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◆マニラ市イントラムロス世界遺産ゼミ研修:IntramurosSan Agustin Church taken by Torikai
1.フィリピン共和国の面積は30万平方キロ(日本の80%)、人口9900万人、GDP2000億ドルで、1人当たりGDPは2,100ドルと日本の5%です。
2.2009年フィリピンの地域別一人当たり所得(1985年基準価格)をみると、全国平均は1万5528ペソに対して、メトロマニラ(Metro Manila:マニラ市と周辺市区)は4万838ペソと全国平均の2.6倍の高水準であるのに対して、ムスリム自治区3572ペソ(全国平均の23%)、ルソン島南部ビコール地方7650ペソ(同49%)、中部ルソン地方1万1636ペソ(75%)と低水準です。
3.当室は,2013年ゼミ研修で訪れたイントラムロス世界遺産を解説します。
4.写真解説一覧キアポ教会アルミ再生工場フィリピン自動車産業スラムの屑屋ツゲガラオ市場田植え稲収穫棚田の早乙女ブツブツの鍛冶屋柴刈り・薪採取スモーキーマウンテン箒作り廃棄物処分場ゼミ研修マニラスラム街研修タイガーグラス収穫も参照。

マニラ首都圏

 Metro Manila


 

マニラ首都圏マニラ市

Manila City, Metro Manila


劇場
メトロマニラ(マニラ首都圏)マニラ市「メトロポリタン劇場」(Manila Metropolitan Theater)。1996年に閉鎖され、現在は使用されてはいないが、1931年に建築された由緒ある劇場である。 劇場
メトロマニラ(マニラ首都圏)マニラ市「メトロモリタン劇場」(Manila Metropolitan Theater)の記念プレート。

 Business Mirror(Save the Manila Metropolitan Theater: 03 Sep 2013. Written by Benjamin Layug )に次のようにある。 
The theater, along the Pasig River ,and in front of the equally classic Manila Post Office, was designed, in the Art Deco ,style (then a rage in the US), by National Artist (for Architecture) Arch. Juan M. Arellano. Inaugurated on December 10, 1931, it seats 1,670 (846 in the orchestra section, 116 in the loge and 708 in the balcony) and was the biggest in the Far East at the time. During its heyday as the “Grande Dame” of theaters, The Met played host to vaudeville acts, zarzuelas, operas, pageants, Filipino and Spanish plays, and performances by well-known artists, such as violinist Maestro Jascha Hefertz and composer/conductor Dr. Herbert Zipper (who conducted the Manila Symphony Orchestra).
Severely damaged (losing some of its roofing and some walls destroyed) during the liberation of Manila in 1945, the theater was rebuilt, fell into decay in the 1960s (where it became an ice-cream parlor, boxing arena, garage, motel and gay club) and was meticulously restored to its former glory by Arch. Otillo Arellano (Juan Arellano’s nephew) and former first lady Imelda R. Marcos, and rededicated on December 17, 1978. However, it again fell into decay. Worst, a nondescript, 24-hour Park n’ Ride bus terminal and parking structure, with its accompanying itinerant vendors and equally unsightly food stalls, was built behind the theater, compromising the theater’s once-privileged landscape.
In 1996 it was closed due to a long-running financial dispute between the city government and the Government Service Insurance System ,(GSIS) over its ownership and management. On June 3, 2010, after extensive renovations (the main roof and two minor ones were repaired), it was again reopened by former President Gloria Macapagal-Arroyo ,and former Manila Mayor Alfredo S. Lim, but again slowly deteriorated due to disuse, typhoons and water infiltration. Water and electricity have been cut off. The main entrance is now home to the homeless vagabonds, and its arcades are filled with garbage and stinks to high heavens with urine. 劇場
マニラ首都圏マニラ市メトロポリタン劇場Manila Metropolitan Theater)の正面玄関。雨宿り、ホームレスに利用されている。 劇場庶民
マニラ首都圏マニラ市のメトロポリタン劇場(奥)近くの高架。雨宿りできるので、ジプニー待ちをするのちちょうどいい。劇場やこのあたりに暮らすホームレスの人たちもいる。しかし、日本では、フィリピン滞在の日本人ホームレスが、年300人いると話題である。

要塞入口1
マニラ首都圏マニラ市にあるサンチアゴ要塞(Fort Santiago)、その周囲にあった壕は埋め立てられて、名門ゴルフクラブ「クラブ イントラムロス 」になっている。
旧市街2
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロス(Intramuros)、マルコス大統領時代に危険建造物とされた船員関連の会館。メトロレールManila Metro Rail Transit:MRT)、ジプニー(Jeepney)を乗り継いで、マニラ空港から行くことができる。フィリピンの自家用車は日本ほど多くはない。公共交通機関が発達しているので、自家用車がなくとも不便はない。
旧市街商店
マニラ市イントラムロス(Intramuros)の木造建造物。
 2013年8月の鳥飼ゼミ外国研修では、マニラ首都圏(Metro Manila)ケソン市パヤタスごみ集積場、そこに出入りするごみ運搬ダンプカー の乗員、スカベンジャーらにも聞き取りをした。
イントラムロスの戦禍

 Altar


ビル戦禍
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロス(Intramuros)は、第二次大戦中に戦禍を被ったが、その跡が保存されている。第二次大戦の1945年、日本軍が籠城し、米軍と攻防戦が繰り広げられた。1942年の日本軍フィリピン上陸の時、米軍はマニラをオープンシティ(無防備都市)とした。その後、米軍はバターン半島に籠城したが、苦戦の末、これを降伏させた日本軍は「バターン死の行進」と呼ばれるPOW(戦争捕虜)虐待事件を起こした。1945年、日本軍は海軍を中心にマニラに残留し、マニラを死守しようとした。 ビル戦禍2
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロス(Intramuros)には、1945年、太平洋戦争末期、日本軍の海軍部隊などが籠城し、米軍と戦った。その跡が、ところどころに保存されている。ブロック住宅はほとんど見かけない高級な地区である。廃棄物最終処分場もあるパヤタスには、ここと対照的である。
戦禍大ビル
マニラ首都圏イントラムロスの銀行。第二次大戦の戦禍で破壊されている。 戦禍大ビル
マニラ首都圏イントラムロスの銀行。第二次大戦の戦禍で破壊されている。


マニラ市イントラムロスの地図

イントラムロス旧市街

 Intramuros


旧市街トライシクル
マニラ首都圏(Metro Manila)イントラムロス(Intramuros)は、路地が続くので、方向転換しやすい自転車式のトライシクルが、町の足として活躍している。観光客も呼び込むが、使う客は少ない。 スラムバラックはないが、ごみを回収するスカベンジャーとして、有価物を集めているようだ。 旧市街
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)。 周囲は、住宅街ではなく、行政・商業・高等教育地区で、落ち着いた雰囲気で、観光客も多い。 石畳ゼミ生 hspace=10
2013年8月、マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)の石畳。狭い旧市街なので、自転車式の二人乗りトライシクル(右、雨除けのシート付)が、観光客のタクシー代わりになっている。しかし、チャーターした自動車で回る外国人観光客は多いが、トライシクルの利用客は少ない。
イントラムロスの下水道

Sanitary Sewer

下水1 hspace=10
2013年8月、マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)の石畳下にある下水清掃。   下水2 hspace=10
2013年8月、マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)のインフラ、下水道を清掃する。滑車に巻いたロープにバケツをつけて、二つの穴の間を行き来して浚渫している。下水道の浚渫作業。

 イントラムロスからパシグ川を挟んで対岸にあるデビソリア(Divisoria)はマニラ港の税関、PNR(Philippine National Railway)駅があったため、古くから商業地区として栄えていた。デビソリア(Divisoria)に連なる庶民街がキアポ市場で、果実、食品、衣類、雑貨など日用品も売っている。半ズボン、Tシャツの軽装で、草履を履いている売屋の人たちが多い。キアポの家はトタンなどで囲んだバラックが多いが、コンクリートブロックの二階建ての家屋もある。
下水4
2013年8月、マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)、下水道の清掃作業。 下水5
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)の下水道清掃作業は、労働集約的で、機知に富んでいる。
 イントラムロスでは、路上生活者(ホームレス)は見かけなかった。いたとしても排除されてしまうであろう。キアポ地区には、トタン屋根Corrugated iron roof)もあるが、ここでは立派な建築物が多い。
カサ・マニラ博物館

 Casa Manila Museum


カサ玄関
2013年8月、マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)のスペイン風邸宅のカサ・マニラ博物館」(Casa Manila Museum:カサは家の意味) LRT1号線メトロレール(Light Rail Transit)のカリエド駅を降りるとすぐに市場通りがある。ここをまっすぐに行くとキアッポ教会に至る。ここから北へ行くと、デパートやや土産物屋もあり、日本人にも人気なデビソリア(Divisoria)市場がある。 カサ中庭
2013年8月、マニラ首都圏のマニラ市イントラムロス(Intramuros)のスペイン風邸宅の「カサ・マニラ博物館」(Casa Manila Museum)の中庭(パティオ)。
 同じメトロマニラ、ケソン市パヤタスのスラム地区は、排水路のすぐ脇にまで広がっている。もともと、排水貯水池のような窪地で、住んでいる住民がいなかったために、不法占拠者がここに仮ごしらえの住居を建築した。それが恒常的な居住地となり、住居も次第に増え、構造的にもしっかりしたものに変化した。 カサ中庭2
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)
1850年代スペイン風邸宅の「カサ・マニラ博物館」(Casa Manila Museum)の中庭。キアポ(Quiapo)地区は庶民的だが、ここは高級である。
政府による社会保障生活保護も不十分であるからこそ、民活はしぶとく粘り強い。
カサゼミ生
マニラ首都圏マニライントラムロス(Intramuros)スペイン風邸宅の「カサ・マニラ博物館」(Casa Manila Museum)を訪問した鳥飼行博ゼミの学生たち。パサイ市とマニラ市を結ぶメトロレール(LRT:Light Rail Transit)、ジプニーを乗り継いで、イントロムロスに出かけた。 カサゼミ生
スペイン風邸宅のカサ・マニラ博物館。 カサ土産屋1
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス(Intramuros)スペイン風邸宅の「カサ・マニラ博物館」(Casa Manila Museum)の土産物屋。Quiapoにある市場は、庶民的だが、ここは対照的。
サン・アグスチン教会

San Agustin Church

教会外観
マニラ首都圏マニラ市のバロックBaroque様式サン・アグスチン教会(San Agustin Church)教会は、ユネスコ世界文化遺産。本来は、左右に鐘楼(ベルタワー)があったが、1880年の地震で、左側の鐘楼は破損し、撤去された。

スラムバラックとは違って、外国人もひっきりなしに観光にやってくる。
 この地区の住宅には水道がひかれている。政府による社会保障も医療保障を受けられるような高級公務員、高級軍人・将校も通ってくる。
教会2
 マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)  教会木彫り
 マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)正面玄関の木彫。
  教会修復
マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の修復作業。2010年ころまで、教会はクリーム色の塗装が施されていたが、今は原型に近い形に復元したのか、石の地肌を見せている。
   ミランダ広場(Plaza Miranda)のキアポ(Quiapo)教会は、新しく庶民的だが、ここは格調高い装飾である。

サン・アグスチン教会

San Agustin Church

教会礼拝堂
マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)聖堂。  教会天井
マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)のドーム天井。 教会聖堂
マニラ首都圏Metro Manila)中央部のマニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)聖堂。 鉄格子
マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)礼拝堂の1866年製造の鉄格子。
教会窓
マニラ首都圏マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の窓。
  キアポ市場ミランダ広場(Plaza Miranda)には、カトリックのブラックナザレ聖堂(The Minor Basilica of the Black Nazarene)のモダンな様式とは異なったバロック様式である。

キアポ礼拝
マニラ首都圏キアポ地区ミランダ広場(Plaza Miranda)にあるカトリックのブラックナザレ聖堂(The Minor Basilica of the Black Nazarene)聖堂。政府による社会保障生活保護も不十分であれば、キリスト教会の果たすべき役割は一層大きくなる。
教会内部の墓所

 Cemeteries

教会墓
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の墓所。  教会脇墓
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の墓所。  教会階段ゼミ3人
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の階段。 
教会の博物館

Museum

教会絵画鳥飼行博 hspace=10
マニラ首都圏Metro Manila)中央部のマニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の中廊下の一角は、ギャラリーになっている。 絵画
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)の絵画展示。 
柿右衛門
マニラ首都圏マニラ市マニラ市世界文化遺産サン・アグスチン教会San Agustin Church)の柿右衛門様式輸出用陶磁器(フィリピン輸入品)。教会入場というより教会博物館に入場料が求められる。ミサの時間帯に、ミサの時間帯には、正面玄関が解放され、無料で聖堂に入場できる。 
Some of the things worth taking a look at are the pottery and jar collection which were donated to the church and porcelain room containing excavated artifacts from the San Agustin complex. 大壺
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)の中国製と思われる輸出用壺(フィリピン輸入品)。
教会中庭
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)の中庭(パティオ)と周囲の回廊(Ground Floor Hallway)。  鐘
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会博物館San Agustin Church Museum)、博物館入口に展示してある鋳造された。重量3.4トン。教会入場にではなく、教会博物館に入場料が求められる。ミサの時間帯には、正面玄関が解放され、無料で聖堂に入場できる。 鐘2
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)の釣鐘(bell)。教会創建時には、鐘楼(bell tower)が左右にそろっていたが、1880年の大地震で、左側の鐘楼が破壊され、そこにあった鐘が展示されている。
 キアポ(Quiapo)教会(The Minor Basilica of the Black Nazarene)にも鐘楼がある。
サン・アグスチン教会

Shrine


上から見た聖堂
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)聖堂。  オルガン
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)のパイプオルガン。  楽譜
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)、聖歌隊の使用した楽譜。遠くからも見えるように、大きい。 
教会Shrine上
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)聖堂。
  マニラ市キアポ市場に続くクインタ公設市場。この市場は、パシング川沿いにあって、1940年代には、イントラムロスからフェリーで客が買い物に来ていたという。
In my memory it is this side of the Quiapo Market that I remember ... for in the days of my youth ... we approach the market via a ferry that takes us accross the river ... for we lived in that era in Intramuros. I remember my uncle Tio Kikoy ...the year was 1940 or probably 1941 when we use to go this way .... 聖堂上
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)の聖堂いす建築
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス世界文化遺産サン・アグスチン教会(San Agustin Church)、聖堂上の聖職者たちの椅子。  マニラ市キアポのクインタ公設市場付近に、木造建築物が若干残っている。新しい建物は、コンクリート製、ブロック製で作られている。
 La Quinta Market is one of the busiest if not the boisterous "Palengke" (marketplace) in town. It's located in Quiapo and if one wants to scout for fresh goodies and meat, then this is your one stop shop.
マニラ・カテドラル

Manila Cathedral

 
カテドラル玄関
マニラ首都圏マニラ市イントラムロスにある1581年創建のマニラ大聖堂(Manila Cathedral)。現在、2年間かけて修復作業が行われている。

 
マニラ首都圏(
Metro Manila)マニラ市イントラムロスにあるマニラ大聖堂(Manila Cathedralカテドラル玄関
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスにあるマニラ大聖堂(Manila Cathedral
サンチアゴ要塞

Fort Santiago

 
要塞堀
マニラ首都圏マニラ市イントラムロスIntramuros)のサンチアゴ要塞(Fort Santiago)の大手門。スペインによって、1589年から石垣の砦・要塞が建設され、1592年に竣工。その後、1606年に石垣で市街地(64ヘクタール)を囲ったイントラムロスとなった。
イントラムロスには、メトロレイルジープニーJeepney)を乗り継いで行くことができる。 要塞入口
マニラ首都圏(Metro Manilaマニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞Fort Santiago)大手門。スペインは、1589年から石垣で囲んだ要塞の建設に着手。ここはその大手門にあたる。1592年竣工。その後、石垣は、市街地(64ヘクタール)を囲むように拡張され、イントラムロス(Intramuros)となった。
城壁
マニラ市イントラムロス、サンチアゴ要塞(Fort Santiago)の城壁。19世紀になると、大砲の威力が大きくなり、中世の城とは異なり、城壁は低く、厚みを増して、砲撃にも耐えられるようになった。また、城壁上に大砲を馬で曳き上げてすえつけられるように、城壁内側に、スロープを設けてある。
サンチアゴ要塞

Fort Santiago

カレッサ
マニラ首都圏(Metro Manila)サンチアゴ要塞の内部。ここには、観光用の馬車がある。中国人街(China Town)のビノド、オンビンの通り近くにも馬車(カレッサ)があるが、そこよりも観光地らしい豪華な形である。馬車はフィリピン語でカレッサと呼ばれて、観光だけでなく、日常生活に使われている。 観光客
ケソン市(人口220万人)北方、マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞Fort Santiago)を訪れる中国の観光客。右が、ホセ・リサールの収監されていた監獄。
ホセ牢獄
マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞Fort Santiago)。この監獄に幽閉されていたホセ・リサール(Jose Rizal)は、1896年12月、叛徒の首謀者として刑場で銃殺、処刑された。35歳だった。

 ホセ・リサールJose Rizal)は、マドリード大学などヨーロッパで学び、医師となったが、スペインを批判した小説『ノリ・メ・タンゲレ』(Noli me Tangere:私に触れるな、の意)を発表した。
 そして、スペインからフィリピンに帰国し、フィリピン人の民族的企画を促そうとしたが、宗主国への反乱を心配するスペイン側に危険人物とみなされた。
 ホセ・リサールは、1888年2月、横浜を経由して、ヨーロッパに亡命。その後、1892年6月、ひそかに帰国し、翌月、フィリピン民族同盟(ラ・リガ・フィリピナ:La Liga Filipina)を結成し、フィリピン人自身の民族的自覚を促しフィリピン自治を求めようとしたが、逮捕され、しばらくして処刑される。 ホセ看板
 マニラ首都圏マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞Fort Santiago)に、ホセ・リサール(Jose Rizal)は監禁されていた。そのことを記念するプレート。
要塞外ゼミ3人
マニラ首都圏Metro Manila)イントラムロスのサンチアゴ要塞(Fort Santiago)の最奥、コアにあたる場所にホセ・リサールJose Rizal)祈念館がある。
要塞牢獄
フィリピン Philippinesマニラ首都圏のイントラムロスのサンチアゴ要塞(Fort Santiago)の牢獄。第二次大戦中は、抗日活動容疑者が収監されていた。
地下牢
マニラ首都圏(Metro Manilaイントラムロス、サンチアゴ要塞(Fort Santiago)の地下牢獄。以前は入場できたが、危険なため、現在は立ち入り禁止。
 Used by the Japanese military, after they captured Manila, numerous Filipino and American prisoners were tortured and executed in the infamous dungeons. Some reports estimate that as many as 2500-3000 Filipinos were executed in Intramuros and Fort Santiago during the last days of Japanese occupation.
リサール祈念館

Rizal Shrine

椅子
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市のサンチアゴ要塞(Fort Santiago)にあるリサール祈念館は改修中だったが、要塞内の見物が臨時祈念館として開館している。そこに展示してある瀟洒な椅子。
 ホセ・リサールJose Rizal)は、マニラのサントトマス大学(University of St. Thomas)を経て、1882年、マドリッド大学(University of Madrid)を卒業。5年間、ヨーロッパに滞在した。1886年、ハイデルベルク大学(University of Heidelberg)で医学を学び、小説『ノーリー・メー・タンゲレ』(Noli me Tangere)を刊行し、フィリピンのカトリック教会を批評した。  ホセ日本人
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市のサンチアゴ要塞のホセ・リサールJose Rizal)祈念館の「オセイさん」肖像画。フィリピン宗主国スペインを批判したため危険人物とされた医師で作家のホセ・リサールJose Rizal)は、1888(明治21)年2月、ヨーロッパ亡命の途上、横浜に立ち寄った。そのとき「オセイサン」(臼井勢似子)と会い、愛人としたが、ヨーロッパに一人旅だった。1892年、ホセ・リサール(Jose Rizal)は、ヨーロッパからひそかに帰国しホセ・リサール(ラ・リガ・フィリピナ:La Liga Filipina )を結成、フィリピン自治の基盤づくりを目指したが、逮捕、処刑される。 ベット
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞、リサール祈念館は改修中だったが、要塞内の見物が臨時祈念館として開館している。ホセ・リサールJose Rizal)所縁の寝台。 家具
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市のサンチアゴ要塞、ホセ・リサール祈念館に展示してある、ホセ・リサールJose Rizal)所縁の家具調度品。
 ホセ・リサールJose Rizal)は、小説『ノーリー・メー・タンゲレ』(Noli me Tangere)の作者でフィリピン独立のヒーロー。
時計
マニラ首都圏のマニラ市Manila City)イントラムロスのサンチアゴ要塞(Fort Santiago)のホセリサール(Jose Rizal)博物館にある時計。
パシグ川

Pasig River 2014

パシグ川
マニラ首都圏マニラ市イントラムロス、サンチアゴ要塞から眺めたマニラ市のパシグ川。 パシグ川
マニラ市イントラムロス、サンチアゴ要塞から眺めたマニラ市のパシグ川。 パシグ川
マニラ首都圏イントラムロス、サンチアゴ要塞ホセ・リサール(Jose Rizal)祈念館前からみたパシッグ川(Pasig River)。 パシグ川
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市のサンチアゴ要塞、ホセ・リサール(Jose Rizal)祈念館前からみたパシッグ川(Pasig River)。

サンチアゴ要塞の大砲

Gun

キャノン
マニラ首都圏(Metro Manila)サンチアゴ要塞に展示してある19世紀の大砲Gun)、砲弾(shell)、米軍のフィリピン民族同盟航空機用爆弾(右手前)。 キャノン
マニラ首都圏(Metro Manila)サンチアゴ要塞に展示してある大砲Gun)。 キャノン
マニラ首都圏(Metro Manila)サンチアゴ要塞に展示してあるスペイン軍の大砲Gun)。 要塞砲
マニラ首都圏(Metro Manila)サンチアゴ要塞に展示してある19世紀の大砲Gun)Old Spanish guns, Philippines。

第二次大戦の戦禍

World War 2

戦禍ビル
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞の建物。第二次大戦の1945年、日本軍が籠城し、米軍と攻防戦が繰り広げられた。1942年、日本軍がフィリピン上陸の時、米軍はマニラをオープンシティ(無防備都市)としたが、バターン半島に籠城したが、日本軍の激しい攻撃を受け降伏した。その後、1944年に米軍がフィリピンレイテ島に、1945年にルソン島に上陸し、日本軍との激闘が始まった。 戦禍ビル
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞の建物。第二次大戦、1945年の日米攻防戦の時の砲弾の跡が残っている。

サンチアゴ土産物屋

Souvenir Shop

みやげ hspace=10
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞の土産物屋。 土産シェル
マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスのサンチアゴ要塞の土産物屋。学生たちは、絵葉書程度しか購入しなかった。
大衆食堂

Souvenir Shop

食堂 hspace=10
2013年8月、マニラ首都圏(Metro Manila)マニラ市イントラムロスには、観光客用の高級レストランのほかに、地元の大学・高校の学生向け食堂が何件かある。 食堂ゼミ3人
マニラ首都圏マニラ市イントラムロスには、観光客用の高級レストランのほかに、地元の大学・高校の学生向け食堂が何件かある。メトロレール(LRT:Light Rail Transit)の駅まで、ジプニーで10分。 闘鶏
マニラ首都圏マニラ市イントラムロスでも、闘鶏用のニワトリが飼育されていおり、庶民の生活館が残っていた。
東海大学

University

鳥飼行博ゼミ hspace=10
2013年8月、マニラ大聖堂前の鳥飼行博ゼミ。前回の鳥飼ゼミ外国研修は、韓国だったが、今回はフィリピン。マニラ首都圏マニラ市キアポ市場ケソン市パヤタスのリサイクル施設のマネージャー、労働者、ごみを回収するスカベンジャーに聞き取りを行った。
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鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
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東海大への行き方|How to go

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