◆マニラ市トンドのスラムとリサイクル:鳥飼ゼミ研修
社会環境課程の鳥飼ゼミナールは、毎年、マニラ市トンド地区を訪問し、運河の水で荷袋を洗浄し、縫製しなおしてリサイクルするバランガイを訪問し、そのバランガイキャプテンや助役に面談し、スラムを巡って住民への聞き取り調査を長年、毎年のように行ってきた。
〇東海大学
新教養学部 の文系と理系を融合した新人間環境学科では、社会環境課程が廃止され、鳥飼ゼミの海外研修・フィールド調査・国際社会ゼミナールの授業はありません。
1.2010年のフィリピン共和国の面積は30万平方キロ(日本の80%)、
人口 9900万人、
GDP 2000億ドルで、工業部門がGDPの30%以上を占めます。
1人当たりGDP は2,100ドルと日本の5%で、マニラ首都圏(
人口 1100万人)は国内では豊かな地域ですが、貧困問題もあります。
2.2015年8月
鳥飼ゼミ 恒例のマニラ研修でトンド地区(
Tondo )を巡って、バランガイキャプテンや住民にインタビューし、リサイクル、水供給などのスラム暮らしを調査しました。
3.トンド地区のスラムは、面白そうだと見物や写真撮影に行く場ではありませんし、そのような態度は失礼で犯罪です。wikipedia
Slums in Manila のフィリピン語項目がないことからも、スラムへの立ち入る意味を再検討してください。
フィールド調査の点描 Manila 2015
メトロマニラのパサイ市 Pasay NCR 2015
マニラ首都圏パサイ市からLRTに乗ってマニラ市に向かう。そこからジープに乗って、トンドについた。スラムが危険な場所であり、立ち入り禁止であるというわけではない。行くのに許可は得る必要もない。しかし、だからと言って、家屋への無断侵入、不法侵入はもちろん、住民の無断撮影や盗撮は明らかな犯罪であり、すべきではない。危険な思いをするかもしれない。
ケソン市にあるエドサ駅(Smokey Mountain )では、磁気カード式の切符から、ICチップ四季の切符に変更している。そこで、一時的に、このような紙製切符を臨時使用している。
メトロマニラのパサイ市にある軽量鉄道( LRT: Light Rail Transit )のエドサ駅。磁気カード式の切符から、ICチップ四季の切符に変更するために、入札機械を交換している。
メトロマニラのパサイ市にある軽量鉄道の列車。
1950年代から使われていたマニラ北港近くの廃棄物捨て場は、1980年代には「スモーキーマウンテン」と呼ばれるほど巨大なごみ山となり、ごみが燃える煙が立ち上るようになった。フィリピン政府は、世界のメディアによって貧困の象徴とされ報道される続けることに危惧し、1994年にごみ投棄を停止するとした。そして、ごみから有価物を回収するために住み込んでいるスラム住民の立ちんぼ気を開始した。しかし、ごみ処分が中止されてから30年が経過、再びこの「スモーキーマウンテン」に住む人々が増えている。もとのごみ山が堆肥化し、カモテなどイモ栽培が可能で、廃材を用いた木炭づくり・炭焼きも行われている。
パサイ市からLRTでマニラ市についた。ここからジプニーに乗車してトンドに向かう。
パサイ市からLRTでマニラ市についた。ここからジプニーに乗車してトンドに向かう。
トンドのバランガイ Barangay Tondo 2015
マニラ市トンド地区バランガイ61を毎年のように訪問している鳥飼ゼミナール。バラックの家屋は、トタン、ベニヤ、ビニールシートなど廃材を多用して作られているが、コンクリート製ブロックの二階建て家屋も多い。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000?と言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏 (Metro Manila )中央部のスモーキーマウンテン(Smokey Mountain )のごみの山は台地状に整備されている。現在は100世帯以上が、このようなバラックの住居に住んでいる。
マニラ首都圏マニラ市 (Manila City )トンド。
マニラ市トンド地区。毎年のように、鳥飼ゼミ の学生が、ごみを回収するスカベンジャー、バランガイ役員にインタビューしている。
2015年8月、マニラ市トンドの家屋 。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「ロハス大通りを北上し、マニラ湾に注ぐパッシング川にかかるロハス橋を渡って直進すると、およそあたりの景色と似つかわしくない高さ40メートルほどの黒々とした小山が、視界をさえぎった。これが、世界に悪名をはせたゴミ捨て場スラム街、スモーキー・マウンテン跡だった。
もともとこの辺は、海辺の漁民の村だったそうです。ニッパヤシの漁民の家があった。昔は、カキ、ハマグリ採りの家族がピクニックにやってきた」。穴田さんの解説だ。マニラ生活17年、フィリピン人の高級官僚を夫にもつ穴田さんは、元スモーキー・マウンテンの住民たちを援助するボランティア活動のリーダーでもある。
フィリピンの好ましからざる名所は、いつできたのか。車中、その由来を聞いた。事のおこりは1954年、マニラ市がこの場所をゴミの投棄場所に指定したことに始まる。市の清掃局のトラックは、収集した家庭ゴミを投棄していった。焼却など手間がかかるので、ゴミの山がある程度の大きさになったら、土をかぶせるつもりでいた。ところが、ゴミの中には、空きビン、空き缶、プラスチックなど再生可能な資源がある。貧しい人々には、まさに宝の山で、ゴミをあさる人々の仕事場になってしまった。現地では、この人たちをScavengerと英語読みしている。スカベンジャーたちは、ゴミの山のふもとに堀立小屋をつくり、職住超接近のスラム街を形成した。20ヘクタールほどのスモーキー・マウンテンには最盛期、5000家族、2万7000人が住んでいたという。
汚物の中を大きな竹カゴを背負い、ゴミ漁りにはげむ老若男女。『ゴミを漁りて、山に登る。ああ、貧なるかな』であった。」
バランガイキャプテン宅
Barangy Captain
マニラ首都圏 (Metro Manila )マニラ市トンドのバランガイキャプテン宅を訪問した。
マニラ市トンド地区バランガイ61の役員一覧(2013 Barangay Elections 選挙の得票数)
PUNONG BARANGAY(バランガイキャプテン) PASCUAL, REYNALDO LIM 592 Winner
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) AREBUABO, FEDERICO JR. TUNGUL 563 1
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) CUENCO, ELARDE YUMOL 446 2
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MARTIN, MARILYN REYES 422 3
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) LORENZO, GREGORIO II MENDOZA 375 4
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MENDOZA, REYNANTE CORONEL 371 5
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) GONZALES, CAROLYN ECHALAR 370 6
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) ALARCOS, ARLENE BANAL 347 7
メトロマニラのマニラ市トンド地区のバランガイキャプテン宅を訪問した。ここでは雨水をためる水タンクを利用する世帯は少ないようで、上水道の水をタンクで買っている。 前日、ケソン市 (人口220万人)パヤタス(Payatas )をを訪問し、廃棄物処分場周囲に暮らす住民のリサイクルやNGO活動を調べた鳥飼行博ゼミ は、次にマニラ市トンド地区のスラム、スモーキーマウンテン(ごみ処分場跡地)の住民の生活を調査した
スクオッター (squatter :不法占拠者)。
と言われているが、フレンドリーである。「<LOOB>スモーキーマウンテン [2010年03月27日」 には、次のようにある。 「LOOBの国際協力プログラムにゴミ投棄場(スモーキーマウンテン)の地域住民支援があります。
フィリピンでは、ダイオキシンをはじめとした有害物質を吐き出すためか、ゴミ焼却場禁止法を世界で初めて制定しました。
ゴミの処分問題については、各国も頭を悩ませていて、例えばニューヨークでのゴミの処分方法の歴史を見ると、
窓から通りへ投棄→海洋・河川へ投棄→回収・埋め立て→海洋投棄を再開→埋め立て地へ投棄→焼却処分→「衛生的」埋め立て場
と手を変え品を変えてきています。お分かりのように、ゴミの処分問題というのは、一部の国では、一部の政治家や大手ゴミ処分企業関係者による汚職が存在していて、コネや金がものをいう世界なのです。
政策レベルでは、ゴミの分別やゴミの堆肥化、再利用などは基本ですが、
私たち消費者にとっては、いかにゴミを出さないかを一人ひとりが考え、
実行することが重要なのは言うまでもありません。」
バランガイ16キャプテン Barangay 2015
マニラ市トンド地区のバランガイ役員の看板。
マニラ首都圏トンドのバランガイバラック住居 を巡回し、キャプテン(地区長)に聞き取りを行った鳥飼行博ゼミ の学生たち。スラムに限らないが、トタン屋根 (Corrugated iron roof )は吹き飛ばされやすいので、古タイヤなど使えそうな物を載せておくことが多い。
マニラ首都圏マニラ市バランガイ を訪問し、行政の長であるバランガイキャプテンに公民館でお話を伺う鳥飼行博ゼミナール。貧しい世帯の多いバランガイでも、公民館にバランガイキャプテン自らが案内して、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区バランガイ61の公民館で、バランガイキャプテンから生活、仕事、教育などたくさんのお話を伺った。トンドは、ジープニー など交通手段も完備している。
マニラ首都圏(NCR)マニラ市のトンド地区バランガイ61の運営する公民館で、バランガイ16キャプテンから生活、仕事、教育などたくさんのお話を伺った。
マニラ市トンド地区の行政メンバーを記念する写真。貧しい世帯の多いバランガイでも、ディスプレーやデザインにも気配りをしている。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61のような姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
マニラ首都圏マニラ市トンド を訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺った。
マニラ首都圏マニラ市トンド に配置された複数の路上監視カメラを、公民館でモニターを通してみることができる。
フィリピンの下町トンド(Tondo )地区バランガイ61では、18歳未満の未成年者には、教育的配慮と安全上の配慮から、「夜間外出禁止令」を制定している。
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテンの地図
バランガイの宗教施設 Place of Worship
マニラ市トンドにあるバランガイの礼拝所を訪問した鳥飼ゼミナール。貧しい世帯の多いスラムでも、住民自らバランガイを案内して、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
マニラ首都圏マニラ市トンドの礼拝所。冠婚葬祭の時にも使用される公的な宗教空間である。
鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市トンド を訪問し、バランガイ61のキャプテンをはじめとする住民に生活、仕事、保育、教育などたくさんのお話を伺った。ここは、バランガイ61の公共施設の一つの礼拝所・葬儀所、2階は物置として利用されている。キャプテンをはじめとする住民に案内していただいた。
バランガイの保育園
Kindergarten:Preschool
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区に掲示してあったバランガイ61の教育ポスター。"Handog gamit, pang-eskwela"とは「学用品寄贈募集」の意味。このような貧しいバランガイでも、ユーモアをもって楽しいデザインの学用品募集広告を作成、街中に掲示している。日本の小学校・中学校では、学用品から体操服、バックまで大量の忘れ物が、靴箱近くに並べられ、持ち主を待っているが、引取り手は物をなくしても気にしていないようだ。
フィリピンの下町トンド地区バランガイ61が運営している保育園を訪問した鳥飼ゼミナール。貧困世帯であるからこそ共働きが常態化する。鳥飼行博ゼミナールは、トンドを訪問し、貧困生活を余儀なくされている住民にお話を伺った。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の保育園。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の保育園の壁絵。
政府による医療保険 も生活保護 も不十分であっても、家族が病気になっても、治療が受けられない。マニラ市トンド では、裏通りいっぱいに家ができている。 政府による社会保障 も生活保護 も不十分であるからこそ、民活はしぶとく粘り強い。
バランガイの衛生 Water Supply
マニラ首都圏マニラ市トンドの給水所に備え付けられた水ろ過装置と飲料水タンク。2015年8月撮影。
Kiva Japan フィリピン には、次のようにある。
「Claritaさんは9人の子どもを持つ親として、一生懸命働き家族を養う既婚女性です。
Claritaさんは、フィリピンで木炭の売買をするほか、野菜の栽培・販売からも収入を得ています。ClaritaさんはNWTF*から2万5000ペソ**の融資を受け、販売用在庫として木炭を追加で仕入れる予定です。
ClaritaさんはNWTFから過去12回の融資を受けて、この商売を続けています。Claritaさんは、一生懸命働くことが、お金を貯めて商売を大きくするという夢の実現につながると信じています。
*フィリピンにある小規模金融機関で、Kivaのパートナーのひとつ。
参照URL:http://www.kiva.org/partners
**1フィリピン・ペソ(PHP)=約2.32円(2013年7月10日現在)
参照URL:http://www.oanda.com/currency/converter/
マニラ市のトンドでは、上水道が引かれていない世帯が多い。そこで、飲料水をタンクで可って自宅に運んでいる。料理の煮炊きのエネルギーは、廃材を中心にしたバイオマスエネルギー。これは再生可能エネルギーである。スモーキーマウンテンの麓からトンド、LRTまでジプニーが運航している。
スラムバラック を見て回って、近所の家によらせていただき、お話を伺った。
政府による社会保障も生活保護ガイド も不十分であっても、家族は働き工夫して生活している。
スラムに住む貧困者も、焜炉(調理用ストーブ)を使っている。フィリピンでは、中層以下の世帯で、料理や給湯には焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ を使うのがふつう。燃料は薪炭。 パヤタスのスラム街 では、炭をまとめ買いし、それを小さな袋に分けて売る木炭 販売世帯がある。パヤタスの調理では焜炉(こんろ) 、調理用ストーブ が主流。燃料は薪炭。
マニラ首都圏トンド の飲料水給水所。鳥飼行博ゼミ がインタビューした。
低所得層住宅地では、政府による社会保障 も生活保護 も不十分であれば、貧しい住民の中には、やむを得ず不法占拠者となる場合もある。
マニラ市トンド 。水タンクは重いので、各家庭に運搬する際には、このようなカリトン(荷車)に乗せて配達する。貧困地区には、廃材やビニールシートを材料にした狭いバラックに暮らしているが、室内を見せてくれ、インタビューにも応じてくれた。
マニラ首都圏マニラ市。水タンクは重いので、各家庭に運搬する際には、このようなカリトン(荷車)に乗せて配達する。コミュニティ・ヘルスセンター (Community Health Centre )のような公共施設もある。
大雨の時のスラム
When it's rain
下水、排水施設が不備なため、バランガイ61は大雨が降ると路上が冠水してしまう。しかし、洗濯や沐浴のために、雨水を、バラック屋根から雨樋で大型プラスチックタンクに移して貯水しているので、水供給・水節約には寄与しているする。飲料水は、水道から水を買って運ぶ。
アクセス:共生社会をめざす には、次のようにある。
■地区の歴史&活動の経緯
戦後 マニラ市トンド地区にゴミ捨て場が設置される。ゴミが発酵して発生するメタンガス、それによって自然発火して出る煙から「スモーキーマウンテン」と呼ばれるようになる。ゴミ拾いで生計を立てる人々が住みつくようになる。
1995年 政府により、11月にスモーキーマウンテンが閉鎖され、住民は立ち退きさせられる。
2000年 かつてあったゴミ捨て場から少し離れたマニラ湾沿いに、現在のゴミ捨て場が設置される。ここでもまた、多くのゴミ拾いで生計を立てる人々が暮らすようになり、スモーキーマウンテンと呼ばれるようになる。
2001年 政府による立退きや嫌がらせから生活を守るため、住民組織がつくられる。ゴミ捨て場に暮らす世帯数がどんどん増加。アクセスの関係者が時折、地域を訪問するようになる。
2006年 地域内に多目的保健センターを建設。
2007年 ボランティア・ヘルス・ワーカーの育成、多目的保健センターでの健康相談など、保健衛生プログラムを本格的にスタート。年間2000人以上の手当てをしている。(引用終わり)
マニラ首都圏マニラ市バランガイ61のスラム は、大雨が降ると冠水してしまう。
都市貧困地区 スモーキーマウンテン には、次のようにある。
「フィリピンのゴミ処理場では、ゴミを焼却せず、ゴミ捨て場に投棄(野積み)されます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000tと言われ、それらのゴミを受け入れる捨て場は、マニラ首都圏内に複数あります。 私たちが支援する「スモーキーマウンテン」は、マニラ首都圏マニラ市トンド地区に位置しています。多くの住人は収入を得るために、ゴミの中からリサイクル可能なゴミ(鉄、銅、プラスチックなど)を拾います。一日の収入は70〜150ペソ(約150〜320円)と大変少なく、苦しい生活を強いられています。 2012年度現在、約6,500人もの人々がスモーキーマウンテンに暮らしていると言われています。スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、自然発火したゴミの山から煙が立つ様子からです。」
マニラ首都圏マニラ市スモーキーマウンテン の上にあるスラム地区。もともと、廃棄物の山で住民はいなかったが、畑作を営む不法占拠者がここに住居を建築した。それが恒常的な居住地となり、住居も次第に増え、構造的にもしっかりしたものに変化した。
雨水の利用方法 How to use Rain water
マニラ首都圏 マニラ市のトンド地区バランガイ61。雨が降ったので、屋根から落ちてくる水で思う存分沐浴ができる。ただし、体面上恥ずかしいことので、コッソリと浴びるもの。
「スクオッターの生活実践 ―― マニラの貧困世界のダイナミズム 石岡丈昇」 には、次のようにある。
「スクオッターは行政サービスからは取り残されたエリアである。選挙を控えた地元政治家が集票のために道路を整備するなどを除けば、生活基盤整備が施されることはまずない。たとえば熱帯特有の強い雨が降った際には、多くの家屋が床上浸水になる。また、台風の時期には、家ごと吹き飛ばされるケースも少なくない。スクオッターは、インフラ整備の面では、脆弱な場所なのである。」
「だが、スクオッターの内部を歩いてみると、そこでは脆弱な貧困地域というイメージを覆す数々の生活の機微に触れることができる。インフラ整備が施されないため、住民は自ら生活空間を創出する。排水路を整備し、街灯を設営し、祭りを開催し、固有の生活を創造していくのだ。たしかに貧しくはあるが、そこに息づく自前性・自律性の力は相当のものだ。ここでは、そうしたスクオッターのおびたただしい生活実践を紹介していこう。スクオッター住民の生活実践を見てみると、そこが社会的周辺地域ではなく、危機を生き延びる叡智の集積する先進地域であることが読み取れるはずだ。」
マニラ首都圏 マニラ市トンド地区バランガイ61 (Barangay 61, TONDO District )。雨が降ったので、屋根から落ちてくる水で思う存分沐浴ができる。ただし、体面上恥ずかしいことので、コッソリと浴びるもの。
マニラ市トンド地区のバランガイ61 で大雨をりようして、天水で沐浴をしていた少女たち。
マニラ市トンド 地区バランガイ61のバラックで、屋根から滴る雨水をタンクにためていた。スラムでは水供給の上水、排水の下水双方のインフラが不備であり、貧困者は苦しい生活をしている。しかし、天の恵みや自然を利用して、それを補っている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のバランガイ61 では雨水をタンクに入れて保管し、食器洗いや沐浴に利用している。
マニラ市トンドでは、今日水道の供給は限定されているので、雨水を利用して洗濯をしている世帯がある。
マニラ市トンドのバラックが立ち並び、その間に通路(街路)がある。その狭い通路で桶で手洗いの洗濯をするのは、電気洗濯機もなく、狭い室内に水を捨てるスペースも取れないためであろう。
バラック住民の余暇
Pleasure
マニラ市トンドの川沿いにあるバランガイ61 を訪問した。住民の娯楽の一つが、麻雀で、手前のマージャン卓の角にあるのは掛け金(25ペソ=60円)。
マニラ市トンドの川沿いにあるバランガイ61 を訪問した。住民の娯楽の一つが、麻雀で、手前のマージャン卓の角にあるのは掛け金(25ペソ=60円)。
ざいだん模様情報 :20年ぶりのマニラ紀行(下) その後のスモーキー・マウンテン には次のようにある。
「あの頃のスモーキー・マウンテンは、もはやない。だが、ゴミ捨て場から1キロほど離れたところに、元住民たちに提供した30棟ほどの仮説住宅の村落があった。2階建の長屋で、一見して倉庫風だ。ここに2700家族がすし詰め状態で住んでいた。
住民の声を聞くべく穴田さんとともに、村落に入った。1世帯に割り当てられた仮住宅のスペースは、わずか3メートル×4メートル、6畳間ひとつの大きさだ。ベニヤ板のドアをあけると、1メートル四方ほどの狭いたたきがあり、カーテン越しに部屋の中が見える。窓が小さい。廃物利用とおぼしきテーブルと小さな戸棚がある。部屋の中にはトイレも洗面所もない。屋内の廊下や階段には、所狭しと洗濯物が吊るしてある。」(引用終わり)
The Tondo Website では、トンドの位置を次のように説明している。 Manila's Tondo District is bounded on the North by Navotas and Caloocan City; on the East by Rizal Ave., from Antipolo St to J.T. Santos by Estero de San Lazaro. From C.M. Recto Ave., to Calle Antipolo St. On the South by Claro M. Recto Ave., from Estero dela Reina to Estero de San Lazaro. (only western side of the said street/esteros belong the this district). On the Eastern part of the district is R - 10 or Marcos Road which is along Manila Bay from C. M. Recto to the city boundaries.
フィリピンの下町トンド(Tondo )の母子。貧しい世帯の多いバランガイでも、子連れ夫婦が笑顔で迎えてくれた、質問に答えてくださった。日本では、歓迎して集客し収益を上げる観光業がホスピタリティー・御持て成しと誤解しているビジネスマンが多いが、バランガイ61住民のような訪問者に対する姿勢こそがホスピタリティーの原点である。
The Tondo Website Business Enterprises では、トンドのビジネスを次のように説明している。 Tondo is a rich collection of small to large business enterprises that are scattered all over the district. Shopping is not a problem because most of the Wet and Dry Markets have inexpensive display goods due to its proximity to the Manila Pier.
袋のリサイクル1
Recycling Sacks
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラム街 は、川に面している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラム街は、川に面している。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスラムの川には歩道橋がかかっている。
マニラ市トンド地区バランガイ61の役員一覧(2013 Barangay Elections 選挙の得票数)
PUNONG BARANGAY(バランガイキャプテン) PASCUAL, REYNALDO LIM 592 Winner
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) AREBUABO, FEDERICO JR. TUNGUL 563 1
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) CUENCO, ELARDE YUMOL 446 2
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MARTIN, MARILYN REYES 422 3
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) LORENZO, GREGORIO II MENDOZA 375 4
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) MENDOZA, REYNANTE CORONEL 371 5
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) GONZALES, CAROLYN ECHALAR 370 6
BARANGAY KAGAWAD(バランガイ役員) ALARCOS, ARLENE BANAL 347 7
フィリピンの下町トンド(Tondo )のリサイクル は、川で袋を洗って再利用可能な状態にすること。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のリサイクル 。スカベンジャーは、川で袋を洗って再利用可能な状態にする。
◆荷袋(サック)リサイクルの工程
?使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り>荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ ?荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> ?洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> ?束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
フィリピンの下町トンド(Tondo )のリサイクル 。スカベンジャーは、ごみ運搬車から有価物を収集する。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のリサイクル 。スカベンジャーは、川で袋を洗って再利用可能な状態にする。
フィリピンマニラ首都圏の貧困地区トンド(Tondo )バランガイ61、スカベンジャーは、川で袋を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
Elementary school (2012年まで)は、Grade 1〜6の6年制。
High school は、1st Year、2nd Year、3rd Year、4th Yearの4年制。
フィリピン、マニラ市貧困地区の下町トンド(Tondo )バランガイ61のスカベンジャーは、川で袋を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
フィリピンの小学校(Elementary school :2012年まで)は、Grade 1〜6の6年制。中高校(High school )は、1st Year、2nd Year、3rd Year、4th Yearの4年制。 しかし、現在では、6・3・3制に改編されているものの、実施できている学校は少なく、6・4制が続いている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンの下町トンド(Tondo )のスカベンジャーは、川で袋を洗って再利用可能にするリサイクル をしている。
トンド(Tondo )の高等学校として、 F.G. Calderon High School,
Tondo, Manila St. Joseph School,Tondo, Manila の2校がある。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。 フィリピンの下町トンド(Tondo )のスカベンジャーは、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗って再利用可能な状態に戻すリサイクル を生業としている。
◆荷袋(サック)リサイクルの工程
?使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り> 荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ ?荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> ?洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> ?束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。
トンドの川沿いのスラム Manila City
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
◆荷袋(サック)リサイクルの工程
?使用済みの荷袋(サック)を業者や商店から買い取る。<買い取り>荷袋(サック)1枚当たり3-5ペソ ?荷袋(サック)を運搬し河川で洗う。<洗浄> ?洗った荷袋(サック)を干して乾燥させ束ねる。<整理> ?束ねた荷袋(サック)を業者や商店に売却する。<売却>
フィリピンマニラ市下町トンドの住民は、川の流水を使って、プラスチック荷袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
フィリピンの下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。少年たちは、大雨でぬれても、沐浴代わりになるので気にしていない。
フィリピンマニラ市下町トンドのバランガイ61住民は、川の流水を使って、プラスチック袋(サック)を洗浄し、再利用可能な状態に戻すリサイクルを生業としている。後方にあるのは、洗浄済みのリサイクル荷袋(サック)の束。
トンドの鳥飼ゼミ How to Recycle Sacks
フィリピン共和国首都圏マニラ市パサイ市 から軽量鉄道(LRT)とジプニーでマニラ市トンド地区バランガイ61に行き、住民への聞き取りをした。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイ61のバランガイ役員に町を案内していただいた。2015年8月撮影。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイ61。
The Tondo Website では、トンドの位置を次のように説明している。 Manila's Tondo District is bounded on the North by Navotas and Caloocan City; on the East by Rizal Ave., from Antipolo St to J.T. Santos by Estero de San Lazaro. From C.M. Recto Ave., to Calle Antipolo St. On the South by Claro M. Recto Ave., from Estero dela Reina to Estero de San Lazaro. (only western side of the said street/esteros belong the this district). On the Eastern part of the district is R - 10 or Marcos Road which is along Manila Bay from C. M. Recto to the city boundaries.
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイ61。
フィリピン共和国首都圏マニラ市トンド地区バランガイ61。
The Tondo Website Business Enterprises では、トンドのビジネスを次のように説明している。 Tondo is a rich collection of small to large business enterprises that are scattered all over the district. Shopping is not a problem because most of the Wet and Dry Markets have inexpensive display goods due to its proximity to the Manila Pier.
バランガイ61の青少年 Youth at Tondo 2015
フィリピンの下町トンド(Tondo )地区バランガイ61のバラックとバラックの間の通路(歩道)で休んでいた子供。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の地区バランガイ61の路上で休む子供 。
フィリピンの下町トンド(Tondo )の子供たち。リサイクル (有価物収集)に従事することもある。
東海大学 Tokai University 2015
社会環境課程鳥飼行博ゼミでは、毎年、マニラ首都圏マニラ市トンド地区を訪問し、バランガイキャプテンをはじめとする住民に生活う、仕事、保育、教育などたくさんのお話を伺った。 東海大学教養学部の新しい文理融合の人間環境学科では、残念ながら、社会環境課程の募集・鳥飼ゼミの授業はありません。
当研究室へのご訪問ありがとうございます。論文,データ,写真等を引用する際は,URLなど出所を記載してください。ご意見,ご質問をお寄せ下さる時には,ご氏名,ご所属,ご連絡先を明記してください。 連絡先:
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〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 東海大学教養学部社会環境課程HK 鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro HK,Toka University,4-1-1 Kitakaname,Hiratuka Kanagawa,Japan259-1292東海大への行き方 |How to go
◆大学講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
◎当サイトでは,宣伝用アフェリエイトを使って画像や情報を提供しています。これは,「商品の情報提供」として利用が認められているためです。鳥飼研究室での商品・書籍の販売が目的ではありませんが,営利行為にも関わってきます。このような著作権・営利行為と書籍情報提供の相克をご理解の上,ご利用ください。
『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』 (東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
『地域コミュニティの環境経済学−開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』 (多賀出版2007年):少子高齢化・ジェンダー,再生可能エネルギー,熱帯林,廃棄物輸出を分析しました。
『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』 (東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編 (中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』 (東海大学出版会):「環境協力論」「開発経済学」「環境政策」のテキストで,難民,軍縮も扱っています。
『環境ネットワークの再構築−環境経済学の新展開』 田中廣滋編(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『地球環境政策』 宇沢弘文他編著(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『ポスト福祉国家の総合政策−経済・福祉・環境への対応』 丸尾直美編著(ミネルヴァ書房)の一章を担当しました。
『学習漫画 サリバン先生』 (集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。
『写真ポスターから学ぶ戦争の百年−二十世紀初頭から現在』 (青弓社2008年刊行)では、二十世紀の戦争を扱い大量破壊、大量殺戮からプロパガンダまで扱いました。
『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』 (青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
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地球温暖化と森林ビジネス―「地球益」をめざして
土の匂いの子
わたしと地球がつながる食農共育
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)の引用
ルソン
I – イロコス地方
北イロコス | 南イロコス | ラウニオン | パンガシナン
II – カガヤン・バレー地方
バタネス | カガヤン | イサベラ | ヌエヴァ・ヴィスカヤ | キリノ
III – 中部ルソン地方
アウロラ | バターン | ブラカン | ヌエヴァ・エシハ | パンパンガ | タルラック | サンバレス
IV-A – カラバルソン地方 バタンガス | カヴィテ | ラグナ | ケソン | リサール
IV-B – ミマロパ地方
西ミンドロ | 東ミンドロ | マリンドゥク | ロンブロン | パラワン
V – ビコール地方
アルバイ | 北カマリネス | 南カマリネス | カタンドゥアネス | マスバテ | ソルソゴン
コルディリェラ行政地域
アブラ | アパヤオ | ベンゲット | イフガオ | カリンガ | マウンテン
マニラ首都圏
マニラ首都圏の行政区画
ヴィサヤ
VI – 西ヴィサヤ地方
アクラン | アンティーケ | 西ネグロス | カピス | ギマラス | イロイロ
VII – 中部ヴィサヤ地方
ボホール | セブ | 東ネグロス | シキホル
VIII – 東ヴィサヤ地方
ビリラン | 東サマル | レイテ | 北サマル | サマル | 南レイテ
ミンダナオ
IX – サンボアンガ半島地方 北サンボアンガ | 南サンボアンガ | サンボアンガ・シブガイ X – 北部ミンダナオ地方
東ミサミス | 西ミサミス | カミギン | 北ラナオ | ブキドノン
XI – ダバオ地方
コンポステラ・バレー | ダバオ | 南ダバオ | 東ダバオ
XII – ソクサージェン地方 南コタバト | コタバト | スルタン・クダラット | サランガニ
XIII – カラガ地方
北アグサン | 南アグサン | 北スリガオ | 南スリガオ | ディナガット・アイランズ ムスリム・ミンダナオ自治区 バシラン | 南ラナオ | マギンダナオ | スールー | タウイタウイ
◆スラム (Slum ) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。
◆開発途上国 の人口増加と都市化 の進展に伴って、スラム人口 (Slum population )人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国 1.7億人、インド 1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン 2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス の使命(Mission)
■貧困に苦しむ人々が、自己の能力の発見、向上を通して、自信と希望をもち、生活の向上を 果たしていくための具体的支援を行うこと ■貧困問題の長期的解決に向け、学び、行動する人の輪を広げていくこと
なぜ活動を続けるのか
ゴミ処分場の周辺には、激しい貧困、強者から弱者への暴力的支配、強制立退き、環境汚染といった様々な問題が存在し、その中で多くの人々が過酷な生活を強いられています。そこには、都市部の開発により強制的に住む家を壊され移り住まざるを得なくなった人、田舎の苦しい小作暮らしから抜け出すため自ら選んでやって来た人、内戦によって避難民としてやってきた人、自然災害によって生活基盤を失った人などが住んでいます。
時に、戦争によって肉親を失ったという人たちと出会います。第二次世界大戦中、日本兵約50万人がフィリピンで命を落としましたが、その倍以上の約110万人のフィリピンの民間人が戦争に巻き込まれ亡くなっています。
私たちはこう考えます。
今、私たちが目にしている貧困は、フィリピン一国の原因によって作られたものではなく、日本、スペイン・アメリカの植民地支配と戦後の世界システムが作り出してきたものです。パヤタスに象徴されるフィリピンの貧困、激しい格差の問題は、フィリピン一国の努力や経済発展だけで単純に解決される事ではありません。フィリピン政府の取り組み、自助努力がなければならないのはもちろんですが、国際社会からの理解や応援が必要です。とりわけ国内で弱い立場におかれ、自分たちの権利や声を届けることが困難な人たちにとって、海外からの応援は不可欠です。彼らと直接つながり、その声を多くの人に伝えること、そして、彼らが今を生き抜き、状況を自らの力で変えていくため「教育」と「仕事」の機会を作り、物心ともに支えていくことは、とても大切なことだと考えます。
この問題に関わるとき、私たちは自分たちもまた貧困問題を作り、維持させている当事者であることを忘れません。現地の人と交わり活動する中で、私たちはこの地域が抱える問題と、日本国内の問題との類似性に気付かされます。つながっていることを、強く感じます。
私たちの基本姿勢は、「顔の見える付き合いを、続けること」、「今ここからやること」そして「動きながら考え学ぶこと」です。
貧困問題、行き過ぎた残酷な格差の問題は、共通の問題です。とても大きな、個人レベルではどうにもならない問題ですが、解決できないものとは考えません。
問題のある現場に行き、望む未来の姿を聞き、そのためにいっしょに小さな挑戦を繰り返し、小さな実績を積み上げて、目に見える変化を作って行く、その挑戦を続けます。それが私たち自身の未来を作ることになると信じます。
ささやかな存在でも、静かに、深く、着実に、浸み込んで広がっていく塩のように。
スラムの特徴として高失業率 があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマン はきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。
スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門 である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率 といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。
スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門 程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬 、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人 に成り下がるということは言えない。
◆開発途上国 のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門 において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティ を引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序 」ではない。フィリピン・マニラ旅行 には、次のようにある。
「俺達が着いた街トンドは東洋最大規模のスラム街だ。俺達の目的はこの街にあるゴミの山、スモーキーマウンテンを見に行く事が今回の任務だ(この次点でスモーキーマウンテンは取り壊されていたらしいが、新たな山が出現しているということらしかった)。
下町風の街並を海沿いに向かい歩いてゆく、途中のサリサリストアや駄菓子やでジュースやおかしを買ってみる、キアポやマカティーより物価は安めのようだ。
しばらく行くと列車の線路が道を横切っていた、その線路沿いには沢山のバラックが立ち並んでいる。なんだかめたくそヤバそうな雰囲気。駐車しているジプニーのフロントガラスには弾痕も残っているし…(ひきつり笑)
「ここからがホントのトンドだぜ、スラムに潜入だ!」
スラム街の入り口である踏切りから入って行く、すると各家々から顔を出した何十人ものフィリピン人達が一斉に俺達に視線を向けた!みなさんの視線をチクチク感じながらさらに奥に進んで行く。トタン板の家や増築を繰り返して出来た家などが並び、線路上では子供たちが何人も遊んでいた。その中に台車車のような物を作っている少年達がいた。
「これは何?」
「これはカリトーン」と英語で教えてくれた。
その台車車のタイヤ部分を釘で打ちつけている、タイヤは何かのベアリングで出来ていた。
カリトーンが完成すると、1人の子供を乗せてゴロゴロと台車車を押し出した。
「俺も乗ってみていい?」っと、面白そうなのでノリさんもおもわず言ってしまった。
「OK!」ゴロゴロ、、、大の男が子供に押されるカリトーンを見てみんな爆笑!!
気がついたら、どこからか沸いて出たように子供たちの軍団に辺りをかこまれていた。
みんなの笑いを取るのに成功したノリさんは、さらに奥地に行くのであった。
しばらく歩いた頃に小さな川にぶちあたった、その川沿いにもボロボロのスクオーターが並び、庶民達は道端に設置してある井戸で水をくみをしていた。
この川も、恐ろしいほどのドブ河でゴミが積み重なり水は淀み、無気味な泡を吹き出している。さんざん歩いたのでここら辺で捜査を打ち切る事にした。
宿にもどってヒロさんにトンドへ行ってきたことを話すと、あんな治安の悪いところへ行くなんて、と、あきれられてしまった、あそこは地元の人でも行かないところだ、と。」(引用終わり)
<ゼミ研修感想>
私たち鳥飼ゼミナールは、8月にフィリピンへ行き都市のインフォーマル部門やスラムへ行き貧困に対して学ぶためにフィールド調査を行いました。まず、私にとって初めて訪れる土地だったためどういった国柄なのか、文化や習慣などを下調べして行きました。また、現地でフィールド調査を行うにあたって事前の予習を行い過去の歴史や現在の状況、これからの課題等を学んでフィリピンという土地を訪れました。まず、フィリピンの第一印象は、ビルやマンションが建設されていて思っていたよりも都会だということでした。また、日本にもあるファーストフードのお店やチェーン店もあり親近感が湧いたのを覚えています。移動の際にタクシーに乗りましたが、交通整備があまり行われておらず車やバイクがやりたい放題になっていていつ事故が起きてもおかしくない状況でした。そこで、日本の交通整備の凄さや規則を守る国民性、警察の存在意味があるのかなと思いました。
フィリピンでの1日目は、ホテル周辺を散策して、始めての事がとても多くありました。日本では見かけられないサリサリや水を売る業者を含め住宅や道、お店などすべてが私にとって新鮮でした。夜には、電車でご飯を食べにアヤラという町に行き食べましたが、日本にもあるようなショッピングモールがあり1日目にしてフィリピンの貧富の格差を感じました。
2日目は、マニラのケソン市という場所に行きスモーキーマウンテンや貧困のフィールド調査、NGOのリカ縫製作業所を訪れました。ホテルから電車に乗り、ジープを乗り継いで現地に行きました。そこは、前日に行ったアヤラとは同じフィリピンなのに全く違い、家はトタン屋根やビニールで覆われられていたり、服を着ていない子供達がいたり、水道整備も無くタンクを持って行き買い帰りは10キロ以上あるタンクを自宅まで運んでいました。そこに住んでいる方は、ゴミ山(スモーキーマウンテン)からゴミを拾ってきて、ジャンクショップという収集屋に渡しお金を貰い、それをジャンクショップが再利用していくというサイクルが生まれ、それで日々を暮らしていました。実際にジャンクショップを訪れましたが金属のものやプラスチック、生ゴミなど様々なものがあり、それを分別して洗ったりしている姿を見ることができました。また、生ゴミなどが3メートルほど積んであり放置されていたために匂いがひどくハエがとても多かったのを覚えています。しかし、私が驚いたのはそんな中でも住んでいる方達には笑顔がたくさんあってとても貧しい環境で暮らしているとは思えないほどでした。住民の方が「私たちは幸せな貧乏だ」と言っていました。現実を受け止めつつその中で何か楽しいことを見つけ、生きがいのようなものを見つけることで、貧しい生活の中でもたくさんの笑顔が生まれていくのかなと思いました。
3日目は、前日とはまた違うスモーキーマウンテンを訪れました。そのスモーキーマウンテンはとても大きく住宅が多くあり、多くの人が住んでいました。また、草や木も生えていて、更にバナナや芋、トウモロコシなどの野菜を育てていました。こうした野菜を売ることで生計を立てているそうです。スモーキーマウンテンの所有権というのは、国があまり関与できておらず先に住んだもの勝ちらしく早く住んでいる人は土地を多く持っており、しっかりと柵や囲いがされていました。このスモーキーマウンテンはできたのが古かったために全く匂いがひどく無く、土壌も土のようでした。ここでも、たくさんの住人の方と接することができましたが皆さんに笑顔があり貧しい暮らしの中で楽しんでいるようにも見ることができました。
4日目は、鳥飼先生と別れ4人でフィリピンにある水族館に行きました。私自身とても魚が好きなので、とても楽しむことができました。また、水族館に行く時に道に迷ってしまい、現地の人に自分なりの英語でどこにあるのかと伝え、無事つくことができました。こうした、自分から何か聞いたりすることを以前はできませんでしたが、知らない土地で何かしていく上で自己主張や積極性の大切さに気づくことができました。
フィリピン研修を通して得ることができたものは、日本で普通に暮らしていては得ることができないと思えるほど多く刺激的でした。貧富の格差についても、授業や本を読んだりインターネットで調べたりしてもイメージだけで終わってしまうけれど、現地に行くとスターバックスでコーヒーを飲んでいる人もいれば、明日の暮らしさえもままならない人もいるということを知りました。ナイキの靴を履いている人もいれば何も履いていない子供もいたこと。私たち日本人にとって当たり前なことがどれだけ裕福で幸せかということを思い知らされました。水道が通っていて当たり前、ゴミが落ちていなくて当たり前、仕事があることが当たり前、衣食住しっかりしていることが当たり前なのかもしれない。でもそれができていない国や人がいるということを常に思わなければいけないと思いました。また、初めての海外ということでとても新鮮でもありました。フィリピンの人は本当に気さくで話しかけてくれ、日本人よりもあったかいなと思いました。貧しい暮らしをしているかもしれないけど、裕福に暮らしている私たちよりも明るくて、心が豊かだと感じました。そう考えると、幸せってなんなのか考えさせられました。本当にフィリピン研修は楽しいことや辛かったこと、刺激的だったことなどいろいろありましたが、行ってよかったなと思っています。
◆注意!!トンドやスモーキーマウンテンに行く方法が現地で探し出せないのであれば、「スタディーツアー」や団体旅行としても行くべきではないでしょう。高くつきます。治安や病気が心配だという場合も行くべきではありません。日本の生活感覚、お金や安全の感覚、旅行気分を保って出かけるところではないのです。フィリピン政府にとっても貧困「観光」は好ましいことではありません。望遠レンズを使ったり、隠し撮りをしたりすれば、犯罪と同じです。カメラマン・ジャーナリスト気取りで、写真を撮り、被写体として扱ったために、嫌悪感を抱かれる人もいます。元来、本人の了解を得ない写真撮影はすべきではありません。トンドでは、何が起きても、何を起こしてもおかしくないということを自覚してください。
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