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◆ハインケル(Heinkel)He177グライフ(Greif)爆撃機
写真(上)1944年秋,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177「グライフ」四発重爆撃機
:フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-676-7969A-25 Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Herbst Photographer: Schroeder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-25引用(他引用不許可)。



写真(上)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲して飛行試験をしているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif)
:イギリスの田園地帯を飛行審査しているが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936401 - Title:Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005325.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005325 引用。

HermannGoering書籍 ◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒(けんそう)の中で決めないでほしい」と語った。これは、徴兵復活、軍備強化、独裁政権獲得という本音のようだ。


写真(右)1941年4月21日,ドイツ空軍総司令官ヘルマン=ゲーリング(Hermann Göring)元帥(右)と会談するフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥
:マンネルハイムは、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの大本営「狼の巣」を訪れた後、ドイツ空軍総司令官ゲーリングの祝宴にも招かれた。対ソビエト連邦との戦争協力を話し合ったマンネルハイムは、1942年6月時点で、ヨーロッパを支配するドイツ後押しを受けられることを大変に喜んだはずだ。フィンランドは、、恨み重なるソ連打倒の好機として、継続戦争を自ら開始したのである。フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月4日の誕生日にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統の表敬訪問を受け、彼も誕生会に招待し、対ソ戦争について会談した。そして、6月27日、ドイツの東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」を訪れ、そこで開かれていた最高指導作戦会議に出席した。マンネルハイムは、総統大本営のヒトラーを訪問しばかりではなく、引き続いて、列車でドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも馳せ参じて、彼の下で祝宴に参加している。
第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1915年までは偵察員だったが,1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。
Bauer撮影。 ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・sa-kuva-3239引用(他引用不許可)。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり, ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)が国会議長に就任した。

ハインケルHe_177 1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)はヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。

1940年6月のフランス降伏で,元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。

1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,の裏切りに怒り,ゲーリングの公職追放・監禁を命じた。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


1.ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)

写真(右)1939-1943年,未舗装滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177V-3 四発重爆撃機試作3号機:ハインケル(Heinkel)He 177は、1936年6月のドイツ航空省(RLM)の開発依頼に応じて製造され、試作1号機は、1939年11月に初飛行した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936474 - Title:Heinkel He 177V-3 Nowarra photo - Filename: 16_005331.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005331引用。


初期型のHeinkel He 111には、輸送機時代からの設計をそのまま受け継いでいるために、機首の風防と操縦席の風防の間に段差があるが、後期型では段なしで視界の良い大型操縦席となった。

ハインケル社は、1922年にエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)が創立したドイツ有数の航空機メーカーである。自由百科では「第二次世界大戦中にドイツ空軍のために爆撃機を始め数多くの航空機を製造した」とされているが、実は大戦前から、ドイツ有数の航空機メーカーであり、新生ドイツ空軍の主力戦闘機He-51を量産した。

写真(右)1939-1943年,飛行しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177V-5四発重爆撃機試作第5号機(登録コード:PM-OD):試作機なので、銃座と銃塔は装備していない。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936329 - Title:Heinkel He 177V-5 Nowarra photo - Filename: 16_005319.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005319 引用。


大戦前、ドイツのハインケル社は、戦闘機のほかにも、偵察機He-46、水上偵察機He-59、高速輸送機He-70などを民間機も含めて量産し、スウェーデン、フィンランド、ブルガリア、ハンガリー、スペイン、日本などに輸出していた。

写真(右)1941-1943年,舗装された滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A 四発重爆撃機「グライフ」(Greif)(登録コード:DL-AQ):後方には、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A戦闘機が見える。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936317 - Title:Heinkel He 177A-0 Nowarra photo - Filename: 16_005318.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviationRepository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005318引用。


ユンカースJu87だった。

ユンカースJu87 ドイツ空軍はユンカースJu-87スツーカによる急降下爆撃の威力を、大型爆撃機にも当てはめようと、四発重爆撃機のHe-177にも急降下性能を備えることを要求した。

ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。

ユンカースJu-87スツーカの脚(離着陸用の車輪)には、高音を発するサイレンが装着されていた。サイレンガを鳴らしながら急降下すると、敵はその音に恐怖して動けなくなってしまった。つまり、サイレンの威嚇音によって、急降下爆撃の命中率を上げ、敵の対空射撃の精度を低下させるという効果が期待されていた。

サイレンは、Ju-87スツーカの初期型のみ装備され、後には撤去された。敵戦闘機の迎撃を受ければ、ひとたまりもなく、日中は、制空権を確保した場所でのみ、スツーカは活躍できた。後には、夜間地上襲撃機として、夜間の低空爆撃に投入された。

写真(右)1940-1944年,舗装された滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A 四発重爆撃機「グライフ」(Greif):後方には、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A戦闘機が見える。
SDASM Archives Heinkel, He 177, Greif
Title: Heinkel, He 177, Greif Corporation Name: Heinkel
Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives - Catalog #: 01_00081331引用。


写真(右)1940-1944年,飛行しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-3四発重爆撃機:まだら迷彩塗装を施している。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936462 - - Title:Heinkel He 177A-3 - Filename: 16_005330.TIF---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005330 引用。


写真(右)1940-1944年,滑空大型爆弾試作品を曳航しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機(登録コード:TM-IU):実験飛行なので、牽引している爆弾は実物ではない。まだら迷彩塗装を施している。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936425 - - Title: Heinkel He 177A-5 with SG5005 glide-bomb carrier Nowarra photo - Filename: 16_005327.TIF.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005327引用。


写真(右)1944年秋,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7969A-24,
Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV
Dating: 1944 Herbst Photographer: Schroeder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-24引用(他引用不許可)。


四発重爆撃機ハインケルHe-177は、1936年ドイツ航空省(RLM)が提案した重爆撃機構想に沿って設計された。ハインケルプロジェクト(P.1041)は、ウラル爆撃機(爆弾1トン搭載、航続距離6000キロ以上)として使用できるものとされた。同様のウラル爆撃機としてはドルニエDo 19、ユンカースJu 89よりも遥かに高性能を求められた。

発動機(エンジン)4基搭載の四発重爆撃機であるが、発動機2基で大型プロペラ1基を回転させるため、一見すると双発爆撃機のように見える。双発にしたのは、急降下するときの操縦性を確保するためである。尾部に20ミリMG151/20機関砲を装備。

写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)への爆弾積み込み作業:フランスの基地に展開するハインケルHe-177部隊。胴体中央に爆弾倉がある。手前、機首下面のゴンドラ後方扉は乗員の出入り口。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7970A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines schweren Bomber Heinkel He 177 mit Bomben; Eins. Kp. Lw zbV ,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7970A-23 引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)、20ミリMG151/20機銃を装備した尾部銃座:MG151/20機銃は装甲・防弾ガラスで保護された銃座に装備されている。ただし、尾部銃座は他の乗員とは孤立した位置にある。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7164-14A,
Archive title: Reichsgebiet.- Heckschütze beim Aussteigen aus der Heckkanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV ,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7164-14A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)、装甲と防弾ガラスで防御された20ミリMG151/20機関砲装備の尾部銃座:MG151/20機銃の銃座員は、装甲・防弾ガラスで保護されているが、他の乗員とは離れて孤立しているために、精神的なタフさが要求される。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7972A-34,
Archive title: Reichsgebiet.- Heckschütze beim Aussteigen aus der Heckkanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-34引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-668-7161-31A,
Archive title: Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz unter Tarnnetz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7161-31A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の降着装置:巨大なゴムタイヤと支柱からなるハインケルHe-177グライフの降着装置は、エンジンナセルに収まるようにみえるが、エンジンナセル一つにエンジン2台を装着しているために、巨大な重たい車輪を治めることができなかった。そこで、巨大車輪の付いた重い脚を、飛行時、主翼の内側と外側の2カ所に分離・収納する。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-676-7972A-19, Archive title: Reichsgebiet.- Wartung des Fahrwerks eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-19引用(他引用不許可)。


ハインケルHe 177の降着装置は、巨大な車輪が特徴で、これを飛行時には主翼の内側と外側の2カ所に分離・収納する。これは、降着装置の構造部分が大きく重くなり、主翼の強度や空力特性にとって支障をきたす。巨大なタイヤは、大重量の重爆撃機を支えるためであるが、それであれば小型車輪を複数重ねたダブルタイヤのほうが有利だった。脚を一本とし、主翼の開口部も最小限にとどめることができる。

ハインケル社は、他社に先駆けて首輪のついた軍用機、たとえばHe-219夜間戦闘機ウーフー、He280ジェット戦闘機を設計、試作している。ドイツ空軍は、首輪をもつ機体を「アメリカ式」と揶揄したが、離着陸は尾輪式よりもはるかに容易だった。現在の飛行機は、小型機でさえも尾輪式を排して、首輪しきになっている。しかし、降着装置の重量軽減、抵抗減少に効果的なダブルタイヤを使えなかったのは、大きなマイナスだった。

写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の脚:巨大な車輪は、内側と外側の2カ所に分けて分離・収納される複雑な機構となっている。小型車輪を複数まとめたダブルタイヤにして、脚を1本とする方が重量軽減に有益であったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7971A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7971A-23引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年2-3月,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の車輪:ダブルタイヤを採用していなかったために、主翼下面に、巨大なタイヤを各々頑丈な支柱の脚2本で支えている。両翼合計で4個の巨大タイヤ、4本の大きな支柱は、重要的にも空力的にも大きなマイナスになった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: 101I-668-7162-06A,
Archive title: Reichsgebiet.- Flugzeugmonteure bei Wartungsarbeiten am Fahrwerk eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Februar - März, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7162-06A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の全面ガラス張りの機首:ハインケルHe-111を継承して、視界の良い全面風防ガラス張りの機首は、アメリカ陸軍の重爆撃機ボーイングB-29の先駆ともいえる。機首下面のゴンドラ(ふくらみ)は、乗員の搭乗口で、蓋を開けると簡易式の折畳み梯子(ラダー)がついている。機体上部に整備員が乗っている部分は、13.1ミリMG131動力機銃のターレットが装備される位置である。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-461-0220-07,
Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka , Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild_101I-461-0220-07引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)のエンジン整備作業:プロペラ1基をエンジン2基で連結駆動する複雑な機構であり、冷却能力部族のためにエンジン過熱を引き起こしやすかった。脚も内と外の両側に分離・収納する複雑な機構となっている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7972A-14, Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-14 引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年秋,飛行場で発進準備をするハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので全幅は短めで、操縦性がよかったといわれている。しかし、Heinkel, He 177は、エンジンナセルに2台のエンジンを収納したために、エンジン冷却能力が低下し、エンジン加熱で不調になりやすかった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7969A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Besatzung auf Rollbahn vor schwerem Bomber Heinkel He 177 mit laufenden Motoren; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Herbst, Photographer: Schröder ,
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-23 引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)は、プロペラが2基なので全幅は短めで、操縦性がよかったといわれている。しかし、エンジンナセルに2台のDB605液冷エンジンを収納したために、エンジン冷却能力が低下し、エンジン加熱で不調になりやすかった。エンジン発火もあり、「空飛ぶライター」と呼ばれたともいう。日本海軍の一式陸上攻撃機も被弾するとすぐに引火、火災が生じやすかったが、これは防御力の弱さを反映したものだった。

写真(右)1944年,滑走路を離れようとするハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)
Inventory: Bild 101 I - Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe , Signature: Bild 101I-676-7972A-04, Archive title: Reichsgebiet.- Start oder Landung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV, Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-04引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)は、エンジン2基が駆動する大直径プロペラのために、地上と機体のクリアランスが高く、機体を支える降着装置も巨大で頑丈なものにしなければならず、ゴムタイヤも大直径になった。

He-177重爆撃機の脚は長く、車輪も巨大である。本来なら、より小型のタイヤを二重、三重に装備するダブル・タイヤで十分なのだが、一つの客に一つの車輪しか装備していないために、巨大なタイヤになった。開口部も大きくなり、収納スペースの関係から強度も弱くなる。そこでで、一個のタイヤで済ませたが、これは大きな失敗だった。

写真(右)1944年秋,飛行中のハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif) :プロペラが2基なので双発機のように見えるが、エンジンナセルには2台のダイムラーDB605液冷エンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回している。これがダイムラーDB610液冷エンジンである。
Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug kurz nach dem Start; Eins. Kp. Lw zbV
Title Flugzeug Heinkel He 177 Info non-talk.svg
Date January 1944 Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-668-7163-24A
Photographer Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7163-24A引用(他引用不許可)。


ダイムラーDB610液冷エンジンのエンジンナセルには2台のダイムラーDB605液冷エンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回している。

写真(右)1944年初め,後方から見たハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので双発機のようだが、エンジンナセルには2台のエンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回しており、4台の発動機(液冷エンジン)を備えている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7163-25A,
Archive title: Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug kurz nach dem Start; Eins. Kp. Lw zbV, Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7163-25A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初め,側面から見た四発重爆撃機ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので、小さな主翼テーパー比(縦横の比率:細長い主翼ほど大きくなる)と相まって、緩効果を続けると、時速600キロを上回る高速になったという。しかし、4台の発動機(液冷エンジン)を霊薬する困難があり、エンジントラブルが頻発した。機体の信頼性が低下した。また、戦争後半には、ドイツはガソリンなど石油燃料の不足に悩まされていた。こうした理由で、ハインケルHE-177「グライフ(英語ではグリフォン)」爆撃機は1000機も量産された割には大きな活躍ができなかった。
Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug; Eins. Kp. Lw zbV
Title Flugzeug Heinkel He 177 Info non-talk.svg
Date January 1944
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・File:Bundesarchiv Bild 101I-668-7163-14, Flugzeug Heinkel He 177.jpg引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)のパイロット:Heinkel, He 177の巨大な車輪は、内側と外側の2カ所に分離・収納するという複雑で重量の嵩む機構となっている。小型車輪を複数重ねたダブルタイヤにして、脚を1本とする方が重量軽減に有益であったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-676-7971A-12,
Archive title: Reichsgebiet.- Pilot in der Kanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7971A-12引用(他引用不許可)。


ハインケルHe-177(Heinkel)グライフ諸元
全長: 22.00 m、全幅: 31.44 m、全高: 6.7 m
全備重量: 31,000 kg
エンジン: ダイムラー・ベンツ DB 610 液冷24気筒 2,950 hp × 2
最大速度: 565 km/h (6,100m)
上限高度: 9,400 m
航続距離: 5,600 km (最大)
武装 20mm MG 151/20機関砲 × 2 (尾部・下部前方)、13mm MG 131機関銃 × 3 (背部)、7.92 MG 81機関銃 × 3 (機首に1、下部後方)
爆弾 6,000 kg もしくは ミサイル×3(ヘンシェル Hs 293 又は フリッツX)
乗員: 5名
ハインケルHe177には、最高速度540km、急降下爆撃が可能であることが求められたため、2基のエンジンを連結して1軸の大型プロペラを駆動する連結エンジンが採用された。また、機体構造の強化が図られ、機体表面の蒸発冷却機構、遠隔操作の銃塔の新機軸も採用された。

大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力にも投入が計画された。1943年のイギリス本土爆撃にも投入された。しかし、エンジン冷却が不十分であったために加熱によるエンジン不調が頻発した。

写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):機内の酸素タンクに荷車で運んできたタンクから酸素を充填している。機首には、前方射撃用の旋回機銃が設けられているので、これから出撃するのであろうか。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-674-7767-09,
Archive title: Reichsgebiet.- Betanken eines schweren Bombers Heinkel He 177 (Kennung schwarze Eule) auf Flugplatz; PK Eins. Kp. Lw. z.b.V.,
Dating: 1943/1944, Photographer: Keiner
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-674-7767-09引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年春,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):巨大な爆弾層が開いているが、搭載しようとしているのは、酸素タンクのようだ。機首のガラス風防には、前方射撃用の機銃発射口が設けられている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-668-7164-35A,
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines schweren Bombers Heinkel He 177 A-3/R2 des 2./KG 100 mit Bomben; PK Eins Kp Lw zbV,
Dating: 1944 Frühling, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7164-35A引用(他引用不許可)。


写真(右)1945年頃,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177A-7四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):終戦前後に西側連合軍に鹵獲されたハインケル四発重爆撃機He-177A-7は、1943年からBf-109Gと同じく、DB605液冷エンジンを結合したDB610エンジン(2基のDB605から構成)に変換したA-5が生産された。A-7は、A-5をベースに主翼を延長し、高空性能を改善したもの。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen,
Signature: Bild 146-1972-065-68,
Archive title: Flugzeug Heinkel He 177 (Baureihe A),
Dating: 1945/1946, Photographer: o.Ang.
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 146-1972-065-68引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年2-3月,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)に爆弾を搭載しようと準備してる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7162-09A
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines getarnten Flugzeuges Heinkel He 177 mit einer Bombe; Eins. Kp. Lw zbV
Dating: 1944 Februar - März Photographer: Linden Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-19引用(他引用不許可)。


He-177グライフ 1944年1月から5月に、ヒトラーは、ドイツ本土無差別爆撃の報復として、イギリス本土爆撃を命じた。これが、「小電撃」と呼ばれることになるシュタインボック作戦である。大証爆撃機、戦闘爆撃機を動員してのイギリス空襲が行われ、特に双発機以上の爆撃機による夜間空襲に主眼が置かれた。これには、ドイツ空軍四発重爆撃機He-177グライフも投入されたが、二つのエンジンを一つのナセルに収めたことで、エンジン冷却効果が低下し、エンジンのオーバーヒートで稼働率は良くなかった。

 しかし、He177は大重量で、翌面積・テーパー比も小さく、緩降下爆撃をすると、最高速度600km/hを超えるために、レーダーで捕捉されても、夜間戦闘機や高射砲の被害を避けることができ、作戦参加したHe177の被弾撃墜率は低かった。シュタインボック作戦に投入されたドイツ空軍双発爆撃機は、Do 217, He111, Ju 88, Ju 188であるが、これらの双発機の損耗率は平均50%を上回った。

 このようにHe 177は損耗率10%で、低く、その潜在的な攻撃力は高かったが、高速での爆撃のために、爆撃の命中精度は低かった。さらに、ドイツ軍は、航空燃料・揮発油を石炭液化による腎臓石油に依存していたため、大量の燃料を必要とする四発爆撃機を運用、訓練するだけの供給力は、もはや1944年中頃のドイツにはなくなっていた。

写真(右)1943-1944年,四発独立エンジン化したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177B-0四発重爆撃機「グライフ」(Greif)
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936437 - Title:Heinkel He 177B-0 Nowarra photo - Filename: 16_005328.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ----Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005328引用。


ハインケル(Heinkel) He 177Bあ型の装備した双子式のDB610 エンジンは、冷却効果が不十分となり、火災や湖沼が発生しやすかったために、エンジンを1個ずつ独立した通常の四発機化した。これがハインケル(Heinkel) He 177B四発重爆撃機の試作機である。プロペラを2基から4基に増やしたことで、軽快性が大幅に低下して、急降下は不可能になった。しかし、その反面、エンジンの実用性が向上して、機体の信頼性が高まったと思われる。

しかし、1944年になると、アメリカ軍とイギリス空軍による昼夜を分かたぬ戦略爆撃が激化しており、インフラの破壊、工場の爆破、交通網の破綻から、ドイツの工業生産、国力は大幅に低下した。したがって、軍需生産の再建のためにも、ドイツ本土防空戦が主な課題となり、航空兵力は昼間戦闘機・夜間戦闘機が中心となった。また、航空機燃料不足が深刻化したために、大型爆撃機を運用することは困難になっていた。


2.イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)

写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が発見した対空偽装されたドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
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Heinkel, He 177, Greif Title: Heinkel, He 177, Greif
Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives -Catalog #: 01_00081330引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲した破壊されたドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
SDASM ArchivesFollow Heinkel, He 177, Greif
Title: Heinkel, He 177, Greif Corporation Name: Heinkel
Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives -Catalog #: 01_00081329引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-7 四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936377 - Title:Heinkel He 177A-7 Pete Bowers photo - Filename: 16_005323.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005323引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
Heinkel 177 Grief - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002349.TIF-------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.
写真は,SDASM Archives - PictionID:38237179引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
Heinkel HE 177 Grief - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002350.TIF ------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.-----------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.-
写真は,SDASM Archives - PictionID:38237217 引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936353 - Title: Heinkel He 177A-3 Nowarra photo - Filename: 16_005321.TIF- - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005321引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936389 - Title: Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005324.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005324引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲して飛行試験をしているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスの田園地帯を飛行するが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936413- Title:Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005326.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005326 引用。



3.第二次大戦を戦い抜いたハインケルHe-111爆撃機 

ハインケルHe-111 ハインケルHe-111爆撃機の諸元:
全長16.4メートル,全幅22.6メートル
翼面積86.5平方メートル
全備重量14000キロ
最高速力:440キロ
航続距離:2000キロ
発動機:ユンカースJumo211F液冷エンジン(1200馬力)2基
乗員5名
武装:7.92mm機銃5丁
爆弾:2トン
グライダーを曳航するなど輸送任務にも使用された。


写真(上)1943年春、ソ連南東部、ドイツ空軍第1空挺航空団(LLG1)のハインケル(Heinkel)He 111Z型ツヴィリング(Zwilling)大型グライダー曳航機
:He111爆撃機2機を合体させたHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、発動機を5発機とした。Z(ツヴィリング:Zwilling)とは、ツイン「双子」の意味である。胴体下面のETC2000/XIIラックに900L増加燃料大型タンクを懸架している。
PictionID:43935308 - Catalog:16_005236 - Title:Heinkel He 111Z Nowarra photo - Filename:16_005236.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


写真(右)1942年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111 Z 大型グライダー曳航機ツヴィリング(Zwilling: 双子)に曳航されるメッサーシュミットMe-321Bギガント・グライダー :He111爆撃機2機を合体させ、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、5発機としたのがHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)。

Messerschmitt, Me 321 Catalog #: 01_00085187
Title: Messerschmitt, Me 321 Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Additional Information: Germany Me-321 being towed by a He-111Z
Designation: Me 321
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


メッサーシュミットMe-321ギガント(巨人)・グライダー
1941年2月25日初飛行
乗員 2名、兵員搭載人数 130名
全長:28.15 m 、全幅:55 m 、全高:10.15 m
空虚重量:12,400 kg
全備重量:34,400 kg
最高速力 160 km/h
生産数150機。

ハインケルHe111Z ハインケル(Heinkel)He 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、He 111 H-6 爆撃機を2機繋ぎ、中央主翼に発動機ユモJumo211F1350馬力エンジン1350馬力1基を追加し、5発機としたもので、1941年に開発が始まり、1941年秋には初飛行に成功した。

全幅32.5m
最高速力:437km/h(高度6000m)
ETC2000/XIIラックを胴体下面に2基、合計4基を装備
燃料搭載量:1万220リットル(600L増加燃料タンク4個を含む)
航続距離:4000km
空虚重量:21300kg
全備重量:29600kg
グライダー曳航力: G0242貨物グライダー2機あるいはMe321ギガント超大型グライダー1機 曳航速力:225km/h

ハインケルHe111Z  ドイツ空軍は超大型グライダー、メッサーシュミットMe321を開発したが、当初は、機構用にメッサーシュミットMe110双発駆逐戦闘機3機を予定していた、Db601液冷エンジン2基を搭載するメッサーシュミットBf110駆逐戦闘機を3基でMe321ギガント大型グライダー1機を曳航する方式は、「トロイカ」と呼ばれた。しかし、トロイカによる試験飛行は、3機が連携した操縦をすることは困難で、実用化はできないことが判明した。

そこで、大型グライダーの曳航にはユンカースJu290読ん発輸送機を流用することが検討されたが、ハインケル社は、既存の旧式化していたハインケルHe111H型双発爆撃機2機を連結し、繋いだ主翼の中央部分にエンジン1基を追加して5発としたHe111Z-1双子飛行機を試作した。これによるMe321大型グライダー曳航の実権は成功したため、ハインけりHe111Z-1が曳航用に生産されたのである。

ハインケルHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)の 生産開始は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機。

ハインケルHe111Z ハインケルHe 111Z-1ツヴィリング(Zwilling:双子)グライダー曳航機の実戦参加:
1943年から1944年初頭まで、東部戦線、ソビエトのチトミール、クバン方面と地中海、シシリー島方面で輸送用に散発的に使用された。

しかし、Me321が当初予定していた英国本土上陸作戦はキャンセルされ、東部戦線でMe321が使用されたが、大型すぎたた上に、東部戦線のインフラが整っていない土地では、使用したグライダーを回収して再利用することは困難であった。そこで、Me321グライダーにエンジン6基を取り付けて、モーターグライダー化したMe323ギガント輸送機が試作され、実用化されることになった。結局、He111Z-1は不必要になったため、この5発機を長距離偵察機、長距離爆撃機とする案が検討された。

He 111Z-2型は、誘導グライダー爆弾Hs293を4発搭載する艦船攻撃機、あるいは増加燃料タンクを装備した長距離哨戒偵察機として計画されたが、飛行性能が低い上に、戦局が悪化して、防衛用の戦闘機を増産する必要性が強まったために、Z-2、Z-3の計画はキャンセルされた。

ハインケルHe111Z-2長距離爆撃機 ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-1ツヴィリング(Zwilling:双子)グライダー曳航機は、メッサーシュミットMe321ギガント大型貨物グライダー曳航用の双子機で、ユモJumo211 F-2液冷12気筒エンジンを5基搭載し、1942年8月から生産が始まり、1942年末までに僅か10機が生産されるにとどまった。ハインケルHe 111Z-1の生産機数は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機、である。

ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-2は、Z-1型を長距離爆撃機としたもので、空対艦誘導爆弾Hs 293を4発搭載する予定になっていた。
ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-3は、Z-1型を長距離偵察機としたもので、グライダー曳航装置は撤去され、主翼下面に900Lの大型落下式増槽を2個あるいは3個搭載できる。

しかし、ハインケルHe 111Zを改装した偵察機や爆撃機は、ドイツの戦局が悪化し。ドイツ本土に対する戦略爆撃が激化すると、需要はなくなった。ドイツ空軍は、攻撃用に爆撃機よりも防衛用の戦闘機を量産する必要性が強まり、ハインケルHe 111Z-1グライダー曳航機を偵察機や長距離爆撃機とする計画は放棄された。

写真(右)1943年頃、東部戦線、メッサ―シュミットMe 323 "Gigant"輸送機:1942年末から中近東で北アフリカにあったロンメル将軍隷下アフリカ軍団への補給策戦に投入された6発エンジンの巨大輸送機。前身のメッサ―シュミットMe321貨物グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe 343 ギガント"Gigant"。機首が観音開きになるために、大型車両、戦車もそのまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Catalogue number: 15670, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1940-05-10 Subject period: Second World War, Creator: Royal Air Force official photographer, Object description: A Messerschmitt Me 323 "Gigant" (Giant) in flight, banking towards the camera. This hugh six-engined transport was developed from the Me 321 glider and entered service in late 1942 in the Middle East, helping to supply Rommel's Afrika Korps from bases in Sicily. Me 323s were also used on the Eastern Front. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CH 15670)


メッサーシュミットMe323ギガント輸送機を参照。


写真(右)1941年1月24日,オランダ、ドイツ空軍の主力爆撃機ハインケルHe-111に500キロ爆弾を搭載中の地上勤務員:戦争後期には,燃料不足,性能低下,制空権喪失によって,ドイツ空軍のHe111爆撃機は昼間出撃は困難になったため、夜間爆撃が主流になった。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen
Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers.
Beschrijving Een Duitse Heinkel HE 111 wordt op een vliegveld aan de Atlantische kust weer beladen met nieuwe bommen Datum
24 januari 1941
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_108 引用。


写真(右)1942年-1943年,フランス,ハインケルHe 111爆撃機の7.92ミリMG15旋回機銃の整備:ボールマウントで、銃を自由に旋回できる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-ompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-599-1001-20 Archive title: Frankreich, Kanalküste.- Mechaniker / Waffenwart bei der Wartung von Bordwaffen, im Hintergrund eine Heinkel He 111; PK KBK Lw zbV Dating: 1942/1943 Photographer: Engelmann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・"Bild 101I-599-1001-20"引用(他引用不許可)。


1935年4月初飛行のHe-111だが,ポーランド戦の時には,60-90機程度しか配備されておらず,ドイツ空軍の主力爆撃機は,ドルニエDo-17だった。
しかし,1年後の西方フランス侵攻では,ハインケルHe-111爆撃機が主力となった。
Heinkel He 111の生産数は1939 1940 1941 1942 1943 1944の各年で、452機、 756機、 950機、 1,337機 1.405機 756機。合計5,656 機生産された。

1939年9月1日のポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

ドイツ空軍によるワルシャワ爆撃は、ワルシャワの軍事施設を目標としており、無差別爆撃ではないと主張される。当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。この低い命中率を前提に、命中しないで目標をそれて着弾した爆弾が、敵に被害を与えるように爆撃あ計画された。目標付近に、民間施設や一般市民がいて、空襲で被害を受けることを当然のように考えていた。これが軍と民間市民を区別しない「無差別」爆撃である。

7.92ミリMG15機関銃 7.92ミリMG15旋回機銃は、再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。

1944年7月20日,ラステンブルクにあったヒトラーの総統本営ヴォルフスシャンツェ (Wolfsschanze)を爆破して,ラステンブルク飛行場からベルリン飛行場まで,シュタウフェンベルクが搭乗したのもハインケルHe-111爆撃機だった。

しかし,このヒトラー暗殺未遂事件を題材にしたハリウッド映画「ワルキューレ」や2009年のZDFドキュメント「シュタンフェンベルク」では,この空中移動を,ユンカースJunkers Ju-52/3m輸送機で行ったことにしている。これは,飛行可能なJu-52をロケに使用したからである。

写真(右)1941年頃、ドイツ、自ら設計したハインケルHe111Hを飛行士とともに視察するエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)博士[中央](1888-1958):エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるので装備した発動機はユモJumo211液冷エンジンでHe111H型が装備した。他方、ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンはインテークが右側にあり、これを装備したのがHe111P型である。
Perma_000757 Permann Collection Image
Ernst Heinkel, Famous Nazi Plane Designer --Perman Collection Image
Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SmugMug+Flickr., SDASM Archives引用。


エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、1888年1月24日、ドイツ南部、ヴュルテンベルク州シュヴァーベン(Schwaben)地方のグルンバッハ(Grunbach )に生まれ、自ら独立心旺盛で自尊心の高い短気なシュワーベン人であると自負していた。

第一次世界大戦時、エルンスト・ハインケル( Ernst Heinkel)は、ドイツの航空機メーカー、アルバトロス(Albatros)社で主に設計の仕事をし、戦後の1922年には、ドイツ北部ヴァーネミュンデにハインケル航空機を設立した。

ハインケル(Heinkel)He111P爆撃機の発動機は、単発のメッサーシュミットBf109戦闘機、双発のBf110駆逐戦闘機と同じダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB601液冷エンジンを搭載した。

しかし、ダイムラーベンツDB601液冷エンジンは、戦闘機専用として優先配備することになり、代替策として、より大型で重いユモ(Jumo)211液冷エンジンに換装したHe111H爆撃が開発、量産された。

ハインケル(Heinkel)He111Pでは、DB601エンジンの左側に空気取り入れ口インテイクがあるのに対して、He111Hでは、ユモJumo211エンジンの右側にインテークがあるので、両者の区別は可能である。

⇒写真集Album:ハインケルHe 111爆撃機を見る。



4.ドルニエ(Dornier)Do-217

ドルニエ(Dornier)Do 17Z爆撃機 ドイツ空軍ドルニエドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月
全長 16.3メートル,全幅 18メートル
翼面積 86.5平方メートル
全備重量7650キロ
発動機:BMW ブラモ323 空冷星型 9気筒エンジン1000馬力2基
最高速力 420キロ
航続距離 1160キロ
兵装 7.92ミリMG15旋回機関銃5丁
爆弾最大搭載量:1トン
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法・偵察員兼機銃射手2名)

フリッツX(Fritz X)は、ドイツが1943年に実戦投入した滑空式誘導1トン爆弾で、SD1400(1400キロ爆弾)を原型として開発された。テレフンケン無線操縦用送信機をDo217機種に搭載し、爆弾にシュトラフスト・ルントフンク受信機を装備して遠隔操縦して、爆弾投下後に機上から操縦し、目標に命中させる。この爆弾を実戦で使用したのは、Do 217爆撃機である。

ドルニエ(Dornier)Do-217夜間戦闘機 1943年9月に、降伏したイタリアが、イタリア艦隊を連合国に引き渡すために出向したが、9月9日、艦隊引き渡しを阻止するためドイツ空軍精鋭の第100爆撃航空団第3飛行隊所属のドルニエ(Dornier)Do217爆撃機が発進した。このときドルニエ(Dornier)爆撃機が主翼に搭載していたのが、フリッツX誘導爆弾である。

初の実戦参加だったが、イタリア艦隊の上空援護はなく、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do217爆撃機は、イタリア主力戦艦「ローマ」にフリッツXを見事に命中させ、火薬庫爆発で撃沈した。また、同型艦「イタリア」にもフリッツXを命中させ大破している。

1943年9月、イタリア降伏直後に、西側連合国軍はイタリア本土サレルノ(Salerno)侵攻「アヴァランチ作戦」を実施、ローマ南方のサレルノ上陸を果たした。1943年9月11日、アメリカ海軍軽巡洋艦「サバンナ」を目標にドイツ空軍第100爆撃航空団ドルニエ(Dornier)Do217は、フリッツXを投下し、命中させさせた。誘導爆弾が命中したアメリカ海軍軽巡「サバンナ」は大破し、なんとか撤退できたが、乗員206名が死亡した。

⇒写真集Album:ドルニエ(Dornier)Do217爆撃機を見る。



5.第二次大戦の最多生産爆撃機ユンカースJu-88

ユンカースJu-88 1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の正面:搭乗員コックピット右の副操縦席の正面に前方7.92mmMG15旋回機関銃座がある。機首右下面には爆撃主席と爆撃照準器のバルジ(張出)が設けてあるが。この後方に昇降口と後下方7.92mmMG81連装旋回機関銃座が設置されている。左右主翼内側下面に、爆弾懸架ラック2基ずつあるが、主翼下面がエンジン排気の煤で黒く汚れている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88, kk-ampujan paikka. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138491引用。


空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、フィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の機首下面:搭乗員用の昇降口となる後下方7.92mmMG81連装旋回機関銃座、爆弾懸架ラックが明瞭に写っている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88, kk-ampujan paikka. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138489引用。


1946年1月29日,戦後のニュルンベルク国際軍事法廷で,ゲーリングは,英本土上陸作戦ができなくなったことで非難を受けたことの確認を求められた。しかし,ゲーリングはそれを否定し,「私の4個師団の空挺部隊が欲しいという要求を,陸軍の他の要求のために,貫徹できなかった。もし,ダンケルクの戦いの時期に,この4個師団をもっていたら,直ちに英本土に進撃させたであろう」と述べた。しかし,ゲーリングは,英本土航空決戦について,多くを語ろうとしなかった。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の後方:尾翼部分の引込み式尾輪とカバー・航空灯火、コックピット後方の2つの7.92mmMG81連装旋回機関銃座が明瞭に写っている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88 syöksypommikone. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138490引用。


ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の前方:コックピット右副操縦席前面に7.92mmMG15旋回機関銃、後方の2つの7.92mmMG81連装旋回機関銃座の膨らみ(バルジ)が明瞭に写っている。機首株のゴンドラの後方にある昇降口が開放され、搭乗員用の梯子が引き出されている。主翼下面の爆弾懸架は内側が500キロ爆弾用、内側が250キロ爆弾用で大きさが異なっている。プロペラスピナの塗装色分けが興味深い。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138494引用。


1941年6-7月、ドイツのソビエト連邦侵略「バルバロッサ作戦」でソ連赤軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,東部戦線では,ソ連空軍に優秀な航空機が多数配備されるようになり、1942年のスターリングラード空輸作戦の失敗、1943年の「シタデル作戦」における地上襲撃の失敗など、大軍をまとめて投入しても、ソ連軍に対して敗北を喫している。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の前部右側面:コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。ユンカース・ユモ211 (Junkers Jumo 211) 液冷 倒立 V型12気筒エンジンには専用の保護カバーを掛けている。
Junkers 88 syöksypommikone, oikeanpuoleinen moottori ja ohjaamo. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138493引用。


ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁気機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機(JK-202)の後方:主翼左右上面にフィンランド白軍伝統の青のカギ十字卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれているが、これはナチ党の記章と同じ反ボリシェビキの記章である。コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。
Junkers 88.. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138495引用。


機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。1945年、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、機雷の空中投下を行った。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機(JK-202)の後方左側面:コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。
Junkers 88.. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138496引用。


ユンカースJu-88A4の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル
性能:最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

写真(右)2007年9月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館(National Museum of the USAF)で復元された枢軸国ルーマニア空軍所属のユンカースJu 88D-1/Trop [熱帯仕様]長距離偵察機と手前に置かれた誘導爆弾フリッツX:フリッツX(Fritz X)は、ドイツが1943年に実戦投入した滑空式誘導1トン爆弾で、SD1400(1400キロ爆弾)を原型として開発された。テレフンケン無線操縦用送信機をDo217機種に搭載し、爆弾にシュトラフスト・ルントフンク受信機を装備して遠隔操縦して、爆弾投下後に機上から操縦し、目標に命中させる。この爆弾を実戦で使用したのは、Ju88ではなく、Do 217爆撃機である。
escription Junkers Ju 88 D-1/Trop, Werk Nr. 430650 Date 26 September 2007 Source Own work Author Kogobr>写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 88 at RAF Museum Cosford File:Ju-88 D-1 Trop 3.jpg引用。


写真(右)1944年,爆弾搭載作業中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機:機首と後方にモーゼル20ミリMG151/20機銃各1丁,操縦席後方上に電動式13.1ミリMG131電動旋回機銃1基、下方ゴンドラ後部に7.92ミリMG81Z連装機銃を装備。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-496-3500-15 Archive title: Frankreich nach der Invasion.- Flugzeug Junkers Ju 188, Maschine wird mit Bombe bestückt; PK Lw Kdo West Dating: 1944 Photographer: Bankhard Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1944年、イギリス本土爆撃を「電撃戦」と称して再開したドイツ空軍だったが、イギリスの防空網に阻まれて戦果は乏しかった。英本土上空には阻塞(そさい)気球も揚げられていた。そこで、ユンカース(Junkers)Ju 188爆撃機の機首には、阻塞(そさい)気球の繋留ケーブルを切断するケーブル・カッターが装備されている。
ユンカース(Junkers)Ju 188爆撃機のJumo211エンジンを大型大出力のJumo 213Aに変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。

Ju188爆撃機 ユカースJu88のJumo211エンジンを大型大出力のJumo 213Aに変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。

ユンカースJu-188A爆撃機の諸元
全長 14.9 メートル
全幅 22.0 メートル
全高 4.4 メートル
主翼面積56平方メートル
全備重量 14,491キロ
最高速度513 km/h
上限高度 1,1000メートル
航続距離 1,950 km
武装; 20 mm MG 151/20 機関砲× 1、13 mm MG 131 機関銃× 3
爆弾最大搭載量 3,000 kg
乗員: 4名

⇒写真集Album: ユンカース(Junkwes)Ju-188爆撃機/偵察機を見る。


6.長距離哨戒爆撃機フォッケウルフFw-200コンドル

写真(右):1940年11月、フランス、第40爆撃航空団のフォッケウルフFocke-Wulf FW 200 "Condor"コンドル哨戒爆撃機「シリウス号」:大西洋を広範囲に哨戒して、イギリス周辺の輸送船の動きを探知した。自ら艦船を爆撃したり、海上のドイツ潜水艦Uボートを船団に誘導したりした。戦前から、大型旅客機で活躍していた搭乗員がこの長距離哨戒活動に充てられることが多かった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-405-0555-06 Archive title: Frankreich.- Feldflugplatz, Bodenpersonal / Mechaniker vor Flugzeug Focke-Wulf FW 200 "Condor" mit Bezeichnung "Sirius" des Kampfgeschwader 40 (KG 40) / Wartung; KBK Lw5 Dating: November 1940 Photographer: o.Ang. Photographer: Kestner Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


フォッケウルフFw-200コンドルの諸元
エンジン BMW-Bramo 323 R-2 mit je 1000 PS (1200 PS mit MW-50-Einspritzung) 4基
全幅: 32,84 m 全長: 23,87 m 全高: 6,30 m
空虚重量: 14.180 kg 全部重量: 22.600 kg
乗員: 7 人,生産機数 276機
巡航速度: 384 km/h 高度 3970 m, 405 km/h 重量17.600 kg
上昇限度: 6600 m
航続距離: 3550 km (標準) C-3/U2 最大 6400 km
武装: 2基×MG 151/20 (20 mm), 5基×MG 15 (7,92 mm)
爆弾1000 kg (爆弾倉) + 主翼下面 1400 kg,最大搭載量1800 kg

1937年7月に初飛行したフォッケウルフFw-200は、1938年8月10日にベルリンを出発、24時間後にニューヨークに到着し、帰路は20時間でベルリンに戻った。その後、東京へも訪問している。これは、商業的な売り込みのためでもあり、Fw200は、ルフトハンザ航空のほか、スウェーデン、ブラジルでも使用された。ナチ党高官も利用した。

1939年9月、第二次世界大戦の勃発後、Fw-200は長距離偵察機として軍に採用され、艦船攻撃用に250kg爆弾を搭載できるように改造された。

1940年6月、フランス占領後、フォッケウルフFw-200は大西洋の船団哨戒と船舶攻撃に活躍した。しかし、機体構造の脆弱な民間輸送機であり、作戦行動の厳しい操作性には、機体がもたなかったため、破損や機体劣化が激しく、哨戒爆撃機としての運動性には限界があった。

その後、1942-43年の厳冬の東部戦線で、フォッケウルフFw-200輸送機は、スターリングラードに孤立包囲されたドイツ第六軍への空輸任務にも投入された。

⇒写真集Album: フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200哨戒偵察機を見る。


7.長距離哨戒偵察機ユンカースJu-290

写真(右)1942-1943年,長距離輸送偵察機(試作機) Ju 290 V 1:四発輸送機のJu-90を改造した大型貨物輸送機で、機体後方下部にランプ(傾斜板)を設けて自動車のような大型貨物をそのまま機内に収容することができた。しかし、輸送機としての用途には,Me323のような大型輸送機で代替できたために、ju290は大出力のBMW801空冷エンジン(1700馬力)を搭載して、装甲,武装を施した長距離偵察機として使用された。機首下面には爆撃照準器を搭載したゴンドラが張り出している。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1976-092-21 Archive title: Transport- und Fernaufklärungs-flugzeug Junkers Ju 290 V 1 (Kennung BD+TX) im Flug Dating: 1942/1944 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1942-1943年,長距離偵察機Ju 290 A-3:四発輸送機のJu-90を改造した大型偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.60m2、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。防御火器(290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1989-039-19A Original title: info Junkers Ju 290 A-3, Fernaufklärer Werkfoto Junkers (MBB) 290/8 Archive title: Flugzeug Junkers Ju 290 A 3 auf einem Flugplatz stehend Dating: 1942/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-290A-7諸元
全長: 28.6メートル,全幅:42.0メートル, 翼面積:203平方メートル
自量:3.3トン,全備重量: 4.5トン
エンジン: BMW 801D 空冷14気筒 1700馬力4基
最大時速:420キロ,航続距離:6000キロ,上昇限度:6500メートル
原型Ju90輸送機は1938年8月初飛行,Ju-290試作機1942年7月初飛行,就役1942年8月,生産数:52機

写真(右)1945年暮れ-1946年,アメリカ、オハイオ州上空を飛行するアメリカ軍が鹵獲し、ドイツ空軍仕様に復元したユンカースJu-290長距離偵察爆撃機A-7型(アメリカ軍コート:FE 3400):1945年9月にはイギリスにあったが、その後、アメリカに運ばれた。1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に出展された。四発輸送機のJu-90を改造して,装甲,武装を施して,偵察爆撃機とした。機首,後上方,機首下方ゴンドラ,尾部に20ミリMG151/20機関銃を装備。
大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力に投入が計画されたが,投入時期が遅く,活躍できなかった。燃料不足のため,大型の長期距離偵察機の運用は制限された。
Flugzeug ユンカースJu-290A-7 (Leitwerkskennung FE 3400) im Flug Dating: 1941/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild_141-2472引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-90輸送機は,胴体の荷物の積み下ろしに際しては,大型貨物を搬出入しやすいように胴体後部ランプを備えていた。これは,胴体後部が下に開いて坂道(ランプ)となり,その開口部分から,大型貨物を出し入れする装備である。Ju-290もJu-90も胴体下方ランプをそのまま引き継いだが,偵察爆撃機としては必要のない装備だった。

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8.ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17 Flying Fortress)重爆撃機

写真(右)1935年7月29日、アメリカ、ワシントン州、シアトル、ボーイング・モデル 299(Boeing Model 299):機首と胴体後上方には銃座があり、後方下部にも部首スター式銃座が設けられているようだ。第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春)までの国籍マーク、すなわち青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。無塗装の機体。
SDASM Archives boeing b-17 fortress image pictionid59698368 - catalog35-299 boeing field seattle wa 29 jul 35 74623.jpg - title35-299 boeing field seattle wa 29 jul 35 74623 - filename35-299 boeing field seattle wa 29 jul 35 74623.jpg Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1935年7月29日、アメリカ、ワシントン州、シアトル、レーニエ山上空を飛翔するボーイングB-17 試作爆撃機YB-17(Y1B-17)の左側面:機首と胴体後上方、胴体後方側面(左右)と胴体下方銃座はブリュスタ―状である。第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春)までの国籍マーク、すなわち青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。無塗装の機体。レーニエ山(Mount Rainier)は、ワシントン州北部、カスケード山脈の最高峰で(標高4,392m)。現在では、先住民に因んだタコマ山(Tacoma)とも呼ばれる。
SDASM Archives Boeing : B-17 Manufacturer: Boeing Designation: B-17 Official Nickname: Notes: Includes Japanese Version Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044758引用。


写真(右)1935年7月29日、アメリカ、ワシントン州、シアトル、ボーイングB-17C爆撃機の右側面:機首と胴体後上方、胴体後方側面(左右)、後方下に後方下にゴンドラ式(gondola)バスタブ型銃座"bathtub turret"が設けられている。が設けられている。第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春)までの国籍マーク、すなわち青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。無塗装の機体。
SDASM Archives Boeing : B-17 Manufacturer: Boeing Designation: B-17 Official Nickname: Notes: Includes Japanese Version Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044741引用。


1939年9月に第二次大戦が勃発し、イギリスが危機に陥ったすると、アメリカは、イギリスに軍事援助するために1941年3月11日、武器貸与法(Lend-Lease Act)を制定し、1940年7月初飛行のボーイングB-17Cを武器貸与した。このB-17Cはイギリス空軍ではフォートレス(Fortress)Mk.Iと命名され生産機数38機のうち30機が貸与されている。

写真(右)1935年7月29日、アメリカ、ワシントン州、シアトル、レーニエ山上空を飛翔するボーイングB-17C爆撃機の左側面:機首と胴体後上方、胴体後方側面(左右)、後方下にゴンドラ式(gondola)バスタブ型銃座"bathtub turret"が設けられている。第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春)までの国籍マーク、すなわち青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプを描いている。
SDASM Archives Boeing : B-17 Manufacturer: Boeing Designation: B-17 Official Nickname: Notes: Includes Japanese Version Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044765引用。


イギリス空軍では、ボーイングB-17Cは、1941年7月8日に、ドイツ軍港ウィルヘルムスハーフェン空襲に向かったが失敗し、7月24日のフランス北岸ブレスト軍港に在伯する巡洋戦艦クナイゼナウ、重順プリンツオイゲンの高高度空襲が初空襲である。1941年9月初飛行のB-17Eはフォートレス(Fortress)Mk.II、1942年5月初飛行で3400機量産され主力生産型になった武装強化型B-17Fは、フォートレス(Fortress)Mk.II、1943年8月初飛行の8600機量産のB-17GはフォートレスMk.IIIと命名された。1942年までは、四発大型爆撃機の運用は、守勢に回っていたイギリス空軍にとって、人材、物資、燃焼の上で制約が強かったために、イギリス貸与のB-17爆撃機は大きな活躍はできなかった。

写真(右)1942年頃、アメリカ、飛行中のアメリカ海軍航空隊ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17E Flying Fortress)重爆撃機(12599)の左側面
Ray Wagner Collection Image PictionID:46702412 - Catalog:16_007782 - Title:Boeing B-17E 41-2599 [mfr L-1397] - Filename:16_007782.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。


ボーイング・モデル 299として1935年7月28日に初飛行し、先行量産型YB-17が1936年12月2日初飛行し、13機が生産された。このB-17は、排気タービン過給器(ターボチャージャー)付きのライト(Wright)R-1820サイクロン9(Cyclone 9)空冷星型9気筒エンジン4基装備の高高度飛行可能な重爆撃機だった。

しかし、YB-17のコックピットは非与圧室だったために、大気圧の低い高高度での運用は困難だった。低温・寒気という制約とは比べ物にならない高山病と同じ障害を搭乗者に与えたためである。「寒冷地や高空では、搭乗員は従来と同様の防寒服装を必要とした」という日本語版Wikipediaの記述は、気圧に言及しておらず適切ではない。

写真(右)1942年頃、アメリカ、飛行中のアメリカ海軍航空隊ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17E Flying Fortress)重爆撃機(12599)の左側面:B-17で初めて尾部銃座を設け、胴体下部にボールターレット球形銃座を設置したのはB-17E意向で、強力なドイツ戦闘機の迎撃を防ぐために防御力を向上させ、大規模編隊、時には1000機、による集中攻撃をかけるようになった。
Boeing B-17E Flying Fortress Catalog #: 15_001625 Title: Boeing B-17E Flying Fortress ADDITIONAL INFORMATION: Delivered to USAAC as 41-2599 at Lowry Field, CO. Named ""Tugboat Annie."" Eventually to Hickam Field, HI. Ditched at sea in January, 1943. Participant in the Battle of Midway. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Tags: Boeing B-17E Flying Fortress PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives・引用。


ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17E Flying Fortress)重爆撃機(12599)の左側面の諸元
全長 74.8ft (22.8m)
全幅 103.8ft (31.64m)
全高 19.1ft (5.82m)
翼面積 1,420ft2 (131.92m2)
空虚重量 35,972lbs (16,317kg)
離陸重量 67,860lbs (30,781kg)。

ボーイング B-17Eは、B-17で初めて尾部銃座を設け、胴体下部にボールターレット球形銃座を設置し、防御力を向上させている。国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定された白星・赤丸だが、垂直尾翼に白赤ストライプは描かれていない。B-17は、当初モデル 299 試作機として、1935年7月28日に初飛行した。その後も先行生産型がYB-17で、第二次大戦勃発3年前の1936年12月2日初飛行である。B-17Eは、初めての大量生産型でアメリカ参戦3か月前の1941年9月5日に初飛行し、500機が生産された。B-17の量産は、B-17Fが3,405機、B-17Gが8,680機で、総計1万2,731機もが大量生産されている。

写真(右)1943年6月以前、アメリカ、プロペラ・エンジンの整備を受けているアメリカ陸軍航空隊第487爆撃飛行隊のボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17 Flying Fortress)重爆撃機
487th Bomb Group B-17 Catalog #: 10_0019348 Title: 487th Bomb Group B-17 Date: 1939-1945 Additional Information: 487th Bomb Group B-17 Tags: 487th Bomb Group B-17, 487th Bomb Group B-17, 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlikers, SDASM Archives 引用。


第二次大戦勃発後にイギリスに貸与されたB-17Cは、大戦勃発1年近く後の1940年7月21日初飛行、生産数38機で、B-17Eは、1941年9月5日初飛行で、この形式になって初めて100機以上の量産が行われた。実際のB-17 Eの生産機数は512機である。つまり、B-17の部隊配備が整ったのは、太平洋戦争の勃発直前だったといえる。しかし、戦時急増によって、12,731機が量産されている。


9.イギリス空軍四発重爆撃機

写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. Stirling Mark I, N3641 ‘MG-D’, of No. 7 Squadron RAF, running up its engines on the ground at Oakington, Cambridgeshire. Date between 1939 and 1945 CH 3138 Imperial War Museums Royal Air Force official photographer Part of Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 7 Squadron.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. CH3138.jpg引用。


写真(右)1944年4月、イギリス南西部、飛行するイギリス空軍第1615重爆隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: A Royal Air Force flight of No. 1651 Heavy Conversion Unit Short Stirling aircraft flying south-west, with the outskirts of Waterbeach (UK) in the foreground and Cambridge in the distance. From near to far the aircraft are: "S" N3676; "G" N6096; "C" N6069. Date April 1942 TR 37 from the collections of the Imperial War Museums. Author Royal Air Force official photographer.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Short Stirlings 1651 HCU in flight 1942.jpg引用。


写真(右)1943-1944年頃、イギリス、イギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ハリファックス(Halifax)重爆撃機:初飛行は1939年9月24日、全長: 29.59 m、全高: 8.0 m、翼面積: 330.2 m2、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules )Mk VI 空冷星形14気筒ロエンジン1204 kW (1615 hp)4基、最高速力:454 km/h、航続距離:爆弾搭載量は最大5897 kg(13,000ポンド)、生産機数6,176機。
English: Halifax Bomber Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Halifax Bomber 7 ExCC.jpg引用。


写真(右)1944年2月10日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ハンティンドン(Huntingdon)、イギリス空軍第156爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1941年1月9日、1945年までに7,377機生産。全幅 31.09m 、全長21.18m 、翼面積 120m2、自重16,783 kg、総重量28,576 kg、発動機 ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒レシプロエンジン 1,280hp(954 kW)4基、 最高速力 450 km/h、航続距離 4,300 km、乗員7名、兵装 7.62mm ブローニング(Browning)M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,400 kg、生産機数7,377機。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command King George VI and Queen Elizabeth visited three Pathfinder stations on 10 February 1944. Here they are seen talking to ground crew of No 156 Squadron at Warboys, Huntingdonshire, beneath the imposing bulk of one of the squadron's Lancasters protruding from a T2 hangar. Date 10 February 1944.
CH 12153 Imperial War Museums
Associated people and organisations Elizabeth, Queen, George VI, King, Royal Air Force, 156 Squadron Associated places Warboys, Huntingdonshire, England, UK
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - RAF Warboys - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH12153.jpg引用。



写真(右)1945年2月9日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ケンブリッジ(Cambridgeshire)、メパール (Mepal)、エンジン整備中のイギリス空軍第75ニュージーランド爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機
:胴体下面の爆弾倉は長大で爆弾倉扉は開放状態にある。爆弾搭載量は最大6,400 kg、。
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Mepal, Cambridgeshire, 9 February 1945. Date 9 February 1945 Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Date 9 February 1945
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - Mepal - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH14681.jpg引用。



10.1937年10月初飛行のアメリカ陸軍航空隊 XB-15 試作爆撃機


写真(上)1937年10月、アメリカ、オハイオ州クリーブランド(Cleveland)飛行場(?)、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)
:試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。 XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。
Boeing XB-15 PictionID:40972057 - Title:Boeing XB-15 - Filename:15_002710.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM ArchivesSDASM Archives - Catalog:15_002710 引用。


1933年にアメリカ陸軍航空司令部(USAAC)は、航続距離5000マイル(約8000Km)の長距離戦略爆撃機“XBLR-1”(eXperimental Bomber Long Range)を指示し、それにボーイング社ではボーイング(Boeing)XB-15で答えた。XB-15は、自動操縦装置、居住性のいいコックピットを備えており、1937年10月15日と日中戦争勃発直後に初飛行した。

写真(右)1937年10月、アメリカ、オハイオ州クリーブランド(Cleveland)飛行場(?)、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277):試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。 XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46701960 - Title:Boeing XB-15 35-277 [via Peter Bowers] - Filename:16_007745.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM ArchivesSDASM Archives  - Catalog:16_007745 引用。


ボーイング(Boeing)XB-15は、速力・上昇力の不足のために試作のみに終わっている。高性能の大型飛行機に必要な大出力の発動機がなく、従来型のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830空冷星形14気筒エンジン(850馬力)4基を搭載するしかなかったためである。


写真(上)1937年10月、アメリカ、オハイオ州クリーブランド(Cleveland)飛行場、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
:ボーイングXB-15は全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。
Boeing XB-15 Title: Boeing XB-15 ADDITIONAL INFORMATION: Delivered to the USAAC in December of 1937. Developed as the largest bomber of its era, only one was built. Later converted into a transport (XC-105). Dismantled and dumped in somewhere in the Canal Zone, 1945. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Tags: Boeing XB-15 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は  Catalog:16_007751 引用。


写真(右)1937年10月以降、アメリカ、1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)と随伴するボーイングP-26: ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with Boeing P-26 From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog #: 15_001626引用。


1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊 ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)は、 全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。


写真(上)1937年10月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
: XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with P-26 PictionID:40972044 - Title:Boeing XB-15 with P-26 - Filename:15_002709.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog:15_002709 -引用。



11.1941年6月初飛行のダグラスXB-19試作爆撃機


写真(右)1941年6月以降、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、クローバー飛行場を離陸した無塗装のアメリカ陸軍試作重爆撃機ダグラス(Douglas)XB-19:アメリカが参戦する1942年12月前の国籍マークを描いている。
Douglas : XB-19 Manufacturer: Douglas Designation: XB-19 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真 flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00047280引用。


11−A.航続力六千マイル : 世界一の米重爆撃機近く竣工
読売新聞 Vol: 第 49巻 Page: 83 出版年 1940-03-24

【ワシントン本社特電】(二十二日発) アメリカ陸軍省ではここ数日中に重量七十トン、航続距離六千マイルという性能を備えた世界最大の爆撃機をダグラス航空機会社サンタ・モニカ工場(カリフォルニア州)で竣工予定である旨二十二日発表した、

右超重爆撃機は十八ヶ月前に建造に着手以来工を急いだ劃期的な軍用機で翼長二百十フィート、四発動機装備で時速二百マイル以上の快速を出し得るといわれている、陸軍省の説明によると同機は十名の乗組員と共に二十八トンの搭載物を積んで亜成層圏までの上昇力を有し且つ六千マイル以上の無着陸飛行を行い得る驚異的性能を有しているとのことである、

而して同機は爆撃機としての大きさ、速力、航続力、重量、積載力等を最も理想的に綜合するには如何にすべきかとの従来の懸案に一つの解決を与えたものとして陸軍当局ではこれを重視している、なお右超重爆撃機の発表とともに現在の三インチ標準高射砲よりも優秀な最新高射砲と百五ミリ野戦榴弾砲が発表されたが後者は対戦車砲として極めて強力なものであると伝えられる (航続力六千マイル : 世界一の米重爆撃機近く竣工引用終わり)

写真(右)1941年6月以降、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍試作重爆撃機ダグラス(Douglas)XB-19:1930年代後半に、アメリカ陸軍航空隊は、長距離重爆撃機XBLR (Experimental Bomber, Long Range)の開発を各社に依頼し、ボーイング社のXBLR-1(後のXB-15)、ダグラス社のXBLR-2が試作された。この後者の後継機が、1941年6月27日に初飛行に成功したXB-19試作四発重爆撃機である。アメリカが参戦する1942年12月前の国籍マークを描いている。
Douglas : XB-19 Manufacturer: Douglas Designation: XB-19 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真 flickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00047281引用。


11−B.格納庫に入れぬ巨体 : 大西洋を無着陸で往復出来る : 米陸軍に超々重爆撃機
大阪朝日新聞 Vol: 第 49巻 Page: 145 出版年 1940-05-04

写真は最近米国陸軍に出現した超超弩級大型爆撃機B一九型の翼の大きさを示したものでこの飛行機は従来の超大型飛行機を断然尻目にかけ現代航空機製作技術の最大限を発揮して製作された

 全備重量は少くとも七〇トン、翼幅二一二フィート、機長一三五フィート、着陸用三輪車の各の車輪の重さだけでも半トン、その性能はといえば無着陸で六千マイルを翔破し、二十八トンの積載能力を有している換言すればアメリカの東海岸から一気に欧洲大陸へ飛んで行って目的地に爆弾の雨を降らし、そのまま悠々アメリカに帰還することができることになるというのである、装備された四個の発動機はそれぞれ最小限千五百馬力のもので時速二百マイル

この空の大怪物の製作費は一百万ドル、邦貨に換算してざっと四百万円、米陸軍はこれを昨年一台だけ極秘裏にサンタ・モニカ(カリフォルニヤ)のダグラス飛行機製作所に注文したが、昨年中その秘密製図が何者かに盗まれて大騒ぎを演じたものである、その後盗まれた製図も見つかり、これにさらに新工夫を加味したものが最近竣工を見たB一九型で、何分従来の大型機と比較にならぬどえらい超大型なもので、入れて置くだけの大きな格納庫がなく陸軍当局もでき上った機体はとうとう格納庫外に持出すことに決し、たちまち大評判となったという

 米陸軍の当面の目的は右B一九型を飛行機の各部分品、特に大型機械の性能試験の実験室に使用するにありというが、この種超大型渡洋飛行機出現の暁はアメリカは逆に他大陸からの空襲の脅威をうけることともなるので、いまからアメリカ軍当局の頭痛の種となりかけている、それにもかかわらずダグラス飛行機会社ではこのB一九型の成功に力を得てつぎには大西洋の女王と謳われたクィーン・メリー号やノルマンヂー号くらいの大型飛行機を製作してそのお株を空から奪おうと力んでいるそうだ【写真のなかで階段の如く見えるのは翼を作る足場、右上の写真はダグラスB一九型とダグラスDC三型との比較】 [図表あり 省略] [写真あり 省略](航続力六千マイル : 世界一の米重爆撃機近く竣工引用終わり)

写真(右)1941年6月以降、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、飛行中の無塗装のアメリカ陸軍試作重爆撃機ダグラス(Douglas)XB-19右下側面:アメリカが参戦する1942年12月前の国籍マークを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46703486 - Title:Douglas XB-19 38-471 - Filename:16_007865.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真 flickr, San Diego Air and Space Museum Archive - Catalog:16_007865引用。


11−C.世界最大の爆撃機 : 愈々米国陸軍で試験飛行
大阪朝日新聞 Vol: 第 6巻 Page: 155 出版年 1941-06-29

【ロサンゼルス特電二十七日発】世界最大のB一九型アメリカ陸軍試作機は二十七日正午当地郊外サンタモニカのダグラス工場附属飛行場より試験飛行に飛出し、七十九トンの巨体は澄みきった青空にフワリと浮いて空冷式二千馬力発動機四基の奏でる爆音のメロディに門出を祝福しながらサンタモニカ海岸を悠々一周して南カリフォルニア・リヴァーサイド・マーチフィールドの陸軍飛行隊飛行場に着陸した、アメリカ陸軍当局では今回の試作機を基調に超重爆撃機、軍隊輸送機を製作する準備を進めている

[写真(製作中の同機)あり 省略] 【ロサンゼルス二十七日発同盟】ダグラス飛行機製作会社で製作中であった世界最大の四発爆撃機B一九型は二十七日当地飛行場で陸軍の至宝パイロット、スタンレー・アームステッド少佐によって試験飛行が行われたが五十六分飛行ののち無事着陸に成功した

 B一九型はこの試作に三百五十万ドルの大金を投じたもので、機長百三十二フィート、機翼二十二フィート従来アメリカ陸軍の有する大型重爆機ボーイングB一七B型機いわゆる「空飛ぶ要塞」の機長六十七フィート、機翼百三フィートに比し機長、機翼ともほとんど二倍である(世界最大の爆撃機 : 愈々米国陸軍で試験飛行引用終わり)

写真(右)1942年以降、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、ハマー飛行場(?)、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍試作重爆撃機ダグラス(Douglas)XB-19
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:46703523 - Title:Douglas XB-19 38-471 - Filename:16_007868.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真 flickr, San Diego Air and Space Museum Archive- Catalog:16_007868引用。


10−D.護送制の新方法 : 米空軍の哨戒に主眼
大阪朝日新聞 Vol: 第 52巻 Page: 76 出版年 1941-09-18

【ニューヨーク特電十六日発】ニューヨーク・タイムス紙ワシントン特電によるとアメリカ海軍は英米船舶護衛の新方式を案出、ルーズヴェルト大統領も十六日の新聞会見でこの旨を暗示したが、ロンドン駐在のアメリカ海軍将官がイギリス海軍省と協力して「発砲哨戒」方法の詳細を取極めたといわれる、米国軍艦が商船団を護衛して行く従来の方法とは異なり新方法では米国爆撃機および偵察機は数ヶ所の主要地点を基点として休みなく哨戒をつづけることになっている、過般ロンドンへ派遣された米海軍将官は今日までの商船護衛記録からつぎのごとき結論に達した

 すなわち速力の大きな商戦を遅い船と一緒にして護送船団を組織しこれを護衛しつつ航行するよりも速力のはやい船だけを単独で航行させ航路の妨害を絶えず排除する方がはるかに効果的であるというのである

なお米海軍の哨戒範囲については正確なことは発表されていないが信ずべき情報によるとアイスランドまで延長されていることは確実であり、さらに北アイルランドへも延長される予定ともあるいはまたすでに延長されているともいわれる(世界最大の爆撃機 : 愈々米国陸軍で試験飛行引用終わり)


写真(上)1942年以降、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、ハマー飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍試作重爆撃機ダグラス(Douglas)XB-19

SDASM Archives Follow Douglas XB-19, 38-471, at Hammer Fld_3 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真 flickr, San Diego Air and Space Museum Archive引用。


1941年6月27日に初飛行したダグラス(Douglas) XB-19試作機は、ライト(Wright)R-3350空冷二重星型エンジン(2,000hp)を搭載していたが、1943年にP-39/P-38と同じアリソン V-1710を2台並列させたアリソンV-3420液冷W24気筒エンジン(2,600hp)に換装された。しかし、XB-19は採用されず1949年まで輸送機として使われるだけに終わった。

写真(右)1943年以降、アメリカ、飛行中のダグラス(Douglas)XB-19A(Skyrocket)爆撃機(38-471)の右側面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦後に制定されたもの。XB-19のライト R-3350空冷星型エンジン(2,000hp)を1943年にP-39/P-38と同じアリソン V-1710を2台並列させたアリソンV-3420液冷W24気筒エンジン(2,600hp)に換装した。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46703535 - Catalog:16_007869 - Title:Douglas XB-19A 38-471 - Filename:16_007869.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は flickr, SDASM Archives Catalog:16_007869 - 引用。


ダグラス(Douglas) XB-19爆撃機諸元
初飛行1941年6月27日のエンジン強化発展型
乗員:18名
全長:132 ft 4 in (40.34 m)
全幅:212 ft 0 in (64.62 m)
全高:42 ft 0 in (12.80 m)
翼面積:4,285 sq ft (398.1 m2)
自重:86,000 lb (39,009 kg)
総重量:140,000 lb (63,503 kg)
燃料搭載量:10,350 US gal (39,200 L)
発動機: ライト(Wright)R-3350ダブルサイクロン(Duplex Cyclone)空冷18気筒エンジン2,000 hp (1,500 kW)4基
最高速力:224 mph (360 km/h, 195 kn) at 15,700 ft (4,800 m)
航続距離:5,200 mi (8,400 km, 4,500 nmi)
実用上昇限度:23,000 ft (7,000 m)
兵装: 37 mmブローニング M4自動砲2門、12.7 mmブローニングM2機関銃5挺・7.62mmブローニングM1919機関銃6挺
爆弾搭載量:8,840kg


12.アメリカ陸軍航空隊コンソリデーテッド(Consolidated)B-24 リベレーター(Liberator)重爆撃機

写真(右)1939年12月29日以降、アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコ郊外、リンドバーグ・フィールド(Lindbergh Field)、試験飛行するアメリカのコンソリデーテッド(Consolidated)XB-24爆撃機
Consolidated XB-24 SDASM.CATALOG: 01_00093019 SDASM.TITLE: Consolidated XB-24 SDASM.CORPORATION NAME: Consolidated SDASM.DESIGNATION: B-24SDASM.OFFICIAL NICKNAME: Liberator SDASM.ADDITIONAL INFORMATION: Consolidated XB-24 SDASM.TAGS: Consolidated XB-24 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。


1938年、アメリカ陸軍航空隊からボーイングB-17の委託生産を依頼されたコンソリデーテッド社は、それを断り、既存のモデル31飛行艇(XP4Y)を原型にした爆撃機モデル32を開発を提案し、アメリカ陸軍航空隊は、1939年2月に試作型XB-24を1機を発注し、さらに4月に増加試作機YB-24を7機、8月には先行量産型B-24Aを38機発注した。

コンソリデーテッド試作1号機XB-24の初飛行は、その後の1939年12月29日である。1941年12月には、高空性能向上のためにB-17同様に発動機にターボチャージャーを搭載したB-24C爆撃機9機が生産され、1942年にはB-24D爆撃機が開発され、大量生産が開始された。

コンソリデーテッド(Consolidated)の四発重爆撃機試作1号機のXB-24は、1939年12月29日にリンドバーグ・フィールド(現在のサンフランシスコ国際空港)で初飛行し、アメリカ陸軍航空隊に、B-24リベレーター(Liberator)として制式された。1943年、B-24リベレーター爆撃機は、ルーマニアの首都ブカレスト北80キロのプロエシュチ(Ploesti)油田を空襲した。

写真(右)1943年春、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島、偽装網に隠された迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊コンソリデーテッド(Consolidated)B-24 リベレーター(Liberator)爆撃機:緒戦のハワイ奇襲攻撃を受けて、オアフ島の基地にも当初は偽装網による隠蔽が行われた。また、空襲による至近弾の爆発による破片で駐機している飛行機が損傷しないように、掩体壕も構築されたようだ。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-14 Rapid Robin, a Pacific-bound B-24 sits under camouflage netting in a revetment at Bellows Field, at the southeast corner of Oahu in the spring of 1943.
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。


B-24リベレーター ルーマニアの首都ブカレスト北80キロのプロエシュチ(Ploesti)油田の原油は、ドイツの航空機、車両の燃料として重要な資源だった。1942年6月11日にアメリカ陸軍航空隊のコンソリデーテッドB-24リベレーター(Liberator)爆撃機13機でプロエシュチ(Ploesti)油田を初空襲した。しかし戦果が乏しかったため、1943年8月1日、B-24リベレーター179機でプロエシュチ(Ploesti)油田を再度空襲した。これが戦略爆撃作戦タイダルウェーブ(Operation Tidal Wave)である。

ドイツはプロエシュチ(Ploesti)油田の原油不足分を、1941年6月のソ連侵攻以前は、ソ連から調達していた。1939年8月の独ソ不可侵条約のなかで、ドイツの技術提供とソ連の資源・食料提供の相互協定が結ばれたためである。

しかし、1941年6月22日、独ソ開戦後、ドイツはソ連のバクー油田を占領することまでできず、原油不足分を、ドイツ国内石炭の液化技術によって精製した合成燃料によって補うしかなかった。ただし、石炭液化には、石炭を加熱するために燃料となる石炭が必要であり、合成燃料の生産の効率は著しく低く、十分なガソリンを供給することはできなかった。

アメリカ・イギリス連合国軍は、ドイツの石油液化施設のある化学プラントを優先的な戦略爆撃の目標とした。また、ドイツ頼りにしていたルーマニアのプロエシュチ油田を空襲した。これが、1943年8月1日、アメリカ陸軍第8航空軍・第9航空軍のコンソリデーテッド B-24 リベレーター(Liberator)爆撃機179機を投入した「タイダルウェーブ(津波)作戦」によるプロエシュチ油断空襲である。

アメリカ軍爆撃部隊のプロエシュチ空爆の経路は、北アフリカのイタリア植民地リビア北岸のベンガジから地中海を北上してギリシャのコルフ(ケルキラ)島から、ユーゴスラビア経由でルーマニア上空に入り、レーダーを避けるために低空飛行でプロイェシュティ油田を爆撃した。こうして、ドイツは、石油の絶対的な欠乏状態に陥った。

⇒写真集Album:欧洲大戦に於ける空軍の活躍と燃料を見る。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ハンセン病Leprosy差別
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答

ポーランド侵攻:Invasion of Poland
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)

自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」

日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
ソ連赤軍T-34戦車ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov

フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
ドイツ陸軍2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
VI号ティーガー重戦車
ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
V号パンター戦車
ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車

イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
イギリス陸軍コメット巡航戦車

アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

ユンカース(Junkers)F.13輸送機
ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
ユンカース(Junkers)K43f水上機
巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
ユンカース(Junkers)G.31輸送機
ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
ハインケル(Heinkel)He111輸送機
ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機

フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"

フィンランド内戦:Finnish Civil War
フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
フィンランド軍の防空監視哨

ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇

ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
ムッソリーニ救出作戦
イタリア独裁者ムッソリーニ
独裁者ムッソリーニ処刑
ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」

サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
フィアット(Fiat)G.18V輸送機
フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
カント(CANT)Z.1007爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
ピアジオP.108重爆撃機
マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機

当時の状況に生きた方々からも、共感のお言葉、資料、映像などをいただくことができました。思い巡らすことしかできませんが、実体験を踏まえられたお言葉をいただけたことは、大変励みになりました。この場を借りて、御礼申し上げます。
◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただけますお方のご協力をいただきたく,お願い申し上げます。

ご意見等をお寄せ下さる際はご氏名,ご連絡先を明記してくださいますようお願い申し上げます。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
東海大への行き方|How to go

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