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◆ハインケル(Heinkel)He 162 国民戦闘機(Volksjäger)
写真(上)2005年7月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II/JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227)前方
;胴体背面にBMW003ターボジェット1基を背負い、1944年12月6日初飛行。後方はノース・アメリカンTB-25J-20/22-NA ミッチェル爆撃練習機。
English: Heinkel He 162 Date 11 July 2005 Source photo taken by Kogo Author Kogo Permission Kogo put it under the GFDL
写真は, Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Heinkel He 162.jpg引用。

写真(上)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II/JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227)後方
;戦局悪化の中、国民戦闘機として、初飛行前から量産体制が構築されていた。最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦参加はしていない。
English: www.rafmuseum.org.uk/documents/collections/1990-0697-A-He... Date 20 April 2017, 11:52 Source Heinkel He-162A-2 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真は, Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Heinkel He-162A-2 (33792103980).jpg引用。


写真(右)2022年6月、オンタリオ州オタワ、カナダ航空宇宙博物館(Canada Aviation and Space Museum)、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:WkNr.120086)の左側面;イギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したハインケルHe162と思われる。 後方は、イギリス空軍アブロ(Avro)ランカスター(Lancaster)Mk.X 四発重爆撃機が見える。
English: Heinkel He-162 at the Canadian Air and Space Museum, Ottawa. In background is Avro Lancaster KB944. Date 26 July 2012 Source Own work Author JustSomePics
写真は,Wikimedia Commons, Category:Avro Lancaster KB944  File:Heinkel He 162 CASM 2012 3.jpg引用。

1.エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)

図(右)1930-1940年、ドイツ、ハインケル(Heinkel)教授のポートレット;スペイン内戦に活躍したハインケルHe-111爆撃機と第二次大戦末期に部隊配備されたHe-162ジェット戦闘機など第二次世界大戦の軍用機の開発・生産で有名である。
Heinkel, Dr. Ernst Catalog #: BIOH00214 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives Catalog #: BIOH00214引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)略歴
生誕日:1888年1月24日
生誕地:グルンバッハ(Grunbach)
死没日:1958年1月30日(70歳)
死没地:シュトゥットガルト(Stuttgart)

学歴:シュトゥットガルト工科大学(Technischen Hochschule Stuttgart)
専門:航空技術
学位・資格:博士・教授
勤務先:LVG社、アルバトロス社、ハインケル社

業績
世界初のロケット機He176の初飛行(1939年6月20日)
世界初のジェット機He178の飛行(1939年8月27日)

エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach)に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

  第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデ (Warnemünde) にハインケル航空機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。

ヴァーネミュンデのハインケル工場は、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで、秘密裏に軍用機でも開発できるという利点があった。この軍用機は、空軍を禁じられたドイツ向けというより、外国への輸出販売用だった。

写真(右)1938年、ドイツ、ベルリン、ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)授賞式前のフリッツ・トート博士、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche:1875-1951)、:1937年の第一回ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)は、建築家パウル・トロースト(Paul Ludwig Troost: 1878–1934)、思想家アルフレート・ローゼンベルク(Alfred Ernst Rosenberg: 1893-1946)探検家ヴィルヘルム・フィルヒナー(Wilhelm Filchner :1877-1957)、医学者アウグスト・ビール(August Karl Gustav Bier : 1861–1949) とエルンスト・フェルディナント・ザウアーブルッフ(Ernst Ferdinand Sauerbruch: 1875-1951 が、1938年に、トート、ポルシェ 、メッサーシュミットとエルンスト・ハインケルが受賞した。
Myhra_00304 David Myhra Collection Image Goeggels, Heinkel, Messerschmitt, Porsche, Tudt-- Please do not use this photo without permission. --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives, Myhra_00304引用。


ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、1935年3月16日、ベルサイユ条約の軍事制限条項を破棄して、ドイツ再軍備宣言した。その直後の1933年5月、ドイツ国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルクは、第一次大戦と同様だった陸軍航空隊を1933年4月設立の航空省に移管し、それまで民間スポーツ機などの名目で保有していた航空機も併せてドイツ空軍(Luftwaffe)を設立した。

1935年3月16日のドイツ再軍備宣言から半年以上経過した1935年11月7日、第一次大戦勃発の時1914年生まれの成人男子に徴兵が開始され、それまで10万人だった共和国軍(ライヒスヴェア)は、50万人の国防軍(ヴェアマハト)へ拡張された。

ドイツ空軍は、航空大臣ヘルマン・ゲーリングの下、航空省次官エアハルト・ミルヒが編成・生産の実務を担当したが、航空省とドイツ空軍は事実上、一体化することになった。エルンスト・ウーデットが航空省技術局長に就任したのは、翌年1936年6月である。 1936年には、ラインラントの無武装地帯に武力進駐を強行し、同年に勃発したスペイン内戦に反乱側フランコ将軍支援の陸・空軍兵力を派兵している。

特に、1937年4月26日のゲルニカ空襲には、無差別爆撃として悪名高い。ドイツ・コンドル軍団によるゲルニカ爆撃には、主力ユンカースJu52爆撃機のほかに、ハインケル He111爆撃機、ハインケルHe51戦闘機も攻撃に投入されている。

写真(右)1938年、ドイツ、ベルリン、啓蒙宣伝相ゲッペルス博士からドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)を授与されたハインケル航空機のエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)、ウィリー・メッサーシュミット(Willy Messerschmitt)教授、フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche:1875-1951)、フリッツ・トート(Fritz Todt)博士:ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)は、ノーベル賞を上回る叙勲のために、ヒトラーが1937年に創設された賞である。1938年に、トート、ポルシェ 、メッサーシュミットとエルンスト・ハインケルに授賞された。
Myhra_00304 David Myhra Collection Image Goeggels, Heinkel, Messerschmitt, Porsche, Tudt-- Please do not use this photo without permission. --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives, Myhra_00304引用。


1922年、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、ドイツ北部バルト海沿岸、ポンメルン州ヴァーネミュンデ (Warnemünde)に、ハインケル航空を設立した後、ベルサイユ条約の航空兵器保有禁止の条項をかいくぐるために、対岸のスウェーデンで軍用機の開発を行った。この高性能水上偵察機は、日本海軍の注目するところとなった。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)航空機工場は、1922年にドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)に設立された。ここでは、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機を開発している。日本は、第一次大戦の戦勝国だったが、敗戦国ドイツから鹵獲した兵器・飛行機に注目して、再審議医術の取得に熱心だった。

当初、日本は、特許やライセンスに無頓着に、技術を模倣して取り入れていたが、そのうちライセンス料をようになった。のして、日本陸海軍が同じダイムラーベンツDB601液冷エンジンのライセンスを取得するのに、陸海軍が別個にライセンス料を支払うという無定見ぶりを発揮している。

写真(右)1938年10月11日、ドイツ、ベルリン郊外ポツダム、リリエンタール社で宴会中のドイツ航空省技術局長エルンスト・ウーデット少将、ドイツ航空省次官エアハルト・ミルヒ大将、ドイツ芸術科学国家賞(Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft)を飾ったエルンスト・ハインケル教授(左から):オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal:1848-1896)は、アメリカのライト兄弟に先んじるドイツ航空界のパイオニアで、グライダーによる滑空飛行を実現させた。
Title Potsdam, Udet, Milch, Heinkel Info non-talk.svg
Eschen, Fritz: Flugzeugbau Ernst Heinkel, 1931 Beschreibung: Rostock-Warnemünde. Ernst Heinkel Flugzeugwerke Warnemünde. Werkhalle. Ernst Heinke und ein Arbeiter beim Betrachten eines Flugzeugteiles
Gentleman evening at the Lilienthal company in potsdam Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Milch, Erhard: Generalfeldmarschall, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland Udet, Ernst: Generalluftzeugmeister, Generaloberst, Ritterkreuz, Luftwaffe, Orden Pour le mérite, Deutschland
Depicted place Potsdam Date 11 October 1938
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-H13535, Potsdam, Udet, Milch, Heinkel.jpg引用。


1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1938年ニュルンベルク開催のナチ党大会では、ハインケルに対して、国家芸術科学賞が授与されており、軍需生産に依存したハインケル航空工場の繁栄がもたらされた。
1958年1月30日逝去。

 ハインケルは、1932年9月にHe70高速輸送機を初飛行させ、1935年のドイツ再軍備宣言後には、ドイツ空軍の創設に伴い高速輸送機として開発したハインケルHe111を爆撃機として採用させ、さらにハインケルHe51複葉戦闘機の量産をも受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長していった。

1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機He60水上偵察機などを採用された。これらの軍用機は、特に斬新な設計ではなく、性能も平均的なものだったが、ドイツ北東部バルト海沿岸、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル航空機工場は、軍需を得て航空機メーカーとして、順調に資本形成を進めることができた。そして、工場の拡張によって飛行機製造能力も高まったのである。

  写真(右)1940年頃(?)、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):エルンスト・ハインケル航空機工場のトップとして大活躍した。
Heinkel, Dr. Ernst Catalog #: BIOH00213 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Catalog #: BIOH00213引用。


1936年7月、スペインでは、人民戦線政府に対して、モロッコ植民地に駐留していたフランシスコ・フランコらの反乱軍が蜂起した。このスペイン内乱に際して、ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは、即座に支援を命令し、ドイツ・コンドル軍団をスペインに派遣することが決定した。

ドイツは、形式上は、スペイン市民戦争に不干渉の立場にあると表明しながらも、義勇軍の形式をとったコンドル軍団を編成して、ドイツ正規軍の派兵を実装した。この時、コンドル軍団に配備されたハインケルHe51戦闘機、He111爆撃機、He70輸送機もスペイン内乱に反乱軍への援軍として実戦投入されている。

第二次大戦前に、ハインケルHe112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。この理由は、飛行性能的に若干劣っていたこと、量産性に難点があったことであるが、エルンスト・ハインケルがナチ党やヒトラーとの相性が悪かったことも指摘されている。ただし、このようなハインケルの自由闊達な性格がもたらしたナチ党全体主義・反ユダヤ主義への嫌悪といったものは、戦後になって自著で述べられてはいるが、当時のハインケルは、ナチ党への追随的行動をとっていた。

写真(右)1941年7月11日、ドイツ、ハインケル航空機工場(?)、背広左襟フラワーホールにスワスチカ卍のナチ党員バッチを付けたエルンスト・ハインケル教授と技師のジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter: 1899-1969):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)は双子の兄弟でやはりハインケルの技師だった。
Title Ernst Heinkel, Siegfried Günter Info non-talk.svg
II. Weltkrieg 1939-45 Rüstungsindustrie im faschistischen Deutschland, Juli 1941 Der Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel (r.) überprüft und verändert die Konstruktionszeichnung eines Mitarbeiters.
Depicted people Heinkel, Ernst Prof. Dr. Ing.: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Günter, Siegfried: Flugzeugkonstrukteur, Deutschland Date July 1941
写真は,Category:Ernst Heinkel, File:Bundesarchiv Bild 183-1982-1022-509, Flugzeugkonstrukteur Prof. Ernst Heinkel.jpg引用。


エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士は、1888年、ドイツ南部、シュトゥットガルト生まれ、第一次大戦で飛行機設計に加わった。戦後の1922年に、北ドイツのヴァーネミュンデにハインケル飛行機工場(Heinkel Flugzeugwerke)を設立した。アドルフ・ヒトラーの唱える国家社会主義に共鳴し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党:NSDAP)に入党した。ハインケルは、自伝によればスピード感に陶酔しており、スピードへの追及に熱心で、He70高速輸送機のような凝った設計の高速機を開発した。He70高速輸送機は、1932年にドイツ・ルフトハンザ航空に採用されている。

双子の兄弟ヴァルター・ギュンター(Walter Günter:1899-1937年9月21日)もドイツ航空省の飛行技師だった。1931年にエルンスト・ハインケル航空機工場に入社したギュンター兄弟は、ドイツ北東部バルト海沿岸ロストック、ヴァーネミュンデWarnemünde)のハインケル工場で、He51複葉戦闘機、He70高速輸送機、He111旅客輸送機、He112戦闘機などハインケルの代表的な飛行機を設計した。

ヴァルターは、1937年9月21日に交通事故で死亡。その後、ジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter)は、He100戦闘機、He176ロケット機、He178ジェット機、He280ジェット機の設計に加わっているが、いずれも試作実験機のみである。また大量生産が決まった国民戦闘機He162ジェット戦闘機も、戦局悪化、終戦によって少数の量産に終わっている。

写真(右)1941年頃、ドイツ、ハインケル社を担った設計技師ギュンター兄弟とカール・シュヴァルツァー(Karl Schwärzler):ヴァルター・ギュンター(Walter Günter :1899–1937)とジークフリート・ギュンター(Siegfried Günter:1899-1969)の双子兄弟で、同じハインケル社の飛行機設計に携わった。
Heinkel, Dr. Ernst Catalog #: BIOH00216 Last Name: Heinkel First Name: Dr. Ernst Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


  1933年1月末、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)アドルフ・ヒトラー総統がドイツ首相に任命され、その後の国会議事堂放火事件、大統領緊急令、全権委任法の成立によって、ナチ党独裁政治が始まった。密かにドイツ再軍備が実行に移され、ドイツ向けの軍用機を開発するようになった。

  1935年にドイツ再軍備宣言が出され、その直後にドイツ空軍が設立されてからは、ハインケルは、He 59複葉戦闘機、ハインケルHe-115双発水上偵察攻撃機、ハインケルHe111双発爆撃機などを開発し量産した。そして、これらの期待は、スウェーデン、スペインなどでも採用され、輸出や外国製造ライセンス料の収入をもたらした。

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、振動力のジェット・エンジンにも注目し、世界初となるターボジェット搭載のジェット実験機ハインケル He178を完成させ、1939年8月27日にジェット初飛行に成功した。これは、エルンスト・ハインケル博士によれば、スピードへの陶酔の発露であるが、高度の軍事技術への関心の大いにあったはずだ。

実際、ハインケルの開発した世界初のジェット機ハインケル He178の初飛行は、第二次世界大戦の始まる5日前だった。しかし、ドイツ空軍は、ジェットエンジン無しでも戦争は勝利できると過信しており、このハインケルHe178には実用性がないと考え注目しなかった。ジェットが実用化されたのは、1943年末だったが、実際にハインケルにジェット戦闘機He162の量産が始まったのは、1945年に入ってからだった。  第二次大戦中のハインケルは、、ヴァーネミュンデWarnemünde)で旧式化したHe111爆撃機を量産し続け、失敗作となったHe177四発重爆撃機を制式させ量産を開始し、さらに国民戦闘機He162ジェット戦闘機の第量産の準備を進めるなど、ドイツ政府、空軍との関係は終始良好だったのである。他方、空軍幹部の無理解で採用されなかったHe280ジェット戦闘機、ミルヒの横やりで200機の生産に留まったHe219夜間戦闘、など不遇な傑作機といえる機体もあり、ハインケルの評価は難しいことも確かである。


2.ハインケル(Heinkel)He 178ジェット機

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;第二次大戦勃発3カ月前の1939年6月20日に初飛行した世界初のロケット推進機がHe176だった。続いて第二次大戦勃発直前4日前、1939年8月27日に初飛行した世界初のジェット推進機がHe178だった。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 178 Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081334引用。


ターボジェットエンジンは、1929年にイギリス空軍フランク・ホイットル (Frank Whittle) が発明し、科学誌などで公開されtいた。これに注目したのがハインケルで、He 178ロケット実験機の設計が技師ジークフリート・ギュンター (Siegfried Günter)によって始まった。

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;ハインケルは、第二次大戦勃発直前の1939年6月20日に世界初のロケット推進機He176を初飛行させ、継いで、大戦4日前の1939年8月27日に世界初のジェット推進機He178を初飛行させた。
Ray Wagner Collection Image
Heinkel, He 178 Title: Heinkel, He 178 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 178 Tags: Heinkel, He 178 .
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081335引用。


1939年8月27日、ハインケルHe 178は、テストパイロットのエーリッヒ・ワルシッツ (Erich Warsitz) によって初飛行に成功した。その1年半後、イギリスのホイットルが開発したグロスター E.28/39ジェット機も初飛行に成功したが、ドイツ軍はジェット機の実用化によって、制空権確保に有利になると思われた。

しかし、ジェットエンジンの信頼性は低く、故障も頻発した上に、整備の取り扱いも難しかった。なによりHe178ジェット機は、燃料消費が大きく航続距離が短く、最高速力は600 km/hでしかなく、これでは、現用戦闘機よりも50?/h速いだけであり、兵装を搭載し重量が増加すれば、それほどの高速は期待できなかった。

ハインケルHe 178は、全金属製胴体、木製肩翼式直線テーパー翼を付けたが、これは後のハインケルHe162ジェット戦闘機の原型のようでもある。降着装置は、当時のドイツ機では当たり前だった尾輪式降着を付けていたが、これは地上ではジェット噴流が地面を加熱してしまい不都合だった。

1939年11月1日、ハインケルは、ドイツ空軍技術局長エルンスト・ウーデット (Ernst Udet)、航空省次官エアハルト・ミルヒ (Erhard Milch) 中将らを招待して、ハインケルHe 176ロケット機, He 178ジェット機の閲覧飛行をした。しかし、最新の航空技術に通じておらず、戦争の前途にも楽観していたこれらのドイツ空軍高官は、当時、ロケット機、ジェット機の開発には熱意を示さなかった。

写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機;ハインケルは、第二次大戦勃発直前の1939年6月20日に世界初のロケット推進機He176を初飛行させ、継いで、大戦4日前の1939年8月27日に世界初のジェット推進機He178を初飛行させた。
English: The Heinkel He 178, the first jet-powered aircraft. Date circa 1939 Source An Encounter Between the Jet Engine Inventors. History Office, Aeronautical Systems Division Air Force Systems Command, Wright-Patterson Air Force Base, Historical Publication, 1978, p. 61 (Illustration 10.) Author Unknown author Permission (Reusing this file) Image rights owned by the United States Air Force. Information provided by Hans van Ohain towards this publication was released to USAF ownership.
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 178File:Ohain USAF He 178 page61.jpg引用。


写真(右)1939年8月27日以降、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機(正面);第二次大戦勃発直前4日前、1939年8月27日に初飛行した世界初のジェット推進機がHe178で、ロケット弾のように、火薬(固形燃料)を燃焼させるロケット推力ではなく、ターボジェット・エンジンだった。
Ray Wagner Collection Image
English: Heinkel He 178 Source USAF This picture may have usage restrictions .
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 178File:Ohain USAF He 178 page58.jpg引用。


ハインケル(Heinkel)He 178ジェット推進実験機は、機首に開口部を設けて、胴体内部に搭載したターボジェットの空気取り入れ口とした。このような機首から空気を取り入れる構造は、空気抵抗を小さくできるので、主翼に取り付けるよりも有利と考えられる。朝鮮戦争で戦う1947年10月1日初飛行のアメリカ空軍のF-86セーバー戦闘機も1947年12月30日初飛行のソ連空軍MiG-15戦闘機も、ターボジェットの空気取り入れ口は、機首に開いている。


3.ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、離陸するドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-1ジェット戦闘機試作1号機;ハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジン2基を装備しているが、不慣れなジェットエンジンの整備に手間がかかるためか、エンジンナセルは、撤去されている。機首には、20ミリ機関銃3丁を搭載できるが、この機体は無武装。
SDASM Archives - Catalog:16_005314 - Title:Heinkel He 280V-1 Nowarra photo - Filename:16_005314.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936269 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280 V1試作1号機(登録コード"DL+AS")は、1940年9月22日に、ハインケルHe111爆撃機によって曳航され初飛行したが、これはジェットエンジンが迄完成しておらず、機体の特性だけを試験するためだった。また、エンジンができたとしても、信頼性の低いジェットエンジンだけでの飛行にはリスクが高く、単独飛行は困難だと判断されてであろう。He280試作機がジェットエンジンを使って初飛行したのは、それから半年たった1941年3月31日である。これは、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジンによる世界初の本格的なジェット戦闘機の飛行成功だった。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 世界初のジェット推進機ハインケル He 178試作機は、ハインケルHeS 3ターボジェットエンジン1基を搭載し1939年8月に初飛行に成功していた。その戦闘機型ハインケル(Heinkel)He 280は、HeS 3エンジンを改良したハインケル HeS 8 (Heinkel Strahltriebwerk 8)ジェットエンジンを2基、主翼に取り下げて取り付けた。試作戦闘機 He 280 が初飛行したのは、1941年3月31日で、4月に実施されたフォッケウルフFw-190A戦闘機との模擬空戦審査では、高速と上昇力を生かして、Fw 190に勝る性能を発揮した。

しかし、ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機のターボ・ジェットエンジンの信頼性が低く、推力増強も難しかったうえに、ドイツ航空省のジェットエンジンへの無理解から、He280の量産化はなされなかった。ハインケルHe 280ジェット戦闘機は、9機が試作されただけで、最終試作機He 280 V9試作9号機(登録コード:NU+ED)が1943年8月31日に初飛行したものの、He 280の開発は放棄されてしまった。

写真(右)1942年後半以降、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 280V-2ジェット戦闘機試作2号機(登録コード:NU-EB);機首には、20ミリ機関銃3丁が搭載できるが、この機体は無武装で、機首に速度計測用のピトー管を装着している。左右の主翼には、各々ハインケル HeS 8ターボジェット1基、合計2基が装備されている。レシプロエンジンは搭載していないので、プロパラは存在しない。
SDASM Archives - Catalog:16_005315 - Title:Heinkel He 280V-2 before installation of turbojets Nowarra photo - Filename:16_005315.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation.
写真はSDASM Archives・PictionID:43936281 引用。


ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機 ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、左右主翼下面にジェットエンジンを搭載、首輪(前輪)式の降着装置のため、地上では地面に水平の位置で駐機しているので、離着陸は尾輪式よりも容易である。また、双発のエンジン排気のために地面や滑走路が傷むことは少ない。他方、ハインケル(Heinkel)He 280より1年遅れのメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は、尾輪式だったために、その後、首輪(前輪)式の降着装置に改装されている。

ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機の尾翼は、双尾翼式で、これは後年のハインケルHe162ジェット戦闘機にも引き継がれている。ただし、ハインケル(Heinkel)He 280の場合、単座で後方旋回機銃の射界確保には双尾翼でする必要はなく、全高を低くして格納や偽装を容易にするためだったのか。1枚の垂直尾翼のほうが空気抵抗削減・重量軽減できて飛行性能は向上したと思われる。

ハインケル(Heinkel)He 280V試作機は、ハインケルの開発したターボジェットエンジンを搭載し飛行しているが、このHe280の前にハインケルでは、技師ジークフリート・ギュンター (Siegfried Günter)らによってHe 178ジェット実験機が開発され、ジェットによる初飛行に成功している。ハインケルHe 178は、全金属製胴体、木製肩翼式直線テーパー翼を付けたが、これは後のハインケル(Heinkel)He 280とは全く異なるエンジン搭載方法で、機体の形状も違う。かえって、外観の上では、この後の国民戦闘機He162のほうが、He178の構造を引き継いでいる。

しかし、ハインケルのジェット機は、初めてのHe178以外、ハインケル(Heinkel)He 280もHe162も前輪式(首輪式)降着装置を採用して、ターボジェットのジェット噴流を下方に排気しないように、配慮している。当時のドイツ機では当たり前だった尾輪式降着は、この後のハインケルの開発したジェット機では採用されていない。しかし、メッサーシュミットの開発したジェット機Me262の試作機は、尾輪式であり、離着陸に大きな問題を引き起こし、結局、ハインケル(Heinkel)He 280同様の前輪式降着に変更されている。

エルンスト・ハインケルは、He178の最初の飛行に成功してジェット開発を継続し、新たなターボジェットエンジン2基を主翼に搭載したHe280を開発した。しかし、ドイツ航空省(Reichsluftfahrtministerium:RLM)次官エアハルト・ミルヒは、ジェットエンジンの革新性を十分理解できず、それが次世代飛行機の高性能をもたらすことを理解できなかった。戦争準備のためとしても、ドイツ空軍に配備された既存の飛行機で十分間に合うと考えていたようだ。他方、航空省技術局長エルンスト・ウーデットは、元戦闘機隊エース・パイロットで、ハインケルのジェットエンジンで飛ぶHe178に関心を持った。そして、ハインケルは、その見識に期待して、実験機だったHe178を踏まえて、1939年にHe280ジェット戦闘機の開発に力を注いだ。

ハインケルHe280の尾翼は、双尾翼(ツインフィン)で、前輪(首輪)式降着装置を備え、着陸時には機体が水平姿勢で待機できた。また、高速飛行中に脱出するために、世界初の圧搾空気式の射出座席を備えていた。ハインケルHe280は、1941年3月30日に初飛行した。1942年1月13日、ハインケルHe280を操縦していたテストパイロットのヘルムート・シェンクは、機体不調により、緊急脱出を余儀なくされたが、このとき圧搾空気式の射出座席を使用した。これが世界初の射出座席による空中からの操縦士脱出の事例となった。


1943年ハインケルHe280の飛行映像:German HE-280 Jet Aircraft - 250064-05 | Footage Farm Ltd
473 回視聴 (•2019/03/28)
[WWII - Germany, 1943, German HE-280 Jet Aircraft] German HE-280 twin tail fighter jet aircraft starting up runway for takeoff, tow cable visible from nose; past various types of German aircraft on airfield, hangar buildings beyond flight line. Can be seen towed by C-47 type plane. 06:38:38 Jet overhead w/ landing gear down; approaching & landing on field. Spectators visible. WW2 Aviation Research; 1943;
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ハインケル(Heinkel)He 280試作機合計9機の一覧

He 280 V1 登録コード"DL+AS". 1940年9月22日、ハインケルHe111曳航され初飛行 1942年1月13日、操縦不能となり墜落、パイロットは射出座席で脱出
He 280 V2 登録コード "GJ+CA". 1941年3月30日初飛行、1943年6月26日、エンジン不調で墜落
He 280 V3 登録コード "GJ+CB". 1942年7月5日初飛行.1945年5月: オーストリア、ウィーン郊外(Wien-Schwechat)ハインケル南(Heinkel-Sud)工場でアメリカ軍が鹵獲
He 280 V4 登録コード "GJ+CC". 1943年8月31日初飛行 1944年10月オーストリア、リンツ郊外Hörschingで撃墜
He 280 V5 登録コード "GJ+CD". 1943年7月26日初飛行
He 280 V6 登録コード "NU+EA". 1943年7月26日初飛行. ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)109-004Aターボジェットエンジン装備
He 280 V7 登録コード "NU+EB" あるいは "D-IEXM". 1943年4月19日初飛行. 115回の曳航飛行、ハインケル(Heinkel)ヒルス(Hirth)109-001ターバジェットエンジン、エンジン故障
He 280 V8 登録コード "NU+EC". 1943年7月19日初飛行
He 280 V9 登録コード "NU+ED". 1943年8月31日初飛行

1943年7月26日初飛行ハインケル(Heinkel)He 280 V-6ジェット戦闘機(登録コード:GJ+CD)の諸元
乗員Crew: 1名
全長Length: 10.198 m (33 ft 5.5 in)、全幅Wingspan: 11.99726 m (39 ft 4.333 in)、全高Height: 3.1941 m (10 ft 5.75 in)
翌面積Wing area: 21.51平方メートル(231.5 sq ft)
総重量 Gross weight: 5,205 kg (11,475 lb)
発動機Powerplant: ユンカース(Junkers)Jumo109-004A ターボジェットエンジン2基
性能 Performance
最高速力Maximum speed: 751.5 km/h (467.0 mph, 405.8 kn) /海面上
817.5 km/h (508.0 mph; 441.4 kn)/6,000 m (19,685 ft)
809.5 km/h (503.0 mph; 437.1 kn)/8,501 m (27,890 ft)
航続距離Range: 615 km (382 mi, 332 nmi)/9,010 m (29,560 ft)
314 km (195 mi; 170 nmi)/海面上
実用上昇限度Service ceiling: 11,400 m (37,390 ft)
上昇率Rate of climb: 21.2 m/s (4,170 ft/min)
兵装 Armament
20ミリMG 151/20機関銃3丁

しかし,ハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、機体も試作、エンジンも試作という状況で、信頼性が確保できないのは当然のことで、試験飛行、審査を続けて地道に対策を取り続ければ、HeS 8エンジンあるいはエンジン換装によって、1941年3月30日初飛行のハインケル(Heinkel)He 280ジェット戦闘機は、メッサーシュミットMe262戦闘機よりも1年早く、1943年末には実用化できたかもしれない。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He280戦闘機を見る。



4.実戦投入されたメッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262ジェット戦闘機

写真(右)1942年7月(?)、ドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-3 ジェット戦闘機試作3号機(登録コード:PC-UC);左右の主翼下面に初めはBMW 003ターボジェットエンジンを搭載し、その後で直ぐにユモJumo004ターボジェットを搭載して飛行した。1942年7月18日初飛行。ただし、この機体が初飛行かどうかは確証がない。V-1試作1号機の初飛行は、1942年3月25日と4カ月近く速かったが、この機体は、ジェットエンジンの停止や事故に備えて、機首にJumo210液冷エンジン(プロペラを駆動する)を予備に装着し、緊急事態に備えていた。ともに、前輪式降着装置ではなく、尾輪式なので、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、整備の障害となった。後に、He280と同様の前輪式に改良された。大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、1000機以上量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。
Messerschmitt Me 262V-3 Nowarra collection PictionID:44218078 - Title:Messerschmitt Me 262V-3 Nowarra collection - Catalog:16_005577 - Filename:16_005577.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives  PictionID:44218078引用。


メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-1ジェット戦闘機試作1号機は、左右主翼に搭載したBMW 003ターボジェットエンジン1基、合計2基の信頼性に疑念があったため、安全策として駆動確実なユモJumo210液冷エンジン1基を機首に予備的に搭載した。そして、V-1は、1942年3月25日にジェット初飛行をしたが、この時にジェットエンジンが停止してしまい、機首に装備したユモJumo210液冷エンジンで緊急着陸した。メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262 V-3 ジェット戦闘機試作3号機(登録コード:PC-UC)は、左右の主翼下面にJumo004ターボジェット各1基を搭載、機首の予備エンジンなしで、1942年7月18日に初飛行した。

写真(右)1944年夏、ドイツ、部隊配備されたドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262A-1ジェット戦闘機の戦列;左右の主翼下面にJumo004ターボジェット各1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。しかし、前輪式降着装置ではなく、尾輪式なので、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、整備の障害となった。後に、He280と同様の前輪式に改良された。大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、1000機以上量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。
Messerschmitt Me 262A-1 Nowarra collection PictionID:44218164 - Title:Messerschmitt Me 262A-1 Nowarra collection - Catalog:16_005584 - Filename:16_005584.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives  PictionID:44218164 引用。


メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は試作4号機まで、前輪式降着装置ではなく、尾輪式だった。そこで、ジェット噴流が地面に当たってしまい、滑走路を損傷したり、地上滑走や離陸中に方向制御ができなくなる欠陥があった。そのため、V-5からは、ハインケルHe280と同様の前輪式に改良された。 メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は、当初、ヒトラーの電撃爆撃機の命令で、500キロ爆弾2発を搭載可能なMe 262A-2a戦闘爆撃機として部隊配備され、1944年8月末から、北フランスで実戦投入された。において作戦を開始した。その後、戦闘機型が1944年8月から部隊配備され、1944年9月25日、撃墜王ヴァルター・ノボトニー少佐率いるノボトニー部隊がが編成された。メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 262は、大戦末期の混乱と連合軍の攻撃の中を、最優先事項として、1,430 機もが量産されたが、実戦配備されたのは半数に満たなかったようだ。

⇒写真集:メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-262戦闘機を見る。


5.ハインケルHe 162 フォルクスイーガー(Volksjäger)戦闘機

写真(右)1944年12月10日以前、ドイツ、オストマルク(オーストリア)、ドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 V-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)試作1号機;胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行したが、その後の1944年12月10日の試験飛行で事故により墜落し、テストパイロットも死亡した。
Heinkel He 162V1 prototype at Heinkels Schweckat-Heidfeld Airfield near Vienna, Austria in 1944 – this aircraft was lost in a crash on December 10th, 1944 sadly killing test pilot Flugkapitän Gotthold Peter.
Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081325引用。


第二次大戦中盤、スターリングラードでソ連に大敗北したドイツは、徹底的な動員を図ることを決めたが、制空権奪回のために、空軍兵力も一新を図る決断は、1944年6月に西側連合軍がノルマンディーに上陸、フランスに侵攻してきてからだった。これが1944年訪販の国民戦闘機(フォルクス・イェーガー)の開発計画で、簡易構造のジェット戦闘機を大量産して、ドイツ上空の制空権を奪回す目的があった。

写真(右)1944年12月(?)、ドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162V-1ジェット戦闘機試作1号機の飛行中の主翼破損事故;試作機が1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。しかし、テスト飛行中に主翼が破損する大事故を起こした。木製の接着剤の不良、構造的欠陥、工作の未熟などの原因が考えられた。十分な審査の時間がなく、加えて大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、部隊配備は大幅に遅れ、訓練も習熟飛行もできていないまま、敗戦となった。
Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_005310 - Title:Heinkel He 162V-1 in roll Nowarra photo - Filename:16_005310.TIF Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936218 引用。


国民戦闘機ハインケル(Heinkel)He 162 V-1試作1号機は、1944年12月6日、初飛行に成功した。高速飛行した際に、機体の木製部分を繋ぐ時に接着剤が高熱で融解する事故が生じた。初飛行で事故があれば、時間をかけて実験し事故原因を検討すべきところであるが、戦局悪化のためにそのような余裕はなく、複雑な構造を持つBMW003ターボジェットも増産しながら、急速整備が最優先された。そこで、ハインケル(Heinkel)He 162は、再度の試験飛行が12月10日に強行されたが、木製主翼の昇降舵(エルロン)が吹き飛ぶ大事故となり、機体は横転、失速して墜落した。搭乗していたパイロットも死亡した。

写真(右)1945年4月15日、ドイツ南部、オストマルク(オーストリア)、ハインケルHe162地下工場。アメリカ第9軍が占領し撮影した。;岩塩鉱を利用したので、地下の空間を利用して、空爆の被害から逃れることができた。戦争捕虜、ユダヤ人などドイツの奴隷労働を利用して生産が行われた。試作機が1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていたのである。
Bei Mödlingen, unterirdische Flugzeugproduktion Bei Mödling.- Unterirdische Fertigung von Flugzeugen Heinkel He 162, Deckname "Languste" Description English: "BEYOND THE REACH OF BOMBS. In a salt mine near Engels, Germany, United States Ninth Army troops found these nearly completed Heinkel jet planes, capable of a speed of 650 miles per hour. The assembly line, 300 meters beneath the earth, was reportedly in operation for several months with an output of 40 or 50 planes a month. A large elevator brought planes to surface."[Date 15 April 1945] Collection German Federal Archives Current location Sammlung Library of Congress (Bild 141) Accession number Bild 141-2737]
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel 162.jpg 引用。



He-162 Prototype number 6.
48,548 回視聴(•2007/04/18)

しかし、大戦末期のドイツ空軍には、未熟練パイロットがほとんどで、飛行訓練は航空燃料不足でほとんどできなくなっていたから、経験不足の新米パイロットが高速のハインケル(Heinkel)He 162ジェット機を操縦して、敵機を迎撃するのは難しかった。また、大戦末期には、熟練工不足、資材・部品の品質低下、エンジンの故障頻発があり、連合軍の空襲も激しかったために、ハインケル(Heinkel)He 162の量産も順調には進まなかった。

写真(右)1945年5月以降、イギリスが鹵獲したドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)胴体背面のBMW003ターボジェットエンジン後端と取り付け部分;手前は双尾翼。胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。戦局悪化の中、試作機完成前に量産体制の整備が進んでいたが、大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、162機しか生産できていないまま、敗戦となった。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43936194 - Catalog:16_005308 - Title:Heinkel He 162 - Filename:16_005308.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.--- -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936194 引用。


ハインケル(Heinkel)He 162の飛行性能は、速力、上昇力も的戦闘機と対等以上だったので、ドイツ本土防空のために第一線部隊の第1戦闘航空団(JG1)に配備されたが、未熟なパイロット、燃料不足、BMW003ターボジェットの整備困難・耐久性能不足のために、実戦投入は進まないまま、ドイツの敗戦を迎えた。

写真(右)1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第一戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)白23号機(製造番号WkNr.120222);操縦席ガラス風防は、それまでのドイツ戦闘機は、横に開いたが、He162は前方から上に開く方式になった。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081324引用。


He-162ジェット 1944年12月6日初飛行初飛行の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162の操縦席ガラス風防は、前方から上に開く方式で、これは21世紀のジェット戦闘機と同じである。良好な視界を1枚ガラス風防で確保し強度がある反面、空気抵抗を減らすには都合の良い方法だったようだ。しかし、操縦席の直後、胴体上面にBMW003ターボジェット1基が搭載されているので、パラシュートで脱出しようとしても、体がエンジンにぶつかって大けがをしてしまうであろう。操縦席ごと火薬か圧搾空気で射出できれば、パイロットが安全に機外脱出できるが、これは工作に手間がかかり、重量も嵩んでしまうので、国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162には採用されなかった。

写真(右)1945年4月以降、ドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲されたドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機とアメリカ軍兵士;試作機が1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。イギリス軍が鹵獲した機体をアメリカに運搬することが決まった。
He 162 San Diego Air and Space Museum Archive Date 16 July 2012, 13:30 Source Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Author SDASM Archives
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Bundesarchiv Bild 141-2737, unterirdische Flugzeugproduktion.jpg引用。


写真(右)1945年4月以降、アメリカ、ドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲されたドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機とアメリカ軍兵士;イギリス軍が鹵獲した機体をアメリカに運搬することが決まった。
American soldier guarding a Heinkel He 162 Volksjäger. It is not clear where the picture was taken. The Heinkel He 162 was a German single engined, jet powered fighter aircraft fielded by the Luftwaffe in WWII. Designed and built quickly, and made primarily of wood it was nevertheless the fastest of the first generation of Axis and Allied jets. It was called Volksjäger,Salamander or Spatz ("Sparrow"). This He 162 "White 4" of fighter unit JG1 was captured by British troops at Leck in Northern Germany. 3 He 162 were subsequently brought to Kassel. Originally, it was planned to take these jets to the US for evaluation. Picture in the possession of my grandfather Jan B.H.A. Vervloedt since the aftermath of the liberation of Belgium, photo now in the family archives. Date between 1945 and 1946 Source Jan B.H.A. Vervloedt Author scan Ad Meskens/photo Jan B.H.A. Vervloedt, zie ook:vliegtuigen Permission (Reusing this file) Notification/copy of publication appreciated
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel, He 162, Spatz Volksjager (7585406720).jpg引用。


写真(右)1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第一戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)白23号機(製造番号:W.Nr.120222);操縦席ガラス風防は、前方から上に開く。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081321引用。


第二次大戦末期、ドイツ空軍はドイツ上空の制空権を奪還するために、高性能戦闘機を大量配備する計画を立てた。これが国民戦闘機(フォルクスイェーガー)と命名されたジェット戦闘機ハインケル(Heinkel)He 162スパッツで、資材不足から、木製主翼など非金属資材を多用して資材を節約し、飛行機の造像も簡易化して経費削減・工作時間短縮による単純な構造の大量生産が可能な機体だった。しかし、BMW003ターボジェットの生産については、困難を極めたことであろう。

写真(右)1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第一戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)白23号機(製造番号:W.Nr.120222);操縦席ガラス風防は、前方から上に開く。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081320引用。


He-162ジェット 1944年後半の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162開発時点で、既にメッサーシュミットMe-262がジェット戦闘機兼ジェット戦闘爆撃機として実用化されていた。Me262 はユモJumo004ターボジェットを装備した一方で、He162はBMW003ターボジェットを装備したので、エンジンは異なっている。

ドイツ空軍は、BMW003ターボジェットを搭載した高性能の国民戦闘機を大量配備して戦局を挽回する腹積もりだった。つまり、敵戦闘機を上回る高性能のジェット機で、短時間で量産・配備でき、製造経費が安く製造も容易であることが求められた。この要求を満たしたのが、ハインケル(Heinkel)He 162で、計画から半年もたたない1944年12月6日に初飛行に成功した。

写真(右)1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第一戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)白23号機(製造番号WkNr.120222);試作機は1944年12月6日初飛行だが、戦局悪化のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。機首下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を搭載しているので、その銃口が開いている。
Ray Wagner Collection Image Ray Wagner Collection Image PictionID:43936206 - Catalog:16_005309 - Title:Heinkel He 162A-2 Nowarra photo - Filename:16_005309.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936206引用。


戦闘機隊総監アドルフ・ガーランド中将は、この国民戦闘機の計画を実行性が乏しく、既存のMe262戦闘機を優先配備することを主張していたが、既に、ハインケル(Heinkel)He 162は、ヒトラーとゲーリングの支持を得ており国民戦闘機として試作機完成前に制式され、量産計画が実行に移されている。

写真(右)1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第一戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)白23号機(製造番号:WkNr.120222);機首下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を搭載しているので、その銃口が開いている。この機体は、フランスを経由して、アメリカに運ばれている。
Ray Wagner Collection Image Catalog:16_005311 - Title:Heinkel He 162V-1 Nowarra photo - Filename:16_005311.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:43936231引用。


 国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162は、BMW003ターボジェットを搭載し、初飛行は1944年12月6日で、12月10日の2回目の試験飛行では、主翼破損により墜落事故を起こしてしまった。しかし、量産準備が進行中のため、計画は続行され、戦局挽回の逆転を願って、1945年2月には、実戦部隊の第1戦闘航空団(JG1)に配備され、実戦参加が進められた。しかし、国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162は、機体の不安性、燃料不足、パイロットの訓練不足・士気の低下もあって、連合軍機による空襲の下で、量産も部隊訓練も進展せず、結局160機程度の量産しかできず、実戦への寄与もかなわないうちに、ドイツは敗北した。

写真(右)1945年5月(?)、イギリス、イギリス軍によるドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘機(製造番号:WkNr.120222);垂直尾翼に製造番号:WkNr.120222が書かれており、ドイツ空軍第一戦闘航空団JG1白23号機のはずだが、機体番号は消去されている。
Ray Wagner Collection Image bob hoover collection image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081322引用。


国民戦闘機(Volksjager)ハインつまり、He162の試作機は1944年12月6日初飛行だが、戦局悪化のために、その前から急遽、He162量産の準備が開始されていた。しかし、初飛行に成功した直後、再度の試験飛行中に主翼が破損、昇降舵が吹き飛び、墜落、パイロットが死亡する大事故が起きた。ハインケル(Heinkel)He 162の木製主翼の接着剤の不良、構造的欠陥・強度不足、未熟練工員・囚人・捕虜による工作の未熟・サボタージュなどの原因が考えられた。

写真(右)写真(右)1945年5月以降、イギリス(?)、西側連合軍のイギリスが鹵獲したドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162Aジェット戦闘機スパッツ(Spatz)黄4号(製造番号:W.Nr. 120076);機首下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を搭載しているので、その銃口が開いている。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081327引用。


しかし、開発を急ぎ、試作機の初飛行前から量産体制の整備に進むような手抜きのプロセス、大戦末期の連合軍の攻撃による混乱が、基本的な欠陥と実戦配備の遅れをもたらした。国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162の部隊配備は大幅に遅れ、訓練も習熟飛行もできていないままで、実戦に出撃したのかどうかも不確かなうちに敗戦となった。

写真(右)1945年5月以降、イギリス(?)、西側連合軍のイギリスが鹵獲したドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162Aジェット戦闘機スパッツ(Spatz)黄4号(製造番号:120076);機首下面に20ミリMG151/20機関銃2丁を搭載しているので、その銃口が開いている。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081326引用。


写真(右)1945年5月以降、アメリカ、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機;イギリス軍が鹵獲した機体をアメリカに運搬した。ドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲されたドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機であろう。この機体は、アメリカ航空宇宙博物館で保管展示されている。
English: Heinkel He 162 - during the post-war trials in US (US Army Signal Corps); Original production number 120230; at the re-assemby in the U.S. the tail end of 120222 was used for unknown reasons. This aircraft is today shown at the U.S. National Air and Space Museum. Cf. [1] and [2]. Lupo 07:54, 21 Jan 2005 (UTC)
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:He162 color010.jpg引用。


写真(右)1945年5月以降、アメリカ、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機;試作機は1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。イギリス軍が鹵獲した機体をアメリカに運搬した。ドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲されたドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162ジェット戦闘機は、アメリカ航空宇宙博物館で保管展示されている。
Description He 162 San Diego Air and Space Museum Archive Date 16 July 2012, 13:30 Source Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Author SDASM Archives
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel, He 162, Spatz Volksjager (7585406720).jpg引用。



写真(右)1945年6月-1946年頃、フランスあるいはアメリカ、1945年5月以降、アメリカが1945年5月にドイツ北部(デンマーク国境)シュレースヴィヒホルシュタイン(Schleswig-Holsteinische )州レック(Leck)で鹵獲したドイツ空軍第1戦闘航空団JG1(?)国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-2ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)(製造番号:WkNr.120222)
;垂直尾翼に記入された製造番号WkNr.120222があるので、鹵獲時には機首には白23が記入されていたはずだ。しかし、機体番号は消去されている。機体や塗装の歴史的な価値は、終戦直後にほとんどなかったため、オリジナルの塗装を保存する試みはなされていない。前輪式で、尾部が下がる「尻もち」をを防止する支柱が置かれている。
SDASM Archives Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Title: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Spatz Volksjager Additional Information: Germany Designation: He 162 Tags: Heinkel, He 162, Spatz Volksjager .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081323引用。


写真(右)1945年5月以降、イギリス(?)、西側連合軍のイギリスが鹵獲したドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)赤1号(垂直尾翼番号:12489)の試験審査飛行;1944年10月にドイツが行った試作機の試験飛行では、主翼の方向舵が吹き飛ぶ大事故を起こした。木製の接着剤の不良、構造的欠陥、工作の未熟などの原因が考えられた。十分な審査の時間がなく、加えて大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、部隊配備は大幅に遅れ、訓練も習熟飛行もできていないまま、敗戦となった。
Ray Wagner Collection Image bob hoover collection image catalogbob hoover box 38 446.tif - title-bob hoover collection image - filenamebob hoover box 38 446.tif--The images in this collection belong to the Bob Hoover Legacy Foundation. In addition to digitizing these images, the San Diego Air and Space Museum cares for and manages them. Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)- -
写真は,Flickr, SDASM Archives pictionid72044607 引用。


写真(右)2019年、アメリカ、カリフォルニア(California)州チノ(Chino)、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)赤1号(垂直尾翼番号:120077);試作機は1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。1945年4月にイギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したHe162 A-1ジェット戦闘機赤1号。A-1型はラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)2門搭載。
English: c/n 120077. Captured at Leck, Germany in 1945 and later transported to the USA aboard HMS Reaper. It was allocated US military test serials T2-489 / FE-489, and flown from Muroc Dry Lake, which is now Edwards AFB. It joined Ed Maloney’s collection in 1959. It is now on display at Planes of Fame Air Museum, Chino, California, USA. 20th September 2019 Date 20 September 2019, 13:44:58 Source Own work Author 先従隗始
写真は,Flickr, SDASM Archives File:Heinkel He 162A-2 Volksjäger ‘1’ “nervenklau” (25982145706).jpg引用。


写真(右)2019年、アメリカ、カリフォルニア(California)州チノ(Chino)、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)赤1号(製造番号:120077);A-1型はラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)2門搭載。1945年4月にイギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したHe162ジェット戦闘機赤1号。
English: Heinkel He 162 A-1 Volksjäger - Planes of Fame Museum - Chino, California Date 25 March 2022, 21:14:37 Source Own work Author Ducatipierre
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162 120077 File:Heinkel He 162 A-1 Volksjäger - Planes of Fame Museum - Chino, Californie.jpg引用。


写真(右)2014年、アメリカ、カリフォルニア(California)州チノ(Chino)、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)赤1号(製造番号:120077);機首下方側面にラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)の砲門が大きく開いている。1945年4月にイギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したHe162ジェット戦闘機赤1号。
日本語: He 162A-1 Planes of Fame Air Museum Date Taken on 20 July 2014, 05:03:35 Source Own work Author Goshimini
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162 120077 File:He 162A-1 Planes of Fame.jpg引用。


写真(右)2012年5月、アメリカ、カリフォルニア(California)州チノ(Chino)、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)、ドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-1ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)赤1号(垂直尾翼番号:120077)の装備翼とBMW003ジェットエンジン後部;1945年4月にイギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したHe162ジェット戦闘機赤1号。装備したのはA-2型はマウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃だったが、初期のA-1型はラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲を搭載している。
Heinkel He 162 Volksjäger Date 28 May 2012, 15:56 Source Heinkel He 162 Volksjäger Uploaded by High Contrast Author Dustin May from Detroit, MI
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162 120077 File:Heinkel He 162 Volksjäger (7530280520).jpg引用。



写真(上)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson )飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケルHe162A-2 ジェット戦闘機白7号機。後方の大型機は、ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)
;塗装はどちらもオリジナルの復元を試みている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 031 Junkers 290 Alles Kaput Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt) の左前方に展示されたHe162A-2 ジェット戦闘機白7号機と日本海軍人間爆弾「桜花」(MXY-7 Ohka);Ju290四発機の左翼後方には、無塗装の日本海軍三菱ゼロ戦52型(無塗装)が展示されている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 031 Junkers 290 Alles Kaput Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. snautzer 7y This is a He162A-2 (see the MG151/20) The wings were taken from 120067 while the fuselage of 120067 was scrapped at Kassel. The tail maybe also from another plane. See LEMB www.luftwaffe-experten.org/forums/index.php?showtopic=6720 .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


西側連合国空軍の空襲が激しくなり、制空権が失われた中で、ドイツ空軍は、通常は隠匿していて急速に迎撃が可能な高速機が求められた。飛行場から離陸する最中に発見されたり、攻撃されたりしないように、ロケットを使用して垂直に離陸する迎撃機が考えられた。これがエーリッヒ・バッヘム設計になるバヘッムBa 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機である。推力は、固形燃料のロケット4基で、これによって鉄製ランチャー(発射台)から垂直に発射される。固形ロケットは使用後、落下傘で投下、回収、再使用する。

写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケルHe162A-2 ジェット戦闘機白7号機とユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt) ;Ju290四発機の左前方にはユンカースJu388L高高度偵察機、右翼前方にはメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、右翼後方にはリパブリックP-47 Dサンダーボルト戦闘機(無塗装)、左翼後方には、バヘッムBa 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機と日本海軍三菱ゼロ戦52型(無塗装)、右奥にはが並べられている。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 041 Heinkel He162A-2 Volksjager Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


1942年7月16日に初飛行したユンカース(Junkers)Ju 290は、長距離偵察爆撃機として、ドイツ海軍潜水艦Uボートとの哨戒作戦にも投入されたが、1944年になると、迎撃用の戦闘機優先の方針が確定し、爆撃機は燃料不足と敵機による迎撃のために、出撃は制限された。

写真(右)1946年、アメリカ、オハイオ州ライト・パターソン(Wright Patterson)基地で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭(Army Air Forces Fair)に展示中のアメリカ軍が鹵獲したドイツ空軍バヘッム(Bachem)Ba 349 「ナッター」"Natter"ロケット迎撃機とユンカース(Junkers)Ju290長距離哨戒偵察機A-7型(米軍登録No.FE3400)「全て壊滅」号(Alles Kaputt)の尾部;Ju290大型機の周囲には、枢軸国を降伏させ鹵獲したユンカースJu388L高高度偵察機、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、日本海軍三菱ゼロ戦52型、人間爆弾「桜花」が並べられていた。
SDASM Archives Army Air Forces Fair 016 Bachem Ba 349 "Natter" Charles Daniels Collection Photo Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Charles Danield via Wright Patterson Air Force Base Museum. PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive .
写真はSDASM Archives・Catalog #: 01_00081828引用。


資材節約の簡易型攻撃機のバヘッムBa 349ロケット迎撃機は、木製構造で、兵装は機首に搭載した24発のロケット弾である。飛行中に使用するのは、Me163エンジンと同形式のヴァルター式液体燃料ロケット機関(HWK 109-509A)1基で、迎撃が終了した後、パイロットはパラシュートで機外に脱出する。機体は、大型パラシュートで落下、回収、エンジンとともに再使用される。

バヘッムBa 349「ナッター」(Natter)ロケット迎撃機は、1944年12月18日、無人発射実験に成功した。その後、945年2月になって、有人発射実験が行われたが、機体はすぐに墜落し、搭乗員は死亡した。しかし、戦局挽回のための決死兵器は、有人発射試験が続行され、1945年4月には、部隊配備が始まったが、すぐにドイツは降伏した。

写真(右)1945年5月、イギリス、ロンドン、トラファルガー広場に展示された戦利品のドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:W.Nr.120095)右側面;機首左右下面に、20ミリMg151/20機関銃を左右合計2丁を搭載しているので、銃口から銃身が半分はみ出している。A-2型の30ミリ機関砲の場合は、銃身は出ていない。
A captured German Heinkel He 162A-2 (W.Nr. 120095, formerly "white 20" of 1./JG 1) on display in Trafalgar Square, London (UK), in September 1945. Date September 1945 Source Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P00687.942
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:He 162 on display Trafalgar Square 1945.jpg引用。


写真(右)1945年5月、イギリス、ロンドン、トラファルガー広場に展示された戦利品のドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:W.Nr.120095)の機首;機首左右下面に、20ミリMG151/20機関銃を左右合計2丁を搭載しているので、銃口から銃身が半分はみ出している。A-2型のラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)の場合は、銃身は出ていない。
A captured German Heinkel He 162A-2 on display in Trafalgar Square, London (UK), on 8 May 1945. Date 8 May 1945 Source the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P01523.037
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:He 162 on display Trafalgar Square May 1945.jpg引用。


写真(右)1990年頃、イギリス、イギリスで展示されたドイツ空軍国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162A-1ジェット戦闘機(黄6号;Gelbe 6)(製造番号:Werknummer 120235);試験飛行中に主翼が破損する大事故を起こした。木製の接着剤の不良、構造的欠陥、工作の未熟などの原因が考えられた。十分な審査の時間がなく、加えて大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、部隊配備は大幅に遅れ、訓練も習熟飛行もできていないまま、敗戦となった。ラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)2門搭載。
Ray Wagner Collection Image Heinkel He-162A-1 Volksjハger 'People's Fighter', Werknummer 120235. The Heinkel He 162 Volksjハger (German, - Title:Heinkel He-162A-1 Volksjハger 'People's Fighter', Werknummer 120235. The Heinkel He 162 Volksjハger (German, - Catalog:15_003988 - Filename:15_003988.tif - - - Image from the Charles Daniels Photo Collection album: IWM/Duxford 84----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System-
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:44535596引用。


写真(右)2018年11月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II./JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227);機首下面にマウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃の銃口が見える。
RAF Museum London, Hendon Date 1 November 2018, 13:27 Source 20181101_132749 Author Irid Escent-
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:RAF Museum London – 20181101 132749 (31793220538).jpg引用。


国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘機の胴体前方下面に、2丁のマウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃を装備しているが、この程度では、1945年の戦闘機としては火力不足だった。しかし、軽量・小型のハインケル(Heinkel)He 162国民戦闘機(Volksjager)では、この程度の兵装しか搭載することはできなかった。火力不足は、機数の増加によって相殺できるはずだったが、実際には、戦局悪化で大量生産の実績を上げることはできなかった。


写真(上)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II./JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227)
;機首下面銃口にマウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃の銃身先端が見える。BMW003ターボジェット1基を搭載、BMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行したが、その前から悪化した戦局を挽回するために増産準備が始まっていた。最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦参加はしていない。
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF Regiment and brought back to Farnborough. Given the Air Ministry No 65 and allocated the British Military serial VN679, although did not fly in the UK. Survived by briefly being allocated to the Air Historical Branch and used for displays. Preserved at RAF Colerne by 1958. Moved to RAF St Athan when Colerne closed in 1976, finally moving to Hendon in 1989 where it remains on display in the Bomber Command Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016IMG_9812.jpg Date 20 April 2017, 11:53 Source IMG_9812.jpg Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany -
写真は, Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum IMG 9812 (34045741131).jpg引用。



写真(上)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II./JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227)
;機首下面銃口にマウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃の銃身が見える。右側はノース・アメリカンTB-25J-20/22-NA ミッチェル爆撃練習機の右主翼とライト(Wright)R-2600 ツイン・サイクロン(Twin Cyclone)空冷星形14気筒エンジン(1,700hp)。
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF Regiment and brought back to Farnborough. Given the Air Ministry No 65 and allocated the British Military serial VN679, although did not fly in the UK. Survived by briefly being allocated to the Air Historical Branch and used for displays. Preserved at RAF Colerne by 1958. Moved to RAF St Athan when Colerne closed in 1976, finally moving to Hendon in 1989 where it remains on display in the Bomber Command Hall. RAF Museum, Hendon, London, UK. 28th May 2016IMG_9812.jpg 20 April 2017, 11:53 Source Heinkel He-162A-2 Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真は,Flickr, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Heinkel He-162A-2 (34176599475).jpg引用。


写真(右)2017年4月、イギリス、ロンドン郊外、ドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II./JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227);降着装置は、前輪(首輪)式のため、地上では地面に平行に駐機している。当時の大半の飛行機は、尾輪式だったので、地上での駐機姿勢は、機首を上に向けた姿勢だった。右側はノース・アメリカンTB-25J-20/22-NA ミッチェル爆撃練習機の右主翼とライト(Wright)R-2600 ツイン・サイクロン(Twin Cyclone)空冷星形14気筒エンジン(1,700hp)。
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF RAF Museum London, Hendon Date 15 March 2018, 12:10 Source 20180315_121039 Author Irid Escent -
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:RAF Museum London – 20180315 121039 (25997598347).jpg引用。


国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘は、小型・軽量なので、He280やMe262とは違って、エンジンは1機で出力を確保できた。胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載したが、このような配置は、整備の上からは不都合で、エンジンの変換にも手間が語った。当時のジェットエンジンは、信頼性が低く、整備を頻繁に行う必要があり、さらに耐用時間も短いので、エンジン換装も必要になった。試作機が1944年12月6日初飛行したHe162は、戦局挽回のために、その前から急遽、量産準備が開始されていた。国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162は、最高速力850 km/h、162機が量産されたが、実戦部隊には配備されたものの、実戦参加はしていないようだ。

写真(右)2018年4月、イギリス、ロンドン郊外、イギリス空軍博物館に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第2飛行隊(II./JG1)所属のハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機赤2号„Rote 2“(製造番号:WkNr.120227)の正面;双尾翼式なのは、胴体上面のジェットエンジンのジェット噴流が排出されている。そこで、胴体中央に1枚の垂直尾翼を設けると、そこにジェット噴流が当たって、垂直尾翼を損傷してしまう。そこで、双尾翼式が採用された。左側はノース・アメリカンTB-25J-20/22-NA ミッチェル爆撃練習機の右主翼。
Delivered to II/JG1 at Leck Airfield in April 1945. Surrendered to the RAF RAF Museum London, Hendon Heinkel He162A-2 Salamander 'Volkjager' at the RAF Museum, Hendon, 24 April 2018. Date 24 April 2018, 14:03 Source Heinkel He162A-2 Salamander Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK -
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162A (120227) at RAF Museum London File:Heinkel He162A-2 Salamander (40126277620).jpg引用。


 ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘は、肩翼式で、双垂直尾翼だったが、これは胴体背面のBMW003ターボジェットの噴流が後方に排出されるためで、このジェット噴流を妨害しないように、垂直尾翼を中心線から離して二つ配置した。しかし、強度の上からは、脆弱ではなかったのか。また、金属節約のために、木製主翼を採用したが、この接合強度なども問題があったようだ。これらの課題は、本来は試作審査の中で改良されるはずだが、ハインケル(Heinkel)He 162にはその時間的余裕がなかった。そのため、戦時中のドイツでも戦後に使用したイギリスでも本機に空中分解事故が起こっている。

写真(右)2015年9月、フランス、パリ北部ル・ブルジェ空港、ル・ブルジェ航空宇宙博物館 (Musée de l'Air et de l'Espace)に展示された戦利品のドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機黄21号(製造番号:W.Nr.120095)の機首左側面;機首左右下面に、20ミリMg151/20機関銃を左右合計2丁を搭載しているので、銃口から銃身が半分はみ出している。A-2型の30ミリ機関砲の場合は、銃身は出ていない。
Français : Heinkel He 162 A-2 exposé dans le hall 1939-1945 de musée de l'Air et de l'Espace. Date 19 September 2015, 17:03:23 Source Own work Author Duch
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel He 162 A-2 - MAE - 1.jpg引用。


写真(右)2015年9月、フランス、パリ北部ル・ブルジェ空港、ル・ブルジェ航空宇宙博物館 (Musée de l'Air et de l'Espace)に展示された戦利品のドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機黄21号(製造番号:W.Nr.120095)の機首右側面;機首左右下に、マウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃を左右合計2丁を搭載しているので、銃口から銃身が半分はみ出している。A-2型のラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲(50発携行)の場合は、銃身は出ていない。後方には、ドイツ空軍のV-1飛行爆弾が見える。
Français : Heinkel He 162 A-2 exposé dans le hall 1939-1945 de musée de l'Air et de l'Espace. Date 19 September 2015, 17:03:38 Source Own work Author Duch
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel He 162 A-2 - MAE - 2.jpg引用。


写真(右)2015年12月、フランス、パリ北部ル・ブルジェ空港、ル・ブルジェ航空宇宙博物館 (Musée de l'Air et de l'Espace)に展示された戦利品のドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機黄21号„Gelbe 21"(製造番号:W.Nr.120095)右側面;機首左右下面に、マウザー(Mauser)20ミリMG151/20機関銃を左右合計2丁を搭載しているので、銃口から銃身が半分はみ出している。A-2型の30ミリ機関砲の場合は、銃身は出ていない。後方には、主翼を折り畳んだダグラス(Douglas)A-1スカイレイダー(Skyraider)艦上攻撃機がある。
English: c/n unknown. Werk Nummer 120015. On display at Musée de l’Air et de l’Espace, Le Bourget, Seine-Saint-Denis, Île-de-France, France. 20th December 2015 Date 20 December 2015, 15:07:57 Source https://www.flickr.com/photos/airlines470/33424103325/ Author ERIC SALARD
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel He 162A-2 Volksjäger ‘21 - 120015’ (33424103325).jpg引用。



Heinkel 162 - WW II era training film for Red Army Air Force pilots (Eng subs):ソ連におけるドイツ機He162の紹介
17,525 回視聴(2015/04/01)


写真(上)2017年4月、ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館 (Deutsches Technikmuseum)に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機黄4号„Gelbe 4“
;胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、1944年12月6日初飛行した。戦局悪化の中、試作機完成前に量産体制の整備が進んでいたが、大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、162機しか生産できていないまま、敗戦となった。
English: Heinkel He 162 at the Deutsches Technikmuseum, Berlin. It was taken to Great Britain and later to Canada for testing. It was bought from a collector. Date 21 April 2017, 10:20:24 Source Own work Author Ad Meskens
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162 at Deutsches Technikmuseum Berlin File:Berlin technikmuseum Heinkel 162 03.jpg引用。


He-162ジェット ハインケル(Heinkel)He-162ジェット戦闘機の諸元
乗員:1名
全長:9.05 m、全幅:7.2 m、全高:2.6 m
翼面積:10.0平方メートル
空虚重量:1,660 kg
最大離陸重量:2635 kg
発動機:BMW003軸流式ターボジェット(推力7.85 kN)1基(全長: 3,632.2 mm、直径: 690.9 mm、乾燥重量: 623.7 kg)
最高速力:850 km/時/6,000 m
航続距離:610 km
上昇限度:12,000 m
上昇率:1,405 m/分
兵装:マウザー(Mauser)20mm MG151/20機関銃2丁

He 162 A-0 :先行量産型、生産機数10機。
He 162 A-1 :30 mm MK 108機関砲(50発携行)2門装備
He 162 A-2 - マウザー(Mauser)20mm MG151/20機関銃(120発携行)2丁装備

写真(右)2017年4月、ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館 (Deutsches Technikmuseum)に保管されているドイツ空軍第1戦闘航空団第1飛行隊(I./JG1)所属の国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He-162 A-2ジェット戦闘機黄4号„Gelbe 4“機;胴体背面に新型のBMW003ターボジェット1基を搭載、操縦士が飛行中に脱出する際には、火薬を利用した射出式座席を利用した。機首にラインメタル・ボルジッヒ(Rheinmetall-Borsig)30ミリMK 108 機関砲2門を搭載。
Heinkel, He 162, Spatz Volksjager Heinkel He-162 "Volksjäger" Date 18 April 2017, 10:18 Source Heinkel He-162 "Volksjäger" Author Clemens Vasters from Viersen, Germany, Germany
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162 at Deutsches Technikmuseum Berlin File:Berlin technikmuseum Heinkel 162 03.jpg引用。


初飛行(1944年12月6日)前に急速量産準備が始まっていた国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)は、胴体背面にBMW003ターボジェット1基を搭載し、1944年10月6日初飛行に成功した。戦局悪化の中、試作機完成前に量産体制の整備が進んでいたが、そのために、ハインケル(Heinkel)He 162の実用性試験、審査が不十分なままであり、熟練工不足、部品欠陥など大戦末期の混乱と連合軍の攻撃によって、実戦投入できる実用機としては完成せずに終わった。大急ぎで量産体制をつくったが、国民戦闘機(Volksjager)ハインケル(Heinkel)He 162ジェット戦闘機スパッツ(Spatz)は、162機しか生産できていないまま、実戦出撃もほとんできずに敗戦を迎えた。

写真(右)2022年6月、オンタリオ州オタワ、カナダ航空宇宙博物館(Canada Aviation and Space Museum)、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:WkNr.120086);イギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したハインケルHe162と思われる。 後方は、イギリス空軍アブロ(Avro)ランカスター(Lancaster)Mk.X 四発重爆撃機の ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒液冷エンジン 1,280hp(954 kW)と奥には、ドイツ空軍Bf109戦闘機が見える。
Français : Heinkel 162 A-2 N° 120086 réassemblé 'dans son jus', au Musée de l'aviation et de l'espace du Canada Date 30 June 2022, 11:09:03 Source Own work Author Ducatipierre
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel 162 A-2 Ottawa.jpg引用。


写真(右)2022年6月、オンタリオ州オタワ、カナダ航空宇宙博物館(Canada Aviation and Space Museum)、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:WkNr.120086)の正面;イギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したハインケルHe162と思われる。 後方は、イギリス空軍アブロ(Avro)ランカスター(Lancaster)Mk.X 四発重爆撃機の ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒液冷エンジン 1,280hp(954 kW)と奥には、ドイツ空軍Bf109戦闘機が見える。
English: Heinkel He-162 at the Canadian Air and Space Museum, Ottawa. In background is Avro Lancaster KB944. Date 26 July 2012 Source Own work Author JustSomePics
写真は,Wikimedia Commons, Category:Avro Lancaster KB944  File:Heinkel He 162 CASM 2012 2.jpg引用。


写真(右)2022年6月、オンタリオ州オタワ、カナダ航空宇宙博物館(Canada Aviation and Space Museum)、ドイツから運ばれた元ドイツ空軍第1戦闘航空団(JG1)ハインケルHe162A-2ジェット戦闘機(製造番号:WkNr.120086)の左斜め上面;イギリス軍がドイツ北端デンマーク国境、フレンスブルク(Flensburg)西方、レックで鹵獲したハインケルHe162と思われる。 後方は、イギリス空軍アブロ(Avro)ランカスター(Lancaster)Mk.X 四発重爆撃機の ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒液冷エンジン 1,280hp(954 kW)と奥には、ドイツ空軍Bf109戦闘機が見える。
English: Heinkel He-162 at the Canadian Air and Space Museum, Ottawa. Date 26 July 2012 Source Own work Author JustSomePics
写真は,Wikimedia Commons, Category:Avro Lancaster KB944  File:Heinkel He 162 CASM 2012 5 (cropped).jpg引用。


図(右)2010年、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He162 A−2ジェット戦闘機の三面図;1944年12月6日初飛行、機首下面の銃口に銃身があるので、マウザー(Mauser)20mmMG151/20機関銃を装備したA-2型のハインケルHe162ジェット戦闘機である。
全長:9.05 m、全幅:7.2 m、全高:2.6 m
翼面積:10.0平方メートル
空虚重量:1,660 kg
最大離陸重量:2635 kg
最高速力:850 km/時/6,000 m
航続距離:610 km
English: Heinkel He 162 jet fighter Date 31 March 2010 Source Own work Author Kaboldy
写真は,Wikimedia Commons, Category:Heinkel He 162  File:Heinkel, He 162, Spatz Volksjager (7585406720).jpg引用。



13.第二次世界大戦の終焉

写真(右)1945年3月,ドイツの国民啓蒙宣伝相のヨーゼフ・ゲッペルス博士がベルリンの戦いに臨むヒトラーユーゲント兵士に第二級鉄十字章を授与し激励している。:ヨーゼフ・ゲッペルス博士は、ドイツをナチ党文化に同質化し、ユダヤ人差別を推し進め、最後まであきらめることなく、ドイツ国民を戦争に煽り立てることに力を注いだ。
Auszeichnung des Hitlerjungen Willi Hübner ADN-ZB/Archiv 9.3.1945 II. Weltkrieg 1939-45 Deutsch-Sowjetische Front: Reichspropagandaminister Goebbels begrüßt in Lauban (Niederschlesien) den mit dem EK II ausgezeichneten 16jährigen Willi Hübner, der während der Kämpfe um die Stadt im März 1945 im Schützengraben eingesetzt wurde. [Joseph Goebbels, Willi Hübner] Depicted people Hübner, Willi: Hitlerjunge, Deutschland Goebbels, Joseph: Reichsminister für Volksaufklärung und Propaganda, Gauleiter Berlin, Deutschland GND 118540041 Depicted place Lauban Date 9 March 1945
写真はWikimedia Commons, File:Bundesarchiv Bild 183-J31305, Auszeichnung des Hitlerjungen Willi Hübner.jpg引用(他引用不許可)。


戦後,1945年8月,ポツダム会談で,米英ソは,ドイツ本国以外に居住するドイツ人の本国帰還と称して,ドイツ占領地からドイツ人とドイツ系民族を追放,移送することに合意した。こうして,終戦後も,ドイツ人1千万人以上が強制移送あるいは難民として故郷・居住地を後にした。

マンネルハイム ドイツを中核とするイタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア、日本などの枢軸同盟国は、連合国とは異なり、相互の外交・軍事を調整する機関はなかった。しかし、1940年9月27日にベルリンで調印された三国軍事同盟では、
1)領土拡大と軍事支配に基づく新秩序の建設、
2)ソビエト連邦を中核とするボルシェビキ共産主義の掃討、
を基本方針とした。

フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、1942年6月27日、ドイツ空軍の遣わしたフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル C-3/U9輸送機に乗って、東プロイセン州ラステンブルクの同島大本営「狼の巣」にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統を訪問、作戦会議に出席した。

そして、1942年6月28日には、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥の下にも参じたフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイムCarl Mannerheim)元帥は、ナチスと共闘して、対ソビエト連邦との戦争協力を話し合った。しかし、1944年6月の西側連合国軍のノルマンディー侵攻、ソ連軍の夏季攻勢バグラチオン作戦後、ドイツの敗北は明らかになった。1944年9月19日にマンネルハイム元帥は、ソ連ボリシェビキ、米英に降伏をした。

FRANKLIN DELANO ROOSEVELT 1944年6月時点で、ドイツのヨーロッパ支配は崩れ、イギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルトの軍は、10月にはドイツ本土アーヘンを攻略しようとしていた。英米による攻撃の心配より、ヒトラーはソ連のスターリンのベルリン攻撃を心配するようになった。ヒトラーだけでなく、ドイツ国民の多くは、本土空襲の下で、ドイツ空軍の無力さを痛感していた。そのような状況で、ドイツ空軍はヒトラーの強力な支援を得て、国民戦闘機He162ジェット戦闘機の大量生産を開始し、本土の制空権を奪回すべく準備を始めていた。

1943年8月のハンブルクの大空襲、1943年8月17日の秘密兵器実験場ペーネミュンデへの空襲でショックを受けたドイツ空軍参謀総長ハンス・イエショネク(Hans Jeschonnek)大将は、ラステンブルク(Rastenburg)の総統大本営(狼の巣)で自殺した。ただし、ペーネミュンデとの関連性を秘匿するために、イェショネク大将の死亡日は、その前日の1943年8月19日として公表された。

 後任の参謀総長に任命されたのはギュンター・コルテン大将だが、彼も1年たたない1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件に巻き込まれ、総統大本営で爆死した。

ニュルンベルグ国際軍事裁判ドイツ空軍参謀総長の初代ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)、2代アルベルト・ケッセルリンク(Albert Kesselring)、3代ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ(Hans-Jürgen Stumpff)、4代ハンス・イェションネク(Hans Jeschonnek)、5代ギュンター・コルテン(Günther Korten)、6代ヴェルナー・クライペ(Werner Kreipe)、7代カール・コラー(Karl Koller)と続くが、権力の永続化を狙うドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥との信頼関係を築くことは難しかったようだ。

1943年10月20日、ロンドンで17カ国が集まる国際会議において、連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)の設置が決まり、ドイツ指導者の裁判は、国際戦争犯罪裁判で裁くことを申し合わせた。1945年8月8日、米英仏ソの四大国はロンドンで国際軍事裁判所憲章に署名、国際軍事裁判所の構成や役割について合意し、戦争犯罪を「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」「共同謀議」の4点とし、ニュルンベルグ国際軍事裁判で裁くことが決まった。

ニュルンベルグ国際軍事裁判において、ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は被告人第1号とされ、最も指導的な地位についていた戦争犯罪容疑者と見なされ、当初から注目を浴びた。

ヒムラー ニュルンベルグ国際軍事裁判では、犯罪組織(犯罪集団)に所属していると訴追対象となったが、これは、ナチ党指導部、内閣(政府)、親衛隊(SS)、突撃隊(SA)、親衛隊保安本部(ゲシュタポ・SD)、参謀本部・国防軍最高司令部の6組織である。また、ニュルンベルグ国際軍事裁判の事犯としては、ユダヤ人大量殺戮、ホロコーストが未曽有の殺戮と認識され、C級戦犯の「人道に対する罪」として裁かれた。死刑対象者は、1946年10月16日に絞首刑にされ、有期刑対象者はベルリン郊外のシュパンダウ刑務所に収監された。


ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
ポーランド侵攻:Invasion of Poland
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

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