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◆メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 323ギガント"Gigant"輸送機
写真(上)1942-1944年、ドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 323"Gigant"ギガント輸送機(側方)
;戦闘機メーカーとして有名なメッサーシュミットは、本来は、イギリス本土空挺作戦に使用するはずだった大型グライダーMe 321を自力飛行可能に動力化したMe323を、1942年1月20日に初飛行させた。1942年春から東部戦線、ついで北アフリカ・地球会方面に投入された。
Messerschmitt, Me 323 Title: Messerschmitt, Me 323 Corporation Name: Messerschmitt Official Nickname: Additional Information: Germany Designation: Me 323 Tags: Messerschmitt, Me 323
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・Catalog #: 01_00085189引用。



写真(上)1944年3月21日、トラックを運転して格納庫に収めることのできるドイツ空軍メッサーシュミットMe 323 E "Gigant"ギガント輸送機
大戦末期には、制空権を奪われ、燃料も不足したために、活躍の場はなくなっていた。
Reichsgebiet.- Schwerer LKW (Faun ZR 567) beim Ziehen eines Transportflugzeugs Messerschmitt Me 323 E "Gigant" auf einem Flugplatz; PK Eins Kp Lw zbV Title Reichsgebiet, LKW, Flugzeug Me 323 Gigant Info non-talk.svg Depicted place Reichsgebiet Date 21 March 1944 Collection German Federal Archives Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-668-7197-03 Photographer Sierstoopff (pp)
写真はWikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323・File:Bundesarchiv Bild 101I-668-7197-03, Reichsgebiet, LKW, Flugzeug Me 323 Gigant.jpg引用。

序.ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング

ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring): 第一次世界大戦末期, ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)は英雄だった。1914年から志願兵となり第一次大戦に参加し,空軍に入隊し航空兵となった。1916年からは戦闘機パーロットとして活躍,22機を撃墜。大戦末期の1918年6月2日,皇帝ヴィルヘルム2世から最高勲章プール・ル・メリット授与,「リヒトーホーフェン大隊」指揮官に就任。しかし,半年後に敗戦。

ヘルマン・ゲーリングの経歴:1893年、ドイツ帝国外交官を父とする上流階級に誕生、恵まれたな子供時代を過ごし、1905年、カールスルーエの幼年士官学校に入学、卒業後、1909年に士官学校Staff College)に入学して、第一次大戦の始まる1914年に陸軍少尉として歩兵部隊に配属。第一次世界大戦の緒戦では 歩兵として戦ったが、10月からドイツ陸軍航空隊へ移動、当初は偵察員、1915年からは、戦闘機パイロットとして西部戦線で戦った。1918年6月の敗戦の年に最高勲章のプール・ル・メリット勲章Pour-le-Merite)を授与された。ヘルマン・ゲーリングは、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンManfred von Richthofen)が率いていた戦闘機大隊指揮官として敗戦を迎えた。

1922年から1923年に、ミュンヘン大学で学んでいるときに、ナチ党総統ヒトラーに出会い、入党する。第一次大戦のエースとしてナチ党の看板となり、突撃隊司令官として、上流階級とナチ党との仲を取り持つことになった。しかし、1923年11月、ヒトラー主導の武装蜂起「ミュンヘン一揆」(Beer Hall Putsch)は失敗し、銃弾を受けたゲーリングは、外亡したものの、治療のために投与したモルヒネの中毒となった。
1911年5月13日、士官候補生、1914年1月20日、少尉、1916年8月18日、中尉、1920年6月8日、名誉階級大尉、1933年8月30日、名誉階級歩兵大将、1935年5月21日、空軍大将、1936年4月20日、上級大将、1938年2月4日、元帥、1940年7月19日、国家元帥 1923年3月1日、SA最高指導者、1931年12月18日、SA中将、1933年1月1日、SA大将。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。

ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring:1893-1946)は,ナチ党,突撃隊として,1923年のミュンヘン一揆に参加,銃撃によって負傷した。1932年7月31日の総選挙でナチ党が第一党になり,ヘルマン・ゲーリングHermann Wilhelm Göring)が国会議長に就任。
1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことに伴い,ゲーリングはヒトラー内閣の無任所相,プロイセン州内相となった。
1935年3月の再軍備宣言によって新設された空軍の総司令官に就任。


写真(右)1938年9月29日、ドイツ、ミュンヘン会談の際、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥とイタリア外相チアーノを従えたヒトラー、イタリア統領ムッソリーニ
:イギリス首相チェンバレン、フランス首相ダラディエに対して、ソ連もチェコも無視して、チェコのズテーテン地方のドイツへの割譲に同意させた。
Title Münchener Abkommen, Ankunft von Mussolini Info non-talk.svg Original caption For documentary purposes the German Federal Archive often retained the original image captions, which may be erroneous, biased, obsolete or politically extreme. Info non-talk.svg Scherl: Historische Stunden in München Heute begannen in München die Besprechungen des Führers mit den führenden Staatsmännern Europas über das Schicksal des sudetendeutschen Landes. UBz: den Führer und der italienische Regierungschef Benito Mussolini kurz nach dem Verlassen des Münchener Hauptbahnhofs. Hinter dem Führer der italienische Aussenminister Graf Ciano und Generalfeldmarschall Hermann Göring. 29.9.1938 12861-38
Depicted people Mussolini, Benito: Ministerpräsident, Regierungschef, Chef des Faschistischen Großrates, Italien Göring, Hermann: Reichsmarschall, Oberbefehlshaber der Luftwaffe, Ministerpräsident von Preußen, Deutschland Ciano, Galeazzo Graf: Außenminister, Italien (GND 119178362) Hitler, Adolf: Reichskanzler, Deutschland
写真は Wikimedia Commons, Hermann Göring in 1938 File:Bundesarchiv Bild 183-H12937, Münchener Abkommen, Ankunft von Mussolini.jpg引用。


1938年9月29日から30日にかけて、ドイツ南部、ミュンヘンにおいて、イギリス首相チェンバレン、フランス首相ダラディエ、イタリア統領ムッソリーニ、ドイツ首相アドルフ・ヒトラー総統が会談し、チェコスロバキアの北部で、多数のドイツ系住民が居住していたズデーテン地方のドイツ割譲を決定した。イギリスとフランスは、ドイツがこれ以上の領土割譲要求をしないとの条件で、1938年9月29日にミュンヘン協定に署名し、平和が守られたと宣言した。このミュンヘン会談は、第二次世界大戦前のイギリス・フランスの対ドイツ宥和の頂点にして、最後の機会だった。この時、ゲーリングは、ドイツ空軍がチェコ空襲をいつでも始める覚悟があると威嚇のポーズをとっていたのである。

ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1938年11月、少将として、コンドル軍団長としてスペイン内戦に二度目の派兵。ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンは、1936年に中佐としてスペイン内戦に「コンドル軍団」の義勇兵として参戦し、1937年4月のゲルニカ空襲を指揮したコンドル軍団の参謀となった。1937年10月、スペインから帰還するも、1938年11月に少将として、コンドル軍団長として再度スペイン内戦に参戦。1939年5月、コンドル軍団は、ドイツに凱旋した。

1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相チェンバレンは,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」とも称された。

1940年4月9日,英軍に先んじて,ドイツ軍がノルウェーに侵攻,その後,4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名を上陸させた。ナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名を上陸させた。1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日に、チャーチル(Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥を見る。 ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)の成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。
1939年9月,ポーランド侵攻緒戦の国会演説でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説、その後の1941年6月29日の法令を根拠に,自らを後継者として自認していた。これを元に,1945年4月23日のベルリン攻防戦の最中に、ゲーリングはヒトラーに対して、連絡が取れなくなった場合、自分がドイツの最高指導者の地位を引き継ぎたいと電文を発した。しかし、ヒトラーは、これをゲーリングンの裏切りと感じ、激怒してゲーリングの公職追放・監禁を命じた。


1.メッサーシュミットMe-321滑空機


写真(上)1941-1942年、ハインケルHe-111Z五発曳航機に曳航され飛行するドイツ空軍メッサーシュミット Me 321 "Gigant" ギガント輸送用滑空機(グライダー)

Messerschmitt, Me 321 Title: Messerschmitt, Me 321 Corporation Name: Messerschmitt Official Nickname: Additional Information: Germany Me-321 being towed by a He-111Z Designation: Me 321
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・Catalog #: 01_00085187引用。

ハインケルHe111Z1 ドイツの戦闘機メーカーとして有名になったメッサーシュミットは、イギリス本土空挺作戦に使用する目的もあって、戦車が搭載可能な大型グライダーMe 321を開発した。しかし、このような大型グライダーを曳航するのに、Me110双発戦闘機3機を使うこと「トロイカ曳航」が予定だったが、3機編隊の曳航は操縦が困難だったために、新たな五発曳航機He-111Z(双胴機)が開発された。

He 111 H-16爆撃機は、ユモJumo 211 F-2液冷V12気筒エンジン2基を装備、機首A銃座には,20ミリMG FF機関銃(携行弾数180発)、胴体後上方B銃座(動力回転)に13.1ミリMG 131機関銃(1000発)を装備、胴体下面ゴンドラC銃座と側方(左右)に7.92ミリMG81Z連装機関銃(各1000発)を装備した。
He 111 H-16/R1は、胴体後上方銃座を13.1ミリMG 131機関銃装備の動力回転銃座に変更。
He 111 H-16/R2は、グライダー曳航用。He 111 H-16/R3は、爆撃教導のパスファインダー(pathfinder)。


写真(上)1943年春、ソ連南東部、ドイツ空軍第1空挺航空団(LLG1)のハインケル(Heinkel)He 111Z型ツヴィリング(Zwilling)大型グライダー曳航機
:He111爆撃機2機を合体させたHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、主翼のつなぎ部分にユモJumo211エンジン1基を追加し、発動機を5発機とした。Z(ツヴィリング:Zwilling)とは、ツイン「双子」の意味である。胴体下面のETC2000/XIIラックに900L増加燃料大型タンクを懸架している。
PictionID:43935308 - Catalog:16_005236 - Title:Heinkel He 111Z Nowarra photo - Filename:16_005236.TIF
写真は,SDASM Archives, Catalog #: 01_00081285引用。


ハインケルHe111Z2 ハインケル(Heinkel)He 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)は、He111H-6爆撃機を2機繋ぎ、中央主翼に発動機ユモJumo211F1350馬力エンジン1350馬力1基を追加し、5発機としたもので、1941年に開発が始まり、1941年秋には初飛行に成功した。全幅32.5m、最高速力437km/h(高度6000m)。ETC2000/XIIラックを胴体下面に2基、合計4基を装備。600L増加燃料タンク4個を含め、燃料搭載量は1万220リットルで、航続距離4000km。空虚重量受領21300?、全備重量29600?。グライダーはG0242であれば2機、Me321であれば1機基を時速225km/hで曳航できる。

ハインケルHe 111Z-1型ツヴィリング(Zwilling)の 生産開始は、1942年8月1機、9月1機、10月2機、11月3機、12月3機。1943年から1944年初頭まで、東部戦線、ソビエトのチトミール、クバン方面と地中海、シシリー島方面で輸送用に散発的に使用された。He 111Z-2型は、誘導グライダー爆弾Hs293を4発搭載する艦船攻撃機、あるいは増加燃料タンクを装備した長距離哨戒偵察機として計画されたが、飛行性能が低いためにキャンセルされた。

写真(右)1941年12月24日、ドイツ、飛行機格納庫の前に並んだ9機のドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 321ギガントGigant滑空機(グライダー);イギリス空軍の偵察写真。
Aerial reconnaissance photo of German Messerschmitt Me 321 Gigant gliders.
Date 24 December 1941
Source U.S. War Department publication TM-E 30-451: Handbook of German Military Forces (1945); Chapter X: German Air Force photo [1]; National Archives and Records Administration, College Park, Maryland (80-G-25220)[2]
Author Unknown author
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Category:Messerschmitt Me 321・File: Messerschmitt Me 321 gliders on airfield c1942.jpg引用。

ハインケルHe111Z ドイツ空軍メッサーシュミット Me 321 "Gigant" ギガント輸送用滑空機(グライダー)の諸元
初飛行:1941年2月25日
乗員 2名
兵員搭載人数 130名
全長:28.15 m
全幅:55 m
全高:10.15 m
空虚重量:12,400 kg、全備重量:34,400 kg
最高速力 160 km/h
生産数150機

写真(右)1943年、ドイツ、レーゲンスブルク飛行場、左にドイツ空軍ハインケルHe-111Z五発曳航機1機1と格納庫の前にドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 321ギガントGigant輸送用滑空機(グライダー)9機が写っている。;イギリス空軍の偵察写真。
Description A German Heinkel He 111Z glider tug (left) taking off from Regensburg-Obertraubing airfield, in 1943. Also visible are three Messerschmitt Me 321 gliders (upper right) and six Messerschmitt Me 323 transports. Date circa 1943 Author British Air Ministry photo AIR 34/236 Permission (Reusing this file) Image copyright: Copyright expired - public domain
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive Category:Messerschmitt Me 321・File:He 111Z taking off at Regensburg c1943.jpg引用。

1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。
1942-1943年冬,スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

1940年6月にフランスを降伏させ勝利したという大功績によって、元帥より上の国家元帥の称号を得たゲーリング空軍総司令官だったが、イギリス本土航空決戦で,痛手を被った。1941年6月22日、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」のために,東部戦線に兵力を集中させて時期だった。
ゲーリングは,1942年冬のスターリングラード空輸を請合って失敗し,1943年からのドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。ゲーリングの成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。緒戦でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していたとすれば,状況は大きく変わっていた。


2.メッサーシュミットMe323ギガント"Gigant"輸送機

写真(右)1941年(?),ソビエト連邦(?)、離陸するドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:後方にもMe323(ノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備)が待機している。
Photographer Menzendorf Reichsgebiet.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" im Flug (bei Start oder Landung); PK Prop. Eins Title Flugzeug Me 323 Gigant Info non-talk.svg Date 1941 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-596-0367-05A
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 Gigant ・Bundesarchiv Bild 101I-596-0367-05A, Flugzeug Me 323 Gigant.jpg引用。



写真(上)1942年12月、北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の貨物搭載室に搭載されているのは、フランス製ルノー(Renault)UE装軌式装甲牽引車「シェニレット」のようだ。
:Me323 ギガント"Gigant"の機首に大型観音開きの扉が開いているが、トラックを乗せたところのようだ。これを連結された2台の牽引車で飛行場に移動している。そこで、搭載貨物庫の扉を閉めて、滑走路からイタリアに向けて発進するのであろう。
Nordafrika, Tunesien.- Zwei Zugmaschinen (Zgkw. 12t und Praga T6-SS) ziehen Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 D-1 Gigant; PK XI. Fliegerkorps
Title Tunesien, Zugmaschinen und Me 323 Gigant Info non-talk.svg
Depicted place Tunesien Date December 1942 Collection Photographer Pirath, Helmuth
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-552-0822-36
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-331-3026-31, Russland, Me 323.jpg引用。


メッサーシュミット Bf110双発戦闘機3機のトロイカ曳航はもちろん、五発のハインケル He 111Zによる曳航でも、超大型のMe321グライダーの運航は困難が伴った。そこで、ドイツでは、グライダーより搭載量は半減してしまうが、大型の搭載貨物室を活かして、自力飛行可能なモーターグライダー、すなわち動力付きグライダー型輸送機の開発に着手した。構造は、軽量化するためにスチール鋼管の骨格に羽布張り、一部はジュラルミン張りとして、ハリボテ型とした。しかし、貨物室は、機首に左右に開く観音扉を装着し、地上でも水平姿勢、低床として、大型貨物の搭載を容易にしている。野砲と半装軌式牽引車を丸ごと1台搭載できたのである。

写真(右)1942年12月、北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機に積み込まれるフランス製ルノー(Renault)UE装軌式装甲牽引車「シェニレット」Chenillette(小キャタピラー):Me323 ギガント"Gigant"の機首に大型観音開きの扉がある。ルノー UE装軌式装甲牽引車「シェニレット」は、フランスのルノー社が1932年に量産を開始し、1937年には改良型UE2が開発されている。全装軌式の軍用小型装甲トラクターで、悪路でも機動性を確保しており、1940年6月のフランス敗北までに5000輌が量産されていた。このフランス軍のトラクターを大量に鹵獲したドイツ軍は、これを占領地、前線で多用した。 全長 2.80 m、全幅 1.74 m、全高 1.25 m、重量 2.64 t、武装なし、乗員 2名。
Nordafrika, Tunesien.- Entladen eines Kettenfahrzeuges (erbeutete franzözische Tankette "Renault UE Chenillette") aus einem Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant"; PK XI. Fliegerkorps
Title Tunesien, Flugzeug Me 323 Gigant, Innenraum Info non-talk.svg
Depicted place Tunesien Date December 1942 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Photographer Pirath, Helmuth Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-554-0872-07
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-554-0872-07, Tunesien, Flugzeug Me 323, Entladen.jpg引用。


ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323輸送機試作機は、1942年4月に初飛行したが、ドイツ派前年からソ連に侵攻し、北アフリカでも戦っていた。そこで、メッサーシュミットMe 323は、当初想定していた強行輸送や空挺作戦ではなく、ドイツ東部戦線で補給用に使用され、また地中海を超えて、イタリアから北アフリカのドイツアフリカ軍団への補給用に投入された。

写真(右)1942年12月,北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の貨物室内部:機首の貨物扉を閉めているが、機首左右の7.92ミリMG15旋回機銃塔2カ所、上部の2カ所の採光窓から光が漏れている。大型車両、戦車を積むために、床板は平板で貨物室の空間にもゆとりがある。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-552-0822-17 Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant", Innenraum, Bordschütze mit MG an rechter Bugseite; PK XI. Fliegerkorps
Dating: Dezember 1942 Photographer: Pirath, Helmuth Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-552-0822-17"引用(他引用不許可)。


ピットロードドイツ空軍輸送機 Me323E-2 メッサーシュミットMe 323 輸送機は、「巨人」ギガント"Gigant"と名付けられたことからわかるように巨大で、当時世界最大重量輸送が可能な輸送機であり、なにより車両や大型火砲を分解せずに積載できるだけの大型で地面と水平になった大型貨物室と大型扉を備えていた。他方、アメリカダグラスDC-4、その軍用型C-54大型輸送機は、主輪式で貨物室は地面と水平だったが、床が地上から高い位置にあり、車両はジープの大きさが限界で、積載火砲は小型37ミリ対戦車砲程度で、中口径火砲は分解せずには搭載することは不可能だった。その意味で、メッサーシュミットMe 323 輸送機は、優れた発想になる驚異的な輸送機であり、その形状は、今日の大型輸送機の原型となっているほどである。

写真(右)1942年12月、北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機胴体後方(内部):Me323 ギガント"Gigant"の機首に大型観音開きの扉がある。搭載貨物庫は機首部分にあるので、後方は尾翼を繋ぐためのスペースとなっている。
Nordafrika, Tunesien.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant", Innenraum, Soldat mit Schwimmweste; PK XI. Fliegerkorps
Title Tunesien, Flugzeug Me 323 Gigant, Innenraum Info non-talk.svg
Depicted place Tunesien Date December 1942 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Photographer Pirath, Helmuth Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-552-0822-22
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-331-3026-31, Russland, Me 323.jpg引用。


輸送機Me323E2 ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 321滑空機(グライダー)は、強襲空挺作戦に使えるように20トン級のIII号戦車を空輸することも可能だったが、メッサーシュミットMe 323 輸送機は、発動機を6発搭載し、燃料も追加したために、貨物搭載量は半減した。 グライダーは、動力や燃料を搭載しない分、揚力が大きいが、それには曳航する飛行機が必要となる。もちろん、搭載量の大きなグライダーには、曳航するときの出力も、それに伴って大きくなければならない。

しかし、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機は、自力飛行できるというメリットのため、滑空型のメッサーシュミットMe 321グライダーよりもはるかに汎用性を高めることができた。ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機は、1943年当初から船団輸送が困難になっていた北アフリカ戦線へ、イタリア本土から補給物資を空輸する任務に就いた。装備した発動機は、降伏させたフランスで生産された。

北アフリカのドイツ・イタリア枢軸軍は、1942年11月にエジプトに近いエル・アラメインで敗退し、チュニジアにまで敗走した。そして、1943年5月まで、チュニジアで最後の戦いに従事したが敗北した。1943年7月10日、西側連合国軍はイタリアのシチリア島へ上陸、7月25日にイタリア統領ムッソリーニは、ファイスと大評議会で弾劾され、国王から首相を解任され逮捕された。イタリアは、ドイツ側で戦い続けると称したが、1943年9月3日に西側連合軍がイタリア本土に上陸した直後の9月8日、イタリアのバドリオ政権は、連合国と休戦協定を締結し、降伏した。

GERMAN TANKS AND MILITARY VEHICLES OF THE SECOND WORLD WAR写真(右)1943年頃、東部戦線、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:1942年末から中近東で北アフリカにあったエルヴィン・ロンメル将軍隷下アフリカ軍団への補給策戦に投入された6発エンジンの巨大輸送機。前身はメッサ―シュミットMe321貨物グライダー。
Catalogue number: 15670, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1940-05-10 Subject period: Second World War, Creator: Royal Air Force official photographer,
Object description: A Messerschmitt Me 323 "Gigant" (Giant) in flight, banking towards the camera. This hugh six-engined transport was developed from the Me 321 glider and entered service in late 1942 in the Middle East, helping to supply Rommel's Afrika Korps from bases in Sicily. Me 323s were also used on the Eastern Front. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CH 15670)


メッサ―シュミットMe 323 "Gigant"輸送機が装備した発動機は、フランス製ノーム・エ・ローヌ 14N空冷星形14気筒エンジン(940馬力)6発を搭載したが、これはドイツ国産エンジンより格下とされたが、第二線級の輸送機の装備エンジンとしてはそれで十分とされた。しかし、BMBブラモ空冷14気筒エンジンよりも信頼性が低く、6発のエンジンの調整も難しかったようだ。また、機体重量から見ればアンダーパワーであり、低速かつ鈍重なために西側連合軍の双発爆撃機の攻撃により多大な被害を受けてしまった。襲撃に対する防御力強化のために、多数の銃座を設けたが、攻撃を防ぐことはできなかった。

写真(右)1943年、北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機から降ろされたドイツ陸軍10.5センチ軽榴弾砲(leFH 18:10,5-cm-leichte Feldhaubitze 18):10.5センチ軽榴弾砲(leFH 18)は、ラインメタル社が開発、1935年にドイツ国防軍に制式された榴弾砲で、歩兵師団の野戦用の主力榴弾砲となった。1942年からは、10.5cm leFH 18/40に更新されている。より大口径の15センチ(sFH 18)重榴弾砲と並行して配備された。総重量 3,490 kg、戦闘機重量: 1,985 kg、全長6.1 m、砲身(Barrel)28口径2.941 m、全幅1.977 m、全高1.88 m、操作要員 6名。 Me 343 ギガント"Gigant"の機首に大型観音開きの扉には銃座がみえている。
Italien.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant", Entladen/Beladen eines Geschützes auf einem Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Title Italien, Flugzeug Me 323 Gigant, Kanone Info non-talk.svg
Depicted place Italien, World War II, unknown town Date 1943 Collection Photographer Reschenberg Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-559-1085-08
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-559-1085-08, Italien, Flugzeug Me 323 Gigant, Kanone.jpg引用。


ドイツ空軍ギガント メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 323"Gigant"ギガント輸送機の諸元
乗員:5名
全長:28.2m、全幅:55.2m、全高:9.6m
空虚重量:27,330kg、全備重量:29,500kg
発動機:フランス製ノーム・ローヌ(Gnome-Rhône)14N空冷星形14気筒エンジン(950馬力)6基
最高速力:270km/h
貨物搭載時航続距離:800?
移動時の航続距離:1,100km
上昇限度: 4,000 m
武装:7.92ミリMG17あるいはMG81Z旋回機関銃(一部13.1ミリMG131機関銃に変換)5丁
貨物搭載量:兵員60-100名、貨物:20トン
生産期間:1942-1944年
生産機数:198機


写真(上)1942-1944年、飛行するドイツ空軍六発エンジンのドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機
戦闘機メーカーとして有名なメッサーシュミットは、本来は、イギリス本土空挺作戦に使用するはずだった大型グライダーMe 321を自力飛行可能に動力化したMe323を、1942年1月20日に初飛行させた。1942年春から東部戦線に投入された。1944年まで198機が量産された。
Messerschmitt, Me 323 Title: Messerschmitt, Me 323 Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Additional Information: Germany Designation: Me 323 Tags: Messerschmitt, Me 323
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・Catalog #: 01_00085190引用。

写真(右)1943年1月、ソビエト連邦、ドイツ東部戦線、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:Me 343 ギガント"Gigant"の機首下面の車輪は浮き上がっているので、物資搭載貨物庫にはほとんど搭載されていないようだ。主翼前縁のエンジンは始動して、プロペラが回転しているが、付け根の1基は始動できないでいるようだ。
Sowjetunion.- Lastenflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf verschneiter Piste, vor Start/nach Landung; KBK Lw 1
Title Russland, Me 323 Info non-talk.svg
Depicted place Russia Date January 1943 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Photographer Liedke Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-331-3026-31
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-331-3026-31, Russland, Me 323.jpg引用。


写真(右)1943年1月、ソビエト連邦、ドイツ東部戦線、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:Me323 ギガント"Gigant"のエンジンを、ガソリン運搬車に乗った整備員が温めている。既に、中央のエンジンは始動して、プロペラが回転している。
Sowjetunion.- Lastenflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant", Wartung; KBK Lw 1
Title Russland, Me 323 Info non-talk.svg Depicted place Russia
Date January 1943 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Photographer Liedke Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-331-3026-34
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-331-3026-34, Russland, Me 323.jpg引用。


写真(右)1943年初頭,ソ連、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機のノームローンGnome-Rhône 14Nエンジン整備作業:肩翼式でフランスのノームローンGnome-Rhône 14Nエンジン6発が高い位置に装備されている。そこで、トラックを翼下に引き入れて、荷台上でエンジンを整備している。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-331-3026-38
Archive title: Sowjetunion.- Lastenflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" , Wartung; KBK Lw 1 Dating: 1943 Anfang Photographer: Liedke Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-331-3026-38"引用(他引用不許可)。


Me 323ギガント諸元:
乗員:5名
全長:28.2m、翼幅:55.2m、全高:9.6m
空虚重量:27,330kg、全備重量:29,500kg
エンジン:6×ノーム・エ・ローヌ 14N:950hp×6
最高速度:270km/h、航続距離:800km
兵装:18丁×7.92ミリMG15旋回機銃
輸送力:兵員120名あるいは貨物20t

ドイツ占領下フランスにおけるノーム・ローンエンジンなど航空機用エンジン生産数。

1941年   フランス型(ノーム・ローン等)1927基
1942年   フランス型(ノーム・ローン等)1247基
  ドイツ型(BMW132等)  751基
1943年   フランス型(ノーム・ローン等)2310基
  ドイツ型(BMW132等)  2669基
1944年   フランス型(ノーム・ローン等) 678基
  ドイツ型(BMW132等)  1637基
合計  フランス型(ノーム・ローン等) 6162基
  ドイツ型(BMW132等)  5057基

写真(右)1943年8月,イタリア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:翼手前のトラックの荷台には搭載物件が積まれているのであろうか。Me321大型グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"の機首は、観音開きになり、大型車両のまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Deutsch Me 323 'Gigant', August 1943, Quelle - estate (Nachlass) of my father.
Messerschmitt Me 323 "Gigant" 日付 1943年8月 原典 estate of my father 作者 my father
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 Gigant ・File:Gigant italie 1943 (V).jpg引用。


写真(右)1943年,イタリア北部、ピサ、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:翼手前のトラックの荷台には搭載物件が積まれているのであろうか。Me321大型グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"の機首は、観音開きになり、大型車両のまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Italien, bei Pisa.- Luftwaffen-Soldaten (Mechaniker) mit freiem Oberkörper auf LKW vor Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Flugplatz; PK 699
Title Italien, bei Pisa, Me 323 Gigant auf Flugplatz Info non-talk.svg
Date 1943 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-303-0589-27A Photographer Otto
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 ・File:Bundesarchiv Bild 101I-303-0589-27A, Italien, bei Pisa, Me 323 Gigant auf Flugplatz.jpg引用。


1942年末、エル・アラメインから敗退したドイツ・イタリア枢軸軍は、ロンメル将軍の指揮の下、チュニジアに退却し、1943年3月に、ロンメル将軍はドイツに呼び戻されまま、北アフリカ戦線から逃げたままとなった。北アフリカ戦線のロンメルの後継指揮官アルニム将軍である。西側連合国軍は、チュニジアのドイツ・イタリア軍を圧迫し、枢軸国軍とイタリア本土・シシリー島との交通網を遮断しようとした。そのため、輸送に従事していたドイツ空軍メッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"輸送機も多大の損害を被った。そして、1943年5月、アメリカ軍・イギリス軍がチュニジアの港湾都市チュニスを占領し、枢軸軍の補給は遮断された。こうして、チュニジア戦線は崩壊し、1943年5月12日、北アフリカの枢軸国軍は降伏し、捕虜 27万名を出した。この北アフリカ戦線崩壊に伴う捕虜の数は、1943年2月初旬のソ連に対するスターリングラードの敗北に伴う枢軸国軍の捕虜10万名の2倍以上に達している。

写真(右)1943年3月,イタリア、ローマ北200キロ、ピサ南200キロ、トスカーナ州グロッセート、ドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 323"Gigant"ギガント輸送機:翼手前のユンカースJu52/3m輸送機(21人乗り)はエンジンを駆動している。搭載物件が積まれていないので、Me 343 の貨物室前部機首の車輪が浮き上がっている。Me321大型グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14N空冷星形14気筒エンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたMe323 ギガント"Gigant"の機首は、観音開きになり、大型車両のまま貨物室に搬入し空輸することができた。
talien, Grosseto.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Flugplatz, Soldaten beim Entladen von Verwundeten; PK XI. Fliegerkorps
Title Grosseto, Flugzeug Me 323, Verwundetentransport Info non-talk.svg
Depicted place Grosseto Date March 1943 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number Bild 101I-561-1142-21 Photographer Seeger, Erwin
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323  File:Bundesarchiv Bild 101I-668-7197-11, Reichsgebiet, Flugzeuge Ju 53 und Me 323 Gigant.jpg引用。


メッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"輸送機の原型となったのはメッサーシュミットMe321グライダーで、1941年2月25日に初飛行している。このグライダーにフランス製出力1100馬力グロームノーン(Gnome-Rhône)14N空冷星形14気筒エンジン6基を装備し、胴体下面にゴムタイヤをボギー式に左右5輪ずつ設け降着装置としたメッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機である。

写真(右)イタリア、ローマ北200キロ、ピサ南200キロ、トスカーナ州グロッセート、ドイツ空軍メッサーシュミット(Messerschmitt)Me 323"Gigant"ギガント輸送機:Me323 ギガント"Gigant"の機首は、観音開きに開いており、北アフリカから運ばれてきた負傷兵たちがマットに寝かされている。
Italien, Grosseto.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Flugplatz, Soldaten beim Entladen von Verwundeten; PK XI. Fliegerkorps
Title Grosseto, Flugzeug Me 323, Verwundetentransport Info non-talk.svg
Depicted place Grosseto Date March 1943 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753
Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Photographer Seeger, Erwin Accession number Bild 101I-561-1142-21
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 File:Bundesarchiv Bild 101I-561-1142-21, Grosseto, Flugzeug Me 323, Verwundetentransport.jpg引用。


メッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"輸送機は、1942年、ソ連相手の東部戦線、イギリス・アメリカ相手の北アフリカ戦線に投入された。全長28メートル、全高10メートル、全幅55メートルの巨大な機体は、鈍重だったが、大量の物資、大型車両などを機首の大型扉を使って、容易に出し入れすることができた。生産機数は、198機である。このような貨物の出し入れは、21世紀の大型軍用貨物輸送機でも同様に踏襲されている。

写真(右)1943年3-4月,イタリア戦線のドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:翼下には、4発のユンカースJu290が映っている。Me321大型グライダーにフランスで鹵獲したノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを6発装備して自力飛行可能な輸送機としたメッサーシュミットMe323 ギガント"Gigant"。機首が観音開きになるために、大型車両、戦車もそのまま貨物室に搬入し空輸することができた。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-561-1130-33A
Archive title: Italien, Grosseto.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Flugplatz, drei Gnôme-Rhône-Motoren an der Backbord-Tragfläche, im Hintergrund Junkers Ju 290 (Kennung SB+OB?); PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 März - April Photographer: Seeger, Erwin Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


超大型メッサーシュミットMe321グライダーの貨物搭載量は20トン以上あり、ドイツ陸軍III号戦車をそのまま搭載することが可能だった。発動機を備えたメッサーシュミットMe323 Dギガント輸送機Ⅾ型は、貨物搭載量は、エンジン・搭載燃料・降着装置の重量分だけ減少し、10トンとなったが、それでも世界随一の搭載量を誇っている。最も有効に使用されたのは、イタリアから北アフリカへの地中海横断hポ旧作戦だった。この地中海横断輸送では、イギリス空軍機の迎撃によって、7.92ミリMG15機関銃数丁装備の軽武装のMe323D輸送機に多大な被害が出たために、防御用の旋回機関銃を増備・強化したメッサーシュミットMe323 E輸送機E型が生産された。メッサーシュミットMe323Eは、左右主翼上に動力回転EDL 151銃座(20ミリMG151/20機関銃1丁)1基合計2基をもうけ、機首・側方・後方に各々13.1ミリMG131旋回機関銃2丁合計6丁も装備した重武装輸送機である。

写真(右)1943年初頭,北アフリカ、チュニジア、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の機首:閉まっているMe323 ギガント"Gigant"機首の貨物扉の下部左右に7.92ミリMG15旋回機銃塔2カ所、上部に採光用ガラス窓2カ所がある。大型車両、戦車を出し入れする際は、この機首扉が左右に観音開きになる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-558-1051-18
Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Transportflugzeug Messerschmitt Me 323 "Gigant" auf Feldflugplatz stehend, Bug mit geschlossener Ladeklappe und MG-Stand; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Anfang Photographer: Seeger, Erwin Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-558-1051-18"引用(他引用不許可)。


写真(右)1943年5月、北アフリカ、チュニジア、西側連合軍に鹵獲されたドイツ空軍ヘンシェル(Henschel) Hs 129B地上攻撃機(左奥)、メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機D-1/-2型の炎上した骨組み残骸(中央奥)、ユンカースJu52/3m輸送機(右端)、ユンカースJu52搭載のBMW132空冷星形エンジンの残骸(手前):1943年5月に、チュニジアで北アフリカ戦線の枢軸軍が前面敗北した後に、飛行場を占領した西側連合軍が撮影した写真。アメリカ軍にとっては、ヨーロッパでの初勝利であるために、議会図書館のアーカイブには、ドイツ軍から奪った戦利品のように写真が掲載されている。
Damaged German Henschel Hs 129B of 5.(Pz)/ Schlacht-geschwader 1 at El Aouiana airport, Tunis, Tunisia, in May 1943. In the background is a wreck of an Messerschmitt Me 323D-1/-2 Gigant transport. Date May 1943 Title: [Untitled] Date Created/Published: [between 1935 and 1945] Medium: 1 negative : nitrate ; 2 1/4 x 2 1/4 inches or smaller. Reproduction Number: LC-DIG-fsa-8d32465 (digital file from original neg.) LC-USW3-036337-E (b&w film nitrate neg.) Rights Advisory: No known restrictions. For information, see U.S. Farm Security Administration/Office of War Information Black & White Photographs(http://www.loc.gov/rr/print/res/071_fsab.html) Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA Transfer; United States. Office of War Information. Overseas Picture Division. Washington Division; 1944.
写真はLibrary of Congress > Prints & Photographs Reading Room > Prints & Photographs Online Catalog・Call Number: LC-USW3- 036337-E [P&P] 引用。

1942年、エジプト国境、エル・アラメインの戦いで敗退したドイツ・イタリア枢軸軍は、アメリカ・イギリス連合軍による1942年11月8日のトーチ作戦によって、モロッコ、アルジェリア上陸によって背後を襲われた。また、1943年1月23日、イギリス軍バーナード・モントゴメリー大将隷下の第8軍は、枢軸軍の拠点トリポリを攻略、枢軸軍はリビアを抜けて、補給しやすいチュニジアに撤退した。しかし、イギリス軍はチュニジアに最も近いマルタ島の空軍基地を使って、イタリアからチュニジアへの補給を絶った。そして、チュニジアの枢軸軍を孤立化させた。

写真(右)1943年5月、北アフリカ、チュニジア、アメリカ軍兵士が放棄されたドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の燃え残り骨格と奥の放棄されたヘンシェル(Henschel) Hs 129B地上襲撃機:胴体側方に大きなふくらみがあり、そこに30ミリ機関砲を装備して、対戦車攻撃を行った。北アフリカ戦線では、砂塵の舞う砂漠であり、それにふさわしいい大褐色と茶色の迷彩塗装を施している。ノームローン空冷エンジンは破壊され、主翼の先端部分もない状態。後方には、ユンカースJu87急降下爆撃機の尾翼残骸が見える。
Author Marjory Collins (1912–1985)
Title Tunis, Tunisia. Wrecked German planes at El Aouiana airport
Description English: Wrecked German planes at El Aouiana airport, Tunis, Tunisia, in May 1943. In front lies the wing of an Junkers Ju 52/3m transport, one which is also visible in the background. The prominent structure are the remains of an Messerschmitt Me 323D Gigant transport. Behind it is a damaged Henschel Hs 129B of 5.(Pz)/Schlachtgeschwader 1 and a Focke-Wulf Fw 190A-4 (KM+EY) of III./SKG 10.
Date May 1943 Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 http:// hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print Accession number
Reproduction Number: LC-DIG-fsa-8d32473 (b&w film nitrate neg.)
Call Number: LC-USW3- 036345-E [P&P] LC-USW3-036345-E
写真はLibrary of Congress > Prints & Photographs Reading Room > Prints & Photographs Online Catalog・File:Me323D wreck TunisMay1943.jpg引用。


1943年1月末、エルヴィン・ロンメル隷下のドイツ軍は、アルニムと共闘し、連合国軍に対する攻勢を企画し、2月中旬、カセリーヌ峠の戦いで防衛戦を構築した。3月中旬、チュニジア戦線の戦況報告のためにヒトラーの元に出向いたロンメルは、アフリカに戻ることを許されず、チュニジア戦線の指揮はアルニムに委ねられた。連合国軍はチュニジア北部の港湾チュニスに向けて攻撃を強め、マルタ島のイギリス空軍によって、枢軸国軍の補給を絶ち切った。1943年5月7日、アメリカ軍がビゼルト、イギリス軍がチュニスに突入したことで、チュニジア戦線の枢軸軍は、5月13日には全面的に降伏した。北アフリカ戦線で降伏して捕虜となった枢軸国軍は 27万人と膨大であり、これは3ヶ月前にソ連スターリングラードの敗戦時の2倍以上の規模だった。

写真(右)1943-1944年、イタリア南部沿岸カンパニア州ナポリ近郊ポミリアーノ・ダルコ(Pomigliano d'Arco)(?)、機体表面・羽布が炎上して骨組みだけとなったドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の残骸(オリジナル記録はJU52);垂直尾翼とエンジンは残っているが、機体表面の羽布(軽量で頑丈な布)は燃えて、ジュラルミンも熱で溶けてしまったために、残ったのは、頑丈な骨組みだけとなった。遠方の山並みから判断すると、1943年夏のシシリー島侵攻、イタリア本土進攻の時に破壊された機体のようだ。
John Vernon Lane Special Collection Photo
Images chronicle his life in the Air Force, and include his time with a A-36 squadron in Europe during the Second World War.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・pictionid 72179001引用。

戦闘機メーカーとして有名なメッサーシュミットは、本来は、イギリス本土空挺作戦に使用するはずだった大型グライダーMe 321を自力飛行可能に動力化したMe323を、1942年1月20日に初飛行させた。1942年春から東部戦線に、地中海方面に投入された。

戦闘機メーカーとして有名なメッサーシュミット(Messerschmitt)は、本来は、イギリス本土空挺作戦に使用するはずだったMe 321大型グライダーを自力飛行可能に動力化したMe323輸送機を、1942年1月20日に初飛行させた。この時、エンジン、燃料タンク、車輪式降着装置が追加され、自重量は大きく増えた。そこで、貨物搭載量(ペイロード)は、グライダーのMe321の20トン以上から、Me323の10トン程度に半減している。

写真(右)1944年1月,飛行機格納庫のFocke-Wulf Fw 58 "Weihe"ワイエ練習機(手前)、Messerschmitt Me 323 "Gigant"(扉を開けた状態)、 Focke-Wulf Fw 190(右):この Fw 58ワイエは、機首の透明ガラス風防を廃止しロリッド化しているので、水平爆撃の照準訓練は行わず、軽輸送機、双発機練習機として使用されたようだ。
Title Reichsgebiet, Flugzeugwerft mit Me 323, Fw 58 Info non-talk.svg Archive description
Description provided by the archive when the original description is incomplete or wrong.
Reichsgebiet.- Reparatur- und Wartungsarbeiten an verschiedenen Flugzeugtypen der Luftwaffe auf einer Flugzeugwerft, im Hintergrund eine Messerschmitt Me 323 "Gigant"; vorn eine Focke-Wulf Fw 58 "Weihe", rechts eine Focke-Wulf Fw 190; Einsatzkompanie Lw zbV
Depicted place Reichsgebiet
Date January 1944
Photographer Sierstoopff (pp) Institution German Federal Archives Link back to Institution infobox template wikidata:Q685753 Bundesarchiv Bild 144-400-05, Koblenz, Bundesarchiv, Hauptgebäude.jpg Link to OpenStreetMapLink to Google Maps
Propaganda-kompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-670-7418-33 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-670-7418-33引用(他引用不許可)。


ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。

ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、
1)操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、
2)爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に自信があった、
という理由である。

他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。

 こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。

写真(右)1944年3-4月,ソ連中部、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-667-7148-32A
Archive title: Russland-Mitte.- Transportflugzeug Me 323 "Gigant" auf Feldflugplatz; PK Eins Kp Lw zbV
Dating: 1944 März - April Photographer: Kunstmann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-667-7148-32A"引用(他引用不許可)。


メッサーシュミット (Messerschmitt) Me-321大型グライダーにフランスに生産させたノームローン(Gnome-Rhône)14N空冷星形14気筒エンジン6発を装備し、燃料タンク、降着装置を完備して重量増加を忍んで自力飛行可能な大型輸送機とした。Me323 ギガント"Gigant"の機首は、観音開きになるために、大型車両、戦車もそのまま貨物室に搬入し空輸することができた。

写真(右)1944年3-4月,ソ連中部、ソビエト連邦中部、オペルトラックを搭載するドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:手前にもMe323のノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンがあるが、予備エンジンとして運搬されるのであろう。機首の貨物扉をが観音開きにしてトラックを積み下ろしすることができる。大型車両、戦車が後方にあると、機体は上向になる。機首の貨物扉の近くまで大型車両が移動すると、機体は平行になる。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-667-7148-04A Archive title: Russland-Mitte.- Beladen / Entladen eines Transportflugzeugs Me 323 "Gigant" mit Versorgungsgütern und LKW Opel Blitz auf Feldflugplatz; PK Eins Kp Lw zbV
Dating: 1944 März - April Photographer: Kunstmann Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-667-7148-04A"引用(他引用不許可)。


写真(右)1944年3−4月,ソビエト連邦中部、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:Me323のノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンを3基搭載した巨大な主翼の日陰で、ドイツ軍兵士が横になって昼寝、休息をとっている。
Photographer Kunstmann Russland-Mitte.- Schlafende Soldaten im Schatten einer Steuerbord-Tragfläche eines Transportflugzeugs Me 323 "Gigant" mit drei Gnôme-Rhône-Motoren auf Feldflugplatz liegend; PK Eins Kp Lw zbV Title Russland-Mitte, Flugzeug Me 323 Gigant Info non-talk.svg Depicted place Russland-Mitte Date March 1944 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-667-7148-35A
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 Gigant ・File:Bundesarchiv Bild 101I-667-7148-04A, Russland-Mitte, Flugzeug Me 323 Gigant.jpg引用。


写真(右)1944年3−4月,ソビエト連邦中部、LKW (Faun ZR 567)半装軌牽引車にけん引される ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機:Me323主翼の合計6基のノームローンGnome-Rhône 14Nエンジンは、稼働中で、プロペラが回転している。
hotographer Sierstoopff (pp) Reichsgebiet.- Schwerer LKW (Faun ZR 567) beim Ziehen eines Transportflugzeugs Messerschmitt Me 323 E "Gigant" auf einem Flugplatz; PK Eins Kp Lw zbV Title Reichsgebiet, LKW, Flugzeug Me 323 Gigant Info non-talk.svg Depicted place Reichsgebiet Date 21 March 1944 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I) Accession number Bild 101I-668-7197-03
写真は,Wikimedia Commons, Category:Messerschmitt Me 323 Gigant ・ile:Bundesarchiv Bild 101I-668-7197-03, Reichsgebiet, LKW, Flugzeug Me 323 Gigant.jpg引用。


ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。
 しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。

制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。

実際,1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,連合軍に反撃を加えることは,困難だった。


図(右)1942-1944年、ドイツ空軍メッサーシュミット (Messerschmitt) Me 323ギガントGigant輸送機の識別図;出所には説明がないが、第二次大戦中にイギリス・アメリカが作成したメッサーシュミットMe323輸送機の空中識別図と思われる。1943年には、北アフリカ・地中海方面で多用され、西側連合軍も頻繁に遭遇したために作成されたのであろう。
Messerschmitt, Me 323 Title: Messerschmitt, Me 323 Corporation Name: Messerschmitt
Official Nickname: Additional Information: Germany Designation: Me 323 Tags: Messerschmitt, Me 323
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive SDASM Archives・Catalog #: 01_00085188引用。

Messerschmitt Me 321 / Me 323 Gigant.


3.ドイツ滑空機研究所DFS 230 DFS 230兵員輸送グライダー

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):迷彩塗装が施されている。機体側方に大型扉があって、着陸した直後に緊急に降下猟兵が地上で戦闘態勢に入れるよう配慮されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-04A
Archive title: Italien, Sizilien.- Luftwaffen-Soldaten vor Lastensegler DFS 230 (Kennung ?+1-86) mit Zusatzpropeller auf dem Dach auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Macioszek Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-565-1407-04A"登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダーを曳航していた。DFS 230 兵員輸送用グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に空挺部隊がグライダー降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を一日のうちに攻略した。

写真(右)1943年,イタリア戦線のドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):操縦席上方に地上掃射用の7.92ミリMG15機銃が装備されている。球状のものは空薬莢入れ。操縦席外側には、降下猟兵が地上戦に使用する7.92ミリMG34機銃が固定されている。機構に使用されるのは、ヘンシェルHenschel Hs 126偵察機。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1425-20A
Archive title: Italien, Sizilien.- Lastensegler DFS 230 mit geöffneter Cockpit-Kanzel und MG 34 auf dem Dach und neben der Cockpithaube auf Feldflugplatz stehend, im Hintergrund Henschel Hs 126; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Schnitzer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):迷彩塗装が施されている。機体側方に大型扉があって、着陸した直後に緊急に降下猟兵が地上で戦闘態勢に入れるよう配慮されている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-565-1407-04A
Archive title: Italien, Sizilien.- Luftwaffen-Soldaten vor Lastensegler DFS 230 (Kennung ?+1-86) mit Zusatzpropeller auf dem Dach auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1943 Photographer: Macioszek Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-565-1407-15A"登録・引用(他引用不許可)。


1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりの英軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動。ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

フランス休戦の場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

フランス休戦は、1.フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、
2.フランス軍の武装解除、
3大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、
4.フランス艦船の行動停止、
5亡命者の引渡し、
6.フランスによる占領経費の負担、
という条件で認められた。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-569-1579-28A
Archive title: Italien.- Fallschirmjäger am Dach-MG eines Lastenseglers DFS 230 nach der Landung (Übung); PK Fs AOK
Dating: September 1943 Photographer: Stocker, Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv:Signature;"Bild 101I-569-1579-28A"登録・引用(他引用不許可)。


降下猟兵が機体上部に取り付けられた旋回機銃を操作する。空気抵抗を小さくするために、機体は幅が狭く、大柄な操縦手には窮屈なコックピットである。機首の下方には、着陸に使用する木製の橇が見える。離陸の時には、橇ではなくその下に装着した車輪を使い、離陸した時に重量軽減のために車輪を投下する。

初の実戦は、1941年5月10日の西部戦線におけるベルギーのエバン・エマール要塞攻略戦にDFS 230 グライダー7機が参加。降下猟兵が要塞に爆雷を仕掛けて破壊した。また、翌1942年5月20日にはクレタ島攻略に多数が参加した。しかし、降下猟兵、輸送機、曳航機に大損害を被ったために、以後、ドイツ軍は大規模降下作戦を実施していない。

DFS 230 グライダーは、胴体が角型断面の鋼管羽布張り、主翼が前部は木造合板、後部は羽布張りで軽量化されている。車輪は、離陸後に切り離され、曳航時の空力抵抗の減少が図られている。着陸時は、機体下部に装備した木製の橇を使用する。

写真(右)1943年,イタリア戦線、ドイツ滑空機研究所(Deutsche Forschungsanstalt für Segelflug)DFS 230 兵員輸送用グライダー(滑空機):地上でグライダーを運搬したのは,Hanomag SS 55トレーラー(後方)。グライダーの尾部に車輪を装着して、グライダー機体前部に元から装着されている車輪を使って引っ張った。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-566-1491-37
Archive title: Süditalien.- Hanomag SS 55als Zugfahrzeug für Lastensegler DFS 230 (Kennung S1+B1-B3); PK Fs AOK
Dating: 1943 Photographer: Stocker, Dr. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-566-1491-37引用(他引用不許可)。


DFS 230 A-1諸元
全長: 11,24 m
全高: 2,74 m、 全幅: 20,87 m
主翼面積: 41,3 平方メートル
最高曳航速度: 210 km/h
空虚重量: 860 kg、最大全備重量: 2100 kg
乗員: パイロット1名、降下猟兵 9名。
生産数は、A型654機、B型936機、その他合計1.603機。


4.ゴータ(Gotha)Go 242輸送用大型グライダー


写真(上)1942年頃,ドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダー
:双尾翼で中央胴体後方に跳ね上げ式の大型貨物用扉がついている。
Gotha Go-242 (7G) SDASM CATALOG #: Blaine_00379 Title: Gotha Go-242 (7G) Collection: Miles Blaine Collection
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive Blaine_00379引用。


写真(右)1942年冬,東部戦線のドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダー
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-565-1407-15A Archive title: Italien, Sizilien.- Lastensegler DFS 230 mit Zusatzpropeller auf dem Dach auf Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps Dating: 1943 Photographer: Macioszek Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-565-1407-15A引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年,ドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダーに乗り込む兵士と搭乗員:チョルムにまで物資・人員輸送するゴータ社のグライダーで,爆撃機He111が牽引して滑空飛行する。
Sowjetunion, Kessel von Cholm.- Transport von Soldaten mit Lastensegler Gotha Go 242. Soldaten beim Besteigen des Flugzeugs; PK 501 Dating: 1942 Anfang Photographer: Muck, Richard撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

ドイツ本土は,1943年前半から,昼間は米陸軍航空隊B-17「フライング・フォートレス」,B-24「リベレーター」重爆撃機に,夜間は英空軍「ランカスター」「ハリファックス」重爆撃機による戦略爆撃に晒された。

ドイツ本土爆撃に際し、アメリカ陸軍航空隊は、軍需工場など軍事施設を爆撃目標として狙う昼間精密爆撃を行った。これは、?操縦に連動する精密なノルデン爆撃照準器に信頼を置いた、?爆撃機に12.7ミリ機銃を多数装備し防御に地震があった、という理由である。

他方、イギリス空軍は、中型爆撃機による昼間爆撃を行った際に大きな損害を受けており、四発の重爆撃機は米軍爆撃機より低速であったため、夜間の絨毯爆撃、都市爆撃を行った。

 こうして、米英二つの航空兵力が行ったドイツ本土空襲によって,ドイツの産業,交通,市民生活は,次第に困難な状況に陥った。

写真(上)1943年、ソビエト連邦南部、黒海上空、迷彩塗装したドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダーを曳航するハインケル(Heinkel) He 111爆撃機H型:1941年に開発されたゴーダGo 242は箱型断面の鋼管フレーム構造、羽布張だが、双ビームの胴体後方に大型扉を設けて、自動車や大型貨物を迅速に積み下ろしができた。生産機数は1,500機。輸送量:兵員 23名、全長:15.81 m、全幅:24.50 m、全高:4.40 m、主翼面積:64.4平方メートル、空虚重量:3,200 kg、最大離陸重量:7,100 kg、曳航速度:240 km/h。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-641-4547-25 Archive title: Sowjetunion-Süd.- Lastensegler Gotha Go 242 im Schlepp eines Flugzeugs Heinkel He 111; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV Dating: 1943 Photographer: Wanderer, W. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv , 101I-493-3352-28引用。


写真(右)1943年春,東部戦線のドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダー:1942年から使用された21乗りの輸送用グライダーで、人員・貨物の搭載口には、機体側方の小型扉と、機体後方に跳ね上げ式の大型扉の2カ所の扉がある。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-332-3096-23 Archive title: Sowjetunion.- Soldaten besteigen Lastensegler Gotha Go 242; KBK Lw 1 Dating: 1943 Frühling Photographer: Liedke Origin: Bundesarchiv 写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


ドイツ空軍戦闘機部隊は,1943年前半までは,連合軍爆撃部隊を迎撃し,大きな戦果をあげていた。
 しかし,1944年後半には,熟練搭乗員と燃料の不足,数的劣勢,性能の相対的低下のために,連合軍の爆撃機部隊に,有効な反撃を加えることができなくなっていた。

制空権が失われた以上,連合軍による欧州侵攻を防衛することは,ドイツ軍にとって不可能なことになった。

実際,1944年6月に,米英加を中心とする連合軍がノルマンディーに上陸すると,ドイツ軍はカーンで包囲され,大損害を被った。ドイツ陸軍地上部隊だけで,連合軍に反撃を加えることは,困難だった。

写真(右)1943年,東部戦線の南部、ドイツ空軍ゴータ(Gotha)Go 242輸送用グライダーの後方跳ね上げ式扉を開けた状態:機体後方に跳ね上げ式の大型扉からは、サイドカーのような自動車もそのまま搭載することが可能だった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-641-4546-17 Archive title: Sowjetunion, Süd.- Transport von Luftwaffensoldaten. Bewaffnete Luftwaffensoldaten im Innenraum eines Lastenseglers Gotha Go 242; Einsatzkompanie Luftwaffe zbV Dating: 1943 Photographer: Wanderer, W. Origin: Bundesarchiv 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。



5.ドイツの主力輸送機ユンカースJu-52「タンテ」(おばさん)

ユンカース社は,第一次大戦中の1917年に,当時有名飛行機メーカーだったフォッカー社と提携して,本格的な航空機生産に乗り出し,1919年6月初飛行のユンカースF-13で独自設計の航空機の量産を開始した。このユンカースF-13は,世界初の全金属製民間機で,斬新な単発(エンジン1基)の低翼単葉機で、乗客4人の輸送機として使用された。

写真(上)1941年頃,飛行場に着陸しようとするドイツ空軍ヘンシェル (Henschel) HS-126 近距離偵察機:後方には、ユンカースJu52タンテ輸送機が駐機している。
SDASM Archives Henschel, Hs 126 PictionID:44219304 - Title:Henschel, Hs 126 - Catalog:16_005363 - Filename:16_005363.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 撮影。写真はSDASM Archives・PictionID:44219304 引用(他引用不許可)。

ユンカースF-13を大型化したW-33Lは,1920年代に完成し,ユンカース社で200機生産された。

ユンカースW-34諸元
1926年に完成し,1800機生産された。
全長 10.3メートル,全幅 17.8メートル
自量 1,700キロ,全備重量 3,200キロ
エンジン 650馬力1基
最高時速 265キロ,巡航速度 230キロ,航続距離 900キロ
上昇限度 6,300メートル,乗客6人

写真(右)1932年7月,ベルリン、ユンカースJunkers G 31輸送機から登場したサンタクロース:1920年代に13機と少数生産されたユンカース社の当時の大型輸送機で初飛行は1926年で、ju-52の初飛行1930年より4年早い。しかし、機体の構造は、Ju-52と酷似しており、Ju-52に設計が引き継がれていることがわかる。
ユンカースJunkers G 31輸送機諸元:
乗員:パイロット2人、航法・電信員各1人、乗客15人(夜間寝台は10人)
全長: 16.50 m (54 ft 1 in)、全幅: 30.50 m (100 ft in)、全高: 6.00 m (19 ft 8 in)、主翼面積: 102.0 平方メートル
空虚重量: 5,250 kg (11,590 lb) 全備重量: 8,500 kg (18,760 lb)
エンジン: 3 × BMW-built Pratt & Whitney Hornet, 386 kW (525 hp) 
最高速度: 210 km/h (131 mph)、巡航速度: 170 km/h (106 mph)
航続距離: 850 km (528 miles)、航続時間: 5 時間
実用上昇限度: 4400 m (14,400 ft)、上昇率: 3 m/秒 (10 ft/min)
Inventory: Bild 102 - Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl Signature: Bild 102-14104 Original title: info Wer will mit dem Weihnachtsmann mitfliegen! Berliner Kindern wurde Gelegenheit gegeben, auf dem Flughafen in Berlin für 2,50 Mark einen Rundflug mit dem Weihnachtsmann zu machen. Archive title: Berlin.- Weihnachtsmann vor Backbordtür eines Flugzeugs Junkers G 31, Kinder Dating: Dezember 1932 Photographer: Pahl, Georg Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 102-14104"引用(他引用不許可)。


ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた国営航空である。ユンカースJu−52旅客輸送機を中核に、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ全土に航空網を築き、のちにはフォッケウルフFw-200、ユンカースJu‐90のような四発大型旅客機を導入して、南北アメリカにまで航路を拡張した。

写真(右)1940年-1944年,ドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機"Ewald Seidel":ドイツ空軍の二人の飛行兵(搭乗員)と比較すると輸送機の大きさが強調される。波板の箱のような構造で強度を維持すると同時に、人員や貨物の搭載を楽に行えるような空間を確保している。速度は遅いが、使いやすく、信頼性が高かったために、ユンカースJunkers Ju 52輸送機は終戦まで使用された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-806-2115A-04 Archive title: Feldflugplatz.- Zwei Soldaten der Luftwaffe (u.a. Pilot) vor Flugzeug Junkers Ju 52 "Ewald Seidel"; KBK Lw 7, PK West, KBZ21 u. a. Dating: 1940/1944 ca. Photographer: Bockelmann, Werner Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-806-2115A-04"引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-52輸送機は,1937年のスペイン内戦で、スペイン領モロッコから,イベリア半島にフランコ将軍の反乱軍(国民戦線)兵士を空輸するのに使われた。この時は,ヒトラーが,スペインのファシスト,ファランヘ党に,ムッソリーニとともに軍事援助したのである。Ju-52輸送機は,爆撃機としても使われた。

当初Ju52は,機首の単発エンジンだったが,馬力不足のために,両翼に各々1基のエンジンを搭載し,3発のJu-52/3mになった。初飛行は,1931年4月で,スペイン内戦では,アフリカ軍団のムーア兵(モロッコ人兵士)1万人以上を空輸,爆弾6000トンを投下した。

ユンカースJu-52輸送機は,1940年代には旧式化していたが,大量生産されていた上に,信頼性が高く,使い易い飛行機だった。後継機は,搭載量,速度,航続距離の上でも,より高性能だったが,ドイツ軍の主力輸送機は,終戦までJu-52だった。

1938年,ドイツ空軍は250機のJu 52を配備していたが、ルフトハンザ航空からの移譲も含めて第二次大戦開戦時の1939年9月には、552機のJu 52を配備していた。1939年から1944年にかけて, 2.804機のJu 52がドイツ空軍に納品された。

Ju-52輸送機の生産機数1939年: 145機; 1940年: 388機; 1941年: 502機; 1942年:503機; 1943年:887機; 1944年:379機である。1944年夏段階で、ドイツ空軍には稼働可能なJu-52輸送機100機から200機があった。

写真(右)1940 年5月10日、オランダに空挺作戦を展開するためにドイツ降下猟兵を空輸したユンカースJu-52輸送機:Ju-52輸送機を使った空挺部隊の降下作戦は、ノルウェー侵攻、ベルギー・オランダ侵攻、クレタ島侵攻で大々的に実施された。しかし、1942年のクレタ侵攻で輸送機と降下猟兵に大きな損害が出たために、その後の大規模空挺作戦は行っていない。
Catalogue number: MH 8058, Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1940-05-10 Subject periodSecond World War, Object description: German parachute troops leaving a plane, Holland, 10 May 1940. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 8058)


Ju-52輸送機諸元
全長18.9ートル,全幅29.2メートル,翼面積110平方メートル
重量10500キロ,エンジンBMW132空冷650馬力3基
最高速度275キロ,航続距離1300キロ
乗員3名,兵員18人搭載。グライダー曳航任務にも多用された。

ドイツ軍にとっては,兵力手薄なバルカン方面の側面を突いてくる地中海クレタ島のイギリス軍守備隊は,排除すべき敵の拠点であった。ドイツ軍は,1941年5月-6月にはソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の発動を準備していたから,その前に,側面を防御するためにも,クレタ島は占領する必要があった。

当時,エーゲ海の浮かぶクレタ島にドイツ軍が輸送船を派遣,上陸部隊を送ることは困難だった。クレタ島,アレキサンドリア,マルタ島などに基地を持つ英海軍の地中海艦隊が制海権を握っていたからである。そこで,英海軍の妨害を受けないように,海路ではなく,空路でクレタ島にドイツ軍兵力を派遣する大空挺作戦が立案された。

ドイツ軍の空挺部隊は「降下猟兵(Fallschirmjäger)」と呼ばれるが,クレタ島の航空基地のあるマレメ、イラクリオンなど飛行場に輸送機あるいはグライダーで乗りつけ,周辺にパラシュート部隊を降下させる大規模な空挺作戦が立案された。そして,敵航空基地を制圧した後,海路で上陸部隊を派遣する計画を立てたのである。

ドイツ軍空挺部隊は空軍の所属になり,空軍のクルト・シュトゥデント大将が率いる第11空挺軍団に所属する第1降下猟兵師団を中核とする約2万人が投入された。

写真(右)1942年7月,クレタ島、ユンカースJu-52タンテ輸送機の機体左側面の人員搭乗口から荷車(弾薬運搬車かサイドカー?)を運搬中。:機体右側方に大きな扉があり、そこから大型貨物の積み下ろしができた。Ju-52後継機のJu-258では、機体後部にランプ(引きおろし式底面)を設けて、そこから大型貨物を出し入れした。Me-323は、機首に観音開きの大型扉を設けて、トラックや火砲を出し入れした。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-543-0569-17 Archive title: Griechenland, Kreta.- Soldaten bei Be- oder Entladen eines Krad mit Beiwagen (Motorradgespann) in/aus Flugzeug Junkers Ju-52; PK XI. Fliegerkorps Dating: Juli 1942 Photographer: Schnitzer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-543-0569-17引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年夏,クレタ島マレメに不時着破損したユンカースJu-52タンテ輸送機:クレタ攻略には数百機のJu52輸送機が参加し、空から送り込んだ地上兵力によってイギリス軍守備隊を撃破し、クレタ島を占領することができた。しかし、多数の輸送機、降下猟兵を失い、ドイツ軍は二度と大規模空挺作戦を実施できなくなった。
Inventory: Bild 141 - Sammlung Library of Congress Signature: Bild 141-0828 Archive title: Kreta-Malemes.- beschädigtes Flugzeug Junkers Ju-52 (Kennung 1Z+BA) auf Flugplatz. Im Vordergrund Krad mit Beiwagen (Motorradgespann) und Fallschirmjägern Dating: 1941 Sommer Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 141-0828"引用(他引用不許可)。


写真(右)1941-1942年夏,ラトビア、ユンカースJu-52タンテ輸送機で搬送される負傷兵:大型扉から担架に寝かせた負傷者を機内に運び入れることができた。赤十字マークを付けた期待もあったが、独ソ戦では人種絶滅戦争の側面が強くなり、赤十字を表示しても攻撃されるのが当たり前だった。そこで、赤十字記章をつけても目に付きやすくなるだけ不利となり、赤十字をつけた救護活動は見送られた。
Inventory: Bild 101 III - Propagandakompanien der Wehrmacht - Waffen-SS Signature: Bild 101III-Duerr-053-10A Old signature: Bild 146-2005-0090 Archive title: Lettland.- Abtransport von Verwundeten mit einem Flugzeug (Junkers Ju-52) Dating: 1941/1942 Winter Photographer: Dürr Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101III-Duerr-053-10A"引用(他引用不許可)。


大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)に次の記事がある。
遂に現われた『音なき空中列車』−クレータ島攻撃にドイツ軍がグライダーで兵員を輸送する戦史空前の電撃作戦を開始、寝耳に水の英希(ギリシャ)軍を驚倒せしめ、世界中をあっといわせた「空中列車」とは何か?…  

本社特電によれば一万名前後を空中輸送したとあるから少くとも一機に二十乃至三十名搭載出来るグライダー四百余台を夕刻既報の如くソ連式に左右に十台くらいずつV字型に曳航したもの、或はドイツ式に一線に十台くらい曳航したものと想像され、曳航機はユンカースJU五二型三発、または同八六型双発や同九〇型四発あるいはフォッケ・ウルフ・コンドル型四発の大型車爆撃機が少くとも四十機出動したものとみられる。

大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)の記事続き:
この新作戦の花形たるグライダーについて大阪のグライダー設計家某氏の見るところによると主翼は木製羽布張り、胴体は木製合板張、翼長は約五十メートル、全長約二十二メートルで機首には強力な着陸照明灯、曳航索取附具があり、左右主翼には着陸を自由にするためスポイラーがあり、また六千メートル以上亜成層圏飛行のため酸素吸入の設備もある、離着陸には橇のかわりに二個乃至三個の車輪が取附けられ、引込式となっている、そして「空中列車」は敵の意表に出て機先を制するため夜間が利用される,発動機(エンジン)四個の重爆機が十台のグライダーを直線に曳航するとしてその場合グライダー間の前後の距離はだいたい五十メートルだから曳航機から最後尾のグライダーまでは実に五百メートル近くになるわけだ、(引用終わり)
[記事では,グライダーを曳く輸送機の性能過大,夜間作戦能力のないグライーダーの夜襲,四発重爆の使用などドイツ軍の戦力を過大評価している。]

写真(右)1942年,ソ連東部戦線、ユンカースJu-52タンテ輸送機:Ju52は最高速度 265km/h、航続距離 870 km、実用上昇限度 6,100 mと決して高性能ではないが堅牢で信頼性が高く使いやすかった。そこで、ユンカースJu-52をより大型化したJu-252、木製化して資源節約化したJu-352などが実用化されても主力輸送機として終戦まで輸送任務に多用された。1930年の初飛行から終戦までの15年間に軍・民合わせて4,800機が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-792-0140-35A Archive title: Sowjetunion.- Flugzeug des Typs Junkers Ju 52 auf einem Feldflughafen; Prop. Eins Dating: 1942 Photographer: Ziepke Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101III-Duerr-053-10A"引用(他引用不許可)。


第4航空軍司令官ファン・リヒトフォーヘン大将の隷下の第8航空航空軍団マルチン・フィービフ中将は,1941年11月20日,退路を断たれたパウルス将軍の第六軍参謀長アルツゥール・シュミット少将に電話してた。

シュミット参謀長が,スターリングラードに陣を構えると述べた時,軍の補給について,一個軍を空輸で支えることは無理なことを伝えていた。また,フィービヒ中将は,上官のリヒトフォーヘン大将に,スターリングラードの空輸要請は,実施困難なことを伝えた。

リヒトフォーヘン大将は,フィービヒ中将からの連絡によって,スターリングラード空輸の話を聞き,空軍参謀総長イェショネクに,空中補給は不可能で,そのような要請を引き受けられないとの判断を伝えた。しかし,第六軍25万人をユンカースJu-52を大量投入して空中補給する方針が,ヒトラーと空軍ゲーリング国家元帥によって決まってしまった。

スターリングラードに包囲された20万人には1日1000トンの物資が必要だが,パウルス将軍は,最低限1日300トン,のちに500トンを空輸要請した。ゲーリング空軍元帥はこれを承諾した。リヒトフォーヘンは本国のユンカース Ju 52 輸送機,爆撃機をも動員して空輸を行ったが,1日300トンを目標に空輸を開始した。しかし,順調な時でも100-200トン程度しか空輸することはできなかった。

1942年11月30日,初めてスターリングラードに100トン以上の補給を届けることができた。空輸任務にはユンカース輸送機180機以上が配備されたが,天候や補給不足,ソ連軍の対空射撃によって,稼働率は低下した。1942年12月24日-1943年1月31日まで,スターリングラード輸送任務によって,ユンカースJu-52輸送機266機,He-111爆撃機165機など合計488機が失われた。

⇒写真集Album:世界で使用されたユンカース(Junkers)Ju-52/3m輸送機を詳しく見る。


6.フォッケウルフFw-200コンドル長距離輸送機

写真(右):1940年頃,ドイツ、ドイツ空軍のフォッケウルフFw-200コンドル輸送機/哨戒偵察機:ヒトラーもヒムラーも同型のFw-200輸送機に搭乗して移動していた。大戦初期には、機体下面に長大なゴンドラを増設して、爆弾搭載量と航続距離を増し、海上哨戒用に改装された型が、大西洋上で船舶攻撃に大活躍した。
Jagers en snelle gevechts vliegtuigen, "Focke Wulf" - Duitsland Beschrijving oorlog , luchtmacht , vliegend materieel, Duitsland Locatie Duitsland
写真は,Nationaal Archief en Spaarnestad Photo (他引用不許可)。


フォッケウルフFw-200コンドルの諸元
エンジン BMW-Bramo 323 R-2 mit je 1000 PS (1200 PS mit MW-50-Einspritzung) 4基
全幅: 32,84 m 全長: 23,87 m 全高: 6,30 m
空虚重量: 14.180 kg 全部重量: 22.600 kg
乗員: 7 人,生産機数 276機
巡航速度: 384 km/h 高度 3970 m, 405 km/h 重量17.600 kg
上昇限度: 6600 m
航続距離: 3550 km (標準) C-3/U2 最大 6400 km
武装: 2基×MG 151/20 (20 mm), 5基×MG 15 (7,92 mm)
爆弾1000 kg (爆弾倉) + 主翼下面 1400 kg,最大搭載量1800 kg 写真(右):1940年頃,ドイツ、ドイツ空軍のフォッケウルフ(Focke Wulf)Fw-200コンドル哨戒偵察機:機首上面に7.92ミリ旋回機関銃を装備した初期の哨戒偵察機型。1940-1941年には、海上哨戒に多数が投入され、ドイツ海軍Uボートとも連携して、大西洋上で多数の連合国船舶を撃沈した。
Jagers en snelle gevechts vliegtuigen, "Focke Wulf" - Duitsland Beschrijving oorlog , luchtmacht , vliegend materieel, Duitsland Locatie Duitsland
写真は,Nationaal Archief en Spaarnestad Photo  15069_016引用。


1939年9月、第二次世界大戦の勃発後、Fw-200は長距離偵察機として軍に採用され、艦船攻撃用に250kg爆弾を搭載できるように改造された。

1940年6月、フランス占領後、フォッケウルフFw-200は大西洋の船団哨戒と船舶攻撃に活躍した。しかし、機体構造の脆弱な民間輸送機であり、作戦行動の厳しい操作性には、機体がもたなかったため、破損や機体劣化が激しく、哨戒爆撃機としての運動性には限界があった。その後、1942-43年冬、スターリングラードに孤立包囲されたドイツ第六軍への空輸任務にも投入された。

⇒写真集Album:ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200輸送機を詳しく見る。


7.ユンカースJu-90/Ju-290四発大型輸送機

四発輸送機のJu-90試作機V1は、1,100馬力ののダイムラー・ベンツ社のDB600C倒立V型液冷エンジン4基搭載、1937年8月28日に初飛行した。試作2号機(V2)は1938年5月、ルフトハンザ航空で試験運用がなされたが、戦闘機用の高性能DBエンジンに代えて、Ju-52輸送機と同型の830馬力のBMW 132 星型空冷エンジンを搭載した。ルフトハンザ航空はユンカースJu-90A輸送機を合計7機購入し運用したが、第二次世界大戦が勃発し、Ju-90は軍用機に改造されることになる。

写真(右)1942-1943年,長距離偵察機Ju 290 A-3:四発輸送機のJu-90を改造した大型偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.6平方メートル、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。兵(装290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131
Inventory: Bild 146 - Sammlung von Repro-Negativen Signature: Bild 146-1989-039-19A Original title: info Junkers Ju 290 A-3, Fernaufklärer Werkfoto Junkers (MBB) 290/8 Archive title: Flugzeug Junkers Ju 290 A 3 auf einem Flugplatz stehend Dating: 1942/1945 ca. Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchivに登録・引用(他引用不許可)。


ユンカースJu-290A-7諸元
全長: 28.6メートル,全幅:42.0メートル, 翼面積:203平方メートル
自量:3.3トン,全備重量: 4.5トン
エンジン: BMW 801D 空冷14気筒 1700馬力4基
最大時速:420キロ,航続距離:6000キロ,上昇限度:6500メートル
原型Ju90輸送機は1938年8月初飛行,Ju-290試作機1942年7月初飛行,就役1942年8月,生産数:52機

ユンカースJu-90輸送機は,胴体の荷物の積み下ろしに際しては,大型貨物を搬出入しやすいように胴体後部ランプを備えていた。これは,胴体後部が下に開いて坂道(ランプ)となり,その開口部分から,大型貨物を出し入れする装備である。Ju-290もJu-90も胴体下方ランプをそのまま引き継いだが,偵察爆撃機としては必要のない装備だった。

⇒写真集Album:ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-90輸送機/Ju-290哨戒偵察機を詳しく見る。


8.ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222 四発輸送飛行艇「ヴィーキング」

写真(右)ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222 四発輸送飛行艇「ヴィーキング」V-8飛行艇:1930年代後半、ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、大西洋航路で使用可能な長距離大型旅客輸送機を求めていたが、大重量、大量の燃料を積んで離陸する巨大な滑走路が不必要で、非常時には海上に不時着可能な安全性の高い飛行艇式の旅客輸送機が有利ではないかと目されていた。そこで、巨大旅客飛行艇の開発を、リヒャルト・フォークト博士に依頼し、BV 222飛行艇3機を発注した。試作機V1号機の製造は1938年1月から開始し、第二次大戦勃発1年後の1940年9月7日に、初飛行を実施した。ペイロードは、乗客92名あるいは救急担架72基で、最高速力は385 km/hで早いとはいえなかった。
SDASM Archives Ray Wagner Collection Image PictionID:43932891 - Catalog:16_005039 - Title:Blohm & Voss Bv 222V-8 with military markings Nowarra photo - Filename:16_005039.TIF -
写真はFlickr, a Yahoo company,San Diego Air and Space Museum Archive,Catalog:16_005039 引用。


ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇試作機V1は、1941年8月19日までの7回の運航で、ハンブルクとノルウェー北部のヒルケネス間を合計65トンの貨物、負傷者221名をの負傷兵を運んだ。総飛行距離は3万キロに達した。1940年4月9日、ドイツのノルウェー侵攻に呼応して、ノルウェーの政治家ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)は、自らを首班とする臨時政府を樹立し、1942年2月には、アドルフ・ヒトラーの下で、クヴィスリングは首相に任命され、ノルウェーは親ドイツ傀儡政権が支配するようになった。また、BV222飛行艇は、地球海方面面では、1941年10月16日から11月6日の17回の運航で、北アフリカに派遣されたドイツ・アフリカ軍団に対する物資を補給した。

⇒写真集Album: ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222六発飛行艇を詳しく見る。


9.フォッケウルフ Fw 58 "Weihe"ワイエ輸送機

写真(右)1937年7月30日,オランダ沿岸、ハーグ南郊外、イペンブルグ、売り込みのためにオランダに飛行してきたフォッケウルフFocke-Wulf Fw 58 "Weihe"ワイエ輸送機・練習機D-OQYT:低翼式主翼を支える支柱が胴体上から繋がれている。
全備重量: 3,600 kg、 アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒エンジン 240 hp2基、最高速力 280 km/h、航続距離 800 km。

Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_000664 Beschrijving Belangstellenden bij demonstratietoestel Focke-Wulf Fw 58 Weihe D-OQYT. Plaats Ypenburg, Zuid-Holland, Nederland Datering van 1937-07-30 Specifieke kenmerken D-OQYT Vervaardiger Koninklijke Luchtvaart Maatschappij N.V. Copyright KLM Bijzonderheden Demonstratietoestel.
写真はNIMH:Nederlands Instituut voor Militaire Historie "2157_000664"引用。


オランダは、1939年9月初頭、ドイツがポーランド侵攻をし、直ぐにイギリス・フランスが宣戦布告した後も、中立の立場を表明していた。しかし、1940年5月、ドイツ軍のフランス侵攻「ゲルフ」黄色作戦では、ドイツはオランダの中立を無視して、オランダ、ベルギーにも侵攻した。しかしう、1937年の時点では、オランダは、第一次大戦のときと同じく、紛争に際して中立を守ることが可能であると考えていた。そのため、ドイツとの友好維持もあって、ドイツのフォッケウルフ社からFw-58 「ワイエ」を購入したのであろう。

⇒写真集Album: フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58"Weihe"ワイエ輸送機・練習機を詳しく見る。


10.ピアッジョ(Piaggio)P.108 四発爆撃機/輸送機

写真(右)ピアッジョ(Piaggio)社が刊行したピアッジョ(Piaggio) P.108爆撃機の管理マニュアル掲載の第1図・ ピアッジョP.108 B 爆撃機の側面
Piaggio P.108 B Aircraft Maintenance Manual, Istruzione Montaggio e Regolazione.
The Author of this page is Brendan Cowanに掲載された第1図
写真はMANUALI E NOMENCLATORI, PIAGGIO P. 108 B: ca cura di Fabrizio CATALANO e Saverio RADOGNA; selezione tratta dal Manuale per il montaggio RAAF Piaggio P.108B Bombardiere引用。


写真(右)1942-1943年頃,イタリア、迷彩塗装を施したイタリア空軍ピアッジョ(Piaggio) P.108 T 大型輸送機
Piaggio, P.108 Title: Piaggio, P.108 Corporation Name: Piaggio Additional Information: Italy Designation: P.108 Tags: Piaggio, P.108
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00086769引用。


1941年3月26日に発注されたのがピアッジョ(Piaggio) P.108の軍用輸送機仕様で、試作機の初飛行は1942年9月7日と、イタリア降伏の1年前だった。この輸送機は、ピアッジョP.108T と命名され、胴体貨物室の容積は77 m³ (2,700 ft³)、兵士60名を搭載することができた。ただし、生産機数は12機のみ。

⇒写真集Album: ピアッジョ(Piaggio) P.108 T 輸送機を詳しく見る。



ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
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