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◆ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機
写真(上)2008年6月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカースJu88夜間戦闘機R-1型
:1943年5月、イギリス空軍にとってJu88の機体自体に見るべきところはなかったが、機首に搭載していたリヒテンシュタイン・レーダーは大いに価値があった。性能が判明し、逆探知やレーダーの妨害が可能になったからである。
Landed undamaged at Dyce, Scotland, on 9th May 1943 when the crew defected. The aircraft was escorted to the airfield by two Spitfire VBs from 165sqn. This was quite a coup as this was the latest German night-fighter type. Within five days it had been flown to Farnborough and given British markings and the serial ‘PJ876’. An extensive series of tests and evaluations followed, ending in April 1944 when the aircraft joined No1426 (Enemy Aircraft) Flight, based at RAF Collyweston. When the unit disbanded in January 1945, the aircraft joined the Central Fighter Establishment at Tangmere, before being allocated to a maintenance unit in October 1945. Between then and 1974 it remained in store other than very occasional static appearances at public events. In 1974/1975 the aircraft was restored at RAF St Athan and in 1978 it went on display in the Battle of Britain Hall at Hendon. In 2017 it was moved to Cosford when the Battle of Britain Hall was removed to celebrate the RAF's 100th Anniversary (nope, I don't understand it either!!). At least the '88' is now more photographable in her new home as part of Cosfords 'War in the Air' hangar. RAF Museum, Cosford, Shropshire, UK. 9th June 2018 Date 9 June 2018, 12:04 Source Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) Author Alan Wilson from Peterborough, Cambs, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) (47076575291).jpg引用。

写真(上)2014年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型
:1943年5月、ノルウェーからスコットランドに飛来、着陸したドイツ空軍Ju88R-1夜間戦闘機。搭乗員のうち二人は、イギリス秘密諜報機関によってイギリスに亡命するようにな謀略にはまったようだ。イギリス空軍にとってJu88の機体自体に見るべきところはなかったが、機首に搭載していたリヒテンシュタイン・レーダーは大いに価値があった。性能が判明し、逆探知やレーダーの妨害が可能になったからである。
Description Landed undamaged at Dyce, Scotland, on 9th May 1943 when the crew defected. The aircraft was escorted to the airfield by two Spitfire VBs from 165sqn. This was quite a coup as this was the latest German night-fighter type. Within five days it had been flown to Farnborough and given British markings and the serial ‘PJ876’. An extensive series of tests and evaluations followed, ending in April 1944 when the aircraft joined No1426 (Enemy Aircraft) Flight, based at RAF Collyweston. When the unit disbanded in January 1945, the aircraft joined the Central Fighter Establishment at Tangmere, before being allocated to a maintenance unit in October 1945. Between then and 1974 it remained in store other than very occasional static appreances at public events. In 1974/1975 the aircraft was restored at RAF StAthan and in 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 10:13 Source Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London File:Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) (16973177790).jpg。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真等は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。

写真(右)1942年6月28日、ドイツ、大西洋横断飛行で有名になったチャールズ・リンドバークを持て成すドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥:リンドバーグはアメリカ軍のドイツ軍事力視察の要請を受けたが、親ナチ党の言動から、1938年には、ヘルマン・ゲーリングから勲章を授与された。その後、第二次世界大戦が勃発すると、リンドバークは、アメリカのイギリス側に立って参戦しようとする参戦世論を弾劾した。リンドバーグはアメリカ第一委員会(America First Committee)の代表となり、孤立主義を漫歩って、ドイツとの融和を主張した。1941年1月23日にはアメリカ連邦議会で、ドイツとの中立条約の締結すべきだと演説した。
"Mannerheim seurueineen matkalla Saksassa, tapaa Hitlerin ym. Institution
写真は SDASM Archives: sa-kuva-3329引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月,ドイツ再軍備宣言German re-armament)によって新設された空軍の総司令官に就任。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


1.大戦中のユンカースJu-88爆撃機A型

ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機のユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモ(Jumo211液冷エンジンは、冷却に使う不凍液を冷やすために空冷の冷却器(ラジエーター)を備えている。同じエンジンを搭載したハインケルHe111爆撃機は、エンジン下面に開口部をエアインテークを設けてそこに冷却器(ラジエーター)を装備した。しかし、ユンカースJu88爆撃機は、エンジンの周囲に環状に冷却器(ラジエーター)を設けた。そこで、一見すると空冷星形エンジンのような形状になった。

写真(右)1940年,フランス、未舗装飛行場で爆弾を搭載しているドイツ空軍第51爆撃航空団(KG 51:Kampfgeschwader 51 "Edelweiß")所属、優雅なエーデルワイス(ウスバユキワリソウ)のエンブレムを付けたユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-1型:イギリス本土航空決戦の時期、イギリス本土に爆撃に向かう準備をする。搭乗員は、海上に不時着水することを想定して、救命胴衣ライフジャケットを着ている。機体の国籍マークは、戦争初期なので、目立つ白縁の付いた鉄十字とスワスチカが描かれている。操縦席の右(副操縦席)前方、後上方7.92ミリMG15旋回機銃各1丁を搭載。機首と下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁を搭載。
Photographer PilzEnglische Kanalinseln.- Bomber Junkers Ju 88 A-1 des Kampfgeschwader 51 (I./KG 51) "Edelweiß" mit Besatzung vor dem Start; PK KBK Lw5 Title Flugzeug Junkers Ju 88, Startvorbereitung Info non-talk.svg Description Information added by Wikimedia users. Junkers Ju 88 A-1. Die frühe Ju 88 Variante wurde bei der I./KG 51 "Edelweiß" bereits ab März 1940 eingeführt, und ersetzte die Do 17 E oder M, und die He 111 P oder H. Stab und I. Gruppe des Kampfgeschwaders 51 wurden im Mai 1939 in Landsberg/Lech aus der I./KG 255 aufgestellt, sowie die III. Gruppe auf dem Fliegerhorst Memmingen aus der III./KG 255. Date 1940 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-402-0265-03A
写真はCategory:Junkers Ju 88 production・File:Bundesarchiv Bild 101I-363-2256-11A, Frankreich, Flugzeug Ju 88.jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル
性能:最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

写真(右)1942年、フランス、爆弾搭載作業中のドイツ空軍第106沿岸航空隊ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-4型(M2+AK):並列式の操縦席で、操縦桿は1本で、左右のどちらかに移動し操縦できる。
Photographer Rompel Frankreich.- Flugzeug Junkers Ju 88 A-4 der 2./KüFlGr. 106 (Küstenfliegergruppe) (Kennung M2+AK), Beladen mit schwerer Bombe; KBK Lw 3 Title Frankreich, Flugzeug Ju 88 Info non-talk.svg Depicted place France Date 1942 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-356-1805-24A
写真はCategory:Junkers Ju 88・File:Bundesarchiv Bild 101I-356-1805-24A, Frankreich, Flugzeug Ju 88.jpg 引用。


ドイツ空軍では飛行小隊(シュタッフェルStaffel)が複数合わさって飛行戦隊(グルッペ)、すなわちイギリス空軍(RAF)の飛行中隊(Squadron) となり、その上に航空団(ゲシュヴァーダーGeschwader)が編成される。戦闘機は、戦闘航空団(Jagdgeschwader: JG)、爆撃機は、爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)、急降下爆撃機は、急降下爆撃航空団(Sturzkampfgeschwader:StG)を編成した。第二次世界大戦に参戦したドイツ空軍の爆撃航空団(Kampfgeschwader: KG)は、次の17爆撃航空団である。
第1爆撃航空団「ヒンデンブルク」Kampfgeschwader 2 " Holzhammer ";1944年解散
第3爆撃航空団「電撃」Kampfgeschwader 3 "Blitz"
第4爆撃航空団「ウェーバー将軍」Kampfgeschwader 4 "General Wever"
第6爆撃航空団:Kampfgeschwader 6;1944年解散
第26爆撃航空団「獅子」Kampfgeschwader 26 "Löwengeschwader"
第27爆撃航空団「ベルケ」WW1エース:Kampfgeschwader 27 "Boelcke" 
第30爆撃航空団「鷲」Kampfgeschwader 30 "Adler" (eagle)
第40爆撃航空団:Kampfgeschwader 40;対艦船攻撃
第51爆撃航空団「エーデルワイス」Kampfgeschwader 51 "Edelweiss"
第53爆撃航空団「コンドル軍団」Kampfgeschwader 53 "Legion Condor"
第54爆撃航空団「髑髏」Kampfgeschwader 54 "Totenkopf"
第55爆撃航空団「グライフ」(グリフィン)Kampfgeschwader 55 "Greif"
第76爆撃航空団:Kampfgeschwader 76
第77爆撃航空団:Kampfgeschwader 77
第100爆撃航空団「ヴィーキング」Kampfgeschwader 100 ”Wiking”
第200爆撃航空団:Kampfgeschwader 200;特殊作戦

1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

ハインケルHe-111爆撃機諸元:全長16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル,全備重量 1.4トン,Jumo211F液冷エンジン(1200馬力)2基,最大速度 440キロ,航続距離 2800キロ,武装 7.92ミリMG15機関銃5丁 爆弾2トン。

1939年9月1日のポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

1939年9月1日,ドイツ軍によるポーランド侵攻があり、そのの2日後の9月3日,ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスのネヴィル・チェンバレンNeville Chamberlain)首相は、フランスとともに,対ドイツ宣戦布告をした。しかし,開戦から半年以上,フランス軍、イギリス軍はドイツへの攻撃を仕掛けず、西部戦線は静謐だった。そのため「まやかし戦争」(Phoney War)とも称されるほどだった。

ドイツ軍は、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をした。しかし、果敢な抵抗を続けるポーランドは、黙殺した。降伏の機会を黙殺したポーランドに対して,ドイツ軍は,1939年9月25日、ワルシャワを大空襲した。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。9月27日,ポーランドは降伏した。

イギリスの準備していたノルウェー進駐が始まる直前,1940年4月9日にドイツ軍はノルウェー侵攻を開始した。しかし,4月14日には,イギリス・フランス、ポーランド軍の連合軍1万2000名が、ノルウェーのフィヨルド、トロンハイムに上陸し、4月20日には、北部のナルヴィクNarvik)にも,連合軍3万名が上陸し、ドイツ軍は危機に陥った。

1940年5月10日,ドイツ軍は、中立を表明していたベルギー,オランダに侵攻、連合軍はナルヴィクを撤退し、フランス正面での戦いに集中した。この時、イギリス首相チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任し、 1940年5月10日に戦時挙国一致内閣がウィンストン・チャーチルWinston Churchill)首相の下に組閣された。

写真(右)1942年,フランス、未舗装飛行場で爆弾を搭載しているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-4型:並列式の操縦席の右(副操縦席)前方、後上方左右に防御用7.92ミリMG15旋回機銃各1丁を搭載。さらに、機首下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁を搭載。機体の国籍マークは、戦争中期には目立たないように白縁を廃止した簡素化された単色の鉄十字とスワスチカに変更された。
Photographer Unknown Archive description Montage der Junkers Ju 88.- Tragflächen mit Motorenaufhängung Title Flugzeuge Junkers Ju 88, Montage Info non-talk.svg Depicted place Junkers Flugzeug- und Motorenwerke, Werk Halberstadt Collection German Federal Archives Current location Sammlung von Repro-Negativen (Bild 146) Accession number Bild 146-1980-121-23
写真はCategory:Junkers Ju 88 production・File:Bundesarchiv Bild 101I-363-2256-11A, Frankreich, Flugzeug Ju 88.jpg引用。


1940年5月14日、ドイツ空軍ヘルマン・ゲーリング元帥隷下、第54,第57爆撃航空団(KG54)ハインケルHeinkel)He111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。当日,出撃した第54爆撃航空団のハインケルHeinkel)爆撃機に「交渉中のために爆撃延期」が打電されたが,ヘーネ中佐の部隊は,爆撃を中止できた編隊もあったが,ラックナー大佐の部隊は無電を傍受できず,爆撃を行った。
 こうして,爆撃機57機がロッテルダム中心街のマース川北岸にあったオランダ群防衛陣地を50キロ爆弾1150発,250キロ爆弾158発,合計97トンによって空襲した。

1940年5月14日2030,オランダ軍総司令官ウィンケルマン将軍は,ラジオ放送を通じて,オランダ軍に全面降伏を命じた。ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍機は,空挺作戦も展開したが、投入したJu-52タンテ輸送機430機の三分の二が破壊損傷した。

ハインケルHe 111 H爆撃機の諸元
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,液冷ユンカースJumo211エンジン1300馬力2基
最大時速 400キロ,航続距離 1200-2400キロ,上昇限度8000メートル
武装:7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2.5トン
乗員5人(パイロット、航法手、爆撃手・機首銃手、銃手1-2人)
原型初飛行 1935年2月24日,総生産数 6000機。
生産工場は,ビスマール,オラニエンブルクのハインケル社のほか,ドルニエ社,アラド社でもライセンス生産。
生産期間は,1936年3月から1944年9月まで。

1940年6月、フランスは降伏し、7月にフランス戦勝利の褒賞として、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進した。しかし、アメリカの支援を受けたイギリスは、1940年8月以降の本土航空決戦でドイツ空軍に大損害を与え敗退させた。ヒトラーは,ヨーロッパで孤立したイギリスが戦い続けるのは、東方ソ連がドイツを圧迫しているからだと考え、下等人種の土地をドイツの生存圏に組み込もうとしていた。

英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

写真(右)1942年頃、ドイツ、ユンカース社飛行機工場、主翼組み立てラインのユンカース(Junkers)Ju88爆撃機;作業員の乗る移動式専用作業台が機体の前に4台準備されていて、その上と主翼に作業員が乗って組み立てに従事している。
Photographer Unknown Archive description Montage der Junkers Ju 88.- Tragflächen mit Motorenaufhängung Title Flugzeuge Junkers Ju 88, Montage Info non-talk.svg Depicted place Junkers Flugzeug- und Motorenwerke, Werk Halberstadt Collection German Federal Archives Current location Sammlung von Repro-Negativen (Bild 146) Accession number Bild 146-1980-121-23
写真はCategory:Junkers Ju 88 production・File:Bundesarchiv Bild 146-1980-121-23, Flugzeuge Junkers Ju 88, Montage.jpg 引用。


ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機の機首コックピットには、複式並列操縦席がある。席の左が正操縦士、右が副操縦士の座席だが、正操縦士の座席に比べて、副操縦士の座席は簡易型の丸型で、折り畳み式である。これは、機首への移動がしやすい構造にしたためである。操縦桿は1本だけだが、ハインケルHe111爆撃機のように操縦桿を左右に傾けることはできない。操縦士を交代するには、操縦士が席を交代しなければならない。

機体の操縦を席を交代することなしに変更できるハインケルHe111爆撃機は、コックピット容積も大きく、居住性は遥かに良く、長距離飛行の差異も乗員の疲労を軽減できる。Ju88爆撃機とHe111爆撃機を比較すると、飛行性能は、Ju88爆撃機が優れているが、He111爆撃機が1944年になっても第一線で使用できた理由は、操縦のしやすさ、居住性の良さ、汎用性の高さから、飛行兵たちに使いやすかったからであろう。

双発だが操縦性の良いユンカース(Junkers)Ju-88は、急降下爆撃として9000機が生産された。さらに、重戦闘機、夜間戦闘機として兵装が強化され、戦闘機として6000機が生産された。つまり、Ju-88は、爆撃機(偵察機)・戦闘機として、1万5000機もが量産された。

ユンカースJu 88爆撃機A-5型は、A-3型の主翼スパンを若干延長したタイプで、本来はエンジン変換の予定だったが、それが間に合わず、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)の発動機ユモJumo211B-1, G-1、H-1液冷エンジン(1200馬力)を搭載していた。A-4型では、主翼延長に加えて、エンジンを変換し、ユモJumo 211 J-1、J-2液冷エンジン (1410馬力) を搭載、出力を強化した。また、プロペラも、資源節約のために木製プロペラに変換している。つまり、A-5型は、A-4型の後継の形式だが、実際には、エンジン変換が間に合わなかったために、A-4型に先行する機体として、先に部隊配備された。コックピット後上方の銃座は7.92ミリMG15旋回機銃1丁のみ。

ユンカースJu-88の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル
翼面積 54.5平方メートル
発動機ユモJumo211離昇出力1410 hp2基
最高速力 470キロ
航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁
搭載爆弾量:爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

第二次大戦で使用されたユンカースの航空機は,1935年3月16日にヒトラーが、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し再軍備宣言をして以降、開発されている。

ヒトラーの再軍備宣言
?義務兵役制を復活:兵力36個師団,50万人を動員
?軍事組織の名称変更:陸海軍に加えて空軍Luftwaffeを新設し,国軍Reichswehrを伝統的な国防軍Wehrmachtに戻す。国防省を陸軍省(Ministry of War)と変更。陸軍参謀本部の復活。

1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵はイギリスだけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、イギリス本土への大規模空襲は控えていた。イギリスの航空機工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機A-5型は、翼端を延長した新型主翼を装備していたが、装備していたエンジンはそれ以前の型と同じで、ユンカース・モーター(Junkers Motoren)ユモJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで、離昇出力は1,200馬力 hpだった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモJumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備し、その離昇出力は1410 馬力に強化されていた。

1941年6月22日、ドイツはソ連に侵攻した。そして、1941年6月25日、1939年にソ連と冬戦争を戦ったフィンランドが、ソ連に併合されたカレリア地方を取り戻すために、「継承戦争」と称して、ソ連を攻撃した。

当初、ドイツ軍は快進撃を続け、前線にあったソ連赤軍を壊滅し、包囲戦により多数の捕虜も得ていたが、バルバロッサ作戦では3カ月以内にソ連を打倒するが、半年たっても、モスクワ前面で、予備軍の動員を強行したソ連赤軍の粘り強い抵抗を受けていた。1941年11月末、モスクワ前面に迫っていたドイツ軍は、予備軍も燃料・弾薬も不足しており、この厳冬期を迎えてソ連軍は大反攻を開始した。

主翼下面の爆弾懸架(ラック)は、胴体側(内側)は大型でSC1000のような1トン爆弾や900リットル入り落下タンクも搭載できる1トン懸架ラックで、エンジンナセル側(外側)は中型でPC500爆弾が搭載できる500キロ懸架ラックが装備されている。

ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機A-4型以前に部隊配属されたA-5型は、翼端延長型だったが、エンジン古いJumo 211B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで離昇出力は1,200 hpだった。次のA-4型は、新型のユモJumo 211J 離昇出力1410 hpを装備した。このJu88A-4爆撃機を改修したのがJu88D-1偵察機で、A-4と同じ Jumo 211J倒立V型12気筒液冷エンジンを装備していた。

1941年6月22日、ドイツ軍は、「バルバロッサ作戦」(Unternehmen Barbarossa)に基づいて、ソ連に侵攻した。ドイツ軍は、東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げ、3カ月程度でソビエト連邦に勝利するつもりだった。

ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1942-1943年,スターリングラード攻防戦Battle of Stalingrad )では、ドイツ空軍総司令官ゲーリング国家元帥は、包囲されたドイツ第6軍へ空輸することを約束したが、ソ連軍空軍の反撃と飛行場の喪失から、空輸に失敗し、ドイツ第6軍は1943年1-2月に降伏した。

ドイツ空軍ハインケルHe 111H爆撃機の諸元
原型初飛行 1935年2月,生産機数 7000機以上
全長 16.4メートル,全幅 22.5メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量: 1.2トン,JunkersエンジンJumo2111300馬力2基
最大時速 400キロ,航続距離 2800 キロ
兵装: 7.92ミリMG15機関銃6丁,爆弾2トン。

ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁気機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。1945年、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、機雷の空中投下を行った。

1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦(Operation Torch)を発動、モロッコとアルジェリアへアメリカ軍、イギリス軍を中核とする地上部隊が上陸した。1941年6月22日、ドイツはバルバロッサ作戦を発動して、独ソ不可侵条約を保護にして、ソ連に侵攻した。イギリスもアメリカも、直ぐに反ドイツ、反ヒトラーのために、ソビエト連邦への軍事支援を約束した。

ところが、独ソ戦が始まっても、ドイツ軍の主力は、ソ連軍が一手に引き受けるのみで、ドイツ軍にソ連の肥沃な穀倉地帯のウクライナも占領され、ソ連軍も大損害を被っていた。ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、イギリス首相ウィンストン・チャーチルに第二線、すなわち西ヨーロッパへの上陸作戦を早急に実施することをもとめたが、チャーチルはイギリスは苦しい状況で、犯行は時期総称だと応じなかった。実は、チャーチルは、ナチス、ヒトラーも憎悪していたが、同時に共産主義、ボリシェビキにも大いに反感を抱いていた。そこで、ヒトラーとスターリンが戦って、双方が損害を増やし、苦しい戦いを続ければ、それはイギリスにとって有利であると考えていた。

しかし、イギリス・アメリカがソ連へ援助をしても、第二線ができない以上、スターリンは、チャーチルの真意を推し量って、共産主義が苦しむのを歓迎していると正確に推測していた。つまり、ソ連スターリンがドイツのヒトラーと単独講和する可能性は残っていた。

ソ連の指導者ヨシフ・スターリンとしては、ヨーロッパに第二戦線をイギリスが開かないのであれば、単独講和することも選択肢の一つだった。そこで、独ソ単独講和を阻止するためにも、イギリス首相ウィンストン・チャーチルもアメリカも反ヒトラー戦争に、新たな戦線を開く負担を覚悟した。これが、1942年11月8日、西側連合軍イギリス軍・アメリカ軍の北アフリカ上陸作「トーチ作戦(Operation Torch)」である。チュニジアに新たな北アフリカ戦線を開いたことで、イタリア軍だけでなく、枢軸国の援軍としてドイツ軍が派遣された。ドイツ軍が北アフリカに派兵し、その分だけ、東部戦線で戦うソ連への軍事的資源が減少し、ソ連への間接支援となったのである。

ドイツ空軍ユンカースJu-88A爆撃機は、最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ,7.92mm機銃6丁,爆弾 2トンは、1943年当時、敵戦闘機のカモになった。しかし、Ju88の信頼性、操縦性は高く、ドイツ爆撃機としては最多となる1万5000機が生産(夜間戦闘機型を含む)が生産れている。

ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の前期の代表型はA-4型、後期の代表型はA-14型である。ユンカースJu 88爆撃機A-14型はA-4の改良型で、乗員に対する防弾版の充実、ゴンドラ前端への20ミリMG FF機関銃の搭載、 爆撃照準器の移動を行っている。1942年になると、ロンドン空襲のようなへの都市爆撃は行われておらず、水平爆撃による精密爆撃も事実上、放棄されていた。

 当時、ドイツ空軍の爆撃航空団にとって対西側連合軍の戦いは、西部戦線ではなく、地中海方面であり、対ソビエト連邦の東部戦線が主な戦場となっていた。そこでは、艦船攻撃や地上支援が主な任務であり、地上・海上の目標を機銃掃射できる火力が必要だった。

 従来のユンカースJu 88爆撃機A-4型も、機首のダイヤモンド型風防に20ミリMGFF旋回機関銃1丁を装備して、防御力向上、地上・艦船銃撃威力の向上を図っている。

図(右)1941年1月,アメリカ、アメリカの第二次大戦参戦前に作成された敵性国ドイツ空軍ユンカースJu 88爆撃機A-4型の断面図:並列式の操縦席の右(副操縦席)前方、後上方左右に防御用7.92ミリMG15旋回機銃各1丁を搭載。機首下面ゴンドラの後下方にも防御用7.92ミリMG15旋回機銃1丁を搭載。
English: Cutaway drawing of the Junkers Ju 88A bomber. Date January 1941 Source NARA the National Archives and Records Administration, the National Archives Identifier (NAID) 44266182
Author UK Air Ministry OCAC Tactical Poster No. 110, via U.S. Office for Emergency Management. Office of War Information. Domestic Operations Branch. Bureau of Special Services.
写真はCategory:Junkers Ju 88・File:Junkers Ju 88A bomber cutaway drawing, 1941 (44266182).png引用。


フィンランド軍の国籍識別マークは、カギ卍「ハカリスティ」(Hakaristi)で、色彩は白丸に青のカギ十字を描いたものある。1917年、フィンランドでは、ロシア革命に追随する赤軍に対抗して、白軍が組織され、その時に反共産主義の自由のシンボルとして、鈎十字採用された。

当初、スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵が、白軍を支持して、この鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)には、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍が1918年に「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車に標識として描いている。

しかし、1944年、ソ連との講和、対ドイツ戦争の開始とともにカギ十字「ハカリスティ」(Hakaristi)は、廃止された。wikipedia「ハカリスティは本来ナチスのハーケンクロイツとは無関係であった」というのは、後世、フィンランドにおける白軍と赤軍の内戦、ドイツと組んで対ソ戦を戦った継承戦争、ナチ党の残虐性を忌避するために唱えられた方便であろう。

フィンランド空軍ユンカースJu88爆撃機A-4型(フィンランド軍登録コード:JK-267、製造番号WerkNr. 3888、ドイツ軍登録コード DJ+TH)は、1943年4月11日に、ドイツ軍からフィンランド軍に譲渡された。機体の塗装は、ドイツ軍仕様だったので、ドイツの白の鉄十字国籍マークも薄く残っている。1942年5月3日設立の第44飛行中隊(LeLv. 44)に配属されたが、1944年7月29日、離陸に際して事故で損傷した。第44飛行戦隊[中隊:Squadron](LeLv. 44)は、1944年2月14日に、第44爆撃中隊(PLe.Lv.44 )と名称を変更した。

1918年以来、フィンランド空軍機やフィンランド陸軍の戦車には、国籍標識として採用した卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれている。ドイツでも、カギ十字(卍)は、第一次大戦後に興隆したドイツ民族・アーリア人の優秀性を奉じる人種差別主義者、個人の自由奔放でなく国力を重視する国家主義者、反革命義勇軍(フライコール)が採用していたもので、これをナチ党が取り入れ、夏党政権獲得後、この鍵十字(スワスチカ)が国会に掲げられ、国旗となった。そして、再軍備宣言後、ドイツ空軍が創設されると、ナチ党の採用したカギ十字をドイツの国籍マークとした。

写真(右)1941-1943年、未舗装飛行場に待機しているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88爆撃機A-4型;ゴンドラ先端に水平爆撃用の爆撃照準窓がある。
Perma_000494 Permann Collection Image Junkers Ju-88 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・Catalog:16_005449 -引用。


飛行機用の掩体壕は、 (1)周囲に土手を築き、内側を木材で固めてあり、上空から地上に駐機する飛行機を発見できないようにする偽装の効果、
(2)機銃掃射・爆弾などの空襲の被害を受けにくく防衛上の効果、
の2点が企図されている。

フィンランド空軍第44爆撃中隊(LeLv. 44)のユンカースJu-88爆撃機A-14型(フィンランド軍登録コードJK-256)は、元はA-4型でゴンドラに樹幹中を装備したA-14型に改修された。1943年4月30日にドイツ軍のJu88A4/A14爆撃機(ドイツ軍登録コードGL+QM)が、フィンランド軍に譲渡され、登録コード JK-256を与えられた。

1941年7月から1944年7月まで、フィンランドは、継承戦争Continuation War)と称して、1939年の冬戦争に敗北して失ったカレリア地方を奪還しようとソ連赤軍と戦っていた。フィンランドは、アメリカ、イギリスとは戦うつもりがなかったが、ドイツ軍を一手に支えているソ連赤軍をドイツと同盟して攻撃した以上、西側連合国もフィンランドの対ソ戦は戦うが、対米英は中立だという詭弁を受け入れなかった。結局、フィンランドは、対ソ戦勝利が不可能である以上、大きな損害を蒙らないうちに、継承戦争Continuation War)を打ち切って、ソ連と講和するしかなたった

このフィンランドの裏切り・転向を決断し、実行したのは1944年8月4日、フィンランド大統領に就任したフィンランド軍総司令官カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥である。1944年7月に、フィンランドはソ連と休戦交渉していたが、新大統領カール・グスタフ・マンネルヘイムCarl Gustaf Mannerheim)元帥は、それを進めて、1944年9月19日にモスクワ休戦協定を結んで講和した。これは、事実上、体面を保った降伏だったが、講和条件の一つが、ドイツ軍の排除であり、フィンランドは連合軍の一員として、ドイツと戦うことになった。このJu88爆撃機JK256は、1944年10月10日、ドイツ軍戦闘機によって撃墜された。

ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、対艦船攻撃のためには、日本海軍航空隊、イタリア空軍、イギリス海軍航空隊の採用していた航空魚雷が有効であるとの示唆に基づいて、主翼内側に左右各1本の航空魚雷を搭できるようにしたタイプ。当初は、主に地中海方面と北大西洋の艦船・船団への攻撃を想定していた。ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型の機首側面には、搭載した航空魚雷を調整する機材を通すバルジがあるので、判別しやすい。

現地改造のユンカースJu-88爆撃機A雷撃型は、工場で追加されるべき魚雷調整機材バルジは出ていない。また、ユンカースJu-88爆撃機A-11雷撃型は、爆撃機としても併用するために、ゴンドラはそのままとする場合、雷撃専用とするためにゴンドラを撤去する場合とがある。

写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属の海上哨戒対艦船攻撃用ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機:同一機らしい下の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備している。エンジン周囲に環状に並んでいるのは、単排気管であればBMW801空冷星形エンジン搭載だが、Jumo211液冷エンジン環状ラジエーターのカウルフラップのようだ。機首にFuG220リヒテンシュタイン空対空レーダーを装備している。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用していれば、夜間戦闘機G型あるいはその改造型ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-476-2090-02A Archive title: Italien, bei Nettuno.- Junkers Ju 88 (Kennung PN+M) mit Funkmeßgeät ("Hohentwiel"?); Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Brünning Origin: Bundesarchiv 写真はWikimedia Commons,Bundesarchiv Bild 101I-471-1704-23A引用。


写真(右)1944年,イタリア、ローマ郊外、ネットゥーノ(?)、機首にFuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載したドイツ空軍第76爆撃航空団(KG77)(?)所属の海上哨戒対艦船攻撃用ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機:同一部隊らしい上の写真では、コックピット後上方には銃座1カ所で、13.1ミリMG131機関銃1丁を装備しており、機首下面にゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。Ju188の大型で四角い垂直尾翼を採用しているのかどうかはわからないが、ドイツ連邦アーカイブの解説では、”Junkers Ju 88G”としている。そうであれば、Ju88A型のJumo211Jエンジン(1470馬力)をより高出力のユモJumo213エンジン(1750馬力)に変換したJu88夜間戦闘機G後期型の改造機ということになる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-476-2090-02A Archive title: Italien, Rom.- Flugzeug Junkers Ju 88G mit Radargerät ("Hohentwiel"?); Lfl 2 Dating: 1944 Photographer: Brünning Origin: Bundesarchiv 写真はBundesarchiv登録・引用 (他引用不可)。


写真(右)1945年頃,連合軍が鹵獲したらしいドイツ空軍ユンカース海上哨戒対艦船攻撃用ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機(上の写真と同一機体を同一場所で撮影):機首下面のゴンドラは空気抵抗・重量を減少させ、飛行性能を向上させるために撤去されている様だ。大戦末期には、もはや、Ju88による水平爆撃の機会はなくなっていた。機首にFuG200レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機。白の波紋迷彩は、大戦末期の海上哨戒偵察機の標準的な塗装である。垂直尾翼のナチ党スワスチカの国籍識別マークは上塗りされ、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も目立たない。機首下面のにはゴンドラはなく、胴体に乗員の昇降口がついている。尾部には、自転車が2台とまっている。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081804 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081804引用。


写真(右)1945年,西側連合軍が鹵獲しアメリカに運んだドイツ空軍海上哨戒対艦船攻撃用ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機(FE611)?:この機体はJu88Gとされている。しかし、垂直尾翼はA型と同じ小型で、Ju188の四角の大型垂直尾翼ではない。機首のダイヤモンド型風防ガラスではなく、ソリッド化された機首なのか、この写真では確認できない。塗装を見ると、FuG200「鹿の角」レーダー空対艦捜索用レーダーを搭載した海上哨戒偵察機のようにも見える。垂直尾翼の巨大なナチ党スワスチカも胴体側面の白の鉄十字の国籍識別マークも、アメリカ軍が塗りなおしたものでオリジナルではない。主翼の両端の塗装は、胴体とは全く異なり、白系の単色であるが、これは黄色で飛行中に敵機と間違われないようにするための臨時措置であろう。垂直尾翼のスワスチカも、胴体側面の白縁黒色の鉄十字も、オリジナルでは目立たない塗装だったはずだ。
SDASM Aircraft Image Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081790 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers-
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。


FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.

FE-611/T2-611 - Junkers Ju88G-6 - W.Nr. Unknown - surrendered to RAF and allocated USA 21. Fate unknown” ⇒However its vertical tail is not for a Ju 88 G but for a Ju 88 A. And two MG possitions located in the cockpit are for Ju 88 A-4, not for a night fighter or Ju 88 G.

⇒写真集Album:ドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機A型を参照。


2.ユンカースユンカース(Junkers)Ju-88長距離偵察機D型

写真(右)1940-1941年頃,主翼下面に900リットル入大型増加タンクを懸架したドイツ空軍ユンカースユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-5偵察型:爆撃機A型だが、爆撃手席にカメラを搭載したのかもしれない。主翼下面には、左右に懸架ラック2基があるが、内側の大型懸架ラックに1個の900リットル増加燃料タンクを吊るしている。このタンクは、Bf110長距離戦闘機D型の搭載した900リットル増加タンクと同じで、後端にフィン(ヒレ)がついている。風雨からエンジンを守るためか、環状ラジエーターの周囲を覆う専用カバーを掛けている。
SDASM Aircraft Image Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection PictionID:44219976 - Title:Junkers Ju 88A-5 with two additional 900 liter tanks Nowarra collection - Catalog:16_005418 - Filename:16_005418.TIF -
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219976 引用。


ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88D-4偵察機は、Ju 88A-5爆撃機をベースにした長距離高速写真偵察機である。ドイツ空軍は、高速の戦闘機を近距離写真偵察機として、双発爆撃機を遠距離写真偵察機として活用しており、偵察専用の機体は、近距離の対地支援用、飛行艇・水上機のような海洋作戦の機種に限られた。

ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88D高速長距離偵察機は、Ju-88A型爆撃機の胴体後方の爆弾倉に3台の大型カメラを搭載、前部の爆弾倉には追加燃料タンクを装備し、遠距離偵察が可能のなった。急降下は行う必要がないため、ダイブブレーキは撤去され、軽量化が図られている。Ju 88D-2偵察機は標準型で、 D-4型には、砂漠戦用Trop仕様があった。

ドイツ空軍ユンカースJu-88長距離偵察機D-1型(登録コード4N+PL :製造番号WNr.1355:Serial 088 1203)は、 Unit: 1(F)/22は、1943年2月17日、左エンジンに対空砲火を受けてノルウェー北、バレンツ海ビュルネイ島南部に不時着した。このJu88長距離偵察機D-1型(4N+PL :WNr.1355:Serial 088 1203)は、スクラップとなってノルウェー北端の街メハムンに引き取られていたが、1998年にノルウェー航空博物館(Norwegian Aviation Museum)が展示のために買い取った。

写真(右)1941-1943年、フランス北西、ブルターニュ地方ディナール (Dinard)、イギリス本土や大西洋哨戒偵察に投入されたドイツ空軍第121長距離飛行偵察部隊(Aufkl.Gr (F) 121)第2中隊所属のユンカース(Junkers)Ju88長距離偵察機D型;Aufklärungsgruppe 121(英訳:21st Reconnaissance Group)は、第121偵察部隊(長距離)。F:Fern(Long range)は長距離を意味する。他方、H :Heeres(Army)は、陸軍で、近距離を意味する。飛行中隊(Staffel)は、飛行戦隊、飛行隊とも訳されるが、大型機は12機(3機編隊)、小型機は16機(2機あるいは4機編隊)程度。 Pz:Panzerstaffel(antitank squadron)は、対戦車部隊を意味する。主翼下面に大型900L入り増加燃料タンクを懸架している。
3 STAFFEL FERNAUFKARUNGSGRUPPE 121 1939-1943. Object description The commander of 3 Staffel Aufkl.Gr (F) 121 salutes one of the unit's Junkers Ju 88 bombers as it prepares to leave the airfield at Dinard. Catalogue number HU 94629 Part of NASH DAVID (MR)
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum 登録・HU 94629引用。


ドイツ空軍ユンカースJu88爆撃機A-5型は、翼端を延長した新型主翼を装備していたが、装備していたエンジンはそれ以前の型と同じで、ユモJumo 211 B/G/H倒立V型12気筒液冷エンジンで、離昇出力は1,200馬力 hpだった。次のユンカースJu88爆撃機A-4型は、新型のユモ Jumo 211J 倒立V型12気筒液冷エンジンを装備し、その離昇出力は1410 馬力に強化されていた。

ドイツ空軍のAufklärungsgruppe (Reconnaissance Group)は、偵察部隊を意味し、Aufkl.Grと短縮表記される。Aufkl.Gr (F) とあれば、FはFern(Long range)で長距離を意味する。他方、Aufkl.Gr (F) とあれば、HはHeeres(Army)で、陸軍、近距離を意味する。Pzは、Panzerstaffel(antitank squadron)で、対戦車部隊を意味する。

飛行中隊(Staffel)は、3隊集まって、飛行戦隊あるいは飛行隊(Gruppen)を編成し、飛行戦隊・飛行隊(Gruppen)が、3隊あつまって、航空団(Geschwader)を編成する。飛行中隊(Staffel)は、大型機は12機(3機編隊)、小型機は16機(2機あるいは4機編隊)程度。爆撃部隊、戦闘機部隊は、航空団、飛行戦隊F:Fern(Long range)は長距離を意味する。

写真(右)2009年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元されたルーマニア空軍ユンカースユンカース(Junkers)Ju 88D-1/Trop (Ju 88D-3)長距離偵察機:1943年7月、枢軸国だったルーマニア空軍の搭乗員が、飛行機ごとキプロスのイギリス空軍基地に着陸して、鹵獲された機体。イギリス軍は、Ju88爆撃機について既に十分な情報を得ており、新技術を用いてもおらず、高性能機でもなかったJu88をアメリカ軍に譲渡した。
The airplane on display, a Ju 88D-1/Trop (later designated Ju 88D-3), is a long-range photographic reconnaissance version modified for tropical use. Known as the Baksheesh, it was the best known Ju 88 of the 15,000 built. Completed in June 1943, this aircraft was delivered to Romania, an ally of Germany during WWII. In July 1943, a disillusioned Romanian pilot flew the aircraft to Cyprus to defect to British forces there. The British Royal Air Force turned over Baksheesh to the U.S. Army Air Forces. After Wright Field test pilots flew the aircraft extensively, the USAAF stored it in the Arizona desert after the end of WWII. Shipped to the museum in January 1960, Baksheesh is painted in the Romanian Air Force markings it carried in July 1943.
写真は National Museum of the USAF,Museum Exhibits > Fact Sheets > Display > Junkers Ju 88D-1/Trop引用。


1943年7月、枢軸国ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスが鹵獲したが、イギリス軍はすでに飛行可能なJu88を保有しており、技術的にも興味があまりなかった。そこで、イギリス軍は、この投降してきたJu88D-1をアメリカに譲渡した。アメリカ軍は、譲渡されたルーマニア軍のJu88D-1をアメリカ軍の国籍マークに塗り替え、戦利品としてアメリカ本土に運搬した。この機体は、オハイオ州ライトパターソン基地に到着し、テスト飛行された。

アメリカの戦利品となったルーマニア軍Ju 88D-1/Trop偵察機は、その後は1960年まで、長らく、アリゾナ州の砂漠に放置・保管されていた。それを再び修復して、現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示している。

ドイツ空軍ユンカースJu-88爆撃機は、アメリカ軍が鹵獲しアメリカ軍がドイツ軍時代の識別マークを再現した機体で、もとはユンカースJu 88長距離偵察機D-1型(FE1598)である。もとはユンカースJu 88D型長距離偵察機はJu-88A型爆撃機の胴体後部下面の爆弾倉を改修して、大型カメラ3基を搭載した機体である。アメリカ軍は、北アフリカでJu88D型偵察機を鹵獲した。1943年7月.ルーマニア軍のドイツ貸与Ju 88D-1/Trop偵察機が、キプロス島のイギリス軍に投降した。この機体はイギリスからアメリカに譲渡され、アメリカ本土に運ばれた。現在、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元、展示されている機体である。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)Ju-88 D長距離偵察機を参照。


3.ユンカース(Junkers)Ju-88重戦闘機H型/夜間戦闘機C型

写真(右)1940-1942年頃,ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A-1型の機首ダイヤモンド型風防の半分を金属板で覆い、そこに7.92ミリMG17機関銃3丁、20ミリMGFF機関銃1丁を搭載した重戦闘機C-1型の試作機:ゴンドラは、先端部分の爆撃照準用ガラス窓を撤去して、空気抵抗の少ないように金属板で覆っている。機首のガラス風防のガラスを半分残しているが、量産型では、機首前部を金属板でソリッド化している。発動機は、ユモJumo211液冷エンジンのままで変更はない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44219949 - Catalog:16_005416 - Title:Junkers Ju 88A-1 as make-shift destroyer C-1 Nowarra collection - Filename:16_005416.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219949引用。


ユンカースユンカース(Junkers)Ju-88重戦闘機 C-1型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-1爆撃機を改修して20機が生産された。同じく, ユンカースJu 88重戦闘機 C-2型は、ユモJumo211B 液冷エンジン(12000馬力)を搭載したJu88A-5爆撃機を改修して20機が生産された。大量生産されたのは、夜間戦闘機にもなったJu 88 C-6型で、ユモJumo211J液冷エンジン(1420馬力)を搭載したJu88A-4爆撃機を改修して900機が生産された。

写真(右)1941-1943年頃,ユンカース(Junkers)Ju 88爆撃機A型を改修したJu88重戦闘機C型の試作機Z19:機首のガラス風防のガラスを撤去して、金属板でソリッド化し、20ミリMG151/20 機関銃1丁、その他7.92ミリMG17機関銃を搭載、機首下面ゴンドラ先端部にも、爆撃照準器を撤去した後に、20ミリMG151/20 機関銃1丁を搭載した。発動機は、ユモJumo211液冷エンジンのままで変更はない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220470 - Catalog:16_005458 - Title:Junkers Ju 88Z-19 Nowarra collection - Filename:16_005458.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220470引用。


写真(右)1942年、ドイツから購入したハンガリー空軍ユンカース(Junkers)Ju 88 C-1重戦闘機:機首は、ガラス風防の代わりに、ソリッド化されているが、重戦闘機として敵に警戒されないために、ガラス風防を描いて欺瞞している。機首に20mmMG-FF機関銃1挺、7.92mmMG17機関3挺を搭載している。機首下面のゴンドラにも20mmMG-FF機関銃2挺を搭載しているかもしれない。コックピット後上方にバルジ式銃座があるのでA-4爆撃機の改造型であることがわかる。
Description Magyar: magyar Ju-88 C típusú repülőgép. Location: Ukraine, Kiev Tags: Royal Hungarian Air Force, airplane, Junkers-brand, military, airport, transport, second World War, eastern front, Gerrman brand Title: magyar Ju-88 C típusú repülőgép. Date 1942 Author FOTO:Fortepan — ID 11077: Home pagePictureInformation page Adományozó/Donor: Erky-Nagy Tibor.
写真はWikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 :File:Magyar Ju-88 C típusú repülőgép. Fortepan 11077.jpgg引用。


1939年9月1日の第二次世界大戦勃発から1年以上が経過した1940年11月20日、ハンガリー王国は、執政ホルティ・ミクローシュ Horthy Miklós:1868-1957)提督の下、日独伊三国同盟Tripartite Pact:1868-1957)に加盟した。1941年6月22日、の対ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では、ドイツは、オーストリアハプスブルク帝国から独立した反ボリシェビキのハンガリー王国軍、ルーマニア王国軍と同盟して、1941年6月からソビエト連邦赤軍と戦った。ただし、ハンガリーもルーマニアも王国とはいっても、立憲王政とも絶対王政と程遠い、執政独裁、軍人独裁の反民主主義国家だった。ただし、同じ東欧のブルガリア王国は、ドイツの同盟国で、1941年3月に日独伊三国同盟に加盟したが、対ソ連戦争には参戦していない。

写真(右)1943年,ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88夜間戦闘機の並列式の正・副操縦席:左の正操縦士の前には、レビ光像式射撃照準器が装備されている。
Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-658-6356-25 Archive title: Reichsgebiet.- Piloten im Cockpit eines Flugzeugs (Nachtjäger Junkers Ju 88 ?); PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1943 Photographer: Grosse, Helmut Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-658-6356-25 引用(他引用不許可)。


第二次大戦中頃に登場したドイツ空軍ユンカースユンカース(Junkers)Ju-88夜間戦闘機C型は、爆撃機のA型と同じJumo211液冷エンジン(1400馬力)装備で、兵装は機首・ゴンドラに20ミリMGFF機関銃3丁、7.92ミリMG17機関銃3丁だった。他方、ユンカースJu-88夜間戦闘機R型は、BMW801空冷星形エンジン(1700馬力)装備とし、飛行性能の向上を図った。

 1944年の大戦末期に登場したドイツ空軍ユンカースJu-88夜間戦闘機G型は、Jumo213液冷エンジン(1750馬力)装備として、さらに飛行性能を向上し、兵装も射撃発光・排煙による視界不良を避けるために、胴体下にポッドを設けて、そこに20ミリMG151/20機銃4丁を装備した。つまり、ユンカースJu-88夜間戦闘機G型は、それまで爆撃型と同じ機首下方のゴンドラも、その後下方銃座7.92ミリMG81Z連装機銃も撤去され、機体の重心に強力な火力を集中配備した。

写真(右)1944年3月,ロシア東部戦線、冬季白色迷彩を施したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88重戦闘機C型の編隊飛行:機首は、風防ガラス窓を全て撤去して、ソリッド化しており、FuG 202 リヒテンシュタイン B/Cを装備している。機首には、20ミリMGFF機関銃1丁、7.92ミリMG17機関銃3丁、機首下面ゴンドラには、20ミリMGFF機関銃2丁を装備している。発動機は、爆撃機A型と同じく、ユモJumo211液冷エンジン2基を搭載。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-667-7102A-06 Archive title: Russland-Mitte.- Nachtjagd-Flugzeuge Junkers Ju 88 C mit Radarantenne im Flug; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 März - April Photographer: Volland Origin: Bundesarchiv
写真は,Bundesarchiv・Bild 101I-667-7102A-06引用。


Ju88R ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

1941年6-7月、バルバロッサ作戦でソ連軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,1942年の東部戦線では,スターリングラード空輸作戦以外,大軍をまとめて投入することはなくなった。

1942年,ドイツ空軍爆撃機は,東部戦線各地の個別の戦術的な地上支援に使用され,敵の工業地帯,発電所,交通中枢への戦略爆撃は行わなかった。モスクワ空襲も,少数機が散発的に行っただけだった。

写真(右)1945年,胴体を延長し搭載燃料を増加して長距離飛行可能にしたドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88H-2重戦闘機
SDASM Aircraft Image ユンカース(Junkers)Ju 88H-2 Nowarra collection PictionID:44220212 - Title:Junkers Ju 88H-2 Nowarra collection - Catalog:16_005437 - Filename:16_005437.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog #: 01_00081790引用。


Ju-88Hは、Ju88爆撃機を改造した長距離戦闘機で、胴体を延長し、燃料タンクも増設してある。Ju88H型は、実際には、戦闘機ではなく長距離偵察機として使用されたが、H-2型とH-4型は、重戦闘機として開発された。H型は、Ju88G型(夜間戦闘機)へと引き継がれた。少数しか生産されなかったJu 88H型は、長距離飛行可能なため、ミステル"Mistel"(寄生木)の飛行爆弾として予定された。"H"型はH-2型は駆逐機"Zerstorer"として開発され、ミステルとして使用された Ju 88H型は見つかっていないようだ。


4.BMW801空冷エンジン装備のユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R型/G初期型

写真(右)1942-1943年,ドイツ空軍第1夜間戦闘航空団(NJG1)所属のユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機R-2型:対空レーダーは外されている。機首には20ミリ機関銃1丁、7.92ミリMG17機関銃3丁の銃口が見える。機首下面のゴンドラに20ミリ機関銃2丁が装備されている。BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)装備。
SDASM Archives Junkers Ju 88R-2 antenna removed NJG1 Nowarra collection PictionID: 44220274 - Title:Junkers Ju 88R-2 antenna removed NJG1 Nowarra collection - Catalog: 16_005442 - Filename: 16_005442. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220274引用。


写真(右)1942-1943年,ドイツ空軍第1夜間戦闘航空団(NJG1)所属のユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機R-2型:対空レーダーは外されている。機首には20ミリ機関銃1丁、7.92ミリMG17機関銃3丁の銃口が見える。機首下面のゴンドラに20ミリ機関銃2丁が装備されている。BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)装備。
SDASM Archives Junkers Ju 88R-2 antenna removed NJG1 Nowarra collection PictionID: 44220262 - Title:Junkers Ju 88R-2 antenna removed NJG1 Nowarra collection - Catalog:16_005441 - Filename: 16_005441. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・Catalog:16_005441引用。


Bf 110 C諸元: 
全長: 12.3 m (40 ft 6 in)、全幅: 16.3 m (53 ft 4 in)、全高: 3.3 m (10 ft 9 in)
主翼面積: 38.8平方メートル
空虚重量: 4,500 kg、全備重量: 6,700 kg
乗員: 2名
エンジン: 2 × Daimler-Benz DB 601B-1液冷V-12, 809 kW (1,085馬力)
最高速度: 560 km/h
航続距離: 2,410 km、実用上昇限度: 10,500 m 、翼面荷重: 173 kg/平方メートル
兵装:機首;2 × 20 mm MG FF/M機関砲(180発)、4 × 7.92 mm MG 17機銃 (1,000発)、後方;1 × 7.92 mm MG 15旋回機銃。爆弾:2 x 250 kg

写真(右)1945年5月以降、イギリス、鹵獲されたドイツ空軍ユンカース第3夜間戦闘機航空団第4飛行隊所属のユンカースJu 88R-1夜間戦闘機( D5+EV ):1943年5月、ノルウェーを出撃したものの、帰路を誤り、イギリス本土スコットランドに誤着し、イギリス軍に鹵獲された。Jumo211液冷12気筒エンジン(1470馬力)を装備した爆撃型の発動機を、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に変換して、最高速力を500キロ以上に向上させた。兵装は、3丁x20ミリMGFF、3丁×7.92ミリMG171丁。 FuG 202空対空レーダーを装備している。イギリス軍はJu88の機体には興味がなかったが、装備していたレーダーによって、その性能、周波数を知り、対抗措置をとる事ができた。
THE GERMAN AIR FORCE IN THE SECOND WORLD WAR
Object description Junkers Ju 88R-1 D5+EV of IV/NJG 3 fitted with FuG 202 AI radar. The crew of this aircraft defected from Norway to Britain in May 1943, landing at Dyce in Scotland, and delivering their aircraft and its hitherto secret radar into the hands of the RAF. The photo shows the aircraft post-war, after a period of restoration..
Catalogue number HU 108219 
Part of SCUTTS JEREMY C (MR)
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・Catalogue number HU 108219引用。


写真(右)1943-1945年、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-1型の機首:機首に大型アンテナのFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載しているが、空気抵抗が大きいので、飛行性能が低下した。
Junkers, Ju.88 Catalog #: 01_00081808 Title: Junkers, Ju.88 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.88 Tags: Junkers, Ju.88 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220421引用。


写真(右)1943-1945年、ドイツ空軍ユンカースJu 88夜間戦闘機G-1型:機首には大型のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載しているが、空気抵抗が大きいうえに、敵を映し出すスコープの操作が簡単ではなかった。
Junkers Ju 88G-1 Nowarra collection PictionID: 44220421 - Title:Junkers Ju 88G-1 Nowarra collection - Catalog:16_005454 - Filename: 16_005454. TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220421引用。


ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機G-1型のエンジンは、C型までのユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)をBMW801D空冷星形エンジン(1700馬力)に換装、強化した。垂直尾翼を四角の大型のものに改修した。機首には、リヒテンシュタイン・空対空レーダーを搭載している。コックピット後上方には、13.1ミリMG131旋回機関銃1丁を防御用に装備している。ダイヤモンド型ガラス風防を撤去してソリッド化した。兵装は、胴体下面にバルジを設けて20ミリ機関銃4丁を装備。場合によっては、コックピット後ろに斜め上向きの「シュレーゲムジーク」20ミリ機関銃2丁を装備。

写真(右)1943-1945年、飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-1型:機首の大型のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載しているが、空気抵抗が大きく、敵を映し出すスコープの操作も熟練が必要だった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220433 - Catalog:16_005455 - Title:Junkers Ju 88G-1 Nowarra collection - Filename:16_005455.TIF Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220433引用。


メッサーシュミットMesserschmitt Me 110 双発戦闘機は,Me-109単発戦闘機よりも優位にある「駆逐機」として開発されたが,爆撃機の護衛戦闘機として,長い航続距離を誇っていた。1939年9月ポーランド侵攻,1940年5月フランス侵攻では,敵空軍の数的劣勢と低性能の戦闘機のために,Me 110は活躍できた。しかし、1940年8月以降、英国本土航空決戦(バトルオブブリテン)においてはイギリス空軍のハリケーンHurricane戦闘機,スピットファイア戦闘機に対抗することができず,活躍の場が制限された。

Bf 110 C諸元: 
全長: 12.3 m (40 ft 6 in)、全幅: 16.3 m (53 ft 4 in)、全高: 3.3 m (10 ft 9 in)
主翼面積: 38.8平方メートル
空虚重量: 4,500 kg、全備重量: 6,700 kg
乗員: 2名
エンジン: 2 × Daimler-Benz DB 601B-1液冷V-12, 809 kW (1,085馬力)
最高速度: 560 km/h
航続距離: 2,410 km、実用上昇限度: 10,500 m 、翼面荷重: 173 kg/平方メートル
兵装:機首;2 × 20 mm MG FF/M機関砲(180発)、4 × 7.92 mm MG 17機銃 (1,000発)、後方;1 × 7.92 mm MG 15旋回機銃。爆弾:2 x 250 kg

写真(右)1943-1945年、イギリス軍が無傷で鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-1型:BMW801D空冷星形エンジン(1700馬力)を装備し、機首と左主翼には、FuG 220 リヒテンシュタイン SNレーダーが装着されている。
Junkers Ju 88G-1 Nowarra collection PictionID: 44220384 - Title:Junkers Ju 88G-1 Nowarra collection - Catalog:16_005451 - Filename: 16_005451. TIF - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220384引用。


1943年以降、ドイツ空軍は、夜間戦闘機にFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2レーダーを採用した。これは、90MHz、波長3.3mの長周波数を用いており、イギリス軍による電子妨害を受けにくくした。他方、巨大化した4本のアンテナ支柱が必要となり、各アンテナ支柱に4つのダイポール・アンテナを付けたために、「ヒルシュゲヴァイ」(牡鹿の角)と呼ばれるほど大きなアンテナが機首に設けられた。そこで、FuG 220 リヒテンシュタイン SN-2レーダーの巨大なアンテナの空気抵抗は大きく、最高速力は、Me110G夜間戦闘機の場合は、50 km/hも低下してしまい、Ju88G夜間戦闘機の場合でも、30km/hの低下につながった。

Messerschmitt Me 110 G夜間戦闘機は,最高速度550キロの低速で鈍重な戦闘機だったが,30ミリMK 108 機関砲2門,20ミリMG 151/20 機銃4丁の兵装は,低速の爆撃機を迎撃するには十分だった。しかし,連合軍の軽快な護衛戦闘機に対抗することはできなかったので,主に夜間戦闘に投入された。ドイツのレーダー性能は,1943年までは,連合軍とほぼ互角だったが,マイクロ波レーダーを実用化できなかったために,1944年には,レーダー開発競争に大幅な遅れをとった。

メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、1939年1月より量産型のC型の生産が開始された、1939年9月のポーランド侵攻(白色作戦)の開戦時期には、実戦部隊への配備は100機程度と少なかった。1940年5月のフランス侵攻(黄色策戦)には参加したBf110は300機であるが、英仏軍が撤退を始めたダンケルク近郊での空中戦では、イギリス空軍のハリケーン戦闘機、スピットファイア戦闘機など軽量で運動性に勝る単発機との戦いになり、大型の双発戦闘機は不利な戦いを強いられた。

写真(右)1945年6月23日、デンマーク、グローブに集められた敗戦後のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-1型(中央)とメッサーシュミットBf110夜間戦闘機G型(右端と左端)の残骸:機首には大型のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載しているが、空気抵抗が大きいく、飛行性は低下した。
Place Europe: Denmark Accession Number P01523.022 Collection type Photograph Object type Black & white Maker Hines, Ronald Maxwell
Description: GROVE, DENMARK. C. 1945-06-23. GERMAN AIRCRAFT INCLUDING A JUNKERS JU.88 NIGHT FIGHTER AIRCRAFT (TAIL NO. 623175), OF GERMAN UNIT NJG3, FITTED WITH 'THE TOASTING FORK' AERIAL ARRAY USED IN CONJUNCTION WITH LICHTENSTEIN SN-2 RADAR. NOTE HOW THE AIRCRAFT HAVE BEEN IMMOBILISED AFTER THE GERMAN SURRENDER BY THE REMOVAL OF THE PROPELLERS.
写真は,Australian War Memorial・Accession Number P01523.024 引用。


写真(右)1945年6月23日、デンマーク、グローブに集められた敗戦後のドイツ空軍ユンカースJu 88夜間戦闘機G-1型(中央)とメッサーシュミットBf110夜間戦闘機G-1型(工場製造番号:W.Nr. 714 657):機首にはレーダー支柱は見えないが、塗装は夜間戦闘機仕様である。エンジンは星形のシリンダー配置のBMW801空冷星形エンジンである。胴体上面の上向き斜め銃はないようだ。
Permann_20 112 AI Gadgets Album Ju 88 G-1 W.Nr. 714 657 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は,Australian War Memorial・Accession Number P01523.024 引用。


写真(右)1944年末-1945年初頭,上下さかさまに廃棄された機体が飛行場の隅に山積みになったドイツ空軍ユンカースJu88夜間戦闘機G型,フォッケウルフFw-190 戦闘機F-8型(?)の残骸:手前のユンカースJu88夜間戦闘機G型は、レーダーアンテナの支柱を残しているものの、エンジンは2基ともなくないが、防火壁から見るとBMW801空冷星形エンジン搭載機のようだ。っている。フォッケウルフFw-190の主翼内側の20ミリMG151/20機関銃は確認できるが、外翼の20ミリ機関銃は未装備なので、A-4型からA-5型あるいは戦争末期なのでG型、F型であろう。この機体の垂直尾翼のスワスチカ(逆卍)は黒一色で塗られているが、下のFw-190の垂直尾翼のスワスチカ(逆卍)は黒縁のみで中は未塗装の省略型となっている。
SDASM Archives Focke-Wulf Fw 190 Catalog #: 00079328 Manufacturer: Focke-Wulf .
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog #: 00079328引用。



5.ユモJumo213液冷エンジン装備のユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機G後期型

写真(右)1944年末以降,ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-6型:対空レーダーは1944年後半から実用化されたFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2dを装備している。それ以前のFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2cと比較すると、ビーム幅が縮小され、レーダー撹乱用の錫箔(ウィンドウ)による妨害を受けにくくした。また、アンテナ支柱から出るダイポールアンテナを地表から45度傾けて取り付けている。機体後方から接近するモスキート夜間戦闘機を見張るために、機尾に後方警戒レーダーを装備することもあった。
SDASM Archives Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection PictionID: 44220445 - Title:Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection - Catalog:16_005456 - Filename: 16_005456. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID: 44220445 引用。


写真(右)1944年末以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-6型:対空レーダーは1944年後半から実用化されたFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2dを装備している。それ以前のFuG 220 リヒテンシュタイン SN-2cと比較すると、ビーム幅が縮小され、レーダー撹乱用の錫箔(ウィンドウ)による妨害を受けにくくした。また、アンテナ支柱から出るダイポールアンテナを地表から45度傾けて取り付けている。
GERMAN MILITARY AIRCRAFT 1939-1945 Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection Object description Junkers Ju 88G-6 night fighter. Night fighter versions of the ubiquitous Ju 88 bomber were successfully deployed against the RAF bomber streams in the last two years of the war.- Creator Royal Air Force Catalogue number CH 15686 Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,イギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH 15686)引用。


ドイツ空軍のユンカースJu 88夜間戦闘機G型初期までは、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)を装備していたが、速力不足、高高度性のの低下のために、ユモJumo213液冷倒立12気筒エンジン(1750馬力)に変換強化し、最高速力を600km/hに増速し、高空性能も向上させたのがG-6型。

写真(右)1944年末以降,ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-6型:対空レーダーは1944年末に実用化された、前方に突出した1本支柱に、2本のダイポールアンテナを90度に交差したものを3アンテナを持つ「モルゲンシュタイン」(明けの明星)アンテナを装備している。機首は木製コーン・カバーでできている。
SDASM Archives Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection PictionID: 44220396 - Title:Junkers Ju 88G-6 Nowarra collection - Catalog:16_005452 - Filename: 16_005452. TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220274引用。


写真(右)1945年、ドイツ、未舗装飛行場のドイツ空軍ユンカースJu88夜間戦闘機G-6型の左後方;胴体中央部上面に20mmMG151/20機関銃2挺が斜め銃(シュレーゲムジーク:ジャズ音楽)が装備されている。垂直尾翼は、Ju88A爆撃型よりも大型化されている。
Permann_20 079 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・Catalog:16_005449 -引用。


写真(右)1945年、ドイツ、未舗装飛行場のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機G-6型の右側面;胴体中央部上面に20mmMG151/20機関銃2挺が斜め銃(シュレーゲムジーク:ジャズ音楽)が装備されている。垂直尾翼は、Ju88A爆撃型よりも大型化されている。
Permann_20 095 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・Catalog:16_005449 -引用。


写真(右)1945年、ドイツ、 未舗装飛行場のドイツ空軍第2夜間戦闘航空団第5飛行隊所属のユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機G-6型(Wnr 623998 U5+DT)の右側面;胴体中央部上面に20mmMG151/20機関銃2挺が斜め銃(シュレーゲムジーク:ジャズ音楽)が装備されている。垂直尾翼は、Ju88A爆撃型よりも大型化されている。
Permann_20 080 AI Gadgets Album Junkers 88 G-6 Wnr 623998 U5+DT of V/NJG 2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・引用。


写真(右)1945年5月以降、ドイツ、ミュンヘン(Munich)近郊,シューレスハイム(Schleissheim)の未舗装飛行場の端に集積されたドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機G-6型 (2Z+IH: WNr 621619)の右後側面;操縦席の天蓋ガラス風防が外れている。垂直尾翼は、Ju88A爆撃型よりも大型化されている。
Permann_20 113 AI Gadgets Album Junkers 88 G-6 WNr 621619 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・Catalog:16_005449 -引用。


写真(右)1945年,イギリス空軍が戦後に鹵獲したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-7型:対空レーダーは1945年入って実用化されたマイクロ波FuG 240 「ベルリン」レーダーを木製コーン・カバーの機首内部に装備したので、アンテナ支柱は必要なくなった。FuG 240 「ベルリン」空対空レーダーは、連合軍爆撃機から鹵獲した9cmマイクロ波を使用する。イギリス軍は、マグネトロンを活用して、第二次大戦緒戦でセンチメートル波レーダーを実用化し、ドイツ空軍による空襲を早期に探知し迎撃した。そして、1942年にはPPIスコープ、すなわち視認しやすいレーダースコープを開発した。ドイツ軍は、1945年になってやっとこのPPIスコープを実用化できた。
SDASM Archives Junkers Ju 88G-7 Nowarra collection PictionID:44220408 - Title:Junkers Ju 88G-7 Nowarra collection - Catalog:16_005453 - Filename:16_005453.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220274引用。


写真(右)1945年8月2日、デンマーク、グローブ飛行場に集積されたドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88-G夜間戦闘機後期型:爆撃型のJumo211エンジン(1470馬力)を強化したJumo213エンジン(1750馬力)に変換して搭載。最高速度は550キロ、兵装は、6丁x20ミリMG 151/20、後方旋回機銃 1丁x13.1ミリMG131。高出力のJumo213エンジンを搭載したものの最高速度は550キロどまりで、これは同程度のエンジンを装備したハインケルHe-219ウフー夜間戦闘機よりも最高速度で60キロ以上遅い。
GROVE, DENMARK. C. 1945-06-23. GERMAN AIRCRAFT JUNKERS JU.88 NIGHT FIGHTER AIRCRAFT OF GERMAN UNIT NJG3 FITTED WITH 'THE TOASTING FORK' AERIAL ARRAY USED IN CONJUNCTION WITH LICHTENSTEIN SN-2 RADAR. NOTE HOW THE AIRCRAFT HAVE BEEN IMMOBILISED AFTER THE GERMAN SURRENDER BY THE REMOVAL OF THE PROPELLERS. (PHOTOGRAPHER AND DONOR R. HINES) Place Europe: Denmark Maker Hines, Ronald Maxwell 写真はThe Australian War Memorial・Accession Number P01523.022引用。


写真(右)1945年6月23日、デンマーク、グローブに集められた敗戦後のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 88夜間戦闘機G-6型:機首には大型のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載しているが、空気抵抗が大きいうえに、敵を映し出すスコープの操作が簡単ではなかった。
Junkers Ju.88 night fighters parked at Grove airfield, Denmark, awaiting disposal. Label Junkers Ju 88 night fighters awaiting scrapping at Grove airfield in Denmark, 2 August 1945. Maker Hines, Ronald Maxwell Creator Saidman Royal Air Force official photographer Materials whole: Nitrate
写真は,© Imperial War Museums 2024・Image: IWM (CL 3303)引用。


1943年夏の夜間戦闘機では、80%がFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cを装備していた。また1943年6月にはFuG 202 リヒテンシュタイン B/C型を改良し軽量化したFuG 212 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)C-1リヒテンシュタイン が登場した。その後、探知角を120度の拡大したFuG 212 リヒテンシュタイン (Lichtenstein)C-1W ができたが、最大探知距離が2,000mと短かったために、より探知距離の長いFuG 220 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)SN-2b が追加装備された。


6.現在、復元・展示されているユンカース(Junkers)Ju88R夜間戦闘機


写真(上)2020年7月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型
:右奥には、メッサーシュミットMe 410重戦闘機があるが、偵察機、戦闘爆撃機として使用されたが、夜間戦闘機としては使用されたことはない。
Junkers Ju88R-1 night fighter at the RAF Museum, Cosford, Shropshire, 8 July 2020. The Ju88 was undoubtedly the most outstanding multi-role combat aircraft of the Axis powers. Although designed as a bomber, its high speed and surprisingly good manoeuvrability despite its considerable size, together with its ability to carry a heavy armament, made it highly suitable as a zerstorer – heavy fighter. And when RAF Bomber Command began sending its heavy bomber raids over Germany the Ju88’s large internal fuel capacity made it an ideal night fighter because of its long endurance and ‘loiter time’. The Cosford Ju88R-1 has FuG 220 Lichtenstein BC radar with a Matratzen (Mattress) aerial array on the nose. The aircraft is in a RLM65/70/71 camouflage scheme i.e. RLM65 Light Blue undersurfaces and RLM70 Black Green & RLM71 Deep Green upper surfaces. This particular aircraft was flown by a crew defecting to Britain and landed at Dyce, Scotland in May 1943. Two of the crew had held the third member at gunpoint during the flight. It is now thought that these two were in fact British clandestine agents and that they flew the aircraft to Britain so that scientists could examine its highly secret radar equipment. As a result, the scientists developed ‘Window’ - the simple idea of strips of tin foil of a specific size - which ruined the effectiveness of the radar when dropped by RAF bombers on a raid (the idea behind chaff). A secondary benefit of the ‘defection’ was that it enabled the RAF to fully assess the considerable abilities of the Ju88 as a fighting aircraft. Date 8 July 2020, 12:39 Source Junkers Ju88R-1 Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UKbr>写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Junkers Ju88R-1 (50108507628).jpg引用。



写真(上)2020年7月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型
:1943年5月、イギリス空軍にとってJu88の機体自体に見るべきところはなかったが、機首に搭載していたリヒテンシュタイン・レーダーは大いに価値があった。性能が判明し、逆探知やレーダーの妨害が可能になったからである。
Landed undamaged at Dyce, Scotland, on 9th May 1943 when the crew defected. The aircraft was escorted to the airfield by two Spitfire VBs from 165sqn. This was quite a coup as this was the latest German night-fighter type. Within five days it had been flown to Farnborough and given British markings and the serial ‘PJ876Junkers Ju88R-1 night fighter at the RAF Museum, Cosford, Shropshire, 8 July 2020. The Ju88 was undoubtedly the most outstanding multi-role combat aircraft of the Axis powers. Although designed as a bomber, its high speed and surprisingly good manoeuvrability despite its considerable size, together with its ability to carry a heavy armament, made it highly suitable as a zerstorer – heavy fighter. And when RAF Bomber Command began sending its heavy bomber raids over Germany the Ju88’s large internal fuel capacity made it an ideal night fighter because of its long endurance and ‘loiter time’. The Cosford Ju88R-1 has FuG 220 Lichtenstein BC radar with a Matratzen (Mattress) aerial array on the nose. The aircraft is in a RLM65/70/71 camouflage scheme i.e. RLM65 Light Blue under surfaces and RLM70 Black Green & RLM71 Deep Green upper surfaces. This particular aircraft was flown by a crew defecting to Britain and landed at Dyce, Scotland in May 1943. Two of the crew had held the third member at gunpoint during the flight. It is now thought that these two were in fact British clandestine agents and that they flew the aircraft to Britain so that scientists could examine its highly secret radar equipment. As a result, the scientists developed ‘Window’ - the simple idea of strips of tin foil of a specific size - which ruined the effectiveness of the radar when dropped by RAF bombers on a raid (the idea behind chaff). A secondary benefit of the ‘defection’ was that it enabled the RAF to fully assess the considerable abilities of the Ju88 as a fighting aircraft. Date 8 July 2020, 12:46 Source Junkers Ju88R-1 Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Junkers Ju88R-1 (50108507478).jpg引用。


1940年後半、イギリス本土航空決戦で、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110双発戦闘機は大損害を被ったが、イギリスやアメリカの重爆撃機の迎撃には、重武装を活かして大きな戦果を挙げることができた。

しかし、英米爆撃機部隊に、護衛戦闘機が随伴するようになると、再びBf110の損害が増えた。そこで、メッサ―シュミットMesserschmitt Me 110 は、昼間出撃を取りやめ、もっぱら夜間戦闘機として、重武装を活かすことに活路を見出した。そして、FuG 202 リヒテンシュタインB/Cが開発された。

Bf110は、後継機のMe-210の不調により、継続して生産されることになり、エンジンを強化したBf110Gが登場した。このG型が搭載したDB605エンジンは、Me-109が搭載したエンジンと同じである。


写真(上)2014年、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型
:1943年5月、イギリス空軍にとってJu88の機体自体に見るべきところはなかったが、機首に搭載していたリヒテンシュタイン・レーダーは大いに価値があった。性能が判明し、逆探知やレーダーの妨害が可能になったからである。
The Ju88 R-1 on display in the Battle of Britain Hall is a night-fighter variant that was flown from Norway to Scotland in May 1943 after two members of its crew were persuaded to defect by British Secret Service agents. This aircraft’s nose-mounted Lichtenstein radar provided valuable information about German electronic defences that was especially helpful to RAF Bomber Command.
Description Pictures from WW2 hall at RAF Museum, Hendon JU88 bomber/night-fighter Date 17 July 2014, 16:15:53 Source Own work Author User:The Land
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London File:JU88.JPG引用。


Bf-110夜間戦闘機はF型になって機上搭載レーダーFuG 202 リヒテンシュタイン(Lichtenstein)B/Cが広く装備されるようになった。これは、機首に装備され、周囲70度の範囲を探知できる。そして、地上にある大型の対空レーダー「フライア」と「ヴィルツブルク」によって、夜間爆撃機に誘導することもできた。これが、機上と地上を連携した夜間防空システム「ヒンメルベット」(天秤)である。誘導された夜間戦闘機は、探知距離が短い機上搭載レーダー「リヒテンシュタイン」Lichtensteinを使って敵機を捕捉、襲撃するのである。


写真(上)2016年5月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館の(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍メッサーシュミットBf110夜間戦闘機G型、奥のユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型
(最奥はハインケルHe111爆撃機H型):1943年5月、ノルウェーからスコットランドに飛来、着陸したドイツ空軍Ju88R-1夜間戦闘機。搭乗員のうち二人は、イギリス秘密諜報機関によってイギリスに亡命するようにな謀略にはまったようだ。イギリス空軍にとってJu88の機体自体に見るべきところはなかったが、機首に搭載していたリヒテンシュタイン・レーダーは大いに価値があった。性能が判明し、逆探知やレーダーの妨害が可能になったからである。
Description: An incredible view of three genuine twin-engined German aircraft from World War 2. Nearest is night-fighter Messerschmitt Bf110G-4/R6 ‘730301’, Centre is night-fighter Junkers Ju88R-1 ‘360043’ Behind is transport Heinkel He111H-20/R1 ‘701152’ While none are actual Battle of Britain airframes, they do represent types present in the 1940 conflict. Sadly, this may well be my last view of the three together, as the Battle of Britain Hall was in the process of being dismantled and the aircraft moved to either other Halls at Hendon or to the museum at Cosford. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016 Date 28 May 2016, 10:00 Source Bf110, Ju88 & He111. The Battle of Britain Museum, Hendon. May 2016 Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London File:Bf110, Ju88 & He111. The Battle of Britain Museum, Hendon. May 2016 (33018648692).jpg引用。


写真(右)2015年3月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型機首のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダー:レーダーを奪取したイギリス軍は、レーダー妨害の同州は数の無線、チャッフ(錫拍レーダー攪乱)、レーダーホーミングなどの対応を進めて、夜間電子戦を優位に展開することができた。
Description Landed undamaged at Dyce, Scotland, on 9th May 1943 when the crew defected. The aircraft was escorted to the airfield by two Spitfire VBs from 165sqn. This was quite a coup as this was the latest German night-fighter type. Within five days it had been flown to Farnborough and given British markings and the serial ‘PJ876’. An extensive series of tests and evaluations followed, ending in April 1944 when the aircraft joined No1426 (Enemy Aircraft) Flight, based at RAF Collyweston. When the unit disbanded in January 1945, the aircraft joined the Central Fighter Establishment at Tangmere, before being allocated to a maintenance unit in October 1945. Between then and 1974 it remained in store other than very occasional static appreances at public events. In 1974/1975 the aircraft was restored at RAF StAthan and in 1978 it went on permanent display in the Battle of Britain Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 22-3-2015 Date 22 March 2015, 10:20 Source Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は,Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London, File:Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) (16538286174).jpg引用。


写真(右)2016年8月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型:機首には大型のFuG 220 リヒテンシュタイン SN空対空レーダーを搭載している。レーダーを奪取したイギリス軍は、レーダー妨害の同じ周波数(切替式)の無線、チャッフ(錫拍レーダー攪乱)、レーダーホーミングなどの対応を進めて、夜間電子戦を優位に展開することができた。
Description English: Junkers Ju 88 360043 - some maintenance going on Date 18 August 2016, 13:01:23 Source Own work Author Jonathan Cardy
写真は,Category:Junkers Ju 88R at RAF Museum London, File:Junkers Ju 88 360043 (sans engines).jpg引用。



写真(上)2016年8月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型の右エンジン取り付け部。防火壁と機首下面
:エンジン取り付け部の防火壁、エンジンナセルに収まるゴム主輪降着装置、ゴンドラ下面の20mmMG-FF機関銃2挺が見える。左は、メッサーシュミットMe 110夜間闘機G型の尾部。ともにメインテナンス修理中である。
English: Junkers Ju 88 360043 - some maintenance going on Date 18 August 2016, 13:02:06 Source Own work Author Jonathan Cardy
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Junkers Ju88R-1 (50108507628).jpg引用。


ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。


写真(右)2016年5月、イギリス、バーミンガム郊外、コスフォード・イギリス空軍博物館(RAF Museum)に展示されているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju88夜間戦闘機R-1型の右側BMW801D空冷星形14気筒エンジン(1700hp)
:エンジン取り付け部の防火壁、エンジンナセルに収まるゴム主輪降着装置、ゴンドラ下面の20mmMG-FF機関銃2挺が見える。左は、メッサーシュミットMe 110夜間闘機G型の尾部。ともにメインテナンス修理中である。
The RAF Museum chose to celebrate the 100th Anniversary of the service by dismantling and closing the museum dedicated to its finest hour, the Battle of Britain Museum. Every cloud has a silver lining, however, and during May 2016 the aircraft were in a part dismantled state, allowing for some interesting photos. Landed undamaged at Dyce, Scotland, on 9th May 1943 when the crew defected. The aircraft was escorted to the airfield by two Spitfire VBs from 165sqn. This was quite a coup as this was the latest German night-fighter type. Within five days it had been flown to Farnborough and given British markings and the serial ‘PJ876’. An extensive series of tests and evaluations followed, ending in April 1944 when the aircraft joined No1426 (Enemy Aircraft) Flight, based at RAF Collyweston. When the unit disbanded in January 1945, the aircraft joined the Central Fighter Establishment at Tangmere, before being allocated to a maintenance unit in October 1945. Between then and 1974 it remained in store other than very occasional static appreances at public events. In 1974/1975 the aircraft was restored at RAF StAthan and in 1978 it went on display in the Battle of Britain Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016 Date 28 May 2016, 09:35 Source Starboard engine of Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Starboard engine of Junkers Ju88R-1 ‘360043’ (PJ876) (32733014980).jpgpg引用。



7.ドルニエ(Dornier)Do-17夜間戦闘機

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第1夜間戦闘航空団のドルニエDo-17夜間戦闘機:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備しているが、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーは装備していない。
Permann_20 069 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


引込み脚の高速爆撃機として制式になっていたドルニエDo-17爆撃機の機首をソリッド化し、前方固定機関銃を搭載して火力を大幅に強化化したのが、発展型Do-17Z夜間戦闘機である。ソリッド化された機首に、機上搭載型リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーまだ完成していないので、Do-17夜間戦闘機に装備されてていなかった。兵装は当初は機首下面に20mmMG FF機関銃1挺、後期型は20mmMG151/20機関銃4挺、さらに機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備。

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第1夜間戦闘航空団のドルニエDo-17夜間戦闘機の後方:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備しているが、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーは装備していない。
Permann_20 071 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ドルニエDo 17 爆撃機Z最終型をベースとして開発されたのが、Do-17「カウツ」Z-7夜間戦闘機である。強力な前方固定火力を擁したために、爆弾搭載量は最低限に抑制された。ただし、.されたエンジンはブラモで爆撃型と同じだったために、エンジン出力が過少で、最高速力は遅かった。しかし、中高度での戦闘、および少量の爆弾を搭載しての飛行場奇襲攻撃には適していた。コックピット後上方の銃座には、7.92mmMG15旋回機関銃1挺を装備した。

写真(右)1940-1942年頃,偽装網で覆われた掩体壕に待機しているドイツ空軍第1夜間戦闘航空団のドルニエDo-17夜間戦闘機:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、20mmMG-FF機関銃、7.92mmMG17機関銃3挺を装備しているが、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) 空対空レーダーは装備していない。
Permann_20 071 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-17Z夜間戦闘機を見る。


8.ドルニエ(Dornier)Do-217夜間戦闘機

写真(右)1941-1943年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機J型:夜間戦闘用の全面黒色塗装を施している。機首には、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを装備。
Permann_20 077 AI Gadgets Album Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


引込み脚の高速爆撃機として採用されたDo-17爆撃機を大型化しエンジンをBMW801空冷星形14気筒エンジン1700hp2基に強化したのが、発展型Do-217で、その機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。機首に、リヒテンシュタイン(Lichtenstein) FuG 202 空対空レーダーを搭載し、兵装は当初は機首下面に20mmMG FF機関銃4挺、後期型は20mmMG151/20機関銃4挺、さらに機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備。

写真(右)1941-1943年頃,飛行中のドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機J型:Do-17爆撃機の発展型Do-217の機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。エンジンは、強力なダイムラーベンツDB603疫癘12気筒エンジン1900hp2基、機首を短銃身の20mmMG-FF機関銃4挺から長銃身20mmMG151/20機関銃4丁に強化した試作型。機首上面には7.92mmMG17機関銃4丁を装備。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


写真(右)1943-1944年頃,ドイツ空軍ドルニエDo-217夜間戦闘機N-2型:Do-17爆撃機の発展型Do-217の機首をソリッド化して、夜間戦闘機とした。エンジンは、強力なダイムラーベンツDB603疫癘12気筒エンジン1900hp2基、機首に20mmMG151/20機関銃3丁、7.92mmMG17機関銃4丁を装備。
Permann_20 075 AI Gadgets Album Dornier 217 E-1 rebuilt as the first 217 N-2 Scanned image from the Permann Collection from the "AI Gadgets" album--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do-217N/J夜間戦闘機を見る。


9.ユンカースJu-88派生型の地上襲撃機P型

写真(右)1943年頃,ユンカースJu 88爆撃機A型を改修したJu88対戦車襲撃機P-1型の試作機:機首のガラス風防のガラスを撤去して、金属板で覆って、胴体下面に巨大なポッドを設けて、7.57センチ機関砲1門を搭載した。発射速度は、遅かったが、上空から戦車の防御力の弱い車体上面を砲撃する。しかし、エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)だったために、重量超過と空気抵抗の増大によって、飛行性能は大幅に低下した。
Junkers Ju 88P-4 Nowarra collection PictionID:44220249 - Title:Junkers Ju 88P-4 Nowarra collection - Catalog:16_005440 - Filename:16_005440.TIF
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220249引用。


写真(右)1943年頃,ユンカースJu 88対戦車襲撃機P-1型:機首のガラス風防は撤去してソリッド化し、胴体下面に巨大なポッドを設けて、7.5センチ砲を搭載した。エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)だったために、重量超過と空気抵抗の増大によって、飛行性能は大幅に低下した。
Ray Wagner Collection Image Junkers Ju 88P-1 Nowarra collection PictionID:44220224 - Title:Junkers Ju 88P-1 Nowarra collection - Catalog:16_005438 - Filename:16_005438.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44219900引用。


写真(右)1943年頃,ユンカースJu 88対戦車襲撃機P-2型:機首のガラス風防は撤去してソリッド化し、胴体下面に巨大なポッドを設けて、3.7センチ機関砲2門を搭載した。発射速度は、7.5センチ砲より遥かに早く、2門の機関砲の威力は十分だった。しかし、エンジンは、ユモJumo211液冷12気筒エンジン(1350馬力)だったために、重量超過と空気抵抗の増大によって、飛行性能は大幅に低下した。
Junkers Ju 88P-2 Nowarra collection PictionID:44220236 - Title:Junkers Ju 88P-2 Nowarra collection - Catalog:16_005439 - Filename:16_005439.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220236引用。



10.ユンカースJu-88高速爆撃機S型/T型

写真(右)1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu88高速爆撃機/偵察機S-1型:エンジンは、BMW 801 G-2空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に強化して、機首前面のダイヤモンド型平面ガラス風防を曲面ガラスの小型のものと、コックピット後方の銃座を1カ所として、風防の突出部を平滑化して、空気抵抗を減らした。しかし、機首下面のゴンドラも撤去した。最高速力はA型の470km/hから610km/hに100キロも向上したが、出現した1944年には、決して高速とはいえなくなっていた。爆撃機として数をそろえることもできず、高速長距離写真偵察機として活躍した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220286 - Catalog:16_005443 - Title:Junkers Ju 88S-1 Nowarra collection - Filename:16_005443.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220286引用。


写真(右)1944年頃、ドイツ西部戦線、ドイツ空軍第66爆撃航空団(KG56)第1飛行隊所属の迷彩塗装を施したユンカースJu88高速偵察機S-3型:ユモJumo 213A液冷倒立12気筒エンジンに緊急出力増幅装置GM-1を使用して、短時間なら最大 2,240馬力を発揮できた。Ju88爆撃機A-4型のようなコクピット後方の風防に機銃座の膨らみは、空気抵抗を増加させるために、平滑化された。発動機強化にも拘わらず、最高速力は630km/h程度で、イギリス空軍デハビラント「モスキート」偵察爆撃機に比較すると40km/h以上も遅かった。
Collectie Losse Fotografische Objecten Objectnummer 2000-644-001 Beschrijving Een Junkers Ju 88 van I./Kampfgeschwader 66 (KG 66) taxiet naar de startbaan op Vliegveld Welschap. Plaats Welschap Plaats Geonames Welschap, Gemeente Eindhoven, Netherlands Datering van 1944-08-30 Datering tot 1944-09-05 Trefwoorden Junkers Ju88, Kampfgeschwader 66, Luftwaffe, Vliegbasis Eindhoven, vliegvelden, bezetting 1940-1945, Tweede Wereldoorlog Materiaalsoort Ontwikkelgelatinezilverdruk. 写真はオランダ国防省,Minister van Defensie,2000-644-001引用。


写真(右)1944-1945年頃,西部戦線(?)、ドイツ空軍ユンカースJu-88高速偵察機:オリジナル解説ではJu 88複座練習機A-12型というが、機種前面風防が曲面化され、コックピット後方にも機銃座のバルジがないので、A-4型以降の後期型ではない。搭載しているが ユモJumo 213A液冷倒立12気筒エンジンであれば、ユンカースJu88 S-3高速偵察機である。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:44220101 - Catalog:16_005428 - Title:Junkers Ju 88A-12 Nowarra collection - Filename:16_005428.TIF
写真は,SDASM Archives・PictionID:44220101引用。


写真(右)1943年頃,ドイツ空軍ユンカースJu88高速長距離偵察機T-1型:エンジンは、BMW 801G-2空冷星形14気筒エンジン(1700馬力)に強化したS型は乗員4名だったが、それを乗員3名に減らして重量軽減を図ったのが、Ju 88高速長距離偵察機T型。Ju 88 T-1は、Ju 88 S-1の三座型だが、爆弾倉は燃料タンクと緊急出力用のGM-1の燃料タンクに改修されている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:44220286 - Catalog:16_005443 - Title:Junkers Ju 88S-1 Nowarra collection - Filename:16_005443.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220286引用。


ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。

したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。当時の主力爆撃機はドルニエDo-17とユンカースJu87だった。

対するポーランドの航空兵力は,自国設計・国内生産の機体も含めて、第一線機900機(爆撃機150機,戦闘機315機,偵察機325機,海軍機50機など)だった。これは、当時の小国としては、強力な空軍力であり、イギリス、フランスは、士気の低いソ連軍よりも、勇敢なポーランド軍の方を同盟相手として選ぶことになった。イギリスもフランスもポーランドの独立を保証する順次協定を結び、これを破ってポーランドに侵攻したドイツに対して最後通牒を告げ、宣戦布告をしたのである。

ポーランド軍機は,果敢に攻撃をかけてきたが,ドイツ軍に撃退された。部品,燃料に不足をきたし,稼動機数は急速に低下した。

ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協のの主力となる単発急降下爆撃機だった。

1940年7月のバトルオブブリテンの開始の時、ドイツ空軍の対イギリス船の戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。ヘルマン・ゲーリングは、対フランス戦勝によって元帥となったが、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーだった。バトルオブブリテンは、ドイツ空軍では「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、都市爆撃、夜間爆撃が行われるようになった。

搭載予定のダイムラー・ベンツDaimler-Benz DB601Aエンジンが完成せず,ユンカースJumo211エンジンを搭載。
Messerschmitt Me 109 Bは,1937年のスペイン内乱において,ドイツのコンドル軍団に配備,派遣された。二機編隊ロッテを2組合わせた四機編隊シュワルムによる集団一撃離脱戦術を生み出した。兵装は7.92ミリMG17機銃4丁と貧弱に見えるが、これは当時の標準(2丁)以上の装備である。第二次欧州世界大戦にBf109DあるいはE型に改良された。航続距離が短いことや主脚幅が狭くエンジンが強力なために,未舗装滑走路における地上安定性は良くなかった。

写真(右)1943年11月22日、ノルウェー、イギリス空軍第333飛行中隊に襲撃され、海面に落ちてゆくイツ空軍ユンカースJu88高速偵察機S型。;高解像度の原版を拡大すると、ユモJumo211F 12気筒液冷エンジン(1400馬力)でなく、BMW801空冷星形12気筒エンジン(1700馬力)を搭載し、機首のガラス風防は、ダイヤモンド型ではなく、丸みを帯びた曲面ガラスであることが分かる。
En Junkers Ju 88 er blitt angrepet og truffet av 333 skvadronen med fenrik Eriksrud bak spakene, og er i ferd med å nødlande i sjøen, 22. november 1943. Identifier: FMU.402467 Part of collection: FMU Owner of collection: Forsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published: March 17, 2014 Date updated: March 17, 2014 DIMU-CODE: 011012731318 UUID: 30603523-5A6F-4BA1-BE7C-C342517EBBAB
写真はForsvarets museer ・Identifier: FMU.402467 引用。


写真(右)1945年2月22日、イギリス、ノースハンプシャー、イギリス軍に鹵獲されているドイツ空軍ユンカースJu-88S-1高速爆撃機と第10高速爆撃航空団第1飛行隊(I/SKG10)所属だったフォッケウルフ(Focke Wulf)Fw 190A-5/U8戦闘爆撃機:このフォッケウルフFw 190A-5/U8戦闘爆撃機は、1943年6月20日、ロンドン夜間空襲に向かった第10高速爆撃航空団第1飛行隊(I/SKG10)の所属で、方位を見失ってケント州(Kent)マンストン(Manston)に誤着陸して,イギリス軍に鹵獲された。このユンカースJu-88S-1高速爆撃機(TS472)は、1944年9月、フランス、パリ北14キロのヴェリジー=ヴィラクブレー(Villacoublay)で鹵獲された機体。
ROYAL AIR FORCE FIGHTER COMMAND, 1939-1945. Object description Aircraft of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945. Focke Wulf Fw 190A-5/U8, PN999, undergoes an engine service while airmen re-paint the wings of Junkers JU 88S-1, TS472. PN999 was formerly WNr. 152596 'White 6' of I/SKG10, flown by Uffz. Werner Ohne who became lost while flying a night fighter-bomber operation to London and landed by mistake at Manston, Kent, on 20 June 1943. No. 1426 Flight collected PN999 from the Royal Aircraft Establishment at Farnborough, on 29 June 1943, after it had undergone tests at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment,Boscombe Down, Wiltshire. TS472 was captured intact at Villacoublay near Paris in September 1944 and was delivered directly to No. 1426 Flight, with whom it undertook some local flying in January 1945. Both aircraft were eventually passed to No. 47 Maintenance Unit at Sealand for storage in November 1945. Label A Focke Wulf Fw 190 and Junkers Ju 88S of No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight RAF at Collyweston, Northamptonshire, 22 February 1945. Creator Goodchild A (Fg Off) Royal Air Force official photographer Catalogue number CH 15610 Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (CH 15610)引用。


Trop型とは熱帯仕様の略称で、空中や飛行場では砂塵が舞い上がっているが、航空機が砂塵をエンジン過給機の空気取入れ口から吸い込んでしまうと、エンジン内部の故障、不調の原因になる。そこで、飛行場や低空で砂塵を吸い込まないように、過給機用の空気取り入れ口(エアインテーク)に砂塵侵入防止フィルターを装着、その円筒側面から空気を取り入れた。ただし、高空では砂塵の心配はなく、エンジンの全力可動のためには、エアインテークの正面から空気を取り込むほうが都合がよい。そのために、インテーク前面は、開閉式となっていた。低空では閉鎖し、フィルター円筒の側面から吸気し、高空ではインテーク正面の取入れ口から空気を取り込むのである。

⇒写真集Album:ユンカースJu 88 S高速爆撃機を見る。


11.Ju88発展型のユンカースJu188爆撃機

写真(右)1943年頃,機首を大型化したドイツ空軍ユンカースJu188爆撃機E-1型:オリジナル解説にはJu188D-1となっているが、エンジンは、BMW801空冷星形14気筒エンジン(1500-1700馬力)で、ユモJumo213液冷12気筒エンジン(1750馬力)ではないので、D型ではない。無武装だが、量産型では機首、コックピット上方、機首下面に旋回機銃を装備することになる。
Junkers Ju 88B-0 Nowarra collection PictionID:44220163 - Title:Junkers Ju 88B-0 Nowarra collection - Catalog:16_005433 - Filename:16_005433.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives's photos・PictionID:44220163 引用。


ユンカースJu88爆撃機の改良型Ju 88 B試作1号機V1(D-AUVS)は、Ju88A爆撃機のJumo211液冷エンジンをBMW 801A/B空冷エンジンに変換し、出力を強化した。Ju88爆撃機A型の胴体はそのまま流用し、発動機をBMW 801空冷星形14気筒エンジンは1,500馬力に変換された。初飛行は、1940年前半で、この試作機の胴体はという高出力の為、かなりの重量物を搭載して飛行が可能だったが、Ju88爆撃機は、胴体爆弾倉がもとから小さく、主翼に大型爆弾を搭載していたため、主翼のエンジン外側にも爆弾ラックを取り付けることが考慮された。

⇒写真集Album:ドイツ空軍ユンカースJu188爆撃機/偵察機を参照。


12.排気タービン装備のユンカースJu388高高度爆撃機/偵察機


写真(右)1945年、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカースJu 388高高度爆撃機K-1型の左前側面
:BMW801空冷星形エンジン(1700馬力)に排気タービン過給機を搭載し、主翼スパンを延長して、与圧型のコックピットを備えた高高度爆撃機。胴体下面に張り出しバルジが設けられており、爆弾倉開閉扉も見えている。主翼下面の懸架ラックは、空気抵抗減少のために撤去された。尾部銃座は、操縦席後方のペリスコープを見て遠隔操作する動力銃座で13.1ミリMG131機関銃2丁を搭載していたが、本機では撤去されている。
Description English: Junkers Ju 388L-1 Postwar image of captured Junkers Ju 388 wearing the USAAF Foreign Evaluation sign FE-4010. Source U.S. Army Air Force Foreign Evaluation official photography, Freeman Army Air Field Author likely H. G. Martin.
写真はWikimedia Commons,Category:Junkers Ju 388・File:Junkers Ju 388L-1.jpg引用。


ドイツ空軍ユンカースJu 388高高度偵察L-1型は、BMW801空冷星形エンジン(1700馬力)に排気タービン過給機を搭載し、Ju388高高度偵察機の動力とした。胴体下面の木製大型爆弾倉は、増加燃料タンクを収納して、航続距離を伸ばした。

⇒写真集Album:ドイツ空軍(ルフトバッフェ)ユンカースJu388高高度爆撃機/偵察機を参照。


13.イタリア空軍フィアット(Fiat)BR.20爆撃機チコーニャ

フィアット(Fiat)BR.20 フィアット(Fiat)BR.20は、1936年2月10日に初飛行、全金属製、引き込み式降着装置を備え、防御用火力も強力な爆撃機で、1930年代中頃の時点では、最新鋭の高性能機といえる存在だった。後に、日本陸軍もBR.20爆撃kを100機近く購入し、「イ式重爆」として制式し、1937年7月から始まった日中戦争に投入している。

⇒写真集Album:フィアット(Fiat)BR.20を見る。


14.イタリア空軍サボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.79爆撃機

サボイア・マルケッティSM-79(Savoia Marchetti SM.79)三発爆撃機の諸元
初飛行:1934年9月28日
乗員Crew: 6名
全長Length: 16.2 m
全幅Wingspan: 20.2 m
全高Height: 4.1 m
主翼面積Wing area: 61.7 m2
空虚重量Empty weight: 7,700 kg (16,976 lb)
総重量Gross weight: 10,050 kg (22,156 lb)
発動機Powerplant: 空冷星形9気筒アルファロメオ(Alfa)128 R.C.18 エンジン 860馬力(642 kW)
プロペラPropellers: 3翅可変ピッチ

最高速力Maximum speed: 460 km/h (290 mph, 250 kn)/高度3,790 m (12,430 ft)
航続距離Range: 2,600 km (1,600 mi, 1,400 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
火器Guns: 12.7 ミリ (0.5 in) ブレダ(Breda-SAFAT)前方固定機関銃1丁(コックピット上部)
12.7ミリ(0.5 in)ブレダ(Breda-SAFAT)旋回機関銃2丁(後上方・後下方)
7.7 ミリ (0.303 in)機関銃2丁(胴体左右側方)
爆弾Bombs: 爆弾倉 1,200 kg (2,645 lb)
生産期間:1936-1943年
総生産機数: 1218機

⇒写真集Album:サボイアマルケッティSM-79三発爆撃機を見る。


15.イタリア空軍カント(CANT)Z.1007アルシオーネ (Alcione)爆撃機

カント(CANT)Z.1007 カントCANT Z.1007bis爆撃機の諸元
乗員rew: 5名
全長Length: 18.35 m (60 ft 2 in)
全幅Wingspan: 24.8 m (81 ft 4 in)
全高Height: 5.22 m (17 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 70 m2 (750 sq ft)
空虚重量Empty weight: 9,396 kg (20,715 lb)
最大離陸重量Max takeoff weight: 13,621 kg (30,029 lb)
発動機Powerplant: ピアジオ(Piaggio) P.XI R.C.40空冷星形14気筒エンジン745 kW (999 hp)2基
最高速力Maximum speed: 458 km/h (285 mph, 247 kn)
航続距離Range: 1,795 km (1,115 mi, 969 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 7,500 m (24,600 ft)
兵装Armament
12.7 mm (0.5 in) イソッタ=スコッチ(Isotta-Fraschini Scotti)機関銃あるいは12.7 mm (0.5 in)ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
7.7 mm (0.303 in) ブレダ(Breda)-SAFAT機関銃2丁
爆弾搭載量Bombs: 2,200 kg (4,900 lb) 爆弾倉と外装の合計.
45cm(17.7 in) 800 kg (1,800 lb)魚雷2本.
生産期間:1938–1943年.
生産機数:660機

⇒写真集Album:カント(CANT)Z.1007アルシオーネ (Alcione)爆撃機を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機



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