◆スモーキーマウンテンのバラック生活と農業:鳥飼ゼミ研修
トンド地区の向かいにある旧スモーキーマウンテンの住民宅を訪問した鳥飼ゼミナール
1.2010年のフィリピン共和国の面積は30万平方キロ(日本の80%)、
人口 9900万人、
GDP 2000億ドルで、工業部門がGDPの30%以上を占めます。
1人当たりGDP は2,100ドルと日本の5%で、マニラ首都圏(
人口 1100万人)は国内では豊かな地域ですが、貧困問題もあります。
2.2015年8月、東海大学社会環境糧
鳥飼ゼミナール は、恒例となったフィリピン研修としてマニラ首都圏マニラ市の旧スモーキーマウンテン(
Smokey Mountain )を訪問し、住民のリサイクル、炭焼き、農業、水供給の調査しました。
3.スモーキーマウンテンは一般立ち入り禁止で、無断侵入は犯罪です。wikipediaフィリピン語の
Smokey Mountain の項目がないことからも、立入禁止の理由が推測できます。
4.
写真解説一覧 も参照。
〇東海大学
新教養学部 の文系と理系を融合した新人間環境学科では、社会環境課程が廃止され、鳥飼ゼミの海外研修・フィールド調査・国際社会ゼミナールの授業はありません。
マニラ首都圏マニラ市 Manila 2015
公共交通
Trafic
マニラ市にあるトンド地区スモーキーマウンテンには、ジープとトライシクルで行くことができる。タクシーで行こうとすれば、乗車拒否にあう。
マニラ市にあるトンド地区スモーキーマウンテンに向かうジープに乗った鳥飼ゼミナールの学生。
スモーキーマウンテン
Smokey Mountain 2015
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみ山。コンクリで覆われており、立ち入り禁止となっている。許可申請の出し方が分かっても、危険な場所であり、まず立ち入り許可は得ることはできない。だからと言って、無断侵入、不法侵入は犯罪であり、すべきではない。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみ山近くで廃材の買い取り、木炭を製造する業者がある。トンド地区の住民は、廃材を彼らのところに運んで売却する。荷車いっぱいで100-200ペソになる。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )は、マニラ北港近くのごみ捨て場で、2年前までは炭焼きがなされていた。しかし、2013年以降は、危険なためか廃止された。現在、スモーキーマウンテンの隣で、炭焼きの原料を買取する業者がトラックでやってくる。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )下では、炭焼きをする業者が、廃材を買い取っている。トラックで廃材を、パガニバンに運んで、炭を焼いているという。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )下で、カモテの葉を袋(サック)に入れて、市場に売りに行く住民に出会った。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )は、マニラ北港近くのごみ捨て場で、炭焼きの原料となる廃材を買取り、トラックで運搬する業者。マニラ市にあるスモーキーマウンテン下にいる業者は、荷車1台分の廃材を150ペソから250ペソで買ってくれる。
マニラ市にあるスモーキーマウンテンで、炭焼きの原料となる廃材を買取り、トラックで運搬する業者。
1950年代から使われていたマニラ北港近くの廃棄物捨て場は、1980年代には「スモーキーマウンテン」と呼ばれるほど巨大なごみ山となり、ごみが燃える煙が立ち上るようになった。フィリピン政府は、世界のメディアによって貧困の象徴とされ報道される続けることに危惧し、1994年にごみ投棄を停止するとした。そして、ごみから有価物を回収するために住み込んでいるスラム住民の立ちんぼ気を開始した。しかし、ごみ処分が中止されてから30年が経過、再びこの「スモーキーマウンテン」に住む人々が増えている。もとのごみ山が堆肥化し、カモテなどイモ栽培が可能で、廃材を用いた木炭づくり・炭焼きも行われている。
スモーキーマウンテン入口
Smokey Mountain 2015
マニラ市スモーキーマウンテン(Smokey Mountain )に上る鳥飼行博ゼミナール。
マニラ市スモーキーマウンテンの上に住んでいる住民のバラックは廃材、ベッドのスチール枠、ビニールシート、廃タイヤなどの廃品を主な建築資材としている。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏 (Metro Manila )中央部のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみの山は台地状に整備されている。現在は100世帯以上が、このようなバラックの住居に住んでいる。
マニラ首都圏マニラ市 (Manila City )トンドから見たスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )はごみ山の跡地だが、カモテ(サツマイモ類)の畑が広がり緑の丘になっている。カモテの葉っぱを収穫して、市場に売ることで生計を得ている。束ねてある出荷前のカモテの葉を見せていただいた。
廃棄物処分場がパヤタス移転したため、マニラ市の旧スモーキーマウンテン(Smokey Mountain )にはカモテの畑が広がり、生活する住民が100世帯以上いる。毎年のように、鳥飼ゼミ の学生が、カモテを作ると農家、ごみを回収するスカベンジャー、ごみを掘り出す家族にインタビューしている。
マニラ首都圏 (Metro Manila )マニラ市トンドのスモーキーマウンテンを訪問した鳥飼ゼミナール。
現在、廃棄物最終処分場はケソン市 (人口220万人)パヤタス(Payatas )に移転した。鳥飼行博ゼミ は、このスラムを見学し、住民に聞き取り調査を行った。現在はイモ(kamote)を栽培する農家が多いが、2年前(2013年8月)までは木炭 を生産して売る炭焼きもあった。
廃棄物処分場跡地の家族 Life & Work
スモーキーマウンテンの三世代同居の一家。
スモーキーマウンテンの三世代同居の一家。
メトロマニラケソン市 (Quezon City )より西部にあるマニラ市のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のバラック竪居を案内していただき、雨水をためる水タンクを眺める鳥飼ゼミの学生。大規模な廃棄物最終処分場の跡地で、周囲にはスラム街もある。二十年前、ここのあたりはトタン板に囲まれた小屋やジャンクショップ(屑屋)が並んでいた。
マニラ首都圏スモーキーマウンテンのバラック住居 を巡回し、聞き取りを行った鳥飼行博ゼミ の学生たち。スラムに限らないが、トタン屋根 (Corrugated iron roof )は吹き飛ばされやすいので、古タイヤなど使えそうな物を載せておくことが多い。
ごみ山上の保育園 Kinder Garden 2015
マニラ首都圏マニラ市のスモーキーマウンテンにある保育園は、キリスト教会NGOが運営している。
ごみ山上の生活人 Washing 2015
スモーキーマウンテンに住む大家族の一家にインタビューした鳥飼ゼミナールの学生たち。
マニラ市スモーキーマウンテン の上の住む住民のバラック住居の中を見せてもらった鳥飼ゼミ。スクオッター (squatter :不法占拠者)。
と言われているが、フレンドリーである。「<LOOB>スモーキーマウンテン [2010年03月27日」 には、次のようにある。 「LOOBの国際協力プログラムにゴミ投棄場(スモーキーマウンテン)の地域住民支援があります。
フィリピンでは、ダイオキシンをはじめとした有害物質を吐き出すためか、ゴミ焼却場禁止法を世界で初めて制定しました。
ゴミの処分問題については、各国も頭を悩ませていて、例えばニューヨークでのゴミの処分方法の歴史を見ると、
窓から通りへ投棄→海洋・河川へ投棄→回収・埋め立て→海洋投棄を再開→埋め立て地へ投棄→焼却処分→「衛生的」埋め立て場
と手を変え品を変えてきています。お分かりのように、ゴミの処分問題というのは、一部の国では、一部の政治家や大手ゴミ処分企業関係者による汚職が存在していて、コネや金がものをいう世界なのです。
政策レベルでは、ゴミの分別やゴミの堆肥化、再利用などは基本ですが、
私たち消費者にとっては、いかにゴミを出さないかを一人ひとりが考え、
実行することが重要なのは言うまでもありません。」
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテン。有価物を再回収したのか、木炭 を作って売りに行くのか、それともカモテやレモングラスを栽培して売りに行くのか。現在、最終処分場はパヤタス(Payatas )に移転しており、廃棄物がスモーキーマウンテンに持ち込まれることはない。
ここにはジープニー など交通手段も完備している。
マニラ市のスモーキーマウンテンでは、廃材を利用して、木炭 が生産されている。炭焼きから木炭を買い取って、下の町まで担いで行く。ごみ最終処分場は、ケソン市パヤタス に移転してしまったので、いまは新たに大量のごみが搬入されることはない。
マニラ市スモーキーマウンテン に住む貧困者は、雨水を貯めて洗濯している。バラックを訪問して住民と話す鳥飼ゼミの学生たち。スモーキーマウンテンの旧ごみ山の上に、スクオッター (squatter :不法占拠者)の人たちが暮らしている。
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテンを訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。カモテ(kamote)栽培して暮らす農家が多い。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。カモテ(kamote)栽培して暮らす農家が多い。2015年8月撮影。
政府による社会保障給付費 も受け取れず、生活保護支給 もない状況で、スラムバラック が拡大する。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン を毎年訪問している鳥飼行博ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの地図
廃棄物処分場跡地の生活 Life & Work
スモーキーマウンテンの元廃棄物最終処分場では、現在100世帯以上が暮らしている。鳥飼ゼミは毎年訪問し聞き取りをしている。
政府による社会保障 も生活保護 も不十分なため、自ら仕事を生み出す「起業」が当たり前で、これが草の根民活といわれる所以である。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン で暮らす一家。カモテの葉っぱを栽培して、それをリヤカーで市場に運搬する。2015年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンのごみ山の上で、カモテの葉っぱを栽培して、それをリヤカーで市場に運搬する。
フィリピン スモーキーマウンテンからの移住者の炭焼きによる仕事作り には、次のようにある。
「既に日本では炭万長者になることはできませんが、フィリピンではまだ人口の50%の人たちが炭を燃料にしていて、オイルやガスとかも高くなってきているので、フィリピンの一般層や貧困層にガスを使う時代が来るのかはわかりません。
炭の需要はあるので、炭万長者が出てくるかわかりませんが、食っていけて、子供たちが学校に行けるようになるほどの収入が得られるような事業がスタートできればと思います。
2日目の朝は、前日の夕方みつけたところからドラム缶を運ぶことから始めました。ドラム缶1個手に入れるのもなかなか大変で、日本のようにはいかない。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでの暮らす一家と尋ねた鳥飼ゼミナール。2015年8月撮影。
Kiva Japan フィリピン には、次のようにある。
「Claritaさんは9人の子どもを持つ親として、一生懸命働き家族を養う既婚女性です。
Claritaさんは、フィリピンで木炭の売買をするほか、野菜の栽培・販売からも収入を得ています。ClaritaさんはNWTF*から2万5000ペソ**の融資を受け、販売用在庫として木炭を追加で仕入れる予定です。
ClaritaさんはNWTFから過去12回の融資を受けて、この商売を続けています。Claritaさんは、一生懸命働くことが、お金を貯めて商売を大きくするという夢の実現につながると信じています。
*フィリピンにある小規模金融機関で、Kivaのパートナーのひとつ。
参照URL:http://www.kiva.org/partners
**1フィリピン・ペソ(PHP)=約2.32円(2013年7月10日現在)
参照URL:http://www.oanda.com/currency/converter/
スモーキーマウンテンの上には、バラックの住居が並んでいる。煮炊きのエネルギーは、廃材を中心にしたバイオマスエネルギー。これは再生可能エネルギーである。スモーキーマウンテンの麓からトンド、LRTまでジプニーが運航している。
スラムバラック を見て回って、近所の家によらせていただき、お話を伺った。
政府による社会保障も生活保護ガイド も不十分であっても、家族は働き工夫して生活している。
スモーキマウンテンに住む貧困者も、焜炉(調理用ストーブ)を使っていた。フィリピンでは、中層以下の世帯で、料理や給湯には焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ を使うのがふつう。燃料は薪炭。 パヤタスのスラム街 では、炭をまとめ買いし、それを小さな袋に分けて売る木炭 販売世帯がある。パヤタスの調理では焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ が主流。燃料は薪炭。
マニラ首都圏パヤタス スモーキーマウンテンのバラック小屋は、身近にある廃材を材料にして作られている。鳥飼行博ゼミ の学生たちが一軒ずつ回ってインタビューした。
低所得層住宅地では、政府による社会保障 も生活保護 も不十分であれば、貧しい住民の中には、やむを得ず不法占拠者となる場合もある。
マニラ市パヤタス に移る前の旧スモーキーマウンテンに暮らす家族。廃材やビニールシートを材料にした狭いバラックに暮らしているが、室内を見せてくれ、インタビューにも応じてくれた。ごみ山跡では農業が営まれている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン に住む家族。コミュニティ・ヘルスセンター (Community Health Centre )のような公共施設が、ごみ山の上にあるはずもない。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上のバラック家屋 では、雨水を利用して洗濯をしている。2013年8月撮影。
ごみ山に住む家族
Family
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン上のバラック で、家族の暮らしがある。若いお兄さんが水運びをしていた。手伝おうとした鳥飼ゼミの学生は住民の運んでいた水タンクが重すぎてバランスが取れず、結局、担ぐことができなかった。
洗濯のために、雨水を、バラック屋根から雨樋で大型プラスチックタンクに移して貯水する。飲料水は、麓の水道から水を買って運ぶ。若いお兄さんが運ぶ水水タンクが重すぎてバランスが取れず、結局、鳥飼ゼミの学生は、水タンクを運ぶことはできなかった
アクセス:共生社会をめざす には、次のようにある。
■地区の歴史&活動の経緯
戦後 マニラ市トンド地区にゴミ捨て場が設置される。ゴミが発酵して発生するメタンガス、それによって自然発火して出る煙から「スモーキーマウンテン」と呼ばれるようになる。ゴミ拾いで生計を立てる人々が住みつくようになる。
1995年 政府により、11月にスモーキーマウンテンが閉鎖され、住民は立ち退きさせられる。
2000年 かつてあったゴミ捨て場から少し離れたマニラ湾沿いに、現在のゴミ捨て場が設置される。ここでもまた、多くのゴミ拾いで生計を立てる人々が暮らすようになり、スモーキーマウンテンと呼ばれるようになる。
2001年 政府による立退きや嫌がらせから生活を守るため、住民組織がつくられる。ゴミ捨て場に暮らす世帯数がどんどん増加。アクセスの関係者が時折、地域を訪問するようになる。
2006年 地域内に多目的保健センターを建設。
2007年 ボランティア・ヘルス・ワーカーの育成、多目的保健センターでの健康相談など、保健衛生プログラムを本格的にスタート。年間2000人以上の手当てをしている。(引用終わり)
マニラ首都圏マニラ市スラム は、スモーキーマウンテンの上にもできている。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上にあるスラム地区。もともと、廃棄物の山で住民はいなかったが、畑作を営む不法占拠者がここに住居を建築した。それが恒常的な居住地となり、住居も次第に増え、構造的にもしっかりしたものに変化した。
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテンで、生活する一家。水運びに挑戦した鳥飼ゼミの学生だが、担ぐだけで動くことはできなかった。
「スクオッターの生活実践 ―― マニラの貧困世界のダイナミズム 石岡丈昇」 には、次のようにある。
「スクオッターは行政サービスからは取り残されたエリアである。選挙を控えた地元政治家が集票のために道路を整備するなどを除けば、生活基盤整備が施されることはまずない。たとえば熱帯特有の強い雨が降った際には、多くの家屋が床上浸水になる。また、台風の時期には、家ごと吹き飛ばされるケースも少なくない。スクオッターは、インフラ整備の面では、脆弱な場所なのである。」
「だが、スクオッターの内部を歩いてみると、そこでは脆弱な貧困地域というイメージを覆す数々の生活の機微に触れることができる。インフラ整備が施されないため、住民は自ら生活空間を創出する。排水路を整備し、街灯を設営し、祭りを開催し、固有の生活を創造していくのだ。たしかに貧しくはあるが、そこに息づく自前性・自律性の力は相当のものだ。ここでは、そうしたスクオッターのおびたただしい生活実践を紹介していこう。スクオッター住民の生活実践を見てみると、そこが社会的周辺地域ではなく、危機を生き延びる叡智の集積する先進地域であることが読み取れるはずだ。」
マニラ首都圏 マニラ市のスモーキーマウンテンで水を運ぶ住民。これに挑戦した鳥飼ゼミの学生だが、担ぐだけで動くことはできなかった。
マニラ市トンド地区のごみ積場跡のスモーキーマウンテン の住民で家に飲料水を運ぶ住民の力強さに感銘を受けた鳥飼ゼミナール。
マニラ市にあるスモーキーマウンテン近くのトンド地区では、飲料用の上水が販売されている。トンドのスラム住民の多くも、室内に上水道が敷設されていないので、ここで飲料水を購入する。
バラックの室内 Housing
マニラ市スモーキーマウンテン のバラック室内。有価物回収作業、カモテ(イモ)栽培者が多い低所得層居住区がある。広い農地のあるスラムバラック は、廃棄物最終処分場の上に位置する。
2015年8月、マニラ市スモーキーマウンテン で、カモテの葉を収穫して袋に詰めた。これから出荷しようとする世帯からお話を伺った。
マニラ首都圏スモーキーマウンテン のスクオッター (squatter :不法占拠者)に聞き取りをした鳥飼ゼミナール。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「ロハス大通りを北上し、マニラ湾に注ぐパッシング川にかかるロハス橋を渡って直進すると、およそあたりの景色と似つかわしくない高さ40メートルほどの黒々とした小山が、視界をさえぎった。これが、世界に悪名をはせたゴミ捨て場スラム街、スモーキー・マウンテン跡だった。
もともとこの辺は、海辺の漁民の村だったそうです。ニッパヤシの漁民の家があった。昔は、カキ、ハマグリ採りの家族がピクニックにやってきた」。穴田さんの解説だ。マニラ生活17年、フィリピン人の高級官僚を夫にもつ穴田さんは、元スモーキー・マウンテンの住民たちを援助するボランティア活動のリーダーでもある。
フィリピンの好ましからざる名所は、いつできたのか。車中、その由来を聞いた。事のおこりは1954年、マニラ市がこの場所をゴミの投棄場所に指定したことに始まる。市の清掃局のトラックは、収集した家庭ゴミを投棄していった。焼却など手間がかかるので、ゴミの山がある程度の大きさになったら、土をかぶせるつもりでいた。ところが、ゴミの中には、空きビン、空き缶、プラスチックなど再生可能な資源がある。貧しい人々には、まさに宝の山で、ゴミをあさる人々の仕事場になってしまった。現地では、この人たちをScavengerと英語読みしている。スカベンジャーたちは、ゴミの山のふもとに堀立小屋をつくり、職住超接近のスラム街を形成した。20ヘクタールほどのスモーキー・マウンテンには最盛期、5000家族、2万7000人が住んでいたという。
汚物の中を大きな竹カゴを背負い、ゴミ漁りにはげむ老若男女。『ゴミを漁りて、山に登る。ああ、貧なるかな』であった。」
マニラ市の海沿いにあるごみ積場跡のスモーキーマウンテン 。スクオッター (squatter :不法占拠者)がスラムバラックをたてて住んでいる。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「あの頃のスモーキー・マウンテンは、もはやない。だが、ゴミ捨て場から1キロほど離れたところに、元住民たちに提供した30棟ほどの仮説住宅の村落があった。2階建の長屋で、一見して倉庫風だ。ここに2700家族がすし詰め状態で住んでいた。
住民の声を聞くべく穴田さんとともに、村落に入った。1世帯に割り当てられた仮住宅のスペースは、わずか3メートル×4メートル、6畳間ひとつの大きさだ。ベニヤ板のドアをあけると、1メートル四方ほどの狭いたたきがあり、カーテン越しに部屋の中が見える。窓が小さい。廃物利用とおぼしきテーブルと小さな戸棚がある。部屋の中にはトイレも洗面所もない。屋内の廊下や階段には、所狭しと洗濯物が吊るしてある。」(引用終わり)
要介護世帯の生活 Elderly Care
スモーキーマウンテン のスクオッター に聞き取り調査。室内でハンモックを張り寛いでいる所をお邪魔した。
マニラ首都圏スモーキーマウンテン のスクオッター の人たちからお話を伺った鳥飼ゼミナール。
「私の夢は大人になるまで生きたい」人権コラム(平成23年11月11日号) には、次のようにある。 「先日、沖縄在住のビデオカメラマン、池間哲郎さんの話の入ったCDを聴く機会がありました。
池間さんがフィリピンのマニラ市にあるスモーキーマウンテンで働いている六歳の女の子に、あなたの夢は何ですかと聞くと、笑顔で「私の夢は大人まで生きることです」と話したそうです。
スモーキーマウンテンとは、ゴミ捨て場を中心に広がる世界有数のスラム地域で、そこには三万人が暮らしています。生活のために裸足でゴミの中からビンや空き缶を拾い、お金にかえています。三歳の子どもも働いています。貧しいので食事は一日に一回で、生き延びるのが非常に難しい状況です。十五歳まで生き延びる子どもは三人に一人ともいわれています。
こうした環境の中でも、多くの子どもたちは、両親と暮らし、お母さんやお父さんを大事に思い、非常に尊敬しています。子どもたちも働いているので親の素晴らしさが分かっているのです。池間さんは一生懸命に生きている子どもたちが自分の人生の師に思えたそうです。
私はこの話を聴いて、子どもたちは苦しみや痛みを家族と共有しているから、お金や物がなくても家族とのつながりを強く持って暮らしているのだろうと思いました。また、大人になるまで生きられない子どもがいるという現実の中で、社会同和教育指導員として命や人権の大切さを伝えることの重みを改めて認識させられました。
(社会同和教育指導員・西村正元) 」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン 。鳥飼行博ゼミ は、元のごみ山の上にできた農地を見学させていただき、聞き取りを行った。ここは、生ごみのたい肥化場所ではないが、ごみを覆うために土が被せられている。 政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、スラム ではリサイクル小規模事業=草の根民活の動きがある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上にあるバラックに住む足の不自由な婦人。バラックの周囲にはカモテが植えられている。スモーキーマウンテンで一番盛んな生業は、カモテ(Kamote )栽培である。
マニラ首都圏マニラ市スラム バラック。屋根は、袋やトタンで覆っている。壁は、ベニヤ、トタン板、幕屋を張った構造である。2013年8月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンは、かつて廃棄物最終処分場があったが、今はケソン市パヤタス に移っており、そこが第二のスモーキーマウンテンと呼ばれるようになった。ここのバラックで、足の不自由な母親の介護をしながら生活をしている。
フィリピン スモーキーマウンテンからの移住者の炭焼きによる仕事作り 試作1日目(子供たちの洗礼、材料集め)には、次のようにある。
「フィリピン人は怠けものの傾向があるとよく言われていて、確かにそのような一面はあるものの、スモーキーマウンテンから政府の進める移住計画で、移住先のバティアにある日本で言う仮設住宅っぽい長屋の人たちと一緒に過ごしていると、目を見張るほどの働きっぷりをしていることがある。バティアだけでなく、マニラでも「オレだったら3日どころか、30分でもやりたくない、いや、できないだろうなという仕事に出くわすことがある。いくつかをあげてみると、
1.灼熱の車道の真ん中で、片手にタバコやお菓子や水、ジュースなどの入った棚のような箱のようなものを抱えて、道行く車たちに販売。危険だし、タバコと木製っぽい棚だけでも結構な重さっぽいのに、そのうえ人によっては水のボトルを何本も。腕がどんだけ疲れるんだろう。
2.石を運ぶ女性。バイクの脇にサイドカーみたいなのがついて、人や荷物を運んでいるトライシクルという乗り物があって、その自転車バージョンをなんと言うのかわからないが、移住先のバティアでもよく魚屋とかパン屋とかゴミ集めとかが行商にきたり地域内で回っていたり、子供たちの遊び道具や井戸でくんだ水の移動に使われていたりする。」
農作物 Products 2013
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン で栽培されているガビ 。gabiは、タガログ語/ビコール語で、タロ芋あるいは里芋のこと。第二のスモーキーマウンテンが、ケソン市パヤタス にできたが、その周囲にはスラム街 が広まっている。ただし、自治組織バランガイが組織されており、その運営になるリサイクル施設がある。ラックを保有して、分別した有価物を工場に運搬、売却して利益を上げている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にあるサツマイモ(Kamote )とガビ(タロイモ)の畑。 下は、マニラ北港 は内貿貨物および旅客の基地となっており、水深5m〜8m、長さ220m〜250m、幅80m〜100mの9つの桟橋により構成される櫛形港湾(岸壁総延長1,200m)である。主として国内コンテナの取り扱いに利用されている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にあるレモングラスの畑。レモングラスは香りがよいため、お茶や薬草として使われるが、販売用に栽培されている。スラムバラック に住む子供たちの玩具は、ごみとして捨てられたものを回収したリサイクル品や拾った廃材・プラスチックを材料とした自作のもの。
スモーキーマウンテンの上水道 Agricultural Products
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にあった廃棄物最終処分場に、棲みついた貧困者。飲料水の供給は、下町の水道管から水を引き給水できる場所が1カ所だけある。しかし、水圧が低く、タンクに水をためるのに数十分かかってしまう。そこで、ここで水汲みをしているのは、おもに子供たちで、10リットル以下のボトルに水をため、自宅に運んでいる。
ごみ処分場は、パヤタス に移転した。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンのすぐ西側はマニラ北港 。下町から、旧廃棄物処分場跡地まで、ゴムホースによって上水道が供給されている。ただし水圧が低く、水をためるのに時間がかかる。周囲は、スモーキーマウンテンの上で栽培されているカモテ、カモテカホイ (キャッサバ)、レモングラス。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでは下町から、ゴムホースによって上水道が供給されている。しかし、これによって水を賄っている世帯は、全住民の1割ほどと思われる。
マニラ北港 の先に、ごみ埋め立て地にもあるが、より大規模な最終処分場は、ケソン市パヤタス にある。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンでは下町から、ゴムホースによって上水道が供給されている。しかし、これによって水を賄っている世帯は、全住民の1割ほどと思われる。
鳥飼行博ゼミでは、マニラ首都圏マニラ市スラム からスモーキーマウンテンに上り、そこにバラックを建てて住んでいる人たちに聞き取り調査をした。水汲みに来ているが、水道の水圧が低く、水がたまるのは遅い。そこで待っている間、子供たち同士で遊んでいる。
トンドの上水道 Agricultural Products
トンド地区の水売り場。上水道を敷設されている世帯が、ゴムホースで水を買いに来た人たちに水を売る。水を買いに来る人は、カリトン(荷車)にドラムタンク、コンテナタンクなど水容器を乗せて運んでくる。
トンド地区の水売り場。上水道を敷設されている世帯が、ゴムホースで水を買いに来た人たちに水を売る。水を買いに来る人は、カリトン(荷車)にドラムタンク、コンテナタンクなど水容器を乗せて運んでくる。
スモーキーマウンテンの農作物 Agricultural Products
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン で栽培されているカモテ(サツマイモ)、バナナ 、レモングラス の畑。都市部のスラム でも農業が行われている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上で栽培されているカモテやレモングラス 。若いレモングラスが植えられている。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の居住者たちは、カモテ、レモングラスを販売用に栽培し、バナナ を自家消費用に栽培する。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの居住者たちは、カモテの葉を収穫して、束ねる。そして、自転車式のトライシクルに乗せて、近くの市場に販売に行く。
スモーキーマウンテン の旧ごみ集積場跡地で栽培されているバナナ、レモングラス、カモテ佳カホイ。
スモーキーマウンテン のバナナ栽培地、カモテ栽培地を巡る鳥飼ゼミナール。
パヤタス のスラム でもレモングラス、カモテ(イモ類)、バナナ、トウモロコシなど農作物のガーデニングをしている。パヤタス のスラム でもレモングラス、カモテ(イモ類)、バナナ、トウモロコシなど農作物のガーデニングをしている。
スモーキーマウンテンの商業 Garbage-dump 1978
1978年のマニラ市 のごみ捨て場。マニラ湾岸トンド 近くのスモーキーマウンテン (Smokey Mountain )の上にあるサリサリストア。
スモーキマウンテンの上には都市インフォーマル部門 (urban informal sector )もある。路上での販売が規制されていようとも都市インフォーマル部門 (urban informal sector )の労働集約的産業が住民の生活の糧となっている。マニラ首都圏 の商業地区の横断歩道で、カラマンシ(レモン)を袋に入れて売っている「立ち売り」もいる。政府による社会保障給付費 も受け取れず、生活保護支給 もないからこそ、草の根民活の都市インフォーマル部門が興隆する。マニラ首都圏ケソン市パヤタスからジプニーで10分のリテックにも貧困者が多いが、ジプニーやトラックが行き交っているので、公共交通機関には不自由しない。
マニラ市トンド のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )はごみ捨て場跡地。そのスモーキーマウンテンの上に住む住民の中にサリサリストアを営む世帯が10軒ほどある。
政府による社会保障給付費 も受け取れず、生活保護支給額 もゼロであるからこそ、スラム に草の根民活が発達する。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの上バラック のサリサリストアで鳥飼行博ゼミ 学生たちは買い物をした。同じスモーキーマウンテンに住む子供たちが買いに来ている。2013年3月撮影。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの上にある商店 (サリサリ)で働く女の子。翌年、同じ女の子に聞き取りをしたら、既婚者で、赤ちゃんもいた。この時既に結婚していたのかもしれない。2013年8月撮影。
パヤタスダンピングサイト Payatas Dumping Site 2002
2002年2月、ケソン市パヤタス ごみ集積場の入り口:ここからダンプカーでゴミを搬入する。スカベンジャーもここから入ってくる場合が多い。ごみ運搬ダンプカー 出入り口には、空き缶 をごみ運搬トラック やダンプカーでつぶしてもらうように置いてある。打ち捨ててあるのではなく、空き缶を集めたスカベンジャーの占有物である。
2002年2月、パヤタス 最終処分場ゲート近くで、ごみとして出された廃棄物から、空き缶 などの有価物を収集してたスカベンジャー。これからジャンクショップに売りに行く。 2011年には、このメインゲートには柵ができて、出入り口も舗装されて、ごみ山とは見えないように花壇や緑で覆われている。出入り口付近のジャンクショップ仮小屋、住居も撤去されている。
スモーキーマウンテンの家族 Children Dreaming
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの若い夫婦。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン にできたバラック家屋に住む若い夫婦。赤ちゃんのポリオ が心配だ。
政府による医療保険 も生活保護 も不十分であっても、家族が病気になっても、治療が受けられない。マニラ市トンド では、裏通りいっぱいに家ができている。 政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、民活はしぶとく粘り強い。
東海大学 Tokai University 2015
鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン に上り、そこにバラックを建てて住んでいる人たちに聞き取り調査をしている。 マニラ市のスモーキーマウンテンに住民のお宅にお伺いし、インタビューした鳥飼ゼミナール。室内を見せていただいた。スモーキーマウンテンの上には、カモテ、ガビ、レモングラスの栽培地があり、そのほか露店も(都市インフォーマル部門 :urban informal sector )もある。会社に雇用される機会がない以上、収入を得るには都市インフォーマル部門 (urban informal sector )に雇用機会を見出すしかない。
鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市マニラ市でゼミ研修を実施している。カリエド駅(Carriedo LRT Station)すぐ近くにあるスペイン風の噴水に集った鳥飼ゼミナール。サンタ・ クルーズ・パリッシュ・チャーチ、カリエド近くにあるスペイン風の噴水キャリエド・ファウンテン(Carriedo Fountain)に集った鳥飼ゼミナール。ここは、中国人街、スモーキーマウンテン、イントラムロスに行くにも便利な場所だ。18世紀、ガレオン船の交易で財を成したドン・フランシスコ・デ・キャリエド(Don Francisco de Carriedo )は、1万ペソの資材を投じて、マニラの上水道を整備したが、それを記念するのが、1891年のキャリエド噴水(Carriedo Fountain )。サンタ・ クルーズ・パリッシュ・チャーチの眺めがよい。
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◆大学での講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策I」「環境政策II」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
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『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』 (東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
『地域コミュニティの環境経済学−開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』 (多賀出版2007年):少子高齢化・ジェンダー,再生可能エネルギー,熱帯林,廃棄物輸出を分析しました。
『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』 (東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編 (中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』 (東海大学出版会):「環境協力論」「開発経済学」「環境政策」のテキストで,難民,軍縮も扱っています。
『環境ネットワークの再構築−環境経済学の新展開』 田中廣滋編(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『地球環境政策』 宇沢弘文他編著(中央大学出版部)の一章を担当しました。
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『学習漫画 サリバン先生』 (集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。
『写真ポスターから学ぶ戦争の百年−二十世紀初頭から現在』 (青弓社2008年刊行)では、二十世紀の戦争を扱い大量破壊、大量殺戮からプロパガンダまで扱いました。
『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』 (青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
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地球温暖化と森林ビジネス―「地球益」をめざして
土の匂いの子
わたしと地球がつながる食農共育
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)の引用
ルソン
I – イロコス地方
北イロコス | 南イロコス | ラウニオン | パンガシナン
II – カガヤン・バレー地方
バタネス | カガヤン | イサベラ | ヌエヴァ・ヴィスカヤ | キリノ
III – 中部ルソン地方
アウロラ | バターン | ブラカン | ヌエヴァ・エシハ | パンパンガ | タルラック | サンバレス
IV-A – カラバルソン地方 バタンガス | カヴィテ | ラグナ | ケソン | リサール
IV-B – ミマロパ地方
西ミンドロ | 東ミンドロ | マリンドゥク | ロンブロン | パラワン
V – ビコール地方
アルバイ | 北カマリネス | 南カマリネス | カタンドゥアネス | マスバテ | ソルソゴン
コルディリェラ行政地域
アブラ | アパヤオ | ベンゲット | イフガオ | カリンガ | マウンテン
マニラ首都圏
マニラ首都圏の行政区画
ヴィサヤ
VI – 西ヴィサヤ地方
アクラン | アンティーケ | 西ネグロス | カピス | ギマラス | イロイロ
VII – 中部ヴィサヤ地方
ボホール | セブ | 東ネグロス | シキホル
VIII – 東ヴィサヤ地方
ビリラン | 東サマル | レイテ | 北サマル | サマル | 南レイテ
ミンダナオ
IX – サンボアンガ半島地方 北サンボアンガ | 南サンボアンガ | サンボアンガ・シブガイ X – 北部ミンダナオ地方
東ミサミス | 西ミサミス | カミギン | 北ラナオ | ブキドノン
XI – ダバオ地方
コンポステラ・バレー | ダバオ | 南ダバオ | 東ダバオ
XII – ソクサージェン地方 南コタバト | コタバト | スルタン・クダラット | サランガニ
XIII – カラガ地方
北アグサン | 南アグサン | 北スリガオ | 南スリガオ | ディナガット・アイランズ ムスリム・ミンダナオ自治区 バシラン | 南ラナオ | マギンダナオ | スールー | タウイタウイ
◆スラム (Slum ) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。
◆開発途上国 の人口増加と都市化 の進展に伴って、スラム人口 (Slum population )人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国 1.7億人、インド 1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン 2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス の使命(Mission)
■貧困に苦しむ人々が、自己の能力の発見、向上を通して、自信と希望をもち、生活の向上を 果たしていくための具体的支援を行うこと ■貧困問題の長期的解決に向け、学び、行動する人の輪を広げていくこと
なぜ活動を続けるのか
ゴミ処分場の周辺には、激しい貧困、強者から弱者への暴力的支配、強制立退き、環境汚染といった様々な問題が存在し、その中で多くの人々が過酷な生活を強いられています。そこには、都市部の開発により強制的に住む家を壊され移り住まざるを得なくなった人、田舎の苦しい小作暮らしから抜け出すため自ら選んでやって来た人、内戦によって避難民としてやってきた人、自然災害によって生活基盤を失った人などが住んでいます。
時に、戦争によって肉親を失ったという人たちと出会います。第二次世界大戦中、日本兵約50万人がフィリピンで命を落としましたが、その倍以上の約110万人のフィリピンの民間人が戦争に巻き込まれ亡くなっています。
私たちはこう考えます。
今、私たちが目にしている貧困は、フィリピン一国の原因によって作られたものではなく、日本、スペイン・アメリカの植民地支配と戦後の世界システムが作り出してきたものです。パヤタスに象徴されるフィリピンの貧困、激しい格差の問題は、フィリピン一国の努力や経済発展だけで単純に解決される事ではありません。フィリピン政府の取り組み、自助努力がなければならないのはもちろんですが、国際社会からの理解や応援が必要です。とりわけ国内で弱い立場におかれ、自分たちの権利や声を届けることが困難な人たちにとって、海外からの応援は不可欠です。彼らと直接つながり、その声を多くの人に伝えること、そして、彼らが今を生き抜き、状況を自らの力で変えていくため「教育」と「仕事」の機会を作り、物心ともに支えていくことは、とても大切なことだと考えます。
この問題に関わるとき、私たちは自分たちもまた貧困問題を作り、維持させている当事者であることを忘れません。現地の人と交わり活動する中で、私たちはこの地域が抱える問題と、日本国内の問題との類似性に気付かされます。つながっていることを、強く感じます。
私たちの基本姿勢は、「顔の見える付き合いを、続けること」、「今ここからやること」そして「動きながら考え学ぶこと」です。
貧困問題、行き過ぎた残酷な格差の問題は、共通の問題です。とても大きな、個人レベルではどうにもならない問題ですが、解決できないものとは考えません。
問題のある現場に行き、望む未来の姿を聞き、そのためにいっしょに小さな挑戦を繰り返し、小さな実績を積み上げて、目に見える変化を作って行く、その挑戦を続けます。それが私たち自身の未来を作ることになると信じます。
ささやかな存在でも、静かに、深く、着実に、浸み込んで広がっていく塩のように。
スラムの特徴として高失業率 があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマン はきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。
スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門 である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率 といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。
スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門 程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬 、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人 に成り下がるということは言えない。
◆開発途上国 のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門 において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティ を引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序 」ではない。フィリピン・マニラ旅行 には、次のようにある。
「俺達が着いた街トンドは東洋最大規模のスラム街だ。俺達の目的はこの街にあるゴミの山、スモーキーマウンテンを見に行く事が今回の任務だ(この次点でスモーキーマウンテンは取り壊されていたらしいが、新たな山が出現しているということらしかった)。
下町風の街並を海沿いに向かい歩いてゆく、途中のサリサリストアや駄菓子やでジュースやおかしを買ってみる、キアポやマカティーより物価は安めのようだ。
しばらく行くと列車の線路が道を横切っていた、その線路沿いには沢山のバラックが立ち並んでいる。なんだかめたくそヤバそうな雰囲気。駐車しているジプニーのフロントガラスには弾痕も残っているし…(ひきつり笑)
「ここからがホントのトンドだぜ、スラムに潜入だ!」
スラム街の入り口である踏切りから入って行く、すると各家々から顔を出した何十人ものフィリピン人達が一斉に俺達に視線を向けた!みなさんの視線をチクチク感じながらさらに奥に進んで行く。トタン板の家や増築を繰り返して出来た家などが並び、線路上では子供たちが何人も遊んでいた。その中に台車車のような物を作っている少年達がいた。
「これは何?」
「これはカリトーン」と英語で教えてくれた。
その台車車のタイヤ部分を釘で打ちつけている、タイヤは何かのベアリングで出来ていた。
カリトーンが完成すると、1人の子供を乗せてゴロゴロと台車車を押し出した。
「俺も乗ってみていい?」っと、面白そうなのでノリさんもおもわず言ってしまった。
「OK!」ゴロゴロ、、、大の男が子供に押されるカリトーンを見てみんな爆笑!!
気がついたら、どこからか沸いて出たように子供たちの軍団に辺りをかこまれていた。
みんなの笑いを取るのに成功したノリさんは、さらに奥地に行くのであった。
しばらく歩いた頃に小さな川にぶちあたった、その川沿いにもボロボロのスクオーターが並び、庶民達は道端に設置してある井戸で水をくみをしていた。
この川も、恐ろしいほどのドブ河でゴミが積み重なり水は淀み、無気味な泡を吹き出している。さんざん歩いたのでここら辺で捜査を打ち切る事にした。
宿にもどってヒロさんにトンドへ行ってきたことを話すと、あんな治安の悪いところへ行くなんて、と、あきれられてしまった、あそこは地元の人でも行かないところだ、と。」(引用終わり)
<ゼミ研修感想>
私たち鳥飼ゼミナールは、8月にフィリピンへ行き都市のインフォーマル部門やスラムへ行き貧困に対して学ぶためにフィールド調査を行いました。まず、私にとって初めて訪れる土地だったためどういった国柄なのか、文化や習慣などを下調べして行きました。また、現地でフィールド調査を行うにあたって事前の予習を行い過去の歴史や現在の状況、これからの課題等を学んでフィリピンという土地を訪れました。まず、フィリピンの第一印象は、ビルやマンションが建設されていて思っていたよりも都会だということでした。また、日本にもあるファーストフードのお店やチェーン店もあり親近感が湧いたのを覚えています。移動の際にタクシーに乗りましたが、交通整備があまり行われておらず車やバイクがやりたい放題になっていていつ事故が起きてもおかしくない状況でした。そこで、日本の交通整備の凄さや規則を守る国民性、警察の存在意味があるのかなと思いました。
フィリピンでの1日目は、ホテル周辺を散策して、始めての事がとても多くありました。日本では見かけられないサリサリや水を売る業者を含め住宅や道、お店などすべてが私にとって新鮮でした。夜には、電車でご飯を食べにアヤラという町に行き食べましたが、日本にもあるようなショッピングモールがあり1日目にしてフィリピンの貧富の格差を感じました。
2日目は、マニラのケソン市という場所に行きスモーキーマウンテンや貧困のフィールド調査、NGOのリカ縫製作業所を訪れました。ホテルから電車に乗り、ジープを乗り継いで現地に行きました。そこは、前日に行ったアヤラとは同じフィリピンなのに全く違い、家はトタン屋根やビニールで覆われられていたり、服を着ていない子供達がいたり、水道整備も無くタンクを持って行き買い帰りは10キロ以上あるタンクを自宅まで運んでいました。そこに住んでいる方は、ゴミ山(スモーキーマウンテン)からゴミを拾ってきて、ジャンクショップという収集屋に渡しお金を貰い、それをジャンクショップが再利用していくというサイクルが生まれ、それで日々を暮らしていました。実際にジャンクショップを訪れましたが金属のものやプラスチック、生ゴミなど様々なものがあり、それを分別して洗ったりしている姿を見ることができました。また、生ゴミなどが3メートルほど積んであり放置されていたために匂いがひどくハエがとても多かったのを覚えています。しかし、私が驚いたのはそんな中でも住んでいる方達には笑顔がたくさんあってとても貧しい環境で暮らしているとは思えないほどでした。住民の方が「私たちは幸せな貧乏だ」と言っていました。現実を受け止めつつその中で何か楽しいことを見つけ、生きがいのようなものを見つけることで、貧しい生活の中でもたくさんの笑顔が生まれていくのかなと思いました。
3日目は、前日とはまた違うスモーキーマウンテンを訪れました。そのスモーキーマウンテンはとても大きく住宅が多くあり、多くの人が住んでいました。また、草や木も生えていて、更にバナナや芋、トウモロコシなどの野菜を育てていました。こうした野菜を売ることで生計を立てているそうです。スモーキーマウンテンの所有権というのは、国があまり関与できておらず先に住んだもの勝ちらしく早く住んでいる人は土地を多く持っており、しっかりと柵や囲いがされていました。このスモーキーマウンテンはできたのが古かったために全く匂いがひどく無く、土壌も土のようでした。ここでも、たくさんの住人の方と接することができましたが皆さんに笑顔があり貧しい暮らしの中で楽しんでいるようにも見ることができました。
4日目は、鳥飼先生と別れ4人でフィリピンにある水族館に行きました。私自身とても魚が好きなので、とても楽しむことができました。また、水族館に行く時に道に迷ってしまい、現地の人に自分なりの英語でどこにあるのかと伝え、無事つくことができました。こうした、自分から何か聞いたりすることを以前はできませんでしたが、知らない土地で何かしていく上で自己主張や積極性の大切さに気づくことができました。
フィリピン研修を通して得ることができたものは、日本で普通に暮らしていては得ることができないと思えるほど多く刺激的でした。貧富の格差についても、授業や本を読んだりインターネットで調べたりしてもイメージだけで終わってしまうけれど、現地に行くとスターバックスでコーヒーを飲んでいる人もいれば、明日の暮らしさえもままならない人もいるということを知りました。ナイキの靴を履いている人もいれば何も履いていない子供もいたこと。私たち日本人にとって当たり前なことがどれだけ裕福で幸せかということを思い知らされました。水道が通っていて当たり前、ゴミが落ちていなくて当たり前、仕事があることが当たり前、衣食住しっかりしていることが当たり前なのかもしれない。でもそれができていない国や人がいるということを常に思わなければいけないと思いました。また、初めての海外ということでとても新鮮でもありました。フィリピンの人は本当に気さくで話しかけてくれ、日本人よりもあったかいなと思いました。貧しい暮らしをしているかもしれないけど、裕福に暮らしている私たちよりも明るくて、心が豊かだと感じました。そう考えると、幸せってなんなのか考えさせられました。本当にフィリピン研修は楽しいことや辛かったこと、刺激的だったことなどいろいろありましたが、行ってよかったなと思っています。
◆注意!!パヤタスやリテックに行く方法が現地で探し出せないのであれば、「スタディーツアー」や団体旅行としても行くべきではないでしょう。高くつきます。治安や病気が心配だという場合も行くべきではありません。日本の生活感覚、お金や安全の感覚、旅行気分を保って出かけるところではないのです。フィリピン政府にとってもパヤタス貧困「観光」は好ましいことではありません。望遠レンズを使ったり、隠し撮りをしたりすれば、犯罪と同じです。カメラマン・ジャーナリスト気取りで、写真を撮り、被写体として扱ったために、嫌悪感を抱かれる人もいます。元来、本人の了解を得ない写真撮影はすべきではありません。リテックスやパヤタスに行けば、何が起きても、何を起こしてもおかしくないということを自覚してください。
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