◆ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機
写真(上)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 エクスペディター(Expeditor)輸送機(127193):コックピット操縦席の前は、反射光で操縦士が幻惑されないようにつや消し褐色塗装がなされている。国籍マークは1942年から1943年6月まで制定されたものを描いている。
Beech C-45
Beech C-45G aft view. (U.S. Air Force photo)
PHOTO BY:
VIRIN: 060720-F-1234P-019
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,Official United States Air Force Website
Beech AT-10引用。
カラー写真(上)2018年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機の機首下方正面:引込式降着装置を下ろし、フラップも引き下げてた着陸態勢で展示されている。
Photo ref; Nikon-D80-2018-DSC_0249 (Edited)
Date 3 May 2018, 15:15
Source Beech AT-10 Wichita, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA.
Author Roland Turner from Birmingham, Great Britaint
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 Wichita, National Museum of the US Air Force, Dayton, Ohio, USA. (43920530305).jpg引用。
カラー写真(上)2022年1月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機の機首正面:
English: Photo taken at the National Museum of the United States Air Force.
Date 22 January 2022, 16:17:36
Author loganrickert
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:National Museum of the United States Air Force - 51839327754.jpg引用。
1.ウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Herschel Beech)
写真(右)1945年頃、アメリカ、、1932年4月にビーチクラフト(Beechcraft)社を創設したウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Herschel Beech:1891年1月30日 - 1950年11月29日)):ビーチクラフト社は、1932年11月ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング (Beechcraft Model 17 Staggerwing)輸送機、1931年ビーチクラフト 18 エクスペディター(Beechcraft Model 18 Expeditor)輸送機、1945年12月ビーチクラフト 35 ボナンザ (Beechcraft Model 35 Bonanza)単発輸送機などを開発し、生産、販売した。
SDASM Archives
Beech, Walter Herschel
Last Name: Beech
First Name: Walter Herschel
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: BIOB00142引用。
ウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)は、自らグライダー飛行を行うなど、青年時代から飛行機に親しんでおり、第一次世界大戦中はアメリカ陸軍航空隊での飛行経験を積んだ。
その後、ウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)は、1920年創立のカンザス州ウィチタのレアード・アビエーション(E.M. Laird Aviation Company Ltd.)のテストパイロットとなり、重役の一員に昇進した。
レアード・アビエーション(E.M. Laird Aviation Company Ltd.)で、航空会社経営の経験を積んだウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1924年、ロイド・ステアマン(Lloyd Stearman,)、クライド・セスナ(Clyde Cessna)と共同で新たな航空会社トラベル・エアー社(Travel Air Manufacturing Company) をカンザス州ウィチタ(Wichita)に設立した。
写真(右)1940年頃、アメリカ、ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング (Beechcraft Model 17 Staggerwing)(登録コード 12598)とウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Herschel Beech:1891年1月30日 - 1950年11月29日):ウォルター・ハーシェル・ビーチは、1932年にビーチクラフト社を設立し、すぐにビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング (Beechcraft Model 17 Staggerwing)輸送機を開発し、生産、販売した。
SDASM Archives
Beech, Walter Herschel
Last Name: Beech
First Name: Walter Herschel
Notes:
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: BIOB00146引用。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)17 スタッガーウィング (Staggerwing) を見る。
1929年9月、ニューヨーク州バッファロー(Buffalo)のカーチス・ライト(Curtiss-Wright)社がトラベル・エアー社を合併した後、ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は副社長に就任した。1932年4月、ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、妻オリーブ・アン・ビーチ(Olive Ann Mellor Beech:1903–1993)らとともに、共同で飛行機製造所ビーチクラフト社(Beech Aircraft Company)を再びカンザス州ウィチタ(Wichita)に設立したのである。
ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)A〜S各型の装備した発動機は、7種にも達した。
ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1932年4月、カンザス州ウィチタ(Wichita)にビーチクラフト(Beechcraft)社を創立した。
ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1932年11月にビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)複葉機を初飛行させ、これが初の成功作となった。量産性と中小工場での分散部品生産に配慮したが、その一つが装備した発動機の種類が選択制になったことである。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、1932年4月にウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)がカンザス州ウィチタ(Wichita)に創立された飛行機製造会社である。会社設立後すぐに開発したビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)の成功で発展し、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を開発し、1942年以降、アメリカが第二次世界大戦に参戦した直後の航空機大増産で、大きく成長した。
ビーチクラフト(Beechcraft)社では、アメリカ陸海軍用に、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を原型としたAT-7、AT-11練習機、C-45輸送機、モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発複葉機を原型にしたUC-43軽輸送機・連絡機を開発し、大量生産された。
図(右)1950年頃、アメリカ、1932年4月にビーチクラフト(Beechcraft)社を創設したウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Herschel Beech:1891年1月30日 - 1950年11月29日):ビーチクラフト社は、ビーチクラフト社は、1932年11月ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング (Beechcraft Model 17 Staggerwing)輸送機、1937年ビーチクラフト 18 エクスペディター(Beechcraft Model 18 Expeditor)輸送機、1945年12月ビーチクラフト 35 ボナンザ (Beechcraft Model 35 Bonanza)単発輸送機などを開発し、生産、販売した。
SDASM Archives
Beech, Walter Herschel
Last Name: Beech
First Name: Walter Herschel
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: BIOB00152引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、1932年4月にウォルター・ハーシェル・ビーチ(Walter Beech)がカンザス州ウィチタ(Wichita)に創立された飛行機製造会社である。会社設立後すぐに開発したビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)の成功で発展し、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を開発し、1942年以降、アメリカが第二次世界大戦に参戦した直後の航空機大増産で、大きく成長した。
ビーチクラフト(Beechcraft)社の共同設立者に名を連ねた妻オリーブ・アン・ビーチ(Olive Ann Mellor Beech)は、飛行機会社経営で名を挙げた初の女性となった。つまり、航空業界初の女性“First Lady of Aviation”と言われたのである。
ビーチクラフト(Beechcraft)社では、ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィング(Beechcraft Model 17 Staggerwing)複葉機についで、1935年11月に双発輸送機の開発を開始した。これがビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)で、搭乗員2名、乗客6名で小型輸送機として、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした。構造は、1930年代では先端的で、金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用している。
2.ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)
写真(右)1941年頃、アメリカ、未舗装滑走をに駐機しているビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita):ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、1941年前半に初飛行した資源節約型の木製機である。ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、1942年以前のアメリカ参戦前に採用された形式で、青丸白星赤丸で、方向舵に赤白帯ストライプが描かれている。
Beech, AT-11
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044642 引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26は、戦略物資節約のために、木製部位を多くした金属・木製混合機として開発され、中小工場でも部品製造ができるように容易な製造法が採用された。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Model 26)試作機は、1941年5月に完成したが、機体構造は木製で、アルミ(Aluminum)は、コックピット、機首前部、エンジンナセル(engine nacelleとカウリング(cowling)、降着装置(landing gear components)である。しかし、第一回目の試作機初飛行で墜落し、テストパイロットが死亡した。 試作2号機は、1941年7月に初飛行に成功した。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26の初飛行は1941年7月19日、1942年から運用開始、発動機は、ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基搭載で、モデル 26よりも小型で、エンジン出力も65%でしかない小型機だった。ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)は、資源節約型で、戦時量産性に配慮していた。1942–1944年に2,371機で生産は終了したので、前作ビーチクラフト(Beechcraft)モデル18の生産機数9,000機の30%に満たなかった。
写真(右)1940年以降、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Model 26)民間輸送機の軍用仕様ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita):
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan[→Beechcraft AT-10 Wichita]
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002285引用。
米国の中立 : 社説
大阪毎日新聞
Vol: 第148巻
Page: 168
出版年
1939-09-06
すでに英仏両国がドイツに対して宣戦を布告し、戦争状態の存在が確認された以上、米国の中立維持声明に次いで、[1937年]中立法[Neutrality Act]の発動を見るであろうことは自明の理である。欧洲大戦を前にして、米国の民衆は戦争に巻き込まれるのを極度に恐れているが、それでいて一面英仏に対しては深い同情を寄せている模様だ。
ルーズヴェルト[Franklin Roosevelt]大統領が去る三日の声明において、「米国は国家として飽くまで中立を維持する方針である、但し余は個々の米国民に対しては、国家の場合と同様に、思想上中立を守るよう要求することをなし得ないと思う」と述べているのは、蓋し多数米国民の心境に触れたものといえよう。
[1935年以来の]中立法[Neutrality Acts]の発動は、自動的に米国から欧洲の全交戦国への武器輸出を禁止することになるのであるが、輸送手段にことを欠かぬ限り、武器の絶対禁輸などということはあり得ない。英仏両国はその潤沢な資金と、海上制覇によって、現実には「現金、自国船主義」を適用した場合とおなじように、米国より武器弾薬を輸入し得るものと観測される。ルーズヴェルト大統領としては、彼が早くから予期していた欧洲大戦の勃発を見て、いよいよ中立法[Neutrality Acts]の改正に着手することになろう。過般米国上院が[1939年11月]中立法改正案[Neutrality Act]の審議を中止した表面の理由は、ルーズヴェルト大統領が年内に欧洲の危機が到来するという観測に対し、上院側がその憂いなしというにあった。
上院側のかかる反対観測が、欧洲に展開された現実の事態によって見事に覆されてしまった以上、ルーズヴェルト大統領としては、近く臨時議会を召集して、早急に[1939年11月]中立法改正案[Neutrality Act]の通過を計ることが予想される。該案の重点を一言にして尽くせば、戦時米国が中立を維持しつつ、英仏を援助することである。戦争には巻き込まれたくないが、英仏は援助したいという米国民の要求を充たそうとする案である。
この[1939年]新中立法[Neutrality Act]が実施された場合、それはドイツにとって、新たな一大敵国の出現を意味する。ヒットラー総統は初めから米国の英仏援助を考慮に入れて、作戦計画を樹てたかも知れないが、そうだとすればドイツ空軍ならびに潜水艦の活動は益々熾烈となり、結局米国の参戦ということが予想される。中立法乃至中立法の改正は、実は米国の参戦を促進するという意味において関心に値する問題なのである。(米国の中立 : 社説引用終わり)
写真(右)1940年以降、アメリカ、3機編隊飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ。
Beech, AT-10, Whichita
Manufacturer: Beech, AT-10, Whichita
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita Catalog #: 00002286
引用。
実際にアメリカ陸軍航空隊に1942年、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)として制式された。しかし、アメリカにとって、戦略物資の欠乏は杞憂に終わったために、木製の機体は、加工に労力が必要で、かえって量産を困難にしたようだ。それでも、1942–1944年に2,371機もが量産された。同じ木製機の失敗は、ヒューズ H-4 ハーキュリーズ(Hughes H-4 Hercules)超大型飛行艇で繰り返されることになる。
カラー写真(右)1942−1943年前半、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)モデル25/26 AT-10 ウィチタ(Wichita):
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan[→Beechcraft AT-10 Wichita]
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,P D Stemp(2018) Kites, Birds & Stuff - BEECH Aircraft BEECH Aircraft 25/26 AT-10 Wichita引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26は、アルミニウムなど戦略物資を節約することを目的に、機体の大半を木製とした飛行機である。燃料タンクは木製で、燃料配管は航空機用揮発油でも変質しないゴム管を用いていた。
ゴムには、ゴムの木から採取したた天然ゴムと石油化学物質を用いられていた合成ゴム(Synthetic rubber)がある。合成ゴムは、石油やナフサから生成される化学製品で、エチレン、プロピレン、ブタジエンなどの分子量の小さい分子化合物(モノマー)を原料として使い、重合反応を行なうことで合成ゴム(Synthetic rubber)の高分子(ポリマー)が作られる。特徴は、耐熱性、耐油性、耐久性である。
主な合成ゴム(Synthetic rubber)には、フッ素ゴム・シリコンゴム、ウレタンゴムは、張力に優れた特性をもつため破れくいです。多硫化ゴム(Vulcanized Rubber)(耐油性・耐オゾン性)、アクリルゴム(Acrylic rubber)(高温の耐久性・耐油性)、クロロプレンゴム(Polychloroprene)(熱やオゾンへの耐性)、エチレンプロピレンゴム(液体・電気誘導性)、スチレンブタジエンゴム(摩耗や経年劣化への耐久性)がある。
写真(右)1943年前半、アメリカ、編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の右側面:主輪は、エンジンナセルに引き込まれているが、ゴム車輪の一部は露出したままである。尾輪は固定式である。
A U.S. Army Air Forces Beechcraft AT-10 Wichita trainer in flight. Two Beechcraft AT-11 Kansan are visible in the background.
Date circa 1943
Source National Museum of the U.S. Air Force photo 140225-F-DW547-002
Author USAF
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10 Wichita in flight c1943.jpg引用。
国防資材輸出取締法明日より効力を発生 : 飛行機部分品等許可制
報知新聞
巻
第 46巻
記事番号
124
出版日
1940-07-04
[写真(ル米大統領)あり 省略]
ワシントン二日発同盟=ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領は過般議会を通過した国防資材の輸出取締に関する[1940年]シェパード・メイ法[Export Control Act]案に二日署名を了し、右法律は来る五日より効力を発生することになった、同法の成立により大統領は二日直に同法最初の適用として化学製品、飛行機部分品、装甲板、ガラス、錫及びゴムの如き若干の金属物資または製品の輸出には許可を要する旨布告した、ちなみにシェパード・メイ法[Export Control Act]の内容左の通り
(一)陸空軍現有兵力に対する法定限度の撤廃
(一)米国防上緊要なる工作機械類、軍需装備の禁輸権限を大統領に賦与する
(一)軍需資材購入のため大統領に一億三千二百万ドルの支出を許容する(その半分は契約権限)
(一)民間会社との契約に際し落札の形式によらず、陸軍長官が契約交渉を進め得る権限を与え、注文と同時に契約価格の三割を前払することを許す
屑鉄は包含せず
ワシントン二日発同盟=国防関係資材の輸出取締に関する[1940年]シェパード・メイ法[Export Control Act]がいよいよ成立した結果、米国政府が対日屑鉄輸出に対して如何なる措置を執るかが極めて注目されているが、ルーズヴェルト[Roosevelt]大統領は二日新聞記者団との会見席上『屑鉄の禁輸は如何』との質問が出たのに対し、大統領は『屑鉄は含まない、屑鉄は十分にある』と答えた、政府当局の意向では日本は既に屑鉄の大量ストックを有して居り、今更これが禁輸は意味をなさず、大統領の言明通り米国としても屑鉄は十分保有していることでもあるから、特に日本を刺戟する必要はないとしている
要許可品目
ワシントン二日発同盟=ルーズヴェルト[Roosevelt]大統領は過般議会を通過した国防資材輸出取締法に対し二日署名を了すると同時に同法最初の適用として一部金属及びその製品の輸出には許可を要する旨布告したが、許可を要する輸出品目詳細は次の通りである
一、[1935年以来の]中立法[Neutrality Acts]により規定せられたる武器弾薬その他軍需器材
一、左記諸原料及び右原料を含む製品 アルミニューム、アンチモニー、石綿、クロミューム、棉リンター、亜麻、石墨、水銀、雲母、モリブデン、光学ガラス、白金、石英、水晶、キニーネ、ゴム、生糸、錫、トリュイーン、タングステン、ヴァナヂューム、羊毛
一、左記の化学製品アンモニア及びアンモニア化合物、塩素、ヂメチール・アニリン、ヂフェニル・アミン、発煙硝酸、硝酸塩、綿火薬、曹達石灰、酸曹達、無水ストロンチーム、硫酸化合物
一、中立法[Neutrality Acts]に含まれるもの以外の航空機部分品及び附属品、装甲用ガラス、眼鏡類、プラスチック
一、左記の工作機械
金属溶解、整形、切削、研磨、溶接などに要する各種機械
屑鉄除外当然 我鉄鋼業者好感
アメリカの国防資材輸出取締法は二日大統領の署名を了し五日より効力を発生し、同法には屑鉄を含まぬと言明されたことは我が鉄鋼業者も好感している、対日屑鉄は主として太平洋沿岸のもので対日輸出を有利としており、従来とも米屑鉄業者間には対日輸出禁止反対論が熱心に主唱されていた経緯もあり、またたとい米製鉄作業率が百パセントとなっても輸出余力があり、屑鉄禁輸除外は妥当な措置と見られる(国防資材輸出取締法明日より効力を発生 : 飛行機部分品等許可制引用終わり)
写真(右)1943年前半、アメリカ、編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機(234584)の右上側面:ビーチクラフト開発の機体をテキサス州フォートワースのグローブ航空の工場で600機生産したが、その機体。エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。主輪は引き込まれているが、尾輪は固定式である。
A U.S. Army Air Forces Beechcraft AT-10-GF Wichita (42-34584) in flight. This was one of the batch of 600 aircraft built by Globe Aircraft at Fort Worth, Texas (USA).
Date circa 1943
Source National Museum of the U.S. Air Force photo 140225-F-DW547-003
Author USAF
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10-GF in flight c1943.jpg引用。
樹脂の飛行機アルミの軍艦 : アメリカあの手この手
大阪朝日新聞
Vol: 第 2巻
Page: 44
出版年
1941-11-30
[写真(継目なしプラスチックの飛行機)あり 省略]
近く引揚邦人を迎えに行く龍田丸で帰朝予定の大阪府立貿易館ニユーヨーク出張所員から“在米最後の通信”が二十七日本人より一足先に田島館長宛に届いた、この所員某氏(特に名を秘す)は目下帰国の準備を急いでいるが通信文には金属代用の総プラスチツク製自動車と航空機の大量生産を報じ金属に代る明日の合成化学時代を暗示している
『材料の七〇%は木材パルプ、大豆セルローズなどで三〇%の合成樹脂(Plastic)で固め大体の形を造る、車体の塑型は仕上品より約三倍の厚さでまず型に入れて一五〇〇ポンドの圧力を加えて加熱すると車体がみごと完成する、こうしてすでにプラスチツクの躍進がめざましく冷蔵庫、電気掃除器などあらゆるものに利用の途を拓いて驀進、最近ではワシントンのラングレー航空会社研究所(Langley Research Center)で飛行機を試作した、長さ二十呎、翼長三十五呎、重量二千三百ポンド、六十五馬力のエンジン二基を備え巡航速度一二五マイルで練習機として大量生産が可能であるといわれている』
【ワシントン二十八日発同盟】アメリカ海軍省は目下画期的アルミニウム駆逐艦の建造を計画中である旨二十八日発表した
同省スポークスマンは右につき『同艦の最高速力は五十二ノットであるが、その採用は未決定である』と語ったのみで詳細説明を避け、また同艦の具有すべき性能見込についても一切説明を与えなかった(樹脂の飛行機アルミの軍艦 : アメリカあの手この手引用終わり)
写真(右)1943年前半、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機108(19410)の右側面:ビーチクラフト開発の機体をテキサス州フォートワースのグローブ航空の工場で600機生産したが、その機体。エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。エンジンナセル先端部部bbが反射除けの黒塗りされている。主輪は引き込まれているが、尾輪は固定式である。
Description
English: Turner Army Airfield - Beech AT-10 Wichita in Flight
Date 1944
Source United States Army Air Forces
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10-GF in flight c1943.jpg引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタのエンジンには、ハミルトン・スタンダード(Hamilton-Standard)社製2翅(two-blade)定速(constant-speed)プロペが装備されたが、このプロペラは片方のエンジン停止時の片肺飛行では、プロペラを(フルフェザー(full-feathering)して、空気抵抗を最小にすることができた。ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジンは、アメリカ陸軍航空隊でボーイング・ステアマン(Boeing-Stearman) PT-13初等練習機、その海軍仕様 N2S初等練習機も装備し、大戦期間中に数千機が量産されている。
写真(右)1943年前半、アメリカ、イリノイ州ジョージ飛行場、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の右側面:エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。20機のAT-10 ウィチタが写っている。
Description
English: Beechcraft AT-10s at George AAF IL
Date 1943
Source United States Army Air Forces via www.fuselagecodes.com
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10s at George AAF IL.jpg引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)の発動機は, ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)で、出力は海面上で295 hp (220 kW)毎分2,300回転、離陸出力は275 hp、毎分2,200回転、210hp毎分2,000回転、であり、双発機としては低出力だったが、エンジンの信頼性は高かった。
写真(右)1943年前半、アメリカ、テキサス州ヒューストン郊外、エリントン飛行場、訓練中の飛行機搭乗員とアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:搭乗員はパラシュートを身に着けているが、機内の座席では、パラシュートが座席クッション代わりに使われる。エンジンカウリング先端に反射防止の黒塗りがなされているようだ。
Description
English: Ellington Field - 44E Classbook
Date 1944
All items in the Army Air Forces Collection are licensed by Mike Voisin under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Ellington Field - 44E Classbook.pdf引用。
カラー絵葉書(右)1943年前半、アメリカ、イリノイ州ジョージ飛行場、軍旗を掲げた飛行訓練学校生徒と低空飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:搭乗員はパラシュートを身に着けているが、機内の座席では、パラシュートが座席クッション代わりに使われる。エンジンカウリング先端に反射防止の黒塗りがなされているようだ。
File name: 06_10_013477 Title: The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training Date issued: 1930 - 1945 (approximate) Physical description: 1 print (postcard) : linen texture, color ; 3 1/2 x 5 1/2 in. Genre: Postcards Notes: Title from item. Collection: The Tichnor Brothers Collection Location: Boston Public Library, Print Department
Date 11 February 2011, 05:56:26
Source Flickr: The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training
Author Boston Public Library
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training.jpg引用。
写真(右)1943年前半、アメリカ、イリノイ州ジョージ飛行場(?)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の右上側面:エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。20機のAT-10 ウィチタが写っている。
Description
English: Blackland Army Airfield Aircraft Parking Ramp
Date 1943
Source United States Army Air Forces
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Blackland Army Airfield Aircraft Parking Ramp.jpgg引用。
写真(右)1943年前半、アメリカ、ジョージア州ムーディ飛行場、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita):エンジンナセルが延長された中期型で、カウリング先端が反射防止の黒塗りがなされている。
English: AT-10s at Moody Army Airfield, Georgia, 1943
Date 1943
Source United States Army Air Force via National Archives
Author US Army Air Force
Permission
(Reusing this file) USGOV-PD
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10s at George AAF IL.jpg引用。
写真(右)1943年前半、アメリカ、アーカンソー(Arkansas)州、シュトゥットガルト陸軍飛行場(Stuttgart Army Air Field)アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機 ST338の左側面:ビーチクラフト開発の機体をテキサス州フォートワースのグローブ航空の工場で600機生産したが、その機体。エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。エンジンナセル先端部が反射除けの黒塗りされている。主輪は引き込まれているが、尾輪は固定式である。
Description
English: Beechcraft AT-10 ST338 - Stuttgart AAF AR
Date 1943
Source United States Army Air Forces via http://www.fuselagecodes.com/id5.html
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10 ST338 - Stuttgart AAF AR.jpg引用。
写真(右)1942-1943年前半、アメリカ、3機編隊飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)に率いられた2機のビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18 軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機:ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止。
Beech, AT-10, Whichita
Manufacturer: Beech, AT-10, Whichita Sergio Carneiro
10y
The first plane is a Beech AT-10 Wichita, and the others two are Beech AT-7 Navigator (version of the Beech C-45)
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002287 引用。
アメリカ軍の国籍記章は
(1)第二次大戦以前・アメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦:青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ
(2)太平洋戦争初期・1943年6月以前:青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止
(3)1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
(4)1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
(5)第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1944年頃、アメリカ、ジョージア州オーバニー、ターナー飛行場、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:エンジンナセルが延長された中期型で、カウリング先端が反射防止の黒塗りがなされている。
English: AT-10s in a hangar at Turner Army Airfield, about 1944
Date 1947
Source United States Army Air Force via National Archives
Author USAAF
Permission
(Reusing this file) USGOV-PD
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Turner Army Airfield - Beech AT-10 Wichitas in Maintenence Hangar.jpg引用。
写真(右)1943年後半から1944年、アメリカ、イリノイ州フリーマン飛行場(Freeman Field)所属のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機F409(234865):エンジンナセルが延長された中期型で、カウリング先端が反射防止の黒塗りがなされている。
English: Beechcraft AT-10 F-409 - Freeman Field IL
Date 1943
Source United States Army Air Forces
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10 F-409 - Freeman Field IL.jpg引用。
写真(右)1942-1950年、アメリカ、カンザス州、ウィチタ・ビーチエアクラフト飛行場(Wichita-Beechcraft Field)舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ
:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。
SDASM Archives
35mm slide image
pictionid72684804 - title----beech at-10 wichita-- - filename07.01.b-00544.jpg- filename07.01.a-00261.jpg -Image scanned from a 35mm Slide
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum - catalog07.01.b-00544 引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)の諸元
乗員Crew: 2名
全長Length: 34 ft 4 in (10.46 m)
全幅Wingspan: 44 ft 0 in (13.41 m)
全高Height: 10 ft 4 in (3.15 m)
主翼面積Wing area: 298 sq ft (27.7 m2)
空虚重量Empty weight: 4,750 lb (2,155 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 6,130 lb (2,781 kg)
発動機Powerplant: ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基
最高速力Maximum speed: 198 mph (319 km/h, 172 kn)
航続距離Range: 770 マイル (1,240 km, 670 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 16,900 ft (5,200 m)
写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ高等練習機(2360006)
:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。ただし、AT-10ウィチタにはV型尾翼(Vee Tail Unit)の実験機が試作されている。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002284引用。
写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ高等練習機(2360006):ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。
SDASM Archives
Beech : AT-10
Manufacturer: Beech
Designation: AT-10
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002282引用。
写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ高等練習機(2360006)
:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002283引用。
写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタV型尾翼実験機:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式であるが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で識別は容易。ただし、AT-10ウィチタにはV型尾翼(Vee Tail Unit)の実験機が試作されている。
SDASM Archives
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 000446408引用。
写真(右)1944年10月15日、アメリカ、不時着事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機59(126880)の機首正面:不時着事故を起こした時の証明写真だが、機体の損傷の程度は小さく、修理の上、再使用可能に見える。搭乗者に死者はいなかったようだ。
SDASM Archives
Aircraft Accident
Title: Aircraft Accident
Additional Information: Beech At-10 Crash
Tags: Aircraft Accident, Beech At-10 Crash
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 10_0013109引用。
1944年10月15日、アメリカ、不時着事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機59(126880)の機首正面:右主翼上面に、1943年後半から採用されたスター&バーの国籍マークを描いている。これ以前、1941年5月5日、アメリカ、カンザス州、ウィチタ・ビーチエアクラフト飛行場(Wichita-Beechcraft Field)を飛び立った試験飛行で離陸直後に事故を起こしている。
SDASM Archives
Aircraft Accident
Title: Aircraft Accident
Additional Information: Beech At-10 Crash
Tags: Aircraft Accident, Beech At-10 Crash
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 10_0013111引用。
写真(右)1944年10月15日、アメリカ、不時着事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機59(126880)の機首正面:これ以前、1941年5月5日、アメリカ、カンザス州、ウィチタ・ビーチエアクラフト飛行場(Wichita-Beechcraft Field)を飛び立った試験飛行で離陸直後に事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 試作1号機。同乗者1名は、操縦士ジョージ・ムード(George Moody)少佐で事故により死亡している。
SDASM Archives
Aircraft Accident
Title: Aircraft Accident
Additional Information: Beech At-10 Crash
Tags: Aircraft Accident, Beech At-10 Crash
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 10_0013108引用。
写真(右)1944年10月15日、アメリカ、不時着事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機59(126880)の機首正面:右主翼上面に、1943年後半から採用されたスター&バーの国籍マークを描いている。これ以前、1941年5月5日、アメリカ、カンザス州、ウィチタ・ビーチエアクラフト飛行場(Wichita-Beechcraft Field)を飛び立った試験飛行で離陸直後に事故を起こしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 試作1号機。同乗者1名は、操縦士ジョージ・ムード(George Moody)少佐で事故により死亡している。
SDASM Archives
Aircraft Accident
Title: Aircraft Accident
Additional Information: Beech At-10 Crash
Tags: Aircraft Accident, Beech At-10 Crash
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 10_0013110引用。
第二次世界大戦中にビーチクラフト社は、軍需産業で躍進し、7400機以上の飛行機を量産した。ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)がその主力である。また、その軍用練習機仕様であるビーチ(Beech)AT-71C-45双発高等練習機は、アメリカ陸軍航空隊(USAAF:U.S. Army Air Forces)の使用した航法・爆撃練習機(navigator/bombardier)の50%に達する双発機搭乗員が訓練を受けている。
写真(右)1946年頃、オランダ領東インド(インドネシア)、アメリカ、低空飛行するビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)練習機の右側面:後方の港湾には、アメリカ軍の戦車揚陸艦(LST:Landing Ship, Tank)8隻が停泊しており、インドネシア独立戦争に直面したオランダ政府が、現地反乱鎮圧に派遣したオランダ軍を揚陸した時期と思われる。左は、尾部を持ち上げた状態のダグラスDC-3、P-47、P-51戦闘機、ボーイング・ステアマン モデル75(Boeing-Stearman Model 75)複葉練習機が駐機している。
Description AeroIndEastofWAM
Date 15 July 2007, 15:19
Source AeroIndEastofWAM
Author Bill Larkins
写真は,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:AeroIndEastofWAM (4476699341).jpg引用。
アメリカ軍の戦車揚陸艦(LST:Landing Ship, Tank)の諸元
総トン数Tonnage 4,800 long tons (4,877 t) GRT
全長Length 382 ft (116 m)
全幅Beam 64 ft (19.5m)
乾舷(満載時)
15 ft (4.6 m) 船尾
4 ft (1.2 m) 船首
ランプ(積載甲板)Ramps 100 ft (30 m)
機関 蒸気機関 2軸 3,000 hp
搭載能力Capacity 30トン戦車18輌あるいは25トン戦車 22輌
あるいは3-tonトラック33輌
兵員搭載能力Troops 217 名
兵装
1 × 40 mm連装機関砲
6 × 20 mm 機関銃
3 × 7.62mmルイス機関銃(Lewis guns)
2 × 4 in (100 mm) 発煙弾smoke mortars
装備Equipment: 2 × 50 ton デリック・クレーン(derrick crane)
図(右)アメリカ、ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)モデル25/26 AT-10 ウィチタ(Wichita)の三面図:
Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech
Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan[→Beechcraft AT-10 Wichita]
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,P D Stemp(2018) Kites, Birds & Stuff - BEECH Aircraft BEECH Aircraft 25/26 AT-10 Wichita引用。
図(右)アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の三面図:
English: A 3-view line drawing of the Beechcraft AT-10 Wichita.
Date Unknown date
Source AN 01-90KB-2, page 12
Author U.S. Military
写真は Wikimedia Commons, Category:Line drawings of Beechcraft aircraft File:Beechcraft AT-10 Wichita 3-view line drawing.png引用。
ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)の諸元
乗員Crew: 2名
全長Length: 34 ft 4 in (10.46 m)
全幅Wingspan: 44 ft 0 in (13.41 m)
全高Height: 10 ft 4 in (3.15 m)
主翼面積Wing area: 298 sq ft (27.7 m2)
空虚重量Empty weight: 4,750 lb (2,155 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 6,130 lb (2,781 kg)
発動機Powerplant: ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基
最高速力Maximum speed: 198 mph (319 km/h, 172 kn)
航続距離Range: 770 マイル (1,240 km, 670 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 16,900 ft (5,200 m)
3.現存するビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)
カラー写真(右)2009年9月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の機首左正面:引込式降着装置を下ろし、フラップも引き下げてた着陸態勢で展示されている。
Description SONY DSC
Date 26 September 2009, 13:38
Source Beech_AT-10_ Wichita_RFront_ Airpower_NMUSAF_ 26Sep09
Author Valder137
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
引用。
カラー写真(右)2018年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機の機首左方正面:引込式降着装置を下ろし、機体をそのまま支えている。重量のある機体では、主脚・ゴム輪への負荷を抑えるために、専用の別支柱で支えている場合が多い。
Description SONY DSC
Date 26 September 2009, 13:38
Source Beech_AT-10_ Wichita_RFront_ Airpower_NMUSA F_26Sep09
Author Valder137
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 Wichita 2 USAF.jpg引用。
カラー写真(右)2009年9月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の左側面:引込式降着装置を下ろし、フラップも引き下げてた着陸態勢で展示されている。
Description SONY DSC
Date 25 September 2009, 17:07
Author Valder137
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 Wichita LSide Airpower NMUSAF 25Sep09 (14599193172).jpg引用。
カラー写真(右)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の左側面:引込式降着装置の主輪下に車輪止めが留められている。尾輪はソリッド小型ゴム輪で固定式である。表面はアルミで覆われているので、金属製の機体に見える。国籍マークは帯のない1943年前半までのものが描かれている。
English
Beechcraft AT-10 Wichita of USAF
Description: Beech AT-10 Wichita
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 Wichita USAF.jpg引用。
写真(右)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 エクスペディター(Expeditor)輸送機(127193):コックピット操縦席の前は、反射光で操縦士が幻惑されないようにつや消し褐色塗装がなされている。国籍マークは1942年から1943年6月まで制定されたものを描いている。
Beech AT-10
DAYTON, Ohio -- Beech AT-10 Wichita at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
PHOTO BY:
VIRIN: 071026-F-1234S-003
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,Official United States Air Force Website
Beech AT-10F引用。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の機首前面:エンジンカウリング内側は、オリーブ色に塗られているが、迷彩塗装ではなく、反射光で搭乗員の視野が妨げられないようにする単である。金属外皮の銀色では日光を反射して幻惑されてしまう。
Description
English: Beechcraft AT-10-GF Wichita at the National Museum of the United States Air Force.
Date 19 May 2022
Source Own work
Author ZLEA
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beechcraft AT-10-GF (5-19-2022).jpg引用。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の機首コックピット操縦席と計器盤:金属製無塗装なので、反射光で搭乗員の視野が妨げられる恐れがあった。金属外皮の銀色では日光を反射して幻惑されてしまうため、エンジンカウリング内側は、操縦席に反射させないようにオリーブ色に塗られている。
Description
English: Beechcraft AT-10-GF Wichita at the National Museum of the United States Air Force.
Date 19 May 2022
Source Own work
Author ZLEA
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beechcraft AT-10-GF (5-19-2022).jpg引用。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことが可能で、計器盤は中央に位置しており、左右で別個に利用できる。
Description: Beech AT-11 cockpit
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category: Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 cockpit USAF.jpg引用。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことが可能で、計器盤は中央に位置しており、左右で別個に利用できる。
Description: Beech AT-11 cockpit
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category: Beechcraft AT-10 at National Museum USAF
File:Beech AT-10 cockpit USAF.jpg引用。
写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館で復元作業中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機(serial number 41-27193)の木製胴体とアルミニウム製コックピット:主翼も木製である。
In 1940-1941 Beech Aircraft designed an advanced, multi-engine trainer that could be easily manufactured on a large scale. To conserve scarce metals needed for combat aircraft, Beech built the airframe out of plywood with only the engine cowlings and cockpit enclosure constructed of aluminum. The fuel tanks also were made of wood and covered with neoprene, a synthetic rubber. The extensive use of wood permitted Beech to subcontract the production of many components to furniture makers and other firms.
写真は,AirCorps Aviation, Inc. BEECHCRAFT
AT-10 WICHITA
41-27322引用。
第二次大戦前から、日本陸軍は、機上作業練習機は1941年制式の立川飛行機キ54 一式高等練習機など専用機を配置できたが、日本海軍では、フォッカー(Fokker)F.VIIa スーパー・ユニバーサル(Super Universal)よりも小型の1931年制式の三菱九〇式機上作業練習機、1942年制式の九州飛行機K11W白菊など単発練習機しか配備していない。
キ54 一式高等練習機は、1940年6月に初飛行した立川飛行機の港躯体の高等練習機である。日本陸軍航空隊が1941年(皇紀2601年)7月に一式双発高等練習機として制式した。連合軍側のコードネームは、Hickory(ヒッコリー:クルミ)。
1939年、日本陸軍は立川飛行機に九五式二型練習機の後継機となる高等練習機の試作を依頼した。その条件は、全金属製で、引込み式降着装置を採用した双発機で、複座操縦席を備え、操縦、航法、通信、爆撃照準、旋回機関銃操作などの訓練ができる高等練習機だった。搭乗者は、教官・助教と訓練生を合わせて計6〜7名が搭乗する。
4.ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)
写真(右)1937-1940年頃、アメリカ、ビーチクラフト モデル 18D(Beechcraft Model 18D)(NC1284)右側面:モデル18Bは、ヤコブス(Jacobs)L-5空冷星型7気筒エンジン285 hp (213 kW)を装備し、4機のみ生産された。原型となったビーチクラフト モデル 18は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年から、9,000機以上が長期量産された。
Beechcraft : 18
Manufacturer: Beechcraft
Designation: 18
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00060069引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、前作モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発輸送機に次ぐ双発輸送機ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)の開発を1935年11月に開始した。機体は小型で、搭乗員2名、乗客6名で、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした全金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用した。
ビーチクラフト(Beechcraft)社は、1932年4月にウォルター・ビーチ(Walter Beech)がカンザス州ウィチタ(Wichita)に創立された飛行機製造会社である。大きく発展したのは、アメリカが第二次世界大戦に参戦し航空機大増産が実現した1942年からである。特に、アメリカ陸海軍用に、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を原型としたAT-7、AT-11練習機、C-45輸送機、モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発複葉機を原型にしたUC-43軽輸送機・連絡機を開発し、大量生産された。
1932年ウォルター・ビーチ(Walter Beech)がカンザス州ウィチタ(Wichita)に設立したビーチクラフト(Beechcraft)社は、前作単発複葉のスタッガーウィング軽輸送機に次ぐ双発輸送機の開発を1935年11月に開始した。機体は小型で、搭乗員2名、乗客6名で、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした全金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用した。
写真(右)2016年7月11日、イギリス、ロンドン西170km、グロスターシャー州フェアフォード空軍基地、ロイヤルインターナショナル・エア・タゥー(2019 Royal International Air Tattoo: RIAT)に参加したビーチクラフト モデル 18S(Beechcraft Model 18S)(N45CF)左側面:2019年7月19日 – 2019年7月21日に米英共用可能な飛行場で開催された航空ショー。
English: RIAT 2016
Date 11 July 2016, 11:31:11
Source https://www.flickr.com/photos/24874528@N04/30644596182/
Author Airwolfhound
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Beech 18SRIATFairford
写真はWikimedia Commons,Category:N45CF (aircraft) File:Beech 18S - RIAT 2016 (30644596182).jpg引用。
ビーチクラフト モデル 18B(Beechcraft Model 18B)水上輸送機は、ヤコブス(Jacobs)L-5空冷星型7気筒エンジン285 hp (213 kW)を装備し、4機のみ生産された。原型となったビーチクラフト モデル 18は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年の長期間、9,000機以上が量産された。
写真(右)2019年7月18日、イギリス、ロンドン西170km、グロスターシャー州フェアフォード空軍基地、ロイヤルインターナショナル・エア・タゥー(2019 Royal International Air Tattoo: RIAT)に参加したビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)(436784)左側面:2019年7月19日 – 2019年7月21日に米英共用可能な飛行場で開催された航空ショー。
Description 1P4A7565
Date 18 July 2019, 21:25
Source 1P4A7565
Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft 18 (cn BA-466) File:2019 Royal International Air Tattoo 1P4A7565 (48382655527).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)モデル (Model)18の改良型モデル D18Sは、第二次世界大戦後の主力で、エンジンナセルを延長し、中央翼部を強化した。生産機数は、1,035機に達した。アメリカ海軍は、SNB-4として制式し、日本の海上自衛隊はビーチクラフト JRB-4 として制式している。
5.ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機
写真(右)1950年頃、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト JRB-4 エクスペディター(Expeditor)輸送機(AAHS)の左側面:ビーチクラフト モデル 18を原型としたアメリカ陸軍航空隊UC-45F輸送機のアメリカ海軍仕様で328機が陸軍から譲渡された。
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM.ADDITIONAL INFORMATION: 51117 TC-45J Los Alamitos
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor
写真は,San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093345引用。
アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
写真(右)1960年頃、アメリカ、舗装滑走路で待機中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機(7L1117)の左側面:ビーチクラフト モデル 18軍用仕様は、1,500 機が量産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: 51117 TC-45J Los Alamitos
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor
写真は,San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093347引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機の主生産型は、C-45Fで、原型ビーチクラフト モデル18 エクスペディター(Expeditor)よりも、機首を若干延長したもので、1,137機もが量産された。
ビーチクラフト(Beechcraft)18の開発は、1935年にウィチタ(Wichita)のビーチクラフト社で全金属性、セミモノコック(semi-monoque)構造、片持ち主翼(cantilever wing)、伝統引込み式主輪付き降着装置(electrically retracted tailwheel landing gear)、垂直尾翼方向舵後端安定板(stabilizer)を採用した軽飛行機として始まった。第二次世界大戦中に、ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を中心に5000機以上が生産され、連合国側で使用された。主な形式は、アメリカ陸軍のC-45軍用輸送機 (USAAF), アメリカ海軍のJRB輸送機、イギリス空軍のエクスぺディタ―(Expeditor)である。
写真(右)1960年頃、アメリカ、着陸態勢に入ったアメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45J 輸送機:C-45 エクスペディター(Expeditor)の偵察機使用 F-2を戦後1948年に RC-45Jと形式名称を変更した。そして、さらにUC-45J に形式名称を変更した。
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: 51225 UC-45J NPR Long Beach
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093350引用。
民間仕様ビーチクラフト モデル 18A(Beechcraft Model 18)は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行。この軍用仕様がビーチクラフト C-45 エクスペディター(Expeditor)である。民間、軍用合わせて、1937-1970年に9,000機以上が長期量産された。
写真(右)1960年頃、アメリカ、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45J 輸送機:C-45 エクスペディター(Expeditor)の偵察機使用 F-2を戦後1948年に RC-45Jと形式名称を変更した。そして、さらにUC-45J に形式名称を変更した。
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: 51225 UC-45J NAVPro Long Beach
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor
写真は,San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093349引用。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)試作1号機は、1937年1月15日にTWA(トランス・ワールド航空)操縦士ジェームズ・ペイトン、ビーチクラフト(Beechcraft)社副操縦士ランキンが行った。最高速力325km/hは、当時の戦闘機並みの高速であり、着陸時の失速制限速力は89km/hと極めて低速での進入が可能で、未舗装の小型滑走路での運用にも便利だった。
1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると中立国アメリカでも航空機大増産が開始され、1940年にはアメリカ陸軍航空隊から、ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18(Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を受注し、軍用輸送機仕様C-45 エクスペディター(C-45 Expeditor)も量産に入った。
写真(右)1960年頃、アメリカ、ペンシルベニア州バレーフォージ(Valley Forge)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト C-45 エクスペディター(Expeditor)の海軍仕様SNB-5輸送機:AT-7のアメリカ海軍仕様のSNB-2航法練習機だったが、戦後にエンジンナセルを延長し、中央翼部分の構造を強化したモデル D18Sに改造された。
Beech C-45 Expeditor
SDASM. TITLE: Beech C-45 Expeditor
SDASM. CORPORATION NAME: Beech
SDASM. DESIGNATION: C-45
SDASM. OFFICIAL NICKNAME: Expeditor
SDASM. ADDITIONAL INFORMATION: 51877 SNB-5 FASRON 200
SDASM.TAGS: Beech, C-45, Expeditor
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum SDASM.CATALOG: 01_00093352引用。
写真(右)2010年9月22日、オランダ中部沿岸、レリスタット(Lelystad)、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45G エクスペディター(Expeditor)輸送機(G-BKRG)左側面:1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。
Description
Beech C-45G on display at the Aviodome,Lelystad
Date 22 September 2010, 13:14
Source 22429/G-BKRG
Author Simon Boddy from Maidenhead, Uk
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft 18 at Aviodrome Lelystad
File:22429-G-BKRG (8015795603).jpg引用。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を流用したアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機の海軍仕様JRB-2 は、射撃手/爆撃手練習機で15機が生産された。搭乗員6名の要員輸送機として使用された。
写真(右)2008年8月30日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス、プラウド バード フード バザール&イベント センター、プラウドバードレストラン(Proud Bird Restaurant)、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機の左後方:1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。
Description PROUD BIRD RESTARAUNT AND MUSEUM
Date 30 August 2008, 12:10
Source PROUD BIRD RESTARAUNT AND MUSEUM
Author Eddie Maloney from North Las Vegas, USA
写真はWikimedia Commons,Category:Proud Bird Restaurant File:Beech 18 (2812541201).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45F エクスペディター(Expeditor)輸送機は、ビーチクラフト(Beechcraft)C18S 輸送機の座席数7席を原型に、その機首を長くした軍用輸送機で、ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45Fの形式名称で1,137機が生産された。
写真(右)2008年8月30日、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス、プラウド バード フード バザール&イベント センター、プラウドバードレストラン(Proud Bird Restaurant)、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)輸送機の左前方:1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号CA-75のC-45軍用輸送機として製造された。
Description PROUD BIRD RESTARAUNT AND MUSEUM
Date 30 August 2008, 12:10
Source PROUD BIRD RESTARAUNT AND MUSEUM
Author Eddie Maloney from North Las Vegas, USA
写真はWikimedia Commons,Category:Proud Bird Restaurant File:Beech 18 (2813375714).jpg引用。
1945年にアメリカ陸軍航空隊の製造番号44-86963のC-45軍用輸送機として製造されたが、アメリカ海軍に引き渡さJRB-4として配備された。その後、1953年にSNB-5に、1962年にUC-45Jに改造された。
カラー写真(右)2013年7月29日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C18S エクスペディター(Expeditor)(シリアル番号 29646)左側面と奥のTWAトランスワールド航空(Trans World Airlines)ロッキード コンステレーション(Lockheed Constellation)の:同様の機体はアメリカ海軍でもSNB-5ナビゲーター(Navigator)高等練習機として制式され、戦後に TC-45J練習機と命名された。その後、TC-45Jは、さらにUC-45Jと命名されている。
English: Civil Markings, N6000V
PIMA
Date 29 July 2013, 19:20
Source N1082 EXPEDITOR BEECHCRAFT UC-45J
Author Eric Salard
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:N1082 EXPEDITOR BEECHCRAFT UC-45J (14358430087).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト C-45 エクスペディター(Expeditor)は、アメリカ海軍でSNB-2輸送機として制式された。
ビーチクラフト(Beechcraft)18は、ウィチタ(Wichita)の飛行機工場を中核に、民間・軍用を合わせて9000機以上が量産されたが、そのうち軍用仕様型モデル18は、5,000機以上が生産され、過半数以上は軍用機である。
カラー写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)C18S エクスペディター(Expeditor)(シリアル番号 29646)左側面と奥のTWAトランスワールド航空(Trans World Airlines)ロッキード コンステレーション(Lockheed Constellation)の右側面:窓ガラスは、キャビン保護のために遮光シートが張られている。
Description
Civil Markings, N6000V
PIMA
Date 29 July 2013, 19:20
Source N1082 EXPEDITOR BEECHCRAFT UC-45J
Author Eric Salard
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:29646 Beech 18 ( C18S ) U.S. Army (8738048533).jpg引用。
1941年12月の太平洋戦争を契機にアメリカが第二次世界大戦に参戦すると、民間仕様を原型にして軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター、航法練習機仕様ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)、射撃手/爆撃手訓練機AT-11 カンザン(Kansan)が開発、量産に移行している。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディターなどビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18の軍用仕様を使用したのは、アルゼンチン陸軍・海軍、ボリビア空軍、ブラジル空軍、カナダ空軍・海軍地理空軍、コスタリカ軍、コロンビア空軍、コートジボアール(Côte d'Ivoire)空軍、キューバ空軍、ドミニカ空軍、エクアドル空軍、フランス空軍・海軍、グアテマラ空軍、ハイチ空軍、ホンジュラス空軍、インドネシア陸軍・海軍、イラン軍、イタリア空軍(125機)、日本海上自衛隊、メキシコ空軍・海軍、オランダ空軍(Royal Netherlands Air Force、ニカラグア空軍、ニジェール空軍、パラグアイ空軍、フィリピン陸軍航空隊(Philippine Army Air Corps)、ポルトガル空軍(Forca Aerea Portuguesa)・海軍、ソマリア空軍、南アフリカ空軍、南ベトナム軍、スペイン軍、スリランカ空軍、スェーデン空軍、中華民国空軍、タイ空軍、トルコ空軍、イギリス海軍、アメリカ陸軍航空隊・海軍航空隊・空軍・海兵隊・沿岸警備隊、ウルグアイ空軍、ザイール空軍である。
⇒写真集Album:カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機
6.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機
写真(右)1940‐1942年、アメリカ西岸、オレゴン州ハマー・フィールド(Hammer Fld)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機(41-1144)の左側面:第二次世界大戦にアメリカが参戦する前の国籍記章の垂直尾翼方向舵(ラダー)の赤白ストライプを描いている。発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
SDASM Archives
Beech AT-7, Beech AT-7, 41-1144, at Hammer Fld
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive, at Hammer Fld
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044639引用。
カンサン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民インディアンのことである。
写真(右)1940‐1942年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機の左側面:第二次世界大戦にアメリカが参戦する前の国籍記章を描いている。初期型はプロペラスピナーはついていないが、中期以降はプロペラスピナーが取り付けられている。
SDASM Archives
Beech : AT-7 : Navigator
Manufacturer: Beech
Designation: AT-7
Official Nickname: Navigator
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002251引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機の諸元
全の幅47 ft 8 in.、全長 34 ft 3 in.、全高10 ft
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基
全備重量7,850ポンド
最高速力224 マイル時
実用上昇限度18,400 ft
航続距離850マイル
搭乗員2名、乗客4名。
写真(右)1942年以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機の前部コックピット操縦席と航法用デスク:
SDASM Archives
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Beech : AT-7 : Navigator
Manufacturer: Beech
Designation: AT-7
Official Nickname: Navigator.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002265引用。
アメリカ陸軍航空隊が制式したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)を搭載した。その胴体キャビンには、左側に訓練生用の座席が3席が縦列配置されていて、各々に航法デスクが配備されている。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機の後方キャビン右側は通路になっていて、インストラクターが、前後を行き来して、キャビン左側に3名縦列に座った訓練生を指導することができる。
写真(右)2014年7月8日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)の機首左側:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンに金属製2翅プロペラを装備している。
English: Beechcracft Model 18 Taken in La Ferté Alais Airshow , 2014
Date 8 June 2014, 11:53:53
Source Own work
Author Lancasterspotting
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft Beech 18.jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機の装備したプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)で1929年に開発され、1930年代のアメリカ機に後半に普及した。幅広く搭載された。
写真(右)2016年7月9日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)の前方左側:尾輪も引込式なので、尾輪収納庫の扉が開いて尾輪が下りている。
English: Flying Legends air show 2016
Date 9 July 2016, 18:51
Source 170A5478
Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft Model 18 - Flying Legends 2016 (27946252590).jpg引用。
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)の原型は前作プラット・アンド・ホイットニー R-1340空冷星形9気筒エンジンで、シリンダーを小型化し、エンジン重量の軽減を図って、小型機に装備する効率的な発動機を目指した。シリンダ(気筒)径と行程は同一で、53⁄16 in (132 mm)である。
写真(右)2016年7月9日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加した飛行するイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機:着陸時なので、引き込み式降着装置の主輪と尾輪を下ろして、低速での揚力を確保するために、主翼後縁のフラップを大きく下げ低ている。
English: Flying Legends air show 2016
Date 9 July 2016, 21:52
Source 170A5794
Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft Model 18 - Flying Legends 2016 (28193508066).jpg引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を原型にしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機は、ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2/3として、アメリカ海軍仕様の航法練習機としても制式された。
写真(右)2017年7月8日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」、飛行場を離陸したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)の右側面:尾輪も引込式なので、尾輪収納庫の扉が開いて尾輪が下りている。
Description
c/n A-738 / CA-138. RCAF serial '1538' Now operated by Hugo Mathys as part of the Classic Formation. Seen getting airborne to display at the 2017 Flying Legends airshow, Duxford, Cambridgeshire, UK.
8th July 2017
Date 8 July 2017, 15:15
Source Beech 18 (3NM) Expeditor 'N21FS'
Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beech 18 (3NM) Expeditor 'N21FS' (45623971991).jpg引用。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、搭乗員6名の要員輸送機として使用された場合もあったようだ。
写真(右)2018年7月14日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機(製造番号 2-9279):発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
Flying Legends 2018, Cambridgeshire
Date 14 July 2018, 09:10
Source EGSU - Beech 18 Expeditor 3NM - N21FS
Author Steve Lynes from Sandshurst, United Kingdom
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) Catalog #: 15_000947引用。
カラー写真(右)2018年7月14日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機(製造番号 2-9279):発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
Description Flying Legends 2018, Cambridgeshire
Date 14 July 2018, 09:10
Source EGSU - Beech D18S - N223CM
Author Steve Lynes from Sandshurst, United Kingdom
写真はWikimedia Commons, Category:Flying Legends air show 2018 File:EGSU - Beech D18S - N223CM (42235854640).jpg7引用。
ビーチクラフト(Beechcraft)C18S輸送機を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機の胴体上面に天測窓(astrodome)を設置し、星の位置や雲の動きを観測して、航法訓練を行った。胴体キャビンに縦列配置した訓練生用座席3席、発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985-25空冷星形9気筒エンジン450-hp 2基を装備した。生産機数は、577機である。
写真(右)2018年9月2日、イギリス、ケンブリッジシャー、「スコッティシュ国際航空ショー」(Scottish International Airshow)に参加し飛行するイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機:発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
A selection from the aircraft operating from Prestwick Airport for the Scottish International Airshow
Date 2 September 2018, 16:31
Source Scottish International Airshow 2018
Author Mark Harkin
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Scottish International Airshow 2018 (43740550564).jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊は、航法練習機としてビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機を開発したが、さらに射撃・爆撃練習機として、AT-11を開発した。これらの原型は
ビーチ(Beech)C-45 エクスぺディタ―(Expeditors)軍用輸送機、あるいはF-2 写真偵察機("F"とは"Fotorecon" "photographic reconnaissance"写真偵察機の略号)から開発されたものである。そして、アメリカ海軍でもビーチ18輸送機をビーチ(Beech)JRB-1 ボヤージャー(Voyager)と命名し使用した。ただし、ボヤージャーの名称は普及せず、JRBは、エクスぺディタ―(Expeditors)と陸軍航空隊と同じ名称で呼ばれた。
アメリカ海軍JRB-1輸送機の第1号機は (BuNo) 09771の番号を与えられた。
写真(右)2008年7月19日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機(製造番号 2-9279):発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
Description
English: Beech 18 N21FS EDMT 20080719
Deutsch: Beech 18 N21FS EDMT 20080719
Date 19 July 2008
Source Own work
Author Bergfalke2
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beech 18 N21FS EDMT 20080719b.jpg引用。
戦時中はビーチ・モデル(Model)18民間輸送機の生産はなされずに、もっぱらビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機のような軍用機として生産された。アメリカ海軍はモデル 18を JRB-3 (陸軍仕様C-45B), JRB-4 (陸軍仕様UC-45F), SNB-1 カンザン(Kansan)(陸軍仕様AT-11), SNB-2 (陸軍仕様AT-7), SNB-2C (陸軍仕様AT-7C)として利用した。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機の後方キャビン右側は通路になっていて、インストラクターが、前後を行き来して、キャビン左側に3名縦列に座った訓練生を指導することができる。
ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を原型にしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機は、ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2/3として、アメリカ海軍仕様の航法練習機としても制式された。
戦時中はビーチ・モデル(Model)18民間輸送機の生産はなされずに、もっぱらビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機のような軍用機として生産された。アメリカ海軍はモデル 18を JRB-3 (陸軍仕様C-45B), JRB-4 (陸軍仕様UC-45F), SNB-1 カンザン(Kansan)(陸軍仕様AT-11), SNB-2 (陸軍仕様AT-7), SNB-2C (陸軍仕様AT-7C)として、利用した。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機には、3名の訓練生に、各自に専用デスクが与えられ、1名が爆撃手あるいは輸送要員となった。訓練時間は100時間がふつうである。ビーチ(Beech)18との差異は、コクピット後上方に天測窓(astrodome)を設け、航法訓練に使用できることである。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を原型にビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機はアメリカ陸軍航空隊(Army Air Forces)の航法訓練用の練習機で、第二次世界大戦中に開発されたが、戦後も何年間も使用された。1回の飛行で、インストラクター教員が1名、訓練生3名が同乗し、航法訓練を行った。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)は、搭乗員・教員2名、訓練生4名で、実際の飛行機に搭乗しての実地訓練を目的に開発された。訓練生は、100時間のAT-7による飛行経験を得て、操縦士あるいは航法士に分けられた。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機
7.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機
写真(右)1947年8月、アメリカ西岸、ワシントン州シアトル西40km、ハミルトン飛行場所属のアメリカ陸軍航空隊航空学校所属のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機(TC-19484):アメリカ陸軍航空隊予備隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けていない型である。
Hamilton Field AAF reserves, over Marin County in August 1947.
Date 12 March 2009, 09:10
Source Beech AT-11
Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:41-9494 (aircraft) File:Beech AT-11 Kansans dropping bombs 1943.jpg引用。
1937年1月15日初飛行のビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)は、各型式合計で1937ー1970年から、9,000機以上が長期量産された。ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機は、1,500 機が生産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
カンザン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民のことである。ただし、ビーチクラフトの企図は、自社本社工場のあるカンザス州ウィチタを有名にすることであり、先住民の人権を重視したわけではないようだ。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機のような機上作業高等練習機は、操縦だけでなく、航空機機内で、航法、通信、射撃、爆撃、偵察などの機上作業を訓練するための練習機である。そのために、胴体内に複数の訓練生・教員が搭乗するキャビンがある。空間と搭乗者を確保するために、アメリカでは、ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)(C-45エクスペディター)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機など双発機を量産している。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の原型は、陸軍輸送機C18Sで、3名の訓練生を搭乗させ、航法、偵察、通信などの機上訓練を行うために開発された。発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量16.1 L) 450-hp 2基搭載で、合計577機が生産された。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Bは、厳冬用仕様の練習機で9機が生産された。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Cは、C18Sを原型に発動機にプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンを搭載した。合計549機が生産された。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、爆撃、旋回機関銃操作の機上作業練習機で、AT-7ナビゲーター練習機を原型に、機首ガラス風防を装備、爆撃手席を設け、さらに銃座を設けて、.30口径7.62mm機関銃2−3挺を装備した。この初期型は150機生産された。
カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことは可能だが、小型軽量の練習機なので、計器盤は中央に位置しており、左右共用である。フットペダルも簡易構造となっている。
Description: Beech AT-11 cockpit
Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft aircraft at the National Museum of the United States Air Force File:Beech AT-11 cockpit USAF.jpg引用。
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機の諸元
全幅Wingspan:
47 ft 8 in.
全長Length:
34 ft 3 in.
全高Height:
9 ft 8 in.
総重量Weight:
6,175 lbs (loaded)
最高速力Maximum Speed
230 MPH
実用上昇限度Service Ceiling
21,400 ft
航続距離Range:
850 miles
発動機Engines:
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp
乗員Crew:
2名
アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機中期型は、.30口径7.62mm AN-M2 7.62mm機関銃装備の回転銃塔(ビーチクラフト社製造)あるいは後期型は 7.62mm連装機関銃搭載クロッカーウィーラー(Crocker Wheeler)製の上部回転銃塔、腹部回転銃塔を装備した。
ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機の生産機数は 1,582機がアメリカ陸軍用に引き渡されている。
ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)を原型に開発されたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、小型機で、操縦の容易さ、燃費の良さが特徴で、小型軽量のために滑走路の制限を受けないで済んだ。
⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機
8.セスナ AT-17(UC-78)ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機
カラー写真(右)2007年7月25日、アメリカ、ウィスコンシン州(Wisconsin)州オシュコシュ(Oshkosh)、舗装滑走路を外れた草地のエプロンに駐機するラピッド航空(Rapid Air)セスナ T-50(Cessna T-50)ボブキャット(Bobcat)輸送機 (登録コード NC59188 (製造番号 cn 3084))の左側面:D. MillerFollow
Cessna T-50 / UC-78 Bobcat "Bamboo Bomber"
The Cessna AT-17 Bobcat was a twin-engined advanced trainer aircraft used by the United States during World War II to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. The AT-17 was powered by two Jacobs R-755-9 radial piston engines. The commercial version was the Model T-50, from which the AT-17 was developed. (AirVenture 2007)
Description
English: Cessna T-50 Bobcat (NC59188 (cn 3084))
Date 25 July 2007
Source www.flickr.com
Author Armchair Aviator's
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Cessna T-50 Bobcat (NC59188 (cn 3084)).jpg引用。
セスナ AT-17 ボブキャットは、1943年6月 UC-78と形式名称が変更になった。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、アメリカの軽飛行機の代名詞となったセスナ飛行機の設計・生産になる双発の高等練習機である。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊は、他の主要国と同じく、双発戦闘機を開発しており、単発機による操縦訓練だけではなく、双発機による訓練が求められた。また、中型爆撃機も双発機だったために、その操縦訓練も必要だった。
写真(右)1943年、アメリカ、ニューメキシコ州ロズウェル陸軍基地(Roswell AAF)所属のアメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78B)ボブキャット(Cessna UC-78B Bobcat)練習機の編隊飛行:1942‐1943年6月制式の国籍マークが描かれている。
Description
English: Cessna AT-17 - Six-Ship Formation - Roswell AAF NM
Date 1943
Source United States Army Air Forces via www.fuselagecodes.com
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Blackland Army Airfield Control Tower and Cessna AT-17 Bobcat trainer.jpg引用。
こうした双発機の操縦訓練のために開発された練習機が、アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)で1939年3月26日に初飛行している。これは第二次世界大戦勃発の半年前のことだった。
写真(右)アメリカ、テキサス州マーファ陸軍飛行場所属のアメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78)ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機:The BOBCAT:
M.A.A.F Marfa Texsas - 43H Classbook掲載の写真。
English: Class 43-K, Marfa Army Air Field, Marfa, Texas Class book for advanced pilot class 43-K at the Marfa Army Air Field, Marfa, Texas.
Date 1943
Source
www.aafcollection.info
All items in the Army Air Forces Collection are licensed by Mike Voisin under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License
Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 BobcatFile:Marfa Army Air Field - 43H Classbook.pdf引用。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、新鋭機に対応して、引込み式の降着装置、電動フラップを採用し、主力機と同じく低翼単葉とした。発動機は、操縦しやす量産にも向いている2基のジェイコブスR-755空冷星型エンジン245hpを搭載してた。
セスナ AT-17(UC-78) ボブキャットの最高速力は314 km / h、航続距離は1,200 kmで、最大4名の訓練生が搭乗可能で、貨物なら450kgを搭載運搬ができた。
便利なセスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)は、訓練以外にも、連絡、軽輸送、偵察、救急患者輸送機、軽爆撃の任務にも使用された。ボブキャットは、1939年から1944年の間に合計5,422機も大量生産されている。
カラー写真(右)2019年9月20日、アメリカ、カリフォルニア州チノ、ヤンクス航空博物館(Yanks Air Museum)、アメリカ海軍航空隊セスナ(Cessna)UC-78-CE ボブキャット(Bobcat)練習機(NC46617)の右前方側面: 1943年に完成したUC-78(工場製造番号 c/n 5193)で、1943年にアメリカ海軍航空隊に配備された。カリフォルニア州チノのヤンクス航空博物館(Yanks Air Museum)で復元作業が行われた。
Description
English: c/n 5193. Built 1943. Allocated USAAF military serial 43-7673. US Navy Bureau No 64469. Under restoration and visible in the restoration hangar at the Yanks Air Museum, Chino, California, USA. 20th September 2019
Date 20 September 2019, 11:07:18
Source Own work
Author 先従隗始
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna C-78 Bobcat File:Cessna UC-78-CE Bobcat (NC46617) (25984528284).jpg引用。
図(右)アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の三面寸法図:
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat.
Date 15 April 1944
Source app.aircorpslibrary.com
Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Cessna AT-17 Bobcat 3-view line drawing.png引用。
セスナ AT-17 ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の諸元
乗員Crew: 操縦士1名 + 練習生4名
全長Length: 32 ft 9 in (9.98 m)
全幅Wingspan: 41 ft 11 in (12.78 m)
全高Height: 9 ft 11 in (3.02 m)
翼面積Wing area: 295 sq ft (27.4 m2)
空虚重量Empty weight: 3,500 lb (1,588 kg)
総重量Gross weight: 5,700 lb (2,585 kg)
離陸最大重量Max takeoff weight: 6,062 lb (2,750 kg)
発動機Powerplant: 2 × ヤコブス(Jacobs)R-755-9 空冷星形7気筒エンジン245 hp (183 kW)
最高速力Maximum speed: 195 mph (314 km/h, 169 kn)
巡航速力Cruise speed: 175 mph (282 km/h, 152 kn)
失速度Stall speed: 63–66 mph (101–106 km/h, 55–57 kn)
航続距離Range: 750 mi (1,210 km, 650 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,000 ft (6,700 m)
状両立Rate of climb: 1,150 ft/min (5.8 m/s)
離陸滑走距離Take-off run: 650 ft (200 m) 〜 50 ft (15 m)
着陸滑走距離Landing run: 1,400 ft (430 m) 〜 50 ft (15 m) /90 mph (140 km/h)
⇒写真集Album:セスナ(Cessna)AT-17(UC-78)ボブキャット(Bobcat)
9.カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機
カラー写真(右)2000年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機09の左側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。機首と胴体には機体番号09が記入されている。
Description: Curtiss AT-9 Jeep
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss AT-9 Jeep USAF.jpg引用。
カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)は、カーチス・ライト社が第二次世界大戦中に開発し双発機の操縦訓練をするための高等練習機である。練習生は、初等単発練習機での教程を終了した後、双発戦闘機や爆撃機など双発機を操縦する高等練習機として使用された。
カーチス・ライト社はカーチス・ライトAT-9 (Curtiss-Wright AT-9)を フレジリング(Fledgling:ヒナ鳥)と命名したが、アメリカ陸軍は、AT-9 をジープ(Jeep)と命名した。
写真(右)1943年、アメリカ、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)郊外、ランドルフ・フィールド飛行場(Randolph Field)、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機: 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが描かれている。
Description Title: [Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Randolph Field]
Creator: Robert Yarnall Richie
Date: February 1943
Place: San Antonio, Texas
Part Of: Robert Yarnall Richie Photograph Collection
Description: U.S. Air Force pilots walking toward an aircraft hangar, past a squadron of Curtiss-Wright AT-9A aircraft.
Physical Description: 1 negative: film, black and white; 10.0 x 12.0 cm
Author
Robert Yarnall Richie (1908–1984)
SMU Central University Libraries
Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file.
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Randolph Field (11825947764).jpg引用。
アメリカ軍は、すでにビーチクラフトAT-7ナビゲーター/AT-11カンザン、AT-10ウィチタ、セスナ T-50/AT-17 ボブキャット双発練習機を制式、生産を始めていた。しかし、航空機の量産計画はますます拡張され、練習機の大量配備が求められた。また、飛行機製造工場を中核に、部品工場や機体の一部を製造する加工工場など、アメリカの産業の育成も望まれた。
カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)の制式された経緯にについて、wikipediaは「安定性が良好すぎたため、より高性能のB-26やP-38のような新型実用双発機に近い離着陸特性をもつ練習機が求められていた」という。しかし、これは軍の建前であり、実際は産業界の要望が強く、それに政府・軍が応じたのである。
カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)は、アメリカ陸軍航空隊が制式し、すぐに1941年度予算によって発注491機が認められた。翌年の1942年度予算の時は、エンジン強化、油圧系統の改良を組み込んだAT-9Aが300機発注された。AT-9は主に双発爆撃機B-25、B-26、攻撃機A-20、双発戦闘機P-38といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。wikipediaには「AT-9は主にB-25やB-26といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。そのために意図的に安定性を減らし、操縦を難しくしていたが、かえってP-38よりも操縦が難しいというパイロットも多かった。さらに複座(通常は操縦訓練生と教官)ゆえに、航法士や無線士といった職種を同時に訓練することができなかった上、アメリカの航空機産業の生産能力が高いため、新型に入れ替える形で後方に下げられた型落ちの爆撃機を転用する余裕もあった事情から、使い勝手の悪いAT-9は訓練飛行隊から引揚げられてしまった。」
しかし、これは企業・メーカー側の要望を考慮していない誤解であろう。
カーチス・ライト社の開発中だったCW-25練習機も、企業を通じた航空産業育成が企図されたといえる。機転換訓練機を開発しており、1941年に初飛行させた。そして、アメリカ陸軍航空隊がAT-9ジープとして制式し、1942年から生産が開始された。
アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機の発動機は、ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジンで、1929年に試作され、1930-1945年に2万6千台が生産された。カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機のほかにも、ビーチ(Beech)AT-10 ウィチタ(Wichita)練習機、セスナ(Cessna)AT-8練習機、カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9練習機など双発機に採用され、搭載されている。
図(右)アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機の三面寸法図:
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat.
Date 15 April 1944
Source app.aircorpslibrary.com
Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss-Wright AT-9A 3-view line drawing.png引用。
カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機の諸元
乗員: 2名
全長:31 ft 8 in (9.65 m)
全幅; 40 ft 4 in (12.29 m)
全高 9 ft 10 in (3.00 m)
空虚重量:4,494 lb (2,038 kg)
総重量:6,060 lb (2,749 kg)
発動機: ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジン(排気量11.15 L)295hp (220 kW)×2
最大速力: 197 mph (317 km/h, 171 kn)
巡航速力:175 mph (282 km/h, 152 kn)
実用上昇限度:19,000 ft (5,800 m)
航続距離:750 mi (1,210 km, 650 nmi)
上昇率:10,000 ft (3,000 m) まで8.6分
初飛行:1941年
生産期間:1941–1943年に792機
⇒写真集Album:カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機
10.ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)
写真(右)1941年2月17日、アメリカ、ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の右前方:エンジンの暖気排気を主翼前縁に通して、高空の低気温状態で主翼の氷結を防止するデ・アイシング
English: NACA photographer Lockheed 12A icing research airplane: with heated wings
Date Taken on 17 February 1941
Source
This image or video was catalogued by Ames Research Center of the United States National Aeronautics and Space Administration (NASA) under Photo ID: ARC-1941-AAL-1166.
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Author NASA Ames Research Center
Keyword NACA
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior File:ARC-1941-AAL-1166.jpg引用。
写真(右)1941年3月20日、アメリカ、ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の前部左側面:主翼断面構造図。
English: Lockheed 12A sectional view of heated wing
Date Taken on 20 May 1941
Source
This image or video was catalogued by Ames Research Center of the United States National Aeronautics and Space Administration (NASA) under Photo ID: ARC-1941-AAL-1355A.
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior
File:ARC-1941-AAL-1355A.jpg引用。
写真(右)1941年5月19日、アメリカ、ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機左半分の主翼上面図解:主翼断面構造図。エンジンの暖気廃棄を主翼前縁に通して、高空の低気温状態で主翼の氷結を防止するデ・アイシング
English: NACA Photographer NASA Ames De-icing project: diagram of the systems using exhaust-heated air to prevent icing on the Lockheed 12A wings Published: Adventures in Research SP-4302
Date Taken on 19 May 1941
This image or video was catalogued by Ames Research Center of the United States National Aeronautics and Space Administration (NASA) under Photo ID: ARC-1941-AAL-1352.
This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing.
Author NASA Ames Research Center
Keyword NACA
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior File:ARC-1941-AAL-1355A.jpg引用。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の試作1号機は、1936年6月27日昼12時12分に初飛行したが、これはアメリカ航空局の出したローカル民間輸送機の競争試作締め切り期限の6月末の3日前だった。 つまり、ロッキードL-12の名称に因んだ飛行時間を選んだのである。
ただし、航空局の競争試作に応じたロッキード以外の機体は、ビーチクラフト モデル 18もバークレー グロウ T8P-1もともに試作機完成の期限に間に合わなかったために、競争試作ではロッキード(Lockheed)モデル Model 12が勝ち残ることになった。
写真(右)2015年10月、オランダ、ユトレヒト州ススト、スーステルベルグ、国立軍事博物館、オランダ空軍所属のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の右下側面:
Photographed at the Nationaal Militair Museum, Soesterberg.
Date 3 October 2015, 12:41:08
Source Own work
Author Alf van Beem
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Lockheed 12A RNAF L2-38.JPG引用。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア( Electra Junior)輸送機の諸元
乗員Crew: 2名、乗客Capacity: 6名
全長Length: 36 ft 4 in (11.07 m)
全幅Wingspan: 49 ft 6 in (15.09 m)
全高Height: 9 ft 9 in (2.97 m)
主翼面積Wing area: 352 ft2 (32.7 m2)
空虚重量Empty weight: 5,765 lb (2,615 kg)
搭載量Loaded weight: 8,650 lb (3,924 kg)
最大離陸重量Max. takeoff weight: 9,200 lb (4,173 kg)
写真(右)2018年6月、オランダ、ユトレヒト州ススト、スーステルベルグ、国立軍事博物館、オランダ空軍所属のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の正面下:降着装置は、反引込み式なので、主輪の下半分は収納庫から露出している。尾輪は固定式である。
Description soesterberg militair museum (208)
Date 26 June 2018, 14:16
Source soesterberg militair museum (208)
Author bertknot from scarborough, australia
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Soesterberg militair museum (208) (45970710692).jpg引用。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、1936年6月27日初飛行、ライト(Wright)R-975ウィールウィンド(Whirlwind:旋風) 空冷星形エンジン450 馬力 (336 kW)2基を装備している。原型のロッキード(Lockheed)モデル Model 10 エレクトラ(Electra)を若干小型化し、8座席、6人乗客の全金属製双発輸送機である。1930年代後半から、小規模な航空会社、大企業、資産家が購入して使用したほか、政府要人も使用した。 ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の生産機数は、130機に達した。
⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)
11.ロッキード(Lockheed) C-40 軍用輸送機
写真(右)1939年頃、アメリカ、ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の前部左側面:アメリカの第二次世界大戦参戦(1941年12月)以前の国籍マークを描いている。
English: Lockheed C-40 3/4 front view (S/N 38-536; the first C-40 built). (U.S. Air Force photo)
Date Unknown date, probably 1939.
Source National Museum of the U.S. Air Force, Lockheed C-40 Fact Sheet Media.
Author United States Air Force.
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed C-40 File:Lockheed C-40 front quarter.jpg引用。
ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立法インチ:16 L)450 hp (340 kW)を2基を装備した民間輸送機で、1937年1月15日に初飛行した。その軍用仕様がアメリカ陸軍航空隊のC-40A輸送機である。
写真(右)1940年頃、アメリカ、三輪式降着装置のロッキード(Lockheed)C-40B軍用輸送機試作機の前方左側面:ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の前輪式で、機首に首輪(前輪)を固定装着し、尾輪式から変更した実験機。ただし、尾輪は残されたままになっている。前輪は空気抵抗を減少するためにスパッツが装着した固定式なので、飛行中も引き込むことはできない。アメリカの第二次世界大戦参戦(1941年12月)以前の国籍マークを描いている。
English: Lockheed C-40B 3/4 front view. (U.S. Air Force photo)
Date Unknown date
Source National Museum of the U.S. Air Force, Lockheed C-40B Fact Sheet Media.
Author United States Air Force
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed C-40 File:Lockheed C-40B front.jpg引用。
飛行機の降着装置を配置する尾輪式に比較して、三車輪式は、地上での前方視界が良いが、着陸に際して接地の衝撃を前輪(首輪)で支える必要があり、主輪を支える脚の支柱は強度を尾輪式より高める必要があった。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立法インチ:16 L)450 hp (340 kW)を2基を装備した民間輸送機で、1937年1月15日に初飛行した。その軍用仕様がアメリカ陸軍航空隊のC-40A輸送機である。
1936年6月27日初飛行のロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、陸軍用仕様ロッキード(Lockheed)C-40(13機)、海軍仕様ロッキード(Lockheed)JO-1(1機生産)、海兵隊仕様ロッキード(Lockheed)JO-2(5機)を含めて各型合計130機が量産された。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 10A エレクトラ(Electra)は、軍用機として、アメリカ軍以外では、アルゼンチン空軍(Argentine Air Force)、ブラジル空軍(Brazilian Air Force)、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force)、ホンジュラス空軍(Honduran Air Force)、ニカラグア空軍(Nicaragua Air Force)、スペイン空軍(Spanish Republican Air Force)、日本軍、イギリス空軍(Royal Air Force)、ベネスエラ軍(Venezuela)で採用されている。
ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)は、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps)がロッキード(Lockheed)C-40軍用輸送機と名称し、アメリカ海軍(United Navy)がJOあるいはR3O-2と命名して使用した。 そのほか、イギリス空軍(Royal Air Force)、カナダ空軍(Royal Canadian Air Force)、ブラジル空軍(Brazilian Air Force)アルゼンチン陸軍(Argentine Army)、インドネシア空軍(Indonesian Air Force)、南アフリカ空軍(South African Air Force)がロッキード(Lockheed)C-40軍用輸送機を採用している。
⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed) C-40 軍用輸送機
12.フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機練習機
写真(右)1935年1月18日に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 "Weihe"ワイエ機上作業練習機のコックピットのガラス風防を開放して記念撮影した搭乗員:上の機体とは機首ガラス風防の形状、爆撃照準器の流線形カバーの形状が、若干異なっている。コックピット後上方にアンテナ支柱がない。エンジンの集合排気管の筒状の形状がはっきりわかる。には2翅プロペラがついているが、これは可変ピッチである。エンジンナセルの下に、引込み式の降着装置がある。
Focke-Wulf Fw 58
Catalog #: 00079296
Manufacturer: Focke-Wulf
Designation: Fw 58
Official Nickname: Weihe (kite)
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives 引用。
1934年、ヘルマン=ゲーリング(Hermann Göring)大臣の航空省は、輸送・連絡機用の双発多用途機を発注し、それに応じて試作されたのがFw 58である。1935年に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58は、胴体が鋼管溶接構造、前部は金属外皮、後部は羽布張りで重量を軽減した。主翼は金属構造で、主桁前方は金属外皮、後半は羽布張りで高アスペクト比の長い主翼を支柱で支えている。た。
フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"機上作業練習機諸元:
初飛行:1935年1月18日
就役:1937年
生産終了:1942年
生産機数:1668機(FWで592機)
全長: 14.2 m
全幅: 21.00 m
全高: 4.5 m
翼面積 47平方メートル
自重: 2,400 kg
全備重量: 3,600 kg
発動機:アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒エンジン(排気量:12.677 L)240 hp 2基
最高速力: 280 km/h
実用上昇限度: 5,600 m
航続距離: 800 km
乗員: 6 名
⇒写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機
2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。
⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
⇒ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
⇒ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
⇒ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
⇒ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
⇒ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
⇒ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
⇒アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
⇒ブロームウントフォッスBV138飛行艇
⇒ブロームウントフォッスBV222飛行艇
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