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◆ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機
写真(上)1940年以降、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(登録コード:C-VX)
:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
Lockheed, Hudson Title: Lockheed, Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, Hudson
写真は,SDASM Archives Catalog #: 01_00092014引用。



写真(上)1939-1940年頃、舗装滑走路上でエンジンを駆動しているイギリス空軍所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)
:。
Lockheed, 21, Hudson Title: Lockheed, 21, Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, 21, Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: 21 From the Charles M. Daniels Collection
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 01_00092021引用。



写真(上)1942年、イギリス保護国エジプト、カイロ郊外ピラミッド上空を飛翔するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk VI 爆撃機(登録コード:AE626)
:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
THE ROYAL AIR FORCE IN EGYPT, SUMMER 1942 A Royal Air Force Lockheed Hudson Mk VI (AE626) aircraft of the Middle East Communications Flight flying over the pyramids. CreatorRoyal Air Force official photographerMaterials whole: acetate
写真は,IWM Catalogue number TR 1引用。


1.ロッキード(Lockheed)モデル Model 14「スーパー・エレクトラ」輸送機

アメリカの女流飛行家アメリア・イアハートは、大統領夫人エレノア・ルーズベルトの後押しを受けて、1937年に世界一周に使用した愛機ロッキード(Lockheed)・エレクトラ10E で地球一周赤道飛行を試みたが失敗した。エレクトラとは、夜空のプレアデス星団(Pleiades)の恒星からの命名である。試作機は、1934年2月23日に初飛行した。

⇒写真集Album:ロッキード・スーパーエレクトラ(Super Electra)輸送機 見る。

写真(右)1938年、アメリカ、ワシントンD.C、アナコスティア海軍基地(Malton Airport)、アメリカ海軍長官専用機となったロッキード(Lockheed) 14H2「スーパー・エレクトラ」(Super Electra)輸送機(登録コード:XR4O-1、製造番号 1441))
Description English: The single U.S. Navy Lockheed XR4O-1 (BuNo 1441) at the NACA Langley Research Center in 1938. In 1938 the U.S. Navy ordered a staff transport version of the Lockheed Model 14-H2 Super Electra. It was delivered to the USN on 15 October 1938 and remained in the inventory until 1944. The aircraft spent most, if not all, of its service life based at Naval Air Station Anacostia, Washington D.C. (USA). The Lockheed Hudson was later developed from this plane. Date 1938 Source NASA photo EL-1997-00257 Author NASA Other versions caption bar cropped
写真はWikimedia Commons, Category:Lockheed Model 14 Super Electra File:Lockheed XR4O-1 at NACA Langley 1938.jpeg引用。


そこで、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズHoward Hughes:1905-1976)は、改良型のロッキード・エレクトラ14NLockheed Model 14-N2 Super Electra:登録コードNX18973) で、ニューヨーク州フロイド・ベネット飛行場(Floyd Bennett Field)から、パリ、モスクワ、シベリヤのオムスク(Omsk)、ヤクーツク(Yakutsk)、アメリカのアラスカのフェアバンクスを経由して、2万3,612キロを3日19時間14分で世界一周飛行(Round-the-World Flights)した。

⇒写真集Album:ハワード・ヒューズJr(Howard Hughes)のスーパーエレクトラ(Super Electra)世界一周飛行見る。


2.ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機

ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )の発動機を強化し、若干大型化した発展型が、ロッキード14ス―パーエレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機だが、その軍用仕様がロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機である。

写真(右)1939-1940年頃、飛行するイギリス空軍第224飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson):1940年12月9日、ノルウェー方面で行方不明となった。
Lockheed, Hudson Title: Lockheed, Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, Hudson
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 01_00092023引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、ロッキード社で製造されたアメリカ製爆撃機である。初飛行は、1938年12月10日で、1939年9月の第二次世界大戦勃発直後だった。ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、第二次世界大戦の勃発を危惧したイギリス空軍・オーストラリア空軍が空軍力を急遽増強するために、ロッキードのモデル14「スーパー・エレクトラ」輸送機が原型とした軍用仕様の要求を出した。

写真(右)1939-1940年頃、飛行するイギリス空軍のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)
AL61A-336 Lockheed Hudson Images from an Album (AL-61A) which belonged to Mr. Lowry and was donated to the Leisure World Aerospace Club. Repository: San Diego Air and Space Museum Archive
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・AL61A-336 引用。


アメリカのロッキードLockheed)10 エレクトラ(Electra)の発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)で、発動機を強化し、乗客収容能力も向上させた。しかし、民間航空の需要は、ライバルのダグラスDC-3、ボーイングとの競争もあり、商業的には十分な成功を得ることはできなかった。

ロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)の性能は軍用機として満足できるものだったため、アメリカ陸軍航空隊・アメリカ海軍航空隊も、イギリス・オーストラリアに倣って軍用仕様の哨戒爆撃機として制式した。

写真(右)1939-1940年頃、飛行するイギリス空軍第224飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson):1940年12月9日、ノルウェー方面で行方不明となった。
Lockheed, 21, Hudson Title: Lockheed, 21, Hudson Corporation Name: Lockheed Additional Information: USA Tags: Lockheed, 21, Hudson Repository: San Diego Air and Space Museum Archive Designation: 21 From the Charles M. Daniels Collection
写真はSDASM Archives,San Diego Air and Space Museum Archive・Catalog #: 01_00092021引用。


Lockheed wikipediaでは「ハドソン(Hudson)は、第二次世界大戦時にアメリカのロッキード社で製造された哨戒・爆撃機である。」というが、誤解を招く表現である。正確には、第二次世界大戦は1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻から始まり、第二次世界大戦にアメリカが参戦したのは、1941年12月7日の日本のマレー半島侵攻、フィリピン攻撃・ハワイ攻撃ではじまった太平洋戦争からである。したがって、ハドソンはアメリカの爆撃機として実戦参加するより2年前に、イギリス空軍、オーストラリア空軍で制式され、第二次大戦勃発前から第一線に爆撃機として配備されていた。

アメリカで武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)が1941年3月に成立してからは、戦後払いの条件で、ハドソン哨戒爆撃機がイギリス、ドミニオンの連合億軍に貸与された。

の原型は、ロッキード 14 スーパーエレクトラ(Lockheed 14 Super Electra)で、その初飛行は1937年7月29日と第二次大戦勃発の2年前だったが、当時としては、斬新な全金属製単葉低翼、引込脚を採用し、14人乗りの最高速力250マイル(400km/h)の高速輸送機だった。

写真(右)1940年4月、イギリス本土北部、スコットランド、ウィック、イギリス空軍イギリス空軍第269飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機(N7303/UA-B)左側面:地上勤務員によるライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン整備作業。機体の尾部を持ち上げて水平にしている。フラップは全開、エンジンカウリングは外され、胴体下面の爆弾倉も開いている。手前にあるのは、外されたエンジンカウリングのパーツである。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description Ground staff servicing Hudson N7303/UA-B of No 269 Squadron, at Wick in northern Scotland, April 1940...
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 62)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)Mk I 爆撃機は、1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラ輸送機の軍用爆撃機仕様で、発動機は信頼性の高いライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基である。

写真(右)1940年4月、イギリス本土北部、スコットランド、ウィック、イギリス空軍イギリス空軍第269飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機(N7303/UA-B)右側面:地上勤務員によるライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン整備作業。機体の尾部を持ち上げて水平にしている。フラップは全開、エンジンカウリングは外され、胴体下面の爆弾倉も開いている。左奥は、アブロ・アンソン(Avro Anson)Mark I 練習機(K6244)である。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Groundcrew servicing Lockheed Hudson Mark I, N7303 'UA-B', of No.269 Squadron RAF at Wick, Caithness. The aircraft has been secured in a flying position in order to test its forward firing machine-guns at the shooting-in butts. An Avro Anson Mark I, K6244, also of the Squadron, can be seen to the left.
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 59)引用。


ハドソン後継機のロッキード・ベガ PV-1 ベンチュラLockheed-Vega PV-1 Ventura)哨戒爆撃機の原型は、ロッキード モデル10「エレクトラ」輸送機の発展型ロッキード・モデル18「スーパーエレクトラ」輸送機である。ベンチュラ哨戒爆撃機の形状は、ハドソン爆撃機と類似しているが、発動機はプラット&ホイットニーSIA4-G ダブルワスプ(離昇出力1,800馬力)2基に強化されている。

写真(右)1940年4月、ノルウェー、アンダルセン(Andalsnes)、現地のオーバーオールを着た支援部隊将兵と打ち合わせをするイギリス空軍第224飛行隊所属のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機(登録コード:N7264/QX-Q)の搭乗員:両端の搭乗員は、ライフジャケットを着用していて、支援部隊員の提示した書類を検分しようとしている。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description The crew of a Hudson of No 224 Squadron, N7264/QX-Q, inspecting damage to their aircraft sustained during an operation to support troops landing at Andalsnes in Norway, April 1940....
Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM CH 41引用。


アメリカから武器貸与法に基づいてイギリスに船舶で送られた ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)やロッキード・ベガ・ベンチュラ軽爆撃機は,リバプール港 からスピーク空港(2002年からはリバプール・ジョン・レノン空港と名称変更)に運搬され、そこで組み立てられた。その後、通信飛行部隊、飛行機兵器実験部隊が、実機を試験飛行して、問題がなければ、実戦部隊に引き渡された。

写真(右)1940年4月、イギリス南東岸、ノーフォーク州バーチャム・ニュートン基地を飛び立ち、北海を哨戒飛行するイギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson):北海のドイツ海軍艦艇とブレーメン北80キロのヘルゴラント(Heligoland)島基地を警戒していた。1945年4月18日、連合国軍爆撃機1000機が島を空襲したため、恐れをなしたドイツ軍は、島から撤退した。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Two Lockheed Hudson Mark Is of No. 206 Squadron RAF based at Bircham Newton, Norfolk, flying at low-level over the North Sea during a reconnaissance sortie by five aircraft of the Squadron to observe the movements of German warships in the Heligoland Bight area.
Creator Royal Air Force official photographer AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION.
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 314)引用。


ロッキードLockheed)ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)の装備しているライト(Wright) GR-1820サイクロン 9(Cyclone 9 )空冷星型9気筒エンジン(1,100馬力)は、アメリカ軍のB-17 フライングフォートレス重爆撃機、F2A バッファロー艦上戦闘機、FM-2(ゼネラルモーターズ製F4F ワイルドキャット)、SBDドーントレス急降下爆撃機、カーチスSBC ヘルダイバー急降下爆撃機、ダグラス DC-3輸送機なども装備した信頼性の高い発動機である。

写真(右)1940年頃、イギリス、イギリス空軍ロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)コックピットの正副操縦士:手前の胴体前部との仕切り扉には、地図や筆記用具を入れることのできる収納スペースがついている。操縦士たちを保護するための装甲板など防弾設備は特に見当たらない。
ACTIVE SERVICE ON THE HOME FRONT
Object description Lockheed Hudons supplementing the strength of the Coastal Command, operating from British shores in the far north, are carrying out some of the offensive reconnaissance patrols over invaded Norway. This image shows a view of the pilots 'office'.
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 54)引用。


写真(右)1940年6月、イギリス、イギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)のコックピットでレーダースコープ(?)を覗く通信士:手前の胴体前部右には、航空で使用する酸素瓶がならんでいる。元はスーパーエレクトラ旅客機だったので、その時の乗客用窓が並んでいるが、窓のカーテン、手荷物収納ネット、つり革、読書灯など客用の設備は取り去られている。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description The interior of a Lockheed Hudson Mk I of No. 206 Squadron RAF, June 1940.
Creator Hensser H Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 283)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)の尾部にある尾翼は、2枚の垂直尾翼がある。つまり、双尾翼構造を採用しているが、その理由は、
(1)飛行安定性の確保、
(2)回転銃塔の後方視界、特に真後ろ6時方向の視界と射界の確保、
という2点の理由がある。輸送機時代の双尾翼式は、飛行安定性の確保が主だったが、哨戒爆撃機としては、射界の向上ほうがより重要な理由となった。

写真(右)1940年7月初期、イギリス、ニュートン、ビルカム、イギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson):ハドソンの部隊配備は1939年5月なので、1939年9月に勃発した第二次大戦直前だった。写真はまだ1年が経過していない時期である。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description Bombing up a Hudson of No 206 Squadron at Bircham Newton, early June 1940.
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 283)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)Mk.I爆撃機(Lockheed Hudson Mk.I)の諸元
搭乗員:6名
全長:19.96m
全幅:14.33m
全高:4.80m
翼面積:51.19平方メートル
自重:5,484kg
全備重量:7,938kg
発動機:ライト(Wright) GR-1820サイクロン 9(Cyclone 9 )空冷星型9気筒エンジン 1,100馬力2基
最大速度:357km/h(高度2,400m)
巡航速度:249km/h
上昇率:305m/分
実用上限高度:6,400m
航続距離:1,835km
爆弾搭載量: 1,600ポンド(726kg)
7.7ミリ連装機銃搭載ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座1基、前方固定7.7ミリ連装機銃1基

写真(右)1940年7月初期、ノルウェー、ビルカム、イギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機(Lockheed Hudson)への250ポンド通常爆弾の搭載作業:爆弾は小型だが、専用の爆弾運搬車に乗せられて、トレーラーに牽引されて、爆弾倉の下にセットされた。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description 250-lb GP bombs being loaded into a Lockheed Hudson Mark I of No. 206 Squadron RAF, at Bircham Newton, Norfolk..
Creator Hensser H (Mr) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (IWM CH 277)引用。


Lockheed Hudson 1937年7月29日初飛行のロッキード(Lockheed)14 スーパー・エレクトラ輸送機の軍用仕様ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、B-17フライングフォートレス重爆撃機と同型(但し排気タービンは未装備)のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン1200馬力 (895 kW)を装備している。しかし、このエンジンは9気筒であり、排気量に制約があったために大出力化するには限界があった。

そこで、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の発展型となるベンチュラ(Ventura)PV-1哨戒機は、9気筒から18気筒に排気量を倍増したプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン2,000馬力を装備することとなり、最高速力の向上、爆弾搭載量の増加、防御力の強化が可能になった。

ロッキードハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の兵装は、機首前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃2挺、胴体後上方の動力旋回銃座12.7ミリ旋回機関銃2挺、さらに追加兵装として、胴体左右側面に12.7ミリ旋回機関銃各1挺と強力なものだった。当時、爆撃機の旋回機関銃に12.7ミリ口径の中口径の発射速度の高い防御機関銃を搭載していたのは、イタリアのブレダ12.7ミリ機関銃だけで、それもイタリア爆撃機には1−2挺と少数の搭載にとどまっていた。第二次大戦勃発時の爆撃機として、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)は高速で重兵装といえる。ハドソンがイギリスやオーストラリアで沿岸航空部隊に配備されたのは、機関銃による洋上の艦船襲撃と単機で使用する際の防御火力の強さが決め手だったと思われる。

写真(右)1940年4月、イギリス本土北部、ノーフォーク、ビッチャム・ニュートンを基地としたイギリス空軍第224飛行隊所属のロッキード・ハドソンMark I 爆撃機(Lockheed Hudson)の2機編隊:ドイツ海軍の北海での行動を5個中隊の哨戒機が偵察していた。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description Two Lockheed Hudson Mark Is of No. 206 Squadron RAF based at Bircham Newton, Norfolk, flying at low-level over the North Sea during a reconnaissance sortie by five aircraft of the Squadron to observe the movements of German warships in the Heligoland Bight area.....
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 314)引用。


大西洋の戦いは、ドイツ海軍潜水艦Uボートの雷撃からイギリス輸送船団を護衛する戦いだが、これは海上、海中だけではなく、空中からの洋上哨戒、Uボートへの襲撃が有効だった。Uボートによる通商破壊戦を破綻さるために、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)哨戒爆撃機は上空からのUボート狩りに大活躍したのである。

写真(右)1940年4月、イギリス本土北部、ノーフォーク、ビッチャム・ニュートンを基地としたイギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソンMark I 爆撃機(Lockheed Hudson)の2機編隊:ドイツ海軍の北海での行動を5個中隊の哨戒機が偵察していた。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description Hudsons of No 206 Squadron in flight, June 1940.
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums・IWM (CH 313)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機の原型ロッキード14スーパーエレクトラ輸送機は、日本の立川飛行機がライセンス生産し、日本陸軍航空隊でロ式輸送機と命名され使用された。そして、ロ式輸送機の胴体を延長した貨物輸送機が、一式貨物輸送機として、日本陸軍航空隊に採用されている。

写真(右)1940年7月、イギリス本土北部、ノーフォーク州ビッチャム・ニュートン基地、イギリス空軍第206飛行隊所属のロッキード・ハドソンMark I 爆撃機(Lockheed Hudson)(登録コード: N7318):この搭乗員たちは、1940年6月に、ポーランド空軍(Polish Forces)シコルスキー(Władysław Sikorski)将軍と彼の参謀たちを、ブランスのボルドー(Bordeaux)から救出するのに成功している。
ROYAL AIR FORCE: 1939-1945: COASTAL COMMAND
Object description The crew of a Lockheed Hudson Mark I, N7318, of No. 206 Squadron RAF which rescued the Commander in Chief of Free Polish Forces, General Władysław Sikorski and his staff from Bordeaux, France, in June 1940, gather by the door of their aircraft at Bircham Newton, Norfolk. They are (left to right): Leading Aircraftman Garrity (from USA), navigator; Flight-Lieutenant W Biddle, pilot; unknown; and Leading Aircraftman W D "Spike" Caulfield, wireless operator/air gunner, who holds a wicker carrier containing a homing pigeon......
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums ・IWM (CH 358)引用。


写真(右)1939-1945年、ノルウェー沖に出撃するイギリス空軍所属のロッキード・ハドソン爆撃機Mark IV(Lockheed Hudson Mark IV)のコックピット:操縦者用の計器盤とチャートを広げた航法士・爆撃手が見える。
R.A.F. COASTAL COMMAND ACTIVITIES : CREW OF A HUDSON AIRCRAFT.
Original wartime caption: The pilot of a Hudson aircraft of Coastal Command at the controls, showing also [right] the navigator - Pilot Officer J. Murphy.
写真は,Imperial War Museums ・Catalogue number IWM (CH 5329)引用。


アメリカで1941年3月に武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)が成立すると、イギリスは多数のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機を現金払い・外貨準備の金塊払いではなく、戦後支払いの信用で受領することができた。

イギリス首相チャーチル(Winston Churchill)が望んだように、アメリカから武器貸与法に基づいてイギリスに軍需品が供給されるようになった。船舶で送られた ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)やロッキード・ベガ・ベンチュラ軽爆撃機は,リバプール港 からスピーク空港(2002年からはリバプール・ジョン・レノン空港と名称変更)に運搬され、そこで組み立てられた。その後、通信飛行部隊、飛行機兵器実験部隊が、実機を試験飛行して、問題がなければ、実戦部隊に引き渡された。

イギリスは、ロッキード14 スーパーエレクトラ輸送機を原型とする爆撃機の開発要請をロッキードにし、それを受けてロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機Mark I(Lockheed Hudson Mark I)を開発した。イギリス空軍にロッキード・ハドソン爆撃機は、第二次大戦勃発3か月前の1939年5月にアメリカから輸入した機体が配属され、沿岸航空隊で主に哨戒、偵察に当たった。戦時中は対Uボート潜水艦制圧作戦にも従事している。


写真(右)1940-1943年頃、ノルウェーのフィヨルドで撃破されイギリスに帰還、不時着したイギリス空軍沿岸警備隊所属のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機
:THE AMAZING HOME FLIGHT OF THE R.A.F. COASTAL COMMAND LOCKHEED HUDSON AIRCRAFT.
Original wartime caption: A Lockheed Hudson aircraft of Britain's R.A.F. Coastal Command, while flying low in search of enemy shipping in a Norwegian fjord, had a big hole prized in the floor by a projecting rock on a small island, the roof of the pilot's cabin knocked off, the propellers bent, one engine temporarily disabled, and the radio damaged, but she was brought home over 300 miles of the North Sea without charts "by common sense and guess work" and crash-landed on a Scottish aerodrome at night without injury to the crew. This picture shows the aircraft after landing. (See A.M.Bulletin No.5655).
写真は,Imperial War Museums ・Catalogue number CH 4009引用。


イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注した ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二けたの数字を付けた機首形式番号の命名方式だった。ロッキードA-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1939-1945年、ノルウェーのフィヨルドで撃破されイギリスに帰還、不時着したイギリス空軍所属のロッキード・ハドソン爆撃機Mark IV(Lockheed Hudson):ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座を搭載している。破損した機体で夜間飛行を続け、奇跡的にスコットランドに帰還、不時着し、搭乗員は全員無事だった。エンジンカバーが掛けられているが、回収し再利用するためであろう。
THE AMAZING HOME FLIGHT OF THE R.A.F. COASTAL COMMAND LOCKHEED HUDSON AIRCRAFT
Original wartime caption: For story see CH.4009 The aircraft after landing..
写真は,Imperial War Museums ・Catalogue number CH 4010引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)哨戒爆撃機が装備した後上方の旋回銃座は,ボールトンポールBoulton Paul Aircraft)が開発した世界初の実用型の動力回転銃座である。この動力回転銃座は、イギリス空軍のロッキード・ハドソン双発爆撃機、ブリストル・ブレニム双発爆撃機などに搭載され活躍した。しかし、自社開発のボールトンポール・デファイアントBoulton Paul Defiant)単発複座戦闘機は、後席に搭載した動力回転銃座の重量過大のために飛行性能が悪化し、失敗作となった。ボールトンポール・デファイアント戦闘機の失敗は、ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座の威力を過大評価したためであろう。

写真(右)1942-1944年頃、イギリス南部、ロンドン西160キロ、ボスコムダウン(MoD Boscombe Down)基地、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson) Mark IV爆撃機(登録コード:AE610)の右側面:通信機器のテストに使用された機体。1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Hudson Mark IV, AE610, on the ground at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment at Boscombe Down, Wiltshire. After undergoing flight evaluation at the A&AEE and the Royal Aircraft Establishment, AE610 served as a test aircraft with the Telecommunications Flying Unit and the Coastal Command Development Unit Creator Royal Air Force official
写真は,Imperial War Museums E(MOS) 263引用。


ハドソン爆撃機の内訳は、前期型には、1,100馬力のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備の350機のMk I、20機のMk II、胴体下方腹部に引込み式銃座を設けた428機のMk IIIがある。

ハドソン爆撃機の後期型には、1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン (排気量30.0 L)装備の309機のMk Vと450機のMk VI(A-28)である。

写真(右)1939-1940年12月以前、イギリス空軍第224飛行隊所属のロッキード・ハドソン爆撃機Mk.I(Lockheed Hudson Mk.I)(登録コード: T9277):1940年12月9日、ノルウェー方面で行方不明となった。
Hudson Mark IV, AE610, on the ground at the Aeroplane and Armament Experimental Establishment at Boscombe Down, Wiltshire. After undergoing flight evaluation at the A&AEE and the Royal Aircraft Establishment, AE610 served as a test aircraft with the Telecommunications Flying Unit and the Coastal Command Development Unit
写真は,Imperial War Museums ・Catalogue number IWM (CH 996)引用。


アメリカ軍機A-28/A-29としてプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備のA-28爆撃機として、52機がオーストラリア空軍に、27機がブラジル空軍に貸与、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備のA-29/PBO-1爆撃機として、アメリカ陸軍航空隊が153機、アメリカ海軍航空隊が20機を使用した。ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備のA-29A輸送機として、イギリス空軍、ドミニオン(RAAF/RCAF/RNZAF)空軍、中国空軍が384機、AT-18機上作業練習機として217機が、AT-18A航法練習機として83機が生産された。ただし、中核となったのは、イギリス(RAF)とドミニオン空軍(RAAF/RCAF/RNZAF)に貸与された上記の450機のA-29爆撃機である。

写真(右)1941年、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク(Burbank)、ロッキード・ハドソンMark V爆撃機(Lockheed Hudson V)の生産ライン:第二次大戦は1939年9月に始まっていたが、アメリカは1941年12月までは、中立国の立場で、イギリスへの軍事援助をしていた。
Lockheed Hudson V production line Burbank plant 1941 [Lockheed X3788 via RJF] Title:Lockheed Hudson V production line Burbank plant 1941 [Lockheed X3788 via RJF] - Catalog:17_000279 - Filename:17_000279.tif - ---------Image from the René Francillon Photo Archive. Having had his interest in aviation sparked by being at the receiving end of B-24s bombing occupied France when he was 7-yr old, René Francillon turned aviation into both his vocation and avocation. Most of his professional career was in the United States, working for major aircraft manufacturers and airport planning/design companies. All along, he kept developing a second career as an aviation historian, an activity that led him to author more than 50 books and 400 articles published in the United States, the United Kingdom, France, and elsewhere. Far from “hanging on his spurs,” he plans to remain active as an author well into his eighties.
写真はSan Diego Air and Space Museum Archive,SDASM Archives ・PictionID:43264718 引用。


ロッキードLockheed)14 スーパー・エレクトラ(Model 14)を軍用仕様にしたのが、ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)哨戒爆撃機である。当時、イギリスは、ドイツとの抗争中であり、自国の航空機生産だけでは、戦力増強が困難だった。そこで、アメリカに支援を要請したのであるが、アメリカ軍も爆撃機を必要としており、供給能力に余裕はなかった。そこで、民間商業機のロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)を軍用に使用するために改修しロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機を開発したのである。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、イギリス空軍第269飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7303)の爆弾倉への人力による250ポンド爆弾の搭載作業:爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、都市爆撃ではなく、潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Object description Armourers pull trolleys loaded with 250-lb GP bombs for loading into Lockheed Hudson Mark I, N7303 'UA-B', of No. 269 Squadron RAF at Wick, Caithness, for an offensive reconnaissance patrol over Norway.
Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,IWM IWM (CH 57)引用。


第二次大戦は1939年9月にヨーロッパで対ドイツ戦争として始まっていたが、アメリカは、1941年12月の日本軍によるフィリピン・ハワイへの攻撃までは、中立国の立場だった。しかし、アメリカ合衆国ルーズベルト大統領は、1941年3月11日に武器貸与法(Lend-Lease Acts)を可決させ、イギリスへの軍事援助をしていた。そして、1941年8月にイギリス同盟国カナダのニューファウンドランド沖で、イギリス首相チャーチルと会談し、大西洋憲章を発表して、反枢軸国の立場を表明した。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィック、イギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7264)のトレーラーによる牽引作業:このトレーラーは、搭載する爆弾の運搬作業にも使用された。ハドソンの爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、ノルウェー方面における潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。
ROYAL AIR FORCE COAST AL COMMAND, 1939-1945.
Object description Groundcrew examine a badly-damaged Lockheed Hudson Mark I, N7264 'QX-Q', of No. 224 Squadron RAF on its return to base at Wick, Caithness, from a sortie over Norway. N7264 was one of a battle flight of three Hudsons providing long-range fighter cover for Allied troops in Norway. While flying over Romsdal fjord in Andalsnes they were mistakenly fired on by HMS CURACOA. One Hudson was shot down and N7264 suffered severe damage to its wings and flaps, as well as two burst tyres. Despite this, Pilot Officer H O'Neill managed to bring his aircraft back to Wick where he made a safe touchdown.
Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CH 46)引用。


第二次大戦勃発当初、イギリスは国内における航空機供給能力が十分ではなく、台頭するドイツの軍事力に対抗するために、外国の援助による急速な軍備増強が課題となっていた。そこで、アメリカですでに高速輸送機として実用化されていたロッキド14・スーパーエレクトラを軍用仕様として、哨戒爆撃機に改修することをロッキードに要請した。これがロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)哨戒爆撃機である。

写真(右)1940年5月、イギリス、ノーフォーク、ビィッチャム・ニュートンを基地としたイギリス空軍第206飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7303)の胴体後上方に装備されたブローニング7.7ミリ連装機関銃搭載の動力回転銃塔と銃手のウォルター・スパイク・カルフィールド(Walter 'Spike' Caulfield):1940年5月31日、銃手のウォルター・スパイク・カルフィールド(Walter 'Spike' Caulfield)は、ダンケルク上空で迎撃してきた複数のドイツ空軍Me109戦闘機に反撃した功績により殊勲勲章を授与された。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Object description Leading Aircraftman Walter 'Spike' Caulfield in the turret of a Hudson of No 206 Squadron. Caulfield was awarded the Distinguished Flying Medal for an action on the evening of 31 May 1940, in which his aircraft fought off several Me 109s over Dunkirk.
Label Leading Aircraftman Walter 'Spike' Caulfield in the turret of a Lockheed Hudson of No 206 Squadron, June 1940. .Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CH 301)引用。


写真(右)1939-1945年、ノルウェー沖に出撃するイギリス空軍所属のロッキード・ハドソン爆撃機Mark IV(Lockheed Hudson Mark IV)と胴体後上方の7.7ミリ連装機銃搭載の動力旋回銃座:銃座内の銃士に"グッドラック- グッド・ハンティング" と挨拶をかわす僚機の搭乗員。海上救命具のライフジャケットを首から掛けている。
R.A.F. COASTAL COMMAND ACTIVITIES : CREW OF A HUDSON AIRCRAFT.
Original wartime caption: Original wartime caption: "Good Luck - and Good Hunting!" - a rear gunner of a Hudson aircraft of Coastal Command wishing his pal good luck as he sets off on a "shipping strike" off Norway...
写真は,Imperial War Museums ・Catalogue number CH 5326引用。


イギリス軍の制式したブローニング(Browning)7.7ミリ機関銃の原型は、アメリカのブローニングM1919機関銃で、後者は第一次世界大戦末期にアメリカで開発された口径7.62ミリの空冷機関銃である。イギリス軍は、口径7.7ミリ(7.69?)の.303ブリティッシュ弾(薬莢は縁あり:リムド)を制式していたので、機関銃も口径は7.7ミリに変更されている。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、ノーフォーク、ビィッチャム・ニュートンを基地としたイギリス空軍第206飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7303)の無線士:発光通信機を使ってオルジス信号を送っている。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945. Object description The wireless operator/air gunner of a Lockheed Hudson Mark I of No. 206 Squadron RAF based at Bircham Newton, Norfolk, signals with an Aldis lamp to four other aircraft of the Squadron to "close formation" while returning from a reconnaissance sortie in the Heligoland Bight area.Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CH 339)引用。


写真(右)1940-1942年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィックを基地としたイギリス空軍第269飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark I爆撃機(登録コード:N7303)の爆撃手:携帯用の空撮用写真機Type F.24を操作している。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Object description A sergeant bomb-aimer and photographer on board a Lockheed Hudson Mark I of No. 269 Squadron RAF at Wick, Caithness, demonstrates the use of a hand-held Type F.24 aerial camera from a port side window.
Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,IWM IWM (CH 58)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆弾倉の爆弾懸架装置:爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、搭載爆弾も250ポンドの小型爆弾が主流だった。潜水艦攻撃にはこれで十分だったのであろう。爆弾倉の扉には、重量軽減のための、バカ穴が多数あけられている。
WITH A HUDSON OF COASTAL COMMAND UNDERTAKING OFFENSIVE OPERATIONS AGAINST IMPORTANT ENEMY MILITARY
Object description Original wartime caption: This Hudson aircraft flying low in a thick haze over the Atlantic coast of France searching for its target, struck the sea, shuddered violently and bounced off the water. The port engine cut out and thinking a sea landing might be necessary the wireless operator sent out an S.O.S. The pilot nursed the aircraft and managed to make his home station where all the crew landed safely. The damage to the bomb doors.
Creator Royal Air Force official photographer Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 4472)引用。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、イギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆弾倉への250ポンド爆弾の搭載作業:爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、都市爆撃ではなく、潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945. Object description Armourers secure 250-lb GP bombs in the bomb-bay of a Lockheed Hudson of No. 224 Squadron RAF at Leuchars, Fife, prior to a sortie.
Creator Devon, Stanley (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 979)引用。


イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機は、胴体下面に開閉式扉の付いた本格的な爆弾倉を設けているが、爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さい。そこでロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)は、都市爆撃ではなく船舶攻撃や爆雷を搭載しての対潜水艦作戦といった主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。

写真(右)1942年頃、イギリス、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆弾倉への250ポンド爆弾の搭載作業:爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、都市爆撃ではなく、潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
WITH A HUDSON OF COASTAL COMMAND Object description Original wartime caption: Loading the bomb racks of a HUDSON before an attack on enemy fuel storage tanks. Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 274)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆弾倉への250ポンド爆弾の搭載作業:爆弾搭載量は 750ポンド (340キロ)と小さく、都市爆撃ではなく、対潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用された。爆弾倉の扉には、重量軽減のための、バカ穴が多数あけられている。
HUDSON BOUNCED ON THE SEA Original wartime caption: Loading the bomb racks of a Hudson before an attack on enemy fuel storage tanks.
Creator Royal Air Force official photographer Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 273)引用。


写真(右)1940年11月以前、イギリス、イギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(登録コード:N7272)に試乗した地元の救命艇要員:潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用するので、海上不時着用時の救助について、実体験を通じて、打ち合わせをしたのであろう。この機体は、1940年11月20日に失われた。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945. Object description Local lifeboatmen were invited to spend a day at RAF Leuchars, near Dundee, March 1940. Here the squadron CO, Wing Commander E A Hodgson, helps one of their number out of a No 224 Squadron Hudson. This aircraft, N7272, was lost on 20 November 1940, when it ran out of fuel and had to be abandoned by its crew, eventually crashing in Loch Lomond. Creator Devon, Stanley (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR MINISTRY OF INFORMATION SECOND WORLD WAR CENSORSHIP BUREAU LIBRARY OF PRESS PHOTOGRAPHS: CLASSIFIED PRINT COLLECTION
写真は,Imperial War Museums HU 91235引用。


写真(右)1940-1942年頃、イギリス、イギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機に乗り込む搭乗員たち:潜水艦哨戒や船舶攻撃など主に沿岸での哨戒爆撃に使用するので、海上不時着用にライフジャケット(救命胴衣)を着用し、非常時通信用の伝書鳩を飼育するカゴを携帯している。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945. Object description The crew of a Lockheed Hudson of No. 224 Squadron RAF, prepare to board their aircraft at Leuchars, Fife. The wireless operator/air gunner (far right) is carrying his log book, rations and a homing pigeon in a wicker carrier for emergency communications.
Creator Devon, Stanley (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 982)引用。


ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )の発動機を強化し、若干大型化した発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機で、1937年7月29日初飛行、354機が生産された。その軍用仕様が ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機で、1938年12月10日初飛行で、2,941機生産された。

写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk VI 爆撃機に乗り込もうとする無戦士:パラシュート(落下傘)を止めるハーネスを身につけている。手にしているのは、携行食糧レーション(ration)、航法記録(log book)、伝書鳩(緊急時の連絡用に使用)など。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original wartime caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 981)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機胴体後部右側にある扉から機内に乗り込む搭乗員と搭乗を手助けする地上勤務員:高空で隙間から冷たい外気が機内に流入しないように、扉の内側にバルジが装着されている。
HUDSON MARK 3 (LOCKHEED) Object description Two Wright Cyclone Engines.
Part  of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (GM 1405)引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)哨戒爆撃機の胴体後部右側にある扉は、搭乗員の出入りの時には外側に開くので、飛行中は空気抵抗のために開けることはできない。しかし、高空で隙間から冷たい外気が機内に流入すると機内温度の低下、気圧の低下が、搭乗員にとって負担となる。そこで、扉から外気が流れ込まないように、気圧低下を軽減できるように、扉内側のバルジが気圧低下時に膨張して隙間を埋める工夫がなされている。

写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の機首の爆撃手と爆撃照準器:爆撃手のガラス風防は、歪みが出ないように平面ガラスがはめ込まれている。
HUDSON PICTURES Object description Original wartime caption: [For caption see CH.978] The bomb-aimer at his sights in the extremely roomy nose of a Hudson.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 985)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機コックピットで管制官からの発進指示を待っているパイロット:上部に地上照射用の環状照準器がついている。コックピットの側方ガラス風防は、開閉可能になっている。しかし、このような便利な仕組みは、コックピットの気密性を低下させてしまうために、高空を飛ぶ飛行機では、ゴムやプラスチックを使って、搭乗員空間の気密性を高めたり、コンプレッサーで空気を送るような気密室を備えたりするようになった。つまり、窓の開け閉めはできないようになっている。
HUDSON PICTURES Object description Original wartime caption: [For caption see CH.978] The pilot at the controls of his aircraft awaits the take off signal.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 987)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体空間の無線通信士:ラジオ無線機を調整している通信士は、ライフジャケットを身に着けている。
HUDSON PICTURES Object description Original wartime caption: [For caption see CH.978] The wireless operator of a Hudson at his post. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)
Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 992)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体空間の無線通信士:ライフジャケットを身に着けて、ラジオ無線機を調整している通信士は、低高度飛行のために機内温度が高いのか、腕まくりをしている。右上方には簡易携帯消火器が設置されている。正面奥の操縦席との間には、扉(左側)があるが、扉には収納ケースがあって、紙のシートを挟むことができる。
HUDSON PICTURES Object description Original wartime caption: The wireless operator contacts the home station by radio.Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)
Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 992)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体後上方の回転動力銃座とブローニング7.7ミリ連装機関銃:回転動力銃座には銃手のための防御装甲板な設置していないようだ。
HUDSON PICTURES Object description Original wartime caption: [For caption see CH.978] The air gunner at the controls of his two-gunned turret situated amindships. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 986)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体後上方の回転動力銃座とブローニング7.7ミリ連装機関銃:真横から見た回転動力銃座には、後方に銃手がいて、前方にブローニング7.7ミリ連装機関銃があり、その中間に光像式射撃照準器が備えられてるのが明瞭にわかる。銃手のための防御装甲板は設置していないようだ。
WITH A HUDSON OF COASTAL COMMAND
Object description Original wartime caption: A rear-gunner gives the "thumbs up" on his return from patrol, having brought down an enemy aircraft.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part  of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 290)引用。


写真(右)1942年7月24日、イギリス、ハンプシャー(Hampshire)、イースレット(Eastleigh),イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark III爆撃機(登録コード: V8977)コックピット計器盤:左が正パイロット、右が副パイロット・偵察員、機首につながる通路の先が航法士の座席となる。操縦士への防弾装甲版は設置されていないようだ。
AMERICAN AIRCRAFT IN RAF SERVICE 1939-1945: LOCKHEED L-214 & L-414 HUDSON. Object description Hudson Mark III, V8977: cabin interior with pilot's position on the left. Photograph taken at Eastleigh, Hampshire. Label Cockpit of a Lockheed Hudson Mk III at Eastleigh, Hampshire, 24 July 1942. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (ATP 10925F)引用。


第二次大戦が勃発するとすぐに、大西洋上で実戦参加していた。そして、1941年12月の太平洋戦争時には、マレー半島方面で、イギリス空軍・オーストラリア空軍のハドソンが哨戒爆撃機として、日本軍のマレー侵攻部隊を海上や陸上で偵察し攻撃している。

写真(右)1940-1942年頃、イギリス、離陸したイギリス空軍第224飛行中隊所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機Mark I(登録コード: N7342):一連の爆弾搭載作業からみて、爆弾倉には250ポンド爆弾の搭載されているはずだ。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Object description Lockheed Hudson Mark I, N7342 'QX-Z', of No 224 Squadron RAF takes off from Leuchars, Fife, on a sortie.Creator Devon, Stanley (Flight Lieutenant)
Royal Air Force official photographer Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 991)引用。


写真(右)1940-1943年頃、イギリス、イギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の主翼に立ったオーストラリア人パイロット:ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島へ飛行する直前の撮影。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND Object description Original wartime caption: A study of one of the pilots - he is an Australian. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 307)引用。


写真(右)1940-1943年頃、ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島上空を飛行するイギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:コックピット左座席に座る正パイロットが、機首につながる通路から、爆撃手が操縦士とコンタクトをとっている最中。操縦士への防弾装甲版は設置されているようにみえる。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND
Object description Original wartime caption: The Navigator who works on the "ground floor" in the transparent nose of the Hudson hands up a note to his pilot above giving details of a change of course.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 318) 引用。


写真(右)1940-1943年頃、ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島上空を飛行するイギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の機首の爆撃手・航法手:コックピット左座席に座る正パイロットが、機首につながる通路の先に、このガラス風防で囲まれた視界の良い機首空間がある。防弾装甲板が設置されているないようにみえる。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND
Object description Original wartime caption: Well forward in the transparent nose of the aircraft, with the pilot, the navigator works out the course. He is sucking an unlighted pipe, smoking inside an aircraft is not allowed.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 327)引用。


写真(右)1940-1943年頃、ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島上空を飛行するイギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆撃手・航法士:コックピット左座席に座る正パイロットが、機首につながる通路の先に、このガラス風防で囲まれた視界の良い機首空間がある。防弾装甲板が設置されているないようにみえる。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAN
D Object description Original wartime caption: When the pilot has set the new course the navigator joins him 'upstairs' and offers him a piece of barley sugar to suck.
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 324)引用。


写真(右)1940-1943年頃、ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島上空を飛行するイギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体で鳥籠に入った伝書鳩の世話をする通信士:コックピット左座席に座る正パイロットが、機首につながる通路の先に、このガラス風防で囲まれた視界の良い機首空間がある。防弾装甲板は設置されていないようにみえる。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND Object description Original wartime caption: The wireless operator tends his pigeons. These are carried in case of forced landings. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer) Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 329)引用。


写真(右)1940-1943年頃、イギリス、イギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体上方の天測窓を通して、ベリー信号弾ピストルを使って僚機と交信準備をする通信士:ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島へ飛行する直前の撮影。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND Object description Original wartime caption: The wireless operator loading a Verey light pistol used for signalling. Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)

Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 336)引用。


ロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機から発展したロッキード・ハドソン爆撃機は、1938–1943年の間に2,941機が生産された。

写真(右)1940-1943年頃、イギリス、イギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体上方の天測窓を通して、オルジススランプ信号機を使って僚機と交信する通信士:ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島へ飛行する直前の撮影。
HUDSONS FLY OVER HELIGOLAND Object description Original wartime caption: As the formation turns for home, the wireless operator signals with an Aldis lamp to the other aircraft to "close formation".
Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (CH 337)引用。


ドイツ北方、北海に浮かぶヘルゴラント島(Helgoland)島は、デンマーク領・イギリス領を経て、ドイツ領となった面積 2平方キロメートルの小島である。つまり、1714〜1814年はデンマーク領,14〜90年はイギリス領,ドイツ領東アフリカのザンジバルとの領土交換により 1890年以後ドイツ領となった。彩色砂岩の断崖が囲まれているために、港湾設備は桟橋に依存している。ドイツは、ヘルゴラント島を要塞化し、北海の勢力確保に利用しようとした。第一次世界大戦の勃発直後、1914年8月28日には、ヘルゴラント島沖で、イギリス海軍とドイツ海軍と海戦が生じている。

第一次世界大戦で、ドイツが降伏、ベルサイユ講和条約によりヘルゴラント島(Helgoland)島の軍事施設はすべて撤去されることになった。しかし、1935年、ドイツ再軍備によって、再び要塞化が図られた。第二次世界大戦末期、1945年4月18日、イギリス空軍による大空襲を受け、基地能力は喪失した。

第二次大戦後、ヘルゴラント島(Helgoland)島を占領したイギリス軍は、同島を爆撃演習場として利用した。1952年に、ヘルゴラント島(Helgoland)島は、西ドイツに返還され、以後、海の見える保養地として再建された。現在、免税店、海の観光地で、ブレーメン郊外のブレーマーハーフェンからフェリーが通っている。


写真(上)1941-1943年頃、アイスランド南西部、カルダーダ―ネス(Kaldadarnes)基地、イギリス空軍第269飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機("Spirit of Lockheed-Vega Emplyees")

HUDSON MARK 3 (LOCKHEED) Two Wright Cyclone Engines. Aircraft named "Spirit of Lockheed-Vega Emplyees" ..Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums CH 2651引用。


アイスランドはデンマーク領だったが、1874年に自治を認められ、1904年には自治領へとなり、1918年にデンマーク国王を抱く連合王国として独立した。デンマークは、1939年9月の第二次世界大戦勃発に際し、中立を宣言したが、ドイツの侵攻を受けた。

アイスランドも中立を宣言したが、融和政策をとってきたイギリス首相アーサー・ネヴィル・チェンバレンArthur Neville Chamberlain )に代わって1940年5月10日チャーチルが政権をとった当日、1940年5月10日ドイツの西方侵攻に直面したが、同日、イギリスは直ちに中立国アイスランド侵攻Invasion of Iceland )を決行した。当時、アイスランドは、宗主国といえるデンマークがドイツに占領され、ドイツ軍がアイスランドに無欠占領するリスクがあり、そうなればアイスランドを基地としたドイツ海軍による米英間の大西洋補給ルートが遮断される恐れがあった。

1940年5月10日、チェンバレン首相が退陣し、チャーチルが新首相となったが、同日即座に、イギリス軍はアイスランド侵攻「フォーク作戦Operation Fork )」を発動し、大西洋の海上交通確を意図して1000名弱の1個大隊規模のイギリス海兵隊をアイルランドに派兵した。当時中立を宣言していたアイスランドには、武装警察程度の兵力しかなかったから、アイスランドのドイツ占領を恐れたチャーチル政権に入ったイギリスは、先回りしてアイスランド全土を支配下に置いてしまったのである。もちろん1940年5月10日に開始されたイギリスのアイルランド占領は、ソ連のバルト諸国併合と比すべき、国際法違反の侵略行為である。

しかし、アメリカの参戦と大西洋防衛へのアメリカ進出を目論むイギリスは、アイスランド占領・防衛をアメリカに委ねようとしていた。1941年6月22日にドイツがソ連に侵攻した直後の1941年7月7日、ルーズベルト大統領は、イギリス首相チャーチルの駐留要請を受けて、大西洋の安全保障を理由に、アイスランドにアメリカ海兵隊4000名を派遣し、アイスランドを再占領した。

1941年7月7日の中立国アメリカによるアイスランド侵攻は、アイスランドは、宗主国といえるデンマークがドイツに占領されなすところがなかった状況で、アメリカの豊富な物資支援、軍事援助を歓迎した。アメリカはまた戦争末期、1944年にアイスランドは、デンマーク国王を元首に戴く連合を解消してしまった。デンマークより、アメリカを頼り、同盟国とする選択をしたのである。


Tales of the American Empire 3,750 回視聴 2019/10/26 On July 7, 1941, a large American naval task force with a 4000-man Marine brigade arrived off Iceland. Despite British pressure, the government of Iceland refused to invite the American troops ashore. President Roosevelt ordered the Marines to invade and informed the US Congress that Marines had landed because it was in Iceland’s best interest.


写真(上)1941年10月、アイスランド南西部、カルダーダ―ネス(Kaldadarnes)基地、イギリス空軍第269飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機("Spirit of Lockheed-Vega Emplyees")
:対潜水艦などの哨戒任務に十字空いた。1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
HUDSON MARK 3 (LOCKHEED) No 269 Squadron's most-photographed Hudson, T 9465 'Spirit of Lockheed-Vega Employees', bathed in early-morning sunshine while being readied for an anti-submarine patrol from Kaldadarnes, Iceland, October 1941.
写真は,Imperial War Museums  IWM CS 112引用。


アメリカ、カリフォルニア州バーバンクのロッキード・ベガ(Lockheed-Vega Corp)工場で、イギリスからの注文を受けて1940年12月に完成したロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機イギリス空軍第269飛行隊の"Spirit of Lockheed-Vega Emplyees"の由来は、総力戦の中で興味深い。ハドソン1機は$90,000と高価で、完成までに雇用労働時間24,000時間が必要だった。当時、労働者のバートン・グリフィン(Burton Griffin)は、ハドソン爆撃機の献納でクリスマスを祝うのため働いたり、募金したりすることを始めようと、同僚に訴えた。 20,000万人の工場労働者は、1時間75セント、2時間以上の作業をし、飛行機献納を果たした。この時、渡米した戦時生産大臣のビーヴァーブルック卿ウィリアム・マックスウェル・エイトケン(Lord Beaverbrook)は、 この逸話に感銘を受け、このハドソンの愛称を"Spirit of Lockheed-Vega Emplyees"と命名した。

写真(右)1941-1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)MARK 3 爆撃機”Spirit of Lockheed-Vega Employees":胴体側方に白色で機体の固有名称”Spirit of Lockheed-Vega Employees"が記入されている。
HUDSON MARK 3 (LOCKHEED)
Object description Two Wright Cyclone Engines. Aircraft named "Spirit of Lockheed-Vega Employees"
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 2652)引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の内訳は、前期型には、1,100馬力のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備の350機のMk I、20機のMk II、胴体下方腹部に引込み式銃座を設けた428機のMk IIIがある。

ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の後期型には、1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン (排気量30.0 L)装備の309機のMk Vと450機のMk VI(A-28)である。

写真(右)1941-1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)MARK 3 爆撃機”Spirit of Lockheed-Vega Employees":胴体側方に白色で機体の固有名称”Spirit of Lockheed-Vega Employees"が記入されている。
ROYAL AIR FORCE COASTAL COMMAND, 1939-1945.
Hudson Mark III, T9465 “Spirit of Lockheed-Vega Employees”, of No. 269 Squadron RAF flying out to join a convoy from its base at Wick, Scotland. T9465 was a presentation aircraft, paid for by contributions from the workforce of the Lockheed plant at Burbank, California. Creator Crouch, F. W. (Flying Officer) Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM CH 2653)引用。


ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機は、1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の機体構造を引き継いでいるために、降着装置は引込み式ではあるが、ゴム製主輪は、エンジンナセル後方に引き込んだ後も、ゴム車輪の3分の1は、機外に露出している。また、尾輪は、固定式で引込み式ではない。

写真(右)1942年頃、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機正面のライト・サイクロンエンジン
HUDSON PICTURES Original wartime caption: Original wartime caption: [For caption see CH.978] The wireless operator leaving the station to board his aircraft, carrying rations, log book and pigeon for emergency communication purposes.whole: acetate
写真はImperial War Museums,IWM Catalogue number IWM (CH 309)引用。


イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機は、1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、ロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14)輸送機の軍用爆撃機仕様で、発動機は信頼性の高いライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基である。

写真(右)1942年頃、尾部から見たイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座にはブローニング7.7ミリ連装機関銃が搭載されている。尾翼は、2枚の垂直尾翼がある双尾翼構造だが、これは飛行安定性の確保というよりも、主に回転銃塔の後方視界、特に真後ろ6時方向の視界と射界を確保して、防御力を高めるためである。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 988)引用。


イギリス空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機の尾部にある尾翼は、2枚の垂直尾翼がある。つまり、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)は双尾翼構造を採用しているが、その理由は、(1)飛行安定性の確保、(2)回転銃塔の後方視界、特に真後ろ6時方向の視界と射界の確保、という2点の理由がある。輸送機時代の双尾翼式は、飛行安定性の確保が主だったが、哨戒爆撃機としては、射界の向上がより重要な理由となった。

写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初装備されていたのはブローニング7.7ミリ連装機関銃だった。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 330)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、ブローニング7.7ミリ連装機関銃の銃身が見えているが、銃塔に対して装備している機関銃の口径が小さかったのは、イギリス軍では当初12.7ミリ口径の航空機用機関銃が実用化されていなかったためである。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums,IWM IWM (CH 285)引用。


アメリカで1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機は、発動機プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア空冷星形9気筒エンジン440 hp (328 kW)2基を装備していた。この発動機をライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン850 hp (630 kW)に変換強化し、若干大型化したのが、1937年7月29日初飛行のロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14)輸送機である。そして、スーパーエレクトラ輸送機の爆撃機仕様が、イギリス軍が発注し制式したロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機である。

写真(右)1942年頃、迷彩塗装を施してを飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用爆撃機仕様。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 352)引用。


写真(右)1942年頃、洋上を飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機の無戦士:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用爆撃機仕様で、発動機は2基のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンを装備した。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 308)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:手前は僚機のエンジンカウリング上部の空気取り入れ口(エアインテーク)。胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初12.7ミリ口径の航空機用機関銃が実用化されていなかったためである、ブローニング7.7ミリ連装機関銃が搭載されているた。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 316)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用爆撃機仕様で、発動機は2基のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンを装備した。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 353)引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark 3爆撃機は、1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の機体構造を引き継いでいるために、降着装置は引込み式ではあるが、ゴム製主輪は、エンジンナセル後方に引き込んだ後も、ゴム車輪の3分の1は、機外に露出している。また、尾輪は、固定式で引込み式ではない。

写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:手前は僚機のエンジンカウリング上部の空気取り入れ口(エアインテーク)。胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初12.7ミリ口径の航空機用機関銃が実用化されていなかったためである、ブローニング7.7ミリ連装機関銃が搭載されているた。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 350)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:手前は僚機のエンジンカウリング上部の空気取り入れ口(エアインテーク)。胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初12.7ミリ口径の航空機用機関銃が実用化されていなかったためである、ブローニング7.7ミリ連装機関銃が搭載されているた。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 288)引用。


写真(右)1942年頃、僚機と編隊を組んで洋上を飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用爆撃機仕様で、発動機は2基のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンを装備した。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 281)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機下面:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発展型、1937年7月29日初飛行のスーパー・エレクトラの軍用爆撃機仕様で、発動機は、B-17フライングフォートレス重爆撃機と同型(但し排気タービンは未装備)のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンを装備した。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. No. 206 Squadron, R.A.F.whole: acetate
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 286)引用。


写真(右)1942年頃、飛行するイギリス空軍第206飛行中隊(No. 206 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk I 爆撃機下面:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ輸送機の発動機プラット・アンド・ホイットニー(Pratt & Whitney)R-985ワスプ・ジュニア空冷星形9気筒エンジン440 hp (328 kW) をライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン850 hp (630 kW)に変換強化し、若干大型化した1937年7月29日初飛行のロッキード・モデル14スーパー・エレクトラ輸送機の軍用爆撃機仕様。
HUDSON MARK 1 (LOCKHEED) Original caption: Two Wright Cyclone Engines. Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 289)引用。


写真(右)1942年頃、離陸する寸前のイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)MARK II爆撃機の編隊飛行:で、発動機はF2A バッファロー戦闘機やSBD ドーントレス急降下爆撃機など、太平洋戦争初期に退役した軍用機と同じライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン2基を装備した。
HUDSON MARK 2 (LOCKHEED) Object description Two Wright Cyclone Engines
Part of IR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 999)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス上空、イギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)MARK 2 爆撃機の編隊飛行:装備したライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジンは、F2A バッファロー艦上戦闘機やSBD ドーントレス艦上急降下爆撃機など、太平洋戦争初期に退役した軍用機と同じで、すでに大量生産されていた発動機である。
HUDSON MARK 2 (LOCKHEED) Object description Two Wright Cyclone Engines Part of IR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 2845)引用。


写真(右)1942年頃、イギリス、田園上空を飛行するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)MARK 2 爆撃機の編隊飛行
HUDSON MARK 2 (LOCKHEED) Object description Two Wright Cyclone Engines.
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number IWM (CH 2840)引用。


1937年7月29日初飛行のロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14)輸送機の軍用仕様ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機は、B-17フライングフォートレス重爆撃機と同型(但し排気タービンは未装備)のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone)空冷星形9気筒エンジン1200馬力 (895 kW)を装備している。しかし、ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)のエンジンは9気筒であり、排気量に制約があったために大出力化するには限界があった。そこで、ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の発展型となるベンチュラ(Ventura)PV-1哨戒機は、9気筒から18気筒に排気量を倍増したプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン2,000馬力を装備することとなり、最高速力の向上、爆弾搭載量の増加、防御力の強化が可能になった。

写真(右)1942年8月3日、イギリス植民地ジブラルタル、ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules)を背景にしたイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk 3爆撃機(登録コード:AE626):ジブラルタルは、スペイン南部アンダルシア地方に隣接したイギリスの海外領土で、1713年以来、地中海の要衝としてイギリスの軍事拠点となっている。長さ5km,幅1.2kmの半島で人口は3.4万人、総面積6.8平方kmの「欧州最後の植民地」である。現在でもイギリス駐留軍があり、それに関した軍需で経済が成り立っているジブラルタルではあるが、自由港であることろ活かし、自由貿易の拠点、低税率のショッピングやギャンブルの観光地として発達しつつある。
Two Wright Cyclone Engines. Aircraft stationed at Gibraltar 3.8.42.
Materials whole: acetate Catalogue numberGM 1405 Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (GM 1405)引用。


イギリス領ジブラルタルGibraltar)は、地中海と大西洋を繋ぐジブラルタル海峡の狭い水道を押さえている軍事的要衝である。ジブラルタル北側は、幅800mの中立地帯を挟んでスペイン南部アンダルシア地方カディス県に隣接してるが、1713年以来、イギリスの軍事拠点となり、地中海の制海権の要衝として機能してきた。領域は、全長5km,幅1.2kmの半島でり、現在の人口は3.4万人、総面積6.8平方kmの「欧州最後の植民地」である。

写真(右)1942-1944年頃、イギリス植民地ジブラルタル、ヘラクレスの柱(Pillars of Hercules)を背景にした南アフリカ連邦空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機(登録コード:AE626):FLYING OVER THE ROCK OF GIBRALTAR Original wartime caption: A Ventura of the South African Air Force flying past the Rock of Gibraltar..Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums IWM (C 5261)引用。


イギリス領ジブラルタルGibraltar)に現在も駐屯するイギリス駐留軍に関連した軍需でジブラルタル経済が成り立っているが、自由港であることを活かし、自由貿易の拠点、低税率のショッピングやギャンブルの観光地として発達しつつある。

写真(右)1942年以前、ドイツ軍の反撃で破損したが無事帰還したイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機と破損した穴に立って記念撮影した搭乗員たち:オランダにあるドイツ補給施設を攻撃した。
HUDSON ATTACKING GERMANY�S RUSSIAN SUPPLIES - HIT BUT HOME SAFELY (Picture issued 1942) Original wartime caption: While attacking an enemy convoy creeping at night up the Dutch coast with supplies for Germans on the Russian front, a Hudson of R.A.F. Coastal Command was hit by a medium-sized shell in the starboard wing. The hole was big enought for three of the crew to stand in, but nobody was wounded and the pilot flew his aircraft safely to base. The pilot (centre) with two of the crew all standing in the hole torn by the shell in the starboard wing. (The pilot is Squadron Leader P.G. Evans, DFC of Liverpool). Creator Royal Air Force official photographer (Photographer)
写真はImperial War Museums ,IWM Catalogue number CH 6720引用。


ロッキード 10 エレクトラ(Lockheed Model 10 Electra )の発動機を強化し、若干大型化した発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機で、1937年7月29日初飛行、354機が生産された。その軍用仕様が ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機で、1938年12月10日初飛行で、2,941機生産された。

写真(右)1942年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィック基地から発進したイギリス空軍第48飛行中隊(No. 48 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark III爆撃機(登録コード:E-OY):胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初装備されていたのはブローニング7.7ミリ連装機関銃だった。
AMERICAN AIRCRAFT IN ROYAL AIR FORCE SERVICE 1939-1945: LOCKHEED L-214 & L-414 HUDSON. Creator Daventry, Bertrand John Henry (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 17908)引用。


ロッキード 14 スパーエレクトラ輸送機の胴体を 5 feet 6 inches (1.68 m)延長し、乗客を増やし、発動機を強化したのが、ロッキード 18 ロードスター(Lockheed Model 18 Lodestar)輸送機で、1939年9月21日初飛行し、625機が生産された。そのロードスターの軍用仕様がロッキード・ベンチュラ(Lockheed Ventura)PV-1哨戒爆撃機で、1941年7月31日初飛行で、3,028機生産された。

写真(右)1942年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィック基地から発進したイギリス空軍第48飛行中隊(No. 48 Squadron)のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark III爆撃機(登録コード:E-OY):ライト(Wright)GR-1820 G.105Aサイクロン9(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備。胴体後上方に搭載した大きな動力回転銃座には、当初装備されていたのはブローニング7.7ミリ連装機関銃だった。
HUDSON MARK 3 (LOCKHEED). 2 x 1200 h.p. Wright Cyclone GR-1820 G.105A engines. No 48 squadron R.A.F. Creator Royal Air Force official photographer Part of MINISTRY OF INFORMATION/BRITISH INFORMATION SERVICE, WASHINGTON DC
写真はImperial War Museums ,IWM IWM (CH 17909)引用。


写真(右)写真(右)1941-1944年頃、イギリス、スコットランド北部、ケイスネス、ウィック、イギリス空軍第48飛行中隊所属の飛翔するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk V 爆撃機(登録コード: AM853 ):1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。1940年代には農地だったこの付近には、現在は家屋が立ち並んでいる。
AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE, 1939-1945: LOCKHEED L-214 & L-414 HUDSON. Hudson Mark V, AM853 'OY-K', of No.48 Squadron RAF based at Wick, Caithness, in flight along the Scottish coastline Creator Royal Air Force official photographer Materials whole: acetate Part of MINISTRY OF INFORMATION/BRITISH INFORMATION SERVICE, WASHINGTON DC
写真は,Imperial War Museums  IWM (COL 183)引用。



3.アフリカのロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)

写真(右)1942年、イギリス保護国エジプト、カイロ郊外ピラミッド上空を飛翔するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk VI 爆撃機(登録コード:AE626):1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
THE ROYAL AIR FORCE IN EGYPT, SUMMER 1942
A Royal Air Force Lockheed Hudson AE626 aircraft of the Middle East Communications Flight flying over the pyramids.
Creator Royal Air Force official photographer Materials whole: acetate
写真は,Imperial War Museums  Catalogue number TR 26引用。


ロッキード(Lockheed)モデル Model 10-A「エレクトラ」輸送機の発展型がロッキード 14 スパー・エレクトラ(Lockheed Model 14)で、発動機を強化し、乗客収容能力も向上させた。しかし、民間航空の需要は、ライバルのダグラスDC-3、ボーイングとの競争もあり、商業的には十分な成功を得ることはできなかった。


写真(上)1942年、イギリス保護国エジプト、カイロ郊外ピラミッド上空を飛翔するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk VI 爆撃機(登録コード:AE626)
:1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。
THE ROYAL AIR FORCE IN EGYPT, SUMMER 1942
A Royal Air Force Lockheed Hudson AE626 aircraft of the Middle East Communications Flight flying over the pyramids.
Label An RAF Lockheed Hudson aircraft of the Middle East Communications Flight flying over the Pyramids at Cairo, 1942.
Creator Royal Air Force official photographer Materials whole: acetate
写真は,Imperial War Museums  Catalogue number TR 27引用。


ロッキード 14 スパーエレクトラLockheed Model 14 'Super Electra')を軍用仕様にしたのが、ロッキード・ハドソン哨戒爆撃機である。当時、イギリスは、ドイツとの抗争中であり、自国の航空機生産だけでは、戦力増強が困難だった。そこで、アメリカに支援を要請したのであるが、アメリカ軍も爆撃機を必要としており、供給能力に余裕はなかった。そこで、民間商業機のロッキード 14 スパーエレクトラLockheed Model 14 'Super Electra')を軍用に使用するために回収することとした。

写真(右)1942年、イギリス保護国エジプト、カイロ郊外ピラミッド近郊の農地上空を飛翔するイギリス空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk VI 爆撃機(登録コード:AE626):1934年2月23日に初飛行した全金属製、低翼のロッキード・モデル10エレクトラ高速輸送機の発展型、スーパー・エレクトラの軍用仕様。1940年代には農地だったこの付近には、現在は家屋が立ち並んでいる。
THE ROYAL AIR FORCE IN EGYPT, SUMMER 1942 A Royal Air Force Lockheed Hudson AE626 aircraft of the Middle East Communications Flight flying over the pyramids. Creator Royal Air Force official photographer Materials whole: acetate
写真は,Imperial War Museums  Catalogue number TR 28引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の原型は、ロッキード 14 スパーエレクトラLockheed Model 14 'Super Electra')輸送機で、発動機も同じライト(Wright)SGR-1820サイクロン空冷星型9気筒エンジン 760 hp (567 kW)2基で、最高速力402 km/h、乗客12-14名の輸送機だったので、胴体には、客室だった空間があり、客席に対応していたガラス窓もついていた。そこで、ハドソン爆撃を輸送機として使用するには、ほどんど支障がない状態だった。

写真(右)1943年頃、リビア、飛行場でイギリス空軍(RAF)第117飛行中隊のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson Mark VI)爆撃機を輸送機として使用している。:陸軍用の補給物資を下ろし、トラックに積み替えている。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Lockheed Hudson Mark VI, FK384, of No. 117 Squadron RAF unloading supplies for Army units at a landing ground near the front line in Libya..
Creator Clark N S (F/O) Royal Air Force official photographer
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (ME(RAF) 6800)引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機と ロッキード 14 スパーエレクトラLockheed Model 14 'Super Electra')輸送機が装備したライト(Wright)SGR-1820サイクロン(Cyclone)空冷星型9気筒エンジンは、B-17爆撃機、SBDドーントレス(Dauntless)急降下爆撃機、ダグラスDC-3輸送機にも装備された信頼性あるエンジンである。シリンダー(気筒)は、直径Bore 6 ​1⁄8 in (155.6 mm)、気筒ストローク(Stroke) 6 ​7⁄8 in (174.6 mm)、総排気量(Displacement): 1,823 in³ (29.88 L)の9気筒で、これは当初から最終型まで変わっていない。

写真(右)1942年頃、リビア、エル・アデン飛行場でイギリス空軍(RAF)第216飛行中隊のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson Mark VI)爆撃機を輸送機として使用している。:陸軍用の補給物資を下して、トラックに積み替えている。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Lockheed Hudsons of the Mobile Operations Force of No. 216 Group RAF being loaded with stores and equipment at El Adem, Libya, for transport to front line units in the Western Desert..
Creator Clark N S (F/O) Royal Air Force official photographer
Part of WAR OFFICE SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CM 4093)引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機とロッキード14スパーエレクトラ輸送機が装備したライト(Wright)SGR-1820サイクロン(Cyclone)の出力は、当初R-1820-4の770 hp (570 kW)から、R-1820-34の940 hp (700 kW), R-1820-60の1200 hp (890 kW)と強化されていった。乾燥重量Weight (dry)は、595 kg (1,310 ポンド)である。

写真(右)1942年頃、リビア、飛行場でイギリス空軍(RAF)第117飛行中隊のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson Mark VI)爆撃機を輸送機として使用している。:陸軍用の補給物資を積み下ろし終わったところ。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description The aircrew of a Lockheed Hudson of No. 117 Squadron RAF unload boxes of ammunition for armoured units at a forward landing ground in Libya. The resupply of advanced Army units in the desert was undertaken by the Mobile Operations Force of No. 216 Group RAF..
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CM 4100)引用。


1933年5月22日初飛行のボーイング247輸送機が乗客10名、最高速力は292キロ、1934年2月23日に初飛行したロッキード10・エレクトラは乗客10名で最高速力325キロ、1934年5月11日初飛行のダグラスDC2が乗客14名、最高速力338キロに対して、1937年7月29日に初飛行したロッキード 14 スパーエレクトラLockheed Model 14 'Super Electra')輸送機は乗客14名で最高速力402キロと、輸送機が高速化していた。しかし、本来は数十キロの速度向上よりも、機体の製造コスト(量産性)、燃費など経済性や信頼性のほうが重視されるべきであった。ロッキードの輸送機は、経済性の上で、ボーイング、ダグラスに劣っていたようだ。

写真(右)1942年頃、リビア、エル・アデン飛行場でイギリス空軍第117飛行中隊ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson Mark VI)爆撃機を率いたR G ヤックレー(Yaxley)中隊長
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Wing Commander R G Yaxley, Officer Commanding No. 117 Squadron RAF, seen here at El Adem, Libya. Yaxley was awarded an MC while serving with an RAF armoured car company before the war. By December 1940 he was a Squadron Leader, commanding No. 252 Squadron RAF flying Bristol Beaufighters in the Western Desert. When 252 Squadron aircrews merged with No. 272 Squadron RAF, he also commanded that unit until February 1942 and was awarded the DFC. Following his promotion to Wing Commander he was given the command of No. 117 Squadron in July 1942, flying Lockheed Hudsons in North Africa and along transport routes to Malta and West Africa. By the end of 1942, the Squadron was heavily involved in resupplying forward Army units in Libya as part of No. 216 ..
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CM 4110)引用。


1937年7月29日に初飛行したロッキード14スーパーエレクトラ輸送機は、最高速力や搭載量は十分だったが、低速飛行時に安定性が悪く、失速するリスクがあった上に、機体価格が高価だったために、生産機数はロッキード社で114機が、本気度導入した日本の立川飛行機でロ式輸送機として119機、川崎航空機で一式貨物輸送機キ56として121機生産された。

写真(右)1942年頃、リビア、カルテル・ベニートから、エジプトの病院に搬送される傷病兵たちを乗せたイギリス空軍(SAAF)第117飛行中隊のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson Mark VI)爆撃機(輸送機):傷病兵たちは、専用の縞模様の付いた患者服を着て、毛布を掛けている。脇には、看護師が付き添っている。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Battle casualties loaded into a Lockheed Hudson Mark VI of No. 216 Group RAF at Castel Benito, Libya, for evacuation to hospitals in Egypt...
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CM 5021)引用。


スイスの実業家アンリー・デュナンJean Henri Dunant)は、1859年、サルデーニャ王国・フランス(ナポレオン3世)とオーストリアとのイタリア統一戦争の時に、負傷兵が放置されているの目の当たりにして、中立の立場で、彼らの救護活動を開始した。そして、ジュネーブに帰還後にデュナンは、救助活動の様子を『ソルフェリーノの思い出』に著し、この中で国際的な救護団体の樹立を訴えた。1864年のジュネーブ条約調印によって、国際赤十字社ICRC:International Committee of the Red Cross)が誕生した。

写真(右)1942年頃、リビアから、エジプトの病院に搬送される傷病兵たちを空輸するオーストラリア空軍(Royal Australian Air Force:RAAF)第1救急空輸部隊(No. 1 Air Ambulance Unit)のデハビラントDH.86(De Havilland DH.86)複葉患者輸送機(登録コード:A31-7):胴体には、オーストラリアの国籍マークと並んで赤十字記章を描いている。客室には、傷病兵たちの担架が並んでいるのであろう。
AIRCRAFT OF THE ROYAL AIR FORCE 1939-1945: DE HAVILLAND DH.86..
Object description DH.86, A31-7, of No. 1 Air Ambulance Unit RAAF, in flight over North Africa..
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
写真は,Imperial War Museums  IWM (CM 1575)引用。


デハビラントDH.86(De Havilland DH.86)複葉輸送機は、1934年1月14日初飛行で、1934年から1937年までに62機がイギリスで製造された。 民間のイギリス帝国航空(Imperial Airways)のほか、イギリス空軍、オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force)でも使用された。

搭乗員Crew: 2名
乗客Capacity: 10–12 名
全長Length: 14.04 m
全幅Wingspan: 19.66 m
全高Height: 3.96 m
主翼面積Wing area: 59.6 平方メートル
空虚重量Empty weight: 6,140 lb (2,791 kg)
総重量Loaded weight: 10,250 lb (4,659 kg)
発動機Powerplant: デハビラント(de Havilland)ジプシー(Gipsy) 200 hp (149 kW)4基

写真(右)1942年頃、リビア、カルテル・ベニートから、エジプトの病院に搬送される傷病兵たちを乗せたオーストラリア空軍(Royal Australian Air Force:RAAF)第1救急空輸部隊(No. 1 Air Ambulance Unit)のデハビラントDH.86(De Havilland DH.86 )複葉患者輸送機:傷病兵たちは、専用の担架に乗せられ、赤十字記章の付いた白のシーツを掛けている。脇には、赤十字腕章をつけた看護師が付き添っている。
ROYAL AIR FORCE OPERATIONS IN THE MIDDLE EAST AND NORTH AFRICA, 1939-1943.
Object description Casualties are tended by medical orderlies in a De Havilland DH.86 of No. 1 Air Ambulance Unit RAAF while being evacuated from the battle area in the Western Desert....
Label Casualties are tended by medical orderlies of No. 1 Air Ambulance Unit, Royal Australian Air Force (RAAF), while being evacuated from the battle area in North Africa, Second World War. The use of aircraft was important in evacuating casualties across the wide expanses of desert in North Africa.
Creator Royal Air Force official photographer
Part of AIR MINISTRY SECOND WORLD WAR OFFICIAL COLLECTION
図は,Imperial War Museums  IWM (CM 1484)引用。


デハビラントDH.86(De Havilland DH.86)複葉輸送機の性能
最高速力Maximum speed: 166 mph (144 knots, 267 km/h)
巡航速力Cruise speed: 142 mph (123 knots, 229 km/h)
航続距離Range: 760 マイル (661 nmi, 1,223 km)
実用上昇限度Service ceiling: 17,400 ft (5,300 m)
上昇率Rate of climb: 925 ft/min (4.7 m/s)

写真(右)1943年、アフリカ西端、イギリス植民地ガンビア(?)、100オクタンの燃料を補給するイギリス空軍第200飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機:アフリカ植民地では、第一次世界大戦と同様、第二次世界大戦でも募兵も行われ、「アスカリ」とよばれる黒人兵士がイギリス・フランス軍に配備された。
THE ROYAL AIR FORCE IN WEST AFRICA, 1943 Local workers help to refuel a Lockheed Hudson aircraft with 100-octane fuel using a petrol bowser. Creator Woodbine, G. (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
写真は,Imperial War Museums  IWMTR 747引用。


イギリス植民地ガンビアは、ガンビー川流域を占めるが、周囲をフランス植民セネガルに囲まれている。大西洋に面しているが、南アフリカ方面から地中海方面を結ぶ大西洋航行に当たり、輸送船舶の通り道となる要衝である。そこで、イギリスはセネガルに西アフリカの海上護衛のための基地を設け、航空兵力と海軍兵力を配備して、対ドイツ潜水艦Uボートやドイツ武装商船を警戒する哨戒を行った。

写真(右)1943年、アフリカ西端、イギリス植民地ガンビア沿岸を哨戒飛行するイギリス空軍第200飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機:ガンビー川流域を占めるイギリス植民地ガンビアは、周囲をフランス植民セネガルに囲まれている。対ドイツ潜水艦Uボートなど海上交通保護のための哨戒任務に就いた。
THE ROYAL AIR FORCE IN WEST AFRICA, MARCH 1943 A Lockheed Hudson 'J-Jig' of No 200 Squadron, Royal Air Force, in flight over a coastal region of Gambia. Creator Woodbine, G. (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
写真は,Imperial War Museums  IWM TR 750引用。


ロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機から発展したロッキード・ハドソン爆撃機 ロッキード・ハドソン爆撃機は、1938–1943年の間に2,941機が生産された。

写真(右)1943年4月、アフリカ西端、イギリス植民地ガンビア、ユンダム(Yundum)基地のイギリス空軍第200飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機:ガンビー川流域を占めるイギリス植民地ガンビアは、周囲をフランス植民セネガルに囲まれている。対ドイツ潜水艦Uボートなど海上交通保護のための哨戒任務に就いた。
TTHE ROYAL AIR FORCE IN WEST AFRICA, APRIL 1943 Royal Air Force fitters assisted by native helpers change the engine of a Lockheed Hudson aircraft at a West African base (probably Yundum) using an improvised hoist. Creator Woodbine, G. (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
写真は,Imperial War Museums  IWM IWM TR 902引用。


ハドソン爆撃機の内訳は、前期型には、1,100馬力のライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備の350機のMk I、20機のMk II、胴体下方腹部に引込み式銃座を設けた428機のMk IIIがある。

ハドソン爆撃機の後期型には、1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン (排気量30.0 L)装備の309機のMk Vと450機のMk VI(A-28)である。

写真(右)1943年4月、アフリカ西端、イギリス植民地ガンビア、ユンダム(Yundum)基地のイギリス空軍第200飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk III爆撃機:ガンビー川流域を占めるイギリス植民地ガンビアは、周囲をフランス植民セネガルに囲まれている。対ドイツ潜水艦Uボートなど海上交通保護のための哨戒任務に就いた。
THE ROYAL AIR FORCE IN WEST AFRICA, APRIL 1943 Royal Air Force fitters assisted by native helpers change the engine of a Lockheed Hudson aircraft at a West African base (probably Yundum) using an improvised hoist. Creator Woodbine, G. (Flight Lieutenant) Royal Air Force official photographer
写真は,Imperial War Museums  IWM IWM TR 905引用。



4.オーストラリア空軍のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)

写真(右)1940-1941年頃、オーストラリア,ニューサウスウェールズ州シドニー郊外グランビル(Granville)、アメリカからの部品供給を受けて、クライド(Clyde)社で組み立てられたオーストラリア空軍第13飛行中隊(No. 13 Squadron)所属のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk.I爆撃機: 1941年11月28-29日、このA16-66は、他の3機のハドソン爆撃機とともに、第13飛行中隊に配備された。
a collection of historical pictures in the Public Domain from the Powerhouse Museum. This file was posted to Flickr by The Powerhouse Museum Date between 1898 and 1945 Author Clyde works in Granville, NSW
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson bomber A-16-31 from The Powerhouse Museum.jpg引用。


Franklin Roosevelt 当時、オーストラリアは、大英帝国のドミニオン自治領として、イギリスとの軍事同盟関係にあったが、第二次大戦直前から、イギリスの軍事物資供給能力への不安から、アメリカからロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機を大量導入した。そして、アメリカで武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)が1941年3月に成立し、イギリスやオーストラリアは、ロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)など軍用機大量導入が可能になり、オーストラリアとアメリカとの軍事的関係が強化されることとなった。

ロッキード14スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14 Super Electra)輸送機の軍用仕様ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機は、1938年12月10日に初飛行し1938ー1943年の間に2,941機もが量産されたが、アメリカよりもイギリスなどへの引き貸与された機数の方が多い。これは、第二次世界大戦が1939年9月に始まり、イギリス、フランス、ポーランドのほか、イギリス自治領ドミニオンのカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国などもすぐに対ドイツ宣戦布告をした。そこで、これら連合国軍をアメリカが軍事援助する武器貸与法(レンドリース法: Lend-Lease Act)がフランクリン・ルーズベルトFranklin Delano Roosevelt)大統領の尽力で1941年3月に成立し、連合国への航空機、戦車、軍服、燃料など軍需物資の貸与が始まったのである。

写真(右)1940-1941年頃、オーストラリア,ニューサウスウェールズ州シドニー郊外グランビル(Granville)、補修作業中のオーストラリア空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:主翼は取り付けられていないが、胴体の塗装は真新しい。
Description a collection of historical pictures in the Public Domain from the Powerhouse Museum. Author Powerhouse Museum Collection Date between 1898 and 1945 Author Clyde works in Granville, NSW Permission (Reusing this file) Author died more than 70 years ago - public domain
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson Bomber after repairs from The Powerhouse Museum.jpg引用。


当時、オーストラリアは、大英帝国のドミニオン自治領として、イギリスとの軍事同盟関係にあったが、第二次大戦直前から、イギリスの軍事物資供給能力への不安から、アメリカからロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機を輸入した。そして、ここのアメリカからの軍用機大量導入を契機に、オーストラリアとアメリカとの軍事的関係が強化されることとなった。

写真(右)1939-1941年頃、オーストラリア,ニューサウスウェールズ州シドニー郊外グランビル(Granville)、組み立てられた真新しいオーストラリア空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機
English: Format: Glass plate negative. Rights Info: No known restrictions on publication. Repository: Clyde Engineering Photographic Collection, Powerhouse Museum Part Of: Powerhouse Museum Collection General information about the Powerhouse Museum Collection is available at www. powerhousemuseum .com Acquisition credit line: Gift of Clyde Engineering Pty Ltd, 1988
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson Bomber A16-31 and employees (2821115256).jpg引用。


1939年3月25日、オーストラリアがアメリカから購入した50機のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)が、オーストラリア南東部ヴィクトリア州メルボルンに到着し、点検され、4月にはオーストラリア空軍の飛行隊に配備されオーストラリアを発つ予定である。購入費用としては、1939年末までに£ 1,250,000(ポンド)が支払われる予定である。 (The Sydney Morning Herald (NSW : 1842 - 1954) View title info 25 3 1939 Page 11 LOCKHEED HUDSON PLANES.)

写真(右)1940-1941年頃、アメリカからの部品供給を受けて、オーストラリアで組み立てられたオーストラリア空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(登録コード:A-16-31)
Description a collection of historical pictures in the Public Domain from the Powerhouse Museum. Author Powerhouse Museum Collection Date between 1898 and 1945 Author Clyde works in Granville, NSW Permission (Reusing this file) Author died more than 70 years ago - public domain
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson bomber A-16-31 from The Powerhouse Museum.jpg引用。


1940年2月5日、オーストラリアがアメリカから購入した100機のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)が、オーストラリア南東部シドニーで組立作業に入っているが、これはオーストラリア軍の一大航空攻撃力を構成することになるはずだ。14人乗りのロッキード・スーパーエレクトラ輸送機は、すでにKLMオランダ航空が、オランダ領東インド、ジャワ島のバタビア(Batavia)-シドニー(Sydney)線に導入しているが、これは世界最速の輸送機である。この客室キャビンに大型爆弾倉を設置したハドソンは、すでにイギリス空軍沿岸警備隊が対潜水艦哨戒機として使用している。

しかし、イギリスのハドソンは発動機はライト・サイクロン(Wright Cyclones)空冷星型9気筒エンジン装備だが、オーストラリアのハドソンはプラット・アンド・ホイットニーR-1830ツインワスプ空冷星型14気筒エンジン(Pratt and Whitney Twin-row Wasps)1050 hpである。最高速力 280マイルは、その爆弾搭載量を考慮すると、今までのオーストラリア空軍のどの飛行機よりも高速であり、シドニーからニュージーランドまでタスマン海(the Tasman)を横断可能な航続性能を持っている。( Townsville Daily Bulletin (Qld. : 1907 - 1954) 5 2 1940 Page 10 AUSTRALIA'S NEW LOCKHEED HUDSON BOMBERS

写真(右)1940年7月25日、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー上空を飛翔するオーストラリア空軍第13飛行中隊(13 Squadron)所属ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson) Mk.I 爆撃機(登録コード:A16-66): 太平洋戦争が始まった1941年12月7日、第13飛行中隊は、オーストラリア北端ダーウィン(Darwin)から、オランダ領東インド植民地アンボン(Ambon)に進出した。
Two RAAF Lockheed Hudson Mk.I aircraft (front: s/n A16-66) from No. 13 Squadron RAAF in flight. On 28 and 29 November 1941, A16-66 had been involved with three other Hudsons from No. 13 Squadron RAAF in the fruitless search for survivors of the sinking of the HMAS Sydney. Each Hudson flew from dawn until dusk in parallel searches operating from Broome, Port Hedland and Carnarvon in Western Australia, but found nothing. 13 Squadron moved from Darwin to Ambon on 7 December 1941 to provide air support to the Dutch forces stationed there. Later, on 26 January 1942, A16-66 and two other Hudsons (A16-125 and -71) were destroyed on the ground when four Japanese A6M2 Zeros from the 3rd Kokatai that strafed Halong naval base on Ambon Island. Date 25 July 1940
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:RAAF Hudsons 13 Sqn in flight 1940.jpg引用。


1940年3月19日、オーストラリアがアメリカから購入したロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機(100機が発注済み)のうち4機が、オーストラリア空軍の飛行隊に引き渡しに際して、公開飛行を行った。搭乗した飛行隊長(Squadron Leader)シムス(R. Simms)体調の乗機は、320マイル(515km/h)の速力を発揮し、低速のアブロ アンソン(Avro Anson)輸送機が停止しているかのように、その下を通過して追い越した。(Tweed Daily (Murwillumbah, NSW : 1914 - 1949) View title info 金 15 3 1940 Page 3 EXHIBITION FLIGHT BY LOCKHEED-HUDSON BOMBERS



写真(右)1940年、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州シドニー上空を飛翔するオーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(登録コード:A16-35): このA16-35号機は、アメリカからの部品供給を受けて、オーストラリアで組み立てられ、1940年2月9日に就役し、第1飛行中隊に配属になった。1940年2月9日にオーストラリア空軍に引き渡され、1942年初頭に西部ジャワ島の第1飛行隊に配備されたが、1942年2月22日、対空防備なしのセンプラク飛行場で日本海軍ゼロ戦20機の急襲を受け、6機のハドソンが地上で撃破された。
English: Australia: New South Wales, Sydney. RAAF Lockheed Hudson aircraft A16-35 in flight near Sydney Heads. Delivered to the RAAF on 9 February 1940, this Hudson served with No. 1 Squadron RAAF in Western Java during the Japanese onslaught of early 1942. On 22 February 1942, whilst stationed at Semplak aerodrome, which was completely without anti-aircraft defences, A16-35 was one of six Hudsons destroyed on the ground during a strafing attack by approximately twenty A6M Zeros. Date circa 1940
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:RAAF Hudson over Sydney Heads (AWM photo 128042).jpg引用。


1941年4月5日、オーストラリア空軍のロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)の飛行中の写真が入手、公開できたが、これから得られるところは多数ある。このアメリカ製の航空機は、海上哨戒任務に就くが、オーストラリア人熟練搭乗員たちは、この機体を操り、制空権を奪取するのは確実である。

Reservists who have asked for pictures of Service aircraft will appreciate this splendid study of a Royal Australian Air Force Lockheed Hudson in flight. This type of American-made aircraft is giving sterling service overseas, and it is most likely that some Australian trained air crews will be handling them in the battle for mastery of the skies. Photograph by R.A.A.F. Directorate of Public Relations( Air Force News (National : 1941) View title info 土 5 4 1941 Page 7 LOCKHEED HUDSON SHOWS ITS POWER

写真(右)1942年頃、回収された不時着破損したオーストラリア空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(登録コード:A16-10):修理するか、あるいは部品パーツを回収・再使用する「共食い」に使用されるのであろう。
Category:Lockheed Hudson in Australian service Acquisition credit line: Gift of Clyde Engineering Pty Ltd, 1988 Date 1 January 1900, 00:00:00 Author Powerhouse Museum Collection Permission (Reusing this file) At the time of upload, the image license was automatically confirmed using the Flickr API. For more information see Flickr API detail. Flickr sets Clyde Engineering Collection · Aircraft
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:A Lockheed Hudson Bomber A16-10 (2820266973).jpg引用。


濠洲空軍をマレーに移駐

掲載誌 大阪朝日新聞 Vol: 第 50巻 Page: 72 出版年 1940-10-01

https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100338339 情報源/出処 新聞記事文庫(デジタルアーカイブ)

【同盟シンガポール三十日発】極東情勢の新展開に対処しイギリスはマレー半島の軍備強化に腐心しているが三十日イギリス空軍極東司令部は濠洲空軍部隊のマレー移駐に関し左の如く発表した

 最新式の戦闘機および性能極めて優秀な爆撃機を装備した濠洲空軍部隊が最近濠洲よりマレーに来り目下マレー半島に駐屯している、かかる強力なる空軍増強の結果マレー半島の防備は著しく強化されるにいたった、なお操縦士および乗組員とも第一流の空軍将士である

写真(右)1941年、オーストラリア、アメリカから購入した部品を組立て中のオーストラリア空軍向けロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体右側面
Repository: Clyde Engineering Photographic Collection, Powerhouse Museum Part Of: Powerhouse Museum Collection General information about the Powerhouse Museum Collection Acquisition credit line: Gift of Clyde Engineering Pty Ltd, 1988 Author Powerhouse Museum Collection
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson cockpit.jpg引用。


写真(右)1941年、イギリス領マレー東岸、オーストラリア空軍第1飛行隊あるいは第8飛行隊のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機のコックピット左の正操縦士席・計器盤・羅針儀と機首偵察員席に繋がる通路: コタバル基地には第1飛行隊、クアンタン基地には第8飛行隊が配備された。1941年12月の日本のマレー侵攻時に大活躍した。
English: Kota Bharu, Malaya. 1941. Interior of the cockpit of a RAAF Lockheed Hudson aircraft. The RAAF had two General Reconnaissance Squadrons flying Hudson aircraft in Malaya. No. 1 Squadron was stationed at RAF Kota Bharu, No. 8 Squadron was stationed at RAF Kuantan. The Squadrons were forced to retreat, along with the allied forces, in the face of the Japanese attack. Date 1941 Source the Australian War Memorial under the ID Number: P02266.006
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:A Lockheed Hudson Bomber (2820267847).jpg引用。


写真(右)1942年9−10月、ニューギニア島東端、ミルン湾(Milne Bay)、未整備の滑走路を離陸しようとするオーストラリア空軍第6飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:ミルン湾からラエまで600km、ラバウルまで800kmあるが、ソロモン海方面の戦いは、長距離侵攻、未整備の基地、ジャングルが障害となった戦いだった。
MILNE BAY, PAPUA. C. 1942-09/10. A HUDSON BOMBER AIRCRAFT OF NO. 6 SQUADRON RAAF TAXIING ON THE MUDDY GURNEY AIRSTRIP. Date 28 October 1942 Maker Harrison, John Thomas Place made New Guinea1: Papua New Guinea, Papua, Milne Bay Conflict Second World War, 1939-1945
写真は,the Australian War Memorial OG0061A引用。


写真(右)1942年9−10月、スンダ列島、ポルトガル領チモール島中部、ミンデロを空襲後、オーストラリアに帰投しようと低空飛行するオーストラリア空軍第13飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:チモールとは東の意味である。太平洋戦争の緒戦、1941年12月20日の日本軍上陸時には、チモール島には、オランダ軍2000人、オーストラリア軍2000人があったが、1週間かからずに全島を制圧した。東チモール(チモール・チモール)はポルトガル領でディリに、西チモールはオランダ領東インドでクーパンに日本軍は航空基地を置いたが、これはオーストラリア侵攻の危機感を高めた。
HUDSONS OF NO. 13 SQUADRON WITHDRAWING AFTER BOMBING A JAPANESE POST AT MINDELO, IN MOUNTAINOUS COUNTRY IN CENTRAL PORTUGUESE TIMOR, ON 1942-12-17. (RAAF). Date 28 October 1942 Maker Harrison, John Thomas Places Asia: Timor Asia: Timor, Mindello Conflict Second World War, 1939-1945
写真は,the Australian War Memorial Accession Number 128135引用。


写真(右)1942年10月28日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南80キロ、バッチェラー(Batchelor)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(製造番号 no 6495, 登録コード A16-242)の正面に並んだ搭乗員と搭載爆弾:機首の上部に固定式ブローニング7.7mm機関銃2挺が装備されている。
AWM caption : Australia: Northern Territory, Batchelor. Members of the crew and ground staff standing in front of a Lockheed Hudson bomber aircraft of No. 2 Squadron RAAF. Note the bombs ready to be loaded onto the aircraft. Leading Aircraftman Russell is standing second from left (3). The Hudson (constructor's no 6495) is A16-242, which, late in the evening of 13 March 1943 had departed from Batchelor with Hudson A1 6-238 to carry out an anti-submarine patrol ahead of 'Bathurst' class minesweeper HMAS Latrobe which was escorting ammunition supply issuing ship SS Darvel and SS Burwah. These merchantmen usually ran supplies from Darwin to such locations as Thursday Island and Millingimbi. Pilot Flying Officer Graham was forced to crash land A16-242 at Annisley Point on the Coburg Peninsula early the next morning and the Hudson was written off and converted to components. The crew were uninjured. Date 28 October 1942 Source the Australian War Memorial under the ID Number: 027611
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Lockheed Hudson cockpit.jpg引用。


1943年3月13日、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(製造番号 no 6495,登録コード A16-242)は、掃海艇の前路の対潜哨戒に出発、木曜島方面の物資補給を支援したが、オーストラリア北端、ノーザンテリトリー、コーバーグ半島(Coburg Peninsula)に不時着。搭乗員は無事だった。

写真(右)1943年2月、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第13飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の機首右面と運搬用トラクターに牽引されてきた搭載爆弾:機首の上部だけでなく、下部(顎)にもブローニング7.7mm機関銃2挺が固定されている。
English: AWM caption : Australia: Northern Territory, Hughes Airstrip (NT). Three armourers of No. 13 (Hudson) Squadron, about to load a bomb aboard an aircraft. They are: Warrant Officer J Lee, of Melbourne, Vic Aircraftman Class 1 (AC1) R Johnson, of Wagga Wagga, NSW AC1 N Luman of Sydney, NSW The bombs are delivered to each aircraft by a tractor towing a special bomb trailer. Date February 1943 Source the Australian War Memorial under the ID Number: NWA0059
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:Bombing up 13 Squadron RAAF Hudson at Hughes NT Feb 1943 AWM NWA0059.jpg引用。


写真(右)1943年2月、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体後上方のボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座の7.7ミリ口径ブローニング(Browning)機関銃を整備する地上勤務員:半ズボンで半裸の状態で作業に当たっている。
Hughes, NT. February 1943. Aircraft armourers examining the guns on the mid-upper turret of a Lockheed Hudson aircraft from No. 2 Squadron RAAF. Identified personnel are: Corporal G. Weaver of Perth and Leading Aircraftman L. Yates. Warrant Officer J Lee, of Melbourne, Vic Aircraftman Class 1 (AC1) R Johnson, of Wagga Wagga, NSW AC1 N Luman of Sydney, NSW The bombs are delivered to each aircraft by a tractor towing a special bomb trailer. Date February 1943 Source the Australian War Memorial under the ID Number: NWA0059
写真は,The Australian War Memorial NWA0175引用。


イギリス軍は第一次大戦以来ビッカース重機関銃、ルイス軽機関銃など7.69ミリ口径ブリティッシュ弾を制式していたが、航空戦では威力不足が明らかだったために、新たにアメリカ軍の7,62ミリ口径弾とほぼ同しブローニング(Browning)7.7ミリ機関銃を制式した。これは、アメリカのブローニングM1919機関銃、第一次世界大戦末期にアメリカで開発された口径7.62ミリ弾の口径をイギリスと同じ7.7ミリ口径とした空冷機関銃である。イギリス軍は、口径7.7ミリ(7.69?)の.303ブリティッシュ弾(薬莢は縁あり:リムド)を制式していたので、機関銃も口径は7.7ミリに変更したのである。

写真(右)1943年2月、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第13飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体左後方側面にならんだ5人の搭乗員:胴体側面ガラス窓の支柱は、側方銃座で、ビッカース(Vickers).303口径機関銃(0.303インチのブリティッシュ7.69ミリ弾)が設置されているようだ。胴体後上方には、ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座(7.7ミリ口径ブローニング(Browning)機関銃2挺搭載)。搭乗員は避暑帽子、拳銃ホルスター、半ソックスで半ズボン、半袖である。
Hughes, NT. February 1943. Members of No. 13 (Hudson) Squadron RAAF stand beside their aircraft. Identified personnel are: Pilot Officer (PO) L. Evans; PO R. McPherson; Sergeant (Sgt) D. Hoare; Sgt P. Munro and Sgt C. Layt. SUBJECTS Gun maintenance Place made Australia: Northern Territory, Hughes Airstrip Date made 11 March 1943 Conflict Second World War, 1939-1945
写真はWikimedia Commons,Australian War Memorial NWA0074引用。


写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体側面に設置されたビッカース(Vickers) .303口径(0.303インチのブリティッシュ7.69ミリ弾)機関銃を点検する銃手:搭乗員は革製ヘルメット、ゴーグル、腕時計で空気式の救命胴衣ライフジャケットを着けているが、半袖である。
Hughes, NT. 11 March 1943. Sergeant Patrick Reen, Wireless Air Gunner, of Casino, NSW, checking his gun inside a Lockheed Hudson aircraft of No. 2 Squadron RAAF. SUBJECTS Gun maintenance Place made Australia: Northern Territory, Hughes Airstrip Date made 11 March 1943 Conflict Second World War, 1939-1945
写真はWikimedia Commons,Australian War Memorial NWA0195引用。


写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の爆弾倉に500ポンド爆弾、250ポンド爆弾を装着する地上勤務員:熱帯地方の作戦のために上半身裸、半ズボンで爆弾搭載作業をしている。
Hughes, NT. 11 March 1943. Armourers Corporal A. Strahle of Manly, NSW, and Leading Aircraftman N. S. Harvey of Mt Barker, SA, loading 500lb and 250lb bombs into the bomb bay of a Lockheed Hudson aircraft of No. 2 Squadron RAAF. Left to right: 414095 Sergeant (Sgt) J. F. Smith, Wireless Air Gunner of Mackay, Qld 400395 Flying Officer T. S. Eriksen, Pilot of Melbourne, Vic 416386 Sgt E. H. O'Shaughnessy, Observer of SA 414146 Sgt A. W. McLean, WAG of Qld 416179 Sgt E. Davey, WAG of Sydney, NSW Date 11 March 1943 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: NWA0189
写真は,The Australian War Memorial NWA0179引用。


写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(A16-199)と多数の整備士たち:機首上部には7.7ミリ口径ブローニング(Browning)前方固定機関銃2挺装備。熱帯地方の作戦のために半ズボンで作業をしている。
A swarm of aircraft fitters of No. 2 Squadron RAAF perform a 60-hourly inspection on one of the Squadron's Lockheed Hudsons, A16-244 (contractor's no 6497). On 4 November 1943, this Hudson, crewed by Flying Officer (FO) Reed, FO Allen and FO Carvosso and Flight Sergeant (Flt Sgt) Woof and Crow, had completed a mission escorting No. 457 Squadron RAAF Spitfire aircraft to Drysdale strip, when, upon landing, one of its tyres blew, causing the plane to ground loop. While the crew were uninjured, the damage caused to the Hudson's undercarriage, wheels and propellor was extensive. The following day, Hudson A16-199, carrying 2 Squadron's Engineering Officer, flew from Hughes to Drysdale 'to remove A16-244 from runway', while RAAF records state that the fuselage was subsequently abandoned.: Place made Australia: Northern Territory, Hughes Airstrip Date made 11 March 1943 Conflict Second World War, 1939-1945
写真はWikimedia Commons,Australian War Memorial NWA0171引用。


オーストラリア空軍のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体後上方には、ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座(7.7ミリ口径ブローニング(Browning)機関銃2挺搭載)、機首上部には7.7ミリ口径ブローニング(Browning)前方固定機関銃2挺、一部は機首下部(顎)にも7.7ミリ口径ブローニング(Browning)前方固定機関銃2挺を装備している。さらに胴体後方左右側面にビッカース(Vickers).303口径(0.303インチのブリティッシュ7.69ミリ弾)機関銃を各1挺を装備した機体もある。最大限機首に4挺、胴体後上方に2挺、胴体左右側面に各1挺、合計で8挺の7.7ミリ機関銃を搭載することになる。

写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機(6454)と5人の搭乗員:熱帯地方の作戦のために半ズボンの軍服を着ている。
English: AWM caption : Hughes, NT. 11 March 1943. A crew of No. 2 Squadron RAAF moving past one of the Squadron Lockheed Hudson aircraft. Left to right: 414095 Sergeant (Sgt) J. F. Smith, Wireless Air Gunner of Mackay, Qld 400395 Flying Officer T. S. Eriksen, Pilot of Melbourne, Vic 416386 Sgt E. H. O'Shaughnessy, Observer of SA 414146 Sgt A. W. McLean, WAG of Qld 416179 Sgt E. Davey, WAG of Sydney, NSW Date 11 March 1943 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: NWA0189
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed Hudson in Australian service File:2 Squadron RAAF Hudson aircrew Hughes NT Mar 1943 AWM NWA0189.jpg引用。


写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機 (A16-241):熱帯地方の作戦のために上半身裸、半ズボンで爆弾搭載作業をしている。1943年4月20日、 ハドソン(Hudson)爆撃機 (A16-241)は、行方不明になったボーファーター(Beaufighter)戦闘機の捜索に出撃したが、そのまま未帰還になった。
A crew of a Lockheed Hudson aircraft from No 2 Squadron RAAF, alongside one of the other Squadron aircraft (A16-241). Left to right: 411985 Sergeant (Sgt, later Pilot Officer [PO]) Trevor William Bassan, Wireless Air Gunner (WAG) of Woy Woy NSW; 411904 Sgt (later Flight Sergeant [Flt Sgt]) Harold Herbert Keith Hadley, WAG of Mona Vale NSW; 404524 Pilot Officer (PO, later Flight Lieutenant [Flt Lt]) Fred Ronald Winzar, Observer of Townsville Qld; 405637 Flying Officer (FO) Keith Rosslyn Mills, Pilot of Brisbane Qld; 409551 PO (later FO) Noel Edward John of Sydney NSW. All of the above crew, excepting Flt Lt Winzar (who was not part of the flight), were lost as a result of a probable mid-air collision between Hudson aircraft A16-183 and A16-197 on 20 April 1943, flying out of Millingimbi Station NT. The Lockheed Hudson behind them, (constructors no. 6494) is A16-241, which on 28 April 1943, seven weeks after this photograph was taken, failed to return from a search for the crew of a missing Beaufighter. A16-241's crew were FO Ralph R James, Sgt Roy E Norris, PO Ronald D Ryan, Flight Sergeant (Flt Sgt) Kenneth D Keech, Flt Sgt Patrick S Reen, and a member of 2 Squadron's ground crew, Warrant Officer Harry E Cutten. Place made Australia: Northern Territory, Hughes Airstrip Date made 11 March 1943 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number:NWA0188
写真は,The Australian War Memorial NWA0188引用。


写真(右)1943年3月11日、オーストラリア、ノーザンテリトリー、ダーウィン南、ヒューズ(Hughes)基地、オーストラリア空軍第2飛行隊ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機胴体左後方搭乗員出入り口扉付近の5人の搭乗員:熱帯地方の作戦のために半ズボンの軍服を着ている。胴体後上方のボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座には、.303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃2挺が搭載されている。この2連装回転銃塔は、ブリストル ブレニムにも装備さていれる。このボールトンポール社は、回転銃のみが兵装となるデファイアント単発戦闘機を開発している。
Place Oceania: Australia, Northern Territory, Hughes Airstrip Accession Number NWA0185 Hughes, NT. 11 March 1943. A crew of No. 2 Squadron RAAF examining a map alongside a Lockheed Hudson aircraft. Left to right: Flight Lieutenant Frank Keith Morcombe of Coorow, WA; Pilot Officer M. Rosenberg of Melbourne, Vic; Sergeant (Sgt) E. Smithard of SA; Sgt J. Connor of Qld; and Sgt I. R. Watts of Perth, WA. Date 11 March 1943 Collection Database of the Australian War Memorial under the ID Number: NWA0185
写真は,The Australian War Memorial  AWM NWA0185引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機の胴体後上方に装備されたボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座には、.303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃2挺が搭載されている。


5.アメリカ軍のロッキード(Lockheed Hudson)A-28/A-29ハドソン(Hudson)攻撃機

写真(右)1929−1942年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29 ハドソン(Hudson)攻撃機:胴体後上方の火器は、1917年10月生産のカーチス(Curtiss)H-1飛行艇に試験的に搭載された61Bデイビス(Davis)無反動砲とは異なり、口径20mmクラスの旋回機関銃のようで対艦船攻撃用であろう。
A Lockheed PBO-1 Hudson of patrol squadron VP-82 at Naval Air Station Argentia, Newfoundland (Canada), where 12 aircraft of VP-82 were based between January and May 1942. Date Jan - May 1942 Source U.S. Navy Naval History Center website [1], USN photo no. 80-G-K-14910. Author USN
写真はWikimedia Commons,IWM File:Lockheed A-29 Hudson USAF.JPG引用。


イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注したロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二桁の数字を付けた機種の形式番号の命名方式だった。ロッキードA-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1942年1−5月、アメリカ大陸東岸、ニューファウンドランド島(カナダ)、アルゼンチア基地、アメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed) PBO-1 ハドソン(Hudson)哨戒機(s/n 41-23403):元イギリス空軍ハドソン IIIA爆撃機20機をアメリカ軍が使用し第2哨戒飛行隊(Patrol Squadron 82 (VP-82))が12機装備した。1,200 hp (890 kW) ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)装備のA-29の胴体に輸送設備を設けたA-29Aは、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与されハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1と命名し使用した。
Lockheed A-29 Hudson USAF Source: USAF
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


アメリカ軍機の国籍マークは、国旗の星条旗を模した国籍記章で、青地の丸に白星、星中央に赤丸を描いたものだった。しかし、太平洋戦争が勃発した後、1942年初頭になると、国籍記章は、青地の丸に白星だけとなり、星中央にあった赤丸は廃止されている。

カラー写真(右)1942年1−5月、アメリカ大陸東岸、ニューファウンドランド島(カナダ)、アルゼンチア基地、アメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed) PBO-1 ハドソン(Hudson)哨戒機(s/n 41-23403):右後方には、1939年1月23日初飛行のダグラス(Douglas)A-20 ハボック(Havoc)攻撃機が待機している。ハボックは、イギリスにも貸与され、ボストン(Boston)と命名されている。生産機数7,478機。発動機は、ライトR-2600空冷14気筒エンジン1,600hpを搭載、最高速力は317 mph(515km/h)とハドソンより高性能で、搭載機関銃も12.7mm口径、爆弾搭載量4,000 lb (1,800 kg)でより強力だった。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1と命名し使用した。
A Lockheed PBO-1 Hudson "82-P-7" of patrol squadron VP-82 at Naval Air Station Argentia, Newfoundland (Canada), where 12 aircraft of VP-82 were based between January and May 1942. A Douglas A-20 Havoc is visible in the background. Date Jan - May 1942 Source U.S. Navy Naval History Center website [1], USN photo no. 80-G-K-14911. Author USN
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


カラー写真(右)1940−1942年前半、アメリカ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)爆撃機((s/n 41-23403)):胴体下腹部旋回機関銃を装備したのはハドソンMark.IIIと共通している。発動機はA-28が1,200馬力のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で82機の生産なのに対して、A-29は1,200 hp (890 kW) ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)装備で418機生産と異なる。A-29は、アメリカ陸軍航空隊に153機が引き渡され、残りは武器貸与法に基づいてイギリス空軍に引き渡された。A-29を輸送設備を設けたA-29Aは、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与されハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1と命名され使用された。
A U.S. Army Air Force Lockheed A-29-LO Hudson (s/n 41-23403) in flight. Date circa 1941 Source National Museum of the U.S. Air Force photo 051122-F-1234P-014 Author USAAF
写真はWikimedia Commons,IWM File:Lockheed A-29 Hudson USAAF in flight c1941.jpg引用。


A-28攻撃機の発動機はプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン1200hpで82機が生産された。

A-29攻撃機は ライト R-1820 サイクロン 9(Wright R-1820 Cyclone 9)1,200 hp (890 kW)装備で418機が生産された。このA-29は、アメリカ陸軍航空隊に153機が引き渡され、残りは武器貸与法に基づいてイギリス空軍に引き渡された。


写真(上)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊
:アリューシャン列島の島アッツ島、アガッツ島、キスカ島は、グアム島やウェーク島などとともに太平洋戦争初頭に日本軍が占領し、1942年6月3日には、日本海軍機動部隊の空母艦載機がウナラスカ島ダッチハーバー基地を空襲した。アメリカは、領土の奪回のために、1943年5月11日、アッツ島に侵攻、日本軍を玉砕させた。
U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska in the vicinity of Mount McKinley, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e09148.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。


イギリス軍がアメリカのロッキード社に発注した ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)軽爆撃機の成功を見たアメリカ陸軍航空隊は、ロッキードにイギリス軍同様の哨戒爆撃機を発注したが、これがアメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)A-28攻撃機である。アメリカ陸軍航空隊では、爆撃機には頭文字B、攻撃機にはAを付け、その後に昇順で二けたの数字を付けた機首形式番号の命名方式だった。ロッキードA-28攻撃機は、153機がアメリカで製造された。

写真(右)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊 :アラスカ山脈マッキンリー山(Mount McKinley)は、北アメリカ大陸の最高峰の標高は6190.4 mで1897年当時の大統領ウィリアム・マッキンリーに因んだ命名である。しかし、2015年より名称を北米先住民の名付けた「高きもの」を意味するデナリ(Denali)に変更している。
U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska with Mount McKinley in the background, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.8e09147.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。


A-29攻撃機の胴体を輸送任務に使用できるように改造したA-29A攻撃機は、武器貸与法にも続いて384機がイギリスとオーストラリア、カナダなどドミニオンに貸与され、ハドソン IIIAと呼ばれた。アメリカ海軍に20機が引き渡されPBO-1哨戒機と命名され使用された。


写真(上)1942年2月、アメリカ、アラスカ準州、マッキンリー山(標高6190.4 m)付近を飛行するアメリカ海軍第82哨戒飛行隊(VP-82)のロッキード(Lockheed)A-29-LO ハドソン(Hudson)攻撃 (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458)の編隊
:マッキンリー山の由来となるウィリアム・マッキンリー(William McKinley: 1843-1901)は、キューバを領有していたスぺインに対しイエロージャーナリズムをで世論を煽って、1898年に米西戦争(Spanish–American War)を始めた。そして、戦争に勝利して、1898年パリ条約で、スペイン植民地のプエルトリコ、グアム、フィリピンをアメリカ領に併合し、キューバは独立させたが、事実上、アメリカの占領の下に置いた。
U.S. Army Air Forces Lockheed A-29-LO Hudson planes (s/n 41-23383, 41-23454, 41-23458) flying over the mountains of Alaska with Mount McKinley in the background, February 1942. Date February 1942 Author U.S. Army Signal Corps. Source This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID fsa.fsa.8e09146.
写真はWikimedia Commons,Category: Lockheed Hudson File:Lockheed A-29s near Mt McKinley Feb 1942.jpg引用。


アメリカ軍機A-28爆撃機は、プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney )R-1830 ツイン・ワスプ(Twin Wasp)空冷星形14気筒エンジン装備で、オーストラリア空軍が52機が、ブラジル空軍が27機を配備した。また、アメリカ陸軍A-29/海軍PBO-1爆撃機は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、アメリカ陸軍航空隊が153機、アメリカ海軍航空隊が20機を使用した。

写真(右)1942−1943年前半、イギリス式迷彩塗装をしたアメリカ陸軍航空隊(USAAC)国籍マークのロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)爆撃機:イギリス軍仕様のハドソン爆撃機をアメリカ陸軍方式の塗装、国籍記章を施した機体で、胴体後上方の銃座はカバーで塞がれている。アメリカ陸軍がロッキードに発注したロッキード(Lockheed)A-28攻撃機ではない。
Lockheed Hudson in USAAC markings (not a Lockheed A-28). (U.S. Air Force photo)
Tags: HISTORIC, aircraft
Photo by: | VIRIN: 051122-F-1234P-002.JPG
写真は,National Museum of the U.S. Air Force VIRIN: 051122-F-1234P-002.JPG引用。


A-29A攻撃は、ライト(Wright)R-1820サイクロン(Cyclone 9)空冷星形9気筒エンジン(排気量29.87L)装備で、輸送機として使用できるように胴体を改装したが、これは第一線機としては性能不足だったためである。イギリス空軍、ドミニオン(RAAF/RCAF/RNZAF)空軍、中国空軍に384機が引き渡されたが、アメリカとしては余剰の第二線機を貸与していたのである。しかし、ロッキード社は、性能不足の機体を量産し続け、利潤を上げることができたので、大歓迎だった。

AT-18機上作業練習機は、217機が、AT-18A航法練習機は83機が生産されている。ただし、アメリカ軍用のA-29爆撃機の大半は、イギリス(RAF)とドミニオン空軍(RAAF/RCAF/RNZAF)に貸与された上記の450機のロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mark.VI爆撃機である。

写真(右)1943年2月、アメリカ、テキサス州サンアントニオ、アメリカ陸軍航空隊のロッキード(Lockheed)AT-18A ハドソン(Hudson)機上作業練習機の機首左側面:プロペラの取付け整備作業中と思われる。A-29攻撃機を原型とした練習機仕様のAT-18は、300機生産された。銃手訓練用のAT-28は胴体腹部に銃座を残していたが、これは航法訓練用で胴体腹部銃座を撤去したAT-18Aで、僅か83機が生産されただけである。
Title: [Mechanics, Lockheed Hudson AT-18A, Pepperell Manufacturing Company] Creator: Richie, Robert Yarnall, 1908-1984 Date: February 1943 Series: Series 6: Negatives and Color Transparencies Negative Series: 2509 Place: San Antonio, Texas
Description: Two aircraft mechanics performing repairs to the engine of a Lockheed Hudson AT-18A aircraft. Only 83 of this model plane were ever built, and used exclusively by the United States Air Force as navigational trainers. Physical Description: 1 negative: film, black and white; 12.7 x 10.1 cm Rights: Please cite DeGolyer Library, Southern Methodist University when using this file. A high-resolution version of this file may be obtained for a fee.
Date 1 February 1943
写真は,Category:Lockheed Hudson File:Mechanics, Lockheed Hudson AT-18A, Pepperell Manufacturing Company (11179235346).jpg引用。


アメリカ陸軍航空隊A-29攻撃機は、大戦中期にはエンジン出力不足で旧式化していたために、それを原型として練習機仕様のAT-18が開発され、300機が生産された。練習機の内訳は、銃手訓練用のAT-28機上作業練習機が217機、航法訓練用で胴体腹部銃座を撤去したAT-18A機上作業練習機が83機の生産である。

図(右)1939年5月、ロッキード(Lockheed)14ハドソン Mk.I爆撃機の三面図
English: Lockheed A-29 Hudson Date 7 February 2016 Source Own work Author Kaboldy
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson File:Lockheed Hudson.svg引用。


ロッキード・ハドソン Mk I(Lockheed Hudson)爆撃機の諸元

乗員Crew: 5人
全長Length: 44 ft 4 in (13.51 m)
全幅Wingspan: 65 ft 6 in (19.96 m)
全高Height: 11 ft 10 in (3.61 m)
翼面積Wing area: 551 sq ft (51.2 m2)
空虚重量Empty weight: 11,630 lb (5,275 kg)
全備重量Gross weight: 17,500 lb (7,938 kg)
発動機Powerplant: 2 × Wright GR-1820-G102A Cyclone 9-cylinder radial engines, 1,100 hp (820 kW)
最高速力Maximum speed: 246 mph (396 km/h, 214 kn) at 6,500 ft (2,000 m)
巡行速力Cruise speed: 220 mph (350 km/h, 190 kn)
航続距離Range: 1,960 mi (3,150 km, 1,700 nmi)
実用上昇限度Service ceiling: 25,000 ft (7,600 m)
上昇率Rate of climb: 2,180 ft/min (11.1 m/s)
兵装Armament: 2 × .303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃搭載ボールトンポール(Boulton Paul Aircraft)動力回転銃座1基
2× .303 インチ (7.7 mm)ブローニング(Browning)機関銃機首固定銃座
爆弾搭載量Bombs: 1,400 lb (640 kg)


6.現存するロッキード・ハドソン(Lockheed Hudson)爆撃機

写真(右)2018年12月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館のオーストラリア空軍ライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジン搭載のロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IIIA爆撃機(A16/199):1942年2月1日アメリカ陸軍航空隊が受領、オーストラリアに船積みされた。1942年6月5日、オーストラリア空軍第13飛行隊に A16-199として南西太平洋方面に配備。6月30日には、オーストラリア北端ダーウィン南のヒューズ(Hughes)基地からチモール島方面で日本艦船と地上攻撃に参加。8月25日、チモール島デリ空襲、6時間50分後に夜間、片発で帰還。その後もヒューズ(Hughes)基地を拠点に、チモール島方面での艦船攻撃、哨戒偵察に従事。
RAAF Lockheed Hudson GR IIIA in Hangers 3&4 at the RAF Museum, Hendon, 4 December 2018. This aircraft flew with the RAAF and shot down a Japanese 'Sally' and 'Pete', a superb feet. Date 4 December 2018, 16:30 Source Lockheed Hudson GR IIIA Author Hugh Llewelyn from Keynsham, UK
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:Lockheed Hudson GR IIIA (31361113747).jpg引用。


イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館のライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジン搭載のロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IIIA爆撃機(A16/199):1942年2月1日アメリカ陸軍航空隊が受領、オーストラリアに船積みされた。

写真(右)2018年8月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館のライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジン搭載のオーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IIIA爆撃機(A16/199)の正面:1943年3月1日、オーストラリア空軍第2飛行隊に引き渡され、5月6日、マイコール諸島攻撃に向かうも迎撃を受け、燃料と爆弾を投棄の上帰還。5月11日、ヒューズ基地を発進、ニューギニア島南岸の船舶偵察、航法士は腹部負傷しながらも日本陸軍九七式重爆撃機を撃墜、叙勲される。
RAF Museum Date 12 August 2018, 15:20 Source RAF Museum Author Paul Hudson from United Kingdom
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:RAF Museum (43284912964).jpg引用。


1942年6月5日、オーストラリア空軍第13飛行隊に A16-199として南西太平洋方面に配備。6月30日には、オーストラリア北端ダーウィン南のヒューズ(Hughes)基地からチモール島方面で日本艦船と地上攻撃に参加。8月25日、チモール島デリ空襲、6時間50分後に夜間、片発で帰還。その後もヒューズ(Hughes)基地を拠点に、1943年3月30日まで、チモール島方面での艦船攻撃、哨戒偵察に従事。1943年4月4日、第13飛行隊はキャンベラに帰還、エンジン交換を実施。1943年3月1日、機体は第2飛行隊に引き渡され、5月6日、マイコール諸島攻撃に向かうも迎撃を受け、燃料と爆弾を投棄の上帰還。5月11日、ヒューズ基地を発進、ニューギニア島南岸の船舶偵察、航法士は腹部負傷しながらも日本陸軍九七式重爆撃機を撃墜、叙勲される。8月9日1720発進、カイ諸島攻撃、爆弾は全弾目標を捕捉、大爆発炎上、6時間半後に帰還。1944年8月8日、第2飛行隊としてA16-199 最後の作戦参加これが飛行隊最後のハドソン爆撃機の哨戒偵察となる。1944年8月、オーバーホール。1946年7月28日、余剰物資として売却が決定、1947年9月24日、ニューサウスウェールズの飛行学校にA£150.00で売却。ただし、ハドソン1機の価格はA£500.00が一般的だったので、格安での売却だった。

写真(右)2014年5月、イギリス、ロンドン、イギリス空軍博物館のライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジン搭載のオーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IIIA爆撃機(A16/199)の機首左側面:1944年8月8日、第2飛行隊としてA16-199 最後の作戦参加これが飛行隊最後のハドソン爆撃機の哨戒偵察となる。1944年8月、オーバーホール。1946年7月28日、余剰物資として売却が決定、1947年9月24日、ニューサウスウェールズの飛行学校にA£150.00で売却。ただし、ハドソン1機の価格はA£500.00が一般的だったので、格安での売却だった。
Royal Air Force Museum Hendon Date 15 May 2014, 15:25 Source Royal Air Force Museum Hendon Author Paul Hudson from United Kingdom
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:Royal Air Force Museum Hendon (14008804719).jpg引用。


1973年4月19日、最終飛行、シドニー、ダーウィン、チモール島クーパン、スラバヤ、シンガポール(4/27)、バンコク、カルカッタ、デリー(4/26)、カラチ、ドバイ、バーレーン、ダマスカス(4/30)、アテネ、ローマ(5/1)、マルセイユ、ロンドン・ガトウィック空港(5/4)、プレストウィック、1973年5月10日、ストラタレン(Strathallen)到着、この最終飛行は飛行距離12, 000マイル、飛行回数73回、飛行時間8,494.45時間。1981年7月14日、クリスティー(Christies)のオークションで RAFMに£16,000で売却。

写真(右)2005年8月、オーストラリア、キャンベラ空港、オーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)Mk.IVA爆撃機(登録コード:VH-KOY、シリアルナンバー:A16-112、製造番号:414-6041):2008年までは、原型に近い塗装を保っていた。MK.IIIと同じくMK.IVはライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジンを装備したが、MK.IIIにあった胴体腹部銃座を撤去しているので、MK.IVの腹部下方は流線形の曲線が美しい。
Jeff Gilbert - JGPhotographics.com Location Canberra - YSCB, Australia Aircraft type Lockheed 414 Hudson Mk.IVA Operator Private Registration VH-KOY Type Photograph Date 14 August 2005 Construction number 414-6041.
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:Lockheed 414 Hudson Mk.IVA, Private JP530016.jpg引用。


写真(右)2019年3月、オーストラリア国際航空ショーで飛行場をタキシングする、オーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IV爆撃機(登録コード:VH-KOY、シリアルナンバー:A16-112、製造番号:414-6041)左側面:航空ショー向けに、この機体(登録コード:A16-112)の経歴にはない、オーストラリア空軍第32飛行隊ハドソンMk III爆撃機「東條ゲス野郎」"The Tojo Busters"(シリアルナンバー A16-211)の塗装を施しているが、これは原型(シリアルナンバー:A16-112)を改変した別機の塗装であり、MK.IIIであるはずの胴体腹部銃座もない。オーストラリアのテモラ航空博物館(Temora Aviation Museum)が保管している。
Temora Aviation Museum (VH-KOY) Lockheed Hudson Mk III taxiing at the 2019 Australian International Airshow Date 2 March 2019, 11:14:42 Source Own work Author Bidgee
Lockheed Hudson IV construction number 414-6041, former RAAF serial number A16-112, remains (as at 2014) airworthy as VH-KOY. It is painted as A16-211 of No. 32 Squadron RAAF "The Tojo Busters" in World War II. It is housed at Temora Aviation Museum, New South Wales, Australia.写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:Temora Aviation Museum (VH-KOY) Lockheed Hudson Mk III taxiing at the 2019 Australian International Airshow.jpg引用。


オーストラリアのニューサウスウェールズ州、テモラ航空博物館(Temora Aviation Museum)が保管しているロッキード(Lockheed)ハドソン (Hadson)爆撃機は、本来はハドソン MK.IV爆撃機(登録コード:VH-KOY、シリアルナンバー:A16-112、製造番号:414-6041)で、胴体腹部に銃座はない。しかし、2015年以来の塗装では、シリアルナンバーA16-112ではなく、別機(シリアルナンバー A16-211)の経歴を再現し、オーストラリア空軍第32飛行隊ハドソンMk III爆撃機「東條ゲス野郎」"The Tojo Busters"(登録コード A16-211)の塗装を施している。つまり、原型はハドソンMk.IVであったのに、見栄えのする塗装のMk.IIIに復元するという原型の歴史を改変している。

写真(右)2008年10月4−5日、オーストラリア国際航空ショー、原型を改変してオーストラリア空軍第32飛行隊ハドソンMk III爆撃機「東條ゲス野郎」"The Tojo Busters"(登録コード A16-211)の塗装を施している。:原型はライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジンを稼働して飛翔するオーストラリア空軍ロッキード(Lockheed)ハドソン MK.IV爆撃機(登録コード:VH-KOY、シリアルナンバー:A16-112、製造番号:414-6041)でオーストラリアのテモラ航空博物館(Temora Aviation Museum)が保管している。
Temora Aviation Museum VH-KOY/A16-112 Lockheed 414 Hudson IV c/n 414-6041. Painted in the livery of No 32 Squadron A16-211 "The Tojo Busters", which had the distinction of serving all through the Milne Bay campaign. Transfered to No.2 Squadron at Batchelor in April 1943. The Hudson's nose markings were added when it was having an overhaul at Wagga. The markings indicated mast-height attacks on a Japanese cruiser and a destroyer respectively. During the former incident, a head-on attack, the cruiser's barrage even included its main 8 inch guns. "The Tojo Busters" retained her black undersurfaces throughout her service life which ended after a crash landing at Millingimbi on the 6 May 1943 as a result of enemy action over Taberfane - Day 2 Defence Force Air Show 4-5 October 2008. File: VH-KOY_YAMB_20081005_P1040262 Set: Defence Force Air Show RAAF Amberley 4-5 October 2008 Tags: VH-KOY; YAMB; 2008; Defence Force Air Show 2008; Temora Aviation Museum; Lockheed; Hudson; RAAF Serials Numbers - Series 2; Panasonic Lumix Date 5 October 2008, 00:00:05. Author Robert Frola
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Hudson at RAF Museum London File:VH-KOY-A16-112 'The Tojo Busters' Lockheed 414 Hudson IV Temora Aviation Museum (9532742209).jpg引用。


ハドソンMK.IIIとMK.IVは、同じライト・サイクロン(Wright Cyclone)R-1820-87エンジンを搭載してはいるが、兵装の上では、原型のシリアルナンバーA16-112はMK.IVで腹部銃座を備えていない。しかしテモラ航空博物館(Temora Aviation Museum)では、シリアルナンバー A16-211のMK.IIIとして塗装を再現したために、本来あるはずの胴体腹部銃座がない。つまり、胴体後下方を改変せずに腹部銃座を再現しないで原型を残しているにもかかわらず、腹部銃座なしのMk.IIIの塗装を再現していて違和感がある。

日本でも知覧特攻平和会館三式戦闘機の展示を飛行第244戦隊長小林照彦大尉機(4424)に増槽と爆弾を取り付けた特攻仕様に改変塗装し、客寄せ、見栄えを良くしたようだが、原型・本物の由来・経歴の改竄は、本物の持つ重みある経歴をゆがめ詐称しているようにみえる。

写真(右)2011年10月、ニュージーランド、クライストチャーチ、ニュージーランド空軍博物館のロッキード(Lockheed)14ハドソン Mk.III爆撃機
The Lockheed Hudson was an American-built light bomber and coastal reconnaissance aircraft built initially for the Royal Air Force shortly before the outbreak of the Second World War and primarily operated by the RAF thereafter. Wikipedia Top speed: 404 km/h Wingspan: 20 m Length: 14 m Engine type: Radial engine Number built: 2,941 Manufacturer: Lockheed Corporation First flight: December 10, 1938 Date 27 October 2011, 12:00 Source Lockheed Hudson Bomber Author Bernard Spragg. NZ from Christchurch, New Zealand
写真は Wikimedia Commons, Lockheed Hudson at Air Force Museum of New Zealand File:Lockheed Hudson Bomber (8107666323).jpg引用。


ロッキード・PV-1ベンチュラの主翼 551 ft2 (51.2 m2) を 686 ft2 (63.7 m2)に大型化し、武装を強化した改良型が、ハープーン(Harpoon)PV-2哨戒爆撃機で、1943年12月3日初飛行で、ある。しかし、PV-2ハープーン(Harpoon)は、PV-1ベンチュラと同一の発動機一であり、飛行性能は重量増加で若干低下した。生産機数は470機生産されたほか、改造型としてPV-2C練習機が30機、武装強化型PV-2Dが35機生産された。つまり、ハープーン(Harpoon)PV-2は総計535機が生産されたが、ベンチュラPV-1の1,600機に比して、3分の1である。


7.ロッキード(Lockheed)18 ロードスター(Lodestar)輸送機

写真(右)1941年8月4日、アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ(San Francisco)、アメリカ海軍長官専用機となったロッキード(Lockheed)R5O-1「ロードスター」(Lodestar)輸送機 (製造番号:4250):星条旗を模した国籍記章は、青地の丸に白星、星中央に赤丸の1942年初頭まで使用されて形式である。太平洋戦争勃発後に、このアメリカの国籍記章は、青地の丸に白星となり、星中央の赤丸は廃止されている。
Description Description Lockheed R5O-1 (4250) staff transport for the Secretary of the Navy. At San Francisco on August 4, 1941. Date 24 March 2010, 21:21 Source Lockheed R5O-1 Author Bill Larkins .
写真は Wikimedia Commons, Category:Lockheed Model 18 Lodestar File:Lockheed C-60A Lodestar ‘AM711 - AM’ (N3779G) (26703464486).jpg引用。


1937年7月初飛行のロッキード14・スーパーエレクトラ(Lockheed Model 14)輸送機は、高性能を追求したために、高価格となり、経済性がダグラスDC-3より劣ったために、販売実績は思わしくなかった。そこで、ロッキード 14 スーパーエレクトラ輸送機の経済性を改善するために、乗客を増やすこととし、そのために胴体後部を長して座席数を増設したのが、ロッキード 18 ロードスター輸送機である。ロッキード 18 ロードスター輸送機の試作1号機の初飛行は、1939年9月21日で、生産機は1940年2月2日に初飛行した。ロッキード 18 ロードスター輸送機の生産機数は、625機である。

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)・ロードスター(Lodestar)輸送機 見る。


8.ロッキード・ベガ・ベンチュラ(Lockheed Ventura)PV-1哨戒機

図(右)航空機認識訓練カードに描かれたアメリカ陸軍航空隊所属のロッキード・ベガ・ベンチュラB-34 爆撃機(LOCKHEED-VEGA VENTURA B-34 BOMBER)の三面図:敵機・味方機、戦闘機・爆撃機、防御銃座の位置などが、生死を分けるので、地上にいるうちに十分に機種識別訓練を施した。
Lockheed B-34 Ventura; Education, Type Recognition, Flash Cards, Aircraft Recognition Training Cards, WWII, USA. [ephemera] LOCKHEED-VEGA VENTURA B-34 BOMBER. Three-view (front, bottom, side) silhouette drawing of Lockheed B-34 Ventura aircraft; World War II aircraft type recognition training flash card; American made, circa 1940-1945  See more items in Videodisc Imagery Collection
写真は SmugMug+Flickr,National Air and Space Museum Archives Local number NASM-00186638引用。


ロッキード(Lockheed)ハドソン(Hudson)の後継機が、同じロッキードのベランチュラ哨戒爆撃機で、1940年にイギリスは、中立国だが事実上の同盟国のアメリカのロッキード社に対して、ロッキード モデル18「ロードスター」を原型とするロッキード・ベンチュラ爆撃機(後のアメリカ海軍ロッキードPV-1Lockheed-Vega PV-1)を発注した。

ロッキード・ベガ PV-1 ベンチュラLockheed-Vega PV-1 Ventura)哨戒爆撃機は、試作1号機が1941年7月に初飛行した。その直後の1941年末には、対日戦の勃発が迫っていたために、アメリカ軍用の生産を優先された。

ロッキード・ベガ PV-1 ベンチュラLockheed-Vega PV-1 Ventura)哨戒爆撃機の機首前面に地上機銃掃射用の7.7ミリ機関銃2丁を装備、防御用に胴体後上方にボールトンポール製7.7ミリ連装機関銃装備の動力銃塔を搭載した。また、胴体後方下面にも、7.7ミリ連装機関銃を設けている。ロッキード・ベンチュラ哨戒爆撃機の胴体下面爆弾倉には2,500ポンド(1,135kg)の爆弾搭載が可能である。

ロッキード PV-1(Lockheed PV-1)の諸元
搭乗員:5名
全長:15.77 m
全幅:19.96 m
全高:3.63 m
翼面積:51.9 平方メートル
自重:9,160 kg 全備重量:14,096 kg
発動機:プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)R-2800空冷星型18気筒エンジン離昇出力2,000馬力2基
最高速力:518 km/h/高度4,025 m)
巡航速度:274 km/h
着陸速度:134 km/h
上昇率:680 m/分
実用上限高度:8,015 m
航続距離:2,670 km
爆弾搭載量: 3,000ポンド(1,363Kg)またはMk13航空魚雷1本
翼下に5インチロケット弾(HVAR)8発
兵装:機首:前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃2丁
機首下面ガンパック:前方固定12.7ミリ機銃3丁
胴体後上方:12.7ミリ連装機銃1基
胴体後下方:7.62ミリ連装機銃

⇒写真集Album:ロッキード(Lockheed)・ベンチュラ(Ventura)PV-1哨戒爆撃機 見る。


8.ロッキード・ハープーン(Lockheed Harpoon)PV-2哨戒爆撃機

写真(右)1945年、アメリカ、カリフォルニア州、アメリカ海軍オークランド基地(Naval Air Station Oakland)、アメリカ海軍航空隊所属のロッキード・ハープーン(Lockheed Harpoon)PV-2哨戒爆撃機:機首下面に前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃が飛び出している。胴体後上方には動力回転銃座が設けられている。
Description A Lockheed PV-2 Harpoon in flight in 1945. Date 1945 Source U.S. Navy Naval Aviation News 15 September 1945 [1] Author USN
写真はWikimedia Commons,Category:Lockheed PV-2 Harpoon File:PV-2oak178 (4800374609).jpg引用。


イギリスがアメリカのロッキードに発注したベンチュラPV-1哨戒爆撃機の発展型が、ロッキード・ハープーン(Lockheed Harpoon)PV-2哨戒爆撃機で、1943年11月に初飛行した。改良点は、飛行安定性を向上させるために、翼の形状の改良と主翼面積の増加、尾翼の形状改善、攻撃力・防御力の向上である。しかし、発動機はP&W R-2800空冷星型18気筒2,000馬力2基で同一で飛行性能は向上していない。

ハープーン(Harpoon)PV-2哨戒爆撃機は総計535機が製造されたが、これはPV-1ベンチュラが1,600機生産されたのに比較すると、非常に少ない。

ロッキード・ハープーン(Lockheed Harpoon)PV-2哨戒爆撃機の諸元
搭乗員 5名
全長:22.9m、全幅:15.9m、全高:4.00m
翼面積:63.7平方メートル
自重:9,530kg、全備重量:15,270kg
発動機:P&W R-2800空冷星型18気筒2,000馬力2基
最高速力:456km/h、巡航速力:275km/h
着陸速力:150km/h
上昇率:341m/分
実用上昇限度:7,280m
航続距離:4,720km
爆弾搭載量:6,000ポンド(2,710kg)またはMk13航空魚雷2本
機首上面:前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃2丁
機首下面:ガンポッドに前方固定ブローニング12.7ミリ機関銃3丁
胴体後上方:ブローニング12.7ミリ連装機関銃搭載の動力回転銃座
胴下後下方:ブローニング12.7ミリ連装旋回機関銃
翼下面:5インチロケット弾8発

⇒写真集Album:ロッキード・PV-2 ハープ―ン(Lockheed Harpoon)哨戒機見る。



2011年7月刊行の『写真・ポスターに見るナチス宣伝術-ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社(2000円)では、反ユダヤ主義、再軍備、ナチ党独裁、第二次世界大戦を扱いました。
 ここでは日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
バルカン侵攻、パルチザン掃討戦、東方生存圏、ソ連侵攻も解説しました。

⇒写真集Album:ライト・ベランカ (Wright-Bellanca WB-2)「コロンビア」の大西洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junkers)W.33「ブレーメン」Bremenの大西洋横断飛行見る。
⇒写真集Album:ベランカCH-400「スカイロケット」の太平洋横断飛行を見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)A-50「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を詳しく見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)W33「報知日米親善号」の太平洋横断飛行を詳しく見る。
⇒写真集Album:ユンカース(Junker)G-24輸送機を詳しく見る。
⇒写真集Album:ユンカース(junkers)Ju 52 輸送機を詳しく見る。
ドルニエ(Dornier)Do-X 飛行艇
ルフトハンザ航空ユンカース(Junkers)Ju90輸送機
ドイツ空軍ハインケル(Heinkel)He111爆撃機
ルフトハンザ航空フォッケウルフ(Focke-Wulf)Fw200コンドル輸送機

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