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◆ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機 写真(上)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機:Fw190戦闘機A型の高空性能を向上するために、エンジンを液冷ユモ213エンジンに変換したのが、Fw-190戦闘機D型。最初のD-9は1944年8月から量産開始、D型はD-9からD-15まであったが、いずれも細長い機首から「長っ鼻ドーラ」(LANGNASEN-DORA)と呼称された。機首が長く重くなったために、重心のバランスをとるために、尾翼付け根の胴体が延長され、垂直尾翼も大型化した。D型では、視界の良いガーラント・ハウベが標準装備となった。全長:10.29m,全幅:10.50m,全高:3.36m,全備重量:4,270kg,エンジン:ユンカースJumo213A-1(1,770馬力),最大速度:686km/h(高度6,600m),兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数各475発)、20ミリMG151機関銃2丁(各250発)。
DAYTON, Ohio -- Focke-Wulf Fw 190D-9 in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) The Fw 190D-9 on display was assigned to the JG3 "Udet" Geschwader. One of the Luftwaffe's most famous fighter units, JG3 was named for Ernst Udet, Germany's leading ace to survive World War I. The airplane, captured and brought to the United States for testing at the end of WWII, is on loan from the Smithsonian Institution's National Air and Space Museum.
TECHNICAL NOTES: Armament: Two 20mm MG 151 cannons in wings and two 13mm MG 131 machine guns in nose Engine: Junkers Jumo 213 of 2,240 hp with methanol-water injection Maximum speed: 426 mph Cruising speed: 280 mph Range: 520 miles Ceiling: 40,000 ft. Span: 34 ft. 5 1/3 in. Length: 33 ft. 5 1/4 in. Height: 11 ft. 1/4 in. Weight: 10,670 lbs. combat-loaded
写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum, Focke-Wulf Fw 190D-9引用。

図(上)1945年4月、ドイツ空軍第44戦闘航空団所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-11 戦闘機
:メッサーシュミットMe262Aジェット戦闘機の離着陸時の援護をする目的で配備された防空戦闘機で、、地上からを誤射を避けるために赤の縞模様の目立つ塗装を施している。
Description Deutsch: Focke-Wulf Fw 190D vom Jagdverband 44, Platzsicherungstaffel, München-Riem, April 1945. Norsk bokmål: Fw 190 D-11 "Rote 4" fra Jagdverband 44 Platzsicherungstaffel, München-Riem, April 1945. Date 21 February 2018 Source Own work Author Erlendlundvallbr>写真は, Category:Focke-Wulf Fw 190D, File:Focke-Wulf Fw 190 D-11 Jagdverband 44 .jpg 引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。これは、徴兵復活、軍備強化、独裁政権獲得という本音のようだ。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車/自動車に乗って到着したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥をもてなすドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:二人とも元帥で元帥杖を持って挨拶を交わした。ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統のいる大本営ばかりか、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも参じて、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合ったマンネルハイムが、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連の弱体化を真剣に望んでいたのは確かであろう。
Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym.
写真は Museo Finna: sa-kuva-3239引用。


ゲーリングの経歴:
1893年、ドイツ帝国外交官を父とする上流階級に誕生、恵まれたな子供時代を過ごし、1905年、カールスルーエの幼年士官学校に入学、卒業後、1909年に士官学校Staff College)に入学して、第一次大戦の始まる1914年に陸軍少尉として歩兵部隊に配属。
第一次世界大戦の緒戦では 歩兵として戦ったが、10月からドイツ陸軍航空隊へ移動、当初は偵察員、1915年からは、戦闘機パイロットとして西部戦線で戦った。1918年6月の敗戦の年に最高勲章のプール・ル・メリット勲章Pour-le-Merite)を授与された。ヘルマン・ゲーリングは、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンManfred von Richthofen)が率いていた戦闘機大隊指揮官として敗戦を迎えた。
1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。
1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。

1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥 1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」から列車/自動車に乗って到着したフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥をもてなしたドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:1942年6月時点で、ドイツのヨーロッパ支配の状況で、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配はかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連弱体化の最大の機会であると考え、ドイツと同盟して継続戦争を始め、ソ連得よう度に侵攻して占領し、大フィンランドの建国途上だった。
"Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. 、 Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Institution
写真は Museo Finna: sa-kuva-13047引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。

1935年3月,ドイツ再軍備宣言German re-armament)によって新設された空軍の総司令官に就任。

ドイツ空軍総司令官 ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は、戦争中盤以降、空の戦いで敗北を続け、権威を失っており、戦争後半以降、戦争指導にほとんど参加していない。1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会でヒトラーは「私が倒れたらゲーリングが続く」と演説をしていた。そこで、1945年4月23日、ベルリン攻防戦が始まり、ヒトラーとの連絡が確保できなくなる危険な状況で、ゲーリングは、1941年6月29日にヒトラーが公布したゲーリングを総統の後継者とした法令に基づいて、指揮権継承を電文で問い合わせた。ヒトラーは、これをゲーリングの裏切りとみなし、激怒、ゲーリングを公職から追放し、監禁することを命じた。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。

1.第二次大戦のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190戦闘機

1934年,バイエルン航空機Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、単葉、全金属製、モノコック構造、密閉式のガラス風防、引込脚といった当時の先端技術をすべて取入れ、強力なエンジンで、小さく軽い機体を引っ張る高速戦闘機の開発を、Bf 108連絡機・小型輸送機を設計したロベルト・ルッサー技師の主導で開始した。その後,バイエルン航空機Bayerische Flugzeugwerke:BF)は、メッサーシュミット社となったため、MEの略称も併用され、Bf109戦闘機は、Me109戦闘機とも呼ばれる。


他方、ドイツ空軍は、フォッケウルフ社に対して、主力のBf109戦闘機を補助する予備的な戦闘機の開発を依頼した。そこで、技師クルト・タンクKurt Waldemar Tank)の主導で,Fw-190戦闘機の試作機は、1939年6月1日に初飛行した。このFw-190は、過酷な戦場で耐久性があり、膠着装置も頑丈で安定性がよく、未熟練パイロットでも操縦できるように配慮されていた。wikipediaは「強力な武装」というがこれは誤解で、余裕ある設計のために、当初の軽武装の試作機も、兵装強化が可能だったということである。当時、ドイツ空軍は、第一線の軍用機のエンジンには、ダイムラーベンツやユンカースの液冷エンジンを搭載していたが、予備的戦闘機のFw-190ではあえて例外的な空冷星形エンジンを搭載することが指示された。Fw-190戦闘機は当時唯一搭載可能な大出力空冷星形エンジンとして、BMW 139(離昇出力1,550馬力)を搭載した。

1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章がドイツ軍では用いられたが、1935年にドイツ再軍備宣言German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。その際に、ドイツ空軍機の垂直尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)を描いた国章が決められた。その後、1939年9月に第二次世界大戦の勃発以降は、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(スワスチカ)は、戦場では目立ちすぎるために、敵から発見されやす支障があった。そこで、垂直尾翼の赤と白の背景を消して、黒に白縁のスワスチカだけを記章とするようになった。

Me109 Bf109の発動機は、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジン(後期型はDB605エンジン)で、シリンダーは高圧で駆動するために構造上精度・素材品質も高く保つ必要があった。また、燃料噴射ポンプが装備されたが、これは気化器を通さず直接シリンダーに燃料噴射をするポンプで、飛行機の態勢いかんにかかわらず、安定的なエンジン駆動ができた。バトル・オブ・ブリテンにあって、気化器を装備したスピットファイア戦闘機は、マイナスGが強くかかるとシリンダーへの燃料供給が停止する欠点があったが、Bf109戦闘機は、燃料直接噴射ポンプがあったために、その欠点はなかった。

 さらに、ダイムラー・ベンツDB601液冷エンジンは、倒立V型シリンダーであったため、エンジンを貫通して胴体内機関砲をプロペラスピナ先端から発射することも可能だった。このよう複雑な機構は、生産効率や整備性の上で困難があったが、技術的優位を活かす自信があったダイムラーベンツは、あえて複雑な機構のエンジンを開発したのである。

 他方、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機は液冷エンジン中心のドイツ空軍の唯一の空冷エンジン単座戦闘機となった。しかし、エンジンは高馬力で、カウリングの直径を絞って空気抵抗の減少に配慮し、オイルクーラー、オイルタンクをエンジンの前面に環状に搭載、さらに単排気管による排気推力を活用して、境界面の空気の流れを良好にするとともに、速度向上に寄与させた。量産型のFw-190戦闘機では、搭載エンジンをBMWのより強力な新型空冷星形エンジンBMW 801に変更している。

フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機は、戦闘機型は13,300機、戦闘爆撃機型は6,600機、合計2万機が生産された。

1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のスワスチカ (Swastika:ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。1936年-1938年のスペイン内戦にドイツ義勇軍コンドル軍団の戦闘部隊としては、最新鋭メッサーシュミットBf109戦闘機E-1型も派遣された。当時のドイツ空軍の国籍マークは、胴体の黒丸と垂直尾翼の黒の×十字でファシストのファランヘ党、フランコ将軍の反乱軍側に立って参戦した。

ドイツ最優秀のDB601液冷エンジンは,Bf-109戦闘機,Bf-110戦闘機(駆逐機)に優先配備されていた。そこで、このDB601液冷エンジンを装備できなかった弱小メーカーのフォッケウルフ社は,爆撃機用だった空冷BMW801空冷星型エンジンを搭載した戦闘機を開発せざるを得なかった。

こうして開発されたのがフォッケウルフFw-190戦闘機で,対戦闘機,対爆撃機の戦闘を念頭に、小型で速力が速く、操縦も容易な方針で設計された。

緒戦では、イギリス空軍のスーパーマリン・スピットファイア戦闘機に対して,有利に戦いを進めることができた。頑丈で,装甲板も施された機体は,爆弾搭載能力,被弾・防弾能力も高く,戦闘爆撃機としても活躍した。

フォッケウルフFw-190A:戦闘機の最大の特徴は,エンジン調整に自動制御システムのコマンド・ゲレート(kommandogerät)を装備した点である。これは,プロペラ可変ピッチ、2段スーパーチャージャー,シリンダーに注入する混合気濃度をスロットル操作だけで自動制御するシステムだった。操作が簡便なために,操縦者が熟練していなくとも,運動性能を発揮できた。

1939年9月1日、ポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
総統(Führer)アドルフ・ヒトラーにも空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)元帥にとても、ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

1935年までは、ドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章だったが、1935年にドイツ再軍備宣言German re-armament)、ドイツ空軍にヘルマン・ゲーリングが総司令官として着任、ナチ化が推進された。尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。

その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発する直前、ポーランド、フランス、イギリス、イギリス自治領オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南アフリカ連邦と戦うことになったドイツでは、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

写真(右)2015年9月,フランス中部、パリ北方、ル・ブルジェ航空宇宙博物館 (Musée de l'Air et de l'Espace)で保管展示されているドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A型の搭載したBMW801D2空冷星形14気筒エンジン:後方はフォッケウルフFw-190 戦闘機A型である。
Français : Moteur BMW 801 D2 équipand les FW 190, exposé dans le hall 39-45 du musée de l'Air et de l'Espace. Date 19 September 2015, 17:05:00 Source Own work Author Duch
写真は Wikimedia Commons, Category:BMW 801,File:BMW 801 D2 - MAE.jpg引用。


ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A型戦闘機は、発動機としてBMW 801空冷星形14気筒エンジンを装備した。しかし、第二次大戦末期に登場したFw-190D型は、A型のBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させた改良型である。実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。

BMW 801空冷星形14気筒エンジンの諸元 ボア×ストローク:156 mm × 156 mm
排気量:41.8 L
全長:2,006 mm
直径:1,290 mm
重量:1,055 kg
燃料供給方式:燃料直接噴射
圧縮比:6.5
過給機:1段2速スーパーチャージャー
離昇出力/回転数:1,600 hp / 2,700 rpm
出力排気量比:38.2 hp/L
出力重量比:1.52 hp/kg

フォッケウルフF-190A戦闘機の最大の特徴は,BMW 801空冷星形14気筒エンジン調整に自動制御システムのコマンド・ゲレート(kommandogerät)を装備した点である。これは,プロペラ可変ピッチ、2段スーパーチャージャー,シリンダーに注入する混合気濃度をスロットル操作だけで自動制御するシステムだった。操作が簡便なために,操縦者が熟練していなくとも,運動性能を発揮できた。

ドイツの工業技術は、素材、規格に優れていたために、左右の主翼wing)を機体にボルトで結合して製造した。このような構造であれば、陸上を自動車や列車で、海上を船舶で運搬するときでも、主翼を外してコンパクトにまとめることができる。他方、日本軍機は、左右の主翼を一体化し、それを胴体に固定した。若干の重量軽減には役に立ったが、輸送には不便だった。左右一体化の主翼を大きく損傷した場合、両翼全てを交換しなければならず、これができない以上、日本機の修理、整備は困難となり、稼働率の低下を招いた。


写真(上)1942-1943年初期(?),ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、AGO飛行機工場で生産されたドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-3/A-4型
:機体は、気湯エンジン上面に7.92 mm (0.312 in) MG 17機関銃2丁、左右主翼付け根(プロペラ回転圏内) 20 mm MG 151/20機関銃各1挺なので、1943年までに登場したA-3型あるいはA-4型であろう。A-4型後期以降は、主翼外側にも20mmMG-FF機関銃。MG151/20機関銃など兵装を強化している。
English: Finished Focke-Wulf FW-190A fighters that have just rolled off the assembly line at Oschersleben, Germany, are waiting on a camouflaged parking strip for test flights, circa in 1944. Date circa 1944 Source National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 204899597. Author U.S. Air Force photo 342-FH-3A19943-50268AC
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:U.S. soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190 at AGO Fluzeugwerke, Oschersleben, Germany, circa in April 1945 (ds.05210).jpg引用。


フォッケウルフFw-190A-4諸元
全長: 9.0メート
全幅 10.5メートル
空虚重量 3060kg、全備重量 4865?
BMW801Dエンジン1,800hp、MW50水メタノール噴射緊急出力 2,100hp
最高速力 緊急出力 669 km/h、通常出力 615km/h
航続距離 880キロ
300リットル落下タンク装備時1500キロ
武装 7.92ミリMG15機銃2丁,20ミリMG151/20機関銃2挺,20ミリMG FF/M 機関銃 2挺
クルト・タンク設計
第二次大戦直前の1939年6月初飛行。フォッケウルフFw-190の生産機数は2万機。

メッサーシュミットBf 109戦闘機E-2型は、モーターカノンとしてスイスのエリコン社の開発したを搭載した。しかし、20ミリ機関砲の発射時の振動が大きく、機種上面のと共振し大きな振動を起こしてしまう。

そこで、メッサーシュミットBf 109戦闘機E-3/E-4型は、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)の搭載を諦めて、主翼内に20ミリMGFF機関砲を搭載した。E-5型とE-6型はE-4を改造し、小型カメラを搭載した偵察機である。

 また、爆撃機に随伴、護衛するには、航続距離の延長が不可欠だったため、E-7型では、胴体下面に金属製300L入り落下増槽を懸架可能にした。部隊配備は、1940年夏だった。

ドイツ空軍メッサーシュミットBf 109 E-1戦闘機の機首上面に2丁の7.92ミリMG17機銃が搭載されていて、プロペラ・スピナーには、20ミリ機関銃発射口が儲けられている。しかし、機首プロペラ軸の機関銃(モーターカノン)は、振動が大きく実用に適さないと判断されたため、E型での搭載は見送られた。したがって、兵装の上では、Bf109戦闘機よりもFw190戦闘機のほうが遥かに強力で、爆撃機の迎撃に有利だった。

ドイツ空軍フォッケウルフFocke-Wulf Fw 190 A-3戦闘機は、胴体下面にETC501ラックを装備し、300リットル入落下増槽や250キロまたは500キロ爆弾1発を搭載できる。A-3型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を装備しているはずだが、爆弾を搭載する場合、重量過大になり、航続力も低下することから、主翼外側の機関銃は搭載しないのが一般的になった。

メッサ―シュミットBf 109戦闘機F型は、枢軸軍では初めてモーターカノンを搭載した戦闘機で、マウザー(モーゼル)15.1ミリMG151機関銃あるいは20ミリMG151/20 機関銃1丁を操縦席足元に搭載し、プロペラ軸を通して、プロペラスピナ先端の銃口から発射した。連合軍機では、アメリカのベルP-39エアコブラがモーターカノンの37ミリ機関砲を備えていた。

第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第1飛行戦隊は、第70戦闘航空団第1飛行隊として、1939年7月、ニュルンベルクで編成されたたため、エンブレムは、ニュルンベルクの紋章に由来する「緑のハート」となった。第54戦闘航空団第1飛行戦隊が成立したのは、第二次大戦勃発直後の1939年9月15日だった。

第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第2飛行戦隊は、第138戦闘航空団第1飛行戦隊として、1938年のアンシュルス以降に、オーストリアで編成され、1940年4月に第54戦闘航空団第2飛行戦隊となった。

第54戦闘航空団Jagdgeschwader 54 )第3飛行戦隊は、プロイセンの第21戦闘航空団第1飛行戦隊が起源で、第二次大戦直前の1939年7月15日に成立した。1939年9月のポーランド侵攻には、第54戦闘航空団の第2飛行戦隊、第3飛行戦隊が参加している。

写真(右)1944年6月21日,対ソビエト連邦戦線、ロシア、未舗装飛行場でドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 A戦闘機の降着装置を整備するドイツ軍地上勤務員:A-4型では主翼内側には20ミリMG151/20機関銃、主翼外側には20ミリMGFF機関銃を、機首上面に7.92ミリMG17機関銃2丁を装備している。
Photographer DoegeRußland.- Wartung einer Fw 190 durch finnische Soldaten; KBZ Lw 24 Title Russland, Wartung einer Fw 190 Depicted place Russia Date 21 June 1944 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-727-0297-30A
写真はWikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv・File:Bundesarchiv Bild 101I-727-0297-30A, Russland, Wartung einer Fw 190.jpg 引用。


1933年に王立陸軍参謀総に就任したイオン・アントネスクIon Antonescu)将軍は、1937年には国防大臣を務めたが、国家主義的武装団体の鉄衛団と連携しようとして、反政府活動の容疑で投獄された。すぐに釈放されたが、今度は、ソ連の領土割譲要求を拒否すべきであるとの国家主義的立場をとり、国王カロル2世と対立し、再度投獄された。しかし、ドイツの働きかけで、イオン・アントネスクIon Antonescu)は、1940年に釈放されると、反ソ連の立場を明確にして、カロル2世を退位させ、自らが政府首班となった。ヒトラーを真似て、国民投票を行い、「国家指導者」という独裁的地位に就任した。

ルーマニアの国家指導者イオン・アントネスクIon Antonescu)将軍は、三国軍事同盟に加わり、1941年6月、ドイツのソ連侵攻に際して、枢軸国側に立って参戦した。そして、ソ連南部のオデッサ、スターリングラード、カフカスへ侵攻したが、1942年冬、イオン・アントネスクIon Antonescu)でソ連軍の反撃を受け壊滅的打撃を受けた。1944年夏、ルーマニア東部にソ連軍が迫ると、ルーマニア国内は動揺し、1944年8月23日、ルーマニア国王ミハイ1世は反アントネスクのクーデターを起こし、政権を奪取し、枢軸国側より離脱、ソ連と和睦して、ソ連軍側に立って、対ドイツ戦争に加わった。

フォッケウルフFw-190戦闘機A型初期は、主翼内側にマウザー(Mauser)20ミリMG 151/20機関銃を搭載、重量42kg、全長1710mm、初速790m/s、発射速度750rpm、装弾数250発(1丁当たり)。最大速度630キロ, 航続距離 880キロ。

ドイツ空軍(総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring))は,対ソ侵攻の東部戦線に、4個の航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。

写真(右)1944年6月28日,フィンランド、ドイツとともにソ連を攻撃した枢軸国フィンランドに駐留したドイツ空軍第5地上襲撃航空団第1飛行隊所属のフォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型
Suomi: Focke Wulf Jabo hävittäjä- ja pommittajakone. (Kuvassa 1./SG 5:n Focke-Wulf Fw 190 F-8, musta 10). Kuvauspaikka: Immolan lentokenttä. Date 28 June 1944 Source SA-kuva (http://sa-kuva.fi/) Author Sot.virk. Eino Nurmi
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:U.S. soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190 at AGO Fluzeugwerke, Oschersleben, Germany, circa in April 1945 (ds.05210).jpg引用。


1942-1943年冬、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)はスターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

写真(右)1944年6月28日,フィンランド、ドイツとともにソ連を攻撃した枢軸国フィンランドに駐留したドイツ空軍第5地上襲撃航空団第1飛行隊所属のフォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型の左側面
Suomi: Focke Wulf Jabo hävittäjä- ja pommittajakone. (Kuvassa 1./SG 5:n Focke-Wulf Fw 190 F-8, musta 10). Kuvauspaikka: Immolan lentokenttä.Date 28 June 1944 Source SA-kuva (http://sa-kuva.fi/) Author Sot.virk. Eino Nurmi
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Focke-Wulf Fw 190 F-8 (SA-kuva 155392).jpg。


(Focke-Wulf)Fw 190 A-6戦闘機の機首上面には7.92ミリMG 17機関銃2丁、主翼に4丁装備したMauser20ミリMG 151/20機関銃は、重量42kg、全長1710mm、初速790m/s、発射速度750rpm、装弾数120発(外側)あるいは250発(内側)。A-8型では、武装強化、防弾強化によって重量、抵抗増加があり、飛行性能は若干低下した。

写真(右)1944年6月28日,フィンランド、ドイツとともにソ連を攻撃した枢軸国フィンランドに駐留したドイツ空軍第5地上襲撃航空団第1飛行隊所属のフォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型
Suomi: Focke Wulf Jabo hävittäjä- ja pommittajakone. (Kuvassa 1./SG 5:n Focke-Wulf Fw 190 F-8, musta 10). Kuvauspaikka: Immolan lentokenttä.Date 28 June 1944 Source SA-kuva (http://sa-kuva.fi/) Author Sot.virk. Eino Nurmi
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Focke-Wulf Fw 190 F-8 (SA-kuva 155391).jpg。


ドイツ空軍戦闘機のプロペラには対空砲火避けの御守りとして渦巻が描かれている。さらに、レジプロ機を正面から識別する方法として、スピナーの渦巻回転で判断することもできる。

また、アイドリング状態で地上で待機している場合、プロペラが高速回転していることが、スピナーの渦巻の様子を見れば識別しやすくなり、プロペラ圏内に誤って立ち入ってしまうリスクを軽減できる。

高速を出せば、風圧によりエアインテークに流れる空気は、十分にあるが、風圧を効率的に利用するためには、胴体突出して開口部を境界層の外に設けている。これは、境界面での空気の流れを妨げない工夫で、空気抵抗を減らす効果もある。P-51 ムスタングのエアインテークも、機体下部の中央部にあるが、境界層を乱さないように突出した形状になっている。他方、Bf109 戦闘機E形までは、エアインテークを境界層に設けており、境界層から離して吸入口を設けたのはF型以降である。日本陸軍川崎三式戦闘機のエアインテークは、最後まで境界層に設けられていた。

写真(右)1944年6月28日,フィンランド、ドイツとともにソ連を攻撃した枢軸国フィンランドに駐留したドイツ空軍第5地上襲撃航空団第1飛行隊所属のフォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型の正面
Suomi: Focke Wulf Jabo hävittäjä- ja pommittajakone. (Kuvassa 1./SG 5:n Focke-Wulf Fw 190 F-8, musta 10). Kuvauspaikka: Immolan lentokenttä.Date 28 June 1944 Source SA-kuva (http://sa-kuva.fi/) Author Sot.virk. Eino Nurmi
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Focke-Wulf Fw 190 F-8 (SA-kuva 155393).jpg。


ドイツ軍の迎撃戦闘機は、敵連合軍機に発見されないように、対空用偽装網でカモフラージュし隠匿された場所に駐機しており、出撃時には、そこから滑走路に向かう。

しかし、1944年には、燃料不足の為に、地上でのタキシングは禁止あるいは制限されていた。燃料不足は、パイロットの訓練飛行時間の短縮にもつながり、熟練パイロットの減少に対処するため、爆撃機、偵察機から戦闘機への操縦転換も計画された。

フォッケウルフFocke-Wulf Fw 190 戦闘機A-5型は、1700馬力BMW 801D2空冷星形エンジン搭載したが、A-2型同様、主翼内側に20ミリMG151/20をプロペラ圏内同調式に装備、MW50水メタノール噴射緊急出力向上装置を装備した。機首に13.1ミリMG131機関銃2丁を装備可能なようにエンジン取付架を15センチ延長し重心位置を修正した。Fw 190 A-5は日本陸軍が購入し、空中性能をテストしている。1943年5月から登場したFw 190 A-6は、A-5型の主翼外翼MG FF 20mm機関を同口径ながらより高初速の20ミリMG 151/20機関銃(弾数各140発)に強化している。1943年11月から登場したFw 190 A-7は、機首上面の7.92ミリMG17機関銃を13.1ミリMG131機関銃に火力強化している。

写真(右)1944年10月,ドイツ西部、ライン地方、クレーフェルト=リン飛行場、本土防空の任務に就いたドイツ空軍第26戦闘航空団第1飛行隊のフォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:二重の三角矢の飛行隊長マークを記入しているので、第1飛行隊長カール・ボリス少佐の搭乗になる。
Ground Crew push back a Focke-Wulf Fw.190A-8 fighter from the commander of the 1st group of the 26th Luftwaffe Fighter Squadron (I.Gruppe / Jagdgeschwader 26) Major Karl Borris (Karl Borris) to the airfield on the forest edge. Airfield Krefeld-Lynn. 20th October 1944. krefeld Airfield is a former military airfield, located 4.2 km northeast of Krefeld in North Rhine-Westphalia, Germany. Date 5 June 2019, 15:07 Source Fw-190 20th October 1944. Author tormentor4555
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Fw-190 20th October 1944. (48007528731).jpg 引用。


メッサーシュミットBf 109戦闘機E型 /Trop(熱帯仕様)は、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着したために、過給機が長く伸びている。また、コックピットが地上で日射によって加熱しないように、待機時に使用する日よけ傘を取り付ける差込口、砂漠での不時着に備え狩猟用のモーゼル小銃なども装備した。この過給機エアインテークのフィルターは、ソ連東部戦線の未整備飛行場でも有効とされ、東部戦線に配備された戦闘機にも装着されている。

熱帯仕様Tropの出現した背景は、舗装されていない滑走路が一般的だった地中海方面や東部戦線では、エンジン内部に砂塵が吸い込まれて、エンジンが摩耗したり、故障したりするリスクが著しく高まったことがある。

そこで、砂塵がエンジン内部に入らないように、エンジンのエアインテークには砂塵除けのフィルターが装着されるようになった。先端部にあるの開閉式吸入口は開いている。低空でなければ、砂塵は少ないので、吸入口の扉は開けているが、地上では砂塵が多いので、口を閉じて円筒状のフィルター越しに空気を吸入する。

写真(右)1945年1月,ベルギー、アメリカ軍の鹵獲したドイツ空軍第4戦闘航空団第5飛行隊ワルター・ワーグナー伍長のフォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:1945年正月の「ホーデンプラッテ作戦」で、ベルギーの連合国飛行場を急襲したドイツ戦闘機隊に加わったが、地上からの対空砲火でエンジンが故障し、緊急着陸したところを鹵獲された。現地のアメリカ陸軍航空隊404戦闘飛行隊の撮影になる。
Description English: A captured German Focke-Wulf Fw 190A-8 (W.Nr. 681497, "White 11") of 5./JG 4 at St. Trond airfield, Belgium, circa 1 January 1945. This aircraft was flown during on 1 January 1945 by Corporal Walter Wagner who was hit by flak during the attack over St. Trond airfield. The engine died and he had to make an emergency landing. The weapons have obviously been removed. The photo was taken by the resident USAAF 404th Fighter Group. Date circa 1 January 1945 Source http://www.warbirdphotographs.com/ Author US Army Air Forces
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Fw 190 A-8.jpg 引用。


1943年8月のハンブルクの大空襲、1943年8月17日の秘密兵器実験場ペーネミュンデへの空襲でショックを受けたドイツ空軍参謀総長ハンス・イエショネク(Hans Jeschonnek)大将は、ラステンブルク(Rastenburg)の総統大本営(狼の巣)で自殺した。ただし、ペーネミュンデとの関連性を秘匿するために、イェショネク大将の死亡日は、その前日の1943年8月19日として公表された。

 後任の参謀総長に任命されたのはギュンター・コルテン大将だが、彼も1年たたない1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、総統大本営で爆死した。

ドイツ空軍参謀総長の初代ヴェーフェル、2代ケッセルリンク、3代シュトゥンプ、4代イェショネク、5代コルテン、6代クライプ、7代コラーと続くが、権力の永続化を狙う総司令官ゲーリングとの信頼関係を気づくことは難しかったようだ。

写真(右)1945年4月,ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、空襲の被害を受けたAGO飛行機工場でアメリカ軍が発見したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:見分しているのか、戦利品の獲得に喜んでいるのか、楽しんでいる兵士の様子が敗残兵のFw190との対照的である。このAGO工場では、Jumo213液令エンジンを搭載したFw-190D型を製造されていた。
English: English: U.S. Army soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190A-8 at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany. U.S. troops took Oschersleben on 11 April and retreated to the assigned sectors on 4 July 1945. Date circa April 1945 United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID ds.05212 Author Sgt. J. Pazen, U.S. Army
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:U.S. soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190 at AGO Fluzeugwerke, Oschersleben, Germany, circa in April 1945 (ds.05210).jpg引用。


ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。

ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、
1)操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、
2)爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に地震があった、
という理由である。

他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。

 こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。

写真(右)1945年4月,ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、空襲の被害を受けたAGO飛行機工場でアメリカ軍が発見したAGO飛行機工場で生産中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:見分しているのか、戦利品の獲得に喜んでいるのか、楽しんでいる兵士の様子が敗残兵のFw190との対照的である。このAGO工場では、Jumo213液令エンジンをこのAGO工場では、Jumo213液令エンジンを搭載したFw-190D型を製造されていた。
English: English: U.S. Army soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190A-8 at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany. U.S. troops took Oschersleben on 11 April and retreated to the assigned sectors on 4 July 1945. Date circa April 1945 United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID ds.05212 Author Sgt. J. Pazen, U.S. Army
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:U.S. soldiers of 4046th Quartermaster Truck Company on a Focke-Wulf Fw 190 at AGO Fluzeugwerke, Oschersleben, Germany, circa in April 1945 (ds.05210).jpg引用。


ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。
 しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。

制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。

実際,1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,連合軍に反撃を加えることは,困難だった。

写真(右)1945年4月,ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、空襲の被害を受けたAGO飛行機工場でアメリカ軍が発見したAGO飛行機工場で生産中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:後方の3機目と4機目はエンジン直系の小さなJumo211液令エンジンを搭載したFw190D戦闘機である。このAGO工場では、MMW801空冷エンジンとJumo213液令エンジンを搭載した双方のFw-190を製造していたようだ。
English: Focke-Wulf Fw 190A-8 fighters at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany, in mid-1945. U.S. troops took Oschersleben on 11 April and retreated to the assigned sectors on 4 July 1945. Date circa May 1945 Source NARA Logo created 2010.svg National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 204906499. Author U.S. Air Force photo 342-FH-3A22208-C80171AC
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Focke-Wulf Fw 190 at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany, circa in May 1945 (204906499).jpg引用。


写真(右)1945年4月,ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、空襲の被害を受けたAGO飛行機工場でアメリカ軍が発見したAGO飛行機工場で生産中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:機体に乗ってエンジンカバーを見分しているのは、アメリカ陸軍第4046トラック中隊の工兵で、敗残軍のFw190が取り調べを受けているように見える。3機目は、Jumo213液令エンジンを装備したFw-190D型である。
English: Focke-Wulf Fw 190A-8 fighters at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany. U.S. troops took Oschersleben on 11 April and retreated to the assigned sectors on 4 July 1945. The soldiers are from the 4046th Quartermaster Truck Company, U.S. Army. Date circa April 1945Date circa April 1945 United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID ds.05212 Author Sgt. J. Pazen, U.S. Army
写真は Wikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190,File:Focke-Wulf Fw 190 at the AGO Fluzeugwerke at Oschersleben, Germany, circa in April 1945 (ds.05211).jpg 引用。


カラー写真(右)1945年4月,ドイツ中部、ザクセン州オシャースレーベン (Oschersleben (Bode))、オシャースレーベン (ボーデ) 、空襲の被害を受けたAGO飛行機工場でアメリカ軍が発見したAGO飛行機工場で生産中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型:見分しているのか、戦利品の獲得に喜んでいるのか、楽しんでいる兵士の様子が敗残兵のFw190との対照的である。このAGO工場では、Jumo213液令エンジンをこのAGO工場では、Jumo213液令エンジンを搭載したFw-190D型を製造されていた。
English: Ruins of the AGO Flugzeugwerke at Oschersleben, Germany, 4 June 1945. Date 4 June 1945 Source NARA Logo created 2010.svg This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 205002991
写真は Wikimedia Commons, Category:AGO Flugzeugwerke ,File:Ruins of the AGO Flugzeugwerke at Oschersleben, Germany, 4 June 1945 (205002991).jpg引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190A型:A型が搭載しているBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させたのがFw-190戦闘機D型である。
SDASM Archives Perma_000913 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190A型(FTC501爆弾搭載ラック装備):A型に防御強化のための装甲を施し、地上からの対空砲火から身を守る可能性を高めたのがF型地上襲撃機である。Jumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させたのがFw-190戦闘機D型でも、地上攻撃に投入された。
SDASM Archives Perma_000919 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


⇒Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190A 戦闘機 を見る。


2.液冷エンジンに変換したフォッケウルフFw 190戦闘機D型「ドーラ」Dora

写真(右)1944-1945年,アメリカ空軍が鹵獲したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機V-13型:機首のBMW801空冷星形エンジンを、ユモJu213あるいはDB603のような液冷エンジンに変換し、 Fw 190Aの高空性能を画期的に向上させる計画は、当初からあった。Fw 190 V13は、液冷化の最初の試作タイプである。既存のFw 190A-0を改修し、ダイムラー・ベンツDB 603液冷エンジンに変換し、GM1エンジン出力増加装置を搭載して、Fw-190C型戦闘機の原型となった。GM-1は、亜酸化窒素ガスをエンジンに吹き込んで吸気の温度を引き下げてエンジンの過熱・異常燃焼(ノッキング)を防止しながら、エンジンへの燃料吸入を増やして高出力を発揮できるようにするもので、臨時、一時的な措置であるが、緊急出力を向上させることができた。しかし、Fw 190 V13は重量過大となり、燃料・GM1のパイプラインの不具合によって成功しなかった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934648 - Catalog:16_005183 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-13 Nowarra photo - Filename:16_005183.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934648引用。


写真(右)1943年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190A戦闘機の高高度用改修試作機 V-18 (C-0)型:機首のBMW801空冷星形エンジン搭載のFw 190A戦闘機を改修し、ダイムラー・ベンツ DB 603 A液冷エンジンに変換し、ターボ過給機(turbochargers)を装備、プロパラを3翅から4翅に変更したのが、FW 190 V18, V29, V30, V32, V33の5機の試作機。FW 190 V18は、胴体下面にHirth 9-2281ターボ過給機(turbochargers)を装備した高高度戦闘機で、 1943年に完成。高度1100メートルで最高速力680km/hを記録したが、実用化はできずに終わった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934661 - Catalog:16_005184 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-18 (C-0) Nowarra photo - Filename:16_005184.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934661引用。


写真(右)1944年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機の高高度用改修試作機190V-32 (C-2) 型(W.Nr.: 0057, GH+KV) 。後のFw-190Dに発展する。:BMW801空冷星形エンジン搭載のFw 190A戦闘機を改修したFw 190 V32/U2は、DB 603 A液冷エンジンに変換し、エンジンの過熱・ノッキングを抑えるために、メタノールを噴射するMW-50を搭載して、緊急出力を向上させているほか、高高度でも操縦室の気圧が維持可能な与圧キャビンを備えたているのがC-2型。C-1型には、与圧キャビンは無い。ターボ過給機(turbochargers)は未装備、プロパラも3翅の幅広ブレード。この機体では、20ミリMG 213機関銃のテストも行われた。20ミリMG 213機関銃は、重量75kg,発射速度 1200-1400rpm(発/毎分)、初速 1065m/sの優秀な航空機用機関銃だったが、試作中のみで、実戦配備はされていない。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934673 - Catalog:16_005185 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-32 (C-2) Nowarra photo - Filename:16_005185.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934673引用。


写真(右)1944年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機の高高度用改修試作機Fw 190V-53型(W.Nr.170924, DU + JC) 。後のFw-190 D9戦闘機の原型:BMW801D空冷星形エンジン搭載のFw 190A-8戦闘機を改修したFw 190 V-53は、Jumo 213F 液冷エンジンに変換し、1944年6月12日に初飛行しFw190D-9戦闘機の先行量産型の最初の1機となった。スピナ先端の銃口は、モーターカノンの搭載を予定していたためであるが、量産型ではモーターカノンを搭載することはなく、銃口も開いていない。Fw 190 D-9は、機首上面の13.1ミリ機銃2丁、主翼内側に20ミリMG 151/20機関銃を左右各々1丁、合計2丁を装備した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934538 - Catalog:16_005174 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-53 second prototype of the D-9/10 series Nowarra photo - Filename:16_005174..TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934538引用。


写真(右)1944年末-1945年、ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190D-9戦闘機:国籍識別記号は、戦争末期のシンプルな黒一色。国籍マークは、黒一色のシンプルなもので、大戦末期には、国籍マークもあまり目立たないように、そして資源節約のためシンプルになった。胴体下面のETC501ラックに、300リットル入落下式増加燃料タンクを装備している。工場で生産されたばかりの新しい機体。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934574 - Catalog:16_005177 - Title: Focke-Wulf Fw Fu 190D-9 Pete Bowers photo - Filename:16_005177..TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934574 引用。
[フォッケウルフFw190 D-9

ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190 D-9戦闘機 :全長:10.29m,全幅:10.50m,全高:3.36m,全備重量:4,270kg,エンジン:ユンカースJumo213A-1(1,770馬力),最大速度:686km/h(高度6,600m)、兵装:機首MG 131 13ミリ機関銃2丁(弾数各475発)、主翼MG 151/20 20ミリ機関銃2丁(弾数各250発)。


高空性能を向上し、高速化するために、フォッケウルフFw-190 A型の空冷14気筒BWW801(1750馬力)エンジンを、12気筒Jumo 213(1776馬力)液冷エンジンに変換したフォッケウルフFw190D-9戦闘機が開発された。

Fw190D-9戦闘機の実戦投入は、1944年夏から、主に西部戦線に配備された。第二次大戦末期のFw-190 D-9型は、A-8型の後継機の意味で「9」から始まっているが、A型が搭載していたBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、最高速度を向上させた。実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、液冷エンジンJumo 213の不足から、Fw-190戦闘機A-8型と並行生産するしかない状態で、Fw-190戦闘機D-9型は主力とはならなかった。

第2次大戦末期、ドイツ空軍はメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機を爆撃機迎撃に投入し、高速一撃離脱戦法で大きな損害を与えた。しかし、アメリカ軍は、飛行場に離着陸中の機動力の低いMe262を撃墜しようとノースアメリカンP-51Dムスタング戦闘機をドイツ空軍基地を制圧させた。そこで、ドイツ軍は、Me262の上空防御のために、Fw190D-9戦闘機を直掩させたのである。

写真(右)1944年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機の高高度用改修試作機V-56型(W.Nr.170924, GV+CW) 。後のFw-190 D11 高高度戦闘機の原型:BMW801D空冷星形エンジン搭載のFw 190A-8戦闘機を改修したFw 190 V-56は、Jumo 213F 液冷エンジンに変換し、エンジンの過熱・ノッキングを抑えるために、メタノールを噴射するMW-50を搭載、緊急出力を向上させている。Fw 190 D-11は、機首上面の13.1ミリ機銃は撤去して、主翼外側に30ミリ MK 108機関砲、主翼内側に20ミリMG 151/20機関銃を各々1丁、合計4丁を装備した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934697 - Catalog:16_005187 - Title: Focke-Wulf Fw 190V-56 prototype of D-11 series Nowarra photo - Filename:16_005187.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934697引用。


写真(右)1944年12月23日,西部戦線、B-17爆撃機を襲撃するドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 戦闘機D型を迎撃したイギリス空軍第65飛行中隊のムスタングMK.IIIのガンカメラ映像 :飛行将校バトラー(J. Butler)機の12.7ミリ機関銃の射撃を受けて 主翼から発火したフォッケウルフFw-190 戦闘機D型は、胴体下面に300L増加タンクを抱えている。
Object description: Still from camera gun footage shot from a North American Mustang Mark III flown by Flying Officer J. Butler of No. 65 Squadron RAF, as he shot down a Focke Wulf Fw 190D of II/JG26 which was attempting to attack an Avro Lancaster (banking, left), during a daylight raid by Bomber Command on the Gremberg railway yards at Cologne, Germany, 23 December 1944..
Creator:No. 65 Squadron RAF Production date:1944-12-23、Catalogue number:C 4919.
写真はImperial War Museums,C 4919引用。


写真(右)1944年末-1945年初頭、墜落したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190D-9型「ドーラ」:ユンカースJumo213液冷倒立エンジンの環状ラジエータ周囲のカウルフラップは閉じており、機体に銃弾の跡が残っているので、着陸直後に撃墜、不時着してのであろうか。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079331 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079331引用。


写真(右)1944年末-1945年初頭、墜落したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」:ユンカースJumo213液冷倒立エンジンの環状ラジエータ周囲のカウルフラップが開いた状態なので、離陸直後に墜落してしまったのであろうか。後方には、ドイツ空軍兵士らしい人物が写っている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079332 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079332引用。


フォッケウルフFw-190A戦闘機は,ノルマンディーに上陸した連合軍地上部隊に対しては,250-500キロ爆弾を搭載して,地上襲撃としても使用された。

高空性能を向上し、高速化するために、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190 A型の空冷14気筒BWW801(1750馬力)エンジンを、液冷12気筒Jumo 213(1776馬力)エンジンに変換したフォッケウルフFw190D-9戦闘機が開発された。Fw190D-9戦闘機の実戦投入は、1944年夏から、主に西部戦線に配備された。第2次大戦末期、ドイツ空軍はメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機を爆撃機迎撃に投入し、高速一撃離脱戦法で大きな損害を与えた。

しかし、アメリカ軍は、飛行場に離着陸中の機動力の低いMe262を撃墜しようとノースアメリカンP-51Dムスタング戦闘機をドイツ空軍基地を制圧させた。そこで、ドイツ軍は、Me262の上空防御のために、Fw190D-9戦闘機を直掩させたのである。

写真(右)1945年、ソ連赤軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」:第二次大戦末期に登場したD型は、A型のBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させた改良型。実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079320 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079320引用。


写真(右)1945年、格納庫の前で焼却されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」(FE-121):A型が搭載していたBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させたのがFw-190戦闘機D型である。この機体の国籍識別記号は、ドイツ空軍時代のものを復元したものだが、オリジナルとは異なっている。第二次大戦末期のFw-190 D-9型は、A-8型の跡を継ぐ数字「9」から始まっている。ただし、実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。
SDASM Archives Perma_000884 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」(FE-121):ネガを裏焼きにしたので、車輪カバーの「2」、スワスチカ卍の形状がミラー文字になってしまった。右隣の機体はFw190A型で、搭載しているのは、BMW801空冷星形エンジンである。
SDASM Archives Perma_000963 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」(FE-121):A型が搭載していたBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させたのがFw-190戦闘機D型である。この機体の国籍識別記号は、ドイツ空軍時代のものを復元したものだが、オリジナルとは異なっている。第二次大戦末期のFw-190 D-9型は、A-8型の跡を継ぐ数字「9」から始まっている。ただし、実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。
SDASM Archives Perma_000918 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」(FE-121)左側面:視界を向上させたガーラント風防を装備。
SDASM Archives Perma_000899 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,引用。


写真(右)1945年、西側連合軍に鹵獲されたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機190D-9型「ドーラ」(FE-121):A型が搭載していたBMW801空冷星形エンジンをJumo213液冷倒立エンジンに変換し、高高度性能を向上させたのがFw-190戦闘機D型である。この機体の国籍識別記号は、ドイツ空軍時代のものを復元したものだが、オリジナルとは異なっている。第二次大戦末期のFw-190 D-9型は、A-8型の跡を継ぐ数字「9」から始まっている。ただし、実戦に投入されたのは、1944年夏以降で、A-8型と並行生産されたため、主力とはならなかった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934685 - Catalog:16_005186 - Title: Focke-Wulf Fw 190D-9 Nowarra photo - Filename:16_005186.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934685引用。



3.現存するフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190D-9戦闘機

写真(右)1945年、戦争末期、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機D型、Ta-152高高度戦闘機H型に使用されたユンカースJumo 213A液冷倒立V型12気筒エンジン1750馬力:ユンカースJu87急降下爆撃機、Ju88双発爆撃機、ハインケルHe111双発爆撃機に搭載されたユンカースJumo 211のシリンダー排気量を増加し馬力を向上させた発展型で、1942-1945年に9000台生産された。シンダー・ボア 150 mm、ハブ 165 mm、排気量 35 リットル(2136立方インチ)、重量 940 kg。1944年夏になって、ユンカースJu188爆撃機に搭載されたが、活躍の場が少なくなった爆撃機よりも、戦闘機に高出力のエンジンを搭載することを優先すべきだった。日本海軍でも、新鋭エンジンの半数を陸上爆撃機「銀河」に2基も搭載し、極地戦闘機「紫電」への搭載は限定され、同じ誤りを犯している。 フォッケウルフ Ta152
SDASM Archives Charles M. Daniels Collection Photo Catalog #: 15_000533 Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Junkers Jumo 213A Year Photo Taken: 1996 Album Page #: 114 Notes From Album: Junkers Jumo 213A, 1750 hp, 2136 cu. In., Used on Focke Wulf Ta-152 & Ta-154. Taken at the Deutsches Museum, Munich.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934685引用。


写真(右)、アメリカ、スミソニアン国立航空宇宙博物館、ドイツ空軍フォッケウルフFW190D-9戦闘機の左側の降着装置とゴム主輪:エンジン換装で機首が重くなったために、尾翼前を延長して、重心を調整している。
Perma_000886 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives, 引用。


写真(右)、アメリカ、スミソニアン国立航空宇宙博物館、ドイツ空軍フォッケウルフFW190D-9戦闘機の機体前半左側面:A型で標準的な爆弾搭載ETC501ラックは、胴体下面から撤去され、重量軽減、飛行性能の向上が企図されている。
Perma_000888 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives, 引用。


写真(右)、アメリカ、スミソニアン国立航空宇宙博物館、ドイツ空軍フォッケウルフFW190D-9戦闘機の機体後半右側面:BMW801空冷星形14気筒エンジンをより重くて全長の長いJumo213液令倒立12気筒エンジンに変換したために、重心が機首に変更した。それを修正するために、尾部を延長し、垂直尾翼をも大型化した。
Perma_000891 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives, 引用。



写真(右)、アメリカ、スミソニアン国立航空宇宙博物館、ドイツ空軍フォッケウルフFW190D-9戦闘機の機体前半右側面
:A型で標準的な爆弾搭載ETC501ラックは、胴体下面から撤去され、重量軽減、飛行性能の向上が企図されている。
Perma_000892 Permann Collection Image Folke-Wulf FW 190 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives, 引用。



写真(上)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機
:DAYTON, Ohio -- Most Fw 190s were the "A" series, powered by a BMW radial engine. Late in 1943, however, the more capable "D" series appeared in action against U.S. bombers, powered by the more powerful Jumo 213 inline, liquid-cooled engine. Because the larger engine lengthened its nose, a 20-inch section had to be added to the Fw 190D-9's fuselage just forward of the tail. During its lifetime, more than 20,000 Fw 190s of all types were built. TECHNICAL NOTES: Armament: Two 20mm MG 151 cannons in wings and two 13mm MG 131 machine guns in nose Engine: Junkers Jumo 213 of 2,240 hp with methanol-water injection Maximum speed: 426 mph Cruising speed: 280 mph Range: 520 miles Ceiling: 40,000 ft. Span: 34 ft. 5 1/3 in. Length: 33 ft. 5 1/4 in. Height: 11 ft. 1/4 in. Weight: 10,670 lbs. combat-loaded 写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum, Focke-Wulf Fw 190D-9引用。

写真(右)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機左斜め前方
写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum: Focke-Wulf Fw 190D-9引用。


Fw190戦闘機A型のBMW空冷エンジンを液冷ユモ213エンジンに変換し、1944年8月から量産開始されたのが、D型「長っ鼻ドーラ」(LANGNASEN-DORA)戦闘機。機首エンジン変換で延長され重量が増加したために、重心バランスを後方に戻すために、尾翼付け根の胴体を延長し、垂直尾翼面積も拡大した。


写真(上)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機左側面

写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum: Focke-Wulf Fw 190D-9引用。


写真(右)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機コックピット操縦計器盤とガラス風防
写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum:Focke-Wulf Fw 190D-9引用。


フォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機では、視界の良いガーラント・ハウベが標準装備となった。全長:10.29m,全幅:10.50m,全高:3.36m,全備重量:4,270kg,エンジン:ユンカースJumo213A-1(1,770馬力),最大速度:686km/h(高度6,600m),兵装:13.1ミリMG131機関銃2丁(搭載弾数各475発)、20ミリMG151機関銃2丁(各250発)。

写真(右)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機コックピット操縦桿とフットペダル
写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum: Focke-Wulf Fw 190D-9引用。


写真(右)2015年、アメリカ、ワシントンD.C、スミソニアン航空宇宙博物館の(Smithsonian Institution's National Air and Space Museum)に展示されているドイツ空軍第3戦闘航空団「エルンスト・ウーデット」所属のフォッケウルフ(Focke-Wulf) Fw 190 D-9 戦闘機コックピット座席と左側のスロットルレバー
写真は, Smithsonian Institution's National Air and Space Museum:Focke-Wulf Fw 190D-9引用。


Trop型とは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。


4.フォッケウルフTa 152高高度戦闘機

写真(右)1943年,ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 190 戦闘機の高高度用改修試作機V30 U1 型GH+KT。後のTa 152 H-0高高度戦闘機の原型:機首のBMW801空冷星形エンジン搭載のFw 190A戦闘機を改修したFW 190 V30は、ユンカースJumo 213 F液冷エンジンに変換し、エンジンの過熱・ノッキングを抑えるために、メタノールを噴射するMW-50を増備して、緊急出力を向上させている。Fw 190 V20 (W.Nr. 110042) は、Jumo 213 Aを搭載していた。しかし、Ta 152 H-0は、機構が複雑で重量増加につながるターボ過給機(turbochargers)は未装備で、プロパラも3翅の幅広ブレードではあるが4翅ではない。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934709 - Catalog:16_005188 - Title: Focke-Wulf Fw190V-30/U1 Nowarra photo - Filename:16_005188.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934709引用。


写真(右)ドイツ空軍第26戦闘航空団(JG26)のフォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機C型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきDB603液冷V型12気筒エンジン2,100馬力に変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから11mに延長し、エンジンをBMW801空冷星形エンジンからダイムラーベンツDB603に変換、高高度性能を大幅に向上したした。従来のFwではなくクルト・タンクKurt Tank)技師の頭文字Taを命名したのは、タンク技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43934734 - Catalog:16_005190 - Title:Focke-Wulf TA 152C - Filename:16_005190.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:43934734 引用。


Ta-152高高度戦闘機C型諸元
全長 10.82 m、全幅 11.00m、全高 3.6m
翼面積 19.50平方メートル
自重量 4,010 kg , 全備重量 4,250 kg
最高速力 730 km/h (10400m)
兵装:30ミリMk108機関砲1門、20ミリMG151/20機関銃4丁。

写真(右)ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機H型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきJumo213液冷V型12気筒エンジンに変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから14mに延長し、高高度性能を大幅に向上したした。従来のFwではなくクルト・タンク技師の頭文字Taを命名したのは、クルト・タンクKurt Tank)技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Archives Focke-Wulf TA-152 Catalog #: 00079306 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: TA-152
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079306引用。


写真(右)ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機H型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきJumo213液冷V型12気筒エンジンに変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから14mに延長し、高高度性能を大幅に向上したした。従来のFwではなくクルト・タンク技師の頭文字Taを命名したのは、タンク技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Archives Focke-Wulf Ta 152 Catalog #: 00079305 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: TA-152
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079305引用。


写真(右):胴体下面にETC501ラックを装着して300L増加燃料タンクを搭載したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機H型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきJumo213液冷V型12気筒エンジンに変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから14mに延長し、高高度性能を大幅に向上したした。従来のFwではなくクルト・タンク技師の頭文字Taを命名したのは、タンク技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Focke-Wulf Ta 152H-0 with external 300 liter tank Nowarra collection PictionID:44218370 - Title:Focke-Wulf Ta 152H-0 with external 300 liter tank Nowarra collection - Catalog:16_005601 - Filename:16_005601.TIF
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,16_005601引用。


写真(右):イギリス空軍に鹵獲され、国籍マークを塗り替えられたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機H型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきJumo213液冷V型12気筒エンジンに変換した。コクピットは与圧室ではないが、主翼全幅を10.8mから14mに延長し、高高度性能を大幅に向上した。従来のFwではなく、クルト・タンクKurt Tank)技師の頭文字Taを命名したのは、タンク技師の貢献度合いの評価と政治力の為である。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Focke-Wulf Ta-152H Charles Daniels Collection Photo frFocke-Wulf Ta-125H Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Albumom PictionID:38235560 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002304.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235560引用。


写真(右):戦後、イギリス空軍に鹵獲され、国籍マークを塗り替えられたドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wuf)Ta-152高高度戦闘機H型:第二次大戦末期に、Fw-190A型戦闘機の空冷エンジンを、過給器つきJumo213液冷V型12気筒エンジンに変換した。Ta-152H型はユンカースJumo213E液冷エンジンを搭載したので、エアインテークの位置はDB603と反対側にある。
SDASM Focke-Wulf Ta-152H Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID:38235597 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002305.TIF ----Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:38235597引用。


写真(右)1945年、オランダ、鹵獲されイギリス空軍のマークを付けたドイツ空軍のフォッケウルフTa-152高高度戦闘機H型:A-4型では、機首に30ミリMK103機関砲1門、主翼内側に20ミリMG151/20機関銃2丁を搭載している。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_006002 Beschrijving Focke-Wulf Ta 152H. Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie 2157_006002引用。



5.大戦末期・直後のフォッケウルフFw-190 戦闘機


写真(右)1944年末-1945年初頭,上下さかさまに廃棄された機体が飛行場の隅に山積みになったドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型(?):フォッケウルフFw-190の主翼内側の20ミリMG151/20機関銃は確認できるが、外翼の20ミリ機関銃は未装備なので、A-4型からA-5型あるいは戦争末期なのでG型、F型であろう。この機体の垂直尾翼のスワスチカ(逆卍)は黒一色で塗られているが、下のFw-190の垂直尾翼のスワスチカ(逆卍)は黒縁のみで中は未塗装の省略型となっている。手前のユンカースJu88夜間戦闘機G型は、レーダーアンテナの支柱を残しているものの、エンジンは2基ともなくなっている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079328 Manufacturer: Focke-Wulf .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079328引用。


写真(右)1945年,ベルギーでアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8:敵機と誤って誤射されないように、アメリカの国籍マークだけではなく、機体を真っ赤に目立つ塗装としている。空冷星形エンジンはアメリカでも主流であり、より優れたものを保有していたので、BMW801エンジンには興味がなかったようだ。後方には四翅プロペラのP-47サンダーボルト戦闘機が写っている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw190 A-8, Belguim, 1945 03920001 Jack D. Canary Special Collection Photo Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,03920001引用。


写真(右)1945年,アメリカ空軍が占領した飛行場で放棄されたドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-8型に試乗して記念撮影をしている。視界の良いガーランド・ハウベ(風防)を装備したF-8地上襲撃機かもしれない。:戦争末期のシンプルな国籍マークの塗装で、機体の塗装も、未塗装部分が多く、簡略化されている。そのために、機体側面や垂直尾翼側面の大型点検口がよくわかる。エンジンは大直径だが、そこから尾翼にかけて強く絞り込んでいる。エンジン・カウリングに沿って単排気管が並べることで、カウリングを過ぎ去って流れる境界層の気流の流れを円滑化している。水平尾翼の迷彩塗装の方法がよくわかる。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079334 Manufacturer: Focke-Wulf
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079334引用。


1943年9月に西側連合軍は、ドイツ空軍第10戦闘爆撃航空団第3飛行隊所属Fw-190長距離戦闘爆撃機G-5型(Werk number 160016)を鹵獲した。この機体は、ドイツ軍が破壊して蜂起していったものだが、連合軍は飛行可能と判断し、修理、整備した。その際に、Fw-190戦闘機の性能評価のために、余分な増加燃料タンク懸吊架を撤去した。さらに、アメリカ本土で飛行中のFw-190戦闘機の識別写真を残すために、プロが多くのアングルで撮影した。そのため、今日でも、このFw-190の写真は、いいものが多数残っている。原機は、Fw-190戦闘爆撃機G-3型で、それを鹵獲したアメリカ軍が、戦闘機仕様に改修したが、この経緯を知らないままでいると、写真だけをみてFw-190戦闘機A-5型だと判定してしまう。 アメリカ軍は本機を飛行可能な状態にし、アメリカ本土でテストした。アメリカ軍の国籍マークをつけ、白色に塗装し直したのは、敵機と誤認されないように目立った塗装とするためであろう。

写真(右)1945年2月22日,イギリス空軍が鹵獲された飛行中のドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-5/U8型とユンカース Ju 88高速爆撃機S型 :味方から誤射されないように、イギリス空軍の記章を付け、塗装もイギリス空軍機のように塗りなおしている。ユンカース Ju 88高速爆撃機S型は、Fw-190戦闘機と同じBMW801空冷星形エンジン2基を搭載した最高速力610km/hの爆撃機。
Object description: Aircraft of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945. Focke-Wuf Fw-190A-5/U8, PN999, undergoes an engine service while airmen re-paint the wings of Junkers JU 88S-1, TS472. PN999 was formerly WNr. 152596 'White 6' of I/SKG10, flown by Uffz. Werner Ohne who became lost while flying a night fighter-bomber operation to London and landed by mistake at Manston, Kent, on 20 June 1943. No. 1426 Flight collected PN999 from the Royal Aircraft Establishment at Farnborough, on 29 June 1943, after it had undergone tests at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment,Boscombe Down, Wiltshire. TS472 was captured intact at Villacoublay near Paris in September 1944 and was delivered directly to No. 1426 Flight, with whom it undertook some local flying in January 1945. Both aircraft were eventually passed to No. 47 Maintenance Unit at Sealand for storage in November 1945.
Label:A Focke Wulf Fw 190 and Junkers Ju 88S of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight RAF at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945..
写真はImperial War Museums,CH 15610引用。


写真(右)写真(右)1944-1945年頃,アメリカ、オハイオ州デイトンアメリカ陸軍航空祭、ライトパターソン空軍基地博物館(現アメリカ空軍国立博物館)、1943年9月に西側連合軍が鹵獲したドイツ空軍第10戦闘爆撃航空団第3飛行隊所属フォッケウルフFw190長距離戦闘爆撃機G-3型(Werk number 160016)の戦闘機仕様改修機:機首上面に7.92ミリMG17機関銃左右合計2丁、主翼付け根のプロペラ圏内にモーゼル20ミリMG151/20機関銃左右合計2丁を装備可能。ただし、この機体の武装は全て撤去されている。胴体下面に爆弾架(ETC-501)の装備はない。(ETC-501)
SDASM Archives Focke-Wulf Fw190G-3, 160016, EB-104, Wright Field, 1946 victory display 003920010 Jack D. Canary Special Collection Photo Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:44217305引用。


1943年9月に西側連合軍は、ドイツ空軍第10戦闘爆撃航空団第3飛行隊所属Fw-190長距離戦闘爆撃機G-5型(Werk number 160016)を鹵獲した。この機体は、ドイツ軍が破壊して蜂起していったものだが、連合軍は飛行可能と判断し、修理、整備した。その際に、Fw-190戦闘機の性能評価のために、余分な増加燃料タンク懸吊架を撤去した。さらに、アメリカ本土で飛行中のFw-190戦闘機の識別写真を残すために、プロが多くのアングルで撮影した。そのため、今日でも、このFw-190の写真は、いいものが多数残っている。原機は、Fw-190戦闘爆撃機G-3型で、それを鹵獲したアメリカ軍が、戦闘機仕様に改修したが、この経緯を知らないままでいると、写真だけをみてFw-190戦闘機A-5型だと判定してしまう。 アメリカ軍は本機を飛行可能な状態にし、アメリカ本土でテストした。アメリカ軍の国籍マークをつけ、白色に塗装し直したのは、敵機と誤認されないように目立った塗装とするためであろう。

写真(右)1945年頃,アメリカ、オハイオ州デイトンアメリカ陸軍航空祭、ライトパターソン空軍基地博物館(現アメリカ空軍国立博物館)、1943年9月に西側連合軍が鹵獲したドイツ空軍第10戦闘爆撃航空団第3飛行隊所属フォッケウルフFw190長距離戦闘爆撃機G-3型(Werk number 160016)の戦闘機仕様改修機:両翼に、増加燃料タンクを取り付ける懸吊架(ETC-501)があったが、それは撤去され平滑化された。機体の武装は全て撤去されている。胴体下面には爆弾架(ETC-501)はない。
Fw190G-3, WNr.160016 coded DN+FP, Later became EB-104 / Fe-125 / TE-12 This aircraft was operated by III./SKG10. It arrived at the Gruppe from Vicenza on 1 September 1943, and on 8 September was reported to have been with 9./SKG10. It was reported to have been destroyed by German personnel at Montecorvino on 9 September 1943, but the Allies reported it flyable after it was captured.
SDASM Archives Army Air Forces Fair 005 Fw190 G-3 Werk number 160016 Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,03920001引用。


写真(右)1944-1945年頃,アメリカ軍が鹵獲して、アメリカ本土に運搬したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:胴体下面に爆弾架(ETC-501)を装備し、250キロあるいは500キロ爆弾1発を搭載した戦闘爆撃機として、あるいは300リットル入落下式増加燃料タンクを搭載、航続距離を延長できる。アメリカ軍の国籍マークをつけ、白色に塗装し直したのは、試験飛行している最中に敵機と誤認されないように目立った塗装とするためであろう。Fw-190A-3型までは、アンテナ線がコックピット後方から垂直尾翼の上部前端に張られていた。他方、A-4型以降は、垂直尾翼の最上端の突起に張られているので、識別は容易である。
SDASM Archives Focke-Wuf Fw-190 Catalog #: 00079309 Manufacturer: Focke-Wulf .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079309引用。


写真(右)1944-1945年頃,アメリカ軍が鹵獲して、アメリカ本土に運搬したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:胴体下面に爆弾架(ETC-501)を装備。Fw-190A-4型以降、アンテナ線がコックピット後方から垂直尾翼の最上端の突起に張られている。他方、Fw-190A-3型までは、アンテナ線がコックピット後方から垂直尾翼の上部前端に張られていた。アメリカ軍の国籍マークをつけ、白色に塗装し直したのは、試験飛行している最中に敵機と誤認されないように目立った塗装とするためであろう。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079335 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190.
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079335引用。


写真(右)1944-1945年頃,アメリカ軍が鹵獲・本土に運搬したドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降の真後ろからの姿:エンジンは大直径だが、そこから尾翼にかけて強く絞り込んでいる。エンジン・カウリングに沿って単排気管が並べることで、カウリングを過ぎ去って流れる境界層の気流の流れを円滑化している。水平尾翼の迷彩塗装の方法がよくわかる。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079336 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 190
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079336引用。



Original Fw-190A-5 - BMW-801 - Only Flying Original in the world:飛行可能なフォッケウルフFw-190A-5戦闘機


FW-190 and BF-110 FIGHTER KILLS GUN CAMERA FILMS 1944 :フォッケウルフFw-190戦闘機による西側連合軍爆撃機撃墜


6.現在、復元・展示されているフォッケウルフFw 190A戦闘機/F地上襲撃機

写真(上)2016年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館(RAF Museum London)、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190 戦闘機A-4型以降:機首、主翼に装備されていた機関銃はみな撤去されている。
Description Focker Wolfe 190A Date 2 November 2013, 13:36 Source Focker Wolfe 190A Author ozz13x
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190A at RAF Museum Cosford, File:Focke Wulf Fw 190A (10629675696).jpg引用。


写真(上)2007年、アメリカ、オレゴン州、スミソニアン国立航空宇宙博物館 スティーブン F. ユードバー ハジーセンター(Steven F. Udvar-Hazy Center)、ドイツ空軍フォッケウルフFW190F-8地上襲撃機:標準的な爆弾搭載量は、胴体下面に500キロ爆弾、主翼下面左右に各々50キロ爆弾2発、合計4発を搭載する。機首、主翼に装備されていた機関銃は撤去され、代わりに模型の重心を装着している。
Description English: Focke Wulf FW190F-8 in the National Air and Space Museum, Steven F. Udvar-Hazy Center, Washington DC.
写真はWikimedia Commons, Category:Focke-Wulf Fw 190 F in the Steven F. Udvar-Hazy Center, File:Focke Wulf FW190-2.jpg引用。





ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
フォッケウルフFw-190イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
フォッケウルフFw-190ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
フォッケウルフFw-190ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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