◆1937年8月13日 第二次上海事変◇Battle of Shanghai 淞滬會戰 写真(上):1937年,上海、バンドに停泊するアメリカ海軍アジア艦隊の艦船重巡洋艦「オーガスタ」、イギリス海軍軽巡洋艦「ダッチェス」駆逐艦「ファルマス」、フランス海軍巡洋艦「ラ・モット=ピケ」、砲艦「ピエール・ブラザ」「ジュール・デュモン・デュルヴィル」イタリア海軍機雷敷設艦「レパント」オランダ海軍駆逐艦「ヴァンガーレン」、アメリカ海軍砲艦「サクラメント」、日本軍病院船が並んでいる。 Title: Bund in Shanghai, China
Description: View of U.S. and foreign naval vessels anchored off the Bund in Shanghai, China, ca. 1937 including: USS Augusta (CA-31), HMS Duchess (CL), HMS Falmouth (PF), French cruiser Lamotte Picquet (CL), French gunboats Savorgnan de Brazza (PG) and Dumont D'Urville (PG), Italian minelayer Lepanto, Dutch destroyer Van Galen, USS Sacramento (PG-19), and an unknown Japanese hospital ship.
Accession #: S-425
Catalog #: S-425-H
Donor: David R. Curtain
Copyright Owner: Naval History & Heritage Command S-425-H Bund in Shanghai, China引用。
写真(右)日中戦争の時期,中国国民党総統蒋介石(Chiang, Kai-shek, 1887-1975)大元帥と蒋介石夫人の宋美齢(Chiang, May-ling Soong, 1897-2003):日中戦争では、アメリカの軍事顧問を受け入れ、中国軍をアメリカ式装備・訓練の部隊とした。アメリカ空軍の援軍は、シェーンノート将軍の指揮する「フライングタイガーズ」である。この原型は、アメリカ義勇部隊(AVG)である。 蒋介石は、1887年、清朝浙江省奉化県渓口鎮で生まれた蒋介石は、1906年に、保定陸軍軍官学校で学んだ後、1907年に来日して東京振武学校に留学、1909年、日本陸軍第十三師団、高田連隊の将校勤務、中国に帰国後、1911年の辛亥革命に加わり、臨時大総統の地位に就いた孫文を指示した。孫文は臨時大総統の地位を袁世凱に譲ることになったが、1924年には、広州の黄埔軍官学校校長に就任し革命勢力の一翼を担った。1945年8月、日本を降伏させたが、中国共産党との国共内戦で毛沢東に敗れ、1949年に台湾に逃亡、大陸反攻の機会を得ることなく、1975年に死去。 夫人宋美齢は、1917年にアメリカのウェルズリー大学卒で英語に堪能。浙江財閥の総三姉妹末っ子で、1927年、30歳で蒋介石と結婚。アメリカではマダム・チャン(Madame Chiang)として有名になる。中国空軍の育成にも関わったのは、アメリカの軍事顧問・外交官とのコミュニケーションに優れていたためである。 Chaning Kai Sheck and wife Catalog #: 0108 Subject: The Flying Tigers - China Title: Chaning Kai Sheck and wife Chiang, May-ling Soong, 1897-2003; Chiang, Kai-shek, 1887-1975 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr, a Yahoo comp SDASM Archives Catalog #: 0108引用。
写真(右):1941年、中国、雲南省、中国国民政府の蒋介石(左)と雲南省政府主席の龍雲(Lung Yuen:1884-1962):1937年7月、日中戦争がはじまると龍雲は、抗日戦争を指導し、国民革命軍第60軍を擁し、省都の昆明とフランス領インドシナ(北部仏印)から軍事物資を搬入した。その後、蒋介石が、戦時首都を重慶に設けた時期、アメリカ義勇隊(AVG)を受け入れるために、昆明航空基地を整備した。しかし、軍事化に伴う中央集権化によって、小主席の権限は弱体化した。そこで、龍雲は、国民党の蒋介石に対抗するために、中国共産党に密かに接近した。1945年8月の日本降伏後、国共合作が破綻に向かう中、龍雲の内通を理由に、10月、蒋介石は直径軍を派遣して、省政府主席の龍雲を軟禁させた。その後、1948年12月、クレア・シェンノートらが蒋介石に働きかけ、龍雲はイギリス領香港に亡命した。
Chaing Kai Sheck and Governor Lung Yuen of Yunnan Province in 1941 Northrop : 2E : Gamma Catalog #: 0151 Subject: The Flying Tigers - China Title: Chaing Kai Sheck and Governor Lung Yuen of Yunnan Province in 1941
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 0151<引用。
写真(右):1935年、中華民国 総統・中国軍総司令官の蒋介石と夫人の宋美齢:General and Madame Chiang Kai-shek
Accession Number: 2017-539 蒋介石の経歴:
1935 1887年、清朝浙江省奉化県渓口鎮で生まれた蒋介石は、1906年に、保定陸軍軍官学校で学んだ後、1907年に来日し
東京振武学校に留学、1909年、日本陸軍第十三師団、高田連隊の将校勤務、中国に帰国後、1911年の辛亥革命に加わり、臨時大総統の地位に就いた孫文を指示した。孫文は臨時大総統の地位を袁世凱に譲ることになったが、1924年には、広州に設立された黄埔軍官学校校長に就任に革命勢力の一翼を担った。1927年に浙江財閥の娘 宋美齢と再婚。1932年以来、日本に満州を占領され,山海関を超えて1937年7月には北京でも戦闘が始まるなか,中国軍民の反日感情は高まっていた。このまま,中国の世論を無視することは,中国の最高指導者蒋介石大元帥にはできなかった。抗日戦争を開始しなければ,戦意旺盛な中国軍の支持も受けられなくなり、失脚したであろう。こうして1937年7月17日,廬山で最後の関頭の演説(廬山談話)をして,事実上の対日宣戦布告をする。 1945年8月に、第二次大戦に勝利したものの、中国共産党との国共内戦で毛沢東に敗れ、1949年に台湾に逃亡、大陸反攻の機会を待ったが、そのまま攻勢に移ることなく、1975年に死亡。 Chiang Kai-Shek.
Description: Photograph of Chiang Kai-shek. From: Photos used in the 1984 Truman Centennial Exhibit. National Archives Photo Number: 80-A-18643
Date: Date Unknown
Related Collection:
ARC Keywords: Portraits; Presidents
HST Keywords:
People Pictured: Chiang, Kai-shek, 1887-1975
Rights: As far as the Library is aware, this item can be used freely without further permission. 写真はHarry S. Truman Presidential Library & Museum Accession Number: 2017-539およびNaval History and Heritage Command 80-G-186434 Generalissimo Chiang Kai-shek, head of the Chinese Government.引用。
写真(右):1937年5月、上海事変前、中国、上海、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦重巡「オーガスタ」USS AUGUSTA (CA-31)艦上、アジア艦隊司令長官ハリー・ヤーネル提督と日本海軍第三艦隊司令長官長谷川清(1883ー1970)提督:福井中学校退学後、正則英語学校を経て海軍兵学校(第31期)入学。席次は入学時196名中7番、卒業時173名中6番。戦艦「三笠」乗員として、日本海海戦に参戦、アメリカで海軍駐在武官として勤務を山本五十六に譲った後、中国駐留の第三艦隊司令長官に就任した。1937年8月の第二次上海事変では、長江の海上交通を保護するだけでなく、南京、重慶の海軍機による空襲も実施した。これが、九六式中攻を主力とする海軍航空隊による都市戦略爆撃である。また、海軍艦上機によるがアメリカ砲艦「パナイ」誤爆、撃沈に際しては、アメリカの反日世論と日本の対米世論の硬化を防ぐために、支那方面艦隊司令長官としてアメリカに謝罪し、補償することを認めた。 Title: Admiral Harry E. Yarnell, USN Caption: Right, with Vice Admiral Kiyoshi Hasegawa, IJN, aboard USS AUGUSTA (CA-31) at Shanghai, China, in May 1937. Hasegawa was commanding the Japanese 3rd fleet while Yarnell was CINCAF. Note paravane in right background.
Description: Courtesy of Mr. and Mrs. Philip Yarnell, 1975 Catalog #: NH 81617 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 81617 Admiral Harry E. Yarnell, USN引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)、中国、「ガーデンブリッジ」(外白渡橋)を通って、上海外灘(バンド)、上海国際共同租界に流れ込んできた中国人避難民:左は長江支流の黄浦江、手前は支流の蘇州河で、橋の袂にある22階建てブロードウェイマンション(1934年竣工)から撮影したようだ。奥の上海外灘(バンド)には、時計塔のある江海関(1927年竣工)が見える。 Title:Chinese refugees streaming over Garden Bridge onto the Bund, Shanghai
Notes:
University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s67. Photograph taken from Broadway Mansions.
Caption on mount
Aug 14, 1937. refugees streaming out of Hongkew etc.
Collection:Lang, Archibald
Identifier:AL-s67 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月、中国、上海事変の最中、上海国際共同租界に土嚢で築かれた防御拠点とその前を走る東洋車(人力車:リキシャー):土嚢をどのように積むかで、防御力や堅固性が違ってくるが、短時間で構築することが重要な場合もある。人力車は、日本から中国の上海に19世紀末に伝わったため、「東洋車」と呼ばれた。黄色いホロを掛けるようになったので、黄包車とも呼ばれている。 Title: Shanghai, China
Caption: Sandbagged positions in the International Settlement of Shanghai during the Sino-Japanese War period, 1937. Note rickshaw man pulling his vehicle and Socony (Mobil) gas pump on the right.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77753 写真は Naval History and Heritage Command NH-77753 Shanghai, China引用。
1937年8月に第二次上海事変(Battle of Shanghai)が勃発し、上海市内での戦闘がひと段落下11月になって、上海南市難民区が設置された。しかし、難民区が設定される前から、上海国際共同租界であれば、イギリス、アメリカなど西洋人が多く住んでおり、列国の権益の下にあるため、日中両軍が共同租界で戦闘を始め、列国の権益や居留民の生命財産を侵害する恐れは少ないと考えられていた。そこで、安全はないかと思われた上海国際共同租界に、多数の中国人避難民が、家財道具を運んで押し寄せてきた。ただし、荷車を曳いているの中国人は、雇われた労働者が大半であり、荷車に積んでいる家財道具は雇い主の財産であり、曳いている中国人の持ち物ではない。
写真(右):1937年8月以降、中国、上海のフランス租界に流れ込んできた中国人避難民:フランス軍兵士が警備にあたっている。 Title:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0004. See also Ro-n0005 and Ro-n0006
Notes:
University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0004. See also Ro-n0005 and Ro-n0006Photograph taken from Broadway Mansions.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0004 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月以降、中国、上海のフランス租界に流れ込んできた中国人避難民:フランス軍兵士が警備にあたっている。黄浦江に面する外灘(ワイタン:バンド)から淮海路(ワイカイロ)には、現在でもフランス風建築が残っている。東西に長く拡がるフランス租界のほぼ中央を横断するのが、淮海路で、メインストリート。思南路と香山路の交差点にある孫中山故居記念館には、孫文が妻の宋慶齢と過ごした洋館も復元されている。革命家は、清国や袁世凱の警察力が及ばない上海フランス租界で身の安全を確保すると同時に、メディアや列国との関係を強化しようとした。 Title:Refugees in French Concession, Shanghai, with soldiers
Notes:
University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0005. See also Ro-n0004 and Ro-n0006.
Identifier:Ro-n0004 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月以降、中国、上海フランス租界、鍔と突起の付いたアドリアンヘルメット(M15 Adrian Helmet)やケピ帽(円筒型制帽)を被った フランス軍兵士と可愛い子犬:第一次世界大戦でドイツに勝利したフランス軍だったが、4年以上の総力戦によって140万名の死者を出し、フランス北部も荒廃した。しかし、アフリカのアルジェリアやコートジボアール、アジアのインドシナ半島など植民地を確保しており、原料、市場、労働力など経済面では恵まれていた。また、中国には、アヘン戦争後に開港された上海など重要拠点に租界を設置し、治外法権や警察権も有する支配を行った。 Title:French army soldiers with a puppy Notes:Rosholt, Malcolm Identifier:Ro-n0082
Location:Shanghai Estimated date:1937 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
1935年,宋美齡が督促したことで、中国はアメリカからの武器と飛行機を大規模に取り入れることが決まった。1937年,1936年,蒋介石夫人の宋美齡は、「軍事委員会航空秘書長」に就任したが、これは事実上、中国国民党空軍司令長官の地位と同じだった。この時期、宋美齡が掌握した空軍に彼女が招聘したアメリカ陸軍航空隊のクレア・リー・シェンノート(Claire Lee Chennault:陳納徳)将軍が中国にやってきて、中国空軍を育成することになった。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海国際共同租界、南京路にあるキャセイ・パレスホテルに中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。上海事変での戦闘は、列国の利権の錯綜した上海共同租界には及ばないと考えた中国人が多数、国際共同租界に流入してきた。しかし、中国空軍は、日本海軍装甲巡洋艦「出雲」などを攻撃しようとして、誤って共同租界内に爆弾を投下した。そのため、避難していた中国人が誤爆で多数死傷した。 Title:Accidental bombing, Nanking Road, Shanghai
Caption: View of Nanking Road, Shanghai, as it looked after the bombing in the International Settlement by Chinese planes, on 14 August 1937. The Cathay Hotel is on the right.
Catalog #: NH 50892
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は NH 50892 Accidental bombing, Nanking Road, Shanghai 引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海国際共同租界、南京路、キャセイ・パレスホテルに中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。 Title:Casualties and debris, Cathay Hotel bombing, Shanghai Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s53. Chinese bombers were apparently trying to bomb the Japanese cruiser Izumo (Idzumo), when two bombs fell between the Cathay and Palace Hotels in Nanking Road. Approximately 400 people were killed or wounded. Known as “Bloody Saturday”. Side entrances to the Cathay Hotel are on the right. See AL-s59. Cathay & Palace Hotels : Aug 14 1937
Location:Shanghai Date:Saturday 14 August 1937
Identifier:AL-s55
写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
1937年8月13日、第二次上海事変(Battle of Shanghai )で日中両軍の武力衝突が起こったが、実は、中国人の多くは、上海での戦闘は、列国の利権の錯綜した上海国際共同租界には及ばないと考えた。しかし、1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国空軍がバンドの日本海軍装甲巡洋艦「出雲」を空襲し要としたとき、投下した爆弾は、共同租界内に落下し、繁華街で爆発した。日中両軍の衝突の被害から逃れようと上海国際共同租界に避難していた中国人がこの誤爆で多数死傷した。第二次上海事変(Battle of Shanghai)では共同租界のグランドパレスホテルも誤爆され、投下された爆弾によって、上海の戦闘から逃れ避難していた中国人など400名が死傷してた。ニューワールド娯楽街でも1000名が死傷した。中国空軍機による上海国際共同租界の誤爆は、大惨事をもたらし、「血の土曜日」と呼ばれるようになった。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海国際共同租界、中国空軍のノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機の投下した爆弾が爆発し大きな被害を受けたキャセイ・パレスホテルの脇出入口附近。
中国空軍がバンドに停泊していた日本海軍第三艦隊旗艦の装甲巡洋艦「出雲」を空襲したが、爆弾は目標を外れて、共同租界のグランドパレスホテルに落下、爆発した。日中両軍の衝突の被害から逃れようと共同租界に避難していた中国人など400名が誤爆で死傷して「血の土曜日」と呼ばれるようになった。
Title:Casualties and debris, Cathay Hotel bombing, Shanghai
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s59. Chinese bombers were apparently trying to bomb the Japanese cruiser Izumo (Idzumo), when two bombs fell between the Cathay and Palace Hotels in Nanking Road. Approximately 400 people were killed or wounded. Known as “Bloody Saturday”. Side entrances to the Cathay Hotel are on the right. See AL-s53. Location:Shanghai Date:Saturday 14 August 1937
Identifier:AL-s59
写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海共同租界、南京路にあるキャセイ・パレスホテルに中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。多くの中国人が上海事変での戦闘に巻き込まれるのを避けるために、列国の利権の錯綜した上海共同租界に退避した。しかし、中国空軍が日本海軍装甲巡洋艦「出雲」を空襲した時に、誤って投下した爆弾が、共同租界内に落下し、繁華街で爆発した。日中両軍の衝突の被害から逃れようと共同租界に避難していた中国人がこの誤爆で多数死傷した。 Title:Casualties and debris, Cathay Hotel bombing, Shanghai
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s55. Chinese bombers were apparently trying to bomb the Japanese cruiser Izumo (Idzumo), when two bombs fell between the Cathay and Palace Hotels in Nanking Road. Approximately 400 people were killed or wounded. Known as “Bloody Saturday”.
Cathay & Palace Hotels : Aug 14 1937
Location:Shanghai
Date:Saturday 14 August 1937
Identifier:AL-s55 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海国際共同租界、南京路にあるキャセイ・パレスホテルに中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。列国資本のホテルやビルが立ち並ぶ上海国際共同租界であれば、日本軍も中国軍も攻撃してこないと考え、多数の中国人が租界に避難してきた。しかし、国際共同租界は上海バンドの近くで、バンドには、日本海軍装甲巡洋艦「出雲」など艦艇が停泊していたため、中国空軍機が攻撃してきた。中国空軍戦闘員にとって、実戦は初めてであり、艦船攻撃も初めてだった。そこで、投下した爆弾は目標を外れて、キャセイホテルで爆発した。 Title:Casualties and debris, Cathay Hotel bombing, Shanghai
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s57. Chinese bombers were apparently trying to bomb the Japanese cruiser Izumo (Idzumo), when two bombs fell between the Cathay and Palace Hotels in Nanking Road. Approximately 400 people were killed or wounded. Known as “Bloody Saturday”.
Cathay & Palace Hotels : Aug 14 1937
Location:Shanghai
Date:Saturday 14 August 1937
Identifier:AL-s57
写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時過ぎ、中国、上海国際共同租界、エドワード7世通り(Ave Edward VII)に中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。列国資本のホテルやビルが立ち並ぶ上海国際共同租界であれば、日本軍も中国軍も攻撃してこないと考え、多数の中国人が租界に避難してきた。しかし、国際共同租界は上海バンドの近くで、バンドには、日本海軍装甲巡洋艦「出雲」など艦艇が停泊していたため、中国空軍機が攻撃してきた。中国空軍搭乗員たちにとって、初の実戦経験で、目標とする艦船は識別も困難だったはずだ。そこで、投下した爆弾は目標を外れて、エドワード7世通り(Ave Edward VII)で爆発した。 Title:Victims of 'Bloody Saturday' bombing, Ave Edward VII, Shanghai Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: AL-s63. Carnage due to a bomb dropped from a Chinese aeroplane, on “Bloody Saturday”. Location:Victims : Av. Edward VII. Aug 14 1937. Identifier:AL-s63 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年8月14日16時27分、中国、上海共同租界、エドワード7世通り、ニューワールド娯楽街に中国空軍ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。実は、中国人の多くは、上海事変での戦闘は、列国の利権の錯綜した上海共同租界には及ばないと考えた。そこで、日中両軍の衝突の被害から避けるように、共同租界のニューワールド娯楽街に一時避難していた。そこを、中国空軍に誤爆され大きな被害を出してしまったのである。
Title:Shanghai, China
Caption: The New World amusement center, on Avenue Edward VII, in the international settlement of Shanghai, on 14 August 1937, after a Chinese aerial bomb explosion at 4:27 in the afternoon. The amusement center had been a temporary shelter for refugees fleeing the Sino-Japanese fighting.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973.
Catalog #: NH 77940
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77940 Shanghai, China 引用。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時27分、中国、上海共同租界、エドワード7世通り、ニューワールド娯楽街に中国空軍機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。 Title:Shanghai, China
Caption: Devastation and carnage at Avenue Edward VII, in the international settlement, where a Chinese bomb exploded on 14 August 1937, at approximately 4:27 pm, killing nearly 1,000 people on the "Bloody Saturday."
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973.
Catalog #: NH 77837
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77836 Shanghai, China引用。
1937年8月13日、第二次上海事変(淞滬會戰)での日中両軍の戦闘は、当初は一時的なものであり、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなど列国の利権が確立されている上海共同租界に、日中両軍が不法侵入することはないと考えられた。そこで、日中両軍の衝突の被害から避けるように、多数の中国人が、国際共同租界に避難し、ニューワールド娯楽街も避難民でいっぱいになった。しかし、1937年8月14日(土曜)16時27分、中国、上海国際共同租界、南京路、キャセイ・パレスホテル、エドワード7世通り(Ave Edward VII)、ニューワールド娯楽街に中国空軍機所属のノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機が飛来、誤爆した爆弾が爆発して、1000名近くの多数の死傷者を出す大惨事になった。
写真(右):1937年8月14日(土曜)16時27分、中国、上海国際共同租界、エドワード7世通り、ニューワールド娯楽街に中国空軍ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機の投下した爆弾が爆発し、多数の死傷者を出した。上海事変で二中両軍の戦闘が始まっても、列国の居留民が多く、利権も錯綜した上海共同租界なら安全だと考えた中国人が、ニューワールド娯楽街など共同租界に避難していたが、そこに中国空爆撃機が日本軍の拠点と錯覚して爆弾を投下した。 Title:Shanghai, China
Caption: Carnage on Avenue Edward VII, in the international settlement of Shanghai, 14 August 1937. Bomb dropped on the "New World" amusement center, where refugees had been housed, the resultant blast killed nearly 1,000 people.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973.
Catalog #: NH 77836
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77836 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年8月14日、中国、上海国際共同租界、上海事変で中国空軍のノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機に誤爆され殺害された遺体を片付ける作業:
Title:Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China.
Caption: The intersection of Avenue Edouard VII and Thibet Road a few minutes after Chinese bombs dropped into the heart of Shanghai's International Settlement. Rescue efforts are attempting to identify the injured, 14 August 1937. Catalog #: NH 50888 Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真はNaval History and Heritage Command NH 50888 Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China.引用。
第二次上海事変(Battle of Shanghai)に際して、日本の『ジヤパン・タイムズ』は、1937年8月16日、「支那の暴戻」として、「支那空軍租界爆撃の暴挙は世界を驚かせたり、支那が之によりて諸外国の干渉を招かんとしたりとせば甚しき近眼と云はざるべからず、此の罪悪に対して支那を罰し租界に於る各国人を守るは日本軍の義務なり」と非難した。
写真(右):1937年8月14日、中国、上海国際共同租界、上海事変で中国空軍のノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機に誤爆された中国人の遺体を片付ける上海国際義勇隊(Shanghai Volunteer Corps:S.V.C.): Title: Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China.
Caption: View of members of the Shanghai Volunteer Corps, working to clear the streets by loading corpses aboard trucks. Hundreds were killed and injured when an accidental bomb fell from Chinese planes, near the Palace and Cathay Hotels in the International Settlement of Shanghai, 14 August 1937. Catalog #: NH 50891 Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真はNaval History and Heritage Command NH 50891 Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China.引用。
写真(右):1937年8月14日、中国、上海事変で中国空軍のノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機に誤爆された上海国際共同租界(上海公共租界)で遺体を運搬する上海国際義勇隊(Shanghai Volunteer Corps:S.V.C.):この誤爆で居留外国人には被害が出なかったのか。 Title: Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China. Caption: View of members of the Shanghai Volunteer Corps, working to clear the streets by loading corpses aboard trucks. Hundreds were killed and injured when an accidental bomb fell from Chinese planes, near the Palace and Cathay Hotels in the International Settlement of Shanghai, 14 August 1937. Catalog #: NH 50890 Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 50890 Devastation after accidental bombing, in the International Settlement, Shanghai, China. 引用。
写真(右):1937年8月14日午後16時半、上海バンド、中国空軍ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機に誤爆されるアメリカ海軍アジア艦隊旗艦重巡洋艦「オーガスタ」USS AUGUSTA (CA-31) :ノースロップ ガンマ2E爆撃機は、アメリカ重巡「オーガスタ」に2発の爆弾を投下し、爆片と爆風で損傷したが、負傷者はなかった。
Title: USS AUGUSTA (CA-31) Caption: Shortly after two bombs fell off her starboard quarter from a Chinese Air Force Northrop 2E bomber. The incident took place shortly after 4:30pm on the afternoon of Saturday, 14 August 1937. There were no casualties but fragments showered the ship. The AUGUSTA was mistaken for a Japanese ship. Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired) Catalog #: NH 77705
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77705 USS AUGUSTA (CA-31) 引用。
写真(右):1937年8月14日午後16時半、上海バンド、中国空軍ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機に誤爆されるアメリカ海軍アジア艦隊旗艦重巡洋艦「オーガスタ」USS AUGUSTA (CA-31) :ノースロップ ガンマ2E爆撃機は、アメリカ重巡「オーガスタ」に2発の爆弾を投下し、爆片と爆風で損傷したが、アメリカ人乗員に負傷者はなかった。
Title: USS AUGUSTA (CA-31)
Caption: View taken as two Chinese bombs are dropped off her starboard quarter by a Northrop 2E of the Chinese Air Force. The incident took place at 4:30pm on the afternoon of 14 August 1937, five miles downstream from Shanghai proper.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77687
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Aug 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77687 USS AUGUSTA (CA-31) 引用。
写真(右):1935-1936年頃、中国空軍がアメリカから購入したノースロップ社製造のノースロップ・ガンマ2E軽爆撃機(Northrop 2E):胴体後方と主翼下面両端には「青天白日」の中華人民共和国の記章が描かれている。前金属製、単葉の新型爆撃機は、国防空軍力の急速な増強を図っていた中国、イギリス、ソビエト連邦に輸出、売却された。ノースロップ爆撃機前期シリーズの特徴となる主翼下面の車輪収納用の巨大なスパッツが物々しく、これではかえって空気抵抗が増えたり、空中機動性が低下しないかと心配になる。このようなスパッツは、整備する上でも、タイヤ交換や点検に不便である。 Ray Wagner Collection Image Northrop : 2E : Gamma
Catalog #: 00069781
Manufacturer: Northrop Official Nickname: Gamma Designation: 2E Notes: To China, Great Britain and USSR Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
SDASM Archives By: SDASM Archives Follow Friend Family 写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 00069781引用。
ノースロップ・ガンマ2E(Gamma 2E)軽爆撃機は、その前のガンマ2C(Gamma 2C )の爆弾搭載量1,600 ポンド (727 kg)とした輸出軍用仕様で、1938年まで中国空軍で使用された。また1933年に1機(K5053)がイギリス航空機兵装装備実験施設(British Aeroplane & Armament Experimental Establishment)に、2機が日本海軍航空隊(Imperial Japanese Navy Air Service)にノースロップ(Northrop)BXNとして輸出、試験された。その後、アメリカ海軍が改良型の開発を指示したのがXBT-2である。ノースロップ社はダグラス社に吸収され、改良型XBT-2は、SBDドーントレスの原型機として完成した。
ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2E爆撃機「中華民国軍」:1930年代にアメリカのノースロップ社が開発しノースロップ・ガンマは全金属製高速郵便/レーサー機として少数が使われた。ガンマ2Eは、中国空軍仕様の単発爆撃機で、1937年8月の第二次上海事変(Battle of Shanghai)に際して、上海の日本海軍艦艇、陣地攻撃のために実戦に投入された。1930年代に実用化された機体としては、抜群に洗練された空力的設計で、高性能だったために、アメリカ陸軍も軍用型を開発した。日本海軍は、軍用機設計の参考にするために、「ノースロップ飛行機」として研究用に輸入している。奇しくも、日中両軍が同じアメリカのノースロップ機に関心を示していたのである。1937年、このノースロップ機の発展型として、アメリカ海軍の急降下艦上爆撃機「ドーントレス」(Douglas)が実用化される。軍の需要も限られるなか、各種の飛行機が少数ずつ製造されて、飛行機の技術も着実に進歩していた時期なので、戦争時期のような大量生産に至らないままの飛行機が多かった。
カーチスA-12(Curtiss A-12 Shrike)も 1936年に20機が中国空軍(Republic of China Air Force)の第9軍の第27・第28飛行中隊に配備され、実戦参加した。
1933年に中国軍とスペイン軍に提供されたノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2Eは、ノースロップ社が、25機分のの部品を中国で組み立て、中国空軍に納入した。ガンマ2Cに比べて、爆弾搭載量は1,600 ポンド (727 kg) に増大されている。中国空軍(Republic of China Air Force)では軽爆撃機(light bomber)として、1938年まで中国で製造された。ノースロップ ガンマ(Northrop Gamma )2Eは、イギリス航空装備実験所(British Aeroplane & Armament Experimental Establishment)がK5053として使用し、日本海軍(Imperial Japanese Navy Air Service)が1933年にノースロップ(Northrop)BXNとして性能試験に使用した。
写真(右):1936-37年頃、中国空軍(鷹三型戦轟)第四大隊高志航大隊長のカーチスBF2CホークIII戦闘機(Curtiss BF2C Goshawk):1934年9月13日に試作機が初飛行、その後中国が購入、輸入し中国空軍に主力戦闘機として配備した。 English: 1930s Hawk III of China Air Force.
中文: 本機為第四大隊大隊長高志航鷹三型戰轟機。鷹三型戦轟機為抗日戦争初期,中国国空軍主力戦機,又稱霍克三 (Hawk III)。第一次公開在国人面前是在民国二十五年十月卅日,為慶祝蒋公五十歳生日,由第四大隊大隊長高志航少校率卅五架霍克三,在南京市明故宮機場上空編成「中正」二字的空中分列式。並在民国26年8月14日筧橋空戦時,曾創下撃落日機3架的紀録! Date 1930s Source http://lov.vac.gov.tw/ Author ROC government 写真は Wikimedia Commons, Category:Boeing P-26 Peashooter File:1930s Hawk III of China Air Force.jpg引用。
写真(右):1938年5月13日、アメリカ陸軍航空隊第20追撃集団(20PG)のボーイング(Boeing) P-26A ピーシューター(Peashooter)(US Air Corps 17th Pursuit Group):1931年にボーイング社がボーイング・モデル248として設計した初めての全金属性の戦闘機(追撃機)。固定脚、開放式コックピット、張線式主翼と従来の保守的構造も残している。「ピーシューター(Peashooter)」とは豆鉄砲を意味する。
PictionID:46703819 - Catalog:16_007892 - Title:Boeing P-26A 20PG Headquarters flight - Filename:16_007892.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.--- Ray Wagner Collection Image
Catalog #: 00005685
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SDASM Archives Catalog #: 00005685引用。
写真(右):1944年-1945年、中国、雲南省、ソ連から中国に供与されたポリカルポフ I-153(Polikarpov I-153)戦闘機が1944年になっても残っていた。:1930年代中旬に、ソ連は運動性能の高い複葉戦闘機としてI-15を開発し、制式したが、更なる改良型として、固定車輪を引き込み脚としたI-153が開発された。空気抵抗を減少させたために、運動性の良さに高速化が可能になったが、登場した時点では、単葉機が主流となり、速度面での優位性はなくなった。I-153複葉戦闘機の初の実戦参加は、1939年のノモンハン事件で、日本陸軍機と戦った。 Jack D. Canary Special Collection Photo. Polikarpov I-153, P.7250, China b
Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 写真は Flickr, a Yahoo company, SDASM Archives Catalog #: 01358引用。
ポリカルポフ(Polikarpow)I-153bis戦闘機の諸元
全幅: 10.00 m、全長: 6.17 m
全高: 2.80 m、翼面積: 22.14平方メートル 自量: 1348 kg、全備重量: 1859 kg 発動機: 空冷9気筒 M-62 最大速力: 366 km/h 海面上、444 km/h/4,600 m
上昇率:3000 mまで 3分 最大上昇限度: 11000 m
航続距離: 470 km 兵装: 7.62ミリShKAS機銃4丁 82mmロケット弾
写真(右):ロシア連邦、モスクワ、モニノ空軍中央博物館(Central Museum of the Air Forces at Monino)に保管されているソ連空軍のツポレフSB爆撃機( Tupolev SB 2M-100A):出現当初の1930年代後半は、全金属製、単葉、高速の爆撃機は新鋭機として性能的に優れていた。 Description
The SB, known to Tupolev as the ANT-40, first flew in 1934. It was designed as a high speed bomber and had a maximum speed of 280mph, which was faster than fighters of the time such as the Polikarpov I-15 which could only reach 220mph. A successful machine, it was flown by ten countries and was not finally retired from Spanish service until 1950. Despite over 6,600 being built and many surviving the war, this is now the only remaining example. In 1939 it had force landed during a snow storm near the Yuzhne Muiski Mountain range in the Baikal Region. The remains were recovered in the late 1970’s and restoration was carried out by a volunteer group of Tupolev employees. It first went on display at Monino in April 1982 and after several years outside in all weathers it is now safely under cover in the new Hangar 6B, which has been built behind the main entrance building. At the time of our visit the hangar had not been officially opened to the public, but we were given special permission to access it from Hangar 6A. Central Air Force museum, Monino, Moscow Oblast, Russia. 27th August 2017
Date 27 August 2017, 09:08
Source Tupolev SB 2M-100A Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK 写真はWikimedia Commons, Category: Tupolev ANT-40 at Central Air Force Museum Monino
File:Tupolev SB 2M-100A (ID unknown) (27282411329).jpg引用。
ツポレフSB(Tupolev SB)爆撃機の諸元
乗員: 3名
全長: 12.57 m、全高: 3.60 m 翼幅: 66 ft 8 in(20.33 m)
翼面積:56.7平方メートル
自重量:4,768 kg、全備重量: 6,308 kg 発動機: クリモフ M103 液冷V12型エンジン960 hp 2基
最大速力:450 km/h 高度4,100m 航続距離: 2,300 km
実用上昇限度: 9,300 m 兵装:7.62ミリShKAS機関銃4丁 搭載爆弾量: 爆弾槽・翼下爆弾架1トン
写真(右):1937年、中国、上海北鉄道駅、中国国民党の蒋介石隷下の兵士:
Title:Nationalist troops in show of defence of Shanghai North Railway Station
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0102. The soldiers have posed for a set up photograph. See Ro-n0103, Ro-n0104, Ro-n0105, Ro-n0106 and Ro-s071.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0102 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
中国国民党蒋介石は、ドイツから軍事顧問団を招聘した。これは1934年4月、中国に向かったヨハネス・フォン・ゼークト(Johannes von Seeckt、1866-1936)将軍、エルンスト・フォン・ファルケンハウゼン(Ernst von Falkenhausen, 1878-1966)など著名な参謀本部経験者や実戦経験者だった。彼らは、プロシア式訓練、ドイツ式装備を中国軍(蒋介石の直径軍隊)に施した。さらに蒋介石は、反共であるにもかかわらず、1937年8月21日、中ソ不可侵条約(Sino-Soviet Non-Aggression PactAlliance)を調印して、軍事的支援をソ連赤軍にも求め、ソ連の軍用機、航空機搭乗員を中国軍に招いた。そして、アメリカ軍の軍用機、イギリス軍の戦車などを輸入し、国民党の直系軍に配備し、軍を近代化、訓練した。そして、列国の利権が錯綜する江南地方で日本軍との戦闘が、第二次上海事変(淞滬會戰)となって始まれば、列国は権益保護のために戦争に介入し、日本の侵略行為を抑制しようとすると考えた。
写真(右):1937年、中国、上海北鉄道駅、中国国民党蒋介石隷下の中国軍兵士:1896年にマウザー社が開発した大型軍用モーゼル(マウザー) C96 自動拳銃( Mauser C96 )は、ドイツ陸軍制式拳銃で、第一次世界大戦で使用された。使用した弾薬は、7.63x25mmモーゼル弾あるいは.30口径(0.3インチ)モーゼル弾である。しかし、当時ドイツ陸軍の拳銃弾の9mmパラベラム弾を使用するM1916型もある。M1916型は7.63ミリ弾との混同を防止するために、グリップ(銃把)に「9」の赤色刻印がされていた。中国では、軍閥や有力馬賊が好んで購入したが、中国軍は、一号拳銃の名称で使用し、弾薬を中国軍が使用していた.45ACP弾に改めている。中国で国内生産もなされ、漢陽兵工廠、後には太原兵工廠で製造された。
Title:Nationalist soldiers with Mausers, amid barbed wire
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0105. The soldiers have posed for a set up photograph. See Ro-s0102, Ro-n0103, Ro-n0104, Ro-n0106.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0102 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年、中国、上海北鉄道駅、中国国民党蒋介石隷下の中国軍兵士:手にしているのはドイツ陸軍制式のモーゼル(マウザー) C96 自動拳銃( Mauser C96 )でストックを装着している。このストックは、拳銃を入れる収納ケースにもなった。 モーゼル(マウザー) C96 自動拳銃( Mauser C96 の諸元 口径
7.63mm 、銃身長
140mm 使用弾薬
7.63x25mmマウザー弾 全長
308mm(ストック装着630mm) 重量
1,100g(ストック装着1,750g) 銃口初速
430m/s Title:Nationalist soldier, North Railway Station, Shanghai
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0103. The soldiers have posed for a set up photograph. See Ro-n0102, Ro-n0104, Ro-n0105, Ro-n0106 and Ro-s071.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0103 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年、中国、上海北鉄道駅、中国国民党蒋介石隷下の中国軍兵士:手にしているのはドイツ陸軍制式のモーゼル小銃(Gew98)。モーゼル小銃(Gew98)は、手動、弾倉供給方式の槓桿式装填(ボルトアクション)小銃で、全長1,250mm、銃身長740mm、重量4.09kg。弾倉には7.92mm×57弾を5発装填。
銃口初速878 m/s、有効射程500 m。
Title:Soldier at bomb damaged North Railway Station, Shanghai
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0116. See Ro-n0115, Ro-n0117, Ro-n0118, Ro-n0119, Ro-n0120, Ro-n0492, Ro-n0493, Ro-n0494, Ro-n0495, Ro-n0496, Ro-n0720, Ro-n0721, Ro-n0722, Ro-n0723, Ro-n0724, Ro-n0725.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0116 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年、中国、上海近郊、塹壕を掘って、ブルーノZB26軽機関銃を手にした蒋介石隷下の中国軍兵士:手にしているチェコスロバキア陸軍制式ブルーノZB26軽機関銃(ZB vz. 26)を日本軍兵士は、その性能を評価しチェコ機銃と呼んだ。 オーストリア=ハンガリー帝国から独立して間も無いチェコスロバキアは、国土防衛を強く意識して、兵器の近代化、国産化に着手した。陸軍は1923年に新型軽機関銃の仕様を出し、ブルーノ兵器廠で設計・施策が行われた。使用弾薬は、オーストリア時代か使用していた小銃弾(7.92 mm×57モーゼル弾)で、1926年、ブルーノZB vz.26軽機関銃としてチェコスロバキア陸軍に制式された。
ブルーノZB26軽機関銃の諸元
口径
7.92mm 銃身長
503mm 使用弾薬
7.92×57mm 装弾数
20/30発箱型弾倉 作動方式
ガス圧作動方式 全長
1130mm 、
重量
9.6kg 発射速度
550発/分。
Title:Nationalist soldiers in trench, with machine gun
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0109. See Ro-n0110, Ro-n0111, Ro-n0112, Ro-n0113.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0109 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年、中国、上海近郊、塹壕を掘って、ブルーノZB26軽機関銃の射撃姿勢をとる蒋介石隷下の中国軍兵士:チェコスロバキア陸軍制式のブルーノZB26軽機関銃は、構造が簡単で、作動も安定していたため、信頼性が高かった。使用弾薬を.303ブリティッシュ弾仕様に改造したブレン軽機関銃は、イギリス陸軍に正式された。中国戦線で「チェコ機銃」「ブルーノ機銃」に苦戦した日本軍は、中国軍から鹵獲したチェコ機銃を重宝にしていたが、これは日本陸軍の制式機銃である十一年式軽機関銃が、ホッパーマガジンに砂塵やほこりが入り、弾薬油と一緒になって作動不安定で故障が頻発していたためである。そこで、日本軍は戦車や装甲車の車載器中を開発するに際して、名古屋工廠でZB26を無断複製して、九七式車載重機関銃として採用している。 Title:Nationalist soldiers in trench, with machine gun
Notes:University of Bristol - Historical Photographs of China reference number: Ro-n0109. See Ro-n0110, Ro-n0111, Ro-n0112, Ro-n0113.
Collection:Rosholt, Malcolm
Identifier:Ro-n0110 Copyright:2012 Mei-Fei Elrick and Tess Johnston 写真はUniversity of Bristol Historical Photographs of China (HPC) 引用。
写真(右):1937年、中国、上海外灘(バンド)、長江(揚子江)支流の黄浦江に停泊する日本海軍千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」:1934年3月12日、佐世保沖の夜間演習中、荒天のために水雷艇「友鶴」は転覆した。その後、艦艇の武装強化によるトップヘビーを改め、復元性能回復の改造が行われた。千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」は、1932年11月11日起工 、1933年10月1日進水、1934年2月24日竣工、改装後は、基準排水量 772トン、全長 82.00m 、全幅 7.40m、吃水 2.30m、ロ号艦本式缶2基・艦本式タービン2基2軸、1万1,000馬力、最高速力 28ノット、航続距離 14ノットで3,000マイル、乗員 120名、兵装:45口径三年式12センチ単装砲3門、53センチ魚雷連装発射管1基2門(魚雷2本) Title: TOMODZURU (Japanese Torpedo Boat) Caption: View taken at Shanghai, China, circa 1937. Note detail of bridge and splinter protection (with the use of mattress padding). The TOMODZURU was commissioned in 1933.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77725 写真は Naval History and Heritage Command NH 77725 TOMODZURU (Japanese Torpedo Boat) 引用。
写真(右):1937年4月、中国、上海外灘(バンド)のブロードウェイマンション(上海大廈:1934年竣工)をバックにした日本海軍軽巡洋艦「夕張」 :長江(揚子江)支流の黄浦江に停泊中。22階建てのブロードウェイマンション(上海大廈)の袂には、蘇州河にかかるガーデンブリッジ(外白渡橋)があり、その北側には、虹口(ホンコウ)と呼ばれた日本人街があった。 軽巡洋艦「夕張」の諸元
起工1922年6月5日、進水1923年3月5日、竣工1923年7月31日 満載排水量
竣工時:4,377トン 全長139 m、水線長137m、全幅12 m、吃水
4.5 m ロ号艦本式缶重油専焼ボイラー ギアードタービン3基3軸 出力6万馬力、最高速力 34.7ノット 航続距離3,310マイル/ 14ノット 兵装:50口径14センチ連装砲2基4門 61センチ連装魚雷発射管2基(搭載魚雷10本) Title: Yubari Description: (Japanese Light Cruiser, 1923) Off Shanghai, China, in April 1937. Photograph was sent to the Navy Department with a Commander Asiatic Fleet (CinCAF) report. Note laundry hung over the ship's lifelines. The building in the left distance is the Broadway Mansion hotel. The original print came from Rear Admiral Samuel Eliot Morison's World War II project working files. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Catalog #: NH 82098 写真は Naval History and Heritage Command NH 82098 Yubari 引用。
写真(右):1937年8月18日、中国、上海外灘(バンド)、長江(揚子江)支流の黄浦江に停泊する日本海軍軽巡洋艦「由良」 :船尾にカタパルトを装備し、その上に九五式水上偵察機を搭載している。背景には、イギリス海軍駆逐艦「ダンカン」HMS Duncanも見える。バンド陸上の右後方は、中国GM(General Motors China:ジェネラルモーターズ)の倉庫で、屋根に白色ペイントで社名が描かれているのが分かる。 5500トン型軽巡「由良」は、1921年5月21日起工、1922年2月15日進水、1923年3月20日就役の旧式艦。 満水排水量5,570トン、全長
162.15 m、全幅
14.17 m 、吃水
4.80 m 、出力 9万馬力、最高速力
36.0ノット 、乗員 450名、兵装:50口径三年式14センチ単装砲7門、40口径三年式8センチ(76.2ミリ)単装高角砲 2門、 八年式61センチ連装魚雷発射管 4基8門、呉式二号三型射出機 1基、艦載機 九五式水上偵察機 1機 Title: Yura
Description: (Japanese Light Cruiser, 1923) Off Shanghai, China, on 18 August 1937, during hostilities between Japan and China. The British destroyer Duncan is steaming in the opposite direction, beyond Yura's stern. Note General Motors China, Inc., godown (warehouse) in the right background, Holt's Wharf in the left distance, and sampan in the right foreground. Courtesy Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (Retired), 1973. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Catalog #: NH 77699 写真は Naval History and Heritage Command NH 82098 Yubari 引用。
写真(右):1937年8月18日、中国、上海外灘(バンド)、長江(揚子江)支流の黄浦江に停泊する日本海軍第三艦隊旗艦装甲巡洋艦「出雲」 :装甲巡洋艦「出雲」諸元:排水量:9,773トン 全長 123.0m、全幅 20.9m、機関出力 1万4,000馬力、最高速力 20.8ノット、航続距離 10ノット/7,000マイル、乗員 648名、舷側装甲:178mm、上部水線帯:127mm、甲板装甲:102mm、バーベット 152mm 司令塔:356mm、兵装(新造時) 20.3センチ45口径連装砲2基、15.2センチ40口径単装砲14門。
Title: IDZUMO (Armored cruiser, Japanese, 1899)
Caption: View taken on 18 August 1937. Note mattress padding around machine gun and control positions, and boats tied up alongside. View probably taken from USS AUGUSTA (CA-31) as she was on her way up river to moor off the bund. IDZUMO was, at the time, the Third Fleet flagship, Vice Admiral Kiyoshi Hasegawa, Commander in Chief.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973.
Catalog #: NH 77838 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Wed, Aug 18, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77838 IDZUMO (Armored cruiser, Japanese, 1899) 引用。
写真(右):1937年10-11月、中国、上海事変時、外灘(バンド)、長江(揚子江)支流の黄浦江に停泊するイギリス海軍カウンティ級重巡洋艦「カンバーランド」 (HMS Cumberland, 57)四本煙突の「カンバーランド」は1924年10月18日にバロー・イン・ファーネスのヴィッカース・アームストロング社造船所で起工し、1926年3月16日進水、1928年2月23日に就役 :満載排水量:1万3,450トン、Mark VIII 8インチ(20.3cm)50口径連装砲4基、Mark V 4インチ(10.2cm)45口径高角砲 4門、2ポンド(4cm)39口径4連装ポムポム砲 2基、 12.7ミリ4連装機銃 2基、53.3センチ4連装魚雷発射管 2基
手前は、オランダ海軍駆逐艦「ヴァンガーレン」VAN GALEN、右側にフランス海軍スループ ( SAVORGNAN DE BRAZZA または DUMONT D'URVILLE)、イギリス海軍重巡「カンバーランド」 の奥に隠れているのがアメリカ海軍重巡「オーガスタ」(USS Augusta: CA-31) 。排水量: 9,050 トン 全長: 600 ft 3 in (182.96 m) 全幅: 66 ft 1 in (20.14 m) 吃水: 16 ft 4 in (4.98 m) 最高速力: 32.7 ノット 乗員: 735名 兵装: 8インチ(20.3?)砲9門(三連装3基)、5インチ砲4門 7.62mm機銃8基 21インチ魚雷発射管6門。 Title: HMS CUMBERLAND (British cruiser, 1926)
Caption: In center of picture, moored behind (upstream) of USS AUGUSTA (CA-31) and ahead of French sloop (either SAVORGNAN DE BRAZZA or DUMONT D'URVILLE). Dutch destroyer VAN GALEN is moored at a point just below the center of the picture. View taken in Shanghai, China, in October of 1937. Broadway Mansions Hotel is above the right center of the picture, beyond "man-of-war row."
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973.
Catalog #: NH 77870
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Wed, Aug 18, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77870 HMS CUMBERLAND (British cruiser, 1926) 引用。
写真(右):1937年8月、中国、上海事変の最中の上海国際義勇部隊(Shanghai Volunteer Corps:S.V.C.)と機関銃砲塔を搭載した装甲車:装甲車の荷台の兵士は、イギリス軍・アメリカ軍のヘルメットを被っているのは、義勇軍とはいっても装備・軍服などは正規軍から援助されていたためである。 Title: Shanghai, China
Caption: Armored car, Shanghai Volunteer Corps (S.V.C.), August of 1937.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77767
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Creator: Lieutenant Commander Kincaid, photographer Original Date: Wed, Sep 29, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77767 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年8月20日、上海事変勃発後、フィリピンのマニラ郊外キャビテ軍港から上海外灘(ワイタン:バンド)に到着したアメリカ第4海兵隊への増援部隊:ダラー蒸気船ライン(Dollar Steamship Line)の客船「プレジデント・フーバー」(SS President Hoover)乗って、フィリピンから中国に移動し、アメリカ人中国居留民の生命財産を保護する任務に就いた。ただし、1941年12月8日の太平洋戦争開戦時、中国方面のアメリカアジア艦隊も中国駐留アメリカ海兵隊も、フィリピン方面に撤収していた。 Title: Shanghai, China Caption: U.S. Marines arrive from Cavite, reinforcements to aid the 4th Marines in guarding U.S. lives and property in the international settlement of Shanghai, China. Passage was in the dollar liner PRESIDENT HOOVER, circa August 1937. USS AUGUSTA, in the river in the background, is visible under the roof of the customs jetty. Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973. Catalog #: NH 77873 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77804 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年8月30日、上海事変時の中国、上海沖合の長江・黄浦江合流地点に停泊中の大型客船「プレジデント・フーバー」(SS President Hoover)総トン数2万2000トンが中国空軍機の誤爆を受けた。:フィリピンのキャビテ軍港から上海にアメリカ第4海兵隊への増援部隊を輸送した客船「プレジデント・フーバー」は、当時、長江の最下流部「揚子江」(ようすこう: Yangtze River)と上海バンドに面した黄浦江(Huangpu River)の分流地点に停泊していた。中国軍の空襲で爆弾が1発命中、3発至近弾となり、客船の船員7名が死傷(1名死亡)、乗客3名が倒れた。 Title: SS PRESIDENT HOOVER
Caption: Attacked by Chinese bomber aircraft while anchored in the estuary of the Yangtze River at 5:40pm on the afternoon of 30 August 1937. Seven crew members were injured (one later died) and three passengers were stunned as a result of the one hit and three near misses on the Dollar Line ship.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77702 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command Original Date: Mon, Aug 30, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77702 SS PRESIDENT HOOVER引用。
写真(右):1937年9月19日、上海外灘(ワイタン:バンド)に到着したアメリカ海軍輸送艦「ショーモン」USS Chaumont AP-5。:上海事変に際してアメリカ海兵隊第4連隊の増援に派遣されたアメリカ海兵隊第6連隊の兵士たちは、アメリカ海軍輸送艦「ショーモン」USS Chaumont AP-5で上海に到着した。左端は、ドームのある1923年建築のイギリス香港銀で上海税関の関税の預託銀行として最有力の銀行だった。右隣は、時計塔のある江海北関(現在の上海税関)で1927年建築、外国船への徴税を担当しが、管理権は列国にあった。右の三角屋根は、サッスーンハウス(Sassoon House :沙遜大厦)で1928年建築、上海の不動産王サッスーン財閥の本拠地、11階建、高さ72m、パーマー&ターナー事務所による上海アールデコ様式の摩天楼。現在は、現在和平飯店北楼。 Title: USS Chaumont Description: (AP-5) Arriving off the Bund at Shanghai, China, with the 6th Regiment, U. S. Marine Corps, on 19 September 1937. The Marines had been sent to reinforce the 4th Marine Regiment in guarding the U. S. sector of the International Settlement during the Sino-Japanese war. The tug is St. Sampson or St. Dominic. Courtesy of Vice Admiral M. L. Deyo, USN (Ret.), 1973. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN(Ret), 1973. Catalog #: NH 77810 Original Date: 1937 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77810 USS Chaumont 引用。
写真(右):1937年9月19日、上海外灘(ワイタン:バンド)に到着した、上海事変に際してアメリカ海兵隊第4連隊の増援に派遣されたアメリカ海兵隊第6連隊の兵士たち。乗船しているのは、アメリカ海軍輸送艦「ショーモン」USS Chaumont AP-5。:フィリピンのキャビテ軍港からの増援部隊は、大型客船「プレジデント・フーバー」(SS President Hoover)で到着したが、その後の増援部隊は、アメリカ海軍輸送艦で上海外灘(ワイタン:バンド)まで運ばれた。 Title: USS Chaumont Description: (AP-5) Men of the 6th Regiment, U. S. Marine Corps, watching the ship arrive at Shanghai, China, on 19 September 1937. They had been sent to reinforce the 4th Marine Regiment in guarding the U. S. sector of the International Settlement during the Sino-Japanese war. Courtesy of Rear Admiral J. P. Walker, USN (Ret.), 1973. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph. Catalog #: NH 77949 Original Date: 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77949 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年8-11月、上海事変時期の中国、上海、中国人地区を巡回する日本海軍陸戦隊の兵士たち:一見すると学生服のようだが、実は、日本の旧制中学以来の学生服は、軍服を素地にデザインされたものである。女学生のセーラー服も、文字通り、水兵の軍服のデザインを採用している。 Title: Shanghai, China Caption:Japanese Navy personnel tour the devastated Chinese sector of Shanghai in the wake of Sino-Japanese fighting there in August through November of 1937. Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired) Catalog #: NH 77741 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77741 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年夏後半、上海事変時の中国、上海、南島(黄浦江から北200m、日本人街東)、日本海軍陸戦隊の所属の八九式中戦車:1932年の第一次上海事変でも八九式戦車が配備され実戦参加したが、その戦車をそのまま上海に残しておき、日本海軍陸戦隊に譲渡したのではないか。1937年8月23日、第二次上海事変では、日本陸軍第三師団が上海の呉淞に増派されたが、上陸場所に12トンもある戦車を荷揚げできるクレーン設備はなく、船のデリックでも困難だった。その時に戦車揚陸がされなかったとすれば、やはり第二次上海事変の勃発前から海軍の上海特別陸戦隊が保有していたのであろう。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese medium tanks in Nantao, the southern suburb of Shanghai, during Sino-Japanese fighting there in the late summer of 1937.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77804
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77804 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年8月、上海事変時の中国、上海、中国人地区で戦闘行動をとる日本軍の兵士たち:日本海軍上海特別陸戦隊の兵士ではなく、その増援部隊として1937年8月23日に呉淞上陸をはたした日本陸軍第三師団の兵士のようだ。兵士の手にするのは、口径6.5ミリ、全長1,276mm(三十年式銃剣着剣)の三八式歩兵銃。兵士たちは、脛に脚絆(きゃはん)・ゲートルを撒いている。ゲートルは、フランス語由来で、幕末以来軍事顧問として日本軍を指導したフランス軍人が取り入れたものと思われる。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese infantry moving up a street in China during fighting in the Chinese sections of Shanghai, circa August 1937.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77790
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77790 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年9月14日午前中、中国、上海国際共同租界(International Settlement of Shanghai)、フーフン製粉工場、第二次上海事変で混乱した租界を警備し、秩序維持にあたるアメリカ海兵第4連隊隊:解説にある4th Marineとは4th Marine Regiment、すなわちアメリカ海兵隊第4連隊"China Marines"のことであろう。 Title: 4th Marines Marines stand by, awaiting orders, as International Settlement Police and Shanghai Volunteer Corps members take their positions to quell a Coolie riot at the Foo Foong Flour Mill, Shanghai, China, on the morning of 14 September 1937.
Description: Courtesy of Rear Admiral O.P. Lattu, USN (RET-SC), 1973.
Catalog #: NH 80188 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command Original Date: Tue, Sep 14, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 80188 4th Marines 引用。
写真(右):1937年9月27日、中国、上海、日本軍機の爆撃で炎上する上海:中国国民革命軍第88師に対する空中攻撃を仕掛けたが、付近に引火して火災を生じてしまったようだ。中国側1個師は、日本軍の「師団」と比較して兵員で5割、火器・自動車など装備は3割程度の兵力だった。後年、太平洋戦争で、日本軍はアメリカ軍の火力、機械化兵力、航空兵力など装備で遥かに劣っているように言われるが、対中国戦争にあっては、中国国民党軍、中国共産党軍に比較して、装備は遥かに優れていた。
Title: Shanghai, China
Caption:Chapei in flames, 27 September 1937. Fires were the result of massive aerial bombardment from Japanese aircraft involved in the air strikes on the Chinese 88th Division which held this sector until being driven out by early October.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77692 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77692 Shanghai, China 引用。
写真(右):1937年10月、中国、上海北部郊外、閘北区(こうほくく:Zhabei, Chapei)、日本軍機の爆撃で炎上する上海: Title: Shanghai, China
Caption:View of Chapei, The Northern Suburbs, under bombardment by Japanese aircraft and artillery taken in October of 1937.
Description: Courtesy of Rear Admiral O.P. Lattu, USN (RET-SC), 1973.
Catalog #: NH 80199 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77692 Shanghai, China 引用。
写真(右):1937年9月、中国、上海北部郊外、閘北区(こうほくく:Zhabei, Chapei)、日本軍機の爆撃で炎上する上海:日中両軍の戦火が上海国際共同租界に飛び火しないように、共同租界「C区」との境界線には鉄条網が張られた。 Title: Shanghai, China
Caption:A building burns in Chapei, the northern suburb of Shanghai, circa September 1937. Soochow Creek runs by in the foreground. Barbed wire is marking the boundary of the International Settlement's "C" Sector, held by U.S. Marines. Description: Courtesy of Rear Admiral O.P. Lattu, USN (RET-SC), 1973.
Catalog #: NH 77829 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77829 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年、中国、上海上空を三機編隊2組で飛行する複葉機は、日本海軍の九六式艦上爆撃機あるいは九六式艦上攻撃機:1935年、愛知時計電機の航空部は既存の九四式艦上爆撃機を大幅に改良した機体を開発し、1936年11月、日本海軍は九六式艦上爆撃機(D1A2)として制式した。他方、日本海軍の九試艦上攻撃機の競争試作の要求に、中島、三菱、空技廠が応募し、九四式水上偵察機の構造を流用した堅実な設計を採用した空技廠製のB4Yが1936年11月、九六式艦上攻撃機として制式された。
Title:Kawanishi type 94 "Alf" (Japanese Navy floatplane)
Caption:Japanese aircraft over Shanghai, circa 1937.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77866 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77866 Shanghai, China 引用。
写真(右):1937年9月27日、中国、上海上空を飛行する日本海軍川西九四式水上偵察機(Kawanishi type 94 "Alf"):川西九四式水上偵察機は、水上機や飛行艇を手掛ける川西航空が開発した艦載三座水上偵察機で、胴体・翼は金属骨組みに羽布張りの複葉機で、前期型は水冷エンジンを搭載、後期型は空冷星形エンジンを搭載した。ジュラルミン製浮舟(フロート)が2本あり、水上から離発着したが、艦載された機体をカタパルトに乗せて発射することも可能だった。川西J型試作機は1933年2月に初飛行試験を行ったが、水上・空中の安定性がよく、航続距離も長かったために、1934年年5月に九四式水上偵察機として制式され、1940年までに川西航空機473機、日本飛行機57機、合計530機が量産された。 Title:Kawanishi type 94 "Alf" (Japanese Navy floatplane)
Caption:Seen over the Shanghai area, 1937.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 78058 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 78058 Kawanishi type 94 "Alf" (Japanese Navy floatplane) 引用。
写真(右):1937年9月27日、中国、上海上空を飛行する日本海軍川西九四式水上偵察機(Kawanishi type 94 "Alf"):
川西九四式水上偵察機(E7K1)の諸元 全長:14.41m、全幅:14.00m、全高:4.735m
主翼面積:43.6平方メートル
全装備重量:3,000kg
最高速度:239km/h(高度500m)
乗員:3名
発動機:九一式水冷W型12気筒(離昇750hp)1基
航続距離:2,200km/12時間
兵装:7.7ミリ機銃1丁、7.7ミリ旋回機銃2丁(後方・下方)
爆弾搭載量:60キロ爆弾2発あるいは30キロ爆弾4発
Title:Kawanishi type 94 "Alf" (Japanese Navy floatplane)
Caption:As seen over Shanghai, China, circa 1937.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 78058 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 78058 Kawanishi type 94 "Alf" (Japanese Navy floatplane) 引用。
写真(右):1937年10月初旬、中国、上海北西部郊外、日本軍と中国軍の戦闘が最高潮に達した時期、パークホテルから見渡した夜間炎上する上海:火災の範囲は、呉淞江(Soochow Creek)に沿って5マイル(8km)の距離に及んだという。呉淞江(ごしょうこう、ウーソンチヤン)は、別名「蘇州河」といい、上海バンドの面している黄浦江に、ガーデンブリッジのかかる地点で合流する。呉淞江(蘇州河)の北側に虹口(ホンコウ)区があり、そこには日本人街があったが、この日本人街は正規の租界ではない。しかし、日本人の間では、虹口の日本人街を「日本人租界」と呼び習わしていた。 Title: Shanghai, China
Caption:Flames are from fires in Chapei, the northwestern suburb of Shanghai, in late September to early October of 1937 as fighting was reaching its height between Chinese and Japanese forces there. View taken from the Park Hotel, a frequent vantage point which overlooked the city. The fire covered a stretch of territory five miles in frontage along Soochow Creek.
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77715 Original Date: Mon, Sep 27, 1937
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command 写真は Naval History and Heritage Command NH 77692 Shanghai, China 引用。
写真(右):1937年11月11日、第一次世界大戦の休戦記念日、上海、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦重巡洋艦「オーガスタ」USS AUGUSTA (CA-31) と日本海軍の勢多級河用砲艦3番艦「保津」:上海事変の時でも、アメリカと日本は戦勝国として共に第一次世界大戦の)休戦記念日 の11月11日を祝った。
Title: USS AUGUSTA (CA-31)
Caption: On Armistice Day, 11 November 1937. Note Japanese gunboat in foreground heading upstream to bombard Nantao. Gunboat is the HODZU. Also note that the AUGUSTA has "dressed ship".
Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #: NH 77706
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Thu, Nov 11, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 77790 Shanghai, China引用。
写真(右):1937年11月11日、第一次世界大戦の休戦記念日、上海、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦重巡洋艦「オーガスタ」USS AUGUSTA (CA-31) と後続のイギリス海軍カウンティ級重巡洋艦「カンバーランド」 (HMS Cumberland, 57) :上海事変の時でも、アメリカと日本は戦勝国として共に第一次世界大戦の)休戦記念日 の11月11日を祝った。しかし、第二次世界大戦後、1946年、イギリスでは、記憶すべき日(Remembrance Day) と、1954年、アメリカでは、Veterans Day(退役軍人記念日)に記念日の名称が変更された。 Title: USS AUGUSTA (CA-31)
Caption: To left of center, with CUMBERLAND (British cruiser) astern. Armistice Day, 11 November 1937. Shanghai, China. Description: Courtesy of Vice Admiral Morton L. Deyo, USN (retired)
Catalog #:NH 78053 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Thu, Nov 11, 1937 写真は Naval History and Heritage Command NH 78053 USS AUGUSTA (CA-31) 引用。
イギリス海軍カウンティ級重巡洋艦「カンバーランド」 (HMS Cumberland, 57) 諸元 起工 1924年10月18日、進水 1926年3月16日、就役 1928年2月23日
基準排水量:9,750トン、
満載排水量:13,450トン
全長 630 ft (190 m)、全幅 68 ft 3 in (20.80 m)、吃水 16 ft 3 in (4.95 m)
重油専焼タービン 4基4軸、出力 8万0,000馬力
最高速力 、31.5 ノット、航続距離 12ノット / 1万3,300マイル
乗員 :679名 兵装 Mark VIII 50口径8インチ(20.3cm)連装装砲 4基
Mark V 45口径4インチ(10.2cm)単装高角砲 4基、39口径4センチ4連装ポムポム砲 2基、
Mk.III 50口径12.7ミリ4連装機銃 2基、53.3センチ4連装魚雷発射管 2基 。
写真(右):1938年1月1日、南京自治委員会発会式、陶錫三会長のかけ声による南京自治委員会委員たちによる万歳三唱:この時に行われた祝賀行列には、日本軍歓迎を姿勢を示す中国人が多数参列している。これは、日本軍を本心から歓迎し支持しているわけではなく、自らの生命・財産を保全しようとする占領下の市民の知恵である。それを理解できない者の中に「中国国民政府を追い出した日本軍は治安を回復し中国民衆から大歓迎された」写真が多数残っていると信じている。写真に写っているのは、占領軍の様子を窺いながら生きてゆく抑圧された住民が表面的に迎合している姿である。このような写真を、占領軍が歓迎されていた証拠だとするのは、プロパガンダであり、真実の世論や態度を示しているとは言えない。日本が敗北した時に、一緒に日本軍とともに撤退した占領下の中国人などいなかった。
Description
English: Three cheers for the Nanking autonomous commission by lead of chairman Tao Hsi-shan at its inaugural ceremony(January 1, 1938)
日本語: 南京自治委員会発会式における陶錫三会長のかけ声による自治委員会万歳三唱(1938年1月1日)
Date 26 April 2008
Source
English: China Incident Photograph Album Volume 2(Shina Jihen Shashin Zenshu Vol. 2), published in 1938 by Asahi Shimbun.
日本語: 支那事変写真全集<中>(朝日新聞、昭和13年発行)
写真は Wikimedia Commons, Category:Nanking Autonomous Commission, File:Nanking Autonomous Commission inaugural ceremony01.jpg引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵:左側には、衛兵所にイギリス軍兵士が歩哨に立っている。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese Army "Victory Parade" through the international settlement on 1 January 1938. Note British Sentry at left.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 78002
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 78002 Shanghai, China 引用。
南京自治委員会の会長は、南京紅卍字会会長だった陶錫三が選ばれて、日本軍の統治下で1937年12月23日、南京自治委員会発会委員長に就任した。陶錫三が会長をしていた世界紅卍字会(World Red Swastika Society)とは、中国の宗教関連修養慈善団体で、中国では「紅卍会」の別称で呼ばれ、赤十字社に準拠した援助機関と見なされていた。1938年1月1日、南京中心部で、南自治委員会宣言式、慶祝の旗行列もこの日に実行され、中国民間人が多数動員された。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵:
Title: Shanghai, China
Caption: Japanese Army "victory parade" through the international settlement on 1 January 1938. Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77996
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77995Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵に対して、朝鮮独立派の韓国人が爆弾を投げつけ負傷者が出た。:第一次上海事変が終息した時、1932年4月29日、上海の日本人街のある虹口公園で、天皇誕生日を祝う観兵式・天長節祝賀会が開催されたが、その時にも、虹口公園に集まっていた日本要人に対して爆弾が投げつけられた。襲撃犯は、韓国人の尹奉吉で、中国人の立ち入りができなかった会場に日本人であるかのように入って、演壇に爆弾を投げつけた。被害は、上海派遣軍司令官の白川義則と上海居留民団会長の河端貞次が死亡、第9師団長の植田謙吉中将、第三艦隊司令長官の野村吉三郎海軍中将、上海公使の重光葵、上海総領事の村井倉松らが負傷した。重光公使は右脚を失い、野村中将は右目を失った。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese soldiers attend to their wounded comrades after a bomb explosion interrupted the "Victory Parade" of Japanese Army units through the international settlement on 1 January 1938. Note medical equipment.Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 78000
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 78000 Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って凱旋行進をする日本陸軍将兵が、朝鮮独立派の韓国人が投擲した爆弾によって負傷した。:1932年4月29日、第一次上海事変に際して起きた上海虹口公園での天長節祝賀爆破事件は、襲撃犯は独立を求める韓国人尹奉吉だったが、1938年1月1日の上海凱旋行進爆破事件の襲撃犯も韓国人だった。襲撃後、襲撃犯の尹奉吉は拘束され、日本の裁判で死刑となったが、今回の爆破事件では、襲撃犯はその場で殺害された。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese soldiers wounded by a bomb thrown into the Japanese Army's "victory parade" on 1 January 1938, through the international settlement.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77998
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77998 Shanghai, China引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵に対して、朝鮮独立派の韓国人が爆弾を投げつけ負傷者が出た。この襲撃犯の死体が、後方の歩道の上に転がっているのが見える。:上海国際共同租界の警察権は、列国の組織した上海国際共同租界警察にあるので、日本軍は上海凱旋行進爆破事件について、租界の警察と交渉して善処を求めた。 Title: Shanghai, China
Caption: Conference between settlement police and Japanese Army officers in the aftermath of a bomb-throwing incident where two Japanese soldiers were injured. The bomb-thrower, a Korean, lies dead on the sidewalk in the background. 1 January 1938.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77997.
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77997. Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍が三八式野砲の砲車を曳航する。:馬を使って三八式野砲の砲車と弾薬収納車の2台を連結して曳かせている。日露戦争の始まった1904年(明治37年)、日本陸軍がより強力な野砲を求め、ドイツのクルップ社に設計を依頼した。バネ圧復座で75ミリ砲弾を発射する野砲は、1905年(明治38年)制式となり、三八式野砲と命名された。このときは明治38年の意味で皇紀ではない。大阪砲兵工廠で単脚式の三八式野砲3000門が生産されたが、砲脚を中央部を二又にして空間を開け、砲の仰角を大きくし、砲身を上に向けて遠距離射撃を可能にした改造三八式野砲も500門生産された。しかし、強度の問題があり、結局、実用性の低下満足した出来ではなかった。
Title: Shanghai, China
Caption: Japanese horse-drawn artillery in the streets of the International Settlement in a "Victory Parade", New Year's Day, 1938.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77821 Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77821 Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝して三八式野砲を曳く日本陸軍の凱旋行進: 三八式野砲諸元 口径
75mm 重量
947kg、1,135.7kg(改造三八式野砲) 銃身長 2.286m(31口径) 装薬:固定式薬莢 砲尾:水平鎖栓式 液圧駐退・バネ圧復座式 仰角-8度から+16.5度(三八式野砲、-8度から+43度(改造三八式野砲)、旋回角
7度 発射速度 8-10発/分 初速
510 m/秒 有効射程
8,350m(三八式野砲) 最大射程
11,600m(改造三八式野砲) Title: Shanghai, China
Caption: Japanese Army artillery and interested spectators, during "Victory Parade" through the international settlement on 1 January 1938.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 78005
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 78002 Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵:繁華街のビルの中を威風堂々と更新して、中国軍に勝利した日本軍、中国の最強の実力者日本、上海など江南地方を勢力圏においた日本を演出している。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese Army "victory parade" through the international settlement on 1 January 1938.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77994
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77994Shanghai, China 引用。
写真(右):1938年1月1日、上海、上海国際共同租界を通って、南京占領を祝した凱旋行進をする日本陸軍将兵:右には、指揮官が抜刀して日本軍の更新を閲兵している。 Title: Shanghai, China
Caption: Japanese Army "victory parade" through the international settlement on 1 January 1938.
Description: Courtesy of Rear Admiral J.P. Walker, USN (Ret), 1973.
Catalog #: NH 77995
Copyright Owner: Naval History and Heritage Command
Original Date: Sat, Jan 01, 1938 写真は Naval History and Heritage Command NH 77995Shanghai, China 引用。
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