マニラ首都圏マニラ市 Metro Manila 2016
スモーキーマウンテンの周囲 Smokey Mountain 2016
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみ山。コンクリで覆われており、立ち入り禁止となっている。許可申請の出し方が分かっても、危険な場所であり、まず立ち入り許可は得ることはできない。
メトロマニラ、マニラ市北港の近くにあるスモーキーマウンテンは、旧廃棄物最終処分場で、現在そのごみ山は台地状に整備されているが、無断侵入、不法侵入は犯罪であり、すべきではない。
メトロマニラ、マニラ市北港の近くにあるスモーキーマウンテンは、旧廃棄物最終処分場で、現在そのごみ山は台地状に整備されているが、無断侵入、不法侵入は犯罪であり、すべきではない。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )は、マニラ北港近くのごみ捨て場で、2年前までは炭焼きがなされていた。しかし、2013年以降は、危険なためか廃止された。現在、スモーキーマウンテンの隣で、炭焼きの原料を買取する業者がトラックでやってくる。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン。スクオッターとは、無断で住み着いている不法居住者の意味だが、違法性は高くはない。そこで、インフォーマルセットラーと言い換えるようになってきた。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )下では、廃材が積まれている。これは、炭焼きの原料になる。炭焼きの原料となる廃材を買取り、トラックで運搬する業者。トラックで廃材をパガニバンに運び木炭を焼く業やがやってくる。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )は、マニラ北港近くのごみ捨て場で、廃材収集業者は、荷車(カリトン)1台分の廃材を150ペソから250ペソで買ってくれる。この場所では、炭焼きをする業者が、廃材を買い取っている。トラックで廃材を、パガニバンに運んで木炭を焼いているという。
1950年代から使われていたマニラ北港近くの廃棄物捨て場は、1980年代には「スモーキーマウンテン」と呼ばれるほど巨大なごみ山となり、ごみが燃える煙が立ち上るようになった。フィリピン政府は、世界のメディアによって貧困の象徴とされ報道される続けることに危惧し、1994年にごみ投棄を停止するとした。そして、ごみから有価物を回収するために住み込んでいるスラム住民の立ちんぼ気を開始した。しかし、ごみ処分が中止されてから30年が経過、再びこの「スモーキーマウンテン」に住む人々が増えている。もとのごみ山が堆肥化し、カモテなどイモ栽培が可能で、廃材を用いた木炭づくり・炭焼きも行われている。
マニラ市にあるスモーキーマウンテンの周囲は、2015年以来、コンクリートの壁に囲まれている。
スモーキーマウンテン入口 Smokey Mountain 2016
マニラ市スモーキーマウンテン(Smokey Mountain )に上る鳥飼行博ゼミナール。本来、このような公共用地に自由に立ち入ることはできない。ごみ山は台地状に整備されているが、無断侵入、不法侵入は犯罪であり、すべきではない。
マニラ市スモーキーマウンテンに上る鳥飼行博ゼミナール。
マニラ市スモーキーマウンテンでは、大部分の場所で、栽培したサツマイモを収穫している。イモの地下茎ではなく、食用とするのはイモの葉である。ごみの山は台地状に整備されている。
マニラ市スモーキーマウンテンでは、大部分の場所で、サツマイモが栽培されている。イモの地下茎ではなく、食用とするのはイモの葉である。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンは、旧ごみ集積場跡地だが、その山の上に100世帯以上のバラックが並び住民が農業に従事している。主な作物は、カモテの葉だが、トウモロコシ、レモングラス、ヤマイモ(ガビ)、サトウキビなども栽培されている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン。フリーのwebsite辞典には、スモーキーマウンテンは1954年のごみ投棄場を設置した時から始まるが、「ゴミの中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した」というのはあまり正確な表現ではない。スカベンジャー(Scavenger )とは屑拾いで、ゴミの中から、ジャンクショップ(屑屋)が買い取ってくれる有価物を分別収集して、それをジャンクショップに売却して収入を得ていた。スモーキーマウンテンでは、有価物とはならないゴミが燃やされたり、発火したりして、煙が立ち上り、悪臭が充満していた。
マニラ市スモーキーマウンテンで栽培されているカモテ。その下には、マニラ北港、コンテナやそれを上げ下げするクレーン、デリックが並んでいる。 海岸線の河口付近の低地に、1954年にゴミ最終処分場ができマニラ首都圏の廃棄物が、トラックで大量に運び込まれるようになった。フリーのwebsite辞典には、「燃えないゴミの投棄場になった」と記述するが、?当時のマニラではごみを明確に分別収集していない、?当時のマニラにごみ焼却施設や大規模なゴミ焼き場がなかったこと、を踏まえれば、いい加減な記述である。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンは、マニラ北港の近くにある。そのゴミ山跡地には農地が広がっている。 スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )は、貧困者の住む巨大なごみ山となり、1980年代後には、フィリピンの貧困の象徴として、日本のメディアにも面白おかしく取り上げられ、フィリピン政府のメンツはつぶされ、権威は地に落ちた。そこで、フィリピン政府は、貧困イメージを払拭するために、スモーキーマウンテンを閉鎖し、ごみ投棄も停止することを決めた。ごみから有価物を分別収集するスカベンジャーを生業としていた住民は、強制退去させられることになったが、仕事、雇用が確保できない以上、住民移転は、生活を圧迫することもあり、反発する住民も出てきた。
スモーキーマウンテン農地
Farming in Smokey Mountain
マニラ市スモーキーマウンテンのすぐ西側はマニラ北港 。ごみ山は台地状に整備されているが、無断侵入、不法侵入はすべきではない。
マニラ市スモーキーマウンテン。周囲は、スモーキーマウンテンの上で栽培されているカモテ、カモテカホイ (キャッサバ)、レモングラス。
マニラ市スモーキーマウンテンで畑作されているカモテ。スモーキーマウンテン(Smokey Mountain )はごみ山の跡地だが、カモテ(サツマイモ類)の畑が広がり緑の丘になっている。カモテの葉っぱを収穫して、市場に売ることで生計を得ている。束ねてある出荷前のカモテの葉を見せていただいた。
マニラ市スモーキーマウンテンのバラック家屋とその周囲で栽培されているバナナ、トウモロコシ、カモテ。
マニラ首都圏マニラ市、マニラ北港に近いスモーキーマウンテン (Smokey Mountain )上のバラック で、家族の暮らしがある。
町中のスモーキーマウンテンの上からの眺め。
スモーキーマウンテン訪問
Smokey Mountain 2016
マニラ市スモーキーマウンテンを訪問し、そこに長らく暮らす住民のお宅を訪問した。例年、スモーキーマウンテンの住民宅をいっしょに巡回していただいている。現地で案内、説明を受た鳥飼行博ゼミナール。スモーキーマウンテンの旧ごみ山の上に、スクオッター (squatter :不法占拠者)の人たち100世帯以上が暮らしている。 バラックの周りにカモテ(サツマイモ)、バナナ 、レモングラス の畑を作って、それを市場の卸売に販売して現金収集を得ている。都市部のスラム でも農業が行われている。
マニラ市スモーキーマウンテンの上に住んでいる住民の住むバラックは廃材、ベッドのスチール枠、ビニールシート、廃タイヤなどの廃品を主な建築資材としている。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
有名なフリーウェッブ百科は「事件があってもフィリピンの警察は決して一人では行きません。30人位で行きます。警察官でも銃で撃たれてしまう可能性があるからです。そういう場所ではボスがいて、住民が警察に何かを聞かれてもボスに何をされるか分からないのでみんな何も言いません」というが、それが事実である論拠はないようだ。こんな話を広める日本人がいることを、スモーキーマウンテンの住民が知ったら驚くであろう。高所得で学歴も高い日本人でも、単純な思い込みや無知な偏見にとらわれている。
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテンを訪問し、子供たちと遊びながら、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。ゴミ山跡地で、カモテ(kamote)栽培して暮らす農家が多い。
三世代多数家族同居 Family 2016
マニラ首都圏 (Metro Manila )中央部のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみの山は台地状に整備されている。
マニラ首都圏 (Metro Manila )マニラ市トンドのスモーキーマウンテン(旧廃棄物処分場跡地)を訪問した鳥飼ゼミナールは、バラックを訪問して住民と話すことを試みた。た鳥飼ゼミナール。
現在、廃棄物最終処分場はケソン市 (人口220万人)パヤタス(Payatas )に移転した。鳥飼行博ゼミ は、このスラムを見学し、住民に聞き取り調査を行った。現在はイモ(kamote)を栽培する農家が多いが、3年前(2013年8月)までは木炭 を生産する炭焼きも多かった。煙が上がること、火事の危険があることを理由に、2014年から炭焼きは中止している。
マニラ市 のごみ捨て場。マニラ湾岸トンド 近くのスモーキーマウンテン (Smokey Mountain )の上農業を営む世帯。トウモロコシ、カモテの葉を収穫した。 フィリピン政府による社会保障給付費 を受けられず、母子手当、介護保険、生活保護支給 もないからこそ、貧困者は自立できるように、自ら仕事を生み出している。草の根民活の都市インフォーマル部門が興隆する。
マニラ市スモーキーマウンテン (旧廃棄物処分場跡地)の上にある住民のバラック家屋内部を見せていただいた鳥飼ゼミナール。スクオッター (squatter :不法占拠者)
と言われているが、フレンドリーである。
「<LOOB>スモーキーマウンテン [2010年03月27日」 には、次のようにある。 「LOOBの国際協力プログラムにゴミ投棄場(スモーキーマウンテン)の地域住民支援があります。
フィリピンでは、ダイオキシンをはじめとした有害物質を吐き出すためか、ゴミ焼却場禁止法を世界で初めて制定しました。
ゴミの処分問題については、各国も頭を悩ませていて、例えばニューヨークでのゴミの処分方法の歴史を見ると、
窓から通りへ投棄→海洋・河川へ投棄→回収・埋め立て→海洋投棄を再開→埋め立て地へ投棄→焼却処分→「衛生的」埋め立て場
と手を変え品を変えてきています。お分かりのように、ゴミの処分問題というのは、一部の国では、一部の政治家や大手ゴミ処分企業関係者による汚職が存在していて、コネや金がものをいう世界なのです。
政策レベルでは、ゴミの分別やゴミの堆肥化、再利用などは基本ですが、
私たち消費者にとっては、いかにゴミを出さないかを一人ひとりが考え、
実行することが重要なのは言うまでもありません。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )のバラック住居 を巡回し、聞き取りを行った鳥飼行博ゼミ の学生たち。スラムに限らないが、トタン屋根 (Corrugated iron roof )は吹き飛ばされやすいので、古タイヤなど使えそうな物を重しとして載せて置く。
マニラ市スモーキーマウンテン に住むスクオッター (squatter :不法占拠者)。
貧困者は、雨水を貯めて洗濯水に活用する。
メトロマニラ町から、スモーキーマウンテンの縁まで、ゴムホースによって上水道が、スモーミーマウンテンの縁まで供給されている。ただし水圧が低く、水をためるのに時間がかかる。水は、タンクやバケツに入れてスモーキーマウンテンの上まで運ばなくてはならない。
メトロマニラ、スモーキーマウンテンに住む一家。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を訪問し、貧困生活を余儀なくされているインフォーマル・セトラー の住民から、木のみを頂いた鳥飼行博ゼミナール。カモテ(kamote)栽培して暮らす農家が多いが、果樹も植えられている。2016年8月撮影。
政府による社会保障給付費 も受け取れず、生活保護支給 もない状況で、スラムバラック が拡大する。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンに住む一家を訪問し、室内に入れてもらった鳥飼行博ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を毎年訪問して、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。
1978年、イギリスの「ウルフェンデン報告 」(Wolfenden Report )では、多元的な福祉を構築するために、ボランタリーセクターの役割が強調された。そして、「ボランティア組織の将来>」(The Future of voluntary organisations : report of the Wolfenden Committee )では、硬直的・官僚的な公的部門、未組織のインフォーマル部門を踏まえて、多元的な福祉システムを目指した。つまり、個人のニーズを満たし、援助が必要な者とボランティアとの媒介という補完的,先駆的役割を果たす必要性が強調され、それがボランタリー・セクターの将来的な方向と位置づけられた。
メトロマニラケソン市 (Quezon City )より西部にあるマニラ市のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のバラック住居に住む三世帯家族。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン では、若いお母さんが赤ちゃんをあやしている。毎年訪問している鳥飼行博ゼミナール学生は3年生21歳なので、それよりも年下だが、早い時期に自立している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )のバラックで、赤ちゃんをあやす若いお母さん。鳥飼ゼミナール学生よりも年下だが、貧困者ほど早い時期に自立することが求められる。ポリオ が心配だ。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン のティーンのお父さん。休日なので、のんびり過ごしている。
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテンを訪問し、子供たちと遊びながら、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。
スモーキマウンテンの上には都市インフォーマル部門 (urban informal sector )もある。路上での販売が規制されていようとも都市インフォーマル部門 (urban informal sector )の労働集約的産業が住民の生活の糧となっている。マニラ首都圏 の商業地区の横断歩道で、カラマンシ(レモン)を袋に入れて売っている「立ち売り」もいる。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの地図
ごみ山の巡回訪問 Smoky Mountain 2016
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )の住民を訪問して回る鳥飼ゼミナール。20メートルほどの高さのある古いごみ山の上に、インフォーマル・セトラー の住民のバラックや農地がある。
マニラ首都圏 マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )。有価物を再回収したり、カモテやレモングラスを栽培して売り行ったりして、生計を維持している。現在、最終処分場はパヤタス(Payatas )に移転しており、廃棄物がスモーキーマウンテンに持ち込まれることはない。
ここにはジープニー など交通手段も完備している。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンを訪問した鳥飼ゼミナール。2013年までは、廃材を使って木炭 を焼いている世帯があったが、現在は、自粛している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の元廃棄物最終処分場では、現在100世帯以上が暮らしている。都市中心部のスモーキーマウンテンの麓では、トラックを保有する業者が炭焼きに使う廃材を購入している。
政府による社会保障 も生活保護 も不十分なため、自ら仕事を生み出す「起業」が当たり前で、これが草の根民活といわれる所以である。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を訪問した鳥飼ゼミナール。2016年8月撮影。
フィリピン スモーキーマウンテンからの移住者の炭焼きによる仕事作り には、次のようにある。
「既に日本では炭万長者になることはできませんが、フィリピンではまだ人口の50%の人たちが炭を燃料にしていて、オイルやガスとかも高くなってきているので、フィリピンの一般層や貧困層にガスを使う時代が来るのかはわかりません。
炭の需要はあるので、炭万長者が出てくるかわかりませんが、食っていけて、子供たちが学校に行けるようになるほどの収入が得られるような事業がスタートできればと思います。
2日目の朝は、前日の夕方みつけたところからドラム缶を運ぶことから始めました。ドラム缶1個手に入れるのもなかなか大変で、日本のようにはいかない。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )では、カモテ(さつまいも)、ガビ(やまいも)が栽培されている。2015年8月撮影。
Kiva Japan フィリピン には、次のようにある。
「Claritaさんは9人の子どもを持つ親として、一生懸命働き家族を養う既婚女性です。
Claritaさんは、フィリピンで木炭の売買をするほか、野菜の栽培・販売からも収入を得ています。ClaritaさんはNWTF*から2万5000ペソ**の融資を受け、販売用在庫として木炭を追加で仕入れる予定です。
ClaritaさんはNWTFから過去12回の融資を受けて、この商売を続けています。Claritaさんは、一生懸命働くことが、お金を貯めて商売を大きくするという夢の実現につながると信じています。
*フィリピンにある小規模金融機関で、Kivaのパートナーのひとつ。
参照URL:http://www.kiva.org/partners
**1フィリピン・ペソ(PHP)=約2.32円(2013年7月10日現在)
参照URL:http://www.oanda.com/currency/converter/
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンのバラック小屋は、身近にある廃材を材料にして作られている。鳥飼行博ゼミ の学生たちが一軒ずつ回ってインタビューした。2016年8月撮影。
低所得層住宅地では、政府による社会保障 も生活保護 も不十分であれば、貧しい住民の中には、やむを得ず不法占拠者となる場合もある。
キリスト教会の援助
NGO and Aid
ボーンアゲイン派キリスト教会MGOが、インフォーマル・セトラー の子供たちに無料で昼食(ケッチャプ・ソーセージ・ご飯)を配給していた。2016年8月撮影。
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテン。特異なボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会MGOが、子供たちに昼食(ケッチャプ・ソーセージ・ご飯)を無償配給していた。2016年8月撮影。
ボーンアゲイン派キリスト教会MGOが、インフォーマル・セトラー の子供たちに無料で昼食(ケッチャプ・ソーセージ・ご飯)を配給していた。2016年8月撮影。
アクセス:共生社会をめざす には、次のようにある。
■地区の歴史&活動の経緯
戦後 マニラ市トンド地区にゴミ捨て場が設置される。ゴミが発酵して発生するメタンガス、それによって自然発火して出る煙から「スモーキーマウンテン」と呼ばれるようになる。ゴミ拾いで生計を立てる人々が住みつくようになる。
1995年 政府により、11月にスモーキーマウンテンが閉鎖され、住民は立ち退きさせられる。
2000年 かつてあったゴミ捨て場から少し離れたマニラ湾沿いに、現在のゴミ捨て場が設置される。ここでもまた、多くのゴミ拾いで生計を立てる人々が暮らすようになり、スモーキーマウンテンと呼ばれるようになる。
2001年 政府による立退きや嫌がらせから生活を守るため、住民組織がつくられる。ゴミ捨て場に暮らす世帯数がどんどん増加。アクセスの関係者が時折、地域を訪問するようになる。
2006年 地域内に多目的保健センターを建設。
2007年 ボランティア・ヘルス・ワーカーの育成、多目的保健センターでの健康相談など、保健衛生プログラムを本格的にスタート。年間2000人以上の手当てをしている。(引用終わり)
NGOパラック Non-Governmantal Organization
マニラ首都圏マニラ市スラム は、スモーキーマウンテンの上にもできている。ボーンアゲイン派キリスト教会MGOがインフォーマル・セトラー の子供たちに無料で食料を配給していた。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上にあるスラム地区。もともと、廃棄物の山で住民はいなかったが、畑作を営む不法占拠者がここに住居を建築した。それが恒常的な居住地となり、住居も次第に増え、構造的にもしっかりしたものに変化した。
「スクオッターの生活実践 ―― マニラの貧困世界のダイナミズム 石岡丈昇」 には、次のようにある。
「スクオッター は行政サービスからは取り残されたエリアである。選挙を控えた地元政治家が集票のために道路を整備するなどを除けば、生活基盤整備が施されることはまずない。たとえば熱帯特有の強い雨が降った際には、多くの家屋が床上浸水になる。また、台風の時期には、家ごと吹き飛ばされるケースも少なくない。スクオッター は、インフラ整備の面では、脆弱な場所なのである。」
「だが、スクオッター の内部を歩いてみると、そこでは脆弱な貧困地域というイメージを覆す数々の生活の機微に触れることができる。インフラ整備が施されないため、住民は自ら生活空間を創出する。排水路を整備し、街灯を設営し、祭りを開催し、固有の生活を創造していくのだ。たしかに貧しくはあるが、そこに息づく自前性・自律性の力は相当のものだ。ここでは、そうしたスクオッター のおびたただしい生活実践を紹介していこう。スクオッター 住民の生活実践を見てみると、そこが社会的周辺地域ではなく、危機を生き延びる叡智の集積する先進地域であることが読み取れるはずだ。」
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテン。ボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会MGOが、子供たちに昼食(ケッチャプ・ソーセージ・ご飯)を無償配給していた。
マニラ市トンド地区のごみ積場跡のスモーキーマウンテン の住民はボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会援助で食料の配給を受けた。トンド地区では、飲料用の上水が販売されていて購入可能。トンドのスラムのインフォーマル・セトラー の多くも、室内に上水道が敷設されていないので、ここで飲料水を購入する。
マニラ市にあるスモーキーマウンテンに住む貧困者が、ボーンアゲインのキリスト教会援助で食料の配給を受けた。スラムの住民の多くはスクウォッター(squatter) (不法居住者)で就業や教育の機会が限定されてしまい、インフラ未整備のために衛生状態が悪いので、子供に感染病が蔓延しやすく、乳幼児死亡率が高い。
マニラ市スモーキーマウンテン の住民はスクウォッター(squatter) (不法居住者)であるが、ボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会から、土曜日に食料の配給を受けている。
スモーキーマウンテン のスクオッター に聞き取り調査。ボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会MGOが、子供たちに無料で食料を配給していたので、援助担当者にお話を伺った。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでボーンアゲイン教会の食料援助を受け、自宅で食べる。今はケソン市パヤタス に移っており、そこが第二のスモーキーマウンテン と呼ばれるようになった。
2015年8月、マニラ市スモーキーマウンテン 。ボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教会MGOが、子供たちに無料で食料を配給していた。大人も相伴にあずかることができる。
マニラ首都圏スモーキーマウンテン のスクオッター (squatter :不法占拠者)と彼らに食料援助をするボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教徒NGOに聞き取りをした鳥飼ゼミナール。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「ロハス大通りを北上し、マニラ湾に注ぐパッシング川にかかるロハス橋を渡って直進すると、およそあたりの景色と似つかわしくない高さ40メートルほどの黒々とした小山が、視界をさえぎった。これが、世界に悪名をはせたゴミ捨て場スラム街、スモーキー・マウンテン跡だった。
もともとこの辺は、海辺の漁民の村だったそうです。ニッパヤシの漁民の家があった。昔は、カキ、ハマグリ採りの家族がピクニックにやってきた」。穴田さんの解説だ。マニラ生活17年、フィリピン人の高級官僚を夫にもつ穴田さんは、元スモーキー・マウンテンの住民たちを援助するボランティア活動のリーダーでもある。
フィリピンの好ましからざる名所は、いつできたのか。車中、その由来を聞いた。事のおこりは1954年、マニラ市がこの場所をゴミの投棄場所に指定したことに始まる。市の清掃局のトラックは、収集した家庭ゴミを投棄していった。焼却など手間がかかるので、ゴミの山がある程度の大きさになったら、土をかぶせるつもりでいた。ところが、ゴミの中には、空きビン、空き缶、プラスチックなど再生可能な資源がある。貧しい人々には、まさに宝の山で、ゴミをあさる人々の仕事場になってしまった。現地では、この人たちをScavengerと英語読みしている。スカベンジャーたちは、ゴミの山のふもとに堀立小屋をつくり、職住超接近のスラム街を形成した。20ヘクタールほどのスモーキー・マウンテンには最盛期、5000家族、2万7000人が住んでいたという。
汚物の中を大きな竹カゴを背負い、ゴミ漁りにはげむ老若男女。『ゴミを漁りて、山に登る。ああ、貧なるかな』であった。」
肉やケッチャプなど、普段食べることができないような食事を教会が提供してくれる。
マニラ首都圏スモーキーマウンテン のスラムバラック と並んで、ボーンアゲイン派 (Born again )キリスト教徒NGO支援バラックが建設されている。スクオッター の人たちからお話を伺った鳥飼ゼミナール。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「あの頃のスモーキー・マウンテンは、もはやない。だが、ゴミ捨て場から1キロほど離れたところに、元住民たちに提供した30棟ほどの仮説住宅の村落があった。2階建の長屋で、一見して倉庫風だ。ここに2700家族がすし詰め状態で住んでいた。
住民の声を聞くべく穴田さんとともに、村落に入った。1世帯に割り当てられた仮住宅のスペースは、わずか3メートル×4メートル、6畳間ひとつの大きさだ。ベニヤ板のドアをあけると、1メートル四方ほどの狭いたたきがあり、カーテン越しに部屋の中が見える。窓が小さい。廃物利用とおぼしきテーブルと小さな戸棚がある。部屋の中にはトイレも洗面所もない。屋内の廊下や階段には、所狭しと洗濯物が吊るしてある。」(引用終わり)
貧困世帯の生活 Elderly Care
マニラ市の海沿いにあるごみ積場跡のスモーキーマウンテン 。スクオッター (squatter :不法占拠者)がスラムバラックをたてて住んでいる。
「私の夢は大人になるまで生きたい」人権コラム(平成23年11月11日号) には、次のようにある。 「先日、沖縄在住のビデオカメラマン、池間哲郎さんの話の入ったCDを聴く機会がありました。
池間さんがフィリピンのマニラ市にあるスモーキーマウンテン で働いている六歳の女の子に、あなたの夢は何ですかと聞くと、笑顔で「私の夢は大人まで生きることです」と話したそうです。
スモーキーマウンテンとは、ゴミ捨て場を中心に広がる世界有数のスラム地域で、そこには三万人が暮らしています。生活のために裸足でゴミの中からビンや空き缶を拾い、お金にかえています。三歳の子どもも働いています。貧しいので食事は一日に一回で、生き延びるのが非常に難しい状況です。十五歳まで生き延びる子どもは三人に一人ともいわれています。
こうした環境の中でも、多くの子どもたちは、両親と暮らし、お母さんやお父さんを大事に思い、非常に尊敬しています。子どもたちも働いているので親の素晴らしさが分かっているのです。池間さんは一生懸命に生きている子どもたちが自分の人生の師に思えたそうです。
私はこの話を聴いて、子どもたちは苦しみや痛みを家族と共有しているから、お金や物がなくても家族とのつながりを強く持って暮らしているのだろうと思いました。また、大人になるまで生きられない子どもがいるという現実の中で、社会同和教育指導員として命や人権の大切さを伝えることの重みを改めて認識させられました。
(社会同和教育指導員・西村正元) 」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン 。鳥飼行博ゼミ は、元のごみ山の上にできた農地を見学させていただき、聞き取りを行った。ここは、生ごみのたい肥化場所ではないが、ごみを覆うために土が被せられている。 政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、スラム ではリサイクル小規模事業=草の根民活の動きがある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上にあるバラックに住む婦人。バラックの周囲にはカモテが植えられている。スモーキーマウンテンで一番盛んな生業は、カモテ(Kamote )栽培である。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでの聞き取り。
「旅日記?スラム街スモーキーマウンテン 」には、パヤタスのゴミ山周辺のスラムについてか、次のようにある。 「スモーキーマウンテン(煙のあがる山)と呼ばれるマニラの貧困層の生活場所へ足を運んできました。ゴミからなる山で、常にゴミからなんらかの煙があがっているためそのような名前なのだと思います。ゴミからできてる山っていったいなんなんだ?しかもそこで人々が生活している。全てが全く想像できず、気になってしょうがなかったのです。ジープニーと呼ばれるフィリピンの乗り合いバスの様な物を2つ乗り継ぎ、スモーキーマウンテンエリアに到着。
ジープニーを降り、数分歩いただけで貧困が痛い程目に入ってくる。排水で水たまりができた道路、道に捨てられた溢れる程のゴミ、そこを裸足で歩く子供達。僕の旅の主義、現地の人々が食べる物と同じ物を食べる。と言うことで少し小腹がすいていたので道沿いの小汚い屋台で食事をすることにする。衛生的に大丈夫か?食中毒になったりしないか?と思うかもしれないがそんなこと考えてもしょうがない。第一、このような考え方はその土地で生活する人々にとても失礼だ。フィリピンスタイルの豚の角煮の様な物を注文する。食べてみて驚きだ。今まで食べた角煮の中でも1番を争う程うまい。最高にうまい。あまりにもの驚きと美味しさで炊きたてのご飯と角煮を一瞬にしてたいあげる。 屋台のおばちゃんも笑顔の絶えない人なつっこいいい感じで、『facebookやってんの?友達申請するわ』などと暢気だ。『またいつでも戻って来なさい』って笑顔で見送ってくれる。目的のスモーキーマウンテンに到着し、自分の目を疑った。本当に山なのだ。土とか岩で形成された山じゃなく、全てがゴミで形成された山だ。日本の小山くらいの大きさで、そこに家が何軒か立てられ人々が生活しているのである。
「フィリピン スモーキーマウンテン 変わりゆくスラム 」ではトンド地区は巨大な貧民街で、治安と衛生環境の悪さからトンド地区に隣接する町の住民ですら行かない場所である。トンド地区を歩いていると一日のうちに5回以上「この辺りは悪いから気をつけてね」と声をかけられたのを思い出す。パヤタス地区のゴミの最終処分地があるケゾン市で宿泊した時、ホテルの警備員にこれからトンド地区に向かう事を告げるとその警備員は急に真剣な顔付きになり、「銃を持っている悪い奴らがたくさんいるのでホールドアップには気を付けてくださいね。」と言い、隣で我々の話を聞いていた女性は吐き捨てる様に「ハッ!、トンド!」と言って同時に弓を射る仕草をした。犯罪を犯す者は、銃の代わりに弓を使う事もある様である。
日本に帰国した時、長年日本に住んでいるフィリピン人男性にトンド地区は本当に治安が悪いのかと訪ねると「もし、トンドで事件があってもフィリピンの警察は決して一人では行きません。30人位で行きます。警察官でも銃で撃たれてしまう可能性があるからです。そういう場所ではボスがいて、住民が警察に何かを聞かれてもボスに何をされるか分からないのでみんな何も言いません。YKKです。」と言って口にチャックを閉める仕草をした」と論拠の無い伝聞を書いている。もし、トンドの住民が日本人までこんなことを書いていると知ったら、どんな顔をするだろう。
母子健康診断書 Matanity 2016
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にも居住者があり、それを認める妊婦健診票を見せていただいた。
ガビ (gabi)は、タガログ語/ビコール語で、タロ芋あるいは里芋のこと。
第二のスモーキーマウンテンが、ケソン市パヤタス にできたが、その周囲にはスラム街 が広まっている。ただし、自治組織バランガイが組織されており、その運営になるリサイクル施設がある。ラックを保有して、分別した有価物を工場に運搬、売却して利益を上げている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン 居住を認める妊婦・乳幼児健診票を見せていただいた。
サツマイモ(Kamote )とガビ(タロイモ)の畑。 下は、マニラ北港 は内貿貨物および旅客の基地となっており、水深5m〜8m、長さ220m〜250m、幅80m〜100mの9つの桟橋により構成される櫛形港湾(岸壁総延長1,200m)である。主として国内コンテナの取り扱いに利用されている。
マニラ首都圏マニラ市スラム バラック。屋根は、袋やトタンで覆っている。壁は、ベニヤ、トタン板、幕屋を張った構造である。
フィリピン スモーキーマウンテンからの移住者の炭焼きによる仕事作り 試作1日目(子供たちの洗礼、材料集め)には、次のようにある。
「フィリピン人は怠けものの傾向があるとよく言われていて、確かにそのような一面はあるものの、スモーキーマウンテンから政府の進める移住計画で、移住先のバティアにある日本で言う仮設住宅っぽい長屋の人たちと一緒に過ごしていると、目を見張るほどの働きっぷりをしていることがある。バティアだけでなく、マニラでも「オレだったら3日どころか、30分でもやりたくない、いや、できないだろうなという仕事に出くわすことがある。いくつかをあげてみると、
1.灼熱の車道の真ん中で、片手にタバコやお菓子や水、ジュースなどの入った棚のような箱のようなものを抱えて、道行く車たちに販売。危険だし、タバコと木製っぽい棚だけでも結構な重さっぽいのに、そのうえ人によっては水のボトルを何本も。腕がどんだけ疲れるんだろう。
2.石を運ぶ女性。バイクの脇にサイドカーみたいなのがついて、人や荷物を運んでいるトライシクル という乗り物があって、その自転車バージョンをなんと言うのかわからないが、移住先のバティアでもよく魚屋とかパン屋とかゴミ集めとかが行商にきたり地域内で回っていたり、子供たちの遊び道具や井戸でくんだ水の移動に使われていたりする。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン のティーンの若夫婦。
レモングラスは香りがよいため、お茶や薬草として使われるが、販売用に栽培されている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの
スラムバラック に住む子供たちの玩具は、ごみとして捨てられたものを回収したリサイクル品や拾った廃材・プラスチックを材料とした自作のもの。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にあった廃棄物最終処分場に、棲みついた貧困者バラックの内部。マニラ市トンドではなく、ケソン市パヤタスには、第二のスモーキーマウンテンと呼ばれる廃棄物最終処分場(巨大なごみ山)がある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの上にあるバラックの調理場。
精神障碍者世帯 Mental disorder
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む貧困者に聞き取りをした鳥飼ゼミナール。毎年訪問しているので顔なじみになっている。
鳥飼行博ゼミでは、マニラ首都圏マニラ市スラム から、スモーキーマウンテン に上り、そこにバラックを建てて住んでいる人たちに聞き取り調査をした。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。居住者たちは、カモテの葉を収穫して、束ねる。そして、やってくる商人に売却したり、自転車式のトライシクルに乗せて、近くの市場(パレンケ)に販売したりする。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む貧困者に聞き取りをした鳥飼ゼミナール。毎年訪問しているので顔なじみになっている。
マニラ北港 の先に、ごみ埋め立て地にもあるが、より大規模な最終処分場は、ケソン市パヤタス にある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの上にある農地とバラック家屋を巡回し、住民に聞き取り調査を下鳥飼ゼミナール。
特定非営利活動法人アクセス-共生社会をめざす地球市民の会 「都市貧困地区 スモーキーマウンテン 」では「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と 言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。私たちが関ってきた「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。 多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾ってきました。一日の収入は70〜150ペソと大変少なく、苦しい生活を強いられていました。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。約6,500人もの人々が暮らしてきたスモーキーマウンテンですが、 2014年6月に政府による立ち退きが実施され、全住民がスモーキーマウンテンを去りました。元住民は、ブラカン州やリサール州などの再定住地に移住したり、マニラ市トンド地区内の別の貧困コミュニティで生活を再建しています」とある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン で暮らす少女。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上のスラムで暮らす。カモテやレモングラス を栽培するのが主な生業だが、ごみ山を掘り返しての有価物収集も行われている。
「旅日記?スラム街スモーキーマウンテン 」には、パヤタスのゴミ山周辺のスラムについてか、次のような体験がでている。 「スモーキーマウンテンを後にし、あたりを散歩していると、この子供達が満面の笑みで追っかけてくる、何かと思うと、ゴミの中から見つけたプラスチックでできた小判の様な物を自分にお土産だってくれるのである。ただのガラクタだが本当に嬉しい、一生捨てられないものをゲットしてしまった。自分も何かあげようと思うが、いいものが見つからず、ポケットに入ってた5ペソ(約10円)をあげる。お金をあげるなり、子供達は大喜びで近くの駄菓子屋へ走り、もらったお金で小さな小さな駄菓子を買えるだけ買って3人で仲良く分け合っているのである。 子供達にお礼を言い散歩を再開すると、道に椅子とテーブルをだし、人々がカラオケしている光景が目に入る。その中の1人と目が合い、『どっから来たんだ?一杯どうだ?』って誘ってくれる。ガイドブックとかによく、フィリピンで他人から酒などをごちそうになってはいけない。薬が混ざってて意識を失い、目が覚めたら所有物全てを失っている、みたいなことが書かれている。こーいう時ほど旅の感覚、感性が試される時はない。一瞬にして好意で誘ってくてているのか、それとも何かだまそうとしているのか判断しないといけないのである。僕の経験上、旅のいい思い出、出来事はだいたいこのような一瞬の出会いから生まれてくるのである。 誘いに乗ることにする、グラスに注がれたビールを一気すると、みなが信じられないほど盛り上がるのである。即座に次のグラスが回って来てそれも一気する。さらに盛り上がる。1杯ごちそうになったらすぐに行こうと思っていたが、結局座り込んでしまう俺。笑 そのうちにカラオケが回ってくる、フィリピンで大人気の韓国の歌、『ガンナムスタイル』を選曲、音楽が流れ始めた瞬間に世界が変わった。さっきまで盛り上がってた皆がさらに頭がおかしくなったかの様に踊りだすのである。子供も大人も皆、腹を抱える程大笑いしながらダンスだ。」
バラックの台所 Kitchen and Energy
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの台所。 スモーキマウンテンに住む貧困者も、焜炉(調理用ストーブ)を使っていた。フィリピンでは、中層以下の世帯で、料理や給湯には焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ を使うのがふつう。燃料は薪炭。 パヤタスのスラム街 では、炭をまとめ買いし、それを小さな袋に分けて売る木炭 販売世帯がある。パヤタスの調理では焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ が主流。燃料は薪炭。
スモーキーマウンテン で調理に利用されるエネルギーは、薪炭(木質バイオマス)。
マニラ首都圏マニラ市 のスモーキーマウンテン(旧ごみ捨て場)に住む人々もごみ捨て場跡地に住む人々も調理には、伝統的なバイオマスエネルギーを利用しているが、これは再生可能エネルギーである。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンごみ捨て場跡地に住む人々も調理には、伝統的なバイオマスエネルギーを利用しているが、これは再生可能エネルギーである。しかし、便利なガスタンクによる調理も併用している。青いタンクは飲料水用。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンごみ捨て場跡地に住む人々も家庭エネルギーは伝統的な再生可能エネルギーである固形木質バイオマスを利用している。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテン(旧ごみ捨て場)に住む人々も家庭エネルギーは再生可能エネルギーである固形木質バイオマス(薪炭)を利用している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでは下町から、飲料水を購入している。マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでは下町から、ゴムホースによって上水道が供給されている。しかし、これによって水を賄っている世帯は、全住民の1割ほどと思われる。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでは下町から、ゴムホースによって上水道が供給されている。しかし、これによって水を賄っている世帯は、全住民の1割ほどと思われる。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの上バラック のサリサリストアで鳥飼行博ゼミ 学生たちは障害者宅を訪問した。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンの母子
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン で足をねん挫した女の子。病院に行くとお金がかかるので、放置されていた。
農作物の収穫 Harvesting Agricultural Products
マニラ市トンドのスモーキーマウンテンでは農業が営まれている。
マニラ市トンドのスモーキーマウンテンでは農業が営まれている。
パヤタス のスラム でもレモングラス、カモテ(イモ類)、バナナ、トウモロコシなど農作物のガーデニングをしている。
マニラ市トンドのスモーキーマウンテンでは農業が営まれている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の居住者たちは、カモテ(サツマイモ)、レモングラスを販売用に栽培し、トウモロコシ(マイース)、バナナ を自家消費用に栽培する。
メトロマニラ、マニラ北港近く、スモーキーマウンテン の畑から、トウモロコシの収穫を終えたバラックに住む一家。 政府による社会保障給付費 も受け取れず、生活保護支給額 もゼロであるからこそ、スラム に草の根民活が発達する。
1978年のマニラ市 のごみ捨て場跡地で栽培されたトウモロコシ。現地ではフィリピン語でマイース(スペイン語源)という。
身体障害者世帯査
Hearing to physical disabilities
マニラ首都圏スモーキーマウンテン (Smokey Mountain )上に住む障害者に、鳥飼ゼミナールは毎年のように聞き取りをしている。2016年8月撮影。2014年に右足切断。廃材やビニールシートを材料にした狭いバラックに暮らしているが、室内を見せてくれ、インタビューにも応じてくれた。ごみ山跡では農業が営まれている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Former Smokey Mountain )上に住む2014年に右足切断の障害者に聞き取り調査を実施している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Manila's Smokey Mountain Dump Site )上に住む貧困者に対して、鳥飼ゼミナールは毎年のように聞き取りをしている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Mountain of Trash )上に住む貧困者に対して、鳥飼ゼミナールは2012年から毎年、継続して聞き取り調査を実施している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Trash Mountain )上に住む貧困者に対して、鳥飼ゼミナールは毎年のように聞き取りをしている。2016年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Smokey Mountain: The Inglorious Landmark Of Manila )上に住む貧困者、インフォーマル・セトラー に対して、鳥飼ゼミナールは毎年のように聞き取りをしている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン (Manila's Smokey Mountain Dump Site )上に住む貧困者は、水を下の街の上水道から購入して、このタンクに入れて運んでくる。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む貧困者は、水を下の街の上水道から購入して、このタンクに入れて運んでくる。2016年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む障害者の世帯。2016年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む貧困者の乎泊に訪問した鳥飼ゼミナール。2016年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上に住む貧困者の都市農業について聞き取りをした鳥飼ゼミナール。2016年8月撮影。
スモーキーマウンテン Smoky Mountain 2016
マニラ市のスモーキーマウンテン(元廃棄物最終処分場)の上に立っているバラック。100世帯が居住している。ここにごみ運搬トラック がやってきて、ごみを投棄することはない。20年前に停止されたためである。
マニラ市のスモーキーマウンテン(旧ごみ山)の上に立っているバラック。現在ごみは、ケソン市パヤタス にあるごみ山(廃棄物最終処分場)にごみ運搬ダンプカー が運んでいる。
トンド のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )はごみ捨て場跡地。そのスモーキーマウンテンの上に住む住民の中にサリサリストアを営む世帯が10軒ほどある。
スモーキーマウンテンの家族 Children Dreaming
マニラ首都圏マニラ市トンド のスモーキーマウンテン のバラック二世帯同居世帯。脇に車椅子がある。
フィリピン政府による医療保険 も生活保護 も不十分であり、家族が病気になっても、治療を続けることは困難である。 しかし、政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、民活はしぶとく粘り強い。
廃棄物処分場がパヤタス移転したため、マニラ市の旧スモーキーマウンテン(Smokey Mountain )にはカモテの畑が広がり、生活する住民が100世帯以上いる。毎年のように、鳥飼ゼミ の学生が、カモテを作ると農家、ごみを回収するスカベンジャー、ごみを掘り出す家族にインタビューしている。
マニラ市のスモーキーマウンテンでは、廃材を利用して、木炭 が生産されている。炭焼きから木炭を買い取って、下の町まで担いで行く。ごみ最終処分場は、ケソン市パヤタス に移転してしまったので、いまは新たに大量のごみが搬入されることはない。
旧ごみ山跡地のカモテ栽培 Agriculture
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。収穫したカモテの葉は袋(サック)に入れて、市場(パレンケ )に運んでそこの商人に売る。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。 「カモテという芋 もスライスして串刺しのものを油で揚げている。表面はかりっとした砂糖のコーティングがしてあり、結構腹持ちのいいおやつになる」と書いてある日本人のブログがあった。オヤツは、貧困者のカモテの食べ方とは違う。揚げる油も、砂糖も使うことはできない貧困者は、カモテ(サツマイモ)といっても、イモ(地下茎)ではなく、葉っぱを茹でて食べるのが普通。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)を収穫する。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)を収穫する。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。 日本人のブログに「今日もまた健康自然食品の話題です、、、、、!!フィリピンではパレンケ(市場)で普通に売られている野菜です、、それはサツマイモ(カモテ )の茎葉っぱ付きで売られています、以前ブロ友(タマラオさん)から教えて頂きそれ以来食べています。日本では見向きもしなかったんですが、貧乏生活では如何にお安く体に良い食品なんて考えていますので、、、ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆ このカモテの茎葉には良質のポリフェノールが含まれ糖尿病にも効果があるようです。料理法は佃煮、天ぷらなどが食べやすい様です、昨日はカミさんが日本で言えば酢醤油???フィリピン料理名はトマト、ジンジャー、カモテの茎葉を適当に切り和えただけ、、タルボスカモテ、ジンジャービネガーと言うらしいです」と紹介されていた。
スモーキーマウンテンの上のカモテ(サツマイモ)畑で収穫されたカモテの葉・茎 。これは、市場(パレンケ )に運搬され、そこに店を出している商人に売却される。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。しかし、貧困者は健康食を選んで食べているわけではない。安価なカモテの葉・茎 のような食材は、低カロリー、自然素材、高密度の食物繊維であり、健康食にも繋がる。 日本人のブログに「カモテ は外はカリカリ、中はしっとり甘くて美味しいです♪」とあったが、このような甘い揚げ菓子は、貧困者の食べ物ではない。スモーキーマウンテン住民にとってのカモテ料理とは「カモテの葉」の塩茹でがせいぜいで、これとご飯だけの食事である。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。 日本人のブログに「カモテ といえば、(メキシコの)プエブラの銘菓でさつまいもにいろんな味や色(いちご・ココナツ・バニラなど)をつけた葉巻型のお菓子で、周りにコーティングした砂糖がジャリジャリ激甘な以外はとても美味しいです」とあった。砂糖を使った甘いお菓子をおやつは贅沢、食べ過ぎると太ってしまうと心配するのも贅沢である。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ" width=410 align=below border=8> スモーキーマウンテンの上で、カモテ(サツマイモ)を収穫する。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑作地 が広がっていおり、バラックの住民がカモテの葉っぱを収穫していた。日本では農地の荒廃、旧畑作地跡の利用が問題となっているが、フィリピンでは、豊富な労働力のために、空き地は次ぐ次開墾されている。
スモーキーマウンテン上でカモテ(サツマイモ)の畑作地 で収穫していた住民の方にお話を伺った。 北海道恵庭市でてん菜生産 のために、水田を転換すると、畑に生じる水はけの悪さへの対策が必要になる。水はけを改善することにより土壌の通気性を改善し、土壌中の微生物を活性化して「乾土効果」を高めたことで、てん菜の生育が良くなったという。また、地中の水分を排出するための素焼きの土管を畑に埋設する作業(暗渠"あんきょ"排水)も実施された。現在は土管より軽量で取り扱いやすいコルゲート管に改良されている。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。
1991年(平成3年)12月31日19時20分 - 20時55分および21時から23時45分にNHKホールで行われた、第42回NHK紅白歌合戦 は、生放送された。初出場組は、とんねるず、SMAP、西田ひかる、海外からはショービジネス界の重鎮・アンディ・ウィリアムスなど23組あったが、その中に、フィリピンの音楽グループ「スモーキーマウンテン 」があった。1991年当時、音楽グループ「スモーキーマウンテン 」のメンバーは、男性はジェームス・コロネル(16歳)、ジェイスン・アンガンガン(14歳)、 女性はシェディ・ベルガーラ(13歳)、サール・サントス(13歳)だった。紅白出場は、放送局の人気取りと社会的テーマへの関心を兼ねた選出だったが、フィリピンの貧困への関心は一過性のものだった。
スモーキーマウンテン上でカモテ(サツマイモ)の畑作地 で収穫していた住民の方にお話を伺った鳥飼ゼミナール。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。そこで、お話を伺った。居住者たちは、カモテの葉を収穫して、束ねる。そして、自転車式のトライシクルに乗せて、近くの市場(パレンケ )に販売に行く。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。サツマイモがやせ地で良く穫れるのは、茎の中の窒素固定細菌の共生しているためと考えられている。スモーキーマウンテンのカモテ(甘藷)の畑作地 では、バラックの住民が収穫していた。サツマイモは、ナス目ヒルガオ科サツマイモ属のつる性の植物。塊根や葉・茎を食用にする。カロテン,ビタミンB群,Cに富む。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。サツマイモの主成分はでん粉で、各種ビタミンやミネラル類も豊富に含まれている。また、セルロース、ペクチンといった食物繊維が非常に多く含まれている。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。日本のサツマイモ生産は、食料の安定供給に貢献した戦後復興・食料増
産期(昭和 20 〜 35 年)、でん粉原料用、市場販売用、飼料用がシェアを伸ばした高度成
長期(昭和 36〜 50 年)、飼料用が減少し、加工食品用が伸びた安定成長期(昭和 51〜 60
年)、その後の国際化の進展期(昭和 61〜現在)というように変容してきた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。 スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。鳥飼ゼミナールは、マニラ首都圏のスラムバラック を見回りながら、近所の家によらせていただき、お話を伺った。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。サツマイモは、江戸時代の初めにルソン島から中国、さらに琉球(沖縄県)を経て 薩摩(鹿児島県)に伝わった。薩摩では琉球から伝わったので 琉球イモといった。沖縄では唐イモと呼ぶ。当初は、九州でしか栽培されなかったが、1735年(享保20年)、青木昆陽が 飢饉の際の代用食としてカンショ(甘藷)栽培の励行を幕府に進言したため日本各地に広まった。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(甘藷)の畑作地 が広がっていおり、バラックの住民が収穫していた。
医療サービスの欠如 Aboiding Medical Care
スモーキーマウンテンの上には、バラックの住居が並んでいる。これは再生可能エネルギーである。スモーキーマウンテンの麓からトンド、LRTまでジプニーが運航している。また、政府による社会保障も生活保護ガイド も不十分であっても、家族は働き工夫して生活している。しかし、交通事故に遭って足をくじいた女の子は、薬もなく、病院にも行くこともできないでいた。
スモーキーマウンテンの上には、バラックの住居が並んでいる。これは再生可能エネルギーである。スモーキーマウンテンの麓からトンド、LRTまでジプニーが運航している。また、政府による社会保障も生活保護ガイド も不十分であっても、家族は働き工夫して生活している。
しかし、交通事故に遭って足をくじいた女の子は、薬もなく、病院にも行くこともできないでいた。
カトリック教会の援助 Roman Catholic
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。そこに、カトリック教会のNGOが支援を始めている。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。そこに、カトリック教会のNGOが支援を始めている。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。そこに、カトリック教会のNGOが支援を始めている。鳥飼ゼミナールは早速聞き取りをした。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOが子供たちにお菓子を配り始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。そこに、カトリック教会のNGOが支援を始めている。カトリック教会のNGOが子供たちにお菓子を配り始め、同時に家族も含めて氏名を聞き出していた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
スモーキーマウンテンの上には、カモテ(サツマイモ)畑を営む貧困者が数百人住んでいる。カトリック教会のNGOはお菓子で子供を引き寄せ、名前を聞きだし、体重を計測し始めた。
マニラ北港 Manila North Port
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンのすぐ下は、マニラ北港でコンテナが並んでいる。マニラ首都圏ケソン市パヤタスからジプニーで10分のリテックにも貧困者が多いが、ジプニーやトラックが行き交っているので、公共交通機関には不自由しない。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン 。コミュニティ・ヘルスセンター (Community Health Centre )のような公共施設は、ごみ山の上にはない。
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンのすぐ下は、マニラ北港でコンテナが並んでいる。ケソン市パヤタス に移る前の旧スモーキーマウンテンからの眺め。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上のバラック家屋 。2016年8月撮影。
東海大学 Tokai University 2016
マニラ市のスモーキーマウンテンに住民のお宅にお伺いし、インタビューした鳥飼ゼミナール。室内を見せていただいた。スモーキーマウンテンの上には、カモテ、ガビ、レモングラスの栽培地があり、そのほか露店も(都市インフォーマル部門 :urban informal sector )もある。会社に雇用される機会がない以上、収入を得るには都市インフォーマル部門 (urban informal sector )に雇用機会を見出すしかない。
東海大学社会環境課程の鳥飼行博ゼミナールでは、毎年、学生たちがマニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン に上り、そこにバラックを建てて住んでいる人たちに聞き取り調査をしてきた。
〇東海大学新教養学部 の文系と理系を融合した新人間環境学科では、社会環境課程が廃止され、新入生には鳥飼ゼミの海外研修・フィールド調査・国際社会ゼミナールの授業はありません。
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