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◆ヒューズ(Hughes)XF-11試作高速偵察機 写真(右)1946年4月29日、アメリカ、カリフォルニア州路ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたXF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8羽可変金属プロペラ装備)右面: 1946年7月7日、社主ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で初飛行、そのまま墜落した。後方には、気球(NC-33672)が駐機している。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes' XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Date Digitized 2005-01-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001423 Physical Identifier 0373_1131引用。


写真(上)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 470156)試作2号機(通常4羽可変金属プロペラ装備)
:試作2号機は、通常の4羽可変金属プロペラ装備としヒューズ自らの操縦で1947年4月5日初飛行した。
Hughes XF-11 PictionID:43267324 - Title:Hughes XF-11 - Catalog:16_003952 - Filename:16_003952.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SDASM Archives引用。
Hughes

<ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)八部作>
飛行事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)
ヒューズ(Hughes)H-1レーサー(Racer)世界最速記録
ロッキード(Lockheed)14スーパーエレクトラ(Super Electra)世界一周
ヒューズ(Hughes) XF-11 試作偵察機
ヒューズ(Hughes) H-4 ハーキュリーズ(Hercules)飛行艇の開発 
現存するヒューズ(Hughes) H-4 ハーキュリーズ(Hercules)飛行艇
アメリア・パットナム(Amelia Putnam)とハワード・ヒューズ(Howard Hughes)のロッキード(Lockheed)機による世界一周飛行の検討
ヒューズ(Hughes)のロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、1934年ヒューズ航空機会社を設立し、ヒューズH-1レーサーを完成させ、1935年、自らの操縦で567km/hの陸上機世界最速記録を樹立。1936年には、H-1でアメリカ大陸無着陸横断飛行の世界記録、1937年には世界一周最速記録を達成した。1947年には、世界最大の飛行艇H-4を飛行させ、TWAトランスワールド航空の社主として国際路線を拡張した。

1.ヒューズ(Hughes) XF-11 試作1号機(二重反転8翅プロペラ)

写真(右)1943年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、製造中のD-2、後のヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)斜め左上面、その左翼のエンジンを点検するハワード・ヒューズ(Howard Hughes)(白ワイシャツ姿):試作1号機は二重反転8羽可変金属プロペラを装備して1947年4月にヒューズが初飛行させたが、その時、故障でハリウッドの住宅地に墜落し炎上した。
Photograph of Howard Hughes supervising construction of the D-2, Culver City, California, 1943 Digital ID whh000037 Physical Identifier 0321_0130Title Photograph of Howard Hughes supervising construction of the D-2, Culver City, California, 1943 Description Howard Hughes (in white shirt) supervises construction of the Hughes D-2 at the Hughes Aircraft Company. in Culver City, California. The D-2 was the prototype of the XF-11. Date Digitized 2005-01-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001285 Physical Identifier 0373_0995引用。


アメリカ陸軍航空隊は、1943年後半に高速長距離偵察機の開発要請をしたが、要求性能は最高速力400 mph (640 km/h)、航続距離 4,000 nmi (7,400 km)、上昇限度 40,000 ft (12,000 m)だった。これに応じたのが、リパブリック(Republic) XF-12レインボー(Rainbow)四発偵察機とヒューズ(Hughes)双発偵察機である。

写真(右)1943年、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ飛行機工場で試作中の高速偵察機X-11の製造過程を点検する社主ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)
Date 1943 Description A view of Howard Hughes and his workers building airplanes.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001288 Physical Identifier 0373_0998引用。


アメリカ陸軍航空隊は、1943年後半に高速長距離偵察機の開発要請をしたが、要求性能は最高速力400 mph (640 km/h)、航続距離 4,000 nmi (7,400 km)、上昇限度 40,000 ft (12,000 m)だった。これに応じたのが、リパブリック(Republic) XF-12レインボー(Rainbow)四発偵察機とヒューズ(Hughes)双発偵察機である。

アメリカ陸軍は、高速長距離高高度偵察機の実用化を促進するために、1943年にはヒューズ(Hughes)XF-11偵察機100機の発注をしたが、1945年9月には第二次世界大戦が終了、実機が未完成の裡に、発注はキャンセルされた。にもかかわらず、ハワード・ヒューズは、XF-11を2機の開発を続行し、1946年に2機の試作機を完成させた。

写真(右)1943年、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ飛行機工場で試作中の高速偵察機X-11コックピット左側で技師と話し合う社主ハワード・ヒューズ(Howard Hughes):二重反転プロペラを装備し大出力エンジンのトルクを打ち消そうとしたが、開発が大幅に遅れて、第二次世界大戦中には完成しなかった。しかし、ヒューズは、戦後になっても独自の経費負担で開発を続行し、施策1号機を自ら初飛行させている。ただし、機体を墜落し、ヒューズは重量を負った。
Date 1943 Description A view of Howard Hughes and his workers building airplanes.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001292 Physical Identifier 0373_1002引用。


アメリカ陸軍航空隊の高速長距離偵察機として、ヒューズはX-11を提案し、施策を開始した。X-11は、二重反転プロペラを装備し大出力エンジンのトルクを打ち消そうとしたが、開発が大幅に遅れて、第二次世界大戦中には完成しなかった。しかし、ヒューズは、戦後になっても独自の経費負担で開発を続行し、試作1号機を自ら初飛行させている。

ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 470155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)は、発動機にプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基搭載、新機軸の二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラを搭載して、1946年7月7日ハワード・ヒューズ自らが操縦し初飛行した。しかし、プロペラ不調ですぐに墜落し、ヒューズは重傷を負った。

写真(右)1943年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、製造中のD-2、後のヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)斜め左上面、その左翼のエンジンを点検するハワード・ヒューズ(Howard Hughes)(白ワイシャツ姿):試作1号機は二重反転8羽可変金属プロペラを装備して1947年4月にヒューズが操縦して初飛行した。
Photograph of airplanes being built by Howard Hughes and workers, circa 1943 Description A view of Howard Hughes and his workers building airplanes.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001283 Physical Identifier 0373_0993引用。


アメリカ陸軍は、高速長距離高高度偵察機の実用化を促進するために、1943年にはヒューズ(Hughes)XF-11偵察機100機の発注をしたが、1945年9月には第二次世界大戦が終了、実機が未完成の裡に、発注はキャンセルされた。にもかかわらず、ハワード・ヒューズは、XF-11を2機の開発を続行し、1946年に2機の試作機を完成させた。

写真(右)1946年7月7日前後、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)斜め上正面: ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行最中に、不時着し大破。左後方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)。
Hughes : XF-11 : Photo Recon Catalog #: 00067693 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 Official Nickname: Photo Recon---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


写真(右)1943年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、製造中のD-2、後のヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)斜め右上面:試作1号機は二重反転8羽可変金属プロペラを装備して1947年4月にヒューズが操縦して初飛行した。
Photograph of airplanes being built by Howard Hughes and workers, circa 1943 Date 1943 Description A view of Howard Hughes and his workers building airplanes.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001293 Physical Identifier 0373_1003引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機の諸元
初飛行:1946年4月15日
全長:19.94 m (65 ft 5 in)
全幅:30.89 m (101 ft 4 in)
全高:7.06 m (23 ft 2 in)
翼面積:91.3 m2 (983 ft2)
空虚重量:16,800 kg (37,100 lb)
最大離陸重量:26,400 kg (58,300 lb)
発動機:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt&Whitney)R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基
予定最高速力:720 km/h (450 mph)/高度10,058 m
巡行速力:674 km/h /高度 10,058 m
航続距離:5584 km (491 km/h/高度9144 m)
生産機数:2機

ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 470155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)は、発動機にプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基搭載、新機軸の二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラを搭載して、1946年7月7日ハワード・ヒューズ自らが操縦し初飛行した。しかし、プロペラ不調ですぐに墜落し、ヒューズは重傷を負った。

写真(右)1946年4月以降、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 470155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)左前面:発動機はプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基搭載、ハワード・ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行した時、墜落し、ヒューズは重傷を負った。左後方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)で、ヒューズが社主を務めるTWAトランスワールド航空が採用した。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes' XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier Digital Identifier whh001419 Physical Identifier 0373_1127引用。


写真(右)1946年7月7日前後、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)後方上面: ハミルトン(Hamilton Standard)の4羽金属プロペラを2組1セットとし、二重反転式8翅金属プロペラを装備。左後方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンたテレーション(Constellation)でハワード・ヒューズのトランス・ワールド航空(TWA)で採用された。与圧客室キャビンを装備。
Hughes : XF-11 : Photo Recon Catalog #: 00067697 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 Official Nickname: Photo Recon---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


写真(右)1946年4月以降、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 470155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)右側面と飛行艇の尾部: ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行した。(Constellation)。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes' XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001425 Physical Identifier 0373_1133引用。


写真(右)1946年4月以降、アメリカ、未舗装駐機場に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)右面
Howard Hughes Public Relations Photograph Collection, 1930-1950. Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes' XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2005-01-06
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001424 Physical Identifier 0373_1132引用。



写真(上)1946年4月以降、アメリカ、未舗装駐機場に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)正面

Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes' XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2005-01-06
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001422 Physical Identifier 0373_1130引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作1号機(8翅二重反転プロペラ装備)(登録コード: 470155)操縦席コックピット下で機体を点検しているハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日)とその記録写真撮影者:1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Title Photograph of Hughes inspecting one of his planes, approximately 1945-1955 Description Howard Hughes being photographed inspecting one of his planes. Image taken circa late 1940s/early 1950s. Date 1945; 1946; 1947; 1948; 1949; 1950; 1951; 1952; 1953; 1954; 1955 Date Digitized 2012-09-11
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000352 Physical Identifier 0321_0339引用。


1946年7月7日、ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)は自ら開発したヒューズ(Hughes)XF-11高速偵察機(二重反転プロペラ8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)の試作1号機を初飛行させたが、これは、本来、アメリカ陸軍航空隊の保有になる機体であり、ヒューズ飛行機社主のヒューズの一存で飛行させて良いものではない。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作1号機(8翅二重反転プロペラ装備)(登録コード: 470155)下で点検しているハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Description Howard Hughes inspecting one of his planes. Image taken circa late 1940s/early 1950s.Title Photograph of Hughes entering his plane for inspection, approximately 1945-1955 Description Howard Hughes inspecting one of his planes. Image taken circa late 1940s/early 1950s. Date 1945; 1946; 1947; 1948; 1949; 1950; 1951; 1952; 1953; 1954; 1955 Date Digitized 2012-09-11 Physical Identifier 0321_0340
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000353 Physical Identifier 0321_0340引用。


我が強く破天荒な大富豪ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日)は、自ら開発したヒューズ(Hughes)XF-11偵察機を初飛行をさせることを熱望し、実行した。しかし、試作費の初飛行という熟練の審査パイロットほどの腕があるとは思えないヒューズは、二重反転プロペラの故障に対応できず、派墜落事故を起こし、機体は全損、自身も重傷を負ってしまった。そして、ヒューズは、無断で軍のXF-11を初飛行させ、破壊してしまった責任を負うこととなった。

しかし、ヒューズは、快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行させている。政府、軍との交友関係、資金提供などのお陰であろう。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作1号機(8翅二重反転可変ピッチプロペラ装備)(登録コード: 470155)操縦席コックピットに繋がる昇降用梯子下のハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Title Photograph of Howard Hughes climbing into the XF-11, Culver City, California, July 7, 1946 Description
Howard Hughes on a ladder, climbing into the XF-11. A police officer is seen in the background.
Project Name Welcome Home, Howard
oward Hughes Professional and Aeronautical Photographs, 1916-1997. PH-00321. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.
Date 1946-07-07
Date Digitized 2005-01-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier Digital Identifier whh000023 Physical Identifier 0321_0255引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機は、胴体中央部にあるコックピット操縦席に登場するのに、中央胴体右下側にある昇降口から梯子をのぼって搭乗する。操縦席は、胴体中央線より左側に寄っている。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)機首右側面:操縦席は、胴体中央線より左側に寄っているので、ヒューズが奥に見える。ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行した試作1号機は、、不時着し大破した。右後方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)で、後にヒューズが社主を務めるTWAトランスワールド航空が採用している。
Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Date 1946 Description Howard Hughes in the cockpit of his XF-11 airplane before his first test flight.
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000243 Physical Identifier 0321_0235引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機は、1946年7月7日、社主ハワード・ヒューズHoward Hughes)の操縦で初飛行したが、この時もヒューズの向こう見ずな性格が反映して、慎重さを欠いた操縦となり、機体は住宅地に不時着し、大破した。ヒューズ自身も重傷を負った。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)(登録コード: 470155)の操縦席コックピットに収まったハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)
Title Photograph of Howard Hughes in the first XF-11, Culver City, California, 1946 Description Howard Hughes in the cockpit of his XF-11 airplane before his first test flight. Date 1905-04-29 Date Digitized 2012-08-03
Howard Hughes Professional and Aeronautical Photographs, 1916-1997. PH-00321. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000098 Physical Identifier 0321_0040引用。




写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、未舗装駐機場に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)右側面とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes:1905-1976):発動機のプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を稼働している。ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行したが、その時、不時着し大破した。操縦席は、胴体中央線より左側に寄っている。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries引用。


アメリカのヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機は、発動機はプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基。ハミルトン(Hamilton Standard)の4羽金属プロペラを2組1セットとし、二重反転式8翅金属プロペラを装備し、1946年7月7日、社主ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で初飛行した。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、未舗装駐機場に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8羽可変ピッチ金属プロペラ装備)左正面とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): ヒューズの座っている操縦席は、胴体中央線より左側に寄っている。ヒューズ左手側ガラス風防には小型円形の開閉部が付いているのが見える。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Date 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California.
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001426 Physical Identifier 0373_1134引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 操縦席は、胴体中央線より左側に寄っているので、ヒューズの左手側ガラス風防には小型円形の開閉部が付いているのが見える。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001422 Physical Identifier 0373_1130引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変ピッチ金属プロペラ装備)とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 操縦席は、胴体中央線より左側に寄っているので、ヒューズ右手側ガラス風防には小型開閉部はない。 右遠方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)で、後にヒューズが社主を務めるTWAトランスワールド航空が採用している。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001429 Physical Identifier 0373_1137引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)上正面とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 操縦席は、中心線よりも左側に寄せて配置されている。風防には、円形状の切り欠きがあって、外とのコミュニケーションに使用される。
Title Photograph of Howard Hughes and the XF-11, Culver City, California, July 7, 1946 Date 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California.
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001430 Physical Identifier 0373_1138引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)のコックピット操縦席は、太い胴体の中央ど真ん中にあるのではなく中央線より左寄りに設置されている。ガラス風防も左右対称ではなく、操縦席に近い左側に特設開閉部を設けている。これは、風防を閉鎖した後でも、外からの通信文などをやり取りできる構造である。

XF-11 は無武装の高速偵察機なので、機首上面は平滑で視界を確保しつつ空気抵抗を減らしている。また、機首上面は、操縦席正面にあたるために、太陽光線の反射で操縦者を眩惑しないように、機首上面を黒で塗装して、日光の反射がないように配慮している。

写真(右)1946年4月29日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で初飛行する直前のヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)/A>:滑走路を離陸した直後なので、降着装置はダブルタイヤも機首輪も降ろされたままである。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California.. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は
University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001431 Physical Identifier 0373_1139引用。

写真(右)1946年4月29日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、コックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自らが操縦するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)の初飛行直前:プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基が稼働し、ハミルトン(Hamilton Standard)の4羽二重反転プロペラが回転している。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes taking off in his XF-11 near Culver City, California.. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries 引用。


写真(右)1946年4月29日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で初飛行する直前、滑走路を走りだし離陸しようとするヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備):滑走路を離陸した直後なので、降着装置はダブルタイヤも機首輪も降ろされたままである。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes taking off in his XF-11 near Culver City, California.. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001432 Physical Identifier 0373_1140引用。


写真(右)1946年4月29日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で初飛行したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備):滑走路を離陸した直後なので、降着装置はダブルタイヤも機首輪も降ろされたままである。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes taking off in his XF-11 near Culver City, California.. Date 1905-04-29 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001434 Physical Identifier 0373_1142引用。



2.1946年7月7日、ヒューズ(Hughes) XF-11 試作1号機の初飛行、墜落

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中に墜落したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)の事故現場の火災:破損した垂直尾翼には、登録コード470155がはっきりと識別できる。このような大事にあったヒューズは重傷を負ったが、再び飛行家として操縦桿を握っている。
Title Photograph of crash of Howard Hughes' XF-11, Culver City, California, July 07, 1946 Description A view of the near-fatal crash of Howard Hughes' XF-11 in Culver City, California. Date 1946-07-07 Date 1946-07-07 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001435 Physical Identifier 0373_1143引用。


1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中のヒューズ(Hughes)XF-11偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)は事故を起こして、住宅地に墜落、大破した。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中に事故で墜落したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)動力部分:破損した垂直尾翼には、登録コード470155がはっきりと識別できる。このような大事にあったヒューズは重傷を負ったが、再び飛行家として操縦桿を握っている。墜落した直後なので、機体の残骸が散らばったままになっている。
Title Photograph of crash of Howard Hughes' XF-11, Culver City, California, July 07, 1946 Description A view of the near-fatal crash of Howard Hughes' XF-11 in Culver City, California. Date 1946-07-07 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001439 Physical Identifier 0373_1147引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中に事故で墜落したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8翅可変金属プロペラ装備)コックピット操縦席:操縦席、計器盤の破損状況からみて、操縦席のパイロットが助かったのは僥倖だった。墜落した直後なので、火災による機体表面塗装の融解・燃焼の跡が明瞭に識別できる。
Title Photograph of crash of Howard Hughes' XF-11, Culver City, California, July 07, 1946 Description A view of the near-fatal crash of Howard Hughes' XF-11 in Culver City, California. Date 1946-07-07 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001438 Physical Identifier 0373_1146引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11を操縦していたヒューズは、墜落事故で重傷を負ったが、何とか助かったが、当時の操縦席付近の大破状況からみれば、パイロットが助かっただけでも奇跡的なことだった。金属外皮は薄いので敗れて大きく損傷している。火災による火傷で死に至る可能性も高かったのである。ヒューズは、恢復後、再び飛行家として同じXF-11試作2号機操縦桿を握って、欠陥機でないことを立証した。

写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中に事故で墜落したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8羽可変金属プロペラ装備):破損した垂直尾翼には、登録コード470155がはっきりと識別できる。このような大事故にあったヒューズは重傷を負ったが、再び飛行家として操縦桿を握っている。墜落した直後なので、機体の残骸が散らばったままになっている。
Title Photograph of crash of Howard Hughes' XF-11, Culver City, California, July 07, 1946 Description A view of the near-fatal crash of Howard Hughes' XF-11 in Culver City, California. Date 1946-07-07 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001436 Physical Identifier 0373_1144引用。


写真(右)1946年7月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の操縦で飛行中に事故で墜落したヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作1号機(二重反転8羽金属プロペラ装備)の主翼と機首の残骸:破損し墜落したヒューズは重傷を負ったが、再び飛行家として操縦桿を握っている。墜落した直後なので、機体の残骸が散らばったままになっている。
Title Photograph of crash of Howard Hughes' XF-11, Culver City, California, July 07, 1946 Description A view of the near-fatal crash of Howard Hughes' XF-11 in Culver City, California. Date 1946-07-07 Publisher University of Nevada, Las Vegas. Libraries Date Digitized 2013-12-18
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001436 Physical Identifier 0373_1144引用。



3.ヒューズ(Hughes) XF-11 試作2号機(4翅プロペラ)

写真(右)1947年4月30日頃、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、アメリカ陸軍航空隊ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)上正面:後方右にダグラスDC-3輸送機の軍用仕様C-47スカイトレイン輸送機が駐機している。第二次世界大戦後、陸軍航空隊は陸軍より独立した空軍とする国家安全保障法が、1947年9月18日に正式に成立した。
Archival Collection Howard Hughes Public Relations Photograph Collection Digital Project Welcome Home, HowardTitle Photograph of the Air Force test plane, circa 1947 Description An overhead view of the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001486 Physical Identifier 0373_1193引用。


写真(右)1947年4月5日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたXF-11 偵察機(登録コード: 44-70156)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)
Aerial photograph of the second XF-11 prototype, April, 1947 Description The second XF-11 prototype parked on the tarmac. Date 1947-04 Date Digitized 2012-09-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000326 Physical Identifier 0321_0328引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機は、発動機にプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を搭載し、試作1号機は、4翅可変ピッチ金属製プロペラ2個を1組とした8翅を駆動する二重反転プロペラを装備していた。このような2重反転プロペラは、プロペラ回転のトルクを打ち消し、飛行操縦性を向上させる半面、機構が複雑になり、整備性と経済効率が犠牲になった。

写真(右)1947年4月30日頃、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、アメリカ陸軍航空隊ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)上正面:後方右にダグラスDC-3輸送機の軍用仕様C-47スカイトレイン輸送機が駐機している。第二次世界大戦後、陸軍航空隊は陸軍より独立した空軍とする国家安全保障法が、1947年9月18日に正式に成立した。
Photograph of the Air Force test plane, circa 1947 Description An overhead view of the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001487 Physical Identifier 0373_1194引用。


写真(右)1947年4月30日頃、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、アメリカ陸軍航空隊ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)後上面:後方右にダグラスDC-3輸送機の軍用仕様C-47スカイトレイン輸送機が駐機している。第二次世界大戦後、陸軍航空隊は陸軍より独立した空軍とする国家安全保障法が、1947年9月18日に正式に成立した。
Photograph of the Air Force test plane, circa 1947 Description An overhead view of the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001488 Physical Identifier 0373_1195引用。



写真(上)1947年4月30日頃、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、アメリカ陸軍航空隊ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)正面
:第二次世界大戦後、陸軍航空隊は陸軍より独立した空軍とする国家安全保障法が、1947年9月18日に正式に成立した。
Photograph of the Air Force test plane, circa 1947 Description A front view of the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001489 Physical Identifier 0373_1196引用。



写真(上)1947年4月3日、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作2号機(4翅可変金属プロペラ装備)正面
: ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行した試作1号機は大破したために、2号機が製造され、翌1947年に試験飛行が行われた。
Title Photograph of the second XF-11 prototype, April 3, 1947 Description The second XF-11 prototype, a reconnaissance plane the Howard Hughes built and designed in conjunction with Air Material Command engineers. Date 1947-04-03 Date 1905-04-29 Date Digitized 2012-09-29
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000434 Physical Identifier 0321_0425引用。


写真(右)1947年4月4日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたXF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)右面:試作1号機の二重反転8翅可変金属プロペラが不調なために、試作2号機は、通常の4翅プロペラに変換して装備して初飛行した。
Title Photograph of second XF-11 plane prior to take-off, April 4, 1947 Description The second Hughes XF-11 prototype is seen on a runway, prior to take-off. Automobiles and media members are also on the runway. Date 1947-04-04 Date Digitized 2005-01-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries 引用。


写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(登録コード: 470156): 試作1号機の二重反転8翅可変金属プロペラが不調なために、試作2号機は、通常の4翅可変金属プロペラ装備としヒューズ自らの操縦で1947年4月5日初飛行した。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015378 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 Official Nickname: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1947年4月4日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたXF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)左側面
Title Photograph of second XF-11 prototype plane on the runway, April 4, 1947 Description The second Hughes XF-11 prototype on a runway prior to a test flight in 1947.. Date 1947-04-04 Date Digitized 2005-01-06
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries 引用。


アメリカ陸軍航空隊の高速長距離偵察機の要求仕様に対して、リパブリック社はXF-12レインボーを開発し、ハワード・ヒューズHoward Hughes)は ヒューズ(Hughes)XF-11試作偵察機を開発した。この時、アメリカ陸軍航空隊は、100機の発注を予定していたが、1945年8月に日本の降伏で第二次世界大戦が終了したために、発注はキャンセルされた。しかし、ヒューズ社はXF-11偵察機を2機試作した。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、舗装滑走路に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156) 試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)が大破、廃棄された後、負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1946年7月7日初飛行した。
Hughes : XF-11 (R-11) Catalog #: 00031689 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 (R-11)---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11試作偵察機の外部構造はロッキードP-38 ライトニングと同様な形状で、双胴式、機首に前輪式降着装置を装備、与圧操縦席コクピットを備えている。双胴の全金属製胴体に取り付けられた主翼は、P-38よりも高いアスペクト比で、主翼面積も大きく、高高度性能の向上を企図している。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、舗装滑走路に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)右側面
Hughes : XF-11 (R-11) Catalog #: 00031690 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 (R-11)---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


1946年7月7日、ハワード・ヒューズHoward Hughes)自身が操縦した ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機(登録コード:44-70155)初飛行は、二重反転プロペラの不調により、機体安定性が失われたため、ヒューズは不時着を試みたが、住宅地に墜落し、機体は全損、ヒューズ自身も負傷する失敗に終わっている。この二重反転プロペラの不調を重視したヒューズは、試作2号機では通常の4翅プロペラを採用している。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、舗装滑走路に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)後方右側面
Hughes : XF-11 (R-11) Catalog #: 00031688 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 (R-11)---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機は既に双胴式を採用して成功していたロッキードP-38 ライトニングと全く同じ双胴式、双尾翼式で、中央胴体にある前輪(首輪)式降着装置と与圧式操縦室コクピットも同じ構造である。しかし、双胴に取り付けられた左右外翼は、P-38よりも全幅が長く、アスペクト比の高い値を採用し、高高度性能の改良を図っている。偵察機なので、格闘戦に有利な急旋回は必要なかったうえに、機関銃装備も不要だったので、機首に偵察用の大型写真機を装備している。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、舗装滑走路に待機するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)後方
Hughes : XF-11 (R-11) Catalog #: 00015376 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 (R-11)---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機は、大量生産されていたロッキードP-38 ライトニングと同様の前輪(首輪)式引き込み降着装置を採用したために、地上でも期待は水平を保っている。そのために、離着陸の滑走距離は長くなったが、機首が下を向くので離着陸時の前方視界がよくなり、離着陸は容易になった。 胴体の引き込み式降着装置は、ダブル・タイヤを採用している。

写真(右)1947年4月5日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作2号機(4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 操縦席は、胴体中央線より左側に寄っているので、ヒューズ右手側ガラス風防には小型開閉部はない。 右遠方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)で、後にヒューズが社主を務めるTWAトランスワールド航空が採用している。1946年7月7日の試作2号機(4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)は、主翼上面に黒枠塗装が施されているので、プロペラが写っていなくとも識別は可能である。後方に配置されている飛行機も異なっている。
Date 1947-04-05 Description Transcribed from attached press release: "HUGHES TEST-PILOTS SECOND XF-11. CULVER CITY, Calif., April 5. Preparatory to making its first flight test today, Howard Hughes, famed flier-industrialist, is shown in the cockpit of the second XF-11 sister ship to the plane in which he almost lost his life in an accident last July 7. Hughes designed and built the ship, one of the world's fastest long-range reconnaissance planes for the Army Air forces in conjunction with the Air Materiel Command engineers." Read More
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000311 Physical Identifier 0321_0324引用。


写真(右)1947年4月5日、アメリカ、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City)近郊 、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 44-70155)試作2号機(4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 操縦席は、胴体中央線より左側に寄っているので、ヒューズ右手側ガラス風防には小型開閉部はない。 右遠方は1943年1月9日に初飛行した三枚垂直尾翼ロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)で、後にヒューズが社主を務めるTWAトランスワールド航空が採用している。1946年7月7日の試作2号機(4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)は、主翼上面に黒枠塗装が施されているので、プロペラが写っていなくとも識別は可能である。後方に配置されている飛行機も異なっている。
Date 1947-04-05 Description Transcribed from attached press release: "HUGHES TEST-PILOTS SECOND XF-11. CULVER CITY, Calif., April 5. Preparatory to making its first flight test today, Howard Hughes, famed flier-industrialist, is shown in the cockpit of the second XF-11 sister ship to the plane in which he almost lost his life in an accident last July 7. Hughes designed and built the ship, one of the world's fastest long-range reconnaissance planes for the Army Air forces in conjunction with the Air Materiel Command engineers." Read More
写真は University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000311 Physical Identifier 0321_0324引用。


写真(右)1947年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(登録コード: 470156): 1947年4月の初飛行前で、コックピット操縦席にはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が搭乗していると思われる。
Title Photograph of Howard Hughes, circa 1947 Date 1946 Description A view of Howard Hughes sitting in his XF-11 near Culver City, California.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001427 Physical Identifier 0373_1135引用。


写真(右)1947年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(登録コード: 470156): 1947年4月の初飛行前で、コックピット操縦席にはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が搭乗していると思われる。
Title Photograph of Howard Hughes, circa 1947 Description A view of Howard Hughes preparing to fly the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001494 Physical Identifier 0373_1201引用。


写真(右)1947年4月5日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出され4翅可変ピッチ金属プロペラを回転するヒューズXF-11 偵察機(シリアル番号: 44-70156)試作2号機とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes): 1946年7月7日の試作2号機(4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)は、主翼上面に黒枠塗装が施されているので、プロペラが写っていなくとも識別は可能である。後方に配置されている飛行機も異なっている。
Photograph of Howard Hughes, circa 1947 Description A view of Howard Hughes preparing to fly the Air Force test plane. Date 1905-04-30 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001504 Physical Identifier 0373_1211引用。



写真(上)1947年4月4日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路から離陸し地面を離れたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)
:1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は、軍との合意を得て、1947年4月5日に「正式な初飛行」をすることになる。しかし、その前の4月3日、操縦席に試乗したハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)は、衝動と熱意を抑えられず、滑走路を離れ空中に浮くことを決めていた。そのための写真撮影も準備していた。こう考えることができる。
Photograph of second XF-11 plane lifting off, April 4, 1947 Description Photograph of a second XF-11 lifting off, April 4, 1947. Date 1947-04-04 Date Digitized 2005-01-05
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000087 Physical Identifier 0321_0261引用。


写真(右)1947年4月4日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路から離陸し地面を離れたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は、軍との合意を得て、1947年4月5日に「正式な初飛行」をすることになる。しかし、その前の4月3日、操縦席に試乗したハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)は、衝動と熱意を抑えられず、滑走路を離れ空中に浮くことを決めていた。そのための写真撮影も準備していた。こう考えることができる。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes taking off in his XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001434 Physical Identifier 0373_1142引用。



写真(上)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路から離陸して飛び上がったヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)
:1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機に再び搭乗したハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日)が1947年4月3日に離陸してしまったのか。それとも1947年4月5日の初飛行の出来事なのか。UNLVは同じ写真でも、異なる解説、撮影期日の説明をつけているので、混乱があるようだ。
Title Photograph of Howard Hughes' XF-11, California, circa 1946 Description A view of Howard Hughes taking off in his XF-11 near Culver City, California. Date 1905-04-29 Date Digitized 2013-12-18
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001434 Physical Identifier 0373_1142引用。



写真(上)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路上を低空飛行するヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機(登録コード: 44-70156)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)とコックピット操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes)
: ヒューズが勇んで初飛行予定日前に飛行機を稼働し、空中にあがってしまったのであろう。このような破天荒なスタンドプレーは、ヒューズが自分の資金を投じ、自分も多大な時間をかけ開発した飛行機にあたっては当然のことだったようだ。
Title Photograph of the second XF-11 prototype, April 3, 1947 Description The second XF-11 prototype, a reconnaissance plane the Howard Hughes built and designed in conjunction with Air Material Command engineers. Date 1947-04-03 Date Digitized 2012-09-29
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000433 Physical Identifier 0321_0424引用。


写真(右)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)操縦席コックピット下で記録を書き込んでいるハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Photograph of Howard Hughes with the second XF-11, April 3, 1947 Description Howard Hughes signing the flight plan in front of the second XF-11. Date 1947-04-03 Date Digitized 2005-01-04
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000049 Physical Identifier 0321_0140引用。


写真(右)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)操縦席コックピットに繋がる昇降用梯子下のハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Photograph of Howard Hughes under the second XF-11, April 3, 1947 Date 1947-04-03 Description Howard Hughes prior to test-piloting the second XF-11 prototype, a duplicate of the plane which crashed on July 7 the previous year.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000103 Physical Identifier 0321_0057引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11試作偵察機は、ヒューズ航空機社がアメリカ陸軍航空航空隊向けに開発した高速偵察機である。試作機は2機製造されたが、二重反転プロペラを採用した1号機はハワード・ヒューズHoward Hughes)自らが操縦して1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)を初飛行させている。

しかし、ヒューズはこの初飛行でエンジン出力を控えず、慣れない二重反転8翅プロペラの故障があったのか、的確な操作ができなかったのか、事故を起こして住宅地に不時着せざるを得なくなった。

写真(右)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)操縦席コックピットに繋がる昇降用梯子下のハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Photograph of Howard Hughes standing by the XF-11 plane, April 3, 1947 1947-04-03 Description Howard Hughes standing by the XF-11 the day before his second test run on the plane.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier Digital ID whh000291 Physical Identifier 0321_0236引用。


1946年7月7日、ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr)は自ら開発した ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機試作1号機(登録コード: 470155)試作1号機を初飛行させたが、これはアメリカ軍の委託開発であり、軍から初飛行の許可を得て、軍の立会いの下で実施されるのが常である。

しかし、破天荒なヒューズは、自ら資金負担しており、当然だと考えたのか、軍の許可を得ないで勝手に初飛行させてしまったようだ。これが成功すれば、飛び上がってしまったという言い訳も通った可能性もあったかもしれないが、墜落させては大問題である。

写真(右)1947年4月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変ピッチ金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)の操縦席コックピットに繋がる昇降用梯子下のハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Photograph of Howard Hughes and the second XF-11, April 3, 1947 1947-04-03 Description Howard Hughes standing on a ladder beneath the second XF-11 prototype before his April 4, 1947 flight.
Howard Hughes Professional and Aeronautical Photographs, 1916-1997. PH-00321. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000098 Physical Identifier 0321_0040引用。


1946年7月7日、ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr)は自ら開発した ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機試作1号機(登録コード: 470155)試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)の初飛行で墜落している。

しかし、ヒューズは怪我から回復し、ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機のリベンジとして、1947年4月5日に再び自らXF-11試作2号機のテスト飛行を行った。飛行機の欠陥はないとの照明を自ら再度操縦して示したかったのである。

 墜落事故にもめげず、再度の試作機飛行は、無謀さとも勇気ともとれるが、大富豪として安泰生活がおくることよりも、熱情をもち挑戦できる飛行機開発と操縦に人生の意味を見出していたのである。

戦後1947年11月の政府の飛行機開発予算の調査を受けたとき、上院議員の審問者が不正な予算の話ばかりして、飛行機の操縦はもちろん、技術や開発にほとんど興味をもっていないことを見抜いたヒューズは、彼らはゲシュタポのような尋問者だとこきおろした。

写真(右)1947年4月3日頃、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)の操縦席コックピットに収まったハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Title PPhotograph of Howard Hughes and the second XF-11, April 3, 1947 Description Howard Hughes in the cockpit of his XF-11 airplane before his first test flight. Date 1905-04-29 Date Digitized 2012-08-03
Howard Hughes Professional and Aeronautical Photographs, 1916-1997. PH-00321. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000098 Physical Identifier 0321_0040引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機試作1号機は、ヒューズの試作機ではなく、軍の試作機であり、その計画にとって試作機墜落は大きな支障である。初飛行を無断で行っただけではなく、軍の飛行機計画にも多大な支障を与える大失態の違法行為である。にもかかわらず、軍高官のとりなしか、ヒューズの資金力・贈収賄か、ヒューズに刑罰が科せられることはなかったようだ。

罰金、保証金のような金銭であれば、ヒューズにとって何のことはなかったであろう。ただし、後の政府公聴会で、軍の計画に支障をもたらしたヒューズの資金の使い方、飛行機開発の在り方に詰問がなされ、ヒューズを怒らせることになる。

写真(右)1947年4月4日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)右主翼前のハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)と検分に来た政府高官らしい人物
Citation [Photograph of Howard Hughes with unidentified man beside the second XF-11, April 4, 1947]. Howard Hughes Professional and Aeronautical Photographs, 1916-1997. PH-00321. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.
Title Photograph of Howard Hughes with unidentified man beside the second XF-11, April 4, 1947 Description
Howard Hughes (right) with unidentified man before the flight of the second XF-11 prototype, April 4, 1947.
Date 1947-04-04"
Date Digitized 2005-01-06.
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000050 Physical Identifier 0321_0259引用。


1946年7月7日の ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行するが、その前日に来たので、軍の発注した試作機の初飛行の確認に来たのであろう。なにしろ、ヒューズは、ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機を、政府・軍の許可を得ないまま初飛行させ、墜落させてしまっている。大損害を与えたというだけではなく、政府・軍の管轄を軽視し、その威厳を軽んじて措置だった。ただし、ヒューズ自身も試作機墜落で重傷を負った。

写真(右)1947年4月5日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたXF-11 偵察機(登録コード: 44-70156)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)
Phtograph of Howard Hughes in the XF-11, after ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)his successful test flight, April 5, 1947 Description Transcribed from attached press release: "HUGHES TEST-PILOTS SECOND XF-11. CULVER CITY, Calif., April 5. Preparatory to making its first flight test today, Howard Hughes, famed flier-industrialist, is shown in the cockpit of the second XF-11 sister ship to the plane in which he almost lost his life in an accident last July 7. Hughes designed and built the ship, one of the world's fastest long-range reconnaissance planes for the Army Air forces in conjunction with the Air Materiel Command engineers." Date 1947-04-05 Date Digitized 2012-09-05
写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000311 Physical Identifier 0321_0324引用。


写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、通常4羽可変金属プロペラ装備に変更されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(シリアル番号: 470156): 1946年7月7日初飛行の最中、試作1号機(二重反転プロペラ8羽金属プロペラ装備)が大破、廃棄された後、負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行した。
Hughes XF-11 Catalog #: 15_001428 Title: Hughes XF-11 ADDITIONAL INFORMATION: Hughes XF-11 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: U.S Manufacturers IV, G to L Page #: 22 Tags: Hughes XF-11.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


二重反転プロペラの実用性が低いために、 ヒューズ(Hughes)XF-11試作2号機では、通常の4翅金可変金属プロペラを装備し、ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニアHoward Robard Hughes Jr.:1905年12月24日 - 1976年4月5日)自らの操縦で初飛行した。

その前年に、二重反転8翅プロペラの試作1号機(シリアル番号:470155)は1946年7月7日初飛行し、通常4翅プロペラの試作2号機(シリアル番号:470156)は1947年4月5日に初飛行した。この時は、操縦していたヒューズも、蒸気が墜落して重傷を負っている。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備): ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行したが、その時、不時着し大破した失敗作。
Hughes XF-11 PictionID:43267300 - Title:Hughes XF-11 - Catalog:16_003950 - Filename:16_003950.TIF - - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156): ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行したが、その時、不時着し大破した失敗作。発動機のプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を稼働して飛翔するXF-11双発機。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015382 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ヒューズ(Hughes)XF-11試作2号機は、複雑な二重反転プロペラをやめて、通常プロペラを装着したが、それでも、経済性が低く、単価の高い飛行機となることは確実だった。ダグラスXF-12に比して、ヒューズ(Hughes)XF-11は操縦性、整備性、量産性に劣っており、量産機の製造単価も2倍になると予測された。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156): ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行したが、その時、不時着し大破した。プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を稼働して飛翔するXF-11双発機。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015381 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ハワード・ヒューズHoward Hughes)の起こした飛行機事故で、XF-11試作1号機は完全に損失し、操縦者のハワード・ヒューズ自身も重傷を負っている。1947年4月5日、ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)も飛行したが、操縦性、整備性、量産性への配慮が不足しており、アメリカ陸軍は、XF-11を採用することはなかった。またもや、ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニアHoward Robard Hughes Jr.)の開発した飛行機は失敗作になった。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156): ロッキードP-38双発戦闘機と類似の形状で明らかにその影響を受けたようだ。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015379 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


1946年7月7日初飛行のヒューズ(Hughes)XF-11試作偵察機の仕様
全長:19.94 m (65 ft 5 in)
全幅:30.89 m (101 ft 4 in)
全高:7.06 m (23 ft 2 in)
翼面積:91.3 m2 (983 ft2)
空虚重量:16,800 kg (37,100 lb)
最大離陸重量:26,400 kg (58,300 lb)
発動機:プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基
予定最高速力:720 km/h (450 mph)

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、カリフォルニア州、アメリカ陸軍航空隊のマークを付けて飛行中のヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(登録コード: 470156)右側面:アメリカ陸軍航空隊のマークを付けているが、明らかにアメリカ軍所有の試作機であり、ヒューズの私物飛行機ではないはずだった。 ロッキードP-38双発戦闘機と類似の形状で明らかにその影響を受けたようだ。
Hughes XF-11 Catalog #: 15_001426 Title: Hughes XF-11 ADDITIONAL INFORMATION: Hughes XF-11 @nd one built, 470156 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: U.S Manufacturers IV, G to L Page #: 19 Tags: Hughes XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


1937年2月、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)はアメリカの各航空機メーカーに対して、双発、高々度対応の迎撃戦闘機の開発を要請した。これはアメリカが空軍力の強化し、仮想敵国のドイツ、日本の戦闘機を遥かに上回ることを目指した。そして、ロッキード(Lockheed)は、競争試作機として1937年6月23日にモデル(Model)22を XP-38として試作することが認められたが、その予算は16万3,000ドルだった。め、この時の要求は、最高速力360 mph (580 km/h) 、上昇時間20,000 ft (6,100 m) まで6分というもので、単座・高々度防空用の迎撃戦闘機の開発を命じ、ロッキードはそれに双発双胴戦闘機で応じたのである。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、カリフォルニア州、雲海を飛行するするアメリカ陸軍航空隊のマークを付けたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)右側面: プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を稼働し、4翅可変ピッチ金属プロペラを回転させ飛翔する。試作1号機の二重反転プロペラは取りやめになったのである。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015382 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)の迎撃戦闘機競争試作要請には、ベル・エアクラフト社のモデルB-4(XP-39)も単発機で応じていたが、当時、高速双発輸送機の分野で、低翼単葉、引込み式降着装置を採用して成功していたロッキードは、双発機に強い自信を持っていたが、軍用機開発の経験が乏しかった。つまり、当時、ロッキードは、軍用機の実績のない新参メーカーとして、軍は軽く見ていたようだ。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、カリフォルニア州、アメリカ陸軍航空隊のマークを付けて大空を飛翔するヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)右側面:ロッキードP-38双発戦闘機と類似の形状で明らかにその影響を受けたようだ。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015382 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


ロッキードXP-38は、1939年1月27日に初飛行し、12週間後の2月11日には軍用機としては最高峰の最高速力420 マイル(680 km/h)を記録した。制式されたP-38は「ライトニング」と命名され、1941–1945年に1万機が量産された。

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、カリフォルニア州、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)下面: カリフォルニア州、アメリカ陸軍航空隊のマークを付けているが、明らかにアメリカ軍所有の試作機であり、ヒューズの私物飛行機ではないはずだった。
Hughes : XF-11 : Photo Recon Catalog #: 00067691 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11 Official Nickname: Photo Recon---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


 ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機は、ロッキードP-38双発戦闘機と類似の形状で明らかにその影響を受けたようだ。アメリカ陸軍航空隊のマークを付けているが、明らかにアメリカ軍所有の試作機であり、ヒューズの私物飛行機ではないはずだった。

写真(右)1947年8月16日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)を検分した上院戦争調達委員会ハリー・ケイン(Harry Cain)上院議員とハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)::機首下面には偵察用のガラス窓、写真撮影用のガラス窓がついている。試作2号機はプラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基で、4翅可変ピッチ金属プロペラを回転させ1947年4月5日に初飛行している。試作1号機の二重反転プロペラは、初飛行墜落の原因とされ、取りやめになった。上院戦争調達委員会ハリー・ケイン(Harry Cain)上院議員が検分に来たときの撮影。
Photograph of Howard Hughes with Senator Harry P. Cain, Culver City, California, August 16, 1947 Description A view of Howard Hughes (left) being asked about his controversial XF-11 photo reconnaissance plane by Senator Harry Cain (right), Republican of Washington, in Culver City, California. Date 1947-08-16 Date Digitized 2013-12-19
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001600 Physical Identifier 0373_1307 引用。


写真(右)1947年8月16日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)の操縦席コックピットに収まったハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.):試作2号機は1947年4月5日に初飛行し、上院議員ハリー・ケイン(Harry Cain)が検分に来たときだが、ヒューズは上院議員に目を合わせていない。
Creator Creator: Acme Newspicture (New York, N. Y.) Photograph of Howard Hughes with Senator Harry P. Cain, Culver City, California, August 16, 1947 Creator: Acme Newspicture (New York, N. Y.) Date 1947-08-16 Description given with photo: "Senator Visits Hughes, Culver City, Calif.; Senator Harry P. Cain (R. Wash.) (left), member of a Senate Subcommittee investigating Howard Hughes' war contracts, chats with Hughes (right) beside his controversial XF-11 photo-reconnaissance plane just before the millionaire plane maker took off for a test flight from his private Culver City Airport today (8/16). Credit (ACME) 8/16/47." Date 1947-08-16
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001598 Physical Identifier 0373_1305引用。


写真(右)1947年8月16日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(通常4翅金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)の操縦席コックピットに収まったハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.):1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行する。
Photograph of Howard Hughes with Senator Harry P. Cain, Culver City, California, August 16, 1947 Description Description given with photo: "Howard Hughes Is Asked About His XF-11 By Senator! Culver City, Calif. - Millionaire plane builder Howard Hughes, left, is asked about his controversial XF-11 photo reconnaissance plane, background, by Senator Harry Cain, right, Republican of Washington. Cain is member of the Senate War Investigating Committee, and inspected Hughes craft after the plane builder had test flown the ship. An earlier model of same design nearly cost Hughes his life when it crashed in Beverly Hill last winter. Note wind-blown hair on both Pilot Hughes and observer Cain. Photo by Felix Pagel. 8/16/47."
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001599 Physical Identifier 0373_1306引用。


写真(右)1947年8月16日(15日?)、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西、カルバーシティ (Culver City) 、滑走路に引き出されたヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機試作2号機(4翅金属プロペラ装備)(シリアル番号: 470156)の前に立つハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.):機首下面には偵察用のガラス窓、写真撮影用のガラス窓がついている。1946年7月7日の試作1号機(二重反転プロペラ8翅金属プロペラ装備)墜落事故で負傷したヒューズの快復を待って、試作2号機は1947年4月5日に初飛行した。プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基だが、試作2号機は4翅可変ピッチ金属プロペラを回転させ1947年4月5日に初飛行している。試作1号機の二重反転プロペラは、初飛行墜落の原因とされ、取りやめになった。上院戦争調達委員会ハリー・ケイン(Harry Cain)上院議員が検分に来たときの撮影。
Photograph of Howard Hughes after hearing, Culver City, California, August 15, 1947 Description
A view of Howard Hughes attending an informal press conference in Culver City, California, after Hughes left the Senate War Investigating Subcommittee hearing in Washington.
Citation [Photograph of Howard Hughes after hearing, Culver City, California, August 15, 1947]. Howard Hughes Public Relations Photograph Collection, 1930-1950. PH-00373. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas. Las Vegas, Nevada.
Date 1947-08-15
Date Digitized 2013-12-19
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001597 Physical Identifier 0373_1304引用。



XF-11 Test Flight by Howard Hughes 221682-47 | Footage Farm

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、早くに両親を失い、膨大な資産を受け継いだが、その経営は、部下に任せて、資金を何に投下するか、自分の夢を追うことに費やした点が興味深い。映画作成、飛行機開発を進めたが、成功作よりも失敗のほうが多い。

しかし、それでも諦めずに自我を貫く点が興味深い。自ら手掛けた飛行機の初飛行を行ったが、成功したのはヒューズH-1レーサくらいで、大金を投じた新鋭機ヒューズ(Hughes)XF-11 偵察機、H-4巨人飛行艇は失敗作だった。


4.ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機

ロッキード(Lockheed) P-38ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング(Lightning)戦闘機の発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。

双発双胴でヒューズXF-11偵察機の模範となった機体だが、1939年1月27日に初飛行している。つまり、XF-11の初飛行より6年も前に同様の形状で、高速の偵察機・迎撃機を完成させていたうえに、偵察機仕様ロッキード(Lockheed) F-5 も大量生産されていた。

ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機は、双発双胴でヒューズXF-11偵察機の模範となった機体だが、1939年1月27日に初飛行している。つまり、XF-11の初飛行より6年も前に同様の形状で、高速の偵察機・迎撃機を完成させていたうえに、偵察機仕様ロッキード(Lockheed) F-5 も大量生産されていた。

写真(右)1944年、低空飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊第96戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5B ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備していない無武装だが、胴体には大型写真を搭載。
PictionID:40973244 - Title:Lightning Lockheed F-5B - Catalog:15_002803 - Filename:15_002803.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Date 29 December 2014, 11:49 Source Lightning Lockheed F-5B Author SDASM Archives
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning  File:A 96th FS P-38 clearly displays the distinctive twin-boom design.jpg引用。


ロッキード(Lockheed) P-38 ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機の諸元

初飛行:1939年1月27日
生産数:10,037機
乗員: 1名
全長: 11.53 m (37 ft 10 in)
全高: 3.00 m (9 ft 10 in)
翼幅: 15.85 m(52 ft 0 in)
翼面積: 30.43 m2 (327.5 ft2)
空虚重量: 5,800 kg (12,780 lb)
全備重量: 7,940 kg (17,500 lb)
最大離陸重量: 9,798 kg (21,600 lb)
発動機: アリソン(Allison) V-1710液冷スーパーチャージャーV型12気筒液令エンジン1,600 hp (1,200 kW) × 2
最高速力: 高度 7,620 m 時 667 km/h (高度 25,000 ft 時 415 mph) 失速速度: 170 km/h (105 mph)
フェリー航続距離: 3,640 km (2,600 マイル)
航続距離: 1,770 km (1,100 マイル)
実用上昇限度: 13,400 m (44,000 ft)
翼面荷重: 260.9 kg/m2 (53.4 lb/ft2)
イスパノ M2(C) 20 mm 機関銃× 1(携行弾数150発)
ブローニング MG53-2 12.7 mm 機関銃 (携行弾数500発)×4
爆弾:1,000 lb(454 kg)爆弾×2

写真(右)1944年、低空飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7写真偵察隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備していない無武装だが、胴体には大型写真機を搭載している。
An F-5 Lightning of the 7th Photographic Reconnaissance Group Date 1945 (Second World War) IWM London FRE 5369 from the collections of the Imperial War Museums.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:Chalgrove Airfield - 7th Reconnaissance Group - F-5 Lightning landing.jpg引用。


 ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機の初飛行を1946年7月7日、ヒューズ自らが担当したが、試作機の初飛行という困難で慎重さと熟練を要する仕事は、熱意と資金だけではこなすことはできない。

 試作機の初飛行を担当するほどの飛行操縦技術はないことをヒューズ自身わかっていたはずだが、それでも空威張りのように自ら一番乗りを目指してしまい、墜落事故を起こしてしまう。この1946年XF-11試験機は、操縦中にロサンゼルス郊外の住宅地に突っ込み、ヒューズは大火傷で瀕死の状態になった。

写真(右)1944年、イギリス本土南東、オックスフォードシャー(Oxfordshire)、アメリカ陸軍航空隊第22写真偵察隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備する代わりに、大型写真機を搭載している。
English: F-5 Lightning "The Florida Gator" of the 22nd Photographic Squadron, 7th Photographic Reconnaissance Group at Mount Farm, Oxfordshire England. Handwritten on slide case: "The Florida Gator Mount Farm R. Astrella" Date circa 1944 Source American Air Museum in Britain http://www.americanairmuseum.com/media/5105 Author SSgt Robert Astrella.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:F-5 Florida Gator.jpg引用。


ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング戦闘機を原型にしたF-5 偵察機の各型式別生産機数
F-4A偵察機 20機(P-38Fが原型)
F-5A偵察機 180機(P-38Gが原型)
F-5B偵察機 200機(P-38Jが原型)
F-5C 123機(P-38Jが原型)
F-5E 705機(P-38J/Lが原型)
F-5F – (P-38Lが原型)

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機 


5.ノースロップ(Northrop) XF-15高速長距離偵察機

写真(右)1944年末-1946年、飛行するアメリカ陸軍航空隊ノースロップ(Northrop) XF-15高速長距離偵察機:ノースロップ(Northrop) P-61B ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機を改装した高速偵察機である。
Ray Wagner Collection Image F-15 PictionID:47090597 - Catalog:16_008259 - Title:Northrop F-15 - Filename: 16_008259.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は San Diego Air and Space Museum 引用。


ノースロップP-61Bブラックウィドウ(Northrop P-61 Black Widow)

初飛行:1942年5月26日
生産数:706機
乗員:2-3名(操縦・レーダー操作・銃塔操作)
全長:15.12m 49 ft 7 in
  全高:4.34m 14 ft 8 in
全幅:20.12m 66 ft
翼面積:61.53m2 662.36 sq ft
自重:9,979kg 23,450 lb
全備重量:13,472 kg 29,700 lb 
発動機:プラット・アンド・ホイットニー R-2800P&W R-2800)空冷星型18気筒 2,250hp(1,680 kW)×2
最高速力:589 km/h 366 mph
航続距離:2,170 km 1,350 mi
実用上昇限度:10,090m 33,100 ft
上昇時間 20,000 ft (6,100 m) / 12分
12.7mm M2 ブローニング(Browning )機関銃 ×4
20mm イスパノ・スイザ(Hispano)機関銃 ×4
爆弾 1,600 lb(726kg) ×4

ノースロップP-61Bブラックウィドウは双発の夜間戦闘機だったが、この長い航続距離を生かして、昼間長距離護衛戦闘機とすることになった。そして、XP-61E試作1号が1944年11月20日に初飛行した。

こうしてノースロップP-61Bブラックウィドウの機体を生かして、機銃装備を撤去して軽量化し、高速長距離偵察機とする案が採用された。このノースロップP-61夜間戦闘機の高速長距離偵察機仕様がF-15Aである。最高速力 440 マイル (382 ノット, 708 km/h)を発揮できた。

写真(右)1944−1947年頃、飛行する無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ノースロップ(Northrop) XF-15高速長距離偵察機試作機:P-61B夜間戦闘機を改造して昼間長距離護衛戦闘機として試作された。XP-61E試作1号機は1944年11月20日に初飛行した。戦争終了で、キャンセルになったが、機銃装備を撤去して軽量化し、高速長距離偵察機とししたF-15は制式された。これが、ノースロップ(Northrop)F-15Aリポーター(Reporter)高速長距離偵察機で最高速力 440 mph (382 kn, 708 km/h)を発揮した。
PictionID:47090805 - Catalog:16_008274 - Title:Northrop XF-15 43-8335 - Filename:16_008274.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum Date 1 July 2016, 12:45 Source Ray Wagner Collection Image Author SDASM Archives Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons, Category:Northrop F-15 Reporter File:F-15 - Ray Wagner Collection Image (27945739681).jpg引用。


ノースロップ(Northrop) P-61B ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機は、双発双胴でヒューズXF-11偵察機よりも古い1942年5月26日初飛行。偵察機仕様F-15A レポーター(Reporter)も開発された。離昇重量 32,145 ポンド (14,580 kg)、最高速力 440 mph (382 kn, 708 km/h)で、ヒューズ(Hughes)XF-11を上回る有用性が評価され、制式された。第二次大戦末期、175機が発注されたが、終戦となったために、生産機数は 36機のみで終わった。つまり、XF-11の初飛行より5年も前に同様の飛行性能を誇る高速長距離偵察機に転用可能な双発機が量産されていたのである。

⇒写真集Album:ノースロップ(Northrop) XF-15高速長距離偵察機 


6.ヒューズの旧式自家用機ダグラス(Douglas)B-23

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、、ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機でニューヨークに向かうハワード・ヒューズ(Howard Hughes):戦時中のヒューズX-11高速偵察機開発と無断で実施した初飛行の失敗についての上院委員会の査問を受けるために自家用機で出発する。
Date 1946-09-11 Description A view of Howard Hughes in front of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001444 Physical Identifier 0373_1152引用。


ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、若くして飛行機操縦技術を身に着け、飛行機に自ら開発しそれを操縦することができた。このヒューズの熱意と意思は素晴らしい。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、その後の人生のほとんど航空に関心を持ち続け、飛行機の開発と製造にかかわり、1930年代には飛行速度の世界最速記録、アメリカ大陸横断最速記録を打ち立てている。

ダグラス(Douglas)B-23ドラゴン(Dragon)爆撃機は、引込み式降着装置を採用し、1939年7月23日に初飛行し、すぐにアメリカ陸軍航空隊が制式したが、わずかに38機のみが生産されだけだった。ダグラスB-23の原型は、1936年初飛行のダグラス(Douglas)B-18ボロ(Bolo)爆撃機で、その拡大改良型だった。

しかし、ノースアメリカンB-25のような新型双発爆撃機が就役したために、ダグラス(Douglas)B-23は輸送機に改造され爆撃機としては使われなかった。

写真(右)1946年9月11日、深夜、アメリカ、カリフォルニア州カルバー市、自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機の引込み式脚前の事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes):自作映画「アウトロー」の放映権について説明するために、ハワード・ヒューズは、カンザスシティー経由でニューヨーク(New York)、ラガーディアン空港(La Guardia Field)に向かった。B-23は、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式したが、輸送機として使用された。
Title Photograph of Howard Hughes, Los Angeles, September 11, 1946 Description A view of Howard Hughes in front of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California. Date 1946-09-11 Date Digitized 2013-12-18
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001449 Physical Identifier 0373_1157引用。


写真(右)1946年9月12日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルスのカルバーシティーからニューヨーク(New York)州ラガーディアン空港(La Guardia Field)に自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機で到着した事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)::ヒューズX-11開発と勝手に行った初飛行についての上院委員会の査問を受けるためにニューヨーク(New York)に自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機を操縦して到着。
Date 1947-04 Description Howard Hughes emerging from his airplane after landing in New York. This was his first flight after the nearly fatal XF-11 prototype crash in 1946.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000110 Physical Identifier 0321_0068引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の諸元
乗員:6名
全長:58 ft 4+3⁄4 in 17.8m
全幅: 92 ft 28.0m
全高:5.6m
主翼面積: 993 sq ft (92.3 m2)
空虚重量:19,089 lb (8,659 kg)
総重量: 26,500 lb (12,020 kg)
発動機:ライト(Wright)R-2600空冷星型14気筒エンジン 2基1,600 hp (1,200 kW)
最高速力: 282 mph (454 km/h, 245 kn) / 12,000 ft (3,660 m)
航続距離:1,400 mi (2,300 km, 1,200 nmi)
兵装:7.62mm機銃 3挺、12.7mm機銃 1挺、爆弾 4,000 lb (1,814kg)

写真(右)1947年8月6日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機とハワード・ヒューズ(Howard Hughes):ターミナルアイランド(Terminal Island)で、H-4大型飛行艇を初飛行させた前後に、戦時中のH-4開発資金調達について、上院査問委員会に出かけるときの撮影と思われる。
Photograph of Howard Hughes with a Douglas DC-3, circa 1947 Date 1947 Description Howard Hughes and an unidentified man stand in front of a Douglas DC-3.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000435 Physical Identifier 0321_0426引用。


1932年、ヒューズ(Hughes)は自らの名を関した航空製造会社ヒューズ・エアクラフト社(Hughes Aircraft Company)を,それまで親から引き継いできたヒューズ・ツール社(Hughes Tool)から独立させた。この会社は、アメリカ軍用飛行機を回収して、飛行機レースに参加させることが仕事だった。

ヒューズは、すぐに、既存飛行機の改造だけではなく飽き足らなくなり、革新的な飛行機を自ら開発することを夢見るようになり、航空機開発という専門的な最先端分野に進出した。

つまり、イノベーションを重視した航空機開発の企業となったのである。そして、ヒューズエアクラフトが、新技術を取り入れた新型機を開発するように技術者たちに発破をかけた。そして、自ら開発した飛行機の初飛行を進んで実行したのである。

写真(右)1947年8月6日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、自家用ダグラスB-23輸送機と事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes):ターミナルアイランド(Terminal Island)で、H-4大型飛行艇を初飛行させた前後に、戦時中のH-4開発資金調達について、上院査問委員会に出かけるときの撮影と思われる。
Photograph of Howard Hughes, Los Angeles, August 06, 1947 Date 1947-08-06 Description A view of Howard Hughes about to board his private B-23 Transport plane in Los Angeles. Digital ID
Date Digitized 2013-12-18
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001529 Physical Identifier 0373_1236引用。


試作機の初飛行には、慎重さと熟練さ、そして臨機応変な操作が必要で、それを兼ね備えた熟練パイロットがふさわしい。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が試作機の初飛行をするのは不適切である。

実際、ヒューズは、ヒューズ(Hughes)XF-11試作機初飛行で墜落事故を起こして、貴重な試作機を全損した。ヒューズの施設、資金を使って開発された試作機なので、ヒューズはわが愛機と考え、試作機の初飛行を自らの手で行った。

ヒューズは、軍の所有になる新鋭試作機を勝手に初飛行させ、墜落、破壊させたのであるから、重い処罰が下っても不思議ではない。しかし、ヒューズは罰金を払っただけで、なんとXF-11試作2号機の初飛行を担当している。さずが、大富豪の飛行家ヒューズである。

写真(右)1947年8月12日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルスから、ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機でワシントンDCに到着したハワード・ヒューズ(Howard Hughes)と出迎えシンパたち:引込み式降着装置のB-23ドラゴン(Dragon)爆撃機として、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式し38機が生産された。新型爆撃機B-25が就役したために、B-23は輸送機に改造され爆撃機としては使われずに終わっている。
Creator: Acme Newspicture (New York, N. Y.) Date 1947-08-12 Description Description given with photo: "Hughes Off For California, Washington: Howard Hughes waves farewell to the large crowd on hand at Washington National Airport Aug. 12 to see him off following the adjournment of the Senate hearing on his plane contracts. Hughes left for California in his own plane. Credit Line (ACME) 8/12/47."
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001588 Physical Identifier 0373_1295引用。


ハワード・ヒューズ(Howard Hughes:1905-1976)に関する連邦捜査局(FBI)の捜査資料は、古いものはアメリカが第二次大戦に参戦する1941年の軍用機の委託生産に係るもので、ヒューズ近くの人物の内部告発で、航空機生産、不動産事業、所得税不正に関する疑惑が持ち上がった。さらにヒューズの晩年には、ハリウッド女優との女性関係、晩年の失踪事件、ヒューズ死後の遺産分与の疑惑などの捜査資料もある。なかには、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の公私の文書、自筆書簡も収録されている。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、1930年設立の航空会社のトランス・ウェスタン・エアラインズ(TWA:Transcontinental & Western Air)の株を買収して大株主となり、航空運輸業界にも確固たる基盤を作った。しかし、TWA株式名義と取得を巡って訴訟を起こされた。同社は、国際路線を拡張し、社名も1950年にトランス・ワールド航空(TWA:Trans World Airlines)と変更されている。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、社主を務めるトランス・ワールド・エアラインズ(TWA)の株式取得、政治献金疑惑を巡る金銭裁判に、激怒して裁判の出廷を拒否した。そして、被告人ヒューズの欠席のまま、ヒューズは保有するTWA株の売却命令を受けた。

写真(右)1947年11月2日、アメリカ、カリフォルニア州ロスロスアンゼルス沖、ターミナルアイランド(Terminal Island)で、H-4飛行艇初飛行試験からヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機で帰還したハワード・ヒューズ(Howard Hughes):引込み式降着装置のB-23ドラゴン(Dragon)爆撃機として、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式し38機が生産された。新型爆撃機B-25が就役したために、B-23は輸送機に改造され爆撃機としては使われずに終わっている。
Photograph of Howard Hughes, Terminal Island, California, November 02, 1947 Date 1947-11-02 Archival Collection Howard Hughes Public Relations Photograph Collection Description A view of Howard Hughes after he completed a test run of his Flying Boat in the Los Angeles harbor.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001679 Physical Identifier 0373_13927引用。


少年時代から飛行機が好きだったハワード・ヒューズHoward Hughes)は、富裕な資産を生かして、飛行機映画を作り、自分で飛行機を操縦するようになった。しかし、既存の飛行機を購入するだけでば飽き足らず、ヒューズ自らが、飛行機を開発・製造に乗り出し、ヒューズ航空機社を設立した。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、特別扱いされないように大富豪である素性を隠してアメリカン航空で飛行機操縦・民間航空会社の経験も積んでいる。そして、自ら操縦桿を握って、ヒューズH-1レーサーでアメリカ大陸横断の最短記録をつくり、新型高速試作機ヒューズ(Hughes)XF-11の初飛行を担当して事故を起こし重傷を負った。また、ヒューズH-4飛行艇を操縦し世界最大の飛行艇を初飛行させることもした。

FBI File on Howard Hughes

ハワード・ヒューズHoward Hughes)は、映画化した航空機だけではなく、実機の開発にも資金を投じ、1935年にヒューズ・エアクラフトを設立した。そして、同1937年、ハワード・ヒューズHoward Hughes)は自ら操縦桿を握って、ニューヨーク=ロサンゼルスを7時間29分25秒で飛行し、最速アメリカ大陸横断記録を樹立した。そして、1938年には、世界一周飛行を91時間で達成して、世界最速の世界一周記録を樹立している。

しかし、晩年のハワード・ヒューズHoward Hughes)は、映画作成や航空機開発の熱意を失い、ラスベガスのホテル最上階スイートで自堕落な生活を送った。これは、健康を損ね、精神病の発症を伴うもので、孤独な変人生活へと変貌する。経営権を手放し、関連企業も売り払ったヒューズは、経営権を手放し、一線から引退した孤独な放浪と隠遁生活を過ごし、精神病で死亡した。

⇒写真集Album:ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の飛行機開発を見る。 

⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機を見る。   


7.ヒューズ H-4 ハーキュリーズ(Hughes H-4 Hercules)"Spruce Goose"飛行艇

写真(右)1947年11月1−2日、アメリカ、カリフォルニア州、ロングビーチの海上に引き出され海上滑走タキシングテストを行うヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602):飛行艇の操縦席コックピットではハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニア(Howard Robard Hughes Jr.)が操縦しているはずだ。
Photograph of Howard Hughes' Flying Boat, Long Beach, California, November 02, 1947 Creator: Acme Newspicture (New York, N. Y.) Date 1947-11-02 Description A view of Howard Hughes' Flying Boat being taken out for an unscheduled test run in Long Beach, California.
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001649 Physical Identifier 0373_1357引用。


ヒューズ 巨人飛行艇ヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズは、全幅 97.51 m、全長 66.65 m、全高 24.18 m、 空虚重量113,398 kg、発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-4360 "ワスプ・メジャー" 4列28気筒空冷星型エンジン3,000 hp (2.2 MW) 8基も搭載した大重量の巨大飛行艇である。1947年11月2日に、ヒューズ自らが操縦桿をとって海上数メートルを数十秒、浮き上がらせて「初飛行」させた。

ヒューズH-4巨人飛行艇は、第二次世界大戦当初の多数の船舶が失われていた危機的状況で、戦時中の資源節約の要請から木製機体とする計画だったが、実際のH-4飛行艇の表面は金属外皮、内部構造も金属桁骨格コックピットで、どこに木製部分があるのか。尾翼は木製構造も可能であろうが、ここ木製外皮があるわけでもないようだ。保長期間保管できたのも、金属製の巨人機だったからであろう。

つまり、政府の当初の要請で、非戦略物資の木造飛行艇する計画だったが、設計、迅速性、量産の観点から金属製の機体となり、その後、木製に変更するという理由づけをしたのではないか。1943年に戦局が好転すると、わざわざ手間暇かけて木製巨人機を開発、量産する必要性はなくなっていたのであるから。

写真(右)1947年、アメリカ、ヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)のコックピット操縦席、話をするハワード・ヒューズ(Howard Hughes)とアール・マーティン(Earl Martyn): 正面フロントシールドが暗いのは、格納庫に入っているからであろうか。操縦席にカバーがかけれれている。
Photograph of Howard Hughes and Earl Martyn in the cockpit of the Hughes Flying Boat, Los Angeles Harbor, 1947 Date 1947 Description Howard Hughes (right) and Earl Martyn inside of the HK-1, Hughes Flying Boat, which was near completion on Terminal Island in the Los Angeles Harbor. The Hughes Flying Boat, also called the Spruce Goose, was the largest plane in the world.
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Digital ID whh000272 Physical Identifier 0321_0298引用。


H-4 ハーキュリーズ 1939年、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)はトランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空(TWA)を買収し、そこに自らが開発にかかわったロッキード コンステレーション旅客機を採用した。そして、世界最大のヒューズ H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)巨大飛行艇を、ヒューズ・エアクラフトで1機試作した。

全幅97.51 m、全長66.65 m 、全高24.18 m、空虚重量250,000 ポンド (113トン)のヒューズ H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)は、水上からしか離着水できないために、沿岸部まで運搬され、そこで組み立てられた。沿岸部の仮設飛行格納庫で整備された。

1947年11月2日に、ヒューズXF-11試作偵察機と全く同じプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-4360 "ワスプ・メジャー" (Wasp Major)4列28気筒空冷星型エンジン(排気量4,362.5 立方インチ=71.5 L)4,300 hp (3,200 kW)8基を駆動して、初飛行したが、これは僅か数メートル海面を離水し1km程度浮いただけだった。

写真(右)1947年11月2日、アメリカ、カリフォルニア州西岸、ロングビーチ(Long Beach)のドックから進水したヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602):組み立てられたターミナルアイランドの乾ドックから11月1日進水し、整備ののち、2日に初飛行に向かった。
Howard Hughes' Flying Boat, Long Beach, California, November 02, 1947 Date 1947-11-02 Description A view of Howard Hughes' Flying Boat being prepared for a test run in Long Beach, California.
.写真は, University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001637 Physical Identifier 0373_1343引用。


Hughes 1947年11月2日、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自ら操縦しヒューズ H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)初飛行したが、飛行を続けることは技術的に困難で、完全な失敗作だったことが明白になった。しかし、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は飛行に成功させ、自らの予算使途が間違いだったとは認めなかった。アメリカ政府の上院戦争調達委員会で審問を受け、ヒューズは、自信満々だが、横柄な態度で応答し、上院議員と対立した。

ヒューズ H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)巨大飛行艇は、機体が重すぎたために、それ以上の飛行は行われず、試作1機のみで失敗に終わった。アメリカ政府の公聴会で、予算経費の無駄遣いや不正を疑われて、政府と対立したハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、H-4飛行艇を非公開で保管することを決めた。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、自ら手掛けた世界最大級の飛行機、ヒューズH-4ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)の初飛行に成功(?)した。しかし、H-4の実用化は不可能になっていた上に、アメリカ政府予算の不正使用が疑われたヒューズは、そのまま33年間、H-4を人に見せず、特設格納庫で保管していた。非公開にしたのは、誰も自分の熱情と才能を評価せず、金儲けや不適切な政府資金の使い方など、ろくでもない議論ばかりしかしないと憤っていたからであろう。

ヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)は、1947年の初飛行後、ヒューズが同じ1947年に建設した特設格納庫に移され非公開で保管された。H-4飛行艇は、33年間、公開されずに1976年まで調整型格納庫に秘匿保管されていたが、ヒューズは2回目の飛行を考えていたのかもしれない。

しかし、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の死後、1980年になって、それまでヒューズの意志で保管されていたアメリカの作った世界最大の巨人飛行艇を再整備し、公開することが決まった。

1980年になって、それまでヒューズの意志で保管されていたアメリカの作った世界最大の巨人飛行艇を再整備し、公開することが決まった。

1982年に、ヒューズ(Hughes)H-4 ハーキュリーズ (Hercules)"Spruce Goose"飛行艇(登録コード:NX37602)の格納庫近くのロングビーチに特別展示ドーム型天幕スプルース・グース・ドーム(‘Spruce Goose’ Dome)が建設され、そこにこのH-4飛行艇1機を海上を運搬して、一般公開することになったのである。このドーム頂上の高さは12階建てビルと同じである。

<ヒューズ H-4 ハーキュリーズ(Hughes H-4 Hercules)の変遷>
Hughes
1947年11月2日、ニューズ自ら操縦しヒューズ H-4 ハーキュリーズ(Hughes H-4 Hercules)初飛行
アメリカ政府の開発経費予算委員会の審問でヒューズは政府と対立。

1976年4月5日、ヒューズ死亡。

1980年まで33年間、H-4飛行艇はカリフォルニア州ロングビーチの特設格納庫で非公開ぼまま保管。

1980年10月30日、H-4飛行艇を専用特設格納庫から引き出し、海上を浮かべて移動、港湾の陸上整備場に引き上げ、再整備。
1982年初頭、カリフォルニア州ロングビーチ新ドーム竣工。

1982年2月、 ロングビーチ新ドーム天幕をスプルース・グース・ドーム(Spruce Goose Dome)と名付け、H-4飛行艇を地上整備場から艀に載せて、ドーム前まで海上を移動。クレーンで吊り上げて陸揚げ。

1982年3月、ロングビーチ新ドーム天幕スプルース・グース・ドーム(Spruce Goose Dome)で H-4飛行艇を公開。

1992年、新たな引き取りてとなったオレゴン州マクミンビル、エバーグリーン航空宇宙博物館(Evergreen Aviation & Space Museum)に向けて、ヒューズ(Hughes) H-4 飛行艇は分解されて、カリフォルニア州ロングビーチから出発した。そして、138日間、1,055マイル (1,698 km)を海路、河川、陸路を移動して1993年2月27日、到着した。

⇒写真集Album:ヒューズ(Hughes) H-4 ハーキュリーズ(Hercules)"Spruce Goose"飛行艇を見る。


8.ロッキード(Lockheed)L-049 コンステレーション(Constellation)

1939年に、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は自分が社主を務めるトランス・ワールド航空(TWA)で採用する与圧客室キャビンpressurized cabin)装備の高速長距離旅客輸送機を開発することとし、ロッキードのカリフォルニア州バーバンク工場で「L-49」と命名した新鋭機の開発を始めた。これが、ロッキード コンステレーション(Lockheed Constellation)である。

1928年創設トランスコンチネンタル・エアー・トランスポートは、大西洋横断飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグを顧問に迎えた。そして、1930年10月1日、他社を吸収して、TWAトランスコンチネンタル・ ウェスタン航空Transcontinental & Western Air)として飛躍した。 そして、1932年には、全金属製、低翼単葉、引込み式降着装置のダグラス DC-1を導入、その改良型ダグラス DC-2、DC-3を配備した。しかし、1939年、社主ジャック・フライの友人だったハワード・ヒューズが買収し、1965年まで社主を務めた。戦時中に民間旅客需要は見込めなくなっていたが、戦後、社主のヒューズ自らがアメリカ大陸無着陸横断飛行が可能な大型旅客機ロッキード・コンステレーションの開発を促した。1950年2月22日には国際路線拡充に乗り出し、社名もTWAトランスワールド航空(Trans World Airlines)として世界有数の航空会社を目指した。

写真(右)1947年5月3日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス西部、カルバー・シティ(Culver City), TWAトランスコンチネンタル・ ウェスタン航空ロッキード コンステレーション(Lockheed Constellation)左正操縦席のハワード・ヒューズ(Howard Hughes):この機体には、ヒューズ社の開発した新型レーダーが装備されており、そのテスト飛行を兼ねていた。
Photograph of Howard Hughes installing radar, Culver City, California, May 03, 1947 Date 1947-05-03 Description A view of Howard Hughes installing a radar safety system for passenger planes in Culver City, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001522 Physical Identifier 0373_1229引用。


ロッキード コンステレーション(Lockheed Constellation)は、湾曲した細い胴体、3枚垂直尾翼の優美な形状で与圧客室キャビンpressurized cabin)装備だったが、客室が狭く、経済性には乏しく、ダグラスDC-4、DC-6のような量産向きの堅実な旅客機とは対照的である。

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)L-049 コンステレーション(Constellation)を見る。 


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機

シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇


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