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◆カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機
写真(上)1943年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス C-76キャラバン (Caravan)木製輸送機とカーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機(製造番号:s/n 42-57068)
:1943年1月1日初飛行のC-76全木機は、戦略物資のアルミ節約の必要性が低下したために生産機数は14機のみ。
Description Production of USAAF C-76 Caravan transport planes at Curtiss-Wright in 1943. The plane in the foreground is a Curtiss AT-9A Jeep trainer (s/n 42-57068). Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF File:Curtiss C-76 and AT-9 1943.jpg引用。


カラー写真(上)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機

AYTON, Ohio -- Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF DAYTON, Ohio -- Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)引用。


1.カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機

写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機U-137の左側面:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
SDASM Archives Follow Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling) 42-56913 (MSN 25-4321/61). Accepted by USAAF 29 September 1942 and delivered to Roswell AAF, NM 31 October 1942. To Yuma AAF, AZ 1 June 1943 (photo). To Douglas AAF, AZ 13 March 1944. To RFC 14 February 1945 for reclamation.
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002276引用。


写真(右)1940−1941年頃、アメリカ、アリゾナ州ブライスビル(Blytheville)飛行場を発った飛行中のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機BL101の左後方側面:国籍マークは、胴体の青丸白星はなく、垂直尾翼方向舵の赤白帯もない。試作機と思われる。エンジンナセルの内側には、操縦士を反射光で幻惑しないように黒あるいはオリーブドラブの塗装が施されている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Description English: Curtiss AT-9 Jeep BL101 - Blytheville AAF AR Date 1943 Source United States Army Air Forces via http://www.fuselagecodes.com/id5.html Author United States Army Air Forces.
写真はWikimedia Commons, Category:Blytheville Army Airfield File:Curtiss AT-9 Jeep BL101 - Blytheville AAF AR.jpg引用。


写真(右)2000年頃、アメリカ、雲海上空を飛行するメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機の左側面:主輪は引込み式だが、尾輪は固定式である。国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
SDASM Archives Follow Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002280引用。


カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機は、2人乗りの小型双発機で、降着装置はゴム主輪は引込み式で、ソリッドコム尾輪は固定式である。また、コックピット上面に小型アンテナ支柱があり、そこから碍子を通して尾翼上先端に向けて無線アンテナ線が引かれている。

写真(右)1939-1941年、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機の左上側面:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦する前の青丸白星赤丸、方向舵に赤白帯が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
SDASM Archives Follow Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002275引用。


第二次大戦前から、日本陸軍は、機上作業練習機は1941年制式の立川飛行機一式高等練習機など専用機を配置できたが、日本海軍では、フォッカー(Fokker)F.VIIa スーパー・ユニバーサル(Super Universal)よりも小型の1931年制式の三菱九〇式機上作業練習機、1942年制式の九州飛行機K11W白菊など単発練習機しか配備していない。

写真(右)1942年5月9日、アメリカ、ジョージア州オーバニー、ターナー陸軍基地(Turner Army Airfield)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機T-58(H2025)の右側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。
English: Curtiss-Wright AT-9A 41-12025 Date 9 May 1942 Source Curtiss-WrightAT-9A May42 Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss-Wright AT-9A in May 1942.jpg引用。


写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機T-58(H2025)の右側面:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Curtiss AT-9 US Air Force Museum, Wright Patterson Field, Dayton Ohio Title: Curtiss AT-9 Corporation Name: Curtiss Additional Information: USAFM Tags: Curtiss, AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: AT-9 From the Charles M. Daniels Collection 41-12025 (MSN 25-3348/87). Accepted by USAAF 12 March 1942 and delivered to Mather Field, CA 15 March 1942 (photo). Later flew from Hamilton AAF and Oakland AAF before ending up at at Muroc AAF. Airframe surveyed 25 April 1944.
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum 引用。


カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機は、コックピット左右に操縦士の出入り用扉(ドア)が設置されている。これは、操縦士の出入りを容易にするだけではなく、地上見学者が、機上の操縦訓練・操縦指導を機外から観察・見学させることにも使用可能である。

写真(右)1943年、アメリカ、雲海上空を飛行しているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機Y-265(BL101)の左側面:垂直尾翼の方向舵には赤白帯の第二次大戦参戦前のアメリカの国籍記章が描かれている。胴体後方側面にはないが、主翼先端には青丸白星赤丸の国籍マークが描かれているはずである。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。
Description English: Curtiss AT-9 Jeep BL101 - Y265 - Williams Field AZ Date 1943 Source United States Army Air Forces via www.fuselagecodes.com Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss AT-9 Jeep BL101 - Y265 - Williams Field AZ.jpg引用。


カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の搭載した発動機はライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジンである。この出力は179 kW (240 hp) /毎分 2,000回転、排気量 11 L (680 cu in.)、シリンダー直径(Bore)×工程(Stroke) 117.5 mm (4.625 in.) x 114.3 mm (4.5 in.)、重量 225 kg (505 lb)で、信頼性の高いエンジンだった。

写真(右)1942年頃、アメリカ、カーチス工場で生産されているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機(2−57107)他:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット右に操縦士の出入り用扉が付いている。
SDASM Archives Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002271引用。


カーチス飛行機・発動機社(Curtiss Aeroplane and Motor Company)は第一次世界大戦中の1916年にグレン・カーチスによって設立された。その後、1929年7月、ライト兄弟創立のライト飛行機(Wright Aeronautical)と合併し、カーチス・ライト社Curtiss-Wright Corporation)と社名を変更した。これは、アメリカ最大の飛行機メーカーで、第一次大戦中に発展し、戦間期も第二次世界大戦時も主にアメリカ陸軍航空隊向けの軍用機を量産した。

写真(右)1942年頃、アメリカ、カーチス工場で生産されているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機(2−57107)他:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット右に操縦士の出入り用扉が付いていて、半分開いたままになっている。
SDASM Archives Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002270引用。


世界大恐慌の1929年創立のカーチス・ライト社Curtiss-Wright Corporation)は、第二次世界大戦勃発前にはカーチスP-36戦闘機を開発し、アメリカだけではなく、戦雲急を告げるヨーロッパ諸国から発注を受けた。また、太平洋戦争勃発時には、カーチスP-40戦闘機を開発し、アメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機として配備されていた。P-40は輸出仕様も含め、トマホーク、キティホーク、ウォーホークと改良されて、1940-1944年に1万4,000機が量産されている。

写真(右)1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機の正面左:Advance Trainer とは高等練習機のことで、この頭文字からAT-9の形式名称がつけられている。主翼下面に青丸白星赤丸、方向舵に赤白ストライプのアメリカの第二次世界大戦前の国籍マークが描かれている。
Curtiss AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002274引用。


カーチス・ライト社はカーチス・ライトAT-9 (Curtiss-Wright AT-9)をフレジリング(Fledgling:ヒナ鳥)と命名したが、アメリカ陸軍は、カーチス・ライトAT-9 をジープ(Jeep)と命名した。

写真(右)1941年頃、アメリカ、ハマーフィールド飛行場(Hammer Field)、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機T-54の正面左:Advance Trainer とは高等練習機のことで、この頭文字からAT-9の形式名称がつけられている。主翼下面に青丸白星赤丸のアメリカの第二次世界大戦前の国籍マークが描かれている。右側には、迷彩塗装のロッキードP-38ライトニング戦闘機が駐機している。
Curtiss AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive 12y This AT-9 field no. T-54 from Mather Field also did appear on 82ndfightergroup.com in the background. Best regards, Tom
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州フレズノ(Fresno)、舗装滑走路わきの草地のエプロンに待機しているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ(Jeep)高等練習機(IS907)の左側面:主翼下面に青丸白星赤丸、方向舵に赤白ストライプのアメリカの第二次世界大戦前の国籍マークが描かれている。奥に見えるのは、三輪式のP-38双発戦闘機であろうか。
Curtiss AT-9. 41-5807, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum引用。


写真(右)1940-1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機S20他の3機編隊飛行の正面右:主翼下面に青丸白星赤丸のアメリカの国籍マークが描かれているように見える。
Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00046438引用。


カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)高等練習機の諸元
乗員: 2名
全長:9.65 m
全巾;12.29 m
全高 2.29 m
空虚重量:2,011 kg
最大離陸重量:2,749 kg
発動機:ライカミング(Lycoming)R-680(排気量680 in³:11.15L)空冷星形9気筒エンジン295hp(220 kW)2基
最高速力: 317 km/h
巡航速力:282 km/h
実用上昇限度:5,791 m
航続距離:1,207 km
上昇率:10,000ft(3,050m)/8.6分

写真(右)1942−1943年前半、アメリカ、テキサス州ウェーコ(Waco)、訓練編隊飛行中のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機224(H2172)、230他の左側面:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Curtiss AT-9 US Air Force Museum, Wright Patterson Field, Dayton Ohio Title: Curtiss AT-9 Corporation Name: Curtiss Additional Information: USAFM Tags: Curtiss, AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: AT-9 From the Charles M. Daniels Collection
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002272引用。


米国籍マーク アメリカ軍の国籍記章の変遷

(1)第二次大戦以前・アメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦:青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ

(2)太平洋戦争初期・1943年6月以前:青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止

(3)1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”

(4)1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”

(5)第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

写真(右)1941−1943年頃、アメリカ、夜間訓練か、2翅プロペラを回転させているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機625の機首:コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002273引用。


ライカミング(Lycoming)R-680(排気量680 in³:11.15L)空冷星形9気筒出力295hp(220 kW)2基を装備したカーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)は、カーチス・ライト社が第二次世界大戦中に開発し双発機の操縦訓練をするための高等練習機である。練習生は、初等単発練習機での教程を終了した後、双発戦闘機や爆撃機など双発機を操縦する高等練習機として使用された。

写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州ダラス南西400キロ、サンアントニオ(San Antonio)、ランドルフ・フィールド飛行場(Randolph Field)、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機H11に乗り込むパラシュートを装着した航空士官練習生:主翼上面に1942−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参後の国籍マークが描かれている。ただし、3番機の胴体に国籍マークな描かれていない。
English: Title: [Pilot Standing on Aircraft, Randolph Field] Creator: Robert Yarnall Richie Date: February 1943 Place: San Antonio, Texas Part Of: Robert Yarnall Richie Photograph Collection Description: Pilot standing atop a Curtiss-Wright AT-9A aircraft. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 10.0 x 12.7 cm File: ag1982_0234_2510_17_randolphfieldtx_sm_opt.jpg Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file. Date 1 February 1943, 00:00:00 Source https://www.flickr.com/photos/smu_cul_digitalcollections/11825552246/ Author Robert Yarnall Richie (1908–1984) SMU Central University Libraries Flickr sets Robert Yarnall Richie Photographs
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Pilot Standing on Aircraft, Randolph Field (11825552246).jpg引用。


軍拡米国の全貌を衝く : 明後年末空軍三万五千台 : 建造中も含め艦艇現勢四九一隻
大阪毎日新聞 Vol: 第 50巻 Page: 12 出版年 1940-09-09


 ニューヨーク【七日】福本本社特派員発 米下院は五日五十二億五千六百万ドルの新追加国防予算を修正附で可決したが、これを機会に米国の現有勢力および将来の軍拡計画について検討して見よう(以下はユナイテッド・プレスの調査を根拠にせるもの、数字は多くの場合米政府の発表による、正確なる数字を得られないものは専門家の推定による)

(一)陸海軍勢力 一九三九年一月現在において約二千台、一九四〇年八月十五日現在約三千二百台、注文中のもの五千二百四十五台

(二)海空軍勢力 一九三九年七月一日現在千六百四十八台千九百四十年八月十五日現在千八百九十七台、注文中のもの二千四百二十九台

(三)陸軍 一九三九年七月一日現在現役兵十七万四千七十四名、一九四〇年八月十五日現在二十八万九千名

(四)海軍 一九三九年七月一日現在現有艦数三百六十四隻、一九四〇年八月十五日現在四百八隻(ただしこのうち駆逐艦五十隻は英国へ譲渡された)建造中の百三十三隻、海軍兵力は一九四〇年五月二十三日現在現役兵十三万六千百六十四名、一九四〇年八月十五日現在十四万七千五百九十三名

しかして目下進行中の米国軍拡計画もしくは将来計画されるものを検討すれば次の通り

(一)国防資金 ドイツのオランダ、ベルギーおよび仏国進攻当時米議会においては陸海軍の通常予算は審議中であったがドイツの電撃戦の成果に刺戟されて米政府はいわゆる「綜合再軍備」を決意した、即ち通常予算においてさえ平時における記録的巨額に達したがルーズヴェルト大統領の要請によってさらに倍加されて五十億ドルにのぼり、すでに去る六月議会の承認を得た、

次いで仏国の降服を機会にルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領は前述のごとくさらに五十億ドル余の追加予算を議会に求め通常予算および追加予算を綜合して国防費は百四億九千六百万ドルの尨大なものとなった、このうち大体三分の二は陸軍費、残りは海軍費である

 最初の五十億ドルはすでに過去二ヶ月間にわたって支出されているが、その間国防委員会の手によって行われた注文契約は二十一億八千七百三十一万二千ドルにのぼっている(一口五十万ドル以上の契約は国防委員会の承認を要する)このほかに陸海軍は各自に数百の小口注文を発している、以上の注文契約の中には飛行機戦車、兵器、弾薬などの契約もある、

しかしその多くは速急に生産されることは不可能でたとえば飛行機製造会社は現在外国向けおよび国内向け注文に対して全力を挙げているが国内向けのものは昨年の議会で計上された予算に基くものである

(二)空軍 今年八月十五日現在の陸海空軍勢力は約五千九十七台でありこれを一九四二年には三万五千台にまで追加する計画だ、注文中の飛行機は総数七千六百七十四台でその内訳左の通り

 陸軍練習機二千七百三十一台
▲戦闘機二千五百十四台、合計五千二百四十五台
▲海軍練習機千四百一台
▲戦闘機千十七台
▲その他十一台、合計二千四百二十九台

このほかに仮契約の済んでいるものが二千九百六十七台ある、これは目下議会で審議中の増税案およびそれに関連した諸問題につき製造家との間に諒解が成立すれば直に本契約を結ぶ段取りとなっている、

上述のごとく八月十五日現在の陸軍機は三千二百台海軍機は千八百九十七台であるが国防追加予算は陸軍機一万四千三百九十四台、海軍機四千二十八台の追加経費を計上しており一九四二年末には陸軍二万五千台、海軍一万台の大空軍の完成を目標としている

飛行機製造能力

飛行機製造能力は現在のところ一ヶ年に一万台であるが一九四一年一月には一万三千乃至一万四千台になり、一九四一年中期には二万四千台、一九四二年初めには三万六千台にのぼる見込みである、機械専門家の推定によれば一ヶ年間の発動機製造能力は一九三九年一月には七千二百七十個(千馬力以上のもの)であったが一九四〇年三月には一万九千二百八十個となり本年末までには二万九千二百八十個に達するという、国防委員会はすでに七口の発動機注文契約を結んだ

操縦者訓練施設 海軍は一九四二年七月一日までに操縦者一万八千五百名の増加を目ざして訓練施設を拡張しつつあり、また陸軍は毎年操縦者七千人の予備訓練に関して私立飛行学校と契約し陸軍の訓練所も拡張している、陸軍はさらに三千六百の爆撃機操縦者と航空士の養成を計画している

(三)陸軍 陸軍は常備軍三十七万五千人を限度としているが実際の数字は一九三九年七月には十七万四千七十四人本年五月には二十三万七百七十二人更に現在は二十八万九千人である、新入隊は一週平均約八千人だ、

最近ルーズヴェルト[Roosevelt]大統領は護国軍を含む予備兵を現役に編入する権限を附与されたが現在の予備兵を全部編入すれば陸軍の全勢力は六十七万二千七百七十二人となる、現在の予備将校は十二万人を算するがそのうち八千人はすでに現役に加わっている、護国軍は総数二十三万五千人でうち六万五百人は来る九月十六日に応召することになっている、護国軍の方は志願兵の募集によって三十二万五千人となし、その後は徴兵によって四十一万の限度にまで強化する計画だ

 現在の陸軍兵制は九個の歩兵師団、二個の新設機械化師団および二個の騎兵師団(ただし一個師団は未完成)から成り目ざす百二十万の兵力に達した暁は各々七百台の戦車を有する機械化師団十個と四十五個の歩兵師団が完成する、マーシャル[George Marshall]陸軍参謀総長に従えば陸軍は百二十万の兵力を訓練し得る武器を現在有しているがその大部分は旧式だといわれている、不足しているものは新式の対戦車砲、大型高射砲、新式迫撃砲、弾薬、戦車および飛行機探知機などで現在陸軍の保有する最大の戦車は二十二トンのものである、今や陸軍は戦車六千台完成を目標としている

(四)海軍 米海軍は最近まで四百八隻の軍艦(総トン数百三十四万四千トン)を保有していた、ルーズヴェルト大統領は三日英国領の軍用根拠地と交換に艦齢超過の駆逐艦五十隻を英国に譲渡する旨発表した、この譲渡が決定する前までは米海軍は戦闘艦十五隻、航空母艦六隻、巡洋艦三十七隻、駆逐艦二百一隻、潜水艦百三隻このほかに老朽駆逐艦で他の種類に改装されたもの四十六隻あった、五月十日以来海軍は十一億四千万ドルの建艦契約をなしたがこれは軍艦八十七隻(総トン数四十七万八千二百八十五トン)補助艦五隻(総トン数二万千百五十トン)に分類されている、新契約の軍艦は四万五千トンの戦闘艦二隻、巡洋艦十五隻、航空母艦四隻、駆逐艦三十八隻、潜水艦二十八隻

 なお海軍は一九三九年七月以来巡洋艦一隻、航空母艦一隻、駆逐艦十九隻、潜水艦九隻、補助艦十一隻合計四十一隻を新に建造した

このほか中立法に基づく海上巡視その他の目的で前世界大戦当時の古い駆逐艦百十隻を編入し民間所有船を巡視用、運搬用あるいは補助船として徴発した、現在海運造船所十ヶ所、民間造船所七ヶ所が軍艦建造に従事している

(五)陸戦隊 これは五月二十三日の二万五千四十五人に比すれば現在は三万二千四百六十九人を有しているがなおかつ最高限度より三千五百の不足を見ている、現編成は四個大隊で各々七百五十人の兵数から成りその特徴とするところは迅速なる移動能力である、西半球で問題が起ればいかなる地点へも急行できるよう特殊軽戦車、高射砲、機関銃、上陸用のボートなどを持っており、さらに高速度の運輸船として六隻の駆逐艦を有している

(六)軍需産業 陸軍は二百万の軍隊に要する兵器弾薬を製造し得る六十余りの連鎖工場を七億ドルで建設する計画を有しそのうち一部に対してはすでに予算をとっている、これらの工場は民間会社が一定の手数料を基礎に経営の任に当るのだが所有権は連邦政府にあるのだ

 一方復興金融会社は民間軍需工場拡張の資金融資に当っておりすでに四十一の会社に対して合計四億九百五十三万八千ドルの貸附を行った、そのうちで最大のものはライト飛行機会社に対する九千二百万ドルである(軍拡米国の全貌を衝く : 明後年末空軍三万五千台 : 建造中も含め艦艇現勢四九一隻引用終わり)

写真(右)1943年、アメリカ、ジョージア州オーバニー、ターナー陸軍基地(Turner Army Airfield)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機317(257961)の右側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが描かれている。
Description English: Turner Army Airfield - Curtiss-Wright AT-9 Jeep on Parking Ramp Date 1943 Source United States Army Air Forces Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Turner Army Airfield - Curtiss-Wright AT-9 Jeep on Parking Ramp.jpg引用。


写真(右)1943年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)コックピット操縦席に乗り込むために、左扉に上がろうとするテスト・パイロットのラッセル・ハウ(1910–1984)):ダグラス社のテストパイロットだったが、カーチスの練習機も操縦したようだ。落下傘は、臀部にあって座席クッションとしても機能している。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
SDASM Archives Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002278引用。


第二次世界大戦に参戦したアメリカは、1942年度予算の航空機大量産の時、カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9AとしてAT-9のエンジン強化、油圧系統の改良を組み込んで300機を発注した。

写真(右)1943年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機コックピットの右扉前のテスト・パイロットのラッセル・ハウ(1910-1984):ダグラス社のテストパイロットだったが、カーチスの練習機も操縦したようだ。落下傘は、臀部にあって座席クッションとしても機能している。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
SDASM Archives Thaw , Russell Last Name: Thaw First Name: Russell
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 02-T-00108引用。


写真(右)1943年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機のコックピット複式並列操縦席:二人は操縦席に腰かけているが、右の地図を見て飛行経路を定めているのがインストラクターで、左の席が練習生である。ともに、耳にイヤホーン(ヘッドホーン)を装着している。操縦席前面ガラス風防の外には僚機のカーチスAT-9が編隊飛行しているのが見える。
SDASM Archives Follow Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真はflickers,San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00002277引用。


アメリカの双発機では、並列複式操縦の場合、左座席が正操縦士、右座席が副操縦席である。他方、アメリカの双発練習機の場合、複式操縦席の左座席に練習生、右座席に教員インストラクターが座るようになっている。

写真(右)1941−1943年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機コックピットの並列複式操縦席:小型双発機だが、操縦席は左に練習生、右に教員が座る。手前の教員は、膝に航空チャートあるいは記録用紙を準備しているが、飛行中でも固定できるように右膝にゴムバンドで止めている。また、教員もイヤホーンを準備しているが、写真ではイヤホーンを外していて、操縦輪にイヤホーンをかけている。アメリカ機では、並列複式の場合、左が正操縦士、右が副操縦士だが、練習機の場合は練習生が左、教官が右に操縦席をとったようだ。操縦桿ではなく操縦輪が付いているのは、双発以上の機体を念頭に置いたためである。訓練生操縦席側面ガラス風防の外には僚機のカーチスAT-9のライカミング(Lycoming)R-680(排気量680 in³:11.15L)空冷星形9気筒エンジンが見える。
Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling)
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002279引用。


写真(右)1942−1944年、アメリカ、テキサス州南部、サン・アントニオ郊外、ランドルフ・フィールド(Randolph Field)、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機G3、H7、H6、H9、H7などの戦列:小型双発機の操縦訓練によって、ロッキードP-38ライトニング戦闘機、ハボック攻撃機、A-26インベーダー攻撃機の操縦者を育成した。
Curtiss AT-9 trainers at Randolph Field 1942-44 Image from the Roger Belstein Collection--Please tag these photos so information can be recorded.---Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Bilstein_00125 引用。


カラー写真(右)1943年、アメリカ、舗装滑走路上に駐機しているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機A-420(2−57038)の右後方側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。
Description English: Curtiss AT-9 Jeep A420 - Douglas AAF AZ Date 1943 Source United States Army Air Forces Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss AT-9 Jeep A420 - Douglas AAF AZ.jpg引用。


ライカミング(Lycoming)R-680(排気量680 in³:11.15L)空冷星形9気筒エンジンは、アウバーン自動車(Auburn Auto Company)の子会社だったライカミング(Lycoming)が生産した初のエンジンが R-645で、大恐慌の始まった 1929年に完成し、1930年にストマーグ(Stromberg)のキャブレター(carburetors)とセンチーラ(Scintilla )のマグネット(magneto)を装備したいシリンダー当たり2バルブ(valve)を備えている。シリンダーは、アルミ鋳造で、インテグラル・クーラーによって、冷却された。

写真(右)1943年、アメリカ、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)郊外、ランドルフ・フィールド飛行場(Randolph Field)、アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機: 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが描かれている。
Description Title: [Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Randolph Field] Creator: Robert Yarnall Richie Date: February 1943 Place: San Antonio, Texas Part Of: Robert Yarnall Richie Photograph Collection Description: U.S. Air Force pilots walking toward an aircraft hangar, past a squadron of Curtiss-Wright AT-9A aircraft. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 10.0 x 12.0 cm Author Robert Yarnall Richie (1908–1984) SMU Central University Libraries Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file.
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Pilots Walking Towards Aircraft Hangar, Randolph Field (11825947764).jpg引用。


写真(右)1943年、アメリカ、テキサス州ダラス南160キロ、マクレナン郡ウェーコ(Waco)、ブラックランド陸軍基地(Blackland Airfield)、アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機(304、318、302)の後上方と航空士官練習生:主翼上面に1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参後の国籍マークが描かれている。ただし、3番機の胴体には国籍マークは描かれていない。
Description English: Blackland Army Airfield Flying Cadets in Formation Date 1943 Source United States Army Air Forces Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Blackland Army Airfield Flying Cadets in Formation.jpg引用。


国籍マーク1943 カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A操縦練習機は主に双発爆撃機B-25、B-26、攻撃機A-20、双発戦闘機P-38といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。

アメリカ軍は、新興飛行機メーカーのビーチクラフトAT-7ナビゲーター/AT-11カンザン、AT-10ウィチタ、セスナ T-50/AT-17 ボブキャット双発練習機を制式、生産を始めていた。

しかし、JRB-1 ボヤージャー(Voyager)のようにアメリカ海軍航空隊も含めて、航空機の量産計画はますます拡張され、練習機の大量配備が求められた。

また、飛行機製造工場を中核に、部品工場や機体の一部を製造する加工工場など、アメリカの産業の育成も望まれた。カーチスのような名門は、飛行機生産の拡大に伴った、新興企業との競争に晒された。

カラー写真(右)1943年、アメリカ、3機で低空編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機C-0289(112245)、C-0268,C-627(11−264)の右後方側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。1番機と2番機に1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参後の国籍マークが描かれている。ただし、3番機の胴体に国籍マークな描かれていない。
Description English: Curtiss AT-9 Jeeps Three Ship Formation - Columbus AAF MS Date 1943 Source United States Army Air Forces Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss AT-9 Jeeps Three Ship Formation - Columbus AAF MS.jpg引用。


Jeep カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)の制式された経緯にについて、wikipediaは「安定性が良好すぎたため、より高性能のB-26やP-38のような新型実用双発機に近い離着陸特性をもつ練習機が求められていた」という。

しかし、これは軍の建前であり、政府も軍も、飛行機メーカー、企業など産業界の要望を受けて行動しており、産軍共同体として、航空機増産を進めたのである。

アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)高等練習機は、アメリカ陸軍航空隊が制式し、すぐに1941年度予算によって発注491機が認められた。

翌年の1942年度予算の時は、エンジン強化、油圧系統の改良を組み込んだAT-9Aが300機発注された。AT-9は主に双発爆撃機B-25、B-26、攻撃機A-20、双発戦闘機P-38といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。

写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州サンアントニオ、飛行場で燃料補給車から給油を受けているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機
Title: [Refueling Aircraft with Neoprene Hose, E. I. du Pont de Nemours and Company] Creator: Robert Yarnall Richie Date: February 1943 Place: San Antonio, Texas Part Of: Robert Yarnall Richie Photograph Collection Description: Ground crew using a fuel truck with a neoprene hose to refuel a Curtiss-Wright AT-9A as pilot is getting out of the aircraft. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 10.0 x 12.4 cm Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file. View the Robert Yarnall Richie Photograph Collection Date 1 February 1943, Source www.flickr.com Author Robert Yarnall Richie (1908-1984) SMU Central University Libraries
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Refueling Aircraft with Neoprene Hose, E. I. du Pont de Nemours and Company (11825200024).jpg引用。


写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州サンアントニオ、飛行場でエンジンを駆動したアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の正面
Title: [Refueling Aircraft with Neoprene Hose, E. I. du Pont de Nemours and Company] Creator: Robert Yarnall Richie Date: February 1943 Place: San Antonio, Texas Part Of: Robert Yarnall Richie Photograph Collection Description: Ground crew using a fuel truck with a neoprene hose to refuel a Curtiss-Wright AT-9A as pilot is getting out of the aircraft. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 10.0 x 12.4 cm File: ag1982_0234_2508_7_eidupontnemours_sm_opt.jpg Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file. View the Robert Yarnall Richie Photograph Collection Date 1 February 1943, Source https://www.flickr.com/photos/smu_cul_digitalcollections/11825200024/ Author Robert Yarnall Richie (1908–1984) wikidata:Q17403696 SMU Central University Libraries
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Refueling Aircraft with Neoprene Hose, E. I. du Pont de Nemours and Company (11825200024).jpg引用。


写真(右)1943年、アメリカ、アリゾナ州ユマ陸軍飛行場(Yuma Army Air Field)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機U-244/4の機首前に勢ぞろいした飛行教官の将校と飛行訓練学生の6名の記念写真:エンジンナセル周囲は、練習機を明示するイエロー塗装、操縦席側の一部分は操縦士への日光反射光防止塗装がなされている。Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book 12ページ掲載の写真。
English: Class 43-G, Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book for advanced pilot class 43-G at Yuma, Arizona.
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Turner Army Airfield - Curtiss AT-9 Starting up.jpg引用。


アリゾナ州ユマ陸軍飛行場(Yuma Army Air Field)は、第二次大戦中、アメリカ陸軍航空隊の訓練基地として使用された。この地は当初1920年代に吹き流しだけがあるような飛行場としてオープンした。

しかし、第二次大戦にアメリカが参戦してすぐに、1942年に飛行練習生のための訓練基地とし、初めての航空士官学校生徒がやってきた。このユマ陸軍飛行場では、高等練習機のAT-6, T-17と B-17爆撃機が配置され、アメリカでもっとも活発な訓練基地の一つとなった。

1946年に終戦となると、陸軍はこの飛行場を余剰とみなし、民間管理の飛行場に戻した。しかし、後にこの飛行場は、アメリカ海兵隊基地(U.S. Marine station)、そして国際飛行場となった。

写真(右)1943年、アメリカ、アリゾナ州ユマ陸軍飛行場(Yuma Army Air Field)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の前に並んだ飛行教官の将校と飛行訓練学生の記念写真:エンジンナセル周囲は、練習機を明示するイエロー塗装、エンジンナセル内側は、操縦士への反射光防止塗装はなされているが、国籍マークが描かれてないままのようだ。Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book 13ページ掲載の写真。
English: Class 43-G, Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book for advanced pilot class 43-G at Yuma, Arizona.
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Turner Army Airfield - Curtiss AT-9 Starting up.jpg引用。


wikipediaには「AT-9は主にB-25やB-26といった高性能機のパイロットの育成用に使われた。そのために意図的に安定性を減らし、操縦を難しくしていたが、かえってP-38よりも操縦が難しいというパイロットも多かった。さらに複座(通常は操縦訓練生と教官)ゆえに、航法士や無線士といった職種を同時に訓練することができなかった上、アメリカの航空機産業の生産能力が高いため、新型に入れ替える形で後方に下げられた型落ちの爆撃機を転用する余裕もあった事情から、使い勝手の悪いAT-9は訓練飛行隊から引揚げられてしまった。」 しかし、これは産業側の理由を考慮していない誤解であろう。

写真(右)1943年、アメリカ、アリゾナ州ユマ陸軍飛行場(Yuma Army Air Field)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の前に並んだ飛行教官の将校と飛行訓練学生の記念写真:エンジンナセルの操縦士への反射光防止塗装はなされているが、国籍マークが描かれてないままのようだ。Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book 18ページ掲載の写真。
English: Class 43-G, Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book for advanced pilot class 43-G at Yuma, Arizona.
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Blackland Army Airfield Control Tower and Cessna AT-17 Bobcat trainer.jpg引用。


カーチス・ライト社の開発中だったCW-25練習機は、第二次世界大戦勃発1年半後の1941年に初飛行し、飛行機戦時大量産の時期と重なった。しかし、本来、双発機の操縦訓練専用機で教員と操縦練習生の2名しか搭乗できない高等練習機は、汎用性に乏しく、量産するに値するとは思えない。にもかかわらず双発機への機種転換訓練機にも使えるとして、アメリカ陸軍航空隊がカーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)として制式し、1942年から生産が開始された。限定された練習機だったが、1941-1943年に合計792機もが量産された。

写真(右)1943年、アメリカ、アリゾナ州ユマ陸軍飛行場(Yuma Army Air Field,)所属のアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の前に並んだ航空兵の記念写真と3機編隊飛行:エンジンナセルの操縦士への反射光防止塗装、エンジンナセル周囲は、練習機を明示するイエロー塗装がなされているが、国籍マークは主翼にはあるが、胴体にはが描かれてない。Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book 56ページ掲載の写真。
English: Class 43-G, Yuma Army Air Field, Yuma, Arizona Class book for advanced pilot class 43-G at Yuma, Arizona.
Date 1943
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Blackland Army Airfield Control Tower and Cessna AT-17 Bobcat trainer.jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機の発動機は、ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジンで、1929年に試作され、1930-1945年に2万6千台が生産された。

ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジンは、カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)操縦練習機のほかにも、ビーチ(Beech)AT-10 ウィチタ(Wichita)練習機、セスナ(Cessna)AT-8練習機、カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)練習機など双発機に採用され、搭載されている。新興航空機メーカーは、自社エンジン開発・生産はしていなかったために、仕様・価格・機体に合わせた各社の生産するエンジンを選択して装備していたのである。


写真(上)1944年、アメリカ、ジョージア州オーバニー、ターナー陸軍基地(Turner Army Airfield)所属のアメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)操縦練習機(251)の戦列とその前を行く航空学校練習生

English: Turner Army Airfield - Curtiss AT-9 on Flight Line Date 1944 Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft aircraft at the National Museum of the United States Air Force File:Beech AT-11 cockpit USAF.jpg引用。


写真(右)1953年5月18日、アメリカ、戦後7年たって除籍され仮保管されているアメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)操縦練習機(2−57107)他:プロぺラは外されていて、コックピットのガラス風防も閉鎖されている。コックピット左右に操縦士(教員・訓練生)の出入り用扉が付いている。
SDASM Archives Curtiss AT-9, Tulas OK, 18May53 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002270引用。


図(右)アメリカ陸軍航空隊アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9 ジープ/フレジリング[雛鳥](Jeep/Fledgling)高等練習機の三面寸法図
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat. Date 15 April 1944 Source app. aircorpslibrary. com Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss-Wright AT-9A 3-view line drawing.png引用。


カーチス・ライトAT-9 ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)練習機の諸元
乗員: 2名
全長:31 ft 8 in (9.65 m)
全幅; 40 ft 4 in (12.29 m)
全高 9 ft 10 in (3.00 m)
空虚重量:4,494 lb (2,038 kg)
総重量:6,060 lb (2,749 kg)
発動機: ライカミング(Lycoming)R-680空冷星形9気筒エンジン(排気量11.15 L)295hp (220 kW)×2
最大速力: 197 mph (317 km/h, 171 kn)
巡航速力:175 mph (282 km/h, 152 kn)
実用上昇限度:19,000 ft (5,800 m)
航続距離:750 mi (1,210 km, 650 nmi)
上昇率:10,000 ft (3,000 m) まで8.6分
初飛行:1941年
生産期間:1941–1943年に792機


2.現存するカーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)練習機

写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)左前方側面
SDASM Archives anufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling) Notes: Wright Patterson Air Force Museum, Dayton, Ohio, CMD Photo
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002269引用。


カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機のエンジンカウリング前全体がイエロー塗装されているが、これは、練習生の操縦中につき、周囲の機体は注意せよとの警告マークである。正面から見ても目立つようにカウリング周囲が黄色に塗られている。

写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)右後方側面
Curtiss : AT-9 : Jeep (Fledgling) Manufacturer: Curtiss Designation: AT-9 Official Nickname: Jeep (Fledgling) Notes: Wright Patterson Air Force Museum, Dayton, Ohio, CMD Photo
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002268引用。


カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機の機体は無塗装銀色であるが、これには
1)塗装による空気抵抗増加を防ぎ飛行性能を向上させる、
2)塗装の分だけ重量を軽量化して飛行性能を向上させる、
3)塗料を節約する、
という目的があった。

写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)の左側面:国籍マークは、アメリカが1941年12月に第二次世界大戦に参戦してから採用された青丸白星が描かれている。コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Curtiss AT-9 US Air Force Museum, Wright Patterson Field, Dayton Ohio Title: Curtiss AT-9 Corporation Name: Curtiss Additional Information: USAFM Tags: Curtiss, AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: AT-9 From the Charles M. Daniels Collection
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 01_00092083引用。


写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等操縦練習機909(112150)の左前方:コックピット上面に小型アンテナがあり、そこから碍子を通して無線アンテナ線が引かれている。
Curtiss AT-9 US Air Force Museum, Wright Patterson Field, Dayton Ohio Title: Curtiss AT-9 Corporation Name: Curtiss Additional Information: USAFM Tags: Curtiss, AT-9 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: AT-9 From the Charles M. Daniels Collection
写真は,SDASM: San Diego Air and Space Museum Catalog #: 01_00092084引用。


カラー写真(右)2000年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)の左側面:尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。 1942年−1943年6月のアメリカの第二次世界大戦参戦前の国籍マークが描かれている。機首と胴体には機体番号09が記入されている。
Description: Curtiss AT-9 Jeep
写真はWikimedia Commons,Category:Curtiss AT-9 Jeep File:Curtiss AT-9 Jeep USAF.jpg引用。


1929年9月、ニューヨーク州バッファロー(Buffalo)のカーチス・ライト(Curtiss-Wright)社がトラベル・エアー社を合併した後、ウォルター・ビーチWalter Beech)は副社長に就任した。

カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)の左前方
Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the United States Air Force. The AT-9 advanced trainer was used to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. (Courtesy photo by Don Popp)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling引用。


1932年4月、ウォルター・ビーチWalter Beech)は、妻オリーブ・アン・ビーチOlive Ann Mellor Beech:1903–1993)らとともに、共同で飛行機製造所ビーチクラフト社(Beech Aircraft Company)を再びカンザス州ウィチタ(Wichita)に設立した。伝統の名門たるカーチスの飛行機に比べるべくもないと考えられたが、第二次世界大戦の勃発、航空機の大量産が急速に進む中で、ビーチクラフトだけではなくノースアメリカン、リパブリック、新興の飛行機メーカーの伸長は著しかった。

カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)の右前方の右翼エンジン
Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the United States Air Force. The AT-9 advanced trainer was used to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. (Courtesy photo by Don Popp)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling引用。


アメリカ人ウォルター・ビーチWalter Beech)は、1932年4月、カンザス州ウィチタ(Wichita)にビーチクラフト(Beechcraft)社を創立した。

カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機909(112150)の左主翼側下面
DAYTON, Ohio -- Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling in the WWII Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling引用。


ウォルター・ビーチ(Walter Beech)は、1932年11月にビーチクラフト モデル17 スタッガーウィングBeechcraft Model 17 Staggerwing)複葉機を初飛行させ、これが初の成功作となった。量産性と中小工場での分散部品生産に配慮したが、その一つが装備した発動機の種類が選択制になったことである。新興航空機メーカーは、自社でのエンジン開発・生産はできなかったために、かえって、各社の生産するエンジンに対応する能力が高かった。

カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機の左エンジン
DAYTON, Ohio -- Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling in the WWII Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo by Ken LaRock)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling引用。


カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機コックピット複式並列操縦席
Interior view of the Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the U.S. Air Force World War II Galllery. The AT-9 advanced trainer was used to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. The AT-9 was not easy to fly or land, making it particularly suitable for teaching new pilots to cope with the demanding flight characteristics of a new generation of high-performance, multi-engine aircraft such as the Martin B-26 and Lockheed P-38. (U.S. Air Force photo by Ty Greenlees)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force 210922-F-AU145-1091引用。


カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライト(Curtiss-Wright)AT-9A ジープ/雛鳥(Jeep/Fledgling)高等練習機の操縦席中央にある機関調整装置:発動機ライカミング(Lycoming)R-680(排気量680 in³:11.15L)空冷星形9気筒出力295hp(220 kW)2基ためのスロットルレバーが並んでいる。双発機なので2本1組である。ただし、複数の操縦士が使用するので計器盤の中央に置かれているのである。
Interior view of the Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the U.S. Air Force World War II Galllery. The AT-9 advanced trainer was used to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. The AT-9 was not easy to fly or land, making it particularly suitable for teaching new pilots to cope with the demanding flight characteristics of a new generation of high-performance, multi-engine aircraft such as the Martin B-26 and Lockheed P-38. (U.S. Air Force photo by Ty Greenlees)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force 210922-F-AU145-1098引用。


第二次世界大戦中にビーチクラフト社は、軍需産業で躍進し、7400機以上の飛行機を量産した。ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)がその主力である。

ビーチクラフト モデル 18の軍用練習機仕様であるビーチ(Beech)AT-71C-45双発高等練習機は、アメリカ陸軍航空隊(USAAF:U.S. Army Air Forces)の使用した航法・爆撃練習機(navigator/bombardier)の50%に達する双発機搭乗員が訓練を受けている。

カラー写真(右)2022年、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊カーチス・ライトAT-9A ジープ(Curtiss-Wright AT-9 Jeep)行動練習機の胴体内部後方
nterior view of the Curtiss AT-9 Jeep/Fledgling at the National Museum of the U.S. Air Force World War II Galllery. The AT-9 advanced trainer was used to bridge the gap between single-engine trainers and twin-engine combat aircraft. The AT-9 was not easy to fly or land, making it particularly suitable for teaching new pilots to cope with the demanding flight characteristics of a new generation of high-performance, multi-engine aircraft such as the Martin B-26 and Lockheed P-38. (U.S. Air Force photo by Ty Greenlees)
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,National Museum of the United States Air Force 210922-F-AU145-1094引用。


ビーチクラフト モデル17 スタッガーウィングBeechcraft Model 17 Staggerwing)A〜S各型の装備した発動機は、次のように7種にも達している。

スタッガーウィング A  ライトWright R-760空冷星形7気筒エンジン350hp
B  ヤコブスJacobs L-5 (R-830-1)空冷星形7気筒エンジン285hp
D  ヤコブスJacobs L-6 (R-915A3)空冷星形7気筒エンジン330hp
E  ライトWright R-760-E1空冷星形7気筒エンジン285hp
F  ライトWright R-1820-F11空冷星形9気筒エンジン690hp
FS  ライトWright SR-1820-F3 (supercharged)空冷星形9気筒エンジン710hp
L  ヤコブスJacobs L-4 (R-755D)空冷星形7気筒エンジン225hp
R  ライトWright R-975-E2 /E3空冷星形9気筒エンジン420–450hp
S  プラット・アンド・ホイットニーP&W R-985-AN-1/AN-3ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン600hp

スタッガーウィング ビーチクラフト(Beechcraft)社は、1932年4月にウォルター・ハーシェル・ビーチWalter Beech)がカンザス州ウィチタ(Wichita)に創立された飛行機製造会社である。会社設立後すぐに開発したビーチクラフト モデル17 スタッガーウィングBeechcraft Model 17 Staggerwing)の成功で発展し、ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)を開発し、1942年以降、アメリカが第二次世界大戦に参戦した直後の航空機大増産で、大きく成長した。

ビーチクラフト(Beechcraft)社では、アメリカ陸海軍用に、ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を原型としたAT-7、AT-11練習機、C-45輸送機、モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発複葉機を原型にしたUC-43軽輸送機・連絡機を開発し、大量生産された。


3.ビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)

写真(右)1941年頃、アメリカ、未舗装滑走をに駐機しているビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita):ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、1941年前半に初飛行した資源節約型の木製機である。ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、1942年以前のアメリカ参戦前に採用された形式で、青丸白星赤丸で、方向舵に赤白帯ストライプが描かれている。
Beech, AT-11 Manufacturer: Beech Designation: AT-11
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044642 引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26は、戦略物資節約のために、木製部位を多くした金属・木製混合機として開発され、中小工場でも部品製造ができるように容易な製造法が採用された。

ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26の初飛行は1941年7月19日、1942年から運用開始、発動機は、ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基搭載で、モデル 26よりも小型で、エンジン出力も65%でしかない小型機だったが、資源節約型で、戦時量産性に配慮していた。1942-1944年に2,371機で生産は終了したので、前作ビーチクラフト(Beechcraft)モデル18の生産機数9,000機の30%に満たなかった。

ビーチクラフト(Beechcraft)モデル(Model)26は、アルミニウムなど戦略物資を節約することを目的に、機体の大半を木製とした飛行機である。燃料タンクは木製で、配管は航空機用揮発油でも変質しないゴム管を用いていた。

ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Model 26)試作機は、1941年5月に完成したが、機体構造は木製で、アルミ(Aluminum)は、コックピット、機首前部、エンジンナセル(engine nacelleとカウリング(cowling)、降着装置(landing gear components)である。しかし、第一回目の試作機初飛行で墜落し、テストパイロットが死亡した。 試作2号機は、1941年7月に初飛行に成功した。

写真(右)1940年以降、アメリカ、3機編隊飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ。
Beech, AT-10, Whichita Manufacturer: Beech, AT-10, Whichita
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita Catalog #: 00002286 引用。


実際にアメリカ陸軍航空隊に1942年、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)として制式された。しかし、アメリカにとって、戦略物資の欠乏は杞憂に終わったために、木製の機体は、加工に労力が必要で、かえって量産を困難にしたようだ。それでも、1942-1944年に2,371機もが量産された。同じ木製機の失敗は、ヒューズ H-4 ハーキュリーズHughes H-4 Hercules)超大型飛行艇で繰り返されることになる。

ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)の発動機は, ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)で、出力は海面上で295 hp (220 kW)毎分2,300回転、離陸出力は275 hp、毎分2,200回転、210hp毎分2,000回転、であり、双発機としては低出力だったが、エンジンの信頼性は高かった。

写真(右)1943年前半、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機108(19410)の右側面:ビーチクラフト開発の機体をテキサス州フォートワースのグローブ航空の工場で600機生産したが、その機体。エンジンナセルが延長された中期型で、主翼付け根は、コックピットに主翼上を移動する搭乗員のために滑り止めの黒塗りがなされている。エンジンナセル先端部部bbが反射除けの黒塗りされている。主輪は引き込まれているが、尾輪は固定式である。
Description English: Turner Army Airfield - Beech AT-10 Wichita in Flight Date 1944 Source United States Army Air Forces Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:Beechcraft AT-10-GF in flight c1943.jpg引用。


ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタのエンジンには、ハミルトン・スタンダード(Hamilton-Standard)社製2翅(two-blade)定速(constant-speed)プロペが装備されたが、このプロペラは片方のエンジン停止時の片肺飛行では、プロペラを(フルフェザー(full-feathering)して、空気抵抗を最小にすることができた。ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジンは、アメリカ陸軍航空隊でボーイング・ステアマン(Boeing-Stearman) PT-13初等練習機、その海軍仕様 N2S初等練習機も装備し、大戦期間中に数千機が量産されている。

カラー絵葉書(右)1943年前半、アメリカ、イリノイ州ジョージ飛行場、軍旗を掲げた飛行訓練学校生徒と低空飛行するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機:搭乗員はパラシュートを身に着けているが、機内の座席では、パラシュートが座席クッション代わりに使われる。エンジンカウリング先端に反射防止の黒塗りがなされているようだ。
File name: 06_10_013477 Title: The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training Date issued: 1930 - 1945 (approximate) Physical description: 1 print (postcard) : linen texture, color ; 3 1/2 x 5 1/2 in. Genre: Postcards Notes: Title from item. Collection: The Tichnor Brothers Collection Location: Boston Public Library, Print Department Date 11 February 2011, 05:56:26 Source Flickr: The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training Author Boston Public Library
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:The flag of the United States and colors of the AAF Training Command Pilot School, George Field, Ill, flying overhead, the AT-10s flown by cadets taking advanced training.jpg引用。


写真(右)1942-1950年、アメリカ、カンザス州、ウィチタ・ビーチエアクラフト飛行場(Wichita-Beechcraft Field)舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ :ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。
SDASM Archives 35mm slide image
pictionid72684804 - title----beech at-10 wichita-- - filename07.01.b-00544.jpg- filename07.01.a-00261.jpg -Image scanned from a 35mm Slide
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum - catalog07.01.b-00544 引用。


ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)の諸元 乗員Crew: 2名
全長Length: 34 ft 4 in (10.46 m)
全幅Wingspan: 44 ft 0 in (13.41 m)
全高Height: 10 ft 4 in (3.15 m)
主翼面積Wing area: 298 sq ft (27.7 m2)
空虚重量Empty weight: 4,750 lb (2,155 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 6,130 lb (2,781 kg)
発動機Powerplant: ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基
最高速力Maximum speed: 198 mph (319 km/h, 172 kn)
航続距離Range: 770 マイル (1,240 km, 670 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 16,900 ft (5,200 m)

写真(右)1940年以降、アメリカ、3機編隊飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)に率いられた2機のビーチクラフト(Beechcraft)モデル 18 軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機:ビーチクラフト モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様で、ビーチクラフト モデル18の双尾翼式を単尾翼に変更しているので識別は容易である。このアメリカ機の国籍マークは、1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止。
Beech, AT-10, Whichita Manufacturer: Beech, AT-10, Whichita Sergio Carneiro 10y The first plane is a Beech AT-10 Wichita, and the others two are Beech AT-7 Navigator (version of the Beech C-45)
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002287 引用。


写真(右)1943年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機するアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ高等練習機(2360006) :ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の海軍仕様SNB は、双尾翼式だが、ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタは尾翼1枚で発動機もライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基で出力を抑えている。
SDASM Archives Beech : AT-11 : Kansan
Manufacturer: Beech Designation: AT-11
Official Nickname: Kansan
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002283引用。


写真(右)1946年頃、オランダ領東インド(インドネシア)、アメリカ、低空飛行するビーチクラフト AT-10 ウィチタ(Wichita)練習機の右側面:後方の港湾には、アメリカ軍の戦車揚陸艦(LST:Landing Ship, Tank)8隻が停泊しており、インドネシア独立戦争に直面したオランダ政府が、現地反乱鎮圧に派遣したオランダ軍を揚陸した時期と思われる。左は、尾部を持ち上げた状態のダグラスDC-3、P-47、P-51戦闘機、ボーイング・ステアマン モデル75(Boeing-Stearman Model 75)複葉練習機が駐機している。
Description AeroIndEastofWAM Date 15 July 2007, 15:19 Source AeroIndEastofWAM Author Bill Larkins
写真は,Category:Beechcraft AT-10 Wichita File:AeroIndEastofWAM (4476699341).jpg引用。


アメリカ軍の戦車揚陸艦(LST:Landing Ship, Tank)の諸元
総トン数Tonnage 4,800 long tons (4,877 t) GRT
全長Length 382 ft (116 m)
全幅Beam 64 ft (19.5m)
乾舷(満載時)
15 ft (4.6 m) 船尾
4 ft (1.2 m) 船首
ランプ(積載甲板)Ramps 100 ft (30 m)
機関 蒸気機関 2軸 3,000 hp
搭載能力Capacity 30トン戦車18輌あるいは25トン戦車 22輌
あるいは3-tonトラック33輌
兵員搭載能力Troops 217 名
兵装
1 × 40 mm連装機関砲
6 × 20 mm 機関銃
3 × 7.62mmルイス機関銃(Lewis guns)
2 × 4 in (100 mm) 発煙弾smoke mortars
装備Equipment: 2 × 50 ton デリック・クレーン(derrick crane)


図(右)アメリカ、ビーチクラフト(Beechcraft)モデル 26(Beechcraft Model 26)民間輸送機の軍用仕様ビーチクラフト(Beechcraft)モデル25/26 AT-10 ウィチタ(Wichita)の三面図
Beech : AT-11 : Kansan Manufacturer: Beech Designation: AT-11 Official Nickname: Kansan[→Beechcraft AT-10 Wichita] Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,P D Stemp(2018) Kites, Birds & Stuff - BEECH Aircraft BEECH Aircraft 25/26 AT-10 Wichita引用。



図(右)アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)高等練習機の三面図
English: A 3-view line drawing of the Beechcraft AT-10 Wichita. Date Unknown date Source AN 01-90KB-2, page 12 Author U.S. Military
写真は Wikimedia Commons, Category:Line drawings of Beechcraft aircraft File:Beechcraft AT-10 Wichita 3-view line drawing.png引用。


ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Beechcraft AT-10 Wichita)の諸元 乗員Crew: 2名
全長Length: 34 ft 4 in (10.46 m)
全幅Wingspan: 44 ft 0 in (13.41 m)
全高Height: 10 ft 4 in (3.15 m)
主翼面積Wing area: 298 sq ft (27.7 m2)
空虚重量Empty weight: 4,750 lb (2,155 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 6,130 lb (2,781 kg)
発動機Powerplant: ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)2基
最高速力Maximum speed: 198 mph (319 km/h, 172 kn)
航続距離Range: 770 マイル (1,240 km, 670 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 16,900 ft (5,200 m)


4.現存するビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)

カラー写真(右)2009年9月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の左側面:引込式降着装置を下ろし、フラップも引き下げてた着陸態勢で展示されている。
Description SONY DSC Date 25 September 2009, 17:07 Author Valder137
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF File:Beech AT-10 Wichita LSide Airpower NMUSAF 25Sep09 (14599193172).jpg引用。


ライカミング(Lycoming)R-680-9空冷星型9気筒エンジン(排気量11.15 L)295 hp (220 kW)の諸元
出力 Power rating: 179 kW (240 hp) / 2,000 rpm
排気量 Displacement: 11 L (680 cu in.)
ボア(Bore)× ストローク(Stroke): 117.5 mm (4.625 in.) x 114.3 mm (4.5 in.)
重量Weight: 225 kg (505 lb)
直径Diameter 109.9 cm (43.25 in.)
全長Length 92.5 cm (36.43 in.) (R-680-A)

カラー写真(右)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機(42-35143)の左側面:引込式降着装置の主輪下に車輪止めが留められている。尾輪はソリッド小型ゴム輪で固定式である。表面はアルミで覆われているので、金属製の機体に見える。国籍マークは帯のない1943年前半までのものが描かれている。
English Beechcraft AT-10 Wichita of USAF Description: Beech AT-10 Wichita Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft AT-10 at National Museum USAF File:Beech AT-10 Wichita USAF.jpg引用。


写真(右)2010年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、国立アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 エクスペディター(Expeditor)輸送機(127193):コックピット操縦席の前は、反射光で操縦士が幻惑されないようにつや消し褐色塗装がなされている。国籍マークは1942年から1943年6月まで制定されたものを描いている。
Beech AT-10 DAYTON, Ohio -- Beech AT-10 Wichita at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) PHOTO BY: VIRIN: 071026-F-1234S-003
写真はDefense Media Activity - WEB.mil,Official United States Air Force Website Beech AT-10F引用。


カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft) AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことが可能で、計器盤は中央に位置しており、左右で別個に利用できる。
Description: Beech AT-11 cockpit Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category: Beechcraft AT-10 at National Museum USAF File:Beech AT-10 cockpit USAF.jpg引用。


⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-10 ウィチタ(Wichita)木製高等練習機


5.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機

写真(右)1940‐1942年、アメリカ西岸、オレゴン州ハマー・フィールド(Hammer Fld)、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機(41-1144)の左側面:第二次世界大戦にアメリカが参戦する前の国籍記章の垂直尾翼方向舵(ラダー)の赤白ストライプを描いている。発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
SDASM Archives Beech AT-7, Beech AT-7, 41-1144, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00044639引用。


カンサン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民インディアンのことである。

写真(右)1940‐1942年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機の左側面:第二次世界大戦にアメリカが参戦する前の国籍記章を描いている。初期型はプロペラスピナーはついていないが、中期以降はプロペラスピナーが取り付けられている。
SDASM Archives Beech : AT-7 : Navigator Manufacturer: Beech Designation: AT-7 Official Nickname: Navigator Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002251引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機の諸元

全の幅47 ft 8 in.、全長 34 ft 3 in.、全高10 ft
プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基
全備重量7,850ポンド
最高速力224 マイル時
実用上昇限度18,400 ft
航続距離850マイル
搭乗員2名、乗客4名。

写真(右)1942年以前、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機の前部コックピット操縦席と航法用デスク
SDASM Archives Follow Beech : AT-7 : Navigator Manufacturer: Beech Designation: AT-7 Official Nickname: Navigator.
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002265引用。


アメリカ陸軍航空隊が制式したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)を搭載した。その胴体キャビンには、左側に訓練生用の座席が3席が縦列配置されていて、各々に航法デスクが配備されている。

写真(右)1972年6月2日、アメリカ、アレゲーニー・コミューター(Allegheny Commuter)社ビーチクラフト(Beechcraft)モデル H-18(Tri-Gear Beech H-18)のヴォルパール18ターボライナー(Turboliner):尾輪式の機体を三輪式(首輪式)式降着式に変更しただけでなく、発動機もターボプロップの新型のエンジンに換装している。
Volpar Turboliner Manufacturer: Volpar Designation: Turboliner Airline: Allegheny Commuter Details: "Date of photo: 06/02/1972 ; Note reads, ""Wasn. Nat'l Airport.""" Photo by I. E. Quastler
写真はFlickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: Quastler222引用。


カラー写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、深紅に塗装されたビーチクラフト(Beechcraft)18D(CF-BKN)左側面:正副操縦士と9名の乗客が搭乗できる。発動機はヤコブス(Jacobs)L-6 空冷星形9気筒エンジン330 hp(250 kW)を装備した。総重量MTOW: 7,200 ポンド(3,300 kg)、生産機数は12機のみ。
Description English: At Pima Air & Space Museum Date 23 April 2013, 16:26:58 Source Flickr Author Aeroprints.com
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:CF-BKN Beech 18D (8738137233).jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊航法訓練用のビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機の装備したプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)で1929年に開発され、1930年代のアメリカ機に後半に普及した。

写真(右)2015年5月24日、フランス、ラ・フェルテ・アレイ 2015(La Ferté-Alais 2015)に参加した2機のビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FSとN223CM)、スイス航空ダグラスDC-3輸送機とスイス航空ダグラスDC-3輸送機(中央)の下面:ビーチ機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンに金属製2翅プロペラを装備している。
English: Douglas DC-3 with two Beechcraft Model 18 Date 24 May 2015, 16:25 Source Aluminium Wings Author Falcon® Photography from France, France
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft)File:Aluminium Wings (32281379554).jpg引用。


ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機は、搭乗員6名の要員輸送機として使用されたこともあった。

写真(右)2015年52015年5月24日、フランス、ラ・フェルテ・アレイ 2015(La Ferté-Alais 2015)に参加した2機のビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor):発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。 スイス航空ダグラスDC-3輸送機の下に参加し飛行していると思われるイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM (N21FS)航法練習機
Description Beechcraft 18 Date 24 May 2015, 16:26 Source Beechcraft 18 Author Falcon® Photography from France, France
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft 18 (46325588851).jpg引用。


写真(右)2016年7月9日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor) (N21FS):着陸時なので、引き込み式降着装置の主輪と尾輪を下ろして、低速での揚力を確保するために、主翼後縁のフラップを大きく下げ低ている。
English: Flying Legends air show 2016 Date 9 July 2016, 16:16 Source 170A5272 Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Beechcraft Model 18 - Flying Legends 2016 (28227575685).jpg引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機の後方キャビン右側は通路になっていて、インストラクターが、前後を行き来して、キャビン左側に3名縦列に座った訓練生を指導することができる。

写真(右)2016年7月9日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」、イギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18エクスペディター(Expeditor)3NM ('N21FS' c/n CA-138)と奥のスイス航空スイス航空ダグラス(Douglas)DC-3/C-47A スカイトレイン(Skytrain)輸送機'N431HM'(製造番号 c/n 9995)の右下面:ビーチクラフト機は尾輪も引込式なので、尾輪収納庫の扉がに納まっているが、ダグラス機の尾輪は固定式なので露出している。
English: Flying Legends air show 2016 Date 9 July 2016, 16:16 Source 170A5274 Author wallycacsabre
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Douglas DC-3 - Flying Legends 2016 7946660190).jpg引用。


プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量985立方インチ:16 L)450 hp (340 kW)の原型は前作プラット・アンド・ホイットニー R-1340空冷星形9気筒エンジンで、シリンダーを小型化し、エンジン重量の軽減を図って、小型機に装備する効率的な発動機を目指した。シリンダ(気筒)径と行程は同一で、53⁄16 in (132 mm)である。

写真(右)2017年7月9日、2017年8月18日、フランス、ラ・フェルテ・アレイ 2017(La Ferté-Alais 2017)に参加したスイス航空ダグラスDC-3輸送機(先頭)、ビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)(N223CM' c/n CA-223)、ビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)(N223CM)、ビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)('N21FS' c/n CA-138):ダグラス機は尾輪が固定式で出ているが、ビーチ機は尾輪も主輪同様に引込み式なので、尾輪収納庫の中に納まっている。
DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 Date 18 August 2017, 17:58 Source DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 Author Airwolfhound from Hertfordshire, UK
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 (35843210373).jpg引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を原型にしたアメリカ陸軍航空隊航法訓練用のビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機は、ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2/3として、アメリカ海軍仕様の航法練習機としても制式された。

写真(右)2017年7月16日、イギリス、ケンブリッジシャー、「フライング・リージェンド」、編隊飛行するイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)('N21FS' c/n CA-138)、ビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)(N223CM' c/n CA-223)、スイス航空ダグラス(Douglas)DC-3/C-47A スカイトレイン(Skytrain)輸送機'N431HM'(製造番号 c/n 9995)の右下面:ビーチクラフト機は尾輪も引込式なので、尾輪収納庫の扉がに納まっているが、ダグラス機の尾輪は固定式なので露出している。
Description DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 Date 16 August 2017, 17:51 Source DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 Author Airwolfhound from Hertfordshire, UK
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:DC3 & Beech 18 - Flying Legends 2017 (36442664992).jpg引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)C18S輸送機を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機の胴体上面に天測窓(astrodome)を設置し、星の位置や雲の動きを観測して、航法訓練を行った。胴体キャビンに縦列配置した訓練生用座席3席、発動機はプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985-25空冷星形9気筒エンジン450-hp 2基を装備した。生産機数は、577機である。

アメリカ陸軍航空隊は、航法練習機としてビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機を開発したが、さらに射撃・爆撃練習機として、AT-11を開発した。これらの原型は、ビーチ C-45 エクスぺディタ―(Expeditors)軍用輸送機、あるいはF-2 写真偵察機("F"とは"Fotorecon" "photographic reconnaissance"写真偵察機の略号)から開発されたものである。

写真(右)2017年9月3日、ドイツ中西部、ラインラント=プファルツ州シュパイヤー「シュパイヤー航空ショー」で飛行するスイス航空ダグラス(Douglas)DC-3/C-47A スカイトレイン(Skytrain)輸送機'N431HM'(製造番号 c/n 9995)と後続するイギリスの2機のビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)('N21FS' c/n CA-138 と'N223CM' c/n CA-223):ダグラス機は尾輪が固定式で出ているが、ビーチ機は尾輪も主輪同様に引込み式なので、尾輪収納庫の中に納まっている。ダグラス DC-3 と 2 機のビートクラフト 18の編隊は、これまでフライング レジェンド (ダックスフォード) 、パリ南部の LA フェルテ アレイの航空ショーでしか登場したことがなかった。
Deutsch: Eine Douglas DC-3 und zwei Beechcraft 18 während einer Flugschau über Speyer English: A Douglas DC-3 and two Beechcraft 18 during an airshow over Speyer Date 3 September 2017, 13:36:38 Source Own work Author Kmtextor
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:DC-3 and Beechcrafts-18 Speyer.jpg引用。


写真(右)2018年9月2日、イギリス、ケンブリッジシャー、「スコッティシュ国際航空ショー」(Scottish International Airshow)に参加したイギリスのビーチクラフト(Beechcraft)18(3NM)エクスペディター(Expeditor)('N21FS' c/n CA-138)練習機(製造番号 2-9279):発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)で、排気量16 Lと戦時には小型エンジンだったが、空冷星型短列9気筒エンジンなので、エンジン直径が大きく寸詰まりな形状である。出力は 450 hp (340 kW)。
Description A selection from the aircraft operating from Prestwick Airport for the Scottish International Airshow Date 2 September 2018, 14:10 Source Scottish International Airshow 2018 Author Mark Harkin
写真はWikimedia Commons, Category:N21FS (aircraft) File:Scottish International Airshow 2018 (43548809865).jpg引用。


Beech 18 アメリカ海軍でもビーチ18輸送機をJRB-1 ボヤージャー(Voyager)と命名し使用した。ただし、ボヤージャーの名称は普及せず、JRBは、エクスぺディタ―(Expeditors)と陸軍航空隊と同じ名称で呼ばれた。

アメリカ海軍JRB-1輸送機の第1号機は (BuNo) 09771の番号を与えられた。

戦時中はビーチ・モデル(Model)18民間輸送機の生産はなされずに、もっぱらビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機のような軍用機として生産された。アメリカ海軍はモデル 18を ビーチクラフト(Beechcraft)JRB-3 (陸軍仕様C-45B), JRB-4 (陸軍仕様UC-45F), SNB-1 カンザン(Kansan)(陸軍仕様AT-11),ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2 (陸軍仕様AT-7), SNB-2C (陸軍仕様AT-7C)として、利用した。

ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)練習機の後方キャビン右側は通路になっていて、インストラクターが、前後を行き来して、キャビン左側に3名縦列に座った訓練生を指導することができる。

ビーチクラフト(Beechcraft)C-45 エクスペディター(Expeditor)を原型にしたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機は、ビーチクラフト(Beechcraft)SNB-2/3として、アメリカ海軍仕様の航法練習機としても制式された。

カラー写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45J ナビゲーター(Navigator)練習機7L9213(シリアル番号 39213):窓ガラスは、キャビン保護のために遮光シートが張られている。
Description English: At Pima Air & Space Museum Date 23 April 2013, 16:58:34 Source Flickr Author Aeroprints.com
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:39213 Beech 18 ( UC-45J ) US Navy (8739091940).jpg引用。


アラドAr96練習機 アメリカ陸軍航空隊は、航法練習機としてビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機を開発したが、さらに射撃・爆撃練習機として、AT-11を開発した。これらの原型は、ビーチ C-45 エクスぺディタ―(Expeditors)軍用輸送機、あるいはF-2 写真偵察機("F"とは"Fotorecon" "photographic reconnaissance"写真偵察機の略号)から開発されたものである。そして、アメリカ海軍でもビーチ18輸送機をJRB-1 ボヤージャー(Voyager)と命名し使用した。ただし、ボヤージャーの名称は普及せず、JRBは、エクスぺディタ―(Expeditors)と陸軍航空隊と同じ名称で呼ばれた。

アメリカ海軍JRB-1輸送機の第1号機は (BuNo) 09771の番号を与えられた。

戦時中はビーチ・モデル(Model)18民間輸送機の生産はなされずに、もっぱらビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法高等練習機のような軍用機として生産された。アメリカ海軍はモデル 18をJRB-1 ボヤージャー(Voyager)、JRB-3 (陸軍仕様C-45B), JRB-4 (陸軍仕様UC-45F), SNB-1 カンザン(Kansan)(陸軍仕様AT-11), SNB-2 (陸軍仕様AT-7), SNB-2C (陸軍仕様AT-7C)として、利用した。

ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機には、3名の訓練生に、各自に専用デスクが与えられ、1名が爆撃手あるいは輸送要員となった。訓練時間は100時間がふつうである。ビーチ(Beech)18との差異は、コクピット後上方に天測窓(astrodome)を設け、航法訓練に使用できることである。

カラー写真(右)2020年3月27日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)UC-45J ナビゲーター(Navigator)練習機7L9213(シリアル番号 39213)左側面:アメリカ海軍SNB-5ナビゲーター(Navigator)高等練習機は、1962年に新たに TC-45J練習機と命名されたが、TC-45Jは、その後、UC-45Jと命名されている。
Description English: Back in January, I was able to visit the amazing Pima Air & Space Museum in Tucson, Arizona. This fabulous collection contains nearly 300 aircraft from the very smallest Bedejet to the largest B52 Stratofortess. I will post some more in due course. Date 27 March 2020 Source https://www.flickr.com/photos/58415659@N00/49705729681/ Author kitmasterbloke Author Eric Salard
写真はWikimedia Commons, Category:Beechcraft aircraft at Pima Air & Space Museum File:Beech UC-45J Expediter.jpg引用。


ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)を原型にビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)高等練習機はアメリカ陸軍航空隊(Army Air Forces)の航法訓練用の練習機で、第二次世界大戦中に開発されたが、戦後も何年間も使用された。1回の飛行で、インストラクター教員が1名、訓練生3名が同乗し、航法訓練を行った。

ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)は、搭乗員・教員2名、訓練生4名で、実際の飛行機に搭乗しての実地訓練を目的に開発された。訓練生は、100時間のAT-7による飛行経験を得て、操縦士あるいは航法士に分けられた。

⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7 ナビゲーター(Navigator)航法練習機


6.ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機

写真(右)1943年頃、アメリカ、爆弾投下訓練に用いられたアメリカ陸軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。背部に銃座を設置。プロペラスピナーを付けていない型である。
SDASM Archives Beech : AT-11 Manufacturer: Beech Designation: AT-11 Official Nickname: Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044640引用。


1937年1月15日初飛行のビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)は、各型式合計で1937ー1970年から、9,000機以上が長期量産された。ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機は、1,500 機が生産され、1950年代半ばまで広範に使用された。

カンザン(Kansan)とは、アメリカ中央内陸部カンザス(Kansas)州の先住民のことである。ただし、ビーチクラフトの企図は、自社本社工場のあるカンザス州ウィチタを有名にすることであり、先住民の人権を重視したのではないようだ。

第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機のような機上作業高等練習機は、操縦だけでなく、航空機機内で、航法、通信、射撃、爆撃、偵察などの機上作業を訓練するための練習機である。そのために、胴体内に複数の訓練生・教員が搭乗するキャビンがある。空間と搭乗者を確保するために、アメリカでは、ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)(C-45エクスペディター)を流用したビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機など双発機を量産している。

第二次大戦前から、日本陸軍は、機上作業練習機は1941年制式の立川飛行機一式高等練習機など専用機を配置できたが、日本海軍では、フォッカー(Fokker)F.VIIa スーパー・ユニバーサル(Super Universal)よりも小型の1931年制式の三菱九〇式機上作業練習機、1942年制式の九州飛行機K11W白菊など単発練習機しか配備していない。

写真(右)1943年、アメリカ、農地の上を低空飛行するアメリカ陸軍航空隊のビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機:アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)練習機の海軍仕様SNB は、射撃手/爆撃手練習機。プロペラスピナーを付けていない型である。
Beech : AT-11 : Kansan Manufacturer: Beech Designation: AT-11 Official Nickname: Kansan Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はflickr, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 00044644引用。


アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機の原型は、陸軍輸送機C18Sで、3名の訓練生を搭乗させ、航法、偵察、通信などの機上訓練を行うために開発された。発動機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン(排気量16.1 L) 450-hp で、合計577機が生産された。

アメリカ海軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7A ナビゲーター(Navigator)練習機は、水上用の双フロート装備の水上練習機として6機が生産された。

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Bは、厳冬用仕様で9機が生産された。

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-7Cは、C18Sを原型に発動機にプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジンを搭載した。合計549機生産。

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、爆撃、旋回機関銃操作の機上作業練習機で、AT-7ナビゲーター練習機を原型に、機首ガラス風防を装備、爆撃手席を設け、さらに銃座を設けて、.30口径7.62mm機関銃2−3挺を装備した。この初期型は150機生産された。

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11A(Kansan)は、AT-11を航法訓練仕様で 36機が改造された。

カラー写真(右)2022年5月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍国立博物館、アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)高等練習機のコックピット複式並列操縦席と計器盤・操縦輪:練習機として、並列で操縦を学ぶことは可能だが、小型軽量の練習機なので、計器盤は中央に位置しており、左右共用である。フットペダルも簡易構造となっている。
Description: Beech AT-11 cockpit Source:USAF Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Beechcraft aircraft at the National Museum of the United States Air Force File:Beech AT-11 cockpit USAF.jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機(Serial #: 42-37444)は、第二次世界大戦の終戦後に旧式化し、需要がなくなったために、民間譲渡、払い下げがなされた。機首ガラス風防をソリッド化し、キャビンを民間輸送機に改造して、軽旅客機として使用された。形状はビーチクラフト(Beechcraft)モデル18 エクスペディタ―(Expeditor)輸送機(N63158)とみなすことができる。

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)練習機の諸元
全幅Wingspan 47 ft 8 in.
全長Length 34 ft 3 in.
全高Height 9 ft 8 in.
総重量Weight 6,175 lbs (loaded)
最高速力Maximum Speed 230 MPH
実用上昇限度Service Ceiling 21,400 ft
航続距離Range 850 miles
発動機Engines プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp
乗員Crew 2名

アメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機中期型は、.30口径7.62mm AN-M2 7.62mm機関銃装備の回転銃塔(ビーチクラフト社製造)あるいは後期型は 7.62mm連装機関銃搭載クロッカーウィーラー(Crocker Wheeler)製の上部回転銃塔、腹部回転銃塔を装備した。

ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11(Kansan)練習機の生産機数は 1,582機がアメリカ陸軍用に、24機がアメリカミシシッピ州に創設されたオランダ空軍航空学校(Royal Netherlands Military Flying School)で使用された。オランダ本国は、1940年5月以降、ドイツ支配下にあり、亡命政府とその下のオランダ軍が連合国側に参加していた。

ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18)を原型に開発されたアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カンザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機は、小型機で、操縦の容易さ、燃費の良さが特徴で、小型軽量のために滑走路の制限を受けないで済んだ。

⇒写真集Album:ビーチクラフト(Beechcraft)AT-11 カザン(Kansan)射撃手/爆撃手練習機


7.セスナ AT-17(UC-78)ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機

写真(右)1942年、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78)ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機(238715)の右側面: AT-17は、1943年6月 UC-78と形式名称が変更になった。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。アメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが主翼には描かれているが、胴体には描かれていない。
English: Cessna AT-17 "Bobcat" trainer of the United States Army Air Forces. Date circa 1942 Author Unknown author Permission (Reusing this file) PD-USAF
写真は,Wikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Cessna AT-17 (cropped).jpg引用。


セスナ AT-17(UC-78) ボブキャットCessna AT-17 Bobcat)は、アメリカの軽飛行機の代名詞となったセスナ飛行機の設計・生産になる双発の高等練習機である。第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊は、他の主要国と同じく、双発戦闘機を開発しており、単発機による操縦訓練だけではなく、双発機による訓練が求められた。また、中型爆撃機も双発機だったために、その操縦訓練も必要だった。

こうした双発機の操縦訓練のために開発された練習機が、アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャットCessna AT-17 Bobcat)で1939年3月26日に初飛行している。これは第二次世界大戦勃発の半年前のことだった。

写真(右)2013年4月23日、アメリカ、アリゾナ州ツーソン、ピマ航空宇宙博物館(Pima Air & Space Museum)、アメリカ陸軍航空隊セスナ(Cessna)UC-78B(AT-17)ボブキャット(Bobcat)練習機(N66794)の左側面: AT-17は、1943年6月 UC-78と形式名称が変更になった。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。尾輪は固定式だが、主脚は引込み式である。アメリカの第二次世界大戦参戦後の国籍マークが主翼には描かれているが、胴体には描かれていない。
Description English: At Pima Air & Space Museum Date 23 April 2013, 17:41:47 Source Flickr Author Aeroprints.com
写真は,Wikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:N66794 Cessna UC-78B Bobcat U.S. Navy (8743356053).jpg引用。


セスナ AT-17(UC-78) ボブキャットCessna AT-17 Bobcat)は、新鋭機に対応して、引込み式の降着装置、電動フラップを採用し、主力機と同じく低翼単葉とした。発動機は、操縦しやす量産にも向いている2基のジェイコブス(Jacobs)R-755空冷星型エンジン245hpを搭載してた。ボブキャットの最高速力は314 km / h、航続距離は1,200 kmで、最大4名の訓練生が搭乗可能で、貨物なら450kgを搭載運搬ができた。

便利なセスナ AT-17(UC-78) ボブキャットCessna AT-17 Bobcat)は、訓練以外にも、連絡、軽輸送、偵察、救急患者輸送機、軽爆撃の任務にも使用された。ボブキャットは、1939年から1944年の間に合計5,422機も大量生産されている。

図(右)アメリカ陸軍航空隊セスナ AT-17(UC-78) ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の三面寸法図
English: A 3-view line drawing of the Cessna AT-17 Bobcat. Date 15 April 1944 Source app.aircorpslibrary.com Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons,Category:Cessna AT-17 Bobcat File:Cessna AT-17 Bobcat 3-view line drawing.png引用。


セスナ AT-17 ボブキャット(Cessna AT-17 Bobcat)練習機の諸元

乗員Crew: 操縦士1名 + 練習生4名
全長Length: 32 ft 9 in (9.98 m)
全幅Wingspan: 41 ft 11 in (12.78 m)
全高Height: 9 ft 11 in (3.02 m)
翼面積Wing area: 295 sq ft (27.4 m2)
空虚重量Empty weight: 3,500 lb (1,588 kg)
総重量Gross weight: 5,700 lb (2,585 kg)
離陸最大重量Max takeoff weight: 6,062 lb (2,750 kg)
発動機Powerplant: 2 × ヤコブス(Jacobs)R-755-9 空冷星形7気筒エンジン245 hp (183 kW)

最高速力Maximum speed: 195 mph (314 km/h, 169 kn)
巡航速力Cruise speed: 175 mph (282 km/h, 152 kn)
失速度Stall speed: 63–66 mph (101–106 km/h, 55–57 kn)
航続距離Range: 750 mi (1,210 km, 650 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,000 ft (6,700 m)
状両立Rate of climb: 1,150 ft/min (5.8 m/s)
離陸滑走距離Take-off run: 650 ft (200 m) 〜 50 ft (15 m)
着陸滑走距離Landing run: 1,400 ft (430 m) 〜 50 ft (15 m) /90 mph (140 km/h)

⇒写真集Album:セスナ(Cessna)AT-17(UC-78)ボブキャット(Bobcat)


8.ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)

写真(右)1940年、アメリカ、カリフォルニア州モンテレ―、離陸しようとするギルモア石油会社ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機(NC18130):ギルモア石油は、1903年、ロサンゼルスの酪農場で石油を発見したアーサー・フリーモント・ギルモアが設立した独立系石油会社である。
Description NC18130 taking off at Monterey, California, in 1940. Date 27 September 2010, 16:19 Source Lockheed 12A Gilmore Oil Co Author Bill Larkins
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Lockheed 12A Gilmore Oil Co (5620467485).jpg引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の試作1号機は、1936年6月27日昼12時12分に初飛行したが、これはアメリカ航空局の出した地方用民間輸送機の競争試作締め切り期限の6月末の3日前だった。 つまり、ロッキードL-12の名称に因んだ飛行時間を選んだのである。

ただし、航空局の競争試作に応じたロッキード以外の機体は、ビーチクラフト モデル 18もバークレー グロウ T8P-1もともに試作機完成の期限に間に合わなかったために、競争試作ではロッキード(Lockheed)モデル Model 12が勝ち残ることになった。

写真(右)1940年6月12日、フランス植民地アルジェリア、ドイツに抵抗をつづけたフランス空軍ロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機(F-ARPP)の右側面:マキシム・ウェイガン(Maxime Weygand: 1867ー1965)将軍は、ドイツのフランス侵攻時、1940年5月、連合軍総司令官に就任した。フランスの保全を優先し、ドイツと休戦し、フィリップ・ペタン元帥を国家元首とする親独フランス国民政府の国防相に就任。1941年7月16日には、フランス北アフリカ駐留軍総司令官兼アルジェリア総督に就任した。その後、ドイツとの協力を進めなかったために、1942年にオーストリアのイッター城に監禁された。フランス空軍大佐シャルル・ジェルヴェの保管していた写真。
Description Français : Il s'agit de l'avion ayant amené le général Maxime Weygand, Délégué général en Afrique française. Date 12 June 1940 Source J'ai hérité des collections personnelles de feu mon beau-père le capitaine (ER) de l'Armée de l'air française. Héritage familiai. Author capitaine (ER) Charles Gervais, mon beau-père.
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 Electra Junior  File:BA144 Sétif(Aïn-Arnat) Lockheed Electra 12 juin.jpg引用。


写真(右)2018年6月、オランダ、ユトレヒト州ススト、スーステルベルグ、国立軍事博物館、オランダ空軍所属のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の左下面:降着装置は、反引込み式なので、主輪の下半分は収納庫から露出している。尾輪は固定式である。
Description soesterberg militair museum (209) Date 26 June 2018, 14:18 Source soesterberg militair museum (209) Author bertknot from scarborough, australia
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Soesterberg militair museum (209) (45970710172).jpg引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機は、1936年6月27日初飛行、ライト(Wright)R-975ウィールウィンド(Whirlwind:旋風) 空冷星形エンジン450 馬力 (336 kW)2基を装備している。原型のロッキード(Lockheed)モデル Model 10 エレクトラ(Electra)を若干小型化し、8座席、6人乗客の全金属製双発輸送機である。1930年代後半から、小規模な航空会社、大企業、資産家が購入して使用したほか、政府要人も使用した。 ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)の生産機数は、130機に達した。

写真(右)2019年5月10日、オランダ、ユトレヒト州ススト、スーステルベルグ、国立軍事博物館、オランダ空軍所属のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の左下側面
Nederlands: Een Lockheedvliegtuig en een Mil Mi2-helicopter in het Nationaal Militair Museum. Date 10 May 2019, 14:15:01 Source Own work Author Steven Lek
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Lockheed model 12 - Mil Mi-2 helicopter Nationaal Militair Museum 2019.jpg引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 12 エレクトラ・ジュニア( Electra Junior)輸送機の諸元
乗員Crew: 2名、乗客Capacity: 6名
全長Length: 36 ft 4 in (11.07 m)
全幅Wingspan: 49 ft 6 in (15.09 m)
全高Height: 9 ft 9 in (2.97 m)
主翼面積Wing area: 352 ft2 (32.7 m2)
空虚重量Empty weight: 5,765 lb (2,615 kg)
搭載量Loaded weight: 8,650 lb (3,924 kg)
最大離陸重量Max. takeoff weight: 9,200 lb (4,173 kg) 発動機Powerplant: 2 × プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星形9気筒エンジン450 hp (340 kW)
最高速力Maximum speed: 225 mph (362 km/h, 196 kn) /5,000 ft (1,500 m)
巡航速力Cruise speed: 213 mph (343 km/h, 185 kn)
航続距離Range: 800 mi (1,300 km, 700 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 22,900 ft (7,000 m)
丈量率Rate of climb: 1,400 ft/分 (7.1 m/秒)

写真(右)2018年6月、オランダ、ユトレヒト州ススト、スーステルベルグ、国立軍事博物館、オランダ空軍所属のロッキード(Lockheed)モデル12A エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)輸送機の下面:降着装置は、反引込み式なので、主輪の下半分は収納庫から露出している。尾輪は固定式である。
Description soesterberg militair museum (210) Date 26 June 2018, 14:20 Source soesterberg militair museum (210) Author bertknot from scarborough, australia
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 12 at Nationaal Militair Museum File:Soesterberg militair museum (210) (46020240271).jpg引用。


⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)モデル(Model)12 エレクトラ・ジュニア(Electra Junior)


9.フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機練習機

写真(右)1935年1月18日に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 "Weihe"ワイエ機上作業練習機:機首ガラス風防の下に流線形カバーに覆われた爆撃照準器が見える。エンジンには2翅プロペラがついているが、これは可変ピッチである。エンジンナセルの下に、引込み式の降着装置がある。コックピットのガラス風防は閉鎖されていて、その後方外側には、主翼を支える支柱が取り付けられている。
Focke-Wulf Fw 58 Catalog #: 00079297 Manufacturer: Focke-Wulf Designation: Fw 58 Official Nickname: Weihe (kite) Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真はWikimedia Commons, SDASM Archives 引用。


1934年、ヘルマン=ゲーリング(Hermann Göring)大臣の航空省は、輸送・連絡機用の双発多用途機を発注し、それに応じて試作されたのがFw 58である。1935年に初飛行したフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58は、胴体が鋼管溶接構造、前部は金属外皮、後部は羽布張りで重量を軽減した。主翼は金属構造で、主桁前方は金属外皮、後半は羽布張りで高アスペクト比の長い主翼を支柱で支えている。た。

ドルニエ(Dornier)Do JワールWal飛行艇と形状が似ているフォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 "Weihe"ワイエ輸送機・練習機似たような愛称を付けられたと言えるが、共に堅牢な構造で実用性が高かったために生産終了後も長らく使用されている。

フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"機上作業練習機諸元:
初飛行:1935年1月18日
就役:1937年
生産終了:1942年
生産機数:1668機(FWで592機)
全長: 14.2 m
全幅: 21.00 m
全高: 4.5 m
翼面積 47平方メートル
自重: 2,400 kg
全備重量: 3,600 kg
発動機:アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒エンジン(排気量:12.677 L)240 hp 2基
最高速力: 280 km/h
実用上昇限度: 5,600 m
航続距離: 800 km
乗員: 6 名

⇒写真集Album:フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw 58 ワイエ"Weihe"練習機


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇


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