写真(右)1938年、アメリカ、飛行中のアメリカ陸軍航空隊第27追撃飛行隊セバスキー(Seversky)P-35追撃機(戦闘機)(28):ミシガン州ハリソンタウンシップのマウントクレメンス近くセルフリッジ基地(Selfridge Field)に駐屯している飛行隊で、胴体側面に部隊マークを記入している。P-35は1935年8月15日初飛行で、出現時には戦闘機としては珍しく、引込み式降着装置を採用した。しかし、主翼に主輪が完全に収納されるのではなく、車輪カバーごと折りたたんで主翼下面に主輪が露出している。1937年7月から部隊配備された。兵装は機首上面に7.62mm機関銃と12.7mm機関を各1挺装備している。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:46705022 - Catalog:16_007991 - Title:Seversky P-35 27PS Selfridge Field 1938 USAF 14467 - Filename:16_007991.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真は,SDASM Archives引用。
セバスキー(Seversky)P-35A追撃機の諸元 乗員:1名
全長:26 ft 10 in (8.18 m)
全幅:36 ft 0 in (10.97 m)
全高:9 ft 9 in (2.97 m)
主翼面積:220 sq ft (20 m2)
空虚重量:4,575 lb (2,075 kg)
総重量:6,118 lb (2,775 kg)
最大離陸重量:6,723 lb (3,050 kg)
発動機:プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R1830-45 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷二重星型14気筒エンジン1,050 hp (780 kW)
最高速力:499 km/h
航続距離:1,530 km
実用上昇限度:9,570 m
上昇率:9.74m/s
兵装:機首;12.7mmブローニング(Browning) M2機関銃×2、左右主翼:7.62mm M1919ブローニング機関銃×2、爆弾350lb(160 kg)
写真(右)1942年頃、アメリカ、僚機と飛行中のアメリカ海軍航空隊ボーイング B-17 フライングフォートレス(Boeing B-17E Flying Fortress)重爆撃機(41-2443)の左側面:B-17で初めて尾部銃座を設け、胴体下部にボールターレット球形銃座を設置したのはB-17E意向で、強力なドイツ戦闘機の迎撃を防ぐために防御力を向上させ、大規模編隊、時には1000機、による集中攻撃をかけるようになった。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:46702387 - Catalog:16_007780 - Title:Boeing B-17E 41-2443 - Filename:16_007780.tif - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真は, SDASM Archives・引用。
ボーイング B-17 E フライングフォートレスは、B-17で初めて尾部銃座を設け、胴体下部にボールターレット球形銃座を設置し、防御力を向上させている。国籍マークは、アメリカの第二次大戦参戦前に制定された白星・赤丸だが、垂直尾翼に白赤ストライプは描かれていない。B-17は、当初モデル 299 試作機として、1935年7月28日に初飛行した。その後も先行生産型がYB-17で、第二次大戦勃発3年前の1936年12月2日初飛行である。ボーイング B-17 E フライングフォートレスは、初めての大量生産型でアメリカ参戦3か月前の1941年9月5日に初飛行し、500機が生産された。B-17の量産は、B-17Fが3,405機、B-17Gが8,680機で、総計1万2,731機もが大量生産されている。
写真(右)1942年7月4-9日、東京、羽田飛行場での鹵獲機一般展観、フィリピン・マレー・蘭印で鹵獲したアメリカ陸軍航空隊カーチス(Curtiss)P-40E キティホーク (Kittyhawk)戦闘機と奥のイギリス空軍ブリュスター (Brewster)F2A戦闘機:両機とも太平洋戦争緒戦で鹵獲され、日本の国籍マークに塗り替えた。日本に空輸され審査を受けた。その後、戦利品として、B-17、DC-5、A-20とともに羽田飛行場で一般公開された。白縁日の丸を大きく描いて、敵機と誤解されないようにしている。P-40は初飛行1938年10月4日の大手企業カーチスの主力戦闘機で、前作P-36の空冷エンジンをアリソンV-17109液冷V型12気筒エンジン1,040〜1,150hpに換装した。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:48346347 - Catalog:16_008528 - Title:Curtiss P-40E captured by Japanese and used for tests 1942 - Filename:16_008528.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。
写真(右)1943年、アメリカ、アラスカ準州、タイガーマウスを描いたアメリカ陸軍航空隊カーチス(Curtiss)P-40E キティホーク (Kittyhawk)戦闘機の機首:胴体下面に落下式増加燃料タンクを懸架している。悪天候や濃霧で方向を見失いやすいアリューシャン方面では、慎重な航法と長い航続距離が求められた。P-40Eは、最高速力589km/h、兵装は主翼内に12.7mmブローニングM2機関銃6挺と火力は強い。生産数は1万3,738機に達した。 Curtiss P-40E
Catalog #: 01_00092112
Title: Curtiss P-40E
Corporation Name: Curtiss
Additional Information: Alaska, 1943
Tags: Curtiss, P-40E, Warhawk
Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
Designation: P-40E 写真は ,Pearl Harbor Aviation Museum引用。
カーチス(Curtiss)P-40E キティホーク (Kittyhawk)戦闘機の諸元
全長
Length: 31 ft 8.5 in (9.665 m)
全幅Wingspan: 37 ft 3.5 in (11.367 m)
全高Height: 10 ft 8 in (3.25 m)
主翼面積Wing area: 236 sq ft (21.9 m2)
空虚重量
Empty weight: 5,922 lb (2,686 kg)
総重量Gross weight: 8,515 lb (3,862 kg)
発動機Powerplant: 1 × アリソン(Allison)V-1710-39液冷V-12エンジン1,240 hp (920 kW)
プロペラPropellers: 3-翅 Curtiss-Wright 電動定速プロペラ
最高速力
Maximum speed: 334 mph (538 km/h, 290 kn) /15,000 ft (4,600 m)
航続距離
Range: 716 mi (1,152 km, 622 nmi) / 70% power
実用上昇限度Service ceiling: 29,100 ft (8,900 m)
上昇時間Time to altitude: 15,000 ft (4,600 m) /6 分15秒
翼面荷重Wing loading: 35.1 lb/sq ft (171 kg/m2)
出力重量比Power/mass: 0.14 hp/lb (0.23 kW/kg)
兵装 6 × .50 in (12.7 mm) M2ブローニング(Browning)機関銃
爆弾: 250 ー 1,000 lb (110 ― 450 kg)爆弾、合計 2,000 lb (910 kg) /胴体下面・主翼下面
写真(右)1942年6月以前、アメリカ、農地上空を飛行している、アメリカ陸軍航空隊ダグラス(Douglas)A-20 ハボック(Havoc)攻撃機(68 9737):1939年1月29日ライト(Wright )R-2600サイクロン(Cyclone)空冷14気筒エンジン装備で初飛行、1941年1月就役のA-20は、イギリスに引き渡され「ハボック」(破壊者)と命名された。初期のA-20A、A-20C は機首ガラス風防だったが、機首をソリッド化したA20B、A20G、A20Hで、12.7mm機関銃6挺あるいは20mm機関銃4挺を前方固定して搭載した地上襲撃型の生産が過半を占めた。1940-1944年に7478機が生産されたが、武器貸与法によってソ連、イギリスに2000機以上が貸与された。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:47307009 - Catalog:16_008380 - Title:Second P-70 delivered June 1942 originally third A-20 - Filename:16_008380.tif - Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation 写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive 引用。
写真(右)1942-1944年、イギリス、アメリカから貸与されたイギリス空軍ダグラス(Douglas) DB-7A (A-20A)ハボック(Havoc)II 攻撃機(AH525):ライト(Wright)R-2600「ダブル」サイクロン(Twin Cyclone)空冷14気筒エンジン装備、イギリス国籍マークとして、胴体に直径49インチの赤白青黄色ラウンデル、垂直尾翼に24インチ×27インチの赤白青縦縞が描かれている。ダグラスDB-7は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1830-S3C3-G ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1,100 hp (820 kW)装備で爆弾搭載量は2,000 lb (910 kg)で、1938年10月26日初飛行した。1939年1月23日にDB-7試作機は事故で破損したが、アメリカ訪問中のフランス軍使節団は、1939年2月に100機のDB-7を発注し、1939年10月にはDB-7の発注を170機に引き上げた。DB-7は、爆弾搭載量 1,410 lb (640 kg)、過重状態で1,800 lb (800 kg) となったが、フランス軍制式の7.5mm MAC 1934機関銃を、機首固定機銃として4挺、後上方旋回機銃として1挺配備した。しかし、1940年6月にフランスは降伏したために、これらのDB-7はイギリス空軍に引き渡され「ハボック」(破壊者)と命名された。 15_002653 Douglas Havoc II
Image from the Charles Daniels Photo Collection album "British Aircraft."
PLEASE TAG this image with any information you know about it, so that we can permanently store this data with the original image file in our Digital Asset Management System. Fighter with 54” diameter Red-Blue upper wing roundels and 49 inch diameter Red/White/Blue/Yellow fuselage roundels. No under wing roundels were carried. The Red/White/Blue fin flash was the standard 24” wide and 27” high – angled backwards slightly to follow the rudder hinge line. 写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1942-1944年、イギリス、アメリカから貸与されたイギリス空軍ダグラス(Douglas)DB-7A ハボック(Havoc)II 攻撃機(AH525):ライト(Wright)R-2600「ダブル」サイクロン(Twin Cyclone)空冷14気筒エンジン装備、イギリス国籍マークとして、主翼上面に直径54インチの赤白青ラウンデル、垂直尾翼に24インチ×27インチの赤白青縦縞が描かれている。プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney) R-1830-S3C3-G ツインワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1,100 hp (820 kW)装備。アメリカ陸軍向けには発動機の出力向上しライト(Wright)R-2600ツイン・サイクロン(Twin Cyclone)空冷14気筒エンジンにし換装したA-20が制式された。ただし、A-20は、ターボ過給機付きR-2600-7エンジン 1,700 hp (1,300 kW) 、A-20Aは過給機付き R-2600-3エンジン1,600 hp (1,200 kW)装備である。イギリスは、1940年4月、300機のDB-7B、すなわちA-20Aを発注している。 Ray Wagner Collection Image
PictionID:46171745 - Catalog:16_007598 - Title:Douglas DB-7A Havoc II IWM photo - Filename:16_007598.TIF - Image from the Ray Wagner Collection. Ray Wagner was Archivist at the San Diego Air and Space Museum for several years and is an author of several books on aviation --- Fighter with 54” diameter Red-Blue upper wing roundels and 49 inch diameter Red/White/Blue/Yellow fuselage roundels. No under wing roundels were carried. The Red/White/Blue fin flash was the standard 24” wide and 27” high – angled backwards slightly to follow the rudder hinge line.. 写真は Wikimedia Commons, San Diego Air and Space Museum Archive引用。
コンソリデーデット(Consolidated)PBY カタリナ(Catalina)飛行艇の諸元 乗員Crew: 8
全長Length: 63 ft 10.875 in (19.47863 m)
全幅Wingspan: 104 ft (32 m)
全高Height: 21 ft 1 in (6.43 m)
翼面積Wing area: 1,400 sq ft (130 m2)
空虚重量Empty weight: 20,910 lb (9,485 kg)
最大離陸重量Max takeoff weight: 35,420 lb (16,066 kg)
発動機Powerplant: 2 × プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830-92 ツインワスプ(Twin Wasp)空冷14気筒エンジン1,200 hp (890 kW)
プロペラPropellers: 3-翅定速プロペラ(constant-speed propellers)
写真(右)1941年1月7日、ハワイ諸島オアフ島真珠湾と湾内のフォード島:アメリカ海軍空母サラトガなど主要艦艇が停泊している。フォード島は、全島がアメリカ陸軍航空隊の航空基地となっている。手前には、船舶用の大型ドック、入渠中の艦船、石油貯蔵タンクが並んでいる。 80-G-451185: U.S. Navy Yard, Pearl Harbor, Territory of Hawaii. Naval Air Station is center looking north, January 7, 1941. Official U.S. Navy photograph, now in the collections of the National Archives. (2016/09/20).
Date 20 September 2016, 11:06
Source 80-G-451185
Author National Museum of the U.S. Navy 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:80-G-451185 (29708250222).jpg引用。
写真(右)1941年1月17日、ハワイ諸島オアフ島真珠湾と湾内のフォード島(手前):フォード島には舗装滑走路があり、格納庫近くには大型機が並んでいる。その周囲にアメリカ海軍空母エンタープライズ、戦艦4隻など主要艦艇が停泊している。上には、船舶用の大型ドック、入渠中の艦船、石油貯蔵タンクが並んでいる。 Aerial photograph of Pearl Harbor, Hawaii (USA), 17 January 1941. Visible (among many others) are four battleships and the aircraft carrier USS Enterprise (CV-6). Note the number of seaplanes on the Ford Island ramp.
Date 17 January 1941
Source
the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 595097 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:Pearl Harbor aerial 17 Jan 1941.jpg引用。
写真(右)1941年6月、ハワイ諸島オアフ島真珠湾と湾内のフォード島(手前):フォード島と造船工廠も間に戦艦4隻が停泊している。手前には、巡洋艦2隻が見える。フォード島基地の舗装滑走路には、双発機15機以上が駐機しているのが見える。 View of Pearl Harbor, Territory of Hawaii, in June 1941.
Date
June 1941
Source
Official U.S. Navy photo NH 117884 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:Aerial view of Pearl Harbor in June 1941.jpg引用。
写真(右)1941年10月30日、ハワイ諸島オアフ島真珠湾と湾内のフォード島(手前):フォード島には舗装滑走路・飛行機格納庫が整備され、大型艦船が停泊している。周囲には、大型ドック、艦船、石油貯蔵タンクが並んでいる。手前下が外洋への真珠湾出入り口であるが、外洋に面した手前の半島にはサトウキビ畑か、農地も広がっている。 80-G-451113: Oblique of Naval Base, Pearl Harbor, Territory of Hawaii, looking East, October 30, 1941. (2015/11/03).
Date 3 November 2015, 12:13
Source 80-G-451113
Author National Museum of the U.S. Navy 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:Pearl Harbor aerial 17 Jan 1941.jpg引用。
写真(右)1941年10月30日、ハワイ諸島オアフ島真珠湾の海軍工廠:大型戦艦2隻、巡洋艦2隻が明瞭に映っている。大型ドック、艦船、石油貯蔵タンクが並んでいる。 80-G-182879: Pearl Harbor, Territory of Hawaii, October 16, 1941. Vertical view of the Navy Yard, Pearl Harbor, taken by aircraft from Naval Air Station, Pearl Harbor. (9/9/2015).
Date 9 September 2015, 10:39
Source 80-G-182879
Author National Museum of the U.S. Navy 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:Pearl Harbor aerial 17 Jan 1941.jpg引用。
写真(右)1941年10月30日、ハワイ諸島オアフ島真珠湾の海軍燃料廠と潜水艦基地:大型潜水艦母艦に6隻の潜水艦が並んでいる。白色塗装された石油貯蔵タンクが並んでいるが、一つだけ迷彩塗装を施しているように見える。 Aerial view of the Pearl Harbor submarine base (right center) with the fuel farm at left, looking south on 13 October 1941.
Among the 16 fuel tanks in the lower group and ten tanks in the upper group are two that have been painted to resemble buildings (topmost tank in upper group, and rightmost tank in lower group). Other tanks appear to be painted to look like terrain features.
Alongside the wharf in right center are USS Niagara (PG-52) with seven or eight PT boats alongside (nearest to camera) and USS Holland (AS-3) with seven submarines alongside. About six more submarines are at the piers at the head of the submarine base peninsula.
Date 13 October 1941
Source U.S. Navy photo 80-G-182880; also U.S. Navy National Museum of Naval Aviation photo No. 1996.488.029.028 写真は Wikimedia Commons, Category:January 1941 in Hawaii File:Aerial view of the Pearl Harbor submarine base and adjacent fuel tank farms on 13 October 1941 (80-G-182880).jpg引用。
ハワイ海戦で米国戦艦九隻その他を撃沈破し、さらにマレー沖海戦で英国新鋭戦艦二隻[HMS Prince of Wales/HMS Repulse]を撃沈した帝国海軍はその後も太平洋上の随所に戦果を拡大し開戦後十五日目の二十二日までの戦果を合計すれば撃沈破あるいは拏捕せる英米艦艇は戦艦十一隻を筆頭に実に四十七隻の驚異的数字に達し撃墜破せる英米航空機は実に七百七十六機以上となり拏捕せる敵各種船舶また四百三十余隻を突破するにいたった、彼我の艦艇、船舶、航空機別の損失は左の如くである
写真(右)1941年12月7日、アメリカ、ハワイ諸島オアフ島カネオへ湾海軍基地、格納庫の前で炎上するアメリカ海軍コンソリデーデット(Consolidated)PBY カタリナ(Catalina)飛行艇:初飛行1935年3月28日 pictionid64603703 - catalogextinguish.jpg - title pearl harbor dec. 7 194
pictionid64603703 - catalogextinguish.jpg - title pearl harbor dec. 7 1941 at the u.s. naval air station kaneohe bay oahu t.h. following the surprise japanese air attack. - filenameextinguish.jpg---Please tag this image so that info can be stored with our metadata. This material may be protected by Copyright Law (Title 17 U.S.C.)--Repository: San Diego Air and Space Museum 写真は San Diego Air and Space Museum Archive引用。
写真(右)1942年初頭、アメリカ、海上迷彩塗装のアメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F4F-3 ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機の左側面:垂直尾翼の赤白ストライプ、胴体側面・主翼上下面の青丸白星赤星という太平洋戦争の勃発前の国籍マークを付けている。 A U.S. Navy Grumman F4F-3 in non-specular blue-grey over light-grey scheme in early 1942. Note modified pitot tube of the later F4F-4 model, moved from the leading edge of the wing to an L-style mount under the wing.
Date early 1942; 30 July 2006 (original upload date)
Source www.cradleofaviation.org;
Author The original uploader was Felix c at English Wikipedia. 写真は San Diego Air and Space Museum Archive File:F4F-3 new pitot tube of later model.jpg引用。
アメリカ軍の国籍マーク変遷
第二次世界大戦初戦・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸 垂直尾翼方向舵の赤白帯ストライプ
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白帯ストライプは廃止
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
写真(右)1943年9月、アメリカ南部、フロリダ州北東、ジャクソンビル・ネイバル・エアー・ステーション、アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F4F-4 ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機:訓練部隊で使用されたF4Fのようだ。低翼ではなく、中翼式のため、降着装置は、胴体下面に引き込む構造になっている。車輪間隔が狭く、地上安定性はよくない。 WWII-Kodachrome-images-from-National-Archives-10
WWII LTJG John B. McDonald, USN on Wing of F4F. 80-GK-16176
Title: Lieutenant Junior Grade John B. McDonald, Jr., USNR
Caption: Stands on the wing of a Grumman F4F-4 Wildcat fighter before taking off at Naval Air Station Jacksonville, Florida in September 1943. Note details of the plane's landing gear.
Description:
Catalog #: 80-G-K-16176
Copyright Owner: National Archives 写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。
アメリカ軍の国籍記章は
(1)第二次大戦以前・アメリカ参戦前・太平洋戦争緒戦:青丸に白星、中央に小さな赤丸、垂直尾翼方向舵に赤白ストライプ
(2)太平洋戦争初期・1943年6月以前:青丸白星、白中央の赤丸は削除、方向舵の赤白ストライプは廃止
(3)1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
(4)1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
(5)第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”
アメリカ海軍航空隊グラマン(Grumman)F4F-3 ワイルドキャット(Wildcat)艦上戦闘機 全長:8.63 m
全高:28 ft 9 in (8.76 m)
全幅: 38 ft 0 in (11.58 m)
全高:11 ft 10 in (3.61 m)
翼面積: 260 sq ft (24 m2)
自重:4,907 lb (2,226 kg)
全備重量:7,423 lb (3,367 kg)
発動機:プラット・アンド・ホイットニーP&W R-1800空冷星型14気筒1,200 hp (890 kW)
最高速力:331 mph (533 km/h, 288 kn)
航続距離:845 mi (1,360 km, 734 nmi)
実用上昇限度:39,500 ft (12,000 m)
兵装:
.50口径12.7mmブローニング(Browning)M2機関銃 4挺(主翼:各450発)
外装タンク: 2 × 58 US gal (220 L)
写真(右)1942年頃、西太平洋、ソロモン諸島ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場、未舗装滑走路に駐機しているアメリカ陸軍航空隊第67戦闘飛行隊ベル(Bell) P-39/P-400 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機(22-):機首プロペラ軸から、37mm機関砲ではなく20mmイスパノスイザ機関砲(アメリカでライセンス生産)を装備している。アメリカは占領したばかりの日本軍が建設した飛行場を拡張整備して使用した。 A U.S. Army Air Forces Bell Airacobra (probably a P-400) of the 67th Fighter Squadron on Guadalcanal, in 1942.
Date
1942
Source
Official U.S. Marine Corps photograph USMC 61540 from the USMC University history division [1].
Author
Cpl L.M. Ashman, U.S. Marine Corps 写真は Wikimedia Commons, Category:Bell P-39Q Airacobra
File:Bell Airacobra of the 67th Fighter Squadron on Guadalcanal, in 1942 (USMC 61540).jpg引用。
一方在支アメリカ空軍は去る三月アメリカ十四航空部隊[Fourteenth Air Force]として在印度アメリカ空軍から独立、東亜方面空軍司令官スチルウェル[Joseph Stilwell]の直轄部隊となり印度空軍の支配を脱して支那大陸における独自の作戦行動を企図しており、現有勢力は百三十機以上と見られ、このうち約三分の一が爆撃機でいずれもアメリカ空軍の第一線機を配置している、在支アメリカ空軍の増強に伴い重慶に対するアメリカの軍事的発言権は今や絶対的となり重慶は全くその□使に甘んぜざるを得ない状態にあり、専らアメリカに頼って兵力、機材の増強に狂奔している
写真(右)1944年、ソロモン諸島ブーゲンビル島トキナ、アメリカ陸軍航空隊のチャンス・ヴォート(Chance Vought)F4Uコルセア(Corsair)戦闘機と廃棄されたベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:1938年2月、アメリカ海軍はF2A バッファロー艦上戦闘機後継となる次期艦上戦闘機の開発要求をだし、グラマン社、ベル社、チャンス・ヴォート社が応じた。ヴォ―トは1,200馬力エンジン搭載のV-166Aと、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800ダブルワスプ空冷星型18気筒エンジン2,000hpエンジン搭載のV-166Bを提示し、F2Aの出力の2倍近くあるV-166Bを、海軍はXF4U-1として試作を命じた。この2,000馬力エンジンに見合った直径13フィート(3.96m)の大型プロペラを装備するために、脚が長くなると飛行甲板での運用上、安定性と視界が悪くなるため、主翼を下に折り曲げた逆ガル翼が採用された。XF4U-1は、1940年5月29日と第二次大戦中、アメリカ参戦前に初飛行し、1940年10月1日には最高速力405mph(651.8km/h)を記録し、アメリカ初の400mphの壁を越える高速戦闘機となった。 WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-31
The boneyard at Tokina on Bougainville in 1944. 写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。
写真(右)1945年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-26 マローダー(Maruader)のアメリカ海軍仕様JM-1練習機:アメリカ陸軍航空隊マーチン(Martin)B-26 マローダー(Maruader)爆撃機は、AT-23B (B-26C)としてカメラを搭載した偵察機としても採用された。のちに、225機のAT-23B (B-26C)がアメリカ海軍に引き渡され、JM-1練習機として採用された。B-26は5,288機が量産された。 WWII-Pacific-War-Eagles-Color-Photos-96
U.S. Navy Martin JM-1P Maruader fitted with cameras was used for photo reconnaissance and target-towing missions.
A total of 225 AT-23B (B-26C) advanced trainers were transferred to the Navy as JM-1s.. 写真は Pearl Harbor Aviation Museum引用。
イギリス海軍航空隊(British Fleet Air Arm (FAA) )は、グラマン(Grumman)ヘルキャット(Hellcat)Mk I 艦上戦闘機を合計1,263機をアメリカから貸与された。F6Fは、武器貸与法(Lend-Lease Act)にしたがって、アメリカからイギリスに引き渡された。当初。イギリスではF6Fをグラマン(Grumman)ガネット(Gannet)Mark Iと命名した。
しかし、イギリスは、1943年前半にはすぐにアメリカと同じヘルキャット(Hellcat)と改名した。そして、F6F-3はヘルキャット(Hellcat)Mk. Iと, F6F-5はヘルキャット(Hellcat)Mk. II と、夜間戦闘機型F6F-5Nはヘルキャット(Hellcat)NF Mk. IIと命名している。
写真(右)1943年11−12月、西太平洋上、ギルバート諸島タラワ(Tarawa)島・マキン(Makin)島攻略作戦に参加したアメリカ海軍航空母艦ヨークタウン(USS Yorktown (CV-10))飛行甲板上の第5戦闘飛行隊(VF-5)のグラマン(Grumman) F6F-3 ヘルキャット(Hellcats)艦上戦闘機:整備員たちが、F6Fの水平尾翼を押して後方のエレベーター方向に移動している。 Lt. Charles E. Kerlee, U.S. Navy
Description
English: Flight deck crewmen respot Grumman F6F-3 Hellcats of Fighting Squadron 5 (VF-5) aboard U.S. Navy aircraft carrier USS Yorktown (CV-10), circa in late 1943.
Date late 1943
Collection
Naval History & Heritage Command
Accession number
80-G-K-15277
Source U.S. Navy photo 80-G-K-15277
National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 178141158. 写真は Wikimedia Commons, Category:Gilbert Islands Campaign File:Flight deck crewmen respot Grumman F6F-3 Hellcats of VF-5 aboard USS Yorktown (CV-10), circa in late 1943 (80-G-K-15277).jpg引用。
写真(右)1943年11月、西太平洋ギルバート諸島マキン(Makin)島、アメリカ海軍戦車揚陸艦LST-179とLST-78:戦車揚陸艦は、艦首の観音開きの扉と誘導板があるので、港湾が整備されていない場所でも、船内の倉庫にある戦車、自動車、火砲など軍事物資を海岸で揚陸できる。 US Army soldiers unloading gasoline drums from USS LST-179 and USS LST-78 during landing operations on Makin Island, Gilbert Islands, 25 November 1943. US National Archives Identifier 193851502, US Army Air Corps photo # A63172AC.
Date 25 November 1943
Source www.navsource.org
Author Unknown author 写真は Wikimedia Commons, Category:Gilbert Islands Campaign File:US Army Air Corps photo A63172AC.jpg引用。
写真(右)1943年11月、西太平洋ギルバート諸島マキン(Makin)島、島を占領したアメリカ陸軍兵士がラグーンに放置された日本海軍川西H8K二式大型飛行艇を見物している。:この日本海軍のH8K川西二式大型飛行艇は、アメリカ軍が上陸してきたときは、環礁内部で修理中だった。日本軍兵士は、この機体を海岸の銃座として使用して抵抗した。 Original description: "U.S. Army troops pause for a look at a Japanese seaplane during the battle of Makin. The plane was under repair in the lagoon when the invasion started. The Japanese used it as a machine gun nest until American fliers took care of it., 11/1943"
Date November 1943
Source
the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 513187 写真は Wikimedia Commons, Category:Gilbert Islands Campaign File:Kawanishi H8k down.gif引用。
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