タイ東北地方点描
Agriculture, Thiland เมืองไทย
タイ東北地方の養蚕 Sericulture:ภาคอีสาน
タイ
東北部農村 で、養蚕の盛んなチャイヤンプーン県では,家の周囲や徒歩10分程度のところに0.5?に満たない桑畑 がある。カイコは,木製の丸盆(カドゥーン)で飼育され,カイコ棚にしまわれる。丸盆は布で包み,さらにカイコ棚全体を蚊帳で覆っているが,これはアリ,寄生バチ などから被害を防ぐためである。
タイ
東北部農村 を訪問し,農家のブンソン・カイ夫妻宅に泊めていただき、付近の農家や稲作地を自転車で訪問し,聞き取り調査を続けている。ここでも蚕を飼育し,カイコ の繭から生糸をとる養蚕 が廃れ,生糸が外部購入される事のほうが多い。
タイ東北地方 に位置するチャイヤプーン県 のカイコ の繭の色は黄色。
動きが鈍くなったカイコを,渦巻き状の仕切りのある蔟(ぞく) 、すなわち繭用の大型盆に移して,繭を作らせる。
カイコ蛾 は,新聞紙の切れ端などに産卵さられ,孵化した幼虫は,稚蚕 (孵化から3齢まで),壮蚕 (4齢と5齢),繭というように3段階以上に分けられる。これは,糸繰りの都合上,カイコ繭が特定時期に集中することを避けるためである。
黄金色のカイコ蛾の繭 丁寧に集め,湿っている場合は,1日間ほど天日に干す。
最終齢末期のカイコ (熟蚕 :mature larva)は,渦巻き状の仕切りのある蔟(ぞく :タイ語でジョー)に移し,繭 をつくらせる。
孵化から繭になり糸を取り出すまで約1ヶ月かかる。ここでは、タイ原産の黄金色をしたカイコ繭 を集めている。
タイ東北地方チャイヤプーンを地図で見る
繭からの生糸つむぎ
Thai silk
丸盆1皿(1カドゥーン)の繭 は0.5キロ?で,2-3人で行う糸繰り の場合,1日当たり繭8皿分(4キロ?)の糸を繰る。繭からとれる生糸の比率,すなわち生糸量歩合 は20%程度である。つまり,丸盆1皿0.5キロ?の繭からの糸繰り で,生糸 は100?(=1キット)とれるから,現地の単位では繭1カドゥーン=生糸 1キットとなる。糸は100?当たり下級で55バーツ,上級で80バーツである。
鍋に水を入れ,薪 で熱湯を沸かす。 カイコを盆に入れ,カイコ棚で飼育してできた繭 は、鍋の熱湯に入れて,生糸を繰る。薪 を次々にくべて行くが,風向きによっては煙で目が痛くなる上に,かなり熱くなる。 ポットに繭を入れ,湯がくようにして,5個程度の繭から糸を集めて,拠り合せながら1本の生糸に繰っていく。黄色の生糸が洗面器に次々に拠られて,回るようにたまっていく。
鍋の熱の中にカイコ繭 を入れる。生糸を繰っていくが,繭の中から出てきたカイコ蛹 は,食用になる。右で、奥の叔父さんが、スプーンで浮いてきたカイコ蛹 をすくって、小皿に集めている。これが食用となるカイコ の蛹 。
タイ東北地方 に位置するチャイヤプーン県 の生糸生産。ここで,熱湯を沸かす薪を消費しているが,薪は3本1束で2.5-3.0バーツ,繭8皿当たり薪20束(約50バーツ)が費やされる。糸繰りは,カイコ飼育 以上に付加価値を高めるために,養蚕農家で繭販売をするものは少なく,養蚕農家はカイコ飼育と生糸の生産の双方を行う。 しかし,養蚕には多大の労働力が必要な反面,病虫害などによってカイコが壊滅してしまうリスク,輸入生糸 の普及という状況にあり,養蚕は衰退している。
マットミーの模様付け
Mudmee
チャイヤプーン県 (Chaiyaphum Province )のタイシルク家内手工業 。緯糸(よこいと) をマットミーの手法で模様をつける。これは,紐できつく縛り,その部分だけ染色のときに色がつかないようにする手法でインドネシアのイカットと同じ技法である。
1回の染色では,1色しか使用できないので,複数色を染めるには,複数回数,染色を繰り返す必要がある。その際,模様を付けたり,元の色を残すための方法が「マットミー 」(縛ることを意味)である。これは,緯糸(よこいと) の束を,模様に則して紐できつく縛り,紐で縛られた部分を保護することで,元の色を残す。つまり,再び別の色で染色しても,縛った部分は元の色彩が残り,染色を繰り返す毎に色彩が増え,模様も複雑になる。
「マットミー 」で緯糸を縛って模様をつける。縛った部分は,染色しても色がつかないので,模様として残る。
「マットミー 」は,主に女性の仕事で,同一模様1束分仕上げるのに6-7時間かかる。賃金は80バーツで,家事をふまえれば,主婦が「マットミー 」1束を終えるには,1日半はかかる。 家内工業 のマットミーに必要な資本は,持ち運びできる緯糸掛機とビニール紐(3バーツ),紐を切るカミソリで,作業は座るスペースがあればどこでも可能な作業である。そのために,近隣の友人,親類などとともに,集まって談話しながら作業する女性が多い。タイのマットミーは、インドネシアの「イカット 」と同様の模様染色方法である。
緯糸かけ作業 Chaiyaphum Province
タイ東北地方 に位置するチャイヤプーン県 のタイシルクの緯糸(よこいと) かけの作業。 マットミーで模様を入れた緯糸を機織にかけるロット(チャイヤプーン県 のタイシルクのボビン )に巻き取る。経糸は機械回転式で巻くが、緯糸は生糸も短く小さいので手動式。 経糸を,電動回転式の糸かけで回数を数えながら,慎重に巻く(この作業は緯糸だけ)。手動の機械も僅かに残っているが,ほとんど使うことはない。 緯糸は,購入した場合は,初めに揚枠に巻き取る。それから,それから電動あるいは手動回転式撚掛け機を使用して,撚りをかけるのである。これは緯糸1束当たり30分かかり,賃金は15バーツである。
タイNSO(国家統計局) の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,家内工業 の分布を地域別にみると,東北地方は繊維家内工業世帯の67.5?,全家内工業世帯の45.0%が集中している。換言すれば,貧困地域の東北部は,実は繊維を中心とした家内工業の盛んな地域である。
タイNSO(国家統計局)の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,産業別の月収は,雇用機会の豊富な農業は低賃金であり,高賃金の運輸・通信などの農外雇用機会は乏しく,特に女性は無償家族労働を提供するジェンダー不平等の状況に置かれている。製造業の日雇い労働者の賃金(日当)は,全国平均で158バーツ,バンコクの機械189バーツ,東北部の繊維140バーツと地域格差も大きい。
電動回転式の糸かけ。反物の生地に使用する生糸には,地元カイコ産の黄色い生糸よりも,中国産らしい白色の生糸を購入するほうがおおくなった。
タイNSO(国家統計局)の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,タイでは,地域間あるいは都市・地方間の所得格差が大きい。賃金が最も低い産業は,地方の農業賃金であり,月収は,男性4835バーツ (約190?,1バーツ=25ドル),女性2730バーツ(110?)に過ぎない。
タイNSO(国家統計局)の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,地方の男性1379万人については,個人経営体501万人(39.9%),民間雇用513万人(37.2%)が,地方の女性375万人については,家族無償労働 374万人(37.7%),民間雇用310万人(31.1%)が主な雇用形態である。つまり,地方の雇用機会は,農業労働者を雇用する農家,小規模製造業の民間雇用,個人経営体として営まれ,後二者は日雇いや家内工業の雇用と結びついていると推測できる。
電動回転式の糸かけ。
タイの家内工業1世帯当たりの平均年収は,全部門平均で8万5000バーツ であるが,部門別に見てみると機械や非鉄金属 は20万バーツを超え,繊維は5万3000バーツ,木材は1万5000バーツと部門間の所得格差が大きい。また,東北部の世帯当たり年収は,大半の分野で全国平均をかなり下回っており,繊維の年収(2万2000バーツ)も全国平均の41%に過ぎない。
ブンソン・カイ夫妻の家内工業
home industry
チャイヤプーン県の農家 でブンソンの妻カイさんが経糸(たていと)を木枠にかける前に、ビール瓶に糸を掛けているところ。 反物生産は,機織(はたおり) が連想されがちだが、これは最終工程。それ以前に,経糸(たていと),緯糸(よこいと)を別々につくり,糸に模様をつけ,よじれをとり,機に糸をすえつけ,製織 の準備をする。
東北地方 に位置するチャイヤプーン県の農村 で,製織 前の経糸かけの準備をするカイ婦人。
タイの農村 。
1998年以来,毎年のようにタイ東北部 の家内工業も営む農家ブンソン・カイ夫妻宅に宿泊させていただき,付近の農家や農地を自転車でまわり,聞き取り・実測調査 をしている。
経糸は,糸束を一端解いて捩れを取り除き,再び織機にかける長さに調整し,糸を束ねる。織機にかける糸の幅と糸の本数は決まっており,47-51本の糸を所定の長さで撚掛け機 に巻く。経糸の撚掛け には,8畳ほどの室内空間が必要で,生糸1キロ?(36ヤード 相当)を仕上げるのに7-9時間かかる。経糸撚掛け の賃金は140バーツである。
タイ東北地方 に位置するチャイヤプーン県 のシルク反物生産。 経糸は,糸束を一端解いて捩れを取り除き,再び織機にかける長さに調整し,糸を束ねる。緯糸は,購入した場合は,初めに揚枠 に巻き取る。それから,それから電動あるいは手動回転式撚掛け機 を使用して,撚りをかけるのである。これは緯糸1束当たり30分かかり,賃金は15バーツである
ブンソンさんの婦人のカイさんが経糸(たていと)を木枠にかける前に、ビール瓶に糸を掛けている。
生糸は,緯糸の場合は,地元の養蚕農家の生産した糸を用いることもあるが,その比率はチャイヤンプーン県の調査地A村では10%に満たず,郊外のB村を概観しても,地元の生糸利用率は20%に満たない。
経糸を機織機 に掛ける準備をするブンソンさん。タイ東北部チャヤプーン県の調査には,いつも泊めていただいている農家だが,シルク反物作りの糸掛工程が主業。
経糸,そして緯生の多くは,生糸販売業者が週に1回程度,小型トラック(ソンテウ )で村を巡回してくる時,多数の個人経営体が5-20キロ?の生糸を購入している。特に,染色業者や村内仲買人は,1回に100-200キロ?の生糸を購入する。生糸は1キロ?当たり1400-1500バーツであり,輸入生糸の国際取引価格(1999年1172バーツ)を若干上回る程度である。
購入した生糸を反物用の経糸として準備し終わった。整え終わった経糸を束ねて、依頼主の農家に持ってゆく。そこから、別の製織を営む農家に機織りが依頼される。経糸にはマットミー をしない。
生糸の染色
Dyeing
緯糸は1回1色の染色につき,緯糸であれば2-3束分をまとめて染色する。染色 は,水を入れた桶に染料(15-30ーツ)を混ぜ,ガラス瓶 で圧迫し,沸騰した熱湯を入れた鍋に45分間吊るしながら浸す。染色が終わった後は,大量の水を使って洗浄し,電動脱水機(2槽式洗濯機 の脱水機)で脱水し,竹棒に干す。
その後,マットミーを行い,別の色に染めるが,色が濃い時には脱色剤を混ぜ,鍋に入れた熱湯に浸して脱色する。すると,紐で縛られた部分には元の色が残り,他の部分は白い生糸の色になる。このように,1束の緯糸の染色・脱色には,熱湯を沸かすために薪2束が必要になるが,色彩の数だけ染色を繰り返す。他方,緯糸でも無地であれば染色は1回で済む。
染色 ,糸への模様付けには,木の皮・幹,木の実などを使用した天然染料 も僅かに使用されているが,色彩多さ,染色の容易さから粉末の人工染料 が普及している。
染色 作業。人工染料 で生糸を染色する。初めにガラス瓶 で強く押しながら,人工染料 を溶かした水で染める。次に,大きな鍋の熱湯に染料を溶かして,生糸を浸しながら染める。有害な廃液は,庭や排水路に捨てる。
染色 作業。熱湯に溶かして,そこに生糸束を浸して染色する。生糸はセリシンによって,固まっているが,煮沸しながら染色するとセリシンが解け,糸がしなやかになる。これが精錬という工程である。
作業段取りの元締め農家
coodinator
染め上がった緯糸お水で洗うポパンさん。染色 を行う家だが、タイシルク反物を委託生産する元締めもしている。
染色した生糸(緯糸)を干すポパンさん。このように染色を行う家が機織やマットミーを委託する作業段取りの元締めになることが多い。
タイシルク反物生産の家内工業 の段取りを管理をする農家ポパンさん。機織り 世帯が糸を買い取って,反物を織り上げた場合は,村内の小売店に個別に販売したり,行商人に頼んで,バンコク の商店に販売したりする。また,まれに家族・親類の晴れ着の仕立てに使用されることもある。
タイシルク反物生産の段取りを管理をする農家ポパンさんが、マットミーの終わった生糸緯糸を洗浄する。
タイシルク反物生産の段取りを管理をする農家ポパンさんが、洗浄した生糸緯糸(マットミーを施し終わったもの)を天日乾燥させる。
タイシルク反物生産の段取りを管理をする農家ポパンさん宅には、マットミー委託に出す生糸緯糸の束があった。
村内の女性のうち,タイシルクの晴れ着を所有しているのは,旧暦新年祝賀式の参列状況からみて,機織り 世帯,染色業者,仲買人や結婚適齢期の女性などを中心に,18歳以上の村内女性人口の50%程度と推測できる。つまり,自分や家族を着飾るため生産ではなく,第一義的には現金収入を目的としたタイシルク生産であり,地方における農外雇用機会として位置付けられる。
整経作業
preparation
整経(セイケイ) とは,長い経糸のよじれを直す作業。機(はた)に経糸をすえつける前に行う。
整経(セイケイ)作業。緯糸はマットミーで模様をつけるが,経糸は整経(セイケイ) 作業によって、糸のよじれをとる。機(はた)に経糸をすえつける前に,必ず糸の捩れを治す作業をする。
整経(セイケイ) を終えて,板に巻かれた経糸は,織機の綜絖(そうこう)(串状の糸の仕切り)に1本ずつ通される。整経(セイケイ)作業とは、経糸がよじれているので、その捩れた糸をぴんと張ってまっすぐに伸ばす作業のこと。
経糸は単色に染めてから,織機にかける準備をする。これが,糸を長さ30?以上の直線に張って,捩れのない糸にする整経(セイケイ) という作業である。
整経(セイケイ)する経糸は,機織機の綜絖 (ソウコウ)がついている。
2人がかりで糸張りを繰り返して,2ヤード相当の経糸を張り終わると板に糸を巻き取る。
綜絖の経糸通し
Dyeing
機織機の織機の綜絖 (そうこう)に縦糸を通す作業。丸一日にかかるが1セットで150バーツの収入となる。
綜絖(そうこう)には,既に古い経糸が通っており,古い糸と新しい糸を,米粉を溶いたデンプン糊で糸を撚って繋ぐのである。経糸は数千本あり,丸1日かかる根気のいる作業で,賃金は100バーツである。この糸通し1回で36ヤード(反物9枚分相当)の経糸が準備できるから,反物の種類が変わるごとに綜絖 (そうこう)への糸通しを行うわけではない。緯糸は,織機にかけるためにボビン (ロット)に巻く必要がある。作業は,糸を解いて,糸車を使用して手動でボビンに糸を巻いていく。整経,ボビンへの糸巻き作業は簡単であり,製織を担当する世帯が自ら,あるいは家族無償労働を利用して行う。
機織り
Weaving
木製の機織機 でシルク反物を織っている。綜絖 (そうこう)は複雑な模様を織るため,3枚あり,足の棒も3本ある「サンサコー」。 木製あるいは金属パイプ製の足踏み式織機 (キー)によって,手と足を使って反物を織る。機織り方法には2種類ある。これは緯糸をたて糸に互い違いに通す時に,たて糸の動かし方が2本の足踏みで上下2種の一般的な「2サコー」と,3本の足踏みで上下3種の特殊な「3サコー」とがある。3サコーの織機 は、複雑な模様を織り上げることができるが,織機の10?前後で僅かである。緯糸を巻いたボビンを杼(ひ)(カスウェイ)に取り付け,これを織機のたて糸の間に杼口から通し,綜絖を前後させつつ反物を織る。
木製機織機 の後ろのセラミックの大きな甕(カメ)は,屋根に降った雨水を貯めるタンク。飲料用。 織り込むときの緯糸は,色彩,模様によって杼に付けたボビンを変える。模様を織り込むときは,僅かな糸のずれで模様が変形するから,複雑・多彩な模様を手早く織るには,熟練を要する。無地の反物であれば,6時間で10-15センチ?,模様のある反物では5-8センチ?織ることができる。反物1本は2ヤードで,半分は無地,半分は模様付きが一般的で,反物1本で上下(スカートと上着)1着ずつできる。2サコーの機織り賃金は,1ヤードで100バーツ,反物1本では200バーツに,3サコーの機織りは,1ヤード分150バーツ,反物1本300バーツである。
金属の機織機 で織っている。村でも三分の一はこのような金属製の機織機 になった。金属製の機織機は,地元の金属工場で製作される。
模様描き作業
Draw and painting
2002年8月からは、手間がかかる伝統的なマットミー の手法ではなく、手書きで模様を描く反物も生産され始めた。
手書きで完成した反物に模様を描く伝統はなかった。しかし、需要にあった新しいタイシルク反物も生産されている。
手書きは反物1枚当たり15バーツ の賃金で、模様は下書きを見ずにその場で描いている。
模様は、色筆塗りと液状ペーストを塗るものの2種類がある。
模様は、色筆塗りと液状ペーストを塗るものの2種類がある。
人口染料を使って、タイシルク反物に模様を描く。マットミーより簡便だが、現代人好みのデザインになるようだ。
完成したタイシルクの反物を干して乾燥させる。これはマットミーを使わない手書きの模様を描いた反物。
完成したタイシルク反物
Silk Cloth
乾してあるシルク反物。 反物は、縦糸と横糸を全て買い取っていたのであれば機織りに従事する個人経営体のものであり,村内の卸商や商店に販売する。予め,機織りの作業のみを委託されている場合は,委託した個人経営体から作業料の支払いを受け,完成した反物は発注者に引き渡す。委託は染色業を営む個人経営体が発注する場合が多い。
つまり,注文生産の場合は,染色業者を兼ねる仲買人など,注文主が全て引き取る。村内の仲買人の買い取り価格は,800-850バーツ である。他方,経糸掛けから染色まで,反物1本相当の費用を計算すると,経糸代63バーツ,緯糸代94バーツ,経糸掛け9バーツ,綜絖通し7バーツ,緯糸より(4束)60バーツ,マットミー(2束)160バーツ,経糸染色15バーツ,緯糸染色(4束)75バーツ,製織200バーツで,合計683バーツかかるが,この他,糸の運搬,撚掛機と脱水機の電気代,撚掛機・脱水機・織機の減価償却など合計100バーツ 程度を加えるとタイシルク反物1本(2サコー)の原価は785バーツと推計できる。つまり,村内仲買人の買い取り価格は,原価とほぼ等しい。
大学
University
◆地域コミュニティ における家内工業ネットワークの形成
タイは,工業化 によって,製造業部門の生産額・雇用は伸長し,農業投入財の増加やアグルビジネスの興隆を通じて農業の土地生産性も高まった。そして,直接投資の受け入れ,輸出の拡大も作用して,アジアにおいても中国と並んで高い経済成長率も記録したのである。しかし,工業化 は都市の雇用増加に寄与した反面,地方の雇用の多くは労働生産性の低い農業に従事しており,都市・地方間の所得格差は大きく,貧困問題が残っている。したがって,地方の貧困解消は,今後のタイの課題であるが,このためには,従来二つの開発戦略が提示されてきた。 一つには,地方を対象にしたインフラ整備,工業化を進めることであり,実際,タイ政府も積極的に外資を地方へ誘致しようとしている。もう一つは,農業投入財の増加,灌漑整備,農産物加工など農業開発をいっそう進め,農産物と農業関連製品の輸出拡大を図ることであり,これはアグリビジネスによる国際市場を指向した新興農業関連輸出国への転換の動きである。つまり,地方とその農業は,貧困解消,生産性向上の対象であり,積極的な評価を受けることは少なかった。しかし,タイの地方人口が多いことは,農業の雇用吸収力が大きいことの反映でもあり,その雇用メカニズムの解明が求められる。また,地方の雇用機会は,農業が中心となろうが,農外雇用機会についても検討される必要がある。農業投入財の投下水準は,先進工業国に匹敵する水準に近づいており,熱帯林の減少など耕地拡大の制約が強まっていることをふまえれば,地方の貧困解消は,農業の枠内だけでは解決でないからである。
タイでは,地域格差はあるが,非農業部門に従事する個人経営体が少なくないこと,地方の個人経営体が従事する製造業は,主に家内工業であり,農業と兼業されている。たとえば,農外雇用機会として,養蚕,タイシルク生産が地域コミュニティにおける分業システムによって雇用吸収を行っているのである。農家と同様,家内工業に従事する個人経営体は,地域コミュニティのメンバーへの雇用機会の分与,すなわちワーク・シェアリングを行い,地方の雇用機会の創出,所得安定化に寄与しているといえる。
詳しくは,タイの家内工業とワーク・シェアリング :
東北部の地域コミュニティにおけるタイシルク生産を中心に 『東海大学紀要. 教養学部』第32輯 ,67-94頁,2001年3月30日を参照。
1. 養蚕・生糸生産
タイの貧困地域である東北部は,繊維家内工業の中心地であり,世界的に有名なタイシルク生産が行われている。シルク生産の工程は,?養蚕(カイコ飼育,繭生産),?糸繰(いとく)り(繭から糸を繰る),?撚掛(よりか)け(糸を撚(よ)る),?染色(模様付けを含む)・精錬(繊維をしなやかにする),?糸準備(経糸(たていと)を1本ずつ分離する整経(せいけい)と緯糸(よこいと)をボビンに巻く糸巻き),?製織(機織り),?流通,と続き,多数の家計をへて生産される。
チャイヤンプーン県で養蚕の盛んなこの村では,家の周囲や徒歩10分程度のところに0.5?に満たない桑畑がある。カイコは,木製の丸盆(カドゥーン)で飼育され,カイコ棚にしまわれる。丸盆は布で包み,さらにカイコ棚全体を蚊帳で覆っているが,これはアリ,寄生バチなどから被害を防ぐためである。カイコ蛾は,新聞紙の切れ端などに産卵さられ,孵化した幼虫は,稚蚕(孵化から3齢まで),壮蚕(4齢と5齢),繭というように3段階以上に分けられる。これは,糸繰りの都合上,カイコ繭が特定時期に集中することを避けるためである。最終齢末期のカイコ(熟蚕)は,渦巻き状の仕切りのある蔟(ぞく)(ジョー)に移し,繭をつくらせる。孵化から繭になり糸を取り出すまで約1ヶ月かかる。
繭から生糸を取り出す糸繰りは次のような工程である。まず,繭を大型丸盆から拾い集め,カイコを飼育するときに使用した丸盆に移す。そして,天日に2-3日晒して,熱射によって蛹を殺す。繭は,熱湯の入った鍋 (モオ)に入れて煮沸し,繊維を固めているセリシンを軟化させる。水面に浮かぶ繭から,二股に割れた鉄の棒(メイフープ)で,糸口を解き,3-4本ほど引っ掛け,鍋の上にある滑車にかける。滑車の手前には小穴のあいた木板があり,そこで複数の糸が1本の生糸に繰られていき,滑車を通して揚枠 (あげわく)(四角の糸車)に巻き取る。出来上がった生糸は,タイ在来種では天然の黄色であり,蛹は甘く食用になり,近隣の世帯が購入にやってくる。
丸盆1皿(1カドゥーン)の繭は0.5キロ?で,2-3人で行う糸繰りの場合,1日当たり繭8皿分(4キロ?)の糸を繰る。繭からとれる生糸の比率,すなわち生糸量歩合は20%程度である。つまり,丸盆1皿0.5キロ?の繭から,生糸は100?(=1キット)とれるから,現地の単位では繭1カドゥーン=生糸1キットとなる。糸は100?当たり下級で55バーツ,上級で80バーツである。ここで,熱湯を沸かす薪を消費しているが,薪は3本1束で2.5-3.0バーツ,繭8皿当たり薪20束(約50バーツ)が費やされる。糸繰りは,カイコ飼育以上に付加価値を高めるために,養蚕農家で繭販売をするものは少なく,養蚕農家はカイコ飼育と生糸の生産の双方を行う。しかし,養蚕には多大の労働力が必要な反面,病虫害などによってカイコが壊滅してしまうリスク,輸入生糸の普及という状況にあり,養蚕は衰退している。
実際,タイの繭輸出は1990年代には年4-45?と僅かであり,屑糸などの絹屑の輸出と合わせても1996年以降は年3000?未満に過ぎない。他方,1994-1997年の繭・絹屑の輸入量は年1178-1364?,1998年以降は2000?前後と輸出量の7倍に達しており,輸入超過が続いている。タイ国内の繭・絹屑の生産量は不明である。しかし,タイの繭輸出は村落数ヶ所の生産量と同程度で,絹屑も含めても輸出は僅かである。他方,繭・絹屑輸入は村落数百ヵ所の繭生産量に匹敵する。
繭・絹屑を輸入に頼る背景は,輸入繭・絹屑が国産品よりも安価なことに求められる。1キロ?当たりの繭の輸出価格は,1994-1996年は219-294バーツで,1998年には574バーツに上昇し,絹屑もほぼ同額である。1999年の繭輸出量は微小なため農業センサスにも記載されていない。他方,繭・絹屑の輸入価格は,1994-1996年100-125バーツ,1999年164バーツと輸出価格の50%未満に過ぎない。つまり,輸入価格が安価な状況では,タイシルク生産に使用する繭もますます外国産に依存する。在来種の品質の高さと本物のタイシルクというブランドが確立できれば,在来種カイコへの需要が高まるが,染色技法の高まりによって,生糸の品質の差は重視されなくなった。また,消費者・顧客も輸入生糸と在来種の生糸とを識別することは困難である。したがって,養蚕農家を維持・拡大することによって,地方の雇用と所得を確保することは困難な状況にあるといえる。
全国規模で見てみると,1994-1999年でタイの生糸輸出量は年426-654?,輸入量は年143-458?で,若干の出超で,1998年には輸出246?,輸入143?にまで落ち込んだものの,1999年に貿易は盛り返した。1994-1996年で糸の輸出価格は,1キロ?当たり442-981バーツ,輸入価格は617-985バーツで,内外価格差は僅かである。しかし,1997年,1999年は明らかに輸出価格を輸入価格が大きく下回っている。つまり,生糸の内外価格は輸入価格の下落により大きくなったが,輸出入量はほぼ均衡しており,安価な外国産生糸と高価なタイ国産生糸という製品差別化が進んでいる。
2 販売・流通
村内仲買人の商店には,タイ人観光客も立ち寄るが,顧客の中心はバンコクなどからやってくる商人で,国内外を市場として販売される。実際,1998年までは,絹織物は輸出が輸入を遥かに上回り,1994-1998年は,織物の輸出量は年154-205?,輸入量は年21-38?である。貿易は,輸出額は3.8億-5.6億バーツ,輸入額は3000-4000万バーツであり,輸出量は減少しているが,輸出額は増加傾向にある。つまり,輸出価格が上昇している。実際,絹織物1キロ?当たりの輸出価格は1994-1996年の2200バーツから1998-1999年の3500バーツに上昇した一方,輸入価格は1994年の806バーツから1997年の17180バーツと上昇した後,1999年には191バーツに暴落している。つまり,外国産の絹織物は,安価であり,タイ国産品とは異なった質のシルクである。換言すれば,輸出されるタイシルク製品は加工度が高い,ブランド化しているといった理由から付加価値が高く,高級感をもたれていることが窺われる。したがって,地方の個人経営体が担っているタイシルク生産は,高度な労働集約的技術で製品化されており,地域コミュニティでのワーク・シェアリングが農外雇用機会を提供するだけではなく,輸出による外貨獲得,タイの国威発揚に貢献している。
◆家内工業のネットワーク
1 個人経営体による柔軟型分業システム
シルク生産のための生産要素は,養蚕にあっては桑,カイコ棚,糸繰用の鍋,熱湯,薪,糸繰り・糸巻きでは手動の糸巻き機,経糸掛けでは経糸掛けの木製枠組み,染色では染料,鍋,薪,洗浄用の水,干場,緯糸への模様付けでは,木枠とビニール紐,機織りでは織機である。つまり,労働が付加価値を高める重要な要素になっているが,これは対シルク生産が高度な技術(技能)を要するためであろう。そこで,技能をいかにして習得するか問題であるが,地域コミュニティにおける家内工業の場合,技能は隣人,親族間で伝承される。そこで,資本,資金,技術の制約が小さいシルク生産は,技能実習をインフォーマルに実施しているとみなすことができる。地域コミュニティの家内工業が,女性を含む貧困者にも高度な労働集約的技術が習得可能である。
ここで,参入障壁が低い場合,一経営体が全ての生産工程を統合し,一貫生産を行うことも容易である。そうすれば,付加価値は高まり,所得も向上する。しかし,シルクの反物はぜいたく品であり,需要も景気の影響を受けやすい。シルク生産の多数の工程を一経営体に統合する大規模一貫生産システムは,需要が減退したり,注文が他の経営体にシフトしたりした場合,仕事を全て失うリスクがある。また,経営規模が拡大し,供給能力が高まれば,地域コミュニティ内でも過当競争に陥るリスクもある。
しかし,個人経営体の分業システムは,不況であっても僅かずつではあっても,地域コミュニティの多数のメンバーがシルク生産にかかわりをもつことができ,農外雇用機会と所得を獲得することに結びつく。さらに,地域コミュニティ内の分業システムは,家内工業のネットワークを基盤とした緩やかな取引関係によっているから,景気の変動に対しても,柔軟に対応できる。実際,1998年の初めての調査時には,製織のみ担っていた世帯でも,2001年の調査の時には,染色から製織までを実施していた。2001年には,全体としての絹織物の需要が小さくなったが,個人経営体としては,シルク生産以外の雇用機会に付くことは難しい。そこで,一連の工程への発注が減少しても,一経営体で絹織物を生産する世帯も生まれている。これは,絹織物の販売の見込みが現時点では低くとも,景気回復後の需要増加を見込んで在庫として保管できるからであろう。つまり,需要の変動に対処するかたちで,地域コミュニティにおける家内工業のワーク・シェアリングが行われる。
2 経済危機とリスク回避
「1999年家内工業サーベイ」によれば,債務を負っていない繊維家内工業世帯は,全国でも東北部でも84?であり,債務を負っている場合でも,その借用先は50?以上が両親・家族・友人などインフォーマル金融からで,銀行・BAAC(農業・農業共同組合銀行)という金融機関は30?程度である。このインフォーマル金融は,血縁,地縁,交友関係を機軸としているために,借入金の70?以上が無利子の優遇を受けていることが特徴である。
他方,全国レベルの資金調達を見てみると,外国の金融機関からタイへの長期・短期の銀行貸し付けや債権貸し付けが順次拡大し,タイの対外債務依存度は,対GNP比でみて,1990年の6.3?から1999年の13.6?へと上昇し,インドネシアと並ぶ高い水準となった。つまり,地方の家内工業に対して,政府や優良企業には,フォーマルな内外の資金市場が開かれている。しかし,株価・為替レート・金利は期待の影響を受けやすいため,対外債務依存が高いと金融不安を招きやすい。実際,1998年のバーツ暴落は,対外債務への依存が高い状況下で,タイを経済危機に追い込んだ。したがって,資金の流れの上からも,地域格差,業種格差が存在する。
1998-1999年のタイの経済危機が家内工業に及ぼした影響を,同じく「1999年家内工業サーベイ」からみると,部門ごとに大きな格差がある。例えば,「操業短縮」との回答は,化学・ゴムで86.0?,機械で79.3?に対して,木材44.6?,食料51.9?,繊維54.9?である。他方,「経済危機の影響なし」との回答は,化学・ゴム13.5?,機械で18.7?に対して,木材54.6?,食料45.8?,繊維42.5?であるから,労働集約的な軽工業への経済危機の悪影響は相対的に小さい。また,東北部の繊維については,操業短縮50.9?,影響なし46.3?とやはり経済危機の悪影響は重化学と比して小さい。しかし,経済危機による影響は,債務の有無によっても異なる。東北部では,操業短縮と回答した世帯は,債務のない世帯で50.3?,債務のある世帯で83.3?と債務がある場合に悪影響が大きい。
したがって,アジア通貨危機を契機にした経済危機によって,タイ国内でも工業化戦略や地域格差の見直しが図られたが,この悪影響は,地方の家内工業にも及んでいた。繊維の場合,他部門よりは小さくとも,多くの個人経営体で何らかの対応を迫られたことは疑いない。例えば,調査したA村では,シルク反物の発注減少から,多数の個人経営体で仕事量が少なくなったと報告された。しかし,零細な家内工業の場合,雇用労働者はほとんどなく,固定費用も少ないために,柔軟な対応が可能である。つまり,製織を営む個人経営体の中には,村内仲買人からの発注が途絶えた時に,自ら染色,糸準備を行い,細々とシルク反物の生産を続けている。好況の時には,地域コミュニティ内の分業の一環として,製織のみに従事していても,不況に際して,生産工程の前方統合を行い,一貫生産に踏み切ったのである。もちろん,仲買人からの発注が減少した以上,生産した反物の買い手が決まっているわけではない。 しかし,反物生産は生糸段階から1ヶ月を要するのであって,需要回復,注文再開に迅速に対応することは容易ではない。また,反物は高価ではあるが,在庫のための保管倉庫は必要なく,畳んで衣装棚に収納すれば事足りる。 したがって,製織世帯が,染色,糸巻きを行い,在庫積み増しを覚悟で生産を続けることで,地域コミュニティにおける農外雇用機会が,部分的には維持されることになる。需要の変動に対して,このような生産工程統合や発注者の変更という柔軟な対応がなされ,それによって分業が地域コミュニティで維持される。地域コミュニティの分業システムは,資本・資金の制約の小さな家内工業のネットワークを基盤としているために,景気に対応して,分業から統合への転換,生産ラインの変更も容易である。つまり,シルク生産を担う地域コミュニティでは,家内工業をネットワーク化した柔軟型分業システムを構成しているといえる。
しかし,部分的統合によるシルク生産の場合でも,大規模な生産のための一貫生産システムとは異なる。生産の一部,例えば経糸・緯糸掛けは,他の個人経営体に発注し,製織には家族労働を利用するだけで,機織り職人を雇用することはない。企業の一貫生産システムとは異なって,地域コミュニティで分業されていた工程の一部を統合しただけである。実際,社会保障制度が整っておらず,安定した農外雇用機会に就業することが困難な地方の住民にとって,シルク生産の一工程を委託されることは,現金収入を得る貴重な機会である。特に,ジェンダーによる差別が強い地方では,マットミー(模様付け),機織りなどは,女性が多数を占める数少ない農外雇用機会である。 したがって,好景気の場合は,農外雇用機会を多数のメンバー分け,雇用機会を平準化し,不況の場合には,過当競争に陥らないように,少なくなった仕事を分け合ったり,生産工程を前方統合したりする。つまり,需要が多い場合に,仕事の一部を他の個人経営体に分与し,過当競争を抑制し,所得増加が僅かにとどまってしまうことを甘受する反面,需要の少ない不況の時でも,新たな発注者が現れて,他の個人経営体へ個人経営体との過当競争を招くような大規模な統合はしない。最悪の事態を回避すること優先する「マキシミン原理」は,タイシルク生産を担う地域コミュニティにおいて,家内工業による柔軟型分業システムを形成し,ワーク・シェアリングを発達させたと考えられる。
3 ワーク・シェアリング の利益 タイシルク生産の場合も,地域コミュニティ個人経営体全体への需要は個々の農家の収穫よりも安定しており,その不確実性に「大数の法則」が成立すれば,個人経営体が相互に雇用機会を分与し合うワーク・シェアリングによって,毎年の所得の変動は小さくなる。ワーク・シェアリングは,貧困者に所得を無償分与するよりは労働力の有効活用につながるうえに,需要変動のリスクを軽減できる。ここで,課税や生活保護手当の支給等による社会保障と同じく事後的な所得再分配によっても,リスクは小さくなるが,タイの地方では,公務員以外は社会保障の給付を望みえず,地域コミュニティが再分配政策を実施するには権力の正統性がないため困難である。また,所得再分配が実施されるのであれば,他の個人経営体の所得を当てにしてしまう。このように事後救済がとられることを見越して怠惰になる傾向,すなわちモラル・ハザードのために,事後的な所得再分配は労働インセンティブを低下させてしまう。
事後的な所得再分配とは対照的に,ワーク・シェアリングは,報酬を伴う雇用によって労働インセンティブを維持し,モラル・ハザードを抑制している。また,無制限な参入,生産拡大が許されれば,ローカル市場は過当競争に陥ってしまう。そこで,地域コミュニティでは,ワーク・シェアリングを基盤にしてメンバーの利益に配慮した生産調整,過当競争抑制が行われ,長期的な雇用と所得の安定を確保しようとしているのである。つまり,所得安定化,生活保障の利益が生まれるといえよう。したがって,地域コミュニティでは,メンバーが相互に情報を共有することで,信頼関係が確立され,低い取引費用でワーク・シェアリングが実施し,地方の雇用機会を確保しているといえる。
結論
タイでは工業化は大いに進展してきたが,直接投資による工業化は中間財・資本財を投資国企業や第三国の外資系現地法人に頼っているため,非外資系法人,輸出加工区以外への連関効果が弱い。つまり,工業化は所得向上,都市への雇用吸収など多くの成果をあげた一方で,地方の雇用機会の拡大,所得分配の平等化については,大きな効果をもちえなかった。
ここで,タイにおける地域格差是正のためには,農業開発とともに,農外雇用機会を地方にも拡充するような工業化,それを支えるインフラ整備が提唱されてきた。実際,投資委員会でも,地方における事業所の立地には,税制インセンティブを強化し,外資への地方誘致を図っている。これは,工場や建設現場の労働者の雇用増加につながり,地方の雇用を増加することにつながる。しかし,地元の中小企業・個人経営体に雇われている民間雇用,無償家族労働の提供者にとっては,工業化戦略の連関効果は小さい。また,繊維,木材,食料などの家内工業に従事する個人経営体にとっても,このような工業化戦略は,雇用,生産の両面で大きな効果をもちえない。大企業に資本,資金を費やしても,個人経営体に対する資本形成,経営ノウハウの蓄積,職業訓練,技術開発に結びつかず,供給能力を向上させることがないからである。しかし,地方の個人経営体は繊維,食料,木材など家内工業を通じて農外雇用機会を地域コミュニティに提供している。
さらに,タイでは,対外債務に依存した資金調達も行ってきたが,金融不安から再投資や第三国投資が困難になった。そこで,IMFが主導する構造調整融資を契機に,雇用安定,貧困解消などソーシャル・セイフティーネットへの関心が内外で高まった。つまり,外資・外需,対外債務への過度の依存を脱却して,資本市場を安定化させ,中間所得層を育成することによって,国内貯蓄と税収基盤の強化を図りつつ,地方の貧困解消,所得分配の平等化を進めることが求められる。
他方,タイの都市化率は,他のアジア諸国と比較して低く,地方人口が多い。これは,農家や家内工業に従事する個人経営体の雇用吸収力が旺盛なことを示している。農外雇用機会を提供する個人経営体については,家内工業のネットワークを基盤としたワーク・シェアリングが行われている。そこで,草の根の開発として,地域コミュニティにおける個人経営体の自助努力を活かし,農外雇用機会,家内工業を拡充することを検討すべきであろう。この意味で,タイシルク生産は,女性・老人の雇用拡大にも結びつくなど地方への連関効果は大きいと考えられる。
ところで,地域格差の是正,所得分配の平等化など多様なニーズに応じるには,権威主義的な政府が開発を主導する開発独裁は不適切である。国民のニーズが画一的であれば,迅速な判断によって工業化を押し進める開発独裁が効率性の観点から望ましい場合もあるが,多様なニーズを吸い上げ,意思決定を行うには,政策の意思決定への参加促進という民主化が求められる。そして,対外債務への過度の依存を脱却して,資本市場を安定化させるためには,中間所得層を育成するが必要である。 つまり,今後のタイの開発課題としては,従来の生産重視,企業優先,外資優遇を,雇用重視,個人経営体優先,地方優遇へと転換を図ることである。このような枠組みの中で,タイシルク生産に従事する地方の個人経営体は,地域コミュニティの家内工業のネットワークを基盤とした柔軟型分業システムを形成しつつ,ワーク・シェアリングによって雇用機会を住民に分与している。そこで,このような農外雇用機会の拡充を支援することが,地域格差の是正,所得再分配の平等化,中間層の育成に寄与すると考えられる。
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◆このページでは、タイ東北地方のタイシルク生産を紹介しながら,地域コミュニティ の個人経営体を繋ぐ柔軟型ネットワークの形成、ワークシェアリング (雇用機会の分与)が行われていることを検証した。詳しくは,「タイの家内工業とワーク・シェアリング :
東北部の地域コミュニティにおけるタイシルク生産を中心に」 『東海大学紀要. 教養学部』第32輯,2001年を参照。また、タイの米作農村 ,タイの牧畜とコモンズ を参照。
◆タイの産業別雇用 を見てみると,都市では男女とも製造業,商業,サービス業の比率が高く,地方では,農業が中心で,男性674.3万人,女性506.8万人の雇用数は,男女とも地方の雇用の50%前後を占めているが,製造業にも,個人経営体や民間雇用の形態で多くの人々が雇用されている。 タイの製造業 の雇用数は,男性で都市84.8万人,地方170.5万人,女性では都市70.4万人,地方173.9万人であり,都市よりも地方における製造業の雇用数のほうが多い。そこで,以下では,地方の雇用を担っている農村家内工業 の具体的事例を見てみよう。
◆タイNSO(国家統計局)の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,家内工業の業種は,食料(食品・飲料・タバコ),繊維(衣類・履物を含む),木材(木材関連製品を含む),紙(紙製品・印刷を含む),化学・ゴム(プラスチックを含む),非鉄金属,機械(金属部品・器具を含む),その他(家具など)に8区分されている。そして,家内工業を営む家計(家内工業世帯)の部門別構成比は,繊維34.8%,化学・ゴム17.8%,木材17.5%,食料16.3%と労働集約的な軽工業が中心となっている。
◆タイNSO(国家統計局)の実施した「1999年家内工業サーベイ」によれば,個人経営体は,農業など他産業を兼業することも多い。タイ全国レベルでは,家内工業を主な職業(主業)とする世帯の比率は38.4%であり,農業を主業とする比率は51.2?,民間雇用を主業とする比率は4.4%と,家内工業の多くは農業との兼業によって営まれている。特に,東北部では,繊維家内工業を主業とする個人経営体は28.7%と少なく,兼業として,農業を主業とする世帯が51.2%,民間雇用と主業とする世帯が13.4%もある。 したがって,繊維家内工業は,農業との兼業による農村家内工業の形態をとって営まれており,農家のリスク回避的な行動原理が,家内工業にも当てはまると推測できる。換言すれば,農業と家内工業とは,同一の個人経営体によっており,統一的に理解されるべきものであろう。
◆大学での講義「開発経済学」「環境協力論」「環境政策?」「環境政策?」は、持続可能な開発を、開発途上国、地域コミュニティの視点も含めて、分析する授業です。俗説とは異なる議論も展開しています。持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、バイオマスエネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
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『アジア地域コミュニティ経済学 フィリピンの棚田とローカルコモンズ』 (東海大学出版部2015年):政府開発援助、フィリピン財政、棚田の有機農業、バイオマスエネルギーを分析しました。 持続可能な開発、特に、熱帯林減少、森林適正管理、再生可能エネルギーについて専門的に知りたい場合は次の著作を参考にしてください。
『地域コミュニティの環境経済学−開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発』 (多賀出版2007年):少子高齢化・ジェンダー,再生可能エネルギー,熱帯林,廃棄物輸出を分析しました。
『社会開発と環境保全―開発途上国の地域コミュニティを対象とした人間環境論』 (東海大学出版会2002年)と『CRUGE研究叢書 環境ネットワークの再構築 環境経済学の新展開』田中廣滋編 (中央大学出版部2001年)は「草の根民活論」の嚆矢です。
『開発と環境の経済学―人間開発論の視点から』 (東海大学出版会):「環境協力論」「開発経済学」「環境政策」のテキストで,難民,軍縮も扱っています。
『環境ネットワークの再構築−環境経済学の新展開』 田中廣滋編(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『地球環境政策』 宇沢弘文他編著(中央大学出版部)の一章を担当しました。
『ポスト福祉国家の総合政策−経済・福祉・環境への対応』 丸尾直美編著(ミネルヴァ書房)の一章を担当しました。
『学習漫画 サリバン先生』 (集英社2011年刊行)を監修し解説を書きました。
『写真ポスターから学ぶ戦争の百年−二十世紀初頭から現在』 (青弓社2008年刊行)では、二十世紀の戦争を扱い大量破壊、大量殺戮からプロパガンダまで扱いました。
『写真ポスターから見るナチス宣伝術−ワイマール共和国からヒトラー第三帝国』 (青弓社2011年刊行)では、暴力、テロによるナチ党政権奪取と戦争動員を解説しました。
「不確実性下の経済行動−フィリピン米作農村の事例を中心に」博士論文 ,240頁,1988年3月,東京大学
「小作契約と相互雇用−フィリピン米作農村の事例研究」修士論文 ,130頁,1986年3月,東京大学
「開発協力における草の根援助と NGO」 東海大学紀要. 教養学部 第29輯,1998年
「ペルーの構造改革と農村の開発」 東海大学紀要. 教養学部
第27輯,1996年
「地球環境問題と開発途上国の経済発展・貧困」 『地球環境研究』第30号,1994年,地球環境財団
「フィリピンのフロンティア開発 : パラワン州にみる国内移住と支村の形成」 東南アジア研究
第31巻(3号),1993年 (京都大学東南アジア研究センター
編 )
「フィリピン漁業の雇用吸収力とアングラ経済--伝統的部門における個人経営体の役割」 アジア経済
第34巻(第1号),1993年(アジア経済研究所)
発展途上国における国内人口移動 :
フィリピンにおけるフロンティア移住を中心に」 行動科学研究 第44号,1993年 (東海大学社会科学研究所編)
「フィリピンの開発戦略と海外出稼ぎ」 行動科学研究 第43号,1993年 (東海大学社会科学研究所編)
「フィリピン漁村の経済構造」 東南アジア研究
第27巻(4号),1990年 (京都大学東南アジア研究センター編)
「フィリピン米作農村における危険分散とワーク・シェアリング」 東南アジア研究 第27巻(3号),1989年 (京都大学東南アジア研究センター編)
「タイの家内工業とワーク・シェアリング :東北部の地域コミュニティにおけるタイシルク生産を中心に」 東海大学紀要. 教養学部 32,2001 (東海大学出版会/東海大学)
<東海大学紀要>
「日本からアジア諸国への環境技術移転」 Technology transfer for environmental protection by Japan's ODA 東海大学紀要. 教養学部 38,2007 (東海大学出版会/東海大学)
東・東南アジア農業の新展開 中国、インドネシア、タイ、マレーシアの比較研究
経済の相互依存と北東アジア農業 地域経済圏形成下の競争と協調
徹底検証ニッポンのODA―半世紀のODAを「普通の人びと」の視点から... 開発NGOとパートナーシップ―南の自立と北の役割
わたしと地球がつながる食農共育
有機農業法のビジョンと可能性 (有機農業研究年報)
地産地消と循環的農業―スローで持続的な社会をめざして
◆国際協力の分野では、1980年代以降開発途上国の女性の地位向上に着目した「開発と女性(WID)」、「ジェンダーと開発(GAD)」というアプローチがある。 ◆
WID は、女子を家事・育児以外にも、生産活動における役割を重視するもので、従来の女子の生産活動が過小評価され、女子が開発プロジェクトから疎外されてきたとした。そこで、女子を単なる受益者として一方的に捉えるのではなく、人的資源として活用するために、開発に統合すべきであるとした。
◆GAD は、ジェンダー不平等の要因を、女性と男性の関係と社会構造の中で把握し、役割固定化と役割分担、ジェンダー格差を生み出す仕組みを変えることを目指す。換言すれば、GAD は、ジェンダー不平等を解消するうえでの男性の役割に注目し、社会・経済的に不利な立場におかれた女子のエンパワーメントを促進する政策である。
『草の根民活論の試み』 中間所得層の重要性
複合的工業化戦略を採用し,直接投資も盛んになったことで,開発途上国では産業構造高度化が進んでいる。しかし,中間財・資本財は投資国企業や第三国の外資系現地法人に頼っているため,工業化の国内への後方連関効果が弱く,裾野産業が未熟なまま残され,これが経常収支の改善を阻んでいる。そして,外資誘致競争の激化,世界不況,域外アブソーバーをふまえれば,国内の個人消費が堅調に推移することが求められる。そこで,開発途上国の市場開放に加えて,雇用の確保,個人経営体の育成が必要となると考えられる。さらに,通貨危機や債務危機は金融不安を招来し,直接金融と間接金融による資金調達,再投資,第三国投資を困難にする。したがって,対外債務への過度の依存を脱却し,資本市場を安定化させるためにも,中間所得層を育成し,国内貯蓄向上,税収基盤強化を図ることが求められる。 開発の基本的課題は,従来の生産重視,対外依存(外需と対外債務),企業優先,外資優遇,を,内需重視,労働者優先,自国資本および個人経営体の優遇へと転換することであり,そのためには,税制や社会保障による所得再分配の実施,教育など社会インフラ整備,雇用者の能力開発推進,個人経営体への融資や税制インセンティブなど幅広い社会開発が求められる。そして,開発途上国における雇用の多くを占める農林漁業,小規模製造業,家内工業など個人経営体を支援して,中間層として開発の担い手に育成することを検討すべきであろう。 今後の開発途上国の工業化の課題としては,従来の生産重視,企業優先,外資優遇を,生活者重視,非外資系法人および個人経営体の機会均等へと転換することである。また,環境保全の視点を加えると,中間所得層の未成熟に起因する税収基盤の脆弱性が財源不足を引き起こし,環境政策の採用を困難にしている。また,環境意識の向上には教育機会の拡充や高等教育の普及が不可欠であるが,中間所得層以上でないとこのような教育の自己負担は困難である。産業構造の高度化,省エネやエネルギー代替の推進にしても,技術開発が重要な要素となるが,これも労働者の能力開発,技術者の養成など十分な教育を受けられるだけの資金や教養が求められる。 つまり,環境政策の採用,市民の意識改革,技術開発,産業構造の高度化はいずれも中間所得層が育っていなければ進展が難しい。換言すれば,開発途上国における中間所得層の育成は持続可能な開発に間接的に貢献すると考えられる。したがって,持続可能な開発の視点から,税制や社会保障による所得再分配の実施,教育など社会インフラ整備,雇用者の能力開発推進,非外資系法人・個人経営体への融資や税制インセンティブを再検討し,中間所得層を育成することが必要であろう。 高成長を遂げている開発途上国にあっても,産業の連関効果の弱さ,対外債務依存,労働分配率の低迷,長時間労働,労働災害の頻発,労働者の人権軽視,女子差別,児童労働など様々な問題を抱えている。したがって,マクロ経済のパーフォーマンスにのみ注目して,開発途上国の経済を議論するのは誤りである。そこで,外需や対外債務への過度の依存を脱却して,資本市場を安定化させるために,中間所得層を育成することで,国内貯蓄向上,税収基盤強化を図り,あわせて貧困解消を図ることが求められる。つまり,現段階までの経済発展の課題としては,従来の生産重視,企業優先,外資優遇を生活者重視,非外資系法人および個人経営体の機会均等へと転換することである。実際に,経済成長に伴って,それまでは所得向上という画一的な国民のニーズが,所得分配など社会的公正や余暇など多様化しつつある。しかし,多様な国民のニーズに応じるには,従来のように外資や大企業を中心とし,権威主義的な政府が開発を主導する開発独裁は不適切である。 国民のニーズが画一的であれば,迅速,即断即決によって大規模プロジェクトを協力に押し進めることができる開発独裁が効率性の観点から望ましい場合も多いが,多様なニーズを吸い上げ,意思決定を行うには,参加の拡大が不可欠である。開発独裁は,少数の政府,大企業の代表による意思決定が重視されるため,多様なニーズを満たし,家計や中小企業も含む多様な経済主体の要求に応じることは困難なのである。そこで,意思決定における参加の促進,すなわち民主化が求められるといえる。時間,資金に一定の余裕のあるの中間所得層の育成,拡大は民主化にも不可欠である。したがって,まず手続きの上で中間所得層の以下のニーズを重視できるような民主化を進め,次第に中間所得層を育成するのである。しかし,これは現在,意思決定に大きな力をもっている政府,大企業に対して不利を強いる場合が多く,政治的問題を引き起こす。したがって,政治的対立が紛争,武力対立にいたらないように,国際支援を含めて配慮する必要があろう。
ここで所得向上,生活向上に伴って,1人当たりエネルギー消費の増加,廃棄物の増加など環境負荷が高まる。しかし,中間所得層の育成によって,税収基盤が強化され,環境政策の採用が容易になる。また,教育のための自己負担にも堪えられる中間所得層は,環境意識の向上に有用な教育機会の拡充,高等教育の普及を推進する。産業構造の高度化,省エネやエネルギー代替の推進にしても,技術開発が重要な要素となるが,これも労働者の能力開発,技術者の養成など十分な教育を受けられるだけの資金や教養をもつ中間所得層の存在が前提になる。換言すれば,環境政策の採用,市民の意識改革,技術開発,産業構造の高度化は,中間所得層が育っていることが必要条件になる。開発途上国における中間所得層の育成は,政府収入の増加,技術革新の進展,市民の環境意識向上の前提であって,環境政策の採用,環境保全のための投資の増加,エネルギー効率の向上,省エネ,人口増加率の低下に寄与し,持続可能な開発につながるといえよう。
他方,富裕層は,環境悪化に伴う経済的被害に対しても,購買力の大きさ,資金の豊富さから,直接の被害を最小限にくい止めることが可能であるが,中間所得層以下では,個人的な対応は困難である。つまり,中間所得層以下にとって,環境問題を回避することで得られる利益は,富裕層よりも大きいのであって,その意味で,中間所得層の環境問題への関心は高いといえる。したがって,中間所得層を社会開発によって育成すれば,エネルギーと廃棄物の増加を相殺できるほど環境対策が進む可能性が高く,経済発展と環境保全を両立するような持続可能な開発に結びつく。したがって,持続可能な開発の視点から,税制や社会保障による所得再分配の実施,教育など社会インフラ整備,雇用者の能力開発推進,非外資系法人・個人経営体への融資や税制インセンティブを再検討し,中間所得層を育成することが,開発途上国の社会開発を進めるために不可欠の視点になろう。 <ワーク・シェアリングによるリスク分散>
フィリピン米作農村における危険分散とワーク・シェアリング 『東南アジア研究』第27巻(3号),301-316頁,1989年12月,京都大学東南アジア研究センター 参照。
開発途上国の自作農,小作農は1世帯当たりの耕地面積が小さく,耕作権もない土地なし労働者も堆積している。そして,農業機械が購入できずに収穫が少ない一方で,不作,失業のリスクがあり,農外雇用機会にも乏しい。そこで,農家は不確実性を考慮して危険回避的行動をとる。つまり,農家は他の農家や土地なし労働者を雇用して収穫を行いつつも,他人の雇用機会を侵さないワーク・シェアリングを行っている。 ここで,ワーク・シェアリングが実施可能な理由は,コミュニティのメンバーが相互に情報を共有し信頼でき,モラル・ハザードを抑制する取引費用が低いことである。また,漁業,商業,運輸業などのコミュニティでも,自由で無制限な参入が許されれば,沿岸の水産資源が乱獲され,ローカル市場が過当競争に陥ってしまう。そこで,出漁・営業の地域割り当て,時間制限など過剰な労働力やサービス供給を抑制する傾向があり,これもワーク・シェアリングといえる。例えば,フィリピンの生業的漁業にあっても,動力漁船を持つ漁師は採算が取れるにもかかわらず,沿岸漁場には出漁せず,沿岸は無動力船しか保有しない漁師がイカ漁をする漁場となっている。また,海岸での貝や海藻の採取も,貧困層の女子に確保され,動力船を所有する世帯の家族員は参加しない。マングローブから薪を採取する場合も,枝や倒木を集め,木を根元から伐採することはしない。したがって,漁村のワーク・シェアリングは,乱獲を避ける環境保全に寄与しているのである。 他方,都市にあっても,乗り合い自動車運送業には指定路線ごとに組合があり,ターミナルで順番に定員一杯になるまで発車しない。そこで,乗客1人当たりエネルギー消費は,時間制の運送よりも遥かに少ない。このように,開発途上国のコミュニティでは,ワーク・シェアリングを基盤にしてメンバー(現地住民)の利益に配慮した資源の適正管理,参入制限,過当競争制限が行われ,資源の収奪,エネルギー浪費が回避される傾向がある。換言すれば,意図せざる草の根の環境保全が行われているとみなすことができる。 地域コミュニティでは農作業や屋根の吹き替え等の労働交換以外にも,相互扶助として灌漑や教育・文化施設などのインフラ管理や祭・行事についても役務や拠出金の提供が求められ,これらは共同体の慣習とされる。しかし,労働交換を行っても農家が利用できる総労働力は地域コミュニティ内の農家の総労働力に制約され,平均すると一農家の利用できる労働力は当該農家の保有する労働力以上にはならない。また,他人の農地で労働しても自分の所得は増えず,労働インセンティブは低い。つまり,相手方との契約で努力を約束したにも関わらず,その約束を遵守しなくなるモラル・ハザードが発生しやすい。そこで,労働交換は次第に雇用労働力に代替される傾向にある。 しかし,同じ農家の相互扶助であっても,農家が収穫時に他の農家に報酬を伴って雇用されること,すなわち相互雇用は珍しくはなく,一時的な労働需要のピークを調整する他に,収穫の不確実性やリスクに対する所得の安定化の機能が指摘できる。農業は温度,日射,降水量など天候の影響を受ける上に,その影響は灌漑の有無,土地の高低,排水など土地条件に大きく左右される。さらに,病虫害,水害,干ばつなど天災によって大きな被害を受ける危険がある。したがって,収穫は不確実で,豊作と不作の間を年毎に大きく変動するのが常である。ここで,報酬は現物支給で収穫の7分の1から10分の1という一定割合であるが,このことは労働報酬が変動する収穫の一定割合であることを意味する。つまり,農家が雇用労働者へ支払いをする場合,不作で収穫が少なければ支払いも少なく,豊作で収穫が多ければ支払いも多いのであって,リスク負担は小さくなる。また,同じ年であっても,土地条件の違いから,各農家の収穫には大きな差が生まれる。降水量が少なく水の得にくい土地が不作であっても,水が得やすい低地の収穫は豊作かもしれず,またこの逆もありうる。このように,同じ地域コミュニティ内の農家にあっても個々の収穫は不確実であるため,個々の農家が自分の土地の収穫にのみ所得を依存していれば,毎年の所得は大きく変動する。しかし,地域コミュニティの全農家について収穫の平均値は,個々の農家の収穫よりも安定している。 つまり,収穫の不確実性に大数の法則が成立すれば,相互雇用によって多くの農家の下で少しずつ収穫を分けてもらうことで,毎年の所得の変動は小さくなる。換言すれば,収穫の不確実性の下で,相互雇用は所得安定化の機能を持っており,そのためにコミュニティの慣習となっていると考えられる。 こうした所得安定化は課税や生活保護手当の支給等による生活保障と同じく事後的な所得再分配によっても達成できる。しかし,地域コミュニティがこのような再分配政策を実施するには権力の正統性がなく困難である。また,再分配を合意した地域コミュニティのメンバーには,高い収穫を得た後,自家労働の投入の多さ,経営管理の良さなどを理由に,低収穫の農家への再分配を拒否するかも知れない。また,再分配が実施されるのであれば,他の農家の収穫を当てにでき,怠けていても損はしないのであり,地域コミュニティにおける労働インセンティブは低下する。このように事後救済がとられることを見越して怠惰になるモラル・ハザードの存在のために,地域コミュニティにおいても事後的な所得再分配の実施は困難である。 しかし,相互雇用は事後的な所得再分配ではなく,報酬を伴う雇用によって労働インセンティブを維持し,モラル・ハザードを抑制している。したがって,農家の雇用労働依存はインカム・シェアリングというよりも,雇用労働を地域コミュニティのメンバーに分与している点を強調してワーク・シェアリングと呼ぶほうが適切である。相互扶助,住民参加,情報交換,社会的制裁を通じて,住民相互の信頼関係が醸造されている地域コミュニティにあっては,低い取引費用でワーク・シェアリングが実施でき,それによって所得安定化,生活保障の利益が生まれるといえる。
農家が土地なし労働者に農作業を依存するのは,貧困者に所得を無償分与するよりは労働力の有効活用につながるうえに,土地喪失や失業のリスクを軽減できるという利点がある。小作農家には土地を地主から取り上げられるリスクがあり,自作農家でも家族員を含め,病気や災害によって一部の土地を失ったり,家族員の雇用機会が得られなかったりする場合がある。すると,自分が土地を失ったり,家族員が都市で雇用機会を得られなかったりする場合でも失業せず,だれかに土地なし労働者として雇ってもらえるように,自分も日頃から土地なし労働者を雇用するワーク・シェアリングが行われるのである。
<ワーク・シェアリングによるリスク分散>
収穫の一定比率を報酬としたり,作柄を実ながら雇う農業労働者の数を決めたりすることは,農家が雇用労働者へ支払いをする場合,不作 で収穫が少なければ支払いも少なく,豊作で収穫が多ければ支払いも多いのであって,リスク負担は小さくなる。また,同じ年であっても,土地条件の違いから,各農家の収穫には大きな差が生まれる。降水量 が少なく水の得にくい土地が不作であっても,水が得やすい低地の収穫は豊作かもしれず,またこの逆もありうる。 このように,同じ地域コミュニティ 内の農家にあっても個々の収穫は不確実であるため,個々の農家が自分の土地の収穫にのみ所得を依存していれば,毎年の所得は大きく変動する。しかし,地域コミュニティの全農家について収穫の平均値は,個々の農家の収穫よりも安定している。つまり,収穫の不確実性に大数の法則 が成立すれば,相互雇用によって多くの農家の下で少しずつ収穫を分けてもらうことで,毎年の所得の変動は小さくなる。換言すれば,収穫の不確実性の下で,相互雇用は所得安定化の機能を持っており,そのために地域コミュニティ の慣習となっていると考えられる。 こうした所得安定化は課税や生活保護手当の支給等による生活保障と同じく事後的な所得再分配 によっても達成できる。しかし,地域コミュニティがこのような再分配政策を実施するには権力の正統性がなく困難である。また,再分配を合意した地域コミュニティ のメンバーには,高い収穫を得た後,自家労働の投入の多さ,経営管理の良さなどを理由に,低収穫の農家への再分配を拒否するかも知れない。また所得再分配 が実施されるのであれば,他の農家の収穫を当てにでき,怠けていても損はしないのであり,地域コミュニティにおける労働インセンティブ は低下する。このように事後救済がとられることを見越して怠惰になるモラル・ハザード の存在のために,地域コミュニティ においても事後的な所得再分配 の実施は困難である。 しかし,相互雇用は事後的な所得再分配ではなく,報酬を伴う雇用によって労働インセンティブを維持し,モラル・ハザード を抑制している。 したがって,農家の雇用労働依存はインカム・シェアリングというよりも,雇用労働を地域コミュニティのメンバーに分与している点を強調してワーク・シェアリング と呼ぶほうが適切である。相互扶助,住民参加,情報交換,社会的制裁を通じて,住民相互の信頼関係が醸造されている地域コミュニティにあっては,低い取引費用でワーク・シェアリング が実施でき,所得安定化,生活保障の利益が生まれる。 農家が土地なし労働者に農作業を依存するのは,貧困者に所得を無償分与するよりは労働力の有効活用につながるうえに,土地喪失や失業のリスクを軽減できるという利点が指摘できる。小作農家には土地を地主から取り上げられるリスクがあり,自作農家でも家族員を含め,病気や災害によって土地を失ったり,家族員の雇用機会がなくなったりする。そうであれば万が一の場合でも、誰かに土地なし労働者として雇ってもらえるように,自分も日頃から土地なし労働者を雇用する,
すなわち仕事の分与というワーク・シェアリング を行うはずである。
<草の根民活> 従来まで,開発には民間大企業,国営企業,外資,政府の役割が強調され、個人経営体,家族無償労働,女子,地域コミュニティ,都市インフォーマル部門は、社会的弱者として,ソーシャルセイフティネット の対象として改善の対象とみなされてきた。しかし、開発の担い手に,中間所得層を当てるために,彼らを新たに持続可能な開発に参加する主体として認識すべきであろう。 つまり,開発途上国にあっては,個人経営体,個人経営体に雇用される民間雇用者,家族無償労働 が広範に存在しており,農業はもちろん,製造業やサービス業という産業部門にあっても重要な役割を担っている。そこで,企業やその下で雇用される民間雇用者(勤労者)だけではなく,彼らも開発と環境保全の担い手としての役割を認めるのである。