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◆ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機
写真(上)1940年初頭‐1941年前半、アメリカ、ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機試作機
:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。方向舵の赤白ストライプの国籍マークは参戦後に廃止される。
AL61A-363 Lockheed P-38 Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives・ 引用。


写真(上)1944-1945年前半、中国、四川省、成都近郊、アメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) F-5G ライトニング(Lightning)偵察機
:アメリカ義勇軍「フライングタイガー」を引き継いで、アメリカ正規軍が中華民国の蒋介石政権を軍事支援するために、中国本土に派遣された。そのために、インド=ビルマ=中国のIBCの陸路・空路が整備された。
Lockheed F-5G, China, 1944-45 04340033 Jack D. Canary Special Collection Photo Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives・ 引用。

1.排気タービン装備のベル(Bell) YFM-1エアラクーダ(Airacuda)

1935年7月28日初飛行のボーイングB-17爆撃機は、排気タービン(ターボ過給機)を装備し高高度飛行が可能だったが、同じような高高度爆撃機を迎撃できる戦闘機の試作要求がアメリカ陸軍航空隊からなされた。これに応えたのがベルXFM エアラクーダで1937年9月1日初飛行した。

写真(右)1941年9月以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)YFM-1A エアクーダ(Airacuda)双発戦闘機の左前方:高高度 1万メートルで敵爆撃機を迎撃可能な重戦闘機と沿いて開発が始まった。左右ナセル後端に推進式3翅プロペラを装備したために、プロペラと地面のクリアランスを確保するために、三輪式(前輪式)降着装置を採用した。
Bell : YFM-1 : Airacuda Catalog #: 00021139 Manufacturer: Bell Designation: YFM-1 Official Nickname: Airacuda----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


XFM-1試作1号機は、1937年9月1日初飛行したが、最高速力は 431 km/hで計画より37km/hも遅かった上に、鈍重な機体だったが、アメリカ陸軍航空隊は、1938年5月に高高度重戦闘機の増加試作機YFM-1を13機発注した。ターボ過給器の不調のため、増加試作機は、ターボ過給器未装備のアリソンV-1710-23液冷12気筒エンジンに換装している。

ベルYFM エアラクーダ(Bell YFM-1 Airacuda)の諸元
全長: 14.34 m
全幅: 21.34 m
全高: 5.94 m
翼面積:63.7 m2
全備重量: 8,607 kg
発動機:排気タービン(ターボ過給機)付のアリソンV-1710液冷12気筒エンジン1,150 hpを搭載、プロペラは推進式。
最高速力: 431 km/h
実用上限高度:9,296 m
航続距離: 1,513 km
爆弾搭載量:140 kg ×2発
37mmM4ブローニング(Browning)機関砲 ×2門、左右のエンジンナセルにフライトデッキを設けて、先端に各1門を装備。
7.62mm M1919ブローニング(Browning)機関銃×2挺。

⇒写真集Album:ベル(Bell) YFM-1エアクーダ(Airacuda)双発戦闘機を見る。 


2.ロッキード(Lockheed) P-38 試作機

写真(右)1941年、舗装飛行場で待機する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 迎撃戦闘機の試作機:左右の主翼には青丸白星赤丸、方向舵には赤白ストライプという、第二次大戦参戦前に採用した国籍マークを描いている。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 も搭載していない。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003038 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1937年2月、アメリカ陸軍航空隊は単座・高々度迎撃戦闘機インターセプター開発要求をアメリカ航空メーカーに出した。性能要求は、最高速力360 mph (580 km/h)、上昇時間20,000 ft (6,100 m)まで6分 、当時の戦闘機の速力を100マイル(160km/h)上回るものとされた。また、爆弾搭載量も1,000 lb (450 kg)と当時の標準搭載量500 lb (230 kg) の2倍が期待されていた。

写真(右)1942年、低空飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38双発双胴戦闘機の試作機:左右の主翼には青丸白星赤丸、方向舵には赤白ストライプという、第二次大戦参戦前に採用した国籍マークを描いている。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 も搭載していない。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003042 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


陸軍の要求にこたえたロッキード(Lockheed)が開発したのがX-608、すなわちXP-38で、ライトフィールド基地で、1939年1月27日に初飛行した。

当初、爆撃機を迎撃する大口径機関砲が望まれていたため、1939年4月27日から13機生産された先行量産型YP-38は、アメリカ陸軍砲兵工廠(Army Ordnance Department)の開発した 37 mm (1.46 in)T9自動砲、すなわち後に M4として生産される大口径砲と弾薬15発を搭載した。

1937年2月、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)はアメリカの各航空機メーカーに対して、双発、高々度対応の迎撃戦闘機の開発を要請した。これはアメリカが空軍力の強化し、仮想敵国のドイツ、日本の戦闘機を遥かに上回ることを目指した。そして、ロッキード(Lockheed)は、競争試作機として1937年6月23日にモデル(Model)22を XP-38として試作することが認められたが、その予算は16万3,000ドルだった。

この時のアメリカ陸軍の要求は、最高速力360 mph (580 km/h) 、上昇時間20,000 ft (6,100 m) まで6分というもので、単座・高々度防空用の迎撃戦闘機の開発を命じ、ロッキードはそれに双発双胴戦闘機で応じたのである。

写真(右):1941年、飛行場で待機する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) XP-38 ライトニング(Lightning)迎撃戦闘機試作機::左右の主翼には青丸白星赤丸、方向舵には赤白ストライプという、第二次大戦参戦前に採用した国籍マークを描いている。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 も搭載していない。。
Ray Wagner Collection Image PictionID:42975516 - Catalog:16_003267 - Title:Lockheed YP-38 Pete Bowers collection - Filename:16_003267.tif - ---Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1937年2月、アメリカ陸軍航空隊は単座・高々度迎撃戦闘機インターセプター開発要求をアメリカ航空メーカーに出した。性能要求は、最高速力360 mph (580 km/h)、上昇時間20,000 ft (6,100 m)まで6分 、当時の戦闘機の速力を100マイル(160km/h)上回るものとされた。また、爆弾搭載量も1,000 lb (450 kg)と当時の標準搭載量500 lb (230 kg) の2倍が期待されていた。これがロッキード(Lockheed) XP-38に繋がる。

アメリカ陸軍の要求にこたえたロッキード(Lockheed)が開発したのがX-608、すなわちXP-38で、ライトフィールド基地で、1939年1月27日にアリソン液冷式発動機[Allison V-1710]を装備して初飛行した。当初、爆撃機を迎撃する大口径機関砲が望まれていたため、1939年4月27日から13機生産された先行量産型YP-38は、アメリカ陸軍砲兵工廠(Army Ordnance Department)の開発した 37 mm (1.46 in)T9自動砲、すなわち後に M4として生産される大口径砲と弾薬15発を搭載した。

写真(右):1941年、飛行場で待機する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) XP-38 ライトニング(Lightning)迎撃戦闘機試作機::発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。
Lightning Lockheed XP-38 37-457 PictionID:40973312 - Title:Lightning Lockheed XP-38 37-457 - Catalog:15_002808 - Filename:15_002808.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."-- ---Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


2−A. 独に劣る米空軍 : リンバーグ大佐証言『東京朝日新聞』第 46巻、p.71、1939-05-19
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100339055

【ワシントン十七日発同盟】 リンバーグ[Charles Lindbergh]大佐は現役復帰以来陸軍省の委嘱により米陸軍航空諸施設の視察を行っていたが、最近右視察旅行を終り十七日陸軍追加予算審議中の下院歳出分科委員会に出席米国空軍の現勢に関して重要意見を発行した、

リンバーグ[Charles Lindbergh]大佐の証言は特に秘密会で行われたが確聞するにリンバーグ大佐の証言はドイツ空軍と比較して米陸空軍の劣勢なる点を指摘し且空軍大拡張の必要な力説したものでその内容左の通り

一、米国空軍の発達はドイツ空軍に比べて遥かに立遅れている
一、ドイツの戦闘機並に軽爆撃機は米国のそれより遥かに優秀である 但し米国陸軍の発動機四基附超重爆撃機[B-17]は長距離爆撃に非常な効果を挙げるものと思われる

写真(右)1941年9月以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) YP-38 ライトニング(Lightning)戦闘機の右側面:左右3翅プロペラを装備し、トルクを打ち消すように左右で逆回転を採用した。また大直径プロペラと地面のクリアランスを確保するために、三輪式(前輪式)降着装置を採用した。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003045 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


アメリカ軍機の国籍マーク変遷
第二次世界大戦勃発時・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

写真(右)1941年9月以降、アメリカ、飛行場で待機するアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) YP-38 ライトニング(Lightning)戦闘機の左上面:青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプの第二次大戦参戦前のアメリカ国籍マークを描いている、左右発動機に3翅プロペラを装備したが、トルクを打ち消すように左右で逆回転を採用した。また大直径プロペラと地面のクリアランスを確保するために、三輪式(前輪式)降着装置を採用した。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003044 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)YP-38 戦闘機増加試作機:YP-38は アリソンV-1710-17/29エンジン1,150馬力を搭載、兵装は37 mm T-9機関砲×1(弾数15発)、12.7 mm AN/M2機関銃×2(弾数、各200発)、7.62mmAN/M2機関銃×2(弾数、各500発)を装備、胴体ブームに設けたラジエーターは外側だけでなく、内側にも装備して冷却性能を向上した。先行生産型として13機が生産された。第二次世界大戦勃発時・太平洋戦争初頭(1942年春まで)のアメリカ軍機の国籍マークとして、青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ を記入している。
Description YP-38 Date 2 March 2007 Source [1] Author U.S. Air Force Permission (Reusing this file) Public Domain
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:020903-o-9999b-059.jpg引用。


2−B.侮り難きその性能 : 米空軍最新機の全貌『日本工業新聞/産業経済新聞』Vol: 第 6巻 Page: 137 1940-10-25
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100226539

ロッキード(Lockheed) P-38 米国空中戦闘機中最優秀なものとしては最近制式になったロッキードP38[ライトニング]型があり、米空軍が”電撃機”と称して誇る素晴らしい快速機で、同社研究技師C・L・ジョンソンの設計になり一、一〇〇馬力アリソン液冷式発動機[Allison V-1710]を左右に二基据えた単座戦闘機で、成層圏飛行の設備もあり米国空軍司令の[ヘンリー・“ハップ”]アーノルド[Henry "Hap" Arnold]大将は「世界最高速だ」と言明し、最近テスト・パイロットによりその発動機の全スロットル開放の最高速試験を行った結果は実に驚異的高速だった由で、立会った米紙記者は時速八百キロを超えていたことは一点の疑いもないと云っている

だがこの数字を何処まで信じてよいかどうか、要するに七百キロの世界最高水準に近づいていることは想像出来る、同機は写真4の如くダビッド翼を採用しており、この点ドイツの新鋭機フォッケ・ウルフFWA一九八型機[Focke-Wulf Fw190]に似ておりこの翼だと従来高速戦闘機の難点であった操縦性の欠点も左右の発動機の緩急操作により安定性を保持しつつ、急転回が可能で、この高速と操縦性の難点を一応解決するものと見られている

強力発動機採用

カーチスP-40 同機は一、一〇〇馬力のアリソン液冷式発動機を二基装備しているが、戦闘機では発動機の外形が空気抵抗の多い空冷式より空気力学的に整形された液冷式に移行したことを示すもので、同じく追撃戦闘機の新制式機になったカーチスP40[ウォーホーク]型(写真1)もベルP-39[エアラコブラ]型(写真3)単発なからこのアリソン液冷式を装備しており、アリソン発動機はゼネラルモータース社経営のアリソン工場の製品で、同社では現在液冷式で一千五百乃至二千馬力のものを製作中の由である現在各国航空機は大体八百馬力から千百馬力であるが米国では千五百馬力乃至二千馬力級を目指しており後述の超「空の要塞」ダグラスB19型[Douglas XB-19]なども二千馬力ライト社空冷式発動機を控えており、同じく米国の代表的航空発動機会社プラット・アンド・ホイットニー社でもワスプの二千馬力ものを製作している、

発動機における米国の着々たる進歩は蓋し刮目すべきものがあり、それと共にプロペラーの改良もハミルトン・プロペラー社カーチス・ライト・プロペラー社において不断に行われ、例えば新鋭快速追撃機ベルP-39[エアラコブラ]型も写真3のごとくカーチス・電気式プロペラーと称する特殊設計の新プロペラーを取付けている

戦闘機に火砲主義

快速力、運動性と共に戦闘機には火砲がまた絶対的な要素であるが翼内多数機関銃装置の一斉射撃の武装と共に、近来の金属製軍用機の装甲性に対する機関銃弾の無効果から各国では火砲即ち機関砲を戦闘機に採用する傾向にあるが、米国の新鋭戦闘機には未だ世界の如何なる戦闘機にも装備していない三十七ミリ機関砲を採用しているこの機関砲はベルP-39[エアラコブラ]型では写真3のプロペラー・ハブ(枢軸)を通じて装置されており、またロッキードP38型では操縦席より、ベルYFM・1型エヤラキューダ[Airacuda])後部推進式双発三座戦闘機では各発動機の前室に二名の射撃手により照準移動可能のこの三十七ミリ機関砲を二門装備しており三十七ミリ口径といえば普通の戦車砲程度の破壊的の威力があり射程距離も二千メートルの遠距離に及ぶもので、この点現在のドイツのメッサーシュミット戦闘機をはじめ英・独の戦闘機は二十ミリから二十五ミリ程度のもので、その射程距離も六百メートルであるからこの三十七ミリ機関砲をもつ米国の戦闘機の威力も蓋し相当のものと云いたい

重爆撃機

爆撃機は空軍にとって最もその本質的使命を果す重要機種であり、即ち敵空軍基地を初め軍需工場、都市等を爆砕して敵戦闘力に打撃を与えるのである、しかも米国はその地理的条件から長距離爆撃機を作戦としても要求している、この点作戦行動範囲の狭い欧洲就中ドイツなどの爆撃機は比較的近距離用の大量生産向の二発動機型のものに主点を置いているのと対照される

 即ち欧洲各国の爆撃機は航続距離二千キロ−三千キロであるに対し、米国では五千キロ−六千キロに目標を置いており、最近では一万二千キロ乃至一万五千キロ大西洋を無着陸往復可能な超長距離機のダグラスB19型やコンソリデーテッド31型飛行艇[Consolidated XP4Y Corregidor]を製作している

B-17 なお此種のものに「空の要塞[ Flying Fortress]」の異名で既に重爆撃機隊に制式として五十九機配属しているボーイングB17型[Boeing B-17]があり、最近はその改良型B17−E型(七・七ミリ機関銃を主要武装としていたのを、三七ミリ−二十ミリの機関砲に変更)の重武装の文字通りの「空の要塞」を第一線機においている[実際のB-17 Eは12.7mm M2 ブローニング(Browning)11挺]、

これは凡ゆる角度の敵機を打てるよう胴体上下部両側、上部、機首に前後左右に動かして射撃出来る機関砲三、機関銃二を据えたもので、全備重量二十二噸、最大速度四八〇キロ、航続距離六千四百キロ、以上の場合の爆弾搭載力三噸である、発動機はターボ過給器付のライトサイクロン一、二〇〇馬力空冷式四基を据えて、九千メートル以上の高度で高性能を発揮するよう成層圏爆撃用への段階を示している

写真(右)1943-1944年、アメリカ、アリゾナ州デビスモンサン(Davis-Monthan)、アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)B-19重爆撃機:初飛行は、1941年6月27日,試作1基のみ生産。1943年にはエンジンをライト R-3350空冷二重星型エンジン(離昇出力2,000馬力)から、アリソン V-1710をギアで並列に2つつないだ液冷ダブルV型24気筒エンジンであるアリソンV-3420(離昇出力2,600馬力)に換装され、XB-19Aとなった。乗員:18名 全長:40.2m 全幅:64.6m 全高:13.0m 自重:63,500kg 発動機:アリソン V-3420 液冷V型24気筒レシプロエンジン 離昇出力2,600馬力×4 最高速力:427km/h 航続距離:12,500km 武装:機銃 37mm機銃2門・12.7mm機銃5門・7.62mm機銃5門 計12門、爆弾8,840Kg。 0.30 in (7.62 mm) ブローニング機関銃3丁、爆弾 2,260 lb (1,025 kg)。
Douglas : B-19 : Catalog #: 00005863 Manufacturer: Douglas Designation: B-19
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


 なおこの空の要塞[ Flying Fortress]」機を更らに高性能にした超「空の要塞」機たるダグラスB19型[Douglas XB-19]が二年前より加州のダグラス工場で鋭意製作されており、最近完成しこの五月二十日に初めての試験飛行を軍の手により行われた筈であり、その試験成績は未だ入電していないが各国軍用機界では大いに注目している、この巨大爆撃機のその称するところの性能としては−翼長六三米、全長四〇米、全備重量八二噸二千馬力ライト・デュプレックス・サイクロン空冷式発動機四基、乗員十名、爆撃搭載量一八噸、航続距離は七、七〇〇マイルと云われている

B-24 この巨大機の組立にはさすがに広大を誇るダグラス工場でも困って胴体後部、同中部、主翼、機首と三部分を別々に組立て、それを継ぎ合わしてやっと組立が出来たほどで掲載の写真2工場内での同機を見てもその大きさが判るが、翼幅だけでも、丸ビルの二倍の高さ(十七階分)であり、その引込式三脚輪も径九六吋の巨大なものであり五種類の鋼を素材とした堅牢なもので、この製造加工には一五〇吋作業半径の世界最大のターレット旋盤の新造を要したほどで、この建造にはダグラス社はじめ米国技術の数年に亘る最大の苦心が捧げられているという、

勿論現在ではなお試作機の範囲に属するものに過ぎないが、何にしても米国空軍が長距離重爆機の完成に凡ゆる研究、実験を捧げ、各航空機会社を鞭撻しているかが窺える

 なお第一線の新重爆機にコンソリデーテッドB24型[Consolidated B-24 Liberator]があり、これは「空の要塞[Flying Fortress]」ボーイング17型[Boeing B-17]よりもやや小さく全備重量二〇噸、最大速度五〇〇キロ、航続力は爆弾四噸を搭載して五、一二〇キロ、発動機はプラット・ホイットニー空冷式一、二〇〇馬力四基、降着装置は三輪式で、銃座は米空軍最初の自働油圧式を採用機尾にも機関砲を据えている

中型の優秀爆撃機

B-26マローダー 二基発動機の中型爆撃機にも世界最高水準をゆく優秀な新鋭機が相次いで完成している、現在の制式機であるダグラスB18[ボロ]型、同A型は旅客機のダグラスDC3型[Douglas DC-3]の改装で、性能も最大速度三五二キロ航続力は爆弾二噸搭載で三、二〇〇瓩、全備重量一〇・五瓲であるか、新鋭中型爆撃機はこの制式機を全ての点で飛躍する性能をもっている、

即ち−
ダグラスB23型[Douglas B-23 Dragon]=ライト空冷式一、二五〇馬力、発動機二基、自働油圧式銃座、三座席、全重量一三噸、最大速度四二キロ

マーチンB26型[マローダー][Martin B-26 Marauder]=プラット・ホイットニー空冷一、六〇〇馬力発動機二基、最大速度五四四キロで正に中型爆撃機としては最高水準以上である、全重量一三噸、機首機尾に機関砲を有し、爆弾の搭載量は一噸三六〇で航続力は秘せられている

ノース・アメリカンB25型[North American B-25 Mitchell]=ライト空冷式一、二五〇、発動機二基、三座、全量一一トン、銃座は自働液圧式、最大速度五二〇キロ、航続距離二、八〇〇キロ

マーチンPBM1型[マリナー][Martin PBM Mariner]=哨海爆撃機、双発、性能未詳

コンソリデーテッドPBY・4型[カタリナ][Consolidated PBY Catalina]=哨海爆撃機、双発、性能未詳

◇カーチスXSB2C・1型[ヘルダイバー][Curtiss-Wright SB2C Helldiver]=一七〇〇馬力ライト・サイクロン発動機装備、最大速度四八〇キロ以上、有名なカーチス・ヘルダイーを改良した急降下兼偵察爆撃機である

ダグラスSBD・1型[ドーントレス][Douglas SBD Dauntless]=急降下爆撃機、性能未詳[乗員: 2名、全長: 33 ft 1.25 in (10.09m)、全幅: 41 ft 6.375 in (12.66m)、全高: 13 ft 7 in (4.14 m)、翼面積: 325 sq ft (30.2 m2)、発動機:ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷9気筒エンジン1,200 hp (890 kW)、最高速力: 255 mph (410 km/h) 、航続距離: 1,115 mi (1,794 km)、実用上昇限度: 25,530 ft (7,780 m) 、12.7 mm固定機関銃2挺、7.62 mm旋回機関銃2挺、爆弾: 2,250 lb (1,020 kg) ]

ダグラスTBD・1型[デバステイター][Douglas TBD Devastator]=魚雷発射機、性能未詳

[写真(ダグラス工場に於ける世界最大の重爆機[Douglas]B19型)あり 省略]

侮り難きその性能 : 米空軍最新機の全貌『日本工業新聞/産業経済新聞』Vol: 第 6巻 Page: 137 1940-10-25引用終わり。


3.カリフォルニア州バーバンク(Burbank)、ロッキード工場で生産中のP-38 戦闘機

写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場で生産中のロッキード P-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機
Description English: Lockheed plant, Burbank, CA in WWII Date circa 1942 Source US Government Author US Government
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:Lockheed plant, ca. 1942.jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)の迎撃戦闘機競争試作要請には、ベル・エアクラフト社のモデルB-4(XP-39)も単発機で応じていたが、当時、高速双発輸送機の分野で、低翼単葉、引込み式降着装置を採用して成功していたロッキードは、双発機に強い自信を持っていたが、軍用機開発の経験が乏しかった。つまり、当時、ロッキードは、軍用機の実績のない新参メーカーとして、軍は軽く見ていたようだ。

写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場で生産中のロッキードP-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機:右奥は、生産ラインの最終工程で、ベルトコンベアー式に順次、製造作業が工程を追って進んでゆく。
English: Mechanized Conveyor Lines - Triple lines for Lockheed "Lightnings." Overall view of Lockheed's new mechanized P-38 line. Moving continuously, slowly, yet as surely as the hands of a watch, these three mechanized conveyor lines at the Lockheed Aircraft Corp. more than double the daily output of the old assembly line. The P-38 "Lightning" fighters come down the line at the right and are shunted over to the middle line where they grow their wings and engines. They then move backwards to the far end of the huge Final Assembly Hangar to go out the door and into a nearby paint hangar where they are camouflaged. Working exactly as an automobile assembly line, this mechanized line at Lockheed is notable not only because it is the first continuously moving final assembly line for combat aircraft in the West but, it also does what many experts said couldn't be done by putting twin-engined "Lightnings" on a full production basis. The room shown here was completely emptied of airplanes, which meanwhile were completed on an impromptu outdoor line. In eight days, the new mobile line was set up ready to receive its new quota of airplanes..
写真は Category:Lockheed P-38 production File:Mechanized P-38 conveyor lines.jpg引用。


3−A.独飛行機年産額三万六千台 : 米国は遥かに劣勢
東京朝日新聞 Vol: 第 49巻 Page: 180 出版年 1940-05-28

【ニューヨーク特電二十六日発】米国航空商業会議所会頭ジョン・ジュエット氏は二十六日夜米国飛行機生産の現状に関し左の如く述べた

 ドイツの飛行機年生産高は三万六千機に上るが米国の生産高は遥にこれに劣っている、米国は飛行機製作工業創始以来四万六千台の飛行機を生産した、来る十二ヶ月間には米国は一万五千乃至二万機を生産し得るものと信ずる(独飛行機年産額三万六千台 : 米国は遥かに劣勢引用終わり)

写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場、生産中のロッキード P-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機:巨大な敷地の工場内で、機首正面を向けて24-30機の機体が生産ラインに並んでいる。左右主翼下面には落下式増加燃料タンク(300 カロン: 1,100 L)を搭載している。 機首には、イスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発) 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4丁。
English: P-38 production at the Lockheed "Skunk Works" (between 24-30 planes) Date 1941 Source US Defense Dept. Author US Government Permission (Reusing this file) Public domain This image or file is a work of a U.S. Air Force Airman or employee, taken or made as part of that person's official duties. As a work of the U.S. federal government, the image or file is in the public domain in the United States.
写真は Category:Lockheed P-38 production File:Planet p38a.jpg引用。


写真(右)1942年11月、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード(Lockheed)飛行機工場生産中のロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機:機首には、イスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発) 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4丁。 機銃の銃口には、埃や異物が入らないようにブラスチック製の栓がはめてある。
Author Unknown author or not provided Record creator Roosevelt, Franklin D. (Franklin Delano), 1882-1945 Title An armorer's assistant in a large western aircraft plant works on the installation of one of the machine guns in the nose position of a new Lockheed P-38 pursuit plane Date circa November 1942 Collection National Archives and Records Administration wikidata:Q518155 Franklin D. Roosevelt Library (NLFDR), 4079 Albany Post Road, Hyde Park, NY, 12538-1999.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:An armorer's assistant in a large western aircraft plant works on the installation of one of the machine guns in the... - NARA - 196367.jpg引用。


写真(右)1942年11月、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク(Burbank)、ロッキード飛行機工場で生産中のロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機にリベットを打つ黒人女性労働者と白人検査官:手前は、左主翼の発動機 アリソン(Allison) V-1710液冷V型12気筒液令エンジン(排気量28.03 L)1,600 hp (1,200 kW)でナセルはついていないので内部がと排気管ダクトが明瞭に映っている。
Author Unknown author or not provided
Record creator Department of Labor. Women's Bureau. (07/01/1920 - 07/21/1967)
Title Riveter at Lockheed Aircraft Corp., Burbank, CA
Collection National Archives at College Park
Still Picture Records Section, Special Media Archives Services Division (NWCS-S)
Record ID the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 522880.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:Riveter at Lockheed Aircraft Corp., Burbank, CA - NARA - 522880.jpg引用。


ロッキード飛行機工場で生産中のロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機が装備した発動機は、アリソン(Allison) V-1710液冷V型12気筒液令エンジン(排気量28.03 L)1,600 hp (1,200 kW)は、1936年12月14日に搭載機が初飛行したが低空用の一段一速過給器型、中高度用の二段二速過給器型に加えて高高度用のターボチャージャー(turbocharger)搭載型があった。

P-38は、アリソン(Allison) V-1710液冷V型12気筒液令エンジンターボ過給機型を2基搭載したが、これはインペラ直径10.25 in (260 mm) の翅15枚からなる遠心式の排気タービン過給器(turbocharger)がついているので、気圧が低い高高度でも、エンジンを駆動するため燃料爆発に不可欠な酸素を十分に取り込むことができる。

写真(右)1942年11月、アメリカ、西部で生産され野外で最終点検を受けている真新しいロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機:機首には、イスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発) 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4丁。ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング(Lightning)戦闘機の発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。
Author Unknown author or not provided Record creator Roosevelt, Franklin D. (Franklin Delano), 1882-1945 Title New Lockheed P-38 pursuit ships receive final inspections and adjustments on assembly lines outside a large western aircraft plant. Date circa November 1942 Collection National Archives and Records Administration wikidata:Q518155 Franklin D. Roosevelt Library (NLFDR), 4079 Albany Post Road, Hyde Park, NY, 12538-1999. Record ID National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 196368.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:New Lockheed P-38 pursuit ships receive final inspections and adjustments on assembly lines outside a large western... - NARA - 196368.tif引用。


3−B.常備空軍五万台を目標米国増産に血眼 : 独米航空工業現勢特輯 : 英の戦況不利に頗る焦躁
日本工業新聞 産業経済新聞 Vol: 第 6巻 Page: 138 出版年 1941-05-25

https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100179899


”近代戦は工場より生れる”というこの工場より生れてしかも敵の工場を破壊に向う航空機の存在こそ真に近代戦の性格を露骨に表現しているではないか、[1919年]ヴェルサイユ条約[Treaty of Versailles]の圧迫下グライダーと旅客機で密かに今日の大空軍を誕生せしめたナチス独逸之に対するに英国の兵器廠として世界最大の自動車生産機構をもって大空軍を急ピッチででっち上げようとするヤンキー米国、この両者の工場対工場の、科学対科学の凄い闘争こそ人類史の一エポックを劃するものだろう、かくて我々は両国の航空工業の現状とその第一線軍用機の性能を注視しよう−

 非参戦主義でルーズヴェルト[Franklin Roosevelt]大統領に喰ってかかり遂にこのほど航空兵大佐の栄位を返上した空の英雄リンドバーク[Charles Lindbergh]が、一九三八年八月ドイツを訪問、その航空機工場の実際を判っきり見て驚歎し、米国政府に次の如く警告した

 ドイツの航空界は世界最新鋭、最大である、量に於ても質においてもドイツに追従し得る国は世界にない、もし現状のままで時日が遅延するなら両三年を出ずして米空軍は恐らく存在の意義を失うであろう…

そして三年は過ぎた、この警告は正に的中していることが、欧洲戦線における独逸の赫々たる空軍力と援英も十分出来ない自国の航空工業力を眼前に見て米国民はハッキリと見たのだった、そこで夢中になって「死物狂い」の軍拡に国内を挙げて乗り出し「スターク案」の航空機生産拡充計画でもって一九四三年末までに五万機の常備空軍を完成するコースを立案したのである、即ちこの予定表は

 (年次) (月産)
一九四〇年七月 三〇〇機
一九四一年一月 一、二五〇
同六月 一、五〇〇
同九月 一、七〇〇
一九四二年一月 二、二〇〇
同十二月 三、〇〇〇

即ちヒトラが国民の献身とともに約七年間かかって完成したものを二ケ年ででっち上げる計画にルーズヴェルト[Franklin Roosevelt]は出たのである、だがこの計画が果して成功的に遂行されているか、どうか?国防生産管理委員長クヌードセンの中間報告によるとこの一月一日月産一千台の予定案が正確なところその三十パーセントしか完遂されていない状態だと云う [写真(最新式のカーチスP40戦闘機)あり 省略]

 かくの如き再軍備の遅延は要するに工業界及び労働方面に未だに国防生産なるものを十分に把握していないためで、故にこれへの両者の大努力を求むるためには生産の戦時体制を強行し現在の週四十時間制を廃棄して全週無休とし且全機械の全運転でもって生産力の拡大をはかる要がある、なお大量生産向けへの工場機械器具の編成を至急完備すべきであり、続々行われている工場拡大に対し最大の機械的自働的大量生産制が適用されねばならないという [写真(世界最速のロッキードP38追撃戦闘機)あり 省略]

 だが航空機工業では大量生産が甚だ困難であり、ヨーロッパにおける航空機の現状の経験から日々改良が採入れられるため、例えば戦闘機の射撃砲塔の動力回転化、砲口径の増大、装甲防備の強化、対弾丸燃料タンク等種々無数の改良が伴うので如何にしても生産が遅延し勝ちとなり、これを大量生産式にベルト・システム等で行うとややもすれば二進も三進も行かぬ混乱の泥沼に落ち込む惧れがあり、計画と実行とのテンポが遅々たらざるを得ない、しかも工作機の供給不足がこの航空機増産障碍の主要原因であり以上の如き各社の増産計画もこの点において予期の進行を実現し得るや大いに疑われるのである [写真(カーチス電気式プロペラー装備のベルP39戦闘機あり 省略]
常備空軍五万台を目標米国増産に血眼 : 独米航空工業現勢特輯 : 英の戦況不利に頗る焦躁引用終わり)


4.ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機

写真(右)1941-1942年初期、アメリカ、舗装滑走路上のオリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 D双発双胴戦闘機の右側面:左右の主翼には1942年春以前の青丸白星赤丸の国籍マークを残しているが、垂直尾翼の白赤ストライプは塗りつぶされてる。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃も搭載していない。
Lightning Lockheed P-38D PictionID:40973273 - Title:Lightning Lockheed P-38D - Catalog:15_002805 - Filename:15_002805.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."-----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1941-1942年初期、アメリカ、飛翔するオリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 D双発双胴戦闘機の左側面:左右の主翼には1942年春以前の青丸白星赤丸の国籍マークを残しているが、垂直尾翼の白赤ストライプは塗りつぶされてる。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃も搭載していない。
Lightning Lockheed P-38 PictionID:40973260 - Title:Lightning Lockheed P-38 - Catalog:15_002804 - Filename:15_002804.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


4−A.米艦十隻を轟沈破 飛行機多数撃墜 : ハワイ空襲の大戦果
大阪毎日新聞 Vol: 第 53巻 Page: 15 出版年 1941-12-09

大本営海軍部発表(八日午後八時四十五分) (一)本八日早朝帝国海軍航空部隊により決行せられたるハワイ空襲において現在までに判明せる戦果左のごとし、戦艦二隻轟沈、戦艦四隻大破、大型巡洋艦約四隻大破(以上確実)他に敵飛行機多数を撃墜、撃破せり、わが飛行機の損害は軽微なり(二)わが潜水艦はホノルル沖において航空母艦一隻を撃沈せるもののごとくなるも未だ確実ならず(三)本八日早朝グァム島沖にて軍艦ペンギンを撃沈せり(四)本日敵国商船を捕獲せるもの数隻(五)本日同作戦においてわが艦艇損害なし

【ブエノスアイレス八日発同盟】七日午後十時半(日本時間八日午前九時半)ラジオ放送によればホワイト・ハウスはサンフランシスコの西方約一千三百海里の地点を航行中の米国輸送船団は潜水艦の攻撃を受け二隻が沈没したと発表した 【註】轟沈とは海軍の専門用語として一分間以内に撃沈せる場合をいう、なお米掃海艇ペンギンは一九一九年建造、総トン数八四〇トン、速力一四ノット、二門の三インチ高射砲を搭載している

轟沈戦艦名

わが海軍航空部隊の決死的急襲によってハワイ方面で轟沈された米戦艦は外国筋の情報を綜合するにオクラホマウェスト・ヴァージニヤの二艦と推定され、また同方面で帝国艦艇の魚雷の餌食となった航空母艦はエンタープライズと思われる、オクラホマ[USS Oklahoma; BB-37]は排水量二万九千卜ン、主砲三十六サンチ十二門、速力二十ノット、一九一六年五月竣工、ウェスト・ヴァージニヤ[USS West Virginia; BB-48]は三万一千八百トン、速力二十一ノット、主砲四十サンチ八門、一九二三年十二月二日竣工、エンタープライズは米国が誇る最新鋭の航空母艦で排水量一万九千九百トン、速力三十四ノット、搭載機数は戦闘機、偵察機、爆撃機、雷撃機など約百十機である=写真(上)オクラホマ(下)ウェスト・ヴァージニヤ号

[写真あり 省略] 米機、三百台を破壊か

【ブエノスアイレス本社特電八日発】八日ワシントンからの確認されざる情報によればハワイで米機三百機は破壊されたと

赫々・緒戦に大捷報

ミッドウェーも攻撃 【ブエノスアイレス本社特電八日発】八日ブエノスアイレスに達したワシントン電は「日本空軍はオアフ島、マニラ、グァム島を攻撃、またサモア、ミッドウェー両島をも連続的に攻撃した」と報じている

ウェーク島占領説

【上海本社特電八日発】ニューヨークより上海に達した情報によればウェーク島は八日日本軍に占領されたと

皇祖皇宗の大御前に宣戦布告を御親告 国運隆昌も御祈念

畏くも天皇陛下には八日東亜の禍乱を助長し、その非望を逞しゅうせんとする米英両国に宣戦布告の大詔を渙発し給い帝国不動の大方針を宣示あらせられたが、九日午前十時特に宮中賢所、皇霊殿、神殿に皇室祭祀令により臨時大祭を執り行わせられ皇祖皇宗の大御前に宣戦布告を御親告あらせ給い併せて国難突破の御祈念あらせられる旨八日仰せ出された、また神宮をはじめ各山陵、全国官国幣社にも近く勅使を参向せしめられることになり左のごとく御決定あらせられた

 (十一日)神宮、神武天皇山陵、大正天皇山陵(十二日)仁孝天皇山陵、孝明天皇山陵、明治天皇山陵 また官国幣社へは勅使として地方長官を参向せしめられる御趣に承る (米艦十隻を轟沈破 飛行機多数撃墜 : ハワイ空襲の大戦果引用終わり)

写真(右)1941-1942年初期、アメリカ、降着装置とフラップを下ろして着陸態勢に入ったオリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 D双発双胴戦闘機の左側面:左右の主翼には1942年春以前の青丸白星赤丸の国籍マークを残しているが、垂直尾翼の白赤ストライプは塗りつぶされてる。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃も搭載していない。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003074 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。




4−B.南太平洋戦線の米空軍機 : 機種にも乱調子暴露 : 掛声ばかりの高々度用機
大阪朝日新聞 Vol: 第 54巻 Page: 94 出版年 1943-04-11
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100347453

【斎藤寅郎本社特派員(海軍報道班員)】最近の南太平洋方面における敵米空軍の情勢に関し、記者が前線各基地において得たところを筆者の見解で綜合すると左の通りである

 第一に使用機は如何なるものが現れつつあるか、先ず戦闘機から列挙すると、緒戦当時米空軍の当時の第一線戦闘機カーチス[Curtiss]P四〇を主体として、リバプリックP四三(ランサ)、(プリュースター・バッファローは米国製ではあるが専ら英空軍用として使われた)海軍系では、グラマンF四Fなどが使われていたが、最近では、多量生産の体系が確立されたためか、当時は専ら援英用として輸出向けのみを作り、いまだ試作の段階にあったロッキードP三八、ベルP三九および同機の海軍向けモデル「エアラボンタ」(P三九の三車輪式を着艦フックを有する尾橇と改めたもの)などが陸海軍の制式機に繰込まれて続々登場しはじめ、極く最近では海軍の問題の戦闘機ヴォート・シコルスキーF四U一まで現れはじめた、

ロッキード P-38L 従って、現在の戦闘機主力は[Lockheed]P三八[Bell]P三九の両種に中心が移って、従来の[Curtiss]P四〇は補助的にのみ活動しているもののようである、

これら戦闘機の特質としては、[ロッキード(Lockheed) ]P三八は双発双胴の高速機である点を利用して、単に戦闘のみならず、昼間の高々度偵察に利用されることが多く、前線基地では殆ど毎日のように○○メートル前後の高度をとって白昼我が方の偵察に飛来する同機の姿を目撃することが出来る、

我が戦闘機の追蹤を受ければその高速な逃げ脚を利して逃れ去ることが多いが、ひとたび空戦の姿勢に入れば[P-38の]双胴二枚尾翼の形状からいっても視界が甚だ不利で戦闘には十分な強味を発揮することが出来ないといわれる、形式はABCDEの五種類あり武装と装備に若干の相違がある

P-39  [Bell]P三九は液冷のアリリン発動機を胴体中央部に搭載し、延長軸でプロペラを駆動する特長ある構造のために全世界の注目を浴びた問題の戦闘機であるが、これは予期に反して全く速度が出ず、空戦もまた弱い、前線の搭乗員仲間では、これをその形から綽名して「かつお節」と称え、その威力は全く問題にしていない、

ヴォート・シコルスキーF四U一はその初見参の際すでに八機中の六機を撃墜しているので詳細は未検討ではあるが、大したことはあるまいと評判されている、

面白いのはかつて「マートレット[Martlet]」の名で援英戦闘機として欧洲戦線に出動し相当な成績を収めたといわれるグラマンF四F[Grumman F4F Wildcat]戦闘機が、さして新規な設計でないにも拘らず、未だに極めて優秀な戦闘性能を示すことで、同機に対しては前線方面でも十分な警戒を行っている

次に爆撃機のうち急降下爆撃機の現状を見ると、主力は依然として、ダグラスSBD三[ドーントレス]である、旧ノースロップ系[Northrop A-17 ]から出発した余り新味のない

爆撃機で、約一箇月前○○方面で捕虜になった同機操縦員の自供によっても同機の急降下爆撃操作は決して進歩的なものとはいえない、寧ろ急降下爆撃機の鼻祖アメリカとしては驚くべき幼稚煩雑な仕組みで取上げるべき特長もないようである、ただし、これに続いて、かつて複葉の急降下爆撃機として名を売ったカーチスの今度は単葉急降下機SB二C一[Curtiss SB2C Helldiver]が、最近ソロモン方面に現れつつあり、これには若干の警戒が払われているが、真相は未だ分らない、

中型爆撃機としてはかねてから高速を予期されていたマーチンB二六[Martin B-26]がこれまた最近盛に登場しているが、これは極めて弾丸に弱く、一発でよく仕止めることが出来るといわれる、速度は予想通り極めて速いが恐るべき点は少しもないそうだ、

ダグラス A-20 これと並んで、すでにジャワ戦線で、鹵獲され内地に空輸されたダグラスA二〇A[Douglas A-20 Havoc]も動いているが、これも前者と同様、また日本内地の空襲にも参加し支那奥地における米空軍基地用として蠢動しているノース・アメリカンB二五[North American B-25 Mitchell]は当方面には姿を現さない、

重爆撃機としてはボーイングB一七E及びFとコンソリデーテッドB二四[Consolidated B-24 Liberator]がともに交々出動しているが昨年から今春劈頭にかけて断然数が多かったB一七に対し最近では航続力のより長いB二四[Consolidated B-24]の数が負けぬくらい目立って来たのは恐らく米本国における生産の進行方向を示すものであろう、最近何れも武装を強化し装甲を厳にしたため、撃墜が困難になって来たことは事実であるが、その代り行動能力の減少も免れぬところで、近頃両機の爆撃行動半径が概して一、三〇〇キロを超えぬのもそのためであろうと想像される

B-24J リベレーター 以上の使用機の変遷のあとを見ると、アメリカの航空工業界が目下生産にその主力を傾けつつある機種は自ら明らかであるが、これは凡そ開戦前からかくあるべしと予想された順路を踏むものであって、そこに我々の全く予期しなかった新しい機種が飛出して来ていないことは注意すべきであろう

 即ち開戦後設計試作に入った新試作機は未だ生産の域には達しないとしても、開戦前後試作の段階にあった飛行機は、いずれも多かれ少かれ、我々の眼に映じ耳に入ったものばかりで、たとい他に珍奇な試みが秘かに行われたものがあったにしろこれは遂に実用に供するに至らなかったことがほぼ裏書されるからである

またこれらの戦闘機、爆撃機の補給状況を眺めていると、必ずしも敵は適時適者を持ち出して来ていない、何でも出来たものを持って来て、兎に角頭数だけを揃えようとしている傾向が見える、これはあれだけ生産拡充を呼号しているアメリカの航空工業界が、口ほどもなく甚だ乱調子で、計画性に欠けていることを暴露するもので、この調子で飛行機の数だけが殖えて行くことは恐ろしいことではないという気がする、

ボーイングB17F 同時にアメリカは以前から成層圏爆撃の掛声をかけているにも拘らず、最近現れるボーイングB一七Fでさえ、この方面に関しては、殆ど進歩のあとが見えない、

当初アメリカ当局の計画として示されたものでは[ボーイング]B一七Fで亜成層圏飛行用の予備的な設備を行い、Fにおいてこれを本格的なものに引上げるべく、既に制作に入ったということであったが、Fの搭乗員であった一俘虜の供述によれば、現在のFはEに比して、頭部機銃が強化され圧縮酸素タンクの数が、数個増加した程度で、特に高々度飛行の考慮が加えられていると見るべき節はない、酸素タンクは圧力四〇〇ポンドの小形のもの約二十五個を一機に積み、自動調節弁を通じマスクによって乗員に酸素を供給するだけで、気密室に類するものは何処にも設けていないから、これでは本格的な高々度飛行は不可能である

コルセア [写真(カーチスP四〇)あり 省略]
[写真(グラマンF四F)あり 省略]
[写真(ロッキードP三八)あり 省略]
[写真(ヴォート・シコルスキーF四U一)[F4U諸元: 全長 33ft 4.13in (10.16m) 全幅 40ft 11.73in (12.49m) 、折り畳み時 17ft 0.375in (5.19m) 、全高 14ft 8.5in (4.48m) 翼面積 314ft² (29.17m²)、最高速力359mph(578km/h)/asl. ,417mph(671km/h)/19,900ft(高度6,066m), 航続距離1,665st.mile (2,680km)、兵装AN/M2 12.7mm機関銃6挺 (計2,350発)、爆弾2,000lbs (907kg)]あり 省略]
[写真(カーチスSB二C一)あり 省略]
[写真(マーチンB二六)あり 省略]
[写真(ダグラスA二〇A)あり 省略]
[写真(ボーイングB一七E)あり 省略]
[写真(コンソリデーテッドB二四)あり 省略](南太平洋戦線の米空軍機 : 機種にも乱調子暴露 : 掛声ばかりの高々度用機引用終わり)

写真(右)1943年6月以降、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク近郊、編隊飛行する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38J ライトニング(Lightning)戦闘機(42-67183)と奥のロッキード(Lockheed) F-5Bライトニング(Lightning)偵察機(42-67332): P-38J は機首に機関銃を搭載しているが、後続するF-5Bは機首に機関銃はないが、機首側面にガラス風防がついていないようにみえる。
Ray Wagner Collection Image Lockheed P-38 PictionID:46901998 - Catalog:16_008077 - Title:Lockheed P-38J 42-67183 with F-5B 42-67332 Burbank 1943 mfr V7773 - Filename:16_008077.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年6月以降、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク近郊、編隊飛行する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38J ライトニング(Lightning)戦闘機(42-67183)と奥のロッキード(Lockheed) F-5Bライトニング(Lightning)偵察機(42-67332):1943年6月以降、国籍マークは青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”に変更になった。
Ray Wagner Collection Image Lockheed P-38 PictionID:46902022 - Catalog:16_008079 - Title:Lockheed P-38J 42-67183 with F-5B 42-67332 Burbank 1943 - Filename:16_008079.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年6月以降、アメリカ、カリフォルニア州、バーバンク近郊、編隊飛行する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) F-5Bライトニング(Lightning)偵察機(42-67332)と奥のロッキード(Lockheed) P-38J ライトニング(Lightning)戦闘機(42-67183): 奥のP-38戦闘機L(?)は機首に機関銃を搭載しているが、手前のF-5B偵察機は機首に機関銃はない。しかし、F-5の機首側面にガラス風防がついていないのは、初期の戦闘機仕様改造機だからであろうか。現地部隊では、機首にガラス風防を設置するのは困難である。
Lockheed P-38L ""Lighting"" SDASM CATALOG #: Blaine_00242 Title: Lockheed P-38L ""Lighting"" Year : 1939-1944 Collection: Miles Blaine Collection Repository : San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1944年、アメリカ、山岳地帯上空を飛翔する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 J 戦闘機(298008):左右の主翼には1943年6月以降に採用した、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”の国籍マークを描いている。無武装で機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4挺 を搭載している。
Lockheed, P-38J, Lightning FILE NAME: 01_00091875 SDASM.CATALOG: 01_00091875 SDASM.TITLE: Lockheed, P-38J, Lightning SDASM.DESIGNATION: P-38J SDASM.OFFICIAL NICKNAME: Lightning SDASM.DATE: ca. 1944 SDASM.TAGS: Lockheed, P-38J, Lightning PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archivee
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1944年、アメリカ、農地上空を飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 J 戦闘機(298008):アリソンエンジン後方の胴体ビームに遠心式排気タービンの渦巻き状インペラ格納部が見えるが、ここにカバーがないのは飛行中の高温排気ガスによる加熱を冷却するためであろう。コックピットの操縦席パイロットが撮影者に顔を向けている。
Lockheed P-38L ""Lighting"" SDASM CATALOG #: Blaine_00302 Title: Lockheed P-38L ""Lighting"" Year : 1939-1944 Collection: Miles Blaine Collection Repository : San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1944年、アメリカ、旋回する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 L 戦闘機(425419)の左上面:アリソンエンジン後方の胴体ビームに遠心式排気タービンの渦巻き状インペラ格納部が見えるが、ここにカバーがないのは飛行中の高温排気ガスによる加熱を冷却するためであろう。コックピットの操縦席パイロットが撮影者に顔を向けている。
Lockheed P-38L ""Lighting"" SDASM CATALOG #: Blaine_00259 Title: Lockheed P-38L ""Lighting"" Year : 1939-1944 Collection: Miles Blaine Collection Repository : San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ロッキード(Lockheed) P-38戦闘機の最終量産型がP-38Lで、発動機にアリソンV-1710-89/91液冷12気筒エンジン1,425馬力2基を装備し、トルクを打ち消すために左右3翅プロペラの回転方向は逆になっている。つまり、片方のエンジンが逆回転の特別仕様とされた。機体が回転するトルクが打ち消されるために、モーメントの上から見て、地上滑走時の安定性も、飛行状態の安定性も改善されている。

 第二次世界大戦の期間、ドイツ、イギリスは液冷式エンジンが主流で、イギリスのロールス・ロイス社が開発したマーリンエンジンは、イギリス空軍のハリケーン、スピットファイア、モスキートに装備されている。そして、アメリカでも、ノースアメリカンP-51ムスタングの性能向上を企図して、ロールス・ロイス社のマーリンエンジンを導入し、装備した。

写真(右)1944年、アメリカ、旋回する無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 L 戦闘機(425419)の左側面:アリソンエンジン後方の胴体ビームに遠心式排気タービンの渦巻き状インペラ格納部が見えるが、ここにカバーがないのは飛行中の高温排気ガスによる加熱を冷却するためであろう。コックピットの操縦席パイロットが撮影者に顔を向けている。コックピットの操縦士が日光反射に幻惑されるのを防ぐ目的で、機首上面は黒色で塗装されている。
Lockheed : P-38L : Lightning Catalog #: 00039053 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38L Official Nickname: Lightning Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


したがって、アメリカが自ら開発し大量生産した強力な液冷エンジンは、P-38戦闘機、P-39戦闘機、P-40戦闘機の装備したアリソンV-1710液冷12気筒エンジンだけだったのである。そして、イギリスのマリーンも同日していなかった排気タービン過給機をアメリカは実用化、大量生産することに成功した。GE(ジェネラル・エレクトリック)製の排気タービン過給機は、アリソンV-1710液冷12気筒エンジンに搭載され、P-38戦闘機の航空性能を向上させたのである。

ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング戦闘機は、待機タービン(ターボスーパーチャージャー)を装備したエンジンを搭載した高々度迎撃戦闘機として開発された。しかし、ドイツ、日本の爆撃機による戦略爆撃は獲るに足りないものだったために、防御用の迎撃戦闘機としてよりも、双発大型機の特性である長い航続距離を生かして、洋上侵攻、直距離浸透攻撃に使用された。そして、長い航続距離は、特に洋上飛行が一般的な太平洋葉面で求められる特徴だったために、P-38は、対日戦に多数が投入されたのである。

 ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング戦闘機が実戦に投入された当初は、高空よりの一撃離脱に徹しきれずに、日本戦闘機との格闘戦ドッグファイトに巻き込まれてしまう場合もあった。日本の戦闘機操縦者は、P-38を「ぺろハチ」と呼んだこともあったという。

写真(右)1944年、雲海上を飛行するアメリカ陸軍航空隊第383戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38J-10-LO ライトニング(Lightning)"Betty A III"戦闘機(42-67978):アリソンV-1710-89/91液冷12気筒エンジン1,425馬力を装備、航続距離3,640 km、電動式ダイブブレーキを装備し、急降下制御能力を向上した。P-38Jは、1943年8月に生産を開始し、2,970機もが量産された。
English: Lockheed P-38J-10-LO Lightning Serial 42-67978 "Betty A III" of the 383d Fighter Squadron on the right and "Mim" on the left of the 364th Fighter Group, based at RAF Honington, England. Date 1944 Source www.americanairmuseum.com Author United States Army Air Forces
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:A 96th FS P-38 clearly displays the distinctive twin-boom design.jpg引用。


写真(右)1944年、低空飛行する無塗装のアメリカ陸軍航空隊第96戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)双発双胴戦闘機:機首上面にはコックピットの操縦士が日光の反射で幻惑されないように黒色塗装がなされている。機首には、イスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発)1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4挺を搭載している。
English: A 96th Fighter Squadron 82nd Fighter Group P-38 Lightning clearly displays the distinctive twin-boom design. Date 1944 Source source Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons Category:Lockheed P-38 Lightning File:A 96th FS P-38 clearly displays the distinctive twin-boom design.jpg引用。


ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング(Lightning)戦闘機の発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。

ロッキード(Lockheed) XP-38は、1939年1月27日に初飛行し、12週間後の2月11日には軍用機としては最高峰の最高速力420 マイル(680 km/h)を記録した。制式されたP-38は「ライトニング」と命名され、1941–1945年に1万機が量産された。

先行量産型ロッキード(Lockheed) YP-38の装備したT4は信頼性に問題がある上に発射速度が遅いため、23 mm T1機関砲(弾薬35発)に換装された。結局、量産型の P-38Eの兵装は、機首に12.7mm M2ブローニング(Browning)機関銃4挺、イスパノ(Hispano)20 mm 自動砲(弾薬150発)1門とされた。

写真(右)1944年、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊第383戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38L-LO ライトニング(Lightning)戦闘機:対地攻撃用の5インチロケット弾をクリスマスツリー状ランチャーに搭載した。発動機は アリソンV-1710-75/77液冷12気筒エンジン1,425馬力を装備、航続距離3,640 km、P-38Jは、電動ダイブブレーキを装備して、1943年8月に生産を開始し、2,970機もが量産された。 P-38Lは、1944年6月のノルマンディー侵攻作戦の時から前線に投入され、 3,923機が生産されている。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003112 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


対地攻撃用の5インチロケット弾を搭載できるクリスマスツリー型のランチャーを装備アリソンV-1710-89/91液冷12気筒エンジン1,425馬力を装備、航続距離3,640 km、P-38Jは、電動ダイブブレーキを装備して、1943年8月に生産を開始し、2,970機もが量産された。 P-38Lは、1944年6月のノルマンディー侵攻作戦の時から前線に投入され、 3,923機が生産されている。 ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機の諸元

初飛行:1939年1月27日
生産数:10,037機
乗員: 1名
全長: 11.53 m (37 ft 10 in)
全高: 3.00 m (9 ft 10 in)
翼幅: 15.85 m(52 ft 0 in)
翼面積: 30.43 m2 (327.5 ft2)
空虚重量: 5,800 kg (12,780 lb)
全備重量: 7,940 kg (17,500 lb)
最大離陸重量: 9,798 kg (21,600 lb)
発動機: アリソン(Allison) V-1710液冷スーパーチャージャーV型12気筒液令エンジン1,600 hp (1,200 kW) × 2
最高速力: 高度 7,620 m 時 667 km/h (高度 25,000 ft 時 415 mph) 失速速度: 170 km/h (105 mph)
フェリー航続距離: 3,640 km (2,600 マイル)
航続距離: 1,770 km (1,100 マイル)
実用上昇限度: 13,400 m (44,000 ft)
翼面荷重: 260.9 kg/m2 (53.4 lb/ft2)
イスパノ M2(C) 20 mm 機関銃× 1(携行弾数150発)
ブローニング MG53-2 12.7 mm 機関銃 (携行弾数500発)×4
爆弾:1,000 lb(454 kg)爆弾×2
落下タンク: 300 カロン (1,100 L) 2個

写真(右)1942年、イギリス中部東岸、ハンバー川河口付近、ゴックスヒル、アメリカ陸軍航空隊第1戦闘飛行隊のロッキード(Lockheed) P-38戦闘機(41-7631):左右主翼下面には落下式増加燃料タンク(300 カロン: 1,100 L)を搭載している。1941年10月に登場したP-38Eなら、機首には、M1 20 mm 機関砲×1(弾数、150発)、12.7 mm機関銃×4(弾数 各500発)。
English: P-38 Lightnings, including (serial number 41-7631) of the 1st Fighter Group at Goxhill. Image stamped on reverse: 'Not to be published 20 Jul 1942.' [stamp] and '213031.' [censor no]. Date 1942 Source www. americanairmuseum.com Author United States Army Air Forces
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:1st Fighter Group P-38 Lightning 41-7631 at RAF Goxhill.jpg引用。


写真(右)1942年11月、アイスランド南西岸、レイキャビク郊外ケプラビーク、キャンプ・トリポリ基地、アメリカ陸軍航空隊第14戦闘飛行隊のロッキード(Lockheed) P-38戦闘機:1940年5月にイギリス軍は中立のアイスランドに侵攻、のちにアメリカ軍がアイスランドを終戦まで占領し、大西洋防衛拠点として使用した。
English: A USAAF Lockheed P-38F-5-LO Lightning fighter (s/n 42-12596) of the 50th Fighter Squadron, 14th Fighter Group, at Camp Tripoli airfield, Iceland, November 1942. Date November 1942 SourceUnited States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e00977
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:1st Fighter Group P-38 Lightning 41-7631 at RAF Goxhill.jpg引用。


1940年5月のドイツの西方侵攻で敗退したイギリス首相ウィンストン・チャーチル[Winston Churchill]は、大西洋の海上交通護衛を強化するために、1940年5月10日に中立国アイスランドに侵攻した。これがフォーク作戦Operation Fork)である。

同時に、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト[Franklin Roosevelt]に最初の手紙を書いた。内容は、大西洋の制海権維持のために、アメリカで余剰となった駆逐艦をイギリスに貸与してほしいという要請で、見返りに西半球のイギリス領だったカナダ沖のニューファンドランド (Newfoundland)島、大西洋上のバミューダ (Bermuda)諸島、西インド諸島 (West Indies)のイギリス軍の基地を99年間の譲渡するといういうものである。こうして、1940年9月2日、フランクリン・ルーズヴェルト大統領とウィンストン・チャーチル首相の間で駆逐艦基地交換協定 (Destroyers for Bases Agreement)がなった。

さらにイギリスのアイスランド侵攻Operation Fork)後、イギリスに代わってアメリカ軍がアイスランドを占領し、軍事基地化したが、これも大西洋の海上交通防衛のためだった。

写真(右)1942-1943年、アメリカ、アラスカ準州アリューシャン列島、整備中の飛行場に駐機しているアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機(右と奥)、カーチス(Curtiss)P-40ウォーホーク (Warhawk)戦闘機(左)、コンソリデーテッド(Consolidated)PBY カタリナ(Catalina)飛行艇(左手前の尾部)
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-21 P-38s and P-40s undergoing maintenance in the Aleutian Islands.
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。



写真(上)1943年8月、南西太平洋、ニューカレドニア島、ラ・トントゥタ(ヌメア)飛行場、アメリカ陸軍軍第431爆撃飛行隊ボーイングB-17E重爆撃機(41-2426)とロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機
: ベルP-39エアコブラ戦闘機、マーチンB-26マローダー双発爆撃機を待機している。
English: B-17E Fortress 41-2426, 431st Bomb Squadron in August 1943 at the Thirtenth Air Depot, Tontouna Airfield, New Caledonia in for depot-level maintence along with a P-38, P-39 and B-26. This B-17 was returned to the United States in Feb 1944 as War Weary. (USAAF Photo) Date 1943 Source Bowman (2003), B-17 Flying Fortress Units of the Pacific War, Osprey ISBN 978-1-84176-481-8 (USAAF Photograph) Author United States Army Air Forces Permission (Reusing this file) USGOV-PD.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:B-17E Fortress 41-2426 431st Bomb Squadron Aug 1942.jpg引用。


写真(右)1943年1月20日、ニューギニア島、ポートモレスビー(?)、日本海軍ゼロ戦2機を撃墜したアメリカ陸軍航空隊第39戦闘飛行隊ロバート・ファウロー(Robert L. Faurot)大尉と愛機のロッキード(Lockheed) P-38戦闘機:左右主翼下面には落下式増加燃料タンク(300 カロン: 1,100 L)を搭載している。機首には、トージョーを模したしたり顔の日本人の個人マーキングが描かれている。1943年4月18日に、ブーゲンビル島視察に向かった連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の一式陸攻と宇垣纒参謀長の乗った一式陸攻をP-38戦闘機16機が待ち伏せ撃墜した「海軍甲事件」が起こっている。
Author Unknown author or not provided Record creator Department of Defense. Department of the Army. Fort Leavenworth, Kansas. (09/18/1947 - ) Title Air Force personnel & equipment. The Pacific, England, Wash. DC. 1942-44 (mostly 1943) Description Scope and content: One of the U.S. Army Air Force Aces is Captain Robert L. Faurot, of Cape Girardeau, Mo. who has shot down two Japanese Zeros. New Guinea. General notes: Capt. Robert L. Faurot served with the 39th Fighter Squadron and was shot down by Japanese A6M fighters during the Battle of the Bismarck Sea on 3 March 1943. Date 20 January 1943 Collection National Archives and Records Administration wikidata:Q518155 NARA's Central Plains Region (Kansas City) (NREA), 400 West Pershing Road, Kansas City, MO, 64108. Record ID National Archives Identifier (NAID) 292571
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:Air Force personnel & equipment. The Pacific, England, Wash. DC. 1942-44 (mostly 1943) - NARA - 292571.jpg引用。


4−C.南方前線で作戦指導中交戦、機上に壮烈の戦死 : 武勲まさに万代不滅 : 噫!山本連合艦隊司令長官
大阪朝日新聞 Vol: 第 54巻 Page: 105 出版年 1943-05-22

大本営発表 (昭和十八年五月二十一日十五時)連合艦隊司令長官海軍大将山本五十六は本年四月前線に於て全般作戦指導中敵と交戦飛行機上にて壮烈なる戦死を遂げたり
後任には海軍大将古賀峯一親補せられ既に連合艦隊の指揮を執りつつあり

島田海軍大臣談話

本日大本営より発表せられました通り山本連合艦隊司令長官は過日南方最前線において壮烈なる戦死を遂げられました

畏くも天皇陛下におかせられましては山本連合艦隊司令長官危篤の報を聞召されまするやその偉勲を思召されて元帥府に列せられ特に元帥の称号を賜わり、大勲位功一級に叙せられましたことは誠に恐懼感激に堪えないところであります、惟うに開戦劈頭ハワイ、マレー沖海戦により世界を驚倒せしめまして以来、太平洋及び印度洋の全域に亙り雄大なる作戦を実施し、随所に頑敵を撃砕して輝かしき戦果をあげ、一年有半にして帝国不動の必勝態勢を確立し得ましたことは偏に御稜威の然らしむるところでありますが、同時に陸軍と緊密なる協同のもとに実施せられたる連合艦隊の周到綿密なる作戦と艦隊統率その全きを得てよくその実力を発揮いたしましたる結果でありまして、山本元帥の武勲はまさに万代不滅と申すべきであります

山本元帥が開戦以来戦闘熾烈の前線に進出し親しく全般作戦の指導に任ぜられまするや艦隊将兵の士気ますます揮いつねに偉大なる戦果を挙げて参りました、遂に元帥は最前線において敵と交戦中飛行機上に壮烈なる戦死を遂げられたのでありまして、全軍その報により異常の感動をうけいよいよ敵を撃滅せずんばやまずとの信念に燃えたっておるのであります、いまや戦局いよいよ重大にして真に皇国の興廃を決するの秋、山本元帥の戦死はもとより大なる痛恨事でありますが、帝国海軍はこれによって微動だもせず、御稜威のもと烈々たる戦意と旺盛なる士気をもって倍々敵撃滅の決意を固め一層勇戦敢闘誓って聖慮に応え奉らんことを期するものであります

写真(右)1943年1月20日、ニューギニア島(?)、オリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38戦闘機(白20)の右前方:胴体ビーム側面に1942年春以降の青丸白星の国籍マークを記入している。機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4丁を搭載している。滑走路には、穴の開いた鉄板を引き詰めていて、簡易舗装している。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003082 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


挺身陣頭に奮戦 全海軍に熱火の敵愾心 海軍報道部長 矢野[英雄]少将放送

 大本営海軍報道部長矢野英雄少将は二十一日午後七時三十分から「山本元帥を偲びて」と題する左の要旨の放送を行った

私はこの度南太平洋最前線で戦死せられた連合艦隊司令長官山本元帥の赫々たる偉勲とその壮烈なる精神とを偲びたい、元帥は明治三十七年海軍兵学校卒業以来身を軍職に奉ずること四十年の久しきにわたったが、その間海軍少尉候補生として日本海海戦に奮戦、重傷を受け初陣の功を樹てられたのである、その後第一次世界大戦および数次の事変に参加し赫々たる武勲をあげ、また航空戦闘隊司令官としてとくに海軍航空の重要性に着眼し鋭意その建設に努め、一方海軍軍縮会議における帝国海軍全権委員随員或は帝国代表として国外に使いし終始よく帝国の主張貫徹に尽瘁せられ、帰朝後海軍航空本部長の要職に就かれ今日の帝国海軍航空を確立し、ついで海軍次官として国際情勢複雑多岐の間に処しよく難関を打破し更に昭和十四年連合艦隊司令長官に親補せられ、支那事変に参加し、重慶政権に対し陸海協同の至妙と有形無形の実力を発揮してこれを支那奥地に蟄伏せしめ、同時に今日に備えて実力の錬成強化と必勝の籌策樹立に心血を傾注せられ、もって今次の大東亜戦争に臨まれたのである

 昭和十六年十二月八日米英に対する宣戦の大詔を拝し奉るや帝国海軍は電光石火敵米英の太平洋上における艦隊主力を覆滅し、一瞬にしてこの海軍兵力比率を逆転せしめ、爾来疾風迅雷随時随所に頑敵を粉砕し、戦前敵が呼号せる包囲陣を撃砕し、更にインド洋、南太平洋、東太平洋に雄渾なる大作戦を敢行するとともに、その一部は遠く米国本土西岸、濠洲および南阿方面に出撃し赫々たる戦果をあげたのである、かくて帝国は開戦以来一年有半にしてその四周に必勝の拠点をきずき絶対優勢なる戦略態勢を確立し、いまや光栄ある勝利はわれわれの前途に確約されているのである

 かくのごとき史上空前の大戦果はもとより御稜威のしからしむるところであるが、また連合艦隊の雄渾周到なる作戦と全軍統率の全きを得てよくその実力を発揮せる結果であってその最高指揮官たりし山本元帥の武勲はまさに千古不滅と申すべく、帝国の青史に燦たる光輝を放つものである、このたび畏くもその偉勲を嘉せられ元帥府に列せられとくに元帥の称号を賜わり、大勲位功一級に叙せられたことはまことに武人最高の栄誉と申すべきである

 元帥が昨年八月以来戦史に比類を絶する激戦場と化した最前線に自ら進出せられたことは元帥の敢闘精神を物語るものであって同方面の前線部隊は異常の感動を受け、全軍感奮興起し更に生死を賭して戦わんことを誓ったことはいうまでもない、元帥の戦死せられた当時同方面においてはとくに熾烈なる航空決戦が昼夜を分たず展開せられていたが、いま四月中の激戦の状況を簡単に申せば帝国海軍航空部隊はその鵬翼をつらねほとんど連日ソロモン群島方面においてはガダルカナル島、フロリダ島、ルッセル島、ニューギニヤ方面においてはポート・モレスビー、オロ湾、ミルン湾などを攻撃し、敵機百八十三機を撃墜、三十機を撃破し、巡洋艦一隻、駆逐艦二隻を撃沈し、小艦艇多数を撃破し、その他の船舶二十八隻を撃沈、三隻を撃破している、この間敵機の来襲もまた熾烈を極め延機数にして四月上旬には五百五機、中旬には五百八機、下旬には七百三十二機、合計千七百四十五機の多数に達しているのである、元帥はこの激戦の最前線に進出せられ全般の作戦指導中敵と交戦しついに飛行機上に壮烈なる戦死を遂げられたのである、すなわち身をもって陣頭に立ち奮戦せられたのであってその烈々たる敢闘精神は永遠に帝国海軍全将兵の精神の中に生き、米英撃滅の一大推進力となるものと固く信ずるのである

 私は開戦前より戦争の初期にかけて連合艦隊旗艦艦長として朝夕元帥の英姿に接することができたのであるが、私の心に深く刻みこまれた元帥の人格は剛毅沈着、思慮周密、気宇宏大闊達であって創意に富み物事に囚われずしてその真相を見抜く力が群を抜いておられた、また機を見ること極めて敏であって勇断決行初志を貫徹せずんばやまざる強い意思の人であった、その堂々たる体躯、儼然たる態度のうちに慈父の如き温容と大海の如き抱擁力をもたれ万人ひとしくわれらの長官として心服尊敬せざるものはなかったのである、殊に連合艦隊司令長官として皇国の興廃をその双肩に担われ米英撃滅の大詔を拝せられた前後の御心境は何人といえども想像すらおよばざるところであるが、当時の長官の態度は悠々迫らず極めて平静沈着何ら平日と異なったところなく、連合艦隊の将兵みな無言の信頼と力強さに打たれたのである、開戦当時連合艦隊の各指揮官を集合せられ開戦に関し力強く訓示されたが、その訓示中に「本職と生死をともにせよ」ともっとも厳粛に諭されました、私はその時の長官の巌のごとき決意と神のごとき風貌に終生忘るることのできない感銘を受けたのである、また長官は出陣に当って

 国をおいてい向うきわみ  千万の軍なりとも言挙はせじ

と詠んでおられる、皇国の存亡を背負って戦に出陣する以上は敵は米英の大軍であるがこれを撃滅するまでは黙々と戦い抜くのだと申されたのである、戦局いよいよ重大なるとき元帥戦死の報に接し全軍の将兵は真に痛恨哀惜の情を禁じ得ないものがあった、しかしこれによって帝国海軍は微動だもするものではない、否かえって元帥の烈々たる精神を精神とし熱火の如き敵愾心をもって米英撃滅に一路邁進せんことを深く期しているのである、戦の前途はなお多難である、私は国民諸君とともに元帥の壮烈崇高なる精神を生かすはまさに今後にありと信ずるのである

大勲位功一級に陞叙 元帥、国葬を賜う 多年の偉功を嘉せらる

情報局発表(五月二十一日午後五時)
天皇陛下ニ於カセラレテハ連合艦隊司令長官海軍大将山本五十六ノ多年ノ偉功ヲ嘉セラレ
大勲位功一級ニ叙セラレ
元帥府ニ列セラレ特ニ元帥ノ称号ヲ賜イ
正三位ニ叙セラレ
薨去ニ付特ニ国葬ヲ賜ウ旨仰出サル(南方前線で作戦指導中交戦、機上に壮烈の戦死 : 武勲まさに万代不滅 : 噫!山本連合艦隊司令長官引用終わり)

写真(右)1943年頃、ニューギニア島(?)、オリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第8戦闘航空団(8th Fighter Wing)第80戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38 J 戦闘機"Headhunters" (首狩り)の左前方:機首に日本機13機の撃墜マークを記入している。機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4丁を搭載している。滑走路には、穴の開いた鉄板を引き詰めていて、簡易舗装している。
The ground crew assigned to CAPT J.T. Robbin's P-38 of the 80th Fighter Squadron "Headhunters," 8th FG. Catalog #: 10_0018629 Title: he ground crew assigned to CAPT J.T. Robbin's P-38 of the 80th Fighter Squadron "Headhunters," 8th FG. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Frank Olynyk who has researched basically all US fighter records states that Robbins claimed his first three victories with P-38G 43-2382 and eight more in P-38H 42-66820, Looking in other various books/Internet he was then probably assigned his first J-model 42-67590 which was named Betty. After that I only have 42-103988 Jandina III and 43-28832 Jandina IV. So if we don't have any P-38's named Jandina I and Jandina II, the Jandina III is Robbins fourth Lightning and Jandina IV his fifth.... Stig
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年頃、ニューギニア島(?)、無迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第6偵察飛行隊のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38L ライトニング(Lightning)戦闘機(111)の右側面:穴あき鉄板を敷き詰めた簡易舗装滑走路は、使い込まれて土をかぶっている・コックピット前方の機首上面は、操縦士に対する日差し反射による幻惑を防止するために、反射除けの黒色塗装がなされている。機首に機関銃が搭載されているので、偵察機の護衛任務に当たっていたようだ。発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。
6th Recon Group Lockheed P-38L Catalog #: 10_0018883 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38L Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38L Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38L , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945
写真は, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年頃、ニューギニア島(?)、無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7航空軍(7th Air Force)第36戦闘飛行隊(36FS)「フライング・フレンズ(Flying Fiends)」所属ロッキード(Lockheed) P-38 J戦闘機機首の機関銃整備作業:右に牽引用ケーブル社が待機している。機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4丁を搭載している。滑走路には、穴の開いた鉄板を引き詰めていて、簡易舗装している。
Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Catalog #: 10_0018606 Title: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Date: 1941-1945 Additional Information: World War Two Squadron/Group Tags: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s, World War Two Squadron/Group, 1941-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943-1944年頃、ニューギニア島(?)、オリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第7航空軍(7th Air Force)第36戦闘飛行隊(36FS)「フライング・フレンズ(Flying Fiends)」ロッキード(Lockheed) P-38H 戦闘機"Zack-ass"機首とアメリカ兵士:機首の"146"を塗りつぶしているので、所属部隊が変更になったようだ。
Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Catalog #: 10_0018604 Title: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Date: 1941-1945 Additional Information: World War Two Squadron/Group Tags: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s, World War Two Squadron/Group, 1941-1945 Gerry Asher 11y A gentleman we know only as 'Jack Chiarmonte' (from the photo's inscription) poses with "Zack-ass," an unidentifed P-38 assigned to the 36th Fighter Squadron, 8th FG, shows evidence of previous assignment, by way of the over-painted "146" on the nose, to the 432nd FIghter Squadron of the 475th FG. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943-1944年頃、ニューギニア島(?)、左右主翼内側に爆弾を搭載した無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7航空軍(7th Air Force)第36戦闘飛行隊(36FS)「フライング・フレンズ(Flying Fiends)」ロッキード(Lockheed) P-38H 戦闘機"Zack-ass"機首とアメリカ兵士:機首の"146"を塗りつぶしているので、所属部隊が変更になったようだ。
ighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Catalog #: 10_0018605 Title: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s Date: 1941-1945 Additional Information: World War Two Squadron/Group Tags: Fighter Group; 7th Air Force; 36th; P-38s, World War Two Squadron/Group, 1941-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年6月以降、ニューギニア島(?)、無迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38J 戦闘機(240):1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”あるいは1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”の国籍マークを描いている。
Lockheed, P-38J, Lightning Title: Lockheed, P-38J, Lightning Catalog #: 01_00090996 Corporation Name: Lockheed Designation: P-38J Official Nickname: Lightning Additional Information: USA Tags: Lockheed, P-38J, Lightning Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年頃、ニューギニア島(?)、無塗装のアメリカ陸軍航空隊第106哨戒飛行隊(Patrol Squadron 106: VPB-106)ロッキード(Lockheed) P-38戦闘機(5957)の正面:第106哨戒飛行隊はコンソリデーテッド(Consolidated)B-24リベレーター改造のPB4Y プライヴァティア (Privateer )が配備されていたので、P-38は、PB4Yの護衛に当たる任務を帯びていたと思われる。左右主翼の500L相当の落下増槽が光っている。機首にイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4丁を搭載している。滑走路には、圧縮簡易舗装している。
VP-106_000128 VPB-106 Special Collection Photo From the Album of Manfred Herbert Mueller The San Diego Air and Space Museum houses a large Special Collection from Patrol Squadron 106. VPB-106 flew PB4Ys and saw heavy combat in the South Pacific during the Second World War. The Museum houses many records from the VPB-106 including Squadron musters, reunion abums, VHS Tapes, Action Reports, memoirs, combat diaries, misc documents.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1944年4月22日、ニューギニア島北岸、アイタぺ、占領した日本軍の飛行場を整備して使用しているアメリカ陸軍軍第6軍司令官ウォルター・クルーガー中将とイギリス空軍将校、右にはロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機
utch New Guinea. 22 April 1944. Lockheed P38 Lightning aircraft of the US Army Air Force line up at captured Tadji airfield at Aitape. Standing at the nose of aircraft 004, United States General Walter Krueger, Commander US 6th Army (centre) talks with RAAF officers Air Commodore F. R. W. Scherger (right) and Wing Commander W. A. C. Dale about operating Australian and American aircraft from the airstrip. Within forty-two hours No. 62 Works Wing RAAF had this airfield ready for the Kittyhawks of No. 78 Fighter Wing RAAF after it had been taken from the Japanese during the Allied drive on Hollandia. Jeep 207113 and driver is at left and a grader moves in to repair in the middle. Date 22 April 1944 Source This image is available from the Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 017033.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:Captured Tadji airfield at Aitape with Lockheed P38 Lightning aircraft.jpg引用。


写真(右)1944年10月-1945年、フィリピン、前線基地で落下増加タンクにナパームを積込んで陣地攻撃を準備をするアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機:P-38 ライトニングは、長距離飛行を可能にするように、500L相当の落下増加タンクが主翼下面に2個装備できる。そこに、ドラム缶からポンプで粘着性がある石油燃料ナパームを注入して、陣地に立て籠もる日本軍部隊を攻撃した。ナパームが引火すると焼夷弾と同じような効果がある。機首にイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発)1挺、 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4挺を搭載している。
English: ncendiary Bombs (#1 Of Two Pictures) Twin Belly Tanks Of This P-38 Lightning Of The 13Th Aaf Fighter Command Based In The Philippines Are Filled With Napalm Gel Transferred From The Drums By Air Pressure. These Tanks Will Be Jettisoned Over Japanese T (U.S. Air Force Number 58173AC); Department of Defense. Department of the Air Force. 9/26/1947 National Archives Identifier: 204949850 Date 1945 This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 204949850.
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:Belly tanks filled with Napalm gel.jpg引用。



写真(上)1944年11月、マリアナ諸島テニアン島、無塗装のアメリカ陸軍航空隊第318戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38 戦闘機の戦列
:機首にイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃4丁を搭載している。滑走路には、圧縮簡易舗装している。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-56 P-38s on the line at Tinian are ready for duty with the 318th Fighter Group Nov 1944..
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。


写真(右)1944年6月-1945年3月、中国内陸、四川省、重慶のアメリカ陸軍航空隊第449飛行隊所属ロッキード(Lockheed) P-38J ライトニング(Lightning)戦闘機:中国空軍へのアメリカ機の貸与による支援だけではなく、中国にアメリカ航空部隊を派遣して日本軍を攻撃した。発動機はアリソンV-1710液冷エンジンで、長距離飛行用には、すぐに500L相当の落下増加タンクを主翼下面に2個装備できるように懸架を装備するようになった。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-45 P-38Js of the 449th Fighter Squadron rest on the line at Chengkung, where the unit spent most of its time between June 1944 and March 1945...
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。


写真(右)1944年7月以降、イギリスあるいはフランス(?)、無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38L-5 戦闘機の左前方:地上で機体の重心の後方に移動するために、地上整備員2名が機体後方の下面に横になって地上安定性を確保している。滑走路には、圧縮簡易舗装している。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-92 Two mechanics sit on the horizontal stabilizer of P-38L-5 Lightning, giving the fighter a somewhat aft center of gravity, so that maintenance could be done in the absence of ground support, jackstands or a crane truck.
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。


写真(右)1944年7月以降、フランス北部、ノルマンディー地方、ブーズヴィル飛行場(Beuzeville Airfield)、アメリカ陸軍航空隊第367戦闘航空団第394戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機"Dotties Great Lady":機首に機銃を装備している戦闘機型。偵察機型は、機首に大型写真機を搭載している。
English: 367th Fighter Group - 394th FS P-38 Lightning "Dotties Great Lady" at Beuzeville Airfield (A-6), France Date 1944 Source United States Army Air Forces
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:367th Fighter Group - 394th FS P-38 Lightning.jpg引用。


写真(右)1945年1月以降、フィリピン群島ルソン島リンガンエン(Lingayen)湾、無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) 第475戦闘飛行隊P-38L-5 戦闘機(後方)を整備する地上勤務員:フィリピン群島中部のレイテ島に1944年10月に上陸したアメリカ軍だったが、首都マニラのあるルソン島への上陸は1945年1月6日と遅れた。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-71 Large team of 475th Fighter Group mechanics swarm over and under this P-38 at Lingayen, Luzon. They are giving the aircraft a major stage check and refit for its next round of combat missions.
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。


写真(右)1945年4月以降、沖縄諸島、伊江島、無塗装のアメリカ陸軍航空隊のボーイングB-17 爆撃機とタキシングするロッキード P-38双発戦闘機:1945年4月1日、沖縄本島に、4月16日、伊江島にアメリカ軍が上陸した。平坦な伊江島には日本軍も飛行場を建設したが、アメリカ軍はそれを占領し、巨大な航空基地が設営された。同島に駐留するP-47が事故あるいは攻撃で炎上して爆発し、火災となり噴煙を上げている。
WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-84 Lockheed P-38 hurries down taxi strip past a B-17 on Ie Shima, a very small island only a few miles from Okinawa. Explosion and fire from P-47 and a second fire in the distance create giant smoke clouds over the field.
写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。



5.ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機

写真(右)1942年9月、アラスカ、アダック、基地に集結したアメリカ陸軍航空隊第54戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5A-1-LO ライトニング(Lightning)偵察機(42-12686 + 12684):P-38 ライトニング機首に搭載していたイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発)1挺と 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4丁とを撤去して、偵察用写真機を搭載した。
English: 54th Fighter Squadron P-38s Adak Alaska Date 1942 Source USAAF photo via Chloe, John Hale, (1984), Top Cover for America. the Air Force in Alaska. 1920–1983, Pictorial Histories Publishing Company, ISBN 0-933126-47-6 Author United States Army Air Forces Lockheed F-5A-1-LO Lightning Serial n. 42-12686 + 12684 in Adak, Alaska, September 1942  Permission (Reusing this file) USGOV-PD
写真は Category:Lockheed P-38 Lightning File:54th Fighter Squadron P-38s Adak Alaska.jpg引用。


写真(右)1942-1944年、ニューギニア島(?)、アメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機(5594):機首上面にはコックピットの操縦士が日光反射に幻惑されるのを防ぐために、黒色塗装がなされている。P-38は高高度 1万メートルで敵爆撃機を迎撃可能な重戦闘機として開発が始まったが、このような性能はF-5高高度偵察機としても発揮された。機首側方にガラス窓が設けられている。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018884 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年6月-1944年、ニューギニア島(?)、無塗装のアメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機(275と248):機首側方にガラス窓が設けられている。左右主翼下面には航続距離を伸ばすために、落下式増加タンクを懸架している。コックピットの操縦士が日光反射に幻惑されるのを防ぐために、機首上面は黒色塗装がなされている。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018885 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年6月-1944年、ニューギニア島(?)、飛行するアメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機(369)の右上面:機首側方にガラス窓が設けられている。機首上面にはコックピットの操縦士の日差し反射除けの黒塗装がなされている。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018889 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年6月-1944年、ニューギニア島(?)、アメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機の後方右側面:機首側方にガラス窓が設けられている。整備士たちは、箱を重ねた応急の台の上でエンジン整備やコックピットの出入りをしているようだ。コックピットの操縦士が日光反射に幻惑されるのを防ぐ機首上面黒色塗装の範囲が狭い。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018886 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年6月-1944年、ニューギニア島(?)、アメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機の後方左側面:機首側方にガラス窓が設けられている。整備士たちは、箱を重ねた応急の台の上でエンジン整備やコックピットの出入りをしているようだ。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018890 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1942-1944年、ニューギニア島(?)、アメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機"Little Lorraine":機首側方にガラス窓が設けられている。整備士たちは、箱を重ねた応急の台の上でエンジン整備やコックピットの出入りをしているようだ。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018891 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


写真(右)1943年6月-1944年、ニューギニア島(?)、アメリカ陸軍航空隊第6偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機(23)"Fainting Floozie"の機首左側面:カモフラージュ用のネットの下で整備を受けている。機首側方にガラス窓が設けられている。右端に主翼下面に懸架されている増加燃料タンクの先端が映っている。
6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Catalog #: 10_0018892 Title: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Date: 1939-1945 Additional Information: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) Tags: 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 6th Recon Group Lockheed P-38 (F-5) , 1939-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives引用。


ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機は、双発双胴でヒューズXF-11偵察機の模範となった機体だが、1939年1月27日に初飛行している。つまり、XF-11の初飛行より6年も前に同様の形状で、高速の偵察機・迎撃機を完成させていたうえに、偵察機仕様ロッキード(Lockheed) F-5 も大量生産されていた。

写真(右)1944年、イギリス本土南東、オックスフォードシャー(Oxfordshire)、アメリカ陸軍航空隊第7偵察航空団第22偵察飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備する代わりに、大型写真機を搭載している。迷彩塗装がされているので、コックピットの操縦士の日光反射幻惑を防ぐ機首上面黒色塗装はしていない。
English: F-5 Lightning "The Florida Gator" of the 22nd Photographic Squadron, 7th Photographic Reconnaissance Group at Mount Farm, Oxfordshire England. Handwritten on slide case: "The Florida Gator Mount Farm R. Astrella" Date circa 1944 Source American Air Museum in Britain http://www.americanairmuseum.com/media/5105 Author SSgt Robert Astrella.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:F-5 Florida Gator.jpg引用。


1943年2月、イギリス南東部、オックスフォードシャー(Oxfordshire)、テームズ川にほど近いドチェスター(Dorchester on Thames)から3マイル (4.8 km)の所にあったイギリス空軍偵察部隊の草地滑走路のRAFマウントファーム(Mount Farm)基地にアメリカ第8航空軍が進駐し、舗装滑走路を備えた飛行場を整備し、P-38 ライトニング偵察機の訓練を始めた。1943年7月7日に第7偵察航空団が編成され、第22偵察飛行隊(22nd Photographic Reconnaissance Squadron)のほか、第13、14、27の各偵察飛行隊が隷下に置かれた。

写真(右)1944年頃、雪の山岳地帯上空を飛翔する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第96戦闘飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5B ライトニング(Lightning)偵察機(26733):国籍マークは、1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”を描いている。1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”に変更されたが、タイムラグがあるので、一斉に塗装が変更になったわけではない。
PictionID:40973244 - Title:Lightning Lockheed F-5B - Catalog:15_002803 - Filename: 15_002803.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."----PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System.----SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Date 29 December 2014, 11:49 Source Lightning Lockheed F-5B Author SDASM Archives
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1944年、イギリス、滑走路脇に待機するオリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第7偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5C-1-LO ライトニング(Lightning)偵察機(42-67128) "Dot + Dash":機首に機銃を装備していない無武装で蓋で機関銃の銃口をふさいだ後がないので、工場で偵察機として生産されてきたいであろう。機首側面にガラス窓がある。コックピットガラス風防はスライド式ではなく、跳ね上げ式だが、側方ガラス窓の部分だけ開閉かのうで、写真では開いている。500L相当の落下増加タンクを左右主翼下面に各1個装備している。プロペラ先端の黄色チップは、プロペラ回転時に立ち入る危険を防止する目印となる。
English: F-5 Lightning "Zola" serial number 42-13289 and crew of the 7th Photographic Reconnaissance Group. Date circa 1944 Source http://www.americanairmuseum.com/aircraft/18515 Author United States Army.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:F-5 Zola Crew.jpg引用。


写真(右)1944年、イギリス、滑走路脇に待機するオリーブドラブ迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第7偵察航空団ロッキード(Lockheed) F-5C-1-LO ライトニング(Lightning)偵察機(シリアルナンバー:42-13289) "Zola":"Dot + Dash":機首に機銃を装備していない無武装で蓋で機関銃の銃口をふさいでいるのが明瞭にわかる。コックピットガラス風防はスライド式ではなく、跳ね上げ式である。プロペラ先端の黄色チップは、プロペラ回転時に立ち入る危険を防止する目印となる。
F-5 Lightning "Dot + Dash" of the 7th Photographic Reconnaissance Group at Mount Farm, Oxfordshire England [F-5C-1-LO (P-38J), 42-67128]. Written on slide casing:"F-5 DOT DASH R IM138" Date circa 1944 Source American Air Museum in Britain - http://www.americanairmuseum.com/media/2353 Author Staff Sergeant Robert Astrella (1921-2007).
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:Chalgrove Airfield - 7th Reconnaissance Group - F-5 Lightning taxxing.jpg引用。


写真(右)1944年、イギリス、滑走路脇に待機する無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7偵察航空団第22偵察飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機"Tough Kid":無塗装なので、コックピットの操縦士の日光反射幻惑を防ぐために、機首上面黒色塗装がなされている。機首に機銃を装備していない無武装だが、機関銃の銃口を塞いだ蓋がない。工場で最初から偵察機仕様として製造された機体のようだ。後期型なので、機首側面にガラス窓が設けられている。
English: F-5 Lightning "Tough Kid", of the 22nd Photographic Squadron, 7th Photographic Reconnaissance Group at RAF Mount Farm Source American Air Museum - http://www.americanairmuseum.com/media/2334 Author Robert Astrella/United States Army.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:Chalgrove Airfield - 7th Reconnaissance Group - F-5 Lightning taxxing.jpg引用。


写真(右)1945年、イギリス、着陸したばかりのアメリカ陸軍航空隊第7写真偵察隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備していない無武装だが、胴体には大型写真機を搭載している。無塗装なので、コックピットの操縦士の日光反射幻惑を防ぐために、機首上面が黒色塗装されている。
An F-5 Lightning of the 7th Photographic Reconnaissance Group Date 1945 (Second World War) IWM London FRE 5369 from the collections of the Imperial War Museums.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:Chalgrove Airfield - 7th Reconnaissance Group - F-5 Lightning landing.jpg引用。


写真(右)1945年、イギリス、舗装滑走路をタキシングする無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7偵察飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備していない無武装だが、胴体には大型写真機を搭載している。
English: An F-5 Lightning of the 7th Photographic Reconnaissance Group at Chalgrove Date 1945 (Second World War) Source www. americanairmuseum. com This photograph FRE 5362 comes from the collections of the Imperial War Museums. Author Robert Astrella, 7th Photographic Reconnaissance Group.
写真は Category:Lockheed F-5 Lightning File:Chalgrove Airfield - 7th Reconnaissance Group - F-5 Lightning taxxing.jpg引用。


写真(右)1945年、イギリス、舗装滑走路をタキシングする無塗装のアメリカ陸軍航空隊第7偵察飛行隊ロッキード(Lockheed) F-5 ライトニング(Lightning)偵察機:機首に機銃を装備していない無武装だが、胴体には大型写真機を搭載している。
Lockheed F-5G, China, 1944-45 04340040 Jack D. Canary Special Collection Photo Jack Canary was a Tech Rep with North American Aviation in China during World War Two. After the War, he continued to work with NAA and also built and restored aircraft. He worked as a consultant on the film “Tora, Tora, Tora” and was killed while flying a PT-22 for the film in 1968.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング戦闘機を原型にしたF-5 偵察機の各型式別生産機数

F-4A偵察機 20機(P-38Fが原型)
F-5A偵察機 180機(P-38Gが原型)
F-5B偵察機 200機(P-38Jが原型)
F-5C 123機(P-38Jが原型)
F-5E 705機(P-38J/Lが原型)
F-5F – (P-38Lが原型)


6.ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機

写真(右)1945年、アメリカ、飛翔中のする無塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機(44-27234):機首に下面にレーダーポッドを搭載し、主翼前縁にレーダーアンテナを装着している。コックピットは複座式で、ガラス風防が後上方に突出している部分がレーダー手の席である。P-38L戦闘機を改修して, P-38M(44-27234)を開発した。
Bilstein_00664 Lockheed P-38M Lightning 44-27234 (mfr) Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1945年2月5日以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機:1945年2月5日に初飛行。機首に下面にレーダーポッドを搭載し、主翼前縁にレーダーアンテナを装着している。コックピットは複座式で、ガラス風防が後上方に突出している部分がレーダー手の席である。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46902432 - Catalog:16_008112 - Title:Lockheed P-38M 44-27234 - Filename:16_008112.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1945年、アメリカ、未舗装滑走路に待機している夜間黒迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機(453185)の左後方側面:機首に下面にレーダーポッドを搭載し、主翼前縁にレーダーアンテナを装着している。コックピットは複座式で、ガラス風防が後上方に突出している部分がレーダー手の席である。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46902248 - Catalog:16_008097 - Title:Lockheed P-38M 44-53085 Kingman AZ 1946 Peter Bowers Collection - Filename:16_008097.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1945年、アメリカ、未舗装滑走路に待機している夜間黒迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機(NX62835)の左後方側面:機首に下面にレーダーポッドを搭載し、主翼前縁にレーダーアンテナを装着している。コックピットは複座式で、ガラス風防が後上方に突出している部分がレーダー手の席である。
Charles M. Daniels Collection Photo Catalog #: 15_001252 Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Lockheed P-38 Daniels Album Name: P-38/F-5 Lightning Album Page #: 22 Notes From Album: Lockheed P-38M, NX62835 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(右)1945年、アメリカ、未舗装滑走路に待機している夜間黒迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 M ライトニング(Lightning)夜間戦闘機(NX62835)の左後方側面:P-38L戦闘機(44-53082)を回収して, P-38M(NX62805)を開発した。コックピットは複座式で、ガラス風防が後上方に突出している部分がレーダー手の席である。
Charles M. Daniels Collection Photo Catalog #: 15_001251 Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Lockheed P-38 Daniels Album Name: P-38/F-5 Lightning Album Page #: 22 Notes From Album: Lockheed P-38M, NX62835 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。



7.ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘爆撃機

写真(右)1944年2月以降、イギリス、北アイルランド中央部、ベルファースト郊外、ラングフォード ロッジ、第3航空保管基地、機首に大型ガラス窓を付けた迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 戦闘爆撃機機:機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃も撤去してガラス窓を設けたが、ここに爆撃照準器を装備して爆撃手がおさまった。後方はダグラスA-20ハボック攻撃機。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003104 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Lockheed P-38 'Droop Snoot' at Langford Lodge  Another photo of a 'Droop Snoot' P-38 next to Hangar No.5 at Langford Lodge. A Douglas A-20 aircraft is behind it. Note the Jeep with LOC (Lockheed Overseas Corporation) written on the side. The P-38 Droop Snoot was the brainchild of Col. Cass Hough and Col. Don Ostrander of the 8th Air Force Headquarters. The load-carrying capacity of the P-38 made it natural for use as a fighter-bomber. The later P-38 variants (P-38H/J/L) had the capacity of carrying up to 4000 pounds of the ordnance – the same as a B-17 bomber! Col.s Hough and Ostrander came up with the idea of using some type of a “leader” P-38 for level bombing missions. The advantages of using a fighter in the strategic bomber role were obvious: a much higher speed to and from the target, one-tenth as many crew members involved in the mission, and fighter escort during the withdrawal phase were not required. What they proposed was the installation of a Norden bombsight in the modified P-38, one housing a qualified bombardier/navigator in the aircraft’s empty nose gun-bay.
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1944年2月以降、イギリス、北アイルランド中央部、ベルファースト郊外、ラングフォード ロッジ、第3航空保管基地、機首に大型ガラス窓を付けた迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 戦闘爆撃機機:機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃も0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃も撤去して爆撃手席を設けた。
Lockheed : P-38 : Lightning Catalog #: 00003104 Manufacturer: Lockheed Designation: P-38 Official Nickname: Lightning Lockheed P-38 'Droop Snoot' at Langford Lodge  The project, given the code name DROut of Production SNOOT, was formulated at Lockheed’s Langford Lodge modification center in Northern Ireland. A P-38H was modified by removal of the armament section in the nose, including the gun port nose cap. In its place, was a solid wood nose cap, cut and shaped like the proposed bombardier nose. With some ballast added, the modified P-38H was flight tested to determine if there were any flaws in its flight characteristics. After successfully completing the flight tests, Lockheed modified a new production P-38J to full Droop Snoot prototype specifications. The wooden nose of the P-38H test aircraft was used to construct a Plexiglas bubble bombardier nose. Armor plate was added to the sidewalls and floor of the bombardier compartment, along with the Norden bombsight, related bombing equipment, oxygen, and navigational equipment. In late February of 1944, the P-38J Droop Snoot was rolled out at Langford Lodge. The concept was so successful that the 8th AF immediately ordered the first three, then fifteen Droop Snoot conversions. The total number built lies somewhere between 23 (those P-38J’s converted at Langford Lodge) and 100 (the number of Droop Snoot conversion kits ordered by the AAF). The first combat mission was flown by the 20th Fighter Group on 10 April 1944, when a Droop Snoot led 42 other 20th Fighter Group P-38J’s on an attack against the Luftwaffe base at Gutersloh, Germany. Droop Snoot missions were not confined to just P-38 units. Col. Hub Zemke used a Droop Snoot P-38J to lead his 56th Fighter Group Thunderbolts on at least one bombing mission. Additionally, more than one Droop Snoot was built as a plush VIP aircraft without bombing equipment. An example of one of these was the personal aircraft of Gen. Stratemeyer in the China-Burma-India Theatre. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive---Photo taken at 3rd Base Air Depot, Langford Lodge, Northern Ireland
写真は US Forces in Northern Ireland during WW2引用。


写真(右)1944年頃、アメリカ、機首に大型ガラス窓を付けたアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 要人VIP輸送機:機首にガラス窓を設けた戦闘爆撃仕様から爆撃照準器などを撤去して高速要人輸送機として使用された。
Ray Wagner Collection Image PictionID:46902160 - Catalog:16_008090 - Title:Lockheed P-38L 44-25605 VIP transport Calcutta India 14Sep45 Peter Bowers - Filename:16_008090.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



8.ノースロップ(Northrop) P-61 ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機

写真(右)1944年、飛行する黒の夜間迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第415夜間戦闘飛行隊ノースロップ(Northrop) P-61B ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機:最高速力 366 mph (589 km/h, 318 kn) /20,000 ft (6,100 m)、航続距離 1,350 mi (2,170 km, 1,170 nmi)、兵装は機首下にイスパノ(Hispano)M2 20 mm 機関銃(携行弾数 200発)4丁搭載回転銃塔、 胴体上面0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (560発)4丁。
English: 415th Night Fighter Squadron Northrop P-61B-15-NO Black Widow 42-39684 Date 1944 Source Air Service, United States Army Air Forces photograph Author United States Army Air Forces Permission (Reusing this file) USGOV-PD
写真はWikimedia Commons, Category:Northrop P-61 Black Widow File:A 96th FS P-38 clearly displays the distinctive twin-boom design.jpg引用。


ノースロップP-61Bブラックウィドウ(Northrop P-61 Black Widow)

初飛行:1942年5月26日
生産数:706機
乗員:2-3名(操縦・レーダー操作・銃塔操作)
全長:15.12m 49 ft 7 in
  全高:4.34m 14 ft 8 in
全幅:20.12m 66 ft
翼面積:61.53m2 662.36 sq ft
自重:9,979kg 23,450 lb
全備重量:13,472 kg 29,700 lb 
発動機:プラット・アンド・ホイットニー R-2800P&W R-2800)空冷星型18気筒 2,250hp(1,680 kW)×2
最高速力:589 km/h 366 mph
航続距離:2,170 km 1,350 mi
実用上昇限度:10,090m 33,100 ft
上昇時間 20,000 ft (6,100 m) / 12分
12.7mm M2 ブローニング(Browning )機関銃 ×4
20mm イスパノ・スイザ(Hispano)機関銃 ×4
爆弾 左右主翼下面 各々1,600 lb(726kg)

ノースロップP-61Bブラックウィドウは双発の夜間戦闘機だったが、この長い航続距離を生かして、昼間長距離護衛戦闘機とすることになった。そして、XP-61E試作1号が1944年11月20日に初飛行した。

こうしてノースロップP-61Bブラックウィドウの機体を生かして、機銃装備を撤去して軽量化し、高速長距離偵察機とする案が採用された。このノースロップP-61夜間戦闘機の高速直距離偵察機仕様がF-15Aである。最高速力 440 マイル (382 ノット, 708 km/h)を発揮できた。第二次大戦末期、F-15偵察機175機が発注されたが、終戦となったために、生産機数は36機のみで終わった。

⇒写真集Album:ノースロップ(Northrop) P-61 ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機 


9.ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機

写真(右)1947年4月5日前後、アメリカ、ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機(登録コード: 470156)試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備): ヒューズ自らの操縦で1946年7月7日初飛行したが、その時、不時着し大破した。プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基を稼働して飛翔するXF-11双発機。ロッキードP-38双発戦闘機と類似の形状で明らかにその影響を受けたようだ。
Hughes : XF-11 : Catalog #: 00015381 Manufacturer: Hughes Designation: XF-11---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は SDASM Archives引用。


1939年1月27日に初飛行したロッキード(Lockheed) P-38は、戦争に間に合わず、1946年7月7日初飛行したがに初飛行したヒューズXF-11偵察機の模範となった機体である。つまり、XF-11の初飛行より6年も前に同様の双胴双発の形状で、高速の偵察機・迎撃機を完成させていたうえに、偵察機仕様ロッキード(Lockheed) F-5 も大量生産されていた。

ヒューズ(Hughes)XF-11試作1号機の初飛行を1946年7月7日、ヒューズ自らが担当した。しかし、ハワード・ヒューズHoward Hughes)の起こしたXF-11墜落事故で、XF-11試作1号機は失われ、操縦者ヒューズ自身も重傷を負った。1947年4月5日、ヒューズ(Hughes)XF-11偵察機試作2号機(通常4翅可変金属プロペラ装備)もヒューズが操縦して飛行した。しかし、操縦性、整備性、量産性への配慮が不足しており、アメリカ陸軍は、XF-11を採用しなかった。った。

1946年7月7日初飛行のヒューズ(Hughes)XF-11試作偵察機の仕様
全長:19.94 m (65 ft 5 in)
全幅:30.89 m (101 ft 4 in)
全高:7.06 m (23 ft 2 in)
翼面積:91.3 m2 (983 ft2)
空虚重量:16,800 kg (37,100 lb)
最大離陸重量:26,400 kg (58,300 lb)
発動機:プラット・アンド・ホイットニー R-4360空冷星型28気筒エンジン3,000 hp (2,240 kW)2基
予定最高速力:720 km/h (450 mph)  

⇒写真集Album:ヒューズ(Hughes) XF-11 偵察機を見る。 



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機


2023年12月18日公開の鳥飼研究室へのご訪問ありがとうございます。データ引用の際は,出所を明記するか,リンクをしてください。
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