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◆ハインケル(Heinkel)He280試作ジェット戦闘機
写真(上)1945年5月以降、ドイツ降伏後、アメリカ進駐軍が発見したハインケル(Heinkel)He 280 V-7戦闘機試作7号機
;1941年3月30日、ジェットエンジンによる初飛行に成功。双尾翼にナチ党スワスチカが記入。後方には、アラドAr234ジェット双発爆撃機の残骸が置かれている。
heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45 pictionid73791618 - title-heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45 - catalog0100094353 - filename-heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45-.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081309引用。


0.エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)

図(右)1982年作成、ドイツ、ハインケル(Heinkel)教授のポートレット画;スペイン内戦に活躍したハインケルHe-111爆撃機と第二次大戦末期に部隊配備されたHe-162ジェット戦闘機が背景に描かれているが、どちらも第二次世界大戦の軍用機である。
Heinkel, Dr. Ernst Hall of Fame Portrait 1982
Catalog #: BIOH00212 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst -
写真は,SDASM Archives Catalog #: BIOH00212引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)略歴
生誕日:1888年1月24日
生誕地:グルンバッハ(Grunbach)
死没日:1958年1月30日(70歳)
死没地:シュトゥットガルト(Stuttgart)

学歴:シュトゥットガルト工科大学(Technischen Hochschule Stuttgart)
専門:航空技術
学位・資格:博士・教授
勤務先:LVG社、アルバトロス社、ハインケル社

業績
世界初のロケット機He176の初飛行(1939年6月20日)
世界初のジェット機He178の飛行(1939年8月27日)

エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

  写真(右)1931年、ドイツ北東部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)、ハインケル航空機工場のエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)と技師
Flugzeugbau Ernst Heinkel
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Darstellung: Heinkel, Ernst Zusammenhang: Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde
Location: Rostock, Rostock-Warnemünde
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0006593引用。


第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデ (Warnemünde) にハインケル航空機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。

ヴァーネミュンデのハインケル工場は、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで、秘密裏に軍用機でも開発できるという利点があった。この軍用機は、空軍を禁じられたドイツ向けというより、外国への輸出販売用だった。

写真(右)1938年10月11日、ドイツ、ベルリン郊外ポツダム、リリエンタール社で宴会中のドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット少将、ドイツ航空省次官エアハルト・ミルヒ大将、ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)を飾ったエルンスト・ハインケル教授(左から):オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal:1848-1896)は、アメリカのライト兄弟に先んじるドイツ航空界のパイオニアで、グライダーによる滑空飛行を実現させた。
Title Potsdam, Udet, Milch, Heinkel Info non-talk.svg
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Gentleman evening at the Lilienthal company in potsdam Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Milch, Erhard: Generalfeldmarschall, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland Udet, Ernst: Generalluftzeugmeister, Generaloberst, Ritterkreuz, Luftwaffe, Orden Pour le mérite, Deutschland
Depicted place Potsdam Date 11 October 1938
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-H13535, Potsdam, Udet, Milch, Heinkel.jpg引用。


ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月16日、ベルサイユ条約の軍事制限条項を破棄して、ドイツ再軍備宣言した。その直後の1933年5月、ドイツ国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルクは、第一次大戦と同様だった陸軍航空隊を1933年4月設立の航空省に移管し、それまで民間スポーツ機などの名目で保有していた航空機も併せてドイツ空軍(Luftwaffe)を設立した。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):エルンスト・ハインケル航空機工場のトップとして大活躍した。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246185
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050035引用。


1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。

ドイツ空軍は、航空大臣ヘルマン・ゲーリングの下、航空省次官エアハルト・ミルヒが編成・生産の実務を担当したが、航空省とドイツ空軍は事実上、一体化することになった。エルンスト・ウーデットが航空省技術局長に就任したのは、翌年1936年6月である。 1936年には、ラインラントの無武装地帯に武力進駐を強行し、同年に勃発したスペイン内戦に反乱側フランコ将軍支援の陸・空軍兵力を派兵している。

特に、1937年4月26日のゲルニカ空襲には、無差別爆撃として悪名高い。ドイツ・コンドル軍団によるゲルニカ爆撃には、主力ユンカースJu52爆撃機のほかに、ハインケル He111爆撃機、ハインケルHe51戦闘機も攻撃に投入されている。

写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):楕円型の曲面主翼、細長胴体の高速旅客機・郵便機として開発され、1932年12月1日に初飛行。楕円主翼は曲線構造で、製造の手間がかかったが、飛行性能を向上させるとしてあえて採用された。
Datensatz 70246184 Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur. Foto: Eschen, Fritz
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050034引用。


1922年、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、ドイツ北部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)に、ハインケル航空を設立した後、ベルサイユ条約の航空兵器保有禁止の条項をかいくぐるために、対岸のスウェーデンで軍用機の開発を行った。この高性能水上偵察機は、日本海軍の注目するところとなった。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)航空機工場は、1922年にドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)に設立された。ここでは、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機を開発している。日本は、第一次大戦の戦勝国だったが、敗戦国ドイツから鹵獲した兵器・飛行機に注目して、再審議医術の取得に熱心だった。

当初、日本は、特許やライセンスに無頓着に、技術を模倣して取り入れていたが、そのうちライセンス料をようになった。のして、日本陸海軍が同じダイムラーベンツDB601液冷エンジンのライセンスを取得するのに、陸海軍が別個にライセンス料を支払うという無定見ぶりを発揮している。

写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):孫娘と一緒の写真かと錯覚してしまう。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246186
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050037引用。


1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1938年ニュルンベルク開催のナチ党大会では、ハインケルに対して、国家芸術科学賞が授与されており、軍需生産に依存したハインケル航空工場の繁栄がもたらされた。
1958年1月30日逝去。

 ハインケルは、1932年9月にHe70高速輸送機を初飛行させ、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したハインケルHe111を爆撃機として採用させ、さらにハインケルHe51複葉戦闘機の量産をも受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長していった。

1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機He60水上偵察機などを採用された。これらの軍用機は、特に斬新な設計ではなく、性能も平均的なものだったが、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル航空機工場は、軍需を得て航空機メーカーとして、順調に資本形成を進めることができた。そして、工場の拡張によって飛行機製造能力も高まったのである。

写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):遊具に乗った娘とキスするハインケル博士(1888-1958)。
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,© SLUB / Deutsche Fotothek / Eschen, Fritz ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050039引用。


1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

 ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケルHe51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

第二次大戦前に、ハインケルHe112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。この理由は、飛行性能的に若干劣っていたこと、量産性に難点があったことであるが、エルンスト・ハインケルがナチ党やヒトラーとの相性が悪かったことも指摘されている。ただし、このようなハインケルの自由闊達な性格がもたらしたナチ党全体主義・反ユダヤ主義への嫌悪といったものは、戦後になって自著で述べられている。しかし、ハインケルは、1930年代から1945年までナチ党への追随的行動をとって、飛行機開発を進め、利益を得ていた。

写真(右)1940年頃、自ら設計した新品のハインケルHe111爆撃機H/P型を背景にしたエルンスト・ハインケル教授は、スーツ左襟のフラワーホールにスワスチカ卍のナチ党徽章(党員バッチ)を付けている。エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士の後方には、機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型が控えている。
Beeldnummer 44748 Collectie NIOD
Trefwoorden Luftwaffe, Gevechtsvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Formatie Heinkel 111, gevechtsvliegtuigen.
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44748 引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。アドルフ・ヒトラーの唱える国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党:NSDAP)に入党した。ハインケルは、自伝によればスピード感に陶酔しており、スピードへの追及に熱心で、He70高速輸送機のような凝った設計の高速機を開発した。He70高速輸送機は、1932年にドイツ・ルフトハンザ航空に採用されている。

写真(右)1941年7月11日、ドイツ、ハインケル航空機工場(?)、背広左襟フラワーホールにスワスチカ卍のナチ党員バッチを付けたエルンスト・ハインケル教授と技師のジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter: 1899-1969):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)は双子の兄弟でやはりハインケルの技師だった。
Title Ernst Heinkel, Siegfried Günter Info non-talk.svg
II. Weltkrieg 1939-45 Rüstungsindustrie im faschistischen Deutschland, Juli 1941 Der Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel (r.) überprüft und verändert die Konstruktionszeichnung eines Mitarbeiters.
Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Günter, Siegfried: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Date July 1941
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-1982-1022-509, Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel.jpg引用。


双子の兄弟ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)もドイツ航空省の飛行技師だった。1931年にエルンスト・ハインケル航空機工場に入社したギュンター兄弟は、ドイツ北東部バルト海沿岸ロストック、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル工場で、He51複葉戦闘機、He70高速輸送機、He111旅客輸送機、He112戦闘機などハインケルの代表的な飛行機を設計した。

ヴァルターは、1937年9月21日に交通事故で死亡。その後、ジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter)は、He100戦闘機、He176ロケット機、He178ジェット機、He280ジェット機の設計に加わっているが、いずれも試作実験機のみである。また大量生産が決まった国民戦闘機He162ジェット戦闘機も、戦局悪化、終戦によって少数の量産に終わっている。

  写真(右)1941年8月9日、ハインケルHe111爆撃機の模型を子供に見せているエルンスト・ハインケル教授:機首の段なし大型ガラス風防のハインケルHe111爆撃機H/P型の模型。
Beeldnummer 44741 Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Kinderen, Vliegtuigen, Speelgoed
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Model He 111 Ein grosser und zwei kleine Heinkel. Doch dies und das gibt's zu erkunden, (Für manches ist die Hand zu klein). 'Ach wer das Flugzeug hat erfunden, Der muss doch schrecklich tüchtig sein!'
Datum 09/08/1941
写真はBeeldbank WO2: Beeldnummer 44741 引用。


1933年1月末、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)アドルフ・ヒトラー総統がドイツ首相に任命され、その後の国会議事堂放火事件、大統領緊急令、全権委任法の成立によって、ナチ党独裁政治が始まった。密かにドイツ再軍備が実行に移され、ドイツ向けの軍用機を開発するようになった。

  写真(右)1941年頃、ドイツ、自ら設計したハインケルHe111Hを飛行士とともに視察するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士[中央](1888-1958):エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるので装備した発動機はユモJumo211液冷エンジンでHe111H型が装備した。他方、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンはインテークが右側にあり、これを装備したのがHe111P型である。
Perma_000757 Permann Collection Image
Ernst Heinkel, Famous Nazi Plane Designer --Perman Collection Image
Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。

ハインケル(Heinkel)He111P爆撃機の発動機は、単発のメッサーシュミットBf109戦闘機、双発のBf110駆逐戦闘機と同じダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンを搭載した。

しかし、ダイムラーベンツDB601液冷エンジンは、戦闘機専用として優先配備することになり、代替策として、より大型で重いユモ(Jumo)211液冷エンジンに換装したHe111H爆撃が開発、量産された。

ハインケル(Heinkel)He111Pでは、DB601エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるのに対して、He111Hでは、ユモJumo211エンジンの右側にインテークがあるので、両者の区別は可能である。

⇒写真集Album:ハインケルHe 111爆撃機を見る。



写真(右)1942年4月24日、ドイツ、自ら開発したハインケルHe115 水上偵察機をバックにした教授エルンスト・ハインケル博士(Professor Dr. Ernst Heinkel);He115の搭載したBMW132空冷星形9気筒エンジンと3翅プロペラが背後に見える。
Collectie NIOD
Trefwoorden Duitsers, Luftwaffe, Oorlogsindustrie, Vliegtuigen, Portretten
Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany
Personen Heinkel, Ernst
Bijschrift Professor Heinkel zum Pionier der Arbeit ernannt. Auf Grund seiner hervorragenden Leistungen auf den Gebiet des deutschen Flugzeugbaues wurde Professor Ernst Heinkel, der Schöpfer zahlreicher unübertroffener Flugzeugtypen vom Führer zum Pionier der Arbeit ernannt. Professor Dr. h.c. Ernst Heinkel vor einen seiner Kampfflugzeuge, der He 115.
Type Foto
Datum 24/04/1942 Datum type Opname
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 29482引用。


1935年にドイツ再軍備宣言が出され、その直後にドイツ空軍が設立されてからは、ハインケルは、He 59複葉戦闘機、ハインケルHe-115双発水上偵察攻撃機、ハインケルHe111双発爆撃機などを開発し量産した。そして、これらの期待は、スウェーデン、スペインなどでも採用され、輸出や外国製造ライセンス料の収入をもたらした。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、振動力のジェット・エンジンにも注目し、世界初となるターボジェット搭載のジェット実験機ハインケル He178を完成させ、1939年8月27日にジェット初飛行に成功した。これは、エルンスト・ハインケル博士によれば、スピードへの陶酔の発露であるが、高度の軍事技術への関心の大いにあったはずだ。

実際、ハインケルの開発した世界初のジェット機ハインケル He178の初飛行は、第二次世界大戦の始まる5日前だった。しかし、ドイツ空軍は、ジェットエンジン無しでも戦争は勝利できると過信しており、このハインケルHe178には実用性がないと考え注目しなかった。ジェットが実用化されたのは、1943年末だったが、実際にハインケルにジェット戦闘機He162の量産が始まったのは、1945年に入ってからだった。

ハインケルは、ベルリン郊外のドイツ飛行機工場(Luftverkehrsgesellschaft m.b.H. :LVG) に入社したが、この工場が、ファルマン(Farman)機の製造を始めたのは入社時の1912年だった。その後すぐにアルバトロス航空機工場(Albatros Flugzeugwerke)に移り、アルバトロス(Albatros)B.II複葉偵察機の設計にかかわったが、これは1913年の第一次大戦勃発前年のことだった。1914年の第一次世界大戦のときは、アルバトロスを出て、ハンザ・ブランデンブルク(Hansa-Brandenburg)で、水上機などを設計した。


Ernst Heinkel - Ein Pionier der Luftfahrt - Aufnahmen der Typen He 70, 100, 111, 178, 28
2,756 回視聴 •2018/09/26

 第二次大戦中のハインケルは、、ヴァーネミュンデWarnemünde)で旧式化したHe111爆撃機を量産し続け、失敗作となったHe177四発重爆撃機を制式させ量産を開始し、さらに国民戦闘機He162ジェット戦闘機の第量産の準備を進めるなど、ドイツ政府、空軍との関係は終始良好だったのである。他方、空軍幹部の無理解で採用されなかったHe280ジェット戦闘機、ミルヒの横やりで200機の生産に留まったHe219夜間戦闘、など不遇な傑作機といえる機体もあり、ハインケルの評価は難しいことも確かである。

⇒写真集:飛行機屋エルンスト・ハインケル教授を見る。


1.Bf109に敗れたハインケル(Heinkel)He 112/He100戦闘機

写真(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He-112V-4戦闘機の試作4号機;He-112V-4戦闘機のコックピットは、開放式で、He-70輸送機と同様にかるい逆ガル楕円翼を採用し1935年9月に初飛行した。
Ray Wagner Collection Image
- Catalog:16_005278 - Title:Heinkel He 112V-4 Nowarra photo - Filename: 16_005278. TIF -- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43935824 引用。


1933年1月末に首相に任命されたヒトラーは、ベルサイユ条約を反古にして航空省を空軍省に軍事化すべく、旧式化するのが明白だったハインケルHe51複葉戦闘機を、金属製で単発単葉、引込み式降着装置の高速戦闘機に更新しようと、新戦闘機の開発をドイツの航空機工場に要請した。この試作要請に応えて完成した有力候補が、1935年に完成した低翼のハインケルHe112とメッサーシュミットBf109だった。He112は、He70単発高速輸送機から引き継いだ逆ガル楕円翼を採用していた。Bf109よりも主脚の間隔を広くとり、地上安定性が良かった。

ハインケル He 112 A-0 V4戦闘機の諸元

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring): 第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。

乗員Crew: 1名
全長Length: 9 m (29 ft 6 in)、全幅Wingspan: 11.5 m (37 ft 9 in)、全高Height: 3.7 m (12 ft 2 in)
主翼面積Wing area: 23.2 m2 (250 sq ft)
空虚重量Empty weight: 1,680 kg (3,704 lb)
最大離昇重量Max takeoff weight: 2,230 kg (4,916 lb)
発動機Powerplant: 1 × Junkers Jumo 210Da V-12液冷」ガソリンエンジン 514 kW (689 hp)
プロペラPropellers: 3翅(bladed)可変ピッチ(variable-pitch)

性能Performance
最高速力Maximum speed: 488 km/h (303 mph, 263 kn) /3,500 m (11,483 ft)
航続距離Range: 1,100 km (680 mi, 590 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 8,000 m (26,000 ft)
翼面過重Wing loading: 102.5 kg/m2 (21.0 lb/sq ft)

兵装Armament
2 × 7.92 mm (.312 in) MG 17機関銃(機首)
2 × 20mm エリコン(Oerlikon)MG FF機関砲(主翼)

新戦闘機の試作審査には、アラドAr80、フォッケウルフFw159も開発され、審査に参加したが、パラソル翼で低速だったために、最終候補はハインケルHe112とメッサーシュミットBf109の2機種になった。He-70が搭載したBMW液冷エンジン500馬力よりも高出力の同じユモJumo210液冷エンジン650馬力を装備したハインケル(Heinkel)He-112戦闘機とメッサーシュミットBf109だったが、1935年10月に行われた比較審査では、ハインケルHe112の最高速力は440 km/h、メッサーシュミットBf109の最高速力は467 km/hで、ハインケルHe112は30 km/h以上低速だったうえに、上昇能力も低かったため。また、He112の楕円翼は、量産性に問題があったため。結局、ハインケルHe112は、ドイツ空軍の戦闘機としては制式されずに終わった。

写真(右)1940年春、ドイツ、部隊配備されているかのようなハインケル(Heinkel)He 100 D戦闘機;機首の部隊エンブレムは、鋭い電光で、車輪止めを外す用意をして待機している整備士も、いかにも実戦戦闘機部隊のように見える。主翼前方下面に、箱型冷却装置が装着されている。
Русский: Не 100 из несуществующей эскадрильи Blitzgeschwader
Date photo is taken at spring in 1940 Source Heinkel He 100 // Война в воздухе ?140 - 2005 год. Author Unknown author .
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 100 File:Не 100 из несуществующей эскадрильи Blitzgeschwader.JPG引用。


ハインケル(Heinkel)He 112がメッサーシュミットBf109との競争試作に敗れたため、ハインケルは、捲土重来を期して、ドイツ航空省からの要請のない状態で、独自の高速戦闘機を開発した。これが、主翼外板を表面冷却器とする新技術を採用したハインケル(Heinkel)He-100戦闘機である。しかし、主翼に表面冷却器は、整備困難で信頼性が低く、空気抵抗減少には有効であっても、実用戦闘機としては不適切だった。そこで、整備員も取り扱いに慣れていて、液冷エンジンの冷却能力も十分に立証されていた従来型の冷却器が、主翼中央前方に取り付けられた。ラジエーターは、空気取り入れ口を開口させ、取り込んだ飛行冷気で加熱した液体を冷却する。

⇒写真集:ハインケル(Heinkel)He-112/He-100戦闘機を見る。


2.ハインケル(Heinkel)He 176ロケット機

図(右)1935年9月以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 176ロッケト推進実験機;第二次大戦勃発3カ月前の1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機がHe176だった。ロケット弾のように、火薬(固形燃料)を燃焼させることで推力を得るのではなく、薬品による化学反応を利用したワルター式液体ロケットを搭載していたのである。同じロケットを搭載したメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機は、1941年に初飛行し、1944年末までに350機が量産された。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 176 Title: Heinkel, He 176 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 176 Tags: Heinkel, He 176 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081328引用。


第二次大戦勃発3カ月前、1939年6月20日、エーリッヒ・ヴァルシッツ(Erich Warsitz)によって世界初のロケット推進器の飛行に成功した。これは、日本海軍の艦載機が使用した加速用ロケットや人間爆弾「桜花」が装備した火薬式(固形燃料)ロケットとは異なり、薬品を利用したワルター式液体ロケットだった。

ワルター式ロケットとは、1937年、ワルター社総帥ヘルムート・ワルター発明したもので、主に過酸化水素からなるT液とヒドラジンとメチルアルコールからなるC液を混合させて、自然燃料させ推進力を得るもので、化学反応を起こす発火のために、点火装置は必要ない。ただし、薬品は猛毒で腐食性があったために、取り扱いには特段の注意が必要だった。

1941年9月1日、第二次大戦勃発2年目には、ワルター式ロケットHWK 109-509Aを装備したメッサーシュミットMe163ロケット戦闘機が初飛行に成功している。Me163ロケット戦闘機は、 自量1,905 kg、離昇最大重量 4,309 kg、30ミリMK108 機関砲2門搭載、最高速力1,130 km/hに達した。1944年5月には、少数のHe163ロケット戦闘機が、ドイツ本土に来襲したアメリカ爆撃機の迎撃戦闘に実戦投入されている。

発明者を乗せてロケット見事飛ぶ ドイツで極秘に試験[ロケット機]
東京朝日新聞 Vol: 第 3巻 Page: 43 出版年 1933-11-07
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100073390

【ロンドン特派員五日発】世界航空界の将来はロケットの発達にありといわれている折柄ドイツのオットー・フイッシャー氏は去る二十九日午前六時バルチック海のドイツ領のリューゲン[Rügen]という島において極秘裏に旅客輸送ロケットに打乗り大爆音とともに六マイルの上空に打揚げられパラシュート設備の自動的開扉によって十分二十六秒の後無事着陸、旅客輸送ロケットとして最初の成功を収めた

同機は二十四フィート、鋼鉄製水雷型のロケットでブルノー、フィッシャー氏の兄の発明にかかるものである、同機製造のためフィッシャー兄弟は過去六ケ月間ハンブルグに近き一寒村に入り込み製作に没頭し最近完成しそれを極秘裏にリューゲン島[Rügen]に運び右兄弟の外数名のドイツ陸軍官憲が立会いれい明[黎明]を期し試験的大冒険が行われたもので同機は早速ドイツ陸軍の手に納められた、この記事はドイツで掲載禁止であるがこの前の日曜からドイツに輸入を禁止された

ドイツの軍情に通ずるといわれるロンドンのサンデー・リフレー新聞が五日その第一面トップ・ニュースとして右に関するリューゲン特電を掲げその写真までも掲載してすっぱ抜いたもので非常なセンセイションを起した(発明者を乗せてロケット見事飛ぶ ドイツで極秘に試験引用終わり)

◆1930年
3.ハインケル(Heinkel)He 178ジェット機

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;第二次大戦勃発3カ月前の1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機がHe176だった。続いて第二次大戦勃発直前4日前、1939年8月27日に初飛行した世界初のジェット推進機がHe178だった。
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Heinkel, He 178 Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081334引用。


ターボジェットエンジンは、1929年にイギリス空軍フランク・ホイットル (Frank Whittle) が発明し、科学誌などで公開されtいた。これに注目したのがハインケルで、He 178ロケット実験機の設計が技師ジークフリート・ギュンター (Siegfried Günter)によって始まった。

1939年8月27日、ハインケルHe 178は、テストパイロットのエーリッヒ・ワルシッツ (Erich Warsitz) によって初飛行に成功した。その1年半後、イギリスのホイットルが開発したグロスター E.28/39ジェット機も初飛行に成功したが、ドイツ軍はジェット機の実用化によって、制空権確保に有利になると思われた。

しかし、ジェットエンジンの信頼性は低く、故障も頻発した上に、整備の取り扱いも難しかった。なによりHe178ジェット機は、燃料消費が大きく航続距離が短く、最高速力は600 km/hでしかなく、これでは、現用戦闘機よりも50km/h速いだけであり、兵装を搭載し重量が増加すれば、それほどの高速は期待できなかった。

ハインケルHe 178は、全金属製胴体、木製肩翼式直線テーパー翼を付けたが、これは後のハインケルHe162ジェット戦闘機の原型のようでもある。降着装置は、当時のドイツ機では当たり前だった尾輪式降着を付けていたが、これは地上ではジェット噴流が地面を加熱してしまい不都合だった。

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;ハインケルは、第二次大戦勃発直前の1939年6月20日に世界初のロケット推進機He176を初飛行させ、継いで、大戦4日前の1939年8月27日に世界初のジェット推進機He178を初飛行させた。
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Heinkel, He 178 Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081335引用。


航空機界の大革命無滑走上昇飛行機 : 愈々今秋機体完成の運び 大々的製作に乗出す : 日米で発明の新鋭機 : 世界最初のジェット・プレーン[オートジャイロあるいはヘリコプター]
大阪毎日新聞 Vol: 第 3巻 Page: 157 出版年 1935-03-14
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100220862

世界の航空界に革命を与え在来の航空機の上昇概念を根本的に覆す研究をつづけている東京蒲田区羽田三丁目ジェット・プレーン研究所では本年に入っていよいよ実験時代を打切り実物の無滑走飛行機を製作することになり、そのため同所技術部長渡辺悌治(五〇)同技術部員植田弘美(三七)松崎倹(三八)須外慎六(三二)の四氏が十四日横浜出帆の郵船浅間丸で渡米することになった、

同所は昨年西博久氏(五〇)が同氏の発明になる無滑走上昇装置の研究を拡大するため羽田飛行場の間近に建設し西氏が所長となってモデルによる精密なる実験真摯なる研究がくり返され昨年末実物大の上昇装置機を設計するとともに今春に入って世界最初のジェット・プレーン航空機[ヘリコプター]実現を計画しそのため米国ロサンゼルス、メナスコ航空機会社に水平に装備する航空機附き一〇〇、二五〇、三五〇、五〇〇の各馬力の発動機を、また同ハミルトン会社に可変ピッチ三翅型プロペラを、同ベンベイックス会社に引込み式機脚およびブレーキを、同スペリー会社およびパイオニア会社に計器類などをそれぞれ注文しこの工事監督をするため前記四氏が渡米することになったものである

七月末に完成引渡され日本到着とともにジェット・プレーン航空機[ヘリコプター]第一号機の組立に着手今秋には完成し文字通り世界最初の無滑走上昇航空機ジェット・プレーン飛行機[ヘリコプター]が日本の空に飛躍する予定で今後の同研究所は五百万円の公益法人となし航空機製造に乗出すことになった(航空機界の大革命無滑走上昇飛行機 : 愈々今秋機体完成の運び 大々的製作に乗出す : 日米で発明の新鋭機 : 世界最初のジェット・プレーン引用終わり)

1935年頃、ジェットプレーンという語句は、ロケット、ヘリコプター、オートジャイロのように、垂直離陸・発進が可能な飛行機を意味していたようだ。ジェットが、上空に力強く吹き上がるイメージがあるからであろうか、「無滑走上昇航空機ジェット・プレーン飛行機」と呼ばれている。

図(右)1939年8月27日、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機によるジェット機の世界初飛行;機首の開口部は、ターボジェットの空気取り入れ口。このような機首から空気を取り入れる構造は、1947年10月1日初飛行のアメリカ空軍のF-86セーバー戦闘機や1947年12月30日初飛行のソ連空軍MiG-15戦闘機、でも模倣されている。
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Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178.
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081336 引用。


1939年11月1日、ハインケルは、ドイツ空軍技術局長エルンスト・ウーデット (Ernst Udet)、航空省次官エアハルト・ミルヒ (Erhard Milch) 中将らを招待して、ハインケルHe 176ロケット機, He 178ジェット機の閲覧飛行をした。しかし、最新の航空技術に通じておらず、戦争の前途にも楽観していたこれらのドイツ空軍高官は、当時、ロケット機、ジェット機の開発には熱意を示さなかった。

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;ハインケルは、第二次大戦勃発直前の1939年6月20日に世界初のロケット推進機He176を初飛行させ、継いで、大戦4日前の1939年8月27日に世界初のジェット推進機He178を初飛行させた。
English: The Heinkel He 178, the first jet-powered aircraft. Date circa 1939 Source An Encounter Between the Jet Engine Inventors. History Office, Aeronautical Systems Division Air Force Systems Command, Wright-Patterson Air Force Base, Historical Publication, 1978, p. 61 (Illustration 10.) Author Unknown author Permission (Reusing this file) Image rights owned by the United States Air Force. Information provided by Hans van Ohain towards this publication was released to USAF ownership.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 178File:Ohain USAF He 178 page61.jpg引用。


写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機(正面);第二次大戦勃発直前4日前、1939年8月27日に初飛行した世界初のジェット推進機がHe178で、ロケット弾のように、火薬(固形燃料)を燃焼させるロケット推力ではなく、ターボジェット・エンジンだった。
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English: Heinkel He 178 Source USAF This picture may have usage restrictions .
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 178File:Ohain USAF He 178 page58.jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機は、機首に開口部を設けて、胴体内部に搭載したターボジェットの空気取り入れ口とした。このような機首から空気を取り入れる構造は、空気抵抗を小さくできるので、主翼に取り付けるよりも有利と考えられる。朝鮮戦争で戦う1947年10月1日初飛行のアメリカ空軍のF-86セーバー戦闘機も1947年12月30日初飛行のソ連空軍MiG-15戦闘機も、ターボジェットの空気取り入れ口は、機首に開いている。

写真(右)2016年2月、アメリカ合衆国カリフォルニア州、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 (Planes of Fame Air Museum)、復元されたハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機He176は、ドイツベルリン航空博物館に保管されたが、1943年の連合軍機爆撃機による空襲で破壊されている。
Recently completed mock-up of the world’s first practical jet aircraft. The first flight was on 27th August 1939, just days before the beginning of WW2. The original airframe was preserved and placed on display in the Berlin Aviation Museum, only to be destroyed by an allied bombing raid in 1943. On display in the ‘Foreign’ hangar at the Planes of Fame Museum, Chino, California, USA. 28-2-2016 Date 28 February 2016, 13:10 Source Heinkel He178V-1 (full size mock-up) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK .
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 178 File:Heinkel He-178 V-1 (full size mock-up) (26807325921).jpg引用。



Heinkel he 178 the First Jet Powered Airplane
49,933 回視聴 2016/11/13


4.ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、離陸するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-1ジェット戦闘機試作1号機;ハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジン2基を装備しているが、不慣れなジェットエンジンの整備に手間がかかるためか、エンジンナセルは、撤去されている。機首には、20ミリ機関銃3丁を搭載できるが、この機体は無武装。
SDASM Archives - Catalog:16_005314 - Title:Heinkel He 280V-1 Nowarra photo - Filename:16_005314.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280 V1試作1号機(登録コード"DL+AS")は、1940年9月22日に、ハインケルHe111爆撃機によって曳航され初飛行したが、これはジェットエンジンが迄完成しておらず、機体の特性だけを試験するためだった。また、エンジンができたとしても、信頼性の低いジェットエンジンだけでの飛行にはリスクが高く、単独飛行は困難だと判断されてであろう。He280試作機がジェットエンジンを使って初飛行したのは、それから半年たった1941年3月31日である。これは、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジンによる世界初の本格的なジェット戦闘機の飛行成功だった。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 世界初のジェット推進機ハインケル He 178試作機は、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジン1基を搭載し1939年8月に初飛行に成功していた。その戦闘機型ハインケル(Heinkel)He 280は、HeS 3エンジンを改良したハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジンを2基、主翼に取り下げて取り付けた。試作戦闘機 He 280 が初飛行したのは、1941年3月31日で、4月に実施されたフォッケウルフFw-190A戦闘機との模擬空戦審査では、高速と上昇力を生かして、Fw 190に勝る性能を発揮した。

しかし、ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機のターボ・ジェットエンジンの信頼性が低く、推力増強も難しかったうえに、ドイツ航空省のジェットエンジンへの無理解から、He280の量産化はなされなかった。ハインケルHe 280ジェット戦闘機は、9機が試作されただけで、最終試作機He 280 V9試作9号機(登録コード:NU+ED)が1943年8月31日に初飛行したものの、He 280の開発は放棄されてしまった。

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-2ジェット戦闘機試作2号機(登録コード:NU-EB);機首には、20ミリ機関銃3丁が搭載できるが、この機体は無武装で、機首に速度計測用のピトー管を装着している。左右の主翼には、各々ハインケル HeS 8ターボジェット1基、合計2基が装備されている。レシプロエンジンは搭載していないので、プロパラは存在しない。
SDASM Archives - Catalog:16_005315 - Title:Heinkel He 280V-2 before installation of turbojets Nowarra photo - Filename:16_005315.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936281 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、左右主翼下面にジェットエンジンを搭載、首輪(前輪)式の降着装置のため、地上では地面に水平の位置で駐機しているので、離着陸は尾輪式よりも容易である。また、双発のエンジン排気のために地面や滑走路が傷むことは少ない。他方、ハインケル(Heinkel)He 280より1年遅れのメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は、尾輪式だったために、その後、首輪(前輪)式の降着装置に改装されている。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機の尾翼は、双尾翼式で、これは後年のハインケルHe162ジェット戦闘機にも引き継がれている。ただし、ハインケル(Heinkel)He 280の場合、単座で後方旋回機銃の射界確保には双尾翼でする必要はなく、全高を低くして格納や偽装を容易にするためだったのか。1枚の垂直尾翼のほうが空気抵抗削減・重量軽減できて飛行性能は向上したと思われる。

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、着陸で雪に滑って停止したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-3ジェット戦闘機試作3号機(登録コード:GJ-CB);ハインケル HeS 8ターボジェットを主翼に2基装備して推力としている。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43936293 - Catalog:16_005316 - Title:Heinkel He 280V-3 Nowarra photo - Filename: 16_005316 .TIF- Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280V試作機は、ハインケルの開発したターボジェットエンジンを搭載し飛行しているが、このHe280の前にハインケルでは、技師ジークフリート・ギュンター (Siegfried Günter)らによってHe 178ジェット実験機が開発され、ジェットによる初飛行に成功している。ハインケルHe 178は、全金属製胴体、木製肩翼式直線テーパー翼を付けたが、これは後のハインケル(Heinkel)He 280とは全く異なるエンジン搭載方法で、機体の形状も違う。かえって、外観の上では、この後の国民戦闘機He162のほうが、He178の構造を引き継いでいる。

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、離陸しようとするドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280Vジェット戦闘機試作機;左右主翼下面にハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジン2基を搭載している。ジェットエンジンは、エンジンナセルで覆われている。機首の20ミリ機関銃は未装備のまま。
SDASM Archives Perma_000857 Permann Collection Image HE 280 "Strahljager" (1941) --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


しかし、ハインケルのジェット機は、初めてのHe178以外、ハインケル(Heinkel)He 280もHe162も前輪式(首輪式)降着装置を採用して、ターボジェットのジェット噴流を下方に排気しないように、配慮している。当時のドイツ機では当たり前だった尾輪式降着は、この後のハインケルの開発したジェット機では採用されていない。しかし、メッサーシュミットの開発したジェット機Me262の試作機は、尾輪式であり、離着陸に大きな問題を引き起こし、結局、ハインケル(Heinkel)He 280同様の前輪式降着に変更されている。

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、飛行するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280Vジェット戦闘機試作機;楕円翼を採用しており、ジェット機に普及する後退翼の発想はまだ生まれていない。この機体は無武装だが、ハインケル(Heinkel)He 280主翼のハインケル HeS 8ターボジェットには、エンジン・ナセルが装着されている。
SDASM Archives Heinkel, He 280 Title: Heinkel, He 280 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 280 Tags: Heinkel, He 280 .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081342引用。


エルンスト・ハインケルは、He178の最初の飛行に成功してジェット開発を継続し、新たなターボジェットエンジン2基を主翼に搭載したHe280を開発した。しかし、ドイツ航空省(Reichsluftfahrtministerium:RLM)次官エアハルト・ミルヒは、ジェットエンジンの革新性を十分理解できず、それが次世代飛行機の高性能をもたらすことを理解できなかった。戦争準備のためとしても、ドイツ空軍に配備された既存の飛行機で十分間に合うと考えていたようだ。他方、航空省技術局長エルンスト・ウーデットは、元戦闘機隊エース・パイロットで、ハインケルのジェットエンジンで飛ぶHe178に関心を持った。そして、ハインケルは、その見識に期待して、実験機だったHe178を踏まえて、1939年にHe280ジェット戦闘機の開発に力を注いだ。

図(右)1942年後半以降、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機の飛行想像図;機首には、20ミリ機関銃3丁が搭載できるが、この機体は無武装で、機首に速度計測用のピトー管を装着しているように見える。左右主翼のハインケル HeS 8ターボジェットエンジンから気流が噴き出ている。実際の機体よりも細長いように見える。
SDASM Archives Perma_000859 Permann Collection Image HE 280 "Strahljager" (1941) --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・PictionID:43936281 引用。


ハインケルHe280の尾翼は、双尾翼(ツインフィン)で、前輪(首輪)式降着装置を備え、着陸時には機体が水平姿勢で待機できた。また、高速飛行中に脱出するために、世界初の圧搾空気式の射出座席を備えていた。ハインケルHe280は、1941年3月30日に初飛行した。1942年1月13日、ハインケルHe280を操縦していたテストパイロットのヘルムート・シェンクは、機体不調により、緊急脱出を余儀なくされたが、このとき圧搾空気式の射出座席を使用した。これが世界初の射出座席による空中からの操縦士脱出の事例となった。


1943年ハインケルHe280の飛行映像:German HE-280 Jet Aircraft - 250064-05 | Footage Farm Ltd
473 回視聴 (•2019/03/28)
[WWII - Germany, 1943, German HE-280 Jet Aircraft] German HE-280 twin tail fighter jet aircraft starting up runway for takeoff, tow cable visible from nose; past various types of German aircraft on airfield, hangar buildings beyond flight line. Can be seen towed by C-47 type plane. 06:38:38 Jet overhead w/ landing gear down; approaching & landing on field. Spectators visible. WW2 Aviation Research; 1943;
NOTE: In our experience German Nazi era material is considered in the public domain throughout the world. If users feel any further clearances are necessary they are to be their own responsibility.

ハインケル(Heinkel)He 280試作機合計9機の一覧

He 280 V1 登録コード"DL+AS". 1940年9月22日、ハインケルHe111曳航され初飛行 1942年1月13日、操縦不能となり墜落、パイロットは射出座席で脱出
He 280 V2 登録コード "GJ+CA". 1941年3月30日初飛行、1943年6月26日、エンジン不調で墜落
He 280 V3 登録コード "GJ+CB". 1942年7月5日初飛行.1945年5月: オーストリア、ウィーン郊外(Wien-Schwechat)ハインケル南(Heinkel-Sud)工場でアメリカ軍が鹵獲
He 280 V4 登録コード "GJ+CC". 1943年8月31日初飛行 1944年10月オーストリア、リンツ郊外Hörschingで撃墜
He 280 V5 登録コード "GJ+CD". 1943年7月26日初飛行
He 280 V6 登録コード "NU+EA". 1943年7月26日初飛行. ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)109-004Aターボジェットエンジン装備
He 280 V7 登録コード "NU+EB" あるいは "D-IEXM". 1943年4月19日初飛行. 115回の曳航飛行、ハインケル(Heinkel)ヒルス(Hirth)109-001ターバジェットエンジン、エンジン故障
He 280 V8 登録コード "NU+EC". 1943年7月19日初飛行
He 280 V9 登録コード "NU+ED". 1943年8月31日初飛行

三面図(右)ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-6ジェット戦闘機試作機;楕円翼、双尾翼、前輪式降着装置を採用した世界初のジェット戦闘機。エンジンは、ハインケル HeS 8ターボジェットを左右の主翼に1基、合計2基を搭載している。
English: Heinkel He-280 jet fighter
Date 26 August 2010 Source Own work Author Kaboldy.
写真はWikimedia Commons, Category:Heinkel He 280・File:Heinkel He 280 3-view.svg引用。


1943年7月26日初飛行ハインケル(Heinkel)He 280 V-6ジェット戦闘機(登録コード:GJ+CD)の諸元
乗員Crew: 1名
全長Length: 10.198 m (33 ft 5.5 in)、全幅Wingspan: 11.99726 m (39 ft 4.333 in)、全高Height: 3.1941 m (10 ft 5.75 in)
翌面積Wing area: 21.51平方メートル(231.5 sq ft)
総重量 Gross weight: 5,205 kg (11,475 lb)
発動機Powerplant: ユンカース(Junkers)Jumo109-004A ターボジェットエンジン2基
性能 Performance
最高速力Maximum speed: 751.5 km/h (467.0 mph, 405.8 kn) /海面上
817.5 km/h (508.0 mph; 441.4 kn)/6,000 m (19,685 ft)
809.5 km/h (503.0 mph; 437.1 kn)/8,501 m (27,890 ft)
航続距離Range: 615 km (382 mi, 332 nmi)/9,010 m (29,560 ft)
314 km (195 mi; 170 nmi)/海面上
実用上昇限度Service ceiling: 11,400 m (37,390 ft)
上昇率Rate of climb: 21.2 m/s (4,170 ft/min)
兵装 Armament
20ミリMG 151/20機関銃3丁


写真(右)1945年5月以降、ドイツ降伏後、進駐したアメリカ軍が発見したハインケル(Heinkel)He 280 V-7戦闘機試作7号機
;1941年3月30日、ジェットエンジンによる初飛行。双尾翼にナチ党スワスチカが描かれている。手前は、エンジンナセル2基が起これている。ドイツ降伏後、アメリカ軍の発見したHe280V-7の残骸。
-heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45 - title-heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45 - catalog0100094352 - filename-heinkel he 280 v7 d-iexm at r-45 near anspach germany aug45---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)-.
写真は,Flickr, SDASM Archives pictionid73791633引用。


しかし,ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、機体も試作、エンジンも試作という状況で、信頼性が確保できないのは当然のことで、試験飛行、審査を続けて地道に対策を取り続ければ、HeS 8エンジンあるいはエンジン換装によって、1941年3月30日初飛行のハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、メッサーシュミットMe262戦闘機よりも1年早く、1943年末には実用化できたかもしれない。


Heinkel He 280 Bau und Montage des Heinkel Strahltriebwerks
39,368 回視聴 •2016/12/27

1941年3月30日、ハインケル(Heinkel)He 280試作機は、ハインケルHeS 8ターボジェット2基を装備して、ジェットエンジンによる初飛行に成功したが、実用化のための問題は、このハインケルの開発したエンジンにあった。まだ試作段階で、工作にも問題があった上に、ジェットエンジンの整備にも不慣れであったために、エンジン故障、燃料漏れ、耐久時間の短さなどの問題があった。また、根本的な課題としては、ハインケルHeS 8ジェット推力の不足と不安定さであった。エンジンの信頼性が低い以上,ハインケル(Heinkel)He 280を実用機として運用することはできなかったのである。


5.実戦投入されたメッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262ジェット戦闘機

写真(右)1942年7月(?)、ドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-3 ジェット戦闘機試作3号機(登録コード:PC-UC);左右の主翼下面に初めはBMW 003ターボジェットエンジンを搭載し、その後で直ぐにユモJumo004ターボジェットを搭載して飛行した。1942年7月18日初飛行。ただし、この機体が初飛行かどうかは確証がない。V-1試作1号機の初飛行は、1942年3月25日と4カ月近く速かったが、この機体は、ジェットエンジンの停止や事故に備えて、機首にJumo210液冷エンジン(プロペラを駆動する)を予備に装着し、緊急事態に備えていた。ともに、前輪式降着装置ではなく、尾輪式なので、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、整備の障害となった。後に、He280と同様の前輪式に改良された。大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、1000機以上量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。
Messerschmitt Me 262V-3 Nowarra collection PictionID:44218078 - Title:Messerschmitt Me 262V-3 Nowarra collection - Catalog:16_005577 - Filename:16_005577.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives  PictionID:44218078引用。


メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-1ジェット戦闘機試作1号機は、左右主翼に搭載したBMW 003ターボジェットエンジン1基、合計2基の信頼性に疑念があったため、安全策として駆動確実なユモJumo210液冷エンジン1基を機首に予備的に搭載した。そして、V-1は、1942年3月25日にジェット初飛行をしたが、この時にジェットエンジンが停止してしまい、機首に装備したユモJumo210液冷エンジンで緊急着陸した。メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-3 ジェット戦闘機試作3号機(登録コード:PC-UC)は、左右の主翼下面にJumo004ターボジェット各1基を搭載、機首の予備エンジンなしで、1942年7月18日に初飛行した。

写真(右)1944年夏、ドイツ、部隊配備されたドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262A-1ジェット戦闘機の戦列;左右の主翼下面にJumo004ターボジェット各1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。しかし、前輪式降着装置ではなく、尾輪式なので、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、整備の障害となった。後に、He280と同様の前輪式に改良された。大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、1000機以上量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。
Messerschmitt Me 262A-1 Nowarra collection PictionID:44218164 - Title:Messerschmitt Me 262A-1 Nowarra collection - Catalog:16_005584 - Filename:16_005584.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives  PictionID:44218164 引用。


メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は試作4号機まで、前輪式降着装置ではなく、尾輪式だった。そこで、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、地上滑走や離陸中に方向制御ができなくなる欠陥があった。そのため、V-5からは、ハインケルHe280と同様の前輪式に改良された。 メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は、当初、ヒトラーの電撃爆撃機の命令で、500キロ爆弾2発を搭載可能なMe 262A-2a戦闘爆撃機として部隊配備され、1944年8月末から、北フランスで実戦投入された。において作戦を開始した。その後、戦闘機型が1944年8月から部隊配備され、1944年9月25日、撃墜王ヴァルター・ノボトニー少佐率いるノボトニー部隊がが編成された。メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は、大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、最優先事項として、1,430 機もが量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。

⇒写真集:メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-262戦闘機を見る。


6.第二次大戦末期に登場したハインケルHe 162ジェット戦闘機

写真(右)1944年12月10日以前、ドイツ、オストマルク(オーストリア)、ドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 V-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)試作1号機;胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行しが、その後の1944年12月10日の試験飛行で事故により墜落し、テストパイロットも死亡した。
Heinkel He 162V1 prototype at Heinkels Schweckat-Heidfeld Airfield near Vienna, Austria in 1944 – this aircraft was lost in a crash on December 10th, 1944 sadly killing test pilot Flugkapitän Gotthold Peter.
Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081325引用。


第二次大戦中盤、スターリングラードでソ連に大敗北したドイツは、徹底的な動員を図ることを決めたが、制空権奪回のために、空軍兵力も一新を図る決断は、1944年6月に西側連合軍がノルマンディーに上陸、フランスに侵攻してきてからだった。これが1944年訪販の国民戦闘機(フォルクス・イェーガー)の開発計画で、簡易構造のジェット戦闘機を大量産して、ドイツ上空の制空権を奪回す目的があった。

国民戦闘機ハインケル(Heinkel)He 162 V-1試作1号機は、1944年12月6日、初飛行に成功した。高速飛行した際に、機体の木製部分を繋ぐ時に接着剤が高熱で融解する事故が生じた。初飛行で事故があれば、時間をかけて実験し事故原因を検討すべきところであるが、戦局悪化のためにそのような余裕はなく、複雑な構造を持つBMW003ターボジェットも増産しながら、急速整備が最優先された。そこで、ハインケル(Heinkel)He 162は、再度の試験飛行が12月10日に強行されたが、木製主翼の昇降舵(エルロン)が吹き飛ぶ大事故となり、機体は横転、失速して墜落した。搭乗していたパイロットも死亡した。

写真(右)1944年12月(?)、ドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162V-1ジェット戦闘機試作1号機の飛行中の主翼破損事故;試験飛行中に主翼が破損する大事故を起こした。木製の接着剤の不良、構造的欠陥、工作の未熟などの原因が考えられた。十分な審査の時間がなく、加えて大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、部隊配備は大幅に遅れ、訓練も習熟飛行もできていないまま、敗戦となった。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005310 - Title:Heinkel He 162V-1 in roll Nowarra photo - Filename:16_005310.TIF Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936218 引用。



He-162 Prototype number 6.
48,548 回視聴(•2007/04/18)

ハインケル(Heinkel)He 162の飛行性能は、速力、上昇力も的戦闘機と対等以上だったので、ドイツ本土防空のために第一線部隊の第1戦闘航空団(JG1)に配備されたが、未熟なパイロット、燃料不足、BMW003ターボジェットの整備困難・耐久性能不足のために、実戦投入は進まないまま、ドイツの敗戦を迎えた。

He-162ジェット He-162ジェット 1944年後半の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162開発時点で、既にメッサーシュミットMe-262がジェット戦闘機兼ジェット戦闘爆撃機として実用化されていた。Me262 はユモJumo004ターボジェットを装備した一方で、He162はBMW003ターボジェットを装備したので、エンジンは異なっている。

ドイツ空軍は、BMW003ターボジェットを搭載した高性能の国民戦闘機を大量配備して戦局を挽回する腹積もりだった。つまり、敵戦闘機を上回る高性能のジェット機で、短時間で量産・配備でき、製造経費が安く製造も容易であることが求められた。この要求を満たしたのが、ハインケル(Heinkel)He 162で、計画から半年もたたない1944年12月6日に初飛行に成功した。

写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wrt Patterson )で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケルHe162A-2 ジェット戦闘機白7号機(左端)とユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt) ;Ju290四発機の左前方にはユンカースJu388L高高度偵察機、右翼前方にはメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、右翼後方にはリパブリックP-47 Dサンダーボルト戦闘機(無塗装)、左翼後方には、バヘッムBa 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機と日本海軍三菱ゼロ戦52型(無塗装)、右奥にはが並べられている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 041 Heinkel He162A-2 Volksjager Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


He-162ジェット1942年7月16日に初飛行したユンカース(Junkers)Ju 290は、長距離偵察爆撃機として、ドイツ海軍潜水艦Uボートとの哨戒作戦にも投入されたが、1944年になると、迎撃用の戦闘機優先の方針が確定し、爆撃機は燃料不足と敵機による迎撃のために、出撃は制限された。

ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機の諸元
乗員:1名
全長:9.05 m、全幅:7.2 m、全高:2.6 m
翼面積:14.5平方メートル
空虚重量:1,660 kg
最大離陸重量:2,800 kg
発動機:BMW003ターボジェット(推力7.85 kN)1基
最高速力:850 km/時/6,000 m
航続距離:615 km
上昇限度:12,000 m
上昇率:1,405 m/分

⇒写真集Album:ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 162 国民戦闘機(Volksjäger)を見る。


6.第二次大戦末期に登場したバッヘム(Bachem)Ba 349ロケット迎撃機

写真(右)1945年5月頃、ドイツ南部、アメリカ軍が発見した放棄されたドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機と発射台;胴体広報左右側面に離陸用ブースターを装着している。バヘッム(Bachem)Ba 349 は、ロケット推力を利用して、発射台から垂直に発進することができたために、飛行場滑走路は不要だった。着陸は、操縦士は、パラシュート降下、エンジンもパラシュート降下して再利用する。しかし、ロケット推進時間は数分しかなく、高空から滑空攻撃しても、飛行中の加速も再上昇も困難なので、熟練技術を持たない限り攻撃成功は困難であると考えられる。
SDASM Archives Perma_001007 Permann Collection Image The German "Viper" --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・引用。


ドイツ空軍バッヘム(Bachem)Ba 349ロケット迎撃機試作実験機は、1944年12月18日に発射台(ロケットランチャー)から無人・ロケットなしで発進することに成功した。続いて、1945年2月にヴァルター液体ロケットを装備し無人射出に成功し、バッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」(Natter)の量産が決まった。

しかし、バッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」の有人での1945年3月1日初飛行では、急激な加速のために、操縦士ロタール・ジーベルトが失神、そのまま墜落、死亡した。ただし、その後の有人飛行は成功している。大戦末期の1945年4月、10機程度が部隊配備された。

写真(右)1945年5月頃、ドイツ南部、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機と発射台;胴体広報左右側面に離陸用ブースターを装着している。ロケット推力を利用して、発射台から垂直に出撃するバヘッム(Bachem)Ba 349 は、森林などに隠蔽するのが容易であり、制空権を失ったドイツ空軍にとって有効な迎撃機として開発された。しかし、着陸のための降着装置はなく、操縦士は、パラシュート降下、エンジンもパラシュート降下して再利用するというのであれば、降下中の操縦士もエンジンも敵戦闘機の標的となってしまうであろう。回収、再利用と知っても、操縦士もエンジンもすべて使い捨てになるリスクは大きかった。
SDASM Archives Perma_001007 Permann Collection Image The German "Viper" --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・引用。


ドイツ空軍バッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機は、地上の発射ランチャーからロケット推力を使って垂直に射出、急上昇して、上空に飛来した敵爆撃機をロケット弾で迎撃する。

バッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」は、1回の攻撃で燃料は尽きてしまうので、そのまま下降して、操縦士と胴体後方のエンジン部分はパラシュート降下させ回収する。高価なロケットは回収して再使用するが、胴体自体は木製簡易構造なので使い捨てである。

写真(右)1945年5月頃、ドイツ南部、アメリカ軍の用意したトレーラーに乗せられ運搬中のドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機;胴体後方左右側面に離陸用ブースターを1本だけ装着しているが、発射時には2本装着する。ロケット推力を利用して、発射台から垂直に出撃可能なバヘッム(Bachem)Ba 349 は、発射台を移動して、様々な場所から発射できた。その移動には、発射台と機体は別々に移動した。機体はトレーラーに載せて運搬されたものと思われる。
SDASM Archives Perma_001008 Permann Collection Image The German "Viper" --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・引用。


写真(右)1945年5月頃、ドイツ南部、アメリカ軍の用意したトレーラーに乗せられ運搬中のドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機の正面;ハチの巣状に八角形のR4Mロケット弾収納筒が24個並んでいる。
Perma_001000 Permann Collection Image
Bachem Ba 349 Natter --Perman Collection Image
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写真はSDASM Archives・引用。


ドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機の機首には、4Mロケット弾24発を搭載可能である。すなわち、機首に八角形のハチの巣状の格納筒が24本収められていて、ここにロケット弾を1本ずつ格納するのである。

R4Mロケット弾は、既にメッサーシュミットMe 262A-1bジェット戦闘機「シュワルベ」の左右主翼に各々24発搭載された。このMe262用のロケットランチャーは、木製で平たい形状だった。実戦でも使用されて、戦果を上げている。運搬用の台座に乗せられている。

写真(右)写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示準備中と思われるアメリカ軍が鹵獲したのドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機の左後方側面;運搬用の台座に乗せら、バンドで固定されているので、船積みされた状態なのであろう。胴体後方左右側面に離陸用ブースターは装備していない。元来、発射時には2本装着する。ロケット推力を利用して、発射台から垂直に出撃可能なバヘッム(Bachem)Ba 349 は、発射台を移動して、様々な場所から発射できた。その移動には、発射台と機体は別々に移動した。機体はトレーラーに載せて運搬されたものと思われる。
SDASM Archives Perma_001008 Permann Collection Image The German "Viper" --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・引用。


写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示準備中と思われるアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機の左側面;胴体後方左右側面の離陸用ブースターは未装備である。
Perma_001002 Permann Collection Image Bachem Ba 349 Natter --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真はSDASM Archives・引用。


写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」ロケット迎撃機 ;胴体後方左右側面に離陸用ブースターは未装着。ロケット迎撃機の奥には、無塗装の日本海軍三菱ゼロ戦52型が展示されている。左手前は、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)の一部。
SDASM Archives Perma_001006 Permann Collection Image Bachem Ba 349 Natter --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum .
写真はSDASM Archives・引用。


写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」"Natter"ロケット迎撃機とユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)の尾部;Ju290大型機の周囲には、枢軸国を降伏させ鹵獲したユンカースJu388L高高度偵察機、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、日本海軍三菱ゼロ戦52型、人間爆弾「桜花」が並べられていた。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 016 Bachem Ba 349 "Natter" Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive .
写真はSDASM Archives引用。


写真(右)1945年7月-1950年頃、アメリカ、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」"Natter"ロケット迎撃機;斑迷彩塗装が施されているが、グリーンの斑に薄いグリーンの胴体であろう。大きな解説用看板が設けられている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 016 Bachem Ba 349 "Natter" Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive .
写真はSDASM Archives引用。


カラー写真(右)1945年7月-1950年頃、アメリカ、アメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」"Natter"ロケット迎撃機;保管や運搬の都合で木製主翼を根元から切断した状態。のであろうか。日本陸軍の特殊攻撃機中島キ115「剣」も同じ簡易構造だが、主翼を折りたたむことはできなかった。もしも、主翼を折りたたみできるのであれば、機体を隠蔽したり、運搬したりするには、小型化できるのは大きな利点であるが、工作に手間がかかってしまう。斑迷彩塗装が施されているが、グリーンの斑に薄いグリーンの胴体で、オリジナルなのであろうか。
SDASM Archives Perma_001001 Permann Collection Image Bachem Ba 349 Natter --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum .
写真はSDASM Archives引用。


カラー写真(右)1946年、ドイツ南部、ミュンヘン、ドイツ博物館に展示されているバッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機の模型;胴体後方左右側面に離陸用ブースターを装着している。
Perma_001002 Permann Collection Image Bachem Ba 349 Natter --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


エーリッヒ・バッヘム博士の指導で開発されたバッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機は、木製簡易構造の安価なロケット迎撃機で、発射台を使って垂直に離陸して、飛来した敵爆撃機に対して、機首に搭載したヘンシェル(Henschel)Hs 217フェーン(Fohn) 73-mmロケット弾24発で迎撃する。エンジンは、ヴァルター液体燃料を使ったHWK 109-509Aロケットエンジンで、胴体後方左右側面に固体燃料ロケットブースターを装備して発射される。迎撃終了後、操縦士は機外にパラシュート脱出し、高価なロケットエンジンをパラシュート降下させて、再使用する半使い捨てシステムである。

バッヘム(Bachem)Ba 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機の諸元
乗員:1名
全長:6.18m
全幅:3.97m
主翼面積:4.80m²
離昇重量:2,175kg
ヴァルターHWK 109-509A液体ロケット(推力1,700kg)1基+離昇用ブースター固形燃料500kg4基
最高速力:870km/h
上限率:10,900m/分
航続距離:2分
兵装:R4M ロケット弾33発あるいはヘンシェル・フェーン73mm ロケット弾24発


7.第二次世界大戦

写真(右)1940年4月20日、ドイツ、ヒトラー総統がドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を祝福している。
Adolf Hitler(1889-1945) op zijn verjaardag. Hij bedankt maarschalk Göring .
CreatorCollection / Archive Het Leven (LEVEN 022) Description Adolf Hitler(1889-1945) op zijn verjaardag. Hij bedankt maarschalk Göring voor het verjaarscadeau, de "Metallspende" door het Duitse volk. Zonder plaats, 20 april 1940. Date 20 april 1940 Person names Hitler, Adolf, Göring, Herman Photographer Heinrich Hoffmann
写真はEuropeana Swedish Open Cultural Heritage | K-samsök ・Dataset: 2024909_Ag_EU_EuropeanaPhotography_UA_1005 Identifier: 01662422.jpg , 引用。


1939年9月のドイツのポーランド侵攻を契機に勃発した第二次大戦緒戦で、ドイツは、イギリスに先んじて1940年4月9日にノルウェー侵攻「ヴェーザー演習作戦」(Unternehmen Weserübung)を開始した。4月10日以降、ノルウェー北部のナルヴィク海戦でドイツ海軍駆逐艦は大打撃を受け、4月14日、イギリス軍がナルヴィク近郊に上陸し5月28日にナルヴィクを占領下。しかし、1945年5月のドイツ軍フランス侵攻により、イギリス軍は、5月24日にノルウェーから撤退した。

マンネルハイム ドイツを中核とするイタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア、日本などの枢軸同盟国は、連合国とは異なり、相互の外交・軍事を調整する機関はなかった。しかし、1940年9月27日にベルリンで調印された三国軍事同盟では、
1)領土拡大と軍事支配に基づく新秩序の建設、
2)ソビエト連邦を中核とするボルシェビキ共産主義の掃討、
を基本方針とした。

フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、1942年6月27日、ドイツ空軍の遣わしたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル C-3/U9輸送機に乗って、東プロイセン州ラステンブルクの同島大本営「狼の巣」にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統を訪問、作戦会議に出席した。

そして、1942年6月28日には、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥の下にも参じたフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、ナチスと共闘して、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合った。マンネルハイム元帥が、ソ連を明確な敵とし、領土の回復、ソ連ボリシェビキの弱体化を真剣に望んでいた。

ウィンストン・チャーチル 1942年6月時点で、未だにドイツのヨーロッパ支配の状況は変わりはなく、イギリス、アメリカによるフィンランド攻撃の心配は、全くなかった。マンネルハイムだけでなく、フィンランド国民の多くは、いまこそ、ソ連赤軍・ボルシェビズムを敲く最良の機会であると考え、継続戦争を自らはじめ、善戦した。

1943年8月のハンブルクの大空襲、1943年8月17日の秘密兵器実験場ペーネミュンデへの空襲でショックを受けたドイツ空軍参謀総長ハンス・イエショネク(Hans Jeschonnek)大将は、ラステンブルク(Rastenburg)の総統大本営(狼の巣)で自殺した。ただし、ペーネミュンデとの関連性を秘匿するために、イェショネク大将の死亡日は、その前日の1943年8月19日として公表された。

 後任の参謀総長に任命されたのはギュンター・コルテン大将だが、彼も1年たたない1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、総統大本営で爆死した。

ドイツ空軍参謀総長の初代ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)、2代アルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring)、3代ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ(Hans-Jürgen Stumpff)、4代ハンス・イェションネク(Hans Jeschonnek)、5代ギュンター・コルテン(Günther Korten)、6代ヴェルナー・クライペ(Werner Kreipe)、7代カール・コラー(Karl Koller)と続くが、権力の永続化を狙うドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥とは信頼関係は築けなかった。

ニュルンベルグ国際軍事裁判 1943年10月20日、ロンドンで17カ国が集まる国際会議において、連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)の設置が決まり、ドイツ指導者の裁判は、国際戦争犯罪裁判で裁くことを申し合わせた。

1945年8月8日、米英仏ソの四大国はロンドンで国際軍事裁判所憲章に署名、国際軍事裁判所の構成や役割について合意し、戦争犯罪を「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」「共同謀議」の4点とし、ニュルンベルグ国際軍事裁判で裁くことが決まった。

ニュルンベルグ国際軍事裁判において、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は被告人第1号とされ、最も指導的な地位についていた戦争犯罪容疑者と見なされ、当初から注目を浴びた。

ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャ
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

当時の状況に生きた方々からも、共感のお言葉、資料、映像などをいただくことができました。思い巡らすことしかできませんが、実体験を踏まえられたお言葉をいただけたことは、大変励みになりました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。

ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
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東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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