Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内
◆ハインケル(Heinkel)He177グライフ(Greif)爆撃機
写真(上)1944年秋,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177「グライフ」四発重爆撃機
:フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-676-7969A-25 Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV Dating: 1944 Herbst Photographer: Schroeder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-25引用(他引用不許可)。



写真(上)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲して飛行試験をしているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif)
:イギリスの田園地帯を飛行審査しているが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936401 - Title:Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005325.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005325 引用。

HermannGoering書籍 ◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒(けんそう)の中で決めないでほしい」と語った。これは、徴兵復活、軍備強化、独裁政権獲得という本音のようだ。


写真(右)1941年4月21日,ドイツ空軍総司令官ヘルマン=ゲーリング(Hermann Göring)元帥(右)と会談するフィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥
:マンネルハイムは、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーの大本営「狼の巣」を訪れた後、ドイツ空軍総司令官ゲーリングの祝宴にも招かれた。対ソビエト連邦との戦争協力を話し合ったマンネルハイムは、1942年6月時点で、ヨーロッパを支配するドイツ後押しを受けられることを大変に喜んだはずだ。フィンランドは、、恨み重なるソ連打倒の好機として、継続戦争を自ら開始したのである。フィンランド国防軍総司令官カール・マンネルハイム(Carl Mannerheim)元帥は、1942年6月4日の誕生日にナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラー総統の表敬訪問を受け、彼も誕生会に招待し、対ソ戦争について会談した。そして、6月27日、ドイツの東プロイセン州ラステンブルク総統大本営「狼の巣」を訪れ、そこで開かれていた最高指導作戦会議に出席した。マンネルハイムは、総統大本営のヒトラーを訪問しばかりではなく、引き続いて、列車でドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥の下にも馳せ参じて、彼の下で祝宴に参加している。
第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1915年までは偵察員だったが,1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。
Bauer撮影。 ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchivに登録・sa-kuva-3239引用(他引用不許可)。


ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり, ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)が国会議長に就任した。

ハインケルHe_177 1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)はヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。

1940年6月のフランス降伏で,元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。

1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,の裏切りに怒り,ゲーリングの公職追放・監禁を命じた。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。


1.ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)

写真(右)1939-1943年,未舗装滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177V-3 四発重爆撃機試作3号機:ハインケル(Heinkel)He 177は、1936年6月のドイツ航空省(RLM)の開発依頼に応じて製造され、試作1号機は、1939年11月に初飛行した。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936474 - Title:Heinkel He 177V-3 Nowarra photo - Filename: 16_005331.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005331引用。


初期型のHeinkel He 111には、輸送機時代からの設計をそのまま受け継いでいるために、機首の風防と操縦席の風防の間に段差があるが、後期型では段なしで視界の良い大型操縦席となった。

ハインケル社は、1922年にエルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)が創立したドイツ有数の航空機メーカーである。自由百科では「第二次世界大戦中にドイツ空軍のために爆撃機を始め数多くの航空機を製造した」とされているが、実は大戦前から、ドイツ有数の航空機メーカーであり、新生ドイツ空軍の主力戦闘機He-51を量産した。

写真(右)1939-1943年,飛行しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177V-5四発重爆撃機試作第5号機(登録コード:PM-OD):試作機なので、銃座と銃塔は装備していない。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936329 - Title:Heinkel He 177V-5 Nowarra photo - Filename: 16_005319.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005319 引用。


大戦前、ドイツのハインケル社は、戦闘機のほかにも、偵察機He-46、水上偵察機He-59、高速輸送機He-70などを民間機も含めて量産し、スウェーデン、フィンランド、ブルガリア、ハンガリー、スペイン、日本などに輸出していた。

写真(右)1941-1943年,舗装された滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A 四発重爆撃機「グライフ」(Greif)(登録コード:DL-AQ):後方には、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A戦闘機が見える。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936317 - Title:Heinkel He 177A-0 Nowarra photo - Filename: 16_005318.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviationRepository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005318引用。


ユンカースJu87だった。

ユンカースJu87 ドイツ空軍はユンカースJu-87スツーカによる急降下爆撃の威力を、大型爆撃機にも当てはめようと、四発重爆撃機のHe-177にも急降下性能を備えることを要求した。

ポーランド侵攻に参加したドイツ空軍機は,アルベルト・ケッセリング元帥の第1航空軍,アレクサンデル・レール第4航空軍で,あわせて1302機を保有していた。さらに,空軍総司令部直轄として,輸送機,偵察機など133機があり,陸軍にも偵察機,連絡機など288機が配備されていた。また,ドイツ本土防空部隊は,216機を保有していた。したがって,ドイツ軍は,総計1929機をポーランド戦に投入したことになる。これはドイツ空軍兵力の三分の二に相当した。

ユンカースJu-87スツーカの脚(離着陸用の車輪)には、高音を発するサイレンが装着されていた。サイレンガを鳴らしながら急降下すると、敵はその音に恐怖して動けなくなってしまった。つまり、サイレンの威嚇音によって、急降下爆撃の命中率を上げ、敵の対空射撃の精度を低下させるという効果が期待されていた。

サイレンは、Ju-87スツーカの初期型のみ装備され、後には撤去された。敵戦闘機の迎撃を受ければ、ひとたまりもなく、日中は、制空権を確保した場所でのみ、スツーカは活躍できた。後には、夜間地上襲撃機として、夜間の低空爆撃に投入された。

写真(右)1940-1944年,舗装された滑走路で待機しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A 四発重爆撃機「グライフ」(Greif):後方には、ドイツ空軍フォッケウルフFw-190A戦闘機が見える。
SDASM Archives Heinkel, He 177, Greif
Title: Heinkel, He 177, Greif Corporation Name: Heinkel
Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM Archives - Catalog #: 01_00081331引用。


写真(右)1940-1944年,飛行しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-3四発重爆撃機:まだら迷彩塗装を施している。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936462 - - Title:Heinkel He 177A-3 - Filename: 16_005330.TIF---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005330 引用。


写真(右)1940-1944年,滑空大型爆弾試作品を曳航しているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機(登録コード:TM-IU):実験飛行なので、牽引している爆弾は実物ではない。まだら迷彩塗装を施している。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936425 - - Title: Heinkel He 177A-5 with SG5005 glide-bomb carrier Nowarra photo - Filename: 16_005327.TIF.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives -- Catalog:16_005327引用。


写真(右)1944年秋,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):フランスの基地に展開するハインケルの部隊。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7969A-24,
Archive title: Reichsgebiet.- Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz mit Besatzung; PK Eins Kp Lw zbV
Dating: 1944 Herbst Photographer: Schroeder Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-24引用(他引用不許可)。


四発重爆撃機ハインケルHe-177は、1936年ドイツ航空省(RLM)が提案した重爆撃機構想に沿って設計された。ハインケルプロジェクト(P.1041)は、ウラル爆撃機(爆弾1トン搭載、航続距離6000キロ以上)として使用できるものとされた。同様のウラル爆撃機としてはドルニエDo 19、ユンカースJu 89よりも遥かに高性能を求められた。

発動機(エンジン)4基搭載の四発重爆撃機であるが、発動機2基で大型プロペラ1基を回転させるため、一見すると双発爆撃機のように見える。双発にしたのは、急降下するときの操縦性を確保するためである。尾部に20ミリMG151/20機関砲を装備。

写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)への爆弾積み込み作業:フランスの基地に展開するハインケルHe-177部隊。胴体中央に爆弾倉がある。手前、機首下面のゴンドラ後方扉は乗員の出入り口。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7970A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines schweren Bomber Heinkel He 177 mit Bomben; Eins. Kp. Lw zbV ,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7970A-23 引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)、20ミリMG151/20機銃を装備した尾部銃座:MG151/20機銃は装甲・防弾ガラスで保護された銃座に装備されている。ただし、尾部銃座は他の乗員とは孤立した位置にある。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7164-14A,
Archive title: Reichsgebiet.- Heckschütze beim Aussteigen aus der Heckkanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV ,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden,
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7164-14A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)、装甲と防弾ガラスで防御された20ミリMG151/20機関砲装備の尾部銃座:MG151/20機銃の銃座員は、装甲・防弾ガラスで保護されているが、他の乗員とは離れて孤立しているために、精神的なタフさが要求される。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7972A-34,
Archive title: Reichsgebiet.- Heckschütze beim Aussteigen aus der Heckkanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-34引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初頭,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-668-7161-31A,
Archive title: Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 auf Flugplatz unter Tarnnetz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7161-31A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の降着装置:巨大なゴムタイヤと支柱からなるハインケルHe-177グライフの降着装置は、エンジンナセルに収まるようにみえるが、エンジンナセル一つにエンジン2台を装着しているために、巨大な重たい車輪を治めることができなかった。そこで、巨大車輪の付いた重い脚を、飛行時、主翼の内側と外側の2カ所に分離・収納する。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-676-7972A-19, Archive title: Reichsgebiet.- Wartung des Fahrwerks eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-19引用(他引用不許可)。


ハインケルHe 177の降着装置は、巨大な車輪が特徴で、これを飛行時には主翼の内側と外側の2カ所に分離・収納する。これは、降着装置の構造部分が大きく重くなり、主翼の強度や空力特性にとって支障をきたす。巨大なタイヤは、大重量の重爆撃機を支えるためであるが、それであれば小型車輪を複数重ねたダブルタイヤのほうが有利だった。脚を一本とし、主翼の開口部も最小限にとどめることができる。

ハインケル社は、他社に先駆けて首輪のついた軍用機、たとえばHe-219夜間戦闘機ウーフー、He280ジェット戦闘機を設計、試作している。ドイツ空軍は、首輪をもつ機体を「アメリカ式」と揶揄したが、離着陸は尾輪式よりもはるかに容易だった。現在の飛行機は、小型機でさえも尾輪式を排して、首輪しきになっている。しかし、降着装置の重量軽減、抵抗減少に効果的なダブルタイヤを使えなかったのは、大きなマイナスだった。

写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の脚:巨大な車輪は、内側と外側の2カ所に分けて分離・収納される複雑な機構となっている。小型車輪を複数まとめたダブルタイヤにして、脚を1本とする方が重量軽減に有益であったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7971A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7971A-23引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年2-3月,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の車輪:ダブルタイヤを採用していなかったために、主翼下面に、巨大なタイヤを各々頑丈な支柱の脚2本で支えている。両翼合計で4個の巨大タイヤ、4本の大きな支柱は、重要的にも空力的にも大きなマイナスになった。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: 101I-668-7162-06A,
Archive title: Reichsgebiet.- Flugzeugmonteure bei Wartungsarbeiten am Fahrwerk eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Februar - März, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7162-06A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)の全面ガラス張りの機首:ハインケルHe-111を継承して、視界の良い全面風防ガラス張りの機首は、アメリカ陸軍の重爆撃機ボーイングB-29の先駆ともいえる。機首下面のゴンドラ(ふくらみ)は、乗員の搭乗口で、蓋を開けると簡易式の折畳み梯子(ラダー)がついている。機体上部に整備員が乗っている部分は、13.1ミリMG131動力機銃のターレットが装備される位置である。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-461-0220-07,
Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka , Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild_101I-461-0220-07引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)のエンジン整備作業:プロペラ1基をエンジン2基で連結駆動する複雑な機構であり、冷却能力部族のためにエンジン過熱を引き起こしやすかった。脚も内と外の両側に分離・収納する複雑な機構となっている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7972A-14, Archive title: Reichsgebiet.- Wartung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-14 引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年秋,飛行場で発進準備をするハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので全幅は短めで、操縦性がよかったといわれている。しかし、Heinkel, He 177は、エンジンナセルに2台のエンジンを収納したために、エンジン冷却能力が低下し、エンジン加熱で不調になりやすかった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-676-7969A-23,
Archive title: Reichsgebiet.- Besatzung auf Rollbahn vor schwerem Bomber Heinkel He 177 mit laufenden Motoren; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944 Herbst, Photographer: Schröder ,
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7969A-23 引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)は、プロペラが2基なので全幅は短めで、操縦性がよかったといわれている。しかし、エンジンナセルに2台のDB605液冷エンジンを収納したために、エンジン冷却能力が低下し、エンジン加熱で不調になりやすかった。エンジン発火もあり、「空飛ぶライター」と呼ばれたともいう。日本海軍の一式陸上攻撃機も被弾するとすぐに引火、火災が生じやすかったが、これは防御力の弱さを反映したものだった。

写真(右)1944年,滑走路を離れようとするハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)
Inventory: Bild 101 I - Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe , Signature: Bild 101I-676-7972A-04, Archive title: Reichsgebiet.- Start oder Landung eines schweren Bombers Heinkel He 177 auf einem Flugplatz; Eins. Kp. Lw zbV, Dating: 1944, Photographer: Lückel, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-04引用(他引用不許可)。


ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)は、エンジン2基が駆動する大直径プロペラのために、地上と機体のクリアランスが高く、機体を支える降着装置も巨大で頑丈なものにしなければならず、ゴムタイヤも大直径になった。

He-177重爆撃機の脚は長く、車輪も巨大である。本来なら、より小型のタイヤを二重、三重に装備するダブル・タイヤで十分なのだが、一つの客に一つの車輪しか装備していないために、巨大なタイヤになった。開口部も大きくなり、収納スペースの関係から強度も弱くなる。そこでで、一個のタイヤで済ませたが、これは大きな失敗だった。

写真(右)1944年秋,飛行中のハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif) :プロペラが2基なので双発機のように見えるが、エンジンナセルには2台のダイムラーDB605液冷エンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回している。これがダイムラーDB610液冷エンジンである。
Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug kurz nach dem Start; Eins. Kp. Lw zbV
Title Flugzeug Heinkel He 177 Info non-talk.svg
Date January 1944 Collection German Federal Archives
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-668-7163-24A
Photographer Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7163-24A引用(他引用不許可)。


ダイムラーDB610液冷エンジンのエンジンナセルには2台のダイムラーDB605液冷エンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回している。

写真(右)1944年初め,後方から見たハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので双発機のようだが、エンジンナセルには2台のエンジンが収納され、連結軸で1つの大型プロペラを回しており、4台の発動機(液冷エンジン)を備えている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7163-25A,
Archive title: Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug kurz nach dem Start; Eins. Kp. Lw zbV, Dating: 1944 Anfang, Photographer: Linden, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7163-25A引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年初め,側面から見た四発重爆撃機ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):プロペラが2基なので、小さな主翼テーパー比(縦横の比率:細長い主翼ほど大きくなる)と相まって、緩効果を続けると、時速600キロを上回る高速になったという。しかし、4台の発動機(液冷エンジン)を霊薬する困難があり、エンジントラブルが頻発した。機体の信頼性が低下した。また、戦争後半には、ドイツはガソリンなど石油燃料の不足に悩まされていた。こうした理由で、ハインケルHE-177「グライフ(英語ではグリフォン)」爆撃機は1000機も量産された割には大きな活躍ができなかった。
Reichsgebiet.- schwerer Bomber Heinkel He 177 im Flug; Eins. Kp. Lw zbV
Title Flugzeug Heinkel He 177 Info non-talk.svg
Date January 1944
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・File:Bundesarchiv Bild 101I-668-7163-14, Flugzeug Heinkel He 177.jpg引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)のパイロット:Heinkel, He 177の巨大な車輪は、内側と外側の2カ所に分離・収納するという複雑で重量の嵩む機構となっている。小型車輪を複数重ねたダブルタイヤにして、脚を1本とする方が重量軽減に有益であったと思われる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-676-7971A-12,
Archive title: Reichsgebiet.- Pilot in der Kanzel eines schweren Bombers Heinkel He 177; Eins. Kp. Lw zbV,
Dating: 1944, Photographer: Blaschka, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7971A-12引用(他引用不許可)。


ハインケルHe-177(Heinkel)グライフ諸元
全長: 22.00 m、全幅: 31.44 m、全高: 6.7 m
全備重量: 31,000 kg
エンジン: ダイムラー・ベンツ DB 610 液冷24気筒 2,950 hp × 2
最大速度: 565 km/h (6,100m)
上限高度: 9,400 m
航続距離: 5,600 km (最大)
武装 20mm MG 151/20機関砲 × 2 (尾部・下部前方)、13mm MG 131機関銃 × 3 (背部)、7.92 MG 81機関銃 × 3 (機首に1、下部後方)
爆弾 6,000 kg もしくは ミサイル×3(ヘンシェル Hs 293 又は フリッツX)
乗員: 5名
ハインケルHe177には、最高速度540km、急降下爆撃が可能であることが求められたため、2基のエンジンを連結して1軸の大型プロペラを駆動する連結エンジンが採用された。また、機体構造の強化が図られ、機体表面の蒸発冷却機構、遠隔操作の銃塔の新機軸も採用された。

大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力にも投入が計画された。1943年のイギリス本土爆撃にも投入された。しかし、エンジン冷却が不十分であったために加熱によるエンジン不調が頻発した。

写真(右)1943-1944年,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):機内の酸素タンクに荷車で運んできたタンクから酸素を充填している。機首には、前方射撃用の旋回機銃が設けられているので、これから出撃するのであろうか。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-674-7767-09,
Archive title: Reichsgebiet.- Betanken eines schweren Bombers Heinkel He 177 (Kennung schwarze Eule) auf Flugplatz; PK Eins. Kp. Lw. z.b.V.,
Dating: 1943/1944, Photographer: Keiner
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-674-7767-09引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年春,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):巨大な爆弾層が開いているが、搭載しようとしているのは、酸素タンクのようだ。機首のガラス風防には、前方射撃用の機銃発射口が設けられている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe,
Signature: Bild 101I-668-7164-35A,
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines schweren Bombers Heinkel He 177 A-3/R2 des 2./KG 100 mit Bomben; PK Eins Kp Lw zbV,
Dating: 1944 Frühling, Photographer: Linden
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-668-7164-35A引用(他引用不許可)。


写真(右)1945年頃,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177A-7四発重爆撃機「グライフ」 (Greif):終戦前後に西側連合軍に鹵獲されたハインケル四発重爆撃機He-177A-7は、1943年からBf-109Gと同じく、DB605液冷エンジンを結合したDB610エンジン(2基のDB605から構成)に変換したA-5が生産された。A-7は、A-5をベースに主翼を延長し、高空性能を改善したもの。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen,
Signature: Bild 146-1972-065-68,
Archive title: Flugzeug Heinkel He 177 (Baureihe A),
Dating: 1945/1946, Photographer: o.Ang.
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 146-1972-065-68引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年2-3月,ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)に爆弾を搭載しようと準備してる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-668-7162-09A
Archive title: Reichsgebiet.- Beladen eines getarnten Flugzeuges Heinkel He 177 mit einer Bombe; Eins. Kp. Lw zbV
Dating: 1944 Februar - März Photographer: Linden Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild 101I-676-7972A-19引用(他引用不許可)。


1944年1月から5月に、ヒトラーは、ドイツ本土無差別爆撃の報復として、イギリス本土爆撃を命じた。これが、「小電撃」と呼ばれることになるシュタインボック作戦である。大証爆撃機、戦闘爆撃機を動員してのイギリス空襲が行われ、特に双発機以上の爆撃機による夜間空襲に主眼が置かれた。これには、ドイツ空軍四発重爆撃機He-177グライフも投入されたが、二つのエンジンを一つのナセルに収めたことで、エンジン冷却効果が低下し、エンジンのオーバーヒートで稼働率は良くなかった。

 しかし、He177は大重量で、翌面積・テーパー比も小さく、緩降下爆撃をすると、最高速度600km/hを超えるために、レーダーで捕捉されても、夜間戦闘機や高射砲の被害を避けることができ、作戦参加したHe177の被弾撃墜率は低かった。シュタインボック作戦に投入されたドイツ空軍双発爆撃機は、Do 217, He111, Ju 88, Ju 188であるが、これらの双発機の損耗率は平均50%を上回った。

 このようにHe 177は損耗率10%で、低く、その潜在的な攻撃力は高かったが、高速での爆撃のために、爆撃の命中精度は低かった。さらに、ドイツ軍は、航空燃料・揮発油を石炭液化による腎臓石油に依存していたため、大量の燃料を必要とする四発爆撃機を運用、訓練するだけの供給力は、もはや1944年中頃のドイツにはなくなっていた。

写真(右)1943-1944年,四発独立エンジン化したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177B-0四発重爆撃機「グライフ」(Greif)
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936437 - Title:Heinkel He 177B-0 Nowarra photo - Filename: 16_005328.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ----Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は,SDASM Archives - - Catalog:16_005328引用。


ハインケル(Heinkel) He 177Bあ型の装備した双子式のDB610 エンジンは、冷却効果が不十分となり、火災や湖沼が発生しやすかったために、エンジンを1個ずつ独立した通常の四発機化した。これがハインケル(Heinkel) He 177B四発重爆撃機の試作機である。プロペラを2基から4基に増やしたことで、軽快性が大幅に低下して、急降下は不可能になった。しかし、その反面、エンジンの実用性が向上して、機体の信頼性が高まったと思われる。

しかし、1944年になると、アメリカ軍とイギリス空軍による昼夜を分かたぬ戦略爆撃が激化しており、インフラの破壊、工場の爆破、交通網の破綻から、ドイツの工業生産、国力は大幅に低下した。したがって、軍需生産の再建のためにも、ドイツ本土防空戦が主な課題となり、航空兵力は昼間戦闘機・夜間戦闘機が中心となった。また、航空機燃料不足が深刻化したために、大型爆撃機を運用することは困難になっていた。


2.イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He-177四発重爆撃機「グライフ」 (Greif)

写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が発見した対空偽装されたドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
SDASM ArchivesFollow
Heinkel, He 177, Greif Title: Heinkel, He 177, Greif
Corporation Name: Heinkel Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives -Catalog #: 01_00081330引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲した破壊されたドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
SDASM ArchivesFollow Heinkel, He 177, Greif
Title: Heinkel, He 177, Greif Corporation Name: Heinkel
Official Nickname: Greif Additional Information: Germany
Designation: He 177 Tags: Heinkel, He 177, Greif
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は,SDASM Archives -Catalog #: 01_00081329引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-7 四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936377 - Title:Heinkel He 177A-7 Pete Bowers photo - Filename: 16_005323.TIF - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005323引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
Heinkel 177 Grief - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002349.TIF-------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.
写真は,SDASM Archives - PictionID:38237179引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album
Heinkel HE 177 Grief - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002350.TIF ------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.-----------PLEASE TAG these images with any information you know about them so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.-
写真は,SDASM Archives - PictionID:38237217 引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-3四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936353 - Title: Heinkel He 177A-3 Nowarra photo - Filename: 16_005321.TIF- - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005321引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲したドイツ空軍ハインケル(Heinkel) He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスが戦利品としたが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936389 - Title: Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005324.TIF - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005324引用。


写真(右)1945年5月以降,イギリス軍が鹵獲して飛行試験をしているドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 177A-5四発重爆撃機「グライフ」(Greif):イギリスの田園地帯を飛行するが、塗装はドイツ空軍のオリジナルのようだ。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 43936413- Title:Heinkel He 177A-5 Nowarra photo - Filename: 16_005326.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives - Catalog:16_005326 引用。



3.第二次大戦を戦い抜いたハインケルHe-111爆撃機 

ハインケルHe-111 ハインケルHe-111爆撃機の諸元:
全長16.4メートル,全幅22.6メートル
翼面積86.5平方メートル
全備重量14000キロ
最高速力:440キロ
航続距離:2000キロ
発動機:ユンカースJumo211F液冷エンジン(1200馬力)2基
乗員5名
武装:7.92mm機銃5丁
爆弾:2トン
グライダーを曳航するなど輸送任務にも使用された。


写真(上)1943年春、ソ連南東部、ドイツ空軍第1空挺航空団(LLG1)のハインケル(Heinkel)He 111Z型ツヴィリング(Zwilling)大型グライダー曳航機
:He111爆撃機2機を合体させたHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、発動機を5発機とした。Z(ツヴィリング:Zwilling)とは、ツイン「双子」の意味である。胴体下面のETC2000/XIIラックに900L増加燃料大型タンクを懸架している。
PictionID:43935308 - Catalog:16_005236 - Title:Heinkel He 111Z Nowarra photo - Filename:16_005236.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


写真(右)1942年頃、ドイツ、ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He 111大型グライダー曳航機Z型ツヴィリング(Zwilling: 双子)に曳航されるメッサーシュミットMe-321Bギガント・グライダー :He111爆撃機2機を合体させ、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、5発機としたのがHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)。

Messerschmitt, Me 321 Catalog #: 01_00085187
Title: Messerschmitt, Me 321 Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Additional Information: Germany Me-321 being towed by a He-111Z
Designation: Me 321
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


メッサーシュミットMe-321ギガント(巨人)・グライダー
1941年2月25日初飛行
乗員 2名、兵員搭載人数 130名
全長:28.15 m 、全幅:55 m 、全高:10.15 m
空虚重量:12,400 kg
全備重量:34,400 kg
最高速力 160 km/h
生産数150機。

ハインケルHe111Z ハインケル(Heinkel)He 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、He111H-6爆撃機を2機繋ぎ、中央主翼に発動機ユモJumo211F1350馬力エンジン1350馬力1基を追加し、5発機としたもので、1941年に開発が始まり、1941年秋には初飛行に成功した。

全幅32.5m
最高速力:437km/h(高度6000m)
ETC2000/XIIラックを胴体下面に2基、合計4基を装備
、燃料搭載量:1万220リットル(600L増加燃料タンク4個を含む)
航続距離:4000km
空虚重量:21300kg
全備重量:29600kg
グライダー曳航力: G0242貨物グライダー2機あるいはMe321ギガント超大型グライダー1機 曳航速力:225km/h

ハインケルHe111Z  ドイツ空軍は超大型グライダー、メッサーシュミットMe321を開発したが、当初は、機構用にメッサーシュミットMe110双発駆逐戦闘機3機を予定していた、Db601液冷エンジン2基を搭載するメッサーシュミットBf110駆逐戦闘機を3基でMe321ギガント大型グライダー1機を曳航する方式は、「トロイカ」と呼ばれた。しかし、トロイカによる試験飛行は、3機が連携した操縦をすることは困難で、実用化はできないことが判明した。

そこで、大型グライダーの曳航にはユンカースJu290読ん発輸送機を流用することが検討されたが、ハインケル社は、既存の旧式化していたハインケルHe111H型双発爆撃機2機を連結し、繋いだ主翼の中央部分にエンジン1基を追加して5発としたHe111Z-1双子飛行機を試作した。これによるMe321大型グライダー曳航の実権は成功したため、ハインけりHe111Z-1が曳航用に生産されたのである。

ハインケルHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)の 生産開始は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機。

ハインケルHe111Z ハインケルHe 111Z-1ツヴィリング(Zwilling:双子)グライダー曳航機の実戦参加:
1943年から1944年初頭まで、東部戦線、ソビエトのチトミール、クバン方面と地中海、シシリー島方面で輸送用に散発的に使用された。

しかし、Me321が当初予定していた英国本土上陸作戦はキャンセルされ、東部戦線でMe321が使用されたが、大型すぎたた上に、東部戦線のインフラが整っていない土地では、使用したグライダーを回収して再利用することは困難であった。そこで、Me321グライダーにエンジン6基を取り付けて、モーターグライダー化したMe323ギガント輸送機が試作され、実用化されることになった。結局、He111Z-1は不必要になったため、この5発機を長距離偵察機、長距離爆撃機とする案が検討された。

He 111Z-2型は、誘導グライダー爆弾Hs293を4発搭載する艦船攻撃機、あるいは増加燃料タンクを装備した長距離哨戒偵察機として計画されたが、飛行性能が低い上に、戦局が悪化して、防衛用の戦闘機を増産する必要性が強まったために、Z-2、Z-3の計画はキャンセルされた。

ハインケルHe111Z-2長距離爆撃機 ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-1ツヴィリング(Zwilling:双子)グライダー曳航機は、メッサーシュミットMe321ギガント大型貨物グライダー曳航用の双子機で、ユモJumo211 F-2液冷12気筒エンジンを5基搭載し、1942年8月から生産が始まり、1942年末までに僅か10機が生産されるにとどまった。ハインケルHe 111Z-1の生産機数は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機、である。

ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-2は、Z-1型を長距離爆撃機としたもので、空対艦誘導爆弾Hs 293を4発搭載する予定になっていた。
ドイツ空軍ハインケルHe 111Z-3は、Z-1型を長距離偵察機としたもので、グライダー曳航装置は撤去され、主翼下面に900Lの大型落下式増槽を2個あるいは3個搭載できる。

しかし、ハインケルHe 111Zを改装した偵察機や爆撃機は、ドイツの戦局が悪化し。ドイツ本土に対する戦略爆撃が激化すると、需要はなくなった。ドイツ空軍は、攻撃用に爆撃機よりも防衛用の戦闘機を量産する必要性が強まり、ハインケルHe 111Z-1グライダー曳航機を偵察機や長距離爆撃機とする計画は放棄された。

写真(右)1943年頃、東部戦線、メッサ―シュミットMe 323 "Gigant"輸送機:1942年末から中近東で北アフリカにあったロンメル将軍隷下アフリカ軍団への補給策戦に投入された6発エンジンの巨大輸送機。前身のメッサ―シュミットMe321貨物グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe 343 ギガント"Gigant"。機首が観音開きになるために、大型車両、戦車もそのまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Catalogue number: 15670, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1940-05-10 Subject period: Second World War, Creator: Royal Air Force official photographer, Object description: A Messerschmitt Me 323 "Gigant" (Giant) in flight, banking towards the camera. This hugh six-engined transport was developed from the Me 321 glider and entered service in late 1942 in the Middle East, helping to supply Rommel's Afrika Korps from bases in Sicily. Me 323s were also used on the Eastern Front. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CH 15670)


メッサーシュミットMe323ギガント輸送機を参照。


写真(右)1941年1月24日,オランダ、ドイツ空軍の主力爆撃機ハインケルHe-111に500キロ爆弾を搭載中の地上勤務員:戦争後期には,燃料不足,性能低下,制空権喪失によって,ドイツ空軍のHe111爆撃機は昼間出撃は困難になったため、夜間爆撃が主流になった。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen
Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers.
Beschrijving Een Duitse Heinkel HE 111 wordt op een vliegveld aan de Atlantische kust weer beladen met nieuwe bommen Datum
24 januari 1941
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_108 引用。


写真(右)1942年-1943年,フランス,ハインケルHe 111爆撃機の7.92ミリMG15旋回機銃の整備:ボールマウントで、銃を自由に旋回できる。
Inventory: Bild 101 I - Propaganda-ompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-599-1001-20 Archive title: Frankreich, Kanalküste.- Mechaniker / Waffenwart bei der Wartung von Bordwaffen, im Hintergrund eine Heinkel He 111; PK KBK Lw zbV Dating: 1942/1943 Photographer: Engelmann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・"Bild 101I-599-1001-20"引用(他引用不許可)。


1935年4月初飛行のHe-111だが,ポーランド戦の時には,60-90機程度しか配備されておらず,ドイツ空軍の主力爆撃機は,ドルニエDo-17だった。
しかし,1年後の西方フランス侵攻では,ハインケルHe-111爆撃機が主力となった。
Heinkel He 111の生産数は1939 1940 1941 1942 1943 1944の各年で、452機、 756機、 950機、 1,337機 1.405機 756機。合計5,656 機生産された。

1939年9月1日のポーランド侵攻時には,特別部隊(のちのアインザッツグルッペ)が投入され,公務員,教師,医師,聖職者,ユダヤ人,地主,商店主など,ポーランドの文化・国家の維持に有益な人物,インテリゲンツィアを処置していた。
ヒトラーにとって,ワルシャワ空爆に躊躇は一切なかったと考えられる。

ドイツ空軍によるワルシャワ爆撃は、ワルシャワの軍事施設を目標としており、無差別爆撃ではないと主張される。当時の水平爆撃の技術では、目標に爆弾を命中させることは困難であった。この低い命中率を前提に、命中しないで目標をそれて着弾した爆弾が、敵に被害を与えるように爆撃あ計画された。目標付近に、民間施設や一般市民がいて、空襲で被害を受けることを当然のように考えていた。これが軍と民間市民を区別しない「無差別」爆撃である。

7.92ミリMG15機関銃 7.92ミリMG15旋回機銃は、再軍備宣言が出される以前に密かに開発されていたドイツ軍の航空機搭載用旋回機銃。第二次世界大戦に使用された航空機のほぼすべての旋回機銃として搭載された。弾丸を入れる弾倉は75発入りサドルドラム式で、ドラムの半分は撃ち殻(空薬莢)入れになっている弾倉交換が容易で、ベルト給弾式とは異なり、バラの弾を装填しゼンマイ式スプリングで給弾する。

1944年7月20日,ラステンブルクにあったヒトラーの総統本営ヴォルフスシャンツェ (Wolfsschanze)を爆破して,ラステンブルク飛行場からベルリン飛行場まで,シュタウフェンベルクが搭乗したのもハインケルHe-111爆撃機だった。

しかし,このヒトラー暗殺未遂事件を題材にしたハリウッド映画「ワルキューレ」や2009年のZDFドキュメント「シュタンフェンベルク」では,この空中移動を,ユンカースJunkers Ju-52/3m輸送機で行ったことにしている。これは,飛行可能なJu-52をロケに使用したからである。

⇒写真集Album: ハインケルHe 111爆撃機を見る。



4.ドルニエ(Dornier)Do-17爆撃機と後継機のDo217/Do-317

写真(右)1940年9月7日、イギリス本土、ロンドン東、プラムステッドのテムズ川上空を飛翔するドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-217 (DO-17Z?)爆撃機:9月7日、ドイツ空軍は、それまで続けてきた航空撃滅戦が効果が上がっていないと判断し、作戦を変更して、ロンドン爆撃・電撃(ブリッツ)が始まった初日となった。
Catalogue number: C 5424, Subject period: Second World War, Alternative Names object category: Black and white, Creator: German Air Force photographer Object description:Two Dornier Do 217 bombers flying over the Plumstead sewer bank, Crossness pumping station and the Royal Arsenal butts on Saturday 7 September 1940, the first day of the sustained Blitz on London. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (C 5424)


ドルニエ(Dornier)Do 17Z爆撃機 ドイツ空軍ドルニエドルニエ(Dornier)Do-17 Z爆撃機の諸元
初飛行 1934年11月
全長 16.3メートル,全幅 18メートル,翼面積 86.5平方メートル
全備重量7650キロ,エンジン:BMW ブラモ323 空冷星型 9気筒1000馬力2基
最大時速 420キロ,航続距離 1160キロ
兵装 7.92ミリMG15機関銃5丁,爆弾1トン。
乗員4人(操縦手,爆撃手,航法・偵察員兼機銃射手2名)

ドイツ軍は、ビラを空中散布するなどしてポーランドに降伏勧告をしたが、降伏を黙殺したポーランドに対して,ドイツ軍は,1939年9月25日、ワルシャワを大空襲した。これは,爆撃機400機を配備した3-4回の反復爆撃で通常爆弾560トン,焼夷弾72トンを投下した。9月27日,ポーランドは降伏した。

写真(右)1940年8月5日,フランス、ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do-215爆撃機/偵察機:迷彩塗装を施した双尾翼式の爆撃機で当初は輸出用に開発された。
Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Reportage / Serie Luchtoorlog Duitsers. Beschrijving Dornier Do 215 bommenwerper van de Luftwaffe Datum 8 april 1940 Locatie Duitsland Trefwoorden oorlog, oorlogen Fotograaf [onbekend]
写真は、Nationaal Archief, het Het Genootschap voor het Nationaal Archief・ Inventarisnummer 28034 Bestanddeelnummer 28034_040引用。


ドルニエDo17Z(最終生産型)諸元
全長115.6メートル,全幅18メートル
翼面積 55平方メートル
全備重量8600キロ
最高速度 410キロ,航続距離 1160キロ
ブラモ 323空冷エンジン1000馬力2基装備
武装;7.92ミリ機銃7丁,爆弾1トン搭載

写真(右):1942-1943年、北アフリカ、チュニジアをドルニエ(Dornier)Do-217 K爆撃機に搭乗して訪問したドイツ航空機総監エアハルト・ミルヒ(Erhard Milch)元帥:ドイツ・ルフトハンザ航空出身のミルヒは、1939年に第5航空軍(海軍航空隊の貧弱なドイツ空軍に「飛行艦隊」というのは誤訳)司令官に就任、ノルウェー侵攻を指揮し、1940年6月のフランス降伏の功績で、アルベルト・ケッセルリンク、フーゴ・シュペレと並んで空軍元帥に昇進。1941年、航空総監に任命される。 空冷の1700馬力 BMW 801エンジンを搭載し、Do17Zの出力を強化した発展型。
Dornier Do 217 爆撃機K型諸元:
全長: 18.19 m、全幅: 19.00 m、全高: 5.03 m、全備重量: 14,980 kg、エンジン: BMW 801MA 空冷14気筒 1,580 hp × 2、最大速度: 515 km/h、航続距離: 2,300 km、武装 7.92ミリMG 15機関銃 × 5, 15ミリMG 151機関砲 × 1, 爆弾 2トン、乗員: 4名。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-421-2054-20
Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Generalfeldmarschall Erhard Milch auf einem Luftwaffenstützpunkt, Soldaten angetreten, im Hintergrund Flugzeug Junkers Ju 188; KBK Lw 6
Dating: 1942/1943 ca. Photographer: Karnath Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 ・Bild 101I-421-2054-20引用(他引用不許可)。



5.第二次大戦の最多生産爆撃機ユンカースJu-88

ユンカースJu-88 1940年6月22日のフランス降伏によって,ドイツにとって,戦い続ける敵は英国だけになった。独ソ不可侵条約を締結していたヒトラー総統は,このとき,英国がすぐに休戦を申し入れてくると楽観していた。後には,ヒトラー自らがラジオによって,英国との和平交渉を行う用意があることを公言した。まだ、英国本土への大規模空襲は控えていた。英国の工場、造船所が戦備拡張に忙しかった時期、ドイツ空軍はこれらの目標を攻撃しないままに、放置していた。

英国ウィストン・チャーチル首相は,米国の武器貸与法を利用した軍事援助によって,徹底抗戦を戦う覚悟をしていた。1940年7月10日から10月31日まで,ドイツ空軍は、英国本土の軍事施設(航空基地、軍港、レーダー施設など)、工業地帯を大空襲した。これに対して、英空軍戦闘機部隊は,ドーバー海峡を挟んで,ドイツ空軍の爆撃機,戦闘機を果敢に迎撃し,「バトルオブブリテン」といわれるほどだった。イギリス空軍は,ドイツ空軍の英本土空襲を持ちこたえた。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の正面:搭乗員コックピット右の副操縦席の正面に前方7.92mmMG15旋回機関銃座がある。機首右下面には爆撃主席と爆撃照準器のバルジ(張出)が設けてあるが。この後方に昇降口と後下方7.92mmMG81連装旋回機関銃座が設置されている。左右主翼内側下面に、爆弾懸架ラック2基ずつあるが、主翼下面がエンジン排気の煤で黒く汚れている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88, kk-ampujan paikka. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138491引用。


空軍司令官ヘルマン・ゲ-リング国家元帥は,1940年8月からの英本土航空「鷲」作戦に際して,ドイツ空軍がイギリス空軍機を駆逐し,イギリスを征服してみせると豪語した。しかし,ドイツ側の被害は甚大で,イギリス戦闘機の抵抗が続いたために,1940年9月7日から,ロンドン夜間空襲を開始した。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、フィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の機首下面:搭乗員用の昇降口となる後下方7.92mmMG81連装旋回機関銃座、爆弾懸架ラックが明瞭に写っている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88, kk-ampujan paikka. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138489引用。


1946年1月29日,戦後のニュルンベルク国際軍事法廷で,ゲーリングは,英本土上陸作戦ができなくなったことで非難を受けたことの確認を求められた。しかし,ゲーリングはそれを否定し,「私の4個師団の空挺部隊が欲しいという要求を,陸軍の他の要求のために,貫徹できなかった。もし,ダンケルクの戦いの時期に,この4個師団をもっていたら,直ちに英本土に進撃させたであろう」と述べた。しかし,ゲーリングは,英本土航空決戦について,多くを語ろうとしなかった。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の後方:尾翼部分の引込み式尾輪とカバー・航空灯火、コックピット後方の2つの7.92mmMG81連装旋回機関銃座が明瞭に写っている。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88 syöksypommikone. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138490引用。


ヒトラーは,英国がソ連を当てにして戦っていると考え,イデオロギー上の敵であるボリシェビキを殲滅し,東方ソ連にドイツ民族の生存圏を獲得しようとの本心をむき出しにして,ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし,その直前の1941年4月,ユーゴスラビアで反ドイツのクーデターが勃発,急遽,ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻した。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網の下で待機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の前方:コックピット右副操縦席前面に7.92mmMG15旋回機関銃、後方の2つの7.92mmMG81連装旋回機関銃座の膨らみ(バルジ)が明瞭に写っている。機首株のゴンドラの後方にある昇降口が開放され、搭乗員用の梯子が引き出されている。主翼下面の爆弾懸架は内側が500キロ爆弾用、内側が250キロ爆弾用で大きさが異なっている。プロペラスピナの塗装色分けが興味深い。
A.Lindeberg, valokuvaaja Junkers 88. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138494引用。


1941年6-7月、ドイツのソビエト連邦侵略「バルバロッサ作戦」でソ連赤軍の航空基地攻撃に大活躍したドイツ空軍だったが,東部戦線では,ソ連空軍に優秀な航空機が多数配備されるようになり、1942年のスターリングラード空輸作戦の失敗、1943年の「シタデル作戦」における地上襲撃の失敗など、大軍をまとめて投入しても、ソ連軍に対して敗北を喫している。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機の前部右側面:コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。ユンカース・ユモ211 (Junkers Jumo 211) 液冷 倒立 V型12気筒エンジンには専用の保護カバーを掛けている。
Junkers 88 syöksypommikone, oikeanpuoleinen moottori ja ohjaamo. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138493引用。


ドイツは、技術力を駆使して、対艦船用の魚雷や機雷に装備する磁力反応信管、音響反応信管を開発、実用化することに成功した。新型魚雷・新型機雷は、ドイツ海軍潜水艦Uボートに搭載された。しかし、新型の音響機雷、磁気機雷は、ドイツ空軍機から、敵船舶の航路上に空中投下され、敷設された。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機(JK-202)の後方:主翼左右上面にフィンランド白軍伝統の青のカギ十字卍「ハカリスティ」(Hakaristi)が描かれているが、これはナチ党の記章と同じ反ボリシェビキの記章である。コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。
Junkers 88.. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138495引用。


機雷の空中投下という新機軸の戦術は、ドイツ空軍が世界で初めて大々的に実戦で行った。1945年、日本本土を空襲したアメリカ陸軍航空隊も、関門海峡、津軽海峡、港湾出入り口などを機雷封鎖するために、B-29爆撃機によって、機雷の空中投下を行った。

写真(右)1943年7月8日,フィンランド、対空偽装網で隠匿された状態で駐機するフィンランド空軍ユンカース(Junkers)Ju-88A爆撃機(JK-202)の後方左側面:コックピット後方のバルジ(膨らみ)は7.92mmMG81連装旋回機関銃座で、操作しやすいように容積を増やしているのが明瞭にわかる。
Junkers 88.. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1943-07-08 A.Lindeberg, valokuvaaja
写真はFinna.Fl sa-kuva-138496引用。


ユンカースJu-88A4の諸元
全長 14.4メートル,全幅 20メートル,翼面積 54.5平方メートル
性能:最大速度 470キロ,航続距離 2730キロ
兵装:7.92ミリMG17機銃6丁,爆弾 2トン
生産総数 15000機(爆撃機9000機,戦闘機6000機)

Ju188爆撃機 ユカースJu88のJumo211エンジンを大型大出力のJumo 213Aに変換した発展型がJu188爆撃機。液冷エンジンのJumo213は生産数に制約があったので、より大量生産された空冷エンジンのBMW 801を搭載したJu188Eも生産された。

ユンカースJu-188A爆撃機の諸元
全長 14.9 メートル
全幅 22.0 メートル
全高 4.4 メートル
主翼面積56平方メートル
全備重量 14,491キロ
最高速度513 km/h
上限高度 1,1000メートル
航続距離 1,950 km
武装; 20 mm MG 151/20 機関砲× 1、13 mm MG 131 機関銃× 3
爆弾最大搭載量 3,000 kg
乗員: 4名

⇒写真集Album: ユンカースJu-88爆撃機/夜間戦闘機を見る。



6.ユンカースJu-87急降下爆撃機からフォッケウルフFw190戦闘爆撃機へ

写真(右)1940年頃、イギリス本土、ロンドン郊外の燃料タンク攻撃に向かうドイツ空軍ユンカースJu-87スツーカ急降下爆撃機とドルニエDo-17爆撃機の残骸:ドイツ空軍は、戦闘機であれば2機編隊のロッテ(Rotte)、ロッテ2組の4基編隊シュバルムによる戦闘を採用した。他方、爆撃機であれば3機編隊のケッテ(Kette)を採用した。。
イギリスは、アメリカの武器貸与法を受けて戦闘機、トラック、弾薬、火器から石油燃料まで潤沢に補給されたが、北フランスに駐留するドイツ空軍の攻撃を受ける位置にあったために、防空に重点を置いた。
Catalogue number: MH 5591, Part of SELINGER FRANZ, Subject period: Second World War, Alternative Names object category: Black and white, Creator: Junkers Ju. 87 dive-bombers on way to attack British tanks at Ghobi. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (MH 5591)


ドイツ空軍は陸軍に協力しての対地直協を基本戦略としていたために、都市戦略爆撃を行うのに適した重爆撃機を保有していなかった。急降下爆撃機は、この対地直協のの主力となる単発急降下爆撃機だった。

1940年7月のバトルオブブリテンの開始の時、ドイツ空軍の対イギリス船の戦力は爆撃機1100機、急降下爆撃機300機、単発戦闘機800機で、偵察機など含めて合計2500機以上あった。ヘルマン・ゲーリングは、対フランス戦勝によって元帥となったが、対イギリス攻撃の緒戦では、目標はイギリス空軍兵力と空軍基地・レーダーだった。バトルオブブリテンは、ドイツ空軍では「鷲の日」の攻撃に始まり、その後しばらくしてから、都市爆撃、夜間爆撃が行われるようになった。

ユンカースJu-87G対戦車攻撃機 ドイツ空軍ユンカースJu-87G対戦車攻撃機「大砲鳥」(Kanonenvogel)
Ju 87 G-1の両翼に3.7センチ機関砲を各1門を懸架した。3,7 cm Flak 18高射機関砲1門当たり12発(装弾クリップ1基当たりタングステン徹甲弾6発で左右2基装備)、合計24発搭載。
全幅:15m、全長:11.5m、全高:3.84m
翼面積:33.6平方メートル
全装備重量:6,585kg
最高速度:375km/h
実用上昇限度:7,500m
上昇時間:5,000mまで19.8分
航続距離:1,530km

⇒写真集Album: ユンカースJu-87急降下爆撃機/夜間襲撃機を見る。


フォッケウルフFw-190 フォッケウルフFw-190A戦闘機は,ノルマンディーに上陸した連合軍地上部隊に対しては,250-500キロ爆弾を搭載して,地上襲撃としても使用された。

⇒写真集Album: フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機を見る。


1941年6月21日,バルバロッサ作戦開始の前日のドイツ軍東部戦線配備兵力

兵員300万人,戦車3580両,火砲7184門,車両60万台,ウマ75万頭。航空機1830機.

対峙するソ連軍は,兵員450万人,10個軍だった。 ソ連軍は,北方には30個師団,8個機甲旅団,中部に45個師団,14個機甲旅団,南部に64個師団,14個機甲旅団を配備
ソ連空軍は白ロシア(ベラルーシ)に6000機を配置。

ドイツ空軍は,東部戦線に四個航空軍を配備,第一線機1280機を揃えた。内訳は,ハインケルHe-111,ユンカースJu-88など双発爆撃機510機,ユンカースJu87など急降下爆撃機290機,メッサーシュミットMe109単発戦闘機440機,Me110双発駆逐機40機,長距離偵察機120機である。
ソ連空軍は,その2倍の飛行機を保有していると予測された。

ソ連侵攻バルバロッサ作戦の攻撃時間は,6月22日0315で,ドイツ陸軍は早暁に行動を起こして奇襲効果を高めた。


7.長距離哨戒爆撃機フォッケウルフFw-200コンドル

写真(右):1940年11月、フランス、第40爆撃航空団のフォッケウルフFocke-Wulf FW 200 "Condor"コンドル哨戒爆撃機「シリウス号」:大西洋を広範囲に哨戒して、イギリス周辺の輸送船の動きを探知した。自ら艦船を爆撃したり、海上のドイツ潜水艦Uボートを船団に誘導したりした。戦前から、大型旅客機で活躍していた搭乗員がこの長距離哨戒活動に充てられることが多かった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-405-0555-06 Archive title: Frankreich.- Feldflugplatz, Bodenpersonal / Mechaniker vor Flugzeug Focke-Wulf FW 200 "Condor" mit Bezeichnung "Sirius" des Kampfgeschwader 40 (KG 40) / Wartung; KBK Lw5 Dating: November 1940 Photographer: o.Ang. Photographer: Kestner Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


フォッケウルフFw-200コンドルの諸元
エンジン BMW-Bramo 323 R-2 mit je 1000 PS (1200 PS mit MW-50-Einspritzung) 4基
全幅: 32,84 m 全長: 23,87 m 全高: 6,30 m
空虚重量: 14.180 kg 全部重量: 22.600 kg
乗員: 7 人,生産機数 276機
巡航速度: 384 km/h 高度 3970 m, 405 km/h 重量17.600 kg
上昇限度: 6600 m
航続距離: 3550 km (標準) C-3/U2 最大 6400 km
武装: 2基×MG 151/20 (20 mm), 5基×MG 15 (7,92 mm)
爆弾1000 kg (爆弾倉) + 主翼下面 1400 kg,最大搭載量1800 kg

1937年7月に初飛行したフォッケウルフFw-200は、1938年8月10日にベルリンを出発、24時間後にニューヨークに到着し、帰路は20時間でベルリンに戻った。その後、東京へも訪問している。これは、商業的な売り込みのためでもあり、Fw200は、ルフトハンザ航空のほか、スウェーデン、ブラジルでも使用された。ナチ党高官も利用した。

1939年9月、第二次世界大戦の勃発後、Fw-200は長距離偵察機として軍に採用され、艦船攻撃用に250kg爆弾を搭載できるように改造された。

1940年6月、フランス占領後、フォッケウルフFw-200は大西洋の船団哨戒と船舶攻撃に活躍した。しかし、機体構造の脆弱な民間輸送機であり、作戦行動の厳しい操作性には、機体がもたなかったため、破損や機体劣化が激しく、哨戒爆撃機としての運動性には限界があった。その後、1942-43年冬、スターリングラードに孤立包囲されたドイツ第六軍への空輸任務にも投入された。

1943年3月13日,東部戦線を視察したヒトラーの乗った飛行機に,スモレンスクの飛行場で,時限爆弾が仕掛けられた。

ドイツの中央軍集団参謀のヘニング・フォン・トレシュコウ(Henning von Tresckow)大佐(当時)と同志で副官フェビアン・シュラーブレンドルフ中尉が,ヒトラー搭乗機を酒ビンに仕掛けた時限爆弾を組み込んだ。そして,それを友人の参謀本部編成課長シュティーフ(Hellmuth Stieff)大佐との賭けに負けた商品だと偽って,参謀本部のハインツ・ブラント中佐に機内への持込を頼んだ。

しかし,ロシア上空の低温のせいか,時限爆弾の信管が完全に作動せず,ヒトラーが搭乗するFw-200輸送機爆破計画は失敗。Fw-200輸送機は,スモレンスクを出発して,無事にラステンブルクに到着した。

時限爆弾入りの酒瓶は,回収され,トレシュコウ大佐たちの暗殺計画は発覚しなかった。

⇒写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200輸送機/哨戒偵察機を見る。



8.長距離哨戒偵察機ユンカースJu-290

写真(右)1942-1943年,長距離輸送偵察機(試作機) Ju 290 V 1:四発輸送機のJu-90を改造した大型貨物輸送機で、機体後方下部にランプ(傾斜板)を設けて自動車のような大型貨物をそのまま機内に収容することができた。しかし、輸送機としての用途には,Me323のような大型輸送機で代替できたために、ju290は大出力のBMW801空冷エンジン(1700馬力)を搭載して、装甲,武装を施した長距離偵察機として使用された。機首下面には爆撃照準器を搭載したゴンドラが張り出している。
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1976-092-21 Archive title: Transport- und Fernaufklärungs-flugzeug Junkers Ju 290 V 1 (Kennung BD+TX) im Flug Dating: 1942/1944 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1942-1943年,長距離偵察機Ju 290 A-3:四発輸送機のJu-90を改造した大型偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.60m2、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。防御火器(290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1989-039-19A Original title: info Junkers Ju 290 A-3, Fernaufklärer Werkfoto Junkers (MBB) 290/8 Archive title: Flugzeug Junkers Ju 290 A 3 auf einem Flugplatz stehend Dating: 1942/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-290A-7諸元
全長: 28.6メートル,全幅:42.0メートル, 翼面積:203平方メートル
自量:3.3トン,全備重量: 4.5トン
エンジン: BMW 801D 空冷14気筒 1700馬力4基
最大時速:420キロ,航続距離:6000キロ,上昇限度:6500メートル
原型Ju90輸送機は1938年8月初飛行,Ju-290試作機1942年7月初飛行,就役1942年8月,生産数:52機

写真(右)1945年暮れ-1946年,アメリカ、オハイオ州上空を飛行するアメリカ軍が鹵獲し、ドイツ空軍仕様に復元したユンカースJu-290長距離偵察爆撃機A-7型(アメリカ軍コート:FE 3400):1945年9月にはイギリスにあったが、その後、アメリカに運ばれた。1946年、オハイオ州ライトフィールド飛行場で開催されたアメリカ陸軍航空隊祭に出展された。四発輸送機のJu-90を改造して,装甲,武装を施して,偵察爆撃機とした。機首,後上方,機首下方ゴンドラ,尾部に20ミリMG151/20機関銃を装備。
大西洋方面の哨戒,ドイツ潜水艦Uボートとの協力に投入が計画されたが,投入時期が遅く,活躍できなかった。燃料不足のため,大型の長期距離偵察機の運用は制限された。
Flugzeug ユンカースJu-290A-7 (Leitwerkskennung FE 3400) im Flug Dating: 1941/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・Bild_141-2472引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-90輸送機は,胴体の荷物の積み下ろしに際しては,大型貨物を搬出入しやすいように胴体後部ランプを備えていた。これは,胴体後部が下に開いて坂道(ランプ)となり,その開口部分から,大型貨物を出し入れする装備である。Ju-290もJu-90も胴体下方ランプをそのまま引き継いだが,偵察爆撃機としては必要のない装備だった。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)Ju-290哨戒偵察機を見る。



9.大型飛行艇BV-222ヴィーキング

写真(右)1940-1944年、正面から撮影されたブローム・ウント・フォス (Blohm & Voss )BV-222 V2大型輸送機「ヴィーキング」"Wiking"試作2号機の6基のブラモ(Bramo)323空冷星形エンジン(1000馬力)
Ray Wagner Collection Image PictionID:43932965 - Catalog:16_005045 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-2 Nowarra photo - Filename:16_005045.TIF
写真はFlikers, SDASM Archives PictionID: 43932965引用。


⇒写真集Album:ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇を見る。



10.満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」

写真(右)1940年7月25日、イギリス、第25爆撃飛行隊のブリストル(Bristol)ブレニム (Blenheim)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1935年4月12日。全幅 17.17 m、全長 12.12m、翼面積 84.0 m2、自重4,441 kg、総重量 6,532 kg 発動機ブリストル(Bristol) マーキュリー (Mercury)空冷星形9気筒エンジン840 hp2基、 最高速力 418 km/h、航続距離 1810 km、乗員3名、兵装 7.7 mm 機関銃2丁、爆弾搭載量454 kg。
English: RAF Fighter Command 1940 Blenheim Mk IFs of No. 25 Squadron at Martlesham Heath, 25 July 1940. The foreground aircraft is equipped with AI Mk III radar. The squadron was used for night fighter operations. Date 25 July 1940 (Second World War)
Author Press Agency photographer Part of Ministry of Information Second World War Press Agency Print HU 104652 Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons Category:Bristol Blenheim Mk.I of the Royal Air Force File:Bristol Blenheim - Martlesham - RAF Fighter Command 1940 HU104652.jpg引用。


飛行機は科学の尖端を行く最新兵器である。これを製造する技術の優劣は、飛行機の性能を左右するものであるから、列強は競って航空技術の進歩に努力している。元来航空工業は、重工業中機械工業の部門に属し、就中航空用発動機製作は、精密工業に属すべきものであるが、その円満なる発達のためには単に航空工業の進展を期すれば可なりというものではなく、その関聯するところ甚だ広汎にして、重工業全般特に材料を供給する金属工業の進展に俟つもの甚だ多いのである。例えば優秀機のパテントを外国から購入し、これを模作することが出来るとしても、材料そのものに欠陥があれば、同一の性能は勿論求め得られないばかりでなく各部の亀裂又は折損を生ずること少くないのである。而して列強の航空工業は、ソ聯邦を除きては、殆ど大戦以来二十有余年の歴史を有しているのであって決して一朝一夕の間に培養されたものではなく、大戦以来今日まで巨額の国費を投入して漸く今日の進運を来したものであることを思えば、航空技術なり、航空工業の躍進を求むることは尋常一様の方法では至難であるといわねばならぬ。最近における列強の技術及航空工業を概術すれば次の如くである。

写真(右)1940年8月、イギリス、田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第149爆撃飛行隊ビッカース(Vickers)ウェリントン(Wellington)爆撃機:初飛行は1936年6月15日、全長: 19.68 m、全幅: 25.26 m、翼面積: 、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒 1000 hp2基、最高速力:378km/h、航続距離:2,000km、爆弾搭載量は最大 2.041kg。
English: RAF Bomber Command 1940 Vickers Wellington Mk IC bombers of No. 149 Squadron in flight, circa August 1940. Date between 1939 and 1945.
Author Press Agency photographer HU 107812 Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Vickers Wellington - RAF Bomber Command 1940 HU107812.jpg引用。


写真(右)1941年11月21日、イギリス東部、リンカン州ワディントン田園地帯を低空編隊飛行するイギリス空軍第44爆撃飛行隊ハンドレページ (Handley Page)ハンプデン(Hampden)爆撃機:初飛行は1936年7月21日、全長: 17.32 m、全幅:21.08 m、翼面積: 63.9 m2、空虚重量: 5,790 kgkg、最大離昇重量: 10,206 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒1,000 hp (750 kW) 2基、最高速力:398 km/h、航続距離:2,770 km、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Handley Page Hp.52 Hampden and Hereford. Hampden Mark Is, AE257 ‘KM-X’ and AE202 ‘KM-K’, of No. 44 Squadron RAF based at Waddington, Lincolnshire, in flight. Both aircraft were lost on raids over Germany, AE257 on the night of 21/22 October 1941 flying to Bremen, and AE202 over Hamburg on 26/27 July 1942.CH 3478 Imperial War Museums. Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 44 Squadron Associated places Bremen, Bremen, Germany, Hamburg, Hamburg, Germany, Waddington, Lincolnshire, England, UK .
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Vickers Wellington - RAF Bomber Command 1940 HU107812.jpg引用。


英国

航空技術及航空工業は、空軍省内補給研究局において主宰し、統制指導機関として多くの委員会を組織している。工業技術進歩改善のためには科学産業委員会を設け、官民の全研究機関を連繋せしむる制度を採り、航空技術は航空研究委員会において統制し、これが進展を図っている。又空軍における研究機関と審議機関とを完全に分離し、前者は文官を主とし、後者は武官を主とし、各々一流の権威者を集中していることは、制度上の特徴と認むべきである。現在飛行機工場としては、大小を合し三七会社があるが、空軍が利用しているのは、大製造能力を有する一流の一五会社にして、その他は戦時これを利用する程度であろう。発動機工場は一八会社であって、大規模のものは五個に過ぎない。而してこれ等工場の製作能力は年産四〇〇〇−五〇〇〇機といわれている。

写真(右)1939年-1944年、イギリス、イギリス空軍第7爆撃飛行隊ショート(Short)S.29 スターリング (Stirling)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1939年5月14日、1945年までに2,371機生産。全幅 30.20 m 、全長26.59 、翼面積 136m2、自重22,498 kg、総重量26,943 kg、発動機ハーキュリーズ Mk.XI空冷星型14気筒1,500hp4基、 最高速力 454 km/h、航続距離 3.755 km 、乗員7名、兵装 7.7 mm M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,350kg。
English: Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. Stirling Mark I, N3641 ‘MG-D’, of No. 7 Squadron RAF, running up its engines on the ground at Oakington, Cambridgeshire. Date between 1939 and 1945 CH 3138 Imperial War Museums Royal Air Force official photographer Part of Air Ministry Second World War Official Collection Subjects Associated people and organisations Royal Air Force, 7 Squadron.
写真はWikimedia Commons Category:Short Stirling File:Aircraft of the Royal Air Force 1939-1945- Short S.29 Stirling. CH3138.jpg引用。


写真(右)1943-1944年頃、イギリス、イギリス空軍ハンドレページ(Handley Page)ハリファックス(Halifax)重爆撃機:初飛行は1939年9月24日、全長: 29.59 m、全高: 8.0 m、翼面積: 330.2 m2、空虚重量: 19,278 kg、最大離昇重量: 29,484 kg、ブリストル(Bristol)ハーキュリーズ(Hercules )Mk VI 空冷星形14気筒ロエンジン1204 kW (1615 hp)4基、最高速力:454 km/h、航続距離:爆弾搭載量は最大5897 kg(13,000ポンド)、生産機数6,176機。
English: Halifax Bomber Source Canadian Forces Expired crown copyright. All images made by canadian forces more than 50 years ago.
写真はWikimedia Commons Category:Handley Page Halifax File:Halifax Bomber 7 ExCC.jpg引用。


写真(右)1944年2月10日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ハンティンドン(Huntingdon)、イギリス空軍第156爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機:初飛行は、1941年1月9日、1945年までに7,377機生産。全幅 31.09m 、全長21.18m 、翼面積 120m2、自重16,783 kg、総重量28,576 kg、発動機 ロールス・ロイス マーリン XX V型12気筒レシプロエンジン 1,280hp(954 kW)4基、 最高速力 450 km/h、航続距離 4,300 km、乗員7名、兵装 7.62mm ブローニング(Browning)M1919機関銃8丁、爆弾搭載量6,400 kg、生産機数7,377機。
English: Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command King George VI and Queen Elizabeth visited three Pathfinder stations on 10 February 1944. Here they are seen talking to ground crew of No 156 Squadron at Warboys, Huntingdonshire, beneath the imposing bulk of one of the squadron's Lancasters protruding from a T2 hangar. Date 10 February 1944.
CH 12153 Imperial War Museums
Associated people and organisations Elizabeth, Queen, George VI, King, Royal Air Force, 156 Squadron Associated places Warboys, Huntingdonshire, England, UK
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - RAF Warboys - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH12153.jpg引用。



写真(右)1945年2月9日、イギリス南東部、ロンドン北90キロ、ケンブリッジ(Cambridgeshire)、メパール (Mepal)、エンジン整備中のイギリス空軍第75ニュージーランド爆撃飛行隊アブロ(Short)ランカスター (Lancaster)Mk.I型爆撃機
:胴体下面の爆弾倉は長大で爆弾倉扉は開放状態にある。爆弾搭載量は最大6,400 kg、。
Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Mepal, Cambridgeshire, 9 February 1945. Date 9 February 1945 Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command Mechanics working on the port-outer Merlin engine of a No 75 (New Zealand) Squadron Lancaster at Date 9 February 1945
写真はWikimedia Commons Category:Avro Lancaster File:Avro Lancaster - Mepal - Royal Air Force 1939-1945- Bomber Command CH14681.jpg引用。


仏国

航空省内に、技術及び製造工業全般の指導に任ずる航空製造局があって、技術及び科学研究所、製造部契約部、各地実験所を統轄している。航空技術は、昭和三−七年(一九二八−三二年)間航空省当時の技術局長カッコー氏の広汎なる奨励指導政策に依り、放漫の避難を受けてはいるが、著しく進歩し、特に金属機製作技術の向上には観るべきものがあった。殊にその優秀機試作奨励政策は後年における性能優秀なる軍用機多量生産の根柢をなしたのである。併しながらこれがため大小製作会社が簇出して五〇個以上に達し、これが統制を行うの必要に迫られ、ドナン航空相は、昭和九−一〇年(一九三四−三五年)に八個の群に統合して会社の強化を図ったのであるが、なお充分に目的を達成するに至らず、昨年七月ブルム内閣に依り、軍需工業国営を行うことに依って、初めてこの問題が解決したのであった。


写真(右)1945年2月9日、フランス、フランス空軍ブロシュ(Bloch)MB.210 双発爆撃機
:1935年7月初飛行、全長:18.82 m、全幅:22.80m、全高:6.70 m、全備重量:10,190 kg、発動機:ノームローン14N10 空冷14気筒エンジン 950 hp基、最高速力:310 km/h、航続距離:1,300km、爆弾1,600kg、兵装:7.5mm機関銃3丁、乗員5名。生産機数は、1935-19378年に298機。
Polski: Samolot Amiot 143 podczas lotu Date 1 January 1937 Source Narodowe Archiwum Cyfrowe Author Autor nieznany
写真はWikimedia Commons Category:Amiot 143 File:Amiot 143 1.jpg引用。


写真(右)1938年以降、フランス、フランス空軍アミオ(Amiot)350双発爆撃機("Grandpappy" 登録番号:35-277): 1934年から開発が始まり1937年12月6日にイスパノスイザ12Y28エンジンを搭載して初飛行。全幅 22.83 m、全長14.50 m、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、全備重量 11,285 kg)、発動機 発動機をノームローン 14N38空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)2基、最高速力479 km/h、航続距離 2,500 km、乗員4名。20 mm (0.79 in)イスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲1門、7.5 mm (.295 in) MAC1934機関銃2丁、爆弾 1200kg。生産機数84機。
Amiot 350 Manufacturer: Amiot French medium bomber 2 x Gnome & Rhone 14N/48 1060 Hp each Top speed: 480 Km/h at 4000m Cruise speed: 350 Km/h Range: 2500 Km Crew:4
写真はSDASM Archives Catalog #: 00074864引用。


写真(上)1930年5月1日メーデー、ソ連、モスクワ赤の広場で披露されたソ連ツポレフ(Tupolev)ANT-9大型輸送機:初飛行は、1929年5月5日。全幅 23.80 m、全長 16.65 m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 5.690 kg、発動機:ライト(Wright)ワールウィンド(Whirlwind)空冷星形9気筒エンジン300 hp (224 kW)3基、最高速力 205 km/h、航続距離 700 km、乗員2名、乗客9名。
Description English: Tupolev ANT-9 photo from Aero Digest May,1930 Date 1 May 1930 Source https://archive.org/details/aerodigest1617unse/page/n147 Author Aero Digest magazine
写真はWikimedia Commons Category:Tupolev ANT-9 File:Tupolev ANT-9 Aero Digest May,1930.jpg引用。


ソ聯

航空工業は重工業省の統轄するところで、航空技術は昭和三年(一九二八年)までは漸く外国製に模倣する程度であったが、第一次五ケ年計画の遂行に依り急速なる進展を遂げ、その製造工場も百数十に達し、更に第二次五年計画の実行過程にあるので、その製造能力は飛躍的進展をなすものと思われる従来航空技術方面に於ては創造的特色に乏しいようであったが、航空技術研究機関として大規模の施設を有する中央飛行科学研究所を設け、世界的に有名なるア・エヌ・トボレフ技師をその長とし多くの優秀技術者を集中して、統一せる研究を行うとともに、高級技術者の養成を企図し、又技術大学を多数設立して技術員の養成に努力しているので、その将来は刮目して睹るべきものがあると思う

写真(上)1930年12月以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機:胴体に共産党(CCCP)H-の符号を記入している。ツポレフTB-3重爆撃機は、1930年12月22日に初飛行、1937年までに818機量産された。全幅 39.5m、全長 24.4m、翼面積 84.0 m2、自重 3,680 kg、離昇重量 17,200kg 発動機 :ドイツのB.M.Wを国産化したミクーリン(Mikulin)M-17F液冷12気筒V型 715hp4基、最高速力 197 km/h、航続距離1,350km、乗員8名、兵装 7.62mm機関銃6-8丁、爆弾2,000kg。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088930引用。


写真(上)1935年以降、ソ連、ソ連空軍ツポレフ(Tupolev) TB-3(ANT-6)大型爆撃機と両翼に懸架されたポリカルポフ(Polikarpov)I-16-5戦闘機(250キロ爆弾2発搭載)の親子飛行機ズヴェノー(Zveno)Z-6:親子飛行機ズヴェノーZ-6は、1935年8月に初飛行。子機ポリカルポフI-16戦闘機は、1933年12月30日初飛行、全幅9m、全長6.13 m、翼面積 14.5 m2、総重量 1,941 kgあったので、ツポレフTB-3重爆撃機(爆弾2,000kg)に2機懸架すると子機の揚力はあるとはいっても、過重量だったはずだ。しかし、1941年の独ソ戦では、ルーマニア爆撃、ドニエプル川架橋爆破に出撃し戦果を挙げたという。
Tupolev, TB-3 Manufacturer: Tupolev Designation: TB-3 Notes: USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Tags: Tupolev, TB-3, USSR
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00088935引用。


独逸

軍用機の製作は一昨年の空軍再建以来の事実であるから、列強の水準に達し居るやは疑問であるが、工業技術の発達、特に民用機の製造技術より観るとき、列強を凌駕するの日遠からざるを想わしむるものがある。而して飛行製作会社は大小合せて二十四個であって、特にハインケル、ユンカース、ドルニエー等は最も大規模のものである。その生産力は米国側の観測に従えば、月製一〇〇〇機以上で、戦時二五〇〇機に拡張し得る設備ありとしている。

写真(右)1936年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:1936年10月28日に初飛行し1938年には輸送機に改造された。生産機数3機のみ。全幅35.0m、全長 25.4 m、翼面積 162 m2、自重 11,865kg、全備重量 18,500 kg、発動機 BMW 132空冷倒立9気筒エンジン604 kW (810 hp)4基、最高速力 315 km/h、航続距離1,600 km、乗員10名。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46170090 - Title:Dornier Do 19V-1 with 4 BMW 132 1936 Nowarra Collection - Filename:16_007464.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Catalog:16_007464 -引用。


写真(右)1938年、ドイツ、ドルニエ(Dornier)Do 19V-1重爆撃機試作1号機:初代ドイツ空軍参謀長ヴァルター・ヴェーファー(Walther Wever)中将の推進した長距離戦略爆撃機「ウラル爆撃機」として開発され、1936年10月28日に初飛行した。しかし、ヴェーファー空軍参謀長は、1936年6月3日、ハインケルHe 70高速輸送機の操縦中に墜落死したため、ドイツ空軍は、従来の第一線で活躍する戦術爆撃機の開発に専念することになった。生産機数3機み。
The German Dornier Do 19 bomber prototype in flight, circa in 1938. Date circa 1938 Source Strategy for Defeat: The Luftwaffe 1933-1945 photo [1] Author Unknown author
写真はCategory:Dornier Do 19He 70の設計を流用し File:Dornier Do 19 bomber in flight c1938.jpg引用。


写真(右)1939年9月の第二次大戦勃発後、ドイツ、ハインケル(Heinkel)He 116偵察機:He 70の設計を流用し1936年12月9日に初飛行し1938年までに郵便輸送機として14機が生産された。全幅 22,00 m、全長 13,70 m、翼面積 62,90 m2、自重 4220kg、全備重量 7046 kg、発動機 ヒルト(Hirth) HM 508空冷倒立8気筒エンジン240 PS (177 kW) 排気量7.97L 4基、最高速力 325 km/h、航続距離 4,100 km、乗員4名。第二次大戦中は、ドイツ空軍で偵察機として使用された。
Deutsch: He 116 Date 18 April 2013 Source Image rights owned by the San Diego Air & Space Museum, which has released the image with no known copyright restrictions. Author San Diego Air & Space Museum
写真はWikimedia Commons Category:Heinkel He 116 File:He 116 2013.jpg引用。


写真(右)1930年代、イタリア、サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti) S.M.73輸送機:1934年7月4日に初飛行し48機が生産された。全幅 24,00m、全長 18,37 m、翼面積 92,20 m2、自重 7300 kg、全備重量 10.800 kg、発動機 ヒルト(Alfa Romeo ) 126 RC.10空冷星形8気筒エンジン800 PS (ca. 590 kW) 3基、最高速力 325 km/h、航続距離 1000km、乗員4名、乗客18名。
Description Italiano: Savoia-Marchetti SM.73 Date before 1950 Author Unknown author
写真はWikimedia Commons Category:Savoia-Marchetti S.73 File:Savoia-Marchetti SM.73.jpg引用。


伊国

空軍省に研究実験局があって、航空技術及び航空工業を統轄指導している。航空器材は空軍大臣監督の下に民間会社に製造せしむるとともに、一方国家総動員の見地より国防最高会議隷下にある工業監察官をしてこれが製作を監察せしめている。昭和八年(一九三三年)一月ムッソリーニ首相空軍大臣を兼摂するや、航空器材の自給自足は国防上における最重要事項であると為し、優秀なる自国発動機を産出せんが為め、航空総監督部を創設するとともに、各種の方面に奨励保護を行ったので、現今に於ては国産発動機として優秀なるものを産出するに至った。研究機関としては研究実験局があって、理論実験のみならず試作研究をも実施している。飛行機製作会社は十五個あり、中カプローニ、サボイア、フィアット、ブレダ等は大規模であって、社名機は伊国を代表している優秀機に属するものである。

米国

陸、海、商務各省に航空局があって各々技術関係事項を統轄し、飛行機は民間会社に注文する制度である。米国の航空工業は民間航空工業の飛躍的進展により急速なる発達を遂げ、世界に覇を唱えている状態である。飛行機会社は大小を合して八三個あり、中マーチン、ボーイング、ベランカ、フェヤチャイルド、ダグラス、カーチス等は代表的なものである。年製機数は民用機のみにても次の如くである

▲大正八年(一九一九年)六六二機
▲昭和四年(一九二九年)六一九三機
▲昭和五年(一九三〇年)三四三七機(世界不況のため減少)
▲昭和八年(一九三三年)一三二四機


写真(上)1935年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第25爆撃戦隊マーチン(Martin)B-10双発輸送機
:初飛行は、1932年2月16日。全幅 70 ft 6 in (21.49 m)、全長 44 ft 9 in (13.64 m)、翼面積 70 ft 6 in (21.49 m) m2、自重 9,681 lb (4,391 kg)、離昇重量 14,700 lb (6,668 kg)、 発動機ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒775 hp (578 kW)2基、最高速力 213 mph (343 km/h, 185 kn)、航続距離 1,240 mi (2,000 km, 1,080 nmi)、乗員3名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,260 lb (1,025 kg)。1940年までに348機量産。
English: 25th Bombardment Squadron B-10s Date 1935 Source USAF Author US Air Force Museum
写真はWikimedia Commons Category:Martin B-10 File:25th Bombardment Squadron B-10s.jpg引用。


写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第88偵察戦隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機:初飛行は、1936年4月。全幅 89 ft 6 in (27.28 m)、全長 57 ft 10 in (17.63 m)、翼面積 89.1 m2、自重 16,320 lb (7,403 kg)、総重量 24,000 lb (10,886 kg)、 発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒1,000 hp (750 kW)2基、最高速力 216 mph (348 km/h, 188 kn)、航続距離 900 mi (1,400 km, 780 nmi)、乗員6名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,000 lb (910 kg) 。1939年までに351機量産。
English: Douglas B-18 of the 88th Reconnaissance Squadron Source US Goverment
写真はWikimedia Commons Category:Douglas B-18 Bolo File:Douglas B-18 061128-F-1234S-010.jpg引用。


飛行機の輸出は大戦間欧洲列強に対し実施したのを始めとし、大正五年(一九一六年)には二六九機昭和八年(一九三三年)四〇六機の多きに達した。航空技術は航空事業が殷盛となるに従い著しく進歩し、昭和九年(一九三四年)にはソ聯邦航空視察団が渡米して米国軍用機多数を購入し、昭和十年(一九三五年)には仏国よりも技術者渡米し軍用機を購入する等今や米国の製作技術は列強をリードしあるの観があって、特に豊富なる資力を以てする多量製産は勢い実験的研究の歩を進め、逐年性能優秀なる飛行機を製作しある状況である。

写真(右)1937年10月以降、アメリカ、1937年10月15日に初飛行したメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26戦闘機: 全幅 149 ft 0 in (45.43 m)、全長87 ft 7 in (26.70 m)、翼面積 258.4 m2、自重 37,709 lb (17,141 kg)、離昇重量 70,706 lb (32,139 kg)、発動機 Pratt & Whitney R-1830空冷星形14気筒エンジン850 hp(634 kW)4基、最高速力 197 mph (317 km/h, 171 kn)、航続距離 5,130 mi (8,260 km, 4,460 nmi)、乗員10名。 0.30 in (7.62 mm) M1919ブローニング機関銃3丁、0.50 in (12.7 mm) M2 ブローニング3機関銃2丁、爆弾 12,000 lb (5,400 kg)。試作機1機のみ。XB-15の厚い主翼の中には通路があり、エンジン点検が可能だった。また、自動操縦装置を搭載し長距離飛行を容易にした。
Boeing XB-15 with Boeing P-26 From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。



写真(上)1937年10月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)XB-15 四発試作重爆撃機("Grandpappy" Serial Number 35-277)とボーイング(Boeing)P-26ピーシューター(Peashooter)戦闘機
: XB-15 (Boeing 294)は、1934年から開発が始まり1937年10月15日に初飛行。ボーイングP-26の初飛行は1932年3月20日、プラット・アンド・ホイットニー P&W R1340空冷星形9気筒エンジン542 hp (404 kW)、最高速力377 km/h、7.62 mm ブローニング M1918機関銃2丁、生産数162機。
Boeing XB-15 with P-26 PictionID:40972044 - Title:Boeing XB-15 with P-26 - Filename:15_002709.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog:15_002709 -引用。


之を要するに列強の航空技術は各々特徴を有し直に優劣を論することは困難であるが、これが進歩向上を図るため、官民一致努力を傾注しあることは、列強その軌を一にしている。併し乍らこれが方法としては

1、理論、実験共に大規模の中央研究機関を設け、技術の研究進歩を図ると共に、優秀なる技術者を養成するに努めあること。
2、軍民需要数並に外国輸出の増加を図り、多量製産、機種更新に因り、又は多額の研究試作費を投じ、以て製造会社の自発的研究を促進すること。
3、研究機関と審査機関とを分離し一流の権威技術の向上を図ること。

等であって、何れも国情により適切なる方策を採用している。

航空工業においては、製作会社の数が必ずしもその実勢力を現しているものではない。仏国の例に観るも必要以上に増加したものはこれを合同統制するのでなければ、これが培養強化を困難ならしむるものであって、小会社を多数簇生せしむることは、財政豊でない国家にあって、却て有害無益であって、寧ろ必要最小限度の大規模の会社に限定し、これを強化する方が有利であるとされている。又航空工業の製産能力を国家総動員の見地から戦時の要求に合致せしむるため、民用航空の進展により飛行機の需要を促進し、戦時能力を保持せしめることが極めて重要であって、列強が大戦後採用した航空政策の基調は此処に存しているのである。

満州日日新聞 1937.3.26(昭和12)「目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦」引用おわり。


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
フォッケウルフFw-190戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
フォッケウルフFw-190イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争 フォッケウルフFw-190
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

2020/11/30開設の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai@tokai-u.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter

Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 10,000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2020/11/30 All Rights Reserved.