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I L O 駐 日 事 務 所(〒150−0001 東京都渋谷区神宮前5−53−70 国連大学本部ビル8階 )は、次のような見解を掲げている。

「児童労働」とは、以下のような子どもの労働のことです。
◆原則15歳未満の子どもが、大人のように働く労働
ILO138号条約 が定める就業最低年齢

最低年齢 15歳
・ 義務教育修了年齢を下回らない(原則)
・ 途上国は14歳とすることができる

軽易な労働 13歳
・ 途上国は12歳とすることできる

危険な労働 18歳
・ 健康・安全・道徳が保護され、適切な職業訓練を受ける場合は16歳

* 子どもたちの健全な成長を妨げる労働をさし、家や田畑での手伝い、小遣い稼ぎのアルバイトなどは含まれません。

◆18歳未満の子どもが行う最悪な形態の労働

ILO182号条約
人身取引、債務奴隷、強制的な子ども兵士、その他の強制労働
買春・ポルノ、麻薬の製造・密売などの不正な活動
子どもの健康・安全・道徳を害し、心身の健全な成長を妨げる危険で有害な労働

◆家族の元で行われる児童家事労働でも、教育に使用をきたすこともあるし、過酷なこともある。路上での物乞いや買い物袋の販売は小遣い稼ぎとて行われる。これが「児童労働」には含まれませんというのは、より過酷な状況の子供たち、「最悪な形態の労働」の救済・保護を優先しているからであって、放置しておいてよい問題ではない。

◆なぜ「児童労働」があるのですか?

一番の原因は <貧困> です。(1日1米ドル未満で暮らす人は10億人) しかし、その他にも...
・ 子どもの教育へのアクセスがない
・ 親の教育の欠如
・ 子どもの地位が低い価値観や社会慣行
・ 地域社会の労働慣行
・ 地方から都市への移住
・ 家庭の問題
・ 不適切な法律の施行

◆なぜ「児童労働」をなくさなくてはならないのですか?
・ 子どもの人権を侵害するから
・ 子どもが教育を受ける権利を侵害するから
→ 十分な教育を受けられまま大人になり、貧困の連鎖につながる
・ 子どもの心身の健全な発達を妨げるから

児童労働撤廃のコストは、途上国の軍事費の約2割と試算されています。


再生トイレットペーパの製造工程

1)古紙回収(原料)
2)溶解
3)精選
4)脱墨
5)洗浄
6)減菌・漂白
7)抄紙
8)加工
9)製品保管  

ビール製造工程
1)製麦:大麦から麦芽へ
2)仕込み:麦芽から麦汁へ
3)発酵:麦汁からビールへ
4)貯酒:ビールの低温での熟成
5)濾過:おり、酵母を除去し生ビールへ
6)缶詰:容器に酸素が入らないように注入


再生トイレットペーパの製造工程

1)古紙回収(原料)
2)溶解
3)精選
4)脱墨
5)洗浄
6)減菌・漂白
7)抄紙
8)加工
9)製品保管  

ビール製造工程
1)製麦:大麦から麦芽へ
2)仕込み:麦芽から麦汁へ
3)発酵:麦汁からビールへ
4)貯酒:ビールの低温での熟成
5)濾過:おり、酵母を除去し生ビールへ
6)缶詰:容器に酸素が入らないように注入

ケソン市Quezon City)は人口200万人以上で、大規模な廃棄物最終処分場とスラム街がある。特に、パヤタス通りには、トタン板に囲まれたジャンクショップ(屑屋)が並んでいる。そのような場所にも、キリスト教会があるが、普通の家と変わらないバラック造りである。

キアポ市場の市場にある露店は、都市インフォーマル部門urban informal sector)の生業である。会社に雇用されていなければ、お金を稼ぐために都市インフォーマル部門urban informal sector)に雇用機会を見出すしかない。
 政府による社会保障生活保護も不十分であるからこそ、スラムではリサイクル小規模事業=草の根民活の動きがある。
マニラ首都圏に多い都市インフォーマル部門urban informal sector)は、イントラムロスではほとんど見かけない。

 マニラ市エルミタ地区から、デビソリア(Divisoria)行きジプニーで20分のところに、キアポ市場がある。キアポ地区は、16のバランガイ(Barangays:最小の行政単位)からなる人口2.5万人の地区。キリスト教徒のほか、イスラム教徒も住んでいる。

華僑(かきょう)とは、中国、特に広東省、福建省を僑郷(華僑のふるさと)として、海外に移住した中国人を指す。現在、世界に2000万人いるとされるが、清朝時代、満州族の王朝・官僚に抵抗して亡命した中国人漢民族から、経済的な成功のチャンスを求めた中国人まで、移住の動機はさまざまである。

アヘン戦争後、列国の中国半植民地化の動きの中で、窮乏化たり、海外ビジネスのチャンスをつかもうとしたりした南部の中国人が多数、海外に移民した。「半封建・半植民地のもとで生活に窮した人々は、戦争や農民反乱の混乱から逃れて、大量に海外へと流出していった」「福建省の場合も、元代以降大規模移民が始まっている。もともと山がちで耕地が少なく、多くの人口を抱えていたという事情に加えて、自然災害の発生、海外貿易の発展といったことが、そうした大量移民を出現させる背景であった。」との華僑の解釈もある。

 しかし、筆者の研究では、華僑は、窮乏化した労働者の海外出稼ぎだけでなく、新たなビジネスチャンスを求めた積極的な海外渡航が契機になっていることも多く、その出身者も中間層以上の中国人も例外ではない。孫文の革命運動を支えた興中会、中国同盟会会員の中には多数の華僑があるが、彼らは富裕層ともいえる。また、中国辛亥革命後、華僑が海外送金や外国情報の提供、外交仲介で、国民政府を手助けした。

 ◆中国狩人北京経済技術開発区によれば、北京経済技術開発区(BDA)は、1992年に着工、1994年8月に北京市唯一の国家級の経済技術開発区として国務院に批准された。1999年1月、国家級の経済技術開発区及び国家高度技術産業区として優遇されることになった。

北京経済技術開発区のような経済技術開発区は、対外開放の国策の中で、1984年、輸出振興と外資誘致を目的に設置された沿海工業地区であり、1979年に設置された深圳、珠海、汕頭、廈門(アモイ/シーメン)の経済特区经济特区:Special Economic Zone)に準じる税制上の優遇措置などが認められている。つまり、経済技術開発区内の外資系ハイテク企業には、所得税率15%、輸出総額が総生産額の7割を超える企業に対してはさらに10%ポイントの軽減が認められる。ハイテク産業関連の原材料や部品の輸入には、許可証が不要で、関連設備の輸入関税も非課税、製品の輸出も非課税となる。

◆1980年に厦門が経済特別区に指定されて以来、開発区として、湄州島国家観光レジャー区、武夷山国家観光リゾート、東山経済技術開発区、福州経済技術開発区、廈門輸出加工区、福州輸出加工区などが設けられている。福州と厦門には、国家級のハイテク産業開発区(高新技術産業開発区)が設定されているのである。しかし、内陸部南靖県にはこんな山間部の村落がたくさんある。

◆中国では、環境や景観を保全した都市計画として基本農田保護区が設定されている。元来、中国政府は耕地の保護を基本国策としており、基本本農田保護区を画定し、農業専用地として、非農業目的に転用を禁じている。これは、食糧の安全を確保する基盤整備ともいえる。

 張貴民(2006)「北京市における土地利用の空間的変化とその景観分析」(張・菊地 8) によれば、北京は「都市化のため、都市近郊では大量の良質な農. 地が都市的土地利用に転用された。この地域の農地の保護が重要になり、基本農田保護区として指定されている。北京市街地に近づくにつれて、農業的土地利用の中に野菜栽培が目立つように なった」という。
 王府井ヨーカ堂(北京銀座のワンフーチン・ヨーカ堂)は、「この商品は、低農薬栽培に特化している小湯山農園と. パートナーを組んで、北京近郊で"安全・安心な野菜栽培"に取り組ん. でいる農家を組織化。小湯山農園に野菜を集荷して、これをパッケー. ジングし、店舗で販売するというものです」と安全健康な高級野菜を売り込んでいる。

◆雲南省剣川県では、粘土瓦レンガを焼いているだるま窯も、付近に8基見かけた。
 元朝末年に創建された大理剣川県沙溪寺登街は、観光名所でもあり、“三坊一照壁”、“四合五天井”式の大理ペー族伝統な民居がたくさんある。この屋根瓦を造っているのが、このような窯であり、地元の窯業である。


文部科学省科学研究費を得た研究題目
1.アジア太平洋の地域コミュニティにおける個人経営体を重視した社会開発と環境保全(2005)基盤研究(C)2003-2005

2.開発途上国における個人経営体と草の根の環境ODA(2002)基盤研究(C)2001-2002

3.開発途上国における個人経営体に対する草の根の環境ODA(2003)基盤研究(C)1998

4.開発途上国の小規模産業における雇用吸収力と経済援助(1993)奨励研究(A)1993

5.開発途上国の小規模産業における個人経営体のもつ雇用吸収力と経済援助(1992)奨励研究(A)1992

6.開発途上国の諸産業における契約形態についての理論的・実証的研究(1989)東京大学・特別研究員PD

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◆中国河北省の古都開封の世界遺産:
1.【地球温暖化】【地球観測】【熱帯林減少】【生物多様性】【廃棄物問題】【国際協力】【人口問題】などを研究しています。
2.2003年2月,中華人民共和国河南省のエネルギーと農村生活を調査しました。河南省は、中国で最も農業が盛んな地域で人口8000万人。州都郑州市鄭州:チェンツォウ)から西に70kmの古都「開封市(开封市)」(カイフェン)郊外の農村黄河堤が調査地です。
その他の写真は、写真解説一覧中国のバイオマスエネルギーフィリピンの薪採取などをご覧ください。
開封市

 Kaifun


開封城市洛陽からバスで5時間かけて開封(カイフェン)に向かう。洛陽のこのバスターミナルには、周囲の都市に向かうバスがぶらりと並び、バスの中はビデオ上映もしており、快適。 开封市(開封市)は総人口480万人,市区人口80万人,総面積6444平方キロメートル、市区面積362平方キロメートル。市には、5県(县)五区がある。開封市に限らず、中国の地方都市では、まだ人力車が現役で活躍している。 開封城市
人口密度も高い河南省の州都は、鄭州。そこから西70kmに宋の古都「开封市(Kaifeng)」がある。現在の人口は,80万人で,河南省の省都は,さらに東の鄭州。
開封城市
开封市(開封市)
開封城市
开封市(開封市)城壁。灌木地帯となっているが、これは公園整備と並んで、エネルギー供給上の実用的な意味がある。
開封
11世紀、北宋時代に建立された開封城市の景観保存地区。 開封の中心街。古い町並みも残されていて、観光資源となっている。

開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市の景観保存地区。

開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市の景観保存地区。

開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市では土産として刺繍が有名。デザインは、伝統的なものからモダンなものまで、大きさもいろいろある
開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市の景観保存地区。 開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市。地域コミュニティができていて、ゲームをして楽しんでいる住民たち。
開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開封城市の景観保存地区。開封の街中に限らず、中国の都市では、荷車で炭を引く人によく出会う。調理、給湯、暖房のために、薪炭は重要なエネルギーであり、特に都市では、火力が強く運搬容易な炭が普及している。
相国寺

Grazing


開封中心街の相国寺 hspace=10
開封中心街の相国寺。
開封中心街の相国寺
開封中心街の相国寺。
開封中心街の相国寺
開封中心街の相国寺にある千手観音像。
開封中心街の相国寺
開封中心街の相国寺にある千手観音像。
開宝寺鉄塔(瑠璃塔)

 Levee

 
開封
11世紀、北宋時代に建立された開宝寺鉄塔(瑠璃塔)は、塔を取り巻く外壁のレンガが鉄製に見えるので、开封铁塔呼ばれる。「鉄塔」は、900年余りの歴史を持ち、1961年国務院が全国重要文化財に認定。鉄塔は13階、高さ55m。

開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開宝寺鉄塔(瑠璃塔)は、塔を取り巻く外壁のレンガが鉄製に見えるので、开封铁塔呼ばれる。「鉄塔」は、900年余りの歴史を持ち、1961年国務院が全国重要文化財に認定。鉄塔は13階、高さ55m。

開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開宝寺鉄塔(瑠璃塔)は、塔を取り巻く外壁のレンガが鉄製に見えるので、开封铁塔呼ばれる。「鉄塔」は、900年余りの歴史を持ち、1961年国務院が全国重要文化財に認定。鉄塔は13階、高さ55m。 開封城市
11世紀、北宋時代に建立された開宝寺鉄塔(瑠璃塔)の基壇にある仏像。
開封の食事

 Farmer

 
くり
開放城市では、甘栗をつくって販売していた。

めん
開放城市では、路上で面を練っていて購入、食事ができる。 ぱおず
開放城市では、包子をつくって販売しており、蒸したてを食事もできる。

ケーキ
開放城市では、ケーキ屋があって、出来立ての大小さまざまなケーキを購入できる。デコレーションも頼める。
練炭の製造

 Briquette


レンタン
練炭(レンタン)。中国語で「练炭(liàn tàn)」、略してtan。蜂窩煤 / 蜂窝煤(fēng wō méi)という地域もある。練炭の成分は、木炭4割、褐炭・泥炭5割、生石灰・粘土の他1割で、一部バイオマスエネルギーと言える。練炭は、成形してから、天日で乾燥させている。
練炭
褐炭(かったん)、泥炭を水で練り、木炭や生石灰・粘土などを混ぜて、型に入れ、練炭(レンタン)を作る。路上で天然乾燥させている。労働集約的な作業と言える。
河南省開封市黄河堤では、零細工場、家内工業で労働集約的な工程で練炭が製造されている。 練炭
練炭(レンタン) は、tanあるいはmei (coal 煤)と呼ばれる。練炭を燃焼するには、専用のコンロ(練炭ストーブ)を利用する。燃焼によって、摂氏600度の熱エネルギーを得ることができる。
石炭は、炭素、酸素、水素の化合物だが、炭素含有量が多いほど火力が強く高品位である。炭素含有量が多い順に、無煙炭、瀝青炭(れきせいたん)、亜瀝青炭(あれきせいたん)、亜炭褐炭(かったん)、泥炭に分類され、練炭は、主に低品位の褐炭、泥炭を利用して製造される。
東海大学教養学部

 Tokai University


鳥飼行博
黄河堤の村から開封市に帰る途中、街路樹の伐採現場を見かけた。木質バイオマスエネルギーとして、採取する様子はなかなか見ることはできないが、このような街路樹からの薪採取も初めて見た。

◆里山・入会地は、無償で利用はできるが、アクセスが、地域コミュニティのメンバーに限定されていたり、現地住民が相互利益に配慮しながら管理してたりしている。つまり、里山は、「ローカル・コモンズ」の一種である。現地住民は、地域コミュニティの他のメンバーの利益に配慮して、ローカル・コモンズを利用する。そこで、フリーライダー、モラルハザードが抑制され、「コモンズの悲劇」は生じにくい。
 つまり、現地住民が利用する里山・入会は、自由にアクセスできる自由財ではなく、地域コミュニティのメンバーに限って利用できるローカル・コモンズであり、持続可能な利用がされてきた。

 ローカルコモンズは、世界各地に古くから存在してきた。そして、地域コミュニティの現地住民による利用と管理の下にあった。このようなローカル・コモンズとして里山や入会地が維持できるのであれば、フリーライダー、モラルハザードに起因する里山の崩壊、すなわち「コモンズの悲劇」は、起こらないであろう。

里山は、薪というバイオマスエネルギーを提供しており、再生可能エネルギーの供給源でもある。バイオマスエネルギーというと、現在の日本では、バイオ発電、バイオ液体燃料など間接利用が注目されているが、歴史的には、里山からの薪採取という形で、住民に再生可能エネルギーを供給していた。これは、草の根民活として、地域コミュニティの住民が、自主的に里山を管理していたことを示すものである。

 他方、日本の里山の再生が唱えられているが、NPOやボランティアのメンバーが、薪炭などを利用する現地住民でない場合、里山復活は困難な場合が多い。里山利用に伴う利益が、レジャーや自然観察に留まっているのであれば、 財政支援あるいは税制上の優遇措置が必要かもしれない。
以上のように、里山は、再生可能エネルギーの供給源として、利用され、保全されてきたのであり、持続可能な開発に大いに関連している。里山の議論を、自然と親しむとか、身近な緑を守るとか、狭い範囲に限定するのではなく、バイオマス利用の場として、世界に通用する視点で、持続可能な社会形成に役立てるべきであろう。 この意味で、日本に限らず、里山などローカルコモンズの利用と管理は、開発途上国の地域コミュニティに学ぶべき点が多いのである。


スラム (Slum) とは、交通・エネルギー・衛生・教育などのインフラが不十分で、都市貧困層の暮らす居住区である。しかし、外見にもかかわらず、そこは、生半可な知識や偏見を抱いた識者が言うように「公共サービスが受けられない」のではないし、「荒廃状態にある状況」とは言い難い。開発途上国の大都市には、どこでもスラム街といっていい地区があるが、そこは貧しいけれども、住民が必死に苦労して生きている場所であり、草の根の民間活力の感じられる場所である。

開発途上国の人口増加と都市化の進展に伴って、スラム人口 (Slum population)人口は増加傾向にあり、2007年時点で、10億人はスラム居住者であると推測され、国別では、中国1.7億人、インド1.1億人、パキスタン2750万人、インドネシア2680万人、フィリピン2390万人、ブラジル4570万人、メキシコ1180万人、ナイジェリア4530万人、スーダン1550万人などされる。

スラムの特徴として高失業率があげられるが、これは正確な表現ではない。なぜならスラム住民で、正規の工場労働者、サラリーマンはきわめて少なく、多くは自らが仕事を作り出している状況にあるからである。

スラム街の居住者を中心に貧困者が、少ない元手で自営的に零細な仕事を起こしているのが、都市インフォーマル部門である。具体的には、食品など材料を安く買って加工したり、小さな袋に分けたりして、露店で売る転売、路上で客を待つ靴磨きや荷物運び、商店やタクシーやバスの客引き、駐車する車の番人など、さまざまな職を自ら生み出している。この特徴は、小規模な元手で行う自営的サービス業という点であり、高失業率といった主に会社の正規雇用を念頭に置いた概念で図ることはできない。

 スラム街の特徴は、都市インフォーマル部門程度しか雇用機会を提供できないという貧困であるが、だからといって「犯罪や麻薬、アルコール依存症や自殺などが多発する」というのも誤解である。開発途上国でなくとも、非衛生的な環境であれば、病気、伝染病が蔓延するが、だからと言って、スラム住民が強盗や盗人に成り下がるということは言えない。

開発途上国のスラム居住者は、農村から押し出され、あるいは都市に惹きつけられた出稼ぎ者や移住者が多く、貧しいながらも貧困から抜け出そうと、都市インフォーマル部門において、厳しい低報酬の労働にいそしんでいる。また教育に熱心になる傾向も指摘できる。彼らは、農村という地域コミュニティを引き継いで、都市のスラムにあっても一定の自治的な秩序をもって生活している。環境の悪い町外れなどの未開発の地域に住み着いたとしても、住民相互には、暗黙の了解・契約があり「無秩序」ではない。


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鳥飼 行博 TORIKAI Yukihiro
HK,Toka University,4-1-1,Kitakaname,Hiratuka,Kanagawa,Japan
259-1292 東海大学への行き方
Fax: 0463-50-2078