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◆ユンカース(Junkers)Ju 86 爆撃機/高高度偵察機
図(上)1939年9月前後、待機中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-1 爆撃機の右側面
:機首には旋回機関銃座を設けているが、後には、操縦席からの視界向上のために、機首を短くガラス風防で覆う形状に改変された。
Original lithograph of a Junkers Ju 86, a German monoplane bomber and civilian airliner; Artist: Douglas Rolfe; Black and White; Commissioned in the 1960's for Air Power Magazine Accession #: 201907003 Object: Original lithograph of a Junkers Ju 86, a German monoplane bomber and civilian airliner; Artist: Douglas Rolfe; Black and White; Commissioned in the 1960's for Air Power Magazine Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


写真(上)飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の左側面
:双尾翼には第二次大戦突入前のドイツの国籍マーク、赤帯白丸黒カギ十字が描かれている。機首は短く、与圧式コックピットの操縦席となっている。未密の与圧式を大きくすることは難しいので乗員は2名のみのコンパクトな操縦室となっている。長く、先細の主翼を備えて、高高度性能を改善している。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world ...引用。



1.ユンカース(Junkers)Ju 86 D 爆撃機(ユモ (Jumo)205ディーゼルエンジン搭載)


写真(右)1936年頃、ドイツ、飛行場で待機するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 試作5号機V-5爆撃機(D-HAOE)の左側面
:のちにJu86A−1爆撃機として制式された。発動機にユンカース ユモ (Junkers Jumo)205C 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン2基を装備。機首には旋回機関銃座、胴体下面に引込み式銃座、胴体後上方旋回機関銃座を設けている。
Junkers Ju 86V-5 Prototype of Junkers Ju 86A-1 series PictionID:44219417 - Title:Junkers Ju 86V-5 Prototype of Junkers Ju 86A-1 series - Catalog:16_005372 - Filename:16_005372.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


1919年に第一次世界大戦に敗北したドイツは、ヴェルサイユ条約で講和し、常備軍を10万人都とし、戦車、大型火砲、軍用機の保有を禁止され、軍備の大幅縮が行われた。そこで、航空機の開発も、軍用機の開発禁止だけではなく、軍用機に転換が容易な機体の開発も禁じられた。

絵葉書写真(右)1937-1939年、ドイツ、飛行するドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機の爆弾搭載作業: ユモ205C (Jumo 205C) 直列6気筒液冷ディーゼルエンジン装備。初飛行は1934年11月4日の旧式機なので、第二次世界大戦では第一線の爆撃機としては使用されなかった。しかし、訓練飛行隊や臨時輸送隊などで使用された。
Postcard Junkers Ju 86 E-1 Luftwaffe aircraft, attaching the bomb load No 3.294.202 Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


絵葉書写真(右)1937-1939年、ドイツ、エンジンを始動しこれから発進する直前のドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機(33−??)機首のラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃座と右側面:未使用の絵葉書。アンテナ支柱は操縦席コップピット上面に設けられている。初飛行は1934年11月4日なので、第二次大戦には爆撃機としては参戦していない。K型には、機首銃座が設けられている。
Postcard Junkers Ju 86 K fighter aircraft of the German Air Force before take off, II. WWNo 2.738.952postally unused, Klebereste, otherwise good condition
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機の機首、胴体下方、剛体後上方にある銃座には、ラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃各1挺が装備されている。

ユンカース(Junkers)Ju86 胴体上方の環状ループ方位測定アンテナは、輸送機仕様は、操縦席コックピット後上方にあったが、Ju86D型やK型の爆撃機仕様では胴体中央上方に移動されている。

絵葉書写真(右)1937-1939年、ドイツ、駐機しているドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86 K爆撃機の機首銃座ラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃:未使用の絵葉書。アンテナ支柱は操縦席コップピット上面に設けられている。
Postcard MG gunner in the nose cone, Junkers Ju 86 K, fighter aircraft, LuftwaffeNo 3.252.140Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm »Satisfaction Guarantee«
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃の諸元
口径 7.92mm
銃身長 595mm
弾薬 7.92x57mmモーゼル弾
装弾数 75発入り鞍型ドラム弾倉
作動方式 ショートリコイル 回転ボルト式
全長 1,334mm(アタッチメント有り)、1,078mm(アタッチメント無し)
重量 12.4kg(照準器と弾薬装備時)
発射速度 1,000-1,050発/分、850発/分(地上用)
銃口初速 755-840m/秒

絵葉書写真(右)1936-1937年、ドイツ、雲海を編隊飛行するドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86爆撃機 AまたはD型の左側面:迷彩塗装の機体の機首、胴体下方、剛体後上方に銃座があり、銃手とラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃も見える。未使用の絵葉書。Ju86輸送機の環状ループ方位測定アンテナは、操縦席コックピット後上方にあったが、Ju86D爆撃機では胴体中央上方に移動されている。
Postcard Kampfgeschwader Junkers Ju 86 K, Luftwaffe fighter aircraftNo 3.957.225Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機の機首、胴体下方、剛体後上方に銃座が設置されており、ラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃各1挺が装備されている。Ju86の初飛行は1934年11月4日なので、第二次大戦には爆撃機としては参戦していない。

写真(右)1937年、ドイツ、飛行する迷彩塗装のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D-1 爆撃機の右上面:ユンカース ユモ205C (Junkers Jumo 205C) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (447 kW)を2基搭載した。補助翼と主翼は段違いになっている。
Junkers Ju 86D-1 PictionID: 44219453 - Title:Junkers Ju 86D-1 - Catalog: 16_005375 - Filename: 16_005375.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1937年以前、ドイツ、飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機(登録コード:33-D24) :胴体後上方に、方位測定用の環状ループアンテナを備えている。その後方に、旋回機関銃座が設けられている。
Junkers Ju 86 Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album PictionID: 38236350 - Catalog:Array - Title:Array - Filename: 15_002326.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft-
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 爆撃機の降着装置は、主翼下面の主輪は引込み式であるが、尾輪は固定式である。Ju86 爆撃機は、操縦室コックッピト上方にアンテナマスト支柱を立てて、無線アンテナ線を双尾翼にまで張って碍子を介して繋いでいる。

絵葉書写真(右)1939年頃、ドイツ、ドイツ空軍の迷彩塗装を施したユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機(33−??):Ju86は、1934年11月4日初飛行で、爆撃機と輸送機の双方の仕様が同時に開発された。この絵葉書は、郵便局スタンプからみて1942年に使用されたもの。
Postcard Junkers Ju 86 K, Flying Fortress, fighter plane, LuftwaffeNo 3.697.305Condition, see Scan, postally used, 1942 ca 14 cm X 9 cm
The company akpool Ltd. offers postcards from the Third Reich era for the following purposes only: civic education, the prevention of unconstitutional and anti-constitutional activities, the assistance of academic and art historical research, the reporting and clarification of events from the Third Reich era, and the research of uniforms and military history. The purchaser is obligated to only use cards for the historic and academic purposes listed above. They are in no way to be used as propaganda, particularly in regards to paragraph §86a of the StGB (Criminal Code).
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86の発動機は初期型ではユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを装備し、ディーゼル軽油を燃料とした。しかし、信頼性に問題があったために、その後、Ju86のには既に普及していたBMW132空冷星型9気筒ガソリンエンジンに換装された。

絵葉書写真(右)1937-1939年、ドイツ、雲海を編隊を組んで訓練飛行するドイツ空軍航空隊のユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機(33−24)の左上側面:未使用の絵葉書。Ju86は、迷彩塗装を施している。
Postcard twin-engine combat aircraft Junkers Ju 86 K, training flightNo 3.485.906Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86初飛行は1934年11月4日なので、第二次大戦には爆撃機としては参戦していない。無線アンテナ支柱(マスト)は、操縦席コックピット後上方に設置されている。環状ループ方位測定アンテナは、Ju86輸送機では、操縦席コックピット後上方に、Ju86爆撃機では胴体中央上方に設置されている。

絵葉書写真(右)1937-1939年、ドイツ、雲海を編隊を組んで訓練飛行するドイツ空軍練習航空隊のユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機の左側面:機首、胴体下方、剛体後上方にラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃が装備されている。未使用の絵葉書。Ju86は、迷彩塗装を施している。初飛行は1934年11月4日なので、第二次大戦には爆撃機としては参戦していない。環状ループアンテナは、輸送機仕様では操縦席コックピット後上方にあったが、爆撃機仕様では胴体中央上方に移動されている。
Postcard Junkers Ju 86 K fighter aircraft of the German Air Force on a training flight, II. WWNo 2.738.903postally unused, excellent condition
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 が搭載した環状ループ方位測定アンテナは、B型輸送機仕様では操縦席コックピット後上方にあったが、Ju86D型以降の爆撃機仕様では、胴体中央上方に設けられている。ただし、無線アンテナマストは、同じ操縦席コックピット後上方に設置されている。

絵葉書写真(右)1936-1937年、ドイツ、飛行するドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86 AまたはD 爆撃機の右側面:発動機にユンカース ユモ (Junkers Jumo)205C 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン2基を装備しているので。絵葉書の説明にある「爆撃機ユンカースJu 86 K」とあるのは誤りでJu86 Dであろう。、迷彩塗装を施し、機首に黄色あるいは白色のバンドを描いている。降着装置の主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。
Postcard Junkers Ju 86, fighter plane, LuftwaffeNo 3.657.037 Condition, see Scan, postally used ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K爆撃機は、発動機にユンカース ユモ (Junkers Jumo)205C 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン2基を装備している。主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。

写真(右)1939年9月以前、編隊飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機:全長17,87 m、全幅22,50 m、全高5,06 m、主翼面積82m2,発動機は、ユンカース ユモ205C (Junkers Jumo 205C) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (447 kW)を装備。総重量8.200 kg、最高速力325 km/h (3000 m)、航続距離1500km、爆弾搭載量 800 kg (16 × SC 50)、上昇限度5900 m

Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081632 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


Ju86の初飛行は1934年11月4日なので、第二次世界大戦では双発爆撃機の役をDo17に任せたが、訓練飛行隊や臨時輸送隊で使用された。

絵葉書写真(右)1936-1937年、ドイツ、編隊飛行するドイツ空軍爆撃航空団のユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機:Ju86は、迷彩塗装を施している。コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナ支柱から無線を尾翼まで張って碍子を介して繋いでいる。主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。
Postcard Kampfgeschwader Junkers Ju 86 K, Luftwaffe fighter aircraftNo 3.957.225Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


発動機にユンカース ユモ (Junkers Jumo)205C 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン2基を装備したユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機は、機首、胴体下方、剛体後上方に銃座が設置されており、ラインメタル(Rheinmetall)7.92mm MG 15 旋回機関銃各1挺を搭載している。

写真(右)1936 -1937年、ドイツ、編隊飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機:爆弾搭載量800 kg (16発 × SC 50キロ爆弾)。機首は長く、先端に銃座を設けている。全長17,87 m、全幅22,50 m、全高5,06 m、主翼面積82m2,発動機は、ユンカース ユモ205C (Junkers Jumo 205C) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (447 kW)を装備。総重量8.200 kg、最高速力325 km/h (3000 m)、航続距離1500km、爆弾搭載量 800 kg (16 × SC 50)、上昇限度5900 m
English: German Junkers Ju 86A or D bombers (with Diesel engine Junkers Jumo 205 ) in flight. Deutsch: Junkers Ju 86 A/D, frühe Bombervariante mit Junkers Jumo 205 Dieselmotoren im Verbandsflug, ca. 1937. Bei dem breiten, vermutlich gelben Rumpfband zwischen Bug- und Führerkanzel handelt es sich wahrscheinlich um eine abwaschbare Manövermarkierung. Das seinerzeit 5-stellige Rumpfkennzeichen auf der vorderen Maschine lautet 42 + C26 und steht für Kampfgeschwader 254, II. Gruppe, 6. Staffel (6./KG 254, Flugzeug C), welches am 01.04.1937 (II. Gruppe) in Eschwege eingerichtet worden war. Date 1937 Source Flightglobal 11 November 1937, p. 466 - 3086.html
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 141-2402, Flugzeug Junkers Ju 86.jpg引用。


第一次大戦で敗北したドイツは、ベルサイユ条約で共和国軍として存続が許されたが、兵力は10万人、戦車、航空機、潜水艦の開発も保有も禁止された。そこで、ドイツ協和国は、スウェーデンやスイス、のちにはソ連でも兵器の開発を行った。また、1933年1月にナチ党政権が樹立されると、ヒトラー総統の指導の下で、大規模な軍備増強、再軍備が秘かに進められた。

写真(右)1936-1937年、ドイツ、編隊飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機:発動機は、ユンカース ユモ205C (Junkers Jumo 205C) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (447 kW)を装備。
Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081631 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機は、発動機は、ディーゼル軽油を燃料とするユンカース ユモ(Junkers Jumo) 205C液冷ディーゼルエンジン600 PS (447 kW)を装備、総重量8.200 kg、最高速力325 km/h (3000 m)、航続距離1500km、爆弾搭載量 800 kg (16 × SC 50)、上昇限度5900 m。

写真(右)2018年7月、ドイツ、コブレンツ国防技術博物館 (Wehrtechnische Studiensammlung (WTS) Koblenz)、ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機の装備した発動機ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine):Ju86は、BMW 132 F空冷星型9気筒エンジンに換装し、輸出用のJu86も発動機は、諸外国で入手しやすいアメリカ製、イギリス製の空冷星型エンジンを装備した。
Wehrtechnische Studiensammlung Koblenz Date 1 July 2018, 13:03 Source Junkers Jumo 205 Diesel Aircraft Engine Author Thomas Vogt from Paderborn, Deutschland
写真は, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Jumo 205 Diesel Aircraft Engine (41509013590).jpg引用。


写真(右)2007年8月、ドイツ、コブレンツ国防技術博物館 (Wehrtechnische Studiensammlung (WTS) Koblenz)、ユンカース(Junkers)Ju86 D 爆撃機の装備した発動機ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)のカットモデル:内部構造がわかるようにシリンダーもカットされている。
Junkers Jumo 205 Opposed piston Diesel aircraft engine Date 25 August 2007 Source Image:Jumo205 cutview.JPG by Kogo Author Tennen-Gas Permission (Reusing this file) GFDL
写真は, Category: Junkers Ju 86 File:Jumo205 cutview 02.jpg引用。


ユンカース社は自ら新型のユンカース・ユモ205液冷6気筒ディーゼルエンジンを開発し、ディーゼル軽油の燃費の良さを活かそうと、Ju86の試作機に搭載した。飛行性能は、ハインケルHe 111と比べると劣ったが、量産性に優れていたために、爆撃機仕様と輸送機仕様はともに採用された。


2.ユンカース(Junkers)Ju 86 E 爆撃機(BMW132空冷エンジン搭載)

写真(右)2012年11月、ドイツ、ミュンヘン、BMW博物館 (BMW Museum)、ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機の装備した発動機と同じBMW 132 A3空冷星型9気筒ガソリンエンジン:このBMW132は、ユンカースJu52輸送機が搭載していた同型の発動機。
English: BMW engine of a Junkers Ju 52 in the BMW museum in Munich. Deutsch: Der BMW-Motor einer Junkers Ju 52 im BMW-Museum in München. Date 28 November 2012, 13:04 (UTC)
写真はWikimedia Commons, Category:BMW 132 File:BMW Engine Ju 52 (cut out).jpg引用。


1928年1月、ドイツのBMWは、アメリカのプラット&ホイットニー社のR-1690空冷星型9気筒エンジン「ホーネット」(Pratt & Whitney R-1690 Hornet)(排気量27.7 L)のライセンス生産を開始した。アメリカでは、R-1690ホーネット空冷エンジンを装備したのは、ロッキード L-18 ロードスター輸送機、シコルスキー S-42飛行艇など多くはなく、エンジン生産台数も3000基弱にとどまった。

しかし、BMWでは、このR-1690ホーネット空冷エンジンに若干の変更を加えたBMW 132空冷星型エンジンを1932年に開発し、2万基以上も大量生産した。

写真(右)2013年6月、ドイツ、ミュンヘン、BMW博物館 (BMW Museum)、ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機の装備した発動機と同じBMW 132 A3空冷星型9気筒ガソリンエンジン:右奥は、BMW VI液冷式V型12気筒エンジン。このBMW132は、ユンカースJu52輸送機が搭載していた同型の発動機。
English: BMW 132 engine Date 11 June 2013, 14:40:13 Source Own work Author Clayton Tang
写真はWikimedia Commons, Category:BMW 132 File:BMW 132 engine.JPG引用。


写真(右)2006年3月、ドイツ、ミュンヘン、ドイツ技術博物館(Deutsches Museum)、ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機の装備した発動機と同じBMW 132 A3空冷星型9気筒ガソリンエンジン
BMW 132 Date 11 March 2006 Source Own work Author Kogo
写真はWikimedia Commons, Category:BMW 132 File:BMW 132 2.jpg引用。


BMW 132N空冷星型9気筒ガソリンエンジンの諸元

ボア×ストローク:155.5 mm × 162 mm
排気量:27.7 L
全長:1,256 mm
直径:1,372 mm
重量:525 kg
燃料供給方式:直接噴射
圧縮比:6.93
出力: 865 hp @ 0 m
960 hp / 2,450 rpm @ 3,000 m
出力重量比:1.83 hp/kg
燃費:0.24 kg/(hp·h)

BMW132空冷エンジンを装備したドイツ機は、アラド(Arado)Ar 196水上機、ドルニエ(Dornier)Do 17 P爆撃機、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 200コンドル(Condor)四発輸送機、ハインケル(Heinkel)He 115双発水上偵察機、ヘンシェル(Henschel)Hs 123複葉襲撃機、ユンカース(Junkers)W 34単発輸送機、Ju 52三発輸送機がある。

写真(右)1937年、ドイツ、飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機の下面:発動機はBMW132空冷星型エンジン2基で、補助翼と主翼は段違いになっている。
Perma_000445 Permann Collection Image Ju 86 ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1934年、ドイツ航空省は、双発高速旅客輸送機/双発爆撃機の開発をハインケル社とユンカース社に要請した。1935年3月16日にヒトラーによるヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄、すなわちドイツ再軍備宣言のなされる前ではあるが、ヒトラー政権前のドイツワイマール共和国時代から、闇の国防軍が秘かに組織されていたドイツでは、軍用機の秘かな開発は当たり前のことだった。

ユンカースJu86 abl爆撃機試作1号機の初飛行は1934年11月4日、ハインケルHe111輸送機/爆撃機の初飛行は1935年2月24日である。

ハインルHe 111の斬新な楕円翼の優美な形状で「世界最速の輸送機」を目指したのに対して、ユンカースJu 86は伝統的なテーパー翼で無骨な形状だった。

写真(右)1937年、ドイツ、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機(D-ALOH):主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)の不調と整備難のために、使い慣れていたBMW 132 F空冷星型9気筒エンジンに換装した。
Flugzeug Junkers Ju 86 Photographer Unknown Bomber Junkers Ju 86 (航空機登録コード Luft-fahrzeugkenn-zeichen D-ALOH) im Flug
Title Flugzeug Junkers Ju 86 Ju 86 (D-ALOH) mit BMW 132 F Sternmotoren und Bugkanzel des Bombers der A/D Serie, vermutl. eines der V-Muster des Jahres 1937.
Collection German Federal Archives Current location Accession number Bild 141-2400
写真は, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 141-2400, Flugzeug Junkers Ju 86.jpg引用。


ユンカースユンカース(Junkers)Ju86は、1934年11月に爆撃機仕様の試作1号機V1を初飛行させ、1935年1月には民間輸送機仕様の試作2号機V2を初飛行させた。発動機は、軍用/民間仕様ともにジーメンスSh 22空冷星型9気筒エンジン2基だった。

ポリカルポフ I-16 1934年月4日初飛行のユンカース(Junkers)Ju86 輸送機/爆撃機は、1936年7月17日から1939年4月1日まで続いたスペイン市民戦争にドイツ・コンドル軍団Legion Condor)に配属され参戦した。しかし、低翼単葉引込み脚のソ連ポリカルポフ I-16 typ10戦闘機の迎撃を受け、低速のユンカース(Junkers)Ju86 では苦戦したであろう。

ユンカース(Junkers)Ju86E型では発動機がユモ205ディーゼルエンジンから信頼性の高いBMW132空冷星型9気筒エンジンに換装された。1938年4月に開発されたJu86G型は、機首を短くして、操縦席からの視界を向上したが、それ以上の改良は行われずに6月にJu86G型を最後に生産は終了した。その後、与圧コックピットpressurized cockpit)を備えた高高度偵察機Ju86P型とJu86R型では、再び高空性能の良いユモ205ディーゼルエンジンを装備し、ディーゼル油(Diesel fuel)を燃料としている。

Junkers Ju86 ユンカースJu 86A:A-0は先行生産型で13機生産、A-1が初期爆撃型量産機 Ju 86B-0 先行生産型で7機生産された輸送機型
Ju 86C-1 6機生産されたドイツルフトハンザ航空(Deutsche Luft Hansa)向けの輸送機で、ユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン装備
Ju 86 D-1 1936年勃発のスペイン内戦にドイツ・コンドル軍団Legion Condor)として派兵された爆撃型
Ju 86E  ドイツ空軍向けBMW 132F空冷星型9気筒エンジン装備の爆撃機。南アフリカ・スウェーデン・ハンガリー・チリ・オーストリア・ポルトガル・ウルグアイ・ボリビア・満州にも輸出された。
Ju 86E-2 BMW 132N空冷星型9気筒エンジン装備の爆撃機
Ju 86G   機首を球形ガラス風防としたBMW 132空冷星型9気筒エンジン装備の爆撃機
Ju 86P-1 排気タービン過給機(turbocharger)付きのユンカース ユモ207 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン搭載の高高度偵察機。生産機数30機程度。
Ju 86R P型改良型。全幅 32 m に延長、発動機を 排気タービン過給機(turbocharger)付きJumo 207 B-3950hp (698 kW)に換装した高高度偵察機・高高度爆撃機。生産機数20機程度。R-1はカメラ2台を搭載、R-2はカメラをやめて爆弾1トンを外装搭載できるようにした爆撃型。
Ju 86 Z 輸出仕様の民間輸送機。Z-1はユモ(Jumo)205 Cディーゼルエンジン装備で1937/38年に就役。Z-2は、BMW 132 H空冷星型9気筒エンジン搭載。1938/39年には満州航空に17機が輸出された。Z-3は、ロールスロイス(Rolls-Royce)ケストレル(Kestrel)液冷V型12気筒エンジン装備で, 1937年以南アフリカ連邦に輸出された。 Z-5 は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット(Hornet)空冷星型9気筒エンジン搭載で、南アフリカ連邦に輸出された。Z-7 は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 ホーネット(Hornet)S1E-G空冷星型9気筒エンジン搭載で、南アフリカ連邦、ボリビア、スウェーデンに輸出された。

写真(右)1939年9月以前、飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機の右下側面:主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。
Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081632 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


ドイツ空軍ドルニエ(Dornier)Do 17 試作1号機V-1は、軍用機として使用されることを視野に入れた民間郵便機で、1934年11月23日に初飛行した。また、Ju86爆撃機と同時代の双発爆撃機Do 17 Eは、段型ガラス風防で、機首に丸い曲面ガラスの爆撃主席が付いている。発動機は、BMW VI液冷V型12気筒エンジン(排気量 46.9 L)750 PS (740 hp; 552 kW)2基を装備し爆弾搭載量は500キロと少なかった。

写真(右)1939年9月以前、待機するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機(D-ALOL)の左側面:胴体主翼後方に吊り下げ引込み式銃座が設けられているが、これはJu52爆撃機仕様と同じ構造である。主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。
Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081628 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 爆撃機の後に登場したドルニエDo17の前期型の爆弾搭載量は500kgでJu86と同じであり、後期型Do17Zでも1000キロと、ドイツでは軽爆撃機級だった。他方、後継機となるユンカースJu88、ハインケルHe111の爆弾搭載量は、通常でも1500キロ、過重では2000キロあった。そこで、爆弾搭載量の少ないDo17では第二次大戦時勃発時の主力爆撃機とはいえ、開戦時のDo17は、偵察型Do17Pが爆撃型Do17M/Zの71%相当も配備されていた。ドルニエDo17の配備機数は、爆撃機:偵察機の比率が6:4だったのである。

写真(右)1939年9月前後、待機中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機機首の左側面:機首には旋回機関銃座を設けているが、後には、操縦席からの視界向上のために、機首を短くガラス風防で覆う形状に改変された。主輪は引込み式で、外側に格納されるが、これはBf109やスピットファイアと同じ方式である。
Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081629 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, SDASM Archives 引用。


第二次大戦時勃発時の主力爆撃機ドルニエ(Dornier)Do17は、この時点では、Do17P偵察機がDo17M/Z爆撃機の配備機数の71%を占めており、爆撃任務からは、解除される方向にあった。したがって、それよりも旧式なユンカース(Junkers)Ju86 爆撃機が第二次世界大戦に爆撃機としては、第一線に投入されなかったのは当然だったのである。しかし、高高度偵察機としての活路を見出し活躍することができた。

写真(右)1939年9月−1940年、未舗装滑走路に駐機するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機(33−L38)の左側面:機首は長く、先端に銃座を設けている。発動機は、BMW 132空冷星型9気筒エンジン600 PS (447 kW)を装備。南アフリカ空軍も同様のJu86Kを装備している。
Junkers, Ju.86 Catalog #: 01_00081630 Title: Junkers, Ju.86 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.86 Tags: Junkers, Ju.86 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 引用。


写真(右)1940年、ドイツ、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 E 爆撃機:機首は長く、先端に銃座を設けている。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を BMW 132 F/N空冷星型9気筒エンジンに換装した。。写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 146-1974-122-37, Flugzeuge Junkers Ju 86.jpg引用。

ユンカース社が開発したユンカース(Junkers)Ju86 爆撃機は、1939年9月に勃発した第二次世界大戦でも初期にドイツ空軍双発爆撃機として実戦配備されていた。

ユンカース(Junkers)Ju86 ユンカース(Junkers)Ju86 Dでは、発動機にユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを装備していたが、その信頼性に問題があったために、Ju86 Eでは、Ju52輸送機にも搭載されてドイツで普及し整備しやすかった信頼性の高いBMW132空冷星形エンジンに換装された。主翼は、角ばったテーパー翼で初期型と同じである。

ユンカース(Junkers)Ju86 の飛行機メーカー生産機数は、ユンカース社488数、ATG 162機、ヘンシェル社94機(A/D型のみ)、ブローム&フォッス(Blohm&Voss)75機(A/D型のみ)、合計819機である。内訳は爆撃機仕様Ju86K型133機、民間輸送機仕様38機ある。

Ju86 の形式別生産機数は、試作機V型4機、A型・D型486機、E型457機、G型142機、K型(輸出仕様)133機、P型29機、R型19機、Z型38機、合計819機である。


3.ユンカース(Junkers)Ju 86 K 爆撃機(輸出仕様)

写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツのユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)(登録コード:D-ADAA)の販売用展示:防御用に7.92mm MG15旋回機関銃3挺を搭載。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機は輸出仕様である。そのため、諸外国でも普及していおり、整備も容易なアメリカ製プラット&ホイットニー R-1690 ホーネット(Pratt & Whitney R-1690 Hornet)S1E-G空冷星型9気筒エンジン(排気量27.7L)760 hpあるいはイギリス製ブリストル マーキュリー(Bristol Mercury)空冷9気筒エンジン (排気量25 L) 745 hp など外国製の空冷星型ガソリンエンジンを装備している。

写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツのユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)(登録コード:D-ADAA)の販売用展示:右側面。ガラスドームで覆われた展示会場は、自然光で照らされている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツのユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の販売用展示:右側面。カラスドームの空間は、自然光で照らされている。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツのユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の販売用展示:右側面。整備困難なディーゼルエンジンではなく、諸外国でも普及しているBMW132空冷星型エンジンを搭載しているようだ。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツの輸出用に展示されたユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の正面
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツの輸出用に展示されたユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の正面
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツの輸出用に展示されたユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の下面:手前は1935年5月初飛行のベルギー製チプシー(Tipsy) S.2 単座スポーツ機で全長 5.72 m 、全幅 7.5 m、総重量 280 kg、最高速力 165 km/h、26機が生産された。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1937年10月、イタリア北部、ミラノ、国際航空祭におけるドイツの輸出用に展示されたユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機(輸出仕様)の下面:手前は1935年初飛行のチェコスロバキア製チリン(Zlín: Zlínská Letecká Akciová Společnost) Z-XII 複座スポーツ機でチリン(Zlin)ペルセイ(Persy)II 空冷星型4気筒エンジン35 kW (47 hp)搭載、総重量 500 kg、250機もが生産された。
Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 - Lavori di allestimento Stabilimento Fotografico Crimella Autore: Stabilimento Fotografico Crimella (1925/ 1975 ca.), fotografo principale Luogo e data della ripresa: Milano (MI), Italia, 02/10/1937 - 17/10/1937
写真は, Fiera di Milano - Salone internazionale aeronautico 1937 引用。


写真(右)1938年、スペイン、スペイン・ファシスト国民戦線ユンカース(Junkers)Ju86 K−7 爆撃機
English: Portuguese Junkers Ju 86K-7 purchased from Nazi Germany Date circa 1938 Author Anonymous
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Portuguese Ju86.jpg引用。


1936年7月17日から1939年4月1日のスペイン内戦は、共和国政府と反乱軍の国民戦線政府との戦いで、反乱軍の指導者となったファランヘ党フランシスコ・フランコFrancisco Franco)総統をイタリア・ドイツのファシスト軍が援助したのである。

ドイツは国防軍を義勇軍コンドル軍団Legion Condor)を派兵し、ハインケルHe51複葉戦闘機、ユンカースJu52爆撃機/輸送機、Ju86双発爆撃機、Ju87急降下爆撃機ハインケルHe111双発爆撃機、メッサシュミットBf109戦闘機を投入した。他方、スペイン共和国の人民戦線政府に対しては、ソ連軍が援助をして、空軍兵力としてはポリカルポフI-15I-153複葉戦闘機、I-16単葉戦闘機、ツポレフ(Tupolev)SB快速爆撃機を投入しコンドル軍団Legion Condor)と空戦を演じた。

図(右)1937年、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K 爆撃機の内部構造図:Ju86の性能や魅力を示して輸出販売に寄与することを寄与した。爆弾搭載量800 kg (16発 × SC 50キロ爆弾)。機首は長く、先端に銃座を設けている。全長17,87 m、全幅22,50 m、全高5,06 m、主翼面積82m2,総重量8.200 kg、最高速力325 km/h (3000 m)、航続距離1500km、爆弾搭載量 800 kg (16 × SC 50)、上昇限度5900 m
Photographer Unknown Bomber Junkers Ju 86.- Schnittzeichnung Title Flugzeug Junkers Ju 86 Collection German Federal Archives Current location Sammlung Library of Congress (Bild 141) Accession number Bild 141-2401
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 141-2401, Flugzeug Junkers Ju 86.jpg引用。


カラー写真(右)1942年、ハンガリー、ハンガリー空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-2 爆撃機の編隊:ハンガリーは、1941年6月「のドイツのソ連侵攻に際しては、東部戦線に地上部隊と空軍兵力を投入している。
Magyar: Junkers Ju-86 repülőgépek. Tags: transport, vehicle, colorful, Junkers-brand, Royal Hungarian Air Force, airplane, second World War, Gerrman brand Title: Junkers Ju-86 repülőgépek. Date 1942 Author FOTO:Fortepan — ID 4838
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju-86 repülőgépek. Fortepan 4838.jpg引用。


ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 D爆撃機までの発動機は、ユンカース ユモ205C (Junkers Jumo 205C) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (447 kW)だった。ディーゼル油(Diesel fuel)を燃料とした。しかし、ドイツ空軍のJu86 E 爆撃機、輸出を念頭に置いたJu86 K爆撃機では、信頼性が高く普及していた BMW 132のような空冷星型9気筒エンジンを装備した。

写真(右)1940年、ドイツから購入したスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-1 輸出仕様の爆撃機:機首は長く、先端に銃座を設けている。南アフリカ空軍も同様のJu86Kを装備している。発動機は、諸外国で入手しやすいアメリカ製、イギリス製の空冷星型エンジンを装備した。
Junkers Ju 86, Swedish Air Force B 3 Date 1976 Source Own work Author Towpilot
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju 86, B 3.jpg引用。


ドイツがスウェーデン空軍、ハンガリー空軍など外国に輸出したJu86は、輸出仕様として外国でも容易に入手できる発動機として、スウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-1 爆撃機発動機は、ドイツのBMW 132空冷星型9気筒エンジンではなく、プラット&ホイットニー R-1690 ホーネット(Pratt & Whitney R-1690 Hornet)S1E-G空冷星型9気筒エンジン(排気量27.7L)760 hpあるいはブリストル マーキュリー(Bristol Mercury)空冷9気筒エンジン (排気量25 L) 745 hp を装備した。

写真(右)1939年4月15日、スウェーデン、ストックホルム、ドイツから購入したスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-1 輸出仕様爆撃機の右前方:エンジンを駆動して3翅プロペラを回転させている。機首は長く、先端に旋回機関銃銃座を設けている。降着装置は引込み式で、空中では外側に引き上げて主翼内に格納される。
Svenska: Bombplaned med vilket kronprinsen flög från Bromma till Ljungbyhed. Date 15 April 1939 Source Svenska Dagbladet via IMS Vintage Photos Author Unknown photographer
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers-Ju86-bombers-at-aviation-day-at-Bromma-352039078986.jpg引用。


写真(右)1942年4月1日、スウェーデン、ストックホルム、航空記念日に3機の編隊飛行をするスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-1 輸出仕様爆撃機:降着装置は引込み式で、空中では外側に引き上げて主翼内に格納される。
Svenska: Flygets dag i Stockholm blev en strålande uppvisning. Här bombar de tunga bombflygplanen målet på Djurgårdsbrunnsviken.
Date 1 June 1942
Source Svenska Dagbladet via IMS Vintage Photos
Author Unknown photographer
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Aviation-Day-and-B3-bombers-flying-over-Djurgardsbrun-391764817934.jpg引用。


スウェーデンはブリストル マーキュリー(Bristol Mercury) XIX 空冷9気筒エンジン (排気量25 L) 905 hp装備のユンカース(Junkers)Ju86 K−1 爆撃機を1937年4機、1938年36機の合計40機を部品輸入して、国内のサーブ(Saab)社でライセンス生産した。またJu86民間輸送機用も1936年1機輸入している。

写真(右)2012年6月4日、スウェーデン、ストックホルム、スウェーデン空軍博物館、1938年にライセンス生産されたスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-13 爆撃機(B-3C-2):1958年まで就役していた。降着装置は飛行中の引込み状態で展示されいる。奥に見えるのは、イタリアから輸入したスウェーデン空軍フィアットCR42複葉戦闘機。
Built in 1938, this last remaining Ju86 served until 1958. It now carries F21 unit markings. It is a German built aircraft (some were built in Sweden) and is actually a Ju86K-13, which had the Swedish designation B-3C-2. msn 0860412. Flyvapenmuseum, Malmen, Sweden. 04-6-2012 Date 4 June 2012, 11:27 Source Junkers Ju86K (B-3C-2) '0155 / A blue' Author Alan Wilson
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju86K (B-3C-2) 0155 A blue (8038984145).jpg引用。


写真(右)2006年12月、スウェーデン、ストックホルム、スウェーデン空軍博物館、1938年にライセンス生産されたスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-13 爆撃機(B-3C-2)の機首左側面前方:Ju86は現在はここスウェーデン空軍博物館が1機が現存するのみで、貴重な展示である。
Junkers Ju 86K-4 Flygvapenmuseum current 15:01, 31 December 2006
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju 86K-4 Flygvapenmuseum.jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 全形式の輸出機数は、1936年3機、1937年19機、1938年142機、1939年7機、合計171機で、内訳は爆撃機仕様Ju86K型133機、民間輸送機仕様38機ある。

写真(右)2012年6月4日、スウェーデン、ストックホルム、スウェーデン空軍博物館、1938年にライセンス生産されたスウェーデン空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K-13 爆撃機(B-3C-2):1958年まで就役していた。引込み式降着装置は引き出した着陸状態で展示されいる。奥に見えるのは、イタリアから輸入したスウェーデン空軍フィアットCR42複葉戦闘機。
English: Swedish Air Force Museum (Flygvapenmuseum) in August 2019. Date 20 August 2019, 08:23:39 Source Own work Author BugWarp
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Flygvapenmuseum - BugWarp (14).JPG引用。


図(右)、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 K 輸出仕様爆撃機の三面図爆撃機:機首は長く、先端に旋回機関銃座を設けている。イギリス軍作成の敵機識別表より転載。
English: Junkers Ju 86 K
Date 21 April 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju-86 K.svg引用。


ユンカース(Junkers)Ju86 K爆撃機は、輸出仕様のため、輸出先でも採用しているプラット&ホイットニー R-1690 ホーネット(Pratt & Whitney R-1690 Hornet)S1E-G空冷星型9気筒エンジン(排気量27.7L)760 hpあるいはブリストル マーキュリー(Bristol Mercury)空冷9気筒エンジン (排気量25 L) 745 hp 離と外国製の空冷星型9気筒ガソリンエンジンを装備している。

Ju86の爆撃機・民間輸送機の全形式の輸出機数は、1936年3機、1937年19機、1938年142機、1939年7機である。内訳は、爆撃機の輸出は133機、民間輸送機の輸出は38機、輸出合計171機である。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)は不調だったので、大半は空冷星型エンジンを装備した。

ユンカース(Junkers)Ju86 全形式の国別輸出機数は、ハンガリー66機、スウェーデン41機、南アフリカ連邦18機、満州国14機、日本1機、チリ16機、ポルトガル10機、ボリビア4機、スイス1機などとされる。


4.ユンカース(Junkers)Ju 86 G 爆撃機

ユンカース(Junkers)Ju86は、1934年11月4日初飛行で、爆撃機と輸送機の双方の仕様が同時に開発された。ユンカース(Junkers)Ju86 は、発動機に当初は発動機にユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを装備し、巡行速力285km/hは高速旅輸送機といえた。

写真(右)1937−1938年、ドイツ、ドイツ空軍向けユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機
Kampfflugzeug Junkers Ju 86 mit Vollsichtkanzel auf Flugplatz Title Flugzeug Junkers Ju 86 Collection German Federal Archives Current location Sammlung Library of Congress (Bild 141) Accession number Bild 141-2402
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 141-2402, Flugzeug Junkers Ju 86.jpg引用。


ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機は、それ以前のK型やE型の機首を短くし先端に球形ガラス風防を設けた。発動機は、K型と同じBMW132空冷星型9気筒エンジン2基を装備した。爆弾400kg搭載で航続距離650kmは、軽爆撃機とみなすべきで攻撃力は弱かった。1938年6月から1939 年4月までに引き渡された。40機が全幅を25.60 mに延長したP型偵察機に改造された。

絵葉書写真(右)1938-1940年、ドイツ、未舗装滑走路を離陸しようとするドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機の爆弾搭載作業:初飛行は1934年11月4日なので、第二次世界大戦には第一線の爆撃機としては使用されなかったが、訓練飛行隊や臨時輸送体などで使用された。
Postcard Junkers Ju 86 E-1 Luftwaffe aircraft, attaching the bomb load No 3.294.202 Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


写真(右)1940年頃、ドイツ、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機(D-AKOP):Ju86 G 爆撃機は、それ以前のK型やE型の機首を短くし先端に球形ガラス風防を設けた。郵便スタンプからみて1942年に使用された絵葉書。
Postcard German fighter aircraft Junkers Ju 86 G, fighter squadron shortly after takeoff, LuftwaffeNo 10.755.551Condition, see Scan, postally used, 1942 ca 9 cm X 14 cm »Satisfaction Guarantee«
写真はakpool.co.uk, online shop for old postcards 引用。


ユンカース(Junkers)Ju86は、1934年11月4日初飛行で、爆撃機と輸送機の双方の仕様が同時に開発された。ユンカース(Junkers)Ju86 は、発動機に当初は発動機にユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを装備していた。

しかし、 ユモ205 (Junkers Jumo 205)ディーゼルエンジンには、信頼性の問題があったたために、後になって、Ju86の発動機は、大量生産されJu52輸送機も搭載していたBMW132空冷星型9気筒ガソリンエンジンに換装された。

ユンカース(Junkers)Ju86爆撃機は、K型までは、操縦席コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナ支柱から無線を尾翼まで張って碍子を介して繋いでいた。しかし、Ju86爆撃機G型では、アンテナマストは胴体中央上面に移動している。これは、操縦席コックピットの構造が変更になったためであろう。


写真(上)滑走路上で離陸準備をするドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機
:機首は短く、操縦席の前の機首は、全面ガラス風防となっていて、気密式与圧コックピットではないことがわかる。発動機は信頼性の高いBMW132空冷星型9気筒エンジンを装備しており、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)ではない。
Postcard military aircraft Junkers Ju 86 rolls to the start, LuftwaffeNo 10.673.343 Condition, see Scan, postally unused ca 14 cm X 9 cm cm.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world ...引用。


写真(右)1940年9月、ドイツ、ドイツ空軍C 16 操縦学校所属のユンカース(Junkers)Ju86 G 爆撃機:BMW 132 F空冷星型9気筒エンジン2基を装備し、機首は全面ガラス風防としたG型。BMWとはバイエルン発動機工場(Bayerische Motoren Werke AG)の略で、第一次大戦中の1916年に設立され二輪車オートバイ用エンジンの生産し、すぐに二輪車オートバイ自体の生産にとりかかった。
Deutsch: Junkers Ju 86 G mit Vollsicht-Bugkanzel und BMW 132 F Sternmotoren der Flugzeugführerschule (FFS) C 16 in Burg b. Magdeburg, Sommer 1940. Date 23 September 2019, 03:14:31 Source Own work Author W-R-Hesse-Fotos
写真 Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 86 File:Ju 86 G, FFS C 16, Burg b. Magdeburg, 1940.jpg引用。


B-25ミッチェル ユンカース(Junkers)Ju86 G-1爆撃機の諸元
乗員: 4名
全長: 17.20 m
全幅: 22.60 m
全高: 4.70 m
全備重量: 8,230 kg
発動機: BMW 132N 空冷星形9気筒エンジン860hp×2
最高速力: 360 km/h
航続距離: 1,400 km
武装 7.92 mmMG15機関銃 × 3
爆弾 1,000 kg


5.ユンカース(Junkers)Ju 86 輸送機


写真(右)1936-1937年以降、スイス、チューリッヒ(Zürich)郊外、デューベンドルフ(Dübendorf)空港、スイス航空(Swissair)ドイツ製ユンカース(Junkers)Ju86 B-1輸送機(登録コード: HB-IXE)
:1934年11月4日初飛行のJu86は、引込み脚、双発の10人乗り民間旅客輸送機として、スイス航空に2−3機が採用された。コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナは尾翼まで張って碍子を介して繋いでいる。コックピット後上方には環状ループアンテナが装着されているが、これは方位測定用である。
Photographer: Swissair Title: Junkers Ju-86 B-1, HB-IXE on the ground in Dübendorf Original title: Ohne Titel Caption: Contemporary image description of Swissair marketing: "Junkers Ju 86, ground shot". Dating: 1936-1937
写真は, ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv LBS_SR01-00490引用。


写真(右)1937-1938年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ飛行場、スイス航空のユンカース(Junkers)Ju 86 B-1 輸送機(登録コード:HB-IXE)コックピット複式操縦席:EN: JUNKERS JU-86 B-1, HB-IXE ON THE GROUND IN DÜBENDORF
Photographer: Swissair Title: Cockpit of the Junkers Ju-86 B-0 Original title: Cockpit von De Havilland DH 89 "Dragon Rapid" Caption: All instruments are labeled in German Dating: nach 1936.
写真は, ETH-Bibliothek Zürich・LBS_SR01-00320 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 86輸送機の機首コックピットには、左右に複式操縦装置が付いた正副操縦士席がある。左の転輪式操縦桿がが正操縦士、右の反転輪色相空間が副操縦士のもので、計器盤も、正操縦士正面より副操縦士正面が簡素化されている。

同時期のハインケルHe111輸送機でも左側が正パイロット、右が副パイロットである。しかし、ハインケルHe111輸送機の場合、操縦桿は1本で、左右に移動することで、正操縦士あるいは副操縦士のどちらかが飛行機を操縦する。

写真(右)1937-1938年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ飛行場、スイス航空のユンカース(Junkers)Ju 86 B-1 輸送機(登録コード:HB-IXE)の客室キャビン:ソファーの頭部には首支えのマットがある。天井には照明用電灯が埋め込まれている。前方からの撮影。
EN: JUNKERS JU-86 B-1, HB-IXE ON THE GROUND IN DÜBENDORF
Photographer: Swissair
Title: Cabin of the Junkers Ju-86 B-1, HB-IXE
Original title: Ohne Titel Caption: 10 passenger seats. Contemporary Swissair marketing image description: "Junkers Ju 86, passenger cabin".
Dating: 1937-1938
写真は, ETH-Bibliothek Zürich・LBS_SR01-00318 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 86輸送機の乗客用座席は2列5席、合計10名分の席があり、窓ガラスが脇にあり、外側を眺めることができる。座席には、肘掛、天井に照明が設けられている。

民間仕様のユンカース(Junkers)Ju86B輸送機は、爆撃仕様とは異なり、機首を短くしソリッド化し、胴体の客室キャビンに乗客10人を搭乗せることができた。

1934年11月4日初飛行のユンカースJu86は、引き込み式降着装置、双発の10人乗りで、固定脚が普通だった当時としては、巡行速力285km/hは高速旅客機といえた。そこで、民間旅客輸送機輸出仕様のユンカース(Junkers)Ju86 Bは、スイス航空、満州航空でも採用された。Ju86 Bは、当初は発動機にユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを装備した。コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナは尾翼まで張って碍子を介して繋いでいる。コックピット後上方には環状ループ方位測定アンテナが搭載された。

ドイツ製ユンカース(Junkers)Ju86 B 双発輸送機の発動機は、ユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン(diesel engine)600 PS (441 kW)で、ガソリンエンジンよりも重かったが、ディーゼル油(Diesel fuel)の燃費が良かった。ただし、成層圏飛行のような高度12kmもの高空には上昇できない。

写真(右)1937年、スイス、チューリッヒ郊外、デューベンドルフ飛行場、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカース(Junkers)Ju 86 B-1 輸送機(登録コード:D-ANUV):BMW 132空冷星型9気筒エンジン装備。舗装滑走路に待機しているが、裏側には人影が見える。Ju 86 B-1(登録コード:D-ANUV) と解説にあるが、Ju 86 Z-2(登録コード:D-ANUV)の可能性もある。
Photographer: Swissair Title: Junkers Ju-86 B-1 of DLH on the ground in Dübendorf Original title: Ohne Titel Caption: With swastika on the tail Dating: ca. 1937
写真は, ETH-Bibliothek Zürich・ LBS_SR01-00458 引用。


しかし、 ユモ205 (Junkers Jumo 205)ディーゼルエンジンには、信頼性の問題があったた。そこで、その後、ユンカース(Junkers)Ju86の発動機は、既に普及していたBMW132空冷星型9気筒ガソリンエンジンに換装された。コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナ支柱から無線を尾翼まで張って碍子を介して繋いでいる。

日本航空學會誌 昭和11年12月 第3巻第20號によれば、「ヂーゼル装備ユンカ ース機の長距離飛 行;Flugsport 28年18號; 1936/9/2; 455頁. Aeroplane 51巻1319號; 1936/9/2; 291頁.ー8月22日,獨逸ルフトハンザのユンカースJu 86型 輸送機(ユンカー ス"ユモ"205型 ヂーゼル發動機2臺裝備)はAchterberg Untucht及Brauner搭乘の下に,デッサウ・Bathurst(アフリカ)間6,000kmの無着陸飛行を試みたが,惡天候の中を20時間35分 を以て無事翔破した。同機の搭載燃料は4,450Lで、この中3,200Lを消費した。從って平均飛行速度は293km/h、平均燃料消費量156L/h=13kg/h(比重0.86)であった。」

写真(右)1937−1938年、中国東北部、満州国(日本の傀儡国家)、満州航空のドイツ製ユンカース(Junkers)Ju86 Z輸送機「黄龍号」(登録コード: M-223):1934年11月4日初飛行のJu86は、引込み式降着装置、10人乗り民間旅客輸送機輸出仕様を満州航空が採用した。Ju86 Zは、BMW 132空冷星型9気筒エンジン装備。コックッピト上方にアンテナマストを立てて、無線アンテナは尾翼まで張って碍子を介して繋いでいる。コックピット後上方には環状ループアンテナが装着されているが、これは方位測定用である。
Description PictionID:38236234 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002323.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft.-----------SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Date 30 June 2014, 14:38 Source Junkers Ju 86 Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Author SDASM Archives
写真 Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 86 File:Ju86 Manchukuo.jpg引用。


満州事変によって1931年9月26日に日本が占領下に置いた中国東北地方に設立した関東軍軍用定期航空事務所は、1932年(大同元年)3月9日に満州国属国として樹立されると、国策会社の満州航空となった。置いた航路の拠点は、満州鉄道の拠点である奉天、長春(新京)である。

奉天は、満州最大の都市、長春は後に満州国の首都となり新京と改名した。満州国は、五族協和すなわち漢族、満州族、モンゴル族、朝鮮族、日本民族が居住し、日本を盟主とする新生国家のとして誕生した。すなわち、軍事、外交権から土地所有、法人設立、租税負担など日本と関東軍が支配する日本の属国的植民地である。

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)Ju86 輸送機を見る。 


6.ユンカース(Junkers)Ju 86 高高度偵察機/爆撃機

写真(右)ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機試作機の左前方側面:搭乗員は、機首の与圧式コックピット操縦席に2名のみ。を前提にした構造で、軽量化と気密性維持のため旋回機関銃は設けていない。発動機は、ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジンに排気タービン過給機(turbocharger)を装備した1,000hpユンカース・ユモ(Junkers Jumo)207A-1ディーゼルエンジン(diesel engines)2基を搭載。エンジンの巨大な空気取り入れ口が、大気密度の薄い高高度での酸素吸入と発火の難しさを物語っている。
Numerous detects in the high-altitude engines of the early Ju 86 P prototypes became apparent during the testing stage of the powerplants...
写真はAirPages Aviation of world War II Junkers Ju 86 high-altitude reconnaissance/bomber引用。


機首を短くし先端に球形ガラス風防を設けたユンカース(Junkers)Ju86 G爆撃機を原型に、1939年9月の第二次大戦勃発直後の1939年11月に、与圧コックピット操縦室pressurized cabin)を備えたユンカース(Junkers)Ju86 PV1高高度偵察機試作1号機は、設計が完了した。 ユンカース(Junkers)Ju86 PV1高高度偵察機試作1号機は、ユンカース・ユモ(Junkers Jumo)207A-1ディーゼルエンジン(diesel engines)1,000hp2基を搭載し、1940年2月に飛行審査が始まった。そして、さらにJu86 PV2とPV3の2機の試作機が製造され、1940年3月からテストに加わった。ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機は最高速力420 km/hで、Ju86 P-1とP-2は合計40機が生産された。

その後の発展型ユンカース(Junkers)Ju86R高高度偵察機は、前型Ju86 Pの全幅を6.4m延長し、発動機をユンカース・ユモ(Junkers Jumo)207B-3/V ディーゼルエンジン(diesel engines)1,100hp2基に強化し、プロペラを3翅から4翅に増やした。Ju86Rの生産開始は、1942年からである。

写真(右)1940年以降、ドイツ、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86P高高度偵察機:高高度12000mでの偵察飛行用に、全幅25.6mの高アスペクト比の主翼に改良され、タービン過給器を装備しディーゼルエンジンに空気を送り、コックピット操縦室の気圧低下が僅かな与圧室を設けた。
Perma_000441 Permann Collection Image Ju 86 --Perman Collection Image--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


成層圏並み高高度飛行が可能なドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86P/Rの発動機は、BMW132空冷星型9気筒エンジンではなく、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)に再度換装され、ガラス張り与圧式コックピットを装備して、高高度12000mでの偵察飛行が可能だった。ただし、Ju86P/R高高度偵察機は、無武装で仕様尾爆弾400kg搭載で航続距離650km。1938年6月から1939 年4月までに引き渡された。40機が全幅を25.60 mに延長したP型偵察機に改造された。

ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86P/R高高度爆撃機の備えた与圧コックピットは、10倍の気圧差を支える堅牢な密閉構造で、構造的に重量過大とならないように、小型で操縦者を含めて搭乗員は2名のみだった。また、高高度飛行のために軽量化が不可欠で、防御用火器は備えてはいない。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)2基を装備した。

普通の飛行機が装備する空冷あるいは液冷ガソリンエンジンは、火花点火で混合気を着火させて燃焼する「火花点火」方式だが、ディーゼルエンジンは、圧縮・高温の空気に高圧燃料を噴射して、自着火させる「圧縮着火」方式である。つまり、Ju86のユモ(Jumo)205ディーゼルエンジンは、ガソリンエンジンと異なり気化ガスの混合気を点火させる外気の酸素はなくても済む。

ユンカース(Junkers)Ju86P 高高度飛行の制約の第一は、高高度では酸素不足・気温の低下で、高山病高地障害症候群(high altitude syndrome: HAS)ような健康上の症状が出る。そこで、人間が高高度に滞在するには、酸素吸入マスク・暖房機が必要になる。気温は海面上から100メートル上昇するごとに摂氏0.6度低下する。そのため、高度8kmではマイナス30度、高度10kmでは海面上より60度も低下し摂氏マイナス50度にもなる。そこで、高高度では、酸素不足と気温低下に対応することが必要で、そのために航空機の操縦士や同乗者には酸素吸入マスク電熱服などが開発され、1930年代には実用化されていた。

高高度飛行の制約の第二は、高高度では空気の密度が薄くなり、発動機駆動に必要な酸素が不足することである。そこで、エンジンに過給機を付けて、高高度で燃料燃焼に必要な空気を送り込むのである。この一つが排気タービン過給機(turbocharger)で、エンジン高温排気の噴出でタービンを回転させ、連動して回転する同軸のコンプレッサーがタービンを回転させた後、排気管から放出される。タービンの回転に連動したコンプレッサーは、回転して吸入した大気を圧縮し、シリンダーへと送り込む。この圧搾空気を使って空気の薄い高高度でシリンダー内の燃焼を継続し、エンジンを駆動するのである。

高高度飛行の制約の第三は、高高度では空気の密度が薄くなり、気圧が低下することである。人間が気圧が極端に低い場所に長時間滞在し続けると、高山病のような低気圧下での高地障害症候群(high altitude syndrome: HAS)という健康被害が起こる。たとえ酸素吸入器や暖房機を持参しても、高度27000フィート(8230m)で気圧は海面上の1/3、38000フィート(11582m)で1/5、50000フィート(15240m)で1/10と大きく低下するので、低気圧に晒された人間は、健康を維持できない。

写真(右)ドイツ、飛行機格納庫前の舗装滑走路上でユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を分解整備しているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の機首正面:全幅の長い先細翼は、高高度飛行を重視した主翼である。与圧室には頑丈な密閉ガラス風防が装備されている。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world引用。


航空機は、空気抵抗減少とエンジン稼働のバランスを取って、高度10kmでの巡行飛行が効率が良いが、高高度飛行では、滞在する人間に、酸素・気温・気圧が十分に維持されなくてはならないのである。酸素・気温の問題は、酸素吸入マスク、電熱服・暖房機によって1920年代には克服できたが、コックピットの低気圧下での高地障害症候群(high altitude syndrome: HAS)への対処は、最も困難だった。

写真(右)ドイツ、舗装滑走路上のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の機首左側:機首先端の与圧室密閉ガラス風防は堅牢な構造で、10倍の気圧差から膨張圧力を支える構造である。
Two Ju 86 D airframes were converted in 1939 as prototypes for the Ju 86 P-2 Höhenbomber (high-altitude bomber) and the Ju 86 P-1 Aufklärer (reconnaissance) aircraft. Structural modifications to the Ju 86 P-2 included a smaller two-man pressurized cockpit that reduced overall length by three feet. Three vertical cameras were installed in the bomb bay. Defense armament consisted of a single fixed, rear-firing MG 17 machine gun. The P-2 was powered by two 1,000-horsepower turbocharged Junkers Jumo 207A-1 diesel engines providing a maximum speed of 224 miles per hour (420 kilometers per hour). Approximately 40 P-1s and P-2s were built..
写真はTHE LUFTWAFFE’S HIGH-FLYING DIESEL-POWERED BOMBER:A Russian prince piloting a modified Spitfire for the RAF targeted a Junkers JU-86R during World War II's highest aerial combat By PETE LEHMANN6/2/2019 Combat aircraft. When down to the whole world引用。


 高高度有人飛行するには、キャビンが高高度で低気圧で膨張圧力を防ぐために、与圧可能な円筒断面・球形の与圧キャビンpressurized cabin)を採用した。外気が低気圧であるために、内部が高気圧だと空気が外部に流出する圧力が加わるが、高高度になるほど気圧差を維持することが困難になる。そこで、気圧格差が隔壁の局所に集中しないように、与圧キャビンpressurized cabin)形状を採用した。

写真(右)ドイツ、未舗装滑走路上で飛行試験準備中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の機首左側:機首先端の与圧室密閉ガラス風防は堅牢な構造で、10倍の気圧差から膨張圧力を支える構造である。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world引用。


民間機の旅客輸送でも軍用機の作戦飛行でも、高高度を巡行する場合、機内の気圧が低下すれば、高地脳浮腫のような高山病と同じ症状が出る。それを防ぐには、海面上に近い1気圧を維持できるようにすればよいが、実は、深海に潜水すると水圧がかかるのと同様に、高高度8000mで気圧が3分の1に低下するなかで、1気圧を保つような気密性を確保することは非常に困難である。3倍もの気圧差があれば、密閉するとしても圧力に耐えられるだけの強度が求められる。

写真(右)ドイツ、未舗装滑走路上で飛行試験準備中のユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の機首左側:発動機ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)の4翅プロペラが回転している。機首は短く、与圧式コックピットの操縦席となっているが、気密性を高めるために乗員は2名のみ。長く、先細の主翼を備えて、高高度性能を改善している。与圧室化の困難と軽量化のために防御用火器は備えていない。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world ...引用。


しかし、潜水艇のように厚く頑丈な金属外殻で覆ったコックピット操縦席や客室キャビンは、重量が過大となり、飛行性能を低下させ、高緯度10kmまで上昇することはできなくなってしまう。軽量化が求められる航空機に大きな気圧差に耐えられるだけ堅固な気密室を設置するのは容易ではない。

与圧客室キャビンpressurized cabin)を備えた初めての旅客機で1938年12月31日に初飛行した。エンジン4基を装備した大型四発旅客機は、1930年代末に実用化されたが、高高度飛行の時に気圧が低下して、飛行機同乗者が気分が悪くなっても酸素マスクくらいしか対処方法がなかった。しかし、高高度飛行でも与圧客室キャビンpressurized cabin)であれば、室内気圧は、低高度の1気圧に近い状態で維持することができる。

20000フィートの高度飛行では、気温も気圧が低下して、飛行機同乗者は身体的な困難に直面した。そこで、酸素マスクや電熱服が高高度飛行では不可欠とされたのである。旅客機の場合、電熱暖房で室温をためめても、外気の気圧が低ければ、暖気は外に流出してしまう。さらに、気圧の低下は、同乗者に高山病のように身体障害を引き起こした。

しかし、与圧コックピットは、高度6100mでも低高度2400mの気圧が維持可能だった。高空での寒さは、電熱ヒーターや温風器で対処できた。しかし、低気圧には与圧客室キャビンpressurized cabin)でないと対応しきれないのである。1964年のアメリカの連邦航空コードでは、旅客機運航には、§ 25.841 Pressurized cabins.で与圧キャビンの機能と装備が要求されている。

写真(右)ドイツ、舗装滑走路上のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の機首下面の搭乗口から梯子を伝ってコックピットに上る搭乗員:機首先端の与圧室密閉ガラス風防も搭乗員出入り口も10倍の気圧差の下で膨張圧力に耐える頑丈な構造となっている。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world引用。


ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P-1 高高度偵察機のように10km以上の高高度を飛行する高高度飛行機、すなわち「成層圏航空機」は、操縦士、機関士などの搭乗するコックピットの気圧を、人間が長時間耐えられるような低高度の気圧にまで高める「与圧室」も設ける必要があった。

高高度飛行をするユンカース(Junkers)Ju86は、室内と外気の気圧格差が10倍と大きいので、気圧補高い与圧室は膨張圧力にさらされる。そこで、与圧コックピット隔壁の強度を維持するために繭のような形状にして、気密性と強度の両立を図っている。気圧格差が大きい高空を飛行するには、高高度まで上昇できるように航空機は軽量であり、かつ気圧格差に耐えられるだけの強度が与圧室に求められた。

写真(右)未舗装滑走路上に待機しているドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の正面:機首は短く、与圧式コックピットの操縦席となっているが、密閉性を高めるために乗員は2名のみ。長く、先細の主翼を備えて、高高度性能を改善している。与圧室化の困難と軽量化のために防御用火器は備えていない。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を装備。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world.引用。


つまり、ユンカース(Junkers)Ju 86 Rのように高高度を飛ぶ航空機には、深海の高い水圧の中を航行する潜水艇と同じように、呼吸用の酸素吸入マスクだけではだめで、酸素供給が溜まった居住空間を隔壁で覆って密閉する必要があった。他方、潜水艇では、重量の影響をあまり配慮する必要がないが、航空機では、軽量化しないと高高度にまで上昇することができなかった。


写真(上)飛行するドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の左側面
:双尾翼には第二次大戦突入前のドイツの国籍マーク、赤帯白丸黒カギ十字が描かれている。機首は短く、与圧式コックピットの操縦席となっているが、未密性を高めるために乗員は2名のみ。長く、先細の主翼を備えて、高高度性能を改善している。与圧室化の困難と軽量化のために防御用火器は備えていない。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を装備。
On the basis of the Ju-86G, they made the Ju-86P, inscribing a two-person pressurized cabin in the bow. In fact, a new nose was made with special glazing from double Plexiglas panels with air dried between the glasses.
写真は "MILITARY REVIEW" Combat aircraft. When down to the whole world ...引用。



Junkers Ju 86 P,R - High altitude bomber
In January 1940, the Luftwaffe tested the prototype Ju 86P with a longer wingspan, pressurized cabin, Jumo 207A1 turbocharged diesel engines, and a two-man crew. The Ju 86P could fly at heights of 12,000 m (39,000 ft) and higher on occasion, where it was felt to be safe from Allied fighters. The British Westland Welkin and Soviet Yakovlev Yak-9PD were developed specifically to counter this threat.


Junkers Ju 86R German high-altitude photo reconnaissance
Junkers developed the Ju 86R for the Luftwaffe, using larger wings and Jumo 207 engines capable of higher altitudes - up to 16,000 m (52,500 ft) - but production was limited to prototypes.

ユンカース(Junkers)Ju86 P-1高高度偵察機は、キャビンが高高度で低気圧となるのを防ぐために、与圧可能な円筒断面・球形の与圧キャビンpressurized cabin)となっている。外気が低気圧であるために、内部が高気圧だと空気が外部に流出する圧力が加わるが、高高度になるほど気圧差を維持することが困難になる。そこで、ユンカース(Junkers)Ju86 Pは、気圧格差が隔壁の局所に集中しないように、繭型与圧キャビンpressurized cabin)形状を採用した。

写真(右)1940年、ドイツ、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P-1 高高度偵察機(工場製造番号c/n 0439)の機首右側:ドイツ空軍司令部OKL(Oberkommando der Luftwaffe)第2偵察飛行隊所属。G型を引き継いだので、短い機種で先端に球形ガラス風防がある。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を改良し排気タービン過給機を装置したユンカース ユモ 207 (Junkers Jumo 207) 2ストローク対向12ピストン直列6気筒液冷ディーゼルエンジン。
A German Junkers Ju 86P-1 high altitude reconnaissance plane. Date circa 1940 Source Royal Air Force Battle of Britain campaign diaries photo Author Unknown author
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Junkers Ju 86P high altitude reconnaissance plane c1940.jpg引用。


また、与圧操縦室を持つユンカース(Junkers)Ju86P高高度偵察機は、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻「バルバロッサ作戦」発動前の、友好国ソビエト連邦の違法偵察にも投入された。1942年8月、エジプト上空1万4000mで偵察飛行任務にあたっていたユンカース(Junkers)Ju86 PがスピットファイアMK.Vに撃墜されている。1943年に高高度偵察任務から撤退している。

Spitfire Mk.IXc ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 86 P高高度偵察機は、1934年11月4日に初飛行したJu86輸送機/爆撃機を原型に、主翼を延長し、操縦席を2人乗り与圧操縦室コックピットとし、Jumo205ディーゼルエンジンに排気タービン(ターボ過給機)で圧縮空気を送って高高度でも燃焼可能とした特殊仕様を装備した。これがJu86で、

1940年1月に開発され、高高度度1万2000mからイギリス本土を1940年から1942年9月12日、スーパーマリン スピットファイア(Spitfire)Mk IXによる高高度迎撃が実施されるまで使用された。

図(右)ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の内部構造図:搭乗員は、与圧式コックピット操縦席の2名のみ。主翼幅は長く、高高度飛行を前提にした構造で、軽量化と気密性維持のため旋回機関銃は設けていない。発動機は、ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)2基を搭載。
The Junkers Ju 86 was a twin-engine medium bomber. Six military variants were produced by Junkers Flugzeug und Motorenwerke AG: the Ju 86 D, E, G, and K bomber series and the Ju 86 P-2 and Ju 86 R-1 reconnaissance variants..
写真はWeapon and Warfare: History and Hardware of Warfare Junkers Ju 86 high-altitude reconnaissance/bomber引用。


軍用機の現在及将来 : 速度、高度とも驚異的進歩 : 成層圏飛行も期待
掲載誌 満州日日新聞 満州日報 Vol: 第 43巻 Page: 137 出版年 1937-07-02
情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

 欧洲大戦当時の飛行機は、その性能未だ完備の域に達せず時速一五〇粁、航続時間四、五時間、爆弾搭載量僅かに三〇〇瓩程度であって、その航法及び爆撃法も甚だ幼稚なものであったが、しかもドイツ爆撃機の如きはしばしばロンドンを空襲し、その与えたる被害は左程大でなかったにも拘らず、英国市民の心胆を寒からしめたのは周知の事実であるしかるに大戦後列強は全力を挙げて航空技術の進歩発達に没頭し、毎年性能優秀なる飛行機の製作研究を行い飛行速度、上昇高度、無着陸航続時間等の世界的記録を自国飛行機により獲得せんと努めたので、飛行機の性能は真に文字通り日進月歩の勢いをもって改善された
 軍用機の性能中最も重要なものは飛行速度航続時間(距離)爆弾搭載量の三つであって、特に飛行速度は極めて重要ものであるから列強は競ってこれが進歩を図っている、今軍用機の性能の進歩の跡を見れば次の通りである

一、爆撃機の飛行速度は、昭和五年(一九三〇年)より著しく増加し、特に昭和八年(一九三三年)以後には顕著なる発達を示し、今や軽爆撃機は時速平均四五〇粁、最大五二〇粁、重爆撃機は時速平均四一〇粁、最大四七五粁に達し、欧洲大戦末期に比し、時速三、四倍の増加であって、本年度末においては五〇〇—五五〇粁に達するものと考えられる

二、戦闘(駆逐)機の飛行速度は昭和八年(一九三三年)まで概ね同比率で増加しているが、それ以後急速に比率を増大し、今や時速平均四九五粁、最大五二〇粁に達し、欧洲大戦当時に比し時速二、三倍に増加した、これを爆撃機に比すればその増加率は低いが本年度においては五七五粁に達するものと予想さる

三、戦闘機と軽爆撃機との飛行速度の差は昭和五、六年ごろ最大となっていたが、爾後逓減し今や両者の平均時速差は僅か四、五粁であって最大時速を比較すれば、優劣なき現象を呈している

四、戦闘機と重爆撃機との飛行速度の差は、大正九年—昭和四年(一九二〇年—一九二九年)は概ね一定していたが、それ以後著しく減少し、昭和八年(一九三三年)以後急速に逓減して今や両者の平均時速差は約九〇粁であって、最大時速差は僅か二〇粁にすぎぬという状況である

 将来の航空機はどうなるか、という問題には現在の三つの傾向がある、すなわちその一つは漸時大型となりつつある、その二は益々高空を飛行するようになり、成層圏飛行の実現が期待される、その三は速度が著しく大となりつつある、更に現在の航空原理(翼と発動機とプロペラの三者による飛行)の範囲を脱した新規な考案による航空機の出現ということも相当期待されている、先ずどの位の大型機が出現するかというと一九四〇年ごろには全備重量三十五万封度、総馬力二万四千馬力という巨大な飛行艇が出現するだろうといわれている、現に米国ダグラス航空会社の設計にかかる大型機は時速四八〇粁の快速でニューヨークからリヴァプールまで僅かに十一時間で大西洋を翔破する性能を有するといわれている

 成層圏或はそれに近い高空を飛行することによって飛行機は平均時速五百粁を得ることは困難でなく、東京—サンフランシスコ間の太平洋は十二時間で横断連絡され、ニューヨーク、ロンドン間の如きは僅かに八時間で連絡される、更にベルリン—東京間十五時間空輸も話題に上っている程である、なお明日の航空機として多くの期待をかけられているものにロケットがあるがここでは省略する(満州日日新聞 満州日報 Vol: 第 43巻 Page: 137 出版年 1937-07-02引用終わり)

図(右)、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju86 P 高高度偵察機の三面図爆撃機:機首は短く、与圧式コックピットの操縦席となっているが、10倍の気圧格差に耐え気密性を維持するために与圧室の搭乗員は2名のみ。長く先細の主翼を備えて、高高度性能を改善している。与圧室化の困難と軽量化のために防御用火器は備えていない。発動機は、ユンカース(Junkers)ユモ(Jumo)205ディーゼルエンジン(diesel engine)を装備。イギリス軍作成の敵機識別表より転載。
Junkers Ju 86 P, from Recognition Guide published by Britsh Army Council 1945
own scan 1937
Source Flightglobal 11 November 1937, p. 466 - 3086.html
写真はWikimedia Commons, Category: Junkers Ju 86 File:Bundesarchiv Bild 141-2402, Flugzeug Junkers Ju 86.jpg引用。


ユンカース ユモ205 (Junkers Jumo 205) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジンを搭載したドイツ機は、ユンカース(Junkers)Ju 86輸送機/爆撃機のほかは、ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV 138三発飛行艇、ブロームウントフォス(Blohm & Voss)BV 222六発飛行艇など、長距離低速機に限られた。

ユンカース(Junkers)Ju 86 R諸元
全長: 16.40 m
全幅: 32.00 m
全高: 4.70 m
翼面積: 97.06 m2
空虚重量: 6,700 kg
全備重量: 11,530 kg
燃料容積: 1,937 L
エンジン: 排気タービン(ターボ過給機)付のユンカース ユモ207 (Junkers Jumo 207) 2ストローク対向12ピストン式直列6気筒液冷ディーゼルエンジン900 PS (662 kW) 2基
プロペラ: 4翅定速回転プロペラ
最大速度: 420 km/h/9,000m
実用上昇限度: 14,400 m
航続距離: 1,570 km


7.ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機

写真(右)1937年、滑走路で待機中のユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機(登録コード:D-UBAZ)の左前方:垂直尾翼には赤帯白丸黒スワスチカ卍のドイツの国籍マークが描かれている。本来、NSDAPナチ党の党旗は、1933年1月30日にアドフル・ヒトラー政権が成立後に、国旗として昇格した。1933年2月27日のドイツ国会議事堂放火事件を契機に、「民族・国家防衛の大統領緊急令」がだされ、人権が制限され、3月24日には、全権委任方が成立して、ナチ党による独裁政治が合法化された。ドイツ共産党党員が禁止され、社会主義、自由主義の政党が抑圧された。
unkers Ju 49 Vor 1937 entstanden, daher nach deutschem Urheberrecht gemeinfrei Date 3 December 2003 (original upload date) Source Transferred from de.wikipedia to Commons. Author Head at German Wikipedia
写真は Wikimedia Commons, Category:Portraits of Amelia Earhart・File:Bundesarchiv Bild 102-12368, Junkers-Stratosphären-Flugzeug Ju 49.jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機は、固定脚だが、重量軽減のために脚は細く車輪カバーも取り付けていない。ただし、空気密度の低い高高度用の大直径プロペラを装備したために、降着装置の脚は以上に長い。なによりも、ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の特徴は、与圧コックピット操縦室で、高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる点にある。

写真(右)1931年10月、ドイツ、ユンカース飛行機工場で製造されたユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の与圧式コックピット:操縦士、機関士の搭乗するスペースは、高高度の低い空気密度とコックピット内の高い気圧の格差を支えるだけの気密性と強度が求められた。そのため、開口部を極限まで縮小し、視界を得るためのガラス窓も気圧差に耐えられるように小さく円形なものを少数並べるにとどめている。
写真は, Go to WeirdWings r/WeirdWings by MrPlaneGuy・Michael Hundertmark(1985) Phoenix aus der Asches: Die Deutsches Luftfahrt Sammlung [German Edition] berlin.ISBN-10 3924091021 引用。


写真(右)1931年10月、ドイツ、ユンカース飛行機工場で製造されたユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の与圧式コックピット
写真は, Go to WeirdWings r/WeirdWings by MrPlaneGuy・Michael Hundertmark(1985) Phoenix aus der Asches: Die Deutsches Luftfahrt Sammlung [German Edition] berlin.ISBN-10 3924091021 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機には、酸素マスクだけでなく与圧式コックピット操縦室が設けられている。気圧格差に耐えるために、堅牢な繭型で、気密性を高めるために、出入り口は小さく、視界を得るためのガラス窓も小さな円形にとどめている。高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる与圧コックピットには、気密性と軽量で高い強度が求められた。

高度と気圧の低下は、
18000フィート(5486m)1/2
27000フィート(8230m)1/3
38000フィート(11582m)1/5
50000フィート(15240m)1/10
と 加速度的に気圧は低下する。

ユンカース(Junkers)Ju 49のように、10km以上の高高度を飛行する高高度飛行機、すなわち「成層圏航空機」は、操縦士、機関士などの搭乗するコックピットの気圧を、人間が長時間耐えられるような低高度の気圧にまで高める「与圧室」も設ける必要があった。室内と外気の気圧格差が大きいので、与圧室は隔壁の強度を維持するために繭のような形状にして、気密性と強度の両立を図っている。気圧格差が大きい高空を飛行するには、高高度まで上昇できるように航空機は軽量であり、かつ気圧格差に耐えられるだけの強度が与圧室に求められた。

つまり、ユンカース(Junkers)Ju 49 実験機やユンカース(Junkers)Ju 86 P偵察機のように、高高度を飛ぶ航空機には、深海の高い水圧の中を航行する潜水艇と同じように、呼吸用の酸素供給が溜まった居住空間を隔壁で覆って密閉する必要があった。他方、潜水艇では、重量の影響をあまり配慮する必要がないが、航空機では、軽量化しないと高高度にまで上昇することができなかった。

現在のジェット旅客輸送機の巡行高度は、高度1万メートル(10km)程度であるが、その理由は、大気の空気密度の抵抗とエンジンの稼働に必要な大気(酸素)との関連である。つまり、空気密度は、海面上(標高0m)に比して、高度10kmでは、33.7%に低下するが、これは飛行機の空気抵抗は、高高度ほど減少することを意味する。

しかし、高高度であれば、エンジンの燃料燃焼のための酸素も減少しているので、エンジン駆動には向いていない。例えば、高度50kmでは、空気密度は海面上に比較して0.08%しかなく、酸素不足でジェット・エンジンもレシプロエンジンも燃料燃焼に必要な酸素部不足で稼働できなくなる。したがって、航空機が飛行可能な高度は、エンジンの関係上15kmが限度である。

民間機の旅客輸送でもユンカース(Junkers)Ju 86 P高高度偵察機のような軍用機の作戦飛行でも、航空機が高高度を巡行する場合、機内の気圧が低下しないで、海面上に近い1気圧を維持できるようにすればよいが、実は、深海に潜水すると水圧がかかるのと同様に、高高度8000mで気圧が3分の1に低下するなかで、1気圧を保つような気密性を確保することは非常に困難である。3倍もの気圧差があれば、密閉するとしても圧力に耐えられるだけの強度が求められる。

しかし、潜水艇のように厚く頑丈な金属外殻で覆ったコックピット操縦席や客室キャビンは、重量が過大となり、飛行性能を低下させ、高緯度10kmまで上昇することはできなくなってしまう。軽量化が求められる航空機に大きな気圧差に耐えられるだけ堅固な気密室を設置するのは容易ではない。

航空機は、空気抵抗減少とエンジン稼働のバランスを取って、高度10kmでの巡行飛行が効率が良いが、高高度飛行では、滞在する人間に、酸素・気温・気圧が十分に維持されなくてはならないのである。酸素・気温の問題は、酸素吸入マスク、電熱服・暖房機によって1920年代には克服できたが、ユンカース(Junkers)Ju 49 でもコックピットの低気圧への対処は、最も困難だった。

ユンカース(Junkers)Ju 49 の諸元
乗員Crew: 2名
全長Length: 17.21 m (56 ft 5.5 in)
全幅Wingspan: 28.24 m (92 ft 8 in)
主翼面積Wing area: 98.0 m2 (1,055 sq ft)
空虚重量Empty weight: 3,590 kg (7,916 lb)
総重量Gross weight: 4,250 kg (9,371 lb)
発動機Powerplant: 1 ×ユンカース(Junkers)L88a V型12気筒4ストローク(排気量45.8 L)液冷エンジン2段排気ガスタービン過給機(supercharger)付き596 kW (800 hp)
最高速力Maximum speed: 146 km/h (91 mph, 79 kn) at sea level; 220 km/h (136 mph) at 13,000 m (42,700 ft)
実用上昇限度Service ceiling: 13,015 m (42,700 ft)
上昇率Rate of climb: 3.5 m/s (690 ft/min) to 8,000 m (26,250 ft)

ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の特徴は、与圧コックピット操縦室で、高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる点にある。Ju 49は高高度記録を更新したわけではないが、パイロットの技量・体力・勇気に依存する高高度席記録よりも、乗客に快適な与圧キャビン、少なくとも操縦者には安全な与圧コックピットの開発には、世界記録更新よりも、その後の航空界にプラスの影響をもたらしている。

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8.ユンカース(Junkers)EF 61

写真(右)1937年、ドイツ、ユンカース(Junkers)EF 61試作機の前上面:ガラス窓の付いた機首の与圧コックピットだが、全面ガラスではなく、視界は乏しいのは、1932年に開発したJu49と同じである。
Задержки с готовностью гермокабины заставили начать полеты без нее. Впрочем, самолет ее так и не получил 19 сентября 1937 г. он попал во флаттер и разбился, унеся жизни обоих пилотов. Пока самолет облетывался, испытывалась на давление и гермокабина. В результате выяснилось, что пластик слишком хрупок для остекления большой круглой панели и не сможет выдержать давление на высоте выше 12 000 м. Таким образом задержалась и работа над вторым опытным ЕF-61-V2: его первый полет состоялся только в октябре 1937 г..
写真は, Уголок неба・EF.61引用。


ユンカース(Junkers)EF 61高高度試作機のEF(Entwicklungsflugzeug)とは、発展型飛行機の意味で、ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機 (c/n 3701) で試したドイツ初の与圧式コックピットを双発機の機首に装備、高高度偵察機・爆撃機の開発に繋げようとした。

写真(右)1937年、ドイツ、ユンカース(Junkers)EF 61試作機の右前面:ガラス窓の付いた機首の与圧コックピットだが、全面ガラスではなく、視界は乏しいのは、1932年に開発したJu49と同じである。
Новая гермокабина без остекления большой площади и иллюминаторов получила только один прозрачный блистер, сдвинутый к правому борту. Место пилота было приподнято и сдвинуто в самый конец кабины. Над местом пилота размещался металлический купол с двумя плексигласовыми иллюминаторами, обеспечивающими обзор вперед и налево. В конце блистера был установлен пулемет МG-15. За кабиной был оборудован небольшой бомбоотсек на четыре 250 кг бомбы.
写真は, Уголок неба・EF.61引用。


ユンカース(Junkers)EF 61高高度偵察機/爆撃機の開発は、第二次大戦の4年前、ドイツ再軍備宣言直後の1935年9月に始まり、 EF 61 V1試作1号機が1937年3月4日に初飛行した。しかし、この機体は、1937年9月19日には墜落、破損してしまった。

ユンカース(Junkers)EF 61 V2試作2号機が1937年末に製造され1937年12月18日に飛行した。しかし、ユンカース(Junkers)EF 61 V2試作2号機も、また墜落してしまった。

こうして、ユンカース(Junkers)EF 61計画は中止になったが、高高度偵察機の研究は、Ju 86爆撃機の改造によって継続されたのである。


図(右)1937年、ドイツ、ユンカース(Junkers)EF 61試作機の三面図
:試作機V1、V2の2機のみ生産。
За 16 месяцев до прекращения работ по EF-61 гермокабина разработки Бюро особых конструкций под руководством В.А. Чижевского в СССР была установлена на модифицироцанный АНТ-25, полетевший уже под обозначением БОК-1. Только через 18 месяцев после аварии второго ЕF-61 начались работы над подобными машинами в Англии и США. В Великобритании были подготовлены требования В.23/39 для высотного бомбардировщика Веллингтон с гермокабиной. Одновременно Армейский воздушный корпус США начал готовить требования к бомбардировщику с гермокабиной. В результате последних появился Норт Америкэн ХВ-28. Hи один из этих самолетов так и не пошел в бой..
写真は, Уголок неба・EF.61引用。


ユンカース(Junkers)EF 61の諸元

乗員Crew: 2
全長Length: 14.34 m (47 ft 1 in)
全幅Wingspan: 27 m (88 ft 7 in)
主翼面積Wing area: 65 m2 (700 sq ft)
発動機Powerplant: 2 × ダイムラーベンツ(Daimler-Benz)DB 600A V-12液冷12気筒エンジン670 kW (900 hp)
最高速力Maximum speed: 350 km/h (220 mph, 190 kn) /12,400 m (40,682 ft)
航続距離Range: 6,000 km (3,700 mi, 3,200 nmi) (計画)
実用上昇限度Service ceiling: 15,000 m (49,000 ft)
兵装Armament
火器Guns: MG15 機関銃×1挺
爆弾Bombs: 爆弾倉(internal bomb bay); 4 x 250 kg (551 lb) 爆弾

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9.ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.I/Mk.IV爆撃機

写真(右)1941年7月11日、ドイツ同盟国フィンランド、フィンランド空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.I双発爆撃機機首全面ガラス風防とブリストル マーキュリー Mk. 8 空冷9気筒エンジン840馬力:ジーベルSi204連絡機と似た形状の全面ガラス風防機首を採用している。1930年代末に、ソ連との戦争の危機を迎えていたフィンランドは、各国から軍用機を緊急輸入した。フィンランド軍は、反共産主義、反革命の白衛軍があったが、これは共産主義、革命派の赤衛軍の軍事対抗組織であり、その司令官がロシア帝国軍将校だったマンネルハイム将軍だった。 ブリストル マーキュリー Mk. 8 空冷9気筒 離昇出力 840馬力×2搭載。1941年6月のドイツのソ連侵攻の直後、ドイツ同盟国のフィンランドは、ソ連に侵攻、レニングラードを包囲した。フィンランド軍は、1918年にハカリスティ(Hakarist)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車にこの鍵十字を描いた。これは、ドイツの第一次大戦の敗北後、ワイマール共和国時代、反革命義勇軍(フライコール:自由軍団)が用いたスワスチカと同じで、反共産主義、反革命の意味がある。
Bristol Blenheim pommikone. Bristol Blenheim Mk.I. Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info 1941-07-11 Johnsson, valokuvaaja
写真は、FINNA.Fl引用。


フィンランドは、1941年6月26日に第二次ソ芬戦争、すなわち継続戦争Continuation War)と称して、冬戦争でソ連に割譲した領土の回復の復讐戦を開始した。

ブリストル ブレニム(Bristol Blenheim)は、当初、高速旅客機として開発され、1935年に初飛行した。このブレニムの原型機ブリストル142は、全金属製、単葉、引込脚という近代的な構造の高速機で、ドイツのハインケルHe111に相当する機体である。このブリストル142を原型に開発されたのが、ブレニム(Bristol Blenheim)爆撃機で、1936年から生産され、1919年9月の第二次世界大戦勃発時には、イギリス空軍の主力爆撃機となっていた。

5000機以上も量産されたブリストルブレニム爆撃機 Mark I型は、イギリスドミニオンのカナダでライセンス生産されたほか、フィンランド、ユーゴスラビア、トルコでも輸入機を配備している。

ブリストル マーキュリー(Bristol Jupiter )空冷9気筒エンジン
気筒ボア×ストローク:146 mm × 160 mm
排気量:24.9 L
直径 51.5 in (1,307 mm)
乾燥重量:966 lb (438 kg)
出力:636 hp (474 kW)/ 2,750 rpm
離昇出力:612 hp (457 kW) / 2,750 rpm
圧縮比:6:1
出力重量比: 0.63 hp/lb (1.04 kW/kg)

ブリストル ジュピター(Bristol Jupiter )空冷9気筒エンジン
気筒ボア×ストローク:146 mm × 190 mm
排気量:28.7 L
直径 54.5 in (1,384 mm)
乾燥重量:995 lb (451 kg)
戦闘出力:550 hp (414 kW) / 2,200 rpm / 11,000 ft (3,350 m)/運転可能時間5分
出力:525 hp (391 kW) / 2,000 rpm / 11,000 ft (3,350 m)
離昇出力483 hp (360 kW)/ 2,000 rpm
圧縮比: 5.3:1 出力重量比: 0.55 hp/lb (0.92 kW/kg)


写真(右)1943年10月6日、ドイツ同盟国フィンランド、ブリストル マーキュリー Mk.15空冷9気筒エンジン(995hp)を駆動しているフィンランド空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.IV双発爆撃機(BL-162):未舗装飛行場に敷物をおいて泥濘を防いでいる。
Sot.virk. Pärttyli Virkki, valokuvaaja 1943 (BL-kone) Suomalainen pommituskone valmistautuu pitkälle tiedustelulennolle vihollisen selustaan. Lentokone on Bristol Blenheim Mk I. Valokuva ORGANISAATIO Sotamuseo KUVAUSTIEDOT 1943-10-06 Sot.virk. Pärttyli Virkki, valokuvaaja
写真は、FINNA.Fl引用。


スウェーデン人エリック・フォン・ローゼン伯爵は、1917年のロシア革命に際し、反革命の白軍を支持して、鍵卍「ハカリスティ」(Hakaristi)を、反共・自由のシンボルとした。そして、フィンランドにおける共産主義者との内戦で、反共産主義とソ連・ロシアからの独立の意味で、フィンランド軍は、1918年、「ハカリスティ」(Hakaristi)として、軍の国籍マークとして採用し、フィンランドの軍用機や戦車にこの鍵十字を描いた。

イギリス空軍ブリストル・ブレニムMark I型Bristol Blenheim Mark I)の機首は段なし大型ガラス風防であり、その改良型のMk.IV型は、段がある機首に変更されている。イギリス製のブリストル・ブレンハイム (Bristol Blenheim) 爆撃機の機首段なし風防Mk.I型、機首段付き風防Mk.IV型の双方を、フィンランド空軍はイギリスから購入し、対ソ連の継続戦争に投入している。

ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.IV型爆撃機は、新しくなった段付き機首の下面と、胴体後方上面に口径7.69ミリ(0.303インチ)機関銃の動力旋回機銃座を設けて、防御力を向上している。

写真(右)1944年3月頃、ドイツ同盟国フィンランド、ブリストル マーキュリー Mk.15空冷9気筒エンジン(995hp)を整備中のフィンランド空軍ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.IV双発爆撃機(BL-197)
Bristol Blenheim-pommituskonetta huolletaan. Kesäkuu 1944. Bristol Blenheim Mk. IV (tunnus BL-197). Content Type Photo Organisation Military Museum Photo info Sot.virk. Niilo Helander, valokuvaaja Erik Blomberg, valokuvaaja
写真は、FINNA.Fl引用。


ブリストル・ブレニム(Bristol Blenheim)Mk.IV爆撃機の諸元 乗員: 3名
全幅: 17.17 m
全長: 12.98 m
全高: 2.99m 機体重量: 5670 kg
エンジン: ブリストル マーキュリー Mk. 15 空冷9気筒 離昇出力 995馬力×2
最大速度: 428 km/h
航続距離: 2350 km
武装
7.7 mm 旋回機関銃 × 5挺
爆弾 600 kg

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10.ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)爆撃機

写真(右)1936-1939年、アメリカ、ノースダコダ州北中部、マイノット基地所属、飛行中のアメリカ陸軍航空隊第5爆撃飛行隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)爆撃機前期短機首型(34):ダグラス爆撃機4型(DB-2)として開発され、1936年4月に初飛行した。胴体上面には、アンテナ支柱2本の間に無線アンテナが張られている。方位測定用の勘定ループアンテナが設けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46702924 - Catalog:16_007822 - Title:Douglas DB-2 37-34 Wright Field [USAAF] - Filename:16_007822.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr Category:Douglas B-18 Bolo File:Douglas B-18 061128-F-1234S-010.jpg引用。


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11.航空日本躍進譜 : 列強ご自慢も顔負け : 科学の粋を蒐め目ざす世界一 : 一日から愈よ開く中央研究の施設
掲載誌 大阪朝日新聞 Vol: 第 5巻 Page: 81 出版年 1939-03-15

https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100170249 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

明日の航空日本建設に備える綜合的研究機関として各方面の期待と注目とを蒐めている国立中央航空研究所は四月一日から店開きするが目下法制局で審議中の同研究所完成も近く決定する見込であり第一期五ケ年計画五千万円の「空の殿堂」設立計画もいよいよ晴れの第一歩を踏み出すこととなった−

蓋開けする「中央航研」は第一期、第二期に分って建設されるが同研究所の施設はいずれも「世界一」をめざすだけに列強ご自慢の国立航空研究機関−たとえばアメリカのNACAをはじめドイツのDVL、イギリスのRAE、フランスのSPAなど−を凌ぐ桁違いのものばかりで完成の暁には広大な附属飛行場とともにわが航空国策の実現に一新紀元を画するわけだ

第一期「十四年度から五ケ年計画」における同研究所の組織は第一部風洞、水槽測器、第二部機体艤装工作、第三部発動機、材料、第四部飛行、第五部庶務一般調査などと五部にわかれ更に将来は技術、最高両委員会を設けあらゆる方面からわが航空界を指導することになっている

話題に上る豪華な施設としては離陸水の実験に使用する長さ五百メートル(将来は二千メートルに延長する方針)の「高速水槽」をはじめ実物大の飛行気を容れる大風洞、秒速数百メートルにも達する「高速風洞」発動機とプロペラーの性能を研究する「発動機風洞」さては一万一千メートル以上の高空いわゆる「成層圏」の状態を地上にそのまま再現する「低温低圧発動機試験装置」などがあるが、初年度(設置費、研究費合せて予算約三百六十四万円)の今年はその下凖備に当るとともに当面の研究課題としてはすでにアメリカでは一部実用化されようとしている「成層圏飛行」の研究に乗出す方針で、このため小規模の「低温低圧室」は本年中に建設し、また成層圏飛行に必要な「過給機」(高空の薄い空気を圧縮し地上と同じ密度にしてから発動機の気化器に送りこむ装置)の研究に力をそそぐ方針である

なお[国立中央航空研究所]初代所長は「大学総長級の人物」?を閣議を経て決定することになっているが同研究所の敷地三十万坪は近く帝都の近郊(場所未定)に選定、買収の上バラックの仮庁舎を建てて

東京 広東一日半の”特急” 十月から定期飛行

東京−広東間を僅か一日半で結ぶ快適な”空の旅”が実現する−大陸と内地の空を結ぶ興亜の定期航空網拡充案の一つとして逓信省航空局ではかねて台北−広東線の開設を計画、関係当局と折衝を進めていたがいよいよ今秋から大日本航空会社をして実施させることとなり十四日その要項を発表するとともに同定期空路開設に要する経費(補助金)六十二万五千円を追加予算として十五日衆議院に提出することになった

これによると同定期の実施は今秋十月からの予定で毎日一往復ロックヒード[Boeing 247]または中島式AT機を使用し台北、広東間約九百キロを三時間半で翔破するが同定期界設の暁は東京を午前六時半発の”ダグラスDC三型”もしくは午前七時発の”ロックヒード[Boeing 247]”に乗れば福岡を経由して午後四時五十分には台北着、ここで広東線に聯絡して翌日の午前中には広東に到着することが出来待望の内地−南支間を結ぶ空の特急線が実現するわけである

なお航空局では同定期補助に要すする経費とともに既報の大日本航空会社法施行に要する経費千九万一千円と日満聯絡試験飛行に要する経費四十五万九千円をも追加予算案として衆議院へ提出するが後者はハインケル一一六型機による日本海横断の東京−新京間直通定期航路開始に関するものである(東京)(大阪朝日新聞 Vol: 第 5巻 Page: 81 出版年 1939-03-15引用終わり)


写真(右)1937年5月−1941年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed)XC-35高高度試作機

Bilstein_00668 Lockheed XC-35 1937 (USAF W-2712) Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed )XC-35高高度試作機は、1934年2月23日初飛行のロッキード L-10 エレクトラ (Lockheed L-10 Electra) を原型に、円形断面、繭型の与圧コックピットpressurized cockpit)を設けた。そのため、飛行高度30,000 ft (9,144 m)でも、キャビン内部の気圧は高度12,000 ft (3,658 m)の水準に維持することができた。

ロッキード(Lockheed )XC-35高高度試作機の与圧キャビンにはプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)XR-1340-43 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン(排気量22 L) 550 hp (410 kW) のターボ過給機のコンプレッサーで空気が吸入されており、飛行高度30,000 ft (9,144 m)でも与圧コックピットpressurized cockpit)では、高度12,000 ft (3,658 m)の気圧が維持できた。生産は試作1機のみ。

ロッキード XC-35(Lockheed XC-35)の諸元
最大乗員Crew: 6名
全長Length: 38 ft 7 in (11.76 m)
全幅Wingspan: 55 ft (17 m)
全高Height: 10 ft 1 in (3.07 m) 翼面積Wing area: 458.5 sq ft (42.60 m2)
空虚重量Empty weight: 7,940 lb (3,602 kg)
総重量Gross weight: 10,500 lb (4,763 kg) 発動機Powerplant: 2 × Pratt & Whitney R-1340-43 9-cylinder turbo-supercharged air-cooled radial piston engine2, 550 hp (410 kW) each
プロペラPropellers: 2-翅可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ

ロッキード(Lockheed )XC-35試作機の性能

最高速力Maximum speed: 236 mph (380 km/h, 205 kn) at 20,000 ft (6,096 m)
巡行速力Cruise speed: 214 mph (344 km/h, 186 kn)
実用上昇限度Service ceiling: 31,500 ft (9,600 m)
上昇率Rate of climb: 1,125 ft/min (5.72 m/s)
翼面荷重Wing loading: 22.9 lb/sq ft (112 kg/m2)
出力重量比Power/mass: 0.105 hp/lb (0.173 kW/kg)


12.与圧客室キャビン装備のボーイング 307(Boeing Model 307)

シアトルのボーイング飛行機工場で製造されたボーイング 307(Boeing Model 307)ストラトライナー(Stratoliner)は、1938年に世界大戦でKLMオランダ航空の運航はかなわなかったが、ヒューズのTWAトランス・コンチネンタル・ウェスト航空では、気圧の低い高空でも快適に過ごせる与圧客室キャビンpressurized cabin)を備えた、大型四発高速旅客機として採用された。


写真(上)1939‐1947年、アメリカ、飛行場に待機する2機のTWAトランスコンチネンタル・ウェスタン航空(Transcontinental & Western Air)のボーイング 307(Boeing Model 307)ストラトライナー(Stratoliner)(製造番号:1999、登録コード:F-BELX、NC19907)
:Boeing, Type 307, Stratoliner Title: Boeing, Type 307, Stratoliner Corporation Name: Boeing Aircraft Designation: Type 307 Official Nickname: Stratoliner Additional Information: USA Tags: Boeing, Type 307, 307, Stratoliner
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 01_00091308引用。


ボーイング 307(Boeing Model 307)ストラトライナー(Stratoliner)の主翼、発動機、尾部は、先に開発が進んでいたボーイング(Boeing)B-17C 爆撃機のもの流用している。幅広い太い胴体は、与圧客室キャビンpressurized cabin)と寝台を備えるためでリクライニングシートも装備している。

空の旅客輸送の高速化と並んで、快適さ、豪華さがを求めたのが、ボーイング 307(Boeing Model 307)ストラトライナー(Stratoliner)である。

⇒写真集Album:与圧キャビンのボーイング307(Boeing Model 307)ストラトライナー(Stratoliner)を見る。 


13.与圧キャビン装備のボーイングB-29(Boeing B-29 Superfortress)爆撃機


写真(右)1945年3−9月、マリアナ諸島あるいは硫黄島(?)、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)B-29スーパーフォートレス(Superfortress)高高度爆撃機
:高高度飛行でも搭乗員に健康被害が出ないように、機首と胴体中央部と尾部の3カ所に与圧キャビンを設けた。
09_03906 Duich Collection Image Piction ID: 83793528 Paul Duich Collection Image Boeing B-29 Superfortress--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。


高高度飛行では機内コックピットの気温の低下と酸素濃度の希薄化に備えて、酸素マスクの装備、防寒着の着用したが、高硬度における気圧低下を避けるために、B-29はロッキード(Lockheed )XC-35、ボーイング307の技術を応用し、毎分11.25 kgの加圧能力を持つ与圧装置を設置し高度9,000 mでも高度2,400 m相当の室内気圧を維持することができた。

ロッキード(Lockheed )XC-35は、円形断面、繭型の与圧コックピットpressurized cockpit)を設けた。そのため、飛行高度30,000 ft (9,144 m)でも、キャビン内部の気圧は高度12,000 ft (3,658 m)の水準に維持することができたのである。

カラー写真(右)1944年10月−1945年、マリアナ諸島グアム島、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)B-29スーパーフォートレス(Superfortress)高高度爆撃機:最高速度: 357 mph (575 km/h)、巡航速度: 290 mph (467 km/h)、上昇時間 25,000 ft. (7620m): 43 分、上昇限度: 36,000 ft. (10,973 m)、航続距離 (10,000 ポンドの爆弾搭載): 3,250 miles (5230 km)。
boeing b-29 superfortress pictionid6056637 - catalog21.jpg - titleboeing b-29 superfortress guam 1945 - filename21.jpg ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。
アメリカ陸軍航空隊は、第二次世界大戦の勃発直後、1939年11月、行動半径2000マイルの四発重爆撃機の試作要求を出したが、これは既存のB-17、B-24四発重爆撃機の後継の戦略爆撃機としてである。アメリカ陸軍がボーイング社に正式な発注をしたのは、1941年9月6日で、当時は、1万メートルの高高度巡行飛行が前提となっていたのである。

カラー写真(右)1944年10月−1945年、マリアナ諸島グアム島、アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)B-29スーパーフォートレス(Superfortress)高高度爆撃機:首輪式(前輪式)引込み降着装置を装備した。排気タービン過給機付きのライト(Wrightr)R-3350サイクロン(Clone)空冷星型エンジン4基装備。
boeing b-29 superfortress pictionid6056637 - catalog21.jpg - titleboeing b-29 superfortress guam 1945 - filename21.jpg ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカ陸軍航空隊ボーイング(Boeing)B-29スーパーフォートレス(Superfortress)高高度爆撃機は、1942年9月21日に初飛行、1944年5月8日に就役、は 生産機数は3,970機。

既に1937年5月9日に初飛行したロッキード(Lockheed )XC-35は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)XR-1340-43 ワスプ(Wasp)空冷星型9気筒エンジン(排気量22 L) 550 hp (410 kW) のターボ過給機のコンプレッサーで空気が吸入されており、B-29も同様の構造の排気タービン過給機を装備し、さらに与圧室を備えて、高高度爆撃を行おうと計画されたのである。

⇒写真集Album:ボーイングB-29「スーパーフォートレス」の日本本土空襲を見る。 



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機


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