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◆アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車 写真(上):1942年6月、アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地で演習中のM3リー/グラント中戦車:1941年末までは、ドイツ軍の戦車よりも,重装甲,強力な戦車砲を装備,大出力ガソリンエンジンを搭載した強力な戦車だった。M3中戦車は,75mm砲1門,37mm砲1門装備,重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6名。後継戦車のM4シャーマン戦車は、M3グラント戦車と同じ車体をベースに開発された。
Title M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Contributor Names Palmer, Alfred T., photographer Created / Published 1942 June Reproduction Number LC-DIG-fsac-1a35219 (digital file from original transparency) LC-USW361-184 (color film copy slide)
写真はLibrary of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。

1.アメリカ陸軍 M3A スチュアート Stuart 軽戦車―終戦まで使われた偵察戦車

写真(右)1942年6日,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3Aスチュアート軽戦車:M3A 軽戦車は,重量32,400 lb (14.7トン)、全長14 ft 2.4 in (4.33 m)、全幅8 ft 1.2 in (2.47 m)、高さ7 ft 6 in (2.29 m)、乗員4人。
装甲13–51 mm、主砲37 mm M6、装弾数176発、0.30インチ-06 Browning M1919A4 MG 7,500発、エンジンContinental W-670-9A, 250馬力 (190 kW)。
Title: Light tanks, Fort Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。
M3Aスチュアート軽戦車の主砲は37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲で当時は有力な対戦車砲だった。 

 M3Aスチュアート軽戦車が搭載した機関は1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)、あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 9気筒250馬力だった。スチュアート戦車は12.7トンの重量であるから、出力が大きいエンジンを搭載したことで、整地であれば最高速度(時速) 35マイル(58キロ)の高速で起動できた。航続距離 110kmだった。

 1940年7月制式のM3A スチュアート軽戦車は、1941年3月から量産されたが、初めての実戦投入は、北アフリカ、エジプトをドイツ軍・イタリア軍から防衛していたイギリス軍に対してである。

M3 A1スチュアートStuart軽戦車
重量: 12,600 kg
エンジン出力 262 h.p
最高時速: 56.98 km/h
登攀最高傾斜:31度、最高横傾斜:25度
渡河可能水深:0.91m
超壕能力:1.83m
登攀可能障害高:0.61m
車体装甲:前面38ミリ/側面・後面25ミリ、上面12.7ミリ
砲塔装甲:前面50.8 ミリ、側面・後面31.8ミリ、上面12.7ミリ
37 mm Gun M6 (搭載砲弾数106発)
7.62 mmブローニングM1919A4機銃 (搭載銃弾数6,200発)
1942年4月より生産開始、1943年2月までに4,621輌を量産。

第二次大戦開戦当初、アメリカ陸軍が採用していた主力戦車はM3A軽戦車だった。1936年に始まったスペイン内戦時期に内戦に派遣されていたドイツ・イタリア・ソビエト製戦車と比較検討しながら、アメリカ陸軍は,M2軽戦車を完成させた。長砲身の37ミリ戦車砲を装備して、対戦車攻撃力をつけ、装甲も1.5インチ(38ミリ)と当時としては強力だった。

M3Aスチュアート軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数103発)で、1941年に生産、部隊配備が始まった。当初は、ドイツ軍や日本軍の戦車と対等以上の強力な戦車だった。

 搭載した発動機は、1934年開発の航空機用空冷星形エンジンを改修したコンチネンタル社W-670-9A空冷星形ガソリンエンジンで250馬力 (190 kW)だったが、少数ながらギバースン社T-1020-4空冷ディーゼルエンジンを搭載した型もある。


写真(右)1942年3月2日、北アフリカ、エジプト、アッバシア近郊、新たに支給された真新しいイギリス軍王室装甲軍団アメリカ製M3 AスチュアートStuart軽戦車(手前2両目)とイギリス製バレンタイン歩兵戦車(一番手前)とクルーセーダー巡航戦車(奥)
: バレンタイン歩兵戦車は、1939年4月に設計され、1940年5月には施策が完成した。ダンケルク敗走の時期だったため、イギリス本土防衛のためにすぐにバレンタイン歩兵戦車と命名され量産が開始された。1944年4月まで、ヴィッカース社を初めイギリスで6,855輌、カナダでも1,420輌が量産された。
Catalogue number: H 17828, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War、 Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt)、 Alternative Names: object category: Newly-arrived Royal Armoured Corps troops working on a variety of tank types at a training camp near Abbasia in Egypt, 2 March 1943. In the foreground are a Valentine and Stuart tank, with Crusaders and more Valentines behind. On the right is a Covenanter tank, perhaps the only example of its kind to have arrived in North Africa.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17828)


バレンタイン歩兵戦車の諸元
全長:5.4 m、全幅:2.6 m、全高:2.2 m
最大装甲厚:65mm
重量:17 t
最高時速:15 km/h(整地)、8 km/h(不整地)
主砲はMk.I-VII:50口径2ポンド戦車砲(砲弾搭載数60発)、ただし、Mk.VII-X:6ポンド砲

M3 スチュアートStuart 軽戦車は、重量14.7トン、全長 4.53m 装甲13-51ミリ、(0.52-2 インチ)、53.5口径37ミリ(1.45インチ) M5/M6戦車砲。1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル250馬力)あるいは星型空冷ディーゼルエンジンGuiberson Diesel T-1020 (9気筒250馬力)を搭載、最高速度 58km/h(36 mph)、航続距離 120km(74.5 mi)、 生産数 1万3,860輌。

M3A軽戦車は、1934年に飛行機用に開発されたコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(9気筒250馬力)を搭載し最高時速36マイル(55キロ)の機動性の高い戦車で、太平洋戦争開始以前に、フィリピンのアメリカ軍にも配備されていた。

37ミリ砲装備、軽装甲のM3 スチャート軽戦車は、1941年に部隊配備された旧世代の戦車で、1944年当時、37ミリ砲では対戦車戦闘も歩兵支援に不適であった。しかし、重量14.5トンの軽量車体に、強力な航空機発動機を改修したコンチネンタル星形空冷ガソリンエンジンContinental W670-A9(7気筒11リットル230馬力)あるいはGuiberson Diesel T-1020 空冷ディーゼルエンジン(星形9気筒250馬力)を搭載していたため、機動性が高く、改修されながらアメリカで1万2,574輌も生産された続けた。スチャート軽戦車は、多数がイギリス軍に貸与され、終戦まで主に偵察任務に使用され、1944年から1945年5月の西部戦線にも投入されている。

写真(右)1945年5月2日、ドイツ中部、エルベ川に向かうイギリス軍第15スコットランド師団のM5 スチュアートStuart VI 軽戦車(M3Aの砲塔をそのまま使用):M3Aスチュアート軽戦車の改良型M5 Stuart (Light Tank, M5) (Stuart VI) 。
Catalogue number: BU 4972, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Morris (Sergeant), Object description: Stuart VI tanks advance past half-tracks and other vehicles of 15th (Scottish) Division during the advance to the River Elbe, 13 April 1945. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (BU 4972)


M5スチュアート軽戦車
M3 軽戦車の車体を若干拡大して、より強力なキャデラック社4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基Twin Cadillac(296hp)搭載し、溶接式車体形状を簡易化して傾斜装甲板を採用した。1942年3月から1942年12月までに2,074両が量産された。M5A1軽戦車は、M3A3に採用した新型砲塔を搭載したもので、1943年1月から1944年6月までに6,810両が量産された。これらのスチュアート軽戦車はイギリス軍では「スチュアートVI」であり、M5とM5A1とを区別しているわけではない。

M5スチュアート軽戦車(Stuart VI)は、1942年3月から12月までに2,074両、その他合計8,884輌も生産された。

M3 スチュアートStuart Mk V軽戦車は、重量 13.7トン、全長 4.53m、 装甲:車体前面38ミリ、防楯51ミリ、側面・後面25ミリ、53.5口径37ミリM6戦車砲(砲弾搭載数147発)、Guiberson Diesel T-1020 空冷エンジン(星形9気筒250馬力)、最高速度 58km/h(整地)、航続距離 110km、 生産数 1万2,574輌。


2.アメリカ軍ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー(Lee)中戦車

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 M3は,車体前方に36口径M2-75 mm 戦車砲(砲身長 2,700mm)1門搭載砲弾数50発)を固定し,上部砲塔に53.5口径M3 37mm砲(砲身長 1,980mm)1門(搭載砲弾数178発)を装備。重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6名。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Call Number/Physical Location LC-USW36-165 [P&P] Library of Congress Control Number 2017878409 Reproduction Number LC-DIG-fsac-1a35203 (digital file from original transparency) LC-USW361-165
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カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。

Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35204 (digital file from original transparency) LC-USW361-167 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-167 [P&P]
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 M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車は、車体右側に75mm砲1門(搭載砲弾数50発),車体上の砲塔に37mm砲1門装備(搭載砲弾数178発),重量30トン,発動機は、340馬力ガソリンエンジンを搭載、乗員6名。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までも、6258輛が量産され、北アフリカ、イタリアで実戦に投入され、イギリス軍にも配備された。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 Title: Fort Knox, Kentucky. M-3 tanks. The M-3 tank packs a wallop which the Axis is only beginning to feel. One of these capable monsters, with a tough American crew aboard, is put through its paces in the training area near Fort Knox, Kentucky Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Call Number/Physical Location LC-USE6- D-005848 [P&P] LOT 1866 (corresponding photographic print) Library of Congress Control Number 2017693505 Reproduction Number LC-USE6-D-005848 (b&w film neg.)
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 M3リー/グラント中戦車は,車体前方に36口径M2-75 mm 戦車砲(砲身長 2,700mm、1門搭載砲弾数50発)を固定し,上部砲塔に53.5口径M3 37mm砲(砲身長 1,980mm)1門(搭載砲弾数178発)を装備。重量30トン,340馬力ガソリンエンジン装備,乗員6ー7名。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 Title:Fort Knox, Kentucky. M-3 tanks. The M-3 tank packs a wallop which the Axis is only beginning to feel. One of these capable monsters, with a tough American crew aboard, is put through its paces in the training area near Fort Knox, Kentucky Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer . Date Created/Published: 1942 June Call Number/Physical Location LC-USE6- D-005849 Library of Congress Control Number 2017693506 Reproduction Number LC-USE6-D-005849 (digital file from original transparency) LC-USW361-165
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アメリカの傑作M4シャーマン(Sherman)戦車は、第二次世界大戦が勃発後に開発が始まった75 mm戦車砲装備の強力な、かつ量産に向いた戦車で、アメリカ軍のみならず、イギリス、カナダなど連合国軍で採用され、ヨーロッパからアフリカ、アジアまで世界中の戦線で大活躍した。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Call Number/Physical Location LC-USE6- D-005851 [P&P] Library of Congress Control Number 2017693508 Reproduction Number LC-USE6-D-005851 (digital file from original transparency) LC-USW361-165
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  アメリカのM4戦車が、第二次大戦勃発後に急遽実用化できた理由は、既に量産化が進んでいたM3リー戦車の車体をそのまま流用し、そこに75ミリ戦車砲を搭載した砲塔を乗せたからである。このM3中戦車の試作型が完成したのは、やはり第二次大戦勃発から1年半たった1941年3月である。そして、イギリスへの軍事援助のために、M3中戦車の量産化が大急ぎで実行に移され、1941年6月までにイギリス軍に配備されている。

写真:1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車 :砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。
 Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Library of Congress Control Number 2017693509 Reproduction Number LC-USE6-D-005852 (digital file from original transparency) LC-USW361-165
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アメリカが開発したM3中戦車は、イギリス仕様として、装甲を若干薄くして、無線機を装備する改良が加えられた。そして、アメリカ仕様で砲塔最上部にあった銃塔キューポラcupolaをやめて、単純なハッチに変更した。そして、無線機を搭載したために、それまで7名だった乗員を6名に減らしている。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車(手前3両)とM4シャーマン中戦車(左奥1両): 砲塔上面に司令塔ハッチの無いイギリス軍仕様も「M3リー中戦車」は、司令塔の付いたアメリカ仕様「M3グラント中戦車」と合わせて1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: M-3 and M4 tank company at bivouac, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35193 (digital file from original transparency) LC-USW361-153 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-153 [P&P]
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アメリカで、同時期に開発されたM3軽戦車と紛らわしいために、新たなM3中戦車には、「ジェネラル・グラント」General Grant (南北戦争時の北軍Ulysses S. Grant将軍)と命名され、無線機がなく、砲塔上に銃塔キューポラのあるM3中戦車を「ジェネラル・リー」(南北戦争時の南軍Robert E. Lee将軍)と命名した。

M3中戦車は、合計で6,258輌が生産されたが、M3リー戦車は、1941年8月から、1942年12月まで生産され、それ以降は後継戦車のM4シャーマンに代替されている。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土、ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車の車体に搭載したM2-75ミリ戦車砲の砲口には、砂塵が入るのを防ぐカバーで覆われている。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35218 (digital file from original transparency) LC-USW361-183 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-183 [P&P]
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M3中戦車 M3リー/グラント中戦車の車体に搭載した28.5口径M2-75 mm 戦車砲は、原型はフランスの砲兵工廠が開発した駐退復座機で緩和する新式火砲だった。しかし、M1897 75mm野砲は、1914年に勃発した第一次世界大戦で活躍した野砲であり、M3中戦車の開発された1930年代後半には旧式化していたが、依然として各国で使用され続けていた有力な野砲だった。

28.5口径M2-75 mm 戦車砲の砲身長は28.5口径で、砲口初速は567m/秒であったが、M3リー/グラント中戦車の後期型では、M4シャーマン中戦車と同じ37.5口径M3 75mm戦車砲に変換されている。75mmM3戦車砲は初速620m/秒、徹甲弾を使えば距離1,000mで55mm厚の装甲板を貫徹できた。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車:車体前方にヘッドライト2個を付けている。砲塔上に大きな司令塔ハッチがあるのでアメリカ仕様「M3グラント中戦車」である。サスペンションや発動機、後継中戦車のM4シャーマンと同一である。
Title: M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35221 (digital file from original transparency) LC-USW361-186 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-186 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3リー/グラント中戦車は、75ミリ砲を装備できる大型砲塔搭載戦車の先行型として計画され、車体前面右側に、フランスのシュナイダー社75ミリ野砲を原型とする、36口径M2-75ミリ戦車砲(砲身長 2,700ミリ)1門を搭載した。車体上部砲塔には、53.5口径M3 37ミリ砲1門(砲身長 1,980ミリ)を搭載し、対戦車能力も備えていた。

 つまり、M3リー/グラント中戦車は、車体右側の半固定式の75ミリ軽榴弾砲は、視界も狭く対戦車戦というより、歩兵支援火砲として使用することを意図していた。他方、車体上部にの37 ミリ砲は、速射砲であり、全周回式の砲塔に装備して、敵の歩兵だけでなく、自動車や戦車を攻撃することが可能だった。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ、ケンタッキー州フォートノックス、砂埃を舞い上げて行進するアメリカ陸軍M3グラント戦車:M3中戦車の装甲板は、車体前面・砲塔前面・側面・後方が51 mm (2.0 インチ)、車体側面・後方が38 mm (1.5 インチ)の厚みがある。
Title M-3 tanks in action, Ft. Knox, Ky. Contributor Names Palmer, Alfred T., photographer Created / Published 1942 June Digital Id fsac 1a35220 Library of Congress Control Number 2017878426 Reproduction Number LC-DIG-fsac-1a35220 (digital file from original transparency) LC-USW361-185 (color film copy slide)
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


 M3リー/グラント中戦車は、1941年6月から1942年8月まで量産。クライスラー・デトロイト工廠、アメリカン・ロコモーティブ社で3,923輌、プレスド・スティールカー社とプルマン・スタンダードカー社で1,001輌が生産された。他方、有名なティーガー重戦車は,1942年8月から1944年8月まで,僅か1300台しか生産されていない。

1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

 1941 年1月6日、新年のフランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt: FDR)の発表した年頭教書State of the Union :Four Freedoms)では、
?アメリカの国防圏は、西半球だけでなくイギリスおよび大英帝国を含む領域に拡大した。
?ナチス・ドイツとの宥和を否定し、和平があり得ないことを表明した。
戦時経済への移行し国防を充実するため、軍事費を増額する。
これは、アメリカの孤立主義から逸脱したもので、民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)を超えて世界の警察官としての役割として活動し始める。

1941年3月11日、武器貸与法(Lend-Lease Act)の制定し、その当日には、イギリス・ギリシャへの武器貸与を決定している。

カラー写真(右)(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車とケースメイト搭載31口径M2-75 mm 戦車砲:軟弱な地盤でも幅の広いキャタピラと強力なガソリンエンジンのために機動性が高かった。生産コストに配慮して,量産性もあっために,1942年にはアメリカ陸軍の主力戦車となった。
Title: Crewman of an M-3 tank, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35201 (digital file from original transparency) LC-USW361-161 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-161 [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 USA http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


 アメリカ製M3リー/グラント中戦車の試作完成は1941年1月で、量産は1941年4月から開始された。アメリカは、1941年12月まで第二次世界大戦参戦せず、中立だったが、フランクリン・デラノ・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt)の意向を受けて武器貸与法Lend-Lease Act 1941)により、量産したM3中戦車など軍事物資をイギリスに供与していた。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車のケースメイト搭載31口径M2-75 mm 戦車砲:自走方式に当時としては強力な75ミリ砲を搭載し、さらに対戦車用に37ミリ戦車砲を搭載した全周式回転砲塔を搭載している。そのうえ、生産コストに配慮して,量産性もあっために,1942年にはアメリカ陸軍の主力戦車となった。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. The crew of an M-3 tank at Fort Knox, Kentucky, learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75mm gun, a 37mm gun and four machine guns. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far-flung battle lines and on more than equal terms . Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35201 (digital file from original transparency) LC-USW361-161 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USE6- D-007958[P&P] Library of Congress Control Number 2017695523 Reproduction Number LC-USE6-D-007958 (b&w film neg.)
写真は,Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車のケースメイト搭載31口径M2-75 mm 戦車砲:強力な75ミリ砲を搭載した戦闘室の右側には搭乗用の扉が設けられている。この扉から75ミリ砲の弾薬を搭載することができるので便利である。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. The crew of an M-3 tank at Fort Knox, Kentucky, learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75mm gun, a 37mm gun and four machine guns. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far-flung battle lines and on more than equal terms . Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35201 (digital file from original transparency) LC-USW361-161 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. LC-USE6- D-007959 [P&P] LOT 1866 (corresponding photographic print) Library of Congress Control Number 2017695524 Reproduction Number LC-USE6-D-007959 (b&w film neg.)
写真は,Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M3中戦車  アメリカ製M3リー/グラント中戦車は、砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているアメリカ軍仕様の「M3 Lee」と、砲塔上面に司令塔がないイギリス軍仕様「M3 Grant」とがあった。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月までに6258輛が量産された。

リーは、南北戦争当時のロバート・エドワード・リーRobert Edward Lee、1807‐1870)将軍のことで、南部連合の軍司令官とそて、優勢だった北軍のリッチモンド侵攻を阻止し、善戦した。しかし、1863年のゲティスバーグの戦いでは北軍に敗北、撤退したリーは、南部連合デービス大統領に辞任を申し出た。

グラントは、北軍の将軍で同時代のライバルだったユリシーズ・シンプソン・グラントUlysses Simpson Grant、1822‐1885)将軍のことで、南部連合首都リッチモンドに包囲には成功したものの、攻略には手間取った。北軍のウィリアム・シャーマン将軍の援軍を得てグラントは、リッチモンドを攻略できた。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー(Lee)中戦車と小銃を構える戦車兵:アメリカ市民に向けて、勇ましいアメリカ軍の姿を伝えるカラー写真がたくさん残っている。これらは公開されていないものもある。インパクトのあるカラー写真はたくさんの国民に見せようとした。そして、戦争に協力するために、生産労働に勤しみ、戦費調達のための戦時国債を購入し、資源節約のための屑鉄・金属を回収した。
Title: M-3 tank and crew using small arms, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35195 (digital file from original transparency) LC-USW361-155 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-155 [P&P] 写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


1941年6月22日にドイツがソ連を攻撃すると,それまで反共産主義の立場を表明していたイギリス,アメリカは即座にソ連支援を公言した。それまでのチャーチル英首相の関心は,英本土航空決戦大西洋の対潜水艦戦争,そして米国の参戦を引き出すことだった。しかし,独ソ戦の勃発に,イギリスの危機は遠のいたと大喜びした。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3グラント戦車から飛び出して攻撃態勢をとる搭乗員たちの演出写真:7名の搭乗員にとっては車内空間は十分ではなかった。75ミリ砲はケースメイト搭載で射界は狭かった。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. M-3 tank crew members, in training at Fort Knox, Kentucky, get intensive practice in meeting every situation that may arise on the battlefield. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Digital Id fsa 8b05451 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05451 Library of Congress Control Number 2017695532 Reproduction Number LC-USE6-D-007967 (b&w film neg.)
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 M3中戦車の装甲は、車体前面・砲塔前面・側面・後方は、51 mm (2.0 インチ)、車体側面・後方は、38 mm (1.5 インチ)の厚みがあった。

  写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3グラント戦車から飛び出して攻撃態勢をとる搭乗員たちの演出写真:M2-75 mm 戦車砲を装備した攻撃力,機動力,防御力のバランスのとれた戦車だった。ただし,搭乗員が6−7名と多いために、車内空間は狭く,砲塔は小さいので,砲塔操作性は良くなかった。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. M-3 tank crew members, in training at Fort Knox, Kentucky, get intensive practice in meeting every situation that may arise on the battlefield. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Digital Id fsa 8b05449 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05449 Library of Congress Control Number 2017695529 Reproduction Number LC-USE6-D-007964 (b&w film neg.)
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アメリカ製M3リー/グラント中戦車の火力は強力である。車体右側ケースメート(砲郭)には、31口径 M2 75mm砲1門を搭載、車体左側には7.62mmM1919連装機関銃、車体上面の全周砲塔には、37mmM3対戦車砲1門と同軸のM1919 7.62mm機関銃1挺を搭載、さらにその砲塔上に7.62mm機関銃1挺装備の回転銃塔が備えつけている。二段式多砲塔戦車というにふさわしい銃火力であるが、その分、車体全高が3m以上と高く、隠密性が犠牲になっている。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3グラント戦車から飛び出して攻撃態勢をとる搭乗員たちの演出写真:車体右側ケースメート(砲郭)の31口径 M2 75mm砲1門、車体左側の7.62mmM1919連装機関銃、車体上面の全周砲塔に37mmM3対戦車砲1門・同軸M1919 7.62mm機関銃1挺、砲塔上の7.62mm機関銃1挺装備の回転銃塔がある。したがって、搭乗員が飛び降りて攻撃に向かうのはナンセンスである。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. M-3 tank crew members, in training at Fort Knox, Kentucky, get intensive practice in meeting every situation that may arise on the battlefield. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Digital Id fsa 8b05450 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05450 Library of Congress Control Number 2017695530 Reproduction Number LC-USE6-D-007965 (b&w film neg.)
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M3リー(Lee)中戦車搭乗員は、
上部砲塔内部に、車長、37mmM3対戦車砲照準手、37mm弾薬装填手の3名、
車体部前部コンパートメントに、操縦手、無線手(前方7.62mmM1919連装機関銃の兼担)、31口径75mmM2戦車砲照準手、75mm弾薬装填手の4名
で、合計7名である。無線機を搭載し、7.62mm機銃を装備したキューポラを撤去したイギリス仕様のM3グラント(Grant)中戦車は、乗員を1名減じて6名とした。

1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車にゴムホースで散水して清掃する戦車搭乗員:砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔キューポラは撤去されている。
 Title: Fort Knox. Maintenance of mechanized equipment. Tanks, as well as the Army's trucks, motorcycles and other motorized equipment, pay regular visits to the wash rack. Wherever possible, modern military vehicles are kept in spic and span condition and mechanically ready for strenuous action Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Call Number/Physical Location LC-USE6- D-007940 [P&P] LOT 1866 (corresponding photographic print) Library of Congress Control Number 2017695505 Reproduction Number LC-USE6-D-007940
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車は、全長6.12 m、車体長5.64 m、全幅2.72 m、全高3.12 m、重量26.0 t。M3中戦車の装甲は、車体前面・砲塔前面・側面・後方は、51 mm (2.0 インチ)、車体側面・後方は、38 mm (1.5 インチ)の厚みである。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車車体前面のM2 31口径75ミリ砲のケースケート上でポーズをとる戦車搭乗員。: 司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Call Number/Physical Location LC-USW36-164 [P&P] Source Collection Farm Security Administration - Office of War Information color slides and transparencies collection (Library of Congress)
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車の搭載した75mm主砲:M1897野砲の改良発展型
M3リー中戦車の初期型:M2 31口径75ミリ砲、砲口初速:588m/s
M3リー中戦車の後期型/グラント中戦車・M4シャーマン中戦車の初期型: M4 40口径75ミリ砲、砲口初速:619m/s(M4はB-25爆撃機の機首にも装備された)

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車車体前面の7リ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。: 司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. An M-3 tank, a 75mm cannon and a determined "tanker" at Fort Knox, Kentucky. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far-flung battle lines and on more than equal terms Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Digital Id fsa 8b05432 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05432 Library of Congress Control Number 2017695512 Reproduction Number LC-USE6-D-007947 (b&w film neg.)
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車の搭載した主砲貫通力(垂直装甲版に対して)
M3中戦車の初期型:M2 31口径75ミリ砲、装甲貫通力;500mで84mm、1000mで75mm、1500mで67mm、初速:563m/s
M3中戦車の後期型:M4 40口径75ミリ砲、装甲貫通力;500mで95mm、1000mで86mm、1500mで79mm、初速:618m/s

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車車体前面の75ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員: 司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、車体前面・砲塔前面・側面・後方の装甲は、51 mm (2.0 インチ)、車体側面・後方の装甲は、38 mm (1.5 インチ)の厚みある。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Digital Id fsa 8b05433 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05433 Library of Congress Control Number 2017695513 Reproduction Number LC-USE6-D-007948 (b&w film neg.)
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車が砲郭(ケースメイト)に搭載した53.5口径37 mm M6戦車砲(搭載砲弾数178発)の原型は、1940年に実用化された53.5口径37mmM3対戦車砲で、初速 884m/秒、傾斜30度の装甲板に対する貫通力は、500ヤード / 457mで53mm、1,000ヤード/914mで46mm、 1,500ヤード/1,371mで40mm、2,000ヤード/1,828mで35mmだった。この威力は、日本軍が実戦に使用した全ての戦車に対して有効であり、ドイツ軍のIV号戦車にも有効だった。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 左下は、車体前面にある操縦手用の大型ハッチ。M3リー/グラント中戦車は、砲塔式に53.5口径37 mm M6戦車砲を装備している。 第二次世界大戦では北アフリカ戦線やイタリア戦線に投入された。37mm口径の対戦車砲としては砲弾重量が重く、砲弾の初速も高く、優秀な貫通性能を持っていた。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35198 (digital file from original transparency) LC-USW361-158 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-158 [P&P]
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M3中戦車 砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。イギリス軍に供与された「グラント中戦車」には司令塔はない。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。

  M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車が小型砲塔に搭載した37mm砲は重い砲弾で、高初速のため、当時は高い貫通性能を持っていたが、ドイツ軍の新型のティーゲル重戦車、パンター中戦車の装甲を撃ち抜くのは困難だった。そこで、wikipediaは37ミリ砲が「ドアノッカー」と化してしまったというが、実際は、3号戦車、4号戦車の側面であれば十分に貫通できた。そのため1943年には生産を終了し、イギリス製オードナンス6ポンド砲をライセンス生産したM1 57mm砲が配備されることになっても、37ミリ砲を前線で使用しつづけた部隊も少なくなかった。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35200 (digital file from original transparency) LC-USW361-160 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-160 [P&P]
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53.5口径37ミリM3対戦車砲の生産量は、1940年340門、1941年2,252門、1942年1万1,812門、1943年4,298門、合計 1万8,702門が生産された。 1940年から部隊配備された。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 37ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Call Number/ Physical Location LC-USW36-151 [P&P] Source Collection Farm Security Administration - Office of War Information color slides and transparencies collection (Library of Congress)
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M3中戦車は、アメリカの武器貸与法に基づいて、ソビエト連邦への軍事援助された。貸与されたM3中戦車は、1941年から1943年にかけて、ガソリン・エンジン搭載型とディーゼルエンジン搭載型があり、合計1,386両がソビエト連邦に引き渡され。しかし、ドイツ空軍と海軍による船団攻撃によって、船舶輸送中のM3戦417両が失われている。

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー戦車: 砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるアメリカ仕様「リー中戦車」。M3リー/グラント中戦車は、全長6.12 m、車体長5.64 m、全幅2.72 m、全高3.12 m、重量26.0 t。
Title: Tank commander, Ft. Knox, Ky. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35228 (digital file from original transparency) LC-USW361-370 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number: LC-USW36-370 [P&P]
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車の砲塔搭載砲はM3Aスチュアート軽戦車と同じく、37ミリM3対戦車砲を戦車用に改修した37ミリM6戦車砲で当時は有力な対戦車砲だった。 

カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 37ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Call Number/Physical Location LC-USW36-160 [P&P] Reproduction Number LC-DIG-fsac-1a35200 (digital file from original transparency) LC-USW361-160
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車の搭乗員は7名で、内訳は、
上部砲塔内部に、車長、37mm砲照準手、37mm弾薬装填手の3名、
車体部前部コンパートメントに、操縦手、無線手(前方機銃兼担)、75mm砲照準手、75mm弾薬装填手の4名
である。M3リー/グラント中戦車は、1941年4月から1942年12月まで、6258輛が量産された。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 37ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. A good type of soldier mans the M-3 tanks at Fort Knox, Kentucky. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Digital Id fsa 8b05440 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05440 Library of Congress Control Number 2017695520 Reproduction Number LC-USE6-D-007955 (b&w film neg.)
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 イギリス軍は、アメリカ軍のブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)の銃弾を自国仕様の0.303口径7.69ミリに合わせた型を輸入し、イギリス軍の歩兵だけでなく、M3スチュアート軽戦車や装甲車の車載機銃として、飛行機の固定機銃あるいは旋回機銃として広く使用した。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 37ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Digital Id fsa 8b05441 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05441 Library of Congress Control Number 2017695521 Reproduction Number LC-USE6-D-007956 (b&w film neg.)
写真は,Library of Congress">Prints & Photographs Reading Room">Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


リー ブローニング.30口径7.62ミリM1919機銃M1919 Browning)は、アメリカのブローニング社が開発した水冷式のブローニング.30口径7.62ミリM1917機銃M1917 Browning)を放熱筒を使った空冷式に換えた重機関銃で、ブローニング.50口径12.7ミリM2重機関銃 M2 Browning)と同じく、世界中で使用された。

ブローニングM1919A4機銃の諸元
全長1,219mm 重量14kg(M1919A4)
発射速度:400-600発/分
初速:853.6m/秒
有効射程距離:1,370m

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車: 37ミリ砲塔上面でポーズをとった戦車搭乗員。司令塔ハッチが確認できるアメリカ仕様「リー中戦車」。
Title: The crew of an M-3 tank learn all the ways of causing trouble for the Axis with a 75-mm. gun, a 37-mm. gun and four machine guns, Fort Knox, Ky. The Fort Knox School for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the enemy on our far flung battle lines -- and on more than equal terms. [Tank] commander Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Digital Id fsa 8b05438 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05438 Library of Congress Control Number 2017695518 Reproduction Number LC-USE6-D-007953 (b&w film neg.)
写真は,Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車の搭乗員がトンプソン短機関銃を手にポーズをとっている。: 75mm砲の前でポーズをとったゴーグル付きヘルメットの戦車搭乗員の服装、手袋が興味深い。
Title: The Fort Knox. M-3 tank crews. This capable member of a M-3 tank crew in training at Fort Knox, Kentucky, is a handy man with a machine gun. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Digital Id fsa 8b05436 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05436 Library of Congress Control Number 2017695516 Reproduction Number LC-USE6-D-007951 (b&w film neg.)
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M3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車は、車体右側にケースメート(砲郭)に31口径 M2 75mm砲1門を搭載した。車体上面の回転砲塔には、37mmM3対戦車砲、同軸のM1919 7.62mm機関銃1挺を搭載し、砲塔上に7.62mm機関銃1挺装備の回転銃塔が備えつけている。これは戦車長用のハッチを兼ねている。

写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車のキャタピラを巻く整備士員。
Title: Fort Knox. Maintenance of mechanized equipment. Turning one of the heavy tracks of an M-3 tank at Fort Knox, Kentucky. The Army keeps a large force of trained mechanics busy at the job of servicing and repairing all its motorized equipment. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Digital Id fsa 8b05429 //hdl.loc.gov/loc.pnp/fsa.8b05429 Library of Congress Control Number 2017695509 Reproduction Number LC-USE6-D-007944 (b&w film neg.)
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写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3リー中戦車のキャタピラを点検する整備士員
Title: Fort Knox. Maintenance of mechanized equipment. Lubricating the bogie wheels of an M-3 tank at Fort Knox, Kentucky. The Army is very particular about its equipment and one of the first lessons the recruit learns is to give each vehicle the attention it requires. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Digital Id fsa 8b05428 Library of Congress Control Number 2017695508 Reproduction Number LC-USE6-D-007943 (b&w film neg.)
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カラー写真(右)1942年6月,アメリカ本土ケンタッキー州フォートノックス駐屯地のM3グラント戦車の車体前面にある操縦者用ハッチ:M2-75 mm 戦車砲を装備した攻撃力,機動力,防御力のバランスのとれた戦車だった。ただし,搭乗員のための車内空間は狭く,砲塔は小さいので,砲塔操作性は良くなかった。
Title: Fort Knox. M-3 tank crews. M-3 tank crew members, in training at Fort Knox, Kentucky, get intensive practice in meeting every situation that may arise on the battlefield. The Fort Knox school for tank crews has graduated many men who are now ready to meet the Axis on our far-flung battle lines and on more than equal terms. Creator(s): Palmer, Alfred T., photographer Date Created/Published: 1942 June Medium: 1 transparency : color. Reproduction Number: LC-DIG-fsac-1a35202 (digital file from original transparency) LC-USW361-164 (color film copy slide) Rights Advisory: No known restrictions on publication. Call Number/Physical Location LC-USW36-181 [P&P] Library of Congress Control Number 2017878422 Reproduction Number LC-DIG-fsac-1a35216 (digital file from original transparency) LC-USW361-181
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3.イギリス軍機はアフリカ戦線のM3グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車

写真(右)1942年、北アフリカ、チュニジア、アメリカから貸与されたアメリカ製M3グラント中戦車の操縦席に収まったイギリス軍兵士セシル・ビートンCecil Beaton:ハッチを開け閉めする頑丈そうな操作棒、ハッチの閉鎖口前縁の様子がよくわかる。砂漠用のゴーグルをして、貸与されたM3グラント戦車で活躍することを期待させるようなポートレット写真が撮影された。
Catalogue number: CBM 1781, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 2 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: The Axis Offensive 1941 - 1942: A British tank driver wearing sand goggles and peering out of his Grant tank.  Label: Cecil Beaton portrait of a British tank driver peering out of his Grant tank in North Africa, 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (CBM 1781)


写真(右)1942年3月11日、イギリスに貸与されたアメリカ製M3リー中戦車(M3 Medium Tank :Lee Mk I):砲塔上面に大型の司令塔ハッチがあるので、後にイギリス軍に供与された「グラント中戦車」とは異なるアメリカ仕様「リー中戦車」。75ミリM3戦車砲を車体に搭載し、車体上面の砲塔には37ミリM6砲を装備した。イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校(Armoured Fighting Vehicle School)における撮影と思われる。
Catalogue number: H 17821, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Medium Tank (Lee Mk I), 11 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17821)


グラント M3リー(Lee)中戦車には、当初、37ミリ砲塔の上部に戦車長用司令塔(キューポラ)が装備されていたが、あまりにも全高が高くなり、敵に派遣されやすいために廃止された。

> イギリス軍では、アメリカから貸与されたアメリカ製M3中戦車を、1861年のアメリカ南北戦争当時の将軍の名称で故障した。

つまり、イギリス軍向けのM3グラント中戦車は、北軍の陸軍総司令官ユリシース・S・グラント(Ulysses S. Grant:1822 - 1885)中将に因んでおり、アメリカ軍向けのM3リー中戦車は、南軍の陸軍総司令官ロバート・E・リー(Robert Edward Lee :1807 - 1870)大将に因んでいる。南北戦争当時のライバルだった将軍の名称を付けたことで、歴史を学んだものであれば、直感的にほぼ同一の戦車であることが理解できた。

写真(右)1942年3月11日、イギリス軍に配備されたM3グラント中戦車(M3 Medium Tank : Grant Mk I):砲塔上面に司令塔ハッチの無いイギリス軍仕様のM3[グラント]。車体右に搭載した75ミリ戦車砲の射界は、左右、上下とも狭かった。車体上面の砲塔の37ミリ砲は、当時、砲身長 1,980mm、53.5口径の有力な対戦車砲だった。ただし、M3リー中戦車の車高は高く、対戦車戦闘には向いていない。イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校(AFV Gunnery School Tank - Lulworth Camp)での撮影と思われる。
Catalogue number: H 17825, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Medium Tank (Grant Mk I), 11 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17825)


 1940年5月にドイツ軍の装甲師団を中核にした電撃戦の奇襲をかけ、フランスが2カ月も経たずに降伏したが、これはアメリカ陸軍にとっても衝撃的な事件だった。陸軍ではドイツ軍の電撃戦を参考に戦車部隊を整備し始めた。アメリカ連邦議会は、新たに中戦車1500輌分の軍事予算を承認したが、既存のM2A中戦車は旧式化していたために、クライスラー(Chrysler)社は新型のM3中戦車を1000輌を量産する契約を結んだ。

写真(右)1942年3月11日、イギリス南岸ドーセット、ラルワースの装甲戦闘車両学校のテストを受けているアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):装甲戦闘車両学校(Armoured Fighting Vehicle School)における不整地訓練では、車体右に搭載した75ミリ戦車砲の仰角が上方に向けられている。キャタピラの上方にカバーが装着されている。
Catalogue number: H 17825, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: War Office official photographer, Spender (Lt), Object description: M3 Grant tank on test at the AFV Gunnery School at Lulworth in Dorset, 10 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 17825)


1941年にエジプトに到着した真新しいアメリカ製M3 スチュアートStuart軽戦車は、1941年8月17日に、1944年9月まで在エジプト・アメリカ大使だったアレクサンダー・カーク(Alexander Kirk)氏の検閲を受けている。

  写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):37ミリ砲を搭載する砲塔上面に、司令塔ハッチが突出していないイギリス軍仕様の「グラント戦車」。
Catalogue number: E 8467, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: Grant tanks of 5th Royal Tank Regiment display for the camera, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8467)


FDR アメリカが武器貸与法(Lend Lease Act)によて当初供給した戦車には、M3A スチュアート軽戦車、M3リー(Lee)中戦車がある。これらの戦車の中には、ドイツ軍の攻勢を受けたエジプト、スエズ運河の危機に応じて、急遽、アメリカから直接エジプトに運ばれた車両があったのかもしれない。そうであれば、イギリス軍兵は、このM3スチュアート軽戦車、M3リー(Lee)中戦車を初めて扱うことになり、訓練が必要不可欠であったろう。

1941年3月 11日に制定された武器貸与法Lend-Lease)にのっとって、アメリカはイギリスに飛行機・戦車から燃料・被服まで大量の軍事物資を貸与した。M3A軽戦車「スチュアート」は1942年8月までにアメリカで5800輌生産され、武器貸与法に基づいて、北アフリカ戦線で戦うイギリス陸軍に大量に供給されている。

スタンダード石油は、アメリカの世界最大の石油会社であるが、会長ティーグルはアメリカン・イー・ゲー(戦時中は GAF)の取締役だった。IGファルベン(イー・ゲー・ファルベン)は、ドイツ有数のメーカーで、第二次大戦勃発後も、スタンダード石油と取引し、協調関係にあった。スタンダード石油は系列会社を通じて、テトラエチレン鉛(アンチ-ノッキング剤)や合成ゴムをドイツに供給していた。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):司令塔ハッチが砲塔上面に突出していないM3グラント中戦車が隊列を組んで行進しているが、写真撮影用に演出したもののようだ。キャタピラカバーの先端が濃い色で塗装されている。
Catalogue number: E 8487, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: Grant tanks of 5th Royal Tank Regiment display for the camera, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8487)


ドイツのエニグマ暗号を解読していたイギリスは,アメリカとともにソ連をドイツに対抗させたがった。そこで,1941年春,ドイツのソ連攻撃が迫っていることを告げた。しかし,ソ連は,この情報を信じなかった。イギリスが,ソ連とドイツw離反させたがっていることは明白だったから,謀略によって独ソ戦を誘発しようとしていると疑っていたのである。

 ドイツ軍のフランス侵攻は、1940年5月に開始されたが,電撃戦の戦術は,ソ連軍にも大きな影響を与え,快速で攻撃力ある重装甲の戦車の有効性が認識された。ドイツ軍の戦車は,居住性・操作性は優れていたが,実際には,攻撃力も防御力も弱かった。ソ連軍はドイツ軍戦車の威力を過大評価したのかもしれない。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカで射撃訓練中のイギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):識別用らしい三角旗を旗竿の先端に付けている。キャタピラカバーの側面を濃い色で塗装している。
Catalogue number: E 8476, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: A Grant tank engaging a practice target in the Western Desert, 17 February 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (E 8476)


チャーチル ドイツ軍の場合、1944年の戦車大隊補給中隊には車両・武器整備班、戦車連隊には修理中隊があった。1944年の装甲師団の修理中隊は2個整備小隊、回収班、装備班、無線修理班、予備部品班から成っていた。現場の応急修理ができないほどの損傷を受けた車両は、軍車両廠に後送される。

  1940 年12 月末に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトFDR)は、「国の安全に関する炉辺談話」と称して、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal of Democracy)となる」とウィンストン・チャーチルWinston Leonard Spencer Churchill)率いるイギリスへの武器貸与の方針を表明した。

第二次世界大戦勃発から1年半後の1941年3月に成立した武器貸与法によって、連合国には総額501億ドルが貸与されたが、国別内訳はイギリス314億ドル、ソビエト113億ドル、フランス32億ドル、中華民国16億ドルで、イギリスが6割を占めている。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカで射撃訓練中のイギリス軍第5王室戦車連隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):砲塔上に司令塔ハッチが突出していないM3グラント中戦車が隊列を組んでおり、識別用か砲塔に旗竿を立てて三角旗をたなびかせている。

Catalogue number: E 9613, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major), Object description: Grant tanks of 3rd Royal Tank Regiment in the Western Desert, 24 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9613)引用。


 M3中戦車が完成した頃、ソ連赤軍はT-34戦車を装備しており、その搭載砲は,76.2ミリ(3インチ)砲で,アメリカの75ミリ砲と同等だった。T-34の砲塔は当初は,圧延鋼板溶接構造だったが,生産性の高い鋳造構造に変更された。また,砲塔は,ピロシキ形状で,傾斜装甲を全面採用し,車体周囲も傾斜装甲だった。T-34戦車は,全面的に避弾径始に配慮し,命中弾を横滑りさせて,貫通力を弱めることに成功した。装甲の厚さ以上に,防弾性能が優れていたといえる。

写真(右)1942年2月17日、北アフリカ、イギリス軍第3王室戦車連隊の兵士2人がアメリカ製M3グラント中戦車の75ミリ砲を槊杖(さくじょう)と呼ばれる清掃棒を砲口から差し込んで掃除している。キャタピラカバーの先端だけ、濃い色で塗装されている。
Catalogue number: E 8580, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit
Keating, Geoffrey (Major), Object description: The crew of a 3rd Royal Tank Regiment Grant tank clean the vehicle's sponson-mounted 75mm gun, 20 February 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 8580)引用。


槊杖(さくじょう:Ramrod)は、火砲や小銃の腔内(砲身内側)の手入れや清掃に用いる長い金属棒。槊杖(さくじょう:Ramrod)の長さは、銃身・砲身の長さとほぼ同じ長さが必要で、組み立て接続式のものもある。

写真(右)1942年3月29日、北アフリカ、鉄道で前線に運搬する途上のイギリス軍第7装甲師団第3王室戦車連隊C中隊本部のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):重量30トンの戦車を鉄道貨車に乗せるために、ランプ(登攀可能な坂道)が貨車と同じ高さにまで設けられ、戦車はここを自力で登攀して、貨車に積載されることになる。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一のパターンの迷彩塗装を施している。
Catalogue number: E 9915, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Travis (Sgt), Keating, Geoffrey (Major), Smith (Sgt), Clements (Lieut), McAndrew (Sgt), Object description: A Grant tank of 'C' Squadron HQ, 3rd Royal Tank Regiment, 7th Armoured Division, being loaded aboard a railway flatcar to be transported to the desert, 29 March 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 9915)引用。


1941年2月、エルヴィン・ロンメル大将隷下、ドイツアフリカ軍団が編成されて、イタリア領リビアに派遣された。4月、アフリカ軍団はイギリス軍を駆逐してベンガジを奪回し、トブルクを包囲した。しかし、トブルクを陥落させることはできず、イギリス軍は港湾都市トブルクを固守していた。1942年5月、アドイツ・アフリカ軍団は、ガザラに防衛線を築いたイギリス軍を攻撃し、6月21日にはトブルクを陥落させた。

写真(右)1942年6月6日、北アフリカ、イギリス軍のM3グラント中戦車が撃破されたドイツ軍I号戦車(PzKpfw I)の傍で停車している。I号戦車(PzKpfw I)は、全長4.02 m、全幅2.06 m、全高1.72 m、重量5.4 t、懸架方式:リーフスプリング方式、最高時速37 km/h、航続距離145 km、兵装 7.92mm MG13 機関銃2丁、装甲13 mm、エンジン M305水平対向4気筒空冷ガソリン・57馬力/2500 rpm、乗員2名。これはスチャート軽戦車の半分、グラント中戦車の5分の1の大きさである。このような無力な戦車を北アフリカにまで輸送、投入していたドイツ軍には驚かされる。
Catalogue number: E 12919, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Production date; 1942, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Photographic Unit No 1 Army Film & Photographic Unit,  Creator: A Grant tank stops alongside the burning wreck of a German PzKpfw I, 6 June 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 12919)引用。


 クルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将は、第二次世界大戦緒戦のノルウェー戦で戦ったが、ドイツ軍に敗北し、インド勤務を経て、1941年7月に中東方面の連合軍総司令官に就任した。其の隷下のイギリス軍第4装甲旅団は、第2スコットランド近衛連隊、第3王室戦車連隊、第5王室戦車連隊、第8軽騎兵連隊から編成され、北アフリカのビル・ハケイムて、トブルクへ向かうドイツ軍第15装甲師団の前進を止めようと防御線を構築した。配備されていた戦車は、第8軽騎兵連隊が偵察用のM3Aスチュワート軽戦車、第5王室戦車連隊は、M3グラント中戦車を装備されていたが、これらはアメリカから武器貸与法Lend-Lease Act)によって供与されたアメリカ製戦車である。

写真(右)1942年6月18日、北アフリカ、西砂漠を前進するイギリス軍のM3グラント中戦車(M3 Grant):砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。車体前面のヘッドランプは、ガラスが破損しやすいために、ヘルメットでカバーしている。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一の単一色で塗装されている。
Catalogue number: E 13533, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Flack (Sgt), Ackland A W (Sgt), Object description: A Grant tank advancing in the Western Desert, 18 June 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 13533)引用。


M3グラント中戦車は、乗員6人、全長 5,90 m、全幅 2,75 m、全高 3,02 m、重量 28トン、装甲 12,7-76,2 mm、 主砲 31口径7,5 cm砲、副砲56口径3,7 cm砲、発動機は、コンチネンタル・ライトContinental Wright Whirlwind R975 Radial Engine (9気筒420馬力)、ゼネラルモーターGeneral Motors 6046(12気筒410馬力)、ギバーソンGuiberson T-1400-2ディーゼルエンジンなど各種発動機の搭載が可能だった。コンチネンタル社(Continental)だけでも、5万3,000基のR-975 エンジンをM3リー、M4シャーマン戦車やその他戦闘車両用に生産し、ライト社はそれ以上の数のエンジンを生産している。

写真(右)1942年6月29日、イギリスの港湾から北アフリカに向けて船積みされるイギリス軍のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):重量30トンの戦車を持ち上げて船に積み上げるのは大型のクレーン。船積みを待っている2台のM3グラント戦車は、木製枠の上に載っていて、キャタピラの下に移動用の支柱を出し入れしやすいようになっている。
Catalogue number: H 21034, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Taylor (Lt), Object description: American M3 Grant tanks being unloaded from ships at a British port, 29 June 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 21034)引用。


 アメリカ合衆国の1941年3月武器貸与法(レントリース法:Lend-Lease Acts)を成立させ、軍事物資を友好国に貸与することができるようになった。

 1941年7月に中東方面の連合軍総司令官に就任したクルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将は、アメリカの武器貸与法Lend-Lease Acts)によって、アメリカ製のM3Aスチュアート軽戦車、M3グラント中戦車を貸与されている。

他方、ソ連のヨシフ・スターリンJoseph Stalin)は、ドイツが西部戦線でイギリスと対峙している以上、ソ連を攻撃する東部戦線を開いてくるとは考えなかった。しかし、1941年6月、バルバロッサ作戦に基づいて独ソ戦争が始まると,アメリカの武器や軍需物資が武器貸与法Lend-Lease Acts)に基づいて、ソ連にも即座に貸与されるようになった。

 アメリカの軍事物資は、北海を越える輸送船団あるいはイランを抜けるトラック輸送によって,ソ連にも貸与されるようになった。。米英からソ連への援助ルートは,ペルシャ湾・黒海からからロシア南部に入るルートと,ノルウェー北岸から,ロシア北部に入るルートがあった。

写真(右)1942年7月7日、エジプト、エル=アラメイン、イギリス軍第2装甲連隊第4女王騎兵隊C大隊のM3グラント/リー中戦車:砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。砲塔上面の司令塔の形状が異なっている。
Catalogue number: E 13533, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit  Object description: Grant and Lee tanks of 'C' Squadron, 4th (Queen's Own) Hussars, 2nd Armoured Brigade, El Alamein position, Egypt, 7 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 13533)引用。


 アメリカ製M3スチュアート軽戦車やM3グラント中戦車が,武器貸与法Lend-Lease Acts)によって,アメリカからイギリスに大量に貸与されており、イギリスの主力戦車となった。

M3中戦車は、アメリカ軍仕様のM33リー中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているが、イギリス軍仕様の「グラント中戦車」は、37ミリ砲塔上面のハッチはあっても司令塔は突出しておらず、その分、全高が低くなっている。

写真(右)1942年7月7日、エジプト、エル=アラメイン、イギリス軍第2装甲連隊第4女王騎兵隊C大隊のM3グラント・リー中戦車:砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、主砲の取り付け部にカバーをかけて覆っている。砲塔上面の司令塔の形状が異なっている。車体前面のヘッドランプは、ガラスが汚れやすいためか、カバーをかけてある。車体、砲塔、キャタピラカバーは、同一の単一色で塗装されている。
Catalogue number: E 14053, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit  Object description: Grant and Lee tanks of 'C' Squadron, 4th (Queen's Own) Hussars, 2nd Armoured Brigade, El Alamein position, Egypt, 7 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 14053)引用。


アメリカ軍仕様の「M3リー中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔ハッチが突出しているが、イギリス軍仕様の「グラント中戦車」は、37ミリ砲塔上面に司令塔は突出していないとされる。しかし、実際には、どちらのタイプもイギリス軍に貸与されていたようだ。

写真(右)1942年9月9日、北アフリカ、イギリス軍迷彩塗装を施した訓練中のM3グラント(M3 Grant)中戦車:M3グラント戦車の迷彩塗装は、茶色と薄い褐色のようだが、明細を施した戦車の写真は多くないので、普及していたわけではないようだ。戦車砲の取り付け位置には、砂漠の砂塵が車内や砲に入らないように、カバーをかけて覆っている。新米の戦車兵はみな略帽(フィールドキャップ)を被り、半ズボンだが、上着の袖は日除け用・車内保護用の長袖を捲くって半袖にしている。
Catalogue number: E 14120, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Windows (Sgt), Object description: A Grant, Lee and Stuart tank, El Alamein position, Egypt, 9 July 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 14120)引用。


1942年8月、イギリス軍はエル・アラメインの防衛線でエジプトを防衛するために、イギリス第8軍の指揮官にバーナード・モントゴメリー大将を任命した。イギリス軍は、アメリカの武器貸与法による戦車、航空機、燃料の補給を受けて戦力を拡充し、1942年10月23日からドイツ軍に攻勢をかけた。11月には、枢軸軍をリビアにまで撤退させたのである。

写真(右)1942年9月9日、北アフリカ、イギリス軍の兵士がアメリカ製M3グラント(M3 Grant)中戦車(左2両)とアメリカ製M3Aスチュアート軽戦車(右1両)で訓練を受ける新米の戦車兵たち:3両の戦車を使って新兵を訓練しているというが、実際の訓練よりも宣伝用写真プロパガンダとして利用するために撮影したようにも思われる。
Catalogue number: E 16625, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Martin (Sgt), Object description: Tank crews receiving instruction on the Grant tank, 9 September 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 16625)引用。


1942年11月8日、西側連合軍は、トーチ作戦Operation Torch)に基づいて、モロッコとアルジェリアに上陸し、1943年初頭、には北アフリカのドイツ軍をチュニジアに退却させた。1943年 1月14日から10日間、連合国首脳はモロッコでカサブランカ会談Casablanca Conference)を開いて、枢軸国に対する無条件降伏の要求を基本方針とした。

写真(右)1942年9月10日、北アフリカ、イギリス軍グロスタシャー近衛騎兵隊のアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant):砲塔周囲に'Atlanta II' の愛称がペイントされ、砲塔上には車載旋回機銃も装備されている。車体側面には、荷物の詰まったリュックサックや巻いた天幕が掛けられている。荷物を車内に格納すると、車内スペースが手狭になり、操作に不便が生じる。そこで、戦車兵は、私物を車外に置いて車内スペースを確保している。
Catalogue number: E 16711, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Ackland A W (Sgt), Object description: A British Grant tank 'Atlanta II' of A Squadron, Royal Gloucestershire Hussars, 10 September 1942. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 16711)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant CDL中戦車の記録写真
Catalogue number: H 41966, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: War Office official photographer Gladstone (Lt),
Object description: Grant CDL (Canal Defence Light) with searchlight and dummy gun mounted in turret.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (H 41966)


 イギリス軍は夜間戦闘を行うM3グラント夜間行動戦車(Grant CDL :Canal Defence Light)を開発した。これは、37ミリ砲塔を撤去し、そこに夜間行動用の照射サーチライト付きの特別砲塔(ターレット)を装備したもので、CDLの特別砲塔には、防御用の機銃と企図を艤装するためのニセの砲身(ダミー)をつけている。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、エルアラメイン、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の司令塔のイギリス第8軍総司令官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)中将:この写真を撮影するには、砲塔正面の上の位置ににカメラを持ってくる必要があり、モントゴメリーがカメラマンの真正面を見据えていることになる。この演出のために、モントゴメリーが砂漠を双眼鏡で観察している姿が滑稽にも思えてくる。戦場プロパガンダ写真とは、その実態を知ると「実戦の迫力」とは縁遠い。
Catalogue number: E 18980, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: Lieutenant General B L Montgomery, General Officer Commanding Eighth Army, watches the beginning of the German retreat from El Alamein from the turret of his Grant Tank. He is wearing his famous tank beret. Label: Lieutenant General Bernard Montgomery, commanding the British Eighth Army in North Africa, in the turret of his Grant command tank at El Alamein, 5 November 1942.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 18980)引用。


モントゴメリー   1943年5月13日、西側連合軍は、チュニジアTunisia)の枢軸国軍25万人を降伏させ、ドイツ軍、イタリア軍は北アフリカから完全に駆逐された。

 1943年7月10日、アメリカ軍とイギリス軍は、イタリア南部、シチリア島に上陸した。この時、アメリカ軍のドワイト・D・アイゼンハワー中将とともに、イギリス軍のバーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)大将は、1943年7月、イタリア、シチリア島進攻、ハスキー作戦Operation Husky)に参加した。連合軍は、8月中旬までシチリアを支配、解放した。

  バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)将軍は、イギリス軍第3師団の指揮官としてイギリス遠征軍(BEF)に参加したが、ドイツのフランス侵攻を防ぐことができず、敗退。しかし、1940年5月、第2軍団指揮官に任命され、イギリス軍の英本土撤退ダイナモ作戦Operation Dynamo)を成功させ、「ダンケルクの奇跡」を演出した。

 1942年8月から9月、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )の下に、エジプト西国境のエル・アラメインを起点に地雷と火砲で守られた堅固なボックス陣地を構築し、ドイツアフリカ軍団のエジプト侵攻を食い止めた。そして、密かに部隊を前線に集結させ、1942年10月23日、一斉攻勢を開始した。

写真(右)1943年1月15日、北アフリカ、リビアの沿岸道路をダイアモンドT980戦車運搬車に乗せられて進むイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車
Catalogue number: E 21272, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),
Object description:Grant tanks being carried on Diamond T 980 tank transporters along the coast road in Libya, 15 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21272)引用。


ダイアモンドT980戦車運搬車Diamond T 980 tank transporters
1941〜1945年に6,554両
重量12.2トン、全長7.11 m、全幅2.54 m、全高2.54 m。 
エンジン:Hercules DFXE ディーゼル185馬力(138 kW)、サスペンション: リーフスプリング式
航続距離480km、最高時速37km/h

写真(右)1943年1月19日、北アフリカ、王室電気機械工兵隊がイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車を軽修理のために戦車移動車両に運搬しようと指揮している。
Catalogue number: E 21450, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt),
Object description: Men of the Royal Electrical and Mechanical Engineers guide a Grant tank onto a Scammell tank transporter to take it to a light repair workshop, 19 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21450)引用。


アイゼンハワー  アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日のトーチ作戦Operation Torch)で、ドワイト・アイゼンハワーDwight D. Eisenhower)中将(大将昇格は1944年3月)指揮下の部隊が参戦してからである。ただし、それ以前からイギリス軍は武器貸与法Lend-Lease Act)に基づいて、アメリカ製のM3リー(Lee)/グラント(Grant)中戦車など戦車を大量に北アフリカに投入していた。また、イギリス連邦(英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)・植民地の兵士として、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インドの兵士も投入されている。

 1931年、ウェストミンスター憲章Statute of Westminster 1931)で、イギリス本国と自治領(Dominion:ドミニオン)とが対等でイギリス国王を元首とする共同体(コモンウェルス)を作ることが謳われた。ここで生まれたのが、英自治領コモンウェルスBritish Commonwealth)で、アメリカ参戦に遥かに先んじて、対ドイツ戦に参加し、派兵したり、軍需物資を供給したりして、イギリスを軍事的に援助した。

写真(右)1943年1月19日、北アフリカ、王室電気機械工兵隊がイギリス軍のM3グラントGrant 中戦車を軽修理のために戦車移動車両に積載した。
Catalogue number: E 21407, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Gladstone (Sgt),
Object description:Men of the Royal Electrical and Mechanical Engineers secure a Grant tank onto a Scammell tank transporter before taking it to a light repair workshop, 19 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21407)引用。


スキャメル戦車運搬トレーラーScammell Tank Transporter)では、イギリスのスキャメル社が開発し、第二次世界大戦中に活躍したイギリス軍のトラクターで、戦車運搬車だけではなく、砲兵トラクター、軍用回収車としても運用された。重量物を運搬するスキャメル戦車運搬トレーラーScammell Tank Transporter)は、頑丈で大きく長い車体に、ダブルタイヤ8輪のトレーラーを牽引できる強力なトラクターである。

写真(右)1942年11月5日、北アフリカ、エルアラメイン、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の正面に立ったイギリス第8軍総司令官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)中将の記念写真:モントゴメリーが大将に昇格する直前の撮影。
Catalogue number: E 18982, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Keating, Geoffrey (Major),
Object description: Lt General Bernard Montgomery, GOC 8th Army, standing in front of his personal Grant tank, 5 November 1942. 
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 18982)引用。


  バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)将軍は、イギリス軍第3師団の指揮官としてイギリス遠征軍(BEF)に参加したが、ドイツのフランス侵攻を防ぐことができず、敗退。しかし、1940年5月、第2軍団指揮官に任命され、イギリス軍の英本土撤退ダイナモ作戦Operation Dynamo)を成功させ、「ダンケルクの奇跡」を演出した。

写真(右)1943年1月22日、北アフリカ、トリポリ近郊、イギリス軍のアメリカ製M3グラントGrant 中戦車の脇に立つイギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将
Catalogue number: E 21405, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Poston (Capt),
Label: General Montgomery with other officers planning the final assault on Tripoli beside a Humber Mk II armoured car, 22 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21405)引用。


 1942年8月18日、クルード・オーキンレックClaude Auchinleck)大将の後任として北アフリカ・エジプトのイギリス第8軍を指揮していたバーナード・モントゴメリーBernard Montgomery)は、エルウィン・ロンメルErwin Rommel)元帥隷下のドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)をエル=アラメインの戦いで敗退させた。そして、1942年11月に55歳で大将に昇進している。

写真(右)1943年1月27日、北アフリカ、トリポリ近郊、イギリス軍の装甲車両の脇に立つイギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)大将
Catalogue number: E 21701, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Creator: No 1 Army Film & Photographic Unit Silverside, John (Sgt),
Label: General Montgomery stands beside a Grant command tank near Tripoli, 27 January 1943.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 21701)引用。


 1942年10月23日、エジプト・アレクサンドリアの西方、エル=アラメインで、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリーBernard Montgomery "Monty" )中将は、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)のドイツドイツ・アフリカ軍団Deutsches Afrikakorps)・イタリア軍への攻撃を開始した。

 エジプトのイギリス軍は、アメリカの武器貸与法(1941年3月31日成立)による戦車・飛行機からトラック・燃料、被服までの補給を受けて、北アフリカの枢軸軍の2倍、すなわち戦車1000輌両(強力なM3グラント、M4シャーマン中戦車は500輌)で、火力、航空支援の下で、1942年10月23日、攻勢を開始したのである。

 西側連合軍はエル=アラメインでの攻勢から2週間後の1942年11月8日、トーチ作戦を発動し、アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸した。北アフリカ、フランス領アルジェリアFrench Algeria)は、フランスのフィリップ・ペタン 元帥の下にあるヴィシー政権Vichy France)に忠誠を表明していた。しかし、ドイツの支配には反感を抱くフランス兵士が多く、侵攻してきたイギリス軍、アメリカ軍との大規模な衝突は起きなかった。

 フランス領アルジェリアFrench Algeria)を拠点にしたイギリス軍、アメリカ軍は、西側から、エジプトを拠点としたイギリス軍は東から、エルヴィン・ロンメルErwin Rommel)元帥率いるドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。

 1943年1月23日、イギリス第8軍指揮官バーナード・モントゴメリー大将は、トリポリを占領、エルヴィン・ロンメル元帥隷下のアフリカ軍団をリビアへ、そしてさらにチュニジア、チュニスに追いつめた。

写真(右)1943年9月2日、中近東、イギリス軍第6装甲師団の訓練生がアメリカ製M3グラントGrant 中戦車、イギリス製クルセイダー巡航戦車、アメリカ製M4シャーマン中戦車の戦列を見学する。
Catalogue number: E 4211E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Object description: Trainee crews practising gun cleaning on Grant, Crusader and Sherman tanks.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (E 4211E)引用。


 アメリカ軍が北アフリカ戦に加わったのは、1942年11月8日、トーチ作戦から。アメリカ軍とイギリス軍は、フランス領モロッコ、仏領アルジェリアの海岸に上陸しドイツ軍とイタリア軍を挟撃した。

  写真(右)1943年9月2日、中近東、アメリカ製M3グラントGrant 中戦車に集まったイギリス軍第6装甲師団の訓練生たち:6TH SOUTH AFRICAN ARMOURED DIVISION IN TRAINING IN THE MIDDLE EAST, 2 SEPTEMBER 1943
Catalogue number: E 4210E, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white,
Object description: Trainee crews receiving instruction on the Grant tank.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (E 4210E)引用。



4.大戦末期にも活躍したイギリス陸軍 M3 中戦車

 アメリカ軍ドワイト・D・アイゼンハワー中将とともに、バーナード・モントゴメリーBernard Law Montgomery)大将は、1943年7月9日、ハスキー作戦Operation Husky)に基づくイタリア、シチリア島進攻に参加、島の東岸シラクサに上陸、北方に枢軸軍を追い詰めていった。

 1943年7月24日、久しく開かれていなかったファシズム大評議会Grand Council of Fascism)が招集されたが、ここでファシスト党幹部グランディらは、総帥ベニート・ムッソリーニBenito Mussolini )首相を罷免し、政権を国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世に返還することを決めた。翌日25日、ムッソリーニはサボイア朝ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世Vittorio Emanuele III di Savoia)国王に解任された。

 1943年9月8日、イタリアの ピエトロ・バドリオPietro Badoglio)将軍率いる新政権は、連合国と密約を交わしていた休戦協定を公表したが、ドイツ軍は即座にイタリアを占領、イタリア軍兵士を武装解除した。翌日9月9日、イタリア新政府は国王とともに首都ローマを脱出した。同日、連合軍は、アバランチ作戦を発動しイタリア半島サレルノに上陸した。

写真(右)1944年9月27日、北イタリア、イギリス第8軍団司令部護衛中隊のアメリカ製 M3 グラント(Grant)中戦車:このM3戦車は、元は第8軍団司令官モントゴメリー大将がエルアラメインで使用していた車両だった。車体前面にも戦車の愛称を付けている。
THE BRITISH ARMY IN ITALY 1944
Catalogue number: NA 19106, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Gade, Richard Felix (Captain
Object description: The Grant tank of 8th Army Tac HQ's Defence Company, 27 September 1944. This was General Montgomery's command tank at El Alamein and was a permanent feature of 8th Army Tac HQ.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (NA 19106)引用。


写真(右)1944年3月-7月、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、インパール北部で渡河するイギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee ):日本軍の対戦車砲、戦車、RPGなど対戦車兵器は弱体だったため、ヨーロッパ方面では使用されなくなった旧式のM3リー中戦車でも十分に戦力となると判断され、インド防衛コヒマ・インパール攻防戦に投入されている。
Catalogue number: IND 3468, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit
Object description: The Battle of Imphal-Kohima March - July 1944: An M3 Lee tank crosses a river north of Imphal to meet the Japanese advance. Label: A British Lee tank crosses a river north of Imphal to meet the Japanese advance in Burma, 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (IND 3468)引用。


写真(右)1944年3月-7月、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、インパール=コヒマ道路を前進する、イギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee )、ウェストヨークシャ連隊と第10グルカ歩兵連隊。インド・ネパールの山岳民族のグルカは、勇猛果敢なことで知られる。山村での農業を営んでいるが、大英帝国のインド植民地で、植民地兵として徴用され、傭兵ともなった。
Catalogue number: IND 3469, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit
Object description: The Battle of Imphal-Kohima March - July 1944: Men of the West Yorkshire Regiment and 10th Gurkha Rifles advance along the Imphal-Kohima road behind Lee-Grant tanks.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (IND 3469)引用。


 CBIとは中国・ビルマ・インド戦線(China Burma India Theater)のことで、日本軍は、1942年からビルマを占領して、中国への西側連合軍からの補給を遮断しようとしていた。

 日本軍は、九七式中戦車九五式軽戦車、さらに一式戦車を投入したが、M4シャーマン戦車には圧倒され、M3Aスチュアート軽戦車にも対抗できなかった。西側連合軍は、インド・ビルマから重慶を臨時首都とした中華民国の蒋介石総統への陸路・空路による補給を行っていた。1944年になると、米軍式装備の中国軍部隊は、日本軍を圧迫し、ビルマに南下した。

写真(右)1944年3月20日、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、ビルマ中部、マンダレー南を前進するイギリス第9軍のアメリカ製M3リー中戦車(M3 Lee )、乗員たちは日本軍兵士が出征祝いとして大切にしていた日章旗を戦利品として略奪した。
Catalogue number: SE 3497, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit Taylor E A (Capt),
Object description: The crew of a Lee tank pose with a captured Japanese flag during the advance south of Mandalay, 20 March 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (SE 3497)引用。


   1944年(昭和19年)3月、ビルマの日本陸軍第15軍は、インパール攻略「ウ号作戦」を発動し、インドに侵攻して、イギリス植民地を混乱に陥れ、合わせて西側連合軍から中国への補給路「援蒋ルート」を遮断しようとした。第15軍司令官牟田口廉也中将の隷下、3個師団4万人以上、その他補給部隊(輜重)など3万人、合計8万人が攻勢に投入された。

写真(右)1945年4月4日、中国・ビルマ・インド(CBI)戦線、ビルマ中部、タングップ郊外でアメリカ製M3グラント中戦車(M3 Grant)のキャタピラーを修理しているイギリス王室装甲軍団第146聯隊の乗員たち:鉄棒を使ってキャタピラとなる鉄板1枚1枚の間隔を調整している。
Catalogue number: SE 3747, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 9 Army Film & Photographic Unit Wackett, Frederick (Sergeant),
Object description: A Grant tank crew of 146th Regiment, Royal Armoured Corps repair one of the tracks of their vehicle on the outskirts of Taungup, 4 April 1945.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (SE 3747)引用。


 攻勢に出た日本軍は、一時、インパール西方、コヒマを占領し、インド本土からのインパールへの陸路を遮断することに成功した。しかし、航空機、戦車・火砲の攻撃力に勝るイギリス軍は、インパールを固守し、補給が滞った日本軍の攻勢は完全に頓挫した。

写真(右)1945年6月以降、オーストリア、ウィーン郊外、シェーンブルク宮殿で展示されたイギリス第8軍司令官バーナード・モントゴメリー元帥の乗機になったイギリス軍のM3グラント中戦車(Grant Tank):北アフリカ戦線で活躍したグランド中戦車は、モントゴメリー大将の乗車戦車にもなって写真にも多数残されている。現在この記念すべきM3グラント中戦車は、ロンドンにある帝国戦争博物館(Imperial War Museum)に展示されている。戦争に関心ある日本人の中では、「エルアラメインでも勝因は物量だと揶揄されてます。しかし、物量でドイツを圧倒したのは、なにもモントゴメリーだけじゃありません。パットン・ジューコフも基本は同じことです。 落ち目の帝国イギリスに必要だったのは、ひらめきで猛進する将軍よりも、勝つ要素を積み上げてから実行に移す司令官でした」と物量があれば勝って当然とするがいかがなものか。犠牲を少なくして、できるだけ「楽して」勝つのが最良の将軍であるとの視点が未だに欠けている。」
BRITISH FORCES OF OCCUPATION IN AUSTRIA 1945 - 1947、 Catalogue number: VIE 1717, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: All Periods
Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit Hatfield (Sergeant),
Object description: Field Marshal Montgomery's Grant Tank on display outside the Schonbrunn Palace, British Forces headquarters in Austria. This vehicle is now on display in the Imperial War Museum, London.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (VIE 1717)引用。



5.オークションに出品されたアメリカ陸軍 M3 中戦車


写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車(シリアルナンアーT-23876)
:M3A5 Grant Medium Tank, serial number T374, British WD number, T-23877, was built in May 1942 by Baldwin Locomotive Works. It is the 374th Grant that Baldwin produced. It was shipped directly to Australia from the U.S. in the Summer of 1942 and most likely would have been kept in service with Australian reserve units until the early 1950s. Its sister tank, T373, WD number T-23876, is currently on display at the Puckapunyal Tank Museum in Australia. This vehicle has been cosmetically restored with fresh paint inside and out, the addition of new front fenders, serviceable tracks and roadwheels. It is currently non-operational. The interior has had various ammunition racks installed with inert/dummy 37-mm and 75-mm rounds added. A radio set has been installed in the turret. The driver's dashboard has had all instruments replaced. A N.O.S. “Little Joe” auxiliary generator has been installed in the hull. New fuel gauges for the twin GM diesels have been installed. N.O.S. periscopes for both the 37-mm and 75-mm guns have been installed. 写真はAuctions America引用。

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の車体上面の砲塔(37ミリ砲搭載)と前輪サスペンション: Pioneer tools and a machine gun tripod have been added to the hull exterior. Original World War II track clamps have been fitted to the hull of the tank. Deactivated main armament has been installed in the turret and hull. Various other crew equipment has also been included. The original, unrestored turret basket and exterior stowage bins will be provided with this tank. And finally, a spare GM 6046 power pack will also be included with this tank. To meet British needs, a new, larger turret for the 37-mm was designed. Unlike the American M3 which had the radio located in the hull, the British M3 had the radio located in the bustle of the new turret. This allowed for it to be closer and more accessible for the tank commander. To differentiate between the two types, the British named the American M3 the Lee and their M3, the Grant. The British Commonwealth received 2,887 Grants and Lees of various types during WW II. Production of the Lee/Grant ended in December 1942.写真はAuctions America引用。

写真(上)写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の覗き穴と車内の操縦手席。オークションで$276,000 で落札
: The Grant first saw action with the British 8th Army in North Africa during May 1942 at the Battle of Gazala. At the time of its introduction, the Grant finally provided the 8th Army with a tank that outgunned the majority of the tanks in service with the German Afrika Korps. Prior to the introduction of the Grant, the tanks of the 8th Army were equipped with the puny 2-pdr (40-mm) cannon or the U.S. manufactured 37-mm cannon. The 2-pdr lacked a high explosive (HE) round which was all so valuable in combating enemy anti-tank guns. Although the 37-mm gun did have a HE round, it was quite small and of limited effect. The lack of suitable HE rounds forced British tankers to have to rely on field artillery to knock out the guns or they would have to close to suicidal close ranges and attempt to engage the enemy guns with their tank-mounted machine guns.

写真(上)2014年7月12日、オークションで17万8250ドルの価格で取引されたM3A5 Grantグラント中戦車の車内側壁の砲弾ラックと車内床の砲弾収容箱。オークションで$276,000 で落札
:The Grant's 75-mm M2 and later 75-mm M3 gun with their powerful HE rounds, allowed the British to engage German anti-tank guns effectively from relatively safe ranges. The armor piercing capability of the heavier 75-mm round also allowed them to engage any of the German panzers with a good chance of success. Sadly for the British tankers, this technological advantage was nullified by the inferior tactics used by the 8th Army during this time. By the time British tactics were changed, the Grant was beginning to be replaced by the M4 Sherman series. As a gun tank, all Grants were replaced in 8th Army service by early 1943. Some were kept and used as command vehicles during the invasions of Sicily and Italy. With their main armament removed, the roomy hull of the Grant provided an ideal space for use by senior officers. Other Grants were shipped during the war to Australia and India. Those in India eventually saw service against the Japanese and served until the fall of Rangoon in Burma. Australia never deployed their Grants overseas and maintained them for home defense. They kept some of them in reserve service until 1955.
上記の写真8点はAuctions America引用。



写真(上)2016年5月、eBayインターネットオークションでarmytankguyがWWII Tank, M3 Grant Turretと称して競売入札にかけたM3グラント中戦車の鋳造砲塔
:左写真にある正面四角の切欠きは37ミリ砲の防楯装着場所。右写真の砲塔後方側面には、砲塔内部から外の様子を覗く観察窓、すなわち覗視孔(てんしこう)がある。販売場所は、College Station, テキサス州(Texas), アメリカ合衆国(United States)。2016年3月後半のM4A2E8シャーマン中戦車eBayオークションの即決価格は55万ドル(約6100万円:$550,000)だったが、このM3グラント中戦車eBayオークションの砲塔外板の即決価格3万5,000ドル(371万7,472円)というのは歴史的価値を考えても高価である。 写真はeBay Motors引用。


写真(上)2016年5月、インターネットオークションeBayでWWII Tank, M3 Grant Turretとして競売入札にかけられたM3グラント中戦車の鋳造砲塔の外板:砲塔上面後ろ寄りには、出入りに利用できる司令塔ハッチがあるが、ペリスコープの観測窓はついていない。砲塔の側面には、周囲の様子を覗くための細長い覗視孔(てんしこう)がある。重量は6000ポンド(2700キログラム)。Price:US $35,000 Buy it now
Original turret for the M3 Grant medium tank. Early model with the factory welded up loader's hatch. Includes most of the M24 gun mount for the front and a reproduction 37MM mantlet. Has only 1/2 of the door for the commanders hatch. The commanders coupla rotates freely. I will help load but shipping is the responsibility of the buyer. Weighs approx. 6000 lbs.
写真はeBay Motors引用。





6.アメリカ陸軍 M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月6日、ノルマンディ海岸エルマンヴィル=シュル=メール近くのイギリス軍王室近衛砲兵隊第33野戦砲兵大隊のアメリカ製 M7プリエスト105ミリ自走榴弾砲 GMC (Gun Motor Carriage) : ノルマンディ海岸の上陸地点は、ソード・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ゴールド・ビーチ、オマハ・ビーチ、ユタ・ビーチの5カ所だったが、後方への空挺部隊降下も行われている。
Catalogue number: B 5032, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Mapham J (Sgt),  Object description: A battery of M7 Priest 105mm self-propelled guns from 33rd Field Regiment, Royal Artillery, near Hermanville-sur-Mer, 6 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5032)引用。


M7プリースト105ミリ自走榴弾砲105mm SP M7 Priest)は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の 自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

 M7プリースト105mm自走榴弾砲は、M3中戦車の車台をベースにした機械化部隊随伴の自走砲で、1941年6月に開発された。105mm砲弾を69発搭載。1942年中に2,000両が生産され、その後1944年10月までにさらに1100両が生産された。M12 155ミリ自走加農砲も開発された。

⇒アメリカ軍M7 105ミリ自走榴弾砲 GMC


7.アメリカ陸軍 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)

写真(右)1944年6月7日、ノルマンディのゴールドビーチに上陸したイギリス軍のアメリカ製M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage) :1944年9月、オランダ中部への空挺部隊降下(マーケット・ガーデン作戦)が不調だったこともあって、ドイツ本土への西側連合軍の本格的な侵攻は、1945年に入ってからとなった。
Catalogue number: BU 3514, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: American M12 155mm GMC (Gun Motor Carriage) self-propelled guns coming ashore, Gold area, 7 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (BU 3514)引用。


M12 155ミリ自走加濃砲 GMC諸元
全長:6.73 m、全幅:2.67 m、全高:2.7 m
重量: 26トン
装甲:車体前面50mm
兵装:38.2口径M1917 155mmカノン砲、 搭載弾薬 10発
ライトコンチネンタル R975 EC2 空冷星形9気筒ガソリンエンジン(340馬力)
行動距離:220 km

写真(右)1944年6月10日、ノルマンディ、バイユー近くのイギリス軍第987野戦砲兵大隊のアメリカ製 M12 155ミリ自走加濃砲 GMC (Gun Motor Carriage)
Catalogue number: B 5413, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: Black and white, Creator: No 5 Army Film & Photographic Unit Laing (Sgt),  Object description: An American M12 GMC 155mm self-propelled gun of 987th Field Artillery Battalion near Bayeux, 10 June 1944.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (B 5413)引用。


 1941年6月に開発開始、1942年2月に試作車が完成したM12 155ミリ自走加濃砲 GMCは、フランス設計の38.2口径155mm加農砲M1918M1を、M3リー中戦車の車台に搭載した自走砲。 四角形の戦闘室は、、前面、左右側面を垂直な0.5インチ(12.7mm)厚の装甲板で囲んでいる。
 M12 155ミリ加農砲M1918M1は、左右旋回角左右各15度、仰角−3〜30度で、射会は広い。42キロの榴弾は、最大射程1万8,000メートルに達する。しかし、大型砲弾のために、車載可能な弾丸は10発分に過ぎない。また、弾頭と薬莢が一体化していない分離装薬式であったために、装填に手間がかかり、発射速度は毎分4発程度に制限された。

⇒アメリカ軍M12 155ミリ自走榴弾砲 GMC


8.グラント回収車 (Grant Armoured Recovery Vehicle: ARV )

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、牽引装備を施したグラント回収車 :ブレン機銃を二連装にして車体上面に装備したのは、対空機銃としてであろう。車体側面に牽引に使用するワイヤー、斧などの工具を付け正規装備をしているので記録写真と思われる。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27559, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Harrison (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27559)引用。


 M4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているM3グラントは、信頼性、機動性に優れていたが、M4シャーマン戦車の登場で旧式化してしまった。そこで、戦車回収車に改修して前線位投入された。M4シャーマン戦車との車体を活用した IWM グラント回収車(TRV:Tank Recovery Vehicle)は、汎用性に富んでいて、旧式化しても前線で、壕にはまったり、砲撃で破損したりした戦車を有効に回収することができたと思われる。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、M3グラント戦車の砲塔と主砲を取り除き重量を軽減したうえで、ブレン機銃を二連装にして装備したグラント回収車 :ブレン機銃は、チェコZB26機銃をほぼコピーしたイギリスのガス駆動軽機関銃で、弾薬はイギリス軍制式小銃エンフィールドMk.4と同じ0.303口径7.69ミリ弾である。発射速度は毎分500発。車体後方には、壕を超えたり、軟弱地盤から脱出したりするときに使用できる木板と角材、長い牽引用のワイヤーが整然と搭載されている。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27562, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with twin Bren AA mount.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27562)引用。


 当時のイギリス軍歩兵が使用した小銃は、1895年制式リー・エンフィールド0.303口径7.69mmボルトアクションライフル(Rifle )Lee Enfield No.4 Mk Iが主流だった。このエンフィールド小銃は長年に渡りイギリス軍の制式小銃として配備されていた。

http://media.iwm.org.uk/iwm/mediaLib/21/media-21671/large.jpg?action=d&cat=photographs写真(右)1943-1944年頃、イギリス(?)、車体前面にクレーンを装備したグラント回収車 :車載機銃など防御兵器は搭載していないようだが、連合軍は制空権を確保している地域で作戦行動をとる場合が多かったので、機銃の搭載は、乗員の精神的な面を保持する程度であり、実効性がないために不要と判断されたのかもしれない。
THE BRITISH ARMY IN THE UNITED KINGDOM 1939-45
Catalogue number: H 27569, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) with jib fitted.
写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・IWM (H 27569)引用。


 戦場で戦車が壕に埋まったり、軟弱地盤に足をとられたりした場合、車体を若干持ち上げて、牽引することで、脱出できる場合が多い。戦場で動けなくなった戦車を素早く改修、修理して前線に復帰させることで、兵力の維持は、新兵や新しい戦車の供給を待つよりも早期に回復できる。そこで、走行を施して、敵の攻撃を予期しつつ、戦車を回収、牽引できる装甲回収車が開発、部隊配備されるようになった。

写真(右)1944年5月16日、北イタリア、ドイツ軍防衛線グスタフ・ラインを攻撃し動けなくなったM4シャーマン戦車を牽引するグラント回収車 :M3グラント戦車はM4シャーマン戦車と同じサスペンション・エンジンを備えているので、砲塔を撤去し、主砲を除去すれば、重量は大幅に軽くなり、牽引能力は強化された。砲塔ないが、司令塔にニセの37ミリ偽砲を装着して偽装を施し、攻撃を受けにくくしている。
Catalogue number: B 8910, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: No. 2 Army Film & Photographic Unit, Fox (Sgt), 
Object description: A Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle) Mk I tows a disabled Sherman tank during the assault on the Gustav Line, 16 May 1944. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (B 8910)引用。


写真(右)1944年頃、イギリス(?)、M4シャーマン戦車をロッドを使って牽引しようと準備しているグラント回収車 :M3グラント戦車の砲塔、火砲を除去し簡易型の戦車牽引車ではあるが、M4シャーマン戦車の動力部をそのまま生かして、牽引能力を発揮できた。しかし、M4シャーマン戦車をベースにしたシャーマン回収車が量産されたために、グラント回収車はそれほど前線の部隊には配備されていないようだ。
Catalogue number: H 27580, Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period: Second World War Alternative Names: object category: object category: Photography, Creator: War Office official photographer Wooldridge (Sgt), 
Object description: Sherman tank being hooked up to the rear of a Grant ARV (Armoured Recovery Vehicle). 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・ IWM (H 27580)引用。


⇒イギリス陸軍クル―セイダーCrusader 巡航戦車
⇒イギリス軍クロムウェル Cromwell 巡航戦車
⇒イギリス陸軍マチルダ II Mark II Matilda歩兵戦車
⇒イギリス軍チャーチルChurchil歩兵戦車



9.アメリカ軍 M4中戦車 シャーマン Sherman−M3リー戦車の後継戦車

写真(右)1942年6月,フォートノックスのM4シャーマン中戦車とM3グラント戦車:M3グラントは大きな司令塔ハッチが砲塔上面に突出しているが、デザインにはM4戦車に引き継がれている。
Title Fort Knox. M-4 tanks and crews. A new member of our armored forces, an M-4 tank meets an older M-3 at a fueling point at Fort Knox, Kentucky. With its superior construction and increased firepower, the M-4 (shown at the left) is very popular with the hard-bitten "tankers" who man it. Contributor Names Palmer, Alfred T., photographer United States. Office of War Information. Created / Published 1942 July. Library of Congress Control Number 2017692848 Reproduction Number LC-USE6-D-005153 (b&w film neg.) (b&w film neg.)
写真は,Library of Congress>Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


M4シャーマン戦車とは、南北戦争の時のジョージア州アトランタを攻略した北軍ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman, 1820-1891)将軍に由来する。1965年4月、ノースカロライナ州に進軍して、ロバート・E・リーと協力して、南軍リー将軍を降伏させ、南北戦争を北軍の勝利に導いた。グラントが大統領に就任すると、1869年に後任の陸軍総司令官に就任し、14年間、陸軍を育成に当たった。

写真(右)1942年6月,フォートノックスのM4シャーマン中戦車とM3グラント戦車(奥):車体前方にヘッドライト2個が装備されている。M3は大きな司令塔ハッチが砲塔上面に突出しており、全高は3.12 mで、M4シャーマンの2.97mと大差はない。
Title Fort Knox. M-4 tanks and crews. In the new M-4 tanks (right), the designers and the engineers got together to provide fighting advantages over and above those of the older M-3 tanks (left). Location: Fort Knox, Kentucky Contributor Names Palmer, Alfred T., photographer United States. Office of War Information. Created / Published 1942 July. Library of Congress Control Number 2017692854 Reproduction Number LC-USE6-D-005159 (b&w film neg.)
写真は,Library of Congress Prints & Photographs Reading Room>Prints & Photographs Online Catalog引用(他引用不許可)。


  M4シャーマン M4シャーマン戦車は、M3リー(Lee) 中戦車の車体を利用し、そこに砲塔に75mm砲を搭載するスタイルで設計された。M4シャーマン戦車が制式になったのは、1941年10月、これは日米開戦の直前だった。大量生産するために、鋳造生産の車体としたM4A1、板金溶接車体のM4の2種類が同時に量産された。M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産開始、M4は1942年7月から量産開始。

⇒アメリカ陸軍M4シャーマン戦車
⇒アメリカ製イギリス軍シャーマン・ファイアフライ戦車Sherman Firefly
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ドイツ陸軍III号戦車・IV号戦車・ティーゲル重戦車



◆毎日新聞「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを扱い、ポーランド侵攻、ソ連侵攻バルバロッサ作戦、ノルマンディ侵攻、ラインの守り作戦も解説しました。
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊

⇒写真集:ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車

VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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