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沖縄戦の統計 Battle of Okinawa 1945 2006
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◆沖縄戦の統計データ 1945年;第二次世界大戦の最後の地上戦

写真(左):1945年6月4日、グアム島、沖縄本島に救急車などを輸送する病院船「ソレ―ス」 USS SOLACE (AH-5);Okinawa Campaign, U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5) arrives from Guam, 4 June 1945 Caption:U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5) arrives from Guam, 4 June 1945, bringing casualties from Okinawa. Photograph by PhoM2c J.G. Mull. Catalog #:80-G-K-5631 Copyright Owner:National Archives Original Creator:Photograph by PhoM2c J.G. Mull. Original Date:Mon, Jun 04, 1945 80-G-K-5631 Okinawa Campaign, U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5) arrives from Guam, 4 June 1945
写真(右):1945年6月4日、グアム島、沖縄本島に病院船で移送するために待機しているアメリカの救急車:Okinawa Campaign, Military ambulances, U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5), 4 June 1945 Caption:Okinawa Campaign, 1945. Military ambulances lined up on shore at Guam, awaiting the arrival of U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5) with casualties from Okinawa, 4 June 1945. Among ships in left background is USS LSM-242. Photographer: PhoM2c J.G. Mull. Catalog #:80-G-K-5629 Copyright Owner:National Archives Original Creator:Photographer: PhoM2c J.G. Mull. Original Date:Mon, Jun 04, 1945
写真は、Naval History and Heritage Command:80-G-K-5629 Okinawa Campaign, Military ambulances, U.S. Navy Hospital Ship USS SOLACE (AH-5), 4 June 1945


沖縄戦の統計データ 1945年

●毎日新聞2008年8月24日「今週の本棚」に,『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月青弓社刊行,368頁,2100円)が紹介されました。

沖縄戦
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄地上戦
沖縄戦の神風特攻隊
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945

ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
自衛隊幕僚長田母神空将にまつわる戦争論

<沖縄戦の統計 Statistics of the Ryukyus Campaign>

http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/okinawa/appC.htm#t1

表1 米軍兵力(1945/04/01-1945/06/30)

Strength of Army, Marine, and Naval Forces of Tenth Army in the Ryukyus Campaign

  04/30 05/31 06/30
合計 将校 下士官・兵 合計 将校 下士官・兵 合計 将校 下士官・兵

陸軍

102,250

6,379

95,871

167,971

10,991

156,980

190,301

13,810

176,491

第7師団 

15,483

794

14,689

17,263

800

16,463

15,584

798

14,786

第27師団

13,488

722

12,766

12,404

679

11,725

11,624

652

10,972

第77師団

12,000

656

11,344

15,185

766

14,419

12,853

824

12,029

第96師団

13,146

798

12,348

14,220

706

13,514

13,140

751

12,389

師団以外の地上兵力

38,200

2,591

35,609

55,607

3,512

52,095

60,501

3,847

56,654

支援部隊

8,918

643

8,275

30,053

2,107

27,946

36,764

2,688

34,076

その他

1,015

175

840

23,239

2,421

20,818

39,835

4,250

35,585

海兵隊

88,500

n. a.

n. a.

58,894

n. a.

n. a.

2,489

n. a.

n. a.

海軍 

18,000

n. a.

n. a.

21,793

n. a.

n. a.

1,225

n. a.

n. a.

米軍合計

208,750

6,379

95,871

248,658 

10,991 

 156,980 

194,015 

13,810  

176,491



写真(右):1944年10月10日、沖縄本島南部、アメリカ海軍第38空母任務部隊を発進した艦上機による「十・十空襲」を受け炎上する那覇:アメリカ海軍正規空母「フランクリン」艦上機から撮影。
world war two pictionid66744815 - title--world war ii pacific aerials---- - filename100023119.tif - filename100023102.tif -Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は, SDASM Archives - catalog100023119 - 引用。


太平洋戦争が始まった1941年12月以降、沖縄は大きな戦渦に巻き込まれてはなかったが、1944年10月10日、アメリカ海軍マーク・ミッチャー(Marc Andrew Mitscher)中将率いる空母任務部隊の艦上機による大空襲を受けた。これが、太平洋戦争で沖縄が初めて大きな被害を受けた時であり、「10・10空襲」と呼ばれるようになった。この時の死者は軍人・民間人あわせて668名である。アメリカの目的は、1944年10月下旬にフィリピンに侵攻する前に、沖縄の軍事拠点・交通要衝を破壊し、フィリピンを孤立化することだった。1945年10月20日に、アメリカ軍がフィリピン中部のルソン島攻略作戦を開始すると、日本海軍は捷一号作戦を発動、神風特別攻撃隊を編成して、ゼロ戦に250キロ二五番爆弾を搭載して体当たり自爆する特攻作戦を開始した。

沖縄「十・十空襲」の被害
人的損害:戦死 218名, 負傷 243名
民間人死者 330名, 負傷 455名
家屋被害: 1万1451戸

沈没艦船
潜水母艦 1, 駆逐艦 1、敷設艇 1, 魚雷艇等 29
輸送船 11、機帆船・漁船等 107
損傷艦船
駆潜艇 1, 輸送船 2
機帆船・漁船等 32
航空機中破以上 47, 小破 4

写真(右):1944年10月10日、沖縄本島中部、アメリカ空母任務部隊艦上機による「十・十空襲」を受け空襲され炎上する日本軍の読谷飛行場(陸軍北飛行場)・嘉手納飛行場(陸軍中飛行場)
world war two pictionid66744338 - title--world war ii pacific aerials---- - filename100023102.tif -Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は, SDASM Archives - catalog100023102 - 引用。


1944年10月10日、アメリカ海軍マーク・ミッチャー(Marc Andrew Mitscher)中将を指揮官とする第38任務部隊は、フィリピン攻略に先立って、沖縄を大空襲下。これが、10月10日に因む沖縄「十・十空襲」である。

1945年初頭、沖縄本島にあった日本陸軍の飛行場は、陸軍北飛行場(読谷)、陸軍中飛行場(嘉手納)、陸軍東飛行場(西原・小那覇)、陸軍首里秘密飛行場、陸軍南飛行場(仲西・城間)である。日本海軍の飛行場は、海軍小禄飛行場(小禄)、海軍糸満秘密飛行場(糸満)である。また、沖縄本島中部沖の伊江島には、整備された陸軍伊江島飛行場があった。

沖縄本島南に位置する宮古島には、海軍宮古島飛行場、海軍宮古島中飛行場、陸軍宮古島西飛行場があった。

八重山諸島石垣島には、海軍石垣島北飛行場、陸軍白保飛行場、海軍石垣島南飛行場(元石垣空港)があった。

沖縄本島の北には、海軍喜界島飛行場、陸軍徳之島北飛行場、陸軍徳之島南飛行場、海軍南大東島飛行場があった。

沖縄県出身者のアジア太平洋戦争での男女別戦没者

 

男子

女子

男女合計

10歳未満

13313

11406

24719

10歳代

13517

7497

21014

20歳代

21817

6230

28047

30歳代

13398

5120

18518

40歳代

9470

4886

14356

50歳代

6366

5369

11735

60歳以上

10732

11394

22126

不詳

4731

3171

7902

合計

93344

55073

148417

注)沖縄県出身の戦没者とは以下のように定義:

・ア 満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者

・イ 1945年9月7日後、県内外において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者(ただし、被爆被害者については、その限りはない。)

出所)http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL040.htm




写真(右):1945年3月26日、沖縄本島上陸に先立って、慶良間諸島に来航したアメリカ海軍と海岸に向かう上陸用舟艇・水陸両用トラクター:アメリカ海軍重巡洋艦「ミネアポリス」USS Minneapolisの主砲20.3センチ砲塔の背後より撮影。
LANDING CRAFT form up for the run to Kerama Retto beaches on 26 March 1945. Viewed from USS Minneapolis. (USN 80-G-316830) 作者 US Army Photograph
写真はChapter II-3 Assault Preparations Wikimedia Commons :File:OFFICIAL U.S. MARINE CORPS PHOTO 123536.jpg引用。


沖縄本島南の那覇の西方30kmにある慶良間列島は、渡嘉敷(とかしき),座間味(ざまみ),阿嘉(あか),慶留間(けるま)、屋嘉比(やかび)、外地(ふかじ)、儀志布(ぎしっぷ)など多数の島からなる。アメリカ軍は、1945年4月1日の沖縄本島上陸に先立って、3月26日に慶良間列島に上陸した。目的は、艦船用の泊地の確保である。

日本軍は、慶良間列島には、アメリカ軍の上陸はないと予測したが、これは山がちで飲料水にも不足する小島に飛行場適地がなかったためである。そこで、日本軍は、地上兵力を配備せずに、海上に出撃する体当たり特攻ボート、すなわち突撃し体当たりする特攻艇を配備した。これが、日本陸軍の海上挺進隊が配備されていた。日本軍が配備した特攻艇は、ベニヤで作った小型モーターボートに250キロ爆薬を搭載した「マルレ艇」(連絡艇)四式肉薄攻撃艇である。「マルレ」は速度も30ノット未満、無線通信装置はなく、騒音のうるさい中古自動車エンジンが原動力だった。搭乗員は、いざとなれば海上に脱出可能だったが、搭乗員の救出作戦も救出訓練も一切ない。つまり、特攻艇の搭乗員が脱出したり、生還したりすることは全く想定されていない。これが特攻自爆艇といわれる所以である。

写真(右):1945年3月27日、沖縄本島西、慶良間列島座間味島に上陸したアメリカ陸軍A.D. ブルース少将の率いる第77師団第305連隊第1大隊、後方は水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Amphibious Tractor):沖縄本島への上陸は、1945年4月1日で、それに先立って、避泊地・投錨泊地を確保するために、アメリカ軍は慶良間列島を占領した。海岸の石垣は、防波堤だったと思われるが、左奥が海で、そこから兵士たちは上陸した。
LANDINGS IN THE KERAMAS, made by the 77th Division, met little opposition. Zamani Island (above) was taken by the 1st BLT, 305th Infantry, some soldiers of which are shown just before the started inland. Amtracks were unable to negotiate the seawall and were left at the beach. Below is a scene on a beach at Tokashiki, captured by the 1st BLT, 306th, on 27 March 1945. Soldier (right) seems puzzled by the absence of opposition
Date Taken on 27 March 1945 Source www.army.mil
Author USGov-Military-Army, Post-Work: User:W.wolny
写真はWikimedia Commons :File:Landings on the beach of Ibeya.jpg引用。


沖縄守備隊の日本陸軍第32軍は、慶良間諸島は山岳地で飛行場適地もないために、アメリカ軍が上陸しないと考え、ここに特攻艇を装備した海上挺進戦隊を配備し、上陸するアメリカ軍艦艇や輸送船を背後を襲撃する計画を立てていた。そこで、慶良間諸島の座間味島に日本陸軍海上挺進第一戦隊(戦隊長梅澤裕少佐:捕虜)、慶留間島と阿嘉島に海上挺進第二戦隊(戦隊長野田義彦少佐捕虜)、渡嘉敷島に海上挺進第三戦隊(戦隊長赤松嘉次少佐:捕虜)を配備した。

沖縄戦における外国人戦没者

出身国名

戦没者数(人)

米国

14,008

英国

82

韓国

341

北朝鮮

82

台湾

28

注)外国出身の戦没者とは以下のように定義:

・ア 沖縄守備軍第32軍が創設された1944年3月22日から1945年3月25日までの間に、南西諸島周辺において、沖縄戦に関連する作戦や戦闘が原因で死亡した者

・イ 1945年3月26日から同年9月7日までの間に、沖縄県の区域を除く南西諸島周辺において、沖縄戦に関する作戦や戦闘が原因で死亡した者

・ウ 1945年9月7日後、沖縄戦の区域内において戦争が原因でおおむね1年以内に死亡した者

出所)http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL200.htm

出所: Personal records of Col. G. F. Powell, Ordnance Officer, XXIV Corps, U. S. Tenth Army.引用http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/okinawa/appC.htm#t1



写真(右):1945年3月28日、沖縄、慶良間諸島に停泊しているアメリカ艦隊大型水上機母艦(USS CHANDELEUR :AV-10)から撮影された慶良間列島。小型水上機母艦AVP(2000トン級:seaplane tender)が中央に停泊している。中型上陸用舟艇(Landing ship-medium LSM)なども停泊している。
Title: Kerama Retto Anchorage, Ryukyu Islands Caption: Photographed from USS CHANDELEUR -AV -10 as Pacific Fleet support units gather for the Okinawa operation. An AVP is in the center Description: Catalog #: 80-G-K-3719 Copyright Owner: National Archives Original Creator: Original Date: Wed, Mar 28, 1945
写真はNaval History and Heritage Command Catalog #: 80-G-K-3719 Kerama Retto Anchorage, Ryukyu Islands 用。


アメリカ海軍水上機母艦「シャンデレール」(USS CHANDELEUR :AV-10)の諸元
1941年11月29日、アメリカ参戦直前にサンフランシスコで竣工
排水量5,300トン、満載排水量 13,700 トン
全長Length: 492 ft (150 m)
全幅Beam: 69 ft 6 in (21.18 m)
吃水Draught: 23 ft 9 in (7.24 m)
機関出力 9,350 馬力
最高速力Speed: 18 knots (33 km/h)
乗員Complement: 1075
兵装: 5インチ(127?)38口径両用砲1門
3インチ(76.2?)50口径砲4門
40ミリ連装機関砲4基8門
20ミリ単装機関銃15丁
艦載機:甲板にPBM-3を搭載可能だが、主な任務は泊地における飛行艇・水上機の支援である。

写真(右):1945年4月、沖縄、慶良間諸島に停泊している輸送船舶から、燃料と思われるドラム缶を揚陸しているアメリカ軍。慶良間諸島は、艦隊や補給船舶の泊地となり、沖縄振興のための前線補給基地として機能していた。:1945年3月26日、沖縄本島上陸に先んじて、アメリカ軍は慶良間列島に上陸した。慶良間列島の住民は、アメリカ軍の侵攻に恐慌をきたし、捕虜となれば暴行、虐殺されるとの恐怖から、家族で自ら死を選んだ。これが、住民の集団自決である。
Title: Escort Carrier Crewmen Caption: Handling suppliers on their ship's forward flight deck, in Kerama Retto Anchorage, near Okinawa, April 1945. Another escort carrier CVE-55 Class- is in the background. Description: Catalog #: 80-G-K-4928 Copyright Owner: NARA
写真はNaval History and Heritage Command Catalog #: 80-G-K-4928 Escort Carrier Crewmen引用。


 アメリカ軍は,沖縄本島に上陸する前に本島西方、慶良間諸島に上陸した。慶良間は座間味村と渡嘉敷村の通称で、沖縄本島から見て手前に見える渡嘉敷村を「前慶良間」、後方の座間味村を「後慶良間」と呼んでいたところである。日本陸軍は慶良間列島にはアメリカ軍は上陸しないと考え、海上挺進戦隊を配備し,背後から米軍艦船を水上特攻自爆艇で襲うつもりでいた。

写真(右):1945年4月、沖縄、慶良間諸島に停泊している中型上陸用舟艇(Landing ship-medium LSM)。船倉には、梱包された補給物資がたくさん積み込まれているようだ。アメリカ軍は慶良間諸島を艦隊や補給船舶の泊地として利用した。: 座間味島(面積6.7平方キロ)の古座間味ビーチへ付近には、日本陸軍の四式肉薄攻撃艇「マルレ艇」が100隻以上配備され、洞窟を作ったり、林の中に引き揚げたりして隠ぺいしたが、1945年3月25日、慶良間列島に対して、アメリカ軍の艦砲射撃、空襲があり、配備していた特攻艇が損傷してしまい、出撃不能の特攻艇が多数出た。
Title: Landing ship-medium LSM Caption: Loaded with supplies comes alongside another ship to help it restock, in Kerama Retto Anchorage, near Okinawa, April 1945 Description: Catalog #: 80-G-K-4929 Copyright Owner: NARA
写真はNaval History and Heritage Command Catalog #: 80-G-K-4929 Landing ship-medium LSM 引用。


慶良間列島の座間味島は、沖縄本島那覇から西方に40キロ、面積6.7平方キロ、最高峰は160 mの大岳(うふだき)。1945年3月25日、座間味島には、アメリカ軍による艦砲射撃と艦上機による空襲が浴びせられた。そして、1945年3月26日、沖縄戦の端緒で、アメリカ軍は座間味島に上陸した(本島上陸は4月1日で6日後)。慶良間諸島(渡嘉敷島も含む)には、日本陸軍第32軍の守備範囲だったが、ここへのアメリカ軍上陸は想定していなかった。この慶良間列島では、アメリカ軍の上陸の危機に恐れおののき、捕虜となれば暴行、虐殺されるとの恐怖から、住民の集団自決が起きた。他方、特攻艇を備えていた日本陸軍の海上挺進隊は、大挙出撃することなく、搭乗員は山中に避難し、特攻艇は壊滅した。

(→徴兵と沖縄戦関係の日本軍引用)

写真(右):1945年3月26日、アメリカ軍が沖縄の慶良間列島に上陸、4月1日に沖縄本島に上陸。その時、島内で日本海軍の水上特攻艇「震洋」を発見した。;㊃金物「震洋」の船首には、半月形の収納庫があり、そこに炸薬を詰めた容器を搭載する。沖縄方面には、日本海軍の「震洋」水上特攻隊、陸軍の「マルレ艇」海上挺進隊が置かれていた。陸軍「マルレ艇」は船尾外側に懸架を設け、そこに爆雷を固縛する方式だった。
A US Army report in PT Boats, Inc.’s archives indicates that 1000 of these boats were to attack Allied Forces assaulting Okinawa. They were concealed in artificial and natural caves. These one-man boats were made of light plywood with reinforced wooden beams. Many were powered by US made Gray Marine four and six-cylinder engines. Horsepower was between 70-80. They carried two depth charges, 260 pounds each, which were released by hand or on impact with their targets. They were painted green.


水上特攻艇とは,木製小型モーターボートに爆薬を搭載して体当たり攻撃するものである。海軍では震洋隊と陸軍では「マルレ」海上挺進戦隊と呼ばれた。

南西諸島慶良間列島の日本陸軍四式肉薄突撃艇「マルレ」部隊
座間味島 
△(球)海上挺進第一戦隊(戦隊長 梅澤裕)陸軍少佐)、△(球)特設水上勤務第一〇四中隊

阿嘉島・慶留間島
△(球)海上挺進第二戦隊(戦隊長野田義彦陸軍少佐、△(球)特設水上勤務第一〇四中隊

渡嘉敷島・阿波連島
△(球)海上挺進第三戦隊(戦隊長赤松嘉次陸軍大尉)、△(球)特設水上勤務第一〇四中隊の1個小隊

日本海軍の特攻艇「震洋」は、艇首のハッチ内部に爆弾を搭載するのに対して、日本陸軍の特攻艇「マルレ」は、艇尾に爆雷を2個搭載する。したがって、海軍「震洋」は完全に自爆体当たり特攻艇であるが、陸軍「マルレ」は敵艦数十メートル以内に接近して爆雷を投下後、反転退避することが理屈では可能である。しかし、反撃する敵艦に数十メートルも接近してしまえば、敵前回頭しても撃沈されるだけで、特攻艇を捨て脱出した搭乗員も銃撃で殺されるか、捕虜となって惨殺されるかである。したがって、突撃艇の搭乗員は、特攻隊員と自ら認め、自爆体当たりする覚悟で出撃するしかなかった。

写真(右):1945年9月、終戦後、ボルネオ島(現在、カリマンタン島:マレーシアのサバ州)北西岸、サンダカンに配備された日本海軍の自爆艇「震洋」改1型:オーストラリア海軍グリムスビー級スループ(Grimsby class sloop)「ワレーゴ」(HMAS Warrego )は、1945年9月、日本降伏後に、ボルネオ島に来航した。現地の日本軍守備隊と降伏後の話し合いを持ち、武装解除するためである。
Description : Sandakan, Borneo, 1945-10-14. The envoy from the Commander of the Japanese forces at Sandakan in a Japanese Shinyo suicide launch comming alongside HMAS Warrego for a meeting with Warrego's captain, Commander Hunt OBE RAN, to receive instructions on the transition to allied control and an inspection of Japanese facilites by Commander Hunt. (Donor J. Betty)
Accession Number P02305.073 Collection type Photograph Object type Black & white - Film copy negative Maker Betty, John
写真はAustralian War Memorial P02305.073 引用。


◆沖縄戦では、1945年3月26日、アメリカ軍が沖縄本島侵攻の基地・泊地を得るために、慶良間諸島に上陸した。慶良間列島には、沖縄本島防衛のために密かに特攻艇部隊が置かれていた。そこで、沖縄戦では、航空機による特攻と併用して、水上特攻艇(突撃自爆艇)が攻撃に加わる計画だった。しかし、水上特攻艇は、ほとんど出撃することなく終わった。

日本海軍特攻自爆艇「震洋」が搭載した発動機は、1929年型シボレー直列6気筒ガソリンエンジン(Chevrolet straight-6 engine)である。この発動機は、ゼネラルモーターズ社 (GM:General Motors Corporation)が開発、製造したもので、シリンダー・ボア84 mm、ピストン・ストローク95 mm、排気量は 3.2 L、3.0 L、3.4 Lの各種があり、1929年から1936年まで製造。

1927年、日本ゼネラル・モータースが、部品を輸入して組み立てるノックダウン方式で、大阪で自動車生産(組立)を開始し、全国で販売した。しかし、1941年、日米関係が悪化すると、撤退した。日本はその自動車生産技術を咀嚼し自動車生産を行った。シボレー(Chevrolet)は、ゼネラルモーターズ (GM)のブランド名である。

上陸用舟艇 1945年3月26日午前8時、沖縄本島西、アメリカ陸軍A.D. ブルース少将の率いる第77師団第305連隊第3大隊の約300人は、慶良間列島阿嘉島に上陸した。

アメリカ第77師団は1945年3月26日午前8時に慶良間列島阿嘉島に上陸、ほとんど抵抗を受けることなく17時までに、阿嘉島の3分の2を占領した。阿嘉島で自爆特攻舟艇「震洋」を要していた日本軍海上挺進隊将兵300名、住民400名は、抵抗せずに島の山岳地に退避した。慶留間島には、1945年3月26日8時25分、第77歩兵師団第77師団第306歩兵連隊第1大隊が、外地島には3月26日9時21分、第77師団第306歩兵連隊第1大隊が上陸した。3月26日9時、第305連隊第1大隊は、座間味島に上陸した。ここにも、特攻舟艇を有する日本軍がいたが、最たる抵抗は浮かなかった。いずれの島でも、特攻艇は出撃することなく、アメリカ軍に鹵獲されている。

屋嘉比島には、3月26日13時41分、第307連隊の予備軍の第2大隊が上陸した。

慶良間列島は、水深35〜60メートル、大型艦船が一度に70隻が碇泊可能な大きな投錨泊地があり、アメリカ軍は、1945年3月26日に上陸し、その日のうちに泊地を囲むように、海峡の出入口に防潜網を敷設した。そして、艦船の航行進路を明示する浮標ブイを設置した。

 表2.時期別のアメリカ軍兵力(1945/04/01-1945/06/30)

Command and Unit 04/30 05/31 06/30
合計Total 将校Officers 下士官・兵Enlisted
men
合計Total 将校Offi- cers 下士官・兵Enlisted
men
合計Total 将校Offi- cers 下士官・兵Enlisted
men

陸軍ARMY

102,250 6,379 95,871 167,971 10,991 156,980 190,301 13,810 176,491

第7師団 7th Division

15,483 794 14,689 17,263 800 16,463 15,584 798 14,786

第27師団27th Division

13,488 722 12,766 12,404 679 11,725 11,624 652 10,972

第77師団77th Division

12,000 656 11,344 15,185 766 14,419 12,853 824 12,029

第96師団96th Division

13,146 798 12,348 14,220 706 13,514 13,140 751 12,389

師団以外の地上兵力Nondivisional Ground Force Units

38,200 2,591 35,609 55,607 3,512 52,095 60,501 3,847 56,654

Service Forces

8,918 643 8,275 30,053 2,107 27,946 36,764 2,688 34,076

その他

1,015 175 840 23,239 2,421 20,818 39,835 4,250 35,585

海兵隊MARINE

88,500 n. a. n. a. 58,894 n. a. n. a. 2,489 n. a. n. a.
 海軍 NAVY 18,000 n. a. n. a. 21,793 n. a. n. a. 1,225 n. a. n. a.
 
出所: U. S. War Department Monthly Strength Reports.
 


写真(右):19451945年4月1日、沖縄本島、読谷沖、アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦3番艦「アイダホ」USS IDAHO (BB-42) の艦砲射撃を受ける沖縄上陸地点;戦艦の主砲50口径14インチ(35.6センチ)砲12門が弾着したのか、爆発があり、煙が上がっている。 アメリカ海軍旧式戦艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48)より撮影。
Title: Okinawa Operation, April 1945
Caption:USS IDAHO (BB-42) bombarding Okinawa from close in shore, seen from USS VIRGINIA
Description: Catalog #:80-G-K-3838
Copyright Owner:National Archives
Original Date:Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command:80-G-K-3838 Okinawa Operation, April 1945引用。


アメリカ海軍コロラド級戦艦4番艦「ウェストバージニア」は、満載排水量3万3,590トンで、戦艦長門と同じく45口径16インチ(40.6センチ)連装砲塔4基8門を装備した。しかし、1941年12月の太平洋戦争の劈頭、日本海軍のハワイ真珠湾奇襲攻撃によって、複数の魚雷と800キロ徹甲爆弾が命中し、浸水、大破着底し、乗員は退避した。しかし、その後、引揚げられて、真珠湾で応急修理され、1943年5月7日に真珠湾から、ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍工廠で大規模な近代化工事を行うこととなった。太平洋方面に出撃したのは、1945年10月のフィリピン、レイテ島侵攻作戦からである。低速だったが、火力が強力だったために、上陸地点などの艦砲射撃には有効性を実証した。

写真(右):1945年4月1日、沖縄本島、読谷沖、艦砲射撃を受ける沖縄上陸地点;弾着により巨大な煙が上がっている。戦艦長門と同じ45口径16インチ(40.6センチ)連装砲塔4基8門を搭載したアメリカ海軍コロラド級戦艦4番艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48)より撮影。 Title: Okinawa Invasion, March - April 1945
Caption:Heavy explosion on an Okinawa Beach, during pre-invasion bombardment. Photographed from USS WEST VIRGINIA (BB-48) Copyright Owner:National Archives
Original Creator: Original Date:Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command:80-G-K-3843 Okinawa Invasion, March - April 1945 引用。


アメリカ海軍コロラド級戦艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48))は、1944年10月25日、レイテ沖海戦に際して、オルデンドルフ中将隷下の戦艦部隊として、スリガオ海峡で、日本海軍西村祥治中将率いる戦艦「扶桑」「山城」など西村艦隊を迎撃した。その後は、1945年2月、硫黄島攻略作戦に参加したのち、1945年4月の沖縄本島上陸に際して、支援のための艦砲射撃を実施した。また、1945年4月16日、伊江島攻略に当たっても、艦砲射撃を担当した。


写真(右):1945年4月1日、沖縄本島、読谷沖から上陸地点を事前に50口径14インチ(35.6センチ)砲12門によって艦砲射撃をするアメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦3番艦「アイダホ」USS IDAHO (BB-42);主砲12門の一斉射撃によって船体が左舷に若干移動しておリ、波が立っている。主砲として45口径16インチ(40.6センチ)連装砲塔4基8門を装備したアメリカ海軍旧式戦艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48)より撮影。
Description:USS Idaho (BB-42) Fires the 14/50 guns of Turret Three at nearly point-blank range, during the bombardment of Okinawa, 1 April 1945. Photographed from USS West Virginia (BB-48). Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command:80-G-K-3844 USS Idaho (BB-42) 引用。


アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦3番艦「アイダホ」USS IDAHO (BB-42)は、第一次大戦終戦直後に完成した旧式戦艦だが、50口径14インチ(35.6センチ)砲12門を装備しており、艦砲射撃にはうってつけだった。

基準排水量 33,400トン
満載排水量 36,000トン
全長 190.20 m
全幅 32.39 m
吃水 9.44 m
最高速力 21 ノット (39 km/h)
乗員: 士官: 55名 · 兵員: 1,026名
進水:1917年6月30日
就役:1919年3月24日

アメリカ海軍ニューメキシコ級戦艦「アイダホ」USS IDAHO (BB-42))は、沖縄攻略戦では、上陸支援の旗艦となり、1945年3月25日に沖縄海域に到着、沿岸部にある日本軍の拠点に対する艦砲射撃を実施した。4月1日、沖縄本島の読谷海岸への初上陸の時も支援射撃を担当している。しかし、1945年4月12日には、日本海軍の天号作戦、陸軍の航空総攻撃を受けて、特攻機により損傷を被った。4月20日に沖縄海域から離れて、応急修理のためにグアム島に向かった。4月25日、グアムに到着し、修理を受け、再び5月22日に沖縄海域に復帰し、6月20日まで支援部隊として活躍した。


写真(右):1945年4月、沖縄本島、読谷沖、歩兵上陸用舟艇砲艦USS LCI(G)-809(Landing Craft Infantry:LCI )(左端)の援護の下、上陸地点に向かう水陸両用トラクター "LVT-4"(Landing Vehicle Tracked):アメリカ海軍コロラド級戦艦4番艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48)より撮影。
Okinawa Invasion, April 1945
Description:LVT amphibious tractors move past USS LCI(G)-809 (center), bound for the Okinawa landing beaches, 1 April 1945. Photographed from USS West Virginia (BB-48).
Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command:80-G-K-3848 Okinawa Invasion, April 1945引用。


アメリカ海軍コロラド級戦艦4番艦「ウェストバージニア」(USS WEST VIRGINIA (BB-48))の諸元
基準:32,500トン
満載:33,590トン
全長 190.20m
全幅 32.92m
吃水 9.07m
最高速力 21 ノット (39 km/h)
乗員: 1,407名 名
進水 1921年11月17日
就役 1923年12月1日

写真(右):1945年4月1日、沖縄、慶良間諸島に上陸するアメリカ海軍の戦車揚陸艦(LST:Landing Ship, Tank)885号ほか:迷彩塗装を施しているが、これは戦争後期のアメリカ軍艦艇に普及していた塗装方法だった。
Title: USS LST -647 Caption: Moves in toward the beach at Kerama Retto. In background is LST-885. Photographed from USS WEST VIRGINIA (BB-480) Description: Catalog #: 80-G-K-3821 Copyright Owner: National Archives Original Creator: Original Date: Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command Catalog #: 80-G-K-3821 USS LST -647 引用。


アメリカ海軍の旧式戦艦群が主砲一斉射撃によって地ならしした沖縄の上陸地点には、水陸両用トラクター"LVT-4"(Amtrac: Landing Vehicle Tracked)に乗ったアメリカ陸軍・海兵隊の将兵が上陸用舟艇、水陸両用トラクターで殺到した。

戦車揚陸艦LST-885諸元
1944年10月26日就役
全長Length: 327' 9"' 、全幅Beam: 50'
搭載量Displacement: 1,625 (軽量時);
 4,080 (満載時 2,100 トン)
発動機Propulsion: 2 x General Motors 12-567 ディーゼル2軸
航続距離 Range: 24,000マイル @ 9 ノット(knots)
最高速力Top Speed: 11.6 knots
乗員Complement: 111名、兵員Troops: 163名
兵装 Armament: 7 x 40ミリ単装機関砲
 6 x 20ミリ機関銃
2 x 12.7ミリ機関銃(.50caliber mg)
4 x 12.7ミリ機銃(.30-caliber mg)。

LSM(Landing ship-medium)は同じシップ(ship)でも1,000トンとLSTより小さいために「艇」とし、LSTはそれよりは大きいく総トン数5000トンあるので「艦」と和訳する。船倉前部には揚陸する戦車・トラックなど戦闘車輛や火砲、弾薬、燃料など様々な物資を搭載することができる。それを艦首の扉を開き、ランプ(昇降板)を出して、揚陸する。アメリカ軍は慶良間諸島を艦隊や補給船舶の泊地として利用した。


写真(右):1945年4月、沖縄本島、読谷沖から上陸地点に向かう水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Landing Vehicle Tracked)を援護する歩兵上陸用舟艇砲艦USS LCI(G)-809(Landing Craft Infantry:LCI );戦艦群が主砲一斉射撃によって地ならしした上陸地点に殺到した。しかし、日本軍の反撃はほとんどなかった。日本陸軍沖縄守備隊第32軍は、内陸での持久戦を基本方針としていたためである。アメリカ海軍コロラド級戦艦4番艦「ウェストバージニア」USS WEST VIRGINIA (BB-48)より撮影。
Okinawa Invasion, April 1945
Description:LVT amphibious tractors move past USS LCI(G)-809 (center), bound for the Okinawa landing beaches, 1 April 1945. Photographed from USS West Virginia (BB-48).
Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
写真はNaval History and Heritage Command:80-G-K-3850 Okinawa Invasion, April 1945 引用。


歩兵揚陸舟艇砲艦USS LCI(G:Gunboat)とは、歩兵揚陸舟艇LCIに火砲を搭載した砲艦で、 40ミリ機関砲3門、50口径(.50-caliber:12.7mm)機関銃6丁、Mk.7ロケット弾発射装置(rocket launcher)10基を掃除し、上空援護や地上砲撃を担当する。

水陸両用トラクター(Amphibious Tractor)USS LCIは、アムトラック(AMTRAK)と呼称され、たが、水陸両棲のワニに因んで「アリゲーター」とも呼ばれた。キャタピラ(無限軌道)には水かきが装着されているので、キャタピラを駆動していれば、水上でも陸上でも行動できた。水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Landing Vehicle Tracked)は、各種あるLVTの中で、8,348輌も生産された最も普及した形式である。

水陸両用LVTP5A1 水陸両用トラクター (LVT-4)の諸元
重量:36,400 ポンド (16,500 kg)
全長Length: 26 ft 1 in (7.95 m)
全幅 Width: 10 ft 8 in (3.25 m)
全高 Height: 8 ft 2 in (2.49 m)
乗員 Crew: 2–3名
搭載歩兵数Passengers 最大24名
貨物搭載量:9,000 lb (4,100 kg)
発動機:ガソリンエンジン 250 hp (190 kW)
航続距離:150マイル(240 km) /路上,
75 マイル(121 km)/水上
最高速力:Maximum speed:20 マイル (32 km/h) /陸上
7.5 マイル (12.1 km/h)/水上
兵装: 0.50口径12.7ミリ ブローニング(Browning)M2HB機関銃2丁


写真(右):1945年、第718水陸両用大隊所属の水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Amphibious Tractor):沖縄戦に投入された。
New LVT-4s were delivered to the 718th Amphibious Tractor Battalion on Okinawa in preparation for the invasion of Japan
Date 2008 Source Own work
Author Msmith487 Permission (Reusing this file) Reproduction with attribution
写真はWikimedia Commons :File:1945 okinawa LVT-4.jpg引用。


水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Landing Vehicle Tracked)の実戦投入は、1943年11月のタラワ攻略が初めてで、その後、1944年10月のレイテ攻略戦では大々的に使用され、攻撃であった。LVT-4 は「ウォーター・バッファロー」と呼ばれ、上陸用舟艇と反対に、車体後部に昇降扉をもうけている。生産数は8,351台。水陸両用トラクター LVTは、各種合わせて18,000台が量産された。


写真(右):1945年4月1日、沖縄、読谷沖、アメリカ海軍テネシー級戦艦「テネシー」(USS Tennessee:BB-43)の援護の下に、読谷海岸に向かう水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Amphibious Tractor):戦艦「テネシー」の主砲は、50口径14インチ(35.6cm)砲12門で、38口径5インチ両用砲(12.7cm)砲16門も艦砲射撃を行い、沖縄の上陸地点を掃討した。
English: [BB-43 USS TENNESSEE,] Bombarding Okinawa with her 14"/50 main battery guns, as LVTs in the foreground carry troops to the invasion beaches
Date Taken on 1 April 1945
Source USNHC # NH 42390,
写真はWikimedia Commons :File:BB-43-LVT-okinawa.jpg引用。


水陸両用トラクター LVTは、乗員3名で、歩兵を30名搭載するか貨物を2,000kg(4,500ポンド)まで搭載できた。輸送船に搭載して上陸地点近くにまで運び、そこから上陸海岸へ発進して、歩兵の揚陸や補給物資の運搬を行った。補給用だったために、敵前上陸用には火力、防御力が掛けていた。そこで、アメリカ海兵隊は、敵前上陸も可能なように、M3Aスチュアート軽戦車の砲塔を装備したLVT(A)-1、75ミリ砲装備のLVT(A)-4も開発したが、搭載量が減少してしまい有用ではなかったようだ。

写真(右):1945年4月1日,沖縄本島読谷海岸に上陸するアメリカ軍の歩兵揚陸艇( Landing Craft Infantry)USS LCI(G)-809 ; アメリカ海軍の大型歩兵揚陸艇Landing Craft Infantry (Large))は、1942年10月から就役が始まり、太平洋方面、北アフリカ方面で実戦投入された。日本の大型発動艇(上陸用舟艇)は重量9.5 tと小型だったが、LCIより10年前の1932年の第一次上海事変に実戦投入されていた。>戦艦「ウェストバージニア」USS West Virginia (BB-48)から撮影。
Title:Okinawa Invasion, April 1945
Description:LVT amphibious tractors head for the Okinawa landing beaches on 1 April 1945. USS LCI(G)-809 is partially visible at left, helping to cover the assault. Photographed from USS West Virginia (BB-48). Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Catalog #:80-G-K-3853
写真はNaval History and Heritage Command 80-G-K-3853 Okinawa Operation, April 1945 ​引用。


大型歩兵揚陸艇Landing Craft Infantry (Large)
進水Laid down:27 July 1942/ニューヨーク造船所(New York Shipbuilding Corp.)
竣工Launched: 3 September 1942
就役Commissioned: USS LCI(L)-1, 7 October 1942
基準排水量238 t、満載排水量395 t
全長48.31 m、ビーム7.09 m、吃水1.63 m
機関:ディーゼル4基2軸
最高速力16 knots
航続距離 4,000 マイル (7,400 km)/12knot
人員搭載数:初期 兵士182名、後期 兵士210名
貨物搭載量:75トン
乗員:将校4名、下士官兵24名

写真(右):1945年4月1日のエプリルフールに沖縄本島読谷海岸に上陸しようと,アメリカ海軍戦艦「ウェストバージニア」USS West Virginia (BB-48)を通り過ぎるアメリカ軍の揚陸用水陸両用トラックLVT(Landing Vehicle Tracked)。俗称はアムトラック(AMTRAK);アメリカ海軍戦艦「ウェストバージニア」USS West Virginia (BB-48)より撮影。
Title:Okinawa Invasion March -April 1945
Caption:LVTs pass USS West Virginia BB -48 bound for an Okinawa Landing Beach. Note many other LVTs on the beach and on the intervening reef
Description: Catalog #:80-G-K-4708 Copyright Owner:NARA
Original Creator: Original Date:Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command 80-G-K-4708 Okinawa Invasion March -April 1945引用。


水陸両用トラックLVT(Landing Vehicle Tracked)の生産台数
LVT-1.......7,225輌
LVT-1.......7,225輌
LVT-2.......2,960輌
LVT(A)-2.......450輌
LVT-3.......2,962輌
LVT-4.......8,348輌
LVT-4(A)-1.......509輌
LVT(A)-4.......1,890輌
LVT(A)-5.......269輌
LVT合計----18,616輌

写真(右):1945年4月1日の上陸直後、沖縄本島読谷海岸に上陸したアメリカ軍の揚陸支援艇(Landing Craft Support )と揚陸用水陸両用トラックLVT(Landing Vehicle Tracked)の一群;最多生産型のLVT-4は、全長 7.95m、全幅 3.25m、全高 2.49m、重量 16.5t、乗員数 3名、搭載兵士30名。アメリカ海軍戦艦「ウェストバージニア」USS West Virginia (BB-48)より撮影。
Okinawa Invasion March -April 1945
Caption:Landing craft and LVTS crowd an Okinawa Beach shortly after landings on L -Day, 1 April 1945.
Description: Catalog #:80-G-K-4703 Copyright Owner:NARA
Original Creator:USS West Virginia
Original Date:Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command 80-G-K-4703 Okinawa Invasion March -April 1945​引用。


写真(右):1945年4月1日のエプリルフールに沖縄本島読谷海岸に上陸を支援したアメリカ海軍戦艦「ウェストバージニア」USS West Virginia (BB-48)のボフォース(Bofors)40ミリ四連装対空砲
Title:USS WEST VIRGINIA -BB-48
Caption:Crewmen on watch on a 40mm quad. Gun mount while their ship was supporting the invasion of Okinawa, 1 April 1945
Description: Catalog #:80-G-K-4707 Copyright Owner:NARA
Original Creator: Original Date:Sun, Apr 01, 1945
写真はNaval History and Heritage Command 80-G-K-4707 Okinawa Operation, April 1945引用。


スウェーデンのボフォース社が1934年に開発したボフォース(Bofors)40ミリ高射機関砲は、機関銃としては最大口径で、本来は、陸上用単装対空機関砲だった。アメリカ軍は、その有用性に目を付け、連装機関砲、四連装機関砲として、艦載対空機関砲とした。第二次大戦時にボフォース(Bofors)40ミリ四連装対空関砲の実用化に成功したのは、アメリカだけだった。空冷式で、弾薬は40×311mmリムド、4発入りクリップを人力装填する。それまでの機関砲を大口径化したために、長射程で弾道も安定しており、なにより破壊力が大きかった。日本軍は、大戦初期にシンガポールで多数鹵獲したが、実用化できなかった。

表2 沖縄戦の損失(1945/04/01-1945/06/30)
Comparative American and Enemy Major Losses in the Ryukyus Campaign
 
損失要因 Nature of Loss 米国 American 日本 Enemy

人的被害 PERSONNEL

   
死者合計 Killed, Total 12,281 a 110,071
陸軍 Army 4,582 n. a.
海兵隊 Marine 2,792 n. a.
海軍 Navy 4,907 n. a.
捕虜 Captured n. a. 7,401

航空機 AIRCRAFT

   
航空機喪失合計 Planes Lost, Total 763 7,830
戦闘による損失 Combat 458 4,155
作戦に伴う損失 Operational 305 2,655
地上撃破 Destroyed on Ground (f) 1,020

艦船 SHIPS

   

撃沈 Sunk

36 16
損傷 Damaged 368 4
出所: United States Strategic Bombing Survey, The Campaigns of the Pacific War, Ch. XIV, Appendix 99, p. 331 except as otherwise indicated.


写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ軍が鹵獲したばかりの日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」(移動用台車に乗せられている):飛行場には、手前にあるような小さな木箱が多数残されているが、これは桜花部隊用に部品や信管などを梱包して本土から沖縄に海路送られた様だ。「桜花」機首の桜花マークは、「桜花」特攻のオリジナルである。その後、アメリカ軍は「桜花」の個別機体に「I-18」のように異なったの登録記号を記入した。奥には、日本軍の梱包木箱が積まれている。
【原文】 Okinawa, Ryukyu Retto - 3/4 left front elevation of a Jap Baka plane. The insignia that appears on the nose of the ship is that of the Cherry Blossom Unit of the Kamikaze or suicide squadron. 【和訳】 斜め左前から見た日本軍特攻機。機首のマークは神風特攻隊または自爆中隊「桜花」を表す。沖縄。
撮影日: 1945年 資料コード: 0000112235 アルバム名: アルバム名: 米空軍コレクション 第二次大戦シリーズ 02
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号:14-17-1引用。


横須賀空技廠人間爆弾「桜花」は、1944年8月に、日本海軍航空本部が試作要求をし、1944年11月20日に投下試験が成功、1945年3月21日、神雷部隊として初の実戦投入がされたばかりである。桜花は、秘密兵器なはずだが、1945年4月1日、沖縄本島に上陸したアメリカ軍に、読谷飛行場であっさりと無傷で鹵獲されてしまった。これは、日本軍の組織管理能力の低さを物語っている。1945年の敗戦は、アメリカの物量に負けたというのは方便で、実際の敗因は、日本軍のもつ根本的な欠陥にあったようだ。

写真(右):1945年4月17日、沖縄本島中部、読谷飛行場(日本陸軍の沖縄北飛行場)アメリカ軍が鹵獲したばかりの日本海軍の特攻兵器・横須賀空技廠人間爆弾「桜花」(移動用台車に乗せられている):飛行場には、手前にあるような小さな木箱が多数残されているが、これは桜花部隊用に部品や信管などを梱包して本土から沖縄に海路送られた様だ。「桜花」機首の桜花マークは、「桜花」特攻のオリジナルである。その後、アメリカ軍は「桜花」の個別機体に「I-18」のように異なったの登録記号を記入した。奥には、日本軍の梱包木箱が積まれている。
【原文】 Okinawa, Ryukyu Retto - 3/4 right front elevation of a Jap Baka plane. The insignia that appears on the nose of the ship is that of the Cherry Blossom Unit of the Kamikaze or suicide squadron. 【和訳】 斜め右前から見た日本軍特攻機。機首のマークは神風特攻隊または自爆中隊「桜花」を表す。沖縄。
撮影日: 1945年 資料コード: 0000112235 アルバム名: アルバム名: 米空軍コレクション 第二次大戦シリーズ 02
写真は, 沖縄県公文書館 写真番号:14-16-4引用。


沖縄戦のころの特攻隊は,中古戦闘機,練習機,水上偵察機など旧式な航空機の寄せ集め部隊が多く,搭乗員も実戦経験のない未熟練新米パイロットが大半であった。戦闘機隊343空司令源田実大佐は,特攻隊,特に有人爆弾「桜花」(Yokosuka MXY7 Ohka)の開発・部隊編成に関与したにもかかわらず,戦後は特攻について語らなかった。特攻隊とは雲泥の差がある最新戦闘機「紫電改」装備のエリート部隊343空を率いてたことを誇りにしていた。


表3アメリカ第10軍の師団別損失(1945/04/01-1945/06/30)
Casualties Sustained by Tenth Army
 
Unit Total Battle Casualties Non-battle Casual-ties
Total Killed Wounded Missing

全部隊 ALL UNITS

65,631 39,420 7,374 31,807 239 26,211

XXIV Corps

34,736 22,182 4,412 17,689 81 12,554
7th Division 10,893 6,068 1,122 4,943 3 4,825
27th Division 5,224 3,255 711 2,520 24 1,969
77th Division 7,126 5,026 1,018 3,968 40 2,100
96th Division 10,247 7,430 1,506 5,912 12 2,817
Corps Troops 1,246 403 55 346 2 843

III Amphibious Corps

26,724 16,507 2,779 13,609 119 10,217
1st Division 13,002 7,901 1,115 6,745 41 5,101
2d Division 95 94 7 26 61 1
6th Division 12,815 8,326 1,622 6,689 15 4,489
Corps Troops 812 186 35 149 2 626
Tactical Air Force 520 139 13 99 27 381
Army Garrison Forces 2,636 383 110 261 12 2,253
Tenth Army troops 1,015 209 60 149 ............... 806
 
出所: U. S. Tenth Army Action Report Ryukyus, 26 March to 30 June 1945, Vol. 1, Ch. 11, Sec. 1, p. 12.


写真(右):1945年4月1日、沖縄本島、読谷沖から上陸しM4シャーマン(Sherman)中戦車に乗って移動するアメリカ海兵隊第29連隊の歩兵;アメリカ海兵隊第29連隊は、1944年のサイパン攻略、グアム攻略、エニウェトーク攻略にも参戦している。
English: Tank-borne infantry moving up to take the town of Ghuta before the Japanese can occupy it. The men are members of the 29th Marines. Okinawa, April 1, 1945. Pfc. Robert L. Keller. (Marine Corps)
NARA FILE #: 127-N-117054 WAR & CONFLICT BOOK #: 1233
Date Taken on 1 April 1945 Source www.defenseimagery.mil/
Author Pfc. Robert L. Keller
写真はWikimedia Commons, :File:Tank-borne infantry moving up to take the town of Ghuta before the Japanese can occupy it HD-SN-99-02892.jpg引用。


 アメリカ軍は、1945年3月26日、空襲と艦砲射撃によって地ならしされた慶良間(けらま)諸島の阿嘉島・座間味島などに上陸し、慶良間列島を艦船の緊急避難泊地として確保した。そして、1945年4月1日には沖縄本島中部の読谷海岸に上陸した。この時、日本軍からの猛烈な反撃を予期していたアメリカ軍将兵だったが、ほとんど抵抗がなく、「エープリルフール」に騙された、と軽口を敲いた。これから、6月下旬まで、3カ月近に渡る陸海空の激しい沖縄戦が始まる。

アメリカM4シャーマン戦車 M4シャーマン(Sherman)中戦車の諸元
全長:5.84 m (19.2 ft)
全幅:2.62 m (8 ft 7 in)
全高 2.67 m (8 ft 9 in)
重量:30.3 t
最高速力:22–30 mph (35–48 km/h)
航続距離:100–150 マイル (161–241 km)
兵装:37.5口径75ミリM3戦車砲(携行弾数90発)
.50口径12.7ミリM2重機関銃1丁(600発)
7.62ミリM1919機関銃2丁(6,250発)
装甲:防盾:88.9 mm
砲塔:前面64–76 mm、側面50 mm、後面64 mm
車体:前面51 mm、側面38–45 mm、後面38.1 mm
発動機:コンチネンタル(Continental)R975星型(radial)9気筒空冷ガソリンエンジン350/400 hp(261/ 298 kW)
乗員:5 名

 沖縄の日本軍守備隊は第32軍で、司令官渡辺正夫中将の下に、1944年3月15日に編成された。第32軍は、沖縄本島に司令部を置いたが、1944年8月9日以降は、牛島満中将が第32軍司令官を務めた。第32軍の守備範囲は、奄美群島から沖縄本島、先島諸島(石垣島、宮古島など)である。


写真(右):1945年4月1日、沖縄本島、アメリカ第10軍が南方に移動するに際して、トラックの荷台上にロケット弾発射装置を準備するアメリカ海兵隊;アメリカ海兵隊第29連隊は、1944年のサイパン攻略、グアム攻略、エニウェトーク攻略にも参戦している。
"Buck Rogers" rocket Marines load projectiles into the racks of a mobile launcher in preparation for laying down a barrage on Japanese positions during the Tenth Army drive to the south of Okinawa. Such barrages were very effective.
Date Unknown date Source www.ibiblio.org/ hyperwar/ USMC/ USMC-C-Okinawa/ index.html
Author USMC Permission (Reusing this file) Labeled as Department of Defense Photo (USMC) 181768
写真はWikimedia Commons, :File:Rocket-launchers-okinawa.jpg引用。


1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島読谷海岸に大挙上陸するも、第32軍は海岸線の水際防御は放棄しており、首里に複郭地下陣地を構築して、専守防衛で戦略持久を粘り強く戦い続けた。しかし、大元帥昭和天皇が、戦艦「大和」の水上特攻、航空特攻が実施されたにも拘わらず、沖縄の主要飛行場がアメリカ軍に奪われてしまい、沖縄守備隊も総攻撃をかかるべきではと暗に要請したた。沖縄地上軍による総攻撃には、第32軍高級参謀八原博通大佐は危惧を示したが、牛島満司令官と長勇参謀長の意見が通り、公戦略自給を中断して、総攻撃をかけることが決まった。

  1945年5月4日、沖縄守備隊による総攻撃が実施されたが、結果は予期した通り、惨憺たる敗退で終わった。こう攻撃で弱体化した守備隊は、5月下旬に首里を放棄して、南部に移動して持久戦を継続することに決した。最終拠点は、沖縄南端の摩文仁である。1945年6月23日未明、牛島満司令官と長勇参謀長は自決し、沖縄の組織的抵抗は終結した。

表4 沖縄の米軍の人員・物資の供給
Troops and Supplier Loaded for the Initial Assault on the Ryukyus
 
Unit 戦闘部隊 Number of Assault Troops 物資供給 Supplies
合計Total 将校Officers 下士官・兵Enlisted Men 重量トンMeasurement Tons Short Tons換算(1:0.927)
Total 車輛Vehicles 貨物Cargo Total 車輛Vehicles 貨物Cargo
ALL UNITS 182,821 10,746 172,075 746,850 503,555 243,295 286,635 129,917 156,718
XXIV Corps 88,415 5,087 83,328 385,691 282,093 103,598 142,634 72,695 69,935
7th Division 21,929 1,150 20,779 95,789 70,382 25,407 34,856 18,272 16,584
27th Division 16,143 970 15,173 62,151 38,737 23,414 23,739 10,445 13,294
77th Division 20,981 1,170 19,811 99,999 76,698 23,301 34,936 18,271 16,665
96th Division 22,330 1,256 21,074 85,066 63,708 21,358 34,302 17,381 16,927
Corps Troops 7,032 541 6,491 42,686 32,568 10,118 14,801 8,326 6,475

III Amphibious Corps

85,247 4,595 80,652 294,430 189,934 104,496 112,240 49,449 62,797
1st Division 26,274 1,401 24,873 80,765 48,585 32,180 31,463 14,226 17,237
2d Division d 22,195 1,183 21,012 57,883 36,833 21,050 22,971 9,554 13,417
6th Division 24,356 1,294 23,062 78,748 52,267 26,481 28,031 12,564 15,467
Corps Troops 12,422 717 11,705 77,034 52,249 24,785 29,775 13,105 16,670
Tactical Air Force 3,172 390 2,782 23,879 11,578 12,301 9,849 2,296 7,553
Tenth Army Troops 5,417 628 4,789 21,806 13,091 8,715 9,533 4,157 5,376
Miscellaneous Units c 570 46 524 21,044 6,859 14,185 12,379 1,320 11,059
 
出所: Commander Task Force 51, Commander Amphibious Forces U. S. Pacific Fleet. Report on Okinawa Gunto Operation from 17 February to 17 May 1945. Pt. V, Sec. 1.


写真(右):1945年6月3日、沖縄本島北西、伊平屋島、無抵抗で上陸を果たしたアメリカ軍の水陸両用トラクター "LVT-4"(Amtrac: Amphibious Tractor)
Amphibious tractors spill Marines and supplies on the beach of Ibeya, a tiny island in the Ryukyu chain, northwest of Okinawa. Landing without opposition on June 3rd, Leathernecks of the eighth regimental combat team lost no time in securing the island
Source - National Park Service - (National Archives, USMC Hdqtrs 126, 988)
Author USGov-Military, Post-Work: User:W.wolny
Permission (Reusing this file) Public Domain
写真はWikimedia Commons :File:Landings on the beach of Ibeya.jpg引用。


アメリカ海兵隊の連隊戦闘チームは、1945年6月3日、監房射撃の援護の下、沖縄本島北西の伊平屋島LVT-4で上陸したが、日本軍の抵抗はなく、すぐに伊平屋島を鎮定した。連隊戦闘チーム(regimental combat team (RCT))とは、アメリカ海兵隊の暫定的歩兵部隊で、通常の歩兵連隊に、少数の戦車、大砲、工兵、偵察部隊、信号隊、防空部隊、憲兵、医療など支援部隊を追加して、自立性を高めた部隊。

写真(右):1945年6月8日、沖縄、慶良間列島、迷彩塗装を施したアメリカ海軍戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)USS LST-1097(1943年就役):砂浜海岸で乗り上げて、艦首の観音開きの扉を開いて支援物資を揚陸することができる。艦首には、対空砲座が設けられている。
English: USS LST-1097 anchored in the Kerama Retto, Ryukyu Islands (Japan), in June 1945, at the close of the Okinawa campaign. The ship is painted in a green colour design of the Measure 31-32-33 series.
LST-1097 later became USS League Island (AG-149 and AKS-30). Date circa June 1945
Source U.S. Marine Corps photo USMC 130125
Author Photographed by E.H. Moriarty.
写真はCategory:LST-542 Class tank landing ships File:LST-1097 in Kerama Retto June 1945.jpg引用。


実は、伊平屋島には日本軍守備隊は、駐屯しておらず、特攻用舟艇もなかった。その代わり、残留諜報活動を行うために、特務機関中野学校出身の少尉が、1944年夏から宮城太郎の偽名で伊平屋小学校訓導として赴任していたという。密かに諜報活動を行うことと、武力抵抗は放棄していたのである。伊平屋島の住民は、捕虜としてアメリカ海兵隊によって北端の海岸の一画に集められ、収容された。

伊平屋上陸の翌日1945年6月4日、アメリカ軍は、那覇飛行場のある小禄半島に上陸した。ここでも、上陸したアメリカ軍は、さしたる反撃も受けずに進撃した。

写真(右):1945年4月、沖縄沖に投錨するアメリカ海軍戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)USS LST(H)-950
USS LST(H)-950 at anchor, probably off the beachhead at Okinawa, circa April 1945. LST(H) -950 was used to carry casualties to the hospital ships from the Okinawa beachhead. Note the large "H" painted on her side. The LST and the small boats in the right foreground are also flying an "X" flag to signify their missions.
Date April 1945 Source www.navsource.org
Author US Navy US National Archives photo # 80-G-318644
写真はChapter XVII Logistic Support at Seeadler and at Sea File:USS LST-950 Okinawa April 1945.jpg引用。


写真(右):1945年6月8日、沖縄、砂浜海岸で乗り上げて、艦首の観音開きの扉を開いて支援物資を揚陸するアメリカ海軍シービーズ(工作整備部隊)戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)USS LST-504(1943年就役):艦首の側方には、対空砲座が設けられている。手前には、海岸で整備作業をするブルドーザーが見える。
LST-504 beached at Chim Wan, Okinawa, 8 June 1945 while being unloaded by Navy Seabees.
Source Official US Navy photo taken from www.navsource.org /archives/ 10/16/ 1016050401.jpg Author United States Navy
写真はCategory:LST-542 Class tank landing ships File:LST-504.jpg引用。


LST-491級戦車揚陸艦(LST-491-class tank landing ship )の諸元
基準排水量Displacement: 1,625 tons (light)
, 満載排水量:4,080 tons (full)
全長Length: 328 ft、全幅Beam: 50 ft
吃水Draft: Bow 2'-4", stern 7'-6" (unloaded)
発動機Propulsion: ジェネラルモーターズ(General Motors)ディーゼルエンジン,2軸、2スクリュー
最高速力Speed: 12 knots
搭載量: LCVP(上陸用舟艇)2-6隻
兵士Troops: 将校14-16名+下士官兵131-147名
乗員Complement: 将校7-9 名+下士官兵104-120名
兵装Armament: 40ミリ連装機関砲2基4門、40ミリ単装機関砲4門、20ミリ機関銃20丁

写真(右):1945年4-7月、沖縄、沖縄住民に食料など支援物資を運搬したアメリカ海軍戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)USS LST-767、そこから荷物を運び出すアメリカ軍支配下にある沖縄の女性民間人:艦首の側方には、対空砲座が設けられている。収容所に保護された沖縄の女性たちが、船倉にあった荷物箱を頭載せて運んでいる。向かう先は、沖縄民間人男女が拘束されている収容所であろう。
Author Anonymous Description
English: Beached at Okinawa in 1945, with local residents carrying supplies ashore. Courtesy of Barry Reynolds, 1990, from the collection of Jean Stewart Reynolds. U.S. Naval History and Heritage Command Photograph.
Date 1945 Collection Naval History & Heritage Command Accession number NH 99140
写真はCategory:LST-542 Class tank landing ships File:NH 99140 USS LST-767.png引用。


写真(右):1944-1945年、太平洋上で、アメリカ海軍エセックス級正規空母9番艦「ハンコック」(USS Hancock, CV-19)に爆弾を輸送する戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)LST-221:艦上に設けられたデリックで航空用爆弾を移譲するには時間がかかる。
Transferring bombs from LST to the carrier Hancock at sea.
写真はChapter XVII Logistic Support at Seeadler and at Sea Service Unit at Seeadler--Oilers with the Fast Carrier Group--Ammunition, Smoke, Water, Provisions, Salvage引用。


戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank)LST-221はシカゴ橋梁製鉄(Chicago Bridge & Iron Co.)で1943年3月1日進水、8月7日竣工。1944年2月、メジュロ環礁攻略、3月エニウェトク環礁攻略、4月ニューギニア北岸ホーランジア攻略、1944年6月グアム攻略、1945年4月沖縄群島攻略に参加した。


戦車揚陸艦(Landing Ship, Tank) LST-221の諸元
進水Laid down: 21 July 1943
竣工Launched: 19 October 1943
就役Commissioned: 18 December 1943
基準排水量 1,651 t、満載排水量:4,145 t
全長:116 m、全幅:19.5m
吃水 2.4 m(空虚)、4.37 m(満載)
発動機関:2軸ディーゼルエンジン
最高速力 12 ノット(22 km/h)
航続距離:6,000マイル(11,000 km)
兵装:
50口径3インチ(76.2-mm)砲1門
40ミリ機関砲8丁、20ミリ機関銃12丁
乗員:将校 7-9名+下士官兵 104-120名

Personnel and Supplier Loaded for Assault and for First Echelon Garrison in 
the Ryukyus Campaign, by Point of Embarkation
輸送地点 Point of Embarkation 船舶数Number of Ships 兵員数Number of Troops 供給量 Supplies
重量トンMeasurement Tons Short Tons

合計 TOTAL

458 193,852 824,567 312,795
レイテ Leyte   186 71,163 320,148 117,884
ガダルカナル−エスピリット−ルッセル
Guadalcanal-Espiritu-Russells
159 74,970 285,279 108,435
サイパン-テニアン-グアム
Saipan-Tinian-Guam
61 31,771 119,673 47,446
オアフ Oahu 39 12,837 69,423 26,762
サンフランシスコ-シアトル
San Francisco-Seattle
13 3,111 30,044 12,268
 
出所: Office of the Chief of Naval Operations, Amphibious Operations-Capture of Okinawa (Ryukyus Operations), 27 March to 21 June 1945, Ch. VII, "Logistics," p. 7-24.

写真(右):1945年4月以降、沖縄本島、破壊され金属の根組だけ焼け残った海軍小禄飛行場(那覇飛行場)の飛行機格納庫
:1944年10月10日の沖縄大空襲以来、アメリカ軍は沖縄の航空基地を重視していた。
Framework of Japanese Hanger at Naha Aerodrome June 1945 NARA Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com ]
写真は, George Lane引用。


アメリカ軍による沖縄上陸作戦は、渡嘉敷島、座間味島など慶良間列島への上陸に始まり、4月1日、沖縄本島の読谷飛行場近くに大規模上陸を開始した。1931年、日本海軍は、沖縄本島那覇に飛行場建設を計画し、1932年に飛行場建設を開始、1933年に「小禄海軍飛行場」として完成したこれは、「く」の字型交差した2本の全長750メートルの飛行滑走路であった。1936年、日本航空輸送(1928年創設)が、オランダ設計アメリカ製造のフォッカーF.VII/3mトライモーター三発輸送機を福岡=那覇=台湾を結ぶ台湾航空路を開設した時に、名は飛行場は中継基地となった。その後、太平洋戦争が始まった1942年には、海軍輸送部が管理する「海軍小禄飛行場」となり、軍事基地化が進んだ。1945年4月に沖縄本島に上陸したアメリカ軍は、19456月5日になって、この海軍小禄海軍飛行場を占領することができた。この時、飛行場には、日本海軍のゼロ戦、局地戦闘機「紫電」、「天山」艦上攻撃機、九六式陸上攻撃機、陸上爆撃機「銀河」の残骸が残されていた。アメリカ軍は、こた米兵ここ「海軍小禄飛行場」を「那覇飛行場」として拡張整備し、1945年7月初旬には、コンソリデーデットB-24重爆撃機などを進出させている。


写真(上):1945年8月頃 アメリカが占領している伊江島に駐屯しているアメリカ陸軍航空隊第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機
:後方には、海抜172メートルの城山(伊江島タッチュー)が聳えている。1945年8月19日,大本営参謀次長河辺虎四郎中将率いる日本降伏使節団16名は、ダグラス54スカイマスター輸送機に乗り換えて、ルソン島マニラ郊外ニコルス飛行場に向かった。日本降伏使節団が伊江島に帰還したら、再び東京に一式陸攻を操縦して帰ることになる。
P-47N of the 19th Ftr Sq, 318th FG taxies out for another mission from Ie Shima. 1945 NARA A ground crewman rides the wing of a Republic P-47 Thunderbolt as it taxis, to direct the pilot.
写真は、George Lane引用。


写真(右):1945年7-8月頃(?)、沖縄本島中北部沖、伊江島飛行場の舗装誘導路、アメリカ陸軍航空隊(USAAF)第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト(Republic P-47 Thunderbolt )戦闘機の戦列:日本本土を空襲できるように、主翼下面に大型の増加燃料タンクを搭載している。日本にによる空襲の危険がないので、掩体壕はなく、機体も銀色・無塗装のままである。
P-47s at airstrip on Ie Shima 1945 - A Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane www.fold3.com引用。


1941年5月6日初飛行のアメリカ陸軍 リパブリックP-47サンダーボルトRepublic P-47 Thunderbolt)戦闘機は、2000馬力のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星形18気筒R-1830ダブルワスプを装備し、ターボチャージャー(排気タービン)があったために、実用上昇限度は42,450フィート(12,939m)で 高高度性能が良く、最高速力は735km/h(高度10,668m)の高速戦闘機だった。全長36.1ft (11m)、全幅42.5ft (12.95m)、全高14.7ft (4.48m)、主翼面積322ft² (29.91m²)、空虚重量11,017ポンド (4,997kg)、離陸重量20,837ポンド (9,452kg)の大型戦闘機である。武装は、12.7ミリ機関銃8丁と強力で、増加燃料タンクを懸架すれば、航続距離は1,705マイル (3,158km)に達した。

写真(右):1945年7-8月頃(?)、沖縄本島中北部沖、伊江島飛行場、アメリカ陸軍航空隊(USAAF)第318戦闘航空団(Fighter Group)第19戦闘飛行中隊(Fighter Squadron)所属のリパブリックP-47Nサンダーボルト戦闘機による編隊低空飛行と警戒するハーフトラック:1945年5月24日、アメリカの嘉手納基地と読谷基地を襲撃した義烈空挺隊のような日本軍の降下部隊の侵入を警戒して、ハーフトラックに対空機関銃を搭載している。義烈空挺隊は、アメリカ海軍R5D四発輸送機(C-54海軍仕様)などを地上で破壊している。
P-47's of the 318th buzzing their airfield flying low over an Anti-Paratroop Half Track 1945 NARA Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane www.fold3.com引用。


日本軍の戦闘機は、最高速力600?/hを維持できる性能はなかったうえに、機数の上でも、パイロットの熟練度の上でも日本の戦闘機よりもアメリカ軍のリパブリックP-47サンダーボルトRepublic P-47 Thunderbolt)戦闘機遥かに優位だった。

写真(右):1945年7月8日、沖縄、読谷あるいは伊江島飛行場のアメリカ陸軍ダグラスA-26Aインベーダー攻撃機(Douglas A-26B Invader):初飛行が1942年7月10日の新鋭双発攻撃機で、沖縄から南九州を空襲している。
Rene Francillon Collection Image PictionID:46706334 - Title:Douglas A-26B 48BS 41BG Okinawa 8Jul45 [USAF 61213] - Filename:17_000566.tif - ---Image from the René Francillon Photo Archive. Having had his interest in aviation sparked by being at the receiving end of B-24s bombing occupied France when he was 7-yr old, René Francillon turned aviation into both his vocation and avocation. Most of his professional career was in the United States, working for major aircraft manufacturers and airport planning/design companies. All along, he kept developing a second career as an aviation historian, an activity that led him to author more than 50 books and 400 articles published in the United States, the United Kingdom, France, and elsewhere. Far from “hanging on his spurs,” he plans to remain active as an author well into his eighties.
写真は, SDASM Archives - Catalog:17_000566 引用。


アメリカ陸軍ダグラスA-26Aインベーダー攻撃機Douglas A-26B Invader)の諸元
乗員: 3名
全長: 15.24m (50ft)、全高: 5.64m (18ft 3in)、全幅: 21.34m(70ft)
主翼面積: 50.62m2 (540ft2)
空虚重量: 10,365kg (22,850ポンド)、運用時重量: 12,519kg (27,600lb)、最大離陸重量: 15,900kg (35,000lb)
発動機:プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)18気筒空冷エンジン2,000 hp (1,500 kW)2基
最高速力: 578 km/h (312kt) 359 mph
航続距離: 2,600 km(1,400 マイル) 1,400mi-1,600mi
実用上昇限度: 8,700 m(28,500 ft)
翼面荷重: 249kg/m2 (51lb/ft2)
兵装:機首 12.7ミリM2ブローニング(Browning)機関銃 6-8丁
翼内 12.7ミリM2ブローニング機関銃 6-8丁
背面動力銃座 12.7ミリM2ブローニング機関銃 2丁(遠隔操作)
下部動力銃座 12.7ミリM2ブローニング機関銃 2丁(遠隔操作)
爆弾:爆弾倉 4,000-6,000ポンド (1,800-2,700 kg)
翼下面 2,000ポンド (910 kg)あるいは5インチ(12.7 cm)HVARロケット弾14発
生産機数:2,503機


表6 沖縄への揚陸重量の予定と実際
Comparison of Estimated Capacities for Unloading at Okinawa Beaches and
Quantities Actually Unloaded, 1 April-30 June 1945
 
期間 Period 推計重量Estimated Capacities (M/T's) 実際の重量Actual Discharge (M/T's) 推計との乖離率 Percent Deviation from Estimates
各期間  Each Period 累積Cumulative

合計 TOTAL

1,981,495 2,016,490 +1.8 + 1.8

4/1-16

529,995 577,040 +8.9 +8.5

4/17-26

98,500 202,085 +105.2 +24.0

4/27-5/6

169,000 200,877 +18.9 +22.9

5/7-16

205,500 166,870 -18.8 +14.3

5/17-26

239,000 170,886 -28.5 +6.1

5/27-6/5

261,000 159,274 -39.0 -1.7

6/6-15

189,000 163,863 -13.3 - 3.0

6/16-25

193,000 188,046 -2.6 -3.0

6/26-30 

96,500 187,549 +94.4 +1.8
 
出所: U. S. Tenth Army Action Report Ryukyus, 26 March to 30 June 1945, Vol. 1, Ch. 11, Sec. IV, pp. 43 ff.

写真(右):1945年4-8月頃、沖縄本島、破壊された那覇市街地:那覇市内には、国場川、安里又川、安里川、久茂地川、安謝川、真嘉比川、潮渡川が流れている。
world war two pictionid66746892 - catalog100023197 - title--world war ii pacific theater infantry action and combat. philipines 1945 wotje isalnd 1944 iwo jima 1945 japan post-war okinawa.-.
写真は, SDASM Archives - catalog100023197 引用。


1945年4月1日、沖縄本島読谷海岸に上陸したアメリカ軍は、飛行場を確保してから、島の西から東岸まで横断し、南下して、5月24日に名波に達した。これまで通りに首里の日本軍の抵抗が予期されていたが、那覇に潜入した斥候は日本軍部隊を発見できなかった。アメリカ海兵隊第6海兵師団の偵察中隊は、5月25日に安里川下流から川沿いに那覇に侵攻したが抵抗を受けなかった。5月27日、第6海兵師団が那覇市の奥まで侵入したが、那覇市街地が破壊され放棄されているのを確認した。日本軍は那覇から撤退していた。5月31日 アメリカ軍は、首里城地下の沖縄守備隊第32軍司令部を占領した。

写真(右):1945年4-8月頃、沖縄本島、破壊された那覇市街地:1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦となる「10.10空襲」があった。 これは、アメリカ空母艦上機による大空襲で、那覇市街の90%が焼失した。那覇市内の養蚕試験場にあった第32軍司令部も焼失したために、対空防御も兼ねて、学徒も動員して、首里城の地下に第32軍司令部壕を掘削した。
world war two pictionid66747500 - catalog100023220 - title--world war ii pacific theater infantry action and combat. philipines 1945 wotje isalnd 1944 iwo jima 1945 japan post-war okinawa.-.
写真は, SDASM Archives - catalog100023220 引用。


1945年4月1日、沖縄本島に上陸したアメリカ軍は、日本陸軍第32軍が頑強に首里の複郭陣地で持久戦を戦っていたために、十分に構築されたこの陣地を放棄するはずがなく、日本軍は最後まで首里を死守すると考えていた。アメリカ第10軍は、5月25日「捕獲した書類やPOW(捕虜)の供述、また空中写真からして、敵は最後まで、首里を防衛するものと推察される」としていたのである。しかし、沖縄守備隊第32軍の首里の司令部は、1945年5月22日には、首里の司令部壕を放棄し、南部地域への撤退を決めていた。そして、1945年5月27日深夜、首里を放棄して南部の摩文仁に撤退命令を出した。

 こうして、1945年5月27日、日本陸軍第32軍は、沖縄南部へ撤退を始めたが、負傷者・傷病兵は、徒歩で撤退するのは困難だったため、重傷者は自決を強要されたり、薬殺されたりした。また、多数残っていた沖縄住民も、第32軍とともに撤退することになったが、食料・医薬品の不足から、容易に撤退することはできず、軍隊と同伴していては、軍優先となり、戦禍を免れる避難先を得ることはできなかった。

1945年5月29日、アメリカ軍第1海兵師団は、日本陸軍第32軍の主要陣地の首里城を占領し、瓦礫の中を、石畳や石造物、黒焦げになった樹木を眺めながら進撃した。その直後に、アメリカ陸軍第77師団も首里に侵入した。

こうして、第32軍司令部が1945年5月29日、首里を撤退し、南部へ退却たのに伴い、小禄半島にあった日本海軍陸戦隊の沖縄方面根拠地隊も南部に撤退したが、これは第32軍と取り決めた退却計画とはことなる独断であると非難され、司令官大田実海軍少将は、再び舞台をお六半島に引き返したが、撤退前に重火器や主要陣地を爆破していたため、十分な抵抗はもはや望めず、洞窟陣地を死守し、そのまま死ぬしかなかった。

また、南部に撤退した第32軍の兵士も、避難先を確保することが先決で、もはや陣地構築をする体力も資材もなかった。そして、那覇。首里の日本軍の下にあった沖縄住民は、軍の撤退にあわせて、南部に脱出を図ったが。しかし、軍に避難先をとられて行き場を失った住民も多く、北部からはアメリカ地上軍が進撃してきたために、南に逃亡することを余儀なくされた。こうして、沖縄本島南部は撤退してきた日本軍将兵と戦禍を逃れようとする沖縄住民が混在し、混乱する中、追い詰められていった。1945年6月23日、第32軍司令官牛島満中将、参謀長長勇中将は摩文仁で切腹、坂口勝大尉の介錯をもって自決した。6月23日、「組織的抵抗」が終わったとされるが、首里を撤退した後、真っ当な陣地が準備されているわけではなく、火器も不足しており、もはや組織的抵抗はできなくなっていた。この日に沖縄の日本軍が壊滅し、敗北したのである。


表7 アメリカ軍が沖縄へ揚陸した貨物量
Cargo Unloaded at Okinawa Beaches, 1 April-30 June 1945
(重量トン Measurement Tons)
期間Period 揚陸可能トン数Cargo Available for Discharge 揚陸トン数Discharged
全種All Types 前線Assault 守備隊Garrison 維持Maintenance 弾薬Ground Ammunition
トン数Quantity Percent Distribution

合計TOTAL

2,883,917 2,016,490 100.0% 673,067 839,190 352,353 151,880
1-16 April 917,056 577,040 28.6% 537,568 18,104 5,264 16,104
17-26 April 203,861 202,085 10.0% 104,144 50,875 26,350 20,716
27 April-6 May 211,918 200,877 10.0% 31,355 117,800 31,732 19,990
7-16 May 211,728 166,870 8.3% ......... 102,646 33,957 30,267
17-26 May 274,894 170,886 8.5% ...... 96,680 48,625 25,581
27 May-5 June 252,873 159,274 7.9% ....... 114,119 34,473 10,682
6-15 June 267,550 163,863 8.1% ...... 99,624 55,846 8,393
16-25 June 248,132 188,046 9.3% ....... 98,011 74,002 16,033
26-30 June 295,905 187,549 9.3% ...... 141,331 42,104 4,114
 
出所: U. S. Tenth Army Action Report Ryukyus, 26 March to 30 June 1945, Vol. 1. Ch. 11, Sec. IV, pp. 51 ff.


写真(右):1945年5月12日、沖縄本島、105ミリ榴弾砲を搭載したアメリカ海兵隊第一師団所属のM7プリエスト(Priest)自走榴弾砲(M7 self-propelled howitzers ):自走砲は、開放式の戦闘室のために、防御力は戦車よりも弱い。そこで、戦闘室の周囲にキャタピラを巻いて、臨時の追加装甲版替わりにしている。しかし、自動砲は簡易構造で、安価なために量産には向いている。
Two M7 self-propelled howitzers of the 1st Marine Division in action on Okinawa Date 12 May 1945
Source R. P. Hunnicutt. Sherman: A History of the American Medium Tank. — Presidio Press, 1976. — ISBN 0-89141-080-5
Author unknown US Military soldier or employee
写真はWikimedia Commons :File:Marine M7 HMC at Okinawa 12 May 1945.png引用。


写真(右):1945年5月最終週、沖縄本島、泥濘の未整地で立ち往生した105ミリ榴弾砲を搭載したアメリカ海兵隊第一師団所属と思われるM7プリエスト(Priest)自走榴弾砲(M7 self-propelled howitzers ):道路事情の悪い沖縄では、機械化され移動が可能な自走砲が便利だったが、それでも悪路、悪天候に悩まされた。戦闘室は開放されて露天である。そこで、大雨避けるためのビニールシートで戦闘室を覆っている。
This self-propelled M-7 105mm gun was completely bogged down in the heavy rains which fell on Okinawa in the last weeks in May. It replaced the half-track mounted 75mm gun as the regimental commander's artillery in Operation ICEBERG.
Date Unknown date Source www.ibiblio.org/ hyperwar/USMC /USMC-C-Okinawa /index.html
Author USMC Permission (Reusing this file) Labeled as Department of Defense Photo (USMC) 123438
写真はWikimedia Commons :File:M7-Priest-okinawa.jpg引用。


アメリカ軍の105ミリM2A1榴弾砲は、第一次世界大戦の開脚式フランス75ミリ野砲を引きつぐ設計で、第二次大戦勃発後の1941年にM2A1がアメリカ陸軍に制式された、アメリカ海兵隊にも配備された。105ミリM2A1榴弾砲は、105ミリM2A1榴弾砲は、堅牢で信頼性のある火砲だったために、第二次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争でも実戦使用されている。 1962年には火砲の命名方式が変更になり、105ミリM2A1榴弾砲は、105ミリM101榴弾砲と名称が変更されたが、大量生産されており、在庫も豊富だったために、アメリカ軍以外でも、日本、ドイツを含む世界各国が採用している。

写真(右):1945年4月中旬以降、沖縄本島、破壊された那覇市街地、アメリカ海兵隊第一師団所属と思われるの105ミリM2A1榴弾砲:砲兵部隊も機械化されているので、牽引車が牽引しても砲架に損傷が及ばないように、ゴムタイヤが装着されている。日本軍の火砲は、重量経験と馬匹牽引を原則としていたために、木製あるいは金属製車輪が普通だった。ゴムタイヤは「機動野砲」という特別扱いがなされていて、例外扱いである。
English: Okinawa – 105mm Howitzer firing in Naha. Date 4 June 2008, 13:42:17 Source www.mcu.usmc.mil / historydivision/ World%20War%20II / Forms/ DispForm.aspx?ID=1692 Author United States Marine Corps
写真はWikimedia Commons :File:OFFICIAL U.S. MARINE CORPS PHOTO 123536.jpg引用。


アメリカ陸軍105ミリM2A1榴弾砲の諸元
重量:2,300kg
全長:5.9m、砲身長:2.36m(22.5口径)
全幅:2.21m、全高:1.73m
操作員:10名
砲弾:105x372mmR 分離薬莢
口径:105mm
砲尾:水平鎖栓式
上下射界:俯角5から仰角65°
左右射界:左右旋回角23°
発射速度:16発/分(最大)、100発/時(連続射撃時)
砲口初速:472m/秒
有効射程:11,160m


写真(右):1945年4月中旬以降、沖縄本島沖、慶良間(けらま)諸島慶伊瀬島(けいせしま)の小島、神山島に配置されたアメリカ軍砲兵大隊所属の155ミリM1カノン砲ロング・トム"Long Tom"の放列:24門(2個砲兵大隊)のM2が神山島に揚陸配備されて沖縄本島を砲撃した。
English: 155mm guns of the 420th Field Artillery Group are set up on Keise Shima to shell enemy main defenses prior to the Tenth Army assault landing. (USA SC205503).
日付 1945年 原典 www.ibiblio.org / hyperwar / USMC/V/ USMC-V-II-3.html
作者 US Army Photograph
写真はChapter II-3 Assault Preparations Wikimedia Commons :File:OFFICIAL U.S. MARINE CORPS PHOTO 123536.jpg引用。


アメリカ陸軍の155ミリM1カノン砲は、長い砲身と長射程から「ロング・トム」の愛称で呼ばれたカノン砲で、第二次大戦後半に活躍した。第一次世界大戦時のアメリカ陸軍は、フランスの155ミリGPFカノン砲を装備していたが、この後継として、機械化砲兵で使用することが前提となった。第二次世界大戦ではアメリカ陸軍とアメリカ海兵隊が遠距離射撃に使用した。特に、1945年3月に始まった沖縄攻略戦では、アメリカ軍は、沖縄本島沖10キロの慶良間諸島慶伊瀬島(けいせしま)神山島を占領し、そこに砲兵大隊を配置し、155ミリM2カノン砲「ロング・トム」24門によって、沖縄本島の日本軍を砲撃した。戦後、日本でもアメリカ軍から供与された155ミリM2加農砲を装備した。

しかし、その後、ミサイルが発達するようになると、長距離射撃の概念が変化し、大型で重量が嵩み、移動が困難で、製造・運用経費の負担が大きい大口径カノン砲は部隊配備から外されていった。

表8 アメリカ第10軍の砲弾発射数(地上部隊)
Ammunition Expended by Tenth Army Field Artillery, 1 April-30 June 1945
(砲弾数 Number of Rounds)
火砲の種類Type of Weapon 推定要求量Estimated Requirements 供給可能量Supply Available 数量 Quantity Expended
合計Total 発射数Fired 敵による砲弾損失Lost to Enemy Action

合計TOTAL

2,119,760 3,315,209 2,116,691 1,766,352 350,339
榴弾砲Howitzer, 75-mm 266,640 612,020 230,067 166,068 63,999
榴弾砲Howitzer, 105-mm 1,236,700 1,889,452 1,330,137 1,104,630 225,507
榴弾砲Howitzer, 155-mm 400,980 566,574 390,996 346,914 44,082
カノン砲Gun
155-mm 
190,400 212,235 142,783 129,624 13,159
 
出所: U. S. Tenth Army Action Report Ryukyus. 26 March to 30 June 1945, Vol. 1, Ch. 11, Sec. VI, p. 78.


写真(右):1944-1945年、輸送艦から14インチ(35.6センチ)砲弾の補給を受けるアメリカ海軍ニューメキシコ級ネームシップ戦艦「ニューメキシコ」USS New Mexico (BB-40)の甲板上に並べられた14インチ(35.6センチ)砲の薬莢
:砲弾が輸送艦から補充され、甲板下の弾薬庫に運搬されることになるが、一時的に甲板に並べられている。
Ammunition ship Shasta loading 14-inch powder and shells onto the New Mexico.
写真はChapter XV FORAGER Logistics in General and Ammunition in Particular Ammunition Expenditure and Resupply引用。


アメリカ海軍戦艦「ニューメキシコ」USS New Mexico (BB-40)の諸元
基準排水量:33,400トン、 満載排水量:36,000トン
全長:190.20 m、 全幅:32.39 m、吃水 9.44 m
最高速力:21 ノット (39 km/h)
乗員:1,084名
兵装:50口径14インチ(35.6 cm)砲12門、25口径5インチ(12.7 cm)両用砲8門

写真(右):1944-1945年、沖縄攻略作戦にも参加し艦砲射撃を実施したアメリカ海軍ニューメキシコ級ネームシップ戦艦「ニューメキシコ」USS New Mexico (BB-40)の甲板上に並べられた14インチ(35.6センチ)高性能爆薬砲弾
:砲弾が輸送艦から補充され、甲板下の弾薬庫に運搬されることになるが、一時的に甲板に並べられている。
New Mexico sending 14-inch H.C. shells to the magazines.
写真はChapter XV FORAGER Logistics in General and Ammunition in Particular Ammunition Expenditure and Resupply引用。


アメリカ海軍ニューメキシコ級ネームシップ戦艦「ニューメキシコ」USS New Mexico (BB-40)は、1945年1月6日、フィリピン、ルソン島攻略作戦に参加し、リンガエン湾で上陸地点の艦砲射撃を実施した。その時、特攻機が艦橋に突入し、艦長R・W・フレミング大佐など29名が戦死、87名が負傷した。損傷後にも、艦砲射撃を続けた後、真珠湾に修理のため回航された。1945年3月21日、沖縄侵攻のために、ウルシー泊地から出撃し、3月26日に沖縄の慶良間列島を艦砲射撃した。1945年5月12日、戦艦「ニューメキシコ」USS New Mexico (BB-40)に特攻機1機が突入し戦死54名、負傷119名の損害が出た。5月28日、修理のためレイテ島へ回航された。

表9 アメリカ海軍の沖縄戦での艦砲弾発射数(海上部隊)
Ammunition Expended by the U. S. Navy in the Ryukyus Campaign, March-June 1945

(艦砲弾発射数 Number of Rounds Fired)
艦砲弾の口径 Type 合計 Total 期間 Period
4/1以前 4/1 4/2-6/24

全種類 ALL TYPES

600,018 41,543 44,825 513,650
Star, 5-inch(12.7センチ) 66,653 500 1,500 64,653
HC, 5-inch(12.7センチ両用砲) 432,008 27,750 36,250 368,008
HC, 6-inch(15,2センチ/軽巡) 46,020 4,200 3,000 38,820
HC, 8-inch(20.3センチ/重巡) 32,150 3,700 2,100 26,350
HC,12-inch(30.5センチ/巡洋戦艦) 2,700 575 175 1,950
HC, 14-inch(35.6センチ/戦艦) 16,046 3,275 1,325 11,446
HC, 16-inch(40.6センチ/戦艦) 4,411 1,543 475 2,393
 
出所: Tenth Army Action Report Ryukyus, 26 March to 30 June 1945, Vol. I, Ch. 11, Sec. V, p. 19.


写真(右):1945年春、沖縄、アメリカ軍の収容所に保護ざれた沖縄の子供たちと荷物を運搬する収容された住民たち(後方):アメリカ軍は、沖縄侵攻前から、沖縄占領後の住民収容所の開設と物資補給、軍政施行の準備をしていた。
Title: Okinawa Children
Caption:Playing behind U.S.Lines, during the Conquest of the island, Spring 1945
Description: Catalog #:80-G-K-5194
Copyright Owner: NARA
写真は、Naval History and Heritage Command:80-G-K-5194 Okinawa Children


豊見城市と沖縄戦について」には以下の記述がある。
沖縄戦直前には、那覇から糸満にかけての海岸が米軍の上陸予想地点に位置付けられたため、豊見城の沿岸部に住んでいた住民が、一時内陸部に移動させられた。そのほか小禄飛行場に隣接する補助滑走路として「与根飛行場」の建設があったり、さらに海軍司令部などの軍隊の拠点が置かれ、饒波川・国場川には水上特攻部隊が配備されるなど、豊見城の人々は、地上戦・航空戦・海上特攻など戦場の多様な場面に遭遇することとなった。

 沖縄戦当時、豊見城村の人口は約9,000人、沖縄戦で亡くなった豊見城村民は約3,600名(約40%)。沖縄県全体の犠牲者は約25%であるため、豊見城村は県内でも犠牲者が多く出た地域といえる。そのうち村内で亡くなった人数は、約1,100名で全戦死者の3人に1人が村内で死亡。最も多く犠牲者を出した時期は、1945年6月の約2,000人。戦闘が激しさを増し、人々が南部へ避難し始めた5月、6月に最も被害が多い。さらに沖縄戦が終わった6月以降も、戦争で受けた傷や栄養失調などによる死者があった。



表10 アメリカ第24軍の砲弾発射数
Ammunition Expended by XXIV Corps, by Type of Weapon, 4 April-21 June 1945
 
Weapon Total April May June
Number of Rounds Short Tons Number of Rounds Short Tons Number of Rounds Short Tons Number of Rounds Short Tons

ALL TYPES

.............. 64,324 ........... 24,438 ........... 28,977 .......... 10,905
Howitzer, 8-in 19,008  2,224  6,077 684 9,154  1,031  3,777  509
Gun, 155-mm 79,888  5,891  32,156  2,362  34,387  2,529  13,345  1,000
Howitzer, 155-mm 278,946  16,702  114,770  7,292  113,636  6,907  50,540  2,503
Howitzer, 105-mm 792,371  28,152  284,695  10,427  377,436  12,799  130,240  4,926
Howitzer, 75-mm 179,977  2,429  68,081  919  91,126  1,230  20,770  280
Gun, 75-mm 104,893  1,521  33,013  479  43,808  635  28,072  407
Gun, 57-mm 21,997  231  7,118  74  5,682  58  9,197  95
Gun, 37-mm 87,193  204  39,362  93  25,066  58  22,765  53
Mortar, 81-mm 443,589  3,672  146,385  1,181  241,853  2,054  55,351  437
Mortar, 60-mm 521,301  1,626  98,117  307  311,722  974  111,462  345
Rocket Launcher,2.36-in 20,359  62  10,263  31  7,956  24  2,140  7
Grenade, Hand 366,734 365 111,815 96 181,841 192 73,078 77
Grenade, Rifle 25,670 40 15,220 25 8,254 12 2,196 3
Submachine Gun, cal 45 1,461,180  35  612,958  16  683,732  15  164,490  9
Carbine, cal. .30 2,009,597  34  926,778  16  773,824  13  308,995 5
Rifle, ca1 30 9,267,923  372  3,569,182  143  4,545,337  183  1,153,404  46
Machine Gun, cal. .30 16,285,499  627  6,091,400  234  5,745,989  221  4,448,110  172
Machine Gun, ca1 50 786,754  137  394,108  59  203,456  42  189,190  36
    
注)重量トンとShort Tonsの換算は,1:0.927。Short tons表示よりも重量トン表示のほうが大きくなる。
出所)Personal records of Col. G. F. Powell, Ordnance Officer, XXIV Corps, U. S. Tenth Army.
http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/okinawa/appC.htm#t1




写真(右):1945年8月30日、沖縄本島嘉手納飛行場(?)、パイパー カブ(Piper Cub)連絡機を分解して日本に運搬しようとしているアメリカ軍ダグラスC-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機:主翼を取り外したパイパー カブ(Piper Cub)連絡機の胴体を、胴体後方左側の大型貨物ドアを開けて積み込もうとしている。パイパー カブは、1938年初飛行の軽飛行機で、1947年までに2万機が生産された。パイパーJ3カブは、乗員 2名、全長 6,83 m、全幅 10,76 m、重量 345 kg 、最高速力142 km/h、発動機コンチネンタル(Continenta)O-17048 kW (65 PS)1基装備。
Loading a Piper L-4 into a C-54 for the trip to Japan Summer 1945 NARA A
写真は, George Lane www.fold3.com引用。


マサチューセッツ工科大学出身でマーチン社の技師だったドナルド・ダグラス(Donald W. Douglas)は、1920年に退社してカリフォルニア州サンタモニカに1921年7月にダグラス・エアクラフト社Douglas Aircraft Company)を設立した。そして、カリフオルニア州サンタモニカ(Santa Monica)のクローバーフィールドへ大規模な飛行機工場を設置し、1933年に双発のダグラスDC-1輸送機、1934年に双発のダグラスDC-2輸送機を開発し、大型機製造の一流飛行機メーカーとなり、1936年にはベストセラーとなるダグラスDC-3輸送機を生み出している。

ダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機の発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)が製造したプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney) R-2000(32.84 L)ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1,290hp4基である。カリフォルニア州サンタモニカとシカゴ工場では、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)社から送られた発動機完成品を、C-54輸送機の主翼に据え付ける作業を行う。

第二次大戦中に大量の軍需を背景に成長したダグラス(マクドネル・ダグラス)だったが、1997年には、ボーイング社に吸収され、「ダグラス」の名称は消えている。

ダグラス社カリフォルニア州サンタモニカ飛行機工場(Douglas - Santa Monica California )で製造されたダグラスC-54スカイマスター(Skymaster)輸送機が備えた座席は、2種類ある。折り畳み式ベンチは、普段は、壁側に折りたたまれていて、座席なしで貨物の収納スペースを大きくとることができ、貨物輸送型である。他方、ソファー座席を備えているのが、民間仕様や要人輸送に使用された人員輸送である。

ダグラス(Douglas)DC-4 スカイマスター(Skymaster)輸送機の特徴は、降着装置が主輪式なことである。それまでの輸送機は、左右主翼のエンジンカウリングに設けた主輪2個と胴体尾部の下方に設けた尾輪によって、地上では3点姿勢で離着陸・待機していたのに対して、胴体前下方に機首に首輪を設けて、左右主翼のエンジンカウリングに設けた主輪2個と合わせて、離着陸・待機するように変更になったとである。首輪を設けたことで、待機中も機体は水平になり、貨物や旅客の移動や積み込みは容易になった。ただし、重量は若干増加し、離着陸に必要な滑走距離も長くなったが、これは飛行場整備によって対処できることだった。


写真(上):1945年8月30日、沖縄本島嘉手納飛行場(?)、パイパー カブ(Piper Cub)連絡機を分解して日本に運搬しようとしているアメリカ軍ダグラスC-54D スカイマスター(Skymaster)輸送機
:パイパー カブ(Piper Cub)連絡機の胴体から主翼が切り離されて手前に置かれている。アメリカ軍の嘉手納基地は、1944年9月完成の旧日本陸軍の中飛行場を拡張した飛行場で、1945年6月には、全長2,200mの舗装滑走路が完成している。この機体は、日本本土への物資の空輸を担っていた。
Piper Cub getting ready to ride a C-54 Aug 30, 1945 NARA
写真は, George Lane www.fold3.com引用。


ダグラスDC-4輸送機は、民間仕様であり、アメリカ陸軍航空隊ではC-54、アメリカ海軍航空隊ではR5D輸送機の名称で制式している。ダグラスC-54/R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機は、1942年から1947年までに1200機生産され、アメリカ本土、ハワイ、マリアナ諸島、フィリピン、沖縄を結ぶ空中輸送に使用された。

アメリカ軍の嘉手納基地は、1944年9月完成の旧日本陸軍の中飛行場を拡張した飛行場で、1945年6月には、全長2,200mの舗装滑走路が完成している。この機体は、日本本土への物資の空輸を担っていた。

菊水1号作戦(攻撃期間1945/04/06)

海軍機

391

海軍参加機中

陸軍機

133

特攻出撃

215

524

未帰還機

178

菊水2号作戦(1945/04/12)

海軍機

354

海軍参加機中

陸軍機

139

特攻出撃

103

493

未帰還機

114

菊水3号作戦(1945/0416)

海軍機

415

海軍参加機中

陸軍機

 92

特攻出撃

176

507

未帰還機

127

菊水4号作戦(1945/04/27-4/30

海軍機

587

海軍参加機中

陸軍機

 

特攻出撃

100

 

未帰還機

68

菊水5号作戦(1945/05/02-5/05/04)

海軍機

300

海軍参加機中

陸軍機

136

特攻出撃

136

436

未帰還機

65

菊水6号作戦(1945/05/02-5/05/04)

海軍機

345

海軍参加機中

陸軍機

80

特攻出撃

86

425

未帰還機

67

菊水7号作戦(1945/05/23/05-25)

海軍機

387

海軍参加機中

陸軍機

147

特攻出撃

107

53

未帰還機

41

菊水8号作戦(1945/05/26-05-28)

海軍機

217

海軍参加機中

陸軍機

 71

特攻出撃

51

288

未帰還機

46

菊水9号作戦(1945/06/01-06/08)

海軍機

367

海軍参加機中

陸軍機

 71

特攻出撃

23

438

未帰還機

20

菊水10号作戦(1945/06/16-06-22)

海軍機

271

海軍参加機中

陸軍機

 

特攻出撃

67

 

未帰還機

56

出所)http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-okinawa22.html



写真(右)1945年5月頃、沖縄本島、読谷飛行場、胴体右前方の昇降口から貨物を搬出入しているアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)輸送機:後方では、炎上した飛行機から煙が上がっている。読谷基地には、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍の傷病兵を救護、後方の病院に空輸するアメリカ海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)と女性隊員たちも活動している。C-54キャビンは、貨物輸送型であれば、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
【原文】 Pictured against a pall of smoke from a burning plane are two Douglas C-54s of the AAF Air Transport Command's Pacific Division. The planes are preparing to take-off from Yontan airstrip, Okinawa, with a load of wounded. 【和訳】 陸軍航空隊空輸部隊太平洋地区所属の2機のダグラスC-54輸送機の後方で炎上した飛行機から煙が上がる。この2機は多数の傷病者を乗せて、読谷飛行場から離陸準備をしている。
撮影地: 読谷 撮影日: 1945年 資料コード: 0000112234
写真は, 沖縄公文書館・写真番号: 13-57-3引用。


1945年第二次世界大戦の太平洋戦争末期、2月の硫黄島攻略戦、4月の沖縄攻略戦には、多数のアメリカ海軍C-54スカイマスター輸送機が患者輸送、人員・物資輸送に活躍している。C-54患者輸送機には、海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)の女性隊員も勤務している。アメリカ女性が、戦時中の硫黄島、沖縄で空中勤務者として活躍していたのである。

写真(右)1945年4月、沖縄、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機の主翼上の海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh ):主翼の上でポーズをとった飛行看護婦ジェーン・キャディー・ケンデイの後方には、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2000-3ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジンのナセル上部が見える。海軍女子補助部隊WAVESの中にも看護部隊があった。
Title:Navy Flight Nurse Jane -Candy- Kendeigh.
Caption:Photographed on the wing of a Naval air transport service evacuation aircraft, on Okinawa, April 1945. Plane appears to be an R5D. According to original caption, she was the first flight nurse to land on both Iwo Jima and Okinawa.
Description: Catalog #:80-G-K-5277 Copyright Owner:NARA.
写真はNaval History and Heritage Command・80-G-K-5277 Navy Flight Nurse Jane -Candy- Kendeigh 引用。


アメリカ海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane Candy Kendeigh )は、オハイオ州ヘンリエッタタウン(Henrietta Township)出身の22歳の女性で1945年3月には、ダグラス(Douglas)R5D-5 スカイマスター(Skymaster)四発患者輸送機に乗って、硫黄島に赴いている。任務は、ダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機による硫黄島からの傷病兵の空輸で、これから15日間で、彼女は海軍将兵・海兵隊員2,393名の空輸に付き添った。女性が戦場にいることについて、彼女は「ほかの土地と同じこと、みんな口笛を吹いていたわ」 ‘The same as other places, they whistled.’”と答えた。彼女はその後、沖縄からの傷病への救援空輸の任務にも就いている。

1945年にアメリカ海軍航空隊は、太平洋戦域で海軍・海兵隊の傷病兵の救護空輸にダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機を使用した。この機体のキャビンキャビンは、ソファー式座席の旅客型ではなく、折りたたみ式ベンチの並んだ貨物型輸送機であり、傷病兵用の担架を胴体側面に三段に並べることができた。傷病兵は、この胴体側面三段式担架、床の担架に収容され、空輸されることになる。軽傷の場合は、担架ではなく、折り畳み式ベンチで移動したこともあったようだ。

空輸中の看護業務には、飛行看護師も参加した。初めて、硫黄島と沖縄で飛行看護に活躍した女性看護師が、ジェーン・キャディー・ケンデイ(Jane -Candy- Kendeigh )である。22歳の彼女は、硫黄島・沖縄と戦闘地域で活躍した初めての女性飛行看護婦だったので、ダグラスR5D スカイマスター(Skymaster)輸送機で任務に赴いたとき、メディアで喧伝された。

写真(右)1945年5月20日、沖縄本島、読谷飛行場(Yontan Airfield)、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵を後方の病院まで運搬するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機に勤務する女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)オーバーストリート(Madge Overstreet)中尉は、パラシュートの紐や機内のレバーなどが掛からないように、ボタンや繋ぎなどがないオーバーオールの飛行服を着用している。:沖縄住民が被るクバの葉で作ったクバ笠と彩色された器・椀を戦利品としたオーバーストリート中尉は、ほかの男性看護兵が、鉄帽・ヘルメットを被っている中で、彼女たちはファッションを重視したのか、飛行機内勤務であるからか、帽子を認められている。後方には、土砂で盛土したコンクリート製の飛行機掩体壕が見えるが、これは日本軍が構築したもの。アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)が患者輸送機として使用された。キャビンは、貨物輸送型だが、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
写真解説: 【原文】 US Army nurses arrive at Okinawa. The girls, waiting here for transportation after arriving at the Yonton airstrip, will be assigned to US hospitals on the Okinawa beachhead. 【和訳】 沖縄に着任した陸軍看護兵。読谷飛行場に到着し、搬送を待っている。彼女たちは海岸堡におかれた各病院に配属される予定である。
撮影日: 1945年 5月20日 備考: hereforをhere forに訂正。 Yontan。 資料コード: 0000112298
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号:100-21-3 引用。


写真(右)1945年5月頃、沖縄本島、読谷飛行場、アメリカ海軍飛行看護士(Navy Flight Nurse)と女性隊員たち:担架で運ばれたアメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵をアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)に搬入する、女性隊員の周囲にいる看護部隊、飛行看護師あるいは衛生兵は鉄帽・ヘルメットを被っているが、彼女たちはファッションを重視したのか、飛行機内勤務であるからか、帽子である。アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)が患者輸送機として使用された。キャビンは、貨物輸送型だが、傷病兵は、三段式担架と、床に担架で並べられて、飛行看護婦が世話にあたる。
Signal Corps Archive
At the Jap Yontan airfield on Okinawa, wounded Marines and soldiers are loaded into a hospital transport plane for evacuation to rear base hospitals
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 100-21-4引用。


写真(右)1945年5月20日、沖縄本島、読谷飛行場(Yontan Airfield)、アメリカ海兵隊・アメリカ海軍将兵を後方の病院まで運搬するアメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機に勤務する女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)は、レインコートを羽織っている。:パラシュートの紐や機内のレバーなどが掛からないように、ボタンや繋ぎなどがないオーバーオールの飛行服を着用している。女性看護婦の中には、ヘルメットを被っている隊員もいる。
【原文】 OKINAWAN SCENE--U.S. Army nurses, arriving for duty at the Yonton airstrip on Okinawa, gather around Marine Private First Class Johnnie Gallagher, son of Mr. Edward M. Gallagher, Sr., 21 Oak Square Avenue, Brighton, Massachusetts, who shows them a captured Japanese sword. 【和訳】 沖縄での光景--任務のため読谷飛行場に到着した陸軍看護兵が海兵隊のギャラガー1等兵(マサチューセッツ州出身)をとり囲む。彼は、戦利品である日本刀を見せている。
撮影日: 1945年 5月20日 備考: Yontan。 資料コード: 0000112298.
資料では、陸軍看護婦(U.S. Army nurse)というが、服装、海兵隊員との写っていること、5月という日本軍が頑強に抵抗している段階で飛行場にのみ展開していること、から判断して女性海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)と思われる。
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 100-19-4引用。


写真(右)1945年4月、太平洋、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機(登録コード:39174)を背景にした6名のアメリカ海軍飛行看護婦(Navy Flight Nurse)のリディア・マセリーナ(Lydia Masserine)中尉,ステラ・メイカー(Stella Makar)中尉,ドロシー・ウッズ(Dorothy Wood)中尉,ホープ・トーン(Hope Toone)中尉,メイ・ハンソン(Mae Hanson)中尉、ウィニフレッド・ジェニングス(Winnifred Jennings)中尉:飛行看護婦は、みな空中勤務者用のフライトジャンプスーツ(つなぎオールインワン)を着用している。
U .S. Navy Flight Nurses Caption:Walk away from a NATS DOUGLAS R5D evacuation transport aircraft, on a Pacific Airfield, circa spring 1945. They are -Left-right- Lt. JG Lydia Masserine, Lt. Stella Makar, Lt. JG Dorothy Wood, Lt. JG Hope Toone, Lt. JG Mae Hanson Ens. Winnifred Jennings all are wearing flight jump suits.
Description: Catalog #:80-G-K-5446 Copyright Owner:NARA .
写真は, Naval History and Heritage Command・80-G-K-5446 U .S. Navy Flight Nurses 引用。


写真(右)1945年4月、太平洋、マリアナ諸島グアム島、アメリカ海軍航空隊のダグラス(Douglas)R5Dスカイマスター(Skymaster)患者輸送機(登録コード:39174)を背景にしたアメリカ海軍飛行看護婦の(Navy Flight Nurse)のリディア・マセリーナ(Lydia Masserine)中尉,ステラ・メイカー(Stella Makar)中尉,ドロシー・ウッズ(Dorothy Wood)中尉,ホープ・トーン(Hope Toone)中尉,メイ・ハンソン(Mae Hanson)中尉、ウィニフレッド・ジェニングス(Winnifred Jennings)中尉:6名の飛行看護婦は、空中勤務者用のフライトジャンプスーツ(つなぎオールインワン)を着用している。
War History Online A group of US Navy flight nurses walking away from a Douglas R5D Skymaster aircraft, Guam, Marianas, April 1945..
写真は, War History Online・80-G-K-5446 U .S. Navy Flight Nurses 引用。


写真(右):1945年8月20日頃、沖縄、アメリカ陸軍航空隊のノースロップ(Northrop)P-61ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機機:機首のドームには、空対空レーダーを装備。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。1942年5月26日初飛行のP-61ブラックウィドウは、1944年以降、実戦配備され、1945年には沖縄に投入された。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Northrop P-61 Black Widow
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: Northrop P-61s on Okinawa, 1945
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000038引用。


アメリカ陸軍航空隊ノースロップP-61Bブラックウィドウ夜間戦闘機の諸元
全長:15.12m、 全高:4.34m、 全幅:20.12m
翼面積:61.53平方メートル
自重:9,979kg、全備重量:12,610kg
発動機:P&W R-2800-65 空冷星型18気筒 2,250hp ×2 最高速力:589 km/h
航続距離:4,828km
実用上昇限度:10,090m
乗員:3名
武装: 12.7mm機関銃4連装動力銃座、胴体下面20ミリ機関銃4丁

写真(右):1945年8月20日頃、沖縄、アメリカ陸軍航空隊のノースロップ(Northrop)P-61ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機機:機首のドームには、空対空レーダーを装備。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。1942年5月26日初飛行のP-61ブラックウィドウは、1944年以降、実戦配備され、1945年には沖縄に投入された。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo
Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Northrop P-61 Black Widow
Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: Northrop P-61s on Okinawa, 1945
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000039引用。


アメリカ海兵隊は、F4Uコルセア、F6Fヘルキャットなどを改修した単発夜間戦闘機はあったが、双発以上の本格的な夜間戦闘機がなかった。そこで、ノースロップP-61Bブラックウィドウの配備を要求したが、陸軍航空隊への配備が優先されたために、双発艦上機として試作されたF7Fを夜間戦闘機として改修して使用した。

写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:主翼下面は肩翼4発分のロケット弾懸架ラックが装備されている。機首のドームには、空対空レーダーを装備。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa br>写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000036引用。


グラマンF7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機は、アメリカ海軍が発注した正規空母用の艦上戦闘機が原型である。しかし、ロッキードP-38双発戦闘機と同じく、前輪式(首輪式)降着装置を装備した双発戦闘機である。1943年11月2日に初飛行したが、1946年までに360機が生産されただけで終わった。諸元は、発動機ライト(Wright)R-2800空冷星形18気筒エンジン2,100 hp2基装備で、乗員 2名、全長 13.83m、全幅15.70m、重量 21,720ポンド (9,852kg)、最高速力435mph (700km/h)/22,200ft、航続距離1,490マイル(2,398km)と飛行性能は高い。

写真(右):1945年8月23日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:国頭郡‎金武(キン)町は、2020年現在でもアメリカ海兵隊基地キャンプ・ハンセン(Camp Hansen)が置かれている。
写真解説: 【原文】 On a Marine airstrip at Okinawa maintenance crews check up on the F7F, Grumman's new Tigercat fighterbomber. Fastest, most powerful, of Pacific nightfighters, the Tigercats are being flown on security patrol over the Ryukyus by Marine night fighter pilots. 【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影日: 1945年 8月23日 備考: 資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 73-14-1 引用。


第二次大戦末期の1945年8月に、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町の金武飛行場(Chimu Airfield)に駐屯したアメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に実戦配備された。高速夜戦で、夜間パトロール任務に出撃したものの、会敵し撃墜戦果を挙げたことはなかったようだ。しかし、初飛行が1942年5月26日、生産数700機のノースロップ(Northrop)ノースロップP-61ブラックウィドウ夜間戦闘機ほどでないにしても、より新しい実験的なB-32爆撃機、F7F夜間戦闘機を沖縄方面に実戦配備したアメリカ軍の実力には驚かされる。その技術力、経済力、組織力は、日本軍とは比較にならないほど高かった。

写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)副飛行長ビービー少佐(ミネソタ州出身)のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機への燃料給油作業:長距離進攻するために、大型増槽を主翼下面に懸架している。戦争で2回目のパトロールというが、すでに日本機の飛行は禁止されており、それを確認し、停戦に違反して攻撃を仕掛けてくる日本機を排除する任務を担っていたようだ。
写真解説: 【原文】 Executive officer of the new Tigercat squadron (VMF (n) 533) of Marine night fighters, Major John W. Beebe, 27, of 31 Lake Avenue, White Bear Lake, Minn., is on his second tour of Pacific duty. His plane, one of the hard-hitting new Tigercats (F7F) is shown being readied for night patrol. 【和訳】 夜間戦闘部隊の新生タイガーキャット飛行中隊(VMF(n)533)の副隊長、ビービー少佐(ミネソタ州出身)。彼は太平洋戦での2回目の遠征である。彼の強力な新生タイガーキャット(F7F)は、夜間パトロールの準備をしている【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影地: 金武滑走路 撮影日: 1945年 8月20日 資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 94-34-2 引用。


写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島上空(?)、アメリカ海兵隊のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:2機編隊のF7F双発戦闘機は、コミュニティの防風林・薪炭源の里山に囲まれた集落、畦道で囲まれた不等辺不当変な形状の農地田園が見える。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。
Charles M. Daniels Collection PhotoNotes From Album: F7F Tigercats, Okinawa Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000037引用。


アメリカ海軍の要求に応えて、グラマン社は前輪式(首輪式)を採用した初めての双発艦上戦闘機としてF7Fを試作し、1943年11月に初飛行させた。小型の機体に、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800(排気量45.9L)ダブルワスプ(Double Wasp)空冷18気筒エンジン2基を搭載したが、この発動機はF4Uコルセア、P-47サンダーボルト、F6Fヘルキャットに装備されていた信頼性があり、量産されていたものである。機体は、斬新な設計だが、発動機は既存のタイプだったため、順調に開発が進み、第二次大戦末期とはいえ、ギリギリ実戦配備に間に合った。

双発艦上戦闘機F7Fタイガーキャット(Tigercat)は、1944年4月にアメリカ海兵隊に納入され、艦上機としてではなく、主に夜間戦闘機として使用することになった。複座として、後席にはレーダー操作員が登場し、機首にはレーダーを搭載し、機首の機銃は撤去されたが、それでも主翼に20ミリ機銃4丁を搭載していた。


写真(右):1945年5月、フィリピン、ルソン島クラーク・フィールド基地(Clark Field )、コンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機の機首動力銃座の12.7ミリ連装機関銃
:1942年9月7日初飛行のB-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機が、運用開始されたのは1945年に入ってからで、フィリピンへのボーイングB-29の配備が拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。アメリカ統合参謀本部も、実地テストと日本軍への威嚇・情報攪乱の目的で、少数の機体をフィリピンに派遣したと思われる。
Consolidated B-32 Dominator at Clark Field, Philippines May 1945 One of three B-32s shipped to Clark Field in May, 1945 Source of Photograph: University of Pittsburgh; Harold Corsini Photographs. [original can be downloaded from the Library System of the Univ. of Pittsburgh; however, Corsini family holds the copy right. Use of the image requires written permission.]
写真は, George Lane引用。


1942年9月7日初飛行のコンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)(Dominator)爆撃機が、運用開始されたのは1945年5月に入ってからで、フィリピンへ送られた。これは、ボーイングB-29の配備がマリアナ諸島に優先され、フィリピン方面への配備を拒否された第5空軍ジョージ・ケニー司令官が、旧式化していたB-24爆撃機の後継機として、B-32爆撃機の配備を要請した。アメリカ統合参謀本部も、実地テストと日本軍への威嚇・情報攪乱の目的で、少数の機体をフィリピンに派遣したと思われる。総生産機数は118機のみ。

写真(右):1945年8月12日、沖縄読谷飛行場、タキシングする新鋭のコンソリデーデット・B-32 ドミネーター(Dominator)爆撃機:1945年11月の日本の九州上陸「オリンピック作戦」のために、沖縄方面には十分な航空兵力が配備されていた。
Consolidated B-32 taxiing at Yontan Airfield, Okinawa Aug. 25, 1945 NARA The Consolidated B-32 Dominator (Consolidated Model 34) was a heavy bomber made for United States Army Air Forces during World War II. Source: USAF WW-II photos from NARA and available from www.fold3.com
写真は, George Lane引用。


写真(右):1945年以降、フィリピン、ルソン島、破壊され荒廃したマニラ市街地:アメリカ軍のジープや乗用車の中に、現地の馬車(カレッサ)が混じって走っている。
world war two pictionid66747536 - title--world war ii pacific theater infantry action and combat. philipines 1945 wotje isalnd 1944 iwo jima 1945 japan post-war okinawa.
写真は, SDASM Archives catalog100023221 - 引用。


1945年、太平洋戦争末期、沖縄の被った惨禍、沖縄地上戦の苦闘は忘れることができない。しかし、同様の惨禍・苦闘は、マニラ市街戦でもあった。マニラ市街地に侵攻してきたアメリカ軍に対して、日本軍は「オープンシティー」(非武装都市)を宣言することなく、市街戦を闘った。残留した日本海軍陸戦隊を中心に、進撃してきたアメリカ軍に対して、コンクリートビルディングや地下に立て籠もって、徹底抗戦したのである。これは戦術的には有効だが、政略的には、戦後の日比関係を悪化させた。戦争を統計データや年表で表すことは有用だが、その数値には命や財産がかかっていた。

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:NSDAP(Nazi);ファシズムの台頭
ナチ党政権によるユダヤ人差別・迫害:Nazis & Racism
ナチスの優生学と人種民族:Nazis & Racism
ナチスの再軍備・人種差別:Nazism & Racism
ナチスT4作戦と障害者安楽死:Nazism & Eugenics
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
ポーランド侵攻:Invasion of Poland;第二次大戦勃発
ワルシャワ・ゲットー写真解説:Warsaw Ghetto
ウッジ・ゲットー写真解説:Łódź Ghetto
ヴィシー政権・反共フランス義勇兵:Vichy France :フランス降伏
バルカン侵攻:Balkans Campaign;ユーゴスラビア・ギリシャのパルチザン
バルバロッサ作戦:Unternehmen Barbarossa;ソ連侵攻(1)
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad :ソ連侵攻(2)
ワルシャワゲットー蜂起:Warsaw Uprising
アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の奴隷労働:KZ Auschwitz
マウトハウゼン強制収容所:KZ Mauthausen
ヒトラー:Hitler
ヒトラー総統の最後:The Last Days of Hitler
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
ゲオルク・エルザーのヒトラー暗殺未遂:Georg Elser
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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