◆朝鮮戦争のマッカーサーとトルーマン:Who's the Boss? Truman vs. MacArthur
写真(上):1951年、韓国南部、大邱(テグ)飛行場、朝鮮戦争の負傷兵を運搬中のアメリカ空軍のダグラス(Douglas)C-54 D-10-DC スカイマスター(Skymaster)軍用輸送機 (シリアルナンバー:s/n 42-72694) :アメリカで1942年に製造された機体。
Korean War casualties are loaded on a U.S. Air Force Douglas C-54D-10-DC Skymaster (s/n 42-72694) at Taegu, in 1951. This aircraft was later sold to the Republic of Korea Air Force.
Date 1951
Source National Museum of the U.S. Air Force photo 100617-F-1234S-103
Author USAF
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas DC-4 at Berlin Tempelhof Airport File:Douglas DC-4, F-BELF, Air France Manteufel-1.jpg引用。
写真(上):1950年、アメリカ上空を飛行するハリー・トルーマン大統領の2代目専用輸送ダグラス(Douglas)VC-118輸送機'Independence' :1947年初飛行、与圧式キャビンのダグラスDC-6ライフマスター(Liftmaster)四発輸送機を流用した大統領専用機。胴体はブルーのラインで鷲の頭部が描かれ、機首が鷲の嘴、操縦室のガラス窓が鷲の目に当たる。
Description U.S. President Harry S. Truman's Douglas VC-118 Independence in flight, circa 1950.
Related Collection
Francis W. Williams Papers
Keywords
Airplanes ; Presidential aircraft
HST Keywords
Airplanes - Independence
Presidential airplane of President Harry S. Truman, the "Independence," in flight over unknown location.
Date(s)
ca.
1950
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2003-103 およびWikimedia Commons, Category:Douglas VC-118 Independence File:Douglas VC-118 Independence in flight c1950.jpg、あるいはKev Curtis Douglas VC-118 Liftmaster 46-0505 USAF引用。
写真(上):2014年8月27日、アメリカ、アリゾナ州(Arizona)ヴァレ(Valle)空港外れ、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)将軍2代目専用輸送ロッキード(Lockheed) VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605):2016年に売却されて、カリフォルニア州(California)チノ(Chino)、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Air Museum)が保有している。Taken on August 27, 2014
写真はSmugMug+Flickr、Robert Slater- R_Pamoramic_Bataan-2-Edit.jpg引用。
1. 1945年の日本降伏後、朝鮮半島は日本支配方解放され、中国では、新政権が樹立された。また、イギリス領インド植民地も、1947年8月にインドとパキスタンに分離独立した。しかし、日本は、これらの諸国との連携を図ることなく、アメリカ占領軍との関係だけを強化していった。1950年6月、北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。
写真(右):1949年10月11日、アメリカ東部、ワシントンD.C.(?)、ハリー・トルーマン大統領専用機VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)でアメリカに到着したインド首相ジャワハルラール・ネルー(Nehru, Jawaharlal, 1889-1964)、出迎えるハリー・トルーマン大統領
:後方は、ダグラス(Douglas)DC-6を流用したVC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発大統領専用機。駐米インド大使ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(Vijaya Lakshmi Pandit :1900-1990)、ネルーの娘インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(Indira Priyadarshini Gandhi:1917ー1984)も、この時一緒にトルーマン大統領と会っている。
Arrival of Prime Minister Nehru of India
Keywords
Military aircraft ; Military ceremonies, honors, and salutes ; Presidents ; Prime ministers ; Airplanes ; Visits of state ; Visitors, Foreign
HST Keywords
Truman - Dignitaries - Foreign - India - Nehru, Jawaharlal; Airplanes - Independence; India; Nehru, Jawaharlal
People Pictured
;Nehru, Jawaharlal, 1889-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
Description: Standing at attention while national anthems are played upon the arrival of Prime Minister Nehru of India. An honor guard presents the colors as both nation's national anthems are played. From Album "Visit of His Excellency Jawaharlal Nehru Prime Minister of India to the United States of America"
October 11, 1949
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 72-556引用。
1949年から1951年までの駐米インド大使は、ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(Indira Priyadarshini Gandhi:1917ー1984)で、ネルーの11歳年下の妹である。1949年10月のインド首相ネルーの訪米には、22歳の愛娘インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(Indira Priyadarshini Gandhi:1917.11生)も同行している。
インド初代首相ネルー(1889年11月14日 - 1964年5月27日)は、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)とともにインド独立の最大の功労者で、インド国民会議議長で、だった。独立後のインドを、非同盟諸国、第三世界の指導的政治家として、中国と並ぶ大国に押し上げようとした。民主主義政治と社会主義経済の混合を目指した。
写真(右):1949年10月、アメリカ東部、ワシントンD.C.、インド大使館、ハリー・トルーマン大統領と夫人のベス・ウォレス・トルーマン(Truman, Bess Wallace:1885-1982;左2人目)夫妻 をもてなすインド首相ジャワハルラール・ネルー(Nehru, Jawaharlal)、ネルーの妹で駐米インド大使ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(Vijaya Lakshmi Pandit :中央)、ネルーの娘インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(Indira Priyadarshini Gandhi:左端):
Prime Minister Nehru hosts President Truman at the Indian Embassy
Keywords
Embassy buildings ; First ladies ; Presidents ; Prime ministers ; Visitors, Foreign ; Visits of state
HST Keywords
Truman - Dignitaries - Foreign - India - Nehru, Jawaharlal; Pandit, Vijaya; India; Nehru, Jawaharlal; Gandhi, Indira; Truman - Bess - Individuals (with) - Nehru, Jawaharlal
People Pictured
Gandhi, Indira, 1917-1984 ;Nehru, Jawaharlal, 1889-1964 ;Pandit, Vijaya Lakshmi , 1900- ; Truman, Bess Wallace, 1885-1982 ; Truman, Harry S., 1884-1972
Description: Prime Minister Nehru hosts President Truman at the Indian Embassy. From left to right: Indira Gandhi, Mrs. Bess Wallace Truman, Madam Vijaya Pandit, President Harry S. Truman, Prime Minister Jawaharlal Nehru. From Album "Visit of His Excellency Jawaharlal Nehru Prime Minister of India to the United States of America"
October , 1949
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 72-555引用。
ハリー・トルーマン大統領夫人ベス・ウォレス・トルーマン(Elizabeth Virginia “Bess” Truman )は、1885年2月13日、ミズーリ州(Missouri)インディペンデンス市(Independence)に生まれ、インディペンデンス高校卒業後は、カンザス市の女子専門学校で学んだ。トルーマンが、1918年、第一次大戦末期にアメリカ遠征軍としてフランス出征して帰国した後、1919年6月にハリーと結婚した。二人の間には、娘が一人ある。ベス・ウォレス・トルーマン(Elizabeth Virginia “Bess” Truman )は、前大統領夫人エレノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt)とは違い、メディアを使った情報公開の場はあまり関与しなかった。
1947年8月15日のインド独立に際して、ヒンドゥー教徒中心のインド連邦とイスラム教徒中心のパキスタンとが分離独立したが、藩王国は、藩主の意向で帰属が決まった。しかし、ジャンムー・カシミール藩王国では、藩王ハリ・シングがヒンドゥー教徒でインドへの帰属を、住民の大半がイスラム教徒でパキスタンへの帰属を望み、それにインド・パキスタンからの軍事介入が加わって、1947年10月には、パキスタンとインドの武力衝突、すなわち第一次印パ戦争が勃発してしまった。
写真(右):1948年8月14日(アメリカ時間)、韓国、ソウル、大韓民国成立記念式典、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥と大韓民国初代大統領の李承晩(り しょうばん:イ・スンマン:이승만):キリスト教ミッションスクール培材学堂の在学中、韓国皇帝高宗の退位を要求、投獄されるも教団の力で特赦による出獄。1904年、渡米しし、1907年、ジョージ・ワシントン大学卒業、1908年、ハーバード大学で修士号取得。その後もアメリカで亡命生活を送り、1945年10月、日本降伏後に解放された朝鮮半島に帰国。朝鮮駐留アメリカ軍による軍政下、
1946年に大韓独立促進国民会の総裁に就任。1948年8月15日、大韓民国樹立に伴い初代大統領に就任。
Syngman Rhee and General Douglas MacArthur
HST Keywords
Korea - Cities - Seoul
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Rhee, Syngman, 1875-1965
Description
Syngman Rhee (right), first President of Korea, sits beside General Douglas MacArthur, Supreme Allied Commander in Japan, as they attend the August 14, 1948 ceremony in Seoul inaugurating the new Republic of Korea. From: Pershing Touseley, Reorganized Church of Jesus Christ of Latter Day Saints.
Date(s)
August 14, 1948.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2002-106 引用。
1945年8月に、30年以上の日本による植民地支配から解放された朝鮮半島だったが、1946年には北緯38度線を境界に、共産主義ソ連の支配下にある北と自由主義アメリカの支配下にある南とに南北分断したことが決定的になった。アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、1946年6月に、朝鮮はイデオロギーの戦場であると述べたが、まだ望みはあった。ジョージ・マーシャルがソ連との交渉に臨み、1946年9月に、国際連合で、朝鮮総選挙の実施、それを監視する軍事監視団の派遣が定義されたが、ソ連の反対で選挙は実施できなかった。そこで、南側は、1948年5月に韓国総選挙を実施、1948年8月15日、李承晩を韓国大統領に選出し、大韓民国として独立した。
大韓民国初代大統領李承晩(イ・スンマン:이승만)は、キリスト教ミッションスクール培材学堂の在学中、韓国皇帝高宗の退位を要求、投獄されるも教団の力で特赦による出獄。1904年、渡米しし、1907年、ジョージ・ワシントン大学卒業、1908年、ハーバード大学で修士号取得。その後もアメリカで亡命生活を送り、1945年10月、日本降伏後に解放された朝鮮半島に帰国。朝鮮駐留アメリカ軍による軍政下、1946年に大韓独立促進国民会の総裁に就任。1948年8月15日、大韓民国樹立に伴い初代大統領に就任。
写真(右):1949年10月1日、中国、北京、天安門広場前、中華人民共和国の成立を宣言する共産党書記長 毛沢東(Mao Zedong):毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した時期、実際には、中国各地で、国民党の抵抗が続いていた。これが、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が武力をもって対峙する国共内戦である。しかし、共産党の紅軍は、1949年11月30日に中華民国の首都重慶を攻略、その後蒋介石の国民党政府は台湾に逃亡した。国共内戦は、1950年6月には共産党の勝利で終わる。
Mao Zedong Makes Announcement
HST Keywords
China - Peiping
People Pictured
Mao, Zedong, 1893-1976
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Hirohito, Emperor of Japan, 1901-1989
Mao Tse Tung (now called Mao Zedong) proclaims the People's Republic of China in Peking. From: Photos used in the 1984 Truman Centennial Exhibit.
Date(s)
October 1, 1949.
5x7 inches (13x18 cm) , Black & White
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-3732 引用。
中国共産党書記長毛沢東は、1949年10月1日、北京の天安門壇上の上から、中国支配者の立ち振る舞いで、中華人民共和国の建国を宣言した。しかし、この時点では、未だに中国各地で、蒋介石率いる国民党(中華民国派)が武力抵抗をしており、国民党と共産党との国共内戦が続いていた。
しかし、共産党の紅軍は、1949年11月30日に中華民国の首都重慶を攻略した。そして、中国大陸で戦闘の不利を悟った国民党総統後蒋介石は、中華民国の軍隊を引き連れて、台湾に逃亡した。そのため、中国大陸に残存していた国民党軍は、随時降伏するか、あるいはインドシナ方面に亡命するかし、国共内戦は、1950年6月、毛沢東率いる共産党の勝利で幕を閉じた。
写真(右):1949年 、ソビエト連邦、モスクワ、儀仗兵を閲兵する北朝鮮の労働党書記長金日成(キム・イルソン)指導者と外務大臣アンドレイ・グロムイコ:1912年4月15日生まれの金日成(キム・イルソン:きん・にっせい:김일성)は、1930年代から1945年まで、共産主義を報じる革命闘士だったが、1940年には、日本軍の掃討作戦に耐えきれず、ソ連に亡命している。1950年6月25日、ソ連と中国の支援を受けて、大韓民国を攻撃し、朝鮮半島を起こした。
Andrei Gromyko and North Korean Premier
Il Song
People Pictured
Gromyko, Andrei Andreevich, 1909- ; Kim Il-song, 1912-1994
Description: Andrei Gromyko (in dark military cap) was delegated to guide Kim Il Song (hatless, at left, of official party reviewing troops), the North Korean Premier, during Kim's visit to Moscow. From: Photos used in the 1984 Truman Centennial Exhibit. Library of Congress Photo Number: LC-USZ62-80619.
Date(s)
1949
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-3703 引用。
1948年5月、アメリカ支配下の南は、韓国総選挙を実施、1948年8月15日、アメリカから帰国した李承晩を韓国大統領に選出、大韓民国として独立した。他方、ソ連支配下の北は、ソ連に滞在し政治教育・軍事教育をうけた金日成が帰国して、朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言した。こうしてアメリカ帰り、ソ連帰りの政治家が主導する南北朝鮮が分離独立したのである。
しかし、南北朝鮮は米ソの保護国ではなく、れっきとした独立国であるとの立場を世界に示すために、ソ連もアメリカも軍事占領を終焉し、外国軍を南北朝鮮から撤兵させることを約束した。ソ連軍の朝鮮撤兵は1948年末、アメリカ軍の朝鮮撤兵は1949年6月末である。南北朝鮮には、南にアメリカ、北にソ連の軍事顧問団が少数残されていたが、外国軍兵力は朝鮮半島にはいなくなったのであり、これは日本に大規模なアメリカ軍が駐留したのとはとは大きな違いだった。この理由は単純で、朝鮮半島は連合国側であり、アメリカあるいはソ連と同盟的な関係にあったが、日本は連合国占領の下にあった敵国だったからである。
朝鮮、中国の新政権の成立を、多くの国民が解放と平和の裡に祝いたかったであろうが、1950年の朝鮮戦争に至って、大きな惨禍がもたらされることになり、日本は、対照的に、戦後復興を進める足掛かりを得る。
金日成(キム・イルソン:きん・にっせい:김일성)は、1930年代に中国共産党員として反日武装闘争に参加した。しかし、1940年には、日本軍の掃討作戦に耐えきれず、ソ連に亡命し、ソ連赤軍の傘下に入るとともに、コミンテルン式のイデオロギー教育、スパイ訓練を受けたようだ。1945年8月、日本の降伏によって、ソ連赤軍が北緯38度線以北の朝鮮半島を占領すると、金日成は9月19日に、ウラジ₌オストークから、ソ連艦で北朝鮮東岸の元山港に上陸し、共産党員として指導的役割を与えられた。
1946年、金日成は、成立した北朝鮮労働党の指導者となり、1950年6月25日、ソ連と中国の援助を受けた先制奇襲攻撃によって、朝鮮半島の統一を目指し、朝鮮戦争を起こした。北朝鮮軍は10個師団15万人、戦闘訓練を受けた兵士はそのうち8万9000人、戦車はソ連製T-34中戦車150輌、火砲、迫撃砲も配備されていた。他方、韓国軍は4個師団相当6万5000人、航空機22機という弱体だった。北朝鮮軍は、1945年6月に大演習の名目で南北境界付近に配備されたが、北朝鮮軍とて大規模演習を計画も実施したこともなく、ソ連派遣の軍事顧問団の支持を受けていたのである。
2. 1950年6月25日、北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が始まったが、9月にアメリカのマッカーサー元帥隷下の国連軍が仁川(インチョン)に上陸、北朝鮮軍を敗走させた。10月15日、太平洋上、ウェーキ島会談でアメリカ大統領トルーマンは、マッカーサーに戦功を祝し殊勲勲章を授与した。しかし、10月25日、中国義勇軍が北朝鮮軍に援軍として参戦すると、マッカーサーは中国本土攻撃、」減額仕様の威嚇すら主張した。これは、朝鮮戦争を地域限定戦争にとどめようとしたしたトルーマン大統領、アメリカ軍統合参謀本部議長(初代)オマール・ネルソン・ブラッドレー大将の意に反していた。
1950年6月24日から25日にかけての深夜、北朝鮮軍の韓国侵攻で始まった朝鮮戦争だが、韓国・アメリカ側は、侵攻の全長があるとの情報に適切に対応できず、奇襲され、韓国大統領の首都ソウルからプサンへの移動は、弱体な韓国軍の士気を阻喪させた。これに対して、アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、共産主義の拡大を封じ込めるために、宣戦布告なしに、警察行動であるかのように派兵した。これは、1937年の日中戦争が、北支事変、支那事変として、宣戦布告なしに戦われた歴史を思い起こさせる。アメリカは、ソ連のスキをついて安全保障理事会でアメリカの軍事行動を承認させ、なんと15カ国もが北朝鮮軍、のちには中国軍と戦うために派兵されたのである。三年間の朝鮮戦争は、兵士200万人、民間人200万人の死者を出し、その後も朝鮮半島を南北に分断した休戦状態が続いている。
写真(右):1950年6月21日、日本、東京羽田空港、来日したアメリカ国務長官ディーン・アチソンの国務長官顧問ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)を出迎えたダグラス・マッカーサー元帥:反共産主義者ダレスは、日本を韓国訪問の途上、日本に立ち寄った。その後、朝鮮半島の南北分断境界38度線を視察したが、その直後の1950年6月25日、北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争が始まった。
General MacArthur and John Foster Dulles
HST Keywords
MacArthur, Douglas; Dulles, John Foster; Tokyo, Japan; Haneda AFB; Korea
People Pictured
Dulles, John Foster, 1888-1959 ; MacArthur, Douglas, 1880-1964
People Pictured
Acheson, Dean, 1893-1971 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Snyder, John W. (John Wesley), 1895-1985 ; Truman, Harry S., 1884-1972 ; Marshall, George C. (George Catlett), 1880-1959
General Douglas MacArthur greets John Foster Dulles upon his arrival at Haneda Air Force Base, Tokyo, Japan from Korea. Mr. Dulles visited Syngman Rhee, and confered with General MacArthur. From: European Picture Service.
Date(s)
June 21, 1950br>写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 67-7376引用。
1950年6月18日、アメリカ国務長官ディーン・アチソン顧問官ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles: 1888年2月25日 - 1959年5月24日)は、1908年プリンストン大学卒、1911年ジョージ・ワシントン大学卒で、1卒業後、ニューヨーク・ウォール街の国際商事法務専門の法律事務所の弁護士となり、事務所に40年間も所属した。その間、1918年、第一次世界短戦後のヴェルサイユ講和会議アメリカ代表の法律顧問となり、第二次世界大戦末期の1945年4月には、サンフランシスコ会議アメリカ代表顧問として、国連憲章の起草に参加した。戦後は、1945年8月にバーンズ国務長官顧問、1946年,1947年,1950年に国連総会アメリカ代表として活躍している。1949年7月から11月は死亡した上院議員の残余任期を受け継いでニューヨーク選出上院議員に就任している。
そして、朝鮮戦争の直前の1950年4月に、
アメリカ国務長官ディーン・アチソン顧問官ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)は、アチソン国務長官顧問に就任、5月には特使(特命全権大使格)で対日平和条約交渉担当になった。その後、1951年1月にはトルーマン大統領特別顧問、1952年5月に特命全権大使(台湾問題及び国際紛争担当)を歴任することになる。
アメリカ国務長官ディーン・アチソン顧問官ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)は、大韓民国大統領の李承晩に招かれソウルを訪問し、38度線も視察した。その時、前線指揮官からアメリカ軍の支援を求めら、李承晩からもアメリカが韓国を見捨てていると抗議を受けたダレスは、トルーマン大統領の意向を受けていたから、6月19日、韓国の国会で、自由を求める計画が担われている以上、韓国が孤立することはないと述べた。しかし、それから一週間もたたない6月25日未明に、朝鮮戦争に突入することになる。
写真(右):1950年6月29日、アメリカ、ワシントンDC、ホワイトハウスを辞去するアメリカの軍事担当幹部たち。左からアメリカ陸軍参謀総長ジョーゼフ・ロートン・コリンズ(Joseph Lawton Collins)将軍、日本から帰国した国務長官顧問ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)、アメリカ国務長官ディーン・アチソン、アメリカ軍統合参謀本部議長(初代)オマール・ネルソン・ブラッドレー(Omar Nelson Bradley)大将(9月に元帥):オマール・ブラッドレーは、1948年、アイゼンハワ−後任のアメリカ陸軍参謀総長に就任、1949年8月、新設されたアメリカ陸軍参謀総長に昇格した。オマール・ブラッドレー後任のアメリカ陸軍参謀総長がジョーゼフ・コリンズである。
Dean Acheson and top military advisors leaving the White House following a meeting with President Truman
HST Keywords
Acheson, Dean Truman Presidency 1950; Collins, Gen. J. Lawton; Dulles, John Foster; Bradley, Gen. Omar
People Pictured
Acheson, Dean, 1893-1971 ; Bradley, Omar Nelson, 1893-1981 ; Collins, J. Lawton (Joseph Lawton), 1896-1987 ; Dulles, John Foster, 1888-1959
Left to Right, leaving the White House following a meeting with President Truman are his top military and Defense Chiefs: General J. Lawton Collins, Army Chief of Staff; John Foster Dulles, Foreign Policy Adviser; Secretary of State Dean Acheson, and General Omar Bradley, Chairman of the Joint Chiefs of Staff.
Date(s)
June 29, 1950br>写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 96-1081引用。
ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles: 1888年2月25日 - 1959年5月24日)は、1940年代後半、西側陣営に日本を加え、再軍備させる方針を打ち出し、1951年、ダレスはサンフランシスコ平和条約において、日米安全保障条約による日本のアメリカ従属同盟国かと国際社会への復帰を手伝った。また、1950年10月下旬、朝鮮戦争で、中国が人民志願軍の形式で派兵した後も、トルーマンの意向を受けて、中国本土への武力侵攻を押さえ、台湾(中華民国)と中立を維持することに努めた。こうした外交姿勢が評価され、1953年から1959年までドワイト・D・アイゼンハワー政権で国務長官を務めることになる。
その後のベトナム戦争では、ジョン・ダレス(John Dulles)は フランスを軍事援助し、中国と対立を深め、反共産主義勢力を封じ込めることを主張し、インドシナ戦争へと拡大させている。
写真(右):1950年9月15日、朝鮮半島、ソウル近郊を視察する司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:李承晩の軍事的能力だけでなく、戦闘士気も不足していると判断したアメリカは、韓国の軍事情勢を打開するために、増派して大規模軍を組織し、その指揮権をアメリカの軍人に委ねることを考慮し始めた。大韓民国(韓国)ソウル西20キロの仁川(インチョン)海岸へ「クロマイト作戦」(Operation Chromite)に従って、アメリカ軍を中核とする国連軍が上陸し、北朝鮮軍に大反攻を開始した。
General Douglas MacArthur and members of his staff
Keywords
Armed forces officers ; Korean War, 1950-1953
HST Keywords
Korean War - General File
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964
General Douglas MacArthur (seated) Commander in Chief, United Nations forces in Korea, and members of his staff view pre-landing bombardment and air strikes from the flag bridge of the U.S.S. Mt. McKinley in Korean waters off Inchon, as United Nations forces begin their offensive in that section. Left to right: Brigadier General Courtney Whitney, Chief, Government Section GHQ Scap; General MacArthur; Brigadier General E. K. Wright, Assistant Chief of Staff, G-3 Section, GHQ FEC; and Major General Edward M. Almond, CG X Corps.
Date(s)
September 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2007-431 引用。
オマール・ネルソン・ブラッドレー(Omar Nelson Bradley)大将は、1950年初めに、NATO軍事委員会初代委員長に就任し、朝鮮戦争勃発時には、アメリカ陸海空三軍の統合参謀本部議長で、9月に元帥に昇進し、朝鮮半島を韓国で統一して、北朝鮮側・共産主義者を排除する方針をハリー・トルーマン大統領と合意した。
1950年6月25日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、祖国統一を掲げて、北緯38度線を越境南下、大韓民国に攻撃を仕掛けた。これが朝鮮戦争である。韓国は、戦争準備を怠っていたため、北朝鮮軍の攻撃を受けて総崩れとなり、大統領の李承晩も、すぐにソウルを脱出した。李承晩は、ソウルにとどまることの政治的重要性を理解していたが、浮足立った部下たちは早急に撤退すべきと強く迫り、ソウルから大邱(テグ)に避難する特別列車を手配した。アメリカ大使館も同じことで、大使館員やその家族も含め、早期撤退が駐韓国アメリカ大使ムチオに強く進言された。ムチオ大使は、自分はぎりぎりまで残ると意を決したが、家族たちのソウル脱出は認め、特別機による空路の脱出も手配し、ノルウェー貨物船にアメリカ人を便乗させてもらい600人以上を退避させた。アメリカ大使に幸いだったことは、自分より先に6月27日には、李承晩が特別列車で韓国南部に脱出しており、ソウルの韓国政府機能が喪失、アメリカ大使がとどまる理由はなくなっていた。の大邱(テグ)に到着していたことだった。李承晩が1日早くソウル脱出したため、駐韓国アメリカ大使ムッチオは、卑怯者の誹りを免れた。
1950年6月27日、北朝鮮の韓国侵攻の2日目の朝4時、韓国大統領李承晩は、自動車でソウル駅に向かい、8時発の特別列車で韓国南部の大邱(テグ)に乗車した。そして、特別列車は6月27日11時40分に大邱(テグ)に到着した。李承晩は、情報判断の過ちだったことを認め、ソウル脱出を後悔した。そこで、列車を北に引き返させ、水原(スイウォン)に戻るつもりだった。戻り特別列車が大田(テジョン)に到着した時、李承晩は、ソウル陥落を知らされたが、同時に国際連合が北朝鮮の韓国侵攻を非難し、アメリカ大統領トルーマンが直ちに軍事援助するとの報告を得たため、大田を臨時首都とし徹底抗戦することを決めた。
北朝鮮軍の攻撃後、ソウル近郊にあった韓国軍も住民も、韓国政府の浮足立った行動、すなわち大統領のソウル脱出、韓国政府の早期移転を悟った。そして、北朝鮮軍のソウル侵入のデマも広まり、韓国軍とソウル市民を混乱させた。他方、北朝鮮軍は戦車や戦闘機も投入して、ソウルに進軍し、韓国市民に抵抗をしないように呼び掛けるビラをまいた。こうして、ただでさえ弱体な韓国軍の士気は低下し、北野侵攻3日後、6月28日にはソウル陥落が明らかになった。
6月28日、ムッチオ大使は、ソウル郊外金浦空港から輸送機に乗って大邱に飛び、李承晩にアメリカは韓国を全面的に援助し、アメリカの海軍、空軍が、38度線を越境する北朝鮮軍の補給を断ち切るだろうと請け合った。そして、密かに、日本に司令部を置くマッカーサー司令官が明日6月29日、ソウル南の水原を訪問するので、李承晩大統領に出迎えてほしいと要請した。
1950年6月25日(国連本部の置かれたアメリカ24日)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が大韓民国に軍事侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。当時、国際(United Nations)は、中国の国連代表を蒋介石率いる中華民国としており、毛沢東率いる中華人民共和国を承認していなかったため、ソビエト連邦の代表は、蒋介石を排除、正当な毛沢東の中国を加盟させるべきであると主張して、全ての国連会議をボイコットしていた。そこで、6月25日のソ連が欠席したままの国際連合安全保障理事会で、アメリカの提議で、北朝鮮による韓国へ武力侵入の即時停止を求めた国際連合安全保障理事会決議82(UN Security Council Resolution 82)を議決した。トルーマン大統領は、韓国政府からの要請を受けて、1950年6月27日に38度線以南の韓国への軍事介入を決定しており、その意向を背景に、6月27日、国際連合安全保障理事会決議83(UNSCR 83)によって、北朝鮮の侵略を終わらせるための韓国への軍事援助が国際的に承認された。続いて、7月7日、国際連合安全保障理事会決議84によって、北朝鮮の撤退を共用できるアメリカが指揮を執る国連軍(多国籍軍)の編成が決まった。
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は、1950年6月29日には、日本駐留アメリカ空軍(1947年陸海軍から独立)B-29重爆撃機スーパーフォートレスによって、ソウル郊外の金浦(キンポ)空港、ソウル中央駅を空爆するよう命じていた。その上で、マッカーサー(MacArthur)元帥は、1950年6月29日の同日、司令部のあった東京の羽田空港からり専用機VC-54四発輸送機「バターン」に搭乗し、ノースアメリカンP-51ムスタング戦闘機に護衛されて、韓国のソウル南、水原(スウォン)飛行場に到着した。ここは、当日朝、北朝鮮軍のソ連製ヤク戦闘機に空襲され、輸送機2機が破壊、炎上していた。
1950年6月29日、水原(スウォン)に飛来したダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は、車で15分、水原(スウォン)にある農業大学に置かれたチャーチ准将の臨時司令部で、韓国軍参謀総長蔡(チェ)将軍からも戦況と戦闘方針を説明を受けた。それから北朝鮮軍と戦う韓国軍を視察するといって、マッカーサー一行は、アメリカ製セダン、ジープ数台に便乗して、ソウル近郊、漢江(ハンガン)近くにまで視察に出た。ソウルが炎上する様子、退却する韓国軍歩兵の隊列を見た。それを見て、アメリカ海空軍による北朝鮮軍攻撃では攻勢を食い止められない、地上軍を派兵して韓国軍を援助すべきと考えた。そして、漢江沿いで防衛陣地を張っている韓国第7師団参謀長金鍾甲(キム・ジョンカプ:김종갑;1922-1996)将軍を訪問し、「いつ撤退するのか」と尋ねた。「転貸しません。命令がない限り。最後の一兵まで断固戦うつもりです」まさにこの言葉を聞くためにマッカーサーは、戦況視察に前線に出たのである。
そして、水原(スウォン)に戻り、農業大学のチャーチ准将の臨時司令部で李承晩大統領とムッチオ大使とも話した。2人は別々に単発2人乗りのスチソン(Stinson)L-5センチネル(Sentinel)小型機で大田から水原に飛んできたのである。李承晩は、アメリカ留学時代にマッカーサーが陸軍省に勤務していた時期にあったこともあり、英語も堪能であったから、二人は1時間も内密に協議した。マッカーサーは、韓国を支援するためにできるだけのことをすると約束したが、これはマッカーサーが自ら再び戦争将軍の大役を務めあげる意気込みを表している。そのマッカーサーですら、文官の2人が大田から危険を冒して最高速力200?/hという低速機スチソン(Stinson)L-5センチネル(Sentinel)に乗って飛来したことに驚き、帰還するときは、ビーチクラフト(Beechcraft)双発輸送機を手配させた。しかし、水原飛行場を離陸直前に、北朝鮮軍のヤク戦闘機に飛行場を空襲され、慌てて飛行機を降りて近くの水田に退避する一幕があった。李承晩は、早まってソウルを逃げ出した臆病者とされるが、危機に飛び込む勇気は持ち合わせていた。飛行機被害を恐れたムッチオ大使は、空路ではなく、水原飛行場から脱出したアメリカ人が乗り捨てていた自動車で、陸路、大田(テジョン)に帰還することを提案した。
1950年6月29日、韓国を訪問したマッカーサー司令官は、危険な場所にとどまることをせず、即日、ソウル南の水原(スウォン)から、ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)に搭乗して、日本に帰還した。専用機個室で、ソ連製兵器で武装した北朝鮮軍の猛攻撃を受けて、韓国軍は敗走中であり、地上軍の増援が不可欠と考え、大規模な軍事介入を決意したのであろう。1950年6月29日22時15分、バターンは羽田に着いた。アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、 このような朝鮮戦争への本格的介入が中国・ソ連を巻きこむ第二次世界大戦のような大戦争に拡大する危機感を覚えていたが、ジョージ・ケナンのようなソ連通は、世界大戦のリスクを冒してソ連は参戦せず、代理戦争を支援するだけであると楽観視していた。そして、トルーマンもアメリカ軍の統合参謀本部その解釈を受け入れ、朝鮮戦争に対するアメリカ軍の大規模な軍事介入を進めるマッカーサー将軍に引きずられることになった。
写真(右):1950年9月17日、朝鮮半島仁川(インチョン)上陸作戦を指揮した揚陸指揮艦「マウント・マッキンリー」(USS. Mount McKinley):排水量1万2000tの上陸作戦用の指揮艦艇で、大韓民国(韓国)ソウル西20キロの仁川(インチョン)海岸へ「クロマイト作戦」(Operation Chromite)を主導し、アメリカ軍を中核とする国連軍の上陸、反攻に転じた。
The U. S. S. Mount McKinley during the Korean War
Keywords
Korean War, 1950-1953 ; Ships
HST Keywords
Korean War - General File; MacArthur, Douglas - Ref. to; Ships - U. S. S. Mount McKinley
The U. S. S. Mount McKinley, flagship of General Douglas MacArthur, enroute to Wolmi Do Island during Korean War.
Date(s)
September 17, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2007-691引用。
日本占領を担った連合国最高司令官総司令部(General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers, GHQ/SCAP)とは、日本のポツダム宣言受諾を受けて、1945年8月14日、アメリカ大統領ハリートルーマンは、アメリカ太平洋陸軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥を、連合軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers: SCAP)に任命した。そして、1945年9月2日調印の降伏文書に基づき、この連合国最高司令官が日本政府・日本軍を管理することとなり、194510月2日、ダグラス・マッカーサー元帥の布告した一般命令第一号によって、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が設置された。
写真(右):1950年9月17日、朝鮮半島仁川(インチョン)上陸作戦を指揮した揚陸指揮艦「マウント・マッキンリー」(USS. Mount McKinley):排水量1万2000tの上陸作戦用の指揮艦艇で、大韓民国(韓国)ソウル西20キロの仁川(インチョン)に、アメリカ軍を中核とする国連軍の上陸を成功させ、北朝鮮軍に対する大反攻に導き、中国国境付近まで共産軍を追い詰めた。
The U. S. S. Mount McKinley during the Korean War
Keywords
Korean War, 1950-1953 ; Ships
HST Keywords
Korean War - General File; MacArthur, Douglas - Ref. to; Ships - U. S. S. Mount McKinley
Sideview of the U.S.S. Mount McKinley, flagship of General Douglas MacArthur, enroute to Wolmi Do Island during Korean War.
Date(s)
September 17, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2007-690引用。
アメリカ大統領トルーマンは、1950年6月28日の午後、朝鮮戦争でソウルが陥落した時期、「平和建設の大事業を守る楯」となるような韓国に対する援助を実施すると表明した。この時には、僅かではあったが、アメリカ空軍機がソウル周辺の北朝鮮軍への地上襲撃を始めていた。その後、フランス、カナダ、フィリピン、米州機構もアメリカの措置を即座に指示し、大使はトルーマンを称賛した。
写真(右):1950年9月15日(アメリカ時間)、朝鮮半島仁川(インチョン)沖、揚陸指揮艦「マウント・マッキンリー」(排水量1万2000t)艦橋上の連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:大韓民国(韓国)ソウル西20キロの仁川(インチョン)河口へ「クロマイト作戦」(Operation Chromite)に従って、アメリカ軍を中核とする国連軍が上陸し、北朝鮮軍に大反攻を開始した。この写真は、アメリカ第7艦隊旗艦オレゴン級重巡洋艦3番艦「ロチェスター」(USS Rochester, CA-124)ではない。
General Douglas MacArthur and members of his staff during Korean War
Keywords
Armed forces officers ; Generals ; Korean War, 1950-1953 ; Ships
HST Keywords
Korean War - General File
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Whitney, Courtney ; Almond, Edward M. (Edward Mallory), 1892-1979 ; Wright, Edwin K. (Edwin Kennedy), 1898-1983
General Douglas MacArthur (seated) Commander in Chief, United Nations forces in Korea, and members of his staff view pre-landing bombardment and air strikes from the flag bridge of the U.S.S. Mt. McKinley in Korean waters off Inchon, as United Nations forces begin their offensive in that section. Left to right: Brigadier General Courtney Whitney, Chief, Government Section GHQ Scap; General MacArthur; Brigadier General E. K. Wright, Assistant Chief of Staff, G-3 Section, GHQ FEC; and Major General Edward M. Almond, CG X Corps.
Date(s)
September 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2007-448引用。
写真(右):1950年9月17日、朝鮮半島中部、アメリカ海兵隊の前線視察をする司令官グラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:大韓民国(韓国)ソウル西20キロの仁川(インチョン)河口へ「クロマイト作戦」(Operation Chromite)に従って、アメリカ軍を中核とする国連軍が上陸し、北朝鮮軍に大反攻を開始した。
Keywords
Armed forces officers ; Generals ; Korean War, 1950-1953
HST Keywords
Korean War - General File
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Struble, Arthur D. (Arthur Dewey), 1894-1983 ; Puller, L. G. ; Smith, Oliver Prince, 1893-1977 .
Colonel L. B. Puller, First Marine Division; General of the Army Douglas MacArthur, Commander in Chief United Mations Forces in Korea; Major General O. P. Smith, CG First Marine Division; and Vice Admiral Arthur D. Struble, Commander Joint Task Force Seven, accompanied by staff officers and newsmen, observe action from a hill overlooking the 1st Marine Regimental front.
Date(s)
September 17, 1950.
写真はHarry S. Truman Library & Museum Accession Number: 2007-449 引用。
写真(右):1950年9月29日、韓国、朝鮮戦争下、奪還後のソウル、大韓民国大統領ソウル帰還祝賀会、スピーチを聞く連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥、大韓民国大統領の李承晩(り しょうばん:イ・スンマン:이승만)、李承晩夫人、国防大臣申性模(シン・ソンモ:신성모):大韓民国の成立直後、1948年に自由主義的・社会主義的な民衆活動を抑圧するために、反民族活動禁止法、国家保安法を制定し、これを援用して反政府活動の一環とみなして反李承晩、親北朝鮮派を排除した。しかし、李承晩大統領は、1950年6月に朝鮮戦争勃発直後にソウルを脱出、プサンに逃げ出した。9月の国連軍の仁川上陸でソウルが奪還されたために、ソウルに帰還することができた。
Ceremony returning Seoul to President Syngman Rhee
HST Keywords
Korean War - General File; MacArthur, Douglas - Korea (in); Rhee, Syngman; Rhee, Mrs. Syngman; Sung-Mo, Shin
At the ceremony officially returning Seoul to President Syngman Rhee and re-establishing Seoul as the capital of the Republic of Korea, (sitting on platform left to right) General Douglas MacArthur, President Syngman Rhee, Mrs. Rhee, and Defense Minister Shin Sung-Mo.
Date(s)
September 29, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 66-4710 引用。
写真(右):1950年9月29日、韓国、大韓民国大統領ソウル帰還祝賀会、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥のスピーチを聞く大韓民国初代大統領の李承晩、李承晩夫人、国防大臣申性模:1948年8月15日、大韓民国樹立に伴い初代大統領に就任した李承晩大統領は、1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると即座にソウルを脱出し、プサンに避難した。その後、9月にマッカーサー率いる国連軍が仁川に上陸し、北朝鮮軍からソウルを奪還し、9月下旬にソウルに帰還することができた。
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Ceremony returning Seoul to President Syngman Rhee
HST Keywords
Korean War - General File; MacArthur, Douglas - Korea (in); Rhee, Syngman; Rhee, Mrs. Syngman; Sung-Mo, Shin
At the ceremony officially returning Seoul to President Syngman Rhee and re-establishing Seoul as the capital of the Republic of Korea, (sitting on platform left to right) General Douglas MacArthur, President Syngman Rhee, Mrs. Rhee, and Defense Minister Shin Sung-Mo.
Date(s)
September 29, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 66-4711 引用。
1950年7月、国際連合安全保障理事会で国連軍が設置され、ダグラス・マッカーサー元帥が国連軍司令官に就任した。これに伴って、李承晩(Syngman Rhee)の下にあった韓国軍の指揮権も国連軍司令官ダグラス・マッカーサー元帥に譲渡された。1950年9月15日、マッカーサー司令官は仁川海岸に大規模な国連軍を上陸させ、犯行を開始した。2週間で国連軍はソウルを奪還し、北朝鮮軍を38度線以北に追い出した。9月29日、李承晩はソウルに帰還した。
写真(上):1950年、アメリカ上空を飛行するハリー・トルーマン大統領の2代目専用輸送ダグラス(Douglas)VC-118輸送機'Independence' :1947年初飛行、与圧式キャビンのダグラスDC-6ライフマスター(Liftmaster)四発輸送機を流用した大統領専用機。胴体はブルーのラインで鷲の頭部が描かれ、機首が鷲の嘴、操縦室のガラス窓が鷲の目に当たる。
Description
Faded color photograph of the Independence in flight; photograph shows the entire plane with a city below.
Related Collection
Francis W. Williams Papers
Keywords
Aerial photographs ; Presidential aircraft
HST Keywords
Airplane - Independence
Photograph of the presidential plane Independence in flight. The date and location are unknown, although the plane is flying over water and the coastline is visible.
Date(s)
ca.
1947
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2003-103 およびWikimedia Commons, Category:Douglas VC-118 Independence File:Douglas VC-118 Independence in flight c1947.jpg引用。
3. 1950年9月、朝鮮戦争でマッカーサー元帥が仁川上陸作戦を成功させた直後、10月15日、アメリカ大統領トルーマンは、太平洋上、ウェーキ島にマッカーサーを呼び寄せ、殊勲勲章を授与し、朝鮮戦争の方針に合意した。この時は、国連軍の勝利を予測していた二人は、10月末に、中国人民志願軍(義勇軍)が北朝鮮側に立って参戦すると、二人の間に戦略的対立が生じてくる。
写真(右):1950年10月13日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ホノルルの真珠湾将校クラブ(Pearl Harbor Officer's Club)に到着した自動車後席に座したアメリカ大統領ハリー・トルーマンと将校:将校クラブでゆっくりしてから、ヒッカム基地(Hickam Field)に戻り、そこからウェーク島に飛んで、日本からきているマッカーサー将軍との会談に臨む。
President Harry S. Truman and Admiral Arthur Radford in Backseat of Car
Keywords
Automobiles ; Naval officers ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Other - Presidential
People Pictured
Radford, Arthur William, 1896-1973 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman (left) and Admiral Arthur Radford (right) arrive at the Pearl Harbor Officer's Club in Hawaii. President Truman is in Hawaii en route to Wake Island to meet with General Douglas MacArthur regarding the progress of the Korean War. Others in the background are unidentified.
Date(s)
October 13, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2015-2285引用。
ヒッカム基地(Hickam Field)は、オアフ島真珠湾口にある基地で、ホノルル飛行場、現在のダニエル・イノウエ国際空港の西隣に位置する。他方、真珠湾に浮かぶフォード島は、1941年12月の日本海軍のハワイ攻撃に際して、主な攻撃対象施設となった飛行場・基地があった。ここは、真珠湾に浮かぶ小島で、平坦なために全島が飛行滑走路・格納庫を備えた航空基地だったのである。しかし、大型航空機機・ジェット機が増え、長い滑走路が必要となった1940年代末には、手狭になり、飛行場としては使われなくなった。現在は、アリゾナ記念館、海軍基地として利用されている。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月13日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ハワイ諸島オアフ島真珠湾口のヒッカム基地(Hickam Field)、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)大統領専用機を背景に、現地将兵を閲兵してアメリカ大統領ハリー・トルーマン:濃い色のスーツを着たハリー・トルーマンは、飛行機給油・整備の後、マッカーサーとの会談のために、ウェーク島に飛ぶ。大統領はFDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
President Harry S. Truman inspects the honor guard at Hickam Field, Hawaii
Keywords
Armed forces officers ; Military bases ; Naval officers ; Presidents
HST Keywords
Hawaii; Military Bases - Hickam Air Force Base - Hawaii; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972
At Hickam Air Force Base, Hawaii, President Harry S. Truman inspects the honor guard and shakes hands with generals and flag officers on duty in the Hawaiian area. The President is on a stopover on his way to Wake Island to meet with General MacArthur. (See also Album 98-1151 - Oct. 11-18, 1950.) From: The Album - A Memento of the Visit of the President of the United States - Pearl Harbor, Hawaii, 13 October to 16, October, 1950
Date(s)
October 13, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2008-392引用。
写真(右):1950年10月13日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島真珠湾口のヒッカム基地(Hickam Field)からボートに乗ったハリー・トルーマン大統領一行:真珠湾将校クラブ(Pearl Harbor Officer's Club)は、現在、ホノルル郊外パールシティにあり、ヒッカム基地すぐ近くなはずだが、戦跡巡りに真珠湾をボートで回ったのであろうか。
President Harry S. Truman and others aboard a boat at Pearl Harbor, Hawaii
Keywords
Boats and boating ; Presidential trips ; Presidents ; Shipyards
HST Keywords
Hawaii - Pearl Harbor Naval Station; Military Bases - Pearl Harbor Naval Station, Hawaii; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island - Ref. to
Sailors cast off a motor launch as President Harry S. Truman and others on board prepare to depart for a tour of the Pearl Harbor Naval Station. The President landed at Hickam Field, Hawaii, for a stopover on his way to Wake Island to meet with General MacArthur. (Same as 98-1160). From: The Album - A memento of the visit of the President of the United States - Pearl Harbor, Hawaii, 13 October to 16 October, 1950
Date(s)
October 13, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2008-394引用。
真珠湾将校クラブ(Pearl Harbor Officer's Club)は、オアフ島真珠湾口のヒッカム基地に隣接して設けられている。1964年には、国立歴史記念碑(National Historic Landmark)に指定され、真珠湾海軍基地(Pearl Harbor Naval Base)の一部として保存されている。ここは、アメリカ人にとって、1941年12月7日、日本による宣戦布告なしの騙し討ち、真珠湾奇襲攻撃を受けた場所、9.11同時テロと同様の不利人な攻撃を受けた場所であり、アメリカ人に正義の戦争を決意させた場所として記録されているのである。
写真(右):1950年10月13日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島ホノルルの真珠湾将校クラブ(Pearl Harbor Officer's Club)に到着した自動車後席にに座したアメリカ大統領ハリー・トルーマンと将校:将校クラブでゆっくりしてから、ヒッカム基地(Hickam Field)に戻り、そこからウェーク島に飛んで、日本からきているマッカーサー将軍との会談に臨む。
President Harry S. Truman and Admiral Arthur Radford in Backseat of Car
Keywords
Automobiles ; Naval officers ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Other - Presidential
People Pictured
Radford, Arthur William, 1896-1973 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman (left) and Admiral Arthur Radford (right) arrive at the Pearl Harbor Officer's Club in Hawaii. President Truman is in Hawaii en route to Wake Island to meet with General Douglas MacArthur regarding the progress of the Korean War. Others in the background are unidentified.
Date(s)
October 13, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2015-2285引用。
写真(右):1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマン:午後遅くなってにぐれに到着したトルーマンは、濃い色のスーツを着ている。マッカーサーは一足先に、三枚垂直尾翼のロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)に搭乗して日本からウェーク島に到着していた。日本に帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。ハリー・トルーマンは、FDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
President Harry S. Truman steps off the Independence after landing on Wake Island
Keywords
Armed forces officers ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Airplanes - Independence; MacArthur, General Douglas - Ref. to; Truman - Trips - Wake Island; Wake Island - Truman
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman disembarks from the presidential plane, The Independence, after arriving at Wake Island for a historic conference with General Douglas MacArthur on Communist aggression in the Far East and restoration of peace in war-torn Korea. Others in the photo are unidentified. From: Gordon B. Cone.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2006-270引用。
1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、大韓民国(韓国)に武力侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。アメリカは、1938年のミュンヘン会談の失敗を想起し、韓国を軍事援助するために、すぐに朝鮮半島に派遣することを決めた。そして、国際連合安全保障理事会で、ソ連が欠席している最中に、国際平和を守るために、に国連軍の創設と朝鮮半島派兵を決めた。こうして、国連軍が朝鮮半島へ派遣され、韓国側に立って朝鮮戦争を戦うというアメリカによる軍事介入が正当化された。トルーマン大統領は、韓国を防衛するために、国連軍としてアメリカの陸海空軍を大規模に派兵し、侵略国の北朝鮮を攻撃することになった。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンとGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥とが、自動車の後部座席に座って会談場所に移動中、話し合っている。:
The meeting of General Douglas MacArthur and President Truman at Wake Island
HST Keywords
Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
Meeting of General Douglas MacArthur and President Harry S. Truman (left) at Wake Island. The General told President Truman there was little danger of Chinese attack here. This is an 11 x 14 photo of this historic meeting. .
Date(s)
October 15(→14), 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 97-2199引用。
ハリー・S.トルーマン大統領は、第二次世界大戦末期、ポツダム会談でスターリンの野心を感じ取り、東ヨーロッパにソ連が領土を拡張しようとしていることを警戒した。前大統領のルーズベルトが、戦後世界に米ソ協調が重要な役割を果たすと考え、スターリンと上手に付き合っていたのとは対照的に、トルーマンはスターリンの野心を野放しにはしなかった。これは、トルーマン政権が、バーンズ国務長官の支持を得て、対ソビエト連強硬路線を採用したことを意味する。
しかし、1950年6月、それまでの東西冷戦が、熱い朝鮮戦争に発展した時、トルーマンは、共産主義の攻撃的性格が戦争を引き起こしたと考えたものの、その本拠地となる中国やソビエト連邦を攻撃することは、第三次世界大戦に結び付くのであって、避けるべきことであると考えた。マッカーサーへの軍事援助は当然だったが、アジア全域への戦争拡大ではなく、朝鮮半島の韓国による統一を目指していたのであろう。その範囲であれば、マッカーサー元帥率いる国連軍の攻勢を援助していたが、それが中国本土の爆撃や、国境を越えての中国侵攻となると、トルーマンは慎重な姿勢を見せるようになった。
写真(右):1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンを出迎えるGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:マッカーサーは一足先に、ロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”に搭乗して日本からウェーク島に到着していた。日本に帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。ハリー・トルーマンは、FDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
Wake Island meeting with Truman and MacArthur
HST Keywords
Korean War - General File; Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman and General Douglas MacArthur meet for the first time at Wake Island.
Date(s)
October 15(→14), 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2007-722引用。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンを出迎えるGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:マッカーサーは一足先に、ロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”に搭乗して日本からウェーク島に到着していた。日本に帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。ハリー・トルーマンは、FDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
President Truman and General MacArthur
HST Keywords
Truman - Dignitaries - Military; MacArthur, Douglas - Truman with; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island; Korean War - Wake Island Meeting
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman and General Douglas MacArthur held a shirt-sleeve conference at Wake Island on Communist aggression in the Far East, the Korean War, and world peace. In this photo, the two meet face to face for the first time.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 69-1199引用。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンを出迎えるGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:マッカーサーの乗機は、1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)を原型とするロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)である。マッカーサーは、大統領より一足先に日本からウェーク島に到着していた。日本に帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。ハリー・トルーマンは、FDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
Former President Harry S. Truman shakes hands with General Douglas MacArthur on Wake Island
Keywords
Armed forces officers ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island; Wake Island - Truman and MacAthur; MacArthur, General Douglas; Truman - Dignitaries - Military - MacArthur, General Douglas
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman (left)shakes hands with General Douglas MacArthur after stepping off the presidential plane, The Independence, onto Wake Island for a historic conference on Communist aggression in the Far East and restoration of peace in war-torn Korea. Other in the photo are unidentified. From: Gordon B. Cone.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2006-273引用。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンを出迎えるGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥、右端に控えているのは主席報道官チャールズ・ロス(Charles Griffith Ross):チャールズ・グリフィス・ロスは、ハリー・S.トルーマン大統領の在任中、1945年から1950年まで、ホワイトハウスの報道官を務めた 。
Former President Harry S. Truman shakes hands with General Douglas MacArthur on Wake Island
Keywords
Armed forces officers ; Presidential aircraft ; Presidential press secretaries ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island; Wake Island - Truman and MacAthur; MacArthur, General Douglas; Truman - Dignitaries - Military - MacArthur, General Douglas
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman chats with General Douglas MacArthur after stepping off the presidential plane, The Independence, at Wake Island for a historic conference on Communist aggression in the Far East and restoration of peace in war-torn Korea. On the left is Charles Ross, the President's Press Secretary. From: Gordon B. Cone
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2006-275引用。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンとGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥とが、自動車の後席に乗って会談場所になる兵舎に移動している。周囲は、大統領警護担当のシークレットサービス。:ハリー・S.トルーマン大統領は、東西冷戦が、熱い挑戦戦争となったのは、共産主義の攻撃的性格によると考えたが、その本拠地となる中国やソビエト連邦を攻撃することは、第三次世界大戦に結び付くのであって、避けるべきことであると考えた。
President Harry S. Truman and General Douglas MacArthur leave the airstrip on Wake Island in an automobile
Keywords
Armed forces officers ; Presidential aircraft ; Presidential press secretaries ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island; Truman - Dignitaries - Military - MacArthur, General Douglas; Wake Island
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; MacArthur, Douglas, 1880-1964
Escorted by Secret Servicemen, President Harry S. Truman and Douglas MacArthur ride in the back seat of an automobile as they leave the airstrip on Wake Island for a small building where they will hold a historic conference on Communist aggression in the Far East and restoration of peace in war-torn Korea. From: Gordon B. Cone.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2006-276引用。
二人の会談場所となったウェーク島は、ハワイ諸島ホノルルから2300マイル、東京から2000マイルの太平洋上にあり、トルーマン大統領は、このままマッカーサーが進軍を続ければ、中国が軍事介入してくると危惧していた。(これは、トルーマンの危惧した通りになる。)しかし、それまでマッカーサーと個人的に話し合ったことはなく、仁川上陸作戦を成功させ上機嫌のマッカーサーを叙勲しつつ、朝鮮戦争の周辺アジア地域への拡大を抑制するように働きかけようとした。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンとGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥とが、自動車の後部座席に座って会談場所に移動中、話し合っている。:ハリー・S.トルーマン大統領は、東西冷戦が、熱い朝鮮戦争となったのは、共産主義の攻撃的性格によると考えた。
President Harry S. Truman and General Douglas MacArthur leave the airstrip on Wake Island in an automobile
HST Keywords
Automobiles - Truman In; Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas; Truman - Trips - Wake Island - 1950
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island; Truman - Dignitaries - Military - MacArthur, General Douglas; Wake Island
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; MacArthur, Douglas, 1880-1964
President Harry S. Truman with General Douglas MacArthur, taken through the rear window of a car while the two were meeting at Wake Island. .
Date(s)
October 15(→14), 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 77-1416引用。
1950年10月11日、トルーマン大統領は、大統領専用機(2代目)ダグラス(Douglas)VC-118輸送機'Independence'に、スタッフとともに搭乗した。そして、随伴したボーイング 377 ストラトクルーザー(Boeing 377 Stratocruiser)には18名の報道記者が乗っていた。そして、翌10月12日、ロッキード(Lockheed)C121コンステレーション「ディユドロップ」"Dewdrop"に搭乗したアメリカ軍統合参謀本部議長オマール・ネルソン・ブラッドレー(Omar Nelson Bradley)元帥、アメリカ陸軍長官フランク・ピース
(Frank Pace)、特命全権大使(Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary)ウィリアム・アヴェレル・ハリマン(William Averell Harriman)、特使フィリップ・ジェスプ(Philip Jessup )らが後を追った。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、ウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンとGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥とが、自動車の後部座席に座って会談場所に移動中、話し合っている。:ハリー・S.トルーマン大統領は、中国やソビエト連邦を攻撃することは、第三次世界大戦に結び付くのであって、避けるべきことであると考えた。
President Harry S. Truman at Wake Island
Related Collection
E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Armed forces officers ; Automobiles ; Generals ; Korean War, 1950-1953 ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman (left) with General Douglas MacArthur (left) in the back of an automobile at Wake Island.
Date(s)
October 15(→14), 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-338引用。
1950年10月11日、ワシントンDCを発ったトルーマン大統領のダグラス(Douglas)VC-118輸送機'Independence'大統領専用機は、同日夕方、ミズーリ州サントスルスに到着し、ここでトルーマンは61歳の姉メリーにあっている。翌日、カリフォルニア州フェアフィールド空軍基地に飛び、1日遅れでロッキード(Lockheed)C121コンステレーション「ディユドロップ」"Dewdrop"で出立したスタッフと合同した。この時は、フェアフィールド基地の軍病院を訪問し、治療を受けていた朝鮮戦争の傷病兵を慰問している。そして、10月13日午前8時に、ハワイ諸島オアフ島ホノルル郊外のヒッカム基地に到着した。ホノルルでは真珠湾を訪問、海水浴にも出かけ、晩餐を摂った。そして、大統領一行は、13日の金曜日の深夜にウェーク島に向けて飛び立った。
写真(右):1950年10月15日、ウェーク島、ウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンのスタッフとGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥のとを会談場所の兵舎に運ぶ自動車:飛行場は広いので、後部座席にのって移動しているが、この日のために自動車のフェンダーにはアメリカ国旗「星条旗」が取り付けられている。
Wake Island Airfield
Related Collection
E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Armed forces officers ; Automobiles ; Korean War, 1950-1953 ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
The airfield in Wake Island, where President Harry S. Truman traveled to confer with General Douglas MacArthur. All individuals are unidentified.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-338引用。
マッカーサーは、ウェーク島での会談に、ローレンス・ブンカー(Laurence Bunker)大佐、駐韓国アメリカ大使ジョン・ジョセフ・ムチオ(John Joseph Muccio)、ウィト二―将軍を同行させ、ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)で飛び立った。マッカーサーが、ウェーク島に着いたのは、1950年10月14日夕方である。トルーマン大統領一行が到着するのは、10月15日午前中なので、それより1日早かった。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月15日、ウェーク島、ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)輸送機2機が縦列駐機しているが、1機は日本からきたダグラス・マッカーサー司令官の専用乗機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)、もう1機はアメリカから来たアメリカ軍統合参謀本部議長(初代)オマール・ネルソン・ブラッドレー(Omar Nelson Bradley)元帥などトルーマン大統領の幕僚・顧問を運んだ機体:三枚の垂直尾翼があるロッキードC-121コンステレーション輸送機は、1947年3月初飛行。ハリー・トルーマン大統領専用機は、ダグラスDC-6スカイマスターである。飛行場からマッカーサーとトルーマンを会談場所の兵舎に運んだ時には、自動車のバンパーにアメリカ国旗「星条旗」を取り付けていたが、乗車していない状態では、国旗は取り去っている。
President Harry S. Truman at Wake Island
Related Collection
E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Armed forces officers ; Automobiles ; Korean War, 1950-1953 ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
The presidential car carrying President Harry S. Truman (backseat, left) and General Douglas MacArthur (backseat, right) during Truman's trip to Wake Island. All other individuals are unidentified.
Date(s)
October 15(→14), 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-340引用。
GHQ/SCAP司令官のマッカーサー元帥の専用機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan'には、SCAPと記入されていたが、これは連合軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers)の意味である。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月14日、ウェーク島、四発輸送機に搭乗してウェーク島に到着したアメリカ大統領ハリー・トルーマンとマッカーサー元帥は、ウェーク島の兵舎で会談し朝鮮戦争の前途を話し合った。:午後遅くなってにぐれに到着したトルーマンは、濃い色のスーツを着ている。マッカーサーは一足先に、ロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”に搭乗して日本からウェーク島に到着していた。日本に帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。ハリー・トルーマンは、FDRから引き継いだダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を当初専用機としていたが、新型機の登場によって、専用機も同じダグラス社の1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)に更新している。
President Harry S. Truman steps off the Independence after landing on Wake Island
Keywords
Armed forces officers ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Airplanes - Independence; MacArthur, General Douglas - Ref. to; Truman - Trips - Wake Island; Wake Island - Truman
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman disembarks from the presidential plane, The Independence, after arriving at Wake Island for a historic conference with General Douglas MacArthur on Communist aggression in the Far East and restoration of peace in war-torn Korea. Others in the photo are unidentified. From: Gordon B. Cone.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2006-216引用。
1950年10月、アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、ダグラス・マッカーサー元帥と朝鮮戦争について話し合うために、日本とハワイの中間にあたるウェーク島で、ダグラス(Douglas)DC-6四発輸送機を大統領専用機に改造型したVC-118 「インディペンデンス」"The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)に乗り込んだ。他方、日本にいたダグラス・マッカーサー元帥は、東京からウェーク島に新型のロッキード・コンステレーション四発輸送機「バターン」で向かった。
写真(右):1950年10月14日、ウェーク島、ダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)四発輸送機に搭乗してウェーク島から帰国するアメリカ大統領ハリー・トルーマンを見送るダグラス・マッカーサー元帥:マッカーサーは一足遅れて、後方に駐機しているロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)に搭乗して、ウェーク島から日本の東京に帰還することになる。帰還したマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境近くまで追い詰めたが、その時、中国義勇軍・紅軍の大規模介入を受けて、再び後退せざるを得なくなる。
President Truman Addressing the Crowd at Wake Island
Keywords
Armed forces officers ; Cabinet officers ; Korean War, 1950-1953 ; Naval officers ; Presidential press secretaries ; Presidential trips ; Presidents ; Soldiers
HST Keywords
Wake Island; Truman - Dignitaries - Military - Army; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Bradley, Omar Nelson, 1893-1981 ; MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Radford, Arthur William, 1896-1973 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950 ; Truman, Harry S., 1884-1972
From left to right, Press Secretary Charles Ross, General Douglas MacArthur (the back of his head), Admiral Arthur Radford, President Harry S. Truman, Secretary of the Army Frank Pace, Joint Chiefs of Staff Chairman General Omar Bradley at Wake Island. President Truman is presenting a citation to General MacArthur. Others in the background are unidentified.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 63-1149-3引用。
ダグラス・マッカーサー元帥専用機は、ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)で、三枚の垂直尾翼と曲線的ラインの胴体が独特である。このマッカーサー専用機は、1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)を改修したもので、トルーマン大統領の専用機DC-6スカイマスターよりも大型である。1950年10月15日のウェーク島のトルーマン大統領とマッカーサー将軍との会談には、韓国大使ジョン・ジョセフ・ムチオ(John Joseph Muccio)もウェーク島に来ているので、マッカーサー専用機コンステレーションに便乗したのであろう。後のアイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)大統領は、1954年からHarry ロッキード(Lockheed)VC-121E 「コロンバインIII」“Columbine III”を専用乗機としている。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月15日、ウェーク島、GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥に見送られて、ウェーク島に到着からアメリカ本土に帰国するアメリカ大統領ハリー・トルーマンと後方のマッカーサー専用輸送機ロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”:GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥は、上官の大統領の出立を待って、後方に駐機しているロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号:c/n2605)に搭乗して司令部のある日本、東京に帰還した。手前には動画撮影用機材が、木製三脚の上に取り付けられているが、すでにテレビ放送が施行されていたので、テレビ用と映画用に公開されたのであろう。
President Harry S. Truman with a Crowd at Wake Island
Keywords
Military aircraft ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972
Description
President Harry S. Truman (on left, wearing civilian hat) by airplane, preparing to leave Wake Island after conferring with General Douglas MacArthur. Others in the photo are not identified.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 63-1149-02引用。
ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)の改良型がロッキード(Lockheed) L-1049スーパーコンステレーション(Super Constellation)旅客輸送機で、この原型も1943年初飛行のロッキード・コンステレーション(Constellation)である。コンステレーションが登場した時期、戦時中であり、前年の1942年に初飛行したダグラスDC-4輸送機が生産されており、機体も高価だったために、コンステレーションは量産されなかった。しかし、日本本土空襲をしたボーイング(Boeing)B-29超空の要塞(Superfortress)と同じライト(Wright)R-3350デラックス・サイクロン(Duplex-Cyclone)空冷星形2200馬力4基を装備、巡航速力555 km/hを誇り、 乗客60-81名の与圧キャピン(高高度でも客室気圧は低地と同じ)が評価され、L-1049スーパーコンステレーションの生産機数は850機に達した。ロッキード・コンステレーション(Constellation)のうち1951年7月14日初飛行のL-1049スーパーコンステレーションは、民間259機、軍用320機と生産機数の大半を占めている。
写真(右):朝鮮戦争最中、1950年10月15日、ウェーク島、GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥に見送られて、ウェーク島に到着からアメリカ本土に帰国するアメリカ大統領ハリー・トルーマンと後方のマッカーサー専用輸送機ロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”:GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥は、上官の大統領の出立を待って、後方に駐機しているロッキード・コンステレーション輸送機「バターン」”Bataan”に搭乗して司令部のある日本、東京に帰還した。手前には動画撮影用機材が、木製三脚の上に取り付けられているが、すでにテレビ放送が施行されていたので、テレビ用と映画用に公開されたのであろう。
President Harry S. Truman Leaving Wake Island
Related Collection
Frank Pace, Jr. Papers
Keywords
Armed forces officers ; Cabinet officers ; Korean War, 1950-1953 ; Presidential advisors ; Presidential press secretaries ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Wake Island; Truman - Dignitaries - Military - Army; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; Harriman, W. Averell (William Averell), 1891-1986 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950
Description
President Harry S. Truman (near center, in civilian clothes) shakes hands with an unidentified armed forces officers and says goodbye to unidentified men before leaving Wake Island. President Truman traveled to Wake Island to confer with General Douglas MacArthur. Also present is Special Assistant to the President Averell Harriman (just behind and to the left of the President); Press Secretary Charles Ross (visible behind and to the right of Harriman); and Secretary of the Army Frank Pace (second man behind Ross). All others are unidentified.
Date(s)
October 14, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 63-1149-04引用。
ハリー・トルーマンは、FDRから大統領職を引き継いだ当初はダグラスVC-54C輸送機「セクリッド・カウ」”Sacred Cow”を専用機としていたが、1950年には新鋭機で与圧キャビンを装備したDC-6四発輸送機の改修型を新専用機として採用していた。トルーマンの専用機は、1945年の太平洋戦争末期の就任当初も、1950年の朝鮮戦争勃発時もダグラス社の開発した四発レシプロエンジン輸送機であり、ジェット機は使っていない。二代目の大統領専用機は、1947年初飛行のダグラス DC-6(Douglas DC-6)の特殊仕様である。
写真(右):1950年10月15日朝、ウェーク島、アメリカ大統領ハリー・トルーマンからアメリカ陸軍殊勲勲章を授与される直前のGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥と駐韓国大使ジョン・ジョセフ・ムチオ(John Joseph Muccio)(中央、白色スーツ):ジョセフ・ムチオは、1949年から1952年まで初代駐韓大使を務めた。
President Truman with General MacArthur and John Muccio
Keywords
Military ceremonies, honors, and salutes ; Presidential trips ; Presidents ; Soldiers
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Muccio, John J. (John Joseph), 1900-1989 ; Truman, Harry S., 1884-1972
Description
President Harry S. Truman (right) presenting the U. S. Medal of Merit to John J. Muccio (center), United States Ambassador to the Republic of Korea. General Douglas MacArthur is on the left.
Date(s)
October 14, 1950.
写真はHarry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 66-2417引用。
1949年の韓国独立から、朝鮮戦争終盤の1952年9月まで初代駐韓大使を務めたジョン・ジョセフ・ムチオ(John Joseph Muccio:1900-1989)は、朝鮮戦争勃発半年前の1950年1月、米韓相互防衛支援協定に基づいて、韓国に対してアメリカによる1000万ドルの軍事援助をすることを認め、1950年6月初旬、朝鮮戦争勃発直前に、アメリカ連邦議会」で、共産主義の攻撃が切迫していること、韓国への軍事援助早期拡大を求めた。1950年6月下旬、北朝鮮の韓国侵略で朝鮮戦争が勃発する。
写真(右):1950年10月15日朝、ウェーク島、アメリカ大統領ハリー・トルーマンからアメリカ陸軍殊勲勲章を授与される直前のGHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:奥には、1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121 コンステレーション(Super Constellation)四発輸送機を原型とした1948年製造マッカーサー専用機VC-121A「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n 2605)が見える。
President Truman pinning medal on General MacArthur
Keywords
Military ceremonies, honors, and salutes ; Presidential trips ; Presidents ; Soldiers
HST Keywords
Korean War - General file; Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; Harriman, W. Averell (William Averell), 1891-1986 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950
Description
At dawn on the morning of October 15th, President Harry S. Truman is met at Wake Island by Far East Commander General Douglas MacArthur.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 67-434引用。
1950年10月にGHQ司令官ダグラス・マッカーサー元帥が受賞したアメリカ軍殊勲勲章(Distinguished Service Medal)とは、1918年1月、第一次大戦中に創設されたアメリカ陸軍の最高位の軍事的勲章である。受賞者は、第一次大戦のアメリカ欧州遠征軍(American Expeditionary Force)司令官パーシング将軍(John J. Pershing)、アメリカ陸軍参謀総長(US Army Chief of Staff)ジョージ・マーシャル(George C. Marshall)将軍に次いでマッカーサー将軍が授与されている。その次の受賞者は、NATO軍最高司令官(NATO Supreme Allied Commander Europe)ドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)将軍将軍、統合参謀本部議長(Chairman of the Joint Chiefs of Staff)オマール・ブラッドレー(Omar N. Bradley)将軍と続く。
写真(右):1950年10月15日、ウェーク島、アメリカ大統領ハリー・トルーマンからアメリカ軍殊勲勲章を授与されるSCAP(Supreme Commander of the Allied Powers)ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:総司令部指揮官/連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、仁川上陸作戦を成功させ、アメリカ軍の威光を高め、アメリカ軍とアメリカ政府に対して非常に稀有な貢献をしたと認められ、十分に責任を果たしたと認められた。奥の白スーツは、初代駐韓国大使ジョン・ジョセフ・ムチオ(John Joseph Muccio)で、核国成立から1952年まで3年間大使を務めた。(
President Truman pinning medal on General MacArthur
Keywords
Military ceremonies, honors, and salutes ; Presidential trips ; Presidents ; Soldiers
HST Keywords
Korean War - General file; Truman - Dignitaries - Military - Army - MacArthur, Douglas; Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Truman, Harry S., 1884-1972
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; Harriman, W. Averell (William Averell), 1891-1986 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950
Description
President Harry S. Truman awards Distinguished Service Medal, Fourth Oak Leaf Cluster, to General Douglas McArthur during the Wake Island Conference.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 67-435引用。
連合国最高司令部(GHQ:
General Headquarters)司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥は、SCAP(Supreme Commander of the Allied Powers)、すなわし連合軍最高司令官として、仁川上陸作戦を成功させ、アメリカ軍の威光を高め、アメリカ軍とアメリカ政府に対して非常に稀有な貢献をしたと認められ、十分に責任を果たしたと認められ。アメリカ陸軍殊勲勲章を授与された。
アメリカ海軍で、アメリカ軍殊勲勲章(Distinguished Service Medal)を授与されたのは、海軍作戦部長(Chief of Naval Operations)チェスター・ニミッツ(Chester W. Nimitz)提督、第三艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー(William F. Halsey)提督、統合参謀本部議長(Chairman of the Joint Chiefs of Staff)ウィリアム・モロー・フェクテラー(William Morrow Fechteler)提督などがいる。
写真(右):1950年10月15日、ウェーク島に駐機している、ダグラス(Douglas)DC-6四発輸送機改修のハリー・トルーマン大統領専用輸送VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)と後方のSCAP(Supreme Commander of the Allied Powers:連合軍最高司令官)ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥専用輸送機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605):ロッキード・コンステレーションは、3枚垂直尾翼の優雅な曲線を描いた胴体で、1940年代から1950年代にかけて、レシプロ旅客機の最後を飾った。
Keywords
Presidential trips ; Presidential aircraft ; Airplanes
HST Keywords
Wake Island; Airplanes - Independence
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964
Presidential airplane, The Independence. From an album of photographs of the visit of President Harry S. Truman to Wake Island for a conference with General Douglas MacArthur. General MacArthur's plane, SCAP, follows the Independence in take-off.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 72-814引用。
GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥専用機ロッキードVC-121Aコンステレーション輸送機「バターン」(Lockheed VC-121A Constellation ‘8613’ “BATAAN” (N422NA))は、1948年、ロッキード・コンステレーション C-121Aとして製造され、大西洋航路で使用されていた。しかし、朝鮮戦争の勃発した1950年に、改造されてVC-121A VIP要人輸送機となり、マッカーサー将軍の専用輸送機として、朝鮮戦争中に使用された。1966年に軍務を離れたが、NASAに移ってアポロ月旅行計画(Apollo Moon Program)を支援する任務について、1970年まで使用された。その後、ロッキードVC-121Aコンステレーション(Lockheed VC-121A Constellation "Bataan")は、アラバマ州フォート ラッカー (Fort Rucker)のアメリカ陸軍航空博物館(US Army Aviation Museum)に展示された。1992年に、売却され、アリゾナ州チノ(Chino)で整備・復元され、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(Planes of Fame Museum)で保管、展示されている。
写真(右):1950年10月15日、ウェーク島、ハリー・トルーマン大統領が、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)GHQ/SCAP総司令官専用四発輸送機「バターン」”Bataan”前で演説する。:1950年9月に仁川上陸作戦を大成功させたSCAP(Supreme Commander of the Allied Powers:連合軍最高司令官)マッカーサーに殊勲勲章を授与した。マッカーサー将軍の専用乗機は1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)を原型とするロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)で、機首には日本列島のシルエットとSCAP(連合軍総司令官)と書いてある。
Harry S. Truman at Wake Island
HST Keywords
Truman - Awards - Giving - Distinguished Service Medal; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; Bell, David E. (David Elliot), 1919-2000 ; Bradley, Omar Nelson, 1893-1981 ; Graham, Wallace Harry, 1910-1996 ; Harriman, W. Averell (William Averell), 1891-1986 ; Landry, Robert B. (Robert Broussard), 1909-2000 ; MacArthur, Douglas, 1880-1964 ; Murphy, Charles S. (Charles Springs), 1909-1983 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Radford, Arthur William, 1896-1973 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950 ; Vaughan, Harry H., 1893-1981 ; Rusk, Dean, 1909-1994
President Harry S. Truman delivering a speech and presenting a Distinguished Service Medal to General Douglas MacArthur. In the foreground, from left to right, facing the camera: Press Secretary Charles Ross, Special Assistant to the President Averell Harriman, General Robert Landry, Admiral Arthur Radford (partly obscured by Truman), President Truman, Secretary of the Army Frank Pace, Chairman of the Joint Chiefs of Staff General Omar Bradley, General Harry Vaughan, Charles Murphy, David Bell, General Wallace, Graham, and Assistant Secretary of State Dean Rusk. General MacArthur is facing Truman, his back to the camera, with the top of his hat between Mr. Ross and Mr. Harriman. All others are unidentified.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-336引用。
写真(右):1950年10月15日、ウェーク島、ハリー・トルーマン大統領と朝鮮戦争について話し合った後、専用機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605)に搭乗して日本に帰還するGHQ/SCAP総指揮官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥:マッカーサー専用機は、1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)を改修した新鋭機であり、大統領専用機よりも大型である。1950年9月にマッカーサーは国連軍を仁川に上陸させ、北朝鮮軍からソウルを奪い返し、中国国境近くまで侵攻した。
Related Collection
E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Armed forces officers ; Generals ; Korean War, 1950-1953 ; Military aircraft
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
MacArthur, Douglas, 1880-1964
General Douglas MacArthur boarding a plane in Wake Island after his visit with President Harry S. Truman.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-335引用。
ロッキード(Lockheed) C-121 コンステレーション(Constellation)輸送機は、高性能と斬新でスタイルの良いデザインが評価されて、ダグラス・マッカーサー将軍、ドワイト・アイゼンハワー大統領の要人輸送機としても採用された。生産機数は、輸送機、早期空中警戒機など332機に達した。
写真(上):1950年、韓国、GHQ司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥専用機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーション(Constellation)「バターン」'Bataan' (登録コード:N422NA、製造番号c/n2605):マッカーサー専用機は、1947年3月初飛行の三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)C-121コンステレーション(Constellation)を原型とする1948年製造の新鋭機であり、1950年10月のトルーマン大統領とのウェーク島会談では、日本とウェーク島の間をこの専用機で空路移動した。
A U.S. Air Force Lockheed VC-121A Constellation (s/n 49-613) when it was used by General Douglas MacArthur in Korea in 1950. During this time the plane was names "Bataan" after MacArthur's experiences in the Philippines during the Second World War. The USAF finally retired the plane in January 1966. It was later transferred to the NASA as N422NA for support of the Apollo lunar program. Today it is on display at the Planes of Fame Air Museum, Valle, Arizona (USA).
Date 1950
Source National Museum of the U.S. Air Force photo 00616-F-1234S-018
Author USAF.
写真はWikimedia Commons, Military aircraft in the Korean War- File:VC-121A of Gen MacArthur in Korea 1950.jpg引用。
写真(右):1950年10月15-16日(?)、ハワイ諸島オアフ島(Oahu)の飛行場(?)、ウェーク島におけるダグラス・マッカーサー元帥との会談から大統領専用機VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)に搭乗してハワイ(Hawaii)に着いたアメリカ大統領ハリー・トルーマン:後方の大統領専用機VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence"の垂直尾翼には、マリンブルーで描かれた鷲の尾羽が描かれている。写真解説では、ウェーク島に到着した時の撮影という。しかし、到着時刻は暗闇であり、トルーマンは濃い色のスーツを着ていたので、解説は誤りである。ほかの写真と合わせてみると、アメリカ帰国途上、ハワイ(Hawaii)諸島と判断できる。機内で濃い色のスーツから、薄い色のスーツに着替えたものと思われる。
Arriving on Wake Island
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E. Vernice Anderson Papers
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972
President Harry S. Truman (center) upon his arrival to Wake Island to meet with General Douglas MacArthur. All other individuals are unidentified.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-323引用。
朝鮮戦争が1950年の北朝鮮の韓国侵攻で始まると、アメリカ大統領トルーマンは、即座に反撃する必要性を認めた。これは、1938年のチェコスロバキアのズテーテン危機に際して、英仏が土井tルのヒトラーに妥協して、チェコスロバキアに相談なくズデーテン割譲を認めたというミュンヘン協定を悪しき事例として認識していたからである。ドイツの侵略的振る舞いをイギリス・フランスが黙認したことが、ドイツの侵略を一層助長させ、それが第二次世界大戦に至る原因となった。つまり、戦争を大きくしないためには、独裁国の侵略的行為を当初から叩いておく必要があると考えた。1938年のミュンヘン会談を反省し、朝鮮半島に即座にアメリカ軍を派遣することを決めたのである。
写真(右):1950年10月15-16日(?)、ハワイ(Hawaii)諸島オアフ(Oahu)島、ウェーク島(Wake Island)でのダグラス・マッカーサー元帥との会談からダグラス(Douglas)DC-6改修VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)に搭乗して帰国途上、オアフ島に着いたアメリカ大統領ハリー・トルーマン:後方の大統領専用機VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence"の垂直尾翼には、マリンブルーで描かれた鷲の尾羽が描かれている。写真解説では、ウェーク島に到着した時の撮影という。しかし、到着時刻は暗闇であり、トルーマンは濃い色のスーツを着ていたので、解説は誤りである。ほかの写真と合わせてみると、アメリカ帰国途上の時と判断できる。機内で濃い色のスーツから、薄い色のスーツに着替えたものと思われる。
Truman at Wake Island
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E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950
Description
President Harry S. Truman (center) on Wake Island, where he flew to meet with General Douglas MacArthur. All other individuals are unidentified.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-321引用。
しかし、朝鮮半島に中国の武力介入が始まり、現地司令官マッカーサー元帥は、中国本土への空爆を実施する、さらに中国への進攻も辞さない姿勢を見せた。こうして、アメリカが中国を攻撃すれば、中国を支援するソ連も参戦する可能性が高まり、それは第三次世界大戦へと発展する。このような大戦争を危惧したトルーマン大統領は、1951年4月11日、GHQ司令官マッカーサー元帥を解任して、アメリカに呼び戻した。
写真(右):1950年10月15-16日(?)、ハワイ(Hawaii)諸島オアフ(Oahu)島、ウェーク島(Wake Island)でのダグラス・マッカーサー元帥との会談からダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)に搭乗して帰国途上、オアフ島に着いたアメリカ大統領ハリー・トルーマン(右から2人目)と主席報道官チャールズ・ロス(Charles Ross)(右から3人目):山並みが見えて、広い飛行場だが、これは平坦なウェーキ島ではなく、ホノルル郊外であろう。写真解説では、ウェーク島での撮影というが、到着時刻は暗闇であり、ウェーキ島を離れるときのトルーマンは濃い色のスーツを着ていたので、解説は誤りである。ほかの写真と合わせてみると、アメリカ帰国途上の時と判断できる。機内で濃い色のスーツから、薄い色のスーツに着替えたものと思われる。
Truman at Wake Island(→Hawaii?)
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E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Presidential press secretaries ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Trips - Wake Island - 1950; Wake Island
People Pictured
Truman, Harry S., 1884-1972 ; Ross, Charles G. (Charles Griffith), 1885-1950
Description
President Harry S. Truman (second from right) on Wake Island, along with his Press Secretary, Charles Ross (third from right). All other individuals are unidentified. President Truman traveled to Wake Island to meet with General Douglas MacArthur..
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-322引用。
写真(右):1950年10月16日、アメリカ西岸、サンフランシスコ、ウェーク島(Wake Island)でのダグラス・マッカーサー元帥との会談からダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)で帰国したアメリカ大統領ハリー・トルーマン(左)をオープンカーで出迎えたサンフランシスコ市長エルマー・ロビンソン(Elmer Edwin Robinson)[中央]とアメリカ副大統領アルバン・W・バークリー(Alben William Barkley:1877-1956)[右]:アメリカ副大統領アルバン・バークリー(Alben Barkley)は、ケンタッキー州選出の下院議員、上院議員を経て、第35代アメリカ合衆国副大統領に就任した。エルマー・ロビンソン(Robinson, Elmer Edwin)は、共和党議員で1948年1月から1956年1月まで、カリフォルニア州サンフランシスコ市の第33代市長を務めた。
President Truman in San Francisco
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E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Automobiles ; Mayors ; Presidential trips ; Presidents ; Vice-Presidents
HST Keywords
Truman - Dignitaries - Barkley, Alben; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Barkley, Alben William, 1877-1956 ; Truman, Harry S., 1884-1972 ; Robinson, Elmer Edwin, 1894-1982
President Harry S. Truman in a motorcde with (left) Vice-President Alben Barkley (right) and the Mayor of San Francisco, California, Elmer G. Robinson. President Truman stopped in San Francisco during his return from conferring with General Douglas MacArthur on Wake Island.
Date(s)
October 15, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-333引用。
ジョージ・キャトレット・マーシャル(George Catlett Marshall)は、第二次世界大戦時の陸軍参謀総長で、1947年にはバーンズの後任として、国務長官に就任した。この1947年6月5日、ハーバード大学学位授与式のスピーチで、ヨーロッパ復興のための「マーシャル・プラン」を提案した。他方、中国の国共内戦については、中国国民党の一党独裁ではなく、共産党も政権に加えるといった第二次大戦時の構想を弄んだために、中国共産党による中華人民共和国の樹立を許してしまった。1949年に、国務省をたくことになったが、1950年6月の朝鮮戦争勃発に伴って、1950年9月にはは国防長官に就任して、1951年9月まで務めた。1953年、ノーベル平和賞を受賞、1959年に78歳で死去した。
写真(右):1950年10月18日、ウェーク島(Wake Island)でのダグラス・マッカーサー元帥との会談からダグラス(Douglas)VC-118 「インディペンデンス」 "The Independence" (シリアルナンバー:s/n 46-505)に搭乗して帰国したアメリカ大統領ハリー・トルーマンが出迎えの国防長官(Secretary of Defense)ジョージ・マーシャル握手をする。:トルーマン右に、国務長官(Secretray of State )ディーン・アチソン(Dean Acheson)、陸軍長官(Secretary of the Army)フランク・ペース(Frank Pace),財務長官(Secretary of the Treasury)ジョン・スナイダー(John W. Snyder)。ジョン・スナイダーは、1946年6月25日 - 1953年1月20日まで財務長官を務め、戦争経済下の赤字財政を平時の財政に縮小、切り替えた業績がある。フランク・ペースは、1950年4月12日から1953年1月20日まで、陸軍長官を務めた。
President Truman Upon His Return From Wake Island
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E. Vernice Anderson Papers
Keywords
Cabinet officers ; Korean War, 1950-1953 ; Presidential trips ; Presidents
HST Keywords
Truman - Cabinet - Truman with Members; Truman - Trips - Wake Island - 1950
People Pictured
Acheson, Dean, 1893-1971 ; Pace, Frank, 1912-1988 ; Snyder, John W. (John Wesley), 1895-1985 ; Truman, Harry S., 1884-1972 ; Marshall, George C. (George Catlett), 1880-1959
Description
President Harry S. Truman upon his return to Washington, D.C. from his trip to Wake Island to meet with General Douglas MacArthur. From left to right: unidentified, Secretary of Defense George Marshall (shaking hands with Truman), President Truman, Secretray of State Dean Acheson, Secretary of the Army Frank Pace, and Secretary of the Treasury John W. Snyder.
Date(s)
October 18, 1950.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 2013-332引用。
1950年10月下旬に、朝鮮戦争に義勇兵の中国人民義勇軍、実質的には正規軍の中国人民解放軍が介入すると、アメリカ軍を増強して、北朝鮮軍を攻撃することとした。これは、トルーマン大統領による共産主義者の封じ込め政策の本格化だった。
現地の国連軍・アメリカ軍を率いるマッカーサー司令官は、より強硬な姿勢を示し、中国本土の攻撃、核兵器の使用、中国への侵攻まで攻撃を続けるべきだとした。トルーマン大統領も統合参謀本部議長オマール・ブラッドレー(Omar Bradley)元帥は、マッカーサーの支持する激烈な攻勢は、ソビエト連邦の大規模な軍事介入を招き、第三次世界大戦にまで発展しかねないと危惧した。こうして、統合参謀本部議長統合参謀本部議長オマール・ブラッドレー(Omar Bradley)元帥は、朝鮮戦争の拡大を主張したダグラス・マッカーサー司令官は、危険な存在であり、軍紀を紊乱すると判断し、マッカーサーの司令官職を解任すべきであるとトルーマン大統領と話し合った。こうして、1951年4月11日、マッカーサーは更迭された。
写真(右):1960年、アメリカ東部、ワシントンDC 、アンドリュー空軍基地、第34代アメリカ大統領ドワイト・デビッド・“アイク”・アイゼンハワー(Dwight David "Ike" Eisenhower)専用機ロッキード(Lockheed)VC-121E スーパーコンステレーション輸送機「コロンバインIII」Colombine III (53-7885):ワシントンDC 、アンドリュー空軍基地(Andrews AFB :89 MAW)を基地は、1942年にキャンプ・スプリング航空基地(Camp Springs Air Base)として整備された飛行場である。
English: Andrews Air Force Base - Lockheed VC-121E Super Constellation 53-7885 Colombine III Presidential Aircraft
Date 1960
Source United States Air Force
Author United States Air Force
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed C-121 Constellation File:Andrews Air Force Base - Lockheed VC-121E Super Constellation 53-7885 Colombine III Presidential Aircraft.jpg引用。
第34代アメリカ大統領ドワイト・デビッド・“アイク”・アイゼンハワー(Dwight David "Ike" Eisenhower)専用機ロッキード(Lockheed)VC-121E スーパーコンステレーション輸送機「コロンバインIII」Colombine III (53-7885)はアメリカ海軍仕様R7V-1輸送機(BuN 131650)として製造されていた機体を改修して、大統領専用機とした。1954年アメリカ空軍にVC-121E 53-7885 "Columbine III" (製造番号:c/n 4151)として引き渡された。当初は、ワシントン空港(Washington National Airport :1254 ATW)を基地としていたが、のちにワシントンDC 、アンドリュー空軍基地(Andrews AFB :89 MAW)を基地に変更された。
写真(右):2005年、アメリカ軍用空輸サービス(Military Air Transport Service :MATS)のロッキード(Lockheed)C121Aコンステレーション(C121A Lockheed Constellation "MATS Connie)輸送機 :レシプロ旅客機ロッキード(Lockheed)VC-121E スーパーコンステレーションのなかには1993年まで使用された機体もあった。
C121A Lockheed Constellation "MATS Connie"
D. Miller from IL. USA
The MATS Connie is a military version of the Constellation 749A, also known as a C-121A. It was delivered to the U.S. Air Force in 1948 and used as a VIP transport, accumulating 16,000 hours of flying time during its Air Force career.
Unfortunately the MATS Connie was purchased by United Technologies Corporation (Pratt and Whitney Division) in February 2005, and donated to Korean Air for static display at their training facility on Jeju Island. I am very glad that I had the opportunity to see the great plane on several occasions.
I can describe the donation of this plane to Korean Air as a static display only one way – A TERRIBLE Waist. United Technologies Corporation should have helped the MATS team restore and display the MATS CONNIE right here in the USA. United Technologies Corporation should follow Boeings example of helping groups to restore, fly and display historic aircraft at air shows right here.
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed C-121 Constellation File:C121A Lockheed Constellation "MATS Connie" (439358047).jpg引用。
ロッキード(Lockheed) C-121 コンステレーション(Constellation)輸送機は、1947年3月14日初飛行のロッキード・コンステレーション(Constellation)の軍用仕様で、1948年11月から、アメリカ陸海軍の航空隊に採用された。民間機としては、戦時中、1942年に初飛行したダグラスDC-4輸送機が生産されており、コンステレーションは高価だったために、量産されなかった。しかし、C-121 コンステレーション輸送機の装備した発動機は、日本本土空襲をしたボーイング(Boeing)B-29超空の要塞(Superfortress)と同じライト(Wright)R-3350デラックス・サイクロン(Duplex-Cyclone)空冷星形2200馬力4基、4翅プロペラ装備であり、最高速力537?/h(334 mph)、巡航速力521 km/h(324 mph)、実用上昇限度7450mを誇った。搭乗員4名で、乗客97-107名の与圧キャピン(高高度でも客室気圧は低地と同じ)である。
写真(右):1950-1960年代、駐機しているオーストラリアのカンタス航空(Capital Airlines)のロッキード(Lockheed) L-1049スーパーコンステレーション(Super Constellation)旅客輸送機(登録コード:VH-EAG) :3枚垂直尾翼の優雅な曲線を描いた胴体で、1940年代から1950年代にかけて、レシプロ旅客機の最後を飾った。アイゼンハワー大統領の専用機ともなった。
SDASM Archives
Robert Reedy Collection Image
- Catalog:Array - Title:Array - Filename:Reedy_0192 Lockheed L-1049C VH-EAG Quantas.tif
Robert Reedy was a native of Amarillo Texas. He attended college in Wichita Kansas, studying aeronautical engineering. On graduation he was quickly snapped up by Stearman Aircraft. During his subsequent career he made stops at Lockheed, Thorp and back to Lockheed where he retired as a vice president of sales.
Reedy was involved in the design of several Stearman, Vega and Thorp types, the Lockheed P2V, Little Dipper, Big Dipper, and L-1011
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive PictionID:46544854 引用。
ロッキードC-121 コンステレーションの改良型となるロッキードL-1049スーパーコンステレーション(Super Constellation)は、1951年7月14日初飛行で、民間259機、軍用320機とロッキード・コンステレーション輸送機シリーズの中の過半の生産機数の占めた。
ロッキード(Lockheed) L-1049スーパーコンステレーション(Super Constellation)旅客輸送機の原型は、1943年初飛行のロッキード・コンステレーション(Constellation)でボーイング(Boeing)B-29超空の要塞(Superfortress)と同じライト(Wright)R-3350デラックス・サイクロン(Duplex-Cyclone)空冷星形2200馬力4基を装備、巡航速力555 km/hを誇り、乗客60-81名の与圧キャピン(高高度でも客室気圧は低地と同じ)を持っている。第34代アメリカ大統領ドワイト・“アイク”・アイゼンハワー(Dwight "Ike" Eisenhower)専用機もロッキード(Lockheed)Super Constellation)「コロンバインIII」Colombine III 輸送機である。
4. 1945年、第二次世界大戦が連合国の勝利のうちに終わったことで、軍用機ダグラス(Douglas)C-54 四発輸送機は、一部は軍用に残されたが、多くは民間に払い下げられ、ダグラスDC-4四発輸送機として、世界中を飛び回った。戦時中、ダグラスDC-4輸送機は、民間機DC-4としてはほとんど使用されず、主に軍用輸送機アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54輸送機スカイマスターとして採用され、1947年8月までに、DC-4として80機、C-54として 1000機以上が製造された。しかし、戦後には、民間航空で大活躍したのである。
写真(右):1945年8月30日 フィリピン、ルソン島マニラから、沖縄読谷飛行場を神奈川県厚木飛行場にダグラス(Douglas)VC-54E (C-54E-1-DO) スカイマスター(Skymaster)輸送機「バターン」(Bataan)(シリアルナンバー:Ser. No. 44-9027;製造番号 c/n 27253)で到着したGHQ司令官ダグラス・マッカーサー元帥:1945年8月19日,日本降伏使節団16名は沖縄諸島伊江島からマニラに飛び、8月21日に沖縄経由で調布飛行場に何とか帰り着いていた。進駐はそれから9日後だった。
General MacArthur arrives at Atsugi Airfield
Description
GeneralDouglas MacArthur, Supreme Commander, arrives at Atsugi Airfield in Japan. From: Scrapbook presented to Postmaster General Robert E. Hannegan on the occasion of his visit to General Headquarters U. S. Army Forces, Pacific in Tokyo, Japan, July 1946. (These photographs have also been reproduced in 8x10 and are in the regular photo boxes).
Date(s)
August 30, 1945.
写真は、Harry S. Truman Library & Museum- Accession Number: 98-2445引用。
1941年12月から1942年初頭、フィリピンで日本軍と戦ったダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は、コレヒドール島に避難し、バターン半島での抵抗にも失敗し、抵抗を諦めてた。そして、大統領命令とはいえ、部下をフィリピンに置いたまま、オーストラリアまで逃げ出した。したがって、フィリピン、バターン半島での敗北という雪辱のためにも、1945年2月のフィリピン、ルソン島への上陸、フィリピン全土の解放は、マッカーサーの復讐のために不可欠だった。
ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)の個人輸送機となった愛機ボーイングB-17Eフォートレス(シリアルナンバー 41-2593)四発爆撃機だが、機首はB-17F型と同じで「バターン」“Bataan”と命名された。 乗機に「バターン」と命名したのは、フィリピン奪回、日本軍の撃滅という復讐・報復を誓ったからである。演出を好むマッカーサーは、乗機B-17爆撃機に「バターン」の愛称を付け、二代目の乗機アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54輸送機にも「バターン」と同じ命名をし、さらに三代目の専用機ロッキード(Lockheed)VC-121Aコンステレーションにも「バターン」を踏襲した。
写真(右):1945年8月30日 日本の厚木飛行場に降り立った連合軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers:SCAP)マッカーサー元帥:後方に駐機しているダグラス(Douglas)VC-54E (C-54E-1-DO) スカイマスター(Skymaster)輸送機「バターン」(Bataan)(シリアルナンバー:Ser. No. 44-9027;製造番号 c/n 27253)から日本に飛来したMajor General Joseph M. Swing, Commanding General, 11th Airborne Division, (left);
Lieutenant General Richard K. Sutherland (3rd from right);
General Robert L. Eichelberger (right).
With other senior Army officers, upon his arrival at Atsugi airdrome, near Tokyo, Japan, 30 August 1945. Among those present are: Major General Joseph M. Swing, Commanding General, 11th Airborne Division, (left); Lieutenant General Richard K. Sutherland (3rd from right); General Robert L. Eichelberger (right). Aircraft in the background is a Douglas C-54. Photograph from the Army Signal Corps Collection in the U.S. National Archives.
写真は、Naval History and Heritage Command USA C-1732 General of the Army Douglas MacArthur, U.S. Army (second from right) 引用。
1945年4月、マッカーサーは新たな専用機ダグラス(Douglas)C-54 (VC-54E)スカイマスター(Skymaster)輸送機を採用し、これが「バターンII」“Bataan II”となった。ボーイングB-17バターンI (Bataan I)は、アメリカ本土オハイオ州ライトフィールド(Wright Field)基地で修理・整備がなされ、そのまま基地に留め置かれた。
1945年8月28日,厚木飛行場では海軍保安部隊からの派遣隊が守る日本軍将校(有末精三中将、鎌田金宣一中将、山澄忠三郎大佐)らが米先遣部隊の到着を受け入れている。ダグラスC-46輸送機16機が8時28分に到着し,先遣隊(直属の部下のC.B.ジョーンズ海軍大佐、E.K.ウォーバートン第5航空軍大佐、民間技師のC.R.ハッチンソンとD.M.Dunne、SigC(通信隊)のS.S.オーチンクロス大佐とL.パーク大佐、ATISの通訳のF.バウアー少佐)を率いるチャールズ・P.テンチ大佐(GSC, of the G-3 section of GHQ)が降り立った。9時35分、15機のC-54、C-46、C-47の2番目のグループが到着,11時、15機のC-54の3番目のグループ到着。これらの飛行機は,総勢30名の将校と120名の通常装備の兵士を運んでいた。(現代文化学基礎演習2(2001年度:永井)映像で見る占領期の日本:マッカーサーレポートVol.2について参照)
⇒写真集Album:アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54スカイマスター(Skymaster)輸送機を見る。
写真(右)2016年4月9日、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)が保管するアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt)専用機のダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow);本機はアメリカ初の大統領専用機である。
DAYTON, Ohio -- The VC-54C Sacred Cow at the National Museum of the United States Air Force on April 9, 2016. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
The Sacred Cow carried President Roosevelt to the Yalta Conference in February 1945. Illustrating the high stakes associated with presidential airlift, the Sacred Cow’s serial number was changed for the flight as a special security measure. The trip to Yalta was Roosevelt’s only flight aboard the aircraft before his untimely death in April 1945..
写真はNational Museum of the United States Air Force・Douglas VC-54C “Sacred Cow”引用。
フランクリン・D・ルーズベルト (Franklin D. Roosevelt:FDR)大統領の死去で副大統領だったトルーマンが大統領に昇格、世界ビッグスリーの一員として、ドイツ降伏後のポツダムで、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンと戦後構想を話し合うこととなった。これがポツダム会談である。この会談に参加するときに、トルーマン大統領は、往路アントワープからベルリンへの空路移動、復路ベルリンからイギリスへの移動に、ダグラスVC-54C「セイクリッド・カウ」 (Sacred Cow)大統領専用機を使用している。
⇒写真集Album:マッカーサー将軍乗機ダグラス(Douglas)VC-54E 輸送機「バターン」Bataanを見る。
1945年中頃、アメリカ、カリフォルニア州オークランド(Oakland)海軍基地、アメリカ海軍航空隊の海軍空輸第4飛行中隊(Naval Air Transport Squadron Four)ダグラス(Douglas)R5D-4スカイマスター(Skymaster)輸送機:支援するのは、海軍女子補助部隊WAVESの隊員たち。
Description:Seaman 1st Class Billy Ikard (left) and Seaman 1st Class Barbara A. Patterson move a battery cart into position next to a Naval Air Transport Service R5D-1 (Bureau # 39170), circa mid-1945. Both WAVES are assigned to Naval Air Transport Squadron Four. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.color .
Description:
Catalog #:80-G-K-15992
Copyright Owner:National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5659 Naval Air Station, Oakland, California引用。
ダグラスC-54スカイマスター輸送機(Douglas C-54 Skymaster:DC-4)諸元
最高速度:450 km/h、巡航速度:365 km/h
航続距離:6,800 km
全長:28.6 m、全幅:35.8 m、全高:8.38 m
翼面積:135.6 平方メートル
自重:16,783 kg、全備重量:28,123 kg
プラット&ホイットニー空冷星形エンジンR-2000(1,290馬力)4基搭載
座席数:50名
ダグラス(Douglas)C-54輸送機の諸元
搭乗員Crew: 4名
乗客Capacity: 座席44 名(寝台 22名)
軍用簡易ベンチ座席: 86名
⇒写真集Album:アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D輸送機を見る。
写真(右)1946年12月、オランダ領インドネシナ(インドネシア)、ジャワ島(?)、日本軍捕虜による貨物搭載作業中のKLMオランダ航空(Delta Air Lines)のダグラス(Douglas)DC-4輸送機(登録コード:PH-DBS): 1945年アメリカで製造された機体。当時、インドネシアはオランダからの独立戦争の時期であり、同時にハーグ円卓会議で、オランダとインドネシアによる交渉が行われていた。
Nederlands: Collectie / Archief : Fotocollectie Dienst voor Legercontacten Indonesië
Reportage / Serie : [DLC] Aankomst van pakketten met toestellen van de KLM
Beschrijving : Japanse krijgsgevangen halen de zakken uit het vliegtuig onder toezicht van Militaire Politie
Datum : december 1946
Locatie : Indonesië, Nederlands-Indië
Fotograaf : Fotograaf Onbekend / DLC
Auteursrechthebbende : Nationaal Archief
Materiaalsoort : Negatief (zwart/wit)
Nummer archiefinventaris : bekijk toegang 2.24.04.03
Bestanddeelnummer : 115-3-3
Date December 1946
Author Fotograaf Onbekend / DLC .
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas DC-4 of KLM・File:Japanse krijgsgevangen halen de zakken uit het vliegtuig, Bestanddeelnr 115-3-3.jpg引用。
第二次大戦終結後、1947年には、オランダは、東インド植民地(インドネシア)の戦域を領有することは、困難であると認識し始めていた。しかし、ジャワ島以外、例えばスラウェシ島に居住していた少数民族を使って、インドネシアに分派独立の動きを活性化しており、そこを通じて、独立後のインドネシアを自国の影響下に置こうと考えたようだ。そこで、1949年12月、オランダはジャワ島、スマトラ島に限定しインドネシアの独立を認めたのである。しかし、インドネシアでは、全国統一の動きが続き、1950年8月15日に大小約1万3500の島々を取りまとめた単一のインドネシア共和国が誕生した。これによってインドネシア独立戦争は終結したといえる。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4四発旅客機を見る。
写真(右)1937-1938年、アメリカ、ダグラス(Douglas)DC-4E旅客輸送機(登録コード:NX18100);
SDASM Archives
Douglas : DC-4E
Manufacturer: Douglas
Designation: DC-4E
Official Nickname:
Notes: Original DC-4 - Triple verticals - exported to Japan – 1938
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSDASM Archives・Catalog #: 00065792引用。
ダグラスDC-2、DC-3輸送機は、双発で尾輪式降着装置だったのに対して、ダグラスDC-4E、DC-4輸送機は、四発で首輪式降着装置だった。飛行機の離着陸は、視界を確保する、揚げ角の微調整が不要であるという点で、尾輪式よりも主輪式のほうが操縦が容易である。ただし、降着装置を簡略化するには、首輪式よりも尾輪式のほうが軽量化できる。
⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機を見る。
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
⇒ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
⇒ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
⇒ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
⇒ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
⇒ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
⇒ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
⇒ヒトラー暗殺ワルキューレ Valkyrie作戦: Claus von Stauffenberg
⇒ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
⇒ハンセン病Leprosy差別
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
⇒ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
⇒ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
⇒ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
⇒ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
⇒アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
⇒ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
⇒アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
⇒マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。
⇒与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
⇒石川啄木を巡る社会主義:日清戦争・日露戦争から大逆事件
⇒魯迅(Lu Xun)の日本留学・戦争・革命・処刑
⇒文学者の戦争;特攻・総力戦の戦争文学
⇒戦争画 藤田嗣治のアッツ島玉砕とサイパン島玉砕
⇒統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答
⇒ポーランド侵攻:Invasion of Poland
⇒バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
⇒バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
⇒スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
⇒自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論
⇒ハワイ真珠湾奇襲攻撃
⇒ハワイ真珠湾攻撃の写真集
⇒開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
⇒サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
⇒沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
⇒沖縄特攻戦の戦果データ
⇒戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
⇒人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
⇒人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
⇒海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
⇒日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
⇒日本陸軍八九式中戦車・九一式重戦車
⇒フランス軍シャール 2C(FCM 2C)・イギリス軍ヴィッカースA1E1・日本陸軍九一式重戦車
⇒ソ連赤軍T-34戦車
⇒ソ連赤軍T-35多砲塔重戦車
⇒ソ連赤軍KV-1重戦車・KB-2重自走砲;Kliment Voroshilov
⇒フィアット(FIAT)アウトブリンダ(Autoblindo)AB41装甲車
⇒ドイツ軍Sd.Kfz. 221-4Rad四輪装甲車/Sd.Kfz. 231-6Rad六輪装甲車
⇒ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250ハーフトラック
⇒ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.251ハーフトラック
⇒ドイツ陸軍I号戦車/47mm対戦車自走砲
⇒ドイツ陸軍チェコ38(t)戦車:Panzerkampfwagen 38(t)
⇒ドイツ陸軍2号戦車
⇒ドイツ陸軍3号戦車
⇒ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
⇒ドイツ陸軍マーダー対戦車自走砲 Panzerjäger 38(t) Marder
⇒ドイツ陸軍ヘッツァー駆逐戦車 Jagdpanzer 38(t) 'Hetzer'
⇒ドイツ陸軍III号突撃砲 Sturmgeschütze III
⇒ドイツ陸軍IV号戦車(Panzerkampfwagen IV:Pz.Kpfw.IV)
⇒ドイツ陸軍ナースホルン,フンメル自走砲,IV号駆逐戦車,ブルムベア突撃砲
⇒VI号ティーガー重戦車
⇒ドイツ陸軍VI号キングタイガー"Tiger II" /ヤークトティーゲル駆逐戦車"Jagdtiger"
⇒V号パンター戦車
⇒ドイツ陸軍V号ヤークトパンター(Jagdpanther)駆逐戦車
⇒イギリス軍マチルダMatilda歩兵戦車
⇒イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
⇒イギリス陸軍バレンタイン(Valentine)歩兵戦車
⇒イギリス陸軍クロムウェル(Cromwell)巡航戦車
⇒M10ウォルブリン(Wolverine)/アキリーズ(Achilles)駆逐自走砲GMC
⇒イギリス軍クルーセーダーCrusader/カヴェナンター/セントー巡航戦車
⇒イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
⇒英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
⇒イギリス陸軍コメット巡航戦車
⇒アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
⇒アメリカ軍グラント(Grant)/リー(Lee)中戦車
⇒アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
⇒シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
⇒フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
⇒シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
⇒ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
⇒ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
⇒ボーイング(Boeing)247旅客機
⇒ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
⇒ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
⇒ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
⇒ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
⇒アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
⇒ユンカース(Junkers)F.13輸送機
⇒ユンカース(Junkers)W33輸送機「ブレーメン」(Bremen)大西洋横断飛行
⇒ユンカース(Junkers)A50軽飛行機「ユニオール」"Junior"
⇒ユンカース(Junkers)W.33輸送機/W.34水上機
⇒ユンカース(Junkers)K43f水上機
⇒巨人機ユンカース(Junkers)G38輸送機/九二式重爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.24輸送機/K30(R42)水上偵察爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)G.31輸送機
⇒ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機
⇒ハインケル(Heinkel)He70高速輸送機ブリッツ(Blitz)
⇒ハインケル(Heinkel)He111輸送機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフFw200輸送機/ドイツ空軍コンドル哨戒偵察機
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒フィリックストウ(Felixstowe)F2/F3/ポート(Porte)/フューリー(Fury)/F5 飛行艇
⇒カーチス(Curtiss)H-16/海軍航空工廠(NAF)F.5L 双発飛行艇
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒軍航空工廠(NAF)F.5L/ カーチス(Curtiss)H-16飛行艇の生産
⇒NAF H-16民間仕様エアロマリン(Aeromarine)75飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)サザンプトン(Southampton)双発飛行艇
⇒サンダース・ロー(Saunders-Roe)A.19 / A.29 クラウド(Cloud)双発飛行艇
⇒ブラックバーン(Blackburn)アイリス(Iris)/ パース(Perth)飛行艇
⇒ショート(Short)シンガポール(Singapore)四発飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ウォーラス(Walrus)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)シーオッター(Sea Otter)水陸両用飛行艇
⇒スーパーマリン(Supermarine)ストランラー(Stranraer)飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
⇒シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
⇒マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
⇒ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
⇒フィンランド内戦:Finnish Civil War
⇒フィンランド対ソ連 1939‐1940年「冬戦争」Talvisota
⇒ソ連フィンランド第二次ソ芬継続戦争Continuation War
⇒フィンランド空軍の対ソ連1939年「冬戦争」1941年「継続戦争」
⇒第二次ソ芬継続戦争のフィンランド海軍(Merivoimat)
⇒第二次対ソビエト「継続戦争」1944年流血の夏、フィンランド最後の攻防戦
⇒ブレダ1916/35年式76ミリ海軍砲(Cannon 76/40 Model 1916)
⇒ブレダ20ミリ65口径M1935機関砲(Breda 20/65 Mod.1935)
⇒フィンランド軍の対空機関銃◇Anti-aircraft machineguns
⇒フィンランド軍の高射砲;Anti-aircraft Guns
⇒フィンランド海軍の対空火器◇Anti-aircraft firearm:Fin Navy
⇒フィンランド軍の防空監視哨
⇒ドルニエ(Dornier)Do-Jワール/スパーワール飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do-26四発高速飛行艇
⇒ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇
⇒ハインケル(Heinkel)He 59 救難機/水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He 60 複葉水上偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do-22偵察爆撃機
⇒ハインケル(Heinkel)He 114 艦載水上偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He115水上偵察機
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
⇒ドイツ空軍ルフトバッフェ(Luftwaffe)Bf110,FW58,Go242
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs129地上攻撃機
⇒ウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
⇒ジーベル(Siebel)Fl 104/ Si 204/ C2A 連絡機
⇒ヘンシェル(Henschel)Hs-126近距離偵察機
⇒フィーゼラー(Fieseler)Fi-156シュトルヒ連絡機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-189偵察機ウーフー"Uhu"
⇒ブロームウントフォスBlohm & Voß BV-141偵察機
⇒ハインケル(Heinkel)He-51複葉戦闘機/アラド(Arado)Ar68
⇒ハインケル(Heinkel)He 100(He 113)戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 E/F 戦闘機
⇒メッサーシュミット(Messerschmitt)Me-109 G/K 戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190戦闘機
⇒フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190D戦闘機
⇒ハインケル(Heinkel)He280/He162ジェット戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-87スツーカ急降下爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17 爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 215偵察機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 217爆撃機
⇒ドルニエ(Dornier)Do 17/215/217 カウツ(Kauz)夜間戦闘機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 D偵察機/S高速爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju88 C/R/G夜間戦闘機
⇒ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機
⇒ユンカース(Junkers)Ju388高高度偵察機
⇒ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
⇒エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)教授
⇒ムッソリーニ救出作戦
⇒イタリア独裁者ムッソリーニ
⇒独裁者ムッソリーニ処刑
⇒ウィンストン・チャーチル Winston Churchill 首相
⇒マンネルヘイム(Mannerheim)元帥のフィンランド対ソ連「冬戦争」「継続戦争」
⇒サヴォイア=マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.73輸送機
⇒カント(CANT)Z.501ガビアーノ(Gabbiano)飛行艇
⇒カント(CANT)Z.506アイローネ(Airone)水上機
⇒サヴォイア=マルケッティSM.75 Marsupial(有袋類)輸送機
⇒サヴォイア・マルケッティSM.82カングロ輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.18V輸送機
⇒フィアット(Fiat)G.12/G.212三発輸送機
⇒サボイア・マルケッティ(Savoia Marchetti)SM.79爆撃機
⇒フィアット(Fiat)BR.20/イ式重爆撃機
⇒サヴォイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)SM.84爆撃機
⇒カント(CANT)Z.1007爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.135爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.310偵察爆撃機
⇒カプローニ(Caproni)Ca.311軽爆撃機
⇒ピアジオP.108重爆撃機
⇒マッキ(Macchi)MC.200サエッタ戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.202フォゴーレ"Folgore"戦闘機
⇒マッキ(Macchi)MC.205Vべルトロ"Veltro"戦闘機
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