◆ユンカース(Junkers)F.24単発輸送機
写真(上)1928年-1930年代、スイス、チューリッヒ空港、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(G.24三発機の単発型):
Junkers, F.24
Catalog #: 01_00081543
Title: Junkers, F.24
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum )・"Catalog #: 01_00081543引用。
◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。
1.ユンカース(Junkers)F.13輸送機
第一次世界大戦中の1915年、ドイツ帝国のヒューゴ・ユンカースは、主翼の新構造を打ち出した。それは、主翼を支柱や張金を張って主翼を支えるのではなく、それらを取り去り、空気抵抗を減少させた片持式主翼である。また、胴体の堅牢性を高めるために、内部骨格を減少させ重量軽減図る波型の金属外板を開発した。この片持式の低翼・単葉、波板の構造を活用し、戦後ユンカースが開発したのが、ユンカースF.13単発輸送機だった。
写真(右)1921年頃,アメリカ東部、ワシントン D.C.、アナコスティア、駐機しているアメリカ製ユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)JL-6輸送機(GOOSE)左側面:アメリカは、ユンカースF.13の製造権を購入し、JL-6として自国生産し、胴体後方側面にユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)のJLのロゴを描いている。垂直尾翼も、鋭角の魚のひれ状になっている。 Junkers-Larsen : JL-6
Catalog #: 00067793
Manufacturer: Junkers-Larsen
Designation: JL-6
Official Nickname:
Notes: Don. E.M.Benedict Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は,San Diego Air and Space Museum引用。
ユンカース(Junkers)F.13旅客輸送機の胴体中央部のモノコック構造と主翼の付け根部分の骨組み:機体の構造・金属骨格がよくわかる。飛行機は、堅牢なだけでなく軽量化も必要で、フレーム・骨格には、重量軽減のためのの穴(ホール)が開けられている。右側が機首部分で、重量のあるエンジンを搭載するエンジン懸架の骨組みが強度を持たせてある。
ユンカースF.13旅客輸送機の生産機数は、ドイツ93機、ソ連49機、アメリカ26機、コロンビア17機、ポーランド16機、イタリア12機、日本・ボリビア各8機、フランス・フィンランド・オーストリア各7機、イギリス・ハンガリー・ペルシャ各6機、スウェーデン・スイス各5機、中国・トルコ各4機、ベルギー・スペイン・ラトビア・アルゼンチン各3機、ルーマニア・ブルガリア・オーストラリア・チリ各1機などと世界で300機以上生産・組み立てられている。
1920年、アメリカ、郵便輸送に使用されたユンカース・ラーセン( Junkers-Larsen)JL-6は、ユンカース・ラーセン社製造のユンカースF.13輸送機で、全部で8機生産された。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)F.13輸送機を見る。
2.ユンカース(Junkers)W33輸送機
ユンカースが飛行機製造に用いたジュラルミン製波板状外板は、平面の物よりもはるかに強度が高く、堅牢である。そこで、鋼管フレームで直方体形状を作り、それを胴体骨格として、その外板にジュラルミン真美板をはった。そこで、胴体の形状は、家屋と同じように直方体となり、円筒状の一般的な飛行機よりも胴体容積を無駄なく使うことができた。
写真(右)1927年8月、ドイツ、ザクセン州デッサウ(Dessau)、未舗装飛行場に待機する完成直後と思われるユンカース(Junkers)W.33輸送機の右側面:尾輪には、移動しやすいようにドリーが装着されている。ユンカース社デッサウ工場で完成したばかりと思われる。
Dessau.- Arbeiten an einem Junkers Ozeanflugzeug
Title
Dessau, Junkers-Ozeanflugzeug
Depicted place Dessau
Date August 1927
Collection
German Federal Archives
Current location
Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102)
Accession number
Bild 102-00396
写真は Wikimedia Commons, Category:Junkers W 33 File:Bundesarchiv Bild 102-00396, Dessau, Junkers-Ozeanflugzeug.jpg引用。
写真(右)1929年5月,スイス(?)、飛行機格納庫内でのユンカース(Junkers)W 33単発輸送機のコックピット正操縦席と操縦輪・計器盤:コックピットの左が正操縦士、右が副操縦士の席である。足元には、方向舵を操作するフットペダルがある。胴体は波板状のコルゲート構造で、機体表面の強度を向上させている。 Photographer:
Photographisches Institut der ETH Zürich
Title:
Cockpit of a Junkers W 33
Original title:
Cockpit einer Junkers W 33
Caption:
Orderer: Leopold Karner, ETH professor for structural analysis, building and bridge construction in wood and iron. Reproduction of a paper print
Dating:
5/1929
写真は, ETH-Bibliothek Zürich
PI_29-B-0167
引用。
ユンカースJunkers W 33輸送機の諸元
初飛行:1926年 搭乗員: 2人 発動機:ユンカース(Junkers) L5エンジン228 kW(310馬力)1基 全幅: 17,75 m.、全長: 10,50 m 全高: 2,90 m 主翼面積 43平方メートル 最高速度: 197 km/h 重量:2100 kg
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.34輸送機を見る。
3.ユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24単発仕様
写真(上)1925年,正面から見たユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI Uエンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AUエンジン (507 kW / 690 PS)1基装備で、プロペラは4翅。 Title:
Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white Orientation:
Horizontal Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers F 24. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-279-AL-FL 引用。
ユンカース(Junkers)G. 23三発旅客機の単発用仕様ユンカース(Junkers)F. 24輸送機の装備したBMW VI 液冷式V型12気筒エンジンは、BMW(Bayrische Motorenwerke)社が1924年に開発した航空機用発動機で 重量546 kg、出力は当初420hp、後に 530 hp を発揮した。そしてBMWは、1928年にはより大型化、出力向上を図ったBMW VII液冷式V型12気筒エンジンを開発した。これは、同じV型12気筒だが、気筒は160x190 mmに大型化し、重量は615kg、出力は750 hpに達した。
写真(右)1925年,草地の滑走路でエンジンを駆動しているユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI U液冷エンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AU液冷エンジン (507 kW / 690 PS)1基などを装備した。 Title:
Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white Orientation:
Horizontal Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers F 24. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-279-AL-FL 引用。
ユンカースG24は、前作G23の発動機を強化した形式で、同時に非公式に開発された。そこで、 国際ドイツ航空機管理委員会(ILUK :International Aviation Control Commission in Germany) は、軍用機(転用可能)とG24を評価し、G24の開発を禁止した。
写真(右)1925年,草地の滑走路でエンジンを駆動しているユンカース(Junkers)F 24輸送機の機首の2翅プロペラに手をかざし記念撮影するオーバーオール飛行服姿の搭乗員:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI U液冷エンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AU液冷エンジン (507 kW / 690 PS)1基などを装備した。
Title:Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert) Categories:
View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Engines + Generators, Junkers F 24
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-281-AL-FL 引用。
そこで、ユンカースのデッサウ(Dessau)工場では、公式にはG.23を生産するとしたが、このデッサウ工場で製造されたG.23は、スウェーデン南端マルメ沿岸リーハムのスウェーデンAB航空産業(A.B. Flygindustri)でユンカース(Junkers)L2 液冷エンジンに改造され、ドイツに戻され、ドイツ・ルフトハンザ航空など主にG23として使用された。
ユンカース G23/G24は、1925−1929年の間に多様な発動機を搭載した。このユンカース G23/G24の三発の発動機を機首1基に減少したのが1927年開発のユンカースF.24単発機である。
写真(右)1925年,草地の滑走路でエンジンを駆動しているユンカース(Junkers)F 24輸送機/G24の単発仕様の機首に搭載された液冷V12エンジン:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMW VI Uディーゼルエンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AUディーゼルエンジン (507 kW / 690 PS)1基などを装備した。 Title:Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Engines + Generators, Junkers F 24
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-277-AL-FL 引用。
G.23/G.24三発機を原型としたユンカース(Junkers)F. 24単発機は、ユンカース(Junkers)G. 23三発旅客機の単発用仕様で、搭載した発動機はBMWVI U液冷エンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AU液冷エンジン (507 kW / 690 PS)1基などを装備した。
写真(右)1925年,草地の滑走路で待機しているユンカース(Junkers)F 24輸送機(G24の単発仕様)のコックピット:エンジン1基の単発機なので、エンジン3基の三発機よりメーターの数は少ない。 Title:Junkers F 24 mit dem ersten Junkers-Flug-Dieselmotor Jumbo 4
Dating:
ca. 1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft, Junkers F 24 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-281-AL-FL 引用。
ユンカース(Junkers)F 24輸送機(G24の単発仕様)の発動機は、1基でメーターの数は少ない。ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の単発用仕様でBMWVI U液冷エンジン (551 kW / 750 PS)あるいはBMW VII AU液冷エンジン (507 kW / 690 PS)1基などを装備した。
写真(右)1925-1934年3月10日、ドイツ、飛行場格納庫前に待機しているドイツのユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(D-1019):G.24三発機の原型を1927年に単発型とした。
Date & Time: Mar 10, 1934
Type of aircraft: Junkers F.24
Operator:
Registration: D-1019
Flight Phase: Flight
Flight Type: Cargo
Survivors: Yes
Site: Plain, Valley
MSN: 843
YOM: 1925
Location: Gliwice Silesian Voivodeship (Śląskie)
Country: Poland
Region: Europe
Crew on board: 2
Circumstances: The airplane crashed in unknown circumstances in Gliwice, Silesia. Both crew members were injured and the aircraft named 'Rotterdam' was damaged beyond repair. The aircraft was a Junkers F.24kay, an originally three engines G.24 version converted to a single engine in 1927. 写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum )引用。
1934年3月10日、ドイツのユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(D-1019)は、ポーランド、シレジア地上グリウィックで大破し修理不能になった。幸いなことに乗っていた搭乗員2名は無事だった。
写真(右)1928年-1930年代、アメリカ、ネバダ州(?)、マーキュリー空港(Mercury Field)、ドイツのユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(G.24三発機の単発型):
SDASM Archives
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Junkers F.13 with Hester as pilot, Mercury Field
Collection: Jim Hester Collection
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Catalog #: JH1136 写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum )引用。
ユンカース(Junkers)F. 24単発輸送機(ユンカース(Junkers)G. 23三発旅客機の単発型)の諸元
全幅: 25,98 m、全長: 15,63 m 主翼面積:79,20 平方メートル 重量:4700 kg 発動機: BMW VIaエンジン690馬力1基 最高速力:185 km/h
4.経済上より見たる飛行機交通 (一〜八)
著者
田原,天南
台湾日日新報(新聞)
Vol: 第 3巻
Page: 152
出版年
1922-08-18/1922-08-31
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100188395
(一)
一、緒言
世界に於ける飛行界、航空業の進歩は駸々として底止する所なく、千九百十四年の世界戦前までは単にスポートの機関、軍事上の機関として飛行機を看るに過ぎざりしが、今日は有力なる交通機関となり、経済上重要なる価値を生ずるに至れり、交通機関として最も発達せるは米英仏にして、独逸は[1919年]ウェルサイユ条約の結果、大なる制限を受けて、斯道の発達上頓挫を来したるも、鉄道の如く日日定期に交通を営み居る線路は三千三百キロメーターにして、之を営業の会社は九を以て算せり、盛なりと謂うべし。
欧米に於ては鉄道よりも飛行機は安全の交通機関なりと認められ、之を独逸の航空統計に徴するも、広軌鉄道駛走百万キロメーターに対し死傷事故は九、八八(一九一八年)広軌及狭軌鉄道は一二、四(同上)なるに、航空事故は飛行百万キロメーターに対し、僅に一〇、九に過ぎず、飛行士の犠牲に見るも、一九〇八年は飛行士五人に対し、墜死者一名の割合なりしに、一九一二年には飛行士四十七人に対し僅に一名の犠牲者となり、著しき進歩を示し、飛行機に対する世間の信用は鉄道よりも厚きものあるにも拘わらず、東洋の飛行界は毫も振わず、我[日本]陸海軍の航空業は大なる拡張を見つつあるも、操縦者其人を欠きて、依然たる旧阿蒙に過ぎず、民間飛行界も亦徒らに相排擠して同士討を演じつつあるのみ、飛行協会の如き内訌常に絶えず、為に発展の鋭鋒を挫くこと幾何なるを知らず、我日本航空業の振わざること甚しと謂うべし、
写真(右)1920年代(?)、イギリス、イギリス空軍ビッカース ビミー (Vickers Vimy)爆撃機輸送機(F-9569):第一次世界大戦末期1917年11月30日初飛行の爆撃機で、実戦には参加していない。その後、民間輸送機仕様ビミー・コマーシャル(Vimy Commercial)が1919年に開発され、各国の航空会社に採用され1925年まで使用された。全長:13.27 m (43 ft 6.5 in)
全幅:20.75 m (68 ft 1 in)
全高:4.76 m (15 ft 7.5 in)
空虚重量:3,222 kg (7,104 lb)
全備重量:4,937 kg (10,884 lb)
発動機:ロールスロイス イーグルVIII エンジン360 hp (270 kW)2基
最高速力:165 km/h (103 mph)
航続距離:1,448 km (900 miles)
上昇限度:2,135 m (7,000 ft)
爆弾搭載量:1,123 kg (2,476 lb) Vickers, FB 27, Vimy
Catalog #: 01_00089595
Manufacturer: Vickers
Designation: FB 27
Title: Vickers, FB 27, Vimy
Tags: Vickers, FB 27, Vimy, UK
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Official Nickname: Vimy 写真はSDASM Archives・ Uploaded on October 6, 2011
Taken on October 5, 2011引用。
而して[交通事故]犠牲を出すこと頻々、本年に入りても指屈するに遑あらず、過渡時代、模倣時代、已むを得ずとは言いながら遺憾の極にあらずや、而して我航空事業としては広告ビラの撒布位が関の山にて、郵便飛行の説あるも、未だ開始の運に至らず、東京盛岡間、所沢旭川間、所沢長春間の長距離飛行も、其の成績は概して失敗を免かれず、我航空界の飛行レコードは之を欧米の新記録に比すれば頗る遜色ありて、未だ世界の航空界に誇るべきものなきを如何にせん、唯山階宮殿下が金枝玉葉の身を以て横須賀海軍航空隊員として操縦を実演されつつあるは大に人意を強うするに足れり最近に於ける欧米航空界の進境を見るに、大西洋横断飛行、[1919年ビッカーズ・ビミーによる]英国濠洲飛行、[1920年フェッラーリンの]羅馬[ローマ]東京飛行、[1924年]世界一周飛行等実に駭心瞠目の快挙少なからず、
更に経済的利用の方面より観察すれば、郵便輸送、貨物輸送、旅客運搬、探険飛行、遊覧飛行、新聞配達、海陸連絡、食料配給、油田発見等日に月に新らしき試みを加え、交通運輸の機関としての価値実に大なるものあり北米合衆国は一昨千九百二十年中政府の郵便飛行距離は百三十九万〇八百四十キロメーターに達し、運送せし郵便物重量は三十五万一千五百八十キログラムに上り、同年米国私立会社の飛行機運搬は旅客十一万五千百六十三人、飛行距離五百五万キロメーターなりとす英国にては更に之を貿易に利用し一昨千九百二十年中飛行機によれる輸入は六十七万七千四十七磅、輸出は三十四万五千二百六十八磅にして、爾来益々発達を見つつあり、飛行機の経済的価値として特筆すべきは、時間の節約是れ其一なり、
仮令えば伯林、ライプチヒ、ミュンヘン間の汽車は十三時間を要するに、飛行機にては六時間に過ぎず、東京桑港[San Francisco]間六千三百キロメーターの海程には汽船にて十六日を要するに飛行機にては二日間にて足り、為めに十四日の時間を節約し得べく、独逸、西比利亜[Siberia]、東京間一万キロメーターの距離は戦前十七日を要せしに飛行機ならば三日半にて充分なる等時間を節約し得ること極めて大なり。次は経費の節約是れ其二なり、鉄道と航業とは多くの設備と補助機関を要するに拘わらず、飛行機交通は至極簡単にして、専門家の打算によれば、鉄道交通一キロメーターの経費は五十万法に当るに、飛行機交通は一キロメーター僅に一万乃至一万五千法に過ぎずと実に至廉と謂うべし、
飛行機交通の最も欠点とする処は天候其他の障碍なるが、飛行界の進歩は、此等の障碍を一掃し去り、船舶よりも一層天候に独立し、其の影響を受けざるに至り、耐寒耐熱の設備し亦整いて、汽車、汽船に比し総べての障碍に打ち勝てり、我日本の気流、天候地形は飛行に適せずとの説あり、飛行事故の多きは是れが為めなりと弁護する者あれども、欧米飛行家の我国に於ける飛行に事故殆んど無きに見れば、此説正当なるものと是認すべきにあらず、熟練、技術、勇気胆力の諸点に於て猶お遺憾の多き結果なるべきが、余はドクトル、マルチン、ミュルレル氏の論文其他の材料により
一、交通機関としての飛行機
一、営利事業としての飛行機
一、現代の飛行機交通
一、最近の飛行界
の順序に従い、主として経済上より飛行機交通を記述すべし
写真(右)1920年代(?)、イギリス、デハビラント(de Havilland) DH.61ジャイアント・モス(Giant Moth)輸送機(G-DAJT):1922年3月26日初飛行の輸送機で、イギリスの航空会社で1926年まで使用された。生産機数12機。した。乗員 2名、乗客: 10名、全長: 39 ft 0 in (11.89 m)、全幅: 51 ft 4 in (15.65 m)、全高: 12 ft 0 in (3.66 m)、翼面積: 590 sq ft (55 m2)、空虚重量: 4,574 lb (2,075 kg)、総重量: 7,200 lb (3,266 kg)、発動機:ネイピア(Napier)ライオン(Lion) W-12気筒液冷エンジン450 hp (340 kW)最高速力: 128 mph (206 km/h, 111 kn)、巡航速力: 105 mph (169 km/h, 91 kn)、航続距離: 317 mi (510 km, 275 nmi)。 De Havilland DH-61
Catalog #: 00077953
Manufacturer: De Havilland
Designation: DH-61
Official Nickname: Giant Moth 写真はSDASM Archives・ Uploaded on July 25, 2010
Taken on June 15, 2010引用。
(二)
二、交通機関としての飛行機 (上)
定義飛行機交通とは旅客貨物及び郵便物を飛行機により空中線路を運搬するものにして此の以外は飛行機交通より除くべし、而して飛行機交通を経済的機関として取り扱うには飛行機交通が如何なる生産的又は消費的利益を現在の交通機関に比し有するかを見るにありて飛行機が速力に於て無形的通信機関なる電信、無線電信電話を除ける他の機関に対し優秀なるは言を待たずして、其の優秀なるは第一飛行機の機械的特性に存し、第二は飛行機線路即ち空中の無障碍なるにあり仮令えば鉄道及船舶交通には地形、河、湖水、暗礁、遠浅等種々の障碍あるも空中線路には此等の障碍毫も存せず今速力の比較を為さんに陸海の交通機関に比し飛行機の優秀なるは何人も疑わざる所なり即ち一時間の平均速力は
(甲)鉄道
一、急行列車 七五キロメーター
一、旅客列車 四〇同
一、貨物列車 二五同
一、自動自転車 三五同
一、自動車 二五同
一、貨物自動車 二〇同
(乙)船舶
一、郵便船 三〇同
一、旅客船 二〇同
一、貨物船 一五同
(丙)飛行機
一郵便及旅客飛行機 一六〇同
一、貨物飛行機 一二五同
更に昨一九二一年中独逸に於て実験したる速方比較によれば
[図表あり 省略]
以上は独逸国内に於ける近距離飛行なるが、若し之を拡張して、将来世界的定期飛行線路成れりとせば、其の利益たるや速力の点に於て多大なりとす
[図表あり 省略]
右はロイド飛行機部長ジョルダン氏の算定に係り、頗る信憑すべきものなるが、飛行機が他の交通機関に比し、如何に多大の時間を節約し得るかは想像に余りあり、而して交通機関の不充分なる植民地に於ては殊に利用すべく、現に飛行郵便はチュニスやシリヤに於て利用せられ居れり、即ちチュニスに於ては二対四十の割合にしてシリヤに於ては三日乃至四日の行程を一時間十五分にて交通し居れり此の飛行速力の利益は地形其他の関係により長距離に利にして短距離に否なり、
仮令えば伯林、ライプチヒ、ミュンヘン間五百十キロメターを七時間にて飛行するに、ダンチヒ、ケーニーグスペルグ、メール間飛行に八時間半を要す而して飛行機は機械の性質上、距離の遠きに従い、益々其の機能を発揮し、速力を増進するの利用あり、仮令えば今日の進歩したる飛行機に於ては一千キロメーターの遠距離をモーターの交換や一回の着陸も為さずして飛行し得るも、汽車は平均三百キロメーターに対し機関車の交換を為さざるべからず、為めに時間を空費すること大なり
写真(右)1920年代(?)、イギリス、ウエストランド(Westland)リムジン(Limousine)III輸送機(G-EARV):1919年7月2日初飛行のリムジン I複葉機(登録コード:G-EAFO)の乗客3席を5席に増加し、発動機もネィピア ライオンに換装強化したのがリムジン III複葉機である。生産機数8機。1925年までロンドンとパリあるいはブリュッセル間の路線に就役した。乗員: 1名
全長: 10.21 m
翼幅: 16.46 m
全高: 3.81 m
翼面積: 67.5 m2
空虚重量: 1,738 kg
最大離陸重量: 2,660 kg
発動機:ネイピア ライオンW12気筒液冷エンジン 450 hp (336 kW)
最高速力:190 km/h
巡航速力:145 km/h
航続距離: 837 km
最高高度:3,750 m。 Westland, Limousine III
Catalog #: 01_00089663
Manufacturer: Westland
Title: Westland, Limousine
Tags: Westland, Limousine, UK
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真はSDASM Archives・ Uploaded on October 6, 2011
Taken on October 5, 2011引用。
写真(右)1920年代(?)、イギリス、ハンドレページ (Handley Page)W8輸送機(G-):1919年12月2日初飛行の双発複葉旅客機で、イギリスとベルギーの航空会社で採用され、1934年まで使用された。生産機数25機。乗員:2名
乗客:12名
全長:18.33 m
全幅:22.92 m
全高:5.18 m
翼面積:135.3 m2
空虚重量:3,910 kg
全備重量:5,910 kg
発動機:ロールスロイス(Rolls Royce)イーグル(Eagle)IX 液冷12気筒エンジン360 hp1基、シドレー(Siddeley)ピューマ(Puma)液冷6気筒エンジン240 hp2基
最高速度:166 km/h
巡航速度:137 km/h
上昇限度:3,960 m。 Handley-Page, W.8
Catalog #: 01_00080938
Title: Handley-Page, W.8
Corporation Name: Handley-Page
Additional Information: UK
Designation: W.8
Tags: Handley-Page, W.8 写真はSDASM Archives・ Uploaded on July 17, 2012
Taken on July 16, 2012引用。
(三)
二、交通機関としての飛行機 (下)
設備の簡単なる事も亦飛行機交通の一大長所なりとす、総べての他の交通機関は多大の補助機関を要し、鉄道の如きは鉄道線路や鉄軌の敷設や其他の設備に多大の労力と経費を要し、航業中にても河川には非常の経費を要するも、海洋航業と同じく、飛行機交通には人工的線路を要せずして此点既に莫大の経費を算し得べし、而して飛行機交通の設備としては
(一)地点、気象及交通の頻繁に伴える著陸地の選定、格納庫の設置、夜間飛行の設備
(二)平時及暴風雨時に於ける要所要所の標識
(三)有線及無線電信
(四)測候の設備
飛行機交通の設備は斯くの如く簡単なるを以て、既に記述せし如くビエロー氏は鉄道一キロメートル当りの経費を五十万法、飛行機一キロメートル当り一万乃至一万五千法と算定せしは決して失当にあらず。猶お飛行機交通の設備は他に流用し得べき利益あり、仮令えば格納庫の如きは工場と為し、又は倉庫にも利用し得べく、其他の設備も亦然り。而して飛行機は前述の如く他の交通機関に比し弾力最も大に遠距離だけ其の効用を発揮し得べく、現に遠距離飛行として営業を開始し居るは欧洲北西飛行即ち瑞典、丁抹、独逸、和蘭、英国線と巴里、ストラスブルグ、プラーグ、ワルシャウ及ツーロース、バルセロナ、カサブランカ線にして、飛行機交通は万国交通機関として最も適当なりとす
安全は交通機関に最も必要にして飛行機は此点に於て欠点多しと称せられたるも、是れ幼稚時代の過去にして、今日は総べての天候に抵抗打ち勝つの準備あり四季の天候如何に独立し得るに至れり、寒熱両様の準備あり仮令えば冬期の降雪に当り車輪に代うるに橇を用ゆるが如し、モーターの故障もモーター使用以来日猶お浅く、未だ二十年を経過せざるが故に(第一のモーター使用者は千九百三年十二月十七日ライト氏)技術と熟練とに欠る点あるも、千九百十四年の世界戦以来非常の発達を為しモーター故障も大部分排除し得るに至れり、今簡単に千九百十四年と、千九百十八年との飛行機進歩の状況を表示すれば
[図表あり 省略]
飛行機は斯くの如く異常の発達を為したるも、夜間、濃霧、暴風雨霰等の場合は故障なきにあらざりしが、千九百二十一年以来は頗る安全なる迄に発達し、夜間飛行も若し定期飛行が確実に開始され著陸地の選定宜しきを得ば是れより生ずる危険を殆んど全然防止するを得べし、今独逸デーリング氏の調査によれば(昨一九二一年伯林出版デーリング著「安全と飛行機交通」)千九百八年乃至千九百十二年の飛行機故障(独逸及外国を含む)略左の如し
[図表あり 省略]
戦後に於ける飛行界は益々発達して事故の如きは著しく減少せり今千九百二十年中の統計を掲ぐれば
[図表あり 省略]
若し独逸の鉄道と飛行機交通とに於ける事故を対照すれば左の結果を得べし右は千九百十八年及千九百二十年の事実にして飛行若は走行距離により、運搬したる人数によらざるものとす
[図表あり 省略]
欧米に於ける飛行機交通の鉄道よりも寧ろ安全なるを明証すべし
写真(右)1919年、フランス、ファルマン(Farman)F-60ゴリアテ(Goliath)旅客輸送機とファルマン・モスキート単発機:F-60ゴリアテ(Goliath)旅客輸送機は、1919年1月に初飛行、1919年3月にパリ−ブリュッセル間の国際航空便輸送を実施、1919年5月22日にはパリからロンドンに旅客輸送を実施。これは世界初のロンドン−パリ間の国際旅客飛行だった。生産機数60機、1931年まで使用。 Farman Moustique in front of a Farman F.60 Goliath, circa 1919
SDASM.CATALOG: 01_00092562
SDASM.TITLE: Farman Moustique in front of a Farman F.60 Goliath, circa 1919
SDASM.CORPORATION NAME: Farman
SDASM.DESIGNATION: Moustique
SDASM.TAGS: Farman Moustique in front of a Farman F.60 Goliath, circa 1919 Farman Moustique in front of a Farman F.60 Goliath, circa 1919 写真はSDASM Archives・ Uploaded on March 9, 2013
Taken on March 8, 2013引用。
(四)
三、営利事業としての飛行機 (上)
交通機関として飛行機が迅速及安全の点に於て他の交通機関に優れる事は前述の如くなるが更に定期の交通機関として如何なる程度まで信用すべきかに就き説明を要す、何となれば営利事業上重要なる点なればなり、今千九百二十年中独逸飛行機会社が事故其他により定期通り飛行を実行し能わざりし百分率を見るに左の如し
独逸航空会社 二、〇四パーセント
サブラトニック 一、二一同
ルフトビルド 三、二八同
サブラトニック会社が一九一八年十一月乃至一九二一年四月に実行して安全なりし百分率は九十五パーセントにして、デーリング氏の調査によれば、独逸航空会社が最近二年間に挙げたる成績は
[図表あり 省略]
巴里[パリ]倫敦[ロンドン]間の飛行は一九一九年八月乃至一九二〇年八月の回数は千五百三十五回にして、其中飛行実行は千四百四十四回即ち九十四パーセントなりとす、ピエロー氏の調査によれば、[ファルマンF.60ゴリアト(F.60 Goliath)による]巴里[パリ]倫敦[ロンドン]間の経路に従事の航空会社飛行は概ね好成績なるも、中には定期より遅延若くは事故中止のものありて、概観すれば五十乃至九十五パーセントにして、[南仏]ツールース及[モロッコ]カサブランカ間の飛行成績は一九二〇年中九十六パーセントに達す。飛行機会社中『ノルスケ航空会社』の一九二〇年度報告は注目すべきものあり、同会社は成績を二種に分ちて統計に示せり即ち
技術的営業安全要素 九四、四パーセント
郵便技術的営業安全要素 九二、五同
にして飛行プランよりの遅刻は平均僅に二分三十秒なりと云う
米国の飛行郵便統計は大に参考とすべきものなるが、今一九一八年五月以来昨年三月迄の各月飛行成績を百分率にて示せば左の如し
[図表あり 省略]
平均数の八六、九〇は好成績と称すべからざるも、其の九〇、〇〇パーセントに達すべきは疑を容れず。而して米国郵便飛行の一九一八年五月十五日乃至一九二一年二月の飛行距離は二百五十八万六千五百基米[km]にして、発動機、天候其他の事故により救難著陸を余儀なくされし回数は左の如し
発動機故障 七三四
天候故障 七三七
計 一、四七一
一救難著陸のキロメーター当り 一、七三〇
事故其他に依れる郵便物の損傷に至りては実に微々にして僅に一千分の一に過ぎずと云えり
飛行船との比較に就て一言すれば、飛行機の将来に於ける競争者は飛行機なるが、飛行船は其積載量に於て遠く飛行機を凌ぎ将来種々の障碍を除去し得るに於ては飛行機よりも一層営利的交通機関に適するも、飛行船の長所は大なるアクチオンスラジウス、天候より独立(濃霧にても飛行し得べし)等なるも、其短所も亦多し即ち
一、速力の遅緩なる事
一、ガス船の危険多き事
一、補助機関を要する事(大格納庫発著に使用すべき多数の人員)
一、飛行船港網を要する事
一、積載量大なるだけ事故も亦多き事
等にして今日迄の発達にては飛行船は営利的交通機関として飛行機に及ばざること遠しと謂うべし
写真(右)1928年以降、フランス、パリ=ロンドン間旅客輸送に就役したフランスのファルマン(Farman)F-60コリアテ(Goliath)旅客機:乗員 4名、
乗客: 12 or 14 名
全長: 14.77 m (48 ft 5 in)
全幅: 26.5 m (86 ft 11 in)
全高: 4.9 m (16 ft 1 in)
翼面積Wing area: 160 m2 (1,700 sq ft)
空虚重量: 2,900 kg (6,393 lb)
総重量: 5,400 kg (11,905 lb)
発動機: 2 × Gnome et Rhône 9A Jupiter 9-cylinder air-cooled radial piston engines, 340 kW (450 hp) each
最高速力: 170 km/h (110 mph, 92 kn) 海面上
168 km/h (104 mph; 91 kn) at 1,000 m (3,300 ft)
165 km/h (103 mph; 89 kn) at 2,000 m (6,600 ft)
160.5 km/h (99.7 mph; 86.7 kn) at 3,000 m (9,800 ft)
航続距離: 800 km (500 mi, 430 nmi)。 uthor
Unknown author or not provided
Record creator War Department. 1789-9/18/1947
Title
Airplanes - Types - Farnum aero bus flying between Paris and London. Farnum aero bus which makes daily passenger flights between Paris and London
Description
Scope and content: Photographer: Underwood & Underwood
Date 1917 – 1918
Collection
National Archives and Records Administration wikidata:Q518155
National Archives at College Park - Archives II (College Park, MD)
National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 17342077 写真はWikimedia Commons,SDASM Archives・ File:Airplanes - Types - Farnum aero bus flying between Paris and London. Farnum aero bus which makes daily passenger flights between Paris and London - NARA - 17342077.jpg引用。
(五)
三、営利事業としての飛行機 (中)
営利事業として観察するに飛行機に就ては各国とも経営方法を異にし、又其の統計区々に亙るを以て、未だ正確なる判断を下すに由なし、先ず飛行機交通の営業費と見るべきものは
営業原料費(ベンチン[揮発油]及[潤滑]油)
維持費(修繕費其他)
原価償却及保険料
土地に関する経費(飛行停車場、天候及信号費、土地標識等)
一般営業費(営業費及俸給等)
資本に対する利子
飛行機交通の経費は他の一般交通機関に於けると同様に経常費及臨時費(確定費及移動費)又は総経費及営業費に区別し得べきも、実は今日までの発達状態に於ては、過渡時代に属するを以て、此等の経営費に関し、各国及各会社とも正確の計算を為さず、従って之を研究すること難し、兎に角飛行機交通は、将来に於て営利事業として有力なれども、今日は薄利の位置にあるを免かれず、其原因は(一)技術的方面(二)技術に関連し若くは之れに独立せし状態に存す。今各種交通機関の経済的価値と最良型の飛行機との比較を見るに
[図表あり 省略]
此表示により明白なるが如く、飛行機を交通機関として、其能率甚だ小なるを見るべく、之を如何に改良して、其能率を高め、営業費を減じ、経済的有利的の交通機関に発達せしむる事は決して不可能にあらざるも、至って容易の業なりとも速断すべからず、今現在実施し居れる倫敦[ロンドン]巴里[パリ]間の定期飛行行に就き、其の一基米飛行の経費を分てば左の如し
燃料 一、五五フランク
油 〇、二五同
操縦者俸給 〇、四〇同
危険保険 二、〇〇同
維持費 一、八〇同
飛行場其他の費用 〇、五〇同
営業費一切 二、五〇同
計 九、〇〇フラン
即ち現在の飛行機交通の営業費は一飛行基米に対し、九法を要するが、五百馬力の発動機を有し、五百キログラムの自体重量あり、一時間百五十基米の速力を以て飛行する飛行機あり二百キログラムの荷を搭載するものとせば、毎噸毎基米の経費は四十五法を要する割合となるべく、若し将来飛行機が著しく発達せし時期を想像して之に対する営業費を算出すれば略ぼ左の如き結果を得べし
[図表あり 省略]
将来の顕著なる発達によりては上記の如く営業費を減ずる事を得べきが、今巴里ブエノスアイレス間の長距離飛行(カサブランカ。ダカール。ペルナンブコ及リオ、デ、ヤネーロ経由)の経費は一等船車室での旅行費一万五千二百法に対し、九千法の低廉で、而かも船車旅行は二十日の日子を要するに対し飛行旅行は僅に二日半を要するに過ぎず、飛行機の将来に於ける経済的価値も亦大なる哉
写真(右)1928年以降、フランス、フランス空軍ファルマン(Farman)F-160重爆撃機(G-DAJT):F-60の発展型として1928年初飛行の爆撃機、生産機数250機。乗員 5名、全長: 15.18 m (49 ft 10 in)、全幅: 26.25 m (86 ft 2 in)、全高: 6.10 m (20 ft 0 in)、翼面積: 159.6 m2 (11,718 sq ft)、空虚重量:4,600 kg (10,140 lb)、総重量: 6,800 kg (14,990 lb)、発動機:Gnome-Rhône 9Akx空冷エンジン360 kW (480 hp)、最高速力: 174 km/h (108 mph, 94 kn)、航続距離: 800 km (500 mi, 430 nmi)、上昇限度: 5,000 m (16,400 ft)。 Farman F-160
Catalog #: 00078972
Manufacturer: Farman
Designation: F-160
Official Nickname: Goliath 写真はSDASM Archives・ Uploaded on September 15, 2010
Taken on July 27, 2010引用。
(六)
三、営利事業としての飛行機 (下)
飛行機の発達は猶お過渡時代に属し、殊に他の交通機関に比し能率の大ならざるは重なる欠点なるが、能率を増進し而かも安全ならしめんとせば多数の発動機を有する飛行機を造らざるべからず、此の大飛行機は独り搭載量に於て大なるべきのみならず、一、二の発動機に故障生ずるも、他の発動機によりて飛行翔空を継続し得るの利益あり、独逸の発達せる飛行機工業は這種の大飛行機を製作するを得れども彼の[1919年]ヴェルサイユ条約は軍事上に供用するの処ありとの理由を以て発動機の能力増大、搭載量の増加を制限し独逸に於ては大飛行機の製造を不可能ならしめたるは遺憾と謂うべし。次に飛行機をして経済的有効ならしむるにはベンチンに代ゆるに重油発動機、電気発動機を使用する事も亦将来考慮すべき処なりとす
交通機関として飛行機の長所は長距離にありて短距離は頗る不利なりとす米国の如く広大なる領土を有する国柄は自国内のみにて既に飛行機を大に利用し得れども欧洲諸国にありては其の国土概ね狭小而かも戦後は恩讐の観念頗る強く、各国の間に飛行機交通に関し協約を結ぶこと困難、従って数国に亙りて飛行機交通線の設備連絡を為すこと能わず、為めに著しく経済機関としての飛行機能力を発揮せしむる由なし、現在巴里、ストラスブルグ及プラーグ線(約九百五十基米)ミュンヘン、伯林及ケーニーグスベルグ線(約千百基米)ドルトムンド、ケーニーグスベルグ線(約一千基米)等は比較的長距離にして他の交通機関(鉄道)に比し時間を節約し、旅費を節約し殊に郵便物の速達には多大の利益を有す
夜間飛行は発達せる今日の飛行機に於て何等の故障なしと雖も交通機関としての補助設備未だ不充分なるを以て之を利用すること能わず夜間は休止し居りて著しく其効力を減殺せり、縦令えば倫敦マドリット間は(約千五百三十基米)昼間十一時間半を以て飛行し得れども更にマドリットより羅馬[ローマ]間は其距離三百基米なるも夜間の飛行休止なれば之を利用すること能わず故に商業家の如く急速の通信を要する者は夜間に亙れる飛行機郵便は之を利用せず、何となれば飛行機郵便は毎日早朝のみ郵便物を差出さざるべからず又昼間飛行にて到達すべき距離に限られたればなり、此点は飛行機交通の欠点にして米国式の如く飛行機と鉄道の連絡を図らざるべからず
国際飛行交通は斯道の発達上必要なれども未だ各国の協約成立に至らず国際飛行は税関の検査、旅行券の取調、旅行券裏書手数料等を節約し勿論之に要する時間を節約し困難を除き得べきも戦争以来各国は連合国同盟国の恩讐関係に分れ親善の連絡恢復せざるを以て未だ各国の通過飛行に故障多し仮令えば伯林倫敦間の飛行線に於ても其間著陸地等に旧敵国介在し居りて軍事上、政治上之を妨げ居れり、千九百十九年十月十三日万国飛行協約[パリ国際航空条約]取り結ばれたるも之に加入せざる国少なからずして該国土を通過飛行すること能わざりしが千九百二十年五月十一日の[パリ国際航空条約]補充条約により多少緩和されたるも未だ完全に至らず、独逸側にては千九百十九年八月二十五日和蘭海牙[Hague]に六国間に飛行交通協会創立せられ之に加入の独逸。自由都市ダンチヒ、丁抹、瑞典[スウェーデン]、芬蘭[フィンランド]、和蘭[オランダ]の飛行機会社は相互に加入国土を飛行し得る事となりたるが北欧の一部に止まり飛行機交通の効用を発揮するに至らず
乗降場の郊外なる事も亦飛行機交通の一障碍なりとす、飛行場は各国とも其の位置市外にあるを以て市内との交通に時間を要すること多し。米国にて計画せられつつあるが如く都市中心の建物屋根を利用して飛行機停車場を設置する事は甚だ良法なるも近き実現は未だ望むべからず、故に現在の希望としては飛行機停車場と市内との間に電車を延長し又は自動車交通を連絡するの必要あり、次に飛行機交通の障碍は[航空機]保険料金の高価なるにあり仏国には運送保険料金は飛行機価額の三十三パーセントに当り独逸は僅に十五パーセントに過ぎざるも概して保険料は高価に過ぎたり
土地組織の費用も亦大にして飛行機交通の一障碍たり米国の実例を見るに千九百二十年七月一日乃至千九百二十一年六月三十日に米国政府が飛行郵便交通に支出したる土地組織費(格納場、土地標識、気象観測等)は八十六万弗にして総費用の五十八パーセントを占め純然たる飛行費は四十五万弗にして総費用の三十パーセントに当ると云えり、独逸に於ては大規模の格納庫は平和条約によって悉く破壊せられ貧弱なる民間経営の二、三格納庫を存するに過ぎざれば飛行機交通上大なる障碍を生じ千九百二十一年十一月一日以来已むを得ず冬期の飛行機交通を中止し居れり、然れどもプレーメン、漢堡[Hamburg]、ステッチン[Szczecin]、ミュンステル、ケーニーグスベルグ等の都市にては実業家、商業会議所等連合して『飛行機港会社』を設立し其の欠点補充に努力しつつあれば遠からず此の短所を除去するを得べしと云う
写真(右)1926年11月25日以前、イギリス、インペリアル・エアウェイズ(Imperial Airways)デハビラント(De Havilland)DH.66 ヘラクレス(Hercules)輸送機(G-EBMW):1926年9月30日初彦、イギリス民間機として、エジプトのカイロとイラクのバクダッド間に就役した。 Description
Español: Vista aérea del Havilland DH.66 Hercules con tres motores Bristol Júpiter utilizado en la ruta aérea Cairo–Baghdad durante los años 1920. Imagen publicada el 25 de noviembre de 1926 en la edición 935 de la publicación "Flight International" del Reino Unido
English: Imperial Airways De Havilland DH.66 Hercules City of Cairo G-EBMW used to carry mail and passengers on the Cairo–Baghdad Air Route from 1926
Date 7 August 2013, 16:47:13
Source www.flightglobal.com/pdfarchive/1926.html
Author Flight International
写真は Wikimedia Commons, Category:De Havilland DH.66 Hercules File:Bundesarchiv Bild 102-00396, Dessau, Junkers-Ozeanflugzeug.jpg引用。
(七)
四、現代の飛行機交通
航空交通の最近発達は顕著にして、技術上並に経済上交通機関として重要なる位置を占むるに至れるは上来記述せる所の如し而して飛行機は其用途により旅客用[飛行機]、貨物用[飛行機]の三種ならざるべからず、其用途に従い、三種の飛行機は其組織構造を異にせざるべからざるも、今日までの発達程度に於ては、貨物専用の飛行機は未だ実現せられず、旅客用、郵便用も米国を除きては同一の飛行機なりとす、
本来三種の飛行機中郵便用飛行機は重きを迅速の点に置くべく、旅客用は愉快の点、貨物用は搭載量の点に各々主力を注ぐを要し、従って三種其の体型を異にせざるべからざるも、未だ其タイプを異にするに至らず、然れども将来は必ず其用途目的に従いタイプを異にすること、恰かも汽船汽車等他の交通機関が或は旅客用或は貨物用と其内容を異にするが如くなるべし
世界戦の終末に於ける飛行機の建造、技術上の構成は最も進歩したるものなるが、専ら軍用の目的なりしを以て乗降の簡易、方向転換の容易、武装の可能等に重きを置き、経済的交通機関としては不適当の構造多きも、平和克復武装解除と共に、各国とも夥しき軍用飛行機が不用に帰し、陸海軍より処分せられて民間に買い取られたるもの多く、従って当分飛行機を新造するの必要なく、好都合なるが如きも其実は決して然らず、各国は経済的交通用に適したる飛行機を新造せんとするも現在過多の軍用飛行機を有するを以て差当り之を度外視して新造するの余裕もなく又必要に迫られ居らざるが、之に反して独逸は僅に百五十機を除きて、他は全部敵国に没収分配若くは破棄せられたるを以て、勢い飛行機を新造せざるべからず、
従って独逸は飛行機工業の技術を尽くして交通上、経済上の飛行機を続々新造しつつあり、此点に於て独逸は寧ろ僥倖の位置にあり、他の列強の飛行機工業が停滞しつつあるに反し、独逸の同工業は活動し発達しつつあり、即ち現代的交通機関として必要なる多き有効搭載量、快速力、経済的発動力を具備せる飛行機続々新造せられたり、ユンケルス[Junkers]、サブラトニッグ、ドルニエル[Dornier]、フォッケルリモジーネン等の飛行機は是なり
乗客数は従前の飛行機にありては操縦者を含みて平均三人なるが今日の飛行機は六人七人なり偵察用の軍事飛行機は一人乗にして、今日は郵便用に供用せらるるのみ米国にては巨大なる二十四人乗の飛行機(ローソン、エーヤ、ライナース)を計画中なるが独逸にては既に大飛行機の建造に成功したるも(ツェッペリン[Zeppelin]、スターケン単葉式)未だ一般に行わるるに至らす
各国の航空飛行事業の組織は米国の飛行郵便と二三の植民地飛行とを除き概ね私営なるが資本を要すること多きと其収益不確実なるとを以て個人資本家は皆な手を引き全く会社経営なりとす独逸の飛行機交通会社の如きは大工業家と交通会社との共同事業なりとす即ち独逸航空会社ロイド航空部の如き是れなり而して重なる諸国の航空交通会社は新会社の続出旧会社の解散、会社報告の不発表等にて正確の統計を知り難きが千九百二十年末の現在は略左の如し
[図表あり 省略]
更に飛行機交通の進歩したる状況を略示すれば左の如し
[図表あり 省略]
英国の内国飛行は飛行距離短少にして利用の機会少なきと鉄道網密にして競争不可能なると濃霧等障碍多きと飛行機交通の信用薄く利用者少なきとにより発達せず英国は其世界的大国の位置を利用し世界的飛行交通の連絡を企図し大飛行機建造を計画しつつあり。此等の目的にて英国は大飛行船を建造したるが[Royal Airship Works]R三十八号の飛行機硬式飛行船]が昨一九二一年九月一日ハル港上にて爆破墜落し乗員二十余名中落下傘を利用して助命したる者僅に二名他は悉く惨死の椿事あり米国海軍卿デンビー氏は[Royal Airship Works]R三十八号型飛行船の危険を説き軍事上の価値乏しきを発表したるも独逸飛行船工業家は之を以て英国建造者の不熟練無経験に帰せり終りに臨み最近の世界飛行記録を表示すれば左の如し
[図表あり 省略]
(八)
五、最近の飛行界
経済上より見た飛行機交通は、略ぼ上述の如きものでまだ発達の途中にあり、充分其効用を発揮する迄に進んで居ない、今後各方面の改良を加え、幾多の経験を積んで初めて完成の域に達するのである、兎に角世界戦後は軍用としての飛行機の時代は既に去った、軍縮協約の結果、軍隊数や軍艦数に種々の制限を受けた今日、従来よりも一層軍用としての飛行機発達に力を注ぐの必要ありと云うも是れ一部の理由に過ぎない、大局は交通機関中の最も駿速で時間と費用とを大に節約し得べき飛行機を経済的産業的に利用向上すべき時代となったのである。今一昨千九百二十年に於ける飛行機輸送の統計を掲げて其発達の状況を左に示す
[図表あり 省略]
次に英国に於ける飛行機利用の輸出入統計は
[図表あり 省略]
飛行機輸送の貨物は婦人の旅行服、毛皮細工等で仏国よりの輸入多く千九百二十年の金額は三十八万五千五百磅で其他流行婦人帽、靴足袋、羽、宝石及貴金属、ヒイルム及化粧品等である、郵便小包中には男子服もあり千九百二十年は二万七千磅であった。猶お米国の飛行郵便に就て見るに
[図表あり 省略]
米国に於ける飛行郵便[航空郵便]の偉大なる発達は其の国勢によるのと、飛行機と鉄道の連絡所謂スタッフエッテン事業が円満な結果である。米国の国土広大は飛行機交通に好都合で(仮令えば紐育[New York] 桑港[San Francisco]間の距離四千二百三十四基米)飛行機が充分其の効力を発揮し従って鉄道との競争にも打ち勝ち時間と費用上の節約にもなり、営利事業としても前途有望である。
又飛行機と鉄道の連絡が宜しく紐育、桑港線路とも昼夜の休みなく両者の利用が出来る上来□述べた如く飛行機は長距離の交通機関として最も適当で五六百哩以上は鉄道に比し頗る有利である、紐育[New York]、華盛頓[Washington]間の飛行郵便費[航空郵便]は十二万弗なるに対し之を鉄道便とすれば十六万二千弗を要し、飛行郵便費[航空郵便]の方が四万二千弗の節約となる、米国では遠距離の郵便物輸送は殆んど飛行機送りである、欧洲大陸では独り露国が米国と国状を同じくし東洋の支那や印度も是れと同様であるから将来は此等の大国に盛に利用さるるであろう
六、国家と飛行機交通
国家と飛行機交通とに就き一言する、飛行機の発達上将来種々の重大な問題を起すであろうが、其の経営方法に就ては蓋し四種あると思う
一、飛行機交通の官営
二、私人のモノポール
三、政府の特許主義
四、飛行機交通の自由主義
千九百二十年の初洪牙利国では国家の官営を決議したが実は重要なる同国の線路を仏国の飛行機会社に許可して居るチェック、スラバック国では私人のモノポール主義を取り其他の文明諸国は多く特許主義を採用して居る丁抹は操縦者の養成所を官営とし国費でやって居る要するに飛行機交通が営利事業として未だ有利の程度に達しないから飛行機会社にして前途有望のもの若くは組織の完全なものは国家が之を保護する必要がある。
而して国内に外国の飛行会社に物を与うる事は頗る考慮すべきもので仏国の私立飛行会社が洪牙利国のブダペスト以下重要線路の飛行権を握ったのは仏国に取っては大成功であるが洪牙利に取って有事の場合種々の国際問題を惹起する処がある、英仏飛行会社の巴里倫敦線競争は仏国の勝別に帰したがこれは仏国側の優秀な為ではなく専ら政府補助金の関係である即ち仏国の補助金は英国に二倍するので仏国の飛行会社は英国会社の半額の料金で輸送をする事が出来るのである、
国家で補助金を支出して居る国国は独逸、仏国、英国、伊国、和蘭、瑞典[スウェーデン]、チェクスラバック及西班牙[スペイン]であるが、独逸の補助下附条件は最近十二箇月間に少なくも二万基米を飛行し毎月八十パーセントの能力を発揮した会社に限り補助金を受くる資格がある其他各国の補助方法は省略して簡単なる表示に止める
[図表あり 省略]
我日本政府の民間飛行界補助は如何の状態であるか、英仏独伊等の厚きに比すれば甚だ薄きの嫌はなきか敢えは航空当局の反省を請う次第である(完結)(経済上より見たる飛行機交通 (一〜八)引用終わり)
5.三B政策の夢想を航空路で実現せん : 飛行機の制限を解かれた独逸の航空大計画
時事新報
東京時事新報
Vol: 第 4巻
Page: 144
出版年
1926-05-08
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100156772
(巴里合同電通六日発)連合国大使会議は独仏間の航空協定を起案中であったが本日之を完成したと報ぜられる、
従来の規則で独逸は軍用飛行機を有することを許されざるのみならず商業及びスポーツの飛行機に就いても其の大きさ馬力及び総数に於て制限を受けて居ったが此協定に於て仏国は商業及びスポーツ飛行機に関する制限を緩和することに同意した一方に於いて独逸は従来仏国の商業飛行機にして独逸飛行機より大きいもの及び軍用飛行機が独逸の領土上を飛ぶことを禁じて居たのであるが此協定で独逸は仏国の商業飛行機をして独逸の領土上を飛ぶことを許すに至った、以上の結果として旧独逸帝国の世界的鉄道網政策は独逸共和国に於て航空網政策として発現するに至った
独逸は第一に此七月から伯林マドリッド間の航空路を開設する筈である、巨大な金属機を用いて此航空路を更に南米に迄延長する予定である、
第二は伯林から印度洋に至る航空路計画である、これは英国の資本の援助を受ける話が決まって居ると解せられる即ち昔時の三ビー鉄道(伯林、ビサンチン、バグダット)の夢想は航空路で実現せんとして居る、
第三は伯林から極東に至る航空路開設であって之は日露独三国の共同資本によって経営し短時日の欧亜連絡を実現する事となるであろう
伯林の諸新聞は右新協定を歓呼して迎え独逸が商業飛行機に於て爾後仏国と同等の地歩に立つを得る事を祝して居る(三B政策の夢想を航空路で実現せん : 飛行機の制限を解かれた独逸の航空大計画引用終わり)
6.ユンカース(Junkers)G23/G24輸送機
写真(上):1924年、ドイツのユンカース(Junkers)G23輸送機の試作機(プロトタイプ):発動機はユンカース Junkers L2液冷6気筒エンジン(145 kW)3基を装備している。 Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924 Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
Junkers G 23, View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft 写真はETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・ Record Name: Ans_05338-01-244-AL-FL 引用。
ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカーすは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機も、単発機として開発されたのである。
しかし、単発ではイギリス製ネイピア(Napier)ライオン(Lion)液冷12気筒エンジン(排気量25L)450hpのような強力なエンジンを搭載することとなり、かえって高性能軍用機への転換を企図しているとの疑義が沸きかねない。そこで、ユンカース(Junkers)G24試作機1号機(プロトタイプ)は、機首に BMW IIIa液冷6気筒エンジン(排気量19.1 L)180 hp、左右主翼にメルセデス(Mercedes)D.I液冷6気筒エンジン(排気量9.48 L)100 hpを装備した三発機として、1924年9月19日に初飛行した。操縦席は、密閉式で、液冷エンジンを機首・主翼に合計3基搭載。単発のユンカースF-13輸送機を大型化し、エンジンを左右主翼に各々1基追加した機体構造になっている。
しかし、ユンカース G23輸送機1号機 (製造番号:c/n 831)は、1924年9月19日に、ウィルヘルム・ツィンマーマン(Wilhelm Zimmermann)によって初飛行したものの、不時着して破損してしまった。
写真(右)1925年,ドイツ、ユンカース飛行機製造工場'Junkers Flugzeugwerke AG' で生産中のユンカース(Junkers)G. 24三発輸送機:ユンカース(Junkers)L2液冷エンジン3基を装備したG24輸送機の主翼と胴体: Photographer:Junkers
Title:
Junkers Flugzeugwerke Dessau, G 24 Flugzeuge im Bau
Dating: ca. 1925 Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white Orientation:
Horizontal Format:
Other size Special Size:
ohne Angabe
Categories:
Junkers G 24, Junkers, Fuselages, View Collection, Reportage photography, Propeller-driven aircraft. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-072-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G. 23輸送機は、3基のユンカース(Junkers)L2エンジン(195馬力:145 kW)を搭載していた。しかし、第一次大戦後のベルサイユ条約の軍備制限を受けていたドイツに対して、ユンカースG23輸送機は高性能であり、軍用機として使用される恐れがあるとして圧力がかかり、G23輸送機のエンジン馬力を低下させることが求められた。こうして、民間輸送機としてユンカース(Junkers)G23のエンジン出力を低下させた性能低下型がユンカースG24輸送機である。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機試作機(prototype)は、180馬力BMW IIIa空冷エンジン1基と100馬力メルセデス(Mercedes) D.Iエンジン2基を装備し、1924年に完成した。
その後、ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカースL2 エンジン1基と160馬力メルセデスD.IIIa エンジン2基を装備し、1925年に完成した。ユンカースG 24輸送機は、195馬力ユンカース L2エンジンを3基装備した。ただし、一部の機体は、機首エンジンを310馬力のユンカース L5エンジンに変換した。
1920 年代にドイツの航空輸送需要が増大し、これに応じるための大型の旅客輸送機が求められた。その第1弾がユンカースG 24三発輸送機で、前作ユンカースF 13単発輸送機の拡張発展型として開発された。
ユンカース(Junkers)G 24輸送機の原型はエルンスト・ツィンデルによって単発航空機として設計された。その抑制された設計思想の理由は、第一次世界大戦で敗北したドイツでは、1919年のベルサイユ条約によってドイツの航空機に課せられた制限が強く、 国際ドイツ航空管理委員会(ILUK: International Aviation Control Commission)の監視下にあって、低出力エンジンのみが許可されていたことにある。
ドイツは、第一次大戦に敗北し、ベルサイユ条約の下で、連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)によって飛行機開発を制約されていたために、ユンカース飛行機生産工場は、大型のユンカース(Junkers)G 24旅客機を単発機として設計したのである。しかし、実用性向上と販売促進のために、単発機ではなく、三発機として製造された。こうして、低出力エンジン3基を搭載したユンカース(Junkers)G 24は飛行可能な旅客機ではあったが、実用性が低かった。
ユンカース飛行機生産工場は、計画では、G 24三発輸送機(トライモーター)をドイツ国外の民間航空会社に販売する予定だった。そこで、民間航空会社は、単価引下げ、経費削減を求めて、機首に単発の高出力エンジンとして、 450馬力のネピア ライオンを搭載し、左右両翼中央にあったエンジンの取付け金具を取り外し、主翼を整形した。
しかし、このような改造を施したG 24に対して、ベルサイユ条約下の連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)は、G24の設計が軍用機であると判断し、違法な飛行機として非合法化した。
連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)の開発制限下で実用化されたユンカース(Junkers)G23輸送機は、F13輸送機の大型発展型で、1924年9月19日初飛行の発展型の全金属製低翼単葉機 全幅29.37 m、全長15.8 m、全高29.37 m 主翼面積 99平方メートル ユンカースL5エンジン(310馬力)3基 乗員: 2名、乗客:14名 空虚重量: 4,330 kg、総重量: 7,200 kg 最高速力: 210 km/h、巡航速力: 170 km/h 航続距離: 660 km 実用上昇限度: 4,000 m、 上昇率: 2.47 m/s、上昇性能: 2,000 m/13.5分。
写真(右)1924年3月,ドイツ、ベルリン、ドイツ・ルフトハンザ航空所属のユンカース(Junkers)G23輸送機「バーデン」 "Baden" (登録コード:D 543):1928年にはスペインが購入し、郵便輸送機として使用された。スペイン内戦中に破壊。 Photographer: Unbekannt
Title:
Junkers G 23 "Baden" D 543, Flugzeugführer Otto Brauer, Bordwart Flader
Caption:
Nach dem Direktflug Leipzig/Mockau-Kopenhagen im März 1924
Dating:
3/1924 Nose, Reportage photography, Junkers G 23, Propellers, View Collection, Unknown, Cockpit, Bord engineers, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-009-AL-FL. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-009-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)F 24輸送機は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機のエンジンを、ダイムラー・ベンツのDB 600/DB 601 液冷エンジンに強化した単発機で、 ユンカース・ユモ Jumo 211液冷エンジンのテストに用いられた。ユンカースK 30は、G 24輸送機の軍用型である。
G. 24設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初ユンカース(Junkers)G24輸送機は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。ドイツでは、連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)の下で、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカース(Junkers)G24輸送機も、単発機として開発されたのである。
写真(上)1924年、ドイツ、未舗装飛行場、離陸前のドイツ・ルフトハンザ航空所属のユンカース(Junkers)G23三発輸送機の左後方側面:乗客たちが左側にのみ設けた搭乗口から乗込んでいる。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Type drawing and illustrations of Junkers G 23
Original title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is part of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 albums with 659 images (all digitized). 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-258-AL-FL引用。
そこで、ユンカースは、基本設計は同じだが、民間仕様を強調したユンカース(Junkers)G23輸送機を試作し、民間航路専門の航空機として喧伝した。こうして、連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機はG23として、単発機として生産することが認められた。ただし、連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、1927年2月末にドイツにおける活動を取りやめているので、ドイツへの航空機開発制限は、厳格なものとは言えなかったようだ。
ユンカース飛行機工場は、G.23と本質的に同じ設計のままで、新しい名称を付与したユンカース G24 を開発し、ベルサイユ条約の制約を受けない仕様で再提出した。ベルサイユ条約の連合国委員会は最終的にこのユンカース社に、エンジンが三発でも単発でもG 23の製造を許可した。理由は、民間航空機としての仕様で、軍用機仕様とはしないとしたからだったが、実際は、G 23/G 24の飛行性能を評価した各国の航空会社や軍事転用を計画していた各国の政府から委員会に働きかけがあったからであろう。また、このような航空機開発規制には各国の民間航空会社も批判的だったと考えられる。実際、ユンカースG23飛行機は常に G24 の名称で販売・輸出されており、厳格な識別は意味がない。
写真(右)1924年3月,ドイツ、ライプチッヒ飛行場を飛び立ち、デンマークのコペンハーゲン飛行場に向かうドイツ・ルフトハンザ航空所属のユンカース(Junkers)G.23三発輸送機「バーデン」 "Baden" (登録コード:D 543)と奥を随伴するユンカースF13単発輸送機:1928年にはスペインが購入し、郵便輸送機として使用された。スペイン内戦中に破壊。 Photographer: Unbekannt Title: Bilder vom Auslandflug. Flugaufnahmen durch Pressephotograph der dünischen Zeitung "Politiken"
Caption: Nach dem Direktflug Leipzig/Mockau-Kopenhagen im Mürz 1924
Dating: nach 1924 View Collection, Unknown, Junkers, Propeller-driven aircraft, Dating, photographer, low altitude (oblique)
Record Name: Ans_05338-01-338-AL-FL. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-017-AL-FL引用。
ユンカースは G24/G23 を エンジン3基のトライモーター三発機として生産されたが、これは低出力エンジンを搭載して、ベルサイユ条約に基づく連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)によるドイツ機性能制限を回避する方策でもあった。また、1基のエンジンが故障しても、他の2基のエンジンが稼働することで安全に飛行でき、水平飛行だけではなく、上昇飛行も可能だったという安全面での利点もあった。
写真(右)1923年3月,ドイツ、コペンハーゲンからライプチッヒ(Leipzig Mockau)飛行場に到着したオットー・バウアー(Otto Brauer)操縦士とユンカース(Junkers)AB G.23輸送機"Baden"(登録コード:D 543):
Title:
Junkers G 23 "Baden" D 543, pilot Otto Brauer, flight attendant Flader
Original title:
Junkers G 23 "Baden" D 543, Flugzeugführer Otto Brauer, Bordwart Flader
Caption:
After the direct flight Leipzig/Mockau-Copenhagen in March 1924
Dating:
3/1924
Is part of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 albums with 659 images (all digitized)..
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:Ans_05338-02-014-AL-FL引用。
ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカースは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)の開発制限下に、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。
1923年にフーゴ・ユンカースは、ツンデル(Zindel)の忠告に従って、既存の F13単発輸送機(乗客4名)を原型にして、これを大型化した単発輸送機を設計しようとした。しかし、大型機に相応しい大出力のエンジンが1923年のドイツにはなかったことである。そこで、ツンデルは、設計を見直して、G 23輸送機をユンカース(Junkers)L2液冷エンジン145 kWを3基搭載する案を出した。
連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)は、出力が大きすぎだとして、大出力エンジン搭載の G 23輸送機を軍用機とみなし、開発を禁止した。そこで、G23は、左右主翼にメルセデス(Mercedes)D I エンジンを装備し、機首に BMW IIIa液冷エンジンを1基装備することになった。
最終的に デッサウ工場(Dessau facilities)で、ユンカースF.13輸送機の生産と新型機 G 23の開発をおこなった。 G.23は、1924年9月18日にニュルンベルク飛行場(Nuremberg Fuerth airport)でウィルヘルム・ジンマールマン(Wilhelm Zimmermann)の操縦で初飛行したが、着陸に失敗し破壊されてしまった。
写真(上)1924年,完成直後のユンカース(Junkers)G23輸送機:機首には宣伝のために「Junkers」と大書してある。操縦席は、密閉式で、液冷エンジンを機首・主翼に合計3基搭載した輸送機。エンジンの排気管を1本の集合排気管にまとめる構造にはなっていない。photographer:
Unbekannt
Title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
Junkers G 23, View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-01-248-AL-FL. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-248-AL-FL引用。
ユンカースG.24が完成した1925年には、ほとんどの旅客輸送機は単発エンジンの単発機だったが、この理由は、大出力エンジン1基を搭載するほうが、小出力エンジンを複数搭載するよりも、構造か簡単になり、飛行機の性能もよかったからである。また、当時、すでに双発輸送機も実用化されていたが、1920年代では、エンジン出力が低かったために、片発のエンジン1基での飛行は困難だった。
つまり、双発機では、エンジン故障の際には、安全な飛行は不可能だったため、エンジン3基搭載の三発機が、安全な飛行機であると考えられていた。換言すれば、三発機トライモーターの場合、公出色を発揮する新型エンジンを搭載する必要はなく、普及していた安価な低出力エンジンを3基搭載することで、連合国航空管理委員会(Inter-Allied Aeronautical Commission of Control)によるドイツ機性能制限によって強力な出力を搭載して軍用機に転換しようとしていると疑われるリスクを避けたのである。
写真(右)1924年,完成直後のユンカース(Junkers)G23輸送機の複式操縦席のコックピット:操縦桿は完全なハンドル型で、中央にエンジン3基の同一計器、スロットル・レバーが3個並んでいる。操縦席は、密閉式で、エンジンを機首・主翼に合計3基搭載した輸送機。中央上には、水平儀とコンパス(羅針盤)がある。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
Junkers G 23, View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-01-251-AL-FL
. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-251-AL-FL引用。
ベルサイユ条約の軍備制限の下、ドイツでは、軍用ではなく民間用に限定して航空機を開発した。そして、ユンカースG23輸送機は、G24輸送機として、生産、輸出された。本来、強力なエンジンであれば、単発機で十分なパワーがあるが、エンジンの故障や余剰出力に配慮すれば、双発機以上に、三発機の信頼性は高かった。乗客にとっても、エンジンが多いことは安心感を抱かせたに違いない。
写真(右)1924年,完成直後のユンカース(Junkers)G23輸送機のキャビン:座席は、革製かプラスチック製のようだが、いずれも大きな窓の際で、視界が良さそうである。ただし、主翼に近いので、下方の景観は良く見えないかもしれない。シートの角には、動揺する機体での歩行に備えて把手がついている。中央奥の仕切りの向こう側に操縦室が見えるが、操縦室への扉にはガラス窓がついている。通路の左右上方には、ネット式の荷物棚が設けられている。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
Junkers G 23, View Collection, Unknown, Cockpit + Aircraft radiocommunication and navigation compartment, Product photography, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-01-251-AL-FL
. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-252-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G24旅客輸送機(乗客12人)が、三発エンジンなのは、大出力のエンジンを装備すると、軍用機と判断され、ベルサイユ条約違反となってしまうためである。ユンカースの採用した波板式の金属外板は、円筒形でなく旅客・貨物搭載に便利な箱型胴体でも強度を保つのに役に立った。
写真(右)1924年,完成直後のユンカース(Junkers)G23輸送機のキャビン:天井には照明が見える。天井の枠は、機体の構造強化のためのものだが、内装にクッションを撒いてエレガントに仕上げている。座席は、革製かプラスチック製のようだが、いずれも大きな窓の際で、視界が良さそうである。ただし、主翼に近いので、下方の景観は良く見えないかもしれない。シートの角には、動揺する機体での歩行に備えて把手がついている。中央奥の仕切りの向こう側に貨物室への扉がついている。通路の左右上方には、ネット式の荷物棚が設けられている。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Categories:
Junkers G 23, View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Cabin
Record Name:
Ans_05338-01-252-AL-FL. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-01-252-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機のキャビン(客室)には、座席12名分が用意されてているが、座席は機能的ではあり、決して豪華ではない。これは、重量軽減のために軽量化された座席を採用したからである。
ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機と対照的に、後継機のユンカース(Junkers)G31旅客機は、より大型の機体に、複数の二段式寝台・ソファーを備えており、豪華な空の旅を楽しめるキャビン(客室)内装となっている。
写真(右)1924年,ドイツのユンカース(Junkers)G.23輸送機の真後ろ:1924年9月19日初飛行なので、完成直後の撮影と思われる。箱型の胴体、長い主翼で、ユンカースF.13以来の波板状の機体外板が採用されている。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Type drawing and illustrations of Junkers G 23
Original title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is part of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 albums with 659 images (all digitized). 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: Ans_05338-01-245-AL-FL引用。
ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた国営航空である。ユンカースJu−52旅客輸送機を中核に、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ全土に航空網を築き、ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機(12人乗り)、のちにはフォッケウルフFw-200、ユンカースJu‐90のような四発大型旅客機を導入して、南北アメリカにまで航路を拡張した。
1925年設立のLVGルール(LURAG)航空は、ユンカースF.13輸送機5機、ユンカースG24輸送機5機を保有し、ベルリン(Berlin)-ルール地方エッセン(Ruhrgebiet)-アムステルダム(Amsterdam)を結ぶ航路を開拓したが、1936年に解散した。
写真(右)1925年,ドイツ、ベルリン、スイス航空所属のユンカース(Junkers)G24輸送機(登録コード:CH-132):3基のユンカース(Junkers)L 2液冷エンジンを装備。F13輸送機の登録コードは、左からD-232、D-347,D-372,D-454。 Photographer:
Junkers
Title:
Vom ersten Einsatz der G 24 mit 3 Junkers L 2 Motoren und der anschliessenden Sonderflugerprobung. Otto Brauer u. Reginald Schinzinger
Dating:
1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle
Junkers G 24, Junkers, View Collection, Reportage photography, Propeller-driven aircraft Record Name:
Ans_05338-02-079-AL-FL 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-080-AL-FL引用。
写真(上)1924年,未舗装滑走路から離陸したユンカース(Junkers)G23輸送機:アド・アストラ航空は、のちにスイス航空となる。固定式の主輪が折れたためか、機体は地面からあまり離れていない低い位置に落ち込んでいる。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Type drawing and illustrations of Junkers G 23
Original title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is part of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 albums with 659 images (all digitized). 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name: Ans_05338-01-250-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G.24は、大型化し、搭載量が増えたため、単発では出力不足であり、かといって強力なエンジンの搭載は、ベルサイユ条約に抵触する危険があるため、低出力エンジンを3基搭載することになった。
他方、ドイツ以外の国では、このようなエンジン出力の制約は課されないために、輸出向けには、単発機でより強力なエンジン、たとえば450馬力のネーピア(Napier)ライオン(Lion)エンジン1基を機首に装備するタイプである。 しかし、ドイツを監視していた連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G24輸送機は、軍用に転用可能であると警告した。
写真(右)1925年,ドイツ・ルフトハンザ航空所属のユンカース(Junkers)G24輸送機:プロペラは、機首は2翅だが、両側は2翅を2枚み合わせ4翅とした。機首には「LUFT HANSA」と大書されている。
Photographer: Unbekannt
Title:
Junkers G 24 mit Schwarz-Kreuzflügel-Luftschrauben
Dating:
ca. 1925
Junkers G 24, Nose, Propellers, View Collection, Unknown, Product photography, Propeller-driven aircraft, Lufthansa (DLH)
Record Name:
Ans_05338-02-288-AL-FL. 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Ans_05338-02-288-AL-FL引用。
ユンカース(Junkers)G24輸送機の降着装置には、主輪2個のゴムタイヤが中心軸でシャフトに繋がれている。重い機体。特に着陸時のタッチダウンの差異には。大きな負荷がかかるので、強度を高める必要があり、左右のバランスをとるためにも、軸で主輪を繋ぐのが強度の上では必要だった。しかし、このシャフトによって空気抵抗が大きくなるので、強度が許せば、このような中心軸(シャフト)はないほうが良い。
第一次大戦敗北国ドイツに課せられたドイツでは、連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)によって、ユンカース(Junkers)G.24は、ベルサイユ条約の飛行機開発禁止違反とされた。
そこでユンカースは新たにユンカース G 23を開発し飛行機開発の制限外の機体として販売した。しかし、ユンカース(Junkers)G.23とG.24はほぼ同一であり、新名称G.23ではなく、旧名称G.24がそのまま用いられることも多かった。
写真(右)1925年,スイス、チューリヒ郊外デューベンドルフ飛行場、未舗装滑走路で組み立て作業中のアド・アストラ航空(Ad Astra Aero AG)所属のユンカース(Junkers)G23輸送機:エンジンナセルはあるが、エンジン自体は取り付けられていない。主翼外側も外された状態にある。胴体前部はカバーで覆われている。 Photographer:
Swissair
Title:
Assembly of a Junkers G 23 of Swissair in hangar VIII at the airfield in Dübendorf
Original title:
Junkers G.23 Montage
Dating:
ca. 1925 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
LBS_SR02-10191引用。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機は、1925年から1929年まで72機が生産されたが、そのうちドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)には 26機が供与されたが、搭載したエンジンにはいくつかの種類があったようだ。
ユンカース(Junkers)G24輸送機の樹立した世界記録は、飛行距離2,020 km (1,560 マイル)をペイロード 1,000 kg で14時間 23分で飛行し、平均速力140 km/hを達成したことがある。
写真(右)1925年,スイス、チューリヒ郊外デューベンドルフ飛行場、未舗装滑走路で組み立て作業中のアド・アストラ航空(Ad Astra Aero AG)所属のユンカース(Junkers)G23輸送機(登録コード:CH-134):エンジンナセルはあるが、エンジン自体は取り付けられていない。主翼外側も外された状態にある。胴体前部はカバーで覆われている。 EN: ASSEMBLY OF A JUNKERS G 23 OF SWISSAIR IN HANGAR VIII AT THE AIRFIELD IN DÜBENDORF
Record Name LBS_SR02-10192
Photographer Swissair
Dating ca. 1925
Physical description Fotografie : Glasplattennegativ
Format 13 x 18 cm 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
LBS_SR02-10192引用。
スペインのイベリア航空も、ユンカース(Junkers)G. 24を採用した。ユンカースG.24輸送機は、信頼性の高い機体で、定時就航に寄与していた。1930 年にはG 24輸送機による 84 %の飛行が予定日内に終了したとされる。
写真(右)1925年,オランダ、アムステルダム・スキポール(Schiphol)空港の草地滑走路、ユンカース(Junkers)Junkers/AB G23輸送機: Title:
Rundflüge von Shipol aus. Die drei Piloten mit den Fluggästen
Dating:
1917-1925
Is Part Of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 Alben mit 659 Bildern (alle digitalisiert)
Photography : paper print, mounted on cardboard
Colour:
black and white
Orientation:
Horizontal
Format:
Other size
Special Size:
ohne Angabe
Categories:
View Collection, Unknown, Amsterdam, Junkers, Propeller-driven aircraft
Record Name:
Ans_05338-02-030-AL-FL
写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
Ans_05338-02-030-AL-FL引用。
1926年5月、ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)は、ベルリンとケーニヒスベルク間の民間航路を運航開始し、そこにユンカース(Junkers)G. 24輸送機を就役させた。これは、世界初の夜間旅客航路で、盲目飛行の計器・乗員がいなければできないことである。それまで、郵便や貨物の夜間航路はあったが、夜間旅客輸送はなかったのは、安全性が問題視されたからで、ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)は、ユンカース(Junkers)G24輸送機による夜間盲目飛行を、無線通信航法によって、可能としたのである。
写真(右)1928年1月,ドイツ、ドレスデン空港、オーストリア航空 AG 所属のユンカース(Junkers)G24輸送機で到着した6名のアメリカ・スー族インディアンと2名の搭乗員、2人の若者は案内者か Sioux-Indianer des Zirkus Sarrasani und Besatzung vor einem Verkehrsflugzeug Junkers G-24 der Österreichischen Luftverkehrs-AG
Datensatz 80546690
Hahn, Walter: Sioux-Indianer des Zirkus Sarrasani vor einem Verkehrsflugzeug Junkers G-24 der Österreichischen Luftverkehrs-AG, 1928.01
Serie: Sarrasanis Sioux-Indianer - Junkers-Verkehrsflugzeug
Location:
Dresden-Hellerberge (Aufnahmezeitpunkt)
Nose, Reportage photography, Junkers G 23, Propellers, View Collection, Unknown, Cockpit, Bord engineers, Propeller-driven aircraft
Originalnegativ (Glas, 10/15 cm.) 写真は,SLUB / Deutsche Fotothek・Aufn.-Nr.: df_hauptkatalog_0305034引用。
1926年に、フーゴー・ユンカースの築いたユンカース飛行機は、ルフトハンザドイツ航空と協力し、グローバルな航空路線の開拓に臨み、シベリア鉄道の沿線への航空路を開いて、中国との連絡を開こうとした。
そして、この目的でユンカース(Junkers)G24輸送機2機が中国までの2.5万キロの空路に投入され、試験飛行を行った。ベルリン=北京の空路がユンカースの機体によって実用化のめどがついたのである。
写真(右)1920年代(?),ドイツ、ユンカース(Junkers)G. 24三発輸送機(S-505):G. 24は、前作F.13単発輸送機の大型化を意図して、ユンカース(Junkers)L 5液冷6気筒エンジン310馬力3基を搭載、1924年9月19日、初飛行した。軍用機と見なされないように、ベルサイユ条約の軍備制限条項内の非力な航空機と見えるようにユンカースは配慮した。実際には、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は適用されず、外国での改修、エンジン強化も可能なように設計されていたようだ。 Junkers, G.24
Catalog #: 01_00081549
Title: Junkers, G.24
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真はSDASM Archives・ Catalog #: 01_00081549引用。
また、ユンカース社は,北京―天津―済南―南京―上海の定期運航を、単発小型輸送機のユンカース F13と若干大型のユンカース(Junkers)G24輸送機で実施した場合の比較検討をしたが、中国の内戦、すなわち国民党軍による地方軍閥の壊滅作戦「北伐」のために、ユンカース輸送機が売れたわけではなかった。
ユンカース飛行機では、中国のナショナリズムの興隆を評価し、国防を充実するためにも、ユンカース(Junkers)G24輸送機の導入が有利であることを説いた。
写真(右)1920-1930年代初頭(?),イギリス(?)、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)G. 24三発輸送機:舗装滑走路で、エンジンを始動し、2翅ブレードプロペラが回転し始めた。周囲にエンジン始動で機体に近づかないように警告するため、プラカードを高く掲げた制服の係員が立っている。後方には、柵の奥に多数の民間人が集まってこちらを見ている。 Junkers, G.24
Catalog #: 01_00081548
Title: Junkers, G.24
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany 写真はSDASM Archives・ Catalog #: 01_00081548引用。
1926年5月1日、ドイツ・ルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)は、ベルリンからケーニヒスベルクへの夜間寝台旅客輸送機としてユンカース(Junkers)G24輸送機を投入した。ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機(12人乗り)2機(D-901とD-903)が1926年7月に中国北京への2万km (1万2,400マイル)の飛行に参加した。
図(右)1924年,ドイツ、ユンカース飛行機工場(Flugzeugwerke AG)作成、ユンカース(Junkers)G23輸送機の三面内部構造図:全幅28.5m、全長15.24m、全高5.5m、客室座席10名、大型旅客輸送機。客室搭乗口は、胴体左後方に1カ所。 Photographer:
Unbekannt
Title:
Type drawing and illustrations of Junkers G 23
Original title:
Typenzeichnung und Abbildungen von Junkers G 23
Dating:
ca. 1924
Is part of:
Junkers Flugzeugwerke AG, [1917-1925]. 2 albums with 659 images (all digitized). 写真は,The ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
Ans_05338-01-243-AL-FL引用。
7.ユンカース(Junkers)G23/G24水上輸送機
写真(上)1925年,ドイツ、ユンカース飛行機工場(Flugzeugwerke AG)作成、ユンカース(Junkers)G23W水上輸送機の右前方:客室座席10名以上の大型旅客水上輸送機。客室搭乗口は、胴体左後方に1カ所。
Photographer Unbekannt
Dating ca. 1925
Physical description Fotografie : Silbergelatine-Abzug, auf Karton montiert
Format Spezialmass
Special size ohne Angabe
Colour schwarz/weiss 写真は, ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv・Record Name:
Ans_05338-02-028-AL-FLL引用。
ユンカース(Junkers)G. 23W水上輸送機は、大出力のエンジンを搭載すると、軍用機に転用可能と判断され、ベルサイユ条約違反とされてしまう恐れがあった。そこで、小出力のエンジンを搭載したのがユンカースG24輸送機だった。しかし、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は関係がない。そこで、スウェーデンもソビエト連邦も、民間限定とされたドイツのユンカース(Junkers)G. 23輸送機を堂々と軍用型として制式した。軍用仕様なので、機関銃座や爆弾懸架装置を備えているのは当然だった。
写真(上)1926年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地のフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード: K-SALC ):木製桟橋から、W34水上機のフロート、そこから梯子で主翼に、胴体側方の扉へと渡って乗客が機内に乗り込んでいるが、手荷物を持っての乗機は困難である。 Junkers G 24 K-SALC "Suomi" saapuneena Katajanokalle, lentäjä kapt. Bremer, mukana konsuli Lucander, kone luovutettiin 3. kesäkuuta 1926 Aero Oy:lle Limnhamnissa...
Organisaatio
Suomen Ilmailumuseo
Kokoelma
Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1926
Helsinki, Katajanokka
写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:55引用。
フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)の導入したユンカース(Junkers)G24 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC)は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
写真(右)1929年5月,スイス(?)、飛行機格納庫内でのユンカース(Junkers)G 24 W水上輸送機の組み立て作業:胴体、フロート、エンジンが付いた機体に主翼を取り付ける作業が行われている。左主翼付け根の取り付け部分には、整備員・工員の昇降梯子が置かれている。 Photographer:
Photographisches Institut der ETH Zürich
Title:
Junkers G 24 W
Original title:
Junkers G 24 W
Caption:
Orderer: Leopold Karner, ETH professor for structural analysis, building and bridge construction in wood and iron. Reproduction of a paper print
Dating:
5/1929
写真は, ETH-Bibliothek Zürich
PI_29-B-0181引用。
ユンカース(Junkers)G. 24輸送機の諸元
乗員 2名、乗客 9名 全長 15,70 m 全幅 29,90 m 全高 4,15 m 主翼面積 97,8 平方メートル 全備重量 6500 kg 最高速力 197 km/h 発動機 ユンカース(Junkers) L 5 液冷直列6気筒エンジン310馬力3基。
写真(右)1926年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード: K-SALC )の操縦席コックピット:二列に正副操縦席が並び、正面は平板ガラスで歪みをなくしている。操縦桿も各々ついている。三発エンジンなので、メーター類もレバーも3個ずつ並んでいる。
Junkers G 24 K-SALC "Suomen" ohjaamo 1926, kuva otettu ilmeisesti koneen saavuttua Katajanokalle, koneen lentäjä Suomeen kapt. Bremer, mukana konsuli Lucander. Kone luovutettiin Limnhamnissa Aero Oy:lle 3. kesäkuuta 1926..
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Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1926
Aero Oy 写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:57引用。
1923年設立のフィリランド航空(フィンエアー:Aero Oyj)のユンカースJu 52/3m輸送機「サンポ」"Sampo"(OH-ALK) 水上輸送機は、1932年6月にドイツから導入した当初は、双フロート付きの水上輸送機だった。フィンランド首都ヘルシンキ郊外、カタヤノッカ水上機飛行場は、1924年に創設され、フィンランド各地に湖沼やフィヨルドを利用した水上機基地が設けられ、民間航空網が形成されるようになった。しかし、フィンランド各地に陸上飛行場が整備されるに伴い、大きなフロートを装備した飛行性能の低い水上機よりも、フロートを取り去って主輪に変換した陸上機が望まれるようになった。ヘルシンキでも、ヘルシンキ郊外のマルミ陸上空港が拡充されたたために、カタヤノッカ水上機飛行場も1936年一杯で使用されなくなった。
写真(右)1930年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地格納庫前で待機しているフィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24W 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC):G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役で、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。
Aero rakennutti 1920-luvun lopulla Helsingin Ruoholahden edustalle Kellosaareen lentokonehangaarin. Hankkeella ennakoitiin lentoliikenteen kasvua ja saarelle oli tarkoitus keskittää ennen pitkää niin Tallinnan, Tukholman, Kuopion kuin Travemundenkin liikenne, kuten piirustuksissa luki. Aeron liikennöi pidempään ja vakituisesti Katajanokan lentosatamasta (1924-1936). Kellosaaren hallin edessä Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" K-SALC keväällä 1930. Kone tulossa talviteloiltaan hallista jossa kone oli talven aikana täydellisesti korjattu ja maalattu..
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Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1930
Helsinki, Kellosaari 写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:74引用。
写真(右)1934年12月1日,フィンランド、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G24 水上輸送機「スオミ」 "Suomi"[フィンランド](登録コード:K-SALC)と桟橋で待機している乗客たち: ユンカース(Junkers)L5 液冷6気筒エンジン230 kW (310馬力) 2翅プロペラを装備した三発輸送機。G 24 K-SALC "Suomi"は、1926年6月4日就役、1935年6月11日退役、9年間の間、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj )で使用された。 Aero Oy:n Junkers G. 24 "Suomi" poistui yhtiön käytöstä joulukuussa 1934. Kone myytiin Junkersille kesäkuussa 1935. Kuva Kellosaaresta, Helsingistä.
Aineistotyyppi
Valokuva
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Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Inventaarionro
SIM VK 533:308
Mitat
Vedos
Kuvaustiedot:
1934-12-01
Helsinki 写真はMuseot Finna, Suomen Ilmailumuseo・ CC BY-NC-ND 4.0 引用。
写真(右)1934年,フィンランド、ヘルシンキ、水上機基地で待機しているフィンランド、フィンランド航空(Aero Oy:lle: Finnair Oyj)、ユンカース(Junkers)G 24W 水上輸送機「スオミ」"Suomi"[フィンランド](登録コード:OH-ALC):プロペラはいずれも2翅で、直径も同一のように見える。
Aero Oy:n Junkers G 24 "Suomi" OH-ALC poistui yhtiön käytöstä joulukuussa 1934. Kone myytiin Junkersille kesäkuussa 1935. Kuva Kellosaaresta, Helsingistä...
Organisaatio
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Finnair Oyj / Ståhle, Gunnar
Mitat
Kuvaustiedot:
1934
Neittamo Oy
Neittamo. Akseli, valokuvaaja 写真はMuseot Finna, MUSEOT FINNA Inventaarionro SIM VK 533:306引用。
ユンカースG24は、前作G23の発動機を強化した形式で、同時に非公式に開発された。そこで、 国際ドイツ航空機管理委員会(ILUK :International Aviation Control Commission in Germany) は、軍用機(転用可能)とみなしたG24の開発を禁止した。そこで、ユンカースのデッサウ(Dessau)工場では、公式にはG.23を生産するとしたが、このデッサウ工場で製造されたG.23は、スウェーデン南端マルメ沿岸リーハムのスウェーデンAB航空産業(A.B. Flygindustri)でユンカース(Junkers)L2 液冷エンジンに改造され、ドイツに戻され、ドイツ・ルフトハンザ航空など主にドイツでG23として使用された。ユンカース G23/G24は、1925−1929年の間に多数の種類の発動機を搭載した。
フーゴー・ユンカースのユンカース(Junkers)G24旅客輸送機(乗客12人)は、航空機用ガソリン液冷エンジンを装備した。しかし、ユンカース社では、より燃費のいいディーセル航空機用エンジンを開発していた。W24輸送機には間に合わなかったが、この後、ユンカースJumo205ディーゼルエンジンが開発され、Ju80輸送機、BV138飛行艇、BV222大型飛行艇に搭載された。これは、長距離飛行を可能とするためである。ただし、エンジン自体の重量は、同馬力のガソリンエンジンよりも重たくなる。
ヨーロッパでは第一大戦の戦火が癒えた1920年代から、民間航空輸送が盛んになり、航空便・新聞・雑誌などメディア文書の発送、旅客・貨物輸送が興隆した。こうした中で、ユンカースは成功作でベストセラーになった前作ユンカースF-13輸送機をベースに、より大型化したユンカース(Junkers)G. 24を開発した。設計主務はエルンスト・ツィンデル(Ernst Zindel)で、試作当初は単発機だった。当時の敗戦国ドイツには、ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)条約の制約があり、空軍力の保有は禁止、航空兵力につながる飛行機開発も制限された。そこで、低出力のエンジンしか搭載できないが、小型機では、限界があるため、単発大型機の開発が企図された。ユンカース(Junkers)G. 24三発旅客機も、単発機として開発されたのである。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)G.24/G.23輸送機を見る。
8.輸出されたユンカース(Junkers)K30爆撃機/G24軍用仕様
写真(右)1926年10月,国籍マークのないユンカース(Junkers)R 42(K.30)偵察爆撃機:ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様。ユンカース(Junkers)G24三発輸送機の軍用仕様 "Kriegsflugzeug" で、胴体上部に銃座が2カ所設けら、旋回機関銃を装備できる。また、長距離飛行できるように機首と主翼にはユンカースL2液冷エンジンを合計3基装備している。ユンカースK30偵察爆撃機は30機生産されたが、そのうち27機はソ連が購入した。 Description
English: Junkers R 42 photo from L'Aéronautique October,1926
Date 1 October 1926
Source gallica.bnf.fr/ark:
Author L'Aéronautique magazine 写真はWikimedia Commons,Category:Junkers G.24・File:Junkers R 42 right front L'Aéronautique October,1926.jpg引用。
ユンカース(Junkers)G. 24は、大型化し、搭載量が増えたため、単発では出力不足であり、かといって強力なエンジンの搭載は、ベルサイユ条約に抵触する危険があるため、低出力エンジンを3基搭載することになった。
他方、ドイツ以外の国では、このようなエンジン出力の制約は課されないために、輸出向けには、単発機でより強力なエンジン、たとえば450馬力のネーピア(Napier)ライオン(Lion)エンジン1基を機首にに装備するタイプである。 しかし、ドイツを監視していた連合国軍事管理委員会(Military Inter-Allied Commission of Control)は、ユンカース(Junkers)G. 24輸送機は、軍用に転用可能であると警告した。
ユンカース(Junkers)G. 23W水上輸送機は、大出力のエンジンを搭載すると、軍用機に転用可能と判断され、ベルサイユ条約違反とされてしまう恐れがあった。そこで、小出力のエンジンを搭載したのがユンカースG24輸送機だった。しかし、ドイツ以外の国に、ベルサイユ条約の軍備制限条項は関係がない。そこで、スウェーデンもソビエト連邦も、民間限定とされたドイツのユンカース(Junkers)G. 23輸送機を堂々と軍用型として制式した。軍用仕様なので、機関銃座や爆弾懸架装置を備えているのは当然だった。
ドイツのユンカース(Junkers)G. 23三発旅客機の初飛行は1924年9月19日でエンジン3基搭載で、波板式の機体外板は、軽量で強度を保つ工夫であり、Ju-52輸送機にまで引き継がれることになる。降着装置は固定式でこれもJu-52輸送機に引き継がれる。ドイツ・ルフトハンザ航空にユンカース(Junkers)G. 23三発旅客機が採用され民間航路に就航したのは1925年以降で、1929年までに72機が生産された。チリ、ソビエト連邦(ロシア)、スペイン、ユーゴスラビアでは、軍用機ユンカースK30として採用された。
1926年、ユンカース社はソビエト軍のためにユンカース(Junkers)G. 23三発輸送機の軍用仕様ユンカース(Junkers)K30を開発し、ソ連に23機を輸出した。また、同様の機体をスウェーデン軍にも販売した。
ユンカースK.30は1929年にフィンランドを訪問した。1930年代初頭、スウェーデンのAB飛行機産業(AB Flygindustri:ABA)がヴァイノ・ブレマー(Wäinö Bremer )の下で、ユンカース機を製造した。ヨーロッパ、トルコへの輸出が目的だった。1929年3月、ユンカースK 30偵察爆撃機は、フィンランドに飛来し、ブレマーは、導入を検討した。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)K30偵察爆撃機を見る。
9.ユンカース(Junkers)G 31輸送機
写真(右)1933年,オランダ、アムステルダム空港、ドイツ・ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)G31輸送機 'Preussen'(D-1770):機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンではなく、フランス製ノーム エ ローヌ(Gnome et Rhône)9K 空冷星型9気筒エンジン「ミストラル」(Mistral)(排気量 24.9 L)550 hp (405 kW) を合計3基装備している。機首エンジンと主翼エンジンに、集合排気管が接続されている。乗客15名は当時の大型旅客機である。 Nederlands: Een Junkers G 31, D-1770 'Preussen' van de Deutsche Luft Hansa AG. De Gnome & Rhône-motoren zijn duidelijk zichtbaar. Het toestel werd in november 1929 in gebruik genomen.
Date 1933
Source Nationaal Archief
Author Willem van de Poll 写真はWikimedia Commons,Category:D-1770 (aircraft)・File:Junkers G 31 Amsterdam (3).jpg引用。
ユンカース(Junker)G 31輸送機は、1920年代に13機と少数生産されたユンカース社の当時の大型輸送機で初飛行は1926年9月7日で、ju-52の初飛行1930年より4年早い。生産は13機で終わったG.31三発機だが、機体構造は、Ju-52/3mと酷似しており、Ju-52に設計が引き継がれていることがわかる。
ユンカース(Junkers)G31三発輸送機は、当初、ドイツのユンカースL5液冷V型12気筒エンジン、BMW VI液冷12気筒エンジンなど液冷V型12気筒エンジンを採用した。しかし、整備しやすさを優先したためか、後の生産型は、フランスのノーム・エ・ローヌ(Gnome et Rhone)、ドイツのジーメンス(Siemens)製造のブリストル・ジュピター(Bristol Jupiter)、BMW製造のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690「ホーネット」 Hornetなど空冷星形9気筒エンジンを装備するようになった。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)G31輸送機を見る。
10.ユンカース(Junkers)Ju-52輸送機
写真(右)1928年-1930年代、カナダ、飛行場滑走路に待機しているカナダ航空ユンカース(Junkers)Ju. 52単発輸送機(CF-ARM):Ju52/3m三発機の原型
SDASM Archives
Junkers, Ju.52
Catalog #: 01_00081615
Title: Junkers, Ju.52
Corporation Name: Junkers
Additional Information: Germany
Designation: Ju.52
Tags: Junkers, Ju.52 写真は,SDASM Archives(San Diego Air and Space Museum )引用。
ユンカースJu52輸送機の原型はJu 52/1mで、1930年にユンカースJ2液冷エンジンを装備していた。そして、出力不足のため、1932年にエンジン左右主翼にも装備して、三発輸送機に改良された。そして、三発のJu 52/3mが有名になり、三発の信頼性の高い旅客機として世界中に認められた。
写真(右)1935年,オーストリア、ウィーン飛行場、オーストリア航空(Österreichischen Luftverkehrs A.G.)のユンカース Ju 52/3m三発輸送機の右前方:機首と主翼にはBMW空冷星形エンジンを合計3基装備している。機首エンジンと主翼エンジンに、集合排気管が接続されている。乗客18名は当時の大型旅客機だが、固定脚だった点で、引込み脚をいち早く採用したアメリカのダグラスやボーイングの双発旅客機よりも保守的な設計といえる。 Photographer
Lifta
Archive description
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Im Osten, Polen.- Transportflugzeug Junkers Ju 52 in Lackierung der Deutschen Lufthansa auf Flughafen; PK KBK Lw 4
Title
Flugzeug Junkers Ju 52
Date September 1939
Collection
German Federal Archives wikidata:Q685753
Current location
Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)
Accession number
Bild 101I-397-0023-17 写真はWikimedia Commons,Category:Junkers Ju 52 of Deutsche Lufthansa
・File:Bundesarchiv Bild 101I-397-0023-17, Flugzeug Junkers Ju 52.jpg引用。
ユンカース(Junkers)Ju52輸送機の諸元 初飛行:1932年3月7日
生産機数:4852機 搭乗員:3名 乗客:18名 全長:18.9m 全幅:29.25m 総重量:11000kg 発動機:BMW132空冷星型9気筒670馬力3基 最高速力:270km/h 巡航速力:210km/h 航続距離:870km
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
11.一年に二百七十台の米飛行機建造費『中外商業新報/日本産業経済新聞』 第1巻 P.7 1928-03-23
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100224837
写真(右)1932‐1937年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊の国籍マークを付けたオランダ製フォッカー(Fokker)XB-8爆撃機:1920年代末にアメリカ陸軍航空隊の要求を受けてフォッカー(アメリカ法人)が開発し1930年10月20日に初飛行。合計4機生産。乗員:4名
全長:14.0 m
全幅:20.0 m
高さ:3.50 m
翼面積:57.5 m2
空虚重量:3,112 kg
発動機:カーチス V-1570-23 コンカラー(Conqueror)液冷V12気筒エンジン(排気量 25.7 L) 600 hp (450 kW)× 2
最大速度:260 km/h。 Nederlands: Fokker YO-27 verkenningsvliegtuig.
Date
between 1932 and 1937
Source
https://nimh-beeldbank.defensie.nl/foto-s/detail/fddc74b2-9e7d-7c5f-3c89-72bcc0316923/media/2ea74c68-ad05-b43a-fcd7-fb55253d9fbd
Author
Collectie Van Beek
写真はWikimedia Commons, Category:Fokker XB-8 File:Fokker YO-27 verkenningsvliegtuig 2161 026167.jpg引用。
【ワシントン二十一日聯合発電】米国下院予算委員会が本日下院に報告したる一九二八年度米国海軍予算案総額三億五千九百十九万ドル中には飛行船二台の建造費八百万ドルの第一期分二百万ドルを始め飛行機建造費三千万ドル、一九三〇年までに竣工すべき筈の巡洋艦八隻及びヴイー型潜水艦二隻建造費千三百万ドル、戦闘艦ネヴァダ号(Nevada)並にオクラホマ号(Oklahoma)改装費六百万ドル等を含むものであるが、右のうち飛行機建造費三千万ドルは、一九二八年より一九二九年に至る一ケ年間に新に海軍飛行機二百七十一台の建造を了すべき事を規定している
(引用終わり)
写真(右)1917年、アメリカ、14インチ三連装砲塔4基搭載のアメリカ海軍ネヴァダ(Nevada)級戦艦ネバダ (USS Nevada, BB-36) :起工 1912年 11月4日
進水 1914年 7月11日
就役 1916年 3月11日。排水量 基準:29,000トン、満載:34,000トン
全長 177.70m
全幅 29.03m
吃水 9.04m
最高速力 20.5ノット
乗員 士官・兵員:864名
兵装: 45口径14インチ35.6cm砲三連装砲2基、二連装2基10門
51口径5インチ12.7cm砲21門。 Description
English: Title: NEVADA, U.S.S., IN HAMPTON ROADS Abstract/medium: 1 negative : glass ; 5 x 7 in. or smaller
Date 1917
Source
Library of Congress
Author Harris & Ewing, photographer
This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division
under the digital ID hec.08102
写真はWikimedia Commons, Category:USS Nevada (BB-36)
File:NEVADA, U.S.S., IN HAMPTON ROADS LCCN2016867505.tif引用。
写真(右)1920-1921年、アメリカ、14インチ三連装砲塔4基搭載のアメリカ海軍ネヴァダ(Nevada)級戦艦「カリフォルニア」USS USS Oklahoma (BB-37) :起工 1912年 10月26日
進水 1914年 3月23日
就役 1916年 5月2日。排水量 基準:29,000トン、満載:34,000トン
全長 177.70m
全幅 29.03m
吃水 9.04m
最高速力 20.5ノット
乗員 士官・兵員:864名
兵装: 45口径14インチ35.6cm砲三連装砲2基、二連装2基10門
51口径5インチ12.7cm砲21門。 English: Title: Battleship Oklahoma
Abstract/medium: 1 negative : glass ; 8 x 6 in.
Date between 1920 and 1921
Source
Library of Congress
Author National Photo Company Collection
Permission
(Reusing this file)
This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division
under the digital ID npcc.29600
写真はWikimedia Commons, Category:USS California (BB-44)
File:Battleship Oklahoma LCCN2016823456.jpgg引用。
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇 ⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機 ⇒ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
⇒ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
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