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◆ブリストル(Bristol Type)138 高高度機
写真(上)1938年6月15日、イギリス、イギリス空軍ブリストル 138A(Bristol 138A)高高度試作機
:1936年9月28日、ブリストル・ペガサス(Pegasus)P.E.6S 空冷星型9気筒エンジン(排気量28 L) 高度51,000 ft (15,440 m)に到達。
Čeština: Bristol 138A a Walter Pegas Spec. s kompresorem Date 15 June 1938 Source Letecké vzduchem chlazené motory Walter. Bulletin Walter. 1938, Katalog, p. 60. , Publisher: Akciová společnost Walter, továrna na automobily a letecké motory, Praha XVII - Jinonice in Státní oblastní archiv v Praze (State Regional Archives in Prague), Archivní 4, 149 00 Praha 4, Fond Walter, a.s., No. NAD 1914
写真はWikimedia Commons,Category:Bristol 138 File:Bristol 138A a Walter Pegas Spec. s kompresorem.jpg引用。


1.ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機

写真(右)1931年10月、離陸し上昇飛行するユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機(登録コード:D-UBAZ):大直径プロペラは、高高度で空気密度の低い大気で威力を発揮したが、地上にあるときには、地面とのクリアランスを確保するために、全高を高くするために、長大な脚が必要になった。
写真は, Go to WeirdWings r/WeirdWings by MrPlaneGuy・Michael Hundertmark(1985) Phoenix aus der Asches: Die Deutsches Luftfahrt Sammlung [German Edition] berlin.ISBN-10 3924091021 引用。


『成帯圏』のコロンブス ピッカール教授の偉業に就て
著者 ドイツにて 長岡半太郎

掲載誌 大阪朝日新聞 Vol: 第 46巻 Page: 176 出版年 1931-06-17/1931-06-19

https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100359047 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

気球で一万六千メートル、ピッカール[オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard)]教授の成帯圏探検につき滞独の長岡半太郎博士から面白い解説が届いた、世人は昨年十一月の失敗以来ピッカール教授を「空のドンキホーテ」と呼んだが、五月二十七日の成功以来は「ストラトスフェア(成帯圏)のコロンブス」なる尊称を奉った、さてストラトスフェア(成帯圏)とは?

写真(右)1930年9月頃、スイス、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1とそれに搭乗して1932年8月18日にドイツのアウクスブルク上空16,201 m (53,153 ft)の成層圏に達したオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884年1月28日 - 1962年3月24日)教授とパウル・キッファー(Paul Kipfer):2人は鉄球の中でも頭部を保護する軽量の籠式ヘルメットを被っている。海面の5分の1の低気圧に耐えるために球形の金属ゴンドラに搭乗した。
Photographer Unknown Title Vorbereitung für Stratosphären-Flug Info non-talk.svg Prof. Piccard wieder fertig zu seinem grossen Stratosphären-Flug! Der Brüsseler Prof. August Piccard (rechts) und sein Begleiter, der Schweizer Ing. Kipfer (links) mit ihrem aus Nähkörben verfertigten Sturzhelmen vor der Kugel, fertig zum Stratosphärenflug in 16.000 m Höhe. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Kipfer, Paul Ing.: Assistent und Begleiter von Prof. Piccard, Date September 1930 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-11505
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-11505, Vorbereitung für Stratosphären-Flug.jpg引用。


一、上昇の目的

五月二十七日、二十八日の両日は、日本ではロシヤとの戦争中、日本海海戦とその勝報を得た、誰も記憶に存する日である(予が日露戦争を知らなかったとの報告は全然虚報である)。丁度この両日はまた欧洲人が片唾を呑んで、[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授がストラトスフェア[成層圏:stratosphere]に乗り込んだ報告を待った日に相当するのは、奇怪な偶合であった。人間は地上の動物である。地上七千メートル昇れば酸素の供給がなければ生きておられぬ。

気球や飛行機でまだ高く昇ったためしはあるけれども、空気は稀薄になって、人間はこれに長く堪え得ない。エヴェレスト登山がしばしば失敗に終ったのも、専らこの困難と打勝つことができぬからであろう。それゆえ大気の上層を調べるには、自由気球を放って、それに自記記録機械を載せ、下降した後の記録を検査するより他に方法はなかった。この遣り方で二十五キロメートル以上の高さまで温度の記録を得ている。

しかし科学者の要求する調査は、近年やかましくなった宇宙放射線と称するものであるとか、また太陽から放出するエレクトロンとか、大気の電離状態などである。

宇宙放射線は最初にオーストリアのヘッス、つぎにドイツのコールヒョルスター、アメリカのミリカンらが研究したもので、太陽系の外から来る放射線であって、水の二十メートル、金属の数メートルを通過する激甚なものである。物質の崩壊で生ずる線であると信ぜられている。この線が大気の上層においてはどんなに変るかが問題であった。

電子その他の事柄も、無線電波の伝播とか、北光の出現とか、雷雨の発生とかに直接大関係があるけれども、人の乗っていない自由気球では何とも致し方がなかった。自由気球での観測によると地上十キロメートル附近から大気の上下運動は殆どなくなる。従ってその流れはその上では水平になる。また水蒸気も殆どなくなるから雲はない年中晴天である、温度は零下五十五度位であるけれども、それは欧洲での値であって、赤道ではもっと寒く、しかもその境は十六キロメートル位である。

かような大気の層がストラトスフェア[成層圏:stratosphere]と名づけらるる部分であって地上一万五、六千メートル上ればその真の状態が判然する。どうしても観測者が上って機械で精しく調べねば明瞭にわからない。それでピッカール教授はこの面白い宇宙放射線と電離状態とを観測する目的をもって特殊の装置を作り、観測を実施したのである。(つづく)

写真(右)1930年9月頃、スイス、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1アルミ製密閉球形ゴンドラ(直径2.5m)とその前で作業する1オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884-1962)教授とパウル・キッファー(Paul Kipfer):1932年8月18日に16,201 m (53,153 ft)の成層圏に運んだ水素気球の直径は6.5m、海面の5分の1の低気圧に耐えるだけの頑丈さで軽量さも求められたためにアルミ(Alluminium)製だった。
Photographer Unknown Title Prof. Auguste Piccard mit Forschungsballon Der Flug mit dem Luftballon in die Stratosphäre! Der Schweizer Prof. Piccard will mit einem Ballon in bisher unerreichte Höhen fliegen, um dort wissenschaftliche Forschungen zu unternehmen. Die Gondel des Ballons besteht aus einer Alluminium-Kugel, welche einen Umfang von 6 1/2 m und eine Höhe von 2 1/2 m hat. Die Alluminiumkugel kann hermetisch verschlossen werden, um die kühnen Forscher vor der enormen Kälte und den gefährlichen ultravioletten Strahlen zu schützen. - Prof. Piccard verläßt die Ballon-Kugel durch das Bullauge.. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Date September 1930 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-10379
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-10379, Prof. Auguste Piccard mit Forschungsballon.jpg引用。


二、観測の装置

[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授は、数年前からアルミニューム製の球形ゴンドラを考案した。その球の中には、観測機械だとか、酸素吸入器、酸素の缶、呼吸して排泄した空気の吸収器、二日分の食糧、自分と助手とを容れ、外部を観察するための透明な窓を設けて、全く外気との交通を絶つように密閉し得るようにした。このゴンドラの目方が八百キログラムで、気球の目方も殆どこれと均しかった。

気嚢は単に綿布の内部にゴムを塗ったものであった一昼夜水素を包容すればよいからである。器械は何を持っていたかは不明であるけれども、宇宙放射線はアルミニューム球内で観測可能である。また電離状態も可能であるから、別に困難はない。高さを測る気圧計や温度を測る寒暖計は自記装置をゴンドラ外に設けて置けば差支えないから、容易である。
[写真(気球ゴンドラ内のピ教授)あり 省略]

写真(右)1930年9月頃、ドイツ、アウグスブルク、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1に搭乗準備中の白衣のオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884-1962)教授:金属球の中で、高度15kmの地上の10%の気圧差の健康上の悪影響を受けないように工夫されている。高度10kmでも海面の20%低気圧に下がってしまい、健康障害を引き起こす。
Photographer Unknown Title Testflug eines Stratosphärenballons Der sensationelle Versuchsstart Prof. Piccard zu seinem Flug in 16.000 m Höhe in Augsburg! Die Kugelgondel wird zum Startplatz gebracht. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Date September 1930 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-10404
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-10404, Testflug eines Stratosphärenballons.jpg引用。


三、記録を破ぶる

気嚢には約その七分一容量の水素を詰めた。これでストラトスフェア[成層圏:stratosphere]に上れば、丁度一杯に膨れて来るからである。実際昨年九月以来、四度も上昇を試みて失敗したのであるが、本年五月二十七日朝四時には好天気を幸いに旨く上った。正午ごろには既に最高位置にあって、一万六千メートルの記録を得たのである。

出発地は南部ドイツのアウグスブルヒであったが、正午ごろには遂にスウィスとドイツの国境に達し、南東に流れていた。そのころ肉眼で見たところでは、止め針の頭位であったそうだ。その後暫らく白簀雲に蔽われて所在を失い、皆心配していた。

高空に昇った経験者は、[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]と助手キブフェルは、ゴンドラ内で死んでいるであろうと気遣っていた。自動車で気球の跡を追ったり、飛行機で捜索したりしたけれども、追跡することができなかった。然しオーストリアとイタリーの国境にあるグルグル山の附近を通過したことは、その辺の旅館の主人が望遠鏡で認めたから翌朝捜索隊は隈なく探して、[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授が氷河を渡って村に出ようとするに出会った。

実際二十七日午後十時、氷河の側に下降して、ゴンドラ内に夜を明し、側の断崖を攀じて村に出ようとするところであったそうだ。かくして在来の高さの記録は三千メートル程突破されたが、この飛行は悠々ゴンドラ内で科学上非常に価値ある観測を遂行したのであるから、尋常の記録破りと一様に見るべからざるものである。

これまで臆測のみに止っていたストラトスフェア[成層圏:stratosphere]内の、宇宙放射線とその電離状態を観測するを得たのは、貴重なる学問上の材料を得たのである。殊に喜ぶべきは、高空で使用した器械が全く無事であって、前後の比較が完全に行われ得るからである。(つづく)

[写真(将に上昇せんとする気球 下方がしぼんでいるが、成帯圏に達すると一ぱいに膨れる)あり 省略]

[写真(成層圏を正服した軽気球 これは先月二十七日早暁飛び上ったままオーストリアの上空をさまよい続け遂に目的たる成層圏内、地上一万六千メートルという未曾有の高度を征服した軽気球のゴンドラに冒険者[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]博士と助手のキッフェル[Paul Kipfer]氏が納まっているところ、この成功は将来の気象学界と航空界に多大の貢献をもたらすものとして非常に注目された)あり 省略] [写真あり 省略]

写真(右)1931年5月、ドイツ、アウグスブルク、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1アルミ製密閉球形ゴンドラ(直径2.5m)の搭乗口内部から撮影したオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884-1962)教授とパウル・キッファー(Paul Kipfer):高度16,201 m (53,153 ft)の成層圏にまで上昇する世界記録を樹立するまでに、何回もの気球飛行に挑戦している。水素気球の直径は6.5m、海面の10分の1の低気圧に耐えるだけの頑丈さがある。そのために、開口部(搭乗口)は小型化され、出入りは不便だった。軽量さを追求してアルミ(Alluminium)製だった。
Photographer Unknown Title Auguste Piccard und Paul Kipfer Info non-talk.svg Der Stratosphärenflug Prof. Piccards und seines Assistenten Kipfer! Die beiden kühnen Forscher Prof. Piccard (rechts) und Ing. Kipfer (links) in der Ballongondel. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Kipfer, Paul Ing.: Assistent und Begleiter von Prof. Piccard, Date May 1931 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-11767
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-10379, Prof. Auguste Piccard mit Forschungsballon.jpg引用。


写真(右)1931年5月、ドイツ、アウグスブルク、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1アルミ製密閉球形ゴンドラ(直径2.5m)で高高度飛行に挑戦するオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884-1962)教授:1932年8月18日に16,201 m (53,153 ft)の成層圏に運んだ水素気球の直径は6.5m、海面の10分の1の低気圧に耐えるだけの頑丈さが求められ、開口部(搭乗口)も小型で出入りするのには助力が必要だった。軽量さを追求してアルミ(Alluminium)製だった。
Photographer Unknown Title Augsburg, Stratosphären-Flug mit Ballon Prof. Piccard wieder startbereit zu seinem Stratosphären-Flug in 16.000 m Höhe in Augsburg! Prof. Piccard steigt in die Kugelgondel zu seinem Forschungsflug. Depicted people Piccard, Auguste: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz (GND 118742345) Depicted place Augsburg Date May 1931 Collection German Federal Archives Blue pencil.svg wikidata:Q685753 Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-11753
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-10379, Prof. Auguste Piccard mit Forschungsballon.jpg引用。


四、飛行中の状況

[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授は、二十八日から新聞記者団に取囲まれて、飛行中の状況を話すことを強要されたそうである。上昇の際は無風で、気球は急速に高空に達し、僅に二十五分間で一万五千メートルに上ったから、その間の逐次観測をなすことを得なかったのは残念であった。

しかしアルミニューム球のゴンドラは、旨くできていたから、外部の気圧が七十六ミリメートル(地上の十分の一)に下っても、球内は地上におけると同様であったから、観測には何の支障がなかった。

山登りをして六、七千メートルの高さに達すると、非常に疲労を感ずるものであるけれども、高空飛行を、密閉したゴンドラで行うと、平常と異ならず仕事ができる。これが今度の上昇で得た面白い結果である。

ストラトスフェア[成層圏:stratosphere]における宇宙放射線とか電離状態とかは、観測録を整理し、計算をしてから公表するとのことである。教授は今度得た経験に本づき、将来幾度も観測上昇をなすとの話である。

このように易しく昇れるならば諸国でこれに類した自由気球を飛ばす人が出るであろう。これによって上空の概況が判明するのは喜ぶべき次第である。密閉したゴンドラを利用する方法を授けたのは[オーギュスト]ピッカール[ピカール(Auguste Piccard)]教授であって、今後幾多の改造は行われても、この方法の創始者としての栄冠はピッカール教授のものである。

写真(右)1932年8月、スイス、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の新型気球(直径6.5m)に利用する気体(ガス)を検分するオーギュスト・ピカール(Auguste Piccard:1884-1962)教授:オリジナル解説「有名な高高度研究者ピカール教授は、スイスで新たな成層圏飛行の準備を進めている。ピカール教授の新たな発想が準備中なのである!ピカール教授自身が、新しい飛行のために気球に注入するガス組成を検分している。」
Photographer Unknown author Title Auguste Piccard Info non-talk.svg Der bekannte Höhenforscher Professor Piccard, bereitet sich in der Schweiz auf seinen neuen Stratosphärenflug vor ! Vorbereitungen zu dem neuen Höhenflug Prof. Piccards ! Prof. Piccard überwacht selbst die Gaszusammenstellung für seinen neuen Flug. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Date August 1932 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-13737
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-13737, Auguste Piccard.jpg引用。


写真(右)1932年8月、スイス、チューリッヒ近郊のデューベンドルフ飛行場、ベルギー国立科学研究基金(FNRS)の水素気球FNRS-1搭乗したオーギュスト・ピカール(Auguste Pi、card:188-1962)教授:オリジナル解説「有名な高高度研究者ピカール教授は、スイスで新たな成層圏飛行の準備を進めてる。ピカール教授の新たな着想がまさに準備された!チューリッヒ近郊のデューベンドルフ飛行場で準備。ピカール教授は研究用の器具をゴンドラに運び込んでいる。」
Photographer Unknown Stratosphärenflug, Auguste Piccard Der bekannte Höhenforscher Professor Piccard, bereitet sich in der Schweiz auf seinen neuen Stratosphärenflug vor ! Vorbereitungen zu dem neuen Höhenflug Prof. Piccards ! Die Vorbereitungen auf dem Flugplatz Dübendorf bei Zürich. Prof. Piccard bringt die Instrumente für seine Forschungen in die Gondel. Depicted people Piccard, Auguste Prof.: Physiker, Ballonfahrer, Stratosphären- und Tiefseeforscher, Schweiz Depicted place Stratosphärenflug Date August 1932 Collection German Federal Archives Current location Aktuelle-Bilder-Centrale, Georg Pahl (Bild 102) Accession number Bild 102-13739
写真は Wikimedia Commons, Category:Auguste Piccard・File:Bundesarchiv Bild 102-13739, Stratosphärenflug, Auguste Piccard.jpg引用。


五、教授助手の来歴

[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授は本年四十七歳スイスのバーゼルの近所で生れ、チューリヒ工科大学で初め機械工学を修め、その後物理学に転じ磁気学の大家ワイスの高弟である。その研究も専らその方面にある。その後ベルギー国に招かれ、新に物理学教室を建築して大に面目を刷新した学者である。至って風采の揚がらない、痩せたひょろ長い男である。

二十年前には、ブラッセルの大学はひどく疲弊していたが、ピッカールやドンデアホが改革を行い、今は大いに揮っている。助手のキプフェルも同じくバーゼルの産で、矢張りチューリヒ工科大学の機械工学出である。

専らゴンドラの構造を研究していたそうだが、成功の一部はキプフェルも与って力がある。両人ともスイスに国籍があるから気球にはスイス旗を掲揚していたそうだ。

しかしてベルギー王はブラッセル大学教授がこの壮図を決行したのを喜んで翌五月二十八日にはレオポルド勲章を[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]教授に授与し、キプフェルにも勲章を贈ったそうだ。

ベルギーの物理学は一時盛んであったことがあるが、今世紀の初めになってから研究するものは頗る少くなった。然し英断でピッカール[オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard)]のような人を他国から抜擢したのは具眼であったといわねばならぬ。

日本の古い大学は殆どその大学から出た人でなければ採用せぬようである。恰も同系結婚で子孫が退化すると同様な結果を生じはしまいか。この際人材擢用の実を挙げねば学問の振興は覚束ないと思う。[オーギュスト]ピッカール[Auguste Piccard]の壮挙を記する際、自分の感想をもあわせて記して置く。(おわり)
[写真(アルプス山中に下りたゴンドラ)あり 省略](大阪朝日新聞 Vol: 第 46巻 Page: 176 出版年1931-06-17/1931-06-19引用終わり)

写真(右)1931年10月、ドイツ、ユンカース飛行機工場で製造されたユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の与圧式コックピット:操縦士、機関士の搭乗するスペースは、高高度の低い空気密度とコックピット内の高い気圧の格差を支えるだけの気密性と強度が求められた。そのため、開口部を極限まで縮小し、視界を得るためのガラス窓も気圧差に耐えられるように小さく円形なものを少数並べるにとどめている。
写真は, Go to WeirdWings r/WeirdWings by MrPlaneGuy・Michael Hundertmark(1985) Phoenix aus der Asches: Die Deutsches Luftfahrt Sammlung [German Edition] berlin.ISBN-10 3924091021 引用。


⇒写真集Album:オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard)の成層圏気球を見る。 

写真(右)1931年10月、未舗装滑走路に待機するユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機(登録コード:D-UBAZ)の前面:固定脚、4翅大直径固定ピットプロペラを装備。手前の左主輪付近には10人の地上勤務員らしい人々が集まっている。
Junkers Ju 49 (1931)Первый полет состоялся в 1931 году. В 1933 году самолет достиг высоты 9300м, а 1935 году высоты 13000м.
写真はFree web-hosting with CMS, высотный, исследовательский・File:Bundesarchiv Bild 102-12368, Junkers-Stratosphären-Flugzeug Ju 49.jpg引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 の諸元
乗員Crew: 2名
全長Length: 17.21 m (56 ft 5.5 in)
全幅Wingspan: 28.24 m (92 ft 8 in)
主翼面積Wing area: 98.0 m2 (1,055 sq ft)
空虚重量Empty weight: 3,590 kg (7,916 lb)
総重量Gross weight: 4,250 kg (9,371 lb)
発動機Powerplant: 1 ×ユンカース(Junkers)L88a V型12気筒4ストローク(排気量45.8 L)液冷エンジン2段排気ガスタービン過給機(supercharger)付き596 kW (800 hp)
最高速力Maximum speed: 146 km/h (91 mph, 79 kn) at sea level; 220 km/h (136 mph) at 13,000 m (42,700 ft)
実用上昇限度Service ceiling: 13,015 m (42,700 ft)
上昇率Rate of climb: 3.5 m/s (690 ft/min) to 8,000 m (26,250 ft)

図(右):ドイツ、ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の三面図:与圧室、排気タービン、大直径プロペラ、高アスペクト比の大きな主翼と高高度飛行のための技術を取り入れた設計になったが、高高度の低気圧とコックピットの気圧差がを解消する与圧室が難題だった。
Junkers Ju 49, an experimental aircraft designed for high altitude flight and cabin pressurization technique testing first flown in 1931. Powered by a Junkers L88 V-12 engine, the experience gained on this aircraft lead to the development of pressurized military aircraft such as the Junkers Ju 86P.
写真は , Go to WeirdWings r/WeirdWings by MrPlaneGuy・Michael Hundertmark(1985) Phoenix aus der Asches: Die Deutsches Luftfahrt Sammlung [German Edition] berlin.ISBN-10 3924091021 引用。


高空征服への一歩 地上に成層圏 : やがて太平洋も十時間で : 帝大で素晴しい試験
掲載誌 東京日日新聞 Vol: 第 3巻 Page: 6 出版年 1933-03-09
https://hdl.handle.net/20.500. 14094/0100168629 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

[写真(低温低圧風洞)あり 省略]
ベルジューム気象学の権威ブラッセル大学[オーギュスト]ピカール[Auguste Piccard]教授は一九三一年五月軽気球に乗って一万五千七百メートルまで上昇し更に昨年八月一万六千五百メートルの上空をきわめて高度上昇の世界新記録を作り成層圏[stratosphere]に対する新発見を多数にもたらしいわゆる無碍の世界ともいうべき成層圏−地上に嵐が吹いていても雨が降っていても成層圏には低空気象の影響はない−飛行への完成は今や世界の航空界、気象界に残された大問題として世界各方面の研究の焦点となっているがわが国でも帝大航空研究所で早くも大正十四年来故田丸卓郎博士や佐々木達治郎博士が研究に没頭し故田丸博士考案、佐々木博士が設計に当って成層圏[stratosphere]と同一の条件を具備する計器(飛行機の速度計、高度計その他)研究の設備を痛感して同十五年経費十五万円を投じて『低温低圧風洞』の設備に著手し爾来八ケ年の長年月を費して苦心惨憺、最新科学の粋をあつめた工事を急ぎつつあったがいよいよ本月中旬をもって目黒の航空研究所内に『低温低圧風洞』の設備が完成し、来る四月から新設備による成層圏飛行への光彩ある実地研究の第一歩を踏み出すことになった、

しかもこれは世界無二の設備で全く日本が先鞭をつけたものである、この設備は一万メートル以上の高空、いわゆる成層圏[stratosphere]におけると同様の低温(零下五十度以下)低圧の気象状況を現出する装置でこの風洞内においていろいろな航空計器の実験的研究をなすものであるこの実験的研究が完成された暁には成層圏における人間の体力の研究と相まって現在の航空機では不可能とされている成層圏内飛行が可能となり田中館博士が二十年も前から唱えている『高天ケ原飛行』によって太平洋横断も僅十時間の短時間で出来るという世界航空界未踏の研究資料がこの風洞の計器実験から生れようという訳である、右について航空研究所の水口事務官は語る

世界で唯一のものです、この風洞によって航空計器の実験を行い成層圏[stratosphere]では如何にその性能が変化するかを研究して成層圏飛行の参考にするもので広さ五、六十坪高さ五、六間の建物の中に設備され純国産品で作り上げたものです

⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度機を見る。 


2.フランスの高高度機ポテーズ(Potez)506複葉機

写真(右)1933年、フランス、ポテーズ(Potez)506複葉機の左前方:3翅固定ピッチプロペラ装備、固定脚で引込み式降着装置ではない。ガラス風防のついた開放式コックピットで、与圧室ではない。操縦士は、縊れた繭式のヘルメットを被り、与圧スーツを着込んでいる。
Potez 506, French absolute altitude record setting aircraft Source "The new altitude record". Flight. Vol. XXV, no. 42. 19 October 1933. p. 414. Article Potez 506 Portion used Cropped portion of page Low resolution? Yes Purpose of use To illustrate historic aircraft article
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Potez 506.png引用。


1936年8月14日、フランスのポテーズ(Potez)506複葉機は、高高度48698フィート(14843m)に達し、高高度世界記録を樹立した。その1か月後、1936年9月28日、イギリス空軍ブリストル 138(Bristol Type 138)は、F.スワイン飛行隊長が搭乗し、高度49967フィート(15230m)の高高度世界新記録を更新した。

空気の欠乏も何かは高空十五哩へ上昇 : 三倍の能力を発揮する発動機 : 川崎とファルマン提携 : 空の一九三六年
大阪毎日新聞 Vol: 第 3巻 Page: 51 出版年 1933-12-16

https://hdl.handle.net/20.500.14094 /0100129396

「空の一九三六年」をめざしてわが民間の三大飛行機製作所−川崎、中島、三菱−の間に世界制覇を誇る優秀機の国家的製作競争が展開されるだろうことは一般に予想されているが早くも川崎では他に魁けて仏国のファルマン会社と提携して優秀発動機製作の三ケ年計画を確立したと伝えられている

これより先、九二式戦闘機八八式軽爆撃機・偵察機、八九式重爆撃機等々の優れた陸軍機を製作した川崎造船所飛行機工場は飛行機の心臓ともいうべき発動機がドイツからパテントを買ったBMW一点張りだっただけに、ひとしく発動機において行詰った三菱、中島の両者よりもその行詰り方は一層ひどかった、一方陸軍には満洲事変の貴重な体験から飛行機の性能向上を強調する声が漸く高く加うるに空の充実を劃期的に強要する一九三六年の切迫!三大飛行機製作所の眼と耳はいずれも欧米諸国の優秀な発動機に向けられるとともに内は独創の改良、発明への緊張となったのであった、

川崎 九三式単軽爆撃機 キー3 他方また欧米諸国でも飛行機は軽く速く上昇能力が大きくて航続時間の長いことを目標に仏国のイスバノ・スイザ、ファルマン[Avions Farman]、サルムスン(仏)英国のロールス・ロイス、サルムスン(英)イタリのフイアット、ドイツのユンカース、米国のライト等々一流の航空用発動機製作所の間に時には火花を散らすスパイ戦まで演ずるほど競争しているが、まずナンバ・ワンの凱歌は仏国のファルマン会社にあげられたのであった

即ちファルマンでは総支配人シャルル・ワセージュ氏を中心に数年にわたる発動機改良の特別研究の結果、このほどに至りレコンプレスール[Compresseur]という特殊な気体高圧装置[圧縮機]を附加した十二、十六、十八シリンダのV型[水冷式]W型水冷式による発動機の製作を完成して発動機のすばらしい軽量化と高空飛行における空気の欠乏を十二分に補うことに成功したのであった、

この発動機を利用すれば全重量五百キログラムの発動機で実に千五百馬力の偉力を発揮し時速五百キロの快速で十二−十五マイルの高空まで上昇出来、普通航空には楽に時速平均四百キロを持つといわれている

この新発明に逸早く眼をつけたのが川崎で両者間の交渉が成立してファルマン会社からは発明の主ともいうべきワセージュ氏自身が夫人同伴で去る十月初旬来朝、毎日川崎飛行場で設計、組立、性能試験を極秘裏につづけていたが最近終了したので同氏は十九日神戸出帆の龍田丸で帰国することになった世界で最も古い歴史と新技術とを誇るA HREF="https://av8rblog.wordpress.com/tag/avions-farman/">ファルマン[Avions Farman]と川崎のコンビに一九三六年の空の充実は非常に期待されているがワセージュ氏が残して去った一枚の設計用青写真に川崎自身が加える独創の新技術に対して非常な注目が払われている(空気の欠乏も何かは高空十五哩へ上昇 : 三倍の能力を発揮する発動機 : 川崎とファルマン提携 : 空の一九三六年引用終わり)

日本郵船の貨客船「浅間丸」「秩父丸」の姉妹船龍田丸の諸元 起工 1927年(昭和2年)12月3日 進水 1929年(昭和4年)4月12日 竣工 1930年(昭和5年)3月15日 就航 1930年(昭和5年)4月25日 最後 1943年(昭和18年)2月8日沈没
総トン数 16,955 トン 載貨重量 8,170 トン
全長 178.0 m 全幅 21.98 m 型深さ 12.98 m 喫水 8.71 m
主機関 2サイクル単動空気噴射式ディーゼル機関 三菱スルザー8ST68/100 4基4軸
最大出力 20,663馬力
定格出力 4,000馬力×4 最大速力 21.232ノット
航海速力 19.0ノット
旅客定員 計 839名
一等 239名 二等 96名 三等 504名 乗組員 330名


3.ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機


写真(上)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)

K4879 on the Ground.
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


イギリス航空省は、1934年スペック2/34で高高度50000フィート(15240m)に達成可能な高高度実験機の使用を出し、ブリストル社は ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機でそれに答えた。

ブリストル 138(Bristol Type 138は、木製構造、固定脚で、発動機は過給機(スーパーチャージャー)付きのブリストル・ペガサス(Pegasus)エンジンを装備し、全幅66フィート(20.1m)の高アスペクト比の長大な主翼とした。初飛行は、1936年5月11日、ウィンズ大尉の操縦で行われた。


写真(上)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)も真正面
:降着装置の支柱は細く、短いのは、記録達成のために高高度に上昇るために、住協軽減を実施いてからである。
K4879 on the Ground.
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


1936年9月のブリストル 138(Bristol Type 138)による高高度飛行は、イギリス空軍F.スワイン飛行隊長の操縦で、高度49967フィート(15230m)の高高度世界新記録を樹立した。これ以前の世界記録はフランスによる48698フィート(14843m)だったので、イギリスが高高度世界記録を更新したのである。

写真(右)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879):密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用しなければならなかった。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


しかし、このブリストル 138(Bristol Type 138)による高高度世界記録は、1937年5月にイタリアのカプロニ(Caproni)Ca.161複葉機が1938年10月22日に高度15,655 m (51,361 ft)まで到達して記録を更新した。

写真(右)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)の左側面:降着装置を軽量化したため、固定脚の支柱は細く短くなっている。そこで、地上における静止時の機体仰角も小さく、離陸のための滑走距離は長くなったであろう。
Preparing for Flight:
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


ブリストル 138(Bristol Type 138)の空虚重量(自重)は1992 kg(4391 lbs(ポンド))、上昇率は、毎秒7.3 m/sで、これは飛行場が標高 100 m (300 feets)にあったので、そこからレベル 100、すなわち海面上高度10,000 フィート(3 km)上がるのに約7分を要することになる。最高速力は、時速198 km/h、すなわち時速 107 kn(ノット)あるいは時速 123 mph(マイル)であり、当時の単葉単発の飛行機の最高速力の半分程度と遅かった。

イギリスのブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機は、ブリストル・ペガサス(Pegasus)P.E.6S 空冷星型9気筒エンジン(排気量28 L) にスーパーチャージャー (supercharger:機械式過給機)を設置し低気圧、低密度の酸素でエンジンを駆動し、操縦士は与圧飛行服と与圧ヘルメットを着用して高度50,000 ft (15,240 m)での飛行を目指した。

写真(右)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)のエンジンを始動する起動車:エンジンにイナーシャ(はずみ車)を設けて人力手動で回転させてエンジンをかけたり、電動モーターを取り付けて起動することも可能であるが、高高度記録を樹立するには、このような余分な重量が嵩むのは避けなければならなかった。そこで、起動車利用となった。
Preparing for Flight:
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


日本航空學會誌 昭和11年12月 第3巻第20號によれば、「飛行機高度記録;Flight 30卷1449號; 1936/10/1. Ailes 799號; 1936/10/8; 6頁.-英國空軍のF.R.D. Swainは9月28日,ブ リストル138型 単葉機(ブリストル"ペ ガ サ ス"2段過給機付)(第1図)を操縱して15,230mの高度に達し,去る8月14日,佛國のG.Detreが樹立した14,843mの国際高度記録を破った。」


写真(上)1936年以降、イギリス、エンジンを始動し4翅プロペラを回転させているブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)

English: Pictured is the Bristol Type 138 High Altitude Monoplane, K4879. Completed in early 1936, the aircraft was routinely capable of achieving 50,000ft and could also carry an observer when necessary. The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these happened during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later homologated by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m). Organization: RAF Object Name: H-1387 Category: MOD Supplemental Categories: Aircraft, Equipment, People, Historic Keywords: K4879, Royal Aircraft Factory S.E.5, Historic Aircraft, RAF, Royal Air Force, Historic, Equipment, Aircraft, B&W, Black and White, Monoplane, High Altitude, Bristol Type 138, Research Aircraft, Inter War Years, RAF 100 Country: UK Date 14 February 2018, 15:27:00 Metadata source: www.defenceimagery.mod.uk Author Air Historical Branch-RAF
写真は, ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv File:100 years of the RAF MOD 45163649.jpg引用。


大陸の風潮を移して英国にも左右の嵐 : 争う独露の双方を非難 時事新報 東京時事新報 Vol: 第143巻 Page: 159 出版年 1936-09-13
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100334942

(ロンドン特派員十一日発)ヨーロッパ将来の政治機構がファッショ化するか或は共産的色彩を濃厚にするや否やを決すべき深刻なる闘争はスペインに於てのみならずイギリスに於ても遠からず行われんとする情勢がいよいよ顕著となって来た、ヒトラー総統はイギリスの好感を獲得せん為め懸命の努力を試みているが、ユダヤ人迫害の狂態と侵略的工作とは旧独領植民地回復要求に対するイギリスの全面的反対を招致している、

上院にはロンドンデリー侯、ロシヤン侯及び下院にはロイド ジョージ氏等有力なる親独論者が控えているがドイツがスペイン叛軍に飛行機を供給して支援した為めイギリス民衆の対独感情を不利に導いたことは確実である、外交消息通の観測に依ればドイツ政府の目的はフランスをファッショ国家を以て包囲することに依って、その対独作戦の遂行を不可能に陥らしめ、またイギリスの中立を確保して対露侵攻戦に際し後顧の憂いなからしめるにありと云われている、

ロシヤに於ける反幹部派の判決はイギリス人の対露好感を著しく傷け対露関係に関する輿論の帰趨は現在のところ混沌たる情態である、スペイン内政不干渉政策は一般に好評であるけれども究極に於けるイギリス輿論の動向こそヨーロッパの運命を最後的に決定する上に重大関係ありと見られる(大陸の風潮を移して英国にも左右の嵐 : 争う独露の双方を非難引用終わり)

写真(右)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)に乗り込む与圧スーツを着用するアダム(M.J. Adam)中尉:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用しなければならなかった。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


大西洋横断定期空路開始 : 関係国の協定成立
大阪毎日新聞 Vol: 第 4巻 Page: 29 出版年 1936-08-01

https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100205496

【ロンドン三十日発同盟】英国航空次官サー・フィリップ・サスーンは三十日下院で大西洋横断定期空路に関する協定が関係各国間に成立した旨を言明左の如く述べた

大西洋横断定期郵便飛行に関してはかねて英、米、カナダ、ニューファウンドランド、アイルランド各国間で協議を進めていたが今回協定成立、近く一週二回の定期旅客郵便飛行を開始することとなった(大西洋横断定期空路開始 : 関係国の協定成立引用終わり)

写真(右)1936年以降、イギリス、ブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)に乗り込む与圧スーツを着用するアダム(M.J. Adam)中尉:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用し 53,937 ft (16,440 m)まで上昇した。これは高高度飛行の世界記録だった。
Preparing for Flight:
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


イタリアの世界記録を抜くために、イギリスは再度の挑戦を試みた。

ブリストル 138(Bristol Type 138)は、軽量化するために、降着装置の主輪を小型化しブレーキも撤去した。プロペラも高高度に適した固定ピッチとし、ペガサス・エンジンをオーバーホールして再調整した。

1937年6月30日、イギリス空軍J.アダム中尉の操縦で、ロンドン西60kmフェアボーン飛行場を離陸し、ロンドン西120kmイギリス空軍ネザーエイヴォン(Netheravon)基地に2時間15分後に着陸したが、その間に高度53937フィート(16440m)に達して高高度世界記録を塗り替えた。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行場を離陸したばかりのブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879):密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用した。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


ブリストル 138(Bristol Type 138)の操縦者J.アダム中尉は、与圧スーツを着用し、酸素吸入式の密閉式曲面ガラス付きヘルメットを被っていたが、高高度でコックピット・キャノーピーがひび割れは損したが、与圧スーツのために大事には至らなかった。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)の左下方:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用した。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


1937年5月に高高度世界記録を立てたイタリアは、イギリスのブリストル 138(Bristol Type 138)に世界記録を破られたために、カプロニ(Caproni)Ca.161を改良して再度、高度世界記録に挑んだ。

カプロニ(Caproni)Ca.161bis機複葉機は、全長27フィ−ト3/4インチ、全幅46フィート9インチ、主翼面積382平方フィート(35.49m2)、全高11フィート5・3/4インチ、ピアッジオ(Piaggio)P.XI R.C.100空冷星型14気筒エンジン700hpを搭載し、1938年10月22日に再度の挑戦をなし高度17,083 m (56,047 ft)まで到達して高高度世界記録を再び更新してイタリアの技術力を見せつけた。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)の左下面:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用した。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 のように、10km以上の高高度を飛行する高高度飛行機、すなわち「成層圏航空機」は、操縦士、機関士などの搭乗するコックピットの気圧を、人間が長時間耐えられるような低高度の気圧にまで高める「与圧室」も設ける必要があった。室内と外気の気圧格差が大きいので、与圧室は隔壁の強度を維持するために繭のような形状にして、気密性と強度の両立を図っている。気圧格差が大きい高空を飛行するには、高高度まで上昇できるように航空機は軽量であり、かつ気圧格差に耐えられるだけの強度が与圧室に求められた。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)の左上面:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用した。
Preparing for Flight: The Bristol Type 138 High Altitude Monoplane was a British high-altitude research aircraft developed and produced by the Bristol Aeroplane Company during the 1930s. It holds the distinction of setting nine separate altitude world records, the ultimate of these occurring on 30 June 1937, during a 2¼-hour flight flown by Flight Lieutenant M.J. Adam, in which he achieved a record altitude, which was later approved by the Fédération Aéronautique Internationale as having attained a maximum altitude of 53,937 ft (16,440 m).
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


つまり、ブリストル 138(Bristol Type 138)のような高高度を飛ぶ航空機には、深海の高い水圧の中を航行する潜水艇と同じように、呼吸用の酸素供給が溜まった居住空間を隔壁で覆って密閉する必要があった。他方、潜水艇では、重量の影響をあまり配慮する必要がないが、航空機では、軽量化しないと高高度にまで上昇することができなかった。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879):密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用しなければならなかった。
English: Original photograph taken by an employee of the British government. Image found on: avia.russian.ee/air/ england/a_bristol.html Source avia.russian.ee/air/ england/a_bristol.html
写真は, ETH-Bibliothek Zürich, Bildarchiv LBS_SR02-10803引用。


地球の大気圏は、下層から対流圏[troposphere]成層圏[stratosphere]・中間圏(100km)・熱圏(500km)・外気圏と層をなしている。成層圏[stratosphere]とは、地球大気の対流圏の上空にある大気圏である。対流圏と成層圏との境界は、高緯度の極地では高度8km、低緯度の赤道では高度17kmである。成層圏と中間層の界面高度50kmである。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)右側面:密閉式ガラス風防のコックピットだが、風防を開放して飛行している。与圧室ではないために、高高度飛行する操縦士は、与圧飛行服と与圧ヘルメットを着用した。
English: Original photograph taken by an employee of the British government. Image found on:http://www.unrealaircraft.com/gravity/pages/bristol_138.php
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機は、固定脚だが、重量軽減のために脚は細く車輪カバーも取り付けていない。ただし、空気密度の低い高高度用の大直径プロペラを装備したために、降着装置の脚は以上に長い。

なによりも、ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機の特徴は、与圧コックピット操縦室で、高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる点にある。高高度記録を更新したわけではないが、パイロットの技量・体力・勇気に依存する高高度席記録よりも、乗客に快適な与圧キャビン、少なくとも操縦者には安全な与圧コックピットの開発には、世界記録更新よりも、その後の航空界にプラスの影響をもたらしている。

写真(右)1936年以降、イギリス、上昇飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)右下面:密閉式ガラス風防のコックピットだが、風防を開放して飛行している。与圧室ではないために、高高度飛行する操縦士は、与圧飛行服と与圧ヘルメットを着用した。
English: Original photograph taken by an employee of the British government. Image found on:http://www.unrealaircraft.com/gravity/pages/bristol_138.php
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination, Bristol Type 138 High Altitude Monoplane 引用。


ユンカース(Junkers)Ju 49 高高度実験機には、酸素マスクだけでなく与圧式コックピット操縦室が設けられている。気圧格差に耐えるために、堅牢な繭型で、気密性を高めるために、出入り口は小さく、視界を得るためのガラス窓も小さな円形にとどめている。高高度の低気圧の中でも低高度の気圧を保つことのできる 与圧コックピットには、気密性と軽量で高い強度が求められた。

写真(右)1936年以降、イギリス、飛行中のブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879):密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室ではないために、高高度飛行中の操縦士は、与圧飛行服と与圧ヘルメットを着用しなければならなかった。
English: Original photograph taken by an employee of the British government. Image found on:http://www.unrealaircraft.com/gravity/pages/bristol_138.php
写真は, Category:Bristol 138 File:Bristol 138 1.jpeg引用。


高度と気圧の低下は、
18000フィート(5486m)1/2
27000フィート(8230m)1/3
38000フィート(11582m)1/5
50000フィート(15240m)1/10
と 加速度的に気圧は低下する。

1936年10月、イギリス航空省はブリストル 138(Bristol Type 138)の成功を受けて、高高度爆撃機プロジェクトに着手し、1937実験機プログラムで実機の開発を始めた。イギリス空軍参謀本部もB.25/37で与圧キャビン装備の四発重爆撃機に着手した。

1938年4月、イギリス空軍参謀本部は高高度機の研究を進め、年末にはヴィッカース ウェリントン(Vickers Wellington)爆撃機に与圧キャビンを備えることを計画した。このような高高度実験機は、どれも実戦用には実用化できなかった、

 D.H.モスキート その後、第二次世界大戦中に、デ・ハビランド モスキート(de Havilland DH.98 Mosquito )B Mk. XVI爆撃機、スーパーマリン スピットファイア(Supermarine Spitfire)Mk.VI戦闘機への与圧室装備につながることになった。

1943年10月23日初飛行のビッカース ウィンザーVickers Windsor)四発重爆撃機は、高高度爆撃機として開発された。全幅35.71 mの高アスペクト比の大きな主翼の平面形状は、ブリストル 138(Bristol Type 138)と類似しているが、最大の特徴は、大圏構造の胴体と与圧キャビンである。全長:23.43 m、全幅:35.71 m、全高:7.01 m、全備重量:24,495 kg、発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin)65液令V型12気筒エンジン1,635 hp4基、最高速力:510 km/h、実用上限高度:8,300 m、航続距離:4,660 km、防御火器:20ミリ機関砲4門、爆弾搭載量 3,630 kg。生産は3機のみの試作に終わった。 乗員 4名

図(右)1936年製造、イギリスのブリストル 138(Bristol Type 138)高高度実験機(K4879)の三面図:密閉式ガラス風防のコックピットだが、与圧室 ではない。高高度飛行する操縦士は、与圧飛行服と密閉式ヘルメットを着用した。
Bristol Type 138 | scale Posted on 2021-07-25 | By aviation British high altitude airplane. Function: high-altitude research aircraft Manufacturer: Bristol Aeroplane Company Produced: 1936
写真はDESTINATION'S JOURNEY Travel Blog – About the Journey Not Just the Destination
写真は, Aviation CZ Airplane and RC models film and video database Bristol Type 138 | scale引用。


ブリストル 138(Bristol Type 138)の諸元
乗員:1名
全幅Wingspan: 20,12 m
全長Lenght: 13,41 m
翼面積: 52.8 m2 (568 ft2)
空虚重量: 1,996 kg
最大離陸重量 Max.takeoff weight: 2409 kg
発動機:ブリストル(Bristol)ペガサス(Pegasus) P.E.6S 空冷星型9気筒エンジン370 kW
最高速力Max. speed: 198 km/h / 海面上
最高速力:285 km/h / 13,715 m
上昇限度:16,500 m
上昇時間:436 m/min/高度 12,190 m
航続時間:2,25 h


Bristol Type 138 High Altitude Monoplane (1937)

アブロ621 チューター 成層圏の上空は、中間圏で、その境界は、高度50kmである。したがって、成層圏に達するには、中緯度であれば高度12−13kmである。つまり、成層圏飛行機とは高度1万2000m以上まで上昇、高高度で飛行し続けることの可能な航空機ということになる。

成層圏では強い対流は見られないが、対流圏上部の偏西風の影響を受ける。他方、成層圏上部では、気圧差とコリオリから、地軸の傾きに応じて冬は成層圏偏西風、夏は成層圏偏東風が吹いている。

マイルス マジスター 練習機 現在のジェット旅客輸送機の巡行高度は、高度1万メートル(10km)程度であるが、その理由はでは、空気密度の抵抗とエンジンの稼働に必要な大気(酸素)との関連である。つまり、空気密度は、海面上(標高0m)に比して、高度10kmでは、33.7%に低下するが、これは飛行機の空気抵抗は、高高度ほど減少することを意味する。

しかし、高高度であれば、エンジンの燃料燃焼のための酸素も減少しているので、エンジン駆動には向いていない。例えば、高度50kmでは、空気密度は海面上に比較して0.08%しかなく、酸素不足でジェット・エンジンもレシプロエンジンも燃料燃焼に必要な酸素部不足で稼働できなくなる。したがって、航空機が飛行可能な高度は、エンジンの関係上,15kmが限度である。

ハンドレページ ハローMk.2 高高度飛行の制約の第一は、高高度では酸素不足・気温の低下である。そこで、人間が高高度に滞在するには、酸素吸入マスク・暖房機が必要になる。気温は海面上から100メートル上昇するごとに摂氏0.6度低下する。そのため、高度8kmではマイナス30度、高度10kmでは海面上より60度も低下し摂氏マイナス50度にもなる。そこで、高高度では、酸素不足と気温低下に対応することが必要で、そのために航空機の操縦士や同乗者には酸素吸引マスク電熱服などが開発され、1930年代には実用化されていた。

高高度飛行の制約の第二は、高高度では空気の密度が薄くなり、気圧が低下することである。人間が気圧が極端に低い場所に長時間滞在し続けると、高山病高地障害症候群(high altitude syndrome: HAS)ような健康上の障害が起こる。たとえ酸素吸入器や暖房機を持参しても、高度27000フィート(8230m)で気圧は海面上の1/3、38000フィート(11582m)で1/5、50000フィート(15240m)で1/10と大きく低下するので、低気圧に晒された人間は、健康を維持できない。

アブロ ランカスター 民間機の旅客輸送でも軍用機の作戦飛行でも、航空機が高高度を巡行する場合、機内の気圧が低下すれば、高地脳浮腫のような高山病と同じ症状が出る。それを防ぐには、海面上に近い1気圧を維持できるようにすればよいが、実は、深海に潜水すると水圧がかかるのと同様に、高高度8000mで気圧が3分の1に低下するなかで、1気圧を保つような気密性を確保することは非常に困難である。3倍もの気圧差があれば、密閉するとしても圧力に耐えられるだけの強度が求められる。

しかし、潜水艇のように厚く頑丈な金属外殻で覆ったコックピット操縦席や客室キャビンは、重量が過大となり、飛行性能を低下させ、高緯度10kmまで上昇することはできなくなってしまう。軽量化が求められる航空機に大きな気圧差に耐えられるだけ堅固な気密室を設置するのは容易ではない。

航空機は、空気抵抗減少とエンジン稼働のバランスを取って、高度10kmでの巡行飛行が効率が良いが、高高度飛行では、滞在する人間に、酸素・気温・気圧が十分に維持されなくてはならないのである。酸素・気温の問題は、酸素吸入マスク、電熱服・暖房機によって1920年代には克服できたが、ユンカース(Junkers)Ju 49 でもコックピットの低気圧下での高地障害症候群(high altitude syndrome: HAS)への対処は、最も困難だった。


4.カプロニ(Caproni)Ca.161高高度実験機

写真(右)1936年、イタリア、未舗装飛行場で待機しているカプロニ(Caproni)Ca.161高高度実験機の左前方:4翅固定ピッチプロペラ装備でプロペラ留め金が見えるがスピナーはついていない。固定脚で引込み式降着装置ではない。ガラス風防のついた開放式コックピットで、与圧室ではない。操縦士は、縊れた繭式のヘルメットを被り、与圧スーツを着込んでいる。
English: Italian Caproni Ca.161 high-altitude aircraft Date 1930s Source dodlithr.blogspot.com Author Uncredited Permission (Reusing this file) PD-Italy; photo taken in Italy in 1930s
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Caproni Ca.161.jpg引用。


写真(右)1936年、イタリア、未舗装飛行場で待機しているカプロニ(Caproni)Ca.161高高度実験機の右前方:4翅固定ピッチプロペラ装備で部ロペら軸は平滑カバーで覆われている。固定脚には重量軽減のために、小型の主輪が装着されている。降着支柱も強度を保つ範囲で細く軽量化されている。ガラス風防のついた開放式コックピットで、与圧室ではない。操縦士は、縊れた繭式のヘルメットを被り、与圧スーツを着込んでいる。
Descrizione Il pilota Pezzi sul Ca.161 Fonte www.tusciaromana.info Data 1936 Autore Sconosciuto Licenza d'uso (riusare il file) vedi sotto
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Caproni Ca.161.jpg引用。


caproni ca313 1936年9月、イギリス空軍ブリストル 138(Bristol Type 138)は、F.スワイン飛行隊長が搭乗し、高度49967フィート(15230m)の高高度世界新記録を樹立した。これ以前の世界記録はフランスによる48698フィート(14843m)だった。

しかし、イギリスブリストル 138(Bristol Type 138)の高高度世界記録は、8か月後の1937年5月8日、イタリアのカプロニ(Caproni)Ca.161複葉機がマリオ・ペッツィ(Mario Pezzi:1898-1968)中佐の操縦で高度15,655 m (51,361 ft)まで到達して記録を更新した。

イタリアのカプロニ(Caproni)Ca.161複葉機の装備した発動機は、高度 7,200 m (23,600 ft)で740 kW (1,000 PS)を発揮するピアッジョ(Piaggio)P.XI R.C.72空冷星型14気筒エンジン(排気量38,67 L)である。

写真(右)1936年、イタリア、エンジンを駆動しているカプロニ(Caproni)Ca.161高高度実験機の右前方側面:ガラス風防のついた開放式コックピットで、与圧室ではない。そこで、操縦士は、縊れた繭式のヘルメットを被り、与圧スーツを着込んでいる。
Descrizione Il pilota Pezzi sul Ca.161 Fonte www.tusciaromana.info Data 1936 Autore Sconosciuto Licenza d'uso (riusare il file) vedi sotto
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Caproni Ca.161.jpg引用。


イタリアの世界記録を抜くために、イギリスは ブリストル 138(Bristol Type 138)を改良して、高度53937フィート(16440m)に達して高高度世界記録を塗り替えた。

しかし、イギリスに対抗するために、イタリアは、カプロニ(Caproni)Ca.161を改良したカプロニ(Caproni)Ca.161bisて再度、高度世界記録に挑んだ。

写真(右)1936年、イタリア、カプロニ(Caproni)Ca.161高高度機の与圧式コックピット操縦席の金属鋼管骨格:ガラス風防のついた開放式コックピットで、そこに設置された与圧式の操縦席に繭式のヘルメットを被り、操縦士が着席する。
Speciale tuta scafandro, pressurizzata e riscaldata elettricamente e un casco a tenuta stagna, simile a quello degli odierni astronauti.
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Caproni Ca.161 (scafandro).jpg引用。


カプロニ(Caproni)Ca.161bis機複葉機は、全長27フィ−ト3/4インチ、全幅46フィート9インチ、主翼面積382平方フィート(35.49m2)、全高11フィート5・3/4インチで、発動機は高度10,000 m (33,000 ft)で740 kW (1,000 PS)を発揮するピアッジョ(Piaggio)P.XI R.C.100空冷星型14気筒エンジン(排気量38,67 L)を搭載した。

写真(右)1936年、イタリア、カプロニ(Caproni)Ca.161高高度機のコックピット操縦席の右側面:ガラス風防のついた開放式コックピットだが、そこに与圧式操縦席がある。そこで、操縦士は、縊れた繭式のヘルメットを被り、酸素吸入を受ける。
Descrizione Il pilota Pezzi sul Ca.161 Fonte www.tusciaromana.info Data 1936 Autore Sconosciuto Licenza d'uso (riusare il file) vedi sotto
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Caproni Ca.161 (scafandro) - 1.jpg引用。


そして、1938年10月22日に、マリオ・ペッツィ(Mario Pezzi)中佐が再び操縦席に座り、与圧スーツと与圧ヘルメットを着用して、高高度世界記録に再挑戦して、高度17,083 m (56,047 ft)という高高度世界記録を再び更新した。

この記録は、56年後、全幅 56.5 mのドイツのグロプ G-850 ストラト2CGrob G-850 Strato 2C)高高度実験機が、与圧キャビン、推進式プロペラ装備のコンチネンタル(Continental)IO-550)空冷星型6気筒エンジン(排気量9.05 L)300 hp (224 kW) 2基装備で、1995年4月4日に高度18,552 m (60,897 ft)という有人のピストンエンジン飛行機の高高度世界記録を更新した。

他方、イタリアのカプロニ Ca.161の水上機仕様用、すなわちカプロニ Ca.161 Idroが製造され、1939年9月25日、ニコラ・ディ・マウロ(Nicola di Mauro)の操縦で、高度13542mに上昇し、水上機による高高度世界記録を樹立した。これは、現時点で、水上機による高高度世界記録を保持している。

⇒写真集Album:カプロニ(Caproni)Ca.161高高度機を見る。 


5.ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機

写真(右)1920−30年代、イギリス、未舗装滑走路に待機しているイギリス空軍ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機の左前側面:2翅プロペラ装備、エンジンカウリングは付いていない。ガラス風防のついた開放式コックピット、固定脚。垂直尾翼に、赤白青の縦縞のイギリス国籍マークを描いているが、主翼下面には、赤白青のラウンデルのイギリス国籍マークを描いていない。後方に飛行機格納庫が見えるが、扉は開放されている。
SDASM ArchivesFollow Bristol Catalog #: 00076290 Manufacturer: Bristol Official Nickname: Bulldog
写真は, SDASM Archives 引用。


イギリス航空省によって、1926年に単座戦闘機の仕様が出され、それに応じて、ブリストル社はブリストル ブルドッグ(Bristol Bulldog)を開発し、1927年5月17日に初飛行させた。

写真(右)1920−30年代、イギリス、飛行中のイギリス空軍ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機の右側面:エンジンカウリングは付いていない。ガラス風防のついた開放式コックピット、固定脚。垂直尾翼に、赤白青の縦縞のイギリス国籍マークを、胴体後方側面と主翼上面には、赤白青のラウンデルのイギリス国籍マークを描いている。
Čeština: English: Bristol Catalog #: 00076289 Manufacturer: Bristol Official Nickname: Bulldog
写真は, SDASM Archives 引用。


ブリストル ブルドッグ(Bristol Bulldog)戦闘機は、1929年から1937年まで就役し、生産数は443機だった。日本の中島飛行機は、ブルドッグ(Bulldog)を2機を技術取得のために輸入した。

ブリストル ブルドッグ(Bristol Bulldog)戦闘機の諸元
乗員 1名
全長:25 ft 2 in (7.67 m)
全幅:33 ft 10 in (10.31 m)
全高: 8 ft 9 in (2.67 m)
翼面積:307 sq ft (28.5 m2)
空虚重量:2,205 lb (1,000 kg)
最大離陸重量:3,490 lb (1,583 kg)
エンジン: ブリストル ジュピター(Bristol Jupiter) VII空冷星型9気筒エンジン490 hp (370 kW)
最高速力:178 mph (286 km/h, 155 kn)
実用上限高度: 29,300 ft (8,900 m)
火器:ヴィッカース(Vickers )7.7mm機関銃2丁
爆弾搭載量: 20 lb (9 kg)4発

写真(右)1920−30年代、イギリス、飛行中のイギリス空軍ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機の左前面:エンジンカウリングは付いていない。ガラス風防のついた開放式コックピット、固定脚。主翼下面に、赤白青のラウンデルのイギリス国籍マークを描いている。
Čeština: English: Bristol Bulldog fighter Date 1920s /30s Source www. avionslegendaires .net Author RAF
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Bristol Bulldog.1.jpg引用。


写真(右)1920−30年代、イギリス、飛行中のイギリス空軍ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機の左前面:エンジンカウリングが装着されている。ガラス風防のついた開放式コックピット、固定脚。主翼下面に、赤白青のラウンデルのイギリス国籍マークを描いている。
Bristol Catalog #: 00076291 Manufacturer: Bristol Official Nickname: Bulldog
写真はFlicker, SDASM Archives File:Bristol Bulldog.1.jpg引用。


軍用機の現在及将来 : 速度、高度とも驚異的進歩 : 成層圏飛行も期待
掲載誌 満州日日新聞 満州日報 Vol: 第 43巻 Page: 137 出版年 1937-07-02
情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

 Gotha G.V Night Raider  欧洲大戦当時の飛行機は、その性能未だ完備の域に達せず時速一五〇粁、航続時間四、五時間、爆弾搭載量僅かに三〇〇瓩程度であって、その航法及び爆撃法も甚だ幼稚なものであったが、しかもドイツ爆撃機の如きはしばしばロンドンを空襲し、その与えたる被害は左程大でなかったにも拘らず、英国市民の心胆を寒からしめたのは周知の事実であるしかるに大戦後列強は全力を挙げて航空技術の進歩発達に没頭し、毎年性能優秀なる飛行機の製作研究を行い飛行速度、上昇高度、無着陸航続時間等の世界的記録を自国飛行機により獲得せんと努めたので、飛行機の性能は真に文字通り日進月歩の勢いをもって改善された

 軍用機の性能中最も重要なものは飛行速度航続時間(距離)爆弾搭載量の三つであって、特に飛行速度は極めて重要ものであるから列強は競ってこれが進歩を図っている、今軍用機の性能の進歩の跡を見れば次の通りである

1917 The First Heavy Bomber Raids 一、爆撃機の飛行速度は、昭和五年(一九三〇年)より著しく増加し、特に昭和八年(一九三三年)以後には顕著なる発達を示し、今や軽爆撃機は時速平均四五〇粁、最大五二〇粁、重爆撃機は時速平均四一〇粁、最大四七五粁に達し、欧洲大戦末期に比し、時速三、四倍の増加であって、本年度末においては五〇〇—五五〇粁に達するものと考えられる

二、戦闘(駆逐)機の飛行速度は昭和八年(一九三三年)まで概ね同比率で増加しているが、それ以後急速に比率を増大し、今や時速平均四九五粁、最大五二〇粁に達し、欧洲大戦当時に比し時速二、三倍に増加した、これを爆撃機に比すればその増加率は低いが本年度においては五七五粁に達するものと予想さる

三、戦闘機と軽爆撃機との飛行速度の差は昭和五、六年ごろ最大となっていたが、爾後逓減し今や両者の平均時速差は僅か四、五粁であって最大時速を比較すれば、優劣なき現象を呈している

四、戦闘機と重爆撃機との飛行速度の差は、大正九年—昭和四年(一九二〇年—一九二九年)は概ね一定していたが、それ以後著しく減少し、昭和八年(一九三三年)以後急速に逓減して今や両者の平均時速差は約九〇粁であって、最大時速差は僅か二〇粁にすぎぬという状況である

写真(右)1938年6月15日、ドイツ紙併合直後のチェコスロバキア、ステーテン地方、ドイツ軍に鹵獲されたチェコスロバキア空軍イギリス製ブリストル(Bristol)ブルドック(Bulldog)戦闘機の左前方:ガラス風防のついた開放式コックピット、2翅固定ピッチプロペラ、固定脚。主翼下面に、白丸カギ十字のドイツ国籍マークを描いている。
Čeština: Bristol Bulldog (motor Merkur VI) Date 15 June 1938 Source Bulletin Walter, Letecké vzduchem chlazené motory Walter, Vol. 1938, No. 2 (June), 60 p., Publisher: Akciová společnost Walter, továrna na automobily a letecké motory, Praha XVII - Jinonice in Státní oblastní archiv v Praze (State Regional Archives in Prague), Archivní 4, 149 00 Praha 4, Fond Walter, a.s., No. NAD 1914 Author neznámý (unknown)
写真は, Category: Caproni Ca.161 File:Bristol Bulldog (motor Merkur VI).jpg引用。


アブロ ランカスター  将来の航空機はどうなるか、という問題には現在の三つの傾向がある、

すなわちその一つは漸時大型となりつつある、

その二は益々高空を飛行するようになり、成層圏飛行の実現が期待される、

その三は速度が著しく大となりつつある、更に現在の航空原理(翼と発動機とプロペラの三者による飛行)の範囲を脱した新規な考案による航空機の出現ということも相当期待されている、

 先ずどの位の大型機が出現するかというと一九四〇年ごろには全備重量三十五万封度、総馬力二万四千馬力という巨大な飛行艇が出現するだろうといわれている、
現に米国ダグラス航空会社の設計にかかる大型機は時速四八〇粁の快速でニューヨークからリヴァプールまで僅かに十一時間で大西洋を翔破する性能を有するといわれている

 成層圏或はそれに近い高空を飛行することによって飛行機は平均時速五百粁を得ることは困難でなく、東京—サンフランシスコ間の太平洋は十二時間で横断連絡され、ニューヨーク、ロンドン間の如きは僅かに八時間で連絡される、更にベルリン—東京間十五時間空輸も話題に上っている程である、なお明日の航空機として多くの期待をかけられているものにロケットがあるがここでは省略する(満州日日新聞 満州日報 Vol: 第 43巻 Page: 137 出版年 1937-07-02 軍用機の現在及将来 : 速度、高度とも驚異的進歩 : 成層圏飛行も期待引用終わり)


6.与圧キャビン付きロッキード XC-35(Lockheed XC-35)高高度実験機


写真(上)1939−1940年頃、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード XC-35(Lockheed XC-35)高高度試作機の右側面
:発動機は排気タービン付きの550 hp (410 kW)XR-1340-43空冷星型9気筒エンジン。アメリカ陸軍航空隊が発注した高高度試験機なので、国籍マークを付けている。
English: The Lockheed XC-35, the first American aircraft with a pressurized cabin. (U.S. Air Force photo) Source National Museum of the U.S. Air Force, Lockheed XC-35 Fact Sheet Media. Author United States Air Force
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed XC-35 File:Lockheed XC-35 2.jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊は、ロッキード社と契約して、高高度25,000 ft (7,620 m)を飛行しても、搭乗員が低気圧に苦しめられないで2時間の飛行可能で、航続時間10時間以上の高高度性能をもつ実験機を11万2,197ドルで発注した。これが、ロッキード(Lockheed )XC-35で、高高度飛行が可能な与圧キャビンの実用機テストということである。

ロッキード(Lockheed )XC-35高高度試作機は、1934年2月23日初飛行のロッキード L-10 エレクトラ (Lockheed L-10 Electra) を原型に、円形断面、繭型の与圧コックピットpressurized cockpit)を設けた。そのため、飛行高度30,000 ft (9,144 m)でも、キャビン内部の気圧は高度12,000 ft (3,658 m)の水準に維持することができた。

航空日本躍進譜 : 列強ご自慢も顔負け : 科学の粋を蒐め目ざす世界一 : 一日から愈よ開く中央研究の施設

掲載誌 大阪朝日新聞 Vol: 第 5巻 Page: 81 出版年 1939-03-15
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100170249 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

明日の航空日本建設に備える綜合的研究機関として各方面の期待と注目とを蒐めている国立中央航空研究所は四月一日から店開きするが目下法制局で審議中の同研究所完成も近く決定する見込であり第一期五ケ年計画五千万円の「空の殿堂」設立計画もいよいよ晴れの第一歩を踏み出すこととなった−

蓋開けする「中央航研」は第一期、第二期に分って建設されるが同研究所の施設はいずれも「世界一」をめざすだけに列強ご自慢の国立航空研究機関−たとえばアメリカのNACAをはじめドイツのDVL、イギリスのRAE、フランスのSPAなど−を凌ぐ桁違いのものばかりで完成の暁には広大な附属飛行場とともにわが航空国策の実現に一新紀元を画するわけだ

第一期「十四年度から五ケ年計画」における同研究所の組織は第一部風洞、水槽測器、第二部機体艤装工作、第三部発動機、材料、第四部飛行、第五部庶務一般調査などと五部にわかれ更に将来は技術、最高両委員会を設けあらゆる方面からわが航空界を指導することになっている

話題に上る豪華な施設としては離陸水の実験に使用する長さ五百メートル(将来は二千メートルに延長する方針)の「高速水槽」をはじめ実物大の飛行気を容れる大風洞、秒速数百メートルにも達する「高速風洞」発動機とプロペラーの性能を研究する「発動機風洞」さては一万一千メートル以上の高空いわゆる「成層圏」の状態を地上にそのまま再現する「低温低圧発動機試験装置」などがあるが、初年度(設置費、研究費合せて予算約三百六十四万円)の今年はその下凖備に当るとともに当面の研究課題としてはすでにアメリカでは一部実用化されようとしている「成層圏飛行」の研究に乗出す方針で、このため小規模の「低温低圧室」は本年中に建設し、また成層圏飛行に必要な「過給機」(高空の薄い空気を圧縮し地上と同じ密度にしてから発動機の気化器に送りこむ装置)の研究に力をそそぐ方針である

なお[国立中央航空研究所]初代所長は「大学総長級の人物」?を閣議を経て決定することになっているが同研究所の敷地三十万坪は近く帝都の近郊(場所未定)に選定、買収の上バラックの仮庁舎を建てて

PV-1 ベンチュラ 東京 広東一日半の”特急” 十月から定期飛行

東京−広東間を僅か一日半で結ぶ快適な”空の旅”が実現する−大陸と内地の空を結ぶ興亜の定期航空網拡充案の一つとして逓信省航空局ではかねて台北−広東線の開設を計画、関係当局と折衝を進めていたがいよいよ今秋から大日本航空会社をして実施させることとなり十四日その要項を発表するとともに同定期空路開設に要する経費(補助金)六十二万五千円を追加予算として十五日衆議院に提出することになった

これによると同定期の実施は今秋十月からの予定で毎日一往復ロックヒード[Boeing 247]または中島式AT機を使用し台北、広東間約九百キロを三時間半で翔破するが同定期界設の暁は東京を午前六時半発の”ダグラスDC三型”もしくは午前七時発の”ロックヒード[Boeing 247]”に乗れば福岡を経由して午後四時五十分には台北着、ここで広東線に聯絡して翌日の午前中には広東に到着することが出来待望の内地−南支間を結ぶ空の特急線が実現するわけである

なお航空局では同定期補助に要する経費とともに既報の大日本航空会社法施行に要する経費千九万一千円と日満聯絡試験飛行に要する経費四十五万九千円をも追加予算案として衆議院へ提出するが後者はハインケル一一六型機による日本海横断の東京−新京間直通定期航路開始に関するものである(東京)(大阪朝日新聞 Vol: 第 5巻 Page: 81 出版年 1939-03-15引用終わり)

ロッキード XC-35(Lockheed XC-35)の諸元
最大乗員Crew: 6名
全長Length: 38 ft 7 in (11.76 m)
全幅Wingspan: 55 ft (17 m)
全高Height: 10 ft 1 in (3.07 m) 翼面積Wing area: 458.5 sq ft (42.60 m2)
空虚重量Empty weight: 7,940 lb (3,602 kg)
総重量Gross weight: 10,500 lb (4,763 kg) 発動機Powerplant: 2 × Pratt & Whitney R-1340-43 9-cylinder turbo-supercharged air-cooled radial piston engine2, 550 hp (410 kW) each
プロペラPropellers: 2-翅可変ピッチ(variable-pitch)プロペラ

ロッキード(Lockheed )XC-35試作機の諸元

最高速力Maximum speed: 236 mph (380 km/h, 205 kn) at 20,000 ft (6,096 m)
巡行速力Cruise speed: 214 mph (344 km/h, 186 kn)
実用上昇限度Service ceiling: 31,500 ft (9,600 m)
上昇率Rate of climb: 1,125 ft/min (5.72 m/s)
翼面荷重Wing loading: 22.9 lb/sq ft (112 kg/m2)
出力重量比Power/mass: 0.105 hp/lb (0.173 kW/kg)

⇒写真集Album:ロッキード XC-35(Lockheed XC-35)高高度実験機を見る。 


7.与圧室装備のビッカース ウィンザー(Vickers Windsor)重爆撃機

写真(右)1943−1945年頃、イギリス、試験飛行中のビッカース ウィンザー(Vickers Windsor)四発重爆撃機:1946年刊行のファイティングパワーに掲載された写真。
Vickers Windsor heavy bomber third prototype (NK136). Photograph published in: Aircraft of the Fighting Powers Vol VII Ed: Owen G Thetford Harborough Publishing Co, Leicester, England 1946. Picture prepared for Wikicommons by Keith Edkins in November 2005.
写真はWikimedia Commons,Category:Vickers Windsor File:Vickers Windsor.jpg引用。


1936年10月、イギリス航空省はブリストル 138(Bristol Type 138)の成功を受けて、高高度爆撃機プロジェクトに着手し、1937実験機プログラムで実機の開発を始めた。イギリス空軍参謀本部もB.25/37で与圧キャビン装備の四発重爆撃機に着手した。

1938年4月、イギリス空軍参謀本部は高高度機の研究を進め、年末にはヴィッカース ウェリントン(Vickers Wellington)爆撃機に与圧キャビンを備えることを計画した。このような高高度実験機は、どれも実戦用には実用化できなかった、

その後、第二次世界大戦中に、デ・ハビランド モスキート(de Havilland DH.98 Mosquito )B Mk. XVI爆撃機、スーパーマリン スピットファイア(Supermarine Spitfire)Mk.VI戦闘機への与圧室装備につながることになった。

1943年10月23日初飛行のビッカース ウィンザーVickers Windsor)四発重爆撃機は、高高度爆撃機として開発された。全幅35.71 mの高アスペクト比の大きな主翼の平面形状は、ブリストル 138(Bristol Type 138)と類似しているが、最大の特徴は、大圏構造の胴体と与圧キャビンである。全長:23.43 m、全幅:35.71 m、全高:7.01 m、全備重量:24,495 kg、発動機:ロールスロイス(Rolls-Royce)マーリン(Merlin)65液令V型12気筒エンジン1,635 hp4基、最高速力:510 km/h、実用上限高度:8,300 m、航続距離:4,660 km、防御火器:20ミリ機関砲4門、爆弾搭載量 3,630 kg。生産は3機のみの試作に終わった。 乗員 4名

wikipedia「ビッカース ウィンザー」は、「ビッカース社が大圏構造を持つ4発重爆撃機として開発したのがウィンザーで、試作第1号機は1943年10月に初飛行した。ウィンザーは、当時のイギリス機としては直線的な外形をしており、主翼と尾翼はアスペクト比の大きな楕円翼を採用していた。主脚は4本あり、各エンジンナセルにそれぞれ格納した。特徴的だったのは後方の防御武装で、胴体尾部に射手席が設けられていたが、機関砲は両外側エンジンナセル後端に装備され、射手はこれらを遠隔操作するようになっていた。」と概要を説明するが、最も重要な特徴である与圧キャビンに言及が一切ない。1943年になって、大圏構造、遠隔操作銃座を指摘しても、与圧室( pressurised crew compartment)を装備した点を指摘しなければ、戦時中の新鋭爆撃機としての意義がわからないままになっしまう。

しかし、実用上昇限度が27,250 ft (8,310 m)では、高高度爆撃機としては成り立たない。低い飛行性能しか見込めないビッカース ウィンザーには、与圧室を完備するだけの資源と資金の無駄使いとなると判断されたのであろう。試作3号機が1944年7月11日に飛行したが、生産は3機で終了となった。

世界に跨る航空日本の底力成層圏飛行に光明 : 航空衛生学上の基礎研究成る 航研淡路氏の輝く業績
掲載誌 報知新聞 Vol: 第 6巻 Page: 67 出版年 1939-11-07
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100186858 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

[写真(淡路円次郎氏)あり 省略]
成層圏飛行は最もスピィディで障害の少い理想的な航空路として列強が競って研究を続けているが、我が帝大航空研究所でも事変以来成層圏飛行については殊に熱心に研究を続けており、これが実現の日も歩一歩近づきつつあるとき今度同研究所員の淡路円次郎氏が『成層圏飛行における加速度の精神機能に及ぼす影響』という航空医学上画期的な業績の一部を完成、今度文部省の学術振興会から研究助成金を得ていよいよ第二期研究に着手することになった

この研究は成層圏飛行のような超スピード飛行に必然的に伴なう加速度が飛行士や機関士などの搭乗者の心身に如何なる影響を与えるかを明らかにしたもので、これは成層圏飛行にとって最も重大な宿題であるにも拘らず今まで全く等閑に附されていたものを同氏が初めて明らかにしたものである、同氏の研究は人間を被実験生体としてその影響を研究する前に先ず白マウスを被験生体として研究を行ったもので既に成層圏のスピード飛行ではどれだけの加速度と持続時間で死に至るかの限界を明らかにすると共に成層圏飛行におけるいろいろな精神的、肉体的前駆徴候を明らかにし、我国航空医学界に不滅の金字塔を打ちたてたものである

 同氏は更に今回学術振興会からの研究助成金によっていよいよ残された低気温圧下における加速度の影響について研究を進めることになった(引用終わり)


2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。

フォッカー(Fokker)F.VIIb-3mトライモーター三発輸送機
シェルバ(Cierva)/ピトケイアン(Pitcairn)/ケレット(Kellett)のオートジャイロ
ロッキード(Lockheed)モデル 10 エレクトラ (Electra)輸送機
ロッキード14スーパーエレクトラ(Super Electra)/ロードスター(Lodestar)輸送機
ボーイング(Boeing)247旅客機
ダグラス(Douglas)DC-1旅客輸送機
ダグラス(Douglas)DC-2輸送機
ダグラス(Douglas)DC-3輸送機
ダグラス(Douglas)DC-4E旅客機
ダグラス(Douglas)C-39軍用輸送機
ダグラス(Douglas)C-47スカイトレイン(Skytrain)輸送機
アメリカ陸軍ダグラス(Douglas)C-54 スカイマスター(Skymaster)輸送機
アメリカ海軍ダグラス(Douglas)R5D スカイマスター(Skymaster)輸送機


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