Search the TORIKAI LAB Network

Googleサイト内

◆ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機
写真(上)1942年10月7日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス内陸200km、大戦参戦初期の迷彩塗装を施したアメリカ陸軍バイシクル湖(Bicycle Lake)飛行場ダグラス(Douglas) B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機
:前作ダグラスB-18 ボロは1936年制式だが、後継機B-23は、第二次大戦勃発直前の1939年7月23日に初飛行。38機生産。
Douglas RB-23 of the USAAF, taken at Bicycle Lake, Calif. whilst assigned to Muroc Lake Army Air Base. Date 7 October 1942 Source USAF Museum Author Name of photographer not known
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:Douglas RB-23.jpg引用。

写真(上)2007年9月7日、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機
:アメリカ陸軍航空隊のB-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機を原型に軍用輸送仕様C-67が12機生産されたが、1943年にUC-67と命名変更になった。
Description B-23 Pacific Lumber Company Date 7 September 2007, 20:25 Source B-23 Pacific Lumber Company Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:B-23 Pacific Lumber Company (4530316162).jpg引用。

写真(上)2023年、アメリカ、カリフォルニア州中央部、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、無塗装のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機
:UC-67 は、B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の民間仕様輸送機として使用された。
English: Castle Air Museum is on the edge of what is today KMER, Castle Airport, but was formerly USAF Castle AFB. The collection is superb and features several rare types such as the Douglas Bollo and Dragon, the Convair B-36 and Boeing WB-50 & B-29 in addition to the SR-71A. Aircraft are well spaced for photography and staff are very helpful. Located on California Highway 99 at Attwater. Date 23 March 2023 Source www.flickr.com/photos/58415659@N00/52767125079/ Author kitmasterbloke
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon at Castle Air Museum  File:112-MD Douglas UC-67 Dragon Castle Air Museum 050323 - 52767125079.jpg引用。


1.ダグラス(Douglas)B-18爆撃機

写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機前期型:ダグラス爆撃機4型(DB-2)として開発され、1936年4月に初飛行した。胴体上面には、アンテナ支柱2本の間に無線アンテナが張られている。方位測定用の勘定ループアンテナが設けられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46702924 - Catalog:16_007822 - Title:Douglas DB-2 37-34 Wright Field [USAAF] - Filename:16_007822.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr San Diego Air and Space Museum 引用。


1−A. 独に劣る米空軍 : リンバーグ大佐証言『東京朝日新聞』第 46巻、p.71、1939-05-19
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100339055

Boeing's Model299 B-17D 【ワシントン十七日発同盟】 リンバーグ[Charles Lindbergh]大佐は現役復帰以来陸軍省の委嘱により米陸軍航空諸施設の視察を行っていたが、最近右視察旅行を終り十七日陸軍追加予算審議中の下院歳出分科委員会に出席米国空軍の現勢に関して重要意見を発行した、リンバーグ[Charles Lindbergh]大佐の証言は特に秘密会で行われたが確聞するにリンバーグ大佐の証言はドイツ空軍と比較して米陸空軍の劣勢なる点を指摘し且空軍大拡張の必要な力説したものでその内容左の通り

一、米国空軍の発達はドイツ空軍に比べて遥かに立遅れている
一、ドイツの戦闘機並に軽爆撃機は米国のそれより遥かに優秀である 但し米国陸軍の発動機四基附超重爆撃機[ボーイングB-17]は長距離爆撃に非常な効果を挙げるものと思われる(引用終わり)

リンドバーグは、アメリカ第一主義者で、1939年9月に勃発した第二次大戦にアメリカが参戦するのに反対し続けた。


写真(右)1936-1940年頃、アメリカ、滑走路でエンジンを駆動しプロペラを回転させているアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-18 ボロ(Bolo)双発爆撃機中期型:前期型の段なし機首は、機首上部が突出した二段機首に変更になった。機首銃座も機首の上部から下部に移されている。全幅 89 ft 6 in (27.28 m)、全長 57 ft 10 in (17.63 m)、翼面積 89.1 m2、自重 16,320 lb (7,403 kg)、総重量 24,000 lb (10,886 kg)、 発動機 ライト(Wright) R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒1,000 hp (750 kW)2基、最高速力 216 mph (348 km/h, 188 kn)、航続距離 900 mi (1,400 km, 780 nmi)、乗員6名。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,000 lb (910 kg) 。1939年までに351機量産。
Douglas : B-18 : Bolo Catalog #: 00005752 Manufacturer: Douglas Designation: B-18 Official Nickname: Bolo Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr San Diego Air and Space Museum Archive引用。


1−B.爆撃四十台米更に泰[タイ]へ供与 : 英と呼応・躍起の誘引策『読売新聞』Vol: 第 9巻 Page: 53 出版年 1941-11-20
https://hdl.handle.net/ 20.500.14094/ 0100142487

【サイゴン本社特電】(十九日発)アメリカの対泰[タイ]国武器援助はその後愈々積極化しているが、当地に達した確報によれば最近また泰[タイ]国政府とアメリカ政府との間にボーイング[Boeing B-18]爆撃機約四十台の購入契約成立し、同じく泰[タイ]がアメリカより購入することになった五千トン級の商船に右のうち三十台を積載既にアメリカ本土を出帆した模様で本月中にバンコクに到着するが、右は英米の泰[タイ]国野望[インドシナ周辺の併合]をいよいよ露骨化したものとして注目される(爆撃四十台米更に泰へ供与 : 英と呼応・躍起の誘引策引用終わり)

写真(右)1943年頃、オーストラリア、舗装飛行場で待機中のアメリカ陸軍航空隊第21輸送飛行隊(21TCS)のダグラス(Douglas) B-18 ボロ“Bolo”輸送機(前期短機首型)(36-343) の左側面とダクラスC-47貨物輸送機:ダグラス(Douglas)B-18 ボロは1936年制式で、ダグラスDC2旅客機の主翼を流用した設計で、開発期間を短縮できたものの、速力不足(357km/h)、爆弾搭載量(2000lbs/908kg)は十分ではなかった。国籍マークは、1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”。コックピット後上方にあった方位測定用環状ループアンテナは取り外され、新型のカプセル状の方位測定装置に変換されている。
Douglas B-18 SDASM.TITLE: Douglas B-18 SDASM.CATALOG: 01_00092770 SDASM.CORPORATION NAME: Douglas SDASM.DESIGNATION: B-18 SDASM.ADDITIONAL INFORMATION: Douglas B-18 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive SDASM.TAGS: Douglas B-18
写真はFlicker, San Diego Air and Space Museum Archive, 引用。


1−C.布哇(ハワイ)に五百機集結 : 十七ヶ所に空軍基地
大阪朝日新聞 Vol: 第 50巻 Page: 187 出版年 1940-12-30
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100338187 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

ボーイング 【ワシントン二十八日発同盟】二十八日ハワイより帰任した駐米ハワイ代表キング氏は最近ハワイ島における飛行基地建設状況につき次の如く語った

 ハワイ陸海軍当局はオアフ島を中心にハワイのみならず附近島嶼に十七ヶ所の飛行基地建設を急いでいる、工事開始は約一ヶ年前であるが予定より六ヶ月以上も工事が進捗している

【ホノルル二十八日発同盟】当地陸軍当局は二十八日ハワイ空軍拡張計画に関し次のごとく語った  ハワイ陸軍は少くとも五百機以上の軍用機をハワイに集中すべく計画しており、当地にあるボーイングB十八型重爆撃機をさらに大型の四発重爆機と交換すべく考慮している、ただしこれは現在の対英飛行機供給状況からみて多少遅延するかも知れないが新鋭重爆機到着の上は[Douglas]B十八型重爆撃機はフィリッピンに根拠地を移す予定である


写真(上)1942年春-1943年頃、アメリカ、海上を低空飛行中のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-18B ボロ“Bolo”哨戒機(SN 37-530)
:機首にレーダードームを搭載し、尾部に潜水艦の発する金属磁気を探知する磁力探知機(magnetic anomaly detector:MAD)を装備している。国籍マークは、1942年春以降の青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”で、1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖がつく。ただし、旧マークのまましばらく修正していない機体も少なくなかったようだ。
English: Douglas B-18B (SN 37-530, originally a B-18A) with the MAD tail boom Source US Goverment
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-18 Bolo, File:Douglas B-18B (SN 37-530, originally a B-18A) with the MAD tail boom 061128-F-1234S-023.jpg引用。


⇒写真集Album:ダグラス(Douglas)B-18 ボロ“Bolo”爆撃機を見る。 


2.ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機

写真(右)1939年7月、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の左側面:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。尾部には .50 インチ(12.7mm)ブローニング(Browning)機関銃1丁を装備した尾部銃座があり、銃手用のガラス窓がついている。
Douglas B-23 Dragon Source National Museum of the U.S. Air Force
写真はWikimedia Commons,Category:Douglas B-23 Dragon File:B-23 Dragon 1.jpg引用。


ダグラス社は前作のB-18 ボロを1936年に制式した。その改良型が、量産していたDC-3輸送機の主翼とエンジンを流用して胴体を再設計したのがB-23爆撃機である。爆撃機の主翼を輸送機に流用するのは、日本陸軍航空隊のM C輸送機やイタリア空軍のピアジオP108の事例があるが強度の十分な軍用機からの転用はコスト高ではあっても技術的には容易だった.しかし、強度不足のリスクがある民間機から軍用機への転換は、日本海軍機の中島深山と同様、不安が残る。

ダグラスB-23爆撃機大きな垂直尾翼の形状は、B-17フライングフォートレスと似た形状である。

写真(右)1939年7月、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の正面:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを左右主翼下面に付けている。機首先端はソリッド化していて、ガラス風防は機首側面にある。エンジンナセル後下面に降着装置を引込むが、地上では収納庫の扉が開いている。機首銃座には .50インチ(12.7mm)ブローニング(Browning)機関銃は装備されていない。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005890 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,SDASM Archives 引用。


写真(右)1939年7月、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の左後方:第二次世界大戦参戦以前の赤白ストライプの国籍マークを垂直尾翼の方向舵に描いている。左右主翼上下面にも青丸白星赤丸にが描かれているはずだ。機首先端はソリッド化していて、ガラス風防は機首側面にある。エンジンナセル後下面に降着装置を引込むが、地上では収納庫の扉が開いている。尾部銃座にはブローニング(Browning)機関銃は装備されていない。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005896 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,SDASM Archives 引用。


ダグラス(Douglas)社は、民間航空で就役して高評価を得ていたダグラスDC-3輸送機の主翼と強力なライト R-2600-3 レシプロエンジン 2基(1,600馬力)を採用して、新たな設計の胴体を使った双発爆撃機を開発した。これが、1939年7月23日に初飛行したダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機である。発動機出力が強化され、速力向上、航続距離が長くなったため、アメリカ陸軍航空隊は旧式化B-18に次いで、B-23ドラゴン(Dragon)爆撃機を38機発注した。

写真(右)1939年12月11日、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の左前方:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。
sdasm image pictionid56894657 - catalogbd douglas b-23 dragon 2.jpg - title--bd douglas b-23 dragon -- - filenamebd douglas b-23 dragon 2.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum----Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,SDASM Archives 引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の搭載したライト(Wright)R-2600ツイン・サイクロン14(Twin Cyclone)空冷星型14気筒エンジンは、次のアメリカ機も採用している。

SB2C ヘルダイヴァー(Curtiss-Wright SB2C Helldiver)艦上爆撃機
TBF/TBM アヴェンジャー(Grumman TBF Avenger)艦上雷撃機
PBM マリナー(Martin PBM Mariner)飛行艇
A-20 ハヴォック(Douglas A-20 Havoc)攻撃機
B-25 ミッチェル(North American B-25 Mitchell)爆撃機

写真(右)1939年7月21日、アメリカ、舗装滑走路に待機している無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の右側面:1939年7月23日、第二次大戦勃発1か月前、初飛行で、アメリカ陸軍に制式されたものの、38機しか生産されなかった。前作ダグラスB-18よりも、防御力強化、航続距離延長が認められたが、1942年12月の太平洋戦争勃発時には爆撃機としては旧式化していた。そこで、無武装の双発輸送機UC-67として使用された。
Douglas : B-23 Catalog #: 00046937 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


1939年7月23日初飛行のダグラス(Douglas)B-23爆撃機は、すぐにアメリカ陸軍に38機を発注し制式した。B-23の最大の特徴は、アメリカ軍の双発爆撃機として初めて尾部銃座を採用したことで、その後のB-25、B-26などの尾部銃座の先例となった。しかし、尾部銃座の搭乗空間が狭く、旋回機関銃の操作は不便だったと思われる。

ダグラス(Douglas)B-23爆撃機の尾部銃座に機関銃を搭載している写真が見当たらないのは、尾部銃座への機関銃配備が、銃座のスペースの狭さからくる操作困難など運用上不都合が多く、実際には装備されされない場合が多かったことを示唆している。

写真(右)1940年10月18日、アメリカ、カリドルニア州ロスアンゼルス東、リバーサイド・シティ、マーチ・フィールド(March Fld)基地の滑走路で整備を受けている無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機正面:アメリカが第一次大戦を戦っていた1918年3月にマーチ・フィールド(March Fld)基地が開設された。この名称は、テキサス州でカーチスJN-4を操縦中に墜落死したペイトン・マーチ(Peyton C. March)中尉を記念した命名である。主に飛行訓練に使用され、300名の飛行練習生を錬成可能な基地として開設された。
Douglas B-23, March Fld, 18Oct40 SDASM.TITLE: Douglas B-23, March Fld, 18Oct40 SDASM.CATALOG: 01_00092773 SDASM.CORPORATION NAME: Douglas SDASM.DESIGNATION: B-23 SDASM.ADDITIONAL INFORMATION: Douglas B-23, March Fld, 18Oct40 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive SDASM.TAGS: Douglas B-23, March Fld, 18Oct40
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1940年9月以降、アメリカ、舗装滑走路に待機している無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の右側面:周囲には整備員か地上勤務員が6人以上識別できる。
Douglas : B-23 Catalog #: 00046940 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


環状ループアンテナは、アメリアイヤハートの世界一周飛行の時にも使用されたが、基地から発信される電波の方位を確かめ、現在位置を確認する航法装備である。第二次世界大戦前から実用化され、普及していた。

写真(右)アメリカ、未舗装草地滑走路上の無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機(10-89R):コックピット後上方に環状れうーぷアンテナを装備している。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005874
Manufacturer: Douglas
Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


環状ループ方向測定アンテナは、アメリア・イヤハートが1937年に世界一周飛行に飛び立つときに、ロッキード14スーパーエレクトラに新型方位測定器として装着された。日本海軍は、方位測定儀(ループアンテナ)と名付け、飛行機のほか、航空母艦のクレーンやトラス支柱に装備した。ただし、戦地では、基地から自ら電波を発信するので、その位置が敵からも識別しやすくなるという欠点がある。

写真(右)1940年頃、アメリカ、未舗装草地滑走路に待機している無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(後ろ向き)とセバスキー(Seversky)P-35戦闘機2機:P-35は1935年8月15日初飛行、単発単座低翼で引込み式主輪を採用した。1937年から部隊配備が始まった。生産機数は196機のみ。搭乗員や地上勤務者は、手前のテントで休息するのであろう。たラックが右遠方と左に各1台、乗用車が左に3台駐車している。
Douglas : B-23 Dragon Catalog #: 00005872 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1942年以前、アメリカ、飛行場を離陸しようとするアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の右側面:第二次世界大戦に参戦した後の青丸白星、方向舵の赤白帯の国籍マークが描かれている。
SDASM Archives Douglas : B-23 Catalog #: 00046941 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

写真(右)1941年12月以前、アメリカ、カリフォルニア州(?)、ダグラス飛行機工場(Douglas Aircraft Company)で製造された無塗装のダグラス(Douglas)B-23爆撃機の前に並んだオリー・W・コイル(Orie W. Coyle)大佐ら陸軍航空隊関係者:カリフォルニア州ダグラスのサンタモニカ工場で設計され、1939年7月23日に初飛行、合計38機が生産された。第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。
Col. Coyle served with the Marines in WWI and worked for Douglas prior to his service in WWII, Col. Coyle served with the Marines in WWI and worked for Douglas prior to his service in WWII, Corporation Name: Douglas Aircraft Company Tags: Colonel Orie W. Coyle Special Collection Photo, Douglas Aircraft Company Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1941年12月以前、アメリカ、カリフォルニア州(?)、ボーイング(Boeing) B17空の要塞(Flying Fortress)四発爆撃機を背景に並んだオリー・W・コイル(Orie W. Coyle)大佐ら陸軍航空隊関係者とダグラス(Douglas)B-23ドラゴン爆撃機の右主翼(右端):B-17重爆撃機の初飛行は1935年7月28日なので、B-23爆撃機の初飛行は1939年7月23日と4年新しい。しかし、B-17は1万2700機量産されたのに対して、B-23は38機が生産されたにすぎない。
Colonel Orie W. Coyle Special Collection Photo Catalog #: 09_00590b Title: Colonel Orie W. Coyle Special Collection Photo Additional Information: Men in Military uniform lined up in front of a Douglass B-23, Col. Coyle served with the Marines in WWI and worked for Douglas prior to his service in WWII, Col. Coyle served with the Marines in WWI and worked for Douglas prior to his service in WWII, Corporation Name: Douglas Aircraft
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1940年9月以降、アメリカ、メリーランド州ボルチモア北30km、クローバーフィールド基地に並んだ無塗装のダグラス(Douglas)B-23爆撃機の戦列:カリフォルニア州ダグラスのサンタモニカ工場で設計され、1939年7月23日に初飛行、合計38機が生産された。第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。
Douglas : B-23 Catalog #: 00046956 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


ダグラス(Douglas)B-23爆撃機は、低翼単葉、引込み式降着装置、尾部銃座装備の双発爆撃機で、ダグラス社のカリフォルニア州サンタモニカ工場で合計38機が生産されたにとどまった。

ただし、B-23を輸送機やグライダー曳航機に改造した機体が12機生産されたが、これは、1943年にダグラス UC-67輸送機と命名されている。

写真(右)1942年以前、アメリカ、未舗装滑走路に駐機している無塗装のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機:エンジンカウリングの内側は、コックピット操縦席機首前方上面には、日光反射除けのために青塗装がなされている、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプの国籍マークは、1942年春以降、青丸白星のみとされ、中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプも廃止された。
Description Douglas B-23 of the USAAF Date 1940s? Source USAF Museum Author Name of photographer not known Permission (Reusing this file) Public domain This image or file is a work of a U.S. Air Force Airman or employee, taken or made as part of that person's official duties. .
写真はWikimedia Commons,Category:Douglas B-23 Dragon , File:Douglas B-23.jpg 引用。


写真(右)1939−1941年初期、アメリカ、無塗装のアメリカ陸軍航空隊第17爆撃飛行隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機(I-17B)の右側面:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。
SDASM Archives Follow Douglas B-23, 17th Bomb Grp Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons,SDASM Archives File:B-23 Dragon 1.jpg引用。


写真(右)1939−1941年初期、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23爆撃機(37)の右前方:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。
sdasm image pictionid56894682 - catalogbd douglas b-23 dragon 4.jpg - title--bd douglas b-23 dragon -- - filenamebd douglas b-23 dragon 4.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum-----Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Douglas B-23 Dragon File:B-23 Dragon 1.jpg引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の爆弾搭載量は 4,000 ポンド (1,814kg)で、日本陸海軍の双発爆撃機の2倍あった。しかし、これはイギリス、ドイツの同クラスの爆撃機と比較すると若干少なかった。

写真(右)1940年頃、アメリカ、未舗装草地滑走路に待機している無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(37)の左側面:コックピット後上方に環状ループアンテナがあるが、これは基地から発信される電波の方位を確かめる航法装備である。エンジンナセル後方に主輪を引込むが、主輪格納カバー扉が観音開きに大きく開いている。
Douglas : B-23 Catalog #: 00046938 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1938-1942年春、アメリカ、舗装滑走路に展示され一般公開されている無塗装銀色のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(37-17B)の尾部:胴体左側の昇降口が開放されて、機体内部も見学できるようだ。38機しか生産されなかった爆撃機なので、一般公開しても差し支えないと判断され、戦時中に士気高揚、戦時公債販売のために使用されたのであろうか。他方、服装は戦時とは思えないほど華美で、ハイヒールを履いた女性もいるが、これは1941年12月のアメリカ参戦前だからであろうか。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005891 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


2−A. 軍用機六千七百四十七台発注『大阪毎日新聞』Vol: 第 49巻 Page: 249 出版年 1940-08-28
https://hdl.handle.net /20.500.14094 /0100338877

 ワシントン本社特電【二十六日発】既報、上院議員バード氏が米国国防の脆弱性、なかんずく空軍の劣勢を指摘攻撃し一般の注意を喚起しつつある折柄、米国国防委員会は米国陸海軍用としてすでに六千七百四十七台の軍用機を注文せる旨発表した

 同委員会の報国によれば米国の飛行機生産能力は現在一ヶ年約一万台に達しているが明年一月一日までには一万八千台に、さらに同年十二月一日までには三万六千台に拡張する予定だとのことで今年下半期中に政府に納入される予定の海軍機は二千二百機で一九四一年上半期中の納入予定数は二千五百機である、陸軍の方は一九四二年七月一日までに二千五百機を生産せしめる予定である

同委員会では米国の飛行機製造工業は目下全能力を発揮しているがその拡大計画は着々進行中ですでに政府の復興財政委員会から拡大費として約一億ドルの貸附が行われたと発表した(軍用機六千七百四十七台発注軍用機六千七百四十七台発注引用終わり)

写真(右)1939−1941年初期、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(63-10AB)の左側面:第二次世界大戦参戦以前の国籍マークを付けている。引込み式の降着装置は、尾部には .50 インチ(12.7mm)ブローニング(Browning)機関銃1丁を装備した尾部銃座とその銃手用のガラス窓がある。胴体左後方側面の昇降ドアが開いて固定されいる。
Douglas B-23 Dragon tail code 63 10AB of the 10th Base Headquarters and Air Base Squadron (later 10th Air Base Group) Source National Museum of the U.S. Air Force
写真はWikimedia Commons,Category:Douglas B-23 Dragon File:B-23 Dragon 2.jpg引用。


写真(右)1940年10月18日、アメリカ、無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(9ー?)の右側面:主翼下面からロープロ張って滑走路に繋いでいるが、これは風に機体が煽られないようにするための係留措置である。コックピット後上方に方位測定用の環状ループアンテナが取り付けられている。機首下面には、速度測定用のピトー管支柱が見える。第二次世界大戦に参戦する前の青丸白星赤丸、方向舵の赤白帯の国籍マークが描かれている。手前の写真の傷があたかも滑走路の傷のように見える。
SDASM Archives Douglas B-23 SDASM.TITLE: Douglas B-23 SDASM.CATALOG: 01_00092772 SDASM. CORPORATION NAME: Douglas SDASM. DESIGNATION: B-23 SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: Douglas B-23 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive SDASM.TAGS: Douglas B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1940年頃、アメリカ西岸、ワシントン州(WA)シアトル(Seattle)南40km、マコード・フィールド基地(McChord Field)を飛び立った無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の下面:右主翼下面にUS、左主翼にARMYと記入されていて、青丸白星赤丸の国籍マークが描かれている。主輪はエンジンナセル後方下に引込まれ、収納庫の扉は閉鎖されている。尾輪は格納され、収納庫の扉は閉鎖されている。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005876 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1940年頃、アメリカ、雪の森林上空を低空飛行する無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(9-478)の上右面:左主翼にUS,右主翼にARMYと記入されていて、青松白星赤丸の国籍マークが描かれている。飛行場が近いのか、エンジンナセル下に主輪が降ろされており、引込み式尾輪も降りている。エンジンナセルがイエローで塗装されているように見える。
Douglas : B-23 Catalog #: 00005882 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機は、ダグラス(Douglas)B-18ボロ(Bolo)爆撃機よりも高性能を発揮できるように、発動機を強力なライト(Wright)R-2600ツイン・サイクロン14(Twin Cyclone)空冷星型14気筒エンジン(排気量 42.7 L)1,600 hp (1,194 kW)2基を採用した。

写真(右)1940年頃、アメリカ、アラスカ州デナリ山(マッキンリー山)山腹を飛翔する無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機の3機編隊:標高6190.4 mのマッキンリー山(Mount McKinley)は、2015年よりデナリが正式名称となった。デナリとは、先住民アサバスカン・インディアンの「偉大なもの」の意である。
Douglas : B-23 Catalog #: 00046942 Manufacturer: Douglas Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


ダグラス(Douglas)B-23爆撃機は、既存のB-18ボロ爆撃機を上回る飛行性能を発揮あいたものの、1939年7月から1940年9月までに38機が生産されたにとどまっている。

写真(右)1940年頃、アメリカ、舗装滑走路上の無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機を背景に整列した飛行隊の隊員たち:: Douglas : B-23 Catalog #: 00005886 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


ダグラス(Douglas)B-23爆撃機の生産が、1939年7月から1940年9月までに38機とわずかだった理由は、1940年8月19日初飛行のノース・アメリカン B-25 ミッチェルNorth American B-25 Mitchell)、1940年11月25日初飛行のマーチンB-26 マローダーNorth American B-25 Mitchell)(Martin B-26 Marauder)、1941年1月10日初飛行のダグラスA-20 ハボック(Douglas A-20 Havoc)など新鋭機が第二次大戦後に完成し、その量産が進んだためである。

写真(右)アメリカ、未舗装草地滑走路上の無塗装銀色のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機(10-89R):エンジンカウリングが赤と黄色のチャック模様で塗装されている。
Douglas : B-23: Dragon
Catalog #: 00005878
Manufacturer: Douglas
Designation: B-23
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


2−B.米空軍を比島に移駐『大阪朝日新聞』Vol: 第 50巻 Page: 127 1940-10-25
https://hdl.handle.net /20.500.14094/ 0100338292

【ワシントン特電二十三日発】アメリカ陸軍省は二十三日ミシガン州セルフリッヂの第十七追撃部隊およびカリフォルニヤ州ハミルトンの第三十五追撃部隊より各一個中隊を比島に移駐せしめる旨発表した

【同盟ワシントン二十三日発】二十三日ワシントン消息通の漏らすところによればミシガン州セルフリッヂ飛行場駐屯の第一陸軍航空隊第十七追撃機中隊は近くフィリッピン移駐を命ぜられることになった、右に関しては陸軍省航空関係筋では一切口を緘しており移駐期日、方法なども詳細不明だが同飛行中隊は兵員百五十名、パイロット二十五名より成っているといわれる 米空軍を比島に移駐『大阪朝日新聞』Vol: 第 50巻 Page: 127 1940-10-25引用終わり。

写真(右)1942年以前、アメリカ、未舗装滑走路に待機する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23爆撃機(37)の左側面:第二次世界大戦に参戦した後の青丸白星の国籍マークだが、コックピット後上方には、環状ループ方向測定アンテナが設置されている。
SDASM Archives Douglas : B-23 Catalog #: 00046938 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


2−C.ノックス米海軍長官爆撃機で布哇[ハワイ]へ
大阪朝日新聞 Vol: 第 50巻 Page: 8 出版年 1940-09-06
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100338900

【サンフランシスコ特電四日発】アメリカ西海岸防備の第一線ハワイ[布哇]諸島の軍事施設視察およびハワイ諸島を中心として行われるアメリカ海軍特別大演習検閲のためハワイに向う途中[フランク・]ノックス[Franklin Knox]米海軍長官は随員四名を帯同して四日朝オークランド着、二日間にわたり金門湾一帯の海軍軍事施設を視察、五日午後一時サンフランシスコ出発、海軍爆撃機に搭乗して空路ホノルルに向うこととなったがノックス長官は四日午後一千五百万ドルをもって建設されるオークランドの海軍航空基地および目下二千万ドルをもってアラメダ[Alameda]に建設中の海軍航空基地を視察し、さらに五日はハンタース・ポイント造船所[Hunters Point Naval Shipyard]およびメイヤー島の海軍工廠[アメリカ駆逐艦と英領島嶼との交換[英領島嶼[ Newfoundland, Bermuda, the Bahamas, Jamaica, St. Lucia, Trinidad, Antigua, and British Guiana]租借によって大西洋方面からの外敵を完全に防ぐことができる、もしこれらの島嶼が敵性を有するものの手に移った場合アメリカは絶えず侵略の脅威下におかれる、それがアメリカの支配下に帰したことは喜ばしい次第だ

なおノックス長官のハワイ訪問はアメリカ艦隊が当分太平洋におかれることを意味するものと見られる(ノックス米海軍長官爆撃機で布哇[ハワイ]へ引用終わり)

カラー写真(右)1942年以前、アメリカ中部、オハイオ州ライトフィールド基地近郊、垂直尾翼に戦前の国籍マークの赤白ストライプを描き、登録コード94 MDを記入したアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機:ライトフィールド(Wright Field)基地は、アメリカ陸軍航空隊の物資集積所、搭乗員飛行訓練施設だったが、その物資局の所属になる機体である。
Description Douglas B-23 Dragon tail code 94 MD in flight. Assigned to the Materiel Division at Wright Field. Source http://www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/060530-F-1234S-016.jpg Public domain This image or file is a work of a U.S. Air Force Airman or employee, taken or made as part of that person's official duties.
写真はWikimedia Commons,Category:Douglas B-23 Dragon , File:Douglas B-23 Dragon USAF.jpg 引用。


写真(右)1941-1942年、アメリカ、舗装滑走路上にあるアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-23爆撃機:1939年7月23日に初飛行したB-23爆撃機は、爆撃機としては使用されずに、大半が改造されて輸送機とそいて就役した。輸送機都仕様は、無武装だった。
SDASM Archives Follow sdasm image pictionid56894682 - catalogbd douglas b-23 dragon 4.jpg - title--bd douglas b-23 dragon -- - filenamebd douglas b-23 dragon 4.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum--------Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942−1943年、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド(Hammer Field)基地、迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(39-062)の右側面:第二次世界大戦に参戦した後の青丸白星の国籍マークだが、後方には低空に阻塞気球があげられているので、参戦初期と思われる。阻塞気球は、空襲しようとする敵機の飛行障害物で、気球自体よりも気球と地面を繋いでいるケーブルが危険な存在だった。
SDASM Archives Follow Douglas B-23, 39-062, at Hammer Fld_2 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942−1943年、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド(Hammer Field)基地、迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(39-062)の右側面:第二次世界大戦に参戦した後の青丸白星の国籍マークである。
SDASM Archives Follow Douglas B-23, 39-062, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942−1943年、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド(Hammer Field)基地、迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(39-062)の右面:後方には敵機を妨害するための低空に阻塞気球があがっているが、防空訓練のためである。
SDASM Archives Follow Douglas B-23, 39-047, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


2−E. 軍用機の生産昨年の三倍半 : 米の軍需生産額『大阪毎日新聞』Vol: 第 54巻 Page: 54 出版年 1942-12-21
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100347442

【リスボン本社特電十九日発】ワシントン来電によれば米戦時生産局長ネルソンは一九四二年度における米の武器、軍需品その他戦争資材の生産額を左の如く発表した

 一九四二年度における爆撃機、戦闘機、輸送機、偵察機の生産額は一九四一年度の全生産額の三倍半に達したが大砲その他の軍需品は六倍半、船舶は五倍、軍艦は二・七五倍に達した、本年度の鋼鉄の生産額は八千七百万トン、マンガンは二年間以上の需用にも十分なだけの量を採掘し得た、また軍需工業の労働者数は本年十二月までに千七百五十万人に達した (軍用機の生産昨年の三倍半 : 米の軍需生産額引用終わり)

写真(右)1942年、アメリカ、地上にある目標に大型爆弾を投下したアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機:1939年7月23日に初飛行し、曳航カギを降ろしているアメリカ陸軍に制式され38機発注された。前作ダグラス(Douglas)B-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びたが、太平洋戦争勃発時には爆撃機として旧式化していたために、無武装のダグラス(Douglas)UC-67輸送機として使用された。
A USAAF Douglas B-23 Dragon (s/n 39-03?) dropping a bomb during a training flight in the U.S. in 1942. Original caption: "A Flying Fortress (B-17) bomber discharging a bomb on an enemy target." Note: The aircraft is no 4-engined B-17, but a B-23, which was never used in combat. Date 1942 Source United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8b13103
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon, File:Douglas B-23 Dragon USAF.jpg 引用。


写真(右)1943年4月28日、アメリカ、地上にあるCG-3Aグライダーを曳航するために低空飛行するアメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) UC-67輸送機:1939年7月23日に初飛行したB-23爆撃機を改造した輸送機仕様で、曳航カギを降ろしているアメリカ陸軍に制式され38機発注された。前作B-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びたが、太平洋戦争勃発時には爆撃機として旧式化していたために、無武装の双発輸送機UC-67として使用された。
Description Douglas B-23 Dragon aerial pick-up test over a CG-3A glider on April 28, 1943 Date 28 April 1943 Source www.nationalmuseum.af.mil /shared/media/photodb /photos/ 060530-F-1234S-017.jpg
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon, File:Douglas B-23 Dragon USAF.jpg 引用。


写真(右)1942年10月2日、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の前方左:機首はガラス風防、。エンジンカウリングの上3分の2が塗装されているように見える。塗装の剥げ落ちたような汚い外観なのは、旧式機で整備が不十分だったからであろうか。使用されなくなったB-23爆撃機は、輸送機仕様に改造されて、戦後しばらく就役していたが、この機体も改装に回されるのであろうか。
SDASM Archives Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005889 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1946年、アメリカ、ニューヨーク州ラガーディア空港、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機(39-031)の右側面:機首にはガラス風防が残っているので、輸送機としての改装は、十分には行われておらず、爆撃機仕様を残している。主翼は、ダグラスDC-3と同一形状を採用している。第二次世界大戦後、民間機として使用され続けたのは、使いやすく信頼性が高かったためである。
Douglas B-23, 39-031, La Guardia, 1946, Bodie Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943-1950年頃、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機:機首はガラス風防に変えてソリッド化されている。エンジンカウリングの上3分の2が塗装されているが、これは操縦席への日光反射除けのためであろう。爆撃機としては、ほとんど使用されていないが、戦後まで輸送機仕様が就役していたのは、使いやすく信頼性が高かったためであろう。
SDASM Archives Follow Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005895 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943-1950年頃、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の左側面:機首はガラス風防に変えてソリッド化されている。エンジンカウリングの上3分の2が塗装されているが、これは操縦席への日光反射除けのためであろう。爆撃機としては、ほとんど使用されていないが、戦後まで輸送機仕様が就役し続けていたのは、DC-3輸送機の主翼を流用した使いやすく信頼性が高い機体だったことが理由であろう。
SDASM Archives Follow Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005885 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943-1950年頃、アメリカ、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機のコックピット並列式操縦席:左が正操縦士、右が副操縦士の座席である。副操縦士席が高い位置にあるのは、前方機首はガラス風防に偵察員が移動するためである。ソリッド化された機首でも搭乗スペースが確保されていたようだ。手前の座席は、クッション、肘掛、安全用シートベルトのついた客席で、爆撃機としてではなく、輸送機として主に使用されたことを物語る。右側には、小型のサイドボードがあるが、これも飲食などに使用できる乗客用の設備の一つである。客室の操縦席の間には、遮光カーテンがある。これは、夜間飛行の場合に、客室のライトが操縦席ガラス風防に反射して操縦士の視界が妨げられるのを防ぐためである。
SDASM Archives
Douglas : B-23 : Dragon
Catalog #: 00005884
Manufacturer: Douglas
Designation: B-23
Official Nickname: Dragon
Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機は、輸送機として使用されることが多かった。コックピットには、左に正操縦士席が、右に副操縦士席があるのは、一般的な配置方式である。座席は、副操縦士席は可動式で、前方機首に下る通路を使って、搭乗員が機首に出入りすることができた。B-23は、輸送機として使われた時の、ソリッド化された機首内部に搭乗スペースがあり、航法、偵察などの作業が可能だったようだ。

ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の輸送機仕様では、コックピット後方の胴体中央部に客室キャビンがあり客席が確保されていた。この客席は、クッションと肘掛があり、安全用シートベルトも装着されている。

ダグラス(Douglas)B-23輸送機仕様では、操縦席コックピットと客室キャビンの間にカーテンがあるが、これは夜間飛行の場合、客室キャビンの照明が操縦席周囲のガラス風防に反射して、搭乗員の視界を佐俣bげることを防止するもので、遮光カーテンとして開閉し利用する。がある。

写真(右)1943-1950年頃、アメリカ、イリノイ州シカゴ地方空港のミッドウェー飛行場、無塗装のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機改装UC-67輸送機の右側面
Chicago Municipal Airport - Hearst Corporation - B-23 (Dragon) (1948) (N33309) Owned by The Hearst Corp.; served with EW Scripps & Co. as N400B (later N4000B) from 1948 to 1969. Was owned by various other operators until acquired by Kermit Weeks in 1984. Still owned by K Weeks in 2019, and was last noted stored (dismantled) at Fantasy of Flight in 2014. Info from Geoff Goodall's Warbirds Directory. (thanks to John Meneely from the Midway Facebook page)
写真はSmugMug+Flickr.,Midway Airport (Pat B.引用。


図(右)アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機の三面図:第二次大戦勃発1か月前の1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍に制式された。ただし、生産機数38機のみ。前作ダグラスB-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びたが、太平洋戦争勃発時には爆撃機としては旧式化していた。そこで、無武装の双発輸送機UC-67として使用された。
Description English: A 3-view silhouette of the Douglas B-23 Dragon. Head on view has been moved from prior position on page. Nose in top view cut off in original scan. Date September 1942 Source http://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uiug.30112061968001&seq=11 Author Chief, Field Services, Air Service Command, United States Army Air Forces.
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon, File:Douglas B-23 Dragon 3-view silhouette.png引用。


ダグラス B-23ドラゴン(Douglas B-23 Dragon)爆撃機の諸元
乗員:6名
全長:17.8m
全幅:28.0m
全高:5.6m
自重:8,659kg
エンジン: ライト(Wright)R-2600-3ツイン・サイクロン14(Twin Cyclone)空冷星型14気筒エンジン(排気量:2,604 cu in:42.67 L)2基(1,600馬力)
最大速度:454km/h
航続距離:4,325km
武装:7.62mm機銃 3挺、12.7mm機銃 1挺
爆弾 4,000 lb (1,814kg)

ライト(Wright)R-2600ツイン・サイクロン14(Twin Cyclone)空冷星型14気筒エンジンの諸元
ボア・ストローク:155.6 mm × 160.2 mm
排気量:42.7 L
全長:1,576 mm
直径:1,397 mm
乾燥重量:930 kg
過給機:機械式1段2速遠心型過給機
出力 高度 975 m :1,750 hp/2,600 rpm
高度 4,575 m 時:1,450 hp/2,600 rpm
出力重量比:0.86 hp/lb (1.40 kW/kg)
圧縮比:6.9:1


3.ダグラス(Douglas)UC-67 輸送機


写真(上)1946年、アメリカ、ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機改造のUC-67輸送機(N52327)の右側面
:機首ガラス風防はソリッド化されているが尾部銃座のガラス風防が残っている。B-23爆撃機39-036 (工場製造番号:c/n 2722) は、1944年7月23日に輸送機仕様UC-67として再登録された。カリフォルニア石油(California Oil Company)の民間機としてニューオーリンズを拠点に1960年まで使用された。その後、スタンダード石油の民間機として、ヒューストンを中心に1969年まで現役にあった。
Douglas B-23 Title: Douglas B-23 Catalog #: 15_000926 ADDITIONAL INFORMATION: N52327 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: US Manufacturers III D - K Page #: 39 Tags: Douglas B-23, N52327 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
Douglas B-23 Dragon 39-036 (c/n 2722) redesignated UC-67 Jul 23, 1944.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



写真(上)1956年頃、アメリカ、ジェネラル・エレクトリック(General Electric)所有のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機
:主翼は、ダグラスDC-3と同一形状を採用しているが、主輪だけではなく、尾輪も引込み式である。第二次世界大戦後、民間機として使用され続けたのは、使いやすく信頼性が高かったためである。
Description 1953 Date 30 August 2010, 20:11 Source Douglas B-23 N33311 General Electric Author Bill Larkins
写真は、Wikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:B23StandardOil (4477474674).jpg引用。


ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機は、第二次大戦勃発1か月前、1939年7月23日に初飛行した双発機で、アメリカ陸軍航空隊に配備する計画だった。しかし、結局、量産には至らず、爆撃機として38機のみの生産に終わり部隊配備はされないままに、軍用輸送機C-67に転換された。

写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、未舗装装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機(N800N)の左側面:機首ガラス風防は撤去されソリッド化された。胴体側面後部に乗客用の長方形の大型ガラス窓が設けられている。
Douglas : B-23 : Dragon Catalog #: 00005870 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Dragon Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1963年頃、アメリカ、未舗装装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機(39-59, N86E)の左側面:機首ガラス風防は撤去されソリッド化された。胴体側面に乗客用の四角ガラス窓が並んでいる。
Douglas B-23, 39-59, N86E Catalog #: 01_00092207 Title: Douglas B-23, 39-59, N86E Corporation Name: Douglas Additional Information: 39-59, N86E Tags: Douglas, B-23 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: B-23 From the Collection of Charles M. Daniels
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1973年頃、ギリシャ、アテネ・ヘラクリオン飛行場、デルタ・テクニカル。スクール(Delta Technical School)所有のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(N86E):元はアメリカ陸軍航空隊B-23爆撃機で、これはDC-3の主翼を備えていた。その後、民輸送機 UC-67として1945年にパンアメリカン(Pan Am)航空に売却された。それを1964年にメコム・オイルが買い取った。1970年代には、デルタ・テクニカル。スクール(Delta Technical School)で使用されることになったが、1986年夏に破損してしまった。
English: Ex USAAF Douglas B-23 N86E of John W. Mecom stored at Athens (Hellinikon) Airport. Douglas B-23 bomber (USAAF serial 39-59) using DC-3 wings. This aircraft converted to UC-67 transport role. Sold to Pan Am in 1945. Bought by Mecom Oil in 1964. Instructional airframe for the Delta Technical School in the 1970s, broken up in the Summer of 1986. Date 22 March 1973 Source Own work Author RuthAS
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:Douglas B-23 N86E Athens 220473-1-.jpg引用。


写真(右)1950-1960年頃、アメリカ、鉄板を敷き詰めた簡易舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機の右側面:鉄板を敷き詰めて迅速に滑走路を整備する方法は、第二次世界大戦中にアメリカが採用したが、平坦な滑走路を造成するためのブルドーザー、転圧ローラー車などが整備されていないと実用化を困難である。
Douglas B-23 Title: Douglas B-23 Catalog #: 00046943 ADDITIONAL INFORMATION: Wright Patterson Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: US Manufacturers III D - K Page #: 19 Tags: Douglas B-23, Wright Patterson PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1956年、アメリカ、イリノイ州シカゴ地方空港のミッドウェー飛行場、フラップを開いて着陸するナショナル・スチール社(National Steel Corp)のダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機改装UC-67輸送機(製造番号c/n 2747 登録コードN18647) の後面
Chicago Midway Airport - Landing on 4R (1956) Douglas B-23 Dragon. Guppydriver knows who it belonged to.(c/n 2747) to RFC at McKellar Field, TN. To DPC as NR18647 in 1946. To PanAm later that year as NC18647. To Corning Glass Works in 1947. To National Steel Corp as N18647 in 1954. Off registry by 1964.
写真はSmugMug+Flickr.,Midway Airport (Pat B.引用。


写真(右)1960年頃、アメリカ、舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機:展示公開中で、アメリカ参戦前の国籍マーク(赤白ストライプ)を垂直尾翼方向舵に絵描いている。
Douglas B-23 Title: Douglas B-23 Douglas : B-23 Catalog #: 00046939 Manufacturer: Douglas Designation: B-23 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1970年頃、アメリカ、スタンダード石油社(Standard Oil)所有のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(N747)(NC56249):胴体には、Standard of California,、尾翼にあるシェブロン(Chevron)は、1879年設立で、カリフォルニア州の石油企業で、メジャーと言われる巨大石油企業の一つである。業務は、石油・天然ガスの探査と開発、パイプライン輸送、精製、石油化学製品の販売など多種に及ぶ。
Description Description B23StandardOil Date 30 March 2010, 13:54 Source B23StandardOil Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:B23StandardOil (4477474674).jpg引用。


写真(右)1970年頃、 、アメリカ、オハイオ州デイトン、ライト・パターソン基地、舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機(9-17B)の左側面:この機体は、以前はハワード・ヒューズの個人機(NC49548)だった。尾翼の方向舵には大きな細いトカゲが描かれている。尾部銃座のガラス風防が残っている。B-23爆撃機39-036 (工場製造番号:c/n 2722) は、1944年7月23日に輸送機仕様UC-67として再登録された。カリフォルニア石油(California Oil Company)の民間機としてニューオーリンズを拠点に1960年まで使用された。その後、スタンダード石油の民間機として、ヒューストンを中心に1969年まで現役にあった。
Douglas B-23 Title: Douglas B-23 Catalog #: 15_000911 ADDITIONAL INFORMATION: Wright Patterson Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: US Manufacturers III D - K Page #: 19 Tags: Douglas B-23, Wright Patterson PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



写真(上)1960年初め、アメリカ、格納庫入り口に駐機するダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機民間仕様のUC-67輸送機(N747M)の左側面
:この機体は、以前はハワード・ヒューズの個人機(NC49548)だった。尾翼の方向舵には大きな細いトカゲが描かれている。尾部銃座のガラス風防が残っている。B-23爆撃機39-036 (工場製造番号:c/n 2722) は、1944年7月23日に輸送機仕様UC-67として再登録された。カリフォルニア石油(California Oil Company)の民間機としてニューオーリンズを拠点に1960年まで使用された。その後、スタンダード石油の民間機として、ヒューストンを中心に1969年まで現役にあった。
Douglas B-23 Title: Douglas B-23 Catalog #: 15_000925 ADDITIONAL INFORMATION: N747M Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: US Manufacturers III D - K Page #: 39 Tags: Douglas B-23, N747M PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
Douglas B-23 Dragon 39-033 (c/n 2719) ex Howard Hughes NC49548.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


カラー写真(右)1975年9月7日、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ北50km、ハミルトン・フィールド基地(Hamilton AFB)舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機民間仕様のUC-67輸送機(39-33 N747M)の左側面:尾翼の方方向舵には、大きなトカゲ龍が描かれている。ハミルトン・フィールドの名称は、1918年、第一次大戦中のベルギ―で爆撃機を率いている最中に戦死したロード・ハミルトン(Lloyd Andrews Hamilton)中尉を記念しての命名である。
Douglas B-23 39-33 N747M Hamilton AFB 7Sep75 [Peter B. Lewis] PictionID:43810327 - Title:Douglas B-23 39-33 N747M Hamilton AFB 7Sep75 [Peter B. Lewis] - Catalog:17 - Filename:17.S_000491.tif - --------Image from the René Francillon Photo Archive. Having had his interest in aviation sparked by being at the receiving end of B-24s bombing occupied France when he was 7-yr old, René Francillon turned aviation into both his vocation and avocation. Most of his professional career was in the United States, working for major aircraft manufacturers and airport planning/design companies. All along, he kept developing a second career as an aviation historian, an activity that led him to author more than 50 books and 400 articles published in the United States, the United Kingdom, France, and elsewhere. Far from “hanging on his spurs,” he plans to remain active as an author well into his eighties.--.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



写真(上)1970年頃、アメリカ、食品機械社(Food Machinery Company)所有のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(N747)
:アメリカ陸軍航空隊のB-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機を原型に軍用輸送仕様C-67が12機生産されたが、1943年にUC-67と命名変更になった。
Description B-23 N747 Food Machinery Company Date 30 August 2010, 20:10 Source B-23 N747 Food Machinery Company Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:B-23 N747 Food Machinery Company (4944132798).jpg引用。



写真(上)2020年3月27日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(NC61Y)

English: Back in January, I was able to visit the amazing Pima Air & Space Museum in Tucson, Arizona. This fabulous collection contains nearly 300 aircraft from the very smallest Bedejet to the largest B52 Stratofortess. I will post some more in due course. Date 27 March 2020 Source https://www.flickr.com/photos/58415659@N00/49705193243/ Author kitmasterbloke
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:N61Y pima.jpg引用。


写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(NC61Y):デビスモンサン空軍基地に隣接した民営のB-36J ピースメイカー には、ボーイングB-17Gフライングフォートレス、コンソリデーテッドB-24リベレーター 、ボーイングB-29スーパーフォートレス、B-36J ピースメイカーのような重爆撃機も展示されている。

写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:N61Y Douglas B-23 Dragon (8739029084).jpg引用。


 ダグラスC-67軍用輸送機として、12機が生産された。任務は、軍隊輸送で、特にグライダー曳航を念頭に置いていたようだ。しかし、既にダグラス社はDC-3を完成させ、その軍用仕様C-47輸送機を量産する準備が整っていたいた。そこで、C-67輸送機は12機の生産されものの、1943年にUC-67と命名され、民間で使用されることになった。

写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(NC61Y):デビスモンサン空軍基地に隣接した民営のB-36J ピースメイカー には、ボーイングB-17Gフライングフォートレス、コンソリデーテッドB-24リベレーター、 、ボーイングB-29スーパーフォートレス、B-36J ピースメイカーのような重爆撃機も展示されている。
Description English: At Pima Air & Space Museum Date 23 April 2013, 17:08:03 Source Flickr Author Aeroprints.com
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon File:NC61Y DOUGLAS B-23 DRAGON (12485970493).jpg引用。



4.ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州、ロスアンゼルス飛行場、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。:これから、ニューヨークまで自らB-23ドラゴン爆撃機改造の輸送機を操縦する。
Date 1946-09-11
Description A view of Howard Hughes in front of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001443 Physical Identifier 0373_1151引用。


1933年、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は商務省(Commerce Department)を説得して、自分の飛行機操縦パイロット・ライセンス番号4223を80に引き下げて登録させた。これは、資金力にものを言わせたゴリ押しかもう知れないが、パイロット登録番号80と古くからのパイロットであることを認めさせて、気分の良くなったヒューズは、自ら航空機開発に乗り出した。

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州、ロスアンゼルス飛行場、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。:これから、ニューヨークまで自らB-23ドラゴン爆撃機改造の輸送機を操縦する。
Date 1946-09-11
Description A view of Howard Hughes in front of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001444 Physical Identifier 0373_1152引用。


ダグラス(Douglas)B-23ドラゴン(Dragon)爆撃機は、引込み式降着装置を採用し、1939年7月23日に初飛行し、すぐにアメリカ陸軍航空隊が制式し3て8機が生産された。B-23の原型は、1936年初飛行のダグラス(Douglas)B-18ボロ(Bolo)爆撃機で、その拡大改良型だった。

しかし、新型爆撃機が就役したために、引込み式降着装置のB-23ドラゴン(Dragon)爆撃機として、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式したものの、僅か38機が生産されただけだった。これは、B-25のような新型爆撃機が就役したために、B-23は輸送機に改造され、爆撃機としては使われなかったためである。

ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の諸元
乗員:6名
全長:58 ft 4+3⁄4 in 17.8m
全幅: 92 ft 28.0m
全高:5.6m
主翼面積: 993 sq ft (92.3 m2)
空虚重量:19,089 lb (8,659 kg)
総重量: 26,500 lb (12,020 kg)
発動機:ライト(Wright)R-2600空冷星型14気筒エンジン 2基1,600 hp (1,200 kW)
最高速力: 282 mph (454 km/h, 245 kn) / 12,000 ft (3,660 m)
航続距離:1,400 mi (2,300 km, 1,200 nmi)
兵装:7.62mm機銃 3挺、12.7mm機銃 1挺、爆弾 4,000 lb (1,814kg)

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州、ロスアンゼルス飛行場、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機の左主翼エンジン前のハワード・ヒューズ(Howard Hughes):ダグラスB-23は、元来爆撃機だが、主翼はダグラスDC-3民間旅客機/C-47軍用輸送機と同じなので、安定性の良い信頼性ある双発機だった。
Date 1946-09-11
Description A view of Howard Hughes in front of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001445 Physical Identifier 0373_1153引用。


1946年9月、深夜にハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、ロサンゼルスの飛行場から、自作映画の法律問題に関する証言をするために、ニューヨークまで自らB-23ドラゴン爆撃機改造の輸送機を操縦し、出廷する。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)のような大富豪有名人が、自ら夜間長距離飛行を自ら操縦する自分の飛行機で出向くこと自体が、大きなニュースになったのである。 ただし、ヒューズ自体の飛行予定がわからなければ取材できないので、この予定はメディアにリークされていたことが予測される。

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州、ロスアンゼルス飛行場、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。:これから、ニューヨークまで自らB-23ドラゴン爆撃機改造の輸送機を操縦する。
Date 1940 to 1959 Description A portrait of Howard Hughes standing next to an airplane circa 1940s/1950s. Stamped on back of photo: "Hughes Aircraft Photo."
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh000348 Physical Identifier 0321_0351引用。


 1946年7月7日、ハワード・ヒューズは自ら新鋭機ヒューズ XF-11試作機を初飛行させたが、その最中、プロペラ不調に対応できず、墜落、重傷を負った。このXF-11墜落事故から1年近くたって、ヒューズは恢復し、再び自ら操縦桿を握って、自家用機B-23輸送機を操縦し、カリフォルニア州カルバー市からカンザスシティー経由で、ニューヨーク州らガーディアン空港に向かった。

ただし、ダグラス(Douglas)B-23は、前作は、1936年初飛行のB-18ボロ爆撃機で、その拡大改良型がB-23だった。しかし、B-25のような高性能新型爆撃機が就役したために、爆撃機としては使用されず、B-23輸送機仕様UC-6として就役した。

写真(右)1946年9月11日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルスからニューヨーク州に向けて夜間発進する、ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。:操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。
1946-09-11 Description A view of Howard Hughes sitting inside of a B-23 converted bomber before taking off for New York City in Los Angeles, California.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001447 Physical Identifier 0373_1155.引用。


1946年9月11日深夜、アメリカ、ニューヨーク(New York)州ラガーディアン空港(La Guardia Field)に、自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機で向かった大事業家で飛行家でもあるハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、自作映画「アウトロー」の放映権について悶着が起こっていたのを解決しようとしていた。そこで、自家用飛行機ダグラス(Douglas)B-23 でカリフォルニア州カルバー市からカンザスシティー経由でニューヨークに向かったのである。

写真(右)1946年9月11日、深夜、アメリカ、ニューヨーク(New York)、ラガーディアン空港(La Guardia Field)に到着したハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはヒューズ(Howard Hughes)自身である。
Title Project Name Welcome Home, Howard Title Photograph of B-23 converted bomber containing Howard Hughes, Los Angeles, September 11, 1946 Description A view of the B-23 converted bomber carrying Howard Hughes as it prepares to take off for New York City in Los Angeles, California. Date 1946-09-11 Date Digitized 2013-12-18
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001449 Physical Identifier 0373_1157引用。


写真(右)1946年9月12日、アメリカ、ニューヨーク州、ラガーディアン飛行場(LaGuardia Field)、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。
Date 1946-09-12
Description A view of Howard Hughes stepping out of a converted B-23 bomber in New York, New York.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001452 Physical Identifier 0373_1160引用。


引込み式降着装置のB-23ドラゴン(Dragon)爆撃機として、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式し38機が生産された。前作は、1936年初飛行のB-18ボロ爆撃機で、その拡大改良型がB-23だった。しかし、B-25のような新型爆撃機が就役したために、B-23は輸送機に改造され、爆撃機としては使われなかった。

写真(右)1946年9月12日、アメリカ、ニューヨーク州、ラガーディアン飛行場(LaGuardia Field)、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。: Date 1946-09-12 Description A view of Howard Hughes being interviewed by reporters in New York, New York.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001460 Physical Identifier 0373_1168引用。


1932年、ヒューズ(Hughes)は自らの名を記した航空製造会社ヒューズ・エアクラフト社(Hughes Aircraft Company)を,それまで親から引き継いできたヒューズ・ツール社(Hughes Tool)から独立させた。この会社は、アメリカ軍用飛行機を回収して、飛行機レースに参加させることが仕事だった。

ヒューズは、すぐに、既存飛行機の改造だけではなく飽き足らなくなり、革新的な飛行機を自ら開発することを夢見るようになり、航空機開発という専門的な最先端分野に進出した。

つまり、イノベーションを重視した航空機開発の企業となったのである。そして、ヒューズ・エアクラフト社が、新技術を取り入れた新型機を開発するように技術者たちに発破をかけた。そして、自ら開発した飛行機の初飛行を進んで実行したのである。

写真(右)1946年9月12日、アメリカ、ニューヨーク州、ラガーディアン飛行場(LaGuardia Field)、 ハワード・ヒューズ自家用ダグラス(Douglas)B-23輸送機。操縦しているのはハワード・ヒューズ(Howard Hughes)自身である。: Date 1946-09-12 Description A view of Howard Hughes being interviewed by reporters in New York, New York.
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001457 Physical Identifier 0373_1165引用。


ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、若くして飛行機操縦技術を身に着け、飛行機に自ら開発し飛行機を自ら操縦することができた。このヒューズの熱意と意思は素晴らしい。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、その後の人生のほとんど航空に関心を持ち続け、飛行機の開発と製造にかかわり、1930年代には飛行速度の世界最速記録、アメリカ大陸横断最速記録を打ち立てている。

1946年9月11日、自作映画「アウトロー」の放映権について説明するために、ハワード・ヒューズは、カリフォルニア州カルバー市からカンザスシティー経由でニューヨーク(New York)、ラガーディアン空港(La Guardia Field)に向かった。この時に使ったの自家用B-23は、1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍航空隊が制式した爆撃機だったが、大半は輸送機として使用されていた。

写真(右)1946年9月12日、深夜、アメリカ、ニューヨーク(New York)、ラガーディアン空港(La Guardia Field)、自作映画「アウトロー」の放映権メディアの取材を受けるハワード・ヒューズ(Howard Hughes):自家用飛行機ボーイングB-23でカリフォルニア州カルバー市(Culver City)からカンザスシティー経由で到着した。
Creator Creator: Acme Newspicture (New York, N. Y.) Date 1946-09-12 Description Description given with photo: "Just A Few Words Please, New York -- Howard Hughes says a few words for the radio audience just after his arrival here late last night, Sept. 11th, from Kansas City. The multi-millionaire movie producer and flier flew the distance from Kansas City to New York in four hours and 38 minutes, piloting his converted B-23 army transport. Creditline (ACME) 9/12/46."
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital ID whh001454 Physical Identifier 0373_1162引用。


写真(右)1947年8月6日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、ワシントンD.C.に公聴会に出席するため移動前と思われる事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes):後方は、自家用飛行機ダグラスB-23輸送機で、これでカリフォルニア州カルバー市とワシントンD.Cを往復飛行したのであろう。
Title Photograph of Howard Hughes, Los Angeles, August 06, 1947 Description A view of Howard Hughes about to board his private B-23 Transport plane in Los Angeles. Date 1947-08-06 Date Digitized 2013-12-18
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001529 Physical Identifier 0373_1236引用。


試作機の初飛行には、慎重さと熟練さ、そして臨機応変な操作が必要で、それを兼ね備えた熟練パイロットがふさわしい。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が試作機の初飛行をするのは不適切である。

実際、ヒューズは、XF-11試作機初飛行で墜落事故を起こして、貴重な試作機を全損した。ヒューズの施設、資金を使って開発された試作機なので、ヒューズはわが愛機と考え、試作機の初飛行を自らの手で行った。

軍の所有になる新鋭試作機を勝手に初飛行し、墜落、破壊してしまったのであるから、これはヒューズに重い処罰が下っても不思議ではない。しかし、ヒューズは罰金を払っただけで、なんとXF-11試作2号機の初飛行を担当している。さずが、大富豪の飛行家ヒューズである。

写真(右)1947年8月6日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、飛行機事業家・富豪ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)と後方のダグラス(Douglas)B-23輸送機の左主翼後方:胴体左後方の昇降口は、右開きで、留め金ヒンジは前についている。原典解説では「ダグラスDC-3輸送機」とするが、ドアの開閉状況、降着装置の車輪カバーからみて、ダグラスB-23輸送機であろう。オーウェン・ブリュスター(Owen Brewster)を委員長とする上院戦争調査委員会(Senate War Investigating Committee)の審問を受けた時期と思われる。
Title Photograph of Howard Hughes with a Douglas DC-3[⇒B-23], circa 1947 Description Howard Hughes and an unidentified man stand in front of a Douglas DC-3. Date 1905-04-30 Date Digitized 2012-09-29
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh000435 Physical Identifier 0321_0426引用。


写真(右)1947年8月6日、アメリカ、ワシントンD.C.、オーウェン・ブリュスター(Owen Brewster)を委員長とする上院戦争調査委員会(Senate War Investigating Committee)の審問を受けに首都に到着したハワード・ヒューズ(Howard Hughes)と後方のダグラス(Douglas)B-23輸送機の左主翼後方
Title Photograph of Howard Hughes with reporters, Washington, August 06, 1947 Description Description given with photo: "102,246 - Watch Your Credit - International News Photo. Slug - (Howard Hughes) Hughes Ready For Senate Investigators, Washington, D.C. Howard Hughes, right, is interviewed by reporters at Washington National Airport after his arrival in a converted B-23 bomber from Culver City, X California. Hughes, there to face Senate Investigators, said he would be "most happy" to repeat under oath charges he has made against chairman Owen Brewster, (R) of Me., of the Senate War Investigating Committee now probing his wartime plane contracts. -Photo by G.B. Kress- 8/6/47." Date 1947-08-06 Date Digitized 2013-12-19
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001532 Physical Identifier 0373_1239引用。


Hughes ハワード・ヒューズ(Howard Hughes:1905-1976)に関する連邦捜査局(FBI)の捜査資料は、古いものはアメリカが第二次大戦に参戦する1941年の軍用機の委託生産に係るもので、ヒューズ近くの人物の内部告発で、航空機生産、不動産事業、所得税不正に関する疑惑が持ち上がった。

さらにヒューズの晩年には、ハリウッド女優との女性関係、晩年の失踪事件、ヒューズ死後の遺産分与の疑惑などの捜査資料もある。なかには、ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の公私の文書、自筆書簡も収録されている。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、1930年設立の航空会社のトランス・ウェスタン・エアラインズ(TWA:Transcontinental & Western Air)の株を買収して大株主となり、航空運輸業界にも確固たる基盤を作った。しかし、TWA株式名義と取得を巡って訴訟を起こされた。同社は、国際路線を拡張し、社名も1950年にトランス・ワールド航空(TWA:Trans World Airlines)と変更されている。

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、社主を務めるトランス・ワールド・エアラインズ(TWA)の株式取得、政治献金疑惑を巡る金銭裁判に、激怒して裁判の出廷を拒否した。そして、被告人ヒューズの欠席のまま、ヒューズは保有するTWA株の売却命令を受けた。


写真(右)1947年8月6日、アメリカ、カリフォルニア州ロスアンゼルス、ワシントンD.C.に公聴会に出席するため自家用ダグラス(Douglas)B-23 輸送機に胴体左後方の昇降口から乗込む事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)と
:B-23胴体左後方の乗客用搭乗口が開いたままになっている。
Photograph of Howard Hughes, Los Angeles, August 06, 1947 Description Description given with photo: "Howard Hughes Leaves In Own Plane For Investigation, Los Angeles, California - Howard Hughes is pictured as he was about to step abroad his private B-23 Transport plane just before his take-off for Washington, D.C., where he will appear before the Senate War Investigation Committee to testify about wartime plane contracts. The millionaire flier took with him an armload of records and other data he will use in testifying. His only companions on the flight were several mechanics. Photo by Al Brett. 8-6-47." Date 1947-08-06 Date Digitized 2013-12-18
写真は,University of Nevada, Las Vegas. Libraries Digital Identifier whh001530 Physical Identifier 0373_1237引用。


少年時代から飛行機が好きだったハワード・ヒューズHoward Hughes)は、富裕な資産を生かして、飛行機映画を作り、自分で飛行機を操縦するようになった。

しかし、既存の飛行機を購入するだけでば飽き足らず、ヒューズ自らが、飛行機を開発・製造に乗り出し、ヒューズ航空機社を設立した。ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、特別扱いされないように大富豪である素性を隠してアメリカン航空で飛行機操縦・民間航空会社の経験も積んでいる。

 ヒューズは、自ら操縦桿(かん)を握って、ヒューズH-1レーサーでアメリカ大陸横断の最短記録をつくり、新型高速試作機の初飛行を担当して事故を起こし重傷を負った。また、ヒューズH-4飛行艇を操縦し世界最大の飛行艇を初飛行させることもした。

写真(右)1947年11月2日、アメリカ、ダグラス(Douglas)B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機自家用仕様に乗ってカリフォルニア州ロサンゼルス、ターミナルアイランド (Terminal Island) に帰還し胴体左後方の昇降口から降り立ったハワード・ヒューズ(Howard Hughes):ロスアンゼルス港ロングビーチ沖でH-4飛行艇の初飛行を終え、自宅に帰る途上の撮影。B-23自家用仕様輸送機は、胴体後方の左右に昇降用扉を配置している。ただし、右開きなので、扉を留める金具(ヒンジ)は、胴体左では前方に、胴体右側では後方についている。
Title Photograph of Howard Hughes, Terminal Island, California, November 02, 1947 Description A view of Howard Hughes after he completed a test run of his Flying Boat in the Los Angeles harbor. Date 1947-11-02 Date Digitized 2013-12-19
写真は, Howard Hughes Public Relations Photograph Collection, 1930-1950. PH-00373. Special Collections, University Libraries, University of Nevada, Las Vegas Digital Identifier whh001679 Physical Identifier 0373_1392引用。


ハワード・ヒューズHoward Hughes)は、映画化した航空機だけではなく、実機の開発にも資金を投じ、1935年にヒューズ・エアクラフトを設立した。そして、同1937年、ハワード・ヒューズHoward Hughes)は自ら操縦桿を握って、ニューヨーク=ロサンゼルスを7時間29分25秒で飛行し、最速アメリカ大陸横断記録を樹立した。そして、1938年には、世界一周飛行を91時間で達成して、世界最速の世界一周記録を樹立している。

しかし、晩年のハワード・ヒューズHoward Hughes)は、映画作成や航空機開発の熱意を失い、ラスベガスのホテル最上階スイートで自堕落な生活を送った。これは、健康を損ね、精神病の発症を伴うもので、孤独な変人生活へと変貌する。経営権を手放し、関連企業も売り払ったヒューズは、経営権を手放し、一線から引退した孤独な放浪と隠遁生活を過ごし、精神病で死亡した。

FBI File on Howard Hughes

⇒写真集Album:ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)の飛行機開発を見る。 


5.現存するダグラス(Douglas)B-23“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機 

写真(右)1986年、アメリカ、カリフォルニア州シアトル南50km、マコード空軍基地(McCord AFB)、舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機(9-17B)の左側面:この機体は第二次世界大戦中の塗装に復元されている。
10_0029340 SDASM Image Piction ID: 86114633 McCord AFB 1986 Douglas B-23 Dragon--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1986年、アメリカ、カリフォルニア州シアトル南50km、マコード空軍基地(McCord AFB)、舗装滑走路に駐機するダグラス(Douglas)B-23爆撃機(9-17B)の右側面:尾輪にパイプを連結して地上を小型牽引車で牽引する。第二次世界大戦中の塗装に復元されている。
0_0029339 SDASM Image Piction ID: 86114621 McCord AFB 1986 B-23--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum Piction ID: 86114621 McCord AFB 1986 Douglas B-23 Dragon--Please tag these photos so information can be recorded..
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州、アメリカ空軍博物館(USAF Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機:1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍に制式され38機発注された。前作B-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びたが、太平洋戦争勃発時には爆撃機として旧式化していたために、無武装の双発輸送機UC-67として使用された。
Description: Douglas B-23 Dragon Source:USAF Museum The B-23 is a twin-engine bomber developed as a successor to the Douglas B-18 and was first flown in July 1939. Although B-23s were never used in combat during World War II, they did serve in secondary roles, such as reconnaissance, training, transport and test-bed aircraft. Some of the Dragons used in transport service were redesignated UC-67s. After the war, all B-23s/UC-67s were declared surplus and many were sold to private operators for use as cargo and executive transports. The museum's B-23 will require extensive restoration.
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft , File:Douglas B-23 Dragon USAF.jpg 引用。
 


写真(上)2023年、アメリカ、カリフォルニア州中央部、アットウォーター(Atwater)、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、無塗装のダグラス(Douglas)UC-67 輸送機(112MD)の左側面
:UC-67 は、B-23 ドラゴン(Dragon)爆撃機の民間仕様輸送機として使用された。
English: Castle Air Museum is on the edge of what is today KMER, Castle Airport, but was formerly USAF Castle AFB. The collection is superb and features several rare types such as the Douglas Bollo and Dragon, the Convair B-36 and Boeing WB-50 & B-29 in addition to the SR-71A. Aircraft are well spaced for photography and staff are very helpful. Located on California Highway 99 at Attwater. Date 23 March 2023 Source www.flickr.com/photos/58415659@N00/52767125079/ Author kitmasterbloke
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon at Castle Air Museum  File:112-MD Douglas UC-67 Dragon Castle Air Museum 050323.jpg引用。

写真(右)2016年3月4日、アメリカ、カリフォルニア州アットウォーター(Atwater)、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機(c/n 2733)の右側面:1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍に制式され38機発注された。前作B-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びたが、太平洋戦争勃発時には爆撃機として旧式化していたために、双発輸送機UC-67として使用された。
c/n 2733. Full US military serial 39-047. Later converted to a transport, actually becoming a UC-67. On display at the Castle Air Museum, Atwater, CA. 4th March 2016 Date 4 March 2016, 11:42 Source Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ [39-047] (N880L) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK.
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft , File:Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ (39-047) (N880L) (29749196072).jpg引用。


写真(右)2016年3月4日、2016年3月4日、アメリカ、カリフォルニア州アットウォーター(Atwater)、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機(c/n 2733)の尾翼とブローニング.50 in (12.7 mm) 搭載の尾部銃座:太平洋戦争勃発時には爆撃機として旧式化していたために、無武装の双発輸送機UC-67として使用された。
c/n 2733. Full US military serial 39-047. Later converted to a transport, actually becoming a UC-67. On display at the Castle Air Museum, Atwater, CA. 4th March 2016 Date 4 March 2016, 11:44 Source Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ [39-047] (N880L) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft , File:Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ (39-047) (N880L) (29749210182).jpg引用。


尾部銃座は、尾部先端に設置され、後上方から後下方、左右と広い射界があるが、機体の重量バランスを配慮すると、尾部が荷重量になりやすいために、構造上は尾部銃座により性能低下が危惧される。そのために、第二次大戦に参加した機体で、尾部銃座を設けたのは、アメリカ爆撃機では、ダグラス(Douglas)B-23が最初で、B-17、B-24、B-25、B-26、B-29で、日本爆撃機では、一式陸攻、キ49百式重爆「呑竜」、四式重爆「飛竜」と必ずしも多くはない。

写真(右)2011年10月25日、アメリカ、カリフォルニア州アットウォーター(Atwater)、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機(c/n 2733)の機首右側面:爆撃機仕様では、全面ガラス風防で覆われていて、爆撃手が位置し、機首銃座にブローニング.30 in (7.62 mm) 機関銃が設けられていた。しかし、輸送機仕様では、機首はソリッド化されている。
English: The Douglas B-23 Dragon on display at Castle Air Museum Date 25 October 2011 Source Own work Author Spartan7W
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft , File:Castle Air Museum B-23 Dragon.JPG引用。


写真(右)2015年12月17日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機の右前方
Description English: B-23 Dragon at McChord Air Museum
Date 17 December 2015, 14:12:36
Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:B-23 Dragon at McChord Air Museum, File:B-23 Dragon at McChord Air Museum tail section.jpg引用。


写真(右)2016年3月4日、2016年3月4日、アメリカ、カリフォルニア州アットウォーター(Atwater)、キャッスル航空博物館(Castle Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機(c/n 2733)の機首:1939年7月23日に初飛行し、アメリカ陸軍に制式され38機発注された。前作B-18と比較して、防御力が強化され、航続距離が伸びた。
c/n 2733. Full US military serial 39-047. Later converted to a transport, actually becoming a UC-67. On display at the Castle Air Museum, Atwater, CA. 4th March 2016 Date 4 March 2016, 11:44 Source Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ [39-047] (N880L) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft , File:Douglas B-23 Dragon ‘112-MD’ (39-047) (N880L) (29749210182).jpg引用。


写真(右)2016年3月4日、2015年12月17日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機
Description English: B-23 Dragon at McChord Air Museum
Date 17 December 2015, 13:55:06
Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft, File:B-23 Dragon at McChord Air Museum front.jpg引用。


  写真(右)2014年11月11日、2015年12月17日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機
English: Douglas B-23 Dragon JBLM
Date 11 November 2014, 10:22:26
Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:Douglas B-23 Dragon museum aircraft, File:Douglas B-23 Dragon JBLM.JPG引用。


ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機は、1939年7月27日に初飛行、1940年9月まで38機が生産されただけだった。

写真(右)2015年12月17日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機の機首ガラス風防
English: B-23 Dragon at McChord Air Museum
Date 17 December 2015, 13:55:48
Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:B-23 Dragon at McChord Air Museum, File:B-23 Dragon at McChord Air Museum Nose.jpg引用。


ダグラスDC-2輸送機から発展させたダグラスB-18ボロは、胴体中央下部に、爆弾倉(bomb bay)を設けた。そこで、DC-2のような低翼ではなく、張出した爆弾倉を下にする中翼式を採用した。ダグラスB-18ボロの爆弾搭載量は、爆弾倉に2,000 lb (910 kg)だったが、これは後継機のダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機でも変わっていない。

写真(右)2014年11月11日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機の機首右側とライト(Wright)R-2600-3ツイン・サイクロン 14(Twin Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン:黒く塗られた集合式排気管2本がエンジン後方から出ている。が引込み式降着装置はエンジンナセル後方に格納される。
English: Douglas B-23 Dragon JBLM Date 11 November 2014, 10:23:02 Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:B-23 Dragon at McChord Air Museum, File:Douglas B-23 Dragon Side 2 JBLM.JPG引用。


飛行機の引込み式降着装置、引込み脚は、爆撃機では、1932年2月16日初飛行のマーチンB-10が採用し、民間輸送機では、1933年2月8日初飛行のボーイング247(Boeing Model 247)輸送機、1933年7月1日初飛行のダグラスDC-1輸送機、1934年2月23日初飛行のロッキード10エレクトラが採用していた。戦闘機の引込み脚は、1933年12月30日初飛行のポリカルポフI-16戦闘機が採用している。

写真(右)2016年9月10日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機の右発動機ライト(Wright)R-2600-3ツイン・サイクロン 14(Twin Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン1,600 hp (1,194 kW) :1935年に生産開始、8万5347基量産。
English: B-23 Dragon Wright R-2600-3 engine at McChord AFB Date 10 September 2016, 12:47:28 Source Own work Author Thornfield Hall
写真はWikimedia Commons, Category:B-23 Dragon at McChord Air Museum, File:B-23 Dragon Wright R-2600-3 engine.jpg引用。


ライト(Wright)R-2600-3ツイン・サイクロン 14(Twin Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン の諸元
出力:1,600 hp (1,194 kW)
気筒ボアBore: 6+1⁄8 in (155.6 mm)
ストロークStroke: 6+5⁄16 in (160.3 mm)
排気量Displacement: 2,604 cu in (42.7 L)
全長Length: 62.06 in (1,576 mm)
直径Diameter: 55 in (1,397 mm)
乾燥重量Dry weight: 2,045 lb (928 kg)
1935年に生産開始、8万5347基量産。

写真(右)2017年9月14日、アメリカ、ワシントン州レイクウッド、マコード航空博物館(McChord Air Museum)、ダグラス(Douglas) B-23ドラゴン“Dragon”爆撃機/UC-67輸送機の尾部銃座(12.7mm機関銃装備可能)
English: B-23 Dragon at McChord Air Museum
Date 17 December 2015, 14:13:25
Source Own work Author Articseahorse
写真はWikimedia Commons, Category:B-23 Dragon at McChord Air Museum, File:B-23 Dragon at McChord Air Museum.jpg引用。


単発でも双発でも爆撃機や雷撃機は、襲撃してくる敵戦闘機から後方から銃撃を受けることが多かったために、後上方銃座が、第一次大戦時から設置されていた。この後上方銃座の銃手は、通信士や航法士を兼任していた。他方、双発機より大型機の尾部先端に設置された尾部銃座は、後上方から後下方、左右と広い射界が尾部銃座の特徴である。


写真(右)ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin) B-10爆撃機の左主翼前方に立つ飛行服姿のヘンリー・ハップ・アーノルド(Henry Harley "Hap" Arnold)中佐
ハップ・アーノルドは、第一次大戦中、アメリカ参戦前の1915年に大尉でロックウェル基地の操縦訓練を受けた。
1917年8月、大佐(戦時)として新設の陸軍航空部に勤務。
1934年7月、マーチンB-10爆撃機10機編隊でワシントンDCを起点にアラスカのフェアバンクスまで7400マイルを往復飛行した。
1935年2月、准将に特進。
1942年3月、大将としてアメリカ陸軍航空軍司令官に就任。
1934年7月から8月、マーチン(Martin) B-10爆撃機10機を率いて、ワシントンD.C.ボーリング・フィールド基地(Bolling Field)を発進、ミネアポリス、カナダのウィニペック、レジナ、エドモントン、プリンス・ジョージ、ホワイト・ホースを経由しアメリカのアラスカ州フェアバンクス(Fairbanks)まで8,290マイル (13,340 km)の北アメリカ縦断往復飛行に成功した。エンジンナセル後方に主輪を引込むことで、飛行中の空気抵抗が減少し飛行性能がを向上した。このような引込み式み降着装置は、1930年代にアメリカの双発高速輸送機から普及し始めたが、当初は軍用機、時に単発の戦闘機ではほとんど採用されていなかった。
SDASM Archives Follow Arnold, Henry Hap Catalog #: BIOA00219 Last Name: Arnold First Name: Henry Hap Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は  San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


6.米、対日感の現れ: 事実上飛行機の禁輸宣言『大阪朝日新聞』第147巻 P.178 1939-01-16
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100336599

【ワシントン特電十四日発】アメリカは十四日日本に対する飛行機ならびに部分品の輸出禁止を事実上宣言するにいたった、すなわち去る九日発表された軍需品統制強化の議会への年次報告によれば非戦闘員を爆撃する国に対する飛行機ならびに部分品の輸出を歓迎しないという国務省の方針はただ一の例外を除き民間業者の協力を得た旨を述べているが十四日国務省はその例外の内容を暴露しコネクチカット州にあるユナイテッド・エアクラフト会社[United Aircraft Corporation]が日本に対し部分品十万二千ドルを売却せるものであることを明らかにした

 これが軍需品輸出許可統計表の註釈の異例として発表されたが註釈を付することが例のないところであるのみならずその註釈たるや昨年十一月六日記者団との会見における[コーデル・ハル(Cordell Hull)]国務長官の言明同じく一月六日飛行機製作者への書翰からながながと説き起し日本に対する飛行機の輸出禁止が発表されていない今日、輸出許可を求められる場合国務省としてこれを拒否する法律上の権限を有さない旨を明らかにしてはいるが、いずれにしてもルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領の「戦争によらざる、しかも有効適切なる方法」の最初の現われとして重視される

写真(右)1936年以降、アメリカ、アリゾナ州・とネバダ州の境、コロラド川にかかるフーバーダム(Hoover Dam)上空を飛行するTWAトランスコンチネンタル(Transcontinental & Western Air)航空のダグラス(Douglas)DC-2輸送機:日本も輸入して中島飛行機がノックダウン生産した。
Douglas : DC-2 Catalog #: 00065479 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSDASM Archives 引用。


ダグラス(Douglas DC-2)の諸元
乗員Crew: 2-3名
搭載乗客数Capacity: 14名
全長Length: 61 ft 11.75 in (18.8913 m)
全幅Wingspan: 85 ft 0 in (25.91 m)
全高Height: 16 ft 3.75 in (4.9721 m)
主翼面積Wing area: 939 sq ft (87.2 m2)
空虚重量Empty weight: 12,408 lb (5,628 kg)
総重量Gross weight: 18,560 lb (8,419 kg)
発動機Powerplant: ライト(Wright)GR-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基
最高速力Maximum speed: 210 mph (340 km/h, 180 kn) /8,000 ft (2,400 m)
巡行速力Cruise speed: 190 mph (310 km/h, 170 kn) /8,000 ft (2,400 m)
航続距離Range: 1,000 mi (1,600 km, 870 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,450 ft (6,840 m)

写真(右)1936年以降、アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカ、クローバーフィールド飛行場(?)、ダグラス DC-4E (Douglas DC-4E)四発輸送機と後方のDC-3双発輸送機:1938年6月7日初飛行, エンジン出力に1939年10月に日本海軍が大日本航空の名義で購入し中島で十三試大攻「深山」の開発を行わせた。飛行機輸入禁止が適用されれば、日本は失敗作に浪費することはなかったであろう。
ダグラス(Douglas)DC-4Eの諸元 乗員: 3名 搭載乗客数: 42名 全長: 29.83 m 全幅: 42.16 m 高さ: 7.40 m 翼面積: 200.2 m² 自重: 19,308 kg 最大離陸重量: 30,164 kg 発動機: プラット・アンド・ホイットニー R-2180ツインホーネット(Twin Hornet)空冷14気筒エンジン 1,450 hp (1,081 kW)×4 最高速度: 394 km/h 航続距離: 3,540 km 実用上昇限度: 6,980 m
Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Date 1930s/1940s Source AL61A-044 Douglas DC-4E Author SDASM Archives
写真は Wikimedia Commons, Category:Douglas DC-4E File:AL61A-044 Douglas DC-4E (13984971640).jpg引用。


【ニューヨーク特電十四日発】日本に対するアメリカの経済制裁が実行されるとすれば第一に鉄および石油の輸出禁止だろうといわれている折柄ワシントン州選出の民主党上院議員シューエレンバッハ氏は来週早々屑鉄その他一切の屑金属の輸出を許可制とする法案を議会に提出することを声明した

写真(右)1939年2月16日、東京、海軍次官山本五十六中将主催の駐日英国大使館附武官退任送別会、駐日イギリス大使ロバート・レスリー・クレイギー(Robert Leslie Craigie :1883-1959)におけると:1930年ロンドン軍縮会議に参加、1937年9月3日、54歳で駐日大使として着任。1941年12月太平洋戦争勃発1年後、1942年イギリスに送還された。
日本語: 駐日英国大使館附武官退任における海軍次官主催送別会に出席したロバート・クレイギー駐日英国大使と山本五十六海軍次官 English: Robert Craigie at a farewell party hosted by deputy minister of the Navy, Isoroku Yamamoto Date 16 February 1939 Source Own work Author Yamatonadesiko1942
写真は Wikimedia Commons, Category:Isoroku Yamamoto File:AL61A-044 Douglas DC-4E (13984971640).jpg引用。


英国政府の公文

クレーギー[Robert Leslie Craigie]駐日イギリス大使が十四日有田[八郎]外相に手交したイギリス政府公文左のごとし

一、本使は本国外務大臣の訓令により過般近衛[文麿]総理大臣およびその他の日本政治家が闡明したる日本の極東問題に関する新政策を研究したる結果、イギリス政府が感ぜざるを得ざる不安および深甚なる憂慮を閣下に通報す本使はなかんずく十一月三日および十二月二十二日の近衛[文麿]総理大臣公の声明ならびに十二月十九日閣下が外人新聞記者団に与えられたる声明を援用せんと欲す、右不安は本使が閣下と本問題に関し随時行いたる会談によっても除去されざりしものなり

二、これらの声明ならびに日本において発出せられたるその他の公の情報にかんがみイギリス政府は日本政府の意図が日本、支那及び満洲よりなる三者間の結合もしくはブロック[経済]を結成し日本はその最高の権力を握り支那及び満洲に従属的役割を与えんとするにありと推断す、支那に関する限り日本政府は対支政治経済および文化事項の政策の画定および遂行を任務とする在東京興亜院を通じ少くとも一定期間統理を行わんとするものと諒解する、外人新聞記者団に対する閣下の声明について見るも右三者間の結合は単一の経済単位を構成し爾余の各国の経済活動は該ブロックの国防および経済的安定上の必要が規制する制限に服せしめられんとするがことし

三、近衛[文麿]公の言によれば支那事変は現存支那政府が潰滅せしめられるかまたは日本の条件に従い前記の結合に加入することに同意するにいたるまで継続するがごとし、近衛[文麿]公は支那は日本と防共協定を締結することを要し恐らく日本の停戦条件の履行を保障するため日本の軍隊は不定の期間支那領土内特定の地点に駐屯することを要すといえり、さらに近衛[文麿]公は内蒙地域は特殊の防共地域とすることを要すると述べたり、この意味は明らかならざるがさらに詳細なる情報なき限り内蒙古が支那の他の部分よりもさらに強度なる日本の軍事的把握の下に置かるべきものと推断するほかなし

四、イギリス政府としては日本は領土を求むるものにあらずして支那の主権を尊重するものなりとの近衛[文麿]総理の保障と武力により支那人民を強制して彼らの政治、経済及び文化生活を日本の把握の下に屈服せしめ多大の日本軍を永く支那に駐屯せしめかつ内蒙の領土を事実上支那より分離せしむることを包含する条件を受諾せしめんとする日本政府の闡明せられたる意図とがいかにして両立し得べきや諒解に苦しむものなり

五、イギリス政府としては強力により齎さるる上記のごとき性質の諸活動を受諾しもしくは承認する用意なきことを明かならしめんとするを欲す、イギリス政府は九国条約の諸原則を遵守する意向にして同条約の規定を一方的に変更することに用意する能わず、イギリス政府は現事変の発生するにいたるまで同条約より生ずることを期待せられたる良好なる影響が着々実現せられつつありしことを指摘せんと欲す、支那人民は自ら有能かつ安定せる政府を維持発達せしめつつありしものにして各国民の商業および産業に対する機会均等の原則は支那に対しかつ対日貿易を含む支那の国際貿易に対し繁栄を齎しつつありしものなり、よってイギリス政府は日本のいうごとく九国条約は最早や時代後れなりとかまたはその条項はすでに事態に即せずとすることには同意すること能わず、但し日本が同条約に違反し変更せしめたる事態に関しては別問題なり

写真(右)1940年頃(?)、イギリス、雲の上を飛行するイギリス空軍ハンドレページ (Handley Page)H.P.52 ハンプデン(Hampden)Mk.I 爆撃機(L4159):初飛行は1936年7月21日、全長: 17.32 m、全幅:21.08 m、翼面積: 63.9 m2、空虚重量: 5,790 kgkg、最大離昇重量: 10,206 kg、ブリストル(Bristol)ブリストル・ペガサス17 空冷9気筒1,000 hp (750 kW) 2基、最高速力:398 km/h、航続距離:2,770 km、爆弾搭載量は最大4,000 lb (1,800 kg)。イギリス空軍、カナダ空軍、オーストラリア空軍で使用された。生産期間は1936–1941年で生産機数1,430機。胴体が細く、スペースが狭いために、装備や居住性が劣り、方向安定性も十分でなかったために、開戦早々の1939年12月には昼間爆撃任務から除外され、夜間爆撃に充当された。しかし、ウェリントン、ブレニム双発爆撃機よりも飛行性能が低かったために、1942年9月には前線任務からは外されている。
SDASM Archives 15_002576 Handley Page H.P.52 Hampden Mk.I L4159. Image from the Charles Daniels Photo Collection album "British Aircraft.".
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive 引用。


六、しかれどもイギリス政府は条約の変更が一方的に行わるること能わず締約国全部の間の交渉によらざるべからずと主張するも条約が永遠不変のものなりというものにはあらず、もし日本政府が支那に関するいかなる多数国間の協定についてもその修正に関し何らか建設的意見を有するならばイギリス政府としてはこの種意見を考慮するの用意を有すべし、その間イギリス政府は現存諸条約に本づく一切の権利を留保するものなり

七、なお本使は訓令により近衛[文麿]総理が十二月二十二日の声明中に日本は支那における治外法権の撤廃および外国租界の返還を考慮するの用意ある旨を述べたる部分に言及せんと欲す、かくの如く支那が日本の要求を受諾するよう誘引するは日本としてはただ些少の犠牲のみを払うに過ぎざるが如し、何となれば日本政府が支那を掌握する計画に成功したる暁にはもはや治外法権または租界を必要とせざるにいたるべきをもってなり、一方イギリス政府はイギリスの治外法権撤廃のため一九三一年支那政府と交渉を開始しほとんどこれを完結したることを想起せんと欲す、該交渉は同年日本軍の満洲占拠に伴う不安定なる状態の結果として支那政府の中断するところとなりたるがイギリス政府としては爾来常に適当の時期に交渉再開の用意を有したるものにしてまた現に平和克復の際完全に独立せる支那政府と同問題およびその他同種の問題につき折衝するの用意を有する次第なり

八、終りに臨みイギリス政府としては或いは日本政府の意図をなんらか誤解したるやも知れざるがもししかりとすれば右は従来日本政府の意図の発表が漠然たりしがためなることを感ずるものにして事変を終結せしむるための日本側諸条件及び日本の対支政策についての一層剴切かつ詳細なる解説を歓迎すべきことを陳述せんと欲す
米、対日感の現れ : 事実上飛行機の禁輸宣言『大阪朝日新聞』 第147巻 P.178 1939-01-16引用終わり。


7.英米、許し難き暴言 : 危機を我責任に転嫁 : 帝国の和平努力を妨害『大阪朝日新聞』Vol: 第156巻 Page: 285 出版年 1941-11-13
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100337941

最近米英のわが国に対する態度はいよいよ不遜を加えつつあることは各方面における両国の言動についてこれを指摘することができるが、[フランク・]ノックス[William Franklin Knox]米海軍長官はまたまた別項のごとき休戦記念日演説において暴言を吐いている、すなわち『アメリカの権益を侵害する日本の行動を弱視し得ない、決意の時は来た、アメリカは大西洋と同時に太平洋においてもただちに行動を起し得る準備をなすべきである』として例によって太平洋の危機の全責任を日本に帰するがごとき詭弁を弄している、

帝国はあくまで隠忍を重ねて平和的に打開せんと努力をつづけ来栖大使が渡米の途上にある時さる十日のマンション・ハウスにおけるチャーチル英首相演説といい[フランク・]ノックス[Franklin Knox]長官の今回の演説といい対日不遜の暴言が相つぐことはわが国としては許し難き言動というべきである、

帝国は世界の最終的動乱化を防止するために極力平和的努力を尽くしているが、いかなる事態にも対処し得る準備は整えられ満を持して放たざるもので、その毅然たるわが方の態度に対し米英側はあらゆる恫喝と牽制を加えんとする足掻きをつづけつつあり、対内的にはかならずしも一致するにいたっていない米英国内輿論を攪発せんとするものであると見るべきであろう

写真(右)1943年7月5日、アメリカ西岸、ワシントン州シアトル、アメリカ海軍長官ウィリアム・フランクリン・ノックス(William Franklin Knox:1874年1月1日-1944年4月28日)とフランク・フレッチャー(Frank J. Fletcher)海軍准将:1936年の大統領選挙で共和党の副大統領候補となったが敗れた。しかし、1940年に再選された民主党フランクリン・ルーズベルト大統領の下、1940年から1944年4月28日、心臓発作で急死するまでアメリカ海軍長官だった。軍政や予算について実権を握ったが、軍事作戦は、海軍作戦部長アーネスト・キングに任せていた。
Description 80-G-207671: Secretary of the Navy Frank Knox at Seattle, Washington, Press Conference. Vice Admiral Frank J. Fletcher, USN, is to his right. Photographed July 5, 1943. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. (2017/06/27). Date 27 June 2017, 10:45 Source 80-G-207671 Author National Museum of the U.S. Navy
写真は,Category:Frank Knox File:80-G-207671 (35574863055).jpg引用。


太平、大西両洋に行動を起せ 米海軍長官煽動演説 [写真(ノックス長官)あり 省略]

【ニューヨーク特電十一日発】[フランク・]ノックス[Franklin Knox]米海軍長官は十一日の休戦記念日にロード・アイランドの新海軍航空隊根拠地において記念演説を行いまたも対日強硬論を主張した、その要旨は次の通りである

 アメリカはもはやアメリカの権益を侵害する日本の行動を黙視し得ない、決意の時は来た、アメリカは大西洋と同時に太平洋においても直ちに行動を超し得る準備をなすべきである、アメリカの安全にとって死活の問題たる権益は今や重大なる危機に直面しているのである、従来日本との友好関係を持続せんとするアメリカ政府の努力は苦難に漏ちたものであった、

アメリカの権益はたびたび侵害されたにもかかわらず、アメリカは日本への輸出を許可して来た、この怨耐は平和を求めんがためであった、しかし今や根本原則を犠牲にし得ない時に到達した、これ以上この態度をつづけることはアメリカの自由および寛容に関し誤解を生ずる、アメリカは完全な国防を有することを考慮して大西、太平両洋に行動を超すべきである

反日演説内容

【プロヴィデンス(ロード・アイランド州)十一日発同盟】[フランク・]ノックス[William Knox]海軍長官の演説要旨つぎの通り

 アメリカは従来日本に対し寛容なる態度をもって臨んできたがもはや日本のアメリカ権益侵害行為をこれ以上看過することはできなくなったアメリカ国民は近く重大問題が決定されようとしていることを知らねばならぬ、現在は甚だ危険なときである、太平洋のはるか彼方ではいまや重大事態が発生する可能性があり、われわれに対し即時大西洋と同様太平洋の防衛準備をすることが要求されている、何故ならばわが国の安全にとって極めて重大な権益が非常な脅威にさらされているからだ、われわれは幾度かアメリカの権利を侵害されながらも我慢しつづけてきた、われわれは自国を防衛するため必要であるからとの理由でいつでも軍需物資の対日供給を停止し得たにもかかわらずそれらの軍需物資の対日供給を許可してきた

 われわれは自己防衛の見地から大西洋におけると同様太平洋でも行動に出ねばならないと痛感させられている、現在アメリカに降りかかっている危機についてはいかに強調し誇張したとて当を失することはない、すなわち大西洋においては自己防衛のため最後手段をとる必要に迫られ、極東においてはつぎにいかなる事態がわれわれに襲ひかかるか何人も確信をもって言明できない状態にある

 つぎに戦後の問題としては戦後世界の平和確立のためアメリカの拠っている使命は重要である、余はここに平和綱領としてつぎの四点を提唱する

一、人類を戦争にかり立てるごとき勢力から政治的にも経済的にも釈放された世界秩序[New world order]の建設

二、経済的単位と結合した政治的自治の建設、新世界がいかなるものであってもこの礎石は物資交流と原料獲得の自由の上におかれねばならぬ

三、アメリカの世界指導地位の獲得、これはアメリカのもつ原料資源と基礎の確立せる政府がこれをしからしめる

四、紙の上だけでなく実力の基礎に立脚した戦後世界秩序の建設われわれは侵略目的達成のため好んで流血の惨を惹起するいかなる国に対してもすべての国が一丸となって反撃に出るごとき世界新秩序を建設せねばならない(英米、許し難き暴言 : 危機を我責任に転嫁 : 帝国の和平努力を妨害引用終わり)

2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

<ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)八部作>
飛行事業家ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)
ヒューズ(Hughes)H-1レーサー(Racer)世界最速記録
ロッキード(Lockheed)14スーパーエレクトラ(Super Electra)世界一周
ヒューズ(Hughes) XF-11 試作偵察機
ヒューズ(Hughes) H-4 ハーキュリーズ(Hercules)飛行艇の開発 
現存するヒューズ(Hughes) H-4 ハーキュリーズ(Hercules)飛行艇
アメリア・パットナム(Amelia Putnam)とハワード・ヒューズ(Howard Hughes)のロッキード(Lockheed)機による世界一周飛行の検討
ヒューズ(Hughes)のロッキード(Lockheed)コンステレーション(Constellation)

ハワード・ヒューズ(Howard Hughes)は、1934年ヒューズ航空機会社を設立し、ヒューズH-1レーサーを完成させ、1935年、自らの操縦で567km/hの陸上機世界最速記録を樹立。1936年には、H-1でアメリカ大陸無着陸横断飛行の世界記録、1937年には世界一周最速記録を達成した。1947年には、世界最大の飛行艇H-4を飛行させ、TWAトランスワールド航空の社主として国際路線を拡張した。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機
シコルスキー(Sikorsky)S-36水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-38水陸両用飛行艇
シコルスキー(Sikorsky)S-40飛行艇「アメリカン・クリッパー」"American Clipper"
シコルスキー(Sikorsky)S-42飛行艇アメリカン・クリッパー"American Clipper"
マーチン(Martin)M-130チャイナ・クリッパー/M-156四発飛行艇
ボーイング(Boeing)314飛行艇クリッパー"Clipper"
ブローム・ウント・フォス(Blohm & Voss)BV222バイキング/BV238飛行艇


2023年7月31日公開の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
連絡先: torikai007@yahoo.co.jp
〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1
東海大学HK社会環境課程 鳥飼 行博
TORIKAI Yukihiro, HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan259-1292
Fax: 0463-50-2078
Flag Counter
Thank you for visiting our web site. The online information includes research papers, over 10,000 photos and posters published by government agencies and other organizations. The users, who transcribed thses materials from TORIKAI LAB, are requested to credit the owning instutution or to cite the URL of this site. This project is being carried out entirely by Torikai Yukihiro, who is web archive maintainer.


Copyright © Torikai Yukihiro, Japan. 2023 All Rights Reserved.