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ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機 2022
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◆ポリカルポフ(Polikarpov)I-5 /I-15複葉戦闘機 ◇ Поликарпов И-15
写真(上):1936-1937年,スペイン、共和国政府側で戦ったソビエト連邦派遣のポリカルポフ(Polikarpov)I-15(И-15)複葉戦闘機:1936年のスペイン内戦では、人民戦線を結成した共和国政府が、ソ連・コミンテルンの軍事援助を得て、ドイツ・イタリアの軍事援助を得たファシスト国民戦線と戦った。垂直尾翼には赤黄紫の共和国政府の国旗由来の国籍マークが描かれている。
Polikarpov, I-15, Catalog #: 01_00086849
-15 fighter, republican Spain истребитель И-15, республиканская Испания
写真はWar is over、 Схемы окраски истребителей Поликарпова И-15 引用。

図(上):ソビエト連邦、ソ連赤色空軍ミハイル・ビコフ(Михаил Быков)搭乗のポリカルポフ(Polikarpov)I-15(И-15)複葉戦闘機:MИ-15 ВВС РККА (с) Михаил Быков
写真は, Уголок неба- И-15引用。


1.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機

写真(右):1930年3-4月,ソビエト連邦、モスクワ郊外北、ホディンスコエ(Khodynka)飛行場北東部、第39航空機工場、ソ連VT-11(ВТ-11)戦闘機試作1号機のエンジン初始動試験:垂直尾翼方向舵にVT(ВТ)のマークが「赤い星」の上に記載されている。ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機の原型となった機体で、ポリカルポフ(Polikarpov)I-1複葉戦闘機の試作1号機ともいえる存在だが、当初は、囚人だった設計技師たちの名称は使用されなかったのでポリカルポフの名称は使用されていない。公式には労働者階級機VT-11と命名されたようだが、設計技師の囚人たちは、囚人機VT-11とみなしていた。プロペラが回転している。尾輪は橇式。1930年4月29日に初飛行。
Русский: Перед первым полетом ВТ-11. Летчик Б.Л. Бухгольц уже в кабине. Слева за самолетом стоят: Д.П. Григорович, А.Г. Горянов-Горный и В.Л. Корвин. 28 апреля 1930 г. The VT-11 was the first prototype of the Polikarpov I-5 Date 1930 Source Собственный архив участника GtorgeK. Author фото: Корвин-Кербер В. Л. (1894—1970); правообладатель: GtorgeK
写真は、 Categories: Polikarpov I-5 File:ВТ-11 перед испытанием.jpgg引用。


1920年代末、ソ連秘密警察、すなわち国家政治保安部OGPU)は、多数の専門技師を反スターリンのスパイ、破壊工作員の容疑者として逮捕し、国内収容所VTに収監した。この起源は、1917年にボリシェビキのレーニンが設立した反革命弾圧非常委員会「チェカ」で、1922年に国家政治保安部(GPU),1934年に内務人民委員部(NKVD),1954年に国家保安委員会(KGB)と変遷している。

 国家政治保安部OGPUは、人材の効率的使用のために、政治犯として収容された囚人技師を専門家として酷使した。その一つが、ドミートリィ・グリゴロヴィチ主任の収容所設計局(Konstruktorskoye Byuro Vnutrenniya Tyurma—KB VT)であり、集められたポリカルポフら11人の設計技師は、1930年にVT-11と命名された戦闘機を設計した。

ニコライ・ポリカルポフは1929年9月に飛行機開発の遅れから、破壊工作を疑われ、GPUに逮捕、1929年12月に収容所設計局に送られた。そして、OGPUはKB VTを1930年初頭にホディンカの第30飛行機工場の併設機関とした。その後、KB VT主任に就任したポリカルポフは、I-5を設計し、1930年3月28日にモックアップ実物模型が承認された。

写真(右):1930年4月29日,ソビエト連邦、モスクワ郊外北、ホディンスコエ(Khodynka)飛行場、第39航空機工場で完成したVT-11(ВТ-11)戦闘機試作1号機の初飛行試験:垂直尾翼方向舵に、「赤い星」とVT(ВТ)のマークが記入されている。ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機の原型となった機体で、1930年4月29日の初飛行は大成功だった。車輪はソリッド式ゴム輪、尾輪は橇式。
Русский: После приземления ВТ-11. Летчик Б.Л. Бухгольц еще в кабине. 28 апреля 1930 г. The VT-11 was the first prototype of the Polikarpov I-5 Date 1930 Source Собственный архив участника GtorgeK. Author фото: Корвин-Кербер В. Л. (1894—1970); правообладатель: GtorgeK
写真は、 Categories: Polikarpov I-5 File:ВТ-11 после первого испытательного полета.jpg引用。


国家政治保安部OGPU)の管轄下で、収容所設計局(Konstruktorskoye Byuro Vnutrenniya Tyurma—KB VT)VT-11/I-5試作1号機は、フランス製ノームローン・ジュピターVII空冷型星形9気筒エンジン450 hpを搭載、昇降舵に赤い星を描き"VT"と記入された。このVT-11/I-5試作1号機は、1930年4月30日に初飛行した。その後、VT-12/I-5試作2号機は1930年5月22日に飛行した。また、VT-13/I-5試作3号機1はソ連製M-15空冷星形エンジン600 hpを搭載、空気抵抗の少ないNACAカウリングを装備している。

写真(右):1930年4月以降,ソビエト連邦、モスクワ郊外北、ホディンスコエ(Khodynka)飛行場、第39航空機工場で完成したVT-11(ВТ-11)戦闘機試作2号機「クリメント・ヴォロシーロフ(Климент Ворошилов)」(ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機の原型):開放式のコックピット操縦席だが、搭乗口は、出入りしやすいように、側面開口部を広くとっている。ソ連赤色空軍の赤い星の国籍マークは記入されていない。ジュピターVI空冷エンジン搭載。機体固有名称「クリメント・ヴォロシーロフ」(Климент Ворошилов)とは、ロシア革命以来の闘志で国防委員長(国防大臣)だったクリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフ(Климент Ефремович Ворошилов、:Kliment Yefremovich)に由来する。彼は1881年2月4日にロシア人労働者の家庭に生まれ、1905年にボリシェヴィキに入党し、レーニンの知遇を経てロシア革命に参加、その後、赤軍を率いて干渉軍や白衛軍の鎮圧に当たった。1934年、国防人民委員(国防大臣)に就任、1935年ソ連邦元帥に昇進。1969年12月2日死去。
Русский: И-5 третий прототип "Клим Ворошилов" Date 1930 Source собственный архив GtorgeK Author Unknown author
写真は、 Categories: Polikarpov I-5 File:И-5 третий прототип Клим Ворошилов.jpg引用。


収容所設計局(Konstruktorskoye Byuro Vnutrenniya Tyurma—KB VT)に収監され、国家貢献を強いられたソ連の囚人技師たちは、VTのことを(Vnutrenniya Tyurma—内部収容所)で、VT-11は囚人機と認識していた。1930年4月29日,ソビエト連邦の首都モスクワ郊外北、ホディンスコエ(Khodynka)飛行場で、近くの第39航空機工場で完成したVT-11(ВТ-11)戦闘機試作機が初飛行試験に成功した。これが、後のの原型となった機体である。1930年4月29日の初飛行は大成功だったため、このVT-11が、その後、I(Istrebitel:戦闘機)-5と公式に呼称されるようになる。そして、囚人設計者だったニコラーイ・ニコラーエヴィチ・ポリカールポフ(Николáй Николáевич Поликáрпов : Nikolai Nikolaevich Polikarpov)の名前に由来するポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機として制式された。

VT-12/I-5試作2号機が、1931年8月13日に制式され、9月13日に生産命令が出た。I-5戦闘機の量産型は、イギリス製ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)空冷星形9気筒エンジン(排気量28.7 L)を原型に、フランスがライセンス生産していたノームローン・ジュピター(Jupiter)VI空冷星形エンジンを搭載していた。このジュピターVIエンジンをソ連でもライセンス生産して、新たにシュベツォフ M-22空冷星形9気筒エンジン 358 kW (480 hp)と命名して、I-5戦闘機の発動機として搭載したのである。ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)空冷エンジンの気筒(シリンダー)は、ボア146 mm、ストローク90 mm、排気量28.7 L、重量330 kg、離昇出力580 hp/毎分1,950回転。

写真(右):1931年,ソビエト連邦、モスクワ郊外、第1航空機工場で完成したポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機の生産型:エンジンシリンダーを独立させたカウリングが第1工場で開発された。1931年を通じて66機生産された。開放式のコックピット操縦席だが、搭乗口は、出入りしやすいように、側面開口部を広くとっている。
Description Soviet Polikarpov I-5 fighter (produced between 1931-1934) Source www.airwar.ru Author Unknown author
写真は、 Categories: Polikarpov I-5 File:Polikarpov I-5.jpg引用。


1930年4月29日初飛行のソ連VT-11(ВТ-11)戦闘機試作1号機がソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機の原型である。そして、I-5戦闘機を原型にした発展型がTsKB-3試作機で、1933年10月に飛行審査がされた。このTsKB-3試作機がソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15戦闘機の原型である。

VT-11は当初ジュピターVI空冷エンジンを搭載し、エンジンカウリングもシリンダーごとに独立させ絞り込んだ設計で視界も良好だっ。他方、新型のM-15空冷エンジン搭載型I-5戦闘機は、非武装の最高速力が266km/hとジュピターVI搭載型I-5の258km/hより8km早いだけで、80kg重量がかさんだうえに、円筒形のエンジンカウリングで、シリンダー独立型カウリングうよりも視界が悪化し、旋回半径も大きかった。こうして、1931年5月6日から6月15日までM-15エンジン搭載型I-5が審査され、M-15エンジンの将来性を考え、1931年11月にはI-5戦闘機初期量産型100機の生産が見舞ったときに、10機はM-15エンジンを搭載する発注が下りた。しかし、1931年末にはM-15エンジンの継続的開発は取りやめになり、M-15搭載型I-5戦闘機は量産しないことが決定している。

写真(右):1933年,ソビエト連邦、M-22空冷星形エンジン搭載型のソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機:コックピット後方上にもヘッドライトを上主翼左右上面に航法灯火を設置している。ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機の前作で原型となった機体で、1930年4月29日に初飛行がなされている。上主翼が胴体の上を貫通するパラソル式で、I-5は次々回作I-15後継機I-15bis(I-152)戦闘機と同形式の主翼配置である。機首に7.62 mm PV-1機関銃2挺(弾薬数各600発)をプロペラ同調式に配備し、コックピット前面ガラス風防には、当時はまだ新式だったOP-1望遠鏡式照準器を装備している。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938886 -Title: Polikarpov I-5 SOVfoto photo - Filename: 16_007239.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives Catalog:16_007239 - 引用。


ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機の発動機は、当初ジュピターVI空冷エンジンだったが、1931年7月30日、I-5戦闘機第18号機は、新型のソ連製M-15空冷星形エンジンを搭載して開発がなされた。1931年10月10日からの飛行比較審査では、M-15搭載型I-5の最高速力は266km/h、3000mまでの上昇時間4.75分に対して、ジュピターVI搭載型I-5は最高速力258km/h、上昇時間4.68分で、後者のほうが旋回半径も小さかった。比較飛行審査の結果、1931年11月に、I-5戦闘機が最初の100機の生産が決まったが、そこでは最小限10機はM-15空冷エンジンを搭載するとされた。しかし、結局1931年末には、I-5戦闘機にM-15エンジンを搭載する子計画は放棄されている。M-15に代わってイギリス製ブリストル(Bristol)ジュピター(Jupiter)VI空冷星形9気筒エンジンのソ連ライセンス生産版M-22空冷星形エンジンが有望視されたためである。

ポリカルポフ(Polikarpov)I-15の前作I-5複葉戦闘機は、上主翼が胴体の上を貫通するパラソル式の配置で、これは次々回作I-15bis(I-152)戦闘機と同形式の主翼配置である。機首に7.62 mm PV-1機関銃2挺(弾薬数各600発)をプロペラ同調式に配備し、コックピット前面ガラス風防には、当時はまだ新式だったOP-1望遠鏡式照準器を装備している。

写真(右):1933年,ソビエト連邦、飛行中のソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機:トリミングされているが同伴飛行したU-2複座練習機のキャビンから撮影。上主翼上面左右に航法灯火を設置し、コックピット後方上にもヘッドライトを設けている。VT-11は当初ジュピターVI空冷エンジンを搭載し、エンジンカウリングもシリンダーごとに独立させ絞り込んだ設計で視界も良好だっ。他方、M-15空冷エンジン搭載型は80kg重量がかさんだうえに、円筒形のエンジンカウリングで、シリンダー独立型カウリングうよりも視界が悪化した。1931年5月6日から6月15日までこのM-15エンジン搭載型のI-5が試験され、ジュピターVI搭載型との比較審査飛行も実施された。しかし、1931年末にはI-5戦闘機にはM-15を搭載しないことが決まった。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938874 - Title: Polikarpov I-5 from VVS I-J - Filename: 16_007238.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives Catalog:16_007238 - 引用。


1930年4月29日初飛行のソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機は、機首に.30口径7.62 mm PV-1機関銃2挺(弾薬数各600発)を装備し、プロペラ回転への同調装置によって、前方射撃する。パイロットの射撃照準は、コックピット前面ガラス風防に設置したOP-1望遠鏡式照準器を使用する。I-5戦闘機は成功作と評価され、1931-1934年に800機もが生産された。そして、後継機I-15戦闘機の原型になった。

1934年には、ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機は、ソ連赤色空軍の主力戦闘機に位置付けられたが、その後、1936年になるとI-5発展型のI-15戦闘機が部隊配備され始めた。そして順調に機種改編がなされ、1937年にはI-15戦闘機が主力戦闘機となり、I-5戦闘機は高等練習機として使用されるようになった。

1939年9月に勃発した第二次世界大戦、フィンランドとの冬戦争では、1930年4月29日初飛行のポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機は、旧式すぎて活躍していないようだ。しかし、その後の1941年6月のドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の時期には、ソ連空軍が大損害を受け、ベラルーシ、ウクライナのドイツ占領により、飛行機生産も滞ったために、旧式化していたポリカルポフ(Polikarpov)I-5高等練習機も、最前線で地上襲撃機、夜間襲撃機として使用された。I-5戦闘機は、1942年にイリューシン Il-2襲撃機が普及するまで、使用されていた。

図(右):ソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機の三面図 :1930年4月30日初飛行のI-5戦闘機の1933年生産型。全長: 6.78 m、全幅: 10.24 m(上翼)、7.4 m(下翼)、主翼面積: 21.3 m2、シュベツォフ M-22 9気筒単列星形エンジン 358 kW (480 hp)装備。
English: Soviet single-seat biplane Polikarpov I-5 produced in 1933 Русский: Советский истребитель И-5 выпуска 1933 года Date 21 August 2014 Source Own work Author Maxrossomachin
写真はWikimedia Commons, Category:Polikarpov I-5- File:Polikarpov I-5 3-view.svg引用。


ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機の諸元
発動機:シュベツォフ(Shvetsov)M-22空冷星形エンジン(排気量28,64 L)480ph1基
全幅:9.56m
全長:6.81m
全高:3m
主翼面積:21m2
空虚重量:943kg
総重量:1355kg
最高速力:278km/h
着速力:95km/h
上昇時間:1000m/1.6分
上昇限度:7500m
兵装:7.62mmPV-1機関銃2丁(携行弾数各600発)
初飛行:1930年4月29日
一線部隊退役:1941年

ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機は、1933年10月に飛行審査がなされている。上主翼が胴体の上を貫通するパラソル式で配置されているが、発展型I-15は、胴体上面に主翼を貫通させないガル翼であり、容易に区別がつく。しかし、I-15発展型(I-5次々回作)I-15bis(I-152)は、再びI-5戦闘機と同形式のパラソル式主翼配置に戻っている。さらに、I-152発展型I-153戦闘機は、再度、I-15と同じガル翼配置に変更されている。


2.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機

写真(右):1933年10月,ソビエト連邦、モスクワ郊外、第39航空機工場で完成したスキー式固定降着装置を取付けたソ連TsKB-3試作機(ポリカルポフI-15の原型)左側面:1933年10月に飛行審査がなされている。上主翼が胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルという斬新な設計だが、主輪は固定脚である。1937年8月、日中戦争勃発直後に締結された中ソ不可侵条約によって、ソ連が中国に供与したのは、このI-15後継機I-15bis(I-152)戦闘機である。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938912 - Title: Polikarpov I-15 Prototype Petrov photo collection - Filename:16_007241.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives - Catalog:16_007241 引用。


ソ連第39飛行機工場で製造されたTsKB-3試作機は、原型は前作ポリカルポフI-5(Polikarpov И-5)複葉戦闘機であるが、それまでのパラソル上主翼を変更して、上主翼を胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルという斬新な設計とした。ただし、降着装置の主輪は固定脚である。

写真(右):1933年10月,ソビエト連邦、モスクワ郊外、第39航空機工場で完成したスキー式固定降着装置を取付けたソ連TsKB-3試作機(ポリカルポフI-15原型)の正面:2翅プロペラを装備。上主翼が胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルという斬新な設計だが、主輪はスパッツ(整形カバー)付きの固定ゴム主輪である。
Polikarpov, I-15, Catalog #: 01_00086843 Manufacturer: Polikarpov Designation: I-15 Notes: Russia Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。


ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機は、1930年4月29日に初飛行し、量産型は、発動機にシュベツォフ(Shvetsov)M-22空冷星形エンジン(排気量28,64 L)480ph1基を搭載した。I-5発展型で1933年10月初飛行のI-15戦闘機は、当初、同じM-22エンジンを搭載していた。しかし、I-15戦闘機後期型は、出力を強化するために、アメリカ製ライト R-1820 サイクロン空冷星形9気筒エンジンをライセンス生産したシュベツォフ M-25エンジンに換装されている。

写真(右):1933年10月頃,ソビエト連邦、スキー式固定降着装置を取り付けたソ連TsKB-3試作機(ポリカルポフI-15の原型)後面:上主翼が胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルという斬新な設計だが、尾輪は車輪式ではなく、橇式の固定支えである。
Polikarpov, I-15, Catalog #: 01_00086842 Manufacturer: Polikarpov Designation: I-15 Notes: Russia Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00086842引用。


ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機は、1933年10月初飛行当初はポリカルポフ(Polikarpov)I-5複葉戦闘機と同じ発動機シュベツォフ(Shvetsov)M-22空冷星形9気筒エンジン(排気量28,64 L)480ph1基を搭載している。このM-22エンジンは、フランスのノームローン(Bristol Jupiter )空冷星形9気筒エンジンのソ連ライセンス生産型である。しかし、その後、I-15後期型は、発動機をM-25に換装した。このM-25エンジンは、アメリカ製ライト R-1820 サイクロン空冷星形9気筒エンジンソのライセンス生産盤である。

写真(右):1933年,ソビエト連邦、スキー式固定降着装置を取り付けたソ連TsKB-3試作機(ポリカルポフI-15の原型):1933年10月に飛行審査がなされている。上主翼が胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルという斬新な設計だが、主輪は固定脚である。1937年8月、日中戦争勃発直後に締結された中ソ不可侵条約によって、ソ連が中国に供与したのは、このI-15後継機I-15bis(I-152)戦闘機である。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938899 - Title: Polikarpov I-15 Prototype Petrov photo collection - Filename:16_007240.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives - Catalog:16_007240 引用。


ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15戦闘機は、1937年までに284機が生産されているが、このように少量生産だったのは、I-15第2番目の改良型であるI-15bis、すなわちI-152戦闘機の量産に変更されたためである。

写真(右):1933年頃、ソ連、陸上用ゴム主輪式固定降着装置を取り付けたポリカルポフI-15(Polikarpov И-15)複葉戦闘機:原型I-15と同じく固定式主輪の複葉機ではあるが、上は主翼を胴体上部に配置し、操縦席前方ガラス風防の位置には主翼が来ないように、上翼を折り曲げてガルのように配置しら構造は斬セインである。下主翼との接合部分の構造も張線を少なくし、事実上、1本の支柱で上下翼を支えている。
Ray Wagner Collection Image PictionID :45938973 - Title: Polikarpov I-15 Real Photographs Broadstairs, Kent UK - Filename:16_007246.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog:16_007246 -引用。

写真(右):1935年3月,ソ連、TsKB-3試作7号機(ポリカルポフI-15の実験機):I-15の上翼は胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼はガル式になっているが、上主翼はパラソル翼に変更した保守的な実験機を製造され、1935年3月に飛行機工場で試験された。これが、後継機のI-15bis(I-152)に発展することになる。
The aircraft is TsKB-3 No. 7 (W.No. 33907), prototype built in 1935 with a straight upper centre-plane section. The I-15bis design appeared in early 1937 and prototypes were built in the spring of 1937.
ソ連空軍のI-15シリーズは同系列の複葉戦闘機だが、次のような差異がある。I-15は、ガル翼でエンジンカウリングが短い。I-15bis (I-152)は、直線翼で、エンジンカウリングが長め。I-153は、ガル翼でエンジンカウリングが長く、引込み脚。
Ray Wagner Collection Image
PictionID: 45938961 - Catalog: 16_007245
Title: Polikarpov I-15 - Filename: 16_007245.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives PictionID:45938961引用。


写真(右):1936-1937年,スペイン、スペイン内戦に派遣されたソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機の右側面:上翼は胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼はガル式になっている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938985 - Title: Polikarpov I-15 in Spain - Filename: 16_007247.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives - Catalog:16_007247 引用。


1936-1939年のスペイン内戦には、ソ連からスペイン共和国政府に対して軍事援助がなされた。その手始めが、分解されたソ連のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機の派遣で、スペインで組立てられ、1936年11月3日に、試験飛行した。これらのI-15戦闘機は、マドリッドに配備され、戦闘機パイロットはソ連義人勇兵だった。このほか、1937年2月の段階で、I-15は、アルカサール、グダアダハラ、アルメリアにも配備されている

1936-1939年のスペイン市民戦争において、共和国政府とファシスト国民戦線とが内戦を戦ったが、ソ連は共産党も参加した共和国政府を支援し、黒海のセバストポリを出航したソ連船が1936年10月28日、スパイン南部カルタヘナに到着し、分解されたポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機25機、ソ連義勇兵パイロット15名が上陸した。I-15戦闘機の最初の実戦参加は、1936年11月4日、マドリッド空爆に加わったドイツ義勇軍コンドル軍団のユンカースJu52爆撃機12機のうち2機を撃墜した。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に派遣されたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の編隊飛行:スペイン国民戦線フランコ将軍率いる反乱軍の国籍マークとして、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。
English: A pair of Fiat C.R.32 of the X Gruppo "Baleari". The foreground aircraft is flown by D'Agostini Date 1937 Source http://www.finn.it/regia
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 (Aviazione Legionaria) File:Fiat C.R.32-Baleari.jpg引用。


スペイン共和国政府に反抗したモラ将軍、フランコ将軍らの反乱軍は、自らをスペイン国民戦線政府と名乗り、イタリアとドイツの軍事援助を受けて、スペイン共和政府と内戦を戦った、この反乱軍側のスペイン軍国籍マークは、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。スペイン内戦に派兵されたイタリア軍(義勇軍)・ドイツ軍(コンドル軍団)の機体も同様の国籍マークを描いている。

フィアット(Fiat) CR.32複葉戦闘機は、1933年4月28日に初飛行、最高速力360km/hと当時としては優れた飛行性能を発揮したために、すぐにイタリア王国空軍に制式された。そして、1936年2月までにCR.32bis、CR.32tris、CR.32quarterなど改良が続けられ1053機もが量産された。

1936年7月に、スペイン内戦が勃発し、スペイン共和国軍とファシスト反乱軍(国民戦線)の戦いが始まると、イタリアはファシストを軍事援助するためにイタリア軍を「義勇兵」の名目で派兵し、CR.32も実戦投入された。

写真(右)1937年、スペイン、スペイン内戦に派遣されたイタリア空軍フィアット(Fiat)CR.32複葉戦闘機の編隊飛行:スペイン国民戦線フランコ将軍率いる反乱軍の国籍マークとして、垂直尾翼に白地に黒のXを、胴体と主翼に黒丸●に描いている。
English: A nice line-up of Fiat C.R.32 of the XVI Gruppo "Cucaracha" Date circa 1937 Source http://www.finn.it/regia Author Unknown author
写真はWikimedia Commons,Category:Fiat CR.32 (Aviazione Legionaria) File:Line-up of Fiat C.R.32.jpg引用。


1936-1939年のスペイン市民戦争において、ソ連が共和国政府に派遣したポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機は、131機で、1936-1937年の戦争初期に116機がマドリッドなどスペイン中部と1936年11月に15機がスペイン北部に派遣された。これらスペイン派遣ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機は全てライト R-1820 サイクロンあるいはシュベツォフ(Shvetsov)M-25空冷星形9気筒エンジン装備機と思われる。

写真(右):1993年3月,スペイン、マドリッド、航空宇宙博物館(Museum of Aeronautics and Astronautics)、スペイン共和国政府軍のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機(CA-125)の左側面:スペイン内戦に派遣されたソ連製の戦闘機だが、スペイン人撃墜王ホセ・ファルコ・サンマルチン(José Falcó Sanmartín :1916−2014)搭乗機の塗装を再現している。彼はバルセロナ生まれで、公式撃墜数8機のエースであるが、共和国政府の敗北後、ファシスト国民戦線による逮捕を逃れるためにフランスに亡命した。
ay Wagner Collection Image PictionID: 45938998 - - Title: Polikarpov I-15 Spanish Air Force Museum, Madrid 3/1993 - Filename:16_007248.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はCategory:Polikarpov I-15 at Museo del Aire Catalog:16_007248 引用。


写真(右):2007年5月,スペイン、マドリッド、航空宇宙博物館(Museum of Aeronautics and Astronautics)、スペイン共和国政府軍のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機(CA-125)の右側面:スペイン内戦に派遣されたソ連製の戦闘機だが、スペイン人撃墜王ホセ・ファルコ・サンマルチン(José Falcó Sanmartín :1916−2014)搭乗機の塗装を再現している。彼はバルセロナ生まれで、公式撃墜数8機のエースであるが、共和国政府の敗北後、ファシスト国民戦線による逮捕を逃れるためにフランスに亡命した。
Polikarpov I-15, at Museo del Aire, Cuatro Vientos, Madrid, Spain. Defended Madrid during the Civil War, Spanish Republican insignia. Date 6 May 2007, 10:36 Source Polikarpov I-15 "Chato" Author Andrea from Turin, Italy
写真はCategory:Polikarpov I-15 at Museo del Aire File:Polikarpov I-15-Chato.jpg引用。


さらに、スペインでは1938年末までに213機のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機が組立てられ、1939年1月までにさらに24機が供給されている。したがって、スペイン製ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機は237機ということになる。このほか、1938年11月から1939年1月までに、未完成のポリカルポフ(Polikarpov)I-15が96機があるようだ。したがって、ソ連からスペインに派遣さらたりスペインで生産されたポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機は、271機から368機あると推測できる。

1939年1月1日の時点で、スペイン共和国政府は、ポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機を合計197機失ったという。内訳は、空対空戦闘で88機喪失、飛行場空爆で27機喪失、事故や墜落で67機喪失、対空砲火で9機撃墜、敵地への不時着・投降で6機喪失である。

写真(右):2010年4月,スペイン、マドリッド、航空宇宙博物館(Museum of Aeronautics and Astronautics)、スペイン共和国政府軍のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機(CA-125)の左側面:スペイン操縦士ホセ・ファルコ・サンマルチン(José Falcó Sanmartín :1916−2014)が搭乗したソ連製の戦闘機の塗装を再現した。
Polikarpov I-15 of the FARE. 4/10. Date 20 April 2010, 10:04 Source Polikarpov I-15 Uploaded by Oxyman Author Hugh Llewelyn
写真はCategory:Polikarpov I-15 at Museo del Aire File:Polikarpov I-15 (5381342019).jpg引用。


他方、敵のドイツ、イタリア、ファシスト国民戦線の側では、合計500機のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機を撃墜したと主張している。I-15のライバル戦闘機イタリアのフィアットCR.32複葉戦闘機は、ファシスト国民戦線に376機が供与され、合計175機の喪失を記録している。内訳は、国民戦線43機、イタリア132機で、その損失の99%が空対空戦闘である。つまり、空戦で撃墜されたフィアットCr.32戦闘機は、国民戦線26機、イタリア73機に達している。

ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 1930年代中旬に、ソ連は運動性能の高い複葉戦闘機としてポリカルポフ I-15(Polikarpov И-15)を開発し、制式したが、更なる改良型として、固定車輪を引き込み脚としたI-153が開発された。空気抵抗を減少させたために、運動性の良さに高速化が可能になったが、登場した時点では、単葉機が主流となり、速度面での優位性はなくなった。 ポリカルポフ I-15(Polikarpov И-15)を引き込み脚に改良を加えたI-153複葉戦闘機の初の実戦参加は、1939年のノモンハン事件で、日本陸軍機と戦った。

1930年代中旬に、ソ連は運動性能の高い複葉戦闘機として ソビエト連邦から輸入したポリカルポフ I-15(Polikarpov И-15)を開発し、制式したが、更なる改良型として、固定車輪を引き込み脚としたポリカルポフ(Polikarpov)I-153が開発された。空気抵抗を減少させたために、運動性の良さに高速化が可能になったが、登場した時点では、単葉機が主流となり、速度面での優位性はなくなった。ポリカルポフ(Polikarpov)I-153複葉戦闘機は1939年のノモンハン事件で、初めて実戦に参加し、日本陸軍機中島キ27九七式戦闘機と戦ったが、飛行性能が低く、パイロットの飛行時間の少なさ、実戦経験の欠如から、中国戦線で実戦経験を積み重ねた日本人熟練パイロットに敵わなかった。

写真(右):1934年4月,ソビエト連邦南西部、クリミア、カーチャ航空学校の飛行場、第2番目のTsKB-3試作機の右側面:固定脚は空気抵抗減少のためにスパッツ(主輪整形カバー)に覆われている。は装備試作機なので国籍マークは描かれていない。垂直尾翼の面積が拡張されている。コックピットは半密閉式で、前面風防ガラスには望遠筒型射撃照準器が装備されている。車輪は、固定式だが、空気抵抗を減少させるように、スパッツ(整形カバー)で覆われている。上翼は胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼はガル式になっている。
RRay Wagner Collection Image PictionID: 45938936 Title: Polikarpov I-15 - Filename: 16_007243.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives - Catalog:16_007243 -引用。


ソ連空軍ポリカルポフ I-15複葉戦闘機は、1936年、スペイン内戦に、1937年、日中戦争に投入されたが、金属製単葉戦闘機が高速だったため、I-15では対抗するのが難しくなった。そこで、I-15を高速化する試みがなされ、アメリカ製ライト・サイクロン空冷星形エンジンM-25の国産化したシュベツホフ(Shvetsov)空冷星形エンジン (1000馬力)に換装したポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)複葉戦闘機が開発された。1939年、ノモンハン事変、フィンランドとの冬戦争に投入され、中国空軍にも送られた。

写真(右):1934年,ソビエト連邦、航空機工場で最初に生産されたソ連空軍ポリカルポフI-15複葉戦闘機のうち1機:操縦席の右側面に開閉扉が見えるが、実際は左側にも同様の開閉扉があるようだ。コックピット側面の折り畳み式の開閉扉は、パーロットがコックピットへの出入りがしやすいように出入り口を確保する配慮である。国籍マークは描かれていない。コックピットは半密閉式で、前面風防ガラスには望遠筒型射撃照準器が装備されている。車輪は、固定式だが、空気抵抗を減少させるように、スパッツ(整形カバー)で覆われている。上翼は胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼はガル式になっている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 45938949 - Title: Polikarpov I-15 - Filename: 16_007244.TIF - Image from the Ray Wagner collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSDASM Archives - Catalog:16_007244 - 引用。


写真(右):1936-1937年,ソビエト連邦、飛行するソ連空軍ポリカルポフI-15複葉戦闘機の正面:上翼は胴体に直接接続し、操縦席前方で上主翼はガル式になっている。
Polikarpov, I-15, Manufacturer: Polikarpov Designation: I-15 Notes: Russia Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives - Catalog #: 01_00086851-引用。


ソ連空軍ポリカルポフI-152(Polikarpov И-152)複葉戦闘機は、固定式主輪の複葉機ではあるが、上主翼をガル型に配置し、胴体上面には主翼がない状態にして、コックピット前面ガラス風防からパイロットの上方の視界を確保した。しかし、陸上滑走中と飛行中のパイロットの視界が狭いとの批判が出た。

ソ連のポリカルポフ(Polikarpov)I-15複葉戦闘機の上主翼は、胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルになった斬新な設計で、操縦席前面部分だけは上主翼がなく、前方視界を確保している。I-15戦闘機の生産機数は、1934年94機(第1飛行機工場60機、第39飛行機工場34機)、1935年288機(第2工場273機、第39工場15機)、1936年第1工場2基機の合計384機量産したところで、1936年初頭には生産は中止された。生産中止の理由は、地上滑走中と飛行中のコックピット前方の視界が悪いことで、これは本来、モックアップの時にわかっていたことであるが、前方視界を改良することが求められた。そこで、後継機ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(I-15第2型)、すなわちI-152では上主翼は保守的なパラソル翼に変更された。

図(右):ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 複葉戦闘機の三面図:固定脚のスパッツは装備していない。
Description English: Polikarpov I-15 Date 31 December 2012, 08:10:04 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Polikarpov I-15 File:Polikarpov I-15.svg引用。

ポリカルポフPolikarpov I-15 戦闘機の諸元
搭乗員: 1名
全幅Длина: 6,1 м
全長Размах крыла:
水平状態верхнего: 9,75 м
地上3点姿勢нижнего: 7,5 м
全高Высота: 3,2 м
主翼面積Площадь крыла: 21,9 м² (обоих крыльев)
車輪間隔(トレッド)Колея шасси: 1,6 м
空虚重量Масса пустого: 965 kg
総重量Нормальная взлётная масса: 1374 kg
機内タンク燃料搭載量Масса топлива во внутренних баках: 177 kg
発動機Силовая установка: 1 × シュベツォフ(Швецов)М-25空冷星形9気エンジン(排気量:29.876L)
出力Мощность двигателей: 1 × 635 hp (1 × 467 kw)
エンジン直径Диаметр винта: 2,9 м
最高速力Максимальная скорость: 370 km/h
着陸速力Посадочная скорость: 90 km/h 航続距離Практическая дальность: 750 km
上昇限度Практический потолок: 9800 м
上昇時間Время набора высоты: 5000 м/6,1分
翼面荷重Нагрузка на крыло: 62,6 kg/м²
出力重量比Тяговооружённость: 383 w/kg 兵装: 4 × 7,62 мм ПВ-1(PV-1)機関銃(弾薬:3000発)
爆弾Бомбы: 40 kg

写真(上):2012年6月,ロシア連邦、中央空軍博物館(Central Air Force Museum)ソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15/I-152初期型戦闘機に搭載されたシュベツォフ (Швецов)М-25-A空冷星形9気筒エンジン520 kW (700 hp) : アメリカ製ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン空冷星形9気筒エンジンのライセンス生産版で、ソ連では1万3,888基生産されている。Русский: Двигатель М-25А. Музей ВВС. Date 12 June 2011 Source Own work Author Mike1979 Russia
写真はWikimedia Commons, Category:Polikarpov I-15- File:M-25A.jpg引用。


ソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15/I-152初期型戦闘機の発動機は、アメリカ製ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン空冷星形9気筒エンジンをライセンス生産したシュベツォフ (Швецов)М-25空冷星形9気筒エンジン520 kW (700 hp)ある。シュベツォフ М-25空冷星形エンジンは、ボア×ストローク155.6mm×175mm、排気量29.876L、乾燥重量499kg、圧縮比6.4、燃料供給はキャブレター方式、遠心式スーパーチャージャー1段1速である。アメリカは、インチ・フィートなので、初期はR-1820と同様、それを搭載した規格だったが、後にメートル法に合わせて規格を変更している。ソ連では、ペルミ工場、カザン工場で、合計1万3,888基が量産された。

写真(上):2020年7月,フィンランド中東部、スオムサルミ、ラーティーン港湾博物館(Raatteen Portin museoon)2019年にフィンランドで回収されたソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-152複葉戦闘機のシュベツォフ (Швецов)М-25-B空冷星形9気筒エンジン : 1939年11月30日-1940年3月13日の冬戦争で、係争の地となったスオムサルミの戦場で、ソ連空軍I-15bis戦闘機が墜落した。古エンジン専門家ヨエンスー出身のタパニ・メリライネンは、2019年にI-15bis戦闘機を回収しそのM-25Bエンジンを解体、エンジンを修理して、2019年7月12日(金)にスオムサルミのラーティーン港湾博物館で一般公開した。
Joensuulainen vanhoihin moottoreihin erikoistunut Tapani Meriläinen purki ilmajäähdytteisen Shvetsov M-25B tähtimoottorin ja viimeisteli sen näyttelykuntoon talven aikana. Nosto- ja kunnostusprojekti tuli kesällä päätepisteeseen. Moottori asetettiin yleisön nähtäville Raatteen Portin museoon Suomussalmelle perjantaina 12. heinäkuuta 2019.
Suomi: Hävittäjäkoneen moottori Raatteen Portissa Date 10 July 2020, 13:14:29 Source Own work Author JarkkoTK
写真はWikimedia Commons, Category:Shvetsov M-25- File:Shvetsov Raatteen Portti.jpg引用。


ポリカルポフ(Polikarpov)I-15戦闘機の発動機は、初期にはシュベツォフ(Shvetsov)M-22空冷星形9気筒エンジン(排気量28.64 L)だったが、後期型のポリカルポフ(Polikarpov)I-15と発展型のI-15bis(I-152)戦闘機は、シュベツォフ (Швецов)М-25空冷星形9気筒エンジン520 kW (700 hp)を装備した。

ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(I-152)戦闘機のシュベツォフ (Швецов)М-25-A空冷星形9気筒エンジンの原型は、アメリカ製ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン空冷星形9気筒エンジンで、ソ連はこれをライセンス生産した。


3.ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis/I-152複葉戦闘機

写真(右):1938年頃、ソ連赤色空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(И-152)戦闘機:固定式主輪の複葉機で、主輪の周囲に整形カバー・スパッツが取り付けられている。上下翼の間には張線は少なく、エンジンカウリングから胴体への絞り込みも強く、空気抵抗の減少に大いに配慮している。I-15bis(I-152)試作機の初飛行は1937年11月22日、I-153試作機の初飛行は1938年8月である。
Polikarpov, I-15, Manufacturer: Polikarpov Designation: I-15 Notes: Russia Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00086844 引用。

I-15戦闘機の後継機は、視界工場のために設計が変更され、上主翼を胴体上部にパラソル式配置するように変更されたI-15bis(I-15第2型)、すなわちI-152戦闘機である。I-152戦闘機は、エンジン換装による出力向上、火力強化が図られたために、性能は向上し、1937年から1939年初期までに2408機もが大量生産されることになった。

写真(右):1934-35年頃,中国空軍に配備されたソ連製ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis/I-152 複葉戦闘機(P-7180):上主翼が原型I-15では胴体に直接接続し、操縦席前方で主翼は逆ガルになっている。しかし、I-15bis(I-15第2型、すなわちI-152では上主翼はパラソル翼になっている。1937年8月、日中戦争勃発直後に締結された中ソ不可侵条約によって、ソ連は中国に対してポリカルポフI-15 戦闘機を供与した。
The aircraft is TsKB-3 No. 7 (W.No. 33907), prototype built in 1935 with a straight upper centre-plane section. The I-15bis design appeared in early 1937 and prototypes were built in the spring of 1937.
Polikarpov, I-152 Manufacturer: Polikarpov Designation: I-152 Notes: Russia
Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives Catalog #: 01_00086852引用。


ソ連空軍のI-15シリーズは同系列の複葉戦闘機だが、次のような差異がある。I-15は、ガル翼でエンジンカウリングが短い。I-15bis (I-152)は、直線翼で、エンジンカウリングが長め。I-153は、ガル翼でエンジンカウリングが長く、引込み脚。

ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-5戦闘機初期型は発動機シュベツォフ(Shvetsov)M-22空冷星形エンジン(排気量28,64 L)480phを搭載していたが、改良型I-152戦闘機では、アメリカのライト R-1820サイクロン空冷星形9気筒エンジンのソ連ライセンス生産版のシュベツォフ(Shvetsov)M-25に換装している。総重量I-15の1415kgから1730kgに重くなったが、最高速力はI-15の347km/hから379km/hに向上した。また火力もI-15の7.62mmPV-1機関銃4丁から発射側の早い7.62mmShKAS機関銃4丁に強化されている。

写真(右):1942年、ソ連、西部戦線、ソ連空軍第11戦闘飛行隊のソ連赤色空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(И-152)複葉戦闘機と待機中のソ連空軍パイロットのI.P.グべーレフ(Guborev):原型I-15と同じく固定式主輪の複葉機ではあるが、陸上滑走中と飛行中のパイロットの視界を向上させるために、上は主翼を胴体上部にパラソル式配置に変更し、下主翼との接合部分の構造も変更している。
Polikarpov, I-152 Manufacturer: Polikarpov Designation: I-152 Notes: Russia
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00086850引用。

1936-1939年のスペイン市民戦争において、共和国政府とファシスト国民戦線とが配線を戦ったが、ソ連は共産党も参加した共和国政府を支援し、黒海のセバストポリを出航したソ連船が1936年10月28日、スパイン南部カルタヘナに到着し、分解されたI-15戦闘機25機、ソ連義勇兵パイロット15名が上陸した。I-15戦闘機の最初の実戦参加は、1936年11月4日、マドリッド空爆に加わったドイツ義勇軍コンドル軍団のユンカースJu52爆撃機12機のうち2機を撃墜した。

ポリカルポフI-15bis戦闘機・初期型 ◆ソ連は,日本とドイツという東西の仮想敵国や欧米列強に対抗するために、1935年の、モスクワにおける第7回コミンテルン世界大会で、ドイツ・日本の全体主義や侵略に対抗するために、共産党と社会民主主義者、自由主義者、知識人などが共闘する反ファシズム人民戦線の方針を打ち出した。そして、中国共産党と中国国民党政府が、1936年12月の西安事件を契機に国共合作を採用する方針を表明し、1937年7月の盧溝橋事件、8月の第二次上海事変が勃発し、日中全面戦争が始まった直後、1937年8月21日,中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression Pact)を締結した。

1937年7月、盧溝橋事件が勃発、その後、中国の経済中枢の江南地方でも、第二次上海事変が起こり、日中全面戦争に発展した。この1937年8月、ソ連共産党書記長スターリンが中華民国の反共産主義国民党総統蒋介石と締結したのが、中ソ不可侵条約である。ソ連は、日本の軍事力をけん制するために中国に対する軍事援助を開始した。

西方のドイツの軍備拡張、極東における日本の侵略は、ソ連を西と東から挟撃することになり、そのファシストの軍事力に脅威に感じたソ連は、ポリカルポフI-152(I-15bis)戦闘機、さらにI-153、I-16のような引込み式降着装置(主輪引込み式)の戦闘機、全金属製のツポレフSB-2高速双発爆撃機など新鋭機も供与して、ソ連空軍パイロットを義勇兵の名目で派遣して、中国空軍を増強し日本の空軍力に対抗させたのである。

図(右):ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 bis(I-152)複葉戦闘機の三面図:ポリカルポフI-15bis(И-152)単座戦闘機に前後タンデム式に複座操縦席を設け、ク訓練生と教官が同乗するた高等練習機が開発された。
A three-view drawing (1280 x 830)
図は, Polikarpov I-152引用。


ポリカルポフ I-15と発展型I-15(I-152)複葉戦闘機の比較
全長: 6.10 m(6.28 m)
全幅: 9.75 m(10.21 m)
全高: 2.92 m(2.99 m)
主翼面積: 23,55 平方メートル(22.53 平方メートル)
空虚重量: 1,080 kg (1310 kg)
全備重量: 1,783 kg(1,900 kg)
発動機: M-25 空冷星型9気筒700HP(M-25B 750HP)
最高速力: 360 km/h(368 km/h)
航続距離: 720 km(770 km)
実用上昇限度: 9000 m (9800 m)
乗員: 1名
兵装: 7.62mmPV-1機関銃4挺 (7.62mmShKAS機関銃4挺)
爆弾搭載量:50kg爆弾2個  (50kg爆弾2個またはRS-82ロケット弾6個
初飛行:1933年10月23日  (1937年8月2日)
生産機数:1934-1936年ソ連384機+1937年以降スペイン237機 (1937-1939年 2408機;1939年だけで1302機)

ポリカルポフI-15bis戦闘機・後期型 アメリカ製ライト(Wright)R-1820-F3 サイクロン空冷星形9気筒エンジンは、インチ・フィートなので、初期のシュベツォフ (Швецов)М-25-A空冷星形9気筒エンジンはR-1820と同様の規格だったが、後にメートル法に合わせて規格を変更している。ソ連製シュベツォフ (Швецов)М-25-A空冷星形9気筒エンジンは、ペルミ工場、カザン工場で、合計1万3,888基が量産され I-15bisのほか、ポリカルポフ(Polikarpov)I-153複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機た。

シュベツォフ (Швецов)М-25-A空冷星形9気筒エンジンの諸元
ボア:155.6mm
ストローク:175mm
排気量:29.876L(1,823.1立方インチ)
全長: 1,100 mm (43.307 in)
直径: 1,365 mm (53.740 in)
乾燥重量: 434 kg (957 lb)

写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-152(I-15bis)戦闘機を見る。


4.現存するポリカルポフ(Polikarpov)I-152戦闘機

写真(右):2012年8月,ロシア連邦、国際航空宇宙ショーでアクロバット飛行を披露するソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 DIT複座練習機(RA-0281G)(RA-0281G)の左側面:ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(И-152)単座戦闘機に前後タンデム式に複座操縦席を設け、訓練生と教官が同乗するた高等練習機が開発された。
Description I-15bis RA-0281G Date 12 August 2012, 11:18 Source I-15bis RA-0281G Author English: Aleksandr Markin Русский: Александр Маркин
写真はWikimedia Commons, Category:Polikarpov I-15bis in Russian service- File:I-15bis RA-0281G (8142129139).jpg引用。


ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis単座戦闘機に前後タンデム式に複座操縦席を設け、前席に訓練生、後席に教官が同乗するた高等練習機が開発された。

写真(右):2005年7月,イギリス東部、ダックスフォード航空祭(Duxford Aerodrome:QFO)で稼働状態を披露するソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 bis 複葉戦闘機復元機の右側面:主輪と尾輪は固定脚で、尾翼の下側には支柱が片翼当たり2本ついている。
Photographer Mike Freer - Touchdown-aviation Location Duxford (EGSU), UK - England Aircraft type Polikarpov I-15bis (replica) Registration 02089 Type Photograph Date 8 July 2006
写真はWikimedia Commons, Category:Aircraft at Duxford Aerodrome- File:Polikarpow I-15 Private 02089, QFO Duxford, United Kingdom PP1121192462.jpg引用。


ポリカルポフ(Polikarpov)I-152(I-15bis)後継機が、I-153であるが、同じ複葉機でも上翼の形状は、は再び原型のI-15と同じくコックピット操縦席前面ガラス風防の場所に上主翼がない、胴体上面に直接接続する屈折ガル型の上主翼の構造に戻っている。

写真(右):2009年8月,ロシア連邦、国際航空宇宙ショーに登場したソビエト連邦空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15 bis 複葉戦闘機のコックピット操縦士計器盤と操縦桿:計器類は、第二次世界大戦時のオリジナルではなく、新しい正確な契機と交換されている。外見だけではなく、実際に飛行可能な稼働機であるために、オリジナリティーよりも安全性が優先された結果である。足元には、方向舵を操作する左右フットペダルが見える。
Description Federacia Aviarestauratorov Rossii Date August 2009 Source http://www.planes.cz/cs/photo/1060602/polikarpov-i-15bis-19-private-ramenskoje-zukovskij-uubw/ Author Jozef Tóth
写真はWikimedia Commons, Category:Polikarpov I-15bis in Russian service- File:Polikarpov I-15bis (cockpit).jpg引用。


写真(右):2009年8月、ロシア、モスクワ郊外オジンツォボ、国際航空宇宙ショーに登場したソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-15bis(I-152)戦闘機:The Polikarpov I-15 (Russian: И-15) was a Soviet biplane fighter aircraft of the 1930s. Nicknamed Chaika (Russian: И-15 Чайка, "Lapwing") because of its gulled upper wings, it was operated in large numbers by the Soviet Air Force, and together with the Polikarpov I-16 monoplane, was one of the standard fighters of the Spanish Republicans during the Spanish Civil War, where it was called Chato (snub-nose) in the Republican Air Force, or "Curtiss" (because its resemblance to Curtiss F9C Sparrowhawk) in the Nationalist Air Force. The I-15 was used in combat extensively by the Republicans in the Spanish Civil War and proved to be one of the best fighter biplanes of its time. The I-15bis also saw a great amount of action in Manchuria and Battle of Khalkhin Gol in the various border clashes between the Russians and the Japanese. In 1937, I-15s in the hands of the Chinese Nationalist Air Force fought against invading Japanese, where the tough biplane began to meet its match in some of the newer, faster Japanese monoplanes. More than 1,000 I-15bis fighters were still in use during the German invasion when the biplane was employed in the ground attack role. By late 1942, all I-15s and I-15bis' were relegated to second line duties.
Date 21 August 2009, 12:04 Source Polikarpov I-15 Author Dmitry Terekhov from Odintsovo, Russian Federation
写真はWikimedia Commons, Category: Polikarpov I-15 File:Polikarpov I-15 (4321424501).jpg引用。


軍事力に関しても,1937-38年当事,中国に比して日本が優位であったというわけではない。もともと兵力は中国軍が数倍上回っている上に,米英仏独も中国側に武器供与,軍事顧問団派遣,情報提供などによって軍事的に肩入れし,外交的にも早期停戦を求める圧力を掛けてくる。

さらに,1937年8月21日南京で,中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression Pact)が締結された。これは,日本,ドイツという敵対国に東西を挟まれたソ連と,日本と江南地方で大規模な闘いをしていた中国との共通の敵,日本への大きな圧力になる。中国はソ連から以前にもまして多くの航空機を入手できるようになった。

ポリカルポフ I-15(Polikarpov I-15) ソ連空軍(Polikarpov)I-152(I-15bis)戦闘機、ドイツ空軍ユンカースJu87スツーカ急降下爆撃機のような固定脚の飛行機は、前線基地の未舗装滑走路で使用される場合が多く、その場合、地上で運行する際に、泥濘や砂塵が主輪とカバーの間に巻き込まれたり、降着装置内部に埃が詰まったりすることが少なくなかった。そこで、地上で整備作業をするときに、スパッツを取り外し、降着装置を調整し、さらにスパッツを取り付ける作業が必要になった。これでは整備に労力と時間がかかりすぎると判断された。また、飛行機が滑走中に、スパッツ内部に異物を挟み込んだ場合、地上滑走が不安定になり、店頭などの大きな事故を時期おこすこともある。

つまり、1940年代の固定脚の飛行機では、降着装置整形カバー(スパッツ)は、
1)降着装置の整備の労力と時間を節約する、
2)地上滑走中の降着装置スパッツへの異物の挟み込みによる事故を防止する、
という理由で、スパッツを取り外して運航する場合が少なくなかったのである。 1/72 ポリカルポフ I-15 bis

1937年8月の中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression Pact)、中国国民政府の反共主義者の蔣介石とソ連共産党書記長のスターリンの間で締結された軍事同盟である。日中戦争が勃発したことで、日本からソ連への軍事的圧力が弛緩したk徐とに喜んだスターリンは、反共産主義者の蒋介石を説いて日本と中国の本格的な戦争を臨んだともいえる。

他方、中国共産党は、長征の最中で、毛沢東の指導力は、長征によって疲弊した中国共産党の内部にのみ及んでいる状況で、中国全土に対する中国共産党の指導力は低落していた。

コミンテルンと中国共産党との連携が弱体化すれば、蒋介石に取っ手中国共産党よりも、日本軍のほうが強大な相手になったのであり、そのためにはソ連からの軍事援助が喉から手が出るほど欲しかったに違いない。さらに、中国国民党の反攻・西安事件後、抗日民族統一戦線を結成する世論が高まり、蒋介石もそれを無視できなかった。こうして、反共主義者の蒋介石は、スターリンとの提携、第2次国共合作に踏み切ったのである。

 スターリンのソ連からの軍事援助があればこそ、蒋介石のは、日本軍によって上海、南京が占領されても十分な抗戦力を持ちえたのである。

写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-152(I-15bis)戦闘機を見る。


5.I-152後継ポリカルポフ(Polikarpov)I-153「チャイカ」(Chaika)戦闘機

写真(右):1941年6月25日、第二次世界大戦、ドイツ軍のソ連侵攻直後、フィンランド軍が鹵獲したソ連空軍のポリカルポフ I-153(Polikarpov I-153)「チャイカ」(Chaika)戦闘機:対空偽装のために樹木の枝を機体の上に置いて姿を隠している。フィンランドは、ソ連=フィンランド戦争の時の失地回復のため、1941年6月22日、ドイツ軍によるソ連軍侵攻バルバロッサ作戦に共同して、ソ連を攻めた。ポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)複葉戦闘機は、全幅 10.00 m、全長: 6.17 m、全高: 2.80 m、主翼面積: 22.14 平方メートル、空虚重量 1348 kg、離陸重量 1859 kg、過重重量 2009 kg、発動機空冷9気筒 M-62 (588 kW)、最高速力 366 km/h 海面上、444 km/h/高度 4600 m、上昇時間3000 mまで 3分、上昇限度 11000 m、航続距離 470 km、兵装 7.62ミリShKAS機銃4丁、82ミリロケット弾6発あるいは50キロ爆弾2発。
Kerimäki 1941.06.25
Polikarpov I-153
写真はThe Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive Kuvan numero:66681引用。

ポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)複葉戦闘機は、原形の複葉固定脚のポリカルポフI-15 戦闘機の発動機を換装し出力を強化し、エンジンを高馬力化したうえで、固定脚を引き込み脚に変更し、複葉の支柱を少なくして、空気抵抗を減少させ、さらに翼の付け根部分も斬新な形に変更した性能向上型である。

ソ連は,中国共産党にコミンテルンでは反ファシズム戦線の結成を謳い,中国共産党に国民党と内戦を繰り広げるのではなく,国共合作によって,抗日武力闘争を進めるように秘密裏に指令している(らしい)。実際,西安事件で中国共産党も国共合作に合意し,蒋介石を釈放を認めている。そして,中国国民党への軍事支援を開始している。1937年8月21日,中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression Pact)を締結したソ連は、1937年以降,ソ連製ポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)「チャイカ」(Chaika)、さらにポリカルポフI-16戦闘機だけでも約200機が中国に譲渡され,中国空軍の主力戦闘機になっている。そればかりではない。後に日本と軍事同盟を結ぶことになるドイツもイタリアも,中国に軍事顧問団や武器を提供していた。

ポリカルポフ I-153 日独軍事同盟によって,東西を強力な軍事国家に挟まれたソ連はアジア方面の主敵日本に対抗するため,同じ反日の中国との友好を求めたといえる。そして,蒋介石の反共的性格を知りながらも,中国共産党にコミンテルンを通じて,国共合作を促し、1937年8月21日,中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression Pact)を結んで蒋介石に軍事援助をし, ポリカルポフ I-15(Polikarpov И-15)、それを引き込み脚化した後継機ポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)「チャイカ」(Chaika)など軍用機も供与した。イデオロギーに囚われずに,自国の利益を追求している。独ソ不可侵条約,日ソ中立条約,米英からの援助受け入れなど,まことにソ連外交は豹変する。

写真(右):1944年-1945年、中国、雲南省、ソ連から中国に供与されたポリカルポフ I-153(Polikarpov I-153)戦闘機の左側面:ゴム首輪は引込み式で、引込んだ後収納部分のカバーが、胴体下面の車輪の間、脚の内側に開いている。複葉戦闘機が1944年になっても残っていたのは、練習機として使用していたのであろう。垂直尾翼の方向舵ラダーの青白のストライプは、中華民国の青天白日の国旗から採用された国籍マークである。
Jack D. Canary Special Collection Photo.
Polikarpov I-153, P.7250, China a Jack D. Canary Special Collection Photo
Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Polikarpov I-153, P.7250, China 引用。

ポリカルポフI-153チャイカ冬季仕様 ポリカルポフ I-153(Polikarpov И-153)「チャイカ」(Chaika) 複葉戦闘機の諸元
全幅: 10.00 m
全長: 6.17 m
全高: 2.80 m
翼面積: 22.14平方メートル
自量: 1348 kg
全備重量: 1859 kg
発動機: 空冷9気筒 M-62
最大速力: 366 km/h 海面上、444 km/h/4,600 m
上昇率:3000 mまで 3分
最大上昇限度: 11000 m
航続距離: 470 km
兵装: 7.62ミリShKAS機銃4丁
82mmロケット弾

写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-153戦闘機を見る。


6.ソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-16 単葉戦闘機

1/32ポリカルポフ I-16U.S.S.R.エーセス[ハセガワ] ソ連空軍ポリカルポフ I-16戦闘機4型(Polikarpov I-16 Type 4)はイギリス製ブリストル・ジュピターBristol Jupiter)空冷星形エンジンをソ連でライセンス生産したシュベツォフ M-22空冷星形エンジン(двигатель М-22 мощностью)480馬力を装備した初の量産型である。1934年41機、1935年464機、合計505機が量産された。兵装は陸戦用のM1910マキシム(Maxim)水冷式機関銃を空冷化した7.62ミリ口径PV-1 (Pulemet Vozdushny)機関銃2丁。

ソ連空軍ポリカルポフ I-16戦闘機5型(Polikarpov I-16 Type 5)は、I-153複葉戦闘機と同じアメリカ製ライと・サイクロンWright Cyclone)R-1820をソ連でライセンス生産したシュベツォフ M-25空冷星形エンジン(двигатель М-25 мощностью)730馬力を装備し、1932年に開発された7.62ミリ口径ShKAS((Shpitalny-Komaritski Aviatsionny Skorostrelny)機関銃2丁を搭載した。生産機数は、1936年861機、1937年1665機、1938年169機、合計2695機が量産された。

ポリカルポフI-16 1939年制式のソ連空軍ポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機Тип 24諸元
乗員: 1名
全長: 6.13 m
全高: 3.25 m
全幅: 9 m
翼面積: 14.5平方メートル
空虚重量: 1,490 kg
最大離陸重量: 1,941 kg
発動機: シュベツォフ M-63空冷星形9気筒エンジン900馬力 (670 kW)
生産機数:1939年155機
1940年760機
1941年19機
合計934機

ポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機24型は,最高速力525キロに達する強力な兵装・防御力の最終量産型だが、ソ連軍は後継機を1938年から開発し、1939-1940年には、ラボーチキン、ヤコブレフ、ミコヤン、グレビッチらが設計した新鋭軍用機を登場させている。

Polikarpov I-15, I-16 and I-153 Aces 1939年制式のソ連空軍ポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機Typ 24の性能
最高速度: 525 km/h (高度3000 m)
航続距離: 700 km
最大上昇限度:11,000m
実用上昇限度: 9,700 m
上昇率: 14.7 m/min
高度5000mまで5.8分
兵装: 7.62-mm-SchKAS機関銃2丁、 20-mm SchWAK機関砲2門
爆弾搭載量:50−10キロ爆弾2発
あるいはRBS-82空対地ロケット弾 4-6発

初飛行が1933年12月30日のポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機は、太い機体胴体のため、ソ連軍ではイシャク(Ishak:ロバ)、スペイン内戦ではモスカ(Mosca:アブ)あるいはラタ(Rata:ネズミ)という愛称を付けられた。ソ連空軍のほか、スペイン共和国、中華民国、フィンランドで使用された。ソ連空軍ポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機は、1933年11月生産開始、1934年3月から部隊配備され最終的には8,644機も大量生産された。

写真集Album:ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機を見る。


7.ソ連空軍ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)高速双発爆撃機


写真(上)1944年夏、フィンランド、非舗装滑走路、フィンランド空軍のソ連製ツポレフSB-2M-103高速双発爆撃機(右正面)と搭乗を準備する3名の飛行服の乗員たち
:主翼左右のクリーモフ(Klimov) M103液冷V12型エンジン960 hpと回転する3翅金属製プロペラ。機首下面の搭乗員昇降扉には、移動式階段が設置されている。
SB-pommikone kentällä. Pommituslentolaivue 6:n 2. lentueen SB-23 Nummelassa kesällä 1944. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot Niilo Helander, valokuvaaja
写真は,Museot Finna sa-kuva-9802用。


ソビエト共産党が「赤い星」のマークを使用したのは、第一次世界大戦の終盤のロシア革命の時期で、共産党支持の赤軍に対し、帝政派の白軍との戦いが始まった1918年から1922年のロシア内戦では、共産党の赤軍が、赤い星のマークを使用した。

中国空軍は、1937年8月21日に締結した中ソ不可侵条約Sino-Soviet Non-Aggression PactAlliance)に基づいて、ソ連空軍の金属製単葉・引込み脚の新鋭高速軍用機として、ポリカルポフ I-16戦闘機Polikarpov I-16)やツポレフ SB(エスベー)爆撃機Tupolev SB)の供与も受けている。

ツポレフSB(Tupolev SB) ツポレフSBTupolev AHT-40)爆撃機諸元
乗員: 3名
全長: 12.57 m、全高: 3.60 m
翼幅: 66 ft 8 in(20.33 m) 翼面積:56.7平方メートル
自重量:4,768 kg、全備重量: 6,308 kg
発動機: クリモフ M103 液冷V12型エンジン960 hp 2基
最大速力:450 km/h 高度4,100m
航続距離: 2,300 km
実用上昇限度: 9,300 m
兵装:7.62ミリShKAS機関銃4丁
搭載爆弾量: 爆弾倉・翼下爆弾架 1トン

ソ連空軍ツポレフSBTupolev SB)爆撃機は、1936年勃発のスペイン内戦にポリカルポフ (Polikarpov)I-15、I-153複葉戦闘機、I-16低翼単葉戦闘機とともに投入され、ファシスト軍のドイツのハインケルHe-51複葉戦闘機、ユンカースJu-52/3m爆撃機などと戦った。当初、ソ連機は飛行性能上で上回っており、善戦した。

写真集Album:ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)高速双発爆撃機を見る。


8.中国空軍のボート(Vought)V-65 (O2U-1)コルセア(Corsair)戦闘爆撃機

写真(右):1937年頃、中国、主翼下面に小型爆弾を搭載したカーチス・ボート(Curtiss Vought)O2U-1D複葉偵察機:中国空軍では「オールド・コルセア」と呼ばれた。1937年7月、日中戦争が勃発すると、中国空軍は輸入してあったアメリカの軍用機を中心に配備したが、直ぐにソビエト連邦の軍事支援を受けソ連製軍用機も配備されるようになった。
Curtiss Vought O2U-1D.
Catalog #: 0367
Subject: The Flying Tigers - China
Title: Curtiss It was called "Old Corsair" in China
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 0367引用。


1937年7月、日中戦争が勃発した直後の8月、中ソ不可侵条約が締結されたが、これは共産国ソビエト連邦・スターリンと反共産主義の中国南京国民政府・蒋介石の同盟であり、独ソ不可侵条約に比類すべき驚愕の軍事同盟である。中ソ不可侵条約によって、中国空軍は輸入してあった古いアメリカ製軍用機だけではなく、ソビエト連邦の兵器・人員の軍事支援を受けて、ソ連製の新鋭機ポリカルポフ(Polikarpov)I-15,I-152、I-16戦闘機、ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)高速双発爆撃機を配備することができた。

写真(右):1937年、中央航空学校、中国空軍カーチス・ボートVought V-65 (O2U-1)コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機とパイロットの沈崇誨:複座型で偵察員用後席には7.62mm旋回機関銃1挺が取り付けられている。複座なので、練習機として使用されているようだ。
Curtiss Vought O2U-1D.
日本語: 中央航空学校在学中の沈崇誨。 Date circa 1934 Source 這些1937年犧牲的中國飛行員,用生命詮釋瞭何為“無問西東” Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category:Vought O2U Corsair Catalog #: 0367引用。


中国の中央航空学校は、中国南京国民政府が1931年に首都南京大校飛行場に設立した空軍兵士養成のための軍事高等教育の軍学校である。中国空軍の揺籃期の1930年,国民党政府主席蒋介石は、中央軍学校の航空班を基にして、華中に杭州筧橋蚕校(現在の浙江理工大学),中央航空学校を建設することを決定した。1931年春,中央航空学校の校舍と併設飛行場が竣工し,航空機用発動機、飛行機機体の施設も建設し、優位な学生を呼び寄せた。そして、洛陽、広州にも分校を設立した。1937年の日中戦争の勃発前までに、こうして航空訓練生500余名を育成することができた。

中央航空学校の分校は、洛陽、広州のほかに、抗日戦争が始まってからは雲南省昆明にも分校が増設されている。

写真(右):1935-1937年、アメリカ、主翼下面に小型爆弾用の爆弾懸架を装着したカーチス・ボート(Curtiss Vought)O2U-2複葉戦闘爆撃機(2-S-12):元来はアメリカ単座艦上戦闘機だが、偵察爆撃機の複座型を中国空軍が採用した。
Curtiss Vought O2U-1D.
Vought O2U-2 Notes: This image appears in Arcadia Publishing's "San Diego's North Island 1911-1941" Written by Katrina Pescador and Mark Aldrich of the San Diego Air and Space Museum.
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: NI-105引用。


1931年秋,軍政部航空学校が南京に成立されたが、1937年12月,航空学校は、浙江省杭州筧橋に移転した。杭州筧橋移転後、筧橋中央航空校と呼ばれ、中国空軍士官学校を意味するようになった。筧橋中央航空校では、弾薬・爆弾・燃料の貯蔵、飛行機の修理と製造も可能で、訓練学生の生活区域には、宿舎、運動場なども完備していた。日中戦争初期、高志航は、筧橋中央航空校出身の代表的な戦闘機パイロットである。1937年8月14日、いわゆる“八·一四”筧橋空戦で、高志航率いる中国空軍戦闘機隊は、日本海軍機を一挙に6機撃墜破した。がこれで、彼の勇戦は、日本侵略軍の気焔に大打撃を与えた。

写真(右):1935-1937年、アメリカ、主翼下面に小型爆弾用の爆弾懸架を装着したカーチス・ボート(Curtiss Vought)O2U-2複葉戦闘爆撃機(2-S-12):元来はアメリカ単座艦上戦闘機だが、偵察爆撃機の複座型を中国空軍が採用した。
Vought O2U-4, A8341 in flight Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives 引用。


日本では南京事件が有名だが、その前の第二次上海事変では、陸戦だけでなく、海上の艦艇からの砲撃を加え,大型機,小型機の空爆を市街地に(中国軍の陣地があるため)行って空襲・空中戦が戦われている。そこでは、建物が破壊され,駅で多数の人々が死傷した。各地で多数の死傷が外国人にも目撃され、欧米に知らされていたのである。

図(右):1930-1931年頃、中国、主翼下面に小型爆弾用の爆弾懸架を装着したカーチス・ボートVought V-65 (O2U-1)コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機「列寧」号:不時着した時点で国民政府空軍機として「列寧」号と記入されていたようだ。
1930年2月16日中午,位于鄂豫皖根据地的河南省罗山县宣化店陈家河(今属湖北省大悟县)上空,传来一阵轰鸣声,随即一架飞机摇摇晃晃地落在河滩上,滑出几十米后停了下来。飞机的机翼上印有青天白日机徽。
 罗山县第一区第十乡赤卫队大队长陈国清,立即带领赤卫队员冲向河滩,红军第一师三团一营的钱均也带领手枪队员及时?到,把“庞然大物”包围起来。飞行员打开舱口,举着双手走了出来。这位飞行员叫龙文光,时任国民党军政部航空第四队中校队长,奉命驾驶美制“柯塞”式侦察轰炸机,由汉口飞往河南开封执行通信联络任务,返航途中遇大雾迷航,油料耗尽,只能迫降。
写真は中共湖北省委党史研究室, www.hbdsw.org.cn 红军在这里拥有了自己的第一架飞机引用。


1930年3月16日昼,中国四川省出身の龍文光搭乗のカーチス・ボート(Vought)V-65 (O2U-1)コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機が、南京から漢口に飛行する途上、航空燃料が尽きて、河南省罗山県宣化店西南35?の陳家河付近の河原に不時着した。ここは、第一区第十郷の哨戒地点で紅軍赤衛隊員発見し、直ちに合図して、付近の赤衛隊員が多数やってきて不時着した機体を包囲した。搭乗していた龍文光は紅軍の俘虜となった。これが中国共産党紅軍の第1号軍用機となった中国紅軍第一軍用機「列寧」号で、当初から主翼下面に小型爆弾用の爆弾懸架を装着したと思われる。

写真(右):1990年頃、中国、主翼下面に小型爆弾用の爆弾懸架を装着したカーチス・ボート(Vought)V-65 (O2U-1) コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機「列寧」号
Vought V-65 (O2U-1 Corsair) replica - In 1931 became first Red Army plane PictionID:44466374 - Title:Vought V-65 (O2U-1 Corsair) replica - In 1931 became first Red Army plane - Catalog:16_005839 - Filename:16_005839.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 0367引用。


アメリカから中が民国政府が購入した機体を、国共内戦の時期に中国共産党の紅軍が鹵獲して、1930-1931年頃、中国共産軍の初めての航空兵力として使用した中共紅軍第一軍用機「列寧」号で、練習機、連絡機として使用されたようだ。中国紅軍には、飛行機搭乗員がいなかったので、紅軍第一軍用機「列寧」号攻撃には使用できず、残されたのではないか。

写真(右):1930年3月16日、中国、河南省罗山県宣化店西南35km、陳家河付近の河原に不時着したカーチス・ボートVought V-65 (O2U-1) コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機「列寧」号復元機:アメリカから中が民国政府が購入したカーチス・ボートVought V-65 (O2U-1) コルセア(Corsair)のこの不時着機は、当初から「列寧」号と命名されていたようだ。1930-1931年頃、中国共産党紅軍にとって運用できる飛行機となり、「红军第一架飞机」として有名になった。
Vought V-65 (O2U-1 Corsair) replica - In 1931 became first Red Army plane PictionID:44466374 - Title:Vought V-65 (O2U-1 Corsair) replica - In 1931 became first Red Army plane - Catalog:16_005839 - Filename:16_005839.TIF - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 0367引用。


カラー写真(右):1930-1931年頃、中国、中国紅軍第一号機「第一架飞机」カーチス・ボートVought V-65 (O2U-1) コルセア(Corsair)複葉戦闘爆撃機「列寧」号復元機:不時着した時点で国民政府空軍機として「列寧」号と記入されていたが、それを引き継いだようだ。
中共鄂豫边特委和苏维埃政府接到报告后指示罗山县委和驻扎罗山的红军:要保证飞机驾驶员的安全,保护好飞机。为了避免飞机再次落入敌人手中,鄂豫皖军委立即指示将飞机运往卡房。在被俘飞行员龙文光的指点下,陈家河的赤卫队员和红军部队官兵一起,将飞机大卸六块,100多位宣化店老百姓在沿途工农民主政府组织的4000多人的协助下,用了半个多月的时间,终于将飞机运到卡房林家湾。徐向前接见并说服了飞行员龙文光参加红军,并协助将拆散的飞机重新组装起来。鄂豫皖苏维埃政府举行了隆重的命名仪式,将这架飞机命名为“列宁号”。1931年,新集(今河南新县)解放后成为鄂豫皖根据地的首府,“列宁”号飞机由卡房飞到新集,从此中国工农红军拥有了第一架飞机。
“列宁”号飞机后来在红军作战中发挥了巨大作用。它经常在大别山、固始、潢川及武汉一带执行空中侦察和投撒革命传单任务,给敌人以很大的震动,之后又在黄安战役和第四次反“围剿”战斗中立下汗马功劳。1932年6月,蒋介石调集30万兵力,亲自坐镇武汉,下令对鄂豫皖根据地发动第四次“围剿”。作战日益频繁,环境日趋恶劣,“列宁”号每次随军转移都十分费力,徐向前代表红军总部忍痛下令:就地埋藏“列宁”号飞机。不久,红军主力部队被迫撤出根据地,“列宁”号被拆散埋入大别山一条偏僻的山沟里。。
写真は中共湖北省委党史研究室, www.hbdsw.org.cn 红军在这里拥有了自己的第一架飞机引用。



9.日中戦争に投入された中国空軍のアメリカ製軍用機

写真(右):1941-1942年、アメリカ軍セバルスキー(Seversky) P-35 戦闘機:アメリカ軍は、セバルスキー社製のP-35を制式採用しなかった。そこで,中国,スウェーデン,日本などに輸出された。 日中戦争に際して、蒋介石政権の中国空軍にも日本軍にもセバルスキー製P-35戦闘機を輸出しているのは、商魂のたくましさを感じる。このような「死の商人」的な武器輸出の企業行動に思いと、アメリカは中国に進出した日本をやっかんで、反日活動を強めたと単純な誤解に至ってしまう。
Title: Seversky, P-35 Corporation Name: Seversky Aircraft Corporation Designation: P-35 Additional Information: USA Color or B/W: Media: Glossy Photo
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01_00091201引用。


宋美齢 1932年2月、第一次上海事変に際して、日本海軍の航空母艦「加賀」から日本海軍十三式三号艦上攻撃機3機、三式艦上戦闘機3機が江南で、中国軍のボーイングP-12E戦闘機と空中戦を行った。ボーイングP-12E戦闘機の操縦士は、アメリカ義勇部隊のロバート・ショート(Robert Short)で、日本の三式艦攻搭乗員を死傷させたものの、三式艦戦によって撃墜された。

カーチス(Curtiss)F11CホークII戦闘機(BFC-1)主翼が二枚あり、主翼支柱や張線が多数あって,固定脚だったが、降着装置を胴体の付け根に引込み可能にしたたのがカーチスBF2CホークIII艦上戦闘機(Curtiss BF2C-1 Goshawk)である。この引込み脚のおかげで、空気抵抗を減少させて、最高速力や旋回性能などを固定脚よりも改良できた。中国空軍は、カーチスBF2C-1戦闘機Curtiss BF2C-1 Goshawk)をホークIII戦闘機(鷹三型戦轟)として採用したが、部品を輸入して組み立てるノックダウン方式で、輸入機と見なすことができる。中国空軍の主力戦闘機になった。

Claire Lee Chennault And The Flying Tigers 1933年、アメリカのカーチス社がアメリカ海軍艦上機として開発したホーク戦闘機シリーズの最後の機体がホークIII(BF2C-1)艦上戦闘機で、試作機は、1934年9月13日に初飛行。主翼が二枚ある複葉機ではあるが、引込み脚を採用して空気抵抗を減らし、速力や空戦性能を向上させた艦上戦闘機、中国空軍(鷹三型戦轟)として採用された。


カーチスBF2C-1戦闘機(
Curtiss BF2C-1 Goshawk)は、カーチス複葉艦上機シリーズの最終型で、それ以前のカーチス(Curtiss)F11CホークII戦闘機(BFC-1)の発展型で、車輪を胴体中央部側面に引き込むために、手動油圧ポンプを備えている。そのため、エンジンはライト空冷星形サイクロンエンジンで馬力数はあまり変わらないが、空気抵抗が減少して最高速力は、カーチスF11Cよりも30kmほど向上した。主翼はカーチスホークの原型以来のテーパー翼で、兵装は、ブローニング機関銃2丁、小型爆弾架である。

写真(右):1937年頃、中国空軍(鷹三型戦轟)第四大隊高志航大隊長のカーチスBF2CホークIII戦闘機(Curtiss BF2C Goshawk):胴体下面に流線型(涙滴型)の増加燃料タンクを装備している。1934年9月13日に試作機が初飛行、その後中国が購入、輸入し中国空軍に主力戦闘機として配備した。
English: 1930s Hawk III of China Air Force.
中文: 本機為第四大隊大隊長高志航鷹三型戰轟機。鷹三型戦轟機為抗日戦争初期,中国国空軍主力戦機,又稱霍克三 (Hawk III)。第一次公開在国人面前是在民国二十五年十月卅日,為慶祝蒋公五十歳生日,由第四大隊大隊長高志航少校率卅五架霍克三,在南京市明故宮機場上空編成「中正」二字的空中分列式。並在民国26年8月14日筧橋空戦時,曾創下撃落日機3架的紀録!
Date 1930s
Source http://lov.vac.gov.tw/
Author ROC government
写真は Wikimedia Commons, Category:Boeing P-26 Peashooter File:1930s Hawk III of China Air Force.jpg引用。

The Flying Tigers ボーイング社は、現在世界最大の旅客機メーカーになっているが、第二次大戦世界大戦前後、B-17、B-29 など大型爆撃機の大量生産で成長したが、1920年代は、ボーイングは戦闘機メーカーだった。

中国空軍は、アメリカから輸入し、戦闘機部隊で訓練していたボーイング P-26Boeing P-26 Peashooter)を、1937年8月の第二次上海事変の時、実戦投入した。1937年8月20日、九州の大村基地を飛び立った日本海軍の三菱九六式中攻Mitsubishi G3M)は、東シナ海を超え、渡洋爆撃によって首都南京を空襲した。この時、日本海軍九六式陸上攻撃機を中国空軍のボーイング P-26戦闘機8機が迎撃した。戦闘機は損害無しで、日本機6機の撃墜を報告した。その後、日本海軍の九六式艦上戦闘機と空中戦も行っている。

中国空軍は、アメリカから輸入し、戦闘機部隊で訓練していたボーイング P-26Boeing P-26 Peashooter)を、1937年8月の第二次上海事変の時、実戦投入した。1937年8月20日、九州の大村基地を飛び立った日本海軍の三菱九六式中攻Mitsubishi G3M)は、東シナ海を超え、渡洋爆撃によって首都南京を空襲した。この時、日本海軍九六式陸上攻撃機を中国空軍のボーイングP-26Boeing P-26)8機が迎撃した。戦闘機は損害無しで、日本機6機の撃墜を報告した。その後、日本海軍の九六式艦上戦闘機と空中戦も行っている。

写真(右):1938年8月27日のポストに掲載された、中国空軍のバルティー(Vultee) V-11軽爆撃機(上)と、ソ連から中国に供与されたポリカルポフ I-15(Polikarpov I-15)戦闘機(下): ポリカルポフ I-153(Polikarpov I-153)戦闘機I-153は、1939年から実戦使用されている。ソ連最後の複葉戦闘機で、操縦席からの視界を良好にするために、上翼はガル型で折れまげて胴体に連結されている。そこで、英語のガル(かもめ)と同じく、ロシア語でチャイカ(かもめ)の名が付けられた。
Vultee V-11 and Polikarpov I-15.
Catalog #: 0406
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 0406引用。

バルティー(Vultee) V-11軽爆撃機の諸元
初飛行: 1935年9月17日、制式: 1937年
最高速力: 370 km/h
全長: 12 m、全幅: 15 m

1937年8月、日中戦争勃発直後に締結された中ソ不可侵条約によって、ソ連は中国に対する軍事援助を始めた。日本の軍事力を牽制できるように、ソ連空軍の採用した軍用機から、ポリカルポフI-15戦闘機に続いて、I-153戦闘機やI-16戦闘機のように主輪引込み式の新鋭戦闘機、全金属製の高速ツポレフSB双発爆撃機などが供与された。

ボーイング社は、複葉機全盛の時代の1930年代初頭に、単葉、スパッツ付き固定脚で、斬新な設計のP-26(Boeing P-26)戦闘機の原型を開発した。1933年から100機以上の発注を受け量産され、中国も、ボーイング P-26を輸入し、1937年の日中戦争で実戦投入した。ただし、 P-26配備機数は少なく、主力戦闘機はカーチスBF2CホークIII戦闘機Curtiss BF2C-1 Goshawk)だった。1940年代には旧式化していたものの、アメリカ軍は、アメリカ領フィリピンに配備していた。

写真(右):1938-1940年,中国、中国空軍ノースロップ2E軽爆撃機・カーチスBE2F複葉戦闘機などでポリカルポフI-15 bis 複葉戦闘機との戦列(少なくとも9機が写っている):最上級の「ファーストホテルバー」を気取ったアメリカ人の義勇兵たち。
PRO SDASM Archives Follow
"Piltsker, Ricks,Sweeney, Van Timmeren, Schraman, Mchenry at 1st Hotel Bar"
Catalog #: 0090
Subject: The Flying Tigers - China
写真はSDASM Archives Catalog #: 0090引用。


米国は,1940年以降,アメリカ義勇部隊AVG,のちのフライングタイガーズによる,中国にある日本軍への航空攻撃を繰り返していた。これは,米軍によるものではなく,あくまで,退役軍人が個人の資格で中国空軍に入隊して,傭兵として,戦闘に参加するという建前をとっていた。しかし,装備された航空機は,当事の最新鋭機であり,アメリカ国内の陸軍航空隊で,組織的な義勇軍募集リクルートが行われていたし,米陸軍航空隊は,中国空軍にAVG向けの武器供与をおこなっていた。

写真(右):1940年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊マーチン B-10爆撃機
pictionid56896245 - catalogbd martin b-10 12 14 13.jpg - title--bd martin b-10 12 14 -- - filenamebd martin b-10 12 14 13.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum--------Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.
写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives pictionid56896245引用。

マーチン B-10爆撃機の諸元
全長: 13.63 m、全幅: 21.60 m
全高: 3.48 m、翼面積: 63.4 平方メートル
全備重量: 7,460 kg
発動機:ライト R-1820-33 空冷エンジン9気筒 775馬力2基
最高速力: 343 km/h
実用上限高度:7,365 m
航続距離: 1,996 km
爆弾搭載量 1,050 kg
兵装:7.62ミリ機銃3丁
乗員 4名。

ソ連も1937年の中ソ不可侵条約締結後,中国に多数の戦闘機,爆撃機を(有償?)譲渡。中国空軍の主力航空機となる。戦闘機,爆撃機を大量に中国に売却したが,これはスペイン内戦における共和国軍への軍事支援と同じだった。つまり,コミンテルンでは,反ファシズム戦線として,ドイツと日本の侵攻を抑制すべきであると決議された。ソ連は中国の隣国であり,迅速に支援できたのである。しかし,華北が日本の支配下に入ると,次第に米国の軍事援助がソ連にとって代わった。

写真集Album:中華民国空軍の外国製戦闘機を見る。


10.ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)高速爆撃機


写真(上)1944年夏、フィンランド、非舗装滑走路、フィンランド空軍の使用した鹵獲したソ連製ツポレフSB-2M-103高速双発爆撃機(正面)と機首下面の搭乗員昇降扉下の移動式階段
:主翼左右のクリーモフ(Klimov) M103液冷V12型エンジン960 hpが稼働し3翅金属製プロペラが回転している。プロペラスピナー先端には、プロパラを動力車で回転させ駆動するカギが付いているが、普段は、内蔵している始動用モーターでエンジンを駆動する。エンジンナセルに引込まれる降着装置の構造が判読できる。
SB-2 -pommikone kentällä, moottorit käynnissä. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot Niilo Helander, valokuvaaja
写真は,Museot Finna sa-kuva-165875用。


写真集Album:ツポレフ(Tupolev)SB-2/ANT-40 (СБ)高速爆撃機を見る。


11.フィンランド空軍のソ連鹵獲機

ポリカルポフ I-153戦闘機 ソ連空軍のポリカルポフ I-153(Polikarpov I-153)戦闘機は、複葉機ではあるが、脚の車輪は引込み式で、機体と主翼の接合部に収納されている。もとは、複葉固定脚のポリカルポフI-15 戦闘機で、エンジンを高馬力のものに換え、同じ複葉機でも、支柱を少なくして、機体と翼の付け根部分も斬新な形に変更した。

ソ連空軍ポリカルポフ Polikarpov I-153bis戦闘機の諸元
全幅: 10.00 m、全長: 6.17 m
全高: 2.80 m、翼面積: 22.14平方メートル
自量: 1348 kg、全備重量: 1859 kg
発動機: 空冷9気筒 M-62
最大速力: 366 km/h 海面上、444 km/h/4,600 m
上昇率:3000 mまで 3分
最大上昇限度: 11000 m
航続距離: 470 km
兵装: 7.62ミリShKAS機銃4丁
82mmロケット弾

中国空軍は、1937年8月21日に締結した中ソ不可侵条約Sino-Soviet Non-Aggression PactAlliance)に基づいて、ソ連空軍の金属製単葉・引込み脚の新鋭高速軍用機として、ポリカルポフ I-16戦闘機Polikarpov I-16)やツポレフ SB(エスベー)爆撃機Tupolev SB)の供与も受けている。

写真(右):1939年11月30日-1940年3月13日、第二次世界大戦勃発後に起きた冬戦争で、フィンランドに墜落したソ連空軍のポリカルポフ I-16(Polikarpov I-16)戦闘機をフィンランド軍がトラアックに乗せて回収している。:鹵獲したポリカルポフ I-16を修理して、フィンランド軍用に再使用したり、復元する部品パーツの回収に利用した。
Tuntematon, Valokuvaaja 1939 Kuorma-auto, jonka kyydissä rikkoontunut venäläinen hävittäjä Polikarpov I-16. Lentokone on mahdollisesti sotasaalis. Kuva on otettu talvisodan aikaan. Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Lapin maakuntamuseo Inventaarionro 390:22 Kuvaustiedot 1939-11-30/1940-03-13 Suomi Tuntematon, Valokuvaaja.
写真はThe Finnish Defence Forces, Finnish Wartime Photograph Archive Kuvan numero:66681引用。

Polikarpov I-16 第二次世界大戦以前から大量配備され、ソ連空軍の主力戦闘機となったポリカルポフI-16(И-16:Polikarpov I-16)は、世界最初の実用的な引き込み脚を持った戦闘機である。

ポリカルポフ I-16戦闘機Polikarpov I-16)諸元
全長: 6.13 m、全高: 3.25 m
翼幅: 9 m 翼面積: 14.5平方メートル
自量: 1,490 kg
全備重量: 1,941 kg
発動機: シュベツォフ M-63空冷星形エンジン (1,100 hp)
最大速度: 525 km/h (高度3000 m)
航続距離: 700 km (増槽搭載時)
実用上昇限度: 9,700 m
高度5000mまで5.8分
兵装:7.62ミリShKAS機関銃 2丁
20ミリShVAK機関砲 2門
RS-82ロケット弾 2-6発
生産機数:8,600機。

写真(右)1941年9月8日、フィンランド軍に鹵獲されたソ連空軍ポリカルポフ(Polikarpov)I-16戦闘機(UTI-4):樹木で隠蔽偽装された掩体壕に待機している。
Vänrikki J.Korpivaara, valokuvaaja Syvärin rannalla olevalta lentokentältä sotasaaliiksi saatu täysin kunnossa oleva ryssien hävittäjä metsän keskellä naamioituna. Kuvan lentokone on Polikarpov I-16 tyyppi 15 (UTI-4). Aineistotyyppi Valokuva Organisaatio Sotamuseo Kuvaustiedot 1941-09-08
写真は,Museot Finna M44:DKMDKKV2017002:108用。


ソ連空軍ポリカルポフI-16(И-16:Polikarpov I-16)は、ソ連パリカールパフ設計局の開発になる低翼式引込み脚の高速単葉戦闘機で、出現当初は、最先端の設計を具体化したもので、20ミリ機関砲の実用化も早かった。試作機TsKB-12は1933年12月に初飛行し、搭乗員が手動でワイヤを巻き上げる引き込み脚、単葉の高速戦闘機で、同時期のイギリス空軍グラジエーター戦闘機、日本陸軍九五式戦闘機、ドイツ空軍ハインケルHe 51戦闘機は全て複葉戦闘機だった。

写真(右):1944年7月9日、新たにフィンランド空軍に配備されたソ連製のラグ(ラボーチキン・ゴルブーノフ・グードゥコフ)LaGG-3戦闘機(Lavochkin-Gorbunov-Gudkov LaGG-3):フィンランド空軍にが鹵獲した破損したラグLaGG-3戦闘機を回収し、飛行可能な状態に修理・再整備してして部隊配備した。つまり、ソ連軍と同じ機種で敵対する状況が生まれた。ラグLaGG-3戦闘機である。
Ryssäläinen Lag-3 hävittäjä palvelemassa meikäläisiä uuden isäntänsä kanssa. Alkuperäisestä kuvatekstistä poiketen kuvassa Lavochkin-Gorbunov-Gudkov LaGG-3..
Organisation Military Museum Photo info: 1944-07-09 Vänrikki V.Hollming, valokuvaaja
写真は,Museot Finna sa-kuva-141152用。


ラグLaGG-3 ソ連製ラグ(ラボーチキン・ゴルブーノフ・グードゥコフ)LaGG-3戦闘機の諸元
全幅:9.80m、全長:8.90m
全高:2.57m、翼面積:17.50平方メートル
空虚重量:2,620kg、全備重量:3,300kg
発動機:クリーモフ M-105PFV型12気筒液冷エンジン(1,180馬力)
最高速力:560km/h
航続距離:650km
実用上昇限度:9,600m
乗員:1名
兵装:ShVAK 20ミリ機関銃1丁、UB12.7ミリ機関銃2丁
RS-82 ロケット弾6発

ソ連空軍では、ラボーチキン(Лавочкин)、ゴルブーノフ(Горбунов)、グードゥコフ(Гудков)の三人の設計者が主導して、1939年3月30日にラグLaGG-1戦闘機を初飛行させた。そして、LaGG-1発動機の馬力を強化して、強度を高めた改良型が1941年に開発されたラグLaGG-3戦闘機である。フィンランド軍は、不時着したラグLaGG-3戦闘機を本国の向上に運んで修理、整備して飛行可能な状態に戻し、部隊配備した。これが3機のラグLaGG-3戦闘機で、フィンランド空軍ではLG-1, LG-2 ,LG-3と固有名称を付けた。高速だが、飛行安定性が良くないために、フィンランド空軍は、LaGG-3戦闘機を緊急迎撃機として待機させていた。

ツポレフ SB(エスベー)爆撃機 1937年の遅くには、共産主義国ソ連から中国空軍に軍用機が供与された。中国軍は、ソ連空軍の制式だったポリカルポフ I-16戦闘機Polikarpov I-16)やツポレフ SB(エスベー)爆撃機Tupolev SB)など、当時の最新鋭機を手に入れることができた。このようなポリカルポフ I-16戦闘機、ツポレフ SB(エスベー)2爆撃機は、フィンランドとソ連が戦った1939年の冬戦争、1941年の継続戦争でもソ連空軍の主力機となっていた。したがって、フィンランド空軍がイギリス、フランス、アメリカ、イタリア、ドイツから輸入した戦闘機、爆撃機、水上機などは、敵対するソ連空軍の軍用機と、当初は同等以上の性能を誇っていたのであって、飛行性能の良さと搭乗員の熟練度、天候・敵の動向に対する偵察能力の高さが、フィンランド空軍数的不利を補って余りあった。



◆戦争にまつわる資料,写真など情報をご提供いただきますれば幸いに存じます。よろしくご協力をお願い申し上げます。
◆2011年7月、『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(268頁,2100円)を青弓社より刊行しました。
【目次】 ドイツ・ワイマール共和国の誕生から第三帝国の崩壊まで/アドルフ・ヒトラーの第一次世界大戦/ドイツ革命とその反動/ドイツ・ワイマール共和国の混乱/共和国安定期から世界大恐慌へ/ナチ党ヒトラー独裁の始まり/ナチスの再軍備・対外膨張/第二次ヨーロッパ大戦の勃発/対ソビエト連邦ボリシェビキ戦争/ユダヤ人殲滅のための世界戦争/ヒトラー第三帝国の崩壊/ナチ・プロパガンダ神話の真実

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン ポリカルポフ I-16 タイプ18 (ノモンハン)
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
中攻日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車 中攻雷撃
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
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