◆ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)爆撃練習機
写真(上)1948年、アメリカ、フロリダ州マイアミ、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-1 エクスぺディタ―(Expeditor)高等練習機の左正面 :ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を原型にしたアメリカ陸軍の射撃・爆撃訓練用AT-11カンザン高等練習機は、アメリカ海軍でSNB-1 として制式され110機生産された。 SDASM Archives
Beech C-45 Expeditor
SDASM.TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM.CORPORATION NAME: Beech
SDASM.DESIGNATION: C-45
SDASM.OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM.ADDITIONAL INFORMATION: 39998 SNB-1 NAS Miami 1948 Balogh via NAM
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor 写真はFlickr,SDASM Archives SDASM.CATALOG: 01_00093344引用。
写真(上)2007年、アメリカ、カリフォルニア州チノ、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機の右面 :ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)輸送機のアメリカ軍用仕様で爆撃・射撃の機上練習機としても配備された。 Description
English: Beech AT-11 Kansan (Model 18), Chino, California
Date 2007
Author Greg Goebel 写真は Wikimedia Commons,Category:N79MB (aircraft) File:Beech AT-11 Kansan, Chino, California.jpg引用。
1.ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)
写真(右)1945年頃、アメリカ、、1932年4月にビーチクラフト(Beechcraft)社を創設したウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Herschel Beech:1891年1月30日 - 1950年11月29日)):ビーチクラフト社は、1932年11月ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング (Beechcraft Model 17 Staggerwing)輸送機、1931年ビーチクラフト 18 エクスペディター(Beechcraft Model 18 Expeditor)輸送機、1945年12月ビーチクラフト 35 ボナンザ (Beechcraft Model 35 Bonanza)単発輸送機などを開発し、生産、販売した。
SDASM Archives
Beech, Walter Herschel
Last Name: Beech
First Name: Walter Herschel
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: BIOB00142引用。
ウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)は、自らグライダー飛行を行うなど、青年時代から飛行機に親しんでおり、第一次世界大戦中はアメリカ陸軍航空隊での飛行経験を積んだ。その後、ウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)は、1920年創立のカンザス州ウィチタのレアード・アビエーション(E.M. Laird Aviation Company Ltd.)のテストパイロットとなり、重役の一員に昇進した。
そこで、航空会社経営の経験を積んだウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1924年、ロイド・ステアマン(Lloyd Stearman,)、クライド・セスナ(Clyde Cessna)と共同でトラベル・エアー社(Travel Air Manufacturing Company) を設立した。
1929年9月、ニューヨーク州バッファロー(Buffalo)のカーチス・ライト(Curtiss-Wright)社がトラベル・エアー社を合併した後、ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は副社長に就任した。1932年4月、ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、妻オリーブ・アン・ビーチ(Olive Ann Mellor Beech:1903–1993)らとともに、共同で飛行機製造所ビーチクラフト社(Beech Aircraft Company)を再びカンザス州ウィチタ(Wichita)に設立したのである。
こうして、ビーチクラフト社(Beech Aircraft Company)は、1932年4月にアメリカ人ウォルター・ビーチ(Walter Beech)によって、カンザス州ウィチタ(Wichita)に創立された。
特に、アメリカ陸海軍用に、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を原型としたAT-7、AT-11練習機、C-45輸送機、モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発複葉機を原型にしたUC-43軽輸送機・連絡機を開発し、大量生産された。
ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1932年11月にビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)複葉機を初飛行させ、これが初の成功作となった。量産性と中小工場での分散部品生産に配慮したが、その一つが装備した発動機の種類が選択制になったことである。
ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)A〜S各型の装備した発動機は、7種に達している。
ビーチクラフト(Beechcraft)社では、アメリカ陸海軍用に、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を原型としたAT-7、AT-11練習機、C-45輸送機、モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発複葉機を原型にしたUC-43軽輸送機・連絡機を開発し、大量生産した。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)17 スタッガーウィング (Staggerwing) を見る。
写真(右)2008年7月19日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」で飛行するイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)輸送機:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)450 hp (340 kW)に取り付けたハミルトン・スタンダードの定速回転プロペラの先端は、黄色のチップで塗装してある。1937年1月15日初飛行で、1937–1970年から、9,000機以上が長期量産された。
English: Beech 18 N21FS EDMT 20080719
Deutsch: Beech 18 N21FS EDMT 20080719
Date 19 July 2008
Source Own work
Author Bergfalke2
写真はWikimedia Commons,Category:N21FS (aircraft) File:Beech 18 N21FS EDMT 20080719.jpg引用。
ビーチクラフト モデル 18B(Beechcraft Model 18B)は、ヤコブス(Jacobs)L-5空冷星型7気筒エンジン285 hp (213 kW)を装備し、4機のみ生産された。原型となったビーチクラフト モデル 18は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年から、9,000機以上が長期量産された。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、前作モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発輸送機に次ぐ双発輸送機ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)の開発を1935年11月に開始した。機体は小型で、搭乗員2名、乗客6名で、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした全金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用した。
ビーチクラフト モデル 18B(Beechcraft Model 18B)水上輸送機は、ヤコブス(Jacobs)L-5空冷星型7気筒エンジン285 hp (213 kW)を装備し、4機のみ生産された。原型となったビーチクラフト モデル 18は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年の長期間、9,000機以上が量産された。
写真(右)2016年7月9日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)輸送機:引き込み式降着装置の主輪に車輪止めをしている。プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)450 hp (340 kW)に取り付けたハミルトン・スタンダードの定速回転プロペラの先端は、黄色のチップで塗装されている。プロぺラ回転時の突入事故を防ぐためである。
Description English: Flying Legends air show 2016
Date 9 July 2016, 16:16
Source 170A5272
Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons,Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft Model 18 - Flying Legends 2016 (28227575685).jpg引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル (Model)18の改良型モデル D18Sは、第二次世界大戦後の主力で、エンジンナセルを延長し、中央翼部を強化した。生産機数は、1,035機に達した。アメリカ海軍は、SNB-4として制式し、日本の海上自衛隊はビーチクラフト JRB-4 として制式している。
写真(右)2018年9月2日、イギリス、ケンブリッジシャー、「スコッティシュ国際航空ショー」(Scottish International Airshow)、舗装滑走路をタキシングするイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)左側面:軍用の航法練習機として生産されたが、戦後に民間に払い下げられて、輸送機として使用された。発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載。
Description A selection from the aircraft operating from Prestwick Airport for the Scottish International Airshow
Date 2 September 2018, 14:10
Source Scottish International Airshow 2018
Author Mark Harkin
写真はWikimedia Commons,Category:N21FS (aircraft) File:Scottish International Airshow 2018 (43548809865).jpg引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル D-18(Model D-18)ツインビーチ(Twin Beech)は、1937年1月15日初飛行の小型双発輸送機だが、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立法インチ:16 L)450 hp (340 kW)を2基搭載した信頼性ある手ごろな価格だったために、1937–1970年から、9,000機以上が長期量産された。第二次世界大戦中は、アメリカ陸軍航空隊は、ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)双発輸送機として制式した。そして、直ぐに軍用仕様AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機、AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機が開発、生産に入った。また、ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機も開発された。
第二次世界大戦後は、民間ビジネス機として再度生産され、ビーチクラフト(Beechcraft)モデル D-18(Model D-18)ツインビーチ(Twin Beech)輸送機は、戦後初の民間ビジネス機となり、1946年から量産された。次のビーチクラフト(Beechcraft)H-18は、胴体を延長し、燃料搭載量が増加したが、新型の軽量プロペラ、電動カウルフラップを採用した上で、離着陸距離は長くなるが、離着陸操作が容易な三輪式(首輪式)の引込み降着装置を採用可能な戦後ビジネス機である。
⇒写真集Album:ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)輸送機を見る。
2.ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機
写真(右)1942−1943年初め、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド飛行場、舗装飛行場滑走路のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機(登録コード1210132?)左側面:初期型なのでプロペラスピナーはついていない。胴体後方左の昇降扉が開放されている。国籍マークは、1943年6月以前のもので、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止された。青丸白星、両側に白色袖だけなしで、”STAR AND BAR”ではない。
Beech : C-45 : Expeditor
Manufacturer: Beech
Designation: C-45
Official Nickname: Expeditor
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00012937引用。
アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1950年頃、アメリカ、飛行中のアメリカ海軍航空隊ビーチクラフト JRB-4 エクスペディター(Expeditor)輸送機24(UF9203)の右側面:C-45 エクスペディター(Expeditor)の偵察機使用 F-2を戦後1948年に RC-45Jと形式名称を変更した。そして、さらにUC-45J に形式名称を変更した。
Beech : C-45 : Expeditor
Manufacturer: Beech
Designation: C-45
Official Nickname: Expeditor
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00012946引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)18は、1935年にウォルター・ビーチ(Walter Beechのビーチクラフト社が開発した全金属性、セミモノコック(semi-monoque)構造、片持ち主翼(cantilever wing)の双発機で、電動引込み式主輪付き降着装置(electrically retracted tailwheel landing gear)、垂直尾翼方向舵後端安定板(stabilizer)を採用した軽飛行機として始まった。第二次世界大戦中に、ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を中心に5000機以上が生産され、連合国側で使用された。主な形式は、アメリカ陸軍のC-45軍用輸送機 (USAAF), アメリカ海軍のJRB輸送機、イギリス空軍のエクスぺディタ―(Expeditor)である。
カラー写真(右)1950年頃、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45J エクスペディター(Expeditor)輸送機NARTU JAX(39230)左側面:
SDASM Archives
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: 39230 UC-45J NARTU JAX
SDASM. TAGS: Beech, C-45, Expeditor
PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は、San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093336引用。
1941年3月11日、武器貸与法(Lend-Lease Act)が成立すると、中立国アメリカは、イギリス、中国に戦後の後払いで武器を貸与することを認めた。ビーチクラフト(Beechcraft)18R は、中国では、偵察爆撃機として使用した。
写真(右)2000年頃、カナダ東南部、オンタリオ州(Ontario)、ハミルトン・ジョン・C・マンロ国際空港(John C. Munro Hamilton International Airport)舗装滑走路でエンジンを稼働するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト C-45 エクスディター(Expeditor)軍用輸送機(HB143):カナダ軍用機ヘリテージ博物館(Canadian Warplane Heritage Museum)が保管する機体である。全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW) 2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル。
写真は,Canadian Warplane Heritage 2024 Beechcraft Expeditor引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)軍用輸送機(HB143)は、1946年製造で、ニューヨーク航空(New York airline)で旅客輸送と貨物輸送に使用された。運航区間は、フロリダ州(Florida)とメイン州(Maine)の間で、国際ニッケ(
International Nickel (INCO))社の委託を受けて25年間、カナダや中央アメリカの鉱山関連の仕事で25年間、使用されている。
そして、1982年にカナダ軍用機ヘリテージ博物館(Canadian Warplane Heritage Museum)に寄贈された。この機体は、博物館で復元され、再塗装されたが、原型は1944年に撮影されたカナダ空軍(RCAF)時代にウィニペグ(Winnipeg)の写真を元にして復元されている。
写真(右)2000年頃、カナダ東南部、オンタリオ州(Ontario)、ハミルトン・ジョン・C・マンロ国際空港(John C. Munro Hamilton International Airport)未舗装滑走路を離陸するカナダ空軍(RCAF)ビーチクラフト C-45 エクスディター(Expeditor)軍用輸送機BAE(HB143):
The Beech Aircraft Company of Wichita, Kansas designed the Beech 18 in 1936 for the small feeder airline market. Performance was key to Beech Aircraft gaining an USAAF contract in 1941 and the company eventually built more than 5,250 aircraft for the military. The Beech 18 trained pilots, navigators, bomb aimers and gunners, as well as serving as a military transport.
写真は,Canadian Warplane Heritage 2024 Beechcraft Expeditor引用。
イギリスにも提供されたが、そこではエクスペディター Mk.II、カナダにはエクスペディター Mk.IIIの名称で引き渡されている。アメリカでは、後に、ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)の形式名称は、UC-45Fに変更された。
写真(右)2000年頃、アメリカ、カナダ東南部、オンタリオ州(Ontario)、ハミルトン・ジョン・C・マンロ国際空港(John C. Munro Hamilton International Airport)を離陸したカナダ空軍(RCAF)ビーチクラフト C-45 エクスディター(Expeditor)軍用輸送機BAE(HB143):
The USAAF operated several versions; the AT-7 Navigator, the AT-11 Kansan for bombing & gunnery training and the C-45 Expeditor as a light transport. During WW II, ninety per cent of all USAAF navigators and bomb aimers were trained on AT-7s and AT-11s.
写真は,Canadian Warplane Heritage 2024 Beechcraft Expeditor引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)18Rは、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985-A1 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L)2速過給機付き420 hp(310 kW)を装備した機体で、7機が生産された。1機がスウェーデン軍の患者輸送機(air ambulance)ビーチクラフト(Beechcraft)18R として、6機が中華民国(Nationalist China)にM18R 軽爆撃機として貸与された。
民間仕様ビーチクラフト モデル 18A(Beechcraft Model 18)は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行。この軍用仕様がビーチクラフト C-45 エクスペディター(Expeditor)である。民間、軍用合わせて、1937-1970年に9,000機以上が長期量産された。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)試作1号機は、1937年1月15日にTWA(トランス・ワールド航空)操縦士ジェームズ・ペイトン、ビーチクラフト(Beechcraft)社副操縦士ランキンが行った。最高速力325km/hは、当時の戦闘機並みの高速であり、着陸時の失速制限速力は89km/hと極めて低速での進入が可能で、未舗装の小型滑走路での運用にも便利だった。
写真(右)2000年頃、カナダ東南部、オンタリオ州(Ontario)、低空飛行するカナダ空軍(RCAF)ビーチクラフト C-45 エクスディター(Expeditor)軍用輸送機BAE(HB143):カナダ軍用機ヘリテージ博物館(Canadian Warplane Heritage Museum)が保管する機体は、ビーチクラフト・エクスぺディタ―輸送機、セスナ・クレーン双発機、ダグラスDC-3、C-47ダコダ、ノースアメリカンB-25、アブロ・ランカスター重爆撃機、コンソリデーデット(Consolidated)PBY-5A双発飛行艇、ホーカー・ハリケーン、スーパーマリン・スピットファイアLF Mk. XVIe、グラマン・アベンジャー雷撃機、ウェストランド・ライサンダー(Westland Lysander)Mk. IIIA偵察機などがある。
The RCAF took delivery of its first C-45 Expeditor in August 1939. Three versions of the C-45 were used by the RCAF - the 3NM, 3TM and the 3T. The 3NM was used for navigation, bombing and weapons training, as well as photo survey work, the 3TM for VIP ransportation and the 3T for cargo. Eventually, the RCAF purchased 388 C-45s. During the 1950s the numbers in service shrunk to 180 and by 1970 all had been retired from use.
In the 1950s, Beech refurbished more than 2,200 of the military versions for civilian use, zero timing the airframes and giving them new serial numbers. When production ended in 1969, more than 7,000 Beech 18s had been built in 32 configurations.
写真は,Canadian Warplane Heritage 2024 Beechcraft Expeditor引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機の主生産型は、C-45Fで、原型ビーチクラフト モデル18 エクスペディター(Expeditor)よりも、機首を若干延長したもので、1,137機もが量産された。
ビーチクラフト モデル 18A(Beechcraft Model 18)の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンである。そのシリンダー(気筒)排気量は985立法インチ(16 L)、出力450 hp (340 kW)である。原型は、前作のプラット・アンド・ホイットニー R-1340空冷星形9気筒エンジンで、シリンダーを小型化し、エンジン重量の軽減を図って、小型機に装備する効率的な発動機を目指した。シリンダ(気筒)径と行程は同一で、53⁄16 in (132 mm)のスクエア・エンジンである。
民間仕様ビーチクラフト モデル 18A(Beechcraft Model 18)は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行。この軍用仕様がビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機で、それを原型に軍用の航法訓練用に開発されたのが、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機である。民間、軍用合わせて、1937‐1970年に9,000機以上が大量生産された。
1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると中立国アメリカでも航空機大増産が開始され、1940年にはアメリカ陸軍航空隊から、ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を受注し、軍用輸送機仕様C-45 エクスペディター(C-45 Expeditor)も量産に入った。アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)は、アメリカ海軍でSNB-2輸送機として制式された。
1941年12月の太平洋戦争を契機にアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、民間仕様を原型にして軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)、航法練習機仕様ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)、射撃手/爆撃手訓練機AT-11 カンザン(Kansan)が開発、量産に移行している。
ビーチクラフト(Beechcraft)18は、民間・軍用ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を合わせて9000機以上が量産されたが、そのうち軍用仕様型モデル18は、5,000機以上が生産され、過半数以上は軍用機である。
写真(右)2000年頃、アメリカ、飛行機格納庫内で再塗装の下準備をしているアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト C-45 エクスディター(Expeditor)軍用輸送機(HB143):全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW) 2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル。
The Museum's Expeditor was manufactured in 1946 and was operated by a New York airline carrying passengers and freight between Florida and Maine. International Nickel (INCO) operated it for nearly 25 years hauling men and equipment to prospecting sites and mines in Canada and Central America. Dennis Bradley acquired the aircraft in 1982 and then donated it to the Museum. The aircraft has been restored in the colours and markings of a detached photographic section of the RCAF, circa 1944, which was stationed in Winnipeg.
写真は,Canadian Warplane Heritage 2024 Beechcraft Expeditor引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)などビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18の軍用仕様を使用したのは、アルゼンチン陸軍・海軍、ボリビア空軍、ブラジル空軍、カナダ空軍・海軍地理空軍、コスタリカ軍、コロンビア空軍、コートジボアール(Côte d'Ivoire)空軍、キューバ空軍、ドミニカ空軍、エクアドル空軍、フランス空軍・海軍、グアテマラ空軍、ハイチ空軍、ホンジュラス空軍、インドネシア陸軍・海軍、イラン軍、イタリア空軍(125機)、日本海上自衛隊、メキシコ空軍・海軍、オランダ空軍(Royal Netherlands Air Force、ニカラグア空軍、ニジェール空軍、パラグアイ空軍、フィリピン陸軍航空隊(Philippine Army Air Corps)、ポルトガル空軍(Forca Aerea Portuguesa)・海軍、ソマリア空軍、南アフリカ空軍、南ベトナム軍、スペイン軍、スリランカ空軍、スェーデン空軍、中華民国空軍、タイ空軍、トルコ空軍、イギリス海軍、アメリカ陸軍航空隊・海軍航空隊・空軍・海兵隊・沿岸警備隊、ウルグアイ空軍、ザイール空軍である。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)軍用輸送機を見る。
3.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機
写真(右)1942年頃、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機(登録コードN54)右側面:初期型はプロペラスピナーはついていないが、中期以降はプロペラスピナーが取り付けられている。
SDASM Archives
Beech AT-7, 41-1144, at Hammer Fld
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002262引用。
練習機(Trainer)は、初等練習機(基本/初級練習機)、中等(中級)練習機、高等練習機(Advanced Trainer)と三段階に分かれている。初等は、初めて飛行機を操縦、机上作業をするパイロット、航法士、通信使、機関士(発動機調整員)搭乗員に訓練をする機体である。中等、高等とは訓練の技能が向上させるために、より大型の、発動機出力の強い操作困難な飛行機へと転換する。
アメリカ陸軍航空隊は、制式していたビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)双発輸送機をベースにした
高等練習機は、Advanced Trainerのことで、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)のAT、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)アメリカ陸軍航空隊の高等練習機のATは、Advanced Trainerの略号である。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機の諸元
全の幅47 ft 8 in.、全長 34 ft 3 in.、全高10 ft
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基
全備重量7,850ポンド
最高速力224 マイル時
実用上昇限度18,400 ft
航続距離850マイル
搭乗員2名、乗客4名。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を原型にしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機は、ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2/3として、アメリカ海軍仕様の航法練習機としても制式された。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機の後方キャビン右側は通路になっていて、インストラクターが、前後を行き来して、キャビン左側に3名縦列に座った訓練生を指導することができる。
ビーチクラフト(Beechcraft)C18S輸送機を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機の胴体上面に天測窓(astrodome)を設置し、星の位置や雲の動きを観測して、航法訓練を行った。胴体キャビンに縦列配置した訓練生用座席3席、発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985-25空冷星形9気筒エンジン450-hp 2基を装備した。生産機数は、577機である。
アメリカ陸軍航空隊は、航法練習機としてビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機を開発したが、さらに射撃・爆撃練習機として、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)を開発した。これらの原型は、ビーチ C-45 エクスぺディタ―(Expeditors)軍用輸送機、あるいはF-2 写真偵察機("F"とは"Fotorecon" "photographic reconnaissance"写真偵察機の略号)から開発されたものである。そして、アメリカ海軍でもビーチ18輸送機をJRB-1輸送機ボヤージャー(Voyager)と命名し使用した。ただし、ボヤージャーの名称は普及せず、JRBは、エクスぺディタ―(Expeditors)と陸軍航空隊と同じ名称で呼ばれた。
アメリカ海軍JRB-1輸送機の第1号機は (BuNo) 09771の番号を与えられた。
写真(右)1943年後期以降、アメリカ、舗装飛行場滑走路のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機(登録コード333774)右側面:
SDASM Archives
Beech : AT-7
Manufacturer: Beech
Designation: AT-7.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044636引用。
戦時中はビーチ・モデル(Model)18民間輸送機の生産はなされずに、もっぱらビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)爆撃練習機のような軍用機として生産された。アメリカ海軍はモデル 18を JRB-3 (陸軍仕様C-45B), JRB-4 (陸軍仕様UC-45F), SNB-1 カンザン(Kansan)(陸軍仕様AT-11), SNB-2 (陸軍仕様AT-7), SNB-2C (陸軍仕様AT-7C)として、利用した。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機には、3名の訓練生に、各自に専用デスクが与えられ、1名が爆撃手あるいは輸送要員となった。訓練時間は100時間がふつうである。ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)との差異は、コクピット後上方に天測窓(astrodome)を設け、航法訓練に使用できることである。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を原型にビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機はアメリカ陸軍航空隊(Army Air Forces)の航法訓練用の練習機で、第二次世界大戦中に開発され、戦後も何年間も使用された。1回の飛行で、インストラクター教員が1名、訓練生3名が同乗し、航法訓練を行った。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、搭乗員6名の要員輸送機として使用された場合もあったようだ。
日活映画「あゝひめゆりの塔」1968年9月公開,監督・舛田利雄、主演・吉永小百合は、明治百周年記念芸術祭参加作品だが、そこにアメリカ軍攻撃機として、飛行するビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)小型双発輸送機が1機登場する。最初の場面は、沖縄上陸前に沖縄師範学校の校舎を銃爆撃する。その後、地上戦の準備のために、沖縄師範学校の男子は義勇隊に、女子は看護婦として徴用される。映画中盤では、水くみをしていた看護徴用の女子学徒たちを機銃掃射する。与那嶺和子(吉永小百合)は、看護婦として、患者の切断した足を捨てに行くとき、機銃掃射される。この時は、爆撃され飛ばされた遺体が立木の枝に引っかかるのを目にする。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)は輸送機だが、飛べる状態の機体が日本にも残っていた。そこで1967-1968年頃、映画用に実際の双発機を飛行させて、爆撃・機銃掃射の場面を撮影した。首里を撤退する際、野戦病院壕にいた動けない負傷者は、輸送隊がトラックで運搬するといわれていた。しかし、豪雨をついて避難した女子学徒たちは、おいてきた先輩を運んでくるトラックの音を聞く。これは空耳だった。
後退してきた引率教官が兵士に尋ねると、壕に置いてきた負傷した兵士も女子学徒(とみ)に、青酸カリ入りの牛乳を配られて、処置されていた。壕の中で、日本海軍が置いたままにした木箱を見つけ、食料と錯覚して開封すると手榴弾(てりゅうだん)だった。
しかし、5月27日の海軍記念日に大反攻があると噂が飛び交い、その日の朝は静かだった。女子学徒たちは、池を見つけ、久しぶりに水浴びをし、歌って踊って楽しんだ。それまで、日本機が飛ばなかったのは、日本軍の逆上陸に備えていたと考え、やってきた単発機を友軍機と早合点し、喜んで手を振るが、これはアメリカ艦上戦闘機グラマンだった。女学生たちは、機銃掃射され死傷者を出してしまう。(日活映画「あゝひめゆりの塔」引用)
この時期、校長先生がやってきて、男子部の鉄血勤皇隊が解散され、沖縄本島北部に結集せよとの目入れが伝達された。男子学生は、これは負けだ、死んだ友達は無駄死にだと落胆する。校長は、女子部の看護隊とも解散する命令を伝達に真壁に行くというが、男子学生西里順一郎(浜田光夫)1人が護衛に志願した。校長は、途上で銃撃を受けて殺されるが、男子学生は海岸の洞窟にいた女子部の学生に伝言を伝えた。しかし、校長の遺体をそのままにはできないと、校長の遺体回収に看護隊女子学徒5人が出かけようとする。男子学生も案内に発った。この時、再びビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)の扮する重爆撃が行われた。隠れているときに、男子学生から与那嶺和子の弟が戦死していたことが伝えられる。「苦しんで死にましたか」と尋ねると「頭を撃ち抜かれて即死です」と。与那嶺和子は「よかった。苦しまずに死んで。」(日活映画「あゝひめゆりの塔」引用)
校長の隊解散命令が伝えられたが、学徒看護隊はこのまま任務を続けるとの声が上がった。しかし、北部への撤収という生きる道が示され、引率教員の説得があって、3班に分散して夜間撤収することが決まった。身ぎれいにし、小さなおにぎりを作り、制服に着替えて「お別れ会」を開いた。「わかれの水杯だ」「そうじゃない。門出の酒盛りだ。」「酔うて候」と一言発した与那嶺和子(吉永小百合)が舞を舞う。
いよいよ脱出となったが、そのときに洞窟はアメリカ兵の攻撃を受け、女子学生たちは散りじりになってしまう。手榴弾で自決した女子学生の組もあった。攻撃を受けた洞窟で生き残った与那嶺和子と後輩は、「日本の皆さん、戦争はおわった」「たべものをあげます」という宣撫放送を聞くが、嘘であると信じない。二人は、摩文仁断崖に立ち、手榴弾を発火させ、自爆する。(日活映画「あゝひめゆりの塔」1968引用終わり)
日活の作成した白黒映画「あゝひめゆりの塔」1968年は、沖縄地上戦に巻き込まれる女子学徒の物語なので、飛行機の登場はロッキード(Lockheed)モデル Model 10「エレクトラ」(Electra)など限られているが、実写フィルムを挿入するだけでなく、実機を使って撮影したのは、制空権を失っているという状況を示さないと、学徒たちの苦戦・苦労が認識できないからであろう。あの時代あの戦争の当事者たちを表現するのは戦争否定であった。学徒1503名が亡くなったことがエンドロールで示される。
1945年3月、沖縄へのアメリカ軍上陸を目前に、沖縄師範学校女子部(沖縄の小学校教師養成学校)と、沖縄県立第一高等女学校の合計240名(生徒222名、教師18名)は、看護婦として動員され、ひめゆり学徒隊に編成された。これが日本陸軍の隷下であれば、「従軍看護婦」として軍の一員だが、手当の支給もないままで、形式的には民間の篤志看護隊といえる。女子学生の看護隊を「ひめゆり」部隊というのは、沖縄県立第一高等女学校の学校誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校誌「白百合」とを組み合わせたものである。現在、沖縄師範学校には、弾痕の残る門柱が現存している。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機をさらに見る。
4.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機
写真(右)1940−1941年以降、アメリカ、未舗装滑走路に駐機しているアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(19440)の左側面:第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭の1942年春まで使用された青丸白星、白星中央に赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプのアメリカ機の国籍マークを描いている。1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除された。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002289引用。
カンザン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民のことである。ただし、ビーチクラフト社本社工場のあるカンザス州ウィチタを反映させる名称としてビーチクラフト(Beechcraft)AT-11「カンザン」(Kansan)と名付けられた。
写真(右)1940−1941年頃、アメリカ、世界大戦参戦前の国籍マークを付けたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機:カンサン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民のことである。初期型なのでプロペラスピナーはついていない。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002298引用。
1937年1月15日初飛行のビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)は、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)など各型式合計で1937ー1970年から、9,000機以上が長期量産された。ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機は、1,500機が生産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
写真(右)1942-1943年、アメリカ、舗装滑走路で待機中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の正面:プロペラスピナーのない初期型で、機首ガラス風防の爆撃手席には爆撃照準器に歪みがないように平面ガラスが張られている。1943年中期以前の青丸白星、帯なしの国籍マークが描かれているようだ。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002302引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機の装備したプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)で1929年に開発され、1930年代のアメリカ機に後半に幅広く搭載された。
写真(右)1940‐1941年、アメリカ、未舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:機首に透明ガラス風防を設けて、射撃手/爆撃手練習機とした。プロペラスピナーは付いていない。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044641引用。
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)の原型は前作プラット・アンド・ホイットニー R-1340空冷星形9気筒エンジンで、シリンダーを小型化し、エンジン重量の軽減を図って、小型機に装備する効率的な発動機を目指した。シリンダ(気筒)径と行程は同一で、53⁄16 in (132 mm)である。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を原型に開発されたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、小型機で、操縦の容易さ、燃費の良さが特徴で、小型軽量のために滑走路の制限を受けないで済んだ。
写真(右)1941年以降、アメリカ、三機編隊で低空飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:先頭、奥の機体にはついていないが、手前の機体には0.30-口径7.62ミリ機関銃を搭載する銃座が付いている。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002290引用。
アメリカ陸軍仕様ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)高等練習機(Advanced Trainer)の海軍仕様がSNBである。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)高等練習機(Advanced Trainer)は、海軍でもSNB高等練習機(Advanced Trainer)として制式された。
写真(右)1943年、アメリカ、飛行するアメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)SNB カンザン(Kansan)練習機:戦争中期だが、プロペラスピナーを付けていない。アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。SNB-2/3はAT-7とほぼ同で、アメリカ海軍仕様の航法練習機。
Beechcraft
Catalog Number: Wallace Collection004
Title : Beechcraft
Designation: SNB
Squadron : VJ-6, 6-J-6
Additional Information : Drone control aircraft, 1943
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum 引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)は、爆撃手訓練用の練習機で、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍航空隊(U.S. Army Air Forces)の爆撃手の4万5000名の90%が訓練を受けた練習機となった。 陸軍輸送機仕様 C-45や機首ガラス風防付きのビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機(navigation trainer)も原型はビーチクラフト18(Beechcraft Model 18)民間輸送機を改造した機体である。
爆撃手は100ポンドの砂詰めの訓練用演習爆弾(practice bomb)を使用した。1943年のアメリカ陸軍航空隊の基準では、 訓練成績は目標命中率 22 %が求められた。目標は半径 10マイル以内に入り、60秒以内に投下する。1943年9月30日以降、AT-11にもノルデン爆撃照準器(Norden Bombsight)とC-1自動操縦装置(automatic pilot)が導入され、爆撃訓練も実戦と同水準の訓練が可能になった。
AT-11は、アメリカ陸軍航空隊が1941−1945年に1,582機の発注を行ったが、36機はAT-11A 型で航法練習機として用いられた。1969年に寄贈された機体は, 1943年秋の訓練当時の状況で塗装され再現している。
写真(右)1941‐1942年、アメリカ、低空飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:機首に透明ガラス風防を設けて、射撃手/爆撃手練習機とした。プロペラスピナーは付いていない。背部に銃座を設置していない。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002300引用。
第二次大戦前から、日本陸軍は、機上作業練習機は1941年制式の立川飛行機一式高等練習機など専用機を配置できた。
他方、日本海軍では、大型飛行艇や双発攻撃機を量産したものその搭乗員のためには、フォッカー(Fokker)F.VIIa スーパー・ユニバーサル(Super Universal)よりも小型の1931年制式の三菱九〇式機上作業練習機、1942年制式の九州飛行機K11W白菊など単発練習機しか配備していない。旧式となった双発機を練習機として使用すれば事足りると考えたようだ。
写真(右)1942-1943年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 高等練習機の車輪止めを外そうとする左右の地上勤務員:すでにエンジンを駆動しプロペラが回転しているので、車輪止めをロープロ引いて外そうとしいる。プロペラが回転し前進する作用があるので、車輪止めはブレーキとして役立っている。
SDASM Archives
Beech : AT-11
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044643引用。
空間と搭乗者を早急に育成し、増産した多数の航空機に確保するために、アメリカでは、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)(C-45エクスペディター)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機など双発機を量産している。
写真(右)1942−1943年初め、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド飛行場、舗装飛行場滑走路のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機V‐402(41-9544)の左側面:アメリカ機の国籍マークは、太平洋戦争勃発後の第二次世界大戦参戦で、1942年春から、青丸白星、白中央の赤丸は削除となった。その後、制空権確保に目途がついた1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”と派手な記章に変更になった。
SDASM Archives
Beech AT-11, 41-9544, at Hammer Fld
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum 引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機のような機上作業高等練習機は、操縦だけでなく、航空機機内で、航法、通信、射撃、爆撃、偵察などの機上作業を訓練するための練習機である。そのために、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)胴体内に複数の訓練生・教員が搭乗するキャビンがある。
写真(右)1942−1943年初め、アメリカ、オレゴン州ハマー・フィールド飛行場、舗装飛行場滑走路のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機V‐402(41-9544)の右側面:右端はホースがあるので燃料補給車と思われる。
SDASM Archives
Beech AT-11, 41-9544, at Hammer Fld_2
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum 引用。
カンサン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民インディアンのことである。これをAT-11高等練習機の名称に使用した理由は、ビーチクラフト(Beechcraft)本社がカンザス州ウィチタにあったためである。
写真(右)1943年、アメリカ、テキサス州ミルドランド付近、練習爆弾を投下するアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(336):アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けていない型である。
English: Beechcraft AT-11 Kansan Kansan Bombardier Training near Midlands AAF, Texas
Date 1943
Source We Wanted Wings: A History of the Aviation Cadet Program. Dr Bruce Ashcroft, Staff Historian, HQ AETC Office of History and Research, 2005
Author United States Air Force Photograph
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Midlands Army Airfield - Beechcraft AT-11 Kansan Kansan Bombardier Training.jpg引用。
アメリカ軍の国籍記章は
(1)第二次大戦以前・アメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦:青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ
(2)太平洋戦争初期・1943年6月以前:青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止
(3)1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
(4)1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
(5)第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
アメリカ機の国籍マークは、第一次大戦に参戦したときは、連合国の一員として、ラウンデルだった。しかし、戦間期には国旗、星条旗をイメージして、青丸に白星、中央に小さな赤丸を描く、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプという三色を使用した。しかし、太平洋戦争勃発前しアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、赤は派手で目立った上に、日本期の日の丸と誤認されやすいと考えられた。そこで、第二次世界大戦参戦の1942年春から、青丸白星、白中央の赤丸は削除された。その後、制空権確保に目途がついた1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”と赤を復活して、派手な記章に変更になった。
写真(右)1943年2月、アメリカ、ニューメキシコ州カールスバッド付近、編隊飛行をして練習爆弾を投下するアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けていない型である。
U.S. Army Air Forces Beech AT-11 Kansans from an advanced flying school dropping practice bombs near Carlsbad, New Mexico (USA), in February 1943.
Date February 1943
Source
the United States Library of Congress's Prints and Photographs division
under the digital ID fsa.8e00882.
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Beech AT-11 Kansans dropping bombs 1943.jpg引用。
写真(右)1943年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11高等練習機の機首左側面シルエット:機首ガラス風防の正面下方は平面ガラスで、設置してある爆撃用照準器の視界の歪みを起こさないように配慮している。
SDASM Archives
Beech : AT-7
Manufacturer: Beech
Designation: AT-7.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002292引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、爆撃、旋回機関銃操作の機上作業練習機で、AT-7ナビゲーター練習機を原型に、機首ガラス風防を装備、爆撃手席を設け、さらに銃座を設けて、.30口径7.62mm機関銃2−3挺を装備した。ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)の初期型は150機生産された。
写真(右)1943年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 高等練習機に向かう二人の搭乗員のシルエット:訓練生なのか、ヘッドホーンを付けている。鞄と袋を手にしている。
SDASM Archives
Beech : AT-7
Manufacturer: Beech
Designation: AT-7.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002293引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の原型は、陸軍輸送機C18Sで、3名の訓練生を搭乗させ、航法、偵察、通信などの機上訓練を行うために開発された。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)の発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量16.1 L) 450-hp 2基搭載で、合計577機が生産された。
写真(右)1943−1945年頃、アメリカ、爆弾投下訓練に用いられたアメリカ陸軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン練習機は、爆撃練習機として、機首に平面ガラス風防を付けて、爆撃照準器を設置した。アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けている後期型のようだ。
SDASM Archives
Beech : AT-11
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname:
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044640引用。
写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路でプロペラを回転しているアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の正面右:1943年の星と帯の国籍マークが描かれている。プロペラスピナーを付けた中期型である。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002296引用。
写真(右)1943年、アメリカ、テキサス州上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(41-9494):アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けた中期型である。
English: Description: The pilot heads his bombing training plane (Beechcraft AT-11), out over the vast West Texas prairies to its target as the bombardier student and instructor ready the bomb sight in the nose of the plane for the early morning mission.
Date
12 April 2007 (original upload date)
Author
US Air Force photo
Permission
(Reusing this file)
PD-USGOV-MILITARY-AIR FORCE.
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Beechcraft AT-11 out over the West Texas prairies (00910460 103).jpg引用。
写真(右)1943−1945年、アメリカ、編隊飛行する第二次大戦後期の国籍マークを描いたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の右側面:プロペラスピナーを付けた中期型である。アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNBも生産された。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002291引用。
写真(右)1944年、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11射撃手/爆撃手練習機(41-9494):アメリカ陸軍航空隊陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機が海軍仕様SNB−1の原型である。戦争後期に入っているが、プロペラスピナーを付けていない。
English: English: Beechcraft SNB-1 "Kansan" in flight.
Date
circa 1944
Author
Unknown author
Permission
(Reusing this file)
PD-NAVY
PD-USGOV-MILITARY-AIR FORCE.
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Beechcraft SNB-1 Kansan front quarter view.jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機の海軍仕様JRB-2 は、射撃手/爆撃手練習機で15機が生産された。
写真(右)1943−1945年、アメリカ、飛行する第二次世界大戦後期1943年以降の国籍マークを描いたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(TC-310397)の左下方側面:アメリカ機の国籍マークは、太平洋線増勃発後の第二次世界大戦参戦で、1942年春から、青丸白星、白中央の赤丸は削除となった。その後、制空権確保に目途がついた1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”と派手な記章に変更になった。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真は,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002303引用。
写真(右)1942−1945年、アメリカ、テキサス州中南部、オースチン(Austin)西方160キロ、ホンド―(Hondo)、アメリカ陸軍航空隊航法学校所属ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の機首に装置を取り付ける2名の兵士と爆撃手席で待機している兵士:プロペラスピナーを付けていない。胴体下面には、爆弾が準備されているので、航法ではなく、爆撃訓練の準備であろう。
245-10_0029909 SDASM Image
Hondo, TX Army Air Force Navigation School-Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,San Diego Air and Space Museum Piction ID: 86121461引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機の諸元
全幅Wingspan
47 ft 8 in.
全長Length
34 ft 3 in.
全高Height
9 ft 8 in.
総重量Weight
6,175 lbs (loaded)
最高速力Maximum Speed
230 MPH
実用上昇限度Service Ceiling
21,400 ft
航続距離Range
850 miles
発動機Engines
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp
乗員Crew
2名
写真(右)1943年以降、アメリカ、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(127498):戦争後期に入っているが、プロペラスピナーを付けていない。アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB も生産された。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002304引用。
ロッキード(Lockheed)モデル(Model)10 エレクトラ (Electra)輸送機は、乗員 2名、乗客 12名、全備重量 4,760 kg、発展型のロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)は、乗員 2名、乗客 6名、全備重量 3,810 kgで、ともに民間輸送機として使用され、軍用仕様はなかった。
しかし、それよりも小型のビーチクラフト(Beechcraft)18は、軍用仕様として、輸送機、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機としての生産の方が多い。これは、戦争の時代だったためであろうか。
写真(右)1942−1946年、アメリカ、舗装滑走路上のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の正面で航空兵の記念撮影した。:戦争後期に入っているが、プロペラスピナーを付けていない。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002307引用。
アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7A ナビゲーター(Navigator)練習機は、降着装置を陸上用から水上用の双フロート装備に変更し、水上練習機として6機が生産された。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Cは、C18Sを原型に発動機にプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンを搭載した。合計549機が生産された。
写真(右)1943年、アメリカ、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)SNB高等練習機(6-J-3):ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機も海軍仕様のSNBとして制式されているが、海軍航空隊では、爆撃・射撃練習機よりも航法練習機の方が需要が多かったようだ。
SDASM Archives
Beechcraft
Title : Beechcraft
Designation: SNB
Squadron : VJ-6, 6-J-3
Additional Information : large print, group shot, 1943
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog Number: Wallace Collection098引用。
写真(右)1946年、アメリカ、舗装滑走路に待機する第二次大戦後の国籍マークを描いたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(TC-013/237013)右側面:
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Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002294引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Bは、厳冬用仕様の練習機で9機が生産された。
写真(右)1947年頃、アメリカあるいはメキシコ、メキシコ空軍(Fuerza Aerea Mexicana)に引き渡されたビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機:方向舵は左から赤白緑の縦縞、胴体後方側面と主翼下面に外から赤白緑の逆三角形。プロペラスピナーを付けていない。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002308引用。
メキシコ空軍(Fuerza Aerea Mexicana)の国籍マークは、第二次大戦後は、方向舵は左から赤白緑の縦縞、胴体後方側面と主翼下面に外から赤白緑の逆三角形である。プしかし、第二次大戦中から戦後直後までは、メキシコ空軍の国籍マークは、赤白緑縦縞丸である。
"1941年4月1日、第二次大戦中、アメリカ参戦前に、アメリカは飯喜古の基地共用協定を結んでいる。これは相互共用だが、実際はアメリカ軍がメキシコ国内基地を活用することが目的である。メキシコは1942年3月29日に日独伊など枢軸国に宣戦布告している。メキシコは、アメリカ軍に航空兵の数千名に達する訓練要請をした。1945年初期には、メキシコ空軍(Fuerza Aerea Mexicana)が南太平洋方面にアメリカ軍とともに派遣されている。
写真(右)1947年9月、アメリカ、カリフォルニア州オークランド、アメリカ陸軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機(42-37296) :後方の旅客ターミナルには、オークランド・ムニシパル空港国際線ターミナルとある。
Description
Description
Hamilton Field reserve plane at Oakland Airport in September 1947.
Date
26 February 2012, 17:32
Source
Beech AT-11 42-37296
Author
Bill Larkins
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-11 (original variant) File:Beech AT-11 42-37296 (7785515322).jpg引用。
写真(右)1947年8月、アメリカ西岸、ワシントン州シアトル西40km、ハミルトン飛行場所属のアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(TC-19484):アメリカ陸軍航空隊予備隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。胴体後部上方に大型ガラスドームを設置しているが、これは航法・天測用の視界を確保するためである。プロペラスピナーを付けていない。
Hamilton Field AAF reserves, over Marin County in August 1947.
Date 12 March 2009, 09:10
Source Beech AT-11
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Beech AT-11 Kansans dropping bombs 1943.jpg引用。
写真(右)1947年8月、アメリカ西岸、ワシントン州シアトル西40km、ハミルトン飛行場所属のアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(TC-19484):機首に透明ガラス風防を設け、爆撃手席には平面ガラス越しに爆撃照準器を備えている。主輪は引込み式がだ、ゴムタイヤの三分の一は収納庫から露出している。戦後の撮影だが、プロペラスピナーを付けていない。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002311引用。
写真(右)1950年頃、アメリカ、アメリカ海軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)SNB-1 カンザン(Kansan)練習機のコックピット操縦席(左側):アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: SNB-1
Official Nickname: Kansan
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00033121引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の原型は、同じプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量16.1 L) 450-hp 2基搭載のC18Sで、3名の訓練生を搭乗させ、航法、偵察、通信などの機上訓練を行うために開発された。生産機数は577機だった。
写真(右)1950年頃、アメリカ、アメリカ海軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)SNB-1 カンザン(Kansan)練習機のコックピット操縦席(奥)と同乗席(手前):アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: SNB-1
Official Nickname: Kansan
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00033137引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、既存のAT-7ナビゲーター練習機を原型に、機首ガラス風防を装備、爆撃手席を設けた。そして、.30口径7.62mm機関銃2−3挺を装備する銃座を設けて、旋回機銃の操作練習も行った。
写真(右)1950年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(TC-080)と2機のノースアメリカン(North American Aviation)T-6 テキサン (Texan)練習機(TA-193):
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002299引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)は、AT-11を航法訓練仕様で 36機が改造された。
写真(右)1945年以降、アメリカ、爆弾投下訓練に用いられたアメリカ海軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)SNB-1 カンザン(Kansan)練習機の正面:プロペラスピナーを付けていない型である。周囲の人物は民間人や女性のようで、飛行機の見物に来た人物のように見える。
SDASM Archives
Beech : SNB-1 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: SNB-1
Official Nickname: Kansan
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00033142引用。
写真(右)1950年頃、アメリカ、編隊飛行をするアメリカ陸海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(TC-080)とノースアメリカン(North American Aviation)T-6 テキサン (Texan)練習機(TA-104):手前は、T-6 テキサンの左主翼上面で、アメリカ軍が第二次世界大戦後1947年6月に採用した、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”の華麗な国籍マークが描かれている。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002295引用。
カラー写真(右)1989年11月5日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手訓練用高等練習機V−304(登録コード N8073H)(シリアル番号 41-9577)の右側面:機首ガラス風防の内部にあった射爆照準器などは撤去されているようだ。主輪の脇の補助支柱で機体を支えて、ゴム主輪にかかる圧力を減じている。
Photographer
Mike Freer - Touchdown-aviation
Location Tucson - Davis-Monthan AFB (Municipal) (DMA / KDMA), USA - Arizona
Aircraft type Beech AT-11 Kansan
Operator USA - Air Force
Registration 41-9577
Type Photograph
Description
English: A rare Kansan restored to immaculate condition at the excellent Pima Air & Space Museum.
Date 5 November 1989.
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:Beech AT-11 Kansan, USA - Air Force AN1498136.jpg引用。
カラー写真(右)1990年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機:アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザンの海軍仕様がJRB-2 で15機が生産された。搭乗員6名の要員輸送機として使用された。戦後だが、プロペラスピナーを付けていない。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002309引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)高等練習機の海軍仕様がJRB-2高等練習機で15機が生産された。AT-11は、射撃手/爆撃手訓練のほか、乗客6名を乗せる要員輸送機としても使用された。
写真(右)1992年3月10日、アメリカ、舗装滑走路上のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(24556)の左前方:エンジンカウリングが外されており、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンの構造が見て取れる。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002310引用。
カラー写真(右)2016年、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ=サクラメント中間、フェアフィールド、トラビス空軍基地航空博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機を戦後に民間仕様に改造したビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 輸送機(H14):第二次世界大戦中に大量生産されたAT-11カンサン(Kansan)高等練習機は、戦後に余剰物資として、アメリカ陸軍航空隊から民間に払い下げられた。小型で信頼性が高く、運用経費も低かったために、民間登録コードが与えられて、ふたたび民間輸送機として使用された機体も少なくない。
c/n 1461. Built 1942. Full US military serial 41-27616, as given on the aircrafts data panel. On display at the Travis AFB Heritage Center, CA.
5th March 2016
Date Taken on 5 March 2016, 12:45
Source Beech AT-11 Kansan ’41-27616 / H14’ (N74RT)
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft
File:Beech AT-11 Kansan ’41-27616 - H14’ (N74RT) (29804525404).jpg引用。
写真(右)2009年9月25日、アメリカ、オハイオ州デイトンの真東、リバーサイドのライト・パターソン空軍基地、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)高等練習機(232)の左側面:カウリングが白で塗装されている。
Description
SONY DSC
Date
25 September 2009, 17:06
Author
Valder137
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft
File:Beech AT-11 Kansan BelowRNose Airpower NMUSAF 25Sep09 (14413243539).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、爆撃、旋回機関銃操作の機上作業練習機で、AT-7ナビゲーター練習機を原型に、機首ガラス風防を装備、爆撃手席を設け、さらに銃座を設けて、.30口径7.62mm機関銃2−3挺を装備した。この初期型は150機生産された。
アメリカ陸軍航空隊は、ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)を航法訓練仕様で 36機が改造された。
写真(右)2009年9月25日、アメリカ、オハイオ州デイトンの真東、リバーサイドのライト・パターソン空軍基地、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)高等練習機(232)の前方下面:プロペラ先端に黄色のティップが塗られているのは、プロペラが回転しているときに事故が起こらないように注意を喚起するためである。主翼下面胴体中央の爆弾倉が二分されているのは、主桁が中央を通っているためであろう。カウリングが白で塗装されている。機首の平面ガラス風防の奥に爆撃手席がある。エンジンカウリングの下部には、引込み式主脚の収納庫があり、その収納扉が開放されている。
Description
SONY DSC
Date
26 September 2009, 13:36
Source
Beech_AT-11_Kansan_ BelowNose_Airpower _NMUSAF_26Sep09
Author
Valder137
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft
File:Beech AT-11 Kansan BelowNose Airpower NMUSAF 26Sep09 (14413243659).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機の諸元
全幅Wingspan
47 ft 8 in.
全長Length
34 ft 3 in.
全高Height
9 ft 8 in.
総重量Weight
6,175 lbs (loaded)
最高速力Maximum Speed
230 MPH
実用上昇限度Service Ceiling
21,400 ft
航続距離Range
850 miles
発動機Engines
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp
乗員Crew
2名
写真(右)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトンの真東、リバーサイドのライト・パターソン空軍基地、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)高等練習機(232)の左側面:無塗装、1943年後半以降の国籍マークが描かれている。
Description: Beech AT-11 Kansan
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft
File:Beech AT-11 Kansan USAF.jpg引用。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことは可能だが、小型軽量の練習機なので、計器盤は中央に位置しており、左右共用である。フットペダルも簡易構造となっている。
Description: Beech AT-11 cockpit
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft aircraft at the National Museum of the United States Air Force File:Beech AT-11 cockpit USAF.jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(Serial #: 42-37444)は、第二次世界大戦の終戦後に旧式化し、需要がなくなったために、民間譲渡、払い下げがなされた。機首ガラス風防をソリッド化し、キャビンを民間輸送機に改造して、軽旅客機として使用された。形状はビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 エクスペディタ―(Expeditor)輸送機(N63158)とみなすことができる。
写真(右)2015年9月19日、アメリカ、ルイジアナ州ボージャーシティ(Bossier City)、バークスデール空軍基地、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45F エクスペディター(Expeditor)輸送機(G-BKRG)の機首正面:1943年後半以降の国籍マークが描かれている。1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。
Description
English: A Beechcraft AT-11 Kansan on display at the Barksdale Global Power Museum at Barksdale Air Force Base near Bossier City, Louisiana (United States).
Date 19 September 2015
Source Own work
Author Michael Barera
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft Model 18 museum aircraft File:Barksdale Global Power Museum September 2015 20 (Beechcraft AT-11 Kansan).jpg引用。
写真(右)2015年9月19日、アメリカ、ルイジアナ州ボージャーシティ(Bossier City)、バークスデール空軍基地、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45F エクスペディター(Expeditor)輸送機(G-BKRG)の左側面:1943年後半以降の国籍マークが描かれている。1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。
Description
English: A Beechcraft AT-11 Kansan on display at the Barksdale Global Power Museum at Barksdale Air Force Base near Bossier City, Louisiana (United States).
Date 19 September 2015
Source Own work
Author Michael Barera
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft Model 18 museum aircraft File:Barksdale Global Power Museum September 2015 19 (Beechcraft AT-11 Kansan).jpg引用。
写真(右)2015年9月19日、アメリカ、ルイジアナ州ボージャーシティ(Bossier City)、バークスデール空軍基地、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45F エクスペディター(Expeditor)輸送機(G-BKRG)の左側面:1943年後半以降の国籍マークが描かれている。1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。 手前からビーチAT-11カンザン(Kansan)高等練習機,ビーチ C-45F クススペディター(Expeditor)輸送機,ダグラス(Douglas) C-47A スカイトレイン(Skytrain)輸送機, ボーイング(Boeing)B-47E ジェット戦略爆撃機ロッキード(Lockheed)SR-71Aブラックバーン(Blackbird)高高度高速偵察機。
English: Aircraft on display at the Barksdale Global Power Museum at Barksdale Air Force Base near Bossier City, Louisiana (United States). Visible are a Beechcraft AT-11 Kansan, a Beechcraft C-45F Expeditor, a Douglas C-47A Skytrain, a Boeing B-47E Stratojet, and a Lockheed SR-71A Blackbird.
Date 19 September 2015
Source Own work
Author Michael Barera
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft Model 18 museum aircraft File:Barksdale Global Power Museum September 2015 56.jpg引用。
カラー写真(右)2016年1月、アメリカ、テキサス州 ヒューストン、ローンスター航空博物館(Lone Star Flight Museum)、キューバ空軍ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機 :
Bombing and gunnery trainer for USAAF derived from AT-7, fuselage had small, circular cabin windows, bombardier position in nose, and bomb bay; gunnery trainers were also fitted with two or three .30-caliber machine guns, early models (the first 150 built) had a single .30-cal AN-M2 in a Beechcraft-manufactured top turret, later models used a Crocker Wheeler twin .30-cal top turret, a bottom tunnel gun was used for tail gunner training, 1,582 built for USAAF orders, with 24 ordered by Netherlands repossessed by USAAF and used by the Royal Netherlands Military Flying School at Jackson, Mississippi.
In the early postwar era, the Beech 18 was the pre-eminent "business aircraft" and "feeder airliner". Besides carrying passengers, its civilian uses have included aerial spraying, sterile insect release, fish stocking, dry-ice cloud seeding, aerial firefighting, air-mail delivery, ambulance service, numerous movie productions, skydiving, freight, weapon- and drug-smuggling, engine testbed, skywriting, banner towing, and stunt aircraft. Many are now privately owned, around the world, with 240 in the U.S. still on the FAA Aircraft Registry in August 2017.
USAAF Serial: 42-37240 US Civil Registration: N218TX
Photo by Eric Friedebach
Date 16 January 2016, 10:38
Source Beechcraft AT-11, Cuban Air Force
Author Eric Friedebach
写真はWikimedia Commons,Category:Aircraft at the Lone Star Flight Museum File:Beechcraft AT-11, Cuban Air Force (51674908619).jpg引用。
図(右)アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の三面図:アメリカ陸軍航空隊AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、海軍でもビーチクラフト(Beechcraft)JRB-2として制式された。
Description
English: A 3-view line drawing of the Beechcraft AT-11 Kansan.
Date
Unknown date
Source
AN 01-90KC-3, page 12
Author
U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-11 Kansan File:Beechcraft AT-11 Kansan 3-view line drawing.png7引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機中期型は、.30口径7.62mm AN-M2 7.62mm機関銃装備の回転銃塔(ビーチクラフト社製造)あるいは後期型は 7.62mm連装機関銃搭載クロッカーウィーラー(Crocker Wheeler)製の上部回転銃塔、腹部回転銃塔を装備した。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機の生産機数は 1,582機がアメリカ陸軍用に、24機がアメリカミシシッピ州に創設されたオランダ空軍航空学校(Royal Netherlands Military Flying School)で使用された。オランダ本国は、1940年5月以降、ドイツ支配下にあり、亡命政府とその下のオランダ軍が連合国側に参加していた。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11カンザン(Kansan)射爆練習機をさらに見る。
5.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11改造の輸送機
写真(右)1955年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機を戦後流用したビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 輸送機(N508MH):第二次世界大戦中に大量生産されたAT-11カンサン(Kansan)高等練習機は、戦後に余剰物資として、アメリカ陸軍航空隊から民間に払い下げられた。小型で信頼性が高く、運用経費も低かったために、民間登録コードが与えられて、ふたたび民間輸送機として使用された機体も少なくない。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002306 引用。
写真(右)1955年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機を戦後流用したビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 輸送機(N508MH):第二次世界大戦後に大量に払い下げられたAT-11カンサン(Kansan)高等練習機は、僅かな改造を施しただけで、戦後に民間登録コードが与えられて、民間輸送機として活躍している。小型で信頼性が高い上に、運用経費が安価だったために、旧式機でも有用だった。
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002305 引用。
カラー写真(右)1965年頃、アメリカ、舗装滑走路でプロペラを回転しているビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機改造の輸送機(N63344)の右側面後方:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(42-37642)は、アメリカ陸軍航空隊USAAF向けにカンザスKS州ウィチタ(Wichita)で製造された。その後、民間機として登録コードN63344を与えられた。民間譲渡後は、機首ガラス風防、0.30-口径7.62ミリ機関銃を搭載する銃座などを撤去し整形した。本機以外にもアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機は、第二次世界大戦後に民間に払い下げられ、民間旅客機として利用された機体も多い。
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写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum catalog07.01.b-001460引用。
カラー写真(右)1965年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機を戦後に民間仕様に改造したビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 エクスペディタ―(Expeditor)輸送機(N63158):1943年以前にAT-11カンサン(Kansan)高等練習機として製造された機体で、1943年にアメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Force)にシリアル番号s/n 42-37444として配備された。1960年にカリフォルニア州サンタアナ(Santa Ana CA)タルマンツ航空(Tallmantz Aviation Inc)で新たに民間登録コード N63158として配備された。1963年には映画Its a Mad, Mad, Mad, Mad, World!に登場した1966年3月2日、オマハのローゼン・ノバック(Rosen Novak)自動車会社に譲渡された。1974年9月10日にN63158は抹消された。
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pictionid72684740 - title----beech at-11 kansan-- - filename07.01.b-00570.jpg- filename07.01.a-00261.jpg -Image scanned from a 35mm Slide
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum - catalog07.01.b-00570 引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(Serial #: 42-37444)は、第二次世界大戦の終戦後に旧式化し、需要がなくなったために、民間譲渡、払い下げがなされた。機首ガラス風防をソリッド化し、キャビンを民間輸送機に改造して、軽旅客機として使用された。形状はビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 エクスペディタ―(Expeditor)輸送機(N63158)とみなすことができる。
カラー写真(右)1965年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機を戦後に民間仕様に改造したビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 輸送機(N71790):第二次世界大戦中に大量生産されたAT-11カンサン(Kansan)高等練習機は、戦後に余剰物資として、アメリカ陸軍航空隊から民間に払い下げられた。小型で信頼性が高く、運用経費も低かったために、民間登録コードが与えられて、ふたたび民間輸送機として使用された機体も少なくない。
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pictionid72684186 - title----beech at-11 kansan reads lb27972.-- - filename07.01.b-00571.jpg- filename07.01.a-00261.jpg -Image scanned from a 35mm Slide
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum - catalog07.01.b-00571 引用。
カラー写真(右)2008年3月、アルゼンチン、ブエノスアイレス、モロン、国立航空博物館(Moron Museo Nacional De Aeronautica )、ニュージーランド空軍ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機改造の民間仕様航空地図作成仕様ビーチクラフト(Beechcraft)モデル18輸送機(E-110):1937年製造の AT-11練習機(ZK-AHO)は、当初、ニュージーランド空軍が使用した。しかし、1943年にはニュージーランド航空地図作成社に譲渡され、先刻の地図作成に使用された。1980年になっても、その当時の塗装が施されていた。
Description English: At Moron Museo Nactional De Aeronautica
Date 7 March 2008, 17:07:06
Source Flickr
Author Aeroprints.com
写真は Wikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft File:E-110 Beech 18 Argentine Airforce (7310442434).jpg引用。
カラー写真(右)2012年7月、コロンビア、ボゴタ、エルドラード空港、コロンビア空軍ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射爆練習機改造のビーチクラフト(Beechcraft)モデル18輸送機(902):
Description English: At Bogota El Dorado International
Date 4 July 2012, 16:21:01
Source Flickr
Author Aeroprints.com
写真は Wikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft File:FAC902 Beech AT-11 Kansan Fuerza Aerea Colombiana (7501553106).jpg引用。
写真(右)1946年10月19日、ニュージーランド、オークランド、ニュージーランド空軍ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機(製造番号 cn 3450)(42-37070)(ZK-AHO) :1937年製造でニュージーランド空軍に配備されたが、1943年にはミュージーランド航空写真社に引き渡されて航空写真の撮影にあたった。現在は、オークランド交通技術博物館(Museum of Transport and Technology)に保管展示されている。
Description
In front of Hangar 3 that had been the Naval Reserve before World War 2. This photo shows the wartime camouflage that was painted on all of the Oakland hangars and was still there in October 1946.
Date
14 August 2012, 19:23
Source
Beech AT-11 42-37070 Oakland 10-19-46
Author
Bill Larkins
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-11 (original variant) File:Beech AT-11 42-37070 Oakland 10-19-46 (7785510808).jpg引用。
カラー写真(右)2013年5月、ニュージーランド、オークランド、交通技術博物館(MOTAT:Museum of Transport and Technology)、ニュージーランド空軍ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機改造の民間仕様航空地図作成仕様ビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 (ZK-AHO):1937年製造の AT-11練習機(ZK-AHO)は、当初、ニュージーランド空軍が使用した。しかし、1943年にはニュージーランド航空地図作成社に譲渡され、全国の地図作成に使用された。1980年になっても、その当時の塗装が施されていた。
Description This Beech AT-11 Kansan (ZK-AHO) was built in 1937 and was used first by the RNZAF as a training aircraft. In 1943 it was taken over by New Zealand Aerial Mapping Limited and played a major role in the mapping of the whole country. It was retired in 1980 and still retains its original paint.
Date 21 May 2013, 14:11
Source Beech AT-11 Kansan
Author Bernard Spragg. NZ from Christchurch, New Zealand
写真は Wikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-11 Kansan museum aircraft File:Beech AT-11 Kansan (8919664259).jpg引用。
6.ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機
写真(右)1940-1941年、アメリカ、未舗装滑走路に駐機しているアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機の右側面:第二次大戦以前からアメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦のアメリカ軍機の国籍マークは、青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ<が描かれていた。アメリカ参戦前なのか、プロペラスピナーを付けていない。
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Beech : F-2 :
Manufacturer: Beech
Designation: F-2
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00014719引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機の原型となったビーチクラフト モデル 18は、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年から、9,000機以上が長期量産された。全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)2基搭載、全備重量9,300 ポンド。
写真(右)1940-1941年、アメリカ、アラスカ準州、雲海上空を飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト F-2写真偵察機:全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル。ビーチクラフト モデル 18軍用仕様は、1,500 機が量産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
Beech : F-2 :
Manufacturer: Beech
Designation: F-2
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00014725引用。
写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州(1912‐1959年)、マッキンリー山麓を飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機:全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル。ビーチクラフト モデル 18 軍用仕様は、1,500 機が量産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
Beech : C-45 : Expeditor
Manufacturer: Beech
Designation: C-45
Official Nickname: Expeditor
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00012936引用。
マッキンリー山(Mount McKinley)は、アメリカ、アラスカ州にある北アメリカ大陸の最高峰で標高6190.4 m、2015年より北米先住民デナッイア族の名称だったデナリ山(Denali)が正式な呼称となった。
写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山麓を飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) F-2写真偵察機:全幅47 ft 8 in.、全長
34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル。
Beech F-2 Alaska 1st PR Grp Alaska 1941 (2)
From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044640引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、前作モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発輸送機に次ぐ双発輸送機ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)の開発を1935年11月に開始した。機体は小型で、搭乗員2名、乗客6名で、小型で信頼性のあるプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)2基装備、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした全金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用した。
写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) F-2 写真偵察機:AT-11 カンザン(Kansan):1959年1月3日、アラスカは合衆国の第49番目に州に昇格した。
Beech F-2 Alaska 1st PR Grp Alaska 1941 (5)
From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family.
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。
ビーチクラフト F-2は、ビーチクラフト モデル B18Sの写真偵察機型。ビーチクラフト F-2Aは、C-45A軍用輸送機を改造した写真偵察機、ビーチクラフト F-2Bは、ビーチクラフト UC-45Fから改造された写真偵察機型。
7.ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)
写真(右)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 エクスペディター(Expeditor)輸送機(127193):コックピット操縦席の前は、反射光で操縦士が幻惑されないようにつや消し褐色塗装がなされている。国籍マークは1942年から1943年6月まで制定されたものを描いている。
Beech AT-10
DAYTON, Ohio -- Beech AT-10 Wichita at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
PHOTO BY:
VIRIN: 071026-F-1234S-003
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,Official United States Air Force Website
Beech AT-10F引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル26は、戦略物資節約のために、木製機として開発され、初飛行1941年7月19日、1942年から運用開始、発動機は、ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基搭載で、モデル 26よりも小型で、エンジン出力も65%でしかない小型機だった。ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で、発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を低く抑えている。そして、生産方式も、戦略物資節約の木製型で、分散型委託生産、戦時量産性に配慮していた。ただし、1942–1944年に2,371機で生産は終了したので、前作ビーチクラフト(Beechcraft)モデル18の生産機数9,000機の30%に満たなかった。
図(右)アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の三面図:
English: A 3-view line drawing of the Beechcraft AT-10 Wichita.
Date Unknown date
Source AN 01-90KB-2, page 12
Author U.S. Military
写真は Wikimedia Commons, Category:Line drawings of Beechcraft aircraft File:Beechcraft AT-10 Wichita 3-view line drawing.png引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)の諸元
乗員Crew: 2名
全長Length: 34 ft 4 in (10.46 m)
全幅Wingspan: 44 ft 0 in (13.41 m)
全高Height: 10 ft 4 in (3.15 m)
主翼面積Wing area: 298 sq ft (27.7 m2)
空虚重量Empty weight: 4,750 lb (2,155 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 6,130 lb (2,781 kg)
発動機Powerplant: ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基
最高速力Maximum speed: 198 mph (319 km/h, 172 kn)
航続距離Range: 770 マイル (1,240 km, 670 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 16,900 ft (5,200 m)
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)
8.セスナ AT-17(UC-78)ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機
写真(右)2022年5月19日、アメリカ、オハイオ州デイトンの真東、リバーサイド、ライト・パターソン空軍基地内部、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)、アメリカ陸軍航空隊セスナ UC-78B-CE ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機(42-71626)の左側面: AT-17は、1943年6月 UC-78と形式名称が変更になった。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。1943年6月に採用されたアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。
Description: Cessna UC-78B
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:42-71626 (aircraft) File:Cessna UC-78B USAF.jpg引用。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、アメリカの軽飛行機の代名詞となったセスナ飛行機の設計・生産になる双発の高等練習機である。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊は、他の主要国と同じく、双発戦闘機を開発しており、単発機による操縦訓練だけではなく、双発機による訓練が求められた。また、中型爆撃機も双発機だったために、その操縦訓練も必要だった。
写真(右)2022年5月19日、アメリカ、オハイオ州デイトンの真東、リバーサイド、ライト・パターソン空軍基地内部、国立アメリカ空軍博物館(National Museum of the United States Air Force)、アメリカ陸軍航空隊セスナ UC-78B-CE ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機(42-71626)の左側面: AT-17は、1943年6月 UC-78と形式名称が変更になった。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。
Description English: Cessna UC-78B-CE Bobcat at the National Museum of the United States Air Force.
Date 19 May 2022
Source Own work
Author ZLEA
写真はWikimedia Commons,Category:42-71626 (aircraft) File:Cessna UC-78B-CE (5-19-2022).jpg引用。
こうした双発機の操縦訓練のために開発された練習機が、アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)で1939年3月26日に初飛行している。これは第二次世界大戦勃発の半年前のことだった。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、新鋭機に対応して、引込み式の降着装置、電動フラップを採用し、主力機と同じく低翼単葉とした。発動機は、操縦しやす量産にも向いている2基のジェイコブスR-755空冷星型エンジン245hpを搭載してた。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャットの最高速力は314 km / h、航続距離は1,200 kmで、最大4名の訓練生が搭乗可能で、貨物なら450kgを搭載運搬ができた。
便利なセスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、訓練以外にも、連絡、軽輸送、偵察、救急患者輸送機、軽爆撃の任務にも使用された。ボブキャットは、1939年から1944年の間に合計5,422機も大量生産されている。
図(右)アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の三面寸法図:
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat.
Date 15 April 1944
Source app.aircorpslibrary.com
Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Cessna AT-17 Bobcat 3-view line drawing.png引用。
セスナ AT-17 ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の諸元
乗員Crew: 操縦士1名 + 練習生4名
全長Length: 32 ft 9 in (9.98 m)
全幅Wingspan: 41 ft 11 in (12.78 m)
全高Height: 9 ft 11 in (3.02 m)
翼面積Wing area: 295 sq ft (27.4 m2)
空虚重量Empty weight: 3,500 lb (1,588 kg)
総重量Gross weight: 5,700 lb (2,585 kg)
離陸最大重量Max takeoff weight: 6,062 lb (2,750 kg)
発動機Powerplant: 2 × ヤコブス(Jacobs)R-755-9 空冷星形7気筒エンジン245 hp (183 kW)
最高速力Maximum speed: 195 mph (314 km/h, 169 kn)
巡航速力Cruise speed: 175 mph (282 km/h, 152 kn)
失速度Stall speed: 63–66 mph (101–106 km/h, 55–57 kn)
航続距離Range: 750 mi (1,210 km, 650 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,000 ft (6,700 m)
状両立Rate of climb: 1,150 ft/min (5.8 m/s)
離陸滑走距離Take-off run: 650 ft (200 m) 〜 50 ft (15 m)
着陸滑走距離Landing run: 1,400 ft (430 m) 〜 50 ft (15 m) /90 mph (140 km/h)
⇒写真集Album:セスナ(Cessna)AT-17(UC-78)ボブキャット(Bobcat)
9.カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機
写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)郊外、ランドルフ・フィールド飛行場(Randolph Field)、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機H9,H1,H8,G3,G1の戦列と登場に向かう訓練生たち:訓練生は、パラシュートを下げているが、これは座席のクッション代わりとなる。1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが描かれている。
Title: [Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Pepperell Manufacturing Company]
Creator: Richie, Robert Yarnall, 1908-1984
Date: February 1943
Series: Series 6: Negatives and Color Transparencies
Negative Series: 2509
Place: San Antonio, Texas
Description: U.S. Air Force pilots walking toward an aircraft hangar, past a squadron of Curtiss-Wright AT-9A aircraft.
Physical Description: 1 negative: film, black and white; 12.4 x 10.1 cm
Date 1 February 1943,
Author
Robert Yarnall Richie (1908–1984)
SMU Central University Libraries
Robert Yarnall Richie Photographs
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Pepperell Manufacturing Company (11179239916).jpg引用。
図(右)アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機の三面寸法図:
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat.
Date 15 April 1944
Source app.aircorpslibrary.com
Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss-Wright AT-9A 3-view line drawing.png引用。
カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機の諸元
乗員: 2名
全長:31 ft 8 in (9.65 m)
全幅; 40 ft 4 in (12.29 m)
全高 9 ft 10 in (3.00 m)
空虚重量:4,494 lb (2,038 kg)
総重量:6,060 lb (2,749 kg)
発動機: ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジン295hp (220 kW)×2
最大速力: 197 mph (317 km/h, 171 kn)
巡航速力:175 mph (282 km/h, 152 kn)
実用上昇限度:19,000 ft (5,800 m)
航続距離:750 mi (1,210 km, 650 nmi)
上昇率:10,000 ft (3,000 m) まで8.6分
初飛行:1941年
生産期間:1941–1943年に792機
⇒写真集Album:カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機
10.フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機練習機
写真(右)1936-1937年頃、離陸した瞬間のドイツ空軍フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 "Weihe"ワイエ機上作業練習機:機首はソリッド化されて、7.7mmMG15旋回機関銃1挺の付いた銃座がある。胴体後上方にも同様の銃座がある。これらは、防御用というより、機上で旋回機関銃の操作を練習するためのものである。エンジンが駆動しており、2翅可変ピッチプロペラが回転している。エンジンナセルの下の引込み式の降着装置は、まだ収納庫に引き込まれていない。
Focke-Wulf Fw 58
Catalog #: 00079298
Manufacturer: Focke-Wulf
Designation: Fw 58
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。
ドルニエ(Dornier)Do JワールWal飛行艇と形状が似ているフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 "Weihe"ワイエ輸送機・練習機似たような愛称を付けられた。堅牢な構造で実用性が高かったために生産終了後も長らく使用されている。
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"機上作業練習機諸元:
初飛行:1935年1月18日
就役:1937年
生産終了:1942年
生産機数:1668機(FWで592機)
全長: 14.2 m
全幅: 21.00 m
全高: 4.5 m
翼面積 47平方メートル
自重: 2,400 kg
全備重量: 3,600 kg
発動機:アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒エンジン(排気量:12.677 L)240 hp 2基
最高速力: 280 km/h
実用上昇限度: 5,600 m
航続距離: 800 km
乗員: 6 名
⇒写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)A50「報知日米親善号」太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
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