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◆ロッキードA-28/A-29ハドソン(Lockheed Hudson)攻撃機
写真(上)1939-1940年頃、舗装滑走路上で待機中のアメリカ陸軍航空隊所属のロッキード(Lockheed) A-28A ハドソン(Hudson)攻撃機
:国籍マークはアメリカの第二次大戦参戦後の1942年から1943年中ごろまで様式だが、イギリス空軍(RAF)に貸与され、FK-532のシリアルナンバーで登録された。
Lockheed A-28A, RAF FK-532, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archiven
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(上)1942−1943年、低空飛行中のアメリカ陸軍航空隊所属のロッキード(Lockheed) A-28A ハドソン(Hudson)攻撃機
:国籍マークはアメリカの第二次大戦参戦後の1942年から1943年中ごろまで様式で右主翼上面の旧国籍マークは塗りつぶされている。尾輪は固定式。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001420 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive引用。


写真(上)1942-1943年、舗装滑走路上で待機中の個人専用機のロッキード(Lockheed) A-29 ハドソン(Hudson)攻撃機(ZS-DAF)
:国籍マークはないが、1942年1月にアメリカ陸軍航空隊に引き渡された後、カナダ空軍に貸与され(登録コードBW707)、1947年12月に南アフリカの所有者の手に渡った。その後、南アフリカのイギリス人に売却され登録コードZS-DAFとなった。FK-532のシリアルナンバーで登録された。
Lockheed A-28A, RAF FK-532, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archiven
A30yoyo 10y Lockheed Twins by Peter Marson/Air Britain has it as...Lockheed .#6386 A-29 (Hudson) 41-23569 USAAF delivered 1 February 1942. To RCAF BW707, Struck off charge 10 December 1947. Sold to UK owner in South Africa as ZS-DAF, believed crashed Stephenville, Newfoundland August 1946
Lockheed, A-29 (Hudson) Catalog #: 01_00092015 Title: Lockheed, A-29 (Hudson) Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, A-29 (Hudson) Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: 18 From the Charles M. Daniels Collection
写真は,SDASM Archives引用。


1.ロッキード(Lockheed)モデル 14 スーパー・エレクトラ(Super Electra)輸送機

アメリカの女流飛行家アメリア・イアハートは、大統領夫人エレノア・ルーズベルトの後押しを受けて、1937年に世界一周に使用した愛機ロッキード(Lockheed)・エレクトラ10E で地球一周赤道飛行を試みたが失敗した。エレクトラとは、夜空のプレアデス星団(Pleiades)の恒星からの命名である。試作機は、1934年2月23日に初飛行した。

写真(右)1938年、アメリカ、ワシントンD.C、アナコスティア海軍基地(Malton Airport)、アメリカ海軍長官専用機となったロッキード(Lockheed) 14H2スーパー・エレクトラ(Super Electra)輸送機(登録コード:XR4O-1、製造番号 1441))
Description English: The single U.S. Navy Lockheed XR4O-1 (BuNo 1441) at the NACA Langley Research Center in 1938. In 1938 the U.S. Navy ordered a staff transport version of the Lockheed Model 14-H2 Super Electra. It was delivered to the USN on 15 October 1938 and remained in the inventory until 1944. The aircraft spent most, if not all, of its service life based at Naval Air Station Anacostia, Washington D.C. (USA). The Lockheed Hudson was later developed from this plane. Date 1938 Source NASA photo EL-1997-00257 Author NASA Other versions caption bar cropped
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 14 Super Electra File:Lockheed XR4O-1 at NACA Langley 1938.jpeg引用。


そこで、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズHoward Hughes:1905-1976)は、改良型のロッキード・エレクトラ14NLockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コードNX18973) で、ニューヨーク州フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)から、パリ、モスクワ、シベリヤのオムスク(Omsk)、ヤクーツク(Yakutsk)、アメリカのアラスカのフェアバンクスを経由して、2万3,612キロを3日19時間14分で世界一周飛行(Round-the-World Flights)した。

⇒写真集Album:ロッキード・スーパーエレクトラ(Super Electra)輸送機 見る。

⇒写真集Album:ハワード・ヒューズJr(Howard Hughes)のスーパーエレクトラ(Super Electra)世界一周飛行見る。


2.ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機

ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )の発動機を強化し、若干大型化した発展型が、ロッキード14ス―パーエレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機だが、その軍用仕様がロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機である。

写真(右)1939-1940年頃、舗装滑走路上のイギリス空軍ロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson):環状ループアンテナは、1937年から方位測定と航法に利用されるようになったが、後に、流線形のカバーで覆った小型のものに改良された。アンテナマスト(支柱)から尾翼に無線アンテナ線が伸びでいて、碍子を介して繋がれている。
Lockheed, Hudson Title: Lockheed, Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, Hudson
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 01_00091655引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、ロッキード社で製造されたアメリカ製爆撃機である。初飛行は、1938年12月10日で、1939年9月の第二次世界大戦勃発直後だった。ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、第二次世界大戦の勃発を危惧したイギリス空軍・オーストラリア空軍が空軍力を急遽増強するために、ロッキードのモデル14「スーパー・エレクトラ」輸送機が原型とした軍用仕様の要求を出した。

写真(右)1939-1940年頃、アメリカ、未舗装飛行場に駐機しているアメリカのロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)(シリアルナンバー:NR17)
Lockheed,Hudson Catalog #: 01_00091648 Title: Lockheed,Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive From the Collection of Charles M. Daniels
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・引用。


アメリカのロッキードLockheed)10 エレクトラ(Electra)の発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)で、発動機を強化し、乗客収容能力も向上させた。しかし、民間航空の需要は、ライバルのダグラスDC-3、ボーイングとの競争もあり、商業的には十分な成功を得ることはできなかった。

ロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)の性能は軍用機として満足できるものだったため、アメリカ陸軍航空隊・アメリカ海軍航空隊も、イギリス・オーストラリアに倣って軍用仕様の哨戒爆撃機として制式した。

Lockheed wikipediaでは「ハドソン(Hudson)は、第二次世界大戦時にアメリカのロッキード社で製造された哨戒・爆撃機である。」というが、誤解を招く表現である。正確には、第二次世界大戦は1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻から始まり、第二次世界大戦にアメリカが参戦したのは、1941年12月7日の日本のマレー半島侵攻、フィリピン攻撃・ハワイ攻撃ではじまった太平洋戦争からである。したがって、ハドソンはアメリカの爆撃機として実戦参加するより2年前に、イギリス空軍、オーストラリア空軍で制式され、第二次大戦勃発前から第一線に爆撃機として配備されていた。

アメリカで武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)が1941年3月に成立してからは、戦後払いの条件で、ハドソン哨戒爆撃機がイギリス、ドミニオンの連合億軍に貸与された。

の原型は、ロッキード 14 スーパーエレクトラ(Lockheed 14 Super Electra)で、その初飛行は1937年7月29日と第二次大戦勃発の2年前だったが、当時としては、斬新な全金属製単葉低翼、引込脚を採用し、14人乗りの最高速力250マイル(400km/h)の高速輸送機だった。

ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)Mk I 爆撃機は、1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラ輸送機の軍用爆撃機仕様で、発動機は信頼性の高いライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基である。

写真(右)1939-1940年頃、アメリカ、未舗装飛行場に駐機しているアメリカのロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)(シリアルナンバー:NR17):1937年に登場した環状ループアンテナは、方位測定と航法に重宝したが、空気抵抗が大きかったために、流線形のカバーで覆った小型の装置に改良された。アンテナマスト(支柱)から尾翼に無線アンテナ線が伸びでいて、碍子を介して繋がれているのが見える。
Lockheed,Hudson Catalog #: 01_00091649 Title: Lockheed,Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, Hudson NR17 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive From the Collection of Charles M. Daniels
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・引用。




ハドソン後継機のロッキード・ベガ PV-1 ベンチュラLockheed-Vega PV-1 Ventura)哨戒爆撃機の原型は、ロッキード モデル10「エレクトラ」輸送機の発展型ロッキード・モデル18「スーパーエレクトラ」輸送機である。ベンチュラ哨戒爆撃機の形状は、ハドソン爆撃機と類似しているが、発動機はプラット&ホイットニーSIA4-G ダブルワスプ(離昇出力1,800馬力)2基に強化されている。

アメリカから武器貸与法に基づいてイギリスに船舶で送られた ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)やロッキード・ベガ・ベンチュラ軽爆撃機は,リバプール港 からスピーク空港(2002年からはリバプール・ジョン・レノン空港と名称変更)に運搬され、そこで組み立てられた。その後、通信飛行部隊、飛行機兵器実験部隊が、実機を試験飛行して、問題がなければ、実戦部隊に引き渡された。

ロッキードLockheed)ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)の装備しているライト(Wright) GR-1820サイクロン 9(Cyclone 9 )空冷星型9気筒エンジン(1,100馬力)は、アメリカ軍のB-17 フライングフォートレス重爆撃機、F2A バッファロー艦上戦闘機、FM-2(ゼネラルモーターズ製F4F ワイルドキャット)、SBDドーントレス急降下爆撃機、カーチスSBC ヘルダイバー急降下爆撃機、ダグラス DC-3輸送機なども装備した信頼性の高い発動機である。

ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)の尾部にある尾翼は、2枚の垂直尾翼がある。つまり、双尾翼構造を採用しているが、その理由は、
(1)飛行安定性の確保、
(2)回転銃塔の後方視界、特に真後ろ6時方向の視界と射界の確保、
という2点の理由がある。輸送機時代の双尾翼式は、飛行安定性の確保が主だったが、哨戒爆撃機としては、射界の向上ほうがより重要な理由となった。

写真(右)1940年7月初期、イギリス、ニュートン、ビルカム、イギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson):ハドソンの部隊配備は1939年5月なので、1939年9月に勃発した第二次大戦直前だった。写真はまだ1年が経過していない時期である。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description Bombing up a Hudson of No 206 Squadron at Bircham Newton, early June 1940.
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 283)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)Mk.I爆撃機(Lockheed Hudson Mk.I)の諸元
搭乗員:6名
全長:19.96m
全幅:14.33m
全高:4.80m
翼面積:51.19平方メートル
自重:5,484kg
全備重量:7,938kg
発動機:ライト(Wright) GR-1820サイクロン 9(Cyclone 9 )空冷星型9気筒エンジン 1,100馬力2基
最大速度:357km/h(高度2,400m)
巡航速度:249km/h
上昇率:305m/分
実用上限高度:6,400m
航続距離:1,835km
爆弾搭載量: 1,600ポンド(726kg)
7.7ミリ連装機銃搭載ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座1基、前方固定7.7ミリ連装機銃1基

写真(右)1940年頃、アメリカ、イギリス空軍の国籍マークを描いたイギリス空軍の真新しい国籍マークを描いたロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機(N7234):爆弾は小型だが、専用の爆弾運搬車に乗せられて、トレーラーに牽引されて、爆弾倉の下にセットされた。
sdasm image pictionid56895837 - catalogbd lockheed hudson 9.jpg - title--bd lockheed hudson -- - filenamebd lockheed hudson 9.jpg--Born digital image that was acquired by the San Diego Air and Space Museum--------Please Tag these images so that the information can be perma
写真は,San Diego Air and Space Museum・引用。


Lockheed Hudson 1937年7月29日初飛行のロッキード(Lockheed)14 スーパー・エレクトラ輸送機の軍用仕様ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、B-17フライングフォートレス重爆撃機と同型(但し排気タービンは未装備)のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン1200馬力 (895 kW)を装備している。しかし、このエンジンは9気筒であり、排気量に制約があったために大出力化するには限界があった。

そこで、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の発展型となるベンチュラ(Ventura)PV-1哨戒機は、9気筒から18気筒に排気量を倍増したプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン2,000馬力を装備することとなり、最高速力の向上、爆弾搭載量の増加、防御力の強化が可能になった。

ロッキードハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の兵装は、機首前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃2挺、胴体後上方の動力旋回銃座12.7ミリ旋回機関銃2挺、さらに追加兵装として、胴体左右側面に12.7ミリ旋回機関銃各1挺と強力なものだった。当時、爆撃機の旋回機関銃に12.7ミリ口径の中口径の発射速度の高い防御機関銃を搭載していたのは、イタリアのブレダ12.7ミリ機関銃だけで、それもイタリア爆撃機には1−2挺と少数の搭載にとどまっていた。第二次大戦勃発時の爆撃機として、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)は高速で重兵装といえる。ハドソンがイギリスやオーストラリアで沿岸航空部隊に配備されたのは、機関銃による洋上の艦船襲撃と単機で使用する際の防御火力の強さが決め手だったと思われる。

大西洋の戦いは、ドイツ海軍潜水艦Uボートの雷撃からイギリス輸送船団を護衛する戦いだが、これは海上、海中だけではなく、空中からの洋上哨戒、Uボートへの襲撃が有効だった。Uボートによる通商破壊戦を破綻さるために、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)哨戒爆撃機は上空からのUボート狩りに大活躍したのである。

ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の原型ロッキード14スーパーエレクトラ輸送機は、日本の立川飛行機がライセンス生産し、日本陸軍航空隊でロ式輸送機と命名され使用された。そして、ロ式輸送機の胴体を延長した貨物輸送機が、一式貨物輸送機として、日本陸軍航空隊に採用されている。

ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)哨戒爆撃機が装備した後上方の旋回銃座は,ボールトンポールBoulton Paul Aircraft)が開発した世界初の実用型の動力回転銃座である。この動力回転銃座は、イギリス空軍のロッキード・ハドソン双発爆撃機、ブリストル・ブレニム双発爆撃機などに搭載され活躍した。しかし、自社開発のボールトンポール・デファイアントBoulton Paul Defiant)単発複座戦闘機は、後席に搭載した動力回転銃座の重量過大のために飛行性能が悪化し、失敗作となった。ボールトンポール・デファイアント戦闘機の失敗は、ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座の威力を過大評価したためであろう。

ハドソン爆撃機の内訳は、前期型には、1,100馬力のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備の350機のMk I、20機のMk II、胴体下方腹部に引込み式銃座を設けた428機のMk IIIがある。

ハドソン爆撃機の後期型には、1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン (排気量30.0 L)装備の309機のMk Vと450機のMk VI(A-28)である。

アメリカ軍機A-28/A-29としてプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備のA-28爆撃機として、52機がオーストラリア空軍に、27機がブラジル空軍に貸与、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備のA-29/PBO-1爆撃機として、アメリカ陸軍航空隊が153機、アメリカ海軍航空隊が20機を使用した。ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備のA-29A輸送機として、イギリス空軍、ドミニオン(RAAF/RCAF/RNZAF)空軍、中国空軍が384機、AT-18機上作業練習機として217機が、AT-18A航法練習機として83機が生産された。ただし、中核となったのは、イギリス(RAF)とドミニオン空軍(RAAF/RCAF/RNZAF)に貸与された上記の450機のA-29爆撃機である。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィック、イギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7264)のトレーラーによる牽引作業:このトレーラーは、搭載する爆弾の運搬作業にも使用された。ハドソンの爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、ノルウェー方面における潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。
ROYAL AIR FORCE COAST AL COMMAND, 1939-1945.
Object description Groundcrew examine a badly-damaged Lockheed Hudson Mark I, N7264 'QX-Q', of No. 224 Squadron RAF on its return to base at Wick, Caithness, from a sortie over Norway. N7264 was one of a battle flight of three Hudsons providing long-range fighter cover for Allied troops in Norway. While flying over Romsdal fjord in Andalsnes they were mistakenly fired on by HMS CURACOA. One Hudson was shot down and N7264 suffered severe damage to its wings and flaps, as well as two burst tyres. Despite this, Pilot Officer H O'Neill managed to bring his aircraft back to Wick where he made a safe touchdown.
Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CH 46)引用。


第二次大戦勃発当初、イギリスは国内における航空機供給能力が十分ではなく、台頭するドイツの軍事力に対抗するために、外国の援助による急速な軍備増強が課題となっていた。そこで、アメリカですでに高速輸送機として実用化されていたロッキド14・スーパーエレクトラを軍用仕様として、哨戒爆撃機に改修することをロッキードに要請した。これがロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)哨戒爆撃機である。

写真(右)1940年5月、イギリス、ノーフォーク、ビィッチャム・ニュートンを基地としたイギリス空軍第206飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7303)の胴体後上方に装備されたブローニング7.7ミリ連装機関銃搭載の動力回転銃塔と銃手のウォルター・スパイク・カルフィールド(Walter 'Spike' Caulfield):1940年5月31日、銃手のウォルター・スパイク・カルフィールド(Walter 'Spike' Caulfield)は、ダンケルク上空で迎撃してきた複数のドイツ空軍Me109戦闘機に反撃した功績により殊勲勲章を授与された。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Object description Leading Aircraftman Walter 'Spike' Caulfield in the turret of a Hudson of No 206 Squadron. Caulfield was awarded the Distinguished Flying Medal for an action on the evening of 31 May 1940, in which his aircraft fought off several Me 109s over Dunkirk.
Label Leading Aircraftman Walter 'Spike' Caulfield in the turret of a Lockheed Hudson of No 206 Squadron, June 1940. .Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CH 301)引用。


イギリス軍の制式したブローニング(Browning)7.7ミリ機関銃の原型は、アメリカのブローニングM1919機関銃で、後者は第一次世界大戦末期にアメリカで開発された口径7.62ミリの空冷機関銃である。イギリス軍は、口径7.7ミリ(7.69?)の.303ブリティッシュ弾(薬莢は縁あり:リムド)を制式していたので、機関銃も口径は7.7ミリに変更されている。

写真(右)1941年12月、イギリス植民地マラヤ、マレー半島東岸、コタバル基地、駐留したオーストラリア空軍第1哨戒飛行隊(No. 1 Squadron)のロッキード(Lockheed) ハドソン(Hudson)哨戒機のコックピット操縦席と計器盤:左側に正操縦席と操縦桿があり、その下に羅針盤コンパスが設置されているy。中央にはスロットルレバーが並んでいる。右には切り欠きがあって機首の偵察員席への通路になっている。
Kota Bharu, Malaya. 1941. Interior of the cockpit of a RAAF Lockheed Hudson aircraft. The RAAF had two General Reconnaissance Squadrons flying Hudson aircraft in Malaya. No. 1 Squadron was stationed at RAF Kota Bharu, No. 8 Squadron was stationed at RAF Kuantan. The Squadrons were forced to retreat, along with the allied forces, in the face of the Japanese attack. Date 1941 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: P02266.006
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


図(右)1939年5月、ロッキード(Lockheed)14ハドソン Mk.I爆撃機の三面図
English: Lockheed A-29 Hudson Date 7 February 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson File:Lockheed Hudson cockpit.jpg引用。


ロッキード・ハドソン Mk I(Lockheed Hudson)爆撃機の諸元

乗員Crew: 5人
全長Length: 44 ft 4 in (13.51 m)
全幅Wingspan: 65 ft 6 in (19.96 m)
全高Height: 11 ft 10 in (3.61 m)
翼面積Wing area: 551 sq ft (51.2 m2)
空虚重量Empty weight: 11,630 lb (5,275 kg)
全備重量Gross weight: 17,500 lb (7,938 kg)
発動機Powerplant: 2 × Wright GR-1820-G102A Cyclone 9-cylinder radial engines, 1,100 hp (820 kW)
最高速力Maximum speed: 246 mph (396 km/h, 214 kn) at 6,500 ft (2,000 m)
巡行速力Cruise speed: 220 mph (350 km/h, 190 kn)
航続距離Range: 1,960 mi (3,150 km, 1,700 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 25,000 ft (7,600 m)
上昇率Rate of climb: 2,180 ft/min (11.1 m/s)
兵装Armament: 2 × .303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃搭載ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座1基
2× .303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃機首固定銃座
爆弾搭載量Bombs: 1,400 lb (640 kg)


3.アメリカ軍のロッキード(Lockheed Hudson)A-28ハドソン(Hudson)攻撃機

アメリカで1941年3月に武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)が成立すると、イギリスは多数のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機を現金払い・外貨準備の金塊払いではなく、戦後支払いの信用で受領することができた。

イギリス首相チャーチル(Winston Churchill)が望んだように、アメリカから武器貸与法に基づいてイギリスに軍需品が供給されるようになった。船舶で送られた ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)やロッキード・ベガ・ベンチュラ軽爆撃機は,リバプール港 からスピーク空港(2002年からはリバプール・ジョン・レノン空港と名称変更)に運搬され、そこで組み立てられた。その後、通信飛行部隊、飛行機兵器実験部隊が、実機を試験飛行して、問題がなければ、実戦部隊に引き渡された。

イギリスは、ロッキード14 スーパーエレクトラ輸送機を原型とする爆撃機の開発要請をロッキードにし、それを受けてロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機Mark I(Lockheed Hudson Mark I)を開発した。イギリス空軍にロッキード・ハドソン爆撃機は、第二次大戦勃発3か月前の1939年5月にアメリカから輸入した機体が配属され、沿岸航空隊で主に哨戒、偵察に当たった。戦時中は対Uボート潜水艦制圧作戦にも従事している。

イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注した ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二けたの数字を付けた機首形式番号の命名方式だった。ロッキードA-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク(Burbank)、ロッキード・ハドソンMark V爆撃機(Lockheed Hudson V)の生産ライン:第二次大戦は1939年9月に始まっていたが、アメリカは1941年12月までは、中立国の立場で、イギリスへの軍事援助をしていた。胴体腹部下方銃座を設けたハドソンMark.IIIの発動機はライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン1100hp(排気量29.87L)を2基搭載していたが、Mark.Vの発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830-S3C4-Gツインワスプ(Twin Wasp)空冷星型14気筒エンジン1,200 hp (排気量30.0 L)2基を搭載し409機が量産された。
Lockheed Hudson V production line Burbank plant 1941 [Lockheed X3788 via RJF] Title:Lockheed Hudson V production line Burbank plant 1941 [Lockheed X3788 via RJF] - Catalog:17_000279 - Filename:17_000279.tif - ---------Image from the René Francillon Photo Archive. Having had his interest in aviation sparked by being at the receiving end of B-24s bombing occupied France when he was 7-yr old, René Francillon turned aviation into both his vocation and avocation. Most of his professional career was in the United States, working for major aircraft manufacturers and airport planning/design companies. All along, he kept developing a second career as an aviation historian, an activity that led him to author more than 50 books and 400 articles published in the United States, the United Kingdom, France, and elsewhere. Far from “hanging on his spurs,” he plans to remain active as an author well into his eighties.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive,SDASM Archives ・PictionID:43264718 引用。


ロッキードLockheed)14 スーパー・エレクトラ(Model 14)を軍用仕様にしたのが、ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)哨戒爆撃機である。当時、イギリスは、ドイツとの抗争中であり、自国の航空機生産だけでは、戦力増強が困難だった。そこで、アメリカに支援を要請したのであるが、アメリカ軍も爆撃機を必要としており、供給能力に余裕はなかった。そこで、民間商業機のロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)を軍用に使用するために改修しロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機を開発したのである。

写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行している真新しいイギリス機の国籍マークに塗られたロッキード(Lockheed)A-28 ハドソン(Hudson)爆撃機の右前面:胴体後上方には銃塔はないようだ。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001455 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ダグラスA-20 第二次大戦は1939年9月にヨーロッパで対ドイツ戦争として始まっていたが、アメリカは、1941年12月の日本軍によるフィリピン・ハワイへの攻撃までは、中立国の立場だった。しかし、アメリカ合衆国ルーズベルト大統領は、1941年3月11日に武器貸与法(Lend-Lease Acts)を可決させ、イギリスへの軍事援助を促進し、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)軽爆撃機、ダグラス(Douglas)A-20ハボック(Havoc)攻撃機、カーチス P-40 ウォーホーク(Curtiss P-40 Warhawk)戦闘機などを貸与した。そして、1941年8月にイギリス同盟国カナダのニューファウンドランド沖で、イギリス首相チャーチルと会談し、大西洋憲章を発表して、反枢軸国の立場を表明した。

イギリス、カナダ、ニュージーランド空軍(RAF/RCAF/RNZAF)に貸与されたハドソン(Hudson)Mark. VI爆撃機は、1,200 hp (890 kW) プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-1830-67空冷星型14気筒エンジン2基装備、胴体内部キャビンを軍用輸送機仕様に変更できる。この機体は、アメリカ陸軍航空隊のA-28A攻撃機のイギリス軍仕様で、武器貸与法(Lend-Lease Act)により 450機が生産された。


4.アメリカ軍のロッキード(Lockheed Hudson)A-29ハドソン(Hudson)攻撃機

写真(右)1929−1942年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29 ハドソン(Hudson)攻撃機:胴体後上方の火器は、1917年10月生産のカーチス(Curtiss)H-1飛行艇に試験的に搭載された61Bデイビス(Davis)無反動砲とは異なり、口径20mmクラスの旋回機関銃のようで対艦船攻撃用であろう。
A Lockheed PBO-1 Hudson of patrol squadron VP-82 at Naval Air Station Argentia, Newfoundland (Canada), where 12 aircraft of VP-82 were based between January and May 1942. Date Jan - May 1942 Source U.S. Navy Naval History Center website [1], USN photo no. 80-G-K-14910. Author USN
写真はWikimedia Commons,IWM File:Lockheed A-29 Hudson USAF.JPG引用。


アメリカ軍機の国籍マークは、国旗の星条旗を模した国籍記章で、青地の丸に白星、星中央に赤丸を描いたものだった。しかし、太平洋戦争が勃発した後、1942年初頭になると、国籍記章は、青地の丸に白星だけとなり、星中央にあった赤丸は廃止されている。

写真(右)1942年1−5月、アメリカ大陸東岸、ニューファウンドランド島(カナダ)、アルゼンチア基地、アメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed) PBO-1 ハドソン(Hudson)哨戒機(s/n 41-23403):環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed A-29 Hudson USAF Source: USAF
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注したロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二桁の数字を付けた機種の形式番号の命名方式だった。ロッキード(Lockheed)A-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1942年1−5月、アメリカ大陸東岸、ニューファウンドランド島(カナダ)、アルゼンチア基地、アメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed) PBO-1 ハドソン(Hudson)哨戒機(s/n 41-23403):右後方には、1939年1月23日初飛行のダグラス(Douglas)A-20 ハボック(Havoc)攻撃機が待機している。ハボックは、イギリスにも貸与され、ボストン(Boston)と命名されている。生産機数7,478機。発動機は、ライトR-2600空冷14気筒エンジン1,600hpを搭載、最高速力は317 mph(515km/h)とハドソンより高性能で、搭載機関銃も12.7mm口径(.5インチ)、爆弾搭載量4,000 lb (1,800 kg)でより強力だった。
A Lockheed PBO-1 Hudson "82-P-7" of patrol squadron VP-82 at Naval Air Station Argentia, Newfoundland (Canada), where 12 aircraft of VP-82 were based between January and May 1942. A Douglas A-20 Havoc is visible in the background. Date Jan - May 1942 Source U.S. Navy Naval History Center website [1], USN photo no. 80-G-K-14911. Author USN
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


元イギリス空軍ハドソン IIIA爆撃機20機をアメリカ軍が使用し第2哨戒飛行隊(Patrol Squadron 82 (VP-82))が12機装備した。1,200 hp (890 kW) ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)装備のA-29の胴体に輸送設備を設けたA-29Aは、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与されハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1と命名し使用した。

写真(右)1939-1941年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機:国籍マークは、第二次世界大戦勃発前から参戦後の太平洋戦争初頭、すなわち1942年春までのデザイン、青丸白星、白星中央に赤丸を描いている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001500 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


A-29の発動機は1,200 hp (890 kW) ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)装備、胴体下腹部旋回機関銃を装備していない。418機生産。他方、A-28が1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で82機の生産。A-29は、アメリカ陸軍航空隊に153機が引き渡され、残りは武器貸与法に基づいてイギリス空軍に引き渡された。A-29を輸送設備を設けたA-29Aは、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与されハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1と命名され使用された。

カラー写真(右)1940−1942年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機:国籍マークは、第二次世界大戦勃発前から参戦後の太平洋戦争初頭、すなわち1942年春までのデザイン、青丸白星、白星中央に赤丸を描いている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001498 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson
写真はWikimedia Commons,IWM引用。


アメリカ軍機の国籍マークのデザイン変遷
第二次世界大戦初・太平洋戦争初頭(1942年春まで):青丸白星、白星中央に赤丸
1942年春以降、青丸白星、白中央の赤丸は削除
1943年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・赤縁付き”STAR AND BAR”
1943年9月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁付き”STAR AND BAR”
第二次世界大戦後、1947年6月以降、青丸白星、両側に白色袖・青縁・赤ストライプ入り”STAR AND BAR”

カラー写真(右)1940−1942年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機((s/n 41-23403)):胴体下腹部銃座はない。発動機はA-28が1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で82機の生産なのに対して、A-29は1,200 hp (890 kW) ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)装備で418機生産。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
A U.S. Army Air Force Lockheed A-29-LO Hudson (s/n 41-23403) in flight. Date circa 1941 Source National Museum of the U.S. Air Force photo 051122-F-1234P-014 Author USAAF
写真はWikimedia Commons,IWM File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


ロッキード(Lockheed)A-28攻撃機の発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1200hpで82機が生産された。

ロッキード(Lockheed)A-28攻撃機は ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)1,200 hp (890 kW)装備で418機が生産された。このロッキード(Lockheed)A-28は、アメリカ陸軍航空隊に153機が引き渡され、残りは武器貸与法に基づいてイギリス空軍に引き渡された。

写真(右)1942年以前、アメリカ、未舗装飛行場に待機しているアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左後方側面:胴体後上方には銃塔はなく、半開放式旋回機関銃座が設けられている。国籍マークは、第二次大戦参戦前の青丸白星中赤丸の様式が描かれている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001510 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二けたの数字を付けた機種形式番号の命名方式だった。ロッキード(Lockheed)A-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1942年以降、アメリカ、雲の上を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔はなく、開放式銃座が設けられている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001511 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


対ドイツ戦争の準備を急遽始めたイギリスは、アメリカのロッキード社のスーパーエレクトラ高速輸送機を原型にロッキード社の新型爆撃機を発注したが、これがロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機である。

イギリスのハドソン爆撃機の功績を受けて、アメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注した。これがロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。

写真(右)1942年以降、アメリカ、雲の上を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔も開放式銃座も設けられていない。方位測定器が流線形のケースに収められてコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、もう1っ本のアンテナ支柱を介して、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001442 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed)A-29攻撃機の胴体を輸送任務に使用できるように座席を配置したA-29A攻撃機は、384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに1941年3月成立の武器貸与法(Lend Lease Act)に基づいて貸与され、ハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍にも同じ機体20機が引き渡され、PBO-1哨戒機と命名され使用された。

写真(右)1941年、アメリカ、ハマー・フィールド、待機中のアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機(BW-517)の右側面:環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
SDASM Archives Follow Lockheed A-29A, BW-517, at Hammer Fld Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカ軍ロッキード(Lockheed)A-28爆撃機は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で、オーストラリア空軍が52機が、ブラジル空軍が27機を配備した。また、アメリカ陸軍ロッキード(Lockheed)A-29/海軍PBO-1爆撃機は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、アメリカ陸軍航空隊が153機、アメリカ海軍航空隊が20機を使用した。

写真(右)1942年以降、アメリカ、雲の上を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の正面:胴体後上方には銃塔が設けられている。迷彩は、薄いカーキー色と濃いオリーブドラブの縞模様で、このような迷彩塗装は、アメリカ軍では採用していない。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にある。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001506 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed)A-29A攻撃は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、輸送機として使用できるように胴体を改装したが、これは第一線機としては性能不足だったためである。イギリス空軍、ドミニオン(RAAF/RCAF/RNZAF)空軍、中国空軍に384機が引き渡されたが、アメリカとしては余剰の第二線機を貸与していたのである。しかし、ロッキード社は、性能不足のロッキード(Lockheed)A-29Aを量産し続け、利潤を上げることができたので、大歓迎だった。

写真(右)1942年以降、アメリカ、山地上空を飛行する迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左正面:胴体後上方には銃塔が設けられている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001510 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


1941年3月にアメリカから成立した武器貸与法は、代金は支払い信用で、戦後払い(戦勝後の支払い)を認め、武器輸出を合法化した。武器貸与法が適用されたイギリスには、武器は船舶で送られたたが、ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)やロッキード・ベガ・ベンチュラ軽爆撃機のような双発軍用機は,輸送船でリバプール港に海上輸送された。

アメリカからリバプール港に船積みされたハドソンは、そこからスピーク空港(2002年からはリバプール・ジョン・レノン空港と名称変更)に運搬されて、そこで組み立てられた。その後、通信飛行部隊、飛行機兵器実験部隊が、実機を試験飛行して、問題がなければ、実戦部隊に引き渡された。

写真(右)1942年以降、アメリカ、雲の上を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。胴体後上方には銃塔が設けられている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001494 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


軍用機の塗装は、機体表面(金属・木材・羽布)の腐食・破損・摩耗から防ぐことで、場合によっては、外観を際立たせるような芸術性も加味される。他方、機体表面を覆う塗装は、航空機の耐久性だけではなく、空気抵抗・重量にも影響するために、飛行性能上、速力、航続距離、燃費、操縦性から、編隊飛行、敵味方の識別にも塗装は影響する。

写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左前方:胴体後上方には銃塔が設けられている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001495 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


戦時の最前線で戦う軍用機の場合は、敵から発見されにくいような塗装も重要で、これは海洋、森林、山岳地帯、雪原・氷床のような地域性、昼夜・天候などの気象と関連してくる。

こうして軍用機の塗装には、色・模様・パターンなど様々なバリエーションが生まれた。敵味方を識別して、航空機や地上砲火による味方討ちを防止するための、国籍マークも、目立ちすぎると敵から発見され目標になりやすくなるが、識別困難だと、同士討ちのリスクが高まるので注意が必要である。しかし、現代では敵味方識別装置(IFF:Identification Friend or Foe)が普及したために、敵味方識別の国籍マークの意義は低下した。

写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左前方:胴体後上方には銃塔が設けられている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001495 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


wikipedia日本語版では、軍用機の「派手な色彩の国籍マーク・ラウンデルや部隊章、士気高揚のため黙認されていたキャラクターの非正規の塗装などは実戦部隊で存在しなくなっている」というのは、誤解である。国民の金銭負担がないと維持できない軍隊は、世孫の支持、搭乗員の士気高揚のためにも、人気のあるかっこいい芸術的な塗装に配慮しているのが現実である。

写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左前方:カリフォルニア州バーバンクのロッキード飛行機工場で製造され、イギリス空軍に貸与される機体である。環状ループ方向探知アンテナがコックピット後上方に設けられている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001475 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed)A-29ハドソン攻撃機は、イギリスに貸与されハドソン爆撃機となったが、生産されたのは、カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のバーバンクにあったロッキード飛行機工場である。1940年代には、1938年12月10日に初飛行したロッキード(Lockheed)A-29攻撃機/ハドソン爆撃機は、最高速力の遅さ、爆弾搭載量の少なさなど飛行性能は高いとは言えなかったが、海上哨戒、すなわち対潜水艦制圧、敵艦船の偵察、救難船・救難者の捜索には有用だったので、おもに哨戒偵察機として使用された。

写真(右)1942年以降、アメリカ、雲の上を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔が設けられている。環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001510 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed)A-29ハドソン(Hudson)攻撃機は、イギリスに貸与されハドソン爆撃機として、第二次大戦勃発直前の1939年5月から沿岸哨戒に投入された。つまり、敵地に侵入しての空襲ではなく、洋上での偵察や哨戒の任務にあたったのである。特にイギリス軍が警戒したのは、ドイツ潜水艦Uボートによる交通破壊戦や艦船哨戒であり、それをさせないための対潜哨戒がハドソン爆撃機の主な任務とされた。

写真(右)1942年以降、アメリカ、イギリス機のような雲形迷彩塗装をしたアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左側面:胴体後上方には銃塔が設けられている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001504 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


第二次大戦勃発1年近くたった1941年8月21日、第269飛行隊ハドソン爆撃機1機が哨戒中に北大西洋上でドイツ海軍VIIC型UボートU-570を襲撃し、Uボートは撃沈を避けるために降伏した。このUボート鹵獲による潜水艦の性能・構造、通信装置など多大な情報が入手された。また、U-570はイギリス海軍潜水艦グラフ (HMS Graph: P715)として1944年2月に維持困難となり退役するまでに3回の作戦に出撃している。1944年3月24日に海没処分された。

写真(右)1942年以降、アメリカ、未舗装飛行場に待機している迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右後面:環状ループアンテナ方位測定器がコックピット後上方にあり、その前にアンテナ柱があり、左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びている。アンテナ線は、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001423 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ハドソン(Hudsons)は、アメリカ工場で生産されたが、その時点では、後上方にブローニング7.7ミリ連装機関銃を搭載したボールトン(Boulton Paul dorsal turret)は未装備でイギリスに貸与された。銃塔は、イギリスに到着後に装備された。

写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路に待機しているアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の正面左側:その後方には2翅プロペラのロッキードL-10エレクトラ輸送機が駐機している。左手前はボーイング(Boeing) 247D輸送機(NC13333)”City of Santa Barbara”の尾部(3翅プロペラ装備)。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001481 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


アメリカから貸与されたロッキード(Lockheed)ハドソン爆撃機をつかったイギリス空軍は、1940年2月、ドイツ海軍ドイッチュラント級装甲ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー (DKM Admiral Graf Spee)が拿捕した商船船員捕虜299名を乗せ、ドイツ本国に帰還中だったが、大西洋北海で、哨戒中のハドソン爆撃機に発見された。そこで、イギリス軍の攻撃を避けるために、当時、中立国だったノルウェーに避難した。しかし、ノルウェー領海から撤去せざるを得ない状況で、 2月16日、イギリス駆逐艦コサックは「アルトマルク」を襲撃、捕虜を解放、救出した。

写真(右)1942年以降、アメリカ、飛行機格納庫近くに駐機している迷彩塗装のアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:近くには、ロッキードL-10エレクトラ輸送機が見える。後上の飛行格納庫は、バーバンク飛行場のもののようだ。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001479 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942年以降、アメリカ、駐機するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の前右面:胴体後上方には銃塔が設けられている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001484 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942年以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機(T-226)の右側面:方位測定器がコックピット後上方の流線形カバー内部に設置されている。その前のアンテナ柱から無線用アンテナ線が伸びていて、碍子を通して後方のアンテナ柱に結ばれている。胴体後上方には銃塔はない。国籍マークは、第二次大戦参戦後の青丸白星。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001443 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


1943年に入ると、ロッキード(Lockheed)A-29ハドソン(Hudson)爆撃機の飛行性能は不十分と判断されるようになり、哨戒任務には、後継機のビッカース ウェリントン双発爆撃機、コンソリデーテッド B-24 リベレーター四発重爆撃機が担当するようになった。しかし、練習機ともなった使いやすい軍用機だったためか、終戦まで、ロッキード(Lockheed)A-29ハドソン(Hudson)爆撃機は、輸送任務や救難捜索任務に活躍し続けた。

写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路をタキシングするアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:環状ループアンテナを使った方位測定器がコックピット後上方に設置されている。胴体後上方には銃塔はついていないようだ。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001441 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


1937年に入ると、アメリカでは環状ループアンテナを使った方位測定器が実用化され始めた。これはロッキード(Lockheed)A-29/ハドソン(Hudson)爆撃機にも搭載され、ループアンテナはコックピット後方の胴体の上に設置された。しかし、その後、環状ループアンテナは小型化され、防水型のケースの中に収められ、コックピット後上方に設置されるようになった。世界一周早回りにハワード・ヒューズ(Howard Hughes)が操縦した愛機ロッキード・スーパーエレクトラ14N(Lockheed Model 14-N2 Super Electra)(登録コード NX18973)の場合、黒いカバーで覆われた方向探知アンテナが、胴体中央上面に設置されている。

写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路でアメリカ陸軍航空隊の国籍マークをイギリス空軍の国籍マークに塗り替えているロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の左側面:胴体後上方には銃塔が設けられていない。方位測定器がコックピット後上方の流線形カバー内部に設置されている。その前のアンテナ柱から左右の尾翼上部に無線用アンテナ線が伸びていて、碍子を通して結ばれている。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001438 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路わきに集められたアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔が設けられていない。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001461 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の諸元
乗員Crew 5名
プロペラ:3翅ハミルトン・スタンダード(Hamilton Standard)定速プロペラ、直径10' 6" (3.20m)
全長Length 13.5m
全高height 3.32m
全幅Wingspan 19.96m
空虚重量 5,488 kg
総重量 8,845 kg
航続距離Range 3,150km
実用上昇限度Ceiling 25,000 feet
最高速力Max Speed 406 km/h (219 knots)

写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路上で真新しいイギリス機の国籍マークに塗られたロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔はない。方位測定器がコックピット後上方の流線形カバー内部に設置されている。その前は、アンテナ柱。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001460 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942年以降、アメリカ、舗装滑走路上で真新しいイギリス機の国籍マークに塗られたロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機の右側面:胴体後上方には銃塔はない。方位測定器がコックピット後上方の流線形カバー内部に設置されている。その前はアンテナ柱。
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001455 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


アイスランドはデンマーク領だったが、1874年に自治を認められ、1904年には自治領へとなり、1918年にデンマーク国王を抱く連合王国として独立した。デンマークは、1939年9月の第二次世界大戦勃発に際し、中立を宣言したが、ドイツの侵攻を受けた。

アイスランドも中立を宣言したが、融和政策をとってきたイギリス首相アーサー・ネヴィル・チェンバレンArthur Neville Chamberlain )に代わって1940年5月10日チャーチルが政権をとった。

1940年5月10日、チェンバレン首相が退陣、チャーチルが新首相に就任したが、ドイツの西方侵攻に直面した。しかし、チャーチルは、同日、直ちに中立国アイスランド侵攻Invasion of Iceland )を発動した。当時、アイスランドは、連合していたデンマークがドイツに占領され、ドイツ軍がアイスランドに無血占領するリスクがあり、そうなればアイスランドを基地としたドイツ海軍潜水艦や航空兵力によって大西洋補給ルートが遮断される恐れがあった。

1940年5月10日、チェンバレン首相が退陣し、チャーチルが新首相となったが、同日即座に、イギリス軍はアイスランド侵攻「フォーク作戦Operation Fork )」を発動し、大西洋の海上交通確を意図して1000名弱の1個大隊規模のイギリス海兵隊をアイルランドに派兵した。

写真(右)1942年2月、アイスランド沿岸を飛行するイギリス空軍第269哨戒飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson) Mark III 爆撃機 (T9465) :アメリカのカリフォルニア州バーバンクのロッキード工場で生産されたハドソン爆撃機で長距離仕様。1940年5月20日にドイツの西方侵攻が開始された当日、居切シュシュ用に就任したチャーチルは、ただちに国際法を無視して中立国アイルランド侵攻を命じ、占領した。1941年7月7日には中立国アメリカがアメリカ海兵隊を派遣しアイスランドを再占領した。アイスランドの軍事支配は、カナダとイギリスを結ぶ輸送船団の重要な航路を防衛するために必要とされたのである。
American Aircraft in Royal Air Force Service 1939-1945- Lockheed L-214 and L-414 Hudson. Hudson Mark III (long-range version), T9465 ‘UA-N’ “Spirit of Lockheed-Vega Employees”, of No. 269 Squadron RAF Detachment based at Kaldadarnes, Iceland, flying along the coast of Iceland. T9465 was a presentation aircraft, paid for by contributions from the workforce of the Lockheed plant at Burbank, California. Date between 1939 and 1945 CS 117 comes from the collections of the Imperial War Museums.
写真はWikimedia Commons,Category:No. 269 Squadron RAF File:American Aircraft in Royal Air Force Service 1939-1945- Lockheed L-214 and L-414 Hudson. CS117.jpg引用。


当時中立を宣言していたアイスランドには、武装警察程度の兵力しかなかったから、アイスランドのドイツ占領を恐れたチャーチル政権に入ったイギリスは、先回りしてアイスランド全土を支配下に置いてしまったのである。もちろん1940年5月10日に開始されたイギリスのアイルランド占領は、ソ連のバルト諸国併合と比すべき、国際法違反の侵略行為である。

しかし、アメリカの参戦と大西洋防衛へのアメリカ進出を目論むイギリスは、アイスランド占領・防衛をアメリカに委ねようとしていた。1941年6月22日にドイツがソ連に侵攻した直後の1941年7月7日、ルーズベルト大統領は、イギリス首相チャーチルの駐留要請を受けて、大西洋の安全保障を理由に、アイスランドにアメリカ海兵隊4000名を派遣し、アイスランドを再占領した。

1941年7月7日の中立国アメリカによるアイスランド侵攻は、アイスランドは、宗主国といえるデンマークがドイツに占領されなすところがなかった状況で、アメリカの豊富な物資支援、軍事援助を歓迎した。アメリカはまた戦争末期、1944年にアイスランドは、デンマーク国王を元首に戴く連合を解消してしまった。デンマークより、アメリカを頼り、同盟国とする選択をしたのである。


Tales of the American Empire 3,750 回視聴 2019/10/26 On July 7, 1941, a large American naval task force with a 4000-man Marine brigade arrived off Iceland. Despite British pressure, the government of Iceland refused to invite the American troops ashore. President Roosevelt ordered the Marines to invade and informed the US Congress that Marines had landed because it was in Iceland’s best interest.

写真(右)1940−1942年前半、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機:雪や冷気による整備不良や損傷を防ぐために、主翼、胴体後上部の銃塔にはカバーが掛けられている。コックピット上部のアンテナ支柱から左右尾翼上部に貼られた2本の無線アンテナの張り方がよくわかる。奥にももう1機のA-29が見える。
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 (6) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 (5) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 (5) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 (4) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、雪に覆われたアメリカ陸軍航空隊第1哨戒偵察飛行隊(1st PR Grp)所属のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed A-29 1st PR Grp Alaska 1941 (2) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


写真(右)1942年9月14日、アメリカ、アラスカ準州、マッキンレー山(標高6190m)を背景にして長大な氷河の上空を編隊飛行するアメリカ陸軍航空隊第8航空軍のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
31st Photographic; 8th Air Force; 6th,7th, 10th,11th Squadrons; B-37s Catalog #: 10_0018458 Title: 31st Photographic; 8th Air Force; 6th,7th, 10th,11th Squadrons; B-37s Date: 1941-1945 Additional Information: World War Two Squadron/Group Tags: 31st Photographic; 8th Air Force; 6th,7th, 10th,11th Squadrons; B-37s, World War Two Squadron/Group, 1941-1945 Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


マッキンリー山(Mount McKinley)の名称は、第25代大統領のウィリアム・マッキンリーに因んで1896年に命名され標高6194メートル(2012年測量前の標高)は北アメリカ大陸最高峰である。2015年9月3日、アメリカ合衆国オバマ政権のサリー・ジュエル内務長官は、標高6190メートル(2012年測量後)のマッキンリー山の公式名称を現地アラスカ先住民が呼びならわしてきた「デナリ」(Denali)に変更する長官令に署名した。

写真(右)1942年9月14日、アメリカ、アラスカ準州、標高6194mのマッキンレー山を背景に雪の山腹の上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機
Lockheed : A-28/A-29 : Hudson Catalog #: 00001491 Manufacturer: Lockheed Designation: A-28/A-29 Official Nickname: Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSmugMug+Flickr.,San Diego Air and Space Museum 引用。


マッキンリー山の由来となるウィリアム・マッキンリー(William McKinley: 1843-1901)は、キューバを領有していたスぺインに対しイエロージャーナリズムをで世論を煽って、1898年に米西戦争(Spanish–American War)を始めた。そして、戦争に勝利して、1898年パリ条約で、スペイン植民地のプエルトリコ、グアム、フィリピンをアメリカ領に併合し、キューバは独立させたが、事実上、アメリカの占領の下に置いた。


写真(上)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊
:アリューシャン列島の島アッツ島、アガッツ島、キスカ島は、グアム島やウェーク島などとともに太平洋戦争初頭に日本軍が占領し、1942年6月3日には、日本海軍機動部隊の空母艦載機がウナラスカ島ダッチハーバー基地を空襲した。アメリカは、領土の奪回のために、1943年5月11日、アッツ島に侵攻、日本軍を玉砕させた。
U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska in the vicinity of Mount McKinley, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e09148.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。


写真(右)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊 :アラスカ山脈マッキンリー山(Mount McKinley)は、北アメリカ大陸の最高峰の標高は6190.4 mで1897年当時の大統領ウィリアム・マッキンリーに因んだ命名である。しかし、2015年より名称を北米先住民の名付けた「高きもの」を意味するデナリ(Denali)に変更している。
U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska with Mount McKinley in the background, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e09147.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。



写真(上)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山(標高6190.4 m)付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊

U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska with Mount McKinley in the background, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.fsa.8e09146.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。


写真(右)1942−1943年前半、イギリス式迷彩塗装をしたアメリカ陸軍航空隊(USAAC)国籍マークのロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:イギリス軍仕様のハドソン爆撃機をアメリカ陸軍方式の塗装、国籍記章を施した機体で、胴体後上方の銃座はカバーで塞がれている。アメリカ陸軍がロッキードに発注したロッキード(Lockheed)A-28攻撃機ではない。
Lockheed Hudson in USAAC markings (not a Lockheed A-28). (U.S. Air Force photo)
Tags: HISTORIC, aircraft
Photo by: | VIRIN: 051122-F-1234P-002.JPG
写真は,National Museum of the U.S. Air Force VIRIN: 051122-F-1234P-002.JPG引用。


イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注した ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二けたの数字を付けた機種形式番号の命名方式だった。ロッキードA-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

ロッキード(Lockheed)A-29ハドソン(Hudson)攻撃機の胴体を輸送任務に使用できるように改造したA-29A攻撃機は、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与され、ハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1哨戒機と命名され使用された。

アメリカ軍機ロッキード(Lockheed)A-28ハドソン(Hudson)爆撃機は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で、オーストラリア空軍が52機が、ブラジル空軍が27機を配備した。

他方、アメリカ陸軍ロッキード(Lockheed)A-29Aハドソン(Hudson)/海軍PBO-1爆撃機は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、アメリカ陸軍航空隊が153機、アメリカ海軍航空隊が20機を使用した。

ロッキード(Lockheed)A-29Aハドソン(Hudson)攻撃は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、輸送機として使用できるように胴体を改装したが、これは第一線機としては性能不足だったためである。イギリス空軍、ドミニオン(RAAF/RCAF/RNZAF)空軍、中国空軍に384機が引き渡されたが、アメリカとしては余剰の第二線機を貸与していたのである。しかし、ロッキード社は、性能不足の機体を量産し続け、利潤を上げることができたので、大歓迎だった。


5.アメリカ軍のロッキード(Lockheed Hudson)AT-18練習機

AT-18機上作業練習機は、217機が、AT-18A航法練習機は83機が生産されている。ただし、アメリカ軍用のA-29爆撃機の大半は、イギリス(RAF)とドミニオン空軍(RAAF/RCAF/RNZAF)に貸与された上記の450機のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark.VI爆撃機である。

写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州サンアントニオ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)AT-18A ハドソン(Hudson)機上作業練習機の機首左側面:プロペラの取付け整備作業中と思われる。A-29攻撃機を原型とした練習機仕様のAT-18は、300機生産された。銃手訓練用のAT-28は胴体腹部に銃座を残していたが、これは航法訓練用で胴体腹部銃座を撤去したAT-18Aで、僅か83機が生産されただけである。
Title: [Mechanics, Lockheed Hudson AT-18A, Pepperell Manufacturing Company] Creator: Richie, Robert Yarnall, 1908-1984 Date: February 1943 Series: Series 6: Negatives and Color Transparencies Negative Series: 2509 Place: San Antonio, Texas
Description: Two aircraft mechanics performing repairs to the engine of a Lockheed Hudson AT-18A aircraft. Only 83 of this model plane were ever built, and used exclusively by the United States Air Force as navigational trainers. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 12.7 x 10.1 cm Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file. A high-resolution version of this file may be obtained for a fee.
Date 1 February 1943
写真は,Category:Lockheed Hudson File:Mechanics, Lockheed Hudson AT-18A, Pepperell Manufacturing Company (11179235346).jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊ロッキード(Lockheed)A-29Aハドソン(Hudson)攻撃機は、大戦中期にはエンジン出力不足で旧式化していたために、それを原型として練習機仕様のAT-18が開発され、300機が生産された。練習機の内訳は、銃手訓練用のAT-28機上作業練習機が217機、航法訓練用で胴体腹部銃座を撤去したAT-18A機上作業練習機が83機の生産である。


6.ロッキード・ベンチュラ(Lockheed Ventura)PV-1哨戒爆撃機

写真(右)1941年以前、飛行場に待機するアメリカ陸軍航空隊所属のロッキード・B-34・レキシントン (Lexington)爆撃機:雲形迷彩塗装を施している。国籍マークは、第二次大戦時から太平洋戦争初期の青丸に白星、中央に小さな赤丸である。
Lockheed : B-34 : Ventura Catalog #: 00006000 Manufacturer: Lockheed Designation: B-34 Official Nickname: Ventura
写真は SmugMug+Flickr,San Diego Air and Space Museum 引用。


イギリスでは、ロッキード輸送機をベースとしたハドソン哨戒爆撃機を採用したが、そのハドソンの後継機が、同じロッキードのベランチュラ哨戒爆撃機である。1940年にイギリスは、中立国だが事実上の同盟国のアメリカのロッキード社に対して、ハドソンの後継機として、ロッキード モデル18「ロードスター」を原型とする哨戒爆撃機を発注した。

ロッキード PV-1(Lockheed PV-1)は、第二次世界大戦中にアメリカ海軍制式のロッキード社製の哨戒爆撃機であるが、アメリカ海軍・イギリス空軍(ベンチュラ:Ventura)に続いて、アメリカ陸軍航空隊でもB-34/B-37の名称で制式されている。

写真(右)1941年以降、ダム湖上空を飛行するアメリカ陸軍航空隊所属のロッキード・B-34・レキシントン (Lexington)爆撃機:国籍マークは、太平洋戦争初期・中期までの青縁付きの白袖を付けた青丸で、白星雲形迷彩塗装を施している。
Lockheed : B-34 : Ventura Catalog #: 00005999 Manufacturer: Lockheed Designation: B-34 Official Nickname: Ventura
写真は SmugMug+Flickr,San Diego Air and Space Museum 引用。


ロッキード・ベンチュラ(Ventura)哨戒爆撃機は、試作1号機が1941年7月に初飛行した。その直後の1941年末には、対日戦の勃発が迫っていたために、ロッキード社は、ロッキード・ベンチュラ哨戒爆撃機の開発と生産を迅速に進めようとし、アメリカ軍用の生産を優先してたために、イギリス軍にロッキード・ベンチュラ哨戒爆撃機が引き渡されたのは、1942年夏以降だった。

写真(右)1943年以降、増加燃料タンクを主翼下面に懸架したアメリカ海軍航空隊所属のロッキード・ベガ・ベンチュラ哨戒爆撃機PV-1(Lockheed, PV-1, Vega Ventura):胴体後下方に7.62ミリ連装機関銃の銃座が設けられている。国籍マークは、太平洋戦争・第二次大戦後期以降の青縁付きの赤線入り白袖を付けた青丸に白星である。
Lockheed : PV-1 : Ventura Manufacturer: Lockheed Designation: PV-1 Official Nickname: Ventura
写真は SmugMug+Flickr,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00006418引用。


アメリカ軍の国籍記章は、
(1)第二次大戦時から太平洋戦争初期:青丸に白星、中央に小さな赤丸
(2)太平洋戦争初期・後期:青縁付きの白袖を付けた青丸に白星
(3)太平洋戦争・第二次大戦末期:後期:青縁付きの赤線入り白袖を付けた青丸に白星
と、戦時中に3選している。

ロッキード・ベンチュラ(Ventura)哨戒爆撃機の原型は、ロッキード モデル10「エレクトラ」輸送機の発展型ロッキード・モデル18「スーパーエレクトラ」輸送機である。ベンチュラ哨戒爆撃機の形状は、ハドソン哨戒機と類似しているが、発動機はプラット&ホイットニーSIA4-G ダブルワスプ(離昇出力1,800馬力)2基に強化されている。また、機首前面に地上機銃掃射用の7.7ミリ機関銃2丁を装備、防御用に胴体後上方にボールトンポール製7.7ミリ連装機関銃装備の動力銃塔を搭載した。また、胴体後方下面にも、7.7ミリ連装機関銃を設けている。ロッキード・ベンチュラ(Ventura)哨戒爆撃機の胴体下面爆弾倉には2,500ポンド(1,135kg)の爆弾搭載が可能である。

ロッキード・ベンチュラ(Ventura)PV-1の諸元
搭乗員:5名
全長:15.77 m 全幅:19.96 m 全高:3.63 m
翼面積:51.9 平方メートル
自重:9,160 kg 全備重量:14,096 kg
発動機:プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン離昇出力2,000馬力2基
最高速力:518 km/h/高度4,025 m) 巡航速度:274 km/h
着陸速度:134 km/h
上昇率:680 m/分
実用上限高度:8,015 m
航続距離:2,670 km
爆弾搭載量: 3,000ポンド(1,363Kg)またはMk13航空魚雷1本、 翼下に5インチロケット弾(HVAR)8発
兵装:機首:前方固定12.7ミリ機関銃2丁、機首下面ガンパック:前方固定12.7ミリ機銃3丁、 胴体後上方:12.7ミリ連装機銃1基、胴体後下方:7.62ミリ連装機銃

⇒写真集Album:ロッキード・ベンチュラ(Ventura)PV-1哨戒機を見る。

ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )の発動機を強化し、若干大型化した発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)輸送機で、1937年7月29日初飛行、354機が生産された。その軍用仕様がロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機で、1938年12月10日初飛行で、2,941機生産された。

ロッキード 14 スパーエレクトラ輸送機の胴体を 5 feet 6 inches (1.68 m)延長し、乗客を増やし、発動機を強化したのが、ロッキード 18 ロードスター(Lockheed Model 18 Lodestar)輸送機で、1939年9月21日初飛行し、625機が生産された。そのロードスターの軍用仕様がロッキード・ベンチュラ(Lockheed Ventura)PV-1哨戒爆撃機で、1941年7月31日初飛行で、3,028機生産された。

ロッキード・PV-1ベンチュラの主翼 551 ft2 (51.2 m2) を 686 ft2 (63.7 m2)に大型化し、武装を強化した改良型が、ハープーン(Harpoon)PV-2哨戒爆撃機で、1943年12月3日初飛行で、ある。しかし、PV-2ハープーン(Harpoon)は、PV-1ベンチュラと同一の発動機一であり、飛行性能は重量増加で若干低下した。生産機数は470機生産されたほか、改造型としてPV-2C練習機が30機、武装強化型PV-2Dが35機生産された。つまり、ハープーン(Harpoon)PV-2は総計535機が生産されたが、ベンチュラPV-1の1,600機に比して、3分の1である。


7.ビーチクラフト モデル 18(Beechcraft Model 18)

写真(右)1941年、アメリカ、アラスカ準州、飛行中のアメリカ陸軍航空隊ビーチクラフト F-2(BeechcraftF-2)写真偵察機:原型となったビーチクラフト モデル 18は、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、1937年1月15日初飛行で、1937-1970年から、9,000機以上が長期量産された。
Beech F-2 Alaska 1st PR Grp Alaska 1941 (4) From the Paul Fedelchak Collection. Fedelchak was born in Brownsville PA, June 22, 1917, served as an aerial photographer in the USAAC from 1939. His duties included service at Chanute Field, Washington and Alaska where he was involved in the aerial surveys that made the Alcan Highway possible. These photos were loaned to the museum for copy by the family. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum 引用。


ビーチクラフト(Beechcraft)社は、前作モデル17 スタッガーウィング (Model 17 Staggerwing) 単発輸送機に次ぐ双発輸送機ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18“Twin Beech”)の開発を1935年11月に開始した。機体は小型で、搭乗員2名、乗客6名で、企業や実業家の個人機として高速輸送、短距離地方間輸送を前提にした全金属製低翼単葉機で、引込み式式降着装置を採用した。

写真(右)1941年以降、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊AT-11 カンザン(Kansan)“BUFF BAby”:全幅47 ft 8 in.、全長 34 ft 3 in.、全高9 ft 8 in.、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985 ワスプ・ジュニア(Wasp Junior)空冷星型9気筒エンジン(排気量16 L) 450 hp (340 kW)2基搭載、全備重量9,300 ポンド、最高速力230 マイル時、実用上昇限度21,400 ft、航続距離850 マイル、0.30-口径7.62ミリ機関銃2丁。1,500 機が量産され、1950年代半ばまで広範に使用された。
Beech : AT-11 : Kansan Manufacturer: Beech Designation: AT-11 Official Nickname: Kansan
写真はWikimedia Commons,San Diego Air and Space Museum Catalog #: 00002297引用。


ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18“Twin Beech”)試作1号機は、1937年1月15日にTWA(トランス・ワールド航空)操縦士ジェームズ・ペイトン、ビーチクラフト社副操縦士ランキンが行った。最高速力325km/hは、当時の戦闘機並みの高速であり、着陸時の失速制限速力は89km/hと極めて定速での侵入が可能で、未舗装の小型滑走路での運用にも便利だった。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると中立国アメリカでも航空機大増産が開始され、1940年にはアメリカ陸軍航空隊から、ビーチクラフト モデル 18Beechcraft Model 18“Twin Beech”)を受注し、軍用輸送機仕様C-45 エクスペディターC-45 Expeditor)も量産に入った。1941年12月の太平洋戦争を契機にアメリカが第二次世界大戦に参戦する、民間仕様はから軍用仕様C-45 エクスペディター、航法練習機仕様AT-7 ナビゲーター(Navigator)、射撃手/爆撃手訓練機AT-11 カンザン(Kansan)が開発、量産に移行している。軍用仕様型モデル18は、5,000機以上が製造された。


8.空と海対談会 (1〜4)
掲載誌 大阪朝日新聞 Vol: 第 8巻 Page: 69 出版年 1942-09-20/1942-09-29
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100124972

写真(右)1941年、アメリカ、メリーランド州(Maryland)州、ボルチモア(Baltimore)、ベツレヘム=フェアフィールド造船所(Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc.)の戦時標準船リバティー・シップの建造
Author Alfred T. Palmer (1906–1993) Title Shipbuilding. "Liberty" ships. A new vessel has just moved off these ways, and the keel is being assembled for yet another in a large Eastern shipyard. The bottom and side shell plating and the inner tank sections are being assembled. All parts are prefabricated in this huge Eastern plant which formerly turned out freight cars. The completed sections are then carried six miles to the ways on flat cars Names Palmer, Alfred T., photographer Created / Published 1941? Headings - United States--Maryland--Baltimore
写真はWikimedia Commons,Category:Liberty ships File:Liberty ship construction 06 side plates.jpg引用。


(1) 造船日に二隻飛行機年五万台 嘘ではないアメリカの大増産 航空日の朝に

大東亜戦下に第三回航空日を迎えるわれら一億の眼に、心に、いまさらのように広麦二億四千万方キロ戦史未曾有の大戦域がアリアリと映って来る、ここで戦い抜き勝ち抜く戦いこそ純然たる近代戦であり立体戦である、制空権の把握と制海権の確保の重大性はいまさらいうまでもなく、制空と制海は今日において、はたまた将来において完勝路上の車の両輪にも等しいのである、いま大東亜共栄圏確立の巨歩堂々と進むとき、空を眺め海を望む日本国民の意気はいよいよ昂揚されている、ここに本社は、航空機の権威橋口義男氏(川西航空機会社取締役)と造船の権威和辻春樹氏[1891-1952](大阪商船会社専務取締役、工学博士)との“空と海”によせる対談会を催し航空日への贈物としたい

写真(右)1943年3−4月、アメリカ、メリーランド州(Maryland)州、ボルチモア(Baltimore)、ベツレヘム=フェアフィールド造船所(Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc.)建造6日目の戦時標準船リバティー・シップ:船台に竜骨キールを据え付けてから4日目、船体の底部が出来上がった。ブロック工法なので、部品をクレーンで運搬して繋ぎ合わせるようにして建造する。
Construction of a Liberty ship at Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc., Baltimore, Maryland (USA) in March/April 1943. Original caption:”On the sixth day, 850 tons of the ship are in place. Bulkheads and girders below the second deck are in place. The bulkheads and inner bottom tanks were prefabricated.” Date April 1943 Source United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e01458
写真はWikimedia Commons,Category:Liberty ships File:Liberty ship construction 07 bulkheads.jpg引用。


東口編集局長 大東亜戦争の進展に伴って生産力の拡充強化がいよいよ必要になり、とりわけ航空機と船舶の生産拡充は急務中の急務だと思いますちょうど二十日の航空日に因みまして橋口さんに飛行機のことをお願いし、船舶の方は平素その方面を御専攻の和辻さんからいろいろ承りたいと存じます

宮崎社会部長 まず敵を知るという意味からアメリカの大量生産の模様を船の方面から和辻先生にお願いいたします

和辻[春樹]氏 アメリカという国は元来前の欧洲大戦前までは世界の海運国でもなければ造船国でもなく、単に製艦技術に於て相当進んでおったのです、ところが前大戦に今度の戦争と同じようにドイツの潜水艦の海上逆封鎖でどんどんイギリスの船が沈められて一九一七年の四月頃には所有船舶が六百万トンぐらいまで沈められてしまった、食糧も剰すところ三週間ぐらいと戦後にはいわれておったくらいだったのです、それでイギリスがアメリカへ船を造ってくれと泣きついたのでアメリカは参戦する前からイギリスの船を造りはじめた

写真(右)1943年3−4月、アメリカ、メリーランド州(Maryland)州、ボルチモア(Baltimore)、ベツレヘム=フェアフィールド造船所(Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc.)建造6日目の戦時標準船リバティー・シップ:船体の底部から上に組み立てるが、ブロック工法なので部品をクレーンで運搬して繋ぎ合わせるようにして建造し、進水可能な船台を占有する期間を短くしている。
Construction of a Liberty ship at Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc., Baltimore, Maryland (USA) in March/April 1943: The bottom shell plates are bolted, later to be riveted together. This was done ten hours after the laying of the keel plates. Original caption:” Bethlehem Fairfield shipyards, near Baltimore, Maryland. Constructing a Liberty ship. Ten hours after the laying of the first keelplate the bottom of the ship begins to form. Bottom shell plates are added which are bolted at first and will be riveted together.” Date March 1943 Source United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e01458
写真はWikimedia Commons,Category:Liberty ships File:Liberty ship construction 04 bottom.jpg引用。


無論当時はスタンダードボート、いわゆる標準船型がきめられまして十一ノット乃至十一ノット半程度の貨物船で種類はおよそ五種類くらい、この貨物船を造るために政府が莫大な金を出して造船所まで新しく造って何十台の造船台が一つの造船所にあるというアメリカ得意の大量生産を実行した、もともと船というものは一番大量生産がやりにくいものです、それをともかくも豊富なる資材と工業力を全部造船に転換して一ケ年三百六十万トンの船を進水させるというところまでやってのけた

然しその出来た船は戦争当時には役に立ったが戦後の不況時に船が剰って来た、交戦国が疲弊して貿易量が減ったのです、このために自然海運市場における競争が激しくなりその競争に堪えられないこれら大量生産の船はずっと河へ繋いでほってあった、今度の大戦でイギリスに譲った六十万トンはこうした船なのです

イギリスの本国へ食料品または軍需品を輸入することが出来る航洋船は最近は千万トンを切って八、九百万トンぐらいではなかろうかと思う

写真(右)1943年4月、アメリカ、メリーランド州(Maryland)州、ボルチモア(Baltimore)、ベツレヘム=フェアフィールド造船所(Bethlehem-Fairfield Shipyards Inc.)建造24日目の戦時標準船リバティー・シップ:進水直前まで工事が進捗した。
Title: Bethlehem Fairfield shipyards, near Baltimore, Maryland. Construction of a Liberty ship. On the twenty-fourth day the ship is ready for launching. The christening platform is in place Date Created/Published: 1943 Apr. Call Number: LC-USW33- 029963-C [P&P] Repository: Library of Congress Prints and Photographs Division Washington, D.C. 20540
写真はWikimedia Commons,Category:Liberty ships File:Liberty ship construction 11 prepared for launch.jpg引用。


無論こんども戦争前まではアメリカは造船国ではなく多い年で年に二十四、五万トン、ひどい年は一、二万トンという国なんです、それが昨年にはもう約六十万トンぐらい拵えている、そしてこの六月には六十六隻、七月には七十一隻、八月には六十八隻、これを平均して一日二隻の割で今年になって八月末までに二百五十六万トンの船を造っていることになっているのですからこの調子でゆくとすれば今年末までに約四百五十万トンの船を造ることになると思います

アメリカの政府は日に三隻を目標としておりますから最近の数字によりましてもそれほど造船所の拡張をしなくとも大体現在程度に造ることは楽だといっていますから、ともかく日に二隻造ることはこれを認めてよいのではないかと思います

本社 それでは橋口さんに飛行機の方をお願いします

橋口氏 飛行機の方にもそういう点があるのです、アメリカが戦争する気になったのは一九三八年の九月、ヨーロッパでミュンヘン会議[Munich Conference]のあった直後はじめてこれは軍用飛行機をウンと作らなければならぬということになったと思います、私はちょうどミュンヘン会議[Munich Conference]のあった直後アメリカへ行きましたがいかに彼らが戦争の準備をしていなかったかという証拠はアメリカ中の四十四、五の飛行機会社が全部工場の中を見せて呉れたことです、私のアメリカ行きはこれが三度目で何もかも見せてくれた

Hitler's Alpine Headquarters パールハーバー[Hawaii]についたとき一日余裕があって飛行機で全ハワイ群島[Hawaii]を周遊し着陸してパールハーバー[Pearl Harbor]へいった時に活動写真機と写真機を取上げられましただけであとは空中写真を全部写さしてくれました、この飛行機工場を見せてくれたのは日本人には何をみてもわからないと思っていたからだと思われます、それがヒットラー[Adolf Hitler]ベルヒテスガーデン[Berchtesgaden]チェンバレン[Neville Chamberlain]などと会ってから以後は飛行機工場は全部見せなくなったのです

アメリカは陸軍国で一九四〇年頃に飛行機を陸軍が千二、三百台持つことになってその程度に進んでいたのですが大東亜戦争が始る前から一年に五万台を造るということを発表した、ところがこれについて国内で□々たる問題が起りあんなことをいってもできるものかといわれ、日本でもとてもできないだろうという論が多かったが最近の情報では年の十二月には月産五千台、一年には六万台でその中二割が練習機であとは全部軍用機だそうで来年の十二月には一ケ月一万台、年に十二万台だから来年中にざっと六万台再来年は十二万台できあがる、この増加率は物凄いものです、今の情報から考えると数年後の生産力は相当大きなものと思われます、その上驚くことはフォード[Ford Motor]が一時間に一台つくっているということで、そうすると一ケ月七百二十台です

フォードの方式[Fordism]ではどの飛行機にも適合する部分品を製作する、そうすると飛行機は造船と違って重工業とはいっても実は軽工業でありますから大体型がきまると自動車工業のように恐ろしい早さで出来、しかも互換性が利く、そうして熟練工を要するところはそんなにない

それでは乗る人間は養成できるかというとこれは民間操縦士つまり自家用飛行機をもっている操縦士が一万何千人いたのです、とにかく大量生産のできるアメリカだから人間の問題と飛行機をつくるということはできるかも知れない、アルミニウムがたりないだろうという話もあるが必ずしもそうと考えられない、マレー半島をとられたからゴムがないだろうともいうが自動車の屑タイヤを集めただけでも一年やそこらはあるかも知れない銀も代用品があるかも知れません、そういう点を考えると私は飛行機の大増産は嘘だと思わないで本当だと考えて対処して行った方がいいのではないかと考えております(つづく)

写真(右)1940年後半、アメリカ、ペンシルベニア州フィラデルフィア海軍工廠、アメリカ海軍のカーチス級水上機母艦アルベマーレ(USS Albemarle (AV-5))と水上機母艦カーチス(USS Curtiss (AV-4)):水上機と飛行艇を支援する任務に就いたカーチス級(Curtiss class)水上機母艦は、排水量 8,671 long tons (8,810 t) 全長 527 ft 4 in (160.73 m) 全幅 69 ft 3 in (21.11 m) 吃水 21 ft 1 in (6.43 m) 機関 2 × New York Shipbuilding Parsons-type geared turbines, 12,000 shp (8,948 kW) 4 × Babcock & Wilcox boilers Double De Laval main reduction gears 速力 20 kn (23 mph; 37 km/h) 兵装 4 × 5"/38 両用砲
Description English: The U.S. Navy seaplane tenders USS Albemarle (AV-5), foreground, and USS Curtiss (AV-4), fitting out at the Philadelphia Naval Shipyard, Pennsylvania (USA), in late 1940. Curtiss departed Philadelphia on 2 January 1941 for shakedown, Albemarle on 28 January. Both ships had been commissioned there in November/December 1940. The destroyer USS Trippe (DD-403) and a sistership are at right. The old armoured cruiser USS Olympia (IX-40) is visible in the reserve basin at top, along with an Eagle boat. Note the battleship USS New Jersey (BB-62) under construction in the slipway at far left; two motor torpedo boats are visible just to the left of Albemarle's bow. Depicted place Philadelphia Naval Shipyard Date late 1940 Collection Naval History & Heritage Command Accession number NH 96539
写真はWikimedia Commons,Category:USS Curtiss (AV-4) File:USS Albemarle (AV-5) and USS Curtiss (AV-4) fitting out at the Philadelphia Naval Shipyard in late 1940 (NH 96539).jpg引用。


(2) 貨物船で水上機母艦 大型機に力をいれる米国

空 橋口義男氏(川西航空機取締役)

標準船 本社 次は船と飛行機の性能について…… 和辻[春樹]氏 アメリカでいま造っている船の性能は二種類ありまして、前大戦のとき形式が多く低能速力船で失敗したから、今度は二種類に大きくわけて造っている、片っ方はいわゆる前の戦争の時にやった戦時急造船[Emergency Shipbuilding Program]−エマーゼンシー・フリート、これは機械は往復動式タービンで速度も遅く恰好も悪くて将来戦後には使わないつもりの船と思われ、ただイギリスの注文に応じて向うへ送ってやるだけのもので、重量トン一万五百トンぐらいです、もう一つはアメリカが戦後にも世界の海運市場で外国船と競争が出来るタイプの船、これは三種類の型があり、この種類の船を大分拵えておりますが、戦前に日本へも来ていました、最近の情報によりますとその速いスピードの優秀貨物船のごく大型なものは水上機母艦[Seaplane tender]に改装しているのではないかという想像が出来るのです

八月中の成績をみましても大体は戦時急造船[Liberty ship]だけで優秀な貨物船の方は手控え、造りかけた奴は水上機母艦に改装しているのではないかと思われます、この型は恐らく相当数はあると思いますが性能は非常によいと思われるし、われわれも油断せず研究するなり設計しておく必要があると思います

橋口氏 飛行機の方から申しますとアメリカという国は実に利己主義な点があるのです、自由主義の変化でしょう、それで今年までは或る会社がうんと飛行機を造ったとすると何千台という注文がそこに行きます、ところが来年の注文でその飛行機が落第する、そうするとその注文は打切りで、今度は名も無い会社がぱあっと大きくなってそこへ注文が集中する、それが戦前の姿だったのですが、昨今これは恐らくもっと統制して、自由主義の国とはいいながら結局独裁国に変りつつあります

飛行機会社も統合されて行くようになるでしょうが、戦闘機でいえばカーチス、ロッキード、ベル、グラマン、そういうような会社が同じ目的のものを別々の設計をしているのです、そこでいろいろな飛行機が出てくるのですが技術者が沢山おりますからどんどん自由な型が出来るわけです、家族が沢山おりますと中には一人ぐらい賢い子がいるようなもので、なかなかいい飛行機が出てくる、たとえば速力でいうとロッキードなど六百キロは確に出るという飛行機もできる、しかしアメリカが戦前発表していた飛行機以外のものが戦争後ころっと出て来たというものはありません

ボーイング 大体戦争前に発表して、あわよくばよその国へ売ろうと思っていた□類の飛行機だけが現在出て来ているようです、無論今後第一線にはどんな飛行機が出て来るか予測出来ませんが、そんなに棚から牡丹餅みたいに飛行機はぼんぼんと出て来ません、大体どんなに早くても二年はかからないと製作は出来ない、そうすると本年は本物が出て来ると思う、アメリカの特徴は相当大きな飛行機をということに非常に力を入れている、たとえばボーイング[Boeing]B−17Eというようなものが第一線の希望しているものであり、或はコンソリデ[Consolidated B-24]それから戦争前から準備しておった高性能の戦闘機を持って来ている、しかしそんなに驚くほどの性能ではない、こういう風に今は考えられております、しかし日本という相手を知ったから、今度は考え方が変るでしょう

本社 人の問題はどうでしょう、船を造る人と乗員ですね

標準船 和辻[春樹]氏 御質問の点の一つ、いわゆる造る方の労働力というものは大体今のアメリカ政府の計画では八百万トンとして約六十万人の職工を備えるということになっておりますが、現在は三十万人ぐらいだろうということです、しかし私は三十万人は切れている、二十五万人ぐらいだろうと思います、しかし便利なことには船は型が□っているから割合に労働力は少くても済むということが一つと、それから国民全体が技術のことを知っている、つまり科学知識というものをわれわれよりも皆がよく知っております、小さい時から自動車でもいじくり廻している、自動車の操縦ぐらいは出来ない者は殆どありません、だから他から転向することが容易である、それが一つと、船というものは御承知の通り造船所でやる仕事は船価の約二割乃至四割にしきや相違しない、仮に日本の例をとって申しますと今日のように品物も相当高いという時代では船価の約二割から三割に相当する金額を造船所で使うだけで、あとの金はみな他の工業、原料、機械製作者などいろいろなものに支払う金になる

賃金問題などでストライキをやったりしておりますけれども、労働力の問題はある程度まで解決出来るだろうと思われます

乗組員の方は恐らくアメリカがもっとも苦手とするところと思います、今日ではアメリカも大分船が減っておりますけれど航洋船は六百万トンぐらいになりましたが昨年からの新造船が三百二十万トン、撃沈船を差引いて外洋船は八百万トンぐらいあるだろうと思います、そこで今の乗組員はどうするかというと、これはアメリカ人以外の者を使い得ると思います、アメリカの船というものはアメリカ人以外の乗組員を相当使っている、無論賃金が高いからよそから喜んで来ます、ギリシア人とか支那人を使ってやっておりました、同時に無論アメリカでも対策を講じてアメリカ人のネヴィゲーター−−乗組員養成ということを始めていると思います

橋口氏 アメリカでも相当外国から巻上げた船があるでしょう、沈められた奴よりその方が多くはありませんか

和辻氏 沈められた方が多いです、ドイツやイタリアその他から取った船は五十万トンぐらいで沈められた船は二百万トンぐらいです

(3) 翼にも輪切り注文か 造船界の難所は鋲打ち

和辻春樹博士(大阪商船専務取締役)

本社 飛行機の方でもある程度まで熟練工その他人間の問題は解決出来ますか

標準船 橋口氏 船で一番むつかしいのは鋲打工で一年もすると心臓が悪くなり、しかもなかなか他の仕事に潰しがきかず、従って容易に得難いそうです、ところが飛行機の方では機械力をよく応用しているので、割合腕力がいらず、だから素人工でも転向し易いし、工場も造船所のように騒がしくないから、工員の神経衰弱の率も少く誰でもやり易いと思います

もう一つ航空機製造会社の仕事は和辻さんのお話の船の場合以上に、機体材料や計器類、モーター、プロペラなど部分品に負うところが多く、これらの仕事を差引くと直接飛行機会社のやっている仕事というものは割合少く結局地域的にも国全体からも工業力というものが航空工業を左右するということになります、和辻さん、前の欧洲戦争でアメリカがやったという船を輪切りにしてあっちこっちに注文を出してあとでつぎ合わせたというやり方は、今度もやっておりますか

和辻氏 合成組立式ですか、効果が余りないのかどうか前の戦争の時のようにつくっているということはききません

橋口氏 私は航空界では輪切り注文をしているかも知れないと思っている、半分半分拵えてピタッと合わすことは自動車工業の製造力をもってすればできるし、そういうおそれは十分あります

本社 ベークライトの飛行機は実現性があるでしょうか

橋口氏 アメリカもイギリスも模型は作りました、そして羽根の強度試験、胴体の強度試験というところまではやったようですが、アメリカでは天然物を相手にしてものを造るより合成で物を作るほうが賢いといわれ何でも人造で一生懸命やろうとしています ベークライトのような可物性合成物もそういうわけで熱心ですが、スイッチボックスとか腰掛、卓子のようなものは巧く組合せて、燃えない非常に□いものが出来るが飛行機となるとどうですかね

本社 船の方ではどうでしょう

戦時標準船 和辻氏 船の方は□製品の一部に使うだけです、とても力のあるものはもてますまい

橋口氏 ベークライト工業は、従来日本に□業が盛になったと同じようなものです、将来の研究如何により飛行機に使えるものもどんどん出来るかも知れません

本社 我国造船技術の優秀性−−そういう点について和辻さんいかがでしょうか

和辻氏 日本の軍艦の優秀性はいうまでもなく、これには海軍は血の出るような苦労をしておられます、日本の造船技術というものは□□に負うところが非常に多いのですが、しかし何分造船だけでは船はできない

あらゆるものが必要で機械一つでも材料の良し悪しから、機械の精密度が問題であり、その他叶器にしても何にしても、あらゆるものがよくなければならぬ、ところが残念ながら飛行機でもそうでしょうが、一つ一つが全体から見ていいということはなかなかむつかしい

これは造船関係者だけの罪ではなく、日本人全体が科学技術のことを今までないがしろにしておったためで、今日になって誰も彼も科学科学とワイワイいっても本当の科学技術の印□をもっている人が極めて少いのだから仕様がない、ドイツやアメリカのように国民全体の科学技術の水準が高くならなければ、□船なども断じていいものが出来ない、たとえば簡単な話が日本の一流工場で作ったこの首ふり扇風機[ electric fan]一つでも、故障なしに廻るようになったのは日本では最近です、私は日本の□船はまだまだもう一と息、まだ完成していない、□いと自覚して勉強せねば駄目です

私は日本人に独創性が無いとはいいません、これからは独創でなければいけない、日本はいままで科学技術というものを知らず、科学教育もしない、立派な研究所も作らず、科学者、技術者を優遇することも知らない、これでドイツと同じいいものが出来ると考えるのは、木によって魚をもとめると同じです

橋口氏 今欲しいのはそういう科学性で地理も知り、歴史も知る、修身も知っている、数学も英語も知っていれば、ドイツ語も知っていなければならぬというのが、今までの教育のしかただったのです、しかし和辻さんのお説には賛成できない点があります、それは和辻さんは造船術の大家だから非常に謙遜しておられると思う、私は造船界を見てアメリカの船に日本が負けていると思ったことはない、それからイギリス船舶についていっても必ずしも負けていない

アメリカにもイギリスにも負けていない、成程ドイツには敬意を表すべきものが沢山ありますが然し和辻さんのいわれるようにただ工業国になってからまだ国が若い、従って工業家が少く、法文科系の人が多い、だからといって現在の技術者を責めるのは可哀相です。ただ将来の教育方針を今日からどうか科学□□を急所において技術陣を強化し文化人の科学性も高めてもらいたい、私はドイツ人とは随分長くつきあい、ドイツにもおりドイツ人の学者も□っておりますが、私は日本人はドイツ人に対して決してヒケは取っていない少くとも航空に関する限り負けていないと思う

日本はついこの間まで新しい飛行機を外国から輸入して勉強したのです、わが海軍でも軍艦金□は輸入した、しかしこれは日本人に独創性がないからでなくて、一方では外国のものを買って、いいものだけをもらって自分のものに思いあわせて□を造る、という意味で、だからあのフッドを凌ぐという陸奥、長門が出来たのです、日本の航空界も見本を輸入してはバラバラに分解し研究した、そのうちに今度の支那事変になり、外国の見本は輸入することは出来なくなったが、そのときにはもう独り立ちできるようにはっきりなっていたのです、大東亜戦争後はいうまでもありません、私は現在までのところで日本の飛行機がアメリカのものに比べて部分的に負けているところもあるかもしれません、私は今日の日本の航空機は決してアメリカより劣っているとは思いません、この短期間にこれだけのことをやった日本の航空関係者は実際□いと思う、全部が全部日本がいいとは思わないが、むこうがビックリするようなものがあることは確かで、そういう点私は和辻さんと非常に考え方が□う、私はおめでたいかも知れませんが−−

日中戦争 全体的な日本の第二次的な工業力の水準が低かったのは事実で、支那事変[日中戦争]の前まで利益にとらわれてライセンスを何万円払っても外国の発明品を作ったほうが儲かるというやり方も一度戦争となるとはっきり諦めて背水の陣をしき、技術者も命を惜しまぬ大和魂というわけで技術陣も精進して来た、船型をきめている国際的ロイド・ルールにしばられている歴史の長い造船界と新開地の航空界とは大分違うかもしれませんが、その点和辻さんとは考え方が合わないように思います

(4) 高速の先制に成層圏 [大東亜]共栄圏へどっさり大型船を

和辻氏 日本の技術者不足の問題ですが、理科系統の先生が足りないため、多少粗製□□になるかも知れないが、それでもよろしい、ないよりもましだから、どんどん□成して欲しいものだと思います

橋口氏 そうですね、数が足らないですね

和辻氏 日本人の頭がどうの素質がどうのという問題はこれは軽々しく□□すべき問題ではないのでとに角短い間によくここまで来たものです

橋口氏 そう、短い年数でやろうとするから穴だらけです、いい落しましたが何でもそうでしょうが特に飛行機は操縦者の

魂というものが、私らの造った飛行機の値打を何百倍にしていると考える、もちろん魂だけで勝ったとは考えられませんけれど−− 和辻氏 命のやりとりですから百点のものが百二十点にも百三十点にもなる、この点は日本人の使い手の捨身訓練ですね、使う方が本当によく使って下さるのは造るものとしては実に有難く感じます、だがそれで安心してはいけない、私が現状を悪くいうのも少しでも技術的によくしたいからで、自惚れていたら進歩が止ってしまうのです

本社 ところで大東亜共栄圏の運営をうまくやるためには、現在よりどれくらい余計に船が要るでしょうか

和辻氏 船の方からいいますと、無論大東亜共栄圏は船をたくさん造らなければならん、そうしてそれも大型のものでなくちゃいかんということはいうまでもないのですが、しかしこの大東亜共栄圏を船の一、二等で旅行するような船客は飛行機で輸送する、それで大型の飛行機をたくさん造らなければいかんと思います

国際情勢とか今後の推移で非常に変って来ますが、目安としては昭和十二年以前の共栄圏地域、つまり日本を中心とする朝鮮、満洲、支那、南洋それに共栄圏とヨーロッパ、濠洲、南北アメリカ、アフリカ相互間、こういう方面の貿易量を考え合せて、どのくらいの船が日本を中心として[大東亜]共栄圏内で要るかという計算は出ており、これに共栄圏外の各地と有無相通ずるだけの船は入用で、結局われわれとしては軍用を除いて○○トン、かりに外国船が割りこんでくる時代が来ても○○万トンは必要だろうと思います

とに角わが国の船が事変前の昭和十二年に○○万トン、これから推して今後いかに多くの船をつくらなければならぬかということがわかると思います、よほど一生懸命になってやらねばならぬわけです、それでは今まで船会社はもっとなぜ船をこしらえておかなかったかといわれるが、しかし平生赤字の船会社が船を造るわけにも行かなかったのです、いまは生産拡充もしなければならぬ、銃後へ物資も運ばなければならぬ、そこにいろいろ困難もあるのですが、東条[英機]首相も造船強□を放送され、厚生大臣も産業戦士に激励の放送をされましたが、まことにそのとおりで、何とかしてわれわれも全力をあげ船を造らなければならぬと思っている次第です

九七式重爆 橋口氏 [大東亜]共栄圏内の旅客輸送の問題ですがだんだん飛行機が進歩して来て最近では高い高度を飛ぶようになって来た、成層圏へ行っても、発動機の馬力が下らぬようなものをドイツなどでは一生懸命に研究して成功しつつある、少い密度を飛ぶとすれば物凄い速さになり得るわけですからそういうことから飛行機の速力が早くなる、少い密度のところを地上と同じ馬力で飛べるようになったらうんと速力が出る

□□では地上や海では密度が一定でありますから、もうスピードは進歩しないところまでやって来たのです、船ではノルマンジーが何と頑張ろうとも三十一ノットぐらい、それでいてプロペラー・シャフトの附近にでも乗ったら震動がひどくてしまいには歯が浮いて来ます、これで大西洋を四日も五日も航海したら堪ったものじゃない、無理な速度で愉快も何もない、その点日本の浅間丸、あるぜんちな丸など非常に乗り心地がよく無理をしてない、まず相応の速力を出している、つまり船は大体一定の速力の点まで来ているのです、ところが航空機はまだまだ見込みがある、だから 成層圏[stratosphere]を飛ぶ飛行機は必ず実現する

それならそういう一つの□に向って飛ぶのにどうしたら安全が保てるかというと結局発動機の馬力の問題です、爆撃機が発動機が双発或は四発であるということは、不時着しないということと搭載量を多くするということの二つです、二つまたは四つの機関を合せた馬力の発動機を真中に着けたらどうかというと、それはいかんのです、両手をもっておれば片手を落されても片手でまだ飯を食えるでしょう、双発なら片方やられても片発動機で飛べるわけです

同じ意味で二つより四つ、四つより六発が安全で六発より十二発がなお安全です、こうして結局大きなものになる、それからまた操縦者までこれを経済的にいうと、一人の人が百人運べば安いものになる、一人で機関車を運転して客車を一つ引っぱるのでなくて、客車を十台も二十台も引っぱるから鉄道が黒字になる、それと同じです、時間が十時間以上になると、相当日出、日没の関係が工合悪いので、そういった点を考えますと何人乗って往復に何時間かかるかということが結局飛行機の□□を決める問題でしょう、そういう時代になるといろいろ面白い問題が起ってくる、飛行機旅行で地球を赤道に沿って横に行くのは一番いいらしいのです、赤道に対し地球を縦に飛ぶのは暑くなったり寒くなったりする、そうするといろいろ衣裳の数が要ります、飛行機は三十トンぐらいまでは□上機でいいではないかと思います

飛行機の大きさ、着陸する時の車の大きさなどから、どんなに大きくても五十トンぐらいまでだろうというのが飛行機屋さんの定評です、五十トン以上は飛行艇がよかろうということを各国ともいっております、この間勘定したんですが、航空路で不時着のできない海ばかりの距離の一番長いのは、ホノルル、桑港間で、これが太平洋で一番長くて三千八百キロ、ほかはどこでも三千八百キロ以下です それでホノルル、桑港間を飛べる飛行機だったらどこへでも行ける、安定度をその五割増として五千七百キロ分のガソリンをつめる飛行機をつくらなければならぬ、そうすると大体七十トン、アメリカが一年に五千台つくろうという五十人くらい乗せられる四発八千馬力乃至九千馬力の飛行機、理想をいうと一万馬力ですが、それ位のものになります、だからここを相手にしている日本とアメリカ、この二つの国が航空上一番進歩せねばならぬことになる、従って日本とアメリカの間を征服し得る国がかならず勝利を占めます、世界中どこへ行っても勝ちます、日本は断じてその位置に立たねばならぬと思います

本社 いろいろありがとうございました(おわり)(空と海対談会 (1〜4)引用終わり)


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を見る。
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機
ドルニエ(Dornier)Do18飛行艇
ドルニエ(Dornier)Do24飛行艇
アラド(Arado)Ar-196艦載水上偵察機
ブロームウントフォッスBV138飛行艇
ブロームウントフォッスBV222飛行艇


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