◆大学での講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策I」「環境政策II」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
◎当サイトでは,宣伝用アフェリエイトを使って画像や情報を提供しています。これは,「商品の情報提供」として利用が認められているためです。鳥飼研究室での商品・書籍の販売が目的ではありませんが,営利行為にも関わってきます。このような著作権・営利行為と書籍情報提供の相克をご理解の上,ご利用ください。
『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』(東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
『地域コミュニティの環境経済学−開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』(多賀出版2007年):少子高齢化・ジェンダー,再生可能エネルギー,熱帯林,廃棄物輸出を分析しました。
『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』(東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編(中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』(東海大学出版会):「環境協力論」「開発経済学」「環境政策」のテキストで,難民,軍縮も扱っています。
『環境ネットワークの再構築−環境経済学の新展開』田中廣滋編(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『地球環境政策』宇沢弘文他編著(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『ポスト福祉国家の総合政策−経済・福祉・環境への対応』丸尾直美編著(ミネルヴァ書房)の一章を担当しました。
『学習漫画 サリバン先生』(集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。
『写真ポスターから学ぶ戦争の百年−二十世紀初頭から現在』(青弓社2008年刊行)では、二十世紀の戦争を扱い大量破壊、大量殺戮からプロパガンダまで扱いました。
『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』(青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
地球温暖化と森林ビジネス―「地球益」をめざして
土の匂いの子 わたしと地球がつながる食農共育
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)の引用
ルソン
I – イロコス地方
北イロコス | 南イロコス | ラウニオン | パンガシナン
II – カガヤン・バレー地方
バタネス | カガヤン | イサベラ | ヌエヴァ・ヴィスカヤ | キリノ
III – 中部ルソン地方
アウロラ | バターン | ブラカン | ヌエヴァ・エシハ | パンパンガ | タルラック | サンバレス
IV-A – カラバルソン地方 バタンガス | カヴィテ | ラグナ | ケソン | リサール
IV-B – ミマロパ地方
西ミンドロ | 東ミンドロ | マリンドゥク | ロンブロン | パラワン
V – ビコール地方
アルバイ | 北カマリネス | 南カマリネス | カタンドゥアネス | マスバテ | ソルソゴン
コルディリェラ行政地域
アブラ | アパヤオ | ベンゲット | イフガオ | カリンガ | マウンテン
マニラ首都圏
マニラ首都圏の行政区画
◆スラム (Slum) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。
◆開発途上国の人口増加と都市化の進展に伴って、スラム人口 (Slum population)人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国1.7億人、インド1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。
スラムの特徴として高失業率があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマンはきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。
スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。
スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人に成り下がるということは言えない。
◆開発途上国のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティを引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序」ではない。
<2015ゼミ研修>
私たち鳥飼ゼミナールは、8月にフィリピンへ行き都市のインフォーマル部門やスラムへ行き貧困に対して学ぶためにフィールド調査を行いました。まず、私にとって初めて訪れる土地だったためどういった国柄なのか、文化や習慣などを下調べして行きました。また、現地でフィールド調査を行うにあたって事前の予習を行い過去の歴史や現在の状況、これからの課題等を学んでフィリピンという土地を訪れました。まず、フィリピンの第一印象は、ビルやマンションが建設されていて思っていたよりも都会だということでした。また、日本にもあるファーストフードのお店やチェーン店もあり親近感が湧いたのを覚えています。移動の際にタクシーに乗りましたが、交通整備があまり行われておらず車やバイクがやりたい放題になっていていつ事故が起きてもおかしくない状況でした。そこで、日本の交通整備の凄さや規則を守る国民性、警察の存在意味があるのかなと思いました。
フィリピンでの1日目は、ホテル周辺を散策して、始めての事がとても多くありました。日本では見かけられないサリサリや水を売る業者を含め住宅や道、お店などすべてが私にとって新鮮でした。夜には、電車でご飯を食べにアヤラという町に行き食べましたが、日本にもあるようなショッピングモールがあり1日目にしてフィリピンの貧富の格差を感じました。
2日目は、マニラのケソン市という場所に行きスモーキーマウンテンや貧困のフィールド調査、NGOのリカ縫製作業所を訪れました。ホテルから電車に乗り、ジープを乗り継いで現地に行きました。そこは、前日に行ったアヤラとは同じフィリピンなのに全く違い、家はトタン屋根やビニールで覆われられていたり、服を着ていない子供達がいたり、水道整備も無くタンクを持って行き買い帰りは10キロ以上あるタンクを自宅まで運んでいました。そこに住んでいる方は、ゴミ山(スモーキーマウンテン)からゴミを拾ってきて、ジャンクショップという収集屋に渡しお金を貰い、それをジャンクショップが再利用していくというサイクルが生まれ、それで日々を暮らしていました。実際にジャンクショップを訪れましたが金属のものやプラスチック、生ゴミなど様々なものがあり、それを分別して洗ったりしている姿を見ることができました。また、生ゴミなどが3メートルほど積んであり放置されていたために匂いがひどくハエがとても多かったのを覚えています。しかし、私が驚いたのはそんな中でも住んでいる方達には笑顔がたくさんあってとても貧しい環境で暮らしているとは思えないほどでした。住民の方が「私たちは幸せな貧乏だ」と言っていました。現実を受け止めつつその中で何か楽しいことを見つけ、生きがいのようなものを見つけることで、貧しい生活の中でもたくさんの笑顔が生まれていくのかなと思いました。
3日目は、前日とはまた違うスモーキーマウンテンを訪れました。そのスモーキーマウンテンはとても大きく住宅が多くあり、多くの人が住んでいました。また、草や木も生えていて、更にバナナや芋、トウモロコシなどの野菜を育てていました。こうした野菜を売ることで生計を立てているそうです。スモーキーマウンテンの所有権というのは、国があまり関与できておらず先に住んだもの勝ちらしく早く住んでいる人は土地を多く持っており、しっかりと柵や囲いがされていました。このスモーキーマウンテンはできたのが古かったために全く匂いがひどく無く、土壌も土のようでした。ここでも、たくさんの住人の方と接することができましたが皆さんに笑顔があり貧しい暮らしの中で楽しんでいるようにも見ることができました。
4日目は、鳥飼先生と別れ4人でフィリピンにある水族館に行きました。私自身とても魚が好きなので、とても楽しむことができました。また、水族館に行く時に道に迷ってしまい、現地の人に自分なりの英語でどこにあるのかと伝え、無事つくことができました。こうした、自分から何か聞いたりすることを以前はできませんでしたが、知らない土地で何かしていく上で自己主張や積極性の大切さに気づくことができました。
フィリピン研修を通して得ることができたものは、日本で普通に暮らしていては得ることができないと思えるほど多く刺激的でした。貧富の格差についても、授業や本を読んだりインターネットで調べたりしてもイメージだけで終わってしまうけれど、現地に行くとスターバックスでコーヒーを飲んでいる人もいれば、明日の暮らしさえもままならない人もいるということを知りました。ナイキの靴を履いている人もいれば何も履いていない子供もいたこと。私たち日本人にとって当たり前なことがどれだけ裕福で幸せかということを思い知らされました。水道が通っていて当たり前、ゴミが落ちていなくて当たり前、仕事があることが当たり前、衣食住しっかりしていることが当たり前なのかもしれない。でもそれができていない国や人がいるということを常に思わなければいけないと思いました。また、初めての海外ということでとても新鮮でもありました。フィリピンの人は本当に気さくで話しかけてくれ、日本人よりもあったかいなと思いました。貧しい暮らしをしているかもしれないけど、裕福に暮らしている私たちよりも明るくて、心が豊かだと感じました。そう考えると、幸せってなんなのか考えさせられました。本当にフィリピン研修は楽しいことや辛かったこと、刺激的だったことなどいろいろありましたが、行ってよかったなと思っています。
2016貧困層の人々の暮らし
坂里
ケソン市にあるパヤタス廃棄物処分場・リテックスには宿泊しているホテルの近くにある駅タフトから電車に乗りケソンという場所で下り、ジープ乗り継いで現地に行った。電車の切符はICカードで改札にかざして入場することができた。車内では男性が女性に席を譲る光景が何度か目に入った。日本では高齢者に席を譲る光景はよく見られるが男性が女性に席を譲ることはあまり見られないので印象的だった。リテックスに着くと市場があり野菜や魚、果物の食料品から洋服や靴の生活用品など色々な物が売られていた。路上にもお店が並んでいてお金を稼ぐために都市インフォーマル部門が見うけられた。日本のお店に並んでいる魚や肉は包装され温度が低いところに置かれて並べてあるがここでは、そのままの状態で机に並べてありハエがたかっていた。日本のお店にある状態が当たり前に思っていたので衝撃的だった。お店にいた私たちと同じくらいの世代の女の子達が話しかけてきて、日本の言葉を知っている人は「ありがとう」という言葉を投げかけてきてくれてコミュニケーションをはかる人が多かった。リテックスの市場は活気があって賑やかだった。
リテックスからジープに乗りパヤタス廃棄物処分場に行った。パヤタス廃棄物処分場の隣にある診療所では乳幼児・母子検診を無償で行っていた。生後15ヶ月まで無料検診を行っているそうだ。パヤタス廃棄物処分場の周囲にはバラック住宅が密集していて子どもたちが元気に縄跳びで遊んでいた。そこにはたくさんの笑顔がありお母さんたちも話していて地域コミュニティができていた。廃材を材料としてバラックを建て多くの家はトタン屋根やビニールで覆われていて家の中を見せていただいたが水道やトイレは無く洗濯、食器洗いといった生活に必要な水は井戸水を使い、雨水はバケツなどに貯めて利用する。なので、各家庭には雨水を貯める用のバケツが何個もみられた。井戸は各家庭に設置されているわけではないのでバケツ2個持って汲みに行くが住宅が密集していて道は狭くバケツはとても重いので運ぶのが大変そうだった。パヤタスのスカベンジャーは金属、ガラス、プラスチックなどリサイクル可能な有価物をジャンクショップに買い取ってもらい生活している。ジャンクショップでは高く積もられた廃棄物を分別するために分解、洗浄する人がいて中にはまだ幼い女の子がカッターを持ってペットボトルのラベルを取っていた。外で元気に遊んでいるような歳の子が働いていたため私は驚いた。ジャンクショップでは食べ物の容器のごみなど様々なごみが積まれて置いてあったのでハエも多く匂いがひどかった。けれど、その中で人々は黙々と働き挨拶をすると笑顔で返してくれた。
パヤタスに住むある世帯では木炭をまとめ買いしてビニールに詰め替え大きい袋に入っているものを10ペソ、小さい袋は5ペソで売るそうだ。ここでは日本と違ってアルバイトのように簡単には仕事がないので自分で仕事を考え出すのが当たり前で、これらが草の根民活といわれる理由でもあると感じた。スラム街には子ども図書館わかば、託児所、リカ縫製作業所があった。リカ縫製作業所ではスカベンジャーに代わる仕事としてNPO法人が手刺繍製品作りを開始して女性の収入向上を目指すという事業を展開した。刺繍は細かくデザインはどれも可愛かった。
日本では蛇口をひねれば飲料水がでてきて、仕事があって、衣食住もしっかりしていて何もかも当たり前のことがここでは当たり前ではなくて自分が普段どれだけ裕福な生活をできているのかということを実感した。けれど、お金がなくて貧しくてもここには幸せがあり、笑顔もたくさんあった。ごみを集め生きるために必要なお金を稼いでいる人もいる一方でデパートのお店で買い物している人や私たちと同じようにレストランで友達とご飯食べている人がいたり同じ国でも貧富の格差があることを知った。
2016フィリピン研修 1日目 武歩
私たち鳥飼ゼミナール学生は2016年8月5日から7日の3日間に渡りフィリピンの各地を訪れ、都市インフォーマル部門や貧困について学ぶためにフィールド調査を行いました。これまで私は授業やインターネット、本などの二次資料でフィリピンの生活状況や貧困などの情報を学んできましたが、今回初めてフィリピンに足を踏み入れたことで多くの驚きや発見があり、たくさんの刺激を受けました。自分のフィリピンに抱いていたイメージや思いこみと、現地へ出向き目の当たりにしたこととは大幅思い描いていた通りのこともあれば大きく異なっていたこともありました。フィリピンについて都市インフォーマル部門や貧困層を中心に学んできたため、高層ビルや大型ショッピングモール、マンション等が建っているのを見たときは驚きでした。一方で、貧富の差も感じ取ることが出来ました。そこで、私がフィリピン研修を通して得たこと、感じたことを1日ごとにまとめます。
1日目はパヤタス廃棄物処分場やリテックス市場、無料診療所を巡りました。リテックス市場は野菜や魚、日本ではなじみのない果物やお肉などたくさんの食べ物が売られていたり、サリサリストアや衣服や小物などを売るところなどの様々な売り場が並んでいました。現地の人から見れば外国人の私たちにも気さくに話しかけてくれ、「写真を撮っても良いですか?」「一緒に写真に写ってくれませんか?」と私たちがつたない英語でお願いしても快く了承してくれる人たちが多く、温かな印象を受けました。衛生的には虫がたくさん飛んでいたり、ネズミがいたりと安全とは言い難い印象を受けました。
次にLPHC(LUPANG PANGAKO HEALTH CENTER)という無料診療所へ伺い、中の様子を見させていただきました。そこでは15ヶ月までの子どもの無料検診を行っており、歯科検診室、治療室、プレネイタル室、母乳コーナー、相談室が見受けられました。待合室ではたくさんの子どもと保護者が診察の順番を待っていました。貧困の中でこういった無料診療所があることは、子どもを持つ親や子ども自身にとっても大きな助けになり、経済的援助にも繋がると感じました。
パヤタス廃棄物処分所では、スモーキーマウンテンが見受けられ、設置から10年以上も経つため草木に覆われていました。しかし埋め立ては続いており、何台ものトラックに積まれた廃棄物が運び込まれていました。周囲の住宅には子どもやスカベンジャーと呼ばれる人たちが住んでおり、廃棄物の中から収集した有価物を分別している姿も見られました。また、住んでいる家もビニールシートやトタン、ベニヤなどの廃材で建てられていました。分別した有価物はジャンクショップへ売り、得たお金で生計を立てています。ジャンクショップでは、3mほどのゴミが積まれ、その中で裸足やサンダルで金属やプラスチック等を分別していました。収集・分別しているのは大人だけでなく、子どや女性も協力していました。まだ小学校低学年くらいの小さな女の子は廃棄物の中から絵本を見つけ、他の子どもたちも廃材を使って何かを作ったり遊んだりしていました。廃材から工夫して遊び道具を作ったり勉強道具を見つける子ども達の姿は私にとってとても衝撃的でした。
廃棄物処分場の周囲の住宅街のほとんどは、井戸の水を洗濯や洗い物、沐浴に使い、買った水道水を飲料用にします。雨水もバケツやタンクにためて利用しています。井戸からタンクやバケツに汲んだ水を両手に裸足で家へ運んでいました。私たちは蛇口をひねればきれいな水が出てきます。改めて恵まれた生活であることが身にしみて感じられました。見させていただいたお家は土地の所有者に地代を払い、一部屋分の広さの部屋に家族で住まわせてもらっているそうです。電気は1つ、料理は薪炭を燃料に利用した調理用ストーブを使い、水道やトイレは無いそうです。住宅街にはそのような家庭がほとんどですが、そこで暮らす子どもたちはみんな笑顔で、一緒に縄跳びなどをして遊んでいました。そのような光景からは貧困の中でも楽しんで暮らしている姿が感じられました。また、NGOの援助で女性や子どものエンパワーメントとして縫製作業所や「WAKABA」という子供の図書館がありました。私たちは縫製作業所でフィリピンにちなんだものが刺繍されたパスポートケースやティッシュケース、缶バッチなどを見せて頂き、それぞれ気に入ったものを購入しました。図書館では日本の小学校から寄付された本や手紙があり、フィリピンと日本の繋がりを感じました。手作りで作ったカレンダー等を飾っていたのも印象的でした。
2016パヤタス廃棄物処理場の現状 川 私たちゼミ生6人が研修1日目に行ったのはパヤタス廃棄物処理場であった。この場所は研修に行く前に鳥飼教授の授業で資料として取り上げられており、見たことはあった。写真で見た時はこんなにごみがあり、水もきれいと言えない国があることに驚きはあった。自分は初めての海外であり、不安と楽しみが混ざっていた。自分としての今回の研修の目的は初めての海外を多くの事を吸収することと日本と文化や環境が違う国で自分の概念を変えることである。
そして8月5日にパヤタス廃棄物処理場に行った。地区に行くときには電車とジプニーに乗った。電車では切符を買うのだが、そのためには駅員に行先とフィリピンのお金を使わなければならない。電車に乗るだけでこんなに疲れたのは初めてだった。次に日本で言うバスになるジプニーに乗ったが、外観が派手で、乗ってみると日本と違ってスリル感があった。地区に入る前もそうだが、当然日本と違う風景がとびこんできた。同じ空の下で生きているのにこんなに差があることにもう衝撃があった。着いて地区にある病院に入ることができた。病院には生まれて数か月の赤ちゃんと母親がたくさんいた。母親は若い人が大勢いた。病院には日本と同じように手洗い・うがいや歯を磨くことの大切さを教える貼り紙があって、安心した。病院の医師は1週間に2~3日来てくれることになっている。そのため、1日にたくさんの幼児やけが人が来ることがわかる。だが、この地区には多くの貧困者がいるため、十分な医療費を払えない家庭もいると思う。そのために救えない命がいると思うと自分は元気で健康に生きていかなければならないと感じた。この地区では電気は通っているが、ガスはない。だから、地区の人が木炭を協力して作り、共同で使用していた。この地区の家はちゃんとした家もあるが、スモーキーマウンテンの真下に住む人たちの家は失礼だとは思うが外装から見ると家であるという判断がつきにくい。理由は瓦礫を集めた木材で作っているからである。雨や風が強い日には被害が大きいと思う。日本人のほとんどがちゃんとした家を持っていることが普通であるが、フィリピンにある数か所のスモーキマウンテンの地域にはこのような家が多く、それが普通だと考える人たちがいると思う。 廃棄物処理場にはプラスチックや電化製品の部品をジャンクショップに売るためにたくさんのごみからそれらを探す人たちがいた。大人だけじゃなく、子供もやっていた。使える物を再利用しようとする気持ちは大切であるが、子供がそれをやっていることは先進国では当たり前ではない。だがこの地域では自分が当たり前と思っていることが悉くひっくり返っている。それを世界はこれからの未来に向かっていくためにこの問題に注目し、改善策を考える必要があるとこの地区に来て感じた。
◆注意!!パヤタスやリテックに行く方法が現地で探し出せないのであれば、「スタディーツアー」や団体旅行としても行くべきではないでしょう。高くつきます。治安や病気が心配だという場合も行くべきではありません。日本の生活感覚、お金や安全の感覚、旅行気分を保って出かけるところではないのです。フィリピン政府にとってもパヤタス貧困「観光」は好ましいことではありません。望遠レンズを使ったり、隠し撮りをしたりすれば、犯罪と同じです。カメラマン・ジャーナリスト気取りで、写真を撮り、被写体として扱ったために、嫌悪感を抱かれる人もいます。元来、本人の了解を得ない写真撮影はすべきではありません。リテックスやパヤタスに行けば、何が起きても、何を起こしてもおかしくないということを自覚してください。
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