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写真解説:タイ東北部チャイヤプーン県農村におけるシルク反物生産
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日系企業の海外活動に当たっての環境対策 (フィリピン)
フィリピンにおける大気汚染削減とエネルギー政策
フィリピン>工業団地リスト フィリピン日本人商工会議所 リンク集
フィリピン生活事情・物価の話
軍用ジープに新たな命を吹き込むフィリピンの工場
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Jeepney
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フィリピン名物・ジープニー
マニラで公共交通機関に電動ジープニー導入へ 環境にやさしいジープニー
待望のジープニー路線図が発売
マニラの排ガス対策 :マニラ首都圏では、粒子状物質の21%、窒素酸化物の83%、一酸化炭素の99%、硫黄酸化物の12%が自動車の排気ガスによるものと推定(1990年調査)。
マニラ・オートサロン2009
フィリピン名物ジープニーを乗りこなそう
ジープニーの車窓からフィリピン交通事情
昭和ゴム化学工業所 フィリピンで建築事業/東海工業 日東電工 | フィリピンに販売加工拠点を新設
フィリピン・セブ島及び沿岸域の水質汚染域
における生物生息環境回復事業
黒い斑点に汚れる海岸の石
平成17年度環境再生保全機構地球環境基金助成事業 日・フィリピン経済関係
日系企業の海外活動に当たっての環境対策 (フィリピン)
フィリピンにおける大気汚染削減とエネルギー政策
平成17年度環境再生保全機構地球環境基金助成事業
<公式報告書>各国便り「中国農村部における意図せざる環境保全」 『かけはし』第94号、国際研修協力機構,4頁,2009年10月 各国便り「フィリピン」
『かけはし』 第79号、国際研修協力機構,4頁,2007年4月
『アジア太平洋地域における人口・エネルギー・廃棄物 : アジア太平洋の地域コミュニティにおける個人経営体を重視した社会開発と環境保全
−科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書 ; 平成15-17年度』 東海大学印刷業務課,105頁,2006年3月
万城目正雄・鳥飼行博共著『開発途上国からの研修生等受入れに伴う実態調査:技能実習生フォローアップ(第6回)調査報告書』国際研修協力機構 ,75頁,2003年3月
『開発途上国の草の根民活論 : 人口・家内工業・廃棄物を巡って−平成13・14年度科学研究費成果報告書』 東海大学印刷業務課,135頁,2003年3月
鳥飼行博・成家克徳・三好敏夫・万城目正雄共著『開発途上国からの研修生等受入れに伴う実態調査:技能実習生フォローアップ(第5回)調査報告書』国際研修協力機構,82頁,2002年3月
高橋彰・鳥飼行博他3名2番目共著『外務省国別評価報告書 フィリピン共和国』外務省経済協力局評価室,91頁,1999年3月
Japanese Evaluation Team (TAKAHASHI,Akira,and Yukihiro TORIKAI et al.) Evaluation of the Japanese Development Assistance toward the Philippines. Ministry of Foreign Affairs, pp.1-48, 1998/09,外務省
文部科学省・科学研究費補助金の報告書
1.アジア太平洋の地域コミュニティにおけるコモンズ管理と草の根民活論(2011) 基盤研究(C)2010-2011
2.アジア太平洋の地域コミュニティにおける個人経営体を重視した社会開発と環境保全(2005) 基盤研究(C)2003-2005
3.開発途上国における個人経営体と草の根の環境ODA(2002) 基盤研究(C)2001-2002
4.開発途上国における個人経営体に対する草の根の環境ODA(2003) 基盤研究(C)1998
5.開発途上国の小規模産業における雇用吸収力と経済援助(1993) 奨励研究(A)1993
6.開発途上国の小規模産業における個人経営体のもつ雇用吸収力と経済援助(1992) 奨励研究(A)1992
7.開発途上国の諸産業における契約形態についての理論的・実証的研究(1989) 東京大学・特別研究員PD「政府開発援助 :
その現状と問題点:日本と欧州連合の場合」 東海大学紀要. 教養学部 28,311-320,1998 (東海大学出版会/東海大学
「地球環境問題の実態」 東海大学紀要. 教養学部 28,1998 (東海大学出版会/東海大学)
「工業化戦略の有効性 : 貿易と国際分業をふまえて」 Effectiveness of Industrial Policies in Developing Economies 東海大学紀要. 教養学部 28,1998 (東海大学出版会/東海大学)
「環境政策と開発戦略に関する研究」 東海大学紀要. 教養学部 26,337-342,19950000(ISSN 03892018) (東海大学出版会/東海大学) 「地球環境問題とその対策 : リサイクル,環境税,国際環境規格,環境ODA」 Economics for Sustainable Development 東海大学紀要. 教養学部 26,1995 (東海大学出版会/東海大学)
「資本進出と経済介入に関する一考察 :
日本の朝鮮経営,ODA,海外直接投資,コンディショナリティーの功罪を巡って」 The Capital Flow to Developing Countries and Japan's Commitment (東海大学紀要. 教養学部 25,69-94,1994(東海大学出版会/東海大学)
「国際資本移動の構造と冷戦後の世界 : 資本供給国としての日本の役割」 The Structure of Capital Flow and The Post-Cold War : Japan's Role as a Capital Supplier 東海大学紀要. 教養学部 24,1993 (東海大学出版会/東海大学)
「政府開発援助と開発途上国の雇用メカニズム」 Official Development Assistance and the Job Creation Mechanism in LDCs 東海大学紀要. 教養学部 23,1992 (東海大学出版会/東海大学)
「契約選択の経済学 : フィリピンにおける漁業契約の内容とその選択」 Economics of Contract Choice : Contracts of the Small-scale Fishing in the Philippines 東海大学紀要. 教養学部 21,1990 (東海大学出版会/東海大学)
◆フィリピン早乙女による田植え
1.フィリピン共和国(30万平方キロ:日本の80%)の農村フィールド調査を踏まえて研究します。2010年のフィリピン共和国の
人口 は9900万人、
GDP 2000億ドルで、工業部門がGDPの30%以上を占めます。
2.フィリピンの
1人当たりGDP は2,100ドルと日本の5%です。当室では、
カリンガ州 の2013年の調査をもとに
早乙女(さおとめ) 、すなわち
田植え に従事する女性について解説します
3.2013年8月に実施したコルディリェラ行政地方カリンガ州でのフィールド調査の中から、山村の棚田における稲作に従事する農家、田植え労働者について写真解説します。
フィリピンカリンガ州
Kalinga Province
コルディリェラ行政地方 Cordillera Administrative Region
ルソン島北部のコルディリェラ行政地方 カリンガ州ティンラヤン町ブツブツ。コルディリェラ行政地方 は、言語、文化の点でフィリピン独自の地位が認められている。地方政府として、独自の議会、条例が認められている。
Cordillera Administrative Region の中心都市バギオ(Baguio)から、カリンガ州の州都タブクまで、国道で結ばれているが、山岳地では未舗装の部分が多い。
フィリピン共和国コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ輯ティンラヤン町山村のブツブツ。コルディリェラ行政地方には、アブラ州/アパヤオ州/ベンゲット州/イフガオ州/カリンガ州/マウンテン州の6州がある。2010年人口センサスによると、CAR人口は1,616,867人。
コルディリェラ行政地方カリンガ州 ティンラヤン町山村のブツブツのたばこ畑。渓谷に湧水を引けるところには稲作用の棚田 が広がっている。
チコ川渓谷上部に位置するある山村。この周辺の棚田で、田植えや小学校 などについて、聞き取り調査を行った。
ティンラヤン町の山の傾斜地には、たばこ、トウモロコシ、芋を栽培する傾斜地が広がっている。その間に、棚田が造成されている。
ティンラヤン町ブツブツの傾斜地で芋を栽培する。
フィリピン、コーディリエラ地方の先住民カリンガについて によれば、次のようにある。 【歴史】
1565 年から300 年以上にわたるスペインの支配で、低地部のほとんどがその影響を受けたフィリピンだが、標高1500m級の山々が連なるこの地方は1898 年にアメリカが支配権を奪うまで、外国からの影響をほとんど受けることがなかった。だから、低地に比べると先住民文化が比較的残っている。とはいえ、こうして生き残った文化もグローバリゼーションの波には呑み込まれつつあるのだが。ちなみに、アメリカが入ってきたころに子供だった、今のお年寄りたちは、1987 年に公用語として定められたフィリピン語よりも英語のほうが上手である。この地方の人々は通常、部族語、イロカノ語、英語、フィリピン語の4言語を使い分ける。実はこの地方は日本とのつながりが強い。戦前には、多くの日本人が、道路を作るなどの肉体労働従事者として、戦時中は敵軍としてこの地方にやってきた。「マレーの虎」と言われた山下奉文将軍が最後降伏したのはこの地方の中心地バギオで、現在もなお、その山下将軍が隠したとされる大量の財宝「山下財宝」の伝説はこの地方で生きている。
フィリピンのカリンガ州の地図
ティンラヤン町の棚田 Rice Terrace of Tinglayan
コルディリェラ行政地方カリンガ州 ティンラヤン町ブツブツ。チコ川の流れる渓谷に沿って、いたるところに棚田 が広がっている。コルディリェラ行政地方は、2011年3月以来、田植え時期と収穫時期、年に二回フィールド調査を行っている。 日本の「棚田オーナー制度 」は、棚田を活かして、都市住民の参加により、地域の農地を守ってゆく仕組み。具体的には、
?地域の非農家や地域外住民がオーナーに登録
?棚田の一定区画の水田を割り当て ?オーナーから棚田会費を徴収 ?収穫物をオーナーに手渡す
コルディリェラ行政地方カリンガ州 ティンラヤン町ブツブツの棚田。右の黄緑の稲の苗が密集している箇所が「苗代(なわしろ) 」。これは、籾から発芽した稲が芽が集まっている。ここから、苗をとって、移し替えるのが田植え。 日本では、稲の種をまいて苗を育てる苗代(苗床 )は使わなくなった。田植えが機械化されたため、プラスチック製の育苗箱 が用いられる。
コルディリェラ行政地方カリンガ州 ティンラヤン町の山村には、世界遺産に匹敵する棚田 が広がっている。 フィリピン、コーディリエラ地方の先住民カリンガについて によれば、次のようにある。 【土地・地理】
コーディリエラ地方はルソン島北部にある山岳地帯である。標高1500m級の山々が連なっ
ている。アパヤオ州、マウンテンプロビンス州、カリンガ州、イフガオ州、ベンゲット州、アブラ州の6 州からなり、イスネグ族、ボントック族、カリンガ族、イフガオ族、カンカナイ族、イバロイ族などの先住民(総称「イゴロット」)が生活している。かつては、山の側面に作った棚田でカラバオ(水牛)を使った米作りをし、畑で野菜を育て、また家で鶏や豚を飼育するという、ほぼ自給自足に近い生活を行っていたが、貨幣経済の導入や電気、道路、携帯電話の普及で、生活は大きく変わり始めている。従来のままでは生活できないため、都市や海外への出稼ぎが増え、またそれを夢見る若者も増えた。
棚田の田植え
Transplanting at Rice Terraces
カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの棚田 における田植え 。早乙女が、雇われて、あるいは労働交換で田植えをする。早乙女(さおとめ) が田植えをする棚田は、泥を捏ねて、石垣で囲んで造成したもの。2012年3月撮影。
早乙女(早乙女) による棚田 への田植え 。棚田の持ち主のこの妻が、村の住民に声をかけて、田植えに雇った。
カリンガ州ティンラヤン町山村の早乙女(さおとめ) が、棚田 で田植え をする。
フィリピン、コーディリエラ地方の先住民カリンガについて によれば、次のようにある。 【衣装・装飾】
コーディリエラ地方の人々がそれぞれの部族ごとに持つ伝統衣装は、男性はふんどし、女
性は上着と巻きスカートの組み合わせだが、デザインは多岐にわたっている。以前は普段
着にも用いていたそうだが、現在はイベントなど限られた時だけ身につける。普段の人々
の服装は洋装である。装飾品としては、かぶりものやネックレス、イヤリングなどがある
が、材料として用いられているのは、EDAYA の製品でも使用しているFertility sign、蛇
の骨、また鳥の羽根、カラバオ(水牛)の角などである。
カリンガ州で特徴的なのは、刺青と貝である。刺青に関しては、装飾としてはもちろんの
こと、地位が高い女性がその地位を示すため、腕などの見える場所に施した。貝は、はじ
め、低地の人々との物々交換によってもたらされたといわれる。カリンガ族女性の伝統衣
装のスカート(タピスという)の装飾やイヤリングとして用いられている。
ブツブツの棚田 Transplanting of Butbut
フィリピン共和国コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )には、アブラ州/アパヤオ州/ベンゲット州/イフガオ州/カリンガ州/マウンテン州の6州がある。2010年人口センサスによると、CAR人口は1,616,867人。
コルディリェラ行政地方カリンガ州 チコ川渓谷上部に位置するある山村。この周辺の棚田で、田植えや小学校 などについて、聞き取り調査を行った。
フィリピンの小学校(Elementary school :2012年まで)は、Grade 1〜6の6年制。中学校はなく、高等学校(High school )は、1st Year、2nd Year、3rd Year、4th Yearの4年制。
ルソン島北部のコルディリェラ行政地方 。コルディリェラ行政地方 は、言語、文化の点でフィリピン独自の地位が認められている。地方政府として、独自の議会、条例が認められている。
Cordillera Administrative Region の中心都市バギオ(Baguio)から、カリンガ州の州都タブクまで、国道で結ばれているが、山岳地では未舗装の部分が多い。
コルディリェラ のカリンガ州、標高800〜1000メートルの棚田 で早乙女(さおとめ) が田植え は、早乙女(さおとめ) が担っている。たとえば、大三島町(瀬戸内海)大山祗(おおやまずみ)神社では旧暦9月9日に神田(しんでん)で、早乙女役の少女が、神の使いとして稲の穂先だけを刈りとる「ぬき穂祭り」をする。この稲穂を神に供え収穫を感謝をするのである。
コルディリェラ 行政地方カリンガ州 ルプルパの棚田 における田植え 前の代掻き。手作業による代掻き(枕地ならし)、早乙女による手植えの田植えは、日本の農村にあって、現在では行われず、機械化されている。
コルディリェラ カリンガ州ティンラヤン町のルプルパ棚田 における枕地ならし(代掻き)。 京都府京丹波町下山尾長野地区でも、八坂神社(京都市東山区)の神饌(しんせん)田では、長野地区の氏子ら8人が早乙女(さおとめ) となり、すげがさと紅白の着物に身を包んだ。そして「御田祭」で早乙女が田植え をする。五穀豊穣(ほうじょう)を祈る祭りだが、下山の稲は祇園祭の神輿(みこし)に取り付けられ、わらは神社本殿を飾るしめ縄に使われる。これを見に大勢の地元住民や観光客らが訪れる。
コルディリェラ 行政地方カリンガ州ティンラヤン町の棚田 で、村の早乙女(さおとめ) が田植え に従事する苗を運搬する。苗床から苗をとって集める作業を稲取という。2013年3月撮影。 田植えを終えた後には獅子舞や和太鼓の演奏もあり、にぎやかに田植え 。田植え 労働の8割は女性が供給しているので、男性による田植えは多くはない。標高800メートル。
コルディリェラ カリンガ州山村棚田 の田植え をする苗を運ぶ。2012年3月撮影。
早乙女(さおとめ) Ladies of Butbut
カリンガ州ルプルパ棚田 の苗代(ナワシロ) から稲束を抜き取って、地ならしの終わった棚田に早乙女(さおとめ) が田植え 。
苗代(ナワシロ) とは、稲の種をまいて発芽させ若い苗を育てる水田で、機械化された田植えが一般的な日本では、苗代はなくなり、育苗箱が用いられる。2012年3月撮影。
カリンガ州ティンラヤン町では早乙女(さおとめ) が棚田 では、苗代(ナワシロ) で発芽させた若い稲を移植する田植え をする。
田植え には、次のようにある。
五月になると、男は麦を刈ったあとの田んぼを鋤ですいて、水をあてて馬鍬で代を荒がきをする。鋤でくら返し、馬鍬で代をかき、えぶりでならす。稲定規に合れせて縄を張って、苗が植えられるように準備する。そして田植えがはじまる。
田植には、朝はようから植える朝田、日中植えるおおあがり、夕方にかかるまごと三ありあった。一日一人が一量(二畝ぐらい)植えていた。はつめえな人は三量植えていたそうだ。一反歩(十畝、およそ干平方メートル)のたんぼに、五人の早乙女さんが入る。苗は一反歩で、百五十束ぐらい植える。苗束をくばるのに下手に投げると、苗の先の方から田んぼに落ちて先が折れる。上手に投げれば根が下になって落ち、早乙女さんによい婿さんがくるといわれていた。
中休みには、たんころというて、むすびが蕗の葉に包まれて出るんじゃ。田植えがすむと、しろみて(泥おとし)というて、一日中仕事をせずごちそうをたべて、労をねぎらっとった。(引用終わり)
カリンガ州ティンラヤン町では早乙女(さおとめ) が棚田 の苗代(ナワシロ) (籾を撒いて苗を育てる水田)から田植え をする稲を抜いて、田植えをする棚田に運搬する。
カリンガ州山村の棚田の田植えは、早乙女に日当を支払う雇用労働に依拠している。
くぼたのたんぼ:田植え には、次のようにある。 田んぼの準備が完了し、苗の長さが15cm位になったらいよいよ田植えです。田植えの前日の夕方、あるいは当日の朝早くから苗取りを行い、束ねた苗を田んぼに運びます。
昔は、乱雑植えでしたが、明治30年代に正条植えが取り入れられました。代掻きをして平らにした田に縄を張ったり、型枠を転がして目印を付け、整然と植えます。株の間隔が揃い、稲にむらなく日があたり、風通しもよくなり、除草作業の能率も上がって収量が増えました。
田植えは主に女性の仕事で、田植えをする女性は早乙女(さおとめ)と呼ばれていました。男性が苗を運んで田んぼに目印を付けたあと、早乙女たちが苗籠を腰に付けて田植えをします。苗は3、4本ずつ取って、真っ直ぐに植えます。腰をかがめてばかりの、つらい作業でした。昭和40年代から田植機が普及したことにより、手作業での田植えも少なくなり、早乙女たちの姿もあまり見られなくなりました。(引用終わり)
カリンガ州ティンラヤン町の棚田 で、早乙女(さおとめ) が田植え 。
あぜ道は、田植えの稲束や収穫を持って帰る歩道として使われる。稲作中心だが、トウモロコシ、イモ、豆、野菜など多種類の農産物が生産されている。2012年3月撮影。
カリンガ州ティンラヤン町ブツブツの棚田 の田植え 。トラクターは、渓谷沿いのルプルパには2台あったが、山村にはない。山村では多数の住民が苗代(ナワシロ) (籾を撒いて苗を育てる水田)から稲を移植する早乙女(さおとめ) としおて、生計を立てている。 鳥取県西伯郡伯耆町丸山211の「田植稲刈り体験(春夏秋に主催:田植え/稲刈り/収穫祭)」は田植え/10時〜14時、稲刈り/10時〜15時
のイベントである。
フィリピンのコルディリェラ行政地方
カリンガ州 のカリンガ族の早乙女(さおとめ) 女性。伝統的装いで着飾るのは、祭礼やイベントの時だけ。 日本の北海道でも「早乙女(さおとめ) 姿12人 黄金の稲収穫 東川の水田で抜穂祭」と、祭りの時に早乙女が登場する。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州棚田 の苗代の周囲で早乙女(さおとめ) による田植え 。コルディリェラ行政地方 はルソン島山岳地域で海に面していない内陸地である。
苗取り(なえとり) Butbut,Kalinga
コルディリェラ行政地方カリンガ州ティンラヤン町ルプルパの棚田 の苗代(左)。田植え前に、地表を平坦化する「枕地ならし」あるいは「代掻き」の作業を行う。
田植えの変遷 には、次のようにある。 代かきを終えるといよいよ田植えである。昔の田植えは、今と違って水苗代で作った苗なので、5月中に田植えをするのは無理、6月中旬頃であった。カゴで苗を運ぶ若者、型枠を回して型をつける人、上手に田植えをする早乙女たち、それこそ猫の手も借りたい忙しさがしばらく続く。農村に活気がみなぎる季節である。
たうえ前の田んぼの地ならしといえる「代搔き」
たうえ前の田んぼの地ならしといえる「代搔き」
たうえ前の田んぼの地ならしといえる「代搔き」
苗取り 作業…苗代で育てた苗を抜き取って、稲ワラで束ねる。
田植え作業…代かきされた田面に植形をつけ田植えをする。田植えは女性の仕事で共同作業である。耕地整理前は、植形を使わないで、後ろに下がりながら植えた。
田植えのころ…男の人が型枠を回して型をつけたあと、早乙女たちは苗かごを腰につけ田植えする。一年のうちで最も忙しいときで、子供たちも手伝いにだされる。仕事の間には、ひと休みして世間話に話がはずむ。
田植えの風景…苗を投げるのは子供の仕事だった。それを受けて早乙女たちが田植えをする。
コルディリェラ行政地方カリンガ州ティンラヤン町ブツブツの棚田 で、早乙女(さおとめ) が田植え をする稲の苗束を苗代(なわしろ) (苗床ともいう)から抜いて持ってきた。この苗床 (なえどこ)から稲の苗を抜いて束ねる作業を、苗取り(なえとり) と呼ぶ。
コルディリェラ行政地方カリンガ州ティンラヤン町ブツブツ山村棚田 における早乙女(さおとめ) が、苗取り(なえとり) によって集めた苗(なえ)を田植え をする棚田に運搬する。
苗取り(なえとり
現代日本では、稲の種子撒き苗(なえ)を育てる苗代(苗床 )は、小規模な家族用水田を除いて、ほとんど見られなくなった。田植え機に装着しやすいように、稚苗用育苗箱 が多用されている。これは、底に穴を空けて水はけを良くした、プラスチック製の浅い苗箱 で、1箱2000円弱。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )のカリンガ州ティンラヤン町ブツブツの早乙女(さおとめ) による苗取り 作業。苗取り作業 とは、田植え 前に苗代で育てた苗を抜き取って、稲ワラで束ねること。これを田植えをする棚田 に運ぶ。
9人の早乙女 Nine Ladies Working Together
コルディリェラ行政地方カリンガ州ティンラヤン町ブスカラン、標高900メートルの棚田 で、1日雇われた早乙女(さおとめ)
田植え 。左下の桶(洗面器)には、苗取り作業 をした苗(なえ)が浮かべてある。苗代で育てた苗を田んぼに運び、植えるのが田植えの作業。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )ティンラヤン町の棚田 で早乙女(さおとめ)
田植え をする稲束の高さを、穂先を手で引きちぎって揃える。
フィリピン・コルディリェーラの棚田群 における早乙女(さおとめ) による田植え 。
田植えの変遷 には、次のようにある。 長い間、農民の夢であった田植機が導入されたのは昭和42年ころ。30アール区画の県営圃場整備が始まったのが昭和39年、圃場整備の進展と農業の機械化は、農家を重労働から解放する大きな効果をもたらした。
昭和40年頃から長辺100m、短辺30mの30aの区画整理が始まった。そして、昭和42年ころ、長い間、農民はもちろん、農業関係者の夢であった田植機が秋田に登場した。重労働からの解放と生産性の飛躍的な向上は、農民たちの熱意と土地改良技術の飛躍的な進歩によって成し遂げられた。 現代日本では、乗用田植機での田植え作業が不通になった。わすが数十年で、これほどの劇的な変化を遂げるとは誰も予想できなかったのではないか、と思うほどである。(引用終わり)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村の棚田 における早乙女(さおとめ) 。
カリンガ州山村の棚田の田植えは、日当で雇われた早乙女の雇用労働に依存している。
秋田経済新聞「渋谷ギャルら女性ばかり25人、秋田で田植え作業−春の大潟村に黄色い声」2009年05月24日 には、次のようにある。 ギャルが農業を行う「ノギャル」プロジェクトを実行する元ギャル社長・藤田志穂さんの呼びかけで集まった女性25人が5月23日、秋田県大潟村で「あきたこまち」の田植え作業を行った。
田植え作業に若い女性ばかり25人、指導員も楽しそう
若い女性が積極的に農業に携わることで、日本の農業を活性化させることなどが目的の同プロジェクト。今月上旬、藤田さんが大潟村で行う田植えの参加者をブログで募集したところ、全国から約50人の応募が集まった。抽選で選ばれた東京や名古屋のほか地元秋田の高校生を含む10〜20代の女性ばかり20人が、藤田さんらギャルモデル5人と共に当日の作業に加わった。(引用終わり)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村の棚田 における早乙女(さおとめ) の田植え 。
日本では「厳島神社(洲本市本町4丁目)の稲刈り神事が16日、洲本市上物部の水田で開かれた。米の収穫に感謝する神事のあと、早乙女姿の女児や地元の子どもたちが田に入り、鎌を使って稲刈りを体験した。神社の奉仕団体「厳島神社青年奉賛会」が主催する恒例の行事で、神社では約30年前から市内の水田を神田として… 」とある。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村の早乙女(さおとめ) が棚田 に田植え 。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村棚田 における田植え をする早乙女(さおとめ) たちは日頃の知り合い、ご近所ばかりで、仲がいい。 早乙女の裾を下して羞ぢらへり (山口誓子)
カリンガ州山村棚田 における早乙女(さおとめ) の田植え 。
苗代(苗床) (籾を撒いて苗を育てる小規模な水田)から稲を大きな水田に移植する。標高1100メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州標高1000メートル、早乙女(さおとめ) の棚田 での田植え 。2013年3月撮影。日本の田植えは、田植え機を使用するし、GPS付田植えロボット すらある資本集約的、エネルギー集約的な作業。棚田 も観光資源化されつつある。
カリンガ州ティンラヤン町早乙女(さおとめ) が苗代(苗床) (籾を撒いて苗を育てる小規模な水田)から稲を大きな水田に移植する田植え が行われている棚田 。標高1000メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町の早乙女(さおとめ) が棚田 で田植え をする。標高1000メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村に広がる棚田 で早乙女(さおとめ) が泥だらけになって田植え をする。2012年3月撮影。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ロコンの棚田 で、早乙女(さおとめ) が苗代(苗床) (籾を撒いて苗を育てる小規模な水田)から稲を大きな水田に移植する田植え をする。標高1100メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村の棚田 の早乙女(さおとめ) 。田植えの合間の昼食もとる。標高1000メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村、早乙女(さおとめ) が棚田 で田植え。みんなで昼食をとる。2012年3月撮影。
カリンガ州山村棚田 における早乙女(さおとめ) の田植え 。標高1000メートル。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州棚田 での田植え を終えるのは、夕方17時ごろ。2012年3月撮影。
田植えの仕方 How to transplant
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州の棚田 で、早乙女(さおとめ) たちは苗代(苗床) (籾を撒いて苗を育てる小規模な水田)から稲を大きな水田に移植する田植えをする。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )
カリンガ州ティンラヤン町山村の棚田 で、早乙女(さおとめ) が田植えをする。
コルディリェラ行政地方カリンガ州山村の棚田 で、早乙女(さおとめ) が田植え。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )
チコ川の流れる大渓谷の上部の棚田 で、早乙女(さおとめ) が田植えをする。2012年3月撮影。
カリンガ州山村の棚田では、早乙女が雇用労働力としてに日当で雇われ、田植えをする。
フィリピンの初等教育(Elementary school :2012年まで)は、Grade 1〜6の6年制。
中等教育(High school )は、1st Year、2nd Year、3rd Year、4th Yearの4年制。
2013年3月の田植え Butbut, Cordillera Administrative Region
フィリピン共和国カリンガ州、山村の棚田で、早乙女(さおとめ) による田植えは、過半が日当制の賃金労働で賄われている。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )
カリンガ州ブツブツの棚田 。早乙女(さおとめ) の田植えがこの標高1100メートルの棚田で行われていた。
カリンガ州ティンラヤン町山村標高1000メートルの棚田 、早乙女(さおとめ) のいる棚田。
かつしかや早乙女がちの渉し舟 (一茶)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町棚田で、早乙女(さおとめ) の田植え。標高1000メートル。
勿体なや昼寝して聞く田植唄 (小林一茶)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村の棚田における早乙女(さおとめ) が昼食を摂る。標高1000メートル。 風流の初やおくの田植うた (松尾芭蕉)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村の棚田、早乙女(さおとめ) が田植えの中休みで食事をする。
離別れたる身を踏み込んで田うゑかな (与謝蕪村)
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村標高1000メートル、早乙女(さおとめ) による棚田 の田植え。
五月乙女にしかた望まんしのぶ摺 (芭蕉 )
山村のイモ畑 Cordillera Administrative Region
棚田の上にある水の得られない傾斜地ではイモが栽培されている。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )方カリンガ州山村Butubutで、カモテを栽培する。
水が得られる場所には、石を並べて石垣を作り、その上に泥・土を敷いて、棚田が作られているが、そうでない傾斜地にもイモ、豆、タバコが栽培されている。ユネスコの文房具を届けよう活動 の対象とはなっていないが、韓国のキリスト教会の援助がおこなわれている。
チコ川の流れる大渓谷の上部、ティンラヤン町ブツブツの棚田で、早乙女(さおとめ) が田植えをする。周囲の傾斜地で、水供給ができない場所は、イモ(カモテ)の畑になっている。2012年3月撮影。チコ川上流には、世界遺産のバナウェ・ライステラス があるが、そこの棚田は泥の土手で階段状に作り、石垣がない。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村ブツブツ早乙女(さおとめ) の調査の時は、傾斜地でイモの採取も行っていた。
2012年3月撮影。
コルディリェラ行政地方カリンガ州山村ブツブツのイモ掘り。
コルディリェラ行政地方カリンガ州山村ブツブツのイモ掘り。カリンガ族の入れ墨を腕に施している。
コルディリェラ行政地方カリンガ州山村ブツブツのイモの採取。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモを掘るブツブツの女性。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモを掘るブツブツの女性。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモを掘るブツブツの女性。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモを掘るブツブツの女性。年配の女性は伝統的な入れ墨をしている。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモ。 カリンガ州ティンラヤン町山村の傾斜地で栽培したイモを掘るブツブツの女性。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR))カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培したイモ。
山村のタバコ栽培 Cordillera Administrative Region
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培されているタバコ。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培されているタバコ。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町山村ブツブツの傾斜地で栽培されているタバコ。
カリンガ州ティンラヤン町の傾斜地で栽培されているタバコ。
生物多様性の利用 Shells
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州ティンラヤン町では、水田にカラス貝 (キアン)が生息していて、食用になる。田植えをしながら、手や足に触った感覚で、会を集め、水田に浮かべた桶に入れる。水田脇の水路で、体についた泥を落としたり、食器を洗ったりする。2012年3月撮影。
カリンガ州山村の棚田で田植えをしながら採集されたカラス貝 (キアン)で食用となる。このほか、養殖池では、食用淡水魚テラピアなどの養殖もおこなわれている。2012年3月撮影。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州早乙女(さおとめ) は、田植えをしながら、食用となる二枚貝(カラス貝 :キアン)を採取し、田植え をする稲束を置く洗面器に集めている。2012年3月撮影。
田植女の手にひらひらと鮒あたり (高野素十)
稲刈り・収穫 Cordillera Administrative Region
コルディリェラ行政地方カリンガ州ティンラヤン町ポブラシイオンで稲刈り。2012年8月撮影。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村ダナナオで稲刈り。2013年8月撮影。
コルディリェラ行政地方カリンガ州山村ダナナオで稲刈り。2013年8月撮影。
コルディリェラ行政地域(Cordillera Administrative Region (CAR) )カリンガ州山村で稲束運び。2013年8月撮影。
東海大学教養学部 Tokai University
フィリピン共和国ルソン島北部コルディリェラ行政地方 での、田植え作業を手伝いながらの聞き取り調査。
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◆大学での講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策I」「環境政策II」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
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『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』 (東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、再生可能エネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
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『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』 (東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編 (中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
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『学習漫画 サリバン先生』 (集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。アンの生い立ち、ヘレンケラーとのかかわりから、ノーマライゼーション提唱者としての先見性まで扱っています。
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『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』 (青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
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地球温暖化と森林ビジネス―「地球益」をめざして
土の匂いの子
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地産地消と循環的農業―スローで持続的な社会をめざして
有機農業法のビジョンと可能性 (有機農業研究年報)
◆スラム (Slum ) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。
◆開発途上国 の人口増加と都市化 の進展に伴って、スラム人口 (Slum population )人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国 1.7億人、インド 1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン 2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。
スラムの特徴として高失業率 があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマン はきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。
スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門 である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率 といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。
スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門 程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬 、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人 に成り下がるということは言えない。
◆開発途上国 のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門 において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティ を引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序 」ではない。
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)のコルディリェラ行政地方の説明
山岳管理地域(さんがくかんりちいき、Cordillera Administrative Region, CAR)またはコルディリェラ行政地域は、フィリピン北部ルソン島のコルディリェラ・セントラル地域一帯の内陸地方である。区域内にはフィリピン最高峰のプログ山(Mt. Pulog:2,929m)を含む2,000m級の山々が連なる。中心都市はバギオ(Baguio)である。「コルディリェラ」はスペイン語で「山脈」「山岳地帯」を意味し、現代スペイン語式の「コルディジェラ」という日本語表記も見られるが、フィリピンではジェイスモの影響がないためもっぱら「コルディリェラ」と発音される。
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)のカリンガ州の説明
カリンガ州 (Province of Kalinga )は、フィリピン 北部ルソン島 のコルディリェラ行政地域 (Cordillera Administrative Region, CAR )に属する州 である。北にアパヤオ州 、西にアブラ州 、南にマウンテン州 、東にカガヤン・バレー地方 のイサベラ州 、カガヤン州 と接している。1995年 2月14日 、旧カリンガ・アパヤオ州(Province of Kalinga-Apayao )が2つに分割されて誕生した。面積は3,119.7km²、人口は174,023人(2000年 )、州都はタブク (Tabuk )である。
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org)の引用
ルソン
I – イロコス地方
北イロコス | 南イロコス | ラウニオン | パンガシナン
II – カガヤン・バレー地方
バタネス | カガヤン | イサベラ | ヌエヴァ・ヴィスカヤ | キリノ
III – 中部ルソン地方
アウロラ | バターン | ブラカン | ヌエヴァ・エシハ | パンパンガ | タルラック | サンバレス
IV-A – カラバルソン地方 バタンガス | カヴィテ | ラグナ | ケソン | リサール
IV-B – ミマロパ地方
西ミンドロ | 東ミンドロ | マリンドゥク | ロンブロン | パラワン
V – ビコール地方
アルバイ | 北カマリネス | 南カマリネス | カタンドゥアネス | マスバテ | ソルソゴン
コルディリェラ行政地域
アブラ | アパヤオ | ベンゲット | イフガオ | カリンガ | マウンテン
マニラ首都圏
マニラ首都圏の行政区画
ヴィサヤ
VI – 西ヴィサヤ地方
アクラン | アンティーケ | 西ネグロス | カピス | ギマラス | イロイロ
VII – 中部ヴィサヤ地方
ボホール | セブ | 東ネグロス | シキホル
VIII – 東ヴィサヤ地方
ビリラン | 東サマル | レイテ | 北サマル | サマル | 南レイテ
ミンダナオ
IX – サンボアンガ半島地方 北サンボアンガ | 南サンボアンガ | サンボアンガ・シブガイ X – 北部ミンダナオ地方
東ミサミス | 西ミサミス | カミギン | 北ラナオ | ブキドノン
XI – ダバオ地方
コンポステラ・バレー | ダバオ | 南ダバオ | 東ダバオ
XII – ソクサージェン地方 南コタバト | コタバト | スルタン・クダラット | サランガニ
XIII – カラガ地方
北アグサン | 南アグサン | 北スリガオ | 南スリガオ | ディナガット・アイランズ ムスリム・ミンダナオ自治区 バシラン | 南ラナオ | マギンダナオ | スールー | タウイタウイ
他言語版
俳誌のsalon」2013年6月5日 に次のような秀逸な現代日本の俳句が掲載されている。
早乙女の裡の緋いろ田に零し 奈辺慶子 雨月 201209
早乙女も唄も昔や機械植ゑ 菅野蒔子 末黒野 201108
笠かぶり婆早乙女となりゐたり 滝沢伊代次 万象 200805
早乙女にまじり知事植う新種苗 今井忍 ぐろっけ 200710
早乙女の植ゑしは猫の額ほど 足利徹 ぐろっけ 200609
早乙女のピアスの眩し夕日受け 安達加寿子 苑 200608
早乙女の齢かくせぬ仕種かな 横田初美 春燈 200607
ピアスつけ早乙女赤き田植機に 鈴木愛子 ぐろっけ 200509
早乙女の一人も見えぬ田植かな 鈴木喜三郎 ぐろっけ 200209
早乙女の姿なきまま植ゑ終る 竹内紫翠 築港 200308
季語めぐり 〜俳句歳時記〜 田植(夏の季語:生活) に次のような仲夏の季語の説明がある。いずれも現代日本の主幹農業の田植えでは見られなくなったものである。
田植組・寄合田植は、協同で田植を行う数戸から数十個よりなる一組。かつての農村社会では、田植は集落ぐるみで行う作業であった。
立人 (たちうど)は、かがんで苗を植える女衆(早乙女・田植女)に対し、代かき(水を張った田の土くれを砕き均す作業)や苗打ち(田へ苗束を投げて配る作業)などの力仕事を立って行う男衆を指す。
田主(たあるじ) は、田人 (たうど:早乙女や立人など、実際に田植の作業に従事する人々)に対し、田植を監督する立場の者で、田植唄の中では訛って太郎次(たろうじ)などと呼ばれる。
田植飯(たうえめし) は、年神に供えた割木を薪にして焚いた飯を田の神と共に食べる行事であり、豊作祈願の神事である。「おなり」「おなりど」などと呼ばれる美しい装いの女性が田まで食事を運ぶ。
田植肴(たうえさかな) は、田植飯に添えた肴や海藻などの塩蔵品・乾物。
田下駄 (たげた)は、水田の泥に足が沈まないように工夫された面積の広い下駄であり、これだけで夏の季語となる。
田植布子 (たうえぬのこ)は、降雨などで肌寒い時に着る綿の入った防寒衣である。
田植布子にしめる莨や笠の中 青木月斗 「時雨」
杵築市宮司の若宮八幡社御田植祭 (県選択無形民俗文化財)は、例年どおり四月六日、中津屋地区氏子が結成する御田植祭保存会によって行われた。御田植祭は、神殿で挙げられる祝言の儀によって開幕する。新郎の種(たね)カルイ・その妻となる新婦・媒酌役のお手引きが、揃って神前に着座すると、神職が祝詞を秦上して三三九度の盃を厳かに取り交わし、偕老同穴の契りを結ぶ。
祝言の儀の後、舞台は斉田に移る。先ずモーガ(馬鍬)の行事で、牛使い・馬使いが、モーガを引かせて代掻(しろかき)を始める。奔放に暴れる牛・馬を、「ホイホイ」「ドウドウ」と懸命に制御しつつ、斎田いっぱいを掻いて回り、代掻を済ませる。やがて、種カルイが種籾を入れた叺(かます)を棒で担ぎ無言のまま登場。祭壇に叺を供えて、おもむろに退場する。
入れ代わりに田植神主が登場。祭壇の前でお祓いをした後、種籾をパラリパラリと蒔く。蒔き終えると、恭しく祝詞を秦上して退場する。次は、エブリ(柄振り)が「かように候者は当所の者にて候。本日最上吉日にて神の御田植をやろうずるにて候。某(それがし)エブリの役なれば御田を指して急ぎ候。」と口上を述べて登場。鍬を打振って斎田の均(なら)しや畦塗りの作業を済ませる。
杵築市宮司の若宮八幡社御田植祭 (県選択無形民俗文化財)続き
やがて、「苗配り子の歌」を全員で合唱し始めると、苗配り子二人は歌に合わせて祭壇前に進み、苗を積んだ寵を各自天秤棒で前後に担いで、横一列に並んだ早乙女たちの所まで運び、一人一人に苗束を配って歩く。太鼓打ちが「そもそも神主殿、吉(よ)き方に向かい、御幣を上げ声を立て。」と口上を述べ、御田植の本番となる。早乙女たちは、向かい合った音頭役と「御田植歌」を交互に歌い合いながら、いっせいに挿し苗の手を動かす。かくて歌が終る頃には、斎田は一面の青田に変わってしまう。
神事は漸くクライマックスに達し、いよいよ御子産(おこさん)の儀となる。お手引きに付添われた御腹の大きな種カルイの妻が、コビル用の握り飯を入れたハンギリ橋を頭上に捧げて登場。これを恭しく祭壇に供えての帰途、急に産気付き大仰な身振りで陣痛を訴えだしたから、さあ大変。参詣者一同笑い転げるうちに、出産と相成った。助産婦よろしく立ち働いたお手引きが、赤ん坊を抱き上げて、一同に向かい「男児出産」を知らせる。御子産の儀が終了すると、神職の修被によって斎田が清められ、御田植祭はここにめでたく幕を下ろした。
若宮八幡杜の御田植祭は、元禄の頃再興されたものだと伝えられている。豊作祈願の重要な模倣呪術、苗配り子の歌・御田植歌が、近世調以前の古い格調を持つ歌であることからみて、祭りの発祥は更に古い時代にさかのぼることが理解されよう。(引用終わり)
さおとめ【早乙女】
田植に,苗を本田に植える仕事をする女性の敬称。本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したものと考えられる。かつては田主(たあるじ)の家族の若い女性を家早乙女,内早乙女などと呼びこれにあてたらしい。相互扶助を目的とした「ゆい(結) ゆい :福田 アジオ
家々の間で労働力を交換しあって作業を相互に手伝うこと。 ユイの発音が変化してイイ,エエ,ヨイあるいはヨイコなどと各地で呼ばれる。 沖縄でユイーマールというのもユイに発した言葉である。 またテマガエ (手間替え),テマガリ (手間借り) などともいう。 ユイは複数の家が組んで,同じ人数の労働力を同じ日数だけ互いに提供しあって同じ作業を行うもので, 短期決済による労働力の等量交換に特色があり, 各家が多くの労働力を集中的に必要とする場合に採用される。 田植のユイがその代表であるが,稲刈りや脱穀など種々の農作業, 屋根ふきなどの際にも行われた。
ユイを結ぶ相手の家は,ユイが労働力の等量交換であることに対応して, 対等な社会関係にある家々に求められるのが普通である。 本家と分家,地主と小作という上下関係にある家々の間で結ばれることは少なく, 村内在住の親類や近隣の家々と行うのが一般的である。 とくに村内の親類は,その対等性により, ユイを結ぶもっとも重要な関係である。 したがって,ユイは超世代的に組織された労働組織や集団ではなく, 必要に応じて親族関係や近隣関係を基礎にして結ばれるものであり, 作業によって結ぶ範囲は異なり,また世代交替によって組む相手も変化することが多い。
ゆい(結) (続き): 福田 アジオ
ユイという言葉は古いが,その意味はしだいに変化してきた。 短期決済による労働力の等量交換の意味としてユイが確定したのは, 小農経営が日本農業の基本となった近世前期であろう。 労働力の等量交換を内容とする小農的ユイが一般化する以前は, 本家や手作地主に対し分家や名子・被官という従属農民が労働力を提供し, 奉仕することがユイの中心であったと考えられる。
平安時代の歌集《堀河院百首》に〈残り田はそ代に過ぎじ明日は只ゆひもやとはで早苗とりてむ〉 (隆源) とあり, ユイは雇うものとして歌われている。 それは本家や手作地主が分家,従属農民に労働力を提供させることを東北地方や北九州でヤトイといったことに通じるものである。 かつてはこのように,労働力の提供とそれに対するさまざまな反対給付という形で結ばれた本家末家的ユイが基本であり, それに加えて分家や従属農民が互いに結ぶ小農的ユイが併存していたといえよう。
近世になり後者のみがユイと呼ばれるようになり, 本家末家的ユイはヤトイとかスケ,テツダイと呼ばれるようになったものと考えられている。 それ以降のユイにあっては,労働力の提供に対しては同じ量の労働力で返すのが原則であるが, 家々の間で経営形態や規模に大きな相違が出てくると, 牛馬等の家畜の提供に対し,人間の働き手が行くとか, さらに労働の提供に対し物資,ときには金銭で返すユイも行われるようになった。 そして,ユイに加えて臨時雇いの労働力も出現した。 ユイと臨時雇いのヒヨウ (日傭) とは久しく併存してきたが, 田植機はじめ農機具の機械化によっていずれも急速に姿を消しつつある。 (引用終わり)
田舎の生活 > コシヒカリ農作業日誌 には、水田の生物多様性について、次のような記述がある。
田圃にはたくさんの虫が住みついています。田圃に水を張るとこういった虫があわてて土から逃げ出します。オケラなどは水面を泳いで避難します。蜘蛛は足に毛が生えているため表面張力でアメンボウのように風にのって非難します。代かきが始まると、耕運機の音を聞きつけて最初にムクドリとセグロセキセイがあわてて飛んできます。しばらくするとカラスやツバメもやってきます。避難する虫を捕らえるためです。ムクドリやセグロセキセイは浅いところを移動しながら虫を捕らえますが、ツバメは飛んだまま、普段と変わらない速度で水面スレスレに飛翔し蜘蛛などを一瞬のうちに捕らえます。ムクドリやセグロセキセイは耕運機の後をチョット内股でチョコチョコとついて回ります。。何もされないという事が分かっているようで、近くまで平気で寄ってきて、虫をくちばしいっぱいにほうばっています。
天国への階段−バナウエ・ライステラス - フィリピン政府観光省 には、次のような記述がある。
マニラから車で北上すること約9時間、ルソン島中央のコルディリェラ山脈の中央に位置するイフガオ州にバナウエはあります。2000年以上前に作られたと言われます。山岳地帯に住むイフガオ族が急傾斜を開墾して作り上げ、維持してきたライステラス(棚田)は彼らの血と汗の結晶で、人類の生命活動の厳粛さを感じさせます。その姿は「天国への階段」と称され、すべての棚田を平にのばすと、地球半周分の2万kmにも及ぶ長さになり、最高峰は2000メートルにも及びます。コルティリエラ山脈の棚田郡は、1995年世界遺産に登録されました。
バナウエの町は山間の斜面に建てられた小さな町で、中央には川が流れており、聞こえてくるせせらぎはまるで日本の温泉地にいるかのような感覚にとらわれます。 町中に点在する小さな宿も味わいがあります。Banaue View Innでは、バナウエの町と周囲の棚田を見渡せるテラスで朝食をとることができます。朝になると現れるという、真っ白な霧に包まれ、ここでしか食べられない香り高いネイティブライス(棚田の米)と淹れたてのコーヒーをいただいてみては。 Banaue View Innには、イフガオ州の民族の暮らしや歴史が学べるBanaue Museumも併設されています。棚田の歴史、イフガオ民族の織物、アクセサリー、家具などが展示してあります。
棚田は広範囲に渡り点在しているため、ジプニーをチャーターすると便利です。山道を登りながら見えるのは、急な山の斜面に建てられた家々です。細い柱で支えられた家屋の中には"Hanging House" があり、まさに崖に「ぶら下がって」いるような、見ているだけでハラハラする家です。
また、バナウエ周辺にはイフガオ民族の伝統的住居の「イフガオハット」が多く見られます。茅葺屋根の高床式の住居で、現在は倉庫として使われることが多いそうです。柱や扉に装飾が施してあることも多く、イフガオの人々の昔ながらの生活を垣間見ることができます。
バナウエの町からジプニーで約40分。棚田の中に、ぽつりと小さなバンガアン(Bangaan)の集落が見えます。山道を15分ほど歩いて下ればたどり着けます。これまで遠くに見ていた棚田のなかを実際に歩いて通れば、日本の田んぼと同じ、水田であることがわかります。収穫の時期になると、大きく垂れ下がった赤米と白米の色の違う稲穂が迎えてくれることでしょう。(引用終わり)
国際協力機構高生産性稲作技術の地域展開計画プロジェクト には、次のような記述がある。
コメはフィリピン農業において最重要作物であり国民の80%以上が主食としており、年間国民一人当りの消費量は日本を上回る。しかしながら単収は全国平均では低く、品種 改良、機械化、栽培体系の確立が強く求められてきた。 これを受けて、日本はフィリピン稲作研究所(「フィルライス」)に対し無償資金協力を実施し1991年に研究施設を完成させ、1992年から5年間のプロジェクト方式技 術協力「フィリピン稲研究所計画」を実施し、その後小規模農家向け技術の研究開発を目的として1997年8月から5年間のプロジェクト方式技術協力「高生産性稲作技術研究 計画」を実施した。これらの協力の結果からフィルライス本所の研究開発能力は飛躍的に向上した。 今後は、これらの成果を活用した技術の普及支援が課題となっていることか ら、所管する支所を活用することにより、フィルライスが開発した基礎技術の実用化を目指し、(1)農家の圃場を活用した実証試験を通じて農家に適応可能なコストに留意した 技術(低投入・知己適応型栽培体系)の開発を行なうとともに、(2)農家の現場段階で直面する問題を研究部門にフィードバックするためのシステムの構築が不可欠となっている。
JICA:イベント報告「田植え祭り」早乙女たちと一緒に田植え体験 2010年6月8日,に次のようにある。
去る5月22日(土)晴天にも恵まれ、JICA筑波において「田植え祭り」を実施しました。
最初に、日本の伝統的な早乙女の衣装に着替えたフィリピン、ラオス、ジンバブエの研修員たちが田んぼに入り、参加者の前でデモンストレーションをした後、希望者を募ってコシヒカリの苗を皆で楽しく植えました。 田植えが終わった後は、地元の「高野台和太鼓サークル」による力強い和太鼓演奏がイベントに華を添え、参加者全員で日本の伝統的音楽を堪能しました。 最後に「奉納の儀式」を行い、豊年満作を祈願し「田植え祭り」を終了しました。
『増殖する俳句歳時記』検索: 早乙女 May 081997、には次のような解説がある。
早乙女の月負へば畔細るなり 庄司圭吾
早乙女は、田植えをす乙女のこと。それ以外の意味はない。角川書店編『俳句歳時記』(旧版)に「むかしは清浄な若い女子だけが(田植えに)従事したものだろう」という馬鹿な解説がある。金持ちの田植えイベントならいざ知らず、そんなことにこだわった百姓など、一人もいるものか。田植えは必死の労働なのだ。風流のためにあるわけじゃない。若い女が多かったのは、力仕事ではないからなのだ。女子供でもできたからである。私が子供だったころには、男の子の私も当然のように動員された。一日田にいると、小学生でも腰痛になった。古来、早乙女の句のほとんどは、腹の立つほど呑気なものである。そんななかで、この句は田植えが労働であることに触れている。夜になり、もはや畔(あぜ)もそれと認められないほどに細く感じられるなかで、はつかな月光を頼りに植える女たちの必死の労働に、よく呼応している。(清水哲男)
早乙女も加賀の夜風のひとりなる) 庄司圭吾
『奥の細道』(遊行柳 元禄2年4月20日) には次のような解説がある。
田一枚植て立去る柳かな
たいちまい うえてたちさる やなぎかな
西行の「しばしこそとてたちどまりつれ」に誘われて、芭蕉もここに立ち止まったのである。その瞬間から芭蕉は西行の時間の中に居る。その夢想の時間の間に早乙女たちは一枚の田んぼを植え終えた。田を立ち去る乙女たちに同期して芭蕉一行もこの場を立ち去ったのである。当時の田んぼの一枚がどのくらいの面積か想像できないが、田植時間もそう短いものではないだろうから、早乙女達の手際のよい作業に見とれるように芭蕉一行は夢幻の時間を過ごしたのである。それは又謡曲「西行」の幽玄な時間でもあったのだろう。
この句には古来様々な解釈が施されてきた。?早乙女たちは田を一枚植えて、その場から立ち去った、という「ああ、そうですか」解釈。?早乙女たちが田を一枚植え終えたので、芭蕉らはその場から立ち去った、という「暇つぶし」の解釈。?早乙女たちが植えている田植に芭蕉たちも手伝って、一枚植え終えたので立ち去った、という「ボランティア精神」、などである。共通して言えることはこれらは全て「柳」の存在が消えてしまった解釈であるということ。
蕪村の時代 には次のような解説がある。
早乙女やつげのをぐしをさゝで来し
『伊勢物語』八十七段の古歌「芦の屋の灘の塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛もささず来にけり」を踏み、化粧するひまもない早乙女の忙しさをいう。サ行音による整調及び濁音の配置が軽快なリズム感を出す。直前の田植男、田草取一家から田植女へと逆行するのは、最後の「早乙女」に亡母の晴れの姿を偲んだものと解される。生母は丹後与謝村から摂津毛馬村へ植え女として出稼ぎにきた旅早乙女であったらしい。其角『華摘』の満百の句が「有明の月に成りけけり母の影」であったことからも、『新花つみ』夏行の最初と最後は、前後対応する母のイメージと解すべきだ。
「早乙女」 田植女の意で植え女といい、插袂(しつけ)は女の仕事である。田の神に奉仕する聖女だから、晴着に新調の単衣・手拭・襷・菅笠などを用いる(山本健吉『最新俳句歳時記』)。黄楊の小櫛も女性の嗜みとして用意されたか。「雇人のあいさつうたふ田うゑ哉」(一笑・『華摘』)、「雇はれて老なるゆひが田植かな」(几董『井華集』)。
小林一茶 「早乙女」 2013年09月24日 | 俳句、には次のようにある。 かつしかや早乙女がちの渉し舟 早乙女におぶさつて寝る小てふ哉 早乙女の尻につかへるつゝじ哉 早乙女の襷にかゝる藤の花 早乙女や箸にからまる草の花 住吉やさ乙女迄もおがまるゝ
デスクトップトラベル 子規の旅 :正岡子規の俳句を子規直筆の原稿で味わうショートタイムトリップ、には次のようにある。
明治25年
早乙女やとる手かゝる手ひまもなき
寒山落木 一 正岡子規自筆本
さをとめのあやめを抜て戻りけり
寒山落木 一 正岡子規自筆本
早をと女に夏痩のなきたうとさよ
寒山落木 一 正岡子規自筆本
早乙女の名を落しけり田草取
寒山落木 一 正岡子規自筆本 早乙女の恋するひまもなかりけり
寒山落木 一 正岡子規自筆本
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