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◆キリスト教聖書のハンセン病患者差別と救済:Discrimination against Lepers 画像(上)15世紀Piero di Cosimoのフレスコ画、山上垂訓と癩病患者(?)の癒し。新約聖書のマルコ福音書(Mark 1:40-45)の場面右下、イエスが一人の癩病(ハンセン病)患者を癒している。ハンセン病患者が完全隔離されていたわけではないことがわかる。
The Sermon on the Mount and the Healing of the Leper (1481-82), fresco, Sistine Chapel, Cosimo Rosselli (1439-1507) Cappella Sistina, Il discorso della montagna e la guarigione del lebbroso.
画像は1st-Art-GalleryArtilim paintings gallery:Sermon on the Mount and Healing of the Leper painting by Piero di Cosimo引用。

ナチス精神障害者抹殺T4作戦
ナチスのジプシー迫害
ナチス優生学と障害者・人種民族迫害
日本優生学のハンセン病差別隔離断種

◆多様な文化や価値観を持った人々の共生が,持続可能な平和を構築するのに必要であり、多民族・多人種の共生の視点が重要になってきた。この概念は、人種民族差別,特定グループの迫害,優生学とは,真っ向から対立する。つまり,戦争と平和の問題は,サステイナビリティー(持続可能性)の議論と重なり合う部分が多い。この複合的な分野を扱う学問が環境平和学である。


1.優生学と優生保護法に基づく差別−似非科学のまやかし

人種は,生物学的特長によるヒトの区分,民族は言語文化的な特長に人間の区分である。換言すれば、人種は遺伝・DNAが支配する先天的要因,民族は出自・家庭・教育・国籍が支配する後天的要因による区分とされる。しかし,実際には,人「種」はなく,たかだか「亜種」(Subspecies)を区分できるに過ぎない。人種・民族あるいは能力の差異は、遺伝子よりも教育に左右される。兄弟でも大きな違いがあるのはそのためだ。人種・民族を意図的に定義し,特定の人種民族を差別,迫害するのが,人種民族差別である。


◆優生学は、人種・民族,障害・性格を遺伝子と結び付けて恣意的に特定することであり、それによって、気に入らない、自分の利益を損なうとみなした人種民族・人物の人権・自由を剥奪し、差別,迫害することを正当化する似非科学である。

肌・目・髪の色,顔面角,鼻の形,体形は,個体差,個人差が大きい。身体的能力・知能も、後天的な教育の効果が大きく影響する。にもかかわらず,優生学では、生まれながらに優劣があると、遺伝子・人種民族が意図的に区分されてきた。この優生学をもとに,支配者の白人と奴隷の黒人、優秀なアーリア人と下等なユダヤ人、アジア人を指導する秀でた大和民族、健康な人間と欠陥あるハンセン病患者・精神障害者など勝手に人種民族を選別し,優劣をつけた。下位のものの人権を蹂躙し、自由を剥奪し排除した。

社会的ダーヴィニズム(社会的進化論)では,下等人種・劣等民族は、自然淘汰される存在とされた。社会的ダーヴィニズムは、優秀な人種・民族が、下等人種・劣等民族を支配するという人種民族差別が正当化された。

優生学的発想では,劣等な人間が繁殖力旺盛で、優秀な人間の繁栄の障害になる。そこで、劣等な人間を人為的な排除が主張された。とされる。人類を品種改良するには,悪性遺伝子を排除し,優良な遺伝子を残さなくてはならない,と主張する。1883年,イギリス人フランシス・ゴルトンSir Francis Galton:1822-1911)らが提唱した優生学は,コーカソイド(白人)による植民地支配を正当化する論理として,帝国主義の中で,広まった。米国では,アジア人の移民排斥に理論的根拠を与えた。

優生学に基づいて、人種・遺伝子汚染の危険があるユダヤ人、黒人、ジプシー(シンティ・ロマ)、ハンセン病患者、精神障害者など下等民族・劣等人種を選別し、排除することが、国家・国民の福祉に繋がると考えられた。人種民族の選別・排除は、国家財政の負担において行われた人種衛生的な福祉政策であり、人種民族の共生、個人の人基本的人権の保障は否定された。

米本昌平他『優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか』は,優生学が、福祉国家の思想と関連が強いことを指摘している。つまり、北欧のデンマークでは、ナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、スウェーデンでも、強制的な優生学的な不妊手術が1930年代以降、50年代に至るまで実施された。これらの諸国に共通しておいるのは、福祉国家の形成のために、役に立たず社会的負担となる人間を排除するという発想である。

優生学は、
?人種民族に優劣をつけて、優秀な人種民族が劣等な人種民族を支配・教化する、
?優秀な人種民族が劣等な人種民族の血(遺伝子)によって汚染され、劣化するのを防ぐ、
?人種民族を遺伝的に改良することによって、富国強兵を進める、 
という3点を主張する人種民族差別である。

◆20世紀初頭、日本人・大和民族を強化する優生学的政策も提唱されていた。
医師・大澤謙二(1905)「体質改良ト社会政策」、『東京医事新誌』第1391号には次のように健康増進、社会的に忌むべき病を特定し、そのような症状が子孫に遺伝しないように、婚姻制限・断種など、人為的な淘汰=排除を訴えている。

第一、体育ヲ奨励シテ偏重ナル知育ノ弊害ヲ軽減スルコト
第二、結核病花柳病及酒精中毒ノ如キ子々孫々ヲ毒害スベキ伝染病ト罪悪トヲ防遏スルコト
第三、婚姻法ヲ制定指定望マシキ結婚ヲ容易ナラシメ否ラザル者ヲ制限スルコト約シテ云ヘバ人為淘汰ヲ施スコト

静岡県磐田市生まれの動物学者・丘浅次郎(1905)「進化論と衛生」『国家医学会雑誌』第221号にも社会的進化論の自然淘汰を援用し、「自己の団体の自衛上極めて必要」な「人種衛生学、社会衛生学」に基づいて「劣等な人間、有害な人間を人工的に保護して生存繁殖せしめる様では其人種の進歩改良は到底望むことは出来ませぬ」、「少なくとも子孫を後に遺さぬだけの取締りは必要である」と述べている。

医学者・福原義柄(ふくはらよしえ:1875−1927)『社会衛生学』1914年発行、は「民族衛生策ハ主トシテ其根拠ヲ遺伝研究ニ 置ク」と優生学の「後天形質」が遺伝しないとしても「母ノ栄養、疾病、中毒等ガ同時ニ胎児或ハ生殖細胞ニ同様ノ第二次的影響ヲ与ヘ、有害ナル変異ノ原因トナル」とした。そして、「人類ノ進化及退化ニ影響スル諸事情」として、「強壮者ヲ弱メ(繁殖力ヲ害セザルモ)其子ヲシテ体質劣等ナラシムル疾病例之慢性伝染病及慢性虚弱状態」、「生殖腺ヲ毒シ胚種ヲ弱メ子孫ヲシテ低格児ナラシムルモノ例之酒精、梅毒、結核ノ如シ之ヲ胚種毒トモ云フ」を指摘した。

「吾人ハ一方ニ於テ社会的低格者ヲ保護シツツ、他方ニ於テ此低格ノ子孫ニ遺伝スルヲ防止セネバナラヌ、是レ篇頭ニ論ゼル消極的民族衛生策ノ必要アル所以(ゆえん)デアル」とした。この「社会的低格者」とは「精神薄弱、要扶助者、不具、癲癇、精神病、体質薄弱、病的基質アル者、犯罪者、盲唖ノ如キ心身低格者」を指す。つまり、優生学的発想から、伝染する疾患が子孫に伝播することを防止するため、劣等者を排除することを訴えた。

◆20世紀初頭、日本では優生学に基づいて、人種民族の改良が信じられ、精神障害者・身体的障害者・犯罪的傾向のあるもの、らい病(ハンセン病)患者などを国家貢献できない厄介者に選別し、断種・結婚制限などによって、排除しようとした。その優生学的発想は、優れた大和民族によるアジアの統一・支配という「大東亜共栄圏」の幻想につながってゆく。その過剰な自己中心的世界観は、人種民族的差別を正当化し、人類の共生、個々人の基本的人権の尊重、ノーマライゼーションを否定した。

第一次世界大戦敗戦後のドイツで、1920年、法学者カール・ビンディング(Karl Binding)と精神科医アルフレート・ホッヘ(Alfred Hoche)は生きるに値しない命の抹消の解禁という著書で、優生学に基づいて「?病気や負傷などで救済の見込みのない者、?不治の白痴、?重い病が原因で無意識状態に陥っているか快復してもその不幸に悩む者に対する安楽死」を求めた。しかし、この当時は、まだそこまで実施できる状況にはなかった。

◆ナチ党がドイツの政権を奪取して半年、1933年7月14日公布の断種法(遺伝病子孫予防法)は、?優生学に基づく差別、?財政負担の軽減、の2点の目的があった。
優秀であるはずのアーリア人・ドイツ民族にとって、精神障害者は民族の恥であり、同時に、健常者を人種汚染する恐怖の存在とされた。

1933年遺伝病子孫予防法「断種法」の制定後、1937年、遺伝病患者に対する鑑定審査をする秘密組織として、国家委員会が組織された。その後、1939年、子供の安楽死計画が開始されるとともに、断種から安楽死へと措置権限が強化・拡充された。

障害者安楽死計画は、「T4作戦」の秘匿名称で、終戦までに、27万5,000人の障害者をガス殺、投薬注射などによって殺害した。

スウェーデン では福祉国家の確立を訴えたハンソン社民党政権下で優生学 基づいて、1935年に「特定の精神病患者、精神薄弱者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」、すなわち断種法が制定された。第一条では、精神疾患、精神薄弱、その他の精神機能の障害によって、子どもを養育する能力がない場合、もしくはその遺伝的資質によって精神疾患ないし精神薄弱が次世代に伝達されると判断される場合、その者に対し不妊手術を実施できる、とした。

断種法の制定理由は、「生きるに値しない命」を淘汰することによって、福祉財政の負担を軽減し、健康な児童の福祉・軍人恩給などに充当し、国力向上を図るためである。つまり、財政支援対象となる「不要な人間」を減らす優生学的発想に基づいて、国家の福祉を充実するのである。

 スウェーデンでは、1941年に断種手術の同意を必要とするが対象者を反社会的生活者まで拡大したが、実情は半強制的な優生手術(断種、場合によっては妊娠中絶・堕胎)だった。
 スウェーデンの断種法は、1935年から1975年まで施行され、合計計6万2,888件の優生手術(断種)が実施された。手術対象は、米独と異なり女性が多い。1990年代後半に賠償問題に発展した。 

◆断種手術(優生手術)は、「生きるに値しない命」を選別・排除することによって、福祉国家を作ろうとする優生学的国家的戦略の一環だった。

◆日本では東京帝国大学教授・日本性学会会長永井潜医学博士がスウェーデン を視察後、1930年に日本民俗衛生學會を設立。永井潜を委員長とする委員会が建議案を内閣に提出し、1940年に国民優生法が成立、任意申請による断種が合法化。1941〜1945年で435件実施。ただし優生学が本格化するのは戦後の優生保護法成立後。(「優生学の錯綜」引用終わり)

日本の1940年国民優生法

第一条 本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共ニ健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ図リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス

第二条 本法ニ於テ優生手術ト称スルハ生殖ヲ不能ナラシムル手術又ハ処置ニシテ命令ヲ以テ定ムルモノヲ謂フ

第三条 左ノ各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル者ハ其ノ子又ハ孫医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキハ本法ニ依リ優生手術ヲ受クルコトヲ得但シ其ノ者特ニ優秀ナル素質ヲ併セ有スト認メラルルトキハ此ノ限ニ在ラズ

 一 遺伝性精神病
 二 遺伝性精神薄弱
 三 強度且悪質ナル遺伝性病的性格
 四 強度且悪質ナル遺伝性身体疾患
 五 強度ナル遺伝性畸形
2 四親等以内ノ血族中ニ前項各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル者ヲ各自有シ又ハ有シタル者ハ相互ニ婚姻シタル場合(届出ヲ為サザルモ事実上婚姻関係ト同様ノ事情ニ在ル場合ヲ含ム)ニ於テ将来出生スベキ子医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキ亦前項ニ同ジ
3 第一項各号ノ一ニ該当スル疾患ニ罹レル子ヲ有シ又ハ有シタル者ハ将来出生スベキ子医学的経験上同一ノ疾患ニ罹ル虞特ニ著シキトキハ亦第一項ニ同ジ

日本は、戦後1948年の優生保護法でも優生学を堅持し、第一条で「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性 の生命健康を保護することを目的とする」としている。
そして、精神障害者、ハンセン病患者を主な対象に、優生保護法第三条「医師の認定による優生手術」では優生手術、すなわち生殖腺を除去せず生殖を不能にする手術で、精管あるいは卵管の結紮(けつさつ)による断種・避妊手術を、次の場合に行うとした。
第一号 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの
第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神病質、又は遺伝性畸形を有しているもの
第三号 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの 第四号 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
第五号 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの

第十一条 前条の規定によつて行う優生手術に関する費用は、政令の定めるところによつて、国庫の負担とする。 

1996年(平成8年)6月26日「法律第105号 優生保護法の一部を改正する法律」によって、優生保護法(昭和二十三年法律第百五十六号)は、母体保護法と改称され、らい予防法廃止と同時に、優生保護法から優生学的条項を除き、次のように条文を変更した。

 第一条中「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに」を「不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により」に改める。
 第二条第一項中「優生手術」を「不妊手術」に改める。
 「第二章 優生手術」を「第二章 不妊手術」に改める。
 第三条の見出しを削り、「優生手術」を「不妊手術」に改め、「精神病者又は精神薄弱者」を削り、同項第一号及び第二号を削除した。

◆障害者・ハンセン病患者などを選別、排除する優生学的発想は、家族の出産の意思決定、福祉財政負担の許容範囲医療負担の許容範囲、障害者の人権・ベーシックニューマンニーズの充足、生死の自己決定権(尊厳死)、遺伝子研究、断種・人工妊娠中絶の正当化という点で、現代的な課題である。法律上、医学上の問題だけでなく、教養ある市民としてどのように障害者の人権、重病患者の安楽死を捉えるかが問われている。

◆1938年、日中戦争が本格化し、国家総動員令が発動されるなか、厚生省が、内務省の社会局・衛生局、陸軍の協力を得て設立された。その目的は、国力の基盤となる兵力・労働者を拡充するための健康な人間の人口増加政策「産めよ増やせよ」、結核など伝染病防止、戦争で負傷したり、病気になったりした兵士、すなわち廃兵の援護・救済であった。

◆厚生労働省『障害者白書』によれば、2005-2008年現在、日本には、知的障害者は合計54.7万人(人口比0.4%)、うち在宅が41.9万人(0.3%)、施設入所が12.8万人(0.1%)おり、精神障害者は合計323.3万人(2.5%)、在宅が290.0万人(2.3%)、入院が33.3万人(0.3%)いる。これに老人を中心とした身体障害者351.6万人を加えると、複数の障害者も含め、日本人の5%は障害者である。

◆精神障害者や特定の人種民族を差別・排除しようとする思想は、?優生学的偏見、?財政負担軽減、?治安回復、などを正当化の根拠としている。そして、現在、人間を生殖細胞、遺伝子レベルで詳細に分析し、生命力や治癒力の優劣を区分するという恣意的な研究も進んでいる。ヒトゲノムの解読、バイオテクノロジーの進化は、再び先端技術を装って、似非(えせ)科学の優生学を蔓延させる危険がある。 「生きるに値しない命」を選別するような優生学思想は、特定グループが自分たちの利益を損なうと考える都合の悪いグループを選別するために、恣意的に用いられるに違いない。科学的な装いの下に、自分勝手な傲慢な意図を隠して、気に入らない人間を排除することを許してはならない。

WHO(世界保健機関)の2012年105カ国の統計によれば、ハンセン病患者は、2012年初頭、18万1,941人あり、2011年には21万9,075人からハンセン病が検出されている。地域別に見ると、東・南アジア16万132人、南北アメリカ3万6832人、アフリカ1万2673人など診察・治療が困難な貧困地域にハンセン病が広がっている。
国別ハンセン病症例検出件数は、インド12万7295人、ブラジル3万3955人、インドネシア2万23人、バングラデシュ3970人、コンゴ人民共和国3949人となっている。

2006年のアジアの症例検出件数は、インド13万9252人(人口10万人当たり有病率12.09)、インドネシア1万7682人(7.73)、バングラデシュ6280人(4.03)、ネパール4253人(15.39)、ミャンマー3721人(7.69)である。

◆優生学の側面から下等人種・劣等民族の排除、経済的側面から国家財政負担の軽減、福祉国家の側面から、優良な人間への国家財政の一層の充当、富国強兵の側面から人口増加による国力向上という発想は、現在でも放棄されてはいない。日本におけるハンセン病患者の差別、すなわち強制隔離・断種(優生手術)は、人権無視であるが、優生学の立場からは、兵士・労働者・母(出産・育児)として国家貢献できる健全な人間を援護するために、ハンセン病患者の人権保護は必要ないと判断された。

アンネ・フランクの日記とユダヤ人虐殺:Anne Frank
ホロコースト:Holocaust;ユダヤ人絶滅


2.聖書における癩病(らい病)記述の修正

聖書にらい病の記述があり、キリスト教徒の多くが皮膚病をらい病とみなした。しかし、ハンセン病(らい病)患者への差別を踏まえて、「らい病」の記述を変更すべきであるとの意見が強まっている。 たとえば、国立ハンセン病療養所内にある長島曙教会牧師・大嶋得雄(2003)「何故、長島曙教会は「らい」を「ツァラアト」(Tzaraath)変えるように要請したか」は、次のような意見を述べており、示唆に富む。

5年前から、新改訳聖書中のらい病の「らい」と言う言葉をヘブル語原語のツァラアトに改訂してほしいと要請していた。新改訳聖書刊行会編集委員の方々が慎重な研究、熟慮、同聖書を主に使っている教会への意見聴取をされて、このたびツァラアト(Tzaraath)に改訂することになったことを心から喜び、主に感謝をささげている。

一、旧約聖書の原語・「ツァラアト」には「らい」と言う意味はない。
権威ある洋書のヘブル語辞典によると「ツァラアト」(Tzaraath)は恐怖、スズメバチ・クマバチ・怒りぽい人など、語源学では不確かである。しかし、多くのキリスト者は「らい」と理解している。

二、レビ記一三、一四章をはじめ聖書に描写されている「ツァラアト」(Tzaraath)は「らい(ハンセン病)」ではない。
ツァラアト」(Tzaraath)は人間の皮膚、衣服、動物の皮、家の壁にも生じ、表面が損なわれた状態を指す。ツァラアトは主に祭儀的なものであって、神の前にけがれたものだとされている。人間は隔離され、衣服、動物の皮は焼かれ、壁は外に捨てられる。新約聖書では共観福音書でギリシャ語「レプラ」が出てくるがレプラはツァラアト」のことである。

三、「らい」を罪の象徴やそのきよめの説明のために使ってはならない。
 ある教団が発行した夏期学校教案特集号(小学科教案)第一課の目標は、「ナアマンのらい病を通して罪のおそろしさを知る」とあり、伝統的に浸透している「らい」を通して、罪やきよめを説いた方が効率的だと思っている。差別・偏見の点から「らい」と言う言葉は使えない。

四、新共同訳聖書はツァラアトを「重い皮膚病」と「かび」に暫定的に訳したが適訳ではない。
 一九九六年七月、ハンセン病療養所邑久光明園家族教会が所属する日本キリスト教団東中国教区から日本聖書協会と日本聖書刊行会へ「らい病」の改訂が申し込まれた。アトピー、アレルギー性皮膚炎、皮膚癌などの皮膚病患者のなかには「重い皮膚病」だと感じている人がある。ハンセン病は今や、なおる、予防法の廃止された皮膚病である。しかし、このことを知らない人々は、聖書で重い皮膚病と読むとらい」を連想させるのではないだろうか。

五、ツァラアトをらいと訳し続けた聖書が、らい病人への差別を助長したのではないかと考える。
世界失明防止協会副会長W・G・ホームズ博士は「レプロシーは恐ろしい病気で、遠ざけねばならないと言う欧米社会の偏見は、バイブルとキリスト教会が二千年にわたって、人の心に植え付けたものだ」と言っている。ツァラアトをらいと訳したから、聖書がらい病患者=ハンセン病患者を汚れた者としてきたのである。 

六、各国の聖書もその国の「らい」の言葉で訳している。各種言語の聖書は改訂されつつあり、「重い皮膚病」と和訳されることもあるが適訳はないようだ。 

◆聖書の「らい」(癩病)の記述は、ハンセン病患者への偏見・差別を助長することになったが、このwebsiteでは、その歴史的事実を知るために「ツァラアト」(Tzaraath)を「らい」と記述している。日本の一遍上人伝絵巻なども、覆面をしていたり、顔に瘡蓋があったりしている病人が描かれている。彼らがハンセン病(癩病)患者であるという確証はないが、差別・偏見、それを乗り越えた活動を理解するために、癩病(ハンセン病)と考えていたとして記述している。


3.旧約聖書レビ記における癩病(らい病)記述

旧約聖書、レビ第13章に次のように「らい病の診断とらい病患者の隔離」「癩病からの回復者の復帰(らい病治癒)」に関する記述がある。

13:1 主はまたモーセアロンに言われた、

13:2 「人がその身の皮に腫、あるいは吹出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮にらい病の患部のようになるならば、その人を祭司アロンまたは、祭司なるアロンの子たちのひとりのもとに、連れて行かなければならない。

13:3 祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それはらい病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。

13:4 もしまたその身の皮の光る所が白くて、皮よりも深く見えず、また毛も白く変っていないならば、祭司はその患者を七日のあいだ留め置かなければならない。

13:5 七日目に祭司はこれを見て、もし患部の様子に変りがなく、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はその人をさらに七日のあいだ留め置かなければならない。

13:6 七日目に祭司は再びその人を見て、患部がもし薄らぎ、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はこれを清い者としなければならない。これは吹出物である。その人は衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。

画像(右)イエスがらい病患者を癒す場面:癩病は、本人の性質から出たともされ、罪の穢れとみなされることもあった反面、不治の病・感染力の強い病といった偏見・誤解は解消できる余地が残されていた。換言すれば、ハンセン病患者との共生の余地は残されていた。
Gospel Mark1:40-45. If you want to he said you can cure me. Feeling sorry for him Jesus stretched out his hand and touched him. Of course I want he said. Be cured.
画像はFr Gabriel Burke引用。

旧約聖書レビ記13:7 しかし、その人が祭司に見せて清い者とされた後に、その吹出物が皮に広くひろがるならば、再び祭司にその身を見せなければならない。

13:8 祭司はこれを見て、その吹出物が皮に広がっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これはらい病である。

13:9 もし人にらい病の患部があるならば、その人を祭司のもとに連れて行かなければならない。

13:10 祭司がこれを見て、その皮に白い腫があり、その毛も白く変り、かつその腫に生きた生肉が見えるならば、
13:11 これは古いらい病がその身の皮にあるのであるから、祭司はその人を汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、これを留め置くに及ばない。

13:12 もしらい病が広く皮に出て、そのらい病が、その患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、
13:13 祭司はこれを見、もしらい病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。

画像(右)イエスが皮膚を置かされたらい病らしい患者を癒す新約聖書の場面:新約聖書のマタイ福音書(8:2–3)、ルカ福音書(5:12–13)など、イエスが御言葉、触ることで、癒したのは、皮膚病患者であるかもしれず、ハンセン病患者であるとの確証はない。
Lessons from the Leper Christ_Healing_the_Leper
画像はThe BAS Library引用。

旧約聖書レビ記13:14 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。

13:15 祭司はその生肉を見て、その人を汚れた者としなければならない。生肉は汚れたものであって、それはらい病である。

13:16 もしまたその生肉が再び白く変るならば、その人は祭司のもとに行かなければならない。

13:17 祭司はその人を見て、もしその患部が白く変っておれば、祭司はその患者を清い者としなければならない。その人は清い者である。

13:18また身の皮に腫物があったが、直って、

13:19 その腫物の場所に白い腫、または赤みをおびた白い光る所があれば、これを祭司に見せなければならない。

13:20 祭司はこれを見て、もし皮よりも低く見え、その毛が白く変っていれば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは腫物に起ったらい病の患部だからである。

画像(右)イエスがらい病患者を癒す新約聖書の場面:新約聖書のマルコ福音書(Mark 1:40-45)など、何カ所にイエスがらい病患者を癒す話がある。イエスの噂を伝え聞いて、その恵みに預かりたいと信仰をもったハンセン病患者は、イエスの御言葉によって癒された。
Mark 1:40-45, for instance, is a paradigmatic healing story. It strikes us as a relatively simple, straightforward story—and portrays Jesus’ profound compassion for an individual in distress. But much more is going on in the story—much more that the evangelist wants us to understand.
画像はJesus Radicals Blog at WordPress.comTrinity Episcopal Church:Ashland's Episcopal Church引用。

13:21 しかし、祭司がこれを見て、もしその所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置かなければならない。

13:22 そしてもし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは患部だからである。

13:23 しかし、その光る所がもしその所にとどまって広がらなければ、それは腫物の跡である。祭司はその人を清い者としなければならない。

13:24 また身の皮にやけどがあって、そのやけどの生きた肉がもし赤みをおびた白、または、ただ白くて光る所となるならば、
13:25 祭司はこれを見なければならない。そしてもし、その光る所にある毛が白く変って、そこが皮よりも深く見えるならば、これはやけどに生じたらい病である。祭司はその人を汚れた者としなければならない。これはらい病の患部だからである。

画像(右)6世紀の聖書解説書の写本(12世紀複写)、らい病患者と悪魔:6世紀教皇グレゴリウスは教会・修道院を改革し、聖書の解説書を作った。それを複写した12世紀の写本にこのハンセン病と悪魔の絵が描かれている。
leprous Job and the fire farting devil;Gregory the Great, Moralia in Job, Affligem 12th century.
Pope Gregory the Great (590 to 604) transformed church administration, refined the practices of monasteries and wrote some of the most important Biblical commentaries of the middle ages, notably his 'Moralia in Job'. This manuscript is Volume 2 of a two-volume copy of the 'Moralia'. Made early in the 12th century, it belonged to the Cathedral of St Andrew at Rochester.画像はdiscarded image|discarding images引用。

旧約聖書レビ記13:26 けれども祭司がこれを見て、その光る所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置き、
13:27 七日目に祭司は彼を見なければならない。もし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これはらい病の患部だからである。

13:28 もしその光る所が、その所にとどまって、皮に広がらずに、かえって薄らいでいるならば、これはやけどの腫である。祭司はその人を清い者としなければならない。これはやけどの跡だからである。

13:29 男あるいは女がもし、頭またはあごに患部が生じたならば、
13:30 祭司はその患部を見なければならない。もしそれが皮よりも深く見え、またそこに黄色の細い毛があるならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それはかいせんであって、頭またはあごのらい病だからである。

13:31 また祭司がそのかいせん(疥癬)の患部を見て、もしそれが皮よりも深く見えず、またそこに黒い毛がないならば、祭司はそのかいせんの患者を七日のあいだ留め置き、

13:32 七日目に祭司はその患部を見なければならない。そのかいせん(疥癬)がもし広がらず、またそこに黄色の毛がなく、そのかいせん(疥癬)が皮よりも深く見えないならば、
13:33 その人は身をそらなければならない。ただし、そのかいせん(疥癬)をそってはならない。祭司はそのかいせん(疥癬)のある者をさらに七日のあいだ留め置き、
13:34 七日目に祭司はそのかいせん(疥癬)を見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がらず、またそれが皮よりも深く見えないならば、祭司はその人を清い者としなければならない。その人はまたその衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。

画像(右)14-15世紀「らい病巡礼 Pirgrimage Leprosy」の女性。社会的に放逐されたハンセン病患者は、鈴を鳴らして人々を遠ざけながら巡礼した。:Leper woman ringing her bell . Illumination from Exeter Pontifical . Late 14th or early 15th century
Social rejection and separation: Leprosy sufferers were rejected as unclean and forced to wear distinctive clothes and ring bells or wooden clappers when in towns or villages. Their illness was seen as a mark of sinfulness and God's disfavour. This belief is echoed in the fifteenth century poem 'The Testament of Cresseid' written by Robert Henryson. Along with laws being passed against lepers, the church had a ritual known as the Mass of Separation that symbolically declared lepers to be dead. Leprosy was one of the most feared diseases of medieval Europe. It was believed to be highly infectious and sufferers were condemned to a grim fate.
画像はWhithornPriolity&MuseumPhotographers Direct 引用。

旧約聖書レビ記13:35 しかし、もし彼が清い者とされた後に、そのかいせんが、皮に広くひろがるならば、
13:36 祭司はその人を見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がっているならば、祭司は黄色の毛を捜すまでもなく、その人は汚れた者である。

13:37 しかし、もしそのかいせんの様子に変りなく、そこに黒い毛が生じているならば、そのかいせんは直ったので、その人は清い。祭司はその人を清い者としなければならない。

13:38 また男あるいは女がもし、その身の皮に光る所、すなわち白い光る所があるならば
13:39 祭司はこれを見なければならない。もしその身の皮の光る所が、鈍い白であるならば、これはただ白せんがその皮に生じたのであって、その人は清い。

13:40 人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い。
13:41 もしその額の毛が抜け落ちても、それが額のはげならば清い。

画像(右)1372年、フランス人Petrus Comestor作、イエスがらい病患者を癒す場面:Illustrator of Petrus Comestor's Bible Historiale, Jesus healing the leper, De Koninklijke Bibliotheek, The Hague, 1372.
画像はオランダ、ハーグのDe Koninklijke BibliotheekChrist Church Cathedral Choir Notes引用。

旧約聖書レビ記13:42 けれども、もしそのはげ頭または、はげ額に赤みをおびた白い患部があるならば、それはそのはげ頭または、はげ額にらい病が発したのである。

13:43 祭司はこれを見なければならない。もしそのはげ頭または、はげ額の患部の腫が白く赤みをおびて、身の皮にらい病があらわれているならば、
13:44 その人はらい病に冒された者であって、汚れた者である。祭司はその人を確かに汚れた者としなければならない。患部が頭にあるからである。

13:45 患部のあるらい病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者汚れた者』と呼ばわらなければならない。

13:46 その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。

13:47 また衣服にらい病の患部が生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、
13:48 あるいは亜麻または羊毛の縦糸であれ、横糸であれ、あるいは皮であれ、皮で作ったどのような物であれ、
13:49 もしその衣服あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮で作ったどのような物であれ、その患部が青みをおびているか、あるいは赤みをおびているならば、これはらい病の患部である。これを祭司に見せなければならない。

13:50 祭司はその患部を見て、その患部のある物を七日のあいだ留め置き、
13:51 七日目に患部を見て、もしその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮、またどのように用いられている皮であれ、患部が広がっているならば、その患部は悪性のらい病であって、それは汚れた物である。

13:52 彼はその患部のある衣服、あるいは羊毛、または亜麻の縦糸、または横糸、あるいはすべて皮で作った物を焼かなければならない。これは悪性のらい病であるから、その物を火で焼かなければならない。

13:53 しかし、祭司がこれを見て、もし患部がその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に広がっていないならば、

13:54 祭司は命じて、その患部のある物を洗わせ、さらに七日の間これを留め置かなければならない。

13:55 そしてその患部を洗った後、祭司はそれを見て、もし患部の色が変らなければ、患部が広がらなくても、それは汚れた物である。それが表にあっても裏にあっても腐れであるから、それを火で焼かなければならない。

13:56 しかし、祭司がこれを見て、それを洗った後に、その患部が薄らいだならば、その衣服、あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸から、それを切り取らなければならない。

13:57 しかし、なおその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物にそれが現れれば、それは再発したのである。その患部のある物を火で焼かなければならない。 

13:58 また洗った衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物から、患部が消え去るならば、再びそれを洗わなければならない。そうすれば清くなるであろう」。

13:59 これは羊毛または亜麻の衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に生じるらい病の患部について、それを清い物とし、または汚れた物とするためのおきてである。

皮革や壁(後述)に「らい病」ができると旧約聖書レビ記は言うが、これは皮革や壁のシミ・カビ・劣化変形を指しているのであって、人間の病気としての「らい病」とは異なる。したがって、旧約聖書の日本語訳の「らい病」は適切な訳語ではない。

画像(右)イエスが皮膚を置かされたらい病患者を癒す新約聖書の場面:新約聖書のマタイ福音書(8:2–3)、ルカ福音書(5:12–13)など、イエスが御言葉、触ることで、らい病患者を癒すことは、奇跡とされる。
Jesus cleanses a leper. His condition is represented by spots all over his body, not unlike some recorded cases of Hansen’s disease (the formal name for leprosy). This illumination from a 12th-century manuscript depicts a miracle described in the three Synoptic Gospels (Matthew 8:2–3; Mark 1:40–42; Luke 5:12–13).
画像はThe BAS Library引用。

旧約聖書レビ記14章
14:1 はまたモーセに言われた、

14:2 「らい病人が清い者とされる時のおきては次のとおりである。すなわち、その人を祭司のもとに連れて行き、
14:3 祭司は宿営の外に出て行って、その人を見、もしらい病の患部がいえているならば、

14:4 祭司は命じてその清められる者のために、生きている清い小鳥二羽と、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプとを取ってこさせ、
14:5 祭司はまた命じて、その小鳥の一羽を、流れ水を盛った土の器の上で殺させ、

14:6すすいで清くなり、その後、宿営にはいることができる。
ただし七日の間はその天幕の外にいなければならない。

14:9 そして七日目に毛をことごとくそらなければならい。頭の毛も、ひげも、まゆも、ことごとくそらなければならない。彼はその衣服を洗い、水に身をすすいで清くなるであろう。

14:10 八日目にその人は雄の小羊の全きもの二頭と、一歳の雌の小羊の全きもの一頭とを取り、また麦粉十分の三エパに油を混ぜた素祭と、油一ログとを取らなければならない。

14:11 清めをなす祭司は、清められる人とこれらの物とを、会見の幕屋の入口で主の前に置き、
14:12 祭司は、かの雄の小羊一頭を取って、これを一ログの油と共に愆祭としてささげ、またこれを主の前に揺り動かして揺祭としなければならない。

14:13 この雄の小羊は罪祭および燔祭をほふる場所、すなわち聖なる所で、これをほふらなければならない。愆祭は罪祭と同じく、祭司に帰するものであって、いと聖なる物である。

14:14 そして祭司はその愆祭の血を取り、これを清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とにつけなければならない。

画像(右)15世紀Piero di Cosimoのフレスコ画(部分)、山上垂訓とらい病の癒し。新約聖書のマルコ福音書(Mark 1:40-45)の場面:イエスが一人のらい病(ハンセン病)患者を癒している場面を拡大。
The Sermon on the Mount and the Healing of the Leper (1481-82), fresco, Sistine Chapel, Cosimo Rosselli (1439-1507) Cappella Sistina, Il discorso della montagna e la guarigione del lebbroso.
画像は1st-Art-GalleryArtilim paintings gallery:Sermon on the Mount and Healing of the Leper painting by Piero di Cosimo引用。

旧約聖書レビ記14:15 祭司はまた一ログの油を取って、これを自分の左の手のひらに注ぎ、
14:16 そして祭司は右の指を左の手のひらにある油に浸し、その指をもって、その油を七たび主の前に注がなければならない。

14:17 祭司は手のひらにある油の残りを、清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とに、さきにつけた愆祭の血の上につけなければならない。

14:18 そして祭司は手のひらになお残っている油を、清められる者の頭につけ、主の前で、その人のためにあがないをしなければならない。

14:19 また祭司は罪祭をささげて、汚れのゆえに、清められねばならぬ者のためにあがないをし、その後、燔祭のものをほふらなければならない。

14:20 そして祭司は燔祭と素祭とを祭壇の上にささげ、その人のために、あがないをしなければならない。こうしてその人は清くなるであろう。

14:21 その人がもし貧しくて、それに手の届かない時は、自分のあがないのために揺り動かす愆祭として、雄の小羊一頭を取り、また素祭として油を混ぜた麦粉十分の一エパと、油一ログとを取り、
14:22 さらにその手の届く山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取らなければならない。その一つは罪祭のため、他の一つは燔祭のためである。

14:30 その人はその手の届く山ばと一羽、または家ばとのひな一羽をささげなければならない。

14:31 すなわち、その手の届くものの一つを罪祭とし、他の一つを燔祭として素祭と共にささげなければならない。こうして祭司は清められる者のために、主の前にあがないをするであろう。

14:32 これはらい病の患者で、その清めに必要なものに、手の届かない者のためのおきてである」。

画像(右)イエスがらい病患者を癒す新約聖書のマルコ福音書(1:40-45)と合致する場面:A leper came to Jesus begging him, and kneeling he said to him, “If you choose, you can make me clean.” Moved with pity, Jesus stretched out his hand and touched him, and said to him, “I do choose. Be made clean!” Immediately the leprosy left him, and he was made clean. After sternly warning him he sent him away at once, saying to him, “See that you say nothing to anyone; but go, show yourself to the priest, and offer for your cleansing what Moses commanded, as a testimony to them.” But he went out and began to proclaim it freely, and to spread the word, so that Jesus could no longer go into a town openly, but stayed out in the country; and people came to him from every quarter. (Mark 1:40-45)
画像はTrinity Episcopal Church:Ashland's Episcopal Church引用。

旧約聖書レビ記14:33 はまたモーセアロンに言われた、
14:34 「あなたがたに所有として与えるカナンの地に、あなたがたがはいる時、その所有の地において、家にわたしがらい病の患部を生じさせることがあれば、
14:35 その家の持ち主はきて、祭司に告げ、『患部のようなものが、わたしの家にあります』と言わなければならない。

14:36 祭司は命じて、祭司がその患部を見に行く前に、その家をあけさせ、その家にあるすべての物が汚されないようにし、その後、祭司は、はいってその家を見なければならない。

14:37 その患部を見て、もしその患部が家の壁にあって、青または赤のくぼみをもち、それが壁よりも低く見えるならば、
14:38 祭司はその家を出て、家の入口にいたり、七日の間その家を閉鎖しなければならない。


14:45 その家は、こぼち、その石、その木、その家のしっくいは、ことごとく町の外の汚れた物を捨てる場所に運び出さなければならない。

14:57 いつそれが汚れているか、いつそれが清いかを教えるものである。これがらい病に関するおきてである。

旧約聖書レビ記(和訳)には、皮革(前述)、壁に「らい病」の患部ができるあるが、これは皮革や壁のシミ・カビ・劣化変形を指しているのであり、人間の病気の「らい病」ではない。したがって、旧約聖書の日本語訳の「らい病」は適切な訳語ではない。


4.旧約聖書列王記における癩病(らい病)記述

画像(右)1372年フランス作、イスラエル、サマリアの城門にいる4人らい病患者。戦時にも城内に入れてもらえず、座り続けていたが、飢餓に怯え、思い切ってアラム人の敵陣に向かった。:Illustrator of Petrus Comestor's 'Bible Historiale', France, 1372. Four lepers bring the news to the guards at the gate of Samaria; by the illustrator of Petrus Comestor's 'Bible Historiale', France, 1372; Miniature; at the Museum Meermanno Westreenianum, The Hague Notes: From Petrus Comestor's "Bible Historiale" (manuscript "Den Haag, MMW, 10 B 23")
画像はWikimedia Commons引用。

『列王記(Books of Kings)』下 7:3-20:新改訳1970 
 
7:3 さて、町の門の入口に四人のらい病人がいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

7:4 たとい、私たちが町にはいろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営にはいり込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」


7:5 こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。見ると、なんと、そこにはだれもいなかった。

7:6 主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせられたので、彼らは口々に、「あれ。イスラエルの王が、ヘテ人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲うのだ。」と言って、
7:7 夕暮れになると、彼らは立って逃げ、彼らの天幕や馬やろば、すなわち、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったのであった。

7:8 このらい病人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕にはいり、食べたり飲んだりして、そこから、銀や金や衣服を持ち出し、それを隠しに行った。また、戻って来ては、ほかの天幕にはいり、そこから持ち出し、それを隠しに行った。

7:9 彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」

7:10 彼らは町に行って、門衛を呼び、彼らに告げて言った。「私たちがアラムの陣営にはいってみると、もう、そこにはだれもおらず、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」


7:11 そこで門衛たちは叫んで、門のうちの王の家に告げた。

7:12 王は夜中に起きて家来たちに言った。「アラムが私たちに対して計ったことをあなたがたに教えよう。彼らは私たちが飢えているのを知っているので、陣営から出て行って野に隠れ、あいつらが町から出て来たら、生けどりにし、それから町に押し入ろう、と考えているのだ。」

7:13 すると、家来のひとりが答えて言った。「それでは、だれかにこの町に残っている馬の中から五頭だけ取らせ、その者たちを遣わして偵察してみましょう。どうせ彼らはこの町に残っているイスラエルの全民衆と同じめに会い、または、すでに滅ぼされたイスラエルの全民衆と同じめに会うのですから。」

7:14 彼らが二台分の戦車の馬を取ると、王は、「行って、偵察して来なさい。」と命じ、アラムの陣営のあとを追わせた。

7:15 彼らはアラムのあとを追って、ヨルダン川まで行った。ところが、なんと、道は至る所、アラムがあわてて逃げるとき捨てていった衣服や武具でいっぱいであった。使者たちは帰って来て、このことを王に報告した。

7:16 そこで、民は出て行き、アラムの陣営をかすめ奪ったので、主のことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られた。

7:17 王は例の侍従、その腕に王が寄りかかっていた侍従を門の管理に当たらせたが、民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。王が神の人のところに下って行ったとき話した神の人のことばのとおりであった。

7:18 これは神の人が王にむかって、「あすの今ごろ、サマリヤの門で大麦二セアを一シケルで売り、麦粉一セアを一シケルで売るようになるであろう」と言ったときに、
7:19 その副官が神の人に答えて、「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえようか」と言ったからである。そのとき神の人は「あなたは自分の目をもってそれを見るであろう。しかしそれを食べることはなかろう」と言ったが、
7:20 これはそのとおり彼に臨んだ。すなわち民が門で彼を踏みつけたので彼は死んだ。


5.新約聖書ルカ福音書における癩病(らい病)記述

画像(上)ギリシア正教会、イエスが癒した10人のらい病患者、戻ってきたのは一人のサマリア人だけだった。ルカの福音書17:17“Were not ten cleansed? Where are the nine?” (Luke 17:17).:Based on experience, it is hard not to believe that Saint Basil is correct in his over-all assessment, and that he has done us a great service in reminding us of this unfortunate characteristic of our human nature. This characteristic is brought to life vividly in Luke 17:11-19, wherein we find the narrative of Christ healing ten lepers, of whom only one—a Samaritan!—thanked Him. The failure of nine lepers to return to Christ and offer thanksgiving is singled out for an unflattering comment, while the return of the Samaritan leper is singled out for open praise. Christ most certainly does not need or demand our thanksgiving!
画像はOrthodox Church in America引用。

ルカの福音書17章
17-11 And it came to pass, as they were on their way to Jerusalem, that he was passing along the borders of Samaria and Galilee. イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。

17-12 And as he entered into a certain village, there met him ten men that were lepers, who stood afar off: そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、
17-13 and they lifted up their voices, saying, Jesus, Master, have mercy on us. 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。

17-14 And when he saw them, he said unto them, Go and show yourselves unto the priests. And it came to pass, as they went, they were cleansed. イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。

17-15 And one of them, when he saw that he was healed, turned back, with a loud voice glorifying God; そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
17-16 and he fell upon his face at his feet, giving him thanks: and he was a Samaritan. イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
17-17 And Jesus answering said, Were not the ten cleansed? but where are the nine? イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。

17-18 Were there none found that returned to give glory to God, save this stranger? 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。

17-19 And he said unto him, Arise, and go thy way: thy faith hath made thee whole. それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

17-20 And being asked by the Pharisees, when the kingdom of God cometh, he answered them and said, The kingdom of God cometh not with observation: 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。

17-21 neither shall they say, Lo, here! or, There! for lo, the kingdom of God is within you. また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

◆ハンセン病患者や空襲・災害で避難所にある人々は、それ以前の社会的地位・職業・貴賤は関係なく、皆、似たような平等な状態に置かれた者としての連帯感がある。これが『呉越春秋』「同病相憐れむ」という平等意識である。しかし、同じ惨状から解き放たれる、すなわちイエスによってハンセン病が癒されると、患者は社会復帰し、その地位・職業の関係が強くなる。ハンセン病だった時の連帯感は、病が癒され、社会復帰した時、消失した。サマリヤ人とユダヤ人とは、対立的な関係に戻ってしまったようだ。しかしながら、連帯感を感じられたということに思い至れば、自分の内なる意識の中に、差別を超える平等意識が存在するといえる。


5.新約聖書マタイ福音書における癩病(らい病)記述

画像(右)イエスがらい病患者を癒す場面:Leprosy, or Hansen’s Disease, has been pretty well eradicated or at least controlled in modern times, but in Jesus’s day it was the most dreaded of all diseases. Not only the inevitable physical disfigurement but the banishment from society as a precaution was often a virtual death sentence. The afflicted person was deprived of family and community support at the very time of greatest vulnerability.
画像はFranciscan Friars, TOR, Province of the Immaculate Conception引用。

Gospel According to St. Matthew:マタイによる福音書 第8章

8-1 And when he was come down from the mountain, great multitudes followed him. イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。

8-2 And behold, there came to him a leper and worshipped him, saying, Lord, if thou wilt, thou canst make me clean. すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。

8-3 And he stretched forth his hand, and touched him, saying, I will; be thou made clean. And straightway his leprosy was cleansed. イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。

8-4 And Jesus saith unto him, See thou tell no man; but go, show thyself to the priest, and offer the gift that Moses commanded, for a testimony unto them. イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。

◆イエスがらい病患者を何人も癒し清めたのと同じように、光明皇后(701〜760)は、聖武天皇の妃で、仏教を信仰して天平2年(730年)、民間人治療・救済施設の施薬院悲田院を開設し、病人や孤児の保護・治療・援護をした。京都南禅寺の僧・虎関師練(1322)「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」によれば、らい病患者の膿を自ら口で吸って清めたとされる。

光明皇后は、730年、皇太子妃(光明子)の時から施薬院悲田院を設けて貧困者の救済に当たっていたが、彼女は民間人・藤原氏から皇后となった最初の女性であり、後の藤原氏による摂関政治の嚆矢ともなる。もちろん文人・藤原不比等の三女として高い教養を身に着けていた。天武天皇の孫・長屋王との間に、皇位継承争いが起こったが、勝利し、皇族でない正妃として初めて「皇后」の称号を受けた。これは、皇后は皇族出身と決まっていたから、民間の藤原氏出身の「皇后」は異例中の異例である。

トップレディ光明皇后は、皇后宮職に施薬院を設置し、薬草園を開き、医師を集めた。聖武天皇が全国国分寺の総本山・東大寺を建立すると、光明皇后は国分尼寺の総本山・法華寺を建立した。他方、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた基王は早世したため、749年、娘の阿倍内親王を孝謙天皇として即位させた。また、756年、聖武天皇が崩御すると、遺品を東大寺に献納し、後の正倉院の宝物とさせた。

光明皇后は仏教への信仰が厚く、病人の治療・救済のために、法華寺に「からふろ」(施浴場)を作り、病人(天然痘)、貴賤を問わず1000人の垢を清める、すなわち汚れを拭うという願を立てた。「后又誓曰。我親去千人垢。」 

この1000人目の病人が、皮膚が膿んでいるらい病(ハンセン病)患者で、肉腫の臭気が部屋に充満し、垢をすることも困難であった。「徧体疥癩臭気充室。后難去垢。」光明皇后に背中の垢を摺ってもらっている時、病人は良医が言うには、口で膿みを吸いとってもらえば治癒すると。「病人言。我受悪病患此瘡者久。適有良医教曰。使人吸膿必得除愈。」皇后にお願いがある、背中の肉腫の膿を吸ってもらうことはできないかと。「願后有意乎。后不得已吸瘡吐膿自頂至踵背遍。」

光明皇后は、らい病人に自ら膿を口で吸い出してさしあげましょうと言った。「后語病人曰。我吮汝瘡慎勿語人。」すると病人が光明を放ち、我は阿閦仏なり、このことを人に語るなと言った。「于時病人放大光明告白。后去阿閦仏垢。又慎勿語人。」皇后は驚いてみたが、光輝く姿は忽然と見えなくなった。「后驚而視之。妙相端厳光躍馥郁忽然不見。后驚喜無量」
その後、光明皇后自身が、法華寺本尊・十一面観音として祀られるようになった。


虎関師練(1322)「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」の光明皇后によるらい病患者の垢摺りと膿の口吸いと同じ話が、スタジオジブリ・宮崎駿監督作品映画『千と千尋の神隠し』(せんとちひろのかみかくし)に取り込まれている。湯屋を訪れた穢れた巨体の客オクサレサマは、千(千尋)に薬湯に入れてもらい、施湯によって穢れを落としてもらう。実は、このオクサレサマは川の神であり、砂金の褒美を与えて、翁の笑顔で飛ん消えた。

光明皇后を顕彰する伝説だが、らい病患者の膿を皇后自ら吸い出すことで救い、それによって皇后自身も清められ、観音として崇拝されることになった。天皇の尊さ、仏教の有難さを伝える説ではあるが、らい病患者を隔離するのではなく、治療・救済の対象として位置づけている。宗教が重視された古代、ハンセン病患者に拘わらず、病人・貧困者・障害者などを差別することなく、神仏の前の平等、一人の人間として接する大切さが価値観となっていた。


6.明治時代の日本宣教における癩病(らい病)記述

◆1891年日本伝道に来日したバックストンBarclay Fowell Buxton)は、松江でわらじばきで伝道し、日本で福音派を信仰を広めた。1900年の彼の「レビ記講義」は、らい病(ハンセン病)について、生まれながらの罪、清め・救済の対象という二面的扱いについて述べている。

NOTES on the BOOK OF LEVITICUS By Barclay Fowell Buxton
ビー・エフ・バックストンBarclay Fowell Buxton)講述 「レビ記講義」 バックストン記念霊交会
一、この書はバックストン師が明治三十三年三月より同三十四年七月までに松江赤山の聖書研究会においてなされた講義を筆記したものです。
一、この書は師が祈禱のうちに聖霊に導かれて語られたものですから、読者もまた祈禱のうちに聖霊の光を求めて読まれんことをお勧め致します。特に聖書を出して引照の聖言を味わわれんことを願います。
一、『汝の足より靴を脱ぐべし、汝が立つ処は聖き地なればなり。』願わくば敬虔の念をもって主に近づき主の聖声を聴きたいものであります。
一、第一章より第六章までとその他中ほどの数章は、筆者が講演に洩れましたため後から同師に補足をお願いいたしましたから自然同じからざる所があろうと思います。
   明治三十七年二月
     筆 記 者

第十三章  癩病について

 これは癩病の章です。すなわちここで生来の罪が洗われることが分かります。聖書において癩病は生来の罪の譬えです。またかような譬えがたびたび書いてあります。詩篇三十八篇を見ますならば何処にでも癩病の譬えがあります。
 五、七、十一をご覧なさい。自分の罪を癩病のように感ずる者です。私共は罪の性質が全く解りますならばかように罪の怖るべきことを知ってそれを悪みます。
 詩篇五十一・七をご覧なさい。これは癩病の洗い潔められることの譬えを引いてどうぞわが罪を洗いたまえと言う祈りです。ここでダビデは自分の罪が癩病のようであることが分かりました。イザヤ一・五、六をご覧なさい。ここにも癩病の譬話を見ます。罪人は全く癩病のごとく恐るべき病気に罹れる者であることを見ます。
 イザヤ六・五にも同じことを見ます。一節のウジヤ王は癩病でありました。けれどもイザヤはかえって自分の癩病であることを感じました。王よりも自分の方が恐るべき癩病人であることを深く感じました。イザヤ五十三・四をご覧なさい。『彼は打たれ、神にたたかれ』の言葉があります。これは原語では癩病人に使う言葉です。何時でも癩病人はかように神より打たれたる者と言います。すなわち主は私共の身代わりとなりて罪の癩病を受けたまいました。ご自分の身に罪の癩病を受け入れたまいました。

それによって主が十字架に私共のために受け入れたもうた罪を悟ると思います。そうですから罪は癩病のように忌まわしきものであります。私共は癩病を忌まわしきものと思うように罪を忌まわしきものと思わねばなりません。また癩病という病気はほんとうにその性質から起こる病気です。他の病気は性質から起こりませんから速く過ぎ去ります。また身体の健康によって速く病気が追い出されます。他の病気の有様はたいがいそのようですけれど、癩病はその人の性質から起こる病気です。その人の生来の病気です。

【三節】
 そのように罪はただ表面だけのことではありません。たとえば罪は幾分かその有様を変えますならば癒えるということは言われません。文明を加え教育を施すことによって癒えるということは言われません。これは人間の性質から起こる病気です。この三節に記されたごとく、皮よりも深き病気であります。けれども罪は始めに小さきものと見えます。ちょうど癩病のごとくに始めは小さきものと見えます。小さき患処から出ます。表面ではあまり分かりません。けれどもその人の性質の中にありますならば必ず漸う悪くなってついにその人を殺します。表面ではあまり分かりませんでも、人間の性質の中にかような病気がありますから、もし神の奇蹟によって癒されませんならば必ずその人を殺すようになります。

 八節をご覧なさい。罪も必ずその通りに蔓延します。ローマ書一章のように罪より罪にいよいよ深く進んで参ります。五節をご覧なさい。かように蔓延しませんならばそれはほんとうの癩病ではありません。それによって自己を判断することができます。罪の癩病がありますならば、心の中に生来の罪がおりますならば、必ず蔓延します。けれども一時の病のような罪でありますならば必ず蔓延せずしてそのままに留まります。

 癩病でありますならば必ず肢体が腐ります。この十三章は読むことをも好みません。この癩病の説明は読むことさえ忌まわしきことです。まして罪はいかに忌まわしきものでしょうか。マタイ十五・十九をご覧なさい。ほんとうの癩病の結果を見ます。これは癩病の患処です。心の中に生来の汚れがありますならば必ずそういう患処ができて参ります。表面でそのごとくに腐れが見えます。また漸うその心の力を失います。ただ表面で見る腐れのみではありません。性質の腐れもあります。三節を見ますならば『患部の毛がもし白く変わり』とあります。罪の癩病のために人間は意志の力を失います。性質の力を失います。
 ローマ書七章にもそれを見ます。本当の力を失います。ホセア書七・九をご覧なさい。これは漸う力の抜ける者の絵画です。白髪がその身に混って参ります。漸う性質の力を失います。雅歌五・十一をご覧なさい。これはほんとうに力の性質があることを示します。癩病は必ずそんなものではありません。弱きところがありますならば白い毛ができて参ります。
 また癩病のために漸うその病気を感じません。手足に患処がありましても痛みを感じません。ちょうど罪のために同じ結果があります。
 エペソ四・十九をご覧なさい。『無感覚になって』。無感覚の者になります。自分の罪を構わずにおきます。罪の耻が解りません。神の愛を感じません。罪の癩病はそんなものです。また癩病は癒されません。癒すことができません。ちょうど罪と同じことです。私共はいかにして性質を癒すことができましょうか。いかにして心を治すことができましょうか。決して人間の力、或いは学問によってはできません。ローマ七・十三、二十四、エレミヤ十四・十九をご覧なさい。癒されることを望みます。けれども自分の力ではできません。そのために苦痛を得ます。けれどもエレミヤ十七・九、十四をご覧なさい。心は人間の力では癒すことはできません。けれども神を仰ぎて癒されます。エレミヤ三十・十二、十三をご覧なさい。またその反対に同十七をご覧なさい。

 どうぞこの二つのことを深く感じとうございます。第一に、罪は自然に癒されることはできません。罪は漸う悪くなります。罪人は漸う腐れて参ります。仕方がありません。望みがありません。漸う無感覚となって構わずにおきます。けれども今一方から見ます時に神の力で救われることができます。神の力で潔められることができます。どうぞこの二つのことによって、生来の罪の恐ろしいこと、神の完全なる恵みの力を深く感じとうございます。罪はそのままに置きますならば必ず死に至ります。癩病は死の働きの始めです。罪はちょうど同じことです。また地獄は同じことです。けれども地獄は最早その働きの全うせられたる処です。もはや莟が全く開きたるものです。罪と死は性質において同じことです。   <中略>

 また幸いに癩病人の審判者は祭司です。審き主ではありません。祭司です。祭司は何でありますかならば、癩病の聖潔を助ける者です(十四章)。それを深く考えとうございます。黙示録一、二、三章のごとく、主は見透す焔のような眼をもって私共を検査したまいます。私共を判断したまいます。けれども主は私共がこの世に在る間はまだ私共の審き主ではありません。私共の祭司のような者です。また主の祭司たることは力ある務めです。すなわち癩病を潔める力を持っていたまいます。主はそんな力をもって、恵みをもって私共の癩病を指したまいます。それを審くためではありません。報いを与えるためではありません。けれども癩病の祭司としてその癩病を癒すために私共を検査したまいます。

 この章を見ますならば、或る病は癩病のごとくでした。けれども癩病でありませずして、ただ腫れ物でした。それを深く考えとうございます。この六節を見ますならば、ただ吹出物でした。
 二十三、二十八、三十七、三十九、四十一節をもご覧なさい。癩病の病と見えました。けれども癩病でないものがあります。このような人は神の前に潔き者であります。吹出物のごとき罪ができます。けれども性質からの罪ではありません。必ず罪は恐ろしき忌むべきものであります。けれども他の人々を判断する時に、その人の罪は癩病の罪であるか、或いは吹出物の罪であるかを見なければなりません。ほんとうに性質から起こる罪であるか、或いは一時の罪であるか、いずれかと判断せねばなりません。
 ユダの罪は癩病でした。滅亡に属ける罪でした。ペテロの罪はただ吹出物のごとき罪でした。表面から見ますならば少しも違わぬかも知れません。けれども性質は全く違います。神は恵みと憐れみとをもって罪人を判断したまいます。神はできるならば罪人のために申し訳を言いたまいとうございます。
 また神は私共をいかにして審きたまいますかならば、この四節の終わりにあるごとくにその患処ある人を七日間閉鎖し置きたまいます。それゆえその間に蔓延しませんならば潔き者と言いたまいます。けれども恐るべきことは何ですかならば、そんな吹出物からも癩病が起こることです。

◆聖書の古い解釈では、ハンセン病を人間が生まれながらに負う生来の罪が表れたと考えた。その意味で、ハンセン病患者は、罪人の汚れであり、心・性質の腐れとして、意志の力を失った惨状と扱った。最悪の場合、滅亡に属ける罪とされた。他方、それは不治の病ではなく、神に仕える祭司によって救うことのできる病とされた。ハンセン病患者は、警戒する必要はあるが、絶対隔離、断種の対象とはしなかった。神の前の平等から考え、救済する対象ともなった。したがって、キリスト教の歴史からみて、ハンセン病患者は差別されてきたものの、癒されうる清めの対象でもあり、扱いについても迫害・救済の二面的な扱いを受けていた。

◆聖書の「らい病」の記述にはハンセン病への差別を強化する傾向もあったが、キリスト教会は、多数のらい病患者を援護し保護してきた。現在でもハンセン病患者を援護しているThe Leprosy Mission (TLM)は130年以上の歴史がある。1949年設立のChristian Medical Fellowship (CMF)には、4,000人のイギリスの医師と800人のイギリス医学生が参加しBritish Leprosy Relief Association (LEPRA)を立ち上げている。1906年設立のAmerican Leprosy Missionsは734万ドル規模の予算を投じた援護を行っている。


7.中世日本における癩病(ハンセン病)患者の差別と援護の歴史

『日本書紀』『今昔物語集』以来、「癩(らい)」、すなわちハンセン病患者(1980年代まではハンセン氏病)は、頭髪・まゆ毛・爪が抜け,次いで指,手足,鼻,目が腐って醜い白斑の容姿となることから恐れられていた。らい患者Leprosy)は、就職を認められず、地域・家庭で隔離されて、世の中から隠れた暮らすことを強いられた。場合によっては、隔離されることもあった。また、家族から疎まれ、あるいは家族に迷惑をかけるのを恐れて、家を出て、旅に出る「放浪癩」と呼ばれる患者もあった。

踊念仏を広めた捨聖一遍上人時衆は、喜捨に依存しながら遊行をして布教した。その旅の最中、らい病、浮浪者、非人など社会から疎まれた人々と接し、同宿する機会があった。らい病患者は、みすぼらしい姿の一遍と時衆の説法に耳を傾け、自我を捨てて「南無阿弥陀仏」を一心不乱に唱えれば、誰でも救われると信じたに違いない。時衆は、社会の底辺にある人々も、高貴な人々も御仏の前の同じ一人の人間として往生できると説いた。これは、差別の対極にある自由・平等・博愛につながる思想である。

藤田 裕司(2003)「一遍とパウロ : (A↔Ā)=Aの世界」 大阪教育大学紀要 52(1), pp.65-76によれば、一遍とイエスの十二使徒の一人パウロとは、律法観, 復活観, 救済観の上で、ともに還相廻向(廻向とは自ら積んだ功徳を他人に廻し向けてその救済を図ること)に徹していると、次のように類似性を浮き彫りにしている。 

一遍は、『別願和讃』で「安養界に到りては 繊国に還て済度せん 慈悲誓願かぎりなく 長時に慈恩を報ずべし」、『西園寺殿の御妹の准后の御法名を一阿弥陀仏とさづけ奉られけるに其御尋に付て御返事』で「此体に「此体に生死無常の理をおもひしりて,南無阿弥陀仏と一度正直に帰命せし一念の後は,我も我にあらず。故に心も阿弥陀仏の御心,身の振舞も阿弥陀仏の御振舞ことばもあみだ仏の御言なれば,生たる命も阿弥陀仏の御命なり」と述べた。

使徒パウロは、ガラテヤ人への手紙2:16で、「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

ガラテヤ人への手紙2:19-20で「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

キリスト教でも、父・子・精霊の三位一体、神の国が天国にあるのではなく、この世にイエスが再臨したときに、永遠の命がもたらされるとすれば、臨終即往生即成仏という一遍の無阿弥陀仏の思想と似通っているといえる。つまり、一遍の念仏往生もキリストの教えも、生きること、生かされていることを感謝する絶対的な自由・平等・愛を内包したものであり、貧困者・無学者にも受け入れやすい考えであった。

画像(上)江戸時代・天保2年(1831)、永峯晴水養広(模写)『一遍上人絵伝』巻第3:弘安六年(1283年)尾張国の甚目寺で大衆に飲食を施す場面:食事をしているグループは、ここには見えないが室内の中級以上、身なりの整った人々と僧侶がある。その左に、この絵があり、野外の僧侶の集団、農民・庶民の集団が施しを受けている。さらにこの左に、らい病・皮膚病を患った人々の集団がある。捨聖一遍上人下の時衆僧侶が、集団別に施しをしていたことは興味深い。
画像はC0081693:国立博物館引用。

江戸時代・天保2年(1831)、永峯晴水養広(模写)『一遍上人絵伝』巻第3「尾張甚目寺」の場面では、弘安六年(1283年)、遊行の途中の一遍と時衆の一行が、尾張、現在の愛知県あま市甚目寺を訪れた際に、境内で貧しい人々に施しをしたが、この施し受ける人々の中に、ハンセン病(らい病)患者の姿がある。法衣を着た僧侶、庶民、ハンセン病患者が各々輪になって、ご飯を振る舞われていている。社会階層別に車座になってはいるが、平等にい施しを受けられるという意味で、身分や信条に関係なく誰でも一心不乱に南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できる、という時宗の平等思想を表している。

画像(上)『一遍上人伝絵巻』巻第七:河辺の空き地に小屋を建てかけて住んでいる乞食のような貧困者の一団に、顔を布で隠しているハンセン病(らい病)患者たちがいる。彼ら貧困者を訪ねて念仏による往生を説く一遍上人。鎌倉時代の作品に、ハンセン病患者の差別の様子がうかがわれる。『一遍上人伝絵巻』は、時宗の開祖,一遍の生涯を描いた絵巻で,京都・歓喜光寺に伝来した12巻のうちの1巻。諸国を旅しながら修行と布教活動に努めた一遍の行状とともに,各地の社寺や名所の景観が忠実に描かれる。風景描写には中国宋代山水画風の影響が指摘され,やまと絵の伝統の中に見事に融合されている。。西月山真光寺一遍上人が亡くなって10年が経過し、正安元年に弟子の聖戒が起草し,法眼円伊が描く。 画像はC0047682:国立博物館引用。

          ◆愛知県海部郡甚目寺町の太子山円周寺の僧侶三男として小笠原登は、1888年(明治二十一年)に生まれた。甚目寺町には尾張四観音筆頭の甚目寺観音があり、治癒祈願や施場・治療で有名だった。一遍上人と時衆の一行も、1283年(弘安六年)、この寺を訪れ、僧侶、病人、らい病患者、物乞いなどに施しをした。放浪するらい病(ハンセン病)患者にとって、巡礼者・観光客が多数訪れる門前町は、物乞いをする格好の場所であり、その近くに住んでいたのであろう。

『一遍上人絵伝』は、時宗の開祖一遍熊野での成道(じょうどう:悟り)、全国遊行、賦算(ふさん:念仏札配布)、踊り念仏、最後に兵庫の観音堂で臨終をむかえるまでの絵巻。時衆(時宗)は、念仏さえ唱えれば往生できると説き、諸国を遊行、賦算と踊念仏を行なった。念仏聖一遍の号は、「南無阿弥陀仏」の六字名号一遍法の感得に由る。空也の「捨ててこそ」の教えを実践し、捨聖(すてひじり)とも呼ばれた。「おのづから あひあふときも わかれても ひとりはおなじ ひとりなりけり」(『一遍上人絵伝』)

画像(右)『一遍上人絵伝』巻12 :一遍の臨終を悲しむ道俗:正応2年(1289)8月23日、兵庫観音堂(現・真光寺)で死を迎えた一遍(51歳)の臨終に立ち会うハンセン病(らい病)患者とみられる一団。捨聖一遍は16年間、全国を遊行したが、その間、ハンセン病患者、障害者など社会の底辺に追いやられていた人々をも救済した。一遍の臨終には、一千余人の弟子=「弟葉」が立ち会ったという。
画像はC0028544:国立博物館引用。

◆『一遍上人絵伝』の描かれた鎌倉時代、皮膚の爛れたらい病に対して、不快感を感じたり、感染を恐れたりして、遠ざけようとする差別があった。ひどい場合には、前世の因果応報、悪業の報いとみなされ「天刑病」、「業病」と差別され、社会から排除しようとする動きもあった。しかし、国家・政府として、らい病患者に対する一律の排除・隔離政策が採用されたわけではなかった。

日本優生学のハンセン病差別隔離断種

◆中世の時代、ハンセン病(らい病)患者に対して、社会と完全に接点を絶つような強制収容(絶対隔離)や子孫を残せなくする断種(優生手術)が行われることはなかった。一遍と時宗の一団のように、救済の手を差し伸べた仏教徒もあった。分け隔てなく、だれでも念仏往生できるという平等思想は、ハンセン病患者への差別解消に寄与したと考えられる。仏の慈悲にすがり病からの回復を祈願しながら寺を巡礼する「お遍路さん」に、援護・救済をする住民もいた。特に、神社仏閣、名所旧跡には、よそからも人々が集まるため、その人々をあてにした物乞い(乞食)も可能だった。

◆中世のハンセン病(らい病)患者は、日本社会に広く受け入れられていたわけではないが、片隅でひっそりと暮らすことができたという意味で「弱い共生」にあった。らい病患者は、嫌われ蔑まれた場合も多かったが、それでも社会に居場所(ニッチ)を見つけることができた。中世の人々は、らい病が大流行したことがないことから、簡単に伝染するような病気ではないことを日常感覚で経験的に理解していたに違いない。

◆近代になって、日本政府・国家は政策的にハンセン病・らい病を排除し始めた。近代、明治時代になって、似非(エセ)科学の優生学を信奉する学者や行政官が、らい病患者やその家族の人権よりも、国家の体面や日本人が人種民族的に優れていると考えはじめ、昭和に入ると、ハンセン病患者の絶対隔離・断種(優生手術)など大規模な人権侵害が強行される。
ハンセン病(らい病)は、1873年にノルウェー人ゲルハルト・ヘンリック・アーマー・ハンセンGerhard Henrick Armauer Hansen:1841年7月29日 - 1912年2月12日)が発見したらい菌Mycobacterium leprae)による慢性伝染病であるが、日常生活で感染する可能性はほとんどない。感染力が弱く、感染しても発病は稀である。また、遺伝病でも、不治の病でもなく、プロミンの処方など適切な治療をすれば、完治する。

日本のハンセン病患者数:1900年(明治33年)の3万人、1919年(大正8年)の約1万6千人へと減少した。戦後は1955年頃から公衆衛生の向上、治療剤によって新規患者数は減少し、2000年前後は毎年10名以下である。他方、外国人患者は1991年頃から増加し、毎年10名前後である。

日本人の新規患者は半数以上が高齢者(60歳以上)であるが、外国人では20〜30代の患者が多い。2000年、全国15のハンセン病療養所には約4,500名が入所している(平均年齢74歳)。ほとんどは治癒しているが、後遺症や高齢化などのため引き続き療養所にとどまっている。なお現在患者は通常半年〜数年の治療で治癒するが、再発や後遺症の経過観察のため、700名余(元療養所入所者や外来患者など)が通院している。

初めてのハンセン病療養所が1909年に設置されて以来、2008年現在、全国に療養所は13カ所、患者2764人が入所している。入所者が多かったのは、1960年で1万2000人が全国各地の療養所に入所していた。らい予防法が廃止されたのは1996年である。

WHO推奨のMDT(Multi-drug Therapy:多剤併用治療)により、1985年から1999年末までに全世界でハンセン病患者1,000万人以上が治癒した。2000年当初の有病者数は75万人、有病率は1.25/人口1万人と、1985年に比べ86%減少した。再発率は年間0.1%程度である。

ハンセン病は、「らい菌」の感染によって、主に皮膚や末梢神経が侵される感染症だが、感染力は強くはない。しかし、触っただけでうつると恐れられた。また、1943年のプロミンに始まる化学療法剤によって、治癒可能となった。これは、「病原体を化学物質の働きで殺し、またはその発育を阻止するとともに、感染を受けた人のもつ免疫力と協力し合って感染症から生体を治癒させること」であり、3種の医薬品のカクテル(ジアフェニルスルホン、リファンピシン及びクロファジミンの併用)を組み合わせた多剤併用療法(Multidrug Therapy:MDT)で行われている。

しかし、末梢神経の障害から後遺症が残り(200〜300万人)、社会生活困難な患者も多い。また、WHO推奨のMDTにもかかわらず、新規患者数はいまだに毎年約70万人である。

年間の新規ハンセン病患者登録数が多い国はインド(約52.7万人)、ブラジル(約7.3万人)、インドネシア(約2.9万人)、バングラデシュ、ミャンマー、ネパール、ナイジェリア(各約1.3万人)、フィリピン(約0.9万人)など。 


8.ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法

大阪府健康医療部 保健医療室健康づくり課の作成した「ハンセン病問題を理解するために(ハンセン病回復者の被害と名誉の回復を目指して)」では、次のように述べている。

2001(平成13)年5月11日、熊本地方裁判所において、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」(ハンセン病国賠訴訟)の判決が言い渡されました。この判決は、89年にわたり、国によって行われてきたハンセン病対策が「誤っていた」ことを認めるものでした。
 1907(明治40)年法律第11号「癩予防ニ関スル件」が制定されてから、1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されるまで、国は、患者の強制隔離収容を基本としたハンセン病対策を続けてきました。そして、この法律にもとづいて、患者やその家族の人権を省みず、患者を強制的に療養所へ送り込んだのは、大阪府も含めた地方自治体であり、患者の情報を提供したのは、市町村や地域の住民でした。
 このように、国、地方自治体、住民が一体となって、自分たちの故郷からハンセン病患者を療養所へ送り込む、いわゆる「無癩(らい)県運動」を展開し、ハンセン病患者やその家族の方に大きな苦痛と苦難を強いてきたのです。
 こうした反省を踏まえ、現在、国や地方自治体は、入所者の方が療養所から生まれ育った地域に帰るための「里帰り事業」の充実や「社会復帰」するための支援に取り組んでいます。( 大阪府「ハンセン病問題を理解するために(ハンセン病回復者の被害と名誉の回復を目指して)」引用終わり)

 ハンセン病で苦しむ患者・元患者を社会から排除し、強制隔離することは、患者とその家族に対する偏見、差別を生む。1907(明治40)年の法律第11号「癩予防ニ関スル件」、改定を重ねた「らい予防法」は、89年間も継続し、その結果、ハンセン病患者の人権は無視され続けることになった。

 ハンセン病患者が療養所に収容されると、現金は園内通用券(療養所内だけで通用する貨幣)に替えられる。園名を名乗るよう強制され、絶対隔離が一生涯続くことを自覚させられた。中には、ハンセン病患者を収容する際に、消毒液の入った「消毒風呂」に入れさせる療養所もあった。

 療養所各園において、入所者は、「患者作業」(重症患者の看護・建設労働・火葬場の仕事)を強いられ、体力を消耗し、手足に傷をつくることで、重い後遺症を残した。

 療養所では、外出・退所は厳しく制限され、手紙の開封・検閲も行われた。1916〔大正5〕年、療養所所長に懲戒検束権(刑罰・自由の拘束の権限)が与えられ、各療養所には監房(牢屋)が設置された。

 大阪府健康医療部 保健医療室健康づくり課「ハンセン病問題を理解するために(ハンセン病回復者の被害と名誉の回復を目指して)」は、「このような人権・人格を無視した誤った政策は、どんな病気に対しても二度と行われるようなことがあってはなりません」と結んでいる。

ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(2008年6月18日法律第82号)

 「らい予防法」を中心とする国の隔離政策により、ハンセン病の患者であった者が地域社会において平穏に生活することを妨げられ、身体及び財産上の被害、生活上の人権制限、差別を受けた。このことを2001年6月、我々は悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くお詫びし、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を制定し、精神的苦痛の慰謝、名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表することとした。

 しかしながら、国の隔離政策に起因してハンセン病の患者であった者等が受けた身体及び財産上の被害、生活上の被害の回復には、未解決の問題がある。特にハンセン病患者が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むための基盤整備は緊急の課題である。ハンセン病元患者に対する偏見と差別のない社会の実現に向けて、真摯に取り組んでいかなければならない。

 ここに、ハンセン病元患者の福祉の増進、名誉の回復のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、この法律を制定する。 

     第一章 総則

(趣旨)第一条  この法律は、国によるハンセン病の患者に対する隔離政策に起因して生じた問題であって、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在するもの(以下「ハンセン病問題」)の解決の促進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、ハンセン病問題の解決の促進に関し必要な事項を定めるものとする。

(定義)第二条  「国立ハンセン病療養所」とは、厚生労働省設置法(平成十一年法律第九十七号)第十六条第一項に規定する国立ハンセン病療養所をいう。
3  「入所者」とは、らい予防法の廃止に関する法律(平成八年法律第二十八号。以下「廃止法」)によりらい予防法(昭和二十八年法律第二百十四号。以下「予防法」)が廃止されるまでの間に、ハンセン病を発病した後も相当期間日本国内に住所を有していた者であって、現に国立ハンセン病療養所等に入所しているものをいう。

(基本理念)第三条  ハンセン病問題に関する施策は、国によるハンセン病の患者に対する隔離政策によりハンセン病の患者であった者等が受けた身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる被害に照らし、その被害を可能な限り回復することを旨として行われなければならない。
2  ハンセン病問題に関する施策を講ずるに当たっては、入所者が、現に居住する国立ハンセン病療養所等において、その生活環境が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるように配慮されなければならない。
3  何人も、ハンセン病の患者であった者等に対して、ハンセン病の患者であったこと又はハンセン病に罹患していることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。

(国及び地方公共団体の責務) 
第四条  国は、前条に定める基本理念にのっとり、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進等を図るための施策を策定し、及び実施する責務を有する。
第五条  地方公共団体は、基本理念にのっとり、国と協力しつつ、その地域の実情を踏まえ、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進等を図るための施策を策定し、及び実施する責務を有する。

(ハンセン病元患者と関係者の意見の反映のための措置)
第六条  国は、ハンセン病問題に関する施策の策定及び実施に当たっては、ハンセン病の患者であった者等その他の関係者との協議の場を設ける等これらの者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。

   第二章 国立ハンセン病療養所等における療養及び生活の保障

国立ハンセン病療養所における療養)
第七条  国は、国立ハンセン病療養所において、入所者(国立ハンセン病療養所に入所している者に限る。第九条及び第十四条を除き)に対して、必要な療養を行うものとする。

(国立ハンセン病療養所への再入所及び新規入所)
第八条  国立ハンセン病療養所の長は、廃止法により予防法が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所等に入所していた者であって、現に国立ハンセン病療養所等を退所しており、かつ、日本国内に住所を有するもの(以下「退所者」)又は廃止法により予防法が廃止されるまでの間に、ハンセン病を発病した後も相当期間日本国内に住所を有したことがあり、かつ、国立ハンセン病療養所等に入所したことがない者であって、現に国立ハンセン病療養所等に入所しておらず、かつ、日本国内に住所を有するもののうち、厚生労働大臣が定める者(以下「非入所者」)が、必要な療養を受けるために国立ハンセン病療養所への入所を希望したときは、入所させないことについて正当な理由がある場合を除き、国立ハンセン病療養所に入所させるものとする。
2  国は、前項の規定により国立ハンセン病療養所に入所した者に対して、必要な療養を行うものとする。

国立ハンセン病療養所以外のハンセン病療養所における療養に係る措置)
第九条  国は、入所者(第二条第二項の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所に入所している者に限る)に対する必要な療養が確保されるよう、必要な措置を講ずるものとする。

(意思に反する退所及び転所の禁止)
第十条  国は、入所者の意思に反して、現に入所している国立ハンセン病療養所から当該入所者を退所させ、又は転所させてはならない。 

(国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のための措置)
第十一条  国は、医師、看護師及び介護員の確保等国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
2  地方公共団体は、前項の国の施策に協力するよう努めるものとする。

(良好な生活環境の確保のための措置等)
第十二条  国は、入所者の生活環境が地域社会から孤立することのないようにする等入所者の良好な生活環境の確保を図るため、国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供する等必要な措置を講ずることができる。
2  国は、前項の措置を講ずるに当たっては、入所者の意見を尊重しなければならない。

(福利の増進)
第十三条  国は、入所者の教養を高め、その福利を増進するよう努めるものとする。

   第三章 社会復帰の支援並びに日常生活及び社会生活の援助

(社会復帰の支援のための措置)
第十四条  国は、国立ハンセン病療養所等からの退所を希望する入所者(廃止法により予防法が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所等に入所していた者に限る。)の円滑な社会復帰に資するため、退所の準備に必要な資金の支給等必要な措置を講ずるものとする。

(ハンセン病療養所退所者給与金及びハンセン病療養所非入所者給与金の支給)
第十五条  国は、退所者に対し、その者の生活の安定等を図るため、ハンセン病療養所退所者給与金を支給するものとする。
2  国は、非入所者に対し、その者の生活の安定等を図るため、ハンセン病療養所非入所者給与金を支給するものとする。
3  前二項に定めるもののほか、第一項のハンセン病療養所退所者給与金及び前項のハンセン病療養所非入所者給与金(以下「給与金」)の支給に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。
4  租税その他の公課は、給与金を標準として、課することができない。

(ハンセン病等に係る医療体制の整備)
第十六条  国及び地方公共団体は、退所者及び非入所者が、国立ハンセン病療養所等及びそれ以外の医療機関において、安心してハンセン病及びその後遺症その他の関連疾患の治療を受けることができるよう、医療体制の整備に努めるものとする。

(相談及び情報の提供等)
第十七条  国及び地方公共団体は、退所者及び非入所者が日常生活又は社会生活を円滑に営むことができるようにするため、これらの者からの相談に応じ、必要な情報の提供及び助言を行う等必要な措置を講ずるものとする。

   第四章 名誉の回復及び死没者の追悼

第十八条  国は、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復を図るため、国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずるとともに、死没者に対する追悼の意を表するため、国立ハンセン病療養所等において収蔵している死没者の焼骨に係る改葬費の遺族への支給その他必要な措置を講ずるものとする。

   第五章 親族に対する援護

(親族に対する援護の実施)
第十九条  都道府県知事は、入所者の親族(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)のうち、当該入所者が入所しなかったならば、主としてその者の収入によって生計を維持し、又はその者と生計を共にしていると認められる者で、当該都道府県の区域内に居住地(居住地がないか、又は明らかでないときは、現在地)を有するものが、生計困難のため、援護を要する状態にあると認めるときは、これらの者に対し、この法律の定めるところにより、援護を行うことができる。ただし、これらの者が他の法律(生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)を除く。)に定める扶助を受けることができる場合においては、その受けることができる扶助の限度においては、その法律の定めるところによる。
2  前項の規定による援護(以下「援護」という。)は、金銭を支給することによって行うものとする。ただし、これによることができないとき、これによることが適当でないとき、その他援護の目的を達するために必要があるときは、現物を支給することによって行うことができる。
3  援護のための金品は、援護を受ける者又はその者が属する世帯の世帯主若しくはこれに準ずる者に交付するものとする。
4  援護の種類、範囲、程度その他援護に関し必要な事項は、政令で定める。

(都道府県の支弁)
第二十条  都道府県は、援護に要する費用を支弁しなければならない。

(費用の徴収)
第二十一条  都道府県知事は、援護を行った場合において、その援護を受けた者に対して、民法(明治二十九年法律第八十九号)の規定により扶養の義務を履行しなければならない者(入所者を除く。)があるときは、その義務の範囲内において、その者からその援護の実施に要した費用の全部又は一部を徴収することができる。
2  生活保護法第七十七条第二項及び第三項の規定は、前項の場合に準用する。

(国庫の負担)
第二十二条  国庫は、政令で定めるところにより、第二十条の規定により都道府県が支弁する費用の全部を負担する。

(公課及び差押えの禁止)
第二十三条  租税その他の公課は、援護として支給される金品を標準として、課することができない。
2  援護として支給される金品は、既に支給を受けたものであるとないとにかかわらず、差し押さえることができない。

(事務の区分)
第二十四条  第十九条第一項及び第二十一条第一項の規定により都道府県が処理することとされている事務は、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二条第九項第一号に規定する第一号法定受託事務とする。

ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(2008年6月18日法律第82号)引用終わり。

◆Ohne Angst verschieden(異なることを恐れるな:ドイツ語)はインクルージョン(„Inklusion“、Inclusion)の標語である。つまり、学校と社会・地域における教育にあって、障害を持った人々と健常者がともに学ぶ多様性のある教育を目指す状況であり、ノーマライゼーションNormalization)、すなわち障害者や多民族を含めたあらゆる多様な人々が支障なく暮らせる社会の一要素である。換言すれば、障害者を含めたあらゆる人々にとっての人権として認められるべきものである。
 インクルージョン教育は、男女を問わず、社会的、文化的な起源、性、才能、障害など、全ての人々が、社会の中で平等な参加の機会を与えることを求めている。障害の有無にかかわらず、子どもたちが一緒に学ぶことができることが望まれる。


◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
そこでは、ポーランド侵攻、ゲットー設置、ホロコースト、レジスタンス弾圧、東方生存圏、ソ連侵攻バルバロッサ作戦も解説しました。

◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ハワイ真珠湾奇襲攻撃
ハワイ真珠湾攻撃の写真集
開戦劈頭の「甲標的」特別攻撃隊
サイパン玉砕戦:Battle of Saipan 1944
沖縄玉砕戦と集団自決:Battle of Okinawa 1945
沖縄特攻戦の戦果データ
戦艦「大和」天1号海上特攻 The Yamato 1945
人間爆弾「桜花」Human Bomb 1945
人間魚雷「回天」人間爆弾:Kaiten; manned torpedo
海上特攻艇「震洋」/陸軍特攻マルレ艇
日本陸軍特殊攻撃機キ115「剣」
ドイツ軍装甲車Sd.Kfz.250/251:ハーフトラック
ドイツ軍の八輪偵察重装甲車 Sd.Kfz. 231 8-Rad
スターリングラード攻防戦;Battle of Stalingrad
ソ連赤軍T-34戦車
VI号ティーガー重戦車
V号パンター戦車
ドイツ陸軍1号戦車・2号戦車
ドイツ陸軍3号戦車・突撃砲
ドイツ陸軍4号戦車・フンメル自走砲
イギリス軍マチルダMatilda/バレンタインValentine歩兵戦車
イギリス陸軍A22 チャーチル歩兵戦車: Churchill Infantry Tank Mk IV
イギリス軍クルーセーダーCrusader/ カヴェナンター/セントー巡航戦車
イギリス陸軍クロムウェル/チャレンジャー/コメット巡航戦車
アメリカ軍M3Aスチュアート軽戦車/M3グラント/リー中戦車
アメリカ陸軍M4シャーマン中戦車Sherman Tank
イギリス軍M4A4シャーマン・ファイアフライ Sherman Firefly戦車
シャーマン・クラブフライル地雷処理戦車 Sherman Crab Flail
英軍M10ウォルブリン/アキリーズ駆逐自走砲GMC
ドイツ国防軍のヒトラー反逆:Ludwig Beck
アンネの日記とユダヤ人
与謝野晶子の日露戦争・日中戦争
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥
ハンセン病Leprosy差別

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