイツの ゲルマニア社 ディーゼル・エレクトリック方式ディーゼル機関4基と電気モーター2基の2軸推進である。この機関の最大出力は4700馬力(3,500kW)と1000トン級の駆逐艦の出力2万馬力の四分の一の4,700馬力しかない。そのため、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」の最高速力は僅か15ノットと掃海艇や輸送船並みの低速で、搭載燃料は少なく航続距離は700マイルと飛行機並みの近距離行動しかできない。

写真(右)1941年7月1日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen" )のスウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10吋)連装砲塔と脇に立つ司令官:砲塔・砲身には迷彩塗装は施されていない。
""Väinämöinen"" Päivämäärä epäselväo
Content Type Photo Organisation
Military Museum Photo info: 1941-07-01 Runeberg, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum .sa-kuva-9719引用。


フィンランド海軍装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")の発動機であるディーゼル・エレクトリック方式とは、ディーゼル機関で発電機を駆動し、電気で電動機を回して推進力を得る。鉄道では、電気式ディーゼル機関車が採用している。電動機を使用することで、速力の増減や急速発進尚が容易にできる上に、内燃機関に比べディーゼル機関は、燃費が高いという利点がある。ただし、大出力を発揮するには、熱、運動、電気、回転とエネルギー転換が多いために効率が悪く、起工が複雑化するために、高速艦艇には向いていなかった。

フィンランド海軍装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")の主砲は、ボフォース設計になる1929年式25.4センチ(10インチ)46口径二連装砲塔である。10インチの弾丸(重量225キロ)は、最大仰角45度で3万3,140メートルの最大射程を飛翔する。砲身の射角は、仰角45度から俯角10度までで、砲塔の旋回角は、左右150度である。発射速度は毎分2発から3発、装填は弾丸と薬莢が分離しているので時間がかかる。

MK-2対空機関砲 イルマリネン級の装備した対空砲は、スウェーデンのボフォースが開発した1932年式10.5センチ50口径両用連装高角砲4基である。砲弾(重量16キロ)を最大仰角85度で最大到達高度1万2,000メートルまでうちあげることができるほか、水上艦艇に対しても仰角45度で最大射程1万8,200メートルまで砲弾が届く。操作は、電動旋回・電動仰角で旋回角度は左右100までで、俯仰は最大仰角85度・俯角10度である。機械式装填なので、発射速度は毎分15発と高い。

MK-2対空機関砲 フィンランド海軍イルマリネン級 装甲海防艦(Panssarilaiva )「イルマリネン」Ilmarinen)は、1927年発注、フィンランドのクライトン・フルカン社トゥルク造船所で1929年9月に起工、1931年6月9日進水、1934年4月17日に就役した装甲海防艦で、基準排水量3,900トン、全長93メートル、全幅17メートルは駆逐艦並みの大きさ。 吃水は5メートルと浅くフィンランド湾のような内海での航行を前提にした海上移動砲台として構想されている。主砲は、スウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10吋)連装砲2基4門で、副砲はボフォース10.5センチ連装高角砲4基8門で、小型戦艦並みの強力な火力を持つ。機関は、クルップ社ディーゼル電気機関4700馬力を搭載、最高速力は14.5ノット、航続距離も10ノットで700マイルと低速で行動半径も小さい。

装甲海防艦「イルマリネン」は、フィンランド海軍最大級の軍艦であり、1933年5月1日から1941年9月13日の機雷による撃沈まで、フィンランド海軍の旗艦の栄誉を担っている。

装甲海防艦「イルマリネン」(Ilmarinen)は、1941年9月13日、ドイツ海軍とともに、バルト海のエストニア沖サーレマー島(Saaremaa:面積2,700平方キロ)とヒーウマー島(Hiiumaa:面積1,000平方キロ)攻略作戦に参加した。その際、掃海作業の最中に、機雷が爆発し撃沈、水深70メートルの海底に逆さに沈没した。 乗員のうち271名が戦死し、警備艇第1号に救われたのは132名だった。

敷設艦 沖島 ドイツのソビエト連邦侵攻は、1941年6月22日だが、フィンランドは、1939年11月30日から1940年3月12日の対ソビエト冬戦争に敗北していた。冬戦争に敗北したフィンランド大統領リスト・ヘイッキ・リュティRisto Heikki Ryti)は、今度は、その報復として、1941年6月26日から1944年9月19日にかけて、ドイツとともに対ソビエト継続戦争を戦った。冬戦争の2カ月前から、イギリスもフランスも連合国として、ドイツと第二次世界大戦を戦っていたが、ソ連とは戦っておらず、あえてフィンランドを助けるために、ソ連と開戦するはずがなかった。

  1941年7月、フィンランド国防軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥の指揮の下、フィンランド軍は、フィンランド南東部、ソ連に割譲させられていたカレリア地方を攻撃し、再占領し、冬戦争で奪われた領土を取り戻しつつあった。


写真(上)1942年6月20日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")のスウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10吋)連装砲の砲身清掃作業をする水兵
: 小銃のライフル部分を洗浄・掃除する洗い矢と同じで、砲身内面の清掃を行うための棒ブラシ状の棒を砲口から挿入して砲身内部を清掃している。砲塔と砲身にも迷彩塗装が施されている。艦橋近く上部にはボフォース10.5センチ連装高角砲が見える。
Tykkien jynssäystä. Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja ..
Organisation Military Museum Photo info: 1942-06-20 Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-12634引用。


40mm対空機関砲 フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")の主砲は、スウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10吋)連装砲塔2基であるが、この大口径10インチ砲の弾薬は、重量が嵩むために、弾頭部分の弾丸と装薬部分の薬莢とは分割されている。一つずつ垂直孔から甲板下にある弾薬庫に吊り下げて、弾丸と薬莢とを別々に保管する。砲身に装填する場合も、弾丸と薬莢は別々に装填するので、1階の発射作業に2回の装填作業が必要になる。弾頭と装薬の双方を装填するのは時間がかかり、発射速度も遅くなってしまう不利がある。

しかし、10インチ口径の弾丸・薬莢一体型の弾薬は、非常に重くなり、運搬や操作は機械化しなければ無理であり、狭い垂直孔から吊下げ弾薬庫に保管するといっても、全長も大きく扱いにくくなってしまう。そこで、発射速度の不利を甘受して、軽量化できる弾丸・薬莢の分離式の弾薬としたのである。

写真(右)1942年6月20日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")のスウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10インチ)連装砲内部での25.4センチ砲弾の運搬・装填作業をする水兵:船体にある弾薬倉から、弾薬が砲塔にまで運搬されてきた。ドイツのポケット戦艦の主砲は、長砲身の28センチ(11インチ)三連装砲だった。
Ammushuoneesta ammukset nousevat tykkitorniin..
Organisation Military Museum
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-12595引用。


フィンランド海軍イルマリネン級 装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)の諸元
フィンランドのクライトン・フルカン社トゥルク造船所
1927年8月起工
1932年12月28日就役

基準排水量3,900トン
全長93メートル、全幅17メートル
吃水5メートル
主砲:スウェーデン製ボフォース 25.4センチ(10インチ)連装砲2基4門
副砲:ボフォース10.5センチ連装高角砲4基8門
機関:クルップ社ディーゼルエンジン4基、電動モーター2基、4,800馬力
最高速力:14.5ノット
航続距離:10ノット/700マイル
搭載燃料:重油93トン
装甲: 舷側水線部:50-55mm、水平甲板:20mm
主砲塔前部:100mm、司令塔:120mm
乗員 410名

写真(右)1942年6月16日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")のスウェーデン製ボフォース 40ミリ対空機関砲を操作する水兵たち:照準器は照星式で砲側照準だけのようだが、第二次大戦直前から、機銃管制指揮塔によって、複数の機銃座を連携して操作する方式も普及していた。
Konetykki harjoittelee.
Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-06-16
Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum .sa-kuva-9694引用。


スウェーデンの兵器製造メーカーボフォースBofors)は、1646年にスウェーデンのカールスコーガに設置された製鉄所が期限であるが、1894年にダイナマイトの発明家アルフレッド・ノーベルがこの鉄工所の経営を任されてから、飛躍的に拡大した。新たに兵器開発部門を興して、火器・化学の分野に大きく進出したのである。ボフォース40ミリ60口径対空機関砲(Bofors 40mm/L60)は、ボフォース社の代表的兵器で、フィンランド軍だけではなく、アメリカ軍、イギリス軍、日本軍も採用した優秀な火砲だった。

対空機関銃(機関砲)の照準方式には、
1)照星式の砲側照準
2)機銃管制指揮塔による複数機銃の連携操作
の2方式がある。少数の機関銃しかない場合には、砲側照準だけのほうが軽量化、スパース節約の可能で有利である。しかし、多数の対空機関銃を操作する場合には、射撃時の排煙、視界の確保のうえからも、高所に設置した機銃管制指揮塔によって、照準し、そこで敵機を射撃をする方式のほうが命中率が良くなる。

写真(右)1942年6月16日、フィンランド、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)艦橋脇に設置されたスウェーデン製ボフォース40ミリ60口径対空機関砲:右手前には、連絡や旧名救助に使われる短艇に防水カバーをかけて格納してある。
Konetykki harjoittelee. Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-06-16 Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-22957引用。


スウェーデン製ボフォース40ミリ60口径対空機関砲の諸元
重量:1,981 kg (4,370 lb)
弾薬:L/60 40x311mmR(1.57in)
口径:40mm L/60
砲架:522 kg (1,150 lb)
仰角:マイナス5度から90度
旋回角:360度
旋回速度:50度/秒
発射速度:毎分120発
初速:881 m/秒 (2,890 ft/s)
最大射程:7,160 m (23,490 ft)

 フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)のように4000トンクラスの中型艦の防御力は、せいぜい軽巡洋艦か駆逐艦並みであり、攻撃よりも大口径砲を用いた火力、攻撃力に重きを置いていて、戦闘能力はバランスが悪く、火力偏重の設計になっている。しかし、小型で大口10インチ(25.4cm)砲を搭載した低速(14.5ノット)の装甲海防艦は、フィンランド湾のような内海で行動力や高速航行があまり求められない海域で、防衛用、海峡封鎖に使用するのであれば、経済的に有効である。

写真(右)1942年7月15日、フィンランド、樹木を使って厳重に対空偽装を施して係留されるフィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen):艦橋前に設置されたスウェーデン製ボフォース10.5センチ連装高角砲が見える。岸辺にある樹木を偽装用に艦上に配置したことで、岸辺と同じ種類の樹木が生えて一体化させることを企図した。偽装によって、上空からてソ連軍に発見される可能性は小さくなり、空襲を免れることができる。
Pl. Väinämöinen naamiointia ja naamioitu Väinämöinen. Laivan kaksoisilmatorjuntatykki on 40 mm:n 60 kaliiperin Bofors 2 x 40 ItK L/60 B. Sot.virk. Esko Suomela(ソット・ヴァーク エスコ・スオメラ), valokuvaaja(撮影者)
Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-07-15 Sot.virk. Eino Varo, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-22957引用。


 フィンランド海軍最強の艦艇である装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)の舷側装甲は水線部50ミリと巡洋艦以下であり、甲板装甲は13ミリから20ミリと薄く、飛行機から投下される250キロ爆弾にも耐えられない。
 装甲海防艦「ワイナミョイネン」の装甲は、最も厚い主砲塔が100ミリで、巡洋艦並みであるが、砲塔基部バーベットは30ミリと薄いために、被弾によって砲弾の誘発を起こしかねない。戦闘指揮を執る司令塔は120ミリと中口径砲に耐える構造になっている。
 しかし、装甲海防艦「ワイナミョイネン」の最高速力14.5ノットと輸送船護衛艦艇並み、航続距離700マイルは飛行機並みに短く、外洋での航行は当初より想定されておらず、沿岸用の火力偏重の戦闘艦である。

写真(右)1944年5月27日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")の出航時に舷側に勢ぞろいした乗員たちと見送る海軍軍楽隊:舷側のボフォース10.5センチ連装高角砲の防楯は後方が開放式になっている。艦橋上部には、大型の測距儀がついている。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108100引用。


写真(右)1944年5月27日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")の中央部の環境とマストのフィンランド海軍旗(白地に青十字)。艦橋上部には、大型の測距儀がついている。:マストや煙突には迷彩塗装が施されているのが明瞭にわかる。マスト先端には、密閉式の観測指揮所が設けられている。舷側に勢ぞろいした乗員たちと見送る海軍軍楽隊:舷側にはボフォース10.5センチ連装高角砲を備えた後方が開放された砲塔。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108101引用。


西側連合国は、1944年6月6日のノルマンディー上陸以降、西ヨーロッパから東進してドイツに向かっていたために、ソ連がドイツに侵攻しベルリンを攻略する前に、ドイツが西側連合軍と休戦・講和する可能性が残っていた。米英ソは、テヘラン会談でも枢軸国との単独講和をしないことを制約していたが、イタリアも事実上、攻撃していたアメリカ・イギリスと休戦していた。そこで、対ドイツ戦争戦争が終了した後のヨーロッパでの勢力圏分割を想定すると、ソ連はベルリンの単独攻略をぜひ実現したかった。そして、フィンランド軍が攻勢をとることができないほど弱体化した現状では、もはやフィンランドへの攻勢、フィンランド降伏に多大な兵量を割く必要性はなく、戦後を睨んで占領地を拡大するために、ドイツ・東ヨーロッパに侵攻する兵力を最優先すべき時期だった。

実際、ソ連は独ソ勃発3年目の1944年6月22日、バグラチオン作戦を発動し大攻勢をめにドイツ軍にかけていた。そこで、7月9日以降、フィンランド方面から機甲部隊・砲兵部隊など兵力をバルト海沿岸に転用していた。ソ連軍は、1944年7月12日、フィンランド方面での大規模攻勢を停止したのである。これを機会に、フィンランドもソ連も休戦・講和のための交渉をもつことが理にかなった行動となったのである。

写真(右)1944年5月27日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)舷側に勢ぞろいした乗員たちと岸壁で見送る海軍軍楽隊:舷側にボフォース10.5センチ連装高角砲
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi  Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108102引用。


 軍楽隊(Military band)は、正規のホールで音楽を奏でるよりも、野外で演奏することを期待されており、大音量を出すことのできる管楽器・打楽器といった吹奏楽が中心となり、室内楽のオーケストラのように弦楽器は脇役である。観兵式・閲兵式・観閲式など軍事パレードでは軍楽隊(Sotilassoittokunta)は、重要な位置を占めており、叙勲や栄誉礼の式典でも演奏は重要である。また、将兵の娯楽・士気昂揚のための音楽会も、軍歌・軍楽・行進曲などで果たす役割が大きい。音楽家にとって、戦時での平時でも、音楽を生業にできるようにも思えるが、戦時ともなれば、日本海軍軍楽隊は、艦上での暗号取次ぎ、伝令員としての戦いなど忙しかったという。

写真(右)1944年5月27日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)の出航に際してに舷側に勢ぞろいした乗員たち:右には港湾に設置された大型クレーンがあり、岸壁には輸送用の鉄道線路が敷設されている。舷側の四角い箱状のものは、ボフォース10.5センチ連装高角砲を収めた半開放式の砲塔。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108103引用。


 港湾や造船所に設置されたクレーンの多くは、長い船体の艦船の各所に移動して使用できるようなガントリークレーンGantry crane)が一般的である。ガントリークレーンGantry crane)とは、鉄道軌条のようなレール上を移動できる大型の橋脚型構造のクレーン(起重機)である。現在、東北で一番大きい仙台港のガントリークレーンは、折畳み部分を伸ばすと最長68メートルの長さになり、1時間に30個の大型コンテナを積み降ろしできる。

写真(右)1944年5月27日、フィンランド沖、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen)舷側に装備されたボフォース10.5センチ連装高角砲:砲塔の上に水兵が腹ばいになって、歓迎する海軍楽隊を見物している。:岸壁には輸送用の鉄道線路が敷設されている。高角砲の砲塔は軽量化、空間制約のために、後方が開放されている。そのために、被弾時の弾片・破片からの防御には不十分であるが、操作性、視界確保。弾薬運搬の観点から密閉式とはしなかった。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-108106引用。


写真(右)1944年5月27日、フィンランド、樹木を使って本格的な対空偽装を施して係留されるフィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen):艦橋前に設置されたスウェーデン製ボフォース10.5センチ連装高角砲が見える。ソ連空軍にフィンランド湾上空の制空権を開け渡してしまったフィンランド海軍は、ただ1隻残された装甲海防艦を隠匿式砲台として活用したかったのであろうか。岸辺にある樹木を偽装用に艦上に配置したことで、岸辺と同じ種類の樹木が生えて一体化させることを企図した。偽装によって、上空からてソ連軍に発見される可能性は小さくなり、空襲を免れることができる。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-124541引用。


1944年6月6日の西側連合軍(アメリカ・イギリス・カナダなど)の北フランスノルマンジー海岸侵攻に呼応して、6月21日、ソ連軍はフィンランド軍に対し大規模反攻(ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢)を行った。そして、フィンランド湾の制海権を確保するために、ソ連側は大きな障害となるフィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)を、フィンラン南岸ヘルシンキ=ヴィルボルグ中間、コトカ湾Kotka)に空襲した。ソ連空軍は、本来は地上近接支援が目的で、対艦船攻撃は低い優先度しかなかったが、それでも戦爆連合100機を差し向けて、コトカ湾を襲撃した。そして、装甲海防艦「ワイナミョイネン」に命中弾を与え、撃沈したとした。

しかし、このソ連機による爆撃で撃沈されたのは、ドイツ海軍の対空水上砲台だったニオベ(Niobe)でり、フィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」というのは誤報だった。装甲海防艦「ワイナミョイネン」は、岸辺に樹木で念入りに偽装されて係留、隠匿されており、ソ連軍は所在を発見できなかった。

写真(右)1944年5月27日、フィンランド、樹木を使って本格的な対空偽装を施して係留されるフィンランド海軍の装甲海防艦「ワイナミョイネン」(Väinämöinen):艦橋前に設置されたスウェーデン製ボフォース10.5センチ連装高角砲が見える。
Panssarilaivan miehistö kerääntynyt kuuntelemaan soittokunnan jäähyväiskonsertin. Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-05-27 Vänrikki R.Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Military Museum sa-kuva-124532引用。


冬戦争 ソ連空軍にフィンランド湾上空の制空権を奪われたフィンランド海軍は、フィンランド湾での自由な艦船航行は不可能になった。そこで、ただ1隻残された1932年建造の装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)の使い方が問題になった。制空権を失い、低速大型の装甲海防艦を積極的に使用するのは困難になったのである。また、浮砲台として活用するのも、事前にソ連空軍に発見されてしまえば、空襲され、主砲の攻撃力を活かす機会はない。そこで、攻撃を受けないように装甲海防艦を現存させるという「現存艦隊論」に基づく消極的使用法が選択された。有力な装甲海防艦があれば、ソ連軍はフィンランド湾、バルト海で常にその脅威を念頭に作戦行動をとることを強いられ、警戒・予備部隊に戦力を割かざるを得ないのである。

 フィンランド海軍主力の装甲海防艦「ワイナミョイネン」Väinämöinen)に岸辺に係留し、付近にある樹木を艦上に移して対空偽装をして、ネットを張って形状を隠すことで、艦船と岸辺・森林と一体化したかのようにした偽装が施された。この対空偽装によって、上空からてソ連軍に発見される可能性は小さくなり、空襲されずに、装甲巡洋艦のもつソ連軍への脅威を持続することができた。

ソ連空軍にフィンランド湾上空の制空権を開け渡してしまったフィンランド海軍は、ただ1隻残された装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")を隠匿式砲台として活用したかったのであろうか。岸辺にある樹木を偽装用に艦上に配置したことで、岸辺と同じ種類の樹木が生えて一体化させることを企図した。偽装によって、上空からてソ連軍に発見される可能性は小さくなり、空襲を免れることができる。

フィンランド軍入門 1944年になるとソ連空軍は、フィンランド湾上空の制空権を掌握するようになり、フィンランド海軍の艦艇の行動範囲は狭まれるようになった。このような状況で、フィンランド海軍は、ただ1隻残された装甲海防艦を隠匿式砲台として活用したかったのであろうか。1944年、ドイツ海軍は破損した戦艦「ティルピッツ」をノルウェーのフィヨルドで海上砲台として活用しようとし、1945年の日本海軍も燃料不足で行動できなくなった戦艦「長門」を海上砲台として活用しようとした。フィンランド海軍の最大級の軍艦である装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")も、フィンランド湾岸辺にある樹木を偽装用に艦上に配置して、岸辺と同じ種類の樹木によって偽装して、陸地のように見せかけていた。艦艇と陸地が偽装によって一体化させられたのである。このような巧妙な偽装によって、上空からてソ連軍に発見される可能性は小さくなり、終戦まで空襲を免れることができた。

1944年10月、継続戦争がフィンランドの敗北で終戦すると、フィンランドはソ連に対する賠償支払いの一環として、現物払いで44年10月、継続戦争がフィンランドの敗北で終戦すると、フィンランドはソ連に対する賠償支払いの一環として、現物払いで装甲海防艦「ワイナミョイネン」("Väinämöinen")をソ連に引き渡した。ソ連海軍に引き渡らされた装甲海防艦「ワイナミョイネン」は、ソ連で、「ヴィボルグВыборг)」と艦名を変更され、バルチック艦隊に配属された。


4.フィンランド軍の対空戦闘

写真(右)1942年、フィンランド、ヘルシンキ、フィンランド軍の土嚢を積み上げた対空陣地に設置されたスウェーデン製1931年式ボフォース76.2ミリ高射砲(76 ItK/33ss(Bofors)):ボフォース76.2ミリ高射砲は、ドイツの8.8センチ高射砲と似た形状であり、両者の開発のつながりが窺われる。ベルサイユ条約で新型兵器の開発を禁じられたドイツは、ひそかにスウェーデンやスイスで新型火砲など兵器開発を行った。1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に便乗してソ連に攻撃をかけたフィンランドは、レニングラード近郊まで侵攻した。
33. Rask.It.Ptri, Helsinki, Kasapelto, tykki 76 ItK/33ss. Kuvattu keväällä 1942. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen kuvassa on neuvostoliittolainen 76 mm:n raskas ilmatorjuntakanuuna vuodelta 1931 (76 ItK/31 ss). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: ajoittamaton Kapteeni Leo Vepsäläinen, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-49471引用。


⇒写真集Album:フィンランド軍の高射砲を見る。

写真(右)1942年7月11日、フィンランド・ソ連国境、カレリア地峡、ラトガ湖北西岸ラフデンポヒヤの航空監視塔の女性航空監視員エレン・キウル(Ellen Kiuru )::女性航空監視員エレン・キウル(Ellen Kiuru )のカラー写真は、フィンランド国防軍のアーカイブに8枚が収録されている。カレリア地峡、ラトガ湖北西岸ラフデンポヒヤは、レニングラード北方180キロに位置するが、現在は、ロシア連邦カレリア共和国の領土である。
Ilmavalvontalotta Ellen Kiuru Lahdenpohjan ilmavalvontatornissa. Tiedot teoksesta Sodan värit. Valokuvia Suomesta vuosilta 1941-1944 (WSOY 2000), s. 23.
Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot: 1942-07-11 Carl Rosenqvist, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-165967引用。


フィンランドは、「冬戦争」の敗北後、ソ連に対して領土復活のための復讐戦争を計画し、マンネルハイム元帥の下で、軍事力を強化した。特に、1940年に、ドイツ軍が、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランスを占領し、大陸を制覇すると、ドイツとソ連の対立が予期される状況になった。そこで、フィンランドは、ナチス・ドイツに接近し、ドイツとの同盟の元にソ連軍に対峙する姿勢を見せた。フィンランド軍は、10個師団以上を編成し、国民義勇軍として、女子や学徒も動員することで、総兵力50万人となった。

写真(右)1944年9月12日、フィンランド、防空監視哨の対空聴音機を操作するフィンランド国防軍女性補助員たち:聞き耳を立てて、上下方向の間隔、左右方向の間隔を測る各々女性が、俯角と旋回角を決めることで、敵機の進行方向の位置表示ができる。そこを基準に、対空警報監視、対空射撃をする。
Naisia ilmatorjuntatehtävissä: hoitavat valonheittimiä ja kuuntelulaitteita Military Museum Photo info 1944-09-12 Vänrikki E.Blomberg, valokuvaaja.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-133601引用。


対空聴音機を使って、大気中の飛行機エンジン音を聞き取ることで、飛行機の侵入方向、侵入機数などの情報を算出する対空監視用の器材である。したがって、空中聴音機は、防空監視用の平気であり、攻撃兵器には向いていない。目視による防空監視との差異は、音による感知であるために、夜間、霧・雲などの天候・気象条件によって目視出来ない場合でも、飛行機の位置を特定可能である。

⇒写真集Album:フィンランド軍の防空監視哨を見る。

写真(右)1942年5月23日、フィンランド、海上を航行するフィンランド軍の水上艦艇の後甲板に設けられたボフォース40ミリ対空機関砲(40mm Bofors Tt Kt):後甲板にボフォース40ミリ対空機関砲が搭載されている。
Bofors ilmatorjuntatykin miehistö valmiina tulenavaukseen. 40mm Bofors Tt Kt.
Valokuva Organisaatio Sotamuseo
Kuvaustiedot 1942-05-23 Sot.virk Ragnar Meinander, valokuvaaja
写真は,Finnish Defence Forces, Sotamuseo sa-kuva-15642引用。


⇒写真集Album:フィンランド軍の対空機関銃を見る。

写真(右)1939年12月1日、フィンランド南東、ヴィボルグ北20キロ、イマトラの雪原に撃墜されたソ連空軍ツポレフ(Tupolev)SB-2M-100高速双発爆撃機を検分するフィンランド人:ソ連空軍の国籍マーク「赤い星」。
Radioselostaja Pekka Tiilikainen tekemässä selostusta joulukuun alussa Viipurin lähellä alasammutusta neuvostoliittolaisesta pommikoneesta Tupolev SB-2M-100 (SB-2). Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1939-12-01 Tuntematon, valokuvaaja
写真は,Museot Finna sa-kuva-111132用。


ソビエト共産党が「赤い星」のマークを使用したのは、第一次世界大戦の終盤のロシア革命の時期で、共産党支持の赤軍に対し、帝政派の白軍との戦いが始まった1918年から1922年のロシア内戦では、共産党の赤軍が、赤い星のマークを使用した。

ツポレフSB(Tupolev SB)爆撃機諸元
乗員: 3名
全長: 12.57 m、全高: 3.60 m
翼幅: 66 ft 8 in(20.33 m) 翼面積:56.7平方メートル
自重量:4,768 kg、全備重量: 6,308 kg
発動機: クリモフ M103 液冷V12型エンジン960 hp 2基
最大速力:450 km/h 高度4,100m
航続距離: 2,300 km
実用上昇限度: 9,300 m
兵装:7.62ミリShKAS機関銃4丁
搭載爆弾量: 爆弾倉・翼下爆弾架 1トン

⇒写真集Album:ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)爆撃機を見る。


5.1944年、フィンランドの対ボリシェビキ「継続戦争」の末期

写真(右)1943年11月1日、襲撃に対してスオミ KP/-31短機関銃で反撃するフィンランド軍野外警備隊の兵士;20発の小銃射撃を受ける事件があり、フィンランド軍兵士が反撃した。スオミ KP/-31短機関銃は、拳銃用の9ミリ口径ルガー弾を使用し20発/40発/50発入りの箱型弾倉、71発入りドラム弾倉を装填する。
1.11.1943 ryssän tekemä hyökkäys Tora nimistä kenttävartiota vastaan, jossa parisenkymmentä ryssää kaatui: Kersantti Heikura, joka urheasti puolusti Kv:tä pienen joukkonsa kera ja ajoi vihollisen käpälämäkeen...
Organisation Military Museum
Photo info: 1943-04-10 Sot.virk. Uno Laukka, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-133233引用。


The Continuation and Lapland Wars スオミ KP/-31短機関銃(Suomi-konepistooli)は、フィンランドが開発し、フィンランド軍は1939年の冬戦争には、前線部隊に大量配備されていた。この短機関銃が使用する実包は、ドイツの開発になり第一次大戦時には大量配備された9ミリ口径ルガー(Luger)弾と同じ9x19mmパラベラム弾である。その名の通り薬莢の長さは19ミリで炸薬量は少なく、射程距離は短いが、その射撃の反動が小さく、連続射撃が可能になった。弾倉は、箱型弾倉の場合は20発から40発だが、ドラム弾倉なら71発を携行できる。

スオミ KP/-31短機関銃(Suomi-konepistooli)は、射程は短く、狙撃中としては使用できないが、弾丸を連射できるので接近戦や襲撃部隊には重宝された。しかし、あくまでも短機関銃は、小銃の補助兵器としての役割を占めているに過ぎず、歩兵における主力火器は小銃だった。

小銃に比較して、連続射撃可能な短機関銃の配備数は少なかった。そこで、歩兵部隊であれば、短機関銃は部隊の隊長に優先して配備された様だ。フィンランド軍の場合も、分隊長あるいは小隊長らしき兵士は、モシン・ナガン7.62ミリM1891小銃ではなく、スオミ KP/-31短機関銃(9ミリ弾71発入りドラム弾倉あるいは20-40発入りの箱型弾倉)を所持しているようだ。

厳寒の極北戦線では、手足の指先が凍傷にかからないように、分厚い手袋やブーツを着用した。小銃や短機関銃も、このような厳寒の地に耐える構造で、さらに操作性の上でも、余裕を持ったつくりになっている。そこで、重量は過分になってしまったが、信頼性・操作の容易性を確保するためにはやむを得なかった。また、敵から発見されにくいように、雪景色に溶け込む冬季白色迷彩が採用された。これは、軍服の上に白色の外套やポンチョを纏い、ヘルメットを白色のカバーで覆うもので、その効果は高かった。

写真(右)1942年7月2日、フィンランド、オネガ湖北岸、 ポヴェネツ(Poventsan:Повенец)の市街戦、家屋が燃える中、スオミ KP/-31短機関銃を構えるフィンランド国防軍兵士;フィンランド軍アーカイブには同じ状況の黒白写真95649、95650がある。JSdia253と同じカラー画像。
Poventsan paloa ja katutaisteluita. Poventsa 2.7.1942. Samasta tilanteesta mustavalkoiset SA-kuvat 95649, 95650, joista tiedot. Sama kuva kuin JSdia253. Värikuvien selosteessa: Poventsan palosta ja katutaisteluista, kuvattu ajalla 23.6.-5.7.1942.
Lisää ? Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo.
Kuvaustiedot: 1942-07-02 Hans Lindh, valokuvaaja.
写真はMuseot Finna・sa-kuva-165655引用。


スオミ KP/-31短機関銃の諸元
口径 9mm、 銃身長 314mm
全長 875mm
重量 4870g
発射速度 750~900発/分
銃口初速 396m/秒
有効射程 200m
使用弾薬 9mmパラベラム弾
装弾数 20発/40発/50発(箱型弾倉)

継続戦争は、1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドがソ連と戦った戦争である。戦争当事国の一方であるソ連は、フィンランドの侵入を受け、それを防いだ「大祖国戦争」の一環であり、すなわち第二次世界大戦の一部である。

 しかし、フィンランドは、イギリス・アメリカの反共産主義勢力を過大評価し、ソ連に対する軍事支援が、実際に大規模に行われるとは予測していなかったのかもしれない。あるいは、イギリスを孤立に追い込んでいたドイツの戦力を過大評価し、あえてソ連に戦いを挑む好機が到来したと読み誤ったようだ。日本ですら、関東軍を増強して特別大演習を実施し、ソ連を威嚇したものの、対ソ連戦争は開始しなかった。これは、中国と日中戦争を戦い続け、さらに南方を攻略してアメリカに対抗するという目的があったからだが、フィンランドにとっては、ソ連だけが仮想敵国だった。

1941年6月25日から1944年9月19日にかけて3年2カ月の間、フィンランドは、「継続戦争」を闘った。結果を知っているものの視点で見れば、無謀な対ソビエト連邦戦争を開始した。しかし、当時のフィンランドは、民主主義国イギリス・アメリカの軍事力を過小評価しており、第二次世界大戦に参戦したのではなく、冬戦争で失った国土を奪還するという目的で、イギリス(当時は中立国のアメリカ)と戦うのではないという言い訳が国際的に通用すると錯覚していた。結果から見れば、これはフィンランド外交の大失敗だった。

1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ潜水艦Uボートの基地となった。

写真(右)1943年8月26日、フィンランド・ソ連国境、カレリア地峡中央部、スラジェルビ(Suulajärvi)湖畔、フィンランド軍が採用したスウェーデン製ボフォース40ミリ対空機関砲への弾薬クリップ装填作業:カレリア地峡では、歩兵部隊による戦闘、陣地戦が戦われていたために、解放した市街にも破壊の後はあった。スラジェルビ(Suulajärvi)湖は、レニングラード北西120キロ、フィンランド湾まで40キロの位置にある。
Bofors-ilmatorjuntatykki tuliasemassa. Värikuvien selosteessa tieto: 40 mm:n it.tykki valmiina antamaan tulta. Suulajärvi 26.8.1943.Bofors-ilmatorjuntatykki tuliasemassa. Suulajärvi 1943.08.26.
写真は,Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive sa-kuva-166376;JSdia276引用。


⇒写真集:フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft gunsを見る。

フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルヘイム(Carl Mannerheim)元帥は、対ソビエト連邦との二回目の戦争、継続戦争を1941年6月26日に初めた指導者の一人だが、自ら開戦した以上、何としてもソビエト連邦の軍事力を削いで、1939年-1940年の冬戦争で失った固有の領土回復を果たしたかったに違いない。1942年6月のマンネルへイムのナチス訪問は、ちょうど、継続戦争開始1周年であり、フィンランドはソ連を明確な敵とし、枢軸国ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、ソ連領に攻め入っていた。マンエルへイム元帥が、フィンランドの領土の回復、ソ連の弱体化を真剣に望んでいたのは確かであろう。1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連弱体化の最大の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦していた。

Fokker D.XXI Aces このようなフィンランドにおける対ソビエト「継続戦争」の戦意高揚を無視して、マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、ヒトラーとの共闘を臨んでいなかった、ヒトラーによる誕生日訪問を迷惑に思っていたなどと邪推するのは、見当違いである。1917年のロシア革命後、ボリシェビキ勢力が伸長し、赤軍を組織して共産主義革命を進めたとき、フィンランドでは、、ロシア共産党のボリシェビキに賛同したフィンランド共産主義者、共産党員、赤軍が政権奪取を図った。それに対して、反革命軍、白軍を組織して、革命派を武力鎮圧したのが、マンネルハイムである。この経緯を踏まえれば、マンネルハイムもヒトラーも、フィンランドもナチス・ドイツも、ともに反共産主義として、ソビエト連邦、ヨシフ・スターリンを警戒し、チャンスがあれば、ボリシェビキを無害化、中立化したかった。

1941年6−7月にフィンランドがドイツと同盟してソ連に侵攻した時、ドイツと戦っていたイギリスは、ソ連が敗北する可能性、ソ連がドイツと単独講和する可能性、第二次大戦後のヨーロッパ安定構想の破綻のリスクを斟酌したうえで、形式だけとはいえ、同盟国ソ連に戦争を仕掛けている枢軸国に対する宣戦布告は必要と判断した。1941年12月、反共産主義のイギリスも、ソ連に攻撃を仕掛けていたフィンランド・ルーマニア・ハンガリーに宣戦布告をした。


⇒写真集:1941−1944年、対ソ連継続戦争を見る。

写真(右)1944年7月30日、フィンランド南東端、カレリア地峡南部、ラッペーンランタ(Lappeenranta)北東50キロ、ブオサルミ(Vuosalmi)、フィンランド軍の本部に配属された偽装されたドイツ製III号突撃砲G型(StuG III Ausf G.);ブオサルミ(Vuosalmi)は、ソ連と激戦となったイマトラ北西20キロに位置する。フィンランド軍の突撃砲車体前面には、ナチ党・ドイツ空軍と同様の反革命・反共産主義・反ソ連の象徴スワスチカ(swastika:ハーケンクロイツ)、フィンランド語ではハカリスティ(Hakaristi)をフィンランド軍の国籍記章として誇らしげに描いている。
Rynnäkkötykki hyvin naamioidussa asemassa Vuosalmen sillanpääasemassa..
Ei kansikuvaa Aineistotyyppi Valokuva.
Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-07-30 Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-134363引用。


43口径7.5センチ戦車砲を48口径に強化したドイツ陸軍III号突撃砲G型(Sturmgeschütz III:StuG III)後期型(Sturmgeschütz 40 Ausf G 'StuG III')では、48口径7,5cm戦車砲の防楯がザウコプ(豚の頭)と言われた曲面装甲を用いて避弾径始を考慮した構造で、防御力が向上している。フィンランド極北戦線には、このザウコプ(豚の頭)式のIII号突撃砲G型後期型はごく少数と思われる。III号突撃砲は終戦まで1万輌とドイツ戦車(突撃砲・駆逐戦車を含む)の中では最多生産を誇る。

写真(右)1944年7月24日、フィンランド、フィンランド国防軍の兵士にドイツ軍から携行対戦車兵器の「パンツァー・ファウスト」(装甲拳骨)が貸与された。これは、射程60−100メートルの対戦車成形弾である。;配備時期がソ連の大攻勢直後だったために、実戦前、10分間の訓練を受けただけの対戦車襲撃班が編成された。
Panssarinyrkki valmiina toimintaan.
Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja Aineistotyyppi Valokuva
Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot: 1944-07-24 Sot.virk. P.Jänis, valokuvaaja
写真はMuseot Finna・sa-kuva-125131引用。


フィンランド軍第13歩兵連隊第2大隊のポール・レンバル(Paul Renvall)伍長とカート・エンマン(Kurt Engman)軍曹は、実戦前、10分間の訓練を受け対戦車襲撃班となった。二人は、1944年のカレリア地峡での対ソ連戦車戦闘で名を馳せた。ポール・レンバル伍長はパンツァーシュレック(Panzerschreck)を使ってソ連戦車4両を撃破し"Tali Tigers"(タリンのトラ)と呼ばれるほど称賛された。また、カート・エンマン軍曹もパンツァーファスト(Panzerfaust)を駆使して、"Tali Horror"(タリンの恐怖)と綽名されるほど活躍をした。

1941年6月のドイツのソ連侵攻にあわせて始めた継続戦争だったが、1943年に入ると、明らかに戦局はフィンランド、ドイツに不利になってきた。ソ連に対しては、イギリス、アメリカが膨大な軍事物資を貸与しており、ソ連の生産力増強と相まって、フィンランド、ドイツは、ソ連軍の攻勢を防ぐことも困難になっていた。戦局が悪化する中で、1943年3月5日、フィンランド首相ヨハン・ランゲル(Johan Wilhelm Rangell)は辞任し、新たにエドウィン・リンコミエスEdwin Linkomies)がフィンランド首相に就任したが、彼も、ソ連に降伏できない以上、ナチスとの同盟を堅持するしか選択肢はなかった。

⇒写真集:1944年流血の夏、継続戦争末期を見る。


◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただきますれば幸いに存じます。よろしくご協力をお願い申し上げます。
◆2011年7月、『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(268頁,2100円)を青弓社より刊行しました。
【目次】 ドイツ・ワイマール共和国の誕生から第三帝国の崩壊まで/アドルフ・ヒトラーの第一次世界大戦/ドイツ革命とその反動/ドイツ・ワイマール共和国の混乱/共和国安定期から世界大恐慌へ/ナチ党ヒトラー独裁の始まり/ナチスの再軍備・対外膨張/第二次ヨーロッパ大戦の勃発/対ソビエト連邦ボリシェビキ戦争/ユダヤ人殲滅のための世界戦争/ヒトラー第三帝国の崩壊/ナチ・プロパガンダ神話の真実

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン ポリカルポフ I-16 タイプ18 (ノモンハン)
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
8.8 cm FlaK 37人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
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