◆マニラ市トンド住民と草の根民活:鳥飼ゼミ研修
鳥飼ゼミナールは、毎年、マニラ市トンド地区を訪問し、バランガイキャプテンや助役に面談し、スラム住民にも荷袋(サック)リサイクルに関する聞き取り調査を行っている。
1.2010年のフィリピン共和国の面積は30万平方キロ(日本の80%)、
人口 9900万人、
GDP 2000億ドルで、工業部門がGDPの30%以上を占めます。
1人当たりGDP は2,100ドルと日本の5%で、マニラ首都圏(
人口 1100万人)は国内では豊かな地域ですが、貧困問題もあります。
2.2016年8月
鳥飼ゼミ 恒例のマニラ研修でトンド地区(
Tondo )を巡って、バランガイキャプテンや住民にインタビューし、袋(サック)の縫製作業、リサイクルなどのスラム住民が主体となる草の根民活を調査しました。
3.トンド地区のスラムは、見物や写真撮影に行く場所ではありませんし、そのような態度は失礼であり犯罪です。wikipedia
Slums in Manila のフィリピン語項目がないことからも、スラムへの立ち入る意味を自覚してください。
マニラ首都圏マニラ市 Manila 2016
パサイ市MRTタフト駅 Metro Rail Transit
フィリピン Philippinesマニラ首都圏 パサイ市(Pasay City )のLRT(軽量鉄道)「アヤラ駅」券売所。
LRT(軽量鉄道)「アヤラ駅」の改札口。危険物持込み検査のチェックポストがある。
LRT(軽量鉄道)「アヤラ駅」の改札口。危険物持込み検査のチェックポストがある。
メトロレイル の駅近くで、通りをジプニー、バスが多く走行しており、公共交通機関が発達しているので、自家用車がなくとも不便はない。
マニラ首都圏アヤラ駅に到着したMRT。チェコ製の車両だが、老朽化し、リハビリテイションが計画されている。パサイ市からは、LRTに乗ってマニラ市に、そこからジープ(ジプニー)に乗って、トンド地区に向かう。
マニラ首都圏 (Metro Manila )パサイ市(Pasay City )のMRT(メトロレールトランジット)のタフト駅。鳥飼ゼミナールは、MRTでケソン市 (人口220万人)、リテック(Litex )と移動し、パヤタス(Payatas )を訪問した。パヤタスではスラムやNGO を見学し、住民やスタッフに聞き取り調査を行った。
マニラ市トンド地区
Tondo, Manila City 2016
LRTからジプニーに乗り換えて、マニラ市Smokey Mountain に行く前に、トンド地区バランガイ61に向かった。ここは、トンド地区バランガイ61の入り口になる広場。
ごみ収集車が来ていたが、清掃員によると、ごみはナボタス処分場に運搬するという。
メトロマニラのマニラ市トンド地区は沿岸部に近く、水路・運河もあるが、下水道や下水処理施設(水再生センター)が未整備なために、汚水は全て、水路・運河に流れ込んでしまう。マニラ市トンド地区の水路両岸にバランガイ61とバランガイ55がある。トンド地区には不正規居住者(インフォーマルセトラー)も多いが、スラムは危険な場所でも、立ち入り禁止であるというわけではない。しかし、家屋への無断侵入、不法侵入、住民の無断撮影、盗撮は犯罪であり、自分勝手な行動は慎むべきである。スラムに行って犯罪を犯す外国人ツーリストやジャーナリストは少なくない。
パサイ市からLRTでマニラ市まで行き、ジープに乗車してトンドに着いた。低所得層、不正規居住者(インフォーマルセトラー)の住宅が立ち並んでいるが、食料雑貨を販売するサリサリがたくさんある。上水道は各家庭には敷設されていないが、上水道のある家庭で、上水をタンクに汲んで、家まで運んでいる世帯が多い。後方にある青色のコンテナが、上水運搬用のタンク。
マニラ市トンド地区の水路上には、不正規居住者(インフォーマルセトラー)が棲みついている。現地でも、「スクオッター」に替わって、現在では「インフォーマルセトラー」の用語を使っているのには驚いた。ここの住民たちの先端情報の入手、普及の速さは貧困者だからといって決して侮れない。日本では、経済学を学ぶ大学生ですら、「インフォーマルセトラー」の用語を知らずに卒業してしまうのだから。
マニラ市トンド地区の水路上には廃棄物がたくさん浮かんで流れている。これは、不正規居住者(インフォーマルセトラー)や住民の環境意識がなく、ごみを平気でポイ捨てしているから、というのは誤り。廃棄物の収集箇所も収集回数も少なく、住民がごみを処分する方法が限られている、すなわち行政による廃棄物収集が、ごみ排出量に比して不十分なために生じている。
マニラ市トンド地区バランガイ61を毎年のように訪問している鳥飼ゼミナール。バラックの家屋は、トタン、ベニヤ、ビニールシートなど廃材を多用して作られているが、コンクリート製ブロックの二階建て家屋も多い。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏 (Metro Manila )中央部のトンド地区にあるサリサリ・ストアー(食料雑貨店)。
マニラ首都圏マニラ市 (Manila City )トンド。
マニラ首都圏マニラ市トンド地区の地図
袋(サック)を洗う水路 Waterway, Tondo
マニラ市トンド 地区(Tondo )の袋(サック)を洗う水路(コモンズ)。毎年のように、鳥飼ゼミ が訪問しているが、今年は、水量が少ないのか、荷袋(サック)が少ないのか、水路で袋を洗っている住民は見かけなかった。
2016年8月、マニラ市トンド 地区(Tondo )の水路両岸にバランガイ61とバランガイ55の不正規居住者(Informal Settlers )の水上家屋 や住居が立ち並び、向かい合っている。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「ロハス大通りを北上し、マニラ湾に注ぐパッシング川にかかるロハス橋を渡って直進すると、およそあたりの景色と似つかわしくない高さ40メートルほどの黒々とした小山が、視界をさえぎった。これが、世界に悪名をはせたゴミ捨て場スラム街、スモーキー・マウンテン跡だった。
もともとこの辺は、海辺の漁民の村だったそうです。ニッパヤシの漁民の家があった。昔は、カキ、ハマグリ採りの家族がピクニックにやってきた」。穴田さんの解説だ。マニラ生活17年、フィリピン人の高級官僚を夫にもつ穴田さんは、元スモーキー・マウンテンの住民たちを援助するボランティア活動のリーダーでもある。
フィリピンの好ましからざる名所は、いつできたのか。車中、その由来を聞いた。事のおこりは1954年、マニラ市がこの場所をゴミの投棄場所に指定したことに始まる。市の清掃局のトラックは、収集した家庭ゴミを投棄していった。焼却など手間がかかるので、ゴミの山がある程度の大きさになったら、土をかぶせるつもりでいた。ところが、ゴミの中には、空きビン、空き缶、プラスチックなど再生可能な資源がある。貧しい人々には、まさに宝の山で、ゴミをあさる人々の仕事場になってしまった。現地では、この人たちをScavengerと英語読みしている。スカベンジャーたちは、ゴミの山のふもとに堀立小屋をつくり、職住超接近のスラム街を形成した。20ヘクタールほどのスモーキー・マウンテンには最盛期、5000家族、2万7000人が住んでいたという。
汚物の中を大きな竹カゴを背負い、ゴミ漁りにはげむ老若男女。『ゴミを漁りて、山に登る。ああ、貧なるかな』であった。」
マニラ首都圏 (Metro Manila )マニラ市トンド 地区(Tondo )のバランガイ役員宅を訪問した。
マニラ市トンド地区バランガイ61の役員一覧(2013 Barangay Elections 選挙の得票数)
PUNONG BARANGAY(バランガイキャプテン) PASCUAL, REYNALDO LIM 592 Winner
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) AREBUABO, FEDERICO JR. TUNGUL 563 1
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) CUENCO, ELARDE YUMOL 446 2
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MARTIN, MARILYN REYES 422 3
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) LORENZO, GREGORIO II MENDOZA 375 4
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MENDOZA, REYNANTE CORONEL 371 5
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) GONZALES, CAROLYN ECHALAR 370 6
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) ALARCOS, ARLENE BANAL 347 7
メトロマニラのマニラ市トンド 地区(Tondo )のバランガイキャプテン宅を訪問した。ここでは雨水をためる水タンクを利用する世帯は少ないようで、上水道の水をタンクで買っている。
前日、ケソン市 (人口220万人)パヤタス(Payatas )を訪問し、廃棄物処分場周囲に暮らす住民のリサイクルやNGO活動を調べた鳥飼行博ゼミ は、次にマニラ市トンド地区のスラム、スモーキーマウンテン(ごみ処分場跡地)の住民の生活を調査した
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路。この両岸にバランガイ61とバランガイ55の不正規居住者(Informal Settlers )の水上家屋や住居が立ち並び向かい合っている。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路の両岸にバランガイ61とバランガイ55の不正規居住者(Informal Settlers )の水上家屋や住居が立ち並び向かい合っている。
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路。この両岸にバランガイ61とバランガイ55が向かい合っている。対岸には、リサイクルされたプラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)が積み重ねられている。
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路両岸にバランガイ61とバランガイ55の不正規居住者(Informal Settlers )の水上家屋や住居が立ち並び向かい合っている。対岸には、リサイクルされたプラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)が積み重ねられている。
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路トンド地区の水路両岸にバランガイ61とバランガイ55の不正規居住(INFORMAL SETTLEMENTS )の水上家屋や住居が立ち並び向かい合っている。
洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、不正規居住者(informal settlers)移転・再定住(Relocation )が進行している。
2016年8月、マニラ市トンド地区の水路。この両岸に不正規居住者(Informal Settlers )の水上家屋や住居が立ち並び、バランガイ61とバランガイ55が向かい合っている。対岸には、リサイクルされた袋(サック)が積み重ねられている。
マニラ市トンド地区の水路の両岸に不正規居住(INFORMAL SETTLEMENTS )の水上家屋や住居が立ち並び向かい合っている。トンド地区には不正規居住者(インフォーマルセトラー)も多いが、スラムは危険な場所でも、立ち入り禁止であるというわけではない。行くのに許可を得る必要もない。しかし、だからと言って、家屋への無断侵入、不法侵入、住民の無断撮影、盗撮は明らかな犯罪であり、自分勝手な行動は慎むべきである。スラムに行って犯罪を犯す外国人ツーリストやジャーナリストは少なくない。
スクオッター (squatter :不法占拠者)。
と言われてきたが、最近では、現地でも「インフォーマルセトラー」(不正規居住者)と呼ばれている。そこの住民はフレンドリーである。
「<LOOB>スモーキーマウンテン [2010年03月27日」 には、次のようにある。 「LOOBの国際協力プログラムにゴミ投棄場(スモーキーマウンテン)の地域住民支援があります。
フィリピンでは、ダイオキシンをはじめとした有害物質を吐き出すためか、ゴミ焼却場禁止法を世界で初めて制定しました。
ゴミの処分問題については、各国も頭を悩ませていて、例えばニューヨークでのゴミの処分方法の歴史を見ると、
窓から通りへ投棄→海洋・河川へ投棄→回収・埋め立て→海洋投棄を再開→埋め立て地へ投棄→焼却処分→「衛生的」埋め立て場
と手を変え品を変えてきています。お分かりのように、ゴミの処分問題というのは、一部の国では、一部の政治家や大手ゴミ処分企業関係者による汚職が存在していて、コネや金がものをいう世界なのです。
政策レベルでは、ゴミの分別やゴミの堆肥化、再利用などは基本ですが、私たち消費者にとっては、いかにゴミを出さないかを一人ひとりが考え、実行することが重要なのは言うまでもありません。」
マニラ首都圏マニラ市トンドのバランガイバラック住居 を巡回し、キャプテン(地区長)や役員に聞き取りを行った鳥飼行博ゼミ の学生たち。スラムに限らないが、トタン屋根 (Corrugated iron roof )は吹き飛ばされやすいので、古タイヤなど使えそうな物を載せておくことが多い。
トンド地区バランガイ55 Barangay 55, Manila City
マニラ首都圏マニラ市バランガイ 55を訪問した。貧しい世帯の多いバランガイでも、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区バランガイ55。仕事、教育などたくさんのお話を伺った。トンドは、ジープニー など交通手段も完備している。
マニラ首都圏(NCR)マニラ市のトンド地区バランガイ61の運営する公民館で、バランガイ16キャプテンから生活、仕事、教育などたくさんのお話を伺った。
マニラ市トンド地区。貧しい世帯の多いバランガイでも、ディスプレーやデザインにも気配りをしている。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61のような姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
袋(サック)のリサイクル Barangay, Manila City
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、プラスチック(ポリプロピレン :PP)製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven Polypropylene Bag :Sack、タガログ語Sako)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。トンド地区には都市イフォーマル部門 に従事する不正規居住者(インフォーマルセトラー)も多いが、スラムは危険な場所でも、立ち入り禁止であるというわけではない。しかし、家屋への無断侵入、不法侵入、住民の無断撮影、盗撮は犯罪であり、自分勝手な行動は慎むべきである。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた鳥飼ゼミ。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)リサイクルに従事する住民の方にお話を伺った。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、プラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)リサイクルに従事する住民の方にお話を伺った鳥飼ゼミ。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民にお話を伺った。謝礼のビスケットは、周囲に群がっていた子供たちにプレゼントされた。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、プラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)をリサイクル、縫製、再生する住民にお話を伺った。謝礼のビスケットは、周囲に群がっていた子供たちにプレゼントされた。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民にお話を伺った。謝礼のビスケットは、周囲に群がっていた子供たちにプレゼントされた。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、都市イフォーマル部門 で荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(Sack )をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(Sack )をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市トンド を訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺った。
マニラ首都圏マニラ市トンド に配置された複数の路上監視カメラを、公民館でモニターを通してみることができる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )地区バランガイ61では、18歳未満の未成年者には、教育的配慮と安全上の配慮から、「夜間外出禁止条例」を制定している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、プラスチック(ポリプロピレン :PP)製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven Polypropylene Bag :Sack、タガログ語Sako)をリサイクル、縫製、再生する住民の方からお話を聞いた鳥飼行博ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋近くのバランガイ55。ここで、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する住民が多い。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を渡って、バランガイ61からバランガイ55に着いた。ここには、荷袋(サック)をリサイクル、縫製、再生する都市イフォーマル部門 が盛んな地区である。
バランガイ55の庶民生活
Life of Brgy.55
マニラ首都圏マニラ市トンド地区の路地裏。
Kiva Japan フィリピン には、次のようにある。
「Claritaさんは9人の子どもを持つ親として、一生懸命働き家族を養う既婚女性です。
Claritaさんは、フィリピンで木炭の売買をするほか、野菜の栽培・販売からも収入を得ています。ClaritaさんはNWTF*から2万5000ペソ**の融資を受け、販売用在庫として木炭を追加で仕入れる予定です。
ClaritaさんはNWTFから過去12回の融資を受けて、この商売を続けています。Claritaさんは、一生懸命働くことが、お金を貯めて商売を大きくするという夢の実現につながると信じています。
*フィリピンにある小規模金融機関で、Kivaのパートナーのひとつ。
参照URL:http://www.kiva.org/partners
**1フィリピン・ペソ(PHP)=約2.32円(2013年7月10日現在)
参照URL:http://www.oanda.com/currency/converter/
マニラ市のトンドでは、貧しい世帯が多いが、食料雑貨店(サリサリ)もたくさんあって便利である。ただし、上水道が引かれていない世帯が多くそこで、飲料水をタンクで可って自宅に運んでいる。スモーキーマウンテンの麓からトンド、LRTまでジプニーが運航している。
スラムバラック を見て回って、近所の家によらせていただき、お話を伺った。
政府による社会保障も生活保護ガイド も不十分であっても、家族は働き工夫して生活している。
フィリピン共和国首都圏マニラ市パサイ市 から軽量鉄道(LRT)とジプニーでマニラ市対岸には、リサイクルされた袋(サック)が積み重ねられている。バランガイ61とバランガイ55に行き、都市イフォーマル部門 に従事する住民に聞き取りをした。庶民的な食堂街もある。
マニラ首都圏トンド 地区。
低所得層住宅地では、政府による社会保障 も生活保護 も不十分であれば、貧しい住民の中には、やむを得ず不法占拠者(スクオッター)となる場合もある。
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区の住民の大半は、煮炊き、調理には囲炉裏を使っている。燃料は、木炭や廃材などバイオマスエネルギー。料理の煮炊きのエネルギーは、廃材を中心にした再生可能エネルギーであり、鳥飼行博ゼミ も住民にインタビューした。
トンド地区の住民は、調理には主に焜炉(調理用ストーブ)を使っている。フィリピンでは、中層以下の世帯で、料理や給湯には焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ を使うのがふつう。燃料は薪炭。 パヤタスのスラム街 では、炭をまとめ買いし、それを小さな袋に分けて売る木炭 販売世帯がある。貧困層の調理は、焜炉(こんろ) 、囲炉裏、調理用ストーブ が主流で燃料は薪炭や廃材である。
バランガイ61でゲームをして遊ぶ子供たち。鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市トンド を訪問し、バランガイ61のキャプテンをはじめとする住民に生活う、仕事、保育、教育などたくさんのお話を伺った。
貧しい世帯の多いスラムでも、住民自らバランガイを案内して、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ55、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
マニラ市トンド地区バランガイ55、バランガイ61の子供たち。
マニラ市トンド地区バランガイ55、バランガイ61の子供たち。
アクセス:共生社会をめざす には、次のようにある。
■地区の歴史&活動の経緯
戦後 マニラ市トンド地区にゴミ捨て場が設置される。ゴミが発酵して発生するメタンガス、それによって自然発火して出る煙から「スモーキーマウンテン」と呼ばれるようになる。ゴミ拾いで生計を立てる人々が住みつくようになる。
1995年 政府により、11月にスモーキーマウンテンが閉鎖され、住民は立ち退きさせられる。
2000年 かつてあったゴミ捨て場から少し離れたマニラ湾沿いに、現在のゴミ捨て場が設置される。ここでもまた、多くのゴミ拾いで生計を立てる人々が暮らすようになり、スモーキーマウンテンと呼ばれるようになる。
2001年 政府による立退きや嫌がらせから生活を守るため、住民組織がつくられる。ゴミ捨て場に暮らす世帯数がどんどん増加。アクセスの関係者が時折、地域を訪問するようになる。
2006年 地域内に多目的保健センターを建設。
2007年 ボランティア・ヘルス・ワーカーの育成、多目的保健センターでの健康相談など、保健衛生プログラムを本格的にスタート。年間2000人以上の手当てをしている。(引用終わり)
バランガイ61のキャプテン Barangay Captain
マニラ首都圏マニラ市トンドのバランガイキャプテン(Barangay Captain)に毎年聞き取り調査を行っている鳥飼ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市トンドのバランガイキャプテン(Barangay Captain)にお話を伺う東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナール。
マニラ首都圏マニラ市のスラム 近くで、バランガイキャプテン(Barangay Captain)にお話を伺う東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナール。
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区バランガイ61のホールの前。
「スクオッターの生活実践 ―― マニラの貧困世界のダイナミズム 石岡丈昇」 には、次のようにある。
「スクオッターは行政サービスからは取り残されたエリアである。選挙を控えた地元政治家が集票のために道路を整備するなどを除けば、生活基盤整備が施されることはまずない。たとえば熱帯特有の強い雨が降った際には、多くの家屋が床上浸水になる。また、台風の時期には、家ごと吹き飛ばされるケースも少なくない。スクオッターは、インフラ整備の面では、脆弱な場所なのである。」
「だが、スクオッターの内部を歩いてみると、そこでは脆弱な貧困地域というイメージを覆す数々の生活の機微に触れることができる。インフラ整備が施されないため、住民は自ら生活空間を創出する。排水路を整備し、街灯を設営し、祭りを開催し、固有の生活を創造していくのだ。たしかに貧しくはあるが、そこに息づく自前性・自律性の力は相当のものだ。ここでは、そうしたスクオッターのおびたただしい生活実践を紹介していこう。スクオッター住民の生活実践を見てみると、そこが社会的周辺地域ではなく、危機を生き延びる叡智の集積する先進地域であることが読み取れるはずだ。」
マニラ首都圏 マニラ市トンド地区バランガイ61 (Barangay 61, TONDO District )。
マニラ市トンド地区のバランガイ61
マニラ市トンド 地区バランガイ61のバランガイ・ホール前で、バランガイキャプテン(Barangay Captain)にお話を伺う東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のバランガイ61 のバランガイ・ホール前で、バランガイキャプテン(Barangay Captain)にお話を伺う東海大学教養学部人間環境学科の鳥飼ゼミナール。
バランガイ61のホール
Barangay 61
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区Barangayを訪問した鳥飼ゼミナールは、バランガイキャプテンや助役に聞き取り調査を行った。昨年行った聞き取り時の写真をお土産に持参した。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区を訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイキャプテンや助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピンのマニラ市の下町トンド 地区(Tondo )地区を訪問した鳥飼ゼミナールは、バランガイキャプテンや助役に聞き取り調査を行った。昨年行った聞き取り時の写真をお土産に持参した。
フィリピンのマニラ市の下町トンド 地区(Tondo )地区を訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイキャプテンや助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区を訪問した鳥飼ゼミナールは、バランガイキャプテンや助役に聞き取り調査を行った。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区のバランガイホールを訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイ助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区のバランガイホールを訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイ助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイホールで聞き取りをしたが、英語が聞き取れない鳥飼ゼミナールのために、助役が模造紙に説明書きをしてくださった。 1978年、イギリスの「ウルフェンデン報告 」(Wolfenden Report )では、多元的な福祉を構築するために、ボランタリーセクターの役割が強調された。そして、「ボランティア組織の将来>」(The Future of voluntary organisations : report of the Wolfenden Committee )では、硬直的・官僚的な公的部門、未組織のインフォーマル部門を踏まえて、多元的な福祉システムを目指した。つまり、個人のニーズを満たし、援助が必要な者とボランティアとの媒介という補完的,先駆的役割を果たす必要性が強調され、それがボランタリー・セクターの将来的な方向と位置づけられた。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイホールで聞き取りをしたが、英語が聞き取れない鳥飼ゼミナールのために、助役が模造紙に説明書きをしてくださった。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイホールに掲示したあった地図。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイホールに掲示したあった地図。
マニラ市トンド地区バランガイ61のキャプテンにお土産を手渡たした鳥飼ゼミナール。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区のバランガイホールを訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイ助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラム街は、川に面している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラムの川には歩道橋がかかっている。
マニラ市トンド地区バランガイ61の役員一覧(2013 Barangay Elections 選挙の得票数)
PUNONG BARANGAY(バランガイキャプテン) PASCUAL, REYNALDO LIM 592 Winner
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) AREBUABO, FEDERICO JR. TUNGUL 563 1
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) CUENCO, ELARDE YUMOL 446 2
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MARTIN, MARILYN REYES 422 3
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) LORENZO, GREGORIO II MENDOZA 375 4
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MENDOZA, REYNANTE CORONEL 371 5
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) GONZALES, CAROLYN ECHALAR 370 6
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) ALARCOS, ARLENE BANAL 347 7
バランガイ61保育園
Kindergarden
マニラ市トンドのバランガイが運営する無料保育園。
マニラ市トンドのバラックが立ち並び、その間に通路(街路)がある。ここは、トンドのバランガイが運営する無料保育園。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「あの頃のスモーキー・マウンテンは、もはやない。だが、ゴミ捨て場から1キロほど離れたところに、元住民たちに提供した30棟ほどの仮説住宅の村落があった。2階建の長屋で、一見して倉庫風だ。ここに2700家族がすし詰め状態で住んでいた。
住民の声を聞くべく穴田さんとともに、村落に入った。1世帯に割り当てられた仮住宅のスペースは、わずか3メートル×4メートル、6畳間ひとつの大きさだ。ベニヤ板のドアをあけると、1メートル四方ほどの狭いたたきがあり、カーテン越しに部屋の中が見える。窓が小さい。廃物利用とおぼしきテーブルと小さな戸棚がある。部屋の中にはトイレも洗面所もない。屋内の廊下や階段には、所狭しと洗濯物が吊るしてある。」(引用終わり)
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区を訪問した鳥飼ゼミナールは、毎年、バランガイキャプテンや助役にお話を伺っている。顔見知りになったので、信頼関係の下で、聞き取りも進む。
フィリピンのマニラ市の下町トンド(Tondo )地区のバランガイ直轄の保育園を訪問した鳥飼ゼミナール。
マニラ市トンドの川沿いにあるバランガイ61 の託児施設で、親子に話を聞いた。
マニラ市トンドの川沿いにあるバランガイ61 を訪問した。託児施設で、親子に話を聞いた。
フィリピン共和国マニラ首都圏 トンド(Tondo )バランガイ61の役員にお話を伺った。
The Tondo Website では、トンドの位置を次のように説明している。 Manila's Tondo District is bounded on the North by Navotas and Caloocan City; on the East by Rizal Ave., from Antipolo St to J.T. Santos by Estero de San Lazaro. From C.M. Recto Ave., to Calle Antipolo St. On the South by Claro M. Recto Ave., from Estero dela Reina to Estero de San Lazaro. (only western side of the said street/esteros belong the this district). On the Eastern part of the district is R - 10 or Marcos Road which is along Manila Bay from C. M. Recto to the city boundaries.
フィリピンの下町トンド(Tondo )の母子。貧しい世帯の多いバランガイでも、バランガイ役員が笑顔で迎えてくれ、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
The Tondo Website Business Enterprises では、トンドのビジネスを次のように説明している。 Tondo is a rich collection of small to large business enterprises that are scattered all over the district. Shopping is not a problem because most of the Wet and Dry Markets have inexpensive display goods due to its proximity to the Manila Pier.
フィリピンのマニラ市の下町トンド地区 のバランガイ61のスカベンジャー たちもここに暮らしている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラム街 は、川に面している。
袋の洗浄作業
Recycling Sacks
フィリピンの下町トンド(Tondo )のリサイクル は、川でプラスチック製(ポリプロピレン :polypropylene)米袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Sack :タガログ語Sako)を洗って再利用可能な状態にすること。
◆ 荷袋 (Sack )リサイクルの工程
1)使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り>荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ 2)荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> 3)洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> 4)束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
Elementary school (2012年まで)は、Grade 1〜6の6年制。
High school は、1st Year、2nd Year、3rd Year、4th Yearの4年制。
フィリピン、マニラ市貧困地区の下町トンド(Tondo )バランガイ55や61のスカベンジャーは、川でポリプロピレン (polypropylene:PP)製荷袋 (Sack )を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスカベンジャーは、川でプラスチック製(ポリプロピレン :polypropylene)米袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Recycling PP Sacks )を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
トンド(Tondo )の高等学校として、 F.G. Calderon High School,
Tondo, Manila St. Joseph School,Tondo, Manila の2校がある。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスカベンジャーは、川の流水を使って、プラスチック(ポリプロピレン :PP)製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven Polypropylene Bag :Sack、タガログ語Sako)を洗って再利用可能な状態に戻すリサイクル を生業としている。
◆プラスチック製(PP加工)米袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack :タガログ語Sako)リサイクルの工程
?使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り>荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ ?荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> ?洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> ?束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
フィリピンマニラ首都圏の貧困地区トンド(Tondo )バランガイ61、スカベンジャーは、川プラスチック(ポリプロピレン :polypropylene)製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Sack :タガログ語Sakoで)を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック製(ポリプロピレン :polypropylene)米袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Sack :タガログ語Sako)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック麻荷袋 (Sack )を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック製(ポリプロピレン :polypropylene)米袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Recycling PP Sacks )を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
袋(サック)縫製作業 Manila City
バランガイ55や61や51では、たくさんの人が麻荷袋 (Sack )の製造・再生で生計を立てている。その現場をバランガイ61の助役に案内していただいた。
袋に埋もれてのミシン縫製作業。
ミシンを使って手早く麻荷袋 (Sack :タガログ語Sako)を縫い上げてゆく。単価が低いので、ゆったりとしていては、生活費が稼げない。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack :タガログ語Sako)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
2010-2013 City Of Manila, Tondo I/II 55 Barangay Chairman, Romano C. Santos
Kagawad 1, Edwin E. Buizon
Kagawad 2, Rolando F. Santos
Kagawad 3, Resty M. Eugenio
Kagawad 4, Erlinda C. Fernandez
Kagawad 5, Rolando C. Estañol
Kagawad 6, Carlos C. Magnaye
マニラ市トンド地区バランガイ55では、麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sako :タガログ語)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sako :タガログ語)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
◆プラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sako :タガログ語)リサイクルの工程
?使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り>荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ ?荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> ?洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> ?束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック荷袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
フィリピンの下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。少年たちは、大雨でぬれても、沐浴代わりになるので気にしていない。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sako :タガログ語)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
物置場。スペースに余裕がない密集した住宅地なので、水路の上に張出した住宅が並んでいた。しかし、近年、洪水の危険を避けることを名目に、そのような水上家屋は全て撤去、移転の対象となった。開いたスペースが物置として利用されている。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)製造が主な生業になっている。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)リサイクルが主な生業になっている。はさみを使って手早くプラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack )を整え仕上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)リサイクルが主な生業になっている。はさみを使って手早く袋を整え仕上げてゆく。
縫製作業を待つプラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sako :タガログ語)の山。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、プラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack )リサイクルが主な生業になっている。はさみを使って手早く袋を整え仕上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、プラスチック製麻荷袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack )縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、プラスチック製ジュート袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack )リサイクル縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、袋(サック)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
プラスチック製(PP加工)ジュート袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Sack )の縫製。
マニラ市トンド地区バランガイ55ではプラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、プラスチック製(ポリプロピレン :polypropylene)米袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Sack :タガログ語Sako)縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
マニラ市トンド地区バランガイ55では、プラスチック製(PP加工)ジュート袋 (俗にドンゴロス (dungaree) 、南京袋、Packaging Bags )縫製作業が主な正業になっている。ミシンを使って手早く袋を縫い上げてゆく。
袋(サック)洗濯作業 Manila City
袋(サック)縫製作業が行われているトンド地区の低所得者層住宅街。洗濯機を備えている世帯も出てきている。
袋(サック)縫製作業が行われているトンド地区の低所得者層住宅街。洗濯機を備えている世帯も出てきている。
袋(サック)縫製作業が行われているトンド地区の低所得者層住宅街。洗濯されたプラスチック(ポリプロピレン )製麻袋 (ドンゴロス:dungaree、南京袋、Woven polypropylene bags :Sack、タガログ語Sako)がハンガーにかかっている。
袋(サック)の運搬・売却 Transportation
リサイクルしたPP(polypropylene)製サック(南京袋 :woven polypropylene bags )をトライシクル(Tricycle)に積んで売却に行く。
リサイクルしたPP(polypropylene)製サック(南京袋 :woven polypropylene bags )をトライシクル(Tricycle)に積んで売却に行く。
リサイクルしたPP(polypropylene)袋(サック)をトライシクルに積んで売却に行くところを聞き取りした鳥飼ゼミナール。
リサイクルしたPP製サック(南京袋 :woven polypropylene bags )を400枚を1台のトライシクルに積んで、売却に行く準備をしている。PP製サック(南京袋:woven polypropylene bags )を1人が1日200袋洗って100ペソから300ペソの収入となる。川で洗ったPP(polypropylene)製サック(南京袋)をミシンで縫う作業は1枚当たり2ペソの収入となる。リサイクルできたサックは、トライシクル1台にPP(polypropylene)製サック400個を積んだ。世界市場では、袋1kg当たりの価格は$0.10 USD Kg.から$0.30 USD Kg.である。
トンド 地区(Tondo )でリサイクルしたPP製サック(南京袋 :woven polypropylene bags )をトライシクル(Tricycle)に積んで売却に行く。
トライシクルに積まれたリサイクルされたPP製サック(南京袋 :woven polypropylene bags )。真新しい新品のように見える。
バランガイの住民移転
Relocation
マニラ首都圏マニラ市トンド地区は、水路に沿って作られた町。けれども共和国法第10121号(RA 10121),すなわち2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )によって、洪水の危険を口実に、水路上あるいは水路3m以内の建築物を撤去し、そこの住民移転 (relocation)計画である。
フィリピンの下町トンド地区バランガイでは、水上家屋が危険に晒されているとして2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内にある建築物の撤去、住民移転 (Resettlement)、再定住(Relocation)が進んでいる。しかし、再定住しても移転先での仕事がないのが最大の欠点である。鳥飼行博ゼミナールは、トンドを訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺った。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の住民移転 跡。
マニラ市トンド の住民移転 跡地。フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路の洪水防止の堤防工事などを理由に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転 (Resettlement)、再定住(Relocation)が進行している。トンドでも、危険ゾーンの建築物は、撤去計画に基づいて、撤去・移転される予定になっている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の移転の話を議論する鳥飼ゼミナール。
政府による医療保険 も生活保護 も不十分であっても、家族が病気になっても、治療が受けられない。マニラ市トンド では、裏通りいっぱいに家ができている。 政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、民活はしぶとく粘り強い。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いでは、洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転 が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿い。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転 (resettlement)が進んでいる。
トンド地区水上歩道橋
Bridge between Brgy.55 and Brgy.55
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路にかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。このように危険ゾーンの建築物は、撤去計画に基づいて、撤去・移転される予定になっている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋のすぐわきにあるバラック。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋の上に置かれた選択の終わった袋。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋の下からの眺め。洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から2m以内を危険ゾーンとした。そして、建造物の撤去計画に基づいて、住民移転が進んでいる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を降りて水路に近づく鳥飼ゼミナール。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋の下。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を降りた鳥飼ゼミナール。日本人を見るために子供たちが集まってきた。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路沿いにかかる歩道橋を降りて水路に近づいた鳥飼ゼミナール。
旧バランガイホール Balangy Hall
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド のバランガイ61のホール。フィリピンの下町トンド(Tondo )の水路の洪水防止の堤防工事などを理由に、水路上の家屋や水路から3m以内を危険ゾーンに指定されている。この危険ゾーンの建築物は、撤去計画に基づいて、撤去・移転される予定になっている。
マニラ市トンド のバランガイ61のホール。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。水上家屋なので撤去される予定になっている。
フィリピン共和国マニラ首都圏 トンド(Tondo )地区バランガイ61の旧バランガイホールを訪問した鳥飼ゼミナール。水上家屋なので撤去される予定になっているが、中を見せていただいた。
The Tondo Website では、トンドの位置を次のように説明している。 Manila's Tondo District is bounded on the North by Navotas and Caloocan City; on the East by Rizal Ave., from Antipolo St to J.T. Santos by Estero de San Lazaro. From C.M. Recto Ave., to Calle Antipolo St. On the South by Claro M. Recto Ave., from Estero dela Reina to Estero de San Lazaro. (only western side of the said street/esteros belong the this district). On the Eastern part of the district is R - 10 or Marcos Road which is along Manila Bay from C. M. Recto to the city boundaries.
フィリピンの下町トンド(Tondo )のバランガイキャプテンに、旧バランガイホールを案内していただいた。葬儀場所として使用したり、物置とおして使ったりしている。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。二階は物置として使用している。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
The Tondo Website Business Enterprises では、トンドのビジネスを次のように説明している。 Tondo is a rich collection of small to large business enterprises that are scattered all over the district. Shopping is not a problem because most of the Wet and Dry Markets have inexpensive display goods due to its proximity to the Manila Pier.
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。二階は物置として使用しているが、床板が腐食して危険なので、真ん中には来ないようにとの注意を受けた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホールを見学する鳥飼ゼミナール。二階は物置として使用しているが、床板が腐食して危険なので、真ん中には来ないようにとの注意を受けた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホールを見学する鳥飼ゼミナール。二階は物置として使用しているが、床板が腐食して危険なので、真ん中には来ないようにとの注意を受けた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホールを見学する鳥飼ゼミナール。二階は物置として使用しているが、床板が腐食して危険なので、真ん中には来ないようにとの注意を受けた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホールを見学する鳥飼ゼミナール。二階は物置として使用しているが、床板が腐食して危険なので、真ん中には来ないようにとの注意を受けた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。二階は物置として使用している。フィエスタなどに使用するドラムがあった。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。二階は物置として使用している。 トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール。二階は物置として使用しているが、小鳥が飼育されていた。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホール二階から眺めた水路。洪水防止の堤防工事など危険抑制を目的に、2010年フィリピン災害リスク抑制管理法(Philippine Disaster Risk Reduction and Management Act of 2010 )に基づき、水路沿線3メートル以内の危険ゾーンにある建築物の撤去、住民移転・再定住(Relocation )が進行している。
トンド地区バランガイ61の旧バランガイホールを見学した鳥飼ゼミナール。
東海大学 Tokai University 2015
鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市トンド 地区を訪問し、バランガイキャプテンをはじめとする住民に生活、仕事、保育、教育、住民移転などたくさんのお話を伺った。
当研究室へのご訪問ありがとうございます。論文,データ,写真等を引用する際は,URLなど出所を記載してください。ご意見,ご質問をお寄せ下さる時には,ご氏名,ご所属,ご連絡先を明記してください。 連絡先:
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〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka Kanagawa,Japan259-1292東海大への行き方 |How to go
◆大学での講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策I/II」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
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『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』 (東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、再生可能エネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
『地域コミュニティの環境経済学−開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』 (多賀出版2007年):少子高齢化・ジェンダー,再生可能エネルギー,熱帯林,廃棄物輸出を分析しました。
『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』 (東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編 (中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』 (東海大学出版会):「環境協力論」「開発経済学」「環境政策」のテキストで,難民,軍縮も扱っています。
『環境ネットワークの再構築−環境経済学の新展開』 田中廣滋編(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『地球環境政策』 宇沢弘文他編著(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『ポスト福祉国家の総合政策−経済・福祉・環境への対応』 丸尾直美編著(ミネルヴァ書房)の一章を担当しました。
『学習漫画 サリバン先生』 (集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。
『写真ポスターから学ぶ戦争の百年−二十世紀初頭から現在』 (青弓社2008年刊行)では、二十世紀の戦争を扱い大量破壊、大量殺戮からプロパガンダまで扱いました。
『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』 (青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
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地球温暖化と森林ビジネス―「地球益」をめざして
土の匂いの子
わたしと地球がつながる食農共育
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)の引用
ルソン
I – イロコス地方
北イロコス | 南イロコス | ラウニオン | パンガシナン
II – カガヤン・バレー地方
バタネス | カガヤン | イサベラ | ヌエヴァ・ヴィスカヤ | キリノ
III – 中部ルソン地方
アウロラ | バターン | ブラカン | ヌエヴァ・エシハ | パンパンガ | タルラック | サンバレス
IV-A – カラバルソン地方 バタンガス | カヴィテ | ラグナ | ケソン | リサール
IV-B – ミマロパ地方
西ミンドロ | 東ミンドロ | マリンドゥク | ロンブロン | パラワン
V – ビコール地方
アルバイ | 北カマリネス | 南カマリネス | カタンドゥアネス | マスバテ | ソルソゴン
コルディリェラ行政地域
アブラ | アパヤオ | ベンゲット | イフガオ | カリンガ | マウンテン
マニラ首都圏
マニラ首都圏の行政区画
ヴィサヤ
VI – 西ヴィサヤ地方
アクラン | アンティーケ | 西ネグロス | カピス | ギマラス | イロイロ
VII – 中部ヴィサヤ地方
ボホール | セブ | 東ネグロス | シキホル
VIII – 東ヴィサヤ地方
ビリラン | 東サマル | レイテ | 北サマル | サマル | 南レイテ
ミンダナオ
IX – サンボアンガ半島地方 北サンボアンガ | 南サンボアンガ | サンボアンガ・シブガイ X – 北部ミンダナオ地方
東ミサミス | 西ミサミス | カミギン | 北ラナオ | ブキドノン
XI – ダバオ地方
コンポステラ・バレー | ダバオ | 南ダバオ | 東ダバオ
XII – ソクサージェン地方 南コタバト | コタバト | スルタン・クダラット | サランガニ
XIII – カラガ地方
北アグサン | 南アグサン | 北スリガオ | 南スリガオ | ディナガット・アイランズ ムスリム・ミンダナオ自治区 バシラン | 南ラナオ | マギンダナオ | スールー | タウイタウイ
◆スラム (Slum ) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。
◆開発途上国 の人口増加と都市化 の進展に伴って、スラム人口 (Slum population )人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国 1.7億人、インド 1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン 2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス の使命(Mission)
■貧困に苦しむ人々が、自己の能力の発見、向上を通して、自信と希望をもち、生活の向上を 果たしていくための具体的支援を行うこと ■貧困問題の長期的解決に向け、学び、行動する人の輪を広げていくこと
なぜ活動を続けるのか
ゴミ処分場の周辺には、激しい貧困、強者から弱者への暴力的支配、強制立退き、環境汚染といった様々な問題が存在し、その中で多くの人々が過酷な生活を強いられています。そこには、都市部の開発により強制的に住む家を壊され移り住まざるを得なくなった人、田舎の苦しい小作暮らしから抜け出すため自ら選んでやって来た人、内戦によって避難民としてやってきた人、自然災害によって生活基盤を失った人などが住んでいます。
時に、戦争によって肉親を失ったという人たちと出会います。第二次世界大戦中、日本兵約50万人がフィリピンで命を落としましたが、その倍以上の約110万人のフィリピンの民間人が戦争に巻き込まれ亡くなっています。
私たちはこう考えます。
今、私たちが目にしている貧困は、フィリピン一国の原因によって作られたものではなく、日本、スペイン・アメリカの植民地支配と戦後の世界システムが作り出してきたものです。パヤタスに象徴されるフィリピンの貧困、激しい格差の問題は、フィリピン一国の努力や経済発展だけで単純に解決される事ではありません。フィリピン政府の取り組み、自助努力がなければならないのはもちろんですが、国際社会からの理解や応援が必要です。とりわけ国内で弱い立場におかれ、自分たちの権利や声を届けることが困難な人たちにとって、海外からの応援は不可欠です。彼らと直接つながり、その声を多くの人に伝えること、そして、彼らが今を生き抜き、状況を自らの力で変えていくため「教育」と「仕事」の機会を作り、物心ともに支えていくことは、とても大切なことだと考えます。
この問題に関わるとき、私たちは自分たちもまた貧困問題を作り、維持させている当事者であることを忘れません。現地の人と交わり活動する中で、私たちはこの地域が抱える問題と、日本国内の問題との類似性に気付かされます。つながっていることを、強く感じます。
私たちの基本姿勢は、「顔の見える付き合いを、続けること」、「今ここからやること」そして「動きながら考え学ぶこと」です。
貧困問題、行き過ぎた残酷な格差の問題は、共通の問題です。とても大きな、個人レベルではどうにもならない問題ですが、解決できないものとは考えません。
問題のある現場に行き、望む未来の姿を聞き、そのためにいっしょに小さな挑戦を繰り返し、小さな実績を積み上げて、目に見える変化を作って行く、その挑戦を続けます。それが私たち自身の未来を作ることになると信じます。
ささやかな存在でも、静かに、深く、着実に、浸み込んで広がっていく塩のように。
スラムの特徴として高失業率 があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマン はきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。
スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門 である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率 といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。
スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門 程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬 、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人 に成り下がるということは言えない。
◆開発途上国 のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門 において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティ を引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序 」ではない。フィリピン・マニラ旅行 には、次のようにある。
「俺達が着いた街トンドは東洋最大規模のスラム街だ。俺達の目的はこの街にあるゴミの山、スモーキーマウンテンを見に行く事が今回の任務だ(この次点でスモーキーマウンテンは取り壊されていたらしいが、新たな山が出現しているということらしかった)。
下町風の街並を海沿いに向かい歩いてゆく、途中のサリサリストアや駄菓子やでジュースやおかしを買ってみる、キアポやマカティーより物価は安めのようだ。
しばらく行くと列車の線路が道を横切っていた、その線路沿いには沢山のバラックが立ち並んでいる。なんだかめたくそヤバそうな雰囲気。駐車しているジプニーのフロントガラスには弾痕も残っているし…(ひきつり笑)
「ここからがホントのトンドだぜ、スラムに潜入だ!」
スラム街の入り口である踏切りから入って行く、すると各家々から顔を出した何十人ものフィリピン人達が一斉に俺達に視線を向けた!みなさんの視線をチクチク感じながらさらに奥に進んで行く。トタン板の家や増築を繰り返して出来た家などが並び、線路上では子供たちが何人も遊んでいた。その中に台車車のような物を作っている少年達がいた。
「これは何?」
「これはカリトーン」と英語で教えてくれた。
その台車車のタイヤ部分を釘で打ちつけている、タイヤは何かのベアリングで出来ていた。
カリトーンが完成すると、1人の子供を乗せてゴロゴロと台車車を押し出した。
「俺も乗ってみていい?」っと、面白そうなのでノリさんもおもわず言ってしまった。
「OK!」ゴロゴロ、、、大の男が子供に押されるカリトーンを見てみんな爆笑!!
気がついたら、どこからか沸いて出たように子供たちの軍団に辺りをかこまれていた。
みんなの笑いを取るのに成功したノリさんは、さらに奥地に行くのであった。
しばらく歩いた頃に小さな川にぶちあたった、その川沿いにもボロボロのスクオーターが並び、庶民達は道端に設置してある井戸で水をくみをしていた。
この川も、恐ろしいほどのドブ河でゴミが積み重なり水は淀み、無気味な泡を吹き出している。さんざん歩いたのでここら辺で捜査を打ち切る事にした。
宿にもどってヒロさんにトンドへ行ってきたことを話すと、あんな治安の悪いところへ行くなんて、と、あきれられてしまった、あそこは地元の人でも行かないところだ、と。」(引用終わり)
<ゼミ研修感想>
私たち鳥飼ゼミナールは、8月にフィリピンへ行き都市のインフォーマル部門やスラムへ行き貧困に対して学ぶためにフィールド調査を行いました。まず、私にとって初めて訪れる土地だったためどういった国柄なのか、文化や習慣などを下調べして行きました。また、現地でフィールド調査を行うにあたって事前の予習を行い過去の歴史や現在の状況、これからの課題等を学んでフィリピンという土地を訪れました。まず、フィリピンの第一印象は、ビルやマンションが建設されていて思っていたよりも都会だということでした。また、日本にもあるファーストフードのお店やチェーン店もあり親近感が湧いたのを覚えています。移動の際にタクシーに乗りましたが、交通整備があまり行われておらず車やバイクがやりたい放題になっていていつ事故が起きてもおかしくない状況でした。そこで、日本の交通整備の凄さや規則を守る国民性、警察の存在意味があるのかなと思いました。
フィリピンでの1日目は、ホテル周辺を散策して、始めての事がとても多くありました。日本では見かけられないサリサリや水を売る業者を含め住宅や道、お店などすべてが私にとって新鮮でした。夜には、電車でご飯を食べにアヤラという町に行き食べましたが、日本にもあるようなショッピングモールがあり1日目にしてフィリピンの貧富の格差を感じました。
2日目は、マニラのケソン市という場所に行きスモーキーマウンテンや貧困のフィールド調査、NGOのリカ縫製作業所を訪れました。ホテルから電車に乗り、ジープを乗り継いで現地に行きました。そこは、前日に行ったアヤラとは同じフィリピンなのに全く違い、家はトタン屋根やビニールで覆われられていたり、服を着ていない子供達がいたり、水道整備も無くタンクを持って行き買い帰りは10キロ以上あるタンクを自宅まで運んでいました。そこに住んでいる方は、ゴミ山(スモーキーマウンテン)からゴミを拾ってきて、ジャンクショップという収集屋に渡しお金を貰い、それをジャンクショップが再利用していくというサイクルが生まれ、それで日々を暮らしていました。実際にジャンクショップを訪れましたが金属のものやプラスチック、生ゴミなど様々なものがあり、それを分別して洗ったりしている姿を見ることができました。また、生ゴミなどが3メートルほど積んであり放置されていたために匂いがひどくハエがとても多かったのを覚えています。しかし、私が驚いたのはそんな中でも住んでいる方達には笑顔がたくさんあってとても貧しい環境で暮らしているとは思えないほどでした。住民の方が「私たちは幸せな貧乏だ」と言っていました。現実を受け止めつつその中で何か楽しいことを見つけ、生きがいのようなものを見つけることで、貧しい生活の中でもたくさんの笑顔が生まれていくのかなと思いました。
3日目は、前日とはまた違うスモーキーマウンテンを訪れました。そのスモーキーマウンテンはとても大きく住宅が多くあり、多くの人が住んでいました。また、草や木も生えていて、更にバナナや芋、トウモロコシなどの野菜を育てていました。こうした野菜を売ることで生計を立てているそうです。スモーキーマウンテンの所有権というのは、国があまり関与できておらず先に住んだもの勝ちらしく早く住んでいる人は土地を多く持っており、しっかりと柵や囲いがされていました。このスモーキーマウンテンはできたのが古かったために全く匂いがひどく無く、土壌も土のようでした。ここでも、たくさんの住人の方と接することができましたが皆さんに笑顔があり貧しい暮らしの中で楽しんでいるようにも見ることができました。
4日目は、鳥飼先生と別れ4人でフィリピンにある水族館に行きました。私自身とても魚が好きなので、とても楽しむことができました。また、水族館に行く時に道に迷ってしまい、現地の人に自分なりの英語でどこにあるのかと伝え、無事つくことができました。こうした、自分から何か聞いたりすることを以前はできませんでしたが、知らない土地で何かしていく上で自己主張や積極性の大切さに気づくことができました。
フィリピン研修を通して得ることができたものは、日本で普通に暮らしていては得ることができないと思えるほど多く刺激的でした。貧富の格差についても、授業や本を読んだりインターネットで調べたりしてもイメージだけで終わってしまうけれど、現地に行くとスターバックスでコーヒーを飲んでいる人もいれば、明日の暮らしさえもままならない人もいるということを知りました。ナイキの靴を履いている人もいれば何も履いていない子供もいたこと。私たち日本人にとって当たり前なことがどれだけ裕福で幸せかということを思い知らされました。水道が通っていて当たり前、ゴミが落ちていなくて当たり前、仕事があることが当たり前、衣食住しっかりしていることが当たり前なのかもしれない。でもそれができていない国や人がいるということを常に思わなければいけないと思いました。また、初めての海外ということでとても新鮮でもありました。フィリピンの人は本当に気さくで話しかけてくれ、日本人よりもあったかいなと思いました。貧しい暮らしをしているかもしれないけど、裕福に暮らしている私たちよりも明るくて、心が豊かだと感じました。そう考えると、幸せってなんなのか考えさせられました。本当にフィリピン研修は楽しいことや辛かったこと、刺激的だったことなどいろいろありましたが、行ってよかったなと思っています。
川の上、山の上に住む人々の暮らし
坂里
マニラ市トンド地区には、エドサ駅から電車で11個目のタユマン駅で下りジープに乗ってトンドに着いた。マニラ市トンド地区バランガイ61のバラッグの家は廃材で作られているがコンクリートで作られた2階建ての家も多くみられた。トンドのスラム街は川に面していて、川に住む理由は土地代がかからないからである。各家庭ででる排水は川に流れるため川は汚れていてごみもたくさん浮かんでいて人が入れるような場所ではないと思ったがスカベンジャーはごみ収集車から有価物を収集して、川でサックと呼ばれるプラスチックの袋を洗い再利用可能な状態にして業者に売却する。1日に1人の人が200袋洗って約300ペソ、川で洗った袋をミシンで縫う作業は2ペソもらえるそうだ。洗い終わったあとはサックを400個つつんでバイクに乗せて売りに行く。日本では簡単に捨ててしまう袋はここでは生業につながるため、とても大切にされていて日本との価値の違いを感じた。トンド地区バランガイ61の役員のリーダーの方にバランガイを案内してもらいながらお話を伺った。礼拝所は冠婚葬祭の時に使用され2階にあがらせてくれた。2階には冠婚葬祭の時に使われると思われる太鼓などの楽器が置いてあった。窓から外を見るとすぐ下は川になっていて「窓の方に行くと床が抜けるよ」と言われた時は歩くのにとても緊張した。バランガイを歩いていると住民の方が笑顔で挨拶してきてくださって、子どもたちは日本人の私たちに興味津々で行くとこ行くとこに後ろから付いてきてとても可愛らしかった。バランガイを歩いていると子どもたちがパソコンでゲームしている姿が見受けられた。何分いくらかでパソコンを使えるというお店があって私はパソコンなど普及していないと思っていたので子どもたちがパソコンでFacebookやゲームをしていたことに驚いた。バランガイ61が運営している保育園を訪問した。お母さんたちも働いていて子どもも多いので保育園は何ヶ所かあり保育費は無料だそうだ。訪問した保育園は子どもが110人いて月曜日から金曜日8時から13時までやっていてノートやえんぴつを無料で提供している。バランガイ61の役員に方が常時いる場所を訪問し、お話を伺った。バランガイはセキュリティーのためいたるところに監視カメラが設置されていて町の人たちで監視している。ここでは261世帯が住んでいるが川岸から3mのところに住んでいる人は洪水があったら危険なため移動させられる可能性がある。1回移転すると移転費用として8000ペソもらえるがその後の仕事はない。仕事を失うため住民はデッドゾーンに行かされるという。教育面では中学校がないので小学校までで教育省がやっているプログラムで優秀な子が高校、大学に進学できる制度がありバランガイからは17人高校に通っている。学校に行きたくても行けない子がいるということは私たちは勉強できることに感謝しなくてはいけないと思った。
バランガイからジープに向かってスモーキーマウンテンに向かった。ここのスモーキーマウンテンは140世帯の人が住んでいてごみも集めているが農業も行っていた。スモーキーマウテンはごみ山だが見た感じ緑の丘のような感じだった。トウモロコシやレモングラス、カモテを育てていてこれらを売って生計を立てている。畑は竹の柵で囲いがされていてとても広かった。スモーキーマウンテンと言われているが匂いはひどく無く、地面は土でごみは土に埋もれていた。昔のごみを取り出して有価物を集めガラスの破片は1kg1ペソで買い取ってもらえる。住民にお話を伺っている時に女の子2人が木の実をくれて食べてみるととても甘くて美味しかった。20歳で5歳の子どもがいる夫婦に出会った。お腹には2人目がいて私と1つしか歳が変わらないのに2人目と聞いて信じられなかったがここでは当たり前なのだと感じた。ここに住む人たちは飲料水を山の下で25ペソで購入し、家の中にはテレビもラジオもなく料理やお湯を沸かす時には薪や廃材を使っていた。ガスと薪の両方を使っている世帯もあった。貧しい生活だが自分たちで仕事を見つけ生計をたてて何よりたくさんの笑顔があった。
バランガイ、スモーキーマウンテンでたくさんの人に出会ったがフィリピンの人は気さくで笑顔で話しかけてくれてとてもあたたかい人が多いと感じた。しかし、自身の英語力の乏しさを痛感した。ここで話せればもっと楽しいし住民の声を聞けただろうと思うことが何度かあった。貧しい生活だが、決して不幸せということは全く感じず地域コミュニティがあり、幸せとは人それぞれだが日本人よりも幸せに見えた。マニラ研修では日本の生活とは全く違い当たり前が当たり前ではなく、とても考えさせられる研修で刺激的だった。(1929字)
フィリピン研修 2日目
武歩
2日目はトンド地区のバランガイやスモーキーマウンテン、キアポ教会を巡りました。トンド地区では、現地の方の説明を聞いたり、聞き取りを行いました。バランガイにある川にはゴミや再利用するサックと呼ばれるプラスチック袋がたくさんあり、川沿いや川の上にはバラックの家屋が建ち並んでいました。スラム街に住むスカベンジャーと呼ばれる人たちは川で使用済みのサックを洗って再利用可能な状態にします。状態によってはミシンで縫い合わせ、利用可能な状態にします。再利用可能になったサックは束ねて業者や商店へ売るそうです。 次に、バランガイ役員の方から公民館にてバランガイでの生活や仕事、教育状況などのお話を伺いました。バランガイ代表の方自らに快く迎えて頂き、案内もして頂きました。また、ご自宅も拝見させて頂き、とても親切にして頂きました。公民館ではトンドに設置されたたくさんの監視カメラの映像がモニターに映し出されていました。そうすることで安全な生活を守っています。バランガイ川から外側に向けての3mは政府のもので、その3m以内に建つ家屋は立ち退きを要求される。立ち退き料はおよそ8000ペソ、移転費用はおよそ1万8000ペソだそうです。(1ペソ日本円でおよそ2円でした。) 川沿いに建つ家屋は洪水など自然災害の影響を受けやすいことから危険が伴っていますが、移転すれば就く職も無く、「死にに行かされる」という考えがあります。そのため移転しない世帯が多いそうです。教育については、デイケアセンターが公民館の隣にあり、ノートや鉛筆、バッグが無料で支給されます。預かり費用はかからず、先生は親(主に母親)が努めます。子どもに関心や興味を持たせるようなデザインや工夫が施されていて、貧しいながらもそのような取り組みがされていたことに感銘を受けました。バランガイで暮らす子どもでも、勉強が出来たり、テストが受けたり出来る子どもは高校や大学へ進学するそうです。貧しいため、高校や大学へ進むことが出来ない子どもがたくさんいますが、子ども達はみんな笑顔で、チョークで地面に文字や絵を描いて楽しんでいる姿が印象に残っています。特に、「ありがとう」とローマ字で書いたり、言ってくれる子ども達には驚きましたが、歓迎してくれているような感じで嬉しかったです。バランガイに暮らす方々は私たちにも挨拶をしてくれたり話しかけてくたりと、フレンドリーな方が多いように感じました。
トンド地区のスラム街と草の根生活 市 8月6日に行ったのはマニラ市トンド地区のスラム街と埋め立てられたスモーキーマウンテンで生活する人々を訪問した。スラム街では鳥飼教授の授業で資料として取り上げられていた場所もあった。1つはスラム街に流れる川にごみがとてつもない量が散乱していた。日本も海や川にごみがあるけど、ここは多すぎて現実味を感じることができなかった。草の根生活とはすべてにおいて自給自足で補っている生活のことである。そんな場所に私達は訪問しに行った。
スラム街で見たこと・感じたことはマニラ市とスラム街が別世界な感じがした。一緒の場所なのに通りを曲がっただけで見える景色が一瞬で変わった。スラム街は知っている通り、荒れているというのが印象的である。過去にはよそから来た人から身ぐるみを剥いで、暴力的な行為もあったと言う。だが、ここはあいさつをすると笑顔で返してくれる。子供たちは日本人の私達にフレンドリーに近づいてくれた。住民は捨てられた袋をきれいに洗い、乾かすことで新品同様にしている。1袋=50ペソになる。また、ペットボトルは色なしが18ペソ、色ありは8ペソになる。これを職としていけば、生活はそれなりにやっていける。先にも述べた資料に掲載されていた川は橋から見た両側にごみが散乱している箇所がいくつかあった。鳥飼教授が橋から降りていたので研修にきているゼミ生の男子4人が降りてみた。そこは橋の上から見えなかった場所が見えた。家の造りが家の底を木材で支えている家がほとんどだったのでごみがそこにも散乱している状態だった。さらに橋から高層ビルが見えた。貧富の差がはっきり見えていて、住民が橋を渡るたびに格差を感じていることは間違いないと思う。一通り見たところスラム街で子供達に勉強を教えていて、ここの地域でリーダー的な人(地区長)に会うことができた。トンド地区には50〜60人の子供達が幼稚園に通園している。幼稚園の先生は親代わりと言っていい。子供は4歳以上から幼稚園や小学校に行くことになっている。地区長は幼稚園や小学校に行くようになるとバッグやノートなどを無償で与えている。現在、この地域では災害対策に力を入れており、川付近に住んでいる住民に引っ越しを要請しており、支援を行っている。他にも災害が起きた場合のルールが掲載されているポスターがあった。もし本当に災害が起きた場合は住民はパニックになり、避難が大変になると思う。それはスラム街には狭い路地があり、落ち着いて行動ができなくなると思うからである。最後に行った草の根生活をしている人達を訪問しに行った。そこに行くために急な土の坂を上った。結構急な坂であるため、手に何かを持って坂を下ったり、上ることはきついと思う。その上、天候が暑いために体力が激しく消耗する。草の根生活者は農作物を売るためにこの条件が当てはまると思う。偶然、NPO関係の人達が来ていて、料理を住民に配給していた。さらに子供達の健康を支えるためにカロリーが高い食品をもってきたり、子供の体重・身長を測るために来た役員もいた。住民は貧しいかもしれないが、それでも笑顔が絶えない場所であった。
マニラ市トンド地区 星
今日の目的地はマニラ市のトンド地区です、バサイ市からLRTを乗ってマニラ市に着いて、またジープを乗って、トンドについた。マニラ市内の多くのスラムがトンド地区に集中している、世界的に有名なスラムスモーキーマウンテンもかつてはトンドにあった。マニラトンド地区は東洋最大のスラム街と言われています、フィリピン人も近付かず、警察でさえ一人では行きたくないという、世界有数の治安の悪いスラムエリアである、泥棒、強盗はもはや日常茶飯事で、ニュースにすらならないと聞きました。スラムが危険な場所であり、立ち入り禁止であるというわけではない、危険な思いをするかもしれない、しかし、実際に入ったらと、スラム街に住んでいる人々が優しくって日本人よりもあったたかいと思いました。マニラ市トンド地区バラックの家はトタン、ベニア、ビニールシートなど廃材を多用して作られているが、コンクリート製ブロックの二階建て家も多いです。バランガいもと他の地区同じ、地区長がいます、いわゆるバランガいのキャプテンです、自分たち今回はマニラ市トンドのバランガイキャプテン宅を訪問しました。
トンド地区バランガイ61では十八歳未満の未成年者には、教育的配慮と安全上の配慮から、「夜間外出禁止令」を制定しています。政府による社会保障と生活保障不十分であるためバランガイ61の住民たちは自らに生活、仕事、教育などの運営をしています。
マニラ市トンド地区バランガイの礼拝所、冠婚葬祭の時にも使用される公的な宗教空間である、そこで、礼拝所の二階は昔の子供保育園です、今もボロボロで使えなくなりました。
マニラ市のトンド地区のバランガイ61のスカペンジヤーたちはここに暮らしています。家の半分は川の上に浮いています、その理由は川が土地じゃない、お金がかかないことです。スモーキーマウンテンの住民たちは生活のためにゴミを拾いて、有価物を集めて、ジャンクショップに売って生活費を稼げます。トンド地区の住民たちは川の流水を使って、プラスチック袋を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としています。彼らは使用済みの荷袋を業者や商店から買い取り(1枚当たり3−5ペソ)、そして買い取った荷袋を運搬し川で洗います。洗った荷袋を干して乾燥させ束ねる、最後束ねた荷袋を業者や商店に売却する。
◆注意!!トンド地区やスモーキーマウンテンに行く方法が現地で探し出せないのであれば、「スタディーツアー」や団体旅行としても行くべきではないでしょう。高くつきます。治安や病気が心配だという場合も行くべきではありません。日本の生活感覚、お金や安全の感覚、旅行気分を保って出かけるところではないのです。フィリピン政府にとっても貧困「観光」、ごみ山ツアーは好ましいことではありません。望遠レンズを使ったり、隠し撮りをしたりすれば、犯罪と同じです。カメラマン・ジャーナリスト気取りで、写真を撮り、被写体として扱ったために、嫌悪感を抱かれる人もいます。元来、本人の了解を得ない写真撮影はすべきではありません。リテックスやパヤタスに行けば、何が起きても、何を起こしてもおかしくないということを自覚してください。