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◆第二次大戦中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-52/3m輸送機
写真(上)1940年5月10日以降、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸して降下猟兵を空輸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機の残骸とその脇をロッテルダムに進出するドイツ軍自動車化部隊
1940年5月13日,オランダ北部、ハーグ(Den Haag )南7キロ、イペンブルグ(Ypenburg)郊外、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に、ドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機が強硬不時着して、降下猟兵を空輸し、奇襲作戦を行った。
Neergeschoten Duits vliegtuig, anonymous, 1940. Object number NG-2007-5-7. Description Langs de kant van een autoweg ligt een neergeschoten Duits gevechtvliegtuig, met een swastika op de staart, een Junker 52. Er bij staat een personen auto. Op de weg zijn vrachtauto's te zien en op de vluchtstrook ligt een kist. Foto dateert vermoedelijk uit de meidagen 1940. .. Creation Artist anonymous Place Netherlands. Dating 10-May-1940 .. Material photographic paper . Measurements h 6.5 cm × w 9 cm 写真は Nederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) NG-2007-5-7.引用。

写真(上)1940年5月10-16日、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸して降下猟兵を空輸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機の残骸
3基搭載したBMW 132A空冷星形エンジンは、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)のR-1690 ホーネット(Hornet)9気筒空冷星型エンジンをユンカース社がライセンス生産したもので、1933年から装備された。
Neergeschoten Duitse vliegtuigen, anonymous, 1940 . Object number NG-2007-5-28 Description Langs de kant van een autoweg liggen twee neergeschoten Duitse gevechtsvliegtuigen, een is een Junker 52. Op de weg een kleine colonne Duitse motorrijders, op de rechterweghelft vrachtverkeer en auto's. Foto dateert vermoedelijk uit de meidagen 1940. .. Place Netherlands. Dating 10-May-1940 - c. 16-May-1940 Material photographic paper . Measurements h 6 cm × w 9.5 cm
写真は Netwerk Oorlogsbronnen NG-2007-5-28引用。

写真(上)1942年11月7日、地中海を超えてイタリア=北アフリカ間の空輸に従事するドイツ空軍第一爆撃航空団(KG1)所属のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機の編隊
temaeno Ju 52輸送機の登録コードは1Z+HN。ドイツ空軍の空輸部隊は、マルタ島を基地とするイギリス空軍のボーファイター双発攻撃機などに襲撃され被害を被っている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-445-1863-34 Original title: info Ju 52 7.11.1942 Sämtliche Aufnahmen im Zusammenhang mit dem Besuch des KG zbV 1 Archive title: Mittelmeer/Nordafrika.- Transportmaschinen Junkers Ju 52 des Kampfgeschwaders 1 (KG 1) zur besonderen Verwendung (Kennung der vorderen Maschine 1Z+HN) im Tiefflug über dem Meer; KBK Lw 7 Dating: November 1942 Photographer: Möhring Origin: Bundesarchiv
写真はBundesarchiv:Bild 101I-445-1863-34 引用。

◆当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではだけではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しているものが大半です。引用は原則有料,他引用不許可とされています。
The Aviation Heraldによれば、2018年8月4日、スイス東部、フリムスに遊覧飛行していたスイスのユーエアユーエア(Ju-Air)が運航するユンカース(Junker)Ju-52旅客機が標高2,540 m地点に墜落、乗客17名、搭乗員3名が死亡。墜落したJu-52は、1939年、ドイツのユンカース社製造のJu52 民間登録コードHB-HOTである。8月6日 AFPの記事には、「第2次世界大戦(World War II)時の旧軍用機」で「アイアン・アニー(Iron Annie)」という愛称で収集家に人気の機種だった、と書かれている。ドイツ空軍、第二次大戦の影が大きいための表現であろうが、「第二次世界大戦の軍用機」というのは、正確ではない。大戦前から、ドイツルフトハンザ航空を初めとする世界各国で民間航空機としても活躍していた。このニュースの報じられた2018年8月5日482件、6日187件の新規アクセスがあった。
◆2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術―ワイマール共国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、WW2も詳解しました。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時からNHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」でRudolf Hess ルドルフ・ヘス及びLeni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタールを検討。再放送は9/4(日)12時、9/7(水)24時及び9/11(日)12時、9/13(水)24時。


1.ユンカースJu-52輸送機の軍用仕様の原型

ユンカース社は,第一次大戦中の1917年に,当時有名飛行機メーカーだったフォッカー社と提携して,本格的な航空機生産に乗り出し,1919年6月初飛行のユンカースF-13で独自設計の航空機の量産を開始し、その後より大型のW33輸送機を開発した。これらのユンカースの飛行機は、当時は斬新な全金属製低翼機で,軍用機として使用できるように配慮されていた。

機体の外板を薄くして重量を軽減しつつ,波板構造にして強度を高めるような設計だった。波板構造は,:ユンカース(junkers)G.31 輸送機、その後継機Ju-52輸送機に引き継がれた。

ルフトハンザ航空Deutsche Luft Hansa)は、1926年1月、ドイツ政府が出資1/4を賄って、ユンカース系航空会社(Junkers Luftverkehr)を中核に、各種ドイツの航空会社が統合されて生まれた。

写真(右)1933年9月、ドイツ(?)、胴体下面に航空魚雷を搭載したユンカースJu 52/1m-ce水上雷撃機(SE-ADM):Ju 52/1m-ce水上輸送機は、ドイツでは製造番号C/n 4003、登録コードD-USONとC/n 4004、登録コードD-2317の2機が製造された。後者は、ドイツ軍用の双フロートの水上機型、魚雷搭載可能な軍用の水上雷撃機に改修された。後に、スウェーデンに売却され、K45c、登録コードSE-ADMとなった。
Svensk/tysk fly SE-ADM. Ju52 1/m. Test av torpedoer for Luftwaffe i september 1933 Fotografering: 1933 ( Protokoll) Identifier: NTM MFF 651 Part of collection: NTM Owner of collection: Norsk Teknisk Museum Institution: Norsk Teknisk Museum Date published: August 11, 2014 Date updated: August 11, 2014 DIMU-CODE: 011014275118 UUID: C5106787-8B94-4219-BD16-E7503697A8DE
写真は,Norsk Luftfartsmuseum: "NTM MFF 651"引用。


ユンカースJu 52/1m輸送機の諸元
全長18,50 m、全幅 29,00 m、全高 4,65 m
空虚重量 6600 〜 7000 kg
搭載量 3000 kg、
搭載容積 22 立法メートル
最高速力 195 km/h、巡航速力 160 km/h
実用上昇限度 3800 m
航続距離 1500 km

ドイツ・ルフトハンザ航空Deutsche Lufthansa AG)は、1934年には、アフリカ西端、イギリス領ガンビアに飛び、そこから南米ブラジルに至る 航空便輸送の空路を運航していた。しかし、ガンビアとブラジルの間は、直線距離にして、5,000 km(3,100 mil)以上あるので、この間を大西洋無着陸飛行は、当時、困難だった。つまり、大西洋横断には、最短距離で飛行しても、途中に経由地を設けて給油・整備をする必要があるが、大西洋上には適当な陸地・飛行場を確保できない。そこで、大西洋上に母船を待機させ、ドルニエDo-Jワール”Wal”飛行艇で着水、補給することで、大西洋横断の航空便航路を運営した。

ユンカースJu52/3mho輸送機は、BMW132空冷星形9気筒エンジンではなく、ユンカースJumo205Cディーゼルエンジンを3基搭載した試作機で、燃費の良いディーゼルエンジンに変換して、航続距離延長を企図したようだ。

 しかし、このようなディーゼルエンジンは、他のヨーロッパ諸国では普及しておらず、輸出促進のためには、アメリカのプラット・アンド・ホイットニー社のR-1690 ホーネット空冷星形9気筒エンジンのライセンス生産型であるBMW132空冷星形9気筒エンジンを搭載しているほうが評価が高かった。また、ヨーロッパ周辺の民間航路の想定した航続距離であれば、BMW132エンジンで問題なく、価格・コストの上でもそのほうが有利だった。こうして、Ju52輸送機のディーゼルエンジン搭載型は試作のみとなり、量産計画は廃棄された。


2.スペイン内戦に投入されたドイツ空軍ユンカースJu-52/3m輸送機

ヒトラー政権になっても、ドイツルフトハンザのような民間航空にも国籍標識として、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。1935年3月のドイツ再軍備宣言までは、空軍兵力はベルサイユ条約で認められなかった。

1935年、ヒトラーがドイツ再軍備を宣言し、第一次世界大戦の撃墜王ヘルマン・ゲーリングの下、ドイツ空軍が設立されると、ドイツ軍機は、尾翼に赤帯に白丸とスワスチカ(ハーケンクロイツ:ナチ党のカギ十字)の国籍マークを採用した。

スワスチカは、ナチ党のイデオロギー、政治思想を軍人にまで浸透させることを反映したもので、軍人の忠誠宣言がドイツに対してでは、ヒトラーに対する忠誠を誓うものと変更されたのと同じ動機である。また、高速の機体の国籍、敵味方の認識をしやすくするため、機体・主翼の上下にも、白の縁取り付きの黒色バルカンクロス(鉄十字)の国章を追加した。

写真(右)1935年,ドイツ、スペイン内戦に使用されることになるドイツ空軍ユンカースJu52/3mK爆撃機:1936年7月 - 1939年3月、スペインでは、共和国政府と反乱軍(フランコ将軍)の間で内戦があったが、このスペイン市民戦争に、ドイツ軍は義勇兵の名目で、コンドル軍団を派遣した。降着装置には初期型だけに見られる流線型の車輪カバーを装着している。1933年1月のナチ党政権獲得後、ルフトハンザ航空の国籍マークは、赤帯に白丸にナチ党のがカギ十字(逆卍)を描いた。
Ju 52-3mK 1935 PictionID:44219342 - Title:Junkers Ju 52-3mK 1935 - Catalog:16_005366 - Filename:16_005366.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM Archives: "PictionID: 44219342"引用。


1936年7月 - 1939年3月の3年半続いたスペイン内戦Spanish Civil War)に投入されたドイツコンドル軍団Legion Condor)Ju52/3mK爆撃機の胴体下面には、吊り下げ引込み可能なバケツ型の銃座があり、7.92ミリ旋回機関銃を装備した。スペインに反乱軍フランシスコ・フランコ(Francisco Franco)将軍の軍事援助に投入された機体には、黒か白×のコンドル軍団のマークが描かれている。他方、ドイツ国内では、1933年1月のナチ党政権獲得後、ルフトハンザ航空の国籍マークは、赤帯に白丸にナチ党のがカギ十字(逆卍)を描いたが、1935年のドイツ再軍備宣言後に新設されたドイツ空軍も同じナチ党のカギ卍字を国籍標識として採用した。

スペイン内戦Spanish Civil War)に参戦したコンドル軍団Legion Condor)には、Ju52輸送機と並んで、Ju52/3mK爆撃機爆撃型、Ju87急降下爆撃機、He111爆撃機、He71戦闘機、Bf109戦闘機など軍用機が投入され、個人の意志による「義勇軍」ではなく、軍隊そのものの派遣だった。

写真(右)1935年,ドイツ、スペイン内戦に使用されることになる流線型の車輪カバーを装着しているドイツ空軍ユンカースJu52/3mK爆撃機:1936年7月 - 1939年3月、スペイン内戦に投入されたJu52爆撃機の胴体下面には、吊り下げ引込み可能なバケツ型の銃座がみえるが、そこには7.92ミリ旋回機関銃を搭載する。スペインに反乱軍の軍事援助のために投入された機体には、黒か白×のコンドル軍団のマークが描かれているはずで、これらのJu52/3mK爆撃機は、1933年1月のナチ党政権獲得後の赤帯に白丸にナチ党のがカギ十字(逆卍)を描いている(1935年のドイツ再軍備宣言後のドイツ空軍も同じ)。したっがって、スペインではなく、ドイツ国内での撮影であろう。
Ju 52-3mK PictionID:44219354 - Title:Junkers Ju 52-3mK - Catalog:16_005367 - Filename:16_005367.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は,SDASM Archives: "PictionID: 44219342"引用。


ユンカースJu-52輸送機は,1937年のスペイン内戦で、スペイン領モロッコから,イベリア半島にフランコ将軍の反乱軍(国民戦線)兵士を空輸するのに使われた。この時は,ヒトラーが,スペインのファシスト,ファランヘ党に,ムッソリーニとともに軍事援助したのである。Ju-52輸送機は,爆撃機としても使われた。

当初Ju52は,機首の単発エンジンだったが,馬力不足のために,両翼に各々1基のエンジンを搭載し,3発のJu-52/3mになった。初飛行は,1931年4月で,スペイン内戦では,アフリカ軍団のムーア兵(モロッコ人兵士)1万人以上を空輸,爆弾6000トンを投下した。

写真(右)1938年2月,ドイツ、飛行中のユンカースJu-52タンテ輸送機の機内:航法士:機内の居住性は、四角の胴体断面で、双発機としては余裕がある。反面、軍用輸送機機であるために、内装や装飾はなく、簡素であり、内部構造が剥き出しになっている。
Inventory: Bild 183 - Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild Signature: Bild 183-H01535 Original title: info 4.2.1938 [Herausgabedatum] Die Ausbildung des Offiziernachwuchses in den Luftwaffenkriegsschulen der Fuftwaffe. Flugunterricht im zweiten Lehrgang. Neben dem praktischen Flugunterricht wird theoretischer Unterricht in allen fliegerisch wichtigen Fächern erteilt. UBz. Navigationsunterricht im "Fluge" - Hörsaalflugzeug auf einem Schulflug mit einer Ju 52. Dating: Februar 1938 Photographer: Schwahn, Ernst
写真はドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv登録: Bild 183-H01535引用(他引用不許可)。


写真(右)1933年以降,スイス北部、デューベンドル、スイス空軍所属のユンカースJu52/3m g4e軍用輸送機(登録コードA407):スイス空軍は、1939年10月、ユンカース社デッサウ工場で生産されたJu-52/3m g4e輸送機3機を購入したが、これは1939年9月1日に勃発した第二次大戦の直後である。3機の登録コードは、A-701、A-702、A-703である。
Charles Daniels Collection Photo from "German Aircraft" Album Junkers Ju 52 Dubendorf Switzerland :38237815 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:15_002367.TIF - -------Image from the Charles Daniels Photo Collection.----Album: German Aircraft
写真は,SDASM Archives・"Catalog #: 01_00081613"引用。


スイス空軍は、1939年からユンカースJu-52/3m g4e輸送機を採用した。1939年9月1日、第二次大戦が勃発したが、この直後にスイス空軍は、ドイツのユンカース社から3機を購入している。これらの登録コードは、A-701、A-702、A-703で、1939年から1982年まで、現役で使用された長寿機となった。スイス空軍の購入したJu52は、ユンカース社デッサウ工場で生産された新品である。

イギリスのサンダース・ロー(Saunders-Roe)サロ・クラウド(Saro Cloud)飛行艇(登録コード:B-ACGD)は、イギリス南部、ワイト島にあった飛行艇製造会社、そのサロ・クラウド(Saro Cloud)飛行艇は、33機生産された。 全幅 19,50 m、全長 15,20 m、全高 5,00 m、翌面積 60,40 平方メートル、空虚重量 2750 kg、全備重量4350 kg、アームストロング(Armstrong)Siddeley Servalエンジン(340 hp)2基、最高速力190 km/h/1900 m、巡航速力 150 km/h/1900 m、上昇限度 4270 m、航続距離 900 km 、搭乗員4名、乗客 8名程度。

写真(右)1930-1950年,ノルウェー、ユンカースJu 52/3mge(水上)輸送機の操縦席:正・副パイロットの席に各々操縦桿がついているが、古い方は一つの操縦桿を、左右の操縦者の正面に移動して運転した。
Fra cockpit, instrumenter div. til Junkers Ju 52/3mge. Fly: Tremotors propellfly. Interiør Cockpit. Fotografering: 1930 - 1950 Avbildet sted: Oslo Oslo Gressholmen Identifier: NL.97010485 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published: December 18, 2014 Date updated: December 18, 2014 DIMU-CODE: 021015695989 UUID: 56541DFB-0164-4E51-8A6A-8FFD8E959B6C
写真は,Norsk Luftfartsmuseum: "NL.97010485"引用。


スウェーデンAB航空(AB Aerotransport :ABA)は、1924年設立、1925年からユンカース(Junkers) F.13輸送機によって、 スウェーデンのストックホルムとベルリンを結ぶ航路の営業を開始した。ユンカースJu 52輸送機は、1932年に導入し、合計8機を購入、1948年まで使用した。アメリカのダグラス(Douglas) DC-3輸送機は、1937年から導入し、10機を購入、1948年まで使用した。

写真(右)1936 - 1940年,ノルウェー、オスロ郊外、ユンカースJu 52/3m水上輸送機「ナハーデン」"Najaden"( LN-DAF)(c/n 5429):1936年6月6日、登録コード D-AKIYを与えられ、ノルウェー航空(DNL)ユンカースJu 52/3m輸送機「カハーラ」 "Karjala"の愛称で使われた。 このJu52水上輸送機の登録コードLN-DAFは、1940年4月に削除された。1940年4月19日、 ドイツに接収されたため、D-AKIY と D-AKIQとなったのである。
Luftfoto, Ett fly i luften, LN-DAF. DNL. "Najaden" Junkers Ju 52/3mge. Landskap med bebyggelse under. Fly: Sjøfly, tremotors propellfly. c/n 5429, ex D-AKIY. Reg: 06.06.1936 (temp 29.04.1936)DNL Fred Olsen & Bergenske A/S Oslo, namn "Najaden". Overtatt av tyske tropper på Fornebu 04.1940, op Lufthansa D-AKIY og D-AKIQ. Slettet av register 19.08.1940LN-KAG.senere LN-KAG. Fotografering: 1936-1940 Identifier: NL.97010345 Part of collection: Norsk Luftfartsmuseum Owner of collection: Norsk Luftfartsmuseum Institution: Norsk Luftfartsmuseum Date published: December 18, 2014 Date updated: December 18, 2014 DIMU-CODE: 021015695850 UUID: 2D7954CF-C799-4CFC-B8D3-8521765164D2
写真は,Norsk Luftfartsmuseum: "NL.97010345"引用。


1940年4月9日、ドイツのノルウェー侵攻に呼応して、ノルウェーの政治家ヴィドクン・クヴィスリングVidkun Quisling)は、自らを首班とする臨時政府を樹立し、1942年2月には、アドルフ・ヒトラーの下で、クヴィスリングは首相に任命され、ノルウェーは親ドイツ傀儡政権が支配するようになった。また、ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV 222飛行艇試作機V1は、1941年8月19日までの7回の運航で、ハンブルクとノルウェー北部のヒルケネス間を合計65トンの貨物、負傷者221名をの負傷兵を運んだ。総飛行距離は3万キロに達した。BV222飛行艇は、地球海方面面では、1941年10月16日から11月6日の17回の運航で、北アフリカに派遣されたドイツ・アフリカ軍団に対する物資を補給した。

 BMW132エンジン3基装備のJu52/3m輸送機は、1932年5月の初飛行以来、1947年半ばの生産終了までに4,845機が生産され、ヨーロッパ中の航空会社で使用された傑作機である。


3.第二次世界大戦中のドイツ空軍ユンカースJu-52輸送機「タンテ」

写真(右)1939年,ポーランドを分割したドイツ軍とソビエト軍の会合、後方にと右にあるユンカースJunkers Ju52輸送機でドイツ軍使節がソ連地区を訪問したのであろうか。:した独ソ不可侵条約によって,独ソ連両軍は友好関係にあったが,これは2年と続かなかった。
Polen.- Begrüßung deutscher und sowjetischer Militärs auf einem Feldflugplatz; Lw1 Polen Depicted place Poland
Date September 1939 Photographer Ullrich
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-319-0013-26, Polen, Treffen dtsch. und sowjet. Militärs.jpg"引用。


1939年9月1日にドイツがポーランド西部を攻撃すると,ソ連はポーランドを保障するとして東側を武力で保障占領した。第二次大戦勃発1週間前の1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約(リッベントロップ外相とモロトフ外相の二人が署名)では,ポーランドをヴィスワ川の線で独ソ二分割することが密約されていた。

ブレスト=リトフスクは,1939年9月17日にハインツ・グデーリアン将軍の第19装甲軍団が占領した。結局,ポーランドは,ドイツとソ連に分割占領され,ドイツ軍とソ連軍は,9月28日,独ソ不可侵条約の秘密議定書を改め,ブーク川の線で東西分割することが決められた。そして,国境となるソ連領ブレスト=リトフスクで,ドイツ軍とソ連赤軍が,軍事行進を行い,その緊密振りを内外に誇示した。 ブレスト=リトフスク町は、ソ連に譲渡,併合されベラルーシ(白ロシア)の一部となった。しかし、独ソ連両軍は友好関係にあったが,これは2年と続かなかった。

1939年9月17日、ドイツ軍のポーランド侵攻に呼応して,ソ連軍はポーランドに武力進駐を開始した。これは,同年締結した独ソ不可侵条約秘密議定書に基づいて,東欧を分割するためである。東西から挟み撃ちにされたポーランドは,まだ中立国だった隣国ルーマニア,ハンガリーに脱出を図った。

写真(右)1939年9月,ポーランドにドイツ国防軍総司令部の国防軍最高指揮官アドルフ・ヒトラー総統の一行を空輸したドイツ空軍ユンカースJu-52タンテ輸送機:左から右に、陸軍参謀総長フランツ・ハルダー(Franz Halder)大将、ヒトラー秘書官マルチン・ボルマン(Martin Bormann)、南方軍集団(第8軍、第10軍、第14軍)司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット(Gerd von Rundstedt)上級大将、陸軍総司令官ヴァルター・フォン・ブラウヒッチ(Walther von Brauchitsch)上級大将、国防軍最高司令部(OKW)総長ウィルヘルム・カイテル(Wilhelm Keitel)上級大将、アドルフ・ヒトラー、総統警護大隊エルヴィン・ロンメル(Erwin Romme)大佐、第10軍司令官ヴァルター・フォン・ライヒェナウ(Walter von Reichenau)大将、第10軍参謀長フリードリヒ・パウスル(Friedrich Paulus)少将、親衛隊SS連絡将校カール・ヴォルフ(Karl Wolff)SS中将、南方軍集団参謀長エーリヒ・ファン・マンシュタイン(Erich von Manstein)中将、ヒトラー副官ルドルフ・シュムント(Rudolf Schmundt)中佐
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-013-0060-20
Archive title: Polen.- Polenfeldzug, Adolf Hitler bei Ankunft in Begleitung mehrerer Generäle. Erste und zweite Reihe von links: Franz Halder, Martin Bormann, Gerd von Rundstedt, Walther von Brauchitsch, Wilhelm Keitel, Adolf Hitler, Erwin Rommel, Walter von Reichenau, Friedrich Paulus, desweiteren Wolff, Erich von Manstein und Rudolf Schmundt vor Flugzeug Junkers Ju 52; PK 637 (Ost)
Dating: September 1939 Photographer: Falk Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1940-1944年,ドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機"Ewald Seidel":ドイツ空軍の二人の飛行兵(搭乗員)と比較すると輸送機の大きさが強調される。波板の箱のような構造で強度を維持すると同時に、人員や貨物の搭載を楽に行えるような空間を確保している。速度は遅いが、使いやすく、信頼性が高かったために、ユンカースJunkers Ju 52輸送機は終戦まで使用された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-806-2115A-04 Archive title: Feldflugplatz.- Zwei Soldaten der Luftwaffe (u.a. Pilot) vor Flugzeug Junkers Ju 52 "Ewald Seidel"; KBK Lw 7, PK West, KBZ21 u. a. Dating: 1940/1944 ca. Photographer: Bockelmann, Werner Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101I-806-2115A-04"引用(他引用不許可)。


 ユンカースJu-52輸送機は,1937年のスペイン内戦で、スペイン領モロッコから,イベリア半島にフランコ将軍の反乱軍(国民戦線)兵士を空輸するのに使われた。この時は,ヒトラーが,スペインのファシスト,ファランヘ党に,ムッソリーニとともに軍事援助したのである。Ju-52輸送機は,爆撃機としても使われた。

当初Ju52は,機首の単発エンジンだったが,馬力不足のために,両翼に各々1基のエンジンを搭載し,3発のJu-52/3mになった。初飛行は,1931年4月で,スペイン内戦では,アフリカ軍団のムーア兵(モロッコ人兵士)1万人以上を空輸,爆弾6000トンを投下した。

ユンカースJu-52輸送機は,1940年代には旧式化していたが,大量生産されていた上に,信頼性が高く,使い易い飛行機だった。後継機は,搭載量,速度,航続距離の上でも,より高性能だったが,ドイツ軍の主力輸送機は,終戦までJu-52だった。

写真(右)1939年9月,ポーランド,ドイツ空軍のユンカースJu-52タンテ輸送機
Polen, Reichsgebiet, Ostpreußen.- deutscher Feldflugplatz mit Transportflugzeugen Junkers Ju 52; PK Lw 1 Polen Dating: September 1939 Photographer: Amphlett, Eduard 撮影。
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_101I-317-0053-18引用(他引用不許可)。


1938年,ドイツ空軍は250機のJu 52を配備していたが、ルフトハンザ航空からの移譲も含めて第二次大戦開戦時の1939年9月には、552機のJu 52を配備していた。1939年から1944年にかけて, 2.804機のJu 52がドイツ空軍に納品された。

Ju-52輸送機の生産機数1939年: 145機; 1940年: 388機; 1941年: 502機; 1942年:503機; 1943年:887機; 1944年:379機である。1944年夏段階で、ドイツ空軍には稼働可能なJu-52輸送機100機から200機があった。

写真(右)1940年,飛行中のドイツ空軍ユンカースJu-52/3m輸送機:機内窓から外を眺めている乗員の手前のテーブル上には、航空地図と航法に必要な三角定規など小道具が置かれている。
Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-399-0019-20A Archive title: Norwegen.- deutsche Offiziere an Bord eines Transportflugzeugs (Junkers Ju 52?); KBK Lw 5 Dating: 1940 Photographer: Grosse, Helmut Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild_101I-317-0053-18引用(他引用不許可)。


1939年9月1日,ドイツ軍ポーランド侵攻の2日後,9月3日,英首相チェンバレンは,対独宣戦布告をした。ラジオ演説は沈痛な面持ちで,戦争を開始せざるを得ないことを訴えた。しかし,開戦から半年以上,西部戦線は停滞しており,「座り込み戦争」とも称された。

写真(右)1940年4 月,ノルウェー、ノルウェー侵攻「ヴェーゼル演習」時期のトロンハイム(?)飛行場に待機する多数のドイツ空軍ユンカースJu 52/3m輸送機:陸地に水上機を引揚げる傾斜ランプには、フロートがのめり込んだり、損傷したりしないように、木材の板が張ってある。機首の方位測定用の円形ループアンテナが大きく見える。北部のナルヴィクでは、イギリス海軍艦艇はドイツ海軍よりも優勢で、連合軍は頑強に抵抗を続けた。しかし、1940年5月10日、ドイツ軍のフランス侵攻作戦が始まると、ベルギー、オランダが間もなく降伏、5月末には、フランスの降伏も決定的となった。そこで、連合軍は、5月下旬にはノルウェー遠征部隊の撤退を決定し、ナルヴィクも放棄されることとなった。こうして、1940年6月8日には、ドイツはノルウェーを完全に支配下に置いた。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Bundesarchiv_Bild_101I-760-0171-19%2C_Norwegen%2C_Flughafen_Fornebu.jpg
Dating: April 1940
Photographer: Lange
写真は,ドイツ連邦アーカイブ: Bundesarchiv File: Bundesarchiv Bild 101I-760-0171-19, Norwegen, Flughafen Fornebu.jpg引用(他引用不許可)。


1940年4月9日、ドイツ軍は、イギリス軍の機先を制してデンマークとノルウェーに侵攻した。イギリスは、ドイツ爆撃の基地として、さらにドイツ鉄鋼産業に不可欠なスウェーデン・キルナ鉱山の鉄鉱石の海上輸送ルートを制圧するために、ノルウェー保障占領を計画していたのである。ドイツは、イギリス軍への予防措置として、進駐すると述べたが、実際に、ノルウェーとの友好関係は必要だったが、ドイツの占領下に置く必要は必ずしもなかった。

写真(右)1940年5月2日、デンマークのコペンハーゲン飛行場、ドイツ軍将兵とユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機;ノルウェー中部、トロンハイム飛行場に、ユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機を使って移動する前の撮影のようだ。
Soldater på København Flyplass Tittel / Title: København Flyplass før soldatene går flyene til Trondheim.
Dato / Date: 02.05.1940 Fotograf / Photographer: Karl Marth/Otto Erlacher
Sted / Place: København, Danmark
Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland Lenke / Link: Arkiv i Nordland Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0254
Fra Dag Skogheims Privatarkiv Tekst bak på bildet: 02. mai 1940, Kopenhagen
写真はArkiv i Nordland Archive reference: AIN.NA143.0254 引用。


写真(右)1940年5月2日、デンマークのコペンハーゲン飛行場、ドイツ軍将兵とユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機;ノルウェー中部、トロンハイム飛行場に、ユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機を使って移動する前の撮影のようだ。
Grupper med soldater på København flyplass Tittel / Title: København flyplass 02.mai 1940.
Dato / Date: 02.05.1940 Fotograf / Photographer: Karl Marth Sted / Place: København, Danmark Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland
Lenke / Link: Arkiv i Nordland Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0253 Fra Dag Skogheims Privatarkiv
写真はArkiv i Nordland Archive reference: AIN.NA143.0253 引用。


写真(右)1940年5月2日、ノルウェー中部、トロンハイム飛行場、ドイツ軍将兵とユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機;オーバーオールを着た兵士はタバコを吸っているが搭乗員のようだ。コートを着た中央の将校が指揮官らしい。右端の兵士はオーバーオールの飛行服を着用している。垂直尾翼の6147は工場製造番号。垂直尾翼には、ナチ党カギ十字(逆卍)スワスチカがドイツ国籍マークとして描かれている。
Værnes 02. mai 1940 Tittel / Title: Nettopp landet på Værnes 2. mai 1940. 1. flyver blant bergjegerne Dato / Date: 02.05.1940 Fotograf / Photographer: Karl Marth Sted / Place: Værnes Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland Lenke / Link: Arkiv i Nordland Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0089 Fra Dag Skogheims Privatarkiv
写真はArkiv i Nordland Archive reference: AIN.NA143.0089 引用。


写真(右)1940年5月2日、デンマークのコペンハーゲンから、ノルウェー中部、トロンハイム飛行場に向かうユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機とドイツ軍第137山岳連隊第2大隊第7中隊の将兵と;小銃を装備し、さらに双眼鏡を掛けている兵士も2名ある。
Deler av bataljon Sorko (batajonsjefens navn) klar til avreise fra København til Trondheim Tittel / Title: København 2. mai 1940. Dato / Date: 02.05.1940
Fotograf / Photographer: Ukjent/Uknown Sted / Place: København , Danmark Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland
Lenke / Link: Arkiv i Nordland Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0090 Fra Dag Skogheims Privatarkiv
Tekst bak på bildet: Abflug des Btl. Sorko von kopenhagen- Arhus nach Hell bei Trondheim 7. kompani 2. bataljon av Bergjegerreg. 137
写真はArkiv i Nordland Archive reference: AIN.NA143.0090 引用。


写真(右)1940年5月2日、デンマークのコペンハーゲン飛行場のユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機のコックピットと胴体;Ju52輸送機の操縦席は、複座で正副操縦士の席がある。中央には、客室・貨物室に繋がる通路があり、そこに兵士がいるために3名が並列している。右の丸い鉄環は、方向を確かめる航法用のループアンテナ。胴体はジュラルミン製の波板外板で、胴体は円筒ではなく、直方体の形状となっているが、これは平板な底面を必要とする輸送機には便利だ形である。
Ombord i et Junkers Ju 52 i København Tittel / Title: Flyreisen fra København
Dato / Date: 2. mai
Fotograf / Photographer: Karl Marth Sted / Place: København , Danmark Eier / Owner Institution: Arkiv i Nordland
Lenke / Link: Arkiv i Nordland Arkivreferanse /Archive reference: AIN.NA143.0087
Fra Dag Skogheims Privatarkiv Tekst bak på bildet: Abflug in Kopenhagen in der JU 52??
写真はArkiv i Nordland Archive reference: AIN.NA143.0087 引用。


デンマークは、ドイツ軍の進駐が始まった1940年4月9日、散発的な抵抗を試みた後、すぐに降伏した。そして、デンマーク元首のクリスチャン10世(Christian X of Denmark)は、武力抵抗を試みないようにデンマーク国民に訴えた。

他方、ノルウェーは、侵攻してきたドイツ海軍総司令官エーリヒ・ヨハン・レーダーErich Johann Raeder:1876-1960)提督隷下のドイツ海軍重巡洋艦「ブリュッヘル」を撃沈するなど激しく反撃し、4月14日,トロンヘイムに英仏軍,ポーランド軍の連合軍1万2000名が上陸、さらにナルヴィクにも,4月20日に連合軍3万名が上陸すると、その加勢を得て、ノルウエーはドイツ軍を駆逐しようとした。

写真(右)1940年,ノルウェー、、ドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機で検閲にやってきたドイツ海軍総司令官エーリヒ・ヨーハン・レーダー(Erich Johann Raeder:1876-1960)提督:1935年3月16日、ヒトラーがドイツ再軍備を宣言し、新生なったドイツ海軍総司令官 (Oberbefehlshaber der Kriegsmarine) にレーダーが任命された。1936年4月20日、レーダーは海軍上級大将に、1939年4月1日、海軍元帥に昇進した。1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発。1940年4月のノルウェー侵攻では、上陸部隊の援護に海軍が活躍し、ナルヴィクへの陸軍部隊派遣に成功したものの、イギリス海軍艦艇の襲撃により、ドイツ海軍駆逐艦は大きな損害を被った。
Inventory: Bild 101 II - Propagandakompanien der Wehrmacht - Marine
Signature: Bild 101II-MO-0726-12A
Archive title: Norwegen.- Erich Raeder bei Inspektion. Im Hintergrund Flugzeug Junkers Ju 52; PK Marine-Ost
Dating: 1940
Photographer: Schenk / Schenck
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 Signature: Bild 101II-MO-0726-12A 引用(他引用不許可)。


1940年4月に開始されたドイツのノルウェー侵攻で特に激戦だったのは、北部のナルヴィク(Narvik)攻防戦で、現地のドイツ軍指揮官は第3山岳師団長エデュアルト・ディートルEduard Dietl)中将だった。ナルヴィクは、フィヨルドの奥にある良港だが、イギリス海軍戦艦「ウォースパイト」・駆逐艦の突入によって、ドイツ海軍エーリヒ・ヨハン・レーダーErich Johann Raeder)提督のドイツ駆逐艦隊は8隻を失い壊滅し、制海権を失ったドイツ軍エデュアルト・ディートルEduard Dietl)将軍の上陸部隊は苦戦を強いられた。

写真(右)1942年,ノルウェー北部、ラップランド、ドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機で到着したドイツ第20山岳軍司令官エデュアルト・ディートル(Eduard Dietl)大将:ドイツ国防軍の中に、1942年1月、ラップラント軍が編成され、ノルウェー、フィンランドの防衛を担当することとなった。ラップラント軍は、1942年6月、第20山岳軍に再編成された。: 1890年生まれのエデュアルト・ディートル(Eduard Dietl)は、1944年6月23日、搭乗していたJu52輸送機がオーストリア上空で墜落、搭乗者全員が死亡。ディートルは、53歳だった。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-097-0626-32A
Archive title: Norwegen, Lappland.-Transportflugzeug Junkers Ju 52. Ankunft (?) Eduard Dietl, Gebirgsjäger; PK 680
Dating: Dezember 1942 Photographer: Gabel Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


しかし、西部戦線でドイツが、オランダ・ベルルギーを通じてフランスに侵攻すると、イギリス・フランス軍はナルヴィクの戦闘に兵力を維持し補給する余裕がなくなり、フランス北部の中枢部の戦闘で劣勢になった連合国軍は、1940年6月4日、ナルヴィク(Narvik)から撤退を開始した。もちろん、ノルウェー北部のナルヴィク(Narvik)で優勢だった連合軍だったが、ドイツ軍が投入した空挺部隊は、奇襲によってノルウェー南部の政治的・経済的中枢を占領下に置いたため、趨勢は決していたといってよい。こうして6月8日に、ドイツ軍はナルヴィクを奪回し、持久戦を戦い抜いたエデュアルト・ディートルEduard Dietl)には、1940年6月19日に柏葉付き騎士鉄十字章が授与されたが、これは全軍で初めての同勲章の受賞だった。

1940年6月7日、ノルウェー政府はノルウェー元首ホーコン7世(King Haakon VII )国王とともにイギリスに亡命し、6月10日、ノルウェーはドイツに降伏した。デンマークのクリスチャン10世(Christian X of Denmark)は、ドイツ占領下にとどまったが、ノルウェー元首ホーコン7世(King Haakon VII )は、イギリスに亡命した。その後、ドイツ軍駐留部隊が再編され、エデュアルト・ディートル第20山岳軍司令官として、ノルウェーの防衛に当たった。そして、1941年6月22日のドイツのソ連侵攻の直後から、フィンランドと同盟して、カレリア地方の奪回作戦、コラ半島の不凍港ムルマンスク攻略作戦を闘ったが、ソ連赤軍の頑強な抵抗の前に、攻勢は失敗に終わっている。

写真(右)1940年2月15日,フランス侵攻の準備をするドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機と落下傘を背負った降下猟兵(空挺部隊):パラシュート降下して、奇襲により橋頭保を築くのを目的としていた。後の西側連合軍のパラシュートと比較すると、ドイツのパラシュートは、複数の吊り紐でなく、一本吊り紐で人体と結んでいるので、空中操作性が悪かった。
Description Duitse parachutisten (fallschirmjägers) stappen voor de training in een Junkers Ju-52 vliegtuig 15 februari 1940.
写真はNationaal Archief: Inventarisnummer 28034 引用。


1940年5月10日,ドイツ軍のベルギー,オランダに侵攻に直面して,連合軍はナルヴィクを撤退。チェンバレンは,戦局悪化と対独宥和政策の破綻の責任を取って,首相を辞任。 戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日に、ウィンストン・チャーチル(、Winston Churchill)がイギリス首相に就任した。

写真(右)1940年5月10日、オランダに空挺作戦を展開するためにドイツ降下猟兵を空輸したユンカースJu-52輸送機:Ju-52輸送機を使った空挺部隊の降下作戦は、ノルウェー侵攻、ベルギー・オランダ侵攻、クレタ島侵攻で大々的に実施された。しかし、1942年のクレタ侵攻で輸送機と降下猟兵に大きな損害が出たために、その後の大規模空挺作戦は行っていない。
Catalogue number: MH 8058, Part of FOREIGN OFFICE POLITICAL INTELLIGENCE DEPARTMENT (PID) SECOND WORLD WAR PHOTOGRAPH LIBRARY: CLASSIFIED PRINT COLLECTION, Production date: 1940-05-10 Subject periodSecond World War, Object description: German parachute troops leaving a plane, Holland, 10 May 1940. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (MH 8058)


Ju-52/3m輸送機諸元
全長18.9ートル,全幅29.2メートル
翼面積110平方メートル
重量10500キロ,エンジンBMW132空冷650馬力3基
最高速度275キロ
航続距離1300キロ
乗員3名,兵員18人搭載
グライダー曳航任務にも多用された。

ドイツ軍のフランス侵攻の主力は、ベルギー方面に充てられていた。そこで、オランダ侵攻のためには、十分な装甲兵力を充てることができなかった。そこで、オランダ侵攻は、降下猟兵(空挺部隊)を投入し、奇襲攻撃によって、オランダ北西部を攻略、オランダ北部・中部を孤立化させることとなった。

ドイツ軍の降下猟兵は、落下傘(パラシュート)降下を旨とする第7降下猟兵師団(7.Fallschirmjager-Division)、滑空機(グライダー)・Ju52輸送機による進行を旨とする第22空輸師団(22.Luftlande-Infanterie-Division)があった。

写真(右)1940年5月、フランス侵攻作戦に参加するためにドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機に搭乗するドイツ軍空挺部隊(降下猟兵):強行着陸したために破損し、そのまま放置されている。そこで、戦火が収まった時期に、オランダ市民が見物にきた。
Beeldnummer 173310
Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek
Trefwoorden Parachutisten, Transportvliegtuigen, Duitse strijdkrachten Bijschrift
Foto Duitse parachutisten gaan aan boord van een Junkers Ju 52 transportvliegtuig. Junkers 52.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173310引用。


第7降下猟兵師団は、オランダ頭部に降下し、運河にかかる架橋の確保し、ドイツ陸軍B軍集団第18軍第9装甲師団の進出を進める任務に当たることとなったが、実際には、これは陽動攻撃であった。主力は、オランダ北西部に降下し、オランダとイギリスとの連絡を絶ち、オランダ防衛の拠点となるであろうロッテルダムとハーグを攻略すること企図し、オラン元首ウィヘルミナ女王(Wilhelmina of the Netherlands)の確保も望まれた。

写真(右)1940年5月10日、オランダ西部、ロッテルダム南50キロ、ムールデイク、オランダ侵攻作戦でドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機からパラシュート降下するドイツ軍空挺部隊(降下猟兵):強行着陸したために破損し、そのまま放置されている。そこで、戦火が収まった時期に、オランダ市民が見物にきた。
Beeldnummer 175664 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek
Trefwoorden Duitsers, Parachutisten, Transportvliegtuigen, Duitse strijdkrachten, Meidagen 1940
Locatie Naam: Gemeente Moerdijk Land: Nederland
Bijschrift Foto van drie Junkers Ju-52 transportvliegtuigen waaruit parachutisten springen. Tekst achterop: 'Foto Duitse soldaat. Foto's ontwikkeld door fotograaf de Bont, Waalwijk. Foto's via Hr. J. Maertens, destijds marechaussee te Waalwijk. Zou landing Duitse troepen bij Moerdijk zijn'. Junkers 52.
Datum 10/05/1940.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 175664引用。


1940年5月10日、ドイツは、「黄色の事例」(Fall Gelb)を発動し、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻した。オランダに対する空挺作戦中心は、降下猟兵を乗せたドイツ空軍のユンカースJu52輸送機が、オランダ上空を通過後、北海に達してから西進し、オランダ南西のハーグ、ロッテルダム近郊に強行着陸し、降下猟兵を進出させる奇襲攻撃である。オラン元首ウィヘルミナ女王(Wilhelmina of the Netherlands)の安否も心配された。

写真(右)1940年5月、フランス侵攻作戦に参加するためにドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機からパラシュート降下するドイツ軍空挺部隊(降下猟兵)
Beeldnummer 143964 Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park
Trefwoorden Luftwaffe, Luchtlandingen, Opleidingen, Parachutisten Locatie Naam: Federal Republic of Germany Land: Germany Bijschrift Een Duitse para springt uit een Junker transportvliegtuig. Junkers 52. Datum type Opname.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173490 引用。


写真(右)1940年5月10-16日、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機からの眺め;オランダの耕地整理された農地が広がる田園地帯。オランダは、海面下の土地を干拓して農地を拡大してきた。
Neergeschoten Duitse vliegtuigen, anonymous, 1940 . Object number NG-2007-5-28 Description Langs de kant van een autoweg liggen twee neergeschoten Duitse gevechtsvliegtuigen, een is een Junker 52. Op de weg een kleine colonne Duitse motorrijders, op de rechterweghelft vrachtverkeer en auto's. Foto dateert vermoedelijk uit de meidagen 1940. Place Netherlands. Dating 10-May-1940 - c. 16-May-1940 Material photographic paper . Measurements h 6 cm × w 9.5 cm
写真は Netwerk Oorlogsbronnen NG-2007-5-28引用。


写真(右)1940年5月10-16日、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸するためにドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機に乗り込んだ兵士たち;パラシュート降下でもグライダーでもなく、輸送機を国道に強行着陸させて侵攻した。
Neergeschoten Duitse vliegtuigen, anonymous, 1940 . Object number NG-2007-5-28 Description Langs de kant van een autoweg liggen twee neergeschoten Duitse gevechtsvliegtuigen, een is een Junker 52. Op de weg een kleine colonne Duitse motorrijders, op de rechterweghelft vrachtverkeer en auto's. Foto dateert vermoedelijk uit de meidagen 1940
Place Netherlands. Dating 10-May-1940 - c. 16-May-1940 Material photographic paper . Measurements h 6 cm × w 9.5 cm
写真は Netwerk Oorlogsbronnen NG-2007-5-28引用。


オランダ軍は、進入してきたJu52輸送機を攻撃したが、散発的な反撃だったため、多くは損傷を受けずに強行着陸した。Ju52輸送機の強行着陸は、計画された作戦だったが、連合軍は多数のドイツ軍機を撃墜したと、過大な戦果を公表し、士気を高めようとした。未だに日本語wikipediaは「降下猟兵と空輸部隊が降下した。オランダ軍の対空砲部隊は、多数の輸送機を落とした。公式の記録は失われたが、オランダ戦の間に失われたJu-52輸送機の総数は約275機であった」と連合軍がドイツ空軍のJu52輸送機200機以上の撃墜したかのような誤解を招く記述をしている。実際には、ドイツ空軍は430機の輸送機を投入し、強行着陸を中心に、オランダ侵攻によって、160機の損失を被った。

写真(上)1940年5月13日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]脇に不時着したドイツ空軍のユンカース(Junkers) Ju 52輸送機の脇を自転車で進むドイツ軍兵士::Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。普段は飛行機を近くで見ることのできない兵士にとって、Ju52輸送機の強行着陸した残骸は驚きであったであろう。
Beeldnummer 101791 Collectie NIOD Trefwoorden Wrakken, Luftwaffe, Rijwielen, Transportvliegtuigen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten, Meidagen 1940
Locatie Naam: Ypenburg Land: Nederland Bijschrift Tussen Delft en Rotterdam. Junkers 52. Periode mei 1940
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 101791引用。


写真(右)1940年5月10-15日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]脇に不時着したドイツ空軍のユンカース(Junkers) Ju 52輸送機の残骸前で記念撮影をするドイツ軍兵士::Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。普段は飛行機を近くで見ることのできない兵士にとって、Ju52輸送機の強行着陸した残骸は驚きであったであろう。
Beeldnummer 118162 Collectie Verzetsmuseum Friesland Trefwoorden Luftwaffe, Crashes, Duitse strijdkrachten, Meidagen 1940 Locatie Naam: Zuid-Holland Land: Nederland
Bijschrift Op 10 mei 1940 werd Nederland door Duitsland aangevallen. Na een strijd van vier dagen en het bombardement op Rotterdam werd op 15 mei de capitulatie getekend. De korte maar hevige strijd kostte veel mensenlevens en richtte veel schade aan. Deze Junkers 52 crashte in de buurt van Valkenburg (ZH) en brandde bijna geheel uit. Zes Duitse soldaten poseren voor de fotograaf nadat ze de schade in ogenschouw hebben genomen. Junkers 52.
Periode 10 - 15 mei 1940
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 118162 引用。


ドイツ軍は、フランスに侵攻するためにマジノ要塞で防備されたドイツ=フランス国境を突破することは避け、防備の手薄なベルギー・オランダを通過して、フランスに進入する計画「黄色の事例」(Fall Gelb)作戦を立てた。そして、1940年5月10日にオランダに侵攻した。ドイツ空軍によるロッテルダム爆撃があり、空襲の恐怖がオランダ市民に広がった。ドイツ軍は、空挺部隊をロッテルダムに侵攻させ、オランダ南部は、ドイツ軍支配下にはいった。中北部のオランダ軍は包囲され、敗北は決定的となった。ウィンストン・チャーチル(、Winston Churchill)も、イギリス軍の撤退を優先し、オランダ・フランスへの派兵をあきらめるようになる。

写真(右)1940年5月,不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の警備あるいは見物するドイツ軍兵士:オランダ奇襲空挺作戦でに使用されたJu52輸送機は、降下猟兵(空挺部隊)を使って奇襲作戦を実施したが、多数の輸送機を失った。しかし、当時、フランス侵攻は、失敗するリスクも懸念されており、大胆な作戦の為には、Ju52輸送機の損失もやむをえないとされていた。
Duitse militairen onderzoeken de resten van een Junkers Ju 52 welke een noodlanding heeft gemaakt. Eén van de motoren is van de vleugel geslagen. Junkers 52. 1940 / Datering Meidagen 1940 Collectie Beeldbank WO2 Organisatie Fries Verzetsmuseum
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001237 Beschrijving Noodlanding van een Ju 52 van 3./KGzbV.9 op Rijksweg 13, vlakbij het vliegveld Ypenburg, mei 1940. Plaats Rijksweg 13 Trefwoorden Junkers Specifieke kenmerken 9P HL Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden 'Machine des Division Stabes' 22./inf. Div. (foto 5 van 5). 写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Objectnummer 2157_001237引用。


写真(右)1940年中頃,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]脇に不時着したドイツ空軍のユンカース(Junkers) Ju 52輸送機の残骸を見物するドイツ軍兵士::Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。普段は飛行機を近くで見ることのできない兵士にとって、Ju52輸送機の強行着陸した残骸は驚きであったであろう。
Beeldnummer 121658 Collectie Verzetsmuseum Friesland Trefwoorden Luftwaffe, Crashes Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift Een Duitse militair onderzoekt de resten van een half uitgebrande Junkers Ju 52. Junkers 52. Periode Meidagen 1940
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 121658引用。


1940年5月17日、オランダ政府は、これ以上の戦争継続を諦め、オランダ軍のドイツへの武力抵抗を停止させ、休戦に持ち込んだ。もちろんこれは、ドイツへの降伏ということであり、オランダ全土がドイツ占領下に置かれることになった。オランダ政府は、ウィヘルミナ女王(Wilhelmina of the Netherlands)を中心とする王室とともに、イギリスに亡命した。

写真(右)1940年5月、オランダ、南ホランド州ロッテルダム、強行着陸して放置されたままになっているドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機:強行着陸して、搭乗していた降下猟兵をロッテルダムに進撃させた。
Beeldnummer 144793
Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park
Trefwoorden Luftwaffe, Wrakken, Crashes, Meidagen 1940
Locatie Naam: Gemeente Rotterdam
Land: Nederland
Bijschrift Een neergeschoten/neergestorte Ju-52. Junkers 52.
Datum type Opname
Periode Mei 1940.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173310引用。


ドイツ軍は、「黄色の事例」(Fall Gelb)のオランダ侵攻に際して、橋頭保を奇襲、確保するために、降下猟兵を投入した。しかし、パラシュート降下では、降下地点が分散してしまい連絡が取れず、目標に急速接近するのは不確実だった。また、グライダー降下では、運搬人員が半減してしまう。そこで、急遽、Ju 52輸送機を強行着陸、不時着させる緊急手段を採用した。

写真(右)1940年5月13日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機:道沿いに主翼を傾けたドイツ空軍ユンカースJu52輸送機が列をなして不時着している。橋頭保を奇襲、確保するために、降下猟兵が投入されたが、パラシュート降下では目標休息接近するのは不確実であり、グライダー降下では、運搬人員が半減してしまう。そこで、急遽、Ju 52輸送機を不時着させる緊急手段を採用した。
'Rijksweg Delft-Den Haag.' Gecrashte Ju 52. Junkers 52.2157_001240
Datering meidagen 1940 Collectie Beeldbank WO2
Organisatie Oorlogsmuseum Overloon Rechten Copyright niet bekend URL naar bron Ga naar website.
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001237
Beschrijving Noodlanding van een Ju 52 van 3./KGzbV.9 op Rijksweg 13, vlakbij het vliegveld Ypenburg, mei 1940.
Plaats Rijksweg 13 Trefwoorden Junkers Specifieke kenmerken 9P HL Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
Bijzonderheden 'Machine des Division Stabes' 22./inf. Div. (foto 5 van 5).
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_001237引用。



写真(右)1940年5月10-16日、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機。偽装を施して、イギリス空軍機に発見されないようにしている。ドイツ空軍では、損傷程度が40%程度であれば、損傷機を改修し、修理して現役復帰させていた。
;オランダでは、海面下の土地を干拓して農地を拡大してきた。
Beeldnummer 173411 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek Trefwoorden Opmars, Transportvliegtuigen, Duitse strijdkrachten
Bijschrift Foto geland Duitse Junkers Ju 52 transportvliegtuig (code 1Z+) in weiland. Op voorgrond houten hut. Tekst achterop: 'Opmars naar Rotterdam'. Junkers 52. Periode mei 1940
写真は Beeldbank WO2 Beeldnummer 173411引用。



写真(右)1940年5月、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機。偽装を施して、イギリス空軍機に発見されないようにしている。ドイツ空軍では、損傷程度が40%程度であれば、損傷機を改修し、修理して現役復帰させていた。

Beeldnummer 172975 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek Trefwoorden Luftwaffe, Wrakken, Transportvliegtuigen, Duitse strijdkrachten Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift Foto Duits Junkers Ju 52 transportvliegtuig na noodlanding. Tekst er bij: 'Not only highways, but fields and beaches were also used to unload troops and materials during the invasion of Holland. After landing this transport was covered with tree branches to conceal it from spotter planes. In the massive airborne operation the Germans used 430 of these transports, airlifting a total of 16.000 troops. 164 of these planes were destroyed by the defending Dutch forces'. Junkers 52. Periode mei 1940
写真は Beeldbank WO2 Beeldnummer 172975 引用。


1940年5月、ドイツ空軍はJu52/3m輸送機 430を投入して、合計で1万6,000名のドイツ軍兵士を空輸した。これは、輸送機による空輸、グライダーによる滑空進入、パラシュート降下を含めた数値である。そして、強行着陸や戦闘によって、Ju52輸送機など164機を喪失した。

写真(右)1940年5月,オランダ中部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ国道脇に強硬不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の機首:オランダに対して大規模な空挺作戦を展開し、多数の降下猟兵を空路送り込んで、橋頭保の奪取に成功したが、輸送機・グライダーの損害は少なくなかった。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001238
Beschrijving Noodlanding van een Junkers Ju 52 op de Rijksweg 13, vlakbij het vliegveld Ypenburg. Plaats Rijswijk, Zuid-Holland, Nederland Datering van 1940-05
Trefwoorden Junkers, meidagen 1940, Tweede Wereldoorlog, Junkers Ju-52/3m, transportvliegtuigen, Vliegbasis Ypenburg, vliegvelden Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden Toestel vervoerde militairen van 22./Inf. Division. Kleur/Zwart-wit Zwart-wit
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Objectnummer 2157_001238引用。



写真(右)1940年5月10-16日、オランダ、ロッテルダム郊外に強硬着陸したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機の脇をバイクで通り過ぎるオランダ市民
;奇襲によってオランダは降伏、元首の王家もイギリスに亡命した。徹底抗戦を続けるのは、亡命政権とその下の軍隊であり、市民によるドイツ占領軍に対する武装蜂起は、島嶼は起きなかった。それどころか、親ナチのオランダ人は、傀儡政権、ファシスト義勇軍の武装親衛隊に参加した。
Neergeschoten Duitse vliegtuigen, anonymous, 1940 . Object number NG-2007-5-28 Description Langs de kant van een autoweg liggen twee neergeschoten Duitse gevechtsvliegtuigen, een is een Junker 52. Op de weg een kleine colonne Duitse motorrijders, op de rechterweghelft vrachtverkeer en auto's. Foto dateert vermoedelijk uit de meidagen 1940. .. Place Netherlands. Dating 10-May-1940 - c. 16-May-1940 Material photographic paper . Measurements h 6 cm × w 9.5 cm
写真は Netwerk Oorlogsbronnen NG-2007-5-28引用。


写真(右)1940年5月,オランダ中部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に強硬不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機:Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。戦火が収まると、オランダ市民がJu52輸送機の残骸を見るためにやってきた。
Beeldnummer 63701 Collectie NIOD Trefwoorden Luftwaffe, Wrakken, Bommenwerpers, Burgerbevolking, Kinderen, Vliegtuigen, Duitse strijdkrachten, Meidagen 1940 Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift Neergeschoten Duitse vliegtuig op de Rijksweg tussen Rotterdam en Den Haag, nabij Ypenburg. Junkers 52. Periode Mei 1940
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 140747 引用。


写真(右)1940年5月、オランダ南東、ベルギー国境、リンブルフ州、オランダに空挺部隊を送ったドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の残骸に乗って記念写真を撮ったオランダ婦人:Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。戦火が収まると、オランダ市民がJu52輸送機の残骸を見るためにやってきた。
Beeldnummer 173490 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek Trefwoorden Wrakken, Burgerbevolking, Transportvliegtuigen Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift Foto van Duitse Ju 52 na noodlanding op strand die beklommen wordt door Nederlandse burgers, West Nederland, mei 1940. Junkers 52. Type Foto Periode mei 1940.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173490 引用。


写真(右)1940年5月、オランダ南東、ベルギー国境、リンブルフ州(Limburg)、オランダに空挺部隊を送ったドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の残骸を見に来て記念写真を撮ったオランダ婦人:Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。戦火が収まると、オランダ市民がJu52輸送機の残骸を見るためにやってきた。
Beeldnummer 140747 Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park Trefwoorden Luftwaffe, Meidagen 1940 Locatie Naam: Limbourg Land: België Bijschrift ' Noodlanding Junkers Ju 52 mei 1940. ' Junkers 52. Type Foto Datum type Opname Periode mei 1940
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 140747 引用。


写真(右)1940年中頃、オランダ南東、ベルギー国境、リンブルフ州(Limburg)、中立国オランダに空挺部隊を送ったドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の残骸に乗って記念写真を撮ったオランダの一家:Ju52輸送機は強行着陸し兵員を地上に下ろしたが、その際、離陸することは諦めた。破損した機体は、現地にそのまま放置されて、進撃した。戦火が収まると、オランダ市民がJu52輸送機の残骸を見るためにやってきた。
Beeldnummer 139374 Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park Trefwoorden Luftwaffe, Wrakken, Burgerbevolking, Vliegtuigen Locatie Naam: Limbourg Land: België (ベルギー) Bijschrift 'Mei 1940 (Pinksteren). Neergestorte Ju 52 bij Kronenberg. Foto genomen door broer van J.Tielen uit Maasbree.' Junkers 52. Datum type Opname Periode meidagen 1940.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173490 引用。


写真(右)1940年5月、オランダ西部、オランダに空挺部隊を送ったドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の残骸:強行着陸したために破損し、そのまま放置されている。そこで、戦火が収まった時期に、オランダ市民が見物にきた。
Beeldnummer 173490 Collectie Nationaal Bevrijdingsmuseum Groesbeek Trefwoorden Wrakken, Burgerbevolking, Transportvliegtuigen Locatie Naam: Nederland Land: Nederland Bijschrift Foto van Duitse Ju 52 na noodlanding op strand die beklommen wordt door Nederlandse burgers, West Nederland, mei 1940. Junkers 52. Type Foto Periode mei 1940.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 173490 引用。


1940年5月14日、ドイツの第54,第57爆撃航空団ハインケルHe111爆撃機100機は,停戦交渉中だったにもかかわらず,ロッテルダムを爆撃した。ウィストン・チャーチル首相は、1940年5月26日1857,大陸よりの英軍救出命令ダイナモ作戦(Operation Dynamo)を発動した。

ダイナモ作戦第一日の夕方まで,連合軍将兵7669名が救出され,5月28日だけで,1万7804人が救出された。5月29日には,4万7310名が後送,5月30日には5万3823人が大陸を去った。うちフランス兵氏は1万4874人だった。5月31日は,6万8014人が,6月1日には6万4429人が英本土に戻ることができた。敗退するフランス軍を前に、フランス政府では和平派(終戦派)が主導権をにぎった。

写真(右)1940年5月20日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に強硬不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の機首:オランダに対して大規模な空挺作戦を展開し、多数の降下猟兵を空路送り込んで、橋頭保の奪取に成功したが、輸送機・グライダーの損害は少なくなかった。
Een Junkers Ju 52 van 3. Staffel Kampfgeschwader zur besonderen Verwendung 9 na een noodlanding tijdens de meidagen van 1940 op Rijksweg 13, vlakbij het vliegveld Ypenburg. Rechts op de voorgrond een personenauto met een Duits kenteken.
Auteur/vervaardiger Onbekend Datering 1940-05-10 / Circa 1940-05-20 Collectie Beeldbank NIMH Organisatie Nederlands Instituut Militaire Historie
写真はMinisterie van Volksgezondheid, Welzijn en Sport、Netwerk Oorlogsbronnen.: 2157_001233 引用。


1940年5月20日,フランスでは、レノー内閣が改造され、副首相に第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン(Philippe Pétain)元帥が就任した。1940年5月15日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏と続き、6月10日にはパリが無防備都市を宣言した。このとき、ムッソリーニ統領の指導するイタリアも、南フランスを攻撃した。6月14日、パリにドイツ軍が無血入城した。 独仏戦では,フランス軍は、死者10万人、負傷者12万人、捕虜150万人の損害を出した。他方,ドイツ軍は,死者4万人,負傷者15万人だった。

写真(右)1940年5月,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]脇に強硬不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の機首:オランダに対して大規模な空挺作戦を展開し、多数の降下猟兵を空路送り込んで、橋頭保の奪取に成功したが、輸送機・グライダーの損害は少なくなかった。
Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001279 Beschrijving Ju 52 transportvliegtuig geland tussen de koude kassen. Plaats Nederland Datering van 1940-05 Datering tot 1940-05 Trefwoorden Junkers, meidagen 1940, Tweede Wereldoorlog, Junkers Ju-52/3m, transportvliegtuigen, vliegtuigongelukken Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden 'Machine des Division Stabes' 22./inf. Div. (foto 1 van 5).
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_001233 引用。


ドイツ軍は、オランダ侵攻に際して、橋頭保を奇襲、確保するために、降下猟兵を投入した。しかし、パラシュート降下では、降下地点が分散してしまい連絡が取れず、目標に急速接近するのは不確実だった。また、グライダー降下では、運搬人員が半減してしまう。そこで、急遽、Ju 52輸送機を強行着陸、不時着させる緊急手段を採用した。

写真(右)1940年5月,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に強硬不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の機首:オランダに対して大規模な空挺作戦を展開し、多数の降下猟兵を空路送り込んで、橋頭保の奪取に成功したが、輸送機・グライダーの損害は少なくなかった。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001233 Beschrijving Noodlanding van een Ju 52 van 3./KGzbV.9 op Rijksweg 13, vlakbij het vliegveld Ypenburg, mei 1940. Plaats Rijksweg 13 Trefwoorden Junkers Specifieke kenmerken 9P HL Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH Bijzonderheden 'Machine des Division Stabes' 22./inf. Div. (foto 1 van 5).
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_001233 引用。


写真(右)1940年5月13日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機:道沿いに主翼を傾けたドイツ空軍ユンカースJu52輸送機が列をなして不時着している。橋頭保を奇襲、確保するために、降下猟兵が投入されたが、パラシュート降下では目標休息接近するのは不確実であり、グライダー降下では、運搬人員が半減してしまう。そこで、急遽、Ju 52輸送機を不時着させる緊急手段を採用した。
Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001239 Beschrijving Noodlanding van een Ju 52 op Rijksweg 13, mei 1940. Plaats Rijksweg 13 Trefwoorden Junkers Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) 2157_001239引用。


ユンカースJu-52輸送機は,1940年代には旧式化していたが,大量生産されていた上に,信頼性が高く,使い易い飛行機だった。後継機は,搭載量,速度,航続距離の上でも,より高性能だったが,ドイツ軍の主力輸送機は,終戦までJu-52だった。

写真(右)1940年5月13日以降,オランダ北部、ハーグ(Den Haag )南7キロ、イペンブルグ(Ypenburg)郊外、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機:道沿いに主翼を傾けたドイツ空軍ユンカースJu52輸送機が列をなして不時着している。
Duitse Junker JU-52 die een noodlanding heeft gemaakt bij Ypenburg
Collection / Archive Fotocollectie Spaarnestad Onderwerpen Report / Series Luchtoorlog Duitsers. Description Duitse Junker JU-52 die een noodlanding heeft gemaakt bij Ypenburg Date mei 1940 Location Ypenburg Keywords oorlog, oorlogen Photographer Hustinx, Alphons.
写真はNationaal Archief: Inventarisnummer 28034引用。


1938年,ドイツ空軍は250機のJu 52を配備していたが、ルフトハンザ航空からの移譲も含めて第二次大戦開戦時の1939年9月には、552機のJu 52を配備していた。1939年から1944年にかけて, 2.804機のJu 52がドイツ空軍に納品された。

Ju-52輸送機の生産機数1939年: 145機; 1940年: 388機; 1941年: 502機; 1942年:503機; 1943年:887機; 1944年:379機である。1944年夏段階で、ドイツ空軍には稼働可能なJu-52輸送機100機から200機があった。

写真(右)1940年5月,破損したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の機首:オランダに対して大規模な空挺作戦を展開し、多数の降下猟兵を空路送り込んで、橋頭保の奪取に成功したが、輸送機・グライダーの損害は少なくなかった。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001275 Beschrijving Wrak van een Ju 52 transportvliegtuig bij Sevenum Noord-Limburg (mei 1940). Plaats Sevenum Datering van 1940 Trefwoorden Junkers Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_001275 引用。


ドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリング将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

写真(右)1940年5月13日,オランダ北部、自動車道路(Rijksweg 13)A13号線[ハーグとロッテルダムを結ぶ]の脇に不時着したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機:Ju-52輸送機を使った空挺部隊の降下作戦は、ノルウェー侵攻、ベルギー・オランダ侵攻、クレタ島侵攻で大々的に実施された。しかし、1942年のクレタ侵攻で輸送機と降下猟兵に大きな損害が出たために、その後の大規模空挺作戦は行っていない。

Noodlanding van een Ju 52 op Rijksweg 13, mei 1940.
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001241 Beschrijving Noodlanding van Ju 52 op Rijksweg 13, mei 1940. Plaats Rijksweg 13 Datering van 1940 Trefwoorden Junkers Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Objectnummer 2157_001241引用。


Ju-52輸送機諸元
全長18.9ートル,全幅29.2メートル,翼面積110平方メートル
重量10500キロ,エンジンBMW132空冷650馬力3基
最高速度275キロ,航続距離1300キロ
乗員3名,兵員18人搭載。グライダー曳航任務にも多用された。

写真(右)1940年5月,破損したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の回収作業:主翼を切り離して、胴体を三脚滑車を用いて引揚げる。25名もの男たちが胴体後部をしたから支えているが、この中には、通りがかりのオランダ人もいるようだ。
Berging van Ju 52 transportvliegtuigen op Valkenburg na de strijd (mei 1940). Auteur/vervaardiger Onbekend Datering 1940 / Collectie Beeldbank NIMH Organisatie Nederlands Instituut Militaire Historie Behoort tot archief Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_007124 引用。


フランス休戦は、1.フランス国土の北部5分の3をドイツ軍政下に置く、2.フランス軍の武装解除、3大西洋側の港湾をドイツに引き渡す、4.フランス艦船の行動停止、5亡命者の引渡し、6.フランスによる占領経費の負担、という条件で認められた。

1940年6月のフランス降伏で,ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)は、元帥より上位の国家元帥に昇進。1940年8月以降の英国本土航空決戦は失敗に終わったが,1941年6月のソ連侵攻「バルバロッサ作戦」では東部戦線に兵力を集中させ,奇襲に成功,大戦果を挙げた。
1942-1943年冬,ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring)国家元帥は、スターリングラード空輸を請合ったが,失敗。1944年以降のドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。

写真(右)1940年5月,破損したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機の回収作業:主翼を切り離して、胴体をトラックの荷台に持ち上げようとしている。破損率50%以内であれば、回収、修理し再使用したようだ。
Berging van Ju 52 transportvliegtuigen op Valkenburg na de strijd (mei 1940). Auteur/vervaardiger Onbekend Datering 1940 / Collectie Beeldbank NIMH Organisatie Nederlands Instituut Militaire Historie Behoort tot archief Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_007124 引用。


1940年5月、ドイツは、フランス侵攻のために、中立国オランダに侵入し、オランダ陸軍航空隊は、反撃を開始した。しかし、圧倒的に優勢なドイツ軍の前に、オランダ軍は1週間で壊滅状態となり、イギリス・フランスの遠征軍も退却してしまった。しかし、オランダ陸軍航空隊のパイロットの中には、イギリスに脱出し、そこで、イギリス軍の指揮下に再起を期すものがあった。彼らが1940年6月に設立したのが、第320飛行隊、第321飛行隊である。1941年には、オランダ陸軍航空隊の搭乗員訓練は、アメリカでも始められている。

フランス休戦の場所として、アドルフ・ヒトラーは、第一次大戦のドイツ休戦が調印されたのと同じコンピエーニュの森を指定した。コンピエーニュには、ドイツ降伏調印を行ったのと同じ食堂列車をフランスの博物館から引き出し据え付けて、そこで行った。フランス勝利の記念碑もコンピエーニュにあったが、それも爆破された。第一次世界大戦の敗戦の雪辱を晴らした思いは、第一次大戦の戦闘機エースのヘルマン・ゲーリングも同じであったろう。

写真(右)1940年5月,破損したドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機の回収作業:幅の狭い道路上を主翼を広げたまま運搬することは不可能なので、主翼根元の取り付け金具を切り離し、主翼を取り外して、別々に陸上運搬する。破損率50%以内であれば、回収、修理し再使用したようだ。
Collectie Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_007124 Beschrijving Ju 52 op een platbodem in Amsterdam, mei 1940 Plaats Amsterdam, Noord-Holland, Nederland Trefwoorden Junkers Specifieke kenmerken 9P+HL Vervaardiger Onbekend
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_007124 引用。


ユンカースJu52輸送機は、最高速度 265km/h、航続距離 870 km、実用上昇限度 6,100 mと決して高性能ではないが堅牢で信頼性が高く使いやすかった。そこで、ユンカースJu-52をより大型化したJu-252、木製化して資源節約化したJu-352などが実用化されても主力輸送機として終戦まで輸送任務に多用された。1930年の初飛行から終戦までの15年間に軍・民合わせて4,800機が生産された。

写真(右)1940年5月以降,破損したドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52輸送機を艀に載せて運河水上交通を使って回収する作業:オランダからドイツにかけて、平野部では、中世以来の運河水上交通が発達していたため、陸路以外、水路を使った破損期の回収、修理作業が実施されていた。
Fotoafdrukken Koninklijke Luchtmacht Objectnummer 2157_001290 Beschrijving Twee rompen van een Ju 52 worden na de strijd in mei 1940 afgevoerd voor herstel. Datering van 1940 Trefwoorden Junkers Vervaardiger Onbekend Copyright NIMH
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): 2157_007124 引用。


ドイツ軍空挺部隊(降下猟兵)は空軍の所属になり,空軍のクルト・シュトゥデント大将が率いる第11空挺軍団に所属する第1降下猟兵師団を中核とする約2万人が投入された。

写真(右)1940年5月,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港、フランス侵攻にしたドイツ空軍の総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、ユンカースJu52輸送機に乗って、オランダに到着、降機しようとしている。
Al kort na de Nederlandse capitulatie in mei 1940 landde de bevelhebber van de Luftwaffe, Hermann Göring, op Waalhaven voor stafbesprekingen in Nederland.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


1933年1月のドイツ・ナチ党政権獲得で、ヘルマン・ベーリング(Hermann Göring)は、プロイセン州首相に任命され、1934年7月から森林長官、狩猟長官を兼任し、自らの狩猟のために、野生動物保護や自然保護狩猟区の設置を進め、狩猟法を制定して乱獲を戒めた。これを動物愛護・自然保護と結び付けるのは錯覚で、自らの狩猟を盛大なものにする布石だった。1936年8月には四カ年計画全権責任者、1937年11月には経済相となり、戦争経済、自給自足を進め、ユダヤ人を経済活動から排斥して、経済のアーリア化と称して蓄財に励んだ。

写真(右)1940年5月,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港、フランス侵攻にしたドイツ空軍の総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥が、ユンカースJu52輸送機に乗って、オランダの地を踏んだ。
Al kort na de Nederlandse capitulatie in mei 1940 landde de bevelhebber van de Luftwaffe, Hermann Göring, op Waalhaven voor stafbesprekingen in Nederland. Beeld: NIMH .
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)のドイツ空軍は,フランス侵攻には、アルベルト・ケッセリングAlbert Kesselring)将軍の第二航空軍,フーゴー・シュペルレ将軍の第三航空軍をあて,そこに双発爆撃機1120機,単発Ju-87急降下爆撃機シュツーカ342機,複葉Hs-123襲撃機42機,単発Me-109戦闘機1016機,双発Me-110戦闘機248機を配備した。1940年5月10日0430,ケルン郊外の航空基地をユンカースJu-52輸送機41機が離陸,輸送機は各々1機のDFS-230グライダーを曳航していた。グライダーには,1機当たり8-12人の降下猟兵(空挺隊員)が搭乗していた。このドイツ空軍の空挺部隊が,ベルギーのマース川の要衝マーストリヒト近くのエバン・エマール要塞に降下し,ベルギー兵士1200人の守備していた近代的な要塞を,その日のうちに攻略した。

写真(右)1940年5月,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港で、オランダ侵攻の時、強行着陸して破損した機ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52輸送のBMW132空冷星形9気筒エンジン・主翼・胴体後部などの残骸:後方には、進駐してきたドイツ軍兵士が戦跡巡りをしている様だ。ユンカースの機体の特徴である波板形状のジュラルミンの外板が確認できる。
Waalhaven lag na afloop van de strijd in mei 1940 bezaaid met vliegtuigwrakken van vooral Duitse makelij. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1940年5月,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港、ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送:主輪には、空気抵抗を減らす車輪カバーが掛けられている。しかし、カバーと主輪の隙間に、泥や雪が詰まるリスクがあり、整備にも手間がかかるために、多くの機体では車輪カバーを取り外していた。
Een Junkers Ju 52 op Waalhaven, mei 1940.. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1940年5月以降-1942年頃,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港で、オランダ侵攻の時、強行着陸して破損した機ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52輸送を修理している。:機首のBMW132 空冷星形エンジンを修理している様だ。機体の降着装置には車輪カバーを掛けている。
Direct na de Nederlandse capitulatie begon op Waalhaven het opruimen van de vliegtuigwrakken en de reparatie van de nog herstelbare Duitse vliegtuigen, waaronder een aantal Ju 52-transporttoestellen. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1941年1月,オランダ、ロッテルダム(Rotterdam)郊外、ワールハーフェン(Waalhaven )空港、ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送が雪の飛行場に着陸した。:主輪には、空気抵抗を減らす車輪カバーが掛けられている。しかし、カバーと主輪の隙間に、泥や雪が詰まるリスクがあり、整備にも手間がかかるために、多くの機体では車輪カバーを取り外していた。
Een JU 52 op Waalhaven in januari 1941. Het Rotterdamse vliegveld is tijdens de oorlogsjaren nauwelijks gebruikt door eerstelijnseenheden van de Luftwaffe. Wel waren er geregeld transport- en verbindingsvliegtuigen aanwezig. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1940年12月,オランダ中部、ハーグ(Den Haag )南7キロ、イペンブルグ(Ypenburg)基地、ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送のコックピット上の銃座から敬礼するドイツ軍兵士:1936年8月に整備されたイペンブルグ(Ypenburg)基地にあったオランダ空軍機は、1940年5月10日、ドイツ空軍機を迎撃した。この空中戦は、ハーグ上空で戦われた。 同時に、ドイツ空軍は、降下猟兵を乗せたJユンカースJu52輸送機をイペンブルグに着陸しようとした。オランダの降伏後、ドイツ人はイペンブルグ基地を修復し、拡大したが、ドイツの戦闘機部隊にはほとんど役に立たなかった。1941年の初め、レーワールデンに拠点を置くドイツ戦闘機部隊が、ハーグの防衛を担当した。ハーグにはドイツの高官がおり、VIP、郵便、物品の輸送に重点が置かれていた。
Een Junkers 52 van de Flugbereitschaft van de Wehrmachtsbefehlshaber in den Niederlanden (WBN) op Ypenburg in december 1940. Het transporttoestel werd vooral ingezet voor het vervoer van hooggeplaatste functionarissen van en naar Den Haag. Op het moment van de opname was de Flugbereitschaft nog op Valkenburg gestationeerd. Vanaf april 1941 ging echter Ypenburg als thuisbasis dienen. De stationering op het Haagse vliegveld duurde een klein jaar. Begin april 1942 vertrok de Flugbereitschaft naar Hilversum. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Multimedia 引用。


写真(右)1941年5月,オランダ北部、フローニンゲン(Groningen)南10キロ、エールデ(Eelde)基地、ドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送:1931年5月に整備されたエールデ(Eelde)基地には、1939年9月にはオランダ空軍戦闘機部隊が配備された。ドイツ占領後は、1940年から1941年には、メッサーシュミット(Messerschmitt) BF 109戦闘機を配備する第27戦闘航空団第6飛行隊(6./JG 27)が配備され、1944年には、ドルニエ DO 217爆撃機を配備する第2爆撃航空団第9飛行隊(9./KG 2)の基地ともなった。
De Ju 52 op Eelde voorafgaand aan de verplaatsing van het grondpersoneel naar Westerland. De ‘Tante Ju’ was het standaardtransportvliegtuig van de Luftwaffe tijdens de Tweede Wereldoorlog. Het toestel beschikte over drie motoren, een vast landingsgestel en een kenmerkende ribbelbeplating.
Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH): Multimedia 引用。



写真(上)1941年5月,オランダ北部、フローニンゲン(Groningen)南10キロ、エールデ(Eelde)基地にドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送で到着した第52戦闘航空団第1飛行隊
:1931年5月に整備されたエールデ(Eelde)基地には、1939年9月にはオランダ空軍戦闘機部隊が配備された。ドイツ占領後は、1940年から1941年には、メッサーシュミット(Messerschmitt) BF 109戦闘機を配備する第27戦闘航空団第6飛行隊(6./JG 27)が配備され、1944年には、ドルニエ Do-217爆撃機を配備する第2爆撃航空団第9飛行隊(9./KG 2)の基地ともなった。
De 1./JG 52 vertoefde in april/mei 1941 enige weken op Eelde. Een deel van het personeel vertrok in mei 1941 met een Ju 52 naar Westerland op het Duitse Waddeneiland Sylt. Mogelijk is de officier tweede van links op de foto de vliegveldcommandant van de Groningse Flugplatz, Hauptmann Erdmann. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1941年5月,オランダ北部、フローニンゲン(Groningen)南10キロ、エールデ(Eelde)基地にドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju52輸送で到着した第52戦闘航空団第1飛行隊:1931年5月に整備されたエールデ(Eelde)基地には、1939年9月にはオランダ空軍戦闘機部隊が配備された。ドイツ占領後は、1940年から1941年には、メッサーシュミット(Messerschmitt) BF 109戦闘機を配備する第27戦闘航空団第6飛行隊(6./JG 27)が配備され、1944年には、ドルニエ Do-217爆撃機を配備する第2爆撃航空団第9飛行隊(9./KG 2)の基地ともなった。
Nog een opname van het grondpersoneel van de 1./JG 52 dat bepakt en bezakt op Eelde klaar staat om in het vliegtuig te stappen en te vertrekken naar Westerland op het Duitse Waddeneiland Sylt.. Beeld: NIMH.
写真はNederlands Instituut voor Militaire Historie (NIMH) Multimedia 引用。


写真(右)1942年3月21日,フランス、ドイツ空軍ユンカースJunkers Ju52輸送機から降り立ったドイツ空軍フーゴ・シュペルレ(Hugo Sperrle)元帥:ドイツ空軍第三航空軍司令官としてドイツからフランスに侵攻、フランス降伏に戦功により、7月19日、ベルリンの国会(クロルオペラ)において、空軍のエアハルト・ミルヒ、アルベルト・ケッセルリンクと同時に元帥に昇格した。その後、バトル・オブ・ブリテンに参加したが、イギリス南部の制空権すら確保できず、敗退した。1944年8月19日、西部戦線の敗退の咎で第三航空軍司令官を解任。
Frankreich.- Besuch von Generalfeldmarschall Hugo Sperrle auf einem Flugplatz / Fliegerhorst, Besichtigung der Anlage und der Mannschaft; KBK Lw 3
Depicted people Sperrle, Hugo: Generalfeldmarschall, Ritterkreuz (RK), Luftwaffe, Deutschland (GND 129966207) Depicted place France Date 21 March 1942 Photographer Seuffert
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-373-2618-08, Frankreich, Besuch von Hugo Sperrle.jpg"引用。


[ユンカースJu-52輸送機]

ユンカースJu-52輸送機:ノルウェー侵攻で初めて降下猟兵(空挺部隊)を実戦参加させた。空挺部隊とは、パラシュート降下、グライダー降下、輸送機による強行着陸によって、迅速に現地に派兵される戦闘部隊のことである。

ドイツ軍にとっては,兵力手薄なバルカン方面の側面を突いてくる地中海クレタ島のイギリス軍守備隊は,排除すべき敵の拠点であった。ドイツ軍は,1941年5月-6月にはソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の発動を準備していたから,その前に,側面を防御するためにも,クレタ島は占領する必要があった。

 当時,エーゲ海の浮かぶクレタ島にドイツ軍が輸送船を派遣,上陸部隊を送ることは困難だった。クレタ島,アレキサンドリア,マルタ島などに基地を持つ英海軍の地中海艦隊が制海権を握っていたからである。そこで,英海軍の妨害を受けないように,海路ではなく,空路でクレタ島にドイツ軍兵力を派遣する大空挺作戦が立案された。

 ドイツ軍の空挺部隊は「降下猟兵(Fallschirmjäger)」と呼ばれるが,クレタ島の航空基地のあるマレメ、イラクリオンなど飛行場に輸送機あるいはグライダーで乗りつけ,周辺にパラシュート部隊を降下させる大規模な空挺作戦が立案された。そして,敵航空基地を制圧した後,海路で上陸部隊を派遣する計画を立てたのである。

写真(右)1941年5月,ギリシャ、地中海、クレタ島に侵攻したドイツ空軍ユンカースJunkers Ju 52輸送機が撃墜された。Ju52は、降下猟兵をクレタ島に運ぶ任務を遂行した。:パラシュート降下して、奇襲により橋頭保を築くのを目的としていた。後の西側連合軍のパラシュートと比較すると、ドイツのパラシュートは、複数の吊り紐でなく、一本吊り紐で人体と結んでいるので、空中操作性が悪かった。
CRETE, GERMAN PARACHUTE TROOPS LAND ON THE ISLAND. MAY 1941. THE GERMAN BOMBING OF THE HERAKLION AERODROME, NEAR CANDIA WAS FOLLOWED BY GROUND STRAFING BY MESSERSCHMITTS. WHILE THESE FIGHTERS PATROLLED THE BOMBED AREA, TROOP-CARRYING AIRCRAFT FOLLOWED IN, ESCORTED BY BOMBERS. PARACHUTE TROOPS, OF WHOM 60 TO 70 PERCENT WERE DESTROYED BEFORE REACHING THE GROUND, WERE THEN DROPPED.
Object description A blazing German troop-carrier (JU-52), hit by machine-gun fire from an entrenchment adjacent to the bombed area during the invasion of Crete, May 1941. Parachute troops and equipment are seen descending.
Related periodSecond World War (production), Second World War (content)CreatorRoyal Navy official photographerPart of ADMIRALTY OFFICIAL COLLECTION
写真はIWM: Catalogue numberA 4154引用。


写真(右)1941年5月,ギリシャ、地中海、クレタ島に侵攻したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 52輸送機が被弾して黒煙を吐きながら下降している。:パラシュート降下するドイツ空軍の降下猟兵は、ノルウェー、オランダと3回目の大規模な空挺作戦だったが、これを最後に空挺作戦は行われなかった。西側連合軍のパラシュートは、肩の左右に吊り紐が合計2本あるが、ドイツのパラシュートは、一本吊り紐だったので、空中操作性が悪かった。
THE GERMAN INVASION OF CRETE, MAY 1941.
Object description The paratroop plane crashes to its doom. (JU-52).
Related periodSecond World War (production), Second World War (content)
写真はIWM: Catalogue number A 4155引用。


ドイツ軍空挺部隊は空軍の所属になり,空軍のクルト・シュトゥデント大将が率いる第11空挺軍団に所属する第1降下猟兵師団を中核とする約2万人が投入された。

写真(右)1941年5月13日,ドイツ軍主力輸送機ユンカースJu-52「タンテ」でクレタ島侵攻に向かうドイツ軍部隊:パラシュート降下する空挺部隊もあったが,多くは輸送機で飛行場に着陸して降機した。搭乗する兵士たちは,ガスマスクを入れた円筒ケースなど,身の回りに外装品をいくつも装備している。パラシュート降下する降下猟兵は,命綱が引っかからないように,外装品は最小限にとどめている。つまり、映っている兵士はパラシュート降下する降下猟兵ではない。
1936年スペイン内戦のゲルニカ爆撃に参加したが,第二次大戦では輸送機として使用。
Original title: Eine einzigartige Leistung vollbrachten unsere Truppen bei der Besetzung der Insel Kreta. Am Morgen des 20. Mai landeten die ersten Fallschirmjäger und im Laufe der nächsten Tage werden immer weitere größere Verbände Fallschirmjäger und Luftlandetruppen nachgezogen. Der Kampf um die schwer befestigten britischen Gebirgsstellungen erforderte bei unseren Gebirgstruppen, die mit Transportmaschinen nach Kreta befördert wurden, den höchsten Einsatz.
Unser Bild zeigt Gebirgsjäger kurz vor ihrem Start nach Kreta. PK-Jesse-Scherl, 31.5.41 [Herausgabedatum], Dating: Mai 1941 Photographer: Jesse 撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用


写真(右)1941年5月28日,ギリシャ、地中海、クレタ島にドイツ軍兵士や物資を空輸したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機:右側の兵士は、胴体の扉からクレタ島への一歩をしるす、といった感じで飛び降りた瞬間の記念写真。
Griechenland, Raum von Chania (Kreta), 28.5.1941 Soldaten verlassen das Transportflugzeug. Heeres-Filmstelle Negativ-Nr. St.B 171/3 Griechenland, Raum von Chania (Kreta).- Luftwaffen-Soldaten beim Aussteigen aus einer Junkers Ju 52
Depicted place Kreta Date 28 May 1941 Photographer Unknown
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 146-1980-090-34, Kreta, Soldaten beim Verlassen einer Ju 52.jpg"引用。


写真(右)1941年5月,ギリシャ、地中海、クレタ島に降下するためにドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機に乗り込むドイツ空軍降下猟兵:背中には、パラシュート(落下傘)を背負っており、降下時に紐や空気抵抗で乱れないように、凹凸の少ない降下服を着用、落下時の衝撃を和らげるために、膝当てクッションが縫い込まれている。降下猟兵用のヘルメット(鉄帽)は、縁が短く切り揃えられていて、一般兵士のものとは形状が異なる上に、迷彩カバーが掛けられている。
Original caption: Fallschirmjäger für Leros! Griechenland, Kreta.- Fallschirmjäger beim Besteigen eines Transportflugzeugs Junkers Ju 52; Lw KBZ 18
Depicted place Kreta Date November 1943 Photographer Bauer
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-527-2349-04, Kreta, Fallschirmjäger vor Start mit Ju 52.jpg"引用。


ドイツ軍にとっては,兵力手薄なバルカン方面の側面を突いてくる地中海クレタ島のイギリス軍守備隊は,排除すべき敵の拠点であった。ドイツ軍は,1941年5月-6月にはソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の発動を準備していたから,その前に,側面を防御するためにも,クレタ島は占領する必要があった。

ドイツ軍の空挺部隊は「降下猟兵(Fallschirmjäger)」と呼ばれるが,クレタ島の航空基地のあるマレメ、イラクリオンなど飛行場に輸送機あるいはグライダーで乗りつけ,周辺にパラシュート部隊を降下させる大規模な空挺作戦が立案された。そして,敵航空基地を制圧した後,海路で上陸部隊を派遣する計画を立てたのである。

当時,エーゲ海の浮かぶクレタ島にドイツ軍が輸送船を派遣,上陸部隊を送ることは困難だった。クレタ島,アレキサンドリア,マルタ島などに基地を持つ英海軍の地中海艦隊が制海権を握っていたからである。そこで,英海軍の妨害を受けないように,海路ではなく,空路でクレタ島にドイツ軍兵力を派遣する大空挺作戦を実行した。

写真(右)1942年7月,ギリシャ、地中海、クレタ島、ユンカースJu-52タンテ輸送機から荷物台車を運搬中:機体左側方には扉があり、そこから大型貨物の積み下ろしができた。Ju-52後継機のJu-258では、機体後部にランプ(引きおろし式底面)を設けて、そこから大型貨物を出し入れした。Me-323は、機首に観音開きの大型扉を設けて、トラックや火砲を出し入れした。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-543-0569-17
Archive title: Griechenland, Kreta.- Soldaten bei Be- oder Entladen eines Krad mit Beiwagen (Motorradgespann) in/aus Flugzeug Junkers Ju-52; PK XI. Fliegerkorps
Dating: Juli 1942 Photographer: Schnitzer Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・Bild 101I-543-0569-17引用(他引用不許可)。


写真(右)1942年夏,ギリシャ、地中海、クレタ島マレメに不時着破損したユンカースJu-52タンテ輸送機:クレタ攻略には数百機のJu52輸送機が参加し、空から送り込んだ地上兵力によってイギリス軍守備隊を撃破し、クレタ島を占領することができた。しかし、多数の輸送機、降下猟兵を失い、ドイツ軍は二度と大規模空挺作戦を実施できなくなった。
Inventory: Bild 141 - Sammlung Library of Congress
Signature: Bild 141-0828
Archive title: Kreta-Malemes.- beschädigtes Flugzeug Junkers Ju-52 (Kennung 1Z+BA) auf Flugplatz. Im Vordergrund Krad mit Beiwagen (Motorradgespann) und Fallschirmjägern
Dating: 1941 Sommer
Photographer: o.Ang. Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 141-0828"引用(他引用不許可)。


大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)に次の記事がある。
遂に現われた『音なき空中列車』−クレータ島攻撃にドイツ軍がグライダーで兵員を輸送する戦史空前の電撃作戦を開始、寝耳に水の英希(ギリシャ)軍を驚倒せしめ、世界中をあっといわせた「空中列車」とは何か?…  

本社特電によれば一万名前後を空中輸送したとあるから少くとも一機に二十乃至三十名搭載出来るグライダー四百余台を夕刻既報の如くソ連式に左右に十台くらいずつV字型に曳航したもの、或はドイツ式に一線に十台くらい曳航したものと想像され、曳航機はユンカースJU五二型三発、または同八六型双発や同九〇型四発あるいはフォッケ・ウルフ・コンドル型四発の大型車爆撃機が少くとも四十機出動したものとみられる。

大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)の記事続き:
この新作戦の花形たるグライダーについて大阪のグライダー設計家某氏の見るところによると主翼は木製羽布張り、胴体は木製合板張、翼長は約五十メートル、全長約二十二メートルで機首には強力な着陸照明灯、曳航索取附具があり、左右主翼には着陸を自由にするためスポイラーがあり、また六千メートル以上亜成層圏飛行のため酸素吸入の設備もある、離着陸には橇のかわりに二個乃至三個の車輪が取附けられ、引込式となっている、そして「空中列車」は敵の意表に出て機先を制するため夜間が利用される,発動機(エンジン)四個の重爆機が十台のグライダーを直線に曳航するとしてその場合グライダー間の前後の距離はだいたい五十メートルだから曳航機から最後尾のグライダーまでは実に五百メートル近くになるわけだ、(引用終わり)
[記事では,グライダーを曳く輸送機の性能過大,夜間作戦能力のないグライーダーの夜襲,四発重爆の使用などドイツ軍の戦力を過大評価している。]

写真(右)1944年夏(?),フランス、ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機の扉の手摺を掴んで地上降下訓練をするドイツ空軍降下猟兵:背中には、パラシュート(落下傘)を背負っており、降下時に紐や空気抵抗で乱れないように、凹凸の少ない降下服を着用、落下時の衝撃を和らげるために、膝当てクッションが縫い込まれている。降下猟兵用のヘルメット(鉄帽)は、縁が短く切り揃えられているが、これは降下中に索がヘルメットに引っかからないようにするため。ただし、迷彩カバーはない。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-584-2154-06A
Archive title: Frankreich.- Fallschirmjäger vor Absprung (Übung-) ; PK Fs AOK
Dating: 1944 Sommer
Photographer: Wagner Origin: Bundesarchiv
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-584-2154-06A, Frankreich, Fallschirmjäger vor Absprung (Übung-) cropped-fake.jpg"引用。


大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)に次の記事がある。

遂に現われた『音なき空中列車』−クレータ島攻撃にドイツ軍がグライダーで兵員を輸送する戦史空前の電撃作戦を開始、寝耳に水の英希(ギリシャ)軍を驚倒せしめ、世界中をあっといわせた「空中列車」とは何か?…  

本社特電によれば一万名前後を空中輸送したとあるから少くとも一機に二十乃至三十名搭載出来るグライダー四百余台を夕刻既報の如くソ連式に左右に十台くらいずつV字型に曳航したもの、或はドイツ式に一線に十台くらい曳航したものと想像され、曳航機はユンカースJU五二型三発、または同八六型双発や同九〇型四発あるいはフォッケ・ウルフ・コンドル型四発の大型車爆撃機が少くとも四十機出動したものとみられる。

大阪朝日新聞 1941.5.22(昭和16)の記事続き:

この新作戦の花形たるグライダーについて大阪のグライダー設計家某氏の見るところによると主翼は木製羽布張り、胴体は木製合板張、翼長は約五十メートル、全長約二十二メートルで機首には強力な着陸照明灯、曳航索取附具があり、左右主翼には着陸を自由にするためスポイラーがあり、また六千メートル以上亜成層圏飛行のため酸素吸入の設備もある、離着陸には橇のかわりに二個乃至三個の車輪が取附けられ、引込式となっている、そして「空中列車」は敵の意表に出て機先を制するため夜間が利用される,発動機(エンジン)四個の重爆機が十台のグライダーを直線に曳航するとしてその場合グライダー間の前後の距離はだいたい五十メートルだから曳航機から最後尾のグライダーまでは実に五百メートル近くになるわけだ、(引用終わり)

[日本の記事では,グライダーを曳く輸送機の性能過大,夜間作戦能力のないグライーダーの夜襲,四発重爆の使用などドイツ軍の戦力を過大評価している。]

写真(右)1941年4月3日、北アフリカ、ドイツ空軍のユンカースJunkers Ju 52輸送機
Beeldnummer 141 Collectie NIOD
Trefwoorden Transportvliegtuigen, Vliegtuigen, Vliegvelden
Locatie Naam: Africa
Bijschrift Ju 52 Nachschub für Afrika. Einen Flughafen in Afrika, auf dem der Nachschub für die deutschen Truppen eintrifft. Die Riesenleiber der dreimotorigen Maschinen können grosse Mengen herbeischleppen. Sobald die Motoren angeworfen sind wirbelt eine Wolke von Sand und Staub auf (links oben im Bild). Junkers.
Datum 03/04/1941.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 141引用。


写真(右)1941年,地中海、北アフリカへの兵士空輸任務に就いているドイツ空軍のユンカースJu52/3m輸送機:イタリアと北アフリカ、チュニジア間における空輸任務に就いている様だ。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-538-0344-11
Archive title: Mittelmeerraum.- Soldaten der Luftwaffe (Fallschirmjäger) mit Tropenhelmen und Gepäck vor Transportflugzeug vom Typ Junkers Ju 52 vor dem Überflug nach Nordafrika; ca. Anfang 1941; PK XI. Fliegerkorps
Dating: 1941 Anfang
Photographer: Kayser, Bruno v
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(上)1942年7月、バルカン方面(?)、ドイツ空軍第1降下猟兵師団の兵士が搭乗するユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機(B1+HA )
;胴体左中央には、人員用の小型出入り扉があり、胴体右中央には、大型貨物を出し入れする大型扉がある。高低差があるので、はしごを掛けて登っている。胴後上方と胴体側面(出入口右)に銃座があり、各々7.92ミリMG15機関銃1丁が装備されている。
Laat Luutnantti T.Räisänen, valokuvaaja
Laat. RPr:n komentaja, eversti Jäärvinen nousemassa Hanneloreen. I Ilma-armeijakunnan kuljetuslentueen (Tr.St.I. Fliegerkorps) Ju 52, tunnus B1+HA ja koneen nimi Hannelore.
Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-07-11
Luutnantti T.Räisänen, valokuvaaja
写真はMuseot.Finna引用。


写真(右)1942年7月、バルカン方面(?)、ドイツ空軍第1降下猟兵師団の兵士が搭乗するユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機(B1+HA );胴体左中央には、人員用の小型出入り扉があり、胴体右中央には、大型貨物を出し入れする大型扉がある。高低差があるので、はしごを掛けて登っている。胴後上方と胴体側面(出入口右)に銃座があり、各々7.92ミリMG15機関銃1丁が装備されている。
Laat Luutnantti T.Räisänen, valokuvaaja Laat. RPr:n komentaja, eversti Jäärvinen nousemassa Hanneloreen. I Ilma-armeijakunnan kuljetuslentueen (Tr.St.I. Fliegerkorps) Ju 52, tunnus B1+HA ja koneen nimi Hannelore.
Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1942-07-11 Luutnantti T.Räisänen, valokuvaaja
写真はMuseot.Finna引用。


写真(右)1942-1943年,北アフリカ戦線、チュニジア、ドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機に担架で運ばれる負傷兵:患者輸送機だが、国際赤十字マーク、白色塗装の国際法上の患者輸送機ではない。扉の下側は、踏み台で滑り止めが付けられている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-421-2057-28A
Archive title: Nordafrika, Tunesien.- Einladen einer Bahre mit Verwundetem in Flugzeug Junkers Ju 52; KBK Lw 6
Dating: 1942/1943 ca. Photographer: Kamm, Richard Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


写真(右)1942-1943年、北アフリカ、チュニジア、地中海上空を飛翔するドイツ空軍のユンカースJu52/3m輸送機の貨物室で休息する搭乗員: 海上に不時着した場合に備えて、救命胴衣(ガポック)をつけて簡易ベッドに横になっている。イタリアと北アフリカ、チュニジア間における空輸任務の最中であろう。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-421-2057-25A
Archive title: Nordafrika, Tunesien.-in einem Transportflugzeug Junkers Ju 52; KBK Lw 6
Dating: 1942/1943 ca.
Photographer: Kamm, Richard
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)1943年初頭,地中海上空を飛翔するドイツ空軍のユンカースJu52/3m輸送機:イタリアと北アフリカ、チュニジア間における空輸任務に就いている様だ。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-628-3476A-23
Archive title: Mittelmeerraum.- Landzunge mit Leuchtturm, Geschwader Junkers Ju 52; KBK Lw zbV Dating: 1943 Anfang
Photographer: Wundshammer, Benno
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)北アフリカ、地中海上空を飛翔するドイツ空軍のユンカースJu52/3m輸送機の編隊:イタリアと北アフリカ、チュニジア間における空輸任務に就いている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-788-0011-39
Archive title: Nordafrika, Tunesien, algerische Grenze.- Geschwader Junkers Ju 52; PK Afrika
Dating: 1943
Photographer: Wörner
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)1943年10月7日,ギリシャ、エーゲ海東部、ドデカネス諸島アスティパレア島近くを飛翔するドイツ空軍のユンカースJu52/3m輸送機:イタリア領ドデカネス諸島に侵攻したイギリス軍を追い落とすため、ドイツ軍兵士を空輸する任務に就いている。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-525-2299-20A
Original title: info Absetzen von Fallschirmjägern auf Stampalia.
Anflug der Ju 52 im engen Verband nach Süden, dem Ziel zu. Sie haben Fallschirmjäger geladen. Man sieht es an den ausgebauten Türen. Im Tiefstflug geht es über das blaue Wasser der Ägäis, vorbei an den buchtenreichen Küsten der griechischen Inseln Archive title: Ägäis, Stampalia.- Verband von Transportflugzeugen Junkers Ju 52; Lw KBZ 18
Dating: 7. Oktober 1943
Photographer: Wundshammer, Benno
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)1943-1944年,ギリシャ、エーゲ海東部、ドデカネス諸島アスティパレア島、ドイツ空軍のユンカースJu52/3m水上輸送機で移送されるイギリス軍捕虜:ドイツ軍は降下猟兵をドデカネス諸島アスティパレア島に派遣し、占領した。1943年9月8日、イタリア休戦を睨んで、イタリア領ドデカネス諸島にイギリス軍が侵攻、占領した。ドイツ軍は、ここからバルカン半島への連合軍侵攻を危惧し、ドデカネス諸島を再占領するため、空挺部隊を派遣し、イギリス軍を排除した。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe
Signature: Bild 101I-526-2301-21A
Original title: info Wir befreiten die Gefangenen von Stampalia.- Bilder begleiten chronologisch das Geschehen, wie im Wortbericht geschildert.
Archive title: Balkan, Ägäis, Stampalia.- Gefangene und Soldaten am Strand auf den Abtransport wartend. Wasserflugzeug Junkers Ju 52/3m Seeausführung; Lw Kdo S&uauml;dost
Dating: 24. Oktober 1943
Photographer: Niemeyer
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

ガウス・リングから発生する磁力線を使って磁気反応機雷を誘爆させ、総会を進める。地中海方面、北海、ノルウェー沖、フィンランド沖、フランス沖のほか、東欧のドナウ川にイギリス空軍が空中投下した機雷掃海のために、ブルガリアにも投入されている。

写真(右)1941年頃,機首とエンジンをカバーで被ったドイツのユンカースJu52/3m-MS機雷掃海機:降着装置は初期型の流線型の主輪カバーを装着。
Junkers, Ju.52 Catalog #: 01_00081587
Title: Junkers, Ju.52 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany Designation: Ju.52
写真は,SDASM Archives・Catalog #: 01_00081587引用。


ユンカースJu52/3m-MS機雷掃海機の機首下面から主翼前方には鉄プパイ製の構造物が追加されているが、これは電磁力を応用した磁力線によって、磁気機雷を感応、起爆させる機雷掃海装置。磁力線は、直径14.3mの円形リング状のパイプ(ガウス・リング)で作られる。このガウス・リングは、機内に搭載したメルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)によって15kWのジェネレーター(発電気)を駆動することで、磁力を生み出している。ジェネレーター(発電気)には、冷却器が必要だが、それは胴体下面に突出している。胴体後上方には、支柱が取り付けられているが、これは大型円形リングを支える張線の留め金であるリングは、機首の下、主翼の左右下、尾部で胴体に留められているが、主翼後端から尾部の間に、張線を使ってリングを固定しているのである。ガウスリング、ジェネレーター、追加冷却器を搭載したことで、機雷掃海型の重量増加は、1150kgに達している。

磁場コイルElectromagnetic coil)は大型で、機首・主翼。尾部の下面には取り付け具があるが、主翼後方に飛び出した、磁場コイルガウス・リング)、には、張線が繋がれていて、後上方にある支柱と繋いで、固定されている。Ju52輸送機を改造した機雷敷設機は、磁場コイルElectromagnetic coil)、ジェネレーター、冷却器などを装備したために、輸送機型に比較して1150キロ重量が増加した。しかし、Ju52輸送機の貨物搭載量は2トンあるので、この程度の重量増加は十分に耐えることができた。ただし、ガウス・リングや冷却器の空気抵抗は大きく、最高速力、航続距離の低下は避けられなかった。

写真(右)1940-1943年頃、フランス沿岸を機雷掃海飛行をするドイツ空軍のユンカース(Junkers)Ju 52/3m-MS機雷掃海機:直径14.3メートルもの大型(磁場コイルガウス・リング)を機体下面に装着し、電磁力を発生させながら編隊飛行で低空飛行する。この活動によって、海底にある磁気感応式機雷を誘爆させて、海上交通路を確保する。編隊飛行で下を飛行する僚機を撮影している。手前(上)には撮影している機体のガウス・リング(電磁コイル)がクローズアップで映し出されている。
Collectie Nationaal Oorlogs- en Verzetsmuseum Overloon / Liberty Park.
Trefwoorden Luftwaffe, Opsporing.
Bijschrift Een Duits militair vliegtuig. Aan de onderzijde is een grote ring bevestigd. Junkers 52.
Datum type Opname.
写真はBeeldbank WO2 Beeldnummer 143514 引用。


ドイツのユンカースJu52/3m-MS機雷掃海機は、機首下面、主翼下面、胴体下面に円形パイプの電磁コイルを装備しているのが外観上の大きな特徴である。これは、直径14.3mの円形リング状のパイプ(ガウス・リング)で、電磁誘導によって電磁力を発生させ、磁力線によって、海底に仕掛けられた磁気感応式機雷を感応、起爆(誘爆)させる機雷掃海装置である。磁場コイルElectromagnetic coil)の電磁力は、機体に搭載したメルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を駆動して、15kWのジェネレーター(発電気)のよって電気エネルギーを作り、作動させる。このジェネレーター(発電気)に必要な冷却器は、胴体下面に突出したバルジに収められている。これは、飛行中の空冷効果を求めた設計である。

写真(右)1941-1944年,ドイツ空軍のユンカースJu-52/3m-MS機雷掃海機の編隊:ユンカースJu-52/3m-MS機雷掃海機は、海面上を低空で編隊飛行して、直径14.3mの円形リング状パイプ(ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録 "Bild 101I-643-4755-30A"引用。

ユンカースJu52/3m-MS機雷掃海機は、磁力感応機雷を掃海する直径14.3メートルもある磁場コイルElectromagnetic coil)を、機体周囲に水平に搭載している。直径14.3mの円形リング状パイプ(磁場コイルガウス・リング)は、メルセデス・ニュルンベルク8気筒液冷エンジン(55馬力)を使って15kWのジェネレーター(発電気)を駆動して、電磁誘導によって、磁力線を生み出している。ジェネレーター(発電気)用の冷却器は、胴体下面にある箱型バルジに取り付けられている。

写真(右)1941-1944年,ドイツ空軍のユンカースJu-52/3m-MS機雷掃海機の編隊:ユンカースJu-52/3m-MS機雷掃海機は、海面上を低空で編隊飛行して、直径14.3mの円形リング状パイプ(磁場コイル)の磁力線を使って磁気反応機雷を誘爆させ、掃海する。地中海方面、北海、ノルウェー沖、フィンランド沖、フランス沖のほか、東欧のドナウ川にイギリス空軍が空中投下した機雷掃海のために、ブルガリアにも投入されている。
Lettland.-
写真はEuropeana Collection 引用。


ユンカースJu52/3m-MS機雷掃海機の磁場コイルガウス・リング)は、機首の下、主翼の左右下、尾部で胴体に留められているが、主翼後端から尾部の間に、張線を使ってリングを固定している。磁場コイルは、重量もあり、空気抵抗も大きいために、Ju52の機体後上方には、三又アンテナ支柱が取り付けられていて、ここから磁場コイルに至る張線が出ていて、リングを固定している。磁場コイル、ジェネレーター、追加冷却器を搭載したことで、機雷掃海型の重量増加は、1150?に達している。

写真(右)1943年頃、北フランス、ロリアン駐屯の磁気機雷掃海用ユンカースJu-52がイギリス空軍タイフーン戦闘機(Typhoon Mark IB)に銃撃されているガンカメラ映像:輸送機の機体に発電機や電池を装備して、機体に周囲に円形リング式に磁力コイルを張り、電磁誘導によって強力な磁場を作る。磁気機雷は、その磁力を艦船の金属船体が発する磁力と認識して誤作動し爆発する。こうして、磁場を移動させながら磁気機雷を爆破し、掃海する。
Catalogue number: C 4095, Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION, Subject period:, Second World War,
Alternative Namesobject category: Black and white,
CreatorRoyal Air Force official photographer, Object description: Still from camera-gun footage shot from a Hawker Typhoon Mark IB flown by Flying Officer W V Mollett of No. 266 Squadron RAF, showing the shooting down of a Junkers Ju-52 /3mg6e minesweeping aircraft of the Minensuchgruppe off Lorient, France. Cannon shells from Mollett's aircraft are striking the sea and the fuselage of the Ju 52, which crashed into the sea shortly afterwards. Mollet shared the destruction of the Ju 52 with Flying Officer N J Lucas, also of 266 Squadron. 写真はイギリス帝国戦争博物館 Imperial War Museum登録・引用 IWM (C 4095)


艦船の金属船体が帯びている時期に反応する磁気機雷は、ドイツ海軍もイギリス海軍も使用していた。ドイツもイギリスもこの磁気機雷を空中から爆破し掃海するために、大型機にコイルを巻いた大型金属製のガウス・リングを装着して、電磁誘導によって磁気を発生させた。そして、艦船が発する時期と同じレベルとして、磁気機雷の信管を働かせ、爆破するのである。

写真(右)1941-1942年,バルト諸国、ラトビア(Lettland)、ユンカースJu-52タンテ輸送機で搬送される負傷兵:大型扉から担架に寝かせた負傷者を機内に運び入れることができた。赤十字マークを付けた機体もあったが、独ソ戦では人種絶滅戦争の側面が強くなり、赤十字を表示しても攻撃されるのが当たり前だった。そこで、赤十字記章をつけても目に付きやすくなるだけ不利となり、赤十字をつけた救護活動は見送られた。周囲の兵士たちは、外套、帽子、耳当てなど防寒具を着ている。
Lettland.-
Inventory: Bild 101 III - Propagandakompanien der Wehrmacht - Waffen-SS
Signature: Bild 101III-Duerr-053-10A Old signature: Bild 146-2005-0090
Archive title: Lettland.- Abtransport von Verwundeten mit einem Flugzeug (Junkers Ju-52)
Dating: 1941/1942 Winter Photographer: Dürr Origin: Bundesarchiv
写真はWikimedia Commons,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101III-Duerr-053-10A"引用


写真(右)1941年ー1942年冬,ソビエト連邦、ユンカースJu52/3m輸送機から降ろした貨物を橇(ソリ)に載せて運搬するドイツ軍将兵:後方では、Ju52輸送機の乗りもむのか、機体後方に兵士と荷物が写っている。
Sowjetunion.- Entladen einer Junkers Ju 52 durch Soldaten, Transport des Nachschubs durch Schnee auf Schlitten; PK 501
Depicted place Russia
Date 22 December 1941 Photographer Ullrich
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: File:Bundesarchiv Bild 101I-003-3446-21, Russland, Entladen einer Ju 52.jpg"引用。


写真(右)1942年2月,ロシア、東部戦線、輸送任務に就いたドイツ空軍ユンカース(Junkers) Ju52/3m輸送機:雪で覆われた滑走路には10機のJu52/3m輸送機が写っているが、白色迷彩塗装を施した機体も、車輪カバーを付けている機体はないようだ。飛行場には、貨物、人員を輸送するトラック、乗用車が写っている。
Rußland, Smolensk/Kursk.- Transportflugzeuge Junkers Ju 52 auf verschneitem Flugfeld; KBK Lw 8
Date February 1942
Photographer Heidrich
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-452-0953-07A, Smolensk-Kursk.- Ju 52 auf verschneitem Feld.jpg"引用。



写真(上)1941-1944年、ソビエト連邦、ノブゴロド、赤十字社の記章を描いたユンカース(Junkers)Ju52 3m患者輸送機
;胴体右中部に、大型貨物を出し入れする扉があり、そこから担架で負傷者・病人など患者を機内に運び入れることができる。開閉扉の下側は、そのままプラットホームとして使用される。右手前にはホルヒェKfz 31救急自動車(Ambulance Kfz 31 Horch )が停車している。
Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin.
Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja Sotamuseo Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Taustalla Junkers Ju 52:n
sairaankuljetusversio. Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Taustalla Junkers Ju 52:n sairaankuljetusversio.
Museot.Minna引用。



写真(上)1941-1944年、ソビエト連邦、ノブゴロド、赤十字社の記章を描いたユンカース(Junkers)Ju52/3m患者輸送機
;胴体右中部に、大型貨物を出し入れする扉があり、そこから担架で負傷者・病人など患者を機内に運び入れることができる。開閉扉の下側は、そのままプラットホームとして使用される。右端にはホルヒェKfz 31救急自動車(Ambulance Kfz 31 Horch )が停車している。
Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin.
Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
Sotamuseo Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Taustalla Junkers Ju 52:n sairaankuljetusversio.
Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Taustalla Junkers Ju 52:n sairaankuljetusversio.
写真はMuseot.Finna引用。


写真(右)1941-1944年、ソビエト連邦、ノブゴロド、赤十字社の記章を描いたユンカース(Junkers)Ju52/3m患者輸送機;胴体右中部に、大型貨物を出し入れする扉があり、そこから担架で負傷者・病人など患者を機内に運び入れることができる。開閉扉の下側は、そのままプラットホームとして使用される。右端にはホルヒェKfz 31救急自動車(Ambulance Kfz 31 Horch )が停車している。
Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
Sotamuseo Opintomatkakuvia, mm Novgorodiin. Taustalla Junkers Ju 52:n
sairaankuljetusversio. Kapteeni T.Suhonen, valokuvaaja
写真はMuseot.Finna引用。


写真(右)1930年代ー1940年代前半、フィンランド、雪の飛行場をユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機から降り立ったコートを着た軍人;Ju52輸送機は、車輪カバーを装着しているが、冬季白色迷彩塗装はしていない。右端の軍人は、手にカメラを抱えているので、報道写真を撮影するために待機していたのであろう。胴体後上方の銃座には、7.92ミリMG15旋回機関銃を装備している。
Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä.
Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Lufthansan Junkers Ju 52.
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot: ajoittamaton Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja
写真はMuseot.Finna引用。


ユンカースJu52輸送機は、ユンカース社が1930年に初飛行させた単発機だったが、エンジンの出力不足の為に、1931年4月にプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1690 空冷星形9気筒エンジンを3基を搭載したJu52/3mの試作機が作られた。エンジン(Motor:モトール)1基の型は、Ju52/1mと、エンジン(モーター)3基の型はJu52/3mと区別したのは、これからである。結局、単発輸送機Ju52/1mの生産は中止され、三発輸送機Ju52/3mが1932年から量産されるた。

写真(右)1930年代-1940年代前半、フィンランド、ユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機から降り立ったオーバーを着た民間人と軍人;胴体側方の銃座には、7.92ミリMG15旋回機関銃を装備しているが、胴体後上の銃座は、7.92ミリMG81旋回機関銃のように見える。コートを着た中央の将校が指揮官らしい。右端の兵士はオーバーオールの飛行服を着用している。
Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä.
Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja
Taiteilija Grothe vastaanottajineen Malmin lentokentällä. Lufthansan Junkers Ju 52.
Aineistotyyppi ?Valokuva
Kuvaustiedot: ajoittamaton Sot.virk. Esko Manninen, valokuvaaja
写真はMuseot.Finna引用。


写真(右)1941年8月、ソビエト連邦、レニングラード、赤十字社記章の小旗を立てた負傷者待合所の負傷兵たちを空輸するユンカース(Junkers)Ju52 3m患者輸送機;胴体右中部に、大型貨物を出し入れする扉があり、そこから担架で負傷者・病人など患者を機内に運び入れることができる。ソ連軍相手では、白色塗装に赤十字記章を記した患者輸送機であっても、国際法上の保護は受けられない。にも拘わらず、赤十字の旗を立てたのは、輸送機搭乗員に対する目標地点の開示の為であろう。
Hubmann, Versorgung deutscher Verwundeter vor ihrem Abtransport auf einem FeldflugplatzDatensatz 71485153 Hanns: Versorgung deutscher Verwundeter vor ihrem Abtransport auf einem Feldflugplatz, 1941.08 Location: Leningrad. Foto: Hubmann, Hanns, 1941.08
Deutsche Fotothek Aufn.-Nr.: b_bpk_0000000_00016421引用。


フリードリヒ・ヴィルヘルム・パウルスFriedrich Wilhelm Ernst Paulus:18890-1957)少将は、1939年9月、第十軍司令官ワルター・フォン・ライヒェナウ上級大将の参謀長として、ポーランド侵攻やフランス侵攻に参戦、1940年9月、ドイツ陸軍参謀本部の兵站部長に就いたが、これは、陸軍総司令官ワルター・フォン・ブラウヒッチュ元帥、参謀総長フランツ・ハルダー大将に次ぐ地位である。

ドイツ参謀本部兵站部長フリードリヒ・パウルス中将は、ソビエト連邦侵攻「バルバロッサ作戦」を立案した。そして、1941年6月22日、独ソ戦が勃発、パウルスは8月にウクライナに侵攻した第六軍司令官ワルター・フォン・ライヒェナWalter von Reichenau:1884-1942)元帥を訪ねている。

写真(右)1941-1942年,東部戦線、白色冬季迷彩塗装を施したドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機:操縦席上部には、環状のループアンテナが装着されているが、他の機体よりも大きな環状アンテナとなっているようだ。これは、基地からの方位電波を傍受して、進行方向を定めるもので、霧や雪の悪天候の場合に仏需品だった。3基あるBMW132空冷星形9気筒エンジンに潤滑油を補給しているのであろうか、外套を着た整備員3名が作業をしている。
Auftanken einer Junkers Ju 52/3m auf einem Fliegerhorst an der Ostfront Datensatz 71485158
Hubmann, Hanns: Auftanken einer Junkers Ju 52/3m auf einem Fliegerhorst an der Ostfront, 1941/1942 Foto: Hubmann, Hanns, 1941/1942
写真は,Deutsche Fotothek Aufn.- Nr.: b_bpk_ 0000000_ 00016434引用。


写真(右)1941年末,ソビエト連邦中南部、ドイツ参謀本部兵站部長フリードリヒ・パウルス中将を運んだドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機:飛行場には積雪があるが、Ju58 輸送機は冬季迷彩ではない。寒いのか、将校の中には、防寒用の耳当てをしているものがある。ドイツ参謀本部兵站部長のフリードリヒ・パウルス中将は、この後、大将に昇進して、ライヒェナウ元帥に後任としてドイツ第六軍司令官に就任する。
Archive title: Sowjetunion-Süd/ Mitte. -Oberquartiermeister Friedrich Paulus nach Ankunft mit Flugzeug Junkers Ju 52 (im Hintergrund[背景]) im Gespräch mit Offizieren; PK 637
Dating: 1941 Ende
Photographer: Mittelstaedt, Heinz Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


1941年10月20日、ドイツ南方軍集団隷下第六軍司令官ワルター・フォン・ライヒェナ元帥は、ウクライナのハリコフを攻めたが、ハリコフを守備するソ連赤軍はハリコフ工場の移転を進めながら、頑強に抵抗した。10月24日、ドイツ第六軍はハリコフを北方から攻撃し占領した。その時期、1941年10月2日から1942年1月7日には、ドイツ軍はモスクワ攻略を企図する「タイフーン作戦」(Unternehmen Taifun)も戦っている。政治的、経済的に重要な価値を持つモスクワを攻略するための戦いだった。

ソ連最高指導者ヨシフ・スターリンは、1941年10月10日に、ノモンハン事件の勇将ゲオルギー・ジューコフを西方面軍司令官として、モスクワの防備を固めた。そして、シベリア方面で対日戦に備えていたソ連軍をモスクワ防衛に回して、兵力を増強した。

1941年11月30日、ジューコフ司令官は、モスクワ正面でドイツ中央軍集団への大攻勢を開始した。それまで攻撃を続けて疲労していたドイツ軍は、攻撃を支えられず総退却となった。ヒトラーは、ドイツ軍の退却を許さなかった。たしかに、退却しても後方に防御を固めた陣地や軍事物資が集積されているわけではない。パニックに陥った撤退は、ソ連軍の追撃を受けて壊滅をもたらすであろう。

写真(右)1941年末,ソビエト連邦中南部、ドイツ参謀本部兵站部長フリードリヒ・パウルス中将(右)がドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機(背景)の前で将校と話している。:Ju58 輸送機は冬季迷彩ではなく、胴体後方に黄色の帯をしているが、これは地中海方面で作戦に参加していたことを意味する。 
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-021-2081-28A
Archive title: Sowjetunion-Süd/ Mitte. -Oberquartiermeister Friedrich Paulus nach Ankunft mit Flugzeug Junkers Ju 52 (im Hintergrund[背景]) im Gespräch mit Offizieren; PK 637
Dating: 1941 Ende
Photographer: Mittelstaedt, Heinz Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

ヒトラーは、モスクワ攻撃失敗の責任を将官たちに負わせ、1941年末から1942年初頭にかけて、陸軍総司令官ブラウヒッチュ、中央軍集団司令官フェードア・フォン・ボック、北方軍集団司令官ヴィルヘルム・フォン・レープ、南方軍集団司令官ゲルト・フォン・ルントシュテットの各元帥、第2装甲軍指揮官ハインツ・グデーリアン(Heinz Guderian)、第4装甲軍指揮官エーリヒ・ヘプナー(Erich Hoepner)の各大将など多数の将官が罷免している。その中で、1942年1月15日、ワルター・フォン・ライヒェナウ元帥は病気治療のためJu52輸送機で移動中、事故で死亡した。こうして、ドイツ第六軍の後任司令官に参謀本部にいたフリードリヒ・パウルス大将が任命されることになった。

写真(右)1941年末,ソビエト連邦中南部、ドイツ空軍ユンカースJu52/3m輸送機(背景)の前で将校と話すドイツ参謀本部兵站部長フリードリヒ・パウルス中将(中央):Ju58 輸送機は冬季迷彩ではなく、胴体後方に黄色の帯をしているが、これは地中海方面で作戦に参加していたことを意味する。ドイツ参謀本部兵站部長のフリードリヒ・パウルス中将は、この後、大将に昇進して、ワルター・フォン・ライヒェナウ元帥の後任としてドイツ第六軍司令官に就任する。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-021-2081-28A
Archive title: Sowjetunion-Süd/ Mitte.- Oberquartiermeister Friedrich Paulus nach Ankunft mit Flugzeug Junkers Ju 52 (im Hintergrund[背景]) im Gespräch mit Offizieren; PK 637
Dating: 1941 Ende
Photographer: Mittelstaedt, Heinz
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

フリードリヒ・パウルス大将は、それまで参謀勤務が長く、師団長や軍団長という前線部隊指揮官に就任したことはなかったが、1942年5月、ウクライナのハリコフを奪還しようと攻撃してきたソ連赤軍を破った。こうして、第六軍フリードリヒ・パウルス司令官は、第二次ハリコフ攻防戦でソ連軍捕虜24万人の戦果を挙げた。そして、1942年夏、ブラウ作戦が発動され、スターリングラード攻略、コーカサス攻略の2目標を追求し、軍団を分裂させてしまった。

写真(右)1942年,ソ連東部戦線、ユンカースJu-52タンテ輸送機:Ju52は最高速度 265km/h、航続距離 870 km、実用上昇限度 6,100 mと決して高性能ではないが堅牢で信頼性が高く使いやすかった。そこで、ユンカースJu-52をより大型化したJu-252、木製化して資源節約化したJu-352などが実用化されても主力輸送機として終戦まで輸送任務に多用された。1930年の初飛行から終戦までの15年間に軍・民合わせて4,800機が生産された。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-792-0140-35A
Archive title: Sowjetunion.- Flugzeug des Typs Junkers Ju 52 auf einem Feldflughafen; Prop. Eins
Dating: 1942
Photographer: Ziepke Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・"Bild 101III-Duerr-053-10A"引用(他引用不許可)。


第4航空軍司令官ファン・リヒトフォーヘン大将の隷下の第8航空航空軍団マルチン・フィービフ中将は,1941年11月20日,退路を断たれたパウルス将軍の第六軍参謀長アルツゥール・シュミット少将に電話してた。シュミット参謀長が,スターリングラードに陣を構えると述べた時,軍の補給について,一個軍を空輸で支えることは無理なことを伝えていた。また,フィービヒ中将は,上官のリヒトフォーヘン大将に,スターリングラードの空輸要請は,実施困難なことを伝えた。

リヒトフォーヘン大将は,フィービヒ中将からの連絡によって,スターリングラード空輸の話を聞き,空軍参謀総長イェショネクに,空中補給は不可能で,そのような要請を引き受けられないとの判断を伝えた。しかし,第六軍25万人をユンカースJu-52を大量投入して空中補給する方針が,ヒトラーと空軍ゲーリング国家元帥によって決まってしまった。

写真(右)1942年1-2月,ソ連南部のユンカースJu-52タンテ輸送機:雪原の飛行場に着陸しているが,離着陸も飛行機の整備も厳寒の中では困難だった。当時の飛行機は,悪天候になれば,飛行できなかった。しかし,ユンカースJu-52輸送機は,稼働率が高く,スターリングラーのドに包囲されたドイツ第六軍に対する冬季空中補給作戦を敢行してている。
Sowjetunion-Süd.- Flugzeug Junkers 52 bei Landung im Schnee; XI. Fliegerkorps
Dating: 1942 Januar - Februar
Photographer: Pirath, Helmuth 撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


 1942年11月22日,フリードリヒ・パウルス大将は,空路,包囲されていたスターリングラード北西グムラに飛んだ。が,翌23日,カラーチが陥落した。そこで,フリードリヒ・パウルス将軍は,直ぐにヴァイクスB軍集団に西方に,強行突破し,脱出する許可を求めた。
しかし,翌24日,ヒトラーは,第六軍パウルス将軍に対して,スターリングラードを維持することを命じ,スターリングラードからの退却を禁じた。同時に,空軍総司令官ゲーリング国家元帥に第六軍への空中補給を命じた。ゲーリングは,第六軍に1日500トンの補給物資を空輸することは可能であると請合った。
ピトムニク飛行場は,1943年1月14日,ソ連軍の手に落ちた。

1943年1月9日,ソ連は第六軍に降伏勧告をしたが,第六軍の兵士は救出の希望を持って,陣地を守った。パウルス将軍は,第六軍がソ連軍を拘束し,カフカスのA軍集団の撤退を間接的に援護しようとしたのであろう。これは、フィリピン、沖縄、硫黄島で弱体化した日本軍が本土決戦の準備のために時間稼ぎをするという持久戦継続あるいは降伏拒否の理由と同様である。

写真(右)1942年1月初旬,ソ連, ポルタワ飛行場のドイツ参謀本部兵站部長フリードリヒ・パウルス大将:ドイツ参謀本部兵站部長のフリードリヒ・パウルス中将は、この直前に、大将に昇進している。その後、ライヒェナウ元帥に後任としてドイツ第六軍司令官に就任する。後方はユンカースJu-52輸送機の胴体中央部。スターリングラードのピトムニク飛行場は,ドイツ空軍の輸送機部隊によって,第六軍への空中補給が行われていた。この写真は,1月8-9日,フーベ将軍がヒトラーの総統大本営で戦況報告をして,包囲陣に戻ってきた時に撮影したようだ。
Scherl:An der Sowjetfront: General der Panzertruppe Paulus auf einem Feldflughafen. [vor Junkers Ju 52] PK-Aufnahme: Kriegsberichter: Mittelstaedt
3416-42 "Fr" "Fr.OLF" Jan 42
[bei]Poltawa Archive title: Rußland-Süd/Mitte. - Herbst Winter 1941; PK 637 Dating: Januar 1942
Photographer: Mittelstaedt, Heinz撮影。
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

1943年1月10日,ソ連軍は総攻撃を開始した。第六軍への空輸に使用されていたスターリングラードの飛行場が,ソ連軍に占領され,第六軍は,ユンカース Ju 52 輸送機によるパラシュート空輸以外,物資補給を受けられなくなった。

写真(右)1943年1-2月,ソ連のユンカースJu-52タンテ輸送機:未舗装滑走路に着陸し,燃料タンク車から航空燃料の補給を受けている。ユンカースJu-52の機体の波板外板は空気抵抗は増大するが、薄い板厚で十分な強度を得ることができる。ユンカース社は路線拡大を図っていたルフトハンザのために大量生産したが、それが戦時中にも役に立った。
Sowjetunion.- Auf einem Feldflughafen, Betanken einer Junkers Ju 52; KBK Lw1
Dating: 1943 Januar - Februar
Photographer: Pfeiffer撮影。
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


スターリングラードに包囲された20万人には1日1000トンの物資が必要だが,パウルス将軍は,最低限1日300トン,のちに500トンを空輸要請した。ゲーリング空軍元帥はこれを承諾した。リヒトフォーヘンは本国のユンカース Ju 52 輸送機,爆撃機をも動員して空輸を行ったが,1日300トンを目標に空輸を開始した。しかし,順調な時でも100-200トン程度しか空輸することはできなかった。

第4航空軍司令官ファン・リヒトフォーヘン大将の隷下の第8航空航空軍団マルチン・フィービフ中将は,1941年11月20日,退路を断たれたパウルス将軍の第六軍参謀長アルツゥール・シュミット少将に電話してた。

シュミット参謀長が,スターリングラードに陣を構えると述べた時,軍の補給について,一個軍を空輸で支えることは無理なことを伝えていた。また,フィービヒ中将は,上官のリヒトフォーヘン大将に,スターリングラードの空輸要請は,実施困難なことを伝えた。

写真(右)1943年3月18日,東部戦線を視察したヒトラー総統を飛行場に出迎えたエーリッヒ・フォン・マンシュタイン(Erich von Manstein)元帥:マンシュタイン元帥(1887年11月24日-1973年6月10日)は,スターリングラードで,第六軍救出に失敗したが,ドン軍集団司令官としてハリコフ防衛,クルスクの戦車戦を戦った。
 しかし、戦線後退を食い止めることができず,1年後の1944年3月,軍司令官を解任された。独ソ戦当初,マンシュタインが司令官をしていた第十一軍のアインザッツグルッペD(指揮官オーレンドルフSS中将)は,パルチザン掃討と称して、ユダヤ人,共産党員,ロマ(ジプシー)などを銃殺した。マンシュタイン元帥は,この戦争犯罪責任を問われて,戦後の軍事法廷で禁固18年の刑を宣告された。
Hitler begrüßt Generalfeldmarschall von Manstein auf einem Feldflugplatz im Osten 1943
[freigegeben am 18.3.1943] Archive title: Ostfront.- Adolf Hitler beim Händeschütteln mit Erich von Manstein; rechts: General d. Flieger Wolfram von Richthofen
Dating: März 1943
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。


リヒトフォーヘン大将は,フィービヒ中将からの連絡によって,スターリングラード空輸の話を聞き,空軍参謀総長イェショネクに,空中補給は不可能で,そのような要請を引き受けられないとの判断を伝えた。しかし,第六軍25万人をユンカースJu-52を大量投入して空中補給する方針が,ヒトラーと空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングHermann Göring)国家元帥によって決まってしまった。

1942年11月30日,初めてスターリングラードに100トン以上の補給を届けることができた。空輸任務にはユンカース輸送機180機以上が配備されたが,天候や補給不足,ソ連軍の対空射撃によって,稼働率は低下した。1942年12月24日-1943年1月31日まで,スターリングラード輸送任務によって,ユンカースJu-52輸送機266機,He-111爆撃機165機など合計488機が失われた。

写真(右)1943-1944年,ソビエト連邦、東部戦線、ドイツ空軍第四航空軍(Luftflotte 4)所属のユンカースJu52/3m輸送機に乗り込もうとする迷彩戦闘服を着た兵士たち:降下猟兵ではなく、歩兵のようだが、武装親衛隊かもしれない。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-499-0072-27
Archive title: Im Osten, Sowjetunion.- Truppentransport mit Flugzeug Junkers Ju 52; Luftflotte 4 Dating: 1943/1944
Photographer: Ohmeyer
Origin: Bundesarchiv
写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

写真(右)1944年4月29日、フィンランド(?)、8名のドイツ軍将兵とユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機;機体後上の銃座と胴体側方の銃座には、防御用の7.92ミリ旋回機関銃を各1丁装備しているが、1944年時点では、東部戦線でもドイツ軍は制空権を失いつつあった。右端の背の高い人物は現地の指揮官であろうか。右端のオーバーオールの飛行服を着用しているのは、明らかに輸送機搭乗員である。
Saksalainen lentokone Ju 52,3 m, jolla tehtiin matka, sekämukana olleet saksalaiset. Everstiluutnantti J.B.Jauhiainen, valokuvaaja
Saksalainen lentokone Ju 52,3 m, jolla tehtiin matka, sekä mukana olleet saksalaiset.
Aineistotyyppi: ?Valokuva Kuvaustiedot: 1944-04-29 Everstiluutnantti J.B.Jauhiainen, valokuvaaja
Aiheet: 1944-04-29
写真はMuseot.Finna引用。


1942年11月30日,初めてスターリングラードに100トン以上の補給を届けることができた。空輸任務にはユンカース輸送機180機以上が配備されたが,天候や補給不足,ソ連軍の対空射撃によって,稼働率は低下した。1942年12月24日-1943年1月31日まで,スターリングラード輸送任務によって,ユンカースJu-52輸送機266機,He-111爆撃機165機など合計488機が失われた。

写真(右)1944年4月29日、フィンランド(?)、9名のドイツ軍将兵とユンカース(Junkers)Ju52 3m輸送機;胴体側方の銃座には、7.92ミリMG15旋回機関銃を装備しているが、胴体後上の銃座は、7.92ミリMG81旋回機関銃のように見える。コートを着た中央の将校が指揮官らしい。右端の兵士はオーバーオールの飛行服を着用している。
Saksalainen lentokone Ju 52,3 m, jolla tehtiin matka, sekämukana olleet saksalaiset. Everstiluutnantti J.B.Jauhiainen, valokuvaaja
Saksalainen lentokone Ju 52,3 m, jolla tehtiin matka, sekä mukana olleet saksalaiset.
Aineistotyyppi: ?Valokuva
Kuvaustiedot: 1944-04-29
Everstiluutnantti J.B.Jauhiainen, valokuvaaja Aiheet: 1944-04-29
写真はMuseot.Finna引用。


1943年1月10日,ソ連軍は総攻撃を開始した。第六軍への空輸に使用されていたスターリングラードの飛行場が,ソ連軍に占領され,第六軍は,ユンカース Ju 52 輸送機によるパラシュート空輸以外,物資補給を受けられなくなった。

スターリングラードに包囲された20万人には1日1000トンの物資が必要だが,パウルス将軍は,最低限1日300トン,のちに500トンを空輸要請した。ゲーリング空軍元帥はこれを承諾した。リヒトフォーヘンは本国のユンカース Ju 52 輸送機,爆撃機をも動員して空輸を行ったが,1日300トンを目標に空輸を開始した。しかし,順調な時でも100-200トン程度しか空輸することはできなかった。

写真(右)1944年3月31日,対ソビエト連邦、東部戦線への物資輸送を担ったドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機とメッサーシュミットMe323ギガント輸送機:後方Me 323ギガントは、 乗員:5名 全長:28.2m、翼幅:55.2m、全高:9.6m 空虚重量:27,330kg、全備重量:29,500kg エンジン:6×ノーム・エ・ローヌ 14N:950hp×6 最高速度:270km/h、航続距離:800km 兵装:18丁×7.92ミリMG15機銃 輸送力:兵員120名あるいは貨物20t。
Reichsgebiet.- Transportflugzeuge Junkers Ju 52 und Messerschmitt Me 323 E "Gigant" auf Flugplatz stehend; PK Eins Kp Lw zbV Depicted place Reichsgebiet Date 21 March 1944 Photographer Sierstoopff (pp)
写真は,Wikimedia Commons, ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv: "File:Bundesarchiv Bild 101I-668-7197-11, Reichsgebiet, Flugzeuge Ju 53 und Me 323 Gigant.jpg"引用。


1943年、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン(Erich von Manstein)元帥(1887年11月24日-1973年6月10日)は,スターリングラードで,第六軍救出に失敗したが,ドン軍集団司令官としてハリコフ防衛,クルスクの戦車戦を戦った。
 しかし、戦線後退を食い止めることができず,1年後の1944年3月,軍司令官を解任された。独ソ戦当初,マンシュタインが司令官をしていた第十一軍のアインザッツグルッペD(指揮官オーレンドルフSS中将)は,パルチザン掃討と称して、ユダヤ人,共産党員,ロマ(ジプシー)などを銃殺した。マンシュタイン元帥は,この戦争犯罪責任を問われて,戦後の軍事法廷で禁固18年の刑を宣告された。


Junkers Ju-52


写真(右)1945年、ドイツ敗戦前後、西側連合軍の兵士が鹵獲したドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju52 3mを見物している。

, Ju.52 Catalog #: 01_00081609 Title: Junkers, Ju.52 Corporation Name: Junkers Additional Information: Germany
写真は、SDASM Archives: Catalog #: 01_00081609引用。


1940年6月にフランスを降伏させ勝利したという大功績によって、元帥より上の国家元帥の称号を得たゲーリング空軍総司令官だったが、イギリス本土航空決戦で,痛手を被った。1941年6月22日、ソ連侵攻「バルバロッサ作戦」のために,東部戦線に兵力を集中させて時期だった。
ゲーリングは,1942年冬のスターリングラード空輸を請合って失敗し,1943年からのドイツ本土防空戦でも,大損害を被った。ゲーリングの成功は,緒戦に限られたために,戦争末期には,ゲーリング国家元帥の権威は地に落ちていた。緒戦でヒトラーが「私が倒れたらゲーリングが続く」といった演説を根拠に,自らを後継者として自認していたとすれば,彼の地位転落は、この空輸失敗で決定的になった。

写真(右)1945年5月11日,降伏後のドイツに、ノルウェーからドイツ空軍ユンカースJunkers Ju 52輸送機で帰国したがドイツ軍の軍使・降伏使節:ノルウェーの海軍将校から、ドイツ軍の敷設した機雷とノルウェー沿岸の軍事防衛施設に関する文書を手渡す。
GERMAN DELEGATES ARRIVE FROM NORWAY. 11 MAY 1945, ROYAL NAVAL AIR STATION, DREM, EAST LOTHIAN. THE ARRIVAL BY AIR FROM OSLO, OF MEMBERS OF THE GERMAN DELEGATION, WHO AS REPRESENTATIVES OF ADMIRAL, NORWAY, HANDED OVER DETAILS OF GERMAN MINEFIELDS AND DEFENCES ALONG THE NORWEGIAN COAST.
Object description: Left to right: (from doorway) Lieutenant Albens; Captain Loewisch; Captain Kruger; and on extreme left, Commander Mundy Cox, RN, C/O of the Royal Naval Air Station.
写真はIWM: Catalogue numberCatalogue number A 28548引用。




写真(右)1945年5月11日,降伏後のドイツに、ノルウェーからドイツ空軍ユンカースJunkers Ju 52輸送機で帰国したドイツ軍の軍使・降伏使節:ノルウェーの海軍将校から、ドイツ軍の敷設した機雷とノルウェー沿岸の軍事防衛施設に関する文書を手渡す。
GERMAN DELEGATES ARRIVE FROM NORWAY. 11 MAY 1945, ROYAL NAVAL AIR STATION, DREM, EAST LOTHIAN. THE ARRIVAL BY AIR FROM OSLO, OF MEMBERS OF THE GERMAN DELEGATION, WHO AS REPRESENTATIVES OF ADMIRAL, NORWAY, HANDED OVER DETAILS OF GERMAN MINEFIELDS AND DEFENCES ALONG THE NORWEGIAN COAST.
Object description Luftwaffe delegates leaving the JU52 in which they flew from Norway.
Related periodSecond World War (production), Second World War (content)Creator Sanderson (Lt) Part ofADMIRALTY OFFICIAL COLLECTION
写真はIWM: Catalogue number A 28550引用。


写真(右)1945年5月11日,降伏後のドイツに、ノルウェーからドイツ空軍ユンカースJunkers Ju 52輸送機で帰国したドイツ軍の軍使・降伏使節:ノルウェーは1940年から1945年までドイツ占領下にあり、終戦時にもトイツ軍が健在だった。
GERMAN DELEGATES ARRIVE FROM NORWAY. 11 MAY 1945, ROYAL NAVAL AIR STATION, DREM, EAST LOTHIAN. THE ARRIVAL BY AIR FROM OSLO, OF MEMBERS OF THE GERMAN DELEGATION, WHO AS REPRESENTATIVES OF ADMIRAL, NORWAY, HANDED OVER DETAILS OF GERMAN MINEFIELDS AND DEFENCES ALONG THE NORWEGIAN COAST.
Object description Luftwaffe delegates leaving the JU52 in which they flew from Norway.
Related periodSecond World War (production), Second World War (content)Creator Sanderson (Lt) Part ofADMIRALTY OFFICIAL COLLECTION
写真はIWM: Catalogue number A 28549引用。


⇒写真集Album:世界で使用されたユンカース(Junkers)Ju-52/3m輸送機を詳しく見る。


5.現在保管・展示中のユンカースJu52輸送機

写真(右)2010年10月10日、ユーテルゼン飛行場上空を飛翔するユンカースJu52輸送機(元の登録コード:D-AQUI、復元後D-CDLH) :現存でもドイツ・ルフトハンザ航空で使用されているユンカースJu52/3m輸送機(登録コード:D-CDLH)は、1936年(製造番号5489)に、ドイツ・ルフトハンザ航空で登録コードD-AQUIとして就役。その後、ノルウェー航空(DNL)が購入し、登録コードLN-KAFとして就役。1940年のドイツのノルウェー侵攻で、ドイツ軍が摂取したが、戦後、ノルウェー軍が取り返した。その後、エクアドル航空アマゾナスに売却され、登録番コードC-ABSとして就役。その後、1984年、ドイツ・ルフトハンザ航空が再購入し、「テンペルホーフ」D-AQUIとしてデモ飛行用に使用。
Deutsch: Junkers Ju52 (D-AQUI) über dem Flugplatz Uetersen Date 10 October 2010 Source Own work Author Huhu Uet
写真は,Wikimedia Commons, Category:D-CDLH (aircraft): File:Junkers Ju52 (D-AQUI) 03.jpg引用。


写真(右)2013年8月4日,スウェーデン南部、ネルケ地方エレブルーで開催された航空・自動車ショーに出場した、ドイツ・ルフトハンザ航空のユンカースJu52/3m輸送機「ベルリン・テンペルホーフ」D-CDLH :原型となったJu52は、初飛行1930年の旧式機で、民間航路での運用開始は1935年から始まった。乗員2名、乗客18名まで搭乗できる。この復元されたJu52/3m輸送機は、エンジン3基とも3翅プロペラを装備している
Description English: Deutsche Lufthansa Berlin-Stiftung's Ju 52 "Tempelhof". Event: Örebro Air & Motor Festival 2013. Date 4 August 2013 Source Own work Author Herranderssvensson
写真は, Wikimedia Commons, Category:D-CDLH (aircraft) ・File:Ju 52 Tempelhof.jpg引用。


現存、飛行可能なユンカースJu52輸送機D-CDLHは、1936年に製造されたもので、製造番号は5489、ドイツ・ルフトハンザ航空の登録コードは、D-AQUIだった。その後、ノルウェー航空(DNL)が購入し、登録コードLN-KAFとなった。1940年のドイツによるノルウェー侵攻で、ドイツ軍に摂取されたものの、戦後、ノルウェー軍が取り返している。その後、エクアドル航空アマゾナスに売却され、登録番コードC-ABSとなったが、航空ファンのアメリカ人が買い取り、補修されて”Iron Annie”の愛称で登録コードN52JUとして復活した。その後、1984年ドイツ・ルフトハンザ航空が創立60周年記念に購入した。

1984年にJu52輸送機を買い戻したドイツ・ルフトハンザ航空は、創業を始めたベルリン・テンペルホフ飛行場を記念して、このJu52-3mを「テンペルホーフ」と命名し、登録コードD-CDLHとなったが、初代登録コードD-AQUIを機体に表記した。ルフトハンザ航空では、飛行可能なJu52輸送機「テンペルホーフ」を遊覧飛行や展覧飛行に使用している。

写真(右)2014年9月,フィンランド、ヘルシンキ航空博物館、民間航空会社の塗装を施したユンカースJu52輸送機3m:このJu52は、BMW132空冷星形エンジン3基に全て2翅プロペラを装備している。
Description: Photographed at Flugausstellung L.+P. Junior, Hermeskeil, Germany.
Date 14 September 2014, 11:44:06
Source Own work Author Alf van Beem
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 52 at Flugausstellung L.+P. Junior・File:Junkers Ju-52 3m at Flugausstellung Hermeskeil.JPG引用。


スイス空軍も1939年からユンカースJu-52/3m g4e輸送機を3機購入した。これは、登録コードがA-701、A-702、A-703で、これらの機体は、1939年10月にドイツ、ユンカース社デッサウ工場で生産された新品である。スイス空軍は、1939年から、1982年8月まで、登録コードA-703として練習機・輸送機として使用した。旧式化していたものの、信頼性に優れ、使いやすい機体だったためである。

その後、スイス空軍は、Ju52(A-703)をスイスの航空会社JUエア(JU-Air)に貸与し、登録コードHB-HOPとして遊覧体験飛行用に使用している。これはJu52輸送機のファンが世界中にあり、飛行中の姿を見たい、乗機してみたい、飛行体験してみたいという需要にこたえ、商業ベースでも機体を維持する価値があるためである。

写真(右)2017年4月4日,ドイツ、ベルリン、ドイツ技術博物館(Deutsches Technikmuseum Berlin)、ドイツ・ルフトハンザ航空時代の仕様を復元したユンカースJu52/3m輸送機のBMW132A空冷星形9気筒エンジン :このJu52は、BMW132空冷星形エンジン3基に全て2翅プロペラを装備している。
Description English: German Museum of Technology, Berlin, Germany.
Flugzeug-Portalkran. Firma Horak & Hlava. Prag, 1942. Inventarnr. 1/2004/1179
Date 4 April 2017, 09:42:26
Source Own work Author Photograph by Mike Peel (www.mikepeel.net). Permission (Reusing this file) CC-BY-SA-4.0. Please attribute as per the author line above.
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 52 at Deutsches Technikmuseum Berlin・File:German Museum of Technology, Berlin 2017 294.jpg引用。


写真(右)1939年ドイツ製,ノルウェー、オスロ、ノルウェー空軍飛行機コレクション(Norwegian Armed Forces Aircraft Collection)に展示・保管されているドイツ空軍仕様のユンカースJu52輸送機3m
Name: Junkers JU 52 Alternative name: JU - 52 Precise name: 1936 Identifier: LMU.064774 Indexing term: Transportfly Luftfartøy Fly Produksjon: 1939 Produsent: JUNKERS FLUGZEUG & MOTORENWERKE Bruk: 1939 - 1950 Identifier: LMU.064774 Part of collection: LMU Owner of collection: Luftforsvarsmuseet Institution: Forsvarets museer Date published: December 11, 2014 Date updated: December 11, 2014 DIMU-CODE: 021025643157 UUID: CBEEEB7B-951A-4E32-861A-5578A32863F9
写真は,Norsk Luftfartsmuseum登録・"Identifier: LMU.064774 "引用(他引用不許可)。


写真(右)2012年,ノルウェー、オスロ、ノルウェー空軍飛行機コレクション(Norwegian Armed Forces Aircraft Collection)に展示・保管されているドイツ空軍仕様のユンカースJu52輸送機3m :このJu52は、BMW132空冷星形エンジン3基に全て2翅プロペラを装備している。
Description Junkers Ju-52 Date 22 April 2012, 03:15
Source Junkers Ju-52
Author Clemens Vasters from Viersen, Germany
写真は, Wikimedia Commons, Category:Junkers Ju 52 in Norwegian Armed Forces Aircraft Collection・File:Junkers Ju-52 (7102612535) (4).jpg引用。


写真(右)2013年,ドイツ、ケルン上空を飛行するスイスのユーエア所属のユンカースJu52輸送機3mg4e(民間登録コード:HB-HOT):ユンカース特有のジュラルミン波板構造のおかげで、平坦な外板よりも強度が高く保つことができる。
Deutsch: JU 52 (HB-HOT) bei einem Rundflug über Köln. Date 17 May 2013 Source Own work Author Rolf Heinrich, Köln
写真は, Wikimedia Commons, Category:HB-HOT (aircraft)・File:JU 52 (HB-HOT) by Rolf H..JPG引用。


スイス空軍は、1939年からユンカースJu-52/3m g4e輸送機を3機購入した。これは、登録コードがA-701、A-702、A-703で、これらの機体は、1939年10月にドイツ、ユンカース社デッサウ工場で生産された新品である。スイス空軍は、1939年から、1982年8月まで、登録コードA-703として練習機・輸送機として使用した。旧式化していたものの、信頼性に優れ、使いやすい機体だったためである。

ユンカースJu52輸送機3mg4e(民間登録コード:HB-HOT)は、1939年10月にドイツ、ユンカース社デッサウ工場で生産された新品の機体だが、スイス空軍が輸入して登録コードA-702として使用していた。クラシック機として人気があるJu52輸送機は、スイス国内での遊覧飛行の需要が多く、ユーエア(Ju-Air)は、1985年にこの機体をスイス空軍から譲渡された。

写真(右)2010年,スイス、チューリッヒ東のデーベンドルフ空軍基地、スイスのユーエア所属のユンカースJu52輸送機3mg4e(民間登録コード:HB-HOT)
Deutsch: Ju-52, HB-HOT der JU-AIR in Dübendorf Date 2 October 2010 Source Own work Author Horgner
写真は, Wikimedia Commons, Category:HB-HOT (aircraft)・File:JU 52 (HB-HOT) by Rolf H..JPG引用。


The Aviation Heraldによれば、2018年8月4日、スイス、ロカルノ空港を飛び立ち、チューリッヒ東のデーベンドルフ(Dübendorf)空軍基地に向かう遊覧飛行をしていたスイスのユーエア(Ju-Air)運航のユンカース(Junker)Ju-52旅客機(民間登録コード:HB-HOT)が標高2,540 m地点に墜落、乗客17名、搭乗員3名が死亡。この事故は、ユーエアの初めての人身事故である。このニュースの報じられたことで、本サイト「ドイツのユンカース(Junkers)Ju52/3m輸送機」へは、2018年8月5日は66件、6日は89件の新規アクセスがあった。他方、姉妹サイト「第二次大戦中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-52/3m輸送機」には、2018年8月5日482件、6日187件の新規アクセスがあった。


6.後継機ユンカースJu-252/Ju-352輸送機

写真(右)1941年10月以降、テスト飛行中のドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju 252V-1輸送機試作1号機(登録コード:D-ADCC) :ユンカース(Junkers)Ju 252V-1輸送機試作1号機(登録コード:D-ADCC)は、Ju52輸送機の発展型で、発動機にはユモJumo 211F 液冷エンジン1,340馬力3基を搭載し、1939年10月にドイツ、ユンカース社デッサウ工場で完成、初飛行した。戦争2年目にもかかわらず、ドイツ国内の試作機で、形状が知られていない敵機として攻撃を受けないように、垂直尾翼に戦前まで使用していた赤帯、白丸の黒のスワスチカの国籍標識を描いている。 Ju 252 V2試作2号機と試作3号機(V3)は、1942年の完成である。ルフトハンザ航空は、戦時下にも拘わらず、優秀な機体と認めて、25機を発注したが、前線における航空機消耗戦を考慮して、不急の機体の発注は、15機とされ、ドイツ空軍が徴用することになった。試作4号機は、胴体前上面に13.1ミリMG 131旋回機関銃1丁を搭載した動力銃座を装備している。 胴体後方下面には、大型貨物を出し入れできる大型扉兼用ランプが設けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 44219391 - Catalog:16_005370 - Title:Junkers Ju 252V-1 - Filename:16_005370.TIF - - - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
three 1,340 hp Junkers Jumo 211F liquid-cooled engines. The Ju 252 V1, D-ADCC, which made its first flight from Dessau in October 1941, could carry 21 passengers. 写真は, SDASM Archives・Catalog #: 01_00081584引用。


ユンカース(Junkers)Ju 252V-1試作1号機(登録コード:D-ADCC)は、Ju52輸送機の拡大発展型の輸送機で、発動機にはユモJumo 211F 液冷エンジン1,340馬力3基を搭載し、1939年10月にドイツ、ユンカース社デッサウ工場で完成、初飛行した。戦争2年目、独ソ戦開始後にもかかわらず、見慣れない機体として、敵機と誤認され攻撃を受けないように、垂直尾翼に戦前まで使用していた赤帯、白丸の黒のスワスチカの国籍標識を描いている。 Ju 252 V2試作2号機および試作3号機(V3)は、1942年の完成である。

 ルフトハンザ航空は、戦時下にも拘わらず、優秀な機体と認めて、25機を発注したが、前線における航空機消耗戦を考慮して、不急の機体の発注は15機に減らされた。また、民間ではなく、ドイツ空軍がJu252を徴用することになった。Ju252V-4試作4号機は、胴体前上面に13.1ミリMG 131旋回機関銃1丁を搭載した動力銃座を装備している。また、胴体後方下面には、大型貨物を出し入れできる大型扉兼用ランプが設けられているが、これはJu290輸送機と同じ構造である。

写真(右)1943年3-4月,イタリア、トスカーナ州南部、グロッセート(Grosseto)、 ユンカースJu352木製三発輸送ヘラクレス"Herkules" :Ju252輸送機は、Ju52を大型化し、さらに胴体後方下面にスロープで貨物を積み下ろしできる大型ランプを備えており、輸送能力が高かった。しかし、戦略物資の節約、戦闘機の量産拡大が求められるようになった戦争中盤に、経費と資源の負担が重くなるのは避けなければならない。そこで、Ju252輸送機を木製化し、戦略物資を節約した材料で生産できる木製化が計画された。そでが、ユンカースJu-352輸送機である。
Inventory: Bild 101 I - Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe Signature: Bild 101I-561-1145-19A Archive title: Italien, Grosseto.- Transportflugzeug Junkers Ju 352 "Herkules" auf einem Feldflugplatz; PK XI. Fliegerkorps Dating: 1943 März - April Photographer: Zinke [Zincke] Origin: Bundesarchiv
写真はドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録: Bild 101I-561-1145-19A引用(他引用不許可)。


ユンカースJu252輸送機は、旧式化していたJu52を大型化し、エンジン出力増大、引き込み式膠着装置の採用、胴体後方下面へのスロープ付き大型ランプの装備など、輸送力の向上にも意を注いだ。こうして、Ju252輸送機の輸送能力は向上したが、反面、エンジン、金属素材などの面で経費と資源の負担が重くなった。戦争中盤に入ると、ドイツ空軍の質的、数的優勢は認められず、戦略物資の節約、戦闘機の量産拡大が求められるようになった。そこで、経費と資源の節約を図りつつ、輸送能力を向上することが求められた結果、Ju252輸送機を木製化することが考えられた。

戦略物資を節約し木材を加工して製造する飛行機は、全金属製の機体が全盛の時期、旧式化、退歩とも酷評できるが、輸送機のような高速化や運動性の高さを求めない機種(輸送機)であれば、木製化による経費・資源の負担軽減が、性能低下を補って余りあると考えられる。これが、ユンカースJu-352輸送機が開発された背景である。しかし、既存のJu52輸送機の在庫がたくさん残存している状況で、戦局の悪化は、Ju352輸送機の大量生産を認めるわけにはいかなかった。


7.四発大型輸送機フォッケウルフFw-200コンドル/ユンカースJu-90/Ju-290


写真(右)1942年6月4日、フィンランド、イマトラ空港、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーがフィンランドのマンネルハイム元帥の75歳の誕生日に訪問した時に使用したドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-200コンドル輸送機C-3/U9
;輸送機だが、要人もために防御火器が充実している。胴体前上面には、小型銃座があり、7.92ミリMG15機関銃1丁が備わっている。胴体下面の細長いゴンドラ先端にも、ガラス風防があり、7.92ミリMG15機関銃1丁が備わった銃座が見える。
Valtakunnankansleri Adolf Hitlerin lentokone Focke Wulff FW 200 Condor Immolan lentokentällä koneen ohjaamossa SS-eversti Hans Baur vaaka, mustavalkoinen Aineistotyyppi: ?Kuva Aiheen paikka: Imatra, Immola Aiheen aika: 4.6.1942 Aiheen toimija: Baur Hans Organisaatio: Museovirasto - Musketti Kokoelma: Historian kuvakokoelma Inventaarionro: HK19781018:13 Kuvaustiedot: 4.6.1942 Imatra,Immola.
写真はMuseot Finna・HK19781018:13引用。


フォッケウルフFw-200コンドルの諸元
エンジン BMW-Bramo 323 R-2 mit je 1000 PS (1200 PS mit MW-50-Einspritzung)4基
全幅: 32,84 m 全長: 23,87 m 全高: 6,30 m
空虚重量: 14.180 kg 全部重量: 22.600 kg
乗員: 7 人,生産機数 276機
巡航速度: 384 km/h 高度 3970 m, 405 km/h 重量17.600 kg
上昇限度: 6600 m
航続距離: 3550 km (標準) C-3/U2 最大 6400 km
武装: 2基×MG 151/20 (20 mm), 5基×MG 15 (7,92 mm)
爆弾1000 kg (爆弾倉) + 主翼下面 1400 kg,最大搭載量1800 kg

1939年9月、第二次世界大戦の勃発後、Fw-200は長距離偵察機として軍に採用され、艦船攻撃用に250kg爆弾を搭載できるように改造された。
1940年6月、フランス占領後、フォッケウルフFw-200は大西洋の船団哨戒と船舶攻撃に活躍した。しかし、機体構造の脆弱な民間輸送機であり、作戦行動の厳しい操作性には、機体がもたなかったため、破損や機体劣化が激しく、哨戒爆撃機としての運動性には限界があった。その後、1942-43年冬、スターリングラードに孤立包囲されたドイツ第六軍への空輸任務にも投入された。

写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200輸送機/長距離哨戒偵察機を詳しく見る

四発輸送機のJu-90試作機V1は、1,100馬力ののダイムラー・ベンツ社のDB600C倒立V型液冷エンジン4基搭載、1937年8月28日に初飛行した。試作2号機(V2)は1938年5月、ルフトハンザ航空で試験運用がなされたが、戦闘機用の高性能DBエンジンに代えて、Ju-52輸送機と同型の830馬力のBMW 132 星型空冷エンジンを搭載した。ルフトハンザ航空はユンカースJu-90A輸送機を合計7機購入し運用したが、第二次世界大戦が勃発し、Ju-90は軍用機に改造されるた。

長距離偵察機Ju 290 A-3:四発輸送機のJu-90を改造した大型偵察機。全幅: 42.00m、全長: 28m、全高: 6.83m。主翼面積: 203.6平方メートル、 空虚重量: 33,005 kg、最大重量(Ju 290A-5): 44,970kg、(Ju 290A-7): 45,400kg。最高速度: 440kph (273 mph)、実用上昇限度:6000 m、航続距離: 3,700 マイル (5950 km)。兵(装290A-2):5× 20mm MG 151/20、6× 13mm MG 131

ユンカースJu-90輸送機は,胴体の荷物の積み下ろしに際しては,大型貨物を搬出入しやすいように胴体後部ランプを備えていた。これは,胴体後部が下に開いて坂道(ランプ)となり,その開口部分から,大型貨物を出し入れする装備である。Ju-290もJu-90も胴体下方ランプをそのまま引き継いだが,偵察爆撃機としては必要のない装備だった。

写真集Album:ユンカースJu-90/Ju-290四発大型輸送機を詳しく見る

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。


◆毎日新聞「今週の本棚」に『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年 二十世紀初頭から現在まで』(2008年8月25日,青弓社,368頁,2100円)が紹介されました。ここでは,第二次大戦,ユダヤ人虐殺・強制労働も分析しました。

ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-188爆撃機/Ju388高高度偵察機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇
ドイツ空軍ユンカース(Junkers)Ju-88爆撃機/夜間戦闘機
ドイツ空軍(Luftwaffe)メッサーシュミット戦闘機
ドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw-190戦闘機
ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥

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