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◆ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
写真(上)1939-1940年、第二次大戦勃発直後、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 艦載水上偵察機
第二次大戦勃発直前に、He-60艦載水上偵察機の後継機とされた。しかし、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークには、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いていた。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Heinkel He 114 PictionID:38236934 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002342.TIF
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID:38236934 引用。



写真(上)1939年4月以前、ドイツ海軍巡洋戦艦「グナイゼナウ」(GNEISENAU)の後部カタパルトに搭載されたハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機とAr-95艦載水上機

Title:GNEISENAU (German battleship, 1936) Caption:View of port side from astern, 1938. Note seaplanes on catapults: a Heinkel HE 114 on the forward catapult and an Arado AR 95 on the catapult atop #3 turret. Description: Catalog #:NH 80977 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939 Original Medium:BW Photo
Naval History and Heritage Command・NH 80977 GNEISENAU (German battleship, 1936) 引用。



写真(上)1943年3月、氷結した湖上に待機するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機(23号機)の側面
:ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出している。
Flygplan S 12 med flottörer på F 2 Hägernäs, vintertid. Sidovy. Flygplan S 12 med flottörer på F 2 Hägernäs, vintertid. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) AVBILDAD, ORT Sverige Uppland Hägernäs SPECIFIC SUBJECT TERMS Heinkel He 114A S 12 Spaningsflygplan Flygplan Vinter Flygplanet är märkt nr. 23. .-
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.001703引用。



カラー図(上)1941-1942年、フィンランド、バルト海方面、ドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 114 A載水上偵察機(7R+FH)
AufklGrp(See)125 (later SAGr.125) Serial: 7R+FH Somewhere in the Baltic in 1941-1942. Finish is RLM72/73/65 with a narrow yellow fuselage band, lower engine cowling and possibly wingtips. The individual aircraft letter and propeller spinner are in white, the Staffel colour. The machine is unusual for the size of the fin swastika and the apparent use of single colour national markings, at least under the wings. Artist: © Thomas A.Tullis Artist: © Mark Rolfe Source: 'Aufklarer -
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Heinkel He 114 PictionID:38236934 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002342.TIF
写真は, WINGS PALETTE Heinkel He.114 Germany (Nazi) [6]引用。

写真(右)1940年頃、ドイツ、エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel):孫娘と一緒の写真かと錯覚してしまう。
Portraitserie Ernst Heinkel
Datensatz 70246186
Eschen, Fritz: Portraitserie Ernst Heinkel
Persons and corporations: Darstellung: Heinkel, Ernst
Keywords / Classification: Bildnis, Portrait
Lebensdaten : 1888-1958
Beruf : Flugzeugkonstrukteur
写真は,ETH-Bibliothek Zürich, Aufn.-Nr.: df_e_0050037引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

アルバトロス エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。

この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

中島九五式一号水上偵察機 第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。ここは、バルト海を挟んでスウェーデンに面しており、1919年のベルサイユ条約によって軍用機の開発・保有を一切禁止されたドイツにあって、対岸のスェーデンで軍用機を開発できるという利点があった。この時期、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、日本海軍のために、1925年、HD-25水上機、すなわち愛知航空機 二式複座水上偵察機も開発している。

1933年1月末、ナチ党総統アドルフ・ヒトラーが、首相に任命され、1935年にドイツ再軍備を宣言して、ドイツ空軍を設立すると、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、政権獲得前から既存の飛行機を活かして、軍用機として開発したHe59双発水上機、He60水上偵察機などを採用され、航空機メーカーとして、順調に飛行機製造を拡張することができた。He 70高速輸送機など高性能機も開発した。

ハインケルHeinkel He 70 G-1 Blitz 1935年3月のヒトラーによるドイツ再軍備宣言後には、ヴェルサイユ条約で保有を禁じられていたドイツ空軍が創設され、それに伴い高速輸送機として開発したHe111を爆撃機として採用させ、さらにHe51複葉戦闘機の量産も受注することで、ドイツ有数の航空機メーカーに成長してゆく。第二次大戦前にHe 112戦闘機を開発したが、Bf109戦闘機との競争試作に敗れた。しかし、その後も、 He177四発重爆撃機、He219夜間戦闘機、He280ジェット戦闘機など数々の軍用機を開発、生産して、ハインケル社を興隆させた。

1881年1月24日生まれのエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)は、二人兄弟、3回結婚し、連れ子2人を含め7人の子供をもつ。1958年1月30日逝去。


1.ハインケル He-60艦載水上偵察機

写真(右)1933年頃,ドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :機体は尾翼にドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプの国章を描いている。1935年に再軍備宣言がされると、ドイツ空軍が創設され、尾翼の国章は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46168834 - Catalog:16_007364 - Title:Heinkel He 60 - Filename:16_007364.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168834引用。


 ハインケルHe 60は、He 59と同じラインホルト・メーヴェス設計になる木材/金属混合構造、羽布張りの単発複葉水上機で、当時の標準的な保守的スタイルだった。試作機はBMW液冷エンジン660馬力を搭載、1933年初飛行した。

He 60水上艦載偵察機 ドイツ帝国軍は、第一次大戦の敗戦後、ベルサイユ条約によって、陸軍は10万人規模に大幅に縮小され、参謀本部も廃止、戦争遺憾の保有禁止、航空兵力の保有禁止と束縛された。しかし、ドイツ帝国軍人が引き継いだドイツ共和国軍は、密かにフライコール(義勇軍)を擁立して陸軍の拡充を図り、火砲や戦車を外国で子会社や外国企業と開発した。また、共和国時代から、スポーツ航空や民間航旅客・貨物・郵便・通信航空を隠れ蓑に、軍用機を開発していた。その時代は、プロシア以来のドイツ軍伝統の黒白赤三色ストライプを尾翼に描いで国章としていた。

ハインケルHe 60水上艦載偵察機がドイツ海軍に試験的に配備されたのは1933年のヒトラー政権下で、1934年からHe 60がドイツ海軍艦隊の艦載水上偵察機として配備された。1936年のスペイン内戦にも実戦投入されたが、1939年の第二次世界大戦時には、後続のハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機、次いでアラド Ar 196艦載水上偵察機アラド Ar 196に代替されていた。

写真(右)1937-1939年8月,ドイツ海軍艦艇のデリックで吊り下げられたドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 :ドイツ機の国籍マークは、垂直尾翼に1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)の国章を付けた。その後に、機体と主翼上下に黒のバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。
SDASM Archives Heinkel, He 60 PictionID:46168884 - Catalog:16_007368 - Title:He 60C-1, 1937 Nowarra Collection - Filename:16_007368.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,PictionID:46168884引用。


ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ しかし、1933年1月末、ナチ党を首班とする連立政権が成立、アドルフ・ヒトラーは、貴族的なプロシア軍の伝統を軽蔑しており、ナチ党のイデオロギーを軍に浸透させるべきであると考えていた。そこで、ドイツ軍機の国章は、1935年の再軍備宣言、ドイツ空軍の設立以降は、垂直尾翼尾翼に赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)を描いた国章とされた。その後、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は目立つために敵からの標的にされやすかったので取りやめになった。

1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立したが、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。これは、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。

軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

海軍提督レーダー ドイツ海軍提督エーリヒ・レーダーErich Raeder: 1876-1960)総司令官は、大戦1年前の1938年、イギリス海軍に対抗できるドイツ海軍のZ計画を提示し、戦艦10隻(ビスマルク級戦艦の大型化)、装甲艦15隻(ドイッチュラント級装甲艦の大型化) 、空母4隻(グラーフ・ツェッペリン級)を主軸とする大海艦隊拡充の方針を打ち出したが、大戦勃発によって、そのほぼすべての建艦計画が中止されてしまう。そこで、ドイツ海軍は、索敵、哨戒など交通破壊戦に特化した空海立体作戦を進めようと企図し、海上航空兵力の充実を臨んだ。

1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼したが、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった。これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

しかし、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとした。また、水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとした。

写真(右)1933-1939年頃,ドイツ海軍装甲巡洋艦「アドミラル・シェーア」(ADMIRAL SCHEER)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 60艦載水上偵察機:装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 Caption:Detail view amidships of aircraft catapult, Heinkel He 60 aircraft, and one 15 cm gun, photographed 1935-38. Description: Catalog #:NH 45564 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 45564 ADMIRAL SCHEER German Armored Ship, 1933-45 引用。


1935年までの旧ドイツ軍の黒白赤三色の国章を、1935年のドイツ空軍設立以後は、赤帯に白丸とハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)の国章に変更し、その後に、機体にバルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字)は敵から発見されやすいことが分かり、取りやめになったが、垂直尾翼と主翼上下面に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。

アドルフ・ヒトラー 1933年1月30日、ドイツはアドルフ・ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の尾翼に描いて、国籍マークとしていた。

1935年1月13日、第一次大戦のドイツ敗北でフランスに保障占領されたフランス国境沿いザールランとで住民投票が実施され、ドイツへの帰属が決定すると、ヒトラーは時期を逃さず、ベルサイユ条約の軍備制限条項を無視して、1935年3月16日、ドイツでも徴兵制を復活させ、再軍備を開始すると、国家間の自国の防衛権を主張した。

1935年6月、イギリスは、海軍提督エーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダーErich Johann Albert Raeder: 1876-1960)総司令官率いるドイツ海軍を脅威とはみなさず、英独海軍協定Anglo-German Naval Agreement) )を結んで、ドイツ再軍備を公認した。

ドイツII号戦車J型 1936年のラインラント非武装地帯への武力進駐,1938年3月のオーストリア併合アンシュルスは,この復活させたドイツ国防軍を使って,達成された。1938年5月23日,ベルリンの帝国官房(総統官邸)で,三軍総司令官が出席した会議で,ヒトラー総統は,「適当な機会があり次第,ポーランドを攻撃する」ことを宣言している。

第一次大戦までのドイツ帝国の国旗は、帝政の横縞「黒・白・赤」三色国旗である。しかし、第一次大戦敗北後のドイツ(ワイマール)共和国では横縞「黒・赤・金」三国旗に変更された。しかし、1933年1月30日、ヒトラー政権が樹立されると、共和国は否定され、事実上「ドイツ第三帝国」を復活した。そこで、国籍マークも帝政「黒・白・赤」三色国旗が復活した。そこで、ベルサイユ条約で認められたドイツ民間機の国籍マークは、1933年1月のヒトラー政権でも、当初は帝政「黒・白・赤」三色国旗を模したものが垂直尾翼に描がいている。

1935年3月のドイツ再軍備宣言でドイツ空軍が創設されてからは、ドイツ機の垂直尾翼に、赤帯に白丸を描き、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、黒ハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを描いている。しかし、 1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、垂直尾翼の赤帯白丸黒ハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は、敵から発見され易いので、赤帯白丸を止めて、黒白縁取りナチ党カギ十字(スワスチカ)だけを描いている。

写真(右)1940年,デンマーク、北海の水上機基地に待機するドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MN-1017-21
Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord
Dating: April 1940
Photographer: Eschenburg, Karl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He 60艦載偵察機の諸元
乗員: 2名
全長: 11.50 m
全高: 5.30 m
翼幅: 13.50 m
翼面積: 56.0平方メートル
空虚重量: 2,735 kg
運用時重量: 3,407 kg
発動機: BMW VI 6.0 液冷V型12気筒エンジン、492 kW (660 hp)1基

写真(右)1940年,デンマーク、北海の水上機基地に待機するドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機 (奥):
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MN-1017-24
Archive title: Dänemark .- Seefliegerhorst. Marineangehörige / Piloten vor Wasserflugzeug Heinkel He 60 (Kennung +WH); PK Marine Nord
Dating: April 1940
Photographer: Eschenburg, Karl
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He 60水上艦載偵察機の諸元
最高速力: 240 km/h(海面高度) (130 kt) 149 mph
巡航速力: 216 km/h (117 kt) 134 mph
航続距離: 826 km 高度2,000 m (6,560 ft) (446 マイル)
実用上昇限度: 5,000 m
上昇率: 1,000 m/3.2 分
兵装:7.92ミリMG15固定機関銃1丁、7.92ミリMG17旋回機銃1丁


2.ハインケルHe-114艦載水上偵察機

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、3翅プロペラ装備のハインケル(Heinkel)He 114V-1水上偵察機試作1号機:試作機(Prototype)として1938年に完成した。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935951 - Catalog:16_005288 - Title:Heinkel He 114V-1 Nowarra photo - Filename:16_005288.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機は、前作のHe60艦載水上偵察機の後継機として開発された双フロート、複葉水上偵察機だが、上部主翼は操縦席近傍の胴体から直接伸びたパラソル翼である。ハインケル(Heinkel)He 114 の下部翼は上部翼よりかなり短いが、縦横比は上部翼と同じである。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。1939年9月の第二次大戦勃発後には、垂直尾翼の赤帯白丸は廃された。また、戦争中盤以降は、黒の鉄十字とスワスチカの白縁も目立ちやすいとして、白縁は廃止された。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、3翅プロペラ装備のユモJumo210液冷倒立V型12気筒エンジンを搭載した ハインケル(Heinkel)He 114 V-2水上偵察機試作2号機(登録コード:D-UGAT):試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935963 - Catalog:16_005289 - Title:Heinkel He 114V-2 Nowarra photo - Filename:16_005289.TIF
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935963引用。


海軍提督レーダー 1937年、第二次大戦勃発2年前、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーErich Raeder)提督は、国防軍総司令官ブロンベルク元帥に対して、沿岸防衛の範囲に関して、ドイツ海軍とドイツ空軍との分担の取り決めを依頼した。しかし、ドイツ国防軍の中で、海軍は陸軍・空軍に比較して、予算も動員人員でもはるかに冷遇されていた状況にあったために、実際に海軍と空軍の責任範囲について協定文書がまとまったのは、戦争直前の1939年2月3日だった

これは、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)を置き、戦時には海軍司令部空軍代表を海軍総司令官の指揮下に行動するというものである。

それでも、ドイツ海軍主力艦艇に搭載した艦載水上偵察機の運用を踏まえて、ドイツ近海を離れた海上は、ドイツ空軍の責任範囲で、ドイツ海軍が作戦行動を行う場合のみ、ドイツ海軍が哨戒偵察の責任を負うとされた。

また、洋上における水上艦艇同士の海戦、航空機による機雷敷設については、海軍と空軍の合意のもとに、実施するとして妥協が図られた。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、ユモJumo210液冷倒立V型12気筒エンジン装備のハインケル(Heinkel)He 114 V-2水上偵察機試作2号機(G-UGAT) :フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカを描いている。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081316 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081316引用。


試作機段階ではハインケル(Heinkel)He 114 V1水上機試作1号機(D-UGAT)はDB600液令12気筒エンジン960hp 2翅プロペラ、ハインケル(Heinkel)He 114 V2水上機試作2号機(D-UGAT)はユモJumo210液令12気筒エンジン640hp 3翅プロペラ、He 114 V3水上機試作3号機(D-UGAT)はBMW132Dc空冷星形9気筒エンジン880hp 2翅プロペラ、He 114 V4水上機試作4号機(D-IDWAS)はBMW132K空冷星形9気筒エンジン960hp 3翅プロペラとエンジンもプロペラも様々だった。

図(右)Planet Modelsの模型商品箱、ダイムラーベンツDB600液令倒立12気筒エンジンを装備したドイツ軍のハインケル(Heinkel)He 114 V-2 水上偵察機試作2号機(登録コード:D-UGAT)
Heinkel He-114 V2 12-cylindres en ligne du moteur (1:72) 商品モデル番号 ‎CM-72 036 梱包サイズ ‎26.2 x 16.4 x 3.6 cm; 140 g
写真はアマゾンAmazon、amazon.co.jp・Heinkel He 114 A1引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 V-2 水上偵察機試作2号機(登録コード:D-UGAT)は、艦載水上偵察機として設計され、ダイムラーベンツDB600液令倒立12気筒エンジン、2翅プロペラを装備した。赤帯白丸黒ナチ党鍵十字がドイツ機の国籍マークだったが、He 114 V-2の垂直尾翼には描かれていない。しかし、He 114 V-3試作3号機(D-IOGD)では、BMW132空冷星形9気筒エンジン搭載、3翅プロペラ装備で、垂直尾翼に赤帯白丸黒ナチ党鍵十字を国籍マークとして描いている。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、2翅プロペラ装備のハインケル(Heinkel)He 114 V-4 水上偵察機試作4号機(登録コード:D-IDGD):試作機(Prototype)としてBMW132D空冷星形9気筒エンジンを搭載、3翅ではなく2翅プロペラ装備。第二次大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935975 - Catalog:16_005290 - Title:Heinkel He 114V-4 Nowarra photo - Filename:16_005290.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


アドルフ・ヒトラー ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機は、全金属製で、2本の浮舟フロート(方向舵付き)も金属製だが、主翼は羽布張だった。コックピットは、半密閉式で、発動機はBMW132空冷星形9気筒エンジンが選択された。

1933年1月末に、ヒンデンブルク大統領は、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、ヒトラー政権が成立したが、ドイツ機の国籍マークは、1935年の再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、垂直尾翼に大きく描いていた。1935年のヒトラーの再軍備宣言以降は、ドイツ機は、垂直尾翼に赤帯に白丸を描き、黒のハーケンクロイツ(スワスチカ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを付けた。

スワスチカのドイツ国籍マーク採用には、ナチ党の政治的、人種的イデオロギーを軍人にも浸透させる企図があった。軍人の忠誠宣言も、ドイツに対してではなく、ヒトラー総統に対する忠誠を誓うものに変更された。また、航空機の高速化で、敵味方の識別しやすいように、機体と主翼上下面にも、白の縁取り付き黒色バルカンクロス(鉄十字)の国籍マークを記入した。

ヘルマン・ゲーリング ヒトラー政権になっても、1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、プロイセン軍、旧ドイツ帝国軍の伝統である黒白赤三色の国章を、ドイツ機の垂直尾翼に描いて、国籍マークとしていた。

しかし、1935年3月、ヒトラーのドイツ再軍備宣言以降は、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)の下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色鉄十字の国章を追加した。

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(51-141)の東京日日新聞 1935.5.15-1935.5.17 (昭和10年)「爆撃機と欧洲政局 (上・[中]・[下])永戸政治の次の記事は興味深い。

「軍拡から戦争へ…歴史は大体そんな径路をたどっている。極東の事態は暫く措くとして、湧き返る欧洲政局を前にしながら、戦争絶無と断じたら、いかな平和の神様でも、ホロ苦い顔をするだろう。ところで、第二の欧洲大戦が勃発したと仮定する。まず戦端の火蓋を切るものは、陸軍でもなければ海軍でもない。隼のような軽爆撃機の敵都市爆撃に相違あるまい。敵は前線から攻めて来るのではなく、端的に頭上から爆弾を投下し、毒ガスを撒布するのだ。宣戦の布告なんか、ほんの申し訳みたいに、後日ゆるゆると放送されることだろう。ドイツ再軍備の疾風迅雷的な過程が、ぴったりこれに当てはまっている。」

「ドイツ再軍備トップを切ったのは空軍であった。「ヴェルサイユ条約の空軍禁止条項は依然として有効だが…」と白を切って置いて「しかし英仏両国政府がロンドン宣言に基き空軍ロカルノ条約案に参加を求めたことは、事実上ドイツ政府に対し空軍整備の権能を容認したものだ」と結論づけて、愈々空軍復活の宣言を発した時はドイツの空軍は既に素晴らしい威容を整いていたのである。ドイツの空軍の威容に対して、列強がたやすく挑戦し得ない事態を見て取ったヒットラー総統は、空軍復活宣言の日から四日しか経っていない三月十六日に、今度は大上段からヴェルサイユ条約軍事条項の廃棄と、一般的再軍備断行の爆弾宣言を発したのであった。爆弾宣言の可否を法理的に論議する余地はあるかも知れないが、法理論を抜きにした強力雄偉なドイツの空軍が、欧洲の空を睥睨している以上、今更条約違反の非を鳴らしても追いつかない。英仏を初め爾余の各国はドイツ問責の決議は決議として、ドイツの再軍備は、これを既成事実と認めざるを得なかった。春秋の筆法をもってすれば、ドイツの空軍は欧洲政局の動向を現実に制約したことになる。」(「爆撃機と欧洲政局 (上・[中]・[下])東京日日新聞 1935.5.15)

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 114 V-5水上偵察機試作5号機(登録コード:D-IDWS):3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。試作機(Prototype)として1938年に完成した。第二次世界大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935987 - Catalog:16_005291 - Title:Heinkel He 114V-5 Nowarra photo - Filename:16_005291.TIF
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ドイツ潜水艦Uボート ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機は、成功作とはいえず、前作のHe60水上偵察機より最高速力は100km/h近く早かったものの、水上・飛行中の安定性がよくなくかったのか、生産機数は98機と少なかった。

ハインケルHe60水上偵察機は、飛行性能は低かったが、使いやすいために、前線では長い期間、使用された。他方,1939年に登場したアラドAr-196低翼単葉機は、成功作だったため、艦載水上偵察機として普及したこともあって、ドイツにおけるHe114水上偵察機は制式されたものの、生産機数は100機程度で少数の使用に終わった。

写真(右)1938年-1939年9月以前、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 114 V-9 水上偵察機試作9号機(登録コード:D-IHDG):第二次大戦が始まる前のナチ党政権下のドイツ軍国籍マーク「赤帯白丸黒スワスチカ(カギ十字:卍)」垂直尾翼に描いている。
See Aufklaerer Heinkel He 114, Wasserflugzeug AUFNAHMEDATUM GESCHAeTZT! Search for See Aufklaerer Heinkel He 114, photos and over 100 million other current images and stock photos at IMAGO. Thousands of new high quality images are added every day. date of picture: 01.01.1935 Image format: 3306x2103 Pixel Image ID: 0062867451
写真は,IMAGO © 2021, Aufklaerer Heinkel He 114,引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 V-9試作機A-0は、実用生産型He114A-2水上偵察機の試作型である。1938年に生産に入ったHe 114 A-2水上偵察機は、BMW132K空冷星形9気筒エンジン搭載、7.92mmMG17前方機関銃1挺、偵察席に7.92mmMG15旋回機関銃1挺を装備。さらに50キロ爆弾2発あるいは非揮発性の毒ガスか煙幕を放射できる圧搾ボンベ・スプレーを搭載できる。


写真(右)1933年1月あるいは1935年3月ドイツ再軍備以降、ドイツ、ドイツ上空を低空飛行するハインケル(Heinkel)He 114 V-9 水上偵察機試作9号機(登録コード:D-IHDG)の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、赤帯白丸黒ナチ党鍵十字のヒトラー政権の国籍記章が描かれている。Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Seeaufklärer He 114, D IHDG, Luftwaffe Zustand, siehe Scan
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 114, Seeaufklärungsflugzeug引用。


Hermann Goering ドイツ海軍航空隊は、艦船に乗せて運用する艦載水上機を指揮下に置いたものの、それ以外の沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr)や海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)の水上機や飛行艇ですらも直接指揮する権限がなかった。つまり、ドイツ海軍航空隊は、攻撃、偵察、哨戒に関して有効な航空支援を得ることが困難になった。

このように、ドイツ海軍航空隊が弱体であったために、海軍艦艇、特にドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮する潜水艦(U-boat)のとの索敵・洋上哨戒・商船攻撃などの連携支援が疎遠になる傾向があった。

ドイツ海軍の海洋航空兵力が弱体だったのは、航空戦の認識の問題というよりも、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)元帥が、飛行機と航空兵力は全て自分の隷下に置くことを主張したためである。そこで、潜水艦Uボートの交通破壊戦、洋上哨戒、洋上哨戒に、沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr)や海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr)が十分に成果を上げることができない状況に陥った。


写真(右)1933年1月あるいは1935年3月ドイツ再軍備以降、ドイツ、ドイツ本土上空を飛行するハインケル(Heinkel)He 114 V-9 水上偵察機試作9号機(登録コード:D-IHDG)の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、赤帯白丸黒ナチ党鍵十字のヒトラー政権の国籍記章が描かれている。Foto, keine Ak, ca 17 cm x 12 cm, Zustand, siehe Scan Foto Flugzeug, Heinkel He 114, Seeaufklärer, Wasserflugzeug, D-IHDG drehenFoto Flugzeug, Heinkel He 114, Seeaufklärer, Wasserflugzeug, D-IHDG Foto Flugzeug, Heinkel He 114, Seeaufklärer, Wasserflugzeug, D-IHDG Die Firma akpool GmbH bietet Karten aus der Zeit des III. Reiches nur zu Zwecken der staatsbürgerlichen Aufklärung, der Abwehr verfassungswidriger und verfassungsfeindlicher Bestrebungen, der wissenschaftlichen und kunsthistorischen Forschung, der Aufklärung oder Berichterstattung über die Vorgänge des Zeitgeschehens oder der militärhistorischen und uniformkundlichen Forschung an. Der Bieter verpflichtet sich, diese Karten nur für historische – wissenschaftliche Zwecke aus oben genannten Gründen, zu erwerben und sie in keiner Weise propagandistisch, insbesondere im Sinne des § 86a StGB, zu benutzen. in den Warenkorb legen Zum Merkzettel hinzufügen Link zum Quiz Ähnliche Karten: Fotos Flugzeuge Heinkel Kampfflugzeuge Wehrmacht: Technik - Flugzeuge Kundenservice Mein akpool Kontakt Häufige Fragen
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Foto Flugzeug, Heinkel He 114, Seeaufklärer, Wasserflugzeug, D-IHDG引用。


ドイツ空軍は沿岸や洋上の偵察・哨戒用の飛行隊を編成し、その指揮権を掌握した。しかし、潜水艦(U-boat)や水上艦艇との共同作戦をとる場合に、海上での作戦、洋上行動は、海軍のほうが専門知識と技術を有していた。そこで、ドイツ空軍の沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr.)、海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)は、形式上はドイツ空軍であるが、実質的にはドイツ海軍部隊のように指揮される場合が多かった。したがって、戦後の文献では、ドイツ空軍ともドイツ海軍とも明言せずに、ドイツ軍の沿岸偵察飛行隊、のような曖昧に表現することがある。


写真(右)1933年1月あるいは1935年3月ドイツ再軍備以降、ドイツ、ドイツ上空を低空飛行するハインケル(Heinkel)He 114 V-9 水上偵察機試作9号機(登録コード:D-IHDG)の絵葉書ポストカード
:垂直尾翼には、赤帯白丸黒ナチ党鍵十字のヒトラー政権の国籍記章が描かれている。
Ansichtskarte / Postkarte Heinkel Seeaufklärer He 114, D IHDG, LuftwaffeNr. 10.403.350Zustand, siehe Scan
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・Ansichtskarte / Postkarte Heinkel He 114, Seeaufklärungsflugzeug引用。


アラド(Arado)Ar 196 1935年に複座の半複葉水上機として設計されたハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機は、前作He 60複葉水上偵察機を引き継ぎ、艦載偵察隊(Bordfliegergruppe)に配備された。しかし、He 60と比較して際立った性能ではなく、第二次世界大戦の勃発時には時代遅れになっていた。

しかし、実際には、第二次世界大戦の中盤以降も、2年後に開発された新鋭機アラド(Arado)Ar 196水上偵察機が就役してからも、ハインケル(Heinkel)He 114 水上機は使用され続けている。

写真(右)1938-1939年9月以前、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機:3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。第二次世界大戦が始まる前なので、ナチ党政権下のドイツ軍国籍マークとして、垂直尾翼に赤帯白丸に黒のスワスチカ(カギ十字:卍)を描いている。フロートの尾部には、水上滑走中の方向を決める方向舵が取り付けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:43935999 - Catalog:16_005292 - Title:Heinkel He 114A-1 Pete Bowers photo - Filename:16_005292.TIF -
写真は,Flickr, SDASM Archives PictionID: 43935975 引用。


ドイツ巡洋艦ヒッパー 試作機段階では ハインケル(Heinkel)He 114 V5水上機試作5号機はBMW132Dc空冷星形9気筒エンジン880hp 3翅プロペラで、10機生産された先行生産型ハインケル(Heinkel)He 114 A-0の原型になった。この先行量産型10機のうち最初の4機には、He 114 V6からV9の試作番号を与えられた。

写真(右上)1936年頃:水上機基地で台車に載せられたハインケル(Heinkel)He 114 V8水上機試作8号機でHe 114 A-03(D-IDEG)・写真(右中)1936-1939年9月以前:飛行中のハインケル(Heinkel)He 114 の正面・写真(右下)1939年9月以降:水上機地で待機する台車に載せられた3機のハインケル(Heinkel)He 114 水上機:ハインケル(Heinkel)He 114 V8水上機試作8号機(D-IDEG)はHe 114 A-03(D-IDEG)と命名された最初の量産型He 114 A-1の試作機。ハインケル(Heinkel)He 114 A-1はBMW132Dc空冷星形9気筒エンジン880hp 搭載で33機生産されたが、これは練習機として使用された。(D-IDEG)
Title Heinkel He 114 Description Photo 1 is a starboard view of the sesquiplane aircraft, on a trolley. Photo 2 is a front view of an aircraft in flight. Photo 3 is three aircraft on trolleys. Coverage Wehrmacht. Luftwaffe. Format Three b/w photographs on an album page Conforms To Pending text-based transcription Publisher IBCC Digital Archive.- Contributor David Bloomfield Identifier PThomasAF20070018 Transcription [black and white photographs] Heinkel He 114 Photo 1 is a starboard view of the sesquiplane aircraft, on a trolley. Photo 2 is a front view of an aircraft in flight. Photo 3 is three aircraft on trolleys. Collection Thomas, Arthur Froude. Album 6 Citation “Heinkel He 114,” IBCC Digital Archive, accessed October 22, 2021,
写真はUniversity of Lincoln ,International Bomber Command Centre Digital Archive Heinkel He 114引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 V8水上機試作8号機は、He 114 A-03(D-IDEG)と命名され、最初の量産型He 114 A-1の試作機となった。He 114 A-1はBMW132Dc空冷星形9気筒エンジン880hp 搭載で33機生産されたが、これは練習機として使用された。

ハインケル(Heinkel)He 114 V9水上機試作9号機(D-IHDG)は、実戦用の最初の量産型ハインケル(Heinkel)He 114 水A-2上機の試作1号機となり、BMW132K空冷星形9気筒エンジン960hp搭載で、1938年から生産に入った。ハインケル(Heinkel)He 114 A-2の兵装は、7.92mmMG17前方固定機関銃1挺、偵察席に7.92mmMG15後方旋回機関銃1挺を搭載している。爆弾は50キロ爆弾2発で、浮舟フロートには、He60 同様に煙幕用あるいはマスタードガスのような不揮発物質の毒ガスを散布する圧搾ボンベ・スプレーを装備することができる。

ドイツ海軍装甲艦グラーフ・シュペー 装甲巡洋艦「ドイッチィエラント」は、1929年2月5日 起工、1931年5月19日進水、1933年4月1日就役、主砲:28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ砲(55口径)8基、 53.3センチ(21.0 in)四連装魚雷発射管2基、 搭載機2機。基準排水量1万2,100トン、満載排水量1万6,200トン、全長186 m、全幅21.6 m。 大西洋方面の交通破壊戦に投入された。第二次世界大戦勃発翌年の1940年に、ヒトラーは、ドイツを意味する「ドイッチュラント」の撃沈が面子を失うことを危惧して、艦名を「リュッツォウ」に変更した。

写真(右)1933-1939年頃,ドイツ海軍巡洋戦艦「グナイゼナウ」(GNEISENAU)の後部カタパルトに搭載されたハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機:発注 1934年1月25日、起工 1935年5月6日、進水 1936年12月8日、就役 1938年5月21日、基準排水量:3万1,850t 満載排水量:3万8,900t、全長 234.9m、水線長 226m、全幅 30m、吃水 9.1m、最高速力 31.6ノット、航続距離 17ノット/10,000マイル、28センチ (11 in)三連装砲塔3基、15センチ砲(55口径)連装砲塔6基、10.5cm(65口径)連装高角砲7基、艦載機 水上3機、射出用カタパルト2基。
Title:GNEISENAU (German battleship, 1936) Caption:View take during a fleet review, probably in August 1938. Note crew manning the rail, and Admiral's flag at the fore; Heinkel HE.114 seaplane on amidships catapult. Description: Catalog #:NH 81105 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939 Original Medium:BW Photo
写真は,Naval History and Heritage Command,NH NH 81105 引用。


ドイツ潜水艦Uボート アメリカ、イギリス、オランダ、日本、イタリアのような海洋国は、飛行艇や水上機を多用したが、軍用飛行艇・水上機は、一般的に海軍の所属だった。しかし、ドイツでは、飛行機の所管は、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥の支配下に置かれたために、ドイツ軍の基地航空隊所属の飛行艇、水上機の多くは、空軍の隷下に置かれ、海軍艦艇、潜水艦との連携に不都合な面があった。ドイツ海軍の航空機は、巡洋艦以上の大型艦船が搭載するハインケル(Heinkel)He 114 のような艦載水上機に限られた。

写真(右)1938年8月22日,装甲巡洋艦「クナイゼナウ」(GNEISENAU)艦体中央のカタパルトに搭載されたドイツ軍ハインケル(Heinkel)He 114 水上艦載偵察機:装甲巡洋艦「クナイゼナウ」は、1931年6月25日 起工、1933年4月1日 進水、1934年11月12日 就役、28センチ (11 in)三連装砲塔2基、15センチ連装砲6基12門、10.5センチ(65口径)連装高角砲7基14門、 搭載機3機。基準排水量:3万1,850トン、満載排水量:3万8,900トン、全長234.9m、全幅30.0m。 大西洋方面の交通破壊戦、1942年末のバレンツ海海戦に投入された。
Title:GNEISENAU (German BB, 1936) Caption:View taken 22 August 1938, during a fleet review, showing crewmen "manning the rails." Note Heinkel HE. 114 seaplane on catapult. Description: Catalog #:NH 83614 Copyright Owner:Naval History and Heritage Command Original Creator: Original Date:Mon, Aug 22, 1938 Original Creator: After this Year:1930 Before this Year:1939
写真は,Naval History and Heritage Command,NH 83614 GNEISENAU (German BB, 1936) 引用。


Fw200コンドル ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮する潜水艦Uボート(ディーゼル機関搭載)は、当時、レーダーを搭載しておらず、船団攻撃のためには、空中哨戒偵察が効果的であると考えられ、1941年1月になって、潜水艦の交通破壊戦を支援するための長距離海上偵察部隊として、フォッケウルフFw200コンドルCondor)を配備した第40爆撃航空団の一部をドイツ海軍総司令官の指揮下に置くことが提言された。

フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200 コンドル(Condor)の諸元
乗員: 5名
全長: 23.46 m
全幅: 32.86 m
全高: 6.30 m
全備重量: 22,700 kg
エンジン: ブラモ323Rファフニル 空冷星型9気筒 1,200 hp × 4
最大速度: 360 km/h
航続距離: 3,550 km
兵装:7.92 mmMG15旋回機関銃4挺、20 mmMG-FF旋回機関銃 1挺
爆弾 5,400 kg

ドイツ海軍 航空母艦 グラーフ・ツェッペリン ドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin)の諸元

発注 1935年11月16日
起工 1936年12月28日
進水 1938年12月8日
排水量 33 550 t
全長 262.5 m
全幅 31.5 m
吃水 7.6 m
機関 タービン2基4軸、20万馬力
最高速力 35 kt
航続距離 19ノット/8,000マイル
建造中断 1940年6月
建造中止 1943年
1945年4月25日 自沈

写真(右)1940年6月21日,キール軍港で進水後、偽装中のドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」Graf Zeppelin:煙突・艦橋は外観が整ってきて、カタパルト2基を装備しているが,未完成に終わった。ドイツ軍は,空母を1隻も保有することができなかった。
ドイツ海軍は,大型戦艦「ビスマルク」型2隻,巡洋戦艦「シャルンホルスト」型2隻,ポケット戦艦「ドイッチュラント」型3隻を建造,就役させた。
Kiel.- Flugzeugträger "Graf Zeppelin" am Ausrüstungskai. Backbordseite Title Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau Neubau Nr. K 252. Bauzustand Aufgen. am 21.6.1940 Date 21 June 1940 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Hauptamt Kriegsschiffbau - Bildbestand
写真はWikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用 File:Bundesarchiv RM 25 Bild-62, Flugzeugträger "Graf Zeppelin", Bau.jpg引用。


wikipediaでは、ドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」放棄の理由を次のように誤解している。

ドイツ大西洋防壁 「1940年半ばになると状況は劇的に変化し、北のノルウェーから南はスペイン国境までの長大な海岸線を敵の上陸戦から守る必要が生じた為、それまで本艦よりも優先順位の低かった沿岸要塞は突然最優先事項に浮上し、兵器、要員、そしてあらゆる種類の軍需品が迅速にこの分野に投入され、後に大西洋の壁と呼ばれる壮大な要塞線建設計画が立てられた。この為に海軍の艦艇建造計画は削減され、その資材は沿岸防衛要塞建設に投入される事となった。この段階で造船所の船台上にあったグラーフ・ツェッペリンの15cm主砲及び10.5cm高射砲は要塞や沿岸砲台に転用され、完成率90%前後に達していた本艦の艤装工事は1940年に中断された。」

Wikimedia は、大西洋防壁の海岸砲・要塞砲の整備をヒトラーが海上艦艇より優先したために、空母「グラーフ・ツェッペリン」が解体されたと誤解している。これは、
1)ヒトラーが言い出した艦砲の沿岸砲台転換など空母1隻分では取るに足らない兵力であること(15cm55口径連装砲8基、10.5cm65口径連装高角砲6基の計画が未完成)、
2)空母本体の機関・艤装を無為にすることをどうして許容したのか説明できないこと、
3)ドイツ海軍とドイツ空軍の航空兵力指揮権を巡るの軋轢(海軍に対する空軍の優位)、
に思い至らないたための誤謬である。

ドイツ空母「グラーフ・ツェッペリン」が廃棄されたのは、空母1隻の艦砲の沿岸砲台転換など取るに足らない兵力が理由ではなく、空母本体の機関・艤装を無為にしてまで、ドイツ海軍航空隊を充実させなかったドイツ空軍総司令官ゲーリングの専横が指摘できる。

ドイツ海軍 航空母艦 グラーフ・ツェッペリンドイツ海軍航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」建造放棄は、次のようことが原因である。
(1)1940年6月にはフランスが降伏し、僅か1隻の未経験な空母の戦力化にはあまり意味がなかった。
(2)英国本土航空決戦を戦う場合、僅か1隻の航空母艦の実用化よりも空軍兵力増強が優先された。
(3)東方ソ連侵攻の場合、僅か1隻の航空母艦が実用化しても戦局に関わらない。(実際には北極海の輸送船団攻撃に空母を使用できたが。)
(4)未経験な航空母艦と空母艦載機の運用について、戦時のドイツ海軍は独力で解決することも、イギリス空母に対抗することも困難だった。

写真(右)1939年9月以前、ドイツ商船に搭載されたハインケル(Heinkel)He 114 C-2水上偵察機:1939年の大戦勃発直前に、南大西洋、太平洋で活動するドイツ商船に搭載された4機のハインケル(Heinkel)He 114 A-2(C-2)(C-2)艦載水上偵察機の一機と思われる。BMW123空冷星形9気筒エンジンに3翅プロペラを装備し、エンジンカウリング上部左に7.92mmMG17前方固定機関銃のものと思われる銃口が開いている。ただし、商船として運用しているために第二次世界大戦が始まる前まで非武装だった。
While designed to be able to take-off from German ships, the He 114 construction was not strong enough and was prone to breakdowns with many aircraft being lost this way. Source: www.warbirdphotographs.com/luftwaffephotos
写真は,Plane Encyclopedia Heinkel He 114引用。


アラド(Arado)Ar 196 1939年9月の第二次大戦勃発直前、4機の非武装のHe114A-2偵察機が南大西洋と太平洋で活動する商船に搭載された。ドイツ海軍は、戦争開始を予測して、予め世界各地に通商破壊に従事する軍艦・武装商船(通商破壊船舶)を配置したが、それら通商破壊船に、偵察用の水上偵察機を乗せた。

アラド(Arado)Ar 196水上偵察機は、前作ハインケル(Heinkel)He 114 が性能的に優れなかったために、同じBMW132空冷星形9気筒エンジンを装備した後継機として開発された。そして、ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇用の艦載水上偵察機として1937年にHe-60、ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機の後継機として開発され、BMW132空冷星型9気筒エンジン(880馬力)を装備した。双フロートのアラド(Arado)Ar 196水上偵察機A型、単フロートのアラド(Arado)Ar 196 B型が試作され、1938年に、双フロート式のA型が採用された。

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、水上機基地の滑走台ランプを発進するハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機(登録コード:60-U51):滑走台ランプを台車に乗せられたまま滑り降り、海上で台車が外れ、水上を滑走して発進する。
Heinkel He 114 A1 Posted on 09.07.2017 by Twist Again hydravion de reconnaissance Allemagne – 1936 fabricant : Heinkel poids : 3,67 t équipage : 2 ho vitesse : 335 km/h rayon d’action : 920 km plafond : 4900 m A1 = première série de 33 exemplaires destinée à l’Allemagne et à l’Espagne
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH) Le QG 1/72e de Twist Again・Heinkel He 114 A1引用。


1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、激しい航空戦が展開され、敵の空襲も予期する必要があったため、尾翼の赤帯と白丸のハーケンクロイツ(ナチ党のカギ十字:スワスチカ)は敵から発見されやすいいとして、取りやめになった。その代わり、ナチ党のイデオロギーを示す国章として、尾翼に黒色白縁取りのナチ党のカギ十字(スワスチカ)を付け足した。後に、白渕が目立ちやすいとして、黒の鉄十字、スワスチカ)の白の縁取りは廃されている。


写真(右)1939年9月、第二次世界大戦初期、ドイツ、ドイツ空軍海岸偵察隊第1飛行中隊所属(1.KuFlGr506 )のハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機(登録コード: 60+V51)
:垂直尾翼には、赤帯白丸を排して白縁黒ナチ党鍵十字のヒトラー政権の国籍記章が描かれている。
Heinkel He 114A1 1.KuFlGr506 60+V51 with pre war markings LSp151 The first prototype Heinkel flew in August 1937, with testing proving successful, with the He 115 being selected over the Ha 140 early in 1938, resulting in an order for an additional prototype and 10 pre-production aircraft. Meanwhile, the first prototype was used to set a series of international records for floatplanes over 1,000 km (621 mi) and 2,000 km (1,243 mi) closed circuits at a speed of 328 km/h (204 mph).
写真は Ihr Onlineshop für alte Ansichtskarten・KuFlGr506 main list 引用。



写真(上)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、低空飛行するハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機(登録コード:VR-IH)
:上翼はパラソル式なので、胴体よりも上に取り付けられている。左右浮舟フロートの後端には、水上滑走時に使用する方向舵がついている。
写真はNational Institute of Mental Health (NIMH) pinterest.dk・He 114 amphibious aircraft Wwii aircraft引用。


Hermann Goering ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)元帥は、航空兵力は全て空軍に所属するとの原則を強硬に主張したが、ゲーリングは、ナチ党初期からの党員として、ヒトラーの信任があり、空軍だけではなく、四か年計画など軍需生産の権限も保持していたために、海洋航空兵力についても、海軍への移管を認めようとしなかった。空軍の優位が認められ、海上哨戒偵察部隊についても、ドイツ空軍が大西洋航空司令部の隷下として、潜水艦(U-boat)と共同して作戦にあたることになった。

こうして、ドイツ海軍司令部空軍代表General der Luftwaffe beim Oberbefehlshaber der Marine)は、指揮権のない空軍の連絡絡官・副官のような存在となった。1941年12月、ドイツ海軍はハインケル(Heinkel)He 114 のような艦載水上偵察機以外の洋上航空兵力の指揮をも執ることができるようになった。それでも、洋上航空兵力の形式的な指揮権は、ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)は以下のドイツ空軍の指揮下に入れ、海上作戦における航空兵力の指揮権は、ドイツ空軍が独占する形を崩さなかったのである。

写真(右)1939年9月-1942年頃、水上機基地に接岸したドイツのハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機:複葉水上機だが、上の主翼に比較して下の主翼は非常に小さく狭い一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用している。第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Note that this general layout isn't especially unusual, and is known as a "Sesquiplane", or a biplane which has a smaller lower wing. Typically, the lower wing is about 3/4 of the span of the upper wing, and has a smaller chord as well. The He 114 has a much shorter lower wing than usual, but has the same chord as the upper wing, which keeps the wing area ratio similar.-
写真は,Airplanes in the skies + FAF history keskiviikko 1. heinäkuuta 2015 Heinkel He 114引用。


カール・デーニッツ ドイツ語「U-Boot(ウーボート:Unterseeboot)」は、英語でもU-boat(ユーボート)といわれるが、これも第一次世界大戦および第二次世界大戦でイギリス本土を封鎖しようとした敵国ドイツ海軍の潜水艦を意味している。潜水艦(U-boat)は、ハンブルクを中心としたブローム・ウント・フォスBlohm & Voss)など造船所で建造され、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督の指揮下に置かれた。第二次大戦当初、レーダーをは未装備、敵艦船を目視で発見するしかなかった。また、海面上5メートルもない潜水艦艦橋からの視界は狭く、索敵は天候・気象に依存した困難な任務だった。

 索敵用にドイツ艦艇の空の目となり、洋上を哨戒偵察をする飛行機の利用が考えられたが、ドイツでは空飛ぶ兵器・軍用機はドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Goering)の指揮下に置くという原則があった。そこで、ドイツ海軍航空隊は、艦艇搭載する偵察用艦載水上機程度しか保有を許されなかった。しかし、その後、ドイツ海軍大西洋司令部の下に、水上機や飛行艇からなる沿岸飛行隊(Küstenfliegergruppe:KüFlGr)や海上偵察隊(Seeaufklärungsgruppe:SAGr.)の指揮が任されることになった。そして、ドイツ海軍潜水艦隊司令長官(BdU)カール・デーニッツKarl Dönitz)提督隷下の潜水艦Uボートと共同してた交通破壊を実施するために、ハインケル(Heinkel)He 114 のような水上偵察機やブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 138のような哨戒飛行艇が配備されるようになったのである。

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機(登録コード:IY-YF):第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081312 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081312引用。


ハインケル ハインケル(Heinkel)He 114 A-2水上偵察機の諸元
搭乗員: 2名
全長: 11.65 m、全高: 5.23 m、全幅: 13.60 m
翼面積: 42.3平方メートル
空虚重量: 2,300 kg 、全備重量: 3,670 kg
発動機: BMW 132K 空冷 星型エンジン(960 hp)
最高速力: 335 km/h
航続距離: 920 km
実用上昇限度: 4,900 m
兵装: 7.92ミリMG15旋回機銃1丁
搭載爆弾:50キロ爆弾2発

写真(右)1939年9月-1941年頃、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機:3翅ではなく2翅プロペラ装備のBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載している。第二次大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークの黒色スワスチカは残されたが、赤帯白丸は、敵に目立ちやすいために廃止された。
Ray Wagner Collection Image Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081313 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive -
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081313 引用。


ドイツ潜水艦UボートII型 1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻、理由は、スウェーデンの鉄鉱石を不凍港ナルビクNarvik)を通じて安定して輸入するためだったが、イギリスがノルウェーの機雷封鎖や保障占領を企図していることもあった。このノルウェー侵攻「ウェーゼル演習作戦」では、四発大型旅客輸送機ユンカースJu-90が、オスロに兵員を輸送した。デンマークは侵攻初日の4月9日、国王クリスチャン10世Christian 10)、デンマーク政府が即座に降伏したが、ノルウェーは、イギリス軍の支援を受けて、激しく戦った。しかし、ドイツ軍のフランス侵攻で、5月下旬にはフランスの危機、イギリスの孤立化が確実になったため、ノルウェーの連合軍は6月に撤退した。ノルウェーには、傀儡ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)政権が樹立され、ドイツ海軍潜水艦Uボートの基地となった。


カラー図(上)1940-1941年、ドイツ本土、ドイツ軍練習飛行隊所属のハインケル(Heinkel)He 114 A-2水上偵察機(IY+YK)
;He 114 は、1942年末まで地中海方面の偵察に使用されていたが、多くの機体は練習航空隊に移籍していた。He.114A-2 Unit: unidentified training unit Serial: IY+YK Germany 1940-1941. Camouflage: RLM72/73/65. -
写真は, WINGS PALETTE Heinkel He.114 Germany (Nazi) [6]引用。



写真(右)1939年9月以降、ドイツ、編隊飛行するハインケル(Heinkel)He 114 A‐2水上偵察機(登録コード:IY+YG)
:左側に僚機の主翼が映っている。
Heinkel He 114A2 floatplane Stkz IY+YG aerial photo postcard ebay 01
写真は HSK main lisn・UPC/SKU: 10491358引用。


第二次世界大戦突入後、ドイツ機の垂直尾翼には、赤帯白丸を廃止し、黒ナチ党鍵十字のヒトラー政権の国籍記章のみが描かれている。胴体後方側面左右に白縁黒鉄十字が描かれていた。しかし、1942−43年以降、白縁黒鉄十字を止めて、白縁なしで、黒鉄十字は白十字に変更された。

写真(右)1939年9月-1941年頃、水上機基地に陸揚げされたハインケル(Heinkel)He 114 A-2 水上偵察機(登録コード:IY+YG;c/n 2273)とHe 114 A-2 水上偵察機(登録コード:IY+YK;c/n 2283):陸上での移動ができるようにゴム車輪のついた台車に乗せられている。発進するときは、海上に滑り降りて台車が外れ、水上滑走して離水する。
The He 114 was planned to be the follower for the He 60. The V1-versionhad it's first flight in early 1936 using a DB-600 A.motor. ) prototypeswere needed to eliminate the many flaws of the design. The different versionssaw only a short period of service the Luftwaffe. They werealso delivered to Rumania, Spain and Sweden. The He 114 carried 250 kg bombsand a MG 15 in the tail turret.twelve machines exported to Rumania as He 114 B-3s were BMW 132K-powered He 114 A-2s.
写真は the 9th. flotilla located at Brest・ HeinkelHe 114 引用。


He 114 A 水上偵察機の諸元
全長Length: 11,90 m 全幅Width: 13,30 m 全高Height: 5,15 m
乗員Crew: 2名
発動機Motor: BMW 132 K空冷星形9気筒エンジン830PS
最高速力Vmax: 292 km/h
航続距離Range: 1050 km
実用上昇限度Ceiling: 4800 m
武装Armament: 1 x 7.92mm MG 15旋回機関銃

写真(右)1939年9月-1941年頃、水上機基地に陸揚げされたハインケル(Heinkel)He 114 A-2 水上偵察機(登録コード:IY+YG;c/n 2273)とHe 114 A-2 水上偵察機(登録コード:IY+YK;c/n 2283):陸上での移動ができるようにゴム車輪のついた台車に乗せられている。発進するときは、海上に滑り降りて台車が外れ、水上滑走して離水する。
GEORG v. RAUCH COLLECTION No. 10555. Heinkel He 114 A-2 ("IY+YG" c/n 2273, "IY+YK" c/n 2283, et al) Luftwaffe Source unknown
An export version of the He 114 A-2 was produced as the He 114 B-1, and fourteen aircraft of this type were exported to Sweden in 1939. The Danish government also placed an order for four aircraft of this type on April 1, 1940, for delivery in July-August of that year, but the contract was, of course, cancelled after the occupation of Denmark by German forces. Six aircraft were produced for export to Rumania under the designation He 114 B-2, three of these being powered by Junkers Jumo 210 engines driving two-blade airscrews and three were powered by Daimler-Benz DB 600 engines driving three-blade airscrews, and a further twelve machines exported to Rumania as He 114 B-3s were BMW 132K-powered He 114 A-2s. 写真はNational Institute of Mental Health (NIMH) GEORG v. RAUCH COLLECTION・No. 10555. Heinkel He 114 A-2引用。


写真(右)1940年代(?)、スペイン(?)、ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機のコックピット操縦席計器盤:前方右上には、射撃用照準器が設置されているので、スペインへの輸出仕様A-2で、胴体上面に7.92mmMG17前方固定機関銃2挺を装備した型と思われる。
Heinkel He 114 April 14, 2021 Marko P. Nazi Germany (1936) Shipborne and coastal reconnaissance aircraft – 98~118 Built-
写真はWarBird Photos, Plane Encyclopedia - WWII German Aircraft Photographs - SeaplanesSeaplanes Heinkel 114 - Page 2引用。


1932 年秋から 1933 年末にかけて、既存政党への反発から極右勢力大天使ミカエル軍団(Legiunea Arhanghelului Mihail)、通称「鉄衛団」(Iron Guard)の勢力が伸長し、暴力が横行する政治が立憲議会制を抑圧した。これに、1930 年、亡命先から帰国した国王カロル2世の復権活動が加わり、国内秩序回復を標榜する国王親政の強権政府が樹立される。当時幼いミハイ1世(Michael I)が1927年にルーマニア国王に即位し、叔父のニコラエ王子が摂政とりて幼い国王を輔弼していた。しかし、3年後の1930年、王位継承権を失って愛人と国外逃亡した父カロルが亡命先から帰国し、ミハイ1世を退位させて、代わって自ら国王カロル2世として即位した。

そして、ルーマニア国王カロル2世(Carol II)は、1938年2月10日、クーデタにより国家権力を手中に収め、1938年2月27日、新憲法を発布した。ここで、全ての政治結社が解散となり、議会は解体された。しかし、旧勢力と国民の双方から、議会召集を求める声が高まるとともに、共産主事ソビエトの影響力が浸透してきた。不安を感じたルーマニア国王カロル2世(Carol II)は、ソ連に領土を割譲するとともに、ドイツと友好関係をとって、対抗する姿勢を見せた。そして、その過程で極右の大天使ミカエル軍団との協調を図り、ソ連への領土割譲に反対したイオン・ヴィクトル・アントネスク(Ion Victor Antonescu)将軍を逮捕するなどして、保身に努めた。しかし、大天使ミカエル軍団は、国王に従属したわけではなく、1939年には意向に沿わないルーマニア首相を暗殺している。

写真(右)1940年11月、ドイツ、ベルリン、ドイツ外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップ( Joachim von Ribbentrop)(右)と会見するルーマニア指導者イオン・ヴィクトル・アントネスク( Ion Antonescu )将軍:リッベントロップは、1935年英独海軍協定を結んでベルサイユ条約の軍備制限の呪縛を解き、1939年8月ソビエト指導者スターリンと会談し、独ソ不可侵条約を締結し、1940年9月に日独伊三国軍事同盟を締結した。1940年9月に日独伊三国軍事同盟を締結した。三国軍事同盟には、1940年11月ハンガリー、ルーマニア、スロバキア、1941年3月ブルガリア、ユーゴスラビア、6月クロアチアも加盟し、枢軸国となった。ドイツは同盟国ルーマニアにHe114 水上機24機を輸出している。
Description Español: Visita del caudillo rumano Ion Antonescu (izquierda) a Berlín en noviembre de 1940. A su derecha el ministro de Exteriores alemán Ribbentrop. Date November 1940 Source http://www.audiovis.nac.gov.pl/obraz/29038/068bab08042ce3d968df36aa82da95c7/ Author Unknown author -
写真はWikimedia Commons, Category:Ion Antonescu File:IonAntonescuRibbentrop1940.jpeg引用。


こうして、ルーマニアはファシズム全体主義と暴力の波に覆われたが、ハンガリーに領土を奪取されるなど国際関係の失敗が続く国王のカロル2世よる独裁体制は、威信を失墜し、1940年9月5日、ルーマニア国軍の指示を得たイオン・ヴィクトル・アントネスク(Ion Victor Antonescu)将軍は、国王カロル2世(Carol II)を退位させて、首相に就任し、軍事独裁政権を目指した。アントネスクは、ルーマニア国軍を掌握していたが、武力を有し反抗的だった大天使ミカエル軍団(Legiunea Arhanghelului Mihail)、通称「鉄衛団」(Iron Guard)をアントネスクは、弾圧した。

アントアネスクと対決するために、大天使ミカエル軍団は、1941年1月20日、武装蜂起した。これは、ドイツ外務省の指示を当てにしたものだった。しかし、ヒトラーは、重要なプロエシュチ油田を有するルーマニアの政治的混乱を許容しなかったために、大天使ミカエル軍団の武装蜂起は失敗し、その主要メンバーはドイツに亡命を余儀なくされた。

1940年9月5日、ルーマニアの全体主義を主導する立場に上ったイオン・ヴィクトル・アントネスク(Ion Victor Antonescu)将軍は、ヒトラーの要請に応じてルーマニア国内のユダヤ人・ロマ(ジプシー)の排除・強制収容所への移送を進め、1941年6月22日のドイツのソ戦侵攻にも加わって、枢軸国側の大国として軍をソ連攻撃に参加させた。

写真(右)1941年6月10日、ドイツ、バイエルン、ミュンヘン、総統官邸で対ソビエト戦争の会談を終えたアドルフ・ヒトラーとルーマニア指導者イオン・ヴィクトル・アントネスク( Ion Antonescu )将軍:後方には、国防軍総長ヴィルヘルム・グスタフ・カイテル(Wilhelm Gustav Keitel)元帥が続いている。1940年9月締結の日独伊三国軍事同盟に11月に加盟したルーマニアは、事前にドイツと相談の上、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻「ばバルバロッサ作戦」に組み込まれていた。ルーマニアがドイツから購入したハインケルHe114 水上機24機は、対ソ戦で黒海方面で使用された。
München, Staatsbesuch Jon Antonescu bei Hitler Adolf Hitler empfing am 10.6.1941 vormittags, im Führerbau in München in Gegenwart des Reichsaussenministers v. Ribbentrop den rumänischen Staatsführer General Antonescu zu einer mehrstündigen Besprechnung. Im Anschluß daran gab zu Ehren des rumänischen Staatsführers Adolf Hitler einen Empfang. Ubz: Adolf Hitler geleitet seinen rumänischen Gast nach dem Empfang an den Kraftwagen. In der zweiten Reihe v.r. Reichsaussenminister v. Ribbentrop, daneben Generalfeldmarschall v. Keitel. 13.6.41 5903/41 -Depicted place Munich Date 10 June 1941 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
写真はWikimedia Commons, Category:Ion Antonescu File:Bundesarchiv Bild 183-B03212, München, Staatsbesuch Jon Antonescu bei Hitler (cropped).jpg引用。


1939年3月23日、ルーマニアは、ドイツとの間に自国のプロイェシュティ油田からの石油供給を約束したが、1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発したときは、中立を表明した。まだ、世界大戦を戦うには、軍事力が不足していたからである。他方、ルーマニアと東国境を接するソ連は、イギリス、フランスが大戦で弱体化したために、バルト諸国、東欧に勢力を拡大し、1940年6月には、軍事的圧力をかけて、ルーマニアに東北部のベッサラビア、北ブコヴィナをソ連に割譲させてしまう。

ルーマニアは、第一次世界大戦ではイギリス・フランス・ロシアの協商側に立って、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国と戦って、戦勝国となった。そして、戦後、1918年12月トリアノン条約によって、ブコビナ、トランシルヴァニア、ベッサラビア、ドブロジャを獲得し、領土を倍増、大ルーマニアを実現させた。しかし、ハンガリーは、ドイツの後ろ盾を得て、1930年後半にはルーマニアにより第一次世界大戦に奪われたトランシルヴァニアの旧領を奪回した。

こうしたルーマニア弱体化の中でルーマニア国王カロル2世(Carol II)は世論・軍の支持を失い、ミハイ1世に譲位、1940年9月に亡命すると、親独派のルーマニア国軍の指示を得たイオン・ヴィクトル・アントネスク(Ion Victor Antonescu)将軍がルーマニアの政権を掌握した。

写真(右)1941-1943年頃、ルーマニア(?)、淡水湖で多数の半裸の整備員がルーマニア空軍ハインケル(Heinkel)He 114 B-2水上偵察機2号機の収容作業をしている。:ドイツは同盟国ルーマニアにHe114 水上機24機を輸出している。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081317 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081317引用。


1940年9月に日本・ドイツ・イタリアの日独伊三国軍事同盟が締結されたが、このの国軍事同盟には、続いて、道央のドイツ友好国だった1940年11月ハンガリー、ルーマニア、スロバキア(チェコスロバキア解体後の傀儡政権)、1941年3月ブルガリア、ユーゴスラビア(ただしクーデターで親独政権が倒されドイツ軍が侵攻占領した)、6月クロアチア(ユーゴスラビア解体後の傀儡政権)も加盟し、枢軸国となった。これらの東欧枢軸諸国は、対イギリス・アメリカとの戦争には、関与が薄かったが、対ソビエト連邦との戦争、ドイツ東部戦線には反ボリシェビキの立場で派兵した。

親独派イオン・ヴィクトル・アントネスク将軍の1940年9月ルーマニア政権奪取を受けて、1940年10月4日、ドイツはルーマニアに進駐し、ルーマニアのプロエシュチ油断を確保した。そして、1940年11月23日、ルーマニアは日独伊三国同目に加盟して、枢軸国加わった。これは、反連合国、特に反共産主義の立場を明確にしたいたから、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻に際して、ルーマニアもドイツ同盟国としてはソ連侵攻に加わった。そして、ソ連に派兵したルーマニアは、ドイツ軍とともに快進撃を続け、ソ連軍を奇襲撃破して、ソ連に奪われた併合されていたベッサラビア、北ブコヴィナをすぐに奪回することができた。


写真(上)1941-1943年頃、ルーマニア(?)、淡水湖上のモーターボートとドイツ同盟国ルーマニア空軍ハインケル(Heinkel)He 114 B-2水上偵察機9号機
:ルーマニアの青、黄、赤の縦三色旗を垂直尾翼に塗って国籍マークとしている。
Heinkel He 114 April 14, 2021 Marko P. Nazi Germany (1936) Shipborne and coastal reconnaissance aircraft – 98~118 Built-
写真はWarBird Photos, Plane Encyclopedia - WWII German Aircraft Photographs - SeaplanesSeaplanes Heinkel 114 - Page 2引用。



写真(上)1941-1943年頃、ルーマニア(?)、水上をゆっくり滑走しているドイツ同盟国ルーマニア空軍ハインケル(Heinkel)He 114 B-2水上偵察機6号機
:ルーマニアの青、黄、赤の縦三色旗を垂直尾翼に塗って国籍マークとしている。ドイツが同盟国ルーマニアに売却した24機のHe114 水上機の6号機である。
写真はWarBird Photos, WWII German Aircraft Photographs - Seaplanes Heinkel 114 - Page 2引用。


1944年3月29日には、ソ連赤軍は、プルト川を越えてルーマニアに侵攻し、1944年6月6日の西側連合国軍ノルマンディー上陸後にドイツが敗走すると、ドイツの弱体化は決定的になった。
こうして、対ソビエト連邦の戦局悪化、ルーマニア敗退によって、イオン・ヴィクトル・アントネスク(Ion Victor Antonescu)将軍の権威も失墜した。

1944年8月23日、ルーマニア国王ミハイ1世と政治家によるクーデタが起きた。ルーマニア国王ミハイ1世は、1944年8月23日、クーデターによって、新独派アントネスク将軍を解任、ドイツと断交して、8月25日には、連合国側に寝返って、ドイツへ宣戦布告したのである。


カラー図(上)1940-1941年、ルーマニア空軍所属のハインケル(Heinkel)He 114 B-2水上偵察機6号機
;He 114 B-2は、輸出仕様だが、実際はHe 114 A-2と大差なかった。ルーマニア空軍に引き渡されたHe 114は、垂直尾翼に青黄赤の三色旗、胴体後方側面に黄色十字赤丸青点の国籍マークを描いたて、黒海方面で主に使用した。 He.114B-2 Unit: 101 Squadron of Coast Guard Serial: 6 Konstanza, 1941-1942. Note: RLM70/71/65 camouflage. Artist: unknown Source: unknown -
写真は, WINGS PALETTE Heinkel He.114 Germany (Nazi) [6]引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機は、ドイツの外貨獲得のため、ルーマニアに24機が輸出された。そして、ルーマニアでは8機が1960年5月まで部隊で使用されていた。

ハインケル(Heinkel)He 114のほかにも、ルーマニア空軍は、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf 109 E-3a、Bf 109 F-2、Bf 109 G-6など主力戦闘機を供与され、対ソビエト東部戦線に投入したが、1944年秋には、ルーマニアはソ連と講和し、これらの機体でドイツと戦うことになった。そして、Bf109Gの生き残りは、戦後のルーマニア空軍でも引き続き使用された。そして、ルーマニア航空機メーカーIAR社で国産化されたBf 109 Ga-6は、戦後になっても配備されている。

スペインに対しても、1943年7月に、12機のハインケル(Heinkel)He 114 A型、C型が輸出され、1954年までS-12 として部隊で使用されていた。

写真(右)1940年以降、水上機基地に接岸しているスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機18号機:スウェーデンの国籍マークは、青丸に3冠で「3王国の主」あるいは「3賢王」を表している。ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出している。
12 aircraft were exported to Sweden (where they were designated S 12) and 24 to Romania, where the last 8 remained in service until 1 May 1960..-
写真は,Airplanes in the skies + FAF history keskiviikko 1. heinäkuuta 2015 Heinkel He 114引用。


写真(右)1940年以降、湖上をゆっくりと滑走しているスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機27号機:複葉水上機だが、上の主翼に比較して下の主翼は非常に小さく狭い一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用している。ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出している。
S-12, Heinkel He 114. Stellan Anestad flew this type of air craft during WW II. (Photo from Mikael Forslund).Stellan Anestad, 1905 - 1976, graduated from Norra Real high school in Stockholm, 1923. After his graduation he started his mining engineering studies at the Royal Institute of Technology (KTH) in Stockholm. Halfway through his studies, he left for military service and to join the navy's aircraft unit, and then in 1926 the newly created Swedish Air Force (SAF). He stayed in the SAF until 1929, when he resumed his engineering studies and graduated in 1931. While pursuing a successful career in the Swedish mining industry, he remained in the SAF reserve, and maintained his flying skills through regular training sessions. At the outbreak of WW II, he was called back into service, and served on-and-off through 1944. He remained in the SAF Reserve until the mid 50's. .-
写真は,Stellan Anestad's Photos from the Swedish Air Force 1919 - 1944 keskiviikko 1. heinäkuuta 2015 Heinkel He 114引用。


写真(右)1940年以降、氷結した湖上に待機するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機23号機23号機(右前方より撮影):双フロートは頑丈なので、雪原でも氷上でも離着陸することができた。下の主翼は非常に小さく狭い一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用。ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出した。
avla Flygplan S 12 med flottörer på F 2 Hägernäs, vintertid..PRECISE DESIGNATION Inglasat fotografi på S 12 INDEXING TERM Kontor SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVM.149874引用。


ハインケル(Heinkel)He 114 は、ドイツから中立国スウェーデンに12機が輸出された。スウェーデン空軍は、ドイツから輸入したハインケル(Heinkel)He 114 を、S-12 と命名し、上主翼先端上下と胴体後方左右側面に三王冠の国籍マークを描いて部隊配備した。

写真(右)1942年、森林上空を飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機24号機(右前方より撮影):
Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder.INDEXING TERM Kontor SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-SUBJECT Fotografering - 1942 Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygbild S 12 Spaningsflygplan Propellerflygplan Heinkel He 114A
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


スウェーデン空軍の配備した12機のハインケル(Heinkel)He 114 は、S-12 と命名され、三王冠の国籍マークを描いて部隊されたが、第二次大戦後も1954年まで飛行可能だった。

写真(右)1942年、森林上空を飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機24号機(下方より撮影):上主翼に比較して下主翼は非常に小さい一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用。上主翼下面に、スウェーデン青丸3王冠の国籍マークが描かれている。
Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder.SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-SUBJECT Fotografering - 1942 SUBJECT Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygbild S 12 Spaningsflygplan Propellerflygplan Heinkel He 114A
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


写真(右)1942年、森林上空を飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機24号機(下方より撮影):
Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder.SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-SUBJECT Fotografering - 1942 SUBJECT Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygbild S 12 Spaningsflygplan Propellerflygplan Heinkel He 114A
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


写真(右)1942年、湖水上空を飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機24号機(左下方より撮影):ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出している。
Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder.SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-SUBJECT Fotografering - 1942 SUBJECT Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygbild S 12 Spaningsflygplan Propellerflygplan Heinkel He 114A
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


ドイツは中立国スウェーデンに12機のハインケル(Heinkel)He 114 水上機を輸出した。スウェーデン空軍は輸入したHe 114水上機12機の上主翼上下面、胴体構想左右側面にスウェーデン青丸3王冠の国籍マークが記入し、S-12水上偵察機とし、1954年まで使用している。


写真(上)1942年、先行する随伴機から撮影された湖水上空を飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機
(やや下方より撮影):上主翼に比較して下主翼は非常に小さい一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用。手前下は、両機の垂直尾翼とそこに繋がるアンテナ線で同じHe114 水上偵察機のようだ。
Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder.SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygplan S 12 Spaningsflygplan Sjöflygplan Heinkel He 114A ABOUT Inglasat foto på S 12 - Heinkel He 114 .-SUBJECT Fotografering - 1942 SUBJECT Spaningsflygplan S 12 märkt nummer 24 från F 2 Hägernäs i luften. Serie om fem bilder. AVBILDAD - NAMN Roslagens flygflottilj F 2 (1926 - 1974) SPECIFIC SUBJECT TERMS Flygbild S 12 Spaningsflygplan Propellerflygplan Heinkel He 114A
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


カラー写真(右)1942-1943年頃、スウェーデン上空を編隊で飛行するスウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機22号機:ドイツは中立国スウェーデンに12機のHe114 水上機を輸出している。
Lennart Arjevall(1997)Flyghistorisk Revy S 12 Heinkel He 114のカバーに掲げられたカラー写真。
S 12 Heinkel He 114
Lennart Arjevall, Sven Stridsberg, Mikael Forslund - Flyghistorisk Revy
ISBN-10:0345-3413
Format:ペーパーバック
ページ数:79 pages
寸法:170×240
言語:Swedish/English
発売日:1997
出版社:Swedish Aviation Historical Society
トピック:Heinkel He 114 » Propeller (Aircraft)
写真は,Flygvapenmuseum IDENTIFIER FVMF.002950引用。


写真(右)1939年9月-1942年頃、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 水上偵察機:防御兵装は、コックピット後方、偵察員席に 7.92ミリMG 15旋回機銃1丁を装備するのみだが、左右の主翼下面に50キロ爆弾各1発を懸架できる。第二次世界大戦が始まると、垂直尾翼にあったナチ党政権下のドイツ軍国籍マークのカギ十字を残すのみと支、目立ちすぎる赤帯白丸は廃止された。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081311 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081311引用。


写真(右)1939年9月-1942年頃、ドイツ本土海域、ハインケル(Heinkel)He 114 A-1 水上偵察機:アラドAr-196水上偵察機が、1937年5月に初飛行し、1938年11月に部隊配備されると、He114水上偵察機は、艦載機から、順次、代替されていった。第二次大戦突入初期には、ドイツ軍機の国籍マークとして、垂直尾翼に大きな白枠黒鍵十字を描いていたが、大戦後半には、小さめの黒鍵十字を描くだけとなった。
Heinkel, He 114 Catalog #: 01_00081315 Title: Heinkel, He 114 Corporation Name: Heinkel Additional Information: Germany Designation: He 114 Tags: Heinkel, He 114 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive-
写真は,Flickr, SDASM Archives Catalog #: 01_00081315引用。



図(右)スウェーデン空軍ハインケル(Heinkel)He 114 A 水上偵察機;スウェーデン空軍S-12水上機19号機の正面図と左側面図
:上主翼に比較して下主翼は非常に小さい一葉半機("Sesquiplane")の構造を採用。コックピットは、半密閉式ガラス風防で覆われている。フロート後端に、水上滑走時に使用する方向舵が設けられている。主翼上にアンテナ支柱があり、底からアンテナ線が尾翼先端にまで張られている。
図は,Blueprints:Blueprints for 3D modeling Heinkel He 114 Blueprint引用。


中立国スウェーデンはドイツから12機のHe114 水上機を輸入しS12と命名し、上主翼上下面、胴体構想左右側面にスウェーデン青丸3王冠の国籍マークが記入し、1954年まで使用している。


図(右)ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 114 A2 水上偵察機の三面図
(正面・左上下面・左側面):
図は,Blueprints:Blueprints for 3D modeling Heinkel He 114 Blueprint引用。


ドイツ海軍ハインケル(Heinkel)He 114 A2 水上偵察機の諸元

乗員: 2
全長: 11.65 m (38 ft 2+1⁄2 in)
全高: 5.23 m (17 ft 2 in)
翼幅: 13.60 m(44 ft 7+1⁄2 in)
翼面積: 42.3 m2 (455 ft2)
空虚重量: 2,300 kg (5,070 lb)
総重量: 3,670 kg (8,091 lb)
発動機: BMW 132K 空冷星形9気筒星型エンジン716 kW (960 hp)
性能
最高速力: 335 km/h (181 kt) 208 mph/高度1000m
330 km/h /海面上
310 km/h /高度2000 m
上昇時間:10分/2000 m
離水距離:380 m
着地速度: 120 km/h
着陸距離:460 m 航続距離: 920 km (497 nmi) 571 mi
実用上昇限度: 4,900 m (16,075 ft)
上昇率: 5.5 m/s(1082 ft/min)
翼面荷重: 86.8 kg/m2 (17.8 lb/ft2)
馬力荷重(プロペラ): 0.20 kW/kg (0.12 lb/hp)
武装
7.92 mmMG 17 固定機関銃1丁、7.92mmMG15旋回機関銃1丁
爆弾:50 kg (110 lb)2発



WW2 Luftwaffe Heinkel He 114 Bild HD - WW2 Luftwaffe Heinkel He 114 Image HD
767 回視聴 2016/03/03
Armas Historicas - Guns Historical チャンネル登録者数 2200人
El Heinkel He 114 fue hidroavión biplano de reconocimiento alemán producido en los años 1930 para ser usado desde los buques de la Kriegsmarine. Previsto para sustituir al He 60 del mismo fabricante, no permaneció mucho tiempo en servicio antes de ser reemplazado por el Arado Ar 196 como avión de observación estándar de Alemania. Aunque su producción acabó en 1939 participo de forma limitada durante la II Guerra Mundial


Spanish Heinkel He 114  140 回視聴 2020/04/17
Phil DeFer チャンネル登録者数 2240人
The Heinkel He 162 Volksjäger was a German single-engine, jet-powered fighter aircraft fielded by the Luftwaffe in World War II

写真(右)1945年頃,スペイン南東海岸、ムルシア州サン・ハビエル(San Javier)、スペイン空軍ハインケル(Heinkel)He-114A水上偵察機 (52-2) :スペイン形式名HR.4-2 水上偵察機
Spain - Air Force Heinkel He-114A (HR.4-2 / 52-2) OTRA RELIQUIA, FOTO DEL HIDRO HE-114 CON BASE EN SAN JAVIER Y LOS ALCÁZARES, EN AGUAS DEL MAR MENOR Murcia - San Javier (MJV/LELC) (Spain) Airport info Show nearby airports Show location 1945
写真は,AviationCorner.net,Spain - Air Force Heinkel He-114A引用。


写真(右)1945年,スペイン、スペイン海軍カナリアス級重巡洋艦「カナリアアス」(Crucero Canarias)にデリックで吊り下げられたスペイン海軍ハインケル(Heinkel)He 114 A水上偵察機(52-5) :スペイン機の国籍マークは、垂直尾翼にファシスト国民戦線以来の白地に黒×と、胴体後方側面のスペイン赤黄赤の横縞国旗にちなんだ円形赤黄赤丸の国章を付けた。
Descripción: El He 114 era un avión inusual por su configuración de biplano y ala baja con plataforma de tipo elíptico. Heinkel He-114A (HR.4-5 / 52-5) siendo izado al Crucero Canarias en 1945
写真は,la Segunda Guerra Mundial,Heinkel He 114 [Hidroavión de Reconocimiento]引用。


スペインは、1943年7月になって、ドイツからハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機 A型とC型合わせて12機を導入し、海軍カナリアス級重巡洋艦「カナリアアス」(Crucero Canarias)の艦載水上機として使用したが、残った動画では、カタパルト射出機ではなく、デリックで海面にハインケル(Heinkel)He 114を海面に降ろして、海面を滑走させては発進させている。ハインケル(Heinkel)He 114水上偵察機は、1954年まで使用された。

写真(右)1945年頃,スペイン南東海岸、ムルシア州サン・ハビエル(San Javier)、主翼を折り畳んだスペイン空軍ハインケル(Heinkel)He-114A水上偵察機 (HR.4-2 / 52-2) :スペイン形式名HR.4-2 水上偵察機 :He-114は、艦載偵察機として翼を折り畳むことができるが、この折り畳み方法はアラドAr-196と酷似している。
Durante el año 1943 fueron adquiridos doce ejemplares de este hidro biplaza de reconocimiento a Alemania. Su primer destino fue la base de Los Alcázares (Murcia) y su misión fue la de vuelos de patrulla en las costas del Mediterráneo, el Ejército del Aire con cierta frecuencia, solía destacar a un He.114A en el crucero Miguel de Cervantes, que estaba equipado con catapulta. En el año 1945 fue cambiada su identificación por la de HR-4. Los He-114A en Octubre de 1951 fueron trasladados al 51 Regimiento de Hidros de Pollensa. Su destino en esta base finalizó en el 1953 en que regresan a su primitiva base de Los Alcázares. Con la llegada a España de los Grumman Albatros, los Heinkel He-114A realizan sus últimos vuelos en el año 1954.
写真は,AviationCorner.net,Spain - Air Force Heinkel He-114A (HR.4-2 / 52-2) 引用。


1936年就役のスペイン海軍カナリアス級重巡洋艦「カナリアアス」(Crucero Canarias)は、基準排水量1万670トン、満載排水量1万3200トン、全長193.8 メートル、水線長192.2 m、全幅19.5 m、吃水5.3 m、20.3cm(50口径)連装砲4基8門、12cm(45口径)単装高角砲8基、40mm(60口径)機関砲8門、53.3cm三連装魚雷発射管4基12門、動力は4基2軸9万馬力、最高速力33.0ノット、航続距離15ノット/8000マイル。


3.アラド(Arado)Ar-196単葉水上偵察機

写真(右)1941年、ドイツ占領下ポーランド、グダニア、ドイツ海軍巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」のカタパルトに搭載されたBMW132空冷星形9気筒エンジン装備のアラドAr196 艦載水上偵察機;フロートの下、カタパルトの脇には大きなボンベ(圧搾タンク)があるが、これはカタパルト射出する際に開放される圧搾空気ボンベである。
Description GDYNIA, POLAND, 1941. "6 W" THE ARADO 196, A TWO SEATER RECONNAISSANCE FLOAT PLANE BEING LOADED ONTO THE CATAPULT LANDING GEAR ABOARD THE 10,000 TON GERMAN HEAVY CRUISER "ADMIRAL HIPPER". Unit Cruiser Admiral Hipper Place Europe: Poland Collection type Photograph Object type Black & white Physical description Black & white Maker Schroeder Conflict Second World War, 1939-1945
写真は Australian War Memorial: Accession Number 042676 引用。


Ar-196水上偵察機は,双フロートの水上偵察機で,ドイツ海軍の巡洋艦以上の艦艇の艦載機としても使用された。
機首のカウリングに7.92ミリMG17機銃2丁,主翼に20ミリMG-FF機銃2門を装備した。

シャルンホルスト アラド(Arado)Ar 196水上偵察機は、ドイツ海軍(Kriegsmarine )艦艇に搭載する艦載水上偵察機としてアラド社(Arado)で開発された。Ar 196水上偵察機の試作は、1936年から開始され、ドイツ海軍の競争試作機として他社を抑えて採用され、500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

写真(右)1940年,デンマーク、飛行中のアラド(Arado)Ar-196 A水上偵察機:ハインケルHe 60複葉水上機の後継機としてアラド社が開発した単葉金属製の水上機で、1937年に試作機が完成し、双フロート水上機、艦載偵察機として採用された。機体構造は、鋼管骨組の胴体に、前部は金属張り、後部は羽布張り、主翼は金属製だった。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine Signature: Bild 101II-MN-1517-09 Archive title: Dänemark (?).- Wasserflugzeug Arado Ar 196 in (Kennung CK+EQ der Küstenfliegergruppe 706, stationiert in Aalborg-See) im Flug; PK Marine-Nord Dating: 1940 ca. Photographer: Eschenburg, Karl Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


飛行中と水上滑走中の安定性に問題があったハインケル(Heinkel)He 114 の後継機として、同じBMW132空冷星形9気筒エンジンを装備したアラドAr 196水上偵察機が部隊配備されたのは、第二次世界大戦の勃発した1939年9月からである。

その後、主翼の7.92ミリMG17機関銃(左右合計2丁)を20ミリMG-FF機関銃(合計2丁)に強化したAr 196水上偵察機A-2型が主力となった。活動海域は、主に大西洋、北海、バルト海だが、黒海、地中海方面でも使用されている。アラドAr 196水上偵察機は、1944年までに500機が製造された。第二次大戦の全期間を通じて、ドイツ海軍の水上偵察機として活躍した。

アラド(Arado)Ar 196 水上偵察機は、第二次大戦中にドイツ海軍で広範囲に使用された、低翼単葉、双フロートの艦載機。発動機は前作ハインケル(Heinkel)He 114 と同一のBMW132K空冷星型エンジン960馬力搭載、機首と後部座席の7.92mm機銃2挺、主翼内に20mm機関銃2挺、主翼下面に50kg爆弾2発搭載可能。第二次大戦の始まった1939年に部隊配備開始、戦艦ビスマルク、重巡洋艦ヒッパーなど大型水上艦艇に搭載。沿岸水上機部隊にも配備された。


アラド(Arado)Ar-196水上偵察機諸元
乗員:2名
全長: 11.0メートル,全幅: 12.5メートル
翼面積: 28.4平方メートル
自量: 2トン,全備重量: 3.7トン
エンジン: BMW132 空冷 960馬力1基
最高時速: 320キロ
航続距離: 1000キロ,上昇限度: 7,000メートル
武装: 20ミリMG-FF機関砲2門,7.92ミリMG17機銃2丁
50キロ爆弾2発
初飛行1937年5月
生産開始1938年11月からで、1944年3月までに540機が産された。

⇒写真集Album:アラド(Arado)Ar 196水上偵察機を見る。


4.ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機

写真(右)1941年10月13日、西部戦線、オランダ、ドイツのハインケル(Heinkel)HE 115 水上偵察機;フロート(浮舟)の間に艀を置いて、胴体下面に航空魚雷を搭載しようとしている。機首A銃座の7.92ミリMG15旋回機銃は、銃座を上方に回転させ、機首上面のハッチから乗り出した整備員が手入れをしている。
Beeldnummer 43394 Collectie NIOD
Trefwoorden Bommenwerpers, Luchtmacht, Vliegtuigen, Bommen
Bijschrift He 115, Type Foto
Datum 13/10/1941
写真は Beeldbank WO2 : Beeldnummer 43394 引用。


枢軸軍の双フロート双発以上の水上機には、ハインケルHe115のほかハインケルHe59救難機、イタリア軍のフィアットCMASA RS.C14水上偵察機、カントZ.506 水上偵察爆撃機 などがあり、いずれも飛行性能は、秀でているわけではないが、堅牢な構造で、使いやすい機体だった。

ハインケル(Heinkel)He 115 ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機は、1937年8月に初飛行した機体で、海上の哨戒偵察以外にも、船団への魚雷攻撃、機雷敷設、輸送などにも投入された多用途機だった。

ヘルマン・ゲーリング総司令官のドイツ空軍に飛行機を集中させられたため、ドイツ海軍航空隊は貧弱であり、ハイケルHe115水上偵察機は、艦艇に搭載することは想定されておらず、水上機基地をベースに活動することを前提としていた。そのため、He115水上偵察機の総生産機数は138機のみであった。しかし、北大西洋、地中海方面では、水上機の特性を生かして、海上哨戒偵察、対艦船攻撃(爆弾・航空魚雷・機雷)に有効な働きをしている。

⇒写真集Album:ハインケル(Heinkel)He 115水上偵察機を見る。


5.フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro水上戦闘機


図(右)1931年,イタリア空軍フィアット(Fiat)C.R. 20 Bis A.Q.- idrovolante -複葉水上戦闘機の上面寸法図
(図3);イタリア航空省1931年刊行、フィアットC.R. 20 Bis A.Q.公式ガイドライン(Istruzioni)掲載。
Fiat C.R. 20 Bis A.Q. idrovolante - a cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA selezione tratta dal Manuale per il montaggio
写真は,MINISTERO DELL' AERONAUTICA IDOROVOLANTE C.R.20 BIS A.Q.(Motora Fiat A-20 A.Q.)ISTRUZION TORINO EDIZIONE 1931引用。


イタリア王国空軍は、1926年6月19日に固定脚の複葉戦闘機フィアット(Fiat) CR.20 を初飛行させた。リビアの反イタリア勢力との戦闘、1935-1936年のエチオピア(Abyssinia)侵攻の初めに地上支援航空機としてフィアット(Fiat)CR.20フレッチャ(Freccia)戦闘機を投入した。このフィアットCR.20の水上戦闘機仕様が、フィアット(Fiat)C.R. 20 Idro である。


⇒写真集Album:フィアット(Fiat)C.R. 20idro水上戦闘機を見る。


6.カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機


図(上)1940年6月以降,イタリア空軍カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機胴体・主翼中央部の上面・下面構造図
(図3);主翼には降着装置の浮舟フロートが左右についている。左主翼付け根には前方7.7mmブレダ(Breda)-SAFAT空冷機関銃1丁が装備されている。
1942年ファシスト歴20年刊行のCA.316双発水上偵察機公式マニュアル掲載
写真は, MINISTERO DELL' AERONAUTICA ISTRUZION E NORME TIPO CA.316 due motori P. VII C. 16 DA RICOGNIZIONE MARITTIMA ANNO 1942 - XX F. E.引用。
1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備の Ca.310(生産数 312機)の水上機化したCA.316水上偵察機は、1940年8月14日初飛行した。

原型のカプローニ(Caproni)Ca.310陸上機は、1937年2月20日初飛行、1938年部隊配備。生産機数 312機。このCa.310の水上機仕様Ca.310 Idroを原型として、CA.316は1940年8月14日初飛行した。しかし、戦局悪化の中で、低性能の水上機は制式されず、生産機数は14機のみで終わった。

カプローニ(Caproni) CA.316水上偵察機は、ピアッジョ(Piaggio)ステラ(Stella) P.VII C.16/35空冷星形9気筒(cylinder)エンジン350 kW (470 hp)2基装備で、最大離昇重量 4,650 kg (10,251 lb)、最高速力365 km/h (227 mph, 197 kn)、航続距離 1,690 km (1,050 mi, 910 nmi)

⇒写真集Album:カプローニ(Caproni)Ca. 316 水上機を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ハンセン病Leprosy差別

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