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◆ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機
写真(上)1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39L エアラコブラ(Airacobra)の右側面
:全幅10.36m、全長9.21m、全高3.6m、翼面積19.8m²、コックピット後方の胴体中央にアリソンV-1710液冷エンジン1,200hp搭載、延長軸で3翅プロペラを回転。プロペラ軸に37mm機関砲1門(携行弾数15発)、機首に12.7mm機関銃2挺(携行弾数各200発)主翼に7.62mm機関銃4挺(携行弾数各500発)を装備。三輪式(前輪式)降着装置を採用。
Bell P-39L Title: Bell P-39L Catalog #: 15_001000 ADDITIONAL INFORMATION: 24558 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Page #: 63 Tags: Bell P-39L, 24558  写真は, SDASM Archives引用。

写真(上)1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39Q エアラコブラ(Airacobra)の右側面
:全備重量3,810kg、最高速力616km/h、 プロペラ軸に37mmM4機関砲1門(携行弾数30発)、機首に12.7mmブローニングAN/M2機関銃2挺(携行弾数各200発)主翼ガンポッドに12.7mm機関銃2挺(携行弾数各300発)を装備、装甲板を強化。P-39Qは4,905機生産された。
Bell , P-39Q, Airacobra Catalog #: 01_00090391 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airacobra Designation: P-39Q Notes: USA Title: Bell , P-39Q, Airacobra, USA. 写真は , SDASM Archives引用。

1.参戦前のベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、滑走路上のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の右側面:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003398 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra-
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)P-39(Airacobra)戦闘機の高高度迎撃の必要性への疑念、飛行機の高い単価を考慮してか、アメリカ陸軍は、高々度迎撃戦闘機としての採用は取りやめ、排気タービンを外した機体を発注した。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の左側方:排気タービン過給機ではなく、機械式一段一速過給器を備えたアリソンV-1710-35液冷エンジンを搭載。初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003397 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Gerry Asher 11y XP-39 prototype. Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flickr. San Diego Air and Space Museum 引用。


つまり、ベル(Bell)P-39(Airacobra)戦闘機は、排気タービン過給機ではなく、機械式一段一速過給器を備えたアリソンV-1710-35液冷エンジンを搭載したP-39Cとして、機首の大口径M4ブローニング(Browning)37mm機関砲1門、12.7 mm機銃2挺、7.62 mm機銃2挺の重戦闘機として生産された。P-39Cは、重兵装だったが、機首の7.62 mm機銃2挺を撤去し、主翼付け根左右に7.62 mm機銃4挺を搭載した武装強化型P-39 Dが登場した。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の左側方:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003391 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカ陸軍航空隊は、1936年に高々度迎撃戦闘機の開発要求をしたが、これに応じたベル(Bell)XFM-1 エアラクーダ双発戦闘機は、鈍重で飛行性能が不十分だったために、ベルは単発機の機首に大口径機関砲を搭載することとし、新たにベルXP-39単発戦闘機を開発した。

ベル(Bell)XP-39は、ベル(Bell)XFM-1 エアラクーダ双発戦闘機同様、爆撃機迎撃用にM4ブローニング(Browning)37mm機関砲1門を装備し、高高度性能向上のために排気タービンを搭載した。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、滑走路上のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の左側面:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003390 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flickr.San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)XP-39単発戦闘機は、エアラクーダ双発戦闘機と同様に前輪式引込み降着装置を設けたが、アメリカ単発戦闘機としては、前輪式は最初の試みである。操縦席コックピットは、後の戦闘機に先んじて、全面ガラス風防の視界の良いものである。ただし、操縦士の出入りは、コックピット左右両側に扉を設けている。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 B戦闘機試作機:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003394 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flickr. San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)XP-39はエアラクーダ双発戦闘機と同様に、高々度迎撃機として排気タービン過給器を備えたが、アメリカが世界に先んじて排気タービンを1930年代末に実用化できたのは、ベル社の先端的取り組みがあったためである。排気タービン過給機付きの試作機は、1939年4月6日に初飛行し、最高速力628 km/h、上昇率1,219 m/分の高性能を示している。このベル(Bell)XP-39は,アメリカ陸軍の制式となり、ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)戦闘機と命名された。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の左前方
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003399 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra-
写真はSmugMug+Flickr. San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカ陸海軍戦闘機の中で、
(1)主翼下面にガンポッドを張り出し、空気抵抗増加、飛行性能の低下を忍んでいる
(2)大口径M4ブローニング(Browning)37mm 機関砲のプロペラ軸を通した搭載、と機首スピナー先端からの発射、
(3)操縦席キャノーピー左右両側への開閉扉の設置
ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)だけである。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第31追撃飛行隊ベル(Bell)P-39C エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(32)ほかの編隊飛行
Ray Wagner Collection Image PictionID: 47306599 - Catalog: 16_008401 - Title: Bell P-39C 32 31PG USAF - Filename:16_008401.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)XP-39の発動機は、操縦席の後方の胴体中央にアリソンV-1710液冷12気筒エンジンを搭載したが、この発動機は、エアラクーダ双発戦闘機と同じである。XP-39は、プロペラ軸を通して射撃可能な37mm機関砲を備えていた。重量のあるエンジンを機体中央に置くことで、機体の中央に重心が置かれたために、飛行運動性能も高くなることが期待された。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、未舗装滑走路に駐機しているアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 戦闘機の左側面
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003487 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra Notes: Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr. San Diego Air and Space Museum 引用。


原型のベル(Bell)P-39(Airacobra)戦闘機は、初飛行1938年4月6日、生産数9,588機で、4,719機(49.2%)のP-39がソ連への貸与機である。

発展型のP-63 キングコブラ(Kingcobra)は初飛行1942年12月7日、生産数3,303機で、2400機(79.9%)のP-63がソ連への貸与機である。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39D または P-39F. エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(41-7xxx) の右側面:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003435 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)P-39 戦闘機は、アメリカ参戦前、ドイツとの戦いに苦戦していたイギリス空軍に貸与されたが、評価は低く、部隊配備は進まなかった。しかし、1941年6月に独ソ戦が勃発すると、アメリカは武器貸与法を援用して、ソ連にP-39戦闘機200機を貸与することを決めた。また、1941年12月に太平洋戦争が勃発、参戦したアメリカ陸軍航空隊は、太平洋戦争中に、ベル(Bell)P-39(Airacobra)戦闘機を対日戦に投入した。

こうして、独ソ戦勃発後の1941年6月から、イギリス、カナダ、オーストラリア、中国などに加えて、ソビエト連邦も武器貸与法の対象となった。1945年9月の終戦までに、アメリカは、ドイツと戦うソビエト連邦に、ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)戦闘機は4,719機(総生産数の49.2%)、発展型P-63戦闘機は2400機(総生産数の79.9%)を貸与した。ソ連では、大口径砲を活用しての地上襲撃、低空でP-39は活躍している。

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 B戦闘機試作機
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003396 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra-Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)戦闘機は、1938年4月6日に初飛行、三輪式(前輪式)降着装置を採用した。中期型のP-39Dは、全備重量3,465kg、アリソンV-1710-35液冷エンジン1,150hp搭載、最高速力579km/h、 プロペラ軸に37mmM4ブローニング(Browning)機関砲1門(携行弾数15発)、 機首に.50口径12.7mmAN/M2ブローニング(Browning) 機関銃2挺(携行弾数各200発)主翼にブローニング7.62mm機関銃4挺(携行弾数各500発)を装備する重兵装だった。

写真(右)1940-1941年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊第8追撃飛行隊ベル(Bell)P-39C戦闘機
SDASM Aircraft Image PictionID :48348003 - Catalog: 01_00093913 - Title: Bell P-39C 8PG - Filename: 01_00093913.tif - -Please Tag these images so that the information can be permanently stored with the digital file.---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flickr., San Diego Air and Space Museum 引用。


ベル(Bell)P-39 戦闘機は、アメリカ参戦前、ドイツとの戦いに苦戦していたイギリス空軍に貸与されたが、評価は低く、部隊配備は進まなかった。しかし、1941年6月に独ソ戦が勃発すると、アメリカは武器貸与法を援用して、ソ連にP-39戦闘機200機を貸与することを決めた。

図(右)1941‐1942年頃、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機を描いた戦時増産ポスター:「我々は、わが戦う翼に銃弾の針を装填している。それは我々にかかっている。彼らにもっと力を。ウォーナー&スウォージーズ」We are putting the "Stings" in American's Wings! So much depends on us!Give them more Warner & Swaseys!
wwII002 P-39 Poster Image from the SDASM Curatorial Collection. Note: This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum
Record creator Office for Emergency Management. Office of War Information. Domestic Operations Branch. Bureau of Special Services. (03/09/1943 - 09/15/1945) Title "WE'RE PUTTING THE STINGS IN AMERICAS WINGS" Date between 1941 and 1945
写真はSmugMug+Flickr.,Category:Bell P-39 Airacobra of unidentified variants File:AWM 025894 Bell P-39 Airacobra and US ground crew.jpg引用。


こうして、独ソ戦勃発後の1941年6月から、イギリス、カナダ、オーストラリア、中国などに加えて、ソビエト連邦も武器貸与法の対象となった。1945年9月の終戦までに、アメリカは、ドイツと戦うソビエト連邦に、ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)戦闘機は4,719機(総生産数の49.2%)を貸与した。ソ連では、大口径砲を活用しての地上襲撃、低空でP-39は活躍している。


2.アメリカ参戦後のベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機

2−A. 馬来[マレー]西岸要衝を攻略 : 比島[フィリピン]で四十四機撃破 : 陸軍随所に赫々の大戦果
大阪朝日新聞 Vol: 第 53巻 Page: 83 出版年 1941-12-16

 大本営陸軍部発表(十五日午後一時五分)帝国陸軍部隊は各方面において頑強なる敵の抵抗を撃砕しつつ果敢なる進撃を続行しつつあり

一昨十三日における戦況の概要左のごとし

(一)比島方面 ルソン島に上陸せる各部隊は随所に米軍を撃破して追撃を続行し戦況順調に進捗しつつあり、当方面陸軍航空部隊は熾烈なる防空砲火を冒して大挙中部ルソン重要飛行場を襲撃し小型戦闘機[Seversky P-35]一機撃墜、大型爆繋機[B-17]二機炎上その他爆繋機および戦闘機四十機を爆破するとともに格納庫、貯油庫を反復爆撃し、大火災を生ぜしめたり、また他の一隊はバギオ敵軍司令部およびタルラク兵営を急襲しこれを破壊炎上せしめたり、なおアパリに来襲し来れるピー四〇型[Curtiss P-40]戦闘機一機を撃墜せり、わが方全機無事帰還せり

(二)マレー方面 国境マレー国境陣地を突破し英領マレーに深く突入せるわが軍は果敢なる進撃を続け一昨十三日午後三時三十分マレー西岸の要衝○○を完全に攻略せり
馬来西岸要衝を攻略 : 比島で四十四機撃破 : 陸軍随所に赫々の大戦果引用終わり)

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39C-BE エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:コックピットガラス風防に氷結防止装置を装着する実験中のようだ。
English: USAAF P-39 Aircraft Source: USAF Museum Archive photo Source USAF Museum Archive photo  Bell P-39 Airacobra in flight with B.F. Goodrich de-icers
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39 Airacobra File:Mb-p39.jpg引用。


バッファロー 2−B. [マレー半島西岸]ピナン爆撃
大阪毎日新聞 Vol: 第 53巻 Page: 107 出版年 1941-12-18

大本営陸軍部発表 (十八日午後九時) 帝国陸軍航空部隊は昨十七日大編隊をもってピナン港を急襲し大型輸送船一隻および小型輸送船数隻を撃沈するとともに埠頭および港湾施設を爆砕せり、

またわが戦闘機[一式戦]三機は果敢にも敵中深く突進しイボ飛行場を襲撃し、挑戦し来れる[Brewster F2A]バッファロー戦闘機六機と激烈なる戦闘を交え二機を撃墜、他の四機を遁走せしめるとともに地上にありしバッファロー[Buffalo]七機に銃撃を加えこれを炎上せしめたり
ピナン爆撃引用終わり)

写真(右)1938−1942年初期、アメリカ、ミシガン州東部、セルフリッジ基地(Selfridge Field)、アメリカ陸軍航空隊第31追撃戦闘機集団(31st PG)第40追撃戦闘機飛行隊(40th PS)のベル(Bell)P-39C-BE エアラコブラ(Airacobra)戦闘機試作機の右側面:初飛行:1938年4月6日 生産数:9,588機。
Captions English Add a one-line explanation of what this file represents Bell P-39 Airacobra P-39C-BE assigned to the 40th PS / 31st PG at Selfridge Field Source: www.edwards.af.mil
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39 Airacobra File:P-39 1.jpg引用。



カラー写真(上)1941年、アメリカ、ミシガン州セルフリッジ・フィールド基地、褐色迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊第31追撃飛行隊ベル(Bell) P-39D エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の戦列
:尖ったスピナーの先端に37mmM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が凹んだ形で開いていて、銃口は露出していない。
U.S. Army Air Corps Bell P-39D Airacobra fighters of the 31st Pursuit Group at Selfridge Field, Michigan (USA), in 1941. Date 1941 Source scan from Jeffrey Ethell: American Warplanes. WWII-Korea. Vol. II. Arms & Armour Press 1983, p. 11. ISBN 0853685770. Cited as USAF picture. Author USAF
写真は Wikimedia Commons, Category:41-7224 (aircraft) File:P-39Ds 31PG Selfridge 1941.jpg引用。


2−C. 十四機を血祭り : 陸鷲、マニラ周辺を連爆
大阪毎日新聞 Vol: 第 53巻 Page: 117 出版年 1941-12-20

大本営陸軍部発表(十九日午後九時十五分)比島方面帝国陸軍航空部隊は十八日撓まざる努力をもってマニラ周辺のキャンプマーフィ、ニコラス・フィールド、サブラン各飛行場を連撃し大型爆撃機[B-17]八機を炎上、戦闘機[Boeing P-26]六機を撃墜破し敵残存空軍に対し一大痛撃を与えたり (十四機を血祭り : 陸鷲、マニラ周辺を連爆引用終わり)

1934年1月初飛行のボーイイング(Boeing)P-26 ピーシューター(Peashooter)戦闘機は、固定脚の単葉機で。日本陸軍中島九七式戦闘機よりも古い機体である。しかし、出現時は、高性能戦闘機で、1936年に勃発したスペイン内戦に際しては、スペイン共和国政府側で試用され実戦投入された。実は、このP-26は、スペインへの売り込みのために派遣された機体で、スペインは購入せず輸出はならなかったが、現地のデモ飛行に参加した機体が実戦投入されたのである。しかし、1936年10月21日に撃墜された。

P-26A ピーシューター ボーイイング(Boeing)P-26 ピーシューター(Peashooter) 乗員:1名
全長:7.18 m (23 ft 7.25 in)
全幅:8.50 m (27 ft 11.5 in)
全高:3.04 m (10 ft 0.5 in)
主翼面積:13.90 m2 (149.5 ft2)
空虚重量:996 kg (2,197 lb)
全備重量:1,330 kg (2,955 lb)
発動機:プラット・アンド・ホイットニー(P&W) R1340ワスプ(Was)空冷星型9気筒エンジン(排気量22.02)500 hp
最高速力:377 km/h (234 mph)
航続距離:580 km (360 miles)
実用上昇限度:8,350 m (27,400 ft)
上昇率:720 m/min (2,360 ft/min)
兵装:ブローニング M1918M1 / AN-M2 7.62 mm 機関銃 ×2 または M1921E1 / .50口径12.7mmAN/M2ブローニング(Browning)機関銃 ×1 および M1918M1/AN-M2 7.62 mm 機関銃 ×1
生産数:162機

九六式四号艦上戦闘機 その後、ボーイイング(Boeing)P-26 ピーシューター(Peashooter)は中国空軍が購入し、1937年8月20日、南京を渡洋爆撃に来襲した日本海軍三菱九六式陸上攻撃機をP-26戦闘機8機が迎撃し、戦果を上げた。日本海軍三菱九六式艦上戦闘機とは各戦闘も経験している。

1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、アメリカ領フィリピンに配備されていたボーイイング(Boeing)P-26 ピーシューター(Peashooter)戦闘機28機は、日本機の空襲を迎撃する計画だったが、日本機の空襲により地上撃破された。

彩色写真(右)1942年以前、アイスランド南西海岸、カルダーダ―ネス(Kaldadarnes)、イギリスが占領したアイスランドを引き継いで防衛に当たったアメリカ陸軍航空隊第33追撃戦闘部隊のベル(Bell)P-39D エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:増加燃料タンクを装備していないので、アイスランドに船積みされ現地で組み立てられえた機体のようである。第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春までの青丸白星、白星中央に赤丸の国籍マークを付けている。大西洋の交通ルートを確保するために、1940年5月10日チャーチル政権に入ったイギリスはアイスランドに侵攻し、1941年7月7日アメリカはアイスランドを占領した。アイスランドには、第二次世界大戦参戦前からアメリカ軍占領軍があり、北大西洋方面の海上護衛、哨戒、輸送の任務にあたっていた。
Bell P-39D Title: Bell P-39D Catalog #: 15_000978 ADDITIONAL INFORMATION: 33PS at Kaldadarnes Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Page #: 57 Tags: Bell P-39D, 33PS at Kaldadarnes PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive.
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive  引用。


アイスランドはデンマーク領だったが、1874年に自治を認められ、1904年には自治領へとなり、1918年にデンマーク国王を抱く連合王国として独立した。デンマークは、1939年9月の第二次世界大戦勃発に際し、中立を宣言したが、ドイツの侵攻を受けた。

アイスランドも中立を宣言したが、融和政策をとってきたイギリス首相アーサー・ネヴィル・チェンバレンArthur Neville Chamberlain )に代わって1940年5月10日チャーチルが政権をとった当日、1940年5月10日ドイツの西方侵攻に直面したが、同日、イギリスは直ちに中立国アイスランド侵攻Invasion of Iceland )を決行した。当時、アイスランドは、宗主国といえるデンマークがドイツに占領され、ドイツ軍がアイスランドに無欠占領するリスクを排除するための国際法違反である。

国際法違反の1940年5月10日、イギリスのアイスランド侵攻「フォーク作戦Operation Fork )」は、チェンバレン政権の下、イギリス軍が大西洋の海上交通確を意図してチャーチル政権に入ったイギリスは、即座にアイスランド全土を掌握した。

しかし、1941年6月22日にドイツがソ連に侵攻した直後、1941年7月7日、アメリカ軍は、イギリスの要請を受けて、大西洋の安全保障を理由に、アイスランドにアメリカ海兵隊4000名を派遣してアイスランドを再占領した。

写真(右)1941年、アイスランド南西部、カルダーダ―ネス(Kaldadarnes)基地、アメリカ陸軍航空隊第33追撃飛行隊のロッキード(Curtiss)P-40Cウォーホーク (Warhawk) 戦闘機の戦列:試作1号機は1938年10月4日初飛行。P-40Nは、総重量3780 kg、V-1710液冷V型12気筒エンジン895 kW (1217 PS)装備で、最高速力560 km/h、航続距離1200 km、ブローニング(Browning).50口径 (12,7 mm)機関銃6挺装備。
Curtiss P-40C, 33rd PS, Kaldadarnes Iceland Catalog #: 01_00092109 Title: Curtiss P-40C, 33rd PS, Kaldadarnes Iceland Corporation Name: Curtiss Additional Information: 33rd PS, Kaldadarnes Iceland, 1941 Tags: Curtiss, P-40C.
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive  引用。


写真(右)1943年以降、アメリカ、ニューヨーク州、ウィートフィールド(Wheatfield)、工場で生産中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機とP-63Aキングコブラ(Kingcobra)戦闘機:P-39は初飛行1938年4月6日、生産数9,588機。P-63は初飛行1942年12月7日、生産数3,303機。ただし、性能向上型のP-63でも、ソ連向けの貸与機2400機と72.7%がソ連向けの援助輸出機に回されている。
Author Unknown author Description The assembly plant of the Bell Aircraft Corporation at Wheatfield, New York (directly East of Niagara Falls, USA). The aircraft in the photo are Bell P-39Q-30-BE Airacobra fighters (USAAF serials 44-71105/44-71504), and Bell P-63A-8-BE Kingcobra fighters (USAAF serials 42-69211/42-69410). While externally very similar, the P-39 had a smaller and more rounded tail section and a three-bladed propeller. The two lines at left are P-39Qs, followed by three lines of P-63As. Then are two lines of almost completed P-39Qs (serials clearly visible), and a last line of P-63As. Note the absence of any workers and tools. Date between 1940 and 1946 Medium 1 negative Dimensions 5 x 7 inches or smaller. Collection Library of Congress wikidata:Q131454 Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540 http://hdl.loc.gov/loc.pnp/pp.print Accession number Reproduction Number: LC-USW33-059641 (b&w film neg.) Call Number: LC-USW33- 059641 [P&P]
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39 Airacobra File:Airacobra P39 Assembly LOC 02902u.jpg引用。


写真(右)1943年以降、アメリカ、ニューヨーク州、ウィートフィールド(Wheatfield)、工場で生産中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機とP-63Aキングコブラ(Kingcobra)戦闘機:P-39は初飛行1938年4月6日、生産数9,588機。P-63は初飛行1942年12月7日、生産数3,303機。
Ray Wagner Collection Image PictionID:48344837 - Catalog:16_008408 - Title:Bell P-39 and P-63 production line - Filename:16_008408.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation ---Repository: San Diego Air and Space Museum
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum File:Airacobra P39 Assembly LOC 02902u.jpg引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第419戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39D /P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(86)の右側面:液冷エンジンを胴体中央部に配置している。機首尖ったスピナーの先端から長い銃身が伸びているので、P-39原型の37mm M4 機関砲ではなく、イギリス輸出仕様P-400と同じくドラム弾倉60発装備の20mmヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(20 mm M1機関砲の名称でライセンス生産)である。37mmブローニング(Browning)M4機関砲の銃身ははるかに短い。後方は、1943年1月15日初飛行のヴァルティー(Vultee)XP-54 スウースグース単発戦闘機(双胴式推進式プロペラ:37mmブローニングM4機関砲2門、12.7mm機関銃2挺)の機首と似ているが、双発なのでロッキードP-38である。
Bell P-39D, 41-28275, 1941 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flick, SDASM Archives 引用。


一式戦 1941年12月に勃発した太平洋戦争では、アメリカ陸軍航空隊は、西半球の安全の対ドイツ戦のヨーロッパ方面主戦場を重視していたが、東太平洋方面のアリューシャン列島、ソロモン群島・ニューギニア島でベルP-39戦闘機を使用した。対戦相手は、日本陸軍中島一式戦キ43隼と日本海軍の三菱A6M零戦が主だったが、飛行性能が劣っていたために、零戦相手の空戦には不利だったが、配備数の上から数的有利のもとで、善戦したようだ。

しかし、太平洋戦争でも、1943年以降、陸上戦闘機として、ロッキードP-38戦闘機、リパブリックP-47戦闘機、F-4Uコルセア戦闘機が大量配備されるようになると、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)は最前線から退役していった。結局、ベルP-39の過半は、低性能だったためにアメリカでは使用されず、ソビエト連邦への貸与機として活躍している。

ただし、イギリス空軍への輸出仕様P-39は、P-400と命名されたが、P-39原型の37mm M4 ブローニング機関砲ではなく、イギリス空軍の望んだドラム弾倉60発装備の20mmヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(20 mm M1機関砲の名称でライセンス生産)である。20mm機関砲は、スピナーの先端から長い銃身が伸びているので、37mm機関砲装備型との判別は容易である。

写真(右)1942年頃、アメリカ、農地の上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39F-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(17224):尖ったスピナーの先端に37mmM4ブローニング機関砲の銃口が飛び出している。
Description : Bell P-39F-1-BE Airacobra Photographer : US governments
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39 Airacobra File:Bell P-39 Airacobra.jpg引用。


ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)P-63 キングコブラ(Kingcobra)戦闘機の攻撃力の最大の特徴は、プロペラ軸に37mmM4ブローニング(Browning)機関砲を装備して、機首プロペラスピナ―先端に銃口を設けたことである。第二次大戦までアメリカ陸海軍の単発単座戦闘機で、プロペラ軸から発射する機関銃を備えた機体はP-39以外に皆無で、ドイツ空軍、フランス空軍が実用化した単発戦闘機でも、プロペラ軸から発射したのは、20mm機関銃、大戦後期でも30mm機関砲に限られていた。

写真(右)1943年6月以降、飛行するアメリカ陸軍航空隊第51戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39Q-5 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-20397)の左上側面:機首プロペラスピナ―先端に37mmM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が大きく飛び出し露出している。射撃の反動で銃身は後退するが、駐退機の働きで、後座した銃身は直ぐに元の位置に戻る。機首上面に12.7mm機関銃2挺、主翼下面ガンポッドに12.7mm機関銃が装備されている。
English: 51st Fighter Squadron Bell P-39Q-5-BE Airacobra 42-20397 Date 1943 Source USAAF Photo via Hagdedorn, Dan (1995), Alae Supra Canalem: Wings Over the Canal, Turner Publishing, ISBN-10: 1563111535 Author United States Army Air Forces Permission (Reusing this file) USGOV-PD
写真は Wikimedia Commons, Category:42-20397 (aircraft) File:51st Fighter Squadron Bell P-39Q-5-BE Airacobra 42-20397.jpg引用。


37mmM4ブローニング(Browning)機関砲は、既に1937年9月1日初飛行のベル(Bell) YFM-1エアクーダ(Airacuda)双発戦闘機の主翼上のツイン・ナセルの先端にも搭載された。YFM-1エアクーダは量産されずに終わった失敗作だったが、37mmM4ブローニング(Browning)機関砲は、1939年から生産が始まり、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)のほかにも、アメリカ海軍の魚雷艇PTボートの前甲板にも搭載され、1942年のソロモン群島の対日戦に投入されている。

カラー写真(右)1943年7月、アメリカ、カリドルニア州ハミルトン・フィールド基地、アメリカ陸軍航空隊第357戦闘飛行隊ベル(Bell)P-39Q-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19447):1943年6月に国籍マークとして青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”が採用され、その塗装作業が行われている。1943年11月にイギリスに派遣されるが、その時にはP-39をP-51ムスタング戦闘機に機種転換することになる。
Two mechanics crank the handle of a USAAF Bell P-39Q-1-BE Airacobra, at Hamilton Army Airfield, California (USA), in July of 1943. The aircraft "Saga Boy II" (serial no. 42-19447) belonged to Lt.Col. Edward S. Chickering, commander of the 357th Fighter Group. When the Group moved to Great Britain in November 1943, it was reequipped with the North American P-51 Mustang. Date July 1943 Source WWII in color [1]; USAF Historical Research Agency via http://www.airfields-freeman.com/CA/Hamilton_CA_P-39_43.jpg Author USAAF Permission (Reusing this file) PD-WWII-IN-COLOR.
写真は Wikimedia Commons, Category:World War II color photographs of the US Homefront  File:P-39N Airacobra of the 357th Fighter Group at Hamilton Field in July 1943.jpg引用。


1943年中ごろまでアメリカ陸軍航空隊第357戦闘飛行隊はベル(Bell)P-39 Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機を配備していた。しかし、1943年11月にイギリスに派遣される時には、より高性能のノースアメリカンP-51ムスタング戦闘機に機種転換されている。

写真(右)1942年9月、アラスカ、アダック(Adak)基地、アメリカ陸軍航空隊第42戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39E エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白10):機体の整備、燃料補給が行されている。
English: 42d Fighter Squadron P-39E Adak Alaska Date 1942 Source USAAF photo via Chloe, John Hale, (1984), Top Cover for America. the Air Force in Alaska. 1920–1983, Pictorial Histories Publishing Company, ISBN 0-933126-47-6 Author United States Army Air Forces
写真は Wikimedia Commons, Category:Adak Island in World War II File:42d Fighter Squadron P-39E Adak Alaska.jpg引用。


カラー写真(右)1942年夏、アメリカ、アラスカ準州、アリューシャン列島、アダック(?)、整備中のアメリカ陸軍ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:胴体中央エンジンと機首の12.7mm機関銃のカバーを外してオーバーホールの作業をしている。地面には、37mm機関砲の弾倉と弾頭を黄色に塗った弾薬が見えている。プロペラから37mm機関砲の銃身は突き出ていない。手前の左主翼に7.62mm機関銃の銃身2本が出ている。
A Bell P-39L-1-BE Airacobra (USAAF s/n 42-4673?) at Nome, Alaska (USA), in 1943-44. The red Soviet stars under the wings identify this as a lend-lease aircraft ferried to the USSR via Alaska. Date between 1943 and 1944..Author USAAF
写真はAmazon.co.jp, Fallen Stars 1: Crashed, Damaged & Captured Aircraft of the USAAF引用。


写真(右)1943-1944年頃、アラスカ(?)、大きな落下増加タンクを胴体下面に懸架したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39M エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(24797):胴体後方腹部には方位測定用の環状ループアンテナがついているが、霧の出やすいアラスカ・アリューシャン方面でれば、無線による方位測定は短距離飛行であっても重要である。
Bell P-39M Title: Bell P-39M Catalog #: 15_000998 ADDITIONAL INFORMATION: 24797 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Page #: 63 Tags: Bell P-39M, 24797 PUBLIC COMMONS.SOURCE INSTITUTION: San Diego Air and Space Museum Archive
写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


P-400と命名されたイギリス空軍仕様P-39は、機首に37mm M4 ブローニング機関砲(弾薬15発)ではなく、20mmヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲のアメリカのライセンス生産20 mm M1機関砲1門を装備した。20mm機関砲の銃身は細くスピナーの先端から長く伸びているので、37mm機関砲の太く短い銃身と区別可能。

写真(右)1943-1944年頃、アメリカ、雲海上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白24:17253):胴体下面には落下増加タンクを懸架するラックが付いている。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003445 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の尖ったプロペラ・スピナーの先端には、プロペラ軸から射撃する37mmM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が出ている。37mmM4機関砲を射撃すると、その反動で銃身は後退する。しかし、駐退機の働きで、後座した銃身は直ぐに元の位置に戻る。

写真(右)1943年、アメリカ領パナマ運河地帯、未舗装滑走路に並んだ雲形迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第32戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39N エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(50)の左前方:コックピット操縦席が左側についている。尖ったスピナーの先端に銃身が長く飛び出ているが、37mm M4 機関砲ではなく、ドラム弾倉60発装備の20mmヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(20 mm M1機関砲の名称でライセンス生産)である。胴体下面に増加燃料タンクを懸架している。
Airacobra Bell P-39D PictionID:40971755 - Title:Airacobra Bell P-39D - Catalog:15_002687 - Filename:15_002687.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."
写真はSmugMug+Flick , SDASM Archives 引用。


写真(右)1943年6月以降、カリブ海、アメリカ領プエルト・リコ、ボリンケン(Borinquen)フィールド基地、アメリカ陸軍航空隊第4偵察飛行隊ベル(Bell) P-39Q-5 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19622):プロペラから37mmM4ブローニング機関砲の銃身が露出している。37mm機関砲の射撃反動で銃身は後退するが、駐退機の作用で、後座した銃身は元の位置に戻る。
English: 4th Reconnaissance Squadron Bell P-39Q-5-BE Airacobra 42-19622 1943, Borinquen Field, Puerto Rico, Date 1943 Source United States Army Air Forces via Hagdedorn, Dan (1995), Alae Supra Canalem: Wings Over the Canal, Turner Publishing, ISBN-10: 1563111535 Author United States Army Air Forces Permission (Reusing this file) USGOV-PD
写真は Wikimedia Commons, Category:1943 in Puerto Rico File:4th Reconnaissance Squadron Bell P-39Q-5-BE Airacobra 42-19622 1943.jpg引用。


アメリカ陸海軍戦闘機で、主翼下面にガンポッドを張り出し、空気抵抗増加、飛行性能の低下を忍んでいるのは、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)P-63 キングコブラ(Kingcobra)だけである。アメリカ人のためではなく、ロシア人のための戦闘機ということで、アメリカ軍も飛行性能向上に厳正な態度ではなく、ベル社もアメリカ政府の支払いによるソ連向け援助(輸出)機としてビジネスを優先した。

写真(右)1943年、アメリカ領パナマ運河地帯、未舗装滑走路に並んだ雲形迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第32戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39N エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(43)の右上方と僚機:コックピット操縦席に出入りする扉が開いている。尖ったスピナーの先端に37mmM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が飛び出ている。機首上部の12.7mm機関銃の銃口も半分露出している。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003469 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y P-39Ns of the 32nd Fighter Squadron, protecting the Panama Canal Zone. Thanks for posting the associated images, cafe426!!!
写真はSmugMug+Flick , SDASM Archives 引用。


ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機のプロペラスピナー先端から37mm機関砲の銃身が突き出ている。この37mm機関砲を射撃すると、銃身は反動で後退するが、駐退機によって、後座した銃身はすぐに元の位置に戻る。

写真(右)1940-1941年頃、イギリス、飛行するアメリカ機の塗装を施したイギリス空軍ベル(Bell) P-39 /P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:「プロペラハブを通して37mm機関砲は徹甲弾・榴弾をプロペラ軸から射撃する、黒の板の下には機関銃が搭載されている」、と解説に付されている。しかし、スピナー先端に太く短い銃身が突出しているので、37mm機関砲ではなく、20mmヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲1門を装備している機体であろう。量産型では20mm機関砲の銃身はより長くスピナーの先端から長く伸びている。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003415 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y One of the earliest P-400s sent to Britain...
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


絵葉書写真(右)1940-1943年頃、イギリス、未舗装飛行場、雲形迷彩塗装を施したイギリス空軍ベル(Bell) P-39 /P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:プロペラスピナ―から長く銃身が伸びているのは、37mm M4ブローニング機関砲をイギリス空軍輸出用に換装した20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲である。胴体下面には落下増加タンクを懸架するラックはない。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003392 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra.
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


高高度用の排気タービン過給機なしP-39C戦闘機の量産が決まり、1940年ドイツ空軍とイギリス本土で航空決戦中だったイギリスは、アメリカにイギリス直接購入委員会(British Direct Purchase Commission)を派遣しイギリス空軍用の戦闘機を探した。その結果、ベル・モデル14(Bell Model 14)、すなわちアメリカ陸軍航空隊P-39戦闘機 675機の輸出が決まった。

イギリス空軍は、航空機を命式番号ではなく、名前を付けていたから、P-39はカリブー"Caribou"と命名された。P-39輸出仕様カリブーは、1940年4月13日に公開された。直接購入とは、武器貸与法に基づかない支払いによる購入の意味である。カリブーの兵装は、イギリス軍式で、機首に.50口径12.7mm機関授銃2挺、左右主翼内部に各々.303口径機関銃2挺、合計4挺のほか、機首プロペラ軸を通して射撃可能な20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲1門(ドラム弾倉60発)である。

絵葉書写真(右)1940-1941年頃、イギリス、未舗装飛行場、雲形迷彩塗装を施したイギリス空軍ベル(Bell) P-39 /P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:プロペラスピナ―先端が窪んで銃口が開いているので、銃身が突出していない。写真に付された解説では、「最速の戦闘機で、最高速力400マイル以上、イギリスで就役した最も強力戦闘機。機関銃8挺を装備したうえに、37mmキャノンをプロペラ・ハブから射撃できる。」とある。
Bell : P-400: Airacobra Catalog #: 00003414 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y "(over 400 m.p.h.)... eight machine guns..." And we wonder why we need truth in advertising regulations... P-400 (export variant of the P-39).
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


イギリスでは、兵装なし、防御用装甲板なしの軽量化機体のXP-39 試作機の高性能を評価し、最高速力394 mph (634 km/h) +/- 4%、すなわち400マイルを当てにして輸入した。しかし、P-39量産機の性能は 371 mph (597 km/h)/高度14,090 ft (4,290 m)と低下していた。さらに、動翼の利きが悪く、安定性も悪かったため、形状を変更した。主翼の機関銃収納カバーも飛行中に変形したためにより厚みのあるアルミニウム板に変更された。降着装置の収納カバーも、高速飛行中に開放される傾向があったために、開閉の強度を向上させた。ラジエーター冷却器も排気が気球を乱したために、排気口を延長した。エンジン排気管もフェアリングを施し整形された。高鹿改造の結果、重量が増加したために、200ポンド(91kg)の重量軽減が図られ、総重量は7466ポンド(3387kg)以下とされた。

絵葉書写真(右)1941-1942年頃、イギリス、飛行中のイギリス空軍ベル(Bell) P-39 /P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の右側面:「ベル飛行機社」プロペラスピナ―から37mm機関砲の銃身は伸びていない。迷彩塗装が施されているが、機首の部分は下方が明るい色に塗り分けられている。
Bell P-39 Airacobra Mark I, AH576. PictionID:44535695 - Title:Bell P-39 Airacobra Mark I, AH576. - Catalog:15_003996 - Filename:15_003996.tif - - - Image from the Charles Daniels Photo Collection album: IWM/Duxford 84
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


こうした変更を加えた改良量産型 (AH 571)は、 試験飛行で391 mph (629 km/h) /14,400 ft (4,400 m)を発揮し、イギリスの出した条件を満たすことができた。ただし、この改良型の設計変更は、量産されてたイギリス空軍仕様P-39、すなわちP-400には採用されることなく終わっている。あたかもアメリカは、カーチスP-40の発展型のようなP-400と形式名称を付けたのである。

写真(右)1940-1943年頃、イギリス(?)、未舗装飛行場、雲形迷彩塗装を施した自由フランス空軍ベル(Bell) P-39 Qエアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白9:43172)左側面:胴体下面には落下増加タンクを懸架している。
Bell : P-400: Airacobra Catalog #: 00003410 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y One of the early production P-400s - identifiable by the high camouflage 'cheat line' on the nose...
写真は SmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


イギリス側の審査では、P-400の最高速力は 359 mph (578 km/h)に過ぎなかった。またイギリス空軍は、航空機を形式番号ではなく、名前を付けて命名していたから、1941年にP-400を「エアラコブラ"Airacobra"Mark I」と命名し購入た。1941年3月に、アメリカで武器貸与法が成立すると、イギリスはさらに150機のエアらコブラを追加購入することとしたが、実際は供給されずに終わった。エアラコブラの操縦席コックピットは、風防ガラスが外れないために、緊急脱出が困難であり、透明性も悪く視界不良とされた。さらに、機関銃の射撃発光、エンジン排気の発光が、操縦士を眩惑することも問題視された。

イギリス空軍では、エアラコブラを配備されたのは第601飛行隊だけで、1941年8月6日に最初の2機が引き渡された。10月9日には、4機のエアラコブラが、北フランスダンケルク近郊で舟艇を攻撃している。その後1941年後半の冬まで、エアラコブラの訓練は実施されたが、イギリス空軍ではエアラコブラは戦闘任務には不適切であるとして、1942年3月には、スピットファイアに機種転換されている。

写真(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊第80戦闘飛行隊"Headhunter" ベル(Bell) P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白W)機首右側面:7.62mm機関銃2挺の銃身が確認できる。P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)は、プロペラスピナ―先端に細長い20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)の銃身が突出しているので識別容易である。前縁主翼前縁に7.62mm機関銃2挺の銃身が確認できる。胴体下面に落下式増加燃料タンクを搭載している。
Bell : P-400 Airacobra Catalog #: 00003404 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y Pilot of the 80th Fighter Squadron "Headhunters" with his P-400.
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


イギリスに輸出できなくなったもののP-400/エアラコブラ戦闘機は。675機が生産された。兵装は、機首に.50口径12.7mm機関授銃2挺、左右主翼内部に各々.303口径機関銃2挺、合計4挺、機首プロペラ軸をとして射撃可能な20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)1門である。

写真(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊第80戦闘飛行隊"Headhunter" ベル(Bell) P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白W)機首右側面:7.62mm機関銃2挺の銃身が確認できる。プロペラスピナ―先端に細長い銃身が突出しているので、37mmM4機関砲ではなく、P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)特有の20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)である。いようだ。手前に7.62mm機関銃2挺の銃身が確認できる。胴体下面に落下式増加燃料タンクを搭載している。
Bell : P-400 Airacobra Catalog #: 00003404 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y Pilot of the 80th Fighter Squadron "Headhunters" with his P-400.
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


P-400/エアラコブラは、ソ連への武器貸与法に基づき貸与されることとなり、1941年12月、212機が貸与された。残る機体はP-400として、アメリカ陸軍航空隊が引き取ることとなった。なお、これらの機体は機首には、37 mm機関砲ではなく、発射速度の速い 20 mmM1機関砲(弾数60発)に換装されていた。 20 mmM1機関砲は、20 mmイスパノ・スイザ HS.404機関砲をアメリカでライセンス生産型の名称である。

写真絵葉書(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の機首右側面:フライングタイガーズのP-40戦闘機のシャークマウスを継承して、液冷エンジンの尖った機首側面下に描いている。プロペラスピナ―先端に原型のP-39の37mmM4機関砲ではなく、P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)の20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)の銃身が突出している。主翼に7.62mm機関銃の銃身が確認できる。
Bell : P-400 : Airacobra Catalog #: 00003407 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y P-400 (export variant of the P-39) of the 80th Fighter Squadron "Headhunters."
写真はSmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊第80戦闘飛行隊"Headhunter" ベル(Bell) P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の戦列:フライングタイガーズのP-40戦闘機のシャークマウスを継承して、液冷エンジンの尖った機首側面下に描いている。フライングタイガーズのP-40戦闘機のシャークマウスを継承して、液冷エンジンの尖った機首側面下に描いている。プロペラスピナ―先端にP-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)は、プロペラスピナ―先端に細長い20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)の銃身が突出しているの。
Bell : P-400 : Airacobra Catalog #: 00003406 Manufacturer: Bell Designation: P-400 Official Nickname: Airacobra Gerry Asher 11y Lineup of 80th Fighter Squadron "Headhunter" P-400s.
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真絵葉書(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白12)右側面:フライングタイガーズのP-40戦闘機のシャークマウスを継承して、液冷エンジンの尖った機首側面下に描いている。プロペラスピナ―先端に37mmM4機関砲から換装された20 mm ヒスパノ・スイザ(Hispano-Suiza)HS.404機関砲(ドラム弾倉60発)の長い銃身が突出している。主翼に7.62mm機関銃の銃身が確認できる。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003411 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942-1943年頃、オーストラリア(?)、未舗装飛行場、迷彩塗装を施したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白6)右側面:フライングタイガーズのP-40戦闘機のシャークマウスを継承して、液冷エンジンの尖った機首側面下に描いている。プロペラスピナ―先端に37mmM4機関砲の銃口が、主翼に7.62mm機関銃の銃身が確認できる。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003413 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1942-1943年頃、アメリカ、暗がりで、飛行中に機首・主翼の7挺を射撃しているアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:プロペラスピナ―先端に37mmM4機関砲の銃口が、機首に12・7mm機関銃2挺、主翼に7.62mm機関銃各2挺を発射し、曳光弾が火力の威力を示している。ただし、加工して作成した宣伝用写真の可能性がある。
Bell : P-39 : Airacobra Catalog #: 00003419 Manufacturer: Bell Designation: P-39 Official Nickname: Airacobra
写真はSmugMug+Flick San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1943年、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊第363戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39Q-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:チャールズ・エルウッド・イェーガー(Charles Elwood Yeager :1923-2020)の第363戦闘飛行隊の髑髏の部隊マークを描いている。
Real Silver Halide Photograph Bell P-39 Airacobra 363rd Fighter Squadron The Bell P-39 Airacobra was a front line fighter for much of WWII, with 9,584 built by August, 1944. This particular example is of the 363rd Fighter Squadron, Chuck Yeager's squadron. PHOTOGRAPHER / CREDIT: U.S. Air Force DATE: 1943
写真は Wikimedia Commons, 写真は ,The McMahan Photo Art Gallery & Archive Bell P-39 Airacobra 363rd Fighter Squadron Photo Print引用。


1943年11月にイギリスへ派遣された第363戦闘飛行隊のチャールズ・エルウッド・イェーガーCharles Elwood Yeager :1923-2020年12月7日)は、ノースアメリカンP-51ムスタング戦闘機パイロットとして戦闘に参加した。7回目の出撃となった1944年3月4日、初撃墜を記録したものの翌5日にフランス上空で撃墜された。しかし、フランス・レジスタンスに救助され、フランス南部ピレネー山脈を越えて、スペインに亡命した。その後、戦闘機パイロットに復帰した。チャールズ・エルウッド・イェーガーCharles Elwood Yeager)は、1944年10月12日、メッサーシュミット Bf109戦闘機を5機撃墜し、アメリカ軍初の "ace in a day" の称号を得た。

2−D.敵俘虜九千、遺屍三千 : 撃墜破541機、撃沈破37隻 : 陸軍綜合戦果 : 自十二月八日至同二十六日
大阪毎日新聞 Vol: 第 53巻 Page: 180 出版年 1942-01-01

大東亜新秩序建設の黎明は四海を大きく光被してわれらは皇国無窮の発展を約束する昭和十七年を迎えた、この日午前零時大本営陸軍部では大東亜戦争開戦の昨年十二月八日より二十六日にいたる十九日間の帝国陸軍部隊の赫々たる大戦果を左のごとく発表した、敵の遺棄死体は三千、捕虜は九千の多きに上っており、この輝く大戦果確立におけるわが方の尊き犠牲は戦死七百四十三名、戦傷一千七百九十九名で皇軍将兵の忠勇義烈に感謝感激せざるを得ない

大本営陸軍部発表(一日午前零時)帝国陸軍部隊は引続き各方面に兵力を増派し空陸緊密なる協同の下に随所に敵を粉砕進撃中にして全戦局はさらに一段の進展をみつつあり、開戦以来昭和十六年十二月二十六日までの綜合戦果左のごとし

一、鹵獲品 飛行機十六機、各種火砲(香港要塞砲を含まず)百六門、機関銃二百二十三挺、銃器四千百九十五挺、銃砲弾七万九千九百五十五発、戦車(装甲車輛を含む)七十六輛、自動車一千三百八十九輛、鉄道車輛三百一輛、各種器材、糧秣等多数、別に莫大なる燃料を鹵獲せり
二、撃墜(破) 爆撃機百三十五機、戦闘機四百六機、計五百四十一機
三、撃沈(破) 艦船大型三十三隻、小型四隻、計三十七隻
四、遺棄死体 約三千、俘虜約九千
五、わが軍の損害 戦死七百四十三名、戦傷一千七百九十九名、飛行機四十九機、船舶沈没四隻、損傷十二隻

なお香港要塞攻略の戦果に関しては二十六日までに判明せるもののみを掲げたるが調査完了の上は要塞砲、俘虜その他鹵獲品さらに増大する見込みなり (敵俘虜九千、遺屍三千 : 撃墜破541機、撃沈破37隻 : 陸軍綜合戦果 : 自十二月八日至同二十六日引用終わり)

写真(右)1942年7月27日、東部ニューギニア島南岸、ポートモレスビー(Port Moresby)基地、アメリカ陸軍航空隊第8戦闘飛行隊のベル(Bell)P-39D エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:機体の整備、燃料補給が行されている。オーストラリアが利用していたポートモレスビーに、1942年4月にアメリカ軍が上陸し、日本軍への防備を固めはじめた。その第一の手段が、飛行場の整備である。滑走路を舗装化し、その周囲に駐機場を作り、掩体壕も建設した。ここには、P-39のほかにも、P-40、P-47、P-38、B-25、B-17、A-20などが進出している。
U.S. Army Air Forces crewmen service Bell P-39D Airacobra fighters of the 8th Fighter Group at Seven Mile airfield, near Port Moresby, New Guinea, in July 1942. Date Taken on 27 July 1942 Source Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: 026062
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39 Airacobra File:P-39s being serviced at Port Moresby 1942.jpg引用。


原型のベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機は、初飛行1938年4月6日、生産数9,588機で、4,719機(49.2%)のP-39がソ連への貸与機である。

発展型のベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)は初飛行1942年12月7日、生産数3,303機で、2400機(72.7%)のP-63がソ連への貸与機である。

したがって、P-39とP-63の合計生産数1万2891機のうち、ソ連への貸与機は7119機と55.2%が、武器貸与法に基づいて、ソ連の軍事援助に充てられた。さらに、フランス軍にもP-63戦闘機300機を貸与している。したがって、ベル飛行機社は、アメリカ陸軍では需要が少なかったP-39、P-63戦闘機が大量生産し、武器貸与法によってソ連に輸出して、アメリカ政府からの支払いを受け膨大な収益を得たことになる。性能的に不十分とされた戦闘機をベル社が大量生産し、ソ連に輸出し儲けることができたのは僥倖だった。

写真(右)1942年後半、西太平洋、ソロモン諸島ガダルカナル(Makin)島、シャークマウスを描いたアメリカ陸軍航空隊第67戦闘航空団第46戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39 Q-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(22-):プロペラから長い銃身を突き出しているが、37mm機関砲ではなく20mm機関銃のようにも見える。主翼内部に7.62mmブローニング機関銃が収まっていて、銃身が1本出ている。主翼下面にはガンポッドはない。
A U.S. Army Air Forces Bell Airacobra (probably a P-400) of the 67th Fighter Squadron on Guadalcanal, in 1942. Date 1942 Source Official U.S. Marine Corps photograph USMC 61540 from the USMC University history division [1]. Author Cpl L.M. Ashman, U.S. Marine Corps Other versions National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 74237205.
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39Q Airacobra File:Bell Airacobra of the 67th Fighter Squadron on Guadalcanal, in 1942 (USMC 61540).jpg引用。


写真(右)1943年12月13日頃、西太平洋ギルバート諸島マキン(Makin)島、アメリカ陸軍航空隊第15戦闘航空団第46戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39Q-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19499)と列機:アメリカ軍が、タラワ・マキンを占領したばかりの写真だが、数週間で航空基地を整備した。
Description USAAF P-39Q Airacobra fighters of the 46th Fighter Squadron, 15th Fighter Group, on Makin Island in the Gilberts in December 1943, just weeks after U.S. Army forces had seized the island. The first aircraft visble is the P-39Q-1-BE s/n 42-19499. Date December 1943 Source National Museum of the USAF photo 050607-F-1234P-051 [1], also available at Hyperwar Author U.S. Army Air Force
写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39Q Airacobra  File:P-39Q Makin 1943.jpg引用。


写真(右)1943年12月13日、西太平洋ギルバート諸島マキン(Makin)島、アメリカ陸軍航空隊第15戦闘航空団第46戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39Q-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19474):アメリカ軍が、タラワ・マキンを占領したばかりの撮影になる。
A U.S. Army Air Forces Bell P-39Q-1-BE Airacobra (s/n 42-19474) of the 46th Fighter Squadron, 15th Fighter Group, taking off from Makin Island in the Gilberts, 13 December 1943, just weeks after U.S. Army forces had seized the island. Date 13 December 1943 Source U.S. Air Force photo in Ernie McDowell P-39 Airacobra in Action. Squadron/Signal publications, Carrollton, Texas (USA), 1980, p. 3. ISBN 0-89747-102-4 Author USAF
写真は Wikimedia Commons, 写真は Wikimedia Commons,Category:Bell P-39Q Airacobra File:P-39Q of 46th FS taking off from Makin 1943.jpg引用。


写真(右)1944年5月28日、ニューギニア島、迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊第8偵察飛行隊ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の戦列:機首に白帯、スピナー前半白色塗装、尾翼白色と目立つ塗装だが、制空権を掌握している時期なので、味方撃ちを警戒していたようだ。長距離飛行用に胴体下面に落下式増加タンクを懸架している。
Bell , P-39, Airacobra Catalog #: 01_00090387 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airacobra Designation: P-39 Notes: USA Tags: Bell , P-39, Airacobra, USA
写真は , SDASM Archives 引用。


1942年5月、日本海軍は東部ニューギニアからソロモン諸島までの要衝攻略を企図して、MO作戦として、まずガダルカナル島の近くツラギ島を占領し、ついで東部ニューギニア南岸ポートモレスビー攻略のために上陸部隊と空母機動部隊を派遣した。それをアメリカ海軍の空母任務部隊が迎撃し、珊瑚海海戦が起こった。これは、日米空母の艦載機同士の遠隔戦闘だが、日米ともに空母1隻、駆逐艦1隻を失い、引き分けに終わった。しかし、日本軍のポートモレスビー攻略の企図は砕かれた。

 そこで、日本陸軍は、1942年7月に東部ニューギニア島北岸からオーエンスタンレー山脈(海抜最高4,000メートル)を越えて歩兵部隊を行軍させ、南岸のポートモレスビーを攻略するポートモレスビー作戦(レ作戦)を決定し、8月にブナから進撃を開始した。基幹は、第17軍(司令官百武晴吉中将)隷下の第18軍(司令官安達二十三中将)の南海支隊他である。しかし、山越えの突進攻撃によっても、ポートモレスビー攻略はできず、第18軍は撤退せざるを得なかった。

写真(右)2009年6月、アメリカ、.50口径12.7mm機銃弾を機首と主翼に装弾している1943年製造アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q-15-BEエアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-2433:Construction Number:26E-433)"黄98"再現写真:胴体下面に落下式増加タンクの取り付け懸架ラックが見える。1943年頃の再現写真で、この機体は、現在、ワシントンD.C.、スミソニアン航空宇宙博物館(Smithsonian, National Air and Space Museum: Paul Garber Facility)に保管されている。
Created by Mark Avino Smithsonian National Air and Space Museum Date Created 06/03/2009 Source Smithsonian National Air and Space Museum
写真は、National Air and Space Museum引用。


2−E.延長された米の武器貸与法 : 世界支配への手段 : 純予算のみでも百八十四億ドル
大阪朝日新聞 Vol: 第158巻 Page: 109 出版年 1943-03-17

一九四〇年末三選直後のルーズヴェルト[Franklin oosevelt]は股肱の臣ハリー・ホプキンス[Harry Hopkins]を伴い、逐鹿戦の骨休みをかねて巡洋艦タスカルーザでカリブ海巡航の旅に出た、当時敗戦つづきの英国は独軍の連続爆撃に気息奄々たる有様で、その在米資金もいよいよ逼迫を告げ、このまま放置すれは屈服以外に途はないかと思われた、

しかるに米国にはかの[1935年]中立法[Neutrality Act]や戦債未払国への金融を禁止する[1935年]ジョンソン法[Neutrality Act]があって十分の対英援助ができない、そこでルーズヴェルトらがこのタスカルーザ艦上で思いついたのはこれら既存の法に煩わされることのない全然新しい形式の対英援助計画で、右は武器貸与法案[Lend-Lease Act](正式の名称は米国国防促進法案)として翌四一年一月議会に提出され、三月十一日正式に採択された、かくて制定された武器貸与法[Lend-Lease Act]はここに成立第三年を迎えたわけだが、あたかもその二周年記念日にあたる去る十一日同法は有効期限の切れ来る六月末日よりさらに向う一ヶ年間その効力を延長されたのである

エアコブラ この武器貸与法[Lend-Lease Act]なるものはその条文にも明記されているようにある国家の国防が米国自身の国防上重大なりと認められた場合該国家に対し軍需品その他国防物資を売却、貸与または賃貸し得る権限を大統領に与えたもので、表面は米国の国防強化を目的としたものだが、その魂胆は

(一)米国の参戦をできるだけ延期すること
(二)民主主義国家群の戦争指導櫃を掌握すること
(三)戦後の発言権を増大し世界制覇の非望を達成すること

の三点にあった

すなわちルーズヴェルト[Franklin Roosevelt]は老獪にも「民主主義の兵器廠[Arsenal Of Democracy]」たる役目を引受けることにより、自らの参戦はこれをできるだけ延ばし、あわよくば全然参戦せず、しかも実質的には参戦同様の効果を収めんとたくらんだが、しかし自らも戦争の渦中に身を投ぜざるを得なくなってしまった、

ソ連 しかし武器貸与法[Lend-Lease Act]の真の狙いは米国自身の参戦如何にかかわらず英ソ蒋以下の反枢軸諸国を援助督励することにより、これら各国の犠牲において枢軸国の戦力を消耗せしめ、同時に如何に平身低頭しても米国の援助にすがらざるを伝ない反枢軸国家群の窮状につけこみ、これら諸国をして援助の代償として米国の戦争指導権を承認せしめるはかりでなく、戦後においてもまったく米国の勢力下に屈従せざるを得ない立場に追いこみ、もって世界支配の夢を実現せんとするにある、ここに武器貸与法の驚くべき老獪かつ巧妙なるたくらみがある

しかして英国以下の被援助国はこの米国の遠望を知悉し米国の情にすがることは自らの墓穴を掘るにひとしいことを十二分に承知していながらなお背に腹はかえられず、泣訴これ努めているわけである

ソ連赤軍 武器貸与[Lend-Lease]予算として現在まで米国議会によって承認された総額は百八十四億一千万ドルに上り、このほか陸海軍関係予算として計上され武器貸与費に流用し得る予算額は実に三百五十九億七千万ドルに達する、

しかるに武器貸与局長官ステッチニアスの発表によれは同法実施以来昨年末までの援助実績は八十二億五千万ドルにすぎず、そのうち七十九%、すなわち六十五億四千万ドルが物資貸与分であるが、食料品が十億四千万ドルを占めている、

然して昨年度においてアメリカが生産した飛行機ならびに戦車の三分一までが反枢軸諸国に供給されアメリカ軍需工場における同年の全生産額の二割弱が貸与物資として海外に輸送されたとつたえられる、

これを金額にして国別にして見れは(単位百万ドル)
対英 三、九五九
対ソ 一、五三二
対蒋 一五六
となっている、

ソ連に対する補給額は
飛行機 三六〇〇機
戦車 三二〇〇台
トラック大砲牽引車 八一、〇〇〇台
を含むものであり、飛行機戦車供給の数量はほかのいかなる国に対するよりも多いといわれる、もっていかにアメリカがソ連の御機嫌を取ろうとしているかが窺われる

 なお対蒋援助は上掲の数字が示すごとくきわめて微々たるもので、しかも武器貸与局支那課長フランクリン・レイの言明によれば重慶向貸与物資の五十%は輸送不能のため目下インドに放置されたままになっている、アメリカとしてもつぎつぎとワシントンに乗込んできて援助増加を泣訴する蒋の代表を御馳走政策で機嫌をとり口でなだめて帰す以外今のところうつ手があるまい (延長された米の武器貸与法 : 世界支配への手段 : 純予算のみでも百八十四億ドル引用終わり)

写真(右)1943-1944年、アメリカ、アラスカ、ノーム、武器貸与法に基づいてソ連に移送中のベル(Bell)P-39L-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-4961)の左側面:プロペラから長い37mm機関砲の銃身を突き出している。37mm機関砲を射撃すると銃身は反動で後退するが、駐退機の作用で、後座した銃身は元の位置に戻る。手前の左主翼に7.62mm機関銃の銃身2本が出ている。
A Bell P-39L-1-BE Airacobra (USAAF s/n 42-4673?) at Nome, Alaska (USA), in 1943-44. The red Soviet stars under the wings identify this as a lend-lease aircraft ferried to the USSR via Alaska. Date between 1943 and 1944..Author USAAF
写真は Wikimedia Commons, Category:42-4673 (aircraft) File:P39 Nome Alaska LOC fsa 8e02409.jpg引用。


写真(右)1945年3月5日、アメリカ、オハイオ州クリーブランド、航空諮問委員会(National Advisory Committee for Aeronautics)の航空技術実験センター(Aircraft Engine Research Laboratory)で氷結風洞で実験中のアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の機首左側:発動機アリソン(Allison)V-1710 液冷12気筒エンジン (28.032 L)(離昇1,150馬力)、3翅定速回転プロペラ、コックピット操縦席・ガラス風防などの氷結実験のようだ。風洞内に設置するするために、邪魔になる主翼は外されている。
NASA on The Commons
Description (March 5, 1945) These ice formations on the propeller and fuselage surfaces of a test unit installed in the Icing Research Tunnel at the Aircraft Engine Research Laboratory of the National Advisory Committee for Aeronautics, Cleveland, Ohio, now known as John H. Glenn Research Center at Lewis Field, show what may happen to an airplane in flight under certain atmospheric conditions. Ice degrades the performance of an aircraft in flight and can cause loss of control.
NASA Media Usage Guidelines Credit: NASA Image Number: Date: March 5, 1945
写真は NASA on The Commons 引用。



2−F.アリューシャン群島中心に米海軍の大演習 : 明春挙行する計画 : 米国民の関心頓に深まる
大阪毎日新聞 Vol: 第 33巻 Page: 15 出版年 1934-07-20

 ニューヨーク本社特電【十八日発】十八日ユニヴァーサル通信社のワシントン電報によると米国海軍は明春太平洋における大演習の予定を変更しアリューシャン群島を中心とする演習計画を考慮中であるということである、しかして今回の海軍飛行機十二機の北太平洋編隊飛行および潜水艦六隻の北行もその準備と見られるが、海軍問題に対する米国民の関心はとみに尖鋭化し十八日の米国連合通信社のワシントンからの報道はロンドンへ赴くわが岩下大佐の訪米を重要視して同大佐とデヴィス軍縮代表との会見を予想し、これが日本の対英米交渉の第一歩だとし、さらにユニヴァーサル社ロンドン電報はマクドナルド[James MacDonald]英首相は静養のためカナダへ行くと称し実にルーズヴェルト[Franklin Roosevelt]米大統領と海軍問題の直接談判を試みるのであろうと伝え、ニューヨークの各夕刊紙はいずれもこれを特筆している

 ワシントン本社特電【十九日発】確聞するところによれば米国海軍当局は艦隊をして属領地の近海の状態に通じさせる方針のもとに明春の海軍大演習をアラスカ近海で行うことを考慮中であると伝えらる、これと同時にアリューシャン群島の東端にあるダッチ・ハーバーに海軍根拠地を設置せんとする計画も云々されている、殊に二十日ワシントン発の陸軍重爆撃機十機がダッチ・ハーバーを目的地としている点から見るもこの計画はあながち単なる臆測に止まらない、さらに消息通の間では目下太平洋岸に沿うて北行中の海軍偵察機十二機および潜水艦数隻がダッチ・ハーバーへ向うことはアラスカ近海における海軍大演習の準備工作であると解している

 もちろん米国は[1922年]ワシントン海軍条約で比島、グワムおよびアリューシャン群島に海軍根拠地を新設することは禁じられているが若し明年の海軍[軍備制限]会議が失敗に終りワシントン条約が破棄される場合は米国政府はまずダッチ・ハーバーに新根拠地を増設しようと深く考慮しているらしい [写真(米海軍根拠地設置を伝えられるダッチ・ハーバー)あり 省略](アリューシャン群島中心に米海軍の大演習 : 明春挙行する計画 : 米国民の関心頓に深まる引用終わり)

写真(右)1943-1944年、アメリカ、アラスカ、ノーム、武器貸与法に基づいてソ連に移送中のベル(Bell)P-39L-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-4673)の左側面:雪の中に埋まっているが、胴体と主翼には保護カバーがかけられている。左主翼に7.62mm機関銃の銃身2本、速度計測ピトー管が出ている。
A blanketed Bell P-39N Airacobra (USAAF s/n 42-4961) at Nome, Alaska (USA), in 1943-44. The red Soviet stars under the wings identify this as a lend-lease aircraft ferried to the USSR via Alaska. Note the belly tank. Date between 1943 and 1944 Source United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e02408..Author USAAF
写真は Wikimedia Commons, Category:World War II Lend-Lease aircraft File:P-39N Nome Alaska 1943-44.jpg引用。


写真(右)1943−1944年、アメリカ、アラスカ準州、ノーム(Nome)、武器貸与法に基づいてソ連に移送途上に飛行場で事故を起こしたベル(Bell)P-39L-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-2?)後方:左右主翼のザップ・フラップが開放状態で事故を起こしているので、着陸時の事故かもしれない。操縦士はキャビンの右ドアから脱出したようだが、P-39はキャビンの左右両側に出入り用のドアを設けている。
A crashed Bell P-39Q-5-BE Airacobra (USAAF s/n 42-2????) at Nome, Alaska (USA), in 1943-44. The red Soviet stars under the wings identify this as a lend-lease aircraft ferried to the USSR via Alaska. Note the ruptured belly tank. United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e02406
写真は Wikimedia Commons, Category:World War II Lend-Lease aircraft File:P39 Nome Alaska LOC fsa 8e02409.jpg引用。


写真(右)1941年7月以降、アメリカあるいはソ連、ソ連に貸与されたベル(Bell)P-39M エアコブラ戦闘機(24725)の右側面:発動機を胴体中央に置いて、延長軸で3翅プロペラを廻した。三輪式降着装置を採用した。胴体下面に増加燃料タンクを懸架している。国籍マークは白丸赤星のソ連の国籍マークだが、縁取りはされていない。
Bell P-39M Title: Bell P-39M Catalog #: 15_000999 ADDITIONAL INFORMATION: 24725 Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Page #: 63 Tags: Bell P-39M, 24725 .
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive  引用。


アメリカ軍の国籍マーク変遷
アメリカ 第二次世界大戦初期・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

イギリス ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機は、大口径機関砲による地上襲撃能力の高さと、低い飛行性能が相まって、武器貸与法Lend-Lease Act)に基づくソビエト連邦への軍事援助に回された。ベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)戦闘機は、生産数9,588機の49.2%、4,719機がソ連への貸与機である。発展型ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)は、生産数3,303機(3305機)の72.7%(74.3%)の2400機(2456機)、2400機(2456機)がソ連への貸与機である。

ソ連 武器貸与法Lend-Lease Act)を全会一致で可決し、1941年6月の独ソ戦勃発以降、ベルP-39を4719機(4773機)、ベル(Bell)P-63キングコブラ(Kingcobra)を2400機(2456機)をソ連に貸与した。したがって、P-39とP-63の生産数合計1万2891機(1万2889機)のうち、55.2%(56.1%)をソビエト連邦に貸与したことになる。このほか、自由フランス軍へも300機(生産数の9.1%相当)のP-63が貸与されている。

ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)は、は合計して1万2891機(1万2889機)が生産されたが、その55.2%(56.1%)はソビエト連邦への貸与機である。また、ソ連のほかイギリス、フランスにも貸与されたから、P-39/P-63は、アメリカ陸軍航空隊が使用した機数・配備数よりも、外国支援の貸与機としての生産・配備のほうが多い。


図(上)1944年秋、ソビエト連邦、ソ連空軍第508戦闘飛行隊のベル(Bell) P-39 Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白21)
:アメリカが反枢軸国のソ連に2400機ものP-63戦闘機を武器貸与法で貸与した。機首のM4ブローニング37mm機関砲は地上攻撃に威力を発揮したといわれている。
English: Bell P-39Q Airacobra of the 508th Fighter Air Regiment of the Soviet Air Force, Autumn 1944 Čeština: Bell P-39Q Airacobra od 508. stíhacího leteckého pluku sovětského letectva, podzim 1944 Source Martin Čížek Author Martin Čížek
写真は Wikimedia Commons Category:P-39 Airacobra drawings File:P-39Q Cepinoga.jpg引用。


アメリカのベル飛行機社は武器貸与法Lend-Lease Act)に支えられて、アメリカ政府からP-39とベル(Bell)ベルP-39(Airacobra)の代金を得て、準一流(二流?)戦闘機1万2591機を大量生産し、ビジネス利得をあげた。


写真(上)2006年6月15日、フィンランド、ティッカコスキ、フィンランド中央航空博物館、フィンランド軍が継承戦争でソ連軍から鹵獲したソ連空軍ベル(Bell) P-39 Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白26)
:アメリカが反枢軸国のソ連に武器貸与法で貸与したP-39戦闘機を、ソ連空軍が対フィンランド戦に投入した。しかし、撃墜されフィンランド軍に鹵獲された。その時のオリジナルの塗装に戻して展示されている。手前には、M4ブローニング37mm機関砲が外されて展示してある。
English: P-39Q Airacobra in The Aviation Museum of Central Finland in Tikkakoski, Jyväskylän maalaiskunta, Finland. Restored P-39Q Airacobra, "White 26", on static display. The aircraft is originally a Soviet lend-lease plane, shot down and captured by Finnish troops in World War Two. It has been restored in the original wartime camouflage and markings. Date 15 June 2006 Source Own work Author Bergfalke2
写真は Wikimedia Commons Category:44-2664 (aircraft) File:P-39 Airacobra 2006-06-15.jpg引用。


写真(右)2012年3月、アメリカ、カリフォルニア州チノ、ヤンクス航空博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-8740)の左側面:機首の37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が太く出ている。この機体は1942年に生産され、ニューギニア北岸開いたアイタぺ近くタジ飛行場に放置されていた機体を9年がかりで修繕し2002年3月に完全に復元した。
Built 1942. Full US military serial 42-8740. Recovered from an abandoned landing strip in Tadji, New Guinea. The nine year restoration of this aircraft was completed March 2002. On display in Hangar 3 at the Yanks Air Museum, Chino, California, USA. 28-2-2016. Date 28 February 2016, 10:03 Source Bell P-39N Airacobra ‘28740’ (N81575) Author Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK
写真はWikimedia Commons, 、Category:Bell aircraft at Yanks Air Museum File:Bell P-39N Airacobra ‘28740’ (N81575) (26054857531).jpg引用。


写真(右)2007年4月、アメリカ、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(白31:42-8740)の左側面:機首に37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲の銃口が太く出ている。この機体は1942年に生産され、ニューギニア北岸、アイタぺ近くタジ飛行場に放置されていた機体。操縦席脇に、日本機3機の撃墜マークが掛かれている。
Description: DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) Date 25 April 2007 (original upload date) Source www.nationalmuseum.af.mil/shared/media/photodb/photos/050215-F-1234P-062.jpg. Transferred from en.wikipedia to Commons by Alaniaris. Author The original uploader was Signaleer
写真はWikimedia Commons, 、Category:Bell aircraft at Yanks Air Museum File:Bell P-39Q Airacobra USAF.jpg引用。


写真(右)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、1942年11月までアラスカ準州アリューシャン列島アダックに配備された第57戦闘飛行隊を復元したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)の左側面:この機体は、現地部隊が配備していたP-39Qだったので、37mm M4機関砲を搭載していた。しかし、展示ではP-39Qより古い形式のP-39Dの塗装としており、20 mm M1 機関砲を装備しているように修正された長い銃身を取り付けている。この仮想上の展示はインパクトはあるが、実機の戦歴を正確に表しているとは言えない。手前は、F-1Aヒーター(Type F-1A Utility Heater)でエンジンの暖機運転をしている想定で展示されている。
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) The P-39 was one of America's first-line pursuit planes in December 1941. It made its initial flight in April 1939 at Wright Field, Ohio, and by the time of the Pearl Harbor attack, nearly 600 had been built. Its unique engine location behind the cockpit caused some pilot concern at first, but experience showed that this was no more of a hazard in a crash landing than with an engine located forward of the cockpit. The P-39's spin characteristics, however, could be a problem if proper recovery techniques were ignored. .
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。


アラスカのような寒冷地で航空機を運用するにはs、厳寒対策が必要である。アメリカ軍は、第二次大戦中、ハーマン・ネルソン社(Herman Nelsen Corp.)が開発した運搬可能なF-1AヒーターType F-1A Utility Heater)を飛行機のエンジン暖気運転に導入した。これは、ガソリン駆動で暖気を航空機、特にエンジンに送風し、エンジンを駆動しやすくするためである, また、F-1AヒーターType F-1A Utility Heater)は、操縦席、整備員のテントなどの暖房にも使用された。

写真(右)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)の左側面とエンジンやコックピットを温めるF-1Aヒーター(Type F-1A Utility Heater):このP-39Qは、1966年にカリフォルニア州のハードウィック社(Hardwick Aircraft Co)から購入されたが、ジオラマ展示の見世物として、本来のP-39Qの経歴ではなく、1942年11月までアラスカ準州アリューシャン列島アダックに配備された第57戦闘飛行隊レスリー・スプーツ(Leslie Spoonts)中尉搭乗のP-39Dの塗装を施している。
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) Fighting the Japanese in Alaska From September to November 1942 pilots of the 57th Fighter Squadron flew P-39s and P-38s from an airfield built on land bulldozed into Kuluk Bay on the barren island of Adak in Alaska's Aleutian Islands. They attacked the Japanese forces which had invaded Attu and Kiska islands in the Aleutians in June 1942. The number one foe that claimed the most lives, however, was not the Japanese but the weather. The low clouds, mist, fog, driving rain, snow and high winds made flying dangerous and lives miserable. The 57th remained in Alaska until November 1942 and then returned to the United States. Wartime Service The Airacobra saw combat throughout the world, particularly in the Southwest Pacific, Mediterranean and Russian theaters. Because its engine was not equipped with a supercharger, the P-39 performed best below 17,000 feet altitude. It often was used at lower altitudes for such missions as ground strafing. When P-39 production ended in August 1944, Bell had built 9,584 Airacobras, of which 4,773 were sent to the Soviet Union through lend-lease. Russian pilots appreciated the cannon-armed P-39 for its ground attack capability. Other P-39s served with Free French and British forces.
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。



写真(上)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、1942年11月までアラスカ準州アリューシャン列島アダックに配備された第57戦闘飛行隊を復元したアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)と同機に搭載されていた37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲
(左手前):
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo) The Museum's Aircraft This P-39Q is painted as a P-39D flown by Lt. Leslie Spoonts of the 57th Fighter Squadron on Adak Island during the Aleutians Campaign. The P-39Q on display was obtained by the Air Force Museum Foundation from Hardwick Aircraft Co., El Monte, Calif., in 1966. TECHNICAL NOTES: Armament: One 37mm cannon firing through the propeller hub, two .50-cal. machine guns in the nose, two .50-cal. machine guns in packets under the wing, 500 lbs. of bombs externally Engine: Allison V-1710 of 1,200 hp Maximum speed: 376 mph Cruising speed: 250 mph Range: 650 miles Ceiling: 35,000 ft. Span: 34 ft. Length: 30 ft. 2 in. Height: 12 ft. 5 in. Weight: 7,570 lbs. normal load Cost: $46,000 Serial number: 44-3887.
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。


写真(右)2015年頃、アメリカ、ワシントンD.C.、スミソニアン航空宇宙博物館(Smithsonian, National Air and Space Museum: Paul Garber Facility)、1943年製造アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q-15-BEエアラコブラ(Airacobra)戦闘機戦闘機(44-2433:Construction Number:26E-433)"Galloping Gertie"コックピット操縦席周囲のガラス風防、計器盤、操縦桿、左右両側の搭乗者用開閉ドア
Bell P-39Q-15-BE Airacobra "Galloping Gertie".When the U. S. Army Air Corps issued specification No. X-609 in March 1937, Robert J. Woods, chief engineer at the Bell Aircraft Corporation, was ready. Two months later, Woods proposed the Bell Model 4 to meet this specification for a highly-maneuverable fighter airplane with good visibility, heavy firepower, exceptional takeoff and landing qualities, and better ground-handling than existing types. The AAC was impressed enough to award Bell a contract for a single prototype, designated XP-39, on October 7, 1937, and the P-39 was born.Date 1943 Country of Origin United States of America Type CRAFT-Aircraft Manufacturer Bell Aircraft Corp. Physical Description Mid engine fighter. Weight: Empty, 2,540 kg (5,645 lb) Gross, 3,735 kg (8,300 lb) Engine: Allison V-1710-85, liquid-cooled V-12, 900 kw (1,200 horsepower) Dimensions Overall: 375 × 921 × 1036.3cm, 2425.4kg (12 ft. 3 5/8 in. × 30 ft. 2 5/8 in. × 34 ft., 5347lb.) (estimated based on Wikipedia "general characteristics") Inventory Number A19560019000 Credit Line Donated by Mrs. Arthur Pfister. Data Source National Air and Space Museum
写真はOfficial United States Air Force Website、National Air and Space Museum引用。


写真(右)2012年3月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)コックピット操縦席計器盤と操縦桿
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo).
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。


ベル(Bell)P-39エアラコブラ(Airacobra)の37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲とそのベルト弾倉は機首に搭載され、ギヤボックスの後ろから、プロペラ軸を通してスピナ―先端の銃口から射撃する。エンジンのプロペラ軸ハブは、ギヤボックスを通じてプロペラを回転する。したがって、Bf109Fは、操縦席下面に20mmMG151機関銃を設置しエンジンの中央のプロペラ軸から射撃するが、P-39は計器盤の奥の機首に機関砲が搭載されている。

ベル(Bell)P-39エアラコブラ(Airacobra)が機首に搭載した37mmM4ブローニング機関砲を射撃すると、反動でプロペラ先端の銃身が後退するが、後座した銃身は、駐退機の働きで直ちに元の位置に戻る。

写真(右)2012年3月、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)に搭載されていた37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲とそのベルト弾倉
English: 37mm T9 cannon in P-39 and P-63 Date 31 March 2012, 21:45:48 Source Own work Author Moriahsound
写真はWikimedia Commons, 、Category:M4 cannon File:37mm T9 cannon.jpg引用。


37 mm 自動砲(Automatic Gun)として開発された, M4機関砲は, コルトの設立したブローニング社(Browning Arms Company)が当初、T9と名付けて開発していた口径37 mm (1.46 インチ)の反動利用の自動砲で、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)の機首に搭載された。

37mm M4ブローニング(Browning)機関砲が部隊配備されたのは1942年からで、銃口初速(muzzle velocity)2,000 ft/s (610 m/s) は遅いが、発射速度は毎分 150発で大口径機関砲にして速いので、航空機用機関砲としては上出来である。弾薬は、HE弾(high-explosive shell)、すなわち高性能爆薬装填の榴弾が中心であるが、M80徹甲弾(armor-piercing shell)も射撃可能である。

写真(右)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)に搭載されていた37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲とそのベルト弾倉
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。


ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)の大口径37mm M4ブローニング(Browning)機関砲のM80徹甲弾の貫通力は、射撃距離500ヤード(460 m)で 1 インチ(inch:25.4 mm)である。中戦車の車体上面・砲塔上面の装甲は20mm以下なので、命中角度が直角に近ければ十分に貫通できるが、M80徹甲弾を低空射撃で戦車の上面に命中させても、命中角度が45度以下と浅くなり、威力は半減して貫通できない場合もあると思われる。

写真(右)2015年頃、アメリカ、オハイオ州デイトン、アメリカ空軍博物館、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(44-3887)に搭載されていた37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲とそのベルト弾倉:ブローニングの開発した コルト社がこの機関砲を量産し、1942年に投入された。この兵器はP-39エアラコブラおよびP-63キングコブラに搭載されている。。
DAYTON, Ohio -- Bell P-39Q Airacobra in the World War II Gallery at the National Museum of the United States Air Force. (U.S. Air Force photo)
写真はOfficial United States Air Force Website、National Museum of the USAF Bell P-39Q Airacobra引用。


ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)が機首に装備した37mm M4ブローニング(Browning)機関砲の弾道(drooping trajectory)で、重量のある弾丸を低初速で発射するために、弾道が直進的ではなく、放物線上に落下する傾向があった。そのため、射撃照準をしても、遠距離になれば37mm M4ブローニング(Browning)機関砲の命中率は低くなることになる。

37mmM4機関砲の諸元
総重量 213lbs (96.6kg)
砲身重量 55lbs (24.9kg)
全長 89.5in (2,273mm)
砲身長 65in (1,651mm)
弾薬 37x145mmR
弾頭重量
HE(High Explosive:榴弾):1.34lbs (608g)
AP(Armor-piercing:徹甲弾):1.66lbs (753g)
弾薬総重量
HE:1.98lbs (898g)
AP:2.29lbs (1,039g)
銃口初速 HE:2,000fps (610m/s)
AP:1,825fps (556m/秒)
発射速度 150発/分

図(右)アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39K-1 と P-39L-1 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の構造図:(上図)1.プロペラ減速機ギアボックス・潤滑油タンク、3.37mm弾薬弾倉、4..50口径12,7mm機関銃、7..30口径7.62mm機関銃、10.冷却器ラジエーター、12.オイルタンク、14.無線ラジオ
(下図)16.地図収納庫、17.バッテリー、18.救急箱、20.潤滑油温度調整器、21.37ミリ機関砲、22.酸素ボンベ
English: P-39K-1 and P-39L-1: General arrangement, right and left sides Date 12 April 1944 Source "Pilot's flight operating instructions for army models P-39K-1 and P-39L-1airplanes", p. 5 (PDF) Author United States Army Air Forces
写真はWikimedia Commons., Category:P-39 Airacobra drawings File:Bell P-39K-L internal.png引用。


P-39K-1:ベル・モデル(Bell Model)26A、アエロプロダクト社(Aeroproducts)の3翅プロペラを装備、 発動機はアリソン V-1710-63 (E6)液冷エンジン 1,325 hp (988 kW)搭載、 210 機生産。

P-39L-1:ベル・モデル(Bell Model)26B、P-39Kにカーチス・エレクトリック社(Curtiss Electric)の3翅プロペラを装備(重量増加)、250機生産。

P-39K-2 と P-39L-2は、各々の地上襲撃・偵察仕様。

P-39M-1:ベル・モデル(Bell Model) 26D、アエロプロダクト社の直径 11 ft 1 in (3.38 m)3翅プロペラを装備、発動機は, アリソン V-1710-83 液冷エンジン1,200 hp (890 kW)で高高度性能向上型、P-39Lに比して10 mph (16 km/h) /高度15,000 ft (4,600 m)速力向上。 240 機生産。

図(右)アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39 D エアラコブラ(Airacobra)戦闘機の三面図
Description English: Bell P-39D Airacobra fighter Date 25 January 2012 Source Own work Author Kaboldy
写真はWikimedia Commons., Category:P-39 Airacobra drawings File:Bell P-39D Airacobra 3-view line drawing.svg引用。


ベル(Bell)P-39 D エアラコブラ(Airacobra)諸元
全幅 10.36m
全長 9.21m
全高 3.6m
翼面積: 19.8m²
空虚重量: 2,853kg
全備重量: 3,465kg
燃料容積: 1,937 L
エンジン: アリソンV-1710-35液冷12気筒エンジン(離昇1,150馬力)
プロペラ: 3翅定速回転プロペラ
最高速力: 579km/h(高度4,600m)
実用上昇限度: 14,400 m
上昇力 5,000mまで6分24秒
航続距離  1,770km
兵装 プロペラ軸内 M4ブローニング(Browning)37mm 機関砲1門(携行弾数15発)
機首 M2ブローニング12.7mm機関銃2挺(携行弾数各200発)
左右主翼 ブローニング 7.62mm機関銃4挺(携行弾数各500発)

カラー写真(右)2006年頃、イギリス、ロンドン北100キロ、ダックスフォード航空ショー、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q-5-BE エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19993):機首搭載の37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲、胴体側面エンジンのカバーを外しており、37mm弾薬のベルト弾倉、エンジンの単排気管が明瞭に分かる。
Bell P-39Q-5-BE (42-19993) Airacobra (The Fighter Collection) with weapons and engine bay open, Duxford Airshow 2006 Date 8 July 2006 Source Own work Author Kogo Permission (Reusing this file) GFDL
写真はWikimedia Commons, Category:N793QG (aircraft) File:P-39Q Airacobra interieur.jpg引用。


カラー写真(右)2006年頃、イギリス、ロンドン北100キロ、ダックスフォード航空ショー、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q-5-BE エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19993)の機首搭載の37ミリM4ブローニング(Browning)機関砲:37mm弾薬のベルト弾倉、酸素ボンベ、機首12.7mm機関銃の銃口、パイロット操縦席扉、開閉式三角窓が明瞭に分かる。
Bell P-39Q-5-BE (42-19993) Airacobra (The Fighter Collection) weapons bay open Date 8 July 2006 Source Own work Author Kogo Permission (Reusing this file) GFDL
写真はWikimedia Commons, Category:N793QG (aircraft) File:P-39Q Airacobra weapons bay.jpg引用。


カラー写真(右)2006年頃、イギリス、ロンドン北100キロ、ダックスフォード航空ショー、アメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-39Q-5-BE エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(42-19993)のアリソンV-1710-85 液冷12気筒エンジン(排気量 28.03 L)1,200 hp (890 kW)の左側面:シリンダー直径 5.5 in (139.7 mm)、行程ストローク 6 in (152.4 mm)、全長 98.53 in (2,502 mm)、 全幅 29.28 in (744 mm)、全高 41.18 in (1,046 mm)、重量 1,445 lb (655 kg)。短排気管が6本並んでいるが、これは片側の気筒シリンダー数と同じである。
Bell P-39Q-5-BE (42-19993) Airacobra (The Fighter Collection) engine bay open Date 8 July 2006 Source Own work Author Kogo Permission (Reusing this file) GFDL
写真はWikimedia Commons, Category:N793QG (aircraft) File:P-39Q Airacobra engine bay.jpg引用。





P-39 Airacobra Guns In Action: 2015/06/01 #P39 #Airailimages From great World War II AAF film outtakes, watch the big 37mm cannon in the nose of two P-39s as it fires and recoils. An early four-gun .30-caliber machine gun nose set-up is also seen on one of the Airacobras.


P-39 Airacobra Assembly Overseas in World War II: 2012/06/21 Many Bell P-39 Airacobra fighters were sent by ship to the Pacific, crated in major assemblies that could be put together in the field.


Bell P-39 Airacobra fighter pilots have air to ground target practice 1941 : 2012/08/21 #AIRBOYD #AvGeek U.S. Army Fliers Show Accuracy In Target Firing


BELL P-39 AIRACOBRA 37mm BROWNING M4 CANNON TRAINING FILM "MALFUNCTIONS" AUTOCANNON 17154 PeriscopeFilm: 2020/10/12 Want to support this channel and help us preserve old films? Visit https://www.patreon.com/PeriscopeFilm This is a restricted, 1943, black and white Official Training Film presented by the United States War Department, training film TF- 9.2041. It was one of a series made by the Army Service Forces, Signal Corps, to educate ground crew about the 37mm automatic cannon then in use aboard the Bell P-39 Airacobra and the derivative P-63 Kingcobra. The 37 mm Automatic Gun, M4, known as the T9 during development, was a 37 mm (1.46 in) recoil-operated autocannon designed by Browning Arms Company. The weapon, which was built by Colt, entered service in 1942. The purpose of the film is to show the many ways the 37mm - M4 can malfunction and how cleaning and care for the M4 can prevent these problems. The M-4 autocannon had a muzzle velocity of 2,000 ft/s (610 m/s) and a cyclic rate of 150 rounds per minute. It was normally loaded with high-explosive shells, but could also be loaded with the M80 armor-piercing shell, which could penetrate 1 inch (25 mm) of armor plate at 500 yd (460 m). The M-4 was disliked by pilots for its drooping trajectory.


3.ベル(Bell)P-63 キングコブラ(Kingcobra)戦闘機

写真(右)1941年7月以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊ベル(Bell)P-63C キングコブラ(Kingcobra)戦闘機(417)の右下面:37mmM4ブローニング(Browning)機関砲はプロペラ軸から発射されるが、P-63では銃口がスピナー先端開いており、銃身先端はスピナーから露出していない。左主翼下面に速度を測るピトー管が設置されている。国籍記章としては、1943年6月以降採用された、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”が記入されている。
King Cobra Bell P-63C PictionID:40971795 - Title:King Cobra Bell P-63C - Catalog:15_002690 - Filename:15_002690.tif - Image from the Charles Daniels Photo Collection album "US Army Aircraft."
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


1941年6月27日、アメリカ陸軍は、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)の高高度性能を向上させた発展型XP-63をベルに要請した。そこで、発動機に2段過給器付きのアリソン V-1710エンジンを採用したが、兵装はP-39を踏襲してM4ブローニング(Browning)37mm 機関砲のプロペラ軸に装備した。XP-63は1942年12月7日に初飛行した。

 P-39とP-63の相違点
1)プロペラ:3翅と4翅
2)垂直尾翼:小型湾曲と大型四角
3)主翼面積:狭いと広い
4)胴体:短いと長い
5)エンジン;低空用1段過給器と高空用2段過給器

ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)戦闘機は、原型のベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)と同じく、M4ブローニング(Browning)37mm 機関砲をプロペラ軸から発射するように装備してた。射撃時は銃身が反動で後退し、駐退機によって、後座した砲身を元の位置に戻す。しかし、ベル(Bell)P-63Aキングコブラ(Kingcobra)の一部の形式では、37mmM4機関砲の銃口がスピナー先端に凹んで開いており、P-38のように37mmM4機関砲の銃身先端がスピナーから突出していない。

アメリカ陸海軍戦闘機で、
(1)前輪式(首輪式)引込み降着装置を採用した単発戦闘機、
(2)キャノーピー操縦席左右からパイロットの出入りできる開閉式の扉、
(3)空気抵抗増加を忍んだ左右主翼下面のガンポッド張り出し、
(4)大口径M4ブローニング(Browning)37mm 機関砲のプロペラ軸を通した搭載と機首スピナー先端からの発射、
ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)だけである。

写真(右)1941年7月以降、アメリカ、ソ連貸与用に赤い星の国籍マークを付けたベル(Bell)P-63A キングコブラ(Kingcobra)戦闘機(269721)の試験飛行:発動機を胴体中央に置いて、延長軸で4翅プロペラを廻した。プロペラ延長軸を通して射撃する37mmM4ブローニング機関砲の銃身はプロペラ・スピナー先端から突出している。37mm機関砲を射撃すると、その反動で銃身は後退するが、駐退機の作用で、後座した銃身は復元する。国籍マークは白丸赤星のソ連の国籍マークだが、アメリカの青丸白星と同形状である。
Bell : P-63 : Kingcobra Catalog #: 00003496 Manufacturer: Bell Designation: P-63 Official Nickname: Kingcobra
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive  引用。


ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機は1938年4月6日初飛行、生産数9,588機。ベル(Bell) P-63 キングコブラ(Kingcobra)戦闘機はP-39の高々度性能を向上することを目的にした発展型で、2段過給器を付けたアリソン V-1710液冷12気筒エンジンを装備、P-38の3翅プロペラを4翅プロペラに変更した。ベル(Bell)P-63Aキングコブラ(Kingcobra)は、主翼形状の変更、胴体延長による全長の0.75m延長が外見上の特徴である。

ベル(Bell)P-63Aキングコブラ(Kingcobra)は、1942年12月7日に初飛行したが、武器貸与法Lend-Lease Act)に基づいて、P-63は2400機から2456機がソ連に貸与された。P-63の生産数3303機(3305機)の72.7%の2400機あるいはP-63の総生産数3305機の74.3%の2456機がソ連向け生産だったことを意味するを意味する。また、原型のベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)の生産数9588機(9584機)の49.2%(49.8%)がソ連向け生産だった。
ソ連P-39 中立国アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)大統領は、1940年12月28日の「炉辺談話」“fireside chat”で、ドイツ、イタリア、日本の三国軍事同盟に対抗する姿勢を示し、アメリカは民主主義の兵器廠(Arsenal Of Democracy)となると宣言した。こうして、武器貸与法Lend-Lease Act)を全会一致で可決1941年6月の独ソ戦勃発以降、ベルP-39を4719機(4773機)、ベル(Bell)P-63キングコブラ(Kingcobra)を2400機(2456機)をソ連に貸与した。したがって、P-39とP-63の生産数合計1万2891機(1万2889機)のうち、55.2%(56.1%)をソビエト連邦に貸与している。このほか、自由フランス軍へも300機(生産数の9.1%相当)のP-63が貸与されている。

第二次大戦中のアメリカからソ連への貸与は、ベル(Bell)P-39 エアラコブラ(Airacobra)の総生産9588機(9584機)の49.2%(49.8%)の4719機(4773機)で、P-63総生産3,303機(3305機)の72.7%(74.3%)の2400機(2456機)である。つまり、ベルP-39とベルP-63の合計生産総数1万8291機(1万2889機)のうち55.2%(56.1%)相当の1万2891機(1万2889機)がソ連に貸与されている。武器貸与法レンド・リース法)の下で、アメリカは1945年9月までに、ソ連に対して、航空機1万4000機、戦車7000両、トラック37万台など軍事物資を支援している。したがって、アメリカからソ連に対する航空機の貸与の92%がベルP-39とP-63戦闘機である。

図(右):ベル(Bell) P-63C キングコブラ(Kingcobra)戦闘機の三面図
Description English: A 3-view line drawing of the Bell P-63A and P-63C Kingcobras. Date Unknown date Source AN 01-110FP-2, page 5 Author U.S. Military
写真はWikimedia Commons, Category:Bell P-63 Kingcobra File:Bell P-63A Kingcobra 3-view line drawing (symmetry check).png引用。

ベル(Bell)P-63 A キングコブラ諸元
初飛行:1942年12月7日
就役 1942年10月
1943–1945年生産数:3,303機
乗員: 1名
全幅 11.68m
全長 9.96m
全高 3.84m
翼面積: 1248 sq ft (23.0 m2)
空虚重量: 6,800 lb (3,084 kg)
全備重量: 8,800 lb (3,992 kg)
燃料容積: 1,937 L
発動機: ベル(Bell)P-63 A キングコブラ-117液冷12気筒エンジン1,800 hp (1,300 kW)
プロペラ: 4翅定速回転プロペラ
最高速力:410 mph (660 km/h, 360 kn)(高度7,620m)
実用上昇限度:  43,000 ft (13,000 m)
上昇力 5,000mまで6分24秒
航続距離 450 mi (720 km, 390 nmi)
フェリー 2,200 mi (3,500 km, 1,900 nmi) 兵装 プロペラ軸内 M4ブローニング 37mm機関砲1門(携行弾数58発)
機首 .50口径12.7mmAN/M2ブローニング(Browning)機関銃2挺(携行弾数各200発)
左右主翼 同12.7mm機関銃2挺(携行弾数各300発)

⇒写真集Album:ベル(Bell)P-63 キングコブラ(Kingcobra)戦闘機


5.ベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作機

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の左側面:1940年5月13日に初飛行したが、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされ、ベル(Bell)XFL-1は不採用になった。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 00021122 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA.
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


アメリカ陸軍航空隊の試作要求に応じたベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機に注目したアメリカ海軍は、ベル(Bell)P-39の艦上戦闘機仕様を発注した。そこで、ベル社はP-39の三輪式(前輪式)降着装置を航空母艦飛行甲板からの離着陸が容易なようにベル(Bell)XFL-1では尾輪式に変更し、尾部には着艦フックを装着した。

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の左側面:既存のグラマンF4Fが活躍し、次世代機のヴォ―トF4Uが出現しており、XFLは艦上機としては不採用になった。
Bell XFL-1 Airabonita Catalog #: 15_001957 Title: Bell XFL-1 Airabonita ADDITIONAL INFORMATION: Powered by an Allison XV-1710 engine. Naval version of the P-39 Airacobra. Only 1 built. Proving inferior to the Grumman F4F Wildcat, the single aircraft built was relegated to target practice and destroyed. Collection: Charles M. Daniels Collection Photo Album Name: U.S. Air Forces Archive Page #: 6.
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


ベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)は、原型ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)を空母で運用できるように尾輪式に降着装置を変更したために、重心位置の変更が必要となったが、エンジンは胴体中央部に配置してあり、変更できないために、主翼の取り付け位置を75mm後方にずらすことがが考えられたが、これは大きな設計変更となってしまうために、主翼の外翼の形状を変更して対処した。

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の右前方:1940年5月13日に初飛行したが、生産されたのは試作機1機のみで、1942年2月にはキャンセルされた。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 01_00090385 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


P-39を尾輪式としたベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機は、航空母艦の飛行甲板でのコックピット操縦席からの前方視界を向上することが求められ、そのため背の高い形状のキャノピーに変更され、視界を広げることにした。

写真(右)1940年5月以降、アメリカ、未舗装滑走路に待機中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の正面:1940年5月13日に初飛行したが、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされ、既存のF4Fが活躍し、次世代機のF4Uの実用化段階に入っていたために、不採用になった。1942年2月にはキャンセルされた。
Bell , XFL-1, Airabonita Catalog #: 01_00090383 Manufacturer: Bell Official Nickname: Airabonita Designation: XFL-1 Notes: USA Title: Bell , XFL-1, Airabonita Tags: Bell , XFL-1, Airabonita, USA
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1941年7月以降、アメリカ、農地上空を飛行するベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の機首左方:アメリカ海軍XFL艦上戦闘機では、大型爆撃機の迎撃戦闘は想定されていなかったために、アメリカ陸軍航空隊P-39戦闘機の兵装上の特徴であるプロペラ軸を通した37mm機関砲は装備されていない。そこで、プロペラスピナー先端の銃口は存在せず、スピナー先端は尖って成形されている。
80-CF-4462-3 80-CF-4462-3: Bell XFL-1 “Airbonita” aircraft, probably 1940. U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/03/29).
写真は SmugMug+Flick, National Museum of the U.S. Navy 引用。


ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)は、胴体中央部にエンジンを搭載した前輪式の陸上機であった。これを尾輪式の艦上機に変更したベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)は、重心が変化して、安定性が悪く、艦上機として空母飛行甲板での運用は困難であるとされた。

1941年12月に太平洋戦争が勃発し、第二次世界大戦に参戦したアメリカだったが、既にグラマンF4Fが大量生産され、部隊配備がなされていた。さらに、次世代機のヴォ―トF4Uも艦上戦闘機としては疑問視されつつも、陸上機として実用段階に入っていた。

1941年12月に太平洋戦争が勃発し、アメリカが第二次大戦に参戦する時期、すでにベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)は、飛行性能が高いとは言えなくなっていたアメリカ陸軍航空隊ベルP-39 戦闘機のアメリカ海軍艦上機仕様XFL-1の開発をこれ以上進める必要性は低くなっていた。より高性能のグラマンF6F、ボートF4Uも実用可能になってきた時期、すなわち1942年2月にはベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作機の開発はすべてキャンセルされた。

カラー写真(右)1941年7月以降、アメリカ、飛行中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の左後方側面:陸上機として改造された戦闘機を艦上機として使用する事例は、日本海軍N1K川西紫電にもみられる。
sdasm image pictionid 56891351 - catalogaircda.jpg - title--aircda-- - filenameaircda.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum
写真は SmugMug+Flick, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。


写真(右)1941年7月以降、アメリカ、農地上空を飛行するベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の左後方側面:1942年12月27日初飛行の機体が紫電改となり、艦上機として空母で試験を受ける時期には、日本海軍空母機動部隊は存在しなくなっていた。
80-CF-4462-4 80-CF-4462-4: Bell XFL-1 “Airbonita” aircraft, probably 1940. U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/03/29).
写真は SmugMug+Flick, National Museum of the U.S. Navy 引用。


写真(右)1941年7月以降、アメリカ、飛行中のベル(Bell)XFL-1エアラボニータ(Airabonita)艦上戦闘機試作1号機の右前方側面:既存のF4Fが活躍し、次世代機のF4Uの実用されていた時期に、XFLの開発を進める意義はなくなっていた。1942年に計画はキャンセルされた。1942年2月にはキャンセルされた。
Mockup of the Republic XP-69 fighter aircraft mounted for wind-tunnel testing, illustrating its contra-rotating propeller system. Date circa 1943 Author Unknown author Image rights owned by the San Diego Air & Space Museum
写真はWikimedia Commons,Category:Republic XP-69 引用。



6−A.南太平洋戦線の米空軍機 : 機種にも乱調子暴露 : 掛声ばかりの高々度用機
大阪朝日新聞 Vol: 第 54巻 Page: 94 出版年 1943-04-11
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100347453

【斎藤寅郎本社特派員(海軍報道班員)】最近の南太平洋方面における敵米空軍の情勢に関し、記者が前線各基地において得たところを筆者の見解で綜合すると左の通りである

 第一に使用機は如何なるものが現れつつあるか、先ず戦闘機から列挙すると、緒戦当時米空軍の当時の第一線戦闘機カーチス[Curtiss]P四〇を主体として、リバプリックP四三(ランサ)[P-43 Lancer] プリュースター[Brewster] ・バッファローは米国製ではあるが専ら英空軍用として使われた)海軍系では、グラマンF四Fなどが使われていたが、最近では、多量生産の体系が確立されたためか、当時は専ら援英用として輸出向けのみを作り、いまだ試作の段階にあったロッキードP三八ベルP三九[P-39 Airacobra]および同機の海軍向けモデル[ベルXFL]「エアラボンタ」[Airabonita](ベルP三九の三車輪式を着艦フックを有する尾橇と改めたもの)などが陸海軍の制式機に繰込まれて続々登場しはじめ、極く最近では海軍の問題の戦闘機ヴォート・シコルスキーF四U一まで現れはじめた、

F4U 従って、現在の戦闘機主力は[Lockheed]P三八[Bell]P三九の両種に中心が移って、従来の[Curtiss]P四〇は補助的にのみ活動しているもののようである、

これら戦闘機の特質としては、[ロッキード]P三八は双発双胴の高速機である点を利用して、単に戦闘のみならず、昼間の高々度偵察に利用されることが多く、前線基地では殆ど毎日のように○○メートル前後の高度をとって白昼我が方の偵察に飛来する同機の姿を目撃することが出来る、

我が戦闘機の追蹤を受ければその高速な逃げ脚を利して逃れ去ることが多いが、ひとたび空戦の姿勢に入れば[P-38]双胴二枚尾翼の形状からいっても視界が甚だ不利で戦闘には十分な強味を発揮することが出来ないといわれる、形式はABCDEの五種類あり武装と装備に若干の相違がある

 [Bell]P三九は液冷のアリリン[V1710]発動機を胴体中央部に搭載し、延長軸でプロペラを駆動する特長ある構造のために全世界の注目を浴びた問題の戦闘機であるが、これは予期に反して全く速度が出ず、空戦もまた弱い、前線の搭乗員仲間では、これをその形から綽名して「かつお節」と称え、その威力は全く問題にしていない、

ヴォート・シコルスキーF四U一はその初見参の際すでに八機中の六機を撃墜しているので詳細は未検討ではあるが、大したことはあるまいと評判されている、

面白いのはかつて「マートレット[Martlet]」の名で援英戦闘機[F4U,ハドソン,B-24,B-25等]として欧洲戦線に出動し相当な成績を収めたといわれるグラマンF四F[Wildcat]戦闘機が、さして新規な設計でないにも拘らず、未だに極めて優秀な戦闘性能を示すことで、同機に対しては前線方面でも十分な警戒を行っている

次に爆撃機のうち急降下爆撃機の現状を見ると、主力は依然として、ダグラスSBD三[ドーントレス]である、旧ノースロップ系[Northrop A-17]から出発した余り新味のない爆撃機で、約一箇月前○○方面で捕虜になった同機操縦員の自供によっても同機の急降下爆撃操作は決して進歩的なものとはいえない、寧ろ急降下爆撃機の鼻祖アメリカとしては驚くべき幼稚煩雑な仕組みで取上げるべき特長もないようである、

ただし、これに続いて、かつて複葉の急降下爆撃機として名を売ったカーチスの今度は単葉急降下機SB二C一[Curtiss SB2C Helldiver]が、最近ソロモン方面に現れつつあり、これには若干の警戒が払われているが、真相は未だ分らない、

中型爆撃機としてはかねてから高速を予期されていたマーチンB二六[Martin B-26]がこれまた最近盛に登場しているが、これは極めて弾丸に弱く、一発でよく仕止めることが出来るといわれる、速度は予想通り極めて速いが恐るべき点は少しもないそうだ、

これと並んで、すでにジャワ戦線で、鹵獲され内地に空輸されたダグラスA二〇A[Douglas A-20 Havoc]も動いているが、これも前者と同様、また日本内地の空襲にも参加し支那奥地における米空軍基地用として蠢動しているノース・アメリカンB二五[North American B-25]は当方面には姿を現さない、

重爆撃機としてはボーイングB一七E及びFとコンソリデーテッドB二四[Consolidated B-24 Liberator]がともに交々出動しているが昨年から今春劈頭にかけて断然数が多かったB一七[Boeing B 17]に対し最近では航続力のより長いB二四[Consolidated B-24]の数が負けぬくらい目立って来たのは恐らく米本国における生産の進行方向を示すものであろう、

最近何れも武装を強化し装甲を厳にしたため、撃墜が困難になって来たことは事実であるが、その代り行動能力の減少も免れぬところで、近頃両機の爆撃行動半径が概して一、三〇〇キロを超えぬのもそのためであろうと想像される

以上の使用機の変遷のあとを見ると、アメリカの航空工業界が目下生産にその主力を傾けつつある機種は自ら明らかであるが、これは凡そ開戦前からかくあるべしと予想された順路を踏むものであって、そこに我々の全く予期しなかった新しい機種が飛出して来ていないことは注意すべきであろう

 即ち開戦後設計試作に入った新試作機は未だ生産の域には達しないとしても、開戦前後試作の段階にあった飛行機は、いずれも多かれ少かれ、我々の眼に映じ耳に入ったものばかりで、たとい他に珍奇な試みが秘かに行われたものがあったにしろこれは遂に実用に供するに至らなかったことがほぼ裏書されるからである

またこれらの戦闘機、爆撃機の補給状況を眺めていると、必ずしも敵は適時適者を持ち出して来ていない、

何でも出来たものを持って来て、兎に角頭数だけを揃えようとしている傾向が見える、

これはあれだけ生産拡充を呼号しているアメリカの航空工業界が、口ほどもなく甚だ乱調子で、計画性に欠けていることを暴露するもので、この調子で飛行機の数だけが殖えて行くことは恐ろしいことではないという気がする、

同時にアメリカは以前から成層圏爆撃の掛声をかけているにも拘らず、最近現れるボーイングB一七Fでさえ、この方面に関しては、殆ど進歩のあとが見えない、

当初アメリカ当局の計画として示されたものでは[ボーイング]B一七Fで亜成層圏飛行用の予備的な設備を行い、Fにおいてこれを本格的なものに引上げるべく、既に制作に入ったということであったが、Fの搭乗員であった一俘虜の供述によれば、現在のFはEに比して、頭部機銃が強化され圧縮酸素タンクの数が、数個増加した程度で、特に高々度飛行の考慮が加えられていると見るべき節はない、

酸素タンクは圧力四〇〇ポンドの小形のもの約二十五個を一機に積み、自動調節弁を通じマスクによって乗員に酸素を供給するだけで、気密室に類するものは何処にも設けていないから、これでは本格的な高々度飛行は不可能である。

[写真(カーチスP四〇)あり 省略]
[写真(グラマンF四F)あり 省略]
[写真(ロッキードP三八)あり 省略]
[写真(ヴォート・シコルスキーF四U一)あり 省略]
[写真(カーチスSB二C一)あり 省略]
[写真(マーチンB二六[Marauder])あり 省略]
[写真(ダグラスA二〇A)あり 省略]
[写真(ボーイングB一七E)あり 省略]
[写真(コンソリデーテッドB二四)あり 省略]
南太平洋戦線の米空軍機 : 機種にも乱調子暴露 : 掛声ばかりの高々度用機引用終わり)



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機


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