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◆日産自動車座間事業所ヘリテージ:鳥飼ゼミ研修日産
1.東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の鳥飼行博研究室では持続可能な開発、循環型社会の視点で産業のフィールド調査をしています。
2.鳥飼行博担当授業ゼミナール卒論作成の日本・中国の学生は、2015年11月20日、神奈川県座間市日産ヘリテージを訪問、案内していただき、メインテナンス担当の専門家のお話を伺った。
3.日産座間事業所は、敷地地面積48万3,354平方メートル、従業員数 2,085名(2010年8月現在)、事業内容は、?型・治工具・設備・電子機器の生産設計開発及び製造、?電気自動車のリチウムイオンバッテリーの開発・生産。
4.鳥飼行博研究室では、持続可能な社会の構築を目指して、次世代型自動車、省エネからLCA(ライフサイクルアセスメント)を学んでいます。

鳥飼ゼミ国内研修

Our Field Survey


 

東海大学鳥飼ゼミ国内研修

Tokai University 2015


事務所
神奈川県座間市にある日産ヘリテージコレクション (旧 日産座間記念車車庫)は、5,600?の旧自動車の跡地に、1930年代の生産車から歴代レースカーまで、日産のオンロード、オフロードの車両を400台を保管しているが、そのうち300台を常設展示している。
日産ヘリテージコレクションの特徴には「みなさまに愛された名車たちのほか、モータースポーツで優秀な成績を収めた車両や、東京オリンピックで聖火を運んだ車両、世界初・日本初の技術や話題性の高いモデルなどを保管しています。こちらにある車両の約70%は走行可能な状態を維持させ、クルマの心臓であるエンジンもいつでもかかる状態に整備しております」とある。 正門
東海大学教養学部鳥飼行博ゼミは、日産座間事業所(〒252-8502 神奈川県座間市広野台2-10-1)を訪問し、活動内容や日産の自動車の説明を受けた。2014年12月の日産自動車の生産台数は、乗用車6万7,396台(前年比-7.7%)、商用車 7,865台( -17.7%)、合計 7万5,261台。 座間事業所
東海大学の鳥飼ゼミナールは座間市にある日産座間事業所を訪問、巨大な事業所敷地を日産のマイクロバス「シビリアン」で移動し、事務所に到着。
 カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産座間事業所の説明には、「グローバルに広がる日産の自動車生産の拠点および世界の自動車メーカー等をお客さまとして、新型車の量産試作と、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置までを、世界トップレベルの高品質・短納期で実施しています。また、電気自動車関連ではモーターインバータの開発とリチウムイオンバッテリーの開発・生産を行っております。(生産はオートモーティブエナジーサプライ?が担当)そして、車両に搭載する電子電装部品の開発・生産、日産フォークリフトの開発・実験も行っております」とある。 事務所
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の人間環境学科社会環境課程鳥飼行博ゼミの日本・中国・タイの学生は、国内研修フィールド調査として、日産座間事業所で環境対策、自動車生産の歴史、歴代日産製造の自動車のコレクションの説明を受けた。東海大学鳥飼ゼミでは開発と環境の経済学をベースに、?持続可能な社会の構築、?人間開発、?平和人権の確立、?貧困解消、といった環境平和学を研究している。


〒252-8502 神奈川県座間市広野台2-10-1
日産座間事業所

Nissan Heritage Collection


バス内
神奈川県座間市の平成27年11月1日現在の市の人口と世帯は、総数 12万8,975人、(男 6万4,819人、女 6万4,156人、世帯数 5万6,133世帯。この座間市にある日産ヘリテージコレクションで、日産が生んだ300台以上の名車・旧車を東海大学鳥飼ゼミナールは見学した。日産マイクロバス・シビリアンCIVILIANで、日産座間事業所正門から日産ヘリテージへ移動した東海大学教養学部の鳥飼ゼミナール。

日産シビリアン(CIVILIAN)の諸元:車両寸法 全長:6275mm ?全幅:2065mm、?全高:2635mm、ホイールベース:3310mm、トレッド:前1675mm / 後1490mm、最低地上高:190mm、車両重量:3640kg、車両総重量:5060kg、乗務員:1名、乗車定員:26名。 バス着鳥飼ゼミナール
リチウムイオンバッテリーを開発生産している日産自動車工場敷地の日産ヘリテージ事務所まで日産マイクロバス・シビリアンCIVILIAN(燃費11km/L)の送迎を受けた東海大学人間環境学科の鳥飼ゼミナール学生たち。
 日産の自動車生産の拠点および世界 の自動車メーカー等を顧客に対して、
?新型車の量産試作、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置までを担当する。
?車両に搭載する電子電装部品の開発・生産、日産フォークリフトの開発・実験を行う。 入口鳥飼ゼミナール
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車の日産ヘリテージ玄関に到着したを訪問した東海大学教養学部の鳥飼行博ゼミ。 

国内外の生産品質を均一化する「車両生産技術センター」は、2007年4月に稼働。した「車両生産技術センター」では、日産の新型車を量産開始時点から高品位の製品を効率良く生産するために、新型車の集中試作と解析を実施し、国内外の生産工場における品質の均一化を図っている。 入口鳥飼ゼミナール2
 日産の車両生産技術センターGlobal Production Engineering Center)が、2007年4月に開設された。ここでは、これまでの自動車の型や生産設備の製作と車体組立機能に加え、新たに車両の組立や品質保証機能を追加し、さらに品質解析センター機能を新設して、プレス〜車体組立〜車両組立に至るすべての生産準備を集中して完結している。新型車の生産を日本国内と同様の高い品質でグローバルに実現するために、国内外の生産ラインを効率良く立ち上げる拠点として日産の車両生産技術センターGlobal Production Engineering Center)は、良品生産条件の決定と品質の均一化を目指している。
日産紹介ビデオ

Nissan 2015


ビデオ1
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車の紹介ビデオを視聴した東海大学鳥飼ゼミナール。 2014年12月の日産自動車の生産台数は、乗用車6万7,396台(前年比-7.7%)、商用車 7,865台( -17.7%)、合計 7万5,261台。 ビデオ2
日産自動車の紹介ビデオを視聴した東海大学鳥飼ゼミナール。 2014年1年間の日産自動車の生産台数は、乗用車 76万4,230 台(前年比-10.5%)、商用車 11万6,657台(同 5.6%)、合計 88万887台、(9.6%)で、日本の自動車メーカーにおけるシェアは9.6%。日本の自動車メーカーの生産台数は、921万8,375台。日本の自動車メーカーの新車販売台数は556万2,887台(うち軽自動車227万2,789台)。 ビデオ3
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)取締役社長の日産自動車の紹介ビデオを視聴した東海大学鳥飼ゼミナール。 日産自動車の生産シェアは、トヨタ35.4%、スズキ11.5%、ホンダ10.4%、マツダ10.1%、日産9.6%、ダイハツ8.5%、富士重工7.5%、三菱7.0%。
電気自動車 日産リーフ

 Nissan LEAF EV


日産リーフ
日産自動車の開発した代表的電気自動車(Electric Vehicles)は日産リーフNissan LEAF Electric Vehicle)で、全長/全幅/全高は4445mm/1770mm/1550mm。最大トルク254N・m、最高出力80kW、駆動用リチウムイオンバッテリー容量24kWh 30kWh、室内寸法 長/幅/高2080mm/1460mm/1185mm、ホイールベース、2700mm、トレッド前1530mm/後1525mm、最低地上高160mm、車両重量1460kg、乗車定員5名、車両総重量1735kg。
 リチウムイオンバッテリーは、ニッケル水素バッテリーと比べてエネルギー密度が高く、同じ容量で多くの電気を蓄えることができる。そこで、電気自動車EVに搭載するバッテリーとしては、リチウムイオンバッテリーが採用されている。日産のリチウムイオンバッテリーはさらに開発を続け2000年頃にくらべて、エネルギー密度は約2倍になっている。 日産リーフ2
日産自動車座間事業所の日産リーフNissan LEAF Electric Vehicle)の性能。
最小回転半径5.4m、JC08モード交流電力量消費率 (国土交通省審査値)114Wh/km・17Wh/km、JC08モード一充電走行距離 (国土交通省審査値)228km 280km
駆動用リチウムイオンバッテリー、総電圧360V、総電力量24kWh 30kWh
エンジン型式EM57、定格出力70kW、最高出力80kW (109PS)/3008〜10000rpm 、最大トルク 254N・m(25.9kgf・m)/0〜3008rpm 、前輪駆動、ステアリングギヤ形式 ラック&ピニオン式、サスペンション 前・独立懸架ストラット式/後・トーションビーム式、主ブレーキ 前後ともベンチレーテッドディスク式/回生協調ブレーキ・電動型制御ブレーキ、タイヤ 前・215/50R17/後・215/50R17。 日産リーフ3
日産自動車座間事業所に展示してある日産リーフNissan LEAF Electric Vehicle)は、30kWh駆動用リチウムイオンバッテリー、搭載車で319万7,880円。
 日産は「ライオンズマンション」の大京と協力し、EV普及の課題である「分譲済みマンションでの充電インフラ導入」に取り組むことを発表。 分譲済みマンションへの導入ノウハウ、マンションへの実験的にEVと充電設備の導入、運用上の課題に関する実証研究に取り組むという。
電気自動車の日産・リーフ(Nissan LEAF Electric Vehicle)価格は、2016 NISSAN LEAF S(24 kWh lithium-ion battery) $29,010、2016 NISSAN LEAF SV(30 kWh lithium-ion battery) $34,200、2016 NISSAN LEAF SL(30 kWh lithium-ion battery) $36,790。
メーカー希望小売価格(消費税込)401万8,680円あるいは394万3,080円(オプションで「運転席・助手席SRSサイドエアバッグシステムレス+SRSカーテンエアバッグシステムレス」を選択の場合)。 日産リーフ4 
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中の新型電気自動車「日産リーフ」(Nissan Leaf)の充電。駆動用リチウムイオンバッテリー、容量 24 kWhあるいは30 kWh。 日産リーフ5
新型完全電気自動車日産リーフ」(Nissan Leaf
エコカー減税
【適用期間】自動車取得税:平成29年3月末までの登録(届出)車、自動車重量税:平成29年4月末までの登録(届出)車。
エコカー減税は、自動車取得税自動車重量の軽減額の合計である。たとえば、自動車取得税は自家用登録(3%、軽自動車は2%)の場合、自動車重量は乗用(3年)、特種用途(2年)、バス(1年)の場合で算出すると以下のようになる。
?中量車では「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(★★★★)」かつ「平成27年度燃費基準」を達成している自動車は、自動車取得税が40%減税、自動車重量が25%減税。
?中量車では「平成17年基準排出ガス50%低減レベル(★★★)」かつ「平成27年度燃費基準+10%」を達成している自動車は、自動車取得税が60%減税、自動車重量が50%減税。
?中量車では「平成17年基準排出ガス50%低減レベル(★★★)」かつ「平成27年度燃費基準+5%」を達成している自動車は、自動車取得税が40%減税、自動車重量が25%減税。
日産 スカイラインGT−R

Nissan Skyline GT-R


スカイライン
キャッチコピー「ケンとメリーのGTR」で1973年に197台生産された「GT-R」。デビューは1969年2月。日産のレーシングカーR380搭載の直列6気筒4バルブDOHC2000cc エンジンをベースにしたS20型2200cc。エンジンを搭載。これは、レーシングカーのエンジンであり、市販車に搭載した。しかし、GT-RのエンジンはS20エンジンは、排ガス規制をクリアできなかったため、販売は4ヶ月間で中止。生産台数も197台しかない。それゆえ「幻のGT-R」と言われる。1070年代の公害列島の状況を考えると、この車は、非実用型の公害車ともいえる。そのせいか東海大学鳥飼ゼミナールの学生は、スカイラインGTRには感銘を受けなかったようだ。
日産 フェアレディ

 Nissan FAIRLADY Z


フェアレディ
1969年に登場した「日産フェアレディ」は、輸出用を中心に10年間に55万台(うち日本国内販売8万台)を販売した日本産スポーツカーのヒット作品。「ダットサンZ」と呼称された。これ以降、日産自動車の総称が「DATSUN」(脱兎サンの意味)が有名になった。
日本では「日産フェアレディ」と呼ばれたが、これでは「日本産の金髪娘」の意味になり、輸出向け名称としては失格である。そこで「Datsun Z」(ダットサン・ズィー)との名称に換えて輸出された。
ダットサン520

 Datsun 520


ダットサン520
神奈川県日産自動車座間事業所にある1965年(昭和40年)に売り出された「ダットサン520」。6人乗りのピックアップ型のバンだが、ライトバン、3人乗りのトラック型の車もある。
ダットサン520
1965年(昭和40年)販売のダットサン520は4ドア仕様。
 1999年3月、フランスの自動車メーカーのルノーが、日産自動車の株式の36.8%を取得、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれた。その年の6月、カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)は、ルノーの社長を兼ねたまま、日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任した。カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)は、2000年6月に日産自動車の取締役に、2001年6月に日産の最高経営責任者(CEO)に選出された。 
日産チェリー

 Nissan Cherry


日産チェリー
日産チェリーは、元来、1966年に日産自動車と合併したプリンス自動車が開発していた前輪駆動(FF)の乗用車。FFは、駆動輪に掛る荷重が大きい場合、走破性が高い。輸出仕様は、当初はDatsun Cherryと言われていたが、後にNissan Cherryとして知られるようになる。 日産チェリー
神奈川県座間市にある日産ヘリテージに展示してある日産チェリー(中央黄色)。
日産・サニー

Nissan Sunny


にっさんサニー
日産自動車の日産サニー(SUNNY )は、1966年から2004年まで製造・販売された乗用車。 にっさんサニー
神奈川県座間市にある日産自動車座間工場で生産された日産サニー4ドアセダン。製造期間は1968年 - 1970年。
人力発電装置

Nissan EV


発電1
座間の日産自動車座間事業所ヘリテージにある人力発電機を試す東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナール。 発電女子
日産ヘリテージの人力発電装置を試す東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナールの女子学生。
日産・マーチ

Nissan March K10


マーチ
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に保管展示されているマーチ スーパーシルエット。歌手・俳優近藤真彦をイメージキャラクターに採用、「マッチのマーチ」や「スーパーアイドル」といったキャッチコピーで、女性目当てに売り出した。この記念車両は、近藤真彦用に、スーパーシルエット仕様を模し、エンジンをチューンナップしたスペシャルモデル。

日産の初代マーチK10型は、製造期間1982 ‐ 1991年、車体は3ドア/5ドアハッチバックがり、エンジンは MA10S型 1000cc搭載。MA12型1200cc搭載型もある。前輪駆動(ボンネットにエンジンを搭載し前輪を駆動する方式)で、 全長 3785mm、全幅 1560mm、全高 1395mm、ホイールベース 2,300mm、車両重量 635Kg。 1981年10月 第24回東京モーターショーに「NX-018」として出品された。旧・プリンス自動車工業との合併で手に入れた荻窪事業所で開発された。荻窪は、日産初の前輪駆動(後輪を駆動するプロペラシャフトを省略でき軽量化可能)のチェリーも手がけた。 スポーツマーチ
記念車は、これ1台しかない特製"マッチ"仕様のレース仕様車。初代マーチのレーシングカーは、KONDO RACING 近藤真彦監督が宣伝役に使われた。初代マーチは、歌手・俳優の近藤真彦をイメージキャラクターに登用、「マッチのマーチ」、「スーパーアイドル」とのキャッチコピーで若い女性を対象に宣伝を始めた。この記念車は、イメージキャラクターの近藤真彦のために、スーパーシルエット仕様を模して作製された、スペシャルなレース仕様のマーチ。エンジンはチューンナップされたE15型(1500cc、最高出力160馬力)を搭載。 マーチ
初代マーチレーシングカー「マーチ スーパーシルエット」の諸元:年式1982年、型式K10、全長3,735mm、全幅1,580mm、全高1,335mm、 前輪のハブ中央と 後輪のハブ中央を結んだ車軸距離ホイールベース2,300mm、トレッド(前/後)1,460/1,480mm、 エンジンE15(直4・オーバー・ヘッド・バルブ(OverHead Camshaft) 1,487cc、最高出力 118kW(160ps)/8,000rpm、最大トルク172N・m(17.5kgm)/6,400rpm、サスペンション(前/後) ストラット/4リンク、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ8.50-20.0-13(前後共)。 エンジン1
初代マーチレーシングカー(近藤真彦用スペシャルモデル)「マーチ スーパーシルエット」搭載エンジンの直4E15オーバー・ヘッド・カム(OHC)エンジン(構造は単純で製造容易な一方でプッシュロッドの質量が高回転時の追従性を悪化させ往復運動機構の共振が欠点となる)、排気量1,487cc。日産マーチ誕生25周年記念イベント『MARCH 25th HAPPY ANNIVERSARY in OPPAMA』 によれば、「初代マーチのCMに出演したマッチが「日産 マーチ」25周年を祝福」として、日産は10月28日(日)、日産の人気コンパクトカー「マーチ」25周年を記念したイベント『MARCH 25th HAPPY ANNIVERSARY in OPPAMA』を、神奈川県横須賀市の日産自動車 追浜工場テストコース「GRANDRIVE」で開催した。ゲストには、25年前に初代マーチのイメージキャラクターとしてTVCMに登場した"マッチ"ことKONDO RACING 近藤真彦監督や、女優国仲涼子が駆けつけ、イベントを盛り上げた。 エンジン2
初代マーチレーシングカー近藤真彦用スペシャルモデル「マーチ スーパーシルエット」に搭載されたE15型オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)エンジン。これは、初代マーチのエンジンをエンジンをチューンナップして排気量1,487cc、最高出力160馬力としたレース仕様。これと同じエンジンは、1982年登場のサニー1500 SGLエクストラや1985年登場のパルサー エクサ コンバーチブルにも搭載されており、この記念車専用の特別仕様というわけではない。
日産自動車座間事業所

 Nissann Zama


工場模型1
日産自動車座間事業所の模型。東海大学教養学部 鳥飼ゼミの学生は、日産自動車座間事業所の排水処理廃棄物処理太陽光発電装置について、工場模型で確認した。 工場模型2
日産自動車座間事業所の排水処理廃棄物処理太陽光発電装置について工場模型で確認した東海大学教養学部鳥飼ゼミナール。
日産の鳥飼ゼミナール

Torikai's Seminar 2015


鳥飼ゼミナール
2015年11月20日(金曜)、日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)を訪問した東海大学鳥飼ゼミナール。後方左から、1965年登場のダットサン520(4ドア)、1970年に日産初の前輪駆動(FF)車として登場した日産チェリー、1966年から2004年まで製造・販売された日産サニー(SUNNY )。 鳥飼ゼミナール
日産自動車座間事業所を訪問した東海大学鳥飼ゼミナール。
後方に並んでいる日産の自動車は、後方左から、1965年登場のダットサン520(4ドア)、1970年に日産初の前輪駆動(FF:Front-engine Front-drive)車として登場した日産チェリー、1966年から2004年まで製造・販売された日産サニー(SUNNY )。 鳥飼行博
神奈川県座間市日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)を訪問した東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の鳥飼ゼミナール。
後方に並んでいる日産の自動車は、後方左から、1965年登場のダットサン520(4ドア)、1970年に日産初の前輪駆動(Front-engine Front-drive)車として登場した日産チェリー、1966年から2004年まで製造・販売された日産サニー(SUNNY )。 闊歩鳥飼ゼミナール
2015年11月20日(金曜)、神奈川県座間市の日産自動車座間事業所を訪問した東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の鳥飼ゼミナール。
ダットサン12型フェートン

Datsun Model 11 Phaeton


12型フェートン
1933年製造の日産自動車ダットサン12型フェートン (Datsun Model 11 Phaeton )。自動車製造(株)は、資本金1,000万円で横浜市に設立、取締役社長に鮎川義介(アイカワ ヨシスケ:1880年山口生まれ,1967年逝去)が就任。1933年12月、戸畑鋳物・自動車部から自動車製造に関する全てを引き継ぎ『自動車製造株式会社』創立。 ダットサン12型フェートン
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の1933年式ダットサン12型 フェートン) (Datsun Model 11 Phaeton )。フェートンとは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使うために開閉可能な幌(ホロ)を装備した車体を言う。ダットサンという名称は1932年の10型から採用された。 日産自動車ダットサン12型フェートンは、全長2743mm、全幅 1197mm、全高 1556mm、重量 444kg、ホイールベース 1890mm。トヨタ博物館(愛知県長久手市横道41-100)の保管しているダットサン12型フェートンは、水冷直列4気筒サイドバルブ(SideValve)エンジン(発動機)は、排気量722cc。最高出力 12馬力/9kw(毎分3000回転)。この車体に搭載されているエンジンは後年、改良型に変換されたもの。本来は、排気量495cc、7.4kw(毎分3700回転)。 12型フェートン
日産自動車ダットサン12型 フェートン(1933) (Datsun Model 11 Phaeton )。ダットサンという名称は1932年の10型から採用された。
 1934年、『日産自動車株式会社』に改称。創業者は「日産コンツェルン」の総帥となる鮎川義介。彼は、年間1万〜1万5千台を製造する遠大な計画を実行に移そうとしていた。1935年、日本で初の量産工場となる横浜工場で小型自動車『ダットサン』(DATSUN)が製造開始。同年、オーストラリアにもKD輸出され、“旗は日の丸”“車はダットサン”を目指して近代日本工業の先駆を務めた。
 
 2012年3月20日、日産のカルロス・ゴーン最高経営責任者(CEO)は「ダットサン」ブランドをインドネシアで使用して販売することを発表した。日産の小型車ブランド「ダットサン」(DATSUN)とは、快進社の創業者、橋本増治郎を支援した田(でん)健次郎の「D」、青山禄朗の「A」、竹内明太郎の「T」の頭文字の合成語であり、「脱兎のごとく」とスピード観を表現したものである。DATの後に"息子" のSONを賦課したが、SONは「損」に通じるために同音のSUN(太陽)に変換しDATSUNた。そして、この『ダットサン』の名称が、開発途上国の市場向けの低価格車にその名前が再登場したのである。 ダットサン12型
日産自動車ダットサン12型 フェートン(1933) (Datsun Model 11 Phaeton )のラジエータを上部からみる。フェートンとは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使うために開閉可能な幌(ホロ)カバーを装備した車体を言う。 ダットサン12型フェートン
日産自動車ダットサン12型 フェートン(1933) (Datsun Model 11 Phaeton )のスターターの穴(挿入口)にクランクシャフト(回転棒)を差し込んでイナーシャ(慣性発動機)を回転させエンジンをかける。タイヤはDunlop Balloon (ダンロップ)なので、動態保管するためにアメリカから逆輸入したもの。 ダットサン12型
1933年製 ダットサン12型 フェートン) (Datsun Model 11 Phaeton )のヘッドランプカバー。「DATSUN 戸畑鋳物株式会社 自動車部」。戸畑鋳物株式会社は、1910(明治43)年に戸畑(現在の北九州市)に鮎川義介が創業した。現在は日立金属となった。 12型フェートン車内
神奈川県座間市、日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクションのダットサン12型フェートンDatsun 12)の運転席周辺。デザインはシンプルだが、1940年代まで継承された機能的なものだった。フェートンとは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使うために開閉可能な幌(ホロ)カバーを装備した車体を言う。 ダットサン12型フェートン
神奈川県座間市日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクションのダットサン12型 フェートン(1933) (Datsun Model 11 Phaeton )運転席周辺。デザインは当初のままではなく、運転可能な形で保存するために、スターターなど電気系統に現代的改良が加えられ、内装も機構も変化しているようだ。
ダットサン14型ロードスター

Datsun 14 Roadster


ダットサン14型
神奈川県座間市にある日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)。

 日産自動車は、1911年、橋本増治郎が東京・麻布に設立した「快進社自働車工場」がルーツであるが、独自の設計・製造になる箱形自動車の完成は1914年と第一大戦の勃発した年に当たる。この自動車は、1915年からDAT自動車(脱兎号)の名称で販売された。このDATとは、「脱兎」と資金提供者の田健治郎(1855−1930)・青山禄郎竹内明太郎のイニシャルからなり、後に『ダットサン』(DATSUN)となる。

 第一次大戦後の1919年、アメリカのウィリアム・R・ゴルハムが設計したゴルハム式三輪車製造を目的に「実用自動車製造株式会社」が大阪に設立。(「わが国の自動車製造業のはじまり」参照)。

 「実用自動車製造株式会社」は、アメリカから資本設備、部分品、材料を輸入して竣工した。実用自動車では、久保田鉄工から来た若い技術者の後藤 敬義がウィリアム・R・ゴーハムの助手として就き、後藤 敬義は自動車設計・製造技術を習得、後年のダットサンに引き継がれ、主任技師となる。「ゴルハム式三輪車」は空冷V型2気筒1200cc 7HP(課税上の算定数値)と簡単なフリクション・ドライブ式トランスミッションによりディファレンシャル装置の無いリヤホイールシャフトの片側をドライブチェーンで駆動、舵棒を使用した舵取り装置付き。フロントホイール1輪、リヤホイール2輪の3輪自動車。
 1926年、麻布の快進社と大阪の実用自動車製造が合併して、「ダット自動車製造」が設立された。その後、1931年に鮎川義介の創設になる「戸畑鋳物株式会社」と合併し、1933年に日産自動車が創立される。(「わが国の自動車製造業のはじまり」参照) ダットサン14型
神奈川県座間市にある日産自動車座間事業所「日産ヘリテージコレクション」のダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)。1920年に建設された、横浜工場で、1935年から生産開始。 全長2,790mm、全幅1,190mm、ホイールベース2,005mm、トレッド(車輪間隔 前/後)990/1,026mm、車両重量550kg、エンジン7型(直4・サイドバルブ(SideValve)722cc、最高出力15馬力11kW/毎分3,600回転(rpm)。
 サイドバルブ(sidevalveengine)とは、吸排気バルブがシリンダーブロックの横(サイド)に配置されたエンジンで、シリンダーヘッドより低い位置に置かれたカムシャフトによってバルブが駆動する。インテークマニホールドが湾曲しているため排気量の割には効率が低く、燃焼室の圧縮比を高めにくい構造となっている。他方、工作は簡易化でき、故障も少ないために、初期の自動車エンジンの標準的なレイアウトとなった。 ダットサン14型鳥飼
神奈川県座間市にある日産自動車座間事業所「日産ヘリテージコレクション」のダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)。1935年4月、横浜工場で一貫生産を開始。日産自動車は、1933年(昭和8年)「自動車製造株式会社」として設立。1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社へ改称。そして、年産1万台の量産に取り組み、1935年(昭和10年)に横浜工場で最初に生産されたのがダットサンDATSUN)となる14型となった。722ccの15馬力エンジン搭載で、デザインは富谷龍一氏になる。グリル上のマスコットは「脱兎:兎が走るイメージ」であるが、これ以降の車種では、ウサギの形は採用されていない。 ダットサン14型
神奈川県座間市日産自動車座間事業所を訪問し、ダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)など主要車両を案内していただいた。
ダットサントラック・バンのルーツは、戦前の初代ダットサン。1932年の初代発売当時から市場には10/11型シャシーにバン型ボディを架装したものがあったが、これは乗用車としてではなく産業用の利用が中心だったため。正式な商用車モデルとして、カタログ掲載されたのは1935年のダットサン14型トラックが最初である。これは、T型フォードを意識したデザインと名称のようだ。戦前は14型トラック、15Tから17Tと変化し、戦後は1121で復活した。戦前を初代、戦後を2代目、120型トラックを3代目とする。 ダットサン14型
日産座間事業所日産ヘリテージコレクションのダットサン14型 (Datsun 14 Roadster)の後方トランクには、可動折畳み式の座席(1−2人分)が収納されている。ダットサン14型ロードスター (Datsun 14 Roadster)は、日産80周年グランドフィナーレの一環で日産本社ギャラリー内でエンジンを始動をし、稼働することを示した。 ダットサン14型
日産自動車座間事業所日産ヘリテージコレクションのダットサン14型Datsun 14)の後部画像。後方トランクには、可動折畳み式の座席(1−2人分)が収納されている。 ダットサン14型
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のダットサン14型ロードスター(Datsun 14)のウサギ型のシンボル。脱兎のごとく素早いイメージをかたどっている。 ダットサン14型
日産座間事業所日産ヘリテージコレクションのダットサン14型ロードスターDatsun 14)の運転席。 ダットサン14型
神奈川県日産座間事業所日産ヘリテージコレクションのダットサン14型(Datsun 14)の後方トランクには、可動折畳み式の座席(1−2人分)が収納されている。

 日産自動車株式会社は設立 1933年(昭和8年)12月26日、代表者 取締役社長兼CEO Carlos Ghosnカルロス・ゴーン)、資本金 6058億1300万円、従業員数 【単独】23,085名・【連結】142,925名、売上高 【単独】3兆5164億1500万円・【連結】11兆3752億700万円(2015年3月期実績)
ダットサン14型ロードスター

 Datsun 14 Roadster


ダットサン鳥飼ゼミ
2015年11月20日(金曜)、神奈川県日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)を案内していただいた東海大学鳥飼ゼミナール。左から、ダットサン12型、ダットサン15型フェートン、緑のダットサン14型ロードスター (Datsun 14 Roadster)、赤のダットサン17型フェートン。

ダットサン14ロードスター
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)は、外装はイエローグリーンの派手な色に塗られているが、当初からこのような色だったのであろうか。塗装技術、特にコーティングが現代技術の仕様・様式で塗られている。当時のダットサンDATSUN)は色むらがあり、光沢もそれほどなかった。しかし、自動車の価格は、雇用者(当時の一流会社員)の年収の2倍はしたので、個人であろうと会社の車であろうと、自動車を持つことは最上級の暮らし、改装にあったということを意味する。 ダットサン14型ロードスター
日産自動車座間事業所にある日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のダットサン14型ロードスター(Datsun 14 Roadster)のラジエータとヘッドライト。 ダットサン14ロードスター車内
日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクション記念車のダットサン14型ロードスターDatsun 14 Roadster)の運転席周辺。座席はレッド、操作盤は外装と同じイエローグリーンで派手で豪華な色彩。2013年11月24日(一般公開初日)東京ビックサイトで開催された第43回東京モーターショーで日産自動車ブースに展示された。
ダットサン15型フェートン

 Datsun 15 Phaeton


ダットサン鳥飼ゼミ
神奈川県座間市の日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)を案内していただいた東海大学鳥飼ゼミナール。左から、ダットサン12型フェートン、薄い空色のダットサン15型フェートン(Datsun 15 Phaeton)、ダットサン14型ロードスター、赤のダットサン17型フェートン。 フェートンPhaeton)とは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。 ダットサン15型フェートン
1936年5月から製造が始まったダットサン15型フェートン(Datsun 15 Phaeton)。色はアイボリーグリーン。全長(Overall length)3,187mm、全幅(Overall width)1,190mm、車軸(Wheelbase)2,005mm、トレッド(Tread) (前輪front/後輪rear)1,038/1,049mmq、エンジン(Engine)Type 7 (4-シリンダーSV), 排気量722cc、最高出力(Engine Max. power)12kW (16PS)/3,600rpm。トレッド(Tread)とは、タイヤの接地部分で,自動車の加速、制動の運動を路面に伝達する。そこで、タイヤ表面には、摩擦が作用しやすいように、そして雨天時には接地部分の水を流すために、溝が刻まれている。 ダットサン15型フェートン
1936年製造開始の(ダットサン15型フェートン(Datsun 15 Phaeton)のバンパーとフロントグリル (front grille) 。エンジンのラジエーター(冷却器)が控えている。 ダットサン15フェートン
日産自動車ダットサン12型フェートン(左手前)と右奥のダットサン15型フェートンDatsun 15 Phaeton)。Phaeton)とは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。 ダットサン15フェートン車内
神奈川県日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクションのダットサン15型フェートン(Datsun 15 Phaeton)の運転席周辺。座席はダークブラウン、操作盤はダークイエローだが、デザインは当初のままではないようだ。運転可能な形で保存するために、スターターなどに現代的改良が加えられ、内装も機構も変化していると推測できる。フェートンとは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。
ダットサン16型セダン

Datsun 16 Sedan


ダットサン16型セダン1
座間市の日産座間事業所を訪問した鳥飼ゼミナールは、日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の主要車両を説明していただいた。1935年に登場した日産のダットサンDATSUN)12型フェートン(イエロー:右手前)と隣のスカイブルー塗装のダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )。これは、年式1937年、型式16型、全長3,129mm、全幅1,190mm、全高1,600mm、ホイールベース2,005mm、トレッド(前/後)1,038/1,049mm、車両重量630kg、エンジン7型(直4・サイドバルブ(side-valve))722cc、最高出力12kW(16ps)/3,600rpm、サスペンション(前/後)横置きリーフ/リーフリジッド、ブレーキ ドラム(前後共)、タイヤ 4.00-16 バルーン。 ダットサン16型セダン2
1937 年に登場した日産自動車のダットサン12型フェートンDatsun 12 Phaeton)(イエロー:右手前)と2台目のスカイブルーのダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )。
 1926年設立のダット自動車製造株式会社 (1934年に日産自動車に改称) から1932 (昭和7) 年に「ダットサン」というブランドが生まれた。曲線美のダットサン16型セダンは1937 (昭和12) 年に製造され、小型タクシーなどにも流用された。 ダットサン16型セダン3
1937 年に登場した日産自動車ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )。日産ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )のエンジングリル上部につけられたDATSUN(脱兎)エンブレムのデザインが変化した。ラジエーターグリルは、繊細なデザインになり、中心にサイドルーバーのメッキモールを施した。 ダットサン16型セダン3
1937年(昭和12年)4月に登場した日産自動車ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )は、後席を備えてたために、右隣に並ぶイエローのダットサン14型2人乗りロードスター(Datsun 14 Roadster)よりも車内空間に余裕がある。全長もロードスターよりも長く、居住性が高いために、長距離移動に適している。搭載エンジンは、ダットサン15型と同じ722ccの7型、最高出力も同値の16馬力。
 1937年7月7日の盧溝橋事変を契機にした日中戦争が勃発したため、軍需が拡大し、軍用トラックが増産が始まった。1937年製のダットサンDATSUN)16型セダン(4人乗り)は、自動車メーカーが戦争に巻き込まれ、軍の統制の下に置かれる時代の端境期に当たる。 ダットサン16型セダン4
日産ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )の後部。 ダットサン16型セダン5
日産自動車ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )。ダットサン(DATSUN)エンブレムもデザインが変化した。 ダットサン16型セダン
日産自動車ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )。1937年(昭和12年)4月に登場したダットサンDATSUN)16型セダンは後席を備えており、2人乗りロードスターよりも容量があり居住性が高い。ラジエーターグリルは、繊細なデザインになり、中心にサイドルーバーのメッキモールの付くが、この位置は中心付近から上下の縁に囲まれたものに変化した。 ダットサンエンブレム
日産自動車ダットサン16型セダンDatsun 16 Sedan )のエンブレムは、デザインが変化しウサギ(脱兎)の形状はわずかにとどめるだけになった。
ダットサン17型ロードスター

Nissan 1933


ダットサン17型ロードスター
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中のダットサン17型ロードスターDatsun 17 Road Star)乗用車。自動車製造(株)は、資本金1,000万円で横浜市に設立、取締役社長に鮎川義介(あゆかわ よしすけ)が就任した。

 鮎川義介は、明治36年(1903)に東京帝国大学を卒業に芝浦製作所の職工となり、アメリカにわたって可鍛錬鋳造の技術を研究した。日本に帰国後、井上馨の支援を受けて戸畑鋳物を創設した。昭和3年(1928)、久原鉱業(はらこうぎょうしょ)の社長に就任、同社を日本産業と改称。その後、企業吸収を繰り返して、日産コンツェルンを確立した。昭和12年(1937年)、満洲に進出して日産本社を満洲重工業開発と改称する。帰国してからは、太平洋戦争を始めた東条英機内閣の顧問として活躍。昭和20年(1945年)の敗戦後、A級戦犯(戦争犯罪者)の容疑で拘置されるも釈放された。昭和28年から昭和34年までの間、参議院議員を歴任。 ダットサン17ロードスター
日産自動車で1936年5月製造開始のダットサン17型ロードスターDatsun 17 Road Star)。ミニカーの1/43(43分の1) ダットサン 17型 ロードスター(色 アイボリー) [44537]は買取価格1,950円。 ダットサン17型ロードスター
日産自動車のダットサン17型ロードスターDatsun 17 Road Star)。 ダットサン17型ロードスター
神奈川県にある日産自動車のダットサン 17型 ロードスターのクランクシャフト挿入口。 ダットサン17型ロードスター
座間市の日産ヘリテージに展示中の日産自動車のダットサン 17型 ロードスターダットサン17型ロードスター
日産自動車のダットサン 17型 ロードスター運転席周辺。座席はブラック、操作盤は外装と同じデッドで、デザインは当初のままでのようだ。
ダットサン17型フェートン

Datsun 17 Phaeton, 1938 Model


17型フェートン
神奈川県にある日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中のダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton, 1938 Model)のナンバー「4147」は、2013年12月23日に開催された「日産自動車創立80周年」で、自走するデモンストレーションを行った。1933年12月26日に創業した日産自動車はヘリテージパレードを3日前に開催、会場で志賀俊之副会長が「今日は日産の創立80周年を記念したこういうイベントですが、歴代のクルマがこのように並んでいるわけです。 その間に、たくさんの日産がイノベーション、エキサイトメントを起こしてきた歴史の証のようなクルマがここにあるわけです。 やはり、これからも本当に長くファンの皆さん方に愛していただけるクルマをこれからも出し続けることの大切さを本当に今日感じました」と述べた。現在は、日産ヘリテージコレクションに動態保存されている。メインテナンスを施す労力、技術、経費は大変なものだが、それを負担してまで自動車を保管しようとする企業の姿勢は、社会的責任(CSR)の一端を担っている。 ダットサン17型フェートン
日産ヘリテージコレクションの記念車、日産1938年式ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton, 1938 Model )。
年式 1938年、型式 17型、全長3,129mm、全幅1,190mm、 ホイールベース2,005mm 、トレッド(前/後)1,038/1,049mm、車両重量610kg、エンジン7型(直4・吸排気バルブがピストンと並んで配置され、プッシュロッドの役割がなくてカムシャフトが直接バルブを動かすサイドバルブ(side-valve)方式) 722cc、 最高出力12kW(16ps)/3,600rpm 、サスペンション(前/後)横置きリーフ/リーフ・リジッド、 ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ 4.00-16 バルーン。 フェートンとは、4人乗りセダンを、オープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。 ダットサン17型フェートン
日産自動車ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton type 1938 )の正面。 ダットサン17型フェートン
日産自動車1938年式ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton, 1938 Model)。「ダットサン」のブランド車は、1932年(昭和7年)の10型から始まり、1938年(昭和13年)の17型まで生産されたが、戦争により重要優先になってしまう。ダットサン10型のサイドバルブ・エンジン(side-valve engine)が495cc、10馬力だったのに比較して、小型車の規格改定(1935年にエンジン排気量750ccまで小型車となる)に伴い、11型〜13型のエンジンが748cc、14型のエンジンが722cc(15馬力)と改良された。
 1938年式ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton 1938 Model)のエンジンは直列4気筒サイドバルブ(side-valve engine)722ccエンジンで、最高出力は16馬力だった。 ダットサン17型フェートン
日産自動車1938年式ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton, 1938 Model)の後部。フェートンphaetonとは、4人乗りセダンをオープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。 ダットサン17型フェートン
日産自動車ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton type 1938 )の運転席。 ダットサン17型フェートン
神奈川県にある日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中のダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton, 1938 Model)の運転席と後部座席。ダットサン17型が登場した前年の日中戦争が激化したことで、1938年(昭和13年)に国家総動員法(昭和13年法律第55号)が敷かれ、民需から軍需優先への転換、軍国主義化が進んだ。戦時体制に順応するために、物資節約を進め、内装もシンプルになった。 ダットサン17型フェートン
日産自動車ダットサン17型フェートンDatsun 17 Phaeton type 1938 )の車内。フェートンとは、4人乗りセダンをオープンカーとして使えるように開閉可能な可動式の幌(ホロ)を装備した車体を言う。
ダットサン17型セダン

Datsun 17 Sedan


ダットサン17型セダン1
1938年に登場した日産自動車ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan )は、年式1938年、型式 17型、全長3,129mm、 全幅1,190mm、全高1,600mm、ホイールベース2,005mm、トレッド(前/後)038mm/1,049mm、車両重量630kg、エンジン 7型(直4・サイドバルブ(SV))722cc、最高出力 12kW(16ps)/3,600rpm。懸架装置:サスペンション(前/後)横置きリーフ/リーフリジッド(重層式板バネ)、 ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ 4.00-16 バルーン(前後共)。 ダットサン17型セダン2
神奈川県日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中のダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan )。戦前・戦時中のダットサンは、この17型が最後となる。 ダットサン17型せだん3
1938年(昭和13年)に登場したダットサン17型セダン(左の黒色)。ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan )のデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲している。フロントグリル (front grille) 中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴。 ダットサン17型せだん4
1938年式ダットサン17型セダンのラジエーターを覆うフロントグリル中央には太い縦バーが入っている。 ダットサン17型せだん5
1938年式ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan)のラジエーターを覆うフロントグリルは、二つ折れの形状になっている。バンパーの衝撃吸収式の留め金形状も面白い。 ダットサン17型セダン6
日産自動車1938年式ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan)のフロントグリルfront grille) のクローズアップ。フロントグリル中央に太い縦バーが入っている。 DATSUNのロゴが中央についている。 ダットサン17型セダン6
日産自動車ダットサン17型セダンのフロントグリル(front grille) についているDATSUNのロゴ。 ダットサン17型せだん
日中戦争がはげしくなった1938年(昭和13年)に登場した、ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan)。日中戦争の物資統制のため、綿も羊毛も不足しており、ダットサン17型セダンDatsun 17 Sedan)の内装はシンプル。現代から見ても、貧相で貧弱な仕上げではないが、これはリストアして、現代の資材を使って改装し新品になったためなのか。搭載エンジンは、バルブがシリンダーの横に配置されシリンダーヘッドが平板なサイドバルブ(SV)722cc16馬力であり、前のダットサン16型と同じ。 ダットサン17型せだんと17型フェートン
中央の黒色がダットサン17型セダン、その手前(左)がダットサン17型フェートン。
 ドイツでは、国民車「フォルクスワーゲン(Volkswagen Beetle)がビートル(Beetle)の愛称で生まれたが、日本では戦前のモータリゼーションは、個人乗用車ではなく、貨物輸送のトラックが軍需に用いられ、民間用では、物資輸送のトラックとタクシーあるいは高級官僚・軍人用の乗用車程度に限られていた。
ニッサン70型乗用車

 1938 Nissan Passenger Car


ニッサン乗用車
神奈川県座間市の日産座間事業所日産ヘリテージコレクションに保管されている1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )。
年式1938年 、型式70型、全長4,750mm、全幅1,720mm 、全高1,750mm 、ホイールベース2,794mm、トレッド(前/後)1,419mm/1,441mm、車両重量1,410kg、エンジンA型(直6・サイドバルブ(SV) 3,670cc、最高出力63kW(85ps)/3,400rpm、サスペンション(前/後)平行リーフ/平衡リーフリジッド 、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ6.00-16-4PR。 乗用車
日産座間事業所日産ヘリテージコレクションに保管されている1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )。「ニッサン」ブランド車の生産は、1937年(昭和12年)3月に開始されたが、1938年式ニッサン70型乗用車セダンが最初のモデルとなった。このアメリカスタイルの乗用車はアメリカのグラハム・ページ社の資本設備を購入して国産化したために、車体の大きさは、当時のフォードシボレーとほぼ同様で大型である。この乗用車は、5人乗りと7人乗りの2種があり、固定式の屋根を排して幌屋を装着したフェートンもある。こうして、日産車は、小型車が「ダットサン」、大型車が「ニッサン」と、2つのブランド名が使い分けられるようになった。 にっさんエンブレム
神奈川県の日産座間事業所に保管されている1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )。エンジングリルエンブレムは、ウサギ形状の痕跡をほとんどとどめないほど変更されている。 日産車バンパー
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中の1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )のバンパー。 乗用車後部
日産ヘリテージコレクションに保管されている1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )の後部。
 1937年生産開始のニッサン乗用車は、アメリカのグラハムページ社の生産していた乗用車とトラックの製作図面から加工工作機械までを購入し、国産化を図ったもの。標準型セダン(4000円)、特殊型セダン(4500円)の2種がある。大型車のため、後部座席は3人掛けで、補助席2席も装備を使えば、7人乗りとなる。座席クッションは柔らかく、内張材料は純国産の羅紗張りとテレンプ張の2種。前面ウインドシールドは安全ガラスを採用した開閉式。換気窓もあり通気性がよい。 ニッサン運転席
日産ヘリテージコレクションに保管されている1938年式 ニッサン乗用車1938 Nissan Passenger Car )の運転席。
ニッサン バン

NISSAN Passenger Car type:70, 1938 Model


ニッサンバン
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中の日産Be-1と奥の1937年式 ニッサン バン商業車(NISSAN Van )。年式 1937年式、 型式 80型 (シャシー12BL型)、 全長 (6,338mm)、全幅 (2,161mm)、全高 (2,655mm)、ホイールベース 3,251mm、トレッド(前/後) 1,664/1,600mm、車両重量 (3,315kg)、エンジン AT型(直6・サイドバルブ(SV)) 3,670cc、最高出力 63kW(85ps)/3,400rpm、サスペンション(前/後) リーフ10枚/リーフ11枚リジッド、ブレーキ ドラム(前後共)。
 「サイドバルブ(SV)エンジン」は、上向きのバルブをクランクの回転で動くカムで押し上げて駆動するために部品点数が少なく、簡単化された構造であり、製造が容易で故障も少ない。しかし、燃焼室が横に平板なために圧縮比を上げることが困難で、高出力化できない欠点があった。 ニッサンバン
1937年式 ニッサン バン商業車(NISSAN Van )。1937年(昭和12年)3月に、70型から「ニッサン」ブランドの生産が開始するが、これはアメリカのグラハム・ページ社から設備などの輸入したことで可能になった。ニッサン バンは、70型と同じく「ニッサン」ブランドの最初の自動車である。1937年発行 ニッサンカタログにニッサン 80型トラックや90型バスも紹介されている。80型トラックの大部分は日本陸軍に買い上げられ中国大陸にも送られた。しかし、80型トラックは元来、舗装路での平時の使用を前提に設計されており、中国大陸の悪路で戦時使用するには、堅牢性、秘匿性、信頼性に問題があった。?フロントヘビーによる走破性の低さ、?キャブオーバー型(キャビンをエンジン上の最前部に置くことで室内空間を広くとる)特有のエンジン整備性の悪さ、?高い運転席は視界はいい反面、露出度が高く敵に狙撃されやすい、?鼻の突き出たボンネット型トラックと異なり前輪と運転手・乗員が接近しており地雷の人的被害が大きい、との問題を抱えていたという(1937年 戦前のニッサン80型トラック 〜自動車カタログ棚から 084 参照)。  ニッサンバン
1938年式 ニッサン バン。この記念車は三越で商品搬送用として使用されたが、その期間は、戦時中の1938年(昭和13年)から東京オリンピックの次のメキシコオリンピック後の1965年(昭和40年)まで及んでいる。堅牢な構造、実用性の高さが証明されたといえる。搭載エンジンは、3670ccの85馬力、直列6気筒。また、日本初のセミキャブオーバースタイルも好評で、バスやトラックがセミキャブオーバースタイルになる先駆けといえる存在でもある。
 日産ヘリテージコレクションの日産車には、古ぼけたままだったニッサンバンを引き取って、再生し、見事に復元した日本の技術者の心意気、技術の高さ、丁寧な仕上げが感じられる。
ダットサントラック1948年式

Nissan 1947 Datsun Truck


ダットサントラック1
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の1947年式ダットサントラック2225型は、1947年(昭和22年)に登場したダットサントラック2124型を改良したモデル。搭載エンジンは722ccの直列4気筒サイドバルブ(SV)7型、貨物600kgの積載可能、乗車定員は2名。2225型の登場当時、終戦直後の物資不足から、車両の複雑な加工を避け、鉄資源を節約するために、車体の一部を木製化している。このような簡易化は、耐久性、堅牢性を低下させたに違いない。 ダットサントラック2
神奈川県日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中の1947年式ダットサントラック2225型Datsun Truck)は、全長3,147mm、全幅1,458mm、全高1,550mm、Wheelbase2,005mm、トレッド (前/後)1,038/1,080mm、車両重量620kg、エンジン 7型 (4シリンダーサイドバルブ(SV)),排気量722cc、最高出力11kW (15PS)/3,600rpm、トランスミッション(エンジンで発生した動力を車の走行状態に応じて任意もしくは自動で適切なトルク&回転数に変化させる装置) 前進3段ギア,後進1段ギア、タイヤ4.00-16 (前 & 後)、座席2人、最大搭載量 500kg。 ダットサントラック3
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の15馬力の1947年式ダットサントラック2225型Datsun Pickup Truck)は、1948年製造、荷台の積載重量は500キロまで。

 ダットサンピックアップトラックは、戦前1935年(昭和10年)に登場した14型のころから生産されていた。1943年(昭和18年)に戦局が悪化する中で、?資源と労働力不足、?航空機・戦車など兵器生産優先、という理由で生産は停止された。しかし、戦前・戦中型のダットサントラックをベースにして、戦後の1946年(昭和21年)、ダットサントラック1121型が2代目モデルとして販売された。多分、以前のモデルを改良する余裕はなく、ほとんど同一の仕様であったと考えられる。 ダットサントラック4
1948年の日産自動車で生産された1947年式ダットサントラック2225型Datsun Pickup Truck)の荷台は、積載重量500キロと現在のピックアップトラックよりもはるかに少ない。 ダットサントラック
神奈川県日産ヘリテージコレクションの1947年式ダットサントラック2225型Datsun Pickup Truck)は、1946年(昭和21年)11月、1121型発売、1947年(昭和22年)、2225型発売と続く。搭載エンジンは直列4気筒 722cc 、吸気・排気バルブがピストンの上ではなくシリンダーの横に上向きに配置されたサイドバルブ(SV)7型。

 The Datsun Truck series was born before the war as the Datsun 13 Truck (1934), later being revived after the war (1946) as the 1121. The 2225 was launched in 1947 as an improved version; with its 722cc engine, it had a 500kg load capacity and seating for two. The vehicles produced immediately after the war clearly demonstrate the hardships caused by shortages of materials. To cope with such difficulties, complex manufacturing processes were avoided and some parts of the body were even made of wood. ダットサントラック
日産ヘリテージコレクションの1947年式ダットサントラック2225型Datsun Pickup Truck)。
 大江工場で架装された日産自動車車は、1948年11月から1954年11月の間、ダットサンDB、ダットサンDB2型計1067台、ダットサンDB4型1931台、ダットサンDB5、ダットサンDB6、110型計3492台、ダットサントラック361台、デラックスライトバン220台、その他合計7379台に達したという。
ダットサン消防車F4146型

Nissan 1948 Datsun Truck


消防車
日産ヘリテージコレクションに展示中のダットサントラックDatsun Truck)シリーズで、1950年に登場した「ダットサントラック」4146型をベースに製作された消防車。型式は、Fire(火)を表すFを追加し、F4146型。このほかバンタイプの救急車も用意されていた。 消防車1
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中のダットサン消防車F4146型は、日産 グローバル本社ギャラリーで開催の「はたらくクルマ展」にも出展された。  消防車2
神奈川県日産ヘリテージコレクションのダットサン消防車F4146型Datsun Truck)は、年式 1950年, 型式 F4146型, 全長3,020mm, 全幅 1,200mm, ホイールベース2,005mm, トレッド(前/後)1,038/1,049mm, 車両重量1,400kg, エンジン7型 (直4・サイドバルブ(SV)) 722cc, 最高出力12kW(16ps)/3,600rpm, サスペンション(前/後)横置きリーフ/リーフ・リジッド, ブレーキ(前/後) ドラム(前後共)。 消防車3
ダットサントラックDatsun Truck)を利用して生産された小型消防車F4146型の運転席。 消防車4
1950年(昭和25年)に登場したダットサントラック4146型をベースに作られたダットサン消防車F4146型。小さな車体を生かして、狭い道にも入ることができた。また、小型軽量のため燃費も良かったが、大型ポンプや消火器具などの装備を大量に搭載・積載できないことは欠点である。
電気自動車たま

Nissan All-Electric Vehicles


たまE4S47
神奈川県日産ヘリテージにある電気自動車All-Electric Car「たま E4S47」は、1947年5月に製造。戦後の日本は、?アメリカの占領、GHQの統治にあったこと、?戦争によって国力を疲弊し、日本円の国際的信用力はゼロになったこと、?枢軸国として経済隔離の対象となり、自由な貿易ができないこと、という状況であった。これでは石油の輸入はできず、自動車もガソリン、ディーゼルは使えない。しかし、戦争によっても水力発電所は破壊されなかったために、電気は都市にも行き渡っていた。停電はあっても、敗戦後の日本には伝統がともっていた。そこで、電気自動車「たま E4S47」が開発された。 たまE4S47
座間市にある日産ヘリテージの電気自動車「たま E4S47」。 ディーゼルもガソリンも涸渇した敗戦後、1947年に自動車メーカーが生産を始めたが、その一つが電気自動車All-Electric Vehicle「たま」である。現在、日産ヘリテージに保管されているが、トヨタやホンダではなく日産(当時の東京電気自動車)が次世代自動車(後輪を駆動するプロペラシャフトを省略でき軽量化可能)の実用車第一号を生産した。充電後は、時速28キロ、96キロ走行可能だったという。 たまE4S47
日産自動車の電気自動車All-Electric Car「たま E4S47」の運転席。窓の開閉は既に回転式ハンドルが使われている。専用シャシーに40個の2ボルトバッテリーで5.5馬力を駆動した。日本の省庁、大学、銀行などが注文したというが、月20-30台生産できたという。
 「たま電気自動車」は、後に日産と合併するプリンス自動車の前身、東京電気自動車(立川飛行機の技術者が中心になって設立。1949年たま電気自動車に社名変更)が1947年に製造。終戦直後、輸入ガソリンは高価で、産業活動が停滞して水力発電による電気の余剰があったため、電気自動車が開発され、1950年まで生産された。この電気自動車「たま」は、電気自動車の「日産リーフ」が登場した2010年にあわせて復元され、走行可能になった。

たま貨物車EOT47
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に展示中の「たま貨物車 EOT47」。電気自動車たまE4S47の後方に開放式の荷台を設けて、小型トラック仕様にしている。当時は、人員輸送は列車、貨物輸送も列車だった。人員輸送のための乗用車は贅沢品であり、貨物にも人員にも使えるトラックが個別輸送に不可欠だった。 たま貨物車EOT47
電気自動車たまE4S47の後方に開放式の荷台を設けて、小型トラック仕様にした「たま貨物車 EOT47」。陸軍向けの輸送機、偵察機、練習機を主に航空機を生産していた立川飛行機は、敗戦により生産転換を余儀なくされたうえに、1947年立川飛行機がGHQ指令により解体される。そこで東京電気自動車として再生されたが、石油燃料が入手困難な時代だったため「たま貨物車 EOT47」を開発した。翌1948年には乗用車をモデルチェンジして近代的なスタイルを取り入れた全長3560mmの4人乗小型乗用車「たまジュニアE4S-48型」を8月に、9月にはホイールベースを2200mmに延長し足回りとスタイルを一新して強力モーターを採用した4人乗中型乗用車「たまセニアEMS-49型」を誕生させた。 
 電気自動車が廃止になった背景は、朝鮮戦争勃発によるバッテリ用の鉛の高騰で、1951年6月に電気自動車は生産中止になった。その後、東京電気自動車は、富士精密工業の支援を受け、1952年にガソリン車の「TAMA」を発表。当時の明仁(あきひと)皇太子が1952年11月10日、継宮明仁親王の成年式と同時に立太子礼を行ったことから「プリンス」と名付けられた。会社は、「たま電気自動車」から、1952年にはプリンス自動車工業と変更された。
電気自動車 プレジデント

Nissan President EV


プレジデント1
1991年に登場した電気自動車 プレジデントは、大相撲の優勝パレード、マラソンの先導車など特別なスポーツイベントの際に、日産自動車から貸し出されるオープンカーである。環境や自然への負荷をへらし、選手にも周囲の観衆にも自動車排気ガスを吸わせない配慮をした。そこで、排気ガスを出さない電気自動車が採用された。諸元は、全長5225mm、車両重量1960kg、最高速度は40km/h、一充電当たりの走行可能距離は100km、加速性能は、0-30km/hまで3秒、0-40km/hまで9.5秒という。 プレジデント2
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に保管・展示されている電気自動車 プレジデントはパレード専用車用であり、最高時速40km、航続距離100kmと短く、市販EVとは異なる。しかし、公道を走る実用車であり「品川34 た 22-89」のナンバーを受けている。
電気自動車 ハイパーミニ

 Nissan Hypermini


ハイパーミニ1
日産自動車が、次世代コミューターとして開発し超小型の電気自動車日産・日産 ハイパーミニ。アルミスペースフレームの軽量車体にネオジム磁石動期モーター(磁石のN極同士やS極同士の反発力にり回転する永久磁石界磁式同期式電動機)を搭載、リチウムイオンバッテリーで駆動する。モーター出力は33ps/13.3kg-mとガソリンエンジンよりも馬力がないが、満充電で115kmの走行が可能。最高速度は100km/h。日産・日産 ハイパーミニNissan Hypermini )は200Vで専用充電器を使って4時間で満充電、深夜電力(23時から翌日7 時まで割引電気料金)を利用すれば1km走行する走行コストは1円程度という。しかし、車両価格が高すぎて総合的なコストパーファーマンが悪く、ハイパーミニ(Nissan Hypermini)の生産期間は2000年のみで生産台数は約350台、販売期間は2000年から2002年のわずか2年間のみだが、20世紀末に新型電気自動車が量産されたことの意義は大きい。 ハイパーミニ2
神奈川県座間市の日産ヘリテージコレクションの電気自動車日産・ハイパーミニNissan Hypermini )。走行コストは安価だったようだが、ネオジム磁石動期モーター(強力な希土類ネオジム磁石を用いた永久磁石同期モータ)を搭載する車両価格が高すぎて総合的なコストパーファーマンが悪く、ハイパーミニ(Nissan Hypermini )は、日本初のピュア電気自動車で、ハイブリッドニュービークルAL-X(1997)SWと並び称される。。
日産オースチンA40

 Nissan Austin


オースチンA40
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に保管中の日産オースチンA40サマーセット サルーンNissan Austin A40 )。
 日産オースチンA40は、全長4050mm、全幅1600mm、全高1630mm、ホイールベース2350mm、車体重量971kg、エンジン4気筒オーバー・ヘッド・バルブ(OHV)) 1200cc、最高出力42ps/4300rpm、定員4名、4速MTコラム・電装系12V・燃費15.2km/、最高速109km/h、価格112万円。

 終戦から6年後の1951年9月のサンフランシスコ講和条約で日本はアメリカ軍による占領から解放され、1952年4月28日に同条約が発効し、独立国家となった。そして、その1952年の12月4日、日産自動車はイギリスのオースチン社と技術提携し、イギリスで製造されたオースチンA40サマーセット サルーンの部品を輸入し、国内で組立るというコンプリート・ノックダウン(CKD)方式で年間2000台生産した。
ダットサンスポーツDC-3

DATSUN Sports 1952 DC-3


ダットサンスポーツ
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)に保管・展示されている日産自動車1953年式 ダットサンスポーツDC-3。年式1952年、型式DC-3、全長3,510mm、全幅1,360mm、全高 1,450mm、ホイールベース2,150mm、トレッド(前/後)1,048/1,180、車両重量750kg、エンジンD10型(直4・バルブがシリンダの横にありバルブの数は吸気、排気各々1つのサイドバルブ(SideValve))860cc、最高出力15kW(20ps)/3,600rpm、サスペンション(前/後)横置リーフ/平行リーフ・リジッド(縦置き板バネ式懸架装置)、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ5.50-15-4PR。

 1950年(昭和25年)、乗用車ダットサンDB-2型ダットサントラック(4146型)が直列4気筒860cc・20馬力の新エンジンを積んで発表された。その後、1952年1月、ダットサンスポーツ(DC-3型)がDB-2型と同じ20馬力エンジンを搭載して登場した。ただし1954年(昭和29年)までの50台の限定生産だった。
ダットサン・デラックスセダン

 Datsun Delux Sedan DB-53


デラックスセダン
座間市日産ヘリテージコレクションの日産自動車1953年式 ダットサン デラックスセダン
1953年式 ダットサン デラックスセダン:年式1953年、型式DB-5、全長3,805mm、全幅1,480mm、全高1,560mm、ホイールベース2,150mm、トレッド(前/後)1,048/1,180mm、車両重量890kg、エンジンD10型(直4・サイドバルブ(SideValve))860cc、最高出力18kW(24ps)/4,000rpm、サスペンション(前/後)横置リーフ・リジッド/平行リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(油圧式)、タイヤ5.50-15-4PR。 デラックスセダン
日産ヘリテージコレクションの日産自動車1953年発売の1953年式 ダットサン・デラックスセダン(DB-5型)デラックセダン(DB型)は、戦後初の乗用車であるダットサン・スタンダードセダン(DA型)の後継車で、1948年(昭和23年)3月に登場。スタンダードセダン(DA型)は、シャシーやエンジンは戦前の設計を継承し、車体を直線簡易化した設計とした。デラックスセダン(DB型)は、シャシーはDA型と同様だが、車体をアメリカ車を模倣して曲線を使った流線型に変更した。エンジンは、当初DA型と同じ722ccだったが、1950年(昭和25年)9月登場のDB-2型は、シャシーの補強、エンジンの860cc・20馬力への向上を行った。1953年(昭和28年)2月登場のDB-5型は、24馬力に向上させた。
ダットサンセダン 113

 Datsun Sedan 113


ダットサン113せだん
1956年製造開始のダットサンセダン113型Datsun Sedan 113)は、発売後1カ月で注文が、ダットサントラック(120)とあわせて2000台に達したという。
 ダットサンセダン113型は、年式1956年、型式113、全長3,860mm、全幅1,466mm、全高1,540mm、ホイールベース2,220mm、トレッド(前/後)1,186/1,180mm、車両重量890kg、エンジンD-10型(直4・吸・排気バルブがピストンの上ではなくシリンダー横に上向き配置しクランクシャフト近くのカムシャフトで直接駆動するサイドバルブ(SideValve))860cc、最高出力18kW(25ps)/4,000rpm、 サスペンション(前/後)平行リーフ・リジッド(前後共) 、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ5.00-15-4PR。

ダットサンセダン210型は「ダットサン1000乗用車」と呼ばれ、ダットサンセダン110型をベースに、1957年10月販売。
 1958年(昭和33年)のオーストラリアのラリーに参戦したダットサン210型「ダットサン1000」の「富士号」210型がクラス優勝、「桜号」が4位に入賞し、ダットサンの名を世界が知るようになる。エンジンは新開発のC型988cc直列4気筒OHV、110型の25馬力から34馬力へと強化され、最高時速95km。
プリンス セダン デラックス

1954 Prince Sedan Deluxe


プリンスセダンデラックス
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の1954年式プリンス セダン デラックス1954 Prince Sedan Deluxe)は、プリンス自動車が1954年に販売を始めた高級車。このプリンス セダン デラックス1954 Prince Sedan Deluxe)の記念車は、明仁親王殿下の愛用車。
 プリンス セダン デラックスの諸元:年式1954年、型式AISH-2、全長4,290mm、全幅1,655mm、全高1,633mm、ホイールベース2,460mm、トレッド(前/後)1,304/1,340、車両重量1,254kg、エンジンFG4A(直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,484cc、最高出力33kW(45ps)/4,000rpm、サスペンション(前/後)逆エリオット・リーフ/半浮動・リーフ、ブレーキ(前/後)ドラム/ドラム、タイヤ5.90-15-6PR。 プリンスセダンデラックス
明仁親王殿下ご愛用のプリンス自動車製造のプリンス セダン デラックス1954 Prince Sedan Deluxe)。 プリンス自動車は、戦時中に日本陸軍一式戦闘機キ四三「隼」を製造し、一式双発高等練習機キ五四を開発した立川飛行機を母体にして1947年に設立されただが、敗戦翌年の1946年(昭和21年)11月にはプリンス自動車工業の前身であるたま自動車株式会社が、富士精密工業のエンジンを活用して「プリンス セダン」を1952年(昭和27年)3月に発表した。 プリンスセダンデラックス
明仁親王殿下御愛用のプリンス自動車製造のプリンス セダン デラックス1954 Prince Sedan Deluxe)の車内。車名の「プリンス」は、今上天皇の明仁親王殿下立太子の礼にちなんで命名されたもの。エンジン型式のFG4Aは、F:富士精密、G:ガソリンエンジン、4:4気筒、A:初開発を表わす。オーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve)は、カムの回転 によりプッシュロッドに押す力を伝達し、ロッカーアームを押し上げる力となり、バルブを開閉するエンジン方式。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開催された第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で、明仁親王のお目にとまり、ご購入となった。1950年(昭和25年)末までのガソリン統制下にあったため、たま自動車株式会社は電気自動車を実用化し、「電気自動車たま」を製造、」販売した。1966年に日産自動車に吸収合併されたが、スカイライン、グロリアの名称で乗用車を生産していた。
スカイラインデラックス

 Prince Skyline Deluxe 1957 ALSID-1


スカイラインデラックス
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のプリンス自動車工業(現在は日産自動車)1957年式スカイラインデラックスALSID-1Skyline Deluxe)。プリンス自動車が1957年に販売を始めた高級車。
 スカイラインデラックスの諸元:年式1957年、型式ALSID-1、全長4,280mm、全幅1,675mm、全高1,535mm、ホイールベース2,535mm、トレッド(前/後)1,340/1,380mm、車両重量1,310kg、 エンジンGA30(直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,484cc、最高出力44kW(60ps)/4,400rpm、サスペンション(前/後) ダブルウィシュボーン/ド・ディオンアクスル、ブレーキ(前/後)ドラム/ドラム、タイヤ6.40-14-4Rt.

 オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) とは、エンジンの上部のバルブを駆動するカムシャフトがピストンシリンダーよりも低い位置にあり、プッシュロッド(Pushrod)とよぶ棒によってロッカアームを押し上げることでバルブを開閉する。オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)エンジンは、同じ排気量のSOHCなど他のエンジンよりも構造が簡単であり、?整備が容易、?軽量・小型化可能、というメリットがある。トラックなどのディーゼルエンジンもOHVを採用しているほか、4サイクルエンジン(ピストン2往復で4ストローク)による自家発電機、ポンプ、トラクターなどの汎用エンジンにも使用される。他方、プッシュロッドの構造上、高回転のエンジンにはい適さないため、21世紀の乗用車ではOHVをほとんど使われていない。 スカイラインデラックス
プリンス自動車(現在は日産自動車)1957年式スカイラインデラックスALSID-1Skyline Deluxe ALSID-1)が1957年4月、富士精密工業(当時)より販売され、スカイラインの初代となる。当時のエンジンは非力だったので、日本の小型乗用車規格(排気量)の1500ccエンジンを搭載し製造された。スタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類がある。  
 1957年(昭和32年)4月登場のスカイライン(初代モデル)は、プリンスセダンの後継車として開発され、現代のプレミアムカーと同じ発想になる。日比谷の宝塚劇場のお披露目を行うなど、コマーシャルを意識した煽情的な手法を取り入れた。外観にフロントグリルfront grilleやボディサイドをメッキするなど、高級感を出そうとして「存在感の高いデザイン」と喧伝されたが、今日の目では安っぽいめっきと映ってしまう。 スカイラインデラックス
プリンス自動車(現在は日産自動車)1957年式スカイラインデラックスALSID-1Skyline Deluxe)が搭載したエンジンはGA30型、直列4気筒オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)の1484cc、最高出力60馬力で最高時速125km/hを記録したが、高速道路ができていない以上、このような高速運転可能な場所はない。スカイライン初代モデルは、ド・デオン+リーフ式リヤサスペンション、2段階の早さをもったフロントワイパーなどが日本初の試みとなるが、この程度で最先端というのは、現代では憚られる。1960年(昭和35年)2月、ハイウェイ時代の到来に先がけ、日本初の4灯式ヘッドライトを採用した。 スカイラインデラックス
日産ヘリテージコレクションのプリンス自動車1957年式スカイラインデラックスALSID-1Skyline Deluxe)の運転席。
 オーバー・ヘッド・バルブ(OHV))の長所は、?ヘッド開閉時にバルブ周りの回転制御系の調整が不要、?ヘッドは簡易化された構造で制作が用意、?放熱しやすく空冷の効率が高い。
欠点は、?プッシュロッドで制御するため慣性が大きくエンジンの高速回転が困難、?プッシュロッドの伝達部分にクリアランス(隙間)があるためにエンジンの騒音がである。
プリンス・スカイウェイ

Prince Skyway


プリンス
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のプリンス自動車製プリンススカイウェイ(Prince Skyway)。プリンス自動車が1957年から販売したスカイライン(ALSI型)の車体後部を改造しバン仕様にした自動車。 プリンス
日産ヘリテージコレクションのプリンス自動車製プリンススカイウェイ。スカイウェイのライトバンは、トランクが大きく、前後に3人掛け座席がある。
ダットサン1000デラックス

 DATSUN 1000 Deluxe


ダットサン1000デラックス
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車製ダットサン1000デラックス(DATSUN 1000 Deluxe)。
ダットサン210型「ダットサン1000」は、1957年(昭和32年)に登場。オースチンAustinをライセンス生産することで、日産自動車は技術を修得することができた。ダットサン110型の後継モデルとなった。 ダットサン1000デラックス
1957年製造開始のダットサン1000デラックス(DATSUN 1000 Deluxe)。
 ダットサン210型「ダットサン1000」は、1957年(昭和32年)に登場。オースチンAustinをライセンス生産することで、日産自動車は技術を修得することができた。ダットサン110型の後継モデルとなった。年式 1958年、型式 210型, 全長3,860mm, 全幅1,466mm, 全高1,535mm, ホイールベース2,220mm, 車両の左右車輪の中心間距離トレッド(前/後)1,170/1,180mm, 車両重量 925kg。 エンジン C型 (直4・頭上弁式オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 988cc, 最高出力25kW(34ps)/4,400rpm, サスペンション(前/後) 平行半楕円リーフ式/平行半楕円リーフ・リジッド式, ブレーキ(前/後) ドラム(前後共), タイヤ 5.00-15-4P(前後共)。 ダットサン1000デラックス
日産自動車製ダットサン1000デラックスは、エンジン C型 (直4・オーバー・ヘッド・バルブ(OHV)) 988cc, 最高出力25kW(34ps)/4,400rpm, サスペンション(前/後) 平行半楕円リーフ式/平行半楕円リーフ・リジッド式, ブレーキ(前/後) ドラム(前後共), タイヤ 5.00-15-4P(前後共)。
ダットサン1000

 DATSUN 1000


ダットサン1000
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車製シルバーボディの1958年式ダットサン1000(210型)は、輸出仕様の左ハンドルで、1980年6月設立のホシノインパルから寄贈されたもの。ホシノインパル代表の星野一義は、1947年7月1日、静岡生まれ。モトクロス(単車のクロスカントリー)のレースで全日本選手権でタイトルを獲った後、ニッサンのワークスドライバーテストを合格して4輪に転向。1974年、全日本F2000選手権でタイトルを獲得、ツーリングカー、フォーミュラで活躍。2002年にレーサー引、監督業に専念することに。 ダットサン1000
日産自動車シルバーボディの1958年式ダットサン1000(210型)は、1957年(昭和32年)11月に販売開始。L210型は、1958年(昭和33年)1月のロサンゼルス輸入車ショーに出品され、同年8月20日から9月7日かけてのオーストラリアラリーにダットサン1000「富士号」が優勝した。このようなイベントを契機に、日産自動車ダットサンが対アメリカ輸出されるようになる。このダットサン1000の後継車が初代ブルーバード(310型)である。
 ダットサン1000:年式1958年、型式L210、全長3,860mm、全幅1,466mm、全高1,535mm、ホイールベース2,220mm、トレッド(前/後)1,170/1,180、車両重量925kg、エンジンC型(直4・オーバー・ヘッド・バルブ(OHV)988cc、最高出力27kW(37ps)/4,600rpm、サスペンション(前/後)平行リーフ・リジット(前後共)、ブレーキ(前/後)ドラムブレーキ(前後共)、タイヤ5.50-15-4PR。
ダットサン・キャブライト

Datsun Cab Light


キャブライト
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車が開発したダットサン消防車キャブライト1150(1966年・A221)
 ダットサン・キャブライトの初代 A20型は、1958年8月に登場。3代目「ダットサン・キャブライト 1150 A221」はA220/221型1150 トラックとして1964年3月登場。記念車は、1966年にマイナーチェンジしたキャブライトA221型
 ダットサンキャブライト1150(A221年)諸元:1966年、型式A221、全長3,840mm、全幅1,608mm、全高1,735mm、ホイールベース2,220mm、トレッド(前/後)1,294/1,311mm、車両重量885kg、エンジンD11型 (直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,138cc、最高出力39kW(53ps)/5,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/半浮動式リーフリジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ5.50-14-6PLT/5.50-14-8PLT。 
 オーバーヘッドカムシャフト(Over Head Camshaft)で吸排気バルブ(弁)の開け閉めをするエンジンがOHCエンジン。4ストロークエンジンにはシリンダー内の混合気の入口と出口がにバルブ(弁)がついているが、そのバルブの開くタイミングを決めるカムシャフトが、シリンダーの上側に配置されているために、オーバーヘッドカムシャフトという。 キャブライト
日産ヘリテージコレクションのダットサンキャブライト消防車キャブライト1150(1966年・A221)は、足尾町で使われたもの。1964年(昭和39年)3月、2度目のフルモデルチェンジした3代目ダットサン・キャブライトA220は、エンジンを1046ccから1136ccに強化した。キャブライトは、1958年(昭和33年)の小型商業車として初代(A20型)登場、1961年(昭和36年)に2代目のA120型に更新、3代目(A220)まで続く。
ブルーバード

Bulue Bird


ブルーバード
日産ヘリテージコレクション、日産自動車1961年製ダットサン・ブルーバード(Datsun Bluebird)。1955年から販売されたダットサン・セダン(110型)、1957年販売のダットサン1000(210型)を次いで、1959年8月に初代ブルーバード(310型)が5人乗りセダンとして登場した。「幸せを運ぶ青い鳥」がマイカー時代の到来を予測させた。テールランプは「柿の種」の形状をしている。1959年から4年間で21万台を製造した。

ブルーバー
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)のブルーバード 1200デラックス。年式1961年,型式 P311,全長3,910mm,全幅1,496mm,全高1,475mm, ホイールベース2,280mm,トレッド(前/後)1209/1194,車両重量900kg,エンジン E1型 (直4/オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,189cc, 最高出力40kW(55ps)/4,800rpm,サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/リーフ・リジッド,ブレーキ(前/後)ドラム(前後共) タイヤ5.60-13-4P(前後共)。 メーテルリンクの童話「青い鳥」に由来する「ブルーバード」は、1959年(昭和34年)8月、4人乗りセダンとして登場したが、2か月後には後部座席の幅を40mm拡大して、5人乗りセダンとなった。 ブルーバー
日産ヘリテージコレクションの日産自動車ブルーバード 1200デラックス。エンジンは、カムシャフトが下方にありプッシュロッドを使うオーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve)で排気量1000cc・34馬力あるいは1200cc・43馬力を搭載。型式名311型では、45馬力あるいは55馬力に向上。1962年(昭和37年)、オートマチック車を導入。リヤコンビネーションランプの形状は「柿の種」と呼ばれた。発売から4年間で21万台を生産。

ブルーバード
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)、日産自動車1962年式ダットサン・ブルーバードDP312(Datsun Bluebird)の諸元:年式1962年、型式DP312、全長3,915mm、全幅1,496mm、全高 1,470mm、ホイールベース2,280mm、トレッド(前/後)1,209/1,194mm、車両重量900kg、エンジンE1型 (直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,189cc、最高出力40kW(55ps)/4,800rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボン/半楕円リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共) 、タイヤ5.60-13-4PR。

  1959年(昭和34年)発表の初代ダットサン・ブルーバード310型は、1960年3月には累計2万台を出荷、対米輸出も開始。10月にトランスミッションをフルシンクロにしたダットサン・ブルーバード311型が登場。1961年8月にはテールランプを大型化したダットサン・ブルーバード312型はラジエターグリルのフラッシャー(方向指示器)を一体化しワイド化した。この記念車は、1963年に行われた全国花の親善使節の公式車両「フラワーカー」で、全国の郷土の花を、皇太子様と美智子様のご結婚記念として神奈川県のこどもの国に配達した。40日間日本一周のキャンペーンを記念して、ボディには県花と県知事のサインが署名されている。

エステートワゴン
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車ダットサン ブルーバード エステートワゴンの諸元:年式1967年、型式WP411、全長4,000mm、全幅1,490mm、全高1,445mm、ホイールベース2,380mm、トレッド(前/後)1,206/1,198mm、車両重量960kg、エンジンJ型 (直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve)) 1,299cc、最高出力46kW(62ps)/5,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン・コイル/半楕円リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム/ドラム、タイヤ5.60-13-4PR。

 1963年(昭和38年)9月にフルモデルチェンジしたブルーバード2代目(410型)には、4ドアセダンとワゴンがある。ワゴンのエンジンは1200ccのE型55馬力だったが、1965年(昭和40年)5月登場の411型は62馬力・1300ccのJ型にチューンナップされた。記念車は、1966年(昭和41年)に、尻下がりのボディ形状を改めたデザインの410/411系の最終型エステートワゴン。

ブルーバー
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車ダットサン ブルーバード1300(410型) メキシコ五輪記念車は1968年のメキシコ五輪オリンピック公式車として日本選手団に提供された。ダットサン ブルーバード1300の車体に記念にオリンピック選手たちのサインが書き込まれている。1966年(昭和41年)4月登場のダットサン ブルーバード411型は「1300SS」と「1600SSS」がある。記念車は、メキシコ日産のクエルナバカ工場で製造された左ハンドル仕様(PL411型:Lは左ハンドルを表す) 。メキシコ五輪オリンピックで公式車として日本選手団に提供されたもの。メキシコ五輪では男子体操、レスリング、重量挙げなどで金11、銀7、銅7のメダルを獲得。男子サッカーは銅メダルをとった。

ダットサン ブルーバード1300諸元:年式 1968年、型式PL411、全長3,995mm,全幅1,490mm、全高1,440mm、ホイールベース2,380mm、トレッド(前/後)1,206/1,198mm、車両重量885 kg、エンジンJ型 (直4・オーバー・ヘッド・バルブ(Over Head Valve))1,299cc、最高出力46kW(62ps)/5,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/半楕円リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ5.60-13-4PR。

ブルーバー
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車ダットサン ブルーバード1600 SSS(左の柿色Dark Golden Rod)は1969年に登場。ダットサン ブルーバード1600 SSSのSSSとはスーパー・スポーツ・セダンの意味。
 右のシルバーは、ダットサン ブルーバード エステートワゴン510型は、1967年に誕生した3代目ダットサン ブルーバード510型の4ドアワゴンタイプをベースとしたもの。側方の最前方にあった三角窓を廃したスーパーソニックラインに、4輪独立サスペンションに、L型4気筒エンジンを搭載。後部にラゲッジスペースを広く取った「エステートワゴン」。
日産 プリメーラ P11型

Nissan Primera


プリメーラ
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)、1990年2月登場のニッサン プリメーラ Tm Sセレクション P11(左のホワイト)と1987年9月登場のニッサン ブルーバード SSS U12型(右のダークグレー)。
 日産プリメーラ4ドアセダンは、1990年2月に日本とヨーロッパで同時に登場。ボディは日本国内では4ドアセダンのみで1995年9月 P11型にモデルチェンジ。この2代目プリメーラ P11プリメーラは、安全性を向上させ、当初4ドアセダンに加えて1997年2月からイギリス製5ドアハッチバック(プリメーラUK)も日本で発売された。1997年9月、ワゴンも導入。2005年に生産・販売が終了、ヨーロッパでは2008年末に生産終了。
 1987年デビューの日産ブルーバード SSS U12型(右のダークグレー)は、ATTESAと呼ぶ四輪駆動(4WD)機構を採用。ATTESA(Advanced Total Traction Engineering System for All-Terrain)とは、前後輪を結ぶパートタイム4WDでは直結のため走行時に前後輪で回転差が生じた場合、操作性が低下するのを抑えるため、前後車輪の回転差を吸収するビスカスカップリング付きセンターデフを採用した。
スカイラインスポーツ

 Skyline Sport


スカイライン
1962年に登場したプリンス自動車のプリンス スカイライン スポーツ クーペ(1962)Datsun Sedan)は高級車だったが、販売不振で60台しか生産されていない。 プリンス スカイライン スポーツ クーペは1962年(昭和37年)4月から販売された高級車で、価格 はクーペ185万円、コンバーチブル195万円と当時のクラウンの2倍の高値だった。1960年当時の公務員初任給1万2000円と比較して年収の12年以上する。プリンス自動車はこの高級車の量産が可能だと思ったようだが、実際には60台(内コンバーチブル25台)程度の少量生産で終わった。製造中止は1963年(昭和38年)。 スカイライン
中央ブルーのプリンス自動車プリンス スカイライン スポーツ クーペ(1962)Datsun Sedan)は1960年イタリアで行なわれた第42回トリノショーに出品され2年後の1962年4月に発売された。
 右手前は、日産自動車スカイライン2000GT「ハコスカGT-R」(DATSUN Skyline 2000GT)で1965年に登場。グロリアの2.0リッター直列6気筒シングルオーバー・ヘッド・バルブ(Single OverHead Camshaft)SOHC(G7型)エンジンを搭載、WEBER製3キャブレターを装備、最高出力125ps、最高速180km/h以上。全長4,255mm、全幅1,495mm、全高1,410mm、車両重量 1,070kg。
スカイライン 2000GT

 Skyline 2000GT


スカイライン2000GT
日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車車庫)の日産自動車スカイライン 2000GT(DATSUN Skyline 2000GT)。
スカイライン 2000GTの諸元:年式1965年、型式S54B-2、全長4,255mm、全幅1,495mm、全高1,410mm、ホイールベース2,590mm、トレッド(tread:左右の車輪の中心間輪距)前1,265/後1,255mm、車両重量 1,070kg 、エンジンG7型 (直6・オーバー・ヘッド・カム:OHC)、ウェーバー40DCOE3連) 1,988cc、最高出力92kW(125ps)/5,600rpm、 サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/リーフリジッド トルコロッド付 、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ5.60-13 6PR(前後共)。 スカイライン2000GT
1965年(昭和40年)2月登場のスカイライン 2000 GT(DATSUN Skyline 2000 GT)(S54B-2型)の運転席。
 スカイライン 2000GT(DATSUN Skyline 2000GT)は、前年3月の初代スカイラインGT(S54A-1型)の馬力向上型、ウェーバー製キャブレター3連装で、125馬力の最高出力で、最高速度180km。
 トランスミッションは全ギヤをシンクロ化し、シャシーも強化。フロントブレーキにはディスクを採用、走行安定性を高めるためにスタビライザーを前後に装着。シャシーのメンテナンスフリーを強調し、グリースなどの無給油を喧伝した。 エンジン2000GT
1965年(昭和40年)2月登場のスカイライン 2000GT (DATSUN Skyline 2000GT)のエンジンG7型125馬力。1964年3月登場の初代スカイラインGT(S54A-1型)の馬力を向上し、ウェーバー製キャブレター3連装として、最高速度180km。車体の全長4,255mm、全幅1,495mm、全高1,410mm、車両重量 1,070kg。  
スカイライン GT-R

 Skyline GT-R


スカイライン2000GT
1972年東京モーターショー展示車3代目スカイライン(C10型系)のスカイライン 2000GT-R(DATSUN Skyline 2000GT-R)。この記念車は、1972年の東京モーターショーに参考出品された「GT-Rプロトタイプ」で1973年にゼッケン「73」を付けて展示されているが、ノーマル仕様でレース仕様ではない。
 年式1972年、型式KPGC110、全長4,460mm、全幅1,695mm、全高1,380mm、ホイールベース2,610mm、トレッド(前/後)1,395/1,375mm、車両重量1,145kg、エンジンS20(直6・吸気バルブと排気バルブを別々のカムシャフトで制御するオーバー・ヘッド・バルブDOHC)1,989cc、最高出力118kW(160ps)/7,000rpm、サスペンション(前/後)ストラット/セミトレーリングアーム、ブレーキ(前/後)ディスク(前後共)、タイヤ175-HR14。
 スカイライン 2000GT-RDATSUN Skyline 2000GT-R)は、2年10カ月間で50勝の栄冠を獲得するという大記録を打ち立てた。1972年(昭和47年)9月に4代目スカイラインC110型が登場したのに伴い、スカイライン 2000GT-RDATSUN Skyline 2000GT-R)も1973年1月に新たに2ドアハードトップの車体に直列6気筒オーバー・ヘッド・バルブDOHC ・1989ccのS20型エンジン(160馬力)を搭載。公害問題の深化から排気ガス規制の強化に伴い日産自動車はレース活動を一時休止し、排気ガス規制などの環境対策を推進。記念車は、ニッサンR383と同様に展示されたものの、一度もサーキットに出場していないために「幻のGT-R」となった。35年後の2007年、日産自動車のボランティア「名車再生クラブ」のレストア作業によってイベントで走行した。

スカイラインR32GT-R
1989年(平成元年)に登場した8代目スカイライン R32GT-R #2ゼクセルNissan Skyline R32GT-R 1992)は1992年N1耐久レース出場(山田英二/木下隆之組)。 1989年登場の8代目スカイラインR32型は、4代目(C110型)以来16年ぶりの「GT-R」グレードの復活だった。翌1990年(平成2年)からGT-Rを武器にレースに参戦。N1耐久レース(市販車に近い車両規格)、全日本ツーリングカー選手権(グループA規格)に参戦した。1991年にはゼクセル組がベルギーのスパ・フランコルシャン24時間耐久レースに出場、総合優勝(GrA)とN1クラス(GrN)優勝を飾った。
 スカイライン R32GT-R #2ゼクセルNissan Skyline R32GT-R 1992)の諸元:年式1992年、型式BNR32、全長4,545mm、全幅1,755mm、全高1,340mm、ホイールベース2,615mm、トレッド(前/後)1,480/1,480mm、車両重量1,240kg、RB26DETT型 (直6・ダブルダブル・オーバー・ヘッド・バルブDOHCエンジン 2,568cc、最高出力301kW(410ps)/7,200rpm、 サスペンション(前/後)マルチリンク(前後共)、ブレーキ(前/後)ベンチレーテッドディスク(前後共)、タイヤ225-50-R17(前後共)。 新車価格445万円。

ペンズオイルニスモ
1999年JGTCチャンピオンカーのペンズオイルニスモ GT-R 1999PENNZOIL NISMO GT-R 1999)は、1999年(平成11年)1月に登場した5代目(R34型)。記念車は、全日本GT選手権(JGTC)シリーズ全6戦ではRB26DETTエンジン(最高出力500馬力)を搭載。前年に出場した4代目(R33型)に続いてペンズオイルニスモ GT-R 1999PENNZOIL NISMO GT-R 1999)も首位の座を獲得。市販仕様のR34は、車体前部にエンジンを搭載してプロペラシャフトを介して後輪を回転させるFront-engine Rear-drive(フロントエンジン・リヤドライブ)で駆動力を前輪にも配分できるトルクスプリット型4WDシステムを採用。他方、レース仕様はレース規則からFR方式を採用している。
 ペンズオイルニスモ GT-R 1999PENNZOIL NISMO GT-R 1999)は、年式1999年、型式BNR34、全長4,600mm、全幅1,885mm、ホイールベース2,665mm、トレッド(前/後)1,565/1,540mm、車両重量1,200kg以上、エンジンRB26DETT(直6・オーバー・ヘッド・バルブDouble Over Head Valve ツインターボ) 2,708cc、最高出力368kW(500ps)/6,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン(前後共) 、ブレーキ(前/後)6ポッド・ベンチレーテッドディスク(前後共)、タイヤ315-40-R18/335-40-R18。

モチュールオーテックGT-R
1999年JGTCチャンピオンカーのモチュール オーテック GT-R 200822号車(MOTUL AUTECH GT-R 22)は、プロテニスプレイヤー伊達公子の配偶者ミハエル・クルムと柳田真孝(父は柳田春人)が運転した。2008年に唯一勝利できなかったGT-Rではあるが、GT-Rの初ポールを獲得した。
 諸元:総排気量:4494cc、最高出力:450ps、最大トルク:48.00kgfm、駆動形式:FR、全長:4695mm、全幅:2000mm、車両重量:1130kg、価格:Cr.9500万、トランスミッションは6速。
ダットサン スカイライン1500

DATSUN Skyline 1500 Sport Delux


スカイライン1500スポーツデラックス
日産ヘリテージコレクションに展示されているスカイライン 1500スポーツデラックス C10(DATSUN Skyline Sports1500)。
スカイライン 1500スポーツデラックス C10の諸元:年式1971年、型式C10、全長4,235mm、全幅1,595mm、全高1,405mm、ホイールベース2,490mm、トレッド(前/後)1,325/1,320mm、車両重量960kg、エンジンG15型 (直4・オーバー・ヘッド・カム:OHC)1,483cc、最高出力65kW(88ps)/6,000rpm、 ストラット/半浮動・リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ6.15-14-4PR(前後共)。

 1968年(昭和43年)にフルモデルチェンジしたスカイラインC10型は、全長・全幅を10cm広げ、全高を2cm低下させたため、“サーフィン・ライン”と呼ばれた。C10型には、ファミリーデラックス、ツーリングデラックス、スポーティデラックスもある。
 搭載エンジンは、G15型1500cc直列4気筒オーバー・ヘッド・カムOHC)で、ピストンの上下運動を利用しクランク、カムチェーンを介してカムシャフトが回転し、カム(でっぱり)がロッカーアーム(シーソーのような部品)を押し上げてバルブが下がる(弁が開く)。スタンダード、デラックス、ファミリーデラックス、ツーリングデラックスには3速MTと3速オートマチックが、スポーティデラックスには4速MTを装備。
ダットサン 1200

DATSUN 1200


ダットサン
日産ヘリテージコレクションの日産自動車製ダットサン トラック1200デラックス。年式1964年、型式320、全長4,125mm、全幅1,515mm、全高1,610mm、ホイールベース2,470mm、トレッド(前/後)1,170/1,187mm、車両重量955kg、エンジンE1型 (直4)オーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve) 1,189cc、最高出力40kW(55ps)/4,800rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/リーフリジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ6.00-14-6PLT/6.00-14-8PLT。

 ダットサントラックは、ブルーバードのモデルチェンジに合わせて更新されている。1961年(昭和36年)8月に発表されたダットサントラック1200(320型)は、ブルーバード同様のデザインで、トーションバー式( torsion bar suspension)のため、前輪駆動(FF)の後輪は左右のトレーリングアームやリンクが捻じれ(トーション)を許容する横梁(クロスビーム)で連結しており、左右の車軸が独立して上下する独立懸架サスペンション(Independent suspension)という贅沢な機構を取り入れている。走破性能、乗り心地が向上したが、それが価格を引き上げている。1965年(昭和40年)5月に更新モデル520型へと移行した。

ダットサン1200
日産ヘリテージコレクションの日産自動車ダットサン 1200 ライトバン(Datsun 1200 Light Van )。
 年式1965年、型式V320、全長4,145mm、全幅1,497mm、全高1,545mm、ホイールベース2,470mm、トレッド(前/後)1,170/1,187mm、車両重量1,020kg、サスペンション(前/後)ウィッシュボーン・トーションバーtorsion bar/半楕円リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム/ドラム、タイヤ5.50-14-6PLT。
 エンジンは、バルブ挟み角に制約が無い」オーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve)E1型 (直4気筒)1,189cc、最高出力40kW(55ps)/4,800rpm。

 1961年(昭和36年)8月販売のダットサン320型は、?シングルキャブレター の「トラック」:車体(エンジン)に1個のキャブレター(燃料と空気の混合装置)、?ダブルキャブの乗用車仕様「ピックアップ」、?2ドアの「ライトバン」(ボンネットを持つステーションワゴンタイプ)、3種ある。320型は、室内と荷台が拡大され、55馬力直列4気筒OHV・1200ccエンジンが搭載された。前輪を別々のサスペンションで支える前輪独立懸架の豪華な機構は、乗用車としての乗り心地を重視したが、これは商用車と兼用のためである。現在なら、荷物を運ぶ商用車と乗用車を分けて保有するのが当然であるが、当時の低い所得水準、高価な自動車価格では、兼用するのが精いっぱいだった。この汎用性が評価され、1トン積載トラックのベストセラーとなった。320型に採用されたシャーシは、1959年(昭和34年)8月に登場した初代ブルーバード(310型)を強化したもので、デザインは共通している。「ブルーバードムードのニュースタイル」のコピーは、現在では古臭いが、自動車を保有するのが夢だった時代を映している。商用車ながら乗用車並みの性能であるというのも、商用車は乗用車より安価であるとの当時に認識を反映している。
シルビア SP311

Silvia 1966 CSP311


シルビア hspace=10
1965年登場の日産シルビアSilvia 1966 : CSP311)の諸元:年式1966年、型式CSP311、全長3,985mm、全幅1,510mm、全高1,275mm、 ホイールベース2,280mm、トレッド(前/後)1,270/1198mm、車両重量980kg、エンジンR型 (直4・OHV・SUツインキャブ) 1,595cc、最高出力66kW(90ps)/6,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン/半浮動リーフリジッド、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ5.60-14-4P(前後共)。

 1964年(昭和39年)の東京モーターショーでデビュー、翌1965年4月にリリースされた初代シルビアSilvia 1966 : CSP311)は、フェアレディ 1600(SP311型)のR型エンジンとシャシーをベースに、革の豪華な内装のセミカスタムメイド仕様。生産台数は1965年(昭和40年)3月から1968年(昭和43)6月まで3年間に554台。価格120万円。2ドアクーペの元祖で、パトカーにも採用された。手前の記念車はテーマカラーのゴールド色のシャンパンゴールド仕様。 奥のホワイトのシルビアも1966年式 シルビアCSP311。1965年4月発売、1968年6月生産終了と短命な自動車だった。
ローレル デラックスB

1968 Nissan Laurel


ローレル
日産ヘリテージコレクションの初代ローレル デラックスBLaurel 1800 Deluxe B (1968 : C30))。1968年(昭和43)4月に登場した、日産自動車初代ローレル C30型はブルーバードとセドリックの間を埋める高級車として開発。搭載された直列4気筒SOHC1815ccエンジンは、グロリアやスカイラインのエンジンの発達型のG18型。サスペンションはブルーバードと同し、前が簡潔でコンパクトなストラット、後がピボット軸が車両進行方向に対して斜めに配置されたセミトレーリングアームを採用。1970年(昭和45)6月、日産初のピラーレスハードトップ(オープンカーに屋根をつけドアにガラスサッシがない)2ドアハードトップモデルと2000ccのG20エンジンが追加された。
 ローレル デラックスB1968 Nissan Laurel)の諸元:年式1968年、型式C30、全長4,350mm、全幅1,605mm、全高1,405mm、ホイールベース2,620mm、トレッド(前/後)1,305/1,300mm、車両重量985kg、エンジンG18型 (直4・OHC) 1,815cc、最高出力74kW(100ps)/5,600rpm、最大トルク147N・m(15.0kgm)/3,600rpm、サスペンション(前/後)ストラット/セミトレーリングアーム、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ6.50-13-4PR。
チェリー X-1 4ドア

NISSAN CHERRY X-1


チェリーX-1
日産ヘリテージコレクション、1970年登場のチェリー X-1 4ドアNISSAN CHERRY X-1)で、日産が合併吸収したプリンス自動車の技術者が開発した日産初の量産FF車(前輪駆動車)。当時、ステアリング操作の上で難があるとされ後輪駆動が一般的な時代で、前輪駆動は、ルーチェロータリークーペ、スバル1000など少数派だった。

  初代チェリーは、1970年(昭和45年)に日産初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ)モデルとしてデビュー。車名のチェリー X-1 4ドアNISSAN CHERRY)は、文字通り「桜」から命名されました。当時の小型車は、世界的にもFR(フロントエンジン・リヤドライブ)からFFへの移行が進みましたが、小さなボディサイズでも広い車内空間を確保できるのが、その最大の理由でした。エクステリアでは、個性的なアイラインウインドウ(ウエストラインからCピラーへのライン)が特徴でした。スタンダード・セミデラックス・デラックス・GL・X-1の5グレードがあり、登場時の2ドア・4ドアセダンに加えて、1971年9月にはクーペが加わりました。記念車は、SUツインキャブ付きのA12型・80馬力エンジンで、670kgの軽量ボディを強力に加速させる、ホットモデルのX-1です。 チェリーX-1
右手前のシルバーは、1979年登場のサニー 4ドアセダン 1400SGLは、車両重量840kg、エンジンA14型 (直4・吸気バルブと排気バルブが燃焼室の上部に配置しバルブを制御するカムシャフトはエンジンの脇に組まれたオーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve)方式 1,397cc、最高出力59kW(80ps)/6,000rpm。
 左奥のボンネットを開けたオレンジが1970年登場のチェリー X-1 4ドアNissan CHERRY X-1)の諸元:年式1970年、型式PE10TKN、全長3,610mm、全幅1,470mm、全高1,375mm、ホイールベース2,335mm、トレッド(前/後)1,270/1,235mm、車両重量670kg、エンジンA12型 (直4・OHV)SUツインキャブ 1,171cc、最高出力59kW(80ps)/6,400rpm、最大トルク96N・m(9.8kgm)/4,400rpm、サスペンション(前/後) ストラット/トレーリングアーム、ブレーキ(前/後)、ディスク/ドラム、タイヤ6.00-S12 4PR(前後共)。 チェリーX-1
日産自動車チェリー X-1 4ドアNissan NISSAN CHERRY X-1)のエンジン部分。チェリーは日産初のFF車として1970年に登場した。当時、オースチンのノックダウン生産をしていた日産は、ミニ(モーリス/オースチン)と同じ形式のトランスミッションにエンジンを搭載することで、左右のドライブシャフトの長さが等しくなり、エンジン・ルームの幅も縮小できた。他方、エンジン位置が高くなり、ボンネットも引き上げられたため、車室を大きくなっても、空気抵抗は大きく、背が高く不細工になってしまう。全長366センチ,全幅149センチ,高さ138センチ(セダン)で、ホイール・ベースが233.5センチ。エンジンはサニーに搭載されたA10型とA12型、2ドアと4ドアセダンが販売された。ミッションは3速のコラム・シフトと4速のフロア・シフトがある。価格は49万円から。
ニッサンパトロール 60

Nissan Patrol 60


ニッサンパトロール
1972年登場の日産自動車ニッサンパトロール 601960 Nissan Patrol 60)。
 ニッサンパトロール 601960 Nissan Patrol 60)の諸元:年式1972年、型式60、全長3,770mm、全幅1,715mm、全高1,980mm、ホイールベース2,200mm、トレッド(前/後)1,386/1,404mm、車両重量1,580kg、エンジンP型 (直6・オーバー・ヘッド・バルブOver Head Valve)ガソリン 3,956cc、最高出力96kW(130ps)/3,600rpm、サスペンション(前/後)半浮動式リーフ・リジッド/全浮動式リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ6.50-16-6P(前後共)。

  1960年の登場の2代目パトロール(60系)は、1951年(昭和26年)に登場したニッサンパトロール(4W60系)を継承した4WDモデルで、サファリ(160系)が登場する1980年まで、20年間製造。梯子形フレームに前後共にリーフ・リジッドサスペンションを装備、4輪駆動はレバー操作で2輪駆動に切り替え可能。ホイールベース2200mmのショートボディ、2500mmのロングボディの2種類がある。バン、ワゴンなどの派生型もある。「ニッサン・パトロール」(Nissan Patrol)の名称はサファリの海外向け車名として現在も使用中で、日産車の中で最も長く引き継がれている車名。記念車はショートボディーのソフトトップ仕様。
フェアレディZ

 Nissan Fairlady Z


フェアレディZ
日産ヘリテージコレクションの日産自動車フェアレディZ 432Fairlady Z 432 (1969 : PS30))は、全長/ Length 4110mm、全幅/ Width 1630mm、全高/Height 1290mm、車両質量/ Vehicle Mass 1040kg、ホイールベース / Wheelbase 2305mm、エンジン形式/ Engine Type 水冷直列6気筒、吸気バルブと排気バルブに各々別のカムシヤフトを持つダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC)、総排気量 / Total Displacement 1989cc、最高出力/ Maximum Output 155/114/7000(ps/kw/min-1)。 フェアレディZ
1969年11月に登場した日産自動車フェアレディZ 432は高級車で、スカイラインGT-R同じ6気筒ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC)エンジンを搭載、最高時速210km。

 ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトdouble overhead camshaft)エンジンは、吸気バルブと排気バルブの上に各々専用のカムシャフトを配置。SOHCとな異なり、ロッカーアームを介して吸気・排気バルブを直接駆動することで、バルブとカムシャフトの間の摩擦・抵抗が小さくなり、エンジン回転数が高くなってもバルブのタイミングを正確に制御できる。ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC)の多くは、1気筒あたり4つのバルブを持たせ、2バルブより効果的にバルブ面積を増している。 フェアレディZ
1969年11月に登場した日産自動車フェアレディZ 432のエンジンは、水冷直列6気筒ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC;double overhead camshaft)、総排気量 1989cc。車名432とは4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味する。

フェアレディ240ZG
1971年11月に登場した日産自動車フェアレディ 240ZGGTS(特殊グランドツーリングカー)仕様、1973年レースド日本参戦時。

フェアレディ 240ZGの諸元:年式1973年、型式HS30、全長4,305mm、全幅1,790mm、全高1,230mm、ホイールベース2,305mm、トレッド(前/後)1,475/1,515mm、エンジンLY28 (直6・OHC<クロスフロー>) 2,870cc、最高出力221kW(300ps)/7,600rpm、 サスペンション(前/後) ストラット(前後共)、ブレーキ(前/後)当時:ディスク/ドラム 現在:ベンチレーテッドディスク(前後共)、タイヤ当時:220-575-15/290-575-15 現在:225-585-15/275-585-15。 フェアレディ240ZG
1971年11月に登場した日産自動車フェアレディ 240ZGで、1972年3月から神奈川県警高速機動隊のパトロールカーとして活躍。サイレン、赤色回転灯、ストップ機能付速度計、無線機を装備。総走行距離37万km。

 フェアレディ 240ZGは、初代フェアレディZの2年後、1971年11月に登場した。2400ccエンジンを搭載、ノーズピース、オーバーフェンダー、リヤスポイラーを装備し、空力特性も向上させた。最高速度は時速210km。

フェアレディ
日産ヘリテージコレクションフェアレディ 2 シーター 280Z-L。年式1978年、型式HS130、全長4,420mm、全幅1,690mm、全高1,295mm、ホイールベース2,320mm、トレッド(前/後)1,385/1,380mm、車両重量1,225kg、エンジンL28E型 (直6・OHC) 2,753cc、最高出力107kW(145ps)/5,200rpm、サスペンション(前/後)ストラット/セミトレーリングアーム、ブレーキ(前/後)ベンチレーテッドディスク/ディスク、タイヤ195-70-HR14。

 1978年(昭和53年)8月、フェアレディZは2代目のS130型を全面改訂し、2000ccのフェアレディ 200Zと2800ccのフェアレディ 2シーター 280Zの2系統を開発した。グリルレスで、サイズがやや拡大され居住性が向上した。1982年(昭和57年)に280Zをベースにした2800ccターボがアメリカで発売。1983年には、初代から累計100万台の販売を達成。この記念車は、2800cc直列6気筒OHCエンジン145馬力を搭載。

フェアレディ
1989年7月に登場した日産フェアレディZ 300ZXツインターボは、全長×全幅×全高(4525×1800×1255mm)、エンジンはVG30DETT、排気量3000cc、ECCSターボチャージャー付、最高出力280ps(206kW)/6400rpm。 フェアレディZ 300ZXツインターボ Tバールーフの燃料タンク容量は72リットル、燃費7.0km/リットル。
Be-1 リリーフカー

Nissan Be-1


鳥飼ゼミ
神奈川県座間市日産座間事業所の日産ヘリテージコレクションで野球場リリーフ投手運搬仕様日産・Be-1 横浜スタジアムリリーフカーに試乗した東海大学鳥飼ゼミナール。日産・Be-1は、1982年の初代マーチ(K10型)のシャーシを利用したハイクカーで、日本国内でのみ販売。レトロな感覚で丸みを帯びたデザインであり、馬力重視、技術革新採用といった高度成長の成金趣味(バブル期と酷似)を排した感覚が顧客に受け入れられた。 鳥飼ゼミ
日産自動車の座間事業所日産ヘリテージコレクションでリリーフカー(野球場リリーフ投手運搬仕様)の日産・Be-1に乗った東海大学鳥飼ゼミナール。リリーフカーとは、プロ野球の試合中にリリーフ投手(交代する救援投手)が登板する際に、選手の待機しているブルペンから投手のたつマウンドまで投手を送迎する自動車。こんなものはスポーツとは無縁なようだが、野球はマスメディアでも扱われ、テレビ放映もされている。自動車の宣伝に利用するためにトヨタ MR-S改、ベンツsmart for two(スマート フォーツー)、ボルボ C70カブリオレなどのリリーフカーも登場した。 鳥飼ゼミ
神奈川県日産座間事業所日産ヘリテージコレクションで野球場リリーフ投手運搬仕様日産・Be-1に試乗した東海大学鳥飼ゼミナール。限定10,000台で大量生産を前提としないパイクカーとして売り出された。しかし、Be-1と類似した初代マーチのシャーシを使った類似車両が量産されている。日産Be-1は、1985年の東京モーターショーで発表された。1987年の発売時は黄、青、白、赤の塗装があったが、限定10,000台という設定のため2ヶ月で予約完了するほど好評だった。月産400台の予定を月産600台に増強したという。2015年現在、1987年(S62)製造、走行距離5.0万km、車検有無、修復歴なしで、本体価格70万円弱の中古車が売られている。 鳥飼ゼミ
座間市の日産座間事業所で野球場リリーフ投手運搬仕様日産・Be-1 横浜スタジアムリリーフカーに試乗した東海大学鳥飼ゼミナール。全長:3,635mm、全幅:1,580mm、全高:1,420mm、ホイールベース:2,300mm、トレッド:前1,365mm・後1,350mm、車両重量:710kg。 鳥飼ゼミ
神奈川県座間市の日産座間事業所日産ヘリテージコレクションで野球場リリーフ投手運搬仕様日産・Be-1 横浜スタジアムリリーフカーに試乗した東海大学教養学部鳥飼ゼミナール。K10型マーチをベースにした「パイクカー」シリーズの第1弾として、1987年(昭和62年)1月に発売されたBe-1。日産は、発売を前に、抽選で購入予約者を決定するという煽情的な方法で人気引き上げを行った。記念車は、発売と同時に横浜ベイスターズのホームグラウンド「横浜スタジアム」のリリーフカーとして宣伝に使われた。日産・Be-1 横浜スタジアムリリーフカーは、Be-1をオープンカーに改造し、丸いヘッドライトを「愛らしいフロントマスク」とし、ボンネットに巨大なNISSAN Be-1のロゴを入れたCMカーとなった。助手席を高くした仕様で、約2年間、リリーフ投手を乗せて活躍した。 鳥飼ゼミ
日産ヘリテージコレクションに保管中の野球場リリーフ投手運搬仕様Be-1 横浜スタジアムリリーフカー。1987年〜1988年に日産から発売されていたBe-1は、エンジンやシャーシなど初代マーチをベースに安価に生産できた。デザインをレトロ風にし、デザインが斬新でパイクカーの先駆けともいわれる。他方、Be-1 の機械的機構に新味はない。しかし1万台の限定生産が2か月で完売予約になるほどの人気は、販売戦略、マーケティング戦略論の課題として重要である。このBe-1が商業的功に続こうと、日産は、その後、パオやフィガロといったパイクカーを次々と生産、販売した。
プレーリー JW-G

Nissan Prairie 1500 JW Station Wagon 1984


プレーリーJW-G
日産ヘリテージコレクション、1984年登場のプレーリー JW-GデラックスNissan Prairie 1500 JW Station Wagon 1984 )の諸元:年式1984年、型式PM10、全長4,090mm、全幅1,655mm、全高1,600mm、ホイールベース2,510mm、トレッド(前/後)1,430/1,390mm、車両重量1,030kg、エンジンCA18S型 (直4・OHC) 1,809cc、最高出力74kW(100ps)/5,600rpm、サスペンション(前/後)ストラット/トレーリングアーム、ブレーキ(前/後)、ベンチレーテッドディスク/ドラム、タイヤ165-SR13。 プレーリーJW-G
1984年登場のプレーリー JW-GデラックスNissan Prairie 1500 JW Station Wagon 1984 )は、未だミニバンのカテゴリーが存在しない時代、多人数乗車が可能なモデルがワンボックスワゴンとされた時代のセダン。1982年(昭和57年)8月に初代プレーリー(M10型)が販売開始。駆動方式はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)で、センターピラーレスの後席用スライドドアを組み合わせて採用し、乗降が容易になり、シートアレンジも可能になった。JW-Gは8人乗りと5人乗りのセダンと3人乗り+400Kg積と6人乗り+200Kg積エステートの2種類がある。搭載エンジンは1500ccのE15Sか、1800ccのCA18S型。2列目シートが2名分回転する回転対座シートというオプション仕様もある。
セドリック

 Nissan Cedric


セドリック
1965年に登場した日産自動車製セドリック 4ドアH/T V20ターボ アーバンGNissan Cedric)の諸元:年式1987年、型式Y30、全長4,690mm、全幅1,690mm、全高1,425mm、ホイールベース2,730mm、トレッド(前/後)1,430/1,400mm、車両重量1,420kg、エンジンVG20E・T型 (直6・OHC) 1,998cc、最高出力132kW(180ps)/6,000rpm、サスペンション(前/後)ストラット/5リンク、ブレーキ(前/後)ベンチレーテッドディスク/ディスク、タイヤ195-70-HR14(前後共)。
  日産自動車は、イギリスのオースチン車から技術供与を受け1952年(昭和27年)にオースチンA40のノックダウン生産を開始。その経験を活かして、1960年(昭和35年)にオースチンとの技術提携が終了するのを受けて、1960年(昭和35年)4月に初代セドリック(30型)1960 Nissan Cedric 1st-gen. Custom Sedan G30)を誕生させた。エンジンは1500cc、縦型の4灯式ランプを備え、1961年(昭和36年)5月にセドリック(30型)Cedric Custom (1961 : G30))1900ccデラックスが追加された。セドリックの6代目モデルとなるY30型は、1983年(昭和58年)6月に登場。4ドアセダン、4ドアハードトップ、ワゴン/バンがあるるが、フルラインアップが揃ったセドリックは、このY30型で最後となる。Y30型は日本初のV6エンジン搭載車となった。1985年(昭和60年)6月、2000ccターボエンジンVG20ETを、可変ノズルターボのジェットターボ仕様に変更した。記念車のセドリック 4ドアH/T V20ターボ アーバンGNissan Cedric)は、VG型エンジンの生産累計100万台達成を記念した特別限定車で、1987年(昭和62年)1月、500台限定発売された。
サニー・トラック

Nissan Sunny Truck GB121


サニー・トラック
日産ヘリテージコレクションに保管中のサニー・トラック ボディ デラックスNissan Sunny Truck GB121)は、年式1989年、型式L-B122、全長3,845mm、全幅1,495mm、全高1,395mm、ホイールベース2,300mm、トレッド(前/後)1,250/1,245mm、車両重量710kg、エンジンA12型 (直4・OHV) 1,171cc、最高出力47kW(64ps)/5,400rpm、サスペンション(前/後)ストラット/半楕円リーフ・リジッド、ブレーキ(前/後)ドラム(前後共)、タイヤ5.00-12-4PR/5.00-12-8PR。

 1971年(昭和46年)2月、セダンのサニーB110型をベース2代目のサニー・トラックは、トランスミッションがコラムシフト3速MTとフロアシフト4速MT設定で、エンジンはA12型1200ccを搭載。標準ボディとロングボディの2種類が製造。1978年(昭和53年)にフロントグリルが樹脂化され、3点式シートベルトが装備された。1979年に「昭和54年排出ガス規制」に適合、J-B121型に形式変更。1981年(昭和56)には昭和56年排出ガス規制に適合、型式がL-B122型に変更。1989年、ヘッドライトが角形に変更、デュスクブレーキが採用され、型式がR-B122に変更。サニーは、1973年にB210型、1977年にB310型、1982年にB11型とモデルチェンジ。サニートラックは、変更なく20年以上生産。記念車は丸型ヘッドランプの最後期のモデル。

 左奥のシルバーは、1979年登場のサニー 4ドアセダン 1400SGLは、年式1979年、型式HB310、全長3,995mm、全幅1,590mm、全高 1,370mm、ホイールベース2,340mm、トレッド(前/後)1,305/1,300mm、車両重量840kg、エンジンA14型 (直4・OHV)1,397cc、最高出力59kW(80ps)/6,000rpm。
フィガロ

Nissan Figaro FK10


フィガロ
1991年に登場した日産自動車のフィガロ。諸元は年式1991年、型式FK10、全長3,740mm、全幅1,630mm、全高1,365mm、ホイールベース2,300mm、トレッド(前/後)1,350/1,335mm、車両重量810kg、エンジンMA10ET(直4・シングルオーバー・ヘッド・バルブ(Single OverHead Camshaftターボ) 987cc、最高出力55.9kW(76ps)/6,000rpm、サスペンション(前/後)マクファーソンストラット(ストラットは支柱のことで柱分がショックアブソーバーとコイルスプリングで構成される)/4リンク、ブレーキ(前/後)ディスク/ドラム、タイヤ165/70HR13。
 日産フィガロの奥にあるライトブルーのパイクカーは日産パオで、1990年の1月から4月に3万1000台が受注生産された。 フィガロ
日産ヘリテージコレクションに保管中のフィガロは1989年(平成元年)の東京モーターショーに参考出品され、2年後の1991年(平成3年)に登場した2ドアのパーソナル・クーペ(個人向け豪華車両)。フィガロ(FK10型)は、Be-1、パオ、エスカルゴに続く日産の「パイクカー」シリーズの4作目。専用のオープントップ機構や、樹脂製のボディパネル、白い本革内装。トランスミッションはATのみ、車体色はエメラルド、ペールアクア、ラピスグレイ、トパーズミストの派手な4色。記念車はテーマカラーのエメラルド。
日産・GTP ZX-ターボ 1985

Nissan GTP ZX-Turbo 1985


R390GT1
日産座間事業所のニッサン GTP ZX-Turbo (1985年仕様)Nissan GTP ZX-Turbo)。1985年にアメリカIMSA・GTPシリーズに参戦。マシンの開発とレース参戦は米国のエレクトラモーティブ・エンジニアリングが担当した。LOLA T810シャシーにフェアレディZ用V型6気筒シングルオーバー・ヘッド・バルブ(Single OverHead Camshaft3000ccツインターボエンジンを搭載。
  R390GT1
日産ヘリテージコレクションに保管中のニッサン GTP ZX-Turbo (1985年仕様)Nissan GTP ZX-Turbo (1985 : LOLA))の諸元:Overall length / width / height4,800/2,000/1,016mm、Wheelbase2,705mm、Tread (front/rear)1,571/1,530mm、Curb weight 860kg、EngineVG30ET (V6, ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC), 2,966cc、Engine Max. powerOver 478kW (650PS)/8,000rpm、Transmission Weismann (5-speed)Suspension Special A-arm & coil (front & rear)、Brakes (front, rear)13in. 4-pod, ventilated disc、Tires (front)325/625-415、Tires (rear)350/680-415。

 ダブル・オーバーヘッド・カムシャフトDOHC)エンジンとは, ダブルオーバーヘッドカムシャフトでバルブを開閉駆動するエンジン形式。SOHCとも呼称される。カムシャフトが2本のダブルで直接バルブを押すため高回転可能。OHCエンジンを高回転可能にするために考案された。カムシャフトが2本あることから、ツインカムとも呼ばれる。
日産・R85Vアマダ 1986

Nissan R85V Amada 1986


R390GT1
日産座間事業所の日産・R85Vアマダ 1986年仕様NISSAN R85V AMADA 1986 LE MANS)は、1986年ル・マン24時間レース出場したが、これは日産自動車が初めてルマン24時間レースに出場し、初完走したことを記録するマシンである。
 日産・R85Vアマダ 1986年仕様の諸元:年式1986年、型式R85V、全長4,794mm、全幅1,994mm、全高1,069mm、ホイールベース 2,670mm、トレッド(前/後)1,575/1,529mm、車両重量880kg、エンジンVG30ET (V6・OHCツインターボ) 2,966cc、最高出力500kW(680ps)以上/8,000rpm、サスペンション(前/後)ダブルウィッシュボーン(前後共)、ブレーキ(前/後)4ピストン13インチベンチレーテッドディスク(前後共)、 タイヤ300-625-415/350-680-415。

 日産・R85VアマダNISSAN R85V AMADA 1986 LE MANS)は、1986年(昭和61年)、日産自動車がワークスとして初めてフランスのル・マン24時間レースに参戦したグループCカー。1986年ル・マン24時間レース出場した時のドライバーは、長谷見昌弘/和田孝夫/ジェームス・ウイーバ、総合16位だった。ニッサンR86Vニチラ(星野一義/松本恵二/鈴木亜久里組)とニッサンR85Vアマダ(長谷見昌弘/和田孝夫/Jウィーバー組)の2台体制で24時間耐久レースに挑んだ。3000ccV型6気筒OHCツインターボボエンジンは680馬力、予選でニッサンR86Vニチラは日本勢トップ24位だったが決勝ではリタイヤした。
日産・R91CP 1991年式

NISSAN R91CP


R90CP
日産自動車は1991年のJSPCに、R91CPを2台出場させた。前年度のチャンピオン長谷見昌弘・アンデルス・オロフソン組が1号車を、星野一義・鈴木利男組がこのニッサン・R91CP 23号車NISSAN R91CP(No .23))を運転した。長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男の日本人選手がドライブし、国産マシンとして初のデイトナ24時間レース総合に優勝した。ニッサン・R91CP 23号車NISSAN R91CP(No .23))は、最高出力680馬力のVRH35Z・3496ccV8ツインターボエンジンを搭載し、4364.71kmを走破して、レース総走行距離の最長記録を樹立した。全長・全幅・全高4,800/1,990/1,100mm、車両重量930kg以上、エンジンVRH35Z (V8, DOHC), 3,496cc、最高出力500kW (680PS)/7,200rpm。
日産・R92CP 1992年式

NISSAN R92CP


R390GT1
日産ヘリテージコレクションに保管中のニッサン・R92CPNISSAN R92CP CALSONIC(No .1))は、1992年全日本富士500マイルレースに出場。#1「NISSAN R92CP CALSONIC」のドライバーは星野一義/鈴木利男。

R390GT1
日産ヘリテージコレクションに保管中のニッサン・R92CP Nissan R390 GT1)は、1992年全日本富士500マイルレースに出場。#24「NISSAN R92CP YHP」のドライバーは長谷見昌弘/ジェフ・クロノス/影山正彦。
日産・R390 1998年仕様

Nissan R390 GT1


R390GT1
日産座間事業所のフィガロNissan R390 GT1)。1998年ルマン(Le Mans)24時間レースに出場。ドライバーは、Aguri Suzuki鈴木利男 / Kazuyoshi Hoshino星野一義 / Masahiko Kageyama影山正彦。フィガロNissan R390 GT1)のルマンレースの結果はクラス3位
日産ヘリテージコレクション

Nissan Haritage


鳥飼ゼミナール歩く1
神奈川県の「シビリアン」で移動し日産ヘリテージコレクションを見学し終えた東海大学鳥飼ゼミナール。
 日産自動車株式会社の日産自動車本社ビル本館は、2008年まで東京都中央区銀座6丁目にあったが、その後、2009年に横浜みなとみらい地区日産自動車グローバル本社を設置。 日産自動車の工場は、神奈川県内に設置されている。電気自動車「リーフ」の電動モーターは横浜工場製、電池は日産座間事業所製、車体組み立ては追浜工場で行われる。2009年、横浜みなとみらい新本社で、電気自動車の日産「リーフ」が公開され、ゴーン社長が運転し、助手席に元首相小泉(横須賀出身)、後部座席に神奈川県知事松沢と横浜市長中田が乗った。 鳥飼ゼミナール歩く1
日産座間事業所日産ヘリテージコレクションを見学し終えた東海大学鳥飼ゼミナール。東京都中央区銀座6丁目にあった日産自動車本社ビル本館は、売却に出され、三井不動産と鹿島のTMKが取得した。
日産自動車座間事業所

Nissan 2015


シャッター1
リチウムイオンバッテリーを開発生産している日産座間事業所日産ヘリテージコレクションは日産座間工場の建物を利用し、常時300台の日産車を展示している。 座間事業所2
日産座間事業所には、すでに自動車完成品の量産工程はないが、日産リーフ用リチウムイオン電池工場、試作車製造所などがあり、日産の先端技術を担う場となっている。 座間事業所3
日産座間事業所には、日産自動車座間記念庫があり、「日産ヘリテージコッレクション」として1930年代から今日までの日産自動車400台が保管され、常時300台が展示されている。 日産自動車座間事業所4
東海大学鳥飼ゼミナールが訪問した日産自動車座間事業所。
住所 〒252-8502 神奈川県座間市広野台2-10-1
事業所プロフィール
敷地面積 483,354平方m 、従業員数 2,085名(2010年8月現在)
事業内容 型・治工具・設備・電子機器の生産設計開発及び製造。 電気自動車用のリチウムイオンバッテリーの開発・生産
日産自動車5
日産座間事業所は、日産リーフやe-NV200といった電気自動車のモーターインバーター、リチウムイオンバッテリーなどを開発・生産する拠点で、2015年に創業50周年を向かえた。6月21日(日)は、日産車フェアIN座間イベントでは、人力で発電できる量を電気自動車「日産リーフ」を使って試している。自転車で30秒間力強く漕いでもたったの発電量0.19W。(体験者は女性数値。男性で0.87W。)日産リーフの0.000513%の発電でしかできなかったという。 日産自動車6
2015年6月21日(日)10:00〜15:00、日産座間事業所(神奈川県座間市広野台2−10−1)にて「日産車フェア in 座間」が開催され、オーテックのカスタムカーやライフケアビークル(福祉車両)も展示された。また、日産ヘリテージカーの中から、・スカイライン2ドア HT2000GT-R 1972年(ハコスカ)、・スカイライン2ドア H/T2000GT-R 1973年(ケンメリ)、・スカイライン4バルブ DOHCターボ RS 4ドアセダン 1983年(鉄仮面)が展示された。    日産自動車7
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車株式会社(本社:神奈川県横浜市西区、社長:カルロス ゴーン)は、2014年7月6日(日)に座間事業所3地区で『夏の日産車フェア in 座間』を開催。日産初のEV商用車「e-NV200」、「新型デイズルークス」などが多数展示された。 日産自動車座間事業所8
日産自動車株式会社の東証1部、7201輸送用機器の株価(12月 9日1500)の株価は、1,260.5 前日比+4.5(+0.36%) 、出来高1011万9,700株。 座間事業所9
日産自動車座間事業所。日産自動車株式会社の東証1部、7201輸送用機器の株価(12月 9日1500)の株価は、1,260.5 前日比+4.5(+0.36%) 、出来高1011万9,700株。 座間事業所
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車の座間事業所。2015年12月9日、自民党税制調査会は、2017年4月の自動車取得税の廃止と同時に導入する新税の全容を固めた。購入時に燃費性能に応じて支払う仕組みで、環境負荷の低い車が税率0%となる枠を拡大する、とした。 座間事業所
日産自動車の採用方法は以下の2つ。
?職種別採用: 職種別採用とは、応募の段階で職種を選びエントリーしていただく制度。主体的に、希望のフィールドに最初から挑戦でき、自分が得意とするスキル、専門性をいかすことができる。日産が職種別採用でめざすものは、主体性をもち、即戦力として活躍できるプロの育成。
?全ての可能性にチャレンジ:幅広い職種、色々な可能性を見極めたいと応募者は、職種を限定せずにエントリーすることが可能。説明会や選考を通じて適性を判断し、本人と確認の上、配属先を決定。 座間事業所
2015年11月20日、東海大学鳥飼ゼミナールは、日産自動車座間事業所(〒252-8502 神奈川県座間市広野台2-10-1)、日産ヘリテージを訪問した。
正門へのバス移動

Transportation


日産自動車座間事業所
2015年11月20日、東海大学鳥飼ゼミナールの日産自動車座間事業所(〒252-8502 神奈川県座間市広野台2-10-1)訪問では、日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車庫)の見学後、正門までバスで送迎していただいた。日産自動社のマイクロバス「シビリアン」(Civillian)は電子制御4速オートマチックはロックアップ機構付で、29人乗りロングボディ車と、26人乗りの標準ボディ車がある。室内シート地はスウェード調クロスで、空間に余裕があり、天井が高く、足元も広々していて快適だった。 バス
日産自動車座間事業所の日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車庫)から、正門まで、日産自動社のマイクロバス「シビリアン」(Civillian)の送迎を受けた東海大学鳥飼ゼミナール。
 2010年7月、カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車シビリアンのリコールがあった。2010年7月22日、国土交通省は、日産自動車(本社:神奈川県横浜市西区)カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)取締役社長からマイクロバス・シビリアンCIVILIAN5967台、いすゞジャーニー305台計31型式のリコールの届け出があったことを発表した。22日現在、リコール対象車シビリアンにおいて事故は起きていないが、不具合があったのは、原動機制御コンピューター、非常点滅表示灯、方向指示器、燃料ホースなど重大な欠陥である。リコール対象車シビリアンの措置として、使用者にはダイレクトメールで通知。自動車分解整備事業者には、日本自動車整備振興会連合会発行の機関誌に掲載するとした。
リコール対象車:シビリアン
型式:PA-AHW41、PA-AVW41、PA-AJW41、PA-ACW41
リコール対象車マイクロバス・シビリアンCIVILIANの車台番号(シリアル番号)の範囲および製作期間:
AHW41-030002〜036125(平成16年10月29日〜19年8月25日)
AVW41-030004〜035533(平成16年11月3日〜19年8月28日)
AJW41-030003〜035221(平成16年10月29日〜19年8月10日)
ACW41-030003〜035020(平成16年10月29日〜19年6月9日)

オートワークス LPG架装車「シビリアン」リコール情報:2015年10月7日
点検 修理
  株式会社オートワークス京都は、下記LPG架装車のLPGエンジンコントロールハーネスにおいて、ヒューズおよび配線の許容電流値が不足しているとして、該当車種のリコールを届け出た。 そのため、LPGモードで高負荷、高回転域で走行した場合、ヒューズ容量を超える電流が流れ、ヒューズが断線して走行中にエンストするおそれがあるとのこと。
  リコール対象商品の製品名:シビリアン;型式:ABG-DHW41改、他
  リコール対象車の製作期間:平成25年12月10日〜平成27年3月31日 バス
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn/1954年3月9日-)を取締役社長に迎えている日産自動車の日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車庫)から正門まで、マイクロバスの送迎を受けた東海大学鳥飼ゼミナール。「シビリアン」は、日本のその他のマイクロバスが搭載しているディーゼルエンジンではなく、ガソリンエンジンを使用している。マイクロバス唯一のガソリンエンジンを搭載した。毎日の長距離運転も 楽にこなせる力強さと、環境にも優しいクリーン性能を誇っている。
シビリアン」(Civillian)のTB45Eガソリンエンジンは、 閑静な住宅地でもアイドリング音が気にならないほどエンジン音は静かである。ガソリンエンジンであるため、?排気から黒煙がほとんどない、?NOx(窒素酸化物)やNMHC(非メタン炭化水素)の排出量を削減、という「平成17年排出ガス規制」に適合しているほか、九都県市低公害車指定制度のH21優低公害車に適合している。低公害車とは、?排出される大気汚染物質が少ない、?大気汚染物質を排出しない自動車、?燃費性能の優れた自動車、?環境負荷の少ない自動車、の総称である。燃料電池自動車、電気自動車、天然ガス(CNG)自動車、ハイブリッド車が含まれる。
東海大学教養学部

Torikai University


鳥飼行博ゼミ
2015年11月20日、神奈川県座間市広野台2-10-1の日産自動車座間事業所「日産ヘリテージコレクション(旧 日産座間記念車庫)」の日産・Be-1に試乗させてもらった東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の 鳥飼ゼミナール

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東海大学教養学部人間環境学科 社会環境課程
鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
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