70年前に起きた戦争から何を学び、何を未来に残すのか。
戦時中そして戦後、日本人は何を見たのかに迫る特別番組『終戦70年 それぞれが見た戦争 “日本人”』。
番組のトーク内容を一部ご紹介します。
番組本編ではここに掲載されていない話題も多く語られているので、ぜひご覧ください。下記の日程で放送。
- 放送日
- 8月12日(水)13:00〜13:30/8月12日(水)26:00〜26:30/他
ナビゲーター:古市憲寿(社会学者)
ゲスト:秦郁彦(現代史家)、井上寿一(歴史学者)
©東北新社
日本が参戦する合理性はあったのか?
古市「当時の日本が戦争する合理性はあったのでしょうか? 当時の日本の理屈ではあの戦争をするのに合理的な理由や根拠はあったのでしょうか?」
井上「例えばですが、あの戦争はアジア解放のための戦争だったと言われますが、戦争するもっと以前からアジアを解放するプランを持っていたのかと疑問に思います。軍部も含め、東南アジアのちゃんとした地図も持っていない状況で、欧米の植民支配に怒り、アジアを解放しなければいけないと考え、そのためには戦争も避けがたいということを、どこで考えたのか、と言っても、それはないんですね。ですので、状況の積み重ねの中で南方に進出し、アメリカとの関係が悪くなる中でアメリカやイギリスとの戦争になり、さらに東南アジアで戦線拡大していったんだということですよね」
命を落とした日本兵
古市「戦場で亡くなった兵士は戦闘行為で死んだ兵士ばかりではなく、餓死をした兵士が多いという話を聞きましたが、どうなんでしょうか?」
秦「全体で日本の戦死者は約230万人で、そのうち約4割が、南方戦線に限りますと約6割が餓死だと言われています」
古市「膨大な数ですよね。その割合は他国と比べるとどうなんでしょうか?」
秦「歴史上、前例がほとんどないんじゃないんでしょうか。そうなる前にやはり降伏してますよ。でも、歴史が始まって以来、日本は対外戦争で負けた経験がありませんよね。だから『最後まで戦うんだ』という号令をかけるだけで、当時の日本に降伏はあり得ない状況でした」
井上「これは秦先生にお伺いしたいんですが、『兵士はいくらでも補給がきくから死んでも構わないけれど、鉄砲は大事にしなければいけない』みたいな、非常に本末転倒な話があるのは、第二次世界大戦時の日本軍の悪い意味での特質なのでしょうか?」
秦「これは日本人の民族性の一つだと思うんですが、非常に『律儀』なんですね。ですから、どんな悪条件下でも、日本の場合は『最後まで戦え、玉砕せよ』と言われると、みんな、律儀にその通りにして、反抗しないんですね」
古市「でも、日露戦争の時は反抗する人もたくさんいたと思いますが、なぜ1940年代になると、反抗する人がいなくなってくるんでしょうか」
秦「じわじわと思想統制が厳しくなっていったという過程もあったんだとは思います。また日露戦争で勝ったこともあって、『どんなにたくさん死んでも、日本軍なら勝てるんだ。絶対負けないんだ』という教育が国民の中にずいぶんと浸透していったということではないでしょうか」
南方戦線を拡大し、パラオ・ペリリュー島に約1万人の日本軍が上陸。2ヶ月以上に及ぶアメリカ軍との戦いの末、日本軍で生き残ったのはわずか34人だった。
太平洋戦争時、日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を行ったペリリュー島を、日本軍の生き残りの1人・土田喜代一さんが約60年振りに訪れる。目的は敵として戦ったアメリカ人兵士に会うためだった。長い年月を経て、平和的に会うことになった元兵士たちはその出会いに何を感じたのか。
大艦巨砲主義の大和と世界一流の零戦
古市「降伏はあり得ないという戦争が、1945年に終わるわけですよね。それは何が決め手になったんですか?」
井上「私は非合理性と計画性のなさが、必然的に敗戦をもたらしたんだと考えています。よく言われているのが、戦艦大和の中にはエアコンがついていて、軍楽隊まで乗っていて、大変立派なものでしたが、そういった大艦巨砲主義のようなものは日露戦争まではよかったんです。しかし、第二次世界大戦の頃には機動力のある空軍・戦闘機が中心で、船は空母でなくてはならない状況でした。日露戦争の勝利がそのまま変に長く続いて、新しい戦争の形態に対応できなかったことの象徴が戦艦大和なのではないかと思います」
秦「日本全体の国力が非常に低かったときに、無理に背伸びをして、一流国と肩を並べて、場合によっては戦おうとしたんですね。すると一点豪華主義に行き着くわけです。戦艦大和もその一つで、『アメリカはこれだけの巨艦はパナマ運河の関係で作れない。ひとつ、上を行こう』という考えにたどり着いた。それから零戦の場合も、誕生した当時は世界一流だったんです。しかし、不思議なことに零戦を作っている工場には飛行場がないんですよ。なので名古屋の工場で作られた零戦を牛が引っ張る牛車に載せて、岐阜の飛行場まで運ぶんですね」
大和、零戦……技術の粋を集め、軍備を進めた日本。かかわった人物たちは何を見たのか。
日本の象徴として魂と最高の技術をもって、建造された「戦艦大和」。本作では「大和」の真実の能力を徹底的に分析。そして大和乗組員であり、映画「男たちのYAMATO」のモデルとなった八杉康夫氏のリアルな体験をインタビュー。再現ドラマで収録。「大和」建造から沈没までの一生を追った作品。
大和、零戦……技術の粋を集め、軍備を進めた日本。かかわった人物たちは何を見たのか。
太平洋初期、連合国に対してその優れた性能を見せつけた零式艦上戦闘機、通称・零戦。この戦闘機に青春を注ぎ込んだ一人のエンジニアの極めて貴重な証言記録。開発秘話が明かされる。
古市 憲寿(ふるいち・のりとし)
社会学者。1985年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。慶應義塾大学佐藤古市C研究所上席研究員。 若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)などで注目される。日本学術振興会「育志賞」受賞。著書には、数年間かけて国内外の戦争・軍事に関する博物館を巡り、各国の戦争の捉え方を考察した『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社)、日本社会の様々な「ズレ」について考察した『だから日本はズレている』(新潮新書)などがある。
秦郁彦(はた・いくひこ)
現代史家。1932年山口県生まれ。 専門は、日本近現代史。第二次世界大戦期を中心に研究している。 著書に『昭和史の謎を追う』『明と暗のノモンハン戦史』のほか多数。
井上寿一(いのうえ・としかず)
歴史学者。1956年生まれ。学習院大学学長。 専門は日本政治外交史。 主に近現代日本の国内政治と外交政策の相互関連を中心に研究。 著書に「第一次世界大戦と日本」、「日中戦争下の日本」などがある。