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◆グラマン(Grumman)XF5Fスカイロケット(Skyrocket)双発戦闘機
写真(上)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行機格納庫前に駐機しているグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面
:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークは双尾翼のためか描かれていない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545423 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000454 Grumman XF5F-1 1442 - Filename:16_000454 Grumman XF5F-1 1442.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は Wikimedia Commons, SDASM Archives・File:Ray Wagner Collection Image (16158029209).jpg 引用。


写真(上)1942年6月、アメリカ、飛行場未舗装滑走路に駐機しているグラマン(Grumman)XF6F-3 艦上戦闘機試作機の左前側面
:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦後に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークを塗りつぶしたような跡がある。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545282 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000459 Grumman XF6F-3 02982 Jun42 mfg - Filename:16_000459 Grumman XF6F-3 02982 Jun42 mfg.tif --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。

1.グラマン(Grumman)XF5F スカイロケット(Skyrocket)

写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行機格納庫前に駐機しているグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークは双尾翼のためか描かれていない。 Ray Wagner Collection Image PictionID:41545521 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000448 Grumman XF5F-1 1442 USN - Filename:16_000448 Grumman XF5F-1 1442 USN.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum Author SDASM Archives
写真は , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:Ray Wagner Collection Image (16342474331).jpg引用。


カラー写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、グラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左正面:1940年4月1日初飛行したが、試作機が飛行中に周囲の飛行機に喚起を促すために、主翼を目立つ黄色に塗装している。国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークは双尾翼のためか描かれていない。 Ray Wagner Collection Image PictionID:41546011 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000450 Grumman XF5F-1 1442 - Filename:16_000450 Grumman XF5F-1 1442.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: SDASM Archives
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F SkyrocketFile:Ray Wagner Collection Image (15721785894).jpg 引用。


グラマン(Grumman)XF5F スカイロケット(Skyrocket) は、1938年2月にアメリカ海軍が試作要求を出した新型艦上戦闘SD112-14に対して、グラマン社が応じたもので、このほかベル社・ヴォート社との競争試作となった。

写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、グラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左正面:1940年4月1日初飛行だが、生産は試作1機のみ。 The latest type of a Grumman Navy fighter:National Archives Identifier 195921 NAIL Control Number NLR-PHOCO-A-53227(2124)
写真は, U.S. National Archives and Records Administration The latest type of a Grumman Navy fighter NAID: 195921 [German Edition] File:The latest type of a Grumman Navy fighter - NARA - 195921.jpg 引用。


双発の艦上戦闘機として開発されたグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)は、航空母艦の狭い艦上で使用できるように、飛行甲板と格納庫甲板を繋ぐエレベーターのサイズに合わせて開発された。そこで、主翼が機首にあるという特異な形状となったが、兵装は強力な20 mm (0.906 in)マドセン(Madsen)機関砲2門を装備している。

写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行中のグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面面:第二次大戦の最中、アメリカ参戦前の1940年4月1日に初飛行。 April 1940The U.S. Navy Grumman XF5F-1 Skyrocket experimental fighter (BuNo 1441) in flight. Date circa 1940-1944 Source U.S. Navy Commander, Naval Air Forces Centennial of Naval Aviation website (flash animation) [1] Author USN
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:Ray Wagner Collection Image (15721785164).jpg引用。


1938年にグラマンが開発したグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機は、艦上機として軽量な双発機を目指し、離昇最大重量10,000 lbsポンド(4535kg)を上限に、発動機は1,200 hpライト(Wright)R-1820 空冷星型エンジン2基、左右のプロペラは異なる方向に回転し、トルク(torque)を打ち消すようにして,艦上での発着艦を容易にしようと計画された。また、エンジン2基を装備したために、上昇率は高かった。

写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行中のグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面面:第二次大戦の最中、アメリカ参戦前の飛行。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545059 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000451 Grumman XF5F-1 1442 - Filename:16_000451 Grumman XF5F-1 1442.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:Ray Wagner Collection Image (16156845550).jpg引用。


写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行中のグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左上面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークは双尾翼のためか描かれていない。
English: PictionID:41545702 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000452 Grumman XF5F-1 1442 NASM - Filename:16_000452 Grumman XF5F-1 1442 NASM.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum Source Ray Wagner Collection Image Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:XF5F.jpg引用。


ブローニングM2重機関銃 グラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機は、1940年4月1日に初飛行、エンジン冷却の不調のために、潤滑油冷却機の回収がなされた。また、地上・艦上視界は十分だったため、空気抵抗減少のためにも操縦席コックピットの背の高さが低くされた。

兵装も発射速度の遅い20mm機関砲に換えて、12.7mm(0.5 in)ブローニング機関銃4挺を装備した。これらの改装が完了したのは、太平洋戦争参戦前の1941年7月15日である。

ブローニングM2重機関銃(Browning Machine gun, caliber.50, M2)の原型は、アメリカのジョン・ブローニングが第一次世界大戦末期に開発したM1921水冷式機関銃で、1921年に制式になった・その空冷改良型がM2で1933年に制式になった。陸戦平気だったために、航空機搭載機関銃としては、軽量化され、高速移動する飛行機を標的とするために発射速度を向上させるなど改良が施されてている。

写真(右)1940年4月‐1941年前半、アメリカ、飛行中のグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークは双尾翼のためか描かれていない。 English: PictionID:41545702 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000452 Grumman XF5F-1 1442 NASM - Filename:16_000452 Grumman XF5F-1 1442 NASM.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum Source Ray Wagner Collection Image Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:Ray Wagner Collection Image (16156625118).jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機には、酸素マスクだけでなく与圧式コックピット操縦室が設けられている。気圧格差に耐えるために、堅牢な繭型で、気密性を高めるために、出入り口は小さく、視界を得るためのガラス窓も小さな円形にとどめている。高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる 与圧コックピットには、気密性と軽量で高い強度が求められた。

高度と気圧の低下は、
18000フィート(5486m)1/2
27000フィート(8230m)1/3
38000フィート(11582m)1/5
50000フィート(15240m)1/10
と 加速度的に気圧は低下する。

写真(右)1941年後半以降‐1943年前半、アメリカ、車輪止めを付けて待機しているのグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)の左側面面:国籍マークは、アメリカ参戦後の青丸白星に塗り替えられている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545802 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000453 Grumman XF5F-1 1442 USN - Filename:16_000453 Grumman XF5F-1 1442 USN.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はWikimedia Commons , Category: Grumman XF5F Skyrocket・File:Ray Wagner Collection Image (16342464031).jpg引用。


グラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)双発艦上戦闘機(1442)は、小さな機体に発動機2基を装備したために、毎分4,000 ft(1,220 m)の上昇率を記録し、高い上昇性能をから「スカイロケット」と命名された。しかし、接近した2基のエンジンと、その間に挟まれた機首のために、気流の変化が大きくなり、エンジンカウルと機首が大きな空気抵抗となって、出力の割には最高速力は600 km/h程度で、エンジンの冷却不良、空気抵抗の過大を改める必要があった。また、操縦士キャノーピー前に2基の発動機が装備されたために、操縦士の視界もいいとは言えなかった。

そこで、グラマン社が改修作業に当たり、機首形状の延長、操縦士キャノピーの形状改修、プロペラスピナーの追加が行われた。このグラマン社では、このXf5F改良型を、"G-41"と呼称した。1941年10月より、G-41の審査が行われたが、機体総重量の増加によって、速力は低下し、エンジンカウルにより前側方視界が阻害されることは変わらず、この点は艦上機としては致命的であった。


2.グラマン(Grumman)XP-50戦闘機試作機

グラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)戦闘機は、前輪式降着装置を備えた双発艦上戦闘機で、狭い空母飛行甲板での運用のために、大きさや重量の制限が厳しかったが、発展型XP-50は、前輪式双発機としての重量制約が緩和されたために、機首を延長し、兵装ポッドを強化し、ライトR-1820空冷星型エンジンに、ターボ過給機を付けて、高高度性能を向上させ、操縦士や燃料タンクの防弾を強化して、迎撃双発戦闘機として開発された。

写真(右)1941年後半以降‐1943年前半、アメリカ、車輪止めを付けて待機しているのグラマン(Grumman)XF5F-1 スカイロケット(Skyrocket)の発展型グラマン(Grumman)XP-50戦闘機試作機の正面:1941年2月18日初飛行、国籍マークは、アメリカ参戦後の青丸白星に塗り替えられている。
PictionID:40973166 - Title:Grumman XP-50 - Catalog:15_002797 - Filename:15_002797.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft." Date 29 December 2014, 11:48 Source Grumman XP-50 Author SDASM Archives
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive・ Wikimedia Commons, Category:Grumman XP-50File:Grumman XP-50 (15953155180).jpg引用。


XP-50試作1号機は、1941年5月14日に初飛行したが、ターボ過給機の故障で機体は墜落、喪失した。

写真(右)1941年後半以降‐1943年前半、アメリカ、飛行試験中のグラマン(Grumman)XP-50戦闘機試作機の左側面面:1941年2月18日初飛行、国籍マークは、アメリカ参戦後の青丸白星に塗り替えられている。
PictionID:40973166 - Title:Grumman XP-50 - Catalog:15_002797 - Filename:15_002797.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft." Date 29 December 2014, 11:48 Source Grumman XP-50 Author SDASM Archives
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive・ Wikimedia Commons, Category:Grumman XP-50File:Grumman XP-50.jpg引用。


当時、同様の高高度迎撃双発戦闘機としてロッキードP-38の発展型XP-49が開発中で、より強力は2,000馬力級プラット・アンド・ホイットニー X-1800液冷H型24気筒エンジンを搭載する作業が進行中だったために、 XP-50の開発計画はキャンセルされた。アメリカ陸軍航空隊は、それまで海軍艦上戦闘機を専門にしてきたグラマン社が、海軍機XF5Fを陸軍用に当てがったことに反感を抱いていたのであろうか。


3.グラマン(Grumman)F4F ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機

写真(右)1940年10月以前、アメリカ、無塗装のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF4F-3ワイルドキャット(Wildcat)戦闘機試作機3号機の左側面:XF4F試作1号機は、1937年9月2日に初飛行、プラット・アンド・ホイットニーR-1830ツインワス空冷星型14気筒に換装したXF4F-3が制式され、1940年12月から艦上戦闘機として就役している。
Grumman XF4F-3 Wildcat Catalog #: 15_001942 Title: Grumman XF4F-3 Wildcat ADDITIONAL INFORMATION: Originally built as a XF4F-2 and converted to -3. Powered by a Pratt & Whitney R-1830 Twin Wasp engine. This aircraft was written off in Dec. of 1940. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: U.S. Air Forces PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Page #: 1
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ海軍の1936年の新型艦上戦闘機の開発要求に応じたのは、ブルースター社、セヴァスキー社グラマン社だった。この競争試作でグラマンは複葉機(XF4F-1)で応じたが、これでは競争に勝てず単葉機(XF4F-2)として再設計され選定試験に応じた。制式された次期艦上戦闘機はブルースターF2Aバッファローだったが、XF4Fは制式されなかったものの、引き続き試作続行が決まった。

写真(右)1940年10月以前、アメリカ、格納庫前のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F4F-3Aワイルドキャット(Wildcat)戦闘機の左側面:XF4F試作1号機は、1937年9月2日に初飛行。プラット・アンド・ホイットニーR-1830ツインワス空冷星型14気筒に換装したXF4F-3試作3号機が制式され、1940年12月からは艦上戦闘機として就役している。プロペラスピナーはつけていない。
Ray Wagner Collection Photo PictionID:40958931 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:16_000274 Grumman F4F-3A 4038.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


グラマン XF4F-3試作機は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830ツインワスプ(Twin Wasp)空冷14気筒エンジン(排気量1,830立法インチ:29.98 L)装備したが、これが量産型となった。イギリスはF4F-3をマートレットと命名して採用した。F4F-3はイギリス海軍とアメリカ海軍に1940年から部隊配備が始まったが、主翼を固定式で、折り畳むことはできなかった。

アメリカ海軍がF4Fをワイルドキャット(Wildcat)と命名したのは、1941年10月1日である。

写真(右)1942年初頭、アメリカ、主翼を折りたたんだアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman) XF4F-4 艦上戦闘機試作4号機(1897):このF4F-4型から、折り畳み翼を採用した。
Grumman XF4F-4 1897 mfr 7904 [GHC via RJF] PictionID:42766617 - Title:Grumman XF4F-4 1897 mfr 7904 [GHC via RJF] - Catalog:17_000150 - Filename:17_000150.tif - - --------Image from the René Francillon Photo Archive. Having had his interest in aviation sparked by being at the receiving end of B-24s bombing occupied France when he was 7-yr old, René Francillon turned aviation into both his vocation and avocation. Most of his professional career was in the United States, working for major aircraft manufacturers and airport planning/design companies. All along, he kept developing a second career as an aviation historian, an activity that led him to author more than 50 books and 400 articles published in the United States, the United Kingdom, France, and elsewhere. Far from “hanging on his spurs,” he plans to remain active as an author well into his eighties.-
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


グラマンF4F-3型までは、固定翼だったが、F4F-4以降は、主翼を折り畳める構造として、航空母艦の格納庫や飛行甲板での運用の便を向上させている。日本海軍機も折り畳み翼を採用したが、人力で折りたたむ構造で、強度の上でも弱かったために、戦闘機で初の折り畳み翼を採用したゼロ戦21型でも、主翼の先端だけしか折りたたみ出来ない

アメリカ軍の国籍記章は
(1)第二次大戦以前・アメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦:青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ
(2)太平洋戦争初期・1943年6月以前:青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止
(3)1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
(4)1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
(5)第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

写真(右)1942年初期、アメリカ、飛行するアメリカ海軍航空隊第214戦闘飛行隊(VMF-214)のグラマン(Grumman)F4F-4 ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機の正面:発動機プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830-86 (1,200hp)を搭載、3翅プロペラ(直径9ft 9in :2.97m)を回転させる。左右主翼内の.50口径12.7mmブローニング(Browning)M2機関銃各々2挺(携行弾数:各450発)。
Ray Wagner Collection Photo PictionID:40959055 - Catalog:Array - Title:Array - Filename:16_000283 Grumman F4F-4 VMF-214 10Mar43.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は Pearl Harbor Aviation MuseumArchive 引用。


アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F4F-3 ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機
全長:8.63 m
全高:28 ft 9 in (8.76 m)
全幅: 38 ft 0 in (11.58 m)
全高:11 ft 10 in (3.61 m)
翼面積: 260 sq ft (24 m2)
自重:4,907 lb (2,226 kg) 全備重量:7,423 lb (3,367 kg) 発動機:プラット・アンド・ホイットニーP&W R-1800空冷星型14気筒1,200 hp (890 kW) 最高速力:331 mph (533 km/h, 288 kn) 航続距離:845 mi (1,360 km, 734 nmi) 実用上昇限度:39,500 ft (12,000 m) 兵装: .50口径12.7mmブローニング(Browning)M2機関銃 4挺(主翼:各450発)
外装タンク: 2 × 58 US gal (220 L)


4.グラマン(Grumman)F6F ヘルキャット(Hellcat)

写真(右)1942年6月、アメリカ、飛行場未舗装滑走路に駐機しているアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F-1 艦上戦闘機の右前側面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦後に制定されたもの。ただし、方向舵の赤白ストライプの国籍マークを塗りつぶしたような跡がある。降着装置は90度捻って主翼に引込まれるが、これはユンカースJu88の主脚引込み方法と同じである。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545636 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000457 Grumman F6F-1 - Filename:16_000457 Grumman F6F-1.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file
写真は, SDASM Archives・引用。


グラマン(Grumman)F6F グラマン(Grumman)XF6F-1は、ライト(Wright)R-2600 サイクロン14(Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン(排気量42.7 L)1,600hpを搭載し、1942年6月26日に初飛行した。これがF6Fの試作1号機XF6F-1である。

その後、グラマン(Grumman)XF6F-3プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)空冷星型18気筒エンジン(排気量45.9 L)2,000hpを搭載し、1942年7月30日に初飛行した。

しかし、このXF6F-3は、1942年8月17日にエンジン故障で墜落した。そこで、XF6F-1の発動機ライト(Wright)R-2600 サイクロン14(Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン(排気量42.7 L)1,600hpを、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)空冷星型18気筒エンジン(排気量45.9 L)2,000hpに換装して実用試験に移った。

写真(右)1942年6月、イギリス、編隊飛行するイギリス海軍航空隊(British Fleet Air Arm (FAA) )グラマン(Grumman)ヘルキャット(Hellcat)Mk I 艦上戦闘機(JV163)の左側面:国籍マークは、イギリスのラウンデル三色が描かれている。
PictionID:41546103 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000469 Grumman Hellcat I JV163 - Filename:16_000469 Grumman Hellcat I JV163.tif - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。


グラマン(Grumman)F6F イギリス海軍航空隊(British Fleet Air Arm (FAA) )は、グラマン(Grumman)ヘルキャット(Hellcat)Mk I 艦上戦闘機を合計1,263機をアメリカから貸与された。F6Fは、武器貸与法(Lend-Lease Act)にしたがって、アメリカからイギリスに引き渡された。当初。イギリスではF6Fをグラマン(Grumman)ガネット(Gannet)Mark Iと命名した。

しかし、イギリスは、1943年前半にはすぐにアメリカと同じヘルキャット(Hellcat)と改名した。そして、F6F-3はヘルキャット(Hellcat)Mk. Iと, F6F-5はヘルキャット(Hellcat)Mk. II と、夜間戦闘機型F6F-5Nはヘルキャット(Hellcat)NF Mk. IIと命名している。

アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF6F-1戦闘機試作機の初飛行は、1942年6月26日、太平洋戦争参戦半年後だった。しかし、ゼロ戦など日本戦闘機に対抗できる新型機として、グラマン(Grumman)F6F-1は、急速量産に入り、1943年の中部太平洋方面で実戦参加したのを皮切りに、生産数は1万2,275機とゼロ戦を2割上回った。

写真(右)1943年、アメリカ、編隊飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F-3 艦上戦闘機の右前側面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦中に制定された星と帯も国籍マークを描いている。
PictionID:41545472 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000461 Grumman F6F-3 1943 - Filename:16_000461 Grumman F6F-3 1943.tif - go.osu.edu/110 Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。


グラマン(Grumman)F6F 第二次大戦勃発1年前の1938年2月、アメリカ海軍は新型機ブリュスター(Brewster)F2A バッファロー艦上戦闘機を配備し始めていた時期に、そのF2A後継となる新型艦上戦闘機の開発要求を各社に出した。それに対して、アメリカ有数の飛行機メーカーグラマン社は、既にアメリカ海軍の主力艦上戦闘機となるF4Fを完成させ、量産しようとしていたが、強力な新型発動機ライト(Wright)R-2600 サイクロン14(Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン1,600hpを搭載することを前提に後継機グラマン(Grumman)XF6F-1の開発を開始した。

写真(右)1943年、アメリカ、編隊飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F-3 艦上戦闘機の左側面:国籍マークは、アメリカの第二次大戦末期に制定された赤縁付きの白星と白帯の国籍マークを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41544997 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000460 Grumman F6F-3 40018 - Filename:16_000460 Grumman F6F-3 40018.tif - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。


カラー写真(右)1943-44年、アメリカ、太平洋方面、アメリカ海軍空母ヨークタウン(USS Yorktown)飛行甲板上のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F-3 艦上戦闘機の左側面:胴体下面には、落下式増加タンク(150gal:568L)を搭載している。車輪止めは赤色で着脱忘れがないように注意している。国籍マークは、アメリカの第二次大戦中期に制定された赤縁なし白星と白帯の国籍マークを描いている。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545985 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000462 Grumman F6F-3 USS Yorktown 1943-44 - Filename:16_000462 Grumman F6F-3 USS Yorktown 1943-44.tif - go.osu.edu/110
写真は, SDASM Archives・引用。


グラマン(Grumman)F6F アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F 艦上戦闘機は、当初はライト(Wright)R-2600 サイクロン14(Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン(排気量42.7 L)1,600hp搭載の予定だったが、ライバルのチャンス・ヴォート(Chance Vought)F4U コルセア(Corsair)がより高出力のプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)空冷星型18気筒エンジン(排気量45.9 L)2,000hpを搭載していた。

ライト(Wright)R-2600 サイクロン14(Cyclone 14)空冷星型14気筒エンジン(排気量42.7 L)1,600hp搭載のグラマンXf6F-1試作機は、F4U コルセア(Corsair)と同じ大型高出力のプラット・アンド・ホイットニー(P & W)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)空冷星型18気筒エンジン2,000hpに換装され、開発が進められた。


写真(右)1943-44年、アメリカ、太平洋方面、アメリカ海軍空母ヨークタウン(USS Yorktown)飛行甲板上で、主翼を動力展開するのを整備員が補助しているアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F6F-3 艦上戦闘機
:胴体下面には、落下式増加タンク(150gal:568L)を搭載している。車輪止めは外されている。3翅プロペラが回転している。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41546386 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000464 Grumman F6F-3 USS Yorktown 1943-44 - Filename:16_000464 Grumman F6F-3 USS Yorktown 1943-44.tif - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, SDASM Archives・引用。


図(右)アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)ヘルキャット(Hellcat) 艦上戦闘機の三面図:赤線は、主翼を折り畳んだ状態。
Description English: Grumman F6F Hellcat Date 24 January 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons, Category:Grumman F6F Hellcat・File:Grumman F6F Hellcat 3-view line drawing.svg引用。


グラマン(Grumman)F6F-3ヘルキャット(Hellcat) 艦上戦闘機の諸元
全長 33ft 7in (10.24m)
全幅 42ft 10in (13.06m) → 16ft 2in (4.93m) 主翼折り畳み時
全高 14ft 5in (4.39m)
翼面積 334ft² (31.03m²)
プロペラ ブレード3翅 直径13ft 1in (3.99m)
発動機 Pratt & Whitney R-2800-10W (2,000Bhp 最大:2,110Bhp)
空虚重量 9,207lbs (4,176kg)
戦闘重量 12,575lbs (5,704kg)
翼面荷重 183.82kg/m²
燃料 250gal (946ℓ)
最高速力 372mph/18,000ft (599km/h 高度5,486m) F6F-5:330ノット/23,400ft (611km/h 高度7,132m)
上昇能力 3,250ft/m S.L. (16.51m/s 海面高度)
20,000ft (6,096m)まで7分
実用上昇限度 38,800ft (11,826m)
降下制限速度 415kn (769km/h)
航続距離 1,340st.mile (2,157km) 落下式増加タンク(150gal:568L)搭載時
兵装 M2ブローニング12.7mm機関銃6挺 (弾数計2,400発)
爆弾:胴体下面 2,000/1,600/1,000/500lbs爆弾×1発
翼下面:1,000/500/250lbs爆弾×2発


5ー1.米国大統領に呈す
東京日日新聞 Vol: 第147巻 Page: 180 出版年 1939-01-17
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100336120

写真(右)1934-1937年頃、アメリカ、ワシントンDC、飛行機開発を進めるグレン・ルーサー・マーティン(Glenn Luther Martin)と会談するフランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領:FDRの大統領任期は1933年3月4日から1945年4月12日までである。グレン・ルーサー・マーティンが手にしているのは1932年2月16日初飛行のマーチンB-10爆撃機の模型。中国から出撃した中国空軍マーチンB-10爆撃機は日本本土九州初空襲(ビラ散布)を成功させた。
Martin, Glenn L. Catalog #: 02-M-00199 Last Name: Martin First Name: Glenn L. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


Franklin Delano Roosevelt 米国大統領ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]閣下
日本国民は従来世界の各国中、米国に対して比較的多くの敬意を払って居た。其理由とする処の第一は 日米両国は最も利害衝突のおそれ少なき、通商上の善隣国であると云う点からであり。第二は、米国は英国の如く利害本位のみには動かず、比較的公平なる見地よりして、正義の為めに動く可能性の多き国家であると云う点からであった。彼のパネー号事件の際に於ける、日本国民の米国に対する熱心なる陳謝ぶりは、以上の国民的感情を表明して余りあるものであると思う。  然るに最近の日本人が其米国の代表者たる閣下の言動に関し、斉しく多大の疑問を抱くに至ったことは偽りなき事実であって、其為め米国は最早決して公平なる第三国ではなく、故意に日本を誹謗し、故意に日本の行動に妨害を加えんとする、警戒すべき日本の不親善国ではないかという感じが、日本全国に弥漫するに至ったのは、吾等の最も両国の友好関係の為めに悲しむ処である。

ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
一昨年以来の閣下は頻りに世界の侵略国問題を論議せられ、或は米国輿論の先頭に立って自ら侵略国隔離演説を為し、或は侵略国指定権問題、又は中立法の改善若しくは廃止、尚お進んでは閣下の所謂侵略国に対する経済的制裁等をも屡々問題とされて居るようであるが、其閣下の所謂侵略国が、常に必ず日独伊の三国を目標とされて居る点に就て、吾等は第一に閣下の見解を質さなければならないのである。

F4F  閣下にして若し其手許に世界地図を所持さるるならば、試にそれを開いて一覧せられよ。さすれば凡そ世界の四分ノ一を其領土として持つ英国程、過去に於ける世界最大の侵略国はなく、而も其最大侵略の結果を現に持続しつつある国家も、亦英国である事は一目瞭然の筈である。

吾等は茲に繰返して云うが 英国の領土侵略の事実は過去に属すれ共、其侵略状態は現に尚おインドに於て、パレスタインに於て、アフリカに於て、更に其他に於て万目の見る処の如く、英国の武力と暴政とによって持続されつつあるのである。

されば閣下にして此世界地図の儼として証明せる重大事実を無視せられざる限り、閣下の侵略国攻撃の鉾は当然先ず英国に向けられねばならぬものと信ずるのであるが、左様な事は全然念頭になきが如く、顧みて専ら日独伊の三国のみを問題にされつつある閣下の態度は、それこそ聖書に所謂「ボーフラをこし出して駱駝を呑む」の類ではないかと考えるのであるが、閣下の此点に対する所見如何。

ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
閣下は又恰も英国のチェンバレン首相と相呼応するが如くに、平和的討議による国際諸問題の解決を高唱されつつあるが、閣下は英国が其過去の侵略の結果たる、夥だしき領土と余れる資源とを他国の前に封鎖せるのみならず、其各植民地をも連ねて経済ブロックを構成し、通商の自由を拒みつつある事を以て甚だしく不自然なる現状であり、従って世界の平和と万国共栄の道とに背く事の大なるものであるとは認めないのであるか。一層露骨に云えば
ケロッグ不戦条約の屡々空文に帰するのも、又所謂集団保障制が次第に崩壊の道を辿るのも、実に英国の斯かる強慾なる独栄主義に原因する処が多いとは閣下は信ぜられないのであるか。

グラマン F4F-3ワイルドキャット  之れを東洋の事態に就て見るも、英国が斯く自国の全領土に対する門戸を閉鎖しながら、尚お自ら飽く処なくして日本の隣邦支那をまで其植民地化せんとし、幾度か反日策謀をさえ繰返す処に、今日の支那事変の重大原因の存する事は、苟も平和を念ずる閣下の必ず看過せざる処であるに相違ない。果して然らば閣下の世界平和への努力は、何よりも先ず英国の斯かる強慾なる独栄主義に対して十分の反省を促し、若し英国が自発的に万国共栄主義による新方針を採用せぬならば

此英国の膨大なる領土と余れる資源との処分の如き問題をこそ、公平なる列国間の平和的討議に附すべき事を閣下自ら公然主張し、以て世界の新秩序の再建に邁進する処より始むべきものと信ずるが如何。

 然るに閣下にして若し英国の強慾なる独栄主義は、如何にも世界の平和上に大害を及ぼす禍根である事を認めながら、そは英国の内政上の問題であるからと云うが如き、単なる杓子定規の非創造的理由によって、全然之れを黙過し。列国間の対立闘争誘発の禍根を其儘になしつつ、恰も凹凸烈しき地上に建築を為さんとするが如き態度を以て、平和への努力を継続するならば、閣下の折角の努力も単に米国をして、老獪なる英国の為めに、其不自然極まる現状維持の番犬たらしめるに過ぎぬとの非難を免れないであろう。

ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
閣下が屡々民主主義の擁護を叫ぶ事も、之れを米国の立場よりすれば固より当然であるが、然し其閣下の所謂民主主義の擁護が、若し英国流の民主主義をも包含せる意味であるならば、吾等は余りに閣下の無穿鑿なるに驚かざるを得ないのである。

グラマン(Grumman)F4F-4  閣下も知らるる如く英国の民主主義なるものは—嘗て米国の某氏も指摘せられた事があるが—「僅かに四千万の英人が武力と暴政とによって、其全世界に跨る領土内の四億の民衆を搾取し、其犠牲に於て英本国人が貴族的生活を為すことを意味する奇怪至極の主義」なのであるが、若し閣下が米国の民主主義の外に斯かるものをも併せて擁護されんとするならば、そは全く世界平和に逆行する、弱肉強食の禽獣主義を擁護するものと云わるるであろう。

 特に吾等は其自称民主主義国たる英国が、過去の侵略と現在の各植民地に対する暴政とによって、汚がされたる手を万国の前にさらしながら、臆面もなく他国を侵略国呼ばわりする事によって、自国の現状を維持せんとしつつあるが如きは、猶お盗人が警官の追跡を免れんが為めに、自ら大声に泥棒だ泥棒だと叫んで他人を錯覚に陥れながら、逃亡しつつあると同様ではないかと想像するのであるが、閣下は米国をして、斯かる狡猾なる犯人逃亡の幇助罪を犯さしめる事を以て、且つは米国の民主主義を擁護し、且つは米国の歴史に光輝あらしめる所以なりと信ずるのであるか。

写真(右)1934-1937年頃、アメリカ、ワシントンDC、飛行機開発を進めるドナルド・ダグラス(Donald Wills Douglas:1892–1981) と握手するフランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領:FDRの大統領任期は1933年3月4日から1945年4月12日までである。ダグラスの新鋭輸送機DC-2は、1934年5月11日初飛行で、当時の戦闘機よりも高速だった。
Douglas : DC-2 Catalog #: 00065478 Manufacturer: Douglas Designation: DC-2 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
グラマン F4F-3ワイルドキャット 昨今英国は其国際上に於ける発言を重からしめんが為めに、民主主義の看板にも恥じず、軍備の大拡張を急ぎつつあるようであるが、然し軍備は金銭と物質的材料のみで出来るものでは絶対にない。現に英国民の多数が全く戦を好まざる心境に陥りつつある状態を見よ。又其国力の源泉である処の英国の人口も、益々漸減の傾向を辿りつつある状態を見よ。人口の減少も金銭と物質では到底喰い止め得られるものではないのであって、此点ドイツ政府の統計局のブルグデルファー博士が「出産率の減退は経済価値の問題に非ずして、そは精神価値の問題である」と喝破したのは味うべき言葉であろう。更に明白に之を云えば

凡そ偽瞞と偽善とを以て世に立つ国家は、如何に其観艦式が盛んであり、又其財力が豊富であり、且つ其宣伝や外交等の詐術が如何に巧みであっても、結局正義の背景のなきところ、国民が偉大なる勇気と創造力とを失うに至るのであるから、近き将来に於て英国の強慾なる独栄主義に対する全世界の総排撃と、其各植民地住民の反英熱とが最高潮に達する時、飽くまで万国共栄の方針を拒んで、噴火山上の舞踏を継続しつつある英国民の境遇は、蓋し頗る悲惨なものがあるに相違ないのである。されば米国大統領たる閣下が、今にして英国の一大猛省を促す事は、単に世界平和の為めのみならず、また実に英国の更生の為めにも必要であると信ずるが、閣下の感想如何。

グラマン F4F-3ワイルドキャット ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
尚お昨冬十二月三十一日に米国政府が公表したる、支那の門戸開放問題に関する米国の対日復答によれば、(去る一月十五日の英国政府の愚劣なる対日通牒も、之れと互いに呼応せるものであることは明白である)米国政府は九国条約の改訂を、日本が関係諸国の会議に付すべき事を求めて居るようであるが、大体吾等日本人の理解する処によれば、華府会議、ロンドン会議、国際連盟会議等の数々の歴史的事実が証明する処の如く、日本国を対照とする国際会議なるものは、いつもながら英国の過去の侵略の結果による不自然なる現状を擁護するが為めに、英国が米仏等と提携し。

尚お或る場合にはそれ以上に英仏に憎まれては立つ瀬のない各小国と、更に英国の植民地である処の南阿、濠洲、カナダ、ニュージーランドをまで狩り催うして、それぞれ之れに一票を与え、絶対不敗の地位に立つ英国が、多数主義によって日本を圧迫する常套的奸手段に過ぎないと考えるのであるが、此点に就ての閣下の感想如何。閣下は日本国がいつまでも、老獪なる英国の張りめぐらせる網の中に身を投じて、自縄自縛に似たる運命に陥る事を希望さるるのであるか。

Franklin Roosevelt  ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
吾等の見る処を以てすれば、若し閣下にして真に東洋の平和と世界の平和とに貢献されんとするならば、寧ろ従来閣下の採り来りし態度を百八十度に転換せしめてこそ、却てそこに米国現在の国際上の地位を正しく活用すべき、要点の存するを発見さるるものと思う。

其一は、従来の経験に照し将来は一切日本を差し置いて、支那に於ける第三国の政治的策謀を為さしめざるよう、米国が率先列国を誘導する事である。

其二は、若し英国が其膨大なる領土と余れる資源とにつき、速に万国共栄主義による新方針を自ら採用せぬならば、其処分を至急に主要列国間の討議に附し、以て少くとも英国の余れる資源と市場との開放を断行せしむるよう、米国が最善の努力をする事である。

其三は、赤色ロシアに向って其赤化政策を断然中止するよう勧告を為し、若し聞かずんば米国も敢然日独伊の防共協定に参加する事である。

 以上の三項目は一見頗る突飛なる提案の如くであるが、然し閣下にして若し従来の行き掛りと感情とを棄て、真に公正なる世界平和の見地より熟慮さるるならば、実は極めて穏健妥当の提案である事に気付かれるであろう。就中赤色ロシアの問題については、最近モスクワに於て発行せられたるコミンテルン年報にも、アメリカに於ける共産党の活動が、躍進を遂げつつある事を報じて居るのみならず、更に閣下自らも其国内の情勢を省察せられなば、確に慎重の考慮に値する問題なる事を理解さるる筈である。

 若し米国が以上の如き三項目を根本方針として、日本に諮るならば、如何なる東洋の懸案か解決せざるものがあろうか。少くとも東洋の平和は立ち処に到って、日支両国は共存共栄の道に進み、従って列国の支那に於ける経済的活動の範囲も拡大するは勿論、特に米国の支那に於ける権益などは、増大こそすれ断じて減少する事なきは疑うの余地がないのである。

 ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領閣下
凡そ今日の国際上に於ける理非の所在は、以上吾等の説く処によって頗る明白なるに拘らず、閣下は此見やすき道理を捨て逆に米国を指導して、世界の被告である英国と共同戦線を張り、実質的には共産政府と異なる処なき支那国民政府援助の借款を為し。更に其身が重大責任の地位にあるをも省みずして昨今の如く、愈々益々矯激なる言動を以て日本を刺戟さるる以上は、英米両国と日本との関係が将来急速に悪化するに至るは固より当然の事であろう、斯くて 両国が其最後の手段として採るであろう処の対日経済封鎖に対し、日本が如何なる報復的手段に出づる事ありとするも、其責任は当然閣下の側にある事を承知されたい。

 こは勿論米国に対して多年十分の敬意を表し、日米間には永久に戦争なしとの信念を所有し来りし、吾等の甚だ好まざる処であるが、然し閣下等にして速に其態度を改めざる限り、それも亦人類が最も浅ましき、功利的対立闘争のみに終始したる厭うべき近世を葬り、万国共存人類共栄の新時代を迎うるが為めには、或は避くべからざる生みの苦しみであろう。斯くて皇道—即ち

宇宙の絶対真理—即ち無私大愛の道によって立つ日本国が獅子奮迅の勢を以て幾多の創造的大戦略を自在に発揮し、物質の多少によって正義の多少を計るが如き、近世人の一大痼疾的迷妄を徹底的に打破し尽したる後にあらざれば、人類が其創世記以来失えるエデンの楽園は取り返されぬのであろう。 昭和十四年一月 東京麹町区内幸町二ノ二二 紫雲荘(米国大統領に呈す引用終わり

写真(右)1942年7月頃、アメリカ、ワシントンDC、4月18日に日本本土東京空襲を成功させたジェイムズ・ハロルド・ドゥリトル(James "Jimmy" Harold Doolittle)中佐を褒賞するフランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領:東京初空襲の軍功でジミー・ドーリットル中佐は2階級特進、准将に昇進した。
Jimmy Doolittle and Franklin Roosevelt Catalog #: 15_001825 Title: Jimmy Doolittle and Franklin Roosevelt Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: Doolittle, J.H. Page #: 62 Tags: Jimmy Doolittle, FDR, Roosevelt PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



グルー駐日大使 5−2.日米国交の改善強化 対欧と併行考慮 : 首相・熟慮具体化に邁進
報知新聞 Vol: 第147巻 Page: 219 出版年 1939-05-24
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100337992

独伊両国の軍事同盟が二十二日成立したので政府はこれと相呼応し同日夜日、独、伊防共枢軸の強化による世界新秩序建設の分担者としての態度を中外に声明したが平沼首相は単に欧洲の新情勢に対応すべき方策のみならずこれと同時に更に進んで日米国交の増進について対策を熟慮しているようである、

即ち首相は今後国政の中心を外交に置き国内における生産力の拡充及び国防の充実を図ると共に、強力溌らつたる外交活動に全力を挙げる意向を有し、対欧策については去る二十日の五相会議で確定を見たので、これは何等かの形を以て極めて最近の機会に具現されるものと見られるが、首相はこれと同時に最近最悪の事態というわけではないが、兎角低調な関係にある日米の国交についてもこれを改善強化すべく、心中ひそかに期するところある如く非常な意気込を示している、

しかして目下のところこれがため特に大臣級の親善使節を特派するようなことはないが対日認識の強い[ジョセフ・]グルー[Joseph Grew]駐日米国大使も目下賜暇帰国中であるから、対米関係は対欧策の確定と併行して漸次促進されるものと期待されている(日米国交の改善強化 対欧と併行考慮 : 首相・熟慮具体化に邁進引用終わり)


5−3.米国遂に敵性を暴露潜む二つの弄策 : 通商条約廃棄の肚裏
報知新聞 Vol: 第b補巻 Page: 105 出版年 1939-07-29
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100231002

Franklin Roosevelt  ハル[Cordell Hull]国務長官の手交した日米通商航海条約廃棄の通牒を見るに、一見いかにももっともらしい言葉を羅列して日本の気を引くようなゼスチュアは発散して居る、しかしその実これは米国々務省が外交辞令の御手本を地で示したもので、その内面に鋭い針と恐るべき陥穽を隠して居るものであるから、日本としては大いに用心してかからねばならぬところだ、針というのは外でもない、日本への軍需品の輸出を抑制し、日本との通商貿易にシャットアウトを食わせようという魂胆を騒していることである、また陥穽というのは、条約廃棄に対する日本の出方に応じて米国の外交網に引っかけ、日本をがんじがらめにしばり上げて彼等の思うところに拉し去ろうという企みを抱いて居ることだ [挿絵(ルーズヴェルト[Franklin Delano Roosevelt]大統領)あり 省略]

 今度の米国々務省の措置は正直な話、確かに抜打的な行動であったには違いないが、今にして思えば、これも全然手ががりのない薮から棒の電撃的行動という訳のものではなかった、その徴候はここ数日前から例の米国中立法修正案の延期に引続いて米国の議会を賑わして居たバンデンバーグやビットマンといった連中の日米通商航海条約廃棄案にその片貌を現して居たのである、つまり今度の米国々務省の突差の措置はバンデンバーグやビットマン等の提案の化身であり、身替り案に過ぎないのである [写真(ピットマン委員長)あり 省略]

 兔かく米国の孤立主義派の勢力は、いまだに牢固として抜くべからざるものがあり、必ずしも政府の意のままに動こうとはしない、彼等はアメリカ・モンロー主義を後生大事に堅持し、他の大陸の紛糾や戦争に米国を巻込ませるような政策には真向から反対している、この一派の反対があるばかりに、米国政府の目論だ中立法の修正案も来議会まで延期という体裁を以て有耶無耶のうちに葬り去られてしまった、この提案によって支那における日本の軍事行動を抑制し、日本の対支戦に茶々を入れようとした米国政府の芝居は物の見事に失敗に帰していまい、米国政府は面目玉は丸つぶれとなった訳である

 そしてバンデンバーグやビットマン等は一にはお家の大事とばかり、二には日本憎さの余り中立法修正案の代案として日米条約廃棄担ぎ出して来た、しかし孤立主義者の頑張りの利いて居る限りこの代案も中立法修正案と同一運命に終ることは規定の事実といってよい、そうなっては米国政府としては不面目の上塗りをやるばかりで、場合によっては政府の立場に取返しのつかない動揺と亀裂の種子を蒔くことにならぬとも限らない、ままよと許り議会の提案に頓着なく、政府自らの戦略と決断において企んだのが即ち日米条約廃棄の通牒なのである ハル [挿絵(ハル[Cordell Hull]国務長官)あり 省略]

 米国が日米の条約廃棄という横紙破りの態度をとるに至ったのは、英国が日英会談でもろく日本の主張に屈服した弱腰に対して面当ての意味があるのかも知れない、あるいはそれとはおよそ正反対に、英国の発したS・O・Sの信号に応じて飛び出した、出しゃばり気分の発露かも知れない、いずれにせよ日本にとっては、前門の虎であるイギリスを叩き伏せてやれやれと思う間もなく、後門の狼に出つくわしたいった形である、たとい日米間の通商関係が杜絶しても、日本の持つ自給自足の能力は支那事変の遂行にさほど邪魔にはならぬであろうが、しかし両国間の通商関係が疎通打開されるに越したことはない

 しかも米国々務省の廃棄通牒は新条約の締結をうたいかけて頻りに日本の気を引いて居る、そこへ腰の弱い英米に甘い外務当局と来て居る「何ぞ米国政府の見せびらかす好餌に食いつかざらんや」といったような気分に動かされてうかうかと乗出したら最後、そこに米国の外交網が巧に張りめぐらされ、まんまと彼等の術中に陥ることにならぬとも限らないである

 正直なところ支那事変という前古未曾有の大変局に直面している日本の立場は歩が悪く、太平洋と大西洋の間に苟安富裕の立場を確保する米国の歩は強い、いざ日米通商条約を結ぶという段取となって何となく引目を感ずるのは日本であって米国ではない、この間の間隙に乗じて米国はどんな奥の手を出して来るのであろうか、それは浄玻璃の鏡に照らして見るよりも明かな気がする、九箇国条約国会議の開催あるいは日支和平の強制的実現が米国側の条約締結条件として切出されるのではなかろうか、兔かく従来の米国の外交は、突拍子もない無軌道振りを発揮するところは他に見られぬ特長があった [写真(バンデンバーグ議長)あり 省略]

加賀  今度の横紙振りの廃棄申出なども、多少その感がないでもない、ところが近年来この米国の無軌道外交も余程世間ずれして来たものか、中々隅に置けぬものとなった、米国が日米条約を廃止し新条約締結の陥穽を作って、日本を巧みにおびき寄せ国際会議や和平調停を強制することによって日本の事変成果を宙に迷わせるというが、米国の打たうとする芝居のように考えられるかには、日本としてはこの際余程慎重に構えて今後に善処することが肝腎だ

 今や日英会談の結果、英国は急角度を以て極東外交の転換を余儀なくされた際、今度は米国がそれと入代りに日本の行く手に立ちはだかって来たのは、日本としては確かに重大関心事である、日米条約は過去において日米移民問題というが如き重大問題を派生した因縁つきの条約であるが、兔も角日米間の経済関係の大本を規制して来た重要な条約である、従って米国政府がこの条約を廃棄しただけでも対日敵性の顕現を意味する、ましてそれが日本を外交網に引っかけて動きのとれない状態に押し込み、東京の成果を台無しにしようという悪企らみに動いているのだとすれば、米国の過去における英国と同様、暴戻支那の片割れに堕したものというより外はない(米国遂に敵性を暴露潜む二つの弄策 : 通商条約廃棄の肚裏引用終わり)


6. 全体主義国家との通商調整は至難 : 米国新国務次官語る
中外商業新報 日本産業経済新聞 Vol: 第b補巻 Page: 155 出版年 1939-08-11
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100231427

【ワシントン八日発同盟】 セイヤー前国務次官補の後任として通商関係事務を担当する新国務次官補ヘンリー・グレーディ氏は八日正式就任したが、午後記者団との初会見において全体主義国家と米国との経済関係につきその見解を披瀝し、ドイツその他の全体主義国は自給自足経済政策を抛棄せぬ限り、米国との間に経済協定を成立せしめることは殆ど、あるいは全然不可能であるとして次の如く述べた

 米国は独伊その他全体主義国との間に何等かの互恵条約を締結したき希望を有しているが、独伊両国が現在の経済政策を変更しない限りは如何ともし難い障害が横わっている、独伊両国が現在執りつつある貿易政策は自己破壊的なもので到底永続し得る性質のものではない、この経済上の袋小路から逃れ出ようとする必死のあがきは戦争の危機を招来するようなことになるかも知れない、従って之等の諸国に対しては自給自足経済から最恵国条款を基礎とする無制限の相互貿易に復帰するよう焦らず慎重なる計画が必要であろう、米国としては若し之等の国が自給政策を抛棄するならば進んで之等の諸国と協調する用意がある (全体主義国家との通商調整は至難 : 米国新国務次官語る引用終わり)

 戦後の世界経済再建計画についてつぎの五点を挙げる

一、通商制限を強化するがごとき極端なる国家主義は許さるべきでない
二、国際通商関係においては無差別を原則としなければならないかくてこそ国際通商は繁栄に赴くであろう
三、原料資源はあらゆる国に無差別に供給されねばならない
四、物資の供給を規制する国際協定をなすに当っては消費国およびその国民の利益を十分に保護するよう取計らわねばならぬ
五、国際的財政問題の協定および施設をなすに当ってはあらゆる国の必要欠くべからざる企業とその発達のため援助を与えるようにし、あらゆる国の福祉に適合するような方法をもって支払をさせねばならぬ

 自由なる通商政策は世界を現在の軍事的危機と政治的陰謀から解放するまでは実行不可能である、現在世界はこの二つによって虐まれている、米国としても現事態を回避せず苛烈な現実に直面する決意を固めている、われわれは将来にもっと安固な繁栄の世界が作られることを信じている、米国は道具と資源と頭脳と手をもっている、これをもってすればその目的を達成し得るのだ、

しかし最初になすべきことは武力を鎮圧することだ、その後においてはじめて米国も他の国も開放的な経済協力の世界を作り得るのだ(繁栄の世界再建 : ハル長官の"夢想"演説引用終わり)

⇒写真集Album:支那事変と欧州戦を繞る日米の関係/米の極東対日攻勢を見る。 

⇒写真集Album:第二次大戦前のイギリス・ドイツ・フランス・ソ連の航空機の発達を見る。

⇒写真集Album:目覚ましき躍進列国の航空工業技術戦を見る。 

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6.グラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機

写真(右)1943年12月11日、アメリカ、試験中のグラマン(Grumman)XF7F-1艦上戦闘機試作1号機:双発の艦上戦闘機は、ロッキードP-38双発戦闘機の実績に触発されたのか、高速、長距離の戦闘に有益と考えられた。しかし、航空母艦に搭載するには、離着陸のための大型飛行甲板、強力なカタパルト射出機が必要だったであろう。
SDASM Archives Follow Ray Wagner Collection Image PictionID:41544873 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000485 Grumman XF7F-1 - Filename:16_000485 Grumman XF7F-1.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年12月23日、アメリカ、飛行試験中のグラマン(Grumman)XF7F-1艦上戦闘機試作1号機
Ray Wagner Collection Image PictionID:41544898 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000484 Grumman XF7F-1 23Dec43 - Filename:16_000484 Grumman XF7F-1 23Dec43.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年12月23日頃、アメリカ、試験飛行中のグラマン(Grumman)XF7F-1艦上戦闘機試作1号機:降着装置に作動不確実のリスクがあるため、初飛行では引き込み脚であっても、収納しないで飛行するのがふつうである。右上に撮影している僚機の一部分が写っている。次の写真は、この写真をトリミングしたもの。
SDASM Archives Grumman : F7F-1 : Tigercat Catalog #: 00020267 Manufacturer: Grumman Designation: F7F-1 Official Nickname: Tigercat Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年12月23日、アメリカ、脚を出したままで飛行試験中のグラマン(Grumman)XF7F-1艦上戦闘機試作1号機:降着装置に作動不確実のリスクがあるため、初飛行では引き込み脚であっても、収納しないで飛行するのがふつうである。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41544898 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000484 Grumman XF7F-1 23Dec43 - Filename:16_000484 Grumman XF7F-1 23Dec43.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年12月23日、アメリカ、フラップを下げて着陸態勢に入った行試験中のグラマン(Grumman)XF7F-1艦上戦闘機試作1号機
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545071 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000487 Grumman XF7F-1 - Filename:16_000487 Grumman XF7F-1.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は,San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:主翼下面は肩翼4発分のロケット弾懸架ラックが装備されている。機首のドームには、空対空レーダーを装備。
Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000036引用。


グラマン(Grumman)F7F グラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機は、アメリカ海軍が発注した正規空母用の艦上戦闘機が原型である。

しかし、グラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)は、ロッキードP-38双発戦闘機と同じく、前輪式(首輪式)降着装置を装備した双発戦闘機である。1943年11月2日に初飛行したが、1946年までに360機が生産されただけで終わった。

グラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)の諸元は、発動機ライト(Wright)R-2800空冷星形18気筒エンジン2,100 hp2基装備で、乗員 2名、全長 13.83m、全幅15.70m、重量 21,720ポンド (9,852kg)、最高速力435mph (700km/h)/22,200ft、航続距離1,490マイル(2,398km)と飛行性能は高い。

写真(右):1945年8月23日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に配備されたグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:国頭郡‎金武(キン)町は、2020年現在でもアメリカ海兵隊基地キャンプ・ハンセン(Camp Hansen)が置かれている。
写真解説: 【原文】 On a Marine airstrip at Okinawa maintenance crews check up on the F7F, Grumman's new Tigercat fighterbomber. Fastest, most powerful, of Pacific nightfighters, the Tigercats are being flown on security patrol over the Ryukyus by Marine night fighter pilots. 【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影日: 1945年 8月23日 備考: 資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 73-14-1 引用。


第二次大戦末期の1945年8月に、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町の金武飛行場(Chimu Airfield)に駐屯したアメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)に実戦配備された。高速夜戦で、夜間パトロール任務に出撃したものの、会敵し撃墜戦果を挙げたことはなかったようだ。しかし、初飛行が1942年5月26日、生産数700機のノースロップ(Northrop)ノースロップP-61ブラックウィドウ夜間戦闘機ほどでないにしても、より新しい実験的なB-32爆撃機、グラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機を沖縄方面に実戦配備したアメリカ軍の実力には驚かされる。その技術力、経済力、組織力は、日本軍とは比較にならないほど高かった。

写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島中部、国頭郡‎金武(キン)町、金武飛行場(Chimu Airfield)、アメリカ海兵隊第533夜間戦闘飛行中隊(VMF(n)533)副飛行長ビーブ少佐(ミネソタ州出身)のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機への燃料給油作業:長距離進攻するために、大型増槽を主翼下面に懸架している。戦争で2回目のパトロールというが、すでに日本機の飛行は禁止されており、それを確認し、停戦に違反して攻撃を仕掛けてくる日本機を排除する任務を担っていたようだ。
写真解説: 【原文】 Executive officer of the new Tigercat squadron (VMF (n) 533) of Marine night fighters, Major John W. Beebe, 27, of 31 Lake Avenue, White Bear Lake, Minn., is on his second tour of Pacific duty. His plane, one of the hard-hitting new Tigercats (F7F) is shown being readied for night patrol. 【和訳】 夜間戦闘部隊の新生タイガーキャット飛行中隊(VMF(n)533)の副隊長、ビービー少佐(ミネソタ州出身)。彼は太平洋戦での2回目の遠征である。彼の強力な新生タイガーキャット(F7F)は、夜間パトロールの準備をしている【和訳】 グラマンF7Fタイガーキャット戦闘爆撃機を点検する整備チーム。太平洋地区夜間用戦闘機の中で最速にして最も威力があり、海兵隊夜間戦闘部隊が行う沖縄上空の安全パトロールにも使われる
撮影地: 金武滑走路 撮影日: 1945年 8月20日 資料コード: 0000112245
写真は, 沖縄県公文書館・写真番号: 94-34-2 引用。


アメリカ海兵隊は、グラマン(Grumman)F4Uコルセア、グラマン(Grumman)F6Fヘルキャットなどを改修した単発夜間戦闘機はあったが、双発以上の本格的な夜間戦闘機がなかった。そこで、ノースロップP-61Bブラックウィドウの配備を要求したが、陸軍航空隊への配備が優先されたために、双発艦上機として試作したグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)を夜間戦闘機として改修して使用した。

写真(右):1945年8月20日頃、沖縄本島上空(?)、アメリカ海兵隊のグラマン(Grumman)F7Fタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機/戦闘爆撃機:2機編隊のF7F双発戦闘機は、コミュニティの防風林・薪炭源の里山に囲まれた集落、畦道で囲まれた不等辺不当変な形状の農地田園が見える。第71戦術偵察部隊の隊員の撮影になる。
Charles M. Daniels Collection PhotoNotes From Album: F7F Tigercats, Okinawa Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman F7F Tigercat Daniels Album Name: 71st Tactical Reconnaisance Group Reunion, 10/1990 Houston, TX Notes From Album: F7F Tigercats, Okinawa
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive Catalog #: 15_000037引用。


グラマン(Grumman)F7F アメリカ海軍の要求に応えて、グラマン社は前輪式(首輪式)を採用した初めての双発艦上戦闘機としてグラマン(Grumman)F7Fを試作し、1943年11月に初飛行させた。

F7Fは小型の機体に、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800(排気量45.9L)ダブルワスプ(Double Wasp)空冷18気筒エンジン2基を搭載したが、この発動機はグラマンF6Fヘルキャット、ボートF4Uコルセア、リパブリックP-47サンダーボルトにも装備されており、実績と信頼性があった。大量生産されていたために、搭載するにも余裕があった。機体は、斬新な設計だが、発動機は既存のタイプだったため、順調に開発が進み、第二次大戦末期とはいえ、ギリギリ実戦配備に間に合ったのである。

グラマン(Grumman)F7Fは1944年4月にアメリカ海兵隊に納入され、艦上機としてではなく、主に夜間戦闘機として使用することになった。複座として、後席にはレーダー操作員が登場し、機首にはレーダーを搭載し、機首の機銃は撤去されたが、それでも主翼に20ミリ機銃4丁を搭載していた。

写真(右):1945年頃、海上を航行するアメリカ海軍航空母艦から発進しようとするグラマン(Grumman)F7F−1タイガーキャット(Tigercat)双発艦上戦闘機:アメリカ空母は、蒸気圧駆動カタパルトを使った艦上機発進が普及していたが、この機体は、カタパルトを使用していない。
Grumman : F7F-1 : Tigercat Catalog #: 00020257 Manufacturer: Grumman Designation: F7F-1 Official Nickname: Tigercat Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ海兵隊は、F4Uコルセア、F6Fヘルキャットなどを改修した単発夜間戦闘機はあったが、双発以上の本格的な夜間戦闘機がなかった。そこで、ノースロップP-61Bブラックウィドウの配備を要求したが、陸軍航空隊への配備が優先されたために、双発艦上機として試作されたグラマン(Grumman)F7Fを夜間戦闘機として改修して使用した。

ダグラスB18型[Douglas B-18 Bolo] 写真(右):1945-1946年頃、農地上空を飛行するアメリカ海軍グラマン(Grumman)F7F−1タイガーキャット(Tigercat)双発戦闘機:強力な空冷エンジンを2基装備した小型双発艦上戦闘機として開発されたが、実際は艦上機としては使用されず、陸上機として用いられた。
Grumman : F7F-1 : Tigercat Catalog #: 00020257 Manufacturer: Grumman Designation: F7F-1 Official Nickname: Tigercat Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右):1946−1948年頃、機首にレーダードームを設けたアメリカ海軍グラマン(Grumman)F7F-3Nタイガーキャット(Tigercat)夜間戦闘機とグラマンF8Fベアキャット艦上戦闘機:2機編隊飛行をするF7F双発戦闘機とF8Fベアキャット艦上戦闘機。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545399 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000494 Grumman F7F-3N - Filename:16_000494 Grumman F7F-3N.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


グラマン(Grumman)F8Fには、F6FやF4Uと同様に、右主翼にレーダーポッドを搭載した夜間艦上戦闘機があった。


7.ベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)試作艦上戦闘機

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の左側面:1940年5月13日に初飛行したが、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされ、不採用になった。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 00021122 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA Repository: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は SmugMug+Flick, : San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ陸軍航空隊の試作要求に応じたベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機に注目したアメリカ海軍は、ベル(Bell)P-39の艦上戦闘機仕様を発注した。そこで、航空母艦飛行甲板からの離着陸が容易なように、三輪式(前輪式)降着装置を、XFLでは尾輪式に変更し、尾部には着艦フックを装着した。

ベル(Bell)P-39を空母で運用できるように尾輪式に降着装置を変更したために、重心位置の変更が必要となったが、エンジンは胴体中央部に配置してあり、変更できないために、主翼の取り付け位置を75mm後方にずらすことがが考えられたが、これは大きな設計変更となってしまうために、主翼の外翼の形状を変更して対処した。

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の右前方:1940年5月13日に初飛行したが、生産されたのは試作機1機のみで、1942年2月にはキャンセルされた。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 01_00090385 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flick, : San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


P-39を尾輪式としたベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機は、航空母艦の飛行甲板でのコックピット操縦席からの前方視界を向上することが求められ、そのため背の高い形状のキャノピーに変更され、視界を広げることにした。

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の正面:1940年5月13日に初飛行したが、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされ、既存のF4Fが活躍し、次世代機のF4Uの実用化段階に入っていたために、不採用になった。1942年2月にはキャンセルされた。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 01_00090383 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は SmugMug+Flick, : San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)は、胴体中央部にエンジンを搭載した前輪式の陸上機であった。これを尾輪式の艦上機に変更したためか、重心が変化して、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされた。1941年12月に太平洋戦争が勃発し、第二次世界大戦に参戦したアメリカだったが、既にグラマンF4Fが大量生産され、部隊配備がなされていた。さらに、次世代機のヴォ―トF4Uも艦上戦闘機としては疑問視されつつも、陸上機として実用段階に入っていたために、飛行性能の低いベルXFL-1の開発をこれ以上進める必要ななくなり、1942年2月にはXFLはキャンセルされた。

⇒写真集Album:ベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作機を見る。


8.ヴォ―ト(Chance Vought)F4U-1 コルセア(Corsair)艦上戦闘機

写真(右)1940年5-6月頃、アメリカ、アメリカ海軍航空隊ヴォ―ト(Chance Vought)(Republic)XF4U-1戦闘機試作機:1940年5月29日にXF4U-1試作1号機が初飛行したが、艦上戦闘機としての就役は、飛行甲板への着陸の難しさが指摘され、F6Fに比較して大幅に遅れた。。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41546115 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000394 Vought XF4U-1 1443 - Filename:16_000394 Vought XF4U-1 1443.tif - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942年、アメリカ、カリフォルニア州、ロサンゼルス、ロングビーチ、迷彩塗装のアメリカ海軍航空隊ボート(Vought)F4U-1Aコルセア(Corsair)艦上戦闘機:1940年5月29日にXF4U試作機が初飛行した。強力なプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン2,000hpを搭載し大直径 (3.99m)3翅プロペラを採用したために、飛行甲板・地上での安定性を高め、視界をよくするために脚を短くしようと逆ガル翼を採用した。F4Uの初陣は1943年のガダルカナル戦である。生産機数12,582機。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545231 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000402 Vought F4U-1A 18047 Long Beach CA c50 - Filename:16_000402 Vought F4U-1A 18047 Long Beach CA c50.tif
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


チャンス・ヴォート(Chance Vought)F4U コルセア 1938年2月、アメリカ海軍ブリュスター(Brewster)F2A バッファロー艦上戦闘機後継の新鋭機の開発要求に対して、チャンス・ヴォート(Chance Vought)社は、強力なプラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)空冷星型18気筒エンジン2,000hpを搭載する F4U コルセア(Corsair)を開発した。その特徴は、大出力エンジンに見合った大型プロペラで、翅のクリアランスを確保しつつ、地上安定性をよくするために、逆ガル式主翼を採用した。

しかし、F4U コルセア(Corsair)の大直径プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ(Double Wasp)エンジンは、大重量のため視界に制約があり、空母から発着艦が困難であるとされ、艦上機としての採用が遅れてしまった。

写真(右)1943年1月2日、アメリカ、雲の上を飛行する迷彩塗装のアメリカ海軍航空隊ヴォ―ト(Chance Vought)F4U-1 コルセア(Corsair)戦闘機の右上面:1940年5月29日にXF4U-1試作1号機が初飛行したが、艦上戦闘機としての就役は、飛行甲板への着陸の難しさが指摘され、F6Fに比較して大幅に遅れた。
Ray Wagner Collection Image PictionID: 41545584 - Title: Ray Wagner Collection Image - Catalog: 16_000396 Vought F4U-1 2Jan43 via Tailhook VF-02242 - Filename: 16_000396 Vought F4U-1 2Jan43 via Tailhook VF-02242.tif - - - - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。



9.ゼロ戦を凌駕したグラマンF8Fベアキャット(Grumman F8F Bearcat)艦上戦闘機

写真(右)1944年、アメリカ、アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1 "TEST"試作機:後にグラマンF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機として制式となるXF8F-1試作機は、合計2機が生産された。の部隊配備前なので部隊マーク・記号など一切描かれていない。
Ray Wagner Collection Image PictionID:41545851 - Title:Ray Wagner Collection Image - Catalog:16_000501 Grumman XF8F-1 - Filename:16_000501 Grumman XF8F-1.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- ---Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1の基本設計は、1943年11月と第二次大戦後期になってであり、ゼロ戦、フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw190など敵戦闘機の分析の上に、それを上回る性能の艦上戦闘機として開発された。候補として軍に了承され、XF8F-1と命名された試作機は1944年8月21日に初飛行したが、これは北フランス侵攻ノルマンディー上陸やマリアナ沖海戦の後であり、アメリカの優勢が決定的になった時期だった。

写真(右)1944年、アメリカ、低空飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1 "TEST"試作機:後にグラマンF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機として制式された。濃い青マリンブルーで下面も塗装されている。
Charles M. Daniels Collection Photo Catalog #: 15_001328 Title: Charles M. Daniels Collection Photo Aircraft/Subject: Grumman XF8F-1 Daniels Album Name: F8F Bearcat Album Page #: 14 Notes From Album: Grumman XF8F-1, 90462, in flight over Bethpage, Long Island Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


グラマン(Grumman)XF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機は、当時の主力艦上戦闘機グラマンF6Fヘルキャットより二回りも小型だったが、エンジンはF6Fと同じプラット・アンド・ホイットニー (Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン(排気量45.9L)の性能向上型だった。つまり、小型化、軽量化によって出力荷重を低くし、最高速力、上昇力を大幅に向上させたのである。

写真(右)1944年、アメリカ、低空飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1 "TEST"試作機:後にグラマンF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機としてグラマン最後の量産機となった。濃い青マリンブルーで下面も塗装されている。
Grumman : F8F-1 : Bearcat Catalog #: 00020312 Manufacturer: Grumman Designation: F8F-1 Official Nickname: Bearcat Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ海軍航空隊は、グラマンの前作F6Fヘルキャット(Grumman F6F Hellcat)を遥かに上回る高性能を発揮したグラマン(Grumman)F8F-1をベアキャット(Bearcat)と命名、制式艦上戦闘機として、大量生産、部隊配備を急いだ。

しかし、1945年5月の部隊配備のため、欧州戦はドイツ敗北で終了し、実戦には間に合わなかった。他方、大太平洋戦線では艦上戦闘機部隊として空母ラングレー(USS Langley)に配備されたものの、実戦参加の機会を得ることはできなかった。日本に飛来したのは、戦後の進駐軍・占領軍の時代である。

グラマン(Grumman)F8Fベアキャット(Bearcat)戦闘機の実戦参加は、爆弾搭載量の不足のためか、1950年の朝鮮戦争では出番がなかった。その後の1951年にフランス軍に余剰F8F戦闘機200機が貸与され、陸上戦闘爆撃機として、インドシナ戦争(French Indochina War)に投入されている。

写真(右)1944年、アメリカ、低空飛行中のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1 "TEST"試作機:後にグラマンF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機として制式となるも、第二次世界大戦には実戦参加には間に合わずに終わった。
Grumman : F8F : Bearcat Catalog #: 00020296 Manufacturer: Grumman Designation: F8F Official Nickname: Bearcat Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1944年8月21日に初飛行し、高性能を発揮したため、グラマンF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機として制式となる。しかし、戦争末期の1945年5月方の部隊配備だったために、実際の戦闘には参加しないで終わった。高性能の艦上戦闘機だったが、第二次世界大戦の終了によって量産の意義が薄れてしまい、わずか1265機の量産にとどまった。


写真(上)1944年、アメリカ、アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)XF8F-1ベアキャット(Bearcat)戦闘機のTEST試作機
:小型の機体に高出力エンジン搭載の方針は同じだが、単発艦上戦闘機に回帰した。濃い青マリンブルーで全面が塗装されている。
Grumman : XF8F-1 : Bearcat Catalog #: 00020292 Manufacturer: Grumman Designation: XF8F-1 Official Nickname: Bearcat Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


グラマンF8F-2ベアキャット(Bearcat)艦上戦闘機の諸元
乗員Crew: 1
全長Length: 28 ft 3 in (8.61 m)
全幅Wingspan: 35 ft 10 in (10.92 m)
全高Height: 13 ft 10 in (4.22 m)
翼面積Wing area: 244 sq ft (22.7 m2)
空虚重量Empty weight: 7,650 lb (3,470 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 13,460 lb (6,105 kg)
発動機Powerplant: 1 × Pratt & Whitney R-2800-30W Double Wasp 18-cylinder air-cooled radial piston engine, 2,250 hp (1,680 kW)
プロペラPropellers: 4-翅定速回転
最高速力Maximum speed: 455 mph (732 km/h, 395 kn)
航続距離Range: 1,105 mi (1,778 km, 960 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 40,800 ft (12,400 m)
上昇率Rate of climb: 4,465 ft/min (22.68 m/s)
翼面荷重Wing loading: 42 lb/sq ft (210 kg/m2)
出力重量比Power/mass: 0.22 hp/lb (0.36 kW/kg)
兵装: 4 × 20 mm (.79 in) AN/M3 cannon
ロケット弾Rockets: 4 × 5 in (127 mm) HVAR unguided rockets
爆弾Bombs: 1,000 lb (454 kg) bombs


10.侮り難きその性能 : 米空軍最新機の全貌『日本工業新聞/産業経済新聞』Vol: 第 6巻 Page: 137 1940-10-25
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100226539

ロッキード(Lockheed) P-38 米国空中戦闘機中最優秀なものとしては最近制式になったロッキードP38[ライトニング]型があり、米空軍が”電撃機”と称して誇る素晴らしい快速機で、同社研究技師C・L・ジョンソンの設計になり一、一〇〇馬力アリソン液冷式発動機を左右に二基据えた単座戦闘機で、成層圏飛行の設備もあり米国空軍司令のアーノルド大将は「世界最高速だ」と言明し、最近テスト・パイロットによりその発動機の全スロットル開放の最高速試験を行った結果は実に驚異的高速だった由で、立会った米紙記者は時速八百キロを超えていたことは一点の疑いもないと云っているだがこの数字を何処まで信じてよいかどうか、要するに七百キロの世界最高水準に近づいていることは想像出来る、同機は写真4の如くダビッド翼を採用しており、この点ドイツの新鋭機フォッケ・ウルフFWA一八九型機[Fw189]に似ておりこの翼だと従来高速戦闘機の難点であった操縦性の欠点も左右の発動機の緩急操作により安定性を保持しつつ、急転回が可能で、この高速と操縦性の難点を一応解決するものと見られている

Fw-189A 強力発動機採用

同機は一、一〇〇馬力のアリソン液冷式発動機を二基装備しているが、戦闘機では発動機の外形が空気抵抗の多い空冷式より空気力学的に整形された液冷式に移行したことを示すもので、同じく追撃戦闘機の新制式機になったカーチスP40[ウォーホーク]型(写真1)もベルP-39[エアラコブラ]型(写真3)単発なからこのアリソン液冷式を装備しており、アリソン発動機はゼネラルモータース社経営のアリソン工場の製品で、同社では現在液冷式で一千五百乃至二千馬力のものを製作中の由である現在各国航空機は大体八百馬力から千百馬力であるが米国では千五百馬力乃至二千馬力級を目指しており後述の超「空の要塞」「ダグラスB19型」なども二千馬力ライト社空冷式発動機を控えており、同じく米国の代表的航空発動機会社プラット・アンド・ホイットニー社でもワスプの二千馬力ものを製作している、発動機における米国の着々たる進歩は蓋し刮目すべきものがあり、それと共にプロペラーの改良もハミルトン・プロペラー社カーチス・ライト・プロペラー社において不断に行われ、例えば新鋭快速追撃機ベルP-39[エアラコブラ]型も写真3のごとくカーチス・電気式プロペラーと称する特殊設計の新プロペラーを取付けている

戦闘機に火砲主義

エアコブラ 快速力、運動性と共に戦闘機には火砲がまた絶対的な要素であるが翼内多数機関銃装置の一斉射撃の武装と共に、近来の金属製軍用機の装甲性に対する機関銃弾の無効果から各国では火砲即ち機関砲を戦闘機に採用する傾向にあるが、米国の新鋭戦闘機には未だ世界の如何なる戦闘機にも装備していない三十七ミリ機関砲を採用しているこの機関砲はベルP-39[エアラコブラ]型では写真3のプロペラー・ハブ(枢軸)を通じて装置されており、またロッキードP38型では操縦席より、ベルYFM・1型(エヤラキューダ)後部推進式双発三座戦闘機では各発動機の前室に二名の射撃手により照準移動可能のこの三十七ミリ機関砲を二門装備しており三十七ミリ口径といえば普通の戦車砲程度の破壊的の威力があり射程距離も二千メートルの遠距離に及ぶもので、この点現在のドイツのメッサーシュミット戦闘機をはじめ英・独の戦闘機は二十ミリから二十五ミリ程度のもので、その射程距離も六百メートルであるからこの三十七ミリ機関砲をもつ米国の戦闘機の威力も蓋し相当のものと云いたい

カーチスP-40 重爆撃機

爆撃機は空軍にとって最もその本質的使命を果す重要機種であり、即ち敵空軍基地を初め軍需工場、都市等を爆砕して敵戦闘力に打撃を与えるのである、しかも米国はその地理的条件から長距離爆撃機を作戦としても要求している、この点作戦行動範囲の狭い欧洲就中ドイツなどの爆撃機は比較的近距離用の大量生産向の二発動機型のものに主点を置いているのと対照される

 即ち欧洲各国の爆撃機は航続距離二千キロ−三千キロであるに対し、米国では五千キロ−六千キロに目標を置いており、最近では一万二千キロ乃至一万五千キロ大西洋を無着陸往復可能な超長距離機のダグラスB19型やコンソリデーテッド31型飛行艇を製作している

B-17 なお此種のものに「空の要塞」の異名で既に重爆撃機隊に制式として五十九機配属しているボーイングB17[空の要塞]型があり、最近はその改良型ボーイングB17ーE型(七・七ミリ機関銃を主要武装としていたのを、三七ミリ−二十ミリの機関砲に変更)の重武装の文字通りの「空の要塞」を第一線機においている、これは凡ゆる角度の敵機を打てるよう胴体上下部両側、上部、機首に前後左右に動かして射撃出来る機関砲三、機関銃二を据えたもので、全備重量二十二噸、最大速度四八〇キロ、航続距離六千四百キロ、以上の場合の爆弾搭載力三噸である、発動機はターボ過給器付のライトサイクロン一、二〇〇馬力空冷式四基を据えて、九千メートル以上の高度で高性能を発揮するよう成層圏爆撃用への段階を示している

 なおこの「空の要塞」機を更らに高性能にした超「空の要塞」機たるダグラス[Douglas]B19型が二年前より加州のダグラス工場で鋭意製作されており、最近完成しこの五月二十日に初めての試験飛行を軍の手により行われた筈であり、その試験成績は未だ入電していないが各国軍用機界では大いに注目している、この巨大爆撃機のその称するところの性能としては−翼長六三米、全長四〇米、全備重量八二噸二千馬力ライト・デュプレックス・サイクロン空冷式発動機四基、乗員十名、爆撃搭載量一八噸、航続距離は七、七〇〇マイルと云われている

この巨大機の組立にはさすがに広大を誇るダグラス工場でも困って胴体後部、同中部、主翼、機首と三部分を別々に組立て、それを継ぎ合わしてやっと組立が出来たほどで掲載の写真2工場内での同機を見てもその大きさが判るが、翼幅だけでも、丸ビルの二倍の高さ(十七階分)であり、その引込式三脚輪も径九六吋の巨大なものであり五種類の鋼を素材とした堅牢なもので、この製造加工には一五〇吋作業半径の世界最大のターレット旋盤の新造を要したほどで、この建造にはダグラス社はじめ米国技術の数年に亘る最大の苦心が捧げられているという、勿論現在ではなお試作機の範囲に属するものに過ぎないが、何にしても米国空軍が長距離重爆機の完成に凡ゆる研究、実験を捧げ、各航空機会社を鞭撻しているかが窺える

B-24  なお第一線の新重爆機にコンソリデーテッドB24[リベレーター]型があり、これは「空の要塞」ボーイング17型よりもやや小さく全備重量二〇噸、最大速度五〇〇キロ、航続力は爆弾四噸を搭載して五、一二〇キロ、発動機はプラット・ホイットニー空冷式一、二〇〇馬力四基、降着装置は三輪式で、銃座は米空軍最初の自働油圧式を採用機尾にも機関砲を据えている

中型の優秀爆撃機

二基発動機の中型爆撃機にも世界最高水準をゆく優秀な新鋭機が相次いで完成している、現在の制式機であるダグラスB18[ボロ]型、同A型は旅客機のダグラスDC3型の改装で、性能も最大速度三五二キロ航続力は爆弾二噸搭載で三、二〇〇瓩、全備重量一〇・五瓲であるか、新鋭中型爆撃機はこの制式機を全ての点で飛躍する性能をもっている、

即ち−
ダグラスB23型=ライト空冷式一、二五〇馬力、発動機二基、自働油圧式銃座、三座席、全重量一三噸、最大速度四二キロ

マーチンB26型=プラット・ホイットニー空冷一、六〇〇馬力発動機二基、最大速度五四四キロで正に中型爆撃機としては最高水準以上である、全重量一三噸、機首機尾に機関砲を有し、爆弾の搭載量は一噸三六〇で航続力は秘せられている

B-25ノース・アメリカンB25型=ライト空冷式一、二五〇、発動機二基、三座、全量一一とん、銃座は自働液圧式、最大速度五二〇キロ、航続距離二、八〇〇キロ

◇マーチンPBM1型=哨海爆撃機、双発、性能未詳

◇コンソリデーテッドPBY・4型=哨海爆撃機、双発、性能未詳

◇カーチスXSB2C・1型=一七〇〇馬力ライト・サイクロン発動機装備、最大速度四八〇キロ以上、有名なカーチス・ヘルダイーを改良した急降下兼偵察爆撃機である

◇ダグラスSBD・1型=急降下爆撃機、性能未詳

◇ダグラスTBD・1型=魚雷発射機、性能未詳

[写真(ダグラス工場に於ける世界最大の重爆機[Douglas]B19型)あり 省略] 侮り難きその性能 : 米空軍最新機の全貌『日本工業新聞/産業経済新聞』Vol: 第 6巻 Page: 137 1940-10-25引用終わり。


11.排気タービン装備のベルXFM エアラクーダ(Bell YFM-1 Airacuda)


写真(上)1937年9月−−1941年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベルXFM-1A エアラクーダ(Bell XFM-1 Airacuda)戦闘機(36-351)
:尾輪式、排気タービン過給機の装備、ブリュスター式側方銃座の設置の初期型。
English: Bell XFM-1 Airacuda 36-351 Date 20 March 2017 Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons,Category:Bell YFM-1 Airacuda File:Bell XFM-1 36-351.jpg引用。


1935年7月28日初飛行のボーイングB-17爆撃機は、排気タービン(ターボ過給機)を装備し高高度飛行が可能だったが、同じような高高度爆撃機を迎撃できる戦闘機の試作要求がアメリカ陸軍航空隊からなされた。これに応えたのがベルXFM エアラクーダで1937年9月1日初飛行した。

世界空軍の"宿題"成層圏軍用機出現 : 米空軍・恐るべきヒット
掲載誌 東京日日新聞 Vol: 第 43巻 Page: 148 出版年 1937-08-07
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100347150 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

成層圏を飛ぶ快速度航空機は各国ともその研究、完成に腐心し特に米国は輸送機、軍用機両方面で真剣な実験が続けられているが、わが国では北支事変で空軍、戦闘、爆撃機に国民の注意が集中されている折柄最近米国からの通信によればこの世界航空界の決勝点たる成層圏用戦闘兼爆撃機が完成したという驚異的ニュースが齎らされた【写真は完成されたXFM一型機

これは米国陸空軍が世界最速の軍用機と豪語している米国ニューヨーク市バファローのベル航空機会社で製作した多座戦闘兼爆撃機XFM一型機で近くテイトンのライト飛行場で陸空軍の手で性能試験が行われる予定で、同機こそ正に「明日の軍用機」として各国が待望しているものである。

写真(右)1937年9月−1941年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベルXFM-1 エアラクーダ(Bell XFM-1 Airacuda)戦闘機(36-351)
PictionID:40971821 - Title:Airacuda Bell XFM-1 36-351- Catalog:15_002692 - Filename:15_002692.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."--SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive Source Airacuda Bell XFM-1 Author SDASM Archives
写真はWikimedia Commons,Category:Bell YFM-1 Airacuda File:Airacuda Bell XFM-1 (15954491367).jpg引用。


 [XFM-1の]発動機はアリソン工業会社製作の過給器(高空でも地上付近と同じような空気の量を発動機の内部に送る装置)付のブレストン冷却液による一千馬力を二基装備しているが、幾多の特徴のうち発動機は各々推進式のプロペラーを主翼後部に有しているため発動機ナセルの前部は機関銃を装備、従って何の方向からの敵機でも邀え撃つことが出来、その他胴体に銃手座があり四挺の機関銃を装備、上方、下方からの敵機でも射撃し得その上小爆弾を携行するという恐るべき性能を持つ

 [XFM-1の]乗員は正、副両操縦士、無線士兼銃手、両銃手の五名、全金属低翼単葉、脚は発動機の下部に引込み、見事な流線型で、常用高度三万フィートで三百マイル以上の巡航速力を出すものと予想される、三万フィート以上の空気の密度が稀薄な成層圏を飛行するために胴体主翼その他各部も強度を増しまた座席にはそれぞれ酸素吸入装置やラヂオ設備を有しているといい、全世界軍用機界の異常な注目を集めている(東京日日新聞 Vol: 第 43巻 Page: 148 出版年 1937-08-07引用終わり)

XFM-1試作1号機は、1937年9月1日初飛行したが、最高速力は 431 km/hで計画より37km/hも遅かった上に、鈍重な機体だったが、アメリカ陸軍航空隊は、1938年5月に高高度重戦闘機の増加試作機YFM-1を13機発注した。ターボ過給器の不調のため、増加試作機は、ターボ過給器未装備のアリソンV-1710-23液冷12気筒エンジンに換装している。

ベルYFM エアラクーダ(Bell YFM-1 Airacuda)の諸元
全長: 14.34 m
全幅: 21.34 m
全高: 5.94 m
翼面積:63.7 m2
全備重量: 8,607 kg
発動機:排気タービン(ターボ過給機)付のアリソンV-1710液冷12気筒エンジン1,150 hpを搭載、プロペラは推進式。
最高速力: 431 km/h
実用上限高度:9,296 m
航続距離: 1,513 km
爆弾搭載量:140 kg ×2発
37mmM4ブローニング(Browning)機関砲 ×2門、左右のエンジンナセルにフライトデッキを設けて、先端に各1門を装備。
7.62mm M1919ブローニング(Browning)機関銃×2挺。

⇒写真集Album:ベル(Bell) YFM-1エアクーダ(Airacuda)双発戦闘機を見る。 


12.ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機

写真(右)1942年6月以降、舗装飛行場に待機する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 D ライトニング(Lightning)戦闘機:方向舵には赤白ストライプはないが、左右の主翼には、アメリカ参戦前の青丸白星赤丸の国籍マークを描いている。機首のイスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃1挺、0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 4挺を搭載している。
Lightning Lockheed P-38D PictionID:40973273 - Title:Lightning Lockheed P-38D - Catalog:15_002805 - Filename:15_002805.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."- 写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1937年2月、アメリカ陸軍航空隊は単座・高々度迎撃戦闘機インターセプター開発要求をアメリカ航空メーカーに出した。性能要求は、最高速力360 mph (580 km/h)、上昇時間20,000 ft (6,100 m)まで6分 、当時の戦闘機の速力を100マイル(160km/h)上回るものとされた。また、爆弾搭載量も1,000 lb (450 kg)と当時の標準搭載量500 lb (230 kg) の2倍が期待されていた。

ロッキード(Lockheed) P-38 アメリカ陸軍航空隊の試作要求にこたえたロッキード(Lockheed)が開発したのがX-608、すなわちXP-38で、ライトフィールド基地で、1939年1月27日にアリソン液冷式発動機[Allison V-1710]を装備して初飛行した。当初、爆撃機を迎撃する大口径機関砲が望まれていたため、1939年4月27日から13機生産された先行量産型YP-38は、アメリカ陸軍砲兵工廠(Army Ordnance Department)の開発した 37 mm (1.46 in)T9自動砲、すなわち後に M4として生産される大口径砲と弾薬15発を搭載した。

アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)の迎撃戦闘機競争試作要請には、ベル・エアクラフト社のモデルB-4(XP-39)も単発機で応じていたが、当時、高速双発輸送機の分野で、低翼単葉、引込み式降着装置を採用して成功していたロッキードは、双発機に強い自信を持っていたが、軍用機開発の経験が乏しかった。つまり、当時、ロッキードは、軍用機の実績のない新参メーカーとして、軍は軽く見ていたようだ。

写真(右)1942年6月以降、雲の上を飛翔する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed) P-38 D ライトニング(Lightning)戦闘機:左右の主翼には青丸白星赤丸、方向舵には赤白ストライプはなく、第二次大戦参戦後に採用した国籍マークを描いている。機首には、イスパノ(Hispano)M2(C) 20 mm 機関銃(携行弾数 150発) 0.50 インチ (12.7 mm) M2 ブローニング(Browning)機関銃 (500発)4丁装備している。
Lightning Lockheed P-38D PictionID:40973285 - Title:Lightning Lockheed P-38D - Catalog:15_002806 - Filename:15_002806.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft." 写真は San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ロッキード(Lockheed) P-38 1937年2月、アメリカ陸軍航空隊(United States Army Air Corps :USAAC)はアメリカの各航空機メーカーに対して、双発、高々度対応の迎撃戦闘機の開発を要請した。これはアメリカが空軍力の強化し、仮想敵国のドイツ、日本の戦闘機を遥かに上回ることを目指した。そして、ロッキード(Lockheed)は、競争試作機として1937年6月23日にモデル(Model)22を XP-38として試作することが認められたが、その予算は16万3,000ドルだった。

この時のアメリカ陸軍航空隊の要求は、最高速力360 mph (580 km/h) 、上昇時間20,000 ft (6,100 m) まで6分というもので、単座・高々度防空用の迎撃戦闘機の開発を命じ、ロッキードはそれにアリソン液冷式発動機[Allison V-1710]エンジン2基装備の双発双胴戦闘機ロッキードP38[Lockheed P-38 Lightning]で応じた。

ロッキード(Lockheed) P-38 L ライトニング(Lightning)戦闘機の発動機は、アメリカ製アリソン(Allison)V-1710-111/113液冷V-12気筒エンジン1,600 hp (1,200 kW)2基搭載、最高速力 414 mph (666 km/h),航続距離 4,180 km、P-38L型だけで3,923機が生産された。

双発双胴の高速迎撃機として、1939年1月27日に初飛行したP 38には、偵察機仕様ロッキード(Lockheed) F-5 もあった。

ロッキード(Lockheed) P-38 ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機の諸元

初飛行:1939年1月27日
生産数:10,037機
乗員: 1名
全長: 11.53 m (37 ft 10 in)
全高: 3.00 m (9 ft 10 in)
翼幅: 15.85 m(52 ft 0 in)
翼面積: 30.43 m2 (327.5 ft2)
空虚重量: 5,800 kg (12,780 lb)
全備重量: 7,940 kg (17,500 lb)
最大離陸重量: 9,798 kg (21,600 lb)
発動機: アリソン発動機[Allison V-1710] 液冷V型12気筒スーパーチャージャー付エンジン1,600 hp (1,200 kW) × 2
最高速力: 高度 7,620 m 時 667 km/h (高度 25,000 ft 時 415 mph) 失速速度: 170 km/h (105 mph)
フェリー航続距離: 3,640 km (2,600 マイル)
航続距離: 1,770 km (1,100 マイル)
実用上昇限度: 13,400 m (44,000 ft)
翼面荷重: 260.9 kg/m2 (53.4 lb/ft2)
イスパノ M2(C) 20 mm 機関銃× 1(携行弾数150発)
ブローニング MG53-2 12.7 mm 機関銃 (携行弾数500発)×4
爆弾:1,000 lb(454 kg)爆弾×2

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed) P-38 ライトニング(Lightning)戦闘機を見る。 


13.ノースロップ(Northrop) P-61 ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機

アメリカ海兵隊は、F4Uコルセア、F6Fヘルキャットなどを改修した単発夜間戦闘機はあったが、双発以上の本格的な夜間戦闘機がなかった。そこで、ノースロップP-61Bブラックウィドウの配備を要求したが、陸軍航空隊への配備が優先されたために、双発艦上機として試作されたF7Fを夜間戦闘機として改修して使用した。

ノースロップP-61Bブラックウィドウは双発の夜間戦闘機だったが、この長い航続距離を生かして、昼間長距離護衛戦闘機とすることが検討された。そして、XP-61Eとして、試作1号機が完成し、1944年11月20日に初飛行した。良好な性能だったが、第二次世界大戦が終戦となったために、量産はキャンセルになった。

しかし、このノースロップP-61Bブラックウィドウの機体を生かして、機銃装備を撤去して軽量化し、高速長距離偵察機とする案も検討された。このノースロップP-61夜間戦闘機の高速直距離偵察機仕様がF-15Aである。最高速力 440 マイル (382 ノット, 708 km/h)を発揮できた。

⇒写真集Album:ノースロップ(Northrop) P-61 ブラックウィドウ(Black Widow)夜間戦闘機を見る。 



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機


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