Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内
◆サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア・トランスコンチネンタル航空(Linee Aeree Transcontinentali Italiane:LATI)サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.85(Marsupiale:有袋類)三発輸送機(登録コード:I-BAYR )
:1937年11月初飛行のSM.75輸送機は、前作SM.73を大型化し、引き込み式委降着装置を備えた発展型の輸送機あるいは爆撃機である。
Descrizione Savoia-Marchetti S.M.75 I-BAYR (già Ala Littoria I-TELA) nella livrea della compagnia aerea Linee Aeree Transcontinentali Italiane (LATI) presso l'aeroporto di Guidonia
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA. selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-85(Marsupiale:有袋類)三発輸送機
:搭載人員は、豪華な民間仕様なら18人、簡易な軍用仕様なら25人、生産期間は1937年から1943年までと長いが94機の量産に終わった。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。



写真(上)1940年6月-1943年前半頃,イタリア(?)、ファシスト・イタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.75輸送機(登録コード:60-?2)
:1937年初飛行、1938年より就役。アルファロメオ(Alfa Romeo)126 RC.34空冷星形9気筒エンジン750 CV (552 kW)3基搭載、最高速力363 km/h/4000 m、航続距離1720 km、 乗客18-25名。
Italiano: Savoia Marchetti SM.75 Date before 1950 Source /www.facebook.com/Regia.Aeronautica.1923.46/photos Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.79 Catalog #: 01_00082281引用。



写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア・トランスコンチネンタル航空(Linee Aeree Transcontinentali Italiane:LATI)サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.87 idro三発水上機(登録コード:I-IGEA)
:SM.75輸送機を水上機化したのが、SM.87水上輸送機で、フィアット(Fiat)A.80 746 kW (1,000 hp)3基を装備し1939年に完成した。
Descrizione Italiano: Savoia Marchetti SM.87 idro Author Unknown author
図はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.87. File:Savoia Marchetti S.M.87.jpg引用。

◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.サヴォイア・マルケッティSM.75輸送機

写真(右)1939年頃,イタリア半島南端、タラント=グロッターリエ飛行場(Taranto Grottaglie Airport )未舗装滑走路で待機するイタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機(HA-SMA):後方には、かまぼこ型の飛行機格納庫がある。
Magyar: Olaszország Grottaglie repülőtér, a Malert Savoia - Marchetti SM-75 utasszállító repülőgépe 1939
Date 1939 Source FOTO:Fortepan — ID 39327: Home pagePictureInformation page Author Hídvégi Zoltán.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:Savoia-Marchetti S.M.75.jpg引用。


写真(右)1940-1942年頃,イタリア、飛行場未舗装滑走路で待機するイタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機
Savoia-Marchetti, SM.75, Manufacturer: Savoia-Marchetti
Designation: SM.75 Notes: Italy.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087230引用。


サヴォイア・マルケッティSM 73輸送機の後継機が、同じ会社のサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機であり、旅客と貨物の双方に利用する民間機として、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)の要望に応えた機体で、設計はアレッサンドロ・マルケッティ技師である。前作のSM.73は、固定脚だったが、後継機SM.75では空気抵抗を減少させ、より高出力のエンジンを搭載して、引込み脚の降着装置を備えた。しかし、機体基本構造は、SM.73と同じく軽量化を優先し、SM.75でも金属鋼管フレームの骨格に羽布張り、合板の胴体・主翼表面のつくりとした。

写真(右)1935-1940年頃,イタリア、飛行場の未舗装駐機場に待機中のイタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:I-TAMO):第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えていた近代的な輸送機だった。
SDASM Archives Savoia-Marchetti, SM.75,
Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.75 Notes: Italy
写真はSmugMug+Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087229引用。


ドイツは、ムッソリーニの仲介で、1938年、ミュンヘン協定によって、英仏からズテーテン角上の合意を取り付けた。イタリアのムッソリーニは、1938年のミュンヘン会談で英仏とドイツの調停役を果たしたのである。しかし、その後も、ドイツ総統ヒトラーは、世界新秩序確率を目指し、ポーランドに対するダンチヒ回廊の領土要求や民族同一人の保護の要求を武力を背景に行った。これは平和ではなく、戦争覚悟の武力威嚇の外交であり、第二次欧州大戦の再来が危惧された。

イタリアのムッソリーニが、1938年のミュンヘン会談で英仏とドイツの調停役を果たしたにも拘わらず、それを反故とするヒトラーのポーランドへの強硬な要求は、ムッソリーニを生からせた。ムッソリーニは、1939年8月9日、娘婿の外務大臣チャーノに「戦争を局地的なものに限定することはもはや不可能であり、全面戦争がはじまれば、あらゆるものにとって壊滅的なである」と語り、8月11日、チャーノをドイツ外務大臣リンベントロップ、ついでヒトラーの下に派遣し、ポーランド侵攻に反対であることを伝えさせた。

図(右)1938年6月,イタリア、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機の客室内部造像図:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行。
English: SM-75 cutaway drawing from L'Aerophile June 1938 Date 1 June 1938 Author L'Aerophile magazine .
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:SM-75 cutaway drawing L'Aerophile June 1938.jpg引用。


しかし、ムッソリーニとチャーノを待っていたのは、1939年8月23日の独ソ不可侵条約の調印だった。ドイツは、ソ連との不可侵条約によって、ポーランドを片付ければ東西に二正面作戦を心配することなく、戦争を進めることができるようになった。

1939年大戦勃発4か月前の1939年5月22日の鋼鉄条約は、民主主義国の英仏・米だけでなく、共産主義国のソ連をも牽制するファシスト全体主義国家の安全保障の意味があった。しかし、1939年8月23日の独ソ不可侵条約によって、ソ連ではなく、次の敵として、英仏との戦争が大きく懸念されるようになった。イギリスは1939年8月25日、予定通り、ポーランドとの軍事防衛協定を締結し、ヒトラーはこの日、ムッソリーニにポーランド侵攻を決意したことを伝えてきた。

写真(右)1938年6月以前,イタリア、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機の機首:イタリア政府や空軍の要人輸送機と同じ白色塗装をしているが、まだ世界大戦は始まっていないので、このように目立つ塗装で自己顕示欲を満たすことができた。
English: SM-75 photo from L'Aerophile June 1938 Date 1 June 1938 Source http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6555157g?rk=107296;4 Author L'Aerophile magazine.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:SM-75 left front photo L'Aerophile June 1938.jpg引用。


イタリア航空(Avio Linee Italiane:ALI)は1926年ミラノで設立、1928年5月に、ローマ=ミュンヘン間の運行を開始した。そして、1931年にはローマ=ベルリンの航路を開いた。運航を開始した運航を始めた。1938年には、ヴェネチア=ミラノ=ツリン=パリ=ロンドン (Venice-Milan-Turin-Paris-London)の国際航路を運航した。1939年のイタリア航空(Avio Linee Italiane:ALIの保有機数は、合計16機で、アメリカ製ダグラスDC-2 (I-EROS)が1機、フィアット(Fiat)G.18/G.18Vが6機,サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)S.73三発輸送機6機である。1952年末廃業。

写真(右)1938-1940年頃,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)所属の白色塗装民間仕様サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:I-TESO):「乗客24名を輸送できる当時としては高速大型の旅客機で、1938年2月には早手回しにも第一ロットの6機が完成してさっそく5機が半官アラ・リットリア航空に納入され、1機はイタリア空軍に提供されて試験を受けることとなった。  SM.75は試用の結果、高性能高能率であることが明らかとなり、試作機1機を含む各型合計94機が1937年から1943年までに製作された。比較的少ないのは、1940年からの軍用標準輸送機がSM.82に集中したせいである。  民間機としてはアラ・リットリアとLATI(リネ・アエレエ・トランスコンチネンターリ・イタリアーネ)が本機を使用した。」
写真は,WarBirds航空機データベース イタリア機サボイア・マルケッティSIAI(ソシエテ・イドロボランティ・アリタリア)・マルケッティ サヴォイア・マルケッティ SM.75/76/87/90引用。


写真(右)1938-1940年頃,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)所属の白色塗装民間仕様サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:I-TESO):750 hp アルファロメオ(Alfa Romeo)126 RC 34空冷星形エンジン3基搭載、客席24座席。
A civilian version of the SM.75 Marsupiale.
Savoia-Marchetti built 94 aircraft between 1937 and 1943; 83 of them comprised of the standard SM.75 with three 750 hp Alfa Romeo 126 RC.34 radial engines or, alternatively, three 1,000 hp Piaggio P.XI RC.40 radials. The other 11 were built during World War 2 as the SM.75bis using three Alfa Romeo 126 RC.18 radial engines, a shorter vertical tail surface of the SM.82 and provision for a dorsal gun turret....
写真は, Comando Supremo Savoia-Marchetti SM.75 Marsupiale引用。


写真(右)1939年,ハンガリー、ブダペスト空港、ハンガリーがイタリアから輸入した白色塗装民間仕様サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(HA-SMC:製造番号 cn 32020):750 hp アルファロメオ(Alfa Romeo)126 RC 34空冷星形エンジン3基搭載、客席24座席。垂直尾翼にはハンガリーの赤白緑横縞三色国旗が描かれている。イタリアの三色旗トルコローレと同じ配色だが、縦並びでなく横並びである。
Savoia-Marchetti SM.75 (HA-SMC cn 32020) Photographed at Buda?s Airport, Budapest, Hungary, 1939, source unknown
07/31/2014. Remarks by Johan Visschedijk: "By the outbreak of WW II Savoia-Marchetti had established a tradition of large tri-motor designs, including the SM.79 and SM.84 bombers and SM.81 and SM.82 bomber-transports for the Regia Aeronautica. The commercial tri-motor transport line had begun with the high-wing S.71, and was followed in the mid-1930S by two low-wing types, each built in quantity. The first was the S.73, which flew on June 4, 1934, the second the SM.75. The SM.75 was a considerably larger aircraft, and was the first Savoia-Marchetti tri-motor to have a retractable main landing gear. There was apparently no separate prototype, the first flight on November 6, 1937 probably being made by the first production SM.75 (I-TACO). This and at least 29 more SM.75's were delivered to Ala Littoria, with whom they entered service in 1938. Standard power plant was three 750 hp Alfa Romeo 126 RC 34 radial engines, although one example (in 1942) is known to have been fitted with 860 hp Alfa Romeo 128's and the five SM.75's delivered to the Hungarian airline Malert (acronym for Magyar L馮iforgalmi RT, Hungarian Air Traffic Ltd.) were powered by Gnome & Rh?e K14 engines. One SM.75 was delivered to the Regia Aeronautica, and at least nine others were built whose ownership is uncertain; some of these may also have gone to Ala Littoria.
写真は, DAVID HORN COLLECTION No. 12487引用。


写真(右)1938年-1939年8月頃,ドイツ、ベルリン、テンペルホーフ飛行場のターミナルビル前、イタリア航空サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:SMD?):引き込み式降着装置が水溜に反射している。左端にはナチ党の党旗がドイツ国旗となって、左のポールにはためいている。
Savoia Marchetti S.M.75 of the Hungarian airline Malert
写真はSmugMug+Flickr, kitchener.lord Catalog #: 01_00087228引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機は1937年11月6日初飛行、Ala Littoriaには1938年から少なくとも29機が引き渡され、1938年から就役している。そして、ハンガリー空軍は、その性能が気に入り、SM.75輸送機5機をSM.75bisの形式名称を与えて、軍用輸送機として採用した。また、水上機型もあって、降着装置を車輪から双フロートに変換したSM.87水上輸送機も1943年に開発された。

写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Incontro fra i militari della missione tedesca e gli ufficiali italiani,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940 Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22

写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004765-man0 引用。


写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Incontro fra i militari della missione tedesca e gli ufficiali italiani,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004766-man0 引用。


写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Incontro fra i militari della missione tedesca e gli ufficiali italiani,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22

写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004765-man0 引用。


写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Incontro fra i militari della missione tedesca e gli ufficiali italiani,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004765-man0 引用。


イタリア空軍の航空機命名方式は、統一性が欠如しているようにも見えるが、日本軍の航空機名称ほど複雑ではない。日本軍は、飛行機や兵器の命名方式に元号、次いで皇紀を使用し、さらに陸軍と海軍でエンジン命名方式も規格も異なるが、ほとんど同一の発動機といってよい。しかし、規格が異なっているために、部品の汎用性がないという大欠陥があった。つまり、煩雑な命名方式は、量産性や規格統一が軽視されていることの表れであり、工業力の弱さというより経営能力の低さを示している。

写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Piloti e avieri militari e civili del campo di aviazione sostano vicino all'aereo da traporto della compagnia Ala Littoria,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004771-man0 引用。


サヴォイア・マルケッティ Savoia Marchetti SM 75 三発輸送機の諸元
乗員Crew: 4名+銃手1名
乗客: 24 名
全長Length: 21.594763 m (70 ft 10.1875 in)
全幅Wingspan: 29.69 m (97 ft 5 in)
全高Height: 5.0991 m (16 ft 8.75 in)
主翼面積Wing area: 118.55 m2 (1,276.1 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,480 kg (20,900 lb) ** (with Piaggio engines 9,779.5 kg (21,560 lb))
堂銃床Gross weight: 14,470 kg (31,900 lb) ** (with Piaggio engines 14,769 kg (32,560 lb))
発動機:アルファロメオ(Alfa Romeo)126 R.C.34空冷星形9気筒エンジン560 kW (750 hp)3基
ピアッジョ(Piaggio) P.XI R.C.40空冷星形14気筒エンジン(1000hp)3基

写真(右)1940年9月20日,イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Un gruppo di italiani in posa: si tratta dei piloti e degli avieri del campo di aviazione,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004770-man0 引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機の性能Performance
最高速力Maximum speed: 369 km/h (229 mph, 199 kn)
2基稼働 245 km/h (152 mph)
巡航速力Cruise speed: 325 km/h (202 mph, 176 kn)
航続距離Range: 2,279 km (1,416 mi, 1,230 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,000 m (22,960 ft)
上昇率Rate of climb: 3.7 m/s (730 ft/min)
上昇時間Time to altitude: 4,000 m (13,123 ft) /17分42秒

写真(右)1940年9月1日ー20日,イタリア領リビア、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機で飛来した同盟国ドイツ軍高官を出迎える。:第二次大戦勃発2年前、1937年11月初飛行の機体だが、ユンカースJu-52、SM.73輸送機のような固定脚とは異なり、引込み脚の降着装置を備えた近代的な輸送機だった。
mediterraneo Ufficiali italiani e tedeschi conversano sulle piste del campo di aviazione,
Creation date: 01.09.1940-20.09.1940
Institution: Instituto Luce - Cinecittà
Provider: EFG - The European Film Gateway
Providing country: Italy
First published in Europeana: 2020-11-22
写真は,Europiana Identifier: GuerraGuerraIL0001004769-man0 引用。


サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機の発動機は、アルファロメオ 126 RC.34 空冷星型9気筒エンジン559 kW (750 hp)3基で、最高速力363 km/h (195 kn, 224 mph)/高度6,250 m (20,500 ft)、航続距離1,720 km (928 nml, 1,061 ml)だった。乗員は4名。客室には乗客25名を収容可能だった。

サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75 RT輸送機は、第二次世界大戦中に、ローマ・東京の連絡飛行を成功させた長距離輸送機仕様で、燃料タンクの容積が増量されていた。この連絡飛行の成功は、イタリア機の優秀性と並んで、イタリア航空兵の熟練度を示している。日本陸軍も、ドイツへの連絡飛行を試みたが、失敗している。シンガポールから、途中、イギリス領インド上空で事故で墜落してしまったようだ。

写真(右)1940年6月-1943年頃,イタリア、飛行場で燃料用ドラム缶を運搬しているイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:SA-6)
SDASM Archives Savoia-Marchetti, SM.75, Catalog #: 01_00087228
Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.75 Notes: Italy
写真はSmugMug+Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087228引用。


イタリアは、1940年6月になって、ドイツ同盟国として第二次世界大戦に9が月遅れで参戦したが、1943年9月に連合国側に1年半早く降伏し、10月、同盟国だったドイツに宣戦布告した。そして、イタリア空軍の古いファッシの国籍記章を廃止し、イタリア三色旗トルコローレを模した緑、白、赤の同心円を国籍マークとして採用した。

写真(右)1940年6月-1943年頃,イタリア、飛行場で燃料用ドラム缶を運搬しているイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(登録コード:23-2)
SDASM Archives Savoia-Marchetti, SM.75,
Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.75 Notes: Italy
写真はSmugMug+Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00087227引用。


イタリア空軍はサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75輸送機の実用性の高さと高性能に注目し、軍用型の開発するように要請した。ただし、軍用型の貨物搭載量は民間型よりも増強されたために、発動機はより高出力のアルファロメオ 128 RC.21 空冷星形14気筒エンジン3基に強化された。これが、サヴォイア・マルケッティ SM.82軍用輸送機である。

写真(右)1940-1941年11月以前,迷彩塗装をした待機中のハンガリー空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75救急患者輸送機(E.105):白丸に赤十字マークを描いている。本来、赤十字救急飛行機は、機体全体を白色に塗って目立ちやすくするのが国際ルールである。 1941年11月4日に墜落した機体。
Description Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM.75 Marsupiale 2
Date before 1960 Author Unknown author
Péter Koroknai E-105, Magyar Királyi Honvéd Légierő. Lezuhant 1941.11.04
写真はfacebook Regia Aeronautica Savoia-Marchetti SM.75引用および Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:R.A. - Savoia-Marchetti SM.75 Marsupiale 1.jpg引用。


1939年の第二次世界大戦勃発直前、ムッソリーニは、イタリアの戦争準備ができていなことを口実に、ドイツとポーランドとの局地戦争であれば、イタリアからドイツへの経済援助は可能であるが、英仏も含めた欧州大戦に発展した場合、英仏とイタリアとの戦争開始が懸念されるために、ドイツに対する軍事援助はできないことと返答した。実際、ファイスと党幹部もイタリア国民も多くは、第二次欧州大戦が勃発しても、イタリアは参戦しないことを望んでいたのである。

イタリアのファシスト独裁政権の首相ベニート・ムッソリーニは、1939年9月に勃発した第二次世界大戦に1940年6月8日に参戦し、フランスを攻撃した。イタリアは、1940年5月のドイツによるフランス侵攻で、フランスが降伏する直前の1940年6月8日にイタリアは参戦し、フランスに勝利した戦勝国として、フランスの占領の利益を確保しようとした。

写真(右)1940年6月-1943年6月以前,迷彩塗装をしたイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機(610-6):水平尾翼には、白十字のイタリア空軍の国籍マークが描かれている。操縦席上部には、方向探知用のループアンテナとアンテナ支柱がありアンテナ線が張られている様だ。未舗装飛行場に待機中で、男性が一人立っているので記念撮影をしたのであろう。
Description Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM.75 Marsupiale 2
Date before 1960 Author Unknown author
Péter Koroknai E-105, Magyar Királyi Honvéd Légierő. Lezuhant 1941.11.04
写真はfacebook Regia Aeronautica Savoia-Marchetti SM.75引用および Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:R.A. - Savoia-Marchetti SM.75 Marsupiale 1.jpg引用。


1940年6月8日、第二次大戦が勃発し、フランスがドイツに降伏する直前、ベニート・ムッソリーニは、娘婿で外務大臣チアーノ伯爵と一緒に、ミュンヘンに到着、アドルフ・ヒトラーと戦争の行く末について話し合った。西側連合国との戦争が始まっても、参戦していなかったイタリアの立場は、狡猾な外交と評価された一方で、戦争のできないファシストとして評判を下げてしまったと考えた。

写真(右)1940年6月14日、北アフリカ(?)、飛行場でエンジンを始動した発進直前のサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機と見送りの将兵たち:単機の出撃なので、爆撃機機としてではなく、輸送機として使用されていると思われるた。コックピット後上方には、環状ループアンテナが装備されている。機首だけではなく主翼のエンジン側面にもファシストも紋章であるファッシが描かれている。ナチ党のカギ十字ハーケンクロイツと同じく、党と国家の一体化が図られている。
SDASM Archives Aircraft Accident Title: Aircraft Accident Date: 1940-1949 Additional Information: Italian Aircraft in North Africa Tags: Aircraft Accident, Italian Aircraft in North Africa, 1940-1949
Savoia-Marchetti SM-75 Marsupiale at Pisa Airbase 14th June 1940.
写真はSmugMug+Flickr, tormentor4555 Catalog #: 10_0013738引用。


オーストリア帝国の支配の下にあったユーゴスラビアのセルビア人は、支配者と見られたドイツ系を憎悪しおり、セルビア人政治家や高級軍人は、1941年3月27日にクーデターによって摂政パヴルを始めとするぢ親ドイツ政権を倒して、国王ペータル2世を担ぎ出して、親スラブ政権を樹立した。 国だったユーゴスラビアでクーデターが起こり、親ドイツを放逐して、親ソビエト派が実権を握った。新政権はドイツとの武力衝突を望んではいなかったが、ヒトラーは、ドイツを裏切ったユーゴスラビアの激怒し、直ちに1941年4月6日、ユーゴスラビアにドイツ軍を侵攻させ、ユーゴの首都ベオグラードBeograd)を空襲することを命じた。

写真(右)1942年6月1-18日,中国、包頭飛行場、イタリア空軍所属サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.75 GA (RT)三発輸送機(MM.60539):アルファロメオ(Alfa Romeo)128 RC.18空冷星形エンジン3基搭載の長距離飛行特別仕様で、SM.75 GA(Grande Autonomia : Long Range)の形式名称が与えられたが、 胴体後方側面に白帯で日の丸という日本の国籍記章を描いている。ローマ=東京のシベリア上空横断飛行を成功させた。
An image of the SM.75 GA in China..
The first SM.75 GA (serial-numbered RT MM.60537) was delivered on 17 March 1942, but it was decided to use it for a “symbolic” mission which consisted of dropping leaflets over Asmara, in the former Italian East African colonies. This mission took place on 7 May 1942 starting from Guidonia (Rome). After a refueling stop at Benghazi, the aircraft took off on 8 May 1942 at 1730 hrs to drop its leaflets over Asmara at 0300 on 9 May 1942 and then landing safely back at Roma-Ciampino on 2130 hrs on the 9 May 1942.
写真は,Comando Supremo Italy’s Secret Flight From Rome to Tokyo引用。


イタリアは、1940年9月27日、ベルリンの日独伊三国軍事同盟を締結したが、これはフランスを降伏させたドイツの威光を背景に、バルカン半島、南フランス。北アフリカという地中海沿岸にイタリアの勢力を確保する目的があった。他方、日本との同盟には、イギリスのアジア植民地へ脅威を与え、ソビエト連邦とアメリカに対する対抗力を確保する目的があった。

イタリアは、日本に対して軍事的な期待を抱いていなかったようだが、イタリアと日本との連絡飛行によって、空軍力を誇示するイベントを実行に移し、この長距離飛行に当初は、フィアットG.12 GA(Grande Autonomia : Long Range)を充てる予定だった。しかし、新型機ではなく、既存のサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.75輸送機を長距離飛行仕様SM.75 GA(Grande Autonomia : Long Range)に改造するほうが労力も時間も節約できた。

こうして、イタリア空軍は燃料タンクの増設など長距離飛行仕様に改造したS M.75 GA RT長距離輸送機(MM.60539)を準備して、第二次世界大戦初期の1942年6月9日、ローマから東京への連絡飛行に挑んだのである。この機体は、SM.75 GA-RTと命名されたが、RTとは"Rome=Tokio"の意味である。

サヴォイア・マルケッティSM.75 GA-RTの機長は、操縦手アントニオ・モスカテッリ(Antonio Moscatelli)中佐で、イタリアが戦っていたソビエト連邦の上空を飛行して日本に飛ぶルートは、ソ連とは中立条約を維持して戦いを避けている日本にとって受け入れられないルートだった。しかし、北極ルートもインドルートも飛行距離と中継基地の困難から採用はできず、イタリア側は、一方的に最短距離の北周りソ連ルートを飛ぶことを選択した。

写真(右)1942年6月1-18日,日本、極東連絡飛行に成功したイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.75 GA RT長距離輸送機 (MM.60539)と日本出迎え側の陸軍10人、海軍3人:イタリアの威信をかけた戦時連絡飛行で、日本とヨーロッパの戦時唯一の連絡飛行成功例である。日本側からも連絡飛行に特殊仕様長距離機で向かったが、途中、インド周辺で行方不明になった。
English: Italian Savoia-Marchetti SM.75 GA RT long-range cargo aircraft and its crew photographed with Japanese officials during its flight to East Asia in July 1942 Date Sometime between 1 July 1942 and 18 July 1942 Source Scanned from Page 20 of Rosselli, Alberto, "In the Summer of 1942, a Savoia-Marchetti Cargo Plane Made a Secret Flight to Japan", Aviation History, January 2004, Author Unknown; credited to "Courtesy of DOTT Alberto Rosselli" Permission (Reusing this file) PD-Italy; photo taken in 1930s or 1940s in Italy .
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.75 File:Savoia-Marchetti SM.75 GA RT in East Asia.jpg引用。


1942年6月29日 05:30、ローマ郊外グイドーニア基地を飛び立ったサヴォイア・マルケッティSM.75 GA RT輸送機は2,030 km (1,261マイル)飛行して、ドイツ占領下ウクライナのザポリージャ基地に到着した。ここからイタリアが対戦していたソ連上空を飛行し、中国まで一気に飛ぶために、燃料を満タンにして、離昇重量21,500 kgという荷重状態で未舗装滑走路を離陸した。ソ連上空では、敵戦闘機や対空砲火に加えて、悪天候、航法ミス、機械故障などのリスクもあったが、アラル海、バイカル湖を地測目標にし、ゴビ砂漠を横断し、翌日6月30日 22:00に中国、黄河を確認することができた。こうして、ウクライナのザポリージャから6,000 km (3,728 マイル)飛行して、日本軍占領下の中国、包頭についた。SM.75 GA RTが、無事に中国、包頭に到着したのは、1942年7月1日 15:30だった。ここから、日本の通訳・案内人を同乗させ、日本の国籍マークを応急塗装したSM.75 GA RTは、一気に東京まで2,700 km (1,678マイル)を飛行し、無事着陸した。

しかし、日本は、このSM.75によるローマ=東京の連絡飛行の快挙を国際的に利用することに思い至らず、ソ連の領空侵犯の連絡飛行が、ソ連を怒らせることを恐れて、飛行事態を秘匿した。ドイツ・イタリアがソ連と戦っている以上、三国同盟自体がソ連にとって反発の材料なことに思い至らなかったのでり、そのために、はるばる日本に飛行してきた同盟国イタリア人たちを軟禁状態として冷遇した。

1942年7月16日にサヴォイア・マルケッティSM.75 GA RT輸送機は、帰路に就いた。まず東京から包頭に飛行し、そこで、イタリアの国籍マークに描き直し、1942年7月18日 21:45に包頭を離陸した。そして、ウクライナ、黒海北岸のオデッサに29時間25分、6,350 km (3,950マイル)を飛行して着陸した。そして、オデッサで給油、整備の上、ローマ郊外グイドーニア基地まで飛行し、無事に帰国した。イタリアは、このローマ=東京連絡飛行成功の快挙を、1942年8月2日に発表したが、日本では、イタリアを日ソ関係を悪化させるとイタリアを非難するありさまだった。


図(上)1941-1942年初期頃、ハンガリー空軍が譲渡されて使用したイタリア製サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75三発輸送機
:落下傘降下部隊の訓練用に使用されたが、1942年には残っていた機体はイタリアに返却された。
SM.75 Unit: unknown Serial: E.103 This aircraft had a White mushroom marking on the fuselage under the cockpit. These aircraft were later converted to the transport role. The SM.75 was a source of problems for the Hungarians. Before 1941 all of them were converted as paratroop transports, but by 1942 all the remaining planes were sent back to Italy because of heavy wear and tear. Artist: © Don Greer Source: 'Hungarian Air Force' by George Punka, A Squadron/Signal Publications
図は, WINGS PALETTE World War II/Transport Airliners/Savoia Marchetti SM.75/SM.76 Marsupiale/引用。

写真(右)1943年,北アフリカ(リビアあるいはチュニジア)のイタリア軍飛行場、西側連合国軍(アメリカ軍)が鹵獲した放棄されていたサヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 75三発輸送機:1937年11月初飛行の機種だが、爆撃機機としてよりも輸送機として長く使用された。銃弾の弾痕の多数ある戦利品のイタリア機をバックに記念撮影した兵士たち。
SDASM Archives Aircraft Accident Title: Aircraft Accident Date: 1940-1949 Additional Information: Italian Aircraft in North Africa Tags: Aircraft Accident, Italian Aircraft in North Africa, 1940-1949,
Manufacturer: Savoia-Marchetti Designation: SM.75 Notes: Italy
写真はSmugMug+Flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 10_0013738引用。



図(上)1944年3月14日、ドイツ東部戦線、ドイツ軍が鹵獲して使用したイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75三発輸送機(D-AIAZ)
:ダークグリーンの単色迷彩塗装を施しているが、以前はドイツ民間機として登録コードAI+AZを与えられていた。1944年3月14日、地上で破壊された。
SM.75 Unit: Kommando Toska Serial: AI+AZ (D-AIAZ) This Savoia Marchetti SM.75 is believed to have once worn the German civil markings D-AIAZ, shortened here to AI+AZ. It was used by Kommando Toska before being destroyed on the ground on 14th March 1944. It's uncertain whether the dorsal turret was carried or not, both configurations being used by the type. Finish is probably Italian Dark Green over Italian Light Grey undersurfaces. Artist: © Mark Rolfe Source: 'KG 200, Luftwaffe's most secret unit' by Geoffrey Thomas & Barry Ketley
図は, WINGS PALETTE World War II/Transport Airliners/Savoia Marchetti SM.75/SM.76 Marsupiale/引用。

日本の政治指導者・外交官たちは、日独伊三国同盟を重要視しながら、対ソ宥和をその後も続け、それがソ連に交換を持って受け入れられているとの錯覚していた。そして、1945年に至って、日本の外交担当責任者は、ソ連に対してアメリカとの休戦・講和交渉を依頼するという奇想天外な愚の骨頂の外交を「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と大戦略であると誤解して、採用した。イタリアが、1943年にムッソリーニを罷免し、新政権を樹立して休戦、降伏し、連合国側に寝返った巧みな戦略外交を採用したのと比較して、日本の政治家は愚かだっただけではなく、多数の市民を犠牲にすることを厭わない冷淡さを示したのである。この無能で冷淡な日本の政治感覚が、SM.75 GA RTによる欧州=日本連絡飛行の扱いにも表れていた。


2.サヴォイア・マルケッティSM.75カタログ


写真(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機のカタログのカバー
:発行年度は記載されていないが、掲載写真は第二次世界大戦にイタリアが参戦する1940年6月以前の国籍マークが描かれたSM.75輸送機がある。したがって、刊行年は1940年以前であろう。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


前作サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.73を大型化し、引き込み式降着装置を備えた発展型がサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機あるいは爆撃機である。

1938年、ドイツは、チェコスロバキアのズテーテン割譲を要求し、英仏は戦争回避のために、ミュンヘン協定を結んで、チェコの犠牲の上に戦争を避けることができた。しかし、軍事力を増強し、周辺地域に勢力圏を拡張していたドイツは、英仏との対立を強め、依然として戦争の勃発のリスクが高かった。当時のイタリアの弱点は、大スト政権による国内統一によ拘わらず、軍事力が脆弱なことで、ドイツに比して空軍力は5分の1、工業生産力は12分の1の水準で、海軍力だけがドイツの2倍の水準で上回っていた。

イタリアは世界大戦の準備ができておらず、参戦するには軍備を増強する3年から5年の基幹の平和が必要だった。そこで、1939年5月22日のドイツとの軍事同盟、いわゆる鋼鉄条約を結んだ。これによって、ドイツの軍事力を背景に防衛力を育成し平和をしばらく続けようと企図したのである。


図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-85(Marsupiale:有袋類)三発輸送機
:搭載人員は、豪華な民間仕様なら18人、簡易な軍用仕様なら25人、生産期間は1937年から1943年までと長いが94機の量産に終わった。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


SM.75bis: アルファロメオ(Alfa Romeo)126 RC.34空冷星形9気筒エンジン559 kw (750hp) をアルファロメオ(Alfa Romeo)126 RC.18空冷星形14気筒エンジン 641kw(860hp)に強化。生産11機のみ。
SM.75 GA: 長距離飛行仕様
SM.76: 1939年にイタリア航空LATIが受領したSM.75を1940年にSM.76として登録。
SM.87: 1939年にSM.75を水上機仕様とし、発動機を フィアット(Fiat)A.80空冷星形18気筒エンジン746 kW (1,000 hp) に換装。最高速力365 km/h、上昇限度6,250 m、航続距離2,200 km、乗客24名。生産4機のみ。
SM.90: のアルファロメオ 135 R.C.32空冷星形18気筒エンジン1,044 kW (1,400 hp)に換装、胴体延長型


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体内部構造図
:SM.75輸送機は、旅客用に開発されたが、軍用機として輸送機仕様と爆撃機仕様とに変更することが可能だった。イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機は、豪華な民間仕様客室キャビンなら18人、簡易な軍用仕様キャビンなら25人の人員を搭載することができた。SM.75の生産期間は1937年から1943年までと6年以上と長い反面、生産機数は合計94機と少なめである。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体中央部の上面図
:イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(上)サボイア・マルケッティSM-82カングロ三発輸送機の胴体・主翼の上面構造図
:左右主翼のエンジンナセルから、2本支柱の引込み式降着装置が出ている。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体中央部と右主翼の正面図
:左右主翼のエンジンナセルから、2本支柱の引込み式降着装置が出ている。イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(上)サボイア・マルケッティSM-82カングロ三発輸送機の四角い胴体・主翼の正面構造図
:胴体下方のふくらみがSM.75と大きく異なっている。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。



図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の貨物室の内部構造図

:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の胴体大型貨物室の左右側面には、折りたたみ式の簡易ベンチが並んでいる。大型貨物用と人員輸送用の双方に簡単に変更することができた。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の貨物室の側面と上面構造図

:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82(Canguro:Kangaroo)三発輸送機は、1938年10月30日初飛行の民間長距離旅客機で、爆弾4トンを搭載できる爆撃機としても生産された。総生産機数は875機。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の貨物室の内部構造図
:斜め左上方
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82同じような仕様の輸送機フィアット(Fiat) G.12は、1940年10月15日初飛行の民間輸送機で、1940年6月に第二次世界大戦に参戦し、戦時体制にあったイタリア空軍で乗客24名の輸送機として採用された。総生産機数30機のみ。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体側面のガラス窓の配置・乗客昇降用扉の配置
:イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。

図(右)イタリア、サボイア・マルケッティSM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の機首・胴体金属溶接骨組み構造側面図:サボイア・マルケッティSM.82輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


図(上)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の主翼の構造図
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の水平尾翼と垂直尾翼の内部構造図
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。

水平尾翼の後縁には、昇降舵が、垂直尾翼の後縁には方向舵があって、これら動翼は、操縦席の操縦桿と足元の操縦ペダルによって制御される。

飛行機の尾翼にある昇降舵を下げると、水平尾翼に上向きの揚力がが発生する。飛行機の尾部に上向きの揚力が発生する。つまり、飛行機の重心より後方で上向きの力が作用して、飛行機は機首下げ方向に動く。したがって、水平尾翼が上がることで、機首が下向きになり、下降する。反対に、昇降舵を上げると、水平尾翼が下がり、機首が下向きになり、上昇する。飛行機を操縦するのに操作する方向舵や昇降舵を操舵翼と呼ぶ。

垂直尾翼の後縁の方向舵(ラダー:rudder)は、機首を左右にふり、方向の姿勢を制御する操縦翼である。方向舵の操作は,コックピット操縦席の方向ペダル(ラダー・ペダル)を踏むことで制御する。右ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は左に操作され、右向き揚力が発生するので、重心を中心に、機首を左にふるモーメントが生まれ,飛行機は左に旋回する。反対に、左ラダー・ペダルを踏みこむと、方向舵は右に操作され、機首を右にふるモーメントにより、飛行機は右に旋回する。


図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の左主翼先端の航空灯・ピトー管・補助翼マスバランスと小型照明塔の構造図

図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。



図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の引込み式降着装置に取り付けられた地上移動時の稼働状況
:SM.75輸送機は、固定脚だった前作SM.73とは対照的に、引込み式降着装置を備えていた。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(上)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の主翼エンジンナセルに取付けられた引込み式降着装置の構造図
:引込んだ状態(左)と着陸時の状態(右)の比較。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


1930年代初頭、航空機の降着装置は、機体に固定された着陸装置、すなわち地上にあっては固定脚であり、水上・海上にあっては浮舟(フロート)が用いられていたが、これは飛行中の空気抵抗を大きくし、高速化、旋回性能、上昇率向上にとって大きな障害となった。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機のエンジンナセルに取付けられた引込み式脚の構造図
:三発機のSM.75は、主翼の左右と機首の先端にエンジンを搭載する。
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


飛行機の飛行性能向上のために、空気抵抗を減少し、機動性、空力特性を高めるために、固定脚を引き込み式(格納式)に改める設計が生まれた。飛行機の引き込み式(格納式)脚は、主輪と支柱とを格納するスペースが必要で、それは主翼、胴体であるが、双発機の場合は、主翼に装備したエンジンの後方に余裕があり、ここにエンジンナセルを着降着装置の格納スペースとする発想が生まれた。


図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の固定式尾輪の構造図
:SM.75輸送機は、固定脚だった前作SM.73とは対照的に、引込み式降着装置を備えていたが、これは主輪であり、尾輪は固定式だった。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(右)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体の金属鋼管製モノコック構造図
:イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。

図(右)サボイア・マルケッティSM-82カングロ三発輸送機の胴体金属溶接骨組み構造図:SM.75胴体下面膨らみ以外は同じに見える。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)は、SM.73輸送機と同じくアレッサンドロ・マルケッティの設計になる。SM.73輸送機は、固定脚だったが、これを引き込み脚に変更して、空気抵抗を減少させたが、発動機は同じアルファロメオ 126 RC.34 空冷星形9気筒エンジン559 kW (750 hp)である。SM.75の胴体は、金属鋼管フレームで、木製合板とを羽布張りである。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機のコックピット操縦装置とエンジン制御の構造図
:イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体ガソリン燃料タンクと配管構造
(上面):イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体ガソリン燃料タンクと配管制御構造
(下面):イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体内部構造図
:SM.75輸送機は、旅客用に開発されたが、軍用機として輸送機仕様と爆撃機仕様とに変更することが可能だった。イタリア航空刊行のサボイア・マルケッティS.M.75(Marsupiale)のマニュアルに掲載された図解。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82輸送機は、前作SM-75旅客輸送機の後継機として、胴体を大型化して輸送力を増強した発展型だが、主翼、尾翼、降着装置などは前作SM.75輸送機を流用し、早期の実用化を図った。構造は。機首からコックピットまでは、金属骨格(モノコック)でそのほかは、布張りを多用した。第二次大戦の始まった直後の1939年10月30日に初飛行した。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の操縦計器盤
:左が正操縦士、右が副操縦士で、各々に切り替え式操縦桿がついている。三発輸送機には、正副操縦士が座る並列式副操縦装置が備わっている。そこで、左右の操縦士の計器は原則として同じである。


図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


飛行機の操縦席の計器盤は、機体の姿勢を表示する水平儀、高度計(気圧によって計測)、速力計(ピトー管に流入する空気圧力で計測)、方位計(磁気コンパスあるいはジャイロ・コンパス)、燃料計、エンジン回転計などがある。カント(CANT)Z.506 B アイローネ(Airone:アオサギ)水上機の正副操縦席は、胴体の左側によっているが、複式操縦装置で、前後の正副操縦士席の計器盤もほぼ同様である。

図(右)サボイア・マルケッティSM.82カングロ(Canguro)三発輸送機のコックピットの操縦席計器盤:サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


サヴォイア・マルケッティ社では、イタリア空軍による新鋭大型輸送機の開発要求に対して、既存のサヴォイア=マルケッティSM.75の発展型の大型三発輸送機を計画した。これが、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82輸送機で、第二次世界大戦勃発前年の1938年10月30日に初飛行させた。

機体構造は、従来のサヴォイア=マルケッティSM.75同様、木金合成構造で、発動機を収めるエンジンナセル、降着装置は大型化しているが、主翼の形状と寸法とは同じである。また、胴体は延長され、全高は高くなり、胴体容積は増加し、客室キャビン・貨物室は容積が大幅に拡大された。

サヴォイア=マルケッティSM.75では低翼式だったが、SM.82では中翼式に変更となった。また、胴体大型化に伴い、尾翼も大型化されている。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機のコックピット複式操縦桿
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75のコックピット操縦席は、左席が正操縦士、右席が副操縦士の複式操縦装置がついているが、これは、操縦桿を片方だけ稼働状態にする切り替え式操縦桿である。計器盤の相違は僅かだが、正操縦士の左側が充実している。ただし、中央上部の契機は左右で異なっている。


図(上)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の操縦桿および操縦桿と操縦索で繋がる主翼補助翼の構造図
:コックピットから左右の補助翼に運動が伝わる。サボイア・マルケッティSM.75とこのSM.82は、操縦席計器盤マニュアルに若干の差異がある。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。



図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の機首エンジン取付け架(左)および主翼エンジン取付け架(右)の構造図
:三発機のSM.75は、主翼の左右と機首の先端にエンジンを搭載する。
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


図(右)サボイア・マルケッティSM-82カングロ三発輸送機の主翼エンジンナセルとエンジン取付け架およびの構造図:SM.82は、胴体は太いが、機首の先端にあるエンジンを搭載するエンジン取付け架は、SM.75とほぼ同じにみえる。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo) サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


サボイア・マルケッティSM.75(Marsupiale)三発輸送機の胴体は貨物室があり大きいので、機首エンジン取付け架の後方は、エンジンの直径よりもはるかに大きい。しかし、機首先端ぼエンジンナセルは、(1)空気抵抗の減少、(2)コックピットからの視界の確保、のために細く絞られている。び主翼エンジン取付け架は、空気抵抗減少のために最小限の大きさにとどめられている。


図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の機首エンジンナセルに取り付けられた集合排気管の構造図
:三発機のSM.75は、主翼の左右と機種の先端にエンジンを搭載しているが、排気が視野を妨げたり、機体を汚したりしないように、金属管で排気を集めて、下方に導いて排出する。
:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。



図(右)1940年6月以前,イタリアのサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機の主翼エンジンナセルに取り付けられた集合排気管の構造図

:図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。


三発機のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機/爆撃機は、主翼の左右と機種の先端にエンジンを搭載しているが、排気が視野を妨げたり、機体を汚したりしないように、金属管で排気を集めて、下方に導いて排出する。機首に設けられたエンジンの集合排気管よりも排出パイプは短いが、これはコックピット操縦席から離れているためである。


図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機の胴体中央部の機関士・通信士席と3基のエンジンの制御盤
:機首と左右主翼の合計3基のエンジンを1台ずつ調整する3組のレバーや計器が並んでいる。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。



図(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-75(Marsupiale:有袋類)三発輸送機のコックピットの操縦席下の操縦ペダルと3基のエンジンを制御するスロットルレバー
:機首と左右主翼の合計3基のエンジンを1台ずつ調整する3組のレバーや計器が並んでいる。
図は、MINISTERO DELL'AERONAUTICA Savoia Marchetti S.M. 75 a cura di Pietro BARULLI e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio 引用。



4.SM.75の水上機化SM.87水上輸送機



写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア・トランスコンチネンタル航空(Linee Aeree Transcontinentali Italiane:LATI)サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.87 idro三発水上機(登録コード:I-IGEA)
:SM.75輸送機を水上機化したのが、SM.87水上輸送機で、フィアット(Fiat)A.80 746 kW (1,000 hp)3基を装備し1939年に完成した。
Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM.87 Date before 1960 Author Unknown author
図はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.87. File:R.A. - Savoia Marchetti SM.87 01.JPG引用。



写真(上)1940年6月以前,イタリア、イタリア・トランスコンチネンタル航空(Linee Aeree Transcontinentali Italiane:LATI)サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.87 idro三発水上機(登録コード:I-IGEA)
:SM.75輸送機を水上機化したのが、SM.87水上輸送機で、フィアット(Fiat)A.80 746 kW (1,000 hp)3基を装備し1939年に完成した。
Italiano: Savoia Marchetti SM.87 idro Date before 1945 Author Unknown author
図はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.87. File:Savoia-Marchetti S.M.87 3.jpg引用。



写真(右)1940年6月以前,イタリア、イタリア・トランスコンチネンタル航空(Linee Aeree Transcontinentali Italiane:LATI)サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.87 idro三発水上機(登録コード:I-IGEA)
:SM.87水上輸送機は、フィアット(Fiat)A.80 746 kW (1,000 hp)3基を装備した大型水上輸送機である。
Italiano: Savoia Marchetti SM.87 Date before 1950 Author Unknown author
図はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.87. File:Savoia-Marchetti S.M.87 3.jpg引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.87 idor三発水上機は、ドイツのユンカースJu-52/3mの水上輸送機、ハインケルHe115水上輸送機と同様に、実用水上機としては 、当時最大級の大きさだった。


5.SM.75発展型サヴォイア・マルケッティSM.82輸送機

写真(右)1941-1943年前半,イタリアあるいは北アフリカ、飛行中の迷彩塗装を施したイタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機(604-10):胴体側面に2段に乗客用のガラス窓が並んでいる輸送機型。機首には、1本のファッシをあしらった部隊マークが、主翼上面には、ファッシ3本を白丸に描いたファシスト・イタリア王国空軍の国籍記章が、垂直尾翼には白の十字のファシスト・イタリア王国空軍の国籍記章が描かれている。
Descrizione SM S.82 Marsupiale in volo con livrea mimetica Fonte www.airwar.ru/enc/bww2/sm82.html Data ante 1945 Autore Sconosciuto Licenza d'uso (riusare il file) vedi sotto.
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.82 File:SM S.82 in volo con livrea.jpg引用。


サヴォイア・マルケッティSM.82 SM.82輸送機は、1937年11月3日初飛行の民間長距離旅客機、フィアット(Fiat) G.12は、1940年10月15日初飛行の民間輸送機だが、1940年6月に第二次世界大戦に参戦し、戦時体制にあったイタリア空軍で次々と新型輸送機が開発されているのは、戦備拡充、戦争開始には、不都合だった。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82爆撃機カングロ(Canguro:Kangaroo)三発爆撃機の爆弾搭載仕様
800 kg (1,760 lb)爆弾4発
500 kg (1,100 lb)爆弾8発
250 kg (550 lb)爆弾8発
50 kg (110 lb) あるいは100 kg (220 lb)27発
100 kgクラスター爆弾 (56発の子爆弾収容)25発

サヴォイア・マルケッティSM.82 サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82カングロ輸送機の諸元
発動機:アルファ・ロメオ(Alfa Romeo)128 RC21 空冷星型9気筒 950馬力3基
全備重量: 9,300 kg
全幅: 29.68m
全長 22.95m
全高: 6.00m
主翼面積: 118.60m2
空虚重量: 輸送機型 10,550 kg (23,259 lb) 、爆撃機型 11,200 kg (24,692 lb)
最大離昇重量: 輸送機型 18,020 kg (39,727 lb)、爆撃機型 18,410 kg (40,587 lb)
最高速力: 347-370Km/h(4,000m)
航続距離: 2,100 km-3,000km
実用上昇限度 6,000 m
乗客:40名

写真(右)1943年7月-1944年,イタリア、イタリアから鹵獲した機体を使用しているドイツ空軍所属のサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機:胴体側面に白でドイツの国籍マーク鉄十字が描かれている。右奥には、ユンカースJu-52輸送機3mが待機している。メッサーシュミットMe-323ギガント六発輸送機の巨大な垂直尾翼を、右すぐ後方と左奥遠方に少なくとも2機分が写っている。
Italiano: Aereo Savoia Marchetti SM.82 con livrea tedesca Date before 1960
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.82 File:R.A. - Savoia-Marchetti SM.82 livrea tedesca.jpg引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82(Canguro:Kangaroo)の貨物室は爆弾層に改造することができた。爆撃手席は、機首下面に設けたガラス風防のある爆撃照準器を操作する。SM.82は長距離爆撃機としても使用することができたが、爆弾搭載量はピアッジオP.108四発爆撃機と同等で、航続距離も遜色ない。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の搭載量(ペイロード)7トンで、燃料のガソリン2200リットル、巡航速力250 km/h (160 mph, 130 kn) で 2,100 km (1,300 mi, 1,100 nmi)の航続距離があった。これは、太平洋方面では、長距離とは言えないが、地中海・欧州方面では十分な航続力である。貨物室には、航空機用空冷エンジンなら6基、分解した複葉戦闘機CR42、四輪乗用車などの大型貨物を積み込むことができた。これは、胴体中央にある貨物室に収納されたが、のの積み出し口は、胴体中央底面に設けられた観音開きの大型扉を用いた。胴体底面の大型貨物扉は、カンガルーという命名に相応しい。人員輸送の場合は、定員40名である。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82(Canguro:Kangaroo)三発輸送機には、胴体左側に人員用の出入り口扉があり、そこから小型貨物を人力で運び出すことができる。大型貨物は、SM.82輸送機の胴体下面にもうけられた貨物室の大型扉から積み下ろしをすることができた。

写真(右)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機(側面):サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82の発動機は、アルファ・ロメオ128 RC18空冷星形エンジン860hp3基であり、高速ではないが、貨物搭載量・ペイロードは最大7トンに達した。搭載燃料は2,200リットル、航空機エンジン6基、フィアットCR.42複葉戦闘機を分解して運搬可能だった。

図(右)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の上面図:サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82の胴体中央部下面には、大型貨物積載用の貨物扉があり、小型自動車の搭載も可能だった。また、この貨物扉は、爆弾倉扉を兼ねるもので、貨物室を爆弾倉として利用すれば、長距離爆撃機としても使用可能だった。 爆撃仕様では、貨物室を爆弾倉とするために、爆弾ラック(懸架)を設置し、爆撃手席として機首下面ガラス窓を設けて、そこに爆撃照準器を装備した。


図(上)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の操縦用ペダルおよび操縦桿と垂直尾翼の昇降舵に操縦索で繋がる操縦構造図
:コックピットから左右の補助翼に運動が伝わる。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。



図(右)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の胴体の床板の構図
:サボイア・マルケッティSM-82カングロ(Canguro:Kangaroo) 三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82カングロ(Canguro:Kangaroo)は、自動車・単発機など重量貨物の輸送用が可能なように、床板は十分な強度を保つように堅牢に設計されている。他方、SM.82の主翼中央部の補強床板がないのは、その下面に貨物積み降ろし用の大型扉があるためである。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.82カングロ輸送機の貨物室前部は、床板を取り換えることで、爆弾倉に変更したり、大型貨物用扉を設けることができる。つまり、前もって、床板は、変更できるように設計されていた。そして、胴体後部・貨物室後方は、搭載物資を支えるための桁が組まれて、強度を維持している。

サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロは輸送機ではあるが、爆撃機仕様に変更することも可能だった。ただし、三発機で機首にもエンジンが装備されているために、機首先端に爆撃手席を設けることはできない。そこで、コックピットの前下方に爆撃手席がある。そこに、爆撃照準器も装備されている。


図(上)イタリア、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の胴体後上方にある7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁搭載の回転銃塔の外観と内部構造図
:箱形弾倉に7.7ミリ弾薬が収納されている。銃塔の回転操作をする滑車ハンドルが設けられている。サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機マニュアルの掲載。
Savoia Marchetti S.M. 82 a cura di Natale LAPEDOTA e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は, MINISTERO DFLL'AERONAUTICA dell' AEROPLANO SAVOIA-MARCHETTI Tipo S M.82 VII Serie引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機の胴体後上方にある回転銃塔は、7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃1丁搭載だが、反対側にも機関銃の銃身のような棒が突出している。これは。擬似機関銃として、敵戦闘機を威嚇するとともに、回転銃塔の重量・風圧のバランスをとり、操作しやすいようにするための措置と思われる。イタリア空軍では、同じような2本の突出棒付き回転銃座を、カプローニCa311偵察爆撃機、Ca313軽爆撃機、カント(CANT)Z.1007爆撃機でも採用している。

イタリアのブレダ(Breda)-SAFAT機関銃は、1930年代から大戦中に主にイタリア空軍機に搭載された航空機用機関銃である後継には7.7ミリと12.7ミリとがある。原型は、アメリカのブローニングM2重機関銃であるが、日本陸軍の12.7ミリホ103​航空機関銃と同じく、実包は、ブローニングM1919重機関銃7.62x63mmは、7.7x56mmR(.303ブリティッシュ弾)にランクダウンされ、ブローニングM2重機関銃12.7x99mmは12.7x81mmSR(.50ブリティッシュ弾)にやはりランクダウンされ、軽量化されたものの、射程、弾道安定性、破壊力は原型に劣っている。

それまでのイタリアでは、機関銃はフィアットが受注していたが、これ以後、ブレダでもイタリア軍の機関銃が量産されるようになった。ただし、フィアット子会社のSAFAT(Società Anonima-Fabbricazione Armi Torino)が、ジョヴァンニ・アニェッリ(Giovanni Agnelli)によってブレダに売却されており、フィアットの技術や生産方式は、ブレダに引き継がれている。こうして、イタリアの機関銃は、フィアットではなく、ブレダ-SAFATが担うことになったのである。

7.7 mm (.303 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃の諸元
発射速度800–900発/分
重量12.5 kg
銃身長64 cm (25 in)
全長109 cm (43 in)
弾薬 7.7x56mmR
銃口初速730 m/秒

写真(右)2017年,イタリア、ローマ北西50キロ、ブラッチャーノ湖畔、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Museo storico dell'Aeronautica Militare di Vigna di Valle)バドーニ格納庫(Hangar Badoni)に展示保管されているサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-82カングロ(Canguro:Kangaroo)三発輸送機(製造番号:MM61187 / 登録コード:ZR-89)
Deutsch: Savoia-Marchetti SM.82 im Luftwaffenmuseum Vigna di Valle Date 13 January 2017, 10:58:35 Source Own work Author Smolik
写真はWikimedia Commons, Category:Savoia-Marchetti SM.82 File:Savoia-Marchetti S.M.82 Vigna di Valle DSCN0725 (2).jpg引用。



5.固定脚サヴォイア・マルケッティSM.73輸送機

写真(右)1935年10月12-28日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、イタリア航空(アラリットリオ:Ala Littoria)サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) 三発輸送機:胴体側方に、乗客用の窓ガラスが設けられているのでこのサヴォイア・マルケッティSM 73は輸送機であることが容易にわかる。右奥は、イタリア空軍サヴォイア・マルケッティSM.81雷撃機(側方)。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1935 - Sezione italiana Non identificato
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/10/1935 - 28/10/1935 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 13 x 18 Referente scientifico: Moccia, Maria Rosaria Funzionario responsabile: Lovati, Andrea Ultima modifica scheda: 23/06/2011
Note: Veduta della sezione italiana e della sezione tedesca del Salone. In primo piano l'aereo Savoia Marchetti SM 73 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI) delle linee Ala Littoria
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1935_SA_75 引用。


サヴォイア・マルケッティ Savoia Marchetti SM 73 三発輸送機の諸元
乗員Crew: 4名
乗客Capacity: 18 名 + 362.9 kg (800 lb)
全長:Length: 17.4435 m (57 ft 2.75 in)
全幅Wingspan: 23.99452 m (78 ft 8.666 in)
全高Height: 4.60 m (15 ft 1 in) 主翼面積Wing area: 92.97 m2 (1,000.7 sq ft)
空虚重量Empty weight: 5,788 kg (12,760 lb)
総重量Gross weight: 9,280 kg (20,460 lb)
燃料搭載量Fuel capacity: 3,950 L (1,040 US gal; 870 英ガロン)
発動機Powerplant: ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella)P.IX R.C.空冷星形9気筒エンジン520 kW (700 hp)3基
試作機発動機フランス製グローム・ノーヌ(Gnome-Rhone)447.42 kW (600 hp) 空冷9気筒エンジン
プロペラPropellers: 3-翅 金属製可変ピッチ
最高速力Maximum speed: 330 km/h (205 mph, 178 kn) At 4,000 m (13,123 ft)
2基駆動での最高速力: 270 km/h (168 mph)
巡航速力Cruise speed: 280 km/h (174 mph, 151 kn)
失速速力Stall speed: 90 km/h (56 mph, 49 kn)
航続距離Range: 1,600 km (994 mi, 864 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,398 m (24,272 ft)
2基駆動での上昇限度 4,399 m (14,432 ft)
上昇率Rate of climb: 3.333 m/s (656.1 ft/min)
上昇時間Time to altitude:
2,000 m (6,562 ft) /10 分
4,000 m (13,123 ft) /20 分
6,000 m (19,685 ft) /33 分

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti )SM-73輸送機を見る。

サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 73輸送機は、降着装置が固定脚のため、空気抵抗は引込み脚より大きくなるが、低速の輸送機であれば大きな問題ではない。それよりも降着装置が堅牢で信頼性が高いことの方が、民間輸送機としては重要だった。ドイツのユンカースJu-52輸送機も、三発で固定脚だったが、信頼性が高かった。

ファシスト独裁イタリア王国の国籍マークは、ファッシ(束ねた武器)だったが、1943年7月、ベニート・ムッソリーニがイタリア国王によって首相を罷免され、陸軍のピエトロ・バドリオ元帥の新イタリア政府が樹立されら。バドリオ政権は、当初、戦争継続を表明していたが、これは欺瞞であり、秘かにイギリス、アメリカとの休戦交渉をしていた。1943年9月に、バドリオ率いるイタリア政府は、連合国に無条件降伏し、その後、イタリアは、同盟ドイツを裏切って、宣戦布告して戦いを始めた。

連合国に降伏したイタリア王国のイタリア王国空軍の国籍マークは、ファシスト政権の時のファッシを模した国籍マークを廃止し、イタリア三色旗緑・白・赤の三色同心円に変更された。現在でも同じ緑・白・赤の三色同心円の国籍マークである。

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti )SM-73輸送機を見る。



6.サヴォイア・マルケッティSM.81三発爆撃機

写真(右)1936年3月28日,イタリア、ローマ、ファシスト・ムッソリーニ政権イタリア王立空軍13周年大会、最新鋭のイタリア空軍サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.81ピピストレッロ(Pipistrello:コウモリ)三発爆撃機の戦列
Roma I nuovi apparecchi da bombardamento allineati sul campo in occasione del XIII Annuale della Fondazione della Regia Aeronautica
Creation date: 28.03.1936
写真は,Europeana experience Identifier: AttualitaA63988 引用。


1922年10月29日、ベニート・ムッソリーニは戦闘的ファッシを中核にした黒シャツ隊2万5000名を率いて、ローマに進軍し、イタリア国王から首相に任命された。しして、1922年12月、王家・党・政府の代表を集めたファシスト大評議会を設立し、ムッソリーニ独裁の端緒を築いた。また、外交と並んで、軍事についても、ファシストを中核とするために、1923年2月1日、ファシスト黒シャツ隊を国防義勇軍(Milizia Volontaria per la Sicurezza Nazionale、MVSN)として国軍の一翼を担わせた。これは、ムッソリーニの護衛を目的とする親衛隊であり、イタリアの陸海空軍にもファシストの影響力を強化するものだった。ムッソリーニは、イタリア軍も全体主義ファシズムの統制下におこうとしたのである。

サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.81ピピストレッロ(Pipistrello (Bat))の諸元
全長: 18.3 m
全幅: 24 m
全高: 4.3 m
主翼面積: 92.2 m2
空虚重量: 6,800 kg
全備重量: 9,300 kg
最大離陸重量: 10,505 kg
発動機:ピアッジョ P.X RC.15 空冷星型9気筒 670馬力3基
あるいはアルファロメオ 125 RC.35空冷星型9気筒 750馬力3基
最高速力: 340km/h
航続距離: 1500km
爆弾搭載量: 2トン

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.81爆撃機を見る。


7.サヴォイア・マルケッティSM.79/SM.83輸送機

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、サヴォイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM 79輸送機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Stand della Società italiana aeroplani idrovolanti "Savoia Marchetti" (SIAI) Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Al centro dello stand l'aereo da bombardamento e ricognizione S 79
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_220引用。


サボイアマルケッティSM79爆撃機 サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti )SM.79Bは、双発型で、機首に爆撃手席を設けることができた。 SM.79が搭載した発動機は空冷星形エンジン3基で、そのうち1基は機首に搭載されたために、機首に爆撃手の視界を確保することができなかったが、双発であれば、他国の双発爆撃機と同じく、機首に爆撃手や操縦手の座席を設け、コックピット内の乗員相互の意思疎通も容易になる。しかし、双発にするには、発動機2基で十分な馬力を得て飛行することが条件になるが、イタリア国内でこのようなエンジンを量産機用に準備することは得策でないと考えられた。

サボイアマルケッティSM-79爆撃機 サボイア・マルケッティSM.79三発爆撃機(Savoia-Marchetti SM.79)は、元来はスピードレース参加用する旅客輸送機機として開発され、原型機は1934年10月に初飛行した。その高性能からイタリア空軍はSM.79輸送機を爆撃機として使用することを考えたが、これはドイツで民間機のハインケルHe-111輸送機、ユンカースJu-86輸送機、Do-17郵便機がいずれも双発爆撃機に転換されたのと同じである。サボイア・マルケッティSM.79爆撃機試作機が初飛行は、1936年7月に初飛行したが、1937年のスペイン内戦に実験的に実戦使用に投入され、その高い飛行性能と信頼性が高く評価された。

イタリア空軍サボイア・マルケッティSM-79Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の原型は、三発高速旅客機で1934年10月に初飛行した。発動機は、競技用特別機ではピアッジョPIXRC2(1,000馬力)を搭載し、1935年、1000kmと2000kmのコースで世界最速記録を達成した。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア空軍ブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)(左単発機)とサヴォイア・マルケッティSM-83三発輸送機試作機(登録コード:I-LUCE)(左端、機体前半分):展示ドームの下には、企業別のボードが吊下げられている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Fra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), Caproni Vizzola e Piaggio
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_238引用。


イタリア空軍ブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)地上攻撃機は、フィアット(Fiat)A.80 R.C.41空冷星形18気筒エンジン1基搭載、1935年9月初飛行、最高速力430 km/h (270 mph, 230 kn)、航続距離 550 km (340 mi, 300 nmi)、12.7 mm ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、7.7 mm ブレダ(Breda-SAFAT)機関銃2丁、爆弾 500 kg (1,102 lb) 搭載。

第二次大戦は1939年9月に勃発していたが、イタリア参戦は1940年6月でまだ中立国だった。1940年4月12-27日,イタリア、ミラノ・航空展示会は、中立国で平和だったイタリア最後の航空祭典だった。航空展では、フィアット社セクションに、イタリアフィアット社運航になるイタリア航空(Avio Linee Italiane:ALI)所属フィアット(Fiat)G. 18 V双発旅客輸送機(I-ENEI)が広場に展示された。展示広場の背後の大看板には「ファシストALI航空は世界を繋ぐ」と書かれていた。そして、拠点ローマから北アフリカ、バルカン半島を繋ぐ国際航路が、平時の偉業として、誇らしく図解されていたのである。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティSM-83三発輸送機試作機(登録コード:I-LUCE):右端にブレダ(Breda)Ba 65(Nibbio)の左翼と機首。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_181引用。


イタリアのSM.79輸送機は、イタリア軍の要請で軍用爆撃機として改造され、好成績をあげて、量産された。その後、サボイア・マルケッティ社は、高性能のSM.79を再び輸送機仕様に改造し、SM.83三発輸送機を開発した。この機体は、大量生産されなかったが、要人輸送機として使われた。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア空軍サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機:民間輸送機SM.79は軍用機に改造され量産されたが、これを再び輸送機仕様にしたのが、SM.83三発輸送機である。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori
Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale
Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937

Misure: 13 x 18
Note: In primo piano l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI).
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_266 引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83は、全く新しい機体のように、形式名称は新規だが、主翼・尾翼の構造は原型のSM.79を流用して、発動機も同じアルファ・ロメオ126RC34(750馬力)3基である。イタリアにおける民間空路の需要は大きくなかったため、乗客数を増やすよりも、室内居住性の向上と高速化に重きを置いた高速輸送機として、小改造によって、イタリアの航空技術の優秀性を世界に喧伝すことを選んだのである。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機(登録コード:I-LUCE)と手前の推進式プロペラを搭載したエンテ型のアンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano alcuni visitatori nel settore italiano del Salone. Sullo sfondo l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI).
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_170 引用。


アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機は胴体先頭機首でなく胴体後端機尾にエンジンを搭載し、推進式プロペラを装備し、水平尾翼は胴体前方に設けたエンテ型・搭載したエンテ型=カナード型(canard)の前翼飛行機で1937年初飛行。プロペラを機首に設けると、胴体・主翼・尾翼を速い速度で空気が流れ、空気抵抗が生じたり、機体の安定が損なわれたりするが、プロペラを機尾の胴体後方に設けた推力式であれば、プロペラ効率が向上する。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機(登録コード:I-LUCEと手前のアンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機 :後者はエンテ(Ente)型あるいは飛行機で、尾翼ではなく、主翼の前方に前翼(カナード)があり、機尾に搭載したエンジンで推進プロペラを駆動する。1937年初飛行。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano - Visitatori Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano l'aereo SS3 "Anitra" della SAI (Società aeronautica italiana). Sulla destra particolare dell'aereo Caproni Ca 100 Caproncino.
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_245 引用。


アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.3(SCAMM372)実験機は、前翼(カナード)式で胴体後方のエンジンで推進プロペラを回転させ、1937年に飛行に成功した。そこで、この高効率の推進式プロペラをもつ戦闘機として、アンプロシー二(SAI Ambrosini)S.S.4が試作機され、1939年3月7日に初飛行した。日本、アメリカも前翼式飛行機を試作したが、飛行は4年以上遅いので、イタリアの航空技術の高さが示されたといえる。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM 79爆撃機(Sparviero)と奥のSM.79を流用したSM.83輸送機:イタリアのセクターのさまざまなスタンドが設けられている。右から左へ:、サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)、イタリアの水上飛行機会社(SIAI)、その奥にSM 79(Sparviero)が展示されている。アドリア海の造船所。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Da destra a sinistra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), con in mostra l'aereo SM 79 Sparviero; Aeronautica Lombarda; Cantieri Riuniti dell'Adriatico.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_227引用。


サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-79は、乗客席8席の高速旅客輸送機で、第二次大戦前から爆撃機として量産されていた。そこで、このSM.79を原型に、再度、乗客10席の高速旅客機としたのが、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83旅客輸送機で、1937年10月2-17日に開催された,ミラノ・航空展示会で展示され、世界に向けてイタリアの航空技術の優秀性を誇示した。しかし、実際に、SM.83が初飛行したのは、ミラノ航空展示会終了後の1937年11月19日である。

写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機:イタリアのセクターのさまざまなスタンドが設けられている。右から左へ:、サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)、イタリアの水上飛行機会社(SIAI)、その奥にSM 79(Sparviero)が展示されている。アドリア海の造船所。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Stabilimento Fotografico Crimella
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: Veduta di vari stand del settore italiano. Da destra a sinistra gli stand: Savoia Marchetti (Società italiana aeroplani idrovolanti-SIAI), con in mostra l'aereo SM 79 Sparviero; Aeronautica Lombarda; Cantieri Riuniti dell'Adriatico.
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1937_SA_230引用。


写真(右)1937年10月2-17日,イタリア、ミラノ・航空展示会、サヴォイア・マルケッティ SM.83輸送機:民間輸送機SM.79は軍用機に改造され量産されたが、これを再び輸送機仕様にしたのが、SM.83三発輸送機である。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Settore italiano Non identificato
Autore: Non identificato (prima metà sec. XX), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
Note: In primo piano alcuni visitatori nel settore italiano del Salone. Sullo sfondo l'aereo Savoia Marchetti SM 83 (Società idrovolanti Alta Italia-SIAI).
写真は,LombardiaBeniCulturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, P_1937_SA_175引用。


したがって、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83輸送機の量産は、大戦前に43機であり、これにはイタリア空軍の発注13機も含まれる。しかし、イタリア以外にも、ベルギーのサベナ国際航空が4機を購入、ベルギー本土とアフリカ植民地領コンゴとの輸送用に使用した。また、ルーマニアも、民家航空用に3機を購入した。

写真(右)1938-1939年頃,イタリア、イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83三発輸送機試作機(登録コード:I-LUCE; 製造番号 c/n 34001):1937年11月3日初飛行の民間長距離旅客機として開発されたが、当初は、外務大臣チアーノの専用機として使われた。その後、大戦中期、イタリア降伏の1943年まで、軍用輸送機として使用された。
Savoia-Marchetti SM.83 Savoia-Marchetti SM.83 (I-LUCE c/n 34001). The SM.83 long range civil transport stemmed directly from the famous bomber SM.79. The photograph depicts the prototype, registered as I-LUCE it was first flown on November 3, 1937. As I-E
-PictionID: 42002948 - Title: Savoia-Marchetti SM.83 Savoia-Marchetti SM.83 (I-LUCE c/n 34001). The SM.83 long range civil transport stemmed directly from the famous bomber SM.79. The photograph depicts the prototype, registered as I-LUCE it was first flown on November 3, 1937. As I-ESTE (from June 13 to August 8, 1939) this aircraft was used by Galeazzo Ciano (son-in-law of Benito Mussolini). Then, with the registration I-ESTO (from April 20, 1940) this aircraft was pressed in military service and was used until 1943 for special transport missions. - Catalog:15_003031 - Filename:15_003031.TIF - Image from the Charles Daniel's Collection Italian Aircraft Album.
写真はÖsterreichische Nationalbibliothek,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog:15_003031 引用。


1940年6月に、イタリアが第二次世界大戦に参戦すると、民間航路も軍の管理統制の下に置かれ、サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM-83三発輸送機は、政府専用機とイタリア空軍輸送飛行中隊に編入され、高速人員輸送機としてしようされた。イタリア外務大臣チャーノの専用機は、SM-83三発輸送機(登録コード:I-LUCE; 製造番号 c/n 34001)である。

⇒写真集Album:サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti )SM-79爆撃機を詳しく見る。


8.フィアット(Fiat)G. 18 旅客輸送機


写真(右)1935-1940年頃,イタリア、イタリア航空(Avio Linee Italiane :ALI)所属フィアット(Fiat)G. 18 双発旅客輸送機(I-ETNA)
:フィアット(Fiat)G. 18の空冷星形9気筒エンジンを搭載した初期型は3基製造された。機体の胴体側面には9個のガラス窓が並んでいるが、主翼にも胴体にも国籍記章が描かれていない。
Italiano: Fiat G-18 con marche I-ETNA, numero si serie 3, della ALI Avio Linee Italiane; il velivolo compì il primo volo nel 1935 e rimase distrutto in un incidente di prova presso Milano il 16 novembre 1942 Date 18 September 2007, 18:13:46 Source Own work Author Paolobon140
写真はWikimedia Commons, Category:Fiat G.18 File:Fiat G-18 I-ETNA.jpg引用。


フィアット(Fiat)G. 18 双発旅客輸送機は、フィアット(Fiat)A.59空冷星型9気筒エンジン700 hp (522 kW) (排気量27.7 L)2基を搭載した双発輸送機で、アメリカのダグラスDC-2と外見が似ている。1937年2月26日に初飛行したが、発動機の出力が低かったため、換装してフィアットA.80空冷星型14気筒エンジン 1,000 hp(750 kW)(排気量45.72L)2基を搭載した発展型G.16Vが作られ、性能は上々だった。しかし、初期型G.16は3基、発展型G.16Vも6機が製造されただけで、少数が使用されただけだった。ただし、1943年年のイタリア降伏後も残った機体が使用されている。

1935年3月18日に初飛行したフィアット(Fiat)G. 18旅客輸送は、乗客18座席のアメリカ製ダグラスDC-2輸送機のライバルである。発動機は、当初、フィアット(Fiat)A.59空冷星型9気筒エンジン700 hp (522 kW) (排気量27.7 L)2基を搭載し、3機が製造された。後期型G. 18 Vは、発動機をフィアット A.80 空冷星型14気筒エンジン 1,000 hp(750 kW)(排気量45.72L)2基に換装、出力を向上させたが、これがフィアット(Fiat)G. 18 V輸送機である。

フィアット(Fiat)G.18V 輸送機の諸元
乗員:3名+乗客18名
全長:18.81 m (61 ft 9 in)
全幅:25.00 m (82 ft 1 in)
全高:5.01 m (16 ft 5 in)
主翼面積:88.3 m² (950 ft²)
空虚重量:7,200 kg (15,900 lb)
全備重量:10,800 kg (23,800 lb)
発動機:フィアット(Fiat)A.80 RC.41空冷星形18気筒エンジン 750 kW (1,000 hp)3基
最高速力:400 km/h (250 mph)
実用上昇限度:8,700 m (28,600 ft)
航続距離:1,675 km (1,041 miles)


⇒写真集Album:フィアット(Fiat)G. 18旅客輸送を見る。


9.フィアット(Fiat) G.12 三発輸送機

フィアット(Fiat) G.12 輸送機の試作機は、フィアット(Fiat)A.74 R.C.42空冷星形14気筒エンジン574 kW (770 hp)3基を装備し、1940年10月15日に初飛行した。しかし、イタリアは1940年6月から第二次世界大戦に参戦しており、戦時中だったために、G.12は民間輸送ではなく、軍用輸送機として少数が使用された。フィアット(Fiat) G.12 輸送機の総生産機数は、30機と僅かであり、戦後になってイタリア航空が民間旅客輸送機として採用した。

写真(右)1946年9月12-29日,イタリア、ミラノ・航空展示会、イタリア機セクション、フィアット(Fiat) G.12 CA輸送機
Fiera di Milano - Campionaria 1946 - FIAT - Aeroplano trimotore per trasporti civili G.12 CA
Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24 Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 12/09/1946 - 29/09/1946 Materia/tecnica: gelatina bromuro d'argento/carta Misure: 18 x 24
Note: Veduta dall'alto dell'eroplano trimotore per trasporti civili G.12 CA. Folla di visitatori lungo il viale della scienza e, sulla destra, strutture fieristiche danneggiate dai bombardamenti tra cui la torre dell'ex padiglione della Confederazione fascista dei commercianti
写真は,Lombardia Beni Culturali Collocazione: Milano (MI), Archivio Storico Fondazione Fiera Milano, fondo Fondo Fiera campionaria, PAL_1946_036 引用。


フィアット(Fiat) G.12輸送機の諸元
乗員Crew: 4名
乗客Capacity: 兵士14名あるいは乗客 24名
全長Length: 20.1 m (65 ft 11 in)
全幅Wingspan: 28.6 m (93 ft 10 in)
全高Height: 4.9 m (16 ft 1 in)
主翼面積Wing area: 113 m2 (1,220 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,420 kg (20,768 lb)
総重量Gross weight: 15,000 kg (33,069 lb)
発動機Powerplant:フィアット(Fiat) A.74 R.C.42空冷星形14気筒エンジン 574 kW (770 hp)3基
プロペラPropellers: 3翅 恒速回転プロペラ3基

フィアット(Fiat) G.12輸送機の性能Performance
最高速力Maximum speed: 390 km/h (240 mph, 210 kn) at 5,000 m (16,404 ft)
巡航速力Cruise speed: 303 km/h (188 mph, 164 kn)
航続距離Range: 2,300 km (1,400 mi, 1,200 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,500 m (27,900 ft)
兵装Armament
7.7 mm (.303 in) ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃3丁


写真(右)2011年,イタリア、ローマ北西50キロ、ブラッチャーノ湖畔、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍歴史博物館(Museo storico dell'Aeronautica Militare di Vigna di Valle)バドーニ格納庫(Hangar Badoni)に展示保管されているイタリア航空フィアット(Fiat)G.212CA三発輸送機(MM61804)

Description Deutsch: Savoia-Marchetti SM.82 im Luftwaffenmuseum Vigna di Valle Date 13 January 2017, 10:59:38 Source Own work Author Smolik
写真はWikimedia Commons, Category: Fiat G.212 File:Savoia-Marchetti S.M.82 Vigna di Valle DSCN0728 (2).jpg引用。

フィアット(Fiat) G 212 G.P.三発輸送機は、発動機にアメリカ製プラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney) R-1830-S1C3-G ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星型エンジン794 kW (1,065 hp) 3基を装備した民間旅客輸送機で、乗客席は22席と少ないが、優美な形状の機体である。当時のライバルは、アメリカのダグラスC-54/DC-4四発輸送機で、大量生産されており、仕様機数も就役航路も格段に差を付けられていた。しかし、イタリアは、国産旅客機G.212を実用化することにこだわったのである。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat) G.12輸送機を見る。


10.ユンカース(Junkers)Ju52 3m旅客輸送機


写真(上)1938年、フィンランド、ヘルシンキ空港の格納庫に駐機するドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju52 3m旅客輸送機「ハインリヒ・クロル」”Heinrich Kroll”(登録コード:D-A HUS)
ドイツの国籍識別マークは、1933年1月のナチ党政権獲得以降、戦前は垂直尾翼の赤帯に白丸を背景にしたスワスチカ(ナチ党卍カギ十字)を付けている。ハインリヒ・クロル(1894-1930)は、第一次世界大戦のドイツ戦闘機エース(33機撃墜)。
Malmin lentokentän lentokonehallissa Lufthansan Junkers Ju-52 Aarne Pietinen Oy, kuvaaja 1938 Malmin lentokentän lentokonehallissa Lufthansan Junkers Ju-52, teksti kuvapussissa: Lufthansan Ju 52/3m D-A HUS Heinrich Kroll, taustalla Aeron samanniminen OH-ALL Kaleva. Aineistotyyppi: ?Kuva Aiheen paikka:Helsinki, Malmin lentokenttä Aiheen aika:1938 Organisaatio:Museovirasto - Musketti Kokoelma:Historian kuvakokoelma Pietisen kokoelma Inventaarionro:HK19670603:18272 Kuvaustiedot:1938, syksy Helsinki Aarne Pietinen Oy, kuvaaja
写真はMuseot.Finna:HK19670603:18272引用。
1935年、ヒトラーが再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

写真(右)1936 - 1940年,ノルウェー、オスロ郊外、ユンカースJu 52/3m水上輸送機「ナハーデン」"Najaden"(LN-DAF)(c/n 5429):1936年6月6日、登録コード D-AKIYを与えられ、ノルウェー航空(DNL)ユンカースJu 52/3m輸送機「カハーラ」 "Karjala"の愛称で使われた。 このJu52水上輸送機の登録コードLN-DAFは、1940年4月に削除された。1940年4月19日、 ドイツに接収されたため、D-AKIY と D-AKIQとなったのである。
Luftfoto, Ett fly i luften, LN-DAF, DNL "Najaden" Junkers Ju 52/3mge. Landskap under. Fly: Tremotors propellfly. c/n 5429, ex D-AKIY. Reg: 06.06.1936 (temp 29.04.1936) DNL Fred Olsen & Bergenske A/S Oslo, namn "Najaden". Overtatt av tyske tropper på
Fornebu 04.1940, slettet av register 19.04. 1940 op av Lufthansa D-AKIY og D-AKIQ. senere LN-KAG.
Fotografering: 1936 - 1940 Identifier: NL.97010344 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum
Date published: December 18, 2014 Date updated: December 18, 2014
DIMU-CODE: 021015695849 UUID: 24214ABC-95F4-4903-B0AE-7BFC10771223
写真は,Norsk Luftfartsmuseum: "NL.97010344 "引用。


ユンカースJu52/3m水上輸送機の諸元
全幅:19.2m.
全長: 7.3m.
全高: 29.3m.
最高速力: 200 km/t.
発動機: 3X 830馬力 BMV -132空冷星形9気筒エンジン.
全備重量: 10500 kg.

⇒写真集Album:ドイツのユンカース(Junkers)Ju-52輸送機を見る。


11.アメリカのボーイング(Boeing)247輸送機

写真(右)1935-1939年頃、アメリカ、ユーナイテッド航空の飛行格納庫前でのユーナイテッド航空ボーイング(Boeing)247 輸送機と技術者や会社の従業員たちの記念撮影:3翅プロペラには回転しているときの事故防止用のカラーリングが施されている。ユーナイテッド航空の主要拠点だったニューヨーク、クリーブランド、ロスアンゼルスの都市名が格納庫に書かれている。ユーナイテッド航空が航空便を扱っていたのでAIR MALIの記載も書かれている。
Boeing : 247 Manufacturer: Boeing Designation: 247 Official Nickname: Notes: On the ground.
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00061585 および Wikimedia Commons Category:Boeing 247 File:Boeing 247 Stewardesses.jpg引用。


ボーイング(Boeing)247輸送機は、全金属構造、引き込み脚の降着装置、低翼の最新技術を実用化した高速輸送機で1933年2月8日に初飛行した。当時は、金属骨格に木製あるいは羽布張、複葉、固定脚の飛行機が多かったことを思うと、民間旅客輸送機で、このような最新技術を実用化したのは、驚異的だった。

写真(右)1935-1940年頃、アメリカ、低空飛行するユナイテッド航空のボーイング(Boeing)247 輸送機(NC13328)と引き込まれる前の主輪:胴体後方側面に、ユナイテッド航空のロゴを描いている。主輪は、エンジンナセル下にあるが、主翼中央部内側に引き込まれる。尾輪は固定式である。3翅プロペラで、衝突除けのカラーリングされている。コックピットのガラス風防は、空気抵抗を削減し、下方視界を良くし、窓枠への風雪の影響を軽減するために、内側に寄せられている。
AL61A-098 Boeing 247 NC13328 United Airlines Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club..
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive AL61A-098 Boeing 247 NC13328 United Airlines引用。


ボーイング(Boeing)247輸送機は、全金属製、単葉、低翼、引き込み式降着装置の斬新な設計で、当時の軍用機を上回るような快速を発揮した輸送機である。ゴム製主輪は、エンジンナセル下に引き出されて、広い間隔をとって機体を地上で安定させる。空中で飛行中はは抵抗が大きくなるので、離陸と同時に、主翼中央部内側に引き込まれる。ただし、尾輪は小さく、引き込み式にする重量増加を抑えるために、固定式とされた。

⇒写真集Album:ボーイング(Boeing)247輸送機を見る。


12.アメリカのダグラス(Douglas)DC-2輸送機

写真(右)1934年、アメリカ、飛行するTWAトランス・ワールド航空のダグラス(Douglas)DC-2 輸送機(登録コード:VC13728):飛行中なので、上面の様子がよくわかる。
Douglas : DC-2 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2.
写真はSDASM Archives San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00065484用。


TWAトランスコンチネンタル・エアー・トランスポート(Transcontinental & Western Air)航空は、1932年に、全金属製の低翼、引き込み脚のダグラスDC-1を採用した。その後もTWAは、引き続きダグラス DC-2とDC-3を導入し、アメリカ東部のオハイオ州コロンバス(Columbus)=ピッツバーグ=ニューアーク航路、アメリカ大陸横断路航路を開設した。


写真(上)1935-1939年、スイス連邦、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港、スイス航空所属ダグラス(Douglas)DC-2 輸送機(機体コード 115-B、登録コード HB-ITA,)

Photographer Unbekannt Douglas DC-2 115-B, HB-ITI am Boden in Dübendorf Dating: 1935-1939 Zeitgenössische Bildbeschreibung des Swissair-Marketings: "Bodenaufnahme, seitlich hinten links der Sportfliegerhangar, rechts im Hintergrund das Verwaltungsgebäude Dübendorf."
Orientation: Square Format: 6 x 6 cm Collection ETH Library
写真は, ETH Library Record Name: LBS_SR01-00126 引用。


ダグラス(Douglas)DC-2 輸送機は、DC-1の改良型で1934年5月11日に初飛行し、その直後の5月18日にTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)(後のトランスワールド)航空に採用された。そして、KLMオランダ航空とパンアメリカン航空(Pan American Airways)が採用を決めた。軍用仕様のC-39輸送機35機も含めて、1934年から1939年にかけて198機が生産された。

ダグラス(Douglas) DC-2輸送機は、全幅:25.78m 、全長:18.88m、 総重量:8,160kg、発動機は、アメリカ製ライト サイクロンSGR-1820-F空冷星形9気筒エンジン750馬力2基搭載、速力320km/hで、搭乗員4名、乗客14名を運搬できた。

写真(右)1939-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊C-39軍用輸送機(71号機):1930年代に普及していた白赤ストライプのアメリカ国籍記章が垂直尾翼に描かれている。無塗装の試作機のように見える。
Douglas : C-39 : Manufacturer: Douglas Designation: C-39
Source The last flying Douglas DC-2
写真は,SDASM Archives, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00012887引用。


ダグラス(Douglas)DC-2民間輸送機から発展した軍用仕様のC-39輸送機は、1万5000機も大量産されることになるC-47軍用輸送機の原型ともいえる機体である。ダグラスは、アメリカ陸軍向けに35機のC-39Asを生産し1939年にアメリカ陸軍に納入し、第二次世界大戦初期に大活躍した。

アメリカ陸軍航空隊C-39軍用輸送機は、1941年12月、フィリピンからオーストラリアにアメリカ人を空輸し避難させた。また、1942年1月に、アメリカ本土東端メーン州(Maine)からカナダのニューファウンドランド島(Newfoundland)にあるイギリス空軍ガンダー基地(Gander)に空輸を実施したが,これはアメリカからイギリスに対する最初の空輸任務だった。

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas) DC-2輸送機を見る。


13.アメリカのダグラス(Douglas)DC-3輸送機

写真(右)1946年4月16日、スイス、チューリッヒ郊外、デュードルフ空港の空港ビルから眺めたスイス航空(Swissair)ダグラス(Douglas)DC-3輸送機(登録コード:HB-IRB)、DC-3輸送機(機体コード:227A, 登録コード:HB-IRO) と奥のダグラスDC-2(機体コード:115-B, 登録コード:HB-ITO)(最奥)とダグラス:DC-2もDC-3ともに10年間もスイス航空に就航しているベテランである。
Douglas DC-3-227A, HB-IRO und Douglas DC-3D, HB-IRB sowie Douglas DC-2 115-B, HB-ITEPhotographer
Photographer Swissair Dating 25.4.1946
Caption Die Fracht ist vom Camion in die HB-IRO umgeladen worden
Physical Description Fotografie : Nitratnegativ Format 6 x 6 cm Colour schwarz/weiss
Orientation Quadrat Categories ◾Sachkatalog > Verkehrsmittel > Luftverkehr > Flugzeugtyp nach Hersteller > Douglas > Douglas DC-2 115-B, HB-ITE
写真は, ETH-Zürich LBS_SR01-03075 引用。


DC-2をアメリカ大陸横断飛行する夜間寝台機として改装する企画が持ち上がったが、客室キャビンに寝台を並列配置するには、胴体幅が狭かった。DC-2の乗客座席は、2列7行の14座席だったからである。そこで、胴体幅を拡張する大きな改造が実施され、ダグラスDSTDouglas Sleeper Transport)が開発され、1935年12月17日に初飛行した。

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-3輸送機を見る。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カント(CANT)Z.501飛行艇
カント(CANT)Z.506水上機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.212輸送機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.82輸送機
ピアジオP.108重爆撃機
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑



2021年5月13日開設の鳥飼行博研究室当サイトへのご訪問ありがとうございます。写真,データなどを引用する際は,URLなど出所を明記してください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
東海大への行き方|How to go
Flag Counter
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 9000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2021/5/13 All Rights Reserved.